セレクテッドメッセージ 第2巻 第一部
第1部 狂信的言動と惑わす教え
はじめに ホワイト遺稿管理委員会
セブンスデー
アドベンチスト教会は、「龍と言われるサタンが、神の戒めを守りイエスについての証を持っている人々に対して、情け容赦ない戦いを仕掛けているので争闘が続いている」という預言の解釈によって出現しました。絶大な敵対者は、もしも、セブンスデー
アドベンチスト達を困惑させ、誤りに導くことに成功するならば、神の[人類救済]目的を阻止できることを知っています。彼の攻撃性は、常に人を陥れる個性にあります。また、まじめな男女達がやがて嘘を信じるように極端に導く傾向もあります。
狂信的言動と極端な考えからの解放の一方で、再臨運動の初期の日々以来、この運動は、狂信的な言動の脅威に直面していました。ミセスホワイトの最初の責務の一つは、狂信的な言動に対して、神の言葉によって立ち向かうよう伝道地に出て行くことでした。彼女の70年間の奉仕の働きを通して、彼女は、狂信的な教えや惑わすような教えに立ち向かうために、一人で、あるいは、ほかの人と何度も呼び出されました。その狂信的な人々に対する多くの警告は、この教会へ、その危険について繰り返して注意を促す奉仕をしました。また、様々なタイプの狂信的言動の急増と感情的な宗教に、主のメッセンジャーの勧めは、この会衆の安全装置として、現在も良い奉仕をしています。
この第2巻に含まれた指導や、エレン・G・ホワイトの初期の著書にある警告の多くは、地方のカンファレンスの危機的な状況に立ち向かうために、1933年に1冊の題目編纂集としてまとめられました。謄写版印刷のこの資料は正しい理解を[もたらして]この教会に良い奉仕をしてきました。エレン・G・ホワイト出版委託管理委員会は永続する形態で、これらの勧めを提供する機会を歓迎しています。
この第2巻は、誤った奇跡の働きの出現と奇跡の実演の重大さ、真理をテストする重要性を扱い、様々な記事を載せて結んでいます。これらの勧めは、現在も特別な価値があって、私達には地上の閉じられる日々が近づいているので、将来、サタンが異なった陰謀と策略を通して、特別に選ばれた人々をだまそうとする時、さらに欠かせないものとなるでしょう。
ホワイト遺稿管理委員会
1章 人騒がせな教えと感情的な宗教に対する警告
1.根拠のない推測思考の危険
神の民に一つの悩みの時がやってきています。しかし、私達はその人々の前に、悩みをいつも示し続けるためにいるのでもなく、以前から存在している悩みの時を捉えてそれを阻止するためにいるのでもありません。神の民の間には篩(ふる)いが存在しています。しかし、これはこの教会に持ち込むための現在の真理ではありません。それはすでにあった真理を拒否した結果でしょう。
この教会の牧師達は「進歩的な素晴らしいアイデアを持っている」と思わない方がいいでしょう。それらを全て受け入れている限り、彼らはふるわれて落ちるでしょう。また、ある人々は勝利に向かって意気揚々と進んで行くでしょう。人々がキリストの行く手の前に走り出て、キリストが彼らの手に委ねなかった働きをする時、彼らがラオディキアの状態、生ぬるい状態、豊かで良いものが増えた状態、そして、足りないものが何もないという状態だと言う時に、サタンの目的は成し遂げられています。その二種類の人々は、つまずきの石として存在しています。
独創性に全てのエネルギーを注いで熱心な人達は、この教会の人々の前に、びっくりさせるような、素晴らしいもの、うっとりさせるような、人が理解できないようなことを考え出そうとして、間違いの墓を建ててきました。しかし、しばしば、彼らは、自分達が語っていることについて自分もわかっていません。彼らは、自分自身やこの教会に少しも助けにならない進んだアイデアで神の言葉を推測しています。その[悩みの]時は存在しているので、彼らは、それを想像して興奮するでしょう。しかし、そこには、反動が存在していて、それらのアイデアは障害物になっています。信仰が空想と混ぜられ、そして、彼らの見解は間違った導きによって、知性に偏見を持つでしょう。神の言葉のわかりやすく簡潔な説明を知性の糧としましょう。すなわち、明確に表現されないアイデアによる推測は、危険な関わり合いです。『日付のない資料』p.111
神の民の知性を惑わす危険、すなわち、私達の教会に迫っている新しいことと、珍しいことの危険は、この教会の中に持ち込まれ、霊的な事柄において知性の力を必要としている時に、神の民に知性の力を与えないでしょう。明晰な識別力は、この時に与えられるメッセージの任務の一部として、新しいことや珍しいことが真理と並べられないようにするために必要とされています。私達がこの世界の人々に与えてきた特別なメッセージは、優れたものが作り出されるために存在しています。
『勧誘する人々へのアピール』pp.1,2
2.新しい理論の魔力
真理だと主張されている狂信的な言動と間違った理論はみな、神の残りの民に持ち込まれるでしょう。それらは、この時代の人々のための真理の一部もなさず、間違った感情による判断によって知性を支配するでしょう。自分の力で謎を解明した、自分の知性の推測が知識や科学と結びついた、この世を制覇する働きを始めることができた、と考えている人は、自分の推測という落ちぶれた人の中にいるのが分かるでしょう。そして、なぜ自分がそこにいるのかを知るでしょう。……
主の光/真理が私に与えられてから、人々の願望は[私の]意に反することを語ろうとして高まりました。それどころか、その人々はすでに働き始めていて、神が啓示しなかったことを語り、神聖な真理に世俗の話を持ち込んでいます。問題は存在し始めていて、真理に属さない、人間達の奇抜な思いつきとこじつけを創り出し続けるでしょう。人間の知性による発明は、まったくテストにならないテストを創り出すでしょう。また、真のテストが優秀な人によって作り出された時、それは、価値がなくなって、人間が作った普通のテストとしてみなされるでしょう。私達は、全ての事柄が健全な教理に持ち込まれ混ぜられることを期待するかもしれません。しかし、天の油注ぎによって、また、霊的な洞察力を明晰にすることによって、私達は、この時代に、真理のテストと基礎、大きなデメリットと健全な判断や信仰に混乱をもたらす、世俗から神聖を識別する必要があります。
この終末時代以上に、反論し逆らう人々によって、真理が誤って伝えられ、価値を下げられ、欠点があるとされ、痛手をこうむった時は一度もありませんでした。人々は、神の民のために、権威ある言葉として語る異端の異質な言葉の中に、自分達[の言葉]を持ち込みました。神の人々は、珍しいことや、新しいことに魅了されていて、そして、何かの考えを組み立てる特殊な性質を識別する実行力がありません。しかし、何らかの大きな成果のためにそれ[人の言葉]を利用すること、そして、神の言葉にそれを繫ぐことは、それを真理にしません。まあ、これは、この教会の中の聖の標準の低いことを戒めています。
独創的な何かを提示したい人々は、新しいことや珍しいことを奇術のように出すでしょう。そして、深く考えることをせずに、貴重な理論として編み込んだ気まぐれな理論に向かって歩むでしょう。そして、それを生と死の一つの問題として提示するでしょう。
『手紙』136a,1898[71歳]
3.明晰な識別力の必要
やがて、高い所で、悪の霊の支配者と勢力とが[神の]真理に対して闘いを挑む時、また、やがて、サタンの惑わしの力が非常に強くなる時に、私達は近づいているので、もしも、彼[サタン]が真に選ばれた者達でさえをも惑わし得るならば、私達は、神性の光/真理の教化によって、自分達の識別力や洞察力を研ぎ澄ます必要があります。私達は神に属する精神を理解することができるでしょう。私達はサタンの策略に無知のままの存在ではないしょう。人間の努力に神性の能力を結びつける必要があります。私達は、この今の時に、その締めくくりの働きに熟達することができるでしょう。
キリストは、神の聖霊の象徴として命の息を用いています。その息は、それを聞く人の所に吹く時、私達は、それがどこから来てどこへ行くかを説明できませんが、それは、神の聖霊と共に存在しています。私達は、それが誰を通して現されるかを知ることができません。
私は、神の聖霊が、人々に絶好のテストの日だったのに、人々のそばを通り過ぎて行くということを話す時に、自分の言葉を語っていません。しかし、その人々は、神の聖霊の感動を悟らなかったか、または、神の声を識別しませんでした。ですから、何千という多くの人々は、ぎりぎりのきわどい時にその真理を見て理解するでしょう(Then
thousands in the eleventh hour will see and acknowledge the truth.)。
「見上げなさい。その日が来ます。と、主は言っています。耕す人は収穫する人に追いつくでしょう。また、ブドウを踏む人は種まく人に追いつくでしょう」(アモス9:13)。
真理へと回心する人々は、この教会に驚いてすぐに繋がるでしょう。神の御名だけが栄光を受けるでしょう。 『手紙』433,1890 [73歳]
4.私達[教会]のただ中に現れる狂信的な言動
狂信的な言動は私達[教会]の中に現れるでしょう。だます者達は、もしも、可能だったならば、真に選ばれた人々を間違った方向へと導くような役者a characterとしてやって来るでしょう。もしも、真実でない言葉とひどい矛盾が、その証の中に見られたならば、偉大な教師[キリスト]の口から語られる言葉は必要とされなくなるでしょう。この警告が与えられている理由は、やがて発生する様々な危険が多くの人々に関わってくるからです。
私がその危険性のしるしを掲げる理由は、神の聖霊の光/真理の教化を通して、私の兄弟[姉妹]達が識別しなかったものを、私が理解できたからです。兄弟姉妹達が備えて防御する必要のあるだます者の特殊な相を指摘して出すことは、私にはあまり必要ないでしょう。みなさんに話すことは、私にとってこれで十分です。すなわち、「主と自分達との関係を保つことを告白しているにもかかわらず、軽率な言動を受け入れている全ての人々から、神の[民の]群れを守る忠実な見張り人として、あなた方の防御の役割を果たしなさい」ということです。もしも、私達が、感情と考えを駆り立てて興奮するものを創り出すように働くならば、私達はみんなが自分の欲しいものを手に入れるでしょう。そしてもっと、私達は愚かなやり方を知ることになるでしょう。静かな、明瞭な「御言葉を語る」私達は、興奮して創り出すことを自分達の働きと考えてはいけません。
神の聖霊だけが健全な熱意を創り出すことができます。神の働きに任せましょう。人間の働き人を神の前に静かに歩ませましょう。全ての瞬間において、イエスを見つめ、待ち、祈り、眺めましょう。貴い聖霊によって導かれ、コントロールを受けましょう。聖霊は光/真理であり命です。 『手紙』68,1894 [67歳]
世界の終わりが近づいています。光/真理の子らは、私達の将来の大きな出来事に準備するために、また、ほかの人々を導くために、熱心に根気よく真剣に働くために存在しています。その人々は、自分達の心に聖霊が働くよう受け入れているので、敵に抵抗することができるでしょう。間違った興奮、間違った宗教心、間違ったリバイバル、間違った好奇心など新しいことと珍しいことは、神の民を導くよう湧き上がり続けるでしょう。彼らの進展はそのままにしておきましょう。彼らの両目の[焦点]は、この世界の人々の光/真理と人生だけに合わされました。神の言葉にある光/真理に呼び出されて全てを知ることは、サタンの手の込んだ技術の偽物ではなく、神性の知恵からの発散であり、光であり真理です。神の知恵に属する光/真理は、人々の足元を灯すランプとして、全ての真理、忠実な奉仕、魂の悔い改めのために存在しています。
『手紙』45,1899[72歳]
5.感じる/思うを判断の主にしない
興奮しやすい気質の人々によって実行されていることと、極端な意味で受け入れられていて、間違いが混ぜられたものがあるということは真実です。このような、狂信的な言動は、よく統制する、よく後継者を育てる、そして、天が委ねた達成を目指して働く努力の成果を出す位置を占めているでしょう。
そこには危険があります。アンバランスな知性は狂信的な言動に導くだけではなく、人々のそのような先見性は、将来、自己中心的な決意をさせて、この興奮を優先させるでしょう。……
私は、兄弟[姉妹]達に与える一つの警告を持っています。兄弟姉妹達は、自分達のリーダー[主]についていくでしょう。そして、キリストの前を走り回りません。この時、行き当たりばったり働かないようにしましょう。自分達が神からの素晴らしい光/真理を持っていると考えて、知性をアンバランスに導くような、強い印象を受けることに気を付けましょう。神からのメッセージを人々へ伝える人は、完全な[自己]管理を実践する必要があります。その人は、知性に、信仰の小道のわきにある確信の小道をいつも持っている必要があります。……
まず、衝動と情緒に冷静な判断ができるようにさせましょう。[それが]速くなると、いっそう、正しい道をたどるでしょう。早合点する人は、一つ以上の危険に満ちた道を選ぶでしょう。[その人は]正しい道から間違った脇道に外れる前に、長時間を要しないでしょう。
一度たりも、感情は判断において主導権を得ることが許されないでしょう。そこ[感情の判断]には、法や規則を守るという行き過ぎの危険があります。また、法や規則を守らなくてもいいという場合では、明らかに間違った数々の小道に導くでしょう。もしも、そこ[感情の判断]に、気遣いや誠実さ、賢い働き、与えられた想像力とあらゆる思想と原則の進歩、岩のような堅実さがなければ、魂は大きな損害を受けるでしょう。
『手紙』6a,1894[67歳]
6.従順対情緒(または歓喜)
私達の信仰をもつ人々は「聖なる霊を受けるという間違いをする危険」があります。多くの人々は、聖霊の臨在が一つの根拠だとして、感情に属する情緒や歓喜を支持しています。正しい心情は理解されなくなり、「私があなたがたに銘じておいたことはなんでも、すべて見たように人々に教えなさい」(マタイ28:20)というキリストの言葉は、それら[正当な心情]の意味を失ってしまうという危険性があります。すなわち、独創的な工夫と迷信的な想像物が、やがて御言葉の位置を占めるという危険性があります。私達の[教会の]人々に「神の言葉の中に明らかにされていない何かを持ち出すことを考えないでください。キリストに堅くとどまりましょう」と話してください。
「全ての、国民、民族、言語、そして、人々に、宣べ伝えるように」とキリストが私達に命じた言葉は、聖霊によって確かなものとされたということを思い出しましょう。これは、神の働きに関する計画です。キリストには、「その言葉を確信する。改心によってその真理と信仰の理解へ男性達や女性達を引き寄せる。彼が命じた言葉はみな実行するために、快くするように彼らを育てる」という偉大な能力が存在しています。
人間の働き人達、目に見える手伝いをする働き人達は、主の言葉を効果的に力強くするために働いている聖霊によって、見えない働き人、主イエスと御言葉を説教するために存在しています。
『手紙』105,1900[73歳]
7.古い形式の説教への招き
物事の新しい流行が、教会の奉仕の働きにやって来ました。しかし、様々な他教派にならって、[説教の]形式に一つの要望があります。簡素と謙虚がほとんど知られていない状態です。若い牧師達は独創的であること、新しいアイデを導入することと、そして、勤務のための新しい計画を要求しています。いくつかの公開リバイバル集会[への参加]が、この方法によって、この教会の中の大勢の信徒達に呼び掛けられました。しかし、その興奮が過ぎ去る時には、どこに改心した人がいますか。罪の悔い改めと告白が見られていません。ある罪びとは、罪と反抗の状態だった自分の過去の生き方を考慮することなく、キリストを信じることもなく、彼を受けれることを願っていません。その心は砕かれていません。そこには、魂の悔悟がありません。改心したと思われた人々は、特別な岩、キリストイエスの上に落ちていませんでした。
旧新約聖書は、私達に、この働きは為される必要があるという一つの道を示しています。「悔い改めなさい、悔い改めなさい、悔い改めなさい」が、荒野での洗礼者ヨハネのメッセージでした。その当時の人々へのキリストのメッセージは「あなた方の悔い改めがなければ、あなた方はみな同じように滅びるでしょう」でした(ルカ13:5)。彼[キリスト]の弟子達は、「人々は悔い改める必要があります」と、どこででも説教することを命じられました。
主は、古い福音の教理である、罪の悲しさ、悔い改め、そして、告白について説教することを今日も主の奉仕者達に望んでいます。私達は、古い形式の説教、古いしきたり[の説教]、[古代]イスラエルの父親達と母親達の古い形式の説教をしてほしいと願っています。罪びとは、主イエスキリストを信じ、神に向かって悔い改めを実践をして、その人が神の律法の違反者だとわかるようになるまで、根気良く、真剣に、賢明に働きかけられる必要があります。 『日付のない原稿』111
8.冷めた形式主義や狂信的言動
形式主義、世俗的な知識、俗っぽい注目人物、この世的な策などは、「まさに神の能力の存在である」として、多くの人々に現れるでしょう。しかし、それは、受け入れられた時、この世界の人々にもたらす警告や叱責、勧めという、神の光/真理を遮るための障害物として立っているでしょう。
サタンは、強い力で宣言されるために存在している第三天使のメッセージから人々を離すように導くために、惑わす勢力や自分の御機嫌取り達と共に働いています。もしも、サタンが、「主が、主の民を祝福していて、彼[サタン]のふるいに準備していること」を見ているならば、彼は、一方の手で狂信をもたらすために、そして、もう一方の手で冷めた形式主義をもたらすために、征服者の支配力によって働くでしょう。彼は、数々の魂という収穫物を取り入れるでしょう。今は、私達にとって絶え間なく監視するための時です。[神の働きの]前進を無きものにしようとして、サタンがあなた方の間でするかもしれない提示の歩みを少なくする、通行止めの柵を用意して監視しましょう。
右手にも左手にも、数々の危険から守られる必要のある人々が存在しています。不慣れな人々すなわち、新しいことが信条/信仰に持ち込まれる人、元気づけられる必要のある人、また、彼らの目の前に正しい手本を示される必要のある人がいるでしょう。ある人々は、信仰による義の教理を正しく説明しないでしょう。その人々は、一方の側[からの解釈]によってそれを説明するでしょう。
もう一方の側の人々は、正しく説明されなかった[信仰による義の]意味を理解しているでしょう。また、その特徴について、また、滞っている働きについて明らかにするでしょう。
さて、真の信仰は愛によっていつも働いています。あなた方がカルバリーを見る時、それは、義務を怠ったあなた方の魂を鎮めるために存在しているのではなく、また、あなた方自身を眠りに陥らせるためでもなく、利己心を少なくして魂を清めるように働いて、イエスにある信仰を創り出すために存在しているでしょう。私達が信仰によってキリストの招きに身を寄せる時に、私達の働きがちょうど始まったところです。全ての人々は、溌剌とした激しい闘いによって勝利して当然ですが、道徳が低下した罪深い習慣を持っています。どの魂も信仰の戦いを闘うよう求められています。もしも、人がキリストにつく一人であるならば、その人は、厳しい言葉を使わないでしょう。その人は無情にすることも共感を欠いていることもないでしょう。その人は自身の言葉に粗野であることもないでしょう。その人は大げさな態度や高すぎる自己評価に満たされることもないでしょう。その人は横柄にすることもないでしょうし、非難ととがめ、不平の言葉を使うこともないでしょう。
愛の働きは信仰の働きから湧き出てきます。聖書の宗教は絶え間ない働きを意味しています。「あなたがたの光/真理を人々の前に輝かしましょう。人々はあなた方の良い働きを見るでしょう。そして、天にいますあなた方の父を称賛するでしょう」(マタイ5:16)。畏れと慄きをもって自分自身の救いのために働きましょう。神の喜ばれるよいことを為し、それを望む二つをあなた方の中で働いているのは神です。私達はよい働きを熱心にするために、また、良い働きを注意深く保ち続けるために存在しています。そして、真の証人は「私はあなた方の働きを知っています」と書いています(黙示録2:2)。
一方、私達の忙しい活動は、自身の救いの確証に役立たないということは真実です。また、キリストと結びついた私達の信仰は活動するよう魂を促すということも真実です。
自分自身の魂に注意を注ぐ時間がないという人々、自分達は神の愛のうちにいるかどうかを日々自分自身でテストするための時間がないという人々、光/真理のチャンネルの中に自分自身を置く時間がないという人々は、サタンの計画の実行に示唆を与える時間を持っているでしょう。
サタンは、人々が自身のために一つの場所を用意する時に、それを広げるための小さなくさびを打ち込んで、自分自身をうまく押し込むでしょう。サタンのもっともらしい方策は、この時代の神の働きの中に持ち込まれるでしょう。 『原稿』16,1890[63歳]
9.神の祝福に関しての間違った考え
多くの人々は、疑問を持って、そして、悩んでいます。その理由は、彼らが神の中に信仰を持っていないためです。ある人々にとって、宗教体験は楽しい時間よりも少ないことを意味します。その人々の感動が呼び起こされた時、その人々は自分達が大きな祝福を受けたと考えます。ある人は、自分達が感動させられ興奮させられない限り、自分達が祝福されたとは考えません。興奮の陶酔は、彼らが求めている目的です。そして、もしも、これを体験しないと、彼らは、全員が間違っているか、もしくは、誰か一人だけが間違っていると考えています。
人々は、狂信的な言動に接していると、情緒的に規律のある宗教は純粋な宗教だけであるという考えを教育されないでしょう。そのような宗教の影響の下では、牧師は、福音の説教に彼の神経のエネルギーをすべて使うことを期待されています。彼は、命の水の強い流れを大量に注ぎ出す羽目になります。彼は、人間的な欲に受け入れられるような刺激のある原稿を用意する必要があります。自分達の衰えた情緒が刺激されない限り、物事に不注意で無頓着なままだろうと考える人々がいます。
『手紙』89,1902[75歳]
10.全ては平静、平穏、慎み深い
かの敵は、奇跡を働く能力によって、世界中の人々をだます用意をしています。彼は、光/真理の天使の役を演じるでしょう。この時に備える真理を教える人々はみな、御言葉を語るために存在しています。御言葉を堅持する人々は、預言された内容、または、夢と幻の説明の中に、無防備の言葉を使わず、サタンのためにドアを開かないでしょう。責任ある、または、全く重要でない地位にいて、間違った人物が、1844年以来、至る所に現れて来ました。私達がキリストの再臨を待ち望んだ時の後、私達は、もっと多く彼らに会うでしょう。……そして、信仰深い見張り人として、私達は用心する者である必要があります。私の所に多くの人々から、幻に関して人々が抱いた感情と自分達の義務についての手紙が届いています。主は、その奉仕者達を慎重になるように助けるでしょう。
主が真の光/真理の送信回路を持っている時、そこには、いつも、模造の回路がたくさんあります。サタンは、自分のために開け放っているどのドアからでも間違いなく入り込むでしょう。彼は、自分自身の本心の考えと混ざった真理のメッセージを与えるでしょう。魂達を間違った方へ導く用意をして、人間の言葉を使って彼らの心を惹きつけ、「このように主は言っています」ときつく示して妨害するでしょう。神の民への神の報いによって、神に信頼する人々の全てが平穏になり、全てに穏やかさと慎み深さが存在しています。そこには聖書を信じる純粋で純真、誠実な者達がいるでしょう。御言葉を聞く人々だけではなく実践する人々がいるでしょう。そこには、健全な人、誠実な人、神を待っていて、目的にかなった人々がいるでしょう。 『手紙』102,1894[67歳]
11.キリストに属する模範
全ての歩みで魂が謙遜、御言葉に忠実な研究者の時に、誰も極端に向かうなどと心配しないようにしましょう。キリストは、信仰によってその人の内に必ず住むに違いありません。その人々の手本であるその方は、自己を持っていた人でした。彼は謙虚に[人生を]歩みました。彼は真理の威厳を持っていました。彼は忍耐心がありました。もしも、私達が、これらの品性/個性の特徴を個人的に有しているならば、信仰による義を受け入れる人がいて、極端論者はいないでしょう。……
キリストに属する模範は、いつも、神の律法を守り神の福音に堅く繫がった私達の面前にあります。その人々は[その模範から]引き離されることができません。冷静さと自己を持っていることは、キリストに属する品性でしたから、育まれ根気よく養われるようにしましょう。私達は、「自分達の信仰のための最も小さな基礎[的な知識]を持っていない時に、‟私は聖になりました。私には罪がありません”と大きな声で長々と言う人がいて、間違った宗教に凝り過ぎた、ひどい言葉」を聞いています。私達は、信仰についての静かな異議申し立てを聞きます。実行力のない私達は、全ての信仰の創始者の身体の恐ろしいほどのゆがみと実行力を見ています。父・子・聖霊の神Godheadの全体、全てが満ちている方の中に宿っていることを覚えていましょう。もしも、信仰によってキリストが私達の心にとどまっているならば、私達は彼の生活の作法を注視することによって、清く平穏に、そして、純粋にされて、イエスのような存在であるように努めるでしょう。私達は、自分の品性/個性の中にキリストを証するでしょう。私達は、光/真理を受けて取り入れるだけではなくて、それ[光]を放散するでしょう。私達は、イエスが私達のために存在していることについて、もっと明確な、もっと明瞭な見解を持つでしょう。イエスキリストの人生の中に存在していた共感と美しさ、そして、慈しみは、私達の人生の中から出て、輝かされるでしょう。
『原稿』24,1890[63歳]
12.変化への一つの望み・現在の秩序
何かの興奮の間に希望を抱いて生きるのではなく、私達は、現在の機会を賢く改善し、魂達が救われるために果たす必要を遂行するために存在しています。私達は、主が自身の力の中に置いていて、人々に与えなかった知性の能力を、時と時期について推測して能力を使い果たすために存在しているのではありません。そうではなく、私達は、聖霊の統制に私達自身を明け渡し、存在する義務を遂行するため、真理が損なわれている魂達に、人間の意見などの添加物を含まない命のパンを与えるために存在しています。……
私達には、単純な福音を飛び越えて[真理を]得ようとする危険が頻繁にあります。多くの人々には、何かの独創によって世界中の人々を驚かせようという強い願望が存在しています。それはある人々を霊的な恍惚の状態に高揚させるでしょう。また、現在の体験の秩序を変化させるでしょう。そこには、確かに、現在の体験の秩序の変化について、大きな必要が存在しています。現在の真理の神聖さは、それが当然理解されるはずなのに理解されていません。私達が必要としている変化は心の変化です。その変化は、神の恵みが私達の上に来るようにと、私達の品性/個性を創り変えてほしいという誠意を込めた祈りによって、また、神の力を主によって願い求めることによって、神の祝福によって、個々の人が神に求める祈りによってだけ得ることが可能です。これが、今日、私達が必要としている変化です。この体験の熟達を目指して、私達は忍耐強く精力的に、心からのまじめさをもって鍛錬しましょう。
『レビュー&ヘラルド』1892.3.22[65歳]
13.風変りなこと、または、風変りな行為
真理の御言葉を語る側の人々の活動には、風変りな考えや風変りな行為は存在しないようにしましょう。そのようなことは、御言葉によって創られるはずの良い印象を弱めるでしょう。サタンは、もしも可能ならば、宗教的な奉仕に彼の悪い感化を混ぜることを堅く決意しているので、私達は保護される必要があります。[教会に]演劇場的な飾りは存在しないようにしましょう。これは神の御言葉にある信仰心を強める助けとならないでしょう。それは、人間的な装具に関心を向けるでしょう。
14.誤った考えによって汚染されないための神の言葉
混乱の真っただ中で叫ぶ「見よ、ここにキリストがいる。見よ、ここにキリストがいる」という声は、証を生むでしょう。真理に関するメッセージは、この時代の人々のために適用されています。そのメッセージは、受け止められ、信じられ、そして、活動されるために存在しています。それは、架空の考えでもなく、真実で効果があります。御言葉の永遠の真理は、全ての魅惑的な間違いと唯心論的な解釈からの解放、惹きつけれた全ての架空からの解放、魅惑的な写真映像からの解放として、その前面に立つでしょう。誤った考えは、神の民に注目され、強く主張されるでしょう。しかし、真理は、それ自身の美によって被われて立つために存在しています。それ自身の聖の中にある貴さと感化力を高める御言葉は、平凡な書物として一般的なレベルに品位を下げられるために存在しているのではありません。それ[御言葉]は、サタンが、可能だったら厳しい選びで、だますために努めている誤った考えに汚染されないで、いつも留まっているために存在しています。
『レビュー&ヘラルド』1904.10.13
神の民は、世界中の人々が「セブンスデー アドベンチスト達は知的な人々で、また、考える人々で、この人々の信仰は、ベッドラム[ロンドンの聖マリア精神病院。混乱の場所という意味]よりも確かな基礎[教理]に根拠を置いている」ということを考えて行動しましょう。この人々[神の民]は命のパンに飢えています。一つの石を送らないでください。
『原稿』101,1901[74歳]
2章 繰り返される初期の狂信的言動
1.道標の取り除き
私達[教会]の人々は、私達の信条と私達の過去の体験の理由を理解する必要があります。その人々の多くは、見たところ、「古い道標教理 [1]の数々を取り除くため、また、私達の過去の体験を根絶するために、現在の神学理論に仕えるという人々」に対して、無条件に信頼を置いたということは、なんと悲しいことでしょう。間違った精神に容易に導かれる人々は、ある時(その人々が識別しない間に、真理から離れている間に)または、その人々が真の基礎[教理]を築かないでいる間に、その人々は悪いキャプテン(指導者)についていたということを示しています。私達は、その人々がその信条の真の柱の数々を明らかに、そして、識別して見えるように、彼らの両眼に油を塗るために、その人々の霊的なメガネの前に置いて、全て[の教理]を力説する必要があります。その時、その人々は「神の基礎教理が確かに立っていて、このしるしを持って[いるので]、主はその人々が自分の民であることを知っています」(2テモテ2:19 KJV)と理解するでしょう。私達は、かつて聖徒達が届けた私達の信条の古い道標教理の根拠を復活させる必要があります。
全ての考えられうる空想と人を惑わせるような教理は、それが真理を持っていると考える人によって表明されるでしょう。ある人々は現在、新しい地球で子ども達が生まれるだろうと教えています。ここに現在の真理がありますか。誰が、それらの人々に現代の理論のような考えを吹き込みましたか。主は、誰かにそのような見解を与えましたか。いいえ、これらの明らかにされていない事柄は、私達のためと私達の子ども達のために存在していません。目的が明らかにされておらず、私達の救いについて説明することは何も持っていなくて、沈黙が雄弁です。これらの奇妙なアイデは、真理の要素として教えたということは言うまでもありませんが、言及さえもされる必要がありません。
私達は、事柄がそれらの正しい名称によって定義されるために存在しているという一つの時代に到達しました。私達は、[伝道活動の]初期の日々に行なったように、立ち上がり、そして、神の聖霊の下で、だます働きを譴責する必要があります。感情の混ざった意見を表明したある人々は、表現することができた最も狂信的な考えの何かの初めです。私達が1844年のすぐ後に立ち向かう必要があったそれらの人々に似た教えは、神の働き人達の中で重要な地位を占めていた誰かによって教えられて存在していました。
バーモント州ニューハンプシャーとそのほかの場所で、私達は、狂信的な惑わす働きに、ひそかに阻止する必要がありました。おこがましい罪は動きのとれない立場に陥っていて、聖化の外套のもとに、不敬な欲望が何かによって気ままに甘やかされていました。霊的な自由恋愛の教理が擁護されました
[2]。私達は、御言葉の成就を見ました。「終わりの時に、誘惑する精神と悪の教理に心をとめて、ある者は信仰から離れるでしょう」(1テモテ4:1)。 『南部の見張り人』
1904.4.5[77歳]
2.身体的な証拠を求められない
真の宗教は、身体的な証拠を大きく求めていません。……そこには、神の聖霊の臨在の根拠がありません。1843年と1844年に、私達は、ちょうどそのような狂信的言動の人に会うために呼び出されました。人々は「私は神の聖霊を持っています」と言ったものです。そして、その集会に参加してちょうど輪のように転げ回っていました。ある人々は、神の聖霊の働きの根拠としてのこれ[聖霊]を受けようとしないので、悪い人々として見られています。
主は、私をこの狂信的言動の人々のただ中に送りました。……ある人々は、私の所に来て「どうしてあなたは、その人々に加わらないのですか」と質問したものでした。私はこう言いました。「私には、これらのこととは別のもう一人のリーダーがいます。従順で心が控えめで、あなたがここで示していたようなことを証拠にせず、そのような自慢もしない方です」。これらのデモンストレーションは、キリストに属するものではなく、悪魔に属するものです。 『原稿』97,1909[82歳]
3.印され・聖化されたという主張
1850年、夫と私は、バーモント州、カナダ、ニューハンプシャー州、そして、メイン州を訪問しました。(訳者加筆:ジェームズがクッション付きの馬車を購入したのは1880年でしたから、それまでは、クッションなしのガタガタと揺れる馬車で旅行していたでしょう。(Ellen.G. white Encyclopedia p.819)。数々の集会が個人の家々で持たれました。不信仰な人々を訪問するのは、その次でした。1844年の大失望は、多くの人々の知性を困惑させました。そして、人々はその内容についてどのような説明も聞こうとしませんでした。また、イライラしていて信仰心を失っていました。多くの人々は、自分達の過去の再臨の体験に対して、最も明確な方法で宣言して反抗的に思われました。ほかの人々はあえてこの行動を取らず、主が彼らを導いていた方向を拒否しました。これらの人々は、預言的な歴史と私達の立ち位置が調和している神の言葉から根拠を聞くことを喜んでいました。その人々が、自分達にとって非常に苦しかったその大失望の説明を聞いた時、神は確かに自分達を導いていて、自分達がその真理を喜んだのだと理解しました。これは、私達の過去の体験を否定していた人々の最も激しい反対の目を覚しました。
しかし、私達は、「私達は清められた。私達は罪があるはずがない。私達は印され、聖とされた。私達の漠然とした全ての感情と考えは神の知性だ」と主張していたある種の人々に会うという、小さくてもっと悪い要素を抱えていました。良心的な人々の魂は、自称の聖という狂信にだまされていました。サタンは、安息日を受け入れることに失望した人々を得るために巧妙に働いていました。それらの人々の影響力を通して、その真理の一部を信じることを公表している一方で、彼はその人々の上に非常に多くの間違いをまき散らしていました。彼は、彼らを「セブンスデー
アドベンチスト達を代表する者で、道理をわきまえない人々、また、これらの人々との一致を示して、信じない人々に反感を抱かせるために好都合な人」として利用するでしょう。この種の人々は、キリストが伝えるために彼らに与えなかった人間のテストと、事実でないことを作り上げた十字架の数々をその人々に主張しました。
彼らは、病の癒しを求め、また、奇跡が働くように求めました。彼らは、サタンの魔力を持っていました。その上、彼らは、高圧的な独裁者、無慈悲な圧制者のような存在でした。主はそれらの狂信的言動の人々を譴責するための手段として、また、その人々の働きの真の性質に、主の忠実な人々の目を開かせるために、私達を使いました。平安と喜びが、サタンの騙しから逃れた人々の心にやってきました。そして、その人々は、サタンの異端や間違った信念と対照的な、自分達の前に備えてあった真理の光/知識とそれ自身の貴い成果、神の確かな知恵を見た時に、神に栄光を帰しました。その真理は、それらの騙しと対照的に地上の塵や屑の真っただ中で黄金のように明るく輝きました。
『レビュー&ヘラルド』1883.11.20
[56歳]
4.その働きの神聖さと傷
神が、主の働きが行なわれるようにと望んでいる働きの方法に、安易に理解し同意して知性を許すことによって、神の働きの神聖さを傷つける危険性[があって] 私は、目の前にいる私達[教会]の人々、――世界中の人々に真理の光を与えて伝えている全ての人々と、福音を伝える牧師達――を守るようにと[イエスから]要請されました。私は、この時代の人々のための真理を世界中の人々に知らせる働きに、人間の計画と考案が持ち込まれると考えるように、特別な指導が与えられました。
過去数年、何度もなんども、私は、一人かほかの人々によって持ち込まれたその奇妙さとタブー(禁忌)の図式に対して抗議するために話すよう請われました。私のメッセージは、その人々に添加物なしの真理の御言葉をシンプルにそして謙虚に説明するように、以前から存在していました。狂信的な運動のためのドアは開かれていません。これらの[狂信的な]人々の開かれていない感化のドアは、神の民に信仰心の欠如、挫折、知性の困惑を持ち込むために存在しています。……
私が、様々な狂信的言動の人々に会うために呼び出された時はいつでも、狂信的言動の影響に対して、声を挙げるために、[主から]明晰で積極的、正確な指導を受けていました。神の意思についての知識を確かめるために、悪の何者かが人間の作った特別な型のテストによって自身を現しました。そして、私は、これが、夢中になるという一つの錯覚であり、主の意思とは正反対となるものであることを示されました。私達は、そのような方法に従うと、特別な敵の計画の目的に気づかされるでしょう。時が過ぎると確かに、その[狂信的な]信徒達の間では、自分達の義務を決めるために、しるしの設定に堅い信仰を持っていました。このように、この教会に不倫が持ち込まれ、ある人々は、男性達が妻達を交換するようなところまで行ったということをしるしにして確信を持っていました。
私は、「初期の頃に、私達が立ち向かうために呼び出されたそのメッセージの体験のいくつかは繰り返されるでしょう。この働きの終わる日々に、再び私達は彼らに立ち向かう必要があるでしょう」という数々の惑わしを示されました。その時に、私達は、神のコントロールの下で私達の全ての能力を持ち込むこと、また、主が与えた光/真理によって、私達の調和の能力を訓練することを求められます。マタイ4章と5章を読んでください。また、4:8-10と5:13を研究してください。キリストによって、前進され推進された神聖な働きを熟考してください。神の御言葉の原則は、私達の労苦の中にもたらされるために存在しているということはこのようなことです。 『手紙』36, 1911[84歳]
5.礼儀の節度の維持
1844年のその時が過ぎた後、狂信的言動はアドベンチスト達の階層の中に入ってきました。神は、悪の流入を阻止する警告のメッセージの数々を与えました。そこには、ある男性達と女性達の間に非常に強く気安い関係がありました。私は、私達が到達する可能性のある真理の聖なる基準と、私達が維持可能な聖なる立ち居振舞いをその人々に提示しました。神からの最も厳粛な通告が男性達と女性達に与えられました。その人々の考え方は、道徳に反する送信回路に伝線し暴走していました。一方、その人々は、神に特別な好意を持たれていると主張しました。そのため、神が与えたメッセージは見下され断られました。
私達は、いまでも危険の外にいるということはありません。警告のメッセージを世界中の人々に与えるために繋がっている全ての魂は、その人の人生を否定するような人生のコースに進むように激しく誘惑されています。
私達とほかの人との協力において、私達は働き人として、不機嫌をなくして、悪へのアプローチをなくするように教え戒めるよう結ばれる必要があります。私達の信仰は聖です。私達の働きは神の律法の名誉を立証するために存在しています。また、それは、誰かの落ちぶれた低レベルの考えや礼儀の態度を持ち込むために、一つの品性/人格に属して存在しているのではありません。信仰を表明し真理を教える多くの人々がいます。また、真理に自分達自身の考えを混ぜた間違った考えや奇抜な考えを持った人々がいます。しかし、私達が立つための高貴にされたプラットフォーム(舞台)が存在しています。私達は、それがイエスに存在するものとして、その真理を信じ教える必要があります。心の聖化は決して活動の不純さに導かないでしょう。真理を教えていると言っているある人が多くの若い仲間達の中や既婚女性の中にいる傾向の時、その人が親しげに彼の手をその人々に触れる時、または、気安げなマナーで交際するのをしばしば見かけられる人は怖いです。真理の純粋な原則は彼の魂の中に織り込まれていません。そのような人はイエスと共なる働き人ではありません。彼らはキリストの中に存在せず、そして、キリストは彼らに内在してもいません。キリストの労苦者として受け入れられるように、彼らは神の前に徹底的に改心する必要があります。
天を起源とする真理は、決してその受け手の品位を落とさず、不当な気安さに少しもアプローチせず、人を導きません。反対に、天を起源とする真理は、信徒達を聖化し、その人の品位を洗練し、気高くし高尚にしています。そして、彼にイエスとの堅い繫がりをもたらしています。悪い表情さえも避けることは、使徒パウロの指図とみなすように導いています。彼の良い印象の少ないことは悪い印象を語っているでしょう。 『レビュー&ヘラルド』1885.11.10[58歳]
初期の狂信的言動についてのさらなる出典は以下を参照。
「Life Sketches」pp.85-94、『SDA教会への証』第1巻 pp.71-73、第8巻 pp.291-292、「Gospel Workers」pp.316-317
3章 「聖なる体」の教理
[はじめに 題目編纂者
「聖なる体に関する教理」と称される狂信的な教えは、[インディアナ]カンファレンスの代表とその様々な働き人達を深刻な誤信に陥れて、インディアナ州で1900年に始まりました。この理論は、「救い主に従う人々は‟ゲッセマネの園”の体験を通過することによって、たとえば、生きたままの昇天のために本質的に重要な準備として、身体的に罪がないという心理状態を得て、自分達の罪の性質から脱して完全になった」と主張したものでした。目撃証人達は「その人々の狂信的な礼拝は、オルガン、フルート、バイオリンの類、タンバリン、ホルンの類、そして、大型のバスドラムまで使って、興奮の頂点に至った」というレポートで説明しています。彼らは、身体的な証拠を得ようとし、集会に参加した誰かが自分のイスから落ちて身を伏せて意識がなくなるまで大声で叫び、祈り、そして、歌いました。その目的で通路を立ち上がったり座り込んだりして歩き回っている間に、一人か二人の人が、イスから落ちた人を説教壇の上に引き上げます。その後、1ダースほどの人々がその伏せている人の体の周りに集まります。ある人は歌い、ある人は叫び、ある人は祈ります。[礼拝の]全てが同じような時間でした。その人の意識が戻った時、「ゲッセマネの園」の体験を通過して聖なる体を獲得した人、そして、生きたまま昇天するという信仰を持った人々の中に数えられました。それから後、その教理は、「人は罪がなくなるだろう。決して死なないだろう」と主張しました。そこで私達の教派を指導する二人の牧師、S.N.ハスケル長老とA.J.ブリード長老が、この狂信的な言動の人々と立ち向かうために、1900年9月13日から23日にインディアナ州マンシーで開催されたキャンプミーティングに遣わされました。それらの狂信の展開は、ミセスホワイトがオーストラリアに滞在していた1900年1月に明らかにされました。そして、次にある「編集者達へ」という二つのメッセージのように、彼女はそれに対する警告と非難に関する証を生み出して伝えました。――題目編纂者
1.繰り返される初期の狂信的言動
[主の]指導が、「インディアナでの兄弟[姉妹]達の体験とその人々がこの教会に与えた教訓を、終わりの時代のものと考えるように」と、私に与えられました。この体験と教訓を通して、かの敵は魂達を誤った道に導くように働いていました。
[イエスから]与えられた教えによれば、「聖なる体」と称されていることについて、[それは、]間違いの一つです。多くの人々は、今も清い心を得ているでしょう。しかし、この生命体の中で聖なる体を持っていると主張することは正しくありません。使徒パウロは宣言しています。「私は知っています。私の中に(それは「私の体の中で」という意味です)内住している良いものは何もありません」(ローマ7:18)。信仰によって、聖なる体と呼ばれているものを得ようと熱心に挑戦している人々のために、私は言いましょう。皆さんは、それを得ることができません。あなた方の魂は、今、聖なる体を持っていません。地球上にいる人類は聖なる体を持っていません。それは不可能の一つです。
もしも、その体の中の完全について気ままに語る人々が真の光/真理の事柄を見ることができたならば、その人々は自分達の推測という考えの愚かさから、恐怖を感じて退散するでしょう。聖なる体に関しての彼らの推測の誤りを示すことによって、主は、体と魂と精神を汚れに導くような御言葉の解釈を拒否するよう、男性達・女性達に求めています。この教理がそのままにされると、それは「それ自身は罪を犯すことができないということを擁護する」という主張に導くでしょう。すなわち、彼らの活動はすべて聖であるし、彼らは聖なる体を持っています。なんとまあ、誘惑のドアの一つはこのように開かれています。
御言葉は私達に、体と魂と霊/精神について、神のための聖化を探究するようにと教えています。この働きにおいて、私達は神と共に働く身体労働者であるように存在しています。(訳者加筆:彼女の聖化の考え方は「神人協力説」です)。多くの人々は、人間の中に神の道徳的なかたちimageが回復するように、また、身体的・知的・道徳的な潜在能力を改善するように行動しているでしょう。神の律法に従うことによって、そして、身体の中を汚すものが何も入らなくなることによって、大きな変化が身体組織の中でなされ得ます。また一方、私達は体の完全性を主張することはできませんが、私達は、魂にクリスチャンの完全性を持てるでしょう。[キリストの]犠牲が私達の身代わりとなることを通して、罪は完全に許されるでしょう。私達の確信は、人間が行なうことのできるものの中にありません。それは、キリストを通して、人間のために神が行なうことのできるものの中にあります(Our
dependence is not in what man can do; it is in what God can do for man through
Christ.)。私達が、神に自身の全体を明け渡すとき、そして、完全に信じる時、キリストの血は[私達を]全ての罪から清めます。良心は有罪宣告から解放されるでしょう。彼の血[による贖い]を信じることを通して、全ての人々はキリストイエスにあって完全に作られるでしょう。私達は不可能なままにされていないことを神に感謝しましょう。私達は、神とキリストが私達について考えていることに心を配るために存在しているのではなく、神が私達の身代わりのキリストについて考えていることに心を配るために存在しています。汝らは最愛の人として受け入れられています。主は、魂を明け渡してキリストを受け入れて信じて、悔い改めるように、彼自身の似姿に倣って形作られ、創り出されるようにと、示しています。
キリストの地上での生涯の中で、彼は人間が発見した全てを忘れさせるために、[人々が]覆い隠したままにしてきたものを開示したでしょう(In His life on earth, Christ could have made disclosures which would
have eclipsed and assigned to oblivion all human discoveries.)。彼は、神秘的な事柄のドアを次々と開けたことでしょう。そして、永遠の多くの現実開示は確かな結果となったことでしょう。彼は、時期が迫った世代の人々の知性を魅惑した神秘的な事柄を解くカギとして存在していた言葉を口にしたことでしょう。しかし、キリストは、詮索好きの人間が入り口を見つけようとして奮闘してきた多くのドアを開けていません。主は人々の最も強い興味を刺激する有害なごちそうを広げませんでした。主は人々のために、知識の木ではなく、命の木を植えるために来ました。……
私は、奇妙な教理を擁護していたインディアナの人々に言うよう [主に]指導されました。あなたがたは神の貴く大切な働きに悪い手本moldを持ち込んでいます。聖書の境界線の範囲内を守りましょう。キリストのレッスン(指導)を受けて、それらを何度もなんども繰り返しましょう。次のことを覚えておきましょう。「上から来て存在している知恵は、初めが清く、それから平安、柔和、温和、慈しみと良い実に満ちて、偏り見ることなく、見せかけがありません。義の実は平和を作る人によって、平和のうちに蒔かれています」(ヤコブ3:17,18 KJV)。
人間達は、聖なる体を受ける時、この地上に残るのではなく、天に引き上げられるでしょう。一方、罪はこの人生の中で許されますが、その結果、現在、全部[の罪]が取り除かれるのではありません。キリストは再臨の時に「私達の卑しい体を変え、彼の栄光の体のように造り変える」(フィリップ3:21)ために存在しています。
私達の働きが進展する中で、何度もなんども狂信的な運動は湧き起っています。その問題が私の前に現れた時、私がインディアナの兄弟[姉妹]達に持って行ったメッセージとよく似た一つのメッセージを伝える必要がありました。私は主によって指導されていました。このインディアナの[狂信的な]動きは、過去数年、存在していた運動と特徴が似ていました。あなた方の宗教的な集会の中で、私は過去に、それらの運動に結びついていた、似たような行動を目撃したことがあります。
1844年のその時が過ぎた後の大失望の期間に、様々な形で狂信的な言動が湧き起りました。ある人々は「死んだ義人のよみがえりはすでに起こっていた」という考えを持っていました。私が今あなたにメッセージを書いているように、私はそのように信じている人々にメッセージを書いて送りました。彼らは「私達は完全になりました。体も魂も、そして、霊(精神)も聖です」と主張しました。[大失望の後の]彼らは、[インディアナの]あなた方が作ったそれらに似た証拠を作りました。そして、彼らの不思議な推測によって自身の知性とほかの人々の知性を困惑させました。また、これらの人々は私達の最愛の兄弟[姉妹]達です。私達はその人々を助けたいと思っています。私は彼らの集会に行きました。そこには、騒がしさや混乱と共に多くの興奮がありました。人は、酒に酔ったことや麻薬を吸ったことを言わないでしょう。ある人は幻の中にいるように見え、ある人は床の上に倒れました。ほかの人々はジャンプし、ダンスし、そして、叫んでいました。彼らは、自分達の体が清くされたので、生きたまま昇天する用意ができたと主張しました。彼らは、これを何度もなんども繰り返していました。私は主の名によって、私の証を与え、それらを明示した上に、神の譴責の言葉を添えました。
これらの[狂信的な]運動に繋がったある人々は、彼らの知性が一つの方向の状態にされ、そして、彼らは錯覚していました。ある人々は、優秀で誠実な人々でした。しかし、彼らは、清められた体は罪がなくなるだろうと考えていました。このように、彼らはサタンの罠に捕えられていました。彼らは自分達の堅固な考えに至りました。見たところ、彼らは神の貴い[人類救済]目的を非難する一人となったようでした。これらを深く悔い改めた人となり、またある人は、その後、私達の間で最も信頼できる男性達・女性達となりました。しかし、ずっと悲惨な道を歩んだ人々もいました。私達は、彼らが非常に不名誉な目的を持っていたので、彼らが主人[キリスト]のための働きをする存在価値があると感じるどんな時間も持てないでしょう。
私が書いた狂信的な運動の結果として、それらの善悪を区別する方法を知らない人々は、それらの根拠を失った人が何人かいます。彼らは興奮の場面に同調できず、彼ら自身の過去の貴重な体験を乱すことができないでしょう。すなわち、彼らは間違ったメッセージを受け入れる限界を超えて押し潰されていました。彼らが間違いを受け入れていたならば、彼らは失われるということが彼らに現れていました(It was represented to them that unless they did this they would be
lost.)。その結果として、彼らの知性はアンバランスになり、ある人々は精神異常になりました。それらの事柄は、真理の[人類救済]目的に対する一つの恥と、世界の人々に憐れみの最終メッセージを宣言することに対する害とをもたらしました。
2.聖化に根拠のない歓声
インディアナで行なわれていた集会の方法は、喧騒と混乱が持ち込まれていて、思慮深さ、知的な知性を勧めることができませんでした。そこには、私達が持っていた真理で、世界中の人々が確信できるような根拠は何もありませんでした。
単なる騒がしさと歓声には、聖化や聖霊降下の根拠が存在しませんでした。あなた方の粗野なデモンストレーション(実演)は信仰心のない人々の知性に嫌悪感だけを創り出しました。そのようなデモンストレーションがいくつか存在しています。もっと良いものが、一般の人々のためにも俳優達のためにも存在しているでしょう。
チェック(検討)されずに、一旦始まってしまった狂信は、建物を燃やす火事と同じように消すことが難しいものです。狂信にのめり込み続けている人々は、宗教に関係ない労働者達にもっとうまく繫がれていくでしょう。その人々は、一貫性のない活動目的によって、主を不名誉にして、神の民を駆り立てています。そのような多くの[狂信的な]運動は、迷信と作り話であるにもかかわらず、主の働きが高まって、清まり、堅く立つこの時代にも起こるでしょう。私達がサタンの騙しによって惑わされないように、私達はキリストと堅く結ばれ守られるように、自分達が保護されている必要があります。
主は、礼拝や奉仕の中に、興奮と困惑ではなく、秩序と原則を保つことを望んでいます。私達は現在、この世界の将来に生じる場面を正確に記述することができません。しかし、主の大いなる日が手の近くに存在するので、このことは、私達が知識とし、私達が祈り見張る必要のある一つの時です。サタンは自分の軍勢を集めています。私達は啓示された真理を熟考することに思慮深く冷静でいる必要があります。興奮は恵みによる成長、真の清らかさと聖霊に属する聖化には有望ではありません。
神は、神聖な真理を分配することを私達に望んでいます。これだけが反対者に確信させるでしょう。美しい建造物が主のために建てられるならば、冷静で賢明な労働者は、伸びる必要のある品性/個性の育成を示すために、その人々の状態について、魂の確信のために、眼前に置かれる必要があります。目覚めさせられた知性は、人々が正しく理解し、そして、神の言葉の真理を適切に解釈するならば、忍耐強く指導する必要があります。
神は、言動が一致した清さと節制によって歩むよう神の民に呼び掛けています。彼らは、困惑と喧騒による奇妙なパフォーマンス(演技)によらず、真理の清い教理を偽って伝えず不名誉にならずに、非常に注意深くなるでしょう。それにもかかわらず、信仰心のない人々は、「セブンスデー
アドベンチスト達は一つの狂信になっている」という考えに導かれています。このような先入観は、この時代のための特別なメッセージを受ける人々に、妨害をする魂達を創り出します。信徒達がイエスの中に存在する者としてその真理を語る時、嵐のような困惑ではなく、彼らは一つの聖、分別のある平穏を明らかに示しています。
『全体総会会報』1901.4.23[74歳]
3.ベッドラムの喧騒と礼拝
主の精神と目的を遂行するために推薦した人々の器を通して、主がやがて達成する働きの評価は大規模すぎて不可能です。あなた方がインディアナで開催し、記述されたこれらのことは、主が私に示していて、ちょうど[1844年からキリストの至聖所での]調査期間の終了前にも行なわれるでしょう。奇妙なこと全てが実演されるでしょう。そこには、大声の叫び、ドラム、音楽、そして、ダンスが存在しているでしょう。存在者(人間)達の理性的な思慮分別は、とても困惑したものになるので、その人々は正しい決定をすると信用されないでしょう。そして、これは、聖霊の移動と言われました。
聖霊は、自分自身をベッドラムの喧騒のような方法では決して現しません。これは、この時のための、清さ、成長、誠実、高貴、聖化の真理について、成果を作り出さないようにするサタンの本心を隠す巧妙な方法、彼の発明品の一つです。去年の1月に「私達のキャンプミーティングに持ち込まれるでしょう」と、私に示されたその働き[礼拝]をするために様々な楽器を使うことに比べて、合唱以外に神へのよい礼拝はないでしょう。この時のための真理は、魂の悔改めの働きにこの種類のものを必要としていません。ベッドラム[混乱]の喧騒は、一つの祝福として存在するものとして正しく指導されると、その感覚と誤解に衝撃を与えます。サタン的な媒介をする能力を持っている人々はお祭り騒ぎをするために騒音と雑多な音を混ぜます。また、これは聖霊の働きと言われています。
そのキャンプミーティングが終わった時、神聖な真理の表明によって為されただろうものと為されたに違いない良いものは、成し遂げられませんでした。リバイバルを信じていた参加者達は、自分達が漂流しているという印象を受けています。その人々は、自分達が以前は知っていたと思われる聖書の原則を語ることができません。
この種類の礼拝は、奨励されないでしょう。1844年のその時が過ぎた後に、同じような種類[騒音の礼拝]の感染がやってきました。それと似たような演出の[礼拝]が作られました。人々は、興奮[状態に]なり、神の力の存在と考えた一人の能力者によって礼拝させられました。
4.繰り返されるその過去の歴史
私は、その全ての痛ましい歴史の[説明の]をするつもりはありません。それはとても多いです。しかし、昨年の1月、主は私に次のように示しました。「間違った神学理論と間違った[礼拝]方法は私達のキャンプミーティングに持ち込まれるでしょう。また、その過去の歴史は繰り返されるでしょう」。私はひどい苦悩を覚えました。私は、また次のように指導を受けました。「人間の姿をした悪霊達のデモンストレーション(実演)が現され、サタンは、感じやすい人々に愛相をつかす真理を作るために、雇うことができる全ての器用な人と共に働いています。その敵は、自分達の手はずを整えた事柄をそのキャンプミーティングで実行しようとしていました。それは、大群衆の前に第三天使のメッセージの真理を持ってくる手段としてありましたが、やがて、彼らの軍勢と感化力は失われるしょう」。
第三天使のメッセージは、正しい方向を示すために存在していました。それは、嘘を言う父によって用意されていた、全てのすぐに摺り切れる木綿糸、人間達の理論に属する哀れな考案品、そして、私達の最初の両親の決意の媒介者としてサタンに使われた金色に輝くヘビの偽装[など]から、[私達が]解放されて守られるために存在していました。このように、サタンは神の働きに自分の印を押そうとしていて、清らかさの中に現れて立っています。
聖霊は、昨年の1月に私の前を通り過ぎた時、騒音に属する混乱と大勢の人々の叫び声について、することは何も持っていませんでした。本来、音楽は神を賛美し栄光を讃えるために存在しているでしょう。しかし、サタンは、そのように騒音と混乱の音楽の真ん中で働いています。当然のことながら音楽の指揮を執っていて、彼はヘビの牙の毒のような結果を作っています。
過去に存在していたこれらのことは、将来にも存在するでしょう。サタンは、それ[音楽]が指揮される方法によって、罠としての音楽を作るでしょう。神は、読んで深く考えるよう、そして、注意を払うよう、御言葉と
[イエスの]証によって、彼らの前に、光/真理を持っている神の民に呼び掛けています。明確で確実な指導は、全ての人々が理解できるようにという目的で与えられています。しかし、彼らが主から与えられた真理の確信の源を強く除外したならば、新しい何かを始めたいという欲望は奇妙な教理の中に結果として生じて、善のための一人の兵力である人々の感化を無効にするでしょう。
「こういうわけですから、私達は、記憶を消え去らせて[KJVの欄外記述:壊れた器から漏れて]しまうといけないので、聞いたことに対して真剣に注意を払う必要があります。天使達によって語られた言葉が不変で、[律法の]全ての違反者と不服従な者達が報酬について正当な報いを受けたのならば、また、私達が偉大な救い、つまり、主によって語られるために最初に始められ、そして、聞いた人々によって私達に伝えられた[救いの言葉]を疎かにするならば、どのように、私達は[聞いたことの]記憶が消えるでしょうか」(ヘブライ2:1-3)。
「注意を払いましょう。兄弟[姉妹]の皆さん。生きている神から離れて、あなた方の中に不信仰で悪い心の一人がいるといけないから。しかし、罪の惑わしを通して、あなた方の誰かが心を頑なにするといけないので、きょうと呼ばれている間に、日毎に熱心に勧めなさい。私達は、自分の最初の変わらない確信を終わりまで持ち続けるならば、キリストに属する参加者として造られています」(ヘブライ3:12-14)。
ハスケル兄弟ハスケル姉妹、私達は全てのことを為し堅く立つために、武具の全ての部品を身に付ける必要があります。私達は福音のために防御する人として配置されるために存在しています。また、私達は積極的な戦いのために主の偉大な兵士の側に組織立てられる必要があります。主の忠実な使者によって、その真理は明確に横切った線によってあらわされる必要があります。真理の試験と呼ばれるきょうという多くの日々は、聖霊への抵抗に導いている無駄口です。
5.聖霊と考える欠点のある表現
多くの人々は、聖霊が分け与えられているとみなされていると言われています。また、それはある人によって、この教会の傷の一つだと解釈されています。永遠の命は、御言葉の中の要素を生きることと、神の意思を為す経験をすることに存在しています。これは、神のひとり子の血を飲み肉を食べることです。このことを行なう人々に、命と不死が福音を通してもたらされています。神の言葉は真実で真理、霊/精神で命です。それは、神の言葉で養われるため、自分達の個人的な救い主としてイエスキリストを信じる全ての人々の特権です。聖霊の感化は、祈り求める人に霊的な資質を与える、御言葉、聖書、不変の真理などに注意を向けさせます。
「御言葉を調べてください」とキリストは宣べました「それらの中に自分の永遠の命があるとあなた方は考えています。それらは、私について証するものです」(ヨハネ5:39)。その表面の下を掘る人は隠れた真理の宝を見つけます。神の聖霊は誠実な調査研究者にあらわされます。それ自身の明かりは御言葉の上に輝きます。一つの新しい新鮮で重要なことをその知性に記します。その調査研究者はそれまでには感じたことのなかった平安と喜びの感覚に満たされます。真理の貴重さは決して以前のようなものではなく、現実感を与えられます。新しいもの、天の光/真理は御言葉の上に輝き出し、全ての文字は黄金のような輝きを帯びて啓蒙/教化に資するでしょう。御言葉の霊/精神と命を作ろうとして、神自身は[人々の]精神と心に語り掛けました。
真理を探究する全ての人々は、神の霊/精神の助けを請い求めて、その心を神に引き上げています。そして、その人は間もなく、生きている神の言葉に対して、耐えられない未熟な神学理論で、全てが架空、弱点があるという教師の意見に連れてこられていたということを発見するでしょう。それらの神学理論は、聖書の初めの偉大な一節
[神は初めに天と地を創造した]を学ばなかった人々によって考案されました。神の霊/精神と命は御言葉の中に存在しています。もしも、人々が心の中に神の言葉の中に含まれている永遠の要素を受けるならば、慣れと表現することが何かの新しいことを得た結果であり、一つの感動を創り出した結果の全てであるということを知るでしょう。その人々は、それから人々のための命の言葉を持つでしょう。その人々は間もなく、イエスが自分の弟子達に残した結果の通り、麦からモミ殻を見分けるでしょう。
『手紙』132,1900[73歳]
4章 聖霊のガイダンスを惑わす声に対する警告
(Guidance:案内・指導・手引き・指図・カウンセリングなど)
[はじめに 題目編纂者
1908年11月23日、カリフォルニア州セントヘナ[のミセスホワイトの邸宅]に一人の熱心な男性が妻と訪れました。二人はミセスホワイトに面談を求めました。そして、おおよそ3年間の過去の月日の体験を彼女に順序立てて語りました。彼らが「私達の額に大きな数滴の汗がたまりました」と言った時に、聖霊[降下]のための断食と祈りの終わりまでの数日間の後で、これらの体験が二人に現れ始めました。二人は、初代教会の弟子達が受けたように自分達は聖霊を受けたと信じました。二人は複数の言語を語ったことと、自分達が似た一つの体験に入っていて、ほかの人々のために熱心に働いたことを主張しました。
二人は一人の子どもに催眠療法的な作用の儀式を施したことによって、[アメリカ]東部で逮捕されていました。その事情を聴取した後に、弁護士と市長は、その二人が精神異常の境界線上にいないとしたら、それに近い危険性があった、と言いました。その二人は、神が「弁護士と市長に恐れを置きました。その拘置所の中にいる間に「聖霊を通して」活動することを告げられたと主張し、また、二人が精神異常だったような時に、神が、その弁護士と市長に恐れを置いた結果、彼らは」その監禁室内に「入ることを恐れました」と言いました。
二人は、自分達から催眠療法を施された子どもが預言の霊を贈られていて、そして、二人が行った所で指導を受けた、と彼らは信じました。二人は、祈りを通して、病を癒し、悪霊達を追い出し、そして、ほかにも多くの素晴らしい働きを行なった、と主張しました。彼の妻について、彼はこう言いました。「その霊は、彼女を通して働いていました。そして、私達は、これは全ての人々の体fleshに注がれるために存在している預言の賜物giftだと信じています」。
以下の記事は、この件と似た運動に言及するために、ミセスホワイトによって書かれました。――題目編纂者
1.冷静と尊厳によって特徴づけられた神の働き
今日から2週間前に、私が書き物をしている間に、息子のW.C.ホワイトが私の部屋に入ってきて、はっきりと言いました。階下に二人の人がいます。そして、あなたに話したいと望んでいます。私は階段を下りて居間に行きました。そこで、神の御言葉に従いその証を信じていると主張している一人の男性とその妻に会いました。二人は2年か3年の間の普通ではない体験を持っていました。二人は誠実な心を持った人達のように見えました。
私は、彼らが体験のいくつかを話す間、聞きました。それから、私は、その働きについてのいくつか[の考え]を彼らに語りました。私達が、[1844年に]自分達の主に会うことを期待して、それらに取り組んだ間、私達の信徒達の中心になっていたある人が狂信的言動に導かれました。私は、こう話しました。「聖霊によって導かれたと公言する人々によって、さらに、世界の終末の前に、私達が奇妙な証の数々に直面するでしょう。これらの奇妙な証を扱う絶大な地位のある何者かが存在するでしょう。しかし、その者は、神に属さず、神の御言葉の教えから多くの人々の知性を引き離そうとしています」。
私達の[教会の]歴史のこの段階で、私達は、狂信と無秩序の傾向など、全てのことに対して防御するために、非常に注意深くする必要があります。私達は、「信仰のない人々の知性を扇動するようにして、私達が衝動によって誘導される人々として考えて率いて、やがて、騒音と困惑を一緒にして歓喜する、全ての一風変わった行為に対して防御する」必要があります。世界の終わりの日々に、現在の真理に対する敵は、聖霊の働きと調和しないものを証の中に持ち込むでしょう。しかし、それは、新しい何かと奇妙な何かを取り上げて、備えをして立つ人々を間違った道に導こうとしています。
私はこの兄弟とその妻に、1844年のその時が過ぎた少しの間、私の若い時、過去に通った体験を語りました。[その体験]は、私達がその時に主の名によって立ち向かって譴責したことと似たものに対処する時に、とても慎重にするよう私を導きました。
神の聖霊の導きだとした、誤った考えの奇妙な働きに伴って、私達の教会の中に侵入した狂信的言動の霊/精神を許すような私達のほかに、その時の神の働きに、大きな損害は及ばなかったでしょう。
この兄弟と妻は自分達の体験の要点を、彼らは「十二使徒の能力による聖なる霊を受けた結果として自分達の所に来た」と主張し述べました。それは、私達が立ち向かうために、そして、正すために呼び出された私達の初期の体験の中にある一つの複製のように思えます。
私達が面談を終えるにあたって、L兄弟は「私達があなたに説明したように、私の妻は祈りの間に行動させられた可能性があるという考えと共に、私達は祈りによって一つとなりました。また、これは主に属するものだったか、主に属さないものだったかをあなたは見分けることができるでしょう」と提案しました。私は、人が一風変わった証の明示を申し出る時、これは神の働きではなく、[人によって]決定された証拠だと[主から]指導されていたので、このことに、私は同意しかねました。
私達は、希望を砕くように導くこれらの体験を許さないのが当然です。それらのような体験は私達に時々訪れるでしょう。それは、本当に聖霊の深い動きから知性を奪ってしまうので、奇妙な体験にはどんな居場所も与えないようにしましょう。神の働きは、これからも、冷静と威厳によって特徴づけられます。私達は、キリストの再臨に備えるために世界中の人々に準備するよう、神が私達に与えた偉大な働きとみなすものに対して、私達の熱意を惑わし弱めるどんなものも認める余裕を持つことができません。 『手紙』338, 1908[81歳]
2.その面談によるミセスホワイトの論述
私達の過去に体験したこと……をあなた方が理解することができるように、私はあなた方にこれらの体験を話しています。[1844年の後の狂信的言動]のある人は、飛び上がり寝転んで、「グローリー、グローリー、グローリー、グローリー、グローリー、グローリー」と歌いました。時々、彼らが初めから済むまで私は静かに座っていました。そして、それから、私は立ち上がってこう言いました。「これは神の働きの方法ではありません。主はこの方法によって感動や良い印象を作りません。私達は、信仰の基礎としての御言葉をその人々の知性に指導する必要があります」。
私はその当時、一人の子どもに過ぎませんでしたが、そしてまた、私は、これらの奇妙な働きをする人々に対して、すぐに自分の証を伝える必要がありました。そして、その時からずっと、私は、この種の何かが私達の[教会の]人々の間に再び現れてこないように、とても、とても慎重にしているようにと求めていました。狂信的言動のどの証も、神の言葉の真理の根拠を人々の知性から取り去るでしょう。
あなた方は一貫したコースを進むことができるかもしれませんが、しかし、あなた方によって感化を及ぼされた人々は一貫性のないコースを進むことになるかもしれません。一つの結果として、私達は、間もなく私達のメッセージと働きについて、信仰のない人々に正しい印象を与えることがほとんど不可能なものを両手に満たすでしょう。私達は、人々を確かな神の言葉に導く必要があります。そして、私が以前の記事に書いたように、その人々がその御言葉を受け入れる時、その人々の判断に聖霊が薦める方法によって聖霊が訪れています。それはいつもやって来ています。私達が語ること、歌うこと、そして、霊的な行動において、私達は、冷静と威厳、そして、神の子の全ての真理に動かされる神への畏敬を啓示するために存在しています。
私達には聖霊の働きだと思う可能性があり、私達のただ中にやって来る何かを許す一定の危険が存在しています。しかし、現実には、その中に、狂信的言動の精神に属する実があります。私達は、真理に関する敵に、間違った道に導くことを放置していては、第三天使のメッセージによって、心の中で尊敬に値する誠実さに届くための希望を持つことができません。私達は、真理への従順を通して、聖化されるために存在しています。私は、神の言葉に啓示されている真理の堅固な根拠から、知性を引き離してしまう傾向のある何者かに恐れを抱いています。私はその人物に恐れを抱いています。私はその人物に恐れを抱いています。全ての混乱した道に備えて敵が入ってこないように、私達は理性の範囲内で自分の知性を持っている必要があります。狂信的言動に導かれやすく興奮しやすい気性の人々がいます。また、私達の教会に来るどんな人も私達は許すでしょう。そのような人々が誤りに導くでしょう。私達はこれらの誤りが様々な極端を持ち込むのを間もなく見るでしょう。そして、これらの混乱したものの侵入のゆえに、一つの烙印がセブンスデー
アドベンチスト達全体に押されるでしょう。
3.再び存在する狂信的言動
私は、初期の体験のいくつかを再出版する方法を研究してきました。それで、もっと多くの人々が知ることができるでしょう。私は、狂信的言動が、別な方法で再び証しされるだろうと長い間考えていました。私達は、御言葉に内住することによって、また、ある人々がすぐに飛びついて真似するような全ての風変りなことと奇妙な体験を避けることによって、自分達の立ち位置を確立するために存在しています。もしも、私達が自分達の信徒の中に持ち込む困惑を許すようにしていると、私達は、当然果たす必要のある自分達の働きを仕上げることができないでしょう。……
地上でキリストが奉仕の働きについていた数年の間、信心深い女性達は、救い主と弟子達が進めていた働きを手助けしました。もしも、この働きに反対していた人々が、その女性達を指示する一定の何かを見つけ出していたならば、その働きはすぐに中止したことでしょう。しかし、女性達はキリストと弟子達と働いていました。その働きの全体は、畏怖の念のあるとても高度な計画のもとに指示されていました。どのようなとがめの場面も見つけることができないでしょう。みんなの知性は、個々[の御言葉]にというのではなく、数々の御言葉に指示されていました。真理は知的に、たいそうわかりやすく、全ての人が理解できるように宣言されていました。
私は、何らかの狂信的な言動の性質が私達[の教会]の人々の間に持ち込まれたことをとても恐れています。そこには、聖化される必要のあるたくさんの人々がいます。しかし、その人々は、真理のメッセージへの従順を通って聖化されるために存在しています。……
私達は、真理に到達するという望みの感化力を台無しにする方法として、私達の間で自分を見せびらかすために興奮させる様々な要素を許すことができません。一つの分けられた民として、私達が存在していた[1844年の再臨運動後の]初期の数年の間に、私達の間で、狂信的な要素のある堕落した働きと、奇妙な知識を通して、信仰のない人々がアドベンチスト達についての知識を得たという不快な印象を拭い去ることは、私達にとって何年も要することでした。 『原稿』115,1908[81歳]
4.その兄弟とその妻への勧め
親愛なるL兄弟とL姉妹へ
つい最近、夜の幻で、私の目の前に、あなた方にお便りする必要があるいくつかの問題が[主から]開示されました。私は、あなた方がいくつか残念な間違いをしていることを示されました。御言葉とその証について、あなた方の研究は、いくつかの間違った結論に至っています。もしも、あなた方が始めた働きを続けるなら、主の働きは大きく誤解されるでしょう。あなた方は、神の言葉と印刷された証に間違った解釈を据えました。また、あなた方は、それらの意味にあなた方の思い付きを混ぜて奇妙な働きにしようとしています。あなた方はかつて「その力は悪霊達から出て来て自分達に与えられた」と思っていました。人間達の知性にあなた方の感化が及んで、男性達と女性達は、悪霊達に支配されて信じるように導かれています。そして、主は、主の働き人として、あなた方のこれらの悪い霊/精神を追い出すようにと命じました。
あなたの妻の講話や讃美、そして、奇妙さなどの誇示は、聖霊の働きの源と調和していません。それは、狂信的な言動をもたらす助けをしています。もしも、それが、私達の教会の中で何かの位置を占めるならば、[人間を救う]神の目的に大きな害を与えるでしょう。
私の兄弟、私の姉妹、私はあなた方に一つのメッセージを持っています。あなた方は一つの間違った推測を始めています。そこには、自分自身の数々の推測という自分で編んだ多くの籠があります。サタンは、これらの推測を通して魅了させる力を伴って近づくでしょう。それは、あなた方が止まれhaltと呼ぶ高尚な時です。もしも、神があなた方に神の民のための特別なメッセージを与えたとするならば、あなた方は、まったく謙虚に(あなた方が劇場の舞台上にいるかのようにではなく)、また、控え目なナザレのイエスにつく一人として従順に歩みそして働く必要があります。あなた方は、かつてもたらしていたものとは全く違った一つの感化をもたらすでしょう。……
ほかの人々に良いことを為すための誠実な望みは、クリスチャンの働き人に、男性達と女性達を狂信的言動に導くような奇妙な何かの教えを捨てさせ、現在の真理のメッセージに持ち込む全ての考えを捨てさせるように導くでしょう。世界の人々の歴史におけるこの期間に、私達は敬意によって最大の配慮をして行動する必要があります。
あなた方は、御言葉に記録されたキリストの貴い言葉と、イエスの証と、また、あなた方のメッセージの源の保証をアピールしているので、あなた方が通り過ぎている体験のいくつかは、あなた方自身の魂だけではなく、ほかの人々の魂をも危険に曝しています。真実と真理である貴い御言葉を推測することによって、また、主が神の民に与えた証はあなた方の権威だと考えることによって、あなた方はだまされています。あなた方は、間違った動機によって動かされ、そして、誤った道に導く宣言によって自分自身を支えています。あなた方は、間違った感情の混ざった意見と正しくない活動を持続させ、一貫性がなく狂信的な言動としての神の真理を作ろうと試みています。このことは、第三天使のメッセージの真理を人々に熟知させる教会の働きの困難を10倍、いいえ、20倍にもしています。
5.カリフォルニアにある教会へのメッセージ
カリフォルニアにある私達の兄弟[姉妹]の皆さんへ
昨夜、[主の]指導が私達の[教会の]人々のために、私に与えられました。私は、L兄弟とその妻の奇妙な働きが行なわれていた一つの集会の場にいるように思われました。私は、それが、1844年のその時が過ぎた後にほかの様々な場所で、また、メイン州の○○に持ち込まれたものに似た働きの一つだったと教えられました。私は、この狂信的な働きに対して断定的な言い方を指示されていました。
私は、それが主の聖霊ではなく、それはL兄弟とL姉妹の精神を奮起させたものだということ、しかも、それと似た狂信的な言動の精神/霊はいまもこの残りの教会の人々の中へ侵入しようしていることを示されました。二人の御言葉に関する応用は、二人特有の行動について、御言葉を悪用したものです。さらに、悪の精神/霊を追い出すための二人の祈りとプライド(自負/自慢/誇り)、そして、悪の霊の才能を有している人々が宣言する働きは、そのような働きを容認し、どんな教会にも不名誉をもたらすことになる狂信的言動です。
私達は、これらの実演に刺激を受けないようにする必要があること、さらに、セブンスデー アドベンチストの名声に汚点を持ち込むような者に反対して、また、この世界の人々に伝える真理のメッセージについて、人々の確信を打ち砕く者に反対して、一つの証を決意した人々を守る必要があることを、私は示されました。主は、神の民を有利な場所に置いて、その人々のために偉大な働きをしました。それは、その人々自身が愛情をこめて育てるこの教会の特別な義務です。貴いのは、次の言葉です「御言葉の中に、あなた方は永遠の命を持つと考えているので、それらを調べてください」(ヨハネ5:39)。霊感を受けた言葉の慎重な研究と祈りを込めた行動は、全ての良い働きを余すところなく提供するでしょう。
一つの教派として、私達はもっと神にガイダンス(指導)を求め続ける必要があります。私達は一つの悪い時代に生きています。世界の終わりの日々に属する危険や困難は私達に向かって存在しています。不法が満ちるので、サタンは、自分を頼りにせず、神と謙虚に歩もうとしている人々にあらゆる紛らわしい神学理論を持ち込んでつけ込もうとしています。自分に自信があり、狂信的な人々が、悪の霊/精神達にとりつかれている謙虚な魂達を確信させに行くのですか。そして、その人々とともに祈った後で、その悪霊が出て行ったことを断言するのですか。そのようなことは、神の聖霊の現れとして存在するではなく、もう一つの精神/霊に属するものです。
私は、その人々が自分に自信過剰で聖霊を持たない恐れがあるので、それらの人々を悪い考えに導く存在者に用心するよう、全ての教会に呼び掛けます。神の道ではなく自分自身の道に従っている人々がいます。その人々は闇と光の間を識別する能力を失っているため、神が慈悲深さを与えたという光/真理の知識を持っていません。従う義務のある小道について多くを聞いた人々がたくさんいます。しかし、その人々は、神がその人々に行なうように求めていることを怠っています。その人々の光は、真理の原理と聖化の原理を啓示するという働きの中では輝いていません。試験の時に神の真理のための誤った考えと間違った理論を受け入れるだろう人々はこの階層の人々です。
偉大な光[真理]は神の民に与えられています。私達の[教会の]人々に目覚めさせましょう。完全に向かって進むように勧めましょう。あなた方はサタン的な働き人の誤った考えに向き合わせられるでしょう。狂信的言動の恐ろしい波紋がやって来るでしょう。しかし、神は、誠実に主を求める人々、主の奉仕のために自分自身を捧げる人々を救い出すでしょう。 『Pacific Union Recorder』1908.12.31[81歳]
5章 奇跡は神の支持するテストの一つではない
1.奇跡的な証でないものを求める
神の特別な摂理や奇跡的な証という考え方を抱き続けることは、人々の働きや、人々が擁護する思想の真実性を保証するものとして存在しないようにしましょう。もしも、私達が、人々の前でそれらの事柄を保ち続けるならば、その人々は悪い結果や不健全な感情を生み出すでしょう。御言葉を通して効果的な働きをする能力を与えるために、人間の心への聖霊の真の働きが約束されています。キリストは、精神と生命が存在するように御言葉を宣言しました。全世界の人々はヤハウェ(hwhy)の神の栄光によって満たされるでしょう。
サタンは、天使を装って人間の考案した手の込んだ方法を持ち込んで働くでしょう。しかし、御言葉からの光/真理は道徳的な闇夜に灯るでしょう。また、聖書は決して奇跡的な証によって取って代わることがないでしょう。それは、隠された宝物のように探されるに違いありません。素晴らしい明り/啓蒙は、御言葉の外側、または、御言葉の行なわれる外では与えられないでしょう。御言葉を堅く信頼しましょう。御言葉を接ぎ木しましょう。それは、人々を救いに向けて賢くするでしょう。それがキリストの言葉、彼の肉を食べ彼の血を飲むということの意味です。そして、彼はこう言っています。「これは永遠の命、彼らは汝の唯一の真の神と、そなたが送ったイエスキリストを知るでしょう。」(ヨハネ17:3)。
私達は、誤った主張に直面するでしょう。誤った預言は湧きあがるでしょう。そこには、誤った夢と誤った幻があります。しかし、御言葉を説きましょう。御言葉の中の神の声から引き離されないようにしましょう。心を逸らすものは何もないようにしましょう。特別に素晴らしいこと、特別に優れたことは、現されるでしょうし、発表されるでしょう。サタン的な惑わし、不思議な奇跡通して、仲介する人間達の主張が力説されるでしょう。このような全てのことに用心しましょう。
キリストは、真理に対する偽りを受け入れる必要がないように、警告を与えました。聖霊が働いて通る特別な送信路だけが真理です。私達の信仰と希望は、感情によってではなく、神によって基礎づけられています。 『手紙』12,1894[67歳]
2.奇跡を働く人々が神の律法を軽視する時
私達は、キリストが現したような病をいやす奇跡や働きをすると明言するような人々の主張を信頼しないようにしましょう。やがて、人々が目にするように、天からの火を降らせるだろう、その奇跡を働く者、絶大なだます者が彼らの背後に立つ時、この不思議は何ですか。
私達は、数々の物まねを信頼することができません。その声やその霊/精神が、人々に「あなた方は神の律法に従う義務はありません。あなた方は聖で、罪がありません」と語る一方で、その神聖な律法を踏みにじっています。[その声]はイエスの声ではありません。イエスはこう宣言しています。「私は父の戒めを守っています」(ヨハネ15:10)。そして、ヨハネはこう証しています。「彼はこう言いました。私は彼を知っています。彼の戒めを守らない人々は嘘つきで、真理は彼の中に存在しません」(1ヨハネ2:4)。
強い誤った考えによって人々の分別をなくさせ、また、人々が一つの嘘を信じるように、全世界の人々を惑わすためにその前に出て行った霊/精神の奇跡的な働きによって、人々がその影響を与えられたという意見のほかに、これらの絶大な能力の現れと、不思議な物まねをどのように説明できるでしょうか。彼は、男性達と女性達が、霊的な強い能力を持っている、また、神の戒めを軽視すると主張する時に喜ぶでしょう。彼らの不従順とほかの人々を誤った道に導くことを通して、また、彼は、その人々を自分達の働きの中で効果的な働き人として利用するでしょう」。
『サインズ オブ ザ タイムズ』1887.7.24[60歳]
3.惑わされる必要はない
私達全ての人々は激しく誘惑されるでしょう。すなわち、最大限に試されるでしょう。私達は神聖な性質への参加者に違いありません。また、私達は特別な敵の策略に惑わされないでしょう。この世界中の人々に存在する欲望による堕落を免れるでしょう。
私達は、その信仰の根源であり土台であるキリストに錨で固定される必要があります。サタンは働き人達を通して働いています。彼は、「生きている水」を飲んでいなかった人々、新しいことや珍しいことに飢えている魂を持つ人々、それがある所でどんな湧き水でもいつも飲む用意をしている人々を選んでいます。「ほら、ここにキリストがいます」や「ほら、そこにも」と言う様々な声が聞かれるでしょう。しかし、私達はそれらの声を信じる必要はありません。本物の羊飼いの間違いない証拠を持っています。主は、自分についてくるように私達を呼んでいます。彼はこう言っています。「私は、私の父の戒めを守ってきました」。彼は、自分の羊達を神の律法に謙虚に従順な小道へと導いています。しかし、彼は決してその律法に違反することを私達に勧めません。
「奇妙なその声」は、神を敬わないばかりか、神の聖、正義、そして善なる律法に従わないという人の声です。多くの人々は、聖化について強いプライド(自負/自慢/誇り)を抱き、そして、病を癒す不思議な実演を自慢します。その時、彼らは、義の偉大な標準を尊重しないでしょう。しかし、これらの人々の能力が、それらの癒しを働いたのですか。その両目はどちらも律法違反に開かれていますか。そして、彼らは、謙遜で従順な神の子ども達として、神の全ての求めを守る準備をして、彼らの立場を取ろうとするでしょうか。ヨハネは「神の子ども達だ」と告白した者達について証しています。「私は神を知っていると言いながら、神の戒めを守ろうとしない者達は嘘つきで、そして、その真理はその人の中にありません」(1ヨハネ2:4)。
惑わされる必要のあるは誰もいません。神の律法は彼の玉座と同じように神聖なものとして存在しています。それ[律法]はその[玉座の]世界に来る全ての人々が裁かれるために存在しています。品性/人格をテストするその律法のそばにほかの基準はありません。「もしも、人々がこの[玉座の]世界の基準を語らないとしたら、その理由は、彼らの中に光/真理が存在しないからです」。さて、このケースは神の言葉によって決定されられるのですか。または、人間の主張で功績があるとされるのですか。キリストはこう言っています。「人々の数々の実によってあなた方はそれらを知るでしょう」。もしも、これらの人々を通して癒しが実演され処理され、それらの証の根拠が説明され、神の律法を守ることについて自分達の怠慢が許されて、そして、不従順が続き、彼らが何事でも全ての領域で能力を持ったとしたら、神の偉大な能力を持った彼らは[キリストに]ついていかないでしょう。それと反対に、それは惑わす者の奇跡を働く絶大な能力です。彼は道徳律法の違反者で、そして、全ての策略を働く者です。私達は「世界の終わりの日々に、彼は数々のしるしと数々の偽りの不思議によって働くでしょう」と警告されています。そして、彼は、[1844年からキリストの至聖所での]調査期間が終わるまでそれらの不思議を続けるでしょう。彼は、闇の天使ではなく、光/真理の天使の一人であることを根拠として、それらを提示するでしょう。
兄弟[姉妹]の皆さん、私達は神の律法の違反を許す見せかけの聖化に用心する必要があります。神の律法を足で踏みつけ、自分自身の考案した基準で自分を評価する人々は聖化されることがありません。
『レビュー&ヘラルド』1885.11.17[58歳]
4.御言葉全体によって一掃するだろう
私達は、サタンが魅了させるという感化の方法によって働くために存在している、その時に一直線に近づいています。それらによって魅了されているこ人々、または、今、少なくともそれらを与え続けられている人々は、悪の一員として行動することによって一直線に一掃されるように全ての用意ができているでしょう。悪天使達は人々の心にいつも働きかけています。サタンは、神の聖霊の統制の下に入っていない全ての人々と共に働いています。やがて、世界中の人々を虜(とりこ)にするのは、悪に属する嘘の不思議です。彼は、人々の視界に入る天から下って来る火の根拠となるでしょう。彼は奇跡を働くために存在しています。そして、この不思議な奇跡の働きの能力は、この世界中の人々を一掃するために存在しています。それは、ちょうど、今始まっています。
私は、ほかのことも話したいと思います。神の怒りの数々の小瓶と、その怒りが撒き散らされることは、すでに来ています。私達がそれを見分けない本質は何ですか。その理由はこうです。真理の光が人々の心の聖化を為していないためです。神の聖霊はこの世界中の人々を引き寄せています。
あなた方は、陸から海からの大災害を耳にしています。それらは、徐々に増加しています。その本質は何ですか。神の聖霊は、人間の生き残りの運命を握っている人々の手中から取り去られつつあります。そして、人々がサタンの支配に自分達自身を委ねるので、彼は人々を支配するために訪れています。神の子どもだと公言する人々は、天の使い達の保護の下に自分達自身を置きません。そして、サタンは滅ぼす者の一人として、これらの人々を通して働き、人々は間違いをします。つまり、そして、人々は夢中に酔い、そして、節度がないために、長い間、私達の上に恐ろしい不幸と悩みをもたらすでしょう。
嵐や暴風雨を見てください。サタンは大気の中で働いています。彼はこの空気の中に毒をまき散らしています。この大気の中で、私達は自分達の生命、すなわち、私達の現在の生命と永遠の生命を神に依存しています。私達は存在している場所にいて、神への全的な献身、全き改心と全的な奉仕をして、目を広く開けている必要があります。私達は麻痺させられたみたいに、座っているように思われます。天の神は私達に目を覚ますよう訴えています。 『原稿』p.1,1890[63歳]
5.奇跡はテスト(試金石)のではない
今日、[人間を救う]神の目的の働きに繋がった人々は、パウロが自分の働きに忍耐したような試練に出会うでしょう。同じような自慢とだます働きによって、サタンは信仰からの転回に気を引くように求めているでしょう。神学的理論は、その中にもたらされるでしょう。それが私達のための操る(ハンドル)知恵ということはないでしょう。サタンは悪賢い働き人の一人です。彼は、巧妙な誤りの中に曖昧さを持ち込み、知性を困惑させ、そして、救いの教理を根こそぎ取り除くでしょう。神の言葉を受け入れない人々は、ちょうど、彼の策略のわなにかかるように導かれるでしょう。
今日、私達は聖なる確信によって真理を語る必要があります。その証は、主のメッセンジャーによって初期の教会に生み出されました。神の民はこの時代に次の言葉を聴くために存在しています。「私達を通して、また、天からの一人の使いを通して、私達があなたがたに説いた以外の何かほかの福音をあなたがたに説いた人は、呪われたままにしておきなさい」(ガラテヤ1:8)。
自分の信仰を試す手段として奇跡の働きを用いる人は、サタンが一種のだましを通して、奇跡の源を現す数々の不思議を実演できるということがわかるでしょう。エジプトからの救出の時に、彼は、イスラエル人を試す手段として一つの質問を用いることを期待したのは、このことでした。 『原稿』43,1907[80歳]
6.不思議な奇跡は惑わすだろう
全ての人々の心と精神と魂を主が求めています。その貴重な数々の機会が失われないよう、その日々が過ぎないようにしましょう。もしも、その愛の中にある真理を受け入れないならば、これらの最後の日々に、私達は、サタンによって細工された奇跡を見て信じる多くの人々の中にいるでしょう。多くの奇妙な事柄は、素晴らしい奇跡として現れ、それは、数々の嘘の父によって作り出された惑わしとしてみなされるでしょう。 『手紙』p.136,1906[79歳]
7.サタンとその働き人達はどのように働くか
私は「将来において、とても重大な用心が必要とされるでしょう」と言うように指導されました。神の民の間に霊的でないという愚かさがあります。悪の霊/精神達は、人間達の知性を支配することを求めて、積極的に働いています。人々は、防壁なしに束縛され、最後の日々に、数々の火によって焼き尽くされるように用意されています。キリストと彼の義を捨てる人々は、世界中の人々に洪水のように押し寄せるもっともらしい推論を受け入れるでしょう。クリスチャン達は、節度があって酒に酔わず警戒し、獲物を求めて動き回る吠えるライオン、悪、敵対者に断固として挑戦する人々です。悪の霊達の感化の下にある人々は、奇跡を働くでしょう。彼らは、呪文を唱えることによって人々を病気にし、その呪文によって元に戻すでしょう。そして、ほかの人々が「病気だった人々が奇跡的に癒された」と言うように導くでしょう。このことを、サタンは何度もなんども行ないました。 『手紙』p.259,1903[76歳]
私達はだまされる必要がありません。サタンによって、堅く関係づけられた素晴らしい場面がまもなく催されるでしょう。神の言葉は、サタンが奇跡を働くと宣言しています。サタンは人々を病気にして、そして、彼の能力で人々をすぐに回復させるでしょう。人々は癒されたように見えるでしょう。癒されたように見えるその働きは、セブンスデー
アドベンチストの特別なテストとして持ち込まれるでしょう。大きな光/真理を持つ多くの人々は、キリストと一つになっていないので、光/真理に歩むことにしくじるでしょう。 『手紙』57,1904[77歳]
8.エレン・G・ホワイトは奇跡なしに働いた
ある人々は、主が私にするよう与えた働きに対する不信仰を主張しています。彼らはこう言っています。「ミセス
エレン・G・ホワイトの働きには奇跡がありません」。神聖なガイダンスのしるしとして奇跡を根拠にする人々は、だましという大きな墓の中に存在しています。「特別な敵は、信仰から離れた自分の働き人達を通して働くでしょう。そして、彼らはうわべだけの奇跡の働きをして、人々の視界に天からの火を降らせることさえするでしょう」ということは、御言葉によって述べられたものです。「不思議な数々を置く」手段によって、サタンは、可能ならば、真に選ばれた人々をも惑わすでしょう。
大勢の人々が、私の語るのを聞き、また、私の著作物を読みました。しかし、一人も、私が奇跡の働きを主張するのを聞いた人はいませんでした。私は、時々、病のための祈りに呼ばれました。そして、主の言葉が事実であることが証明されました。「ヤコブ5:14、15引用」。キリストは偉大な奇跡の働き人です。彼に全ての栄光がありますように。
『手紙』410,1907[80歳]
9.なぜ、今日、奇跡は重要ではないのか
キリストが働いた方法は、御言葉を説教するものと、奇跡的な癒しの働きによって苦難を再び体験するものでした。しかし、サタンがやがて自分の能力の奇跡の働きによって行動するので、私は、今、私達がこの方法によって働くことができないということを[主に]指導されました。神に仕える人々は、神聖であるという主張[をしても]、偽物の癒しの働きがなされるでしょうから、今日、奇跡という手段によって働けないでしょう。
この理由のために、主は、一つの方法に注目しました。神の民は、御言葉を教えることを組み合わせた身体的な癒しの働きの一つを推進するために存在しています。サナトリウムは設立されるために存在しています。また、これらの施設は、医療伝道の働きを初めて推進する働き人達が信頼関係を結ぶために存在しています。このように、守られた感化は、治療のためにサナトリウムに来る人々に広く及ぼされます。この主の対策は、それにより、福音医療伝道の働きを持っていて、多くの魂達に為されるために存在しています。 『手紙』p.53,1904[77歳]
10.締めくくりの争闘の中での奇跡
災難の苦悩の後の時、地上に生きている神の民の体験に何かのアイデアを与えるということ、天上の栄光が混ぜ合わせられるということは不可能でしょう。神の民は神の玉座を起源とする特別な光/真理によって歩んでいます。善天使達による方法によって、天と地の間にはいつもコミュニケーションが存在しているでしょう。そして、取り巻きの悪天使達によって「神のような存在」として呼ばれているサタンは、可能ならば真に選ばれた人々をもだますためにあらゆる種類の奇跡を働くでしょう。やがて、サタンが働くことができる何かの奇跡を見せかけるので、神の民は奇跡の働きの中には、自分達の安全を見ないでしょう。神が試みて試験した人々は、出エジプト記31:12-18に書かれたしるしにあるその力を見るでしょう。彼らは、「書かれた」生きている御言葉に、立ち位置を取るために存在しています。これは、彼らが安全に立つことができる唯一の基礎/土台です。自分達の神との契約を破棄した人々は、その日、希望なく、神なく、この世界中の人々の中に存在しているでしょう。
神を礼拝する人々は、自分達が第4番目の戒め(これは人間が敬い敬意を示す神の創造的な能力と神の宣言の証のしるしです)を尊重したことによって特別に見分けられるでしょう。悪人達は、ローマ帝国が制定し高めた創設者の記念日に涙を落とすという結果によって見分けられるでしょう。論争に属する問題の中で、全てのキリスト教徒は大きく二つの階層、つまり、神の戒めを守りイエスに属する信仰を守る人々と、特別な獣とその像を礼拝しその印を受ける人々に分けられるでしょう。教会と国家は、獣のしるしを受けるために、彼ら(獣)の勢力によって力づくで、小さい者も大きい者も、富める者も貧しい者も、自由な者も囚人も、「すべて」連合するでしょう(黙示録13:16)。しかし、神の民はそのしるしを受けないでしょう。パトモス島の預言者は次のように注意を呼びかけています。「その獣に対して勝利した人々、その像に対して、その印に対して、その名に属する多くに対して勝利した人々は、神のハープを持ってガラスの海の上に立ちます」(黙示録15:2)。そして、モーセの歌と子羊[イエス]の歌を歌います。
怖れ多いテストと試練が神の民に待ち構えています。戦争の精神/霊は、地の果ての一つの国からほかから、各国に呼び起こされています[第一次世界大戦:1914-1918年]。しかし、近づきつつあるその悩みの時(一つの国が存在してからかつてなかったような一つの悩みの時)のただ中で、選ばれた神の民は動じることなく立つでしょう。知力と精神力に優れた天使達が彼らを保護するので、サタンと彼の天使達は彼らを滅ぼすことができないでしょう。 『手紙』119,1904[77歳]
6章 惑わしに対する私達の安全
1.誠実だけでは救わないだろう
嘘による信仰は、その生活/生き方や品性/人格において清めの感化を持っていないでしょう。誤りのないことは真理が存在していることであり、あるいは、[真理の]復唱、または復唱の中の信仰によって真理が作られるうることです。誠実は、一つの誤りを信じる結果から一人の魂を決して救わないでしょう。誠実なしに真の宗教は存在しません。しかし、誤った宗教の一つの誠実は決して一人の人をも救わないでしょう。私が間違った一つの道に沿って行くということでは完全に誠実でしょう。しかし、それ[誠実]は、正しい道を整えないでしょう。または、私が到達したいその場所に私を連れて行かないでしょう。主は、私達が盲信の傾向を持つことを望んでいません。そして、聖化の信仰を呼び掛けています。その真理は聖化の原則です。そして、そのために、何が真理かを知ることは、私達のものになっています。私達は、精神的/霊的/知的な事柄spiritual
thingsと精神/霊/知spiritualを比較する必要があります。私達は、全てのことを分析/立証する必要があります。しかし、神性な資格を生み出す、真の動機と原則を私達の前に置いて、私達の行動を促すような、良いものだけをしっかりと捉える[必要があります]。
『手紙』122,
1890[63歳]
2.外に現れた品性の変容
個々人は、真理に関する理論に中身が存在していても、また、心に神の聖霊の日毎の働きが欠けていると、それは、品性/人格の変容において外に現されます。人々は自分自身で、主の働きにおいて、やがて大きな成果をもたらす資格/適性を自分で切り捨てています。聖霊が取り去られた人々は、為す義務のある働きに盲目な状態で、正確な音色でトランペットを響かせないので、天の都シオンの城壁の上で注意深く見張りをすることができません。
聖書のペンテコステの日のような、聖なる霊に属するバプテスマは、真の宗教のリバイバルと、多くの素晴らしい働きの実演に導くでしょう。天上の知者達は、私達の間に訪れるでしょう。そして、「人々は神の聖霊によって動かされた」と語るでしょう。しかし、主は地上で、また、そのペンテコステの日の後で為したように、人々の上で働くでしょう。現在、その真理を信じると主張する多くの人々は、「狂信的な言動に気を付けなさい」と叫ぶ聖霊の働きをほんの少し理解するでしょう。その人々は、聖霊に満たされた人々を「これらの人々は新しいワインに満たされて[酔って]います」と言うでしょう。
やがて、人々がキリストとの親密な関係を強く願う時、自分達の意思と自分達の方法を捨て、神の意思と神の方法に服従させるならば、かつて持っていたよりも、または、現在持っているよりも、神の聖霊とのとても親密な一致[の訪れる日]は、今、そんなに遠くないです。クリスチャンだと公言する人々の大きな罪は、聖霊を受けることに心を開かないことです。魂達がキリストのようになりたいと思っている時、主と一つになることを求める時、その時、その人々は「気を付けましょう。極端に走ってはいけない」と叫ぶ、形式的な信心深さで満足しています。天の使い達が私達の間に訪れ、そして、人間の働き人達を通して働く時、そこには、改心という手順の後で、ペンテコステの日の後の、堅固で実りのある改心が存在するでしょう。
さて、兄弟[姉妹]の皆さん、用心深くしていましょう。そして、人間的な興奮に立ち入らないように、またそれを創り出さないように用心しましょう。しかし、私達が人間的な興奮に立ち入らないように用心する一方で、私達は、神の聖霊の働きに言及するうちに、疑いを抱き疑問を生じさせる人々の間にいないようにしましょう。彼ら自身の心は感動されないので、どちらかというと、彼らの心は冷めていて、感動しなくなっているので、神の聖霊が男性達・女性達の能力を支配する時に、疑い批判する人々がいるでしょう。
3.特別な教理を理解する必要
謀反と背信行為は、私達が呼吸する空気と同じく存在しています。私達は、自分達の寄る辺ない魂の上に、信仰によってキリストを掲げないならば、それに影響されるでしょう。もしも、人々がそんなに簡単に間違った方に導かれるとすると、サタンだけがキリストの容姿を装っていて、キリストの働きをするように見える時、サタンがキリストを演じる時に、また、奇跡を働く時に、人々は、どのように立つのでしょうか。偽り伝える者によって、誰か動揺しない人がいるでしょうか。何が、偽キリストの忠誠を生じさせることから、神の民を支えるのでしょうか。「あなた方は彼らの後に、ついていってはいけません」(ルカ21:8)。
特別な教理は容易に理解される必要があります。特別な真理を教えることを受け入れた人々は、務めを果たす必要があります。彼らの器としての才能は、その務めが自分達をしっかりと守るので、嵐と暴風雨のような困難に対して、持ちこたえるでしょう。
サタンは今、魂達の命のゲームを演じる中で、それまでの時よりも本気で没頭しています。私達が自分をいつも守っていないならば、彼は私達の心の中に、プライド(自負/自慢&誇り)、自己愛、この世への愛、そのほか多くの悪の道のりを提示するでしょう。彼は、また、私達の神への信仰と神の言葉の真理への信仰を不安定にする全ての可能な策略を使うでしょう。もしも、私達が、神の言葉の数々の真理についての深い理解を持たないと、私達は、その敵の間違いともっともらしい推論によって、私達は敗残者へと迷わされるでしょう。間違いから真理を識別することを学ばなかったので、誤った教理が多くの人々の[信仰の]基礎/土台を弱くするでしょう。サタンの策略に対して、私達の唯一の保護手段は御言葉を熱心に研究すること、私達の信仰の根拠を理解する高い知能を持つこと、そして、全てを知る義務に忠実な行動をすることです。罪を知った人間の高い知能は、弱さと闇/無知の原因となり、激しい誘惑の目的となるでしょう。 『レビュー&ヘラルド』1908.11.19
4.いつもイエスの方を見ましょう
後の雨が降る下で、人の創案や人間の奇抜な趣向は、その時に、一掃され、人間の権威の境界線は壊れた笛のリードのようになっているでしょう。そして、聖霊は、生きている人間の働き人によって、確信をもって力強く語るでしょう。仮に、文章がよく仕上げられているならば、また、その文法に誤りがないならば、それを注意して読む人は一人もいないでしょう。生きている水は、神自身の通信回路からあふれ出るでしょう。
しかしながら、私達は、いま、人を高尚にしないような、人々の言うこと、行動することに気を付けましょう。そして、誰も、語るために、驚くような体験をすることが主要な点だと考えないようにしましょう。その理由として、価値がないように見える人々に信頼が寄せられて、成果を生む分野があるからです。若い男性達、若い女性達は、高められ、素晴らしく気に入られて、何か大きなことをするために招かれるでしょう。一風変わった指示の後で、多くの者が回心者となるでしょう。しかし、その者達は、神性な署名[誓い]をしないでしょう。不道徳、無節制がやって来て、そして、多くの者達は、信仰の難破船になるでしょう。私達の唯一の安全はイエスを堅く捉え続けることにあります。決して、私達は彼を見失うためにいるのではありません。彼はこう言っています。「私を離れてあなた方は[神性に関することにおいて]何もすることができません」(ヨハネ15:5)。私達は、自身の非効率、無力、信頼を全的にイエスにとどめる感覚を養う必要があります。これは、私達を個人的な平穏と数々の言葉と立ち居振る舞いに堅く立たせ、守り続けるでしょう。ある話をする人の興奮は、力ではなく弱さです。熱心さと精力は、聖書の真理とその福音に表れている要素です。それは救いに至る神の能力です。……
多くの人々が吸い込まれる危険のある[アリ地獄のような]流砂があります。神の聖霊を熱心に探し求めることは、いつも安全なことですが、もしも、私達がそれに加わらないならば、気力や推測は、天国を生み出しません。熱狂的で気性の粗野な人々が、知識によらないで熱心に自分で熱中して働くことのないよう、私達の話し言葉と全てに、注意が必要です。その人々は、神性の模範に倣って、彼らの[品性/人格を]形作って、聖霊が自分達を用いるのではなく、聖霊を用いることが自分達の特権だったように活動するでしょう。そこには、キリストの先に立って走るという危険が存在しています。私達は、聖霊が導くような所についていくことによって、聖霊に栄誉を授けて当然です。(箴言3:5)。これは、ほかの人々に真理を教える者達にとって一つの危険です。キリストが導く所は、ついていくことによって、私達の足元に安全な道が一つ存在しています。彼の働きは変わらないで存立しているでしょう、どんなことにしても、神の語っていることは真理です。
しかし、罪に落ちている人々に憐れみの最後のメッセージを伝える牧師達は、行き当たりばったりの働きにならないように言葉を発する必要があります。牧師達は、サタンが人間達の心に侵入口を見つけるようなどのようなドアも開けないようにする必要があります。興奮を創り出すような新しくてびっくりする何かを考え出すことは、私達の新手法の働きではありません。サタンは、自分の惑わしの要素の中にやがて持ちこむ、この指示が何らかの優位性を取るためのチャンスとして待ち構えています。
人間の働き人達の上にある聖霊の動きは、知性のバランスを良く保つでしょう。そこには、興奮の働いた後も、反射的について行かせられたということもないでしょう。
サタンは、名誉を傷つけるために全ての過度な印象を利用するでしょう。その話し手だけではなく、同じような精神/霊を受け止め、その悪をほかの人々に吹き込む人々を使うでしょう。平穏と厳粛さは養われる必要があります。私達に内在するその厳粛は深い誠実を証するように私達を導くでしょう。滅びる魂に対して最も効率的なメッセージを伝えることに重点を置く時、私達の救い主の来臨の接近の感覚に重きを置く時に、私達は違ったやり方として、どのようなことができるでしょうか。
私達がいつもイエスを見ていて、神の聖霊を受け続けているならば、私達は明瞭な眼識を持っていられるでしょう。サタンが自分のだましによって動揺を[引き起こす]機会を見つけるといけないので、私達は全ての局面で危険を見分けましょう。また、私達が発する全ての言葉を守りましょう。私達は、人々の知性に興奮が生じるようなことを望んではいけません。私達は奇妙なもの、素晴らしいものを見る可能性に向けられないようにしましょう。人々に、一歩また一歩と[キリストに]ついていくように教えてください。永遠の生命を中心にした私達の望みであるイエスキリストを説教してください。 『手紙』102,1984[57歳]
第2部 誤りと混乱に陥れる運動
はじめに ホワイト遺稿管理委員会
数年を通して、間違った、または、混乱に陥った運動が、御言葉の誤った解釈や神性の照明と思われるものに基づいて、セブンスデー
アドベンチストの間に湧き起りました。それらは、それらが湧き起ったその状況に立ち向かうために、与えられた預言の霊の勧めによって、断固として誠実に対処されました。それらの勧めの数々は、この第二部に含まれています。
通常、その[勧めに]支持され堅固に結び付けられた新しい光/真理は、特定の教会か、それ自身のリーダー達に対する非難のメッセージの一つです。しばしば、そこには「時期を決める」いくつかの階層の人々が存在していました。スタントン氏によって導かれ、第三天使の大きい叫びとして知られていたそのような運動の一つは、『レビュー&ヘラルド』誌に1893年に出版された連載記事のタイトル『バビロンではない、残りの教会』(現在、『牧師達への証』pp.32-62、『残りの教会』pp.23-53にある) を通して立ち向かわれました。
第二部の中に引用した資料は共にこの運動のさらなる説明をして、そして、同じような運動のいくつかの考えられる詳細を配しました。預言の賜物を主張することを含む二つの目立ったケースは、ミセス
ホワイトが直接、間接に関わったために、彼女によって与えられた勧めの形によってここに書かれています。彼女は、この状況の特徴を記述することによって、非常にデリケートな立場にいましたが、神のメッセンジャーとして彼女の任務が十分に満たされていました。彼女は、預言者的な任務の振りをする人々から教会を守るという指導を[イエスから]与えられました。彼女は、預言の賜物の真の現れは、それ自身が、確かな根拠と明確なゆとりを伴った資格を生み出すだろうという点を強調しました。
真理への一人の敵対者がいる限り、間違った、そして、混乱に陥った運動は湧き起るだろうし、また、[私達は]立ち向かう必要があります。彼らの特徴的な教えによる運動に関するいくつかのエレン・G・ホワイトの論述と、その働きと教えの数々の分析によって与えられたこの勧めは、それらが出現する時、簡単にそして明確に見分け、その状況に再び立ち向かうことによって偉大な奉仕を立証するように、多くのものを提供しています。―ホワイト遺稿管理委員会
7章 神性の資格
1.親愛なる兄弟M氏へ*[3]
私宛のあなたの手紙を安息日の始まりに受け取りました。私は、あなたの知性に何が真理かしっかり定まるようになるまで、あなたに、その学校に出席し、この町を去らないようアドバイスしましょう。……私は、あなたが学校の学期中に出席して、世界中の人々に伝えるために存在しているメッセージの真理について、あなたができる全てを学ぶようにと心から願っています。
主は、あなたに、セブンスデー アドベンチスト達をバビロンと呼ぶため、また、神の民に教会から去るように叫ぶために、一つのメッセージを与えませんでした。あなたが書いたその理由は全て、その目的において、私にとって重要さを持つことができません。その理由として、主は、そのような一つのメッセージに反して、確固とした光/真理を私に与えました。
私はあなたの誠実さや正直さを疑うことをしません。私は、別の機会に、真理に対処してこなかった人々、バビロンの存在に関連するセブンスデー
アドベンチスト達の教会を非難する人々に、長い手紙を書いたことがありました。あなたの個人的な考えは、私の知性に不利益をもたらしました。私がこの状態でいると、私は、神の働きを委ねられることに相応しい者とされません。しかし、この問題は、セブンスデー
アドベンチスト教会のために複数のメッセージを持っていると叫んでいた個々人達が叫んでいた、似た特徴のある、ほかの事例によって以前に私の知性に持ち込まれていました。また、特別な言葉が私に与えられました。「彼らを信じてはいけません」「私は彼らを遣わしていません。それにもかかわらず、彼らは動き回っています」。
2.思い出されたいくつかの事例
K長老は*[4]、亡くなった方ですが、バトルクリークの病院にいた間、関心を持った人々で自分の部屋をいっぱいにしていました。多くの人々は騙されていました。その人は、霊感を受けているように思われました。しかし、私に与えられた特別な光/真理は、「その働きは神に属するものではありません。そのメッセージを信じてはいけません」でした。
2、3年後、カリフォルニアのレッド ブルッフから、Nという名の人が自分のメッセージを携えて、私の所を訪れました。彼は「これは、自分の栄光によって地上の人々に光/真理を与えるために存在していた第三天使の大きな叫びでした」と語りました。彼は「神は全ての導きをする働き人達のそばを通り過ぎ、そして、そのメッセージを自分に与えた」と考えていました。私は、彼が間違っていることを示すままにしました。彼は「セブンスデー
アドベンチスト達はバビロンとして存在していました」と語りました。そして、私達が、彼の目の前にその問題を提起して、私達の根拠と、彼が間違いの中にいたということを語り掛けた時、彼は、自分にやってきた大きな力で、確かに大きな叫び声をあげました。……私達は、彼について多くの問題を抱えていました。彼の知性は、アンバランスになりました。そして、彼は、精神病者の保護施設に収容されねばなりませんでした。
Garmier[5]という人は、第三天使の大きな叫びについてのメッセージを擁護して出版しました。彼は、この教会をあなたがいま行なっている同じ方法によって非難しました。彼は、「この教会のリーダー達は自己称揚によってみな間違っているでしょう。また、ほかの謙遜な階層の人々もその前に並ぶでしょう。その人々は不思議なことを行なうでしょう」と言いました。この人には数々の幻を持っていると主張している娘達がいました。
このだまし事が、私に開示されました。この人は、申し立てられた意見を受け入れ、自己否定と熱意と誠実、捧げ物と献身を表す、許容力のある知識人の一人でした。しかし、神の言葉が私に来ました。「それらを信じてはいけません。私が彼らを遣わしたのではありません」。
彼は、証の数々を信じていると主張しました。彼は、それらは真理であることを主張し、彼の主張する真理に力と印象を与えるために、そして、あなたがそれらを利用した同じ方法でそれらを利用しました。私は、このメッセージが神に属したものではなかった、とその人々に語りました。しかし、それは、用心していない人をだましていました。彼は納得しなかったでしょう。私は、彼らに彼の娘[アンナ]が偽造した複数の幻について語りましたが、なお、彼が主張したそれらの幻と似た複数の証はホワイト姉の複数の幻に似たものでした。その娘は、その間違ったメッセージを信じたその家族とそのほかの人々をだましていました。私は「その若い少女は徳が高くなく、しかも、間違っていました」と示されました。
仮に、霊感を与えられた人を私がかつて見たことがあるとすると、その人は確かに存在していました。しかし、私はすぐに、彼の霊感は、神に属するものではなくサタンに属するものだと語りました。彼のメッセージは神性の資格に値しませんでした。
このメッセージを世界中の人々に広く伝えるという彼によると、「自分は正直な人になった。常識的に若者は『レビュー&ヘラルド』のリストを盗むことが自分の義務である」ということを信じています。これは、囚人状態の悪事で、その若者はバトルクリーク教会から去りました。彼は、何かの時にバトルクリークに戻ることをものともしませんでした。ある時期が[1844年からキリストの至聖所での]調査期間の終わりとして設けられました。全ての予測は外れて、その若者はだまされていたと知りました。そして、自分の罪を告白しました。そして、現在、バトルクリーク教会の尊敬されるメンバーの一人です。
それから2年後にまた一人、Oという名の人がコネチカット州から一つのメッセージを持って訪れました。その人は、それを第三天使のメッセージについての新しい光/真理と呼んでいました。この聡明な家族は、間違った信念によって、セブンスデー アドベンチスト教会から分かれました。彼はコネチカット州の○○に住んでいました。私は、この新しい光/真理(彼はそう呼んだ)に反対して明確な証を与えたので、彼は、私と、私の働きと私の証に反対しました。
その父親とO氏の子ども達は、バトルクリーク[教会]で開催された総会と牧師のための聖書研修会に参加しました。しかし、彼は、よそよそしい態度を取り、その集会の精神と調和しようとしませんでした。彼は、母教会を去って、そして、○○で小さな教会を膨らませることを始めました。もしも、私がその場所で働いていなかったならば、彼らは真理の拒絶によってこの教会全体とセブンスデー
アドベンチストの地位とミセス ホワイトの特殊さを破壊したことでしょう。
これと同じころ、ミセスPという人が、ワシントンD.C.から訪れ、「全く聖化されました、癒しの能力を持っています」と主張しました。この精神/霊は、困惑して迷子になるように多くの人々を導きました。その同じ非難する精神/霊はその人々と共にありました。これは「この教会は全て間違っていて、神は奇跡を働く可能性のある人々を呼び出しています」というものです。バトルクリーク教会の私達の多くの階層の人々は分断されていました。私は、神の霊によって動かされて、夜の間に、バトルクリーク教会の私達の人々に手紙を書きました。
3.ラオデキヤの人々へのメッセージ
神は一つの民を導き出しています。彼は選ばれた一つの民を持っています。主は、この地上で一つの教会と、彼の律法を預かる人々を出現させました。主は、この世界中の人々が与えられるように彼らに神聖な信託と永遠の真理を委託しました。神は彼らを戒め正したでしょう。ラオデキヤの人々へのメッセージは、大きな光/真理を持った、また、その光/真理の中を歩まなかったセブンスデー アドベンチストの人々に適応できるように存在しています。それは、大切な告白をしたこれらの人々に存在しています。しかし、人々のリーダーの歩みの中で守られませんでした。それは、人々の悔い改めなしに神の口から外に吐き出されるでしょう。セブンスデー
アドベンチスト教会をバビロンと断言し、教会の外[の人々を]神の民と呼ぶメッセージは、天のメッセンジャーの誰かから出たものではありません。または、神の霊によって霊感を受けた人間の働き人の誰かから出たものでもありません。
真の目撃者はこう言います。「私はあなた方に火で精錬された私の金を買うことを勧めます。あなた方は豊かでしょう。白い衣服であなた方は被われるでしょう。そして、あなた方の裸の恥は現れないでしょう。かすみ目に塗る目薬を[買いなさい]。あなた方は見えるでしょう。私が愛する多くの者も、私は叱ったり懲らしたりします。だから熱心でいなさい。そして、悔い改めなさい。見よ、私はドアの前に立っています。そして、ノックしています。もしも、誰でも私の声を聞き、そして、ドアを開けると、私は彼の[家に]入るでしょう。そして、彼と共に、そして、彼は私と共に夕食をするでしょう。勝利者の彼と、私は、私の玉座に私と共に座ることを認めましょう。それは私が勝利を得て、私が私の父の玉座についたのと同じです」(黙示録3:18-21)。
4.私は叱り懲らす
イエスは教会の個々人のメンバーに豊かな祝福を与えるために訪れています。もしも、主のために人々がドアを開けるならば、主は、一度も人々をバビロンとも呼びませんでした。また、人々に外に出るようにとも求めませんでした。しかし、主はこう言っています。「私が愛する多くの者を、私は叱ったり懲らしたりします」(叱責と警告のメッセージと共に)(黙示録3:19)。私は、これらの叱責に無知なままの者でいません。私は複数の警告を与えられました。その理由は、主の霊が私にそうすることを阻止し、そして、叱責の言葉を発したからです。その訳は、主が叱責の言葉を私に与えたからです。私は、神の勧め全部を断言することを避けませんでした。それは、この教会のために私に与えられていました。
私は神への畏れと神への愛によって言いましょう。私が知っている主は、人々の後戻りをみな癒して回復する愛と憐れみの考えを持っています。主は、主の教会にするための一つの働きを持っています。人々はバビロンと宣告されるために存在しているのではありません。そうではなく、地の塩、世界の人々の光[真理]として存在しています。人々は、これらの最後の日々に生きている一つのメッセージを宣言するための生きているメッセンジャーであるために存在しています。
5.黙示録18章のバビロン
「そして、これらの後、私はもう一人の天使が天から降りて来るのを見ました。大きな力を持って、そして、地上の人々はその天使の栄光によって明るく/啓蒙/指導されました。そして、彼は、力強い声で叫びました。こう言いました。バビロン、その偉大さは消え去った。消え去った。そして、そこは悪霊達の逸楽と悪徳の大都会になった。あらゆる汚れた霊/精神の隠れ場、そして、あらゆる汚れたものの檻の一つ、飢えた鳥の籠の一つとなった。全ての国民は、彼女[バビロン]の偶像崇拝が原因の怒りのブドウ酒を飲んだ。そして、地上の王達は彼女[バビロン]と偶像崇拝を誓約した。そして、地上の商人達は彼女の優雅さ、生活の豊かさによって富を増大させられた。そして、私は、天からもう一つの声を聞いた。こう言っています。彼女[バビロン]から外に出なさい。私の民よ。汝らは彼女の罪への参加者達として存在してはいけない。そして、汝らは彼女に関する疫病/災いを受けてはいけない。彼女の罪は天にまで達したので、神は彼女の不正の数々を思い起こした。彼女があなた方にしたように、彼女に返しなさい。そして、彼女の働きに応じて彼女の2倍には2倍を[返しなさい]。彼女が満たしたカップの中に彼女の2倍満たしなさい。ものすごく、彼女は自分自身を称賛した。そして、楽しく生きた。それと同じほど多く、苦痛と悲しみを彼女に与えなさい。彼女は心の中で言っています。私は一人の女王の地位に就いた。そして、私は寡婦ではなくて、そして、悲しみを知らないでしょう。ですから、彼女の疫病/災害、死と嘆き、飢饉が一日のうちに彼女にやって来て、彼女は全て火で焼かれるでしょう。彼女を裁く主、神は強い存在である」(黙示録18:1-8)。
この18章全体は、「堕落してしまったバビロンは、主が与えた第一、第二、第三天使のメッセージに対して、その警告のメッセージを受け取らなかっただろう数々の教会を示しています。彼らは真理を拒否し、そして、嘘を受け入れました。彼らは真理のメッセージを拒否しました」。2テサロニケ人への手紙2:1-12を読んでください。黙示録18章のそのメッセージは簡単で明瞭に意味を明らかにしています。「全ての国民は、彼女[バビロン]の偶像崇拝が原因の怒りのブドウ酒を飲みました。そして、地上の王達は彼女[バビロン]に偶像崇拝を誓約しました。そして、地上の商人達は彼女の優雅さ、生活の豊かさによって富を増大させました」(18:3)。この章を読んでいる人は誰もだまされる必要がありません。
神が、神の律法の委託先として定めた人々、このメッセージを応用するために存在している唯一の人々に、サタンは出ていって広めるための一つのメッセージを持っていることを勝ち誇るでしょう。バビロンのそのブドウ酒には、その嘘の歓喜と、さらに、それは魂の不死、人間が利用するために主ヤハウェ(hwhy)が祝福して聖別した第7日安息日に優先した間違った安息日の歓喜が存在しています。これら一連の異端行動とその真理の拒絶は、その教会をバビロンへと転向させています。王達、証人達、為政者達、そして、宗教教師達は、みな堕落で一致した存在です。
6.この教会は破壊されない
私は繰り返して言います。主は、神の戒めを守るこの教会をバビロンと呼ぶどんなメッセンジャーによっても語っていません。真理[はこうです]。麦から穂が刈り取られます。しかし、キリストは言いました。主はは、主の天使達を送って、まず穂を刈り取って収穫し、そして、それら[殻と束]を燃やすために縛るでしょう。しかし、麦の粒は集められて倉に保管されるでしょう。私は主が自分の教会を愛していることを知っています。それは、組織が乱されるためや、独立した原子にまで破壊されるために存在しているのではありません。その[殻と束の]中に、最も小さな堅実さがありません。一つの物事が存在するような最も小さな根拠もありません。この間違ったメッセージを心に留める人々、ほかの人々に[パン種で]膨らませようとする人々はだまされていて、また、進歩的な錯覚/惑わしを受けるように備えられているでしょう。そして、彼らは無の状態になるでしょう。
証拠が、ラオデキヤの教会として摘要しうるメッセージを成している証拠の上に積みあげられているにもかかわらず、しかし、その教会のメンバー達の中には、自慢する人、自己満足な人、断固とした信仰の人、自分達の[偏った]考えを明け渡すことを拒否する人々がいます。しかし、生きていない教会の汚点は取り去らないでしょう。殻[のような人々]と麦の粒[のような人々]の両方とも、収穫の時まで共に生長/成長するままにしておきましょう。分ける働きをするのは、神の天使達です。
私は、あなた方が全ての新しい見解と大きな光/真理を持ったと主張する人々をどのように受け入れるかということについて、セブンスデー
アドベンチスト教会[の人々]に注意深くなるように警告します。彼らの働きの特徴は、非難するためとふるい落とすためにあるように思います。
我の兄弟[姉妹]の皆さん、私はあなた方に言います。注意深い存在でいてください。あなた方が入り込んだその小道にさらなる一歩を踏み出さないでください。「汝がその光/真理を持っている間、暗黒の闇/無知はあなた方に来ないでしょう」(ヨハネ12:35)。
あなた方は、バトルクリーク[教会]の中で冷淡な待遇をされて不平を言っています。あなた方は、霊的な人々が次のように言っている謙虚な精神によって歩みましたか。「私を御言葉で試してください。この問題をめぐって祈ってもいいでしょうか。私は特別な光/真理を持っていません。私は、魂を決して清めないような間違いのために、それを必要としています」。聖霊が通り越した体験の後で、聖霊はあなたを信頼せず、なすべきことを考えることができないことに、あなた方は驚くことができますか(Can
you be surprised that they would not give you all that confidence you might
think they should, after the experience they have passed through?)。キリストの言葉ではないものは、どのような重みがありますか。「偽預言者に気を付けなさい。彼らは羊の毛衣を着てあなた方の所に訪れます。しかし、心の中で彼らは狼達のように荒し回っています」(マタイ7:15)。「ほら、ここに、ほら、そこにキリストがいます」という人は、増えるでしょう。信徒達は、その教会で「一緒に勧めましょう」と言っていた天使の声に心をとめましょう。一致の中にあなた方の力があります。兄弟[姉妹]としての愛は同情深く、礼儀正しいものです。神は一つの教会を持っています。キリストはこう宣言しています。「地獄の門はそれ[神の教会]に対して勝てないでしょう」(マタイ16:18)。主が送ったメッセンジャーは、神性の資格を生み出すでしょう。私はあなた方に好意的な感情を持っています。しかし、私は、あなた方に真の光/真理が訪れることを請い願います。 『手紙』16,1983[56歳]
7.見せかけの下の働きの結果
彼らがキリストと結ばれて彼の働きを為しているか、魂をその真理により堅く根付かせるかどうか、また、彼らが義の敵の働きを無意識に為して彼との共同運営にあるかどうかは、自分自身の魂の周りの雰囲気について、全ての人が知る必要のある要素です。
サタンは、真理を信じると告白する人々の間に不調和の種が蒔かれ、兄弟[姉妹]と兄弟[姉妹]の信頼が弱くなって、誰かやみんなが彼に結びつくようになると喜ぶでしょう。サタンは、キリストの足跡を歩まず働かないのに、キリストの友人だと告白する人々を通して最も首尾よく目的を達成することができるでしょう。この時に、知性と心が主の働きから逸れている人々、また、主の警告の言葉に人々を導くことによって魂達に信仰を根付かせるように主と共同しない人々は、キリストの敵の働きをしています。
家から家へと広がることは、最も深刻な問題の一つです。そして、奉仕の働きをしているという見せかけの下、不信とうさんくさい思いの種が蒔かれています。おのおのの人の心は、すぐに芽生えさせています。そこで、教会の人々に伝えるために主のメッセージを持っている神の奉仕者達が養成されています。神がその奉仕者達によって語る時、蒔かれた[不信/疑惑]の種は、苦渋の根を伸ばしました。主の言葉は聞かれない心に、応答されない心に落ちています。天の使いの力や地の人の力はその魂への接近方法を見つけることができません。
誰がそれらの魂達に責任がありますか。主の言葉を受けることを阻害していた苦渋の有毒な根を誰が根絶するのでしょう。善人の姉妹の一人、または、善人の兄弟の一人がその悪の種を蒔きました。しかし、人がこのように危険に曝された魂を回復することは可能でしょうか。神の働き人達によって希望と信仰と確信の言葉を語ることによって、神の栄光のために使われて来たその舌/言葉は、イエスキリストから一つの魂を逸らしてしまいました。キリストの言葉を見下す人々と、彼の声を聞くことと、そして、回心させられることを拒む人々は、ほかの人々の知性を悪い推測と悪い言葉のパン種で膨らませました。
今は、主の備えの日です。私達は、今日、不信とゴシップを喋る時間はありません。今、悪い働きをするための時はありません。みなさん、羨望、嫉妬、内輪もめの種を蒔くことによって、ほかの人々の信仰を乱さないように気を付けましょう。なぜかというと、神はそれらの言葉を聞いて、「はい」か「いいえ」かという主張によってではなく、人の活動のコースが生み出すその実によって評価しているからです。「彼らの実によって、あなた方は彼らを知るでしょう」(マタイ7:20)。蒔かれた種は、その品性/人格の収穫を決定するでしょう。
『原稿』p.32a,1896[69歳]
8.神によって霊感を与えられたメッセージに伴う確かな根拠
主が人に一つのメッセージを与える時に、そのメッセージがどういう方法で神から出たものであるかを神の民が知るように、主はそれと一緒に何かを与えています。神は、神の民に、一つのメッセージを持って彼らの所に来た全ての人を信じることを求めません。
主は、彼らを滅ぼすためではなく、彼らの間違いを正すために、神の民に数々の警告を送っています。……
私達は、危険に満ちた時代に生きています。私が光/真理を持ってから、人々が「自分は人々が為すための素晴らしい働きをもっている」と考えることを、サタンがこの[教会の]中に持ち込もうとしていることを知りました。しかし、神が一人の人に一つのメッセージを与える時に、その人は、自分の従順さと控えめ[な態度]によって、神がその人を通して働いている根拠を与えるでしょう。神は生きていて、統治しています。そして、主は、私達に、謙虚に彼の前を歩むように望んでいます。主は、一つの会衆の前に自分自身の能力をあらわすことをこの人、N氏に望んでいません。
私達は「伝えるためのメッセージを持っている」と主張する人々に、会うたびに邪魔しようとしているのではありません。期待されていない立場に自分を押しあげる人は、神の働きをしていません。私達は一つの軍隊の兵士のように働くために存在しています。私達はその階層の外に踏み出すために存在しているのではありません。そして、私達自身の責任において働きを始めましょう 『原稿』30,1901[74歳]
8章 偽預言者の主張に立ち向かう
1.私達は何を期待するだろうか
私は「神が人々に決して委ねなかった一つの働きを引き受けて、間違った義務の考えから、ほかの人々を導くことを許されていて、神の特別な教育を受けたと主張する多くの人々」を示されました。混乱がその結果をもたらしているでしょう。全ての人々は、神の意思を個人的に理解できるように、自分達のために熱心に神を求めましょう。
(『手紙』p.54,1893)
複数の幻を持っていると主張する人々がいるでしょう。神があなた方にその幻が神からのものだという明確な根拠を与える時、あなた方はそれを受け入れるでしょう。しかし、ほかのどんな根拠によってもそれ受け入れない人々もいるでしょう。外国でもアメリカでも、人々は益々正道から逸れて導かれて行っているためです。
『レビュー&ヘラルド』
1905.5.25[78歳]
2.間違って導かれた一人の子どもの幻の数々*[6]
私は、[J.M.]Garmire氏と彼の働きに、小さな信仰をも持てなかったという状態に陥りました。私達の[ミシガン州]ジャクソンキャンプミーティングの時の秋の終わりに発行されたパンフレットは、私達の[教会の]人々には少しも支持されていませんでした。彼らは、『レビュー&ヘラルド』のリストを盗んで広めるために送りこまれました。
Garmire氏のその娘さんは、複数の幻を持っていると主張しました。または、彼が彼女のために主張しました。しかし、彼らは神のしるしを[生み出すに]値しません。私達が経験した中の多くの事柄でサタンの惑わしの一つとして、彼らは同じような特徴があります。
私は、魂達の敵対する働きをして、それらの狂信的な言動をする一派にそのジャクソンキャンプミーティングでわかりやすい説明をしました。彼らは闇/無知の中にいました。彼らは、[1844年からキリストの至聖所での]調査期間が1884年10月に終わるだろうという大きな光[真理]を持っていると主張しました。
私はそこで、主は、1844年以来、神が与えたメッセージの中に「正確な時は存在しないでしょう」と私に示して満足したという公的な声明を出しました。また、私は、「4、5回は強い熱意に守られ繫がったそのメッセージは異端だった」ことを知りました。このかわいそうな子どもの幻は、神に属するものではありませんでした。この光/真理は天から出てきたものではありませんでした。時は短いものでした。しかし、その終わりはまだ今ではありません。偉大な働きは、生きている神のしるしによって封印される一つの民を用意することが成し遂げられるために存在しています。 「狂信的言動と悪意の暴露」
(パンフレットpp.9,10,1885)[58歳]
3.J.M.Garmire氏への一つのメッセージ
サタンは、あなた方が罠にかかるように物事の手配を整えました。狂信的言動、だますこと、間違った強い信念があなたを虜にしています。あなたは、あなたの家族のそばであなたの考えを語りました。御言葉の誤解、真の解釈から神の言葉を捻じ曲げ、そして、私達の[教会の]人々は正しくなかったということに基づいて、その見方が捉えられ支持されるように、家族をこのような信仰に導きました。あなたの御言葉の解釈はセブンスデー
アドベンチスト達によって取られてきた立場と調和していません。……
あなたが自分の子ども達の知性に与えた枠組みは、あなた自身の知性を汚した間違いに持ち味を与えています。あなたは、ほかの人々の中に欠点と染みを見るように、そして、人々を批判するように、子ども達を教育しました。あなたの[主にある]兄弟[姉妹]達の失敗を取り上げ、彼らに向かって語るあなたの言葉の数々と模範によって、あなたは、あなた自身の能力がサタン的な働き人達によって確立したことを通して、あなたの娘さんが複数の幻によって結果を出した状態に教育する態勢を取りました。この全ての失敗の現れとあなたの兄弟[姉妹]達へのこの非難は、サタン的です。……
4.神聖な資格
あなたの言っている証への強い信仰と、それらを目立たせているものは、私の働きや私を助けるものではありません。なぜかと言うと、あなたは、娘さんの間違った複数の幻を、神が私に為すようにと与えた働きの高貴な特性と謙遜な神聖さと同じレベルに位置づけているからです。
主はわかりやすく、「あなたは、自分の子どもアンナが神から伝達されたのではないのに、神からのものだとみなしている」と、私に示しました。それらは、神性の資格に値しません。その子を支配しているのはもう一つの霊/精神です。彼女の中で働いているのは特別な敵です。そのような現れは、これらの最後の日々にもっとありふれたものとして存在するでしょう。彼らは一致にも全ての真理にも導きません。むしろ、全ての真理からから離すように導くでしょう。
それらの人々の体験が神に属していないことについて、私達が持っている明確な根拠は、それらの人々があなた方の見解と一致していることです。私達はあなた方の見解が間違いであることを知っています。彼女が幻によって見て言っている事柄は、神の言葉によって支えられていません。しかし、それらは、それに逆らって存在しています。サタンはいつも自分の精神/霊を彼女に吹き込む働きをしています。彼女を通して、彼は普通の中に、義の衣の下に、異端信仰と不純を持ち込むでしょう。あなたが、彼女の言った言葉を神からのものとみなす時、真の証へのあなたの信仰は価値の無いものです。そして、このように、サタンは、あなたに嘘を信じさせて、あなたの考えによって自信を持っている全ての人々に、神が任命した働き人達から繫がりを断つことを望んでいます。御言葉は、これらのだまされた人々と、だまされている人々について述べています。これはあなたの場合です。あなたはあなたの娘さんにだまされています。盲人が盲人を手引きしているように、彼女はあなたをだましています。特別な敵は、誘惑によって誘い込みができそうな人々の状態と状況に最も適した時に、様々な手段によって、自分の目的を達成しようとしています。
私がわかりやすくあなたに言いますと、あなたの娘、アンナさんのメッセージは、神からのものではありません。主がこれを私に示しました。そして、主は嘘を言っていないでしょう。彼女は良いことをたくさん言うでしょう。それは真理だとたくさん言うでしょう。しかし、魂達の敵にそのようにするように言われているでしょう。その物真似は、主の真理に似ていて、とても尊敬されるでしょう。そのキャラクターの証は、その実を生み出すでしょう。……
5.歴史は繰り返される
私の夫と私が、ある側面から活動するために、神の摂理によって呼び出された働きの中で、1843年と1844年のその始まりの頃からでさえ、私達は、私達の方策と計画のために主を招きました。そして、主は、生きている主の働き人達を通して、主の計画によって働き出しました。誤った道の数々は存在していて、しばしば私達に指摘しました。そして、特別な真理と安全な道は、私達が為すように与えられた働きに繫がった全ての企てによって、はっきりと明らかにされました。私は「神の働きとその方法についてだけではなく、サタンの策略についても無知ではありません」という、一つの真理を述べることができます。私達は、自分達の調査の中で私達を導くように神からの知恵に頼って、知性の全ての能力に責任を負う必要がありました。私達が異なった神学理論に注目して再調査しなければならなくなった時に、神の言葉と神の事柄から輝く光/真理によってそれらの功績と不足に重みを加えることが、御言葉と特別な証を通して私に啓示されました。それは、私達がほかの人々をだまさないだけでなく、だまされないようにするためでした。
私達は、私達の意思と神への道を明け渡し、そして、神の助けを真剣に誠実に願いました。そして、私達は決して無駄なものを求めませんでした。神の働きに繋がった苦しい多くの年々は、私を成長させ、あらゆる種類の間違った運動を熟知させてくれました。何度も、「あなたと共にいる場所で、あなたのためにする一つの働きを持っています」のメッセージによって、私は別の場所に送られていきました。その状況が来た時、主は「それらの間違った夢と幻を持っていた人々」のために一つのメッセージを与えました。そして、キリストの知性の力によって、私は主の宣言から自分の証を行使しました。最も恐ろしい公然の非難が、私に向かって投げつけられました。私は主の働きに反対していたので、彼らが言ったことは主からのものでした。彼らは「ちょうど、アンナが神託を伝えたように、恐ろしい災難があなたにやって来るだろう」と言いました。しかし、私は、天の使い達の守護にあるという完全な意識に添って乗り越えました。
過去45年の間に、私は「ほかの人々を非難するメッセージを神から受けた」と主張する人々に立ち向かう体験をしました。宗教的、狂信的言動のあるこの層[の人々]は、1844年から何度もなんども生じました。サタンは、誤りの地位に就いてから多くの方法で働いてきました。これらの幻の中で語られたいくつかの事柄は、通り過ぎていきました。しかし、([1844年からキリストの至聖所での]調査期間が終わり、特別な出来事が起こって、キリストが来ることについての)多くの事柄は、あなたの聖書解釈とアンナが行なったことについて、完全な間違いを証明しました。また、彼ら[神から受けたと主張する人々]は、その説明について捻じ曲げ、それらにほかの手段を与えることによって、そして、同じような方法によって進み続ける、だましとだまされた存在として、大失敗を弁解しようとするでしょう。
私が、主の聖霊によって、初めての働きについた時、私は「幻を見た」と主張する人々と接触して巻き込まれることになると示されました。しかし、主は、私がだまされることを許しませんでした。私の働きは、この間違った考えを明らかにするため、主の名によってそれを非難するために存在していました。世界の終わりが近づいているこの時、私はこれらの出現について、多くを目撃するために存在しています。
6.「私は彼らを送っていません」
「神が自分達に与えた」という幻に関する数々の手紙が、各地から私の所に寄せられてきています。しかし、主イエスは「その人を信じてはいけません。私はその人々を遣わしていません」と、私に語っています。ある人は私にこう書き送りました。「神は、ホワイト姉が間違っていると彼ら[リーダー達]に啓示しました。真理ではないいくつかの事柄を信じていて、そして、真理であるいくつかの事柄を拒否しているリーダー達によって感化されました」。しかし、主の言葉はもう一度やって来ています。「彼らの言葉を気に留めないように。私は彼らによっては語ってはいません。彼らにそのような言葉もメッセージも与えていません」。彼らはサタンの示唆から偽りの言葉をクモの巣のようにかけました。
ある人は[自分は]キリストだと主張するために私の所にやって来ました。そして、奇跡のように見えることを働きました。彼らは、「主は多くの事柄で私を導きました。しかし、主の安息日は試験の一つの問題ではありませんでした。その訳として、神の律法は人々を縛りませんでした。私達が為すはずの全ては、キリストを受け入れることでした。そして、私達は、自分達自身がキリストでした」と言いました。私は、全ての人々がこのような野心的な主張をしていたという体験をしました。そして、私は、彼らを信用していません。「その律法とその証に[求めなさい]。もしも、彼らがこの[主の]言葉によらずに語るならば、その理由は、彼らの中に光/真理が存在しないからです」(イザヤ8:20)。
ある所で、一家族のうちの4人が、主からの伝達を持っていると告白しました。間違いを戒め、そして、彼らは、実際に始めた事柄を、予側しpredictedました。これは、彼らに自信を吹き込みました。しかし、初めになかった事柄は闇の中に閉じ込められたか、あるいは、何か不可解なものとして取り扱われました。それは、後で、判明されるでしょう。彼らはどこからこれらの霊感を受けたのでしょうか。サタン的な働き人達からのそれ[霊感]は多くの人々に存在しています。主は、それらの事柄に立ち向かうために、私にそれを提示し、彼らに対して、明確な証を行使しました。……
私は幻の中で、たびたび、降る霊を見ました。しかし、私が、その霊に支配された霊/精神を戒めた時、その霊達はすぐに幻の外に出ていきました。そして、人々の知性に重い苦悩がありました。
7.ありふれた、普通、地上の事柄
これらの体験はごく普通にあるのでやって来ます。何回か、一つの家族はこの種の騙し……の下にありました。かわいそうに、震える何人かの魂は「あなたはうぬぼれています」、ほかの人は「あなたは信じていないので、失われるでしょう」というメッセージが、その教会の別々のメンバーに与えられたようです。主は、慰めと励ましの言葉を語るために、この実例によって、私に光/真理を与えました。私はこのように、だまされた人々のために、彼らがそれを聞くかあるいは拒否するかどうかにかかわらず、私の証を伝えました。
その人々の幻は、サタンの働きでした。その事柄は、誰が翌朝の食事を用意するだろうか、誰が夕食に何を用意するだろうか、誰が食後の皿を洗うだろうかなど、普通で、地上の事柄を啓示されたものでした。これらの取るに足らない物事に、彼らが聖書と証の中から見つけ出した神性の真理が混ぜられました。サタンの手は、反感を持つ人々、幻の性質の全てを拒否する彼らのやり方、この全ての中に存在していました。このように、虚偽と真理は共に拒絶されるでしょう。これらのだましに繫がれた人々は、彼らがそれを飽きるようになる時、全ての幻を疑うように傾くでしょう。
これらのだまされた人々による集会の後、信仰告白がなされました。その人々は、できる限り、ホワイト姉に似た姿勢のポーズを取りました。それはみな笑い劇とだましでした。また、その人々が語った多くの事柄は、彼らが予側したpredicted時を過ぎていきました。
私は、もしも、その幻が嘘だったら、このことがどのようになるのかを尋ねました。私は、その人々に「真理に誤りを混ぜるのはサタンの目的です。これらのだましの行動を通して彼は、神の真の働きの成果を無きものにするでしょう」と語りました。その時から、それらの幻はみな増え続けました。これらの人々が持った幻はどうなるのですか。彼らに奨励されたこれらの人々はどうなるのですか。今、かなり多くの人々が懐疑論者として生きていて、この教会の賜物に確信を持っておらず、その真理への信仰もなく、全てにおいて宗教心もありません。私がかつて示されたものは、間違った幻の確かな成果となっています。
あなたの娘さんに現れたものは、だましに似たものです。何かがそのだましを打ち砕いているにもかかわらず、彼女によるそれらの物事をあなたが推奨することは、彼女の名誉の落ちぶれとほかの人々の名誉の落ちぶれを証明するでしょう。あなた方は、それらの間違った幻と意味のない夢を、神の素晴らしい光/真理と呼びました。しかし、これは、麦の殻のようなものです。これは深刻な問題です。それは、あなたの家族に確実に感化を及ぼしているでしょう。あなたは、娘さんの言葉が神の聖霊の感化の下に語られたし、自分にもそれらの真理が同じくあるとみなしているでしょう。あなた方はサタンの強い惑わしの下にいます。あなたはそれらの様々な確信と保証、神からの真のメッセージが根絶させられることを主張するでしょう。これが、神の真理から引き離そうとして常に偽ものを強要しているサタンの理由です。
サタンの最後のだましは、神の聖霊の証の成果を無きものにするでしょう。「幻のない所ではどこでも、その民は滅びます」(箴言29:18)。サタンは、異なった方法と異なった働き人達を通して、真の証による神の残りの民の確信を不安定にするために、巧妙に働くでしょう。彼は、誤った道に導くために、まがい物の幻を持ち込むでしょう。そして、真理に誤りを混ぜるでしょう。そして、狂信的な言動の一種として、名声を生み出す幻の全てを認める人々に、嫌悪感を引き起こすでしょう。しかし、正直な魂達は、それら[真理と誤り]を比較することによって、それらの間の違いを識別できるでしょう。……
8.みなさんの聞き方/受け取り方に注意しましょう
だますようなものは特定の人間の心に存在しています。悪として存在しているものは、簡単に結びつくように存在しています。そこには、しきりに注意を与えることと、神からのものではないが高尚にするもの以外に、魂の関心やそれ自身の清らかさに有害なものはなく、それ自身の真理と神の聖に関する概念、そして、神性に属する概念と永遠の事柄に有害なものも存在していません。それは、その人の心に場所を占めていて、理解の程度を下げます。清らかな真理は、受ける人の品性/人格に、それ自身の高揚や陶冶(とうや)、聖化の感化によって神性の源を明らかにされます。
全ての真理の創始者は天の父に祈りました。「私はこれら(選ばれた人々)の人々のためだけではなく、彼らの言葉を通してやがて私を信じる人々のために祈ります。すなわち、さらに彼らはみな一つになるように、汝のように、父よ、私の内の美術品として、そして、私が汝の中[にいる]ように、彼らもまた私達の中で一つに存在するように、この世界の人々が、汝は私を遣わしたことを信じるでしょう」(ヨハネ17:20,21)。
物事は、いつも真理から引き離そうとする内輪もめが原因で湧き起るでしょう。この批判、粗探し、ほかの人々へのふとした裁き[の言葉]は、心の中のキリストの恵みの一つの根拠ではありません。それは、調和を作り出しません。そのような働きは、過去、素晴らしい光/真理を持っていると主張している人々によって、彼らが罪に深く落ちていた時に、持ち込まれてきました。異端信仰、不誠実、そして、嘘は、彼らによって全てが混ぜ込まれました。
その出現は、神の民の大きな危難の一つの時です。神はここ、あそこからの一個人ではなく、一つの民を導いています。神はこの地上に、特別な真理を忠実に守っている一つの教会を持っています。そして、私達が、この教会に対してブツブツと不平を言う、成人した大人達だけではなく、若い少女達を見る時、私達はその人々を心配しています。私達が知っている神は、その人々を遣わしていません。また、その人々は走り回り、そして、自分達の風変りなアイデアを受け入れない全ての人々を「神の聖霊に対して戦っている」として非難しています。このような全ての事柄は、サタンの道に存在しています。しかし、神の働きは前進するでしょう。一方、そこには、今もこれからも、キリストの祈りに反対して道を教え働く人々が存在するでしょう。その働きは前進するでしょう。それは自分達のサタン的な考案品とともに遠いかなたに残されるでしょう。……
「ですから、あなた方は聞き方/受け取り方に注意してください」(ルカ8:18)はキリストの訓戒の一つです。私達は、真理を学ぶという理由のため、また、聞くために存在しています。私達はそれによって歩むでしょう。そして、再度、「あなた方は聞くことに注意してください」(マルコ4:24)。念入りに調べましょう。「全ての事柄をはっきりと示しましょう」(1テサロニケ5:21)。「全ての霊を信じてはいけません。多くの偽預言者がこの世界中に現れているので、それらの霊が神に属するかどうかを試しましょう」(1ヨハネ4:1)。これは、神の勧めです。私達はそれに注意深くしましょう。 『手紙』12, 1890[63歳]
9章 間違った教えの耳印
(役者加筆。Earmarkは所有者を示すために羊や牛などの家畜の耳につける印です。これは、編纂者が章立てするために使った用語です。E.ホワイトはそれを使っていませんが、間違いの耳印として、間違った預言、間違った体験、間違った兄弟達、間違った一つの枠組み、間違った神学理論、間違った全体構想、間違った考え、を使っています)
1.Garmier氏とのその後のコミュニケーション
8月23日の安息日午後にあなたの家を訪問してから、いくつかの内容をあなたに伝えるようにと私の心に残りました。「アンナの幻は神に属するものではありません」と言うことに、私はためらいがありませんでした。あなたの家族の一人が持ったその夢は、サタンのだましの一つです。……
サタンは、あなたのよく実のなる想像力に働きかけることができるでしょう。また、あなたとほかの人々を彼[サタン]の網に導くだろうと考えました。神は、「その時」のメッセージをあなたに与えたのですか。いいえ、そのようなメッセージは、光/真理の真の源からきたのではありませんでした。「時」は、一つの間違った預言であること、アンナの幻が間違った体験であることをあなたに証明しました。神は決してこの方法によっては働いていません。……
サタンはもう一つの、また強いだましをあなたに用意しました。あなたは、「私が、まだ、それをしていないなら、栄光で地を明るくし、天から降ってきた力強い天使と交流を持ち、アンナの幻とつながるよう一つの働きを持っています」と主張するでしょう。サタンは、あなたの知性が彼の示唆の印象を既に受けていて、そして、彼は、あなた自身が落ちぶれるように、あなたを利用するでしょう。主の名によるにもかかわらず、あなたは自分を結びつける連結部を壊すでしょう。
数回、私達の会話の中で、あなたはとても誠実になっていて、あなたは「一貫して、そなたは、一つの宝です」という言葉を繰り返しました。私は誠意を込めて、あなたに同じように繰り返しました。あなたは、「アンナの幻では、[1844年からキリストの至聖所での]調査期間が閉じられた後で獣の像[教会と国家の合体体制]の形成がなされる」と言いました。これはそうではありません。あなたは、「この点においてそれらは正しく、その証を信じている」と主張しました。主は、明確に「その獣の像[教会と国家の合体体制]は調査が閉じられる前に形成されるでしょう」と、私に示しています。それは、神の民のための重大な試験として存在しているので、それによって、彼らの永遠の運命が決定するでしょう。
あなたの立場は、矛盾を寄せ集めたようなもので、いくつかは騙されているでしょう。
あなたは、旧約聖書の中に登場した不従順な預言者の歴史を取りあげ、そして、それをホワイト姉に適用しました。あなたは、「彼女は全く正直です。しかし、だまされた預言者です」と言っています。この理由により、神の聖霊に属する証は、あなたに成果をもたらすことができません。主は、あなたやあなたの娘さんに、また、あなたの妻やあなたの子ども達、また、不従順なホワイト姉に開示しましたか。もしも、彼女[ホワイト姉]が神に反して歩んでいるならば、それを何かによって示してくださいませんか。私の任務は、自分の立場で平易な説明を作るために存在しています。あなたは私の証を誤解し、真の意味を捻じ曲げ、あなたが考える時はいつもそれを押し付けようとし、あなたが言うことはなんでも私の名前で輪のようにしてくくりました。しかし、その証があなたの理論と一致しない時は、ご容赦ください。なぜなら、私は間違った預言者です。そこには、真理を反らす多くの道があります。
あなたは、[ユライヤ]・スミス長老とほかの私達の兄弟[姉妹]達に対して、特別な苦言を呈しているように思えます。あなたは自分の家族の中でこれらの考えを徹底的に話し合い、次のような苦言を家族に残しました。主は、スミス長老が間違っていたので、叱責の言葉を与えるため、勧告が相応しいと考えました。しかし、これは神が彼[スミス]を見捨てた根拠ですか。いいえ、「私が愛している多くの人々を、私は叱ったり、鍛えたりします。それゆえ、熱心に悔い改めなさい」(黙示録3:19)。主は、神の民の中の間違いを戒めます。しかし、それは、神の民を拒否するという根拠の一つですか。いいえ、教会の中には数々の間違いがあって、そして、主は、いつもの証を通してではなく、主自身が任命した働き人達によって、それらを指摘します。
さて、私達はそれらを捉えて、戒め、そして、それらの知識にしましょう。そして、「神は彼らに神の光/真理と愛を与えていません」と言いませんか。神は彼らのために、神が彼らを愛していること、そして、危険な道から引き離そうとしていることを示そうとしています。
神は本来のあなたに説明して語りました。あなた方が天からの光/真理と呼ぶそれを、神は闇/無知と宣言しました。そして、この間違いから生れた幻を、神はだましの一つと呼んでいます。あなたはこの証を信じてみませんか。主がホワイト姉を通して語っていることに注意を払ってみませんか。あなたが、何かの物事で間違った兄弟達に、譴責の証を与えた時に、この証を直ちに知識とするものに引用してみませんか。「いつも、汝は宝物です」。 『手紙』11,1890[63歳]
2.霊感を受けた勧めの正しい使い方と正しくない使い方*[7]
私の兄弟、あなたは自分自身とほかの人々をだましていました。あなたは正しい方法による御言葉の調査研究をしませんでした。あなたは、自分の理論を証明するためではなく、神の知性を学ぶために御言葉を研究する必要があります。あなたは、自分の見解に属している光/真理によって神の言葉を読みました。あなたは、間違った一つの枠組みを築き上げました。そして、あなたが「真理であることを証明する」と主張する聖句によって、垣根を作りました。しかし、あなたは「真理に反するものであることを証明する」[聖書の]節を無視しました。
あなたは「聖書は私の信仰の基礎です」と言っています。しかし、そうですか。私は「聖書はあなたの立場を支持してはいません」と答えます。さらに、あなたは「私が間違っていることを聖書によって示してください。そしたら、私は自分の見解を捨てましょう」と言います。しかし、あなたは、聖書自身の言葉を捻じ曲げて誤用する限り、聖書によって、どのように説得させることができるでしょうか。神による唯一の源を切り捨てる行動によって、あなたは自分を[の考えを]確信し[絶対化した]自分に到達するでしょう。
御言葉を研究するための唯一の真の方法は、全ての先入観、全ての思いついた意見、調査審判のまさにそのドアを閉じて置くことに存在しています。さらに、神の栄光を誠実な目で見てその働きに入り、確信への理解を開き、主があなたに言っていることを信じるためにやわらかにされた心にされることに存在しています。
御言葉の解釈と考える人々の意見は、多くあって様々に存在しています。しかし、御言葉は、人間のアイデアの要請によっても変わりません。その祝福された本は、しかり、そして、アーメンです。それは、堅固に、永遠に残ります。人々が解説する全てを認めることをしません。しかし、偉大で、祝福された事実は同じく残っています。神の言葉は「それは書かれている」ように不変です。
あなたは、また、主が神の民の益のために与えた証の一部の繫がりから捉えました。そして、あなたの間違った神学理論(その証は調和しておらず、ずっと非難してきたことを教えるために天の光/真理を無断借用か盗用すること)を支持するように人々に誤って適用しました。このようにあなたは間違った全体構想の中に書き物と証を置いています。間違いの中にいる全ての人々は、あなたがかつてしたようなことをしています。あなたは、その証の中に本当の信仰を持っていません。あなたがそうだったのであれば、あなたは、あなたの思い違いを指摘するこれらを受け入れたでしょう。あなたは汚れた川の水を飲んでいました。
あなたは、この世界中の人々に、新しくて奇妙で、びっくりするような何かを与えるため、また、私達の[教会の]人々によって真理として長く保ち続けてきた立場に反対する何かを与えるために、サタンの示唆を受け入れる用意をしていました。あなたの娘さん達がつくりだした嘘は、一つの大きな働きをすることによって、あなたを得意気にしました。あなたはお世辞を言われ、自分にとって予測が不可能な結果をもたらすことによって、自分を特別な敵の働き人に仕立てました。あなたは、反目を駆り立てるだけの異端と神学理論を広めました。その結果は、あなたの家族と、あなたが進めた間違った神学理論に同調した全ての人々にとって悲惨でした。Garmire兄弟、あなた自身が為すためのあなたの働きが一つあります。その働きは誰もあなたに代わってすることができません。その働きは、神の前にあなたの心を謙虚にするため、あなたの罪を告白し、そして、改心するために存在しています。
3.粗探しとその結実
主は一つの民を有しています。そして、その人々を導いています。確かに、教会の中には、光/真理ではない事柄があります。イエスは教会を導く指導権をあなたに置きませんでした。あなたは自分の態度を変えないならば救われないでしょう。「悔い改めなさい。そして、最初の働きをしなさい」(黙示録2:5)は、神が好意的にあなたを回復する唯一の条件です。主は、許す人々に、初めに悔い改めをつくります。心の中において、神の聖霊の真の働きは、あなたがその特別な敵の‟わな”からこれからも逃れるのであれば、あなたの場合に必要です。ところで、あなたの信念が傷つけられているので、私は、あなたの事例の中に小さい希望を持っています。あなたは人をだますような性格を持つ一人です。依然として、あなたは自分自身のために絶大なことを主張しています。
サタンは、「あなたが、能力を持って外に出て行くとき、第三天使のメッセージに繋がる代表者の一人として特別な役目を果たすために、自分は神によって選ばれたという考えを作ること」に成功しています。しかし、あなたは神との関係が正しくありません。神は、間違いを統治することはできません。あなたはこの教会の責任者達を見ることに関して、その間違いの多くをつくっていて、彼らに与えた非難の元手をつくっています。その訳はこうです。その人々は、あなたと調和していません。さらに、神がこの教会の上に輝かそうとしている光/真理に優ったものとしてあなたが持った宗教的な体験を正すように考えています。誰があなたを、ほかの人々を非難する裁きの座に就けたのですか。神ではありません。そうではなく、あなた自身です。
あなたの兄弟[姉妹]達への非難を語る言葉は、わずかな量ではなく、非難のためのあなたの食肉と飲み物のように思われます。あなたの霊的な体験は、あなたが食料を与えて養ったものによって創り出されました。また、あなたは、あなたの家族の前で、また、あなたの言葉を聞く誰かの前で自分の間違った考えを説明することを好んでいます。あなたは「清くないイースト菌が膨らませた」と驚きませんか。あなたはたぶん、これを冒瀆と呼ぶでしょう。しかし、これは、主が私に示したものです。アンナの幻は、あなたの悪い見解によって、確信するようになりました。サタンは、嘘によってあなたの魂の周りにバリケードを作って、様々な事柄の手はずを整えています。 『手紙』12、1890[63歳]
4.常に間違いと狂信的言動の動きが存在
常に存在している狂信的言動は、この教会の中で、神に導かれていると主張している人々によって作られました。これらの人々は送られる前に動きまわるでしょう。また、成就していない預言の出来事の年月日を定めるでしょう。混乱と不信仰の原因となる続く失敗と間違いに導くために、特別な敵はこれをする人々がいることに喜ぶでしょう。
『手紙』28,1897[70歳]
10章 アンナ・フィリップスの幻*[8]
1.天の特別なしるしを生み出さない
「私達はこの地上の歴史の閉じられることが近い時代に生きている」ということを、私は知っています。びっくりさせられるような大事件が展開するように準備中です。私は、あなたの働きの中で、信仰の基礎として、聖書を提示する時、聖書だけを提示する時、あなたと調和していて満足しています。サタンは巧妙な敵の一人です。彼は、多くの人々によって最も期待される所で働くでしょう。私はあなたのために一つのメッセージを持っています。あなたは、「神があなたに、アンナ・フィリップスの幻を発表すること、公衆の前でそれらを読むこと、主が私に与えて満足した証によって人々と繫がる任務を果たすように委託した」と思いますか。いいえ、主は、あなたにこの任務を負わせませんでした。主は、この働きを為す[任務]をあなたに与えませんでした。……それ[任務]に独断的で根拠のない創作品を混ぜることによってその働きの価値を下げてはいけません。[その任務は]主の生命と栄光から出たものです。……
親愛なる兄弟、私は、「現代の働き」を取り扱う危険に関する何かのことをあなたの目の前に明らかにすることを望んでいます。アンナ・フィリップスの働きは、天の特徴を生み出すことに値しません。私は、自分が語っていることを理解しています。この再臨運動の初期の体験において、私達は、よく似た証の出現に立ち向かいました。そのような啓示が多く与えられ、そして、私達は、居場所がなかったこの類の集会で最も不快な働きをしました。それらの啓示の中で述べられたいくつかは十分に満足しました。これは数人を真の[証]として受け入れるように導きました。……
神は、神の民に与えた証について行かせることにおいて、アンナ・フィリップスを呼び出しませんでした。そして、それらの趣旨を繰り返しています。しかし、彼女のような働きは存在していて、存在してきました。人々は、この理由によって、再臨運動の初期の経験と似たことをその通りに行いました。私達は、これらの誤った啓示に立ち向かうために、あらゆる層の人々に会いました。
私の兄弟、どのようにして、あなたはこれら[誤りの啓示]の伝達にとりかかり、そして、人々の前にそれらを提示し、神がホワイト姉に与えた証にそれらを編み込んだのですか。どこに、それらが神に属しているという根拠が存在していますか。あなたは、自分の聞き方、自分の受け止め方、自分の信じ方に用心できていません。あなたは、預言の賜物についての語り方、そして、私が言ったこのことと、この問題の説明への説明にも慎重になれていません。そのような説明について、私は、「男性達、女性達、子ども達が、そのような光/真理を受けていない時に、神から啓示された特別な光/真理を持っているという想像を駆り立てられる」ことをよく知っています。私が示されたこのことは、サタンのだましの名人芸の一つでしょう。あなたは、狂信的言動のもう一つの衝動から[人間を救う]神の目的を守るため、魂を弱らせる働きを正すために、貴重な時間を使うような働きに一つの枠組みを与えています(You
are giving to the work a mold which it will take precious time and wearing soul
labor to correct, to save the cause of God from another spasm of fanaticism.)。
2.多くの良いことと単なる小さい間違いの種
あなたは、これらの問題について、私が何かを知っているということを考えていません。天のカナンに向かう私達の小道の途中で、私達はみな、信仰の沈没船となった多くの魂を見ています。また、その誤った運動は「自分達が特別な啓示を通して神によって導かれていたという推測」によって、ほかの人々を迷子の道に導いてきました。私は、それらの誤りを正すためにたくさん、たくさん書くためのページを使いました。間違った道に導かれて危険[な状態に]ある神の遺産、神の民のために、私の魂は苦しんでいたので、私は重荷を負って、来る夜も次の夜も眠れないくらいに悩みました。これらの幻と夢による多くの事柄は、全てがずっと、何年も伝道地にあったものの反復として存在しているように思えます。しかし、間もなく、その人々はこの時点で、「そこの一つの誤り」というタイトルの一つのメモを紹介しました。根を張らせ花を咲かせるほんの小さな種が、みな、神聖さを汚されました。
私は、自分達が今持っているよりも多くの事柄の深い知恵を持っていたらと望みます。主のブドウ園にいる全ての働き人は、一つのことを学ぶ必要があります。それは、キリストに属する祈りを実践すること、キリストイエスによって一つとして動くことです。イエスは「神の子が天の父と一つであるように、私の弟子達は一つの存在であり得るでしょう」と祈りました。特別な敵は、分裂させるために、散らすために働いています。以前だけではなく今も、彼は断固として私達の集団を散らすという結果にするでしょう。すべての時代で、私達自身の基準の外で動くことは、今、私達のために安全ではありません。この時代のための真理は、それ自身の原則によって、遠くに伝道されるように、多くの教理が包含されるように拡大されます。しかし、これらの教理は細目を分離されません。その細かな意味、すなわち、それらは、生命の中心としてのキリストによって全体が完全に形成され、金のような縫い糸で結びつけられています。私達が聖書から提示した現在の真理は、神の玉座と同じく堅固で不動なものとして存在しています。
私の兄弟、R長老とあなたは、「光/真理を伝達する神の送信路として、また、神の民のための神の代弁者として、主が彼女を選んだという強い確信もなしに」、あなたが取ったアンナ・フィリップスに関するその道に固執するのですか。もしも、あなたが神からの啓示であると称して話題に出ているこの局面の全てを受け入れるならば、また、あなたが為したように、それらの働きを支持するため、あなたの証で感化を与えることによってこれらの支持した預言を推奨し続けるならば、あなたは主の信仰遺産を安全に守る人ではないでしょう。キリストの警告は、私達に何かの意味を与えました。マタイ24:21-23を読んでください。
サタンは、イエスキリストを演じる不義の者で、全てのだまそうとする者達と共に働くでしょう。もしも可能だったならば、彼は、まさに選ばれた者をだますでしょう。今、その偽物が本物に似せてそっくりに発生したら、あなたの保護下にいる人は、とても大切でしょう。あなたをだます者は一人もいないのですか。キリストは、警告を強調しています。こう言っています。「御覧なさい。私はあなたの前で語りました」(マタイ24:25)。兄弟[姉妹]の皆さんは、その言葉を説教してください。そして、「人間の働き人を信用する立場におくよう、また、彼らの信仰に不確かなことを残すよう」に人々に呼び掛けないでください。私は主からの言葉を持っています。私は、R長老が多くの人々の前でアンナ・フィリップスが公言した啓示を読み上げるのを示されました。
一人の高潔な御方、高貴にされた御方が現れ、そして、その御方の容貌に深い悲しみが浮かび、その御方はその書き記された文書を取り除き、R兄弟の手に聖書を置きました。そして、言いました。「あなたの聖書としての神の御言葉を取りなさい。‟全ての言葉は神の霊感によって与えられました。そして、教理のために、譴責のために、誤りの訂正に、義による指導にとって有益です。その神の人は、完全でしょう。全ての良い働きを全て備えています”」(2テモテ3:16,17)。
御言葉を調査研究する人々は、神が彼らに求める宗教生活の実践の要点として、明白な指導をみつけるでしょう。あなたは、預言の間違った言葉、その御言葉から神の群れに注意を呼びかけることによって、一つの間違いをつくっています。あなたは聞くことに注意を払ってください。そして、あなたの受け取り方に気を付けてください。神の小さい群れの人々の心に、聖霊の真の働きではない信頼が見つけ出されないように、注意の必要があります。とても重大な危険がここにあります。サタンは、その証を傷つけ、その真理の信頼に疑問をもたらすために、これからもその働きの中に不純な内容を持ち込もうとしています。彼は、神の民の通り道につまずきの石を存在させるという要素を混ぜるでしょう。
神に属する戒めとイエスに属する証は、私達がこの世界中の人々に伝える必要のあるメッセージです。神の言葉は[聞かれるという]片面だけではなく、実践されるための真理です。それは、太陽の陽射しのように全ての面に広がる光/真理です。それは、全ての人々を輝かせる光/真理です。「知恵に不足している人は、神に求めましょう。それは全ての人々に気前よく与えられ、そして、叱られません。それは彼によって与えられるでしょう」(ヤコブ1:5)。 『手紙』103、1894[67歳]
3.「彼らを信じない」
私は、主からの、あなたへのメッセージを持っています。R兄弟は、主が彼に為すようにと託した働きに繋がっていませんでした。神は、全ての人々のためにと、彼の働きを与えました。そして、R兄弟は、主が彼に任命したその戦線の外に歩み出ています。彼は取り掛かったこの働きの成果を見ることができません。アンナ・フィリップスは名誉が傷ついています。彼女は導かれて、神に属する特別なテストを生み出さない一つの働きによって挫折させられました。
Anna Garmireはこのようにして名誉を傷つけられました。彼女の父親と彼女の母親は彼女の幼稚な夢が神からの啓示だったとして、彼女の信仰を作りました。彼女の父親は、神に選ばれた一人だとその子に語りました。彼女の全ての幻想と夢は、アンナの幻として書き記されました。彼女は自分に表された人物像とシンボルを持ちました。そして、彼女の父親と母親を非難しました。そこには、痛烈な非難の後、主が彼らのために為した素晴らしいことを大げさな表現で綴っていました。これらのことを、私は、一種のだましで、偽物と指摘しました。それらは、瞬く間に伝わり、重要な目的に安っぽい物が、些細なことで普通の物事と混ぜられました。その想像力は大きく混ぜられました。そこでは、神性なことに普通のことが混ぜられました。神の真理は低く価値を下げられ、そしてまた、何かを受けたそれらは啓示の真似をしました。そして、それらは自分達の教えとしてもたらされました。小さな一団は、彼らから霊感を与えられたように見える人々によって形成されました。そして、その幻はホワイト姉の幻よりももっと霊的だと宣言されました。
4.崇高とおかしなものとの混合
私は、今あなたに送った神からの警告を[以前に]受け取っていました。アンナ・フィリップスは奨励を与えられたのではないでしょう。彼女は、だましによって自分を縛った一つの大きな傷を持っていました。私は、私達の兄弟姉妹達がそれらを啓示だと思うように受け入れる用意をした方々に、そして、それら[啓示]の中に神性の資格を見たと想像した方々に謝ります。これらの事柄はこの時代のための本質的な働きを成し遂げるための特徴として正しいものではありません。子どものような容貌で、説明[をする彼女]は、天の事柄と神聖を物語る働きをさせられました。そして、そこには、崇高さと笑い種(ぐさ)の混ざったものがあります。その働きは偉大な神聖さの現れを持っている一方、魂達をわなにかけることと誤りに導くことが計算されています。……
神からの啓示だという主張が様々な物事に現れるでしょう。しかし、それは、一つのうぬぼれた心とだまされた知性の想像からあふれるでしょう。私達は、初期の頃の体験からこれらの事柄に立ち向かう必要がありました。そこには、神に教えられ導かれたと主張する成人した年齢の人だけでなく、若者や子ども達がいて、特別なメッセージを持っていると明言しました。その人々は、あらゆる所で湧き上がっていました。いくつかの点で真理を持っていましたが、また、別の点で間違っていました。何年も、神から私にメッセージがやって来ました。「その人々を信じてはいけません。その人々は誤った小道に導いています。神は彼らを遣わしていません」。 『手紙』4,1893[66歳]
5.みんなの「自称幻」のテスト
ホワイト姉は、「ミス アンナ・フィリップス[の幻が]神からの啓示だ」と書かれて出回ったことを是認したという、あるレポートが広く出回った時、私は「それを説明する義務がある」と思いました。私は、それらの創り出されたものを是認していません。それらについて言及するようにと、警告が私に与えられました。それらは、間違いなく、最悪の誤りに導くでしょう。彼らによって編まれた籠は、極端に、また、それらを受け入れる一部の人々を悪い行動に導く声明でしょう。私達の兄弟[姉妹]に与えられた光[真理]と調和することによって、より慎重に動くことは、その人々にとってよいことでしょう。その人々は、それらを受け入れる前に、それらの自称幻をテストし、そして、私に与えられた神の光/真理と繫がることによって、それらを提案する必要があります。私は、私達の[教会の]人々が、つまずきと早まった運動という墓を作る危険の中に存在していると見ています。神は、それらの湧きあがる預言者達について、「私は彼らを遣わしていません。彼らは走り回るでしょう。彼らを信じてはいけません」と言っています。
私達の兄弟の何人かが、ホワイト姉の証をアンナ・フィリップスの体験に結び付けたことと、そして、[教会の]人々に一つか同じような二つのことを現したことは、私を悲しませました。多くの人々は、私から出たとして、その全部を受け入れました。そのような創作物の成果がその人々の品性/人格の本質の中に見られるような時、神からの真理として偽りが現される時、[そのような]運動は神性の資格を生み出さず、疑いが預言の霊の真の働きに投げつけられるでしょう。そして、神がその民に送った証は、それらの間違った言葉のために烙印(らくいん)を生むでしょう。これらの証は、何年も前から広められていて、人々に存在していて大規模に繰り返されました。今も、何かを混ぜられたこれは、誤りに導くでしょう。
私は、私達の[教会の]兄弟[姉妹]の皆さんに与えるための一つの警告、「皆さんは自分達のリーダーについて行って、そして、キリストの行く手を走り回らないようにしましょう」を持っています。これらの日々において、無計画な働きはしないようにしましょう。自分達が神からの素晴らしい光/真理を持っているという思考の知性をアンバランスに導くような強い印象を与えるものに気を付けましょう。人々へ神からのメッセージを伝える人は、完全に抑制した行動をする必要があります。これからも、人は、信仰の小道のすぐそばに、推測による嘘の知性の小道を生み出すでしょう。人は奇妙で非現実的な表現を決して使わないでしょう。[もしもそれを使うと]一部の人々は確かに影響を受けるので、その感化は、衝動的な馬が制御不可能な以上に、より制御することができない行動として定着するでしょう。まず、衝動と感情に、冷静な判断に優越性を持たせましょう。心が一つの正しい考えを思いめぐらすことにおいてさえ、とても早いスピードが存在するでしょう。とても早く考える人は、一つよりも数々の道にある危険を見つけるでしょう。人が正しい道から間違った道に分かれるに先立って、それは長い時間を要しないでしょう。
一度たりとも、感情が、判断の優越性を得ることを認めないようにしましょう。法律を守る者の中に逸脱の危険性が存在していて、また、法律を守らない者は、明白に誤りの小道に導くという逸脱の危険が存在するでしょう。もしも、全ての考えと原則の向上に、また、全ての与えられた表現の中に、注意深さ、真剣さ、分別、岩のような堅固さが働かないならば、魂達は、滅ぼされるでしょう。……最も深い配慮は、神から啓示を受けたと主張する人々に関してなされるでしょう。そこには、多くの絶え間のない見張りと多くの祈りがなされる必要があります。人間の知性には誰も神の[人類救済]目的と関連をもつ重要な問題、すなわち、裁き/評価のために、公衆の前に置かれない、または、立たされることがないので、これらの最後の日々のために偉大な働きの一部を担っている人々は、やがて[預言された出来事が]展開される全ての新しい事柄に関して一緒に勧めをする必要があります。 『手紙』6a,1894[67歳]
6.十分な根拠もなしに
私は、アンナ・フィリップスについて、少なくとも可能な[範囲で]正確に伝えたいと思います。この問題の最も小さいものはよりよく語られ議論しつくされました。そこには、一つの「香油による死への旅立ち」があります。この手紙があなたに届く前に、あなたは、私達がこの事例で期待していることに関して、完全な論述をしている一つの手紙を受け取ったことでしょう。私は、あなたに言葉で表す以上に、その問題は配慮を欠いて対処していたことをお詫びいたします。私達は、ちょうどそのような進展の現状にあるでしょう。そして、もしも、私達を導く兄弟達が、この事例で為したように、それらの性質と支持の誤りを見つけたならば、私達の体験で見た狂信的言動に関して穏やかな波を持てたでしょう。しかし、そこには、粗野な振る舞いが存在しているでしょう。サタンはすでに自分の働きを始めていました。これらの事柄へすぐに信用を与えること、曖昧にすること、それらの本質について、十分な根拠なしにそれを支持する軽率な声明などは、サタンが創り出したものです。主イエスは、この問題に十分な注意を確かに与えました。ですから、誰もだまされる必要はありません。
これらのような事例の数々において、私達が自分達の節度を見られるようにさせたことはきわめて重要です。主は手の中に存在しています。私達は、「神がアンナ・フィリップスを通して神の民に語っているという明白な根拠なしに、彼女の考え出したものを私達の教会に持ち込んだ人々の立場を取る」ことができません。私達の教会の奉仕の働き人達にとって、神性の信用を生み出すために、人々の前で一つのことを急いですることは、彼らがそれは神に属するものであるという確実さを知らない限り、神が彼らにしないようにと語った一つの働きを為すでしょう。だますことを意図した多くの事柄は、真理のしるしの何かを伝えるために、やってくるでしょう。間違いなく、やがて、これらは神の偉大な能力として[人々の]前に置かれるでしょう。サタンは、この時代のための真理から[逸らすように]魂達を導く用意を整え、その中にすべてクモの巣のような編み物を用意しています。
7.誤りは真理の碑文を生み出す
すべての考えられるメッセージは、神の働きの模倣としてやって来ています。そして、いつも、それ自身の旗印の上に真理の碑文を「生み出して」与えています。……
神の啓示された意思、意見と主張、夢、シンボル、人間像、有限な存在、人性を象徴するものなどを代用することは、光/真理の要素ではありません。私達の活動、言葉、精神(霊)、そして、感化などは観察され、批評されています。神が自分の奉仕の働き人として選んだ人々は、主の言葉の中に堅固に置かれるために存在しています。神の言葉は彼らの権威として存在させましょう。
この時代、すべての人々の上に、軽率な判断、配慮のない形をした意見、十分な根拠のないものなどは、大失敗という結果に導くでしょう。私達が目的から結果[への過程]を調べる時、「精神的損害は、いくつかの事例では決して元に戻せないことが為されていた」ということを発見するでしょう。知恵と明晰な霊的認識力は、神の群れ[民]に与える食物/心の糧として必要とされます。それは、純粋な飼い葉(食物)であり、完全に[殻を]扇ぎ分けられた穀物です。確固とした抑制、真剣な熱心さ、良い目的などを必要としている品性/人格の遺伝特性の本質は、悪に走るでしょう。また、感情の多過ぎは、人間の心に「自分は刺激に夢中になって、自分のガイドとして感動に任せる」という結果を生じさせるでしょう。
[確固とした]抑制は、無分別な言葉が語られず、飾り過ぎたアイデアが言われず、霊的な動機に基づいて保たれる必要があります。また、それ[確固とした抑制]は、自分達が考えて生み出したものを見失う衝動的な人々の目的となるでしょう。ある人々の感情/考えは強い自己主張に片寄っていてすぐにかき立てられます。その人々の想像は、大規模な声明に拡大し、それは、その人々に実際にみな現れ、そして、その人々は狂信的な言動[をするよう]になります。特別な霊的体験が、熱狂していて不健全です。人々が、まったく従順に自分達の意思を神の意思に明け渡す時、また、その精神/霊が謙虚に教えを聞く時、主は、神の聖霊によってその人々を正すでしょう。そして、彼らを安全な小道に導くでしょう。 『手紙』66,1894[67歳]
8.「異議は何もない」支持のための不健全な基礎
あなたは、アンナ・フィリップスの書き物の出所を追求するための最善の道を知ることに悩んでいるでしょう。私は、軽率に行動しないようにと、提案しましょう。私は、この姉妹について、とても愛情を感じています。私は、彼女を傷つけるようなことを言ったりしたりしないつもりです。さて、小さなテストと証明と共に、彼女の書き物はしきりに取り上げられ、広く散らされました。ちょうどそれら[彼女の書き物]は毒薬だったかのように、それらを集めて廃棄するような飛躍の多い動きはしないでおきましょう。私達の[教会の]責任ある人々が支持して、それらがすでに送り出された所はどこでも、それらをそのままにしておきましょう。今、突然の動きをすることは、傷つけることになるでしょう。
私にとって、とても大きな驚きは、私達の[教会の]兄弟達がこれらの書き物を受け入れる可能性があるということです。その理由は、責任ある人々が彼女の書き物の中に異議のあるものは何もないと見ていることにあります。なぜ、責任ある人々は、自分達の中に、兄弟達に影響力を与え、支持され感化の力を及ぼすための一つの個性として存在しているものを深く考えないのでしょうか。
そこには、私が今言いませんが、多くの事柄があります。それは、将来、話す必要があるでしょう。私は、傷ついたこの姉妹に何もすることがないでしょう。しかし、私は、思い切って沈黙を守って、立ち向かわないことにしました。……私は特殊な立場に置かれています。そして、この問題は、そのような問題として語るようにと、私に必要なこととして取り扱われるはずのものではありませんでした。それをすることは、私の心を傷つけます。そして、私がその将来の危機を見ることはありませんでした。私は、その問題に関する一つの言葉も口にしないつもりです。しかし、それは、進展するままにしておきましょう。そして、それらの現れに関するそれら自身の道をたどることは私の兄弟達姉妹達に残しておきましょう。それは、ともかく、特別なことではありません。……私は、以前に起こされたこのような運動を創造したフィリップス姉妹の書き物の性質の何かを知ることができませんでした。そして、もしも、この性質の事柄が熱心に為されるために存在しているとするならば、あなたは、誰かの様々な尊敬や、また、あなたが取り扱うほどたくさんの信頼を得るでしょう。私はとても深く謝ります。とても深く。
あなたは、私が指摘し得る、特に不快な感情の嘘を考えているように思われます。以前に書かれた[著作物の]中には明白なものは何も存在していません。あなたは、不快ではないものを発見できました。しかし、それは、あなたが行動した時に、これらの著作物を利用するための理由ではありません。この問題について、あなたの道は、明らかに不快なものです。あなたは神の民の名誉を傷つけ、あなたの慎重さに傷つけるものを生み出すかもしれない、何かをすぐに見つける必要がありますか。もしも、この種の現れに何もないのであれば、これは、これらの著作物のあなたの推薦の言葉を付けたあなたにとって満足な理由ですか。……
あなたの活動の道の結果としての十分な考慮と深い洞察なしに、この性質の著作物を広く配布してはいけません。
狂信的言動は、私達の真っただ中に現れるでしょう。だます者は来るでしょう。そして、一つの品性/人格に属する彼らは、もしも、それが可能ならば、神に選ばれた者達を間違った方へ導くでしょう。仮に、矛盾と事実でない言葉遣いのしるしが付いたものがそれらの中に出現したならば、偉大な教師[キリスト]の口から出た御言葉は必要ないでしょう。多くのそして様々な危機がやがて起こるので、この警告/注意が与えられました。私がその危機のしるしを掲げる理由は、私が、神の聖霊の啓蒙/教化を通して、「[教会の]兄弟達が識別できなかった」内容を知ることができたためです。彼らが対抗して保護する必要がある、これらの独特のだましのすべてを指し示すことは、私にとって明確な必要性はないでしょう。あなたに話すことは、私にとってもう十分です。そして、主から人々に伝達されることを公言するという、でたらめなものすべてを受け入れることから、神の群れ[民]を守る忠実な見張り人として、あなたの守りを固めてください。
もしも、私達が感情/考えの興奮を創り出すように働くならば、私達は、自分が欲しているもの、そして、私達が、想像の仕方について、知ることが可能な以上に、すべて手に入れるでしょう。冷静に明晰に「御言葉を説教しましょう」(2テモテ4:2)。私達は、興奮を創り出すことが自分達の働きだと考えないようにしましょう。神の聖霊だけが、健全な宗教的熱意を創ることが可能です。神が働くままに、そして、人間の働き人が主の前に、見張り、祈り、全ての瞬間にイエスを見詰め、手柔らかに歩むままにしましょう。光/真理と命の存在である貴い霊によって導かれ、統制されましょう。
ある人々は、キリスト[再臨]の日として、一つのしるしを欲しいと願っています。主は、人々に「しるしが与えられないでしょう」と彼らに語りました。今もそしていつでも現されるだろうそのしるしは、強い印象を与えることが可能な御言葉を作るための、特別な教師の精神/心の聖霊の働きに存在しています。神の言葉は死んだ言葉でも無味乾燥な理論でもなく、精神/霊と命/生活です。サタンは、人々が神の言葉の外側の何かを考えて期待して探すこと、神の言葉から心が離れるよう呼びかけること、これらより以上の良いことは何も好みません。人々は、数々の夢と幻に関心を向けないでしょう。もしも、人々が永遠の命を持とうとするならば、人々は、神のひとり子の流された血を飲み、そして、捧げられた肉を食べる必要があります。 『手紙』68,1894[67歳]
11章 見張り人として存在するために
1.神の働きはすべて、冷静、平穏
特別な敵は、奇跡を働く能力によって、この世界中の人々をだます用意をしています。彼は、光の天使達の姿を装い、イエスキリストの姿を装うでしょう。この時代の人々のために特別な真理を教える全ての人々は、御言葉を説教するために存在しています。御言葉に堅く立っている人々は、預言することや夢と幻を発表する時に無防備の説明をつくることをせず、サタンのために [心の]ドアをあけ放たないでしょう。大いなる者や小さき者に、誤った[証の]現れが、ここから、あそこから、やって来ました。1844年以来、私達がキリストの再臨を期待した時の後、私達は、ガーマイヤー氏の事例、K氏の記事、そして、スタントン運動*[9]にその体験をしました。私達はたくさんのそれらの体験をしました。忠実な番人のように、私達は見張り人として存在する必要があります。多くの人々からの手紙が私の元へ、幻を持った、幻に繋がることについて、自分達の義務として感じたという幻について届けられています。主は、神の奉仕者達が慎重にいられるように助けるでしょう。
主が光/真理の真の送信路を持っている時、そこには、いつも多くの模造品が存在しています。サタンは、自分のために開け放たれた[心の]ドアから間違いなく入るでしょう。彼は、自分自身の真理のアイデアに混ぜている真理のメッセージを与えるでしょう。人間達の知性を惹きつけるため、そして、魂達を誤りに導くために用意した人間達の言葉を言って、「主はこのように言っています」と堅く捉えてから、それを妨害します。神の民に主が配した[言葉の]すべては冷静です。主に信頼するこれらの人々は、全て平穏で、慎み深い存在です。そこには、聖書の、純真、真実、誠実な信徒が存在しているでしょう。また、そこには、聞いて行動する人が存在するでしょう。そこには、健全で誠実、懸命に神を待っている人々が存在しているでしょう。その信徒達は、その無力な魂をイエスキリストに堅く信頼させているでしょう。キリストは高められるでしょう。働くことと祈ること、そして、見張ることと待つことは、私達の立場です。 『手紙』102,1894[67歳]
2.「幻を持っている」という一つの叫びへのメッセージ
一つの質問が、「数々の幻を持っている」と主張するドイツの一姉妹の働きに対して、私達が取り得る姿勢に関して、私の所に持ち込まれました。
夜の間に、主によって私に与えられた言葉は、「神は、神の民の導き手として、この姉妹に聞くようにとは指導していません」というものでした。もしも、私達は、彼女がそのメッセージを生み出して伝えるために呼び出されていると考えて、この姉妹の働きを奨励するならば、多くの混乱が引き起こされるでしょう。主は、「この人はこうしましょう。その人はこうしましょう」と言うように、その働きを彼女に与えませんでした。主は、神の民に次のように言っています。「重荷を負って苦労している汝ら全ては、私の所に来てください。私は、あなた方に休息を与えましょう。あなた方は私のくびきを着けてください。私は心が優しく謙遜な者ですから、汝らは、あなた方の魂に休息を見つけるでしょう。私のくびきは負いやすいので、私の重荷は軽やかです」(マタイ11:28-30)。
「あなたがたの誰かが知恵に欠けているならば、叱らないで全ての人に豊かに与える神に求めさせましょう。それはその人に与えられるでしょう。その人に、信仰を持って、動揺しないで求めさせましょう。動揺する人は、風に揺らされ、吹き上げられる海の波に似ています。その人は、主からどんな物も受け取ることができると考えないようにさせましょう」(ヤコブ1:5-7 KJV)。
神の民に、ガイダンスを求めて、個人的に神を求めるように、御言葉を研究するように、そして、謙虚に、祈りをもって、生きている信仰によって、共に勧め合うように、教えましょう。しかし、主がこの民のために、彼女にメッセージを与えたと考えて、この姉妹を奨励することはやめましょう。この事例から考えると、私に与えられた光/真理はこうです。「この姉妹は、ほかの人々へのメッセージが与えられたと考えるように勧められたのでしょう。その結果は大失敗だったでしょう。また、この姉妹は自分自身の魂が失われる危機にあるでしょう」。
この姉妹への私のメッセージは、神と共に謙遜に歩むこと、自分自身のために主の方を注意深く見ることです。神は、ほかの人々の義務を指摘する働きをあなたに与えませんでした。しかし、あなたが真摯な一人のクリスチャンで、ほかの人々に勧めることを求めず、超自然的な啓示の主張をしないならば、あなたは一人の助け手であり得るでしょう。
3.「主の律法とその証」によってテストされる
これらの惑わしの日々において、特別な真理を委ねられた全ての人々は、その聖徒達にかつて託された信仰に満足する必要があるでしょう。全ての様々な誤りは、サタンの奇跡的な働きから出されるでしょう。それは、可能ならば、真に選ばれた者達をだまし、その真理から彼らを逸らすでしょう。そこでは、神の律法の教師である、かつてのファリサイ派の人々のように知恵を学んだ人々、しかし、自分達は神の律法の義務を実践しない知恵に立ち向かうために、知恵ある人間になりましょう(There
will be human wisdom to meet―the wisdom of learned
men, who, as were the Pharisees, are tearchres of tha law of God, but do not
obey the law themselves.)。また、(理性がないために、立ち向かうことが非常に困難な)新しく空想的に装った一貫性のない神学理論に立ち向かうために、無知で愚かな人間になりましょう(There
will be human ignorance and folly to meet in disconnected theories arrayed in
new and fantastic dress―theories that it will be
all the more difficult to meet because there is no reason in them.)。
そこには、誤った夢、誤った幻が存在するでしょう。それは、似たような真理を持っています。しかし、それらは、本来の信仰から逸らすように導くでしょう。主は、彼らを見抜くために、人々に一つの基準を与えました。「その[主の]律法のため、その[主の]証のため、人々がこの[主の]言葉によらないで語ったならば、彼らの中に光[真理]が存在していないという根拠があります」(イザヤ8:20)。彼らが神の律法の価値を低くするならば、また、彼らが、主の霊の証を啓示する時に、主の意思に敬意を払わないならば、彼らは惑わす者達です。彼らは、霊感を与えられた御言葉よりも信頼できると考えた聖霊が存在すると信じていて、衝動と印象によって支配されています。彼らは、全ての思考と感情は聖霊の印象の一つだと主張しています。そして、それらが御言葉を除外して理由がつけられた時、彼らは、最も信頼できる何かを持って宣言します。しかし、彼らが、神の霊によって導かれたと考える時、彼らは実際に、サタンによって細工された一つの想像について行っています。
「Bible
Echo」1886.9 [59歳]
4.「彼らの実によって」テストされた
これらの危機の日々に、私達は、人々が真理として私達にもたらした全てを受け入れるためにいるのではありません。神から[遣わされた]と告白した教師達が、私達の所に来て、神からのメッセージを持っていると宣言する時、注意深く調べることは適切です。私達は「これは真理なのか」をどのようにして知るのでしょうか。イエスは、私達に「偽預言者達が現れるでしょう。そして、多くの人々が惑わされるでしょう」と語りました(マタイ24:11)。しかし、私達は惑わされる必要がありません。神の言葉は、私達が知る可能性のある真理が存在するところではどこでも、一つのテストとして私達に与えられています。預言者イザヤは言っています。「主の律法と主の証に[求めなさい]。もしも、彼らが主の言葉によらずに語るならば、その理由は、彼らの中に光/真理が存在しないからです」(イザヤ8:20)。
この記述について、私達が勤勉な聖書研究者になることと、神の律法とその証に調和していることを私達が知るということは、根拠があって明らかです。私達は、それと別の道に進んでいない時に安全です。「羊の衣を着てあなた方の来る偽預言者に気を付けなさい。しかし、彼らの内側は略奪している狼です。汝ら、彼らの実/成果によって彼らを知るでしょう。人々は、イバラからブドウの実を、アザミからイチジクを収穫するでしょうか。全ての良い木は良い実をもたらします。しかし、悪い木は悪い実をもたらします。良い木は悪い実をもたらすことができず、悪い木は良い実をもたらすこともありません。良い実をもたらさない全ての木は、切り倒され、火の中に投げ込まれます」(マタイ7:15-19)。
『レビュー&ヘラルド』1892.1.23[65歳]
5.不純な働きに関する根拠の自発的な提示
この兄弟と妻が、十二使徒の能力によって聖なる霊を受けた結果として、自分達に来たと主張した体験の概略を述べた時、それは、私達が立ち向かうために呼び出されて正した、初期の体験の複製の一つであるように思われました。
私達が面談を終えるにあたって、L兄弟は「私達があなたに説明したように、私の妻は祈りの間に行動させられた可能性という考えと共に、私達[二人]は祈りによって一つとなりました。また、これは主に属するものだったか、主に属しないものだったかを私は見分けることができるでしょう」と提案しました。私は、人が一風変わった証の明示を申し出る時、これは神の働きではなく、[人によって]決定された一つの例だと[主から]指導されていたので、このことに、私は同意しかねました。
『手紙』338,1908[81歳]
6.聖書は奇跡に置き換えることができない
特別な摂理や奇跡的な現れは、自分達の働きの起源の証拠として、また、自分達の働きを擁護する証拠として存在しているというアイデアを持ち続けないようにしましょう。もしも、私達が、それらのことを特定の人々の前に表し続けると、彼らは一つの悪い結果や不健全な感情を作り出すでしょう。人間の心における聖霊の真の働きは、御言葉を通して成果が与えられるように約束されています。キリストは、精神と命の言葉を宣言しました。「地上[の人々]は、海水が大海を覆うように、ヤハウェ(hwhy)
[神]の栄光の知識によって満たされるでしょう(ヘブライ2:14,ARV)。
サタンは、天使の装いを身に着けて、人間の考案品を紹介するために巧妙な方法で働くでしょう。しかし、神からの光/真理は、道徳的な闇/無知の真ん中で輝くでしょう。そして、聖書は、奇跡的な現れには、決して置き換えられないでしょう。真理は研究される必要があります。それは、隠された宝のように探究される必要があります。素晴らしい照明/啓蒙は御言葉の外から、または、その[御言葉の]立場を取ることからは与えられないでしょう。御言葉を堅く信頼しましょう。御言葉の思想の接ぎ木を受けましょう。それは、救いに向けて人々を賢くするでしょう*[10]。
12章 3人の天使ともう一人の天使*[11]
1.真理と誤りの混合
私は1時半過ぎから眠ることができませんでした。そこで、私は、T兄弟に、主が彼のために私に与えた一つのメッセージを[生み出し]て責任を持とうとしていました。彼が捉えた、特殊な見解は、真理と誤りを混合していました。もしも、彼が、過去45年間、神の民の体験を通して、神の民を導いてきたように彼が過ごしてきたならば、彼は、御言葉の正しい応用をするよい準備をしたでしょう。私達に示されていて、私達が責任をもっている、真理の偉大な数々の道標は、預言的な歴史の中で、真の光/真理をもたらさず、混乱をもたらすかもしれない神学理論に取って代わることなく、それら[道標]が評判を落とされず、注意深く守られるように存在しています。私は、何度もなんども書かれて、本当に間違った神学理論に引用されたことがありました。それらの神学理論を擁護する人々は、御言葉を引用文として書きました。しかし、彼らは、それら[御言葉の引用句]の間違った応用をして、誤った解釈をしました。正されるためにと考えたその神学理論は、不正確でした。それなのに、多くの人々は、それら[不正確な理論]を自分達の前にもたらすためのまさにその理論だと考えました。ダニエルとヨハネの預言の数々は、入念に研究されるために存在しています。
現在、ダニエルとヨハネの預言を研究して、生きている人々がいます。彼らは、数々の特別な預言が順序よく遂行するプロセスにあった基礎を理解するにつれて、神からの偉大な光/真理を受けました。彼らは、主の人々のための「時」のメッセージを[生み出し]て伝えました。その真理は、真昼の太陽のように明らかに輝き出ています。歴史的な数々の出来事、預言の成就の指し示しなどは、人々の前に置かれ、そして、その預言は、この地球の歴史が閉じられるように導いていく出来事の輪郭を描く一つの象徴のように思えます。罪に属している人類への働きに繋がったそれぞれの場面は、この地球の歴史の中で、最後の特徴としてはっきりと啓示されました。特別な人々は、世界中の人々に与えるために、今、第三天使のメッセージという、一つの特別なメッセージを持っています。彼らの体験の中で、その第一の宣言、第二、そして、第三の天使のメッセージの中の一部の活動を担って、その基礎を通り過ごした人々は、神の民としての経験に基づく認識を持たなかった人々のように、誤った道に導かれやすくはありません。
かつて、自分達の聖書を研究する、偉大な光/真理と新しい神学理論を発見したと考えた人が、または、ほかの人がいました。しかし、それらの人々は、正しくはありませんでした。御言葉はすべて真実です。しかし、御言葉を間違って適用した人々は、悪い結論に至りました。私達は大いなる闘いのために結ばれています。そして、それは、私達が最後の闘いに近づく時に、もっと徹底的で、決定的なものになるでしょう。私達には、一人の眠らない敵がいます。そして、彼は、過去50年間にわたって、神の民の教え/教訓の個人的な体験を持たなかった人間の知性に常に働きけています。ある人は、それら[最後の闘い]の時と、将来にそれを置いて適用できる真理を利用するでしょう。過去に成就した預言の教えの中の数々の出来事は、未来にも成就して、そして、このような神学理論によって、ある人の信仰は徐々に衰えるでしょう。
主が私に与えることを喜んだ特別な光/真理に基づいて、あなたは、同じような働きを為しているという危機の中にいます。その数々の真理は、神の民の信仰の歴史において、特別な時のためにそれらの真理の特別な働きをして、それらの真理のあるはずの場所に置かれたものでした。あなたは、聖書の中の歴史の要素を真実として認めています。しかし、それらを特別な未来に適用しています。それにもかかわらず、それらは、私達が今日このように存在している一つの民として私達を構成している一連の出来事の中で、相応しい、その能力持っています。それらは、人々が誤りの闇/無知の中に存在していることを示されるために存在しています。イエスキリストに属する真の働き人達は、第三天使のメッセージが発生した時からその働きの体験もってきた彼らの兄弟[姉妹]達と協力するために存在しています。一足、ひとあし、彼らが進歩したような光と真理を受けること、一つずつテストを生み出すこと、彼らの過去の道の中に教えるように置かれている十字架を掲げること、主を知るために懇願すること、これらをたどった人々は特別な日の朝に向かって備えをしています。あなたもほかの人も、私達の兄弟[姉妹]は、その真理を受け入れる必要があります。神が主の預言者の[学校]の生徒達に与えた真理、[その学校の]創始者によって彼らが導かれてきた真理、生きた体験、一つひとつの進歩、テストされたこと、体験して学んだこと、試してみたこと、ずっと、それらの真理は、彼らの一つの真実のために存在しています。彼らの複数の声とペン、輝くその真理と温かい思いやりという光線は、世界のすべての地域の人々に届きました。そして、それらは、真理をテストする彼らのために存在していて、主の働き人となったメッセンジャー達によってもたらされる時に、このメッセージを宣布されるすべての人々のための真理のテストとして存在しています。
近くから遠くから、今、神の民に訪れるその警告の任務は、第三天使のメッセージです。そして、また、今日のセブンスデー
アドベンチスト達を構成しているその基礎[教理]を傷つけ、信仰のその柱を取り除くように、御言葉の応用/加工をするために、このメッセージを理解するように探求している人々は、主によって導かれていないでしょう。
彼ら[神の民]の[教理の]秩序によって拡大した特別な真理の数々は、私達が、神の言葉を啓示した預言に即して前に進めてきたように、今日、真実、神聖、永遠の真理です。私達の過去の歴史の中で、一歩ずつその基礎[教理]を通り過ぎてきたこれらの人々は、預言の中の真理の鎖を見ると、光/真理の全ての光線に従い、受け入れる用意が整えられました。彼らは祈り、断食し、調べ、隠れた宝を探すように掘り返しました。そして、聖霊は、私達が理解するように、私達を教え、ガイドしました。多くの神学理論は進展しました。真理の全体像が生み出されましたが、聖句の数々に、誤った解釈と聖霊の誤った応用が混ぜられたために、人々は危険な誤りに導かれました。私達が真理の全ての要点をよく知る方法は確立されました。そして、神の聖霊によって、その上に、そのしるしが押されました。そして、全ての特別な時の声は「ここにその真理があります」「私がその真理です。私についてきてください」と[人々に]聞かれました。しかし、特別な警告が訪れました。「彼らの後について行ってはいけません。私は彼らを遣わしていません。しかし、彼らは走り回るでしょう」(エレミヤ23:21)。
主の導きは記されました。そして、最も素晴らしいものは真理として存在している主の啓示です。一つひとつは、天の神、主によって設立されました。それ以来、それは、今日、真理として存在しています。しかし、様々な声が、「これは真理です。私は新しい光/真理を持っています」と聞かれることをやめません。さらに、これらの預言的な領域の新しい光/真理は、それらを捉えず錨なしに漂流する神の民と、御言葉の誤った適用を現しています。もしも、御言葉の研究者が、神の民を導くように神が啓示した真理を捉えるならば、また、これらの真理が適切にそれらを会得し、自分達の生活にもたらすならば、その人々は光/真理の送信路として生きているでしょう。しかし、新しい神学理論を自分自身で研究した人々、真理と誤りを結びつけて混ぜたものを持っている人々、そして、後でそれらの物事を卓越したものにしようと試みている人々は、神性な説教壇から自分達のロウソクに火を点けなかったことを証明しました。そして、それは、闇(無知)の中に消えて行きました。
『原稿』31、1896[69歳]
2.三天使のメッセージ それらの重要性な位置づけ
第一、第二、第三天使のメッセージの宣布運動は、霊感を受けた御言葉によって探し出されました。留め釘や留め金具は引き抜かれるためにあるのではありません。人間の権威は、新約聖書を旧約聖書に取り換えるような、そのメッセージの位置を変えるどんな権利も持っていません。旧約聖書は比喩と象徴による福音です。一つ[旧約聖書]はほか[新約聖書]の本質的な要素です。旧約聖書はキリストの口からの教訓を記録しています。そして、それらの教訓はどんな特別な力によっても失われませんでした。
第一、第二[天使の]メッセージは、1843年と1844年に与えられました。そして、私達は、第三[天使のメッセージ]の宣布のもとに存在しています。しかし、三天使のメッセージは、みな、宣布されるために存在しています。真理を求める人々のために何度も繰り返されるということは、かつてと同じように、今も本質的な要素でしょう。ペンと声によって、私達は、私達にもたらされた第三天使のメッセージの預言を適用して、また、それら[預言]の順序を示して、その宣布を知らせるために存在しています。第一と第二なしに、第三が存在することはできません。かつて存在し、そして、これから存在するだろう預言的な歴史の物事の領域を示したこれらのメッセージは、出版物、講話や会話によってこの世界の人々に与えるために存在しています。
封印された書は、黙示録の書ではなく、最後の日々に関連したダニエルの預言から切り離された一部でした。御言葉はこう述べています。「しかし、汝、ダニエルよ。それらの言葉を誰にも言ってはいけません。特別な終わりの日までその書を封印しなさい。多くの人々は進んだり戻ったりするでしょう。そして、知識が増すでしょう」(ダニエル12:4)。この書が開かれた時、その宣言はつくられました。「もう時がないでしょう」(黙示録10:6)。ダニエルの書は、今、開かれています。そして、キリストによって、ヨハネがつくった啓示は、地上の全ての住民に届けられために存在しています。人々の知識が増すことによって、一つの民が、最後の日々に立つよう、用意されるために存在しています。
3.安息日、大きな問題
「そして、私はもう一人の天使が、天の中央を飛んでいるのを見ました。地上に住んでいる人々、全ての国民、民族、言語、人々に、説教するために永遠の福音を携えて来て、大きな声で叫びました。神を畏れなさい。神に栄光を与えなさい。神の裁きの時がやって来ました。天と地と、海と水の源を造った神を拝しなさい」(黙示録14:6,7)。
もしも、注意が払われるならば、このメッセージは全ての国民、民族、言語、そして、人々に、御言葉による試験が閉じられるという警告、第7日安息日を偽物の安息日に変えた勢力を考える真の光という警告を呼びかけるでしょう。唯一の真の神は見捨てられ、神の律法は放棄されました。聖なる安息日は、人類の罪によって、塵の中で踏みにじられました。わかりやすく明白な律法の4番目は無視されました。天と地の創造者、生きている神が宣言している記念としての安息日は、価値が落とされ、偽の安息日が、その位置に代わって、世界中の人々に与えられました。このように、神の働きに一つの裂け目がつくられました。間違った安息日は、真の標準として存在することは不可能でしょう。
第一天使のメッセージにおいて、人々は、この世界とその中に存在する全てを造った、私達の創造者である神を拝するよう呼びかけられています。人々は、ヤハウェ(hwhy)の神の律法の成果を無きものにして、ローマ教皇の制度に敬意を払いました。しかし、このテーマで、知識が増加するようになっています。
天の中央を飛んでいる天使によって宣布されたメッセージは、永遠の福音であり、神がヘビに言った時のエデンで宣言したものと同じ福音でした。「そなたの子孫と婦人の子孫との間に、私は汝と彼女の間に敵意を置くでしょう。それは、そなたの頭を傷つけるでしょう。そなたは、彼の踵を傷つけるでしょう」(創世記3:15)。ここに、救い主の最初の成果がありました。救い主はサタンの力に逆らって、闘いの地に立って、彼に対して打ち勝つでしょう。キリストは、神の聖なる律法に現されている神の品性/人格の一つの複写です。キリストはその律法であり、その福音でした。永遠の福音を宣布しているその天使は神の律法を宣布しています。救いの福音は律法への従順を人々にもたらします。それによって、人々の品性/人格は、神性の外見に倣って形成されます。
イザヤ書58章の中に、天と地の造り主、神を拝する人々の働きが明細に述べられています。「汝に属している人々は、古く、荒廃した場所に立てられるでしょう。そなたは、多くの年代の人々の基礎/先祖として、よみがえるでしょう」(イザヤ書58:12)。神の記念、神の第7日安息日は、高く掲げられるでしょう。「そなたは、破れ目を繕う者の中に住むように、小道を回復する者と呼ばれるでしょう。もしも、汝が、安息日の自分の足取りの向き変えるならば、私の聖なる日として汝の喜びとして行動し、そして、楽しみの日や主の聖と名誉と呼び、そして、主に栄誉を授けるならば、私は、地の高き位に汝を置く根拠としましょう。そして、汝らの父ヤコブの子孫と汝らを養いましょう。主の口がそれを語りました」(イザヤ書58:12-14)。
歴史は、この教会の人々とこの世界の人々、忠実な人々と不忠実な人々について、ここで明らかに指し示しています。第三天使のメッセージの宣布に忠実な人々は、神の戒めを尊敬し栄誉を授けるために足取りを神の戒めの道に変えました。そして、天と地を創造した神の栄光を讃えました。反対する人達は主の律法を傷つけることによって神を敬わず、そして、主の言葉からの光/真理が主の聖なる戒めに注目を呼びかけた時、ローマ法王の権威による法令によって、主の律法が傷つけられたことが指し示され、さらに、確信を取り除くために、人々は律法全体を破棄することを試みました。しかし、彼らはそれを破棄することができるでしょうか。いいえ、自分達の将来のために御言葉を調べて研究する全ての人々は、主の律法が不変で、永遠で、そして、主の記念、主の安息日として立っていることと、全ての誤った神々から識別することによって、本当の神だけを指し示していて、長い年代を通して耐え抜いているということを見つけるでしょう。
サタンは、神の律法を変えるために、また、自分が天で始めたその働きを遂行するために、自分の努力によって諦めずやり抜いてきました。彼は罪に落ちる前に、天で発表した「神の律法は欠陥があって改正する必要があった」という理論を世界中の人々が信じるようにすることに成功してきました。彼らの言葉ではないとすると彼らの態度によって、大部分のキリスト教会は、同じような誤りを受け入れたことを示しています。しかし、仮に、神の律法の一点一画が変更されたとすると、サタンは天では得ることができないことをこの地球の全住民から得たことでしょう。彼は、教会の人々とこの世界の人々を人質に取ることを望んで、紛らわしい罠を準備していました。しかし、全ての人々がその罠にかかるのではないでしょう。識別する一つの線が、神に従順な子ども達と神に不従順な子ども達の間に引かれて存在しています。獣とその像を拝む人々と、真に生きている神を拝む人々という、二つの大きいグループが発達してきました。
4.黙示録10章のその天使
黙示録14章のメッセージ、神の裁きの時刻の宣告は、やって来ていて、世界の終末の時に与えられます。黙示録10章の天使は、片方の足を海に、もう片方の足を陸に置いていて、そのメッセージが遠くの国々に伝えられるように、大海に橋が架かっているようで、海にある島々の人々は私達の世界中の人々に警告する最後のメッセージの宣布を聞いているように記述されています。
「私が見たその天使は、海と陸に立っていて、一つの手を天に挙げて、そして、天とその中に存在するもの、地とその中に存在するもの、海とその中に存在するものを創造し、永遠に生きている方によって断言しました。もう、時が存在しないでしょう」(黙示録10:5,6)。このメッセージは、預言的な時代の終わりを告げています。1844年に私達の主に会うことを期待した人々の大きな失望は、主の出現を熱心に求めていた人々に確かに苦いものでした。この大きな失望がやって来ることは主の指示の中にありました。そして、その核心は啓示されるでしょう。
一つの群衆[神の民]は、神が用意したものではなかった教会の誘惑に負けませんでした。反対勢力は神の働きに反対行動を起こしました。しかし、主は予見していました。全ての人々は、主が、主の預言者達を通して予測したような立ち位置を取りました。主は、主の教会の人々を闇/無知の中に置き去りにしませんでした。しかし、主は、起こるだろうこと、主の摂理を通して、世界の歴史における接点での活動、主が主の聖霊が予告するために預言者達に霊感を与えたことに関して、もたらされた預言的な宣言によって導きました。主の全ての目的は、十分に達成され、確立されるでしょう。主の律法は主のみ座に結ばれ、そして、サタンの働き人達は、それを壊すことができない人間の働き人達に結ばれるでしょう。真理は神によって霊感を与えられ保護されています。そして、その時に、暗雲を投げかけられることがありますが、生き抜いて、成功するでしょう。キリストの福音は、[彼の]品性/人格の中で、律法が手本として具体化したものです。だます者達は、それに反対して行動しました。嘘を証明するための全ての策略、サタン的な働き人達による全ての誤りの進化したものなどは、結局、永遠に打ち砕かれるでしょう。真理の勝利は、真昼の太陽のように現れるでしょう。義の太陽[キリスト]は、主の翼と共に癒しの中に輝くでしょう。地上の全ての人々は主の栄光に包まれるでしょう。
5.預言の確かさ
神が、預言した歴史の中で、過去に存在して成就したことと具体的に述べた全てのことは、その順序でやがて起こるために存在しています。神の預言者、ダニエルは自分の位置に立っています。ヨハネは自分の位置に立っています。黙示録の中で、ユダ族の特別なライオン[主]は、ダニエル書の預言を研究者達に開きました。その様子は、ダニエルが自分の位置に立っているというものです。彼は、主が壮大な幻の中で啓示したことに関する自分の証と、私達が任務の終了の真の戸口に立つ時に、私達が知る必要のある様々な出来事の答えに関する自分の証を[生み出して]伝えました。
歴史と預言によって、神の言葉は、真理と誤りの間での長期に亘った闘いを記述しています。その闘いはまだ進行中です。これらの存在した事柄は繰り返されるでしょう。古い闘いの数々はよみがえるでしょう。そして、新しい神学理論の数々が起こり続けるでしょう。しかし、神の民、自分達の信条と預言の成就、第一、第二、第三天使のメッセージの宣布の一部を実践していた人々は、自分達の立つ位置を知るでしょう。神の民は、輝く金よりも貴重な存在である一つの体験を手にするでしょう。その人々は、初めの信頼を終わりまで忠実に持ち続ける一つの岩のように、堅く立つために存在しています。
変形させる力が、第一、第二天使のメッセージの宣言に加えられました。それは、第三天使のメッセージにも加えられます。永久的な確信が人間の知性に形成されました。聖霊の力が現れました。そこには、一か所ずつの御言葉の賢明な研究がありました。ほとんど、毎晩、御言葉の熱心な調査研究に捧げられました。私達は、隠れた宝を探すように、真理を調査研究しました。主は、ご自身を私達に啓示しました。光/真理は、預言者達の上に発散されました。そして、私達は神性の教えを受けたことを知りました。……
あの大失望の後、みんな、心に御言葉を求めました。自分自身を落ち着かせた人がいました。また、数人の魂は、主が自分達を導いていたことを否定せず、落胆もしませんでした。これらの人々のために、真理は、一つまた一つと開示され、回想と共感によって彼らの最も理想とされたものに組み合わせられました。後で、その研究者達は、自分達の性質と関心について、キリストとの同一性が完成されたという事実/真理を考えました。真理は、その失望の以前に未知だった自信を注いで、力で威厳を付けて、シンプルに美しく、未来へと輝くためにつくられました。私達は、その時、一体となって、そのメッセージを宣布するでしょう。
しかし、自分達の最初の信仰と体験を持ち続けなかった人々の間で大混乱がありました。全ての考えられる意見は、真理のメッセージとして表されました。しかし、主の声はこうでした。「彼らを信じてはいけません。私は彼らを遣わしませんでした」。
私達は注意深く主と共に歩みました。そのメッセージは、この世界中の人々に与えるために存在していました。そして、私達は、この光/真理のプレゼントは神の特別な贈り物だったということを知りました。この贈り物を分け与えることは神の特権でした。また、真理のあとを追いかけていて、主にあって失望した人々は、自分達に伝達されたことを世界中の人々に伝達するために、一歩いっぽ導かれました。その預言的な宣布は、繰り返されるために存在していました。また、救いの真理の本質はよく知られたものが作られるために存在していました。その働きは、初めは厳しく拒否されました。しばしば、話を聞く人々は、そのメッセージを「わけがわからない」と拒否しました。そして、特に、安息日の質問について、その闘いは確固として真剣に始まりました。しかし、主は臨在を現しました。ある時には、私達の目から主の栄光を隠していたその覆いは、わきに外されました。私達はいと高き、聖なる所にいる主を見上げました。
主は、今、[人々が]特別の真理をわきに逸らすために、人々の知性を導いていないでしょう。聖霊は、宣布するために、過去の主の奉仕者達の上に移りました(The
Lord will not lead minds now to set aside the truth that the Holy Spirit has
moved upon His searvants in the past to proclaim.)。
多くの人々は、御言葉を調べて来た過去の人々のように、光/真理としてそれを誠実に調べるでしょう。その人々は御言葉の中の光/真理を見るでしょう。しかし、その人々は、それらの警告のメッセージが最初に宣言されたものだった時に、自分達の体験の基礎[的な教理]を検討しませんでした。この体験を持たなかったことで、ある人は道標のように私達に存在していた真理の価値、私達が存在している一つの特別な人々として私達を成している真理の価値を理解していませんでした。彼らは、御言葉を正しく適応しようとしていません。そして、このように、彼らは正しくない理論を組み立てています。彼らは御言葉を大量に引用しています。そして、それは真理だとしてその多くを教えています。しかし、真理は、間違った結論に導くための多くの誤りと混ぜられています。また、その人々は自分達の理論の中に御言葉を織り込むことができるので、真理の真の鎖をもっていると考えています。そのメッセージに生じる体験を持っていない多くの人々は、これらの誤った理論を受け入れています。そして、前進ではなく後退の間違いの小道に導かれています。ここに、特別な敵の計画が存在しています。
6.御言葉の間違った適用の脅威
サタンは、ユダヤの国の民の歴史が、現在の真理を信じると公言する人々の体験の中で繰り返されるように働いています。ユダヤ人達は旧約聖書を持っていて、自分達はそれらに精通したと考えていました。しかし、彼らは嘆かわしい間違いをしました。天の軍勢によるキリストの二度目の栄光の出現を言及している数々の預言を、彼らは、主の最初の来臨を言及していると考えました。彼らの期待通りに主が来なかったので、彼らは主から離れていきました。サタンは、それらの人々を自分の網で捕える方法と、彼らを惑わして滅ぼす方法を知っています。……
同じように、サタンは、この時も、神の民の信仰を蝕むために働いています。そこには、全ての新しい考えに捕えられる用意をしている人々がいます。ダニエル書と黙示録の預言の数々は、誤って解釈されています。それらの人々は、神がこの特別な働きを為すために導いていた、真の人々によって指摘された「時」について明記されていた特別な真理を考慮していません。それらの人々は、真の預言の成就に、一歩いっぽ、ついて行きました。この働きの中で、個人的な体験を持たなかった人々は、第一、第二、第三天使のメッセージの宣布の中で、主によって導かれていた人々の「彼らの言葉」を信じ、神の言葉を信じるために存在しています。受け取られ実践されたこれらのメッセージは、神の大いなる日に立つ一つの民を用意する彼ら[三天使]の働きを為しています。もしも、私達は、神がこの世界の人々に主の奉仕者達を備えて与えているという真理を確信するために、御言葉を調べるならば、私達は、第一、第二、第三天使のメッセージの宣布を見つけるでしょう。
未来に成就される数々の預言が存在するというのは真実です。しかし、まったく誤った働きが何度もなんどもなされました。それは、その数々の預言の中の新しい光/真理を探し求める人々、神が既に与えていた新しい光/真理を放棄し始める人々によって、為され続けるでしょう。黙示録14章のメッセージは、テストされるために存在しているこの世界の人々の近くにあります。そのメッセージは永遠の福音です。そして、それは、どこででも聞かれるために存在しています。しかし、主は、主が持っている預言の新しい説明の任務を、主の聖霊によって、主の選ばれた奉仕者達に移して、主の働きの体験をしなかった人々に置きませんでした。
神が私に与えた特別な光によると、F兄弟、ここに、あなたが為そうと試みていたあなたの特別な働きがあります。あなたの見解は、誰かの好意をもたらしました。そして、それらの人々は、識別力を持っていなかったために、あなたが言及した真理の要点を[生み出し]伝えたと考えました。しかし、彼らは、この時代の人々のための神の働きにおいて、乏しい体験をしていました。そして、彼らは、あなたの見解がやがて彼らを導くようになることを知らなかったでしょう。そして、あなたは、やがて彼らを導くことになる自分自身を知りませんでした。彼らは、あなたの論述に同意するために用意されていました。しかし、あなたは自分の理論を構成する多くの聖句を集めた籠を編んだので、彼らは間違って導かれていました。あなたの論点はそれらの結論を現しています。
しかしながら、これらの人々は、この地上の人々の歴史の最後の期間に適用するための経験に基づく真理の知識を持っていません。彼らは、あなたがある貴重な真理をもっていると見ています。その一方で、彼らは、あなたが御言葉を誤って適用し、それが相応しくない間違った[文章]構成の中にそれを置いていて、現在の真理ではないものに力点を置いている、と見ています。なぜなら、誰かがあなたの書いたものを受け入れても、得意になってはいけないからです。あなたを一人のクリスチャンとして信頼しているあなたの兄弟達と、そのようなあなたを愛しているあなたの兄弟達は最も厄介な人々です。あなたが考え出した多大な結果のあるあなたの主張を自分の連絡網の人々に述べることは、神がこの時代の人々に宣布するために主の民に与えた真理の理論ではありません。
神が私に与えた光/真理は、あなたが十分に理解せずに編み込んだ御言葉です。もしも、あなたが為したのであるならば、あなたは、自分の理論が私達の信仰の基礎を引きちぎるということを認識するでしょう。
わが兄弟、私は、あなたが今たどっているのと同じような道に出かけた人々を正すための多くの証を持っていました。これらの人々は、確かに、神によって導かれていたように見えました。そして、彼らは、真理を説教していた牧師達に、自分達の異なった理論を持ち込みました。私はその牧師達に「主はこの人達の中に存在していません。惑わされてはいけません。ほかの人々を惑わしている責任も取りません」と言いました。キャンプミーティングで、私は、正しい小道から逸れて、導かれている人々に、考えるようわかりやすく語る必要がありました。ペンと声によって、私は「汝は彼らの後について行ってはいけません」というメッセージを[生み出して]伝えました。
7.[間違いを持ったまま]死に逝く人への配慮
私がかつて為す必要があった線上で、最も難しい任務は、主に従うことを望んでいたある人に対するもてなしだと理解しました。ある時、彼は、新しい光/真理]得たと考えました。彼は重い病気で、間もなく死が待っていました。ああ、私の心は、どんなにか、彼が為していたことについて、私が話す必要がないことを願っていたことでしょう。彼が表した見解は、彼に熱心さと、霊感が与えられたという考え方として聞きました。私は「彼が一枚の図表を作って、主が確かに、1894年の日に来るだろうと考えたことを示すために、御言葉から根拠づけた」と考えます。彼の多くの根拠は欠陥のないもののように思われました。それらは彼の病室の中で、彼の力強い奨励の言葉を語りました。とても不思議な見解が、彼の前を過ぎていきました。しかし、彼の霊感の源は何でしたか。それは、痛みを和らげるために彼に与えられたモルヒネ(麻薬)でした。
ミシガン州ランシングにおいて、私達のキャンプミーティングで、ちょうど、私がオーストラリア[1881-1890]に行く前、「これが新しい光/真理だとみなされる」ことに関して、わかりやすく話をする必要がありました。私はその人々に、「彼らが聞いたその言葉は霊感による真理ではありませんでした」と語りました。真理を示すように表された不思議な光/真理は、御言葉の誤った適用の結果でした。主の働きは1894年に閉じられないでしょう。私に届いた主の言葉はこうでした。「これは真理ではありません。しかし、それは、奇妙な小道に導くでしょう。ある人々はこの記述に困惑するようになるでしょう。そして、真理を捨てるでしょう」。……
8.時を設定する真のメッセージはない
誰も、キリストが来る、来ないという時を設定する真のメッセージを持っている人はいません。神は、誰にも「キリストは主の来臨を5年間延ばした、10年間、20年間延ばした」と言う権威を与えていないと確信してください。「そなた達は備えをしていてください。汝らが考えていない時に、人の子が来るでしょう」(マタイ24:44)。ここに私達へのメッセージがあります。天の中央を飛んでいる三天使の真のメッセージは宣告しています。今、為されるその働きは、この罪に落ちた世界の人々に憐れみの最後のメッセージを聞こえるようにするために存在しています。新しい命は天から来ていて、全ての神の民が所有する宝として手にしています。しかし、この教会に分派がやって来るでしょう。二つの派が発展するでしょう。特別な小麦と毒草が収穫まで共に成長するでしょう。
特別な働きは浸透して進展し、そして、時の閉じられる間際には熱心に為されるでしょう。神と共に働く人達は、聖徒達に託された信仰を熱心に主張するでしょう。彼らは現代のメッセージから逸れないでしょう。それは、すでに、それ自身の栄光によってこの地上を明るく/啓蒙/教化しています。神の栄光以外に主張する価値のあるものは何も存在しません。立ち上がるだろう唯一の特別な岩は、各時代のその岩として存在しています。イエスに存在するその真理は、誤りの日々に特別な避難所として存在しています。
9.私達の日のために与えられたメッセージ
預言は、一つまた一つと成就してきました。確かに、私達は第三天使のメッセージの旗の下に立っています。最も明確に、ダニエルの預言を理解しているでしょう。黙示録はダニエル書の補遺として存在しています。私達が、深く確信して、永遠のみ座、神に捧げられた奉仕者達を通して、聖霊によって表された光/真理を受け入れている最も確かなものは、古代の預言の真理に現れているでしょう。私達は、神の人が聖なる霊によって動かされたように語っているということを確信させられるでしょう。人々は、預言者達を通したその霊の言葉遣いを理解するために聖霊の影響の下に存在する必要があります。これらのメッセージは、預言の言葉遣いのためではなく、預言の成就の場面の真ん中で生きている私達のために与えられました。
私は、主が私にこの働きをするように与えなかったならば、これらの事柄を発表することを考えないでしょう。ほかの人々があなた方のそばに存在しています。そして、一人か二人以上のあなた方に好意を持つ人々は、「自分達は新しい光/真理をもっている。そして、人々にそれを表すための用意ができている」と考えています。しかし、彼らが既に与えられたその光/真理を受け入れてそれによって歩むこと、そして、御言葉を自分達の信仰の基礎にすること、何年も神の民によって取られた立場が保たれていることは、神を喜ばしているでしょう。その永遠の福音は、人間の働き人達によって宣布されるために存在しています。私達は、この罪に陥った世界の人々に最後の警告を持って、天の中央を飛ぶように表されているその天使達のメッセージを声で伝えるために存在しています。仮に、私達が預言するために呼び出されなかったのならば、私達はその預言を信じるために、そして、ほかの人々の知性に光/真理を与えるよう神と協力するために呼び出されています。私達はこれを実行するように努めるために存在しています。
我が兄弟、あなたは、多くの方法で、私達を手助けできます。でも、私は、あなたに「あなたは自分中心で存在するためにいるのではありません」と言うように主から委託されました。あなたの聞き方、あなたの理解の仕方、あなたの神の言葉の利用の仕方を慎重にしてください。主は、あなたの兄弟達と同等の線を引くことによってあなたを祝福しているでしょう。主が第三天使のメッセージの宣布のために[伝道地の]前線に送った人々は、天の知性的な存在者達と同調して働いていました。主は、信徒達の層に不調和をもたらすようなメッセージを宣布するようあなたに一つの任務も与えていません。繰り返しますが、主は、私達の世界の人々に伝えるために、神の民に与えた厳粛なメッセージにある信仰を乱すような、一つの理論を組み立てるために、主の聖霊によって誰をも導いていません。私は、あなたが自分の書き物を貴重な真理だと考えないようにとアドバイスします。多くの心配事としてあなたの損失となるような、印刷して永久に置くことは、あなたのために得策ではないでしょう。それは、真理のメッセージを妨害するために働くでしょう。最後の日々の危難の中で、主の民は信じて実践するために存在しているので、彼らの前にこの問題がもたらされることは、主の意思ではありません。……
様々な神学理論が、信仰を乱すために、ある人々の知性を逸らすように扇動し続けるでしょう。明らかにされた特別な預言によって実際の体験をした人々は、これらの預言によって、今日存在している、セブンスデー
アドベンチスト達として形成されました。彼らは、真理の帯を締め、鎧兜をつけた彼らの名士達と共に立つために存在しています。この体験を持たなかった人々も、同じ確信によって、真理のメッセージを掲げる特権を与えられました。主の民に与えることを喜んだ神の光/真理は、過去に主が彼らを導いてきた彼らの小道の確信によっても、弱くならないでしょう。そうではなく、それは初めの信仰を捉えるために彼らを強めるでしょう。私達は、この世界の終わりまで堅く自分達の確信を持ち続ける必要があります。
「ここに聖徒の忍耐があります。ここに、神の戒めとイエスに属する信仰を保っている人々がいます」(黙示録14:12)。ここに、私達は、第三天使のメッセージのもとに立っています。「そして、それらの事柄の後、私は一人の天使が、大いなる力を持って、天から降りて来るのを見ました。地上の人々は、彼の栄光によって、啓蒙、教化されました。彼は、力強い声で、大きく叫んでこう言いました。バビロン、その偉大さは崩れた。崩れた。悪霊達の住む所となった。全ての汚れた精神の隠れ場となった。きよくない鳥と、嫌われた鳥の籠となった。全ての国民は、彼女[バビロン]の偶像礼拝における怒りのブドウ酒を飲んだ。そして、地上の王達は彼女[バビロン]の偶像礼拝の罪を犯した。地上の商人達も彼女[バビロン]の優雅さと贅沢の豊かなことによって巨大な富を築いた。また、私は、天からのもう一つの声を聞いた。こう言った。彼女から出なさい。私の民よ。汝らは彼女[バビロン]の数々の罪に加わる者であってはいけません。汝らは彼女[バビロン]の災害を受けてはいけません。彼女[バビロン]の罪は天にまで達した。神は彼女[バビロン]の罪悪を思い起こした」(黙示録18:1-5)。
10.もう一人の天使のメッセージ
このような、第二天使のメッセージの内容は、彼の栄光によって地上の人々を啓蒙/教化しているもう一人の天使によって、この世界の人々に再び与えられています。これらのメッセージは、この地上の歴史の閉じられる日々の中で、その人々の前に来ることによって、全て一つに混ざりました。世界中の人々は全て、テストされるでしょう。第四の戒めの安息日を誤りと考える闇/無知の中に存在していた全ての人々は、人類に与えられるために存在している最後の憐れみのメッセージを理解するでしょう。
私達の働きは、神の戒めとイエスキリストに属する証を宣言するために存在しています。「汝らの神に会う準備をしましょう」(アモス4:12)は、この世界の人々に与えられるための警告として存在しています。これは、私達個人への一つの警告です。私達は、全ての重荷と、私達を簡単に取り囲む罪をわきへ置いたうえ、呼び出されています。我が兄弟、キリストと共にくびきを担うために為す、あなたのための一つの働きがあります。あなたの建物は特別な岩の上に存在するようにしっかり建てましょう。起こりそうなことを永遠のリスク(危害)にしないようにしましょう。あなたは、私達が今立ち入っている危険な場面に参加するために生きていないでしょう。私達の中で、与えられた時間が何かのために保証されて生活している人はいません。あなたはあらゆる瞬間を見張らないでしょうか。あなたはあなた自身を注意深く調べて、自分のために存在している永遠はどんなものでしょうかと尋ねないでしょうか。
全ての魂の大きな重荷は存在しているでしょう。私の心は新しくされるでしょうか。私の魂はつくり変えられるでしょうか。私の罪はキリストにある信仰を通して許されていますか。私はもう一度生まれましたか。私は次の招きに応じていますか。「汝ら、労苦を負っている人、重荷を負わせられた人々はみな、私の所に来てください。私はあなた方に休みを与えましょう」(マタイ11:28)。キリストイエスの知識の卓越さを失うことだけでなく、神に由来する全ての言葉を信じるあなたの義務を考えたことがありますか。 『原稿』32、1896[69歳]
11.二つの神殿のきよめ――バビロンを出よとの二つの呼びかけ
あなたがたは真理の旗をしっかりと掲げています。一方、神の律法の宣布とイエスに属する信仰は神の戒めと結びつけられているということを全ての魂に覚えてもらいましょう。第三天使は、天の中央を飛んでいるように表されていて、大きい声で叫んでいます。「ここには、神の戒めを守り、イエスに属する信仰を持ち続ける人々が存在しています」(黙示録14:12)。第一、第二、第三天使のメッセージは、全て共に結びつけられています。留まり守る根拠、これらの基礎的なメッセージの真理が永遠に生きていること、私達のために多くの意味を持っていること、また、宗教的な世界に激しく反対して目を覚ましたこと、これらは、消滅させられません。これらのメッセージに、サタンは常に暗い影を投げかけようと待ち構えています。そのために、神の残りの民は、自分達の重要性、自分達の時間、そして、立場を明確に認識しないでしょう。しかし、彼らは生きています。そして、時が去る間に、私達の宗教体験に、自分達の能力を尽くすために存在しています。これらのメッセージの感化は、浸透し、広がりつつあります。何千という多くの人々の心の中で、行動を発生させる動機を起こさせていて、存在する教育施設、出版所、健康施設にもたらされています。これらの全ては、第一、第二、そして、キリストが力と大いなる栄光を持って再び来るということを、この世界の住民に警告する天の中央を飛んでいる第三天使のメッセージによって象徴された基礎的な働きとの共同によって、神の手段として存在しています。
預言者ヨハネは次のように言っています。「私はもう一人の天使が、大いなる力を持って天から降りて来るのを見ました。そして、この地上の人々は、彼の栄光によって明るく、啓蒙/教化されました」(黙示録18:1,2)。これは、第二天使によって与えられたメッセージと同じものです。「彼女は全ての国民が偶像礼拝の怒りのブドウ酒を飲むようにしたので」、バビロンは崩されました(黙示録14:8)。そのブドウ酒は何ですか。[それは]彼女の誤った教理[です]。彼女は、世界中の人々に、4番目の安息日の代わりに、誤った安息日を与えました。そして、サタンがエデンで最初にエバに語った嘘(魂の不死の状態)を繰り返しました。彼女が遠く広くばらまいた多くの同じような誤りは「人間の戒めの教理を教えているでしょう」(マタイ15:9)。
イエスが自身の公的な働きを始めた時に、彼は、まず、神の宮の神聖の汚れを清めました。彼の奉仕の働きの最後の活動の間に、神の宮の二度目の清めがありました。このように、この世界の人々への警告のための最後の働きによって、二つを識別する呼び出しがこの特別な数々の教会のためにつくられています。第二天使のメッセージは「バビロンは崩されました。巨大な都市、彼女は全ての国民が偶像礼拝の怒りのブドウ酒を飲むようにしたので崩されました」でした(黙示録14:8)。そして、第三天使の一つの声の大きな叫びは天から聞こえました。彼女から出てください。私の民、汝らは彼女の罪に加わってはいけません。汝らは彼女の災いを受けてはいけません。そして、神は彼女の罪悪を覚えていました」(黙示録18:4,5)。 『レビュー&ヘラルド』1892.12.6[65歳]
第3部 思慮に欠ける所属
はじめに ホワイト遺稿管理委員会
エレン・ホワイトのオーストラリア滞在[1891-1900]の初めの頃、彼女は、我々の出版所の働き人で、フリーメーソンの支部活動に深く巻き込まれるようになった卓越した一人に、勧めを与えるために呼び出されました。彼女がこの兄弟に表した勧めは、彼がその組織の最も高い名誉ある地位を得たという事実にも拘らず、その支部との繫がりを切るように導きました。
とがめないように、ミセスホワイトは、「クリスチャンは二人の主人に仕えること、または、二つの権威に敬意を払うことはできません」と指摘しました。この教会の中で彼の働きが顧みられなかったため、残念なことに支部活動に巻き込まれるようになった私達の兄弟は、エレン・G・ホワイトの勧めの中のシンプルな真理を認め、そのメッセージに対する彼の信頼が、「ミセスホワイトは(彼女自身知らなかった)その支部のメンバーにだけ利用されていた秘密の暗号を与えられた」という確固なものとなりました。彼は即座にその支部の会員権を放棄しました。しかしながら、彼は、友愛組織の信頼を揺るがすもの、または、それとの関係を壊すよう自分を導くものが何もないという会員の根拠を頑強に断言しました。数年後、この体験を振り返って、彼は「その預言のメッセージが完全に自分の人生を変えました」と証ししました。
この繫がりのこの時、ミセスホワイトは、そのような組織にセブンスデー
アドベンチスト達の関係について豊富に書きました。これは、「クリスチャンは秘密結社の一員として存在するのはどうでしょうか」というタイトルで出版されました。そのパンフレット形式によって、オーストラリアと合衆国に広がりました。しかし、それは長い間、絶版になっていました。そのパンフレットの内容はそのまま本書に掲載されました。
その第2章は、セブンスデー
アドベンチスト達が労働者の組合組織に関わるのはどうだろうかということに関して、ミセスホワイトのペンからの勧めによって構成されています。この資料は、『Country Living』(田園生活)第二部として、1946年に出版されました。これは、祈りをもって学び続けるための永久に続く本として現れました (ホワイト遺稿管理委員会)
13章 クリスチャンが秘密結社の一員として存在するのはどうでしょうか*[12]
(訳者加筆:society:結社、association:協会と訳出)
「汝らは、信者でない人々と不釣り合いのくびきを負ってはいけません。義と不義は何か関係がありますか。光と闇とは何か交流がありますか。キリストとベリアル[アッシリア神話の神。よこしま:1サムエル2:12,2コリ6:15]は何か一致がありますか。信徒と異教徒は一致するどんな部分がありますか。偶像達と神の宮に何か一致がありますか。汝らは生きている神の宮として存在しています。神はこう言いました。「私は彼らの中に住み、そして、彼らの中を歩みます。そして、私は彼らの神として存在するでしょう。彼らは私の民と呼ばれるでしょう。そのために、汝らは、彼らの間から外に出て、分けられた者として存在しなさい、と主は言っています。私は、あなた方の父親として存在するでしょう。汝らは私の息子達、娘達として存在するでしょう、と主は強く言っています」(2コリント6:14)。
「汝らは、信者でない人々と不釣り合いのくびきを負ってはいけません」という主の指令は、不信心な人とクリスチャンの結婚だけではなく、親密な協力を求められるグループの全ての同盟、そして、精神と行動の一致が必要とされるところにも言及しました。主は、崇拝者達から自分達を識別して保つために、イスラエル民族に特別な指導を与えました。彼らは、何かで同盟した集団だけではなく、異教徒と親戚関係になるための存在ではありませんでした。「汝は、汝らの中のわなとして存在するといけないので、行く先のその地の住民と契約を結ばないように、そなた自身で気を付けてください。しかし、そなたらは、彼らの祭壇を破壊し、彼らの偶像を壊し、彼らの果樹園を切り倒すでしょう。汝らは、ほかの神を礼拝しないでしょう。主、その名はねたむであり、ねたむ神です」(出エジプト34:12-14)。
「汝らは、そなたらの神、主のもとに一つの聖なる民です。そなたらの神、主は、その地に住む全ての民から、一つの特別な民として主のもとに存在する汝らを選びました。主は、汝らがどの民よりも多かったという理由によって選んだのでも、主の愛を注いだのでもありません。汝らは全ての民のうちでもっとも少ない民でした。しかし、主があなた方を愛したという理由で、また、あなた方の父祖達に誓った約束を守ろうという理由で、……そなたらの神、主、主が神です。主を愛し主の戒めを守る数千代の人々との約束と哀れみを守る忠実な神であることを知ってください」(申命記7:6-9)。
また、主は、預言者イザヤを通して、宣言しています。「汝ら民達。あなた方自身で協力し合いなさい。汝らは粉々に打ち砕かれるでしょう。耳を傾けください。汝らみな遠くの国々に属して、あなた方自身を守ってください。汝らは粉々に打ち砕かれるでしょう。……共に勧めを受け取とってください。しかし、それは、来ないでしょう。特別な言葉を語りなさい。しかし、主は我々と共に存在しているので、それは、役に立たないでしょう。主はこのように強い手によって私に語っているので、そして、私はこの民の道の中を歩まないでしょう、と私に指導しました。こう言っています。そなた達は、主の一つの同盟、と言ってはいけません。彼ら全てはこの民のために、主の一つの同盟、と言ってはいけません。汝らは彼らの恐れるものを恐れてはいけません。恐れられてもいけません。聖なる主、主自身、もてなします。あなた方の恐れは彼に存在させましょう。あなた方の畏怖は彼に存在させましょう」(イザヤ8:9-13)。
フリーメーソンやほかの秘密結社に所属することはクリスチャンにとって正しいかどうかという質問をする人々がいます。そのような[質問の]全ては、御言葉を正しく引用して考えましょう。もしも、私達がみなクリスチャンとして存在しているならば、私達はどこででもクリスチャンとして存在する必要があります。そして、私達をクリスチャンにするため与えられたその勧めに、神の言葉の標準と一致して、心を留めて考慮する必要があります。
(訳者加筆:「フリーメーソンFree Masons(自由な石積み職員)」は、18世紀ロンドンから広まった世界中に組織を持つ慈善・親睦団体で、貴族・市民・知識人・芸術家などが会員です。普遍的な人類共同体の完成を目指しています)
2.神性の働き人達との協働
地上の神の民は、人々の救いのための神性の働き人達と協力するために存在している人間の働き人達です。彼ら自身が主と結びついた魂のために、キリストはこう言っています。「あなた方は‟神と共に働く労働者”として、私と一つです」(1コリント3:9)。神は偉大で、気付かれない行為者/役者で、人間は粗末で、見られる行為者/働き人です。人々が何かの善を為すことができるのは、天の働き人達の協力がある時だけです。人々が神性の仲介者を見分けるのは、その精神が聖霊によって照明/啓蒙/教化された時だけです。それゆえに、サタンは常に、人々の精神を神性[の仲介者]から人間[の働き人]に逸らそうとしています。その人間[の働き人]は天[の働き人]と協力しないでしょう。彼らの信仰は神に基づいて確立したものではないので、主は、人間を信用するように人々を導くこと、彼らの腕で権力を強くすることなど、人間が考案したものに注意するよう指導しています。
「人の身体の光はその目にあります。それゆえ、もしも、汝の目が正しければ、汝の身体全体は、光/真理で満ちているでしょう。しかし、もしも、汝の目が悪ければ、汝の身体全体は闇/無知で満ちているでしょう。それゆえ、もしも、汝の内にあるその光が闇の存在であるならば、その闇はどんなにか深いものでしょう」(マタイ6:22,23)。
私達の光/真理が暗く/無知になった時、この世界の人々への一つの光/真理として、私達はどのように存在するのでしょうか。
私達個人の救済の働きは、神性の働き人達と私達の協力によっています。神は、私達に道徳的な力と宗教的な感受性を分け与えました。主は、私達の罪のための贖いとしてひとり子を与えました。私達は神と和解させられるでしょう。イエスは、私達が主の模範にならうことができるように自己否定と犠牲の人生を過ごしました。主は、助けが必要とされる全ての場所で、キリストの代理として存在するように、聖霊を与えました。主は、私達人間の努力と結びつけるために、また、神聖な力をもたらすために天の知者達と働いています。しかし、私達は悔い改める必要がありますが、私達は神の贈り物、キリストにある信仰を受け入れる必要があります。私達は見張る必要があります。私達は祈る必要があります。私達は神の求めに従順である必要があります。私達は、キリストの目的[を達成するため]に自己否定と自己犠牲を実践する必要があります。いつもキリストに繫がることによって、私達はキリストに向かって成長する必要があります。人間を信頼するために、または、一人の人間の基準に順応させると、また、神から知性が離れると、なんでもそれはみな、神と協力することについて、私達自身の救いの働きの中で、私達を妨害するでしょう。
ここに、主が自分の民に異教徒達とのどんな同盟をも禁止する理由があります。「汝らの中のわなとして存在するといけないので」(出エジプト34:12)。主は「彼ら[地の民]は、汝の息子が私に付いてくることから離れさせるでしょう」(申命記7:4)と言いました。そして、その同じ原則は、神を信じないクリスチャンの協会accosiationに適用されます。
3.契約関係
私達がキリストを贖い主として受けれた時、私達は神と共に働く労苦者になる状態を受け入れました。私達は、この世界に主の王国を建設するという労苦のために、キリストの恵みの忠実な管理者として、主のための全的な存在として、主と一つの契約を結びました。キリストにつく全ての人々は、私達の魂のための身代金払った主に、自分の知性と魂と体の全ての能力を捧げる誓いを立てています。私達は、活動的な奉仕に入るため、道程・恥・非難を耐え抜くために、信仰の戦いを闘い、私達の救いのキャプテンに付いて行く兵士達として存在するために結ばれました。
世俗的な協会/結社とのあなたのつながりにおいて、あなたは神とあなたの契約を保っていますか。それらの協会は、神に対するあなた自身の精神やほかの人々の精神を指導するための面倒を見ていますか。彼らは神への興味と注意を逸らしていませんか。彼らは、神性の働き人達とあなたのつながり強めていませんか。または、あなたの精神を神性の位置にその人間の精神を置き換えていませんか。
あなたは、神に奉仕して、神を尊敬して、神をほめたたえていますか。また、あなたは、主を尊敬せず、主に反対した讃美をしていませんか。あなたは主と共に収穫していますか。それとも、広く散らしていますか。これらの組織化に貢献した熱心な関心、計画、全ての思想は、キリストの貴い血によって買い取られました。しかし、無神論者達や無信仰者達、神の名を敬わない人々、常習的な飲酒者達、大酒飲み達、喫煙の愛好者達と繫がる時、あなたはキリストのために仕えていますか。
たぶん、それらの結社の中に多くの善や美徳が現れて、存在するでしょう。そこには、これらの結社が成果のない善や美徳をあらわし、その魂に害を与える多くの混ぜられたものがあります。私達は、現世の食物によって支えられるもう一つの命を持っています。「人はパンだけでは生きないでしょう。そうではなく、神に由来する人の口から出る全ての言葉によって[生きるでしょう]」(マタイ4:4)。「汝らは、人の子の肉を食べその血を飲むこと以外、汝らはあなた方の中に命を持たないでしょう」(ヨハネ6:53)。イエスは「私の肉を食べ、私の血を飲む人は、永遠の命を持っています」(ヨハネ6:54)と言いました。私達の身体は、私達が食べ、そして、飲むものによって形成されます。自然な性質において、霊的な統一体の中で、それは「私達の知性は、霊的な性質を支えるものに内住している」ということです。私達の救い主は「燃え立たせるのは聖霊です。身体はなんの役にも立ちません。私があなた方に語っているこの言葉、それらは聖霊が存在しています。そして、それらは命です」(ヨハネ6:63)と語っています。霊的な命は、キリストの言葉を通して、彼と協働することによって支えられる必要があります。その知性はそれ[キリストの言葉]が内住する必要があります。その心はそれに満たされる必要があります。キリストの恵みの働きが人間を正しくし、正しく保つことがありうることによって、神の言葉はその人の心の中に蓄えられ、厳粛に心に抱き続けられ、働きました。しかし、全ての人間の感化と全ての地上の創案したものは、人間に知恵と知力を与えるための能力が存在していません。それは、感情を抑制したり、品性の欠点を修正したりすることができません。神の真理が人の心を統制しないのであれば、その人の良心は判断を誤るでしょう。しかし、これらの世俗的な結社の精神は、神の言葉から引き離されています。人々は生活のガイドと研究にそれを取り入れるように導かれていません。
4.神は敬われているか
私はあなた方にお尋ねします。どなたか、これらの協会に満足していますか。誰か、ウィット(機知)と陽気な賑わいと宴会によって、善意を集めることを愛していますか。あなた方は、あなたと共にイエスを同行させていますか。あなた方は、あなたの仲間達の魂の救いを求めていますか。あなた方の協会の目的はどこにありますか。彼らは、キリストの聖霊を具体化したもので、生きているものが存在するということを見たり考えたりしていますか。あなたがキリストを目撃した一人であるということ、また、あなたが特別な一つの民に属していて、よい働きを熱心にしているということを現していますか。あなたの生活が神性の規範によって統制されているということを現していますか。「汝らは、汝らの全ての心と共に、汝らの全ての魂と共に、そして、汝らの全ての精神と共に、汝らの神、主を愛するでしょう」(マタイ22:37)。また、「汝らは、汝らの隣人を汝ら自身のように愛するでしょう」(マタイ19:19)。滅びに向かっているそれらの人々の心と人々の良心に語ることは、キリストのために全てを明け渡した人の能力を超えています。しかし、あなたは、なめらかで温かい言葉を語る時、あなたの関心の中心とされたものをどこで示していますか。
これらの結社の中で、気に入った目的は会話ですか。そのテーマは、興味を引き起こすことと楽しみを与えることですか。彼らは、食べること、飲むこと、楽しいことを求めるという感覚を満足させることをしないのですか。キリストの臨在は、これらの集会の中には未知のものです。主のためにつくられた参照事項はありません。主にある兄弟姉妹の交流は望まれていません。どこで、いつ、そのような協会によって神が敬われましたか。どういう点で、その魂には益がなかったのですか。もしも、あなたがあなたの仲間達に善のために感化を及ぼしていないとすると、彼らはあなたに悪の感化を及ぼしているのではありませんか。それは、神の言葉、人生の燈火を投げ捨てるようなことをして、そして、このクラスの人々を気前よく仲間に加え、彼らのレベルに至るのではありませんか。真理と神の好意から、魂の側面で飢えた人を満たすために、何かを見つけることができるということをあなたは考えたことがありますか。この時代の真理を信じると公言した人々は、神が彼らの思想の中に全く存在していない時に、そのような場面で、家庭にいてくつろいでいられるでしょうか。
その同じ部屋の中で、これらの結社の人達は集会を持っていました。その会衆達は神の礼拝に立ち会っていました。あなたは、その神聖な時間の間の神性の礼拝の間、歓談と宴会の御馳走、ワインカップの中の飲み物の場面を忘れることができますか。このことをすべて、神は節制に反することとして、主の本に書いてあります。それは、永遠の事柄とどのように混ぜられていますか。あなたは、ベルシャザル王の大宴会には天の目撃者が一人出席していた愉しみの集会の全てを忘れましたか。見えない世界から私達を分けるカーテンは引き上げられるでしょう。あなたは、彼らの思想から離れて、世界の希望の中心としてのキリストを話題にした陽気で絶妙なセリフ、宴会のテーブルの楽しみに夢中になった人々を見ることを悲しんだ救い主を見上げるでしょう。
「神に仕える人」と「主に仕える人」の間を見分けることができない人々は、神との繫がりを持たないこれらの結社に引き込まれないでしょう。しかし、熱心でないクリスチャンはその雰囲気のようなものに盛り上がり得るでしょう。天の生命の雰囲気は、そこに存在していません。主の魂は実を結ばず、そして、その人は露と雨のギルボアの丘だったように、聖霊による回復から見放されたように感じるでしょう。
(訳者加筆:イスラエル人はギルボアの丘で戦いましたが、サウル、3人の子、多くの兵士が死にました。2サムエル1:21に、「露はお前の上に降りるな。……雨もお前の上に降るな」の詩があります)
キリストに追いていく者達が、事情によって、清くない愉しみの場面を目撃させられるだろう時、しかし、そこには悲しみに満ちた心が存在しています。その言葉はカナンの言葉ではなく、神の子らは決してそのような協会を選ばないでしょう。人が自分の選んだものではない結社に入る必要がある時、神の方に引き寄せましょう。そして、主はその人を守るでしょう。しかし、その人は、どんな場合にも、その誘惑が何であれ、自分の原則を犠牲にするために存在しているのではありません。
5.キリストに属さない
キリストは決して、彼についてくる人々に、聖霊の影響下になく神と繫がっていない人々と団結するよう誓いをするために導いてはいません。品性/人格の唯一の正しい基準は、神の清い律法です。そして、神の権威を無価値なことと考え、神の真理から一つの嘘に逸れる人々と信頼や同胞愛によって団結することは、生活の基準の法則を作る人々にとって不可能です。
世俗的な人と神への奉仕に忠実な人との間には、固定した大きな隔たりが存在しています。最も重要なテーマ(神と真理と永遠)と彼らの思想、同情と感覚などは調和していません。一つのクラスは、神の穀物倉庫の小麦のように、もう一つのクラスは火で燃やされるための毒草のように成熟しています。彼らの間の活動や目的において、どのような団結があり得るでしょうか。
「汝らは、この世界の人々の友愛は神の敵であるということを知らないのですか。それゆえ、この世界の人々の一人の友として存在する人はだれでも、神の敵です」(ヤコブ4:4)。
「人はどちらか一方の人を嫌い、もう一人を愛するだろうから、あるいは、人は一方の人を好んで、もう一人を嫌うだろうから、二人の主人に仕えることができる人はいません。汝らは神と富の神に仕えることはできません」(マタイ6:24)。
しかし、私達は頑固と狭量な霊/精神に没頭することに用心するように[この世に]存在しています。私達は「私の近くに来ないでください。私はそなた達よりも清い者です」と言うようにみなす一つの霊/精神によって、ほかの人々から離れて立つために存在しているのではありません。あなた自身をあなたの仲間達から締め出してはいけません。そうではなく、あなた自身の心を祝福した貴い真理を彼らに分け与えるように努めましょう。愛の宗教を持っていることが現されるようにしましょう。
「あなた方の光を人々の前に輝かすようにしましょう。人々はあなた方の良い働きを見ると、天に存在しているあなた方の父に栄光を与えるでしょう」(マタイ5:16 KJV)。
しかし、もしも、私達がクリスチャンであるならば、彼らの罪から人々を救うために死んだ主に属している聖霊を持っているでしょう。私達は、私達が存在すること、または、私達の感化によって、彼らの罪深い愉しみを大目に見て、私達に付いてくる人々のその魂達を愛するでしょう。私達は、彼らと仲間になること、彼らの飲み食いや彼らの集会に参加することによっても、彼らの進む道を阻むことができません。そこでは、神は座長を務めていません。彼らを益することから遠く離れた、そのような一つの道は、私達の宗教の真実を疑うための彼らの唯一の口実でしょう。私達は、魂達を滅びに導くという模範によって、誤った光でしょう。
私は、最近、豪華な客船に関する本を読みました。それは、海を横断する航路を進んでいました。真夜中になった時、ものすごい振動と共に、船はある岩礁にぶつかりました。乗客達は、自分達に希望がない状況の恐怖を見るだけのために目を覚ましました。そして、その船と共に、その人々は、もはや浮かび上がることなく沈みました。舵を取っていた人は、信号灯の光の位置を見誤りました。そのために、数百の魂達は、一瞬の警告で、永遠の世界に送り出されました。もしも、私達が、キリストを間違って提示した品性/人格の一つの姿として存在するならば、私達は誤った光として存在しています。そして、魂達は、確かに私達の見本によって間違った方へと導かれるでしょう。
6.霊的な衰微の危険
世俗的な協会の人々と自分自身を繫げるクリスチャン達は、ほかの人々を誤った方法へ導くと同じく、自分自身を害しています。神を恐れる人々は、仲間に不信心な人を選ぶことも、自分自身が無傷でいられることもできません。これらの協会の中で、彼らは世俗の原則と習慣の影響をもたらされました。そして、協会の影響力とその精神の習慣は、世俗の基準に益々従うようになりました。その人々の神への愛は冷えてきています。そして、その人々は主との共同の望みを持っていません。その人々は霊的に盲目になっています。その人々は神の律法の違反と、神を畏れ神の戒めを守る人々の間の著しい違いを見ることができません。その人々は善を悪と言い、悪を善と言っています。永遠の輝きは衰えつつあるのが現実です。特別な真理はかつて説得力のある方法で彼らに提示されました。しかし、その人々は命のパンのために飢えておらず、また、救いの水のために渇いてもいません。その人々は、水を貯めておくことができない壊れた貯水タンクで飲んでいます。ええ、この世界の人々と交際することによって、その人々の精神を捉えること、その人々の事柄の見方によって人格を形成すること、それは簡単なことです。なので、私達は、イエスとその真理の貴さを認めないでしょう。まさに、私達の心に内在しているこの世界の人々の精神の度合いが、私達の人生を支配しているでしょう。
人々は御言葉と神の聖霊の統制のもとに存在しない時、その人々はサタンの捕虜として存在しています。そして、私達は、彼が彼らを罪に導く長さはわからないということを知っています。父祖ヤコブは、悪意によって満足していた人々を見上げました。彼は、その人々との交際の結果として存在していると思われるものを見ました。そして、聖霊によって、彼は叫びました。「私の魂、彼らとの秘密の中に入ってはいけません。私の名誉、それら全ては、そなたらと結合させられてはいけません」(創世記49:6)。彼は、そのような交際に対して、全ての魂に警告するために、その危険信号を掲げました。「闇/無知の成果のない働きによって交友を持ってはいけません」(出エジプト5:11)。「だまされてはいけません。悪い仲間は良い作法に害を与えます」(1コリント15:33.RV)。
その魂は、イスラエルの神、主に信頼を置かずに、世俗の習わしと人間の創り出したものを信頼する時にだまされています。人は、迷い、後れを取った時の優れたカウンセラーの一人、危機の時の優れた守り手の一人、主イエスよりも優れたガイドを見つけることができますか。人間の知恵のために、神の知恵をわきに捨てることには、魂を滅ぼす一つの思い違いが存在しています。
もしも、あなたは、人間が神の恵みの感化を排除する時に、人間が為すであろうことを見るならば、ユダヤの祭司達と聖職者達によって率いられて激高した群衆が、神のひとり子の命を執拗に要求した時の裁きの会場で、そのシーンを見るでしょう。バラバの横のそばに神性の忍耐者が立っているのを見て、ピラトは、群衆にどちらを解放してほしいかを聞きました。ざわめく者達の叫びは、何百という感情の昂った者達によって増幅されました。サタンの霊を吹き込まれた群衆の声は「この人を見放した。そして、われわれのためにバラバを解放せよ」でした(ルカ23:18)。そして、ピラトが、イエスによって為されたことは何かと聞くと、彼らは「彼を十字架に付けよ。彼を十字架に付けよ」と叫びました(ルカ23:21)。
その当時の人間の性質は、今も人間の性質に存在しています。人間の性質を蓄えて高尚になった神性の救済者は、ひどく嫌われました。そして、私達は、人々の心の中にまだある同じ精神/霊と、キリストへの私達の誠意を保つための彼らのガイダンス/指導を信頼することができません。
7.神は外見の慈善を見ている
神を畏れず神の愛によって統制されていないこれらの結社の人々は、人への正しい行為と真理が見られないでしょう。彼らの相互的な関わり合いの大部分は、正義と平等に対照的です。悪を見る目がとても純粋な人は、それらの結社に生じる多くの事柄に一つの派として、存在しないか、または、存在できないでしょう。あなた自身の良心は、私が述べる真理の証拠を生み出すでしょう。神が、人々に与える能力と技術と創り出す力は、残酷さの手段、不正の手段、彼らに付いて行く人々をだます行為による利己主義の手段などとして悪用され、これらの結社の中に存在しています。
もちろん、みなこれらは、それら全体の会員によって否定されています。しかし、神は、その協会の実際の働き、動機の根底にあるもの、秘密にしていること、人目を引く外見の様子、感じのよい慈善を見ています。一方、彼らの中のある人は、「自分達の組織の確かな考え方の基礎を神の言葉で構成している」と主張しています。彼らは、義の原則から遠くに逸れています。その誓約は、その項目の秘密が暴露された時に、人間の生活について語ることを求める項目を誰かが課したものです。会員達は、確かな状況の下で、処罰を受ける報いがあるという、明確な責任があることを誓約させられます。その項目の指示に反対して働く人々に関して、彼らは、神の律法と調和した全てではありませんが、一つのコースに従事することを求められています。
私達は真理から逸れることができません。私達は、私達の身体的、物理的、精神的な能力、私達の義、私達の聖化としての主を見捨てることなしに、正しい原則から離れることができません。私達は、私達を逸らす人々との交流と提携にある真理と正義をわきに捨てるどんな考えも、私達を益することはできず、神の光栄を汚すこともできないという確信に堅く根付かせられているでしょう。
偽善者は、これらの秘密の協会を通して動き回っています。そして、一人も、彼らと密接な関係を結ぶことができないし、神と天[使]の前で自由な人々として存在することもできないでしょう。天の道徳の本質は、主の意思と主の戒めとは対照的に、神が宣告している不正に引きずり落とされています。それらの協会の中で、神を愛することを告白している人は、名誉ある人と呼ばれる地位に置かれています。しかし、神の目の中では、その人は、一人のクリスチャンとして彼の名誉を汚していて、義と真の聖化の原則から、益々、分離しています。その人はイエスの血によって買い戻された自分の能力の質を低下させています。彼は自分の魂を無価値なもののために売っています。
神の義の啓示と神の裁きの啓示において、主は、これらの全てを解散させるでしょう。そして、主の裁きが開催され、その書が開かれる時、そこに、キリストに似ていない全部の連合体が啓示され明らかにされるでしょう。これらの秘密結社との同盟を選んだ人々は、魂の祝福と救いのために、考えなしに力なしに、ヒンドゥの神として存在しているような偶像に敬意を払っています。人間的な考え方からいくつかの特典を与えているそれらの結社は、絶大な祝福のように姿を現しています。しかし、主の測定評価によって裁かれる時はそうではありません。それらの都合のよく見える所はサタン的な働き人達で秘密にされていました。収入の大部分は、最も多く深い不正という宝庫の中に引き寄せられました。遺言を生み出す全てを写し出した時、これらの結社の遺言を飾るものを手に入れた良俗に反する人は、一つの目的の存在が認められました。エリパズがヨブに語った言葉の数々は、それらの協会への敬意による真実な言葉です。「私は彼に‛根が張る’のを見ました。しかし、私は‛彼の居住地をのろいました’」(ヨブ5:3)。彼らは、サタンの罠の中、彼の網にからまった魂として存在しています。
8.神への忠誠に関する質問
人々がイスラエルの聖なる御方に対する一つの罪として存在した時に、本当に多くの事柄は、世界中の人々によって、是認され確認されています。神の指定された制限から外れること、主がエバに語った「してはいけない」を為すことが、みたところ、彼女の手本として習うアダムのためにも、エバにとっては、小さなことのように思われました。しかし、まさに、事が、ずば抜けた惑わす者によって、神の意思を啓示するのではなく、だます者自身の想像したものに付いてくるよう彼らを導くための、また、人々の魂を滅ぼすための計画が為されていました。ですから、これらの交流の原則は、サタンの惑わす力の下に人々を連れて行くということ、安全な小道から離れて神に反して謀反と主の清い義の標準の軽視に導くことを含み持っています。「汝ら、誘惑の中に入るといけないから目を覚まして、祈りなさい」(マルコ14:38)は、私達の主がしばしば繰り返す指令です。キリストが自身の血で身代金を支払ったこれらの人々の魂をわなにかけてサタンが成功しないように、目を覚まし、目を覚まし、勤勉に、そして、世話してください。
神は、神性の目の下に活動するため、また、清い義の標準を適用するため、主の子らとして存在するあなた方に呼び掛けています。主の正義と主の真理は、全ての魂に確立される必要のある原則です。神の方へ高潔さを保つ主は、人間の方へも正しく存在しているでしょう。神を誠実に愛している人で、金や銀を誘惑の目的に、栄誉を目的に、そのほか何か地上の優れたものを目的に、自分の魂を誘惑にさらす人は、誰もいないでしょう。「もしも、人が全世界を得たとしても、自分の魂を失ったら、その人は、なんの益を得たのでしょうか」(マルコ8:36,37)。
クリスチャンは、「神の統制の下にない、これらの秘密の指示で彼らを縛る全ての絆」を切る必要があります。彼らは、これらの組織に忠実で、かつ、神に忠実な存在であることは不可能です。二つの組織体に繋がると、どちらかに切られて当然です。または、あなたはそれら[二つの組織体]と念入りに同化するでしょう。その結果、それらともっと十分に一体化していくでしょう。やがて、神を愛し畏れている人々にあなたを縛っていたその絆を切るでしょう。クリスチャンは、永遠に犠牲として存在している偉大で霊的な/精神的なことを、妨害するこれらの事柄を切り捨てるでしょう。魂の生きた関心を危うくすることよりも、お金、財産、そして、それ[結社]自体の生活を失うのが良いでしょう。
9.神に属する管理者
それらの秘密協会に自分自身を繫げたあなたは、やがて粉々に砕かれる一人のスタッフを信頼しています。ところが、あなたはイスラエルの神、主を信頼していません。主の意図を知るためと主の道に付いて行くための入念な研究もしていません。あなたがそれらの組織にお金を提供する時、あなたは、未来のための貯蔵品を作る夢の中でそうしています。あなたは、それらのために時間と思考力と労働力と資金を与えました。一方、キリストの[人々を救う]目的は、疎かにされました。それらの組織に支払われた全てのお金は、あたかも海に沈んでしまった[船の]ように、まったく神の目的から逸れたような存在になっています。しかし、この資金は、あなたの仲間達の救済のために、主の奉仕に利用するために、神によってあなたに委託されたものではありませんか。それ[資金]をどこかに提供することによって、それは、神の名誉を讃えたり、人々を益したりすることができません。あなたは、地中に、自分の主のタラント(宝)を隠した怠惰な使用人の罪を繰り返しています。
主は、不忠実な使用人に、多額の資金ではなく、たった一タラントだけを委託しました。その一タラントを、その男は神の関心事のために投資しませんでした。彼は、「主は、植えない所から刈り取り、蒔かない所から収穫する厳しい主人だ」と不平を言って、それを地中に隠しました。あたかも、神が彼に「主は正しくないことを主張した[ので]、その男に、神、または、主が送ったイエスキリストを知らなかったということを示しなさい」と命じたかのように、彼は自分中心を現し、また、不満の言葉を作りました。彼が所有した全ては、神のために使うように、彼に委託された主自身の財産です。その男は、「私は怖くなって、出て行って、そのタラントを地中に隠しました」と言いました(マタイ25:25)。
主はどのように言っていますか。「汝ら悪い不忠実な使用人、汝は、私が、植えない所から刈り取り、蒔かない所から収穫することをよくぞ知っていました」(マタイ25:26)。ここで、主は、それら事実の認識ではなく、彼自身の報告によって、いっそう、その使用人は為す義務があったことを示している、その使用人の言葉を繰り返しています。主は、実質的に、「あなたは、私が委託した資金を商売に使う努力、この地上に私の栄光の促進を加える努力をしませんでした」と言っています。「汝は、……私の金を両替商に預けておく義務がありました。私が戻った時に、私の金と高利を受け取ったでしょう。それゆえ、彼からそのタラントを取り上げ、10タラントを持っている人に与えなさい。持っている全ての人に与えられるでしょう。そして、その人はもっと多くを持つでしょう。しかし、
[自分の主の良いものを商売に使わ]ずに持っていた人は、自分が持っているものさえも取り上げられるでしょう。汝らはこの役に立たない使用人を闇の中に投げ捨てなさい」(マタイ25:27-30)。真理の光が届いた全ての魂には、この教訓が与えられています。
私達は、未来の人生に私達が適合するよう決意するために、神がこの世界の中の試み [を通るよう]に私達を置いたということを決して忘れないようにしましょう。品性/人格が自分中心の不潔なシミで汚された人のうち、天に入ることができる人は一人もいません。それゆえ、神は、私達に委託されたこの世界にある財産によって、ここ[地上]で私達をテストしています。私達のそれら[財産]の使用は、私達が永遠の宝を委ねられ得るかどうかを示すでしょう。自己犠牲としてのキリストの人生は、私達が天と調和した存在であり得るか、そこに入るために適合され得るかという、私達の人生に反映されています。
10.どこに自分の宝を置きますか
世界の人々の重大な研究と夢は、霊的な良いものの怠惰と、この世界の利益と物を得ることに存在しています。このように、それは、この教会のあるメンバーにも存在しています。最後の時に、彼らは神に会計報告を提出するために呼び出されるでしょう。彼らは恥をかかせられるだけでなく、真の宝を見分けなかった、天に宝を蓄えなかったことによって、恐怖で打ちのめされるでしょう。彼らは、真理の敵達に、自分達が投資した見返りを受け取る時、この人生に訪れるその時を期待して、自分の贈り物と捧げ物を与えてきました。彼らは、自分達の財産を秘密結社に委ねたでしょう。しかし、神に属する目的が、その財産に属する必要の中に存在していた時、主は、主の人間の働き人達に委託しました。その人々[天に宝を蓄えなかった人]は関心を持ちませんでした。その人々は、主が彼らのために作ったその贈り物を考慮しませんでした。その人々はこの世界中の人々の神によって、盲目にされていました。その人々はこう言っています。
「私は何の見返りも受けないだろうから、私はこの事業のために与えるためのものは何も持っていません。[秘密結社]支部に支払うことによって、私はその未来のために準備しています。そして、このほかにも、私は、味を楽しむ宴会のための出費の負担分を負う必要があります。私はこれらの楽しみをやめることができません。なぜ、常に頻発する要求に向き合って助けるために、その教会は私を当てにするのですか。‟主よ、私はそなたを知っていました。そなたは、植えない所から刈り取り、蒔かない所から収穫する一人の厳しい人間として存在しています。私は怖くなって、出て行って、そのタラントを地中に隠しました”[マタイ25:24,25]。私はそれによって益を受け得るいつかの時を期待しています」。
主は、こう宣言しています。「あなた方自身の宝を、虫が喰い、錆びつき、賄賂に使われるような、そして、泥棒達が壊して盗み出すような地に蓄えてはいけません。そうではなく、あなた方の宝が存在している所には、あなた方の心もまた存在するでしょうから、あなた方自身の宝を天に蓄えなさい。そこは、虫が喰い、錆びつき、賄賂に使われ、泥棒達が壊して盗み出すことがありません」(マタイ6:19-21)。
多くの人々は、自分達の宝をこれらの秘密結社に蓄えています。また、私達は、その人々の心がそこに存在していることを見ることができないのではありませんか。しかしながら、説得力のあるものが真理の根拠として存在しているでしょう。少しずつ少しずつ、それは輝きを失っていき、それ自身の勢力を失い、永遠の栄光の重み、従順の一つの命のための神の贈り物、天がその精神から色褪せ、地に蓄えられた宝に実在する益を考えることに比べると注目に値しない一つの物が現れるでしょう。魂達は、命のパンと水に飢えています。しかし、彼にとって、心はこの世界の何に置かれているのですか。庶民の一人は、言葉ではないとすると、彼の行動だと言います。「私は、永遠に存在する安全のために、地の宝にある自分の関心を出て行かせることができません。[やがて]訪れる[永遠の]生活は、私にとって、あまりにもかけ離れていて、勘定に入れることができません。私は地の良い物を選びます。そして、私はその未来のリスクを回避するでしょう。神は良い方で恵み深い方です」。怠惰な使用人。あなたの分け前は、ちょうど、偽善者と不信心者に指定されたものと同じで、そのクラブルームの魅惑、晩餐会、世界の隣人愛の仲間、主役を演じる、ベルシャザル王の宴会として、神を忘れて神の名を汚すためのコースを追い続けています。
11.神と協力しませんか
人間の知性には一つの暗黙/秘密が存在します。それは、頑固さです。「どんな時でも、彼らが自分の目で見る時も、自分の耳で聞く時も、自分の心で理解する時も、改心させられる時も、私が彼らを癒そうとするときも、そうしないようにと、この民の心は全体に蠟を塗られています。耳は聞こえが鈍くされています。目は塞がれたままです」(マタイ13:15)。人類の救済のための神の働きは、私達の世界に持ち込まれた最高に重要な働きの一つです。しかし、多くの人々は、その人々の関心が、忠実なキリストの兵士としてよりも、その敵の兵士として存在しているので、これを知ろうとしません。彼らは、神性の働き人と人間が協働する必要を考えようとしません。主は、私達に命じています。「あなた自身の救いのために恐れとおののきをもって働いてください。あなた方の中で、神の喜びに属する意思と行動の両方に働いているのは神です」(フィリップ2:12,13)。これが、人生の目的と全ての計画の中で私達をガイドするために、神が私達に啓示した計画です。しかし、一方、人々は「汝の王国が来ますように。それ[汝の王国]が天に存在しているように、汝の[王国]が地でなされますように」と祈ります(マタイ6:10 KJV)。多くの人々は、神が[地上の]王国を設立するだろうということによって、[天の]本当の財産を拒否しています。
彼らが、キリストを勝ち取ることに失敗して、全ての物事の重要なものに心が傾いている時、彼らの両目は実際に存在している物事を見るために開かれるでしょう。さらに、彼らは地の魅了する物/attractionから、視線を天に転じるでしょう。彼らが世俗の真の本質を見る時、愛着を持っているそれら[地]の物と、自分達が現在高く価値をおいている自己中心的な楽しみは放棄されるでしょう。
天[の使い達は]全て、かつて、命に限りある人間に委託されていた最も神聖な真理を信じていると言っているあなた方を探して尋ねています。天使達は、魂の救いの働きに、あなた方と協力することを期待して切望して待っています。あなたは、神がオーナーではなく、神の十戒が踏みつけられているクラブとの繫がりを続けるために、この天との同盟を断ちますか。もしも、あなたが示したいくつかの富への小さい関心によって、ほかの人々が小さい関心を感じたのならば、その真理はあなたに何をもたらしたのですか。[人間を救う]神の目的は、私達の助けを求めています。それは、適切な基礎の上に確立されるでしょう。その真理は、滅びようとしている人々のために、新しい伝道地へと運ばれるでしょう。神の子どもとして存在していると言うあなたは、この働きにある目的を拒むことができますか。あなたは、やがて[天から]地に戻る一人を受け入れるために、自分の財産を神の宝庫に預けずにおくことができますか。主の働きが恥ずかしいほどに疎かにされたままでいいのですか。もしも、真理を信じると告白した全ての人の心と奉仕が、純粋に神に捧げられていたならば、魂の救いは達成されていたのに、と考えることは耐えがたいことです。働きは不注意に為されています。もしも、自己/私心がキリストの中に隠されたならば、罪びと達はもしかしたら、知者を通して、独創的な方法で、真理を勝ち取ったことでしょう。そして、今日[の人々は]、神との協力の中にいるでしょう。
さて、その時が来る前に、あなたが神に自分の決算報告をする必要がある時、私はあなたに、秘密結社にではなく、「天に一つの宝を」「自分自身のために蓄えなさい」(ルカ12:33、マタイ6:20)という主の言葉に注意を払うよう強く勧めます。全ての人々に、人の時間に、人の知性に、人の起源に、唯一の宇宙の所有者が存在していること、そして、魂の身代金を支払った御方を考えてください。神は一つの義を持っていて、不変の奉仕と最高の好意を求めています。神の意思は、あなた方の楽しみ[が存在するために]ではなく、あなた方の基準が存在するためにあります。あなたは、天に宝を送って、急にではなく、一つの宝を蓄える必要があります。人々の霊性/精神性を維持するための問題は、この教会の誰によって解決されるのですか。誰が、根気強い精力と熱心なクリスチャンを示す体験を進展させるのですか。キリストのように、挫かれず失敗せず、自分に仕えるための財産に固執するではなく、神と共に働いている人は誰ですか。
永遠の命の冠のために奮闘している全ての人々は、彼らの主が以前にそうだったように、誘惑されているでしょう。主は、サタンに敬意を払うかどうかを、この世界の数々の王国と引き換えに提示しました。キリストはこの誘惑を退けた[ために]、この世界の人々は悪意のある者の支配のもとで、長い間、過ごして来たのでしょう。しかし、神に感謝しましょう。主の神性/神格divinityは、[主の]人性/人の属性humanityを通して輝きました。彼は、全ての人間がイエスの名と力によって行動するよう努めました。主は「‟そなたは、そなたの神、主を拝するでしょう。そなたは主だけに仕えるでしょう”と書かれているので、サタン、汝はここから去りなさい」と言いました(マタイ4:10)。もしも、ここに、誘惑に遭遇するあなたの道が存在するとすると、サタンがキリストのもとを去ったように、あなたから去るでしょう。天使達は主に奉仕の働きをしたように、あなたに奉仕の働きをするでしょう。
世俗的な教会によって得られるような多くの財産について考え、そして、語った人々のために、主は、預言者マラキを通して宣言しています。
「あなた方の言葉の数々は、私に対して強いものでした。と主は言っています。また、汝らは言います。私達は、そなたに対して何をそんなにたくさん語りましたか。汝らはこう言いました。神に仕えることは愚かなことです。私達が彼の定めを守ってきたことと、主人としての主の前に悲しみに満ちて歩んできたことの益は何ですか。今、私達は誇り自慢する者を幸せ者と呼びます。それどころか、悪を働く者達は身を立てて[成功して]います。そのうえ、神を怒らした彼らに、財産が与えられています」(マラキ3:13-15 KJV)。
仮に、それらの言葉が語られなかったとしても、それらの言葉には、多くの人々の特別な思想が存在しています。
「主を恐れた彼らが、ほかの人々に多くを語った時、主は耳を傾けて、そして、それを聞きました。それから、主を恐れ主の名を思いめぐらす者達のために彼らの前で、一つの覚えの書が書かれました。彼らは私の[民]として存在するでしょうと、主人、主は言っています。その日その時、私は、[その民を]私の宝として飾るでしょう。私は彼らを、自分に仕える自分の子を大事にする親のように、大切に守るでしょう。汝らが帰る時、そして、正義と不義を見分け、神に仕える人と人間に仕える人を見分けるでしょう(必ずしもすべてではありませんが)。見なさい。[やがて]来るその日、炉のように燃えるでしょう。誇り自慢する者はみな、しかり、悪を為す者達は、畑の刈り株のようになるでしょう。彼らを焼き尽くすその日がやがて来るでしょう。主人、主は言います。それは、彼らの枝だけではなく根も残さないでしょう」(マラキ3:16-4:1)。
ここに、世界中の人々が裁かれている中で、寛大に好感をもたれているように、主の民が存在しています。しかし、ここに、彼らが神に栄誉を授けたので、神に属している栄誉を授かった人々として、神の子ども達が成し遂げたという一つの時がやって来ます。
「天の父が私達に授けた愛の作法を注視してください。私達は神のひとり子に呼び出されているでしょう。それ[世界の人々]は彼[神のひとり子]を知らないので、それゆえ、世界の人々は私達を知りません。注視してください。今、私達は神の子達です。そして、私達がやがて存在する時はまだ現れていません。しかし、私達は、彼がやがて現れる時を知っています。私達はやがて彼が存在している彼を見るので、彼に似た者として存在するでしょう。彼に対してこの希望を持っている全ての人々は、彼が清い存在であるように、自分自身を清くします」(1ヨハネ3:1-3)。
12.最善の道
世俗の栄誉、富、権力などは、この世界の人々が切望する大きな目的です。主は、最も高い切望の大きな価値の何かを指し示しています。
「このように、主は言います。知恵のある人は自分の知恵を誇らないようにしましょう。権力を持っている人は自分の権力を誇らないようにしましょう。富んでいる人は自分の富を誇らないようにしましょう。誇る人は、私を理解して私を知ること、地においては私が実践と愛と裁きと義の主であることを誇りとしましょう。これらのことを喜ぶと、主は言っています。注視してください。その日はやって来ると主は言っています。私は、割礼を受けた人も受けなかった人も全ての人を罰するでしょう」(エレミヤ9:23-25)。
「それゆえに、それは、御言葉の中に含まれています。注視してください。私はシオンに、選ばれた、貴い、隅の頭石a chief stornを置きます。彼a chiefを信頼する人は惑わされることがありません。そのために、彼は、信じているあなた方には貴い[頭石]ですが、しかし、不信心な人々には、その石は、石工達が認めなかった石で、その同じ石が隅の頭石に据えられた石、つまずきの石、妨げの岩、なおさら彼らのつまずきの御言葉、不服従なものとして存在しています。そこへ、さらに、彼らは指定されていました。しかし、汝らは一つの選ばれた世代の人々、一つの祭司の国、聖なる国民、特別な主の民です。汝らは、あなた方を闇から素晴しい光に招いた彼に讃美を表すでしょう」(1ペテロ2:6-9)。
「それゆえに、あなた方の知性の腰に帯を締め、節制し、イエスキリストの出現に際してあなたにもたらされるために存在している、その恵みのための世の終わりに希望を持ち続けましょう。従順な子ども達として、あなた方の無知による初めの楽しみによるあなた方自身の流行/服装ではなく、あなた方を呼び出した彼[キリスト]は、清い存在なので、そのように、改心に属するあらゆる方法によって、汝らも清い存在でいましょう。ですから、それが書かれました。汝らは清く存在しましょう。なぜなら、私は清い存在だからです。そして、汝らが、全ての人々の働きに関係なく人々を裁く方を天の父を呼ぶならば、あなた方のここ[の世界]での滞在に恐れをもって過ごしてください。であるから、汝らは、自分達が受け継いだ父祖達の伝統による無益な改心から、自分達が銀や金のような朽ちるものによって贖われたのではないことを知っています。そうではなく、染みも傷もない子羊としての貴いキリストの血によっています」(1ペテロ1:13-19 KJV)。
出典:「クリスチャンは秘密結社の一員として存在するのはどうでしょうか」(1893年発行パンフレット) [66歳]
13.神の印を受けることができない
インマヌエル[神我らと共にいます]王子Princeの血痕のついた旗の下に立つこれらの人々は、フリーメーソンやその他のどんな秘密結社とも結合されることができません。生きている神の印は、真理の光が人の人生の小道で輝いた後で、そのようなつながりを保ち続けるどのような人の上に置かれません。キリストは分離させられません。そして、クリスチャンは神とマモン(富の神)に奉仕することはできません。主は「彼らの間から出て行き、そして、汝らは分けられ、……清くないものに触れないように、そして、私は、あなた方を受け入れるでしょう。あなた方の一人の父となるでしょう。そして、汝らは、私の息子達、私の娘達として存在するでしょう。と全能の主は言っています」(2コリント6:17,18)。 『手紙』21,1893[66歳]
14章 労働争議を避ける*[13]
労働者の組合を支配する勢力が耐え難いほどに存在する時が、すぐ近くにやって来ています。何度もなんども、主は、私達の[主の]民は、都市から出て田園に家族を住まわせるために存在していると指導しました。そこで、彼らは自分の対策/食料を得る計画を立てることが可能です。将来にある、買うこと、売ることの問題は、非常に深刻な問題の一つとして存在しているでしょう。私達は、何度もなんども私達に与えられている、都市を出て、農村地方に、この指導を心に留めることを、今、始める必要があるでしょう。そこで、家々は隣近所が密接せず込んでもいなくて、そこで、あなた方は敵達の干渉から逃れられるでしょう。
『手紙』5,1904
1.派の争いを避ける
人々は、教師としての主に反対して連合しました。その連合/連盟/同盟は、キリストが、恵みの座の前での仲裁の場所を去るまで、そして、報復の衣を着るまで[黙示録19:2]続くでしょう。サタン的な働き人達は全ての都市、神の律法に反対して活発な組織活動をしている集まり/一団/党派の中に存在しています。信仰を告白した聖徒達と不信仰を明言した人々は、それらの集まりと共に自分達の立場を取ります。神の民にとって、優柔不断でいる時間がもうありません。私達はわずかな時間も自分達を守ることに怠け心を与えることができません。
『SDA教会への証』第8巻p.42,1904[77歳]
通商者連合は、世界が始まってからかつてなかったような一つの悩みの時に、この地上にもたらされたその代理人達の一つの存在でしょう。
『手紙』200,1903[76歳]
2.通商者同盟と労働者連合との争議
神の民の働きは、特別な未来の特別な事件のために備えて存在しています。その事件は、目に見えない勢力と共に、間もなく彼らにやって来るでしょう。この世界の中に、巨大な独占企業が構成されるでしょう。人々は、特別な敵の取り込みによって自分達を包み隠す連合体の中で、お互いに自分自身が見えないでしょう。ほんの僅かの人々が、ビジネスの保証の分野で行なわれている全ての資力を握るために集結するでしょう。通商者連合体は構成されるでしょう。そして、それらの連合体と結ばれることを拒否する人々は、印をつけられた人々でしょう。
『手紙』26,1903[76歳]
3.その問題のための備え
世界中の通商者連合体と通商者同盟体は、一つのわなとして存在しています。兄弟達[姉妹達]を立入禁止、兄弟達[姉妹達]を除名。彼らが共に為すことは、何もありませんでした。それらの連合体と同盟体のために、その都市で兄弟姉妹達の仕事に就くことは、私達の施設にとって、やがてとても困難なものとして存在するでしょう。私の警告は「都市に立入禁止」です。都市の中にサナトリウムは建設しないようにしましょう。私達の[神の]民に都市を出て田園を得ることを教えてください。そこで、その人々は小さな土地の一画を手に入れて、そして、自分達と子ども達のために一軒の家を建てることが可能です。
私達のレストランは都市の中に存在する必要があります。そうでないと、それらのレストランの働き人達は、都会の人々に接触できず、正しい生活の原則を教えることもできないでしょう。そして、現在、私達は都市の中にミーティングハウスを所有する必要があります。しかし、まもなく、都市の中には、困ったことや混乱したようなことが存在するでしょう。人々が都市を去ろうと望んでも、それができなくなるでしょう。私達はそれらの問題に備えをしている必要があります。これらが、私に与えられたその光[真理]です。 『全体総会会報』1903.4.6[76歳]
4.個性を失わないように守る
数年、私は、「私達は自分達の働きを都市に集中させるために存在しているのではない」という特別な光/真理を与えられました。騒動と混乱がこれらの都市に満ち、労働者連合体とそのストライキによってもたらされたその状態は、私達の働きに大きな障害物だということを明示するでしょう。人々は、確立した連合体の支配の下の異なった通商者[連盟]体に繋がったそれらを求めています。これは神の計画ではありません。ですから、その勢力の計画を、私達は賢明な知識がないので認めなくて当然です。神の言葉は満ちています。悪い人々は、燃やし尽くされるために進んで束ねて、自分で縛っています。
私達は、この世界の人々に、最後の警告のメッセージを与えるために、また、私達に託された全ての能力を使うために今、存在しています。この働きの中で、私達は、自分達の個性を失わなわず守るために存在しています。私達は、秘密結社体や通商者連盟体・労働者連合体と繫がるために存在しているのではありません。私達は神の前に自由人として立つため、指導を求めて常にキリストを見るために存在しています。私達の全ての運動は、神のために達成される働きの重要なものの現実化をするために存在しています。『SDA教会への証』第7巻p.84,1902[75歳]
5.十戒の軽視
これらの連合体は、世界の終わりのしるしの一つです。人々は燃やし尽くされるために束ねる用意をして、縛られています。彼らはたぶん教会員達でしょう。しかし、一方、彼らはそれらの連合体に所属しています。彼らは、十戒全体を軽視するために、また、それらの連合体の手段/財産に所属するために、神の戒めをとても守ることができません。
「汝らは、汝らの神、主を、汝らの心すべて、汝らの魂のすべて、そして、汝らの能力のすべて、そして、汝らの精神のすべてによって、愛するでしょう。また、汝らの隣人を自分のように[愛するでしょう]。
これらの言葉は、人間の義務全体をまとめています。それらは、身体、魂、そして、精神の全存在を神への奉仕に聖別する/捧げることを意味しています。人々は、どのように、それら[十戒]の言葉に従うことができますか。そして、同時に、隣人の活動の自由を奪うものを支持することを彼らに約束させることができますか。人々は、どのように、それらの言葉[十戒]に従い得るのですか。どのように、特定の地位にいる者のほかは、買うことや売ることを妨げ、当然のことながら、彼ら[その連合体]に所属している低所得者層の給付金をかすめ取るその連合体を形成し得るのですか。 『手紙』26,1903[76歳]
6.構成された、または、構成される連合体
神の子ども達だと主張するこれらの人々は、構成された、または、構成される労働者連合体によって拘束されるケースの中に存在しません。これ[は]主の禁止命令[です]。これらの人々は、それらの預言を研究できず、私達の眼前に存在しているものを見ることも理解することもできなかったのですか[いいえ、彼らは研究して、見て、理解できました]。
『手紙』201,1902[75歳]
第4部 働き人達への勧め
はじめに
ホワイト遺稿管理委員会
「ノートブック」や「リーフレット」の中から現れた多くの助けとなるメッセージの数々が、セブンスデー
アドベンチストの働き人達のために、特別に用意されていました。最近発行のエレン・G・ホワイトのほかの本に含められなかったか、または、同時進行されなかったこれらの勧めは、今回、この巻の中に現れました。読者は、これらのメッセージが、奉仕の働きと、神への奉仕活動に自分達のタレントを捧げている全ての人々に、特別な関心をもつ多くのテーマに触れているということに気付くでしょう。
第4部の最後の章は、リーダー達と信徒達から信頼され愛されたアドベンチスト牧師、D.M.キャンライトが配されました。彼は、自分の心に、この教会に繫がった奉仕の最後まで大きくなった疑いと苦みのある小さな種を一つ許しました。そのようにする前に、彼は、少なくとも3度、牧師をやめ、そして復職しました。ミセス
ホワイトは、キャンライト氏を落ち着かせるように、何度もなんども試みました。そのようなアピールの一つがここに表されました。
1887年までずっと、キャンライト氏は、長い間、セブンスデー
アドベンチスト教会に繫がって、奉仕しました。彼は、その後の数年間をこの教会とミセス ホワイトに反対して、執筆と意見表明に費やしました。第4部の末尾にある、彼のために作られた最も誠実なアピールは、おのおのの読者達によって、自分を試験することを呼びかけているでしょう。 ホワイト遺稿管理委員会
15章 忠告は聞かされるでしょう*[14]
1.警告と忠告の言葉は聞かされるでしょう
私達は、この地上の歴史の最後の日々に生きています。そして、背信と拒否の真理に関するその一線が何もないことに驚かされるでしょう。不信仰は、人々が自分達の魂を滅ぼすために働いている素晴らしい技芸の一つとして存在し、今、やって来ています。そこには、説教壇[から語られる]説教にある数々の偽物に属している危険が常にあります。彼らは自分達が語る言葉と矛盾した生き方をしています。しかし、警告と忠告の言葉は、やがて訪れる最後の時に聞かされるでしょう。また、主の指定した働き人達を通して、誤りを立証され勧められた時に、決して中に入れられない、売買の罪を犯したそれらの人々は、そのメッセージに抵抗し、正されることを拒絶するでしょう。その人々は、主が彼らの判断を取り去り、彼らの心が感銘を与えられたものとなるまでずっと、かつてファラオやネブカドネザルが為したように進み続けるでしょう。主の言葉は彼らに届くでしょう。しかし、彼らがそれを聞かないということを選ぶならば、主は彼ら自身の罪の責任を彼らに負わせるでしょう。
バプテスマのヨハネによって、主は、主の道を備えるために一人のメッセンジャーを自身のために立ち上がらせました。彼はこの世界の人々に、罪を戒め、宣言する断固とした証を伝えるために存在しました。ルカは、自分のメッセージと働きを宣言している中で、「そして、彼は、その正しい知恵に不服従な人々とその子らを父の心に向けるために、また、一つの民を主のために備える用意をするために、聖霊とエリヤの力によって彼の前に行くでしょう」と言っています(ルカ1:17)。
ファリサイ派の人々と、サドカイ派の人々は、ヨハネのバプテスマのためにやって来ました。そこにいた人々に、彼は次のように言いました。「毒マムシのような悪い世代の人々、誰があなた方に近づいている神の怒りから逃れるようにと警告したのですか。ですから、悔い改めとの出会いに相応しい実を結んでください。あなた方は‟私達には自分達の父アブラハムがいると言おう”と、心の中で考えてはいけません。神はこれらの石からアブラハムの子孫を起こすことが可能です。さて、斧が木の根元に置かれています。そのために、良い実を稔らさない全ての木は切り倒されます。そして、火の中に投げ入れられます。私は、確かに、あなた方に水による悔い改めのバプテスマを授けましたが、私の後に来る人は私よりも強い存在です。そして、私は、その人の靴(権威の象徴)を、作る価値もありません。彼はあなた方に聖なる霊と火によってバプテスマを授けるでしょう。扇ぎ分けられた支持者は彼の手の中に残り、そして、彼はモミ殻を土の上に落とすでしょう。そして、小麦を倉の中に収めるでしょう。しかし、彼は殻を永遠の火で燃やすでしょう」(マタイ3:7-10)。
そのヨハネの声は一つのトランペットの[音の]ように高く上げられるでしょう。「私の民は彼らの違反とヤコブの家の人々の罪を示しましょう」(イザヤ58:1)。人々は人間の学問を習得しませんでした。神と自然界は、人々の教師でした。しかし、人は、キリストの前に道を用意するために必要とされていましたが、過去の預言者達のように、退化した世代のための悔い改めの呼び出しに、彼の声を聞くことすることにあまりに向こう見ずでした。
2.全ての階層によって聞かれた
そして、全ての人々は、彼[の話を]聞くために[町から出て]荒野に行きました。無学な漁師達と農場労働者達は、遠くの近くの広い地域から、周りの町から来ました。ローマ軍の兵士達はヘロデの兵舎から聞くために来ました。いくぶん騒動か反乱のような何かを鎮めるために、隊長が護衛兵士達と共に来ました。強欲な税を集める人が広い地域から来ました。そして、サンヘドリン[ユダヤの71人最高議会]から大祭司を思い出させる人が来ました。全ての人々が魅了されたかのようにうっとりして聞き、そして、ファリサイ派の人も、サドカイ派の人も、冷めた人も、すぐに感動せず嘲ける年代の人も、嘲笑って去った人も、そして、自分達の罪の感覚を心に刻んだ人も、全ての人々は、印象を感じて去りました。そこには、長い論述はなく、明らかな理論に途切れもなく、それらの中に、推敲された「はじめに」「次に」「三番目に」はありませんでした。しかし、効果的な清い天与の言葉が数々の短い文の中に表されました。全ての言葉は与えられた警告の確信と真理の重みを共に届けています。
ヨハネの警告のメッセージは、ニネベの人々への警告「また、40日したらニネベは滅ぼされる」(ヨナ3:4)と同じ領域の中に存在しています。ニネベの人々は悔い改め、そして、神[の名]を呼びました。神は彼らの主への認識を受け入れました。40年の試験期間は、罪から離れ悔い改めの誠実さを表したことによって、彼らに叶えられました。しかし、ニネベの人々は、また、偶像を礼拝することに戻りました。偶像[礼拝]の悪い行為は以前よりも深刻でひどくなりました。やって来ていたその光/真理が心にとどまらなくなったためです。
ヨハネは、全ての階層の人々に呼びかけました。彼はファリサイ派とサドカイ派の人々のために、「[やがて]来る神の怒りから逃れなさい」と言いました。あなた方の自分達の父としてのアブラハムへの叫びは、あなた方にとって、価値のないものです。それらはあなた方に清めの原則と品性の聖化を与えないでしょう。礼典律の犠牲は、あなた方が自分達の対象、世界中の人々の罪を取り除く、神の子羊を認識しない限り、価値を持っていません。あなた方は神の求めから離れ、自分自身の曲解した考えについて行き、そして、自分達がアブラハムの子らの一部を成している特性を失っています。
そして、その流れがその道筋を通った荒野に散らばったそれらの岩を指し示して、彼は言いました。「神はそれらの石からアブラハムの子らを起こすことが可能です」(マタイ3:9)。
バプテスマのヨハネは、卑しい仕事をしている人々と高い地位にある人々に対して、公的に非難することによって罪に立ち向かいました。彼は王や貴族に、聞いているか拒否するかに関わらず、真理を宣言しました。彼は個人的に問題の確信を話しかけました。彼は、サンヘドリンに属するファリサイ派の誤りを立証しました。彼らの宗教は、清めの義によってでも、自律的な従順にでもなく、形式によって構成されていたので、……彼は、ヘロデの結婚は、そなた達の法律に合ったものではないと考えるようにヘロデに語りました。
彼は、神が、やがて将来に、全ての人々をその人の働きによって裁く時に報いを受けると彼に語りました。……
「税を集める者達がバプテスマを受けに来て、そして、言いました。先生Master、私達は何をすればいいでしょうか」(ルカ3:12)。彼は「税を取ることをやめなさい」と言いましたか。いいえ、彼はその人々に「顧客として、家々から、あなたは命じられた以上の税を取り立ててはいけません」と言いました。彼らがまだ、税の取立人だったなら、「正しい重りと天秤を所持すること」が彼らのすることでしょう。彼らは、不誠実で辛苦を与えていたそれらのことを改革できるでしょう。
「同じように、兵士達も詰問するように、言いました。私達は何をすればいいですか。彼は彼らに言いました。人に暴力を振ってはいけません。どんな間違いも咎めず、あなたの労賃で甘んじなさい」(ルカ3:14)。
3.働きにおける真理の剣
また、キリストは、全ての階層の人々に問題の確信を語りました。彼は、支配地域の人々に暴力を振っていたこれらの人々の間違いを立証しました。これらの人々の感情と偏見は、多くの過ちと強要、多くの神への冒瀆の原因となっていました。真理の剣は、粗悪な代用品と仮説によって鈍くなっていました。しかし、キリストは、物事をそれらの正しい名称の状態に至らせました。斧が木の根元に置かれていました。彼は、全ての宗教の礼拝の形式はユダヤ国民を救わないだろうと、示しました。なぜなら、彼らは、自分達の救い主としての神の子羊を注視せず、信仰によって受け止めなかったからです。
ちょうど、ヨハネの働きとメッセージと同じものが、それらの最後の日々に持ち込まれるでしょう。主は、主が選んで手段となった人々を通して、主の民に数々のメッセージを与えています。また、主は、送った忠告と警告の全てに心に留める人々を持っているでしょう。
神のひとり子の公的な奉仕の働きに優先するメッセージは、主の悔い改め、税の取立人の悔改め、ファリサイ派とサドカイ派の人々の悔改め、そして、「天の王国は、手に存在している」(マタイ3:2)でした。私達のメッセージは、一つの「平和と安全」(テトス5:3)のために存在しているのではありません。キリストのメッセージ(神の戒めとイエスに属する信仰)に責任を持ち、その標準を高く掲げるために存在しています。
4.今日の人々へのメッセージ
私達が広めている特別なメッセージは、ヨハネのメッセージと同じ指指導が存在する必要があります。彼は王達をその違反のゆえに譴責しました。彼はヘロデの不倫を譴責しました。彼の妻が差し迫った危難にあったにもかかわらず、その真実は彼の口から出ることを望みませんでした。この時代の私達の働きは、信頼のおけるものとして存在する必要があります。この時代の世界の人々の子孫達は、ノアの大洪水の時に地上に住んでいた人々によって、表されています。旧世界の子孫達の悪は、明白に表現されています。「そして、神は、人間の悪が地に拡大し、人間の心の考えのあらゆるかたち/想像が悪を続けることだけだったと、見ました」(創世記6:5)。神は、これらの人々の考えることが楽しみと気ままだけだったことについて思い悩むようになりました。彼らは、神の意図を為すための配慮だけではなく、自分達を創造した神の勧めを求めませんでした。神の譴責は、彼らが自分自身の心の想像/かたちについて行き続けたために、そして、地の上には暴力があったために、彼らの上に存在しました。「そして、神が地上に人間を創造したことは、主によって悔い改められました。それは、彼の心をひどく悲しませました」「そして、神は地上を見回し、注視しました。それは、全ての肉を持つものは、その地の上の人の道で堕落していたので、道徳的に堕落していました。そして、神は、ノアに言いました。全ての肉を持つものの終わりは、私の前にやって来ました。この地球は彼らによって暴力に満たされました。注視しなさい。私はこの地上と共に彼らを滅ぼすつもりです」(創世記6:6,12,13)。……
この地上の歴史の期間に与えられた特別な叱責は、為されるために特別な義務が存在しています。主は叱責と警告なしに主の教会を置き去りにしないでしょう。[人々の]数々の罪は流行となります。しかし、彼らは、神の視界の中では怒りを引き起こさないことはない存在です。彼らは上辺を飾り、言い逃れをして、言い繕っています。仲間の右の手はまさに、誤解に基づいた理論と感情に影響された不正確な判断をもたらしている人々、神の民の知性を混乱させている人々、正しい原則を構成しているとして、彼らの感性を鈍感にしている人々に与えられています。良心/判断力は、これまでに与えられていた特別な勧めと特別な叱責に無感覚になってきました。悔い改めを呼び掛けるようにと与えられた光/真理は、人間の計画と人間の創案による不信仰と反対という暗雲によってかき消されてきました。
神が求めていることは、生きている熱心さです。牧師達は書籍から少しの学びを得るでしょう。しかし、もしも、彼らができる限り自分達のタラント(才能)の最善を尽くすならば、もしも、彼らが注意深く謙遜に歩み、天の知恵を求めて、心から神のために働き、そして、――キリストと彼が死んで[贖った]魂達への愛のために――、優位を占めた動機に駆り立てられた、謙虚な人間であるならば、彼らは、さらに、優れた能力と才能によって、人々のそばで耳を傾けるでしょう。そこには、彼らが表す信頼という飾り気のない一つの魅力が存在するでしょう。
ヨハネは、ラビの学校では学びませんでした。それにもかかわらず、王達、貴族達、ファリサイ派とサドカイ派の人々、ローマ帝国の兵士達と将校達、宮廷儀式の指導者達、悪賢い人達、集められた税を管理する人達、有名な人達などが、彼の言葉に耳を傾けました。彼らは、ヨハネのわかりやすい説明に満足しました。そして、罪を確信しました。彼らはヨハネに尋ねました。「私達は何をしたらいいでしょうか」(ルカ3:14)。
5.熱心さが必要
この時代、天の軍勢を伴ったキリストの二度目の来臨がある少し前に、主は、熱心さのある人々を呼び出して、主の大いなる日に立ち上がるために、一つの民を準備しています。書籍の研究に長い期間を費やしてきた人々は、自分達の生涯の中に、この最後の時のための大切な要素である熱心な奉仕の働きを現していませんでした。彼らは、簡潔でわかりやすい証を伝えませんでした。牧師達と学者達に、神の聖霊の吹き込みが必要でした。真心のこもった魂からくる祈りに満ちた熱心なアピールは、確信を創り出すでしょう。人々は、神が送ったイエスキリストと神についての知識よりも、書籍から学んだ知識に多く頼っているので、その学びをした人々は、それ[確信を創り出すこと]を必要としないでしょう。
唯一の真理と生きている神を知る人は、イエスキリスト、神のひとり子の父を知るでしょう。また、イエスキリストと彼の十字架刑を説くでしょう。
誰か、「警告のメッセージは、神が戒める人々の所に来ないだろう」ということを支持する人がいますか。戒められた人々は憤慨して立ち上がり、神のメッセンジャーに[警告を]伝えるための法則を持ってくるよう求めるでしょう。しかし、この行為の中で、彼らはそのメッセンジャーに法則を持ってくるよう求めているのではなく、その戒めと警告を与えられた人々は、キリストに求めていました。人々が自分達の活動の間違った道によって、神の[人類救済]目的と働きを危険に曝す時、彼らは非難の声を聞こうとしないでしょう。もしも、悪事を働く者だけが関わり、そして、その[戒める]働きが、[悪事を働く]彼以外に届かないならば、彼だけがその警告の言葉を持つでしょう。しかし、彼の活動の道が真理の[人を救う]目的に積極的な害を為している時に、魂は危険に曝されます。神は、その警告が害する幅と同じく存在することを求めています。その数々の[譴責と警告の]証は妨げられないでしょう。「主はこう言っています」という、明白な譴責と警告の言葉は、神に指名された働き人達からやって来るでしょう。それらの言葉は、人間の手段による起源ではありません。それら[の言葉]は神からきたものです。その人はそれらの働きをそれらに任命されました。
もしも、要請された人が地上の裁判官に任命されるならば、神は試みが来ることを容認していますが、それは、主自身の名が称えられるようになるためです(If
a suit is instituted in earthly tribunals, and God suffers it to come to trial,
it is that His own name may be grolyfied.)。しかし、この働きを為すよう任せられる人に、一つの難儀が存在するでしょう。神は、たぶん彼らがどんなことをしようともその動機を読んでいます。私は、主が、私達の兄弟[姉妹]に正しく進んで、問題に妥協しないよう教えることを祈っています。神の[救済]目的は、それと結ばれた誰かによって害され、痛手を受けました。すぐに、彼らは、それから分離しました。
神は明確に忠実な人々を呼び出しています。主は二つの側面を持った人々を用いません。主は、片方の手を悪い働きに置き、そして「これは神の意図によるものではありません」と言う人々に期待しています。…
『手紙』191/2,1897[70歳]
16章 キリストのライフワークと私達の[ライフワーク]
ライフワーク:生涯の働き・生涯の生きがい
1.キリストのライフワークと私達の[ライフワーク]*[15]
私達は、柔順に質素にこの地上を歩んだ方、「良いことを為す」ために出て回った方(使徒言行録10:38)、悲しむものを慰め、必要な人に奉仕の働きを為し、倒れた者を立ち直らせ、奉仕を愛して生涯を送った方の[記録]を読んでいます。その人は、この世界に家を持たず、一人の道行く人として、彼のために宿を提供してくれる友の親切が唯一の[家]でした。また、彼に存在していることは、天に存在していました。一日、いちにち、彼は数々の試みと誘惑に遭いました。また、彼は失敗せず、失望してしまうこともありませんでした。彼は、違反の罪に取り囲まれました。さらに、彼は自分の父の戒めを守りました。彼は常に忍耐し快活でした。命と平和と健康についての一人のメッセンジャーとして、病気に苦しむ人々に歓迎されました。彼は男達と女達の必要としていることを見ていました。そして、全ての人々のために、彼はその招待の言葉を与えました。「汝らみな、労苦している人、重荷を負っている人は、私の所に来てください。私は、あなた方に安らぎを与えましょう。あなた方は、私のくびきを使ってください。そして、私に学んでください。私は心が柔順で質素です。そして、汝らは自分達の魂に安らぎを見つけるでしょう。私のくびきは負いやすいので、私の重荷は軽やかです」(マタイ11:28-30)。
キリストが私達に残した彼のライフワークは、なんと素晴しい一つの見本でしょう。神の栄光のために、彼が為したように生きている神の子ども達は誰ですか。彼は世界中の人々の光/真理です。偉大な教師のために首尾よく働いている人は、主の神性の生涯から自分のロウソクに灯し火をともす必要があります。
主の弟子達に、キリストは言いました。「汝らは地の塩として存在しています。しかし、もしも、その塩が味をなくしてしまったら、……その時から、それは良いものではなく、投げ捨てられ、人々の足で踏みつけられるために存在します」(マタイ5:13)。慎重に、私達は、自分達のライフワークの中で、キリストの手本についていくために存在しているでしょう。私達がこれを為さないのならば、私達はこの世界の人々のための価値がない(味を無くした塩)存在です。……
神は、[人類救済]目的の中で才能の多様性を利用しています。主は、様々な手段によってこの教会のための主の働きを進めています。神のために働く場合、この教会の中で、教師だけの[役割]をするということを望んでいる人はいません。「私は、前に出て、この教会の中で話をするということだけの影響力を望んでいます」と言う人はいません。[そのように言う人は]神のために自分の光を輝かしています。働き人仲間に親切ではない人々は、神によって数えられるに違いありません。彼らの影響力に基づいて、彼らは、神がその民に持つことを望んでいるその光によって教会には立入禁止です。彼らは神が推奨していない一つの精神を現しています。
2.キリストが原型/モデル
キリストは、この世界の人々を天の父の関心事に注意を向けるために遣わされました。彼は私達のあらゆる物事の原型/モデルです。彼の様々な教訓は私達が研究する必要のある一つの授業/けいこです。
働き人達はみな、理解力や体験、御言葉の管理[理解と応用]について同じではありません。ある人はいつもキリストの体と血に参加しています。彼らは命の木の葉を食べています。彼らはいつも、キリストの学校で学んでいます。彼らは滋養分によって日々成長し、そして、偉大な教師のための労苦に自分達を合わせる一つの体験の度合いを増しています。彼らの感化力は、生活から生活へと[塩のように]味付けしています。そのように霊的な精神/心になった人は、霊的/精神的な物事をすぐに識別する人々です。聖書は彼らの研究[テーマ]としてあります。天と神性を扱っていない雑誌、新聞、そして、書籍類は、彼らに注目を引かせません。しかし、神の言葉は、彼らにもっと貴重なものをいつも進展させています。神は、近くに引き寄せ、間違うことができない言葉で彼らに語っています。
また、「新鮮な恵みの栄養を毎日に御言葉から引いて、熱心にそれらを心に留める方法」を学ばなかった人々がいます。
ある人々は、天からの特別なメッセージを一つ持っています。彼らは、神の働きとして、教会にたむろして損害と障害物をばらまくのではなく、ある人々を目覚めさせるようにと、送られるために存在しています。2,3の牧師達を待っていたことは、一つの教会が良くないことをしていることでした。その牧師達は、それらの闇/無知の中にいる人々のための前に行って、精を出して取り組む/労苦するために存在していました。彼らの働きは何らかの結果を示すでしょう。それを体験した人々は、若い人々にも奉仕の働きの準備をして、警告のメッセージを宣言するための新しい領域に行く体験をさせましょう。
真理を信じている人々は、神が彼らに与えた祝福を伝え、彼らの光を良い働きによって輝かせた者として、とても祝福されるでしょう。彼らは、個人の清い思いと、全ての関わりの相互関係において、健全な原則をあらわすことによって、自分達の光/真理を輝かせています。彼らは神の律法の原則をほめたたえるでしょう。神は、主の新しい領域を増やすために自分の働き人達を呼び出しています。真剣な熱心さとともに、私達は、この世界に、神なく望みなく生きている人々のために働くよう存在しています。そこには、誠実な働き人のために待っている、精を出して働く広大な伝道地が存在しています。
神の[人類救済]目的の中で精を出して労苦している者達は、悪事と罪に陥り、御言葉の中に記されたように無感覚になった人々を目覚めさせるため、神の前に謙虚にひざまずき、熱心に祈り、聖書を持って、そして、伝道地に出かけるでしょう。この働きを為す人々は、とても祝福されるでしょう。この真理を知っている人は、「主の名によって、伝道地で収穫するために行ってください。また、私達の祈りはよく切れる鎌のようにあなたと共に[収穫に出て]行くでしょう」と、牧師達に言って、もう一人の力として存在しています。このように私達の数々の教会は神のための確固とした証を[生み出して]伝えるでしょう。そして、彼らは、主のために自分達の賜物と捧げ物を持ってくるでしょう。そのために、伝道地に出ていくこれらの人々は、魂達のために労苦して当然です。
ソドムとゴモラの滅亡の時と同じように、この地球が滅ぼされる時でさえも、この時代、この世界の人々の中で、偉大な教師のために忠実に働いている人は誰ですか。永遠の命に勝ち取るために彼の周りで助けるのは誰ですか。私達は、貴い器として主によって使われるように合わせて、清められていますか。また、聖化されていますか。全ての教会メンバー達は、「今、道徳的・精神的な欠陥は神からのものではない」ことを覚えて置きましょう。神性の存在者達は、神聖の特別な美を拝するために存在しています。神は、権威と能力が優れています。……
神は、その民に自分達の生活によって、世俗的な人々にクリスチャン信仰の優れている点を示すことを望んでいます。私達は、男性達と女性達が改心して、また、彼らの品性/人格の衣を洗い、子羊の血にあって品性/人格を白くするように導いて、神が私達を主の働きに使うことができるよう、生きるために存在しています。私達は、主の働き人の仲間という存在です。「よい働きのためにキリストイエスにあって造られました」(エペソ2:10)。私達を通して、神は、主の多様な知恵を啓示/明らかにすることを望んでいます。それゆえ、主は、良い働きによって私達の光を輝かすようにと命じています。
3.サタンの影*[16]
サタンの影が、義の太陽から来ている光をさえぎららない、私達の信仰を妨害するための私達の小道を塞ぐように投げかけない、そのような時は決して来ないと、知性の中に持ち続けましょう。[にもかかわらず、]私達の信仰は、動揺させられなくて当然です。しかも、その影を切り裂いて進んでいます。私達は、闇/無知に葬られずに存在しているという一つの体験を持っています。私達の信仰は、感情の中に存在しているのではなく、真理の中に存在しています。この世界の人々が悪と不正に進んでいる間に、私達は困難に合わないないだろうと、自分勝手に言う必要のある人は一人もいません。私達が連れて行かれる神の最も高貴な聴聞の間で、無限の知者の存在であるその御方の勧めを求めることは、とても難しいものがあります。しかし、主は、私達が主を求めることを愛しています。主は、私達が主を信頼する心と、主の言葉を信じる心を持つことを愛しています。もしも、私達が難問を持たないなら、試みがないなら、私達は自己満足と自己称揚になるでしょう。真の聖徒達は汚れを取り除かれた、また、白くされた、そして、試みられた者達でしょう。
『手紙』58,1909[82歳]
17章 一致と忠誠[17]
1.[主の働き、地の働き、主の手段]
主は、これらの[世界の]最後の日々に、真理の知識を広げるために、一つの方法で宣教師的な戦線に向かって行く、主の働き人を指名しました。だます者は確かに、その[主の働きの]偉大さを見るために目を大きく開き続けてきて当然な人々、すなわち、「出エジプト記31:12-18」に記述された神の印 [契約の印の安息日]を伝える人々によって為される地の働きに存在してきました。
主は、働きにつかされる範囲を測定することと、その範囲の中でその働きを優先することによって、主の手段を賢く利用することについて、忠実な管理を望んでいます。神は、主と協働するために存在している、一つの民、一つの奉仕の働きを持っています。……
主は、もしも、彼らが、聖霊によって働かされることに従順でいるならば、彼らが、当然、その聖霊に[よって]働くならば、主の民のために働くでしょう。「そして、イスラエルよ。今、汝らの神、主は汝らに何を求めていますか。汝らの神、主を恐れること、全て主の道に歩むこと、汝らの全ての心と汝らの全ての魂、共に汝らの神、主に仕えること、主の定めと主の戒めを守ること、これらは、私が、汝らの良いことのために、この日に汝らに命じたことです」(申命記10:12-13)。
神の牧師達は、私達の世界で為すための最も厳粛で神聖な働きをしています。世界の終わりは近くに存在しています。真理のメッセンジャーは出かけていく必要があります。この群れの忠実な羊飼いとして、神の奉仕者達は、明確で痛烈な証を伝えるために存在しています。そこには、真理が正道から逸らされずに存在しています。神性の恵みは、神の愛と恵みから離れるようには決して導きません。これを為す所にはサタンの力が存在しています。キリストが説教した時、そのメッセージは鋭い、両刃の剣のようでした。人々の良心を突き刺し、彼らの思想を最も明らかにしました。キリストが忠実なメッセンジャー達に為した働きは、為される必要があります。簡潔、純粋、そして、最も謹厳な高潔さによって、彼らは御言葉を説教するために存在しています。言葉や教理によって働く人々は、自分達の給与に忠実でいるように存在しています。彼らは、一つの益を与える必要があるような魂達を見守るために存在しています。決して、彼らは、人間の知恵の言葉で誘うような、「このように、主は言っています」と言葉の衣服を着せるために存在しているのではありません。このように、彼らは自身の生きているエネルギーを台無しにし、それを弱く無力にしています。なので、それは、罪を自覚することにしくじっています。聖霊の指導によって語られた全ての言葉は、魂達の救いのための温かな気遣いが満ちているでしょう。
牧師達が神によって受け入れるかどうかは、外側を示すことによっているのではなく、[内側の]義務を果たす彼の信仰深さによっています。キリストが高められる道は、低い謙虚さを通る所に置かれています。キリストの苦しみに共に参加している人々、主の足跡を進んでついていく人々は、主の栄光に主と共に参加しているでしょう。
真理だとして同意した多くの人々がこの教会に持ち込んだものは、特別な敵の尽力として続けられてきました。しかし、その人々は改心しませんでした。クリスチャンだと告白して、それらを信頼することに失敗した人々は、サタンの働きをする送信路です。その人は、自身の考えを優先させるために、また、神の働きを妨げるために、改心していない教会員達を利用する可能性があります。彼らの感化はいつも間違いの側に存在しています。彼らは、改革の通り道にある数々のつまずきの石として、批判と疑いを置いています。彼らは、キリストの義に対して自分達の目を閉じ、自分達の背後の主の栄光を持たなかったので、不信を持ち込みました。
一致は教会の強い力です。サタンは、このことを知っています。彼は、意見の不一致に持ち込もうとして自分の全勢力を働かせています。彼は、神の教会のメンバー達の間に調和の欠如が見られることを期待しています。強い注意が一致の目的で与えられるでしょう。論争と不一致という重い皮膚病を治療する処方は何でしょうか。神の戒めに従順[という処方が存在します]。
神は、明らかに衰弱が目立つ教会に、私達が安住するために存在しているのではないと、私に教えていました。彼は、論争のための治療を処方していました。主の清い安息日を守ることによって、私達は、自分達が主の民であることを示すために存在しています。主の言葉は、戒めを守る民を達成するための、主の安息日が一つの印であることを宣言しています。このように、神の民は、自分達の創造者としての主の知識を自分達の間に維持するために存在しています。神の律法を守るこれらの人々は、天におけるサタンと神との間の戒めに関する大争闘の中で、主と共に一つとして存在するでしょう。神への不忠実は、神の律法の原則に対する論争と争いを意味しています。
神の[人類救済]目的と関連した全ての物事は、主の民によってこのように考えられるために存在しています。神の[人類救済]目的を主張しているどのような勧めも神聖です。キリストは、罪深い世界中の人々に悔い改めがもたらされるように、自分の命を与えました。キリストの内住によって聖霊を吹き込まれた人々は、主のブドウ園を世話するための神の農夫として働くことでしょう。彼らは、単に、自分が選ぶ一か所で働かないでしょう。彼らは、キリストが与えた任務を達成するための高い目標を作り、忠実な働き人、賢明な管理者であるために存在しています。主が昇天する直前、救い主はその弟子達に語りました。エルサレムで始めて、彼らは、あらゆる国民、部族、言語、そして、人々に出ていく必要がありました。主はさらに付け加えました。「見よ。世界の終わりまでまでも、私はいつもあなた方と共に存在しています」(マタイ28:20)。
『原稿』14,1901[74歳]
2.試練と奉仕の働き
クリスチャン経験において、生活の高い標準と清められた奉仕に、男性達と女性達を呼び出すために、主は様々な種類の試練[が訪れること]を可能にしています。それらの試練がないと、また、人がサタンの仲間達と連合するよう彼らを導くような、科学的、空想的、人間的な哲学の精神を吹き込まれるようになると、キリストに似たものが剝がれ落ち続けることがあるでしょう。
神の摂理によって、全ての良いことと大きな冒険心は、試練、清らかさの試験、責任ある立場の人の原則への強さ、神のモデルに習った個々の人間の品性/人格の鋳型と具体化に遭遇させられます。ここに、教育の最高の理念が存在しています。
品性/人格characterの成熟は、最後の試験の時、知性の能力の実践を通して、神の律法のあらゆる求めに服することによって、完成の域に達せられます。信頼の立場にあって、人々は、神の栄光を促進させ、そして、品性/人格の熟達/完成に至り得る最高の信仰深さによって自分達の義務を果たし、神の手の中の役立つ人となるために存在しています。
特別な命を持つ人々は、正しい原則のための真理として存在していて、そこには、一つの絶え間のない知識への成長があるでしょう。彼らは、人類家族の味方、偉大な教師、偉大な働き人と共に労苦する者として、世間で認められた存在者としての特権を持っているでしょう。また、神の目的を遂行することによって、名誉の部分の活動をするでしょう。このように、指針と模範によって、神と共に労苦する者達として、彼らは、自分達の創造者に栄光を帰すでしょう。 日付のない『原稿』150
訳者加筆:「18章 D.M.キャンライト」予備知識
ダッドリー.M.キャンライト(1840-1919)は1859年にジェームズ・ホワイトの講演を聞いてSDAになり、2年後に牧師になりました。彼は清い食物、道徳律や礼典律について書き、この教会に強い感化を及ぼし、1870年代後半に十分の一の理解について貢献しました。彼はこの教派では最も成功した福音伝道者でした。しかし、彼は情緒的な安定性を欠いていて、1870年代から1880年代に4,5回、働きと安息日遵守をやめた時がありました。1884年、彼はE.ホワイトから一つの証を受け取って、それに対して、彼と妻は厳しすぎると思いました。そして、彼女に対して恨みを抱いていることを手紙で全体総会代表G.I.バトラーに公表しました。その中で、自分の中の疑いと偏見を拡大して扱う傾向があることを認めました。彼は、バトラーその他の人々によって説得され、牧師の働きに戻りました。
彼は、アドベンチズムが律法を巡って間違っているならば失われる原因の一つだと主張し、アドベンチズムの律法の立場を拒んで辞職しました。教会のメンバーシップから手を引く申し立てをして、1887年に認められました。その後、彼は無律法主義を支持し、バプテストの一人となりました。
1888年の全体総会会議で大問題が持ち上がりました。その前にバトラーは、9人の神学委員会を組織しました。数時間の論争の後の結果は、「律法を守る救い」対「信仰による救い」は5:4でした。
彼は『セブンスデー・アドベンチズムの放棄』を書きました。その後、彼はE.ホワイトに反対して闘ったでしょう。しかし最後に興味深いことがありました。彼女の告別式(1915)に出席した彼の弟は「兄ダッドリーはミセスホワイトの柩の前に立って、片方で私の腕につかまり、片方を彼女の柩に置いて、彼女の頰に涙のしずくを落とした。彼は‟高貴なクリスチャン夫人が逝った”とささやいた」とレポートしました(『E.G.ホワイト百科事典』2013,p.334-)。
彼は発見した「信仰による義」の真理に純真だったがために、教会を出てしまいました。二律背反への態度には、「内部で改革する(孤独)」「内部で眠る(腐る)」「外に出て改革する(孤高)」「外に出て眠る(恨む)」があります。いずれにも苦難があります。 訳者
18章 D.M.キャンライト*[18]への一つのアピール
バトルクリーク 1880.10.15
長老D.M.キャンライト様
親愛なる兄弟へ
私は、あなたの決意を伺って、悲しみがこみ上げてきました。でも、私はそれを払う根拠があります。神はテストしていて、その民をはっきりと示している場合は、一つの時が存在しています。ふるわれうる者全ての者がふるわれるでしょう。永遠の岩に立つ魂達だけが、その岩にとどまるでしょう。自分自身の見解に偏る人々、キリストにいつもとどまっていない人々は、このような、様々な変動にさらされるでしょう。もしも、あなたの信仰が人間に基礎を置いていたならば、私達は、その時、そのような結末を除外しましょう(If
your faith hase been grounded in man, we may then expect just such result.)。
しかし、もしも、あなたが、一つの民として、私達との全てのつながりを断つことを決意したのならば、私は、私達の民から離れ去るキリストのためと同じくあなた自身のために一つのリクエストを作って持っています。彼らを訪問しないでください。あなたの疑いを話さないでください。彼らをみな闇/無知にしないでください。サタンは、あなたがイエスキリストの旗のもとから歩み出て、自分の旗のもとに立ったことによって、勝ち誇った歓喜に満ちています。彼は、あなたの中に「自分の王国を建設する価値ある働き人を作ることができる人」を見ています。あなたは、もしも、あなたが誘惑に心を明け渡すならば、私が予期していて、あなたが取る可能性のある、まさにそのコースを取っています。
あなたは、かつて、能力と人気を望んでいました。そして、ここに、あなたが立場を表すための、その理由の一つが存在しています。でも、私には、あなたの疑い、あなたの疑問、あなた懐疑的な態度を、あなた自身のために続けるあなたにお願いがあります。ある人々は、あなたに、あなたが所有していた以上の品性/人格の安定性と強力な目的の保証を与えました。彼らは、あなたが闇の思想と感覚をささやく時、あなたは強い人だと考えました。サタンは、彼らのだます品性/人格によって、熱心に強烈にそれらの思想と感覚を宿すための準備に立ち上がっています。多くの魂達は、光/真理ではなく闇/無知を選び、その敵の層の人々によって、サタンの側の強い考えが吹き込まれた一人の魂の感化によって、惑わされて失われるでしょう。
あなたは、あまりの多くのものの存在を望み、この世界の人々に示して、中傷を広めました。その結果として、あなたの太陽は不明瞭なかなたに沈んでいくでしょう。毎日、あなたは、永遠の喪失に向き合っています。ずる休みして遊ぶ小中学生は、自分が両親と教師と共に計画を立てているのだ考えています。しかし、誰が、その大きな喪失と向き合っていますか。それは自分自身ではないです。彼は計画を作っておらず、自分に騙されていませんか。自分が得ることが可能な知識を自分から奪っていませんか。神は、私達がキリストの良い働きの手本をコピーして有能になる[という計画を]持っています。でも、あなたはずる休みして遊んでいます。あなたは、自分の魂からキリストに満ちている知識の宝物を奪い、大切な永遠の事柄にずる休みして遊んでいて、あなたの魂を自身の損害に苦しめ占領する一つの感覚を養っています。あなたの野望はとても高く舞い上がっています。それは、自己を高めるために小さすぎて、何も役に立たないということを認めざるを得ないでしょう。あなたがいつも必要としていたものは、一つの謙虚と悔改めた心でした。
2.キリスト、人間の原型/モデル
キリストの生涯は何だったのですか。彼は確かに、大工となって働いた時のように人間の原型/モデルとして、自分の任務を果たしました。この世界の人々に自分の神性のメッセージの偉大な神聖を隠していた時も、白波が立つガリラヤの海の上を歩いた時も、死んだ人の命をよみがえらせた時も、十字架の上で人類の犠牲として死んだ時も、そして、人類全体を新しく完全な命に起き上がらせるだろう時も、いつも任務を果たしました。
イエスはナザレに長く住み、敬われず知られずでしたが、彼の模範による教訓は、普通の日常生活のコースでさえ、どのように、神と親しく共に歩むかを男性達と女性達に教えているでしょう。なんと、私達のうちの一人となった天の権威者の謙遜と謙虚は、素朴に家庭的に存在したことでしょう。彼は、全ての人々へ共感する彼の能力を示すことによって、あらゆる人々の心に共感を呼び起こしました。ナザレの人々の疑いと問い[の言葉]は、ヨセフとマリアの息子で、「この者は大工ではないのか」(マルコ6:3)[でした]。
天と地は、ベツレヘムの草原で、羊の群れを見張っていた羊飼い達が夜に天の軍勢の歌を聞いた時と比べて、また、一般的な住居でその人々が日中に天使達と会った時と比べて、今日とは違って遠く離れていませんでした。神の視界の中に大きなあなたを作ることには、小さい山に登りにいくという求めではないしょう。しかし、天の使い達の特別な守護を目的としたあなたを形成することには、忠実で善良、謙遜な生活が存在しています(It
is not the seeking to climb to eminence that will make you great in God's sight,
but it is the humble life of goodness, of fidelity, that will make you the
object of the heavenly angels' special guardianship.)。人間の原型/モデルを考えた人は、神と等しく存在することを失わず、私達の性質を主自身が取り、人目のつかないガリラヤの町で30年近くを過ごしました。全ての天使の軍勢達は主の命令のもとに存在していました。また、主は偉大なとか讃美される何者かとして存在しているという主張をしませんでした。主は、自分を高めるような、「専門家」に自分の名を結びつけませんでした。彼は、日雇い労働者、主が働いた人のための奉仕者、また、日常生活の歩みの中で、天が私達にとても近くに存在することを示した一人の大工でした。天の法廷から来た天使達が、神の命令に対して付いたり離れたりする人々の歩みの保護をするでしょう。
キリストの精神は、主について行くと告白した人々の上に残っていることでしょう。私達は、ここにあるキリストの教訓が主の生活によって私達に与えられているので、働くこと、精を出して働くことを決意している必要があります。あなたが、普段の事柄の中で、神のために生きていたのであれば、「それはよく為されました。あなたは困難を引き起こした場所にいませんでした」と言う人が一人もいなかった時でも、あなたの働きを清く、忠実に為してください。あなたは賢明に語られたよい言葉によって、また、思慮深くなされた親切な行動によって、さらに、従順、清い、そして、愛の日々の証によって、あなたの生活を信仰深く送ることができるでしょう。あなたが持っていた全ての光/真理の見解によって、私は、あなたが最終的な決断をしたことを案じております。あなたは全ての優先権をサタンに与えています。
3.軽率な決断
決断は、いつも、人の状態に合うように一瞬に為されるでしょう。もしも、あなたがサタンの主権だけを認めるならば、サタンは、世俗的な名誉と栄誉を表して、キリストのもとを訪れるように、あなたのもとを訪れています。このように、彼はいま行動しています。しかし、あなたがその道の歩みを進める前に、私はあなたに考え直すようお願いたします。
天使達がどんなことを記録していると、あなたは思いますか。あなたは、その記録にどのように向き合うのでしょうか。急な背信の代わりに、神に、あなたはどんな言い訳を申し上げるのでしょうか。かつて、一つの大きな働きを為すというあなたの夢が存在していました。あなたは、偉大な教師の支持に合わせて、徹底して正確に為すための小さい内容の働きがありました。でも、誘惑と軽率を投げ捨て、明け渡す瞬間は、人生の働きのやり直しをしていることを思い出してください。
私達は、見知らぬ人達、巡礼者達と旅をしています。良い都市へと旅をしています。でも、天の住民と心の共鳴なしに存在するということよりも、畑で重い犂(すき)を引く家畜として存在することの方が、あなたのためにも私のためにも、良いことでしょう。意思の一時的な活動によって、あなたはサタンの力を使って自分自身の立場を取るでしょう。しかし、それは、足枷を砕き高くきよい生活に至るために、意思の一時的な活動より以上のものを求めるでしょう。その目的は形作られ、その働きは始められるでしょう。しかし、それ自身の達成は精を出して働くこと、時間、根気強さ、忍耐力、そして、犠牲を求めるでしょう。灯火を燃え上がらせて故意に神を離れて放浪する人々は、我に返ろう願う時、イバラとトゲのある灌木がその人の人生の小道に茂っていることを見つけるでしょう。そして、もしも、足に切り傷による出血があっても長い旅路に無理に出されたとしても、その人は、驚かされず、勇気を挫かれなくて当然です。人の良い状態から落ち込んだ理由で最も恐れること、また、案じられることは、立ち直ることにとても多くの労力を要するという事実です。立ち直る方法は、毎時間毎の一インチ(3cm)、一インチずつ、激しい闘いによってだけ得られでしょう。
天への小道は、そこに入って進むには、エリート階級と富める者達にとって、あまりに狭く/検査が入念に行なわれます。野心の遊びのためにはあまりに狭く、楽な馬車で行くためには険しくて岩だらけです。精を出して働く、忍耐、自己犠牲、非難、窮乏、重労働、主に対する罪びと達の矛盾した言動に対する忍耐などは、キリストの財産です。そして、もしも、その人が、ずっと、神のパラダイスに入っているならば、それは、人間の財産が存在しているに違いありません。
もしも、あなたの現在の信仰がたやすく放棄されているならば、その理由は、あなたは決して、堅く結びつく信仰の中に主軸となる根を伸ばさなかったからです。それは、あなたにとってあまりに小さな出費です。もしも、それが試練と慰めの中のあなたと、苦悩中のあなたを支えないならば、それは、努力と清めと、犠牲によって、あなたの信仰が強いものとして築かれなかったことが原因です。キリストの苦難をいとわないで引き受けるためにいる人々は、このように、主が人々を愛したことを示して、キリストが人々のために苦難に会ったという事実以上に、苦難の中に多くの喜びを体験するでしょう。天[に住む権利]を勝ち取った人々は、自分達の高貴な努力を前に投げ出すでしょう。そして、全ての長い苦難と共に労苦するでしょう。彼らは精を出して働いたその実を収穫するでしょう。
それらの人々のために、パラダイスの数々の門を広く開けて[待って]いる一つの手が存在しているでしょう。その人々は、誘惑の試験を克服し、この世界の名誉や賞讃をキリストに属する愛のために諦めることによって良心を保ち続けました。このように[その人々は]、人々の前で主に告白していて、そして、天の父と聖なる天使達の前で人々が告白するように主のために全てを忍耐して待っていました。
4.疑いの感化
私は、あなた[が選んだ]コースの理由を尋ねないことにしましょう。[C.W.]ストーン兄弟は、私に[送った]あなたの手紙を読んでほしいと言いました。私はそれを断りました。疑いの空気、不満と不信は感染性があります。もしも、私が汚れた流れに送信路の心を作るならば、サタンの泉を起因とする濁った、神を冒瀆する水によって、いくつかの暗示が私の知性に居残って、汚すでしょう。もしも、そのような彼の暗示が、あなたの長子の相続権を一皿のポタージュのために――主の敵の友人――に売るようにとあなたを導いて、あなたに対して及ぼされたならば、私はあなたの疑いのどんな言葉も聞こうと思いません。そして、あなたがつくった声明をあえてつくる人を取り巻くその雰囲気は、有害なガスのような存在なので、私は、あなたがほかの人々の知性に悪影響を与えることをしないように、あなたが守られることを願っています。
もしも、あなた自身が選んだこれらの人々と出て行くことを、あなたがそのような世界とこの世界の友人達を選んだのならば、私は、あなたがそのまま、その真理を信じている人々の所から離れ去ることをあなたに懇願したします。ほかの人々の知性に有害とならず、魂の滅びに働くためのあなた自身のサタンの特別な働き人をつくらないでください。もしも、あなたが十分に自分の立場を取らなかったのならば、それが遅すぎてしまう前に、その悪に早急に抵抗する策をつくってください。闇/無知の中にもう一つの歩む道を取らないでください。しかし、神の人としてあなたの立ち位置を取ってください。
もしも、あなたが、自分の選択に間違いがなく、失敗の恐れもなく命の主要な目標と目的を手に入れるのであるならば、あなたは神を初めと終わりにし、そして、全ての計画と働きと思想を最善に作る必要があります。もしも、あなたが、闇/無知に真っすぐに導く一つの小道が欲しいと思っているならば、あなたは、自分から過ぎ去った神の光/真理だけを持っていて、神なしに生きています。神があなたの小道を指し示し、そして「これがあなたの安全で平安の道です」と言う時、あなたは、主の道とは反対の指示に自分の顔を向けています。「私に付いてきてください。そして、汝らは闇/無知を歩まないでしょう」と語った神の子羊の声は、[現代の]私達に聞こえています。
5.王の王からの任務
神は、あなたを、偉大な、そして、厳粛な働きに選びました。主は、訓練すること、試験すること、あなたが真偽を示すこと、あなたを洗練し高貴にすることを求めてきました。この神聖な働きは、完全に神に属する主の栄光の誠実な眼差しによって為されるでしょう。「神は一人の人を選んでいます。そして、主自身と親しい関係をもたらしています。また、主のために為す働きに着手するため、彼に一つのメッセージを与えています」。これは素晴らしい考えです。弱い人は強くされます。内気な人は勇敢にされます。ためらいがちな人はすぐに確固とした決意をするようになります。なんと、人は、王の王から一つの委託を受ける時に、多くの成果が存在するということはあり得ます。神聖な委託によって、その清い委託を世俗の野心に誘い込みませんか。
天の権威ある方が、一つの清さと染みのない生き方の手本を人間に与えるために、また、やがて死ぬ人間を救う喜びを目的にして犠牲として捧げるために、私達の世界にやって来ました。キリストについて行く人々は誰でも、魂達を救う神性の働きを主と分かち合って、主と協力する一人です。もしも、あなたが、それから解放された存在だという考えを持つならば、あなたは、自分自身に大きな注目をもたらすだろうその世界の人々との提携をする何らかの期待を持つので、それは、あなたが、偉大さと貴さを忘れているためです。また、それは、神のために地位を高める何かを為すことです。世界の人々のために一つの光/真理を担って、ほかの人々の人生の小道に愛と光/真理を放って、イエスキリストと共に協力するために存在しています。
6.忠実への報い
あなたは自分の心の中で悪の勢力との大きな闘いをしているでしょう。あなたは、自分の人生の小道に高い理想を持った働きが一つあったと感じているでしょう。でも、もしも、あなたが自分の人生の小道に直接置かれた働きだけを引き受け、また忠実に為して、有頂天になるどんな道も求めないならば、平安と喜びがあなたの魂に清いもの、富める者として、やって来るでしょう。世俗の闘いにおいける勝者よりも、もっと満足するでしょう。神のために生きて働くこと、そして、最も役立つものとなるために、私達の全ての時間と能力は、恵みと知識に成長するために存在しているでしょう。個々に、私達が為しうることがあります。なぜなら、それは私達の働きだからです。あなたは、自分の疑問と疑いを投げ捨てる必要があります。そして、成功した労苦する者として確立されるために、あなたの真の神性のメッセージを溢れるほど持ってください。
その喜び、その成功、あなたのその奉仕の働きの名誉は、「私がここにいます。私を遣わしてください」(イザヤ6:8)という、偉大な教師の呼びかけに応えるために、耳で聞く用意をするために存在しています。主よ、私の最良の心と好意はここにあります。私の清く気高い思想をここに持ってきました。そなたの奉仕のために私に資格を与えてください。
私は、あなたに、可能ならば、今、すぐに、[正しい]人生航路に戻るよう、あなたの神が与えたメッセージをもう一度始めるよう、そして、そのメッセージを聖別するために清さと聖を求めるようアピールします。延ばさないでください。二つの意見の間で迷わないでください。主が神として存在しているならば、主に仕えてください。でも、バアルがそうならば彼に仕えてください。あなたは、厳しい苦難の学校で新式の学習をするために、神に信頼する旧式の学習をしています。D.M.キャンライト様、イエスの中に吸収合併されましょう。……
私達の名前は、しばらくすると、呼び出されるでしょう。でも、そこには答える人が存在しないでしょう。命は神の中に隠され、その名前は、天にある[書物]に記録され、そして、それは不滅でしょう。キリストが導くその道はどこでも、ついて行きましょう。そして、あなたが後ろに残した時の砂の足跡は、ほかの人々が安全について行くような清い道にしましょう。
死に導くその小道に沿う全ての人に、痛みと損失があり、悲しみと失望があり、神のメッセンジャーからの「行ってはいけません」との警告があるでしょう。そして、神は、自分自身を滅ぼすような、頑固で不注意な人々に厳しくするでしょう。永遠の命に至る厳しい道についた人々はみな、疲れをいやす喜びの良い泉が存在しているでしょう。魂の強い喜びの真理は、キリストがその中で形成される時に、その栄光の希望が始まっています。もしも、あなたが、今、神が導いている小道を選んでいるならば、また、任務を呼び掛けている声の方に進んでいるならば、サタンがあなたの前に現した困難な問題は消え去るでしょう。
安全の道も、将来に明るさと確固さが続くという保証の道も存在していません。その足は、時々、最も安全な道でもスリップするでしょう。心配なしに歩むためには、あなたは、自分の手がしっかりとキリストの手に握られていることを知る必要があります。あなたは、一瞬でも、自分には危険が存在しないと考えないようにしましょう。最も賢い人達は数々の失敗をしています。最も強い人達は時々勇気がなくてためらいます。立入禁止の道にも気にせずに押し寄せていて、自分達が楽しむ時に自分のコースを変えることができると実際以上に自分をよく言っている、愚かな人、自信過剰な人、考えが性急な人、浮いた考えなどの人々は、落とし穴への小道を歩んでいます。その人々は落ちること、間違いをすることから回復するでしょう。しかし、多くの人々が、永遠の滅びがやがて明らかになる間違った一歩を踏み出していることでしょう。
もしも、あなたが、目的を達するために曖昧な信念を演じているなら、あなたはさもなければ得ることに失敗するでしょう。もしも、あなたが、根気強い、精を出して働く、闘うという勝利者として存在する手腕と巧妙によって安全ならば、あなたは、自身の網に巻き込まれるでしょう。そして、この世界の為だけではなく、未来の[世界]の命においても滅ぼされるでしょう。
神は「あなたはこの世界で沈没船を造ったでしょう」と宣言しました。使徒パウロに注目してください。私達の時代のための戦線に沿った響きのある彼の言葉に耳を傾けてください。「私はよい闘いを闘いました。私は私のコースを達成しました。私は、この信仰を守り続けました。今後、私のために、一つの義の冠が置かれています。主の義の裁きは、かの日に私に与えられるでしょう。そして、私だけではなく、主の出現を敬愛しているそれら全ての人々も与えられるでしょう」(2テモテ4:7-8)。ここに、パウロからの勝利の叫びの闘いが存在しています。あなたに存在しているものは何でしょうか。
最後に、長老 キャンライト様、あなたの魂を神の手が再び堅く捉えています。私は書き続けることにとても疲れました。私は、あなたに懇願します。神は、あなたをサタンのわなから救い出されますように、が私の祈りです。 『手紙』1,1880 [53歳]
7.高められるキリスト
信仰によって、キリストを真に受け入れている全ての魂は、謙遜な心で歩んでいるでしょう。そこには、自己を高める心が存在していないでしょう。しかし、キリストは、永遠の命の希望がかかっている御方として、高められるでしょう。「恵みによって、汝らは信仰を通して救われています」(エペソ2:8)と、使徒パウロは宣言しました。そして、主が[働いた]証をつくることは、私達の内にキリストの恵みとして存在しています。私達は、子羊の血だけによってまた、私達の証の言葉によって、勝利し得るでしょう。よく整った生活と神への回心によって、私達は、教会の中で、世の中の光/真理になるでしょう。霊的な事柄は、霊的に理解されて当然です。救いの水を深遠に飲む人々は、キリストの従順と謙虚を啓示するでしょう。
私は、神の言葉をほかの人々に教えるために呼び出された人々に[次のように]言うように言われました。
知恵について、あなたをみるよう勧める人は決していません。人々があなたの所に勧めを求めてくる時、心の真の動機を読む一人の御方を指し示すように[言われました]。異なった霊/精神が私達の奉仕の働きの中にやってくるに違いありません。告白する義務のある人々はいません。人々は最大に、高められて当然だという人もいません。私達の働きは、人々の前でキリストを高めるため、自己を低くするために存在しています。主の復活の後、救い主は、「主の力が主の名によって前進する全ての人々と共にいるでしょう」と約束しました。この力とこの名は高められるでしょう。真理と義によって、自己が聖別されるようキリストが祈った時、私達は、私達の知性の祈りを続ける必要があります。
永遠の父とひとり子の犠牲の力は、それが存在する以上に、研究される必要があるでしょう。キリストの完全な働きは、十字架上での死によって頂点にまで高められました。彼の犠牲と彼の父の右手としての執り成しは、私達の救いの唯一の希望でした。それは、人々の前に神の品性/神格が高められることを私達の喜びとしているでしょう。そして、この地上で主の名前が高められるでしょう。『原稿』1347,1907[80歳]
第5部 私達の働き人の報酬
はじめに
様々な業務に支払われた給与は、全ての人々に常に現実的な関心の対象の一つとして存在しています。それは、何度か、最新のエレン・G・ホワイトの著書によく記述されたトピックの一つです。
ここに記されたものは、セブンスデー アドベンチスト労働者達の給与管理の原則を、再検討する全体総会によって任命された特定の委員達の研究のために、収集された数々の勧めをまとめた補遺です。この資料は、その委員達に有用性が存在することを証明しました。
これらの調査研究とほかのいくつかの原則、セブンスデー アドベンチスト労働者が団結した組織とその組織に関係あると見なされた様々な資料と勧めから集められたものは、益と共に読まれるでしょう。
誘惑されるかもしれない誰かのために、経済的な逼迫のゆえに、働きの分野の中に、大きな所得の提案を受け入れることは、神の[人類救済]目的と直接に結びついていませんでした。「経済的な理由によって神の働きから去る計画をしていた人への勧め」の23章は、挑戦的で冷静な思想を提供しているでしょう。エレン・G・ホワイトのこれら全ての中にあるキリストの精神は、犠牲の精神であり、根本的な思想です。 エレン・G・ホワイト遺稿管理委員会
19章 一つの実物教訓
1.一つの実物教訓*[19]
ソロモンの背信の始まりは、正しい原則からの僅かな逸脱のように見える、幾多の道を外れたことでしょう。彼の転落の原因を[説明する]唯一の方法の近くに、偶像を礼拝する婦人達との繫がりは存在していませんでした。ソロモンを贅沢と暴君的な圧制に導いた原因[をつくった]原則の周辺は、昇進する彼の地位と持ち続けているという一つの精神でした。
当時のイスラエルの日々に、シナイ山を歩いて登った時、モーセは神性の戒めを人々に語りました。「民らに、私のために聖所を作らせましょう。それで、私は民の間に住むでしょう」(出エジプト記25:8)。イスラエル人達の応答「心を動かされた全ての人達は来て、そして、彼[モーセ]の精神に同意した全ての人々は彼を高めました」(出エジプト記35:21)に、相応しい贈り物が加えられ、そして、数々の捧げ物が持ってこられました。その聖所を建設するために、多くの高価な準備物が必要でした。多量の最も高価な費用の掛かる品物が求められました。また、主は、自発的な捧げ物だけを受け入れました。「心と共に快くそれを与える全ての人々から、汝は、私に捧げる物を受けるでしょう」(出エジプト記25:2)は、モーセによってその会衆に繰り返された神性の戒めでした。神への深い愛情と犠牲の精神は、至聖所の場所に内在する備えのための初めての求めでした。
自己犠牲にも似た呼びかけは、ダビデが神殿を選ぶ責任をソロモンに与えた時に作られました。群衆が気前よく贈り物を持ってきて集めた物について、ダビデは尋ねました。「この日、主のための‟奉仕”として、捧げ物を快くしたのは誰ですか」(1民数記29:5)。この呼びかけは、その神殿の建造と共に、[快く]為した人々によって、知性の中に守り続けられてきたでしょう。
選ばれた人々は、神によって、荒野での幕屋の建造のために技術と知恵を特別に授けられていました。「モーセはイスラエルの子らに言いました。見てください。主はユダ族の……ベツァルエルの名を呼び出しました。主は、神の聖霊によって、知恵、理解力、そして知識、職人の技能作法などを彼に満たしました。……そして、主は、彼の心に、教える能力を与えました。主は、ダンの部族の……アホリアブにもそれらを与えました。二人は、主が満たした、働くための心の知恵、彫刻の働きのための全ての作法の知恵、職人の精巧な知恵、刺繍の知恵、織り手の知恵、どのような働きでもする知恵、精巧な考案品の働きの知恵などを持っていました」(出エジプト記35:30-35)。「ベツァルエルと……全ての知恵を心に与えられた人々と、主が知恵と理解を与えた人々は働きました」(出エジプト記36:1)。天の知者達は、神が選んだその職人達と協力しました。
それらの人々の末裔達は職務上の高い地位を受け継ぎ、その技術の恩恵を彼らの父祖達に贈りました。ユダ族とダン族の中に、特に「精巧」に優れた芸術家と思われる人々がいました。一時、それらの人々は謙虚で自己中心ではありませんでした。しかし、彼らは、次第に、ほとんど気付かれないうちに、神とその真理の上に持っていた[知恵と技術を]失ってしまいした。彼らは、自分達の特殊な技術を理由に、高い労賃を求め始めました。彼らの要求例のあるものは認められました。しかし、しばしば、これらの高い労賃を求めることは、周辺の民族の雇用労働者にも見られていました。彼らは、輝かしい先人達の心を満たしていた自己犠牲の崇高な精神を引き継いだ立場にありながら、もっと手に入れたい、欲しいと思う精神を持ち続けていました。彼らは、自分達の神が与えた技能を使って、異教徒の王達に仕え、そして、自分達の造り主を敬いませんでした。
2.信者ではない雇用労働者達
ソロモンが神殿をモリヤの山に建造する際、指揮監督者に一人の精通した職人を探した理由は、それらの[崇高な精神を捨てた]背信者達の存在にありました。[その監督者は]神聖な建造物の全ての部分を考えて瞬時に文章に記述することを、その王から委託されていました。彼は信仰によって、求められたその仕事を正確に為すための特殊技能と認められ、神に聖別された助手達を期待していたでしょう。しかし、ソロモンは、神への信仰を実践するこの機会の視点を失いました。彼は、ティルス[現レバノン地方]の王に「金、銀、真鍮、鉄、紫の染料、深紅の染料、青い染料、の細工に精巧な人、そして、石の銘刻技能を精巧にできる人を……ユダとエルサレムに[雇うために]」(2歴代誌2:7)使者を送りました。
フェニキア[シリア地方]の王は「ダン族の娘達の婦人の息子、彼の父はティロスの男、精巧な仕事をする、理解と良い性質を授かった人」(歴代誌2:13-14)、フラムを送って返事をしました。その精通した職人フラムは、数百年前のアホリアブの母方の先祖由来の子孫で、神がその幕屋の建造に特別な知恵を与えていました。このように、働く者達を指揮するために、ソロモンが招聘した監督者には、聖別されていない一人の人が任命されました。その人は、並外れた特殊な技能のゆえに、高額の労賃を要求していました。
フラムの取組みは、神への高貴な奉仕で報いるという期待に対して、乗り気になりませんでした。彼はこの世界の富の神マモンに奉仕していました。彼に存在する真の本質は、高価な労賃を手に入れることをあらわす、利己主義の原則が刺繍のように織り込まれたものでした。次第に、これらの悪い原則が彼の仲間達によって心に抱かれる事態がやって来ました。彼らは、毎日まいにち彼と一緒に働きました。そして、自分達の労賃と彼の労賃を比べる気持ちを生み出しました。彼らは、自分達の働きの清い性質の視点を失い、そして、彼と自分達の労賃の違いを心に住まわせ始めました。次第に、彼らは、自己否定の精神を失い、「もっと欲しい」と思う精神を養いました。その結果は、高額な労賃の要求がありました。それは、彼らに認められました。
悪意に満ちた有害な感化は、この一人の雇用労働者の思惑通りに根付きました。彼が持っていた精神は主の奉仕に携わる全ての下部組織に広がりました。そして、ソロモンの王国を通して広がりました。要求され受け取られたその高額な労賃は、多くの思い通りの快適な状態と浪費という機会を与えられました。それらの感化の結果が遠くに広がることは、死ぬ運命にある人間に属し、かつて最も知恵ある者だった彼の恐ろしい背信の目的と、その原則を現しているでしょう。そこに、その王の背信だけが存在していたのではありませんでした。浪費と悪用が全ての人々の手に見られていました。貧しい人々は、特別に富める人々によって、重圧を感じていました。神の奉仕という自己犠牲の精神はほとんど存在しない状態にまで失われていました。
ここに、今日の神の民のために、多くの人々がじっくりと学ぶための教訓で、最も大切な教訓が置かれています。「もっと欲しい」という精神、高い地位と高い労賃を求める精神が、この世界の人々に流行しています。旧い時代の自己否定と自己犠牲の精神に出会うことはあまりにもまれです。しかし、真にイエスについて行く一人として、心を駆り立てることができるのは、唯一、その精神です。私達の神性の偉大な教師は、私達がどのように働きのために存在しているかという模範を与えています。「私に付いてきてください。私はあなた方を[人々を神の国に捕獲する]漁師達にするつもりです」(マタイ4:19)。彼は、弟子達の奉仕の報酬として何もない状態を申し出ました。弟子達は、主の自己否定と自己犠牲を主と分かち合うためいました。
偉大な教師、偉大な働き人について行くと主張しているこれらの人々、また、神と協力する者達として主の奉仕に繫がっている人々は、自分達の働きに、地上の幕屋を建てる時に求められた神の完全である、正確さと技術、機転と知恵をもたらすために存在しています。さて、現在、キリストの地上での奉仕の働きの日々のその時と同じく、神への深い愛情と犠牲の精神は、最も人々に求められ受け入れられ得る奉仕としてとみなされるでしょう。神は、利己主義の縫い糸が主の働きの中に縫い込まれないことを望んでいます。
3.セブンスデー アドベンチスト経歴体験の一つ
厚遇は、主の数々の施設で広がった精神とみなされて、その措置がなされるでしょう。それらの施設は、自己犠牲のもとに設立され、神の民の自己否定の贈り物と、主に仕え、他者の立場で働く者達によって建てられました。施設による奉仕に繫がった全ての人々は、天に所属する署名をする必要があります。神の施設の神聖に所属する考えは、推奨されて涵養される必要があります。その働き人達は、自分達の心が、主の前に、主の主権を認めて謙虚でいるように[この世に]存在しています。全ての人々は、自己否定の原則による調和の中に生きるために存在しています。本当に、自己犠牲を続けて働く者達として、自分の霊的/精神的なランプの火を灯し、その人が働いているその施設の第一の関心に、他者の立場に立って努力する時、その人は貴い体験をするでしょう。そして、「主は確かに、ここにいます」と言えるでしょう。その人は「自分は、主の施設に自分の能力、自分の奉仕、そして、屈せず寝ずの番を提供することができる存在だ、という特別な特権を与えられました」と考えるでしょう。
第三天使のメッセージ[が宣布された]の初期の日々に、私達の数々の施設を設立した人々とそこで働いていた人々は、他者のためという高尚な動機に動かされていました。その人々の努力を要する賃金労働者のために、彼らは雀の涙ほどの手当て――かろうじて食費を賄える程度の――を受け取りました。しかし、彼らの心は、愛の奉仕の働きに洗礼を受けていました。実際の真心のこもった報酬は、偉大な教師、偉大な働き人の精神/霊と密接に分かち合っていて明瞭でした。彼らは、ほかの多くの賃金労働者達も、新しい所に真理の標準を植えることが可能になるように、周到な倹約を実践しました。
しかし、時がたって、変化がやって来ました。犠牲の精神はそんなに現されなくなりました。私達のいくつかの施設の数人の賃金が、基準を超えて引き上げられました。その賃金を受け取った人々は、「自分達は特殊な才能のゆえに、ほかの人々よりも多い金額を受け取る価値がある」と主張しました。しかし、彼らにその才能、その能力を与えたのは誰でしょうか。「もっと欲しい」と思う賃金の引き上げが一定程度やってきたことによって、それは偶像崇拝、そして、一定の霊的な拒否として存在しています。まぎれもなく、数々の不正がはびこったために、神が敬意を払われなくなりました。固定した高賃金の人とその次に高賃金を得た人を目撃した多くの人々の知性は、疑いと不信を醸し出して膨らみました。悪のイースト菌のような奇妙な原則の数々は、教会の信徒達のほとんど全体に浸透しています。多くの人々は、自己を否定することをやめました。自分達の什一と捧げ物を控えた人はわずかではありません。
摂理によって、神は神聖な働きに改革を呼びかけました。それは、人々の心の中で始められ、そして、外側で働く必要があるでしょう。奉仕の働きの勤務評価をする高い地位に置かれ続けていた思慮の乏しいある人は、異動させられました。ほかの人々は自分達に与えられた特別なメッセージを受け取って、誠心誠意の決意と共に神に立ち返り、自分達の欲しいという知性を忌み嫌うことを学びました。今のところできるものとして、彼らは、自分達の賃金を自主的に低くすることによって、人々の前に、正しい模範を示すように努力しました。彼らは「精神と心の中の完璧な変化が、いくつかの効果的な誘惑を用いて自分達の足元をすくうものから、自分達を救うことにほかならない」ということを悟りました。
4.教派の積極的な働きを脅かすもの
神の働きとその拡大したもの全ては一つで、そして、同じ原則が[その働きを]管理しているでしょう。その同じ精神は設立された全ての施設で現されています。それは、福音的な働きの型を生み出す必要があります。その目的の全ての部門は、福音伝道地の全ての部門と関係づけられています。そして、一つの部門を管理する精神は伝道地全体を通して感じられるでしょう。もしも、一部の働き人達が高額の賃金を受けるならば、そこにはほかの人達も存在しています。その働きの別に設立された施設で、高額の賃金のために招かれる[人が存在する]と、自己犠牲的な精神の人は次第にその視点が失われるでしょう。ほかの施設とカンファレンスは同じ精神を捉えて採用するでしょう。主は、利己主義を決して是認できないので、主の好意はその人々から取り去られるでしょう。このように、私達の積極的な働きは、一つの終わりに来るでしょう。変わらずに続く犠牲によってだけ、それは前進が可能です。
神は全ての魂の信仰をテストしています。キリストは私達を計り知れない犠牲で買い取りました。主は富んでいましたが、私達のために、主は貧しくなりました。私達は主の清貧によって、永遠の富の財産の中に行くのでしょう。能力と知性を持っている私達は全て、その主によって、主の目的に役立てるために、信託に私達を加えました。キリストと共に、主の犠牲に参加する者であることは私達の特権です。
『レビュー&ヘラルド』1906.1.4参照。[79歳]
20章 働き人を管理する報酬の一般的な原則
1.犠牲的な賃金労働の祝福と満足
心に神の[人類救済]目的を持った人は、自分達は、自分のために働いているのではなく、また、自分達がもらっている少ない賃金のためにでもないということを、さらに、神は、自分達でもらうことができると考えるよりも小さな[賃金を]つくることができるということを悟る必要があります。主は、彼らが自己犠牲的な賃金労働者として[伝道地の]前線に行く時に、満足と祝福を与えるでしょう。また、主は、キリストの従順の中で賃金労働する私達全ての人を祝福するでしょう。私が、高い賃金を求めている人を見る時、「彼らは貴い祝福を失いつつある」と自分に言っています。私は、この一つの事実が存在することを知っています。私は、かつて何度も、それがなされた[場面を]見たことがあります。
さて、兄弟[姉妹]の皆さん、私達が、[それ]以上の[賃金]なしに私達に与えられた働きをすることは不可能だということを見つける時、私達はできる限り、高い賃金を期待せず要求せずに、最善を為して、定着させましょう。しかし、たとえそうであっても、私達と同じような、ほかの人々の[要求の]この必要を見ましょう。神がその人々の心にそれを見るために置いたので、そして、その人々は私達に話す千の言葉よりもっと感化力を持ったその言葉を話すでしょう。その人々は、奉仕に当たる人々の前に礼儀正しく立って、私達に与える言葉を語るでしょう。主は私達の助け、そして神です。私達の前の守りまた後ろの[守りです]。
私達が、神との正しい神人関係をもたらす時、私達は、進む所ではどこでも成功するでしょう。そして、それは、望むように成功するでしょう。金銭ではなく――生きた成功、そして、神は、私達の自己否定について全てを知っているので、それを私達に与えるでしょう。主は、私達のつくる全ての犠牲を知っています。みなさんは、自分の自己否定はほかに違うものをつくらないし、また、自分は深く考え、そうする義務があると考えましょう。しかし、それは、主によって大きな違いをつくります。繰り返し何度も、私は、「個人個人が、高賃金に次いで、また、高賃金の前段階に広がり始める時、もはや優勢な基準に立っていない立場に置かれている彼らの体験に何かがやってくる」ことを示されました。しかし、彼らが自己犠牲をしていたという事実に直面して、もたらされたその賃金を手にする時、主は、彼らの自己否定と主が彼らに与えた成功と勝利を見ています。これが、私に、何度もあらわされました。隠れたことを見ている主は、主の試した奉仕者達が、快くつくった全ての犠牲のために広い心で報いるでしょう。 『原稿』12,1913[86歳]
2.権利による要求ではない、契約による規定の要綱
キリストは招きの言葉を全ての人々に与えてます。「重荷を負って苦労している汝ら全ては、私の所に来てください。私は、あなた方に休息を与えましょう。あなた方は私のくびきを着けてください。私は心が優しく謙遜な者ですから、汝らは、あなた方の魂に休息を見つけるでしょう。私のくびきは負いやすいので、私の重荷は軽やかな存在です」(マタイ11:28-30)。もしも、全ての人々がキリストのくびきを身に着けるならば、もしも、全ての人々が主の教えることを主の学校で学ぶならば、そこには、多くの場所で、福音医療伝道の奉仕の働きの設立に十分な財産が存在していあるでしょう。
こう言わないようにしましょう。「私は、規定の要綱を明記するために、この働きに繋がるつもりです。もしも私がこの要綱を受け取らないならば、私はこの働きをしないつもりです」。ここに示したように言う人々は、キリストのくびきを身に着けていません。彼らはキリストの従順と謙遜を学んでいません。……
神の視界の中で私達の[存在]価値が増えているということは、世界の人々の幸福の中に富は存在しないということです。主を知ることと敬うことは、従順と悔改めのことです。イザヤ57章を読んでください。それは、神の民のための多くの財産のために、この章を慎重に研究してください。私は、それについて、コメントをしないつもりです。
『手紙』145,1904[77歳]
3.働きを為し、提示された賃金を受け入れる
全ての人は神から課された働きをすることを求められています。私達は小さな奉仕や、為されるためにある物事をすること、誰かが為す必要のあること、小さな機会で改善することなどを快くする必要があります。それがある機会だけの場合でも、私達は忠実に働きをする必要があります。頼まれた働きをすることを不本意に為したり、それはつまらないことだと考えて、数時間も数週間も無駄に費やしている人は、浪費した時間の決算報告をするよう神に呼ばれるでしょう。その人が、希望した賃金を得ることができなくて、自分はすることが何もない立場にあると感じているならば、その日一日、その人を止めて考えさせるのは、主です。その人は主の奉仕者です。その人は自分の時間を浪費するためにいるのではありません。その人に考えてもらいましょう。「私は何かを為して時間を費やしています。そして、私は神の働きを優先して全てを与えています。私は、何もしていないとは見なされないでしょう」。
人がこの上なく神を愛する時、また、その人の隣人を自分のように[愛する時]、その人は、多少にかかわらず、申し出て、自分のできることを尋ねることをやめないでしょう。その人は、その働きをするでしょう。そして、支給された賃金を受け取るでしょう。その人は、自分が得られると思う高額な賃金とみなすことができなくても、その仕事を断る例にはしないでしょう。
主は、人が仲間達との商取引中に活動している原則によって、人の品性/人格を評価しています。一般ビジネスの売買取引で、その人の原則に欠点があったならば、その人の神への霊的な奉仕にもたらされ、その欠点が宗教生活全体に編み込まれるでしょう。もしも、みなさんが、自分自身の働きに対する少ない賃金に強い尊厳を持っているならば、その時、偉大な教師のために働いて、主の宝庫に収益として納めましょう。あなたの生活の予備のために、神に謝意の捧げ物をつくりましょう。でも、怠惰の報告はどんなものもしないようにしましょう。
『原稿』156,1897[70歳]
4.賃金労働者のための支払い
主の方法は正確と平等です。学校の働き人達は、正当なきつい賃金労働によって、彼らが学校に与えた時間数によって[報酬を]受け取るでしょう。不正行為はどの働き人にも為されなくて当然です。もしも、一人の男性、あるいは、女性が、その学校でフルタイムで勤務した場合、その人は、学校がその人から受けたその時間のための[賃金を]その学校から受け取るために存在しています。もしも、ある人が、知性と、苦しい仕事、重労働の力を提供したならば、その人は、学校に与えた価値のため[の報酬]を受け取るために存在しています。正義と真実は、学校の現在と将来の存立の為ではなく、私達自身の個人的な義の恩恵のため、維持のために存在しています。主は最も小さな不正の仲間にはならないでしょう。 『原稿』69,1898[71歳]
5.労働の特権か賃金の特権か
主の奉仕者の名誉を与えられた存在という特権以上に自分の賃金を考える人々と、賃金を受け取るために存在しているゆえに自己満足の精神によって自分の働きとして就く人は、自分達の働きの中に自己否定や自己犠牲をもたらしません。[ブドウ園の家長に夕方]最後に雇われた人々は、その家長の言葉「どんな人にも権利が存在します。あなたは受け取るでしょう」(マタイ20:7)を信じました(訳者加筆:これはKJVだけあります。RSVや口語訳、共同訳にはありません)。彼らは、自分達が一日分を受けるに値するかもしれないと知りました。そして、彼らは自分達の働きの中に信仰をもたらしたので、最初に並べられました。もしも、一日中働いた人々が、自分達の仕事に信頼の精神と愛情をもたらしていたならば、彼らは、列の先頭になるように続いたことでしょう。
主イエスは、仕事が為されたその精神によってその仕事の価値を評価しています。主は、[世界の]終わり近くに、神の戒めを遵守し、謙虚に信仰を持ってやってくる悔い改めた罪びと達を受け入れるでしょう。
キリスト、彼らの偉大な教師は、主の奉仕に就いている人々に、正直なところ、彼らに契約を授けていませんが、「彼らは総額を保証された者として協定を結ぶために存在しているのではありません」と警告しています。主は、「ブツブツと不平を言う人々は、自分達が考えた憤りの決算によって、共鳴せず受け入れないでしょう」という譬えを教えています。 『原稿』87,1899[72歳]
金銭上の真の成功は、神が指し示した働きから離れるように導く誘惑に心を開放する人と、高給を得ることを切望する魂に決してやってこないでしょう。神の知恵が議長を務めて、最高位を占めない限り、どのような人も、どのような家族も、堅固な組織や施設も、金銭上の成功は決して存在しえないでしょう。 『手紙』2,1898.(トラクト「私達の教会で学ぶ人々のために」p.4)
6.費用が掛かる家族
人々は、私に、費用の掛かる家族、容認される家族として懇願して、「自分達は高給をもらって当然です」という手紙を書いて送ってきました。同時に、彼らが繫がっていた施設は、追われる出費の金額の近くに[賃金の額が]義務付けられていました。高給を求めている理由として、なぜ、どの人も支出の多い家族として懇願するのでしょうか。キリストが与えた、満足する教訓があるのではありませんか。主は「もしも、誰かが私の後についてくるなら、自分で自分を否定せて、自分の十字架を負って、私についてきてください」(マタイ16:24)と言いました。
私達の施設は、魂の救いの働きを優先した効果的な手段として奉仕するために設立されました。この施設に繫がった人々は、自分達が[その施設から]どのように資金を多く引き出すことができるかではなく、この施設をどのように助けることができるかを研究するために存在しています。もしも、彼らが、自分達に支払われる報酬以上を手にするならば、彼らは神の[魂の救いの]目的を妨げています。これらの施設に繋がった全ての人々は、こう言いましょう。
「私は自分の賃金を高額に定めないつもりです。それは特別な財産を奪うでしょう。そして、[三天使の]憐れみのメッセージの宣布が妨げられるでしょう。私は倹約を実践する必要があります。伝道地に出ている人々は、私が為している働きと本質的に同じ、一つの働きを為しています。私は、自分の力でその人々を助けるために行動する必要があります。私が手にしているものは神の財産です。キリストが私の所で為しているように、私は[キリストの所で]為すつもりです。私は豪華な物にお金を使わないでしょう。私は福音伝道地にいる主の働き人達を忘れないでしょう。彼らは、私が必要としている以上に、資金を必要としています。彼らの働きの中で、彼らは多くの貧困と悩みにある人々とコンタクトを取ります。彼らは、空腹時に食物が与えられ、裸の時に衣服が与えられる必要があります。私は支出を切り詰める必要があります。そうすると、私は彼らの愛の賃金労働を分かち合うでしょう」。
『特別な証』シリーズB,No.19,pp.19,20
7.平等のためのアピール
私達の間にもっと平等が存在するようにしましょう。そこには、報酬を手にするための大きすぎる熱心さが存在しています。賃金労働者達が為した利己的な評価がつくられて存在しています。給料を目当てにしながらも、神の[魂を救う]目的を優先して、神のために、働きが為される場所に置かれる人は、確固とした仕事をする順応性を持っていると考えているので、大きなサラリーを受ける人はいないでしょう。多くを与えられた人は、多くを求められるでしょう[ルカ12:48]。彼らの能力と彼ら自身が探究した特殊な賜物を根拠に、人々は大きなサラリーを受けて当然だと主張するでしょう。「私は技術の仕事をしています。その才能は誰のものですか」「私は、神に偉大な栄誉をもたらすためにそのような方法でそれなりにそれらのタレントを使ったつもりです。私は、自分に貸されたその才能を疑いましたか」。それらの才能の聖別された利用は、神の[魂を救う]目的の財源をもたらすでしょう。私達の才能はみな神に属しています。そして二つの原則[才能と目的]と関心はある日、主に帰って手渡しされるために存在しています。
もしも、何年も神の働きに繫がっていた人々が、主のブドウ園で、愚かな動機によって、また、正しい原則から離れて神の目的[に使うこと]から財産を[自分のために使うことに]転換することによって、さらに、正しくない小道にほかの人々を導く感化力を利用することによって、いかに多くの正しくないことをしてきたかを注意深く研究するならば、彼らは、「後悔する必要はない」ということを悔い改めによって、神の前に自分達の謙遜を表すでしょう。彼らは自分自身にこう尋ねるでしょう。「‟私の主、そなたにどれくらい多くの金額を借りているでしょうか”(ルカ16:5)。私はその誤用したタレントに報いるために、それに続く、私自身の清められた神のかたちについて、どのように決算報告しますか。その[自分のために使うという]目的のその手段に限った私の賢くない動機の悪い結果の染みを取り去るために、私に何ができるでしょうか」。全ての人々は、忠実さによって、信頼される業務に従事してきました。今では、主の宝庫には資金の欠乏は存在しないでしょう。
私達と神の働きとの関係は、人間の評価によって、どれほど働いた、どれほど支払うというように、給料目当てが基礎に置かれるために存在しているのではありません。人々の奉仕に価値があると考えるのは、人々にとって大きな間違いです。神が御言葉のための真理として存在するようにしましょう。偉大な教師のために為された働きの評価の中に大きな変化が存在しているでしょう。
多く[賃金]を手に握るために準備された人々の中に、修正されるための多くの事柄が存在しています。どれほど、相応しくない人々が、報酬を自己中心的に握っているでしょう。この高給への切望は、多くの人々の心から神の愛を吐き出しました。地位のプライド(自負/自慢/誇り)は、何千人をも滅ぼした害を及ぼすような豪華な椅子です。いいえ、何万人もです。栄誉と誇示に満ちた野望は、原則の資格を失ったので、滅ぼされました。彼らは内輪同士で平等に自分達自身を測定評価し、そして、自分達自身と自分達自身を比較しました。信用と報酬をつかみたいという彼らの熱望は、霊的な権威を下げたという結果になりました。ここに存在する全ての教訓は、慎重に研究する必要があります。彼らは、利己主義と金銭への貪欲に対して、また、神の愛を台無しにした魂を蝕むプライド(自負/自慢/誇り)に対して警告されるでしょう。
神の働きに繫がった人は誰でも、賃金のために働くことを断っている時でもその人は[賃金を]受け取っています。その人は自分が奉仕したことのための筋の通った金銭を受け取っています。その人は求めたものを得るでしょう。しかし、それ[受け取った金銭]は、しばしば、その人の心の中の神の恵みを喪失[させるもの]として存在するでしょう。それ[神の恵み]は、金や銀、宝石よりも、もっと価値のあるものに属しています。 『原稿』164,1899[72歳]
8.大きな賃金の弊害
キリストの受肉は、自己犠牲活動の一つです。彼の生涯は自己否定の連続です。人間への神の愛の高い栄誉は、天の父のひとり子、主の犠牲によって現されました。主は、神の人格のかたちimageの表れでした。これは、神性の大きな謎です。キリストの精神を持つことは、特権で、キリストにつくと公言する全ての人々の義務です。自己否定と十字架の忍耐なしに、私達は主の弟子として存在することができません。
レビュー アンド ヘラルドのオフィスで働いている人々のために、高額な賃金を支払うことの決議が提出され承認された時、特別な敵は、神の目的を逸らして、魂達を間違った小道に導く計画に成功していました。利己主義と手に握りたいという精神が高額な賃金を受け入れました。働き人達は、キリストの教訓によって定め、その原則を実践しましたが、彼らは、良心的にそのような賃金を受けることはできませんでした。そして、何がこの賃金を増やす結果にしたのでしょうか。家族生活の出費は大きく増えていました。そこには、キリストの生涯によって与えられた模範と指導からの逸脱がありました。プライド(自負/自慢/誇り)は、目覚めさせられ思い通りにさせられ、資金は、誇示と必要のない満足感のために支出されました。世界の人々への愛は心の財産とされ、清められていない野心が魂の宮のルールとなりました。高額な賃金は一つのコースとなりました。その例はキリストにならったものではありませんでした。そうではなく、この世界の人々に習ったものでした。
キリストへの愛は、自己放縦に導かないでしょう。それは、どのような楽しみのためや自己満足、人間の心にあるプライド(自負/自慢/誇り)を助長するような、財産の支出の必要に導かないでしょう。心の中のイエスに属する愛は、魂を神の意思との全的な一致と謙遜に導くでしょう。
『手紙』21,1894
罪が心を打つと、それは、人間存在の最も高貴な部分を責め立てます。それは、人間の神のような能力と力によって、恐ろしい混乱とパニックを引き起こします。身体的な病が全身を衰弱させる一方、自己中心性と「もっと欲しい」という病は、その魂を枯らしてしまいます。
『手紙』26,1897[70歳]
9.高額な賃金は優秀な人々によって求められた
私の心は、夜の間に私の前を通り過ぎて行ったシーンによってとても感動させられました。夜の間、私は[教会の]兄弟達がどこかで、私が賛成できない「計画を提案している声」を聞きました。彼らが作った声明は、「彼らが間違った路線にいること。彼らが、惑わしから自分達を守ることになる経験を持っていないこと」を指し示していました。私は、私達の兄弟の誰かの口から、神への信仰がないだけでなく、神の真理への忠誠もない言葉を聞いたために、悲しくなって心が重くなりました。その提案は、「もしも、外に持ち出されたならば、[提案は]一直線に狭い道に破棄されるだろう」のように作られていました。
誰かが、「もしも、高額な賃金が優秀な才能のある人に人々に支払われたならば、その人々は我々の間に居続けるだろう。すると、もっと熟達した方法によって、もっと働きが成し遂げられるだろう。そして、[魂達を救うという]真理の目的が、据えられた土台の上に立つだろう」と考えました。
この事柄に関して、私は、決して間違うことがない御方から指導を受け取りました。この計画は次のような事柄に従ったものだと考えます。私は「誰が、真に有用さと働く仲間へ感化を及ぼすことを評定するのに適任ですか」と尋ねました。でも、神の奉仕に関して、ほかの人々の有用さを判断する適任な人はいませんでした。
地位や役職を得た人は、神の[人類救済]目的の中で、自分の有用さのしるしだけが存在するのではありません。良い感化を人に与えるものは、聖霊の聖化によるキリストのような品性/人格の発達に存在しているでしょう。神による評価において、人の信心深さの程度はその人の奉仕の価値によって判定されます。
神は、神性の性質に参加している人々だけの奉仕を受け入れています。[神性の奉仕において]キリストなしに、人は何事もすることができません[ヨハネ15:5]。神への愛と人への愛は、唯一、人間[のために]神による優位な土台の上に場所を占めています。神性の指示への従順は、私達が神と協力する賃金労働者になることを可能にしています。その実である愛は、クリスチャンという木から生まれました。その実は命の木の葉のように、特別な国民を癒すために存在しています。
『原稿』108,1903[76歳]
10.生活の必要度と生活の快適さ
主の宝庫には、魂を救う働きに時間を捧げる人々を支えるため、また、十分に与えるための十分な資金が存在しているでしょう。彼らの公正な賃金は、彼らに渋々与えられるものではないでしょう。偉大な教師のための賃金労働に快く従事している人々は、生活の必要が欠乏することを受け入れないでしょう。彼らは不自由なく生活することや、神の[人類救済]目的に寄付ができるように十分に持つことが可能になるでしょう。彼らが捧げ物を用意するよう導かれて期待されることは、たびたび起こります。 『原稿』103,1906[79歳]
11.世俗を離れ、義務への冒険と義務への闘い
調整する必要のある多くの事柄があります。もしも、私達が原則を固守するならば、調整する必要があるでしょう。私達の[教会の]牧師達にと思われる、特別な指導が私に与えられました。彼らが豊かであることを求めるのは、神の意図ではありませんでした。彼らは、霊的な事柄に最善の力を注ぐためと、彼らの資格を失うために、世俗の冒険に繫がらないでしょう。しかし、彼らは、自分達の家族と自分達自身を支えるために、十分な賃金を受け取るために存在しています。また、彼らは、教会と家族に的確な注意を与えることができないほど多くの重荷を抱え込むために存在しているのでもありません。アブラハムが主の道を守ることと、公平に裁くことをしたように彼らの子ども達に教えることは、彼らの義務です。……
牧師達と教師達は覚えておきましょう。神は、彼らにオフィスの任務を果たすこと、自分達の能力でベストを尽くすことの責任の報告を待っています。彼らは、神が彼らに与えている働きと、果たす義務を放棄するために存在しているのではありません。牧師達と教師達が経済的な責任の重荷を負わせられ続ける時に、弱り疲れて説教壇に登る、または、教壇に立つ時、頭痛がして神経がすり減った状態で、しかも、神聖な神の火[真理、霊感]の代わりに、一般の火[解雇、非難]が利用されて何が期待されますか。緊張させられ、ボロボロにされた努力は、その話し手の心を傷つけ、聴衆をも失望させるでしょう。その人は、主を求める時間を持っていませんでした。聖霊の慰めとなる言葉に信仰をもって求める時間がありませんでした。私達はこの働き方の方法を変える必要はないのですか。 『原稿』101,1902[75歳]
12.高価を楽しむ涵養を避ける
私達の働き人達は、遠くを見ることに目覚める必要があります。多くの自己否定と自己犠牲は死んでいるので、これらの要素は再度、命によみがえらせる必要があります。人々は、自分達が求めた大きな賃金は主の宝庫から搾り取っていることを理解する必要があります。彼らは、自分達の活動を世界中の人々に「私の主は、戻って来ることを延期しています」(マタイ24:48)と言って、神の金銭を個人的な興味に包帯のように巻き付けています。このことは変えなくていいのですか。誰が、偉大な教師、偉大な働き人の偉大な模範にまで達するのでしょうか。
『手紙』120,1899
質素な賃金について語らないでください。高価で豪華なドレスや家具のための涵養を避けてください。簡素の中に自己否定と信仰を始めて、主の働きを優先しましょう。 『手紙』94,1899[72歳]
13.初期の日々に求められた自己否定は、今日もなお
今日、多くの人々に求められている自己否定は、ちょうど、私達が最初にこの働きを始めた時、ほんの僅か一握り程の人々だけだった時、私達が自己否定の意味が何かを知っていた時、私達が僅かの新聞やパンフレットを送り出した時と同じように、それ[自己否定]は、闇と無知の世界にいる人々に出て行くでしょう。そこには、そのオフィスで今日繫がった少しの人々がいます。その人はその頃から私達と一緒でした。何年も私達はかろうじて、運び入れた家具、質素な食事と衣服を除いて、賃金を受けませんでした。私達は仕立て直した衣服を喜んだものです。時には、とても堅い食物も食べました。全て何もかも、その働きに使っていました。後のある時、夫は週6ドルを受け取りました。そして、私達はそれで生きてきました。そして、私は[魂を救う]目的のために彼と一緒に働きました。ほかの人達も同じような方法で賃金労働をしました。……
その働きを引き継いで来て、後にそれを成功させた人々は、非常に控えめに世渡りするでしょう。彼らは自己犠牲の精神を現すでしょう。神は、ここにある施設はまさにその基礎に置かれていた自己犠牲によって運営されるということを意図しています。
『全体総会会報』p.184,1891.20[64歳]
この働きはそれが存在するように為される時、私達がその真理の転回に加わるために神性の熱意と共に賃金労働する時、世界の人々は、真理のメッセージに一つの力が伴っているのを見るでしょう。信徒達の一致は、人々の関心を一つにして、異なる彼らの性質に完全な調和をもたらすことができる真理の力の証を生み出しています。
信徒達の祈りと捧げ物は、誠意や自己犠牲的努力と共に集められています。そして、彼らは確かにこの世界に、天使達に、そして、人々に目を見張る風景、絶景です。人々は、再び回心させられます。高額の賃金に報いるためにかつてつかんだその手は、神の手を助けをするようになっています。信徒達は、一つの関心、神が賛美される真理のセンターを作る望みによって一つです。キリストは彼らを共に清い絆と連合と愛で結び、魅力的な絆で結んでいます。
主の試練の前に、立って、しかし、十字架上で、イエスが祈ったのはこの連合のためです。主はこう言いました。「彼らは、すべて、一つとして存在するでしょう。そなた、父、私の中に存在し、そして、私が汝の中に[存在し]、また、人々が私の中に存在するように、世界中の人々が、汝が私を遣わしたことを信じるでしょう」(ヨハネ17:21)。
『手紙』32,1903[76歳]
21章 私達の施設の中にいる働き人達
1.真に最善のタレントの獲得
時の経過とともに、私は、私達の[魂達を救う]目的のために、また、私達の様々な施設とほかの多くの部門での働きのために、真に最良の才能のある人を獲得する必要について、聖霊によって急き立てられていると感じるようになりました。この働きに繫がった人々は、訓練される人々である必要があります。その人々は、知恵と理解において、神が教えることが可能な人、また、神がダニエルにしたように、神が名誉を授けることが可能な人々です。彼らは、考える人々である必要があります。その人々は神の印象を[生み出して]身に付ける人、また、聖化に向かって、道徳的な気品に向かって、彼らの賃金労働の美点に向かって、少しずつ成長している人々です。もしも、彼らが人々[と共に]成長しているならば、もしも、彼らが理性の知性と清められた知識を所有しているならば、もしも、彼らが神の声に耳を傾け、そして、天からの全ての光/真理のきらめきを捉えるよう求めているならば、彼らは、神の知恵に向かって、神の好意に向かって成長するでしょう。……
私達の施設に繫がるに際して、地位に導かれて就いた人々は、知性が涵養された知識人としての能力を十分に持って、その知識を尊ぶ広がりをもった人々、そして、彼らが[生み出して]負った責務に自分達を釣り合わせて報いる人々として存在する必要があります。事実、主の働きに繫がったこれらの人々は、自分達が受け取った賃金のために、単にそのように[報いること]は為さないでしょう。しかし、神の名誉のために、神の[人類救済]目的を優先して、朽ちない富を得るためにそうするでしょう。同時に、私達は「熟慮と入念な努力、そして、それを正確に徹底して為すよう求めた一つの仕事を受け持つ受容能力があるこれらの知識人達は、やがて、最も技術に熟達した働き人に優るとも劣らず、その埋め合わせを同様に受け取れる」と期待しないほうがいいでしょう。真の評価は才能の上に置かれる必要があります。真の働きと知的な能力を正しく認識することができない人々は、私達の施設の中で管理者の地位を占めない方がいいでしょう。彼らの感化は、その仕事について不平を言い、その進展に防壁を立て、そして、低いレベルに落とし込む傾向があるでしょう。
もしも、私達の施設にあるようにと神がデザインした成功が存在しているならば、この施設には、もっと考え深く熱心に祈り、湧き立つ熱意と技術の熟達した労働者達が加えられるに違いありません。このクラスの労働者達をこの仕事に繫ぐには、多額の資金支出が求められるでしょう。しかし、一方で、あらゆる可能性によって実践された倹約は不可欠です。また、低賃金で働く人々の労働によって資金を守ろうとする狭い心の人の努力と、賃金の安さという特性で対応する労働者[の努力]では、彼らを失って終わりという結果となることがわかるでしょう。その働きの進展は遅らされて、そして、その[魂を救う]目的は価値を落とされるでしょう。 『手紙』63,1886[59歳]
2.施設の働き人達のための賃金
出版の働きは、犠牲によって設立されました。それは、神の特別な摂理によって管理運営されてきました。私達は、それを極貧の中で始めました。私達は食べ物や衣服にさえひどく苦労する状態でした。[生産地からのポテトの]供給が不足して、そして、私達が高い金額をポテトのために払わなければならなくなった時、私達はポテトの代わりにカブで代用しました。一週間に6ドルが、私達の労働[賃金]として最初の数年に受け取った全てでした。
(訳者加筆:『エレン・G・ホワイト百科事典』p.37に載っていエピソードから推測すると、当時の1ドル=現在の1000円くらいかと思われます。また、「スタンダード石油」の創設者ロックフェラーは1850年代に週給5ドルの生地店員から身を起こしたと伝えられています。この額は当時の平均的な賃金と考えられます)
「あなたが、私達と家具を上から見ることができたら、思わず笑うでしょう。私達は1台25セント(1セント=1/100ドル)でベッドの骨組みを買いました。夫は6脚のイスを持ってきました。二つと同じものはありませんでした。全部で1ドルでした。間もなく、彼はシートのない4脚のイスを私にプレゼントしました。それは62セントでした。骨組みは丈夫でした。私は練習して座っていました。バターは私達が買うにはとても高価です。私達はジャガイモを買う余裕さえありませんでした。バターの代わりにソースを、ポテトの代わりにカブを使いました」(1T 90 2SG160,161 LS 80,287)。
私達は大所帯*でした。しかし、私達は資力なしに自分達の生活の出費ばかり抱えていました。私達は、自分達が欲しいと思った全てを購入することはできませんでした。私達はしたいと思っていることを封じておく必要がありました。でも、私達は、「世界の人々が、この働きによって、聖霊と魂の全体が編み込まれて、現在の真理の光を持つようにしよう」と決意しました。私達は、朝早くから夜遅くまで、休むことなく、賃金の励みになる動機もないままに働きました。……そして、神は私達の中に存在していました。出版の働きが好転してきて、賃金は、本来、[支払いされる]必要がある額に増やされました。
*訳者加筆「大所帯」について、先に引用した『百科事典』p.37の前段落に次のように説明があります。「印刷所のスタッフ達が一緒に住んだ」ことが大所帯の理由です。
1851年8月にホワイト夫妻は、ニューヨーク サラトガ スプリングに居を移した。そこで、ジェームズは『レビュー&ヘラルド』を1852年3月まで発行した。4月、「[人々を救う]目的[を果たすため]の増加する必要に応じて、彼らはニューヨーク ロチェスターに引っ越した。そこで、印刷できる一軒の家を借りた。そこは、安息日遵守のアドベンチスト達による最初の印刷所だった。そこで、『レビュー&ヘラルド』と『ユース
インストラクター』を印刷した(2CG160 LS80,287 1T 90)。4年間、彼らは住んだ。そして、ロチェスターで働いた。実体のある教派の組織を管理運営する上での発行物を出版し始めた。スタッフメンバーの働き人達は、その借家に共に住んだ。その生活状況は、エレンが数人の友人に宛てた次のレポートに見られるようになった。
3.賃金等級、しかし、無意味
私がスイスに滞在していた間[在ヨーロッパ:1885.8.-1887.3]、私に、バトルクリークから、「オフィスの働き人は一週間に12ドル以上を受け取る人はいないという計画が作られた」との言葉がやって来ました。私は言いました。こんな働きはないでしょう。これ以上の高い賃金を受け取るということは、誰かのための必要として存在しているでしょう。しかし、この[6ドルの]2倍の総額は、そのオフィスに繫がったどのような人にも与えられないでしょう。もしも、誰かがとても高額の資金を受け取ったとしたら、正義は、全ての人に示されることができないでしょう。誰かに供給した高額の賃金は世界の[人々を救う]計画のために存在しています。一方、ほかの人々は、この方法が当然だとしてはるかに少ない[額を]受け取っています。ここに、正義は存在していません。
主は、全ての学校、全ての印刷所、健康施設、出版所に主を愛し畏れる信仰深い人々を持っているでしょう。彼らの賃金は、世俗の基準に合わせられる必要がないでしょう。そこには、できる限りを維持するための並み外れた判断を実行したエリート階層は存在せず、天に属する律法である一つの平等が存在しているでしょう。「汝らはみな兄弟[姉妹]です」(マタイ23:8)。人々は高額の賃金を請求しないでしょう。そして、そのような賃金は、能力と才能を保証するための動機として贈られないでしょう。ここに世俗の原則の事柄が置かれています。賃金の上昇は、自分中心、自負心、誇示、自己満足、そして、神に什一を納め、捧げ物を贈ることを第一にする人々にする必要のない贅沢などと共に関連して持ち込まれています。清貧はそれらの近くに全て見られます。神を愛し主への奉仕に奮闘する悔い改めた魂、謙遜、自己犠牲の人々という特例と共に、同じく主が愛している人々は、人生の良いこと全てを持って自由を感じている人以上に、主の偉大な不朽の愛の心近くにいつまでも存在しています。
4.世界の人々の基準をコピーするためではない
私は、「私達は世界の人々の基準をコピーするために存在しているのではない」ということを指摘していると思われる多くの証を書きました。私達は、自分の好みのもの、得られるもの全てを手に入れることに熱中するために、また、世俗の人々がしているような、ドレスや豪華な生活に収入を使うために存在しているのではありません。自分達が楽しむために生きることは、私達を少しも幸せにしてくれません。金銭の不必要な支出は神の庫の宝物を気付かれないうちに減らしています。そして、ある人は、不足分を埋める必要がありました。この世界にキリストの王国を築くための手際の良さは、人々が神の什一と捧げ物を減らすので、大きく阻害されています。
「高賃金を求める人の力は、一人の働き人として、神の目の中で、自分の価値が評価されている」時だという考えを優先しないようにしましょう。世界中の人々の目の中では、人の価値は「資産価値がいくら存在するか」で評価されています。天の書は、人の価値をその人が託された資金によって成し遂げた、ほど良い大きさで記録しています。神に属する愛と畏れにある、神の栄誉を優先し全体に清められた人の才能によって、人は、自分の本当の価値を示すことを為し得るのでしょう。その人の働きが神の評価によって測られるように、神の報酬が全ての人々に与えられる時、彼が天に送ったものの大きさがわかるでしょう。
何年も、生み出されて記事となった私の証がわずかな金額に換えられて、何人かの私の[教会の]牧師達に支払われました。天の書の中を尋ね調べてみましょう。すると、あなたは、私達の[教会の]牧師達の誰かに最近配ったものを見つけるでしょう。会計監査委員は自分達の業務を理解し、また、キリストの精神を持っている必要があります。この会計監査委員には、心の狭い人がいます。自己否定と自己犠牲の本当の考えを持っていない人は、神に属する牧師に請求しました。彼らは、家と妻と子ども達を残し、神のための宣教師になることについての真の評価の視点を持っていませんでした。神に属する真の牧師は、自分の全生涯を一つの犠牲の中に傾けているでしょう。
5.サラマンカでの警告
ニューヨーク州サラマンカにいた、1890年11月、そこで、多くのことが[イエスから]私に現されました。私は「神が好ましく思わない一つの精神がそのオフィスに入ってきた」ということを示されました。何人かが高額の賃金を受け入れる一方、そこには、何年も忠実に一つの地位で働いていたほかの人々も存在していました。その人々は非常に少ない[賃金を]受け取っていました。私は、「神の秩序は打ち壊されるために存在しているのではありません。また、宣教の精神は輝きを奪われました」と、何度も繰り返して示されました。……
私は、そこには、神の[人々を救う]目的のために、捧げ物をつくり、什一を納めている多くの自己否定をしている人々がいるということを知りました。その働きの長に立っている人々は、このように、謙虚に言えるコースを取っているでしょう。「来てください。私達は犠牲を求められた働きによってお互いに活動し合い、そして、継続的な自己否定によって支えていきましょう」。倹約を実践していた私達の施設の長は、優秀ではありませんでしたが、働き人達の思いを一つにまとめてつないでいたでしょう。 『原稿』25a,1891
6.1890年の危機と脅威に関する見解
私は、バトルクリークにあるサナトリウムと出版所、そして、一般的な私達の施設の展望に警告を発しました。一つの精神が、施設から現れ始めました。年が経つにつれて、施設の中で強くなり、主が御言葉で明らかにした精神は、私達の健康施設と出版所で、その内科医達と働き人達が結託して、異なる特徴を持って全体に広がっています。サナトリウムの内科医達と、出版所の責任ある立場にいる人々に受け入れられているそのアイデは、キリスト教の自己否定と自己犠牲によって統制された責務のもとに存在していませんでした。しかし、このアイデアはそれ自身がサタンの会合に起源を持っています。内科医達がその施設の働き人達よりも高額の賃金を受け取る存在であると考えて、その事実の声明を作った時、彼らは、自分達が、利己主義ではなく、神を畏れ、キリストに仕える人、大教師の働きを忠実に為していて、その上に、頼らない人間として存在しているということを示しました。利己主義の願望に支配された人々は、私達の施設に繫がれず残される必要もありません。……
彼らは為したことによって裁かれ、言うまでもありませんが、彼らが設定した以上の一つの基準によって裁かれるでしょう。ですから、神は、人々が自分自身に置いた価値と人々の奉仕に見合った返礼を求めるでしょう。もしも、彼らが自分達の才能をとても大きく見積もって、また、自分達の能力に高い評価を置いて、報告したならば、彼らは、自己評価と請求に見合った奉仕で返還することを求められるでしょう。すると、天の父とそのひとり子イエスキリストと、何らかの現実的な知り合い関係を持つ人々はほとんどいないでしょう。もしも、彼らが、キリストの霊を吹き込まれるならば、彼らは、キリストの働きを為すでしょう。「この精神をあなた方の中に存在させましょう。それは、キリストイエスに存在していました」(フィリップ15:5)。
7.神に属する才能
正しく評価し裁く主は[神性の奉仕において]「私を離れて汝らは何もすることができません」(ヨハネ15:5)と言っています。全ての才能は大きいものも小ささいものも、主の奉仕に用いるために、神によって人に委託されました。そして、人々が自分の能力を自分のために純粋に使う時、また、それらを調和して働かせるための医療行為による特別なケアが必要ない時に、同じ信仰に属している人々は、自分自身によってそれらの[委託された]人々を評価し裁くために心が向けられていることを明らかにします。彼らはキリストへの祈りの答えを求めていません。主が父と一つの存在であるように、彼らは一つの存在でしょう。人々が自分達のした奉仕に途方もない価格を求めた時、地の全てを評価し裁く神は、彼ら自身の過大評価をした査定について、彼らを把握しているでしょう。そして、彼ら自身に彼らが置いた価値の範囲の全部を彼らに求めるでしょう。
彼らが、自分自身の価値を金額の視点から評価する時、神は、彼ら自身の評価額と彼らの奉仕を比べて、彼らの奉仕活動を判断し裁くでしょう。キリストに属する奉仕において、主観的に感化を及ぼす人々は、「その人自身による自己評価」と、「自分に求められたほかの人々への奉仕」の関係において、決して均衡を保てないので、このように自分の能力を過大評価した人々は、改心しない限り、一人も天国に入れないでしょう。……
彼の奉仕のために、私達の施設から得ることができる全ての金銭を取ることに熱望し、自己中心的で手にしたいという人は、神の働きに従事して取り巻いていて、確かに、彼は自分の報酬を得ています。彼は、永遠に委託される価値あるものとして数えられることができません。天の住み家にあるキリストの報酬は、これらの自己を否定し、十字架を負って主について行く人々のために用意されてきました。血で買い取られた子孫の中に入る人々に会うために、この人生の調査的な期間にテストされます。主が、罪に落ちた人々を救うために主自身を与えた時、キリストが現した自己犠牲の精神を持つ人々は、その杯から飲み、浸礼によるバプテスマを受けました。彼らは、贖い主の栄光を分かち合うでしょう。
『手紙』41,1890[63歳]
8.自己否定の重要性
私は、私達の出版所のオフィスは、一般の出版所にあるものと同じ原則で管理されるのはよくないということを示されました。それは、訓練学校の次のような何かであるために存在しています。そこと繫がった全ての人々は、一人の真の福音伝道者であり、そこに存在する人にもたらされた同じ原則で働くために存在しています。自己否定は全ての働き人達の特徴でしょう。……
自己否定はそのオフィスの責任ある地位で働いた人々の特徴でしょう。また、彼らは働き人みんなに手本として存在しているでしょう。そのオフィスは、自己否定が至る所に存在するようになりました。そして、同じ精神が現されて維持管理されました。その偉大な目的は、思想によって保たれる必要があります。ここに、宣教的な精神があります。宣教的な精神を持たない人々がこの働きを続けるのは良くありません。
『手紙』5,1892[65歳]
9.私達の施設での脅威
パウロは教会の中に悪霊達が入り込んでいるのを見ました。そして、彼は宣言しました。「私は神のねたみによってあなたがたをねたんでいます」[出エジプト20:5]。私はあなたがたを一人の御方の花嫁としました。私はあなた方をキリストに純潔なおとめとして贈りました。しかし、私は、ヘビが巧妙さを通してエバを惑わしたように、何らかの方法によって、キリストの中に存在している純潔から、あなた方の知性が汚されて滅ぼされるのではないかと恐れています」(2コリント11:2,3)。
今日の私達の学校、私達の施設、私達の教会の脅威として、悪魔が存在しています。正されなければ、それは多くの魂を危険にさらすでしょう。ある人は「自分は、高額の賃金を請求した信徒ではない人々の間で働きの一翼を担っているので、すごく気に入られるかもしれない」と考えるでしょう。人は、不満によく合った高く値を付ける者に自分自身を売りこむでしょう。私達の施設の全ての労働者を統制する原則の安全のために、主は、私に、責任を負っている全ての人々に「ここに、自己中心性ともっと欲しいという悪魔のイースト菌があるので、ぐずぐずすることなく、そのような全てから断ち切ってください」と言うように、命じました。
彼らは、自分自身によって自分自身を測っています。そして、自分自身と自分自身を比べています。あなた方が[そのような]彼らのために為せる最も悪いことは、彼らを募集し雇うために存在していることです。しかしながら、彼らは編集者やマネージャーとして存在しています。神は、そのような一人の人間と共に存在してはいません。そして、あなた方は彼をどのようにしても安全に捉えておくことはできません。不信仰な雰囲気が彼の魂を取り巻いています。彼が作った譬えは、二重の取引に導いています。彼は自分に「もしも、そのような人が、そのような給与を受け取ったならば、私は全く同じ額を受け取るつもりです」と言っています。彼は、律法に記されたものと、そして、自分自身が利用するための適切な資金を超えて、知ったか振りになっています。このようにして、彼は天の宝を失っています。神は、アカン[ヨシュア7:18]の罪を見ていたように、この人の罪を見ています。主は、そのような、その働きの正しい枠組を作るよう伝えることができない人々を見ています。彼らは、困難な伝道地で労苦している人々や、伝道地で窮乏している人々の必要に自分の賃金の一部を差し出さず、人々の必要に応えることができません。神は、このようなあらゆるケースを見ています。また、主は、自分自身をこのように測る人々、自分達が持って当然という考えで受け取り、自分中心のケアをしている人々を評価し裁いて通り過ぎるでしょう。 『原稿』97,1899[72歳]
10.主の働きを危険にさらす目立った特徴
為されるために存在している、主の大きな働きを考える私達の労働者達は、倹約した賃金で働くことを快くするでしょう。もしも、あなた方が高額な賃金を得ようとするならば、私達の世界に来て、自己否定の生涯を過ごしたキリストの模範を深く考える必要があります。同時に、それは、働き人達によって求められた高額の賃金を意味します。もしも、あなた方が、高額の賃金を求めて受け入れるならば、そのドアはほかの人々に同じようにするために開かれています。その仕事の精神を害するきっかけは、バトルクリークの働き人達の間の高額な賃金のための要請でした。二人がこの動静に導かれました。二人は、三人か四人によって誘われました。その結果は、もしもその多数派に従ったならば、このメッセージの働きの卓越した特徴の一つを破壊したに違いない行動の流れへの合流でした。現在の真理[再臨・安息日・聖所・三天使のメッセージ・信仰による義など]の[人類救済の]目的は、自己否定と自己犠牲に基礎づけられています。この自己中心性と手に入れたいという精神は、それ[現在の真理]自身の原則に全体的に逆らっています。それは、命を奪う癩病leprosy [20]のような存在です。それは時に、身体全体を侵すでしょう。私はそれを畏れています。私達は、単純にだまされないように、初期の頃の私達の働きのしるしだった、自己犠牲の精神を心に留めておく必要があります。
あなた方は○○というサナトリウムで「広く感化を及ぼす努力をすることが困難だ」ということがわからないでしょう。もしも、あなたが自分が受けて当然と思った通りに同意できる賃金を求めるのではなく、自己中心的でない側面の活動をするならば、主はあなたの働きによってあなたを支えるでしょう。もしも、一方で、あなたが高額な賃金を求めると、もう一人、また、一人が「自分達は公平にあなたと同じ高い賃金を要求する権利を持っています。そして、この手段によるその金銭は、ほかの場所で現在の真理の目的の働きを推進するための費用として使用されます」と考えるでしょう。
重大な決意によって、私達はあらゆる側の疑問点を研究しようとしています。私達は、責任ある働き者として活動するための働き場を与えられているということを、これらからも覚えておくために存在しています。誰かは自分達の給与の引き上げの世俗的な流儀に追随するでしょう。しかし、主は、それらの人々が自分達を見ているようには、問題を見ていません。主は、私達が考えているキリストの自己否定の模範の光/真理の義務と責任を見ています。福音は、教訓と手本が調和して、世界中の人々に明らかに現されるために存在しているに違いありません。
私達のサナトリウムは、この世界の慣習にならって指揮監督されるために存在しているのではありません。医療機関最高責任者が大きな給与に引き上げることは、必要があると見なされるために存在しているのでもありません。私達は[人に属するのではなく]神に属する奉仕者達です。
『手紙』370,1907[80歳]
11.内科医達と牧師達は自己否定を求められている
私は、今朝、あなたに手紙を書こうという印象を感じました。そして、あなたは、確かに、全ての人々に平等な待遇をするために存在しているということを[理解していただくよう]お願いしようと思いました。私は、かつて、あなたと何人かの内科医達が語る一つの[診療の]コースで、人々に対して失礼な言動が存在している危険性があることを伝えました。私達は、自分達に与えられた堅実さと優位さによって、牧師的な才能、また、内科医の才能を奨励して、自分達の能力全てで為すために存在しています。しかし、かなたには、私達が踏み込んではいけない一つの限界が存在しています。
私達が、ロマリンダサナトリウムの医療機関最高責任者として、一人の内科医を見つけようと活動していた時、経験ある一人の内科医が確固とした状態のもと、来ることに同意しました。彼は、自分の奉仕と確固とした総額について声明を出しました。「私は少額[賃金]では行かないだろう」と言いました。ある人は「誰かを見つけることはとても難しく思えるので、私達は彼の言葉に基づいて、この内科医を招聘したのだろう」と考えました。しかし、私は、[J.A.]バーデン兄弟に「ほかの人々が、まさに信仰深く少額の[賃金]を受けて働いていた時に、このドクターが働くことと、そんなに高額の[賃金を]払うことは正しくないでしょう」と言いました。ここに公正は存在していません。そして、主は、私に「主は、そのような差別待遇を容認できないでしょう」と指導しました。
主は、主の奉仕に自己否定を呼びかけています。そして、この責務は、牧師達と同じように、内科医達と結ばれていました。私達は、眼前に、資金を求める積極的な働きを持っています。そして、私達は、牧師達や内科医達のような労働者として、高い賃金のためではなく、神の[人類救済]目的の大きな必要のために、若い人々を奉仕に招く必要があります。主は、最も高い賃金を手に入れる精神を喜んでいません。私達は、心が神に捧げられた内科医達と牧師達を必要としています。彼らは、かつてこの地の上を歩んだ偉大な医療宣教師から行軍の指示を受けています。働き人達がもっと福音の種を蒔くことに繫がるために、主の自己否定の生涯と、神性の犠牲を見上げさせましょう。もしも、全ての人々がこの精神で働くならば、小さい賃金が求められるでしょう。
ある人はこの点においてしくじりました。神は、奉仕を受諾し得る能力によって、彼らを祝福しました。しかし、彼らは、倹約、自己否定、そして、神と謙遜に歩むことに関する教訓を学ぶことに失敗しました。彼らの高い賃金の求めは認められました。そして、彼らは、資金を利用することによって贅沢になりました。彼らは、自分達が持っていた良い事の感化を失いました。神の手による成功は彼らの手に存在していませんでした。……人々が主の働きに繫がる前に、高い賃金を求める人々にある地位の獲得と、大きすぎる満足に気を付けてください。
『手紙』330,1906[79歳]
12.見合った給与を考える一人の内科医への勧め
「私が特定の仕事の領域で作り出すどんな金銭でも、自分の賃金[の額を]超えて受け取るために存在している」という計画は、悪い結果に導くような誘惑のドアを開いています。これは、あなたによってあるいは、それらの契約の条項を引き出す人々によって、認識されていないことです。しかし、それは、あなたに大きな不正の財産として存在することになるでしょう。そして、それは、神の[人類救済]目的に恥をもたらすでしょう。この計画の中に、熟考されて当然の、間違った原則が存在しています。失われて最後に残るものは何も存在しません。全ては、まとめられて捨てられるために存在しています。あなたは、自分の働きのための賃金として、また、その総額の範囲内で生きるために、確定した総額を受け取るために存在しています。
この特徴ある人物は、ドクターU氏との交渉によって登場しました。それ[交渉]には、詐欺的な意見交換が存在していました。神はその[人物]自身の傾向とその[交渉]自身の結果を見ていました。この報酬の方法は、[支払いが]実行されるために存在しているのではなく、そのサナトリウムの中に[制度が]定められるために存在していました。この事実説明では、その人の奉仕に相応しい総額を支払う義務が存在します。また、この施設に繫がった全ての人々は、自分達のサービスに見合った報酬を受け取る権利が存在しています。 『手紙』99,1900[73歳]
13.勧められた提案に対するA比率
ある提案が、V兄弟*[21]によって作成されました。私は、あなたがなさったことに問題があると見ております。私達は、高賃金計画を開始させるための余裕を持つことができません。これは、バトルクリークの人々に不幸な出来事でした。私はこの点において言う何かを持っています。私達は、眼前に福音伝道の働きに関する大きな伝道地を持っていました。私達は、世界の人々への一人の寄付者として存在しています。中止されることについて、私達が為し得る可能性は何もありません。整然さと秩序はなされるために存在しています。そして、あらゆる可能性は、あらゆる分野に徹底を示すよう為されるために存在しています。でも、1週間/25ドル支払いの時と、そして、外科医の働きに大きな比率を与えることは、やって来ています。「私達の業績は[献金による]金銭的援助に存在するので、これは決してありえないでしょう」という光が、私のオーストラリア滞在中[1881-1890]に与えられました。その問題は私に「多くのサナトリウムは、その地域に住む人々が押し寄せるために、南カリフォルニアにも設立される必要があるでしょう」と現されました。多くの人々はその傾向を求めるでしょう。
私達は神の特別な勧めによって、立つ必要があります。私達全ての人々は、イエスキリストの模範につくよう備えられています。私達は行き過ぎた賃金を支払うことに同意することができません。神は、主のもとに所属する内科医の招聘時に一つの内規順守を求めています。「あなた方は私のくびきを着けてください。私は心が優しく謙遜な者ですから、汝らは、あなた方の魂に休息を見つけるでしょう。私のくびきは負いやすいので、私の重荷は軽やかな存在です」(マタイ11:29,30)。
『手紙』309,1905[78歳]
14.高額の給与を手にしない
私はあなたが回心したのを見てとても喜んでいます。私は、あなたが与えられた神の言葉の型をコピーする(まねる)というとても大きな望みを持っています。……
ドクターD先生、お願いがあります。あなたは高額の給与を手にしないでください。もしも、あなたがそうすると、ほかの人々があなたの手本に追随するでしょう。そして、これが許されると、私達は、間もなく、そのサナトリウムの収入は給与の支払いのために全てが使い尽されることを見るでしょう。そして、そこには、外国の地で為されるための福音伝道の働きにもたらされるためのものは何も存在しないでしょう。
私はそれについて話すことを思いついたので、あなたにこの手紙を書きました。主は、その民をテストしています。夫と私は、高給を求めなかったので、この基盤をパスしました。自己否定と自己犠牲によって働くことを快くしたので、主は、私達をその豊かな恵みで祝福しました。もしも、あなたが自己否定のコースを追い求めるならば、あなたは、その働きの一つの祝福、ほかの人々の一人の手本として存在するでしょう。あなたの○○においての働きの中で、あなたが話した説教の最も大きな成果は、その働きへのあなたの誠実な深い愛情を表したこと、あなたの家族の中で真理の原則を活かしている時に存在していました。私は、このことについて書いている時に、このことを知りました。
以前にあったよりももっと、内科医と牧師の賃金の間には、平等が存在する必要があります。私達の牧師達は、教会メンバー達の実際の手本として置かれることから外されています。彼らの給与は、自分達が作ることのできる多くの寄付というような存在なのでしょう。
『手紙』372,1907[80歳]
15.行き過ぎた贅沢と感化
私達の牧師達、内科医達、教師達、そして、文書伝道者の間には、精神、心、そして、魂、……ドレスや豪華な家だけではなく、この働きに特徴を添えるライフスタイルもまた、神への全体的な明け渡しの必要が存在しています。でも、従順と沈着の精神は、神の視界の中では大きな価値が存在しています。宗教は一人の人間のコースも起伏を作りません。真の信仰者の弱さという現実は、全ての節目で守られ、神への全き信頼に置かれるでしょう。真のクリスチャンの神性は、英才教育/促成栽培されることができません。それは、誠実な心からのほとばしりに存在しています。……
神は、メモを取る人、祈る人、実践する人を呼び出しています。高額な出費を示すことは、賢明な人々の目の中で、男性達、女性達を高めません。小さいoperations(ボーナス?)を生む途方もない額を請求すること、資金の行き過ぎた支出をすることは、一人の内科医にとって正しいことではありません。神は、それらの真の光[真理]の中の問題の全てを見ています。 『原稿』34,1904[77歳]
16.重要なインタビュー、内科医達の賃金の検討
――題目編纂者――1913年12月4日の朝、パシフィック
ユニオン カンファレンスを指導する兄弟達が、ミセスエレン・G・ホワイトのエルムスヘブインの家で、彼女と、私達のサナトリウムの内科医達の報酬について話し合いました。そのインタビューの速記レポートが作られ、そして、そのリボンコピー[タイプライター印字。これはアメリカで1874年に発売された。彼女のアシスタント達は1885年から使用していた。出典:『エレン・G・ホワイト百科事典』p.941]は、このレポートの本質的な一部「これは正しく表されています。そして、私は、ほかの人々の信頼のためにこれを繰り返します。主は、私達の困難における全ての歩みで、私達を助け、教え、そして、ガイドしているでしょう」に続いて、ミセスホワイトによる手書きの推薦の言葉のある記録ノートを生み出しています。(題目編纂者)
出席者:エレン・G・ホワイト、F.M.バーグ、G.W.リーザー、W.M.アダムズ、J.H.ベーレンス、C.L.タガート、A.G.クリスチャンセン、W.C.ホワイト、そして、C.C.クライスラー。
自己紹介と挨拶が行なわれた後、W.C.ホワイト理事が発言しました。
W.C.ホワイト:毎日、昨日も、私達はパシフィック ユニオン カンファレンスにある私達の様々な学校への関心を考えていました。アングウィン、ローディ、フェルナンド、アルモナ、そして、ロマリンダに設置したこれらの学校は、教育を受けている学生が600人から700人、存在しています。私達は、これらの学校について共に考察する勧めを取り上げることに勇気づけられています。
今日、私達は、サナトリウムの問題、特に、私達が内科医と外科医に支払う賃金についての疑問の考察に入る必要があります。私達は、私達の○○サナトリウムに、一人の神を恐れる内科医を持っています。その人は、彼の全ての協力者の信頼を勝ち得ています。その内の一人は、病んでいる人への奉仕の働きによって、神が大きく祝福した一人です。彼は残ることを望んでいます。また、全ての人々は彼が残ることを望んでいます。そして、彼は、もしも、自分の兄弟達が私達の働き人達の平均に支払われる約2倍の賃金を認めるならば、残ることは自分のために正しいことだろうと考えています。彼は気前よく与えることを気に入っています。そして、彼は、この目的に使うためと生きるための基金を持つことを望んでいます。私達は、もしも、あなたがこの問題において、何か光/真理をもっているならば、それを知ることに喜びがあるでしょう。
ホワイト姉:もしも、彼がほかの内科医達よりもかなり多く認められているならば、彼らは、自分達がもっと多くを持つのでなければ、正しい待遇を受けていないと信じるようになるでしょう。私達は慎重に思慮深く動く必要があります。そして、多くの人々が誘惑されるほど徐々に達する高い賃金を与える必要はありません。実践されるための偉大な働きがあるので、内科医達の賃金に行くよりも、[資金が]降りて行く必要のある多くの事柄が存在しているでしょう。あなたが主からの明確な光/真理を何か持っていないならば、同じ働きをしているもう一人の人よりも、たくさんを一人の人に支払うことは得策ではありません。もしも、あなたがそうすると、ほかの人々は高い賃金と同額を期待するのは全く当然だと考えるでしょう。私達は全ての事柄を全ての面から見る必要があります。彼はその要求をするかもしれないので、私達が名声を得た働き人に単純に高い賃金を提供し得ることは、考えることとして私達が利用しない方に属しています。私達は、従来費やしてきたよりも、これから、多くの資金を展開する必要のある伝道地が開かれている現在、それを実行するための立場にあるということを考える必要があります。そこには、私達の[教会の]人々の信仰をテストすることになる多くの問題が存在しています。
W.C.ホワイト:彼らは私達の信仰をテストしています。母上、特に、働き人達の一つのグループは、彼を気に入るようになるまで、また、敬服するようになるまで、その人と働いてきました。そして、彼らはほかのどんな人よりも良い仕事ができると信じています。さらに、彼らにとって、「優先権の行使を彼に認めないことは兄弟達にとって悪いことだと考える」のは自然なことです。彼らは、「大切な命が巻き込まれた時、1000ドルがなんだ。5000ドルがなんだ」と考えています。彼らはこうも言っています。「そのようなケースがいくつもあります。自分達は正義をもたらしました。また、そこには、彼が救ったもう一つの誰かの命が存在しています」。そして、彼らは、自分の要求に合わない多くの資金が存在するかのように考えています。彼らは言っています。「ここには、外科医が[処置を]する時に、担当し援助する人が一人もいません。貴い命が細い[手術]糸にかけられる時、忍耐して当然の、努力をする労働者の時間、不安、精神的な苦痛を考えてください」。
しかし、一方、この問題を考えることによって、私達は、ほかの施設では私達の活動の影響を受けていることを覚えておく必要があります。私達は美しい場所で、もしも、素晴らしい内科医だけが持つことができて、優秀な内科医が得ることができて、もしも、彼らが要請された賃金の基準よりも300ドルか500ドルだけを多く払うことで励まされるならば、資金を作るあらゆる見込みを持って、大きいビジネスをする立場に位置している、サナトリウムで奮闘している気の毒な一人の人を知っています。彼らはこう言っています。「もしも、あなたが、アドバイスしたよりも多く、2、300ドルを私達に払ってくれるだけで、私達はその賃金のために、この加えられた小さい支出をカバーするために5000ドルを得ることができます」。そして、それは、私達がビジネスの視点からそれを見た時に、そのように見えます。
ホワイト姉:あなたは「その根底には一つの利己主義が存在していて、それを、主は喜んでいない」と見ています。私達は調和して働く必要があります。私達の働きが調和的な活動を通して存在するということは、前線にもたらされるために存在していて、誰かがとても忙しい時を持っているということでしょう。誰かは楽な時間を持っているでしょう。しかし、これらの多くの物事は、それらがいま来ているものとして受け取る必要があるでしょう。その働き人達は、イエスが私達の世界に来て与えたことを覚えておく必要があります。私は、それを、何度も、なんども、何度も考えています。もしも、私達が正しい手本を示されたならば、私達は優れた働きをすることができるように思えます。しかし、もしも、私達が、私達の内の最高の兄弟も受け取ることのできないものを望むならば、これは、私達に悪い感化を与えています。ある兄弟は「これこれの兄弟は確かな賃金をもらっています。そして、私は同僚達のために、賃金をもらう必要があります」と言いました。そして、その賃金は昇給するでしょう。そして、高く、もっと高く昇給し続けるでしょう。その事実は「誰かの賃金が、私達の眼前に存在している世界の人々へ警告する働きを拡大する求めに立ち向かうために、なおいっそう下がって当然だ」ということを存在させています。……
数年後、賃金のこの問題が考察された時、私は、兄弟達に、「主は、私達に行動を促したその精神について、全てを知っていて、また、私達がそれ[その精神]を受け入れない時、私達はいつでも、問題を避けることができます」と語りました。私達が正しい手本を定める時、主の祝福は私達の上にとどまるでしょう。私は主の働きに自己犠牲の手本を定め、正しい光によってそれらの問題を見る人々を本当に助けるために、多くの場所と多くの方法によって見てきました。そして、兄弟の皆さん、あなた方はキリストの精神によって、熱心に、信仰深く、謙虚に労働しています。神はあなたの前に数々のドアを開いているでしょう。神の民はあなた方の自己否定を見ているでしょう。
私の兄弟達が私の所に「自分達が高い賃金を求めることがよいかどうか」と、アドバイスを求めて来た時に、私は、彼らに「高い賃金を求めることによって小さい収益を得るでしょう。でも、神の祝福は別のコースについて行く人々と一緒に行くでしょう」と語りました。神はその自己否定を見ています。イスラエルの神、主は全ての人の動機を見ています。あなたが困難な場所に行く時、神の使い達は、あなたを助けるためにそこに存在しています。あなたに勝利また勝利を与えるでしょう。
これは、魂を救う働きの中で、私達のエネルギーを消耗させるように動機を促すものではないので、私は、兄弟達の大きな賃金を求めない、とても透明なカウンセリングの中にいました。
私達は、その賃金の問題を、私達のサービスが求められる所ではどこでも、義務の呼びかけの応答の道に立たせるために存在しているのではありません。主は広く問題を捉えることができるので、一つの祝福が、私達が受けるまたは受けないに関わらず、いつまでも大きく埋め合わせして、私達の労働者達に寄り添うでしょう。そして、主は、滅びる魂に高い効果のあるような、主の奉仕者達が語る言葉を与えているでしょう。
人々は、天からの助けに飢えて渇いています。私は、これらの自己犠牲の原則が実践されるように、定着を試みています。私は「神の祝福は、あなた方が呼び出された義務を第一にする時、あなたの上にとどまるでしょう」と話す時に、それについて語ることを理解しています。私は、私達が求めることができる以上に私達に与える方法を主が何度もなんども変えたことを、今朝みなさんの前で証しているこの特権を嬉しく思います。
主は自分の奉仕者達を試して明らかに示しているでしょう。そして、もしも、彼らが主に真理を試して明らかに示すならば、主と共に自分達の事例を残すならば、主は必要な時はいつでも彼らを助けるでしょう。私達は主への奉仕によって受ける賃金[を得る]のための神と共なる労働者達ではありません。実際に、兄弟の皆さん、あなた方は、家族をサポートするための賃金を持つ必要があります。でも、もしも、あなた方が受け取る相応の金額の大きさの条件を規定し始めるならば、あなた方は、[妨げの石となるような]性質を持たない誰かに対して、一つの妨げの石となった体験を明らかにするでしょう。ほかの人々は、たぶん、その人は自由主義liberalリベラルであって当然だと考えるでしょう。また、その結果は混乱が存在するでしょう。あなた方は、間もなく、神の[人類救済]目的が妨害されるようになるということがわかるでしょう。この結果、あなた方は[その妨害を]見て失望するでしょう。あなた方は神の[人類救済]目的が優勢な地盤に置かれることを見たいと思っています。人々は、あなた方の言葉と手本によって、心の中に自己否定の精神が生まれて、真理を受けたという生きた確証を持つために存在しています。また、あなた方がその[自己否定]精神によって前に進む時、そこには、付いてくる多くの人々が存在するでしょう。
主は、主の子らが、それが義務だったゆえに、義務をよく果たしたその満足を私達にもたらす自己犠牲の道、自己否定の活動をすることを望んでいます。神のひとり子は十字架の上で不名誉な死のために、自分自身を与えました。そして、私達はその犠牲にブツブツと不平を言っていられますか。私達はそれを作るために呼び出されているのですか。
夜間、私が目覚めていた間に、私は、彼らが少し高い賃金持つために存在しているという契約条件をここあそこと約束させるような傾向に対して、私の兄弟達から守ることを主に願い求めました。もしも、彼らが自己犠牲や主を信頼する精神に近づくならば、主は、知性と品性を支える能力を与えるでしょう。そして、成功がその結果となるでしょう。
将来、私達の働きは、自己否定と自己犠牲によって、私達が過去何年も目にしてきたはるかかなたの[伝道地の]前線にもたらされるために存在しています。神は、私達の魂が主と約束することを望んでいます。主は私達を通して多様な方法によって働くでしょう。私はこれらの事柄を熱心に考えています。兄弟の皆さん、知性を謙虚にして従順に歩みましょう。そして、自己犠牲の手本の一つとして、私達の共通の事業の仲間の前に[謙虚と従順を]表しましょう。もしも、私達が信仰によって自分の分を為すならば、神は、現在私達の前に思いもしない[特別な]道を開いているでしょう。……
誰かが、私達の働きに基づいた自己犠牲の原則と一致していない何かを提案しているならば、それは神の名による栄誉が存在していなかったので、神の手の一打撃が、特権と思われるもの全てを拭い去り得ることを覚えておきましょう。 『原稿』12,1913[86歳]
17.一つの危機と会議
もしも、資金が乏しくなった時、あなたは、自分達のためのビジネス事業を始めるために、自分達の資格のある働き人達を[よそへ]行かせるでしょう。あなたはすぐに彼らを戻しておけばよかったと願うでしょう。少ない賃金を受け入れることに資金の重圧がある時に、もしも、その全ての働き人達が快い存在であるならば、財務の問題はうまく管理され得るでしょう。これは、私達の施設にもたらされるための、主が私に啓示した原則です。そこには為すための多くが存在しているでしょう。そして、あなたの働きはこれらの人々に必要でしょう。お金がとても乏しい時に、私達はみな欲求が制限されることに気持ちの良いものではないでしょうね。
夫と私はこの原則のもとで働きました。私達は「この出版所は主の施設です。そして、できる限り、私達は倹約しましょう。お金のかかるものは再利用しましょう」と言いました。主は、主の働きを優先し成功をもたらすために、主の全ての奉仕する者達に自己犠牲を求めました。全ての働き人達が、私達の○○出版所を支え守るために、今最善を為すようにしましょう。主は私達の全ての施設を統制しているこの精神を見ても嬉しくないと考えているのではありませんか。私達はこの働きに原則をもたらすために存在しています。イエスは、「もしも、誰かが私の後についてくるなら、自分で自分自身を否定させ、日々、自分の十字架を取って、そして、私についてきてください」(ルカ9:23)と言いました。私達はキリストについていく用意がありますか。
『手紙』25,1896[69歳]
私達の施設は、神の全き統率のもとにあって存在しています。それらの施設は犠牲によって設立されました。そして、犠牲によってだけが[伝道地の]前線にそれらの成功をもたらすでしょう。
『手紙』129,1903[76歳]
人間の知恵は、自己否定から、また、聖別から逸らすように導くでしょう。そして、神のメッセージの成果を無きものにする傾向のある多くの事柄を考案するでしょう。『レビュー&ヘラルド』1892.12.13[75歳]
22章 働き人達の資格取得のための財政支援
1.若い人々への援助の約束
医療伝道者、文書伝道者、福音伝道者として、神の働きに自分自身を捧げるように自分達を導き、その真理と義の愛が自分達に感化の力で迫っているという根拠を示して、将来に向けて約束をしている若い人々を支援することは、福音労働の分野で設けられる必要があります。この働きを[伝道地の]前線に届けるために、一つの基金が設立されるようにしましょう。病気や苦難にある人々に、聖職者(牧師や医療者)として援助を受けた人々を送り出しましょう。この働きは確かに、罪に病んでいる魂に向けられるために、ギレアドの没薬[創世記37:25]に道を開くでしょう。 『原稿』35,1901[74歳]
2.支援が与えられた私達の最初の医療従事者の学生
夫と私自身は、卑しい労働をさせないよう、三人の若い人達と約束して、医療分野の教育を受けさせるために、1,000ドルをお互いに手に入れることで結ばれました。これは主が夫の知性に置いたものを選びました。主は、光/真理を与え、そして、これらの三人の青年を気に入りました。彼らは、内科医の働きを担うために存在していました。
『手紙』322,1905[78歳]
3.資格取得の実行と福音伝道者
資格取得と能力の発揮に多くの出費を求めていなくて、力と能力と才能を求めている彼らは、大きな財産の管理の仕方を知っているので、高い目標へ到達するに違いありません。準備金は作られるでしょう。資金は備わりました。一つの基金は、ほかの国とこの国の男性と女性の教育と、資格が与えられることと、高いレベルへの到達を保証しました。私達は、神の[人類救済]目的に関して、その働きには遠いけれども、才能のある人をいろいろな地方組織の中に持っています。
『手紙』44,1887[60歳]
4.貸付は贈与よりも最良
あなたが提案しているように、一つの教育を受けるために、学生を助ける全ての物事は実践されるように存在しています。しかし、私は、みなさんにお尋ねします。「私達は、この滅私の事柄に関して、何も行動しないのですか。一つの基金を作らないのですか。そして、そのような機会を生かし続けないのですか」。みなさんが、従うことを約束していて、前貸か貸付の総額が必要な一人の若い男性と一人の若い婦人を見る時、それに関するアイデアは、贈与ではなく貸付です。それをこのようにすることは、良いことでしょう。やがて、それ[貸付金]が返還される時、それはほかの人々の教育のために利用され得るでしょう。でも、このお金は、什一から与えられるために存在していません。そうではなく、什一から分離した、その目的のために確保された一つの基金からその資金が与えられるでしょう。これは、私達の民の間で、良識の備わった誠実、慈善、父祖を敬う愛国主義によって尽力されるでしょう。そこでは、この部門全てにおいて、神の[人類救済]目的の中の働きについて、慎重な考慮と、熟練した調整があって当然です。ですから、奉仕の働きministryを支えるために捧げられ聖別された一部を利用することにおいて、そこには、意味のない出し惜しみの計画が存在しないでしょう。
『手紙』40,1897[70歳]
(訳者加筆)23章を理解するための予備知識
23章に、「レビュー&ヘラルド」出版所で、従業員が週給6ドルで働いていた時に、この施設から8年間で1,244ドルの借金をして、エレン・ホワイトに退職の意向を書いて手紙を出した人が登場します。この章を翻訳し終わっても、いったいこの人は何者なのか、結末はどうなったのか疑問が残りました。この本の1958年初版では、この人の名前は伏せられています。『エレン・G・ホワイト百科事典』(2013,p.1103)の「レビュー&ヘラルド出版協会」に実名が載っています。Xさんはその出版所の全体経営責任者のA.R.ヘンリーです。Yさんはハーモン・リンゼイです。
エレン・ホワイトは、「私の兄弟○○さん」と書き出していますが、この人は、Xさんだと推測されます。出版所から週給6ドルの200倍もの借金が可能なのは、その地位にある人だけが可能でしょう。『百科辞典』には、ヘンリーは「自分の家族を支えるためにもっと金銭が必要だった」と主張した時に、E.ホワイトは「ほかの家族の者は何年も前からあなたが受けていたものの半分の賃金で、一つの不満もなく自分達を支えてきました」と書いています。
23章では、XさんとYさんが登場します。彼らは経営者達に従業員の2倍の賃金システムを導入しました。この出版所では、80%が商業用の印刷事業で儲けることが第一目的になっていて、福音伝道は疎かになっていました。全体総会は、A.T.ジョーンズを長にした調査委員会を設置して調査しました。報告書には「クリスチャン原則の欠如、金銭を惜しむ態度を厳しく非難した」ことが書かれていました。A.R.ヘンリーとハーモン・リンゼイは教会労働から去りました。しかし、この施設には、それらの精神が長く定着していました。1902年12月30日、レビュー&ヘラルドの建物は炎に包まれ焼失しました。その後、そこに再建されませんでした。
[ 彼女は、バトルクリークに関して、出版所の移動について彼女の支持を曖昧にしなかった。「レビュー&ヘラルドのオフィスを建てるために決して一個の石もブロックも置いてはいけません」と彼女は言った。「神はそのために良い場所を持っています」(GBC 1903.4.6) ](『エレン・G・ホワイト百科事典』p.75。
この出版所は、80年後、1983年にワシントンD.C.に、その年に、メリーランド州ハガースタウンに移転しました。
23章 経済的な理由によって神の働きから去る計画をしていた人の勧め*[22]
(counsel:「勧め」は、相談、意図、熟慮、協議など一般的に、「勧告」は、辞任勧告、武装解除勧告など強制的、否定的表現に使用されます。彼女は、勧告ではなく勧めを書きました)
1.ミセスホワイトの返事
私の兄弟[○○さん]、あなたは、手紙の中で「レビュー」オフィスを去ることについて述べています。私は、あなたが言及した理由でその働きから分かれようとしていることに心を痛めています。人々は、あなたが現在得ている[賃金]以上を手に入れるために、多くの不可解な試みをしていることを明らかにしています。あなたの信仰はとても弱っています。あなたの家族よりも人数が多いほかの家族は、一つの不平の言葉もなく、あなたがもらっている賃金の半分で自分達[の生活]を支えています。私達は、特別な見地を超えてしまいました。それで、私は、それについて語っているということを理解しました。あなたが「レビュー」事務所に残るか、それから分かれるかどうかは、あなたが、自分にとって最大の関心事であることを学ぶための教訓を抱えているという証拠です。私は、あなたが[神の]生きている水の泉から十分に飲まない限り、残るようにとあなたを説得するための特権[の行使]については考えられません。あなたの奉仕は神に受け入れられ得るものではないでしょう。
私は、もしも、あなたが去るならば、誰が、空席になったその地位の仕事をするのか分かりません。しかし、もしも、主が為すためにデザインし望んだその仕事がバトルクリーク教会のためになされるのであるならば、私は、主がどんな危機の時でも彼らを助けるに違いないと信じています。主は、意味のない奉仕を望んでいません。主の言葉がその人の魂への入り口を見つけられない限り、また、キリストへの従属に人間の体と精神の全体がもたらされない限り、行為の主体者である人間は、誘惑され試みられた時、主の道よりも自分の好みに流される方を選ぶでしょう。私は、特別な真理が明らかに輝いていて、ミネアポリスの会議以来、明白な光の筋は、あなたの魂に押し寄せていると期待していました。でも、あなたが書いた手紙から、私は、あなたがその光に歩んでいないということを知りました。……
訳者加筆:「ミネアポリス会議」は、1888年ミネソタ州ミネアポリスで開かれたSDA全体総会会議のことです。『エレン・G・ホワイト百科辞典』2013,p.334-「キャンライト」の項とp.61によると、信仰による義と行いによる義に関して、当時の全体総会代表のG.I.バトラーは、総会前に9人の委員を任命して会議を開きました。多数決を取った結果、「行ないによる義」:「信仰による義」は5:4でした。律法思考にはG.I.バトラー、ユライヤ・スミスが、福音思考にはE.T.ワゴナー、A.T.ジョーンズなどがいました。この後、E.ホワイト(73歳)は2年間、アメリカ横断伝道旅行をして「信仰による義」を伝えました。残念なことに、ワゴナーとジョーンズはSDAの信仰から離れていきました。
ある人がその出版所の事務所に繫がって果たした地位は何であれ、神はこの方法によって働いていないので、その人は途方もない総額を支払われるためにいるのではありません。あなたは、霊的な視界を欠いていて、天の油注ぎが必要でした。あなたは、神の働きが犠牲に基づかれていて、犠牲によってだけ、それ[犠牲]は[家庭や職場の]前線にもたらされ得るということを知る可能性があったはずでした。……
その出版所には、以前に、この働きを築き上げることにその時間と労力を要したという経験を知らず知ることも望まないままに、繫がった人々がいました。後になって、職に就いたこれらの働き人達は、その一部分を受け入れた時、彼らは、神との協力関係に入りませんでした。彼らは、行為の主体者である人間が、神性との共同作業によって支配されて当然のその原則と状態を認めませんでした。「神はこの世界の人々をとても愛したので、ひとり子を与えました。彼を信じる人が一人も滅びないで、永遠の命を得るためです」。この自己犠牲の愛への参加者でない人が一人もいないということが、神の働き人に備えられていました。多くの人々が列をなして失敗していて、自分の自己中心性の重荷に執着しています。あたかもそれは高価な宝物のように、自分自身の道を入念に守っています。彼らが、天の門を叩いて「主よ、主よ、私達のために開けてください」[マタイ7:21]と言う時、多くの人々は次の言葉を聞くでしょう。「ここに入る人は一人もいません。しかし、天の祝福を受けることができる人々は‟良いことをしました。汝らは善良で忠実な奉仕者、汝らは小さなことに忠実でした。私は汝に多くのことを管理させましょう。汝は、汝の主の喜びに入ってください”しかし、汝は汝自身に忠実に奉仕し、汝自身の自分本位の関心事に働き、汝自身に[都合の]良いことをしました。そなたは天に宝を積みませんでした」[ルカ16:10]。
私達は、自分の魂の救いについて、無関心と軽率な思いを心に抱く瞬間に安全ではありません。多くの人々は、目覚めて、自分の行動のコースを変える必要があります。世界の終わりの危険と困難の日々は、私達の上に存在しています。神性との繫がりは、強く生きている信仰の働きを通して、神の働き人達と共に働く者であるように、唯一、私達を作ることができる感化を及ぼしています。宗教の[大切な]部分の、自己否定と自己犠牲を避ける人々は、キリストの栄誉によって主に連なる参加者であることは決してないでしょう。そこには、全ての部分で、祈りを伴った研究と断固とした努力が存在するに違いありません。そういう人は、命の冠を勝ち取るでしょう。
人々の誕生や地位や教育の優位性を理由として、人々はどのような功績も主張できると考える人がいないようにしましょう。人々はどのようにして、それらの優位性を手に入れるのでしょうか。キリストを通してだけ、神は、特別な手本からコピーして永遠の命を持つようになろうとする人々に呼びかけています。真理と義は、福音の最初の原則です。また、それは、キリストが、行為の主体者である人間を認める得る唯一の原則です。そこには、私達の意思を心から神へ明け渡すということが存在するに違いありません。私達は私達自身の全ての功績と思われるものを放棄し、カルバリーの十字架を見上げる必要があります。この神への明け渡しは、行為の主体者としての人間の側の努力[人性]と、行為の主体者としての神性との共同に巻き込まれています。その枝はブドウの木に繫がっている必要があります。……
信徒達の間では、多くの人々がやっと食べるに必要なだけを得ている状態です。また、それらのひどい貧困状態の中で、彼らは自分達の什一を持って来て、そして、主の宝の倉に捧げています。多くの人々は、それは、その出版社の資金を使った困窮と疲弊という状況の中で、神の[人類救済の]目的を支えるために存在しているということを知っています。彼らは、困窮と欠乏に、快く耐え忍びました。そして、その目的の成功のために、見を覚まして、祈りました。彼らの贈り物gfitと犠牲は、彼らを闇/無知の中から主の素晴しい光/真理の中に呼び出し、彼らの主への心からの讃美と心を込めた感謝を表していました。ところが、もはや、感化を及ぼす良い香りは天に立ち上ることができません。彼らの祈りと彼らの善行は神の前の一つの記念としてやって来ました。
しかし、神の働きは、それ自身の広がりと拡大の中でみな、一つとなって存在しています。そして、その全ての下部組織の中に、同じ原則が浸透していて、同じ精神/霊が現れるでしょう。それは、奉仕の働きのしるしとして生まれるに違いありません。その[人類救済]目的[を担う]全ての部門は、福音分野の全ての部署に関係づけられていて、一つの部門を支配するその精神/霊は、その分野全体に行き渡って感じられるでしょう。もしも、働き人達の一部の人が、そのように高額の賃金を受け取るとしたならば、そこには、その働きの様々な下部組織にほかの人々がいて、彼らは、高い賃金のために呼ばれるでしょう。そして、自己犠牲の精神は、その働きの本質の偉大さが消えた状態になるでしょう。ほかの施設では、同じ精神/霊を導入するでしょう。主は決して自己中心性を是認しないので、神の好意は彼らから取り去られるでしょう。このように、私達の積極的な働きは、一つの終わりが来るでしょう。犠牲を続けることによってだけ、[家庭や職場、伝道地の]前線へそれを運ぶことが可能です。世界中の全ての部署からの呼びかけは、その働きの前線に運ぶための人々と資金にやって来ています。「あなたは待つ必要があります。私達は、[自分の]宝の倉に金銭を持っていません」と言うようにしませんか。
X兄弟は、このオフィスの働きの初期の歴史を知っています。彼は、神が、自己否定と自己犠牲について、彼とほかの人々を遣わしたその証を知っています。彼は、真理の標準が掲げられるために存在していて、資金がその働きを築き上げるために必要とされているという、多くの開かれた伝道地について、無知でもありません。彼がキリストの精神/霊を持っているならば、彼はキリストの精神/霊を現すでしょう。
2.主の軍勢からの脱走
そのオフィスで神の働きに繫がった彼の奉仕において、X兄弟は、「彼はたぶん為すだろう」と私が案じていたことをまさに為しました。彼は、自己を否定して、神の意思/意図へ服従することによって、自分のポストに就いています。これは神の働きなので、その働きに心を全て注ぎ込み、自身の責任感を生み出し、ほかの人々が彼に生み出した重荷を負っています。たとえ、彼は、自分自身のための(彼がこれを為した)ビジネスによる多くの金銭上のものを手にしていなくても、彼は、仕事をせず定年を待つ人ではない証を作りました。でも、とても大きなことは、そのオフィスのために彼の関心が存在したことでした。もしも、彼が気に入ったように立ち去ったならば、その時、そのようにすることは、彼の関心が存在して現れたでしょうか。この方法によって活動するキリストの軍勢の中の兵卒の義務は何ですか。神の国の兵卒達はこれを行なう必要がありますか。彼らは脱走兵として処遇される必要がありますか。全天の住民達はそのようなキリストの軍勢の兵卒達をどのように見ているでしょうか。それ自身の神聖さの真価を認めて神の働きに繫がった人々は、世俗的に守られ、どんなに有利なことがあっても、その働きから離れ去る人は一人もいないでしょう。
兄弟Yさん、神はあなたと、そして、兄弟Xさんにとても恵み深い方です。命、人生、生活、それはあなた達二人にとって、とても大切な存在でした。主は慈悲深く備えをしていました。日々、毎月、そして、毎年、[生活の支えが]かなえられ、品性/人格の発達の機会がもたらされました。神は、あなたをキリストの精神/霊が吹き込まれるようになる主の働きに繋いでおきました。[それは]毎日、毎時間、血で買い取られた一つの特権として、あなたにやって来ています。あなたは自分の救いがうまくいくだけではなく、魂をキリストへ連れて行く働き人として、主の王国を築き上げること、神の栄光を現して作ることに成功するでしょう。神は、その働きのための心と深い愛情を呼びかけています。神と共に働く堅固な人々は、その働きの重責を担うでしょう。そして、主が遣わした牧師のように、彼らは「もしも、自分が信仰に立つこと、自分の委託された立場を形作ることに失敗したとすると、悩みの種は自分にある」と考えるでしょう。
私の兄弟[○○さん]、もしも、あなたがその働きの中で、あなたが容易に落ち込み得るその事実によって示唆されたよりも、もっと心の関心を持っていないなら、私は語る言葉も、そのオフィスに残るようにあなたにする嘆願の言葉も、また、X兄弟がそのために戻るようにとの言葉もありません。あなた方二人は「天に頼られ得る」人間ではないことを表しています。そして、ひとつの手本は捧げ物によってあなたに与えられるでしょう。加えて、残ることの誘いは神の喜びではないでしょう。
私は、この仕事に繫がるために、あなたに持たせる賄賂として、数ドルや1セントもあなたやほかのどんな人にも、一時も示さないでしょう。たとえ不快でも、それからのあなたの撤退なので、それは少しの間の忍耐でしょう。キリストはその舵手として立っています。もしも、主の聖霊が、何かが存在するようにあなたの意思を作らないならば、あるいは、真理の目的のために何かをしないならば、その時、あなたは、[自分の]足跡をたどることによってだけ、唯一の教訓を学ぶことができるでしょう。神は全ての魂の信仰をテストするでしょう。キリストは私達を計り知れない犠牲で買い取りました。主は富んでいましたが、また、私達のために、貧しくなりました。私達は、主の清貧を通して、永遠の富の財産として数えられるでしょう。私達が持っている能力と知力の全ては、主が、主のために利用するように委託し貸したに過ぎない存在です。私達の意思だとしても、主の犠牲として、キリストと共に参加する者であることは私達の特権です。
この働きに導き出された経験と聖pietyに属する人々、自己を否定して、成功のために何かを犠牲にすることをためらない人々は、今、墓の中で眠っています。彼らは、教会に伝達された霊的な生活の原則を通した、神の指名した送信路です。彼らは最も高い価値のある一つの体験を持っていました。それらは、買われることも売られることもないでしょう。彼らの清さpurityと深い愛情、そして、自己犠牲、彼らの神と繫がった生涯などは、この働きを築き上げるために祝福されました。私達の施設は自己犠牲の精神によって特徴づけられていました。
しかし、ある人々の関わりによって、この働きは質が低下しました。一方、それは、広がり手際よく発展しましたが、それは、聖が月のように欠けました。その日々、私達が清貧と闘っている時、驚くほどに、神がその[人類救済の]目的を築き上げるために働いたのを見た人々は、神と彼らが繫がれる神聖な連結によってその働きの関心に結ばれた以外に、偉大な名誉は彼らに授けられないだろうということを感じました。彼らは、その重荷の負担を下ろして置き、金銭の観点から主の言葉を作るのでしょうか。いいえ、そうではありません。全ての仕事をせず定年を待つ人は自分の地位の義務を見限るでしょうが、彼らは決してその働きを見捨てません。彼らはこう言うでしょう。「主が私をここに置いたのであるならば、主は、忠実な管理者であること、毎日、できる範囲でその働きを果たすこと、主を学ぶことを私に強く望んでいます。私は、神が私を解放するまで自分のポストに立つでしょう。私は、真心を込めたクリスチャンとしての一人の実践者になることは、財産であることを知るでしょう。私は、やがて[与えられる]、自分の報酬を待っています」。
その働きを築き上げるために犠牲となった、その目的の初期の歴史の中の信徒達は、その同じ精神を吹き込まれました。彼らは、神が成功した働きを為すために、彼らの全ての奉仕と潜在能力に属する、精神、身体、魂の捧げ物を無条件に、主の目的に繫がった全ての人々に命じたのだと考えました。その証は彼らにやって来て、神性な行為の主体者と共に協働する彼らのエネルギーを神に求めました。そして、全ての人は、全ての知的才能の実践を通して得た能力が増しました。
3.自己中心性ともっと欲しいという結果と荒廃
世俗的な何かの誘因のために、主の働きとのつながりを断ち切る可能性のある人々は、神の[人類救済]目的へある程度の関心を持っていると考えるでしょう。しかし、人間の心に潜んでいる自己中心性ともっと欲しいという思いは、最も強く激しい感情です。そして、その結果との葛藤は単なる推測ではありません。その魂は、キリストの肉によって、主の血を飲むことによって日常を生きない限り、神性の要素は、サタンのような要素によって、打ち負かされるでしょう。自己中心性ともっと欲しいという思いは、その[神性の]勝利の外で生み出されるでしょう。自己過信と独立独行の精神[の人々]は、決して神の国に入れないでしょう。主の栄誉によって主と共なる参加者として存在することは、主の自己否定と主の自己犠牲に参加している人々だけに存在しているでしょう。
一つの限界の程度があっても、彼らと彼らについて行く人々のための弁済の資金を自覚している人々は、信仰によって歩むでしょう。そして、彼らは、人性が必要としている非常に大きい何かの見積もりを理解するでしょう。彼らの心は、私達の世界の人々に広まった貧困を見上げた時に、深い思いやりへと動かされるでしょう。その人々は、大勢の人々が食物や衣服に苦労し、何千も何千人もが道徳的に極貧状態で、その人々は、無の中に消えていく身体的な苦難に比べると、[精神的に]恐ろしい最後の審判の影のもとに存在しています。イエスキリストの宗教は、人性の自己中心性を克服して、素晴らしい勝利を手に入れました。キリストに属する[神性の]自己否定と自己犠牲は、主の仕事仲間である人々の目の前にいつも存在しています。そして、人間の意思は神の意思の中に隠れた状態になるでしょう。……
神は、主と共に働く労働者達が、[人々を]救うために主の愛と主の力の豊かな体験を持つようにとデザインしています。パウロに一つの体験を与えた神は、熱心に主を求める全ての魂に自分自身を啓示していると思われるので、私達は決して「私には体験がありません」とは言わないようにしましょう。神はアブラハムになんと言いましたか。「私は彼を知っています」と、心を探る神は言いました。「彼は自分の子らと自分の子孫に命じるでしょう。そして、彼らは、正義を為して、裁きを為すために、主の道を守るでしょう」(創世記18:19)。アブラハムは家庭で宗教を涵養したでしょう。こうして、神を畏れることが生涯を高潔へと導いたことでしょう。特別な義に属している子孫を祝福している彼は、「私は、命じた彼を知っています」と言っています。そこには、神聖な信頼に背くものはなく、正と悪の間のためらいもありません。聖なる御方は、逸れることも罪がない存在であることもできない品性/人格の標準として、全ての人々へのガイダンス指導として数々のルール規則を与えました。神の意思は精を出して入念に研究されるために存在しています。そして、それ[神の意思]は、生活のあらゆる出来事の中で卓越したものを作り出す必要があります。全ての人間が主体的に行為する律法は、計り知れない愛の心から出た溢れる思いに従うために存在しています。
同じように、「私はアブラハムを知っています」[ヨハネ8:37]と言った聖なる目撃者は、また、コルネリウスをも知っていて、神が彼に与えた光を全部、受けて証明したその人へのメッセージを持った主の天使を遣わしました。その天使は「汝の祈りと隠れた善行は、神の前に覚えられるように昇ってきました。そこで、すぐシモン、またの名をペトロを呼びに人々をヨッパに遣わしました」と言いました。その時、特別な指導が与えられています。「彼はシモンという皮なめし業の家に宿泊しています。その家は海の近くにあります。彼は汝が為す必要のあることを話すでしょう」(使徒言行録10:4-6)。このように、主のその天使は、コルネリウスに、彼が受けている偉大な光/真理を通して、主体的に行為する人間とつながりをもたらすために働いています。その章全体を注意深く研究し、そして、全体の人と人との相互交流を見てください。それから、主は、名前によって、また、私達の生活の全ての行動と、さらに、私達が持っている精神と私達が住んでいる所と、私達を一人一人、全ての人々を正確に知っているということを熟考してください。奉仕の働きをしている主の天使達は、私達の個人的な義務の領域で忠実でない、私達のこの教会を通り抜けています。
彼ら[主の天使]はまた、私達の義務の怠慢をノートに取っています。アナニアとサッピラのケースに印をつけています。彼らは神に持ち物の全部を捧げたように見せかけることによって、彼らは、聖霊に偽りを言いました。だまし事の結果、彼らは、いま存在している命だけではなく、これから存在する命も失いました。
神聖な物を手にすること、さらに、自分自身の独自の品性/人格の特性へ奉仕すること、自分の罪に仕える神を作ることは、誰かのための悲しみとして存在しています。神は、キリストに属する精神のよい実例となるために、人々に自分の立ち位置を信頼することを望んでいます。しかし、品性/人格の好ましくない特性は、人々の全ての働きに編み込まれています。そして、神の神聖な目的は、彼らの自己中心性によって損なわれています。主は、責任を負っている人々が、忠実な管理者かどうか、全ての人と人との相互交流において厳格に高潔を保っているかどうか、そして、彼らの働きの全ての層で、この印象を置いているかどうか、知っています。
あなたの心には、悲しみと嘆きが存在しています。でも、彼らが自分達の心をイエスに開くようになるまで、自分自身をだます必要も、さらに、「男性達と女性達は、神が自身の聖を自分達に与えた特別な光/真理を評価するだろう」と期待することも必要ありません。主は言いました。「私に寄り添ってください。私を信頼してください。私は決してあなたを見捨てないつもりです。私は、いつも必要な時に助けをプレゼントするために存在しています」。
「‟レビュー”事務所で重要な地位を占めている人々はテストされているでしょう」と、私は示されました。もしも、彼らが、キリストを自分達のモデルにするならば、主は、彼らに知恵と知識と理解力を与えるでしょう。彼らは、キリストの方法/道によって恵みと適性において成長するでしょう。彼らの品性/人格は主に似たものに形成されるでしょう。もしも、彼らが主の方法/道を保つことを見捨てるならば、もう一つの精神が彼らの知性を支配して、裁くでしょう。そして、彼らは、主のいない計画を考案するでしょう。また、彼ら自身のコースを取るでしょう。そして、彼らが占めていた地位を去るでしょう。その光/真理は彼らに与えられました。もしも、彼らがそれから別れたならば、そして、自分達自身のコースについて行ったならば、彼らが残るように誘う賄賂をプレゼントする人はいないでしょう。彼らは一つの障害物、一つの誘惑に陥れるものとして存在しているでしょう。ふるわれることなく残る者達も、ふるわれ得る、全ての者達がふるわれるために存在しているその時が来ています。 『手紙』20a,1893 [66歳]
第6部 慰めと励まし
はじめに
ホワイト遺稿管理委員会
主のメッセンジャー、エレンG.ホワイトは苦難の意味を知っていました。彼女の子ども時代の希望は、9歳の時、彼女の一生を犠牲にするほどの事故で挫かれてしまいました。彼女は4度の母親体験を過しました。2度、彼女は男の子を亡くしました。彼女の公的な生涯の半分近くを独り身で過ごしました[1827生、1846結婚(19)、1881夫没(57)、1915没(88)]。彼女は長引く病気の意味を知っていました。老年期になって身内を亡くし、苦難の中にいる人々や死に直面した人々を励ます彼女のメッセージは、彼女自身の体験によって洗練されました。
摂理の未知を説明できる人はいません。しかし、試練と苦難の時に、神を信頼した人々は、神が計画の通りに働いていたということを知っています。ミセスホワイトはこれを知っていて、1892年の彼女の日誌に明らかにしました。彼女は、不慣れな土地[オーストラリア]で難儀した10カ月間に感じた日常生活を簡単にメモして残しました。生か死かという中、祈りと油注ぎと彼女の確固とした神への信頼への応答として、癒しが存在しないという彼女の期待外れはここに明らかにされました。
様々な状況のもとで書かれ、苦しみに遭っているに違いない人々への慰めのために著されたミセス
ホワイトによる個人的なメッセージは、その疑問の答えの助けとなるでしょう。神が愛の神ならば、なぜ、神の民は長期の病気という苦難に遭う必要があるのでしょうか。なぜ、その人々はベッドの上での痛みにつらい思いをする必要があるのでしょうか。慰めと励ましは、これらのページの中に書き著された品性/人格の体験を通り越す人々に、神の民にやって来るでしょう。繰り返し生じることは何でも、多くの個人的な状況と同じく可能な、慰めをもたらす目的のために存在しているにすぎません。
ホワイト遺稿管理委員会
訳者加筆「24章 年齢が進んだ人々への言葉」の予備知識
セブンスデー・バプテスト教会
本章「3」に「アダムズ センター」があります。『エレン・G・ホワイト百科事典』p.1152によると、その講話は1890年(彼女63歳)のことでした。そのアダムズ センターは、1863年にバプテスト教会のほとんど全員がセブンスデー
アドベンチストになった地名(オンタリオ湖の東)でした。
セブンスデー・バプテスト教会は、1650年代にイギリスで設立されました。1671年に北アメリカに導入され、「セブンスデー・バプテスト教会全体総会」が組織されました。定期刊行物『安息日の記録』は、再臨信徒達にも広く読まれました。
E.ホワイトがヨーロッパ伝道旅行した[1885-1887]時、ロンドンの大英博物館を案内したのは、セブンスデー・バプテスト教会牧師W.M.ジョーンズでした。彼女は、200年にわたって安息日を擁護してきた彼らに高い敬意を払っていました。この二つの教派は全体総会のたびに代表を派遣して交流を持っていました。
レイチェル・オークス・プレストン(ハリス)(1809-1868)
レイチェルは17歳の時にバーモント州のメソジスト教会に、そして、26歳の時にニューヨーク州のセブンスデー
バプテスト教会に繫がりました。その後、ニューハンプシャー州で働きながら第7日安息日のトラクト配布をしました。この時に、F.ホイーラー牧師に安息日の真理を伝えました。
F.ホイーラー(1811-1910)
ニューハンプシャー州の農場経営者、巡回牧師。彼は1840年にメソジスト監督教会牧師に任命されました。加えてクリスチャンチャーチの巡回牧師に招かれました。この年にウィリアム・ミラーの著書を読んでミラライトになりました。1844年の春にレイチェル・オークスから第7日安息日を伝えられ、それを受け入れ、最初の安息日遵守アドベンチスト牧師になりました。1845年にジョセフ・ベーツが安息日の教理を受け入れるための感化を及ぼしました。『エレン・G・ホワイト百科事典』p.546。これがSDAに安息日の真理がもたらされた経緯です。
24章 年齢が進んだ人々への言葉
1.全盛期の午後―円熟と生産
キリストの真の働き人は、継続的な改善を続けるでしょう。人生の全盛期の午後は、人生の朝と比べるとより成熟した豊富な果実が存在するでしょう。大きさと聡明さが増すことは、それが西の山々に沈むまで続くでしょう。その働きに就いている私の兄弟[姉妹]の皆さん、本国や外国の宣教地で熱心に働いて死ぬことは、何もしないで錆びて腐食してしまうよりも、ベターで、とても良い事です。困難に対して落胆しないようにしましょう。改善を続けることなしに、立ち上がることなしの落ち込みに甘んじないようにしましょう。その事柄は豊富になるので、皆さんは、新旧[約聖書]の事柄について、主の言葉の宝の家から運び出すことができるでしょう。
皆さんの体験はあと、10年も、20年も、30年もないでしょう。でも、皆さんは、生きている間、一人前の生活の糧をそれぞれに与えることができるという、一日の生きている体験があるでしょう。将来を見てください。過去を見ないでください。何かの過去の体験に関係づけるようにと、あなたの記録に努力を義務付けないでください。あなたとほかの人々のための一日その努力の任務は何ですか。あなたの全ての宝物は、あなたの過去の経験によって良いものです。あなたは、過去にあった聡明さや新鮮な体験を欲しています。あなたが過去に為したことを自慢することはやめましょう。そうではなく、あなたが今できることを示しましょう。あなたの言葉が自分をほめないようにして、自分の働きをしましょう。「主は正しい存在であり、主は私の岩です。そして、主には不義がないことを示すために、私達の神の家の庭に植えられた人々は、その庭で花咲くでしょう。彼らは年月を経て果実をもたらすでしょう。彼らは庭いっぱいに花咲くでしょう」(詩編)92:13-15)という神の約束を証しましょう。実践を続けて、皆さんの若い心と精神を守りましょう。
『レビュー&ヘラルド』1886.4.6[59歳]
2.自己鍛錬を怠る言い訳をしない
私は、試練と困難に耐えることができるように使ったという、ある信仰を何年もしていた人々のことを聞きました。でも、加齢による虚弱さが彼らに押し寄せ始め、試練がやってきた時、彼らはとても悩みました。これは何を意味するのでしょうか。イエスがあなたの救い主であることをやめたことは何を意味するのでしょうか。あなたが老いて白/銀髪になった時、それは何を意味するのでしょうか。あなたは、清くない感情を現すことを許されていますか。このことについて考えてください。あなたは、この世界の事柄を為す時に、この問題について、自分の考える理性の力を利用する必要があります。あなたは自己を否定し、あなたの人生で最初の厄介な務めを神への奉仕として捧げる必要があります。あなたは自分の平安を乱すための何かを許す必要もありません。その神性の生活の一定した進展や一定した成長も必要ありません。
キリストは、地上に基礎を置き、天の高きにまで届く人、ヤコブが見たあの螺旋形の梯子です。一回りまた一回り、あなたは永遠の王国に届くまで登り続ける必要があります。そこには、最も人性に似た、サタンのようになる言い訳はありません。神は、クリスチャンの高い特権を私達の前に定めました。「キリストが信仰によって人々の心に内住するということは、人間の中の神の霊による能力が強められることです。汝らは、愛に基づいて根付いた存在で、全ての聖徒達と共に、聖餐式のパンである、広さ深さ高さ、知識を超えたキリストの愛を知ることが理解できるでしょう。汝らは神に満ちているもの全てによって満たされるでしょう」(エペソ3:16-19)。『レビュー&ヘラルド』1889.10.1[62歳]
3.復活と祝福された人々の呼び出し
午後2時半過ぎに、私は、ホールいっぱいの人々に語りました。……私達は、この機会に神に奉仕した高齢の人達に会うことができたことを喜び合いました。私達は、[フレデリック]ホイーラー長老によって立ち上げられた第三天使のメッセ―ジを熟知してきました。彼は現在、おおよそ80歳です。私達は、40代後半の[H.H.]ウィルコックス長老と、[チャールズ.O.]ティラー長老によって、[それを]熟知してきました。高齢は、私と同じように、これらの規範的な老いた伝道者達にも告げています。私達が世界の終わりまで忠実でいるなら、主は私達に色褪せることのない命の冠を与えるでしょう。
この高齢の規範的な使者達は、無用な存在からはほど遠く、そして、[私達の]傍らにいました。彼らはヨハネに属するそれと似た働きの一部を担っています。彼らはこう言うことができます。
「命の言葉について、それは、初めから存在していました。それを私達は聞きました。それを私達は自分の両目で見ました。それを私達は見上げ、私達の両手は操り論じました。(その命が現れて、私達はそれを見たので、[私は]証を生み出して、その永遠の命をあなたがたに示しました。その命の言葉は天の父と共に存在していて、私達に現されました)。私達が見て聞いたその命の言葉をあなた方に宣言します。それによって、汝らも私達と交わりを持てるでしょう。私達の本当の交わりは、天の父が存在し、神の子イエスキリストが存在します。そして、これらのことをあなた方に書き送ることによって、あなた方の喜びが満ち溢れるでしょう。これは、その時に私達が彼[キリスト]について聞いたメッセージです。そして、これをあなた方に宣言します。神は光の存在で、彼の中には全く闇が存在しません。もしも、私達が彼と交わりをしていると言いながら、闇の中を歩んでいるならば、私達は偽りで、そして、その真理を為しているのではありません。もしも、私達がその光の中を歩んでいるならば、彼はその光の中に存在しているので、私達はほかの人と交わりをしています。そして、神の子イエスキリストの血が私達を全ての罪から清めています」(1ヨハネ1:1-7)。
これは、ヨハネが100歳近くの老年期に生み出した精神であり、そのメッセージの命でした。この規範的な伝道者達は、自分達の旗を第一に掲げています。彼らは自分達の武具が必要でなくなるまで、真理の旗を振る手を緩めません。一人、また一人、老いた勇士の声は静かになります。彼らの場所は空席になります。私達はもはやその人々を見ることがありません。しかし、彼らは死んでも、まだ、彼らの働きの後に続く人々のために語ります。私達は、彼らの働きの目的に高い敬意を払って、わずかな残りの巡礼の老齢者をとても優しくもてなしましょう。彼らの力や能力が弱り衰えてきた時に、彼らが為して言うことは評価に値します。彼らの言葉による貴重な証は宝物にされるでしょう。若い人々と新しい働き人達は何らの敬意を捨てないようにしましょう。白髪の老人達に無関心を示さないようにしましょう。そうではなく、彼らを立ち上がらせて、祝福されたものと呼びましょう。彼らは自分達がこれらの労働者の中に入って行くことを考えるでしょう。私達は、このメッセージの宣言の最初に存在していた私達の信徒達の心の中に、キリストの愛が多く存在していたことを望んでいます。
『原稿』33,1890[63歳]
4.奉仕中に白髪になった人々への勧め
1)配慮が必要な人 S.N.ハスケル長老
あなたは、自分ができそうなことでも、為すこと全てに心配していますが、覚えていますか。ハスケル長老。あなたが証を伝えるために何年も割いてきたことは、神の大いなる恵みと憐れみのそばにだけ存在しています。若い人々が負うことができる重荷を自分自身で負わないようにしましょう。
あなたの生活習慣に気を付けるのは、あなたの義務です。あなたは、自分の身体的・知的、そして、霊的な能力を使うことに賢くいるように存在しています。様々な体験の多くを通り過ぎてきた私達は、自分の能力を守ることが私達にとって可能だと考えるために存在しています。私達は、主の働きを優先して手伝うために、めぐり合って立つために、主がゆるす限り、主のために働くでしょう。
[神の救済]目的は、老人達の手助けを必要としています。高齢の働き人達は、神の目的の中で長い年月、経験してきました。その人々は、「間違った神学理論に騙されて心に抱き続けて狂信的な言動に陥った多くの人々」を見てきました。さらに、「神の残りの民に清らかさが与えられる終わりの日々に、真理のメッセージの努力を無きものにしようとし、混乱した判断の迷信を明らかにするために、闇/無知に真理の光を輝かせようとあらゆる努力をして耐えてきた多くの人々」を見てきました。
神に属する奉仕者であろうと努力した多くの人々は、イエスの中で眠りについています。私達は、この日のために生き残っている人々を助けるという価値を高く評価しています。私達はその人々の証の価値を評価しています。ヨハネの第1の手紙1章を読んでください。そして、主をほめたたえましょう。あなたは、多くの欠点がありながらも、主のために証を伝えることができるでしょう。……
2)スミス長老、ラフボロー長老
私達は、最も重い責任を負いながら、現在[1902]、生きている人を直ぐにあげることができます。[ユライヤ・]スミス長老は私達の出版の働きの始まりの頃に繫がりました。彼は私の夫に結ばれて働きました。私達は、いつも彼の名が『レビュー&ヘラルド』の編集者リストの上に見ることを期待していました。このようにそれは存在しているでしょう。それらの人々が始めた働き、戦いが厳しかった時に勇敢に闘った人は、現在も失わずに持ちこたえる必要があります。彼らは、厳しい困窮が生じた後で、働きに入った人々によって敬われるために存在しています。
私は、スミス長老にとても優しさを感じます。出版における私の生涯の関心は、彼の関心と結ばれていました。彼は、青年の時に、編集者として、彼の宿命の場所に立つために適任の、潜在的な才能を秘めて、私達の所に来ました。私が『レビュー』誌の大変優れた、たいそう霊的な真理について、彼の論説記事を読んだ時、私はなんてすばらしいと、とても嬉しくなりました。私はそれらの記事を神に感謝しました。私は、スミス長老にとても共感を覚えました。そして、私は、彼の名は編集指導者として、『レビュー』誌にいつも現れるだろうと信じました。このように、神はそれをしているでしょう。数年が過ぎて、彼の名が二番目に置かれた時、私の心が痛みました。それが再び最初に置かれた時、私は涙が溢れて、言いました。「神様、ありがとうございます」。スミス長老が右手でペンを握ることができて、神がそれを存在するよう意図したように、そこにいつもありますように。彼の手の力が衰えた時には、彼の息子達が彼の口述を筆記するでしょう。
私は、[J.N.]ラフボロー長老が自分の能力と賜物を神の働きに役立てることができたことを感謝します。彼は嵐[のような]試練の真っただ中に信仰深く立ち上がりました。スミス長老と共に私の夫、後の時期に私達に繫がった人、バトラー兄弟、そして、あなた[S.N.ハスケル]、彼はこう言えるでしょう。「それは、初めから存在していました。……私達が見て聞いたその命の言葉をあなた方に宣言します。それによって、汝らも私達と交わりを持てるでしょう。私達の本当の交わりは、天の父が存在し、神の子イエスキリストが存在します」(1ヨハネ1:1-3)。
3)最も貴重な労苦者バトラー長老
訳者加筆。G.I.バトラー(1834-1981)は農業に従事し、冬は学校で教えていました。1867年に牧師に任ぜられました。J.ホワイトが体調を崩した1872年と1880年に全体総会の代表を務めました。マリオン派がE.ホワイトに異議を唱えた時、彼女を擁護しました。『E.G.W百科事典』p.331
私達が[G.I.]バトラー長老の活動的な奉仕を再び見ることができて、神への謝意と喜びを感じています。彼の銀髪は、存在している数々の苦難を知っていることを証しています。私達は、彼をもう一度私達の働き人の仲間に歓迎します。そして、彼を最も貴重な労苦者達の中の一人として考えます。
主が、彼らの身体的・知的・霊的な能力を保つことについて、聡明な存在でいるためのメッセージに関して、初期の日々に証を生み出した兄弟達を助けますように。私は、主によって、「主は皆さんに理性/考える能力を勧めました。また、主は皆さんに健康で過ごせた成果の法則を理解することと、法則に従うための答えを期待しています」と言うように指導されました。それは、神の法則です。主は、身体的・知的・霊的退化に関して、悪の潮流の勢力によって滅びに向かって引きずられる存在から、人々を救うために自分の分を為すように、全ての開拓伝道の働き人達が、宿命のその場に立つようにと期待しています。私の兄弟[姉妹]の皆さん、主は、皆さんに厳しい闘いの武具を保つことを期待しています。軽率を避けてください。働き過ぎないでください。休息の期間を取ってください。
この教会の闘士は、この教会の勝利者として存在しているのではありません。主は、主の試された奉仕者達に、生きている限り、節制改革を擁護することを期待しています。その節制の旗を広げましょう。人々に、あらゆる方面で几帳面な節制を実践するように、身体的な法則を気に入って従順のチャンピオンであるようにと、教えてください。人々の前にその標語を生みだした旗を高く掲げましょう。「ここに、聖徒達の忍耐があります。神の戒めを守り、イエスに属する信仰を守る人々が存在しています」(黙示録14:12)。……
4)パイオニア/開拓伝道の先駆者達への尊敬と敬意
高齢の規範的な伝道者達の数人はまだ生きています。私は、私達の兄弟姉妹達がそれらのパイオニア達に尊敬し敬意を払うことをとても強く願っています。私達は、みなさんの前に、試練が存在していたことを知っている人々を紹介します。私は話すように指導されました。全ての信徒は、初期の日々の間に、特別なメッセージに卓越した分野で活動した人々と、困窮と多くの生活必需品の欠乏の試練にも耐えた人々を尊敬しましょう。それらの人々は奉仕の中で銀髪になりました。間もなく、彼らは報いを受けるでしょう。……
主は、忠実に誠実に立つために、神の法則に合うよう証を伝え、真理を擁護して銀髪になった奉仕者達に期待しています。
神の試みを受けた奉仕者達は、粗末な場所に置かれないようにされて当然です。その働きが厳しかった時、彼らの偉大な教師に奉仕した人々と、私達のメンバーが少なかった時、真理の愛によって忠実に残って清貧に耐えた人々は、いつまでも、敬意を払われて尊敬されるために存在しています。後の年月にその真理に入ってきた人々は、それらの言葉を心に留めましょう。神は、全ての人々にこの注意を心に留めるようにと期待しています。 『手紙』47,1902[75歳]
5.教師やカウンセラーとして存在する高齢の働き人達
神は、様々なケースの緊急事態に対処することを若い人々に教えるため、高齢の奉仕者達をカウンセラーとして活動するよう呼びかけています。高齢の奉仕者達は、ヨハネがしたように、現在の生きている証を伝えるために存在しています。これらの忠実な働き人達が、「祝福された人々は主にあって死んだ者達です」(黙示録14:13)の言葉によって、退職へと追いやられた時、私達の考え方と同じくする人々の中に、新しい場所でそれを立ち上げ、その標準を掲げることができる男性達と女性達が見られるでしょう。
その高齢の規範的な伝道者達は、その専門分野に存在しています。彼らの労働によって信頼された人々を労いましょう。そして、尊敬しましょう。彼らのアドバイス、彼らの勧めの言葉を正しく理解しましょう。その人々をその働きの重荷を負った、母として父としてもてなしましょう。[人々を救う神の]目的の必要と期待された過去を持つ働き人達は、彼らの重荷の全てを負ってその場所にいる時、貴い働きを為しています。彼らは、それらの重荷を若い男性達と女性達の肩に掛けます。そして、エリヤがエリシャを教育したように、彼らを教育します。
ダビデは、彼が受け取った神性の教えとガイダンスに対する謝意として、捧げ物を神に申し出ました。「神よ、そなたは青年の時から私に教えました」(詩編71:17)と宣言しました。重荷を負い、その一日を熱くするこのメッセージの歴史の中の人々は、思い出されるために存在しています。彼らの青年時代から彼らを教えた同じ主は、「私のくびきを負ってください。そして、私に学んでください」(マタイ11:29)と彼らを招きました。そして、彼らに、真理の光を与え、主が彼らを教えるために存在しているのと同じように、今日の若い男女に教えるために快くしています。
6.追体験されたやっかいな重荷
少しの間の離脱と休息は、重荷を担う人々のための知恵です。これらの忠実な働き人達はあらゆるやっかいな重荷が取り除かれる必要があります。教育者として彼らが為すことのできる働きは正しく評価される必要があります。主は、自身、ほかの人々を教え、尽力する彼らと協同するでしょう。彼らは若い人達と取り組むことが残されているでしょう。将来の働きは強健な若い人によって為されるに違いありません。その働きは、私達の信仰の創始者であり完結者の支配のもとに存在しています。彼は、機会を人々に合わせて与えることができるでしょう。彼は、主の戦いに闘うことができる人々を立ち上がらせるでしょう。彼は、その働きのチャンスを奪わないでしょう。この働きは偉大なそして、厳粛な戦いです。そして、それは、前進するために存在しています。
神の[人類救済]目的の未来に困難な道程があって、彼らの残っている活力を消耗させるかもしれないということは、神の意思ではありません。若い人々が負うことのできる全ての責任を担ってもらい、信仰のよい戦いをしてもらいましょう。主は、関心がある賢明な人が為すよりも、その働きを選んで為す最善の人を知っています。若い人々の心に主の精神/霊を植え、人目につかないけれど、残りの大きな働きに向かって彼のための戦いに導くのは神です。このように、主はタルソスのパウロに霊感を与えました。パウロは啓示された天の真理のために、自分に委託された能力によって自分を擁護するために、背信者達に対して闘いました。神の奉仕者達は、パウロが遭遇したものと同じ困難に出会うでしょう。このような体験は、今日、真理の旗を掲げている人も持っています。それは、真理を擁護するために立ちうる人々にも存在しています。もしも、彼らが学ぶ者であり続けるなら、神は、主の律法の正しさを証明するために、彼らを用いるでしょう。
7.若い人々と経験のある働き人との団結
高齢の働き人は、自分達が全ての重荷、全ての責任を負う必要があるとは考えないようにしましょう。神の労働の新しい分野は、私達の前にいつも開かれています。若い人々と経験のある労働者達は、団結しましょう。経験者は、御言葉を理解し神の言葉を長い間に実践してきました。また、実際的な生活でその真理を生かし、日々にキリストを信頼しました。ダニエルが為したように主を求めました。一日に三回、ダニエルは神に自分の祈願を申し出ました。彼は、全能者の勧めが知恵と能力の源であることを知っていました。イエスに存在する真理、両方に刃のついた聖霊の剣は、彼の戦いの武器でした。
言葉によって、聖霊によって、原則によって、神を信頼する人々は、彼らと繫がった若者達の手本として存在しています。忠実な神の奉仕者達は、キリストの愛によって引き寄せられたので、愛の絆で引き寄せ、若者達と鎖の輪で繫がるために存在しています。
『レビュー&ヘラルド』1900.3.20[73歳]
8.老いた成長、しかし、証を続ける
親愛なる[G.I.]バトラー兄弟へ
……私は、大きな望みをもっています。偉大な教師への奉仕の内に白髪になった老兵達は、その点において正しく、自分達の証を生み出して伝え続けるでしょう。その信仰によって、若い人々は「主が過去において私達に与えたメッセージが地上歴史のこのステージで非常に重要である」ことを理解するでしょう。私達の過去の体験は、この体力や気力の小さなもの一つも失ってはいません。私は、神聖な御言葉の小さな一つひとつを主に感謝します。私は、自分達の体験の厳しかった部分を書こうとは思いません。
皆さんは、自分の能力を超えた働きをする必要がありません。私は、自分達の未来体験は様々なことをさせられるだろうと思います。でも、私は、「皆さんも自分もキリストへの奉仕の中で、彼の意図の中で老いて行くことは、高貴な価値ある体験と最も強い興味を得ていることだ」と思います。主の評価/裁きはこの地上に存在しています。私達は、天に向かって進むほかの人々を助けることを為すために全存在をかけて、全身全霊を持って忠実に働きをする必要があります。天の門に向けての闘いを進めましょう。ためらい気落ちしている人に励ましの言葉を語るための用意をいつもしておきましょう。私達は、キリストと共に歩む時だけ安全に歩めるでしょう。自分の勇気を挫かないようにしましょう。あなたは、忠実に働くためのコンタクトを取って、人々を助けましょう。
私は、将来、私が私達の何かの集会で皆さんに会うという希望があります。私[83歳]と皆さんは生きていて長く信仰を守ってきた人々の最高齢の間で生きています。もしも、私達が自分達の主の現れを見るために生きず、また、自分達にまかせられた働きをしていないならば、私達は、清い尊厳という自分の武具を投げ捨てているでしょう。自分の最善を尽くしましょう。信仰と希望によって、自分の最善を尽くしましょう。私の心は、長く私の人生を割いてきたので、主への謝意で満たされています。私の右手は震えることなく、まだ、聖書の真理の課題を書き綴ることができます。皆さんに申し上げます。ホワイト姉の手はまだ、人々への指導の言葉を綴っております。私は、もう一冊「旧約聖書の歴史」*[23]を完成しています。皆さん方に、主の祝福と、希望と励ましがありますように。 『手紙』130,1910[83歳]
9.やっかいな労働はいつも少なめに
親愛なる[S.N.]ハスケル兄弟へ
私は、あなたが、為すことが可能な以上に働かないようにと勧めます。あなたは、やっかいな労働をいつも少なめにする必要があります。そうすると、あなたは、休息が取れた状態を保つことができるでしょう。あなたは昼寝をする時間を取る必要があります。あなたは、その時、もっと深く思考することができ、あなたの思考力はもっと明晰になり、あなたの言葉はもっと堅固なものになるでしょう。あなたの全身全霊に神との連携がもたらされて確固なものとなるでしょう。あなたの霊的な啓蒙のために聖霊を受け入れましょう。そして、主を知るためにそのガイダンスに寄り添いましょう。主の指導に向かって進みましょう。主が命じていることを為しましょう。主を待ちましょう。すると、主はあなたの能力を新しくするでしょう。
しかし、絶え間なく最大限に使う存在だということは、あなたに属せず、あるいは、私に属せず、求められているのではありません。私達は、主が私達に求めているものを、継続的に明け渡す必要があります。主は、私達に自分の契約を示しているでしょう。「主の隠れた事柄は、主を畏れる者達と共に存在しています」(詩編25:14)。私達は、やがて、天の父と子イエスキリストに関する神の未知を詳しく指導されるでしょう。私達は、主の美の中に王の理想像を描くことが可能です。私達の眼前には、神の民のために備えられたその休息が開かれているでしょう。間もなく、私達が長い間語り合ってきた都、建設者と設計者が神である都に入るでしょう。 『手紙』78,1960[37歳]
10.寄り添って、神を信頼する
親愛なる[S.N.]ハスケル姉妹へ
……さて、あなたはもはや何も活動することができなくなり、病があなたに押し寄せました。神があなたに求めていることは、主に信頼することです。造り主に忠実な者として、あなたの魂を主に委ね続けましょう。主の憐れみは確かに存在しています。主の約束は永遠です。幸は、その人の神、主にある希望を抱いている人の中に存在しています。その人は永遠に真理を保っています。あなたの心でその約束を捉えそれらを掲げましょう。もしも、あなたが、その貴い約束を含んだ豊かな宝物を進んで心に求めないなら、ほかの人の口からそれらを聞くことになるでしょう。満足と愛と保証は、愛の宣言、主の世話する子らの関心とかわいそうに思う、神自身の口からの言葉に見られます。
「主、憐れみと恵みの神、主は、忍耐強く、良いものと真理に豊かで、何千もの憐れみを持っていて、咎と違反と罪を赦します」(出エジプト34:6,7)。
主は、苦しむ者達のために憐れみに満ちています。罪は、主が負うには大きすぎますか。主は憐れみ深く、無限に備えていて、罪ありとするよりも赦すことを喜びます。主は親切です。私達の欠点を探しません。主は私達なんできているかを知っています。主は、私達が塵の存在にしか過ぎないということを覚えています。主の無限の思いやりと哀れみによって、主は私達の全ての退化を癒します。私達がまだ罪びとだった時に快く私達を愛し、主の光を消さず、キリストのために私達に光を輝かせています。
どうか、私の姉妹、いつも、イエスを信頼してください。その方はあなたの義ではありませんか。神の愛は、聖なる霊によってあなたの心を広く照らしています。その愛はあなたに恵みとして与えられています。あなたはキリストと一つの存在です。主はあなたに忍耐強さの恵みを与えるでしょう。主はあなたに信頼の恵みを与えるでしょう。主はあなたに休息の訪れの恵みを与えるでしょう。主は、あなたの心を優しい霊で温かく包むでしょう。主はあなたの魂の弱さを蘇らせるでしょう。あと数日もすれば、この世界の見知らぬ人々と共に、天にある良い国を目指している、巡礼者達として存在するでしょう。その時、あなたの魂は、神の安らぎの内にとどまるでしょう。あなたの重荷を主の方に転がしましょう。
何度も、あなたの心は主の御顔の美に触れられ、主の品性の愛らしさによって喜ばせられ、そして、主の苦しみの思想によって、支配されてきました。今、主はあなたが全身を委ねるようにと期待しています。私は、あなたの慰めのために、一節をプレゼントしましょう。「その日に汝らは言うでしょう。主よ、私はそなたを賛美するでしょう。そなたは私達を怒りましたが、そなたの怒りは消え去りました。そして、そなたは私を慰めました。見てください。神は私の救いです。私は信頼しましょう。そして、恐れません。主ヤハウェ(hwhy)は私の力、また、私の歌です。主はまた私の救いになりました。ですから、喜んで、救いの井戸から水をくむでしょう」(イザヤ12:1-3)。 『手紙』14b,1891[64歳]
25章 苦難と苦痛
題目編纂者(1891年の暮れ、エレン・G・ホワイトは、全体総会からの要望に応えて、オーストラリアに新しく設立された働きの強化援助のために、そこへ伝道旅行しました[1891.12.8-1900.3.,64-73歳]。その滞在は9年間に亘りました。到着して間もなく、彼女は、痛みの伴う8カ月の病気が身に降りかかりました。次の内容は、この苦難による忍耐の記録です。この教訓をノートに記録した彼女は、この体験から学びました)。
訳者加筆。彼女に、看護師のサラ・マクエンターファー、看護師のエミリー・キャンベル、メイ・ウォーリング、ファニー・ボルトン、文筆アシスタントのマリアン・デイビス(『エレン・G・ホワイト百科事典』p.335)、三男のウィリアムが同行しました。A.G.ダニエルズは宣教師として既に行っていました。三男は妻を亡くしたばかりで、二人の女の子を残していきました。彼は妻を得てアメリカに戻ります。この病気は、高齢者が罹患しやすいウイルス性の激しい疼痛を伴う帯状疱疹かと思われます。
1.なぜこの苦痛*[24]
全ての郵便物を、私の手で100か200ページを作りました。その多くは、ベッドの上の支柱のそばで、半分横か半分座ってか、あるいは、当て物を入れた座り心地の好くない椅子に座ってのどちらかで書かれていました。
座ると、私の臀部と脊柱の下部にとても痛みがあります。もしも、あなたのサナトリウムにあったような座りやすいイスが、この国[オーストラリア]で見つけられてあったら、それは、私によってすぐに買われるでしょう。仮に、それが30ドルしても……。私がまっすぐ立って座って頭を上げることは、とても疲れることです。私は、半分倒したイスの背もたれに寄り掛かって休む必要があります。これが、まさに、今の私の状態です。
でも、私はまったく挫かれてはいません。私は、毎日、支えられていると考えています。夜の長くて疲れる時間に、ある疑問で眠気がなくなった時、私は祈りに多くの時を捧げました。また、全ての神経が痛みで悲鳴を上げているように思われた時に、よく考えると、それは、気が狂いそうになるかもしれないと思いました。キリストに属する平安は、私が謝意と感謝の祈りで満たされたという推測によって私の心にやって来ます。私は、イエスが私を愛していることを知っています。そして、私はイエスを愛しています。幾夜か、私は3時間眠りました。2、3夜は4時間眠りました。多くの夜は2時間だけ、そして、また、オーストラリアの長い夜、闇夜の中で、全ては私についての光に見えます。そして、私は神との幸せな交わりを喜んでいます。
私が初めて自分の無力な状態を知った時、私は、太平洋の広いひろい海の上を越えて来たことをとても後悔しました。どうして、私はアメリカにいなかったのか。なぜ、私はこの国にいて、こんな目に遭っているのか。時々、私はベッドのキルト[かけ布団]に顔をうずめ、そして、泣いたものでした。でも、私は、涙の出るままにさせておこうとは思いませんでした。
私は自分に言い聞かせました。「エレン・G・ホワイト、あなたが為している意味は何ですか。あなたは全体総会が判断した所へ行くことは自分の義務で、ベストだと考えたから、オーストラリアに来たのでしょう。ここに、あなたの実践することがあったのではないですか。
私は「そうです」と言いました。「でも、なぜ、あなたは、見捨てられた、勇気をなくしたと考えるのですか。ここに、敵の働きがあるのではありませんか」。私は「私はそうだと信じています」と言いました。
私の涙は、できるかぎり直ぐに止まりました。そして、「それは十分です。私は、闇のどんな側面も見ないつもりです。生きても死んでも、私のために死んだ主に、私の魂を委ねることを決意しました」と言いました。私は、その時に、主は全てのことを良くするだろうと信じました。無力な8カ月の間、私はどのような落胆も疑いもありませんでした。私は、今、この国の神の民の益のために、アメリカの神の民のために、そして、私の益のために、主の偉大な計画の一つとしてその事柄を見ています。私は、なぜ、どうしたら、を表現できません。でも、私はそれを信じています。そして、私は自分の苦痛によって、幸せです。私は、自分の天の父に信頼することができています。私は主の愛を疑わないつもりです。私は、夜も昼も眠らず見張る守護者を持っています。そして、私は主をたたえます。それは謝意が満ちた心からくるので、主への讃美が私の口にあるからです。 『手紙』18a,1892[65歳]
2.苦痛の日々と熟考 祈りと油注ぎ すぐに癒されない
1892年5月21日、その試みとほとんど眠れない夜は終わりました。昨日の午後、主が私を癒すように祈るという私の願いに、[A.G.]ダニエルズ長老と妻、[G.C.]テネイ長老と妻、ストックトン兄弟とスミス兄弟が、私達のハウスに来ました。私達は最も熱心な祈りの期間を持ちました。そして、私達はみな、とても祝福されました。私はとても安心しました。しかし、回復しませんでした。私は今、私が聖書の指導に添うためにできることをみなやっています。そして、私は、主が働くことを待っています。主が私を癒す幸いな日を信じています。私の信仰は「求めてください。汝らは受け取るでしょう」という約束を心に抱いています。
私は、主が私達みんなの祈りを聞いたと信じています。私は、自分の不自由な身がすぐに良い方に向かうだろうという希望を持っています。私の有限な判断は、神がたたえられるように思います。私は、私達の祈りの期間の内にとても祝福されました。私はそれから自分に与えられた保証をしっかりと心に留めました。「私は贖い主です。私はあなたを癒すでしょう」。 『原稿』19,1892[65歳]
3.私は、自制を失わないでしょう
1892年6月23日。一晩が過ぎました。私は3時間だけ眠りました。私は、これまでのような強い痛みを感じませんでした。でも、休息も取れず、神経質になっていました。眠ろうとして、目が覚めて少し横になった後、私は目を覚まそうしました。そして、主を求めることに集中しました。私のための大切な約束がありました。「求めてください。それはあなたに与えられるでしょう。求めてください。汝はそれを見つけるでしょう。叩いてください。それはあなたのために開かれるでしょう」(マタイ7:7)。私は、主イエスだけが与えることのできる慰めと平安を求めて、もっと真剣に祈りました。私は、激痛を我慢することができるように、主の祝福を欲しいと思っていました。私は自制を失わないでしょう。私は、一瞬たりとも、自分の中にあるものを信頼することはしないつもりです。
ペテロがキリストから視点を逸らした瞬間、その瞬間に、彼は沈み始めました。彼は、自分に危難が差し迫ったことに気付いた時、イエスに目を上げて叫びました。「助けてください。主よ。そうでないと、私は危難にあります」。その危難の救いのために、主の手は彼を握りしめました。彼は救われました。……
住んでいる地homeで、私は、平安を求め、それを追いかけていく必要があります。……身体に苦痛があって、また、神経系統が弱っていても、私達は「不満を言ったり考えたりして自由に存在しているし、受けられる配慮も与えられていない」と考えるのもよくありません。私達が我慢のなさに道を開く時、また、神の聖霊を心の外に押し出す時、サタンの属性に場所を開きます。
私達が、自己中心に、また、良くない考えと良くない言葉に言い訳の枠組みを作る時、自分の魂に悪いことを教えています。もしも、私達がこれをし続けると、それは、誘惑に明け渡すための、一つの習慣になるでしょう。私達は、今、打ちのめされ、弱められ、勇気がなくなる、サタンの地に存在しています。
もしも、私達が自分自身を信頼するならば、確かに、失敗するでしょう。キリストは言いました。「私に繫がってください。そして、私はあなたの中に[住みましょう]。ブドウの枝は、ブドウの親木に繫がっていないと、自分の実を成らせることができません。汝らが私に繫がっていないと、汝らは[神性に関して]何もできません」(ヨハネ15:4)。
私達はある実を生み出すために存在していますが、その実は何ですか。「聖霊の実は、愛、喜び、平安、忍耐強さ、優しさ、善意、信仰、従順、節制です。これらに反する法則は存在していません」(ガラテヤ5:22、23)。
私がこれらの事柄を熟考する時、神の愛の中に魂を留めておくことを怠る罪を深くふかく感じています。主は、私達との協働なしには何もしません。キリストが父の名によって人々を守ることを父に祈った時、彼は、私達が神に属する信仰と神の愛に留まることを怠るということを意図しませんでした。神に生き、キリストと結びついた生き方を通して、私達は、イエスが見守ることによって、強い力/能力をいつも得るという約束を信頼しています。何が、主を見上げて主に似た者として人の心を変えたり、その人の信頼をかき乱したりできるのですか。そのような人は、軽視されるように存在しているのですか。その人のかたち/人間像は自我の中心にありますか。その人は、自分の平安と知性をかき乱す小さなことを許しますか。キリストが心に内在する人は、快く、喜ばされるために存在しています。その人は悪を考えず、イエスが知っていて、彼が[贖うために]死んだ全ての魂を正しく評価しているその保証に慰められています。神は、「私は人を黄金よりも、オフルの金貨よりも貴重なものにするでしょう」(イザヤ13:12)。魂の望みのこの慰めを神が私達に与えたので、ほかの人々に与える用意をして、私達も慎重に抱き続けるようにしょう。
生活の幸は、小さな事柄の積み重ねで作られます。真のキリストのような礼儀正しさを実践することは、皆さんの能力の中に存在しています。そこには、私達の勝利を助ける輝くような才能は存在していません。でも、良心的な日常生活の義務の遂行は存在しています。その種類を見てください。その控えめな精神、取組みへの同意、心を動かされず堅く立つ、ほかの人々の福祉/良い状態welfarに深い関心を持つなど、これらの事柄はクリスチャン生活の中で、援助として存在しています。イエスの愛が心を満たしていると、この愛はその生活の中に現れるでしょう。私達は、幸せや満ち足りのための、独自の道、頑固さ、不本意な自己中心を持つことに意欲を示さないでしょう。身体の健康は、多くの考えられたものよりも、心の健康に多くを依存しているでしょう。
人は自分自身を取るに足らないものだとイメージすること、満足する能力がある時に自分は高い位置にいないとイメージすること、そして、困難を考える自分にすることが可能です。人には不幸が存在しますが、でも、非難するのは誰ですか。一つのことは確かです。愛想の良くない傾向の不敬な言葉による気の利いた考えよりも、気立ての良さと優しい親切さが人を高貴にするでしょう。 『原稿』19,1892[65歳]
4.イエスは、私達の悲しみと苦痛を知っている
1892年6月26日。私は、夜の長い疲れに、朝日が射し始めた時、嬉しくなりました。でも、私が眠ることができない時、決してまどろむことのない御方が私の良い事のために見守り続けていると考える時、私の心は喜びで満ちています。イエスが私達の被る痛さや悲しみを知っているというのは、とても素晴らしい考えです。私達の全ての苦痛の中で、彼は苦しんでいます。私達の友人の何人かは、人間的な苦悩や身体的な痛みを何も知りません。その人々は病気になったことがなく、そのために、彼らは病気の人々の心を十分に考え感じることができません。しかし、イエスは私達の有限な考えに近づいて触れます。彼は偉大な医療奉仕の働き人です。彼は[神性の]自分に人性を取り、そして、正義と愛を和解させるために、自身を摂理による新しい制度の長とし定めました。 『原稿』19,1892[65歳]
5.私を健康にしてください 実のなる枝
1892年6月29日。私の目覚めの祈りはこうです。「イエスさま、今日も、そなたの子らをお守りください。わたしをそなたの守りのもとにおいてください。私を健康にしてください。生きているブドウの木の枝に実を成らせてください」。キリストは「私を離れては、[神性の働きを]汝らは何もすることができません」(ヨハネ15:5)と言っています。キリストによって、また、キリストを通して、私達は[神性に関する]全てのことをすることができます。
御使い達の敬愛の[対象として]存在し、天の聖歌隊の合唱を聞いた主は、この地上にいた間、子らの悲しみにいつまでも触れて、いつも、人々の子どものような悲しい話に耳を傾ける用意をしていました。彼は、時々、彼らの悲しみを忘れられるように、彼らの悲しみを慰めるような自分の言葉で、優しく共感して励まし、彼らの涙をぬぐいました。彼のバプテスマの場面において、イエスの周りを飛ぶハトの標章は、彼の品性/人格の優しさを現しています。 『原稿』19,1892[65歳]
6.私によって語られた不親切でない言葉
1892年6月29日。昨夜、大きな疲労が過ぎたようでした。激痛や苦しみは続いていますが、私は、自分の救い主に見捨てられたのではないことを知っています。私の祈りはこうです。私を助けけてください。イエスさま。私の口からそなたに失礼な言葉を出さないでしょう。不親切な言葉を語らないでしょう。 『原稿』19,1892
7.私は不平を言わないでしょう
1892年6月。私は、主に全ての心配と不安を話すことができるので、とても感謝しました。私は、主の翼の陰に覆われていると感じています。神を信じないある人は、かつて、神を畏れる若者に「あなたの礼拝する神は、どれほど偉大なのですか」と尋ねました。無限に満ちているほど、また、全ての清められた心に住んでいる程にとても小さくて、とても偉大です」と答えました。
貴い救い主、私は、そなたの救いを待ち望んでいます。「渇いた心は谷川の水を喘ぎ求めます。私の魂はそなたを喘ぎ求めます」(詩編42:1)。私は、イエスをはっきりと見ることを望んでいます。私は、染みのない彼の生涯を考えること、彼の教訓を熟考することが好きです。私は何度この言葉を繰り返したことでしょう。「重荷を負わせられて労働している人達は、みな、私の所に来てください。私はあなた方に休息を与えましょう」(マタイ11:28)。
私の体の多くの時間は、疼痛でいっぱいです。でも、私は、苦情のそばで、クリスチャンの名の価値がなくならないでしょう。私は、身体の健康のために良くない状態のもとで続ける労苦を避けるようにと、ほかの人々への警告の一つの意味として、この苦痛の教訓が神の栄光のためにあるだろうと確信しました。 『原稿』19,1892
8.主は私を強める
1892年7月7日。主は、数通の重要な手紙を書くために、恵みによって私を強くしています。特別な兄弟達が頻繁に相談に来ています。私は、この長い苦痛は主の栄光のために存在しているという強い確信を抱いています。私は、夜中に目覚めた時、イエスが私を見ている時、不平を言わないつもりです。イザヤ51章は、私にとても貴重です。彼は私達の全ての重荷を負っています。私はこの章を確信と希望を持って読んでいます。 『原稿』19,1892
9.退却をうちくだく考え
1892年7月10日。私は、5時、暖炉に火を起こすエミリーに起こされ、着替えを手伝ってもらいました*[25]。私は、いつもよりよく休めたので主に感謝しました。私の目覚めている時間は祈りと熟考をしています。ある疑問が私に湧いてきました。なぜ、健康回復の祝福を受けないのですか。なぜ、私はオーストラリアに来たのですか。神の不興の根拠としての7カ月の病について解釈してみましょうか。私は断固として、いいえと答えます。私はあえてこれをしません。アメリカを発つ前、私は、「私の歳と無理な仕事によって意気消沈していた時に、主はそんな遠くの国に行くよう、私に求めなかったのに」と考えました。でも、私は[全体]総会の希望に添って来ました。私が自分の明らかな光を持っていない時に、行動するよう努めてきました。私はオーストラリアに来ました。そして、助けを待っているに違いない状態のここで信徒達を見つけました。ここに到着して数週間後に、私は、これまでの生涯に働いてきたように、誠実に働きました。言葉は、個人的な清い思いの必要に関して語るようにと私に与えられました。
私はオーストラリアにいます。そして、「私は主が望んでいる所にいる」と私は信じています。苦痛は私の任務の一部なので、私は退却の合図を出す考えを持っていません。イエスは私のもの、そして、私は彼の子どもという祝福された保証が私に与えられました。闇は義の太陽の光線によって打ち消されました。誰が、私の苦しみのこの痛みを理解できるのですか。私達のあらゆる苦痛の中で、苦痛に遭われている御方だけがわかるのではありませんか。私は、私達の有限な感覚や考えに触れられた彼だけについてだけ、それを話すことができるのではありませんか。
私が回復を熱心に祈って、主がその祈りに応答しないと思える時、私の知性は私の中で挫かれていました。それはこうです。優しい主は、私に主の臨在という配慮をしました。彼は私に「あなたは、私の血で買い取った私を信用できないのですか」と言いました。私は、そなたの両掌を握りました。私の魂はその時、神性の臨在によって、望みを育まれていました。私[の意識]は、自分の考えの外、そこに存在していた神の臨在に向けさせられていました。 『原稿』19,1892[65歳]
10.神は最善を知っている
1892年7月14日。苦しんでいた数カ月が私に降りかかって来て、その苦痛の中にいた時、私は、祈ることが直ぐに答えられず、[苦痛が]取り去られなかったということに驚かされました。でも、「私の恵みは十分に存在しています」(2コリント12:9)という約束は、私のケースに満ちていました。私の側に疑いが存在することができません。私に痛みが生じる時間は、祈る時間でした。私は、私の悲しみを受け止める人を知っていました。私は、有限な能力をもっていることによって、私のか弱い能力を補強する特権を持っていました。昼も夜も、私は神の約束の堅固な岩に立っています。
私の心は、愛するという信頼によって、イエスに心が引かれています。彼は、私にとって最良なことが何かを知っています。孤独が存在している私の夜と私は、この約束を必要としません。「悩みの日に私を呼んでください。私は汝らを救い出すでしょう。汝らは私の栄光を見るでしょう」(詩編50:15)。 『原稿』19,1892
11.数カ月の苦難から学んだ教訓
私は、疼痛と苦痛と無力という大きな試練を通り過ぎました。でも、その全てを通して、私は、自分にとって金よりも価値のある貴重な体験を得ました。私はオーストラリアとニュージーランドにあるこの教会を訪問するという計画を諦めて当然だと私が確信させられた時、私は、アメリカを発ってこの遠く離れた国に来たのは私の義務かどうか、深刻な疑問を感じました。私の苦痛はひどいものでした。私は、アメリカに向かってヨーロッパを発った私達*[26]の体験以来、多くの眠れない夜の時間を乗り越えてきました。そして、不安や苦痛、重荷を担う場面が続いてきました。その時に、私は「それはみな何を意味しているのですか」と言いました。
私は注意深く、過去数年の歴史と、主が私に為すようにと与えた働きを振り返ってみました。主は一度も私[への助け]を欠いてなくて、主はたびたび特徴ある方法で自身を私に現しました。私は不満を何も持っていなかったことを知りました。それどころか、私の全ての体験を通して、金の縫い糸のように貴重な事柄がちりばめられていました。主は、私が必要としていたことを私よりもよくわかっていました。私は、主が私を苦しい夜も引き寄せていたとと感じました。私は、神に「私のためにする義務がある」と、指示しないよう慎重である必要があります。この不和は、私の苦しみと無力さの始まりにありました。でも、私の苦痛は、神の計画の一部だったということを私が感じるまでで、長く続きませんでした。私は、「不器用な手を役立てる場所に自分を置いていて、時と場合によって強い痛みで苦しいけれど、私はたくさん書き物をするでしょう」ということを見つけました。この国に来てから、私はこのサイズで600ページ書きました。
12.私は信じた方を知っている
過ぎた9カ月の多くの夜の間、その暗い夜の時間は私の周りにありました。でも、私は祈って、そして、神の近くに引き寄せられて、とても慰められたと気付きました。「神の近くに引き寄せられましょう。主はあなた方をみもと近くに引き寄せているでしょう」(ヤコブ4:8)。「特別な敵がやがて洪水のように押し寄せてくる時、主の聖霊はその敵に一つの標準を高く掲げるでしょう」(イザヤ59:19)は、私に十分に満たされました。イエスは、すぐ近くに、威厳をもって存在していました。そして、私は十分に恵みが与えられていたこと、私の魂が神にとどまっていたことを見い出しました。また、私は、私を愛し私のために自身を与えた主を感謝してほめたたえました。私は心から「私は自分が信じてきた方を知っています」(2テモテ1:12)*[27]と言うことができるでしょう。「神は、汝らが試みられることに忍耐できる以上に、あなた方を苦しめず信頼のおける方です。しかし、汝らはそれに耐えることができるように、その試みに逃れる道も用意しているでしょう」(1コリント10:13)。キリストイエスを通して、私は勝者として、優れた素地を捉えて、きっとうまくいくでしょう。
私は、自分の苦痛の中に神の目的を読み取ることができません。でも、彼は最善なことを知っています。そして、私は、自分の魂、身体、そして、知性を、私の信頼のおける創造者としての主に信頼するでしょう。「私は、自分が信じてきた方、かの日に向かって、守ることができると確信してきた方を知っています」(2テモテ1:12)。もしも、私達がもっと信仰や愛、強い忍耐、天の神にもっと優れた信頼を持つように自分の魂を教え訓練したならば、私達は、日々、この人生の葛藤を通してもっと平安と幸いを持つということを知っています。
主は、私達がイエスの腕の外で思い悩み心配することを喜びません。冷静に待ちつつ見守り続ける組み合わせがもっとも必要なことです。私達は、適切な状況の何かの印を見続けていても、正しいコースを進んでいないと少なからず感じ、考えることがあります。でも、そうした推測は信仰に属する考えではありません。
13.信仰によって歩む
私達が、書かれた御言葉[の約束]を遵守する時、私達の最良の知識によれば、私達が特別な謝意を感じるか、感じないかは、私達が信仰によって歩んでいるかにかかっています。私達は、私達の犠牲として、神のひとり子イエスを死ぬために与えた、主の大きな愛の明確な根拠が私達に与えられていたのに、主を信頼しないことを示す時に、神を汚します。ですから、私達は疑問や疑いなしに、主に希望を残し、主を信じ、主の言葉を信頼しましょう。
イエスを見続けましょう。沈黙の祈りを信仰によって捧げましょう。あなたがどんな考えを表そうとそうでないとしても、神の力を捉えましょう。捧げられた全ての祈りは、消えない約束をしている御方のそばに届き、神の玉座に宿ったとして、光の中に進みましょう。重圧と悲しい感情に押しつぶされている時でも、あなたの心の中で、神に向かって、メロディーを作りながら歌って、光に寄り添って進みましょう。やがて、光/真理はやって来るでしょう。喜びは私達に存在していて、霧や雲は消え失せるということを知っている人として、私はあなたにお話しします。私達は、その陰と闇のひどい力を通り過ぎて、主の臨在の明るい太陽の陽射しの中を通るでしょう。
もしも、私達が自分の信仰を表明するならば、自分が(深い憐れみ、寛容、神の愛)を持っているとわかる祝福、私達が日々に持つ大きな能力の祝福によって、もっと喜ぶでしょう。両親達が子ども達によい贈り物を与えるために存在している以上に、求める人々へ聖霊を快く与える私達の天の父が存在し、私達へ強い感化力を持っている、神の王子、キリストによって語られた貴い言葉は、保証と力を持っていないのですか。
私達は日々に自分を神に捧げ、自分の信仰に合う感情の度合いを持っているかどうかテストすることなしに、その犠牲を主が受け入れていると信じる必要があります。東は西と[識別される]ように、感情と信仰は識別[され]ます。信仰は感情に依存していません。私達は信仰によって、感情または感情でなくても、自分の祈りが生きている時に、熱心に神に求める必要があります。私達の保証と根拠は、神の言葉に存在しています。私達が求めた後、疑うことなしに信じる必要があります。私はそなたをほめたたえます。神さま、私はそなたをほめたたえます。そなたは、そなたの言葉の実行によって、私に足りないことはありませんでした。そなたは自身を私に現しました。そして、私はそなたの意図を為すためにそなたに存在しています。
神への捧げ物とあなたの犠牲を獲物として出くわす、何かの鳥やカラス達を追い払ったアブラハムと同じ、忠実な信仰を見詰めてください[創世記15:11]。全ての懐疑思考は、発した言葉によって日の光/真理が当たらないように、注意され見張られる必要があるでしょう。光/真理は、闇の勢力に栄誉を与える言葉をいつも消し去っています。復活し昇天した私達の主の命は、日々、私達の内に現れるでしょう。
14.天への狭くて簡単に手に入らない小道
どれが、天へと通じる私達の小道ですか。簡単に手に入るように惹きつけている全ての道の一つがそれですか。いいえ、狭くて簡単に手に入らないように見える一つの小道があります。それは、辛苦と苦難、闘いと試練に属している一つの小道です。私達のキャプテン、イエスキリストは、私達が格闘するために存在している、その闘いに関して何も隠しませんでした。主は、私達にその地図を開いて、天へ続く道を示しています。主は、「天の門の中に真っすぐに入るために、努力してください。私はあなた方に言います。多くの人々はそこに入ろうとするでしょう。しかし、入ることができないでしょう」(ルカ13:24)と言いました。「大きく開いた門と広い道は、滅びに導いています。多くの人々は、そこを通っています」(マタイ7:13)。「この世界の中では、あなた方は艱難辛苦があるでしょう」(ヨハネ16:33)。この弟子はキリストの言葉を「私達はその王国に入るために多くの辛苦を通る必要があります」(使徒言行録14:22)とこだまのように書いています。さて、それ[辛苦]は、私達が心の目の前にある[天国]を確保するために存在しているという状況で、勇気を挫くものですか[そうではありませんね]。……
15.全ての約束を集める
全ての恵みの源、全ての約束の源泉、全ての神の定めの源、全ての祝福の源泉は、イエスに存在しています。イエスは、栄光と芳しい香り、真にそれ自身が源、そして、実体です。「闇の中を歩まず、命の源の光を持って、私に付いてきてください、と彼は言いました」(ヨハネ8:12)。歩み続けて中に入るための身請け金が支払われた天の王家への道は、闇によって勇気を挫かれることがありません。確かに孤独と苦痛が存在するに違いない私達の巡礼の長旅は、イエスが味方しているので、それは存在しません。主は「私は、あなたがたを慰めなし[の孤児]にしません」(ヨハネ14:18)と言いました。私達は全ての記録された約束を集めましょう。それらを昼間に繰り返し[て読み]、夜の間にそれを熟考しましょう。そして、幸を存在させましょう。
「その日に汝らは言うでしょう。主よ、私はそなたを賛美するでしょう。そなたは私達を怒りましたが、そなたの怒りは消え去りました。そして、そなたは私を慰めました。見てください。神は私の救いです。私は信頼しましょう。そして、恐れません。主ヤハウェ(hwhy)は私の力、また、私の歌です。主はまた私の救いになりました。ですから、喜んで、救いの井戸から水をくむでしょう。その日にそなたは言うでしょう。主をほめましょう。主の名を呼びましょう。民の間で主の為すことを宣言しましょう。主の名を高めましょう。主は高貴なことを為したので、主をほめたたえましょう。これは、全地の人々に知れ渡っています。シオンに住む人々、声をあげて叫びましょう。イスラエルの聖者は汝らの内で偉大です」(イザヤ12:1-6)。
私達が旅をしている、天への一つの小道は、歩んで中に入るための主の身請け金を投げ捨てると、確かなものではなくなるのではありませんか。そこには、一つの良い道が備えられますか。いいえ、そうではありません。私達が与えられたその指導を実践しましょう。サタンの矢から自分達を保護するために、私達の利き手の盾として、自分達の避難所として、私達の主を見ましょう。
誘惑や試みは、激しく責め立てるでしょう。心配と闇は押しつぶすでしょう。心と体が欠乏状態になる時、人は主の不変の腕を振り払うのではありませんか。貴い約束を適用するのは誰ですか。誰が、保証と希望の言葉を思い出して、自分にもたらしますか。誰の恵みが、真剣に誠実に求める人々に豊かな財産として与えられますか。誰が私達を罪から救い、主の義を与えるのですか。誰の光/真理が、人生の雲と霧を吹きはらい、主の臨在という太陽の陽射しをもたらすのですか。それは、イエスではありませんか。ですから、彼を愛し、彼を賛美しましょう。「主にあって喜びましょう。繰り返して言います。喜びましょう」(フィリップ4:4)。イエスは今日も生きている救い主ではありませんか。「汝らがキリストと共によみがえらされたのならば、天にあるものを求めてください。そこでは、キリストが神の右手に座しています」(コロサイ3:1)。私達はキリストと共によみがえらされています。キリストは私達の命の源です。彼の恵みと慈悲深い愛は、選ばれた者達、慣れ親しんだ人々、赦された人々、義とされた人々のために宣言されました。ですから、私達は主をほめたたえましょう。 『手紙』7,1892[65歳]
[1]訳者註:「セブンスデー アドベンチストの教理が19世紀に発展していた時に、人々は、アドベンチストの信条の中の特徴的で中心となるものを主張するために、「道標教理(ランドマーク ドクトリン)」または「柱(ピラー)」という表現を使い始めた」(「Ellen.G.white Encyclopedia」p.242)。(『セレクテッドメッセージ』1に「信仰の柱」があります。道標教理には、再臨、安息日、聖所の清め、信仰による義、三天使のメッセージ、その他があります)。
[2] 訳者加筆:「信仰による義」で有名なワゴナーは、晩年、汎神論的(または万有内在神的)な思想に傾倒していきました。自由恋愛の思想に陥り、離婚、再婚に至りました。この教派の雇用を解かれました。「彼の生涯の最後の10年は、暗く、無名の人で過ごした。かつての説得力のある「信仰による義」に関する「メッセンジャー」は、「比べるもののないキリストの魅力」が、彼の能力の影響によって刈り取られてしまった」(Ellen.G.white Encyclopedia p.536)。
[4] :『セレクテッドメッセージ』1 pp.176-184(日本語訳pp.235-247)参照。
[5] :9章参照。
[6] おおよその情報によると、7章で主張したように、Garmire氏は、特別な光を持っていると主張した人々に、配って仕えるような情報を提供し勧めました(題目編纂者)。
訳者加筆。「Garmire氏」は匿名です。「4」に「あなたのこどもアンナ」とあるので、10章の冒頭に出ているアンナ・フィリップスの父親です。
[7] Mr. Garmireを参照(題目編纂者)
[8] 1893年、バトルクリーク教会にいた若い婦人、自分の印象と夢への信仰へと導かれたアンナ・フィリップスは、神の聖霊をほのめかしました。彼女は、働き人の主導権を一つ手にして、自称彼女の証がバトルクリーク教会の人々の前で、神性の霊感を受けた伝達communicationを彼によって読み上げられた時に、自分の働きによって勇気づけられました。翌朝、この働き人は、この点に提出された特別な伝達communicationを受け取りました。この読み上げを聞いたアンナ・フィリップスはその誤った思い込みを識別し、認め、自分の過去の働きと縁を切りました。そして、この教会の働きにおける実り多い聖書教師として、信頼された一人となりました。(題目編纂者)
訳者加筆。『エレン・G・ホワイト百科事典』2013 R&H発行に「アンナ・C(フィリップス)・ライス 1865-1926)」の記事があります。彼女は1892年にライス長老の養子となりました。それから、自分が預言者の体験をしていると考え始めました。E.ホワイトはオーストラリアにいた(1891-1900)ので相談できませんでした。そこで彼女はA.T.ジョーンズに相談しました。彼は1894年から後の雨は始まっていて、彼女の証はその証拠だと集会で説明しました。W.W.プレスコットも彼女を聖霊のほとばしりをもたらすことに利用しようとしました。しかし、General Conference代表のO.A.オルソンは反対しました。ミシガン州バトルクリーク教会にカリスマ的な大騒動が起こりました。E.ホワイトからの数回の手紙によって、アンナは自分の主張を捨てました。
[9] 『牧師達への証』pp.32-62参照。
訳者加筆:「A・W・スタントン」。『エレン・G・ホワイト百科事典』2013, pp.518-519に彼の記事があります。1893年、彼は本に「SDA教会は霊的に破綻した存在で、バビロンの一部になって堕落した」と書いて広く配布しました。1891-1990年にオーストラリアにいたE.ホワイトは、彼に「悪霊に騙されていました。SDA教会はバビロンではありませんでした」と手紙を書きました。しかし、この記事を書いたミューラーは、「彼女は、この教会はまだ特別に戦う教会、まだ勝利しておらず、そして、有毒な雑草と小麦で成り立った存在だと認識した」と書いています。1893年の手紙によって、スタントン運動は終息しました。
[10] 「fuller context」pp.48,49参照
[11] しばしば、誤った教えと間違った運動と繋がったある研究者は、黙示録18:1のもう一人の天使のメッセージとその働きの正体を明らかにしています。数年にわたって、いくつかの誤った教えは、黙示録14章の三天使のメッセージもなおそれに含むとしました。そのようなことは、後のコミュニケーションで、1896年にミセスホワイトが立ち向かった状況の事例にありました。三天使のメッセージの広範囲にわたる働きの調査研究は、それ自身の確かな論述のために大切にされるでしょう(題目編纂者)。
[12] 1893年にこのタイトルで出版されたパンフレットから転載しました。
訳者加筆:『エレン・G・ホワイト百科事典』2013,p.1143に「秘密結社」の記事があります。この「卓越した一人」の名前はナタナエル・D・フォークヘッドです。また、「秘密結社」と訳された英語はsecret societyです。「secret」は秘密という意味ですが、「はじめに」にあるように「秘密の暗号sign」を持っているためと推測されます。「society」は、社会・共同体・協会・クラブ・交際など多くの意味があります。
[13] パンフレット「Country
Living」pp.7,9,10-12.を参照。
[14]出典「Notebook Leaflets」「Method」第1巻
[15]出典「Notebook Leaflets」「Method」第6巻
[16] 出典「Notebook Leaflets」『SDA教会への証』第3巻
[17]出典「Notebook Leaflets」「クリスチャン経験」第7巻
[18]出典「Notebook Leaflets」『SDA教会への証』第3巻pp.304-329,1873.8.12 「若い牧師と妻へ」第5巻pp.516-520,1885頃、「Suitable Reading for
Children」第5巻pp.571-573,1887,「An
Impressive Dream」第5巻pp.621-628, 1887.4.20,一通の手紙
[19] 『レビュー&ヘラルド』1906.1.4参照。[79歳]
[20] 訳者加筆。「癩病leprosy」は、当時、まだ、差別語として認識されていませんでした。なので、そのまま翻訳しました。現在では「ハンセン病」や「重い皮膚病」と訳されています。
[21] A:25ドル/1週間サラリー、30%ボーナス (operation)、5年契約、1年に1カ月間、自費による研究と向上のための休暇。
訳者加筆: 1850年代の賃金は週給5ドルか6ドルでした。
[22] 1892年11月3日、ある出版所のマネージャーがミセスエレン・G・ホワイトに知らせるために手紙を書いて送りました。彼は、個人的に経済的な困窮状態だったので、この教派の働きの外の労働に就くために、その施設を去る決心をしていました。彼は自分の収入の範囲内で生活をするというマネジメントをしていませんでした。また、その施設での8年間の内に総額で1,244ドルの負債を抱えるようになりました。その期間、彼はあるサナトリウムを負債の手段として蓄積していました。両方の施設は、彼にそれらの返済報告をするように温和に求めました。彼は、この状況の下では、この教派を去って、彼の負債を返す希望と共に、神の目的の中で労働することから決して離れないという予測を持って、高賃金を払ってくれる外の職場で働こうと考えました。この手紙に、ミセスホワイトの返事が続いています。(題目編纂者)
[23] これは『預言者達と王達』のことを指しています。
[24] 『ノートブック リーフレット』の「クリスチャン経験』No.9.に同じ記事があります。
[25] エミリー・キャンベル。ミセス
ホワイトの旅行補助・秘書。
[26] 訳者加筆。彼女は1885.8-1886.3の2年間、ヨーロッパ伝道旅行をしました。アメリカからイギリスまで船で8日間かかりました。同行者に、3男ウィリアムと妻マリーと長女エラ、看護師サラ・マクエンターファー、アンナ・ラスムッセン、ベルタ・ステイン、バーデアーの二人の子アーサーとジエッセ、通訳のウィリアムとジェニー・イングス夫妻がいました。『E.G.W百科辞典』p.811,421)。
[27] 訳者加筆。88歳、死に臨んで、彼女はこの言葉を残しました。『E.G.W百科事典』p.82)。
コメント
コメントを投稿