教会へのあかし 第7巻

[はじめに]        [エレン・G・ホワイト遺稿出版管理委員会]

 

第7巻が書かれた時代背景

 第7巻は、第6巻の出版の後、2年余り後の1902年の後半に出版されました。しかし、これらの数か月後、特に、私達の教派の働きの組織化の時に、[20世紀の]新しい時代が始まりました。

 [1902年の時点から]38年より少し前の1863年、SDA全体総会が、合衆国全体の中で6つの地方カンファレンス/総会によって組織されました。その時、125の教会、3,500人の教会員が奉仕していて、資格を与えられ任命された30人の牧師がいました。そこにはまだ、セブンスデー アドベンチストの学校やサナトリウムはなくて、この教派の出版所が一つあるだけでした。

 過去10年毎の成果は、新しい伝道地の開拓の努力と、教会員と働き人が倍ずつ増加したことを記録しました。19世紀から20世紀に代わることによって、この働きは、この世界の大きさに釣り合うように成長しました。1900年代の統計上の報告は、書籍類が30の出版所とその部門から39言語で出版されていることを示しています。500人の任命された牧師と、1,000人のこの教派の様々な部門での働き人と、1,892の教会の66,000人の信徒が奉仕していました。そこは、42の地方ミッションと45の地方カンファレンスにグループ分けされました。オーストラリアとヨーロッパにおいても、その地方カンファレンスはユニオンカンファレンスの組織として新たに編成されました。

 出版所の働きの発展とともに、安息日学校の働きの開始と、教育的な関心と、医療の開始と共に、自立的な組織がそれらの支部のケアために構成されました。国際的な安息日学校、宗教自由協会と並んで、様々な出版所と教育的な協会がありました。外国伝道の働きは、外国伝道委員会によって管理されていました。それらの様々な組織の関心は相互に関係づけられていましたが、まだ、それぞれ、アメリカ全体を大きく分けて、本部事務所によって教会全体を明確に分けて奉仕していました。外国伝道委員会の事務所としてニューヨーク市が大きい船積みのセンターに有利なので選ばれました。安息日学校協会のケースでは、カリフォルニアのオークランド市がその事務所に適したセンターでした。宗教自由の働きはイリノイ州シカゴ市、医事伝道の働きはミシガン州バトルクリーク市に本拠地を置きました。

 その結果を見ることが難しくないほどに、それ自身、自然な発展にあるこの教派は1863年のオリジナルな対策に合わなくなるほどに自然に成長しました。ある変化は行なわれる必要があります。全体総会委員会は12人のメンバーで構成されました。彼らの内の4人はバトルクリークの居住者でした。現在、全世界に広い範囲で急速に成長している働きを僅かな人がどのようにケアできるでしょうか。ヨーロピアン ユニオン カンファレンスとオーストラレーシア以外の世界中のあらゆるミッションと地方カンファレンスは、リーダーシップを全体総会が直接取るようにと指導されました。ある伝道地の必要は放置されました。あるいは、いくつかのケースのマネジメントは効果がなかったということが少々不思議です。ある支部ではこの働きが手に負えないように思われていて、彼らは、自分達で作った独立的な組織のラインに進んで忘れられて、不釣り合いに成長して、様々な問題が増しました。

 19014月はそのような状況でした。E.G.ホワイトがオーストラリアから合衆国に戻った[1892-1900]当時、全体総会会議の集会の開始時に話しました。彼女は、この働きの徹底的な再組織化、特に責任の分担の必要を強く呼びかけました。一方で、その必要は明白でした。その状況における取り組み方は、難儀な問題でした。今、行動の呼びかけと、率いるための信仰と先見の明のある人々と共に、この全体総会の働きは再組織化されました。第一に、オーストラリアで正式に開始され、ヨーロッパでも手本となったユニオンカンファレンス計画が適用されました。これは、ケアされる必要のある、あるいは、ケア可能な地方教会をもっと詳しく、全体総会が教会行政を行なうように再生しました。第二に、出版や医療、安息日学校や教育の働きなどは全体総会の教会行政部門として、基礎的な働きがこの教派の様々な自立的な組織化をもたらすために置かれました。第三に、この全体総会委員会は、人数が増やされ、全ての支部の働きと全世界の伝道地の代表者となりました。この全体総会の働きのある層の人々は、どちらかというとすぐに再組織化されました。安息日学校、教育、宗教自由の部門はすぐに再編されました。ほかの諸支部は時間がかかりました。あるケースでは、変化の必要が見られたのは、大惨事に襲われてからでした。医療部門の働きにとって、再組織化の過程は、その人々が繫がった偉大な働きの方針を変えて、それに繫がった男性達と女性達の思考に届く必要がありました。1901年のSDA全体総会会議の時に、セブンスデー アドベンチストの働きの大きな部分を占めていたバトルクリークサナトリウムとその付属施設は、その頂点に達していたように思われます。そのリーダー達とそれに関する彼らの思想は、やがてセブンスデー アドベンチスト教派の働きを覆い隠すことになる、全くこの教派に属さない登場人物によって、偉大なクリスチャン医事伝道に直面して始めていたことが明らかになりました。

 それから、1902218日、最初の天災が降って、バトルクリークサナトリウムの主要な建物が焼け落ちました。すぐに、その設備を再建するための協定が結ばれました。この火災の体験と共に、その23カ月後にその働き人らの手に届いた「預言の霊の勧めcounsels」は、この教派の働きの不可欠な一部だけの特徴として、医事伝道の働きの真の場所を明らかに見るように多くの人々を導きました。その勧めには、より巨大な建物や自分達の視野による野望ではなく、外に散らばって、多くの医療伝道センターを設立するようにとの呼びかけがありました。

 「私達の[教会の]サナトリウムの働き」が書かれた[第二]部を構成しているミセスホワイトの記事はそれらの時代背景の中にあります。それらは、この教派に奉仕し続けるように第7巻に収録されました。

 初期の頃、レビュー&ヘラルド出版所とパシフィックプレス出版所が設立された時、手頃な価格の形式で必要な書籍を製作する施設と良い装備を持つことは必要な事でした。しかし、その始まりの日々に、そのような厳格な教派の働きを確立するために利用する十分な時間がありませんでした。よく訓練された印刷所のスタッフの管理と印刷機の操作技術の伝達のために、私達の出版所の施設は商業印刷を請い求めました。そのような働きは、便箋などの印刷から参入しました。

 しかしながら、多くの難問がこの商業印刷から湧き起こりました。品性が高貴にされないような書籍原稿が受け入れられて印刷されました。この書籍のある物は危険な誤った教理を含んでいました。また、あるものはほかに決定的に有害な根拠がありました。それらの状況は、第7巻の時にクライマックスに達しました。それらの出版事務所は、改革/改善の呼びかけとこの働きの危険性を指摘した預言の霊の[勧め]を受けていました。それから、数年経って、この教派の働きは発展を続けるでしょう。その時は、その設備とそのスタッフはこの教派の働きにもっぱら必要とされた時に来て結ばれていました。しかしながら、うまくいっていた数年の間に、レビュー&ヘラルドとパシフィックプレス出版所が火事によって焼失するまで(p.297補遺参照)、それらのメッセージは、その成果を生み出しませんでした。印刷所が再建を指導された時、そのリーダー達は、この教派の書籍のための新しい建物を開所し印刷機を装備して、信仰によって前に歩み出しました。彼らは、私達の出版の働きによって、世界中に感化を与えてきた第7巻の勧めの光/真理を行ないました。

 1901年のSDA全体総会会議に参加するために、ミセスホワイトがカリフォルニア州セントヘレナからミシガン州バトルクリークまで旅をした時[訳者加筆。1869年に開通した当時の大陸横断鉄道で西部から東部まで1週間ほどかかりました]、彼女は、数箇所の新しい学校を訪問し、新しく設立された出版事務所を視察するために[テネシー州]ナシュビルで列車から降りて南部のルートを取りました[たぶん、駅馬車を乗り継いだでしょう]。それらの事業は、南部の広大な地域での働きを始めるように「レビュー&ヘラルド」誌の投稿欄で表明した彼女のアピールを通して呼び掛けられていました。彼女の勧めは、オーストラリアにいて執筆していたけれども、この働きを推進してきた人々に霊感を与えて導きました。成し遂げられたことを彼女自身の両目で見ることと、それらのセンターを訪問することは、彼女の特権でした。

 彼女に与えられていたその啓示が伝えられて、この伝道地とその必要をじかに見ることによって、彼女は、そのメッセージを広めるための機会の強みを用いて、白人と有色人の双方の間の働きの指揮の問題を捉えて、南部諸州に入って行くために、一般信徒と同様、多くの正規の働き人達に呼びかけるよう駆り立てられました。これらの奮起は、第7巻の主要な部分となって、この2年の間に書かれた記事によってアピールしています。それらは、活動的な福音伝道と冷静な生きた信仰を通して、先駆けのメッセージとなって、広大な南部に移住するようかなり多くの家族を導くように役に立ちました。このタネ蒔きの成果による収穫の多くが現在[1902]見られています。

 初期の頃に、生き方や生活の改善を教えられて実践したセブンスデー アドベンチスト達は、ある食物をバランスの取れた美味しくて適した提供の助けとして、また、あるものを有害な食品にして、健康な食品の製造と普及を進めました。それは、私達の手には大きく過ぎた製造の働きなのですが、後の数年に発展し、穀類加工食品へ強い関心に基礎をおいた、セブンスデー アドベンチスト達の教えと努力の成果でした。第7巻の時代の半ばまで、私達は、私達自身の健康食品製造センターで多くの人の目に触れずに製造していました。そして、いくつかの都市で、健康レストランが指導されて存在していました。第7巻に収められている数章は、この人々がこの世界の人々に先駆けをしている明確なメッセージの感化影響を語って残すために、一つの方法のようなものを指導されていると主張して、この働きについて勧めを与えました。

 第7巻の時代の間のメッセージは、都市における働きの優位性を呼び掛けているのが特徴です。それらのメッセージは、後の数年に出された、ほかのアピールに続いていました。私達の[国の]大都市の必要はこの本の第1部に一般的な方法として、まず私達の[教会の]人々の前にもたらされました。行なわれるための働きは、カンファレンスの働き人達に限界がありませんでした。一般信徒の層は、大衆の大きなセンターの中にずっと続く義務に引き寄せられようとしていました。何年も続くように存在していた偉大な福音計画は開始されました。

 第7巻が出版された時、セブンスデー アドベンチスト達は、半世紀以上も積極的な働きを指揮されてきました。その数年間の節目は、重責から降ろされ、役職を解雇されなければならない非常に多くの働き人がいたということを意味していました。神の[人類救済]目的を成し遂げるために、そのような犠牲を払い働きが捧げられました。しかし今、彼らが自分達の働きを捨てて、若い人々の手に重責を渡すその時がやって来ました。そこには、自分達を支えるための対策はありませんでした。その必要とその改善法は、ミセスホワイトに明瞭に啓示されていました。第7巻にある彼女の締めくくりのメッセージの中で、彼女は、それらの年配の働き人達に、この教会の責任を優しい言葉で表明しています。退職した働き人達の必要をケアするための基金を呼びかける彼女の成果は、第7巻発行の数年後に存在がもたらされた「整備計画」に今日見られています。

 このように、第7巻は、僅かな指導項目/ラインだけのために貢献しています。しかし、この生きた勧めは、いつまでも伝えられて、そして、豊かな実りを生み出しています。      エレン・G・ホワイト遺稿出版管理委員会

 

 

 

 

訳者加筆。ゴッホが1888年に描いた馬車は、      の形の板バネのスプリングが装着されていたので、振動が少なく快適なものでした。エレンの夫ジェームズは脳卒中で健康を損なった時にスプリング付きの3頭立て馬車を買って使いました。「私達の老化した体と、ひどく振動して乗り心地の悪い馬車は、私達と馬車を引く馬達teamを殺すに近い物でした」。「私達がぼんやりしている間に、馬達(Brothers)のキング、ファーゴ、そして、メイナードは、私達と馬達teamを救済するために、軽量で、振動の少ない快適な馬車を持つことを決めました。帰途、馬達は夫をイオニアに連れて行きました。[夫は]現在使っているものを買いました」(1T p.600 福音社第1巻分冊3(p.150)は誤訳。Ellen G.White Encyclopedia p.819参照。「キング・ファーゴ・メイナード」は馬の名です)


 

第1部 受け入れられうる奉仕

「この世界の人々に順応してはいけません。しかし、汝らは、自分達の知性を新たにすることによってつくり変えられなさい。こうすると、汝らは、善であること、受け入れ得ること、神の完全な意思を証明できるでしょう」(ローマ12:2 KJV

 

1章 魂を救う働き

 

 

 神は、私に、この[教会の]人々のための一つのメッセージを与えました。彼らは目覚めて、自分達のテントを広げて、自分達の境界線を拡大する必要があります。私の兄弟姉妹のみなさん、あなたがたは一つの代価を払って買い取られました。そして、それ[メッセージ]をもったあなた方はみな、あなた方についてくる人々の益となって、神の栄光に役立つために生きています。キリストは、罪の滅びから世界の人々を救うために十字架上で死にました。彼は、あなた方にこの働きに協力するよう求めています。あなた方は彼の助け手となるために存在しています。熱心に倦むことのない努力によって、あなた方は失われた人々の救いを求めるために生きています。十字架を必要としたのは、あなた方の罪だったということを覚えておきましょう。あなた方が自分の救い主としてキリストを受け入れた時、あなた方は、十字架を負う主と繫がるように請い願いました。命のため、死のため、あなた方は、偉大な贖いの計画の一部で主と結ばれています。

 キリストの恵みによる変容の力は、神への奉仕に自分を捧げる人を形成しています。贖い主の霊/精神が注がれた人は、自己を否定するための用意と、十字架を負う用意、大教師the Masterのための犠牲を引き受ける用意ができています。もはや、その人は、周りにいる滅びる魂に無関心でいることはできません。その人は、自分に奉仕する人よりも高尚にされています。その人は、キリストの中で新しく創造されました。そして、自分への奉仕は、その人の生活の中での場所がありません。その人は、自分の存在の全ての部分が、罪の奴隷から贖ったキリストに属していることに気づいています。その人の将来のあらゆる瞬間は、神のひとり息子の貴い命の血によって買い取られました。

 あなた方は、カルバリーでのあの犠牲の理解を深めて、魂達を救う働きに従事したいという関心を持っていますか。救い主の生涯に注目して罪びと達を救いたいという主と同じ思いは、主の誠実な追随者たちの生涯にも現れています。そのクリスチャン達は、自分のために生きることを望んでいません。その人は、大教師the Master's への奉仕のために存在していて、自分が持っている全てで献身することを喜んでいます。その人は、キリストに魂を勝ち取るという言葉で表せない動機によって動かされています。この望みのない人々は、自分自身の救いに関わることができるでしょう。その人々は奉仕の霊/精神のために祈りましょう。

 創造と贖いによって存在している私は、どのように主の栄光を第一にできるでしょうか。これは、私達が自分に問うためにある質問になる必要があります。人への配慮のある人は、サタンの勢力下にある人々を助け出そうと回心しています。何かを行なうことを拒んでいる人は、自分の働きの中で自分を妨げているでしょう。その人に子どもがいるならば、その人は自分の家族に始める必要のある働きに気付いているでしょう。その人の子ども達は、その人にとても貴いものです。その子ども達は、主の家族の幼いメンバーだということを覚えておきましょう。その人は、やがて主の側に立つ位置に自分の力の全てを注ぐことでしょう。その人は、キリストに従い、たたえて、奉仕するよう請い願いました。そして、その人は、子ども達の教育訓練trainに努力を傾け、忍耐を表明しています。その人は、救い主に冷淡にはならないでしょう。

 父親達、母親達のみなさん、神は、かの敵の力から子ども達を救う責任を課しました。これは、親達の働きであり、怠る理由のない一つの働きです。キリストとの生きた繫がりを持った親達は、[主の]羊の囲いの中で安全にしている子どもらを見るまでは休まないでしょう。親達は、自分達の人生のこの重荷を負っているでしょう。

 親達のみなさん、自分自身の家族の中で教会の中で、あなた方のために待っている働きを怠らないでください。これは、あなた方の福音の努力をする最初の伝道地です。あなた方が行なうことのできる最も重要な働きは、あなた方の子ども達を主の側に置くことです。親達が子ども達の傾向の扱いで間違う時にもまた堅く立ちましょう。人間の体と魂を滅ぼそうとしているサタンによる悪に反対して、子ども達をあなた方と団結するようにしましょう。子ども達と十字架の未知secretを共有しましょう。あなた方にとっての未知は、清め、贖い、永遠の勝利を意味しています。あなた方が子ども達を主の奉仕へと連れていく時、勝利を得るでしょう。

 あなた方の周りの家族達が真理に反対しているならば、キリストについて言うよう子ども達を導く努力をしましょう。愛について優しい奉仕の働きによって、自分達の方法に勝利し、考慮して、賢明に忍耐して働きましょう。そのような方法によって、現在の真理は抵抗できない感化を及ぼして、それ自身の中に美が見られるでしょう。このように、先入観の壁は打ち破られるでしょう。

 この働きが忠実になされたならば、また、信仰深い生活によってキリストを掲げて、父親と母親が自分達の家族のメンバーと近所の人々のための働きをしたならば、多くの魂が救われることでしょう。神の人々()が本当に回心した時、彼らが伝える人のために働くよう課されている義務に気付く時、かの敵の勢力から罪びと達を救うことにたゆまないで財産を残さない時(they leave no means)、その非難は、私達の教会から取り除かれるでしょう。

 私達は、永遠のための準備に少しの時間があるだけです。主が人々の塞がった目を開いて、鈍い感覚を活気づけてくださるように。彼らのための救いの福音は神の力であるという信仰に気づけるでしょう。神を代表する人々が、清さと義を与える重要性を知って、世界の人々が主の美の中に主を見ることができますように。彼らが主に宿っている聖霊に満たされますように。世界の人々は、キリストを受け入れている全ての魂の前で素晴らしい可能性を人々に提示する働きから、彼らを逸らす力を持っていないでしょう。

 私達の働きを担っている人々の中に、大いに熱心さが必要とされています。時は過ぎています。神の奉仕者達は、「主に仕え、霊/精神に燃え、ビジネス/務めに怠惰にならない」ために生きています。人々は、伝達されるためにある忠実な努力と熱心さによる真理を必要としています。魂達は、働きかけられるため、求められようとしています。熱心なアピールが作られるためにあります。燃えるような祈りが捧げられるためにあります。私達の従順、元気のない祈願は、熱心な動機の祈願に変えられるためにあります。神の言葉は宣言されています。「義人の効果的で燃えるような祈りは、大いに益があります」。

                    

 この世界の人々は、私達が労苦して任務を果たす伝道地です。そして、私達は、カルバリーとゲッセマネの雰囲気に囲まれて働きに出て行くために存在しています。


 

2章 前進のしるし

 

 

[1.神と主の民が結びつく]

 世界の人々が必要としている真理を受け入れている人がこの真理を宣布するうえで第一の働きとすることは、主ヤハウェ(hwhy)の永遠の律法です。しかし、滅びる罪びと達の重荷を自分で負う人がいますか。私が、神の人々()だと公表している人を見る時、また、主に仕えることに不本意な人を見る時、私の心は言葉にできない悲痛に満たされています。働きを終える時、神の神聖さの中に真意を明かす人はとても少ないです。そこには、警告される人が大勢います。また、たとえ、魂達をキリストに勝ち取るだけだとしても、快く何かを行なうためや、何かのために存在する人、その働きのために自分をまったく聖別する人はほんのわずかです。イエスは、世界の人々を救うために死にました。謙虚に、身を低くして、自我をなくして働きました。そして、罪びと達のために働いています。しかし、主と協力して当然の多くの人々は、自己満足していて無関心です。

 神の人々()の間で、今日、救われていない魂達のために感じる必要のある、ひどい共感の欠如があります。私達は、クリスチャンの任務missionsについて語っています。私達の健全な意見を言う声が聞かれています。しかし、私達は、羊の囲いの外にいる人々を思っているキリストの優しい心を感じていますか。キリストの心臓の鼓動と私達の心臓の鼓動が結ばれていない状態でいて、どうして、「彼らが責任を与える必要のある時に、魂達を……見守りなさい」(ヘブライ13:17 KJV)という御言葉によって呼び掛けられているこの[再臨]運動の重要さと神聖さを理解できるでしょうか。

 神は、男性達と女性達が自分の責任に目覚めることを待っています。彼は、主と彼らが結びつくことを待っています。彼らに前進のしるしを目立たせましょう。主の意思を成し遂げることに落伍者にならないようにしましょう。

 私達は、世界中のどれほど多くの人々が私達の働きを見詰めているか、気づいていますか。私達がほとんど期待しなかった地域から、憐れみの最後のメッセージを世界の人々に伝える働きを前進させるよう、私達の主張する声が出ているでしょう。牧師達と信徒達は目覚めましょう。すぐに認識しましょう。そして、あらゆる機会を捉えましょう。また、神の摂理の輪を回して優位性を捧げましょうand advantage offered in the turning of the wheel of providence.。神とキリストと天の御使い達は、神の計画が挫折させられないように、サタンの激しい怒りをチェックして拘束するために積極的に熱心に働いています。神は生きていて君臨しています。神は全宇宙の出来事を指揮しています。主の兵卒達は勝利へと向かって進みましょう。兵卒達の階級は完全な団結があるようにしましょう。彼らを天の門への闘いへと促しましょう。権威者、征服者として、主は兵卒達のために働いているでしょう。

 全世界的な行動に呼び出すように、この福音メッセージを私達の教会に鐘の音のように響かせましょう。彼らの[]リーダーの力と、彼らが繫がっている事業の偉大さから、尽きることのない知識の源から、天との同盟、見えないものからの熱心さを得て、教会のメンバー達は信仰を増し加えられた者になりましょう。神によってガイドされ導かれるように神の支配下に自分をおいた人々は、主によって行なわれるよう指定された行事をしっかりと歩んで捕らえるでしょう。主の霊/精神を注がれ、この世界の人々の命のために主の命を与えられた人々は、もはや、行なうことができないことを指摘して無能に堅く立っていないでしょう。主の全能は彼らの必要を満たすことを知って、天の鎧兜(よろいかぶと)を装着して、神のために敢えて行なうことをいとわないで、彼らは闘いに出て行くでしょう。

 

2.いつまでも拡大する一つの働き

 神に仕える者達は、神の王国を拡大するためのあらゆる源を利用する必要があります。使徒パウロは次のように断言しています。「哀願と祈り、執り成しと感謝を捧げることは、全ての人々のために行なわれること」「主が望んでいる、全ての人々が救われること、また、真理についての知識を得ることは、私達の神の視野に受け入れられ得て良い事です」(1テモテ2:3,4,1 KJV)。また、ヤコブはこう言っています。「人としての道の誤りから罪びとを回心させる人は、魂を死から救うでしょう。また、大勢の罪びとを被うということを理解しましょう」(ヤコブ5:20 KJV)。すべての信者は、招待された兄弟[姉妹]達と団結することを請われています。「来てください。全ての事が今用意できています」(ルカ14:17 KJV)。おのおの人は、心を尽くして働きをしてほかの人を励ますために存在しています。生きている教会によって、熱心な招待が与えられるでしょう。渇いている魂達は命の水のほとりに導かれるでしょう。

 使徒達は、はるかかなたの地域に福音を伝えるため、彼らの働く領域を広げるために重い責任を負いました。彼らの模範から、私達は、主のブドウ園には、怠け者は存在していないことを学んでいます。主に仕える者達は自分の努力の輪を常に広げるために存在しています。常に、彼らは、決して少なくならず、もっと行なうために存在しています。主の働きは、世界中を取り囲むまで広げて拡大するために存在しています。

 伝道旅行をした後で、パウロとバルナバは、彼らの足を引き返しました。諸教会を訪問して、二人は立ち上がって、この働きに人々を団結させるための人々を選びました。協労者達として、価値ある若い人々の教育訓練と選択のために、神に仕える人々は今日も働くために存在しています。神は、私達の清めのために助けています。私達の手本によって、ほかの人々は、魂をキリストに勝ち取る働きに効果的に行なう可能性があって清められるでしょう。

                      

 私達は、地上歴史の終わりに近づいています。やがて、私達は、白く輝く清い大きな玉座の前に立つでしょう。やがて、あなた方の働くための時は、永遠に終わるでしょう。あなた方が関係を築いているそれらの人々に、時にかなった一つの言葉を語る機会を見つけましょう。あなた方が、無料の真理の宝を人々に提供する前に、知り合いになろうと待っていてはいけません。まず出かけましょう。様々な道があなた方の前に開かれるでしょう。

                      

 神の裁きの日、失われた人に、カルバリーで捧げられた犠牲の意味の十分な気づきがやってきます。その人々は、自分達が忠実な者となることを拒むことによって失われていたことを知るでしょう。その人々は、高尚で聖なる者達との協力が自分達の特権だったことについて考えます。しかし、それはもう手遅れです。最後の呼びかけはすでになされていました。その嘆きが聞かれます。「その収穫は終わりました。その夏は終わりました。そして、私達は救われませんでした」(エレミヤ8:20 KJV)。

                      

 最後の審判がやってくるという警告をする重い責任が私達に課されています。あらゆる方角から、近くから遠くから、助けを求めて人々が来ています。神は、主の教会に、目覚めて力をまとうよう呼び掛けています。不死の冠/栄誉は勝ち取られるために存在しています。天の王国は獲得されるために存在しています。無知のために滅びているこの世界の人々は、光を与えられ啓蒙されるために存在しています。

                      

 この世界の人々は、講壇から教えられるものによってではなく、この教会の人々が生きているものによって確信するでしょう。説教壇で牧師が福音の理論を説明しています。この教会の実践的な清めがその効力を表しています。

                      

 この教会は弱くて欠点があり、いつも警告と勧めを必要としているけれども、キリストの特別な関心の対象です。主は、人間の心で恵みの試みと、また、品性の形成をもたらすような試みをしています。天使達は、驚嘆して、賛美の歌によって喜びを表しています。天使達は罪深さを考えることを喜んでいます。間違った人間は、たいそう変容させられうるでしょう。第三天使のメッセージは大きな声で高まっています。偉大な力と栄光は宣言に加わっているでしょう。神の人々()の顔は天の光を輝かすでしょう。

                      

 主は、男性達と女性達、ええ、子ども達も相応しいものにするでしょう。主が、サムエルに――主の働きのために、彼を主のメッセンジャーにしたようにするでしょう。うたた寝をせず眠らない主は、自分の働きの領域を選んで働きに就いている人々を見守っています。天の全ての者達は、その戦いを見守っています。絶望の状況下にあるように見える、神に仕える者達は、[その戦い]に従事しています。新たな征服/勝利者達は、自分達の贖い主の旗の周りに集結して主に仕える者として、信仰のよい戦いを闘うために出かけて、新たな栄誉を勝ち取り、目的を達成した者となっています。天の御使い達はみな、神を信じる謙虚な人々への奉仕に就いています。主の軍勢の働き人達は、神と息子に賛美を捧げ、この地で賛美の歌を捧げて、天上の聖歌隊は感謝を歌で結んでいます。

                      

 救い主の功績に全的に信頼し、自分自身に[功績が]何も無いと考えている魂ほど、真に克服できて、また無力ではないと思えます。神は、そのような一人の人を助けるために、勝利者となることを許すどころか、天の全ての御使いを送るでしょう。

                      

 その闘いの叫びは、その前線の人々に沿って響いています。十字架の兵卒達はみな、自己満足ではなく、柔和と謙遜、そして、神の中にある堅い信仰を持って、前線に出て行きましょう。あなた方の働きと私の働きは、この世の命を減らさないでしょう。しばらくすると、私達は墓の中で休むことでしょう。しかし、主の呼び出しが訪れる時、私達は、神の王国で、私達の[品性の形成の]働きを再び始めるでしょう。


 

3章 教会員のための働き

 

 

[1.義人を招くためではなく、罪びとを悔い改めに導く]

 私は、この世界の人々に伝えるための主からの一つのメッセージを持っています。そのメッセージは、霊/精神の力の豊かな感化力を生み出すために存在しています。私達の[教会の]牧師達は、失われている人々を救うよう、その必要を知るようにしましょう。直接のアピールは、回心していない人々になされるために存在しています。ファリサイ派の人が「なぜ、あなた方の大教師the Masterは、罪びと達や収税人達と食事を共にするのですか」と、キリストの弟子達に尋ねました。救い主は「義人を招くためではなく、罪びと達を悔い改めに導くために来ました」(マタイ9:11,13 KJV)と応じました。これは、主が私達に与えた働きです。今の時代に、これ以上に必要で偉大な働きはないでしょう。

 神は、主の牧師達に諸教会を正しく整える働きを与えませんでした。見たところ、それが最初からやり直されなければならないのに、この働きはすぐに行なわれていません。教会員達は、宗教的に弱くなっているために世話をされて、働きかけられています。[現在の]真理を知っている人々に注がれていた努力の10分の9が、真理を聞いたことのなかった人々に注がれていたならば、どれほど多くの前進があったことでしょう。神は、主の人々が主の指導と調和した働きをしなかったので、その祝福を差し控えてきました。

 私達の教会の牧師が、回心していない人に与えるはずの才能と時間を、[現在の]真理を知っている人に費やすことは、真理を知っている人々を弱くしています。諸都市にある私達の多くの教会では、牧師は安息日毎に説教しています。また、その教会員達は安息日毎に祝福が与えられても、受けた祝福について[誰かに]一言も語らないままに神の家に来ています。その人々は、安息日について、自分達に与えられた指導を一週の間に実践せず働きませんでした。教会員達が自分達に与えられた助けをほかの人々に与える努力をしない限り、霊的な弱さという結果となるに違いありません。

 私達の[教会]の人々に与えられ得る最大の助けは、牧師ではなく神を信頼して神のために働くことを彼らに教えることです。その人々は、キリストが働いたように働くことを学びましょう。その人々を働き人達の主の兵卒と結びつけて、主のための忠実な奉仕をするようにしましょう。

 キリストの愛と生涯について十分に、短い講話を私達の教会で安息日に与えることは、私達の牧師達に相応しい時間です。しかし、教会員は、安息日毎に同じ説教を期待していません。私達は、天のいっそう良い国を目指している、この地上の巡礼の旅人であり、寄留者であることを覚えておきましょう。罪びと達がキリストに引かれて行くように献身して熱心に働きましょう。奉仕の約束によって主と繫がれた人々は、魂を救うという偉大で壮大な働きに主と団結した絆の下にいます。教会員達は、一週の間、安息日と彼らの体験を関連づけて、自分達の分を信仰深く活動しましょう。その集会は、新たな生活の提示と新鮮な活気、風味を添えられた食物となるでしょう。神の人々()が、罪びと達の回心のためにキリストが働いたような働きの大いなる必要を見る時、安息日の奉仕に、彼らによって生み出された証は力に満たされているでしょう。喜びと共に、彼らは、ほかの人々のために働いて得た貴い体験を語るでしょう。

                      

 私達の[教会の]牧師達は、すでに[現在の]真理を受け入れていた人々のために働く時間を費やすために存在しているのではありません。彼らの心で燃えているキリストの愛によって、彼らは罪びとを救い主に勝ち取りに出て行くために存在しています。彼らは、川の水際に、真理のタネを蒔くために存在しています。その場所は次々と訪問されるために存在しています。教会は次々と建てられるために存在しています。真理のために自分達の立つ場所を得る人々は、教会へと組織化されるために存在しています。また、その牧師達は、ほかの重要な伝道地を平等に訪問するために存在しています。

 やがて、一つの教会が組織されます。その牧師達は教会員達を働きに就かせるでしょう。彼らは、成功する働き方について教えられることを必要としているでしょう。その牧師は説教することよりも、教育することに多くの時間を捧げる必要があります。牧師は、教会員が受け入れた知識をほかの人へ与える方法を教えましょう。新たな回心者達は、働きを体験した人々から勧めを求めように教えられるでしょう。また、彼らは、神の位置に牧師をおかないようにと教えられるでしょう。牧師達は単なる人間で、男性達は弱点に取り囲まれています。キリストは、私達がガイダンスを求めるために存在している御方です。「特別な言葉は肉となりました。そして、私達の間に宿りました。……恵みと真理に満ちています」「主の豊かさは、恵みに恵み、私達が受け入れたものをすべて持っています」(ヨハネ1:14,16 KJV)。

 福音の力は、彼らが奉仕に相応しく、立ち上がった仲間とやって来るために存在しています。新たに回心した人は、すぐにその働きに入るように、神の力にとても満たされているでしょう。彼らは、不親切と批判によって兄弟[姉妹]達の手を弱める時間も気持ちもなく、とても懸命に働くでしょう。彼らの一つの願いは、はるかかなたの地域に[現在の]真理を伝えるために存在しているでしょう。

 主は、私の前に[幻によって]私達の諸都市で行なわれて当然の働きを提示しました。それらの都市にいる信徒達は、家の隣人達に、神のために働くことができます。彼らが天の雰囲気を持っていく所はどこでも、それらを持って謙虚に冷静に働く必要があります。彼らが、視野から自我を捨てて、キリストをいつも示すことを保つならば、彼らに感化の力が感じられるでしょう。

 主への奉仕に自分をおしみなく捧げる働き人の一人として、その人は、偉大な教師のために益々成功する働きを可能にする体験を得ています。その人をキリストに引き寄せている感化は、ほかの人をキリストに引き寄せるように助けています。一般大衆のための話し手としての働きは、彼の上に置かれていないでしょう(The work of a public speaker may never be laid upon him, )。しかしそれにもかかわらず、彼は、神のための一人の牧師です。そして、彼の働きは、神から生まれていることを証しています。

 牧師達が真理のタネを蒔く働きの偉大な役目を行なうことから去るのは、神の目的ではありません。奉仕の働きに呼び出されていない男性達は、いくつかの才能によって偉大な教師のための働きを奨められるために存在しています。現在、何百人もの暇のある男性や女性達は奉仕を受け入れられ得るでしょう。彼らの友人や隣人達の家庭に真理を伝えることによって、彼らは大教師のための偉大な働きを行なうでしょう。神は、人々を差別待遇していません。主は、彼らがほかの人と同じように教育をそんなに受けていなかったとしても、献身したクリスチャン、謙虚な人を用いるでしょう。そのような人々は戸毎訪問の働きを行なうことによって、主のための奉仕に繫げましょう。炉端に座って、彼らは――謙虚で、控え目で、信心深いならば――任命された牧師以上に、家族の実際の必要に向き合って、多くのことを行なうでしょう。

                      

 どうして信者達は、キリストの外にいる人々のためにもっと熱心に関わって深く考えないのでしょうか。なぜ、二人または三人が共に集まって、ほかの人や特別な一人の救いのために、神に祈らないのですか。私達の教会の中で、奉仕のための仲間[のグループ]が形成されるようにしましょう。いろいろな人々に、人々を漁する働き人として団結させましょう。この世界の人々を滅びからキリストの愛による清めの救いに魂達を集めましょう。

 少数の[グループ]仲間の編成は、クリスチャン努力の基礎として、間違うことのありえない御方によって、私に提示されてきました。教会に大勢の人々がいるならば、教会員のためだけではなく、信者ではない人々に働きかけるために、そのメンバーを少数の[グループ]仲間に編成しましょう。一か所で、二人か三人が[現在の]真理を知っているならば、その人々を働き人達の集団に編入させましょう。その人々に、ほかの人々からの支援から力と励まし得て、前進のために互いに励まし合い、愛と団結によって共に手を取り合って、切れない団結の絆を保たせましょう。また、キリストのような、最高に清い信仰を互いに築くために、スピーチ/話す才能を使って、軽率でなく[慎重な]言葉によって、辛抱強さと忍耐を証してもらいましょう。ほかの人々を助けるための努力によって自分を忘れて、[主の]羊の囲いの外にいる人々のためにキリストのような愛によって、その人々に働いてもらいましょう。その人々が、キリストの名によって祈って働く時、多くの人々に増えるでしょう。救い主はこう言っています。「あなた方の内の二人が、地上で願う何かについて意見を一致させるなら、天にいる私の父は二人のためにそれを叶えるでしょう」(マタイ18:19 KJV)

 

2.地上で利用されていない場所

 神への謙虚な信頼によって、各家族は、主のブドウ園の利用されていない場所に置かれるために存在しています。聖別された男性達と女性達は、地上の荒れ地で義の果実を実らす樹として立つ必要があります。[現在の]真理のタネを蒔く人々の自己犠牲的な努力の報酬として、彼らは豊かな収穫を刈り入れるでしょう。その人々が次々と家庭を訪問して、霊的な暗黒という無知の中にいる人々に御言葉を開示する時、多くの人々の心は[その言葉に]感動するでしょう。

 各地の伝道地の状態は、多くの働き人達がそこに赴任することを拒むような、大変な難点があって情熱を失わせています。改良するために最も注目する変化は、一般信徒達の自己犠牲の努力によってもたらされるでしょう。それらの謙虚な働き人達は、忍耐心を発揮して努力を続け、人間ではなく、神の好意を与える主の力に信頼して多くを成し遂げるでしょう。それらの働き人達が成し遂げる多くの良い事柄は、この世界の人々には決して知られないでしょう。

 

3.自給伝道者達 Self-supporting missionaries

 自給伝道者達がしばしばとても成功しています。最初は、とても小さく、つつましやかな方法で始まり、その人々が神の聖霊のガイダンスの下で行動する時、その働きは拡大しています。二人かそれ以上で福音伝道の働きを始めましょう。その人々は、経済的な支援を与えられるようなその働きの最高責任者the headから特別な励ましを受けることがないでしょう。そうであっても、祈って、賛美して、教え、真理に生きて、出かけて行きましょう。時給伝道者達は、多くの家族に真理を紹介する方法によって、文書配布の働きを始めるでしょう。その人々が自分達の働きを前進させる時、祝福された体験を得るでしょう。その人々は、無力を感じることによって謙虚になっています。また、主は、裕福な人と貧しい人の間で助けと好意を得ている時給伝道者達の前を進んでいます。これらの献身した貧しい伝道者達は、人々へ近づく道を見つける一つの手段となっています。自給伝道者が自分達の方法を貫く時、霊的な食物を持って行った人々から、多くの方法で助けられています。神が彼らに与えているメッセージを伝える時に、その努力は、成功の冠/栄誉が与えられています。それらの謙虚な教師達だけではなく、キリストに勝ち取られなかった多くの人々は真理の知識をもたらされるでしょう。

 神は、収穫に色づいている畑/伝道地に入るよう、働き人達に呼び掛けています。私達は、今、その畑/伝道地にいる働き人達を十分に支援せず、その[収穫の]宝が枯れてしまうのを待っているのですか。信仰によって出て行きましょう。神はあなた方と共にいるでしょう。その約束は詩編にあります。「貴いタネを携えて、涙と共に出かけて行く人は、確かに、穀物の束を持って、喜びを持って戻って来るでしょう」(詩編126:6 KJV)

 成功だと言えるほど、そんなにうまくいきませんNothing is so successful as success.。これは、忍耐強い努力によって確保されるようにしましょう。そして、その働きは、もっと前進させましょう。新しい伝道地が開かれているでしょう。多くの魂達が、[現在の]真理の知識をもたらされるでしょう。必要とされていることは、神への信仰を増すことです(What is needed is increased faith in God.)

                      

 私達の[教会の]人々は、大きな光を受けました。また、教えられるべき人に教えて、多くの奉仕の働きの力がこの教会で費やされました。「世界の人々の光」となる人々への照明/啓発と、生きている水の流れる川からの流れと、貴い真理の鉱脈となる人の宝と、地の果てにまで散らされた人々に福音の招きの繰り返しは、聞いたことがなかった人々に天のメッセージを与えるでしょう。「来てください。今、すべての事柄は準備ができています」という招待をして、脇道や本通りにいる人々に食物を与えています。

                      

 罪に束縛されている人々は気力を挫かれていました。その人々は失意のうちに主を求め、切に義を求めて答えを得ました。その人々は、冷淡でも熱意がないわけでもありません(Those for whom the fetters of sin have been broken, who have sought the Lord with brokenness of heart and have obtained answer to their yearning request for righteousness, are never cold and spiritless.)。彼らの心は、罪びと達への私心のない愛に満たされています。彼らは、あらゆる利己主義と、世俗の野心を捨てています。神の深い事柄と接触することは、次第に救い主に似た者にしています。彼らは、主の勝利を歓喜しています。彼らは、主の喜びに満たされています。日々、彼らは、キリストにある男性と女性達の十分な資質に成長しています。


 

4章 各層からの働き人達

 

 

 神への強烈な関心は、この世界の人々に見えています。主は、奉仕に当たる人間の能力に注目しました。この世代の人々を見回して、主は、男性と女性達の両方を主の働き人として確認しました。そして、その人々の前に道を用意しました。こう言っています。「私は、その人々を私のメッセンジャーとして送りましょう。その人々は、[霊的な]無知の闇の中で大きな光として輝いているのを見るでしょう。キリストの奉仕を勝ち取ったその人々は、私の名の栄光によって自分達の才能を用いるでしょう。その人々は熱心さと献身の精神を持って私のために働きに出て行って、誠実な努力を通して、最も強力な方法によって何千もの多くの人々にアピールするでしょう。そして、霊的に盲目な人は[霊的な]視力を受けて、私[]の救いを見ることでしょう。真理は、流し読みしている人を塾読できるように卓越したものにするでしょう。いろいろな方法が、心に届けることを考え出されるでしょう。この働きで利用されたある方法は、過去に利用された方法と異なったものでしょう。しかし、このことに関しては、粗探しによる道の[つまずきの]石の一つにしないようにしましょう」。

 働き人として、神が選んでいる人々は、常に、この世界の人々に評価された才能ある人ではありません。時々、主は、教育を受けなかった人々を選んでいます。主は、それらの人々に、特別な働きを与えています。その人々は、ほかの人々が近づき得なかった人々の層に近づいています。人の心を次々と開いて、その人々は、キリストを通して、また、キリストの中で聡明にされています。また、神性の香りを呼吸して生きています。その人々の言葉は、語られる前に慎重に考慮されています。その人々は、自分達に追随する人々の福祉/良い状態well-beingを推し進めるよう努めています。その人々は、悩まされ必要としている人々に慰めと幸福を提供しています。その人々は、キリストの教育訓練の下でいつまでも残っている必要に気づいています。その人々は、神の意思と調和した働きができるでしょう。その人々は、救い主の自己否定と十字架を負う模範に倣うことがいかに最善かを学んでいます。その人々は、愛して仕えている主の栄光を表して、情熱と愛を明らかにしている神の証人です。

 いつも、その人々は、偉大な教師the Great Teacherから学んでいます。また、いつも、高貴さの高い程度に届いています。さらに、いつも自分達の弱さと能率の悪さのセンスを考えています。キリストの愛への感嘆の強さによって、高い方へと引き寄せられています。その人々は、主の美徳を実践していて、その生活は主の美徳に同化しています。いつも、その人々は、自分達の贖い主の栄誉をたたえて、世界の人々を祝福して、前方と後方で活躍しています。その人々についてキリストはこう言っています。「柔和な人々は祝福されています。その人々は、地の財産を受け継ぐでしょう」(マタイ5:5 KJV)。

 そのような働き人達は、元気づけられるためにいます。その人々の働きは、人々に見られるためにではなく、神の栄光のために行なわれています。そして、それは、主の詳しい調査が伝えられるでしょう。主は、人々が残した[働きの]隙間を埋めるために、それらの働き人達をもっと目立つ才能のある人と繫がるように連れて行っています。主は、その人々が主の奉仕の連鎖に結ばれるように理解される時に、とても喜んでいます。

 自分だけを大切self-importanceにしている人々、また、自分自身の卓越した才能による思想に満たされている人々は、これらの謙虚で悔恨している働き人達を見下しています。しかし、神は、一瞬でもその人々を視野から見失うことがありません。主は、助けを必要としている人々を支援するために働き人達が行なう全てに注目しています。贖われた人々が天の法廷の家に集められる時、その人々は、神の息子の近くに立つでしょう。主がその命を与えた人々への奉仕の働きを誉めると考えていたので、その人々は、主によって誉められて、主の法廷で明るく輝くでしょう。

                        

 神は、現在の真理のメッセージを宣布するために、謙虚な立場の人々を感動させて動かしているでしょう。そのような多くの人々は、[霊的な]無知の闇にいる人々に光/知識を与えるために神の聖霊によって動かされて、あちらこちらに急かされているように見えるでしょう。現在の真理 [1]は、[霊的な]無知の闇にいる人々を啓蒙するために希望に点火して、その人々の骨の中で燃えている火のようなものです[エレミヤ20:9参照]多くの教育を受けなかった人々でさえ、主の言葉を宣べ伝えるでしょう。子ども達が、天のメッセージを語るために出て行くよう聖霊によって駆り立てられているでしょう。その霊/精神は、主の促しに心を開いている人々に注がれているでしょう。人間が束縛している規則を投げ捨てて、慎重に[再臨]運動を行なって、その人々は、主の軍勢に繫がっているでしょう。

                        

 人生を平凡に歩んでいる人々は、将来、一般労働の任務から去って、主の聖霊によって感動させられるでしょう。そして、憐れみの最後のメッセージを宣布するために出て行くでしょう。できるだけ急いで、その人々は、働きのために用意されるために存在しています。その成功は、その人々の冠/栄誉となるでしょう。その人々は、天使のような働き人達agenciesと協力するでしょう。なぜなら、その人々は、大教師への奉仕に心血を注がれて、注ぐことに快くしているからです。それらの働き人達を妨害するように権限を与えられている者はいません。その人々は、大宣教の任務を果たすために出て行く時に、幸運の祈願を宣言されるために存在しています。この地上の手荒な人々のいる所でその人々が福音のタネを蒔く時、嘲りの言葉はその人々に語られるために存在していません。

 生き方の最善――簡潔、正直、真実、清らか、汚れていない、高潔などは、買われたり売られたりすることができません。それらは、農場労働者にも神の玉座の王にも、黒人にも白人にも、無学な者にも教育を受けたものにも無料なものとして存在しています。謙虚な働き人達は、自分の力を信頼しているのではなく、常に神に信頼して純潔な働きをしています。その人々の信じ続ける祈りは、魂達を十字架に連れて行っているでしょう。その人々の自己犠牲的な努力との協力によって、イエスは、魂達の回心によって奇跡を働いて、人々の心を感動させているでしょう。男性達と女性達は、教会の信仰仲間に集められているでしょう。集会所と、また、学校の設備は建てられるでしょう。働き人達の心は、神の救いを見る時に、喜びに満たされるでしょう。

                        

 贖われた者達が神の臨在の中に立つ時、その人々は、自分達の結末は、成功として天が記録していたものだったと、なんと近くの所だけを見るでしょう。 (When the redeemed stand in the presence of God, they will see how shortsighted were their conclusions as to what heaven records as success.)。その人々が、成功に達した努力を振り返った時、彼らは、自分達の疑いがどれほど理性的でなく、自分達の考え方の筋道がつまらなく、自分達の計画がどれほど愚かだったかを知るでしょう。その人々は、神の言葉で神と話し合わなかったことによって、どれほどしばしば、自分達の働きに失敗をもたらしたことを知るでしょう。一つの真理は、明確なラインlinesの上で際立っているでしょう。その位置は、人間に天の法廷に入る用意をしていません。その人々は、人間に栄誉を与えるのは神だけにある義務であり、主に属している全ての栄光を見るでしょう。天使のような聖歌隊の口から、また、贖われた者達は、コーラスを響かせるでしょう。「全能者、主なる神、そなたの作品[造られた者達]は、偉大で、素晴らしいです。そなたの道は、真実で正しいです。そなたは、聖徒達の王です。誰が、そなたを畏れず、主よ、そなたの名をたたえないでしょうか。そなただけが聖です」(黙示録15:3,4 KJV)。


 

5章 十字架の勝利の拡大

 

 

 

[1.主の神性に私達の人間性を結ぶ]

 「主自身の息子を惜しまないで、私たちすべてのために引き渡した主は、どうして、全ての事柄を私達に与えないことがあるでしょうか」(ローマ8:32 KJV)。

 この素晴らしい無料の贈り物は授けられました。天と地の全ての者達は、計り知れない神の愛を理解するために努力をとても傾けました。また、その贈り物の価値に釣り合った謝意を人間の心に目覚めさせるよう努めました。私達は、その命を与えたキリストのために、二つの意見の間でためらいながら進むのでしょうかShall we, for whom Christ has given His life, halt between two opinions?。私達は、主によって私たちに与えられた僅かな力と能力だけを神に返すのでしょうか。私達が、知る一方でこれをどうすることができるでしょうか。天の全存在者の指揮者だった主は、王衣と王冠を脇において、そして、主の神性に私達の人間性を結ぶことを可能にするために、無力な人類を理解して人間の性質を取ってこの地上に来ました。主は、「はるかにまさった永遠の重い栄光」(2コリント4:17 KJV)、私達が天の宝としてその中に行けるように、貧しい者になりました。私達を救うために、ほかの人のために卑しい人となって降った主、神性―人間、苦悩のキリストは、自分自身に全ての人々を引き寄せるために十字架に上げられました。神の息子は、自分の死以上に大きな謙遜を示さなかったでしょう。しかし、彼は品位を落とさなかったでしょう。

 これは、神の未知mysteryです。その未知は、罪に落ちた人間性を通して奉仕の働きをする神の働き人達に霊感を与えました。この世界の中で、救いの計画に強い関心が湧き起こるでしょう。これは、滅びた世界の人々の救いのための神の偉大な計画を遂行して、人間と団結するために全天が尽力したその未知です。

 

2.この教会の働き

 人間の働き人達は、次々と、十字架の勝利が広がる働きを任命されています。この教会の最高責任者headとしてキリストは、サタンとその軍勢が滅ぼすためにあらゆる力を尽くしている人々に対して、回心のための働きとして主の自己犠牲と自己否定の模範に倣って、主を信じるよう呼び掛けている権威者です。神の人々()は、キリストイエスの血痕のついた旗の下に先延ばしすることなく再結集を呼び掛けられています。絶え間なく、神の人々は、あの門に向かっての戦いに出て、かの敵に対して自分達の戦いを続けるために存在しています。そして、回心によってグループに加わったすべての人々は、義務の立場を課されるために存在しています。すべての人々は、この戦いの何かを行なうことや存在すること快くしているでしょう。教会員達が、そのメッセージを前進させるために熱心な努力をしている時に、主の喜びのうちに生きているでしょう。また、成功に立ち向かうでしょう。決定的な努力は、いつも勝利に付随しています。

 

3.聖霊、私達の能力

 キリストは、主の仲介者の能力によって、主の奉仕者達に聖霊の臨在を与えています。魂を救う働きの中で贖い主をあらわすものであることを人間の働き人達に可能にするのは聖霊の効力です。私達が、この働きにおいてキリストと団結することで、私達は、主の霊が形成する感化の下に自分自身を置くでしょう。このように与えられた力を通して、私達は、魂達を救う主と共に働きをする者として、団結の絆によって主と協力できるでしょう。主への奉仕のために自分自身を捧げる全ての人々のために、物惜しみしないことは、測り知れない結果への到達への力が与えられています。

 神、主は、真理への従順を通して清められる全ての人々に恵み/品位と力を供給するための永遠の約束によって結ばれています。キリストは、天においても地においてもあらゆる力を与えられていて、「天から下って来た」(ヨハネ6:50 KJV)日々に生きているパンに与る熱心な魂として――主の手段となった人々に共感して協力しています。天上の教会と繫がった地上の教会は、全ての事柄を達成できるでしょう。

 

4.使徒達に与えられた力

 [聖霊が降った]ペンテコステの日に、無限の御方は、主の教会のために力によって主自身を現しました。主の聖霊によって、主は、弟子達が集まっていた部屋に、強い風のように勢いよく天の高い位から降りました。それは、この感化力が抑制されてきた世代の人々のためだったかのようでした。そして、今、天は、その霊の力が豊かにその教会に注がれることが可能となって喜びました。そして、その聖霊の感化の下で、悔い改めと回心の言葉が、許された罪のゆえに賛美の歌声と混ざり合いました。預言と感謝の言葉が聞かれました。天の全ての者達は、理解不可能な愛、比類の無い知恵への敬慕と注視を傾けました。途方に暮れて、使徒達と弟子達は、「ここに愛があります」(1ヨハネ4:10 KJV)と叫びました。彼らは、与えられた贈り物を捉えました。そして、何が続きましたか。数千人が一日に回心しました。聖霊の剣は、天の光/真理を浴びせて新たな力で仕切って、信じない者達の道を断ち切っています。

 弟子達の心は、慈悲がとても心の奥深くに満たされて圧倒されました。それは、地の果てにまで証をするために出かけて行くよう促しました。神は、私達に、私達の主イエスキリストの十字架による救いの栄光を現す必要があると命じました。弟子達は、救われるようにその教会に加わるという強い望みに満たされました。弟子達は、目覚めて自分達の分を行なうよう信者達に呼びかけました。すべての国の民は、その真理を聞くことができるでしょう。この地上の人々は、主の栄光によって満たされるでしょう。

 

5.今日現される同様な力

 キリストの恵みによって、使徒達は存在する者として形成されました。彼らが主との親密な交わりにもたらされたのは、誠実な献身と謙虚、熱心な祈りでした。彼らは、天のような場所に主と共に座していました。彼らは、主への大きな負い目に気付きました。熱心に信じ続ける祈りによって、彼らは、聖霊の贈り物を得ました。そして、彼らが、魂達を救うという重荷を負って出かける時に、十字架の勝利を広げるという熱心さに満たされました。彼らの働きの下で、多くの魂達が、[霊的な]無知の闇から光/真理の知識へと連れて行かれて、多くの教会が設立されました。

 私達の熱心さは、使徒達の熱心さよりも少ないのではありませんか。私達は主の言葉の成就を主イエスに求めて、「求めなさい。そうすれば受けるでしょう」(ヨハネ16: 24 KJV)という、生きた信仰によって、自分達の存在の深みまで自分達を動かすという約束を叫んでいないのではありませんか。神の聖霊は、今日も、人々に力を満たす、熱心な辛抱強い祈りの答えを求めて来る人のために存在していないのですか。神は、今日も、信頼している人、信じている働き人、主の祈りをとなえる人のために存在していないのですか。その人々は、貴い真理に無関心な人々のために御言葉を開いています。彼らは「私は世界の終わりまでもいつもあなた方と共に存在しています」(マタイ28:19,20 KJV)を含み持っています。なぜ、この教会はこんなに弱くて熱意がないのですか。

 弟子達は、聖霊に満たされて福音を宣布するために出かけて行きました。今日も、神の奉仕者達は出かけて行くために存在しています。信仰のない人々と間違いの闇にいる人々に、私心なく、憐れみのメッセージを与えるという希望に満たされて、私達は主の働きを始めるために存在しています。主は、私達に、主と協力して行なうよう私達の分を与えています。そして、主はかなたの様々な地域で主の働きを前進させるために、信仰のない人々の心を感動させることでしょう。すでに、多くの人々は聖霊を受けていて、もはや、その道は元気のない無関心によって妨げられないでしょう。

 聖なる熱心さで働いた時、聖霊によって生き生きとされ活気あるものとされた主の弟子達の働きの歴史はなぜ記録されたのですか。この記録から、今日の主の人々()が、主のため熱心に働くための霊感を得るために存在していたのではありませんか。主が、その時代の主の人々()のために行なったことは、極めて重要なことです。また、もっと、主は今日の主の人々()のために行なっています。使徒達が行なったことのすべては、今日の全ての教会員達が行なうために存在しています。私達は、悔い改めを呼び掛ける決心を求めて、不道徳が増しても、高い評価をして、聖霊によって同行する者となるために、もっと熱心に働きをするために存在しています。

 現在の真理の光/知識を輝かしている全ての人々は、[霊的な]無知の闇の中にいる人々のために思いやりを働かせるために存在しています。すべての信者達から、光/真理は明らかな光の筋として明確に反射されるために存在しています。ペンテコステの日の後に主から委託を受けたメッセンジャー達を通して、主が行なったことに似た働きを、主は今日に行なうことを待っています。その当時、全ての事柄の終わりが手近にあった時、その初代教会は熱心な教会だったのではないですか。神の栄光のために熱心なことは、強い力によって真理を証して伝えるために弟子達を感動させました。なぜ、キリストについて、主の十字架について、贖いの愛の物語の歴史storyを語ることを望んで私達の心にこの熱心が火のように燃え上がらないのですか。なぜ、使徒達の時代よりも今日では、神の力が力強く現されないのですか。


 

6章 諸都市での働き

1874,4,1. カリフォルニア州オークランドにて

 

 

 私達の[教会の]数人の兄弟がこの時期のための働きの計画を考察して協議することを、私は夢見ていました。彼らは、「大都市に入って行かず、大都市から離れた小さい町で働きを始めることがベストで、そこでは、聖職者達の反対に会わないだろう。また、多大な出費を避けることができるだろう」と考えていました。彼らは、「僅かにいる私達の牧師達では、大都市で真理を受け入れる人々の指導とケアに当たれないだろう。また、そこで会うだろう強い反対のゆえに、小さな町にある教会よりも強力な助けを必要とするだろう」と結論を下していました。このように、大都市での講演という方法の成果が、大きく失われるでしょう。再度書きますが、私達の限られた人材と資金のゆえ、また、ある都市にある教会から期待されている移転という多くの変化のゆえに、[神の人類救済]目的の力になる教会を建設するということは困難でしょう、と主張されました。私の夫は、その兄弟達に、私達の国の大都市では、私達のメッセージの特徴によく一致するような徹底的な努力をして、先延ばしすることなく全力を尽くして、大きな計画を立てることを主張しました。ある働き人は、その働きがほとんど失敗だったことを示して、その諸都市での彼の体験の事例と関係づけました。それとは反対に、彼は小さい町でとても成功したことを証しました。

 権威と威厳のある御方――私達の全ての相談会council meetingsに出席している御方――は、全ての言葉に強い関心を持って聞いていました。主は、完全な保証と熟慮によって話しました。主は「世界の人々全体が、神のブドウ園です。諸都市と村々はそのブドウ園の一部を構成しています」と言いました。その人々は、働きかけられる必要があります。サタンは、もっと引き離そうと、優れた警告と光/真理のメッセージを与えることを妨害するために、主の働き人達を落胆させて、自分自身を差し挟んでじゃまをしようとしているでしょう。人々を真理から偽りに戻すように、絶望的な努力がなされるでしょう。天の御使い達は、神に任命された地上のメッセンジャー達の努力と協力するように託されました。牧師達は、彼らの生きている最高責任者キリストが行なったように、揺るがない希望と信仰を保って励まされる必要があります。彼らは、神の前で心を悔恨して謙虚を保つ必要があります。

 神は、主の貴い言葉、警告して激励するメッセージで、私達の信仰に無関心で無知の人々に行くことを意図しているでしょう。それは、全ての人に与えられるためです。そして、彼らが聞いても聞かなくても、一つの証が彼らになされるでしょう。その人々の心の回心と悟りの責任があなた方に負わされていると考えてはいけません。神の力だけが、その人々の心を和らげることが可能です。あなた方は、命の言葉を提供するために存在しています。すべての人々は、自分達が望むならば、[現在の]真理を受ける機会を持つことができるでしょう。人々が、天を起源とする真理から退くならば、それは自分達の有罪宣告となるでしょう。

 私達は、地の辺鄙な所でもこの真理を隠さないようにする必要があります。それは知られる必要があります。それは、私達の国の大都市の中でも輝いて当然です。主の働き人達の中でキリストは、世界のあらゆる地域から来る人々に会うような、旅をする大通りや湖のそばで、自分の立ち位置を取りました。主は真理の光を与えていました。主は福音のタネを蒔きました。彼は、間違っている仲間達から真理を守っていました。そして、独創的な簡潔さと純潔さによって現在の真理を提示しました。なので、人々はそれを認識できたことでしょう。

 私達と共にいた天のメッセンジャーはこう言いました。「あなた方が伝えていたそのメッセージは全世界の人々へのメッセージであるという事実の視野を失ってはいけません。それは、全ての都市、全ての村々の人々に与えられるために存在しています。それは、本通りや脇道で宣布されるために存在しています。あなた方は、そのメッセージの宣布を地方だけで行なうために存在しているのではありません」。タネ蒔きの譬え話において、キリストは、主に仕える者と主自身の働きの描写をしました。そのタネは、あらゆる種類の土壌に落ちました。あるタネは滋養のない土壌に落ちました。またそれゆえに、タネ蒔きは自分の働きをやめませんでした。あなた方は、あらゆる場所で真理のタネを蒔くために存在しています。あなた方が入って行くことができる所ではどこでも、神の言葉を提示するでしょう。あらゆる水辺にタネを蒔きましょう。あなた方は、落胆させられませんが、すぐに自分達の働き成果を見ることはないでしょう。キリストがあなた方に与えた言葉を語りましょう。主への奉仕者として働きましょう。主がこの地上にいた間に奉仕の働きをしていたように、あらゆる所に出て行きましょう。

 世界の人々の贖い主は、多くの聴衆がいましたが、追随する人々は僅かでした。ノアは、120年間、洪水前の人々に説き勧めました。また、そこには、この貴重な試験期間を悟った人は僅かでした。助かるノアとその家族は、信者として数えられた人は一人もいませんでしたが、その箱舟に入りました。地上の全ての住民達から、8人の魂だけがそのメッセージを受け入れました。しかし、そのメッセージは、この世界の人々を譴責しました。その光/真理は、彼らが信じることができたので与えられました。その光/真理を拒む人々は、自分達の滅びを証明しました。世界の人々への私達のメッセージ、それを拒む全ての人々への譴責は、それを受け入れる全ての人々の命を贖うものとなるでしょう。

 特別なメッセンジャー[]は、一つの提示に戻りました。そして、言いました。「この時代の人々のための働きに関するあなた方のアイデアは、みな、あまりにも限定されています。あなた方の光/真理は、枡やベッドの下に置かれて、狭い範囲によって制限されてはいけません。その光は、神の家――この世界にいる全ての人々に光/真理を与えることができるでしょう。あなた方が理解していた以上に、その働きに広い見方をする必要があります」。


 

7章 大都市ニューヨークでの働き

 1902,9,1. カリフォルニア州セントヘレナにて

 

 

 私達の国の大都市に、[現在の]真理を宣布するための努力を決定するための時が来ました。そのメッセージは、人々の心が確信するような力を与えられるために存在しています。神は、この働きを行なうように働き人達を興すでしょう。神が任命した人々[の働き]を妨げないようにしましょう。彼らを禁じてはいけません。神は、その人々に働きを与えました。働き人達は、感化の特殊な領域を占めていて、最も有望性のない場所に現在の真理を伝えるでしょう。かつて敵であった人々は、彼らの感化力と彼らの手段によってこの働きを前進させて、価値ある助け手となるでしょう。

 これらの大都市でのmissions/地方支部では、働き人が、この時代の人々のための特別なメッセージを人々に提示するよう教育訓練される場所が設立される必要があります。すべての人々は地方支部が与えることのできる指導を受ける必要があります。

 神の指導の下で、ニューヨーク市の地方支部が始まりました。その働きは、それを設立するように導いた同じ霊/精神の力によって、続けられるでしょう。大都市ニューヨークでの働きの重荷を負っている人々は、確保されうる最良の働き人達の助けを得るでしょう。ここに神のための働きがなされるセンターにしましょう。また、行なわれる全てのことは、この世界で行なわれたことを見るよう望んでいる主の働きの象徴となるようにしましょう。

 この大きなセンターによって、医事伝道の働きが男性達と女性達の体験によって設立されるならば、それらの人々は、医事伝道の原則に正しい提示をするでしょう。それは、人々に正しい印象を与える大きな力を持っているでしょう。

 全ての都市は、堅実な基礎[教理]が入って、永久的な働きが築かれるために存在しています。主の方法は倣われるために存在しています。戸別訪問の働きが行なわれることによって、家庭で聖書の読書会が開かれることによって、その働き人達は、たくさんの真理を求めている人々に近づき得るでしょう。御言葉を開くことによって、祈りによって、信仰体験によって、人は主の道を教えるために存在しています。

 大都会のニューヨークに、主は、バアルに膝をかがめなかった多くの貴い魂を持っています。また、そこには、間違った[人生の]道を歩んでいた無知な人々がいます。それらの人々に、真理の光は、輝くために存在しています。その人々は、特別な道、特別な真理、特別な命としてのキリストを見るでしょう。

 私達は、キリストの愛によって、現在の真理を提示するために存在しています。浪費や虚飾は、この働きに付随しないでしょう。それ[真理]は、キリストの指示の下に行なわれるために存在しています。それは、福音の簡潔さによって、謙虚によって、前進させられるために存在しています。その働き人達は、どれほど禁じても、外見の飾り[が減らないこと]に驚かないようにしましょう。御言葉を教えましょう。聖霊によって主は、聞く人々に確信を送るでしょう。

 その真理が人々の心に感動した後で、男性達と女性達はそれを受け入れました。彼らは、人間の財産ではなく、キリストの財産としてもてなされるために存在しています。人間は、兵隊達を命令する司令官のように行動せず、こうしろ、ああしろと命じず、自分が人々を支配するためにいるかのように、ほかの人々を自分に縛り付けようとはしないでしょう。これは、キリストの時代に祭司達と支配者達が行なった方法です。しかし、それは、正しい道ではありません。主の働き人達は、クリスチャンの団結によって共に寄り添うために存在しています。しかし、思慮に欠ける権威者は、真理を受け入れる人々に影響を及ぼすために存在しているのではありません。キリストの柔和は、語られ行なわれる全ての人々に現れるでしょう。

 主の働き人達は、神の意思に従うことによって、恵みの内にその成長を示しましょう。このように、人は、恵まれた体験を得ることでしょう。信仰によって、人が、キリストの言葉を従順に受け入れ、信じている時、そこには、熱心な努力があるでしょう。また、魂の清めと愛によって働く信仰が好意を受けるでしょう。霊/精神による成果は、生活に見られるでしょう。その霊の効果は、その働きの中に見られるでしょう。

 キリストは、私達の模範、私達の霊感、私達のとても大きな報いです。「汝らは、神の家の管理者です。汝らは神に形成された者です」(1コリント3:9 KJV)。神は、その形成者の大教師です。しかし、人間は活動するための分を担っています。人は、神と協力するために存在しています。「私達は、神と共に働く者達です」(同9節)。決して、「神と共に」を忘れないでください。

 あなたの個人的な救い主として、キリストと共に働くことは、あなたの力、あなたの勝利であることを覚えていてください。これは、全ての人々が活動するために存在している役割です。これを行なう人々のために、保証が届いています。「彼を受け入れた多くの者達に、彼は、神の息子[]となる力を与えました」(ヨハネ1:24 KJV)。キリストは宣言しました。「私がいなくては、汝らは[神性のことを]何も行なうことができません」(ヨハネ1:12 KJV)。そして、謙虚な、信じている魂達は応答しています。「私を強めるキリストを通して[神性のことを]何でも行なうことができます」(フィリップ4:13 KJV)。

 キリストは、共感者、思いやり深い贖い主です。主は、その任務を与えました。「汝らは、世界中に出て行きなさい」(マルコ16:15 KJV)。すべての人は、警告のメッセージを聞く必要があります。価値のある賞品が、クリスチャンのレースを走っている人々の前に掲げられています。そのレースを忍耐して走っている人々は、色あせることのない命の冠/栄誉を受けるでしょう。


 

8章 先延ばししない

 

 

 私達の働き人達は、伝えるべき時に伝えていません。私達の指導者達は、達成して当然の働きに目覚めていません。私が、間もなく救い主が来ると警告されるように多くの人々がいる所で、小さな働きが行なわれていたその諸都市について考えている時、私は、滅びている魂達のためにキリストの愛に満たされて、聖霊の力によって、その働きを進める男性達と女性達を見ようと熱心に考えています。

 私達の国の諸都市にいる人々――私達のドア(伝道)の陰で生活している人々は、不思議なことに無関心にされてきました。組織化の努力は、現在の真理のメッセージを人々に与えるために今、なされる必要があります。新しい歌は、その彼らの口に置かれるために存在しています。彼らは、現在、第三天使のメッセージの光の陰にいるほかの人々に伝えに行くために生きています。

 私達は、大きく目を開いている必要があります。その道が開かれている時、私達は、その諸都市で働きを進めることが可能です。私達は、それらの諸都市に入って、神のための記念碑(教会)を建てるために、与えられた光に従うことから遠く離れています。私達は、一歩、いっぽ、真理の光の中に魂達を導くために存在しています。私達は、教会が組織され礼拝のための慎ましい家を建てるまで働きを続けるために生きています。私は、信じるようにとても励まされています。私達の信仰に属さない多くの人々は自分達の資金で相当に助けるでしょう。私に与えられた光/真理は、多くの場所、特にアメリカの大都市で、そのような人々によって、やがて、助けが与えられるというものです。

 諸都市にいる働き人達は、「ヘブライ人への手紙」の11章と12章を注意深く読んで、この手紙に含まれている自分達への指導を認識する必要があります。11章は、信仰深さの体験について書いてあります。その諸都市で神のために働いている人々は、最善を尽くして、信仰によって出て行く必要があります。その働き人達が、祈って働いて見張りをしている時、神は、その人々の祈願を聞いて応えるでしょう。その人々は、やがて、自分達の働きの後で自分達のためのとても高い評価となる、という体験をするでしょう。「信仰は、実現していない事柄の証に、期待した事柄がついてくるものです」(ヘブライ11:1 KJV)。

                          

 私の知性はとても感激しました。あらゆる都市では、行なわれるための働きがあります。働き人達は、私達の国のあらゆる大都市に出て行って、キャンプミーティングを開くために存在しています。それらの集会では、最高の才能が働かれるために存在しています。その[現在の]真理は、力強く宣布されるでしょう。様々な人々の賜物giftは、参加するために存在しています。一人の人が、この働きにあらゆる賜物を求められていません。成功したキャンプミーティングにするために、ある種の働き人達が必要とされています。重要な働きを全て行なうための自分の特権を考える人はいないでしょう。

 それらの集会で、話し手達が聖霊の力によって[現在の]真理を宣布する時、人々の心に届くでしょう。人々の心に受け入れられたキリストの愛は、間違った愛を追い出すでしょう。

 その働きの初期の段階で、キャンプミーティングはカンファレンスの会議の集会から分離され、このようにもたれるキャンプミーティングが必要です。ミーティングで、働き人達は、教会の外部から参加した人々に現在の真理の知識を与えるために自由でいる必要があります。

 私達のキャンプミーティングは、安くてよい食物を用意して、貧しい人ができるだけ良い健康を得ることができるように取り計らいましょう。そこにはまた、招待の作法で招いて、健康な料理を用意したレストランを用意しましょう。これは、私達の信仰に属さない多くの人々に一つの教育を示すでしょう。この働きをする人々は、キャンプミーティングのほかの働き人から分かれたように見られないようにしましょう。神の働きに属するおのおのの働き人は、全てのほかの働き人と密接に団結させましょう。そして、すべての人々は、完全に調和して前進するために存在しています。


 

9章 家庭礼拝

 

 

 これまでに、全ての家が祈りの家となる時があったならば、それは今です。背信と懐疑が流布しています。不法が蔓延しています。頽廃が魂の生きた流れの中に注がれています。神に対する謀反が生命の中で発生しています。罪に束縛されて、道徳的な力がサタンの横暴な行為の下にいます。人々の魂は彼の誘惑のスポーツにされています。誰かの強い腕が人を助けるために伸ばされない限り、人間は最大のライバルが導いている道に行くことでしょう。

 そしてまた、この恐ろしい滅びの時代に、クリスチャンであることを告白しているある人は、家庭礼拝をしていません。その人々は、家庭で神を敬っていません。その人々は、主を畏れ愛することを子ども達に教えていません。多くの人々は、自分達が主に近づくことによって自分を罪有りと考えて、主から自分をとても遠くへ離しました。その人々は、「大胆に恵みの御座に近づくこと」(ヘブライ4:16 KJV)、「怒りと疑いなしに聖なる手を挙げ[て祈]ること」(1テモテ2:8 KJV)ができません。その人々は、神との生きた繫がりを持っていません。彼らのものは、力のない信仰の形式です。

 祈りは本質ではないという考えは、魂達を滅ぼすための、サタンの最も成功する考えの一つです。祈りは、平安、幸福、知恵の源泉、力の源、神との交わりです。イエスは「涙と共に強く叫んで」(ヘブライ5:7 KJV)父に祈りました。パウロは信徒達に神に求めることを知るようにして、感謝と嘆願と祈りによって、全て「弱ることなく祈る」(1テサロニケ5:17 KJV)ことを熱心に勧めました。ヤコブは「お互いのために祈りなさい。義人の効果的で燃えるような祈りは、とても役立ちます」(ヤコブ5:16 KJV)と言っています。

 誠実と熱心な祈りによって、親達はその子ども達の周りに垣根をつくる必要があります。親達は天使達が、サタンのむごい力から子ども達と自分達を守るという信仰を満たして祈る必要があります。

 全ての家庭で、朝夕の礼拝の時間を確立しましょう。朝食の前に親達の周りに子ども達を集めること、夜の間の主の保護を天の父に感謝すること、その日の主の見守りとガイダンスと助けを主に求めることまた、夜が来た時に、親達と子ども達が主の前にもう一度集まって、過ぎた一日の祝福を主に感謝することは、親達にとってどんなにか相応しいことでしょう。

 父親が、いなければ、母親が、興味深く、わかる御言葉の聖句を選んで礼拝の司会をしましょう。その礼拝の奉仕は短くしましょう。長い聖句が読まれて、長い祈りが捧げられる時、その礼拝の奉仕は、その礼拝の時間が冷淡で退屈にされる時、それがとてもあきあきする時、面白みが欠けて、子ども達がそれを恐怖の種にする時、うんざりさせられ、その終わりにやっと終わったという感覚が残るでしょう。

 父親と母親のみなさん、その礼拝の時間をとても興味深く面白いものにしましょう。そこには、この時間がその日を最も楽しく嬉しい日にしない理由はありません。ちょっとした考えがその用意のために与えられて、あなたはそれに益と興味を満たすことができるでしょう。次第に、その礼拝は変化するようにしましょう。いろいろな質問が読んだ聖句から出されるでしょう。真剣に、タイムリーに注目が注がれるでしょう。感謝の歌が捧げられるでしょう。捧げられた祈りは、短くまとまっている必要があります。短い真剣な言葉によって、助けを主に求めて、主の善意を神にたたえる祈りによって人を導くようにしましょう。状況が許す時に、子ども達に聖書を読み祈りに誘いましょう。

 永遠の真理だけが、そのような不安な礼拝の時に善意を現すでしょう。

 神の友、アブラハムの生涯は、祈りの生活でした。彼がテントを張った所ではどこでも、その近くに一つの祭壇を建てました。そこに、朝と夕の犠牲を捧げました。彼がテントを移動させた時、その祭壇を残しました。流浪のカナン人がその祭壇のある所に来た時、そこにいた人を知りました。彼がテントを張った時、その祭壇を修復して、生きている神を拝しました。

 そのように、クリスチャン達の家庭は世界の人々の光/真理となるでしょう。その人々から、朝に夕に、祈りが芳しい香りとして神に昇るでしょう。朝の露として、主の恵みと祝福は、嘆願する人々に伝わるでしょう。

 父親と母親のみなさん、朝毎夕毎に、子ども達をあなた方の周りに集めましょう。そして、謙虚な嘆願によって、助けを求めて神に心を届けましょう。あなた方のかわいい子ども達は、誘惑にさらされるでしょう。日々の悩みは、若者も老人も人生の道につきまとっています。快活な生活、愛、忍耐の生活を送っている人々は祈る必要があります。神からいつも助けを受けることによってだけ、私達は自分を克服して勝利を得るでしょう。

 朝毎に自分を聖別して、あなた方の子ども達をその日のために神に聖別しましょう。何か月も何年も先を予測できません。その子ども達はあなた方のものではありません。短い一日があなた方に与えられています。その日があなた方の地上での最後の日だったかのように、その時間の間に、大教師のために働きましょう。神意が注目するように、中止されるか実現されるか、あなた方のあらゆる計画を神の前に置きましょう。子ども達の賛成が[親の]気に入っていたプロジェクトの中止を求めても、自分自身のではなく、主の計画を受け入れましょう。このように、その生活は、神性の模範を倣って益々形成されるでしょう。「すべての人の理解を超えた神の平安が、キリストイエスを通して、知性と心に保たれるでしょう」(フィリッピ4:7 KJV)。


 

10章 結婚生活の責任

 

 

 親愛なる、兄弟姉妹へ。あなた方は生涯の契約に結ばれました。あなた方の結婚生活の教育が始まりました。結婚生活の最初の年は、子どもが学校で教訓を学ぶように、夫と妻が互いに他の品性の足跡の違いを知る体験の年です。このように、あなた方の結婚生活の最初の年に、あなた方の将来の幸福に傷となるような時期がないようにしましょう。結婚関係の適切な理解を得ることは、生涯の働きです。結婚という学校に入学した二人は、この人生で卒業するために存在していません。私の兄弟、あなたの妻の時間と力と幸せは、今、あなたのそれと繫がっています。彼女に及ぼすあなたの感化は、死から死、命から命への香りとなるでしょう。彼女の命を奪わないように、とても慎重にしましょう。

 私の姉妹、あなたは今、結婚生活の責任について、あなたの最初の実践的な教訓を学ぶためにそこにいます。日毎に、それらの忠実の教訓を学ぶことに努めてください。不平や憂鬱の道を与えてはいけません。怠惰や気楽な生活を望んではいけません。自分中心的な道に対していつも防ぎましょう。

 あなた方の生活で、あなた方の愛情の団結は、お互いの幸福の助けになるためのものです。お互いに奉仕の働きministerをし合うためのものです。これは、あなた方に関する神の意思です。しかし、あなた方は一つとして混ぜられるために存在している一方で、あなた方は、彼または彼女の個性を互いに失わないように存在しています。主に属するあなた方は、求めるために存在しています。何が正しいですか。何が間違いですか。私はどのように自分が作った目的を達成することができるでしょうか。「あなた方は自分自身のものではありません。汝らは代価を払って買い取られています。それゆえに、あなた方の精神とあなた方の体の中で神の栄光を現しなさい。それは、神の意思です」(1コリント6:19,20 KJV)。人間であるあなた方の愛は、神へのあなた方の愛として二次的なものです(Your love for that which is human is to be secondary to your love for God.)。あなた方の愛情の豊かさは、あなた方に主の命を与えた主に注ぎ出すために存在しています。神のために生きている魂は、最善で最高の愛情を主に向かって送っています。あなた方のために死んだ主に向かって、あなた方の愛はたくさん溢れ出ていますか。そうであるならば、あなた方の互いの愛は、天の秩序に倣ったものになるでしょう。

 愛情は、清らかで美しい水晶のように、透明clearになるでしょう。また、それは、試されずテストされなかった場合には表面的なものになるでしょう。全てのことにおいて、キリストを初めで最後で、最善にしましょう。いつも、彼を見上げましょう。そして、あなた方の主の愛は、それが試練のテストに服される時、日毎に深く強くなるでしょう。主へのあなた方の愛が増す時、お互いのあなた方の愛は、強く豊かになるでしょう。「私達はみな、顔を接して見るガラスの鏡の中の主の栄光のように、栄光から栄光へと同じ姿に変えられています」(2コリント3:18 KJV)

 あなた方は今、結婚前にはなかった義務を果たす責任を負っています。「それゆえに、辛抱強さと柔和、知性の謙虚さと親切を……身につけなさい。キリストが私達を愛したように、愛によって歩んでください」(コロサイ5:2 KJV)。それに続いている指導の研究に注意を注いでください。「妻のみなさん、主にするように、あなたの夫に従順に仕えなさい。キリストが教会の長headであるように、夫は妻の長です」、「それゆえ、教会がキリストに従順に仕えているように、妻たちも全てのことにおいて、自分の夫のために存在しているようにしましょう。夫のみなさん、キリストが教会を愛して、そのために自分自身を与えたように、あなたの妻を愛しましょう」(エペソ5:2, 22-25 KJV)

 結婚、生活のための結合は、キリストと教会との結合の象徴です。キリストが主の教会に現した精神/霊は、夫と妻がお互いに証し合うために存在している精神です。夫だけではなく妻も、統治者に嘆願するために存在しています。主は、この内容によってガイドするために存在している原則を置きました。夫は、その妻に愛情を注いで大切にするために存在しています。また、妻は、その夫を愛して尊敬するために存在しています。両者は、断固として他者に悲しみや不正がない存在として、親切な精神を育てるために存在しています。

 私の兄弟、姉妹、あなた方二人は強い力を持つでしょう。あなた方は、この力を、あなた方に関わる人々と、自分達への大きな祝福か、大きな呪いにするでしょう。あなたが望むことをほかの人に強要してはいけません。あなた方は、このことをすることもお互いの愛を保つこともできません。自我意識の現れは、その家の平和と幸福を破壊します。あなた方の結婚生活が口論の一種にならないようにしましょう。あなた方が、互いに不幸になることを行なうのが本当ならば不幸になりますが、決してそうではありませんIf you do you will both be unhappy.。あなた方自身の望みを放棄して、言葉において親切に、行動において優しくしてください。あなた方の言葉によく気を付けてください。言葉は、良い事にも悪い事にも強い影響力を持っています。あなた方の声の中に厳しいものが出るのを抑えましょう。キリストのような香りを放つ生活の団結をもたらしましょう。

 男性は、結婚関係の親密な団結に入る前に、自分自身のコントロールの仕方とほかの人々のもてなし方を学ぶ必要があります。

 子どもの躾trainingにおいて、母親の成熟した意思が、理屈に合わない、躾けられていない子どもの意思と対立して変化のない時があります。そのような時には、母親の側に十分な知恵が必要です。知恵のない育児で、厳しく強いることによって、子どもの心に深い傷を負わせるでしょう。

 それは、母親と子どもの両者にとって深刻な争いを意味しているので、可能な時はいつでも、この危機/敏感な時期は避けられるでしょう。しかし、そのような危機に持ち込まれ時はいつでも、子どもは、両親の賢明な意思に明け渡されるように導かれる必要があります。

 母親は、子どもの精神spiritに挑戦心が湧くようなことを何もしないよう、完全な支配の下に自分を保っている必要があります。彼女は、命令するような大きな声を与えないようにする必要があります。彼女は低く優しい声を保つことによって、多くのことを得るでしょう。彼女は、子どもをイエスに連れて行くような方法でもてなすdealために生きています。彼女は、神が自分の力と愛の助け手だということに気づくでしょう。彼女は、賢明なクリスチャンの一人であるならば、服従させようとせず、子どもに強制しようとしないでしょう。彼女は新たな、霊的な命を意識して祈っている時に、敵が勝たないように、熱心に祈っています。彼女は、自分の中に働いている力が子どもの中でも働いていると見ています。子どもは、段々と優しく従順になっています。その闘いは勝利しました。彼女の忍耐、彼女の優しさ、彼女の控え目で賢明な言葉などが、子ども達に働きました。これらは、嵐の後の平和です。雨の後の太陽のように輝いています。そのシーンを見守っていた天使達が喜びの声を上げています。

 神の霊/精神によって支配されてcontrolledいない限り、夫と妻の生活にも訪れるこれらの危機は、子ども達によってしばしば現された理屈に合わない精神、感情による衝動として現れるでしょう。火打ち石と火打ち石がぶつかるように、意思と意思の衝突となるでしょう。

 私の兄弟、親切で、忍耐強く、辛抱強い者でいましょう。あなたの妻は、あなたが彼女を支配しないだけではなく、あなたが彼女の助け手となるあなたを夫として受け入れたことを思い出しましょう。押さえつけたり独裁的になったりしないようしましょう。あなたの妻に自分の望むようにさせようと強制して、あなたの強い意思で威圧してはいけません。彼女が意思をもっていること、彼女はあなたが持っている望みと同じようにたくさんの方法を願っていることを覚えておきましょう。あなたは、多くの体験をして優位な立場にいるということを覚えておきましょう。配慮深く、礼儀正しく親切になってください。「上から来て存在している知恵は、初めが清く、それから平安、柔和、温和、慈しみと良い実に満ちて、偏り見ることなく、見せかけがありません」(ヤコブ317 KJV)

 ある勝利は、あなた方二人が得るために欠かせない積極性です。その勝利は、強情な意思を征服するでしょう。この闘いにおいて、あなた方は、キリストの援助によってだけ征服できるでしょう。しかし、あなた方は、自分を抑えることを望んで激しく戦うでしょう。しかし、あなた方は、高い所からの力を受けていない限りしくじるでしょう。キリストの恵みによって、あなた方は、自己中心と自我の支配に勝利を得ることができるでしょう。あなた方が、あらゆる歩みで自己犠牲を示して、助けを必要としている子ども達thoseに深い共感を現して、主の命によって生きている時、あなた方は、次々と勝利を得るでしょう。日毎に、あなた方は、自分達の品性の弱い点を強くする方法と、自我を征服する良い方法を学ぶでしょう。あなた方は自分の意思を主の意思に明け渡しているので、主イエスは、あなた方の光/真理、あなた方の力、あなた方の喜びの冠/栄誉となるでしょう。

 男性達と女性達は、自分達の助け手としてキリストを受け入れるならば、子ども達themのために神の考えに届くことができるでしょう。ありのままに、神に明け渡しましょう。あなた方が、永遠の命のために努力していることを知ることは、あなた方の慰めとなり力となるでしょう。キリストは、あなた方に勝利する力を与えることができるでしょう。主の助けによって、自分中心の根を完全に断つことができるでしょう。

 キリストは、神性と人間性を結合することによって、人間の生命が主の生命と結びつけられるように、死にました。彼は、男性達と女性達の人生が、神の意図したものと調和したものとなるように、私達の世界に来て、神性―人間という人生a divine-human lifeを送りました。救い主は、あなた方に、自己を否定して十字架を負うようにと呼び掛けています。その時、[人間の]全存在の発達を妨げるものはないでしょう。日毎の体験は、調和した健全な活動を現すでしょう。

 私の兄弟、姉妹のみなさん、あなた方の結婚の誓いによってあなた方が行なうように約束した時に、神が愛であり、神の恵みによってあなた方はお互いを幸にすることに成功できるということを覚えておきましょう。誰かの曲がった人生を神によって真っすぐになるよう助けるために、贖い主の力によって、あなた方は知恵と力を働かせることができるでしょう。キリストが行なうことのできないものはどこにありますか。彼は、愛において、義において、知恵において完全です。あなた方の愛情を互いにみな注ぎ出して満足して、あなた方自身をあなた方自身に閉じないでくださいDo not shut yourselves up to yourselves, satisfied to pour out all your affection upon each other.。あなた方の周りの人々に幸を分け与えるために、いろいろな機会を捉えましょう。あなた方の愛情をその人々と分かち合いましょう。親切な言葉、共感の表情、真価を認めることなどは、孤独な、渇いている魂に冷たい一杯の水のようなものとなります。好意的な一つの言葉、親切な一つの行為は、疲れた肩に重くのしかかって苦しんでいる人々の心を軽くするために出るでしょう。本当の幸が見つけられることは、私心のない奉仕の働きministryの中にあります。あらゆる言葉とそのような奉仕の行動は、キリストのために行なったものとして、天の書に記録されています。彼は、「汝らが、私[]の最も小さき兄弟[姉妹]達の一人に行なったので、汝らは、私のために行ないました」(マタイ25:40 KJV)と言いました。

 救い主の愛の陽光の中で生きましょう。その時、あなた方の感化は、この世界の人々を祝福するでしょう。キリストの霊/精神にあなた方を支配させましょう。キリストの中で新たな命を生きるために、寛容と私心のなさが再び生まれた人々の行動と言葉にあらわされ、親切の法則があなた方の口にいつもあるようにしましょう。

                         

 「私達のうちで、自分自身のためにだけ生きている人はいません」(ローマ14:7 KJV)。偉大な教師[]は、自分自身を現しています。その表情、声の調子、しぐさ――の全ては、家庭にいる人々の幸を損なったり、幸にしたりする感化力を持っています。それらは、子ども達の品性や気質を形成しています。また、それらは、愛と確信を壊す傾向や感激させるものです。すべての人々は、それらの感化によって、幸福や不幸、良いや悪いという両方をつくられるでしょう。私達は、実際的な生活にもたらされる言葉の知識を家族から引き継いでいます。すべての人々にとって、家族関係で私達と繫がった人々が行なうような、励まされ慰められ、教化され清くなるために存在することは、私達に可能なことです。


 

第2部 私達の[教会の]サナトリウムの働き

「親愛なる人達へ、私は全てのことについて、汝らが成長して、健康であることを願っています」(3ヨハネ2 KJV

 

1章 この働きの広がり

 

 

[1.主の働きを成し遂げるため様々な施設を設立する]

 神は、主の人々()にこの世界の人々に光を照らして教化する資格を与えました。主は、やがて地球を取り囲むまで、彼らが主の働きを広めるために存在していることによって、才能と共にその人々に託しました。この地上のあらゆる地域に、彼らは、サナトリウム(療養所)、学校、出版所、その他、主の働きを成し遂げるため様々な施設を設立するために存在しています。

 福音を終わらせるメッセージは「あらゆる国の民、種族、言語、そして、人々」(黙示録14:6 KJV)に伝えられるために存在しています。外国では、このメッセージの推進のために多くの事業が始められて伝えられる必要があります。衛生的なレストランと民間療法所を開設しましょう。病気の人と心の悩みのある人のケアのためのサナトリウムの設立は、ヨーロッパやアフリカで必要です。多くの国では、医事伝道部門は、病人への奉仕の働きのために神の助け手として活動するよう設立されるために存在しています。

 キリストは、医事伝道の働きに従事する人々と協力しています。多くの国々で、民間療法所とサナトリウムを設立することができて行なう、私心のない男性達と女性達は、豊かな報いを与えられるでしょう。これらの施設を訪れる人々は、身体的に、知的に、精神的/霊的に益を受けるでしょう。疲れた人々は元気を回復するでしょう。病気の人は健康を回復するでしょう。罪の重荷を負った人は救済されるでしょう。遠くに離れた田舎で、罪から義に仕えるよう転向した働き人達のそばにいる人々の心から、快い調べと感謝の言葉が聞こえてくるでしょう。その人々の謝意の歌によって、賛美の証は、キリストとの親交と忠誠に向けてほかの人々の魂を勝ち取るでしょう。

 神に向けて魂を回心することは偉大なことです。人間にとって最も高貴な働きは、その役割を担うことです。この働きの中に、神の力、神の愛、神の寛容、神の聖、神の力が現されます。すべての人々の真の回心は、神の栄光をたたえ、天使達が歌い始める根拠になっています。

 私達は、地上歴史の終わりに近づいています。そして、異なった伝道地での神の働きは、現在現れている以上に、多くの自己犠牲によって伝えられようとしています。それらの最後の日々のための働きは、伝道の働きの特別な感覚の中にあります。現在の真理の提示は、[新約聖書の]最初の手紙から最後の手紙まで、伝道の努力を意味しています。行なわれるための働きは、あらゆる推進の段階で犠牲を求めています。働き人達の私心のないこの奉仕は、火に練られた金として、精錬され清められて出てくることでしょう。

 罪に滅んでいる魂が見ているものは、[霊的な]無知の闇にいる人々に現在の真理の光を与えるために、特に、神のための記念碑(教会)を設立するためにとても小さい働きが行なわれた伝道地にいる人々のために、熱心な努力を尽くすよう私達を目覚めさせるでしょう。世界の全ての場所で、長い間、行なわれていた働きは、進められて、今、終わりに入ろうとしています。

 私達の兄弟[姉妹]達は一般的に、ヨーロッパの国々でサナトリウムを設立する義務についての関心を持ちませんでした。それらの国々における働きについて、様々な伝道地に特殊な状況があるので、最も悩まされる質問が出るのでしょう。しかし、[イエスから]私に与えられた光/知識から、最初に小さく考えた諸施設が設立されるでしょう。それは、神の祝福によって、大きく充実したものになるでしょう。

 どの国でも私達の施設は、一つの地域に密集しないようにしましょう。神は、真理の光が広まるのを制限されることをデザインしませんでした。ある時、ユダヤの国の民はエルサレムで礼拝することを要求されました。しかし、イエスはサマリヤの女性にこう言いました。「私を信じてください。汝らはこの山でもエルサレムでもない所で天の父を礼拝する時が来ます」「その時が来ています。それは今です。真の礼拝者達が真理と霊/精神を持って、天の父を礼拝するでしょう。天の父はそのように礼拝する人を求めています。神は霊/精神です。そして、主を礼拝する人々は真理と霊/精神を持って、礼拝する必要があります」(ヨハネ4:21,23,24 KJV)。[現在の]真理は、私達が近づくことが可能な所では、全ての場所に植えられるためにあります。それ[現在の真理]は、神の知識が欠けている地域に伝えられるためにあります。人々は、自分達の永遠の命の希望の中心である御方を受け入れることによって祝福されるでしょう。イエスの内にあるような真理を受け入れると、神への心地好い調べに心が満たされるでしょう。

 数カ所だけに資金の多くを投入することは、クリスチャンの原則に反しています。あらゆる建物は、ほかの場所のいろいろな建物に似せる必要に応じて建っています。神は、確保される全ての資金を、働きの一つか二つの伝道地、あるいは、いくつかの気に入りの場所で利己的に利用して、前進する道につまずきに石を置かないよう、主の働きを託した立場の人々に呼び掛けています。

 そのメッセージの初期の頃、私達の[教会の]人々は、自己犠牲と自己否定の精神/霊を所有していました。このような正しい始まりがなされて、全力が注がれて成功しました。しかし、その働きは、それが発展していたように、発展しなくなりました。[ミシガン州]バトルクリークと[カリフォルニア州]オークランドと、そのほかの少数の場所に集中し過ぎました。私達の[教会の]兄弟達は、バトルクリークに建てた時、一カ所にとても大きく建てるべきではありませんでした。

 主は、主の働きが始められた時と同じ精神/霊で前進すべきだと教えていました。[それは]伝道地から伝道地へと入って行くためのものです。私達に与えられた指示は、「新たな地域を加えなさい。新しい地域を加えなさい」です。私達は、私達の事業の取り決めによって、また、救われていない世界の人々への私達の態度によって、私達の230年前に伝えたものよりも、決定的で明確な証を伝えている一つの民ではありませんか。

 この地上歴史の終わりの日に関する大きな光/真理が私達に輝きました。私達は、霊的な盲目に根拠を与える、知恵とエネルギーを欠かさないようにしましょう。神のメッセンジャー達は、力で覆われる必要があります。彼らは、現在所有していない場合、尊敬され高められる真理を持つ必要があります。主の厳粛な、神聖な警告のメッセージは、第三天使の光がまだ明るく輝いていないあらゆる場所、――最も罪深い都市の中と、最も伝道困難な伝道地――で宣布される必要があります。全ての人々は、[]子羊の婚宴の夕食会に最後の招待が与えられるために存在しています。そのメッセージの宣布によって、神の奉仕者達は、多くの難問と取り組み、多くの障害に打ち勝つために招かれるでしょう。時々、その働きは、先駆者たちが、バトルクリークやオークランド、その他の地域で設立していた時にそうだったように、困難な所に進むでしょう。しかし、みんなで、最善を尽くしましょう。主を自分達の力にしましょう。すべての自分中心を避けて、自分達の良い働きによって、ほかの人々を祝福しましょう。

 

2.ニューヨーク市

 1901年の冬にニューヨーク市に滞在していた間に、私は、大都市での働きに関する光を受け取りました。毎夜、私達の[教会の]兄弟達が続行している経過が、私の前を通り過ぎました。大都市ニューヨークで、そのメッセージは、ランプの灯のように出て行きました。神は、この働きのために働き人達を興すでしょう。主の御使い達は働き人達の前に出て行くでしょう。私達の国の大都市は、早くも、ノアの洪水前の世界の状態に似た状態に到達しています。人々の悪さはソドムのようであるけれども、また、そこには多くの誠実な魂がいます。その人々は、再臨の驚く真理のメッセージを聞く時に、その精神/霊を確信するよう考えるでしょう。ニューヨークは働きが始められるための用意をしています。主は労働者達に呼び掛けています。主は、ニューヨークとアメリカのほかの大都市で行なわれるための働きに、主への畏れをもって伝道を進め始めて、[人類救済]目的を体験した人々に呼び掛けています。主は、また、この働きで役立てられる資金を呼び掛けています。

 私達は、[マサチューセッツ州]ブルックリンに菜食レストランを開いたという理由で満足して休むべきではなく、その都市のほかの地区にほかの施設が設立される必要があるということを[イエスから]私に提示されました。大都市ニューヨークの一部に住んでいる人々は、大都市のほかの地区で行なわれていることを知りません。男性達と女性達は、違う場所で設立されたレストランで食べて、健康を改善するという意識になるでしょう。一度得られた確信によって、その人々は、真理の特別なメッセージを受け入れる備えとなるでしょう。

 医事伝道の働きが行なわれている私達の国の大都市のどこでも、料理教室は開かれる必要があります。また、教育的な伝道の働きが進展している所ではどこでも、いくつかのタイプの衛生的なレストランが設立される必要があります。そこでは、健康的な食物を用意することと、相応しい食物の選択の実際的な指導が与えられるでしょう。

 [カリフォルニア州]ロスアンジェルスにいた時、私は[イエスから]、その市の各区だけではなく、サンディエゴと南カリフォルニアの旅行保養地に、健康レストランと民間療法所が設立される必要があると指導されました。

 それらの項目における私達の努力は、広大な太平洋岸の保養地を含んでいるでしょう。バプテスマのヨハネの声が荒野の中で「汝らは、主の道を用意しなさい」と聞かれたように、主のメッセンジャー達の声は、沿岸の保養地と大勢の療養のための来所者に聞かれる必要があります。

 

3.[北アメリカ]南部諸州

 私は、南部諸州の伝道地に関して、伝えるためのメッセージを一つ持っています。私達は、この伝道地で行なうための大きな働きを持っています。そこの状態は、私達が告白したキリスト教信仰をとがめるものです。その牧師達、教師達、医事伝道者達の極貧状態を見てください。多くの人々の貧困、悲惨さ、清貧、無学を考えてください。また、この伝道地の人々はドアを閉じたままです。私達は、自分達の隣人達に、なんと自分中心、なんと無頓着だったことでしょう。私達は、その人々の苦悩を救援するために少しの行ないもせずに、思いやりがなくその人々のそばを通り過ぎてきました。託された福音が、私達の[教会の]人々によって学ばれて働かれたならば、南部の人々は、それに見合った奉仕の働きの分かち合いを受け入れたことでしょう。その光/真理を受け入れた人々がその光に歩んでいたならば、その人々は、主のブドウ園で長く放置された地域の世話をするよう自分達に課された責任に気づいたことでしょう。

 神は、主の人々()に、収穫のための実りである極貧の伝道地に設立されうる施設のために、主が託していた資金を主に与えるよう呼び掛けています。主は、流通用に銀行に預けて置く資金を持っている人々に呼び掛けています。神の働きを支えるために、私達の資産を与えるために、私達は実践的な方法によって示して、自分のように私達の隣人と主を最高に愛しています。

 学校とサナトリウムは今、南部諸州の各地で設立されています。南部の都市で、菜食レストランと食料店を開設して影響力を及ぼすセンターがたくさん作られるようにしましょう。高価ではない健康食品製造のための簡易な工場の施設を備えましょう。しかし、その働きにもたらされる世俗の方針は、神がこれを禁じているので、自己中心にはしないようにしましょう。私心のない人々が、自分達についてくる人々を愛して、神を畏れてこの働きを確立するようにしましょう。

 私に[イエスから]与えられた光は、南部の伝道地のために、どこかで、個人が利益を得る特殊なものではなく、それにより、人々のためにドアが開かれる希望となるような、神が考案した事業として、健康食品の工場が運営されるというものです。南部において、貧しい人々に特別な配慮が示されるでしょう。その人々は、ひどく無関心にされていました。人々の才能と節約は、食品の働きの定着に選ばれるためのものです。それを成功させるために、大いなる知恵と節約が体験される必要があります。神は、健康的な食物を提供するために、受け入れられ得る奉仕を行なうよう、主の人々に望んでいます。主の人々の家族のためだけではなく、それは、あらゆる所で貧しい人々を助けるために、彼らがなすべき第一の責任です。彼らは、彼らが神を表していることに気づいて、キリストのような寛容を示すために存在しています。彼らが持っている全てのものは、主の贈り物です。

 兄弟[姉妹]のみなさん、この働きを定着させましょう。失望する場所にしないでください。自分で働きに出て行かないのに、相応しい前線で事を行なおうとしている人々を批判しないでください。

 健康食品のビジネスに連携することによって、設立される様々な工場は、南部の伝道地の[人類救済]目的の助けとなるでしょう。この伝道地のために行なうことができる人々はみな、神のための伝道者として、今、行なうでしょう。もしも、ずっと、一つの伝道地が医事伝道を必要としていたならば、それは、この南部です。果てしなく過ぎてきた時間の間に、その伝道地の中で、ほかの働き人達と自分達を支援するために自分達の資金を与えることによって、また、個人的な働きを行なうことによって、神と共に働きをしている多くの人々が南部にいたことでしょう。

 小規模のサナトリウムが多くの場所に設立される必要があります。それは、聖書の真理が入るためのドアを開けるでしょう。また、それは、白人達と同じように、救われるための魂として有色人達を見ている人々に存在している多くの偏見を取り除くでしょう。

 そのような働きの施設が、[A.リンカーンの1863年の奴隷]解放の宣言の後ですぐに有色の人々のために設立されていたなら、今日の状態はどんなにか違ったものになっていたことでしょう。

 

4.すべての国々で

 主は、私達が自分の責任に気付いて目を覚ますようにと呼び掛けています。神はすべての人々に、その働きを与えています。おのおの、人は、私心のない人生を生きることができるでしょう。私達はみな、真理の知識を与えることによって、ほかの人々に祝福となることと、祝福できることを学びましょう。全ての人々は、その重責を担って心よく助けをして、自分のいくつかの能力によって行ないましょう。

 社会的なあらゆる階層の人々のために行なわれる働きがあります。私達は、不節制に陥っていた人々、貧しい人々と虐げられて来た人々に親しく接することが可能です。同時に、法律家、牧師達、政治家、裁判官など、不節制の習慣の奴隷にされている人々――社会的に上層にいる人々を忘れないようにしましょう。私達は、永遠の命が、努力する価値があって、その人々の魂を救う価値があることをその人々に示すための努力をやめないようにしましょう。それらの上層階級の人々のために、タバコや酒の有害な嗜好に費やしている彼らの資金を施設の設立のために与えることを要請して、私達は総力を挙げて堅い約束を示すために存在しています。子ども達と若い人々は、その世界の中で役に立つ場所に満たされるように備えられるでしょう。

 大いなる光が私達の上に輝いていました。しかし、私達が反射している光はなんと小さな光でしょう。天の御使い達は、真理の原則を現実的に伝える人間達と協力することを待っています。行なわれるために存在しているこの働きの多くは、サナトリウムと様々な事業による働きを通してです。それらの施設は、主の癒しの力が上でも下でも、富める人と貧しい人でも、あらゆる階層の人々に届く所では、神の記念碑となることが可能です。キリストのために支出された全ての資金は、与えた者と苦しんでいた者の両者に祝福をもたらすでしょう。

 医事伝道の働きは、福音の助けとなる右手です。それは、神の[人類救済]目的を前進させるために必要です。それを通して、男性達と女性達は、正しい生活習慣の重要性を考えるように導かれる時、その救う真理の力は、知られるでしょう。あらゆる都市は、医事伝道の働きを行なうために訓練された働き人達によって、入って行かれるために存在しています。第三天使の助けとなる右手として、病人を治療する神の方法は、現在の真理が入って行くためのドアを開くでしょう。健康に関する書籍は多くの国々で配布される必要があります。私達の[教会の]医師達は、ヨーロッパとほかの国々で、きわめて大切な指導を待っている人々に会うことが可能な、その土地にいる人々によって用意された健康の働きをする必要性に目覚めているでしょう。

 主は、新たに設立された施設を支援することによって、すでに設立された働きが主と協力するための機会を私達のサナトリウムに与えているでしょう。すべての新しい施設は、第三天使のメッセージを宣布する偉大な働きをする姉妹としてみなされるために存在しています。神は、私達のサナトリウムに、一つの働きの効果をもたらすために、目に見えない手によって巻きつくように伸びている、命に満ちた一つの石となるよう(that will be as a stone instinct with life, )、働きのための一つの機会を与えました。

 主は、将来、新たな場所でサナトリウムを設立する人々に、主の奉仕の働きに自分達の才能を捧げて、その働きを小規模に始めるよう、警告するよう、私に指導しました。その建てられた建物は、大きく、あるいは、高価にならないようにしましょう。地方の小規模のサナトリウムは、私達の教育訓練学校と連携して設立されるようにしましょう。それらのサナトリウムの中で、才能があって献身している若い男性達や若い女性達が集められるでしょう。それらの人々は、神を畏れて愛することを自分自身に指導するでしょう。それらの人々が卒業する時には、自分達が知るように求められているすべてを知っているとは考えないでしょう。しかし、キリストによって、その教訓の慎重な実践と知的な学習を与えられるでしょう。キリストの義がそのような人々の前を進むでしょう。また、神の栄光が彼らの後ろにあるでしょう。

 私は、多くの都市で、小さな治療院と繫がることは、レストランのために当を得ているという光を与えられていました。その二つは、正しい原則を保つために協力可能です。それらの連携は当を得ています。来所者の宿泊所を持っていることは病人のための宿泊所として奉仕するでしょう。それらの施設は、その地方に設けたサナトリウムに提供して奉仕するでしょう。そして、借りた部屋で良い指導を受けるでしょう。病人は都市の近郊で良いケアを受けられうることを、神が明確に指示していたので、私達は、都会で病人の世話をする大きな建物を建ててはいけません(We are not to elect in the citied large )。多くの場所で、都市の中でのサナトリウムの働きを始めることは、必要とされているでしょう。しかし、可能な限り多く、この働きは、確保されうる地方に合うように、すぐにその地方に移転させましょう。

 [イエスから]私に与えられた光は、2、3の巨大な医療の施設を建設するために私達のエネルギーを注ぐ代わりに、私達は多くの小さな医療の施設を設立すべきだというものでした。巨大なサナトリウムを管理運営する時に、その才能のある人を見つけるのはほとんど不可能でした。彼らがそうすべき時に、また、世俗の精神がそこに入って来て、その働き人達はみな、神の霊の支配下にいませんでした。

 人間の益となる楽しみと力は、高価な建物に置かれていないでしょう。私達は、とても多くの人々が衣服と必要な食料に欠乏して苦しんでいることを思い出す必要があります。建物を建てることによって、私達は、外見の見栄えによって影響されるべきではありません。私達は、自分達の義務を行ないましょう。そして、成功を与えることのできる唯一の神に結果を委ねましょう。私達が持っている特別な資金は、適切な健康回復の施設を提供するために使われるようにしましょう。私達のサナトリウムは、健康と幸福のために建てられるようにしましょう。病人が陽光の祝福を受ける所に設置しましょう。救われる歩みで不必要なものを全て整理するようにしましょう。

 この働きによって、増やすべき施設をすぐに始めることと、神意の許しと多くの場所で小規模で始めることはベストです。設立された小規模の施設は、大きい施設へと発展するでしょう。そこでは、責任が分散するでしょう。そして、働き人達は、次第に霊的な力と知性が増すでしょう。彼らと繫がった人々はみな、利己的な野心を制して、神の栄光を見ることをいつまでも保つならば、それらの施設の設立は多くの良い結果となるでしょう。私達の[教会の]多くの人々は、新しい伝道地で働いている必要があります。しかし、名が広く知られることを求める人はいないようにしましょう。働き人達の知性は、清められる必要があります。

 私達の働きの全てにおいて、私達は、小さい二匹の魚と五つのパンによって群衆に食料を与えたイエスが、今日も同じように、私達の働きに成果を与えることができるということを覚えておきましょう。彼は、ガリラヤの漁師達に「あなたがたの網を降ろしてみなさい」と語りました。彼らは従いました。彼らの網は破れるほどに一杯になりました。主の人々は、主が今日の人々のために行なう根拠を見たいと願っているでしょう。イスラエルの子らに天からマナを与えた同じ神は、今も生きていて統治しています。彼は、主の人々()をガイドしていて、行なうために呼び出されている働きに理解と技術を与えているでしょう。熱心な祈りに、主は、自分達の義務に良心的、知的に行なうよう努力している人々に知恵を与えているでしょう。主に祝福された働きに釣り合った大きさに成長するように繫がっている働きの下で、多くの人々は、信仰深く重責を担うようになることを学んでいるでしょう。そして、成功がその人々に伴うでしょう。


 

2章 健康の原則の知識

 

 

 私達は、全ての教会員が医療伝道を定着させるべき時に来ました。この世界の人々は、身体的・霊的の両方に被害を満たされた一軒のラザロの家です。人々はどこにいても、私達に託された[現在の]真理 [2]の欠如のために滅びています。この教会のメンバー達は、目覚めている必要があります。その人々は、それらの真理を伝える責任に気付いているでしょう。その真理によって光を与えられて啓蒙された人々は、この世界の人々に光を伝える者となるために存在しています。この時代の人々に私達の光を隠すことは、恐ろしい間違いをすることです。今日の神の人々()へのメッセージは「目覚めなさい。輝かせなさい。汝らの光は現れています。そして、主の栄光は汝らの上に昇っています」[イザヤ60:1 KJV]です。

 私達は、どの人々の手にも、故意に善の場所に悪を選びながら、多くの光と知識を持っていた人々を見ています。改革をしようとしないで、その人々は、悪いことを次々と身に付けています。しかし、神の人々()は、[霊的な]無知の闇を歩むために存在しているのではありません。

 真の改革者が[入って行く]前に、医事伝道の働きが多くの人々の門戸を開くでしょう。ほかの人々の助けを始める前に、離れた伝道地にいる人に呼ばれるまで待っている必要のある人はいません。あなた方がいる所ではどこでも、あなた方はすぐに始めることができるでしょう。全ての人々に届ける中、様々な機会があります。あなた方に課された責任のための働きを始めてください。その働きは、あなた方の隣人達の中で、また、あなた方の家庭の中で行なわれるでしょう。ほかの人々があなた方に行動を駆り立てるのを待たないでください。あなた方のために命を与えた主へのあなた方の個人的な責任を知性に負って、神を畏れて、先延ばしすることなく、前線に出て行きましょう。あなた方が、主への奉仕を最大に行なうために、自分への個人的なキリストの呼びかけを聞いたならば行動してください。誰かが用意しているのを見ないでください。あなた方が真に聖別されたならば、神は、手段としてのあなた方を通して、[霊的な]無知の闇のグループにいる多くの人々に光を伝えるチャンネルとして、主が役立てることができるほかの人々を真理へと連れて来るでしょう。

 全ての人々は何かを行なうことができます。自分自身を許す努力によって、ある人はこう言っています。「私の家庭では、子ども達に、私への手伝いと私への宝を求めています」My home duties, my children, claim my time and my means.)。親のみなさん、あなた方の子ども達は、偉大な教師のために働く力と能力が増して、あなた方の助け手となるでしょう。子ども達は、主の家族の若いメンバーです。子ども達は、神のために自分達を聖別するように導かれるでしょう。創造と贖いによって[神のもの]です。その子ども達は、自分達の体と知性と魂の全ては神のものであることを教えられることでしょう。その子ども達は、私心のない奉仕の様々な働きの場で助けをするために、教育訓練されるでしょう。あなた方の子ども達が妨害者となることを許してはいけません。あなた方は、子ども達と共に身体的な重荷と霊的な重荷を分かち合いましょう。ほかの人々を助けることによって、子ども達は自分自身の幸福と私心のなさを増しています。

 私達の[教会の]人々は、医事伝道の働きに新鮮な関心を持っていることを示しましょう。その場所で私達の指導のために書かれた書籍[の内容を]研究して役立てるように、その人々に自分で用意してもらいましょう。それらの書籍は、その人々が受けた以上に正しい理解を得て注目することに価値があります。多くは、健康の原則の特別な指導目的で書かれたことを理解するために、全ての人々に益があります。その原則を研究して実践する人々は、身体的・霊的の両方で豊かに祝福されるでしょう。健康の哲学を理解することは、増し続けている多くの悪に対して、防護手段となるでしょう。医事伝道の働きのための知識を得ようとする多くの人々は、学習のために、ほかの人々と集会をもつことを妨げられるような、家庭での義務があることでしょう。これらの人々は、伝道の働き人達に神の意思を表すことについて、自分の家で多くを学ぶことでしょう。父親と母親のみなさん、私達の出版物と書籍による研究から、得ることのできる助けをみな得てください。『Good Health』を読んでください。それは、価値のある情報に満ちています。宗教のテーマを特に扱っている本と同じく、それらの健康の本を子ども達に読んであげる時間をつくってください。子ども達が生きている家としての身体のケアの大切さを教えてください。家族みんなで読む姿は、研究に繫がって、忙しい日常生活の諸事を脇に置いておくことでしょう。家庭教会が大きく改善されないならば、父親達、母親達、兄弟達、姉妹達は、この働きを心から見て取り掛かりましょう。特に、小説や短編集を読むことに慣れた若者達は、夕べの家庭での研究会に集まることによって益を受けるでしょう。若い男性達と若い女性達は、家族全員に助けとなり、真の知識が与えられるような書籍を読みましょう。こう言いましょう。「私は、ほかの人々に奉仕することにならず、自分に益のないようなものを読んで、貴重な瞬間を無駄にしないでしょう。私は、神への奉仕に適切なものを得て、自分の考えと時間を捧げるでしょう。私は、取るに足らない罪深いことに自分の目を閉じるでしょう。私の耳は主のものです。私は、かの敵の巧妙な論法に耳を傾けないでしょう。私の声は、どんな道にも従わないでしょう。神の霊の感化の下にいないでしょう。私の体は、聖霊の宮です。私の存在のあらゆる力は、価値ある仕事に捧げられるでしょう。

 主は、主の助け手となるように、若者達に託しました。すべての教会で、若者達は、自分自身を主に献身するでしょう。若者達がその家庭で自己否定を実践するならば、母親の心労を軽減して、その母親は隣人を訪問する時間を見つけるでしょう。奉仕の機会に、若い人々は、自分をアシスタントとして与えるでしょう。節制や健康のテーマについて扱う雑誌や本は、多くの家庭に置かれています。これらの印刷物の配布は大事なことです。訪問診療する医師に支払い余裕のない人々ために、豊かな祝福となる知識、この貴重な知識は、病気の治療を授けられるでしょう。

 親達は、子ども達に生理学の学習への興味をひかせましょう。若い人の間では、生命の不思議の知識を明らかにした人はわずかです。人間の素晴らしい身体組織についての学習、複雑な部分の関連と従属は、多くの親達が僅かに関心を持っている一つです。神は、若者達に「親愛なる人達へ、私は全てのことについて、汝らが成長して、健康であることを願っています」(3ヨハネ2 KJV)と言っていますが、また、若者達は、体における知性や、知性における体の感化影響を理解していません。親達が自分の子ども達に指導する適切な能力を必要とする情報を得ていないので、許しとして、時間の不足を懇願する時、つまらないものが若者の注目を占める必要がありません。

 全ての人々がこのテーマの知識を得るならば、また、実際に利用するためにそれを身に付ける重要性を考えるならば、私達は物事の良い状態を見ることでしょう。親のみなさん、子ども達に原因から結果になる理由を教えましょう。私達が健康の法則を破ると、私達は苦しみの罰を払わなければならないことを子ども達に示しましょう。身体の健康について、気にしないでいると道徳においても気にしなくなる傾向があることを教えましょう。あなた方の子ども達は、忍耐と注意深いケアを求めています。あなた方にとって、子ども達に服を着せて食物を与えることは、十分なことではありません。あなた方は、自分達の知性的な能力を発達させること、子ども達の心に正しい原則を吹き込むことを求める必要があります。なんとしばしば、品性の美と気性の愛らしいものは、外見の見栄えへの熱い願いのために、視点が失われていることでしょう。親達は、その標準に届かないように働く世俗の意見に支配されないようにしましょう。人生の大きな目的であるものを決めましょう。その目的に届くためのあらゆる努力を傾けましょう。あなた方は、その子ども達への適切な教育訓練に害を受けずに軽視することができないでしょう。子ども達の欠点のある品性は、あなた方の不信仰さを広めることでしょう。粗野、不作法、不敬と不従順、不愛想と怠惰、正しくない道を進んでいることをあなた方が許しているという悪は、あなた方の人生の苦汁とあなた方の名声に不名誉をもたらすでしょう。あなた方の子どもたちの運命は、あなた方の手の中に大きく関わっています。あなた方が敵の仲間達に子ども達を任せて、子ども達を滅びるほかの人々の中で彼の働きに任せるならば、その一方で、あなた方が子ども達に忠実に教えるならば、また、あなた方自身が子ども達の前で良い模範を示して生きているならば、あなた方は子ども達をキリストに導くでしょう。そして、子ども達は、ほかの人々に感化を及ぼすでしょう。このようにして多くの人々が、あなた方の子ども達を手段として救われるでしょう。

 父親達、母親達のみなさん、あなた方に課せられた責任の重要性に気付いていますか。あなた方は、不道徳な習慣について、ケアしないことから子ども達を守る必要性に気付いていますか。子ども達の品性に正しい感化を与えるような、協力のようなものだけの形を許しましょう。あなた方が子ども達のしていることといる場所を知っている以外は、夜間の外出を許さないようにしましょう。清い道徳の原則を子ども達に教えましょう。あなた方が、一つまた一つ、指針から指針、ここで少し、あそこで少しと、子ども達に教えることを怠ったならば、あなた方の義務を行なうことをすぐに始めましょう。あなた方の責任に取り組み、時のため永遠のために働きましょう。あなたの子ども達への怠慢を告白することなく、次の日に過ぎることのないようにしましょう。神に委ねられたあなた方の働きを行なうために、現在、あなた方が意味していることを子ども達に話しましょう。改善/改革をあなた方と共に確立するよう子ども達に頼みましょう。その過去を償う努力を賢明にしましょう。もはや、ラオデキヤ教会の状態が残らないようにしましょう。主の名によって、本当の旗色を示すよう、私は全ての家族に呼びかけます。あなた方自身の家庭の中の教会を改革しましょう。

 あなた方が、家庭の義務を忠実に果たす時、祭司としての父親は、その家の外で良い行ないをするための様々な働きをしています。あなた方が自分の能力を改善する時、隣人達と教会の中での働きに相応しいようにされるでしょう。あなた方の子ども達を自分と神に絆を結ぶことによって、父親達と母親達、子ども達は、神と共に働く者となるでしょう。

                     

 [現在の]真理を信じる者達の生活は、救い主が宿っていることを現しています。イエスについて行く者達は、キリストのような精神と気質があります。キリストのように、その人は柔和で謙遜です。主の信仰が愛によって働いて、その魂を清めています。その人の生命全体がキリストの恵みの力の証です。福音における清めの教えは、それを受ける者の品位を落とさないでしょう。また、粗雑、粗野、礼儀のない者にしないでしょう。その福音は、洗練して高貴にし、そして、高尚にしています。判断を清めて、生活全体に感化を及ぼしています。

                     

 神は、主の誠実な働き人達の一人も、打ち負かされることや奇妙なものとの闘いに一人だけ取り残さず、苦しめないでしょう。主は、命が神の中にキリストと共に隠されているあらゆる人々を貴い宝として保っています。すべての人々について、一人のように、主は「私は、……汝を一つの印章のようにするでしょう。私は汝を選んだからです」(ハガイ2:23 KJV)と言っています。


 

3章 私達のサナトリウムにおける高貴な呼びかけ

 

 

 私達のサナトリウムにいる働き人達は、高貴で聖なる呼びかけを持っています。その人々は、自分達の働きの神聖さに気付いて、目覚める必要があります。この働きの特徴とその感化の広がりは、熱心な努力と率直な聖別/献身を求めています。

 私達のサナトリウムで、病人と心悩む人々は、身体的な回復と同じく、霊的/精神的な助けを必要としていることへの気づきに導かれるために存在しています。その人々は、身体の健康の回復を優先的に与えられるために存在しています。また、その人々は、キリストの命と光/真理によって祝福されるという意味、また、彼と繫がるという意味があることを示される必要があります。その人々は、存在の全体を高尚にする魂の中のキリストの恵みを見るように導かれるために存在しています。主に追随する者達の生き方に現されるキリストを見る以上に、その人々がそれを学ぶ良い方法はないでしょう。

 信仰深い働き人達は、自分達の目をキリストに焦点を当てて保っています。人の永遠の命の希望は、キリストの十字架にあって当然ということを覚えておきましょう。人は自分に命を与えた主に対して不敬にしないことを決意しています。また、人間の悲しみに強い関心を持っています。その人は、神が真理と義に繫いで連れてきた救われる価値がある魂達を覚えて、数えられて責任を与えられた一人として、魂達を見守りつつ、祈りながら働きをしています。

 私達のサナトリウムの働き人達は、聖なる戦いに繫がっています。病人と心悩める人々のために、働き人達は、それがイエスにあるものと同じ[現在の]真理を提示するために存在しています。その働き人達は、また、魂達が救い主に引き寄せられるように優しくわかりやすく、その中の厳粛なものを全部提示するために存在しています。いつも、言葉と行ないの中で、その人々は、永遠の命の希望としての主を掲げ続けるために存在しています。自己中心的な行動が行なわれるためでもなく、厳しい言葉が語られるために存在しているのでもありません。働き人達は、全ての人々を親切に接遇するために存在しています。その働き人達の言葉は、愛と思いやりのあるものになるために存在しています。クリスチャンの礼儀正しさと真の謙遜を示す人々は、魂達をキリストに勝ち取ることでしょう。

 私達は、このサナトリウムに来る人々に、身体的・精神的健康を回復するために尽力する必要があります。私達は、神に熱中することから離れた環境において、清々しい雰囲気に人々を誘う用意をしましょう。神が創った戸外の綺麗な景色や草花に囲まれて、健康を与える新鮮な空気を呼吸して、病人は、キリストにある新しい命について、良い話を聞くことができます。ここで、神の言葉は教えられるでしょう。ここで、キリストの義の陽光が、罪によって暗くなった心に射し込むことができるでしょう。忍耐強く、共感して、救い主の必要を考えるように病人を導きましょう。主は力を持っていない人々に力を増すこと、主は弱い人々に力を与えていることを話しましょう。

 私達は「私は大きな喜びのうちに、主の陰の下に座りました」(ソロモンの歌[雅歌]2:3 KJV)の言葉の意味をもっと深く認識する必要があります。この言葉は性急な変化の全体像を私達の知性にもたらすものではありません。クリスチャンだと告白している人々には、多くの不安で意気消沈している人々がいます。また、神の約束に憩う休みの時間を見つけることのできないとても忙しい人がたくさんいます。また、平和と平穏を持つ余裕がないかのように動いている人がいます。そのような人々へのキリストの招きは、「私の所に来てください。……そして、私はあなた方に安息を与えましょう」(マタイ11:28 KJV)です。

 私達は、キリストの愛の陰に安らぐために、熱くなった命の本流を生気のない所から戻しましょう。ここで、私達は、戦いのための力を得ています。ここで、私達は、神を讃える歌い方と話し方、苦労と心労の減らし方を学んでいます。疲れることと重荷を負うこと、平穏な信頼のレッスンをキリストから受けましょう。人々が主の平和と安息の可能性があるならば、人々は主の陰の下に座っている必要があります。

 サナトリウムの働きに繫がった人々は、聖なる事柄な世話をされて、神の恵みによって育てられるように、[現在の]真理が植え付けられているので、豊かな体験に満ちた宝の家を持っているでしょう。その真理に根を張ってその土地に根付きましょう。その人々は、魂を清めて、愛によって働く信仰を持っているでしょう。常に祝福を求めましょう。その人々は、世俗の悪いガスmalarious(沼から発生するガス。当時、マラリアの原因と考えられていた)に対して、魂の地上の心の窓を閉じて、義の太陽の光線の輝きを受けるために、魂の天への心の窓を開いておく必要があります。

 誰が、医事伝道の働きの理解を定着させる用意がありますか。この働きによって、治療のために私達のサナトリウムに来る人々の知性は、キリストに導かれて、その人々の弱さがキリストと繫がることを教えられるために存在しています。その働き人達はみな、効果を理解するようになる必要があります。天上に心が開かれている時、それがイエスにあるように、その人は、鋭いセンスでその真理を提示できるでしょう。

 私達のサナトリウムの働き人達は、誘惑に晒され続けています。その人々は、不信者達との関わりを持たされています。そして、信仰の健全でない働き人達は、その関わりによって害を受けるでしょう。しかし、キリストに隠れている人々は、主が不信者達に関わった時のように、いつも真理のタネを蒔く用意をして、時にかなった言葉を話す用意をして、不信心に忠誠を尽くすよう引かれることを拒んで、その人達に接するでしょう。その人々は、自分達の宗教の一貫性を日々に示して、自分達の高潔さを保って、祈って見守っているでしょう。そのような働き人達の感化は、多くの人々の祝福となっています。健全な信仰の生き方によって、働き人達は魂達を十字架に引き寄せています。真のクリスチャンは、いつもキリストを認識しています。その人は、いつも好意的で、いつも希望の言葉を語る備えがあり、苦しんでいる人々を慰めています。

 「主を畏れることは、知識の始まりです」(箴言 1:7 KJV)。御言葉の一文は、人間の一万の言葉や考え以上に価値のあるものに属しています。神の道について行くことを拒んでいる人々は、ついに、「私から離れてください」という一文の言葉を受けるでしょう。しかし、私達が、神の道に従う時、主イエスは、私達の知性をガイドして、私達の口に確信の言葉を満たしています。私達は、主によって、また、主の強い力によって、強くされるでしょう。キリストを受け入れると、私達は力を着せられています。私達の内に宿った救い主は、主の力によって私達の特別な性質をつくっています。[現在の]真理は、商売の在庫品に当たります。不正はその生活の中に見られることがありません。私達は、その真理を知らない人々に、折に適った言葉を語ることができます。その人の心の中のキリストの臨在は、その人の全存在の力、生き生きとした力です。

 私は[イエスから]、私達のサナトリウムの働き人達に、「不信心と自己満足は常に防御しなければならない敵に対峙する時に危険です」と言うように指導されました。その働き人達は、熱心さと献身によって悪の者に挑んで戦いを進めるために存在しています。病人は働き人達の私心のない尽力の感化によって高貴にされると感じているでしょう。

 利己主義に染まらないのは、私達の奉仕を汚さないためです(No taint self-seeking is to mar our service.)。カルバリーの人、主を掲げましょう。神の中の生きた信仰によって、主を掲げましょう。あなた方の祈りは打ち勝つでしょう。私達は、どれほど近く、イエスが私達の所に来ていることに気づいていますか。彼は、私達に個人的に語っています。彼は、彼の義の衣を着せられることを快くしている全ての人々に自分自身を現すでしょう。彼は、「汝らの神、主である私は、右手で汝らを支えるでしょう」と言っています。私達は、主が言った権威と保証を聞くことができる所、主がその手によって私達を支えることができる所に自分自身を置きましょう。「私は、死んだけれど、生きている主です。そして、見なさい。私は永遠に生きています」(ヨハネ)11:26 KJV)


 

4章 私達の[教会の]医師達へ

 

 

 クリスチャン医師は、身体に病気のある人同じく、魂に罪の病のある人々に治療としてその人々を連れて行く、病人のための一人の恵みのメッセンジャーとして奉仕しています。その医師は、身体的な苦悩の救済のために神が処方した単純な治療法を利用する時、魂の慢性的な病を癒す神の力について語るため働いています。

 その医師達が救い主と親しく交わって生きることは、どんなにか必要でしょう。病人と心悩む人々に、医師はキリストだけが与えることのできる必要な助けを与えています。病める人々は、主の霊によって書かれた祈りを必要としています。愛された一人[ヨハネ]は、特別な医師の恵みと知恵によって自分自身に残しています。それらの技術と信仰深さは彼の唯一のとなるでしょう。医師は、神の恵みの忠実な家令/管理者となる時、体と同様に魂を保護する者となるでしょう。

 天からの知恵を受け、キリストが自分の個人的な救い主であることを知っている医師は、自分自身が特別な避難所[キリスト]に導かれたので、助けを求めて自分に向いてくる魂の罪の病と、罪にふるえる人に接遇する方法を知っています。その医師は「私は救われるために何をすべきですか」という問いかけに確信を持って応じることができます。その医師は、贖い主の愛の物語を話すことができます。医師は、信仰と悔い改めの力の体験から語ることができます。医師が、苦しむ者達のそばに立つ時、慰めと助けをもたらすような言葉を語ることに詰まった時に、主は、医師を通して、医師によって働いています。愛情のある人の知性が偉大な癒す者と結ばれている時、キリストの平安はその医師の心に満たされています。医師に訪れている霊的な健康は、体の健康を回復するために、神を助ける手として役立てられています。

 その医師によって、「苦しむ者達がキリストの必要の感情が湧いて、心の中に気付きを起こしている」機会は貴重です。医師は、長い間望んでいた慰めと指導の言葉を語って、古い事柄と新しい事柄を心の宝庫から持って来るために存在しています。いつも、医師は、教理的なテーマを示すのではなく、救い主の罪の赦す愛について、[現在の]真理のタネを蒔くために存在しています。医師は、一行ずつ、指針から指針へ、神の言葉からの指導を与えるだけではなく、魂達が罪から救われるように、自分の涙でこの指導を潤して、祈りによってそれを強めるために存在しています。

 医師達は、患者の身体の滅びを避けるための熱心さと熱い望みによって、その魂の滅びを忘れてしまう危険性があります。医師達は、自分達を守るように気を付けてください。キリストの裁きの座で、あなた方は、現在立ち会っている死のベッドにいる人々に向き合う必要があります。

 医師達の厳粛な働きは、死に逝く人や病人といつも関わっていて、可能ならば、ほかの人が実践できる宗教に関係ない義務から解放されることを求めています。不必要な重荷は、担当患者の霊的な必要を熟知するようになるための時間を持つ医師には置かれるべきではありません。その医師の知性は、いつも聖霊の感化の下にある必要があります。その医師は、信仰と希望に目覚めて、時に適った言葉を語ることができるでしょう。

 死に逝く人のそばにいる時、信条や討論の言葉は語られるためにあるのではありません。苦難にある人は、信仰によって主に行く全ての人々を救うことに快くしている一人の御方を示される必要があります。熱心で、優しい人は、魂を助けるために労して、生命と死の間を見守っています。

 その医師は、自分が注目していることに担当の患者達を向けさせるように、決して導かないでしょう。医師は、救い主が伸ばしている手に、信仰の手で握ることを教える必要があります。その時、患者の知性は、義の太陽[キリスト]から放射される光によって照らされ啓蒙されるでしょう。医師達が行なおうとしていることは、キリストが行動と真理によって行なったものです。医師達は命を救おうとしています。主は、患者自身の命です。

 担当患者の知性を健康な行動に導く医師の努力は、あらゆる人間を魅惑するものから解放されている必要があります。永遠の事柄を捉えて、霊的に著しく高揚していても、人間性は屈服してはいけません(It must not grovel to humanity, but soar aloft to the spiritual, grasping the things of eternity.)

 医師達は、厳しい批判の対象にされるべきではありません。それは、不必要な重荷を医師に負わせています。医師のケアは重責で、彼はその働きで彼に繫がっている人々の共感を必要としています。彼は、祈りによって支えられる必要があります。彼が正しく理解されるということの気づきは、彼に希望と勇気を与えるでしょう。

 知的なクリスチャン医師は、いつも、病気と罪の間の関連への気づきを増しています。彼は、原因と結果の間の関係を益々知るように努めています。彼は、看護課程で学んでいる人々が、健康改善の原則の教育を授けられる必要のあること、その学生達が全ての事柄において厳格な節制をするよう教えられる必要があることを考えています。健康の法則に関して配慮のないことを表して、ほかの人々に生活の仕方を教えることは許しがたいことだからです。

 医師は、患者が間違った飲み食いによる栄養物を原因にして苦しんでいると見ている時、改善の必要を指摘することと、そのことを患者に話すことを怠ると、患者は不健康な原則に従って行動しています。常習的大酒飲みや食物に異常に熱中した人など、習慣を無視して大量に与えられた人々は――みな、その苦しみは罪の結果だと、はっきりとわかるように告知するよう、医師達にアピールしています。私達は、健康改革の大きな光を受けました。なぜ、その時、私達は、病気をもたらす原因を阻止するために、もっとはっきりと真剣に努力することを決意しなかったのですか。いつも痛みと闘っているのを見ていて、いつも苦悩を緩和することに労していて、私達の[サナトリウムの]医師達は、患者達の安息をどのように支えることができますか。医師達は警告の声を上げて繰り返すことができますか。医師達が病の治療としての厳しい節制を教えないということが、医師達は好意的で思いやり深いということになりますか。

 医師のみなさん、パウロがローマの人々に与えた警告を研究してください。「それゆえに、私は、あなた方に懇願します。兄弟[姉妹]のみなさん、神の憐れみによって、汝らは、自分の体を生きている犠牲として表しています。聖なる、神に受け入れられるそれ[犠牲]は、あなた方のほどよい奉仕です。そして、この世に順応していませんが、しかし、汝らは、あなたの知性が新しくなることによって変えられています。汝らは、神の意思に、完全に、そして、受け入れられる良い事が何であるかを証明しているでしょう」(ローマ12:1,2 KJV)。

                         

 私達のサナトリウムでの霊的な働きは、医師達の支配下にあるためのものではありません。その働きは、聖書の広い知識と機転、思想を求めています。資格を取得している牧師達は、私達のサナトリウムに繫がる必要があります。牧師達は、聖霊が宿るために相応しい、清い宮の知性と身体をつくるために、神が買い取った財産として、その人々に課された責任を人々の知性にもたらして、また、身体が聖霊の宮であることを示して、クリスチャンの視点からの節制の標準を掲げる必要があります。節制が福音の一部として提示される時、多くの人々は自分達の改革/改善の必要性を知るでしょう。その人々は、アルコール中毒の悪と、完全な節制は、神の人々()が良心的に立つことができる舞台(信仰の土台)だけにあることを知るでしょう。この提案が[イエスから]与えられた時、その人々は、聖書研究においてほかの個所にも興味を持つようになるでしょう。


 

5章 戸外生活の価値 The Value of Outdoor Life

 

 

 私達が住んでいる大都市にある大きな医療施設は、サナトリウムと呼ばれていて、患者達が戸外生活を送るのに便利な場所に設置されて、それらを行なえる少しの良い部分だけを行なっています。私は[イエスから]、様々なサナトリウムはこの国の多くの場所で設立されるためのものであることと、それらの施設の働きは [キリストの]義と健康の[人類救済]目的を大きく前進させるでしょうと、指導されました。

 自然界の造られた物は、神の祝福として、人間の身体と知性と魂に癒しを与えるために提供されています。その物(植物や水や陽光など)は、人間をよく保つために、また、病人を回復させるために与えられています。水治療法と関連したそれらは、世俗のあらゆる[有毒]薬物療法よりも健康回復に効果的です [3]

 この国の中で、病人は、その苦悩と病から注意を逸らすよう呼び掛ける多くの物を自然界から見つけています。いろいろな所で、人々は、自然界の美しい物――花々、野原、豊かな宝を実らした果樹を楽しんで、眺めることができます。森の木々、丘と谷間の様々な若葉は多くの命の姿と、大きな日陰をつくっています。

 病人達は、取り囲まれている物によって、慰められるだけではなく、同時に、病人達は、もっと貴重な霊的な教訓を学んでいます。神の素晴らしい作品によって囲まれて、病人達の知性は、見える物から見えないものに引き上げられています。自然界の美しさは、新しく造られる地球の比類のない魅力を考えるよう患者達を導いています。そこには、愛らしさを損なうものは何もないでしょう。汚れや破壊もないでしょう。死や病の原因もないでしょう。自然界は、神が有している医師ですNature is God's physician.。清々しい空気、喜ばしい陽光、きれいな花々や木々、ブドウ園の果樹、それらに囲まれた戸外での活動は、生命の万能薬として健康を与えるものです。戸外での生活は、多くの健康でない人々が必要としている唯一の薬です。その作用は、流行を追う生活が原因の病を癒す力です。その生活は、身体的・知的・霊的な力を弱めて損なっています。

 都会生活に馴染んだ健康でなく弱い人にとって感謝でしょう。都会の通りの騒音とどぎつい照明は、郊外では解放されて静穏です。人々は、どんなにか自然界の景色の良い所に移りたいことでしょう。人々は、青空が広がっている場所に座って、陽光を楽しみ、木々と草花が芳しく香る空気を吸って、その郊外のサナトリウムの優れていることに、どんなにか喜んでいることでしょう。モミの木とレバノン杉、バルサムの松の香りには、心身を癒して、命を与える性質があります。また、そこには、健康を増進させるほかの木々があります。そのような木々は、冷酷にも切り倒されています。それらがたくさんある所では、大事に育てましょう。それらが少ない所では、もっと植えましょう。

 慢性的に健康でない人のために、活動的な都会人に囲まれている時、健康と幸福を回復させるようなものは何もありません。このような郊外で、最も弱々しい人々は、陽光の中や木陰で、座ったり横になったりできるでしょう。その人々は、空に広がるきれいな木の葉に目を上げる必要があります。その人々は、必要としていた木陰を与えて、枝葉が生きているひさしをつくっている、以前には気が付かなかった曲がった大枝の恵みに驚くことでしょう。気分転換と休息の安らかな感覚が、不満の声を聞くのと同じように、その人々に訪れるでしょう。しおれた精神がよみがえります。かすかな力が新しく注がれています。無意識的に、知性は平安になっています。高まっていた心臓の鼓動は、落ち着いて平常に戻っています。患者が健康になってくると、患者達は、主が地上の家族のために苦しんだことを[伝える]、神の愛する貴いメッセンジャー――可愛い花たちに歩んで近寄って共に立ち向かうでしょう。

 患者達に、大空の開けた所にいることを勧めましょう。戸外で過ごす計画を考えましょう。自然界を通して、その人々は、神と交わることができるでしょう。広大な土地に設置したサナトリウムにおいて、患者達は、そこでタネを蒔いて育てて、戸外の活動によって、健康的な機会を持てるでしょう。衛生学的な治療と結び付けたその活動は、弱っている知性と弱り果てた知性と、病の体を活気づけて回復させて奇跡を働くでしょう。気に入った状況の中で、患者達は、都市にある狭いサナトリウムのような、多くのケアを求めないでしょう。そのような地域にいる人々は、愚痴をこぼして不満を増すこともないでしょう。その人々は、神の愛についての教訓を学ぶ準備がなされるでしょう。神が花たちと鳥たちのために素晴らしいケアをしていて、主自身のかたちに形成された造られたものたちのためにケアしているという知識を得る準備がなされるでしょう。このような機会が、健康の回復を求めている人々の前に、自然界を創った神を高めて(uplifting the God of nature )、魂達に届けるために、医師達とその助け手たちに与えられています。

                    

 夜の間に、私は[イエスから]この国のサナトリウムについての見解を与えられました。その施設は、大きいものではありませんでしたが、それは必要な物が全部そろっていました。それは、離れた所に、柑橘系の果樹園とそのほかの果樹園があって、美しい木々と低木に囲まれていました。その場所は、花壇に繫がっていて、女性患者達は一人ひとり、世話をするための特別な場所を選んで、いろいろな花を植えていました。それらの花壇による戸外の体験は、通常の治療の一部として処方されました。

 シーンが次から次と私の前を通り過ぎました。あるシーンの中で、病んでいる多くの患者は、私達の郊外のサナトリウムの一つに来ていました。ほかのシーンで、私は、同じような仲間を見ました。しかし、その人々の様子は、なんと変わっていました。病は見られませんでした。その肌はきれいで、表情には喜びが見えました。身体と知性は新しい命で生き生きとしていたように見えました。

 私はまた[イエスから]病気だった人々は、私達の郊外のサナトリウムで健康を回復して、そして、自分達の家に戻って、その人々は、実際の教訓object lessonが生きているでしょう、と指導されました。多くのほかの人々は、自分達の中で行なわれた変容によって、好ましい印象を受けるでしょう。多くの病人と心悩む人々は、都会生活のファッションと慣習、習慣に満足せず断って、都会から郊外に戻るでしょう。その人々は、私達の郊外のサナトリウム一つで健康を取り戻そうとするでしょう。このように、私達は、30キロから50キロを移動しますが、私達はその人々に伝えることができるでしょう。健康を望んでいる人々は、最も気に入った状況の下でそれを取り戻す機会が持てるでしょう。

 神は、私達が神と協力すること信じているならば、私達のために素晴らしい働きをするでしょう。私達は、賢明な進路を追い求めましょう。その時、私達の努力は、天に祝福されて成功の冠/栄誉を与えられるでしょう。

                     

 病人のためのケアの仕方の知識を得ようと求めている若い男性達と若い女性達は、なぜ、最も優れた素晴らしい自然界の資源を役立てようとしないのですか。なぜ、その人々は、それらの源を利用することと価値を最も知的に教えられないのでしょうか。

 サナトリウムの立地において、私達の医師達は注目することに間違っています。彼らは、利用可能なのに、自然界が供給しているものを利用しませんでした。サナトリウムの働きための場所の選択は、美しいこと、患者達の感覚が嬉しくなるようなあらゆるものに囲まれていることです。神は、私達を助けることでしょう。清々しい空気と陽射しが命を与える力を役立てるために最善を尽くすよう助けるでしょう。私達が一つの人々()として、私達のサナトリウムの働きにおける主の計画にきちんと沿う時、自然界の資源は正しく評価されるでしょう。


 

6章 都市の外で

 

 

 私達のサナトリウムの立地の選定を行なう立場にある人々は、サナトリウムの働きの目的と性質を注意深く研究する必要があります。その人々は、人の中に神のかたちを回復するために働いているということをいつまでも知性に抱いているでしょう。その人々は、一方の手で、身体の苦悩の慰めの処方を行なうために存在していて、もう一方の手は、魂の罪の重荷を慰めるために福音を携えています。このように、彼らは、真の医事伝道者として働くひつようがあります。多くの人々の心の中に、彼らは、真理のタネを蒔くために存在しています

 私心がなく、個人的な野心のない人は、私達のサナトリウムの立地を選定する働きに入ることを許されるために存在しています。キリストは、[主の]働きの仕方と生き方を私達に示すためにこの世界にやって来ました。私達は、自分達の好みが最も認める場所ではなく、私達のサナトリウムの働きに最もふさわしい場所を選ぶことを彼から学びましょう。

 光が[主から]、私に与えられました。医事伝道において、私達は、サナトリウムの立地に関して、私達の計画を変更する必要に気付くことにしくじって、大きく優位性を失いました。それらの施設は、都市の郊外に設立されるようにということは主の意思でした。それらの施設は、できるだけ[自然界の]魅力的な物に囲まれた郊外に設置される必要があります。自然界の中――主の花園――で、病人は、自分達の思いを神にまで高めて、自分達への注目を自分達から逸らす何かを見つけるでしょう。

 私は[主から]、病人は、四輪馬車や二輪馬車のガラガラ鳴り続ける騒音と路面電車の騒音から離れ、都会人のせわしげな動きから離れてケアされるよう指導されました。郊外の家々から私達のサナトリウムに来る人々は、静かな場所を正当に評価するでしょう。離職した患者達は、神の霊によってすぐに感化されるでしょう。

 エデンの花園は、私達の最初の両親の家で、とても綺麗でした。優美な庭木と繊細な花々は、振り返った人々の目にみな、あいさつをしました。その花園にあったいろいろな木々のほとんどは、美味しい果実を実らして芳しい香りを放っていました。その枝では、小鳥たちが自分達の声でたたえの歌を歌っていました。アダムとエバは、汚れのない清さに、エデンの物音と視界に喜んでいました。今日、罪がこの地上にその影を投げかけました。神は、主の子らに、主の手の作品の中に喜びを見つけるようにと願っています。自然界の真ん中に私達のサナトリウムを立地することは、神の計画に沿っていることになるでしょう。この計画が本当に沿っていると、主は苦しむ人間のために素晴らしい回復の働きをするでしょう。私達の教育的施設と医療的な施設のための場所は、「主の翼に癒しがある」(マラキ4:2 KJV)義の太陽が昇ることができる、大都市を被っている罪の暗雲から離れた所に選択される必要があります。

 私達の働きにおいて、そのリーダー達は、主の人々を教えましょう。サナトリウムは、神の考えと結ばれることが可能な患者の考えの聡明な指導による所、都会の騒音によって悩まされない場所、もっとも楽しませてくれるものに囲まれた真ん中に設立される必要があります。何度も、私はそのような場所を記述してきました。しかし、誰も聞く耳を持っていなかったようです。最近、私達の施設設立の優位性の確立した方法と最も明瞭に、特に、都会の郊外の私達のサナトリウムと学校が、[イエスから]私の前に示されました。

 なぜ、私達の医師達は、[施設が]都市に立地されることを熱望するのでしょうか。諸都市の雰囲気はとても、道徳的に堕落しています。都会の中で、克服するための生来の食欲を持っている患者達は、適切に守られていません。強い酒の被害者になっている人々のために、都会の酒場は誘惑を続けています。私達のサナトリウムの場所として、不信心な者達に囲まれている所は、患者の健康を回復する努力の反対の働きをしています。

 将来において、諸都市の事柄の状態は、ひどくなり、もっと不快なものになるでしょう。都会の環境の影響は、私達のサナトリウムが行なう必要のある働きを遂行することに好意的でないことを悟らされるでしょう。

 健康の観点から、都会の排煙スモッグとホコリは、非常に不快なものです。その時間の大部分が四つの壁によって遮られた病室にいる患者達は、部屋に閉じ込められていると感じています。患者が窓から外を見る時、家々、家々、家々、以外に何も見えないでしょう。部屋に閉じ込められた人々は、自分達の苦しみと悲しみを静かに覆いがちです。時々、一人の傷病者は、自分自身の息によって害を受けています。

 多くのほかの悪習慣evilsが、大都会の大きな医療施設の設立を続けています。

 なぜ、患者達は、戸外の生活で見つけられる、健康回復の祝福を奪われているのですか。私は[イエスから]、患者達の知性がもっと健康になるために、自分自身selfに目覚めるように、患者達が病室から出ること、大空の下で時間を過ごすこと、花を育てること、ほかの軽作業をすること、働くことを楽しむことなどを勧められるようにと指導されました。大空の下での活動は有益なものとして処方されるでしょう。長期の患者達は、自分達が求めるケアが少なくて、戸外にいることが保たれうるでしょう(The longer patients can be kept out of doors the less care will they require.)。その人々を取り囲む可愛いものによって、その人々は、より希望を持てるでしょう(The more cheerful their surroundings, the more hopeful will they be.)。その人々に、自然界の美しい物に囲まれて、小鳥たちの囀りが聞けて、花たちが成長する姿を見ることができる所で過ごしてもらいましょう。その人々の心は、小鳥たちの歌に合わせて歌って、和やかになるでしょう。その人々に不満と悲観がたまっても、その人々の病室はいつも優雅さが備えられるようにして、それらを病室から追い出しましょう。彼らに戸外生活の祝福を与えましょう。このようにして、その人々の魂は高尚にされるでしょう。慰めが体と知性に訪れるでしょう。

 「都会の外に」が私のメッセージです。私達の医師達は、長い間、この点について、目を広く開いて見る義務があります。私は願って祈って信じています。人々は、郊外に出て行くことの重要性に、今気付いているでしょう。

 神の裁きの訪れる時が、大都市に近づいています。しばらくすると、これらの都市は、恐ろしく震われるでしょう。人々が造った建物は、どんなに強くても、どんなに大きくても関係ありません。火に対してどんなに多くの防火装置が備えられていても関係ありません。神が、それらの建物に触れると、数秒か数時間で、それらは破壊されるでしょう。

 私達の世界の不信仰な大都市の人々は、滅ぼしの「竹ほうき」によって掃き払われようとしています。今、都市の大部分と巨大なビルディングに降りかかっているその天災によって、神は、地上全体にやがてやって来ることを私達に示しています。主は、私達にこう語りました。「さて、イチジクの木の譬えを学びなさい。枝に若芽が出て、葉を広げる時、汝らは夏が近いことを知ります。同じように、汝らは、[人の息子が来ることが]戸口まで近づいていることを悟りなさい」(マタイ24:32,33 KJV)

                                                

 レンガと石の建物は、サナトリウムのために最も期待されるものではありません。それらは一般に、冷たくて湿気があります。レンガの建物は惹きつけられる外観を提供しています。そして、その建物は、人々の目を惹きつけているでしょう。しかし、私達は、広々とした建物を必要としています。そして、レンガはコストがかかるならば、私達は木材で建てる必要があります。倹約は私達の研究課題とされる必要があります。これは必要なことです。この働きの偉大さは、神の譬え話のブドウ園の中の多くの働きでも行なわれる必要があります。

 木造の建築物の中では、患者達が火事から守られると考えられないだろうと示唆されていました。しかし、もしも、私達が都会の中にいるならば、外側からではなく、都市にある込み入った建物からではなく、火事がその建物の内部から発生するでしょう。それゆえ、レンガは安全を保障するものにならないでしょう。健康のために、木材の建物はレンガの建物によりも好ましいものであると患者達に示されているでしょう。

                                                

 何年も[イエスから]、私達は、諸都市で私達の働きを中心にするために存在していないという特別な光を与えられていました。それらの都会に満ちている騒音と混雑、労働者連合とストライキによってもたらされたその状態は、私達の働きを妨害していることを証明しているでしょう。人々は、その労働者連合の屈従の下で、様々な職業に繫がろうとしているでしょう。これは、神が計画しているものではなく、私達に賢明な知識がないという一つの勢力の計画です(but the planning of a power that we should in no wise acknowledge.)。神の言葉は、成就しています。悪人達は、焼かれるための準備として束ねられています。

 私達は今、この世界の人々への最後の警告のメッセージ与えるように、自分達が託されたあらゆる能力を役立てるために存在しています。この働きにおいて、私達は、自分達の個性individualityを保つために存在しています。私達は、秘密結社や労働組合と団結するために存在しているのではありません。私達は、キリストへの指導を期待して、神によって自由に立つために存在しています。私達のあらゆる[再臨]運動は、神のためになされる働きの重要性に気付く必要があります。

                                                

 [イエスから]、「諸都市は混乱・暴力・犯罪に満たされるでしょう。そして、それらはこの地上の歴史の終わりまで続くでしょう」という光が、私に与えられました。


 

7章 郊外で

 

 

 19018月、ロサンゼルスのキャンプミーティングに参加している間に、私は、夜間の相談会議の幻の中にいました。議論されていた問題は、南カリフォルニアでのサナトリウムの設立についてでした。ある人によって、このサナトリウムは、ロサンゼルス市内に建てられるべきと主張され、そして、その市外での建物の設立の欠点が指摘されました。ほかの人々は、郊外の用地の優位性を話しました。

 私達の間には、この問題をとても明確に、最高に簡潔に提示した一人の御方がいました。彼は、私達に「この市内に限定してサナトリウムを設立することは間違いとなるでしょう」と話しました。サナトリウムは、個人個人が大空の下で働くことができるので、多くの田園地帯で優位性を持っているでしょう。神経質、憂鬱、虚弱な患者達にとって、戸外での仕事は価値のあるものです。その人達に、ケアをする花たちのための畑を預けましょう。熊手とクワと手クワを使って、その人々は慢性的な多くの病が軽減されることが分かるでしょう。何もしないことが、多くの病気の原因になっています。

 大空の下での生活は、身体と知性のための良いことです。それは、健康の回復のための神の医薬品です。新鮮な空気、良い水、陽光、自然界の美しいものに囲まれていること、――これらは、自然な方法で病人に健康を回復させるための神の手段/資産です。病人にとって、陽光に当たることや木陰にいるは、金や銀よりも価値があります。

 郊外にある私達のサナトリウムは、花々や木々、非柑橘系の果樹園やブドウ園に囲まれることが可能です。ここでは、神が教えている自然界の教訓を引き出すことは医師達や看護師達にとって容易なことです。患者達に、主の手が春に芽吹く芝生、美しい花々、丈の高い木々を造ったことを示して、神の子らへの主の愛の表現として、花の莟と開花することを見守るよう勧めましょう。

                                                

 私達のサナトリウムが一貫していて、都市から離れて設立されているということは、神の意思の現れです。可能な限り、これらのサナトリウムは、静かな、遮断された所に建てられる必要があります。そこは、神の愛について患者達に指導を与える機会に余裕ができるでしょう。そして、私達の最初の両親のエデンのホームは、キリストの犠牲を通して、人間に回復されるために存在しています。

 病人のための健康を回復する努力において役立つことは、主が創造した美しいもの達が使われることです。花たちを愛でること、熟した果物の取り入れ、小鳥たちが歌う楽しい囀りを聞くことなどは、特に[身体の]神経組織を快活にする効果があります。戸外の生活から、男性達、女性達、子ども達は、誠実や純粋になるという夢を得ています。自然界の強い治療効果のある、元気を与え、生き生きとさせ、命を与える特別な性質によって、思考力が目覚めて、想像性が活気づき、霊性/精神が明るく、そして、知性が神の言葉の美について悟る用意がされて、身体機能の源は力が強められています。

 これらの感化の下で、病人は健康を求めて、健康な食物と注意深い治療の影響と結び付けました。虚弱者の歩みは、適応性を取り戻しています。その目は輝きを回復しています。希望のなかった者は、希望が満ちる者になっています。かつて落胆していた容貌は、快活さを表すことを身に着けています。その声の不満のトーンは、中身のあるトーンになっています。その言葉は、信条を表明しています。「神は私達の避難所、力です。悩みの時の助けを示しています」(詩編46:1 KJV)。クリスチャンの曇った希望は輝きました。その言葉は聞こえました。「ええ、私は死の陰の谷を歩みましたが、私は不幸を恐れません。そなたがわたしと共に居るからです。そなたの杖とそなたの鞭は私の慰めです」(詩編23:4 KJV)、「私の魂は、主を誉めたたえています。私の知性mindは、私の救い主を喜びました」(ルカ1:46,47)、「主は、力のない者達に、主が力を増し加えて、挫けている者に力を与えています。」(イザヤ40:29 KJV)。それらの祝福を提供している神の善意についての知識は、知性を活気づけています。神は、すぐ近くにいて、そして、主の賜物を認識することを知って、喜んでいます。

                    

 この地球が創造された時、それは、聖で、美しいものでした。神は、とてもよかったと宣言しました。花達はみな、灌木はみな、木々はみな、その創造者の目的に応えていました。目の保養になっていた物達はみな愛らしく、神の愛の思想と知性に満ちていました。罪による人間への誘惑を通して、サタンは人類への神性の愛の流れを妨げようとしていました。しかし、その代わりに、彼の働きは、神の恵みと善意の強い現れ、新しい力を呼ぶという結末になりました。

                        

 主の人々が平屋や借家に密集して、諸都市に群がり住むことは、神の目的ではありませんでした。初めに、主は、自然界の魅力のある音の響きと、美しい景色の花園の真ん中に、私達の最初の両親を住まわせました。そして、それらの見える物と音の響きによって、主は、今日も、喜ぶよう、人々に望んでいます。私達は、神の独自の計画と調和するようになると、私達の立場は、健康を回復して保つために、もっと好意的となるでしょう。


 

8章 裕福な人々の間ではなく

 

 

 私達の目には、裕福な人々の間に私達のサナトリウムを設置するよう選択することがベストであるというように見えるでしょう。このことは、私達の働きに、私達の施設のための確固とした支援者としての特徴を与えているでしょう。しかし、この中には、光/真理がありません。「主は、人間が見ているようには見ていません」(1サムエル16:7 KJV)。人間は外見に現れたものを見ています。神はその人の心を見ています。私達の施設の周りには、巨大なビルディングがいくつかあります。私達は少なからずしゃくに思うことを体験することでしょう。裕福な資産所有者の多くの人々は無宗教で不敬です。世俗の思想がその人々の知性に満ちています。世俗の娯楽や歓楽、浮かれ騒ぎはその人々の時間を占有しています。華麗なドレスと豪華なリビングはその人々の財産として得られています。天のメッセンジャー達は、その人々の家庭には歓迎されていません。その人々は、神を遠くに離しておきたいと思っています。謙虚さは、人間にとって学ぶための教訓として困難なものの一つです。そして、それは、わがままで愚かな人にとって、特に困難です。すべての人々のための神への奉仕として自分自身を考えない人々、土地所有と銀行への貯蓄によって裕福だと認識した人々は、まるで、神から独立しているかのように、自分を高めるよう誘惑されています。自慢と慢心にあふれて、その人々は、自分達の豊かな財産によって自分自身を高く評価しています。

 神の視野には、不忠実な家令/管理者である裕福な人々がたくさんいます。財産の獲得と使用について、主は、強奪行為と見ていました。その人々は、全てを所有している偉大な御方を軽視していて、苦しんでいる人々や重圧下にある人々を救援するために、自分達に託された財産を利用しませんでした。その人々は、神の怒りの日に向けて、自分達への怒りを抱え込みました。神は、なされている人々の働きに応じて全ての人々に報いるでしょう。その人々は、神を拝しません。自分がその人達の偶像神です。その人々は、抗争と貪欲を自分達の立場にして、正義と憐れみを自分達の知性から追い出してしまうでしょう。「これらの事柄のために彼らの所を訪れないでしょうか」(エレミヤ9:9 KJV)。

 それが大きな優位性があるように見えても、神は、私達の施設をこの特徴のあるコミュニティーに立地して持っても、喜ばないでしょう。自己中心的で裕福な人々は、私達の知性に感化を及ぼす力を持っています。そして、かの敵は、私達の道に垣根を立てるよう人々を通して働くでしょう。悪い人々の集まりは、いつも、聖なることと献身に害を及ぼすために存在しています。神は、悪と常に繫がりをもたしたロトの家族とロトが住んでいたような場所に家を選ぶ人を私達のうちに持っていないでしょう。怒りのメッセンジャー達が、神によってとても美しく作られた場所をあからさまに打ち砕いて、美しい入り口で皆殺しにし、都市を気に入っていた住民達を焼き尽くすために用意していた爆発する燃える火を注ぐのを待っている間に、ロトは、ソドムの裕福な人々の中に行って、彼は何も持ち出さず、一人の天使の手によって導かれました。

 私達のサナトリウムは、裕福な人々の邸宅の近くに立地されるべきではありません。そこでは、そのサナトリウムは、気に入らないとうわさされて、見苦しく刷新されるものとして見られるでしょう。なぜなら、このサナトリウムは、あらゆる社会層の苦しんでいる人間を受け入れているからです。清く、汚れのない宗教は、神の中でキリストと結ばれていて、神の子らを一つの家族にしています。しかし、世俗の人々の精神は、自負心、えこひいき、気位が高く、僅かな人々だけに好意的です。

 私達の建物の建設において、私達は、世俗の主だった人々の家から離れている必要があります。人々と集まる所から、もっと人目につかない場所に退くことによって、必要としている人々を助けるようにしましょう。外観の豪華な建物を造ることができる人々に惹かれて、私達はドレスやリビングの豪華な人々の間で、私達のサナトリウムを建てることによって神を喜ばせないでしょう。


 

9章 建物についての考察

 

 

 神が選んだ人々として、私達は、世俗の人々の慣習や目的、行動やファッションをコピーすることができません。私達は、成功のための外見に依存するように、また、世俗の手本を型にするように、[霊的な]無知の闇に残されていません。主は、私達の力の出所を私達に語りました。「権威によってではなく、権力によってでもなく、私の霊/精神によって、主がゼルバベルに告げる言葉はこれです。万軍の主は言っています」(ゼカリヤ4:6 KJV)。主が、適していると見ている時、主は、主の道を守っている人々に善意の強い感化力を及ぼすことが可能な力を授けています。その人々は、神に信頼を置いて、そして、その人々は、神に、主が人々に託した才能を役立てる方法に責任を与える必要があります。その人々は、自分達が神の家令/管理人であり、神の名を高めようと生きていることに気づく必要があります。

 神に焦点を当てた人々の好意は受け継がれるでしょう。その人々は、キリストの中で自分の視点を失うでしょう。そして、世俗の惹きつけるものは、彼らの忠誠から彼らを誘う力を持たないでしょう。その人々は、外見の豪華さは力を与えないということに気づくことでしょう。神が選んだ人々として、私達が行なおうとしていて、その働きの正しい表現をすることは、外見を示して誇示することではありません。私達のサナトリウムの働きに繫がった人々は、キリストの恵みで飾られる必要があります。このことは、その人々に、とても良い優れた感化力を与えるでしょう。

 主は、私達と共に熱心です。主の約束は、私達が主の意図を忠実に行なう状態において与えられています。それゆえ、サナトリウムの建設において、主は、全てにおいて最善で、最初で最後にされるために存在しています。

 神の奉仕の働きに繫がっている人々はみな、守られるでしょう。誇示したいという望みによって、その人々は、ほかの人々をわがままや自己称揚に導かないようにしましょう。主の働きのための施設を提供する財産を人々から奪うようなことをして、人々に負債の重責を負わせて、高額を引き受けさせて、不必要なことに入り込むようなことを、神はどんな奉仕者にも望んでいません。正義と裁きを行なうよう、この時代の人々のための現在の真理を信じるように主張している人々がいるからには、人々は、主が自分達に繁栄を与えると期待しているでしょう。しかし、その人々は、狭い道から脱線することを選ぶ時、ガイダンスを自分達のために求めている人々と自分達に滅びをもたらしています。

 医療施設の設立を導いている人々は、正しい手本を示す必要があります。その資金が多量にあるならば、その人々は、純粋に必要とされている以上に利用すべきではありません。主の働きは、主のブドウ園のあらゆる部門の必要を考慮するよう指揮される必要があります。私達はみな、一人の父親の子ども達、一つの家族の一員です。主への収入は、世界の人々全体に主の[人類救済]目的への関心を考慮するよう利用される必要があります。主は、その伝道地のあらゆる部分を見ています。主のブドウ園は一つの全体として、手入れして育てられようとしています

 私達は、貴重な資金をみな、わずかな場所で使い尽くしてはいけません。そうではなく、多くの場所で働きをする建物を建てる働きをする必要があります。新しい伝道地は、主の王国として加えられるために存在しています。主のブドウ園のある部分は、この働きの特徴を示す施設が備えられるのを待っています。主は、私達に、主への奉仕において、自分中心の図式を利用することを禁じました。主は、私達に、現在の真理を表す自分の分の行動に、隣人の才能を奪うような計画を適用することを禁じました。私達は、また、私達の働きが自分達の信仰と調和する必要があことを覚えておく必要があります。私達は、主がやがて来ようとしていることを信じています。そして、私達の信仰は、私達が選択している建物によって、表されているのではありませんか。私達は、やがて大火災で焼き尽くされる一つのビルディングに巨額な資金を支出していいでしょうか。私達の資金は魂の財産です。そして、それは、罪のゆえに、神の有罪宣告の下にいる人々に、現在の真理の知識を教えるために用いられるためにあります。私達が自分達の野心的な計画に結ばれようとする時、また、私達が、先見の明のなさや無節制な浪費を防いで、主の宝物が空にならないように、そして、建物を建てようとしている人々は、自分達に託された働きを行なうための資金を持っていないことのないようにしましょう。

 私達の既存の施設で費やされた以上に、多くの資金が必要でした。この外観を支持した人々は、この働きに特徴を与えているでしょう。しかし、この言い訳は不必要な支出を許していません。

 神は、謙遜と柔和、大教師の控え目な精神を期待しています。天の権威者、栄光の王である彼は、私達の施設にいつも現れるでしょう。キリストの初臨はそれが本来あるように研究されていません。彼は、全ての点で私達の模範となるために来ました。彼の生涯は厳しい自己否定の一つでした。私達が彼の模範に倣っているならば、私達は、決して不必要なことに資金を費やさなかったでしょう。私達は、外観を示すよう求めるために存在しているのではありません。苦しんでいる人々を慰め、病人を回復させるための最良の方法を役立てることによって、神が栄光をたたえられるように、私達は、働きを通して真理の光を輝かせることが可能なこと示しましょう。評判は、大きな建物のために資金を投資することによってではなく、キリストのような貴い品性と宗教的な原則の真の標準を保つことによって与えられるでしょう。

 過去において、建物の建造を行なった失敗は、将来において、私達のための有益な忠告となるでしょう。私達は、その人々の失敗をコピーするのではなく、改善して、ほかの人々が失敗したことを見守る必要があります。私達は、全ての働きを前進させることにおいて、節約の必要性を考え直す必要があります。不必要な支出をなくする必要があります。主は、やがて来るでしょう。そして、私達の建物の外観は、私達の信仰と調和している必要があります。私達の資金は、健康に良い食物、健康を増進させる環境、気に入りの病室の提供に役立てられるためのものです。

 私達の施設の設備と建付けの考え方は、神と共に謙虚に歩むことが財産だという実践的な知識と真理によって創り出されて形作られる必要があります。外見に価値を与えるということを考える必要はないでしょう。成功の一つの手段として、外観に頼らないようにしましょう。これは一つの錯覚です。外観を良くするという希望は、すべて、この働きにおいて、適切な方法ではありません。神が私達に行なうようにと与えた多額の資金を費やすことによってだけ保とうとするのは、無慈悲な独裁です。臓器の中にいつまでも住み着いている癌細胞のようなものです。

 人々の一般常識の理解は、見栄えと豪華さの満足です。見栄えを保って、患者を多くすることによって、そうすると、もっと資金を得られるだろうと考えるのは一つの間違いです。しかし、このコースは支援者を増やすようにするでしょう。私達は、この世代の贅沢なアイデアによって設備されたサナトリウムを持つことに同意できません。クリスチャンの感化は、この方法によってたいそう犠牲にされる可能性があります。私達の施設の外観と内装、あらゆる環境は私達の信仰の表明とキリストの教えと調和している必要があります。その施設のあらゆる部門での働きは、豪華な見栄えではなく、清められた判断によって一つの実例となるでしょう。

 私達の働きに影響力と成功をもたらすものは、大きくもなく費用の掛かった建物でもなく、それは、豪華な建付けでもなく、それは、目を楽しませる優雅な食卓でもないでしょう。魂を清めて、愛によって働くものは信仰です。人の働きを祝福するために神に可能なものは、命から命へと香りを放って、心と知性に働く聖霊、信徒達を取り巻いている恵みの雰囲気です。

 神が昔のその民と分かち合って幕屋の設営の仕方の知恵を与えたのと同じように、神は現在の主の民と分かち合って、主の意思を行なうための知恵を与えることができます。その設営の仕方の構造において、主は、力と権威を表現したものを与えました。それは、今日、主のために建てられる建物によって、主の名が崇められるためのものです。忠実性と安定性、そして適合性は、すべての部門で見られる必要があります。

 サナトリウムの建設を手伝っている人々は、神の愛と聖霊の働きによって、真理を表明する義務があります。ノアがその時代に、箱船の建造によってその時代の世俗の人々に警告したように、主の施設を建てる忠実な働きが今日も行なわれることによって、説教が語られるでしょう。そして、誰かの心が確信して回心することでしょう。その時、働き人達は、いつもキリストの強い助けを切望して考えましょう。設立された施設は無駄にはならないでしょう。その建物の働きが進んで行く一方で、ノアとモーセの時代に、神が、幕屋に関することと、箱船についてのあらゆる細部について打ち合わせしたということを覚えておきましょう。なので、主の現在の施設の建物によって、主自身が、なされた働きを見守っています。偉大な大教師であり建設者が、御言葉によって、主の霊によって、主の意思によって、主の働きを指揮してデザインしているということを覚えておきましょう。働き人達は、主との相談の時間を取る必要があります。祈りや清らかな賛美の声が、甘い香りとして立ち昇るでしょう。その人々はみな、神に全的に信頼していることに気づくでしょう。その人々は、この働きを行なうことによって、自分達は神と共に働く者であることと、また、永遠の結果の働きを前進させるためにある、一つの施設を建てているということを覚えておく必要があります。「イエスを見上げましょう」は、いつまでも、私達のモットーになるものです。その確信は「私は、汝が進む道で汝を指導し、汝を教えるでしょう。私は、自分の目で見守って汝をガイドするでしょう」(詩編32:8 KJV)。


 

10章 娯楽を求めるためではなく

 tourist」:来所者。「company」:来所者

 

 

 南カリフォルニアの私達のサナトリウムの働き人達へ

 私は、南カリフォルニアの私達の人々のために決定的なメッセージを持っています。主は、彼らに、来所者の娯楽のための施設を提供することを求めていません。この目的のための施設の設立は、主の民の前に、悪い見本を示すでしょう。その結果は、正しい尽力とはならないでしょう。

 私達は、なぜ、サナトリウムを設立するのでしょうか。そこに治療に来る患者さん達は、身体的な苦痛からの癒しと、霊的な助け受けることを求めているでしょう。その人々の健康状態のゆえに、その人々は医療伝道者達の清い感化を受けやすいです。私達は、その人々の最も関心のあることに、賢明な働きをしましょう。

 私達は、その人々のホテルとしてサナトリウムを建てているのではありません。その人々の前に良心的に提供しうる食物を受け入れるような人々、正しい原則に順応する人々だけを私達のサナトリウムに受け入れましょう。私達は、その人々の病室で、アルコールで酔うことを患者に許しますか。また、私達は、その人々に肉を提供しますか。私達は、その人々が私達のサナトリウムにきて受けるはずの助けをその人々に与えていないでしょう。私達は、私達の衛生的なレストランとサナトリウムで、そのような食品を除外する原則を理解してもらえるようにしましょう。私達は、健康と力を楽しんで、疾患や病から解放された仲間を見たくないですか。その人々への棘のある言葉と同じように、原則に忠実にしましょう。

 魂の救いの働きのためにあるその人々の働きは、世俗の人々の方針から自分達が解放されている必要があります (Those whose work it is to labor for the salvation of souls must keep themselves free from worldly policy plans.)

 

その人々は、裕福な人の影響力を得ようとして、その人々の信仰告白に名誉を汚す計画に巻き込まれてはいけません。その人々は、経済的な優位性のために、自分達の魂を売ってはいけません。その人々は、義の標準を落として、神の働きを遅らせるようなことを何も行なってはいけません。私達は、神に仕える者です。また、私達は、主の方法によって主の働きを行なって、主と共に働く者となるために存在しています。私達が働いている人々はみな、私達の希望が聖化の高い標準に到達するためにあるということを知るでしょう(, that all for whom we labor may see that our desire is to reach a higher standard of holiness.)。私達が関係している人々は、犠牲と自己否定について語るだけではなく、私達の生き方にそれを現して見るために存在しています。私達の模範[]は、私達が自分の働きに関係を持っている人々、また、神の事柄によく熟知するようになるため、霊感を与えようとしています。

 私達が、病人と身体的・精神的に苦しんでいる人々の救済の働きをするためにサナトリウムの建設に多額の投資をしようとしているならば、私達は、その人々が必要としている助けを受けられるように、私達が助けたいというような方法で自分達の働きの計画を立てる必要があります。私達は、身体の癒しのために自分達のすべての力で行なうために存在しています。しかし、私達はもっとはるかに重要な魂の癒しを提供するために存在しています。患者として私達のサナトリウムに来る人々は、[魂の]救いの道を示されるでしょう。その人々は、「汝の罪は、汝から許されています。罪はもう消え去りました。平安に過ごしなさい」という御言葉を聞いて悔い改めるでしょう。

 南カリフォルニアでの医療伝道の働きは、暴飲暴食の考えと行動をもたらして、楽しみを愛するふしだらな来所者companyへの娯楽に協調して、一つの巨大な施設の設立によって前進されるために存在しているのではありません。そのような施設は、どこかで必要とされている働き人達の才能と時間を受け入れるでしょう。能力を秘めている私達の人々は、キリストの福音を歓迎するよう知性を準備する目的を指導され、設立されたサナトリウムで努力を発揮するでしょう。

 私達は、楽しみを求める人々に娯楽に添った事業によって、主が策定した働きを前進させる能力のある人々の力と時間を使い尽くすために存在しているのではありません。働き人達が、そのような事業に繫がることは、自分達の安全を脅かすことになるでしょう。私達の若い男性と若い女性達をそのような危険な影響から護りましょう。仮に、私達の兄弟達がそのような事業に繫がると、彼らが考えているようには、魂を救う働きは前進しないでしょう。

 私達のサナトリウムは、現在の真理を推し進めるという、一つの目的のために設立されようとしています。その人々は、治療のためにそこに来所した時に、知性に現在の真理が好意的に明確に印象付けられるよう指導されようとしています。最も謙虚な立場の仕事をする働き人達への最高管理者からの指導は、現在の真理の側面を語るためにあります。その施設は、霊的な雰囲気が広まるためにあります。私達は、世界の人々に伝えるための警告メッセージを持っています。そして、神に奉仕する私達の献身と熱心さが、私達のサナトリウムに来所する人々に印象を与えられようとしています

 可能な限りすぐに、サナトリウムは、南カリフォルニアの様々な場所に設立されるようにしましょう。いろいろな場所に設立されるようにしましょう。可能ならば、建物がすでに建てられている土地を買いましょう。その時、その働きが成功して、必要ならば、相応しい規模の大きさにしましょう。

 私達は、この地上歴史の終わりの非常に近い時代に生きています。そして、私達は、用心して行動する必要があります。主の意思に了解することは、主の霊/精神を吹き込まれて、主の[人類救済]目的を意味している働きと、また、騙されて分別のなくなって罪に滅んでいる世俗の人々に警告のメッセージを宣布する働きを行なうことです。

 南カリフォルニアにおいて、そこでは、サナトリウムに適した既存の建物がたくさん売りに出されています。それらの建物の中で、あるものは、購入されて、医療伝道の働きが、感覚的、理性的な人々によって前進するでしょう。いくつかの小規模のサナトリウムが、健康を見出す希望を持って、そこに引き寄せられている大勢の人々のために、南カリフォルニアで設立されるようにしましょう。[イエスからの]指導が、私に与えられました。南カリフォルニアの健康保養所に病弱者の群れが殺到している今は、私達のチャンスです。そして、一つの働きがその人々に随行する味方として、行われるでしょう。

 「汝らは、刈り取る時期が来るまでにまだ4カ月ある、と言ってはいけません。見なさい。私は汝らに言います。あなた方の目を上げて、畑の上を見渡しなさい。作物はすでに収穫のために色づいています。」(ヨハネ4:35 KJV)。

                      

 数か月、私は、南カリフォルニアにおける医療伝道の働きについて、自分の魂に重荷を負っていました。最近、サナトリウムの働きを指導するように、神が望んでいる方法について、多くの光/真理/知識が[主から]私に与えられました。私達は、患者さん方に自分達の時間を戸外で過ごすよう勧める必要があります。私は[主から]、サナトリウムの目的に適した、望ましい健康的な場所の土地と建物、安価なものを注視し続けるよう、私達の兄弟達に話すよう指導されました。

 全ての[治療]手段が入手可能な一つの医療施設に投資する代わりに、私達は、多く場所で、小規模のサナトリウムを設立すべきです。すぐに、南カリフォルニアでの健康保養所の評判が、現在、広まっている以上に広まるでしょう。今は、私達が、医療伝道を前進させるという目的で伝道地に入って行くための時です。


 

11章 一極集中化

 

 

カリフォルニア、セントヘレナ 1902.9.4

私達の医療の働きのリーダーのみなさんへ

 親愛なる兄弟のみなさん。主は、主のブドウ園のあらゆる部門のために、公平に働いています。主の働きの組織を乱すのは人々です。主は、わずかな場所に施設を設立するために、主の人々にそんなに多くの資金を集める特権を与えていません。それでは、ほかの複数の場所に同様な施設を設立するために何も残らないでしょう。

 多くの施設が、アメリカの諸都市で、特に南部の諸都市で設立される必要があります。そこではまた、小規模になされました。海外の国々では、多くの医療伝道事業が成功へと向かって始められようとしています。サナトリウムの設立は、アメリカにおけると同様に、ほかの海外の国々とヨーロッパでも不可欠です。

 主は、主の人々に、資金の投資において賢明に推進して、忠実な家令/管理者として、行なわれる働きの正しい理解を持つということを期待しています。建物の建設において、主は、その人々に、完成までに十分な備えがあるかどうか、コストを計算するよう望んでいます。主は、また、その人々に、僅かな場所に投資可能な資金をみな、自己中心的に集めるべきではないということを覚えておくよう望んでいます。そうではなく、その人々は、施設が設立されなければならない、ほかの多くの場所を考慮して働きをする必要があります。

 [主から]私に与えられた光/真理から、特に、私達の新しく設立されたサナトリウムと[既存の]施設の管理者達は、資金の支出において節約に注意深くしましょう。その人々は、世界のほかの場所に設立されようとしている同様の施設を支援する立場にいるでしょう。その貴重な資金をたくさん持っているならば、その人々は、神の広大な伝道地の必要に配慮して、あらゆる計画を作る必要があります。

 どこかで、巨大なサナトリウムを建設することは、主の人々のための主の意思ではありません。多くのサナトリウムが設立される必要があります。それらは、働きを成功させて、良い働きを効果的にするように、大きくする必要はありません。

 看護師の教育訓練と医療伝道の働きへの配慮について、[主からの]注意が私に与えられました。私達は、どこかで1箇所にこの働きを集中化するために存在しているのではありません。設立された全てのサナトリウムで、若い男性達と若い女性達は、医療伝道者となるために訓練される必要があります。主は、その人々の前に、主のための働きを進める者としての道を開いているでしょう。

 預言の成就について、私達の前の根拠は、全ての物事の終わりは手近にあります、と宣言しています。最も重要な働きは、過去に私達の働きが大きく集中化していた場所から、離れて外で行われるために存在しています。

 私達は、菜園や灌漑用に水の流れを引く時に、一カ所だけのために水の流れを引くことをしないで、「私達に水を与えてください」と叫んでいるその他の砂地や不毛な地のために残して置きます。また、これは、その働きが、広大な伝道地に無関心で、わずかな場所で進められて来たという方法を表しています。その荒廃した場所はそのまま残しておきましょうか。いいえ。肥沃な喜びのあるものにして、その小川をあらゆる場所に流すでしょう。

 私達は、決して、世俗の承認や世俗層の人々に頼るために存在しているのではありません。私達は、施設の設立において、サイズや華麗さにおいて、世俗の施設と張り合うために存在しているのではありません。私達は、私達の競争相手と張り合って、大規模のビルディングを建てることによってではなく、キリストのような精神へ――謙虚と柔和――の好意によって勝利を得るでしょう。天を失って、この世の王子達と暮らすよりも、ついに永遠の命を得て、失われた希望と十字架をはるか彼方に見ているの方が良いでしょうBetter far the cross and disappointed hopes, with eternal life at last, than to live with princes and forfeit heaven.

 人類の救い主は、不道徳な世界、罪に呪われた、貧しい両親のもとに生まれました。彼は、ガリラヤの小さな町、無名のナザレで育ちました。彼は、世俗の階層でもなく、貧困のうちに自分の働きを始めました。このようにして、神は、同じ福音を宣布するための賢明で多くの人々が現在考えている方法と、まったく異なった方法で福音を伝え始めました。

 福音の秩序の始まりにおいて、彼は、世俗の傑出した層ではなく、従順と信仰の力、主の教会に信頼することを教えました。神の好意は、銀や金よりも高い価値に属しています。聖霊の力は、価値を評価できないものに属しています。主は、このように言っています。

 「建物は、それらを建てた人々が施設の設立に関して私の指導に従っている時だけ、私の働きの特徴/品性を現しているでしょう。過去において、その働きを支援し運営した人々がいつも、私心のない原則と、清らかさによって支配されていたならば、1カ所か2箇所で私の資金を多額に占有するように、自己中心的に集めなかったでしょう。諸施設は、多くの地域で設立されたことでしょう。真理のタネは、多くの伝道地に蒔かれて、芽を出して成長して、私[]の栄光を実らしたことでしょう」。

 「無関心に放置されていた場所は、現在、注目を受けようとしています。私の人々()は、活発に素早い働きをしようとしています。精神と魂と体を私[]に自分をまったく聖別するという清い目的をもっている人々は、私の名と私の方法によって働くでしょう。すべての人々は、私に見られる多くのガイドとカウンセラーによって立つでしょう」。

 「私は、その無関心で怠惰な人々に指導して、霊的な暗黒の中にいる多くの人々の目薬として、天の油で清めるつもりです。私は、時の終わりに、私の前に立つ一つの民(人々)を備えるために、私の意思を伝える働き人を興すでしょう。多くの場所で、以前、この義務はサナトリウムと学校に提供されてきました。私は、自分の施設を設立するでしょう。そして、これらの施設は、働き人達の訓練のための教育的センターとなるでしょう」。

 「主は、思いがけない方面で、人間の知性に働きかけるでしょう。真理に敵対しているように見える者は、神の摂理によって、建物を建てて、施設を発展させるために自分達の財産を投資しています。時には、それらの建物は、そのコストよりもはるかに安い価格で売りに出されているようです。私達の人々は、それらの試みによって、神の摂理の手が分かるでしょう。また、教育的な働きで利用するための価値ある建物を守るでしょう。その人々は、謙虚に、自己否定的に、そして、自己犠牲的に計画を立てて運営しているでしょう。このような財産のある人々は、知らず知らずに、速やかに主の働きを進めるために主の人々に可能で補助的な備えをしています。

 いろいろな場所で、建物は、サナトリウムに使用目的で利用されるよう購入されるために存在しています。私達の人々は、都市から離れた所の建物を購入する機会を探す必要があります。それはすでに建った建物で、すでに果樹園があります。土地は価値ある財産の一つです。私達のサナトリウムに繫がった土地があるべきです。小さな建物は、医療伝道の訓練を受けるスタッフ達やほかの人々の家として利用されうるでしょう。

                       

 私は[主から]繰り返し、巨大な施設を建てることは賢明ではないと示されていました。魂のための偉大な働きが成し遂げられようとしているのは、一つの巨大な施設によるのではありません。巨大なサナトリウムは、多くの働き人達を募集しています。そして、そこでは、多くの人々が集められています。霊的に高い標準を維持することは非常に困難です。大きな施設では、しばしば、責任ある地位が霊的ではない働き人達によって満たされている、ということが起こっています。それらの働き人達を遇することに賢明でない人が、賢明に遇したならば、目覚めさせられて、確信して、回心したことでしょう。

 その働き[をしている職場の]一隅で、私達のサナトリウムで行なわれたはずで、行なわれることが可能な患者のために、御言葉を開くことが行なわれませんでした。

 多くの働き人達は、一箇所に集められている所で、とても高い霊的な口調の言い回しが、私達の大規模なサナトリウムでたびたび続けられてきた以上に、求められています。

                       

 私達は、永遠の世界の間際に生きています。神の裁きは、この地の住民の上にすでに降り始めています。神は、男性達と女性達を連れてきて、その人々の感覚に、それらの裁きを送っています(God sends these judgments to bring men and women to their senses.)。神は、全てにおいて、私達の世界で行なわれることを許している一つの目的を持っています。また、主は、今のほぼ毎日の出来事だけでなく、私達が過去においてまれなイベントの主の働きを知覚することが可能な、とても霊的な知性になることを私達に期待しています。

 私達は、目の前の罪深い世界の人々へ、神の最後の警告メッセージを与える働きを終えるという偉大な働きがあります。しかし、私達は、このメッセージを与える何をしましたか。見てください。私は、あなた方についてお願いします。多くの、多くの場所が、入って行かれませんでした。私達の働き人達は、繰り返して、同じ土地を歩いているのを見てください。その一方で、その人々の周りは、悪と滅びに横たわっている――まだ警告されていない一つの世界、無関心な人々の世界です。私にとって、これは、一つの恐ろしい写真映像です。私達は、なんと、滅びている世界の人々の必要に対してぞっとする無関心を現しています。


 

12章 私達が指示されたしるし[を明らかにする]

 

 

 私は[主から]、私達の医療施設が神のために証人として立つために存在している、と指導されていました。それらの施設は、改善を進めるため、光/真理を普及させるため、質問の精神を目覚めさせるため、そして、病人と苦しむ人々を回復させるために設立されています。それらの施設は、正しく指導されて、それが、別の状況では、多くの人々の前で、私達にやがて到達が可能となるように、主の来臨に向けて一つの民を備えるために本質的な改革の知識をもたらす財産となるでしょう。

 私達の医療施設を支援する多くの人々は、自分達が通院する施設にとどまっている神の臨在について、高度な思想を持っています。そして、その人々は、霊的な感化と流布の影響をとても受けやすいです。その医師達と看護師達、スタッフ達がみな、神の前に用意周到に歩んでいるならば、その人々は、男性達と女性達に接遇するための人間の力以上のものを持っているでしょう。施設の聖別されたスタッフ達はみな、神性の力が浸透するでしょう。そして、その支援者達は、身体の虚弱を軽減するだけではなく、自分達の魂の罪の病のための香油の癒しを見出すでしょう。

 私達の人々()の間のリーダー達は、私達の医療施設に保たれている強力な宗教的感化力の必要性を強調しています。これらの人々は、主の律法がほめたたえられる所、聖書の真理が卓越したものとされる所、言葉と行ないによって主が栄誉を受ける地位にいるよう、主は意図しています。医療伝道者達は、神のための偉大な働きを行なうために存在しています。その人々は、勇敢なクリスチャンの武具をみな身に着けて、目を大きく開いて警戒している必要があります。その人々は、自分達が指示されたしるしを明らかにすることによって一つとなって、主の戒めに従順で、自分達の[]リーダーに忠実になる義務があります。

 主の安息日を守ることは、神と神の民の間の特別なしるしです。私達は、そのしるしを負うことを恥としないようにしましょう。この内容について、最近、夜の間に考えた時、権威の御方が、主の安息日に関してイスラエルの人々に与えた指導を研究することを私達に勧めました。

 「本当に、汝らは私の安息日を守るでしょう」と、主はイスラエルの子らに言いました。「なぜなら、それはあなた方の数世代を通して、あなた方と私の間のしるしだからです。汝らは、私があなた方を聖別する主であることを知るでしょう。汝らは、その安息日を守るでしょう。なぜなら、それは、あなた方に聖なるものだからです」。…「6日は働きをすることができます。しかし、7日目は、主にとって聖なる休みの安息日です。安息日にどのような働きをする人も、確かに死に処されるでしょう。永遠の契約なので、誰でもイスラエルの子らは、彼らの子孫もその安息日を守るように、その安息日を守るでしょう。それは、私とイスラエルの子らの間の永遠のしるしです」(出エジプト31:13-17 KJV)

 その安息日は、不従順な者から従順な者を識別する永遠のしるしです。熟練した力でサタンは、4番目の戒めを避けて、効力のないものにするために働きました。その神のしるしは、視界から失われるようになるでしょう。クリスチャンの世界は、その敵によって創設された一つの安息日を守り、主の安息日を足げにして踏みつけました。しかし、神は、神に忠実にしている一つの民を持っています。主の働きは、正しい働き人達によって前進されるために存在しています。主のしるしを負う人々は、主のための記念碑として、教会や施設を設立するために存在しています。それらの記念碑は、謙虚を現しながらも、サタンによって創設された間違った安息日に対して、常に、証を伝えているでしょう。エデンにおいて、主によって創設された安息日の恩恵によって、夜明けの星たちが共に歌う時、神の子らがみな、喜びの声をあげました。

 主の安息日を守ることの軽率さと不敬の精神は、私達のサナトリウムの中に入りがちです。医療伝道の働きの責任を負っている人々は、神の聖なる日の清さについて、スタッフ達や看護師達、医師達に指導を与える義務が課されています。特に、医師達はみな、正しい模範を示すよう努力しましょう。医師の義務の性質は、主の安息日の多くの事柄を行なう時に、行ないを慎んで、清く考えるようその人を自然に導いています。可能な限り、医師は、自分の通常の義務を横に置いて、働きを計画する必要があります。

 しばしば、医師達と看護師達は、主の安息日の間に患者や牧師に呼ばれています。また、時々、祈祷会や礼拝のため、また、安息のために時間を割くことは、その人々にとって不可能です。人間の苦悩に関する必要は、無関心にされるためのものではありません。救い主は、その模範によって、安息日に苦しんでいる人を回復させることは正しい事であると、私達に示しました。しかし、不必要な働き、先送り可能な通常の治療や手術は、延期される必要があります。患者達に、医師達とスタッフ達は安息のための一つの日を持つ必要があることを理解してもらいましょう。また、患者達に、主が神と働き人達の間のしるしとして守ることを、主に仕える者達に取り分けたということと、その働き人達は、神を畏れ、聖なる日を守るという希望を持っているということを理解してもらいましょう。

 私達の医療施設で教育を受けた人々とその教育者達は、施設の支援者達とその利用者達のために、多くの資金を正しく[用いて]、安息日を守るためであることを覚えておく必要があります(The educators and those being educated in our medical institutions should remember that to keep the Sabbath aright means much to them and to the patrons.)。主の安息日を守ることにおいて、神が命じていることは、聖として守られることでしょう。それらは、主の側にあるあるということをはっきりと示して、それらの指示としてしるしを与えています。

 現在もそして将来も、私達は、神の律法をわかりやすく表明して、世俗のあらゆる政策から解放されて、神の求めを識別する知恵を持たない人々との同盟よって困惑せず、明確な、特別な民(人々)として立ち上がるために存在しています。私達の医療施設はみな、このように主の来臨のための道を備えるための福音医事伝道の働きの様々な特徴を表すために、セブンスデー アドベンチストの施設として設立されています。私達は、天と調和した働きをしようとしていることを示すために存在しています。私達は、すべての国民、種族、言語の人々に証を伝えるために生きています。私達は、神を愛し、畏れている一つの民です。主が聖別している、主に従順な子らと主の間のしるし、天地創造の神の聖なる記念日を守っている一つの民です。私達は、間もなく、[主が]天の群衆と共に来るという信仰をわかりやすく示すために存在しています。一つの民として、私達は、私達の内の責任ある立場のある兄弟が以前のランドマーク(道標教理)から離れてしまった、という進路によってひどく恥をかかせられてきました。自分達の計画を進めるために、自分達の言葉で自分達の信仰を否定した人々がいます。これは、人間の知恵と判断に置かれうる信頼がどれほど少ないかを示しています。さて、ほどなく、私達は、危険な者が、神の戒めへの忠誠から離して無防備の道に導くのを見る必要があります。私達は、神がノアに洪水前の人々への警告のメッセージを与えたように、神が私達にこの世界の人々への決定的な警告のメッセージを与えたということに気づく必要があります。私達の教会の人々に、未信者達と繫がるための手段として、主の安息日の重要性の価値を下げることに注意を促しましょう。その人々に、世俗の人々と一致することは悪いことではないと表明して、私達の信仰の原則から離れることに気を付けさせましょう。主の人々を世俗の人から距離を保つため神が働いたということに責任を持っている人は、その人の立場が何であれ、誰か人間の勧めを心に留めることに恐れを抱くようにさせましょう(Let them be afraid of heeding the counsel of any man, whatever his position may be, who works counter to that which God has wrought in order to keep His people separate from the world.)

 主は、主の真理の原則に忠実であるかを見て、主の人々をテストしています。私達の働きは、第一、第二、第三天使のメッセージを世界の人々に宣布するために存在しています。私達に義務が課されていることによって、私達は、自分達に敵対する人々を恐れるためでも嫌うためにでも存在しているのではありません。私達の信仰と関係ない人々と比べることによって自分達を縛ることは、神の指示ではありません。私達は、神へ忠実であることを拒む人々に礼儀正しく親切に接遇するために存在しています。しかし、私達は、主の働きの生き生きとした関心を考慮した勧めに、その人々と決して繫がってはいけません。私達の信頼を神に置きましょう。私達は、自分達の価値のゆえにではなく、神の溢れる恵みに属している主にある信仰を通して私達が受け入れているキリストの価値のゆえに、私達が受けている天からの祝福を覚えて、初めの確信を堅く終わりまで抱いて、自分達の現在と将来に関することをみな主の摂理に託して、謙虚に主に信頼して、私心なく主の働きを行なって、着実に前進するために存在しています。

 私は、私の兄弟[姉妹]達が「第三天使のメッセージは、真の安息日を守ることが、神に仕えない人から神に仕える人を識別する[マラキ3:18]しるしになるためのものであるという、私達のために多くの意味がある」ことに気付くようにと祈ります。[霊的に]眠って、無関心になった人々を目覚めさせるようにしましょう。私達は清くなるために呼び出されています。また、私達は、私達の信仰の特徴を保つか保たないかという結果は小さいものであるという印象が与えられることを注意して避けましょう。私達が過去に受け入れた以上に、義と真理のために堅く立って厳粛な義務を引き受けるよう、私達に課せられています。神の戒めを守る人々と、そうでない人々の間の境界線は、間違うことなくはっきりとあきらかにされるために存在しています。私達は、主との関係の約束を守る手段をみな賢明に使って、神を敬うことに良心的です。私達は、たいそう厳しく試されるために存在している人々に欠かせない主の祝福を受けるでしょう。私達の宗教と私達の信仰に印象を与えるものが、私達の生き方を支配する力ではなく、神をひどく不名誉にするために存在しています(To give the impression that our faith, our religion, is not a dominating power in our lives is greatly to dishonor God.)。このようにして、私達は主の戒めから離れています。それは、主が私達の神であり、私達は主の民であるということの否定、私達の生活です。

                        

 私達は、私達の医療施設で益を分かち合うために、あらゆる人々――社会的に地位の高い人と低い人、富める人と貧しい人、あらゆる宗派と層の人々――を招き入れるために存在しています。私達は、私達の施設にあらゆる教派の人々を受け入れています。しかし、私達自身のために、私達は教派的に厳格にしています。私達は、神によって神聖と呼ばれていて、主の神聖統治の下にあります。しかし、私達は、自分達の信仰の特別な点に誰かに押し付けられて、知恵のない者ではありません。

                          

 人々が真の神を忘れないために、主ヤハウェ(hwhy)は、人々に主の愛と力――主の安息日-―の記念日を与えました。主は、こう言っています。「本当に、汝らは私の安息日を守るでしょう。なぜなら、それはあなた方の数世代を通して、あなた方と私の間のしるしだからです」(出エジプト31:13 KJV)

                          

 イスラエルについて、主はこう言いました。「その人々だけが住むでしょう。ほかの民たちの間に数えられないでしょう」(民数記23:9 KJV)。この言葉は、

古代イスラエルへと同じように、私達にも適用できるでしょう。神の民(人々)だけが立つために存在しています。第7日安息日を守ることは、その人々が特別な人々となるためにいるということを示して、世俗の人々の習慣と行動から離れて、神とその人々の間のしるしとなるものです。その人々を通して、神は、すべての国民から自身のための一つの人々()を集めるために働いているでしょう。


 

第3部 健康食品

「酔うためではなく、力を得るために……食べなさい」(コレヘトの言葉/伝道の書10:17 KJV

 

1章 都市での医事伝道の働き

 

 

1900.12.12 カリフォルニア サンフランシスコ

 カリフォルニアで行なわれるための働きがあります。一つの働きは非常に無関心にされていました。この働きはもう延期されないようにしましょう。真理を提示するための扉が複数、開かれている時に、私達はそこに入るための用意をしましょう。ある働きがサンフランシスコの大都市で行なわれました。しかし、私達がその伝道地を研究すると、始まりがなされただけだったということが分かりました。可能な限り、すぐに、良好な組織化の努力が、オークランドでも、また、この市の違う場所で進められる必要があります。サンフランシスコの人々の悪は気づかれていません。この都市の中での私達の働きは、広げられて浸透する必要があります。神は、救われるための多くの魂達を見ています。

 サンフランシスコにおいて、一軒の衛生的なレストラン、また、一軒のフードストアと治療院が開店しました。それらは、良い働きをしています。それらの影響は、大きく広がるでしょう。サンフランシスコとオークランドのマーケットストリートで同じような一軒のレストランが開店しました。その尽力に関して、それらは現在、働き人達によってなされていると私達は言うことができます。アーメン、アーメン。間もなく、ほかの働き人達が、その働きの祝福となるでしょう。また、設立されるでしょう。福音医療伝道の働きは、最も慎重に、礼儀正しく前進する必要があります。魂達を救う神聖な働きは、最も控え目で、また、高貴な方法で進められる必要があります。

 どこに、働き人達の集団がいますか。回心した男性達と女性達を通して、鋭い先見の明と識別力がある男性達と女性達は、教える者として活躍するでしょう。良い判断が、人間を救って高貴にするという特別な働きをするために働いている人々――主の視界にある目的を成し遂げるために、神の手となって効果的な働き人となるような、神を愛する人々、主の前に謙虚に歩む人々――によってなされる必要があります。

 福音医療伝道者達は、優れた先駆的な働きを行なうことができるでしょう。牧師の働きは、福音医事伝道者と十分に混ぜ合わされる必要があります。クリスチャン医師は、自分の働きが、牧師の働きに属する高貴な働きだと考える必要があります。医師は、福音牧師と医師の両方の資格に結ばれているので、二つの責任を負っています。医師の働きは、たいそう必要な働きで、神聖な、威厳のあるものです。

 医師と牧師は、同じような働きに結ばれているということを悟るでしょう。その人々は、完全に調和して働く必要があります。その人々は、ともに勧めをするでしょう。その人々は、一体となることによって、人々が個人的な救い主としてキリストを信じる全ての人々を救うために、神がその一人息子をこの世界に送ったことを証するでしょう。

 専門職として力量がある常勤医達は、大都市で神への奉仕の働きに繫がるでしょう。その人々は、最も高いレベルに達することを求めるでしょう。何かが、このサンフランシスコでのこの伝道地の前線で行なわれています。しかし、もっと多くがなされる必要があります。しかし、それらの事業の重要さと性質に間違った考えがないようにしましょう。サンフランシスコは、主のブドウ園の重要な一部で、大きな伝道地です。

 福音伝道の前線で働いている医療伝道者達は、牧師の仲間の働き人として、高貴な任命を受けた働きを行なっています。それらの働き人達によって広められている尽力は、開拓的な相に限定されてはいません。その最も高い相は、不思議にも疎かにされてきました。それは、人生の最も高い所を歩んでいる人が常にいて、福音の高い特徴の痕跡を生み出しているので、真理に応答するような多くの人々に見られるでしょう。このような[人類救済]目的を勝ち取る能力のない少数の人々は、主の働きに精力的に入らないでしょう(Not a few of the men of ability thus won to the cause will enter energetically into the Lord's work.)

 主は、主への奉仕の財産と知性のタレントを役立てるために、主が貴重な賜物を委託していた人々と、信頼される人々の立場にいる人々に呼び掛けています。私達の働き人達は、この働きの堅固な基礎を設立するために、また、私達が、心の支えを求めている人々と貧しい人々を助けるために必要なことを話して、私達の働きの計画の明確な主題をその人々の前に示す必要があります。それらのある人々は、主の[人類救済]目的が前進するような方法に主の財産を投資するように聖霊によって心を動かされるでしょう。その人々は、大都市に影響力を及ぼすセンターをつくるための支援によって、主の目的を満たしているでしょう。関心を持った働き人達は、伝道の様々な働きの努力のために自分達を捧げるよう導かれるでしょう。衛生的なレストランが設立されるでしょう。しかし、慎重に、この働きはなされるでしょう。

 衛生的なレストランはみな、一つの学校となるでしょう。健康的な食物を用意して改善をする人々と繫がった働き人達は、常に試みをして研究するでしょう。その都市において、この働きの指導は、小さな場所よりも大規模に多くの場所で前進するでしょう。しかし、一つの教会がある所ではみな、指導が、健康改革の原則と調和して生きようとしている人々に役立てられるための健康的な食物のシンプルな用意を考えて与えられるでしょう。そして、教会メンバー達は、自分達がこのテーマで受けている光/真理を隣人達に分け与えるでしょう。

 私達の学校の学生達は、調理の仕方を教えられる必要があります。機転と技術がこの教育部門に採用されるようにしましょう。正しくない者のあらゆるだましと共に、サタンは、私達が食欲を甘やかすよう考えるあらゆる側に会わせようとして滅びに導いて、若者達の足元を誘惑の小道に逸らすように働いています。学生達に健康的な生活の科学を教えるのは、偉大な教師のための伝道の働きを行なうためです。

 料理教室が多くの場所で設立されるようにしましょう。この働きは、知性的な料理がほかの人々を啓蒙するためにその人々の最善が尽くされて、控え目な方法で始められるでしょう。主は、その人々に技術と理解力を与えるでしょう。主の言葉は、「私は、彼らに、彼らの指導者として私自身を現そうとしているので、禁じてはいけません」です。主は、健康的で費用のかからない食物の用意によって、その人々の食糧の改善について、導入の仕方を人々に教えて、主の計画を遂行する人々と共に働くでしょう。このように、貧しい人々は、健康改革の原則を適用するよう勧められるでしょう。その人々は、自己を信頼して勤勉になるよう助けられるでしょう。

 [主から]、能力のある男性達と女性達は、受けられうる方法で口に合う健康に良い食物の用意の仕方を神から教えられた存在であるということが、私に提示されました。それらの多くの人々は、若い人々で、壮年の年代の人々もいました。私は、料理教室の講習を奨めるように指導されました。その人々を導く動機はみな、その人々の前に紹介される必要があります。可能な限り、その人々に多くの光/真理が輝くようにしましょう。その人々が学んでいることをほかの人々に分け与えるよう励まして、その人々が食物の用意について、その人々に全てを改善することを教えましょう。

 私達が住んでいるあらゆる大都会で、働きを進めるために、私達は全力で行なわないのですか。私達の近くに住んでいる何百万もの人々が、様々な道にいて助けを必要としています。福音を伝える牧師達は、主イエスキリトが弟子達に言った言葉を思い出してください。「汝らは、世界の人々の光/真理です。丘の上にある町は、隠れることができません」、「汝らは地の塩として存在しています。しかし、もしも、その塩が味をなくしてしまったら、それは何によって塩に戻るでしょうか」(マタイ513-16 KJV)

 主イエスは、マルコ16章で、主の人々のために奇跡を行なっているでしょう。私達は「主は、弟子達に語った後で、天に受け入れられました。そして、神の右に座りました。それから、弟子達は出て行って、至る所で説教しました。どこでも、主は、彼らと共に働いて、その言葉にしるしを伴わせて確信を与えました」(マルコ16:20 KJV)と読んでいます。ここで、私達は、主の昇天後に医療伝道の働きを始めるために、主が選んだ働き人達に資格を与えていたという確信を与えられています。

 群衆にパンを与えて、婚宴でブドウ酒を提供した主の奇跡の記録から、私達は、最も重要な教訓を学べるでしょう。健康的な食料のビジネスは、必要なものを供給する、主自身の手段の一つです。天のあらゆる食糧の供給者は、あらゆる時と場合に良い食糧を用意することに無関心なままに、主の人々()を放置しないでしょう。


 

2章 レストランの働き

 

 

1.小規模の施設を建てる

 私達は、私達の国の都市の人々に伝えるために、私達が行なったよりもっと行なう必要があります。私達は、この都市で大きな建物を建てる必要はありません。しかし、何度も繰り返して、私達はこの都市で、感化を与えるような小規模の施設を建てるという特別な光/真理が[主から]私に与えられていました。

 主は、私達の都市のために一つのメッセージを持っています。私達は、このメッセージを、私達の出版物を通して、また、ほかの一般的な努力によって、私達のキャンプミーティングにおいて、広めようとしていました。これに加えて、衛生的なレストランは、この諸都市で設立されようとしています。そして、人々によって、節制のメッセージが、宣布されようとしています。いろいろな計画は、私達のレストランと繫がった集会として立てられるでしょう。可能な時はいつでも、クリスチャンの節制と健康の科学について講義するために、ほかの重要な目的で、健康に良い食物を用意するよう指導受けることができる所と、支援者が招かれ得る所で、店舗が提供されるようにしましょう。それらのミーティングの中に、健康と節制だけではなく、聖書の目的に相応しい祈りと賛美と話し合いがあるでしょう。その人々が、身体的な健康の保ち方を教えられる時、多くの機会が、天の王国の福音のタネを蒔くために見つかるでしょう。

 その目的は、人々が好意的な印象を受ける時、そのような一つの方法で提示されるでしょう。そこでは芝居じみた性質のない集会になる必要があります。その賛美は、ほんの僅かしか歌われないでしょう。参加者達はみな、賛美歌礼拝に繫がるよう勧められるでしょう。特別な賛美の賜物を持っている人々がいます。また、数曲か、一曲の賛美歌で特別なメッセージが伝えられる時間があります。しかし、その讃美は、数人によって行なわれることはまれです。歌う才能は、感化に属する一つのタレントです。神は、主の名の栄光を利用して、また、全ての人が養うよう望んでいます。

 私達のレストランに来店した人々は、読み物が渡されるでしょう。それらの注意が、食物と節制に関する改善を私達の文書で呼び掛けられるでしょう。そして、キリストの教訓を扱ったリーフレットもその人々に与えられるでしょう。その読み物を提供する役目は、私達の[働き]人達によって共有されるでしょう。来店者はみな、読むようにと何かが与えられるでしょう。そのトラクトの多くは読まれないままになるでしょう。しかし、あなたが渡したトラクトを手にしたある人は、光/真理を研究するでしょう。その人々は、あなたが渡したトラクトを読んで研究して、それから、それをほかの人々に渡すでしょう。

 私達のレストランの働き人達は、神と親しく繫がって生きている必要があります。その働き人は、レストランに来店する人々と霊的な事柄について、個人的に語る聖霊の促しを認めているでしょう。自我が十字架に付けられて、キリストが自我の中に形成される時、私達は、現在の真理にある私達の信条の現実と栄光の希望を、思想と言葉と行ないに現すでしょう。主は、私達と共にいるでしょう。私達を通して、主の聖霊は、キリストから離れている人々に伝えるために働くでしょう。

 これは、私達のレストランへのこの指導によって行なわれるための働きだということを、主は私に指導しました。ビジネスの多忙と難しさが、魂を救う働きを怠慢に導いてはいけません。それは、私達の同僚達の身体的な要望と牧師のために良いことです。しかし、様々な方法が、日毎の食事に来る人々に福音の光/真理を輝かすことが見られないならば、神の栄光はどのように私達の働きによって、称えられるでしょう。

 そのレストランの働きが始まった時、それは、現在の真理のメッセージを多くの人々に伝える手段となるだろうと期待されました。それは、このことを行ないましたか。

 私達のレストランの働き人達への質問が、権威ある一人の御方によって、出されました。「あなた方は、その人々の救いについて、どれほど多くの人々が話しましたか。どれほど多くの人々が罪から離れて、生きている神に奉仕するよう、個人的な救い主としてキリストを受け入れるよう、熱心なアピールをあなた方の口から聞きましたか」。

 私達のレストランで、人々が現世の食物を提供されている時に、働き人達は、その人々が天のパンをいつも提供されるように奉仕する必要があることを忘れないようにしましょう。現在の真理を知っている人も知らない人にも、それを話すための機会いつも見守りましょう。

 

2.スタッフ達へのケア[私達の役目は教育]

 私達のレストランの運営者達は、その働き人達の救いのために働く必要があります。そうすることによって、その人々は、働き人達の霊性を助けようとする気持ちだけでなく、自分達の気力を失う所に追いやることをするので、その人々は過剰労働をしないようにしましょう。その人々は、霊的な働き人として、働き人のために御言葉を読んで、働き人らと共にその人々のために祈り、労働者達を指導するために最良の力量で献身する必要があります。彼らは、自分の子ども達の宗教的な関心を守るためいる親達のように、注意深くスタッフ達の宗教的な関心を守る必要があります。根気良く、優しく、運営者達は、クリスチャンの品性の熟達に向けて助けて、全力を尽くして、スタッフ達を見守っている必要があります。運営者達の言葉は、銀色の絵の中で金をアピールしているようなものとなるでしょう。その人々の行動は、粗野さや利己主義の痕跡から解放される必要があります。その人々は、利益を与えて当然として、魂を見守る緊急招集兵として立つ必要があります。その人々は、優位な立場でそのスタッフ達に長く働いてもらうために努力する義務があります。その人々の励ましは、次第に強くなるでしょう。そして、その人々の神への信仰は次第に増していくでしょう。

 私達のレストランが、この方法で運営されない限り、働き人としてレストランに彼らの子ども達を送ることに対して、私達の[教会の]人々へ警告が必要となるでしょう。私達のレストランをひいきにする多くの人々は、神の御使い達を自分達と共に連れていかないでしょう。その人々は、聖なる存在者達と仲間になることを望まないでしょう。その人々は、神と親しく繫がるようにという働き人達の感化力を跳ね返すために、世俗の影響力を自分達と共にもたらします。私達のレストランの運営者達は、若い人々の労働の安全を守ることをもっと行なう必要があります。その人々は、霊的に生き生きとしているように彼らを守ることを全力する必要があります。私達のレストランの少女達と若い女性達は、一人の羊飼いを必要としています。その全ての人々は、家庭の感化によって避け所に保護される必要があります。

 信徒として、神の[人類救済]目的の手伝いをしようと、私達の施設に入って来る若い人々には、勇気と熱心さを失い、心が挫けて弱るようになり、冷淡と無関心が発達するという危険な落とし穴があります。私達は、それらの若い人々に健全な宗教体験をするように期待しながら、同時に、その家庭生活の特権を奪うことや、小さく暗い部屋に集めることができません。

 私達のレストランではみな、特に、そこで働いている人々のために、スタッフ達をケアするための賢明な計画が立てられることが大切です。良いスタッフ達helpersは、安全に守られる必要があります。そして、あらゆる優位性は、キリストの知識と恵みに成長するように、助けられる必要があります。その人々は、聖書研究のための時間が全くなく、定例の祈りの時間もなくて、周りの偶然の恵みに放置されてはいけません。このように放置された時、その人々は、永遠の実在性に無関心になって、心配りしなくなり、気にも留めなくなります。

 レストランはみな、スタッフ達の保護者として、主の方法を守って、救い主が死んで[贖った]魂達と、主を愛している一組の男性とその妻が繫がるとよいでしょう。

 その若い女性は、判断力の確かな既婚婦人で、賢明な人のケアの下にいる必要があります。その回心した婦人は、特に、若い女性達、働き人達を注意深く保護するでしょう。

 その働き人達は、家庭を持つことを考えようとしています。その人々は、神の助け手です。また、その人々は、弟子達の真ん中で主に接遇された幼子を示して、キリストが言ったように、やさしく注意深く接遇される必要があります。主は言いました。「その人の首は石臼をくくり付けられて、深い海に捨てられる方が良いでしょう」、「反則の罪のゆえに、世界の人々に苦悩が来ました。罪が来ているのは、当然、必要があるからです。罪が来ている人によって、その人に苦悩が来ています」、「これらの小さき人々のひとりをも軽んじないように気を付けてください。私はあなた方に言います。天にいるその人々の御使い達は、天にいる私達の父の顔をいつも見上げています」(マタイ18:6,7,10 KJV)。それらの労働者達に与えられるケアは、大都市の大きな一つのレストランではなく、小さな複数のレストランが好まれる理由の一つになっています。しかし、これは、私達の[国の]大都市の異なった地域での複数の小さなレストンを設立することがベストだろうという唯一の理由ではありません。もっと小さな複数のレストランが、大きな施設と同じように、健康改革の原則を推奨しているでしょう。また、もっと簡単に管理運営できるでしょう。私達は、この世界の人々に食べ物を与えることを託されていません。そうではなく、私達は人々を教育するよう指導されています。最も小さいレストランでは、そんなに多くの働きは行われていないでしょう。そのスタッフ達は、健康改革の原則について学びたいと願っている支援者達の質問に答えるための時間も、自分達のよい仕事の仕方を学ぶ時間も、主の言葉を研究に捧げる時間をたくさん持っているでしょう。

 私達が、この働きで、神の[人類救済]目的を果たしているならば、キリストの義は、私の達の前を進んで行くでしょう。そして、主の栄光が、私達の報いとなるでしょう。しかし、魂達の収穫がないならば、また、そのスタッフ達自身が霊的な益を受けていないならば、さらに、その人々が言葉と行動で神に栄光を表さないならば、なぜ、私達はそのような施設を開設して運営するのでしょうか。私達が、神の栄光のための私達のレストランの運営を指導できないのであれば、また、私達が強い宗教的な感化力をそのスタッフ達を通して努力できないのであるならば、それらを閉店して、私達の若い人々のタレントをほかの働きの場に役立てることが最善でしょう。しかし、私達の複数のレストランは、その人々が魂達を救う手段となるように、たいそう指導されうるでしょう。私達は、心を謙虚にして、熱心に主に求めましょう。主は、主の勧めの光/知識の中の歩み方、主の言葉の理解の仕方、主の言葉の受け入れ方、主の言葉を実践に移す方法を私達に教えることでしょう。

                      

 私達のレストレンで私達のスタッフ達が毎日毎週重労働するような方法を指導されるということに危険性があります。そしてまた、何らかの達成度を良く評価することもできません。この内容は、慎重に考慮する必要があります。私達は、神の栄光の果実をもたらさない一つの働きによって、私達の若い人々を[霊的な]盲目にしてしまう光/真理を持っていません。

 このレストランの働きは、良い行動をして素晴らしく成功する方法を考えたとしても、そのサービスを受ける人々の身体的に良い状態well-beingが単に増進されるように指導されるという危険性があります。一つの働きは、見た目では卓越した華麗さの特徴を生み出すでしょう。しかし、それは、主の目的を果たして、主の意思を行なうために熱心な希望を持って実践しない限り、神の目からみると良い物ではありません。神が、私達の行動の創始者であり完成者であるとして認識されなければ、この働きは、聖域と、欲しくて見つけた場所の間のバランスを取るための不足分の重りです。

 

3.安息日に私達のレストランを休む

 ある質問が寄せられました。「私達のレストランが安息日にも開店されるべきではありませんか」。私の答えは、「いいえ、いいえ」です。主の安息日を守ることは、私達が主の民であるという、私達と主の間の、しるしや象徴として、神への私達の証です。このしるしは、決して、拭い去られないものです。

 来店する大衆に一週間を通して行なっていると同じく、私達のレストランの働き人達が、安息日に食事を提供していたならば、そこは、働き人達の安息の日となりますか。何らかの機会で、その働き人達は、自分達の身体的・霊的な力を回復しなければならないでしょう。

 すぐに、特別な光/真理が、このテーマについて、[主から]私に与えられました。私は、安息日を守ることに関する私達の標準を落としてしまう様々な努力が行なわれるだろうと示されました。その人々は、安息日に私達のレストランが開店するように請い願うでしょう。しかし、このことは、決して行われないでしょう。

 一つのシーンが私の前を過ぎました。私は、サンフランシスコにある私達のレストランの中にいました。それは金曜日でした。数人の働き人が、自分達の家族によって簡単に運ばれるように、食物のようなものをパックに詰めて忙しくしていました。一番目の人がそれらのパッケージを受け取るために待っていました。私は、この意味を尋ねました。その働き人達は、私に、「自分達の支援者の中のある人が問題を抱えていたからです」と語りました。このレストランの休業日に、その人々は、一週の間に利用していたように同じく同じ種類の食物を安息日に得られないでしょう。そのレストランで得られた健康に良い食物の価値に気付いて、その人々は、第七日に自分達が拒否された存在に対して抗議しました。一週の間に毎日開店をするようそのレストランに要請して、これが行なわれなかったならば、自分達は困るだろうと指摘して、それらの人々と請い願いました。その働き人達は言いました。「あなたが、今日、見たことが、安息日の健康な食物の要請への私達の答えです。そして、この方法によって、私達は、安息日にこのレストランを開店することを断るための咎め立てを避けています」。

 私達の[教会の]人々と世俗の人々の間の境界線は、明確に間違いなくいつも保たれる必要があります。私達の[信仰の]土台は、神の律法です。それによって、私達は安息日を守るように繫がっています。なので、それは、出エジプト記31章の明確に書かれているように、安息日を守ることは、主の人々と神の間の一つのしるしです。主は、言っています。

 「本当に、汝らは私の安息日を守るでしょう。なぜなら、それはあなた方の数世代を通して、あなた方と私の間のしるしだからです。そち達は、私があなた方を聖別する主であることを知るでしょう。汝らは、その安息日を守るでしょう。なぜなら、それは、あなた方に聖なるものだからです」。……「それは、私とイスラエルの子らの間の永遠のしるしです。なぜなら、6日の間に、主は天と地を造り、第7日目に休んで、そして、清新にしたからです」(出エジプト31:12-17 KJV)

 私達は、主の安息日に敬意を払わない人々をひどく嫌う理由として、私達の従順によって、「主は、このように言っています」という言葉を心に留めて置く必要があります(We are to heed a Thus saith the Lord, even though by our obedience we cause great inconvenience to those who have no respect for Sabbath.)。私達は人間が求める必要を持っています。その一方で、神の戒めを持っています。私達が持っているものを比べて、どちらが重いですか。

 私達のサナトリウムでは、患者達の家族も、医師達も、看護師達も、スタッフ達もみな、どのようなほかの家族も同じく、小数の働き人も、食物を与えられる必要があります。しかし、私達のレストランは、安息日に開店されないでしょう。その働き人達は、神を礼拝するためにこの日を守れることを保証しましょう。主の安息日に閉じたドアは、第七日は主の安息日で、その日には仕事がなされないものであるという記念日、神のための記念日としてレストランにスタンプを貼りましょう。

 私は[主から]、「衛生的なレストランと治療院が大都市のセンターとして設立される理由の一つは、人々が第三天使のメッセージを呼び掛けられるよう人々を導いて注意を与えるという手段によるものです」と指導されていました。それらのレストランは、一般のレストランが指導管理されている方法とみな違う方法で指導管理されています。知的な人々はビジネスの方法と異なる理由を求め始めるでしょう。また、上等な食物を提供するよう私達を導いている原則を調べるでしょう。このようにして、その人々は、この時代の人々のためのメッセージの知識に導かれるでしょう。

 私達のレストランは安息日に休業しているということを、人々が知って考えた時、その人々は、日曜日に私達の[店の]ドアを閉じるように導く原則について質問するでしょう。その人々の質問への答えとして、私達は、自分達の信仰の理由をその人々に詳しく知らせる機会を持つ必要があります。私達は、トラクトや定期刊行物のコピーをその人々に渡すことができます。なので、その人々は、「神に仕える人と、神ではない者に仕える人」[マラキ3:18 KJV]の違いを理解することができるでしょう。

 私達の[教会の]人々はみな、安息日を守ろうとしていることについて、特別な者ではありません(Not all our people are as particular as they should be in regard to Sabbath observance.)。神が、改革のためにこの民を助けますように。従順の基礎の上に、足で堅く立った人は、家族のみんなの管理者the headとなっています(It becomes the head of every family to plant his feet firmly on the platform of obedience.)


 

4章 健康的な食物

 

 

[オーストラリア]コーランボン、N... 1900.3.10.

 昨夜の間に、多くの事柄が、[主によって]私の前に開示されました。健康食品の製造と販売には、慎重さと熱心な考慮が求められているでしょう。

 人々がこの知識を正しく使うだろうという[立場から]主が見るならば、多くの場所に、健康的で受け入れられ得る食物の準備の仕方について主が堅固な知識を与えた、多くの知性[のある人々]がいます。家畜たちanimalsは、益々、病気になっています。そして、それ[健康的な食物]は、動物性の食物が多くのセブンスデー アドベンチストではない人々によって放棄されるようになるまで時間がかからないでしょう(and it will not be long until animal food will be discarded by many besides Seventh-day Adventists.)[セブンスデー アドベンチストの]男性達と女性達は肉を食する必要がないので、健康的に生命を支える食物は用意される必要があるでしょう。

 主は、世界のあらゆる地域で、病気をもたらさず、生命を支える食物として、果物、穀物、そして、野菜の収穫など、多くの食物を教えているでしょう。現在、市場にある健康的な食物の調理の仕方を知らなかった人々は、地球が生み出す食糧への試みを理性的に取り組んでいるでしょう。そして、地球が生み出す食物の利用について、光を与えられているでしょう。主は、その人々に、行なうことは何かを示しているでしょう。世界の一地域の主の人々()に理解と技術を与えている主は、世界のほかの地域にいる主の人々()に理解と技術を与えているでしょう。それぞれの国の食糧の宝物が住民に合わせて各国で利用されうるように用意されることは主の意図です。神が、イスラエルの子らを支えるために天からのマナを与えた時に、主は現在も、このように、それぞれの場所で、食用肉の[代わりに]位置を占めるように用意された食物を、それらの国々で生産して利用する技術と知恵を主の民に与えているでしょう。それらの食物は、様々な国で生産されているでしょう。一つの国からほかの国への輸出は、貧しい人々がそれらを購入できないほどたいそう高額で行なわれています。ほかの国々のために、健康的な食物の供給をアメリカに依存することは、決して益にならないでしょう。ひどい困難は、経済的な損失なしに商品[食糧の]輸入を扱うことに見られるでしょう。

 健康的な食物を取り扱う人はみな、その仲間の人々の益のために私心なく働くために存在しています。その人々が、自分達の知性をガイドする主を認めない限り、言葉にできない困難が、この働きに繫がるいろいろな人の間で起こって来るでしょう。主がこの技術と知識を与える時、その人々は、この知恵が自分だけのためではなく、ほかの人の益のために与えられたことを覚えておきましょう。

 人は、この働きの枝分かれ図のように、地球の主の食糧の宝を利用する唯一の権利を持っているとか、健康的な食物の用意を考える知識の可能性があると考えるためにいるのではありません。人は、このテーマにおいて、神が自分に与えた知識で自分を楽しますために利用していいと、自由に考えるためにいるのではありません。「汝らは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(マタイ10:8 KJV)

 健康的な食物を安価にシンプルに用意することは、私達の知恵にあります。私達の[教会の]多くの人々は貧しい人々です。そして、健康的な食糧は、貧しい人でも支払い可能な価格で提供されるよう、供給されるために存在しています。あらゆる地域の最も貧しい人々が、健康的な食糧品を安価で提供されることは主の意図です。多くの場所で、これらの食品を製造する工場は設立される必要があります。一カ所でこの働きの祝福となる工場は、お金を得ることがとても困難なほかの場所での祝福となるでしょう。

 神は、主の人々の益になるように働いています。主は、その人々に、資源が欠乏することを望んでいません。主は、人間に与えられた独自の食物への回帰を促しています。人間達の食物は、主が提供した素材から造られた食物で成り立つ必要があります。それらの食物に利用されている主な素材は、果物、穀物、ナッツなどでしょう。しかし、様々な根菜類もまた利用されるでしょう。

 それらの食物の益は、主の人々からというよりは、主に、世俗の人々から来ようとしています。神の人々は、主の働きを支える義務があります。その人々は、新しい伝道地に入って行って、教会を設立する義務があります。その人々には、多くの伝道事業の重荷が課せられています。不必要な重荷は、その人々に課せられる必要がありません。主の人々に、神はいつも必要な時に助けを与えています。

 強力なケアが、私達の健康雑誌に調理法を書いている人々によって実施されるでしょう。ある特別に用意された食糧が現在、改善されて作られています。ある物は、ふんだんにナッツが用意されて利用されました。多くの人々が、私に手紙を書いて送りました。「私はそのナッツフードを利用できません。私は食肉の場所[の代わり]にどのように利用したらいいでしょうか」。ある夜に[幻で]、私は、[教会の]人々の一人の仲間の前に立っているように思われました。そのナッツは食物を用意する時にふんだんに利用されていることと、その調理法は、与えられた調理法を何かに利用する時、人々に教えることができないことを話していました。もっと控え目に利用されたならば、その効果は良いものとなるでしょう。

 主は、一年の大部分の間に新鮮な果物が得られる土地に住んでいる人々に、この果物を食べられる祝福に気付くよう望んでいます。木から摘み取られる新鮮な果物に頼ることは、私達の大きな祝福となるでしょう。

 ある人が、ベジタリアン[卵乳菜食]の食事に繫がった後で、食肉の利用に戻りました。これは、愚かな行動で、肉の場所に相応しい食物の備え方の知識の欠如を現しています。

 賢明な講師による指導の料理教室が、アメリカやほかの国々で開かれる必要があります。私達が行なうことのできる全ての事柄は、食事改善の価値を人々に示すためになされる必要があります。


 

5章 健康的な食物の工場

 

 

カリフォルニア州セントヘレナ 1901,2,16.

[1.愛と忍耐と礼儀正しさを育てる義務]

 昨夜、私は[幻の中で]私達の[教会の]人々に話をしているようでした。次のことを話していました。私達は、セブンスデー アドベンチストとして、愛すること、忍耐すること、そして、真の礼儀正しさを育てる義務があります。イエスは、主の人々が学ぼうとするならば、その人々を強いリーダーとするでしょう。神の人々は、卓越さの最も高い標準に達しようと努力する義務があります。特に、医療伝道に携わっている人々は、医療伝道に尽力する神性の手本、キリストイエスについて行っていることを、精神/霊と言葉と品性に現す必要があります。

 私は、主がこの働きをあらゆる場所で指揮していることと調和して前進するようにと、最も熱烈な希望を持っています。私は、現在行なわれているある事柄、特に、健康食品のビジネスに関することで、私達の[教会の]人々が進む道には、前方にある高い山脈のような問題を見ています。私達が前進している時、私達は人間が創出した非常に困難な問題に立ち向かわなければならないでしょう。それは、多くの困惑をもたらすでしょう。陰謀は滅びの傾向があります。

 優れた技術と徹底した努力によって、ケロッグ医師とその協力者達は、健康的な食物の特別な商品を開発しました。そのチーフの動機は、人間に益になるためのものでした。そして、神の祝福は彼らの努力の上に残りました。もしも、彼らが神の勧めに従っているならば、もしも、彼らがキリストの模範の後を歩んでいるならば、神は、私心なく主を求める人々に技術と理解力を与えるので、彼らは、前進し続けるでしょう。多くの関心によって、改革が私達の工場から送り出される健康食品になされています。主は、もっとシンプルに安価に提供する食物の作り方を主に仕える者達に教えているでしょう。人々が兄弟達と調和して主の勧めに歩むならば、主がこの事業で教えている多くの人々がいるでしょう。

 

2.全ての国々にいる私達の兄弟[姉妹]達へ

 主は、私に「主は、健康的な食物の最善の用意に関して、受け入れるためにある全ての光/真理を少数の人に限定しなかった」と言うように指導しました。主は、様々な場所で機転と技術を多くの人々の知性に与えているでしょう。

人々は、生活している地域に合った健康的な食物を用意することができるでしょう。

 神は、すべての才能、すべての理性、すべての知恵の創始者です。神が多くの人々の知性に健康的な食物を用意する知恵を与えることによって、主の名がたたえられるでしょう。そして、主がこのことを行なう時、それらの人々が新しい食物を作ることは、同じような別の人々によって作られた健康食品への誰かの関心を通して、健康食品をすでに作っている人々の権利の侵害として見られために存在しているのではありません。神は、地の果物の利用の技術と理解力を人々に託していて、また、与えているでしょう。主は、主の働き人達を偏らず公平に接遇しています。主によって忘れられている人はいません。主は、主の人々に労働の機会を与える工場を設立するための安息日遵守者のビジネスマンに強く説得しているでしょう。主は、主に仕える者達に、貧しい人々によって購入されうる健康的な食物を安価に用意することを教えているでしょう。

 私達の全ての計画において、私達は、健康食品の働きは神に属するものであり、そして、それは、個人が得るための特別資産を作るためのものではないということを覚えておく必要があります。それは、主の人々のための神の贈り物です。そして、その利益は、どこでも、苦しんでいる人々のよい物[食糧]として利用されるために存在しています。

 特に、北アメリカの南部諸州では、多くの食品が考案されて、多くの施設に提供されるでしょう。貧しい人々と欠乏している人々は、健康食品の製造によって、自分達[の生活]を支えることができるでしょう。人々の魂の救いのために働いている人々の指導の下で、そして、その人々の地域で最も良く育つ作物の栽培の仕方、食糧のための用意の仕方を教えられるでしょう。

 

3.悪い働き

 私達の兄弟達のある人は、その目的にまったく正しくない一つの働きをしました。健康的な食物の製造方法の知識は、神が、主の目的を支えて助ける一手段として、主の人々に与えました。それらの人々は、世俗のビジネスマンに公開しました。その人は個人的な利益を得るためにそれを使っています。彼らは、主の食物を個人的な利益のために販売しました。健康的な食物の提供に関する彼らの占有権のある機密を公開した人々は、神が与えた信託権を悪用しました。彼らのこの信託の裏切り行為の結果を見た時、ある人は、主自身の計画をうまくやるための、主に仕える人々を導く主を待たず、彼ら自身への勧めを守らなかったことをひどく後悔しました。それらの機密を得たある人は、その施設を支援する人々を偽った説明でひどく惑わして、私達のサナトリウムの食物による働きの方法に障壁をつくるようたくらむでしょう。

 健康食品のビジネスは、管理者によって、[人類救済]目的を前進させ築き上げている人々から盗用されたり借用されたりすべきではありません。ケロッグ医師とその助力者達は、例の特別な食品[コーンフレーク]を製造するプロセスを考案して、巨額な資金を支出して、自分達の高額な工場設備を建設しました。この働きは、多くの実験が製造のために行なわれたので、貴重な多くの時間を費やしました。このように働いた人々と投資した人々の資金は、彼らの労力の成果の対価を得ることを許されるもので正当です。主の家令/管理者として、ケロッグ医師は、神の祝福によって、特別な製品からの理に適った収入を管理することを許されているでしょう。彼は、状況が求める時に、神の働きの前進のために相応しくして、それにより、彼は資金を持っていて、製造が可能となりました。それらの特別な食品の製造を開始して、製造の機密を得た人がいないようにしましょう。そして、個人的な利益のためにそれを売る人がいないようにしましょう。自分達がそうでない時、売るための食品を最初に用意した人々と一緒になって働いているという印象を与えないようにしましょう(Let no one give the impression that they are working in harmony with those who in the first place prepared these foods for sale, when they are not.)。何らかの利己的な方法で、これらの食品を製造することに繫がる権利を持っている人はいません。私達はみな、主の近くに行きましょう。そして、すべての行動において、主の栄光を謙虚な心で求めましょう。

 私は、私達の工場で生産されている特別な健康食品の知識を持っている人々のために一つの警告を持っています。その人々は、利己的な目的のために、それらを利用するために生きているのではありません。その人々には、この知識を公表するために存在しているのでもありません。教会の人々は、このことを定着させましょう。そして、このようなコースは、信託の裏切り行為で、それは、主の目的に非難をもたらすことを兄弟達に示しましょう。

 ケロッグ医師によって、または、ほかの誰かパイオニアによって、この働きに最初に提供された健康食品を作る仕事に働かされているか、働いた人々は、その特別な食品の製造の機密をほかの人々に開示しています。このようにして、彼らはそれ自身の前進のために利用されるべきものをだまし取っています。私は、あなた方、私の兄弟達に懇願します。愚かな者が、その道から逸れてしまうといけないので、あなた方の足元をまっすぐな道にしてください。健康改革についての良心の欠如から、健康食品の市場に不純な品物をおいて、それらの人々の手に情報を渡さないでください。

 あなた方の商取引において、正義の側に立ってください。その時、あなた方は、人間や神の前に損害を表さないでしょう。どのような不正直の行動にも参加してはいけません。個人的な利益のために、サナトリウムの健康食品工場を立ち上げた人々は、光を持っていないことを一つの自由と捉えています。このように、ひどい混乱がもたらされています。ある人は現在、健康食品だと言って品物を製造して売っています。しかし、身体に良くない成分を含んでいます。もう一度書きますが、すべての健康食品は同じだと考えて買う人々にそれらを売ることによって、その食品はしばしば、多くの害の原因を引き起こしていて質がとても粗悪です。

 サナトリウムの健康食品に関して、作られていたビジネスの取り決めの優越性を主張する権利のある人は誰もいません。ケロッグ医師によって考案されたその食品を莫大な経費で商う人々や、彼と一致して働いている人々、そして、それらの食品を商う最良の方法を知った人は、初めは彼を理解しています。利己的にこの働きに入った彼は、同時に、自分の顧客に売っているその商品の利益を個人的な興味のために利用しているという現実があります。その一方で、慈善事業の目的に利用されているという印象を与えています。徐々に、彼のビジネスは失敗するでしょう。そして、彼はもつれた髪のような事態に合うでしょう。彼の兄弟達は彼の不名誉を救うために買い戻さなければならないでしょう。

 主は、それらの人々がそれに繫がった利己心によって、主の奉仕活動が不名誉にされた時、ひどく悲しみました。主は、主の働きのあらゆる部門がほかの全ての部門としっかりと連結して一致していることを望んでいます。

 主は、主の人々に、利己的な関心をはるかに超えて立つこと期待しています。主は、彼らに、出会う誘惑に勝利することを望んでいます。主は、聖徒達の共同体に呼び掛けています。主は、主の働き人達に、主のスーパービジョンの下に立つことを望んでいます。主は、ほかの素材とぴったりと合うように、各々の部分が用意され、神の宮のための素材として、磨かれ平らになってほしいと思っています。神の宮の建物は、欠けている物が無くて、全体が完全になるでしょう。

 天は、この地上で始まるために存在しています。主の人々は、柔和と優しさで満たされる時、自分達を覆っている主の旗が愛であることに気づくでしょう。そして、主の果実は主の人々に味わいが甘いものになるでしょう。主の人々は、上の天のために用意する下の天をつくるでしょう。


 

6章 主の民の教育

 

 

カリフォルニア州セントヘレナ 1902,8,20.

 

 現在の真理が宣布される所ではどこでも、健康食品の用意のための指導が与えられるでしょう。神は、主の人々()が、あらゆる場所で、容易に得ることが可能な食物を賢明に利用することを教えられるようにと望んでいます。慣れた教師達は、ある土地に住んでいる人々の地域で育って収穫できる作物を最も優先的に役立たせる方法を人々に教えるでしょう。このように、貧しい人々は、良い環境にいる人々と同じく、健康に生きることを学べるでしょう。

 健康改革の働きの最初から、私達は、教育、教育、教育の必要を発見していました。神は、人々を教育するこの働きを続けるようにと、私達に望んでいます。私達は、私達の工場で製造された健康食品の販売をしていて、案じているゆえ、それを放置するためにいるのではありません (We are not to neglect it because of the effect we may fear it will have on the sales of the health foods prepared in our factories.)。これは、最も重要な内容ではありません。私達の働きは、主の人々に、主の道徳的なイメージを回復するために、神と協力しうる方法、最も健康的な食物を用意することとそれらを得る方法を教えるために存在しています。

 私達の[教会の]働き人達は、健康食品の製造に器用さを実行しているでしょう。誰も、ケロッグ医師の機密をのぞき見するためにいる人はいません。しかし、あらゆる人は、主が健康食品を作るための多くの場所で多くの人の知性に教えていることを理解できるでしょう。そこの土地からの多くの産出物は、適切に収穫されて用意されたならば、購入の余裕のない人々に祝福となるように、もっと安価に食品に加工され得るでしょう。主は、幕屋の設営の仕方において、巧緻な働きのための知識と技術を与えました。その主は、このように、健康的な食物の確保の仕方を示して、自然界が生み出す食糧を収穫する主の人々に知識と技術を与えているでしょう。

 健康的な食品の製造に関する知識は神の資産です。そして、その知識は、人間がそれを仲間の人々に伝達するために、人間に伝達されました。これを言うに当たって、私は、ケロッグ医師とほかの人々が完成のために長い間の研究と多大な費用を注いだ特別な製造に言及できません。私は、健康に生きたいと望んでいる人々、特に貧しい人々にたくさんに与えられることに関する指導、すべての人が自分達のために作ることができるシンプルな製造に特に言及しています。

 あらゆる場所で、男性と女性が、その土地の自分達の住んでいる自然界が産出するものを健康食品に製造することによって、人々の才能が発達するよう勧められることは主の意図です。人々が神を見ているならば、聖霊のガイダンスの下で発明の才と技術を使って、自然界の産物を健康的な食品に製造する方法を得るでしょう。このように、人々は貧しい人々に、食肉に代用する食物を自分で製造する方法を教えることができるでしょう。それらの人々は、そのように今度は、ほかの人々を教えて助けることができます。そのような働きは、熱心な献身とエネルギーによって行なわれるでしょう。もしも、それがもっと前に行なわれていたならば、今、指導する人々がいて、現在の真理の中に多くの人々がいることでしょう。私達は、自分の義務が何であるか、そして、行なうことが何であるかを学びましょう。私達は、神が私達に託した働きをほかの人々が行なうのを待っているような、無能力と依存のために存在しているのではありません。

 食物の利用において、私達は健全な一般常識の感覚で、よい体験をすることでしょう。私達は、例の食品[コーンフレーク]が私達に同意されないことが分かる時、不安の原因を知ろうとする質問に手紙を書く必要がありません。ほかの食物を利用して、ほかの食材の利用を試みて、その食品を換えましょう。やがて、私達は、しっかりとした組み合わせが私達に持てるという結果を知るでしょう。私達は、知的な人間として、個人的にその原則を研究して、私達の体験を利用して、私達にとって最良な食物が何であるかを決める判断をしましょう。

 利用されている食物は、私たちが住んでいる気候や風土と、私達が繫がれている職業と合っているでしょう。いくつかの食物は、ある土地で適していても、ほかの土地では適していないでしょう。

 週毎に一日か二日間、食物の断食によって、医学的なアドバイスやなんらかの多くの治療よりも、益を得ている人々がいます。一週に一日の断食は、その人々のために、予想もできない益になるのでしょう。

 私は[主から]、ナッツ食品は、しばしば、ナッツの比率が多すぎて利用されていること、あるナッツはほかの物と違って、健全ではない配慮の欠けた利用がされていると指導されました。アーモンドはピーナッツと共に好ましい物です。ピーナッツは、質に限定すると、食べやすい食品で、栄養を摂るための穀物と合わせて利用できるでしょう。

 オリーブ油は、あらゆる食事の良い結果として食されるように、用意されるでしょう。バターの利用の優位性は、適切に製造されたオリーブ油を食することによって得られるでしょう。オリーブの中の油は、胃の不快感を和らげ、感情の昂奮を抑え、肺病性の消耗や便秘を改善します。それは、どんな薬剤[4]よりも良い物です。

 自然な状態の果物を多く食べることと、調理を少なくすることは、私達のために良い物でしょう。私達は、新鮮なブドウ、リンゴ、モモ、西洋ナシ、ベリー、その他入手可能なほかの果物をたくさん食することを主の人々に教えましょう。可能ならば、錫製の器の代わりに、ガラス製を用いて、瓶詰にして、冬に利用するために用意しましょう。

 食肉に関して、私達は、それだけを食することについて、主の人々に教育する必要があります。それの利用は、身体的・知的・道徳的な能力の最良の発達に反しています。私達は、紅茶とコーヒーの使用に対して、明確な証を伝える必要があります。豪華なデザートをやめることもまた良いでしょう。ミルク、タマゴ、そして、バターは、食肉と同じクラスにしてはいけないでしょう。あるグループの人々にとって、タマゴの利用は益があります。ミルクと卵はすべてやめるべきだという時は来ていません。食事の大部分がパンとミルクになっている貧しい人々がいます。その人々は、わずかの果物があって、ナッツフードを買う余裕がありません。健康改革を教えるに当たって、ほかの全ての福音の働きと同じように、私達はその人々のいる所で向き合うために存在しています。私達は、安価で栄養があって、その人々に受け入れられる健康改革の食物の用意の仕方を教えない限り、健康改革の食物についての最も優れた適切な提案を示す自由がありません。

 食事改革を前進させましょう。主の人々に、ミルクやバターを利用しない食物の用意の仕方を教えましょう。その人々に、バター、クリーム、ミルク、タマゴを利用することは安全ではなくなる時がやがて来ることを話しましょう。家畜たちの病気が人々の間の悪が増えるにつれて増しているからです。その時が近づいた時、人類の罪のゆえに、飼育されている家畜達はみな、私達の地上の呪いという病の下でうめき声を上げるでしょう。

 神は、主の人々()に、それらのものなしに健康な食物を用意する機転と能力を与えるでしょう。私達の[教会の]人々は、不健康な調理をみな捨て去りましょう。その人々は、自分達が学んだことをほかの人々に教えて、健康的な生き方を学びましょう。その人々は、自分達が聖書を指導する時に、この知識を分け与えましょう。慢性の病を世界中に満たした調理の大部分を避けることによって、体力を増進して健康を保つよう、その人々に教えましょう。指針と実例がそれを明らかにしていることによって、神が、罪のない状態のアダムに与えた食物は、罪のない状態を取り戻すためにアダムが求めているように、人間が利用するためにベストです。

 健康改革の原則を教えている人々は、生命の法則と完全に調和しているべき人間の働き人のあらゆる行動の知識とそれ自身の目的と病に関して、知的である必要があります。健康改革に与えた神の光/真理は、私達の救いと世界の人々の救いのためのものです。男性達と女性達は、忠実な家令/管理者となるために、主が私達に望んでいる以上に、主が宿っている場所として、私達の創造者によって整えられて、人間の住まいとみなされて形成されるでしょう。「汝らは生きている神の宮です。神はこう言っています。私は彼らと共に住み、彼らと共に歩むでしょう。そして、私は彼らの神となり、彼らは私の人々()となるでしょう」(2コリント6:16 KJV)

 健康改革の原則を掲げましょう。そして、主が、正直者の心の中を導くようにしましょう。人々を最も惹きつける形式で、節制の原則を示しましょう。健康的な生き方に関して指導を与える本を広めましょう。

 その人々は、私達の健康に関する本や雑誌から輝いている光を必要として、悲しみの中にいます。神は、第三天使のメッセージの警告に注意を向けて、その目的とその人々の注意を引く光を輝かしている媒介物としてそれらの本や雑誌を利用することを望んでいます。私達の健康雑誌は、世界の住民達が神の備えているその日に持たなければならない光/真理を広めるという特別な働きを行なうための伝道地での材料です。それらは、会話で感化できない人に、社交的な清めの改善と、節制と健康の関心の感化を及ぼします。また、その人々に真の光/知識と、適切な礼儀の目的をそれらの人々に示して、とても良い働きを成し遂げるでしょう。

 主は、私達に一行ずつ送ってきました。そして、もしも、私達がそれらの原則を拒むということが本当ならば、私達は、それらを教えているそのメッセンジャーを拒むということになりますがそうではありません。その御方は私達にその原則を与えました。

 改革は、改革を続けて、人々の前に続ける必要があります。そして、私達の模範によって、私達は、私達の教えを強調する必要があります。真の宗教と健康の法則は、手から手へと渡って行きます。知性に印象を与える神性の真理に妨害して魂を貶め健康を害する、罪深い願望を断つ必要を彼らに示すことなしに、男性達と女性達の救いのための働きは不可能です。男性達と女性達は、知性を覆う暗い影を振り払って、体の不健康な状態の原因のそれらの事柄を捨てて、すぐに、そして、あらゆるしきたりとあらゆる習慣に慎重な見方をすることを教えられる必要があります。神は、主の光を伝える者達に、人々の前に高い標準をいつまでも守ることを望んでいます。指針と模範によって、彼らは、それについて行くならば、体と魂の両方の死と、病、老化、不幸に導くようなサタンの偽の標準の上に完全な高い標準を掲げる必要があります。着る・飲む・食べる方法の知識を得た人々に、健康を保つためのこの知識をほかの人々に分け与えるようにしましょう。貧しい人々に、実践的な考え方の点から教えて健康の福音を持たせましょう。その人々は、聖霊の宮である体のための適切なケアの仕方を知るでしょう。


 

第4部 出版の働き

「汝らはその人々のために、一つの旗/標準を掲げましょう。……見てください。主は、この世界の終わりを宣言しました。汝らはシオンの娘に言ってください。見てください汝らの救いがやって来ます」(イザヤ62:10-11 KJV)

 

1章 私達の出版所での神の目的

 

 

1.真理のための証し

 主はこう言っています。「私達の神の復讐の日と、受け入れられ得る主の年を宣言するため、囚われている人々を解放し、そして、捕虜たちに自由を宣言するために、汝らは私の証人です」[ルカ4:18-,イザヤ42:7参照]

 私達の出版所の働きは、神からの直接の指導と、主の特別なスーパービジョンによって開設されました。それは、一つの特別な目的を達成するように意図されました。セブンスデー アドベンチスト達は、一つの特別な人々()として、世界(世俗)の人々から分離して、神によって選ばれました。真理に属する大きな刀によって、主は、その人々を世界の石切り場から切り出しました。そして、その人々を主に繫がるために連れ出しました。主は、その人々を主の代表者としました。そして、最後の救いの働きに、主のための大使となるようその人々を呼び出しました。神によって送られた人間のための恐るべき最も厳粛な警告と、死ぬ運命にある人間のために委ねられた真理の偉大な価値は、世界の人々に与えられるように、その人々に託されました。この働きを達成することにおいて、私達の出版所は、最も効果的な手段agenciesの中にあります。

 それらの施設は、主の人々のための義の教師達、神のための証人として立つために存在しています。その人々から、真理が燃えるランプの灯のように出て行くことでしょう。危険な海岸の灯台の大きな光のように、その人々は、常に、自分達を滅びに遇して危機に接している人々に警告して、世界の[霊的な]暗黒に光の光線を送ってろうとしています。

 私達の印刷所から送り出されているその出版物は、人々が神に会うための備えをするためにあります。世界中に、それらは、ユダヤの民のためにバプテスマのヨハネが行なったものと同じ働きをするために存在しています。神の預言者は、びっくりさせられる警告のメッセージによって、世俗の夢から人々を目覚めさせました。彼を通して、神は堕落しているイスラエルの人々に悔い改めるよう呼びかけました。彼は、真理を提示することによって、聴衆の思い違いを暴露しました。彼の時代の間違った理論と対照的に、彼が教えている真理は永遠に堅く立っていました。「悔い改めなさい。汝ら、天の王国は手の中にあります」(マタイ3:2 KJV)が、ヨハネのメッセージでした。これと同じメッセージが、私達の印刷所からの出版物を通して、現在の世界の人々に与えられるために用意されています。

 ヨハネが布教した預言は、私達の働きの概略で成就しました。「汝らは主の道を備えてください。主の道を正しくしてください」(マタイ3:3 KJV)。ヨハネが、第一の主の初臨の道を用意した時のように、私達は、救い主の再臨という第二の道を用意しようとしています。私達の出版所の施設は、神の踏みつけられた律法を主張して高めるため存在しています。改革者として世界の人々の前に立って、その人々は、神の律法が改革を耐え抜く全ての人々の基礎であることを示そうとしています。明確に識別された一線で、その人々は、主の全ての戒めに従順を示そうとしています。キリストの愛によって捉えられて、その人々は、多くの世代の礎石を起こして、古びて衰退した場所に築き上げることに主と協力するために存在しています。その人々は、住むための道を回復して、その分かれ道を修理する者として立つために存在しています。彼らの証を通して、戒めの4番目の安息日が、常に神を思い出させて、その人々の創造者に人々の知性を導いて、調査審判に目覚めさせて注意を引き付けるため、一人の証人として立つために存在しています。

 それらの施設の人々は、天を代表するものとして、奉仕の働きに協力するために存在していることを決して忘れないようにしましょう。その人々は、飛んでいる特別な[第三]天使によって表されている働き人達の間にいる人々です。「私は、もう一人の天使が大空の中央を飛ぶのを見ました。地上に住んでいる人々に伝えるために永遠の福音をもっていて、あらゆる国民、種族、言語、そして、人々に、大声で言っています。神を恐れ、主に栄光を帰しなさい。主の裁きの時が来たので、天と地と、海と水の源を造った主を礼拝しなさい」(黙示録14:6-8 KJV)

 彼らから「ほかの天使がついてきて言っています。大都市、バビロンは、偶像崇拝の怒りのブドウ酒を全ての国民に飲ませたので、堕落して、堕落しました」(黙示録14:6-8 KJV)と、恐ろしい通告を広めることが続いています。

 それらは、続いてきた第三天使によって表されています。「誰でも、その獣とその像を拝むならば、また、そのしるしを自分の額や手に受けるならば、その人は、混ぜ物のない、主の憤りのカップから注がれる神の怒りのブドウ酒を飲むでしょう。その人は、[]子羊イエスの臨在と聖なる天使達の臨在によって、硫黄と火によって苦しめられるでしょう」(黙示録14:910 KJV)

 私達の出版所を通した[その働きの]大きさは、彼の栄光で地上を明るくしているほかの天使の働きによって成し遂げられる必要があります。

 厳粛さは、私達の出版所に課された責任です。それらの施設を指揮している人々、それらの本を準備して、定期刊行物の編集をしている人々、神の目的の光の中を行なっている人々として立っていて、そして、世界の人々に警告を与えるよう呼び掛けた人々は、彼らにつく人々の魂のための責任を神によって守られています。彼らにとって、御言葉に属する牧師達と同じく、老いた主の預言者に、神によって与えられたメッセージを適用しています。「人の息子よ、私は汝をイスラエルの家を見守る者として定めました。それゆえ、汝は、私の口の言葉を聞いて、そして、私からの彼らへの警告とするでしょう。私がある悪い人に、悪い人よ、汝は必ず死ぬでしょうと語る時、汝が、その人の道の悪に警告を語らないならば、その悪い人は自分の不正のうちに死ぬでしょう。しかし、その人の血を汝の手に求めるでしょう」(エゼキエル33:7,8 KJV)

 このメッセージは、決して、それが現在適用している力よりも大きい力を適用しませんでした。徐々に、この世界の人々は、神の求めをなきものにしています。人々は、違反の罪において大胆になって来ました。この世界の住民達の悪は、その罪の大きさにほとんど達しました。この地上[の人々]は、ほとんど、神が破壊を下す者に働きを許しているラインに達しました。単なる人間の権威によって、神の律法を人間の律法に従属させて、聖書の安息日の場所に日曜日を称揚することが、そのドラマの中の最後の演技です。この従属が全世界的になる時、神は自分自身を現すでしょう。主は、地を恐ろしく震うために、主の威厳を現すでしょう。主は、この世界の住民をその罪ゆえに罰するために、主のいる所を出て来るでしょう。この地は自分の血を開示するでしょう。また、自分の虐殺をそれ以上隠さないでしょう。

 天の法廷で、サタンがつくり出した大争闘は、やがて、間もなく、いつまでも決定的なものになろうとしています。やがて、地上の住民はみな、天の統治に反対する側か、そうでないか、どちらかの側を取るでしょう。さて、以前にはなかったように、サタンは、守られていない魂をみな滅ぼすために、間違った方に導くために騙しの力を働いています。私達は、人々の前にある大問題に備えるために、人々を目覚めさせるよう呼び掛けられています。私達は、破滅の縁に立っている人々に警告を与える必要があります。神の人々は、サタンの嘘と闘い、彼の砦を破壊するよう力を尽くすために生きています。注意を与える世界中の全ての人々のために、私達はその大争闘への関心への原則――魂の永遠の運命がかかっている原則――を明確にする必要があります。私達は、近くと遠くにいる人々のために、「あなた方は、神の律法への不従順という強い背信者について行っていますか。あるいは、‟私は父の戒めを守りました”と言った神の息子[イエス]について行っていますか」という質問を家族にもたらす必要があります。

 これは私達の前にある働きです。この私達の出版施設は設立されました。これは、神がその人々の手に期待している働きです。

 

2.クリスチャン原則の実践

 私達は、現在の真理の教理を出版するためだけではなく、生活と品性にそれに属した実践的な行動を提示するために存在しています。私達の出版施設は、クリスチャンの原則の一つの具体化したものを世界の人々の前に立てるために存在しています。それらの施設において、もしも、彼らによって、神の目的が成就しているならば、キリスト自身が働きをする者達の長として立っています。聖なる御使い達がすべての部門でその働きの奉仕をしています。あらゆる作業をする人によって行なわれているすべては、神の品性の高貴さを示すため、天の印象を伝えるために存在しています。

 神は、主の働きが、聖なる作業によって、世界の人々にはっきりと示されるように託しました。主は、主の人々に、その人々の生活によって、世俗を超えたクリスチャン信仰の優位性を示すことを望んでいます。主の恵みによって、あらゆる対策は、世界の人々の原則を超えた天の原則の優位性を実演するために、私達のあらゆるビジネスの取引において、私達のために行なわれました。私達は、世俗に属しているもの以上に高尚な計画で働きをしていることを示すために存在しています。すべての事柄において、私達は、現在の真理を受け入れて従順になって、天の王の子ら、神の息子・娘となる信仰を受け入れたことを示すため、品性の清いことを現すために存在しています。そしてまた、そのように、彼らは、自分達への気配りに、生活の大事と同じく小事に忠実で、信仰深く、誠実で、正直です。

 私達の働きの全てにおいて、機械操作の作業でさえ、神は主の品性を完全に現すように望んでいます。精緻、技術、機転、知恵、そして、地上の幕屋の設営に神が求めた完全を、主は、主の奉仕によって行なわれることのすべてにもたらすことを望んでいます。主の視界の中に、貴重で清いものとして存在していて、主に仕える者によってなされるすべての取引は、東方から汚れていない賢人たちが赤子の救い主に持ってきて、心から贈った金や乳香、没薬です。

 このように、キリストに就く者達のビジネスライフは、この世界の人々への光/真理となるために存在しています。神は、その人々に輝くよう努力することを求めていません。主は、優れた良い物の展示を試みて自己満足に陥らないようにと示しています。主は、その人々の魂が天の原則に満ちるように、また、その人々が世俗の人々とコンタクトを取る時に、彼らの中にある真理の光を現すようにと望んでいます。生活の全ての行動における、その人々の正直、誠実、そして、忠実、忠誠は、光り輝く手段となるでしょう。

 神の王国は、外側を示すことによっては訪れません。それは、それ自身が生命である神と魂との親しい交わり、聖霊の内側の働きを通して、神の言葉の霊感の優しさを通してやって来るものです。その[聖霊の]力の偉大な現れは、キリストの品性の完全さをもたらされた人間の性質に見られています。

 豪華な建物や家具、地位や富に現れるものは、人々から自慢話や賞賛を得るという業績ではなく、神の働きの優位性の本質でもありません。世俗の外観の見栄えは、負担がかさむにも拘らず、神には価値のないものに属しています。

 外見の事柄に完全さを求めることは私達の義務ですが、一方で、この目標が最高位に置かれないということは、知性にいつまでも残されることでしょう(While it is our duty to seek for perfection in outward things, it should ever be kept in mind that this aim is not to be made supreme.)。最も高い関心は従属される必要があります。見えるものとつかの間のもの以上に、神は、見えないものと永遠に価値があるとしています。前者は、後者が表しているものに属している時だけ価値があります。選び抜かれた工芸品は、魂に働いた聖霊の実である品性の美しさと比べることが不可能な、美しくないものが潜在しています。

 神は、この世界の人々にその息子を与えた時、世界が始まって以来存在せず、人々が蓄えた宝に匹敵した富、人間に不滅の宝を与えました。キリストは、この地上にやって来て、永遠の愛を蓄えた人々の子らの前に立ちました。そして、これは、神と繫がっている私達を通した特別な宝です。私達は、受けるため、現すため、分け与えるために存在しています。

 私達の施設は、生き方を形成するためにキリストの恵みの力を現すことによって、働き人達の聖別された献身によって、神の働きに特徴を与えているでしょう。私達は、神が、神のしるしを私達の上に記したので、また、主自身の愛の品性を現しているので、世界の人々から識別されるために存在しています。私達の贖い主は、主の義によって私達を覆っています。

 主に奉仕するために選ばれている男性達と女性達に、神は、世俗の富や雄弁術、教育を有しているかを尋ねていません。主はこう尋ねています。「私がその人々に私の道を歩むことを教えられるように、その人々は謙虚に歩んでいますか。私は、その人々の口に私の言葉を置くことができますか。その人々は私を現すでしょうか」。

 神は、魂の宮の中に主の霊/精神を置くのに適した人々をみな用いることが可能です。主が受け入れる働きは、主のかたちimageを反映する働きです。主に就く者達は、消し去ることのできない不朽の諸原則を世界の人々に自分達の信任状として証しようとしています。

 

3.伝道者としての働き人達

 私達の出版所は、神が任命したセンターで、また、まだ達成されていない大きな働きを成し遂げるために存在しています。神がその人々と協力するよう呼び掛けていて、その人々によって、尽力も感化力もほとんど手つかずのままの伝道前線があります。

 現在の真理のメッセージは、新しい伝道地に前進しています。新しいセンターの出版の働きは常に前進して行くことが神の目的です。この世界中の主の人々は、主が主の人々を清めている御方であり、主の人々と主の間のしるし、主の安息日の記念碑を立ち上げるために存在しています。伝道地の様々な地域で、出版所が設立される必要があります。その働きに特徴を与えるために、尽力と感化力を及ぼすセンターとなるために、人々の注意を引くために、信徒達の能力と才能を発達させるために、新しく生まれた教会の一致のために、働き人達の努力の補佐として、そのメッセージをもっと早く広めるために教会ともっとコミュニケーションの用意をする施設を人々に与えるために、――これらのすべての人々と、ほかの多くの考察をする人々は、伝道地で出版センターの設立を願っています。

 この働きにおいて、設立された私達の施設に関与することは義務であり、特権です。それらの施設は、自己犠牲によって基礎が置かれました。それらは、主に奉仕する働き人達の私心のない働きと神の人々の自己否定の贈り物によって築かれました。神は、ほかの伝道地で新しいセンターを設立する目標で同じ働きをして、人々が同じ自己犠牲の精神を現すようデザインしています。

 施設のためと同じく個人のために、主の律法は真理を掲げています(For institution as for individuals the same law holds true:)。彼らは、自己中心になっていません。一つの施設が設立されるようになって、そして力と感化力を得る時、それ自身のための大きな施設を確保することは、いつも与えるようになる必要がありません(As an institution becomes established and gains strength and influence, it is not to be constantly reaching out to secure greater facilities for itself.)。すべての施設に関して、すべての個人として、私達が分け与えるために受けることは真実です。神は、私達が与えることができるように、与えています。やがて、一つの施設は、それ自身のために立つ場所を得ました。それは、神の手段として、大きな必要のあるほかの所に助けを与えるでしょう。

 これは、福音と律法の両方の原則と調和しています。その原則はキリストの命の中で例示されました。神の律法を擁護すると告白した私達の誠実さの堅い根拠と、私達の贖い主への忠誠は、私達の仲間のための、滅私、自己犠牲、愛です。

 益を常に現すことによって、堕落した人類に神性のかたちimageを回復する原則の基礎をなしているのは、福音の栄光です。神は、原則が現れる所ではどこでも敬意を表すでしょう。

 現在の真理のために自己犠牲を尽くしたキリストの模範について行っている人々は、世界の人々に強い印象を与えています。その人々の模範は、圧倒して感化を及ぼしています。人々は、利己主義から、愛によって信仰を働かせて魂を清めている人々が、神の人々だと告白した人々の間にいることを見ています。神の戒めに従順な人々の生活によって、俗人たちは、神の律法は神と人間のための愛の律法であるという根拠を確信して見ています。

 神の働きは、まるで、私達の施設の働きによって現されているしるしのように、主の慈しみのしるしsignとなるためにいつまでも存在しています。それは、主の人々の確信を勝ち取るでしょう。また、神の王国の優位性に資源をもたらすでしょう。主は、主の働きのどの相からでも、利己的な関心が甘やかされている所ではどこでも、主の祝福を引き上げているでしょう。しかし、主は、主の人々が人間性を高めるためにそれを用いるならば、世界中の主の人々に良い所有物を置いているでしょう。主の弟子達の時代の体験は、――いつも、主の聖霊の導きに従ってすべてのことで――神の慈しみの原則を心のすべてで受け入れる時に、私達にやって来るでしょう。

 

4.働き人達の教育訓練学校

 私達の施設は、最も高尚な考え方において、伝道手段missionary agencyです。真の伝道の働きはいつもそれらの近くで始まっています。すべての施設において、行なわれるための伝道の働きがあります。そのマネージャーから下位の働き人まで、すべての人々は、自分達の仲間の間にいる回心していない人のための責任を考える必要があります。その人々は、回心していない人をキリストに連れて行く熱心な努力をするでしょう。そのような多くの努力の成果は、勝ち取れるでしょう。そして、神への奉仕に誠実に忠実になることでしょう。

 私達の出版所の人々が伝道地のために重責を担う時に、その人々は、働き人達に広く徹底的な教育を提供する必要性を知る必要があります。働き人達はこの働きのための自分達の施設の価値に気付くでしょう。そして、単に自分自身の基準内で仕事を仕上げるのではなく、新しい伝道地を支援する効果をもたらすために、働き人達に資格を与える必要を知るでしょう。

 神は、私達の出版所が、ビジネスと霊的な働きの両方で成功を教育する学校となるようにデザインしています。管理者達と働き人達は、神が主の奉仕の働きに関連した全ての事柄に完全を求めていことをいつまでも知性に留めておくために存在しています。私達の施設に入った全ての人々は、指導を受けて、このことを理解しましょう。成果の大きな可能性を得るために、すべての人々に機会を与えましょう。もしも、ほかの伝道地に呼び出されたならば、その人々が業務全体の訓練を受けているように、様々な責任を負う資格が与えられているように、その人々が、別の部門の働きも熟知するようにしましょう。

 初心者は、たいそう、訓練される必要があります。その施設で必要な時間を費やした後で、その人々は、自分達が得た知識をほかの人々に与える能力と、その人々のエネルギーを最も役立てることによって、神の[人類救済]目的に勢いを与えて、印刷業務の別な部門で聡明に始める準備をすることができるでしょう。

 その働き人達はみなビジネスの業務を教育されるだけではなく、霊的な責任を負うことに相応しくなるという事実を印象付けられる必要があります。すべての働き人達は、救うための主の力の個人的な体験、キリストとの個人的な繫がりの重要性を印象づけられるようにしましょう。その働き人達は、預言者の学校にいる若者だったように、教育を受けましょう。その人々の知性が、主に任命された働き人を通して、神によって形成されるようにしましょう。すべの人々が聖書の言葉によって教育訓練trainingを受けましょう。そして、真理の原則に基づいて根差しましょう。その人々は、正義と裁きを行なう主の道を守るでしょう。すべての人々は、目覚めて、伝道精神を勧める努力をしましょう。その働き人達が、この救いの最後の働きに提供された高度な特権の感覚を印象付けられるようにしましょう。魂達のための実際的な働きによって、人がいる場所で、それぞれが、ほかの人々へ働きを教えるようにしましょう。すべての人々が、すべての伝道の尽力指導に神の言葉を見るために学びましょう。それから、主の言葉がその人々に伝えられた時、それは、主のブドウ園のあらゆる地域からのよい報告が神にもたらされるような方法で、その伝道地で働くための示唆がその人々の知性に届くでしょう。

 

5.神の目的の成就

 キリストは、主の人々の力に主の力をたいそう満たすことによって、全世界の人々が恵みの雰囲気に囲まれるよう望んでいます。主の人々が、自分達の心を神に明け渡す時に、この目的は達成されるでしょう。主の施設と繫がった人々への主の言葉は、「主の器[の役]を担う汝らは、清くなってください」(イザヤ52:11 KJV)です。私達のあらゆる施設の中で、遠く近く、魂のために働いて、利己心のある場所に私心のない愛を与えましょう。聖なる油は、二本のオリーブの枝から金の管に移っていくでしょう。それは、それを受けるように作られた入れ皿にそれが移っていくでしょう。キリストの働き人達は、確かに、主の言葉の真理の展示となるでしょう。

 神を愛し恐れること、主の善意の感覚、主の聖は、すべての施設を通して、広がるでしょう。平和と愛の雰囲気は、すべての部門に浸透するでしょう。語られた言葉はみな、行なわれた働きはみな、天の感化力と調和した感化力を持っているでしょう。キリストは人間性の中に宿っているでしょう。そして、人間性はキリストの中に宿っているでしょう。その全ての働きの中で、人間の有限な品性ではなく、神の無限の品性が現れるでしょう。聖なる天使達によって授けられた神性の感化力は、働き人達とコンタクトを取って知性にもたらされるでしょう。これらの働き人達から、芳しい感化力が出て行くことでしょう。

 新しい伝道地のセンターに呼ばれた時に、このように訓練された働き人達は、この時代のための真理の知識、模範と指針によって、ほかの人々に分け与える能力を備えて、主の奉仕の働きに相応しくなって、救い主を代表する者として、出て行くでしょう。神性な力を通して織られた品性の織物は、天からの栄光と光を受けるでしょう。また、生きている神の玉座を示す証人として、世界の人々の前に立つでしょう。

 その時、その働きは力を倍にして堅実に前進するでしょう。すべての部門にいるその働き人達に、新たな効率が授けられるでしょう。その出版物は、神の永遠の印鑑のしるしを持つメッセンジャー達として出て行くでしょう。聖所の上からの光の筋は、その人々が伝える貴い真理に加わるでしょう。以前には決してなかったように、その出版物は、道を外れないように物事への生きた気遣いを生むように、義認の後に飢え渇きを起こさせるように、魂達を目覚めさせ罪を確信する力を持たせるでしょう。人々は、メシヤが主の犠牲を通してもたらした永遠の義について、不正な行為の和解について学ぶでしょう。多くの人々は、神の息子の栄光の自由を共有するようにされるでしょう。また、救い主の栄光と力の内に、やがてやって来る私達の主を歓迎するために、神の人々と共に立つでしょう。


 

2章 私達の教派の文書

 

 

[1.私達の書籍は、命の泉に導く]

 私達の働きの効果と力は、私達の印刷所から出される書籍の特徴に大きく依存しています。それゆえに、多大な配慮が、世界の人々に伝えられようとしている内容の用意と選択に払われる必要があります。大いなる注意と識別が必要です。私達のエネルギーは、最も品性を向上させ、質の清められた書籍の出版に貢献しているでしょう。私達の定期刊行物は、人々のために霊的な興味、命を持った真理を載せて出て行く必要があります。

 神は、私達の手に「ここに聖徒達の忍耐があります。ここにイエスを信じて、神の戒めを守っている人々がいます」(黙示録14:12 KJV)と記した一つの旗を置きました。これは、不確かで健全でないことを伝えるメッセージ、分離のメッセージ、一つの識別です。これは、主の人々を水のない壊れた水溜から離れて、途絶えることのない命の水の泉に導くために存在しています。

 

2.私達の出版物の目的

 私達の出版物は、私達の信仰の霊的な偏りを明確に、シンプルに、はっきりとさせる最も神聖な働きを持っています。どこでも、主の人々は、二つの側に立っていて、すべての人々は、真理と義の旗の下と、卓越したものを含んでいる滅びの勢力の旗の下のどちらかに、自分で近寄っています。この時代の世界の人々のための神のメッセージは、主の人々が、[現在の]真理を、心と心、知性と知性、顔と顔とを相対して伝える力と卓越さを与えられる必要があります。それらは、可能ならば、この厳粛な時代の人々のための神の言葉に取って代わるように、人々に注意を促して、多くの間違いを超えて卓越した真理を見るようにされる必要があります。

 私達の出版物の大きな目的は、神の言葉の生きている真理に人々の注目を向けて、神を高めることです。神は、私達に、私達自身の標準ではなく、この世界の標準でもなく、神の真理の標準を高めるようにと呼び掛けています。

 神の成功する手が私達と共にあるのは、私達がこのことを行なう時だけです。過去における神の民への神の接遇を考えて見てください。どうだったかに注目してください。神の民が主の旗を掲げていた間は、神はその民の敵の前で、その民を高めました。しかし、自分達を高めている時、その民は自分達の忠誠から離れました。その民が神に反した原則と力を高めた時、その民は、敗北と大惨事をもたらして取り残されました。

 ダニエルの体験を考えてください。ネブカドネザル王の前に立つようにと呼ばれた時、ダニエルは自分の知恵の源を認識することをためらいませんでした。神を信仰深く認識しているダニエルは、王の法廷でダニエルの影響力を落としましたか。とんでもないです。それは彼の力に属していて隠れたものでした。それはバビロンの支配者の目の中で気に入って、彼を守りました(By no means; it was the secret of his power; it secured for him favor in the eyes of the ruler of Babylon.)。神の名によって、ダニエルは、天が送った譴責と警告、指導のメッセージについて、王が知るようにしましたが、彼は拒否されませんでした。現在の神の働き人達は、ダニエルの勇気ある証と彼の模範に倣って、身を引き締めて読みましょう。

 神に捧げる敬意と忠誠という犠牲によって、世俗の人々に認められ受け入れられる安全を人が求める時以上に、ひどい愚かさを示す人はいないでしょう。神が私達と協力できない所に私達自身を置く時、私達の力は弱さが見られるでしょう。いつも、神は効果的な働き人なので、人間の中で、神のかたちimageが回復に向かっている人はみな、行なわれています。魂が新しく生まれて、知性が元気づけられ、体が回復されうるのは、神の力だけです。私達の出版の働きにおいて、クリスチャンの生活や、ほかの働き人のあらゆる努力は、キリストの言葉の真実を現すでしょう。「私がいなければ、汝らは[神性のことについて]何も行うことができません」(ヨハネ15:5 KJV)。

 神は、すべての人間の力は、いつも謙虚でいるように、人々に不変の原則を与えました(Gad has given to men immortal principles, to which every human power will one day bow.)。主は、それらの原則を実践して、模範によって指針によって、この世界の人々に与えるよう、私達に呼び掛けています。主の言葉を忠実に擁護することによって主を敬う人々にとって、その結果は栄誉に満ちるでしょう。永遠の世代を通して生きる原則によって立つことに多くの意味があるでしょう。

 

3.働き人達に必要な個人的な体験

 私達の定期刊行物の編集人達、私達の学校の教師達、私達のカンファレンスの代表者達はみな、命の水の川の綺麗な流れを飲む必要があります。みんなは、サマリヤの女性に私達の主によって語られた言葉をもっと十分に理解する必要があります。「もしも、汝が、飲み水を私にくださいと汝に言った人が誰か、神の賜物を知っているならば、汝は主に尋ねたでしょう。主は汝に生きている水を与えたでしょう。……私が与える水を飲む人は誰でも、渇くことがないでしょう。それだけではなく、私が与える水は、その人の中の井戸から永遠の命の水が湧き出すでしょう」(ヨハネ4:10-14 KJV)

 主の働きは、生活の通常の務めから区別されている必要があります。主はこう言っています。「私は、自分の手を汝に向けましょう。そして、汝の不純物を捨てて、純粋にすることを進めます。そして、汝の全てのカスを取り除きます。そして、私は、汝の裁きを、汝のカウンセラー達を元通りに回復するでしょう。その後、汝は、正義の都、信仰深い都と呼ばれるでしょう。シオンは、裁きによって贖われるでしょう。シオンの回心した者達は義によって贖われるでしょう」(イザヤ1:25-27 KJV)。これらの言葉は、重要性に満ちています。それらは、編集の席に着いている人々のみなさんのための一つの教訓を持っています。

 モーセの言葉は深い意味があります。「アロンの息子達、ナダブとアビブは、二人とも香炉を持って、火を入れ、その中に香料を入れて、主の前に主が命じたものではない異なった火を捧げました。主から火が出て行って、彼らを燃やし尽くしました。彼らは主の前に死にました。それから、モーセはアロンに言いました。これは主が言っていたことです。曰く、私は、私をたたえる人々の前と、私の近くに来る人々の間で清められるでしょう」(レビ記10:1-3 KJV)。これは、私達の出版所から出て行く内容を取り扱っている人々のための一つの教訓を持っています。神聖な事柄は、世俗と混ぜられるために存在しているのではありません。広く配布している雑誌paperは、通常の一日の出版物に載っている以上に、もっと貴重な指導を含んでいるでしょう(The papers that have so wide a circulation should contain more precious instruction than appears in the ordinary publications of the day.)「籾殻は麦粒にとって何のためにありますか」(エレミヤ2328 KJV)。私達は、まったくきれいに扇ぎ分けられた純粋な麦粒を求めています。

「主はこのように強い手によって私に語っているので、そして、私はこの民の道の中を歩まないでしょう、と私に指導しました。こう言っています。そなた達は、主の一つの同盟、と言ってはいけません。彼ら全てはこの民のために、主の一つの同盟、と言ってはいけません。汝らは彼らの恐れるものを恐れてはいけません。恐れられてもいけません。聖なる主、主自身、もてなします。あなた方の恐れは主に存在させましょう。……その律法とその証のために、あなた方の畏怖は主に存在させましょう。もしも、それが、彼らに光がないという理由であるならば、彼らがこの言葉によって語らないならば、……証をまとめて、私の弟子達の間にその律法を封印しょう」(イザヤ8:11-20 KJV)

 私は、イザヤ6章を私達のすべての働き人達に注目するよう呼びかけます。神の預言者が見た時の経験を読んでください。

 「私は、主が高く上げられた玉座についているのを見ました。そして、主の衣の裾が神殿に満ちていました。……その時、私は言いました。私はわざわいです。私の目は、万軍の主ヤハウェ(hwhy)、王を見たので、また、私は清くない口の人々の真ん中に住んでいて、私は清くない口[から言葉を発する]の人間なので、私は滅びるばかりです。

 それから、セラフィムの一人が、祭壇から火箸で取った炭火を手で持って私の所に飛んで来て、それを私の口に触れさせて言いました。見よ、これが汝の口に触れたので、汝の罪は取り除かれました。そして、汝の罪は贖われました。また、私は、主の声を聞きました。曰く、私は誰を遣わしましょうか。私達のために誰が行くでしょうか。その時、言いました。ここに私がいます。私を遣わしてください」(イザヤ6:1-8 KJV)。

 これは、私達の施設で働いているすべての人々に必要な体験です。そこには、現在の真理を通して清められた存在、神との生きた繫がり維持することにしくじるという危険性があります。人々が、神聖と世俗の間を識別する能力を失い、現在の真理の力のセンスを失うということは、そういうことです。

 責任ある立場についている私の兄弟のみなさん、主は、あなた方が見えるようになるためだけに、あなた方の目に油を注いだのではないでしょう。聖所のランプに補充され、金の受け皿に金の管を通って流れ込む、二本のオリーブの枝からの聖なる油をあなた方の心に注ぎました。主が、「主の知識を明らかにして、知恵の霊をあなた方に与えますように。あなた方の理解力の目が光を与えられて啓発されますように。……信じる私達の方への卓越した主の偉大な力がどんなものか、汝らは、主が求めている望みが何かを知ることでしょう」(エペソ1:17-19 KJV)

 世帯を守る忠実な家令は、神の家族に時期に適って食物を与えています。現在の真理を主の人々に与えています。天のすべての世界を十分に見ているかのように働いています。私は、一瞬も、無駄にしている時間はありません。重要な問題は、やがて、向き合わせられるに違いありません。私達はイエスを見るでしょう。そして、主の聖霊によって活気づけられるでしょう。

 

4.出版物の内容

 私達の定期刊行物が、真面目に考慮する内容、生きた出版物として貢献するようにしましょう。すべての記事が、実践的なことに満ちているように、考え方を高尚にするように、読者に与える考え方が助けや光や力を与えるようにしましょう。家族の宗教や家族の聖化は、以前には決してなかったので、現在、たたえられようとしています。かつて、一つの民は、エノクがしたように、神の前を歩む必要があったのであれば、セブンスデー アドベンチスト達は、現在、愛と優しさと共感に満ちた言葉、きれいな言葉と汚れのない言葉によって誠実を示して、そのようにする必要があります。

 譴責と咎めの言葉が求められる時があります。光/真理の道の外にいる人々は、自分達の滅びを見るために目覚める必要があります。一つのメッセージが、その人々の感覚を惹きつけて無力感を刺激するように与えられる必要があります。道徳的な回復が始められる必要があります。さもないと、魂達は、自分達の魂のために滅びるでしょう。現在の真理のメッセージは、鋭い両刃の剣のように、その心をその方法で切るでしょう。保護なく愚かさをもたらしてさ迷っている魂が神に立ち返るよう目覚めさせるアピールを作りましょう。

 その人々の注目は引き止められる必要があります。私達のメッセージは、命から命へと属している一つの香りです。そうでなければ、死から死へと属しています。魂の運命は[二つの間を]揺れ動いています。群衆が決心の谷間にいるようなものです。一つの声が、叫び声として聞かれるでしょう。「もしも、主が神であるならば、主に従いなさい。しかし、もしも、バアルがそうであるならば、彼に従いなさい」(1列王記18:21 KJV)。

 同時に、不快な香りがなく、公然とした非難の精神は、どのような状況下でも、甘やかされるように存在しています。私達の定期刊行物は、鋭く突き刺すような内容や、苦汁の粗探しや風刺をなくしましょう。サタンは、ほとんど、神の真理を世界の人々から放逐することに成功しました。また、彼は、魂を清めて抑制する真理の感化の下にいない人々が、それを告白して擁護する時に、喜んでいます。

 私達の定期刊行物の執筆者達は、できるだけ、反論や意見の扱いを少なくしましょう。私達の全ての働きにおいて、私達は、現在の真理への嘘に立ち向かう義務があります。あらゆる個人的な当てこすり、主張、問い合わせ、攻撃に対して、誠実に対処しましょう。天の容認だけで接遇しましょう。引用文superscriptionと、神のかたちimageを伝えているものだけを使いましょう。間違いを削って切り取り、新しい堅固な真理を印刷しましょう。

 神は、私達に、いつも冷静に辛抱強くいるよう期待しています。ほかの人々が追跡するコースが何であれ、私達は、同じ状況の下で主が行なっていたキリストを代表するためのものです。私達の救い主の力は、鋭く強い言葉を並べ立てることにありませんでした。主の心を支配していたものは、主の優しさ、主の自己犠牲、控え目な精神でした。

 

5.一致

 私達の定期刊行物を通して、主の人々に語る人々は、自分達自身の間で一致を保っている必要があります。私達の出版物の中に意見の不一致がないようにしましょう。サタンは、神の働きを最も効果的に効果を失わせることが可能な手段をよく知っているので、常に、意見の不一致の理由を探しています。私達は、彼の考案の場所を与えないようにしましょう。主の弟子達へのキリストの祈りは、「そなた、父が私の中におり、私がそなたの中にいるように、彼らもまた私達の中で一つになるでしょう。この世界の人々は、そなたが私を遣わしたことを信じるでしょう」(ヨハネ17:21 KJV)。神のために誠実に働く全ての人々は、この祈りと共に一致して働きをするでしょう。この働きを前進させるために尽力している人々はみな、互いに愛し合い、自分達が神の証人であることを表す行動と意見で一致を現すでしょう。不一致と口論で分裂してしまったこの世界のために、この働きを進める人々は、天との自分達の繫がりを証するでしょう。これは、その人々の任務の特徴における神性の堅固な根拠です。

 

6.体験における品目item

 私達の雑誌paperの編集者は、私達の遠くや近くの人々、伝道地で働いている人々と協力する必要があります。私達の雑誌には、生の体験が書かれた記事―-世界のあらゆる地域の働き人からの報告が見られるでしょう。私達は、ロマンスを必要としているのではなく、日常生活にある実際的な体験です。分かりやすい言葉と短い記事で書かれたそれは、ロマンスよりも注意を引き付けるでしょう。同時に一方で、それは、クリスチャン経験と伝道の働きの実践に、価値ある助けとなるでしょう。私達は、献身した男性達や女性達、若者達から、信頼できる真理を求めています。

 神を愛しているあなた方、その人々の知性は、人生の問題に対処するために人々を助ける、神の人々の心に光と愛の炎の灯し火として、永遠の命に現実に生きているとして、体験の貴重な品目として蓄えられています。

 数千の読者に届けられる記事は、その執筆者達の精神/霊と魂と身体の一部が清められ高められたこと、聖化を示しているでしょう。主の聖霊の支配の下でそのペン(記事)は、永遠の命のタネを蒔く手段として役立てられるでしょう。私達の雑誌paperの記事の蘭が実際の働きの内容が書かれるようにしましょう。永遠に関する興味に重きを置いたテーマを多く配置しましょう。神は、私達に神と多く語るよう呼び掛けています。信仰によって、私達が見えない神を見上げる時、私達の言葉は確かに、命から命への香りとなるでしょう。

 

7.この時代の人々のためのメッセージ

 私達はみな、魂の永遠の福祉に関することと、現在、満たされるためにある事柄に関して、もっと、教えること、書くこと、出版することをしましょう。罪びと達と聖徒達に、若者達と老人達に、時期に適った食物を与えましょう。ぐずぐずすることなく前進がもたらされるように、この教会の人々を眠りから目覚めさせるために、話せることはすべて語りましょう。人々の現在に必要なことを伝えないで、本質的ではない事柄に費やして時を失うことがないようにしましょう。黙示録の最初の3章を読んでください。そして、神の言葉を信じていると言っている人々に課されている働きを理解してください。

 「イエスキリストの啓示、それは、すぐに来て当然の事柄を主に仕える者達に示すために、神が彼キリストに与えました。そして、キリストは主の使いによってそれを送って主の奉仕者ヨハネに知らせました。ヨハネは、神の言葉とイエスキリストの証、自分が見た全てのことをありのままに記しました。その時は手近にあるので、この預言の言葉を聞く人、それを読む人、その中に書かれている事柄を守る人は祝福されています」(黙示録1:1-3 KJV)。

 

 

8.書籍の出版

 現在の真理を含んでいる書籍の出版と配布にもっと時間を使いましょう。預言の言葉を扱っているそれらのためと、信心深い人々と信仰の実践を扱った本に注目を呼び掛けましょう。その人々は、生きている神の言葉の光によって、預言の言葉をしっかりと読むことを教育されるために生きています。その人々は、その[預言の]時のしるしが成就していることを知る必要があります。

 私達の出版物の印刷と配布の両方に成功を与えることができるのは神だけです。信仰によって、私達が主の原則を守っているならば、主は、益を得る人々の手に本をおいて、私達に協力するでしょう。主の聖霊は、信じられるため、信頼されるため、祈られるために存在しています。謙遜で燃えるような祈りが、世界の豪華な飾りの全てを望むよりも、私達の本の配布を進めることをもっと行なわれるでしょう。

 神は、人間が支配するための、偉大で多大な資源を持っています。また、最もシンプルな方法によって、神性の働き人達の働きが発達するでしょう。神性の大教師[キリスト]は、こう言っています。「私の霊/精神だけが、罪を確信させるように教える能力があります。外面は、知性に一時的な印象を与えるだけです。人の理性、人の資金、人間の時間に、私の叫びを世界中至る所で主張して、私は、人々の良心に真理を強く訴えるでしょう。そして、人々は、私の証人となるでしょう。これらのすべての人々を、私はカルバリーの十字架の犠牲で獲得しました。シンプルに真理を宣布するために、私が託した才能を役立ててください。魂を悪に燃やされている人々を目覚めさせるために、その福音をこの世界のあらゆる地域の人々に送りましょう。‟救われるために、私がすることは何ですか”」。

 

9.価格

 私達の定期刊行物は、とても低い価格で [1844年に再臨を待った]試みの期間に限って提供されました。しかし、これは、多くの恒久的な購読者を得ること――その意図した目的を達成することに失敗しました。これらの努力は、動機の最善なものとして、しばしば損失として、相当な必要経費としてなされています。しかし、値段の割り引いたものを作らなかったならば、多大な恒久的な購読者を得られなかったでしょう。

 計画では、製造コストを賄うことに一致するようにすることなく、私達の書籍を低価格にすることにしました。これは間違いでした。その働きは、基礎価格を払って保たれるべきでした。書籍の価格は、誘惑物や勧誘と呼ばれるような特別な寄付によって低価格にされています。神は、それらの方法を認めていません。

 低価格のための要請があります。そして、この要請は向き合う必要があります。しかし、正しい計画は、製造コストを安くすることにあります。

 新しい伝道地で、無関心な人々の間や不充分に文明化した人々がいる場合、多くのイラストとシンプルな言葉で現在の真理を提示する小さな本がとても必要です。私達の本は、異なった多くの言語で翻訳されて出版される必要があります。私達は、私達の信仰を複数の言語で、英語、ドイツ語、フランス語、オランダ語、ノルウェー語、スウェーデン語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、そして、多くのその他の言語で出版する必要があります。そして、人々の国民性は、その人々も同様に、その働きに結ばれるように、光で照らされて啓発され、教育される必要があります。

 私達の出版所は、天の光/真理を世界の人々に普及させるために、彼らの力によってみんなで行いましょう。本の中の本[聖書]に人々の知性を指導するこれらの事柄に、あらゆる可能な方法によって、すべての国民と言語を話す人々の注意を惹きましょう。

                          

 大いなる配慮が、その本の出版委員会メンバーの選任に注がれる必要があります。その本の評価をするためにいる人々は、良い選択とわずかの出版物のために寄付しました。著作の試験的な知識をもっているような人だけが、この才能によって行動する資格を与えられています。心が神の霊の支配の下にいる人々だけが選ばれるでしょう。彼らは、自我を高めない人々、神を畏れて愛する人、自分の兄弟達を尊敬する人、祈りの人々となるでしょう。そのような人だけが、自我を信頼せず、神性の知恵によって導かれ、この重要な地位に相応しい者、適任者とされるでしょう。


 

3章 営利目的の働き

 

 

[1.主を証するためにある私達の出版所]

 主は[私に]、この働きが取り込む様々なビジネスの従事者との相互交流のために、また、現在の真理を広めるために出版所が設立されるべきだと指導しました。同時に、この働きは、世界の人々との触れ合いを保つ必要があります。現在の真理は、その出版所の中にいる全ての人々に光を伝えるために、一本のロウソクが光を放つようなものとなるでしょう。神の摂理によって、ダニエルと彼の仲間達は、バビロンを支配する主だった人々との関係をもたらされました。その主だった人々は、神がその王国の全ての人々を支配していることを知り、ヘブライ人の宗教に相応しくなるでしょう。ダニエルは、バビロンで、最も試される地位に就かされました。しかし、一人の政治的指導者として、彼の義務を忠実に果たしている間に、彼は、神に対して不利に作用するどんな働きにも従事することを確固として拒否しました。この方針は、議論を引き起こしました。そして、このように、主は、ダニエルの信仰に、バビロン王の注目を注がせました。神は、ネブカドネザルのために光を持っていました。そして、ダニエルは、バビロンとほかの王国に関する預言によって、その王に起こる事柄を予告して、その王に提示しました。ネブカドネザルの夢の解き明かしによって、ヤハウェ(hwhy)神」は、地上の支配者よりも力が強い者として高められました。このように、忠実なダニエルを通して、神は称えられました。同じような方法によって、私達の出版所が主を証することを望んでいます。

 

2.営利印刷の働きの機会

 それらの施設が世俗の人々とのコンタクトをもたらされることによって、資金の一つは、営利の働きに基づいています。一つのドアが、真理の光とのコミュニケーションのために開かれています。

 その働き人達は、彼らが捉えている原則と信仰に関する疑問を大声で叫んで仕事だけに従事する時、自分達が世俗のビジネスだけを行なうよう考えることでしょう。もしも彼らが、正しい精神/霊に属しているならば、彼らは時に適った言葉を語ることができるでしょう。もしも、天の真理と愛の光が彼らの中にあるならば、それを輝かせることだけしかできないでしょう(it cannot but shine out.)。彼らが指揮しているほかならないビジネスの方法は、神性の原則の働きを現しているでしょう。私達の働き人達、技術者達、年配の一人と言われるでしょう。「私は、その人に、知恵と理解力と知識、あらゆる技術の方法と、神の霊/精神を満たしました」。

 

3.第一にするためではなく

 その出版所の施設は、営利の働きを第一にして貢献するために存在しているケースはありません。営利の働きが第一の場所を与えられる時、この出版所と繫がった人々は、自分達の働きが衰退して、その施設が設立された目的の視点を失います。

 霊的な知覚力が低下した管理者達には、単に利益を得るために問題のある内容の出版物を請け負うようにするという危険性があります。この働きに従事する結果として、出版の尽力をするために設立された本来の目的は、視界から失われて、それらの施設は、ほかの営利企業と全く同じだとみなされます。このことによって、神は名誉を汚されます。

 私達のある出版所において、営利の働きが、高価な印刷機とほかの施設をますます必要としています。このような外見の[設備の]求めは、その施設の財源に大きな負担をかけていて、そこでは、施設が増えるだけではなく、働き人達は、正当に訓練されてできる以上に大量の作業を求められています。

 その営利を目的にした印刷の働きは、その事務所の経済的な利益です。しかし、権威者の御方[キリスト]は、私達の出版所を導いて、この働きのコストを正しく評価しました。彼は、損失が利益を超えていることを示して、真理とのバランスを示しました。この働きは、働き人達がいつも忙しく動かされることを目的にしていることを示しました。急かされ、急き立てられ、そして、世俗的な雰囲気の中で、真理は、次第に、清さと愛情を失っています。

 営利を目的にした働きは、その出版所から全部絶縁すべきで、必要がありません。この働きは、世界の人々に与えられる光の筋に対して、そのドアを閉じるでしょう。その働き人達に害を与える以外の何物でもない、外部の業者との取引は、彼の信仰と原則を曲解された政治的指導者としてのダニエルの働き以上に、その働き人にとって損害以外の何ものでもありませんでした (And connection with outside parties need be no more detrimental to the workers than was Daniel's work as a statesman a perversion of his faith and principles.)。しかし、その施設の霊的なことを害することが見られる時にはいつでも、その本来の目的外の働きは閉め出しましょう。真理を示す働きを強めましょう。真理をいつも第一にして、営利の働きは二番目にしましょう。私達の任務は、憐れみと警告のメッセージを世界の人々に伝えることです。

 

4.価格

 財政困難からその出版所を立て直すために、外部の支援者を確保する努力において、その働きは利益をもたらさないように、価格がたいそう低く設定されていました。自分自身を良く見せようと思う人々は、利益があると、あらゆる出費の額の計算に正確を保とうとしません。仕事を確保するために価格を下げてはいけません。正当な利益を与えるような仕事だけを引き受けましょう。

 同時に、私達のビジネスは私利私欲や出し抜きの陰のないものにしましょう。良い物を売るためや良い働きのため、法外な価格を請求することによって、どんな人の必要や無知にも優位な立場を取らないようにしましょう。真っすぐな道/正直から外れることには、強い誘惑があるでしょう。実際には、不正直な行動に適応させて習慣に順応させるえこひいきのおびただしい主張があるでしょう。ある人は、「人が習慣に順応するように抜け目のない人々を配しています。彼は完全さを厳しく守る必要があります。彼は生計の手段を確保できず、ビジネスをすることができないでしょう」と言っています。どこに、私達の神への信仰がありますか。主自身、私達はこの世界から出てきて分けられ、清くない人々に触れていない状態で、主の息子達・娘達として私達を認めています。主の施設は、個々のクリスチャンと同じように、「汝らは、第一に神の王国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)という言葉を送られています。そして、生活に必要な物はすべて加えられるでしょう、という主の約束は確かです。正義の永遠の原則を擁護するという信仰によってのみ確保されうるでしょう。

 

5.混乱させる文学作品

 私達の出版所は、とても多くの営利の働きをしています。いかがわしい文学作品がその業務の中にもたらされている危険性があります。一つのケースで、それらの内容が私の注意を引いた時、私の特別なガイド[]が、ある出版施設の責任ある地位で働いている一人に質問しました。「あなたは、この働きで報酬をどれほど受けていますか」。その額が主の前に示されました。主は言いました。「これはあまりにも少ない額です。もしも、あなたがこの方法でビジネスをしているならば、あなたは損失に会います。しかし、あなたがもっと多くの額を受け取るならば、この文学作品の製品は、多大な損失だけを出版するでしょう。働き人達への影響力は、やる気を失わせています。神が人々に送ったすべてのメッセージは、その働きの神聖さを示して、そのような製品の印刷に同意しているあなたの行動によって、効力をなくされています」。

 この世界は、流通しているよりも廃棄される本によって洪水のように溢れています。インディアン戦争とそれに似た題名を扱った本が、お金を生み出す計画として出版され販売されましが、もしかしたら全く読まれないかもしれません。そのような本の中に、サタン的な魅了があります。残虐と悪事に関連したものに気を取られている人は、最も悪い行ないによって、注目の中に自分を入れようと望むようにそれらによって興奮させて多くの若い人を魅惑する力を持っています。影響力がわずかに良い人の歴史的に正確な多くの働きがあります。極悪、残酷、不道徳な行為、これらによって表されたものは、同じような行動を引き起こすように導いて多くの知性ある者によって、イースト菌のように行なわれました。人間のサタンのような行動を言葉で描く本は、悪い働きの宣伝効果を与えています。良くない行為と悲惨さの恐ろしい詳細は、追体験される必要がありません。この時代のための真理を信じている人々は、それらの記憶を永続させる役割を担うべきではありません。

 ラブストーリーや浮気、その他、結末がエキサイティングな本は、すべての読者にとって、一つの呪いです。その著者は、善良な道徳を攻撃しているでしょう。そして、その作品を通して、宗教的な考えに逆波を起こしているでしょう。また、多くのケースにおいて、サタンはだましと魅惑に効果的に、天使の衣をまとわせているだけです。その知性は、それを与えることによって、大きな度合いで感動させられています。浅薄な読者達は、自分達の前にある義務に合わなくなる結末に昂奮しています。その人々は、現実ではない人生を生きています。そして、天のマナを与えるための御言葉を調べようとする希望を持っていません。その知性は、弱められて、運命と義務の大きな問題を熟慮する力を失っています。

 私は[主から]、若者達が不道徳な読み物から重大な危難に晒されていると指導されました。サタンは、価値のない物語に魅了されるように若者達と成人年齢の両方をいつも導いています。出版された書籍は巨大な市場で購入されています。一つの災いが、知性を弱めて心を汚して恐ろしい働きをしている[者の上に]とどまるでしょう。誘惑から守られるために正しい原則に決意を強められている人はそんなにいません。これらの読む価値のないものはみな、堅く決心して捨てるようにしましょう。

 私達は、そのような出版物の印刷や販売の両方に繫がることを主から許されていません。それらは多くの魂を滅ぼす手段です。この内容は私の前に開示されていたので、私は自分が書いていることについて理解しています。この時代のためのメッセージを信じている人々は、お金を儲けようと思って、そのような働きに繫がらないようにしましょう。主は、このようにして得た資産に枯れ草病を送るでしょう。主は集めたもの以上に、多量に散らすでしょう。

 文学作品には、癩病leprosy(訳者加筆。癩病は、現代語では差別語で、ハンセン病と言い換えられていますが、当時は差別語であることが発見されていなかったので、この言葉を使いました)よりももっと腐らせ、エジプトの災いよりも命取りになり、私達の出版所に敵対する、もう一つの層があります。それには、絶え間のない防護の必要があります。営利目的の仕事を受け入れることによって、まさにサタンの科学が私達の施設で許されていることを表している書籍などをなくするように気を付けましょう。私達の出版所で場所を見つけた謎の不正や、ローマカトリック教、スピリチュアリズム(精神主義・降霊術)、催眠術をかけて魂を滅ぼす意見を広める働きをしないようにしましょう。

 御言葉の神聖や権威について、疑いのタネを植えつける労働者達によって操作されないようにしましょう。無信仰者の知性はたいそう熱心に新たな何かを捉えていて、若者達の前に示されている彼らの感情の混じった意見を考慮しないようにしましょう。支払われるに違いない最も高い額に、そのような作品は、残念ながら、計算できないほどの損失本として出版されるでしょう(At the very highest figures that might be paid, such work could be published only at infinite loss.)

 私達の出版所を通してこの特徴の問題を許しておくことは、禁止された知識の木の果実を世界の人々に提示すること、また、その労働者達の手に置くことです。神の神聖な働きに就いて、それらの施設で彼の原則を遠回しに言うこと、彼の魅惑する科学に行くことは、サタンを招くことです。この特徴ある内容を出版することは、現在の真理に反対して利用されるために、人々の手において、かの敵の銃を積み込んでいるようなものでしょう。

 あなた方は、イエスが、奉仕の活動をしている主の御使いによって、人間の知性を通して働くために、設立された出版所の中に立っているということを考えてください。もしも、サタンが、その施設の中の働き人達の正しい知性の道を逸らすことを許されているならば、あなた方は、主が、世界の人々に警告するための力をその印刷所から来る真理にするだろうと考えますか。その同じ出版所から来る時、その出版所から来る出版物に加えた神の祝福は、サタン的な異端信仰と騙しを出版することができますか。「一つの泉は、同じ場所から苦い水と甘い水を湧き出すことをしますか」(ヤコブ3:11 KJV)

 私達の施設の管理者達は、その施設にいる間は、その働き人達に知的な食物を与える責任者になる立場を受け入れているということに気づく必要があります。その人々は、私達の印刷所から送り出される内容の特徴に責任があります。彼らは、世界の人々を間違って導いたり、働き人達に悪影響を与えたりして、その施設の名誉を汚すような内容の紹介によって感化を及ぼす責任を求められているでしょう。

 もしも、そのような内容が私達の施設の中に一つの場所を許されると、サタンの巧妙な力のある意見が簡単に排除されないことが見られるでしょう。その誘惑者が、悪いタネを蒔くことを許されると、それは芽生えて生長し、[悪い]果実をもたらすでしょう。主の働きを前進させるために、神の人々の基金によって設立された施設によって刈り取るための収穫となるでしょう。それは、未信者達を教育する仲間、クリスチャンの働き人達がいる場所、世界の人々に送り出した結末でしょう。

 それらの内容によって、管理者達ではなく、その労働者達に一つの責任が課せられています。私は、私達の間に設立されているすべての出版所にいる働き人達に言うために一つの言葉を持っています。あなた方は神を畏れ、神を愛している時に、神がアダムに警告した知識に反したことを行なうために、何らか考えによって拒んでいます。印刷植字工達はそのような内容の文章の活字を組むことを拒もうとしています。ゲラ刷り版の校正者達は読むことを拒もうとしています。印刷工達や製本工達もそうです。もしも、そのような内容を扱うことに疑問があるならば、その施設の働き人達に話し合うことを呼び掛けてください。そのような事柄の意味が何かを理解できるでしょう。その施設に不満のある人々は、あなた方に責任はないと言うでしょう。その管理者達はそれらの問題を調停する必要があります。しかし、あなた方は、責任、――あなた方の目、あなた方の手、あなた方の知性を使う責任――があります。サタンに仕えるためではなく、神に役立つために、神によってあなた方に託されたものがあります。

 神の言葉に逆らい間違いが含まれた内容が私達の出版所で印刷されている時、魂に罠をかけることをサタンに許している人々だけではなく、何かの方法で誘惑の働きに協力している人々にも、神は責任を求めています。

 責任ある地位にいる、私達の兄弟のみなさん、あなたの働き人達に、異端信仰と盲信の馬車のための馬具をつけないでください。魂を滅ぼす間違いの普及のための施設にされるのではなく、命を与える真理を送り出すために神によって任命された施設にしてください。

 私達の出版所は、小規模なものから大規模なものまで、そのようなひどく有害な事柄の作品を印刷することを拒否しましょう。サタンが高められている科学を含む文書を私達のあらゆる施設で、私達が行なわなければならない全ての人々によって、それが了解されるようにしましょう。

 私達は、世俗の人々の嘘によってイースト菌のように感化されるのではなく、この世界の人々との繫がりをもたらされています。神の働き人として、私達は、神の真理をこの世界の人々にイースト菌のように感化できるでしょう。


 

4章 伝道地での出版所

 

 

[1.返還の律法]

 新しい伝道地での私達の働きのためのセンターを設立する方法によって行われる多くのことがあります。伝道のための印刷事務所は、多くの場所で設立される必要があります。私達のミッションスクールとの関連において、この伝道地には、働き人達の訓練のためと印刷のための施設が必要です。そこには、様々な国民性の人々を訓練し、異なった言語を話し、各々が自分自身の言語で印刷すること、また、英語を自分の言語に翻訳することを学ぶ必要があります。そして、人は、英語を学ぶ一方で、[自分の言語を]獲得する必要のある学生に、英語を話す学生達に自分の言語を教える必要があります。このように、外国生まれの学生は、自分達の教育費用の支払いができるでしょう。そして、働き人達は、伝道事業で価値ある支援を与えるために準備されるでしょう。

 多くのケースにおいて、出版の働きは、小規模で始められるべきでしょう。それは、少数の設備で前進させるために、多くの困難に甘んじる必要があるでしょう。しかし、このゆえに、落胆する必要はありません。世俗の方法は、華麗さ、展示、誇示によってその働きを始めるものですが、多くは無価値なものです。神の方法は、義と真理の勝利の始まりに、その日の小さな事柄を果たすことです。この理由は、始まりの順調さによって元気づけられ、また、下向きの弱い現れによって打ちつけられる必要がないからです。神は、その民が見られない物事を見るような力と気づきと、豊かさを用意しています。従う者のために、主の指導は、真の成功と安全な道を選ぶために備えられています。「私達の信仰でさえも、世界の人々を制覇した勝利です」(1ヨハネ5:4 KJV)

 人間の力は、神の働きを設立しませんでした。人間の力はそれを打ち壊すこともできません。神の働きを前進させるために、困難と反対に直面している人々のために、神は、いつもガイダンスと主の聖なる御使いの保護を与えているでしょう。地上における主の働きは、決して途絶えないでしょう。主の霊的な宮の建設は、それが完全に建つまで前進するでしょう。そして、頭石は「恵み、さらに恵」という歓声をもたらされるでしょう。

                       

 クリスチャンは、ほかの人々の益となるために生きています。「水を与える者は、また、自分にも与えられるでしょう」(箴言11:25 KJV)。これは、管理・運営についての神性に属する律法の一つです。絶え間なく人々の源泉に戻って来て、いつも循環して、深くて大きな川の流れのように、小川の流れの益が保たれるように、神は一つの律法をデザインしています。

                       

 私は[主から][人類救済]目的の前進と施設の設立のための努力を訴えることと自己犠牲が提供されたことによって、主がこの働きを栄えさせて、その場所にいる人々は、新しい伝道地に送られた主に仕える者達を助けるために、自分達の財産を与えた所ではどこでも、主はその働きを成功させたと指導されていました。大いなる犠牲でさえも譲られて、数年前に財産の一部や全部が、自分達の地域の働きの益として投資されて、その働きが良い基金によって設立された所はどこでも、信者達はそれらの人々の必要を助ける義務の下にいると考えるでしょう。このように主はデザインしています。主の働きは増すでしょう。これは、正しい人々における正当な返還の律法です。


 

5章 互いの出版所との関係

 

 

[1.それぞれの施設は独立性を残す]

 ブドウの木とその枝の象徴は、キリストと彼につく人々の関係と、彼につく人々とほかの人々との関係を描いています。その枝は、ほかの人々とのあらゆる関係しています。また、人々はそれぞれに、互いが溶け込むことのない個性を持っています。すべての人は、そのブドウの木と普通の関係を持っています。そして、その人々の生命・成長・果実は、その木に頼っています。その人々は、ほかの人々を支えることはできません。自分自身のために互いの人々は、そのブドウの木に集約させられる必要があります。また、一方で、その枝たちは、普通に似ているものを持っている必要があります。それらはまた、多様性を示しています。それらの統一性は、そのブドウの木との普通の結びつきによって成り立っています。そして、それぞれの枝は、同じ方法によってではなく、そのブドウの木の生命が現されます。

 この譬えは、クリスチャンの個性のためだけではなく、神への奉仕に繫がった施設のための一つの教訓です。お互いのための関係において、一つひとつは、個性を保っている必要があります。ほかの施設との団結unionは、キリストとの団結によって訪れます。彼の中で、それぞれの施設は、ほかのすべての施設と団結しています。一方で、同時に、それ自身のアイデンティティー(独自性)は、ほかの施設の独自性に溶け込まされていません。

 時には、その目的の事業は、事実上、一箇所の管理の下に集約して、私達の出版所の合併によって促進されるだろう、と主張されていました。しかし、主が示していたのは、こうではありませんでした。一つの施設がほかの施設の支配下に置かれることや、数人の人々の手によって集約的に動かすのは、主の計画ではありません。

 私達の働きが[主から]私の前に、その始まりには小規模で、とても小さな流れとして提示されていました。預言者エゼキエルは、「祭壇の南側」「東に面した宮の玄関口から」の水の流れの描写を与えられました。エゼキエル47章を読んでください。特に8節に注目してください。「それから、彼は私に言いました。それらの水は、東の土地に流れて行き、砂漠を通って行って、海に行きます。海に入った水は、あることを引き起こします。その海の水は癒されるでしょう」(KJV)。そのように、私達の働きは、世界のあらゆる地域に、海にある島々に、西に東へと広がることが私に示されました。この働きは、広がる時に、管理されるための大きな事業になるでしょう。この働きは、どこか一つの場所に集積化されるためにあるのではありません。人間の知恵は、その事業を築き上げるために、その働きが影響力と特徴を獲得したもっと都合の良い所にあると主張しています。しかし、様々な間違いがこの従業員の中で発生しました。発展と権力を与えることは重責を負うことです(It is burden bearing that gives strength and development.)。別の地域の働き人が自分達の特色ある場所で資金の責任を自由にされることは、発展の衰退を残すでしょう。また、彼らの力が現されて弱体化されるでしょう。その働きは主の働きです。そして、その威力と効力がどこか一つの場所に集約されるということは、主の意思ではありません。主の指導の下に神の計画を実行して、それぞれの施設は独立性を残すようにしましょう。

 

2.事業の統合

 事業の統合の方針は、実行する場合にはどこでも、神性の場所に人間性を高める傾向があります。様々な施設の責任を負っている人々は、ガイダンスと支援を中央の視点から見ています。個人的な責任のセンスが弱められている時、彼らは、いつもの、神への信頼、人間の体験の全ての最も高貴さと高尚さを失っています。自分達の必要に気付かず、彼らは、主の聖霊の教えに従順になること、聞くことの能力のある人々だけができる、いつも目を覚ましていること、祈りを保つこと、いつも神に明け渡すことにしくじっています。人間は、神が本来いるべき場所に置かれています。天の大使として、この世界にいて行動するよう呼び出されている人々は、無限の神、間違いのない力と知恵を持つようになる時、有限な人々の間違いから知恵の内容を求める必要があります。

 主は、主の施設の働き人達が人を信頼することや、人を見るようにデザインしませんでした。主は、彼らに、主がセンターになるようにと望んでいます。

 私達の様々な出版所は、決して、一つの施設がほかの施設の管理に指図する力を持っていなくて、互いに強く関連づけられていません。たいそう強力な力が少数の人々に置かれる時、サタンは悪い方針をもたらそうと、行動の悪い原則をほのめかすために判断をゆがめる努力を決心するでしょう。そのように行動することによって、一つの施設を堕落させることだけしかできないでしょう。しかし、これは、ほかの施設の支配を得ること、離れた部門で働きに悪い雛形を与えることが可能です。このように、悪い影響が広がるようになっています。それぞれの施設が自身の伝道地での自身の働きにおいて伝えることをして、それ自身の道徳的に独立して立つようになるでしょう。それぞれの働き人は、堕落していない世界の住人達、主の天使達と、神の視点に満たされて自分達の働きを行なうためにいると考えましょう。

 一つの施設が悪い方針に繫がっていても、ほかの施設は堕落しないようにしましょう。その施設は、それらの原則と調和して働きを前進させるという、設立時に表明した原則に真実に立つようにしましょう。すべての施設は義と愛が含まれているほかの全ての施設と調和して働くよう努めましょう。しかし、統合に向かって進むことは、これ以上の将来がありません(; but further than this none are to go toward consolidation.)

 

3.統合

 私達の出版所の間では、統合がないようにしましょう。もしも、この精神が甘やかされるとそれは成長して強くなるでしょう。そして、伝道精神を閉め出してしまうでしょう。それは神の霊を悲しませるでしょう。そして、神の恵みに好意的な人々と協力する人となるために送った奉仕の働きをしている天使を施設から追い出すでしょう。

 私達の施設のマネージャー達は、施設が互いに優位性を取ろうと、取るに足らない程度でも、試みるべきではありません。互いに抜け目のない契約を取ろうとしたずる賢い取引は、主が忍耐しないような悪です。ほかの施設の価格で、一つの施設が価格を上げる努力をすることは悪です。あらゆる小言や当てこすりの言葉は一つの施設の影響力を少なくして、その働き人達が神の意思に反対する傾向があります。そのような努力を勧めることは、サタンの精神です。一旦、場所が与えられるとそれは、主の施設のための神の目的を挫いて、働き人達を滅ぼすためのイースト菌のように働くでしょう。

 

4.協力すること

 私達の目的によって、私達の全ての施設、すべての働きの部門に繫がった人々は、寛大な人々に思慮深く指導されましょう。その働きの全ての部門、それ自身の明確な特徴を維持する一方、ほかの全ての部門を育て上げて、力、保護を求めましょう。様々な才能や特徴のある人々は、この働きの様々な部門で前進させるために働いています。これはいつも、主の方法でした。それぞれの働き人達は、自分自身をその部門の特別な努力を捧げる必要があります。しかし、一人のメンバーとしての教会の良好な状態/福祉と健康のための労働と研究は、それぞれの人の特権です。

 統合ではなく、競い合いでも、粗探しでもなく、協働は、主の施設のための神の計画です。教会全体はあらゆる供給資源を結び合わせることによって、相応しく共に結合され形成されて、すべての部分の度合いで効果的な働きをするためには、「愛にそれ自身を啓発して、教会が栄えるでしょう」(エペソ4:16 KJV)。


 

6章 文書伝道者

 

 

 自分達に負債のある人に会うことについて、文書伝道者の怠慢を通して、私達の「トラクト協会」は負債に巻き込まれてしまいました。その協会はその出版所に対する自分達の責任に立ち向かうことができていません。このように、それらの施設は財政難になりました。そして、その協会の働きは妨げられています。ある文書伝道者は、受け取った書籍の代金を出版者に支払うよう催促された時、自分達が冷遇されたと考えました。しかし、支払いの促しは、ビジネスの唯一の指導の成功の道です。

 ある文書伝道者の節度のない作法は、学ぶための大切な教訓があるということを示しています。多くの無計画な働きが[主から]私の前に提示されました。ある人の曖昧さによって、ある人の宗教に関係ない事態がゆるく無頓着な習慣を形成しました。そして、その習慣は主への働きに欠陥をもたらしました。

 神は、この働きの諸部門に決定的な改善を呼びかけています。主の目的と繫がって行なわれるこのビジネスは、慎重な几帳面さと正確さに注目される必要があります。そこには確固とした本質的な改革をもたらす努力が決意される必要があります。

                     

 「主の働きを怠る者は、呪われます」(エレミヤ48:10 KJV欄外)。「もしも汝らが盲目の[動物]を犠牲に捧げるならば、それは悪い事ではありませんか。また、汝らが弱い者、病のある動物を捧げることは悪いことではありませんか。今、それを汝らの祭司に捧げて見なさい。祭司は汝らを喜ぶでしょうか。それとも、汝らの人格を受け入れるでしょうか」(マラキ1:8 KJV)。「私は偉大な王であり、私の名は恐れられている、と万軍の主は言っているので、汚点のある動物を主に犠牲として捧げると誓って、……だます者は呪われます」(マラキ1:14 RV)


 

7章 著者と著作物

 

 

 神は、自分自身と直接の関係を人々にもたらすように望んでいます。人間との主の全ての接遇において、主は、個人的な責任の原則を認めています。主は、個人的な信頼のセンスを奨励し、個人的なガイダンスの必要を印象付けることを求めています。主の賜物は、個々の人々に託されました。人間はすべて、神聖の信託として造られました。人はそれぞれ、与えられた主の指導と調和した自分の信頼を果たす必要があります。そして、それぞれの人によって、その人の管理人としての責任は神に明け渡される必要があります。

 このことの全てにおいて、神は、神性との協力の中に人間を連れて来るよう望んでいます。この繫がりを通して、人間は神性に似た者として形成されるようになるでしょう。その時、愛と善意の原則は、人間の性質の一部となるでしょう。サタンは、人々を人々の奴隷にするために、いつも人間に頼るように勧めるように働いて、この目的を妨げようとしています。このように、彼が人々の知性を神から引き離すことに成功している時、彼は自分自身の利己的な憎しみと争いの原則を植え付けています。

 私達のお互いの接遇の全てにおいて、神は、私達に主への信頼と個人的な責任を慎重に果たすよう望んでいます。著者達への彼らの待遇において、私達の出版所によって特別な見解が保たれていることは一つの原則です。

 ある人によってこのように主張されました。「著者達は、自分自身の作品について、管理する権利を持っていません。彼らは、自分達の作品の支配権をそのカンファレンスやその出版所に与えるべきです。そして、原稿を生み出すことに係る経費以上に利益を共有しないと主張するべきです。これは、その働きの様々な必要のために、この出版所やそのカンファレンスの判断が直接下せるように、適切にされるために、彼らによって掲げられるべきです」。このように、ある著者の作品の管理権は、その人自身からほかの者にすべて移されるでしょう。

 しかし、神は、その内容について、そのように考えていません。一冊の本を書く才能は、潜在能力の向上が神への責任なので、ほかの全ての才能のように、主からの賜物です。そして、その人は、主の指導の下で、報いのために投資しようとしています。投資のために私達に託されているものは、私達自身の財産ではないということを知性に生み出すようにしましょう。もしも、それがそうであったならば、私達は、自由裁量で処理できる力を主張するでしょう。私達は、自分達の責任をほかの人々に擦り付けることができるでしょう。そして、それらの私達の管理権を残すでしょう。しかし、主は、私達を主の個人的な管理者にしたので、これはできません。私達はこの資金を自分自身のために投資できる人がいます。私達の心は、清められるために存在しています。神が私達に託している収入から、求められた時に、私達は分け与える何かあるものを持つ必要があります。

 ‟一人の兄弟の頭脳の働きから来るものは、彼の土地や家から受けているその収入に属していて、その出版所やそのカンファレンスの管理とみなすことがふさわしく、道理にかなっていて正しいでしょう。”(It would be just as reasonable for the conference of the publishing house to assume control of the income which a brother receives from his houses or lands as to appropriate that which comes from the working of his brain.)

 その主張には正当性はありません、なぜなら、その出版所の働き人は自分の労働に対して賃金を受けていて、働き人の体と知性と魂はその施設に全的に属しており、その人のペンが生み出すもの全ては一つの権利を持っているからです。その施設での労働の時間外のその働き人の時間は、この時間の利用がこの施設での自分の義務と争わない限りにおいて、自分の考えに合わせて使うように自分達の管理下にあります。その人はこれらの時間に作り出すので、その人は自分の良心と神に対して責任があります。

 一人の人間がほかの人間の才能を絶対的な支配の下に置くこと以上に、神に酷い不名誉が示され得ることはありません。その悪は、神の目的に献身するためにある取引の利益という事実よって取り除かれません。そのような取り決めにおいて、自分の知性をほかの人の知性によって、支配されることを許している人は、このように神から離されていて、誘惑に晒されています。彼らの知恵に依存して、この人は、ほかの人々に自分の管理の責任を移して、神がいるべき場所に人間をおいています。この責任の移動を引き起こすことを求めている人々は、自分達の行動の結果、盲目にされています。しかし、神は私達の前にそれを明らかに示しています。主は「腕に筋肉(自分の力)を作っている人間を信頼している人は呪われています」(エレミヤ17:5 KJV)と言っています。

 著者達は、自分が書いた本の権利を売ることやただで渡すことの両方を主張されないようにしましょう。自分達の作品の利益を共有して受け取るようにしましょう。さらに、神が授けた知恵と調和して管理されて、神から託された資金とみなしましょう。

 本を書く能力を持っている人々は、自分達が受けた益を投資するために所有した能力であるということに気づく必要があります。その目的に一般的に必要なものと、その宝(売上)の一部の位置を占めるもの[印税] [5]は、その人々の権利です。彼らは、その働きの必要性を彼らに熟知させること、大いに必要とされている所に、彼らの資金を個々人に分配して知恵を神に求めることは自分達の義務だと考える必要があります。善意の贈り物をどこかの伝道地に届けるようにしましょう。もしも、その人々の知性が、主の聖霊の指導の下にいるならば、その人々は資金を必要としている所に気付くように知恵を持てるでしょう。この必要に救援して、その人々は豊かに祝福されるでしょう。

 主の計画に従う人がいたならば、別の州に今、主の人々が存在していることでしょう。また、まだ真理の旗が掲げられていなかった多くの場所に投資するために少し残しただけで、たいそう多くの資金がわずかの地域だけに使われもしなかったでしょう。

 私達の出版所は、神の働き人達の待遇で悪い原則が支配を許されないように気を付けましょう。この施設に繫がれた人々の中に、心が主の聖霊の指導の下にいない人々がいるならば、その人々は、悪い働き人達の中に働きを揺り動かされるに違いないでしょう。クリスチャンと公言しているある人は、宗教の奉仕から全く離れた者として、主の働きと繫がったビジネスを考えています。その人々はこう言っています。「宗教は宗教、ビジネスはビジネスです。私達は成功を手に入れようと献身しています。そして、私達はこの働きの特別な人々を促す優位性のあらゆる可能性を捉えるでしょう」。このように、義と真理に対照的な計画は、神の目的の前進のためと良い働きだとして「これかあれがなされなければならない」という言い訳に導かれています。利己主義を貫いて、考え方が狭くなり近視眼的となる人々は、神が自分達に与えた光を広めるために利用している人々のcrowd down(crownの誤植?) 栄誉を落とさせることは自分達の権利と考えています。圧政的な計画を通して、神の中に自由に立つはずの働き人達は、自分達に従う労働者達だけだった人々によって制限され束縛されました。すべての人々は、神性に属する者ではなく、人間に属するしるしを負っています。不正や圧迫に導くことは、人々の考案したものです。神の目的は悪い汚点から解放するものです。人々の権利に属するものや、人々の個性に属するものを主の家族に属するメンバーから奪うことによって、優位性を得ないことを求めています。主は、専制的な権威を認めていません。出し抜きや利己的なことをなくして仕えているでしょう。主によって、すべての人々の行動は嫌悪されています。

 主は、宣言しています。「燃やす捧げ物のための強奪を嫌っています」(イザヤ61:8 KJV)。「汝は、大きい物と小さい物、様々な計り石を汝の家に持たないでしょう。しかし、汝は完全な正しい計り石を持っているでしょう。……不正を行なう全ての者は、汝の神、主に嫌悪感を与える者です」(申命記25:4-6 KJV)

 「人よ、何が良い事ですか。主が汝に求めているものは何ですか。それは、正しいことを行なうこと、思いやりを持って愛すること、そして、汝の神と共に謙虚に歩むことです」(ミカ6:7,8 KJV)。

 それらの原則の高度な適用の一つは、その人自身の労働の成果を与えるためと受けるための権利、その人の才能の管理のため、その人自身の知性のコントロールのため、その人自身のための人間の権利の認識を見つけられています。権力と力は――神の言葉の指導に注意を傾ける人々を接遇する人々の時だけ――人々がこれらの原則を認め、彼らに従う人々と、彼らと繫がる全ての人々としてだけ、私達の施設にあるでしょう。

                          

 身体・知性・霊性であれ、神によって私達に貸されているすべての力は、無関心によって滅びているけれど、私達について来る人々のために、私達に託された働きを行なって、神聖に気に入られるために存在しています。すべての人は、その人自身のそれぞれの責任において、それぞれが謙虚に主に仕えて、束縛されない義務で自分の位置に立とうとしています。「何でも、汝らは、人に行なうようにではなく、主に行うように、心から行ってください。汝らは主キリストに仕えているので、主に属している汝らは信仰遺産の報いを受けるということを知っているでしょう」(コロサイ3:23,24 KJV)、主は「人の行動に応じて、すべての人々に与えるでしょう」(ローマ2:6 KJV)

                       

 サタンの技は、工夫された計画と彼の目的を達成する秩序のない方法によって遂行されています。彼は、宗教の自由を奪うため、宗教の世界に隷従のスパイスをもたらすために働いています。神の力による保護がない限り、組織や施設にいる人々は、人々をコントロールの下にもたらすために、サタンの指導の下で働いているでしょう。詐欺と騙しは、神の国の前進のためと、真理のために上辺の熱心さを生み出すでしょう。私達の行動が何であれ、悪の王の方法に属している日も開示されていません(Whatever in our practice is not as open as the day belongs to the methods of the prince of evil.)

                       

 人々は、間違った真理を経験して負うように全てをもたらす時、嘘の前提から始めることによって間違いに陥っています。いくつかのケースにおいて、その最初の原則は、その間違いを編み込む真理の大きさを持っています。しかし、それは、正しくない行動に導いています。そして、これは、人々が間違いに導かれている理由です。人々は、支配すること一つの力となることを望んでいます。自分達の原則を正しくする努力によって、彼らはサタンの方法を適用しています。

                       

 もしも、主が彼らに送った警告に、人々が反対するならば、彼らは悪を実行するリーダーにさえなります。そのような人々は、神に属する優先権を行使しようとしています。――彼らは、神自身が人々の知性を支配しようとしないことを再び始めています。このように、彼らは、ローマカトリック教の精神の道に従っています。彼らは自分自身の方法と計画を導入しています。そして、神について間違った概念を通して、彼らは、ほかの人々の現在の真理への信仰を弱めて、施設と教会を堕落させて汚してイースト菌のように働いて、間違った原則に連れて行っています。そのように貶める者達は、偏りのない判断と平等と義の概念は何であれ、また、人間の知性の支配下にいて、神のために働く人々を連れて行って、どのような指針や考えであれ、人々の神への信仰を害して、神から魂を引き離しています。

 神は、どんな策略も非難もしないでしょう。それゆえ、人間は自分に従う人々を苦しめたり、軽視した支配をしたりするでしょう。やがて、人間はほかの人々を厳しく管理する鉄のようなルールをつくり始めます。その人は、神を不名誉にして、兄弟達の魂と自分自身の魂に横柄にしています。


 

(訳者加筆)7章を理解するための予備知識

 『セレクテッドメッセージ』第2巻前編の23章に、「レビュー&ヘラルド」出版所で、従業員が週給6ドルで働いていた時に、この施設から8年間で1,244ドルの借金をして、エレン・ホワイトに退職の意向を書いて手紙を出した人が登場します。この章を翻訳し終わっても、いったいこの人は何者なのか、結末はどうなったのか疑問が残りました。この本の1958年初版では、この人の名前は伏せられています。『エレン・G・ホワイト百科事典』(2013,p.1103)の「レビュー&ヘラルド出版協会」に実名が載っています。Xさんはその出版所の全体経営責任者のA.R.ヘンリーです。Yさんはハーモン・リンゼイです。

 エレン・ホワイトは、「私の兄弟○○さん」と書き出していますが、この人は、Xさんだと推測されます。出版所から週給6ドルの200倍もの借金が可能なのは、その地位にある人だけが可能でしょう。『百科辞典』には、ヘンリーは「自分の家族を支えるためにもっと金銭が必要だった」と主張した時に、E.ホワイトは「ほかの家族の者は何年も前からあなたが受けていたものの半分の賃金で、一つの不満もなく自分達を支えてきました」と書いています。

 前掲書23章では、XさんとYさんが登場します。彼らは経営者達に従業員の2倍の賃金システムを導入しました。この出版所では、80%が商業用の印刷事業で儲けることが第一目的になっていて、福音伝道は疎かになっていました。SDA全体総会は、A.T.ジョーンズを長にした調査委員会を設置して調査しました。報告書には「クリスチャン原則の欠如、金銭を惜しむ態度を厳しく非難した」ことが書かれていました。A.R.ヘンリーとハーモン・リンゼイは教会労働から去りました。しかし、この施設には、それらの精神が長く定着していました。19021230日、レビュー&ヘラルドの建物は、神の裁きの炎の剣によって焼失しました。その後、そこに再建されませんでした。

 [ 彼女は、バトルクリークに関して、出版所の移動について彼女の支持を曖昧にしなかった。「レビュー&ヘラルドのオフィスを建てるために決して一個の石もブロックも置いてはいけません」と彼女は言った。「神はそのために良い場所を持っています」(GBC 1903.4.6) ](『エレン・G・ホワイト百科事典』p.75

 この出版所は、80年後、1983年にワシントンD.C.に、その年に、メリーランド州ハガースタウンに移転しました。


 

8章 その教会とその出版所

 (訳者加筆。これは、ミシガン州SDAバトルクリーク教会とバトルクリークにあったレビュー&ヘラルド出版所、そして、カリフォルニア州マウンティンビューにあったパシフィックプレス出版所のことです。『SDA教会への証』第8巻では、レビュー&ヘラルド出版所が神の裁き、炎の剣で焼失しました。ここに登場するその出版所の管理者達は、前ページに登場したA.R.ヘンリーとハーモン・リンゼイです。また、商業印刷に偏っていたパシフィックプレス出版所も出火元不明の火事で焼失しています。本書末尾の補遺を参照してください)

 

1.その出版所とこの教会の義務

 私達の出版所の一つの委員会を占めている教会メンバーは、主の特別な手段/道具の一人として、委員会の間にいて尊敬されています。その人々は、この名誉を認識しているでしょう。また、それが、最も神聖な責任を巻き込んでいることに気づくでしょう。その人々の影響力と模範は、その任務を成し遂げるその施設を後方から助けて広めるでしょう。

 私達が最後の危機に近づく時、主の手段/道具として働く人々の間に存在する団結/一致と調和は、活気のある瞬間に属する時です。この世界は不和と戦争と紛争に満たされています。また、一人の支配者-―法王の勢力-―の下で、人々は主を証する人々の中で、神に反対するために団結するでしょう。この連合体は、大背教によって固められています。一方で、彼[法王]は、真理に反対する警告によって、自分の働き人達を団結させようとしています。彼は、真理を擁護する者達を散らして分裂させるために働くでしょう。嫉妬と悪い推測は、捨て札や不一致を生み出すために、彼によって扇動されています。キリストの教会のメンバー達は、魂達の敵対者の目的を妨げる力を持っています。そのような時に、彼らに、主の働き人達の誰かが互いの不一致を見つけられないようにしましょう。聖書は人生のガイドとしてつくられているので、全体の不一致の中心に、一つの調和と団結の場所があるようにしましょう(Amidst the general discord let there be one place where harmony and unity exist because-)。神の人々は、主の手段/道具として築き上げるための一つの責任が自分達に課されていると考えましょう。

 兄弟姉妹のみなさん、主は、あなた方が自分の資金と祈りによって出版施設を支えるために心を傾けるならば、喜ぶでしょう。朝毎、夕毎に祈りましょう。施設は神の豊かな祝福を受けることができるでしょう。不平や批判を勧めないようにしましょう。あなた方の口から不平や文句が出ないようにしましょう。すべての人々は、これらの施設が神に託されているものに属しているということを知るように導かれる必要があります。自分の関心で彼らの奉仕のために彼らを非難する人々は、神への責任を果たす必要があります。神の働きと繫がっている全てのことから、人は神聖なものとして接遇されるように、神はデザインしています。

 神は、私達にもっと会話を少なくして、もっと祈りを多くするよう私達に望んでいます。天の玄関口は、主の栄光で満たされています。そして、主は、この光を、主と正しい関係に立つ全ての人々に輝かそうとしているでしょう。すべての施設は、困難と闘う必要があります。試練は、神の人々の心をテストするために許されています。主の手段/道具の人々に災難が降りかかる時、それは、私達が持っている主への働きと、神への信仰を如実に示しているでしょう。そのような時に、不信仰と疑いの表明を与えて、間違った光(真理)の内容を見せないようにしましょう。重い責任を負っている人々を批判しないようにしましょう。あなたの家庭で、主の働き人達の粗探しをして、害する会話をしないようにしましょう。この粗探しの精神を甘やかす親達は、子ども達の前に、救いのための知恵をもてるようにと示していないでしょう。親達の確信と信仰を乱す傾向のある言葉は、その子ども達にも属しているだけでなく、年上の年代の人々にも属している傾向があります。人々は、神聖なことについての十分な敬意と崇敬を少しでも持っています。サタンは、不敬と嫉妬、羨望、不信などを育成し、粗探しを嫉妬に繫いでいるでしょう。サタンはいつも、自分の精神を人々に吹き込む働きと、兄弟[姉妹]達の間に神聖な好意をもたらす愛を消すための働き、確信を挫く働き、悪い推測をして羨望を掻き立てる働き、言葉による争いの働きをしています。私達は、彼に協力して働く者としての行動を見られないようにしましょう。彼のほのめかしに心を開く人は、多くの不満のタネを蒔くでしょう。このように働きをして、魂をだめにする働きをしている人は、最後の裁きの大いなる日まで、決して十分に姿が現われないでしょう。

 キリストは宣言しています。「私を信じるこれらの小さき者達の一人をつまずかせる理由となるそれらの人々は、首に大きなマイルストーンをくくり付けられて、深い海に捨てられる方が有益でしょう。つまずかせる誘因のゆえに、世界の人々を苦しませています。その誘因が来るのは必要があるからに違いありません。しかし、その誘因が来ることによって、その人間にとって苦しみです」(マタイ18:6,7 R.V.A.)。重い責任が、教会メンバー達の上に置かれています。その人々は、若い人々の魂の不注意を通して、また、サタンの扇動の下の不信仰と疑いのタネを蒔くことを通して、信仰がなくならないように気を付けましょう。彼らは、魂を滅ぼす罪が見つけられています。「あなた方の足のために、足の不自由な人が退けられる道ではなく、癒されるような正しい道を作りなさい。主を見ない人がいないように、清く、そして、すべての人々と平和に同行しなさい。誰もが神の恵みを欠くことがないように勤勉に調べなさい。あなた方の間から、そして、それゆえに多くの者が汚されるような、苦汁の問題が湧き起こらないようにしてください」(ヘブライ12:13-15 KJV)

 サタン的な働き人の力は絶大です。そして、主はお互いに力づけ合うように、主の人々に呼び掛けています。「あなた方の最も清い信仰の上に、あなた方自身を育ててください」。

 サタンと協力するのではなく、すべての人は神と協力する意味を学びましょう。これらの人々が意気消沈している時、主は、お互いを支えるために私達にできる堅い信仰と励ましの提示が行なわれるよう働いています。人は全て、神と一緒に働く共労者として、心と心、肩と肩を触れて協力し合って立つ必要があります。あらゆる側で、苦しみに落胆する時、祈りと感化力で助けるために、主の働き人達を支えるために、もしも、教会メンバー達が共に立ち上がるならば、神の恵みを通して、そして、達成されないものは何ですか。それは、忠実な管理者として働きをする時です。

 譴責や粗探しの代わりに、私達の兄弟と姉妹達は、主の手段/道具[として働きをすること]について話すために、確信と励ましの言葉を持っています。神は、彼らと共に働いているので、彼らに重い責任を担っている人々に心を励ますよう、呼び掛けています。主は、主の人々に主の手段/道具として支える力を認めるよう呼び掛けています。あなた方が持っている能力は、感化を与えるためにあなたの能力を最高に励ますことによって、主を敬いましょう。

 あなた方が、その働き人達に話しかける機会を持っている時、霊感と力となるような言葉を語ってください。私達はみな、お互いについて、あまりに無関心です。もっとしばしば、私達は、私達の働き人達が好意と力を必要としていることを彼らに知らせましょう。そのラインに沿って、神のメッセージを主の働き人達に送ってください。「強くあれ、雄々しくあれ、」(ヨシュア記1:6 KJV)。

 私達の施設の管理者達は、秩序を維持するため、彼らのケアの下で若者達を賢明に訓練するために、最も困難な義務を担っています。教会メンバー達は、その手を挙げ続ける(賛成する)ことができます。その若者達がその施設での訓練に従うことに快く思わない時、あるいは、彼らの上司と違った問題で自分自身の道を持つことを決意した時、親達は盲目的に支持したり、自分の子ども達に共感したりしないようにしましょう。

 あなた方の子ども達は、忍耐することがベターです。神に、親に従う子どものため、真理のために忠実な基礎となる原則を軽々しく扱うことを教えられるよりは、墓の中に横たわることがベターです。

 ある困難なケースにおいて、両親に逆らった子どもは、権威のある人々の所に直接行って、真理を学んでいます。様々な部門のマネージャー達は本質的な調整がほかの人よりもよくできることを理解していることを知性に生み出しましょう。それらの権威者に敬意を表して、子ども達の判断に信頼を現しましょう。託された立場にいる人々の地位によって、栄誉と尊敬を示した神に、その人の栄誉をたたえて尊敬を表すことを子ども達に教えましょう。

 教会のメンバー達は、訓練と正しい指示の手本を自身の家庭で与えることによる以上に、私達の施設の管理者達の努力をもう一つの効果のあるものとすることは、決してできません。親達は、自分達の立ち居振る舞いや言葉によって、子ども達になってほしいという親達の手本を示しましょう。真のクリスチャンの礼儀正しさがいつも保たれるように、言葉遣いを清めましょう。悪い推測や悪いことを言って、罪を勧めるようなものがないようにしましょう。子ども達と若い人達に、神に誠実であること、原則に誠実であること、自分自身を尊敬するように教えましょう。子ども達に、家庭のルールと、神の律法に従順になって、敬意を表すことを教えましょう。その時、子ども達は、自分達の生活の中でそれらの原則を実行するでしょう。また、清らかな雰囲気をつくるでしょう。さらに、天と聖化に導く小道にいる弱った魂を励ます感化を及ぼすでしょう。

 そのような指導を受けた子ども達は、私達の施設にいて、心配の原因や心の重荷とならないでしょう。その子らは、責任を負っている人々の支えとなるでしょう。正しい指導の下で、子ども達は、指針と模範によって、ほかの人々がいつもほかの人々が正しいことを行なうよう助けることによって、信頼される場所を満たすために用意されるでしょう。その子らは、自分の才能を正しく評価するでしょう。また、自分達の霊的・知的・身体的能力を最善に役立てるでしょう。そのような魂達は、誘惑に対して要塞化しています。その子らは、簡単に打ちのめされません。そのような品性に、神の祝福の光を帯びています。その子らの感化力は、実際的なクリスチャン生活であるビジネスライフのために、ほかの人々の教育に至っています。

 この教会のメンバー達は、魂達のためにキリストの愛に満たされました。そして、機会と自分達の特権に目覚めています。評価以上に良い一つの感化を私達の施設の若者に及ぼすでしょう。家庭での信仰深い模範の人々は、ビジネスにおいて、この教会において、社交的な親切の現れ、クリスチャンの礼儀正しさ、若者の霊性の良好な状態の真の関心と結ばれて、この世での生活とやがて来る生活の両方において、彼らについていく人々と、神への奉仕のために、それらの若者達の品性の洗練に励むでしょう。

 

2.この教会へのその出版所の義務

 この教会は、その出版所に一つの責任を持っています。またさらに、この教会の出版所を持っています。それぞれの人は、ほかの人々を鼓舞するために存在しています。

 その出版所の責任の地位にある人々は、霊的な関心を保つ時間がない働きを押し付けられることを自分自身に許さないでしょう。この関心が、その出版所に生き続けている時、それは、この教会に生き続けるでしょう。それは、その出版所の強い影響力を及ぼすでしょう。魂達がキリストに勝ち取られるように導かれている時、神の祝福はこの働きの上に注がれているでしょう。

 キリストの名を告白しているその出版所の働き人達はみな、この教会の中にいる働き人となるでしょう。彼らがあらゆる恵みの資金を有効活用することは、彼ら自身の霊的な生活の本質です。彼らは、目撃者として立つことによってではなく、働き人となることによって、力を得るでしょう。すべての人々は、この教会と繫がって組織としての労働者、正規の職員として雇用されるでしょう。[その]すべての人々は、これがクリスチャンとしての義務だということに気づく必要があります。バプテスマの誓いによって、その人々はキリストの教会を築き上げるために、力の全てを尽くすよう誓いをして立ちました。繫がった施設への忠誠、真の男性らしさと真の女性らしさへの忠誠、贖い主への忠誠と愛は、これを提示しているということを人々に示しましょう。その人々は、それらの義務を怠っていながら、神の施設での働き人としての任務を受け入れることは不可能です。また、真に高潔な男性と女性となることもできません。さらに、キリストへの忠実な奉仕者となることもできません。

 その施設での様々な部門の管理者達は、それらの業務の中で正しい習慣を若者達に特別なケア/配慮をする必要があります。教会での集会がおろそかにされたり、その[施設の]働きと繫がった義務が果たされず置き去りにされたりした時、その目的が確実なものにされるようにしましょう。親切と機転の利いた努力によって、不注意な人を目覚めさせ、重大な警告をよみがえらせるために励みましょう。自分自身の働きで、主への神聖な奉仕を怠って逃れることを許さないようにしましょう。自分達の神への義務を怠るよりも、自分達に関する仕事を脇におく方がとてもベターでしょう。

                       

 

その出版所の責任を託された兄弟のみなさんへ

 私はあなた方に年1回の集会に参加する重要性を訴えます。しかし、その集会は単なるビジネス集会ではなく、あなた方の霊的な啓蒙/照明される、となるでしょう。あなた方は、天との親密な繫がりをもつ必要に気付いていません。この繫がりのないあなた方の内の一人は安全ではありません。ある人は、神の働きを受け入れて行なうための資格が与えられていません。

 この働きにおいて、宗教に関係のない何かのビジネスどころではなく、成功は、この働きが行なわれている自己犠牲と献身の精神/霊と釣り合いが取れていることにあります。この働きの管理者マネージャーとして責任を負っている人々は、神の聖霊によって深く感動されられる所に自分自身を置く必要があります。あなた方は、キリストと神の知識と、聖霊のバプテスマを受けることをほかの人々が行なう以上に心配してたくさん体験する必要があります。託されているあなた方の地位は、普通の働き人達以上に重い責任があります。

 生まれつきの才能と習得した才能は、すべて神の賜物で、主の神性な清める力に属していて、いつも、主の霊/精神のコントロールの下に保たれている必要があります。あなた方はこの働きにおいて、自分達の実践の欠如をもっと深く考えて、必要としている知識と知恵を得るために熱心に努力する必要があります。あなた方は神の栄光のための方法として、知性と身体のすべてを使えるでしょう。

 「新しい心を、私はあなた方に与えましょう」(エゼキエル36:26)。キリストは、生命の力として循環して、血液が体の中にあるように、あなた方の心に宿る必要があります。このテーマについて、私達は深入りすることができません。真理は、私達の鎧兜となる必要がありますが、私達の確信は、キリストの生涯を特徴づけた、共感するという生き方によって、力づけられ必要があります。もしも、その真理、生きた真理が[人間の]品性の中で実例とならなければ、[神の前に]立つことができる人はいません。真理によって、神の恵み――私達を保つことや不動になることが可能な唯一の力があります。誰かを信用して委ねている人は、倒れる備えをして、すでによろめいています。

 主は、あなた方が、主に堅く信頼するよう望んでいます。[真理]光に行く、あらゆる機会をたくさん作りましょう。あなた方が、神から来る清い感化力から離れているならば、どのように霊的な事柄を識別できるでしょうか。

 主の働きの確実な備えのために、あらゆる機会を用いるよう、主は私達に呼び掛けています。主は、畏れ多い主への責任と、主の神聖にあなた方の心を生かし続けて、主の実践の中であなた方のすべてのエネルギーを注ぐよう期待しています。神の目はあなた方の上にあります。祈りや研究もなく犠牲のない、欠点のある捧げ物を主の臨在の中に持って行くことは、あなた方の誰についても安全ではありません。そのような捧げ物を、主は受け入れることができません。

 私はあなた方に、自分自身のために神を求めて目覚めることを懇願しています。ナザレのイエスが、そばを通り過ぎた時、彼に、「そなた、ダビデの息子、主よ、私に、恵みを与えてください」最も熱心に叫びました。そして、あなた方は、視界を受けるでしょう。神の恵みを通して、あなた方は、金や銀、最も貴い宝石以上にあなた方に最も価値のあるものを受けるでしょう。

                        

 自分達との神との繫がりを保つことを人々が必要としている時、ほかの人以上に一つの時がいつもあります。それは、その人々が特別な責任を負うよう求められている時です。自分達の武器を捨てて、戦いに出て行く時、私達にとって安全ではありません。私達が神の鎧兜の全ての武具を装備される必要のあるのはその時です。鎧兜のすべての武具は欠かすことができません。

 あなた方自身が身を引いていて、あなた方がクリスチャンでありうるという考えをしてはいけません。一人ひとりは人類の大きな網の一部分です。あなた方の体験の質と傾向は、あなた方が協力している人々の体験によって大きく決定づけられるでしょう。イエスは言いっています。「二人または三人が、私の名によって共に集まっているならば、私はその真ん中にいます」(マタイ18:20 KJV)。私達が共に集まることをやめないようにする時、何らかの方法が互いを励まして、もっとそうなって、私達は近づく日を見るでしょう。

 可能な限り、教会の興味ある社交の集会を開きましょう。全員がその集会で演じる役目をもっていると考えて参加しましょう。働き人達みんなに正しい印象を与えようとする人々は、天の使い達と協力しましょう。


 

9章 神の手段/道具としての神聖

 

 

 トウモロコシ畑、製造工場、加工場のような一般ビジネスの事業と、神の目的の重大なものを前進させるために、特別に設立された施設との間の違いを認めない多くの人々がいます。同じような違いは、古い時代に神が置いた、聖と俗、一般と神聖の間に存在しています。この違いを、神は、私達の施設の全ての働き人達が識別して認識するよう望んでいます。私達の出版所で一つの地位を占めている人々は、高い栄誉を授けられています。一つの神聖の求めが彼らの上にあります。彼らは神と共なる働き人となるために呼び出されています。彼らは、主の手段/道具として密接に繫がっている機会を認識する必要があります。また、彼らの弱ることのない警戒と彼らの奉仕、彼らの能力を主の施設に与えることを許している高い特権があることを考える必要があります。彼らは、高遠な目的、高尚な好奇心、その出版所を4番目の戒めの記念、主のための忠実な証人、世界の中の一つの光になると神が望んでいるものにするという熱心さを持つ必要があります。

                        

 「主は、私の口を鋭利な剣にしました。主の手の陰の中に、私を隠しました。そして、私を研ぎ澄ました矢にしました。主が持っている矢筒の中に私を隠しました。そして、私に言いました。‟汝は、私[]に仕える者です。イスラエルよ、私[]は栄誉をたたえられるでしょう。そして、主は言いました。イスラエルを失わずに回復し、ヤコブの部族たちを興して、汝らを私に仕える者とすることは軽いことでしょう」(イザヤ49:6 KJV)。これは、主が託した施設と何らかの方法で繫がった全ての人々のための主の言葉です。その人々は、光(真理)が輝いているチャンネルの中にもたらされているので、神の好意を得ています。彼らは、主の特別な奉仕の中にいます。そして、彼らは、この光の事柄を評価しないでしょう。神聖な委託と地位との釣り合いは、責任と献身の考えとなるでしょう。安直なありふれた会話やつまらない行動は、許容されるべきではありません。その場所[出版所]の神聖についての考えは勧められ涵養される必要があります。

 これを超えて、主が任命した手段/道具たちとして、主はいつも用心深くケアしています。その印刷機は、それを管理している技術者によって運転されるでしょう。しかし、いとも簡単にその機械の小さな一つの部品、小さなネジが一つ残されることがあるでしょう。指示を離れて、そして、どのような事故がその結果となるでしょうか。誰が大事故を防ぐのですか。神の使い達は、その働きを統率しています。印刷機を操作している人々の目は開かれているでしょう。出版所のすべての部屋に、忠実性と私心のなさが現されていいて、実演されている精神を記録している一人の証人がいます。

                        

 もしも、私が、主の施設、神が考えているその中で真理の光を提示することに失敗したならば――特別な方法で主が働いているセンターとして――、主の聖霊によって、あなた方の知性に主が描けるでしょう。あなた方は、普通と神聖の間の違いを理解できるでしょう。

                        

 その出版所の労働者達と、この教会メンバー達の両方は、主の施設を保護して行動の役割を持っている神と共に働く者として考えているでしょう。彼らは、事故と損失からだけではなく、悪影響を及ぼすものや神を汚すものからそれを防ごうとして、すべての従業員の中で重要で忠実な保護者となるでしょう。それらの行動を通して、その公正な枠組みは、譴責や不注意な粗探しの息によってさえ、光を失われてはいけません。神の施設は、古代イスラエルによって守られていた契約の箱のように油断なく守られるために、清さを託された人々によって護られる必要があります。

                        

 その出版所の働き人達が、主の管理の下と神に関連されたように、大いなるセンターとして考えるよう教育されている時、天からの光がこの世界に伝達されようとしている一つのチャンネルだと気づく時、彼らは、それに大いなる敬意と崇敬と考えるでしょう。彼らは、貴い考えや良い思想を気に入るでしょう。彼らの働きによって、彼らは、天の知性者達との協力を持つでしょう。その働き人達が、天使達の臨在の中にいることに気づく時、その人々の視線はあまりにも清すぎて不正を見上げることができません。強い抑制が、思想と言葉と行動に置かれているでしょう。彼らは、道徳的な力を与えられるでしょう。主はこう言っています。「私/主を尊敬する人々を、私は尊敬するでしょう」(1サムエル2:30 KJV)。すべて働き人達は、貴重な体験を持つでしょう。また、環境にまさって立ち上るような信仰と力を持てるでしょう。みなさんは「主は、この場所にいます」と言うことができるでしょう。


 

10章 神への信頼

 

 

 私達の施設で、働き人達が最初に教えられる教訓は、神に信頼するという教訓です。業務で何かの成功を得ることができる前に、働き人達はそれぞれ自分のために、キリストの「汝らは、私がいなければ[神性に関して]何事も行なうことができません」という言葉に含まれている真理を受け入れる必要があります。

 正義は、神にその根源があります。神との生きた繫がりを保って、主を信じること以上に正しい人間はいません。野原の花は、生きているその土地に根源があります。その花は、空気、露のしずく、雨、日光を受ける必要があります。また、そのように、私達は、魂の命に奉仕の働きをしている神から受ける必要があります。私達が主の戒めに従順になる力を受けるのは、主の性質に与る者となることを通してだけです。人は、その命が神の中にキリストと共に隠されていない限り、経験があるかないか、地位が高いか低いかに関わらずに、清く説得力のある生き方を、そのついて来る人達の前で堅く保つことができません。人々の間で、活動するにふさわしい人は、神との心の親しい交わりをする者となる必要があります。

 主は、その出版所の労働者達が宗教的な従業員として教育される必要があるという指導を与えました。この働きは、経済的な利益を得ること以上にもっとよい、永遠に属しています。その働き人達の霊的な健康は、第一に考慮される必要があります。毎朝、祈りによって、あなた方の働きを始めるための時間を取りましょう。それは無駄な時間だと考えないでください。それは、永遠の世代を通して生きている時間です。この手段の成功と霊的な勝利は、[その施設の]中にもたらされるでしょう。その印刷機は、大教師[]の手が触れていることに応答するでしょう。神の祝福は、求めるものに確かな価値があります。そして、その働きは、始まりが正しくない限り、正しくなされることができません。働き人達の手はみな、力づけられる必要があります。主の前で効果的に用いられうるようにと、この心は清められる必要があります。

 もしも、私達がクリスチャン人生を生きたいのであれば、その良心は神の言葉といつもつながることによって元気づけられる必要があります。無限の犠牲を払って、神が私達に提供した貴い事柄はすべて、私達に何も良いことをしていないでしょう。それらは、私達が適用しない限り、私達の霊的な成長を促すことも力づけることもできません。私達は――それを私達自身の[人格の]一部にするために――神の言葉を食べる必要があります。

 早朝の聖書研究、午後に、夕方に、少数の仲間で集まりましょう。みんなで祈りの時間を持ちましょう。その人々は、主の聖霊によって清められて、光を照らされて啓蒙され、力づけられるでしょう。キリストは、すべての働き人達の心の中で、この働きが行なわれるようにと望んでいます。もしも、あなた方が、それを受けようと心のドアを開けるならば、豊かな祝福があなた方にやって来るでしょう。神の御使い達があなた方の集まりの中にいることでしょう。あなた方は、命の木の葉で養われるでしょう。あなた方が、知人達と愛情を生み出すことができるという証は、神の祝福を求める時に、あなた方の働き仲間達との貴重な時間を作るでしょう。これは、教会にもたらされる音楽による楽しい手段以上に、魂にたくさんの喜びと慰めをもたらすでしょう。キリストは、あなた方の心の中にやって来るでしょう。あなた方がその高貴さを保てるのはこの手段によってだけです。

 多くの人々は、主を求めるために時間を捧げることは時間が失われたと考えているように思われます。しかし、主が、人間の努力と協力するために来て、そして、男性達と女性達が主と協力している時、著しい変化が、その働きの中とその結果の中に見られるでしょう。義の太陽の光線が輝くことによって、訪問を受けた人々の心はみな、品性と知性と声に、神の霊の働きを現すでしょう。その印刷機は、熟練した一人の人の手によってガイドされ、油を補給されたかのように動くでしょう。働き人達の精神が、二本のオリーブの枝からの油を受けている時に、それらは、摩擦がほとんどないでしょう。聖なる感化力は、励ましと愛、優しさと親切の言葉をほかの人々に与えるでしょう。

                      

 神を畏れ、熱心に努力している福音伝道者達は、見習工達の味方となるでしょう。彼らは回心することでしょう。彼らは、現在の真理について注意深く指導されるでしょう。彼らは、毎日聖書を研究するように勧められるでしょう。そして、それを共に読んで研究するような指導者を持てるでしょう。

 キリストに関する知識を増やすことは、間違っていることと正しいことの間を見分けるために、受ける能力のある人は、聖霊の指導の下で、あらゆる生活の雑用の中で、御言葉の研究によって得られます。もしも、これらの人々が、私達の出版所と繫がって、この知識を得て、現在の真理の基礎としての根源を得たならば、[神との正しい関係の]判断と正義を行なうために、彼らは主の道を守るでしょう。

                      

 神の働きのどの部門においても、その出版所の神聖な業務を扱っている人々は、知的・道徳的な力の強いエネルギーを働かせる必要があります。彼らは、人間の意思に属するものではなく、神の意思に属するによって学び続ける必要があります。神の恵みは、彼らの全ての働きの中で現される必要があります。

 私達は、「任務に怠けず、精神/霊に燃えて、主に仕える」(ローマ12:11 KJV)ために生きています。私達は、自分の働きにおいて活動的になる必要があります。しかし、ほかの要因――神への奉仕に熱心に生きる――を混ぜる必要があります。私達の日常の働きの中で、私達は、信仰、聖化、献身をもたらす必要があります。もしも、あなた方が、このことなしに自分達の業務businessを担うならば、その生活に大きな間違いをするでしょう。あなた方は主に奉仕すると告白している一方で、神に対して詐欺まがいの行為をしているでしょう。


 

11章 協働 Co-operation

 

 

 新しい伝道地での施設の設立において、その働きの詳細を十分に熟知していない人々に責任を負わせることは、しばしば必要です。ひどく不利な立場で働く人々は、主の施設で私心なく関心を持つ働き仲間がいない限り、事業の繁栄を妨げる結果となるでしょう。

 その働きの従業員の多くは単に自分達の前にあることを行っているだけで、それに関して何かを指示する人がいないと考えています。それらの人々は、その働きを指揮する最善の方法に無関心になるでしょう。また、もしも、ある人が提供したアドバイスが彼らに冒険的なこととなって危険をもたらすならば、彼らは感情を害されて、彼らの自律した判断に従うことをもっと決意するようになります。繰り返しますが、働き人の達のある人は、自分達の働き仲間の指導や助けを快く思っていません。体験のないほかの人々は、無知を知られることを望んでいません。彼らは、誰かに相談するにはあまりにプライドが高いので、間違いをして、多くの時間と材料にコストをかけています。

 そのトラブルの原因は、決心が難しいからではありません。その働き人達は、服地の型を支えるために共に縫い込まれなければならない糸として自分達を考えた時に、独立した糸のようなものでした。

 それらの事柄は、主の聖霊を悲しませています。神は、私達が互いに学び合うよう望んでいます。清められていない自律性は、主が私達と共に働くことのできない場所に私達を置いています。そのような事柄の状態をサタンはとても喜んでいます。

 少数の人々が持っている知識をほかの人々が得られるように、[無知の]隠し立てをなくしましょう。不安をなくしましょう。そのような精神は、いつも自由な発想を拘束し、うさん臭い思いが湧き出すよう促しています(Such a spirit gives rise to constant suspicion and restraint.)。すべての考えとすべての臆測が甘やかされています。そして、兄弟[姉妹]のような愛は、心の外で死んでいます。

 神の働きの業務についている人々はみな、ほかの業務についている人々と繫がりを持っています。排他性は、主があらゆる発明の才、あらゆる事実の主なので、神が管理している施設では存在することができません。主は、すべての正しい方法の基礎です。それらに関する知識を授けるのは主です。そして、その人自身の排他性としてこの知識を見る必要のある人はいません。

 それぞれの働き人達は、その働きのすべての業務に関心を持つ必要があります。そして、もしも、神が、何かの業務を助けるような知識、能力、洞察力をその人に与えたならば、その人は、自分が受けたその能力を伝える必要があります。無私無欲の努力を通して、この施設と繫がり、神のための働きをする者として、すべての才能は一つの生活、一つの成功をもたらすでしょう。聖別された働き人達は、感化力と才能を有していて、出版所に必要とされる者達です。

 働き人達はみな、自分自身の関心で奉仕するためか、または、主の施設の優位性のために働いているかをテストされるでしょう。回心した人々は、日毎に、彼らが得た知識と優位性の益を自分達が個人的に用いようとしているのではないという根拠を与えられるでしょう。その人々は、神性の摂理は、自分達にこれらの優位性を与えた、また、主の手段/道具として、自分達は、特別な働きを行なうことによって、主の[人類救済]の目的に奉仕しているということに気づくでしょう。

 最高権力の野心や称賛に属する愛を得るために働く人はいないでしょう。誠実な働き人は、自分が神の栄光を現すことができることを行なうゆえに、最善を尽くすでしょう。また、自分の能力の全てを改良しようと試みるでしょう。その人は、自分の義務を神に行なうように実行するでしょう。その人の一つの望みは、キリストが権威と完全な奉仕を受けるようなものとなるでしょう。

 その働き人達は、主の働き人が優位を得るための努力のエネルギーの協力を求めるようにしましょう。このことを行なうことによって、彼らは自分自身、力と仕事の能力を受けるでしょう。


 

12章 自己管理と自己忠実性

 

 

 私達は、神を不敬にする言葉を語るように導いていて、すぐに興奮させられるので、身体と知的な力の両方を酷使する権利を持っていません。主は、私達にいつも、平静で自制しているようにと望んでいます。ほかの人々が行なうことは何であれ、私達は、同じような状況で行なっているキリストを示すために存在しています。

 毎日、信頼される地位にいる人は、重要な結果をもたらすことを決意しました。その人は、しばしばすぐに、それは、厳しい節制を実践している人々によってだけうまく行なわれうると考えました。その人の知性は、体力と知力の正しい扱いの下で力づけられています。もしも、その緊張が強すぎないならば、それは、すべての人に課せられている新しい活力を得るでしょう。

                       

 真心を込めたクリスチャン以外は、決して、優しい人になることができません。

                       

 神の求めへのあらゆる特別な応答に無関心なことは、確かに悪い行ないに向かって失敗と損失の手段となっています。主の道を守ることにしくじっている人は、主の義務である奉仕の造り主を失っています。これは、自分自身に作用しています。その人は、受け入れるためにそれぞれの特権がある力、品性の力、恵みを得ることに失敗しています。神に全てを明け渡している人をキリストから離して生きて、人は誘惑に晒されています。人は、大教師[]のための自分の働きに間違いをしています。小さい事柄の原則に反対して、人は、偉大な事柄で神の意思を行なうことに失敗しています。人は自分自身に慣れさせた原則で行動しています。

 神は、自分自身を第一にして、自分で喜ぶために生きている人と繫がることができません。これを行なう人は、世界の終わりに、すべての終わりとなるでしょう。癒しが不能で、絶望に近いものであるその罪は、自己概念による意見のプライドです。これは全ての成長の前に立ちはだかっています。人が品性に欠点を持っている時、また、このことに気づいていない時、さらに、自分の欠点を知ることができず、自己満足を吹き込まれている時、その人はどのようにして清められるでしょうか。「健康な人に医者は必要ありません。必要なのは病人です」(マタイ9:12 KJV)。人は自分の完全な道を考えている時、どのように改善できるでしょうか。

 人が自己信頼のゆえに、神の道を離れることによって、教えられ導かれていると思われる時、多くの人々はそのような手本になっています。

                        

イチジクの木の譬えの考察

 「ある人が自分のブドウ園にイチジクの木を植えました。そして、彼はその実を求めて行きましたが、見つかりませんでした。彼はそのブドウ園の木を剪定して整える人に言いました。‟見てください。3年間、私はこの木に実を求めていますが、見つかりません。切り倒してください。どうして、その木は土地を塞いでいるのでしょう”。剪定する人は言いました。‟ご主人、今年はそのままにしておいてください。木の周りを掘って動物の糞を与えてみます。もしも、それが実を成らせたらいいです。もしもそうでないならば、その後でそなたはそれを切り倒すでしょう”」(ルカ13:6-9 KJV)。

 「その後で」。この言葉に、神の働きに繫がった主のすべての人々の教訓があります。調査審判の期間が、実を成らせなかったその木に与えられていました。同じ方法によって、神は、神の民に願っています。しかし、大きな優位性を持っていたこれらの人々、また、神聖な委託と高い地位にいる人々、さらに、実を生み出さない人々に主は言っています。「切り倒してください。どうして、その木は土地を塞いでいるのでしょう」。主の特別な手段/道具たちと繫がっている人々は、主が、主のブドウ園で実を求めているということを覚えておきましょう。授けられた祝福との釣り合ったものが返されることを求められているでしょう。天の御使い達は、ほかの施設が設立された全ての場所に訪問して奉仕の働きをしました。それらの施設の不信仰な人々は、どこかほかにある施設の人々より大きな一つの罪があります。それは、どこかほかの施設が持っているより以上の影響力を持っているからです。不信仰、不正、不正直、陰謀の企てなどは、神がデザインしている光を、主の手段/道具たちから輝かすということを妨害しています。

 この世界の人々は、あなた方のビジネスの取引と、あなた方の振舞い、あなた方の言葉を厳しく辛辣に批判する備えをして見張っています。神の働きに繫がって一つの部門で働く全ての人々は、見張られています。そして、人間を識別する物差しで量を計られています。聖書の宗教に好意的か非好意的かという印象は、いつも、あなた方が行なっているすべてを知性に植え付けられています。前進した真理を信じていると言っている人から、自己犠牲と自己否定を求めることは一つの権利です。

 そこには、あらゆる段階でイエスの必要を感じておらず、私達の働き人達の間で、そこにはいた、そして、居続けるだろう、その人々は、宗教的な集会に参加して祈る時間を取ることはできないと考えています。彼らは、神の愛の中に自分達の魂を保つ時間を見つけることができないようなことをとても多くしています。そのケースの時に、サタンは、無益な想像をする舞台上にいます。

 忠実でも賢明でもない働き人達は、莫大な害を行なっています。彼らは、ほかの人々に一つの手本を示しています。すべての施設において、数人の奉仕に好意的で心から明け渡している人がいます。しかし、人々に効果を及ぼしていないでしょう。その施設は、クリスチャンの忠誠の真摯な模範もなしに残るでしょうか。キリストの大使だと言っている人々が、その働きから分離していて、不純で、利己的、粗野な品性で、回心していない者だということを現しています。

 その働き人達は、主が彼らをたたえていた信頼の神聖さに気付く必要があります。動機の衝動と、落ち着かない鼓動は、脇に置かれる必要があります。神聖なものと俗なるものの間を識別できない人々は、安全で高度な家令/管理者ではありません。誘惑された時、彼らは、自分達の信頼を裏切るでしょう。神の働きと繫がる機会と特権を認識していない人々は、かの敵がその特別な誘惑を提示した時に、立ち向かわないでしょう。彼らは、野心的な事業計画や利己心によって、容易に、間違いに導かれるでしょう。もしも、その光が彼らに示された後で、彼らが間違った光を識別することにまだ失敗しているならば、間もなく、彼らはその施設から繫がりを解かれるでしょう。純潔と高尚さは、その働きの特徴/品性でしょう。

                      

 主の手段/道具たちは、神聖であるという気づきに失敗して危機にいて、主の手段/道具の一人として保たれる人はいないでしょう。もしも、その働き人達が、現在の真理を味わっていないならば、また、その人々のその施設と作った繫がりが良いものでないならば、彼らにもたらされた現在の真理への愛がないならば、彼らの無宗教と不信仰はほかの人々に影響を及ぼすので、試練の苦悩の後で、彼らはその働きから分離されるでしょう。

 彼らを通して、悪天使達は、見習工として採用された人々を間違いに導くために働いています。あなた方は、神を愛している人々、約束された若者達、見習工達を獲得するでしょう。しかし、もしも、あなた方が、その見習工達と神を愛していない人たちと繫いでおくならば、その若者達は無宗教の感化の危険の中にいつもいることになります。この働きから分離されて当然の、気乗りのしない世俗の人々はゴシップを与えられています。自分達自身のことは無関心でいて、ほかの人々の欠点を取り上げて暮らしています。


 

13章 不道徳な読み物の危険性

 

 

 不道徳な読み物が若者達を脅かす危険性を見ていると、私はこの大きな悪について、[主から]私に与えられた警告を、平穏な未来として提示することに耐えられません。

 一つのいかがわしい特徴のある内容を扱っているその著者達の結果としての弊害は、あまりにも少なく理解されています。彼ら[著者]が取り扱っているテーマの内容によって、人々の注目が引き止められ、人々の関心が目覚めさせられています。文章がその[読者の]記憶に刷り込まれています。思想が触発されています。ほとんど無意識のうちに、読者はその著者の精神によって感化されています。そして、知性や品性は、悪い印象を受けています。[読者の中には]、自己抑制力のない人、信仰のない人がいます。そのような文学作品によって、ほのめかされた思想を排斥することは、その人々によって困難です。

 現在の真理を受け入れる前に、ある人々は小説を読む習慣をつくっていました。この教会に加わったその人々はその習慣を克服する努力をしました。その人々が捨てた読書の層は、大酒のみが酔うように提供された酒のようなものです。彼らの前に誘惑し続けたものを放棄すると、間もなく、彼らは確固たる読書の面白みを失います。彼らは、聖書研究に興味を持っていません。彼らの道徳的な力は衰弱しています。罪が見えなくなり、嫌悪されなくなっています。そこには、生活の義務的行動に嫌気が増し、不信仰が増して現れています。その知性は、正道から逸れるようになって、品性を刺激する何かの読書を捉えることが準備されます。このようにこの方法は、その魂が全くサタンの統治の下に連れて行かれるように、彼のために開かれています。

 決定的な間違いに導くものでも滅ぼすものでもないことをする作品は、聖書研究に嫌悪感を与えるならば、遠ざける必要があります。この聖書の言葉は真のマナです。知性に食物とならない内容を読もうという思いを抑制するようにしましょう。あなた方は、知性がこのクラスの読書をしている間は明晰な知覚力によって、神の働きを行なう可能性がありません。神に仕えている人々は、軽い読み物に時間もお金も使わないでしょう。何が麦粒で、何が籾殻ですか。

 利己的な性癖を喜ばして、つまらない娯楽物に繫がっている時間はありません。あなた方が真剣な考えを働かせる時です。あなた方は、あなた方の愚かな時間をのんびりと暮らす時間から離して、冗談や笑い話の楽しみを見つけていると、世界の贖い主の自己否定と自己犠牲の生活を生きることができません。あなた方は、クリスチャン生活の実際的な体験をたくさん必要としています。あなた方は、神の働きのために知性の訓練を必要としています。その宗教体験は、自由時間に読んでいる本の性質によって、確かな度合いが運命づけられています。

 もしも、あなた方が御言葉を愛しているならば、また、機会がある時にはいつでもそれを研究しているならば、あなた方は、その豊かな宝を所有するために行なうでしょう。それから、あなた方は、イエスがあなた方を自分に引き寄せていると確信するでしょう。

 「キリストの後について行かずに、世俗の基本原則に倣って、人間の伝統に倣って、誰かが、無駄な騙しと哲学を通してあなた方を台無しにしないように気を付けましょう。キリストの中に、神(父・子・聖霊)の全体が満ちて宿っています。汝らは、彼の中で完全です。それは、全ての力と権限の特別な長です」(コロサイ2:8-10 KJV)

 私達は、世界でかつて知られた偉大な教師[キリスト]の知恵の前に自分達の知恵を置いて、世界を支配する主だった人と言われている人々から来る事柄を理解するための準備も、また、キリストの中で完備されることもできません(We cannot be complete in Christ and yet be ready to grasp those things that come from the so-called great men of the greatest Teacher the world has ever known.)。そのような源泉からの知恵を求めることは、水を貯めることができない壊れた貯水池から飲もうとするようなことに、この世界で象徴されています。

 人間の多くの知識と神との間に干渉し過ぎる研究のために多くの本を集めることは、知性を弱めて、すでに得た知識を同化する能力を欠如させています。知性は同化不良になっています。知恵は必要とされています。人間は命の言葉と多くの著者の間を正しく選んでいることでしょう。人は神の息子の血を飲み、肉を食べて(教えを同化)しているでしょう。

 私の兄弟[姉妹]のみなさん、低地を流れる[汚れた]水を捨てて、[高い山]レバノンの綺麗な水に行ってください。霊的に消化できない多くの内容をあなた方の知性に詰め込んでいる間は、神の光の中を歩むことはとても不可能です。神の言葉が、印象付けられるのは、私達が天の助けと許しを知性に得て、問題を解決した時です。私達は、たいそう多くの読書のドアを閉じましょう。私達は、命の言葉を習得して、もっと祈りましょう。知性と心に恵みの強い働き掛けがない限り、私達は神の顔を見ることができないでしょう。


 

14章 負債を避ける

 

 

 神は、その働きで負債を負い続けることを望んでいません。ある施設にもう一つの設備や建物を加えることが望まれているように見えている時に、あなた方の資金を超えて行くことについて注意してください。神意が、約束なしに多額の負債と利息を支払う方法を示さない限り、リフォームを延期することがベターでしょう。

 その出版所[レビュー&ヘラルド]は私達の[教会の]人々の資金の預託によって設立されていました。また、別の伝道地の働きの出版部門を支えるために、このように資金を備えることが可能でした。さらに、ほかの事業を推進するよう助けていました。これは良いことです。これらの伝道地では、行なわれたもので多すぎるものはありません。主はそれらをすべて見ています。しかし、主が私に与えた光から、あらゆる努力は負債なしの立場でなされる必要があります。

 その出版の働きは、自己否定の中で、基が据えられました。そして、厳格な節約の原則を指揮されているでしょう。財政の問題は、管理されうるならば、そこに資金の重圧がある時、その働き人達は給料の減少に同意するでしょう。これは、私達の施設にもたらされるために、主が私に啓示した原則でした。資金が乏しい時に、私達は、自分達の欲するものを快く制限することでしょう。

 その出版所は、測られている評価に相応しくなりましょう。私達の全ての出版所は、たとえ、このように根拠づけられたことが不快なことと考えられても、みな、できる方法で節約を研究しましょう。わずかな出費も見張りましょう。あらゆる漏れを塞ぎ止めましょう。その終わりに、十分に備えて語ることは、全く損失のないことです。断片を集めて、損失をなくしましょう。無駄口で1分も失わないようにしましょう。1秒の間も失わないようにしましょう。信仰によって、賢明に働きをやり抜くことは、いつも成功をたたえられるでしょう。ある人は、小さな事に気を配ることは自分達の尊厳を傷つけることだと考えています。その人々は、それを狭い知性とケチな精神の証だと考えています。しかし、小さい漏れが多くの船を沈めました。無駄が許されて何かの目的に仕える者はいないでしょう。節約の欠如は私達の施設に、間違いなく負債をもたらすでしょう。多額の資金を受け取りながら、それは、この働きのすべての部門で僅かの無駄の中に失われているでしょう。節約は棘ではありません。

 すべての男性と女性は、無駄に捨てられる物がないように見守って、忠実な見張り人となっている必要があります。その人々はみな、資金の一つの出費を求めて欲しいと考えた者に対して、防護する必要があります。ある人は、1年間に800ドルで生活している人よりも、400ドルでよい生活をしています。そうです。これは、私達の施設です。ある人達は、ほかの人達が生活できているよりもはるかに少ない収入で生活の管理ができています。神は、働き人達、特に、忠実な責任者となる人に、みんなに節約を実行するよう望んでいます。

 私達の施設の働き人達はみな、正当な補償(手当)を受ける必要があります。もしも、その働き人達が適切な時間給の賃金を受けているならば、彼らは、主の目的に寄付をして喜びを持てます。ほかの人々がとても少額で不可欠の働きをしているのに、ある人が高額を受け取るというのは正しくありません。

 また、[賃金の]違いがあるべき所でこのようなケースもあります。この出版所に繫がっているある人々は、重い責任を負っていて、ある人々の働きはその施設でとても価値のあるものに属しています。ほかの地位にいる多くの人々は ケア[管理]されておらず、金銭上の益を受けていました。すべての人々は、単なる印刷工に支払われる額よりも高くない賃金が支払われている不公平を見ることができます。

 もしも、ある女性が例の働きをするように主によって任命されたならば、彼女の働きはそれ自身の価値によって評価されるでしょう。ある人は、補償(手当)なしにその働きに就いて、自分の時間を貢献するよう人々を許すことは、良い方針と考えるでしょう。しかし、神はそのような取り決めを容認していません。深い愛情のうちに、自己否定が求められる時、その重荷は少数の人に全部課せられる必要はありません。みんなでその犠牲によって団結しましょう。

 主は、主の善意を託した人々にケチではなく気前の良さと親切を示すように望んでいます。彼らに、すべての可能な、正確なセント(数円)をみんなに配ることを試みないようにしましょう。神はそのような方法を軽蔑して見ています。

                       

 働き人達は、誠実に労働した時間に応じて、補償(手当)を受ける必要があります。正規の時間を働いている人は、その時間に応じて受け取る必要があります。もしも、人が知性と魂と力に重荷を負うことに同意しているならば、その人は応分を支払われる必要があります。

                       

 法外な給料が容認されるような人はいません。たとえ、その人が特別な才能や資格を所有していても、その働きは神のために行なわれていて、主の[人類救済]目的は、金銭目当てが基本理念に置かれていません。その出版所の働き人達は、ほかの部署lineの働き人達が持っている以上に、より重い責任もなく、高額の手当てもなく、課された大量の仕事もありません。彼らの労働は、忠実な牧師の労働以上に疲れるものではありません。対照的に、牧師達の一つのルールとして、私達の施設の労働者によってなされていた以上に大きな犠牲を払っています。牧師達は、送られた所に行きます。彼らはいつも出掛ける用意をしているいわゆる緊急招集兵です。彼らは、家族から長期間、離される必要があります。その出版所の働き人達は、一つのルールとして住む家を持っていて、家族と共に住むことができます。ここには、出費に補償があります。その出版所の中とその牧師会の中の働き人達の補償(手当)について、負うことに考慮される必要があります。

 主のブドウ園で、自分達の能力を最高に働かせて、心を込めて働いている人々は、自分達自身の仕事に高い評価をしている人々ではありません。すべての正確な労働時間の総計と、うぬぼれと自負心をふくらませる代わりに、彼らは、自分達の無益な奉仕を数えて、救い主の働きと自分達の努力を比べています。

 兄弟[姉妹の]みなさん、あなたがたがとても低い標準に届くために行なって、とても少なくすることを学ばないでください。そうではなく、あなた方が主のためにできることを行なって、キリストに満ちているものを捉えて目覚めてください。

                       

 主は、それが湧き起こってから編み込まれた原則を理解する人々と、偉大さにその働きを見る人々を必要としています。主は、主が主の人々のために注目した人々から、別な部門の人と共に働く様式にする者のために、世俗の人々を持っていないでしょう。その働きはその創始者[]の品性を生み出す必要があります。

 堕落した人々のためのキリストの犠牲によって、憐れみと真理は共に会いました。義と平和は互いにキスしました。それらの属性が成功した働きに見えて、最も素晴らしいものから分離した時、そのためのものは何もありません。

 神は、ほかのないがしろにされた者を残して、主の気に入り者のために、数人を選び出しませんでした。主は、ほかの人を押し倒して、一人を選んでいないでしょう。真に回心した人はみな、同じ精神を現すでしょう。ほかの人の権利に無関心な人はいないでしょう。

                       

 神に仕える者達は、取り扱っている神聖な働きにとても深い敬意を持っているでしょう。彼らは、その中にそれを利己心の一つの痕跡ももたらさないでしょう。


 

15章 信仰と勇気

 

 

 主は、モーセに、主がイスラエルの子らをエジプトから救い出して、食物を与えて、荒野において不思議な保護をしたことを詳しく話すように指導しました。モーセは、試練に遭遇した時、主の大いなる憐れみと優しい愛は決して見捨てなかったこと、イスラエルの子らの不信仰と不満を、その知性に呼び掛けるために存在していました。これは、イスラエルの子らの勇気と信仰に刺激を与えたことでしょう。一方、その子らは、自分達の弱さと罪に気づくよう導かれるでしょう。さらに、神が自分達の義と力だったことに気づくでしょう。

 その当時の神の民が、自己信頼と自分達の不信仰によって主の目的を危険に晒した場所、自分達の信仰が挫けた場所、自分達が味わった時について、その知性に教えられることは、まさに不可欠で大切なことです。神の憐れみ、神意による支援、忘れられない救出は、少しずつ話すために存在しています。神の民は、このように、その過去について振り返る時、主が、主の食物をずっと繰り返して与えていることを知るでしょう。その人々は、与えられたその警告を理解するでしょう。そして、自分達の失敗を繰り返さないように気を付けるでしょう。自分に頼ることを放棄して、彼らは、主の力を再びたたえて、自分達を救うために、主を信頼する必要があります。魂達が、危険に晒された全ての者達の所で、サタンは勝利を得ています。ある人々は、その誘惑の目標になっています。その人自身の力では決して、立ち戻れないでしょう。間違いをした人々は、すべての歩みにおいて祈って、気を付けて歩むようにしましょう。「そなたの道を進んでいる私を支えてください。そうすると、私の歩みは滑りません」(詩編17:5 KJV)

 神は、誘惑の下で忠実に立つことを証明する試練を[私達に]送っています。主は、人が自分以外の一つの力を信頼するかどうかを見るために、すべての人を連れて行っています。人はみな、試練を通して光/真理に行く必要があるという品性の特性をまだ発見できていません。神は、その人々が酷く誘惑されて、自己満足な人々を許しています。彼らは自分達の弱さを理解できるでしょう。

 試練が私達に来て、私達が面前に見ることができる時、うまくいくことが少なくなります。しかし、すべての部分で犠牲の必要が迫って、私達は、厳しい事態にいて、どのようにサタンのほのめかしを受けるのでしょうか。もしも、私達がそのほのめかしを聞いたならば、神への不信仰が湧き起こるでしょう。そのような時、私達は、神がいつも主の施設のケア(管理)をしていたことを思い出す必要があります。私達は、主が行なった改革、主が行なった働きを見る必要があります。私達は、善意のしるし、天の祝福の根拠を集めましょう。こう言っています。「主よ、そなたに仕える者達である私達はそなたを信じています。私達は、そなたを信頼するでしょう。この出版所はそなた自身の手段/道具です。そして、私達は、勇気が挫かれず、しくじらないでしょう。そなたは、そなたが中心となって私達と繫がることによって、私達をたたえました。私達は裁きと正義を行なうために、主の道を守るでしょう。私達は神の働きを誠実に続けることによって、自分達の役割を行なうでしょう」。

                     

 もしも、私達に、困難が現れているところで私達の信仰が欠けているならば、私達は、どこかほかの場所でも信仰に欠けているでしょう。

                     

 私達の大きな必要は神への信仰です。私達が暗い側面を見ている時、私達はイスラエルの神、主を私達の手から失っています。人の心が恐れと臆測に開かれている時、前進の道は生け垣のような不信仰によって妨げられています。私達は、神がその働きを見捨てたと考えないようにしましょう。

 その道を妨げている人、この人はと想像しないで、主の働きのための道を備えるために主に信頼して、不信仰を語ることを少なくする必要があります。その時、あなた方は、キリストの中に安息を見つけるでしょう。あなた方が信仰を育てて、神との正しい関係に自分自身を置く時、また、あなた方の義務を行なうために、自分自身を励まして熱心に祈ることによって、あなた方は聖霊によって、働かされるでしょう。現在、未知の多くの問題は、神に信頼し続けることによって、あなた方自身で解決できるでしょう。あなた方は、不明瞭なままに苦しめられる必要はありません。なぜなら、あなた方は、聖霊のガイダンスの下で生きているからです。あなた方は確信を持って働きを行なって歩めるでしょう。

 もしも、私達がきれいな手と清い心を持てているならば、私達は、主が私達のためにすることができるという信仰以上にいっそう、私達は行なうことができるという信仰を少なくする必要があります(we must have less faith in what we can do and more faith in what the Lord can do for us, if we will have clean hands and pure hearts.)。あなた方は、主の働きを行なっていても自分自身の働きに繫がれていません。

 私達は、悪い思いを少なくして、疑いを少なくして、もっと率直な、もっと愛が必要とされています。私達は批判への備えを少なくする必要があります。神を不快にしているのはこのことです。その人の心は、愛によって優しくされて和らげられる必要があります。私達の[教会の]人々の能力の状態は、人々の心が神との正しい[関係で]あるという事実の結果です。主から疎外されていることは、私達の施設の状態が重荷を負っている原因です。

                       

 心配しないでください。状況を見続けることによって、困難と圧迫が来る時、不平を言うとあなた方は弱った信仰と不健全な信仰を現しています。あなた方の言葉とあなた方の働きは、あなた方の信仰が征服されないものであることを示しています。主は、源泉の中に豊かに持っています。主は、この世界の人々の所有権を持っています。主は、光と力と有効性を持っている人々を見守っています。主は、光を伝達しようとしている人々をみな祝福しているでしょう。

 主は、私達の教会の人々の成功がキリストの中で彼と共に隠されていること、また、その成功がその人々の全的な献身と従順、柔和と謙虚に依存していること、を理解するよう全ての人々に望んでいます。この教会の人々が偉大な教師の指導を受けて、その人々が主に求めているように、腕に筋肉を作る(権力を強める)のではなく、自分に死ぬこと、人間に信頼しないことを学ぶ時、主は、必要な時にはいつでも、その人々に助けを送る用意をしています。主は、判断においてその人々をガイドしているでしょう。主は、その人々にカウンセル(助言)を与えてその人々の右手(助け)となるでしょう。主は、その人々に「これがその方法です。それに歩んでください」と言うでしょう。

 責任ある地位にあるこの教会の兄弟達は、その働き人達に励ましと信仰を語りましょう。その舟の右側にあなた方の網をおろしてみなさい。[至聖所でのキリストの]調査審判が続いている限り、一つの聖別された、生きている教会によって行なわれうることを示しましょう。

                      

 私達は滅ぼす天使達と忠実な天使達との間の争闘、私達と目に見えない働きをしている者達との間で進行している大争闘を理解していません。すべての人間をめぐって、善天使達と悪天使達は抗争しています。これは、信じる闘いではありません(This is not make-believe conflict.)。私達が繫がっている闘いは、物まねの闘いではありません。私達は最も力の強い敵対者に立ち向かう必要があります。それは、私達が勝利を決意することを課しています。私達は、初代教会の弟子達が見つけた力を自分達の力として見つける必要があります。「それらの人々はみな、一つになって心を合わせて願いと祈りを続けていました」「突然、強い風が吹いたように、天から音が聞こえてきて、その音は、その人々が座っていた部屋中に響きました」「そして、その人々は、聖霊に満たされました」(使徒言行録1:14,2:2,4 KJV)

 天の恵みの約束はみな、義認の後に飢え渇く人々のためにあるので、落胆や脱落の言い訳がありません。その飢えや渇きによって、表される望みの激しさは、やがて切望しているものが与えられるような願いです。

 やがて私達は、神の働きを行なう能力があることに気づいて、主の知恵によって導かれるように従順になる時、主は私達に必要な物を全て与えるでしょう。

 主は、ほかの人々の知性や良心を通してあなた方に伝えるように働かないので、あなた方の知性や意思を聖霊があなた方に伝えることができる所に置いてください。知恵を求めて熱心に祈って、神の言葉をあなた方の研究課題にしてください。神に全てを明け渡して、清められる理由を相談してください(Take counsel sanctified reason, surrendered wholly to God.)

 シンプルさと信仰の中にいるイエスを見てください。真理の強い光の下で、その精神がかすむまでイエスを凝視してください。私達は中途半端な祈りをしません。私達は中途半端に信じません。「求めなさい。そして、それはあなた方に与えられるでしょう」(ルカ11:9 KJV)。祈って、信じて、お互いに力づけ合いましょう。神に満ちているすべてに満たされるように、古めかしい知識であるキリストの愛を知るために、あなた方がその高さと深さと広さと長さを知ることができるように、主がその手をあなた方の上に置いているように、あなた方は以前には祈らなかったように祈りましょう。

                      

 私達が試練に耐えるために呼び出されているという事実は、主が[私達の]発達を望んでいて、主イエスがとても貴い何かを私達の中に見ていることを証明しています。もしも、主が、それにより、私達の内に主の名がたたえられることが何もないと見たならば、主は私達を精錬するために時間を費やさないでしょう。[その時]私達は、キイチゴの剪定のような特殊な痛みを体験しません。キリストは、主の溶鉱炉に価値のない石stonesを入れることをしません。主がテストするのは価値ある鉱石oreです。

 鍛冶屋は、鉄ironと鋼鉄steelを高熱の火の中に入れます。彼はそれらが金属metalになる方法であることを知っています。主は、主の働きのために彼らを創り出して形成できるかどうか、彼らが属している気質を見ているので、苦悩の溶鉱炉の中に置かれるように、主の選ばれた人々を許しています。


 

16章 自己犠牲

 

 

 キリストの王国の律法は、とてもシンプルで完全です。それに人間が作ったものが加わったものは混乱を起こすでしょう。神への奉仕の働きの私達のシンプルな計画よりも、もっと、私達は成し遂げるでしょう。神の働きに世俗の方針を加えることは、災害と失敗を招き入れることです。シンプルさと謙虚は、主の王国の前進のために、すべての効果的な努力を特徴づける必要があります。

 その福音はすべての種族、言語、人々、国民に出て行くので、自己犠牲が維持される必要があります。託された立場にいる人々は、主の人々によって創られた基金を良心的に守って、忠実な家令/管理者として活動するように、あらゆる物事に取り組む必要があります。必要のないすべての出費を防ぐための配慮が必要です。特に外国の土地で、ほかの伝道地での働きを拡大するためにすべての無力な事例へのこの資金の提供について、私達は、不必要に資金を費やす入念でない用意をせず、慎重にする必要があります。資金は、かなたの地域への[現在の]真理の前進を阻む要因として、自分達の伝道地の施設の設立のためにその宝庫から引き出される必要はありません(Means are not to be drawn from the treasury to establish institutions in the home field, at a risk of crippling the advancement of truth in regions beyond.)

 神の資金は、あなた方の近辺だけでなく、海洋にある島々の遠くの国々で使われるためにあります。もしも、主の人々がこの働きに繫がっていないならば、神は、正しくも相応しくもない力をきっと取り除くでしょう。

 信徒達の間で多くの人々は、食べるための食糧をかろうじて得ています。また、その人々の深刻な貧困の中で、その人々は自分達の什一を持って来て、そして、主の宝として捧げています。それは、厳しい試みの状況で、神の目的を支えるためにあることを知っている多くの人々は、その出版所の資金として投資しました。その人々は、欠乏と困窮に喜んで耐えて、その働きの成功のために祈って見守りました。その人々の贈り物と犠牲の捧げ物は、闇から出して主の素晴らしい光の中に呼び出した主に心の熱い謝意を表しています。その人々の祈りと、その人々の施し物は、神の前に記念碑として立ち上っています。天に昇ることができるそれ以上の芳しい香りはありません。

 しかし、広い地域での神の働きは一つです。そして、同じ原則がその全ての部門で支配しているでしょう。それは、伝道の働きのしるしを伝える必要があります。その目的は、福音伝道地のすべての部門に関連しています。そして、一つの部門をコントロールしている精神は、その伝道地全体を通して考えられているでしょう。もしも、その働き人達の一部の人が多額の賃金を受けるならば、ほかの人々がいるその働きのほかの部門で、人々は高い賃金を求めるでしょう。自己犠牲の精神は弱くなるでしょう。ほかの施設は、同じ精神をつかむでしょう。主は利己主義を決して容認できないので、主の好意はその働き人達から取り去られるでしょう。このように、私達の積極的な働きは、終わりに来るでしょう。規則的に続く犠牲の捧げ物がなければそれ[主の働き]を前進させることは不可能です。世界中のあらゆる地域からの求めは、その働きを前進させるために、資金と人々を求めてきています。私達は、「あなた方は待つ必要があります。私達は宝庫に資金がありません」と言うのでしょうか。

 この働きから外れて、清めと実践に属していた人、この働きの成功のために自己否定と自己犠牲をいとわなかったある人々は、現在、墓の中で眠っています。その人々は、その霊的な生活の原則をこの教会に伝えた、主を代表する人々、神が託したチャンネルでした。その人々は、最も高度な価値のある体験をしました。その人々は、[魂を]買われたり売られたりされなかったでしょう。その人々の清さと献身と自己犠牲、神と繫がった生活は、主の働きを築き上げるために祝福されました。私達の施設は自己犠牲によって特徴づけられました。

 私達が清貧に苦しんでいた日々の間、それらの人々は、神がその目的のために素晴らしい働きをしたことを見て、神と自分達を繫いでいた聖なる鎖によって、その働きの関心と結ばれる以上に自分達に授けられる偉大な栄誉はないと考えました。その人々は、資金の見方の点から主との関係を築いて、重荷を降ろすことでしょう。ところが、いいえ、自分の地位を守るためのタイムサーバー(ろくな仕事をせず定年を待つ者)はみな、その働きを決して放棄しないでしょう。

 その働きを築き上げるための目的に捧げられた働きの歴史の初期の頃、信徒達は同じ精神/霊を吹き込まれていました。その人々は、その働きを成功させるため、自分達の全てのエネルギー、能力に属する精神と魂と体の臆することのない聖別、主の目的と繫がった全てが神の指示だと考えました。

 しかし、ある人々の関連からその働きは低下しました。一方で、それは、容易に拡大して発展しました。それは、聖に欠けていました。

 ソロモンの歴史について、私達のために一つの教訓があります。イスラエルの王の初期の生活は、期待に輝いていました。彼は神の知恵を選んでいます。そして、彼の国の統治の栄光は、この世界をさまよう者を昂奮させました。彼は神の品性に似た者としてずっと近づいて行って、品性から品性へ、力から力へと進んで行ったでしょう。しかし、彼の歴史は、なんと悲惨でした。彼は信託の最も神聖な地位に高められました。しかし、彼は不信仰を証明しました。彼は、自己満足、プライド(自慢の混じった自尊心)、自己称揚を伸ばしました。政策力と権力の自己拡大への強い欲望は、彼を異教の民との同盟という形態に導きました。信託の神聖を裏切り、オフルの金とタルシシの銀は、高潔な犠牲よりも恐ろしいほどの高額で調達されました。偶像崇拝者との協力は、彼の信仰を滅ぼしました。誤った一歩がほかの誤りに導きました。そこには、主の人々の安全のために、神が立てていた防護策を打ち壊すものがありました。彼の人生は雑婚制(一夫多妻)によって滅ぼされました。そしてついに、彼は誤った神々の礼拝に自分自身を与えました。高尚で清く、堅固だった品性が弱くなり、道徳的な無能を現しました。

 悪いカウンセラー達は、彼[ソロモン]が神を自分のガイドやカウンセラーとしなかったので、人々が選ぶ時、知性が自律していて、かつて高貴に統治していた人を望んでいませんでした(Evil counselors were not wanting, who swayed that once noble, independent mind as they chose, because he did  not make God his guide and counselor.)。彼の明晰な識別力は鈍くなりました。彼の初期の統治力と精神の思慮深さと良心は変化しました。わがままが彼の神でした。そして、その結果として、厳格な裁きと冷酷な圧政がそれ自身の呪いを目立たせました。自我の放縦によって実行された贅沢は、貧しい人々に情け容赦なく税を課しました。ソロモンは、聡明な王から、王の笏をふるって支配する王、暴君になりました。その国の民が崇拝する王だった時の一人の王、彼の言葉と行動は模倣されました。彼の手本は、十分に知られうるという結果の影響を及ぼしました。すべての働きはやがて、神の前で再調査される時に、すべての人はその身体で行なった行動に応じて裁かれるでしょう。

 神は、大きな光と優位性を持っていた人々の誤った行動をどのように負うbearことができるでしょうか。そして、また、彼ら自身が選んでいるその呪いと永遠の損害にどのように寄り添うことができるでしょうか。神殿の献納にあたって「それゆえ、あなた方の心は、私達の神、主によって完全になりましょう」(1列王記8:61 KJV)と厳粛に訴えたソロモンは、自分自身の道を選んでいます。そして、彼の心の中は、神から離れました。(箴言の書)の知恵――不朽の名声を与えられている真理――の最も貴い言葉を書くために主の霊が与えられ、かつて神によって与えられた精神/霊は、貴い知性と誘惑に屈服して悪と協力することを通して、効力のないものになって、道徳的な力は弱まりました。そして、ソロモンは自分自身を不名誉にして、イスラエルを不名誉にして、そして、神を不名誉にしました。この全体像を見る時、私達人間は、神から離れて危険な試みをする時になる姿を見ています。一人の誤った道は、最後の人の歩みよりも容易に進みます。このように、魂達はキリストよりもほかのリーダーについて行っていることが見られます。

                          

 私達の施設で地位を占めている人々はみな、テストされるでしょう。もしも、彼らが、キリストの模範に倣うならば、主は理解力と知識を与えるでしょう。彼らは、キリストの道にある素質と恵みに成長するでしょう。彼らの品性は主に似せて形成されるでしょう。もしも、彼らが主の道を保つことにしくじると、ほかの精神が、判断と知性を支配するでしょう。そして、人々は主なしに計画するでしょう。そして、自分の進路に進んで自分達の占めていた地位に残るでしょう。主の光が彼らに与えられた時、もしも人々がそれ[]から離れるならば、残るために、ほかの人々に賄賂を贈る人がいないようにしましょう。その人々は一つの罠、一つの妨害物となるでしょう。全ての者達は、篩われることができない者達が残り、篩われる者が篩われるようになるその時が来るでしょう。すべてのケースは、神の前での再調査に会います。主は、神殿とそこで礼拝している者達を測っています。


 

第4部 北アメリカ南部の伝道地で

「牧者が自分の羊の群れを捜すように、……私は主の羊達を捜すでしょう。そして、羊達が散らされていたすべての力から助け出すでしょう」(エゼキエル34:12 KJV

 

1章 北アメリカ南部の伝道地の必要

 

 

[1.命のパンに飢えている人々に会うでしょう]

 主は、私達が北アメリカの南部諸州の全ての層の人々のために、私心のない奉仕によって、主が私達に与えた以上のことを期待しています。この伝道地では、私達の前に、まさにドアを閉じています。そして、その中に、大教師のために行なわれる偉大な働きがあります。天使達が4つの風を引き止めている間に、この働きは、現在、行なわれる必要があります。無駄に失われる時間はありません。

 主は長く、その働きをするための手段/道具となる人々を待っていました。どれほど長く、主は「きょう、私のブドウ園に働きに行ってください」という呼びかけに応答する男性達と女性達を待たねばならなかったことでしょう。恵みのメッセンジャー達が必要です。単に、その南アメリカのいくつかの場所だけではなく、その伝道地全体です。富める人々も貧しい人々も、その光/真理を求めています。

 男性達と女性達は、現在、この伝道地の脇道や大通りの中で、現在の真理を伝えるために、自分自身を捧げる必要があります。神に仕えるために、自分自身を捧げる数千の人々がいます。主は、その人々を平和と希望のメッセンジャーとして、彼らを通して働き、彼らを受け入れるでしょう。

 その働き人達は、神の霊の確信に反対して、自分達の心を頑なにするような多くの人々に会うでしょう。しかし、彼らは、命のパンに飢えている多くの人々に会うでしょう。そのメッセージを受け入れる人々は、真理のタネを蒔くために出て行くでしょう。

 主がモーセにイスラエルの子らをエジプトから導き出すという働きを課した時、主は、彼に、保証を与えました。「確かに、私は汝と共にいるでしょう」「私の臨在は汝と共に行くでしょう。そして、私は汝に安息を与えるでしょう」(出エジプト3:12, 33:14 KJV)。同じ保証は南部の伝道地にいる主のために働きに出て行く人々に与えられています。

 私の兄弟、姉妹のみなさん、神と共に働きましょう。あなた方は、神の霊を授けられるでしょう。あなた方は、ほかの人々に、恵みを授けるために出て行きましょう。あなた方が受けた救い主の模範は、ほかの人々の善のために自己犠牲の努力をして、熱心に広めるために私達に霊感を与えているでしょう。主は、人間の必要について、弱ることのない奉仕者としてこの世界に来ました。失われた人類のための愛は、主が言ったとおりに死んで、すべての人のために現されました。主は、神性に人性を着ました。主は、人々の悲しみと人々の貧困を共有して、人々の一人として人間の間に立っているでしょう。彼が導いたのは、なんと忙しい人生でしょう。日々、主は、苦悩の中にいる人々に平和を、見捨てられた人々に希望を語って、悲しみと必要のある粗末な住まいの全体を見ているでしょう。これは、主が主の人々に求めている働きです。謙虚で恵み深く、心の優しく憐れみ深い主は、善意を行ない、倒れている者を起こして、悲しめる者を慰めて、良いことを行なうために出かけました。今日、主に来た人々は、援助なしに立ち去った人はいません。すべての人に、主は、希望と喜びをもたらしました。主は、行った所ではどこでも、祝福をもたらしました。

 私達は、神の前で自分を謙虚にする必要があります。なぜなら、主の教会のメンバーの僅かな人々は努力を尽くしていますが、その努力と比べて知恵においても、主は全力を尽くすことを望んでいるからです。主が私達に与えた機会、主が作った約束、主が授けた特権は、私達に献身と熱心の霊感を与えるでしょう。この教会に加わった人はみな、贖いの計画を伝えるために、多くの働き人となる必要があります。神の人々の力はみな、主のための息子娘達となることを伝えるよう献身する必要があります。私達の奉仕において、無関心も利己心も存在する必要がありません。自己否定からどこかに逸れることや、熱心な努力から何かに気晴らしすることは、かの敵に多くの力を与える手段です。

 

2.有色人へのアピール An appeal for the colored race

 北アメリカ南部諸州において、奴隷が解放されたという宣言[1865]は、クリスチャンの働き人達が神の愛のストーリーを語るために入ることによって門戸が開かれたでしょう。この伝道地には、貴い宝がありました。主の働き人達は、隠れた宝を探すように探したことでしょう。しかし、有色人達は[1896年の憲法修正による人権保障]の政策によって奴隷から解放されましたが、そのうちの多くの人々は、無知と罪の奴隷の中にいます。そのうちの多くの人々は、ひどく品位を落としました。警告のメッセージは、彼らに届いていないのではありませんか。神はそれらの人々に、大きな光と多くの機会を与えて、彼らに行なうようにと望みました。その人々がその働きを行なっていたならば、今日、南部の伝道地の中に、――教会、サナトリウム、学校――という記念碑があることでしょう。あらゆる社会層の男性達と女性達が福音の宴会に招かれたことでしょう。

 主は、南部の伝道地での難儀に悲しんでいます。キリストは、この難儀を見て、涙を流しました。天使達は、その人々を助けることについて、過去の奴隷状態であるゆえに、無力な人々を見てハープの演奏を止めました。神が神性の祭壇から灯した真理の松明を手にした人々は、罪の闇に覆われたこの伝道地に光を伝える働きが自分達に与えられていることに気づきませんでした。弱い立場の人々を助け出すことを拒んで、虐げられて貧しい生活の人を助ける働きから離れた人々がいました。キリストに仕える人々は、自分達の怠慢を償うために直ぐに始めましょう。自分達の汚点は拭い去られるでしょう。

 南部の伝道地の現在の状態は、贖い主が不名誉にされています。すべての国の民に福音を伝えるようにと語った時、キリストが弟子達に与えた宣教命令は、私達を信仰に導くでしょう。[それは]、成就されえないのですか。いいえ、いえ、キリストは、自分の宣教命令を成就するための力を持っています。主は、自分が引き受けた働きを行なうことが十分に可能です。あの荒野で、「それは書かれています」という武器によって闘いました。彼はかの敵が彼に対して持ち込んだ最も強い誘惑に立ち向かって勝ちました。彼は今、言葉の力を証明しました。失敗したのは、神の人々()です。主の言葉はこの現在の世界の人々の状態によって示されるはずの人の心に力がありませんでした。しかし、それは、人々が不従順を選んだゆえです。神の言葉が力を持っていないゆえではありません。

 

3.有色人からの叫び

 主は、奴隷にされていた有色人をあらゆる視点から、最も憐れみ深く、悲しみを持って見ていました。主は、私達にその人々のための私達の働きで、その人々の解放の祝福への権利、創造と贖いによって、私達との普通の人間関係、摂理としての奴隷解放を覚えておくことを望んでいます。

 少し前のある時、私は、夜の間に、南部の伝道地の働きが議論されていた集会にいる場面を[幻によって]見ました。ある質問が、知的な有色人の一人から出されました。「神はこの南部の有色人のためのメッセージを持っていないのではありませんか。有色人には、救われる魂がいないのではありませんか。新しい契約(新約)は、有色人を含んでいないのではありませんか。もしも、救い主が間もなく来るのであれば、この南部の人々のために何事かが行なわれたという時間がないのではありませんか」。

 誰かが言いました。「私達は外国の土地の伝道の必要性について質問していません。そうではなく、私達は、異教徒として疎かにされている多くの者達、自分達自身の国にいる数百万の人間のそばを通り過ぎて、現在の真理を持って叫んでいる人々について権利を質問しています。なぜ、この南部の有色人のためにわずかなことが行なわれているのですか。多くの無学で極貧の人々は、自分達の創造者・贖い主であるキリストを教えられる必要があります。その人々は、聞いたことがなかったキリストをどのようにして信じることができますか。その人々は、教える人がいなくてはどのようにして聞くことができますか。その人々は送られる人がいなくてはどのように教えられますか」。

 「私達は、この時代の人々のための真理を信じていると言う人々の前に、この問題を提起しています。あなた方は、光を照らされず啓蒙されていない所と人のために何をしていますか。なぜ、あなた方はこの南部の伝道地の人々の必要を深刻に考えなかったのですか。

 どうして、この人々が教育されうるようにと、計画を実行して責任を負って福音を伝える牧師を遣わさないのですか。救い主の宣教命令はこのことを教えているのではありませんか。ほんの少しだけ重荷を負うことを認めて、この働きから自分を離しておいて、クリスチャンだと言うことは正しいことですか。あなた方の医事伝道の働きの計画と海外伝道の働きの全てにおいて、神はあなた方に、私達のためのメッセージを何も与えなかったのですか」。

 主は、権威ある人を起こす時、そして、その南部での働きについて、主が与えた指導に注意を寄せる全ての人々に呼びかけました。主はこう言いました。「非常に多くの福音伝道の働きがこの南部で行なわれる必要があります。現在一人しかいない所に、100人の働き人がいる必要があります。

 「主の人々は、目覚めましょう。あなた方は、主がこの働きを重荷と考えなかった人々を祝福すると考えることができますか。また、主の働きを前進させる道に障害となる生け垣を立てるような方法を許さない人々を祝福すると考えることができますか」。

 それらの言葉が語られた時、深い感動が現れました。ある人は、伝道者として、自分自身を捧げました。一方、ほかの人々は黙して座していました。そのテーマについて関心があることを示していません。

 その時、この言葉が語られました。 「この南部は最も将来性のない伝道地です。しかし、この人々は、現在の状態からとても変えられるならば、有色人が奴隷から解放された後で、男性達と女性達は、自分達をケアする方法を人々に教えて、働いて当然のクリスチャンとして、人々のために働きました」。

 この南部の有色人達の状況は、キリストが世界の人々を救いに行くために天を去った時の世界の人々の状態と同じでした。彼は、人間性が深い罪と悲惨さに沈んでいくのを見てきました。彼は、男性達と女性達が道徳的に堕落させられて、品位が落とされていくのを知りました。そしてその人々は、もっといまわしく悪い行ないを好みました。天使達は、キリストが人々のための無益な仕事に見えることを開始することに驚きました。天使達は、たいそう罪深い人類に忍耐していることに驚きました。天使達は、愛のための余地がないことを見るでしょう。しかし、「神は、世界の人々をとても愛したので、一人息子を与えました。彼を信じる人は誰でも、滅びないで、永遠の命を持つでしょう」(ヨハネ3:16 KJV)

 キリストは、憐れみと赦しのメッセージを持ってこの地上にやって来ました。主が、自由人と束縛された人、黒人と白人、ユダヤ人と異邦人のそばの宗教のためにおいた源泉は、神の国には平等なものとして認められた共通の兄弟[姉妹]愛で共に結ばれています。救い主は、すべての人間のために際限のない愛を持っています。一人一人の中に、主は、向上の能力を見ています。神性のエネルギーと希望と共に、主は、自分の命を与えた人々に挨拶の声をかけています。主の力によって、その人々は聖霊の力に満たされて、良い働きの人生を豊かに生きることができています。

 

4.貧しい人々への福音

 私達に遣わされているその貧しい人々は、その人々のための働きから私達を邪魔しようとしているのではありません。キリストは、その貧しい人々や苦しんでいる人々の間を歩んで働くためにこの地上にやって来ました。その人々は主の熱い関心を分け合って受けました。そして、今日、主の人々の子らの中を、主は、苦悩を軽減して、苦痛を追体験して、困窮している貧しい人々を尋ねています。

 苦悩と困窮を取り除くために、私達は、天の父に共感して同情を知る方法と、神の憐れみと愛を理解する方法を持っていないでしょう。この福音は、極貧の地域と最も必要としている地域の人々にもたらされる時以上に、大きな愛の側面を表していないでしょう。それは、その福音の光が、大きな力となって、明るく輝いて出て行く時です。神の言葉から出る真理は、小百姓の掘っ立て小屋に入って行っています。義の太陽からの光線は、悩んでいる人や病人に喜びをもたらして、貧しい人々の粗末な小屋に輝きます。神の天使達は、そこに存在しています。そして、示されたシンプルな信仰は、夕食の1杯の水と一塊のパンを作っています。罪を赦す救い主は、無学な者と貧しい人々を歓迎しています。そして、天から下ってくるパンを食するようにその人々に与えています。その人々は命を飲んでいます。嫌われ見捨てられた人々は、信仰と赦しを通して、神の息子・娘として尊厳を高められています。その人々は、この世界の上に高く掲げられて、キリストの中で天の位置を占めています。その人々は、地の宝を持っていないでしょう。しかし、多大な価値のある真珠として見つけ出されました。

 

5.何ができるでしょうか

 この困難な伝道地で、私達の前にある問題は、この働きをなし遂げるためにはどんな方法が最善でしょうか。長年の無関心は、ほかの方法で行なわれていた以上にそれをもっと困難にしています。妨げが重なっています。

 医事伝道の働きの大きな前進がなされていたらよかったでしょう。サナトリウムが設立されていたかもしれません。健康改革の原則が宣布されていたらよかったでしょう。この働きは今、やっと始められようとしています。そして、その中に利己心の痕跡が一つもないものが伝えられようとしています。現在の真理が入っていけて、それがとどまり得ることを通して門戸が開かれるのは、献身と忍耐と熱心によって行なおうとする時です。

 この南部において、わずかしか教育を受けられなかった人々のために、教会メンバー達がいることによってなされる多くのことがあります。読み方を教えられる必要のある子ども達、女性達、男性達がいます。それらの貧しい人々は、神の知識を切望しています。

 南部にいる私達の人々は、雄弁な説教を待つために存在しているのではありません。その人々は、主が自分達の前に備えておいた働きに最善を尽くして始めるために存在しています。主は、雄弁術や高等教育を受けられなかった人々を通してさえ、謙虚で熱心な男性と女性の働きを受け入れるでしょう。私の兄弟・姉妹のみなさん、労するために賢明な計画を考案してください。そして、主を信頼して出かけましょう。

 自分達は才能と鋭い洞察力があるという考えを甘やかすことをしないようにしましょう。謙虚に始めて続けましょう。現在の真理に生きた説明を心がけてください。あなた方の勧めに神の言葉を使いましょう。その時、現在の真理は力を持っているでしょう。また、魂達は回心するでしょう。

 安息日を守る家族達は、この南部に移転しましょう。そして、現在の真理をまだ知らない人々の前で、その真理によって生活しましょう。その家族達は、互いに助け合うことができます。しかし、自分達の道に生け垣のような障害物を置かないように気を付けましょう。裸の者に服を着せて、空腹な者に食物を与えて、クリスチャンとしての助けの働きを行ないましょう。これは、説教による話よりも、強く感化を及ぼすでしょう。共感に関する言葉と同じく、行動が必要とされています。キリストは、慈しみと愛の行動によって自分のメッセージを与えるキッカケを作りました。それらの働き人達は、必要としている所に行って、機会ある毎に十字架の話をして助けるために戸毎訪問に出かけましょう。キリストは、その人々の教科書となる必要があります。その人々は、教理的なテーマが扱われる必要はありません。キリストの犠牲とその働きを彼らに話しましょう。自分達が生きている主の清らかさを現して、主の義を彼らに掲げましょう。

 真の伝道者は、キリストの知性によって力をつけられる必要があります。その人の心は、キリストのような愛に満たされる必要があります。また、原則に堅く立って、誠実でいる必要があります。

 多くの場所で、学校が設立される必要があります。優しく同情的な人々は、救い主に似ていて、苦悩や苦難の視点に触れています。神の言葉がすべての人々に理解できるような方法によって教えられるようにしましょう。生徒達がキリストの教えを学ぶことを勧められるようにしましょう。このことは、ほかの学習よりも理性(考える)の力を強め、知性を強めるでしょう。神の言葉と繫がる時に、能力にそのような活力を与えているものはないでしょう。

 綿花栽培の地域では、有色の人々が生計を得ることができるので、それが唯一の手段とならないようにする必要があります。その人々は、様々な作物を栽培する農業の方法、果樹の植え方と世話の仕方を教えられる必要があります。勤勉な努力は、その人々の能力が発達するために必要です。このようにして、その人々は神の財産なので、神に価値ある者に属しているという考えがその人々の中に目覚めるでしょう。

 有色の人々の間で、ある人は、有用な人としてすぐに適応して、人々のためにあまりに長く、[霊的な]無知の闇にいた思考力のある人として見られているでしょう。しかし、その人々は、神を知るように教えられでしょう。義の太陽からの光線の輝きは、その人々の知性の闇の部屋に射し込むでしょう。神の命と同じ命を持つ彼らの特権です。彼らの知性に高尚さと気高さを植えましょう。光と闇、聖と悪の間の違いを明らかにする生活を彼らの面前に送りましょう。一人のクリスチャンになるための意味について、あなた方の生活から読んでもらいましょう。神の御座から降りてきた特別な鎖は、最も深い底に届くように十分な長さがあります。キリストは、不道徳な住民をキリストの相続人、神の子ども達として、その人々が知識を得るような所で彼らを平穏にするために、低下した深い穴から引き上げることができます。

 多くの人々はとても落胆しています。嫌われ、見下されていたので、その人々は自制的になっていました。その人々は、キリストの福音を受けることや、理解する能力が見られています。また、神性の恵みの奇跡によって、その人々は変えられるでしょう。聖霊の働きの下で、無学な人々は絶望が消え去って、道徳的な高揚さが現れています。頭の鈍い、濁った知性は目覚めるでしょう。罪の奴隷にされている人々は解放されるでしょう。霊的な生命はよみがえって強められるでしょう。悪癖は消失するでしょう。そして、怠惰は克服されるでしょう。愛によって働く信仰を通して、心は清められ、知性は啓発されるでしょう。

 有色の人々の間には、知性が輝いて、素早い認識力を持っている人々がいます。有色の多くの人々は、信頼と信仰に豊な人がいます。神は、彼らの間に、ある日に、輝くような貴重な宝を見ています。

 有色の人々は、白人が受けて手にした以上の報いを向ける価値があります。教化され高められる可能性の知性のある人が大勢います。極貧の労働者や絶望していると思われる多くの人々は、自分達の仲間を教育する者となるでしょう。神の恵みを通して、かの敵が抑圧してきた世代、その人種は神が与えた男性らしさと女性らしさの尊厳を興すでしょう。

 主の園になるという展望が塞がれているように思えるこの南部の不毛の地に、主は望みを抱いています。私達の[教会の]人々は、過去を償って、目覚めましょう。この有色の人々のための働きの義務は、私達の上に重く課されています。私達は下層の人々になされた不正義が私達の力にかかっているのに、回復を試さないのですか。この南部への伝道者の数を増やさないのですか。私達はこの伝道地に入る準備をしている多くのボランティアについて聞いていないのですか。魂達を霊的な闇と無関心から連れ出して、私たちが喜んでいる素晴らしい光に連れて行くために、神は、主の呼びかけに応答している人々に主の霊/精神を注ぐでしょう。キリストの力によって、その人々は、天を喜びで満たす働きをすることでしょう。

                        

 「神、主は、こう言っています。見上げなさい。私は、どちらの羊も捜すでしょう。そして捜し出したならば……、私は自分の羊を捜し出すでしょう。曇っていても暗くなっても、散らされたあらゆる場所を捜すでしょう。……私は自分の群れに食べ物を与えるつもりです。そして、私は倒れている羊たちの理由を知るでしょう。主は言っています。私はいなくなった者を捜すでしょう。出て行った道を引き返します。傷ついて倒れた者に包帯をするでしょう。そして、病になった者に力を与えるでしょう。……私は平和の約束をその人々を結ぶつもりです。……そして、彼らのために、私の丘の周りを祝福の場とするでしょう。そして、私は人々の季節ごとに雨を降らせる理由となるでしょう。……このようにその人々は、私がその人々の神であり、私がその人々の中にいることを知るでしょう。……、そして、汝らは私の群れ、私の牧場の群れとなり、私はあなた方の神となります。神、主はこう言っています」。


 

2章 感化・影響を及ぼす諸センター

 

 

[1.与えられた天からの光]

 良い始まりがこの南部の伝道地に起こりました。伝道活動の進行につれて、主はその働きの前進のために素晴らしく働きました。様々な闘いがありましたが、勝利が得られました。好意的な印象が得られて、多くの偏見が取り除かれました。

 夜の間に[幻の中で]、私は主のガイドによって、南部の都市から都市へ、いろいろな所に連れて行かれました。私は、何年も前になされていたはずの――行なわれるための大きな働きを見ました。私達は多くの場所を見ているように思いました。私の最初の関心は、始まりがなされるために開かれた道で、人々のためにすでに設立されていた働きのいくつかの場所のためのものでした。私は、主の働きの前進のための施設があった場所を見ました。それらの場所の一つはグレイスビルで、もう一つはハンスビル[アラバマ州]でした。そこで、私達は職業学校をつくりました。それらの学校は主がそれらの施設を導いたので、助けと奨励を受ける必要があります。おのおのの学校は自身の優位性を持っています。

 天からの光が私に与えられました。私は、ヒルデブラン市での働きについて知りました。もしも、厳密に管理されていたならば、その都市が大きな祝福となるでしょう。私達は都市の人々の誘惑と都市から離れた地域に学校を設立しなければならないと、私は指導されていました。

 永遠だけがこの南部のほかの地点と[ミシシッピー州]ヤズー市とビックスバーグ市に小さい学校による有色の人々のために成し遂げられた働きを明らかにするでしょう。この伝道地で、私達はそのような多くの学校を必要としています。

 私達は、この南部で有色人と白人の両方の若者達の職業訓練と教育のための多くの施設を提供する必要があります。複数の学校は、その諸都市から離れた所に設立される必要があります。そこで、若者達は農作業で栽培の仕方を学び、そして、このように学校と自分を助けることができます。それらの学校と繫がることによって、すべての働きの様々な業務において、農作業や機械操作であれ、その場が保証する状況は発展させられる必要があります。そのような学校の設立のために資金を集めましょう。それらの学校の学生達は、神の祝福と教育を受けて、キリストに魂を勝ち取るように用意されるでしょう。もしも、学生達が救い主と繫がるならば、霊的に成長するでしょう。そして、主のブドウ園で働く価値ある働き人となるでしょう。

 私達の大きな学校は、小さなサナトリウムと結ばれる必要があります。その学生達は、医事伝道の働きの知識を得る機会を持てるでしょう。この働きの従事者は、通常の指導の一部として私達の学校にもたらされる必要があります。小規模のサナトリウムはグレイスビルとハンツビル[アラバマ州]にある学校と連携して設立される必要があります。

 

2.センターとしてのナシュビル[テネシー州]

 一つの人々として、私達はナシュビルでのこの働きに特別な関心を持つ必要があります。現在において、この都市は、この南部の伝道地で非常に重要な地点です。私達の兄弟達は、主が主の知恵によってそこだと彼らに指導したので、その南部の働きのための一つのセンターとしてナシュビルを選びました。そこは、[この働きを]開始するための気に入った場所です。私達の働き人達は、この南部のほかの多くの都市以上に、この市内での有色人のための働きを簡単に見つけることでしょう。この都市では多くの関心が、私達の信仰の属していない人々、有色の人々に持たれています。その都市の中と近くの人々には、有色の人々のために大きな教育施設があります。それらの施設の感化・影響は、私達の働きのための一つのセンターとして、この都市に私達のための道を備えました。

 現在の真理をナシュビルでの施設で学ぶために、入学方法entranceを見つける必要があります。それらの施設の中で、第三天使のメッセージが伝えられる必要のある人がいます。現在の真理のメッセージによって、学生達と教師達に関心が持たれうるすべては今、なされる必要があります。そして、それは、賢明で理解される方法によってなされるでしょう(Everything that can be done to interest these teachers and students in the message of present truth should now be done, in a wise and understanding manner.)。それを体験した者達から、教師達は有色の人々を助ける最良の方法について貴重な教訓を学ぶでしょう。

 現在の真理はまた、有色人のための益となる感化と資金を与える人々の前にもたらされる必要があります。その人々は、この人々を高尚にするために尊い立場を占めました。この人々は、教訓として、彼らのためになるような私達の働きの現れを見ようとしています。私達は、私達の働きに反して彼らの知性に存在している偏見を取り除くために、可能なすべてを行う必要があります。もしも、私達が注いだこの努力が神の意図に調和したものであるならば、彼らの間の多くの人々は、確信させられ回心するでしょう。主は、光を求めている人々の歩む道を照らす光を与えています。

 ナシュビル[テネシー州]はグレイスビルとハンツビル[アラバマ州]の近くにあります。ナシュビルにおける働きによって、グレイスビルとハンツビルの働きは人が確信させられ築かれるためにありました。グレイスビルとハンツビルは、そのそばで力づけられるため、そこでの働きを力づけるためにナシュビルの近くにあります。

 ナシュビルで始められた出版の働きは、神の[人類救済]目的と調和していました。南部の伝道地において、この時代の人々のための真理の出版物のための印刷所が、特に、この伝道地の様々な層の人々に合った内容の読み物を印刷する印刷所が必要とされていました。そして、南部で、出版の働きを担って前進させるためには、ナシュビル以外によく適した都市はありませんでした。そのような一つの施設を設立することは、再臨運動の一つの前進です。もしも、正しく管理運営されるならば、この施設は、多くの魂と南部における働きに特徴を与えるでしょう。また、現在の真理の知識を与える手段となるでしょう。ナシュビルのその出版所は、捧げ物や贈り物によって、一時、支援される必要があるでしょう。

 サナトリウムの働きもまた、ナシュビルで始められていました。これは、賢明に管理運営され、支援がなされる必要があります。医事伝道の働きは、福音の奉仕の働きの手助けになっています。現在の真理が入って行く道が開かれています。

                           

 私は、彼らの働きに危機的な時を招いてその力を弱めるような、彼らの資金と彼らの働き人を分離させるような方法で、今すぐ、新しいセンターと巨大な事業を性急に動かさないよう、この南部の伝道地にいる私の兄弟達に注意するよう指導されました。その人々は、人々の関心がもっと成熟に近づいたものになるまで待ちましょう。ナシュビルへの集積化の関心とグレイスビルとハンツビルでの事業が堅く設立される前に、新しい事業に入ることに急がないようにしましょう。

                       

 この南部では比較してみると、働きが行なわれたのはほんのわずかな場所だけです。多くの、多くの都市では何も行なわれていません。感化・影響を与えるセンターは、治療院や衛生的なレストラン、健康食品のストアの開店などによって、多くの場所で設立されるでしょう。それらは一つの開始が行なわれる前に、特別扱いされて行なわれる必要はまったくありません。この南部の働きに挑戦する人々は、その内容について、神がガイドしていることを覚えて祈りましょう。狭量な考えや利己心が現れないようにしましょう。この働きをシンプルに賢明に、節約して前進させる計画を建てましょう。


 

3章 働き人達への指導

 

 

 摂理の輪は、ゆっくりと、しかし、確実に回転しています。私達は、私達の主が「それは行なわれています」と言っていることは、どれくらいすぐかはわかりません。主の来臨は近くに寄っています。やがて、私達の働きのための機会は、永遠に過ぎ去るでしょう。私達が働くために許されて、ほんの少しだけ延ばされるでしょう。私の兄弟[姉妹]のみなさん、この南部諸州の中に神のための記念碑を設立する努力を熱心にしませんか。教会が建てられる必要があります。礼拝所が建てられる必要があります。小さい学校とサナトリウムが設立される必要があります。出版の財政が強められる必要があります。

 この南部の様々な場所で設立されるための働きに携わる人々は――神に任命された働き人として倹約して段階から次の段階へと健全に、この働きを前進させるような男性達と女性達、祈りと知恵のある男性達と女性達の必要があるでしょう。その状況は団結した努力と弱らないことを個人的に呼びかけています。

 

一つのレンガがほかの上に積まれました。壁は高くなっています。

一粒の雪がほかの上に積もりました。雪は深く積もっています。

 

 良い行動を忍耐して続ける――これは、私達のモットーになるために備えられています。このレースを走り抜いて勝利を得るまで、一歩いっぽ、前進して、私達は努力してやり抜くことを表明する義務があります。

 ナシュビルでの出版の働きが始められた時、負債を閉め出すことは、働き人達の目的の宣言でした。しかし、麦わらなしに粘土のブロックを作るという絶望的な努力の中で、私達の兄弟達は、この目的から分離するよう導かれました。その結果として、その働きは困難に巻き込まれるようになってしまいました。しかし、ナシュビルにおいて神の働き人達は、この目的に属しているので、落胆する必要はありません。その働きは注視する必要もありません。みんなで今、過去の過ちを避けるために熱心に求めましょう。借金に行く性癖に、有刺鉄線のフェンスのように反対して、自分達を守りましょう。みんなで、しっかりと言いましょう。「これからは、私達は、手元にある資金が許す範囲で、主が指し示す以上に急がないで進めるでしょう。しかしながら、この良い働きは、しばらくの間、待つ必要があります。新しい場所での始まりにおいて、私達は、主の目的が借金に巻き込まれるよりは狭い場所で働くでしょう」。

 現在の前進の状態で、この南部の伝道地でこの働きを行なうためにとても熱心に働いた人々の心が挫けないようにしましょう。みんなで、堅実な基礎、ナシュビルでの働きの場で最善を尽くしましょう。主は、とても行なわれる必要のあったことを行なうよう断固として努力した人々に訴えをしています。主の憐れみ、思いやりと愛によって、主は、その人々に恵みを与えました。主は、その人々を主と共に働く者として受け入れています。主は、そのすべての人々について知っています。その人々は、開拓的な働きを開始した時、火を通って来ました。神は、これまでに働きがなされていなかった伝道地で、伝道の基礎をおいて、主と共に働いた人々の中でたたえるでしょう。

 兄弟[姉妹]のみなさん、私達はこの南部の伝道地で私達の前に偉大な働きが広がっています。私達は、この働きを恐れて何年もしていたように、立ち続けていてはいけません。主が認めて指示している自己犠牲の努力をして一所懸命に働いて、断固として行なった人々がいます。主は、その人々を祝福しました。その人々は、ほかの人々を助けることに変えて、各世代[の人々]の岩[キリスト]の上に足を置くことを助けた人々を見ることによって報いを受けました。

 南部にいる私の兄弟[姉妹]のみなさん、イスラエルの神、主の名によって、人々を喜ばすことをやめるよう、私はあなた方に訴えますI ask you, in the mane of the Lord God of Israel, to quit you like men.)。主はその舵です。彼は、主に仕える者達に恵みを与えるでしょう。責任を委ねられた人々が、クリスチャンの団結によって、共に祈り、進めることは、主の目的です。団結によって、ほかの方法では得られない力と命があります。聖霊のコントロールの下でメンバー達のエネルギーが繫がれた時、教会の中に大きな力があるでしょう。その時、神は罪びと達の回心のために、主の人々を通して力強く働くことができるでしょう。

 神は生きていて統治しています。主は、主のために教化されるよう、無関心にされていた南部の人々のために道を開くでしょう。働き人達は、そこで主を助けるために、そして、主の真理を宣布することを共に喜んでいます。主はやがてやって来ます。それについて話しましょう。それについて祈りましょう。それについて信じましょう。その生活に生き方の一部を作りましょう。あなた方は反対する精神、懐疑主義に向き合う必要があります。しかし、これは、神の前に堅実で確固とした信頼の道を備えるでしょう(but this will give way before firm, consistent trust in God.)。困惑や妨害が自分達に現れた時、感謝の歌によって、魂を神に向けましょう。クリスチャンの力で守りましょう。あなた方の足は、「平和の福音を備えた靴を履いて」確たる者となりしましょう。熱心さと大胆さをもって、現在の真理を語りましょう。主は思いやりをもってこの伝道地を見守っていること、主はそれ自身が必要としていることと清貧を知っていることを覚えていましょう。あなた方が行なっている努力は、失敗を証明していないでしょう。

 この南部での私達の教会は、精神的なよみがえりをもつ必要があります。偉大で厳粛な働きがすべての教会メンバーの前にあります。そのメンバー達は、自己否定と自己犠牲によってキリストと親しくなるために存在しています。彼らについてくる人々に神の恵みのメッセージを与えるためにある一つの目標に向かって、ほかの人々の働きのために互いに敬意を持って、謙虚に防護して働きましょう。主が呼び掛けて導いている時に、ある人はこの方法で、また、別の人はある方法で働くことができます。しかし、神が人々に保つようにと託さなかった能力を利用して、神の栄光をたたえることができないという不満を言わないようにしましょう。神は、私達の手に預けた働きのための責任だけを求めています。一つのことをみんなが行えます。上り坂で押し上げようとしている兄弟達の手押し車の前に石を並べて置くように、働き人達の努力を批判することによって、ほかの人々が不必要なきつい仕事をするようなことは、避けることができます。もしも、誰かが操舵輪を彼らの肩に不本意ながら置く必要があるならば、働いている人々を妨げることを控えましょう。神は、働く仲間達を落胆させることを拒むよう人々に呼び掛けています。

 神の人々が、熱心に、謙虚に、自己犠牲的に働く時、彼らはヨブが語っている豊かな祝福を得るでしょう。「ある人が耳で私のことを聞いた時、その人は私を祝福しました。……死ぬ準備をしていた人の祝福が私にやって来ました。そして、私は、寡婦の心に歌と喜びを与えました。……私は貧しい者の父でした。そして、私は自分が気付かなかった目標を探し出しました」(ヨブ29:11-16 KJV)

 良い働きの祝福は、自分達の救い主のために自己を否定する人々が永遠の世界に入るよう付き添うでしょう。贖われた者達が神の玉座の周りに立つ時、罪と品位の低下から救われた人々は、挨拶の言葉と共に、自分達のために働いた人々の所に行くことでしょう。「私はこの世界で希望がなく神もいませんでした。私は罪と不正の中で死んでいました。私は霊的/精神的な食物と身体の食物に飢えていました。あなた方は、世界の罪を取り除く神の子羊を私に指し示しました」。

 この南部にいる私の兄弟[姉妹]のみなさん、強くなってください。ええ、強くなってください。もしも、あなた方が神の律法の聖なる原則を掲げるならば、圧政者とかすめ取る搾取者の手は、あなた方を悩まさないでしょう。かの敵が洪水のようにやって来る時、主の聖霊は彼に対して、あなた方のための一つの標準を掲げるでしょう。あなた方は一つの大切な働きに結ばれています。そして、あなた方は、その上から離れて弱らないように、あなた方の足を正しい道に向けて、祈りと見守りをして、心に留められるために存在しています。個人的な責任と考えて、神の栄光を誠実な目で見て働きましょう。神だけがあなた方の努力を成功に変えることができることを覚えておきましょう。

                         

 この伝道地で自分達の働きが成功するために、この南部の働き人達は、最も高い技芸に達する必要があります。個人的な祈り、家族の祈り、神を礼拝するための公的な場での祈り、――すべては、欠かせない達切な祈りです。私達は、主が働いたように、キリストと共に協力する必要があります。

                      

 キリストと団結すること、互いに団結することは、唯一、私達の安全です。私達の教会に、「互いに嫌って、キリストの旗の下に立っている人々を見てください。私達は、自分の力で戦うのに比べると、彼らが仲間の間で戦って力を費やしている間は、彼らの恐いものは何もありません」と指摘して、サタンのために可能性を作らないようにしましょう。

                      

 私達は、過去の失敗を避ける方法を過去の体験から学ぶ必要があります。私達は私達の天の父に「誘惑に会わせないでください」と祈っています。そして、その時しばしば、私達は、誘惑に自分を導くことに対して、私達の足を見守ることにしくじっています。私達は簡単に打ち克っている誘惑から離れている必要があります。私達の成功は、キリストの恵みを通して私達自身によってもたらされています。私達は、自分達が原因となって、ほかの人々がとても悲しむようなつまずきの石を取り除く必要があります。

                         

 新しい場所で、この働きを設立することによって、あらゆる可能性のある方法によって節約しましょう。断片を集めましょう。失われるものをなくしましょう。魂を救う働きは、キリストが注目して見つけ出した方法で進められる必要があります。彼はこう言いました。「誰かが、私の後をついて来たいと思うならば、その人は、自分自身を否定して、そして、自分の十字架を負って私についてきてください」(マタイ16:24 KJV)。この言葉への従順によってだけ、私達は主の弟子になることができます。私達は地上歴史の終わりに近づいています。神の働きにおいて、様々な分野の働き人達は、かつて現した以上に多くの自己犠牲によって前進する必要があります。

                      

 私達は、この世界で互いに助け合うために生きています。キリストの働きの中で、縄張りのような一線はありませんでした。主の働きで現在、そのような境界線を作ることを企てている人は、「主よ、私に新しい心を与えてください」と祈った方がいいでしょう。その人々がキリストの知性を持っている時、まだ、働きが行われていない主のブドウ園の多くの地域を見ることでしょう。「私達の資金は、私達の手元にある財産で伝道を進めるために必要とされています」とは決して言わないでしょう。

 日々、人間達は、死か命かの質問をして決心しています。永遠の命か永遠の死かを決心しています。そして、また、主に仕えると告白している多くの人々は、少し大切な内容に注目して、自分達の時間を占めることに満足しています。その人々は、大教師に仕える者として献身していたならば、手を焼く子ども達の家族のように奮闘しないことでしょう。すべての人々は、キリストの十字架を伝えるものとして、魂と心に働く義務の立場に置かれているでしょう。聖霊は、働き人達の心に宿っているでしょう、そして、義の働きは、行なわれるでしょう。その働き人達は、目覚めた教会の共感と祈りの奉仕へと導かれるでしょう。その人々は、キリストから自分達の指示を受けるでしょう。そして、満足のための時間はないでしょう。

 メッセージは、神性の祭壇からの生きた炭によって触れられた口から来るでしょう。熱心に、清められた言葉が語られるでしょう。謙虚、砕かれた心の祈りが天に昇るでしょう。働き人達の一つの手がキリストを捉えている一方で、彼らは、救い主に人々を引き寄せて罪びと達を捉えているでしょう。

                         

 「あなた方の内の一人が、100匹の羊を飼っていて、そのうちの1匹がいなくなったならば、99匹を野原に残して置かずに[小屋に入れて]、それを見つけるまでいなくなった羊を捜しに行くでしょう。そして、それを見つけたならば、彼は隣人達と友人達を呼んで、‟私と共に喜んでください。私は、いなくなった羊を見つけました”と言うでしょう。私はあなた方に言います。同じような喜びが悔い改めを必要としない多くの人をめぐる以外に悔い改めた一人の罪びとをめぐって、天に喜びがあるでしょう。さらに、ある女性が銀貨10枚を持っていて、1枚をなくしたら、ロウソクの明かりを消さないで[灯したままで]、家の中をほうきで履いて、それを見つけるまで、懸命に探すでしょう。そして、彼女がそれを見つけたならば、彼女を友人達と隣人達を共に呼んで、‟私と共に喜んでください。私はなくした銀貨を見つけました”と言うでしょう。同じように、私はあなた方に言います。悔い改めた一人の罪びとをめぐって、神の天使達の臨在の中で喜びがあるでしょう」 [ルカ15:3-7 KJV参照]


 

4章 善意で励ましてください

 

 

 この南部で働いている人々に、私はこう言いましょう。その働きの弱さが現れることによって、勇気が挫かれないようにしましょう。あなた方の勝利が脅かされた時、困難に対して奮闘してきました。しかし、神の助けによってあなた方は前進が可能になりました。もしも、私達の信徒の層がみな、それは重要なセンターになって以来、様々な場所にその働きが設立された過去数年にあった困難がどれほどかを知っていたならば、彼らは、約束されていない状況に直面することと、両手を天に向けて、私達が失敗しないだけではなく、失望もしないと叫んだこと、勇気を湧きたたせることに気づくでしょう。困難な伝道地と新しい時で挫けなかった人々は、開拓的な働きの困難さに気付いていません。もしも、彼らが神の働きを理解できていたならば、彼らは、行なわれたゆえに、単に喜ばず、その働きにある未来の喜びの理由を知るでしょう。

 私の兄弟[姉妹]のみなさん、失望のための理由はありません。良いタネが蒔かれています。神はそれを見守っているでしょう。それが芽を出して成長する理由となって、豊かな収穫を生み出すでしょう。魂を救うための事業の多くは、始まりにおいて、非常に困難な中に前進してきました。

 私は[主から]あなた方に、「防御しながら進みなさい。主が指示したことをいつも行ないなさい」と言うように指導されました。主は、主に仕えて、主を愛する人々と共にいるということを確信して、勇気をもって前進してください。主は、主の約束を守っている人々の味方として働いているでしょう。主は、とがめるようなことを許さないでしょう。主は、主に自分自身を明け渡す人々を清めるでしょう。そして、地において、彼らに賛美を授けるでしょう。この世界において、主の教会として、神のためにあえて必要な物は何もありませんNothing else in this world is so dear to God as His church.。主は、謙虚で忠実な人々を通して力強く働くでしょう。キリストは、あなた方に今日、「私は、あなた方と共にいます。あなた方の忠実さと協力しています。努力を信頼しています。あなた方に貴い勝利を与えています。私は、私への奉仕のためにあなた方を清める時、あなた方を力づけるでしょう。罪と不正の内に死んでいる魂を生き返らせるための努力に、私はあなた方の努力に成功を与えるでしょう」と言っています。

 私心のない愛と不動の信仰は、攻撃的な争いを防ぐ義務の道に立ち上がる困難に勝利するでしょう。この信仰によって、霊感を吹き込まれた人々は、魂を救うための働きに出て行きます。その人々は弱ることなく、巡り歩くでしょう。また挫けることなく歩むでしょう。

 私はあなた方に勧めましょう。もしも、あなた方が正しい基準で働きているならば、神はあなた方の敵達をあなた方が平安になるようにするでしょう。主は、あなた方を力づけて支えるでしょう。神との約束をしたあなた方は、あなた方の言葉をよく守るでしょう。「ある人が言葉で不快がないならば、完全な人と同じようなものです」。そしてまた、全身を御することが可能です」(ヤコブ3:2 KJV)。報復的な講話は勝利を得る考えの人にしないことを覚えておきましょう。あなた方を通して、キリストを語りましょう。不正のない考えから来る確信を失わないようにしましょう。

 祈りはあなた方の力の源であることを覚えておきましょう。ある働き人は、忘れられたり無関心にされたりに恐れて、何者かを追い求めることに夢中で自分の祈りに慌ただしくしている間に、成功を得ることができなかったことを覚えておきましょう。ある人は、神への少し急いだ考えだけを与えています。その人は、体と精神の力を再生するため、祈るため主を待つための考える時間を取っていません。その人はやがて、弱るようになるでしょう。その人は、神の感化を授けられて高尚にされると考えていません。その人は、新しい命に生き返らされていません。その人の冷笑的な気分と疲れた脳は、キリストとの個人的な連携による落ち着きもありません。

 「私は言います。主を待っていてください。強く勇敢でいてください(詩編27:14 KJV)。「主の救いを静かに待つことと希望の両方は、人にとって良い事です」(哀歌3:26 KJV)。行なわれる必要があるように見えることをするために、主は、「私の所に来てください。……そして、私はあなた方に安息を与えましょう」(マタイ11:28 KJV)。と人々に言って、重荷を負って苦しんでいる人々、弱っている人々を同情して見ています。

 神に仕える働き人達は、混乱、不満、疲労に出会うでしょう。時には、自信がなく、当惑させられます。その人々は、ほとんど絶望しています。この不安な臆病が来た時に、キリストの招きの言葉を思い出しましょう。「主は、弱々しい者達に力を与え、力量のない者達に知力を増し加えます」(イザヤ40:29 KJV)

 困難は、あなた方の信仰と忍耐を試すでしょう。これらに勇敢に向き合いましょう。喜ばす方法を見ましょう。もしも、その働きが妨げられたならば、それは、あなた方の失敗ではないことは確かです。そして、前進していく時、主によって喜ぶでしょう。天は喜びに満ちるでしょう。それは、人類の贖いのための素晴らしい犠牲を作った主を賛美するこだまです。地上の教会は、賛美に満たされる必要があるのではないですか。クリスチャンはキリストに仕える喜びを世界の人々に出版して教えるべきではありませんか。賛美の聖歌によって天使のような聖歌隊と結ばれる天の人々は、天の歌を地上で学ぶ必要があります。その主音は感謝です。

 あなた方の勇気は決して失敗にしないようにしましょう。現れているものはあなた方に反対しているので、決して、不信仰を口にしないようにしましょう(Never talk unbelief because appearances are against you.)。あなた方が大教師のために働いている時、あなた方は資金の必要のプレッシャーを感じているでしょう。しかし、主は助けのための願いを聞いて応えるでしょう。あなた方の言葉はこうでしょう。「主、神は、私を助けるでしょう。それゆえ、私はうろたえないでしょう。それゆえ、私は火打ち石のようにしました。そして、私は辱められないことを知りました」(イザヤ50:7 KJV)。

 もしも、あなた方が間違いをしたならば、あなた方の敗北を勝利へと向きを変えましょう。もしも、私たちがなすべき時に助けを提供することをよく学んだならば、神はいつも教訓を送っています。神に信頼を置きましょう。たくさん祈って信じましょう。無限の力の手を堅く捉えて、信じて希望をもって信頼しましょう。あなた方は勝利者以上の者となるでしょう。

 真の働き人達は、信仰によって歩んで働きます。時々、その人々は、善と悪の勢力の間で酷い賃金争いがある時に、その働きの進み方が遅いのを見て弱気になっています。しかし、その人々は、落胆や失敗を拒否するならば、不安の雲が消えて、その約束の成就が果たされるのを見るでしょう。サタンが彼らを取り囲んだ霧を通して、太陽の光線の輝きを見るでしょう。

 信仰によって働きましょう。結果を神に委ねましょう。信仰によって祈りましょう。主の摂理のミステリーは、その答えをもたらすでしょう。一時、あなた方は成功できないように見えるでしょう。しかし、あなた方の信仰・希望・勇気の中に、働きと信仰を置きましょう。あなた方ができることを行なった後で、主の忠実さを求めて、主を待ちましょう。主は、通り過ぎるために、主の言葉を持って来るでしょうand He will bring His word to pass.。ゆるぎない信頼とひるまない信仰によって、心配せずいらだたないで、待ちましょう。

 「もしも、神が私達のためにいるならば、誰が私達に反対することができますか。主は自分自身の息子を手元に残すことをせず、私達全てのために一人息子を与えました。主は、全てのものをたくさん私達に、主と共に与えないでしょうか。……誰がキリストの愛から私達を引き離すでしょうか。苦悩、迫害、飢え、迫害、危難、剣でしょうか。……いいえ、これら全てのものにおいて、私達は、私達を愛した主を通して勝利者以上の者です。私は確信させられています。死も命も、天使達も支配権も権力も、現在のものもやがて来る事柄も、高いものも低いものも、造られたどんなものも、私達の主キリストイエスにある、神の愛から私達を引き離すことができません」(ローマ8:35-39 KJV)。


 

第6部 重責を担う人々への勧め

「すべての人は賜物を受けたので、神のいろいろな恵みの良い家令として、互いに同等に奉仕の務めを果たしましょう」(1ペテロ4:10 KJV)

 

1章 牧師達とビジネスの内容

 

 

1.牧師はビジネスから解放

 私は[主から]私達の教会の牧師達が、ビジネスマンに負わされる重い責任からの解放が保たれる重要性について指導されていました。夜の間に、私は、この働きの重責を担う、私達の多くの兄弟達が構成している会議の中にいました。彼らは、財政的な問題をめぐってとても悩んでいました。そして、最もうまく管理運営することについて相談していました。ある人は、本質的な全ての結果は実際のものとされてand yet all the results essential be realized.、多くの働き人達が制限されるのが良いと考えていました。ある責任の地位にいた兄弟は、達成したことを見るために、自分の希望を述べて、自分の計画を表明しました。ほかの数人は、熟慮のための問題を提起しました。その時、権威と威厳のある御方が立ち上がって、私達のガイダンスのための原則を述べて進めました。

 数人の牧師達のためにそれを述べる御方はこう言いました。「あなた方の働きは、財政的な内容を管理運営することではありません。このことに着手することは、あなた方のために賢明ではありません。神は、あなた方が負うための重荷を負っています。しかし、もしも、あなた方が担わされていない働きの責任を負うならば、御言葉を示しているあなた方の努力は不成功を証明しています。これは、あなた方に、私心のない判断、健全で慎重な認識力を求められている働きで、あなた方な行なうべき真の働きのためにあなた方を不適切にするという失望をもたらすでしょう」。

 御言葉を話すことや書くことのために働いている人々は、ごくわずかの人が委員会の会議に出席しているでしょう。彼らは多くの細かな内容をビジネスの能力のある人々に委ねて、生来の知性の活力を消耗させるような緊張の連続を避ける必要があります。生来の知性は身体の活力に大きく依存しているので、彼らは、もっと、身体の健康の維持に注意を注ぐ必要があります。適切な睡眠時間と休息、十分な身体の運動は知性と体の健康の本質的な要素です。人が、4時間、3時間、2時間でも働きをする時間を許して、回復と休息のための身体の生来の時間を失うことは、取り返しのつかない損失という結果になるでしょう。

 

2.ビジネスに従事する人々の教育

 人のある地位への相応しさは、ほかのいくつかの地位を果たしていることにその人の資格があると考える人々は、この働きを前進させるための立案時に、間違いをしがちです。彼らは、数人の人々の間に分けるべき重荷とケアを一つの地位の人間に置きがちです。

 経験は大きな価値があります。主は、主の働きに繫がった知的な人々、私達のカンファレンスや施設で信頼される様々な地位のために資格のある人を持つように望んでいます。特に、すべてのビジネスの取引に現在の真理の原則を適用する人々、献身したビジネスマンを必要としています。財政的な業務の責任を負う地位の人々は、不適格な人々に託されているビジネスの管理も能力のない人が負う責任も、ほかの重荷の責任も負うべきではありません。この働きの責任を負っている人々は、重要な財政的な資産を管理するために、時々、能力と機転を欠いている人々の任命を許すという間違いをしました。

 ビジネスの業務に就くことを約束している人々は、高度な訓練と研究を通ることによって、自分達の才能を完全に発達させる必要があります。彼らは、正しいビジネスの原則と方法の知識を得ることができる生徒として自分達のいる場所で奨められる必要があります。初心者になる必要があって繫がったビジネスマンは一人もいません。働きの何かの業務についている人々が、有能と賢明になるための機会と改善の必要があるならば、私達の世界で神の王国を築き上げている働きに自分達の能力を用いている人々です。私達が地上歴史の終わり近くに生きているという事実の見方をすると、絶えず警戒して、待望する、見張る、祈るという働きを通して、偉大なものがあるでしょう。

 

3.本質的で、正しい原則

 ビジネスの業務に就いて労働している人々は、間違った原則や方法を通して過ちに陥ることに対して、すべての人々は警戒する必要があります。それらの記録はバビロンの法廷にいたダニエルのようになるでしょう。その人のビジネスの取引はみな、綿密な調査が終わるための対象とされた時、誤った品目は一つも見つけられないでしょう。彼のビジネス人生の記録は不完全だけれども、研究の価値のある教訓を含んでいます。ビジネスマンは、人間の指針や策士を必要としていません。その人は、すべての段階で、神の指導を受けた人間となるでしょう。ダニエルは、バビロンの王国の最高の奉仕者の間、天の霊感を受け、光を受けている神の預言者でした。彼の人生はすべてのクリスチャンビジネスマンがなりうるように描かれています。

 神は、燃やし尽くされる犠牲が祭壇に載っていて、自我が生きている限り、最も豪華な奉仕を受け入れていません。その根本は聖になる必要があります。また、唯一、神に受け入れられ得る健全な果実、健全となることができません。心は回心されて、聖別される必要があります。その働きは正しくされる必要があります。家の中のランプは金の管から金の受け皿に油が注がれるように、天のメッセンジャーから注がれる油が供給される必要があります。主のコミュニケーションは決して無駄に人間にやって来ません。

 現在の真理、生きている真理は、私達に開かれているこの世界と永遠の世界の両方に、人間の永遠の良好な状態に結ばれています。「そなたの真理を通して、彼らを清めてください。そなたの言葉は真理です」(ヨハネ17:17 KJV)。神の言葉は実践されるためにあります。それは生きていて、永遠に耐えるでしょう。世俗の野心、世俗の偏見、人々の目的と遠大な目的は草のように滅びるでしょう。「賢明な者は、大空の輝きのように輝くでしょう。そして、多くの人々を義に導く人々は、星のように輝くでしょう」(ダニエル書12:3 KJV)。

                    

 この時代の神の目的は、よい行政的管理能力と稀で適切な能力のある男性と女性を必要としています。忍耐強い男性達と女性達、様々な伝道地で働く必要を調査することを通して、働きのための大きな能力を持っている人々、健全な考えや感覚と偏らない判断、利発な頭脳、優しい心、温かい能力のある人々、提案において、アーメン、ハイやイイエを恐れず言えて、神の霊/精神によって清められている人々、清い共感の心、明晰な理解力、強い確信を持っている人々、「汝らはみな、兄弟[姉妹]です」との言葉を実践した人々、これらの人々は、品位を落とした人間性を回復して高めるために努力しています。


 

2章 神と語るための時間

 

 

 私達の牧師達に関する特別な指導が[主から]私に与えられました。牧師達が金銭的に豊かになるよう求めることは神の意思ではありません。彼らは、このことが霊的な事柄の最良の力を与えるために適していないので、世俗の事業に繫がるべきではありません。しかし、彼らは自分達と家族を支えるために十分な賃金を受ける必要があります。彼らは自分の家族によって、この教会に適切な注目を与えることができないという多くの重荷を持つ必要もありません。それは、主のために自分の子ども達を教育訓練する特別な義務があるためです。

 委員会の会議や委員の会議に参加して、夜遅くに座していて、あちこちに出向いて、牧師がいつもビジネスの従事者達と働いていることは、大きな間違いです。これは、彼に疲労と落胆をもたらしています。牧師達は命のパン、この豊かな栄養を神の言葉から得るために休息の時間を持つ必要があります。彼らは生きている水の流れから慰めの新鮮な一杯を飲む時間を必要としています。

 牧師達と教師達は、自分達が最良の力で働きを進めるために、自分達の最善な能力で任務を果たすために、神は彼らに責任を負わしているということを覚えておきましょう。彼らは神が彼らに与えた働きと奮闘するという義務を引き受けるために祈るのではありません。

 牧師達と教師達が財政的な奉仕の重荷の下で圧力を受けると、神経がすり減って頭脳が弱った状態で教室や説教壇に立ちます。神聖な神の灯し火の代わりに普通の火が利用される以外に、何が期待されうるでしょう。疲労してボロボロになった努力は、聴衆と傷ついた話し手を失望させています。彼は主を求める時間がありませんでした。また、聖霊の慰めとなる信仰を求めるための時間がありませんでした。

 神の働き人達の努力は、たぶん、成功するでしょう。彼らは主だけが与えることのできる効果と恵みを受ける必要があります。「求めなさい。汝らは受けるでしょう」(ヨハネ16:24 KJV)は、その約束です。聖霊の感動に知性を開いて求める時間を取らない時、魂は命の新鮮な提供物を受けますか。キリスト自身は、機会がある時はいつも多くの祈りをしました。彼は神と共に一人になるためにある所に行きました。私達が神の前に謙虚に祈りの膝をつく時、主は、主の人々に、聖書の真理を与える働きのために彼を清めて、その祭壇から私達の口に生きた炭火を置きます。

 私は[主から]私の仲間の働き人達に言うように指導されました。もしも、あなた方が、天の宝を豊かに持っているならば、あなた方は、神との神聖な一致を持っている必要があります。あなた方がこのことをしない限り、あなた方の魂は、ギルボアの丘[2サムエル1:21]の露や雨のように、聖霊が欠如するようになるでしょう。あなた方が、あることからほかのことに急ぐ時、あなた方は神と語るための時間を取ることができないで、することを多く持っている時、あなた方の働きの中に、あなた方は力をどのように期待できますか。

 私達の牧師達の説教の時間がとても多く、講話に命のない理由は、彼らが自分達の時間と注目に世俗の様々な性質の事柄を許しているからです。恵みにいつも成長している限り、私達はその状況に適切な言葉を待っているでしょう。あなた方自身の心と語り合いましょう。そして、神と語り合いましょう。あなた方が、この事をしない限り、あなた方の努力は実を結ばないでしょう。清められない忙しさと混乱が生じるでしょう。

 牧師達と教師達は、霊的に豊かな香りとなるようにしましょう。それに普通のことを混ぜることによって、普通のものを作ってはいけません。前の方へ、上の方へと進みましょう。主を畏れて完全に清めと精神に属して、身体に属してあらゆる汚れからあなた方自身を清めましょう。

 私達は毎日、回心する必要があります。私達の祈りはもっと熱くなる必要があります。その時、その祈りは、もっと効果的なものになるでしょう。私達の確信をますます強くしましょう。神の霊/精神は、私達と共にいて、レバノンの杉のような香りを放ち、真っすぐに立って、聖化と清めをなしているでしょう。

                       

 福音を伝える牧師達は、政治や宗教に関係ないことなどすべての事柄から解放されて、クリスチャンの努力に沿った能力と時間を使って、自分達の役目を保つ必要があります。

                       

 教会の働きと繫がったビジネスの内容の管理[の役割]を与えることによって、牧師を一つの地位に固定することは、彼の霊性に貢献しません。これを行なうことは、使徒言行録6章[食事係の7人の執事]の方針にある聖書の計画と調和していません。それは神に是認されているので、この計画を研究してください。御言葉に倣いましょう。

                       

 命の言葉から出たことを捉えている人は、自分に課される多くの重荷を負いすぎることを許そうとしません。その人は、自分を省察するため、御言葉を研究するための時間を取る必要があります。彼が自分自身の心をよく調べて、主に自分を捧げるならば、彼は神の隠れた事柄の捉え方をよく理解するでしょう。

                       

 私達が行なうべき、私達の兄弟達の考えの何かをすることを断って、私達を最も喜ばす働きを選ぶのではなく、私達は、「主よ、私達が行なうべきことについて、そなたの意図は何ですか」と問う必要があります。生来の性癖が私達に従うことを促す方法を強調するのではなく、私達は「主よ、そなたの道を私に教えてください。そして、平安な道に私を導いてください」(詩編27:11 KJV)と祈る必要があります。

                       

 都市の働きにおける財政の詳細。私達の牧師達は、ビジネスと財政の事柄だけを教える必要があります。何度も繰り返して、私は[主から]指導されました。このことは、奉仕の働きthe work of ministryではありません。牧師達は、都市での働きにおいてさえ、ビジネスの細部の重荷を負うためにいるのではありません。しかし、また、彼らは、特に、私達のキャンプミーティングに参加している間に、目覚めさせられたメッセージに関心のある場所を訪れる用意をする必要があります。それらの集会が進行している時、私達の働き人達は、都市での働きの様々な働き人達と繫がったビジネスの内容に加わるために残らなければならないと考える必要のある人はいません。それだけではなく、彼らはこの種の働き[伝道活動]を行なうためにキャンプミーティングからすぐに去る必要があります。

 私達のカンファレンスの要請によって、これらの人々は都市のための財政的な細部を追求しているビジネスマンを見つけることでしょう。もしも、そのような人々を見つけることができなかったならば、それらの重荷を負うために人々を訓練することを提供する施設にしましょう。

 聖別された財務担当者達。スカンジナビアでの施設の人々は、彼らが今いる立場を取る必要はありませんでした。そして、彼らは、行なっていたはずのことを行なわず、何年も前に、アメリカにいる私達の兄弟達が取った立場にいません。[アメリカで]ビジネスに従事した経験のある一人の男性は、帳簿係の実際的な知識を持っていて、ヨーロッパの私達の施設の責任を担う管理者として遣わされました。もしも、この働きが一人の人間ではなく多くの人を求めたのであれば、もっと多くの人が遣わされたはずです[がそうではありませんでした]。このようにして、何千ドルもの費用が節約されました。

 そのような人々が、アメリカでの私達の働きにおいて、働きに就く必要があります。神に献身した人々、天の原則が何かを知っている人々は、神と共に歩む意味を学んだ人です。そのような人々が私達のカンファレンスと施設の財政業務を管理したならば、今日、財産として多くの資金があるでしょう。そして、私達の施設は、現在、神が宣言したように立っているでしょう。彼らは、自己犠牲と自己否定によって働きを助けて立っているでしょう。


 

3章 奉仕の働き the work of ministry

 

 

 収穫に向かって色づいている多くの伝道地は、私達の自己犠牲の助け手達が不足していたので、まだ、入って行かれていませんでした。それらの伝道地は入られる必要があります。そして、多くの働き人達が自分自身で費用を工面することを期待されて伝道地に行く必要がありました。しかし、私達の牧師達のある人は、この働きの重荷を自分で負うことにわずかにその気にさせられただけです。私達の主の生活の特徴である心からの慈しみを持って働くことに少しその気にさせられているだけです。

 神は主の働き人達に、忍耐強さと自己否定が欠如しているのを見て、悲しんでいます。天使達はその惨状に驚いています。キリストのための働き人達は、自己犠牲の主の生活を研究しましょう。主は私達の手本です。今日、牧師達はすべての地に神の福音を伝えるための自分達の尽力において、初代のクリスチャン達、ワルデンセスの人々、あらゆる時代の改革者達が行なったより少ない困窮に耐えるように呼び出されることを期待できますか。

 神は、世界の人々に主の最後の憐れみのメッセージを宣布する働きを、主の牧師達に託しました。主は、この全ての重要な働きの中に自分達のすべてのエネルギーを注がない人々によって不快にさせられています。シオンの城壁の見張り人として任命された役割に不忠実な者は、現在の真理の[人類救済]目的を危険に晒して、さらに、その目的をかの敵の嘲笑に晒しています。自分達の任務の神聖さとその責任を理解することは、私達の牧師達にとって時を計るものです(It is time for our ministers to understand the responsibility and sacredness of their mission.)。もしも、神が彼らの手に置き、自分達が認識したこの働きを実演することにしくじるならば、彼らには苦悩があります。わずかな牧師達だけが、行なうようにと託された真の働きを怠けずに行なっています。これらの人々はなぜ、委員会や役員会の地位の奉仕の働きのために分けられたのですか。なぜ、彼らの伝道地での働きから掛け離れるほどに多くの回数、彼らはそんなに多くのビジネス会議の出席を求められているのですか。なぜ、ビジネスの内容はビジネスマンの手に置かれていないのですか。その牧師達は、この働きを行なうことから分離されませんでした。この目的に関する財政は、能力のある人によって適切に管理される必要があります。しかし、牧師達はほかの働きに従事するために分離されています。財政的な内容の管理は、この奉仕の働きに任命された人々よりは、ほかの人々に任せましょう。

 牧師達は、一般的なビジネスの問題を快活する目的の役員会議に出席するようあちこちに呼ばれる必要はありません。私達の牧師達の多くは、過去において、この働きを行なっていました。しかしそれは、主が彼らに繫がるようにと望んでいる働きではありません。あまりに多くの財政的な重荷が彼らにおかれていました。彼らがそれらの重荷を負おうとした時、彼らは福音の任務を果たすことを怠っていました。神は、主の名が不敬にされているのをこのように見ています。

 主の大きなブドウ園は、主の働き人達がまだ、[警告を]受けていない地で熱心に、辛抱強く、魂達のために働くことを求めています。その奉仕の働きは段々と弱くなってきています。そして、単調な奉仕の下でこの教会は弱くなってきています。彼らの働きの結果、牧師達は少しだけの魂の回心を報告しなければならなくなっています。現在の真理は、この地上の不毛の地に伝えられていません。そしてこの事柄は主に属している神の栄光を奪っています。主は、働き人達に費用を消費すると同時に、生み出す人になるようにと呼び掛けています。

 この世界の人々は警告される必要があります。牧師達は、すでに大きな光を受けて前進している多くの教会を巡り歩く代わりに、新しい伝道地を開拓伝道して、魂達のための個人的な働きに繋いで、熱心に献身的に働きましょう。


 

4章 委員会の会議

 

 

[1.神と共に会議している]

 委員会の会議に参加している人々は、自分達の働きを与えた神と共に会議していることを覚えておきましょう。その人々は心を聖別して敬意をもって共に集まりましょう。彼らは、主の[人類救済]目的に繫がって重要な内容を考察するために集まっています。すべての特徴において、彼らの行動は、主の働きの前進のために置かれるように計画を考えて、主の意図の理解を切望していることを示す必要があります。主のビジネスは完全な方法でテキパキと進められるので、重要でない会話で時間を失わないようにしましょう。もしも、その委員会のメンバーのある人が軽率で非礼ならば、彼は、あらゆる行動が重きを置かれている一人の証人[]の臨在の中にいることを気づくようにしましょう。

 私は[主から]、その委員会の会議は常に神を喜ばせていないと指導されていました。冷淡、厄介、批判、愛のない精神の人が、その会議にやって来ました。そのような人は悪いことを現しているので、悪い側面を彼らに続けさせて、大きな害のあることを行なうでしょう。

 行なわれるべき決定を先延ばしして、混乱をもたらす考えの下にいてしばしば、対策に向かう態度の考えもありません。眠って知性の休息の必要のある神の奉仕者達は、それらの内容をめぐって、重い荷と圧迫を受けていました。決定に至ろうという希望によって、彼らは徹夜して会議を続けています。しかし、生命はこの方法によって危険に晒されるにはあまりに貴いものです。弱った脳に休息を与えましょう。無駄な時間が体と知性と道徳的力に害を与えています。もしも、頭脳が適切な休息期間を与えられると、その思考力は、明晰、鋭利になるでしょう。そして、ビジネスは促進されるでしょう。

 

2.食物と役員会の会議との関係

 相談会や役員会における、私達の兄弟達の集まりの前に、一人、ひとりは神の前に自分が出席していると考えましょう。慎重に心の中を探って動機を批判的にテストしましょう。とがめる提案やおろかな批判をしないように、あなた方に主自身を現すように祈りましょう。

 豊富な御馳走のある食卓で、人々はしばしば、すぐに消化されうるよりも多くを食べています。食べ過ぎて、胃は働きを適切に行なうことができません。その結果、その脳の中では付き合いにくい鈍い考えが生じています。そして、知性はすぐに働けなくなっています。食物の不適切な組み合わせによって、害が作られています。昂奮がその中で起こっています。血液は汚れて脳は混乱しています。

 過食の習慣や一回の食事で食物の多くの種類を食べ過ぎることはしばしば、消化不良の原因になっています。深刻な害がこのように、デリケートな消化器官に行なわれています。胃は脳に、原因から結果に至った理由の無益な抗議とアピールを行なっています。豪華な食事を大量に食べることや不適切な組み合わせは、害のある働きをしています。無益なことを行なうことによって不快な前兆は警告を発しています。苦痛がその結果です。病が健康の位置を占めています。

 ある人は尋ねるでしょう。まったく。役員会の会議では、何を行なっているのですか。悪い食事の効力が役員会の会議と相談会に持ち込まれています。その脳は胃の状態によって作用されています。不調和な胃は、知性の不確かな状態、不調和に生産的に働きます。病的な胃は、脳の病的な状態を生じさせています。そして、しばしば、間違った意見を続けて、頑固な人にしています。そのような人が考えた知恵は神にとって愚かです。

 私はこれを多くの相談の会議や役員会の会議の状況を目的として提示しています。質問が出される所で慎重な研究がなされました。しかし、少しの考察で、最高に重要な決定が慌ただしくなされました。しばしば、賛成意見が全員の合意になった時、断固とした反対意見が会議の雰囲気として広がって全体意見を変えました。その結果が、[主から]私に何度も繰り返して与えられました。

 その奉仕の働きthe ministryについて、私の兄弟達に言うように[主から]指導されたので、私はこれらの内容を今、提示しています。食べることについての不節制によって、あなた方は聖なる火と普通の火の間の違いを明らかに見ることに自分自身を不適格にしています。また、この不節制によって、あなた方は、主があなた方に与えた警告を無視していることを現しています。あなた方への主の言葉はこうです。「あなた方のうちの誰が、光を持たずに[霊的な]無知の闇の中を歩みつつ、主に仕える者の声に従って、主を恐れていますか。主の名によって、主に仕える者を信頼して、主に仕える者の神にとどまりましょう。見よ、汝らみな火を灯し、燃え差しで自分の周りの進路を示して、汝らが灯していた燃え差しの光によって、あなたの火の明かりによって歩んでいます。こうして、汝らは私の持っている物を手にするでしょう。[しかし]、汝らは悲嘆のうちに倒れるでしょう」(イザヤ50:10,11 KJV)

                         

 私達は、すべての悪と貪欲の激情、すべての清くないものから、飲むこと食べることのすべての不節制から私を救うでしょう、という主の近くに引き寄せられていないでしょう。私達は、主を畏れることによって、品性の清めを完全にできるように、また、精神と身体、品位を低下させる全てを捨てて、神の前に自分自身を謙虚にしていないのではありませんか。

                         

 相談の会議と委員会の会議に座しているすべての人々は、「私は、今も永遠に至るまで働いています。そして、私は、行動を促す動機について、神に責任を持っています」という言葉を自分達の心に記しておきましょう。そして、詩編記者の祈りを自分の祈りとしましょう。「主よ、私の口の前に見張り人を置いて、私の二つの唇の扉を守ってください。私の心をどんな悪い事にも傾けさせないでください」(詩編141:3,4 KJV)

                         

 この働きの前進のためのカウンセリング(相談)において、全体の人々のための声として、支配する力となりうる人はいません。指示された方法と計画は、すべての兄弟[姉妹]達がそれに関して、ついていくよう決めて、益を図って慎重に考慮される必要があります。その伝道地の義務についての研究の中で、その伝道地で遭遇する困難の責任を負うことは良いことだ、と私達に呼び掛けているように思えます。

 可能な限り、委員達は、この教会の人々の判断が彼らの努力を支援するように、この教会の人々に自分達の計画を理解してもらう必要があります。この教会のメンバー達の多くは、慎重で、高貴な質の知性を持っています。その人々の関心は、この[人類救済]目的の前進に目覚めさせられる必要があります。その多くの人々は、命の言葉によって、滅びている魂達を救うことによって、キリストの王国を広めるために上からの知恵を求めるよう、また、神の働きに深い洞察力を持つよう、導かれるでしょう。高貴な知性の男性と女性達は、聖書が言っている多くの人々に加えられるでしょう。「汝らが私を選んだのではなく、私があなた方を選びました。……汝らは出かけて行って、そして、成果を生み出すでしょう」(ヨハネ15:16 KJV)


 

5章 教会の規律 Church discipline

 

 

 教会メンバー達の間違いを扱う時、神の人々はマタイ18章の救い主によって与えられている指導に倣って慎重にする必要があります。

 人間は、キリストとその父が人間のために現した愛によって人間と結ばれて、無限の犠牲で主によって買い取られたキリストの財産です。私達は、ほかの人に対処する時、どんなにか慎重にする必要があるでしょうか。人々は自分達の仲間の人々について、臆測をする権利を持っていません。教会メンバー達は間違いをしている仲間達に対処する自分自身の傾向と衝動に従わせる権利を持っていません。このことについて、彼らは悪いイースト菌をほかの人々の知性に置くので、彼らは、その間違いについて、自分達の偏った意見を述べる必要もありません。この教会の兄弟か姉妹の一人に好意的ではないレポート[うわさ]が、教会メンバー達に一人、また一人と伝えられました。主イエスによって与えられた指導に従うことが自分達の役目だと快く思わないゆえに、間違いがなされ、正しくないことがなされています。

 キリストは言いました。「もしも、汝らの兄弟が汝らに対して侵害しているようならば、行って、彼と汝の間だけで彼の落ち度を話しなさい」(マタイ18:5 KJV)。ほかの人々にその悪を言ってはいけません。一人が話すと、ほかの人もまた、ほかの人へと、そのレポート[]は広まり続けるでしょう。そして、その悪い[レポート]は、その教会全体が苦しむようになるまで大きくなるでしょう。その内容は、「汝と彼だけの間に」置きましょう。これは神の計画です。「汝の隣人が汝に不名誉となることを示した時、汝は結末がどうなるかを知らないといけないので、争うことを軽率にしてはいけません」(箴言25:8,9 KJV)。しかし、彼を晒し者にしてはいけません。そして、恨みを晴らすような誤りに対する非難をして、このような困難は増していきます。神の言葉にある要点の道に彼を回復させましょう。

 強い恨みを容認してはいけません。聞く人の知性を悪く染める毒のような言葉や、心のわだかまりになるような言葉を発することを許してはいけません。あなた方の知性と、その人の知性を満たし続ける苦汁の思想を許してはいけません。その問題について、その人と真剣に謙虚に話し合うために、あなた方の兄弟の所に行きましょう。

 反論される性質のあるものでも、神が個人的な不正と誤解の解決のために建てた計画は変えることができません。しばしば、困難に陥って、しくじっている人にキリストの精神で、そして、一人だけで話しましょう。その問題の調整を求めて共感とキリストの愛に満たされた心で、その間違っている人の所に行きましょう。落ち着いて冷静に、理由を話しましょう。あなた方の口から怒りの言葉を除きましょう。「罪びとを間違いの道から回心させる人は、死から魂を救うでしょう。また、罪の多くを包み隠すでしょう」(ヤコブ5:20 KJV)

 あなた方の兄弟達のために、不満の病から救う処方箋を作りましょう。その人々を助けるために、あなた方の分を果たしましょう。それは、この教会の団結と平和のために、このことを行なう一つの義務と同時に特権だと考えましょう。もしも、その人が、あなた方[の勧め]を聞くならば、あなた方は一人の友人としてその人を得たことになります。

 天の全ての軍勢は、間違いにいる一人の人と、その人へのインタビューに関心を持っています。その間違っている人がキリストの愛の忠告を受け入れて、その間違いを認め、神からの赦しと兄弟達からの許しを求めた時、天からの太陽の光は、彼の心に満ちるでしょう。その争いは終わりました。友情と確信が回復されました。愛の油は、その間違いによって傷の元となった原因を取り除きました。神の聖霊は心と心を結んでいます。団結をもたらされて、天には調べがあります。

 クリスチャンの友情によって結びついた人々は、神に祈りを捧げて、そして、その人々に、憐れみの愛と神と共に謙虚に歩むこと、自分達に豊かな祝福がくるように、正しさが宿るようにと請い願っています。もしも、その人々が、ほかの人々を不当に扱っても、悔い改め、告白し、我に返って、ほかの人々へのよい行いをすることに十分に満たされるでしょう。これはキリストの律法の成就です。

 「しかし、彼が汝に聞かないならば、汝は一人か二人を連れて行きなさい。二人か三人の証人の全ての言葉が証明するでしょう」(マタイ18:16 KJV)。あなた方は、霊的な知性を持った人々と一緒に、悪いことに関わって間違っている人々と話し合いましょう。その人は自分の兄弟達のアピールに繫がって心を明け渡すでしょう。その人がその問題に同意している時、その人の知性は光を照らされ啓蒙されるでしょう。

 「また、もしも、彼が彼[の勧め]を聞こうとしないならば」、その時、どうしましょうか。数人の人々が間違っている人を除名する者達の役員会に訴えましょうか。「彼が彼らのことを軽視するならば、それを教会に伝えなさい」(17)。その教会はそのメンバー達に関して行動を起こしましょう。

 「彼が教会に聞くことを軽視するならば、汝らは、彼を異邦人か税取り立て人のように見なしなさい」(マタイ18:17 KJV)。もしも、その人が教会の声に注意を傾けなければ、その人々は、その人を更生させるあらゆる努力を拒んでいるならば、教会は名簿から除籍する責任を託されています。その人の名は、その時、名簿から削除されます。

 教会の役割は、アドバイスではありません。役員会は推奨でもありません。悪い行いをする人の名は、教会名簿から削除されるでしょう。キリストによって、与えられた指導が忠実に倣われた時まで、この指導が従われた時、この教会は自身を神の前に清めました。その悪はそれが存在しているように現されています。そして、取り除かれなければなりません。そうして、それは、拡散されるようにはならないでしょう。この教会の清さと健全さは保たれる必要があります。また、この教会はキリストの義を失わずに着て、汚されていないものとして神の前に立つでしょう(The health and purity of the church must be preserved, that she may stand before God unsullied, clad in the robes of Christ's righteousness.)

 もしも、その間違った人が悔い改めてキリストの規律Christ's discipleに従うならば、その人はほかの試練が与えられる必要があります。そして、もしも、その人が悔い改めていなければ、また、教会の外に立っているならば、神に仕える者達はその人のためにする働きがまだあります。彼らは悔い改めを彼に勝ち取るまで熱心に求める必要があります。しかしながら、彼の違反の罪は、ひどく混乱しました。もしも、その人々が自分の罪の告白によって聖霊と争うことに明け渡すならば、その人は放棄が再び歓迎されて許される必要があります。兄弟達も誘惑されないように考えて、兄弟達が彼の立場になって扱ってほしいと望むようにその人をもてなして、彼の兄弟達はその人を正しい道に励ます必要があります。

 キリストは続けました。「本当に、私はあなた方に言います。汝らがこの地で繫ぐことは何でも、天でも繫ぐでしょう。また、汝らが地上で解き放す者は、天でも解き放されるでしょう」(18)

 この言及は、すべての世代の勢力を捉えています。この教会はキリストの助けとして話す力を与えました。それは、主の人々の間で教会規律と指示を守るための神の手段/道具です。そのために、主は、指示と清めと成功を尊重して、すべての質問をする力を与えました。その上に、キリストに似ていない人々によって現在の真理を不名誉にする人々、価値のない人々をその友情から閉め出す責任を課しています。この教会が行なっていることは、神の言葉で与えられている指導と調和しているものは何でも、天でも認められるでしょう。

 厳粛な内容の趣旨がこの教会によって定着するために上がってきています(Matters of grave import come up for settlement by the church.)。神の牧師達は、主の人々をガイドする者として主によって任命されて、自分達の役割を果たした後で、この教会の全体の内容に従う必要があります。それは決定されたものと一致するでしょう。

 主は、主に就く人々に、ほかの人に厚い配慮を実践することを望んでいます。その人々は、癒され回復され、高められる必要があります。しかし、教会の中には無関心にならず、適切な規律がある必要があります。そのメンバー達は、求められている高貴さ、価値ある品性の形成の仕方を学ぶ学校の生徒として、自分を考える必要があります。地上にあるこの教会の神の子ども達は、天上の教会で大群衆となって再び集うために備えられる必要があります(In the church here below, God's children are to be prepared for the great reunion in the church above.)。キリストと調和して生きている人々は、贖われた人々の家族の終わりのない生活の方を見ているでしょう。

                       

 罪に陥った人類への神の愛――憐れみを帯びた愛――は、人間がすべて不相応なので、愛の特別な現れです。憐れみはそれが示されている方の対象の不完全さを含んでいます(Mercy implies imperfection of the object toward which it is shown.)。憐れみが積極的な行動に出たのは、それが罪に属しているゆえです(It is because of sin that mercy was brought into active exercise.)

                       

 あなた方の品性の形成がなされるためには、多くの働きが必要でしょう。あなた方はゴツゴツとした石です。それは、神の宮の一つの場所にぴったりと合うことができるようになる前に、削られ磨かれる必要があります。あなた方は、驚く必要がありません。もしも、ハンマーとノミで、神があなた方の品性の粗い角を切り捨てなければ、また、主があなた方のために備えているその場所に合うように用意されなければ、この働きをなし遂げることができる人はいません。それをなすことができるのは、神だけです。主は、無駄なひと振りを打ちつけないことを保証しています。主の一振りは、あなた方の永遠の幸福のために、愛によって打ちつけています。主は、あなた方の弱点を知っていて、滅ぼすためではなく、回復するために働いています。


 

6章 互いのための配慮

 

 

 あなた方はしばしば、誘惑のストレスの下にいる魂達に出会うでしょう。あなた方は、どれほど自分達と厳しい格闘をしているかを理解していません。あなた方は、誘惑する者に有利性を与えて、そのような魂達を落胆させないように気を付けてください。

 あなた方が、修正される必要のある誰かの言動を見たり聞いたりする時はいつでも、あなた方が厳しくない信仰になるよう試みて、主の知恵と恵みを求めてください。

 自分の欠点を確かめる人はいつも謙虚です。不必要な酷評によって苦い体験をしないようにしましょう。思いやりのない粗探しは落胆をもたらして不幸で、希望の光のない生活にしています。

 私の兄弟[姉妹]のみなさん。厳格よりは愛による思いやりを優先しましょう。失敗した人が自分の間違いを自覚している時、自分の自尊心self-respectを壊さないように気を付けましょう。心の痛み、感情を傷つけることをせず、癒して包み込むようにしましょう。

                       

 私達の救い主が行なっているように、とても洗練された性質や、とても繊細な神経の能力のある人はいません。何が忍耐かを、主は私達に現しています。年が経つにつれて、主は、謝意のないわがままな私達の弱さと怠慢を忍耐しています。私達みんなのとりとめのない考え、私達の頑な心、主の清い言葉に対する私達の怠慢にもかかわらず、主の手はまだ伸ばされています。そして、主は私達に「私があなた方を愛したように、お互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34 KJV)と言いました。

 兄弟[姉妹]のみなさん、異教徒の間ではなく、あなた方の仲間の働き人達の間で、自分自身を伝道者として考えてください。この時代の特別な真理についての一人の魂を確保するために、多くの時間と働き人を求めています。魂達が罪から義に変えられる時、そこには、天使達の臨在によって喜びがあります。それらの魂達を見守る人の奉仕の働きの精神は、クリスチャンだと言っている多く人々によって、どんなに無関心に扱われているかを見て、喜ばされるかを考えてくださいませんか。人間の好みがルールになっています。えこひいきが現れてきています。ある人は好意を得ましたが、ほかの人は粗野に扱われました。

 天使達は、この世界の人々へのキリストの奉仕活動を驚きと畏敬の念で見ています。また、人々の罪のための犠牲として主自身を与えるために主を動かしたその愛に驚いています。しかし、人間達は、なんとも、主の血によって買い取られたことを軽く見ています。

                       

 私達は、お互いに愛そうとすることによって始める必要はありません。心の中で、キリストの愛は必要とされているものです。自我がキリストの中に隠されている時、真の愛が自発的に湧き出しています。

 忍耐強く辛抱して、私達は征服するでしょう。魂に安息をもたらすものは、奉仕における忍耐です。イスラエル[主の民]の福祉が促進されるのは、精を出して働く者達の信仰・勤勉・謙虚によるものです。愛と励ましの言葉は、あなた方が間違っている人に積み重ねることができるあらゆる酷評と粗探しではなく、軽率な気性とわがままな性質を征服することをするでしょう。

 大教師のメッセージは、主の霊/精神によって宣布される必要があります。私達の唯一の安全は、偉大な教師のコントロールの下での動機と、私達の思想を守ることにあります。神の御使い達は、すべての真の働き人達にこのことを行なう豊富な体験を与えるでしょう。謙虚さの恵みはキリストのような優しさを表す私達の言葉を形成するでしょう。


 

7章 私達の学校の教師達へ

 

 

[1.主の灯し火からの神聖な火を使いましょう]

 私の兄弟姉妹のみなさんへ。

 主は、主と共に謙虚に歩んでいるすべての人々の味方として働いているでしょう。主は、あなた方を信頼される立場に置いています。主の前に慎重に歩みましょう。神の手は操舵輪を握っています。主は、天へと岩礁地帯を無事に通過するよう、船を導くでしょう。主は、力のある者達を混ぜて、この世界の者達を弱めるでしょう。

 私は、あなた方が神を自分達のカウンセラーにするようにと祈っています。あなた方は、どんな人にも従うのではなく、神の指導に従う必要があります。主との親密を保ちましょう。あなた方の尺度として、世俗の考えを取り入れてはいけません。働きにおける主の方法から逸脱しないようにしましょう。普通の火ではなく、主の灯し火からの神聖な火を使いましょう。

 あなた方の働きにおいて、勇敢でいてください。何年も、私は、私達の人々の前に、身体と知性の能力に等しく重きを置いた若者達の教育の必要を訴えてきました。しかし、教科書の内容を研究して、マニュアル訓練に結びつけるという指導の価値を証明していなかった人々にとって、与えられた指導を実施して理解することは困難です。

 あなた方は、神があなた方に与えた祝福を、あなた方の学生達に授けるよう最善を尽くしてください。学生達を助けるという、真剣さと熱心さを持って、彼らを知識の基に連れて行ってください。学生達に近づいてください。教師達がその心にキリストの愛と優しさをたくさん持っていないと、学生達は、横柄な教師の無情な精神をあまりにも多く現すでしょう。

 主は、あなた方に福音の網の利用の仕方を学ぶよう望んでいます。あなた方の[福音の]網の目を狭くしなければなりませんが、あなたがたは自分の働きを成功するでしょう。御言葉の応用は、その意味が簡単に識別されるようにする必要があります。その網の中にたくさん引き入れるようにしましょう。その点に正しく近づきましょう。しかしながら、有能な人間の知識は、ほかの人々にそれを伝達することができない限り、益のないものに属しています。あなた方の声を哀調のあるものにしましょう。その強い感覚は、人々の心に感動を与えます。あなた方の学生達に、自分自身を神に明け渡すように訴えてください。「神の愛のうちに自分自身を守ってください。私達の主、イエスキリストの憐れみによって永遠の命を待ち望みましょう」「意見の違いのある人には、憐れみを持つ人が火の中から引き出して気遣いをして救いましょう。肉によって染みのついた衣の人は嫌いましょう」(ヤコブ21-23 KJV)。あなた方がキリストの手本に従う時、あなた方は、自分達の学生が主に勝ち取られることを見て、貴い報いを得るでしょう。

 

2.積極的な努力

 イスラエルの神、主は、成果を渇望しています。主は、働き人達が行なっている以上に、活動範囲を広げるよう呼び掛けています。主は、働き人達が私達の教会のためにだけ働くよりも、その伝道地をこの世界全体に広げるよう望んでいます。使徒パウロは間違った[霊的な]無知の闇にいる人々に現在の真理を宣べ伝えて、あちこちに行きました。彼は1年の6カ月間、コリントで働きました。そして、異邦人とユダヤ人の混じった、栄えた教会を立ち上げて彼の任務の神性さの特徴を証明しました。パレスチナの諸都市や町々に、主の口からあふれ出た現在の真理を知らせ渡らせました。

 

3.この世界へのキリストへの歓迎の挨拶

 その山での説教[マタイ5章 祝福の山。山上の垂訓。キリストが八つの祝福を語った山]は、この世界の人々への神の玉座からの声、天の祝祷です。天の光と義務の律法が、失望している人々の慰めと希望となるように人類に与えられました。ここに、説教者の第一人者、偉大な教師は、天の父が語るようにと主に与えた言葉を語っています。その八福 [6]は、信じる人々だけでなく、人類家族全体のためのキリストの歓迎の挨拶の言葉です。彼は、天にいるのではないのに、この世界にいる瞬間を忘れているように見えます。そして、主は、光の世界のような挨拶の言葉を使っています。長くせき止められていた命の豊かな流れが湧き出ているように、彼の口から祝福があふれています。

 キリストは、いつも認めて祝福するという品性の特性を間違いなく私達に残しています。主は、世俗の人々の野心的な好意のため自分の権威を認めない人々から向きを変えて、主の光と命を受けるすべての人々に祝福を宣言しました。霊/精神において乏しい人々、柔和な人々、謙虚な人々、悲嘆している人々、見下されている人々、迫害された人々のために、主は「私のもとに来てください。……私はあなた方に安息を与えるでしょう」(マタイ11:28 KJV)と言って、保護の両腕を開いています。

 キリストは、創造したゆえに陰なしに人間の悲しみを見ることができて、この世界の人々のかわいそうなことを見ることができます。主は、人間の心の中にかわいそうなことよりも、多くの罪を見ています。主の無限の知恵と愛によって、主は、人が達成するだろう高さ、人間の可能性を見ています。主は、人間が自分達への憐れみを乱用したこと、神が与えた人間の尊厳を破壊していることを知っています。また、創造者は、罪びとらを贖うことによって栄光をたたえられるために存在しています。

 その山での説教は、私達がどのように教えることができるかについての一つの例です。キリストがミステリーではないミステリーを作るために負った痛みは、明白でシンプルな真理です。主の指導の中には、はっきりしないものはありません。理解するために困難なものはありません。

 「主は、口を開きました。そして、人々に教えました」(マタイ5:2 KJV)。主の言葉は、ささやきの口調ではなく、語られました。不愉快でも、耳障りでもない主の言葉でした。主は明瞭に、強調して、厳粛に確固とした力で語りました。「そして、終わりが来て、イエスがこれらの話を終わった時、彼は権威を持った人として人々に語ったので、律法学者たちのようではなく、その人々は主の教えに驚かされました」(マタイ7:28.29 KJV)

 その山でのその説教について、祈りを持った熱心な研究は、その真理を宣布するように私達を備えるでしょう。私達はまず、人々を完全な従順に働きかけるために、真理の原則を謙虚な心に受け入れるために自分自身に注意を傾ける必要があります。これは、喜びと平和をもたらすでしょう。このように、私達は、神の息子の肉を食べ、血を飲んでいます。そして、私達は、主の力によって力強く成長しています。私達の命は、主の命に同化させられています。私達の霊/精神、私達の好み、私達の習慣などは、神が宣言した主の意図が満たされています。「この人は、私がとても喜んでいる私が愛した息子です」(マタイ3:7 KJV)。

 あらゆる時を通して、八福の山で語ったキリストの言葉は、人々の力を保つでしょう。すべての言葉は、真理の宝庫からの宝石です。この講話によって表明された原則は、すべての世代の、すべての層の人々のためのものです。キリストの神性のエネルギーは義の特徴を形成したので、祝福した時、人々の層毎に指摘しました。命の与え主の命に生きている、主にある信仰を通してすべての人々は、主の言葉を持続する標準に届くことができるでしょう。そのような学識・才芸は、努力に疲れることなく、生涯続ける価値がありますか。

 

4.展望

 私達は、この地上歴史の終わりに近づいています。私達は目の前に、この罪深い世界の人々に最後の警告のメッセージを与えてこの働きを閉じる偉大な働きを置かれています。この世界の人々にメッセージを与えるために、主によって送られる人、主のブドウ園の働きのほかの様々な地域から、鋤で土を掘り起こされるように、起こされた人々がいます。

 この世界の人々は、繫がりの外にいます。私達が全体像を見る時、その天望は失望しているように見えます。しかし、キリストは、私達を失望させている原因となっている、その男性と女性達に希望を保証して歓迎の挨拶をしています。その挨拶の中で、彼は、人々が主のブドウ園の一つの場所を占めることができるだろうという適性を見ています。もしも、彼らがいつも学ぶ者であるならば、主の摂理を通して、彼らの能力を超えない一つの働きを行なうことに相応しい男性と女性にするでしょう。聖霊を分け与えることを通して、彼は言葉の力を彼らに与えるでしょう。

 多くの未開拓伝道地、また、まだ働かれていない伝道地は、初心者達によって入って行かれる必要があります。救い主の光について、この世界の人々の見方は多くの働き人達に確信を授けるでしょう。その人々は、もしも、謙虚に始めるならば、また、その働きに心を傾けるならば、この時代と場所にいる人々のために、正しい者として見られるでしょう。キリストは、この世界の失望している人々とかわいそうな人々をみな見ています。その視野は、螺旋階段の初めの一段に男性達と女性達を導く働きを始めることでさえその方法を知らないで、とてもひどく失望している、私達の働き人達の高い能力のある人々の誰かに従っているでしょう。その厳密な方法はわずかな価値に属するものです。その人々は、その螺旋階段の下に立っているでしょう。そして「私達がいる所に来てください」と言っています。しかし、かわいそうな魂達は、彼らの足がどこに立っているかを知らないでいます。

 キリストの心は、能力のない多くの人々によって始められた時のように、義と認められた後に飢えて満足していないように見える人々によって元気づけられ、柔和な人々が誤用した主の見方によって活気づけられ、また、その言葉のセンスがみなかわいそうな人々の視点によって活気づけられています。主は、多くの牧師達が、物事の真の状態に失望していたような時を歓迎しています。主の道の外の地上の未開の場所にいて、欠乏していて無関心にされていると感じることができる心を持っている、貧しい男性達と女性達のために、主は、私達に働きの重荷を与えて、間違っている聖化/清めを正しています。主は、これらの働き人達に、助けるように彼らに望んでいる人々に会う方法を教えています。彼らは、医療伝道の働きをすることができる場所に入るために門戸が開かれているのを見る時に励まされるでしょう。少しの自己信頼を持って彼らは神に全ての栄光を与えるでしょう。彼らの手は、ぎこちなく未熟ですが、彼らの心は聖化/清めに敏感になりうるでしょう。彼らはたいそう多くの難儀を和らげる何かをするための厚い願いに満たされています。そして、キリストは彼らを助けるために現れています。主は、あらゆることの損失が増しても、かわいそうと憐れみとの間を識別する人々を通して働いています。世界の人々のための光が通る時、失敗だと思える中に、様々な恩恵が、神の知恵と成功、混乱の中の秩序として、あらゆる困窮に現れます。

 私の兄弟・姉妹のみなさん、主の人々、あなた方の奉仕の働きの終わりがやって来ます。見捨てられた人々を高めましょう。恵みの苦悩、見せかけの祝福、災難にも対処しましょう。人々が落胆している場所で、希望が湧き上がる根拠のある方法で働きましょう。

 一般の人々は、働き人に加わる可能性があります。救い主が人間性の悲しみを分かち合うように、自分達に従う人々の悲しみを分かち合いましょう。その人々は信仰によって自分達と一緒に働いている主を見るでしょう。

 「主の大いなる日が近づいています。それは近いです。とても近くになりました」(ゼカリヤ1:14 KJV)。すべての働き人達に、私はこう言いましょう。謙虚な信仰を持って出かけましょう。主はあなた方と共に行くでしょう。しかし、祈って見守りましょう。これがあなた方の働きの科学です。その力は神に属しています。あなた方は主と共に働く者であることを覚えて、主を信頼して働きましょう。主はあなた方の助け手です。あなた方の力は、主から来ています。主はあなた方の贖い主、あなた方を清める者、あなた方の義、あなた方の知恵でしょう。主の謙遜と柔和を日々に主から学んでキリストの軛を身に付けましょう。主は、あなた方の慰め、あなた方の安息となるでしょう。

 

5.高き所からの力

 神性の贈り物――聖霊の力――が弟子達に与えられました。それは、正しく求める全ての人々に、今日も与えられるでしょう。この力は唯一、私達を天の法廷に相応しくするために、救いに向けて私達を賢明にすることができます。キリストは、私達を清くする祝福を私達に与えようとしています。主は「あなた方の喜びが満たされるように、また、私の喜びがあなた方に残るように、私はこれらのことを話しました」(ヨハネ15:11 KJV)と言っています。主の聖霊が命を与えていること、健康を与えていることを喜びましょう。主の霊/精神を私達に与えることによって、この世界の人々に命と信仰を与えるために、神性の感化力について、主自身が源泉となって、神は主自身を私達に与えています。

 神はあなた方にとてもたくさんの主の贈り物を授ける時、それは、あなた方が授けられたものによって増やされて、与える主に人々を連れ戻すためであることを覚えておきましょう。ほかの人々に光と喜びと平和の生活をもたらしましょう。毎日、私達は自己卑下の鍛錬の必要があります。私達は、それを蓄えるためではなく、神の子らの主の祝福を失うものでもなく、ほかの人々に豊かな祝福を与えるために、天の贈り物を受ける備えをしているでしょう。思い焦がれて、それがあった時に与えることを望んで、今以上に私達は受けるために心を開く時があるでしょうか。

 私達は、神性の知識の宝庫からたくさん引き出す義務のうちに生きています。神は、私達に、たくさん授けることができるように、たくさん受けることを期待しています。主は、私達に、主の恵みを世界の人々にたくさん授けることができるようなチャンネルになることを望んでいます。

 あなた方の祈りを信仰と誠実に特徴づけましょう。主は、私達のために「私達が考えて求める全てのものを豪華にたくさん」(エペソ3:20 KJV)行なうことに好意的です。それを話しましょう。それを祈りましょう。不信仰を話さないでください。私達は、私達の生活を悲しませて、表情を暗くしてサタンに見せている余裕がありません。

 信仰によって祈りましょう。そして、あなた方の願いとの調和をあなた方の生活にもたらしましょう。あなた方の祈りのための祝福を祈りましょう。受けた祝福は信仰の実践に釣り合っているので、あなた方の信仰を弱めないようにしましょう。「それはあなた方の信仰に一致するように」、汝らは「祈りによって信じて求めるものは何でもすべて受けるでしょう」(マタイ9:29 KJV)。祈って信じて喜びましょう。神があなた方の祈りに応えたゆえに神に賛美を捧げましょう。主の言葉によって、主を示しましょう。「彼はその約束に忠実です」(ヘブライ10:23 KJV)。誠実な人の願いと祈りは失われることがありません。そのチャンネルは開かれています。その流れは溢れています。また、救いと健康と命に現在の祝福をもたらして、癒しの賜物も共に与えられています。

                       

 教師達はみな、キリストを現す神聖な特権を与えられています。そして、教師達がこのことを行なうよう尽力している時、主のために語る言葉を与えて、主の美点を示すことができる方法を示して、救い主が彼らのそば近くにいることを活気づけて大切にするでしょう。

 教師達は、多くの試練と向き合っています。自分達の力が生徒達にいつも正しく認識されないように見える時、落胆が彼らにのしかかっています。サタンは、神に反して不平を言うよう導くようにして、主の憐れみ、主の愛、そして、卓越した栄光の重み、勝利を忘れさせて、身体を虚弱で苦しむよう尽力しています。神が、試練の中で主による完全な確信に彼らを導いていることを覚えておきましょう。主の目は、彼らの上にいつも注がれています。そして、もしも、彼らの難問に、彼らが信仰によって主を見るならば、主は、火の中で練られた金のように清められ精錬されて厳しい試練から連れ出すでしょう。主は、主の近くに彼らを引き寄せて、彼らに来るよう試練を許しています。しかし、主は彼らに負うことができる以上の重荷を置いていません。そして、主は「私は決して汝を忘れず、汝を見捨てないでしょう」(ヘブライ13:5 KJV)。と言っています。

 主は、いつも、自分に信頼する人々を助け出す備えをしています。その重い圧迫と厳しい試練に遭っている教師は、こう言っています。「たとえ、神が私を殺しても、私は主を信頼しています」、「たとえ、イチジクの木は花咲かず、ブドウの木に実がならず、オリーブの実がならなくても、畑が草を生えさせず、羊の群れが柵の中から消えても、牛舎からの鳴き声もなくなっても、私は主によって喜び、私は、救い主、神によって喜ぶでしょう」(ヨブ13:15, ハバクク3:17,18 KJV)。

                        

 学生のみなさんは、あなた方の教師達と協働co-operateしてください。あなた方がこうする時、あなた方は教師達に希望と勇気を与えるでしょう。あなた方は、教師達を助けています。そして、同時に、あなた方は成長のために自分自身を助けています。あなた方の教師達が優勢な地に立って、教師の働きが一つの知識として成功するかどうかは、あなた方が大きく関わっているということを覚えておいてください。

 最高の考えにおいて、あなた方は、教師が神と協働していて、その教師の背後に神を見ている学習者である必要があります。

 あなた方が働くための機会は、すぐに過ぎて行きます。あなた方は自己の楽しみのために費やすための時間はありません。あなた方が成功のために熱心に努力する時だけ、真の幸を得るでしょう。大事なことはあなた方が学校で費やす時の間に自分を捧げる機会です。あなた方の学校生活を可能な限り、完全に送ってください。あなた方は一度だけこの道を通り過ぎるでしょう。そして、あなた方の働きが成功するか失敗するかは、あなた方自身にかかっているでしょう。あなた方が聖書の知識を得ることに成功した時、あなた方は授けるための知識を蓄えています。

 あなた方に、遅れている学生仲間がいるならば、理解していないことを少なくするよう教えてください。これは、あなた方自身の理解力を助けるでしょう。シンプルな言葉を使ってください。理解してもらえるように簡単に明確に、あなた方の言葉でその考えを説明してください。

 あなた方の学生仲間を助けることによって、あなた方はあなた方の教師達を助けています。そして、悟りが遅れていると思われる人々はしばしば、教師からよりも学生仲間からすばやく考え方を捉えているでしょう。

 これはキリストが命じている協働co-operateです。その偉大な教師はあなた方のそばに立っていて、理解の遅い者を助けるように、あなた方を助けています。

 あなた方の学校生活において、あなた方は、神の言葉の素晴らしい真理に無関心で知らない人に話す機会があるでしょう。そのようなあらゆる機会を利用してください。主は、このような方法で費やす瞬間をみな祝福するでしょう。

                          

 私達は、サタンが神に仕える者達を負かして落胆させようと働いている時代に生きています。しかし、私達は失敗も落胆もさせられる必要はありません。私達は、主の生きている言葉に信頼する必要があります。私達が上からの[言葉]をしっかりと捉えていないならば、私達はこの働きのあらゆる部門に考えられ見られる、闇の力に対処することができないでしょう。

                         

 地上の貯水池は、しばしば渇水して空(から)になるでしょう。その池は干上がるようになります。しかし、キリストの中にいる私達がいつも引き寄せ続けることができる所からの生きた泉があります。私達は引き寄せて、ほかの人々にたくさん与えることができるにもかかわらず、たくさん残しているでしょう。その泉は尽きる危険性がありません。キリストは真理の尽きない泉だからです。

                         

 この倫理の価値体系は、福音の知識による倫理の基準ではなく、神の意思と神の知性を教え込みました(The ethics inculcated by the gospel acknowledge no standard but the perfection of God's mind, God's will.)品性/人格の正しい属性はみな、全体が調和して完全に神の中に宿っています。個人的な救い主として、キリストを受け入れている人々はみな、それらの属性を所有する権利があります。これが聖化の科学です。


 

8章 困難と闘っている人々についての考慮

 

 

[1.ケアと知恵が宿るように]

 困難な場所で主の働きを引き継いで前進させている人々と共にいて、知恵に不足した人を何年も[主から]示されました。しばしば、それらの人々は、自分達の能力以上に働いています。彼らは、その働きを前進させるように投資するための僅かな資金を持っています。そして、彼らはその働きを前進させるために犠牲を払う必要があります。彼らは、厳格な節約を実行して、少額の賃金で働いています。彼らは人々に資金をアピールしました。そして、彼らは自分達が気前の良さの手本を示しました。主が自分達の信仰の創始者であり完成者であり、自分達が進展させることが可能なのは主の力に依っているからだと気づいてから、なされていることのために、神に賛美を捧げました。

 時々、この働きを前進させることに関心ある人や、サナトリウムや学校を設立する努力を続け、忍耐して、日中の暑さに耐えぬいて重い荷を運んだ働き人達に倣って、ある決定が、その働きに挑戦して良いことをしようという兄弟達によってなされています。いくつかのケースにおいて、その決定は、あって当然の考察もなしに、また、自分達のエネルギーと力をみな努力に注いで努力して祈って働いた人々と、この働きの役割に不愉快な人々に信頼されることなしになされています。

 神は、主の働き人達に宿っているこの方法を喜んでいません。主は、新しい働きを築き上げる人々の手を取って、困難な場所で励ましと声援の言葉を彼らに語って、主の人々に呼び掛けています。

 彼らの情熱と、[人類救済]目的の前進のための彼らの熱心によって、その働き人達は間違いをしている可能性があります。彼らは、必要な事業の支援のための資金を得ようとして、この働きの最善ではないプロジェクトを実行したのでしょう。主は、彼らがそれらのプロジェクトを行なうよう望んでいることから逸れていることを見て、彼らの希望を挫き、彼らにやって来る落胆を許しています。資金が捧げられています。そして、ここに、この目的を支えるための資金を得ようと浅はかにも期待していた人々に深い悲しみがあります。

 その働き人達が緊急時の彼らを助ける資金を立ち上げるためにあらゆる気力を働かせている間に、その兄弟達のある人が自分達の働きを最も困難になることをして、働き人達に重荷を課す行動で偏見を作っておいて、悪い推測と粗探しによって立っていました。利己心が混じって粗探しをする人々は、重い責任と重荷を負わなかった人々の意見にひどく苦しめられた彼の兄弟達を理解しませんでした。失望は大きな試練です。しかし、クリスチャンの愛は勝利へくつがえすことができます。向きを変えて見ることは気を付けることを教えているでしょう。私達は自分が苦しんでいることから学んでいます。このようにして、私達は体験を得ています。

 ケアと知恵がこれらの人々に与えられることを示されるようにしましょう。彼らは、間違いをしてきましたが、その働きにおいて、重要な自己犠牲と熱心さを現しました。それらの兄弟達はこのように言っています。「私達は、正しくない批判の重荷から解放される有利な立場に立とうとして、あなた方の失敗を取り戻すための機会を得ることなしに、あなた方の場所にほかの人を置くことによって、困った問題を起こさないようにしましょう」。彼らを取り巻く困難に打ち勝つため、価値ある働き人達として人々と天使達の前に立つために、彼ら自身の修正のための時間を与えましょう。彼らは間違いをしましたが、粗探しをして質問をした人々は良いことをしたのでしょうか。とがめているファリサイ派の人にキリストは言いました。「あなた方のうちで罪のない人が、はじめに石を投げつけてください」(ヨハネ8:7 KJV)

 自分達の失敗を取り返そうと慌てている人々がいます。彼らは、間違いをした人々の立場を批判することを選んでいます(They think that they should be chosen to take the place of those who have made mistakes.)。彼らは、ほかの人々の立場から見て批判していたと同時に、これらの働き人達が行なったことを過小評価しています。彼らの行動によって、彼らは言っています。「私は偉大なことを行なうことができます。私はうまく、この働きを前進させることができます」。間違いを避ける良い方法を知っていると考えている人々に、私は[主から]指導されたことを伝えましょう。「裁いてはいけません。汝らが裁かれないためです」(マタイ7:1)。あなた方はある点では、間違いを避けているかもしれませんが、別の点ではあなた方は大失敗の墓を作っています。それは修復がとても困難でしょう。また、この働きに混乱をもたらすでしょう。それらの間違いは、あなた方の兄弟達がしたものよりももっと害のあることをしているかもしれません。

 私に[主から]与えられた指導は、「前進する道で闘い、偏見に直面しながら、その働きの基礎を築く人々は、ほかの人々が彼らの立場を批判する不快な光を置かれる必要がない」ということです。兄弟達の誰かの粗探しにもかかわらず、神が行なうように言った働きを前進させた熱心な働き人達がいます。一つの印象がその働きに不快で、彼らに正しくないことをするのであれば、彼らは今自身の責任ある立場から外される必要があります。なぜなら、現れた変化が、存在している偏見となされた正しくない批判を正義とするように思えるからです。主は、彼らに、与えられた働きを築き上げようとして、熱心に長く働いた人々のために正しくないことをする動きをしないよう望んでいます。

 

2.賢くない異動

 決して良いことがなされず多くの異動がなされています。しばしば、働き人達が不満になった時、その人々の働きの成功をもたらす所にとどまることを勧められるのではなく、ほかの場所に送られています。しかし、その働き人達は、過去の自分達の働きに損害を及ぼした特性と同じ性質で働き人達と共有しています。その人々は、謙虚な奉仕と忍耐の教訓を学ばなかったので、キリストに似ていない品性と精神を現すでしょう。私は、物事の様々な秩序を請い願っています。異動は、私達のカンファレンスと施設の働き人達のグループでなされる必要があります。人々の能力と献身は、ヘルパー達、協力者達として重荷を負う者達と繫がる勇気を求められる必要があります。そこには、兄弟[姉妹]愛の精神で、古い人々と新しい人々が調和して団結しましょう。しかし、管理者の異動は、熱心にうまく働いた人々に失望をもたらすような、働きの前進に序列をもたらすような方法で突然になされないようにしましょう。神は、主に忠実な奉仕者達を失望させるために何かがなされることを是認しないでしょう。正しい原則は、私達の学校やサナトリウム、出版所のための効率的な働きの確かな義務のある人々によって従われるようにしましょう。

 

3.奉仕への呼びかけ

 神は、働き人達に呼び掛けています。[人類救済]目的は、謙虚に学ぶ者として、主の手の中に自分自身を置いて、自我が形成された人々、主と共に働く者達であることを証明した人々を必要としています。それらの人々は、この学校とこの奉仕の働きにおいて必要とされている人々です。その人々は、主への奉仕を行なうことができて、出かけて行く人であることを示したでしょう。自分達の価値を証明する努力を続けた忍耐によって、その人々を働き人達の層の中に歩ませましょう。私達が泳ぎを学ぶのは、陸上ではなく水の中です。働き人達は求められている場所で忠誠を尽くすようにしましょう。その人々は、重い責任を負うことに相応しくなるでしょう。神は、主への奉仕によってその人々の完全な発達のためにあらゆる機会を与えています。

 良い戦いを闘うために、良い鉄兜/武具を備えている主は、神が能力の完全な発達のために備えていた計画と調和して働いて、人が神の知識を完全にするために尽力している時、だんだんと多くの能力を得るようにさせるでしょう。

 若い男性達と若い女性達は知識を蓄積しています。人間の試験があなた方に、この働きに相応しいことを宣言するまで待っていてはいけません。大通りや生け垣のある小道に出かけて行って、神のための働きを始めましょう。あなた方が持っている知識を賢明に使いましょう。神があなた方に与え、豊富に授けた光、あなた方の能力を忠実に使いましょう。そのほか、天の豊かな祝福、真理の光と平和をほかの人々に与えるためのよい方法を研究しましょう。常に改善しましょう。高く、もっと高くに届くように努めましょう。現在の価値に属していて、目に見える現実をいつまでも保って、知性と身体の能力に義務を課すのはその才能です。熱心に主を求めましょう。あなた方は、霊性が育てられて純粋にされるようになるでしょう。あなた方は、とてもよい卒業証書を得た時、誰もが神の推薦の言葉を持つことができるでしょう。

 大きいけれど小さくもあるあなた方のタレントは、託された中でだけあなた方のものであることを覚えておきましょう。神はあなた方をテストしています。あなた方は、主に対して、あなた方の能力の全てに恩義があります。あなた方の身体・知性・魂の能力は主に属しています。そして、それらの能力は、主のために役立てられるように存在しています。あなた方の時間、あなた方の感化、あなた方の能力、あなた方の技術のすべては、与えている主に報告される必要があります。人は、一人の教師として同様、一人の学習者になる必要があることをいつも覚えていて、謙虚を掲げて、主の偉大な計画を推し進めるために熱心に努力することを求める人に良い賜物を役立てています。

 若い男性達がこの働きに出て行く時、多くの困難も成功もあるでしょう。人々が始めた働きが多くの体験をした老年の人々に挑発されて、その働きとほかの働きを始めることが提案されないようにしましょう(let not propositions be made that they take up another work and that the work they have started be given into the charge of men who are older and more experienced.)。私達の若い男性達が困難な事態に立ち向かっている時、彼らは失敗もするでしょう。しかし、彼らが辛抱強く前進するならば、彼らの失敗は勝利へと変わるでしょう。

 私達の働き人の仲間達は、あなた方が始めたこの働きに忍耐しています。勝利を得るまで、それを保ち続けましょう。目標に向かって自分自身を教育しましょう。あなた方は、このように、神の栄光を反映して良い事を達成できるように、高い標準を見つけましょう。

 神は、特別な才能のある主の働き人達を励ましてきました。そして、自分達の卓越した評判を落とすようにと呼ばれている人はいません。しかし、自分の才能を自己称揚することに利用する人はいないようにしましょう。自分達についてきた人々に気に入られたと考えないようにしましょう。熱心な働き人達や、ほかの人々よりも、自分達を高めないようにしましょう。主は、人の心を見ています。神への奉仕に最も貢献している人々は、天の存在者によって最も高く評価されています。

 天は、人々の家令/管理者を務める人々の感化の立場を占める人々を見守っています。家令としての人々への命令は、その感化の広がりによって測られました。その人々についてくる人々への接遇の仕方によって、彼らは、優しい誠実な父親のようになるでしょう。その人々は、友人として団結して親しく結ばれた兄弟[姉妹]達として一致して、品性においてキリストのようになるでしょう。


 

9章 資金の賢明な分配

 

 

 資金についての困惑した質問が多くの問題を引き起こしました。何度も、不誠実な人々による魅惑的な事業計画によって、サタンは、前進させる道にじゃまなブロックを置きました。この教会は、敵の誘惑に負けて、神を信頼する側に立ちませんでした。そして、教会の収入をはるかに超える資金を求めた計画を実行しようとしました。これは、伝道地の働き人達が受ける助けを奪いました。あらゆる収入は主のもので、そして、主のブドウ園のほかの地域は供給される必要があることを忘れて、自分達の伝道地の地域で、その働きを築き上げることによって、人々は利己的な計画に従い、また、主の宝庫から資金を引き出しました。彼らのその判断に向き合うことは喜ばれないだろうという理由で、彼らは自分達に従う働き人達の必要に目をつむりました。このように、見捨てられた伝道地は働きがなされずに残されました。巨大な建物を建てることに急ぐことによってそのコストを計算することなく、その塔を建てるために必要とされる費用がどれほどなのかを考慮することなく、借金した男性達はその目的に困惑し失望しました。新しい伝道地に前進するという方法は挫折しました。

 狂喜の一人が、資金を後から作りだすという見通しもなく、資金を負担するということを行なうように人々を導く、同じ知性を持っていました。もしも、この資金が、本来意図されていたように、主に利用されていたならば、働き人達は、立ち上がったことでしょう。そして、主が再臨する前に行なわれるはずの働きがなされたことでしょう。資金の乱用は、主の警告の必要を示しています。主の働きは人間の計画に縛られるべきではなく、主の目的を強めるような方法でなされる必要があります。

 悪い計画の作成によって、男性達はその目的のために負債をもたらしました。これは繰り返さないようにしましょう。その働きのリーダー達は借金によって神の目的を葬り去ることを拒否して慎重に動きましょう。すべてがよくなるように考えて、思慮なく知ることなく、向こう見ずに動く人がいないようにしましょう。

 一箇所での働きへの関心と扇動は、全体としてのこの働きを何も前進させていません。ほかの場所を慎重に考慮して、一箇所に一つのビルディングを建てる様々なプランが作られた時に、必要な諸施設を建てるために多額の資金が必要です。時は近いです。諸ビルディングは建てられる必要がある一方で、主のブドウ園のあらゆる地域で、この義務の配慮がなされるようにしましょう。建築学の素晴らしい作品を建てるという熱望を持つ人ではなく、また、高額の投資によってその働きに難問をもたらすような人でもなく、その建設に挑戦した人は、清められた知性と健全な性格の人となるように努めましょう。

 神は、困惑の創始者ではなく、秩序と前進の創始者です。主の王国の前進を望む人々に、急ぎつつゆっくりとして、そして、賢明に建てましょう。資金は外観を見せるために投資すべきだという、つまずいた考えで急ぐ人がいないようにしましょう。主はこう言っています。「それは、魂の必要に出費するものなので、資金はそのように費やされるべきではありません」。

 利己主義の管理の結果が、私達の前に主の聖霊のガイダンスを必要としていた心と知性の表れとして立ちはだかっています。主は、クリスチャンだと言っている人々を試して証明する多くの方法を持っています。過去を再検討する必要のある大事を行なっていた考えを持っていた人々を示して、間違うことのない正確さと共に、主は人間の知恵の足跡をたどりました。彼らは、自分達が主の聖霊によって動かされなかったということを知る必要があります。しかし、多くの事柄において、彼らは、主のカウンセル(勧め)を拒否しました。彼らに行なうよう指導した時、彼らが自分達の働きの始まりでこの自己試験を行なっていたならば、数年に亘る神に不敬な奉仕は、愛の奉仕へと変わっていたことでしょう。家族全ての者の心は、自己試験の働きをする必要があります。そうでなければ、サウルが行なったことを誰かが見つけるでしょう。人々が滅びを指摘されている時に、特に、これは責任ある地位にいる人々に適用できます。主はこう言っています。「私は、どんな利己的な企てにも奉仕しないでしょう」。すべての人々は今、主を求める必要があります。神の人々はそこにリバイバルと改革がない限り、そのテストに耐えられないでしょう。主は、自己満足している一人の魂に、義人のために用意している[天の]住まいmansionsに入ることを許さないでしょう。

                      

 私達の人々は、どんな土地でも人々の資金をみな一つの巨大で、高額な医療施設に投資する状況にありません。一カ所にたくさんの人々を集めることは、霊的な回復や身体的に良い結果を得るために、好意を持たれていません。この一方で、そのような施設を設立することは、健康施設が設立されるほかの場所を失うことになるでしょう。私達が働きをしている所ではどこでも、誰かが、一つの巨大がビルディングを建てるために、可能な限り多くの資金を得ようと望んでいるでしょう。しかし、それは、賢明な計画ではありません。一つの場所で一つの施設が計画される時、私達はほかの場所の必要性を知性に保っている必要があります。ほかの都市の一部で同様の前進を人々に提供することは可能なので、節約が実践されるようにしましょう。

 

訳者解説。バトルクリークサナトリウムは、1866年に開設され、1867年からJ.H.ケロッグが医療最高責任者になりました。1902218日に焼失した後、同じ場所に、同じサイズで1903年に再建されました。しかし、1906年には、その建物はこの教派から完全に分離しました。ケロッグは190711月に教会から除名されましたが、その施設の運営に関わっていました。1928年に「巨大な塔」が建て増されました。1933年にその施設は破産して、1942年にアメリカ軍に売却され「パーシィ・ジェームズ陸軍病院」となりました。1954にアメリカ政府の施設として新築されました。Ellen G.White Encyclopedia RH pp.638-640.

 E.ホワイトは声明を出しました。「この大事件は、

特に、彼に与えられたその光(真理) に注意を払わ

なかったケロッグのための主からの裁きの一つで

した」(Lts 123,269 1902)


 

10章 私達の老いた先駆的な働き人達

 

 

 1844年のその時が通り過ぎて、大失望の日々を体験した人々、ほとんどその初期から第三天使の働きと繫がった老先駆者の働き人達に、主は言っています。「あなた方の助けが必要とされています。ほかの若い人々が負うことのできる重荷を自分達で負ってはいけません。あなた方の身体と知性と霊的な能力を役立てるよう、賢明である必要があります。そのような様々の体験ととても多くの経験を通ってきたあなた方は、自分達の能力を保つために行なうこと、自分達のために可能なことを行なうことができます。あなた方は、主の働きを前進させるために、また、助けるための場所とめぐり合わせた場所に立つよう、主が許している限り、主のために働くことができるでしょう」。

 ヨハネと共に重荷を負った人々はこのように言うことができるでしょう。「初めから存在していたその命を、私達は耳で聞きました。私達は自分の目で見ました。そして、私達は手で接しました。(この命が現れたので、そして、私達はその命を見たので、そして、永遠の命をあなた方に示しています。私達に現されたその命は、天の父と共にいました)。私達は、見て聞いたことをあなた方に伝えています。汝らはまた、私達は友情を持っているでしょう。そして、私達との真の友情は、天の父と共に存在しています。そして、主の息子イエスキリストと共に存在しています。……これは、また、私達が主から聞いたメッセージです。そして、あなた方に伝えています。神は光です。主には、まったく、暗い所はありません。もしも、私達が、私達の主と友情を持っていると言っていると言いながら、闇の中を歩んでいるならば、私達は嘘つきです。そして、真理を行なっていません。しかし、私達が光の中を歩んでいるならば、主が光の中にいるように、私達は、すべての罪から私達を清める主の息子イエスキリストの血と、ほかの人々と一つの友情を持っています」(1ヨハネ1:1-7 KJV)。

 [人類救済]目的は、老いた働き人達、老人達の助け手を必要としています。その人々は、何年も神の目的の体験をしてきました。また、様々な伝道地でそのメッセージの前進と進展を見守って来ました。さらに、神の残りの人々に清めが与えられなければならない最後の日々のメッセージの努力を無きものにするために、また、知性を混乱させるために来ていた偶像崇拝者達に真理の光を現そうとした努力に抵抗して、多くの人々が間違った理論のだましが気に入って、狂信的言動に走って行くのを見ました。

 神に仕えてきた多くの人々は、すでに、イエスの中に眠りにつきました。今日、生きて残されている人々を助けましょう。神に仕えてきた人々の証が、価値あるものとされるようにしましょう。主に属する良き助け手の人々は、強い腕でその証を掲げています。こう言っています。「私を堅く信頼してください。私は、あなた方の力となり、そして、あなた方の素晴らしく大きな報いとなるでしょう」。その初めのメッセージの中にいた人々は、その戦いが激しくなった時、勇敢に戦った人々は今も、掲げているメッセージを失ってはいません。

 最も優しい関心/資金は、神の働きに結ばれて、生活の関心/資金へと大事にされているでしょう。彼らの多くの弱さにもかかわらず、それらの働き人達はめぐり逢った地や場所に立つことに相応しい能力を持っています。神は、彼らに主の働きの地位に導かれて働くよう望んでいます。彼らは、嵐と試練の中に忠実に立っていました。また、私達の最も価値あるカウンセラー達の中にいます。主への奉仕の働きにおいて、彼らが自分達の賜物を役立てることができるのは、私達にとってなんという感謝でしょう。

 その働きの前進にすべてを犠牲にして熱心に奮闘した人々の過去について、その事実の視点が失われないようにしましょう。神への奉仕の働きに就いている間に、老いて白髪になったという事実は、神性の事柄の体験が全くなく、その働きの知識のない人々の感化よりも優れた感化を及ぼすという根拠にはなりません。若い人々ができて担うことができる重責を負うことができず、老いているけれど、彼らのカウンセラーとしての価値は、高度なレベルに達しています。その人々は間違いをしてきました。しかし、自分達の失敗から知恵を学びました。また、間違いや危険を避けることを学びました。さらに、賢明なカウンセル勧めを与える適任性があるのではありませんか。その人々は、試練とテストを受けました。また、活動力を少し失いましたが、パイオニア達の自己犠牲と働きについてわずかに知っている人々、少ない経験の働き人達によってわきに追いやられることはできません。主はこのような人々を彼らの脇に置いていません。主はその人々に特別な恵みと知識を与えています。

 ヨハネが老いて白髪になった時、彼は迫害されている諸教会に伝えるメッセージを与えられました。そのユダヤ人達はしばしば自分の人生を受け入れるよう努めました。しかし、主はこう言っています。「その人を生き長らえさせましょう。その人を送った私は、その人と共にいるでしょう。またその人を守るでしょう」。この老いた弟子が常に大教師the Masterのための証を伝えました。美しい言葉遣いによって、温和な口調で、彼の言葉を聞くすべての人々の心に感動を与える方法で語り、彼は、キリストの働きと言葉を語りました。彼は、パトモス島に追放された者として送られました。しかし、キリストは、ヨハネの流刑中に彼を訪ねました。そして、「黙示録」に見られる真理の基礎を彼に伝えました。

 神の奉仕の働きに、自分の人生を費やした人々は、地上歴史の終わりに引き寄せられています。その人々は、主の働きに繫がった体験を詳しく話すよう、主の聖霊によって感動させられているでしょう。試練からその人々を救い出した主の大いなる善意、主の人々をもてなした記録は、新しく信仰に入る人々に繰り返されるでしょう。働きによってその働き人達とかつて結ばれた人が、背信によって、神に仕える者達にもたらされた試練と、また、世界の終わりまで、初めからの堅い確信を持っていた人々に反対して、嘘を語った結果にしない主の聖霊の働きは、関連させられる必要があります。

 今も生きていて、標準を伝えている老いた働き人達は、厳しい場所に置かれるべきではないでしょう。まだ私達の信徒達がとても少なくて、彼らの大教師the Masterに奉仕した人々が厳しい働きに出て行った時、現在の真理を忠実に守って清貧に耐えた人々は、いつまでも栄誉を与えられて、尊敬されるでしょう。私は[主から]「すべての信徒は、ひどい欠乏と困難と試練を負って来た老いたパイオニア達を尊敬しましょう」と言うように指導されました。その人々は、神の働き人です。そして、主の働きを築き上げる優れた役割を演じてきました。

 主は、若い人達にその[人類救済]目的を保ってきた老いた働き人達と協力することによって成熟し、能力と知恵を得るよう期待しています。若い働き人達は、そのような働き人達の間にいて、とても好意を持たれていることを自覚しましょう。グレーの髪の人々に敬意を示しましょう。その人々はこの働きの発展のために長い経験をしてきました。その人々の会合の場所で栄誉をたたえましょう。神は、その人々の言葉に注意を払うよう、後年に、現在の真理に来た人々に望んでいます。

 主が、試練を受けて、老いた私達の働き人達を支えて祝福してくださるように。主が、その人々の身体的・知的・霊的な能力を保つために賢明になるよう、祝福してくださるように。私は、初期の日々のメッセージの中にその人々の証を伝えた人に言うよう、主によって指導されました。「神は、理性の力によってあなた方を励ましました。そして、主は人間の健康のために行なう必要のある法則を理解すること、従順になることを望んでいます。軽率になってはいけません。休息時間を取りましょう。神はあなた方に、流布している悪の力によって、掃き出された落ち目から、男性達と女性達を救うために、あなた方の分を行なって、主は、あなた方が鎧兜/武具を取り外すよう主が命じるまで、保っていることをあなた方に望んでいます。それゆえ、あなた方は自分の報いを受けるのは遠くないでしょう。


 

11章 働き人達のためのケア

 

 

1.セブンスデー アドベンチスト達は対策を作ったか

 熱い日中にもはや重い荷を負うことができないように健康を失った人や老齢の人、回復と休息を必要とする病気になって、主の目的のために働き過ぎた人や、危険に晒されていた人、神の忠実な働き人と牧師達のための対策が作られる必要があります。牧師達はしばしば、人々への祝福と助けとなることを望んで、危険にさらされ、好まないような様々な場所に行って、健康の害になるだろうということを知っている伝道地で働くよう任命されます。一時の後、牧師達は自分達の失敗を見ています。気候の変化や働きの変化は、助けをもたらすことなく負担がかかっています。彼らは何を行なうためにいるのでしょうか。

 富や楽しみよりも清貧を選んで、キリストのためにこの世での可能性を捨てた人々、自分を忘れてキリストに魂達を勝ち取るために熱心な働きをした人々、神の目的のための様々な事業を前進させるために気前よく与えた人々、疲弊して病になり、そして、資金の支援がなくなった忠実な働き人達は、苦悩と極貧にあえぐままに、貧困者と感じるままに放置されてはいけません。病や虚弱さがその人々にやって来た時、私達の働き人達は不安な問いをして重荷を負わせられてはいけません。「今、私は家族に必要を与えるために、働くことが何もできません。私の妻と幼い子ども達はどうなるのでしょうか」。対策が、これらの忠実な働き人達の必要に、その対策に依存している人々の必要に合うように作られていることはほんの僅かだけです。

 寛大な対策は、自分達の国のために戦った老練な人々のために作られています。それらの人々は、傷と生涯続く虚弱を負っています。捕虜としての苦悩、嵐に晒され、進軍して危険な闘いを戦った、その人々の自己犠牲と忠実さのすべての根拠は、――認められ栄誉を受けたという主張――救済のために助けた国家に対して、その人々の正しい主張を述べています。しかし、セブンスデー アドベンチスト達によってどんな対策が、キリストの兵卒達のために作られましたか。

 

2.疎かにされた働き人達

 私達の人々は、人々がこの内容を必要としているだろうと考えませんでした。そして、それは、それゆえに、疎かにされました。この諸教会は考えていませんでした。そして、神の言葉の光は、彼らの通り道に輝いていました。教会の人々は、最も神聖な義務を怠っていました。主は、主の忠実な奉仕者達への無関心について、ひどく不快にさせられています。私達の[教会の]人々は、それらの人々が健康時に自分達の奉仕と資金を快く受け入れた時の状態に向かっている時、それらの人々を快く支援する必要があります。

 神は、私達の間の貧しい人々に特別な注目を与える義務を私達に置きました。しかし、これらの牧師達と働き人達は、貧しい人々としてランク付けされるべきではありません。彼らは、自分達を必要とするカンファレンスで奉仕しました。今、このカンファレンスは彼らに奉仕する必要があります。この種のケースが、私達の前に現れた時、私達はほかの人々の側のそばを過ぎることはできません。私達は「汝らは、温まりなさい、満たされなさい」(ヤコブ2:16 KJV)と言うことはできません。また、彼らの必要を供給するための見積もりの活動をしていません。これは、過去に行なわれました。そして、このように、いくつかのケースにおいて、セブンスデー アドベンチスト達は自分達の信仰告白を不名誉なものにしました。また、この世界の人々に神の目的を非難する機会を与えました。

 

3.働き人達に家を提供する

 彼らの兄弟達の善意に頼るのではなく、自分自身で考えて生産することのできる数エーカーの土地付きの居心地の良い家を神の奉仕者達に提供することによって、この非難を退けることは今、神の人々の義務です。これらの心身の疲れた働き人達は、落ち着いた小さな家を見て、喜びと平安と共に自分達の安息が認められていると言うでしょう。

 これらの人々に義務を負っている私達は、何度も繰り返して言われてきました。しかし、決定的な行動はそれについての結論を出しませんでした。一つの民として、私達はこの内容について責任を感じる必要があります。この教会のすべてのメンバーは、キリストにおける兄弟[姉妹]愛と、人間の兄弟[姉妹]愛に関するすべてにおいて関心を感じる必要があります。私達は、お互いにメンバーの一人です。もしも、メンバーの一人が苦しんでいるならば、メンバーのすべてがその一人のために苦しんでいます。何かが行なわれる必要があります。そして、このカンファレンスは、霊的な識別力を持つ必要があります。彼らはその特権と慰めを理解できるでしょう。そして、それらの疲れ切った働き人達は働き人達の必要と報いを表すでしょう。

 

4.働き人達の避難所としての私達のサナトリウム

 しばしば、これらの牧師達は、特別なケアと待遇を必要としているでしょう。私達のサナトリウムは、休息を必要とすることを表している私達の働き人とそのような人々のための避難所となるでしょう。費用に向き合う必要のある方法として心配し続けることなく、休息と変容の持てる様々な部屋が提供される必要があります。主の弟子達が、働きに疲れ切った時、キリストは、彼らに言いました。「汝らは、自分で離れて行って、……しばらく休んでください」(マルコ6:31 KJV)。主は、それゆえに、主に仕える者達に今、休んで力を回復する機会を持つようにと取り決めをしました。私達のサナトリウムは、わたしたちの[教会]の厳しい働きをしている牧師達に開かれるためにあります。彼らはそれらの施設の支援と建設のために基金の確保のために全力を注ぎました。また、どんな時にも、この地において彼らの奉仕への優位性に[支援の]必要がある時に、彼らはくつろぎの家を感じさせられる必要があるでしょう。

 これらの働き人達は、いつでも治療と食事のために高額な費用を請求されるべきではないでしょう。また、人々が受ける貧困者収容所のようなものとして感じられる方法で、あるいは、貧困者としてみなされるべきでないでしょう。その諸施設の利用に気前の良さを現すために、神は、主のための過労の奉仕者と疲れ切った人のために提供した主の視野の中の真の医事伝道です。神の働き人達は、主に結ばれています。そして、彼らが受け入れられた時、それは、キリストが主のメッセンジャー達に受け入れられているということを思い出すでしょう。主はこのことを求めていて、そして、彼らが、利己的な方法で、小さき者として、無関心に扱われる時、不快と不名誉にされています。神の祝福はそのような神に選ばれた人々に厳密な扱いをしないでしょう。医療同業者の間では、それらの内容を識別するための知覚力の鋭利さがいつもありませんでした。ある人は同業者[が識別する]それら[の内容]を考えませんでした(Some have not regarded them as they should.)。主が、私達の諸施設を非難した人々の理解を清めてくださるように。彼らは真の共感とケアをしている人々を知ることができますように。

 それらの疲れ切った働き人達が働いた支部branchの目的は、このように、多額の費用をそのサナトリウムと大部分を分かち合って、彼らが必要な時に助けることによって、彼らの働きに正しい理解を示すでしょう。

 ある働き人達は、自分達の給料から少額の支払い可能な立場に置かれていて、これを彼らは行なうでしょう。可能ならば、危急に遭遇した時に、これらの人々はサナトリウムの祝福として歓迎されるでしょう。しかし、私達の働き人の多くは、立ち向かう大きな義務をたくさん持っています。すべてを振り返ってみて、資金が必要とされた時、彼らは何かを導き出して行なうことを求められています。彼らの手本の影響力は、神の目的が前進し気前良さがほかの人々の行動となるでしょう。様々な事業を設立するために強い望みのようなものを感じています。彼らは現在の真理の前進のために働くことは特権だと考えて、嫌々ながら与えることをしませんでした。資金のための呼びかけへのこのような応答によって、それらはしばしばほんの少しの残りが残されています。

 主は、その目的に気前良く堅く責任を守りました。主は、彼らが若い働き人達にない構想で行なったよい働きを知っています。主は、彼らの忍耐、自己犠牲、欠乏のすべてを認識しました。主は、それらのケース、すべての状況に注目しました。それは、すべて記録の書に記されています。それらの働き人達は、天使達と人々の前、そして、世界の人々の前で素晴らしい見ものです。彼らは、私達の宗教の原則を厳しくテストする一つの実物教訓です。主は、彼らのために私達の施設ができる働きの考案のすべての先駆者だという私達の人々を理解しました。神は、私達に理解を呼び掛けています。主への奉仕のうちに年老いた人々は、私達の愛・私達の栄誉・私達の熱い敬意を受ける価値があります。

 

5.働き人達の基金

 一つの基金はそのようなもはや働くことができないような働き人達のために、立ちあげられる必要があります。私達は先延ばしすることなく、この内容の程よい努力をしない限り、神の前に透明になることはできません。しかし、彼らの反対は私達に影響しませんが、私達の間にこの動きの必要を考えない人がいます。正義を行なうことと、正義であることを心に目標を持っている人は、神が行なうよう求めている良い働きをなし遂げるためにしっかりと前進するでしょう。彼らの財産を良い事をする働きに使うことを先延ばしすることが簡単な人がたくさんいます。しかし、それはたいそう長いですか。私達はそれを土の中に埋めて、お金をとても愛するのでしょうか。

 神は、すべての人々にこの事業への協力を求めています。裕福な人はたくん与えるでしょう。しかし、世俗の事業に投資するためにあらゆるドル貨幣を持つことを切望して、しぶしぶ与えたならば、彼らは報いを受けることはないでしょう。

 貧しい層の人々からの慎ましやかな贈り物は、神の視界の中では、もっと価値のある大きな捧げ物に比べて劣ったものではありません。主は、授けられた心からの気持ちの良い調和した伝言をそえて、愛の実りのその贈り物に主の祝福を加えるでしょう。すべての源泉(人々)からの小銭(数円)は、愛情を込めて扱われる必要があります。

 若者達の情熱は今、必要とされています。その人々は自分達の望んでいるものを我慢して、褒めてもらいたい気持ちを捨てましょう。私は、若い人々とこの教会の人々に訴えます。不必要な事柄に投資したお金はいつも、清いもの、高尚なものに投資されるようにしましょう。いつも働きをケアしてきて疲れ切った老いた牧師達のための基金を創設するためにあなた方のできることをしましょう。あなた方が、主にすべきすべてを聖別しましょう。自分を楽しませるためにあなた方のお金を使ってはいけません。それを主の宝庫に置きましょう。あなた方はほかの人々の望みを単に喜ばすためにあなた方の手から資金が出て行くのを許してはいけません。あなた方の支出を考えてください。あなた方が扱っているのは主のお金です。あなた方は、主にその使用の報告をする必要があります。

 この人生において、人々が得ているものを失っている老いた人々のために、私は、イエスの中で眠りについている[人々を]あなた方の前で、あなた方の主の良いものの正しい気持ちを持つようにアピールします。あなた方は神の家令/管理者であることを覚えておきましょう。あなた方の生きている間に、自分自身、主に帰りましょう。あなた方は理性を持っている一方で、このことに加わることにしくじらないでください。老年期が私達に訪れる時、神が設立した手段に私達の資金の気持ちを持つことは私達の義務です。サタンは、とても必要としている資金、主の目的から逸らすためにあらゆる考案した手段を利用しています。多くの人々は世俗の事業において、資金についての能力において結ばれています。神の目的が、主の名の栄誉と主の真理を前進させるために、あらゆる貨幣を必要としています。私はお願いします。私達自身のために、古い蠟の袋にではなく、天に宝を蓄えませんか。私は、特に、老いた人々に訴えます。

 私は特に、教えと言葉に忠実に奉仕の働きをしてきた人々を覚えるために、自分達の財産を処分しようとしている年老いた人々に訴えましょう。あなた方の資産を、それらが神の目的に投資されうるように、人生に失敗しても健全な所に置きましょう。このように、それらは入れ替わるように進んで、常に、蓄えられるでしょう。

 私は、個々のメンバー、全体としてのこの教会に、主自身が託した資金と財産を、神に返すよう呼びかけます。このようにあなた方は、天に宝を持てるでしょう。あなた方の心をイエスに対して真実になるようにしましょう。あなた方はすべての聖徒達の中で、最も小さき者であると感じていますが、やがて、あなた方はキリストの体[教会]のメンバーです。そして、主を通してあなた方は、天の知者達の能力と高貴さと共に、主のすべての人間の働き人達と同一であると認めました。私達は自分自身のためだけに生きている人はいません(None of us liveth to himself.)。自分自身のために狭くではなく、利己的な関心のためでもなく、互いの感化がすべての人々の力となるように、お互いのために一つの義務の立場が託されています。もしも、私達が、人々と天使達、世界の人々に個性的に目を見張らせる者だったと実際に信じていたならば、私達は一つの教会として、今現しているものとは全く別の精神を現したのではないでしょうか。

 小さいものから大きいものまで、慈善の流れはいつまでも流れ続けるでしょう。神の摂理は私達の気前の良さ以上に前進して、私達の前途のかなたにあります。神の目的を達成して前進するための方法は、見せびらかしを愛し、贅沢、貪欲、プライド、利己心によってつまずきました。この教会全体は、この働きの支部に厳粛な責任を課せられています。その教会のメンバー達が、キリストに倣っているならば、その人々は、ドレスの愛好、豪華な家と華麗な家具などによる見せびらかしの愛好を否定するでしょう。セブンスデー アドベンチスト達の間で、世俗の人々から大きく識別される大いなる謙虚以上のものがあって当然です。そうでなければ、私達が繫がったこの働きの特徴や私達の地位が何であれ、神は、私達を受け入れないでしょう。節約と自己否定は、慈善のための節度ある資金と状態を備えるでしょう。天への足取りにおいて、権威者に対して自己否定の道に謙虚に歩むことは、キリストを学ぶすべての者の義務です。クリスチャン生活は自己否定の一つでしょう。助けが求められた時、私達は応答するための備えがなされるでしょう。

 サタンが魂達を滅ぼすために一貫したエネルギーで働いている限り、収穫のための畑のどの地域でも働き人達の求めがある限り、いつまでも、多くの働き人達の誰かに神の働きへの支援の求めがあるでしょう。私達は、ほかの人が追体験する特徴の道をつくるために唯一の必要を追体験しています(We relieve one need only to make way to relive another of like character.)。自己否定は、私達のために貧しくなった主の臨在の中に永遠に住むために相応しい私達をつくり、「よくやった」との神の誉め言葉を勝ち取れるような品性と習慣を発達させる高い価値のある投資資金を得ることを求めました。私達は主の清貧を通して永遠の富を受け継ぐでしょう。

                      

 責任ある地位にいる人々は、責任を負う危機の下で押し潰される危険性の中にいます。しかし、主は、負うことに重すぎる重荷を誰にも与えていません。主は、主と共に働いている人々の心に課されているのを許して、主の前で全ての重荷を測っています。私達が愛している主のすべての働き人達のために、天の父は「汝の重荷を主に委ねなさい。主は、汝らを支えるでしょう」(詩編55:22 KJV)と言っています。大きくても小さくても、主はすべての道で負うと、重荷を負う者達は信じましょう。

 イエスは、私達が主を信頼している時だけ重荷を負うことに同意しています。主は「重荷を負った汝らはみな、私のもとに来てください。あなた方の重荷を私に与えてください。人間の働き人達が行なうことの不可能な働きを行なうために私に信頼してください」と言っています。主に信頼してください。心配事は、盲目であり、将来を識別できないことです。しかし、イエスは、最初から最後まで見ています。そして、あらゆる困難において、主は、慰めをもたらす主の道を備えました。キリストにとどまってください。私達を強くする主を通して、全てのことを行なうことができます。

 聖別された働き人のゆえに、物事は何かの悪い方に行くでしょう。あなた方は、ほかの悪いコースの結果をめぐって涙を流すでしょう。でも、心配してはいけません。この働きは、祝福された大教師の指導のもとにあります。主が求めているすべては、働き人達がそれらの指示のため主に行なって、主の教えに倣うことです。その働きのすべての分野――私達の諸教会、伝道地、安息日学校、諸施設など――は、主の心に届いています。なぜ心配するのですか。命が授けられるというこの教会に見られる望みの動機は、神に信頼して調整される必要があります。「汝らは[神性に関して]私がいなければ何も行なうことができません。私についてきてください」と重荷を負う偉大な教師が言いました。彼は、私達がついて行く必要のある道に導いています。

 主の働きをもっと急いで前進させる努力をするように、神が人に与えた力を酷使する人がいないようにしましょう。人間の力はこの働きを担うことができません。これは、天使のような知者達の力に結ばれる必要があります。このようにしてだけ、神のこの働きは完成をもたらされるでしょう。人間はこの働きで神の分を行なうことができません。パウロが植えたでしょう。アポロが水を注いだでしょう。神は成長を促しています。いつも最善を尽くして、また、神が、偉大な働き人、大教師であることを自覚して、シンプルで柔和に、人間は神性の働き人に協力する必要があります。人は、自分の身体的・知的能力を滅ぼし、自分が蓄えている力を使い果たすために自己確信を教える必要はありません。今、重荷を負っているすべての働き人達は、[その重荷が]脇に降ろされるべきだということを通して、神の働きは前進させられているでしょう。その働きにおける熱心さは、理性によって抑えられるようにしましょう。主だけが成し遂げることができることを行なうよう私達の努力を増やしましょう。


 

翻訳に当たって使用した用語

 

[  ]内は、訳者の挿入語です。

agency」:働き人。福音社訳GCではGod's agencyを「神の機関」と訳していますが。教会は神の機関ではありません。教会には天から出向して来た御使いは存在していません。

be to」:これは、予定・運命・義務・命令・可能・仮定の意味があります(『ランダムハウス英和大辞典』)。人を裁く「ねばならない。べきである。してはならない」を避けて、「られようとしている。義務がある。必要がある。ためのものである。可能です」と訳しました。ただし、「必要がある」はneedmustとの区別ができません。「可能です」は、canとの区別ができません。日本語への翻訳作業には、このような限界が存在しています。なお、「存在」を使って「私達は存在しています」のように訳した箇所もあります。

follow」:倣う、つく、就く、従う。「従う」は強制の意味があるので、避けました。

the General Conference」:SDA全体総会、generalには世界という意味はありません。

Godhead」:主なる神。これはKJVだけが使用している用語。「神の長」、父・子・聖霊の神を意味しています。

the Great Teacher」:偉大な教師

the great men」:世界を支配する主だった人々

instrument」手段/道具。これは、神の働きをする人の謙遜語や謙譲語。

Jehovah」:ヘブライ語の聖なる四文字(hwhy)はヤハウェと発音するのが正しいので、本書では「エホバ」の訳を避けました。へブライ文字は右から読みます。英語のYHWHに当たります。E.ホワイトが用いていたKJVでは「Jehovah」ですが、NKJVでは「Lord()に修正されています。

leprosy」:癩病。これは現在では差別語で、ハンセン病と言われています。当時は差別語として発見されていなかったので、本書ではそのまま訳出しています。

lord of hosts」:万軍の主。Hostは、主催者、もてなす主人という意味。

The Master」:大教師。キリストのこと。

minister」:奉仕の働き(p.43参照)。奉仕。牧師。DAの「公生涯」は誤訳。キリストには天のministryがあります。

missions」:地方支部

One」:御方。これはキリストのことです。

sanitarium」:これは、J.H.ケロッグの造語です。本書では、サナトリウム(保養地、療養所)と訳しました。

soul」:魂。これは、体と心と精神の統一体という意味です。

they」:その人々。それ。「they」は、「彼ら、それら」のほかに「彼女ら」も含んでいます。「彼ら」と訳すと、「彼女ら」を含まなくなるので、「その人々」としました。

Mrs. White」:ミセスホワイト。「夫人」は差別語または不適切語。「妻人」は存在しない。

 



[1] 訳者加筆。「現在の真理」は、再臨、安息日、至聖所での調査審判、信仰による義、千年期、聖化、その他です。

[2] 訳者加筆。「現在の真理」は、再臨、安息日、至聖所での調査審判、信仰による義、千年期、聖化、その他です。

[3]訳者加筆:『セレクテッドメッセージ』第2巻の28章に[有毒]薬剤drugs使用に関する記事があります。

 1800年代後半では、下剤として水銀(猛毒:神経障害・死亡)、回虫の駆虫剤(?)としてヒ素(猛毒:胃腸障害・呼吸困難・死亡)が処方されていました。著者はこれらの有毒薬剤の使用に反対する勧めcounselを書きました。著者は、drug, drugs medicationという単語を使っています。彼女の時代では、「drug」といえば、有毒のものが普通に使用されていたので、翻訳に当たって、[有毒]薬剤としました。今日では、安全性が確認されたものが薬剤と言われています。彼女は、現在の安全性が確認された薬剤を否定しているのではありません。日本で、整腸剤キノホルムによる薬害「スモン:視神経・末梢神経障害」、血友病治療薬へのHIV:ヒト免疫不全ウイルス混入などの薬害がありました。彼女の時代には現在の薬害と同じことが起きていました。それを否定しています。

[4] 訳者註。本書の74頁に解説しましたが、この薬剤は、現在の薬剤とは異なったものです。当時は、ヒ素(有毒)や水銀(有毒)が薬剤として使用されていたので、彼女は、このような表現をしています。

[5] 訳者加筆。印税について。当時のアメリカでの印税の率はどれほどだったのか知ることはできませんが、2%から10%くらいでしょう。

[6] 訳者加筆。八福:八つの祝福:マタイ53-11にある、心に不足を感じている人々、悲しむ人々、柔和な人々、義に飢え渇く人々、憐れみ深い人々、心の清い人々、平和をつくる人々、義のために迫害される人々への祝福を意味しています。

 

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