セレクテッドメッセージ 第3巻 第二部
第7部 様々な基準
はじめに ――エレン・ホワイト遺稿管理委員会
クリスチャンは、彼や彼女が捉えている諸々の基準を見守り続けている必要があります。私達が、様々な規準を拒否したこの世界で生活の変化に直面している時、教会員達と協力してかつて高く掲げた自分達自身の諸々の基準は、いつの間にか低下している可能性があります。
私達は、過去の時代と私達の時代に、神が主の人々(民)に送ったメッセージを調べるために存在しているならば、私達は主の意思と調和して歩むために、主の民を繰り返して励ますことの必要性を、どのようにして、主が見つけたかを考えています。私達の時代に、このことは、安息日遵守、ドレスとその装飾品、健康改革を受け入れられうる特殊な真理です。この第3巻に先立つ[1巻と]2巻の出版以来、これらのラインに沿って、エレン・ホワイトの勧めの原稿類と手紙類をあちらこちらで発見した価値ある内容のいくつかは『アドベンチストレビュー』誌で出版されていて、現在、この本の中に掲載されています。
出版された原典からのいくつかの内容はこの第7部の4章分に収められました。『祈りの態度、変わる礼儀作法』(The Propriety of Varying Attitudes in Prayer)という内容のグループを表している章は、あるものは謙虚と崇敬のしるしとして、祈りによって跪くためのセブンスデー
アドベンチストに呼びかけられている『セレクテッドメッセージ』第2巻pp.311-316と『福音宣伝者』pp.178,179に見られる「勧め」の応用を漉したものなので、適切と思われます。その指導は公的な礼拝と個人的な献身の両方によってひざまずくための懇願する人を招いています。その一方で、エレン・ホワイトの明白な勧めと、そのひざまずきを示唆した彼女の例は、祈りの中で引き上げられる時に、全ての例に求められているのではありません。その表された内容は、エレン・ホワイトの奉仕の働きの広い範囲から引用されています。――エレン・ホワイト遺稿管理委員会
27章 礼儀正しさの恵み
[1.礼儀正しさの魅力]
キリストのために働く人々は、清く道徳的に正しく、信頼される者となるために存在しています。また、その人々は心が優しく思いやりがあって、そして、礼儀正しくなるために存在しています。真に礼儀正しい人々の交わりの中に魅力の一つがあります。親切な言葉の数々、感じのよい表情、思いやり深く礼儀正しい態度はきわめて貴重な価値に属しています。思いやりのない無作法なクリスチャンは、ほかの人々への無関心によってキリストと繫がっていないことを表しています。それでは、キリストと繫がるようになること、そして、思いやりがあるようになることは不可能です。
キリストのこの地上での生活の中に存在していたことは、全てのクリスチャンにも存在する必要があります。彼の染みのない清らかさだけではなく、忍耐強さ、高貴、快活などの性質は、私達の手本です。彼は一つの岩のように、真理と義務に関した場では決然とした態度でした。しかし、彼には変わらない親切と礼儀正しさが存在していました。彼の生活は真の礼儀の完全な例証です。彼はいつも一つの表情と、貧しい人と精神的に重圧を感じている人々のための一つの慰めの言葉を持っていました。
彼の存在は、清い雰囲気を家庭にもたらし、また、彼の生活は社会要素の真ん中で働いているパン種(イースト菌)のようでした。悪意がなく、汚れがありませんでした。彼は考えのない人々、配慮のない人々、無作法な人々、すなわち、不正な税の取り立て人、不義なサマリヤ人達、異教の兵士達、農場労働者達など、さまざまな群衆の間を歩みました。彼は、弱った人、また、重荷を負うことを強要された人を見た時に、ここで一つ、別の所で一つ、同情の言葉を語りました。彼はその重荷を共に負い、そして、自然界にある神の愛、優しい振舞いと神の善良さから得た教訓を繰り返して語りました。
神の子ども達として、人々に現れる一つの品性に到達し、害がなく欠点のない者になることが可能な保証を彼らの前において、彼は最も粗野な人、無作法な人に希望を持って霊感が注がれることを求めました。
1)信者ではない人々への奉仕の働き
キリストはユダヤ人の一人でしたが、その民族の価値のないパリサイ的な慣習を担って、彼はサマリヤ人達と混ざりました。彼らの偏見に直面して、彼は、見下された人々を親切にもてなして受け入れました。彼はその人々の屋根の下で眠り、彼らのテーブルで共に食事し、彼らの手によって提供され用意された食物を食べました。そして、その地域の通りで教え、最高の親切と礼儀作法で彼らをもてなしました。
イエスは、人間性の尊厳を認めた共感と社交的な思いやりのある行為を示すことによって、税取り立て人達のテーブルに敬意をもってゲストとして席に着きました。こうして、人々は、彼の信頼に値する者になりたいと思いました。その人々の渇いた魂に、彼の言葉は祝福と命を与える力となって降ってきました。新たな衝動が目覚めさせられました。新しい命の可能性が疎外された社会の人々に開かれました。
2)福音のための強い主張
キリストの愛は生来の性質から全ての粗野を洗練し心を円熟させています。彼から、陽気さの気質と高潔さや清らかさの高度な感覚への結び付け方を学びましょう。親切で礼儀正しいクリスチャンは、書き出されうる福音の書簡にある最も力強い証人です。
クリスチャンだと公言しているある指導者は、たいそう、親切と礼儀正しさに欠けていて、その人々の善意は有害なものが語られています。その人々の率直さは疑われないでしょう。その人々の正当さは疑問を持たれないでしょう。しかし、率直さと正当さは親切と正当さの欠如と調和しないでしょう。そのような人達は、人間の性質にある洗練されていない無情さはともかく、心を優しくするという思いのある贖いの計画が憐れみの計画であるという自覚を必要としています。人々は、全ての人々に思慮深く親切にする礼儀正しいクリスチャンに陶冶(とうや)される必要があります。そのクリスチャンは正しく誠実であると同時に憐れみ深く礼儀正しく、真実であると同時に共感的になるために存在しています。
この世界/世俗の人々は、できるだけ喜びをも自分で作り、礼儀正しくなるために学んでいます。人々は、交わる人々に大きな感化を及ぼすように、言葉と礼儀作法を変えるために学んでいます。その人々は、この課題を習得するために可能な熟練に「この世/世界の子らは、彼らの世代の中にいる光の子らよりも賢い」知識と能力を使っています。
あなたは、生活している時、苦役と喪失、未来の良いことへの希望がなく、ゆとりから離れている多くの人々に会うことでしょう。その将来の良くなる事に希望のない苦労と欠乏は、その人々にとても厳しい重荷となっています。また、心労と経済的問題が加わる時、その重荷はその人々が負うことができる重さを超えています。心労でやつれて重圧に悩む人々は救援のためにどこへ向かえばいいのかを知りません。あなたがそのような人々に会う時、その人々を助ける働きにあなたの心の全部を傾けましょう。神の子らが自分で自分を抑えてしまうことは、神が意図したことではありません。キリストがしたように、あなたと同時に人々のことを覚えましょう。その人々へのあなたの気配りに、憐れみ深さと礼儀正しさが伴うようにしましょう。これは、あなたがその人々を助け、その人々の信頼を得て、希望と励ましの霊感を与える道を開くでしょう。
3)キリストの恵みは全人に変える
かの使徒は私達にこう勧めています。「彼は‟清い存在である”と言われたように、汝らもあらゆる改心の方法によって清くなりなさい」。キリストの恵みは、粗野を上品にし、無作法を礼儀正しくし、自己中心性を物惜しみしなくし、全人に変えています。それは、気性と口調を統制しています。外見の行動は、兄弟のために兄弟によって、礼儀正しさと優しさとみなされる行為に見られ、また、無私の活動と励ましの言葉、親切によって示されています。天使の臨在はその家庭の中にあります。その生活は、神のもとへ昇る清い芳香である、甘い香りを呼吸しています。愛は、親切、優しさ、自制、辛抱強さによって現れています。顔の表情の様子は変えられています。天の平和が現されています。人性の愛よりももっと優れたいつもの優しさが見られています。人性は神性に与るものになっています。キリストは品性の完全と成熟によって栄誉が授けられています。それらの変容が完成された時、御使い達は歓喜の歌を歌い始めます。そして、神とキリストは、神性の似姿に倣った魂達を見渡して喜んでいます。
4)心地好い口調と正しい言葉遣い
私達は心地好い口調で話し、清い言葉を使い、正しい言葉遣いと、そして、親切で礼儀にかなった正しい言葉を、自分自身で慣れさせる必要があります。親切な言葉はその魂に露のように優しく降り注いでいます。キリストの恵みの御言葉は彼の口の中に注ぎ込まれていました。彼は「弱った人に、時にかなった言葉を使った話し方を知っている」でしょう。また、主は私達にこう命じています。「あなた方が話すことはいつも恵みが伴ったものにしましょう」。「それは聞く人々への恵みの奉仕の働きでしょう」。
あなたが付き合うようになったある人は粗野で礼儀に欠けていることでしょう。自分自身の自尊心self-respectを保っていたいと望んでいる人は、ほかの人の自尊心を必要もないのに傷つけないように気を付ける必要があります。このルールは、最も呑み込みが悪く最も不手際な人々に向かって厳粛に述べられていることでしょう。これらの一見、将来性のないように見える人々にするように意図していることは、あなたにはわかりません。主は過去に受け入れた人々の中に、主のための大きな働きをするための見込みも魅力もない人々を持っています。その心に働いている彼の精神(霊)は精力的な活動の全ての能力を目覚めさせました。主は、これらの粗野な人々の中に、熱い怒り、迫害の圧力、嵐のような激動にやがて立ち上がる、斧で切られていない石、貴重な素材を見ました。神は人が見るようではない視点から見ています。神は外見から見て判断していません。そうではなく、その人の心を探って正しく判断しています。
無私の愛の行動、優しい親切な活動によって、その人々の重荷を軽くするためにほかの人々を励ます視点で見て、自分を忘れるようにしましょう。家庭で始まり、家族の者達を超えて拡大するこれらの思慮深い礼儀正しさは、それらの無頓着さが生活の惨めさを少しも共有しないで、生活の幸の大部分を作りあげています。 『レビュー&ヘラルド』1959.8.20(32歳)
28章 ドレスと装飾品
1.好ましい服装の祝福;相応しさ、控え目、そして、よく似合う
ドレスと全ての物によって、私達の造り主の栄誉を讃えることは私達の特権です。彼は私達の衣服が上品で健康的だけではなく、相応しく似合っているようにと望んでいます。 『教育』p.248
私達は外見の様子を最良にしようとするでしょう。幕屋の奉仕において、神はその前で奉仕の働きをした人々の衣服の全ての詳細に関して具体的に述べました。このように、私達は彼に仕える人々のドレスについて、彼が好みを持っていることを教えられています。非常に特別な指導がアロンの祭服に関して与えられました。彼のドレスは象徴的でした。キリストに追随する人達のそのドレスはとても象徴的でしょう。全ての事柄は主を代表するために存在しています。私達の外見は、可能な限りの関心によって、上品さ、控え目、清潔さを特徴づけられる必要があります。 『SDA教会への証』第6巻p.96
[ユリと花たち]の性質によって、キリストは、天の価値観、控え目の恵み、清楚、清潔、相応しさの美を描いています。それらは彼を喜ばす私達の特別な服装を表しているでしょう。 『ミニストリーオブヒーリング』p.289
そのドレスとその人(人格)に縫い付けられているものは、男性や女性の指標となるよう普通に見られています。『レビュー&ヘラルド』1900.1.30(73歳)
私達は、着ているドレスのスタイルで一人の人の品性/個性を判断しています。控えめで信心深い女性は上品な服を選択しているでしょう。洗練されたセンス/品と高められた知性は、簡素、相応しい服装の選択によって表されるでしょう。彼女のドレスと彼女の礼儀作法によって、簡素で慎み深い人は、道徳的価値によって特徴づけられた真の女性であることを理解していることを示しています。どれほど、感じが良いか、どれくらい興味を引き起こすかは、野原の花たちに比べられる美しさであるドレスの簡素さにあります。
『レビュー&ヘラルド』1904.11.7
2.健全なガイドをする原則
この世界/世俗の人々が、控え目で、手近にあり、そして、健康的なドレスのモード/流行りを提供し、そして、それが聖書と調和しているならば、それは、そのスタイルのドレスと繫がる世界の人々との関係や、私達の神との関係を変えないでしょう。クリスチャンはキリストに倣って、神の言葉に順応するドレスを作る必要があります。その人々は、極端を避ける必要があります。賞賛や酷評にかかわらず、それ自体の持つ価値のゆえに、正しさに堅く信頼して、正しい方向に向かって歩み続ける必要があります。
『SDA教会への証』第1巻pp.458,459
私は、神の前に気を付けて、慎み深く歩むことを私達の[教会の]人々に懇願しています。人々が健康の原則に順応している限りにおいて、世界/世俗のドレスの習慣に倣いましょう。私達の[教会の]姉妹達は、この世代に合って、多くの人々が着ているような、品質の良いドレス、長持ちする、簡素なドレスを着ましょう。知性に疑問を満たすドレスは着ないようにしましょう。私達の[教会の]姉妹達は簡素なドレスにする必要があります。その人々は、慎ましさと実直による控え目なアピールによって、自分自身を装っているでしょう。世界/世俗の人々に、神の恵みを内面から生きた魅力として表しましょう。
『原稿』167,1897(『Child Guidance』p.414)
3.自律と光になる勧め
クリスチャンは世界/世俗の人々と異なるドレスを着ることによって、「女性用立ち襟」*を自分で作るのに苦労する必要はありません。しかし、健康的で控え目なドレスを着ることを尊重して義務を確信して徹底的にする時には、その人々は、自分でファッションを考え出しています。その人々は、この世界/世俗の人々のようになろうと、自分達のドレスを変える必要はありません。しかし、世界中のすべての人々がその人々と異にするならば、その人々は光になるために道徳的な励ましと、高貴な自律を表す必要があります。
『SDA教会への証』第1巻pp.458
*訳者加筆。下図の左Aに「女性用立ち襟」が描かれています。
『アメリカ服飾社会史』東京堂出版2009 p.57
4.センス/品の洗練 (the world世界/世俗の人)
真理は決して男性達や女性達の粗野や無作法、礼儀のない人にしません。もしも、人々が貧しくて教育されていないならば、それは、人々を罪と平凡の中に連れて行き、世界/世俗の人々から彼らを分けて、人々の品位を洗練しています。キリストの弟子訓練の下で、洗練の連続した働きは、その真理を通して彼らに聖化を続けさせています。もしも、その人々が、かの敵の力のわきに向きを変える自慢やファッション、見せびらかし、世界の人々の道/方法=キリストから離れた道に導く一つの小さな影響を及ぼすように誘惑されているならば、その人々は「自分は自分自身のものではありません」「私は代価とともに買い取られています。私は神の娘、神の息子です」と反論する言葉を言っています。
『手紙』26,1900(77歳)
5.ドレスの簡素
多くの安息日遵守のアドベンチストが考え方において、改心において、ドレスにおいて、世俗的になっていくのを見た時に、私の心は悲嘆にくれました。この世俗の人々に与えるために託された憐れみの最後のメッセージを持っていると信じて叫んでいる人々は、世俗のファッションに惹きつけられて、追随を許ことが自分達の信仰の告白と考えていることについて言えば、世俗の人々に追随する熱心な努力をしています。私達の[教会の]人々の間での世俗のドレスは、信者ではない人々がしばしば注目していて、とても人目を引いていて、「人々のドレスによって、あなたは世俗の人々と識別できません」。ここに私達は真理があることを知っています。多くの例外がありますが、ここに私達は真理があることを知っています。
訳者加筆: 19世紀の女性のファッションを紹介します。大人も子供もウエストを締め付け、ドレスをフープで膨らませています。まるで、蜂のようなくびれです。E.ホワイトは、これを不健康と書いています。
『子供服の歴史』東京堂出版 2016 p.138
『図解 貴婦人のドレスデザイン』
マール社 2013 p.190
『装いのアーカイブス』日外アソシエーツ 2008 p.210
『西洋服飾史』東京堂出版 1999 p.111
エレンと長姉(左図と同じ物を装着)
世俗の標準に合わせている人々は、多くの中のわずかではありません。私達は、世俗の人の手本に倣ってほかの人々を導いて、感化を及ぼしているのを見ることに悲嘆しています。
世俗化によって紹介されたファッションのまねをする人、キリストの名を名のっていた人々を見た時、私は最とても心を痛める影響を受けました。キリストのような品性を欠如することは、全ての人々に見られています。神の視点に高い価値のある柔和と平穏の精神の飾りである内面の敬いが欠如するクリスチャンと同じように、表面上の敬いによって世俗が現されています。……
1)心の状態が提示された
私達は、世俗のスタイルによる人々のドレスを作る傾向に対して、私達のクリスチャンの姉妹達に注意しています。神の家は、現在のクリスチャン女性と告白しているドレスによって世俗化されています。ファンタスチックなドレス、金の飾り、派手なレースは、確かに心のおごりと頭の悪さを指し示しています。
ファッションの流行にのるために、私達の[教会の]多くの若い人々は生活の状態を正しくしない出費を被っています。貧しい親の子ども達は裕福な人々が着るドレスを求めています。親達は、自分の子ども達の虚栄心を満足させるために衣服を仕立て直して、丈夫にして、神の与えた時間、自分達の財布に重い負担をかけています。もしも、財産を豊富に持っている私達の[教会の]姉妹達が神に対する自分達の責任を考えて、自分達の豊かな財産と調和しない自分達の出費を調節するなら、自分達に委託された財産の賢明な管理者として、その実例は、私達の間に現在存在しているこの不幸にとどめるために多くのことをするでしょう。
2)サタンの方策
サタンは、家計の無駄な出費へと導くように考案したファッションの背後に立っています。その時代のファッションの形成において、彼は一つの確たる目的を持っています。彼は高く聖なる目的のために利用されないファッションの求めに合うように使われる時間と資金を知っています。貴重な時間は、限りなく変更されて決して満足しないファッションの一定の歩調を保って使われています。あるスタイルが導入されると、時代の最先端を行くファッションを求める人々のために、そのドレスはリフォームされるので、すぐに新しいスタイルが考案されます。このように、クリスチャンと公言している心が二つに分かれたクリスチャン達は、この世界/世俗に与えるほとんど全てのエネルギーと時間を[服を縫うために]無駄にしています。
この不必要な全部の重荷は、私達の[教会の]姉妹達によって、意図的に身に着けられ引き継がれています。彼女達の重荷の半分は、そのファッションに追随することを許容することから来ています。また、彼女達はそのくびきを熱烈に受け入れています。その理由は、ファッションが自分達の崇拝している良い物だからです。彼女達は、完全な虜であり、また、独立について話しているような奴隷の手枷足かせに本当に捉えられているようなものです。彼女達は、独立の第一の原則をわかっていません。彼女達は自分自身の判断、好み、知性がありません。
サタンは、限りなく変化するドレススタイルによって心を夢中にさせることに驚くほど成功しています。彼は、女性達の知性がファッショに追随し、熱狂的な望みに満たされ続けていて、また、彼女達の道徳的な感性が弱まり、自分達の真の霊的(精神的)な状態に気付くように目覚めることができない、ということを知っています。彼女達は望みなく、神なく、世俗的です。
3)好みと適正と長持ち
私達は、ドレスの適性や好みを否定しているのではありません。ドレスの正しい好みは軽蔑されたり非難されたりするために存在しているのではありません。襟の羽毛飾り、花のような飾り、装飾などは取り去りましょう。私達は、私達の[教会の]姉妹達に長持ちする品質の良い物を手に入れるように勧めています。安物の布地を買う[1]ことによって財産を守ろうとしても何も得られません。贅沢を表すことなく、簡素と上品さのある衣服を着ましょう。ファッションのとりこから抜け出すヤングレディ(若い女性)は社会の人々の飾りとなるでしょう。彼女のマナーと彼女のドレスが慎み深く簡素な人は、真のレディが道徳的な価値によって特徴づけられているということを理解していることを示しています。 『原稿』106,1901(『レビュー&ヘラルド』1918.3.20),74歳
ドレスにおける自制は、私達のクリスチャンの義務の一部です。あらゆる種類の装飾品と宝飾品を控えることと、ドレスを簡素にすることは、私達の信仰を保つことの中にあります。私達は、楽しみを愛好してドレスの贅沢心を満足させている世俗の人の愚かさを見ている多くの人々に属していますか。もしも、そうであるならば、私達は、次の世界/来世のための配慮と思想を持たない人々で、この世界/現世だけのために生きている人々の心と知性を占めているこの精神(霊)に支持を与えている全てのことを避ける層の人々に属する必要があります。 『SDA教会への証』第3巻p.366
6.私達はどこを漂っているか
バトルクリークにある私達の[教会の]施設の一つで数週間を過ごしたある姉妹は、そこで見て聞いたことによって、とても失望を感じたと言いました。彼女は、真理の知識と宗教体験の二つで、新しい教会が次々と組織されていくことによって、人々が遠くに見えたと考えました。ここで、彼女は遠くの州の彼女の信仰の姉妹達に伝える多くの指導を得るための希望を持ちました。しかし、彼女は、自分に差し伸べた全ての援助の手の献身の欠如と世俗化と、その教えの光に苦痛と驚きを感じました。
この特別な真理を受け入れる前に、彼女は自分のドレスに世俗のファッションを取り入れていました。そして、高価な宝石と装飾品を付けていました。しかし、神の言葉に従うと決心したうえで、彼女は、その教えが不必要な飾りとあらゆる贅沢を捨て去るようにと求めていると感じていました。彼女は、セブンスデー
アドベンチスト達は金や銀の宝石などアクセサリーをつけない、そして、自分達のドレスに世俗のファッションに順応しなかった、と教えられました。
彼女が、聖書の簡素さから大きく逸脱したようなことを、この信仰を告白する人々の間で見た時に、戸惑いを感じました。その人々は、彼女の人生を慰めて励ましてきて、彼女が学んできた聖書と同じものを持っていなかったのですか。彼女の過去の体験は単なる熱狂的な言動だったのですか。彼女は、偉大な使徒のあの言葉を誤解していたのですか。「世界/世俗の人々との友情は神の敵です。なぜなら、誰でも、世界/世俗の人々と友人であることは神の敵です」。
その施設のある立場で働いていたレディの一人、ミセスDは、ある日、○姉妹の部屋を訪れました。○姉が自分のトランクから金のネックレスや鎖を取り出した後で、このアクセサリーを処分し、そして、主の宝庫に収めたいと思った、と言いました。ミセスDは言いました。「なぜ、あなたはそれを売るのですか。私はそれが私の物だったならば、それを身に付けるでしょう」。○姉は「なぜ」、「私がその真理を受け入れた時、私は‟それら全てのものは捨て去られる必要がある。確かに、それらは神の言葉の教えに反している”と教わりました」と答えました。そして、彼女は、この点についてパウロとペテロの言葉を引き合いに出しました。「そのようなマナーによって、また、その女性は自分自身を慎ましく節度を持った控え目な衣服で飾ります。編んだ髪、金や真珠や高価な美しい服装でもなく、しかし、(信心深いことを公言する女性となる)良い働き[という服で飾ります]。それを飾ろうとする人々は、編んだ髪、身に着けた金、服につけた金で外側を飾らないでしょう。しかし、それは人の心に隠されているでしょう。それは堕落しやすいものではなく、いつも、柔和で平穏な精神の飾りです」。
応答の中で、そのDレディは、一人の未信者によって彼女に与えられた金の指輪をはめていました。そして、そのような飾りを身に着けることに害はないと考えていたと言いました。彼女はさらにこう言いました。「私達はそんなに特別な存在ではありません。かつては、私達の[教会の]人々は、ドレスの問題に関する意見が几帳面すぎていました。この施設の女性達ladysは、ほかの人々のように、ドレスと金時計と金の鎖を身に着けています。私達は良い感化を及ぼすことができないので、私達のドレスがほかの人と違うことは良い処世術ではありません」。
1)キリストへの相似か、世俗への相似か
私達は、これは、キリストの教えと調和していますか。私達は、世俗の習慣か、神の言葉のどちらに追随するために存在しているのですかと尋ねています。私達の[教会の]姉妹達は、聖書の標準を堅く守ることは最も安全なことだったと決めました。ミセスDと同じようなコースをとるほかの人々は、やがてすべての人々が自分の働きに応じて受ける自分達の感化の結果に出会って喜べますか。
神の言葉は明らかです。その教えは、間違う可能性がありません。主が私達にそれを与えたとおりに、私達はそれに従いましょう。あるいは、私達は、救われるのか、どれくらい脇道へそれうるかを知るように求めるのでしょうか。私達の[教会の]施設と繫がった全ての人々は、その神性の光を受けて従うでしょう。そして、このような人々は、闇を歩む人々に光を伝えることが可能となるでしょう。
世俗の人々に一致することは、私達の[教会の] 人々の有用性をひどく妨げ、霊性/精神性を弱める一つの罪です。私達が日常生活の付き合いで特別な警告のメッセージを否定している一方で、世俗の人々へそれを宣布することは無価値なことです。 『レビュー&ヘラルド』1882.3.28(55歳)
7.救われるべき、自己、利己心、私欲
腕輪をして金と装飾品を身に着けている人々は、たとえ、それに払ったよりはるかに安くても、自分達の容姿からそれらの偶像を取り外して売り払い、また、そのような自己否定の行動によって、賢明な措置を取りました。金や銀、高価な衣服によって体を飾る時間はあまりに短いです。私は、良い働きがこの水準でなされ得ることを知っています。天の司令官、イエスは王家の冠と王衣を脇へ置いて、そして、玉座から歩いて降りました。そして、人性の衣服と神性の衣服を着ました。そして、私達のために貧しくなりました。私達は彼の清貧をとおして永遠の富の財産の中に行けるでしょう。キリストが全てを為したゆえに、永遠の破滅から魂の滅びを救うことが可能になった人は、買うために持っているお金について、どれをも自分自身で否定するので、処理の仕方を感じています。
主は、まもなく戻ってきます。主による報いは、主の働きのために全ての人人に与えるための、主と、主の前での主の働きと共に存在しています。私は、なされうる最も大切な働きを成し遂げるために、主のお金を管理している人々の前に表すように心がけています。人々は、個人的な、自己否定を通して、多くのことを為すことが可能です。もしも、全ての人が小さなことをするならば、多くの小川が天に向けての完全な流れを作っているでしょう。
その立場を取ることは、多くの人々にとって困難なのは事実です。自己、自己、自己は、仕えられ称賛されずにはおかれないので、みんなが神と共に働く者達となることはとても難しいことでしょう。自己犠牲の精神は、全ての教会に訪れるでしょう。このように、近くでも遠くでも、全ての魂はお金の価値を学び、できる範囲でそれを使うことでしょう。そして、こう言うでしょう。「そなたのものです。主よ、私達は汝に与えます」(1歴代誌29:14)。
私達は、何を食べようか何を飲もうか、そして、十分なお金について、何を着ようかと、心配して考える時間を持っていません。私達は簡素に生きて、簡潔に働きましょう。私達は、行く所ではどこでも受け入れられるような気品のある着方で、控え目なドレスにしましょう。アクセサリーと高価なドレスは、私達に感化を与えません。しかし、(キリストへの奉仕のための献身の結果としての)柔和の飾りと平穏の精神/霊は、私達に神の力を与えるでしょう。私達の周りの人々への配慮と親切は、天の視野では貴重な素養です。もしも、あなたが、それらの恵みの才芸に注意を払っていなかったのならば、浪費している時間はないので、今、それをしましょう。 『原稿』83,1909(82歳)。
8.セブンスデー
アドベンチストの牧師達の使用に耐える服[2]
(訳者解説。日本語の「ドレス」は女性の衣服という意味ですが、本来、dressは、男女に関係なく、衣服という意味です。そのほか、包帯を巻く、髪を梳く、庭木を整える、礼服などの意味です)
エフェソ人への手紙3:6,7「その異邦人達は継承者の仲間になるでしょう。そして、同じ体[教会]に属し、この福音によってキリストにある約束に与る者達に属しています。それについて、神の恵みの贈り物によれば、神の力の働きの結果として私に与えられ、私は一人の牧師としてたてられました」(KJV)。
「それについて、私は一人の牧師としてたてられました」という、その真理をその[教会の]人々に単に表したにすぎなかったのではなく、その生活にそれを実践するために表しました。……しかし、それはこのことだけではありません。そこには、考慮されるためのほかの事柄があります。いくつかは、無頓着になされました。しかし、その光によって、私の前に表されたその人々に、成り行きがありました。……
ドレスへの配慮は一つの大切な項目アイテムです。現在の真理を信じている牧師達にこの点で欠如がありました。それどころか、ある人のドレスはだらしない服装でした。相応しい色でキリストの牧師に似あった服でしたが、その人の相応しい作法として、ドレスの組み合わせに品位とバランスが欠如していただけではなく、ある人の服装はだらしないものでした。ほかの牧師達は、派手な色のベストを着ていましたが、一方、彼らのズボンは黒色でした。あるいは、黒いベストに派手なズボン、彼らがこの[教会の]人々の前に出る時、その人々のドレスの組み合わせも品位ありません。これらの事柄は、この[教会の]人々に説教しています。その牧師は、組み合わせの手本を教会の人々に与え、自分達の衣服の品位と適切さの作法をその人々の前に表しています。あるいは、その牧師は、その人々に、次に述べる危険な状態の品位の欠如とだらしなさの教訓を与えているでしょう。
1)説教壇のための相応しい服装
異なる2色か3色の組み合わせの衣服によって与える印象よりも、黒かダーク素材は、その説教壇の牧師にとても相応しいもので、この[教会の]人々に良い印象を与えるでしょう。
私は、古代イスラエルの子らを振り返るよう取り上げ、神が主の前で奉仕の働きをした人々が着たドレスの素材とスタイルと思われる特別な指導を与えたことを指し示しました。服の袖で世界/世俗の人々を動かし、健康と命を私達に与えて支えている天の神は、主の前で儀式を執り行なう彼らの衣服によって、主が尊敬されるか尊敬されないかという根拠を私達に与えました。神は、モーセに、主の礼拝に関連する全ての事柄について特別な指導事項を与えました。さらに、神は彼らの家[幕屋]の組み合わせと、主の礼拝において、牧師[奉仕の働き人]のために存在している人々が着るべき特別なドレス[祭服]の組み合わせと思われるものの指導を与えました。それらはすべての事柄のバランスを守るために存在していました。……
2)その光の印象は作られるでしょう
彼らが主の臨在の中に入った時、そこは、主の前に現れた人々に緩んだ規律とだらしなさが存在するための場所ではありませんでした。なぜ、ここに存在したのですか。この配慮の全ての目的は何ですか。それは、単に主の是認を得るためでしたか。
私に与えられたその理由は、一つの光の印象がこの[教会の]人々につくられるでしょうということでした。もしも、神聖な任務[聖所で奉仕の働き]に就いている人々[祭司]は、彼らの衣服と立ち居振る舞いにおいて、天命の保持と神への崇敬に失敗するならば、この[教会の]人々は、畏敬の念と神への崇敬、そして、主の神聖な礼拝に失敗するでしょう。
もしも、その祭司達が、主の臨在の中に入った時、非常に慎重に非常に特別な存在によって神のための強い崇敬を示したならば、それ[祭司]は、その人々(民)に高貴にされた神の考えと神が求めたことを伝えました。神が聖なる存在だったこと、主の働きは神聖だったこと、そして、主の働きに関連した全ての事柄は聖である必要があるということは、それらが示しました。それは、不道徳や汚れたもののような全ての事柄から解放されている必要があります。また、全ての神聖さを汚すものは、神のそばに近づく人々から遠ざける必要がありました。
3)牧師達のドレスとその真理
私に与えられていた特別な光/真理から、そこには、この敬意の中に一つの軽率がありました。私は、パウロがそれを表しているように、それについて話しましょう。キリストの体[教会]の無頓着と意図的礼拝によって行なわれています。しかし、この体[教会]の無頓着さとこの意図的礼拝、この自発的な謙虚は、天の香りのある謙虚ではありません。その謙虚は、正しく完全に礼儀にかなって、神の聖なる真理を説く全ての人の衣服と行動と人格のための特別なものになるでしょう。ですから、私達と繫がったすべての品目アイテムは、私達の聖なる宗教を推奨しているでしょう。その真のドレスは、信徒ではない人々に特別な真理を推奨するものとなるでしょう。それは、それ自身によって、一つの説教となるでしょう。……
自分の衣服に無頓着な牧師は、牧師達の良い品位と分別の洗練を傷つけています。この敬意に失敗している人々は、自分達の誤りを正し、慎重になる必要があります。やがて失われる魂達は、その牧師のだらしなさの跡をたどっているでしょう。彼が表した聖書の真理と彼の第一印象がどうしてもつながらないので、その第一印象がこの[教会の]人々を好ましくない結果にしてしまいました。彼のドレスは彼に敵対していました。そして、彼が役割を演じてその人々に与えたその印象は、その人々のドレスについて何も配慮されず無頓着さが付属していました。彼の聴衆は、そのような階層の人々で何もしようとは思いませんでした。……
4)ドレスによって判断された牧師の働きの計画
ある牧師は、神聖視された物で自分達とその[教会の]人々のドレスをたいそう飾っているので、少なくともある範囲の人々は牧師達の働きの感化を打ち消しています。そこには、似合いの色と相応しさについて品位の明白な欠如があります。そのようなドレスのマナーによって与えられる印象はどのようなものですか。それは、畑を鋤で耕している時の一般労働者と比べて、まったく高められも神聖にもされないとみなされるものに繫がった働きです。その牧師は、自分の手本によって、神聖視された物を一般の物のレベルに貶めています。そのような説教者の感化は神を喜ばせていません。
『SDA教会への証』第2巻pp.609-614
9.ドレスを作るうえでの一つのテストとしての質問
あなたの手紙を受け取って読みました。……あなたが、(1860年代後半に着られ擁護されたあの改革されたドレスに戻るという提案)について、相談のために私に尋ねたテーマは、慎重に考慮される必要のある一つのテーマです。私達の[教会の]姉妹達の知性は、改革ドレスの問題の話で再び感情をかき乱されています。人々がするあらゆる動きに慎重で注意深くある必要があります。私達は、この特別な時代の期間のために神の言葉から私達に与えられた重要なテスト、最も厳粛なものを持っています。このテストはこの世界/世俗全体の人々のために存在しています。主は、人間が考案した何かのテストは、この[教会の]人々の知性を逸らすため、あるいは、何かの基準によって論争が起こされるために持ち込まれるようなことを求めていません。
ある人は、何かの方法を識別して見つけ出すことを強く望んでいます。もしも、その人々がサタン的な働き人達との論争を強く望んでいるならば、最初に手に入れている神の鎧兜の全ての部品について、そのままにさせておきましょう。もしも、その人々が[それを]持っていないならば、その人々は、間違いなく負かされ、[彼らに]会うための用意がされず悲痛な試練と失望に見舞われるでしょう。みんなで、主に、深く豊かな体験を最大に熱心に求めましょう。その体験は、その道を導くキリストについて行くための心の準備のテーマを見つけるために存在しています。
主は、「どんな人でも、私の後についてきたいなら、自分自身を否定し、そして、自分の十字架を負って、私についてきましょう」と言っています。これらの言葉は、とても重い荷を負わせられるために存在しています。キリストの足跡を歩むことを選んで、彼についていくことを望む人は、その道にある十字架と自己否定を見つけるでしょう。キリストについて行く全ての人々は、これらが含まれていることを理解するでしょう。
1)ドレスはテストの質問とはならない
神のテストは、今、明白に間違われることなく際立つために存在しています。私達の前には、複数の嵐のような騒動や夢のような理想の論争が存在しています。現在、私達の[改革]ドレスに特別な何かの手直しは必要ありません。現在着ているドレスの最も健康的な方法で作られ、フープ(腰輪)を取り去ることが求められ、長すぎて地面を引きずることもなく、地味で簡素なスタイルは、どこでも人前に出せています。そして、これらの事柄は、「神の戒めとイエスに属する信仰」の永遠の世界の運命を決定するために存在している特別な基礎テストから、私達の知性を逸らすことをしないでしょう。
私達は、この世界の歴史の終末に近づいています。ドレスの明確さについて神の言葉によって与えられているように、今、明確で率直な証が必要とされています。これは、私達にとって重荷として存在しているでしょう。しかし、この内容のテストが熱心に作られている今では手遅れです。キリストに就く全ての人々の知性の謙虚、心の備え、品性の清めなどは、簡単な働きworkによって得られないものです。私達の[教会の]姉妹達は、それらが、かつては祝福として与えられていたけれど、多くの人々によって呪いの言葉として軽蔑されて嫌われ、主がそれらをテストにしなかったと思っているでしょう。
2)その改革ドレス
かつて擁護された[3]その改革ドレスは、すべての段階で論争が提示されました。教会員達は、この改革ドレスの健康的なスタイルを適用することをきっぱりと断り、意見の不一致と仲違いの原因となりました。ある人達には、それが彼女達の前にはっきりと置かれた時に、そのドレスを[手縫いで]作る手はずの味わいも均一性もありませんでした。これは話題のタネでした。その結果、不快な容姿のズボン[4](pants)は、取り去られました。保温に必要なありがたい物blessingとして与えられていたそれは取り去られて一つの邪魔な物へと変えられたので、改革ドレスを擁護する重荷はなくなりました。
改革ドレスによってもたらされたいくつかの確たる祝福がありました。それによって、当時のファッションだったおかしな腰輪hoopsは身に着けられることがなくなってきました。通り道の汚れを掃き集め、地面の上を引きずる長いドレススカートは奨励されなくなってきました。また、分別ある賢明で目的にかなったスタイルのドレスは、現在、これらの不快な容姿が採用されないものが適用されました。ドレスの流行のスタイルは廃れるでしょう。また、神の言葉を読むすべての人々の近くに存在する必要があります。その改革ドレスの擁護に費やされた時間は、神の言葉の研究へと貢献したことでしょう。
私達の[教会の]人々のドレスは、最もシンプルに作られる必要があります。そのスカートと、私が言及するサック(昔の女性用ガウン)は、正しいからではなく、パターンでもなく、少なくとも定着されたものでもなく、そのドレスによって表されたようなシンプルなスタイルとして利用されるでしょう。ある人々は、「その与えられたパターンは全ての人々が適用するために存在していたそのパターンだった」と考えました。これはそうではありません。しかし、これと同じくシンプルな何かは、私達がある環境の下で適用するような最善なものでしょう。人々の全てのドレスをガイドするための正確なルールとして、私達に与えられた精密なスタイルは一つもありません。……
シンプルなドレスが着られるでしょう。私の姉妹の皆さん、ドレス改革の本質的な要素によって、あなたの才能に挑戦してください。
神の人々は、人々が生み出し得るこの全てのテストを持っているでしょう。
安息日の論点は、やがてこの世界全体の人々に訪れる一つのテストです。私達は、神の人々/民がすでに持っているそのテストよりも、もっと厳しいテストを作ろうとしているテストについて、今、何もする必要がありません。飛び上がって喜ぶかの敵は、今、その人々の知性を逸らすために、また、ドレスの問題をめぐる論争に神の民を引き入れるために誘っています。私達の[教会の]姉妹の皆さん、地味なドレス、耐久性のある、控え目で、この年代に相応しく、多くの人が着ているような良質のドレスにしましょう。その知性をドレスの論争で満たさないようにしましょう。……
3)ある人が表明した例
神の言葉の全ての光とともにありながら、神の指導に従わない人々がいます。その人々は、自分自身の好みによって自分達の気に入るようにしているでしょう。これらの人々は、新しいドレスの全てのスタイルをコピーしようとドレスの枠組みを作った人々で、その若い人々とこの真理を新たに持つ人々に悪い例を表しています。また、その人々の衣服と世俗の人々の衣服の間にはわずかな違いがあります。
私の[教会の]姉妹達は良心的に自分達のための神の言葉を心に留めるようにしましょう。あなたはその心を変えることができず、うまくできないので、あなたが[それを]するまで、ほかの人々のためのリフォームの作業workを始めないでください。心の内側での神の霊(精神)の働きは、体の外側の変化を示すでしょう。霊感の最も明白な言及へ従わずに冒険をする人々は、聞き入れず、受け入れず、尽力する全ての人間に倣った活動をしないばかりか、簡素、質素、単純、控え目、相応しいドレスへの崇敬をもたらすものを作らないでしょう。また、どんな方法によってでも奇妙で風変わりな服を作らないことはないでしょう。彼らは、この世界/世俗の特色を掲げることによって、自分自身を晒し続けています。[1844年からキリストの至聖所での]私達の調査期間の全体はとても短く、そして、短い働きがこの地上でなされるでしょう。神自身のテストはやがて訪れるでしょう。主の証明は鋭く、明確な結果が存在するでしょう。全ての魂は神の前に自分自身を謙虚にしましょう。そして、私達は前途に存在しているものに備えましょう。
『原稿』19,1897(70歳)
29章 神の安息日、安息日遵守における原則のガイド
1.神の世界への忠誠のしるしとしての安息日
雲の柱から、イエスは「モーセに語りました。汝はイスラエルの子らに話しなさい。間違いなく、汝らは私の安息日を守るでしょう。なぜなら、それは、あなた方の世代の間中、あなたと私の間のしるしです。汝らは私があなた方を聖にする主であることがわかるでしょう」(出エジプト31:12,13 KJV)。その安息日は、「創造主と造られたものたちの間に存在する関係のしるしの一つとして」神によって人間に与えられた堅い約束です。安息日の主は天と地の創造者なので、この世界の6日間の創造の記念と第7日目の創造主の休みの記念として守ることによって、また、主の指導によって、安息日を聖として守ることによって、クリスチャン達は、偽の神から識別されるように、生きている神、真の知識の忠実な自分達の証を世界の人々にずっと生み出して伝えるために存在しています。その御方は、ほかの全ての神々のうえに位置していました。
「それゆえ、汝らは安息日を守るでしょう。それは、あなた方に聖なので、……6日間することができるように働きましょう。しかし、第7日目は主にとって聖の休みの安息日です。安息日に何らかの仕事をする人は誰でもその人は間違いなく死に処せられるでしょう。どこでも、イスラエルの子らは、彼らの世代の間中、その安息日を守るために、永遠の契約のために、その安息日を守るでしょう。それは、私とイスラエルの子らの永遠のための一つのしるしです。主は6日間で天と地を造り、そして、第7日目に休み、そして、元気を回復しました」(14-17節)。 『原稿』122,1901(74歳)
1)安息日についての初期の勧めと子ども達
神の家は神聖性を汚され、安息日は安息日信徒らの子ども達によって破られていました。その子ども達はその家の周りを走り回り、遊び、しゃべり、そして、その集会の中で、腕白な性質を表しています。聖徒達は、神の栄光と会い、聖の美の中で主を拝するため。聖であるべきその場所、静かと聖が支配すべき所、完全な秩序、整然と謙虚が存在すべき場所が、完全な、乱雑、無秩序、だらしない、バビロンになるようにされています。これは、かき立てられた主の怒りの理由と、私達の集会の参加者から、まったく神が排除されています。主は、私達の敵たちに対して戦うために [神の選民]イスラエルの軍勢と共に出陣しようとは思わないでしょう。
神は、○の集会に勝利を与えないでしょう。私達の信仰の敵たちは勝ちました。神は不快にさせられました。神の怒りは、主の家がバビロンのようにされたことに、燃え上がっています。……
安息日には、全ての事について、みなさんの子ども達の世話をしてください。あなた方が自分から安息日を汚すと子ども達も同じようにするので、子ども達に安息日を汚さないようにさせましょう。あなたの子ども達が安息日に遊ぶことを黙認する時、神は、戒めを破る者としてあなたを見ています。あなたは、安息日の違反者です。 『原稿』3,1854(27歳)
2)騒々しい声も混乱もない
軽率な行為のないテーブルに来てください。騒々しい声と議論は一週間のうちのどの日でも許されないでしょう。特に、安息日には、みな静かに意見を述べるでしょう。強い語調の命令はどんなときにも聞かれないでしょう。でも、安息日には、それは、全部、外に置かれています。それは神の聖なる日です。主は、清め分けて聖とした創造の働きの日を記念するために取り分けました。
『原稿』57,1897(70歳)
3)私達自身の楽しみを求める
私はセブンスデー
アドベンチストと言っている人々に述べます。あなたは生きている神の印sealを[持っていると]言うことができますか。真理によって清められていると言うことができますか。私達は、一グループの人々として、私達が[言う]必要のある時のための卓越した神の律法を与えられませんでした。私達は安息日に私達自身の楽しみをする危険性の中に存在しています。
『手紙』258,1907(80歳)
4)水泳やボール遊びの娯楽を求める日ではない
神は、自分の贈り物を正しく認識していたでしょう。全ての、断片、僅か、極僅かなものは、注意深く、大切に保存されるために存在しています。そして、私達は、ほかの人々の必要を注意深く熟知するようになるために存在しています。私達が持っている聖書の真理のすべては、単に、私達の益のためというのではなくて、ほかの魂達に分け与えるため、そして、これは、人間の知性が印象を与えられるために存在しています。また、全ての親切な言葉は、その真理がほかの魂達へ豊かな流れとなってあふれ出るような通路となって道を備えるように語られるために存在しています。
奇跡によるキリストの全ての働きは、きわめて重要なもので、人間の苦悩を取り除くために安息日になされる働きがあったことをこの世界の人々に啓示/証するために存在していました。娯楽を求めること、ボール遊び、水泳などは、必要がありませんでした。しかし、神聖な日の過失・違反、怠惰は、主ヤハウェ(hwhy)によって清められました。キリストは、単に、自分の力を誇示するために奇跡を演じたのではなく、人間をひどく苦痛で苦しめていたサタンに対して、常に、人間の苦悩を制覇してサタンに立ち向かうためでした。
『手紙』252,1906(79歳)
5)安息日の食器類
私達は、それを避けることが可能であるならば、安息日に自分達の食器類をまったく洗わないことを課したものでした。主の聖なる日に何かの不必要な働きがなされることによって、神は敬意が払われていません。それは一貫性のないことではなく、好ましいものです。その食器類は、これが管理され得るならば、安息日が終わるまで洗わずに置かれるでしょう。
『手紙』104,1901(74歳)
6)安息日の一日の奉仕
ある祈りの期間の最初の安息日は真剣に活動した一日でした。「サニーサイド」とその学校からの二つのグループが一艘のボートに乗って、ドラクリークの集会に参加するために送られてきました。その人々はとても遠くて歩いてくることはできませんでした。その人々は、昼食持参で招かれていて、一日を過ごすように準備した集会に来て、そして、その招待に自由に応答していました。
「E.ホワイトは1891年から1900年(64-
73歳)まで、オーストラリアにいました。
初めはテント生活でしたが、1850年にコ
ーランボーに立てた家「サニーサイド」
に移り住みました」。
(エレン・G・ホワイト百科事典)
ある人々は、その集会にそれら[昼食]を持って来て、安息日に自分自身で賄うものだということにとても驚きました。その人々は、日曜日遵守は大まかに身体的な無活動状態から成り立っているということを教えられました。また、その人々は、私達が安息日遵守の事柄に熱中していたということを考えました。私達は、パリサイ派の人達の教えを基準にしてそれを守っていたものでした。
私達は、安息日を守る事柄について友人達と語りました。私達は、しばしば教えと癒しのために熱心な努力が費やされた安息日のキリストの教えのその例を研究し、次のことを確信しました。家族の一人を看護していた私達の[教会の]姉妹の一人は、安息日学校の一部門を担う一人としてしっかりと安息日を守っていました。キリストは主の日のファリサイ人達を喜ぶことができなかったでしょう。そして、私達は、主に仕える自分達の努力が私達の日のファリサイ人達に満足できたと思いませんでした。
『レビュー&ヘラルド』1898,10,18(71歳)
7)神聖と宗教に関係ない活動
神殿の祭司達は、安息日にはほかの日よりも多くの労働を演じていました。宗教に関係のないビジネスの同じ労働は過失・違反でしょう。しかし、その祭司達の働きは神への奉仕によるものでした。 『救い主
各時代の希望』p.285
8)遠くに伝える、教会本部の例
私の知性は、この地のこの教会の状態について、重責を負わせられていました。……そこには、ほかの場所へと前進していける救いの感化と礼儀正しさより以前に、この地で、多くの関心/敬意でその標準を高める多くの必要がありました。この真理がここで表された時、それは、この世界の人々とこの諸教会から人々へと託され、そして、教会の受け入れ能力において共に人々にもたらされました。しかし、真理を信じると表明した全ての人々がそれを通して清められたのではありませんでした。
神は、このミッション(伝道地)の中で、その働き人達に標準を高めるよう、また、神の安息日に敬意を表すことによって主の求めに尊敬を示すよう呼び掛けています。……この場所から、出版物が送り出され、そして、働き人達が神の戒めを宣布するために前進して行っています。道徳的な教えと手本の両方によって、この教会[の人々]によって正しい感化の努力がなされているということはとても重要です。その標準はたいそう低い所に置かれてはいけません。真理を受け入れる人々は、真理に従うと言い表すまで神の戒めに違反しているでしょう。よい方へ、もっと良い方へと、それ[標準]は、その人々がその聖化の真理を受け入れることができるまで、闇/無知の中に留めおくように存在しています。
9)セブンスデー アドベンチストは見張り人という存在
この[教会の]人々に働くその真理の感化は何かを見るためにこの人々を観察している人々がいます。この世界の人々の子らは、光の子らの世代よりも賢い者達です。神の戒めの第4番目が自分達の前に表されていることを主張する時、彼ら[この世界の人々]は、それに従うと言い表している人々によってどのように考えられているかを見ようとしています。多くの人々がそのように形成された意見を特別な真理として受け入れるか、または、拒絶するかによって大きく影響を受けるうえに、また、この教会の人々が告白している信仰と調和しているかどうかを調べるため、彼ら[世界の人々]は、この教会の人々が擁護しているその生活と品性を研究しています。もしも、この[教会の]人々が聖書の標準でその生き方を形成しているならば、丘の上に立てられた一つの都市として、この世界の人々への一つの光として確かに存在しているでしょう。
『原稿』3,1885(58歳)
10)安息日の栄光とその重要さ
[1851.10.8]は安息日でした。私達は思いやりのある光栄な時間を持ちました。主が私達と会って、神の栄光が私達に降り注ぎました。私達は主の豊かな良い物のゆえに、喜びと神の栄光に包まれました。……私は幻の中に連れ去られました。……
私は、安息日の重要さを少しだけ感じさせられ気づかされたこと、また、その重要さと栄光を知って気づく必要があることを見ました。また、私は、それ[安息日]がこの地上の高い地位に就くために、また、ヤコブの相続遺産/神の選民に与えられるために存在していることを私達が知らないのを見ました。植物を元気づける先の雨と実りをもたらす後の雨が、主の力の栄光と主の臨在から降り注ぐ時、私達は、それがヤコブの文化遺産/神の選民に与えられるために、また、この地上の高い地位に就くために存在していることを知るでしょう。それから、安息日の重要さと栄光を見てみましょう。私達は、神の声による私達との平和の契約が作られるまで、また、新エルサレムの真珠の門の数々のちょうつがいがきらめいて揺れて開け放たれ、愛するイエスの明るい喜びの声が、中に入るよう私達を招いている声が、死ぬ耳にかつて感じたどんな音楽よりもはっきりと聞こえるまで、その重要さと栄光の全てを見ることはないでしょう。[私は見ました]私達は、神の戒めを守っていたので、その都市の中で完全な一つの光を持っていました。そして、神の戒めを守っているので、天、心地好い天は私達の家です。 『手紙』3,1851(24歳)
2.ホワイト家の安息日1859.1.1 [ミシガン州バトルクリーク]教会の安息日、説教・バプテスマ・牧師按手礼
それは新年の始めのことです。主は、[夫]ジェームズにバプテスマに必要な説教の準備のために、また、主の聖餐式に参加するために、安息日の午後に自由を与えました。そこでは、会衆を感じていました。7人がバプテスマを受けて自分達の主について行った所のその水が全て空にされる合間[がありました]。それは、とても関心を呼び起こし、人の心を強く動かす季節でした。11歳ぐらいの二人の少女がバプテスマを受けました。一人の、コーネリア・○○は、水の中で、この世界の人々から汚されないように守られることを祈りました。
その夕方に、その教会の人々は自分達の主の手本に倣って、そして、お互いに足を洗い合いました。そして、それから、主の晩餐に参加しました。その家の中には、喜びと涙がありました。その場所は、主の臨在のうえに、畏敬と、また、栄光が存在していました。 『原稿』5,1859(32歳)
1)[ミシガン州オッセゴ] 1859.1.8 馬ソリでの移動による伝道集会の話
それは、聖なる安息日のことです。私達は、今日、神に敬意を表し、栄光を讃えるでしょう。私達は、レイトン兄弟の馬ソリで4マイル(6.4km)離れたオッセゴに行きました。その日はとても寒い日で、暖を取るのはとても難しいでしょう。とても暖かい集会室を見つけることができませんでした。どこも、たいそう雪が降って凍り付いていました。暖を取るための時間が必要でした。ラフボロー兄弟が、[調査審判の]裁きについて説教しました。それから、私が少し話をしました。全くくつろいだものではありませんでした。それから、その教会は、すぐに自分達の証をする時間にしました。 『原稿』5,1859(32歳)
2)[ミシガン州バトルクリーク]安息日
1859.3.5 ジェームズ・ホワイトの看病のためのホームステイ
今日は集会に参加できませんでした。夫が病気でした。彼を見守るために彼と残りました。今朝、主は、私達に会って、私達を祝福しました。私は、祈りの中でいつもと違って悩みがありませんでした。ジョン・アンドルーズ兄弟は、今日、2度目の説教をしました。彼は、夕方から夜まで、私達と過ごしました。私達は、その訪問にとても喜びました。 『原稿』5,1859(32歳)
3)[ミシガン州バトルクリーク]安息日
1859.3.19。集会に出席して、子ども達のために読んだ
午前中に集会に出席しました。ラフボロー兄弟が、信仰遺産/選民としての聖徒達と主にある死人の眠りからの大いなる解放について
デリア][5]、ニュートン兄弟と妻へ書いた手紙を読んでく
ださい。その手紙によって霊的な事柄を励まされてくだ
さい。その夕方に、コミュニケーションの集会と洗足式
に出席しました。私がそのような状況であることを望み
ましたが、自由ではありませんでした。 『原稿』5,1859(32歳)
4)[ミシガン州コンビス]安息日
1859.4.9 コンビスで奉仕の働きをして、見守った
おおよそ12マイル(43km)離れたコンビスに住む聖徒達に会うために、朝早く起きて、馬車に乗りました。その馬車は[クッションの付きなので]快適なものでした。ブラケット兄弟に招かれていました。人々は、彼の家からおおよそ2マイル(7.2km)離れた集会所に、私達と共に集まりました。少数の安息日遵守の仲間達は、広い学校の建物で、大勢に増えていました。[夫]ジェームズは、その人々に自由に話しました。私は少しの話をしました。集会は、2時まで持たれました。ほとんど全員がその真理への証を生み出しました。夕食後、聖なる時が過ぎて行った後の時間に、私達は、新鮮な祈りの期間を持ちました。ジェームズは、跪いて祈る前に、その子らに話をしました。
『原稿』6,1859(32歳)
5)[ミシガン州バトルクリーク]安息日
1859.4.23。集会に参加、仲間達をもてなし
奨励の言葉を話す自由を与えました。
その夕べに、主の家での聖餐式は、
大勢の出席者がいました。それは
厳粛で興味深い状況でした。私は、
とても疲れていたので参加できま
せんでした。『原稿』6,1859(32歳)
(この駅馬車には、衝撃緩衝のスプリングが
ついています。乗り心地がいいでしょう)
1888年フィンセント・ファン・ゴッホの駅馬車
6)[コロラド州デンバー]安息日
1872.7.20。歩く・書く・読む
今日は素晴らしい朝です。今日は主の休みの日です。私達は、安息日を守ることを期待しています。神は私達の努力を受け入れるでしょう。私達自身の魂は生き生きとされるでしょう。私達は、外に出て、祈って読もうと木立で身を隠すところを探しました。しかし、私達はうまくいきませんでした。私達は、宗教的なテーマや書き物、読書のことについて会話して一日を過ごしました。
『原稿』4,1872(45歳)
7)[ミシガン州バトルクリーク]安息日
1873.4.12。多くの訪問伝道
私の夫は、その[教会の]人々に午前中に話をしました。私は、出席できるとは思えなかったので家に残りました。その午後に、私は集会に出席しました。……
その集会が終わった後で、エラ・ベルデンを訪問しました。彼女と心温まる祈りの期間を持ちました。それから、私は、W.ソールズベリー兄弟姉妹を訪問しました。私達はその家族と貴い祈りの期間を持ちました。ソールズベリー兄姉はその祈りによって私達と繫がりました。私達は、みんなで、主が私達を祝福したと感じました。それから、私は老齢のモールス兄弟姉妹をちょっと訪ねました。……私は、ガードナー兄弟姉妹を訪問しました。彼は人生を閉じようとしています。病は彼を弱らせました。彼は私に会えたことをとても喜びました。私達は祈りで共に繫がり、病の人の心は慰められ祝福されました。
8)[ミシガン州バトルクリーク]安息日
1873.5.17。数マイル乗馬、休んだ
私達は馬に乗って、樫の木の林を数マイルでかけました。1時間ほど休みました。私達はそこで少し眠り、…私達は家に戻る前に祈りの期間を持ちました。その午後に、私達はその[教会の]集会に行きました。『原稿』7,1873(46歳)
9)[アイオア州ワシントン]土曜日1873.6.21
キリストの苦悩を書いた
いつもより暖かくて快適な日です。包みを取り出しました。感覚良好。キリストの苦悩を15ページ書きました。私は、自分の課題にとても興味深くなりました。ホイーラー&ヘスター兄弟、ヴァン・オストランド兄弟はその[教会の]集会に行きました。私達は何度か雨に降られそうになりました。その家族に招かれて、私が書いた内容を共に読みました。みなさんは興味があったように見えました。 『原稿』8,1873(46歳)
10)[Walling's Mills(テネシー州の川のそばのどこか)]金曜日、1873.9.12 非アドベンチストへのもてなし
私達は日没の少し前に家に着きました。キャンライト兄弟からの手紙を受け取りました。また、キャンプミーティングで、メアリー・ガスキル、ダニエル・ボーデアなどが私達に多くの手紙を与えました。私達が家に着いた時、ジョン・クランソンがそこにいたのを見付けました。私達は、安息日に私達に会いに来ることを残念に思いました。私達は、神とその聖なる日に敬意を払わない人、安息日にもてなしを求める訪問者を好みません。『原稿』11,1873(46歳)
11)[西海岸コロラド州から東海岸ミシガン州バトルクリーク]安息日1873.11.8 後悔、安息日の移動traveled
私達は、夜の間中、汽車の客車の中でよく休みました[訳者加筆。大陸横断鉄道は1869年に開通しました]。私達は、今朝、客車の中にいるというレポートは不本意でしたが、私達がSDA全体総会に出席を求められ、神の働きとその目的に繫がった状況がありました。私達は遅刻することができませんでした。もしも、私達が、自分の務めをなす存在であったならば、私達は、安息日の移動のために第4条の違反を感じたことでしょう。私達は尋常ではない会話に繫がれていました。私達は、献身的な枠組みの中で自分達の知性/精神を保つように励ましました。私達は、安息日の移動の必要性を強く後悔させられた一方で、神の臨在のあるものに属して喜びました。 『原稿』13,1873(46歳)
12)[オーストラリア、N.S.W.(ニューサウスウェールズ)シドニー] 1893.2.4
朝の講話、午後に船に乗る
私達は、シドニーで教会に行くために1頭立て2輪馬車に乗りました。そして、私は、「ヘブライ人の手紙」11章から、信仰について話をしました。主は、恵みによって私に力を与えました。私は、力をつけられ恵まれたと感じました。主の聖霊は私の上に存在していました。身体と精神/霊の力は、とてもたくさん私に与えられました。……
午後の2時に、私達が酷く恐れていた、ある移動journeyをするための蒸気船に乗り込みました。私達は、安息日に移動travelすることをひどく嫌っていました。私達の旅行用カバンはみな金曜日に備えておきました。しかし、その働きはこの世界の人々にメッセージを与えてなされる必要があります。そして、私達は自分達の知性と心をイエスの中に隠れて神にまで高めて守れるでしょう。それらの要素を制御できない時に、私達の天の神に全てを委ねる必要があります。私達の信頼が神の中に存在しているならば、神は私達を助けるでしょう。
『原稿』76,1893(66歳)
30章 変化する妥当性と祈りの姿勢
1.いつもひざまずく必要はない
私達は、謙虚な精神と柔和と慎み深い精神で、いつも祈る必要があります。私達は、神の前にひざまずくための一つの機会を待つ必要がありません。私達は、どこにいても主と語り祈ることが可能です。[7] 『手紙』342,1096(79歳)
1)どんな時でも所でも祈りに不適切な場所はない
神に祈りと願いを捧げ上げるために不適切な時や場所はありません。……人通りの多い通り、ビジネスの契約の最中でも、アルタクセルクセス王に自分の求めをしたネヘミヤのように、私達は神への祈りと願いを送り上げて、神性のガイダンス(導き)を請うことができるでしょう。『キリストへの道』p.99
2)私達が歩き働いている時に心の中で神と心を通わせる
私達は、道を歩いている時にイエスに話ができるでしょう。また、彼は、「私は汝の右にいます」と言っています。私達は、心の中で神との心の通い合わせができるでしょう。私達はキリストと親密な交際ができるでしょう。私達の日常の労働に従事する時、私達は、ほかの人の耳には聞こえない心の願いを呼吸しているでしょう。しかし、言葉は、静寂の中へ消えてしまわないばかりか、失われることもないでしょう。魂の願いは捨てられません。それは、通りの雑踏やきしむ音の上にあげられています。私達が話をしているのは、また、私達の祈りを聞いているのは、神です。 『福音宣伝者』p.258
3)いつもひざまずく必要はない
いつも、祈るためにあなた方の膝を折る必要はありません。あなたが一人でいる時、あなたが歩いている時、あなたが日常の労働で忙しくしている時に、救い主と語る習慣を養いましょう。 『ミニストリー
オブ ヒーリング』pp.510,511
4)会衆は、立って献身した後に膝をついている
主の聖霊は、私の上に留まり、そして、語るために私に与えたその言葉によって啓示しました。私は、神の聖霊が強く迫ったことを感じた人と、その真理に生きてほかの人にその真理を教えることを自分に約束しよう、そして彼らの救いのために働こう、自分達の足で立ち上がってそれを表そう、と思った人々にそれらの贈り物を尋ねました。私は、会衆全員が立っているのを見て驚きました。それから、私は、膝をつくようにみなさんにお願いし、この人々のために、私の祈りと願いを天に送り上げました。私は、この体験が強く心の印象に残りました。私は、神の聖霊が強く私に働いているのを感じました。そして、私は、この時代の主の人々(民)のための特別なメッセージを私に与えたということを知りました。 『レビュー&ヘラルド』1909,3.11(82歳)
5)ヨーロッパでの大会衆は[祈りの時に]席についていた
(役者加筆。彼女は1886-1887年にヨーロッパ伝道旅行をしました)
私は「神に仕える者としての祈りを希望した人は前[の席]に進み出てください」と招きました。信仰から離れていた全部の人と、主に立ち返って熱心に主を求めることを望んだ全部の人はこの機会にやり直せるでしょう。用意されたその座席は直ぐに埋まりましたが、会衆全員がそこに行こうとしていました。彼らがなせる最善について、私達が人々と語り合ったことは、右側の座席に座っていることでした。私達は自分達の罪を告白することによってみな共に主を求めたものでした。主は、この御言葉で祈りと願いを捧げました。「私達が、自分達の罪を告白するならば、神は、私達の罪を許すことに正しく、全ての不義から私達を清めることに誠実です」(1ヨハネ1:9)。
日付、1887.2.20
(『セレクテッドメッセージ』第1巻p.147)
6)会衆は聖別と献身の祈りに両足で立っていた
私は、神聖な契約によって神に自分自身を預けることgive、自分達の心すべてで神に仕えること、自分達の両足で立つことを望む全ての人を招きました。その家は、満員で、ほとんど全部の人が立っていました。それらの立っている人々の中には、私達の信仰にまったく属さない人々も多く出席していました。私は、主に熱心に祈ること、私達が神の霊の現れ/証を持っていたことをその人々に表しました。私達は、確かに勝利を得られたと感じました。
『原稿』30a,1896(69歳)(『セレクテッドメッセージ』第1巻p.150)
7)会衆は聖別と献身の祈りの中でひざまずいていた
私の講話が終わった時に、私は、神の聖霊によって、主にまったく自分自身を預けることを望んだ人々に、前の方に進み出るよう全ての人々に招待を勧めるという印象を受けたと感じました。神に仕える者としての祈りの必要を感じた人々は、それを表すために招かれました。おおよそ30人が前に進み出ました。……
その状況で、何らかの助けを私達に与えてくれる人は、私の息子と私が唯一の人だった時、そのようにすることが最善だったかどうか迷い、初めは私がとまどいました。しかし、誰かが私に話しかけた時に、その考えは、私の知性/精神から消えました。私は「あなたは主を信頼することができないのですか」「私は信頼しています。主よ」と言いました。私の息子は、この状況で一つの呼びかけをしたことにとても驚いていましたが、彼もまたこの緊急事態に直面していました。私は、その時以上に、彼が強い口調や強い感覚で話すのを聞いたことがまったくありませんでした。……
私達は祈りの中でひざまずきました(We
knelt in prayer.)。私の息子は、その導きをしました。彼は神の臨在の中を通っている時の祈りをしているように思えたので、主は、確かに、彼の祈りと願いの文章を作りました。 『レビュー&
ヘラルド』1895. 7.30
(『セレクテッドメッセージ』第1巻pp.148,149)
8)カリフォルニア州オークランドにある施設の働き人達[立って表明した]
今、私達は、あなたに、主がすべての人々の心に求めていることをお尋ねします。それらの人々は、かの敵の全ての誘惑を断ち切ること、天を求めること、特に、自分達の足で立つことによって決意を表明したでしょう。[その会衆のほとんど全員が応じたことを表しました] 。
私達は、あなたが救われるだろう全ての人々の一人であることを望んでいるということを期待しました。私達はあなたのための神の都市/都の門は、きらきらと輝くちょうつがいを開けるでしょう。そして、あなたと全ての国々で真理を守っていた人々は、その中に入るでしょう。そこで、私達は賛美と感謝と栄光をキリストとその父に、ずっと、いつまでも、捧げるでしょう。この戦いの間に彼への奉仕に忠実である私達を助けるでしょう。そして、ついに勝利して、永遠の命の冠を勝ち取るでしょう。
[祈りの言葉]私達の父上、私はこの時に、汝らのために来ています。私がそうであるように、貧しく、乏しく、そして、そなたに頼っています。私は、私に与えるように、完全なクリスチャンの品性などの恵みをこの人々に与えるように、汝らに求められます。 『レビュー&ヘラルド』1908,7,16(81歳)
9)エレン・ホワイトと聴衆は献身の祈りのために起立した
今、最も高い教育を得る努力の決心をしようとしている人にお尋ねします。その人々はあなたの足で立つことによってそれをして、その証をしているでしょう。[その会衆は起立しました]。ここにいる全部の会衆がそれをしました。神がみなさんの祈りと願いを保って助けますように。みんなで祈りましょう。
[祈りの言葉] 天の父上、私はこの時にそなたの前に立っています。私は、貧しく、弱く、無価値な者ですが、今日、この場所に集まった人々の心に感銘を贈るよう汝に求めます。私は、そなたの言葉を彼らに語りました。主よ、汝だけが言葉の成果やそのほかのことをなすことができるでしょう。
『レビュー&ヘラルド』1909.4.8(カリフォルニア州オークランドでの説教1909.2.8)
10)ワシントンD.C.でのSDA全体総会を閉じる説教[8][会衆は起立した]
主は、それに従事しない時も、この働きに従事するみなさんを助けるでしょう。それでも、あなたはこれをしますか。神にあなたが信頼することと、神があなたの助け主であることを、立ち上がってあなたの足でここにきて証をしてくださいませんか。[会衆が起立しました]。
[祈りの言葉] 私は、イスラエルの神、そなたに感謝します。そなたのこの人々(民)の祈りと願いを受け入れてください。この人々にそなたの霊/精神を置いてください。そなたの栄光をこの人々の中に見られるようにしてください。この人々が真理の言葉を語る時に、私達の神の救済の業を見せてください。
『SDA全体総会会報』1090,5,18
第8部 健康改革
はじめに
健康と健康改革についてのエレン・G・ホワイトの出版された著書は、多くありますが、このテーマについて初期の幻で与えられたもので詳しく述べられ、彼女のペンによって言及されたものは一つもありません。それらの多くは、彼女の1848,1854,1863年の彼女に届いたもののノートに書かれたものです。情報のために、1848年に健康の点に触れた一つの幻がありました。私達は『レビュー&ヘラルド』(1870.11.8)のジェームズ・ホワイトの一つの言及に戻る必要があります。その中で私達に次のように述べています。
「それは20年前の今頃、秋でした。私達の知性は、ミセスホ[ワイト]の証を通して、タバコ、紅茶、そして、コーヒーの良くない結果を呼びかけられました」。
「私達が、これらの事柄をめぐる良い勝利を得た時、また、私達がそれを生み出すことができることを主が見た時、光は、食物とドレスに関連して与えました」。清潔と食事の勧めに広げられたものは、1854年に書かれた証に見られます。健康改革の幻は、『レビュー&ヘラルド』(1867.10.8)に出版されたか確かな質問へのエレン・G・ホワイトの答えによって与えられています。
そのような詳細への関心が増した時、この巻のこれらの項目に含まれている弁明がここに明かされています。しかしながら、それらは形式としてはいくぶん不規則です。
当時の健康に関する著者達に依存しない彼女の言及は、健康改革について彼女へのその光の届き方の議論だけではなく、一般的な彼女の作品の研究にも重要な意味があります。
健康改革の証の適切な利用における1881年の言及は、健康の原則の教えの中の彼女の作品の中に慎重なバランスを示しています。
――エレン・G・ホワイト遺稿管理会
31章 改革の初めに呼びかけた幻
1.タバコ・紅茶・コーヒーに注意が喚起された(1848,1851)
私は、タバコが汚れた雑草だったことを、そしてまた、それは捨てられ放棄される必要があることを見ました。……それが放棄されない限り、神の渋い表情はそれを使う人の上に存在するでしょう。そして、その人は生きている神の印sealを記されるsealedことはできないでしょう。『手紙』5,1851,(24歳)[ジェームズ・ホワイト『レビュー&ヘラルド』1870.11.8。この幻を表明したのは1848年の秋です。「はじめに」を参照]
2.1854年に啓示された重要な原則
それから、私は安息日遵守者達の間の清潔に関する欠如を見ました。……私は、神が一つの特別な人々を自分のために清めていたのを見ました。彼は喜ぶことができる清潔で聖なる人々を持つでしょう。私は、その野営地が清潔にされる必要があることを見ました。さもないと、神はイスラエルの不潔なのを見てそばを通り過ぎてしまうでしょう。また、彼らから離れるでしょう。そして、私達は恥と不名誉によって弱められてしまい、私達の敵たちは私達に勝利するでしょう。
私は、神が、一人のクリスチャンとしてだらしなく清潔でない人格を認知しないだろうということを見ました。彼の困惑顔は、そのような人々の上に存在していたでしょう。私達の魂・身体・精神は、イエスによって彼の父に非難されることのないことが表されるために存在しています。私達が人格において清潔にされ清くされない限り、私達は非難されることのない者とされることができないでしょう。
私は、その聖徒達の家々がゴミや汚物やあらゆる不潔な物を取り去って、整理されて小さっぱりとして保っておく必要があるのを見ました。私は、彼らの子ども達と両親達の配慮のなさとそこの不潔さとだらしなさによって神性が汚されているのを見ました。私は、これらの事柄が公的な非難に合うだろうということを見ました。そして、これらの事柄にある真理を告白する誰かによってすぐに変えられなかったならば、その人々はその野営地から追い出されるでしょう。
1)食欲と適切な食物
それから、私は、ある食欲は否定される必要があるということを見ました。ぜいたくなほどの食物は準備されるべきではありません。その食欲によって食べ尽くされる食物は神の宝庫に収められる必要があります。否定された自己が天に一つの宝を蓄えるということは、あちこちで人々が言っているでしょう。
自慢と偶像は捨て去られる必要があります。私は、豊富な食物が身体の健康を害し、また、組織を害し、知性を害し、多くの財産を無駄にしたということを見ました。私は、多くの人々が、自分達の食欲をたいそう甘やかす自分達を作ってしまって、残りの民の中で病弱だったということを見ました。私達が申し分なく健康でいたいならば、不健康な食欲を否定する、美味しい食物を少量食べる、獣脂[9]を使わないで素材のままの食材を食べて、神が私達に与えた健康のケアをする必要があります。あなたが食事をするためにテーブルに着く時に、あなたは心から神の祝福をその食物の上に求めることができ、健康に良い素材から力を得ることができるでしょう。神は恵み深く、祝福することを喜ぶでしょう。そして、それはそれを受ける人々の益があるでしょう。
私は、ソロモンが「私の手近にある適切な食物で私を養ってください」(箴言30:8)と祈ったようにする必要があるということを見ました。また、私達がその祈りをするように行動に移しましょう。獣脂を避けて、健康の本質的なものと簡素なものを手に入れましょう。そのような食物は、私達のために手近にあって適切でしょう。
自分達のおなかの神を作る安息日遵守者達が存在しています。その人々は豪華な食物を得るために自分達の財産を浪費しています。私は、そのような人々が全て救われたとしても、神の栄光のために食べ、自分達の食欲を否定しないかぎり、人々が欲を摘み取られることがわかるだろう、ということを見ました。神の栄光のために食べる人々はほとんどいないでしょう。
獣脂にみたされたパイの皮やケーキを食べ、そして、神の栄光に片目をつぶってそれを食べる時、人々は、その上に神の祝福をどのように求めることができるでしょうか。私達は何事も神の栄光のためにするように命じられています。私達は、神の栄光のために食べ、飲む必要があります。
『原稿』3,1854,(27歳)
32章 健康改革の幻1863
1.質問と回答の要点
幻についての質問:あなたは、ニューヨーク州ダンスヴィレ[10]にあるその健康施設を訪れる以前に、または、その事業についての著書を読む前に、あなたの健康改革についての見解を受け取ったのですか。
回答:それは、1863年6月6日、ミシガン州オッセゴのA・ヒリヤード兄弟の家でのことでした。その「健康改革」の大きなテーマは、幻の中で私の前に開示されました。
私はその見解を持った14カ月後の1864年8月までダンスヴィレを訪れませんでした。私は、自分が『霊の賜物』第3、4巻と『Appeal to Mothers』を書き上げるまで、また、『How to Live』(生活の方法)の全6号の6章の全体の概略を構成するまでは、健康に関するどのような著書も読みませんでした。
私は、N.Yのダンスヴィレで出版された『The Low of Life』(生活の法則)のような論文が存在していたことを知りませんでした。私がその見解を書名にした当時、ダンスヴィレで出版されたほかの著書や、J.C.ジャクソン医師によって書かれた健康についての著書についても聞いたこともありませんでした。J.V.ハイムズ長老によって出版された『The Voice of the Prophets』(預言の声)と呼ばれていた定期刊行物の広告にあったそれらを、私の夫がマサチューセッツ州ボストンで見た時の1863年9月まで、私はそのような著書が存在していたことを知りませんでした。私の夫は、ダンスヴィレの[施設に]その本を注文し、メイン州トプシャムでそれらを受け取りました。彼のビジネスはそれらを精読する時間を与えませんでした。私が自分の見解を書き上げてしまうまで、それらを読まないと決心した時、それらの本は包装紙に包まれたままで残っていました。
私が、ミシガン、ニューイングランド、ニューヨークの各州で働いていた所の友人達に健康のテーマを紹介し、また、[有毒]薬剤drug[猛毒の有機水銀、ヒ素、殺虫剤など]と獣肉に反対し、また、水の働き、新鮮な空気、適切な食物について話した時、その返事は、しばしばこうでした。「あなたの話していることは、トレール医師、ジャクソン医師、そのほかの医師による『The Low of Life』(生活の法則)とその他の出版物の中で教えられている意見ととても近いのではありませんか」。
私の返答はこうでした。「私はそれらを読みませんでした。私は十分に自分の見解を書き出してしまうまで読む必要がありませんでした。‟あなたは主からではなく内科医達から健康のテーマの光を受けたのだ”と言われるのを最小限にする必要があります」。
私が『How to Live』(生活の方法)のための6章を書いた後で、健康法の様々な著書を調査研究しました。そして、主が私に啓示した内容とそれらがとても調和しているのを発見して驚きました。この調和が示していることと、能力のある著者達によってもたらされた同じこのテーマを私の兄弟姉妹達に表したことによって、私は、その作品で述べたことを大きく書き足して、『How to Live』(生活の方法)を出版することを決意しました。
2.ドレス改革はどのように啓示されたか[11]
質問:女性用のブーツの上よりいくぶん下に届くと言われている証No.11と矛盾する、床から9インチ(23cm)のドレスを着る姉妹達の行動をしてはいけないのですか。
回答:そのドレスの裾から床までの相応しい長さが何インチかは、私に与えられませんでした。しかし、3人の女性仲間がその長さに関心を持って就く人々として、私の前を[映像として]過ぎていきました。
最初の人々は、長いドレスのファッションを追った人でした。それは、両足に負担をかけ、歩きにくくし、地面を引きずってそのほこりを集めて、私が十分に言及したように悪い結果を出しました。ファッションの奴隷となったこのクラスの人々は、影響を受けやすく考えに欠けていることを表しました。
二番目のクラスの人々のドレスは、私の前を通り過ぎて行った時、それ[その長さ]がどのようにあるべきかについてとても関心がありました。その両足はよく覆われていました。その両足は、最初のクラスの人々に無理強いしていた強力な影響力とファッションの負担から解放されていました。しかし、善良な人々に嫌悪感と偏見を与えるような極端に短いドレスにしてしまい、また、自分達自身の影響力を大きく削いでしまいました。これは、N.Y.ダンスヴィレにある「私達の家」で多くの人々に教えられ着られていたその「アメリカン コスチューム」(アメリカ人の服装)のスタイルと影響力です。それは膝まで届かないものです。私に示されたドレスのスタイルはあまりに短すぎて、述べる必要がありません。
三番目のクラスの人々が私の前を通り過ぎました。その人々は、素敵な外観で、のびのびした、軽やかなステップでした。彼女達のドレスは、私が、適切、控え目、健康的として記述した長さでした。それは、階段を昇ったり降りたりする時など、あらゆる状況のもとで、裾の数インチは歩道や道路のほこりから、きれいでした。私が前に述べたように、丈の長さは私に与えられませんでした。
3.執筆と実践における幻visionとの関係
私がそれら[の幻]を受けている時、私の見解を書くことに主の霊に頼っていますが、それらが御使いによって私に語られたもので、また、私がいつも引用符で括っている限り、私が見たことを描写しているその言葉は私自身のものです。
私が幻visionの中でそれらを見ていたように、私がドレスのテーマで書いた時に、それらの3人の登場人物の見解は容易に私の知性によみがえりました。しかし、私は、[改革ドレスと]名前が付けられる前に、その状況の下で、道路のほこりからドレスの裾の清潔さを守る必要がある女性用のブーツの上近くに届くようなドレスの裾について言及によってすることができる最良の言葉で適切なドレスの長さを描写することを忘れていました。
私は、自分が見たと同じくらいの長さのそのドレスを着てみて、そして、自分で判断して描写しました。ミシガン州北部にいる私の[教会の]姉妹達もそれを適用しました。その丈のテーマがあらゆる場所でも長さとして安定して一様になってきた時、一つのルールがもたらされました。私達のドレスの長さは、床から8から10インチ(20.3- 25.4cm)に揃えられたように思われました。ある人の長さは私に示された例よりも少し長いものでした。一方、ほかの人のものは少し短いものでした。 『レビュー&ヘラルド』1867.10.8(40歳)
4.6月6日の健康の著作物、その日のその幻vision[12]
私達の働きはまだ行なわれていなかったので、私達は神が私達に与えた健康の特別な配慮をする必要があることを、私は見ました。私達の証は生み出されて、感化力を持つようになる必要があります。私は、自分がドレスの縫製とその期待、友人達の楽しみのために多くの時間と労力を費やしていたことを見ました。私は、家事の世話がおろそかにされて当然だということを見ました。その衣服のための準備は、一つの罠ですが、ほかの人はそれをすることが可能です。神は、そのような労働をするための力を私には与えませんでした。私達は、それが必要になった時に自分の証を生み出して、主の[人々を救う]目的の労働のために自分の力を保存しておく必要があります。私は、ほかの人が可能で生み出せる負担を自分で負わないこと、そして、私達の能力に配慮する必要があるということを見ました。
私達の健康はこれをすることに依っているので、知性の快活さと希望と平穏の気持ちを励ます必要があるということを見ました。人の健康の世話をすることは、全ての人々の義務だったとことを見ました。しかし、特に、自分達の健康に自分達が注意を向ける必要があります。また、この知性mindに負担をかけ過ぎと過労の結果からある程度の回復ができるように、私達の健康に貢献する時間を取る必要があります。神が私達に求めているその働きは、私達の健康のための世話から私達を引き離さないでしょう。私達のより完全な健康、もっと完全な健康は、私達の努力に存在しているでしょう。
5.健康改革の諸原則を教えて守るために
大変な働き過ぎと疲れで、私達の体力に負担を追った時に、私達は冷たい物を取ったり、また、そのようにしたりした時に、私達は危険な枠組みを取って、面倒なことの危険の中にいます。私達は、主が私達に委ねた神のための見守りとケアをして、自分自身のケアを置き去りにしないようにする必要があります。私達の祈りと正反対の生き方をしている時に、病から私達を守るように、健康の世話をしてくれるようにと神に求めて、健康の法則を破ることは、神の喜びとはならず安全ではありません。
私は、ほかの人々に健康の義務を目覚めさせること、自分達の健康に関わることが、神聖な義務の一つだった、また、彼らのケースの重荷を私達が負わないということを見ました。また、私達は、あらゆる種類の不節制(働き過ぎ、食べ過ぎ、飲み過ぎ、麻薬中毒など)を離脱することを話し、清潔のためや快適さのための水やきれいな雪解け水など神の偉大な薬を示す義務を負っています。
1)快活と謝意の態度
私は、夫が、陰鬱で、悲観的な悪い面にとらわれて知性を苦しめる必要がないことを見ました。彼は、自分の深刻な問題や深刻な考えを止める必要があります。そして、快活で、幸せ、感謝して、神に堅く信頼して、ゆるぎない確信と信頼をもつ必要があることを見ました。彼の健康は、彼が自分の知性mindを調整できるなら、良くなるでしょう。私の夫は説教のない時に安息日の休息に入る必要があると、ほかの人々みんなが[気づいている]と、私は見ました。……
私は、私達は健康のテーマに沈黙しているべきではなく、そのテーマに知性目覚めさせる必要のあることを見ました。 『原稿』1,1863(36歳)
6.1867年の健康改革の著書の再検討
病的な知性は一つの病的なものと病的な体験を持っていて、一方、健康的、純粋、健全な精神、悩みのない知的な能力は、きわめて貴重な価値のある健全な体験を持っているでしょう。良いことをする人生を送る幸せは日毎の報いがあり、それ自身が健康で楽しいでしょう。
私は、幻visionで私に示されたそのことに驚かされました。多くの事柄が私自身のアイデアをよぎって直接にやってきました。その内容は、私の知性に存在していました。私は、会話の機会のあった人すべてにそれを話しました。その幻の私の最初の書き物は、[『霊の賜物』]第4巻と、『生活の方法』(How to Live) (の私の6つの記事)の冒頭と、『病気とその原因』の中に含まれた内容の骨子でした。
私達は思いがけなく、告別式
[1863.6.23]に参加するよう[ミシガン州バトルクリークの近く]アレガン[の教会]を訪問するよう招かれました。それから、私の手帳にその旅についての記述を終えて、まもなく東部の伝道の旅を[8.19]終えました。私達がそれらの教会を訪れた時、悪い存在との関係において、私に示された事柄は、その人々の内容を書き出すことによって、集会の後の私のほとんど全ての時間を求められました。アメリカ東部から家に戻る前に、私は、諸教会と諸個人におおよそ500ページ書き出しました。
私達が東部から戻った後[1863.12.21]、[『霊の賜物』]第4巻の構成を助けるそれらの証を綴じたサイズの手帳が持てることを期待して、私は[『霊の賜物』]第3巻の執筆を開始しました。私が書き始めた時、その内容が私の前に開示されて、私が見たそれは全てを把握することは不可能でした。私は、初めにデザインしたようにわずかのページから書く必要がありました。開示された内容とその第3巻は十分に書き上げられました。それから、私は、[『霊の賜物』]第4巻[13]の執筆を開始しました。しかし、私がそれを書き終える前に、印刷所の人々のために、その健康の内容の準備をしていて、私は[カリフォルニア州]モンテレーに行くようにと呼び出されました。私達は、そこに行ったので、私達が期待していたように、そこでその本を書き上げることができませんでした。私は、印刷所の人々のためにその内容を書き終えるために戻ることを余儀なくされました。私達は翌週の約束をして去りました。
暑い気候でのこの二つの旅は、私の体力をとても消耗させました。私は、一年を通じてほとんどいつも書き続けてきました。私は、ふつう、朝7時に執筆を開始し、そして、夜7時まで書き続けました。そして、それから、証拠となる紙で読まれるために書き残されました。[訳者加筆。当時はコピー機がなかったので、複写して手元に残したという意味です]。私の知性は深刻な負担を負っていました。そして、3週間、私は、夜、2時間以上、よく眠ることができませんでした。私の頭は、いつも痛みが続いていました。
そのために、私は、結婚生活の不幸と幸せをもっと自由に話したくて、ほかの証も述べようと考えて、健康に関する幻visionの中の最も本質的な点を第4巻の中に押し込みました。この考えによって、私は第4巻を[1864.8.23]に書き終えました。それは、人々に配布されるでしょう。私は、その巻を準備する時間と体力がなくて、また、私達のための東部の伝道旅行[1864]の時期に書き出した健康に関する重要な内容をいくつか使わずに残しておきました。
7.ほかの人々の意見や著書から独立して書かれた
健康に関して私が書いたものは、書籍や論文から引用したものではありませんでした。私が既に示されていたその事柄について、ほかの人々と関わった時、その質問はこうでした。「あなたは以前にその論文、『生活の法則』や『水治療ジャーナル』を見たでしょう」。私はその人々に、いいえ、私はその論文のどちらも見ていませんでした、と話しました。その人々はこうも言いました。「あなたが見たことは、彼らの教えがとてもたくさん認めています」。私は、健康の参考書によって私に示されたその事柄についてレイ医師とほかの多くの医師達と自由に話し合いました。私は、健康について扱っている一本の論文も見たことがありませんでした。
その幻visionが私に与えられた後で、私の夫はその健康についての数々の質問を受けていました。夫は、私達の東部の伝道の旅で数冊の本を手に入れていました。しかし、私はそれらを読みませんでした。私の見解ははっきりしています。そして、私は、自分の著書を完成させるまでは、何も読もうとは思いませんでした。私の見解は、ほかの人々のいろいろな意見やいろいろな本とは独立して書かれたものでした。
33章 健康改革の証の適切な利用[14]
神が私達に与えたすべての力と手にある全ての物事の終わりは、神への高貴な奉仕と最も賢明な者達によって働きがなされる必要があると、私は確かに信じています。主は、清く聖なる天のためだけではなく、それら[天と人々]が合うようにするために、人々を世界/世俗の人々から連れ出しました。その知恵を通して彼らに準備させるために、主は「神の日」に立つために人々を用意し、神と共に働く者であることを彼らに与える知恵を通して、彼らを備えることでしょう。
大いなる光が健康改革として私達に与えられました。しかし、それは知恵と共にそれを擁護するために、そして、やる気のあるこのテーマを扱う全ての人々のための本質的な要素です。私達の体験において、私達は、人々がそれらの見解を受ける人々に良い印象を与えるマナーによって、健康を表さなかった多くの人々を見てきました。聖書は、適切な注目を受ける、賢明な勧めや、飲む事、食べる事でさえも満ちています。人間が神性に与る者となるために存在していて享受できる最も高い特権と、そして、神との強い関係によって私達を結んでいる信仰は、私達がキリストと一つになる道徳的な品行と精神の形成とファッションにあるでしょう。その体や知性をこのように害する人体の機能の良好な働きをいかようにも弱めるように、その人の味わう節度のない食欲をそのように甘やかす人はいないでしょう。人間は、神に買い取られた財産です。
私達が、神性に与る者であるならば、「私は畏れと素晴らしさに作られました」(詩編139:14)と、叫んだダビデを導いた神の働きの全ての価値と、私達の創造者と共に信仰者達の中に生きるでしょう。私達は、自分達が体の組織を造った者であるかのように知ったかぶりをして、体の組織と自分自身の属性とを考慮していないでしょう。神が人間の体に与えたそれらの全ての能力は正しく理解されるために存在しています。「あなた方は自分自身のものではありません。なぜなら、汝らは代価によって買い贖われたからです。それゆえ、神の所有であるあなた方の体と、あなたがたの霊/精神で神の栄光を表しなさい」(1コロサイ6:19,20)。
私達は知性mind、魂soul、体bodyの能力を思慮に欠ける扱いをするために存在しているのではありません。私達は、自然界の法則の違反のゆえに、損害を被ることなしに人間の体のデリケートな組織をどのようにも乱用/自虐abuseできません。実際的な生活の中にもたらされた聖書の宗教は、知的に高度な文化を守っています。
節制は、神の言葉によってハイレベルに高められます。神の言葉に従うことによって、私達は高貴さに進むことが可能で、さらに進むことができるでしょう。不節制の危険性は特異的です。節制によって得られる有利な点は、御言葉を通して私達の前に開示されています。神のその声は、私達のためにこう書いています。「それゆえに、あなたがたの天の父が完全である/成熟しているように汝らは完全になり/成熟しなさい」(マタイ5:48)。
神が私達のために与えた神聖な歴史の例から学ぶように、ダニエルの例は、私達がその教訓を学んで慎重に研究するために書き表されました。
1.極端を防ぐ
私達は、聖書に立った健康改革と節制を表すように、また、粗雑な健康改革の擁護による極端に走らないようにきわめて慎重であるようにと、願っています。私達がしていることを見ない全ての人を裁かず、神の声として私達自身の強い特色の中に編み込まず、そして、私達自身の特有の過度な努力をするという間違った考えの若枝を健康改革に接ぎ木しないよう慎重になりましょう。悪い習慣から離れる教育は時間がかかります。
複数の質問が、健康改革に関する問い合わせが兄弟姉妹達から来ています。数々の意見が作られています。ある人は、一つのテストとしてそれを作っていて、健康改革の証の光を取り上げています。その人々が選んだ数々の意見は、不快なもの「悪い道に入ったか、入っている人々の個々人に確かな指導と注意を書いた意見」として書き著された食事の数章に関して作られました。人々はそれらの事柄にとどまっていて、これらの説明の不快な品性の特性と自身の特色を編み込みんで、可能な限り強い自分を作り、強い力でそれらを保っています。このようにして、自分達のテストを作り、人々が害になることだけをしている所へ彼らを追いやっています。
2.節度と用心の必要
キリストの謙虚と柔和が期待されています。穏健と警戒はとても必要とされています。しかし、人々は期待されているこれらの品性を持っていません。人々は自分達の上に神の品性の鋳型を必要としています。そして、そのような人々/人格は健康改革に取り組んでいますが、両耳はその真理に閉じられているので偏った知性によって大きく損をしているでしょう。
賢明に取り扱った健康改革は、その真理が成功を示して続くような所へくさびが打ち込まれることを証明するでしょう。しかし、賢明ではない健康改革を表して伝えることは、私達が極端論者であるという印象を残して、その真理への道を横棒で遮り、そのメッセージのテーマの重荷を作り、信徒でない人々に偏った判断をするように仕向けてきました。さて、主は、自分の意思である理解力と聡明さのある私達を持っているでしょう。私達は、自分達が極端論者だと思われる機会を与えないようにしましょう。その意思は私達とその真理に置かれていて、神は、大きな不利益についてこの[教会の]人々に伝えることを私達に与えました。自分を神に聖別していない編み方をすることによって、私達はずっと、一つの祝福がつまずきの石となっていることを表すために存在しています。
私達は、ある人々が健康改革の強い印象の証から選び、その注意と警告が与えられたその状況のもとで何かの話を作ることや説明をすることをせずに、全てのケースにおいて自分達の力で話や説明を作っているのを見ています。このように、その人々は、この[教会の]人々の精神に不健康な印象を作り出しています。そこには、いつも、その健康改革に自分自身の特徴の要素を入れて働こうとする人々と、手綱を引いて馬を止めるように厳しいテストで封じようとして利用できる何かの特徴をつかもうとして構えている人々がいます。これが発端で、その人々はこの[教会の]人々に勧めて、健全な影響力を与えて慎重に配慮するどころか、その人々が助けているかもしれないと考えて、論争好きの人々が現れています。その人々は、この[教会の]人々に忍び込んでその働きを進めるでしょう。その人々は、その健康改革の証の中から何かの事柄を取り上げて、全ての人々にそれらを持ち込んで、魂を勝ち取るどころか反感を呼び起こしています。その人々は彼らが平和を作り出すべき時に分派を作っています。
3.エレン・ホワイトに示された危険な家族達
扇動されやすい気性で知恵のない動物的な感覚の危機的な数家族を、私は示されました。タマゴや獣肉など、この種の食物は、動物的な感情をかき立て助長しているとして、その親の子ども達は、その食事にタマゴ[料理]を作ることを許されていません。これは、この時代にはほとんど例外なしになされていた自己虐待/自虐self-abuseの一理あるが正しくない行動に没頭したために、その[自虐の]誘惑に勝利することは親達にとても困難になっています。この行動は身体と知性と道徳的な能力を弱めて永遠の命を遮っています。
いくつかの家族が嘆かわしい状態で、私に示されました。この品位のない[自虐の]罪のゆえに、彼らの心や知性は神の真理に近づけず、みつけられない状態でした。その行動は、幼い子ども達にさえも、ほかの人々の精神に汚染と堕落、不道徳な行動、嘘、だましに導いています。一旦形成されたその[自虐の]習慣は、アルコール飲料やタバコの欲よりも克服することがもっと困難です。
とても流布しているそれらの悪いことは、私が作っていた意見を書くようにと、私を導きました。誤りへの特別な戒めの言葉は、ほかの人々に警告として書き表されました。このように、その言葉は、個人ひとりが正され戒められると、ほかの家族達に伝わっています。その証をそのような人々のために語りましょう。個々人が、個人や家族のために与えられた非常に強い意見を集めないようにしましょう。また、その人々は、持ち込んだものを持っていたいし、そのかき混ぜたものを使いたいので、それらの事柄を持ち込まないようにしましょう。自制と愛と完全な一致、そして、熱心な働きと辛抱強さを表す断固とした気持ちで、これらの神の御言葉とこの証を信頼した活動をしましょう。キリストの恵みによって、その人々の心が優しくされ和らげられることによって、彼らの精神/霊が謙虚に、人性の親切の乳milkに満たされると、その人々は害を作り出さず、この教会を弱めることも不一致の原因となることもなくなるでしょう。
4.バター、肉、チーズ
私達がバター、肉、チーズを食することはどうかということについての質問は、一つのテストとして何も表されていません。しかし、私達はその事柄の欠点の弊害を示され教育されるために存在しています。それらの事柄を集めてほかの人々に持ち込む人々は、自分達がしている働きが何であるかを知らないでいます。神の言葉は、神の人々にテストとして与えられました。神の聖なる律法、安息日は、永遠に続く世代を通じて、一つのテスト、神とその人々の間の一つの印です。永遠に、これは、第三天使のメッセージ(神の戒めとイエスキリストに属する特別な証)の重荷です。
5.紅茶、コーヒー、タバコ、アルコール飲料
紅茶、コーヒー、タバコ、アルコール飲料について、私達は、美味しいが体に良くない道楽として表す必要があります。私達は、そのような品物/論文を置いたテーブルの上の同じ位置に、肉、タマゴ、バター、チーズを置くことができません。それらは、私達の働きの特別な重荷として、前に持ってこられるために存在しているのではありません。前者(紅茶・コーヒー・タバコ・ビール・ワイン・そして、強いリキュール)は、節度を守って使われるためのものではありませんが、放棄される必要があります。眠くなる特徴を有するものは、タマゴ・バター・チーズの問題と同じ方法で扱われるために存在しているのではありません。
天地創造の初めに、動物由来の食物は人間の食事になるようにと意図されませんでした。私達は、人間の悪事と習慣の結果の重い呪いを残すゆえに、病気が世界中に広まっているゆえに、また、死んだ動物の肉が危険であるというあらゆる根拠を持っています。私達は、現在の真理のために存在しています。私達は、病気のない状態でその血液が保たれ、最善な血液が作られるそれらの食物の品物/論文を選択し、理由の利用方法を擁護するために存在しています。
『原稿』5,1881,(54歳)
6.健康改革の評判を悪くする働き
人々の知性に正しい印象を最善でも最高にでも残さない人がいるでしょう。その人々は、狭い考えと計画に傾いていて、健康改革を組み立てる考えがとても少ないでしょう。その人々は、特殊な状況のもとで特殊な個々人に与えられたその証を取り上げて、すべてのケースに当てはめ、一般的な証にして、そして、この方法によって、その人々は健康改革の感化と私の働きの評判を悪くするでしょう。 『手紙』57,1886,(59歳)
34章 精神と身体を危険にさらす食欲の満足
1.食肉を利用する理由の変化
死んだ動物の肉は、人間のための元々の食物ではありませんでした。全ての植物が滅ぼされたので、人間はノアの大洪水の後でそれを食することを許されました。しかし、その呪いは人間とこの地上に宣告されて、そして、すべての生きているもの達は奇妙で不思議な変化を体験しました。その大洪水以来、人類はその生存期間を短くされました。それらの日々の後、身体と知性と道徳的な退化が急激に進んでいます。 『原稿』3,1897,(70歳)
2.堕落した判断による好み
あなたは、自分の食欲が肉を求めているので、ただ、肉を食する危険を知らないだけです。人間は、この食事に参加することによって、清くない感情を刺激しているそれを自分の口の中に入れています。神聖ではない情緒がその知性mindに満ちてきて、また、自己満足の傾向がその好みと判断に害を与えているので、霊的な視野が曇らされています。あなたのテーブルにこの種の食物を用意することによって、あなたは、神の意思に反論しに行っています。物事の一つの状態は、神の律法の教訓を軽視するように導くということが引き起こされるでしょう。……
親譲りの涵養された悪への傾向に打ち克つことは易しい事柄ではありません。自己/自我は主人ぶって横柄で、その克服に抗しています。しかし、「克服する人」のために、特別な約束が与えられています。主は、正しい道を示しています。しかし、主は、従うことを誰にも強要していません。主は、光を与えたそれらの人々に、それをひどく嫌うか受け入れるかを委ねています。しかし、それらの活動の呪いは、確かな結果として伴っています。当然、呪いは結果を生むでしょう。……
親達は、飲むこと食べることの正しい習慣を形成するために、自分達に最も厳粛な義務を負っています。以前に、あなたの子ども達に、全ての刺激物を避けて、簡素な、健康に良い食物を、と表明しました。肉の食事が神経質な子ども達にしているという現象は、子ども達のかわいい気質と辛抱強さを形成するためではなく、自制心について、怒りっぽい、短気な、激しい感情、イライラ感を形成するために存在しています。高潔な実践は失われ、そして、悪影響が、知性・魂・身体を台無しにしています。 『原稿』47,1896,(69歳)
3.清められた霊的な健康
死んだ動物の肉を食することは、長い目で見て身体の健康に有害です。そして、食事に肉を利用している全ての人々は、自分達の動物的な感情を亢進させて、自分達の現実的な生活の中にもたらされるそれ自身の存在の必要と、真理の力に気づく自分達の魂の感受性を減少させています。『手紙』54,1896,(69歳)
4.宗教生活と身体生活の関係
死んだ動物の肉を食することは、霊性/spirituality精神性に有害な結果を持っています。肉が食物の必需品とされると、高度な能力が低度の感情によって圧倒されてしまいます。これらの事柄は神に対して無礼なことで、霊的な生活が衰える原因の一つです。……私達が飲み物と食べ物に関してどんな線を引こうとも、それは、私達が栄光の主の名によって神に奉仕している身体に栄養を補給するという特別な目的でなされるでしょう。身体全体は、神の財産です。宗教的な生活は身体的な習慣と実践に密接な関係があるので、私達は、自分の身体を最良の状態well-beingにするよう厳しく注目する必要があります。
『手紙』69,1896,(69歳)
主は、主の人々/民に、肉を食べることを控えることは霊的・身体的に良いことだと教えていました。死んだ動物の肉を食する必要性は存在していません。
『手紙』83,101,(74歳)
5.意図的な怠慢の危難
私達が食べ飲む物は私達の生命で大切なものを生み出しています。クリスチャンは、自然界の法則に適合するように食べて飲む習慣をもたらす必要があります。私達は、それらの事柄で、神への自分の義務を感じる必要があります。このテーマにおける意図的な怠惰は罪なので、健康の法則への従順さは、熱心な研究の事柄として作られる必要があります。各々、生活の健康の法則を実行する個人的な責任を自覚する必要があります。
6.私達は誰に所属するか
この光から離れた多くの人々が、一つの注意の言葉が与えられたので怒りました。そして、「私達は自分で楽しんでいるから、しなくてもいいでしょう」と尋ねています。あなたは自分自身を作りましたか。あなたは、自分の魂と身体のために贖いの代価を払いましたか。もしも、そうならば、あなたはあなた自身に所属しています。しかし、神の言葉は、「キリストの貴い血」「汝らは一つの代価によって買い取られました」と宣言しています。神の言葉は簡潔に、「私達の自然な習慣は厳格に保護されコントロールされるために存在している」と語っています。「その魂に対して戦うこと、肉体的な強い欲望を避けること」。私達はこのことをしませんか。神の言葉は、魂を変容させるために完全です。私達が、この教訓に細心の注意を払うならば、私達は、霊的・身体的に、神のかたちimageに形成されるでしょう。 『手紙』103,1896,(69歳)
7.知性の改善と魂の清めの障害物
神は、神の人々/民に進歩・向上を続けることを求めています。神の人々は、食欲を甘やかすことは知性の改善と魂の清めの大きな障害物であるということを学ぶ必要があります。一つの民/人々として、健康改革を公言している私たちすべては、とてもたくさん食べています。食欲を甘やかすことは、身体的・知的な衰弱の大きな原因で、早すぎる死と虚弱の基礎に存在しています。不節制は、私達が食物の賢くない組み合わせをする時のテーブルの上で始まっています。食欲を抑制する力があるキリストによって知性に生み出して精神の清さを持てるように、個人が求めましょう。 『原稿』73,1908,(71歳)
私達は、ノアの日のような、悪事の流布、暴力、利己主義という地上歴史の終わりに近づいています。そして、その原因は全く同じで、食欲と激情の極端な甘やかしです。生活習慣の改革は、キリストの再来に人々を適合fitさせるために、この時代に特に必要とされています。救い主自身が、この教会に警告しています。「あなた方自身のために注意を払っていなさい。時は短いです。あなた方の心は、この世の生活のケアと、食べること飲むことで心配しています。そのようなあなた方の思いがけない時にその日が来るでしょう」。
衛生改革は、私達の[歴史が]閉じられる大いなる出来事the
eventに備えをするよう理解する必要のあるテーマの一つです。それは、価値ある注目を受けなかった主の働きの枝のような分野です。また、多くの人々は、[衛生の]軽視によって失われてきました。それは、重要な位置に据えられる必要があります。それは、いい加減なこと、主要なことではないとして捨てられ、または、冗談として扱われる事柄ではありません。もしも、この教会がこの改革に強い関心を現していたならば、この教会の人々の良い感化は大きく増したことでしょう。
それらの人々は主の来臨を待ち望んでいるので、また、それらの人々は主のブドウ園の労働者達であると呼ばれているので、その全ての人々は、永遠の王国にある場所に自分達が合うようにしています。頭脳が明晰であること、可能な限り病気がない身体であることはなんと大切なことでしょう。
日付のない『原稿』9
35章 ある家族による健康改革の教え
1.食事のテーブルで両親が子どもと共に深い交わり
私達の今の働きは、とても厳粛さが存在していて、熱心な働きです。私達は、その働きを回避できません。多くの人々の中に教育をとても必要としている人が一人以上います。あなた方両者をとても必要としているその一人は、あなた方が神の統率の下にいる必要があると感じるために存在しています。あなた方は主の財産です。あなたの子ども達は、何も否定されない、気まぐれな考えも特別に甘やかされる、自分達で考えない[ような財産ではなく]、主の家族の幼いメンバーとして教育訓練されるための神の財産です。あなたはほかの人々が自分の子ども達を育てているのを追いかけて見ているような、同じ教育訓練計画の傍観者/立会人ですか。厳しく彼らの粗探しをしたいものです。
繰り返しますが、たくさんの様々な食物を揃えたテーブルについて、自分自身をわがままにしてはいけません。また、あなたがそれらのことを楽しむことが理由で、あなたの子ども達の前でそれを食べて、そして、「いや、あなたはこれを持つことはできない」と言っています。あなたは、それを持つことはできないと、あなたは子ども達がそれに触れることを禁じて、それらのものをたくさん食べている間、それitはあなたの感情を害することでしょう。あなた方のこの人々の中での教育訓練は、健康改革とその原則の実践を必要としています。
あなたの権威に反抗しないで、あなたが食べるのを子ども達に見詰めさせておくというその並外れた教育訓練を見せつけておいて、三度目の食事にあなたが席に着くこと、あなたの子ども達がそばに座って何も食べず、あなたが食べている間、自分だけがしゃべって食べて満足していることは、残酷なことです。子ども達は反抗しています。その子ども達は、今幼いけれども、この種の教育訓練を続けることは、あなたの権威を台無しにすることでしょう。
2.子ども達に過食を勧めること
それから、繰り返しですが、あなたは、子ども達がテーブルについている時に、食べたり飲んだりすることを強く勧めて、十分に食べていないと心配しているように思われます。あなたは少しもその関心を持つ必要も、子ども達が満足に食べていないと言い表して心配を示す必要もありません。子ども達の幼い胃は小さくて、たくさんの食べ物を受け入れることができません。この理由のために、二度に比べて三度にしたほうがずっといいでしょう。あなたは、子ども達に一度の食事で大量の食物を持たせています。その食物の存在が消化不良という結果を伴う胃拡張という状態にしています。
子ども達に認められない飲むこと食べることは、賢くありません。繰り返しますが、子ども達に食べてほしいと思う食べ物を子ども達の前に確保しておきましょう。子ども達のための食物として健康的な質である物は、あなたのためにも健康的です。しかし、一度の食事で多すぎる量を胃に送られないように、健康的な食物であってもその量は慎重に研究される必要があります。もしも、私達が、自分の子ども達に適切な教えを与えたいならば、私達は、全ての事柄に自分で抑制する必要があります。彼らが成長した時、あなたの思いやりのない何かの一部が記されています。 『手紙』12,1884,(57歳)
3.一つのルールも作らない
私達の食事と食事の間には、食べることに充てる必要はありません。私は、人生の後半の25年間、毎日2度の食事を取ってきました。私は、自分のためにバターを利用していませんが、私の家でテーブルに着く、私の事務所の働き人達はバターを食べる人がいます。その人々は、[胃の中で]少量のバターの処理ができていますが、ミルクの処理ができません。それは、胃の中で酸敗しています[訳者加筆。加齢と共に乳糖を分解する消化酵素が減るために牛乳を消化できなくなる人がいます]。
私達は、何かのルールを作ることによって、その食事の質問に正しい答えを出すことはできません。ある人は、豆類と干しエンドウ豆を食することができますが、私にはこの食事は困難です。それはまるで毒のような物です。ある人は食欲があって味わっています。確かに、それらをよく消化しています。ほかの人々はそれらの品物に食欲を持っていません。そういうわけで、すべての人のために、一つのルールが作られることは不可能です。『原稿』15,1889,(62歳)
36章 ホワイト姉と病人のための祈り
誰かが「ホワイト姉は病気の人を癒したのですか」と質問しました。私はこう言いました。「いいえ、いいえ。ホワイト姉は、しばしば、病気の人に主イエスの名によって油を注ぐため、そして、祈るために呼ばれました。そして、彼女は、その人々と共に‟信仰者の祈りは病気の人を助けるでしょう”という約束が満たされるように祈りました」。人間の力は病人を救うことができません。でも、その信仰の祈りを通して、力ある癒し主は、主の名を呼び求めた人々に御約束を果たしました。人間の力は罪の許しを与えることも罪びとを救うこともできません。このことをできる人は一人もいませんが、身体と魂の恵み深い医師キリストは[できるでしょう]。
しばしば、病気の人と共に祈ることは、私の特権でした。私達は、いつもしているよりももっと多く、このことをする必要があります。多くの祈りが、病人の癒しのために私達の[教会の]サナトリウムで捧げられると、癒し主の大いなる力が見られたものでした。たくさんの人々が力を与えられ祝福され、重い病気の人々がたくさん癒されたものでした。
病気に罹っている人々にキリストの力が、過去、注目される方法で現されました。神への信仰による熱心な祈りと勤勉な治療によって、病人が苦難から助けられた施設で、私たちが祝福されるようになったその前にも、私達は、最も希望のないように思われるケースに関わって、うまくいっていました。主は、きょうも、苦難にある人々に彼にある信仰を持つように、と招いています。
1.看護人のための簡潔で熱烈な祈り
私達の施設の病人に治療を施す者達の簡潔で熱心な祈りが、癒しの祝福のために捧げられる必要があります。私達は、思いやり深い救い主に病人を指し示すため、彼の力によって許されるため、癒されるために存在しています。主の恵み深い摂理を通して、その人々は回復するでしょう。苦難にある人々に、天の法廷での人々の擁護者を指し示しましょう。もしも、その人々が、神の律法の違反を止めて悔い改めるならば、キリストがその病を癒すでしょう、と語ってください。私達の[教会の]サナトリウムには、彼に自分自身を従順にする人々を救うために、御自身を現す救い主がいます。苦難に遭っている人々は、あなたと祈りによって、罪を告白し赦しを受けて一つになることができます。
癒すのはキリスト
ホワイト姉は、決して、病人を癒すことを主張しませんでした。彼の時代の奉仕の働きで死から命へよみがえらせたのはキリストだったように、あらゆる実例で癒したのはキリストです。主の奉仕者達の奉仕の働きministryを通して、全ての力ある働きを行なったのはキリストです。このキリストは、人々によって、信じられ信頼されるために存在しています。癒しの回復のために使われる手段への主の祝福は、成功をもたらすでしょう。キリストの恵みは、苦難に合っている人間の味方として、それ自身を現すために輝いています。病人を癒す奉仕の働きを授ける方は彼です。そして、内科医達は、不思議な働きを実行した彼に栄光を与えるために存在しています。 『手紙』158,1908(81歳)
第9部 多くの問題に対する勧め
はじめに
エレン・ホワイトの勧めcounselの一つの根拠やほかの様々なものは、数年前から私達の注目を喚起していました。それらは、少しの園芸の光から、罪がないことや、救いまで並べています。すべては、『セレクテッドメッセージ』の本の中に含められることに相応しいように思われました。それらはこの第9部を満たしています。しかし、編成にありのままに触れて与えることができたにすぎません。
これらの項目の多くが関心を呼び、ほとんど全ての読者への奉仕となっている一方、特に最後の項目、『先覚者達をけなす』‟Disparaging Pioneers”、『エレン・ホワイトと彼女の作品への攻撃』‟Attacks
on Ellen White and Her work” のいくつかに注目が当てられています。紙幅が許されたならば、ほかの項目も含まれたことでしょう。――ホワイト遺稿管理委員会
37章 セブンスデー・アドベンチストと訴訟
1.不信心者達による教会の困難の公表
この教会にトラブルが起こった時、私達は自分達の信仰をもたない法律関係者達に助けを求めに行ってはいけません。神は、彼を畏れないこれらの人々の前に教会の困難を公表することを望んでいません。主は、自分の求めに従わない人々に助けを依頼するような私達を持っていないでしょう。そのようなカウンセラーに信頼を置く人は、神への信仰を持っていないことを示しています。彼らの信仰の欠如によって、主は、ひどく名誉を汚され、彼らの進路は大きく自分達自身を損傷する方へ働いています。不信心な者達にアピールすることによって、この教会に困難にとどまらせるように、「互いの人が食い尽く」(ガラテヤ5:15)されるため、人々は互いに噛みつき合い、嘗め尽くし合っています。
それらの人々は神が与えた勧めを捨てて、主が彼らにしないようにと命じた、まさにそのことをしています。その人々は、その名前が、この世界の人々の判断で選ばれていて、天において不信心な者達の一人として数えられていることを示しています。キリストは、再び十字架につけられ、恥をさらされています。神はそれらの人々の祈りを聞かないということをそれらの人々に知ってもらいましょう。その人々は、主の聖なる名を侮辱しています。そして、主は、自分達の罪の告白によって主を求め、自分達の愚行を見るまでは、彼らの上にサタンの拳の一撃を与えるでしょう。
この教会と繫がった事柄は、教会自身の境界線上に保たれるために存在しています。もしも、一人のクリスチャンが虐待/不当な扱いをabuse受けているならば、その人は、辛抱強くそれに対処するために存在しています。仮に、だまされたならば、その人は、裁判所の法廷にアピールするために存在しているのではありません。それを訴える代わりに、不当な待遇と損失の捧げ物にしましょう。
神は、神の[救済]目的に反し兄弟をだます価値のない教会メンバーに打撃を加えるでしょう。そのクリスチャンは自分の権利を強く主張する必要がありません。神は、それらの権利を乱用している人に打撃を加えるでしょう。「‟復讐は私がすることです。私は埋め合わせをするつもりです”と主は言っています」(ローマ12:19)。一つの配慮が、これらの全ての事柄について保たれています。そして、すべての人のために、主は、「主は仕返しをする」と宣言しています。主は、全ての働きを裁きの中に提起するでしょう。
2.安全ではないカウンセラー達
神の[人類救済]目的についての関心は、天とのつながりを持たない人々に託されるために存在しているのではありません。神に不忠実なこれらの人々は安全なカウンセラーではありえません。その人々は上から来ている知恵を持っていません。その人々は、そのような大きな結果がかかっているものについての事柄や、神の目的と繫がった事柄の裁きを下すことを託された存在ではありません。もしも、私達が、その人々の判断に従うならば、私達は、非常に困難な立場に置かれるでしょう。そして、神の働きを遅らせるでしょう。
神に繫がっていないこれらの人々は、神の敵と繫がっています。また、その人々は、自分達が与えるアドバイスに誠実な一方で、盲目にされて騙されています。サタンは、神の意思と知性に全的に反対する口から出る言葉と知性に示唆を与えています。このように、彼は、私達を間違いの道に誘い込むためにその人々を通して働いています。彼は、自分ができるならば、私達の名誉を失わせ、面倒なことに巻き込ませ、誤った方へ導こうとしています。
古代イスラエルの時代、かの敵に自分達の道を委ねること、自分達の金銭上の成功や込み入った問題のどちらも彼らの前に開示することは、神の民にとって一つの大きな罪でした。その昔の救いの計画の下で、悪の祭壇に犠牲を捧げることは一つの大きな罪でした。異火によって香を焚いて捧げることは一つの罪でした。
私達は、神聖なことと一般のことを混ぜる危険の中に存在しています。神からの聖なる火は、私達の努力に利用されるために存在しています。真の祭壇はキリストです。真の火は神の聖霊です。それは、私達の霊感です。一人の人が安全なカウンセラーだということは、ただ、神の聖霊が一人の人を導いてガイドしている時だけ存在しています。私達が、奇妙な祭壇に尋ねて、神から離れ選ばれた民から離れてしまうと、私達は自分達の働きに応じて答えられるでしょう。
私達は、自分達のリーダー[キリスト]に全的な信頼を示しましょう。私達は知恵の泉[キリスト]からの知恵を求めましょう。多くの難問や試練状況の時に、神の人々(民)は、自分達の望んでいる事柄に触れているとして、認めましょう。また、神に祈りを捧げることによって神の人々と一致しましょう。神の人々が必要としている助けのために尋ね求め続けましょう。私達は、自分達の全ての勧めによって、神を知るために存在しています。私達はその求めた祝福を受け取るということを信じるために存在しています。 日付のない『原稿』112
3.訴訟を扱う、信じている人々への勧め
あなたが、Rさんに対する訴訟に繫がった時、私は、「Sさんがそのビジネス界に中に入ってしまって、それは、人生のうえでの一つの汚点でしょう」と言いました。私は、あなたのこのコースのゆえに、残念に思いました。私はそれが正しくないし、その道によってあなたの状況が取り除かれないということを知っています。上からのものではない知恵はその唯一の証です。
私は、あなたが自分のケースで与えられた
[私の]証によって不当に扱われたことを根拠に、私に対する一つの訴訟を始めるつもりだった、という通知を受け取りました。私があなたを不当に扱ったということを知らなかったのならば、その訴訟は起こされるでしょう。さて、私は、あなたが自分のしているのと同じ私のライフワークを知りながら、かの敵の根拠地に頑なに行ってしまったと堅く信じています。
私があなたに書いた全て、その全ての言葉は真実でした。私は、書いたことを撤回しませんでした。私は、することが私の義務だと知っていることだけを行ないました。その事案の出版の私の唯一の動機は、あなたの救いについての望みでした。私は、あなたの魂のための愛と心からの同情だけを考えています。あなたは、私があなたの魂のために強い関心を持っていることを自分自身でご存知です。……
誰かが、ある法律をアピールすることによって私のこの働きを妨げようとしているならば、私は与えられたその証のわずかなことも無駄にしないつもりです。私が繫がったその働きは私の働きではありません。神が、私にするようにと私に与えた、神の特別な働きです。私は、あなたが天の神に反対してあなたの有限な手を上げるような恐ろしいことをするとは信じていません。……
私はあなたに次のように話そうと思います。あなたやあなた方に対して語られた言葉のゆえに、誰かからお金をだまし取らないでください。あなたはそのようにすることによって、自分自身を害しています。私達は、私達の信仰の創始者・完成者であるイエスを見ているならば、「主よ、私達に迷惑をかけた人々を私達が許すように、私達がかけた迷惑を許してください」と祈ることができるでしょう。彼が不正に告訴された時に、法律による補償をアピールしませんでした。彼は、ののしられた時に、ののしり返しませんでした。彼は、おどかされた時に仕返ししませんでした。 『手紙』38,1891(64歳)
1)しないようにと神が人々に語ったこと
法による補償を得るために法廷で自分達のケースに真実が置かれると信じているクリスチャンと思われる多くの人々に、私は書きました。こうすることによって、その人々は、この世界の全ての人々の感覚では、「互いに食い尽くされて」の言葉通りに、互いにかみつき、食い合っています。行なわないようにと、主が語った、まさにそのことをする彼らに、主が与えたそのメッセージに直面した時に、その人は神が与えた霊感のある勧めを投げ捨てました。そのような多くの人々は、主がその人々の祈りを聞かないだろうと、神への祈りをほとんどやめてしまっています。その人々は主ヤハウェ(hwhy)に対して、横柄にふるまい、その人々の罪を告白することによって、主を求め、自分達の愚かさを見るようになるまで、サタンの下僕になるようにその人々を放置するでしょう。……
2)天の法廷で明らかにされるアピールは何か
この世/世界の人々と改心していない教会員達は共感しています。自分達自身の道を求めているために、神がその人々の間違いを証明している時、ある人々は、決定のために世の人々の前に教会の事柄を持ち出し、自分の確信の世界を作っています。その時、ここに、対立と争いがあります。そして、キリストは、再度、十字架につけられ、恥がさらされています。この世界の法廷に訴える教会員達は、自分達の判断によってこの世/世界の人々を恨んだことを示しています。そして、自分達の名前は不信仰な者達の一人として天の中で数えられています。何と、聖なる信頼に背く人々の意見を熱心に捕らえようとしていることでしょう。人間の法廷に訴える活動は、セブンスデー
アドベンチストに入る前にはなされませんでしたが、今は、なされています(This action, of appealing to
human courts, has never before entered into by Seventh-day Adventists, has now
been done.)。神は、大きな責任を委ねていた人々を支配している力を理解している、とだまされていたあなたにこのことを許しました
(God has permitted this that you who have been deceived may understand what
power is controlling those who have had entrusted to them great
responsibilities.)。この時代の人々のための現在の真理と、その真理に心と心を通わせて、それらを心に満たして、神のために見張りに立つ人はどこにいますか。肩を並べ合って協力する人はどこにいますか。 『原稿』64,1898(71歳)
4.聖徒達による世界中の人々の裁き
聖徒達はこの世/世界の人々を裁くために存在しています。聖徒達はこの世の人々と、この世の法律に通じた人に、自分達の困難を表明して、依存するために存在しているのですか。神は、決定のためにかの敵の手下が自分達のトラブルを処理すること望んでいません。お互いに確信を持ちましょう。
『原稿』71,1903(76歳)
5.法律に通じた人々と宗教に関心のない人々
法律の腕利きに寄りかかることは、クリスチャンの名を汚す一つです。また、この悪は、主に選ばれた人々の間で好まれ持ち込まれました。私達の[教会の]働き人達が実践するようになるまで、ラオデキヤの人々のような無関心になって、世俗の諸原則が密かに導入されました。なぜなら、たいそう多くの依頼が法律に通じた人々と法律文書と協定に置かれていたからです。そのような事柄の状態が神に嫌悪感を起こさせています。 『原稿』128,1903(76歳)
6.SDA出版所に対する訴訟
「あなた方の内の誰かが、ほかの人の不利益に関する一つの事案を持って、聖徒達の前ではなく、正しくない人の前に法的手段で訴えるのは、厚かましいことではないですか。汝らは、やがて聖徒達がこの世の人々を裁くことを知らないのですか。「あなた方によってこの世の人々が裁かれる」ことが本当ならば、汝らは最も小さな事案も裁いてはいけない価値のない者ではありませんか。汝らは、やがて私達が天使達をも裁くということを知らないのですか。この世の人生に付随している事案はいかに多いことでしょうか。汝らがこの世の生活に付随している事案の裁きをしているならば、この教会の中で最も低く評価されている人々を裁いています。私は、あなた方の恥を語りましょう。あなた方の間に賢明な人は一人もいないということは、その通りではありませんか。いや、兄弟達の間で仲裁できる人は一人もいないのですか。神を信じていない人の前に、兄弟が兄弟を法的手段で訴えに行っています。さて、それゆえ、汝らの間では、互いに法律の人に訴え出ているので、困った一つの欠点があります。なぜ、汝らは不当な待遇に甘んじないのですか。なぜ、汝らは、詐取されたことにがまんならないのですか。いや、汝らは、あなたの兄弟達に不当な扱いをして、詐取しています。そなたたちは、正しくない人が神の国を継ぐことがないだろうということを知らないでいます」(1コリント6:1-9、KJVからの訳)。(訳者加筆。上の強調文は口語・共同訳と異なっています)
……教会員達がこの知識を持っている時、その人々の行動は自分達の信仰を推奨する品性/個性に属する者となるでしょう。良好な規範の生活と、神への改心によって、その人々はキリストを現すでしょう。そこには、隣人達と兄弟[姉妹]達への訴えは存在しないでしょう。
私は、あなたが始めていたその訴訟を取り下げて、もう一人の人を法廷に呼びださないよう、キリストの名によって、あなたに呼び掛けます。神は、このように、神の名が不名誉を受けることを禁じています。あなたは、多くの機会と大いなる光を持っていました。また、あなたは、世俗の人々の方法に従って、彼らと一体になる機会を与えています。主は、あなたがこの人生において取っている立場通りにあなたをもてなさないだろうということを覚えていてください。……
もしも、あなたが今もっている目的で行動するならば、その結果を取り戻せないだろうということを、私ははっきりと言いましょう。もしも、あなたが、あなたの[教会の]兄弟達があなたにしたと思われる不正を世の人々の前に公表するならば、そこには、もう一方の人々によって証言されるべき何かが存在するでしょう。私は、一つの注意をあなたに伝えます。
「レビュー&ヘラルド」出版所で、あなたと重い責任を分け合っていた人々と、また、その働きの敵となった人々のケースを考えると、その判断が決められてそれらの書籍が公開され、そして、すべての人々がそれらの書籍に書かれた内容を判断する時、あなたは、自分達に下される評決の決議を聞きたくないでしょう。とても困難なもとで、この世界の人々に現在の真理を宣布するために励んでいる人々、すなわち、神を愛する人々に、可能な限りの害することをして、堕落した天の使い達と結託した人々と繫がった一つの成り行きの推移から、あなたが救われることを私は望んでいます。
その出版所は欠点がないのではない
あなたがもたらした自分の経費[借金]について知っている人々に対して、あなたと処理した彼らの方法に関して私は是認しませんでした。また、私は、あなたのケースの無感覚な彼らの管理の間違いを立証しました。そこには、尊敬される行動を取らなかった人々がいました。彼らは、[尊敬される人に] よってなされるような行動をしませんでした。しかし、このゆえに、あなたは、与えられた警告に直面して、与えられた指導にたいそうあからさまに反対して、行動しませんでしたか。私は、あなたに、あなたの兄弟達の信頼と、この出版所の働きの部門を担うことから、あなた自身を切り離してしまわないように請い願います。
私は、あなたが自分の魂の不正にかかわる事柄を進めるよりも、サタンが、最も愚かな大きい光によって神を信じていない人々の前であなたのケースを表し、信用を落とす光によってこの出版所の事務所を取り上げて、一つの機会を与えているあなたの損失を共有したいと思います。……
7.神の目的が傷つけられた
このケースは法に精通した人の手の外に置きましょう。あなたが、明白な神の言葉にあえて反対しようとしていること、神の戒めを守っている人々にあなたの非情な働きをこの世/世界の人々に公表すると考えることは、私には畏れ多いことのように思えます。もしも、あなたがたのこの活動が不正を行なっていた人々だけに対して語られるために存在していたならば、その害はそんなに遠くにまで広がらないでしょう。しかし、あなたは、それが一つの体[教会]としての神の人々(民)に反対して、不正が覚醒されるのを見ることができないのではありませんか。このように、サタンは、あなたを通して絶大な害を及ぼして、神の人々に反対し、主の諸施設に反対して働いているので、あなたは、主の聖徒達の人格の中のキリストを傷つけ、害を負わせて、そして、サタンが狂喜する原因となっているでしょう。 『手紙』301, 1905(78歳)
38章 科学と啓示
「愚かな者は心の中で言います。神は存在していない」。地上の大いなる知者達は神を理解することができません。主が、自身を全ての人々に啓示しているならば、それは未知によって主自身をベールで覆っています。主の道は探し出された過去のものです。人間達は永遠に探究し、永遠に学習する必要があります。そして、また、そこには、無限のかなたがあります。人々は、神の品性、愛、知恵、その目的を充分に理解することができるでしょう。人々は、無限の存在者としての神を信じず、自分達の魂の関心によっても神を信頼しないでしょう。人々が神を推測できるならば、神はもはや最高位には立っていないでしょう。
科学によって素晴らしい発見をしたと考える人々がいます。その人々は、転換されることが不可能な真理として科学の推論の教えと、まるで自分達が考え出した間違いの内科学であるかのように、人々から学んだ意見を引き合いに出しています。この世/世界に疲れている旅人の足元を照らすランプとして、与えられている神の言葉は、この標準によって裁かれていて、そして、欠けていると宣告されています。
それらの人々が没頭した科学的な調査研究は、彼らのために一つの罠を証明しました。それは、彼らの知性に暗い影を投げかけ、彼らは懐疑論に流されました。彼らは能力についての自覚を持っています。そして、すべての知恵の源である方を探す代わりに、彼らが得ることができた少数の知識で勝ち誇っています。彼らは、偉大で大いなる神の知恵に対抗して、自分達の人間の知恵の地位を高めました。そして、神との闘争に入ることを大胆にしました。ある霊感の言葉は、それらの人々を「愚か」と宣告しています。
1.懐疑論の産物
神は、科学と技術/芸術の発見が世界の人々に注がれる光の溢れを認めてきました。しかし、専門的な科学者達が、単に、人間の立ち位置からこれらのテーマについて論述し書く時に、彼らは、確実に間違った結論に至るでしょう。最も偉大な知性の者達でも、彼らの調査研究の中に神の言葉によってガイドされていなければ、科学と啓示の関係を調査することについて、彼らの試みを途方に暮れさせるようになるでしょう。創造者とその業は研究者達の理解のはるか彼方に存在しています。そして、自然界の法則によってはそれらを表現できないので、聖書に基づく歴史は信頼できないと考えられています。旧新約聖書の記録の信頼性を疑う人々は、もっと遠くの道に導かれ、そして、神の存在を疑うでしょう。その時、自分達の支えとなる頼みの綱に進んで行くでしょう。彼らは、不信の岩の上あたりを打つために残されています。
モーセは、神の聖霊のガイダンスのもとで書きましたが、地質学の妥当な理論は、彼の意見と一致させることができない諸々の発見を、決して必要としないでしょう。多くの人々がつまずくその考えは、イスラエルの聖なる絶対的存在者の力を制限して、神がこの世界を存在させた時に物質を造らなかった、と超越しています。
1)神の言葉による科学のテスト
自分自身の科学の不完全な知識によって、創造者と神の作品の測定/評価に関して、自分達の無能力を発見した時、多くの人々は、神の存在を疑い、そして、無限の力が自然界にあると考えました。これらの人々は、信仰の簡潔さを失って、知性と精神から神が取り去られています。神の聖なる言葉の神性の中に信仰が置かれる必要があります。聖書は、科学という人間のアイデアによってテストされるために存在しているのではありません。そうではなく、科学は、この間違いのない標準に属しているかをテストされるために存在しています。聖書が、自然界の中の事実の意見をつくっている時、科学は、霊感によって書かれた神の言葉と比較されるでしょう。そして、両者についての正しい理解は、それらが調和していることをいつも証明しているでしょう。一方は他方を否定しません。自然界によっても啓示によっても、全ての真理は、認めています。科学的な調査研究は、思想と情報の広い分野で現実的に聡明な人の知性に開かれるでしょう。彼らは、神と神の作品を見るでしょう。また、神を称えるでしょう。神は、彼らのために、第一であり最善となるでしょう。そして、その知性は、主が中心に置かれるでしょう。粗探しの目的で聖書を読む懐疑的な人は、科学と啓示の間の決定的な矛盾を見つけるため、無学のままに主張しています。しかし、神に関する人間の測定/評価は正しくないでしょう。神の聖霊によって光を照ら(啓蒙)されていない人の知性は、神の能力について、いつまでも闇(無知)の中にいるでしょう。
霊的な事柄は、霊的に識別されています。神との生きたつながりのない人々は、この道、あの道へと揺れ動かされています。その人々は、裏手に神の言葉を置いて、前面に人々の意見を置いています。その人々は、罪に対する裁きは神の慈悲深い品性に反していて、[神の]限りない慈悲深さに内在している一方で、[人間が]限りなく正しく存在しているものとして赦そうとしているという、人間の主張を捉えて理解しています。
私達が、神の能力と偉大さと威厳に関して、また、人間の弱さに関して、正しい見解を持っている時、私達は、地上で偉人と呼ばれていて、品性に天の気高さがない人々が作った知恵による推論をひどく嫌うでしょう。そこには、称賛され、高尚にされるような人々は一人もいません。彼らが自分自身で曲解した概念によって、神性な事柄を測定/評価する傾向がある時に、習得した意見が信頼されるべきだという理由はありません。
これらの神に仕える人々は、追随することは安全であるという手本と意見を持っている唯一の人々です。清められた心の人は、知性の能力を活気づけ強めています。神への生きた信仰は、エネルギーを分け与えています。それは、精神の落ち着きと安らぎ、品性の高潔さと強さを与えています。
2)神はその律法によって働く
科学の広い概念の分野に関わる人々は、神が行なったか行なうことができること、また、自分達が神の知恵を理解できる広い概念によって考えています。その広い考えでは、神が自身の律法によって制限され拘束されています。人々は、自然界の法則によって特別な人の心に働く主の聖霊でさえ、自分の体験と、全ての事柄を表現する考えの両者を軽視し否定しています。そして、その人々は、もはや、主の能力を畏れることや主の名を敬うことをしなくなっています。その人々は全ての物事を得ている、その人々が考えている一方、その人々は、泡を追い求めて、神を熟知するようになる貴重な機会を失っています。彼らは、超自然的なものを信じていません。それらの法則に働くことが可能な自然界の法則の創始者に気づいていません。彼らは、神に属する主張を否定し、彼ら自身の魂への関心を怠っています。しかし、神の存在、神の品性、神の律法は、人間の最高の到達点の理由を廃止することの不可能な事実です。
ある霊感のペンは、神の威厳と能力を次のように描写しています。「誰が、自分の手の平で海の水を量り、親指と小指のスパンで天を測り、枡で地球の土を量り、天秤で丘並みの重さを、秤で山々の重さを計りましたか。……見よ、国々の民はバケツの滴のように、天秤皿についた小さな土のようにみなされています。すなわち、見よ、主は、島々に住む人々を非常に小さいものとして取り上げています。レバノン[の木々]は燃料に不足し、動物達も藩祭に足りない。すべての国民は、主の前では、存在していないようなものであり、存在していないよりもないものとしてみなされています。……住むためにテントのように張り、天をカーテンのように広げ、地に住む者達はバッタのようなもので、まるい地の上に座しているのは主です」(イザヤ40:12-22 KJV)。
3)神の品性はその作品によって解釈される
自然界には、一つの力が存在しています。しかし、自然界の神には、際限のない力が存在しています。主の作品は、その品性を説明しています。偉大な人達に関する推測からではなく、主の手作り品から主を判断する人々は、全ての事柄によって主の臨在を見るでしょう。彼らは、秋の畑の豊かな実りによる人々のための主の愛とケア、明るい陽射しの中に主の笑顔を見上げています。地上を飾るものたちでさえ、生きている牧草の緑に見られるように、色合いのかわいらしい花々たちも、森の様々な背の高い木々もみな、私達の神の父親としての世話、そして、神の子らの幸せをつくるようにとの主の願いと、優しさを証しています。
偉大な神の力は、主を畏れるこれらの人々の味方として働きexertedました。その預言者の言葉に耳を傾けてください。「汝は知らなかったのですか。汝は、疲れることなく弱ることもない、永遠の神、主、地の四方の果てまでの創造者について、聞いたことはなかったのですか。そこには、主の英知について探究する方法がありません。主は、弱々しい者達に力を与え、力量のない者達に知力を増し加えます。10代の青年達は弱り疲れるでしょう。若い人々はすっかり元気がなくなるでしょう。しかし、主を待ち受ける者達はその力を新しくし、翼で上昇する鷲達のように、任に就くでしょう。彼らは時が経過runしても弱ることがないでしょう。彼らは世を渡っても疲れないでしょう」(イザヤ40:28-31 KJV)。
神の言葉について、最高の学識者達が答えることのできない多くの質問が提起されています。毎日の生活でのありふれた事柄でさえ、そこにある多くの事柄について私達に示され、これらのテーマに注目が呼び掛けられています。有限な知性、誇りにしている全ての知恵によっては、決して十分な理解ができないでしょう。
4)神を理解するための目的としての科学
人々によって考え出された哲学の全ての組織体系は、神が認識されず敬われなかった場合に、曖昧さと遺憾なことに導いてきました。神への信仰を失うことは恐ろしいことです。繁栄は、一度、主の言葉への信仰が失われた時に、国々にも個々人にも大きな祝福となることはできません。実を言うと、偉大さは何もありませんが、それは、それ自身の傾向の中に永遠にあります。神の、真理、正義、憐れみ、聖、愛は、朽ちないものです。人々がこれらの質を所有している時、その人々は、神との密接な関係の中に連れて行かれて、人類の熱望可能な最も高められるための志望者candidates(ラテン語:白衣を着た人々)です。彼らは、人間の称賛に無関心で、失望も精神的疲労も、口論も、支配権の議論も、問題にしないでしょう。
魂に神の聖霊を吹き込まれている人は、堅く信頼するという学習を体験しているでしょう。自分のカウンセラーやガイドとして書かれた神の言葉を取り上げて、神を理解するための目的として、科学を発見するでしょう。しかし、その人は、神に関する自分の考えによって、自分が愚か者であるという盲目的な虚栄心にまで、高くならないでしょう。『Sins of the Times』1884,3,13(57歳)
2.神はデザイナー、創造者
私達は、神の声を聴くためにもっと口を閉じる必要があります。私達自身の思考を保護する必要があります。私達は、確かに、地球最後の悪い日々の真ん中に生きています。私達が高く掲げられるのはこのような時だけなので、とても謙虚に、柔和に神の前を歩む必要があります。
どんなに取るに足らない人でも、神の遍在性はその全能の力と繫がっているので、神の完全/成熟さが理解可能です。人間の芸術者/技術者は、自分の知性を神から受けています。その人は、自分の業績や著作や作品のために既に用意されていた内容から完成のための何かの文章を自分の作品に修飾できるだけです。その人の初めの想像の中に、独特の改良を加える[アイデア]を与え、偉大なデザイナーがその人の眼前に存在していなかったならば、その人の有限な能力によって、自分の目的を寄与する内容物を創造も創作もできないでしょう。
主なる神は存在者達に物事を命じています。主は、最初のデザイナーです。主は、人間に依存していません。しかし、人間の注目を丁重に招いていて、そして、高度なデザインと進歩を人間と協働しています。人間は自分自身に栄誉を全て帰す時、非常に注目できる才能として、彼に追随する人々によって高められています。神は、人間よりも高くないと見られています。神の初めの目的も忘れられています。……
私は、私達があまりにも安っぽい普通の考えを持っているのではないかと心配しています。「見よ、天と、天という天は、汝らを収容できません」。どんな人も、イスラエルの聖者の力を制限することに挑んではいけません。それらは、神の作品なのかと考える質問と憶測です。「汝らは、その足から靴を脱ぎなさい。汝が立っているその場所は聖なる場所です」。そうです。天の使い達は、主の意思を行なうために、地上で、神の奉仕の働きをしている者達です。
1)全ての事柄は神の声としてその前に立っている
私達の世界の情報の中で、神は物質や材料の以前に存在していることに注視されていません。なぜなら、その「その見られた物は、現れてくる物に造られなかった」ためです。対照的に、物質的・精神的な全ての物は、神の声として、主ヤハウェ(hwhy)の前に立っていて、主自身の目的のために造られました。天のもの達とそれらをもてなす者達、この地球とその中に存在している全てのもの達は、主の手による作品だけではなく、主の口の息によって存在するものの中にやってきました。
主は、自然界の全体の枠組みを一瞬で分解できる力によって根拠を与えました。主は、諸々の物の上部と下部を反転させることができ、人間が最も堅固で現実的な方法によって建築したその物を破壊することができます。主は、「山々を動かします」、主は「その怒りによって、それらを横転させます」、主は、「地球をその場所から外へと揺り動かします。それゆえ、その数々の支えが振動します」。「天を支える数々の支柱は振動し、そして、主の叱責によって、恐怖で打ち負かされます」。「山々は、主によって、震えおののき、丘並みは溶け去り、そして、この地球は、主の臨在によって燃やされます」。
『原稿』127,1897(70歳)
39章 「救われた」についての質問
1.信じていない親の子ども達は救われるのでしょうか[15]
私は、信仰のない親の子ども達は救われるのかどうかについて、少し、マテソン長老と話をしました。私は、ある人が「信仰のない親達の幼い子ども達は救われないかもしれない」と語ったということから、その質問をしてとても心配していた一人の姉妹と関わりました。
これは、神が言葉によってこの内容について明確に私達に語らなかったという単純な理由のために、私達は一つの意見や一つの立場を自由に表現するために存在していない、そういった質問の一つとして考える必要があります。主は、知ることが私達のための必要な事だったと考えたならば、私達にわかりやすく明確に語ったことでしょう。
主が啓示したそれらの事柄は、私達のためであり、私達の子ども達のためです。そこには、私達が現在、知ることのない事柄があります。私達は明白に啓示された多くの事柄についても無知な存在です。私達の永遠の福祉に密接に関連しているこれらのテーマは、論じ尽くされています。人々の知性について、不必要に悩まされている人は、これらの点のいくつかを考慮するための時間が十分にあるでしょう。
1)信仰のある親の子ども達
私は、信仰のある親達の幼い子ども達も救われるかどうかという質問をした人を知っています。なぜなら、彼ら[その子ども達]は品性のテストを受けなかったし、全ての人々がテストを受けなければならないし、また、試練によって品性を確立してないからです。その質問はこうでした。「幼い子ども達はこのテストと試練を体験することができるのですか」。私は、次のように答えました。「神が、エジプトの初子に主の裁きの使者達を送った時のように、信じている親達の信仰がその子ども達を覆ってしています。神の言葉が、奴隷状態のイスラエル人達に家々の中に子ども達を集めるように、また、殺された一匹の子羊の血によって家々の戸の側柱に印を付けるようにとやってきました。これは、殺された神のひとり子の予型(前もって型で示す)と、その罪びとの救いのために流された彼の血の効果です。それは、その家族が約束された贖い主としてのキリストを受け入れたという一つの印でした。それは、滅ぼす者の力から保護されたということでした。その親達は自分達に与えられた指導に絶対に従うという信仰を証しました。また、親達のその信仰が自分達の子ども達を覆いました。彼らは、大いなる犠牲、イエスへの自分達の信仰を示しました。血は殺された子羊によって前もって示された型でした。滅ぼす天の使いは、この印がそれ[柱]の上にあった全ての家を過ぎ越しました。これは、滅ぼす天の使いから彼らを覆っている、彼らの子ども達に及んだ親達の信仰を示すための一つの象徴です」。
神は、ベツレヘムで子どもを失って[ラケルの涙に暮れて]いた母親達に一つの慰めの言葉を送りました。ラケルの涙[16]はかの敵の地[エジプト]から帰ってくる自分の子ども達[ヨセフとベニヤミン]を見て当然です。キリストは幼い子ども達を腕に抱いて、そして、子ども達を祝福して、その親達を追い払った弟子達に宣言して、譴責しました。こう言いました。「幼い子ども達をそのままにしておきなさい。私の所に来ることを止めないように。なぜなら、このような者達が天の王国に存在しています」(マタイ19:14)。
キリストは、信仰深い母親達によって、彼のもとに連れてこられた子ども達を祝福しました。母親達が、従順と恭順によって彼らを教育し、子ども達に教え、自分の子ども達の責務をなすならば、彼は今もこのようにしています。母親達がそのテストを生み出して伝え、神の意思に素直になるような時、親達はその子ども達のために神の立場に立つでしょう。
2)アドベンチストの親達に言うことを聞かない子ども
ある親達は、自分の子ども達のコントロールをサタンに許しています。そして、彼らの子ども達は、感情や行動を抑えられないでいます。しかしまた、不従順、自己中心的、激しい感情であること、気性が弱められたことが許されています。これらの子ども達は天のために整えられずに死ぬでしょう。親の活動の方向は、彼らの子ども達の未来の福祉に決定的な影響を与えています。もしも、親達が、子ども達による攻撃と働きに子ども達を任せてサタンを許して、人間のサタン的な威厳を喜ばす時、また、不従順や激しい感情になることを子ども達に許しているならば、それらの子ども達は、従順とかわいい品性の特性がまったく教育されず、同様な気質や性質が彼らによって表されるので天には受け入れられないでしょう。
私は、マッテソン兄弟にこう言いました。「信仰のない親達の全ての子ども達が救われるかどうかについて、私は話すことができません。神は、この内容に関して、その意図が知られるようにしませんでした。そして、私達は、主の言葉によって明白に作られたテーマに留まるよう、また、私達は、神がそれを残した所にそれを残しました。
最もデリケートなテーマがあります。信仰のない多くの親達は、神の子らだと言う多くの人々よりもっと賢明な人々によって、自分の子ども達を育てています。彼らは、親切、礼儀正しく、他者を立てるように、従順を教えるようにと、その子ども達と共に多くの悩みをもっています。そして、この信仰のない親達は、真理の大きな光を持っている親達よりもずっと賢明なことを示しています。しかし、それらの働き人達は、どの人も、その親達の信仰をもった賢明な仲間によって教育を行なっているのではありません。
3)そこには確かな群れが存在するのですか
私達が持ったある会話で出されたもう一つの疑問は、神の選びに関するものでした。すなわち、神は確かな一つの群れを持っていて、そして、その群れは調査[審判]が進んできた時に集められた、というものでした。私は、その事について、話すための光がないこと、または、あなたへの疑問があります。主イエスは、そのもとに来る全ての人々を受け入れているでしょう。彼は、[彼に]来る、来るだろう全ての人々と、信じない人々のために死にました。
確かな状況は、人間の一部によって応じられるために存在しています。そして、もしも、人がその状況に応じること拒否しているならば、その人は神の選ばれた者となることはできません。もしも、その人が応じるならば、その人は神の子の一人です。また、キリストは「その人は、忠誠を続けるならば、その従順によって忠実や不動を続けるならば、彼は、命の書から取り除くような、その人の名に汚点をつけでしょう」と言いました。
そうではなく、その人は主の天の使い達の前で、自分の名前を述べるでしょう。神は、考えて語り、そして、明白に啓示されたそれらの真理をほかの人々に表す私達を持っています。そして、すべての人々は、それらを憶測のテーマにすることをしません。なぜなら、その人々は、私達の魂の特別な救いについて特別な論拠を持っていないからです。 『原稿』26,1885(58歳)
2.よみがえった人々はお互いにわかるのですか
神の最も偉大な贈り物はキリストです。彼の命は私達に存在していて、私達に与えられました。彼は私達のために死に、私達のためによみがえりました。キリストのような人々はその人々のかたちimageが壊されないので、私達は、その人々の顔を認めて、私達の愛する人たちと会うために、天の使い達と栄光の仲間と墓から出て来るでしょう。主の栄光のかたちimageにその人々が形成されています。この世/世界の家族関係に繫がっていた全ての聖徒は、そこでは、お互いにわかるでしょう。
私達が贖われる時、現在存在しているよりももっと、聖書は、高度に、広く、明瞭な感覚で理解されるでしょう。有限な者と無限な者の間に掛かっていたベールは取り払われるでしょう。私達は、主と顔と顔を合わせて見るでしょう。
『手紙』79,1898(70歳)
40章 日付変更線の疑問
1.安息日は円い世界のためにつくられた
神は第7日目に休みました。そして、文字通りの6日間のこの地球と天の創造を尊んで守るように、人間の側にそれを表明しました。神は、休みの日を聖別し、清くして祝福しました。人々が、時間の長さを正確に考えることに注目し、研究することに注意深くする時、私達は、神は円い世界のためにその安息日をつくった、と言うために存在しています。第7日目が世界を回って私達にやってきた時、太陽によって支配された1日の決まりは、安息日を守るための全ての国と土地の時です。日没が数か月なく、また、日の出が数か月ない国では、時の期間は、記録し続けることによって数えられるでしょう。……
主は、その世界の日の出と日没の時の状況による、主が創造した全ての被造者の遵守を受け入れています。……その安息日は円い地球のためにつくられました。それゆえ、遵守は、主が創造した世界と完全に調和している特別な人々に求められています。 『手紙』167,1900(73歳)
2.日付変更線の問題
T姉妹は、私に自分の考えを話していました。彼女は、日付変更線について混乱していると話しました。さて、親愛なる姉妹、日付変更線についての話は、サタンが考案した唯一の罠としての何かです。彼は、「そら、ここに、あそこにキリストがいる」と言っているように、その考えで呪文をかけようとしています。そこには、人々を迷路に導くサタンのあらゆる架空と方策があります。でも、この御言葉があります。「それを信じてはいけません。偽キリストや偽預言者が現れて、そして、大いなるしるしや不思議を示すでしょう。次の成句にこうあります。もしも、可能ならば、彼らは、選ばれた人々をだますでしょう。見よ、前に、私はあなたに話しました。それゆえに、もしも、彼らが、見よ、彼は荒野にいます、とあなた方に言うならば、行ってはいけません。見よ、彼は隠れた部屋にいます、と言っても、それを信じてはいけません」(マタイ24:23-26)。
1)第7日安息日は不確かさがなく残された
私達は、安息日について、肯定的な神の言葉を持っています。[出エジプト31:12-18]。
とても重要なことが安息日を守る人々の近くに集められ得ること、また、安息日が来ている時について話すことができる人がいないことは、可能なことですか。神のしるしや記章を生み出して伝える人はどこにいますか。その印signは何ですか。主は祝福し、清め、そして、聖なるものと宣言した第7日安息日に、それを破る者に大きな損失が[伴っていました]。
第7日安息日は、不確かさがないものです。それは、従順の一つのしるしとして守られるための、神の創造の働きの記念です。神は、2枚の石の板に指で十戒を書きました。……
さて、私の姉妹に、……私達は日付変更線の理論に少しも信頼をしないようにとあなたに話して、……私は書きました。それは、知性を困惑させるための彼の代理人達によってもたらされたサタンの一つの罠です。世界中の人々は日曜日を守っていてみな正しい、神の残りの人々はみな間違っているということが存在するために、なんとも完全に矛盾していると、あなたは見ています。この日付変更線の理論は、[1844年から]過去55年間、完全に間違った考えによって、私達の歴史を全て作っているでしょう。しかし、私達はどこに立っているかを知っています。……
2)私達の立場の旗色で堅く立つ
私の姉妹、あなたの信仰を失わないようにしましょう。私達は、神の戒めとイエスに属する信仰の自分の立場の旗色で立つために存在しています。終わりの時代にあって、自分達の確信を持ち始める全ての人々は、太陽によってしるされたmarkedものとして、私達にやってきた第7日安息日を守るでしょう。誤った日付変更線は、勇気を失わせるサタンの罠の一つです。私は、それについて話していることを理解しています。神に信頼しましょう。神の建物の生きている石の一つとして、あなたがいる所で輝きましょう。
神の子らは、勝利するでしょう。悩まされる要素や全ての反対者に対して、勝利者以上の勝利者として成功するでしょう。恐れないでください。十字架によって例証された聖書の真理と愛の力と、聖霊によって置かれた本拠地homeによって、私達は、勝利を得るでしょう。私達の前にある闘いの全体は、主ヤハウェ(hwhy)の真の安息日を守るうえで、要です。……
私は、今、何も書くことができません。しかし、こう言いましょう。反論に耳を貸さないでください。「主がこのように言っています」という明白な約束に堅く信頼してください。主は、あなたを祝福して慰めるでしょう。そして、あなたの心に喜びを与えるでしょう。私達は、識別したメッセージを生み出して伝えるための、明白で、分かりやすい光を持っているので、主をほめたたえましょう。 『手紙』118,1900(73歳)
41章 年代記、それらは相応しいか
1.私達の歴史に関して私達に残された記念碑
イスラエルの民が、エジプトを去った後で、特別な勝利を得た時、年代記がそれらの勝利について[記録されて]、保存されました。モーセとヨシュアが、言い伝えをするために、このことをするように、神に命令されました。イスラエル人達がペリシテ人達と戦って勝った時、サムエルは記念の石を立て、エベンエゼルと呼びました。「今に至るまで、主は私達を助けました」という意味です(1サムエル7:12)。
一つの民としての、私達の記念の石がどこにありますか。私達の体験の中で、私達のために神が行なった貴重なストーリーを書き表した手紙を彫った私達の記念の柱はどこに立てられていますか。その過去を振り返ると、私達は新たな試練と増加した難問(苦悩、欠乏、死別でさえ)を直視できないでしょう。また、落胆するでしょう。しかし、過去を振り返って、こう言いましょう。「‟今に至るまで、主は私達を助けました”。私は、信頼のおける創造者としての主に私の魂の守りを委ねるつもりです。主は、かの日に備えて、私が主に託したものを保存しているでしょう。‟汝らの日々のように、汝らの力は存在しているでしょう”」。 『原稿』22,1889(62歳)
2.昔の日々の記憶を呼びだす
主の民についての神の配慮は、しばしば繰り返されているでしょう。古代イスラエルへの主の配慮の中で、主によって立てられた道標がありました。彼らはその過去の歴史を忘れるといけないので、主は、モーセにそれらの出来事を歌の中に組み入れるよう命じました。親達は子ども達にそれらを教えたことでしょう。古代イスラエルの人々は、年代記を集めて、それらを目に見える所に置いておくために存在していました。それらを保存するために特別な努力がなされました。彼らの子ども達がそれらの事柄について質問すると、ストーリー全体が繰り返されました。このように、その神意は伝わり、注目された善意と、神による世話と恵みと、神の民の救出が知性の中に保たれました。私達は熱心に勧められています。「汝らは、光に照らされた後で、苦しい試練に耐えた初めの頃を思い出してください」(ヘブライ10:32)。この時代にいる主の人々のために、主は、神の素晴らしい働きをする神として働きました。神の[人類救済]目的に関する過去の歴史は、主の人々、若い人も年取った人の前にもしばしば持ち出される必要があります。私達は、主の素晴らしい働きのゆえに、主をたたえ、神の善意をしばしば詳しく話す必要があります。
『SDA教会への証』第6巻pp.364,365
42章 我々の教会を他教派に貸すこと
1週間前の安息日の終わりごろ、私は、サンフランシスコにあるSDA教会で話をする約束の思いでいっぱいになりました。私達は素晴らしい集会を持ちました。そこには、語られた言葉に関心があって、熱心に聞きたいという願いがあるように思えました。
それは、サンフランシスコ大地震と大火災[1906.4.18]のかなり前、私がサンフランシスコの教会で話をした最初の機会でした。そのビルディングは、私がそれを見て予期した以上に、とてもいい状態にありました。集会室は大きく、そして、とてもよく管理されていました。講壇とその前の床は、赤い剛毛のカーペットが敷かれていました。そのカーペットは良く保存され、素敵に見栄え良く保たれていました。その説教壇は良く飾られていました。
あなたの御祖父様と私はこのビルディングの建築計画に関わった人物でした。そのほかの数人も私達に連なりました。そして、私達は可能な限りに最善を尽くして一緒に働きました。
そこには、良い外観にするようにステンドグラスの大きな窓があります。バプテスマ槽は上手に飾られていました。講壇の背後の壁はちょうつがいで回転します。そして、バプテスマ槽は聴衆のすべての視界がもたらされます。私は、巨大地震と大火災時に、主がこの大きな集会所を守ったことに、感謝を言い表すことができません。私達は、今それを正しく認識しています。
この教会[の建物]は、日曜日の礼拝のためにプレスビテリアン(長老派教会)に貸されています。これは、その当時、私達のためにいくらか相応しくない状態を作っています。しかし、その人々の集会室が破壊され、私達の集会室を使う特権にとても謝意を感じています。
その建物の下の階にあるいくつかの部屋では、無料の診療所の働きが進められました。そこには、良い医療機器と治療室があります。ここでなされたその働きは、特に、その大火災以来、多くの人々への祝福となりました。
『手紙』18a,1906(79歳)
43章 落胆の考察
1.エレン・ホワイトは落胆の感覚に耐えた
あなたは私に、自分が夜中に目覚めて暗い中で閉塞感があった理由を尋ねましたね。私もしばしば同じように感じることがあります。でも、これらの落胆の感覚は、神があなたや私を見捨てたという根拠ではありません。……陰鬱な感覚は、神の約束が有効ではないという根拠でもありません。
あなたは自分の感覚で見ています。あなたの見通しはどれも有望なものではないので、あなたは、自分の魂に張り付いた重苦しさの衣を脱ぐどころではありません。あなたは、自分自身の中を見ていて、神が自分を見捨てたと考えています。あなたはキリストを見るために存在しています。……
私達の救い主との共同体に入ることによって、私達は平和の領域に入っています。……私達は一定不変の行動に信仰を置き、私達の感覚が何であれ信頼する必要があります。……キリストがこの世界に勝利したことを理解して、私達は楽しく過ごすために存在しています。私達はこの世界では苦しい悩みを体験するでしょう。でも、イエス
キリストによって平和[を体験しています]。我が兄弟、あなたの両目を内側から、あなたの唯一の助けであるイエスに向けてください。 『手紙』26,1895(68歳)
2.落胆しているある姉妹への勧め
私のクリスチャン経験において、私は、今あなたが旅している土地を通り越しました。私は失望の鎖で縛られていたように思えます。まだ、12歳だった頃、私は、数か月間、とても弱っていました。でも、主はその状態の中に私を残しておきませんでした。彼は、憐れみと恵みによって私を惹きつけ、特別な光を私にもたらしました。彼は、あなたを助けるでしょう。
自分自身から視点を逸らしましょう。自分自身について話したり考えたりするのを止めましょう。あなたは、自分ができるどんな良い働きによっても、自分自身を救うことができません。主イエスは、あなたを、罪を生み出す一人に作りませんでした。彼は、罪を生み出す一人としての天使のような存在やどのような人間をも見つけ出すことはできませんでした。彼は、「重荷を負って苦労している汝ら全ての人は、私にもとに来てください。私は、あなた方に休みをあげましょう」と言っています。あなたは、キリストのその言葉を信じないのですか。彼はあなたにこう言っています。「あなた方は私の軛を負って、そして、私に学んでください。私の心は柔和で謙遜なので、汝らは自分達の魂に休みを見つけるでしょう。私の軛は負いやすいので、私の重荷は負いやすいでしょう」。
救い主について考えてください。罪を生み出す者にある不作為と任務について、あなた方の罪を降ろしてください。あなたは、主を愛していることを知っています。その時、サタンはその嘘であなたを攻撃しているので、あなたの命/生活lifeをたえず心配しないでください。イエスは、あなたの違反の赦しを望んでいて、赦すことを信じてください。彼は、世界全体の人々の罪を負いました。彼は、自分のもとに来て信頼する、魂に悩みのある人や弱っている人を愛しています。簡潔な信仰で神を求めてください。「私は信じています。神様、不信仰な私を助けてください」と言う言葉があります。
1)信頼している魂への天の使いの奉仕の働き
主は、間違っている子らをすぐに見捨てることをしません。彼は、その子らを長く忍耐しています。主の使い達は、信頼する魂達、全ての信じる者達に奉仕の働きをしています。さて、あなたが、これらの言葉を読む時に、あなたが過ちと罪のある者でも、主はあなたを受け入れると信じてください。彼は、あなたが人間の罪を消し去ることはできないことを知っています。彼は、罪びとのために流した貴い自分の血が、悩みのある人、弱った人、不安な人を神の子どもの一人にすることを知っています。
神の言葉は、きれいな、芳しい花たちで満ちた庭のようです。わが姉妹、神の約束のバラやユリたちやナデシコなど、その花たちを摘んでみませんか。彼の愛の中に憩ってください。あなたのように、弱り、恐れている魂達のような人のために、主の約束の豊かで大きな考えを表現する言葉や無限の知性はどこにも見当たりません。単純な信仰と信頼は、あなたの側にあります。主の側では、主は十分なので決して失敗が存在しません。信仰によって、罪を負う貴い方を近くに引き寄せましょう。信仰によって彼を堅く信頼しましょう。これは全ての問題の助けがないなどと心配しないでください。キリスト自身がかの敵を叱責する、そして、かの敵はあなたを支配することができない、と信じてください。サタンは叱責されたと信じてください。かの敵が洪水のように押し寄せてきた時、主の聖霊は敵に対して一つの標準を、あなたのために掲げるでしょう。
2)イエスを掲げ、行かせない
もう一度、私はあなたに自分自身から目を離すようにと言います。イエスを見てください。力ある御方を掲げてください。私達の主イエスは、あなたが救われるように、彼自身の命を与えて、あなたへの彼の愛を表しました。あなたは、その愛を疑ってはいけません。闇の側を見てはいけません。あなたの罪を許す救い主としてイエスを見上げることによって、あなたは彼のかたちimageに変えられたようになるでしょう。こう言いましょう。「私は、私の救い主に祈りました。彼は私に自由を与えsetました。私はまちがいなく自由です。私は主のもとにおり、主は私のもとにいます。私は心配していません。主は、欠点のある私を愛していることを知っています。また、私は彼への疑いを表して、彼を悲しませないつもりです。私はかの敵を負かしています。キリストは、私[の魂]を縛っていた綱を切りました。私は、主を賛美するでしょう」。
3.陰のかなたを見る
イエスは生きています。彼はよみがえりました。彼はよみがえりました。彼は永遠に生きています。重荷を負っていると考えないでください。あなたが軛に弱っているのは本当です。でも、誰か、あなたの軛を共に負う人がいますか。あなたの贖い主以上の人物は一人もいません。サタンは、あなたの人生の小道に反して、地獄のような陰を投げかけるでしょう。あなたは何も期待できないでしょう。しかし、彼は、キリストの小道に反して似たような闇の陰を投げつけるでしょう。さて、あなたがするために取る[方法の]全ては、キリストの輝きの陰のかなたを見るために存在しています。……落胆について見ないでください。イエスはどれほど貴重かを考えてください。
あなたの記憶は、主の聖霊によって新しくされるでしょう。イエスがあなたのためにしたことを忘れることができますか。……あなた方は、あなた自身を取り去りました。あなた方の深く感じの良い考え方は、あなた方の貴重な救い主、彼のケア、彼の請け合い、彼の愛にあります。あなた方の望みは、彼に向かって出て行きました。
あなた方の望みの全ては、彼のうえに留まっています。あなた方の全ての期待は、彼と結ばれました。さて、彼はまだあなたを愛しています。彼は、全ての傷をいやす香油を持っています。そして、あなたは彼によって平穏になることができるでしょう。……
慰め主は、あなたの全ての願いを叶えるでしょう。あなたは、その働きとそのメッセージの大切さと、神の聖霊によって重荷を負わせられているでしょう。私は、主が神の律法の素晴らしい事柄をあなたに明らかにしようとしていることを知っています。イエスと共に存在していたあなたについての知っていることを全て取り上げてください。 『手紙』30a,1892(65歳)
1)特別な光に向き合う
私は、自分の知性が暗い側に宿ることを許さないつもりです。イエスは、私のために、喜びと希望と慰めと、そして、光を持っていました。私は、ほかの人々に反映されて、そして、私の心に輝く義の太陽の輝きという、その光に向き合いたいと思っています。キリストが分け与える恵みの光を広くふり注ぐための光は、全てのクリスチャンの特別な義務です。神は、主の臨在が私と共にあると気づくように示して、主を賛美すること、私の悩みでさえも私に持たせるでしょう。(ローマ5:1,1ヨハネ5:11) 『原稿』19,1892(65歳)
44章 園芸における特別な光
1.エレン・G・ホワイトは果樹栽培を指導された
私達がオーストラリアにいた[1891-1900(64- 73歳)時に、私達は、良い土地を造るように、肥料を土地に施し、深い堀を掘る……計画……を採択しました。私達は、これをトマト・オレンジ・レモン・桃・ブドウの栽培で行ないました。
私達に桃の木を売ったその人は、私に、その木が植えられた方法を自分に見せてくれて嬉しかった、と話しました。その時、私は、彼に、桃の木が植えられる正しい季節を説明してくれるようにと頼みました。私は、雇った人に、土地に深い穴を掘るように頼みました。それから、たっぷりと腐葉土などを入れて、小石を入れて、また、腐葉土を入れました。この後で、彼は、その穴がいっぱいになるまで肥料を入れて、土の層を入れました。私は、その苗木園芸業者に、アメリカのロッキーの土地に、私はこの方法で植えました、と話しました。私は、これらの果実が実るころに私の所に来てください、と彼を招きました。彼は私に「それらの木の植え方をあなたに教えるために、私のレッスンを受ける必要がありません」と言いました。
私達の作物は、とてもよく育ちました。その桃たちは、とてもきれいな色でした。私が味わった中で、最もおいしいものでした。私達は、黄色でとても大きなクローフォドや、そのほか、ブドウ、アンズ、(果皮に毛のない)ネクタリン、スモモを育てました。
2.果樹への噴霧
昆虫でさえも殺されるべきものはいない、と言う人々がいます。神は、神の人々(民)へ、そのようなメッセージを託しませんでした。「なんじらは殺してはならない」という戒めを、どんなにでも拡大解釈することは可能です。しかし、このことをすることは、健全な理由と調和しません。それをする人々は、キリストの学校で学びませんでした。
この地上は、罪のゆえに呪われてしまいました。最後の日々にあらゆる種類の害獣は増えるでしょう。それらの害虫は殺されねばなりません。さもないと、それらは、私達を悩まし、苦悩をもたらし、殺しさえするでしょう。そして、私達の土地の果物と私達の労力の作物を全滅させるでしょう。場所によっては、アリたち[シロアリ]は、木製の家々を全部食い尽くします。それらは、殺されるべきではないのですか。果樹は噴霧されなければなりません。果実をだめにする害虫たちは、殺される必要があります。神は、私達に行動の一部を委ねました。この部分で、私達は信仰深く行動する必要があります。その時、私達は主による休みに入ることができるでしょう。
神は、アリやノミやガを殺すなというメッセージを誰にも与えませんでした。厄介で害を与え、這い回る害虫たち、私達は、危害から私達の財産と私達自身を守るために、潰して敵対して守る必要があります。もしも、これらの害虫を駆除することが私達にとって最良の行動であったとしても、害虫たちは、ますます繁殖することでしょう。 『原稿』70,1901(73歳)
『レビュー&ヘラルド』1961,8,31
45章 写真と偶像崇拝[17]に関するバランスの良い勧め
写真を撮る問題にラインを引くことは、男性と女性にとって、一つの難しい内容です。ある人は、あらゆる種類の写真、銀板写真、写真に反対して[他人の家屋に]侵入しました。全ては燃やされなければならない。人々は、あらゆる写真を撮ることは、第2条によって禁止されていて、それらは偶像の一つだ、と言っています。
一つの偶像は、人間を造った主の愛と信頼の代わりに、人間が愛し信頼している何かです。人々は、この地上の物は何でも、一つの偶像として人々のために存在している、人々を神から離れるように導いている、人々を助ける力を持っていて彼らに良いことをする、と強く望んで信頼しています。好意を惹きつけるものであれ、神の至上の愛から魂を引き離す物であれ、また、神への全的信頼と際限のない信頼を妨げるための干渉であれなんでも、その個性を考えて、魂の宮に一つの偶像を形作って備えています。
最も大切な戒めは、「汝らは、汝らの心の全てで汝らの神、主を愛するでしょう」(マタイ22:37)です。ここでは、神からの好意の分離が許されていません。1ヨハネ2:15-17を読むと、この世界と、この世界にあるものを愛してはいけません。この世界を愛している人は、天の父の愛はその人の中にありません。全てこの世界にあるもの、肉体の強い欲望、両目の欲望、生活のプライドなどは、天の父に属するものではなく、この世界に属するものです。この世界と欲望は過ぎ去ります。そのために、しかし、神の意思を行なう人はいつまでも残るでしょう。さて、もしも、その写された数々の写真が神から好意を分離する傾向を持っているならば、神の属する位置で礼拝されるならば、それら[写真]は偶像です。イエスキリストに追随する者だと言うこれらの人々は、それら[写真]に自分達の好意が与えられて、これらの物[写真]を神よりも上に高く置きましたか。彼らの宝物への愛は、イエスが働くはずの彼らの心の中の位置を満たしたのではありませんか。
友人達の全ての写真と、自分達にたまたま起こったことの写真を燃やしてしまったこれらの人々は、より、天的な考え方のため、高められるため、高貴にされるために、魂だけ、立ち居振る舞いだけ、そして、言葉だけで、行なっているように見えていて、この行動のための高い聖別の状態に来ているのですか。彼らの体験は以前よりも豊かなものですか。自分達が
[写真]を焼却して犠牲を作った後で、もっと完全な信仰を持てるように信じ、もっと祈りましたか。彼らは、そこの頂点に届きましたか。以前よりも主の働きと、神への強い献身と、新しい熱意を掻き立てて、聖なる火が彼らの心に灯りましたか。犠牲の祭壇から取り出された燃え差しは、彼らの心と口に触れましたか。彼らの実によって、あなた方はその働きの特徴を語ることができるでしょう。
『原稿』50,1886(57歳)
46章 音楽と美しい調べの演奏者
1.歌うことは陰気な力を払う力がある
私達は陰気な力に優位さを守って、日毎に起き出ている必要があるということを、私は見ました。私達の神は大いなる方です。私は、しばしば、かの敵を[退けた]神の栄光を歌っていたことを見ました。神を賛美することはかの敵を撃退して、私達に勝利を与えるでしょう。 『原稿』5,1850(30歳)
2.耳に心地好い世俗音楽のメロディー
世俗の宴会や娯楽の側に身を置くことは、主の働き人達にとって、安全ではありません。世俗的な音楽のメロディーとのつながりは、ある安息日遵守者達によって損害を受けないと見られています。しかし、そのようなもの[音楽]は危険な領域にあります。このように、サタンは、男性や女性を正しい道から逸れた道に導いて、魂達の支配権を得ました。とてもスムーズな、見かけに信頼できるものが、かの敵の働きです。彼の策略は悟られず、多くの教会員達は、神を愛する者達であるよりも、娯楽を愛す者達になっています。
『原稿』82,1900(73歳)
私は、U兄弟のケースを示されました。神と親しい関係になっていなければの話なのですが、彼はその教会の一つの重荷になっていたでしょう。彼は、自慢する人でした。もしも、彼のやり方に疑問を持たれたならば、彼は感情を害されたと感じました。もしも、彼は、自分の前でほかの人が高い地位について好まれたと考えると、彼は、それは自分にとって悪いことだと感じています。……
U兄弟は音楽について優れた知識を持っています。しかし、彼の音楽についての教育は、神を礼拝する厳粛さというよりも、その演壇stageに合う特徴に関するものでした。歌うことは、多くの宗教的な集会で神の礼拝時に、話をすることと同じく正しいことです。また、何かの風変わりなことや奇抜さが盛り込まれたものは、人々の注目を惹きつけ、そして、厳粛さを壊しています。謹厳さの感銘は、神聖な音楽のその成果にあるでしょう。歌の中の風変わりなものや常軌を逸したものは、宗教的な礼拝の厳粛さや神性さを損なっています。
1)高貴にされ、厳粛な感銘を与える音楽
体全体を動かすことはいくらか益があります。宗教的な礼拝に何かの方法で繫がれたものは全て、感銘を受けて、厳粛に、高貴にされるでしょう。神は、牧師達がとる態度の中で、威厳をなくした、洗練されていない粗野な態度、粗野な身振りを現す時、キリストがとても誤って伝えられて、キリストの代表者であることを喜びません。まったく面白い物事、珍しいものを見たいと期待している好奇心のある人々は興奮して喜ぶでしょう。しかし、それらの事柄は、彼らを目撃する人々の心と知性を高めないでしょう。
このことと非常によく似たことが、歌うことについても言えるでしょう。あなたは、みっともない態度を装っています。あなたは、可能な限りに声のボリュームを上げ、全ての力を込めています。あなたは、あなた自身の[能力]以上の音楽的な声の調子と、上品なメロディーに浸っています。体全体を動かすことと粗野な態度と耳障りな声は、天で聞く者達と地で聞く人々に快い調べをつくりません。この歌い方は、音楽の心地いい調べ、和らぎ、完全なものとして、神に受け入れられず、欠陥があります。私達の集会で私が時々持ったような、天使のような[聖歌隊の]間にある披露はありません。そのような粗野な声の調子と、大げさな身振りは、教会の天使のような聖歌隊の間に披露されていません。彼らの歌声は、耳に大きすぎません。それは、心地好く、旋律が美しく、私が目撃したものは強く張り上げなくても届いています。それは、力強さや調子、身振りが求められたものではありませんでした。
2)聴衆の感覚は感銘を受けない。聴衆の心は和らがない
U兄弟は、どれほど多くの人々があきれているか、嫌気がさしているかに気づいていません。思いを抑えられないある人は、全く神聖視せず、そして、その歌声によって生じた粗野な動作を見て、軽率さを感じています。U兄弟は自分自身を誇示しています。彼の歌い方は、琴線に届かず、心を和らげる感化力もありません。多くの人々が、その集会に参加していて、彼らは知性が確信し[心が]厳粛になった[はずの]、その講壇から語られる真理の言葉を聞いていました。しかし、ほとんどの時間、その方法で指揮された歌い方は、深い感銘を作りませんでした。その実演と曲解した身振り、取ってつけたような不快な出演、強制された結果は、とても滑稽に、神の家のための場所の外にも現れました。その聴衆の知性に与えられた厳粛な印象は取り去られました。特別な真理を信じている人々は、以前の歌い方と同じような高尚な思想ではありません。
3)それは、「すべて主の方法によって」する必要がある
U兄弟のケースは、対処することが難しい一つでした。彼は、躾けられず教育されなかった一人の子供のようでした。彼のやり方に疑問が出された時、一つの祝福としての譴責の声を出して取り上げるのではなく、彼は、[そのままで]良いという自分の判断を得て、自分の感覚/考え通りにしました。そして、彼は落胆するようになって、やがて、何もしなくなりました。もしも、彼が行動しようと思っても何もすることができないのであれば、このやり方によって、彼はまったく進めないでしょう。彼は、自分のやり方を改善するような誠実な働きをしようとしませんでした。それどころか、彼は、自分から神の天使を離して悪天使達を自分の周りに連れてきて、ラバのような強情な感覚/考えを言って明らかにしました。神についての真理は、その人の生活に感化して聖化され、真理自身が洗練を開始して、心に受け入れられました。
U兄弟は、「歌うことはこの世/世界の中でなされるための最も偉大なことに関するものだった。また、彼はそれをすることに関して壮大な方法を持っていた」と考えました。
あなたの歌い方は、教会の天使のような聖歌隊の喜びからはかけ離れています。あなたの声のボリュームを一杯に張り上げ、あなたの体を振り回して、その言葉を強調して、任務を負う双肩を挙げて、天使の群れの中に立っているあなた自身を想像してください。天使達の前で、そのような演出によってどんな一致や調和が存在しているでしょうか。
4)音楽の力
音楽は、天に起源があります。音楽には、偉大な力が存在しています。ベツレヘムの草原で羊飼い達の心が感動したものと、この世/世界中の人々が涙を流したものは、天使のような群衆から[生まれた]音楽です。調和と清らかさの具現化である主に私達の賛美を捧げることは、音楽の中に存在しています。贖われた人々がついに朽ちない報いに至る時は、勝利の歌と音楽と共に存在しているでしょう。
人間の声の中に特別な神聖の何かがあるでしょう。その[声の]調和と、その抑揚と、天の霊感を受けた哀調は、あらゆる音楽の楽器に優っています。声を発する音楽は、ある人の魂に神の愛が満ちている時、[楽器に]優るとも劣らない楽器として、人々への一つの神の贈り物の一つです。その精神とその理解と共に歌うことは、また、神の家での信心深い礼拝に大きく関与しているでしょう。
この贈り物は品位を大きく落とされました。清められ上品にされた時、それは、頑固な不信仰と根拠のない偏見の壁を打ち壊して、偉大な善を成し遂げるでしょう。また、魂の改心という宝物になるでしょう。歌うことの初歩、基本原理を理解することは、十分ではありません。しかし、その理解と知識と共に、[歌うことは]天使達が私達を通して歌うことができ、天と繫がるようになる必要があります。
5)ソフトで澄んだメロディーはかき消された
あなたの声は、教会の中で、まったく上品でもない大げさな身振りと共に始まり、伴奏に加えられ、ひどい耳障りな声ととても不快な声に聞かれました。ソフトで澄んだメロディー、もっと天使のような音楽は聞かれないでしょう。あなたは、神のためというよりも、人々のために歌いました。あなたの声が会衆全員の上に耳障りな調子で高められた時、あなたは、昂奮して賞賛の思いになりました。あなたは、実際に、自分の歌声について高度な見解を持っていました。あなたはこの賜物の行動のために報いが与えられるべきだという考えを持っていました。
賛美する愛は、あなたの人生の主要な動機でした。これは、一人のクリスチャンにとって貧しい動機の一つです。あなたは、一人の子どものように褒められ、かわいがられようと思っていました。あなたは、自分自身の性質との戦いをずっとしてきました。自己を否定して生きることと自分の性質につきまとわれることに勝利することは、あなたにとってとても難しいことでした。
『原稿』5,1874(48歳)
47章 祈りに属する聖霊の働き
[1.神との正しい関係の光]
私は、これ[1901 SDA全体総会会議]は、神が統括可能な一つの会議となるだろうと、強い希望を感じています。これは、一つの重要な時、非常に重要な時です。そこでは、なされるための一つの大きな働きがあります。しかし、その会議に成功が存在するかどうかは、私達個々人に依っています。私達は、この会議の間に、ここに一つの天をつくることができるでしょう。
ここには、この会議でつくられるための厳粛で重要な数々の決議があります。神は、自分との正しい関係に立つよう、私たちすべての人に望んでいます。彼は、語ることをもっと少なく配して、祈ることをもっと多く配するように、私達に期待しています。彼は、魂の窓を天の方に開いて保つようにと、私達に期待しています。天の玄関口は、神の栄光の光で満たされています。そして、神はこの光を、この会議で彼との正しい関係の光に立つすべての人々の心の中に輝かそうとしています。
ある人は、あのペンテコステの日のように、「人々が聖霊を求めて神への祈りによって、費やされる義務の日々のための会議として考えた」、と言いました。私はあなたにこう言おうと思います。この会議で議論されることになる議題は、多くが神への奉仕の一部であると同時に祈りです。その会議の議題は、祈りの集会と同じく、多くが聖霊の指図のもとで正確になされるために存在しています。そこには、私達が得ている、衝動的なものや感情に影響された宗教心の危険性があります。天の主催者がそれに関して是認可能な神聖な事柄の前に立つこの会議で、この議題の審議を行ないましょう。私達は、私達の働きの議事の項目で、最も神聖なものを保護するために存在しています。ここで審議される全ての議事の項目は、天の原則と一致したものとなるために存在しています。
神は、キリストが留まることができて、聖霊を吹き入れることができる位置に立つように、あなたに期待しています。彼は、あなたにこの会議の始まりで、闘争であれ、論争であれ、意見の不一致であれ、不満の文句であれ、攻撃するのを止めるのを期待しています。私達が必要としているものは、自己に関するものではなく、キリストに関するものにもっと気を配ることです。救い主は、「私なしでは、汝らは[神のわざを]何もすることができません」と言っています。……
私達は、神が自分の人々のためになそうとしている一つの地点に届いてきました。神は、私達の世界の中で、ほかの全ての人々とは全く異なった、[自分の]人々を代表する一人になるようにと彼らに望んでいます。神は、彼がここで立つようにと自分の命を与えたので、優越した地に立つようにと、彼らに思っています。神を失望させないようにしましょう。 『原稿』29,1901(74歳)
2.多すぎる議事
あなたの非常に多くの議事は、全体の三分の一に減らされる必要があります。大きな配慮が、構成された議事についてなされる必要があります。
『手紙』21a,1888(61歳)
私は示されました。私達の諸会議は議事によって、過重な負担が与えられています。その多くの十分の一は、重要な案件から大切な価値へと落とされる必要があります。私はこれらの事柄について、明確に言及しました。しかし、まだ、あなたは、その議題は決議される必要があると言っていました。
『手紙』22,1889(62歳)
48章 聖書の預言は我々の時代のために書かれた
[1.キリストの知性を持つ]
私達は、神の知性を不在にしてはいけません。神は、私達の喜び主であり、私達の救い主です。古代のどの預言者達も、私達のために多く語り、自分自身の時代の人々のために少なく語りました。なので、彼らの預言は、私達のために私達の前に存在しています。「さて、全ての事柄は、先例として彼らに起きました。そして、それらは、世界の終わりが来ている私達への忠告として書かれました」(1コリント10:11)。「彼ら自身のためではなく、彼らは私達のためにそのことの奉仕の働きをしました。彼らによってあなた方に知らされた福音は天から下された聖霊によって送られました。これらのことを、天使達が見たいと願っています」(1ペテロ1:12)。
聖書は、あなたの研究の書でした。それは神についての真理を勧める本で、それは、それ自身が作られてから世界の人々がもっている全ての聖なる感化の指揮者なので、それは良いものです。私達は、エノクが神と共に歩んだ励ましの記録を持っています。エノクが神と共に歩んだのであれば、その退化した人々の中にいて、一つの洪水によるこの世界の破壊の前に正しく年を取っています。私達は勇気を受けるために、また、彼の実例から刺激を受けるために存在しています。私達はこの世/世界の人々から悪影響を受ける必要はないけれども、道徳的頽廃の影響と風潮のただ中に住んでいます。私達は、神と共に歩むことができるでしょう。私達はキリストの知性を持つことができるでしょう。
1)最後の世代のための様々な宝物
アダムから7代目のエノクは、かつて、主が来ることを預言していました。その大いなる出来事eventは、幻で彼に啓示されていました。死んだけれど、アベルは、かつて、私達が唯一完全な捧げ物と完全な贈り物をすることができるキリストに関する血について語っていました。聖書は、この最後の世代の人々のために、それ自身の大切なものが集められ、一冊にまとめられました。かつて存在した諸々の大いなる出来事と、旧約聖書の歴史の厳粛な人間関係の全ては、これらの最後の日々の神の教会で繰り返されています。人々が救われるようにと、自分の仲間のため命の本から自分が消されることを願って、克己/自制を教え、静かに語るモーセがいます。ダビデは、この地上[歴史]の終わりの魂の救いのためにこの教会の執り成しを導いています。これらの預言者達は静かに、キリストについての犠牲とそれに続く栄光を啓示しています。それら積み上げられた真理の全体は、私達が彼らの教えによって益となるように、私達のために力によって表されています。私達は、聖書全体の感化の下に存在しています。すでに与えられていたこの信仰遺産の豊かな光を、全ての人々に存在するようにするのが、人としての礼儀である私達の義務です。現在の光の増えた新しい物と過去の感化の全てを集めて蓄積された力は、その光に追随する全ての人々に与えられています。彼らの信仰は増すでしょう。そして、今の時代の人々の行動にもたらされるでしょう。エネルギーが目覚めて、熱心さが著しく増えて、この世/世界の人々に主の力を満たすために、神に依存することを通して、地上[歴史]の終わりに義の太陽の光を送りました。
もしも、主の人々(民)がお金では買えない賜物giftを手に入れるだけで、主についての関心をみな包んで縛っておくだけだということが本当ならば、神は、世界の最後の日々の不信心者の増加に合わせて多くの世俗の人々を所有していることになりますがそうではありません。そこには、気に入りの偶像は存在しないでしょう。私達は、[キリストが]やがて来るという畏れに必要がないですが、しかし、創造者への私達の忠誠として、神へ私達の魂を保つことを託す必要があります。主は、託された主の信頼を護るでしょう。
『手紙』74a,1897(70歳)
49章 全ての人が預言の賜物giftを持てるか
時が経つにつれて、エレン・ホワイトの実物の見解と教えとして、この[教会の]人々を誤った方向に導いて失敗の可能性のない、そして、彼女にとってまったく新しい物だと言われている、私が書いたという記事に関する数々のレポートが届いています。ある姉妹は、友人達への一通の手紙の中で、「ホワイト姉妹は、もしも、私達が神との正しい関係を持っているならば、今、幻を持っている人々がするように、全ての人が同じ程度に預言の賜物を持つことができる、その時がきたのを見た」と、ジョーンズ兄弟によって言われた宗教的狂信をたくさん語っています。
この話の出所はどこですか。私は、その姉妹が、ジョーンズ兄弟[の言ったこと]をまったく誤解していたと思います。それを書いた人はこう続けています。「ジョーンズ兄弟は昨夜、‟このケースでは、神は、自身の益のために誰にも語らず、誰の益にもならないことを語らないでしょう。そして、これはヨエルの預言の成就ではないでしょう”と言いました」。彼[ジョーンズ兄弟]は、これは既に存在していたものが多くの実例のなかに発展させられたものだ、と述べたのでした。
彼[ジョーンズ]は、ホワイト姉妹がすでにしてきて、今しているような立場を取る人が誰もいなったかのように考えて話しました。一つの対比として、モーセをあげます。彼[モーセ]は指導者の一人でした。彼の預言は記録されていないけれども、多くの人々から預言書だと言われています。彼(ジョーンズ兄弟)は、その内容が、ここで一姉妹に読まれて広く出回るようにコピーされたものであることを承諾しないでしょう。……
預言に関連するそれらの考えについて、私は述べることに躊躇していませんが、うまく表現できませんでした。そのような言及は、確かにサタンが間違った行動を持ち込むのに有利な状態に道を用意しています。ここに、危険性があります。安定性を欠いた知性は狂信に導かれるだけではなく、陰険な人々は、彼ら自身の利己的な目的を超えた昂奮を優先させるでしょう。
イエスは、警告の声を上げました。「偽預言者達に気を付けなさい。羊の衣を着てあなた方の所に来ます。しかし、内部は、危険な狼達です。汝らはその実によって彼らを知るでしょう」(マタイ7:15,16)。「ホスト役の主はこのように言っています。あなた方に預言するその預言者達の声に耳を傾けてはいけません。彼らはあなた方に愚かなものを作ります。彼らは自分自身の心にある幻visionを語っています。そして、それは、主の口から出た者ではありません」(エレミヤ23:16)。「もしも、誰かがあなた方に、ほら、ここにキリストがいる、または、ほら、あそこに彼がいると言うならば、彼を信じてはいけません。それは、偽クリスチャン達と偽預言者達が現れるからです。また、もしも、それが可能ならば、選ばれた者達でさえ、いろいろなしるしと誘惑するための不思議を示すでしょう。しかし、汝らは注意を払いなさい。私はあなた方に全ての事柄を予告しました(マルコ13:21-23)。 『手紙』6a,1894(77歳)
50章 先駆者達の評判を悪くする
[1.キリストをもてなしている]
神の人々(民)の過去の体験と繫がることによって、起こったことと関係すること、また、彼らの体験をばかげた、いかがわしい憶測とすることとしてそれと関係することは可能です。その働きについての確かな特徴を捉えることと、大きな全体からの一部をそれらに置くことは公正ではありません。真理と誤りの混交はそのようなことに表されるでしょう。私達の敵は、神の[人類救済]目的とその働きへの妨害と、真理への損害に酷くかかわっているでしょう。
滅びる魂の救いのために、堕落した人々に憐れみのメッセージを開示する任務に従事することを受け入れて、寛大に、善を行なった人々の欠点を現しながら、神の奉仕の働きをしている人々がいる、と思う兄弟[姉妹]が一人もいないようにしましょう。それらの兄弟達は、品性の特徴に先祖の欠点を引き継いだ弱さを持っていると考えましょう。それらの欠点は探し出されて、卓越にされたものにしませんか。
神が、偶像崇拝と教皇制度に反対して宗教改革を遂行するために選んだ人々は、不快な光によって表されたのでしょうか。サタンの礼拝堂では支配者の旗が高く掲げられました。そして、誤りが勝利のうちに行進したかに見えました。宗教改革者達は、神が彼らに与えた恵みによって、その闇の主hostに対して、好結果の闘争を行ないました。その改革者達の歴史の出来事eventが、私の前に現されました。神の王国のかがり火、神性の光/真理を消滅させる目的のために、悪い人々を自分の側に大勢集めたサタンの勢力との闘いを、主イエスとその御使い達は強い関心を持って見詰めていた、ということを私は知っています。彼らは、キリストのため、軽蔑、嘲笑、そして、神を知らない人々からの嫌悪の情に耐えました。彼らは、信仰を捨てようとしなかったので、けなされ、死の迫害さえ受けました。もしも、誰かが、それらの人々を手玉に取ろう、また、その人々の間違いや失敗をこの世/世界に提示しよう考えるならば、主の聖徒達の人格の中のキリストを晒しているということを思い出しましょう。
1)一人のアドベンチスト著者への譴責
あなたは、神の人々(民)の誤りや欠点を公表して、神とイエスキリストの名誉を汚すことを行なっています。あなたは手紙に書いていましたが、私は、自分の右腕[著書]から出たものをこの世/世界の人々に与えてきたと思っていません。あなたは、自分が書いた本の感化が存在しているという自覚がありませんでした。…
主は、私達の人々(民)の正しい歴史の一つとして、これらのことを一般の人々に公表するために、あなたを召命しませんでした。それら[職場]の兄弟達は彼らが行なった極端な立場を取っているので、あなたの本は、労する者の前に示して置いて私達のために必要なことをするでしょう。すなわち「彼らが行なったその状況を振り返って、あなたの記事によって疑いと非難を書かれた人々の潔白の証明」をすることでしょう。
2)あなたはゆがんだ見解を与えました
あなたは、その職場の働き人達から休みを提示されていて、自分の[本に]書いた初期に体験した人々の中にはいませんでした。そして、あなたは神の力がその職場の働き人達と繫がって働いたという事実を表さなかったので、むしろ不公平な見解を与えました。彼らはある間違いをしました。あなたは、兄弟達の誤りをこの世/世界の人々の前に暴露しました。しかし、異議のある内容を正して直すために、そして、それらの間違いを正すために神が働いたという事実を表しませんでした。反対者達は、私達の[教会の]人々が手にした内容の増えることを喜んだことでしょう。あなたは、キリストの特別な日に主の目に貴いものだった人々の失敗、初期の使徒達の失敗を並べたてました。
神のメッセンジャーによって取られた極端な立場を表すことによって、あなたは、この時代のための神の働きに、確信が霊感を与えると考えていますか。神は、霊感によって、主の人々(民)の間違いを指導し説諭するゆえに追跡調査させるでしょう。しかし、有限な人間の口やペンは、知性の曇りと困惑の傾向を持っている神の人々(民)の体験の特徴を取り上げないようにしましょう。神に受け入れられた普通の働き人達の間違いに注目を呼びかける人がいないようにしましょう。あなたが著した記事は、私達の働きと私達の働き人達に関連した記事を読む人々の知性に、公正な感銘と真理を残すような特徴がありません。……
イエスキリストを信じている最も小さき者も、ペンや声の影響によって[信仰が]弱められる人々も、神の子らは、主の目にはとても貴重な存在です。また、主自身を傷つける者達も天に数えられています。「汝がこれらの私の兄弟達の最も小さき者の一人にそれをしたのですから、汝はそれを私のためにしました」。私達は、主の聖徒達の人格において、救い主の打ち傷や傷を負わせることのないうに、自分の考えや感覚、自分の言葉や行動を注意深く守ることを自覚している必要があります。彼は私達にはっきりと語りました。キリストは、人間性の受難によって自分自身が誰であるかを明らかにしています。栄光の王国で命の冠の栄誉を受けであろう、神に忠実な人々は、厳しい闘いと試練を通り越さなかった人は一人もいないでしょう。朽ちない冠のためのレースを走り抜いて勝つ全ての人は、律法に合わせて努力したことでしょう。
3)キリストの兵卒達に対抗手段を取らない
私達は、敵対者に対する闘争の対抗手段を指図するために存在しています。しかし、王達の王からの指示の下で行進して、勇敢に主の戦いに挑んでいるそれらの人々に向けてそれらを向けません。特別な働きをするためにこの世/世界に特別なメッセージを伝えるために、神が送った人、神が承認している一人の兵卒に銃を向ける人がいないようにしましょう。
キリストの兵卒達は、自分達の足取りの中で、いつも完全/成熟を現すことができないでしょう。しかし、彼らの間違いは、彼らの戦友仲間から弱められるような言葉ではなく、彼らの失った分野を回復するために彼らを助けるような言葉、力づけられるような言葉で強く叫ばれる必要があります。彼らは、神の栄光を不名誉の方に向けないでしょう。そして、彼らの王の苦い敵に有利な口実を与えないでしょう。
彼らの戦友の軽率な判断と、厳格な兵卒達について行かないようにしましょう。そして、すべての欠点を最高の[良い点]にしましょう。兄弟達を告発する人々になって、サタン的な態度を現さないようにしましょう。私達は、この世/世界の人々によって間違って伝えたものと誤りを立証したものを見つけるでしょう。私達は真理を擁護していて、踏みつけられた神の律法の正当性を立証していますが、嘘を言う立場の人によってその間違いが見つけられ正される時、キリストの兵卒達が作り得る間違いを公表することによって、神の[人類救済]目的を汚す人がいないようにしましょう。……
神は、過失を犯した人を非難する以上に、はるかにもっと大きな罪によって彼らの兄弟達の間違いを愚かにも暴露する、これらの人々を非難することでしょう。粗探しと兄弟達への非難は、キリストへの粗探しと非難としてみなされています。 『手紙』48,1894(67歳)
2.増加した光は、増加した責任を負わしている
今日、私達は、多くの機会と増えた[真理の]光を持っているという特権を与えられています。また、私達は光/真理の改善のための責任を担っています。これは、敬虔が増えたことによって現されたものでしょう。私達の神への忠誠心は、この時代の私達を照らしている光/真理と比例しているでしょう。
しかし、私達が光/真理を増やしたという事実は、確かな働きをするため、また、この世/世界の道徳的な闇に浸透するために神が立ち上がらせた人々の品性を詳細に調べて判断しても、私達を義としません。
今日行動し、真理の旗を振ってそれを伝える私達と同じように、過去において、神に奉仕する人々は、リーダー達や勢力達、この世/世界の闇の支配者達と、高き所の霊的な悪意の者達と格闘しました。それらの人々は、素晴らしい方法によって働きをした、主の生きている働き人達、神の高貴な人々でした。彼らは、真理がこの世/世界に伝えられて聞かれるため、明らかにされることに合っていたことを主が見た、神性の真理を広めるための保持者でした。人びとは、誤った一つの時代、堕落した宗教がこの世/世界に広がった時に、真理を宣布しました。
1)罪の言い訳や品性を軽視している場合ではない
私は、特別なカーテンが巻き上げられて欲しいと思っています。霊的な視力を持っていない人々は、現在、木々が歩いているように人々を見ているので、神の目にも同じように人々が映っていると考えているかもしれません。人々は、未来の世代のための道として備えたものと、その行路から闇の道に別れた人々の働きと体験のうえに、自分達の人間性の構成品[品性]を築かないでしょう。
私達の世代まで生きてきて、私達は、この人々の時代に、この人々に与えられた光/真理によれば、神が特別な働きをするようにと立ち上がらせた人々に裁きを宣告することでしょう。その人々は自分達の罪を悔い改め、誘惑に勝利できたことでしょう。しかしながら、罪の言い逃れやその人々の品性が低下することについて、その機会は私達のために残されていません。その人々の歴史は、私達のための警告の信号の一つで、そして、もしもその人々の間違いを少しでも避けるならば、私達の足元のために安全な一つの小道を示しています。これらの高潔な人々は、神の前に自分達の魂の謙虚さと恵みの座を求めています。
私達の声やペンは、主の厳粛な指令を軽視していないことを示すようにしましょう。神に選ばれた人々の価値を下げる人がいないようにしましょう。彼らは、主に属する戦いを勇敢に闘いました。また、神の働きと[人類救済]目的に命と魂と心を編み込みました。信仰を抱いて死にました。そして、その人々は、私達のひどい罪を負って罪を赦す救い主によって、私達のために手に入れた大いなる救いに与る者達です。
2)生きている人や死んだ人について間違ったことを語らない
神は、信仰の弱い多くの人々で構成された教会のために、悪の中にある世界の人の誤りを表すため、人々の間違いを再生するために、霊感を与えた人は一人もいません。そして、主は、死んだ人や生きている人の誤りや失敗を再演するように、人々に重荷を負わせませんでした。神は、この時代のための現在の真理を[伝える]働き人達を持っているでしょう。生きているあなたの兄弟達の誤りについて言わないようにしましょう。そして、死んだ人の間違いについては沈黙を守りましょう。
彼らの間違いと誤りは、神が海の深みに投げ捨てて置いた所に残しておきましょう。神への奉仕者達の過去の間違いと誤りについて、現在の真理を信じていると公表している人々によって言われているものを少なくしましょう。最善、それは、彼ら自身の魂のため、また、キリストが自身の血によって買い取った人達の魂のために存在しているでしょう。アルファでありオメガであるという、あの始まりと結びの言葉の宣言をみんなで声にしましょう。ヨハネはこう言う声を聞きました。「主を信じて死んだ死人達は祝福されています。ええ、聖霊がそう言っています。その人々はその働きの任務を解かれているでしょう。彼らの働きは彼らに伴っているでしょう」(黙示録14:13)。
『レビュー&ヘラルド』[18]1897,11.30(70歳)
51章 エレン・ホワイトとその働きを非難すること
1.私達は沈黙を守るべきか
人がその仲間達を激しく攻め、神が働きをするように託した人々におかしな光/真理を提示している時、私達はその攻めている人に、あるいは、その攻撃によって間違いに導かれた人々に、正義を行なっていないでしょう。私達は沈黙を守るべきですか。兄弟姉妹達に、それらの確信していた考えを残すことは、まったく、価値がない愛や友情です。コラ、ダタン、アビラムの働きとよく似ていて、私達の間で湧き起こるこの働きは、神に対する一つの攻撃で、戦いとなるでしょう。また、あらゆる点において、非難者達は彼らの立場を擁護する者を呼びだすでしょう。あらゆる攻撃は慎重に調査されるべきでしょう。それは、何かの不正確な方法によって捨て去られるべきではないでしょう。その人々は、それはたぶんこうだ、たぶん違うという考えを捨て去らないでしょう。その攻撃者達は、実証できない非難ののろしを挙げて、彼らの力の限りに行なうでしょう。
1)その人々は嘘を信じることを残さない
これは、全ての教会のケースにおいてなされるでしょう。ここに、神が託した一人として、半世紀の間、神の働き人達の前で私達の信仰に属する人々のための働きとして受け入れた一人の働き人、神が確かな働きをするようにと委託した人、神に仕える人がいる時、また、もはや、キリストと共に歩まず、キリストの弟子達がそうだったように、彼に与えられた警告のメッセージのゆえに攻撃されたようになっているゆえに、何かの理由で兄弟の一人が誘惑に遭っている時、真理が存在しているが真理でない事柄を宣言して自分の不満を公表してその真理に反対した働きを始めている時、それらは立ち向かう必要のある事柄です。その人々は嘘を信じたまま残されてなくて当然です。その人々は事実を悟らされる必要があります。神に仕えている人が着ていた汚れた衣は、脱がされる必要があります。
もしも、その働きをした人々が、彼らは神の聖霊に導かれていたという論述によって防御壁を作るならば、それは、彼自身の属性でまだ働いている、天の清らかな衣をまとっているサタンのようなものです。『手紙』98a,1897(70歳)
2)『特別な証』による反論と矛盾と言われているもの
自分自身の道に従う選ばれた人々は、反論と矛盾と言われている[記事を]出版し始めました。彼らは、『SDA教会への証』に繫がっているものを発見したと主張しています。そして、彼らは、私の書き物の中の言葉の代わりに、自分自身の言葉を使うことによって、ある内容を偽っています。これらの攻撃は立ち向かう必要があるでしょう。その真実は偽りのその場所に置かれるでしょう。
『手紙』162,1906(79歳)
2.誤った考えに立ち向かって正すこと
私は、V氏と論争していません。私の生涯の任務は、この世の人々の前に存在しています。それは私の仕事ではありません。それは主の働きです。私は、主が、私を言葉の争いから解放していると思うので、自分自身を信用することをしません。「彼らの実によって、汝は彼らがわかるでしょう」。
私達の兄弟達はそれらがどこから来るのかを知ろうとするため、私達は、今、V氏とその妻から出された誤った考えに立ち向かって正す必要があるでしょう。私は、彼がそれらに対して攻撃しているものを知る必要があります。一人の女性に対して激しい攻撃を公衆の面前に持ち出すことは、神の聖霊の働きの結果ではありません。しかし、私達が立ち位置を与えないようなかの敵の精神の一つの霊感の[結果でしょう]。偽って伝えることのゆえに、私達は誘惑を飲むことを魂にそのままにして置きますか。いいえ、そうはしません。私がこのことをしたならば、私は不忠実な管理者でしょう。今、この人々の前に真実な論述が置かれ、私の働きがなされる必要があります。私は議論に加わりません。しかし、私は、私のほとんどの生涯の間、人々の前にあった、生み出された果実である神の働きを任せておくことができません。誰かによって、クモの巣のように箒で払われるためにありますか。人間は、誘惑にさらされます。サタンは、今、小麦の粒を篩いにかけています。 『手紙』65,1897(70歳)
3.教会新聞で語る(1883年、ある編集者へのメッセージ)
私は、あなたがその新聞の中で正しさの正当性を立証する何かを書いているだろうと読もうと待っていました。あなたは、十分な時間がありました。…
なぜ、あなたは、私の夫の名前と信望によって正しいことをしないのですか。また、あなたはなぜ、どなり声を上げさせておいて、沈黙を守るのですか。
私は自分の心配をしていません。私の平穏はかき乱されていません。しかし私は、神がトランペットで警告音を鳴らす義務を与えているシオンの城壁の上に立たせている見張り人の心配をしています。あなたは、自分の目的のため、キリストの目的のため、真理の目的のための何かをする確かな義務を負っています。なぜ、あなたは、その正義を現すようにしようとしないのですか。なぜ、あなたは、死んだ人と同じように沈黙して、放り出しておくのですか。あなたが防護している真理の道はこれですか。
1)すべての反対者のテキストとミセスホワイト
真理は勝利するでしょう。私は、それらの攻撃はキリストが来るまで私に対してなされるだろうと予測しています。私達の信仰に関する反対者は一人もいないですが、しかし、それ(彼のテキスト)は、ミセスホワイトに[反対]しています。彼らは、その真理に反対を始め、そして、私に攻撃をしています。私が何をしましたか。もしも、それが悪いことであるならば、それらの悪いことの根拠を示してください。……
さて、ロングとグリーンの本が出版[19]されました。それらは最も説得力に欠けた卑劣な出版物です。私は、シオンの城壁の上の見張り人が[神の]人々に警告したように、あなたが責任ある立場についた時、それらについてあなたとほかの人々に話す機会があることを待っています。……
2)私に熱中して反対するこの多くの理由は何か
物事は急速に動いています。そこには奇妙でびっくりするようなことがあって、進展がすぐに続いていました。私達は世界の終わりに近づいています。なぜ、私に反対する全ての人が、こんなに熱中するのですか。私は、神が私に与えた自分の仕事に携わってきました。私は、不当に接遇してきた人は一人もいませんでした。私は神が私に与えた言葉の勘違いをしている人々に語りました。もちろん、私は彼らが聞き従うよう強いることはしなかったつもりです。キリストの働き手としての信頼を得た人々は、かの敵が主に反対してひどく怒ったように、私に反対しました。
私は為すべき自分の働きをしただけでした。私は、話すようにと強いられたのでそれを話しました。彼らは私を拒みませんでした。主はその働きを私に与えました。……
私は、見張られました。私が書いた全ての言葉は粗探しされ、私が、なしている全ての動きは批評されています。
私は自分の働きとその成果を、私達が大いなる白い玉座のそばに集められるまで残しています。憶測する解釈の見張りによってキリストの精神/霊をあなたは見ましたか。彼らは、私の言葉について、憶測、推定、誤った解釈をして、私を誤って述べるような、どんな権利を持っていますか。
この種の餌食を愛している層の人々が存在しています。ゴミあさりをしている彼らは、率直に言えば、私の書き物の良い点と、私の証が為したことを見ていません。どちらかと言うと、兄弟達を訴えるサタンのように、彼らが曲解でき、彼らが働くことができる悪さ、彼らが見つけることができる悪い点を見つけています。そして、偽物の預言者になるために、さらに、彼らの悪意のある彼らの解釈を置いています。……
私は、サタン的な精神/霊はこの40年間に現れたよりもいともたやすく広がったと見ています。 『手紙』3,1883(56歳)
3)パン種(イースト菌)のように伝わった
もしも、サタンが、主を告白する人々の中の誰かの間で、批判や粗探しに喜ぶことができるならば、その時、それはお互いにイースト菌のように伝わっています。それは、サタンの科学なので、まったく批判の精神を加えていません。それを受け入れています。そして、互いに仲間になって、羨望、嫉妬、悪く憶測して言っています。
互いに勧め合うことは、私達の救いのためのキャプテンから私が聞いた特別な命令です。互いに勧め合いましょう。一体感のある所では、力が存在しています。主の側にいる人々は、共に勧め合いましょう。特別な真理によって使徒たちの間の愛と完全な一致の必要があります。口論と不一致に導く者は何であれ、悪に属しています。主のブドウの木と一体の枝たちのように、主の人々は、一体になるようにと、主はデザインされています。その時、彼らは互いに一つとなるでしょう。 『手紙』6,1899(72歳)
4)偽りの声明の長いリストが予想された
私は、偽りの声明の長いリストがこの世/世界に表されるだろうと予想しています。また、個々人の知性の中にサタンを起源とした、偽りの以上の偽り、間違った声明以上の間違った声明が、真理としてある人々に受け入れられるでしょう。しかし、私は神の手の中に私のケースを残しています。そして、私の生涯に出会った人々は、語られたその偽りを受け入れないでしょう。
『手紙』22,1906(79歳)
52章 罪がないことと救い
1.罪がないという主張
ヨハネは、大いなる不思議を為す騙す者について書いた中で、「彼は獣の像を作るでしょう。また、全ての人がその印を受ける原因でしょう。あなたはこの内容について考えることを喜びますか」と言っています。御言葉を見て、調べて研究してください。そこには、力を現す不思議な働きの一つがあります。また、それは、自分達自身で得意がって、自分達が高く、より高く、高められているとして、人々が清めと聖化を主張している時となるでしょう。
モーセとその預言者達を見てください。ダニエルとヨセフとエリヤを見てください。それらの人々を見て、彼らがかつて罪のない者になると叫んだ所の私の一つの文章を見てください。まさに、その魂はキリストと密接な関係の中にいて、彼の清らかさと高貴さを見上げて、恥じらいを持って彼の前にくず折れています。
ダニエルは、神が優れた技術と学識を与えた人の一人でした。彼が断食した時、特別な天の使いが彼の所に来て、そして、「汝は特別に愛されています」と言いました。そして、彼はその天の使いの前にひれ伏そうと考えました。彼は、このようには言いませんでした。「主よ、私はあなたをとても強く信じてきました。また、私は全ての事においてあなたを崇めてきました。さらに、あなたの言葉と名前を護ってきました。主よ、あなたは、私が王の食卓に着いていた時にどれくらい忠実だったかを、また、人々が私をライオンの洞穴に投げ込んだ時に、いかに完全な純粋を保ったかを知っています」。それは、ダニエルが神に祈った方法でしたか。
いいえ、彼は、自分の罪を告白して祈りました。こう言いました。主よ、聞いてください。そして、救ってください。私達は、罪に陥って、汝の言葉から逸れてしまいました。彼は、その御使いを見た時に、言いました。私の顔立ちの凛々しさは、くずれて変わりました。彼は、御使いの顔を見上げることができませんでした。そして、彼は力がなくなりました。それは、全て去ってしまいました。そこで、その御使いは彼に近づいて、彼の膝をつかせました。その時、彼は彼を見上げることができませんでした。それから、その御使いは、一人の人として現れて彼に近づきました。それから、彼は、その場面を見て伝えることができました。
1)これらの人々はキリストから離れて罪がないと主張しているだけ
なぜ、多くの人々によって、罪がなくなることと清くなることが主張されるのですか。彼らがキリストからとても離れていることがその理由です。私は、そのような事柄のどんな主張も敢えてしてきませんでした。私が14歳の時から、もしも、神の意思が存在していたということを知っていたならば、私はそれをしようとして来たでしょう。あなたは、「私は罪がありません」と私が言うのを一度も聞いたことがありませんでした。イエスキリストの品性で高められ、優美な容姿を得た人々、また、清くされ高貴にされて、神の宮殿を満たす、主につく一連の人々は、決してそれを言わないでしょう。あなたは、そのような事柄を何度も何度も言うような人々と向き合うために存在しています。
『原稿』5,1885(58歳)
2.それを宣言するのは、人ではなく神
いったい誰が、[自分に]神の栄光は現されたと言うのだろうかと思います。「あなたは‟私は清められています。私は聖化されています”と言うための最も小さい傾向もまったく持っていないでしょう」。
私は最初の栄光の幻が与えられた後、最高に輝く特別な光を識別できませんでした。私の視力は失われたと考えられました。しかし、私が再びこの世界の事柄を見聞きできるようになった時、また見ることができました。これは、私があなたに「私は清められています。私は聖化されています」と決して言わず、自慢しないと語る理由です。あなたは神の御言葉や力を知らないということが最も確かな根拠です。神は、もしもそれを望むのであれば自身の本にそれを書いているでしょう。しかし、あなたは決してそれを言葉で表現しないでしょう。
私はあえて「私は清められています。私は罪がありません」と、言いませんでした。でも、私が考えたことは神の意思であったとしても、私は、自分の心全部でそれをすることを試みて来ました。そして、私は、自分の魂に、神の安らかな平和を持っています。私は、信頼のおける創造者としての神のために私の魂を保つことを委ねることができています。また、彼は彼の信頼を委ねられた者達を守るだろうということを知っています。私の大教師の意思を行なうことは、私の食物と飲み物です。 『原稿』6a,1886(59歳)
3.この卑しい体が変えられるまでではなく
私達は、敵と魂の間に敵意を置く必要があります。しかしまた、私達は、聖霊の感化と力に心を開く必要があります。……私達は、聖なる感化に敏感に反応するようになりたいものです。イエスのすごく小さいささやきは、神のひとり子の信仰によって生きて、私達が彼の中に存在し、私達の中に彼が存在するようになるまで、私達の魂を感動させるでしょう。
私達が救い主のかたちimageを反映するようになるまで、また、「この世界に存在している好ましくない強い欲望による滅亡を逃れて、神性の性質に与る」ようになるまで、私達はあらゆる世俗的なものから洗練され、純化される必要があります。その時、私達は神の意思を為すように輝くでしょう。また、キリストは、私達を兄弟姉妹として呼ぶのを恥じないで、自分の中にとどまっている者達として、聖なる御使い達の前と天の父の前で、私達を自分の子らと認めることができるでしょう。
しかし、私達は、自分の聖化を自慢のタネにしないでしょう。私達が、キリストの染みのない無限の清らかさについての明確な見解を持つ時に、私達は、ダニエルがしたように感じるでしょう。彼が主の栄光を見上げた時に、「私の顔立ちの良さは、悪い道に逸れてから、私に戻ってきました」と言いました。
私達は、この卑しい体が主の栄光の体のように装われて変えられるまで、「私は罪のない者です」と言うことはできません。しかし、もしも、私達がいつもイエスについていくことを求めるならば、その祝福された希望は、染みや皺や何かそのような事柄無しに、キリストにある完璧、彼の義と完全/成熟を身に着けて神の玉座の前に立っている私達に存在しています。
『Sings of
the Times』1888.3.23(61歳)
4.闘いが終わる時
新しくされるその時は、主の出現から始まるでしょう。悔い改めた魂の罪、キリストの恵みを受けて子羊の犠牲の血を通して勝利した[魂の罪]は、天の記録から消し去られるでしょう。そして、罪の創始者、特別なスケープゴート[アザゼルの山羊]、サタンの上に置かれるでしょう。そして、主にひどく反逆する者が永遠にいないと知られています。生涯の闘いが終わる時、特別な鎧兜がイエスの足元に脱いで置かれる時、神の聖徒達が栄光をたたえられる時、その時にだけ、「私達は救われている、罪がない」と主張することは安全でしょう。
『Sings of
the Times』1895.3.16(68歳)
5.現在の救いの保証
死んでいく罪びとはこう言うでしょう。「私は失われた罪びとの一人です。でも、キリストは、失われた人を救うために、探し求めてきました。彼は‟私は正しい人を呼ぶために来たのではなく、罪びとたちを悔い改めに導くために来ました”(マルコ2:17)と言っています。私は罪びとの一人です。彼は、私を救うためにカルバリーの十字架の上で死にました。私は、もはや救われていないという瞬間を思い出す必要がありません。彼は、私の義認のために死んでよみがえりました。そして、彼は今私を救っているでしょう。私は彼が約束したその赦しを受け入れています」。「信仰によって義とされました」(1893年に発行されたパンフレット)p.7.『セレクテッドメッセージ』第1巻p.392に再掲。
自分の罪を悔い改め、神のひとり子の命の贈り物を受け入れている人は、打ちのめされることはできません。神性の性質の信仰によって捉えていると、人は、神の子の一人になっています。その人は、自分の信じていることを祈っています。誘惑され試練に襲われた時、彼の恵みを通して乗り越える力を与えるために死んだキリストにそれを求めています。罪びと達はみなこれを理解する必要があります。人は、自分の罪を悔い改める必要があります。人は、キリストの力を信じる必要があります。罪から人を守るため、そして、救うための力を受け入れる必要があります。私達は、キリストの手本という贈り物が存在していることに感謝すべきでしょう。『レビュー&ヘラルド』1909.1.28(81歳)
6.心配しないでください。あなたの希望はキリストにあります
キリストにある生活は落ち着いた生涯です。そこには、感情の興奮はないでしょう。しかし、そこには、一つの繫がりと穏やかな信頼があるでしょう。あなたの希望は、あなた自身の中にはありません。それは、キリストの中にあります。あなたの弱さはキリストの強さに結び付けられています。あなたの無知はキリストの知恵に結び付けられています。あなたのもろさはキリストの忍耐強さという力に結び付けられています。……
私達は、自己中心や、自分達は救われるだろうかという不安や恐れに没頭してはいけません。これらはみな、私達の精神的な力の源であるお方から、その魂を引き離してしまいます。あなたの魂を神に委ね続けてください。そして、神を信頼しましょう。キリストについて語って考えましょう。自己をキリストの中に消し去りましょう。
疑いをみな取り除いて、あなたの恐れを忘れましょう。そして、使徒パウロと共にこう言いましょう。「生きている人は、もはや私ではありません。キリストが私の中に生きています。それは、この身体の中に今生きている命(人生)です。私は、神のひとり子にある信仰によって生きています。神は、私を愛し、私のためにひとり子自身を与えました」(ガラテヤ2:20)。神の中で休息しましょう。
神は、あなたが委ねたものを保つことができる存在です。もしも、あなたが、神の御手の中にあなた自身を残しておくなら、神は、あなたを愛したことによって、勝者以上のものをあなたにもたらすでしょう。神は、あなたが委ねたものを保つことができる存在です。 『キリストへの道』pp.70-72
53章 『SDA教会への証』の研究
1.光は、研究と傾聴を選ばない人々を厳しく責める
私が書くようにと課された貴い指導が、この本の中に[書かれて]、私達の[教会の]人々に与えられました。どれほど多くの人々がこれらの本を読んで研究していますか。神が与えた光/真理は、不信と冷淡な態度で見られているでしょう。しかし、この光は、それに聞いて受け入れることを選ばなかった全ての人々を責めているでしょう。 『手紙』285,1907(80歳)
2.エレン・G・ホワイトは、『証』を求めることを主張した
私は、私達の教会で、この『SDA教会への証』を研究し、話すことを指導されています。それらの『SDA教会への証』は、この世界の終わりが来ている私達への説諭と励ましのために書かれています。もしも、神の人々(民)が、次々と送られているそれらのメッセージを研究していないならば、その人々は、光を拒んで罪を犯しています。行から行へと、教訓から教訓へと、ここに少しあそこに少しと、神は、その人々に指導を送っています。その指導に注意を払って、その光について行ってください。主は、過去、主の人々が、主のガイダンスに従わず、主の指導に注意を払わなかったので、主の民との闘いをしています。
私は、『SDA教会への証』第6巻を読みました。そして、この薄い本の中に、多くの悩ませられる質問に立ち向かうために、私達を助けるような指導を見つけました。どれくらいの人々が、この巻の「福音の働き」の章を読みましたか。私は、これらの指揮と警告と注意は、人々が共に集められる時、いつの日か、私達の教会の人々に読まれることをアドバイスしています。私達の教会のごく一部で少数の人々は、これらの本を所有することによって存在しています。
3.個人研究は、質問に答えるでしょう
私達は、私達の教会の兄弟姉妹達から、多くの様々なテーマについて、アドバイスを求めた多くの手紙を受け取っています。その人々が、出版された『SDA教会への証』を自分達で研究するならば、自分達が必要としている啓蒙のための光/真理を見つけるでしょう。私達の教会の人々にこれらの本を配布して研究することを勧めましょう。それらの教えを私達の信仰の力にしましょう。
もっと熱心に神の言葉を研究しましょう。聖書は、多くの人々が理解できるようにとても分かりやすくはっきりしています。私は、私達がもっと旧新約聖書を研究するように、私達はほかの人との親密な関係で互いに支えるという事実を、また、私達はそれらの神性の霊感を受けられる根拠をもっと自分の知性に印象付けるようにと指導されました。私達は、それらには偉大な一人の著者がいて、はっきりとわかるでしょう。それらの貴重な巻の研究は、キリストの属性に現れるような品性の形成の仕方を私達に教えているでしょう。
『原稿』81,1908(80歳)
4.自分自身のために『SDA教会への証』を読んでください
『SDA教会への証』が利用されたことについて考えた時、私はとても悲しくなった時があります。男性達と女性達は、ホワイト姉妹がそのような事柄を[主から]決して聞いていなかった時に……、彼らがホワイト姉妹からの一つの証として聞いていることや、それらを攻撃していることなど、あらゆることをレポートしています。
私達のうちの誰かのための唯一の安全は、神の言葉に私達の足元を置いて、御言葉を研究し、常に深く考えることに存在しています。その『SDA教会への証』を人間の言葉として考えないで取るように、自分達のためにそれらを読んで、それらを研究するように人々に語ってください。その時、人々は、それらが真理と調和していることを知るでしょう。神の言葉は真理です。
『手紙』132,1900(73歳)
5.『SDA教会への証』、私達の保護
私は、この『SDA教会への証』の中にある教えに熟知するように私達の兄弟[姉妹]達に強く勧めます。神は、私達に、蔑みや冷淡な扱い、軽視などができない光を与えました。彼は、私達に、立証によって、警告によって、私達の上に光を輝かそうとしています。もしも、私達がしようとするならば、私達は、私達の通り道を取り囲む様々な危険を逃れて、その上に輝かすことができるでしょう。様々な誘惑が湧き起こる時、私達は守られるでしょう。そして、主が私達にそれらを指し示し、私達は騙される必要がないので、私達はそれらを識別できるでしょう。 『原稿』23,1889(62歳)
神の愛の感覚によって、魂に満ちて実を生み出している謙虚さは、行なった働きに応じて人々が報酬を受ける大いなる日に、それを心に抱き続けた人のために語るでしょう。幸福は、それがこう言われうる一つでしょう。
「神の霊は、中身のない人の魂を決して揺り動かさないでしょう。彼[神の霊]はその力に任せて前に上にと行くでしょう。利己心は、人の生命の中に編み込まれませんでした」。
「メッセージの集まり、警告、そして、勧めなどを、人は神からの祝福として受け取りました。神は中身のない人に語らなかったので、このように、その方法は、まだ大いなる祝福として受け取るために人のために用意されていました。成長のための梯子、上の方に昇る段が、もっと高く昇るために、人に用意されました。その梯子の頂上から、神の栄光の光の筋が人の上に輝いています。人は、休むことを考えませんでした。しかし、その人は、キリストの義と知恵を得ることを絶えず求めました。いつまでも、その人は、イエスキリストによって神の高い召命の価値のためにそのしるしに向かって強行しました」。
救われる全ての人々のこの体験は、保たれる必要があります。裁きの日に、人性/人間性が弱く不完全さが残った人の[人生の]コースは、その正当性が立証されないでしょう。天の中に、その人のための場所はないでしょう。その人は、光の中にいる聖徒達の完全さ/成熟/熟達を喜べないでしょう。主が罪を続けることから自分を守ることができると、信じるためにキリストにある信仰を十分に持たなかった人は、主が、神の王国に入る入場許可権を与えるという信仰を持っていません。 『原稿』161,1897(70歳)
第10部 狂信的言動に立ち向かう
はじめに ――遺稿管理委員会
神の教会は、しばしば、狂信的言動やある種の極端、そのほかのことによって脅かされてきました。それは、改革の時代にとても多くあり、また、残りの教会の[人々の]日々にも、とても多く存在しました。この第10部は、『セレクテッドメッセージ』第2巻にある「狂信的言動と騙す教え」、この性質の問題を時にかなった警告を豊富に含んでいます。しかしながら、この10部の中では、言葉の中に嘘が語られている、悪霊に取りつかれている悪霊の追い出し、の二つの内容は特別に強調されていません。
1908年、ミスターとミセス ラルフ・マッキン夫妻がエレン・ホワイトを訪問しました。彼女が勧めを与えた時、その日に続いて、それらの二つの問題は、まったく目立ったものになりました。エレン・ホワイトが幻でそれらの内容についての指導が与えられた後で書いた、その会話の記録と勧めの手紙は、『レビュー&ヘラルド』1972.8.10,17,24に出版されました。主要な部分は、本の形で利用できる記録となって、ここに含まれています。――遺稿管理委員会
54章 マッキンのケース
1908年11月12日木曜日の朝[81歳]、エレン・ホワイトは、エルムスヘイブンの家の書斎で忙しく執筆していました。息子のW.C.ホワイトが、そこの1階のリビングルームで、彼女と話をしたいと希望した二人の人に会いました。知らせを受けて、彼女は、ラルフ・マッキンとその妻に会うために階下に行きました。彼女は、二人が上品な服装の三十台半ばの夫婦で、とても誠実な感じの人達に見えました。ミセスホワイトは間もなく、この訪問者は、聖書と『SDA教会への証』の熱心な研究者で、二人は、主によって励まされた過去数か月の体験が普通ではないかどうか述べて学ぶ目的で、オハイオ州[北アメリカ北東部]からカリフォルニア[西部]にやって来たということを知りました。
マッキン夫妻との会話は、エレン・G・ホワイトの主任秘書のC.C.クライスラーによって、その時のインタビューが速記として記録されました。
――題目編纂者
そのインタビューのレポート
マッキン兄弟とマッキン姉妹は、二人が過ごしてきたことを通して、いくつかの普通ではない体験と思われることを、ホワイト姉妹にインタビューするために、アメリカ西部に特別な旅行するよう、聖霊によって印象付けられたと論述しました。3年前の祈祷週の間、聖霊の大量の注ぎを神に求める特別な期間に、二人は、オハイオ州フィンダレイの自分達の小さな教会と繫がりました。
ラルフ・マッキン:その年の祈祷週の読み物の中に、全ての記事が聖霊を求めるようこの[教会の]人々に指揮してありました。私達は、自分達の小さな教会のために三日間の断食と祈りを取って置きました。そして、私達は三日間の断食と祈りをしました。それは、いつも一緒ではありませんでしたが、私達は真剣な働きの必要を感じ、そして、もっと神の聖霊を持てるように[聖霊が]来る必要を感じました。私達は、聖霊の働きをその時から『聖書』『SDA教会への証』特に第8巻と7巻、『初代文集』、小冊子やリーフレット、そして、『牧師と働き人達への特別な証』を読んで研究し始めました。これが、私達にとって、最も貴重な巻であることを見つけました。それは、神の召命を受けた過去の人々がその時にどのように扱われたかなどを示しています。
主が私に与えた特別なメッセージは、キリストの使徒達の生涯に習うために存在していました。……
「また、彼らは、主を礼拝しました。そして、大いなる喜びに満たされてエルサレムに戻り、そして、宮に居続け、神に祝福され、神を賛美していました。アーメン」。
さて、私は、この祝福は、主が彼らに授け、彼らが受けた聖化の祝福だと独学しています。私達が神に求める時、もしも、私達が改心させられるまで、私達が罪びとの一人であるならば、もしも、私達が改心させられて、それから、私達が、清く生きるために聖化の力を求めて祈りを上げる時、健全に生きています。それは一瞬の働きではなく、「一度に聖化される、常に聖化される」のでもなく、それは真理ではありません。しかし、私達は、その祝福を受けるよう、私達の請願をしっかりと熱心に祈り上げる必要があります。それは、私達において、生理学的な成果と同じものを持っています。つまり、私達は、まさに、イエスを賛美することをしたいと思っています。そして、それは、私達をとても、愛・優しく・親切にしています。しかし、私達は、キリストの弟子達が主のための働きをするようにその祝福を持って出て行く用意をしていなかったことに注目しています。主は、彼らに、高い所からの力を得る努力をするまでとどまるようにと、語りました。私達は、私達の請願を祈り上げ、的を射た信仰を持ち続け、そして、私達は、額から汗が噴き出て滴るまで、信仰によって的を射たことを掲げ、『初代文集』にある「ふるいの時」という題の章にあったこことをするようにと励ましました。使徒達が持っていたものと同じ力を信じることは、今日の私達のためでした。私達は、[力を]保ち続けるようにと励まされました。
体験は「使徒の働き」に2回繰り返して記録された
その約束された祝福が私達に訪れた時、神に私達の請願を祈り上げた時、使徒達について「使徒の働き」2章のここに記されているように、私達は同じ体験をしました。その約束の力が私達に訪れた時、私達は、その霊が私達に言葉を与えた時に、ほかの言語によって話をしました。
[オハイオ州エリー湖の近く]トレドで、私達が町の通りで私達のメッセージを伝えていた時、ポーランド出身のカトリックの人が、その通りに立っていました。ミセスマッキンが話していた時、そして、神の聖霊が彼女の上に訪れた時、彼女が理解できないほかの言語によって彼女を通して人々に語りました。このポーランド出身の紳士は「私はそのレディが話していることがどんなことなのか知っています。彼女は、この都市にまもなくやってくる大災害について、私の母語で話しています」と叫びました。
外国語で主張した
ほかの例では、人が、様々な言語で話す祝福に入って行っています。主は、それと同じ言語を私に与えることができます。そして、私は、神の聖霊が言葉によって私達に与えることのできる言語によって会話を続けることができます。3、4時間も会話に参加することができます。また、それは、人々のために一つの外国語によってです。また、人は、ほかの人の言葉が終わるまで、ほかの人の言葉を待っています。そして、それは、まったく、秩序の中にあります。これは、私達が受けた体験です。約束された祝福によると、……
もしも、私達が誤った思い込みをしているならば、私達は、正直に言って、その状態でいます。しかし、もしも、ここに神の聖霊が存在しているならば、私達は、それに従いたいと思っています。……
その霊/精神はその言葉を探すようにと私達に話しています。熱心になるように私達に話しています。また、私達の食事についても注意深くあるように私達に話しています。あなたが[著書]で言ったことを私達に話しています。
求められた預言の賜物
さて、その霊/精神は、彼女、私の妻を通して働いています。そして、私達は、これは預言の賜物であるし、全ての人間に注がれるために存在していると信じています。この霊精/神は、私達を生活の親切や清らかさに導いています。そして、私達はそれを理解することができません。なぜですか、神の言葉が言った時だけ、神の聖霊の祝福を受ける結果としてそれらの体験が訪れるからです。……
あるキャンプミーティングの体験
私達がそのキャンプ地に行く前に(私達は金曜日までにいけなかったのですが)、私の妻と二人の女性(私の母とほかの女性、そのカンファレンスの代表のエドワード義姉妹)、私達が昨年のキャンプ地に行く前に、彼女達は3週間、主を求めていました。私は任務で都心へ行っていました。そして、神の霊は彼女(ミセス マッキン)に、そのキャンプ地に行くようにと語りました。そして、そこで賛美し、そして、そこで、主は、歌うことについて彼女に話しています。
そして、彼女はまるで子どものように泣きました。そして、まるで立っていられないように見えました。それは、主が彼女に私達の[教会の]人々の状態を示したからです。間もなく大災難が降りかかるでしょう。そして、人々は備えをしていませんでした。そこでは、向上のための集会もありませんでした。そして、主の霊は、彼女がそのキャンプ地に行った時に、彼女の上に訪れました。そして (ミセス マッキンの方を向いて)、あなたは歌った言葉を彼女(E.ホワイト)に話せるでしょう。
ミセス
マッキン:主は、この任務を私に負わせました。私はそれを負って立つことができません。私は、そのとても悪いこと、そのとても悪い歌を話したいと思いました。そして、私は、自分がそれをするまで、それについて解放されえないでしょう。「おお、祈りよ」と、私はエドワード姉妹に言います。そして、そこで、私はキャンプ地に降り立ちました。私は、主が私に与えたそのことを歌っています。主、これは私が歌う賛美です。
彼は来ます。彼は来ます。
備えをしましょう。備えをしましょう。
そして、それから、『初代文集』の中のその言及です。「逃れ場所がないままに、大災害が降ってくるのを何度も私は見ました。汝らは、聖霊を受けなさい」。これは、私が歌う言葉です。私は、それらを何度もなんども歌います。人びとは、キャンプ地中で、それを聞き、共に集まることでしょう。しかし、その前に、主は、私に、その大災害が降っていた時にどれくらい彼らが手を固く握りしめて悔しがるかを示しました。主は、私達にそれを語るよりももっと優る、一瞬で何かを示すことができます。そして、そこで、彼は、人々がどれほど手を固く握りしめて悔しがるか、今まで以上の重荷を私に負わせるかを私に示しました。さて、それは、警察が私達を逮捕した時のことです。…
それはその歌唱が、その霊によって指示された即席の時です。それは最も素晴らしいものです。
エレン・G・ホワイト:私は、自分が特別な何かを持っている、自分が何かを言えるかについて分かりません。この地球歴史の終わりに、霊感づける事柄があるでしょう。それは、あなたが表したいくつかの事柄と同じく、私に表されました。しかし、私は、今、それらの点について何かを言うことができません。
ラルフ・マッキン:あるいは、今の事で何か質問がありますか。ホワイト兄弟。
ウィリアム.C.ホワイト:発展する内容のための時間を割く時に、そこに、主が[私の]母に何かの言葉を与えるような祈ること以上の何かがあるとしても、私にはわかりません。彼女に何かが表される中で、短く明瞭なテーマで表されること、後で彼女にほかのインタビューをたぶん持つことはとてもいいことです。
ラルフ・マッキン:私達は断食して祈っています。もしも、私達が誤った思い込みをしているのならば、もしも、私達が正しい光の中にいるのならば、私達はそれを知りたいと思っています。
ミセス
マッキン:私達の[教会の]兄弟[姉妹]達は、私達が誤った思い込みをしていると確かに考えています。
エレン・G・ホワイト:あなたが話しているその場所はどこですか。どこで、これを歌っていましたか。
ミセス
マッキン:オハイオ州マンフィールドのキャンプミーティングです。
エレン・G・ホワイト:私達の[教会の]人々は、安息日を遵守している人々ではありませんか。
ラルフ・マッキン:そうです。私達自身[教会の]人々です。
ウィリアム.C.ホワイト:[このサナトリウムのチャペルでの祈りの集会で、マッキン兄弟が賛美礼拝の中で自分の証をし、そして、ミセスマッキンによって、歌って続けられた]その詩歌は、昨夜、ミセスマッキンが即席か、知られた讃美歌を歌ったものでしたか。
ミセス
R・マッキン:ええ、それは、私達の出版社から出された讃美歌の一つでした。これは、新しい『Christ in song』(歌の中のキリスト)の中にあります。
ラルフ・マッキン:それらの言葉が聖霊によって彼女に与えられた時、彼女の歌唱のアイデアについて、あなたはほとんど得られていないと聞いていることから、最も素晴らしいことは彼女が「グローリー」と歌う時です。彼女は、イエスと天使が臨在しているのが見えてそれを示している時に言っています。彼女は、「グローリー」という言葉を何度も繰り返しています。彼女は、ピアノ教師のテストを受けました。音楽を専門とする人々は、彼女がしている、低音の元気のないこと高音の幸福感は風変わりだと言っています。彼女は、特別な力が訪れなくてその霊によって祈る時だけしか、それをすることができません。
ミセス
マッキン:私達は、この力を持っていません。イエスに求める時だけです。
悪霊達を追い出す
ラルフ・マッキン:ホワイト姉妹、悪霊達を追い出すようにと、主は私達に力を与えました。多くの人々は、悪霊に憑りつかれています。私は、あなたが数年前に書いた、多くの人々はキリストの時代にいた人々のように悪霊に憑りつかれていました、という一つの記事を覚えています。私達が、ある集会に出席していた時、それらの悪霊達がその集会にいて、彼らは、風変わりなことをするための原因になっていたことでしょう。私は、悪霊達がすぐに出て行ったという、イエスが宮にいた時の聖書に注目しました。「汝らに平安があるように、その人から出て行きなさい」。主は、私達にその悪霊達が出て行って人々から追い出していなくさせ、その人々を降伏させるよう指導しています。私達は、しばしばそれら[教会]の人々の目を閉じた悪霊達を譴責し始めた時、その始まりを発見しました。また、時には、犬のように吠える原因を彼らに与え、彼らの言葉から棘を取り去るでしょう。しかし、私達は悪霊達を譴責し続ける時に、なぜ、両目が開かれ、人々は平穏になり、そして、悪霊達は……
さて、悪霊達が追い出される時にまた、彼らがすべて追い出される時に、主が私達に話すのは、霊の賜物を通してです。一人のレディーの中に6人の悪霊がいました。そして、彼女は身体の全ての部分を縛っているように思えた悪霊達が出て行った時に、本当に感じた、と言いました。
しかし、私の[教会の]兄弟達は、彼ら[二人]は最後の日々に存在できないと言っています。しかし、私達は、それが大宣教命令としてマルコの最後の章で救い主が言ったことと、一致していることを発見しました。「信じる人々にはこれらのしるしが伴うでしょう。その人々は私の名前によって悪霊達を追い出すでしょう。また、新しい言葉を語るでしょう」。そして、そのように……。
ミセス
マッキン:私達二人は、すぐにこれら全てを得たのではありませんでした。
R・マッキン:マルコの残りの数節を読みます。「信じる人々にはこれらのしるしが伴うでしょう。その人々は私の名前によって悪霊達を追い出すでしょう。また、新しい言葉を語るでしょう。彼らは、捕まえられるでしょう。また、もしも、命取りとなる物を飲んでもそれは彼らに害を与えないでしょう。彼らは病人の上に両手を置くでしょう。その人々は回復するでしょう。主イエスは彼らに語ってから、天に受け入れられました。そして、神の右手[の席]に着きました。そして、彼らは出て行き、どこでも福音を宣べ伝えました。主は彼らと共に働き、伴うしるしによってその言葉を裏付けました。アーメン」。私達が見分けることができている自分達の体験は、聖書によって補強されています。ここに、私が読みたい物があります。[ここで、マッキン兄弟は、「ニューキャッスル キャンプミーティング」1899.4.11という題の論争点で出版された、ホワイト姉妹による『レビュー&ヘラルド』の一つの記事に続いて含む、抜粋した文章を読みました。]
「ニューカッスルでの集会の最初の安息日の夜の間、私は、私達が受ける聖霊の重要性と必要を発表している集会の中にいるように思われました。これは、聖霊のために私達の心を開くという私の労する仕事でした」。
[マッキン兄弟が、読んで増やした所、この章を読み始めた正確な場所として、速記による記録は取られませんでした。しかし、僅かと思われる一部が読まれました]。
その根拠は何か
R・マッキン:高きから力を受けるように繫がることに質問があります。私は、使徒達の時代のように、今、関係していると同じく思えます。その根拠は何ですか。もしも、私達がそれを受けていると、それがそこに戻った時、私達の生理学的な結果と同じく持っていないのですか。聖霊が私達に言葉を与える時に、私達が話すだろうということは、期待され得ます。
エレン・G・ホワイト:将来において、私達は、私達の敵達が、私達に対して最強である、特別な時に、神の聖霊の感化の特別な証拠を持つでしょう。私達が奇妙な事柄を見る時はやがて来るでしょう。しかし、彼らがキリストの昇天に続いて神の聖霊を受けたのち、弟子達の体験に似たものであれ、方法として正しいでしょう、と私は言うことができません。
R・マッキン:私達は、このことについて主に続けて祈り、そして、それについての光をあなたに与えるように主に求めるでしょう。それで、私は、私どもの住所をあなたに残して行きます。もしも、あなたが、この後に私達のための何かを持つことがありましたら、私達は喜んでそれを受け取るでしょう。
ウィリアム.C.ホワイト:あなた方は、たぶん、この地で数日間過ごしたでしょう。そうではないですか。
R・マッキン:もしも、主の聖霊が、今なされている私達の働きについて、私達に話しているのならば、私達は進むつもりです。もしも、主が、待つようにと私達に話すならば、私達は待つつもりです。それは、私達を導いています。このメッセージを別の会衆に説明して伝えた時、神の聖霊はそれについて証をしました。そして、多くの人々はしくしくと泣きました。そして、「おお、私達は力を必要としています。私達は助けが必要です。そして、これは約束された力です。そして、私達は神を求めましょう」と言っています。
ミセス
マッキン:その実際のテストは愛です。1コリント13章の……
R・マッキン:サタンはこの働きを妨害しようとしています。私達は約束の聖霊によってしるしをされています。私はそれを、御使い達が4つの風を解き放つために周囲にいた時について『初代文集』から説明しました。イエスは、その残りの者達を哀れんで見つめています。そして、両手を上げて「私の血、私の血、私の血、私の血」と叫んでいます。彼は4回繰り返しています。彼の人々(民)は、まだ、しるしを受けていません。彼は、一人の御使いに素早く飛んで、「神に仕える者達がその額に印を受けるまで、引き止めなさい、引き止めなさい、引き止めなさい、引き止めなさい」というメッセージによって、4人の御使い達にその4つの風を引き止めるように命じています。私がそれらのことをその会衆の前に持って行く時、最も良い効果が得られるように思えるのは、もっとも熱心で献身的な人々です。
エレン・ホワイトが初期の体験を詳しく説明する
ホワイト姉妹が話し始め、そして、半時間ほど続けました。彼女は、1844年の[大失望の]その時が過ぎた後で、短期間の彼女の初期の働きに関連して次々と起きたアクシデントについて語りました。後の数年のそれらの日々の中の、普通でない失敗の形式による彼女の数々の体験は、狂信的言動の一つの精神の感じがする何かについて、恐れるようになるように彼女を導きました。
ホワイト姉妹が続けたように、彼女は、この体(教会)とほかの(教会)についての奇妙な行動をする人々と、人々自身の感動によって強く支配されている人々の何かについて語りました。ある人は、働くことが悪いことだと考えました。さらに、ほかの人々は、死んだ義人が永遠の命によみがえったと信じました。ある人達は、幼い子どものように床を這うことによって人間性の一つの霊/精神を育成することを求めました。ある人は「グローリー、グローリー、グローリー、グローリー、グローリー」と何度もなんども歌ってダンスをしたものでした。時には、ある人は、飛び上がって、床に座り、両手を上げて、神を賛美したものでした。そして、これは、一回に半時間もの間続けられたものでした。
これらの狂信的言動の異常な形式の一員を選んだこれらの人々の間には、かつて、神を畏れていた兄弟姉妹達、忠実な信仰を持っていた人もいました。身体と知性についてのこの奇妙な行動は、いくつかの場所で、法律に関する役人達が、彼らを牢獄に入れることによって、抑えようとした、そのような期間にわたりました。神の[人類救済]目的は、悪い評判が立ちました、そして、その影響の生き残りは、何年も残っていました。また、これらの狂信的言動の表れは一般的な大衆にも現れました。
ホワイト姉妹は、この狂信的言動に直接立ち向かうため、主の名によってそれを厳しく譴責するため、どれほど呼び出されたかについてさらに語りました。彼女は、私達はこの世/世界でするための大きな働きをもっていて、また、この教会の人々による私達の力は生きている神の言葉を明確に表明する仲間の力に中に横たわっている、という事実を強調しました。主ヤハウェ(hwhy)の律法は高められるため、また、たたえられるために存在しています。第三天使の様々な目立つものは、この時代のためにこの真理を聞き、人間ではなく神に従うかどうか決める機会を持つことができる全ての人々の前にわかりやすく提示されるために存在しています。
もしも、私達が一つの教会として、狂信的言動について何かの形で場所を提供するように存在しているならば、不信心な人々の知性は、死ぬ人間の行動のために、生きている御言葉から分離させられることでしょう。そして、そこには、神性以上の人間性のものがもっと現れるでしょう。一方、多くの人々は、狂信的言動の境界線と不自然に思える彼らの知性によって愛想尽かしされるでしょう。このように、この時代の人々のために特別なメッセージを宣布することは、悲しいことですが、妨害されていることでしょう。神の聖霊は、この[教会の]人々に関する良い判断のためにそれ自身が推薦するという一つの方法で働いています。
そして、興味深い提案
狂信的言動のホワイト姉妹の初期の体験の[説明の]最中に、マッキン兄弟は以下に続く提案をしました。
R
マッキン:もしも、私達が、今、祈りについてのその霊/精神the spiritを持っているならば、そして、この力が私の妻の上に来ているならば、あなたは、これが主に属するものかそうではないかどうかを見分けることができるものでしょうか。
エレン・G・ホワイト:私はそれについて、あなたに何も話すことができません。しかし、あなたは私達が通って来た道を知っているので、私はそれらの体験について話しています。私達はあらゆる道で、可能な限りこの悪霊をこの教会から取り除くように試みました。不必要な根深い偏見や激しい反対を生み出し、悪い評判に真理をさらすような方法[を行なう]神の子らを通して、神は働いていないと、私達はイスラエルの神の名によって命じました。私達の働きにおいて、私達は正しいコースを取り、この[教会の]人々が存在するべき所に達するように求める必要があります。
狂信的言動への譴責
R・マッキン:私は、このことについて、『SDA教会への証』第1巻を熟読した覚えがあります。その中の、狂信的言動を譴責したあなたの体験、1855年に彼らがその時に遭遇した西部でのそのコースを、私は信じています。
エレン・G・ホワイト:ある人は「グローリー、グローリー、グローリー、グローリー、グローリー」と歌って飛び上がったりしゃがんだりしたものでした。時々、私は、彼らの儀式が終わるまで静かに座っていたものでした。それから、私は立ち上がって言いました。「これは、主が働いている方法ではありません。主は、この方法によっては感動しません。私達は、私達の信仰の基礎として、御言葉にこの[教会の]人々の知性を指揮する必要があります。
私は、その当時、たかが一人の子どもに過ぎませんでした。そしてまた、私は、それらの奇妙な働きに対して、自分の証を急いで生み出して伝えなければなりませんでした。そして、その時以来、私は、私達の[教会の]人々の間で再発するこの種の小さな物事にとても、とても慎重にするように努めてきました。どのような狂信的言動の現れでも、真理の根拠(御言葉自身)から離れて、知性に取りついています。
あなたは、一貫したコースを取っているでしょう。しかし、あなたがまったく一貫しないコースを取っていることによって影響を受けるような人々、そして、一つの結果として、私達は、何かをたくさん手にするでしょう。それは、私達のメッセージと働きの正しい感動を未信者達に与えるために、ほとんど不可能なものを作るでしょう。私達は、神の言葉を根拠にして、その人々に行く必要があります。彼らが、その御言葉を受け入れる時、聖霊は訪れるでしょう。しかし、それはいつでも訪れるとはいえ、私が以前に述べたように、その人々の判断にそれ自身が推薦する方法によります。私達が話すこと、歌うこと、そして、私達のすべての霊的な行動によって、私達は、神の子らを動かす全ての真理と、神性の畏れ、静穏、威厳を現すために存在しています。
現在それを扱う危険性
私達は、聖霊が働いていると見なすと、私達の中に訪れる何者かを許す危険性が常に存在しています。私達が、間違った道に導く真理の敵を許して置く限り、私達は、第三天使のメッセージを心の中に本当に届く希望を持つことができません。私達は、その真理への従順を通して清くされるために存在しています。
私は、神の言葉によって明らかにされた真理の堅固な根拠から知性を離してしまう傾向のあるものは何でも心配しています。私はそれについて恐れています。私は、それについて心配しています。私達は、無秩序な方法で全てを行なうと、かの敵が訪れては困るので、抑制された理性の中にその知性をもたらす必要があります。そこには、狂信的言動に簡単に導かれて昂奮しやすい気質の人々がいます。私達は教会の中に訪れる何事でも許しているでしょう。それはそのような人々を間違いの中に導いているでしょう。これらの無秩序な汚点の要素のコースは、やがて、セブンスデー
アドベンチスト達の体(教会)全体にのし掛かるので、私達はやがてそれらの間違いが長期間に及ぶのを見ることでしょう。
私はこれらの初期の体験を再出版する仕方を研究してきたので、私達の教会の多くの人々が詳しく知らされるでしょう。私は、その狂信的言動が異なった方法で再び現れるだろうということが知られるよう期待しています。私達は、ある人がすぐに取り入れて行動している全ての風代わりで奇妙な行動を避けることによって、また、御言葉に留まることによって、私達の立場が堅固であるように存在しています。もしも、私達が、私達の教会のある層の中に訪れる混乱を許すために存在しているならば、私達は、為すべき自分達の働きを編み物の目を留めるように仕上げることができないでしょう。私達は、今、全ての道で可能なそれを留めようとしています。私は、あなたのためにそれらの事柄と関係を持つ必要があります。
R・マッキン:さて、今、あなたが述べたことは、私達の体験と一致していません。私達は、この内容に非常に注意深くしてきました。そして、私達は、この体験を通り越してきて、御言葉を与えられた時に神に仕える月並みな者のこの体験を正確に照合して、今朝あなたに短く概略を伝えるように努めたものによる体験だということを発見しました。
エレン・G・ホワイト:地上でのキリストの奉仕の働きの数年間、信心深い女性達は、救い主のその働きを手伝いました。そして、弟子達は[その働きを]前進させました。もしも、それらの人々がこの働きに反対したならば、これらの女性達の指揮によるいつものことが何もなかったならば、その働きは直ちに閉じられたことでしょう。しかし、女性達が、キリストや使徒達と共に働いていたので、かすかな影が存在するように見えても、その働き全体はとても高度な計画で指揮されました。何かの咎めの状況は見られなかったことでしょう。みんなの知性は、もっと正確に言えば、個々人は御言葉に指導されていました。その真理は、知的に宣言されました。そうなので、みんなははっきりと理解できたでしょう。
さて、私は、私達の[教会の]人々の間にもたらされている狂信的な性質の何かが入っていることを恐れています。そこには、多くの、たくさんの清められる必要のある人々がいます。本当に、その人々は真理のメッセージに従順にすることを通して清められるために存在しています。私は、今日、このテーマで書いています。このメッセージの中には、裁きをアピールしている一つの美しい調和があります。私達は、この真理を伝えたいと望んでいる人達によって、私達の感化を削ぐような一つの方法として、自分達を誇示するために、私達の間に昂奮させるような要素を許しておくことができません。分派をつくった人々のように私達の存在の初期の数年の間に私達の間の狂信的な要素における悪意のある働きと、未信者達が彼らの奇妙な知識を通してアドベンチスト達について得たものは、不快な感動が生き残るように何年も私達に残ります。
慎重であれ
R・マッキン:さて、現在、あなたが私達に与えているこのことは、聖霊のもとにある証、または、それは単純な勧め、あるいは、あなたの体験と関係していると考えられますか。
エレン・G・ホワイト:私は、あなたに、過去の済んだ歴史を与えています。
R・マッキン:しかし、あなたがそれについてさらなる光を持てるまで、あなたは今の私達のケースに適用するものについて話していないのではありませんか。
エレン・G・ホワイト:私は述べることができません。しかし、私がそれにつて恐れているように、その概略に沿っていると思われます。私が何度もなんども立ち向かったものは、その概略に添っていると思われます。
W.C.ホワイト:今、12時です。食事の前に、お嫌でなければ、休憩を取られてはいかがでしょうか。
エレン・G・ホワイト:いいえ、私は、あなたが帰る前に、私が今言ったことをすでに言ったことのようにしたくありません。私は、慎重であれ、と言いたいと思います。狂信的言動の感じのするものと、そのほかの人々が演じるものの出現をそのままにしておいてはいけません。ショーを見せることに熱心な人々がいます。その人々は、それが同じ主旋律/趣旨が違っていても、あなたがすることのできることを何でも演じるでしょう。私は、私達の[教会の]人々の間では反するような何かをかき立てないで、とても慎重にしてきました。
R・マッキン:しかし、聖霊が訪れている時に、あなたの著書で述べているように、その多くの人々はそれに反対しているということは真実です。それは狂信的言動だと断言しているのですか。
エレン・G・ホワイト:もちろん、彼らはそうでしょう。そういうわけで、私達は慎重である必要があります。私達がこの教会の人々に真理に従順になるように感化を願うのは、昂奮でも感覚でもなく、御言葉を通してです。神の言葉という土台の上に安全を築くことが可能です。生きている御言葉は根拠を充分に備えられています。そして、それが私達の世界に宣布する時に素晴らしい能力が伴っています。
R・マッキン:さて、私達は、あなたを疲れさせないようにする必要があります。
ミセス
マッキン:主を賛美します。
エレン・G・ホワイト(立ち上がって、握手して):私は、主の聖霊が、あなたと、あなたと、そして、私と共に存在するようにと願っています。私達は、神の小さき子らであるように存在しています。主の恵みの権能は、誤解されなくて当然です。私達は、知性の謙虚と謙遜と柔和の全てを持っている必要があります。神は、この教会の人々の知性の上に自身の感動/印象を及ぼすでしょう。私は、主があなたを祝福し、生きている神の言葉を基礎とした堅固な信仰の基礎を与えるようにと願っています。『レビュー&ヘラルド』1972.8.10,17,24
主が光を与えた
ミスターラルフ・マッキン、ミセス
マッキン:
親愛なる兄弟、姉妹へ。最近、[12月10日]夜の幻の中で、私の前に、私があなたにお伝えする必要のあるいくつかの内容が開示されました。私は、あなたがいくつか悲しい間違いをしているということを示されました。御言葉と『SDA教会への証』についてのあなたの研究の中で、あなたは間違った結論に至りました。主の働きは、あなたが始めたように働き続けるならば、とても間違われているでしょう。あなたは、神の言葉と印刷された『SDA教会への証』に誤った解釈を置いていています。そして、さらに、あなたは、それらの意味についてあなたの考案した概念を合致させて奇妙な働きをもたらすように求めています。あなたは、自分が行なっている全ては神の栄光のためだと想像しています。しかし、あなたは、自分自身をだまし、ほかの人々をだましています。
あなたの妻も、聖霊の真の働きと一致していない話によって、歌によって、演技によって、狂信的言動の一種に引き込まれるような助けをしています。それは、もしも、私達の諸教会でそのような場所が許されたならば、神の[人類救済]目的にひどく悪いことをしているでしょう。
悪霊達を追い出すうえで
あなたは、その力は悪霊達を追い出すために与えられたと想像さえしました。男性達や女性達の人間の知性に及ぼされたあなたの感化によって、その人々は悪霊達に取りつかれることと、主がこれらの悪い霊達/精神達を追い出すために、主の働き人としてあなたを任命したことを信じるように導かれています。
私は、1844年の大失望の時が過ぎた後に、私が再臨信徒達の間で立ち向かうように強いられた時、そのような誤りの相を示されました。それは、それらの最後の日々にも繰り返されるでしょう。私達の初期の体験で、私は、失望した信徒の仲間達にその後のメッセージを生み出して伝えるために方々に出かける必要がありました。私のメッセージに付いている天の証は、語られた言葉が真実だとして受け入れた人の心の誠実さをとても強くしました。神の力が明白な方法によって現され、そして、男性達と女性達は狂信的言動と無秩序の悪意に満ちた影響から解放されました。そして、その信仰の一致へと至りました。
『手紙』358,1908(81歳)
止まれを叫ぶ
私の兄弟、姉妹、私はあなた方に一つのメッセージを持っています。あなた方は、一つの間違った想像から始めています。あなた方の演出の中に、多くの自我を編み込んでいます。サタンは、それらの演出を通して、魅惑的な力を持って来ているでしょう。あなたが、止まれを叫ぶ、重大な時です。もしも、神があなたにこの教会の人々への特別なメッセージを与えていたとすると、あなたが劇場のステージの上にいたようにではなく、ナザレのイエスの謙虚に倣うものの一人として柔和に、あなたは全く人間性によって働いて歩むでしょう。あなたは、自分が従事してきたことから、全く異なった感化を担うでしょう。あなたは、キリストイエスという岩に錨で止められることでしょう。
わが親愛なる若き親友達、あなた方の魂は天の目には貴重なものです。キリストは、自分の貴い血[犠牲]をあなた方にもたらしました。私は、あなた方が間違った希望を甘やかし、間違った人々の中で働くことをしてほしくありません。あなた方は、確かに間違ったコースを走っています。あなた方の魂のために、それらの最後の日々のために、[人類救済という]真理の目的を危険にさらさないために、私は二人に請い願います。あなた方自身の魂のために、あなた方が働いているその道は、神の[人類救済]目的が優先されるためにある道ではないということを考えてください。ほかの人々に善意を行なうための厳粛な望みは、現在の真理のメッセージの中にもたらされていて、さらに、何かの奇妙な教えは男性達と女性達を狂信的言動に導いていて、あらゆる思想を蓄えておくようにクリスチャンの働き人達を導いています。この世界の歴史のこの期間に、私達はこの関心による配慮の体験をする必要があります。
あなた方が通って来た体験の相のいくつかは、御言葉に記録された時のキリストの貴い言葉と、『SDA教会への証』と、あなたのメッセージの出所の保証のアピールのゆえに、あなた方自身の魂だけではなく、多くのほかの人の魂を危険にさらしています。貴い御言葉を推測してそれは真実の陳述や真理だとしたこと、そして、主が主の人々のために与えた特別な証は、あなたの権威です。あなた方は騙されています。あなた方は、間違った衝動によって動かされていて、間違った方向に導く宣言をして自分自身を鼓舞しています。あなた方は、狂信的で矛盾した正しくない行動と誤った感情を反映して、神の真理を作ることを企てています。これは10倍、20倍も、そうです、第三天使のメッセージの真理をこの[教会の]人々に詳しく知らせることによって、この教会の働きをしています。 『手紙』358,1908(81歳)SM2,pp.44-46
悪霊に取りつかれたほかの論述
昨夜、指導が私達の[教会の]人々のために与えられました。私は、一つの集会の中にいるように思えました。そこに存在していた演劇は、マッキン兄弟と妻の奇妙な働きを上演していました。私は、それは1844年のその時が過ぎた後で、ほかの様々な場所やメイン州のオーリントンで行なわれていたものに似た働きの一つだと指導されました。私は、この狂信的な働きに反対して、きっぱりと話すように勧められました。
私は、マッキン兄弟姉妹に霊感を与えたのは、主の聖霊ではなかったことを示されました。しかし、狂信的言動のその同じ霊が、いつまでも、この残りの教会に入り込もうとしています。彼らの特異な行動の御言葉への適用は、御言葉の間違った適用にあります。悪霊を含み持っている人人へ断言するこの働きは、彼らと祈り、悪い霊/精神達に出て行くことをあえて言う時、そのような働きを是認するどんな教会でも不評判が広がる狂信的言動です。
私は、私達がこれらの実演を奨励しない必要があることを示されました。しかし、セブンスデー
アドベンチストの名称に汚点をもたらし、この世界の人々に伝える必要のある真理のメッセージによって人々の確信を打ち砕く者に反対して、間違いのない証によってその人々を護る必要があります[20]。
『Pacific Union
Recorder』1908.12.31(81歳)SM2,p.46
第11部 最後の日の出来事events
はじめに ホワイト遺稿管理委員会
キリストが二度目に来ることに関連した最後の日の諸々の出来事eventsのクライマックス、彼が戻るという再臨主義の焦点は、セブンスデー アドベンチスト達にとって主要な関心の一つでした。終末論的な出来事の数々、つまり、死人の復活、最後の審判、罪と罪びとへの刑罰を強調したミラー派の再臨運動が起こらず、その一つの宗教的な状況がなければ、セブンスデー
アドベンチスト主義は発生しなかったでしょう。
エレン・ホワイトの最初の任務として、彼女に与えられた様々な幻は、テストする真理として、考え方の中に特徴的な第7日安息日の重要性をもたらしました。それは、最後の日々に地上の住民達を二つのクラス、すなわち、やがて永遠に救われて神に従う人々と、やがて永遠に失われて神の律法を拒絶する人々に分けるでしょう。第7日安息日に対する個々人の態度が決定要因です。
この地上の終わりの諸々の出来事に光を当て、1858年に出版された219頁の小型版『善と悪の間の大争闘』というタイトルの出版物は、1884、1888、1911年に出版され作り出された本の中で、大争闘のクライマックスを叙述した決定的な出版物でした。
アドベンチスト達は、この本の末尾の数章をどれほど慎重に研究し、霊感を受けて描いたこの教会とこの世界が直面している全体像に感動したことでしょう。関心を減ずることなく、彼らは、エレン・G・ホワイトが、やがて訪れる数々の出来事に加えた何らかの光を投げかけて論述した同性質の著作物を綿密に調べました。この第11部の中に、私達は、初期に出版されなかったかつての終末論的な論述の多くを収録しています。それは、地上歴史の終わりの諸々の出来事の全体像を完全なものにするように助けています。
1800年代後半に日曜法の問題が度を増して、合衆国の一国の日曜法が世論で訴えられた時、エレン・ホワイトは、『SDA教会への証』第5巻pp.711-718に「差し迫った争闘」について鋭敏な知覚力で、セブンスデー
アドベンチスト達がその時に直面していたその問題の特別な議論と、この教会はその問題に準備ができていなかったという表明と、神は「神の律法は役に立っていないとしている人々の働きをチェックして捉え、神の人々(民)の祈りに応えること」(p.714)ができるかもしれないという推測と、を書きました。
南部諸州で厳しく日曜遵守を求める法律が施行され、アドベンチスト達が、それらの法律を遵守しないという理由で逮捕され投獄され拷問され、屋外労働をさせられるために一本の鎖に繫がれた時、1889年のSDA全体総会会議で熱心な研究に入り、日曜安息日の問題が大きな特徴を現しました。その主要案件の慎重な再検討に巻き込まれたエレン・ホワイトは、何らかの行動によって勧めをしました。
日曜法の制定についての世論の訴えは次第に衰退しました。しかし、エレン・ホワイトはこの教会の指導者たちの前に、何年も、終末の闘いについての問題を表し続けていました。安息日遵守に対する活発な迫害に関する限り、時代は移り変わってきました。しかし、巻き込まれていたその問題とその主要な案件は、同時に残されました。エレン・ホワイトの死後、さらなる変化が到来しました。しかし、私達は、同じその主要案件とその問題は、現在現れているものに比べて見ても、特別な闘いが起こる時によみがえるだろう、と信じています。
この第11部の主な部分は、『善と悪の大争闘』によって与えられ、たびたび並行している終末論の説明を含んでいます。しかし、それは、新たな詳細と洞察がたびたび提供されています。それらの内容は主な三分野に分かれています。
1.1880年代後半から1890年代初めの日曜法の危機に立ち向かったことからの教訓。
2.終末に近づく一つの人々(民)のために相応しい一般的な勧めの数々。
3.危機的な要因としての日曜-安息日と「最後の大いなる悩み」に巻き込まれること。
読者は、エレン・ホワイトが、私達の層の中に背信者達を予測して、間違いなく殉教者を含むだろう「1」の体験を試してみるようにと私達に注目を呼び掛けています。また、彼女は、この教会の価値の増大を予測して、神に忠実な人々へ恵みで元気づけ、天の保証を励まして与えています。 ――ホワイト遺稿管理委員会
55章 1880年代後半から1890年代の初めにおける日曜法の危機の遭遇から得た教訓
1.1884年の暗雲の時の保証
重大な事柄が私達の前に存在しています。私達はこの[教会の]人々に、無関心から転じて備えをするよう呼び掛けたいと思います。……私達は、今、確信を放棄するためではなく、かつてよりもしっかりと、堅い確信を持つために存在しています。今に至るまで、主は私達を助けてきたので、主は、終末にも私達を助けるでしょう。私達は、主が私達のために行なったことについての残りの者達で、滅ぼす者の手から私達を救った慰めと、また、記念碑としての数々の教理の柱を見るでしょう。……
私達は、やがて訪れるその闘いの中で新たな困惑に対して気をつけるだけではなく、私達はやって来ることと同じく、過ぎ去ったことにもよく気をつけて見ることができるでしょう。「主は、今に至るまで私達を助けました」(1サムエル7:12)。「汝の日々のように、汝の力は存在しているでしょう」(申命記33:25)。その試練は、それを耐えるために私達に与えられているその力を超えないでしょう。それから、私達は、イメージが湧いてこなくても不満の言葉なしに、自分の働きを見つけた所で始めましょう。しかし、その力は、その試練に合ったものが来るでしょう。……
神は、神を信頼している人の魂を決して見捨てて立ち去らないので、私達の現在の平和は、予期した試練に動揺する必要がありません。神は、私達が心配する以上に、私達に最善な存在です。……
1)未来の危機のための悩みを抱えない
多くの人々は、将来の危機を考えて悩みを抱えて、現在の慰めと祝福、現在の為すべき任務から目を逸らしているでしょう。これは、かねてからの悩みの時を作っているでしょう。私達は、先取りした何かの悩みから恵みを受けることがないでしょう。……悲惨な闘いが訪れる場面の時に、私達は、祝福された信頼と聖なる確信の教訓を習得してきました。そして、私達は、キリストの両手の中に私達の両手を、また、各時代の人々の特別な岩に私達の両足を置いて、そして、私達は、騒動から、また、激動から守られています。私達は、私達の主を待つために存在しています。イエスは、すべての必要な時に、永遠に存在している一人の助けでしょう。 『手紙』11a,1884(57歳)
あなたは、私達の良心に命じられた礼拝をするために、私達の[教会の]人々の権利を確保するために追求すべき方法を尋ねています。これは、私達の神への信頼が十分でなかった根拠、また、私達の信仰の一つの否定だとしても、ある時に、私の魂の重荷の一つでした。しかし、神が私に示した一つの徴兵
[アメリカ市民[南北]戦争の間]とほかの多くの事柄によって、私は[人々の]知性に呼び掛けています。私は、神が心配していることによって話すことができます。私達の[教会の]人々のために生み出されてもたらされるものは、私達がプレッシャーを逸らすことができ、私達が全ての能力を使うべき権利です。
[私達は]、神の聖なる安息日の位置に教皇制度を設立し、間違った安息日を受け入れていた人々を怒らせるために存在しているのではありません。彼らが気に入った聖書の主張はその人々全体に強い怒りを起こしていません。そして、彼らの権力に属する権限によって神の言葉を求めている、と主張する立場を取ると決めました。その迫害の力は、かの龍の足跡に続いています。さらに、大いなる配慮が、挑発しないようにと発動するでしょう。繰り返しますが、私達は一つの民として、可能な限り、罪が重なって道徳的に汚れたキャンプ地を清潔にしましょう。……
この世/世界の全ての政策は、猛烈な篩いから私達を救うことができません。また、地上の高い権威によってなされたあらゆる努力は、罪が好まれているので、神の厳しい罰から私達を逃れさせないでしょう。もしも、一つの人々(民)として、私達が特別な信仰を私達自身で守っていないならば、また、神の戒めを声とペンで擁護しないだけではなく、全ての人々がそれを守らず、一つの条項も違反していないと知ったふりをしているならば、その時、弱さと破滅が私達に降りかかるでしょう。……
2)聖霊の働きがなく効力のない訴え
しかしながら、熱心で強い雄弁が私達の気にいる願いであっても、私達の国の高い権威に対して私達の訴えをするためのあらゆる奮闘は、真理を信じると主張する人の心の中で主の聖霊がそば近くで働かない限り、私達の望み通りに至らないでしょう。私達は、ナイアガラの激流に逆らって泳ぐ能力のある人のように奮闘しているでしょう。しかし、私達は、主が私達の味方として弁護しない限り、失敗するでしょう。神は、主の人々(民)の間で、栄誉がたたえられるでしょう。その人々は清められている必要があり、いつも主の働きに満ちていて不動、忠誠でいて、利己心が除かれている必要があります。……
3)偽の安息日を高める法律
私達は、神の指示を待ちながら用意するために存在しています。国々の民と諸民族は、その中心に寄せ集められています。支えは、品性/個性の唯一のテストであり、唯一の標準である神の義を主張する人々から取り除かれるでしょう。特別な国際会議の法令に屈服しない全ての人々と、神の聖なる日だとみなさず、罪の人によって設立されたその安息日を高めるその国際法に従う人々は、ローマカトリックの勢力だけが圧政だと感じないでしょう。そうではなく、プロテスタント世界も特別な獣の像を圧政だと [感じるでしょう]。……
近くの大いなる決着点は、神が託さなかった人々を取り去るでしょう。そして、神は、後の雨によって用意された奉仕の働きによって清さと真理に聖化された人々を持つでしょう。
新しい生き方は、私達が今まで気づかなかった一つの勢力の働きとしてサタン的な代理の者達から始まっています。上/天からの一つの新しい勢力は、神の人々(民)の宝とならないのでしょうか。 『手紙』55,1886(59歳)
私達は、間もなく、この国の勢力と戦う必要があります。また、私達は、その偽りの者が支配権を握ることを恐れるあらゆる理由を持っています。私達は、真理の光によってこの奮闘を見るよう、主の名によって私達の教会の人々に呼び掛けましょう[21]。それは、旧約聖書信仰と新約聖書信仰に関する間の一つの論争であり、伝統的な人間性のキリスト教信仰と堕落した作り話によるキリスト教信仰との間の論争です。
この論争は、純粋な福音が私達の国民の中で特別な分野を占めているかどうか、または、過去の時代のローマカトリックの教義はプロテスタント主義を仲間として受け入れているか、また、この勢力は宗教の自由を奪うことに奏を効しているかどうかを決定するために存在しています。……その特別なメッセージは、行なっていたことに気づかず、ローマカトリックの教義によって気付かない間に不当な干渉を受けた人々に、聞くことができるよう、広められ伝えられる必要があります。彼らは、ローマカトリックの教義に関して驚くほどに譲歩して、そして、妥協してローマカトリックの教義と親しくしています。……
4)他教派の教会の神の子ら
神は、カトリック教会の中にも大勢の神の子らを、プロテスタント教会の中にもたくさんの神の子らを持っています。その人々は、特別な光に歩んでいない安息日遵守アドベンチストの間の多くの者達よりも、自分達のとても素晴らしい知識を実践し、特別な光に従うように、多くの真理の中に存在しています。主は、特別な真理のメッセージを宣言していました。そのプロテスタント達は、彼らが長く享受した宗教の自由の特権の価値を考え、その事柄の真理の言及に警告され目覚めさせられるでしょう。
5)日曜に関する合衆国における憲法修正案
この国は、霊的な光の大いなる中心地、良心の自由を証した人々、迫害された人々の安息の国でした。神は、メッセンジャー達[22]を遣わしました。彼らは、真理として存在しているものを発見するために、自分達の持っている聖書を研究し、また、このように、ある罪の人に与えられている優位と、神の律法を役に立たないものとしているその宗教的憲法修正案について、提出されるという預言の成就によって、彼らの側で活動している人々の動きを研究しました。この教会の人々に危機を目覚めさせるための警告を指摘する声が挙げられないのですか。私達は物事を漂わせておくのですか。抗議することもなく、サタンに勝利を持たせておくのですか。神は禁じています。……
6)人々の前に行く人は、私達の層の中の多くではない
この世/世界の人々の層から出てくる多くの魂がいます。諸教会から(カトリック教会からでさえ)出て来た、熱心な人々は、かつて、真理を宣布するために列をなして立った人々をはるかに上回り、そして、今までの特別な真理を宣言して綴じるでしょう。この理由のために、[締め切り直前の]「11時に雇われた」労働者達はわずかな賃金を受け取るでしょう。それらの人々は、訪れる闘いを見るでしょう。また、トランペットでしっかりとした警告音を立てるでしょう。その危機が私達に存在している時、また、その苦難の時期が訪れる時、彼らは、生活が清められたため、苦労して護った改革者達のものである宗教自由の目的を保って、主の律法を高めて、イエスに属する信仰を堅く守って、神の軍勢全体で自分達を防護して、人々の前に行くでしょう。
7)間違った安息日の宣言
間違った安息日は、神が人間に課さなかった安息日遵守の強制を法律に定めて提示されています。イエスキリストに属する宗教がほとんど全滅させられたことにより、ローマカトリックの教えによるプロテスタント達に対する迫害は、プロテスタント主義とローマカトリックが結合された時に、もっと明らかにされるでしょう。……
私達自身の国は、一つの闘いの場となるために存在しています。それは、神の礼拝を私達自身の良心に強制するので、宗教の自由の闘いをもたらすために存在しています。完全にまったく主の側にいて、影響力が中立ではない人々、目覚めているべき人が眠り続けていると、私達は、かの敵の働きを見分けることができないのではありませんか。人々は、今、平和だ、安全だ、と叫んでいます。突然の滅びがこの世界にやって来る時、神の怒りが降ってくるのではありませんか。 『原稿』30,1889(60歳)
2.アメリカは最大の危難の場となり得る
アメリカは、……天からの大いなる光がその人々の上に輝き続けていましたが、その人々が特別な光に歩まず、特別な真理を行ない続けなかったので、大いなる危難と悪の場となり得るでしょう。……
私達が、地上歴史の終わりの場面に最も近づいた時、もっと強い宣告がサタンに属する働きとして存在するでしょう。あらゆる種類のだましは、サタンの方策を通して、神からの知性を逸らすように導いているでしょう。
『手紙』23c,1894(67歳)
3.安息日に関する初期の見解の重要さ[23]
私達は安息日の重要さとその栄光について気づいて知る必要があるということ、私達はその重要さについて僅かに感じ気づいたということを、私は見ました。それがヤコブの信仰遺産に育てられるように、この地の世俗の特別に高い場所に登るために存在していたことについて、私達が知らなかったことを、私は見ました。後の雨が主の力の栄光と主の臨在から来て清新にされる時、それ[安息日]は、ヤコブの信仰遺産によって育てられ、この地の特別に高い場所に登るために存在していることを、私達は知るでしょう。その時、私達は安息日の重要さと栄光をもっと知るでしょう。
しかし、平和の契約が神の声として私達によって結ばれ、そして、新エルサレムの真珠の門が開かれ、そして、きらきらと光る蝶つがいが揺れて、「お入りなさい」という私達への宣言、死ぬ運命にある人間の耳にいつまでも残る、愛するイエスの歓迎と喜びの声が、どんな音楽よりも麗しく聞かれるまで、私達はそれ[安息日]自身の栄光と重要さを見ないでしょう。『手紙』3,1851(24歳)
主ヤハウェ(hwhy)によって聖別され祝福された日はその日ではないので、また、日曜日を敬うことによって、私達は、絶大なだます者の側に私達自身を置くべきではないので、私達は、安息日として週の最初の日を敬わないと確固とした立場をとる必要があります。主の安息日についての争闘は、その人々にテーマとして開かれているでしょう。また、一つの機会が、真の安息日の主張を表されて、与えられているでしょう。……
神を畏れ、神の戒めを守る人々は、祈りだけではなく、行動においても勤勉である必要があります。そして、これは、それを聞いたことがなかった人々の前に真理をもたらすでしょう。……
神の律法が役に立たないものにされ、そして、背信が国民的な罪となった時、主は、その民のために味方として働くでしょう。人々の難局は神の機会でしょう。主は、主の教会の味方として主の力を現すでしょう。
1)証人のための一つの時
主は、私達がほかの人々を啓蒙/教化できるこの地上に「悩みの日が」来ることについて、私達を光によって啓蒙/教化しました。もしも、私達が、些細な意味の内容だからと手を組んで言い逃れをして、気楽に座していることに満足しているならば、私達は罪責感を持たないでしょう。……
その人々は、闇/無知によってその道につまずいて残されないように、彼らの前に存在するものを知らないということのないように、「悩みの日が」来るという大問題に準備ができていないことのないようにしましょう。「悩みの日」に立つために一つの人々(民)を相応しくするこの時のためになされる一つの働きがあります。そして、すべての人々はこの働きにおいて、自分達の役割を果たすための活動をする必要があります。彼らは、キリストの義を着せられ、神の力の真の現れとしてのサタンの騙しは受け入れられないという真理によって、防備を強化される必要があります。……
それは、神の人々(民)にとって、厳粛な時です。しかし、もしも、彼らがイエスの側で血を流す思いをすることによって堅く立つならば、イエスは彼らの防護者となるでしょう。イエスは、大いなる人々と権威者達や法律制定者達に光のメッセージが届くように様々な道を開くでしょう。あなたは今夢を持っていませんが、彼らは様々な機会を持てるでしょう。彼らの中の誰かは、踏みつけられた神の律法を叫んで、大胆に擁護するでしょう。……
2)最後の闘いにおけるサタンの策略
サタンは、勢力的な普通の人として、特別な分野を占めたので、現在、魂の救いを求めているような男性達と女性達に、熱心な働きの必要が存在しています。この最後の残りの時代に、彼は、神がその人々(民)に届けた光に反逆して扉を綴じるために、考えられるあらゆる方法を通して働いています。彼は、自分の層に世界中の人々を掃き寄せています。神の求めに忠実にしている少しの人々は、いつまでも、彼の進路に立ちはだかることができる人だけです。彼はそれらの人々にさえ勝とうとしています。……
あなた方自身のために神に行き、すなわち、神性の光/啓蒙/教化を求めて祈り、何が真理であるかを知ることができると、不思議で神秘的な働きをする力が実演されるような時、また、かの敵が光の天使として現れる時、あなたは、神の真の働きと闇の勢力や偽装の働きの間の違いを見分けることができるでしょう。……
一つの世界は警告されるために存在しています。第三天使のメッセージが、一つの大きな叫びによって前進していく時、知性のある人々は、決心をする準備が十分になされるでしょう。あるいは真理に反逆する人々にとっても[それがなされるでしょう]。大きな変化が、不変で永遠であり、主の言葉の堅固な根拠があるにもかかわらず、神の律法を役に立たないものとすることによって、運命を背負わせる悪い人々と繫がったサタンと彼の悪天使達によってなされるために存在しています。
3)第三天使のメッセージの大きな叫び
聖書の預言が記録していたその時はやがて訪れるでしょう。そして、第三天使の力強い叫びは、この地の人々に聞かれるでしょう。彼[その天使]の栄光はこの世界中の人々を照らすでしょう。そのメッセージは勝利するでしょう。しかし、この光に歩まなかった人々は、それによって勝利しないでしょう。……
その厳粛な時は、牧師達が玄関と聖餐台の半ばで涙を流す必要がある時に訪れました。こう泣き叫んでいます。「残してください。汝の人々(民)を。主よ。恥となるような貧弱な信仰遺産を与えないでください」(ヨエル2:17)。それは、彼らの魂が自己満足によって高められることのない時の一日です。牧師達と人々は、神の前とほかの人々の前で、自分達の罪を言い表す必要があります。
4)最後のテストに立つ信徒達の中の一兵卒
神の律法は役に立たないものとされて、義務を主張しそれを擁護する人々でさえ、神聖な指針を破っています。聖書は、家々で開かれているでしょう。そして、男性達と女性達は、それらの家々へ近づく方法を見つけることができるでしょう。知性ある人々は神の言葉を受け入れようと心を開くでしょう。その大いなる危難が来る時、また、ぞっとするような恐ろしい困難に直面する時でさえ、サタンの騙しの奇跡を通しても、それについてもたらされ、多くの人々は正しい決心をするように用意されるでしょう。それらの人々は真理を告白し、[終末の直前]「11時に雇われた」キリストと共なる働き人となるでしょう。彼らは、朝から一日中働いた人と同じ労賃/報いを受け取るでしょう。そこには、最後のテストを通して一つの岩と同じような堅く立っている信徒達[の中に]忠実な一人の兵卒がいるでしょう。……
増した光は、数々の預言の真理の基礎の上に輝くでしょう。義の太陽の光線の輝きは全体を照らしているので、それらは、新鮮に華麗に見られるでしょう。……
ある天使が、それら[の預言]を充分に証するように存在している私達のために記録して、関心のある預言を熱心にダニエルに開示するために動き回っていた時、その天使はこう言いました。「強くありなさい。ええ、強くありなさい」(ダニエル10:19)。私達は、ダニエルに啓示されたまさにその同じ栄光を受けるために存在しています。彼ら[預言者達]がトランペットでしっかりとした警告音を与えるのは、これらの最後の日々の神の民のためのものでしょう。
『原稿』18,1888(62歳)
キリストが二度目に来る時、世界中の人々は、神の義に適っているか適っていないか、義と認められているか認められていないか、二つのクラスで表されているでしょう。人の子が来臨する大いなるしるしの前に、様々な天のしるしと不思議があるでしょう。すでに鉢からまき散らされた神の怒りは、空中に漂う哀しい要素として、陸や海に降ったままにしておきましょう。それらの通常ではない原因は研究されるために存在しています。しかし、無益なものの中に[あります]。
神は、[沼地から発生する死のガス]ミアズマによって、生命と栄養の源の一つである空気を汚し、死の働きを進める闇の勢力を抑止しませんでした。菜食生活が影響を受けるだけではなく、人は有害な物によって苦しめられています。
5)篩いに掛けられるためにある、宗教界と自然科学界
それらの事柄は、地上にふりまかれた神の怒りが鉢から落ちた結果であり、近い将来に存在するだろうかすかな描写です。
様々な場所で起こる地震が感じられてきました。しかし、それらの勃発はごく限られたものでした。……恐ろしい激震がこの地上で起こるでしょう。大きく豪華でそびえ立った尊大な宮殿がまちがいなく瓦礫の山となるでしょう。
地球の内部に隠されていた内容物が噴出することによって、地球の表面には亀裂を生じるでしょう。一度壊れて緩んだそれらの様々な要素は、亀裂の働きによってつながりの大きな可能性を締め出すことによって、何年も財産を加えてきた人々の大切な宝を一掃するでしょう。
そして、宗教界もまた、恐ろしくふるわれるために存在しています。全ての物事の終わりは近くにあります。……全ての社会の人々は、従順か不従順かの二つの大きなクラスに向かって進んでいます。……
6)良心を支配する法律が存在するでしょう
クリスチャンと言われてきた世界は、大いなる劇場と騙しの活動となるために存在しています。権威ある人々は、ローマカトリックの手本を倣って良心を支配する法律を制定するでしょう。バビロンは、彼女[教会]を崇拝する怒りのブドウ酒の飲み物をすべての国民に作るでしょう。全ての国民は巻き込まれるでしょう。この時に関して、啓示者ヨハネはこう宣言しています。
「地上の商人達は彼女のあり余る贅沢/優雅さによって富を増しました。そして、私は天からのもう一つの声を聞きました。彼女の罪は天にまで達し、神は彼女の罪悪を覚えたので、私の人々(民)、彼女から去って来て、汝らは彼女が受ける災いを被らないようにして、彼女の罪に与らない者でありなさい。彼女があなた方にしたように、彼女が満たしたその二倍をカップに入れて、彼女の働きに応じて二倍には二倍にして返しなさい。彼女は自分の栄誉を多く称えて愉快に生きました。だから、多くの苦痛と悲しみを彼女に与えなさい。彼女は心の中で言っています。私は女王として席についています。私は寡婦ではないから悲しみを見ないでしょう」(黙示録18:3-7)。
7)国際的な政治上の連合体
「これらの[王達]は一つの知性を持っていて、そして、自分達の権威と力をその獣に与えるでしょう。彼らは、神の子羊に戦いを挑むでしょう。彼は主達の主、王達の王なので、その子羊は彼らに勝つでしょう。呼び出され選ばれ忠実な者で彼と共にいた人々も[彼らに勝つでしょう](黙示録17:13,14)。
「これらの[王達]は一つの知性を持っています」。そこに、一つの巨大な一致、サタンの勢力の一つの連合、国際的連合同盟があるでしょう。「そして、自分達の権威と力をその獣に与えるでしょう」。過去において、ローマカトリックの宗教上の儀式にあえて拒否した人々を迫害した時、ローマカトリックによって現されたものとして、良心を表明するための神を礼拝する自由と、宗教の自由に反対する勢力として、このような独裁的なものが現れています。
最後の日々に遂行される戦いにおいて、ヤハウェ(hwhy)の律法に忠誠であることを捨てた全ての悪の勢力が、神の人々(民)に反対することによって連合がなされるでしょう。この戦いにおいて、4番目の安息日の戒めは最大のテーマとなるでしょう。安息日の戒めによって、天と地の創造者として、大いなる律法の賦与者は自身を明らかにしています。……
黙示録の中で、私達はサタンに関することを読んでいます。「そして、彼は大きな不思議を行なって、人々の目の前で天から地に火を降らせました。また、あの獣の目の前で行なう力を持っていた神秘的な手段によって、地上の住人をだましました。そして、地に住む人々に、あの獣の像を作るべきだと言いました。それは、剣で受けた傷を持っていましたが生きていました。そして、彼は、その獣の像に命を与える力を持っていました。その獣の像は語るだけではなく、獣の像を礼拝しない多くの者が殺される原因となるでしょう。そして、彼はすべての、小さき者にも大いなる者にも、富める者にも貧しき者にも、自由人にも束縛された人にも、右手か額に一つのしるしを受けるための理由を述べました。その名の会員かその獣の名かそのしるしを持つ人は安全に売ったり買ったりできて、[そのしるしが]ない人はそれらをできなくしました」(黙示録13:13-17。KJV)。……
「また、私は、偽預言者の口から、その獣の口から、その龍の口から、カエルのような三つの汚れた霊が出てくるのを見ました。彼らは奇跡を働く悪の霊でした。神の大いなる日(アルマゲドン)の戦いに彼らを集めるために、全世界の人々と、地上の王達の所に行きました。見よ、私は一人の盗人のように来ます。祝福された人は、目を覚まして、服を着ている人です。裸で歩かないように、人々は彼の恥を見るでしょう」(黙示録16:13-15。KJV)。…
8)サタンは成功しているように見えるでしょう
自然界と世界の人々の大多数、ほとんどの事柄は感情的な熱心さに挑戦されています。サタンにつく天使達と悪い人々との協力によって、サタンは勝利を得るあらゆる努力を尽くしているでしょう。また、成功しているように見えるでしょう。しかし、この闘いから、真理と正義は勝利して成功へと向かうでしょう。背教行為の日々はやがて収束させられるので、嘘を信じた人々は希望を挫かれるでしょう。 『原稿』24,1891(64歳)
4.日曜法の制定に関連した勧め
私達のカンファレンス(会議)の中に、南部諸州の安息日遵守者達をどうするか、慎重に注目をする必要のある討議する問題が持ち出されました。彼らが日曜日に働くとすると、彼らの州法の強制力を考慮して服する責任がある所では、彼らがどんな労働をしていても、必ず来る迫害を避けるために日曜日に休むでしょう[24]。私達の[教会の]兄弟の一人は、一つの決議案が「私達の[教会の]安息日を遵守している兄弟達はその日の労働を控えて投獄や兵役免除の科料に服する責任がある」というSDA全体総会の助言によって、可決されるだろうかと心配して見ていました[25]。人々に行動を求めている、そのような決議案は、このカンファレンスに先立って提出されていないでしょう。
できるだけ悪評を立てないようにすることは非常に良いものだということについて、どちらのケースにおいても、まさかの時に備えて、数々の疑問があります。……
1)神は必要な時に光と知識を与えるでしょう
日曜法の動議が一つの法律となるために提出される時、……それが最も必要な時に、主が正しい知識と光を与えているという理由によって、……そこには天の是認を受けるような特性が一つもなく、諸段階を取る大きな危険もないでしょう。
全ての安息日遵守者達が心配して悩み、将来への未知/不可解を見通そう、また、彼らの取るべき正しい立場について考えられ得るものを知ろうとして、彼らは、日曜日の遵守に関する考え方について正しくアドバイスされています。……そこには、いつまでも極端に走る危険性が存在しているでしょう。
もしも、その決議がなされると、私達の[教会の]人々は、日曜日には働かないでしょう。南部諸州における私達の[教会の]兄弟達は、日曜法に同調することを表すでしょう[26]。間もなく、全世界の私達の[教会の]人々の前に、南部にいる人々に似た状況が存在するでしょう。その決議は、全世界で同一のものとして存在しています。もしも、それが資格を意図して祭日の特別な光としてくるならば、そこには、安息日遵守者であるという人々によって、偶像の神に跪く追従的な譲歩が存在するでしょう。そこには、彼らにとって全ての人々が失われるまで、原則の放棄が存在するでしょう。
もしも、私達が彼らに、私達の神の安息日の位置を占めようと、偶像の安息日を高めず尊敬しないように勧めるとするならば、その時、神の踏みつけられた律法の正当性を立証するため、また、神の栄光のためにこのことをするよう求められない限り、冷静な方法でこの内容を彼らに指導し、言葉や行動によってその法律の効力を否定しないで励ましましょう。そこでは、闘争的な精神や対抗する激情を立ち上がらせる行動の必要がないようにしましょう。……
私達自身の何らかの軽率によってその法律を拒否して、そして、無法者となった私達を攻撃する敵たちに、適切な対処の方法は存在しないでしょう[27]。独自性を示すために故意に彼らの前でその日に働く努力の決意をして日曜日を崇拝する隣人達を刺激して、それが私達に課されていると考えるべきではありません。……
騒々しい宣伝行動の必要がないでしょう。ひどく恐ろしい悲しみは、世界中の人々をとりこにした惑わしだと考え、また、私達の勢力によるあらゆる手段は、私達のもっとも手強い敵たちである人々を教化することを求めていると考えましょう。人[あるクリスチャン]が天に適するように持つ必要のある聖霊のうちなる働きの原則の受け入れが存在しているならば、その人は、神に向かって不敬と怒りを起こさせるようなおこがましさや無鉄砲なことをしないでしょう。……
2)あなたの安息日の疑問についての扱いは断固なのか
誰かが、安息日遵守者達によって伝えられ、断固として存在しているいくつかの証を試みています。そして、誰かが厳しい迫害をついに耐えました。……私達は確かに試みられテストされているでしょうから、ベッドの下や35リットル枡の下に私達の光を臆病に隠す気乗りのしない奉仕をする人を励ます解決策はないでしょう。……あなたがこの問題を神の側かサタンの側かどちらかの立場でどのように扱っても、間違いなく、神の安息日は一つのテスト問題です。その獣のしるしは、あらゆる組織とすべての個々人にある形によって表されために存在しています。……
サタンによって最初に作られてから全ての運動体は、主ヤハウェ(hwhy)の真の安息日の位置を占めるために、偽りを高めるために終末にまで続く彼の働きの始まりでした。彼は、今もそうしようとしています。そして、以前よりもこのことをしようと決意しています。彼は、地に住む人々をサタン的なだましで惑わすために大きな力を持って降りて来ました。……
私達が緊急事態に立ち向かう時、神の律法への私達の崇敬の度合いが上がるにつれて、そして、それが役に立たないと捨てられて、もっとはっきりする時に、神の律法はより貴重により神聖になっています。……
神の長い忍耐行動によって、[1844年からキリストの至聖所での]確実な調査期間を諸国民に与えています。しかし、そこには一つの点があります。もしも、彼らが[調査を]通り過ぎるならば、そこには、神の憤りによる神の罰があるでしょう。神は罰するでしょう。この世/世界の人々は、神の律法を蔑みの位置へ追いやりました。この祈りは、その当時、相応しいものでしょう。「主よ、働くための汝の時です。彼らは、汝の律法を役に立たないものにしてしまいました」(詩編119:126)。
3)責任を取る個々人
この国の法律を否定している人を示して、指針や手本のどちらでも、何かで自慢して鼻にかける人がいないようにしましょう。違う諸州の人々が行なうことができるか、または、できないかのように、答えは出せないでしょう。個人の責任を軽く見るようにはしないようにしましょう。人々は自分達の神と運命を共にする必要があります。私達自身の[教会の]人々の存在の中で語ることは人の義務だと考えないようにしましょう。さもないと、私達の敵達について、それは、人々の闘争心を呼び起こすでしょう。そして、彼らはあなたの言葉尻を捉え、そのような方法でそれらを解釈するでしょう。あなたは、政府への謀反の存在によって挑戦されています。これは、その人々へ接近する扉を綴じるでしょう。……
私達は、それに跪くことによって、日曜日を高める独裁的な勢力にひざまずくことができません。一方、私達は安息日を破らないようにしましょう。独裁的な勢力は、するようにと、私達を屈服させようとしているでしょう。私達は、キリストによって賢くなりましょう。……私達は言う言葉をなくす必要があります。それは私達自身に害を与えるでしょう。しかし、あなたがサタンに優位を与えるので、あなたが非情な働きをして、神の[人類救済]目的を危うくしてあなたがおこがましいことをする時、また、あなたが言葉を語る時、これは、とても悪いでしょう。私達は、性急で軽率になるために存在しているのではありません。しかし、それは、イエスに存在しているような真理を表明し、主の聖霊による活動の仕方や、イエスについていつも学ぶ[ために存在しています]。
4)軽率の危険、有害なアドバイスの提示
人は、私達の前に提示された深刻な疑問に対して、軽率、熱しやすい気性、強情な意思の人などによって多くの害することを行なうでしょう。そうです。抜け目のないだます者、絶大な反逆者サタンは、深刻な疑問について真の論争点へと人々の知性を欺いていて、そして、それ自身は永遠に続いているので、セブンスデー
アドベンチスト達の一団の全ての人々は、サタンのゆえに推測する人の活動に同調することができない、という一つの印象のようなものを残すでしょう。……
軽率な言動によって、神の[人類救済]目的を裏切って、敵の勢力に有害なアドバイスを提示している人々がいるでしょう。仇を討とうとしている人々もいるでしょう。主の聖徒達の中に背信して裏切るようになる人もいるでしょう。全ての人は慎重さを学ぶ必要があります。また、譲歩によってその敵に道を与えて、もう一方の保守的な側にいる人々にも危険性があります。……
私達が何か、真の安息日とその真理の位置を占めて間違いを高めることをするということは、神に対して不忠実なことです。私達は、特別な罪の人の決定を崇めるといけないので、とても注意深く行動する必要があります。私達は、とても重大な結果に属するこの内容について、中立的な基礎を置かれるために存在しています。……
5)最後を閉じる闘いの前の迫害
二つの軍勢が、全く異なって、分かれて対峙しているでしょう。そして、この違いは、神の戒めを守る人々の側に来て、真理を確信する多くの人々によって明らかにされるでしょう。この厳粛な働きは、その闘いが始まる前に存在しています。最後を閉じるその闘いの前に、多くの人々は投獄されるでしょう。多くの人々は、都市や町々からその住居のために急いで逃れるでしょう。また、多くの人々は、特別な真理を擁護するために立ち上がって、キリストのために殉教者となるでしょう。……あなたは、耐えることができる以上に試みられないでしょう。イエスは、これらの全てと、もっと多くを耐えました。……
6)羊の衣を着た狼の働き
私達の間にさえ、給料目当ての雇われ人と羊の衣を着た狼が存在しているでしょう。彼らは、主の前でほかの神々に犠牲を捧げて、神につく群れの中のある人々を喜ばすでしょう。特別な真理に基礎を置かず根を張らず、定着していない若い人々は、その盲目なリーダー達の盲目によって、引き離されて滅ぼされるでしょう。神を信じない人々、疑うことと苦しむことを軽蔑する人々、古代イスラエル時代の統治者/主を嫌う人々、偽物の神をその王座に着かせている人々、自分達自身の本質を明らかにしている人々、自分達自身と一つになって一緒に存在している人々など、神の働きをする人々は、不注意な信仰で汚れているために、サタンの手の中に存在しているでしょう。
5.自己抑制しない人は信仰深い人をあざ笑う
プライド(自慢と自尊心)、装飾やファッションを放棄する用意をせず、自己を抑制しなかった人々は、良心的で、神を畏れる人々、真理を愛する人々をあざ笑うでしょう。また、天の神それ自身をあざ笑うこの働きの中にいるでしょう。……
主の名によって、私は、将来の何かの危機に、心配のない場所を探す用意を今すぐに始めないよう、また、神に信頼するように、主の全ての人々(民)にアドバイスします。神は、その危機のための用意をすることを信頼しましょう。
1)私達に力が存在する約束の日
あるクリスチャンが、為すべき役割に向かっていて、その人が予想している厳しい試練がその人にもたらされるように存在している時、その人のクリスチャンとしての信仰告白のゆえに、その見通しの弱まり、その結果の予想は人間性の本質です。このことは、私達がこの地上歴史の終わりに近づいている時に決定的でしょう。私達は神の言葉の真実によって勇気づけられるでしょう。私達は、サタンの勢力の圧政の下にいた人々の真実な記録を持っているので、そのクリスチャンは試練の時に、人々の安全なリーダーとして神の子らの導きに決して失敗しないでしょう。神の恵みはその人々の約束の日のために存在しています。神は真実です。私達ができる以上に誘惑されるような困難に合わせないでしょう。……
この国の法律に公然とした反対に立たず、神を求めて立ち向かう方法として考えられる苦難の大きな山があるでしょう。人々[信徒達]は、試練から自分自身を守るように、自分自身のために十分な対策をしてはいけません。人には神による手段だけがあり、人は、一日いちにちその知性と魂に守備隊が置かれるという目的の単純さに向かって進むために存在しています。その人はその高潔さの一つの原則の犠牲ではないでしょう。しかし、その人は自慢をせず、脅しもしないでしょう。そうではなく、その人は自分の意思か、行なわない意思を語るでしょう。その人は、テストされるまで行なうことを知らないでしょう。
2)私達は安息日を守ることで隣人を怒らせないために存在している
いつも謙虚に歩み続けている人がいるでしょう。私達自身の軽率な行為を通してその法律を拒否して、無法者として存在する私達に反対する敵達に対して公正でない状況に置かれている人がいるでしょう。私達は、一つの独立を示すことを目的に、彼らの前に、その日に労働することに苦しんで決心することによって、それが、日曜日を崇拝する私達の隣人達を怒らせるように課されているとは考えないでしょう。私達の[教会の]姉妹達は、洗濯物を干すための日として、日曜日を選ぶ必要がありません。騒々しい宣伝行動は存在しないでしょう。ひどく恐ろしい悲しみは、世界中の人々をとりこにした惑わしだと考え、また、私達の勢力によるあらゆる手段は、私達のもっとも手強い敵たちである人々に光を与える/教化することを求めていると考えましょう。人[あるクリスチャン]が天に適するように持つ必要のある聖霊のうちなる働きという原則の受容が存在しているならば、その人は、神に向かって不敬と怒りを起こさせるようなおこがましさや無鉄砲なことをしないでしょう。……
3)調査が閉じられた後では、神の民の間には死がない
イエスが仲保者の玉座から立ち上がるに次いで、全ての人々のケースは決定され、神の人々(民)に訪れていた死と迫害は、その時、特別な真理に好意を示しても一つの証ともならないでしょう。
私達は、この危機を考えるようにあなた方に訴えます。私達が持っている最も大きな恐れは、名ばかりのキリスト教徒の存在です。私達[の教会に]は、主イエスキリストをよく知らないので、勝利者になれる、特別な真理を信じていると告白している多くの人々がいます。その人々は、一人の見知らない人と主の声を区別することができません。広まった背信者の中にさえ、全力を尽くしていて、誰にも恐れられていない人が存在しています。その人は、救い主イエスキリストと私達の主に関する知識によって生きた体験を持っています。もしも、栄光の希望であるイエスが[私達の]中に形成されるならば、教育された人も読み書きのできない人も、私達の信仰の証を生み出して伝えることができるでしょう。[パウロは]「私は、信じた方を知っています」と言っています。背信者に勝ることができない人々、ほかの人々が持っていた何らかの有利さを持っていなかった人は、敵対者が悪であることを主張によって示すことができないでしょう。特別な真理を持っている人々は自身の心の中に特別な真理の根拠を持っているので、サタンの激しい攻撃と最も悪賢い論証は、彼らの特別な真理の知識から彼らを引き離すことはできません。そして、彼らは自分が失敗しているという疑いや恐れを持たないでしょう。
放蕩と異端と不信心がこの国に満ちる時、そこでは、多くの祈りの謙虚な家庭があるでしょう。特別な真理を聞いたことがなかった人々から真剣な悔恨の祈りが捧げられるでしょう。神に不敬を為したので圧政を被るのだろうと思う多くの人の心があるでしょう。この人々は、自分達の上に輝いている光の全ての筋を気に入っているので、神に受け入れられるだろうと、私達は、あまりにも考え方が狭すぎて、判断力に乏しいです。 『原稿』6,1889(62歳)
6.圧政者から救い出す[兵役免除の]過料を支払う
人々は、神に反逆することをサタンによって吹き込まれています。主はこう言いました。「それは、私とあなた方、あなたとあなた方の世代の間の一つのしるしなので、本当に、汝らは私の安息日を守るでしょう」(出エジプト31:13)。迫害を逃れるために、この戒めに不従順な人がいないようにしましょう。キリストの言葉をみんなで考えましょう。「人々が、この町であなたがたを迫害するならば、汝らはほかの町に逃れなさい」(マタイ10:23)。もしも、それを避けることができるならば、あなた方自身を、反キリストの霊/精神によって働かされた人々の勢力の中に置かないようにしましょう。[兵役免除の]過料の支払いは、これら圧政者達の手から私達の兄弟達を救い出すでしょう。安息日に働くことを強いられて強制徴兵されるよりは、それを支払いましょう。私達が行なうことのできる全ては、酷使と圧政から救われるために、真理のための苦難を進んで受ける人々によってなされる必要があります。……
人々が光/真理に反対して確信の下にいる時、彼ら自身の性向に従います。彼らは、神の気に入りの上に人々の気に入りを考え、キリストの時代に多くの人々が為したようにするでしょう。
1)楽な生活をするために軽視されない戒め
キリストは私達の模範です。反キリストの決意は、天で始めた謀反を外へ持ち出すため、不従順な子らの働きとして続くでしょう。4番目の戒めを守る人々の対しての彼らの嫌悪と憎しみは、もっと激しくもっと増すでしょう。しかし、神の人々(民)はそれらの人々の旗の陰に隠れるために存在しているのではありません。彼らは、悪を為す群衆と共に楽な生活をするため、神の戒めを軽視するために存在しているのではありません。彼らは、主の働きにいつも満ちていて、確固として、忠実に尽くして、信仰によるきょうだいをとがめることなく慎重になる必要があります。……
彼らの生活を支えるために神と縁を断つ人々は、神によって縁を絶たれるでしょう。特別な真理を放棄することで彼らの生活の支えを得ようとすることによって、彼らは永遠の命を失うでしょう。
親族達や友人達への生まれつきの愛情は、神のひとり子、イエスキリストと父なる神を敬わず、特別な光を拒否するように特別な光を見ている魂を導かないでしょう。不従順への弁解のあらゆる可能性は、キリストの時代に多くの人々が神への好意よりも人々への好意を行なったように、選ばれる人々によって形成されるでしょう。もしも、人が妻や子ども達、父や母を選んでいるならば、キリストの前に、その責任の重さと共に、その選びは幾世代にもわたって続くでしょう。……
創造の記念として主の安息日に関する光を持っていた魂が、面倒な事と叱責から自分自身を守ることは不忠実な残りの者の選んだことで、彼の主を売ることでした。その人は、キリストの名を汚しました。終末の大いなる日に、彼は人々と共に自分の立場を非キリストの軍勢に置きました。その人は、天の王国の真理と義に忠実ではないので、神の都の外で発見されるでしょう。
真の信仰を持った全ての人々は、試されテストされるでしょう。その人々は、激しい反対のために、自身の親族でさえも、国々も家々も縁を断つようにしなければならないでしょう。キリストは言いました。「しかし、その人々がこの都市で迫害される時、汝らはほかの都市に逃げなさい」「あなたがたは、特別な人の子が来るまでイスラエルの諸都市に行ってはいけません」(マタイ10:23)。
2)非キリスト(神に反逆して自分自身を高める者達)は、神の怒りを考えるでしょう
善い事のための偉人の感化と、神の聖霊の支配下での強い決定は、宗教的な迫害によって、神に向けて自分の嫉妬と羨望を甘やかして敵となるでしょう。しかし、全ての天の者達は、非キリストではなく、キリストの側にいるでしょう。神を愛する人々とキリストの苦難に参加する者になろうとしている人々に、神は敬意を払うでしょう。神の働きとその意思に反して自分自身を高める全ての人々は、非キリストの意味を示された時に、彼らを滅ぼさないで永遠の命を持っている主自身が与える神の怒りを考えるでしょう。従順によって耐え忍んだ全ての人々、また、人々の気に入るようにせず、お金のために魂を売らないような全ての人々を、神は命の書に記録しているでしょう。
『原稿』9,1900(63歳)
56章 我々が地球の最後の日に近づく時
[1.我々が最後の日に近づく時]
1)間違って導くメッセージが多くの人々に受け入れられるだろう
あらゆる事柄の試験が神の人々の群れの前に表されるでしょう。……天からのものであると布告するメッセージの中に、表現の語句が誤解して作られているものがあるでしょう。そして、もしも、それらの事柄の影響が受け入れられるならば、それは、誇張された運動や計画、そして、サタンが現在持っている、神聖な衣の下の、奇妙な精神/霊、清められていない精神/霊、すなわち、あらゆる事柄に重要性で勝る強い精神、その事柄を持ち込む考案へと導くでしょう。狂信的言動は訪れるでしょう。そして、神の聖霊の働きとそれが混交し織り交ざるでしょう。多くの人々は、それが神から来たものであるかのように全てを受け入れるでしょう。また、それに関して、誤解させられて騙されるでしょう。
私達の[教会の]兄弟達によって、しばしば作られた説得力のある論説が存在しています。彼らは私達の世界に憐れみと警告のメッセージを伝えています。それは良いことを説明しているでしょう。……一つの言葉が、特別な真理への反対者達に関係ある精神/霊を掻き立てないようにしましょう。龍のように怒りっぽい精神が起こるようなことをしないようにしましょう。それは、間もなく、龍自身の特徴/品性の全てによって、イエスに属する信仰を持ち神の戒めを守っている人々に対して、完全に明らかにされるでしょう。
2)私達の不注意な言葉によって立ち向かった
その時、特別な真理の正当性を立証するために、支配者達や王達、行政官達と権力者達の前に立つように呼び出される時が来るでしょう。その時、彼らの立場と自分達の言葉を知って証をすることは一つの驚きで、それに合う表現の言葉は、予想もしない仕方や考えもない方法によって作られるでしょう。間違いを攻撃し真理を掲げること(つまり、自分達が考えなかった表現の言葉が思い出されること)が思い浮かぶでしょう。そして、その人々は、彼らと立ち向かわされるでしょう。その人々の敵達は、軽率に語られたその人々の言葉を捉えて有利になるでしょう。……
3)サタンのだましと働き方
私達をだます意図をもった多くの事柄は、真理のしるしに関して何らかのものがやって来るでしょう。やがて、それらは、神の大いなる力として表明されるしょう。サタンは、この時のために特別な真理から魂達を引っ張っていくために備えをしていて、その中に編み込む用意をしています。
ある者は、その間違いを受け入れて広めるでしょう。そして、その正当性を立証する者が、真の光/真理の中に内容を加えるために来る時、しばしば繰り返されたサタンの働きに無知な人々と、また、これらの小さな体験をした人々は、真理として彼らの前に存在していた間違いのゴミと一緒に捨てられるでしょう。このように、神がこの時代のために与えている光と警告は、何の成果も残されないでしょう。……
4)偽りのメッセージはエレン・ホワイトに挑戦するでしょう
全てのありそうなメッセージは、いつも、神の働きの模倣と、それ自身の旗に真理をしるして伝えられたものから来ています。何かの新たな人騒がせなものために用意させられた人々は、女預言者として、ミセス
エレン・G・ホワイトについて誇張と矛盾のある敵達の挑戦の方法として、これらの事柄を操っているでしょう。……
そこには、全ての指揮を執る人々から来る模倣のメッセージがあるでしょう。かの敵の騙しの下で、その人々が天の霊感ではないものを持っている時、考えを抱かせるために現れ、次々と出現するでしょう。彼らのメッセージを受け取る全ての人々は、道を外れて導かれているでしょう。その時、私達は、表現の言葉や、夢、様々な幻によって、入るようにと、かの敵のためにドアをあけ放たないで、慎重に歩むようにしましょう。神は、イエスに対する信仰によって見るように、私達を助けています。また、私達は、神が語った言葉によってガイドされています。 『手紙』66,1894(67歳)
2.確固であれ、しかし、挑戦的ではなく
私達はイエスに確固とした信仰の目をとどめるために存在しています。神の律法が役に立たないとされることによって、[教会の]人々が確かに思っているように、その日が来る時、その真理と忠誠への熱意は、緊急事態によって湧き起こり、もっと熱烈になるでしょう。その人々の証は積極的かつ断固としたものになるでしょう。しかし、私達は戦いを挑む精神による行動をしないように存在しています。私達の心が神に全く明け渡されているならば、私達は[そのような行動]をしないでしょう。……
1)三天使のメッセージに向けられるサタンの怒り
第三の天使は天空の中央を飛んでいて、第一、第二、そして、第三天使のメッセージを宣言する人々の働きを象徴するように表されています。これらは共に繫がっています。絶滅されず、この宗教的な世界の意図的な反対に目覚めて、私達にとても重要な意味があるそれらの基礎的なメッセージに属している永遠に生きている真理を、純樹する根拠は消え失せていません。サタンは、それらのメッセージについて、常に暗黒の影を投げかけようとしています。それで、神の残りの者達は、それらのメッセージの意味するもの(それらの時代と場所)を明確に識別できないでしょう。しかし、それらのメッセージは、生きていて、やがて最後の時が去る間に、私達の宗教的体験のうえにそれらの力を働かせるために存在しています。……
啓示する者はこう言っています。「私はもう一人の天使が、大いなる力を持って天から降りてくるのを見ました。そして、地上は、彼の栄光によって明るく/教化されました。そして、彼は大きな声で力強く叫びました。偉大なバビロンは倒れた。倒れた」(黙示録18:1,2)。「彼女[教会]は、彼女を崇拝する怒りのブドウ酒の飲み物をすべての国民に作ったので」(黙示録14:8)、これは第二天使によって与えられた「バビロンは倒れた」というメッセージと同じです。そのブドウ酒とは何のことですか。彼女の偽りの教理です。彼女は、4番目の戒めの安息日の代わりに偽りの安息日をこの世界の人々に与えて、エデンでエバに語ったサタンの最初の嘘を繰り返しました。彼女は、多くの同種の間違いを遠くに、広くにまき散らして、「人間達の戒めの教理を教えています」。
2)特別な諸教会に二つを識別する呼び掛け
イエスが、公的な奉仕の働きを始めた時、神聖を汚す冒瀆をその神殿から取り除いてきれいにしました。彼の奉仕の働きの最後の活動のほとんどは、再び、神殿を清めるために存在していました。なので、この世界への警告の最後の働きの中で、第二天使のメッセージと、「彼女の罪は天にまで達し、神は彼女の罪悪を覚えたので、……私の人々(民)、彼女から去って来なさい」(黙示録18:4,5)と、天から聞こえた二つの声を識別する呼びかけがこの特別な教会のために作られています。
神がイスラエルの子らにエジプトから出るように呼び掛けた時、彼らは神の安息日を守っていた可能性があります。そのように、神は、神の人々(民)にバビロンから出るように呼び掛けています。彼らはその獣だけでなくその像も礼拝しないでしょう。時と律法を変えようと考えた罪のその人は、世界の人々にこの偽物の安息日を提示することによって、神よりも自分を高くしました。このクリスチャン世界は、教皇制度のこの子ども[偽の安息日]を受け入れ、そして、このように、神に戦いを挑み、張り合った安息日を表明して神の記念日を取り去ることによって、それを揺籠に入れて育てました。
3)日曜日を高めるためのさらなる努力の決意
特別な真理が、全ての国々の民に一つの証しとして叫ばれた時、同時に、悪の全ての想像されうる勢力は、作戦によって用意されています。知識人達が、多くの人々の「ほら、ここにキリストがいる」「ほら、そこに彼がいる」「これは真理だ」「私は神からのメッセージを持っている」「彼は、私に大いなる光を送った」という叫ぶ声によって困惑させられる時、また、私達の信仰の柱が取り壊されるという企てと、さらに、特別な信仰の道標の取り去りがある時、その時、もっと決定的な努力が、偽の安息日を高めるため、そして、神が祝福して聖としたその日を取って変えることによって、神自身の上に侮蔑を投げかけることが行われます。
4)サタンが働いている間、黙示録18章の天使は主のメッセージを宣言する
この偽物の安息日は、過酷な法律によって強要されるために存在しています。サタンと彼の天使達は、目を大きく開いて、神の知識を消すという彼の目的を成し遂げるために人間の手先を通して粘り強く、また、精力的に働き、意図的に活動しています。サタンが、偽りの中でさ迷う者達と働いている一方、その時は、黙示録によって予告されたようにやって来ました。大いなる天使が彼の栄光によって地上を明るくする時、バビロンの滅びを宣言するでしょう。また、女[教会]を離れ去った神の人々(民)に呼び掛けるでしょう。……
5)破れを繕う者達
終末が近づいた時、神に奉仕する者達の証は、優先権を長く取り上げた圧政者と間違った組織に対して真理の光を輝かし、もっと決定的にもっと力強くなるでしょう。主は、永遠の基礎としてキリスト教信仰を設立して、この時代のためのメッセージを私達に送りました。現在の真理を信じている人々は、自身の知恵によってではなく、神の知恵によって立ち、また、多くの世代の人々を基にして起き上がる必要があります。これらの人々は、住むための道に戻り、破れを繕う者達として、天の書に記録されているでしょう。私達は、激しい反対に直面しても、特別な真理のゆえに、それを保守管理するために存在しています。……
誘惑は、私達に訪れるでしょう。不正な行為は、あなたが少しも思いもしない所に満ちています。それは、最も恐ろしく、魂にのしかかるように、暗黒な時期が始まるでしょう。しかし、私達は、神の玉座の上の約束の弓/虹を知る一方で、失敗する必要がないだけではなく、勇気を挫かれることもありません。
私達は、とても厳しい試練や反対、死別や苦悩に合わせられるでしょう。しかし、私達は、イエスがこれら全てを通ったことを知っています。これらの体験は私達に価値あるものです。その優位性は、この短い生涯において、何かの手段に限定されません。彼らは、永遠の世代へと到達するでしょう。
私達が、この地上歴史の終わりに近づいている時、私達はもっと優れて、もっと急に、クリスチャンとして成長します。さもないと、決定的に退化するでしょう。 『手紙』1f,1890(63歳)
3.逆戻りしたSDA達は不信心者と団結する
サタンは、キリストの個人的な敵です。……彼は人類をだますという野望を持っていて、そして、人類家族を振り回す彼の力は絶大です。また、神の人々(民)に反対する彼の激怒は、神が求めている知識が世界のあらゆる地域に広がっているのを見つける時に、増しています。また、現在の真理の光は、闇/無知の中に長く座っていた人々の上に輝いています。……
神の言葉は……サタンがその驚いて縮こまっている者達に働いている時に、私達を防御するために存在しています。それが可能だったならば、彼は、真に選ばれた人々をだますでしょう。真理のために堅く立たない人々が、嘘を言いつつ愛する不信心者と団結するようになるのはその時です。これらの驚いている人々が実演行動をさせられて、病の人々が癒され、ほかの不思議な素晴らしい働がなされた時、その人々はだまされるでしょう。私達は、自分達の上に正しいことが存在するように、その危難の時のための備えをしましたか。そうでないと、私達は、悪の策略の餌食に簡単にかかる間違った場所に立っているのではありませんか。 『原稿』81,1908(81歳)
4.悪に属する一つの科学
間もなく、何が私達にやって来るのですか。人をそそのかす精神がやってきます。かつて、神が私によって語ったのであれば、あなたは、以前に、素晴らしい科学(悪に属する科学)について聞くことを望んでいたでしょう。それ自身の目的は、神が送ったイエスキリストと神の配慮がないものが作られるために存在しているでしょう。ある人はこの偽物の科学を高めるでしょう。彼らを通して、サタンは、神の律法を役に立たないように求めるでしょう。絶大な奇跡が、この不思議な科学に属する指示によって、人々の目の中に実演されるでしょう。 『手紙』48,1907(80歳)
5.背信の時は現在です
全ての事柄の終わりは手もと近くにあります。そのしるしは突然現れ、また、夜中の一人の泥棒のように、静かに素早く来る主の日は、僅かの人が気付くように思えるでしょう。多くの人々は「平和だ、安全だ」と言っています。人々の主を待ち見張り続けていない限り、罠の中に捕らえられるでしょう。……
「さて、聖霊ははっきりと語っています。その後の時代のある人は、悪の者達の教理、そそのかす霊に関心を向けて、信仰から離れるでしょう(1テモテ4:1)。この背信のその時は現在です。あらゆる予想可能な努力は、私達が半世紀以上も働いたその立場に疑いを投げかけるでしょう。……
1)天からの火
神性のガイダンスの一つのしるしとして奇跡を見る人々は、だましの重大な危険の中にいます。かの敵はこの信仰から離れた彼の手下を通して働くだろうということは、御言葉によって言及されました。そして、彼らは、人々の視界の中に天から火が降ってくることさえ行なって、奇跡を働くように見えるでしょう。「驚いて縮こまっている者達」を手段にすることによって、サタンはだますでしょう。可能ならば、真に選ばれた人々をも騙すでしょう。
『手紙』410,1907(80歳)
6.天使達は、印する働きが終わるまで4つの風を引き留めるでしょう。
天使達は4つの風を引き留めています。その通り道には死と破壊が生じ、地の全面を駆け巡り、怒った馬が脱走しようとしているように表されています。…
私は、イスラエルの神、主の名によって、あなたに伝えます。全ての被害と落胆させる影響は、神の愛が人の額に印され、畏れによってその働きが全ての人に及ぶまで、見えない天使の手によって抑制されて保たれています。
7.サタンと彼の天使達は、背信者達と混ざる
サタンと彼の天使達は人間としてこの地上に現れるでしょう。また、これらの人々と混ざるでしょう。神の言葉はこう言っています。「そそのかす霊を心に留めるようにして、ある人はこの特別な信仰から離れるでしょう」(1テモテ4:1)。 『手紙』147,1903(75歳)
8.独立した教師達の働き
主が私に示したことを受け入れて以来、一つのくさびを打ち込み、問題を支持する側にいて、新しい光を持っていると主張する多くの人々が次々と現れるでしょう。その拡大は、第三天使のメッセージを信じる人々と、それらの見解[28]を受け入れる人々の間に一つの亀裂が生じるまで増すでしょう。
やがて、これらの新しいアイデアが受け入れられると、そこには、神は、彼らを見捨てて、神の働きをするために「もっと謙虚な」人々を選んだので、その指導者達から離れる人々と疑い始めた知性ある人々のために、神がこの働きに起用した人々から離れていく、線引きがあるでしょう。これは、その指導者達がこの大切な光を見ようとしていないので、彼らがこの内容に与えることができる唯一の解釈です。
神は、第三天使のメッセージを大きく叫んで伝える一つの人々の集団を起き上がらせています。新たな理論が湧き上がることは、この時代のための真のメッセージと真の働きから知性ある人々を逸らすための、サタンの今の目的です。彼は、偽物の大きな叫び、御言葉の嘘の解釈を与えるために人々の知性を掻き立てています。その実際のメッセージは、それが来た時、その成果がないでしょう。これは、真の大きな叫びはやがて聞かれ、そして、この地上は神の栄光によって明るくされ教化されるという強力な根拠の一つでしょう。
『手紙』20,1884(57歳)
9.信徒達の姿をした悪天使達は私達の集団の中で働くでしょう
信徒達の姿をした悪天使達は、強い不信仰の精神/霊をもたらすために、私達の信徒達の中で働いているでしょう、ということを私は示されました。このことは、あなたを落胆させず、サタン的な手下の勢力に対して、主の助けの真の心をもたらすでしょう。
これらの悪の勢力達は、祝福を受けるためではなく、神の霊の感化の反対行動のために、私達の諸集会の中に入り込んでいます。彼らが作ったものは、注意点が取り上げられず、キリストイエスによって、「アーメンやそうです」が存在する神の大いなる約束を繰り返しています。
私達は、悪天使達がその働きを強めるように人間の口が語る言葉を捉えるために存在しているではなく、キリストの言葉を繰り返して言うために存在しているでしょう。キリストは、以前に、高貴な地位から落ちた天使達の集団の指揮者でした。 『手紙』46,1909(82歳)
私達は、この世界の人々に与えるために偉大な、厳粛な数々の真理を持っています。それらの真理は、たどたどしい姿勢ではなく、滞ることなく宣布されるために存在しています。そのトランペットは、確固とした音を響かせるために存在しています。ある人達は、物珍しさではなく、聞いたことのないメッセージを聞くために来るでしょう。ほかの人々は真の知識を受けることを望んで来て、「私は、永遠の命を受け継ぐためには、何をしたらいいでしょうか」と、質問をするでしょう(マルコ10:17)。
このようにして、人々はキリストのもとにやって来ました。そして、彼の話を聞く人々に混ざった人々は、救い主の言葉の誤解と誤用と粗探しをし、自分達への誘因をした、人間達の姿をした(悪)天使達でした。
この時に、人々の姿をした悪天使達は、特別な真理を知っている人々と語るでしょう。彼らは、誤解し、そして、神のメッセンジャー達のその言及したことを悪くとるでしょう。……
セブンスデー アドベンチスト達はエペソ人への手紙の6章にあるあの警告を忘れたのですか。私達は、闇の主人に対する戦いに繫っています。私達が、私達のリーダー[キリスト]に堅くついていないと、サタンは、私達に対して勝利を得るでしょう。 『手紙』140,1903(76歳)
10.私達を驚かせる背信者達
私達は、過去にあったように、将来、発達したあらゆる種類の品性/特徴を見るでしょう。私達は、私達が信じていたと思っていた人々で、原則にも真理にも堅く立った人々、信頼していた人々の背教を目撃するでしょう。
何者かが、彼らをテストするためにやって来て、彼らは滅ぼされます。もしも、そのような人々が堕落して、「私達は誰を信頼することができようか」と言ったとしても、正しいことではありません。これは、狭い道を歩むように努めている人々の確信を打ち砕こうとしているサタンの特別な誘惑です。これらの堕落した人々は、主の前で彼らの道を明らかに汚しました。そして、彼らは、神の言葉だけが彼らを罪から改心させ、聖化の道を忠実に守ることができるという特別な真理を信じていると告白する人々に、教訓と警告の‟のろし”となっています。……
その人の活動の範囲がどうであれ、あらゆる魂は、神の霊の力によって、心の中にその真理が植え付けられることが確かに起こるようにしましょう。このことが確かに起こらないと、神の言葉を教える人々は神聖な信頼を裏切るでしょう。
内科医達は、誘惑されて、信仰の難破船/挫折を作るでしょう。法律学者、裁判官、立法者達などは、堕落させられるでしょう。贈賄行為に従順な人々は自分達が[お金で魂を]買われたり売られたりすることを許すでしょう。
『原稿』154,1898(71歳)
11.背信者達は催眠状態を利用するでしょう
この教会と私達の施設にさえも、その時は来ました。ある人は、悪をなす達の教理とそそのかす精神に関心を注いで、この特別な信仰から離れるでしょう。しかし、神は委ねられたことを守るでしょう。私達は神のそばに近づきましょう。神は、私達のそばに近づくでしょう。特別な点に、簡単で明確な証を生み出しましょう。その催眠のような状態は、信仰から離れた人々によって、利用されています。そして、私達は、彼らと繋がらないようにしています。特別な信仰から離れた人々を通して、かの敵の勢力は、ほかの人々を正道からそれた道に導くように行動するでしょう。 『手紙』237,1904(77歳)
12.「団結、団結」
最後の大争闘は、私達の面前にあります。しかし、助けは、神の律法に従い、神を愛する全ての人にやって来るために存在しています。そして、この地、全地球に住む人々は、神の栄光によって明るくされ教化されるために存在しています。「もう一人の天使」は、天から降りてくるために存在しています。この天使は、あの大きな声で叫んで伝えている者として表されています。それは、「倒れた。倒れた大いなるバビロンは、そして、すべての汚れた霊の居場所、あらゆる清くない鳥籠と不愉快な鳥達の悪の住み家になっています」(黙示録18:1,2)と力強い声によって、力強く叫ぶために、用意されている人々から来るために存在しています。
私達は、与えるために、一つのテストするメッセージを持っています。また、私は、私達の[教会の]人々に「団結、団結」と言うようにと指導されています。しかし、私達は、悪の者達の教理とそそのかす精神/霊に関心を注いで、この信仰から離れている人々と団結するために存在しているのではありません。私達の心の思いやりと親切と信実によって、私達は、この真理から離れるように導かれる人々に関心を注がず、そのメッセージを宣布して前進するために存在しています。 『原稿』31,1906(79歳)
57章 最後の大争闘
1.最後の大争闘
私は、その本[大争闘]を書くよう主の霊によって感動させられました。……私は、その時が短かったことを知りました。また、やがて、私達の上に襲ってくるそれらの場面は、「主の日は、夜の間の盗人のように来るでしょう」(1テトス5:2)の御言葉に表されているように、ついには、まったく突然に、素早くやって来るでしょう。
主は、その表れた時の重要性を主張していて、また、将来に届く内容を私の前に現しました。……私は、無駄にしている時間がなかったことを確信しました。特別なアピールと警告は与えられる必要があります。私達の諸教会は目覚めさせられ、指導される必要があります。彼らは、特別な剣がやって来たと宣布して、可能な限り届く全ての人々に特別な警告を与えるでしょう。放蕩者の世界の上に、主の怒りは延期されることを望まないでしょう。私は、多くの人々は警告を聞くだろうと示されました。彼らの知性は、それらを指し示しているその事柄を識別するために備えられるでしょう。
生きているメッセンジャーが行くことのできない所へ、その警告は行く必要があるということを……私は示されました。そして、それは、この世界歴史の閉じられる場面の状況の重要な出来事eventsに多くの人々に注目するよう呼びかけるでしょう。
1)エレン・ホワイトに示された、やって来る出来事events
この教会と世界の人々の状態が、私の前に開かれました。そして、私は、自分の前に繰り広げられた恐ろしい数々の場面を見上げました。私はその眺望に危急を告げられました。毎晩、家の中の家族の者は眠っていましたが、私は、神に属することについて、私に与えられた事柄を書き出していました。目覚めようとしている異端者達を私は示されました。そのだましは、流布するでしょう。サタンの力による奇跡の働き(偽キリストが現れ)は多くの人々をだますでしょう。特別な諸宗教世界でさえもそうでしょう。もしも、可能ならば、選ばれた者達でさえ引き入れるでしょう。……
この本に書いてある警告と指導は、現在の真理を信じていると言っている全ての人々に必要とされています。そして、その本は、私達の目前にある厳粛な場面にその注意を呼び掛けて、世界の人々へも届くようにと意図されています。
『手紙』1,1800(73歳)
2.前途に立ちはだかる圧政の災難は、一つの時に勝利を得るでしょう
憐れみと思いやりと、優しい同情によって、主は誘惑され試みられている主の人々(民)を見ています。様々な圧政の時は神の聖なる戒めを知っている人々に勝利が与えられるでしょう。同じ機会を与えられた全ての人々は、彼らに行動を促すその霊/精神の実行に、最初は、強く反対することが認められました。天の王国を統治するための神の律法に忠実か不忠実かを知るために、全ての人々がテストされその正当性が立証されることが神の目的です。その最後について、神は、サタンの特徴を殺人犯、偽り者、非難者として明らかにすることを許しています。このように、主の人々(民)の最終的な勝利は、完全に十分に栄光を与えられ、特徴を示されています。
神の人々(民)は、自分自身の知恵に信頼しているのではなく、自分達のリーダー[キリスト]の知恵にまったく、視野を広めている必要があります。彼らは、祈りと断食によって、日々備えをしておく必要があります。
1)私達は危難に近づいています
私達は、この世界の人々にかつてやって来た危機の中でも、最も重大な危機に近づいています。私達が視野を広くせず見張りをしていないならば、それは、盗人のように私達の上に知らない間に現れるでしょう。サタンは、秘密のうちに人間の働き人達を通して働いて準備をしています。……
私達は、自分達の信仰の根拠を知っている必要があります。私達の面前に開かれる場面の厳粛さと重要さは、これを求めて、また、不平を言う精神を持つ人々の釈明は奨励されないでいます。……
私達は、私達の良心を言い表して神を礼拝するために、独自の判断行動の権利のために、立法府の議会の前で、もっと熱心に請い願う必要があります。このように、神の摂理/先見の明は、神の律法が地上の高い権威によって人々の前にもたらされるようにと計画していました。しかし、私達がサタンの策略に無知でない男性と女性として可能な全てを行なう時、私達は、感情の辛さを表すために存在しています。いつも、私達は神性な助けに祈りを捧げるために存在しています。その天使が神に奉仕する人々の額にしるしをつけるまで、4つの風を引き止めることができるのは神だけです。
2)サタンの断固とした尽力
主は、地上において大いなる働きを行なっています。サタンは、主の人々(民)を散らして引き離そうと尽力しています。彼は、私達の注目を繋ぎ止めようとして、大切なテーマから知性を逸らすために問題の側に引き止めています。…
多くの人々は、指の先程の小さなものをだけを特別な真理だと捉えています。彼らは、多くの特権と大いなる光を手に入れました。[イエスの伝道の根拠地]カペナウムの人々のように、彼らはこの敬意によって天にまで高められました。テストと試練の時は、近づいています。彼らは、品性を全体的に形成しない限り、プライド(自慢の混じった自尊心)と自己過信を捨て去らない限り、背信するでしょう。 『手紙』5,1883(56歳)
3.国家の法律は神の律法を毀損するために人々を理由にするでしょう
主は、神の律法を毀損するために人々を理由にして、その国家の法律を定めようとしている人々の働きに応じて裁く/評価するでしょう。彼らは有責性に応じて罰せられるでしょう。 『手紙』90,1908(81歳)
4.反抗によって世界中の人々は、キリストへの裏切りと受難を再演した
あの裏切りと排斥、キリストの受難は、再演されました。また、広大な規模で再演されました。人々は、サタンの性質に満たされるでしょう。神の第一の大敵の騙しと[ある]人は、絶大な能力を持つでしょう。キリストではなく何かのリーダーに好意を寄せた人々は、体(教会)、魂、そして、嘘を信じて、真理を聞くことから離れた魂達として、その勢力の下に入って心酔した精神に支配された自分達自身を発見するでしょう。彼らは、あらゆる行動によって、罠にかかって捕らえられ、そして、「自分達のバラバを解放せよ。しかし、キリストを十字架につけよ」と叫んでいます。……
真理と義から離れたこの教会の人々の中に、神の愛が魂の中の原則として留まっていない時に、人間の本質が存在し行動として現れているでしょう。私達は、現在、行われているような何ものにも驚かされる必要がありません。私達は、どのような栄誉ある人が台頭してきても驚く必要がありません。汚れた足で神の律法を踏みつける人々は、キリストを裏切り侮辱した人が持っているのと同じ精神を持っています。どんな良心の咎めもなしに、彼らは、自分達の悪の父の行動を取るでしょう。……
自分達の支配者としてサタンを選ぶ人々は、私達の最初の両親が罪に落ちた原因となり、また、自分達が選んだ主人の精神を現すでしょう。人間の性質がなしうることを示した人々、また、主の居場所に一人の殺人者を受け入れ、かつて人間の苦悩に触れた心を持った人々が、不屈の愛と憐れみと善意を持ち、唯一、真の神を現して神性を持つ神のひとり子を拒むことによって、神の霊の抑制が取り去られる時、大いなる背信の下に存在しているでしょう。光/真理が拒絶され、冷たくあしらわれる度合いには、誤解されることや間違った解釈をされることがあって当然でしょう(Just
to that degree that light is refused and rejected will there be misconception
and misunderstanding.)。キリストを拒絶しバラバを選んだ人々は、破滅を招くだましの下で働くでしょう。偽って伝えること、偽物の証を生み出して伝えることは、公的な謀反の下に進展するでしょう。…
1)向こう見ずに親密な交際によって団結する
キリストは、神の聖霊の力の支配がないと、人間性は悪の恐ろしい力が存在していることを示しています。不信心、譴責への嫌悪は、サタン的な影響を掻き立てるでしょう。この世/世界の闇と悪の支配者、君主と軍勢、高き所の霊的な悪意は、向こう見ずに親密な交際によって団結するでしょう。彼らは、神の聖徒達に属する特別な人々の中で、神に反して同盟するでしょう。偽の言い伝えと嘘によって、彼らは、特別な真理を信じて現れている全ての男性達と女性達の両方を道徳的に堕落させるでしょう。嘘の証人達はこの恐ろしい働きを期待されていないでしょう。……
この世界の終わりについて語った後、キリストはエルサレムに戻っています。その都市は、その時、プライド(自慢と自尊心)と尊大の座に着いていて、そして、「私は女王の座に着いています。そして、悲しみに会うことはありません」(黙示録18:7)と言っています。主の預言的な視線は、エルサレムに注がれて、彼女(エルサレム)は破滅させられるもの、この世界は終末が来るものとして、見られています。エルサレムの滅亡について知れ渡って、その場面は、大いなる恐ろしい主の日として、最も恐ろしい方法によって繰り返されました。…
人々が、全ての抑制を投げ捨て、そして、自分達の神の律法を役に立たないものとする時、また、彼らが自分達の誤った法律を制定する時、自分達の足で主の律法を踏みつけるために、神の戒めを守り、神を敬う人々の良心を強制しようとする時、彼らは、嘲った人々の優しさが消えているということが分かるでしょう。……
2)大災害の襲来
一つの世界は、エルサレムの滅亡によって表されています。キリストによって人々に与えられた警告は、私達の時代に繫がって響いてきています。「そして、太陽、月、星にしるしが現れ、大海の大波が襲って、地の上の諸々の国の民に困惑があるでしょう」(ルカ21:25)。そうです。人々は自分達の境界線を越えるでしょう。そして、その破壊は彼らの人生行路にも存在するでしょう。大波は、彼らの生活物資の荷と共に、大海原を進む大型船を飲み込むでしょう。彼らは、悔い改める機会なく、永遠に追いやられるでしょう。
天空を支える力が揺り動かされているために、地上に襲っている事柄を目で追って、「‘人々’の心は恐れのために弱り、陸にも、海にも、大災害が存在するでしょう。それから、彼らは人の子が大いなる栄光と権能を持って雲のように見える大勢の御使い達と共に来るのを見るでしょう」(ルカ21:26,27)。彼が昇天した時と同じ方法によって、私達の世界に、二度目に来る時、「これらの事柄は、通過するために起こるでしょう。その時に、見上げなさい。また、あなたの頭をもたげなさい。あなた方の贖いは近づいています」(ルカ21:28)。
『原稿』40,1897(70歳)
3)社会の崩壊
神との繋がりを失っている世界の人々は、自分達の内部でなしている非常識で望みのない努力をしています。これは、無分別な悪い行動に倣って、お互いに人を信頼しない原因となっています。この世界の数々の支配域はそれぞれに対して、分割されるでしょう。兄弟愛によって仲間として結ばれた同調という結束の綱は、段々と細くなるでしょう。人間の心の本質的な自己本位性は、サタンによって働かされるでしょう。彼は、神の意思の抑制の下にもたらされておらず、抑制されていない意思と、激しい感情を利用するでしょう。……
人の手は、みな、彼[主]につく人々に反対するでしょう。兄弟は、兄弟に対して手を挙げ、姉妹は、姉妹に対して手を挙げ、親達は子ども達に対して手を挙げ、そして、子ども達は親達に対して手を挙げるでしょう。全ての人々は、混乱の中に存在しているでしょう。親族は互いに裏切るでしょう。そこには、生命を奪う隠れた陰謀も存在するでしょう。破壊、悲惨、そして、死は、あらゆる人々の手に見られるでしょう。人々は、悪への素質を涵養され、親譲りのゆがんだ自制のない者の信奉者となるでしょう。……
4)裁き/評価による神の報いが幻の中で見られた
大いなる光に直面しても、罪を続けていた人々が滅びることを許している神は、裁き/評価による報いの宝庫を持っています。耐火性が強いような、そびえ立つビルディングの高価な建造物を私は見ました。神の復讐の炎によって滅ぼされたソドムのように、それらの誇り高い建造物は灰になるでしょう。私は、怒ったうねりに立ち向かって、大海のうねりと闘っている莫大なコストがかかった大型の船を見ました。しかし、金や銀の財宝の荷物と共に、人間は水の墓の中に沈んで行きました。人間の高い誇りは、騙す者によって蓄積した財宝と共に葬られるでしょう。神は、虐待abuseと抑圧から助けを主に叫んでいた裸で飢えた寡夫とみなしごたちの仇を討つでしょう。
人間の心を慰めることができるバルム[ハッカ、香料]は無く、世界の人々に悲嘆が存在するその時は、私達の上に間違いなく存在しています。この世界にやって来る最後の大いなる破滅の前では、人々を喜ばせる偉大な記念碑は塵に砕かれるでしょう。……
キリストの義の衣を身に着けた存在者だけが、この地上にやって来るその裁き/評価を免れることができるでしょう。 『手紙』20,1901(74歳)
5.多くの子ども達は連れ去られるでしょう
希望する前に、私達は苦境と試練の場所に連れて行かれるために存在しています。そして、この世/世界の中に生まれた多くの子ども達は、その悩みの時が来る前に、憐れみによって、連れ去られるでしょう。
『原稿』152,1899(72歳)(See Child Guidance,pp.565,566;
Counsels on Health,p.375)
6.最後の闘いは短いが恐ろしい
私達は、厳粛な出来事eventsと大いなる戸口に立っています。預言は成就しています。最後の大争闘は短期間でしょう。しかし、恐ろしいです。過去の様々な闘いが再来するでしょう。新たな闘いが次々と湧き起こるでしょう。私達は、なすための大いなる働きを持っています。私達の[教会の]奉仕の働きは、途絶えてはいけません。特別な最後の警告はこの世界の人々に与えられる必要があります。現在の時に、特別な真理を表明することによって特別な力が存在しています。最後は、どれくらいの期間なのですか。少しの間だけ……
全ての人々の質問は、こうある必要があります。「私は、誰のために存在していますか。私は、誰に忠誠を尽くしていますか。私の心は、新たにされていますか。私の魂は改心されていますか。私のいろいろな罪は許されていますか。特別に新たにされる時期がやって来た時に、それらは、拭い去られますか」。……
1)預言者達は自身と私達の日のために書きました
旧約聖書の最後の巻は、私達に、働き人達が野原で働いた労働者達の賃金をかすめ取ったことを示しています(The last books of the Old Testament show us workers taken from
laborers in the field.)[マラキ3:5]。ほかの人々は、有能で広く学問をした人々でした。また、主は、彼らに幻/先見の明visionsとメッセージを与えました。旧約聖書のそれらの人々は、自分達の日に起こる事柄を語りました。ダニエル、イザヤ、そして、エゼキエルは、それらの事柄を語っただけではなく、現在の真理として、それらと関わりました。しかしまた、彼らの視点は、それらの最後の日々に起こるだろうという将来のこと見据えていました。 『手紙』132,1898(71歳)
7.迫害された時にほかの場所に避難する
反対者のいる場所でも宣布されていますが、神の生きているメッセージは滅亡の危機にさらされています。彼らの主の模範に倣うこととほかの場所に出て行くことは、彼らの特権です。 『手紙』20,1901(74歳)
8.殉教、真理に多くの人々を連れて行く神の手段
金の像に跪くことを拒んだ尊敬に値する若者達は、燃える炉の中に投げ込まれました。しかし、キリストはそこに彼らと共に存在していました。そして、その火は彼らを焼き滅ぼしませんでした。……
さて、私達の内のある人は、神の戒めに従うか、人の戒めに従うか、そのような厳しいテストに連れて行かれるでしょう。これは、多くの人々が問われる質問でしょう。私達にとって、最善な事柄は神と密接に繫がっていくために存在しています。また、神が、真理のために殉教するだろう私達を持っているならば、それは、特別な真理にもっと多くの人々を連れて行く手段でしょう。
『原稿』83,1886(59歳)
9.キリストは迫害されている聖徒達のそばに立っている
嵐のような大騒動は、特別な真理の正当性を立証するために耐えている時に、その人の救い主によってとても愛されている魂を試しません。特別な真理のために、信徒が不義な法廷の被告席に立っている時、キリストがその人の横に立っています。人間信徒に下される全ての立証は、主の聖徒達に属する人々によってキリストに下されています。キリストは「私は彼を愛しているので、その人に私自身を現すでしょう」(ヨハネ14:21)と言っています。キリストは、自分を信じて弟子達となった人々によって、何度も非難されています。
特別な真理のために信徒が石牢に投獄される時、キリストは自身を現しています。そして、その愛によってその人の心をつかみ取って安らかにさせています。その人がキリストのために死の苦しみに会っている時、キリストは、その人に「彼らはその体を殺すことはできますが、その魂を殺すことはできません」「しっかりしなさい。私はこの世界の人々に勝利しました」「彼らは、私を十字架につけました。もしも、彼らがあなたを死に処するならば、彼らは、私の聖徒達に属する人々によって、再度、私を十字架につけているのです」。
迫害は、死の根拠以上のことをすることができません。しかし、特別な命は栄光と永遠の命へと守られるでしょう。迫害する勢力はそれ自身の立場を取っていて、神の律法を役に立たないものにすることによって、特別な信仰を否定するように、また、悪霊達の教理とそそのかす霊達に注意を向けるように、キリストの弟子達に命じているでしょう。しかし、弟子達は「どうして、私はこのことをする必要がありますか。私はイエスを愛しています。私は、決して、イエスの名を否定しません」と言うでしょう。その悪の勢力が「私は、この平和を乱す者としてあなたを呼んだのです」と言います。彼らは「このようにして、彼らは、平和であり真理であり、恵みの存在であるイエスを呼び出したのです」と答えるでしょう。 『手紙』116,1896(69歳)
10.商人達と王達は自分達の立場を取るでしょう
多くの商人達と王達の中のある人は、特別な真理に従う立場をとるでしょう。神の目は、彼らの高潔さを維持し、彼らが持っていた光によって行動したように注がれたでしょう。高い地位にいた一人の人、コルネリウスは、彼が受けた光に厳格に歩んで、自分の宗教体験を保ちました。神は、彼に目を注ぎ、彼に一つのメッセージと共に天使を遣わしました。天のメッセンジャーは、自分を義とする人々のそばを通り過ぎ、コルネリウスのもとに来て、彼にその名を呼びかけました。……
この記録は、これらの終末の日々に生きている人々の保証として作られて残されました。大いなる光を持っていた多くの人々は、それは行動するための特権だった時に、それを利用せず理解しませんでした。彼らはその真理を実行しませんでした。このことが理由で、主は、彼が持っていた光/真理を全て生きている人々の所に持って行くでしょう。真理を理解する機会を与えられていた人々と、その原則に従わなかった人々は、自暴自棄になって、サタンの誘惑によって動揺させられるでしょう。彼らは、行動によって、真理の原則を否定し、神の[人類救済]目的に非難をもたらすでしょう。
キリストは、これらの人々を口から吐き出すでしょう、また、自分達で識別した行動の方針に自分自身で従うよう彼らにさせるでしょう、と宣言しています。この行動方針は、確かに、不信仰な家司としての人々として、卓越したものを作っています。
11.光/真理を持って歩む人々についての神の測定評価
主は、持っていた光/真理に調和して歩んでいた人々に主のメッセージを与えて、神の測定評価に調和して、真実で忠実だとして彼らを認めているでしょう。それらの人々は、光と知識を持っていて、主の道でない光を歩んだ人々の立場をとるでしょう。しかし、彼らの清められていない心の想像によって歩むでしょう。
私達は、現在、特別な真理が語られる必要のある最後の日々に生きています。結果に関わらず、正当性が立証され、警告されることによって、世界の人々は与えられる必要があります。真理から離れて、罪を犯すようになる人もいるでしょう。私達は、キリストの時代に同じことをした人々がいたように、知性によって伝える必要があります。
12.ある層の人々は減らされないでしょう
真理を受け入れる人々がいるでしょう。それらの人々は、その真理から去り、罪を犯すようになる人々によってつくられる空席の場所を占めるでしょう。……主は、不満を抱いた人々が、忠実な人々や真理から分けられるように働くでしょう。……ある層の人々は減らされないでしょう。真理と確信をもった人々は、背信と罪を犯すようになる人々によって作られている空席をびっしりと埋めるでしょう。……
多くの人々は、地上の優れたもの以上に、神の知恵を讃えるでしょう。また、最高の標準として、神の言葉を当然の義務と思うでしょう。それらの人々は、大きな光/真理に導かれるでしょう。それらの人々は真理の知識に至るでしょう。そして、真理を切望しているような知人たちに直面して、真理の光を得ようと求めるでしょう。 『原稿』97,1898(71歳)
12.全ての人間は、キリストの軍勢かサタンの軍勢か、どちらかでしょう
私達は、地上歴史の終わりに近づいています。二つの派だけが存在しています。全ての、男性、女性、子ども達は、それらの軍勢の中にいるでしょう。イエスは、一つの軍勢の司令官でしょう。それに反対の軍勢では、サタンがそのリーダーです。天と地を統治する基礎である神の律法を破ることをほかの人々に教えて破っている全ての人々は、神の統治に反対するように人々を指揮して、最高位のチーフのもとで一つに組織されています。そして、「その天使達は最初の地位を保ちませんでした。そうではなく、彼は自身の居場所を去りました」(ユダ6)は、神の律法に対する反逆者として、また、神の戒めに従って愛する全ての人々の敵達として、存在しています。彼らのリーダーであるサタンと共に、それらに該当する者達は、彼の叫ぶ主張と彼の軍勢の力に、あらゆる可能な手段を通して、彼らの層の人々にほかの人々を集めるでしょう。
彼の騙しと欺きを通して、サタンは、可能ならば、選ばれた者達をも騙すでしょう。彼の騙しは少数ではありません。彼は、わずらわしいこと、困ること、とがめることをしようとしています。そして、彼の働きで彼を助けず、彼に栄誉を与えるよう従わせることができない全ての人に説明を偽っています。彼の絶大な成功は、困惑した人々の知性と、彼のたくらんだ無知を保つことによって並んでいます。それから、彼は、そこら辺にいる、目くらまされて、だまされやすい人々を引き入れています。……
1)安息日は最後の闘いの論争点です
神の安息日は難しいテストであり質問です。それは、忠実や真理、不忠実や律法の違反者の間の境界ラインです。この安息日を、神は命じました。そして、戒めを守る人々であると言っている人々、現在、第三天使のメッセージを宣布しているもとにいると言っている人々は、そのメッセージを支えている4番目の重要な部分を見るでしょう。それは、生きている神のしるしsealです。彼らは、自分達の便利なビジネスに合うようにせず、安息日の風土を軽んじませんでした。 『原稿』37,1897(70歳)
ヨハネは、黙示録の中に、神の律法を役に立たないものにしながら地上に生きている人々の団結について書いています。「これらの[王達]は一つの知性を持っていて、そして、自分達の権威と力をその獣に与えるでしょう。彼らは、神の子羊に戦いを挑むでしょう。彼は主達の主、王達の王なので、その子羊は彼らに勝つでしょう。呼び出され選ばれ、忠実な者で彼と共にいた人々も[彼らに勝つでしょう](黙示録17:13,14)。「また、私は、偽預言者の口から、その獣の口から、その龍の口から、カエルのような三つの汚れた霊が出てくるのを見ました」(黙示録16:13)。
神が与えた才能の全ての力によって悪の天使達と悪の者を手伝って、神が祝福していない偽の安息日を礼拝して高めている全ての人々は、間違った利用をして、悪用してしまいました。認識が盲目になったほかの霊/精神によって感動して、彼らは、日曜日を崇めることは完全にカトリック教会が創立したものであることを見ることができなくなっています。……
2)安息日は世界の人々を分ける論点です
天の主は、世界の人々が支配者にしたい人を選ぶことを許しています。[黙示録]13章全部を注意深く読んでください。それは、大いなる者も小さき者も、すべての人間の代理者agentに関わっています。全ての人間は、第7日安息日によって天地創造の記念を世界の人々に与えて、生きている神と真理の側か、サタンの性質を自分達に負って、神の戒めを守る真実で忠実な者を抑圧することによって、または、神と呼ばれた、または、礼拝された全ての上に自分達を高めた人々によって創立された偽の安息日の側か、どちらかの側を取らねばなりません。この迫害の力は、彼が創立した安息日に従うことを強く要求することによって、獣の像を礼拝することを強いるでしょう。このように、彼は神を冒瀆しています。座って「神の宮殿の中で、彼は神であると自分で示しています」(2テサロニケ2:4)。……
3)偽りなしの144,000人
144,000人として表現され特徴を記された人は、彼らの口[から出る言葉]には偽りのなかった人です。主は「その人は祝福されています。……霊/精神の中に偽りがありません」[黙示録14:5]と言いました。彼らは神の子どもであることを表明していて、主、子羊の行く所へはどこでもついていくものとして表されています。彼らは、聖徒達の義である白い衣を着ていて、聖なる奉仕のために嘲られ、私達がシオンの山に立っている時に、私達の前に、前もって示されている形/姿です。天において、その子羊について行く全ての人々は、特別な羊飼いについて行く羊の群れのように、まず、地上で、信頼深く、愛して、進んで従順に、主について行ったでしょう。不満なしに気まぐれでもなく、確信をもって誠実に主について行ったでしょう。
4)サタンは特別な支配をしようと最後の尽力をしている
この世界の人々は、主ヤハウェ(hwhy)の律法を役に立たないものにすることによって、教会でクリスチャンと告白した人々と提携しています。神の律法は横に捨てられています。それは、足の下で踏みにじられています。また、全ての忠実な神の人々(民)から、その祈りは天に昇るでしょう。「彼らは汝の律法を役に立たないものにしました。今は、そなたのために、主が働く、その時です」(詩編119:126)。サタンは、神の律法の原則に反対した彼の最後の闘い、特別な支配のために最大で最後の努力をしています。反抗的で不誠実な人が満ちています。
最後の大争闘に世界の人々が集まるように、奇跡を働く勢力に関する黙示録16章のヨハネの記述の後で、特別な象徴が中止し、トランペットのような声が前のようにはっきりと響きました。「見なさい。私は盗人のように来ます。祝福された人々は、その人の恥を見ないように裸で歩かず自分の衣[品性]を守って見張りをする人々です」(黙示録16:15)。 『原稿』7a,1896(69歳)
13.キリストは最後の闘いで、特別な層の人々に参加する
人間の努力と天の全てを結ぶために存在している神の聖霊に属する代理の者agencyは、これらの最後の日々に立つために人々を準備する働きに繋げられています。その終わりは、近くにあって、私達は、視界の中に未来の世界を保っておきたいと思っています。……
この最後の闘いにおいて、主のホスト、キャプテン[ヨシュア5:15]は、天の軍勢を率いていて、ある層の人々に参加し、そして、私達のため私達の闘いに[加わって]戦っています。私達には、背信者達が出るでしょう。私達は、彼らがそうするだろうと思っています。「彼らは、私達に属する者ではないので、私達の所から出て行くでしょう」(1ヨハネ2:19参照)。「私の天の父が植えなかった全ての木は、根こそぎ抜き取られるでしょう」(マタイ15:13)。
天から来た力ある天使、その天使は、神の栄光によって地上を明るくし教化するために存在しています(黙示録18:1)。一方で、彼は一つの大きな声で力強く「大いなるバビロンは崩壊させられている。崩壊させられている」(同2)と叫んでいます。……私達は、その争闘において、神の力によって支えられなかったならば、信仰を失い勇気を挫かれるでしょう。
悪のあらゆる形態は、激しい活動の中に湧き出るように存在しています。悪天使達は、悪い人達とその勢力と団結しています。彼らは普段の争闘にあった時も、だましと戦いの最善の形態の体験を通り越し、数世紀にわたって教化してきました。彼らは、絶望的な闘いなしに、最後の大論争の終結において、議論を止めないでしょう。また、世界中の全ての人々は、一つの側か、疑問を持つほかの側に存在しているでしょう。
ハルマゲドンの戦いは戦われるでしょう。そして、その日は、私達が眠っているのではなく、発見する必要があります。私達は、私達のランプと私達のツボに油を持っていて、賢い乙女達のように、大きく目が開かれている必要があります。神の聖霊の力は私達の上に存在している必要があります。また、主のホスト、キャプテンはその戦いを指揮するために天の御使いの長として立つでしょう。
私達の面前にある厳粛な出来事eventsは、なお、知れ渡るために存在しています。地上の住民達に一つからほかの鉢に続いて注ぎだし、トランペットに続いてトランペットが鳴らされるために存在しています。強い関心の場面が、私達の上に間違いなく存在しています。また、それらの事柄は、全ての積極的な運動を指揮していた主の臨在の確かな示唆でしょう。主は、全ての年代を通して、主の[人類救済]目的の進展に付き添っていました。また、主は、世界の終わりへ向かって全ての争闘をしてきた主の人々と共にいるために、恵み深く誓っていました。主は、主の真理の正当性を立証するでしょう。主は、勝利の理由をもたらすでしょう。主は、その時が近づいている時に活動を増すことによって、勇敢さと勇気と希望によって彼らを鼓舞し、目的の力と原動力と共に、その忠実な人々に埋め合わせを用意しています。
1)一つの残酷な最後の闘い
だますことと惑わすこと、詐欺行為は、増加するでしょう。その叫びは、四方からやって来るでしょう。「ほら、ここにキリストがいます。ほら、そこにキリストがいます」「しかし。汝らは、……彼らについて行ってはいけません」(ルカ21:8)とキリストは言いました。特別な罪の人の前に存在する残酷な闘いは、彼の存在と彼が働いたことを、この世界の人々に明らかにするでしょう。
一方で、特別な罪の人に非常に好意を持って寛容になった(2テサロニケ2:3)プロテスタント世界の人々は、彼らの生き様は神の中にキリストと共に隠されていて、必ずやって来る論争点に立ち向かうためのイエスキリストの大胆で勇敢な兵卒としての神の人々(民)の立場を取[らない(題目編纂者による追加)]のではありませんか。超自然的なバビロンは、聖徒達の[殉教の]血を求めていませんでした。私達は、特別な天使の栄光によって教化される/明るくために存在しているその天使の光から輝いていた特別な光の筋を捉えるために目を大きく開いて[いない(題目編纂者による追加)]のではありませんか。
『手紙』112,1890(63歳)
14.私達の生き方と神が私達に試そうとしている最後の準備
私達に聖霊のバプテスマを与える前に、神を不名誉にすることなしに、私達が生きることができるということを確かめるために、私達の天の父は私達を試そうとしているでしょう。 『手紙』416,1907(80歳)
1)不完全/未熟な者はみな捨てられるでしょう
私達のこの世での様々な働きが終わる時、キリストはその忠実な子らのためにやって来るでしょう。私達はそれから、私達の天の父の王国で特別な太陽としてその後も輝くでしょう。しかし、その時が来る前に、私達の中の不完全さ/未熟さの全ては、見つけられて取り除かれるでしょう。全ての羨望や嫉妬心、あらゆる利己的な計画は、その生活からは消え去るでしょう。
『手紙』416,1907(80歳)
2)品性の完成/成熟が到達される時
私達は、男性達と女性達の資質/能力の測定/評価がキリストにまで到達するように、神から与えられた私達の全ての能力を励まし合って鍛えていますか。私達は、主の品性/個性の完全さ/成熟さに到達するよう試みて、さらに高く、高く到達すること、主の満たしを求めていますか。神の奉仕者達がこの点に到達する時、彼らは、その額にしるされるでしょう。その記録をする天使は、「それは行なわれています」と叫ぶでしょう。彼ら[神の奉仕者達]は、創造によって存在し贖いによって存在している人々で、主を完全に存在させるでしょう。
『原稿』148,1899(72歳)
3)私達は高貴な性質を贈られるでしょう
キリストが訪れている時、彼は、人々が真理を義務とすることによって、その魂を清めた人々を得ています。……この死ぬ運命にある人間は、不死の人間とされるでしょう。病気の対象で、これらの滅びゆく身体は、死の運命から不死へと変えられるでしょう。私達は、その時、一つの高貴な性質を贈られるでしょう。真理を義務とすることによって、その魂が清められる全ての人の身体は栄化されるでしょう。その人々は、イエスキリストをまったく受け入れて信じていたことでしょう。 『原稿』36,1906(79歳)
15.やって来る出来事eventsの生き生きとした見解
[1884.1.18]金曜日の夜、「見なさい、見なさい」と叫ぶ自分の声が聞こえました。私は、夢を見ていたのか幻の中だったのかを話すことができません。私は一人で眠っていました。
大いなる悩みの時が私達の上にあります。神の確かな約束を請い願っている人々、涙を流しながら祈っている人々、大いなる嘆きの中にいる私達の[教会の]人々を私は見ました。一方で、不道徳で悪い人々が、私達の周りで滅ぼすために脅かして嘲っていました。彼らは、私達の弱さを嘲笑しました。彼らは、私達のメンバーの少ないことを馬鹿にしました。また、私達を深く傷つけるために言葉を選んで愚弄しました。また、彼らは‟この世界の人々の残りの全ての人々”から独立した立場を取って、私達を攻撃しました。彼らは、私達に援助してくれる人を断ち切ったので、私達は売り買いできなくなりました。彼らは、私達のみすぼらしく欠乏していることと打ちひしがれた状態をはっきりと指摘しました。彼らは、この世界の人々[の援助]なしに生きようとしている私達をいかようにも見ようとしないでしょう。私達はこの世界の人々から独立した存在でした。そして、私達は、その習慣や行動、世界中の法律を容認するか、出て行くかを選択する必要があります。私たちだけが、この世界で主が気に入った人々だったので、その[大いなる悩みの]出現は、私達に対してひどいものでした。
彼ら[不道徳で悪い人々]は、真理を持っていたと断言しました。その数々の奇跡は彼らのうちにありました。その天使達が彼らと語り、彼らと歩みました。大いなる力としるしと不思議が彼らの間で演じられました。また、これは、人々が長く期待していたこの1000年間に存在していました。この世界全体の人々は、回心していて、そして、その日曜法と調和していました。また、この弱小集団の人々は、神の国の律法とその国の法律に関して、挑戦的な態度で立ち上がり、この地上の人々に唯一の権利が存在していると主張しました。……
1)見上げなさい、見上げなさい
しかし、一方、苦悩は、偽の安息日と崇めず受け入れず、その獣とその像を礼拝しない真実で忠実な人々の上にありました。ある方は「見上げなさい、見上げなさい」と言いました。全ての人の目は、上に向けられ、その天空が一緒に巻き上げられる時、一つの巻物の一部のように、また、ステパノが天を見上げたように見えました。[そのように]私達は見ました。その嘲る人々は、もしも、私達が自分達の信仰を堅く持って、頑なさを続けたならば、彼らが私達に行なおうとすることについて得意がって、私達をなじり、ののしりました。しかし、現在、私達は、それらについて聞いていませんでした。私達は、何もかも拒絶された一つの場面として見詰められていました。
そこには、神の玉座を啓示された人々が立っていました。その周りに1000の1000倍、10000の10000倍の人々がいました。その玉座のそば近くに殉教者達がいました。この群衆の中に、世界の人々が知らず、世界の人々が憎んで嫌っていた、つい最近、惨めで哀れだった人々を私は見ました。
一つの声が言いました。「その玉座に座っている人々は、イエスが、サタンの勢力から彼を贖い出すために、また、イエスの玉座に着かせて高めるために、犠牲として彼の命を与えた、とても愛した人々です。彼[イエス]は、全ての権威者の上に存在している者です。彼[イエス]は、天と地で最も偉大な影響力を持っている者です。彼[イエス]を受け入れて気に入っている全ての人のために、また、彼に恩義がある全ての魂のために、彼[イエス]は、人生の、純粋さ、悪意のなさ、清さ、性質において、柔和で謙虚でした。
「彼[イエス]は、彼の父の全ての戒めに従順でした。道徳的に悪い人々は、地上に満ちました。それは、住民達の下でそのために汚されました。地の勢力の高い地位にいる人々は、偶像崇拝に基づいて道徳的に堕落しました。しかし、その時は、義が勝利と勝ち誇りのシュロの葉を受ける時が来るのを待っています。弱くて価値のない者として世界の人々によって報告されたそれらの人々と、人々の残忍さに対して防御がない人々は、勝利者達と勝利者達以上の者達として、冠を与えられるでしょう」。
彼らは、悪についての勧めと、その教理、感情を表し、世俗の反逆的な人のサタン的な感情によって苦しむための、か弱い仲間、散らされた者としてではなく、永遠の日の太陽の日のない輝きを楽しんでいて、玉座の前に存在していました。
2)何の恐れも持たない現在の聖徒達
権力と恐怖が、サタンの支配下にあるこの世界の人々の不正の主人になって来ています。しかし、権力は、バビロンを裁く、神、主に存在しています。その正義は、彼らが忠実で真実でいる限り、だましや影響力からの恐れの何ものもありません。武装した権力の人以上の権勢を持つ人が、彼らの防御のために用意しています。品性の高潔さと高貴さと全ての能力は、神の律法を堅く擁護して立ち続けて、真理を擁護するために立ち上がって、信じていたこれらの人々に与えられるでしょう。
ほかの天の存在者は、耳に心地よい声ではっきりと言いました。「その人々は、酷い艱難を通ってきました。彼らは、炉の中の炎のようなこの世界の中を歩んできて、天の神に不忠実な者にするために彼らを強要する人々、また、獣とその像の礼拝するようにと強要する人々の気まぐれと激情によって激しく嫌われました。
彼らは、地下牢から、牢獄から、人目の知れない集りから、拷問の部屋から、あばら家から、屋根裏部屋から、岩壁から、地の洞窟や峡谷から、山々からやって来ました。彼らは、深い失望、深い自己否定、悲嘆と苦悩を通り越しました。彼らは、もはや、悪い人々の嘲りとからかいを受ける者ではありませんでした。彼らは、もはや、彼らを見下す人々の目に哀れだという意味ではなく存在しています。
「不道徳な人々は汚れた衣を着ることを喜んでいましたが、彼らからそれらを脱がせましょう。均衡のとれた、純潔の義の衣に変えた衣を彼らに与えましょう。彼らの頭には、美しい冠を飾りましょう」。
3)そこに彼らは大争闘の勝利者として立つ
彼らは、世の存在者達がかつて着ていた以上に素晴らしい礼服を着せられていました。彼らは、人間がかつて見たことがないような栄光の冠を載せられていました。非難、欠乏、空腹などの苦難の日々は、もはや存在していません。涙を流す日々は過ぎ去りました。彼らは、大きな声ではっきりと、耳に心地よい歌を歌い始めました。彼らは、詩編の勝利の節を奏でて、「救いは玉座に着いている私達の神と子羊に」(黙示録7:10)と叫びました。神よ、聖霊によって私達を強くしてください。神の力によって私達を強くしてください。最後の大いなるその日と最終の勝利に、正義の人々は強いことが目撃されるでしょう。悪を形成していた全ての悪と、全ての悪のプライド(自慢と自尊心)は、弱い者、哀れな敗残者、敗北者となりました。私達はイエスにしっかりと信頼しているでしょう。私達は彼に信頼しているでしょう。私達は彼の恵みと彼の大いなる救いを求めるでしょう。私達はイエスに逃れる必要があります。彼は、悩みの時の助けを表す嵐からの覆いです。 『手紙』6,1884(57歳)
4)天使達の縦隊は神の都に向かう聖徒達に寄り添う
生命の賦与者は、墓穴の拘束を破壊するためにやって来ます。彼は、とりこを連れ戻すため、また「私はよみがえりであり、命です」と宣言するために存在しています。そこには、復活したホスト、主が立っています。最後の考察は、死に関するものとそれ自身の苦痛に関するものです。彼らが持っていた最後の考察は、墓穴と墓標に関するものでした。しかし、今、彼らは「死よ。汝の棘はどこにありますか。墓穴よ。汝の勝利はどこにありますか」(1コリント15:55)。死の苦痛は、彼らが考えた最後の事柄でした。……
彼らが目覚める時、その苦痛は全て過ぎ去っています。「墓穴よ。汝の勝利はどこにありますか」。彼らは地に立っています。空中で彼らの主に会うために彼らが昇って行って、そして、不死の最後の一触れが彼らの上に置かれます。神の都市の門は、それらのちょうつがいが揺れて開け放たれています。その国の民は、入るために特別な真理を守り続けました。
両側には、天使達が縦に並んで迎えています。神に身請けされ贖われた人々は、ケルビムとセラピムの間を通って歩きます。キリストは、彼らに歓迎の言葉を述べ、彼らに主の祝祷を置いてます。「善いことをしました。汝らは良い忠実な奉仕者です。……汝らは、汝らの主の喜びにお入りなさい」(マタイ25:21)。何という喜びでしょう。彼は、その人の魂の労苦を見ていて、満足しています。それは、私達が、[主の]ためになした働きです。
ここに、ある夜の間に、味方の神に祈り求めた一人の人がいます。死の床にいて、私達が語った人がいます。そして、その人は、頼りない魂をイエスに委ねました。ここに、あわれな大酒飲みだった人がいます。私達は、彼の視線が救う力のあるイエスに注がれるよう試みました。そして、私達は、キリストが勝利を与えることをその人と語り合いました。彼らの頭には永遠の栄光の冠があります。そして、また、贖われた人がイエスの足元に輝く冠を投げ出しました。そして、また、天使の聖歌隊は、音符を奏でています。二列に並んだ天使達はその歌を奏でています。その贖ったホスト、主は、あたかも地上で歌っていたかのように、彼らが存在していたかのように結んでいます。
5)天の音楽
まあ、何と素敵な音楽でしょう。そこには不調和音の音符がありません。全ての人々の声は、「殺された子羊は尊敬に値します」と言っています(黙示録5:12)。主は、その人の魂の苦悩を見て、満足しました。あなたは、試練と恐ろしい困難について話す時間があるかどうかを考えますか。「後のことは、思い出されないでしょう。それだけではなく、知性にも思い出されないでしょう(イザヤ65:17)。「神は人々の目から涙をまったく拭い去るでしょう(黙示録21:4)。
『原稿』18,1894(67歳)
補遺A
『善と悪の大争闘』――1911年版
1911.10.30 SDA全体総会会議の前にW.C.ホワイトによって作成された声明
その会議での講話、W.C.ホワイト長老はこう言いました。
「私が『善と悪の間の大争闘』の英文の最終版についての生命をみなさんに伝えることは喜ばしいことです」。
「おおよそ2年前、私達は、パシフィックプレス、レビュー&ヘラルド、インターナショナルトラクト協会(ロンドン)で使用している、この本の電気製版について話し合い、この本は、活字を組み直して新しい製版を作る必要があるということになりました。その作業はパシフィックプレス出版所でなされました。製版の4セットが、ワシントン、マウンティンビュー、ナッシュビル、ウォットフォード(イギリス)にある私達の出版所で作られました」。
「1911年2月24日[29]、私達の出版所の管理者達に送った手紙に、私は、こう書きました」。
「牧師達、文書伝道者、その他、この本の支持者達との会議をした後、旧版をできるだけすぐに新版で読めるように、そのテキストを新しくするのがベストだと考えました。厳密に同じ字体を使用できないけれども、その内容は全てのページに及んでいます。新版の全ての章は、旧版の章と同ページに読めて、始まり終わっています」。
「新版の最も顕著な変更は挿絵の改善です。前書き、序文、目次、挿絵のリストのあるそれぞれの42章は、冒頭に美しい絵画を置いてあります。また、10ページ分の挿絵が、小さな場所を取って導入されました」。
「旧版の13頁を占めていた13の補遺記事は12ページに収められ、31の絵が導入されました。それらは、その本に収められた記述の歴史的な証拠を見つけようとする読者の研究を助けることを意図しました」。
「伝記的な記述は除外されました。一般的な索引は、この希望した一節が見つかるように大見出しの案内が、12ページから22ページに拡張されました」。
「この本の本体、もっとも注目される改善の部分は、歴史的な記述の特別な導入です。旧版において、700以上の聖書の記述が加えられました。しかし、少しだけ、著者達からのいくつかの引用や言及の実例として、歴史的な記述があります。新版の中に、読者は88人の著者と権威者の400以上の記事を見つけるでしょう」。
「私達の[教会の]文書伝道者達の誰かの求めを母に伝えた時、彼女は歴史的な記述を探し出して、引用文として入れるように指導した[ので]、御言葉の記述だけではなく、歴史研究者からの引用文の記述が新版の中に書かれているでしょう。また、彼女は、私達に、信頼できて最も正しいものであることを見つけられる翻訳を使うこと、また、数節からなった引用文献が、異なる翻訳者によって違いを示された箇所で、何かの間違いを見つけて修正すること、その引用文の正しいことを[文献を提示して]立証することを指導しました」。
「歴史研究者達が長い時間をかけて研究した成果から引用した様々な文章の節を[大争闘の中から]見つけ出して、そして、その引用した数々の節の立証が、このテキストの言葉の中に変えられて導入されました。これは、特に、J.メルレ・デ・オウビグネの『プロテスタント宗教改革の歴史』から引用したことを記述しておきます。それは、アメリカとイギリスで6冊以上の翻訳書があることがわかりました。それは、様々な言語に翻訳されていました。考え方はほとんど同一ですが、旧版の『善と悪の間の大争闘』の中に、言葉の綺麗さと明確さのために、それらの3カ所が利用されていました。しかし、私達はそれらの多くの翻訳書の内の一冊だけがその著者によるものだという承認を得ていたことを知りました。それは、その後の版で「アメリカトラクト協会」で利用された一冊です。さらに、『善と悪の間の大争闘』の版のなかのデ・オウビグネからの引用は、この承認された訳に適合させました」。
「いくつかの実例によって、歴史研究者や提唱者、現在の著者達からの新たな引用文献が、それらは、より説得力があったので、さらに、旧版で見つけることができなかったので、その旧版に引用されていた箇所に利用されました。そのように入れ替えたそれぞれのケースにおいて、母は、提案した置き換えを慎重に検討し、その書き換えを承認しました」。
「読者は、その特徴に関する書き換えが、pp.273,277,306-308,334,335,387,
547,580,と581で見ることができるでしょう」。
「私達が今のところ追跡調査不可能なある著者の本の中に多くの引用やいくつかの間違いがまだあります。幸運にも、それらは、そこには何かの真剣な議論の存在の見込みがないと思われる内容と関連しています」。
「語の綴り、句読法、大文字使用における変更は、このシリーズのほかの巻のスタイルの均一性をこの本にもたらすようになされました」。
「その本が最初に出版されて以来、年月日に関する小さな誤りのゆえに、8から10カ所で、年月日の記述が書き換えられました」。
「数カ所で、表現の形式が不必要な間違いを与えるのを避けるために書き換えられました。この一つの例は、「Romish」(ローマカトリック教会)をRoman(ローマ教会)や「Roman Catholic」(ローマカトリック教会)への単語の書き換えに見られるでしょう。二カ所において、「divinity of Christ」(キリストの神性) という句が、「deity of Christ」(キリストの神性) に書き換えられました。また、「religious toleration」(宗教に対する寛容) という言葉が「religious liberty」(宗教の自由) に書き換えられました」。
「pp.285-287に書いてあった記事は、その全体の動きに関して、宗教と聖書に対する冒瀆の減少によって、全体を削除したことを示す言葉に変えられました。その後で、聖書だけではなく神と神への礼拝も元に戻りました。
新版における、538年のローマ教皇the papacyの出現と、1798年のその失墜は、旧版で述べられている、その制度の「設立」と「廃止」に変わって、その「絶対的権力」と「権力の喪失」として述べられています」。
「それらの言葉について、より的確な表現形式にしたものは、その本の著者によって、適切に考察されて承認されています」。
「[新版の]pp.50,563,564,580,581と、この新版の中の言い回し[について]、可能な限り入手した歴史資料から証明することが困難で、ローマカトリック教会によって強く反論されていて、ローマ教皇に関する記述があるその他のいくつかの箇所は、その記述が容易に入手可能な根拠の配列にたやすく落ち着いたので、書き換えられました」。
「無益な論争と激しい敵意を掻き立てる、それらの内容と同様の引用された数カ所について、母は、しばしば、こう言っていました」。
「ローマ教皇に関する権力の掌握と尊大さについて、私が書いたことは真実です。それらの内容として考えられる多くの歴史的な根拠が、故意に破棄されてきました。それにも拘らず、この本は、カトリック教会とその他の教会に最も多大な益となるでしょう。不必要な論争が避けられるでしょう。ローマ教皇の権力の掌握に関する全ての記述を持っていることは良いことです。また、ローマ教皇に関する記事は、入手した歴史的な資料から明確に立証され、容易に理解できるように、完全に節度を守って記述しました。それらは、私達の[教会の]牧師達や学生達に届けられる文書の中に存在しているでしょう」。
「あなたが、母の望みに反して、あるいは、彼女についての知識なしになされ、この最終の版においてなされた作業の何かについて報告を聞くならば、あなたは、そのような報告は偽物であり評価に値しないと確信できるでしょう」。
旧版と新版からの数章は、2月24日のその話し手の手紙から読んだその記述を説明するために読まれて比較されました。ホワイト兄弟はこう言いました。
「この新版が印刷されて以来、母は、その本を全部読み返してとても喜びました。毎日、私が朝に彼女を訪問した時に、彼女はそれを読み返して喜んだと言って、それについて語りました。彼女は、[改訂]作業を指揮して、生きているうちに完成されて、私達ができる限り完全にこの版を作り上げたので、この作品をとても喜んでいました」。
「母は、歴史における権威だとは決して言いませんでした。彼女が書き出した事柄は、映し出された絵を記述したものです。また、人々の活動について彼女に与えられたもの、さらに、人々の救いのための神の働きの活動の影響と、この働きに関連する過去・現在・未来についての見解の陳述です。これらの書き出された見解との関連において、彼女は、良い[作品]を利用して、その事柄を読者にわかりやすくして助けとなるように、彼女が表そうと努めている歴史的な記述を明確にしています。私が、まだ、子どもだった頃、私は、彼女が私の父にデ・オウビグネの『プロテスタント宗教改革の歴史』を読んでいたのを聞きました。彼女は、彼に、全部でないとしても、第5巻のかなり多くの部分を読みました。彼女は、[プロテスタント]宗教改革の歴史について、ほかの歴史書も読んでいました。これは、特別な出来事the
eventsを記述し、所在を示すのを助けました。これは、いくぶん、その方法と似ています。聖書の研究は、私達の時代の「真理と誤謬の間の大争闘」の発展に関する、彼女に与えられた多くの比喩的な映像を記述した所在を示すために、彼女を助けています」。
「母は、決して、逐語霊感(言葉に霊感が与えられた)を主張して提示したことはありませんでした。また、私は、私の父[ジェームズ]、ベーツ、アンドルーズ、スミス、そして、ワゴナーの各長老達が、このような主張を表明したものを見ることができません。もしも、彼女が書いた原稿の中に逐語霊感が存在していたならば、追加箇所や現代語訳が彼女の作品に存在している理由は何でしょうか。しばしば、母は、自分の原稿の一つを取り上げて、さらなる思想の発展を加えて、それを、用心深く綿密に調べました。
「この本の最初の版は1884年にカリフォルニアで出版されました。『預言の霊』(Spirit of Prophecy)第3巻が印刷された時、そこには、残ったいくつかの内容がありました。この一部は、パンフレットとして印刷されて配布されました。母は、その内容に加えることをすぐに進めることができるだろうと期待され、その第4巻が世に出されます。父の死の前に、父は、その本、『預言の霊』第4巻を宣伝しました」。
「母が、その第4巻を世に出した時、彼女とそれを出版するべきだと言う人々は、父の計画を実現させようという思いを持ちました。また、私達は、それが、合衆国のアドベンチストの人々のために書かれたという思いでいました。そのために、その内容は多くの困難があって、そのシリーズのほかの巻と同じようなサイズでこの巻を世に出すために簡略化されました」。
「後になって、その本は全ての人々に売ることができるということが分かった時、その出版者達は、その印刷版を使って、大きな紙の版として印刷しました。挿絵が入れられました。1ドル50セントで予約販売するという試みがなされました」。
「1885年に、母と私はヨーロッパに派遣されました。ドイツ語、フランス語、オランダ語、スウェーデン語に翻訳できないかという質問が出ました。母がこの提案を熟考した時に、その内容を加えることを決めました。母とヨーロッパの人々との触れ合いは、彼女の知性に、数年前の間に、それらの内のあるものは二度、三度と、また、ほかのシーンは何度も幻で彼女に表されていた事柄の話題をもたらしました。ヨーロッパの人々との接触と歴史的な現地を見ることは、それらの言及を記述することによって、彼女の記憶を新鮮によみがえらせました。そして、彼女は、その本に多くの材料を加えることを希望しました。それは、実行されました。そして、その原稿は翻訳のために用意されました」。
「私達が[1886年]アメリカに戻った後で、新しい版がたくさんの内容を加えて世に出されました。この版によって、最初の英語版として利用されたその内容のあるものは取り去られました。それらの書き換えのための理由は、新版が世界中の人々のために広く配布されることを意図していたという事実によって明らかになりました」。
「母の公的な奉仕の働きによって、彼女は、真理の宝庫から選ぶための能力を示していました。その内容は、彼女の前のその会衆の必要によく適応しています。そして、彼女はいつも、彼女の著書の中に出版されるための内容を選ぶときに、何がその本を読む人々のニーズに最も合っているかという選択によって示されるのが最善の判断だろうと考えていました」。
「そのために、『善と悪の間の大争闘』の新版が1888年に出された時、内容のおおよそ20ページ(一カ所で4、5ページ)が削除されました。それは、まさに、アメリカのアドベンチスト達を指導するものでした。しかし、それは、世界中のほかの地域の読者達にとって相応しくありませんでした」。
「ヨーロッパの人々とアメリカの人々のための『善と悪の間の大争闘』の新版で利用した歴史的な記述のための調査研究の多くは、[スイスの]バーゼルで行なわれました。そこで、私達はアンドルーズ長老の大きな私設図書室を利用しました。(訳者加筆:彼は1874年に宣教師としてヨーロッパに派遣された。1883年、結核で死んだ)。そこで、翻訳者達が様々な大学の図書館に出向いて利用しました」。
「歴史的な記述[に根拠]を与える目的で、この内容に取り掛かった時、私達は、見つけることのできない引用文をいくつか持っていました。いくつかのケースにおいて、ほかの歴史研究者から、似た点をなすほかの記述が見つかりました。それらは、利用しうる多くの公立図書館の本の中にありました。私達が見つけることができなかった母の注目する引用文に向き合った時、私達が見つけたほかの引用文があったということを彼女に示した時、それが同じ点を示していた時に、彼女は‟それを使ってください。あなたは根拠を与えることができます。なので、その著書の読者が可能なように、その人が、それを見つけるため、その原書を調べようと望むならば、それができるでしょう”と言いました。そのように、いくつかの歴史的な資料は置き換えられました」。
「さて、ワシントンとマウンティンビューにいる私達の[教会の]兄弟達は、私達が彼らにするようにと求めたことをしただけでした。その始まりを言及した時、私達は、ワシントンにいる人だけではなく、カリフォルニアにいるその出版部門の人々と、文書伝道者達の意見、出版委員会の委員と相談しました。そして、私は、彼らに、その本の活字を組み直して、繋がりを考慮する必要があったということを、どの文章の節にも私達の注目を温和に呼びかけようと求めました」。
「疑問が提起され攻撃された歴史的な資料のいくつかが指し示された時、私達は、彼らに、私達の調査について私達を助けるように、文書に書かれた記述を私達に与えるように求めました。彼らは、私達が求めた時に、まったく何もしませんでした。旧版の中にあるように、一語一語正確に印刷される必要のあるもの、書き換えられる必要のあるものの全ての決定は、母に雇用され、彼女の指揮の下で働いていた事務所でなされました。そのために、その本に対して、あるいは、ワシントンで文筆している人々やSDA全体総会委員会の人々に対して一言も言う状況ではありません。なぜなら、何かに属することは、この働きに繫がっているどこかほかの所か、ワシントンにいる兄弟達によってなされていたゆえです」。
「カトリック教会とそのほかの批判者達によって非難されているようだったそれらの文章の節を調べ上げた、思いやり深く忠実で徹底した働き人達、ワシントンにいる私達の[教会の]兄弟達と、そのほかの多くの兄弟達に、私達はとても感謝しています。また、探し出すのが困難だったそれらの引用の確証と、数々の大きな図書館での検索の援助に、私達は、イングランドと北アメリカ大陸の私達の[教会の]兄弟達に、また、ボストン、ニューヨーク、シカゴにいる兄弟達に感謝しています。彼らは、私達がしなければならないと考えていたことに、私達を助けて、私達の要望のこの働きをなしました。その有用さは、この調査のこの結果を生み出し、その補遺とそのページの下欄の数に歴史的な根拠として見られました」。
「あなたがご存知の旧版の本の補遺は、いくぶん説明的で、やや理屈っぽく、いくらか申し訳ないものでした。しかし、そのような記述は、私達にはもはや必要ないと思えました。また、新版の31の記述は、その本の中に収めてあった記述を正しく直して示す歴史的な記述のため、ほとんどが出典です。よく知った歴史研究者の記述によってそれらの正確な論拠を持つことは、学びに熱心な読者に価値のあるものだろうと、私達は考えています」。
W.C.ホワイト長老によって書かれた手紙の写し
サナトリウム、カリフォルニア 1911.2.25
出版委員会委員のみなさんへ
親愛なる兄弟のみなさん
我が合衆国の福音伝道に携わっている方々へ、この手紙を送るによって、私は、『善と悪の間の大争闘』の新版に現れている書き換えについての短信を作りました。
それらの書き換えについての研究は、このような質問をするように、誰かを導くでしょう。「ホワイト姉妹は、加えることや削除することのどちらでも、あるいは、主張の概略、記述の方法、言葉の言い回しは何であれ、何かに書き換えることにおいて、彼女の出版された著書を書き換える権威と権利を持っていますか」。
彼女の様々な本の執筆に関わるいくつかの事実の簡潔な記述、「キリストとサタンの間の大争闘」のストーリーの発展と拡大は、この質問への回答をそれ自身が構成しているでしょう。
ホワイト姉妹のこの教会の人々に語られた講話の中で、幻の中で彼女に示された数々の真理について、分かりやすく説得力のある説明をするために、彼女は証明と実例の選択に自由と知恵を大いに利用しているということは、一般に容認されています。さらに、彼女は、語りかけているその聴衆の体験に繫がるような事実と道理を選択しています。これが、彼女の講話から好結果を達成する要素です。
彼女は、自分の講話のためにその内容の選択することと、彼女の著書のために内容を選択して同様の知恵を利用することは、自分の義務だったと、いつも考えて教えていました。
母が、1882-1884年に『善と悪の間の大争闘』第4巻を執筆していた時、彼女は、その本の一般的な構想について指導されました。その大争闘が私達の時代に続いているように、それを明確に理解するように読者の知性に備える方法として、16世紀における大宗教改革の中とキリスト教信仰が最初の1世紀に発展したように、「キリストとサタンの間の争闘」の概略を表す必要があると啓示されました。
母がこの本を執筆している間、その多くのシーンが、夜の幻の中に何度もなんども彼女に表されました。11章で与えられているように、神の人々(民)の救出についての幻は三回用意されました。二回の場合について、一回は[カリフォルニアの]ヒルズバーグの彼女の家で、一回はセントヘレナのサナトリウムで、近くの部屋で眠っている間のことで、家族の者達は、彼女のはっきりした、心地好い叫び声によって、眠りから覚まされました。「They come! They come!」(人々がやって来ます。人々がやって来ます)(636頁を参照)。
何度か、私達は、その争闘の重要な意味を持つ幻の一つが繰り返されていて、そして、母はそのテーマで繰り返して書いて、もっと十分に明確な表現にして出版するために、その本の原稿は印刷者達のためにすでにすべてが準備されていたのだろうと考えました。このように、その本の出版が延期され、その本はページ数が増えました。
母は、この新しい本を、現在の『初代文集』(Early
Writing)のpp.210-295に見られる『霊の賜物』(Spiritual
Gift)第1巻(1858)として、最初に出版された時のテーマについて、同じ内容を書いたものと考えていました。
それでも、その本の構想を練る神性の指導は、それを一般の人々が利用しやすいものにしました。母は、それが、第一に、合衆国のアドベンチストの人々に向けて書いたものだったと考えていました。後になって、広く配布されるようにそれを用意している時に、彼女は、初版にあった表現のいくつかの部分を削除しました。それらの数々の例は「サタンの罠」pp.518-530という題の章に見られるでしょう。……
彼女の最初の幻において、父祖達の生涯と、キリストの使徒達と、主の教えとその使命、そして、主の昇天から現在の私達までのキリストの教会によって前進してきた特別な闘いは、彼女にまず概略が表されて、それらが『初代文集』に見られたような包括した記事として要約が書き出されました。
数年後に、一つまたひとつ、テーマごとのグループが、彼女に幻で繰り返し示されました。その啓示のそれぞれの時は、そのテーマの特徴のいくつか、または全体の詳細がもっと明確に描き出されました。
ついに、母は、それぞれの時代をもっと十分に、それぞれの時代の大争闘の様々な層における見解を書き上げて出版しました。
そのようにして、『初代文集』の中の8頁分に書いた、救いの計画、人間の堕罪、サタンの堕罪に関するものが出版されました。『父祖達と預言者達』(Patriarchs and Prophets)として出版された同じテーマのものは、30頁以上に拡張して書きました。
そのようにして、『初代文集』の中の40頁分に見られたキリストの生涯についても1858年に出版されました。その同じものが、1878年に出版され、『預言の霊』第2、3巻となって600頁以上を満たしています。また、現在出版した『救い主
各時代の希望』と『キリストの実物教訓』は、1,000頁以上を満たしています。
1885年に出版された『善と悪の間の大争闘』第4巻の「サタンの罠」の章に、後の版で使用されなかった内容が3ページ分かもっとあります。それは、私達の[教会の]文書伝道者達によって大勢の人々に売られるために用意されました。それは、サタンが日曜安息日を崇め、安息日遵守者達を迫害する教会員と一般の牧師達を説得させる特別な働きを指し示す時、それは、安息日遵守者達にとって最も高尚で興味のある読み物です。
『牧師達への証に見られる風潮』pp.472-475
それは、1885年のもの以上に1888年の方の真実性がなかったから、削除されませんでした。母は、数年先に売られるその本で、大勢の人々にそれらの事柄を伝えることが賢明ではなかったと考えたのでした。
この結論について、彼女の著書のほかの文章/節が後の版で削除されたことについて、彼女はしばしばこう言っていました。
「それらの記述は真実です。また、それらは、私達の[教会の]人々に有用です。しかし、一般の人々にとって、今用意されて存在しているこの本、それらは不適当です。キリストはかつて弟子達に言いました。‟私には、あなた方に言いたいことがたくさんあります。しかし、汝らは今それらを伝えることができません”。また、キリストは、弟子達に‟ハトのように素直でいなさい。またヘビのように賢くなりなさい”と教えました。ですから、それが削除されて、それがあるよりも、この文章/節がない本によって、多くの魂が、キリストに勝ち取られることは可能でしょう」[30]。
表現の形式を考察すると、母はしばしばこう語っていました。「本質的に真理は、わかりやすく語られる必要があります。しかし、可能な限り、それらは、感情を害する言葉よりも、魂を勝ち取る言葉で語られる必要があります」。
W.C.ホワイトの手紙 1911.2.25
補遺B
W.C.ホワイトが作ったW.W.イーストマンへ[31]の声明 1912.11.4
イーストマン兄弟、初めに、私達は1844年の大再臨運動についての私達の打ち明け話をする必要があると、私には思われます。私達は、その運動のリーダー達によって取られた立場から、また、私達の教派のパイオニア達の立場から簡単に離れてはいけないでしょう。
同時に、彼らが自分のために知ることができるように、彼らが権威としての私達の教派の各種の本に近づけない人々に証明できるように、歴史の忠実な研究者であること、徹底的に聖書を学ぶ研究者であるように、人々が時間と機会を持っている限り、私達は、私達の編集者達、私達の牧師達、私達の学校の教師達、私達の縦列と横層の人々を励ます必要があると、私は信じています。それらの点で、私達は一つの人々(民)として捉えています。
それらの人々が、権威として読者達に受け入れられるような歴史研究者達からの引用と、彼らが主張した論拠を利用すること、彼らが書いたテーマの慎重な深い研究を伝えるために励まされて満たされ、預言に関して私達の教派の雑誌に書いたということが、私の確信です。
ある講演者の見解の論述をよく記述した『ダニエル書と黙示録講解』と『善と悪の間の大争闘』から引用することは、彼の会衆に聖書の解説論文を提示している説教者にとってまったく正当性のあることでしょう。しかし、彼の指し示したものを証明するために歴史の権威者としてそれらからの引用をすることは、彼のために賢明ではないでしょう。あなたがこの説の妥当性を識別できると、私は考えています。メソジストの会衆の人々に自分の理論の健全さを証明するよう努めていたプレスビテリアン(長老派教会)のある人は、自分の指し示したことを証明するために、プレスビテリアンの著者達に強く依存することは望まれないでしょう。メソジストの人もメソジスト信仰の健全さについて、バプテスト派の人に確信させる努力をしていた人も、彼の権威として、メソジストの著者達を利用することによって、大きな進歩を期待できないでしょう。私達の働きの全てにおいて、私達は最も効果的なものであるメソジストに倣って研究する必要があるでしょう。
教理や預言について、主張を書き出す内容が来た時、批判的で故意のある読者が受け入れるような権威を選ぶ説教者ではなく、その執筆者によって確固として大いなる配慮がなされる必要があります。
私がその問題を正しく認識しているならば、○兄弟は、彼の指し示している証明の権威として『ダニエル書と黙示録講解』と『善と悪の間の大争闘』を使って、預言とその成就の記事を書いていました。これを、私はとても貧弱な方針だと考える必要があります。ある読者達はその権威としたことを疑いつつもそれを特別な真理の確立として受け入れるでしょう。そのような方法によって、教派のそれらの様々な本を利用しているほかの人々は、このような権威として利用したそれらの本の中に間違いがあることを証明する動機として、それらによって非難を始めるでしょう。それは、すべての層の人々に最善ではないでしょう。私達の説教や記事の中に存在しているものであるならば、私達は一般に受け入れられている様々な権威を根拠に、私達は指し示して証明しようとするものなのでしょうか。
1.歴史におけるエレン・G・ホワイトの著作物
母の著書に関して、また、歴史と年代を指し示す権威としてそれらを利用することについて、母は、歴史の日付や歴史の詳細を解釈する権威としてそれらを扱うことを私達の[教会の]兄弟達に決して望みませんでした。光と闇、善と悪の間の争闘に関して母に啓示した大いなる真理は、様々な方法によって、彼女に与えられました。しかし、国々の民に属する者、宗教改革者達に属する群れ、諸教会の体験の中に、個々人の生活の中に、大いなる出来事eventsについて、フラッシュライトのような見解として相応しいものでした。このようなことを彼女に啓示されたものにより、彼女は『初代文集』の中で、初めて短く書き出しました。それから、『霊の賜物』(Spiritual Gift)と『預言の霊』の中で、「善と悪の間の大争闘シリーズ」の中で、もっと十分に[書き出しました]。
1844年の大再臨運動の中とプロテスタント宗教改革の時代の改革者達の体験を書き出している時、母は、しばしば、彼女に表されたシーンのいくつかの部分的な記述をまず初めにしました。後で、彼女はそれを充分に書き出すでしょう。また、もっと十分に書き出すでしょう。私は、彼女が一つの課題を書くために4、5回書いていて、もっと完全にその内容を表現する言葉を自由に操ることができなかったので悲しみ嘆いていた、と知りました。
『善と悪の間の大争闘』のための章をいくつか書いている時に、彼女は時々、歴史的に重要な出来事の部分的な記述をしています。印刷者のための原稿を用意していた彼女の記事を複写をする人が、時と場所に関して問い合わせをした時、母は、「それらの事柄は良心的な歴史研究者達によって記録されているものです。それらの歴史研究者達によって利用された年月日を挿入しましょう」と言ったものでした。彼女に表されたものを書き出しているほかの時に、母は、私達の教派の書籍によって書き出されている教理について、また、事実の表示と出来事の完全な記述を見つけました。彼女は、それらの権威者の言葉をコピーしました。
『善と悪の間の大争闘』が書かれた時、母は、歴史の詳細に関する論争を起こすためにそれを利用することや、その読者達は歴史の年月日の権威として、それを採用するとは決して考えませんでした。そして、彼女は、現在、それがそのような方法で利用されるべきとは考えていません。母は、歴史に記録されたようにその計画を完成させること、預言者によって表されたような神の大いなる計画についての研究に、年月日について何年も献身してきた誠実な歴史研究者達の働きに大いなる敬意をもって尊重しています。
過去数年、私達のアドベンチストの文筆者達が、詳細について正確な根拠の発見に達しなかった、ということに、正確な証明がなされた時はいつでも、母は、間違っていたことが明確になった事柄を正すことに好意的な自分の立場を取っていました。彼女が、良書『ダニエル書と黙示録講解』を修正して改訂することを行なったというその結果について、意見を求められた時に、彼女は、いつも、正しくないことを明白に示されたそれらの事柄を修正することを好んでいました。
2.年代学
多くの人々が年代学に強く力説を置き過ぎる立場にいることは危険だと、私には思えます。人はこの世界の年代学についての認識を持っているということが人間の救いの要素であったならば、主は、私達が聖書の歴史研究者達の著書の中に見つける不一致と不協和音を許さなかったでしょう。また、私には、この世界の最後の日々に、年月日に関する大きな論争は存在する必要がない、と思われます。
私自身のために、私はこう言いましょう。私は、アドベンチストの人々の体験を多く研究しています。私は、その預言の大いなる真理の理解を[農夫だった]ウィリアム・ミラーのような平凡な人に与える天の神の知恵を称え賛美して崇めようと考えています。彼が詳細について最初は正しくない解釈と多くの不正確を採用していて、彼がその原則の特徴に関する真理を得ている間、誰かが預言についての自分の解説を研究するということが根拠です。まず、初めに、それらは、彼の協力者達によって受け入れられました。しかし、神は、ミラーよりも研究の広い機会を享受した学識者達を立ち上がらせました。そして、歴史と預言の研究によってそれらの人々は、ミラーの解説は正しくなかったという多くの点について、真理を発見しました。
『ダニエル書と黙示録講解』と『善と悪の間の大争闘』に表されたように、その大再臨運動の信仰の立場からこの体験を研究している人は、神がどのように真理と光をもたらしているかを見る時に、神の善意を享受することに失敗することができません。また、私達は、神がミラーにするようにと支援したその非常に敬虔な働きを、非常に配慮深く寛大な扱いをすべくその基礎の上に建てられたその働きを愛している人々のように、私に思えます。
3.ただ、控え目に主張する
私達が「ミラーとその協力者達は預言と共に歴史の情報について、その真理の完全で完璧な知識を持っていた」と主張するならば、また、私達が「第三天使のメッセージの中にいるパイオニア達のために、その知識が完璧で誤りのないものだった」と主張するならば、さらに、私達が「この[人類救済]目的の歴史の中で、私達は自分の間違いを告白するよう義務付けられていない」と言うならば、私達は、後の数年の誠実な研究結果によって正しく修正された私達の解説の何かによって、不完全で不正確かつ多面的に誇張された光をこの世/世界の人々にやがて披露してしまい、非難する人々を愚かにも不必要に刺激するでしょう。
イーストマン兄弟、私にはこのように思われます。私達はみな偉大な教師から日々に学んでいる幼い子どもとしての事実に対して私達の目を閉じることによって、私達の弱点と私達の影響力に関して大いに起こり得ることがあります。理解と知識において優位なことは私達の特権です。また、私にはこのように思われます。私たちが1年前10年前20年前30年前に取った立場は誤りがなく不変だったと、私達が証明すべくどのような努力をするよりも、この世/世界の人々が質問できないような歴史的な資料を使用して歴史と預言の情報を明確に表して、私達の立場の健全さについて回答できない根拠を神が時ある毎に表すことによって、神が導いてきているということをこの世界の人々に納得させることは、私達にとってとても賢明なことです。
母の著書について、私は、それらは神が幻の中で彼女に表した輪郭の描写であり、また、彼女はアドベンチストの著者達の解説や歴史研究者達の記述を採用している、という大量に与えられた根拠と確信を持っています。また、私は、神が[人間の]救いのための全ての内容の要素に関して、真理と調和して正しいものを利用するための識別力を彼女に与えたと信じています。彼女が、宗教に関係のない世俗の歴史について、私達の理解と一致できない年月日に関する詳細の預言の解説を採用していたということは、誠実な研究によって発見されるでしょう。私が年代学に関する記述の多くと調和できないものは、事実によって影響を受けた聖書にたいする私の確信以上に全体として、彼女の著書に対する私の確信に影響を及ぼしていません。
補遺C
W.C.ホワイトからL.E.フルーム[32]への手紙 1928.1.8
親愛なるフルーム兄弟へ
1月3日付けのあなたの手紙が、昨日の郵便物として届きました。その中に、あなたは、私からの返事を求めていくつかの質問を書きました。
私の母が「私の働きは用意するために存在しています。あなたの働きはそれを洗練するために存在しています」と、自分の著書のどこかに書いたと、母が言ったことを、私が述べたことをあなたが考えて、あなたは私との会話の記憶について記述しています。
私は、かつて、母が書くそのような記述を聞いた覚えがありません。そして、私は、彼女のそのような彼女の記述を聞いたことも、彼女の助手達についても、考えていません。そのような記述を促すような考え方は、彼女の複写する人と秘書達の働きと、彼女の働きについての考え方と調和していません。
あなたの質問が発展したそのアイデアを伝え、私達の[教会]を導く働き人達に、私が数回書いた記述があります。私は、彼らに語りました。私達の働きの初期の頃の日々に、母は、個人個人やグループ、勧めや情報を含んでいる証を書いていました。それは、ほかの人々にも価値のあるものでした。そして、そのきょうだい達は、彼女に、それが使われる当然な方法について質問をしていました。彼女は、しばしば私の父に、ある時には彼と彼の協力者達に――言いました。「私は自分の分をしました。私は、主が私に啓示したことを書き出しました」。
あなたは、すぐに、そのような解説がとても理性的だったことがわかるでしょう。私の父とその協力者達は現在の真理の[人類救済]目的に付随する問題の全てと関連付けていました。それは以来、SDA全体総会の働きに発展しました。それは、『heaven that they should
share』(人々が共有する至福)に関するそのメッセージの方法と言い方の責任において、それらが益を意図されていた人々の前にあるべき賢明な対策の一つでした。
あなたは、あなたの手紙の中にもそのような記述があったならば、それは、私達の[教会の]兄弟達の誰かの益となるだろう、と考えているように思えます。私は、彼らに益となる方法を理解できません。可能ならば、あなたは、それを私にわかりやすくすることができるでしょう。
2箇所の段落について、それらは、それらを削除する責任を取った人への質問と、後の版で削除された理由と、人種の混血に関して『霊の賜物』と『預言の霊』の中に見られるために存在しています。私は、完全な清めと保証について話すことができます。それらは、エレン・G・ホワイトによって削除されました。そのような質問をめぐって、彼女の働きに権威を持って繫がれた人は、一人もいません。私は、この内容について彼女の勧めのために貢献するどのような権威者も、決して聞いたことがありませんでした。
この種のすべての質問において、あなたは、ホワイト姉妹は私達の[教会の]書籍の後の版に短い内容を加えたり削除したりする責任があるということを、確かなものとして着地しているでしょう。
ホワイト姉妹は、当然の結果に属する、状況理解を多く含んだ明白さを根拠にした良好な判断をしただけではなく、彼女は新版で加えるべき箇所と削除されるべき箇所について、主の天使から直接に指導を何回も受けました。
1884年にパシフィックプレス出版所から出版された『善と悪の間の大争闘』第4巻の初版のある章はしばらく考察されました。27章の「サタンの罠」について、あなたは見ています。その章の終わりの部分の約4頁分は、『善と悪の間の大争闘』の後の版から削除されました。この4頁は『牧師達への証』pp.472-475に見られるために存在しています。セブンスデー アドベンチストに大変に価値のあるこの4頁に含まれていたその情報は、『善と悪の間の大争闘』第4巻の初版に適切に含まれていました。それが出版された時に、それはほかの巻のように、信仰と目標によって共感されて[全ての]クリスチャンとセブンスデー アドベンチスト達のための特別なメッセージになると考えられました。
しかし、『善と悪の間の大争闘』が決定された時、第4巻は、予約販売者達によって、一般に普及するための形式で出版される必要があります。エレン・G・ホワイトは、それらの記述を読む一般の教会の牧師達は腹を立てるようになるだろう、また、その本の普及に反対して並べるようになるだろうという見込みのゆえに、そのページは取り去るように示唆しました。
なぜ、彼らが好まない型の特別な部分を削除して、彼らが好む型を作るようにして、それからそれに合うようにほかの重要な人に聞いて、私達が子ども達のためにお金を払っておもちゃを買う時のような、小さな個性のない堅いブロックで酷評しようと試みて詳細に調べ批評しあげつらうのではなく、それ自身が美しく調和していて有益な特徴がある預言の霊によって情報を取り入れることによって、私達の[教会の]兄弟達は、私達への神の憐れみの配慮を研究しないのですか。神の働きの美しさを見るために、そのような人を助けることができることをすることによって、私は、忍耐とガイダンスを私達に与えるよう、主に祈っています。
あなたは、私が回答しなかった質問を含んでいるほかの手紙にも言及しています。私は、それらをすぐに手に入れるよう願っています。しかし、今朝ではありません。あなたの忠実なW.C.ホワイト
W.C.ホワイトからL.E.フルームへの手紙 1928.1.8
親愛なるフルーム兄弟へ
昨日、あなたに一通の手紙を送ってから、私は、あなたの12月22日の手紙を見つけました。その中で、「あなたは、約2年間、預言の霊の本を用意するためにダニエルズ兄弟を励ましてきました。しかし、あなたは、私のそれらの求めに与えず応答せず、私に話すことをしませんでした」と語っています。
ラフボロー長老によって出版されたその記述を根拠にして、あなたは、それらが、あなたにアピールしていないという感覚と身体的な現れによって、ストレスを受けたことを語っています。
私は、この残りの教会への贈り物によって、神性の手による大いなる証明がその著書自身の中に永遠の根拠が存在しているということについて、十分にあなたと一致しています。それにも拘らず、私は、光と啓示の贈り物が同時に起きたという身体的な現れを信じる必要があります。そこに少しの実際的な価値があります。そうでなければ、神はそれらを与えなかったでしょう。さらに、私は、それらの身体的な現れを重要で厳粛な内容として評価している人、神の視界に貴く誠実で真面目な非常に多くの人々との触れ合いに入れられています。彼らは、自分達の信仰がその方法の明確な知識によって大きく強められ、主が彼らに与えたその光を受ける人々の裏付けによる私達の天の父によって適用された、と証しました。
あなたは、私があなたに送った逐語霊感に関して、その少しの記述に言及しています。1883年のSDA全体総会によって作られたこの声明は、それが存在していた、この[人類救済]目的の中の、パイオニア達の立場と信念に完全に調和していました。私は、ほかの見解を非常に強力な方法で表していたバトルクリークカレッジ学長[W.W.]プレスコット教授、その見解を持っていて表したガウゼン教授[33]まで、私達の[教会の]牧師達や教師達の誰かによって取られた唯一の立場を考えています。ハスケル長老を含む、ほかの多くの人達と、バトルクリークカレッジの学生達によるその見解の受け入れは常に増して、終わることのない困惑と疑問を私達の働きに持ち込んでいるという結果になりました。
ホワイト姉妹は、決して、聖書に適用するようなことや彼女自身の働きに適用することの両方とも、逐語霊感に関するガウゼンの理論を受け入れませんでした。
あなたは、この不思議な贈り物の背景について、忠誠を示す合理的な理解を持つためのあなたの尽力について言及しています。あなたは、この働きにおける文筆者の層によるホワイト姉妹の手助けをした様々な人々に関する情報を得ようとして来ました。
フルーム兄弟、私の確信はこうです。あなたは、彼女の本のための諸々の章と私達の[教会の]定期刊行物の記事の出版の準備をするために、彼女が呼んだ彼女のアシスタント、信頼できる複写者と複写編集者の適性と特徴の研究によって、預言の霊の贈り物の背景に関して、決して、光を得なかったでしょう。
神が、神の人々(民)に送ったメッセージにある信仰に合うための基礎は、過去の時代に主の預言者として主が送ることについての研究によって難なく見つけられるでしょう。それは私には、使徒パウロの手紙と働き人達とその生涯の研究は、私達が示唆している研究のほかのテーマ以上に有用で光を与え教化していると思われます。けれども、私は、彼らの体験と彼らの歴史を研究することによって、また、彼を手助けした人達のリストを作るための調査によって、パウロの著書に信頼を確立する大きな助けをするだろうとは、考えてはいません。エレミヤは、バラクの選びによる複写する人として、神に指導された、ということを信じることは私にとって簡単なことです。また、パウロは、彼の必要のために、時折、口述筆記者として活動する人々を選ぶという天の知恵を持ちました。
エレン・G・ホワイト姉妹は、私たちの本のための諸々の章と私達の定期刊行物のための記事を用意するために、助けをする人々と複写する人々として活動する人々を選ぶよう、天のガイダンスを持ちました。
私は、その働きのための適性と信頼性について彼女に与えられた励ましの指導、それらの働き人達の何人かを選ぶように彼女が導かれたその状況をよく熟知しました。また、私は、彼女が教えるため、注意するために、また、時々、満足のいくサービスのために、霊的に欠如して不適格者だった人々、彼女の雇用者を解雇するために、彼女が指導された実例を知っています。このことに関して、スター長老は、ミス
ボルトンとの間のホワイト姉妹の体験について興味深い一連の出来事をあなたに伝えることができるでしょう。私は、一つの状況についてあなたに話しましょう。彼女は、とても可愛がっていた姪のメアリー・クラフ(クロー)から別れさせられました。
1860年代の初め、ホワイト姉妹は、彼女が原稿の各章を読んでいる時に彼女の読むのを聞く人として、夫を除いて助け手がいませんでした。二人は夫の知性に思い浮かんだ時に文法的な修正を提案していました。幼い少年だった時に、私は、このような状況を目撃していたことを覚えています。疲れたホワイト長老はソファに横になっていたものでした。そして、ホワイト姉妹は『霊の賜物』のために書かれた1章分を持って行って、彼に読みました。彼は文法的な修正と記述のうえでの提案をしたものでした。『SDA教会への証』のための記事は同じような方法で処理されました。
一方、印刷された、いくつかの証と、多くの個人的な証は、個々人に送られていました。そしてしばしば、ホワイト姉妹はこう書いて言いました。「私には、この「証」を複写するための人がいません。どうか、あなた自身のために複写を作ってください。そして、私に元の原稿を送ってください」。この方法での働きの結果として、私達は、ホワイト姉妹の手書きによる初期の証の多くを原稿の貴重品保管室に所有しています。
1860年代の初めに、ルシンダ・M・ホール姉妹は、ホワイト姉妹のハウスキーパー、秘書、そして、時には、[伝道]旅行の一員として役目を果たしました。彼女は気弱さと真面目さの両面がありました。そして、明らかな文法的な間違いだけが彼女によって修正されました。1862年ごろ、アデリア・パッテン姉妹が、ホワイト家族に繋がりました。そして、ホワイト姉妹のために何かの複写をしていました。後に、彼女は、レビュー&ヘラルドに繋がりました。
1872年の秋に、ホワイト姉妹はコロラド州を訪れました。そして、姪のメアリー・C・クラフ[34](クロー)と知り合いになり、'74,'75,'76年にミス
クラフは『預言の霊』第2巻と3巻の複写の準備に協力しました。また、彼女は、キャンプミーティングで働いていたホワイト長老とミセス
ホワイトと同行しました。そして、一般の新聞社の記者として役目を果たしました。そのようにすることによって、初めて知名度が高くなった彼女は、レギュラーの記者として、この教派のそばで働きました。私達の公的な部門の「おばあちゃん」としてみあげられて尊敬されるでしょう。
彼女の新聞記者としての体験、彼女の働きの上に起こったその賛辞と、このような体験を得た確信は、『善と悪の間の大争闘』の数章と『レビュー』誌の複写編集をなす神聖な働きと繊細さのゆえに、適合しませんでした。ホワイト姉妹は一つの幻の中で、彼女とメアリーが大空に広がっている素晴らしい光景を見つめていた場面を表されました。それは、ホワイト姉妹にはとても意味のあるものでしたが、メアリーにはそれは意味のないものに見えました。そして、その天使は「霊的/精神的な事柄は、霊的/精神的に見分けられます」と言いました。そして、ホワイト姉妹は、彼女の本の編集者として、彼女の姪はもはや働くべきではないと指導されました。
'68,'69,'70年の間に、様々な人が、彼女の証の複写者としてホワイト姉妹に雇われました。それらの人々の中に、アーウイン・ロイスの妻の後、ミス
アンナ・ヘイル、アモス・プレスコットの妻、その後で、ミス エマ・スターゲスがいました。そして、そのほかの人々、今、私はその名前を思い出すことができません。
1881年に[ジェームズ]ホワイト長老が死んだ後、ホワイト姉妹は、マリアン・デイビス姉妹を雇いました。彼女は数年間、校正者としてレビュー&ヘラルド出版所にいた人でした。ホワイト姉妹は、デイビス姉妹が誠実で真面目な助け手となるだろうと啓示を通して確信を与えられました。後で、エリザ・バーンハム姉妹がホワイト姉妹によって雇われました。一時、ミセス
B.L.ホイットニーとファニー・ボルトンが助け手としてバトルクリークで、するための仕事がたくさんある時に雇われました。デイビス姉妹は、1886年と1887年のヨーロッパに滞在していた時にホワイト姉妹と一緒にいました。また、彼女はオーストラリアに滞在していた時[1891-1900]にホワイト姉妹の主要な助け手でした。
オーストラリアでの働きが発展した時、バーンハム姉妹が、その本の編集をアシストするために呼ばれ、マギー・ヘアとミニー・ホーキンスが複写者として雇用されました。
私は、ホワイト姉妹が[カリフォルニア]ヒルズバーグにいた時の数年間について書くことを忘れていました。J.I.イングス姉妹が諸々の証と原稿の複写をたくさんしました。
ある時、私達がオーストラリアにいた時、1890年代初めに[O.A.] オルソン[35]によって出版されて発売された『牧師達への特別な証集』(例:特別な証集シリーズA)は、テーマ毎にグループ化された内容として、再出版される必要があるだろうと提案されました。これが、検討されている間に、宗教自由のトピックで長年執筆をしてきて、かつてSDA全体総会の秘書だったW.A.コルコードは労働を辞めた、ということが起こりました。私の要請で、ホワイト姉妹は、その「特別な証集」と再出版のためのテーマ毎にその内容をグループ化するように、彼を雇用しました。彼は、この仕事に数週間を費やしました。そして、ホワイト姉妹によって報酬が支払われました。しかし、その仕事は全く利用されませんでした。もしも、私の記憶が正しければ、これは、彼女の文筆の働きに繫がった彼への拡大だったかもしれません。
デイビス姉妹によってなされた最後の働きは、『ミニストリー オブ ヒーリング』(癒しの奉仕の働き)に利用された内容の選択と編集でした。
C.C.クライスラー長老は、『使徒達の働き』(福音社:艱難から栄光)と、『預言者達と王達』(福音社:国と指導者)に書かれる内容の選択と編集において、ホワイト姉妹をアシストしました。
その働きとその働き人達のこの全体像は完全なものだと言えません。彼女の働きを強力に助けた全部の人々が、彼女の本の読者達の初期には何らかの関心があるものだったということは、ホワイト姉妹のどの助け手によっても私によっても決して考えられないことでした。彼女は、非常に十分に書きました。彼女と出版者の間には、利用される必要のある内容の質について、常に論争がありました。ホワイト姉妹は、一つのテーマが非常に十分に表された時、最高に喜びました。そして、出版者達は、その本があまりにも厚くならないように、短縮したものや要約したものにするための伝えるプレッシャーをいつもかけていました。
結局、重要な諸々の章が印刷者のために用意された後で、また、時々、それらが印刷者に送られた後で、特別なテーマの新しい提示がホワイト姉妹に与えられたものでした。彼女は、それを組み入れるものとして加える内容を書いて強調したものでした。この体験は『善と悪の間の大争闘』第4巻に特に適用されました。
『救い主 各時代の希望』のために用意された内容の量についての情報の[不足の]問題は、『キリストの実物教訓』と『祝福の山からの考察』に利用されたものから分離された一部によって克服されました。
それらの本の準備の時の間に、同時代の著者達の作品を読むことについて、そこには、ほんの僅かに語られるためのものがありました。ホワイト姉妹が執筆の作業に忙しく携わっていた時に、彼女は読むための時間がほんの僅かしかありませんでした。キリストの生涯の執筆と彼女の執筆の時間の間における彼女の働きの貴重さ、いくらかの拡張のために、彼女は、ハンナ、フリートウッド、ファーラー、ギーキー[地質学]の作品を読みました。私は、彼女が読んだエダーシェイムについて全く知りません。彼女は時々、特に、年代学について言及して、アンドルーズに言っていました。
なぜ、彼女は、それらの本のどこかを読んだのでしょうか。「大争闘シリーズ」の中に持ち込まれるようなその時代の大きな論争の出来事は、多くの別の機会の部分で、彼女の[作品の]一部に書き表されました。現在『初代文集』として呼ばれている本の第三部に再掲されて、その初めの紹介に、短い概略が彼女によって与えられています。
後になって、「預言者達の体験」と「父祖達の時代の大いなる出来事」は、『南部の見張り人』と『サインズオブザタイムズ』、『レビュー』誌の中で、後年に出版された彼女の記事のシリーズと、『SDA教会への証』の中の彼女の記事の中に入れられたように、彼女によって書き表されました。エズラ、ネヘミヤ、エレミヤとほかの預言者達の働きを充分に完全に扱ったこれらのシリーズを、あなたはご存知でしょう。
私達の主の生涯に起こった大いなる出来事eventsは、『善と悪の間の大争闘』のほかの部分にも存在していたように、全景が見えるシーンの数々に彼女に表されました。それらのシーンの中で、少し地理と年代が明らかに表されました。しかし、その映像のようなシーンで啓示された大部分の中に、とても生き生きとしたものがありました。彼女が聞いて、語ることが可能だった、その対話とその争闘は、年代学的にも地理学的にも注目されていませんでした。彼女は、年代学と地理学の関連を得るために、私達の主の生涯を書き表した人々の書物と、歴史と聖書の研究に没頭しました。
『使徒パウロの生涯』と『私達の主の生涯』と歴史書を読むことによって、貢献したもう一つの目的は、幻によって彼女の知性に明らかに表されたシーンを生き生きともたらされたものにするためでした。しかし、彼女のはっきりしない記憶や、彼女の努力を要する奉仕の働きministryなど、数年の推移がありました。
ハンナ、ファーラー、あるいは、フリートウッドを何度も読んで、彼女は、自分に生き生きと表されていたシーンの記述をし続けてきたものです。しかし、忘れ去りました。彼女が読んだ[本]よりもより詳細に記述するために存在している可能性がありました。
ほかの歴史研究者達よりももっと強調して語る方法によって、主の改革者達と主の預言者達、主の使徒達とキリストの生涯のシーンを書き表すために、神が彼女に与えた全ての能力にも拘わらず、彼女は、常に、彼女の学校教育の欠如の結果を最も敏感に考えていました。彼女は、神が幻によって彼女に表したシーンを、ほかの著者達がその読者達に書き表した言葉に敬意を示しました。そして、彼女は、彼らの言葉を充分に利用することと、彼女の読者達に伝えることを期待した啓示を通して、彼女が知った事柄を書き表す部分に利用することの両方が、嬉しいこと、好都合なこと、時間の節約だとわかりました。
彼女の多くの原稿の中で、それらが彼女の手による引用から来ている時に、しるし[引用符]が使われています。ほかのケースでは、それらは使われていません。彼女自身の文章構成の部分の中に満ちていて、ほかの著書の中で見られた文章の部分を利用する彼女の習慣は、何かの明確な計画で基礎づけられていなかっただけではなく、1885年頃に前進するまで彼女の複写者と広告文案者によって疑問を持たれませんでした。
批評者達が、彼女に書くことを可能にしたその贈り物giftの疑問に対する理由として、彼女の作品のこの特徴を指摘した時、彼女は、それに小さな注意を払いました。後になって、不満が、これは一つの不正行為だったと、ほかの出版者達と著者達に湧き上がった時、彼女は、あなたがよくご存じの変更、一つの変更を決めました。
これが私の信条です。フルーム兄弟、彼女は天からの助けを持っていて、複写編集者や複写者によってなされる何かの間違いを見つけることに著しく鋭敏だった彼女の本を構成する各章と、私達の定期刊行物で出版された論文の内容に言及することに、ホワイト姉妹の知性は鋭敏に活動していたという事実を、私は何回も繰り返して述べることができません。この状態は、彼女の夫の死の前の彼女の多忙な数年の間、彼女がオーストラリアから戻った後のアメリカで過ごした数年の大部分と、ヨーロッパとオーストラリアでの奉仕の働きの間、順調にいっていました。
彼女の最後の数年、彼女の指揮は、全てを包括するものではなくなりました。しかし、私達が外国語に翻訳するために用意したコピーによって大きな本の抄録の作品を作り続けた時、彼女は、取って置かれるようなそれらのテーマと、強調されるために必要だったそれらのテーマを取り上げ、彼女の晩年に利用された存在である、前もって書かれた内容について指揮する彼女の聡明さによって不思議なほどに祝福されました。
どうぞ、この記述を、ダニエルズ長老に読んでください。そして、私は急いだために、それは簡単に誤解されうるように、私は問題を残したので、あなたが、それに気づいたならば、どうぞ、それがあなたの兄弟達に属するほかの人達の前で、あなたによって位置している前で、この点を私に示し、その問題に強くなる一つの機会を私に与えてください。あなたの誠実な W.C.ホワイト
W.C.ホワイトからL.E.フルーム[36]への手紙 1934.12.13
親愛なるフルーム兄弟
私は、12月3日付けのあなたの手紙を手にしています。あなたが質問している疑問の内容は、よくわかりますが、回答に難しいものです。
私は、エレン・ホワイトと協力して30年以上、彼女の奉仕の働きministryに最高の確信を持っていたというのは一つの事実です。私は、彼女がこの世界とこの教会に言葉では表せない価値のある神からの啓示を受けたということを知っています。彼女の本に彼女が書くことができた情報源の分析によって、行動を望む私達の兄弟達の誰かと同じく十分に入れませんでした。
彼女の著書によって維持された大いなる真理の宮の構想が、幻によって明確に彼女に表されました。いくつかのこの働きの中で、情報が詳細に与えられました。預言的な年代の特徴のような、その啓示のいくつかの特徴に関して、1844年に始まった特別な変化と天の聖所の奉仕の働きに関して、その内容は、何回も詳細に、何回も彼女に表されました。私達の信仰の柱の基礎として非常に積極的に考えられ、非常に明確に語るように、彼女にこれができました。
『父祖達と預言者達』『使徒達の働き』『善と悪の間の大争闘』に存在しているような歴史的な内容のいくつかの中で、主要な柱となる概略が彼女によって非常に明確にわかりやすく作られました。彼女がそれらのトピックを取り上げる場面に来た時、彼女は、年月日と地理的な関係を得るために、また、彼女の詳細な記述を仕上げるため、聖書と歴史の研究に取り掛かりました。
エレン・ホワイトは、速読者の一人で、記憶を非常に保持して持っていました。彼女が受け取ったその啓示は、彼女が精力的な方法で読んだことについてテーマを捉えることができました。間違いや疑いだったものを捨てることと、真理だったものの選択し充当することが、彼女にはできました。
彼女は『16世紀のプロテスタント宗教改革の歴史』を入念に読みました。デ・オウビグネの書いた多くの歴史書を、彼女は、私の父にはっきりとした声で呼んでいました。彼女は、ユライヤ・スミスが『レビュー』誌の編集者だった何年もの長い間、宗教的な雑誌の読者に関心を持っていました。特定の宗教的な利用の変化がなされたものを使った後で彼に求めることと、彼女がざっと目を通すことは、彼女の習慣でした。また、彼女は、貴重な事柄を選んで読み込む時間の一部として費やしたものでした。これらのことによって、彼女は、この宗教的な世界が進んでいたことに関する情報を集めました。
書籍における研究に関して、「レビュー&ヘラルド」の施設の建物となったレンガ造りの堂々とした建物が建った後で、短い一時が訪れました。二階の北向きの端で、その大きな部屋は、二人の編集と執筆の部屋として、ホワイト長老とミセス
ホワイに割り当てられました。この中に、レビュー&ヘラルドの図書室が置かれました。この部屋のために、ホワイト長老は自分の著書によって論述を作り、その図書室を[充実させるために]、エレン・ホワイトは、自分が読んで益になると考えて選んだ本を置きました。
彼女の読書量と書籍の読み込み量は注目できることでした。彼女の知性は、それらの本に含まれていた最も有益な文章の節と、最高に有用な諸々の本に指導されました。時折、彼女は、父について、また、私の現状について、彼女が表されることを期待して見たものの記述を助けた確かな文章の節が開示される彼女の体験と、また、彼女の体験が、存在において、以前には決して見ようとはしなかった一冊の本を試験するように導いたことを語ったものでした。
私は、この図書室にブリスの『回顧録』があったと思っています。しかし、私は、彼女がそれを読んだかどうかは知識がありません。私は、決して、その本と彼女の作品との繋がりについて聞きませんでした。
彼女が大量に予約購読していた本の中に、説明的な数々のノートが見つかりました。それらの中のあるものは、彼女自身によって書かれていました。しかし、それらの内の多くは、マリアン・デイビスに関連して、J.H.ワゴナー、ユライヤ・スミス、M.C.ウィルコックスによって書かれていました。
あなたは、ジェームズ・ホワイトがエレン・ホワイトに何かをもたらしているかどうか、彼女の著書の中に彼女を助けるような読書の存在があったかを尋ねています。私は、何かそのようなことが起きていたかどうか思い出せません。彼女は、時折、夫が注目したものを読んでいて、興味深い文章を使っていました。
あなたは、彼女の助手達が、彼女の著作物を助けようと考えて、彼女が注目するような記述をもたらしたかどうかを尋ねています。1883年や1884年の[カリフォルニア]ヒルズバーグでの『善と悪の間の大争闘』第4巻の執筆中に、この種で特筆することは何も起こりませんでした。少数の詳細に関わったものはほとんどありませんでした。
私達が1886年に[スイスの]バーゼルに滞在していた時、私達は、翻訳者の一グループと大変に興味深い体験をしました。ヨーロッパにいる私達の兄弟は、フランス語とドイツ語に翻訳された『善と悪の間の大争闘』第4巻を持てることをとても望んでいたということがわかりました。……
この本をフランスの人々に提供するために、アウ・フランク長老は翻訳/通訳者として働いていて、彼の考えた初級クラスのフランス語に20章以上を訳していました。彼の翻訳に満足した人は誰もいなくて、ジャン・フュライマーJean Vuilleumier長老が翻訳書を作るために働いていました。そして、半ダース以上の章を翻訳しました。
ドイツ語の人々について、翻訳者として認められる3人の人がいました。クーンズ教授、バッハ嬢、ヘンリー・フライが翻訳者でした。
私達は何をする必要がありますか。ある人々は、それらの通訳者の各々をとがめて集まりました。両方の言葉について、最良の言葉を語る人で、二人以上を見つけることは困難でした。
バーゼルの事務所の管理者、ホイットニー長老は、ホワイト姉妹の書いた文章は難しかったという事実を認めました。講話の全体像は、いくつかのケースにおいて、通訳者によって不完全に理解されました。人々が理解した所のいくつかのケースでは、通訳者達が、正しい通訳を与えるための、自身の言語について十分な宗教的言語を知りませんでした。
最後に、一つの方法が採用されました。毎朝9時に、フランス語の通訳/翻訳者、ホイットニー長老とデイビス姉妹、そして、私が、編集室で会いました。そして、英語の本を章毎に読んで解説しました。理解が困難な文章を認識した時に、翻訳者達は、読むのを中止して、ある言葉がフランス語やドイツ語に存在しているかをみんなで話し合いました。しばしば、ホイットニー長老は読むのを中止して、「ジョンJohn、あなたはそれをどのように翻訳しますか」と言ったものでした。その時、彼はアウ・フランク長老にアピールして、「あなたはそれが[訳された言葉に]同意しますか」と言ったものでした。その英語のテキストを完全には理解していなかったことが判明して、デイビス姉妹とホイットニー兄弟がその意味について話し合い、そして、それから、翻訳者達は再度、翻訳を提案したものでした。
私達が、ドイツとフランスの中にいたプロテスタント宗教改革者達に関連する章に到達した時、翻訳者達は、ホワイト姉妹が選んだ歴史的な出来事eventsの選択の適切さについて解説したものでした。私が記憶している二つの実例において、彼らは、彼女が言及していなかった重要ないくつかの出来事の情報があったことを示唆しました。これが彼女の注目をもたらした時、彼女は、すでに言及していたその出来事eventsの重要さを考慮できるように、また、その歴史[の出来事]は彼女にもたらされるように、とリクエストしました。その歴史についての読書は、彼女がその出来事についての記事を書いた後で、彼女が既に見ていた彼女の知性を新鮮にしました。
私達が[スイスの]チューリッヒを訪れた時、私は母と一緒でした。私はよく覚えています。彼女の知性 [の記憶]は、古い大聖堂と市の開かれる広場を見ることによってよみがえりました。彼女は、それらがツイングル(ツイングリー)の時代に存在していたように、それらについて語りました。
[スイスの]バーゼルに滞在していた2年の間に、彼女は、プロテスタント宗教改革の時代の日々に起こった特別に重要な出来事eventsの多くの場所を訪れました。これは、彼女が既に示された時の彼女の記憶を新鮮にしました。また、これは、プロテスタント宗教改革の時代を扱った本のそれらの部分の重要な点を増大させるように導きました。……
とても深い敬意を持って 私は共にいます。
心からあなたの兄弟
W.C.ホワイト
心に残る一文(『セレクテッドメッセージ』第3巻後編)
p.2 キリストのために働く人々は、清く道徳的に正しく、信頼される者となるために存在しています。
p.3 親切で礼儀正しいクリスチャンは、生み出され得る福音の親切によって、最も力強い主張者です。
p.5 人性は神性に与るものになっています。
p.17 天の司令官、イエスは王家の冠と王衣を脇へ置いて、そして、玉座から歩み降りました。そして、人性の衣服と神性の衣服を着ました。
p.29 私達は安息日に私達自身の楽しみをする危険性の中に存在しています。
p.29 それを避けることが可能であるならば、
p.30 その人々は、日曜日遵守は大まかに身体的な無活動状態から成り立っているということを教えられました。
p.45 私は、タバコが汚れた雑草だったことを、そしてまた、それは捨てられ放棄される必要があることを見ました。
p.57 私達は、自然界の法則の違反のゆえに、損害を被ることなしに人間の体のデリケートな組織をどのようにも乱用/自虐abuseできません。
p.56人間が神性に与る者となるために存在していて享受できる最も高い特権と、そして、神との強い関係によって私達を結んでいる信仰は、私達がキリストと一つになる道徳的な品行と精神の形成とファッションにあるでしょう。
p.59 これは、この時代にはほとんど例外なしになされていた自己虐待/自虐self-abuseの一理あるが正しくない行動に没頭したために、その自虐の誘惑に勝利することは親達にとってとても困難になっています。
p.72 もしも、一人のクリスチャンが虐待/不当な扱いをabuse受けているならば、その人は、辛抱強くそれに対処するために存在しています。仮に、だまされたならば、その人は、裁判所の法廷にアピールするために存在しているのではありません。その代わりに、不当な待遇と損失の捧げ物にしましょう。
p.88 ラケルの涙はかの敵の地[エジプト]から帰ってくる自分の子ども達[ヨセフとベニヤミン]を見て当然です。
p.98
あなたはキリストを見るために存在しています。
p.163 一つの人々(民)として、私達が特別な信仰を私達自身で守っていないならば、また、神の戒めを声とペンで擁護しないだけではなく、全ての人々がそれを守らず、一つの条項も違反していないと知ったふりをしているならば、その時、弱さと破滅が私達に降りかかるでしょう。
p.165 神は、カトリック教会の中にも大勢の神の子らを、プロテスタント教会の中にもたくさんの神の子らを持っています。その人々は、特別な光に歩んでいない安息日遵守アドベンチストの間の多くの者達よりも、自分達のとても素晴らしい知識を行ない、特別な光に従うように、多くの真理の中に存在しています。
p.178 私達の間にさえ、給料目当てだけの雇われ人と羊の衣を着た狼が存在しているでしょう。
p.179
神は、その危機のための用意をすることを信頼しましょう。
p.190 全ての被害と落胆させる影響は、神の愛が人の額に印され、畏れによってその働きが全ての人に及ぶまで、見えない天使の手によって抑制されて保たれています
p.207 144,000人として表現され特徴を記された人は、彼らの口[から出る言葉]には偽りのなかった人です。
p.210 私達は、特別な天使の栄光によって教化される/明るくために存在しているその天使の光から輝いていた特別な光の筋を捉えるために目を大きく開いていましょう。
p.211 彼ら[神の奉仕者達]は、創造によって存在し贖いによって存在している人々で、主をin Him完全に存在させるでしょう。
p.232 彼女が、良書『ダニエル書と黙示録講解』を修正して改訂することを行なったというその結果について、意見を求められた時に、彼女は、いつも、正しくないことを明白に示されたそれらの事柄を修正することを好んでいました。
p.236 私は、完全な清めと保証について話すことができます。それらは、エレン・G・ホワイトによって削除されました。
p.249 バーゼルの事務所の管理者、ホイットニー長老は、ホワイト姉妹の書いた文章は難しかったという事実を認めました。講話の全体像は、いくつかのケースにおいて、通訳者によって不完全に理解されました。
訳出に当たって使用した言葉
引用した聖書は「ジェームズ王訳」(KJV)からの訳です。
「abuse」:乱用・自己虐待/自虐(「自慰」訳は不適切訳)
「adaptation」:現代語訳
「agency」:働き人、代理者。(神の使者は預言者prophets・使命者messenger・働き人agency)。「機関」訳は不適切。天の出先機関は存在しない。
「American Civil War」:アメリカ市民戦争(いわゆる南北戦争)
「arrangement」:組み合わせ
「be to」:ために存在している。(「ねばならない」訳は不適切訳の一つ。その根拠は存在しません)
「class」:集団、層
「cling」:堅く信頼する。(「しがみつく、すがる」は不快語)
「counsel」:勧め(「勧告」では、「辞職勧告」など懲罰の意味があるので避けた)
「the Desire of Ages」:『救い主 各時代の希望』(『各時代の希望』では、「各時代」の「希望」と意味不明です。これは「救い主を各時代の人々が希望していた」という意味)
「economy」:救いの計画
「the event」:大いなる出来事(日曜休業令や再臨、主の生涯の出来事など)
「Gazinstock」:女性用立ち襟
「the General Conference」:SDA全体総会(「世界総会」では国連の総会と誤解される)
「the Great Controversy」:本来の題は『善と悪の間の大争闘』や『キリストとサタンの間の大争闘』。(『大争闘』では誰が闘っているか不明)
「the Lord of hosts」:ホスト役の主
「Jehovah」:主ヤハウェ(hwhy)
(「エホバ」はKJVの誤訳)
「journey」:伝道移動(「旅、旅行、小旅行」などでは、「慰安、娯楽」の意味が含まれる)
「labor」:労苦、労働
「mind」:知性(著者は、heart心、spirit精神、mind知性を使い分けている。Mind知性は額の後ろにある大脳の前頭葉が司っています)
「must」:必要がある(「ねば」「べき」などを避けました)
「negligent」:無頓着
「order」:バランス
「perfect」:完全/成熟/熟達(perfectは人格の完成・成熟・熟達の意味)
「present the
truth」:現在の真理。「present truth」:これは、再臨、安息日、信仰による義、調査審判、死人のよみがえり、千年期、その他、現在までに明らかになっている真理です。
「pride」自慢と自尊心、自負心(自慢を含む自尊心)
「self-respect」自尊心(自分へ敬意のある自尊心)
「state, statement」言及する、論述、記述(「声明」では、あまりに権威主義的)
「the Testimonies」:SDA教会への証。(『教会への証』では他教派の教会が含まれる)
「they」:その人々。(「彼ら」では、男性だけで女性が含まれない)
「travel」:移動、伝道旅行
「自尊心」self-respect(p.5)について
「自尊心」に当たる言葉として、E.ホワイトはself-respect, self-esteem, pride、self-importanceを使っています。「証の書」やSDA教団の訳書では、これらが混同して訳されています。本来、「respect」は尊敬する・尊重する・価値を認める・侵犯しない・敬意。「esteem」は尊敬する・尊重する・高く評価する・名声。「pride」は誇り・得意な気持ち・うぬぼれ・高慢・尊大の意味です。
E.ホワイトは、高貴な自尊心self- respect、高すぎる自己評価self-esteem、自分だけを大切にするself-importance、自負や誇りに自慢が混じったprideを使っています。例:「[真の礼儀]は自尊心self-respect、すなわち人としての真の威厳に対する尊敬…」(『教育』p.205)、「利己主義、利己心、高すぎる自己評価self-esteemなどの性質や…」(『キリストの実物教訓』(p.64髙谷訳)、「パリサイ人たちは自分だけを大切にするself-importanceが強く自分を義とする…」(同p.346髙谷訳)。「神の目的は人間のうぬぼれprideに侮りを浴びせる方法でなされるように存在していた」(『あけぼの』上p.285 髙谷訳)。
[1]
訳者加筆。このように、当時は、まだ既製服は存在しませんでした。女性達は、生地を買って、家庭で服を縫って作った時代でした。
[2]
1871年のSDA全体総会の前に話した時に報告されたものです。
[3]
1860年代に適用されて擁護された「改革ドレス」はエレン・ホワイトに与えられた光と調和して、上品な服装で、着心地良く、控え目で、健康良さを備えることを企画するセブンスデー
アドベンチスト女性の一つのグループによってデザインされました。その時代にはとても必要とされました。SM第3巻pp.252-255参照。おおよそ、床から9インチ(23センチ)の腰下の丈で、肩釣りの緩やかに合った服と呼ばれました。両下肢は、快適さと温かさを備えたぴったりした半ズボンtrouser likeのような服装でした。
[4]
訳者加筆。本書の10と11ページにある絵の女の子のスカートの下に履いているズロースのようなものかと思われます。
[5]アデリア・パッテン[エレンより7歳年下]。バトルクリークのホワイト家で[1864-67]数年、アシスタントをしました。彼女の著書『生涯の物語、体験、ヘンリー・N・ホワイトの最期の病気』の中で、1863年11月に死んだ彼について、エレン・ホワイトが自分の子ども達に送ったと思われる文面をたどって次のように書きました。
過去何年間も、彼らの母親は、彼女がその当時出版した『安息日の読みもの』という題の本の一部や彼女の大量の蔵書から道徳書や宗教書を選んで、安息日に自分の子ども達に読んで多くの時間を費やしました。彼女の子ども達の前で読まれた本は、すぐに子ども達に自分で読ませ、有用な読書への愛着を彼らに与えています。彼女の子ども達は多くの自由時間、特に、安息日の時間を過ごしました。安息日学校や集会ではない時に、彼らは提供された良い本を精読していました。 『Appeal to Youth』p.19
[6]
1949年10月16日の日付で、ホワイト家での年の末ごろの安息日の食事は、彼女の息子の嫁によって記述されました。「ミセスホワイトの義理の娘のように、私は1年近く、彼女の家族の一員でした。また、時々、彼女の家にいました。さらに、20年間以上、彼女と伝道旅行をしました。安息日の朝食と夕食は、温かいものが提供され、それは、食事の前にすぐに温められて提供されました。不必要な働きは全て、安息日には避けられましたが、その食事のために食物を温めるか、家の暖房のために火をつけることのような、普通の生活の快適さを提供するための安息日に相応しい習慣を妨害することについて、ミセスホワイトが考える機会はありませんでした。
[7]
エレン・ホワイトの秘書の一人、D.E.ロビンソン長老が1902年から1915年に次のようにレポートしました。「私は、ホワイト姉が立っている会衆と彼女自身が立って共に祈りを捧げたキャンプミーティングとSDA全体総会会議に何度も出席してきました」。
D.E.ロビンソンの手紙1934.3.4
[8]
誠実なクリスチャンはしばしば公的な祈りと私的な祈りをしています。その人は通りを歩いている時にも、また、働きに就いている時も、夜中に目覚めているときも祈っています。エレン・ホワイトは『福音宣伝者』(Gospel Worker)p.178に一つのアピールの中で勧めました。公的な礼拝と私的な礼拝の両方において、彼に私達の祈りと願い捧げる時に、主の前で私達の膝をつくことは私達の特権です。この点において、それに続くその言及はオーストラリアで書かれて、そして、『セレクテッドメッセージ』第2巻p.312に見られたものは、より強調されています。「公的と私的な礼拝の両方において、それは、私達が彼に私達の祈りと願いを捧げる時に、神の前に私達の膝を折って、下につくことは私達の特権です。この行動は私達が神に依存していることを示しています」。それはまた、崇敬のしるしです。「そこに献身的に愛と畏敬による神への近づき方の知的な認識があるでしょう。ここに、私達は造り主への崇敬の欠如の増長があります。彼の権威と偉大さを軽視する増長があります。
エレン・ホワイトは、全ての祈りの場面で私達が膝をつく義務があるのは彼女の言葉と彼女の手本の二つによって明らかにされている、と教えることを意図しませんでした。彼女にとって、祈りが相応しくない時も場所もありませんでした。彼女の家族は、彼女の家では食事のテーブルではこれらの人々は頭を垂れましたが、膝をつきませんでした、と証しました。彼女は、自分が出席した礼拝を閉じる時の終祷のために膝をつくことを知りませんでした。ひざまずいて祈るという熱心な勧めは神の家での礼拝の中と、家庭での家族と個人的な献身において、その原則の[柔軟な]適用があるように思えます。公的な奉仕の働きministryにおいて、そこには、彼女は祈りのために立っていた時がありました。 ――題目編纂者
[9]
彼女の著作物を比較し、慎重に調べたものは、ラード(豚の脂肪)、スウェット(牛・羊の腎臓の硬い脂肪)のような獣脂を意味した「グリース」によるものを示しているように思えます。『食事と食物』pp.353-355
[10]疾病の治療と食事の改善に着目した合衆国で最も優れたその医療施設は、当時、ニューヨーク州ダンスヴィレでジェームズ・C.ジャクソン医師によって運営されていました。
[11]その「改革ドレス」についての情報を提供するための一つの表明は、この幻visionに応答した中でつながっていて、期待される変化のようなものを作っている状況にしています。「Story of Our Health Message」pp.112-130参照。
[12]
この一部として、『SDA教会への証』第3巻p.13参照。
[13]ソロモンの神殿の建設からの旧約聖書の歴史を綴っている第4巻の119ページは、全部で160ページの中からNo.1からNo.10までの主な部分を再掲した『SDA教会への証』から選んだものと、40ページの「健康」というタイトルの章に続いています。
[14]
1881.3.23にミシガン州バトルクリークで書かれ、そして、『レビュー&ヘラルド』1959.1.25で出版されました。
[15]『セレクテッドメッセージ』第2巻pp.259,260「復活の子ども達」と、『Child Guidance』pp.565,566「先だった母親の慰め」参照。
[16]
訳者加筆:創世記30:1「私に子どもをください」の涙、エレミヤ31:15「ヨセフとベニヤミンがいなくなった」涙、マタイ2:18「ベツレヘムの2歳以下の子どもが殺された」涙。創世記35:19「ベニヤミンを産んですぐに死んだ」涙。
[17]
『セレクテッドメッセージ』第2巻pp.318-320参照。
[18]
この勧めは、一人の働き人のために書かれたものです。その人は『レビュー&ヘラルド』(1894.4.3、20)に「極端な見解に繫がっている危険」というタイトルで2つの記事を書きました。
[19]
背教運動で、一人の退会者の出版物。
[20]
マッキンの体験と思われるいくつかのコミュニケーションは、『セレクテッドメッセージ』第2巻pp.41-47で出版されました。
[21]
『SDA教会への証』第5巻pp.711-718「差し迫った闘い」(1889)参照。題目編纂者
[22]
A・T・ジョーンズとそのほかの人々。
[23]安息日の重要さにおける1847年の幻、『初代文集』pp.32-34参照。
[24]
1889年のSDA全体総会会議は、10月18日から11月5日までバトルクリークで開かれました。11月2日の安息日に、「日曜法に関して、この時のために、神の人々(民)の立場の明確な一線を置くために」エレン・ホワイトはその朝に黙示録13章について話しました。安息日の午後、彼女は同じテーマに関連した『SDA教会への証』と1883年の全体総会での説教を読みました。どちらも、すでに報告されたものでした。
[25]
訳者加筆:この兄弟は(A.T.ジョーンズ)と思われます。また法案は提出されています。『エレン・G・ホワイト百科事典』の「ジョーンズ、アロンゾ・トレビア」の項を参照してください。
[26]
この原稿が南部諸州のセブンスデー
アドベンチスト達のために書かれたその当時、州の日曜法違反を理由としての迫害が存在していました。そこにいて、課された兵役免除料を納めることを拒否するアドベンチスト達は、屋外労働のために一本の鎖に繫がれていました。
[27]
『SDA教会への証』第9巻「日曜労働」pp.232-238参照。
[28]
その預言に関するその見解は、預言の霊における彼の否定的な立場とSDA全体総会内の指導部についての打ち明け話、彼の正常に働かない思考という立場を取る「D兄弟」によって取り上げられました(『SDA教会への証』第5巻pp.289-297)。――題目編纂者
[29]
これは、「私達の全体の宣教師達」に宛てた手紙と同じものです。
[30]
マリアン・デイビスの記述――題目編纂者
[31]
サウスウェスタン
ユニオン カンファレンスの出版部門の秘書
[32]
その当時、フルーム長老はSDA全体総会伝道協会の秘書の一人でした。
[33]
たぶん、フランコイス・ガウッセン。スイス人の聖職者(1790-1863)、彼は、聖書は言葉に霊感が与えられた(逐語霊感説)という考えを持っていました。
[34]
訳者加筆:SM第3巻15章冒頭のメアリー・C.クラフ説明参照。
[35]
SDA全体総会の代表
[36]
この当時、SDA全体総会の牧師会の秘書。
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