教会へのあかし 第8巻

 [はじめに]        [エレン・G・ホワイト遺稿出版管理委員会]

 

第8巻が書かれた時代背景

 第8巻は、セブンスデー アドベンチスト教会がかつて直面した最大の危機――に遭遇したときに出版されました。その内容の緊急性は、第7巻が出版されてから15か月後の19043月に印刷された本[8]によって根拠づけられました。その本の出版の時、その情勢がどのように変わるか知られていませんでした。今日、私達は、その本の安定した指導が、[この教会の直面していた]大失敗に脅かされることを避ける大きな要因だったということを振り返ってみて考えることができます。

 この教派の働きは世界の人々に関わって広がっている一方で、まずまず健全に急に成長したSDA全体総会の組織化がなされている間に、ミシガン州バトルクリーク市にある私達の[教会の]旧本部での事態の進展は、それらがチェックされなかったならば、セブンスデー アドベンチスト信仰の基礎の崩壊を招いていたことでしょう。この教派の危機は、間違った「新しい光」が衣の下に隠されていたので、その発端に気付かれず不可解な方法で身辺にやって来ました。

 [1800年代から1900年代に]世紀が代わろうとしていた時代に、この教派の働き人達の一定の人々、特に、医事伝道に関心のある指導者達は、この教会の立場と神の言葉の明確な教えと全く調和していなかった[汎神論という]、神の神格personality of Godに関する一定の教えを採用しました。また、それらの教えは、そのメッセージの理解を推進させるように定着していました。それは「神の人々()に栄誉ある体験をもたらして、普通に受け入れられるだろう、そして、その働きを完成させるだろう」と、叫ばれていました。

 それらの汎神論的な考え方は、宇宙を支配している偉大な神格としての神ではなく、どちらかと言うと、空気のようなものとして充満していて、自然界で感じられて見られる一つの力、一つの勢いとして想見されていました。その人々は、自分達に就いてくる人々の中に、神の神格と神の力を混同して、また、木や草や花、太陽の光の中に神を見ていました。これらの目新しく奇妙で、うっとりさせられる見解は、あるSDA全体総会会議で、公開提示されて、バトルクリークカレッジでも抑制されず擁護され、そして、バトルクリークサナトリウムでも何度も繰り返して提示されました。この「新しい光」の範囲が、セブンスデー アドベンチストの働き人達の協議会の時期や公式の集会をした時に、議論のテーマになりました。その間に、それは、この教会指導者達にとって関心の深い内容となりました。これらの汎神論の教えを調査研究する人々の努力は、ほとんど益のないものに思えました。

 1902年の冬から1903年にかけて、その動きは勢いを得ました。その厄介な問題は、捉え難い方法でそれらの見解を確立してこの教派の医師達を導いていて、大衆向けのスタイルで書かれた自然科学と健康法についての一冊の本[ケロッグ著『生きている宮』(1903)]の出版となって深刻になりました。その本は、バトルクリークサナトリウムを再建するための基金の確保を支援するために、セブンスデー アドベンチスト達によって広く販売するために出版されました。この教会の指導者達は、ミセスホワイトがその内容を明確に処理するだろうと期待した時、この危機が1903年の春に開催されたSDA全体総会に間違いなく報告されるだろうと考えました。しかし、彼女が講話したどの時間にも、彼女は、関心を互いに抑える必要と、この働きの団結を呼びかけるメッセージを提示していて、抑制しているように見えました。その全体総会が終了した時、その出版の問題はまったく向き合われませんでした。

 数か月後の1903年の秋に、ミセスホワイトは[イエスから]、心霊的なspiritistic教えと憶測の伴った危険を指摘して、汎神論の教えに直接、迅速に立ち向かうことを幻の中で指導されました。カリフォルニアから彼女によって急送された伝達情報が、この危機の最中にワシントンD..の秋の協議会会議の兄弟達に届けられました。それらの人々はみな、神が主の働きを保護していてガイドしていたこと、そして、預言の霊の光のほとんど全てのメッセージが彼らの立ち位置を真理の側に立つようにしていたことをその時に見たことでしょう。しかしながら、現場/伝道地fieldでは、困惑があり、疑念が抱かれ、混乱していました。『SDA教会への証』第8巻は、明らかな対比によって際立たせ、このような間違いを取り除いて、真理を明らかにする確かな言葉によって、この内容のメッセージを伝えています。この危機は立ち向かわれました。そして、この教会は救われました。この危機の中にあるこの教会を守っていたのは人間の力だけではありません。

 この最大の教理上の論争の一方、私達の教会には、第8巻の時代に様々な問題がありました。第7巻が印刷されてから僅か数週間後に、私達の出版所でなされていた働きに関する勧めのメッセージと共に、レビュー&ヘラルド出版協会の工場が火事[1902.12.30]によって焼失しました。これはサナトリウムの火災[1902.2.18]に続いた、11か月後のバトルクリークでの第二の大惨事でした。

 そこには、失われた資金の返済という、甚大な損害の出来事の問題がありました。数年間、預言の霊の勧めは、どこかほかの所で出版すること、教育施設やサナトリウムの設立の分散と、バトルクリークからの信徒達の分散を呼び掛けていました。私達の[教会の]人々は、この働きの本部に多大に集まる会衆にならないように言われていました。元のバトルクリークカレッジがミシガン州ベルリン スプリングスの田園地帯に移転したのは、これらの勧めに応じたものでした。今、火事で焼失したレビュー&ヘラルドの印刷工場は、教会の指導者達にとって、その指導によって適切な段取りを踏んで、何かほかの点で出版所の働きを移転させるための好機となると見られるものでした。

 SDA全体総会の本部がレビュー&ヘラルド出版所の事務所の近くに配置されていたことが発端となって、その二つの施設が分離できないもののように思われていました。どれか一つを移転させる計画は、ほかのものも含んでしまうでしょう。預言の霊を通したガイダンスへの応答によって、適切な地域が探されて、そして最終的に、受け入れられる費用でこの国の首都ワシントンD..の郊外が見つかりました。そして、出版所の働きとSDA全体総会の事務所は19038月中旬に移転しました。

 セブンスデー アドベンチスト達が、新しい地域で新しい基礎のもとに働きを再設立する必要と、葬り去られたその出版所とその大惨事の原因の背景を理解するのを助けるために、「しばしば繰り返された勧め」がこの第8巻に収録されました。

 この教会の全ての教理と、私達の出版の働きと、私達の医療の働きを含んだ問題は、重大なもので、私達の面前の主要な課題から、世界の全ての人々のための永遠の福音を伝えるという――私達を取り巻く世界の人々の注目を簡単に逸らしてしまうでしょう。しかしながら、第8巻はこれらの危機に立ち向かったことを第一にして、エレン・ホワイトが積極的に取り組んで、正したその道程をセブンスデー アドベンチスト達にいつまでも明らかにするために出版されました。しかしながら、この本は、私達が向き合う問題を描くのではなく、「私達の働き」というアピールの言葉で表明されている「現在の機会」という題で第一部から始まっています。それに、「主からの任務」「主が約束していた力」、「ヨーロッパでの働き」の特別な話題と、母国と外国での私達の責任についての考え方が続いています。神の人々()の思想と知性が、組織化についての混乱した考え方によって、また、狂信的言動によって、未完成の偉大な任務から離れ去るならば、主なる神Godheadに関する憶測によって、真理の絶大な敵は喜んだことでしょう。しかし、神の人々()は、世界の人々に光を照らして啓蒙するという働きから、離れ去らないでしょう。神の民の目はこの働きに注がれていて、その[再臨]運動は前進しています。

 1902年から1903年の危機の時に、事実、ある者は自分達の道を見失いました。一定の施設の財産は、この教派から失われました。しかし、この働きが妨げられたというよりも、この危機は、大きく積極的な運動を開くしるしとなりました。4章「防護してください」の警告と、5章「本質的な知識」のグループの真理についての明確な描写は、間違った教えに導く者から、この教会を守るために奉仕することでしょう。また、第8巻のほかの勧めは、世界の終わりの時のために益となるでしょう。

              [エレン・G・ホワイト遺稿出版管理委員会]


 

1章 現在の機会

「イスラエルはつぼみを開いて花咲き、その実は世界に満ちるでしょう」(イザヤ27:6 KJV

 

1.私達の働き

 何が私達の働きですか。バプテスマのヨハネに与えられたのと同じく、私達は、彼について読んでいます。「これらの日々に、バプテスマのヨハネがやって来て、ユダヤの荒野で説教していました。そして、言っていました。天の王国は手元にあるので、汝らは悔い改めなさい。このことは預言者イザヤによって語られたことです。一つの声が荒野で叫んでいます。汝らは主の道を用意して、主の道をまっすぐにしなさい」(マタイ3:1 KJV)

 世界の終わりの日々のために、主の働きに誠実に繫がっている人々はみな、伝えるための明確なメッセージを持っているでしょう。イザヤ40章の初めの数節を読んでください。「汝は、主の道を用意しなさい。私達の神のために、人の通らない地に、王道を正しく作りなさい。数々の低地は高くされるでしょう。山や丘はみな低くされ、曲がった道は真っすぐにされ、凹凸のある所は平らにされるでしょう。そして、主の栄光が明らかにされるでしょう。主の口がそれを語ったので、すべての肉[]はそれを共に見るでしょう」(イザヤ40:3-5 KJV)。

 「その人の声は叫んで言いました。そして言いました。私は何と叫びましょうか。肉[]はみな草です。そして、その美しさはみな、野の草花のようです。草は枯れて、花はしおれます。主の霊/精神がその上に呪いを吹きつけるからです。確かに人々は草です。草は枯れて、花はしおれます。しかし、私達の神の言葉は永遠に立っているでしょう」(イザヤ40:6-8 KJV)。

 この章は、この時代の私達のための相応しい指導に満ちています。私達のための主の言葉は、「汝らは悔い改めて、主なる私の働きをよみがえらすために備えてください」です。

 バトルクリークで今まで実行されてきた働きをワシントンに移転することは、正しい指揮による第一歩です。私達は、人々が霊的な無知の暗黒の中にいる所で、かなたの地方で印刷事業を続けるために存在しています。「数々の低地は高くされるでしょう。山や丘はみな低くされ、まがった道は真っすぐにされ、凹凸のある所は平らにされるでしょう」(イザヤ40:4 KJV)。神の人々()の贖いのための障害は、「主はこのように言っています」とはっきりとした、また、主の言葉の開示によって、取り除かれる必要があります。その真理の光は、地上を覆っている闇と多くの無知な人々のために、輝き出るために存在しています。生きている神の真理は誤りと対照的に現れるために存在しています。良い便りを宣言しましょう。私達、主が滅びず永遠の命を持っていると信じる人々に、自分の命を与えた救い主がいます。

 神の働きを前進させるための障害は現れますが、恐れないでください。全能の王の王にとって、契約を守っている私達の神は、愛情のこもった羊飼いの世話と優しさが結集しています。主の方法に[並んで]立つことができるものは何もありません。主の力は絶対的です。そして、それは、主の人々()への主の約束を確かに果たすようにとの請い願いです。主は、主の働きの前進のための全ての妨害を取り去ることができます。主は、救われるという主の働きを尊重して奉仕している人々のあらゆる困難を取り除くための手段を持っています。主の善意と愛は無限で、主の契約は不変です。

 主の働きに対する敵の計画は、よく練られて堅固なものに見えるでしょう。しかし、主はそれらの計画の最も強いものを倒すことができます。主自身の時と方法によって主は、私達が主をカウンセラーにして、私達が主を近くに引き寄せていて、私達の信仰が十分にテストされたということを主が見ている時、この事を行なうでしょう。

 暗く、希望のない日々に、何もかもが禁止されるように思えるものが現れる時、恐れないでください。神に信仰を持ってください。主は、主の人々()の益としてあらゆる良い事を行なって、主の意思を成し遂げています。主を愛して仕えている人々の力は、日毎に新しくされるでしょう。主は、その民の奉仕を理解しているので、主の人々()は、主の[人類救済]目的を遂行することにしくじらないでしょう。

 神への奉仕には、失望するようになることは存在していません。私達の信仰は、それに重荷がのしかかってもそれに耐えるために存在しています。神は、主に仕える者達が必要としているあらゆる力を快く授けています。主は、主に信頼を置く人々の高い期待以上に応えるでしょう。主は、様々な必要を求めた主の民に知恵を与えるでしょう。

 労苦してきた使徒パウロはこう言いました。「主は私に言いました。私の恵みは汝に十分です。私の力は弱さの中に完全に現れています。最大の喜びゆえ、私は、私の弱点をかえって名誉にしましょう。キリストの力が私に宿っているでしょう。それゆえに、私は、キリストのための難儀、迫害や窮乏、汚点や欠点を喜びに変えています。私が弱い時に、私は強いです」(2コリント:12:9,10 KJV)。

 ですから、私の兄弟[姉妹]のみなさん、あなた方の初めの確信を終わりの時まで堅く持ち続けてください。神の真理の光は、薄暗くされるために存在しているのではありません。神の真理の光は、私達の世界を包み隠している間違いの闇の中央で輝くために存在しています。神の言葉は、この地上の[社会的に]低い所にいる人々と同じく、[社会的に]高い場所にいる人々に開かれるために存在しています。

 キリストの教会は、特別な[現在の]真理を宣言するための神の働き人agencyです。教会は、特別な働きをするために主によって権限を与えられています。教会が、主の戒めに従順で、神のために忠実に存在しているならば、高貴な神性の力が教会にとどまっているでしょう。その教会がイスラエルの神、主を敬っているならば、その教会に反対して立ち上がる勢力は存在しないでしょう。その教会が自身の忠誠に誠実であるならば、かの敵の勢力は、その教会に旋風に立ち向かう藁クズのような過度の力を加えることができないでしょう。

 その教会が、世界の人々への忠誠をやめて、キリストの義の衣[品性]を身に付けているならば、栄光の日に、その教会の面前に上から一つの光が照らします。その教会のメンバー達は今、互いに意見を押し付けることと信仰の後戻りを告白する必要があります。私の兄弟[姉妹]のみなさん、神から、また、ほかの人から、あなた方を引き離すようなことを許さないでください。異なった意見を語らないでください。イエスの中に存在しているように、誠実な愛に結ばれてください。神の前に出てください。そして、あなた方が悪との戦いで助けを受ける理由がある時に、救い主が流した血に請い願ってください。あなた方は、無益な請い願いをしないでしょう。あなた方が、心からの悔悟と信仰の確信に満たされ、神を近くに引き寄せる時、あなた方の滅びを求めているかの敵は打ちのめされるでしょう。

 主に帰りましょう。汝らは希望の虜です。神からの力を求めましょう。主の力への謙虚な信仰と、主の豊かな救いに不動を示しましょう。キリストは、救いの生きた水の流れを注いでいます。主は、命の泉、あらゆる力の源です。信仰によって、私達が主の力を定着させる時、主は、落胆しているように見える、最も希望のない者を素晴らしい者に変えるでしょう。主は、主の名によって、栄誉のためにこのことを行なうでしょう。

 神は、希望を失って信じない人々に励ましの言葉を語るために、主を信じている忠実な者達に呼び掛けています。互いに助け合うために、また、生きている信仰によって主の真意を確かめるために、主は私達を助けるでしょう。

                        

 「私達の力によって、神に、大声で歌いましょう。ヤコブの神に喜びの声を挙げましょう。賛美を捧げて、タンバリンを手元で打ち鳴らして、ハープで喜びの詩編歌を奏でましょう」。(詩編81:1,2 KJV)。

                        

 「いと高き御方、朝に、そなたの愛と親切を表すこと、また、毎夜、そなたの忠実、十弦の楽器で、また、詩編歌で、ハープの厳粛な音色で、そなたの御名を誉めたたえること、主に感謝を捧げることは、よいことです。主、そなたは、そなたの働きを通して、私に喜びをもたらしました。私は、そなたの手の働きによって勝利するでしょう」(詩編92:1-4 KJV)。

                        

 「来てください。私達は、主に向かって歌いましょう。私達は、私達の救いの岩に喜びの声を上げましょう。詩編歌によって主に喜びの声を上げましょう。主は、偉大な神です。すべての神々の中で偉大な王です。主の手には地の深い所があります。丘の峰々は主に属しています。海は主のものです。主はそれを造りました。主の手は乾いた地を造りました。来てください。私達は、膝をついて、礼拝しましょう。私達は、私達の造り主、主の前で膝をつきましょう」(詩編95:1-6)。

                        

 「主に向かって、新しい歌を歌いましょう。全地の人々は、主に向かって歌いましょう。主の名によって祝福された人々は、主に向かって歌いましょう。日毎に、主の救いを示しましょう。すべての人々の間にいる主を驚嘆する人々も、異教徒の間でも、主の栄光を叫びましょう。主は偉大です。そして、たたえられるほどに偉大です。主は、すべての神々に恐れられるために存在しています」(詩編96:1-4 KJV)。

                        

 「汝ら、地に住む全ての者達、主に喜びの声を上げましょう。喜びをもって主に仕えましょう。歌と共に主の現れの前に行きましょう。汝らは、主が神であることを知りましょう。私達が自分を造ったのではなく、私達を造ったのは主です。私達は、主の人々()、主の放牧地の羊です。賛美をもって主の庭に、感謝して主の門の中に入りましょう。主は善意なので、主の名による祝福を主に感謝しましょう。主の恵みは永遠です。主の真理はすべての子孫に続くでしょう」(詩編100:1-5 KJV)。

 

2.主からの任務

 主の人々が周りの人々に光/真理を伝え、主の人々が清められた者となり、聖化され、清い人々となることは、神の目的です。主の人々が生活の中で[現在の]真理の手本となることによって、地の人々の中で賛美する者となることは主の目的です。キリストの恵みは、これらをもたらすことに満ちています。しかし、神の人々()は、主が地上の人々を称賛することができるのは、自分達が福音の原則を信じて成し遂げる時だけだということを覚えておきましょう。主の奉仕のために神が与えた能力を使う時だけ、主の人々は、この教会が立つために呼び出された所で、約束の力と徳を喜べるでしょう。自分達の救い主としてキリストを信じていると言っている人々が世俗の低い標準にしか達しないならば、この教会は、神が期待している豊かな実りを生み出すことにしくじっています。教会の記録は「不足が見つかった」と記されています。

 キリストが、昇天の前に弟子達に託した主の任務は、主の王国の大いなる伝道の特権です。それが弟子達に与えられて、救い主は、弟子達を主の大使とすることができて、彼らに信任状を与えました。その後、学問を受けていない漁師達だった彼らが、教える者や癒す者として出て行って、何らかの権威によって、問われて非難されるならば、彼らは、繰り返して言うことができるでしょう。「主はユダヤ人達によって十字架につけられましたが、死からよみがえって、私達を主の言葉を伝える奉仕の働きを託しました。‟天においても地においても、すべての力が私に与えられています”」。

 キリストは、弟子達に、主の教会の基を据えるために存在していた創始者達、奉仕の働きministersの長達として、この任務を託しました。主は、彼らを、成人から成人へ、世代から世代へと主の福音を伝え、非難を処理して、主の奉仕の働き人として、すべての人々が彼らの後を継ぐように託しました。

 その弟子達は、彼らの所に来る人々を待つために存在していたのではありませんでした。彼らは、いなくなった羊を捜す羊飼いのように、罪びと達を捜して、人々の所に出かけて行くために存在していました。キリストは、自分達が働く畑として、弟子達の前に世界の人々を開きました。弟子達は「世界中の人々に出て行って、すべての造られた者たちに福音を宣べ伝える」(マルコ16:15 KJV)ために存在していました。弟子達が宣べ伝えるために存在していたのは、変わらない愛、比べられるもののない主の恥の死、主の私心のない奉仕の生涯についてのこと、救い主に関したことでした。主の名は、弟子達の合言葉、彼らの団結の絆になるために存在していました。主の名によって、弟子達は、罪の強い砦を征服するために存在していました。主の名の信仰は、クリスチャンとして弟子達にしるしを付けるために存在していました。

 弟子達の未来に指導を与えて、キリストは言いました。「汝らは、聖霊があなた方に来た後で力を受けるでしょう。また、汝らは、エルサレムとユダヤの両方と、サマリヤ、そして、地の果てまでも、私の目撃者となるでしょう」「しかし、汝らは、高き所からの力が授けられるまで、エルサレムの市内にとどまっていなさい」(使徒言行録1:8、ルカ24:49 KJV)

 主の言葉に従順にしていた弟子達は、神の約束の成就を待って、エルサレムに集まりました。そこで、彼らは、毎日心を深く調べて、10日間を過ごしました。彼らは、クリスチャンの友情で共に親密に結ばれて、すべての異なる考えを捨てました。

 10日間が終わって、主は、主の聖霊の素晴らしい注ぎによって、主の約束を成就しました。「突然、強い風のように、天から音が聞こえてきました。それは、彼らが座っていた家全体に満たされました。彼らには、それは炎のようなもので、切り裂かれた舌のように現れました。そして、それは、弟子達一人ひとりの上に居座りました。そして、彼らはみな、聖霊に満たされ、そして、霊が彼らに与えられた時に、ほかの言語を語り始めました」「そして、その日に、おおよそ3千の魂が彼らに加わりました」(使徒言行録:2:2-441 KJV)。

 「そして、彼らは出て行って、至る所で述べ伝えました。主は彼らと共に働いて、しるしを伴わせて主の言葉を確信させました」(マルコ16:20 KJV)。弟子達は激しい反対に会いましたが、短期間の間に、神の王国の福音は地の果ての全ての住人達に響き渡りました。

 弟子達に託された主の任務は、私達にも託されています。今日、その時のように、十字架につけられてよみがえった救い主は、この世界の中で希望なく、神なく存在している人々の前に掲げられるために存在しています。その主は、牧師達、教師達、そして、福音伝道者達に呼び掛けています。伝えられるために存在しているキリストを通して、すべての国民に、種族に、言語に、人々に、許しの便りを戸毎に、主の奉仕者達は、救いのメッセージを伝えるために存在しています。使い慣れた命のない言葉ではなく、明白で確固として感動を与える言葉が伝えられるためのメッセージです。何百人もの人々がその生活から逃れるための警告を待っています。世界の人々は、キリスト教信仰の力の根拠としてクリスチャンを見る必要があります。単に、僅かな場所ではなく、世界中の人々によって、憐れみのメッセンジャーが必要とされています。すべての国々から、「やって来て、……私達を助けてください」という叫びが聞かれています。富める人も貧しい人も、社会的な上層の人々も下層の人々も、光/真理を求めています。男性達も女性達も、イエスの中にある真理に飢えています。その人々が、高き所からの力によって伝えられた福音を聞く時、その人々は、自分達のために広げられている宴会を知ることでしょう。そして、その人々は、「来てください。全ての事は今、用意が整っています」(ルカ14:17 KJV)という呼びかけに応じるでしょう。

 「世界中に出て行って、すべての造られた者たちに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15 KJV)という言葉は、キリストに就く者、一人ひとりに語られています。キリストに属した生涯に定められた全ての人々は、自分達に就く人々の救いのために働くよう定められています。失われた魂の救いを考えている主と同じ願いが、人々の中に現されるために存在しています。すべての人が同じ場所に遣わされるのではなく、すべての人のために、一つの場所、一つの働きがあります。神の祝福が授けられた全ての人々は、活動的な奉仕によって応答するために生存しています。神からのすべての贈り物は、主の王国の前進のため、労されるために存在しています。

 

3.不変の約束

 キリストは、それを成し遂げるための責任を自分自身で負って、その働きを遂行することを弟子達に委託してその対策を作りました。弟子達が主の言葉に従って、また、主と共に繫がって働きをする限り、彼らはしくじらないでしょう。すべての国の民の所に行くよう、主は彼らに言いつけました。「地球の最も遠い地に住んでいる人々の所に行きなさい。しかし、私の臨在がそこに存在しているということを知っていてください。信仰と確信のうちに労してください。私があなた方を見捨てるような時は決して来ないでしょう」。

 また、キリストが言いつけた臨在の約束は、私達のために与えられています。時の経過は、主の別れの約束という変化をもたらしませんでした。主は、本当に弟子達と共に居たように、今日も私達と共に存在しています。主は「終わりに至るまで」私達と共に居るでしょう。

 「すべての国の民に福音を宣べ伝えるために出て行きなさい」と、救い主は私達に言っています。「その人々は神の子らとなるでしょう。私は、あなた方に教え、導き、慰め、力づけて、あなた方の自己否定と自己犠牲の働きに成功を与えて、この働きの中であなた方と共に存在しています。私は、不従順から義へ、罪に属している人々を自覚させて、そして、[霊的な]無知の闇から光の知識へと回心させて、人々の心を感動させるでしょう。私の光/真理によって、人々は光を見るでしょう。あなた方は、サタン的な働き人達の反対に出会うでしょう。しかし、あなた方は私を信頼してください。私は決してあなた方を失敗させないでしょう」。

 あなた方は、キリストが、主のために全生涯を過ごしている人々を価値あるとしていないと考えているのですか。愛されたヨハネのように、厳しい試練の場で、主のために存在している人々を、主が訪れていないと考えているのですか。主は、主の忠実な人々を見つけて、その人々と親交を保って、励まして力づけています。そして、力の優れた、神の天使達は、それを知っている人々や知らない人々に[現在の]真理を語る、主に仕える人間の働き人達に奉仕の働きのために、神によって遣わされています。

                      

 神は、ある福音の牧師に、特別な狭い道からさまよい出ていた人々をキリストに導く働きを与えました。その牧師は、自分の努力の中で、熱心と賢明になるために存在していました。それぞれの年末に、彼は、自分の労した結果として、救われた魂を見て振り返ることができる必要がありました。ある時、彼は、「火の中から救い出しなさい。肉によって汚れた衣でさえ嫌いなさい」「彼が教えられたように、言葉を忠実にしっかりと守りなさい」(ユダ23, テトス1:9 KJV)という恐れと救いのために生きています。テモテへのパウロの諭しは、現代の牧師達へ届いています。「私は汝に諭します。それゆえに、神の前、主イエスキリストの前で、……時が迫っていても、時が遅れても、間違いを証明して、戒め、忍耐して勧め、教えて、御言葉を説教しなさい」(2テモテ41,2 KJV)

 神が罪びと達を救うように責任を課したのは、御言葉を説教する人々だけではありません。主は、この働きを全ての人々に託しました。私達の心は、私達の感謝の言葉がほかの人々の心を温かくするように、キリストの愛がたくさん満たされるために存在しています。これは、すべての人々が実行できる奉仕で、主は、その奉仕を主自身に捧げられたものとして受け入れています。主は、熱心な働き人に恵みを授けて、人間を神に和解させることを効果のあるものにしています。

 主が、主の人々()に、熱心な働きが行なわれるために存在していることを気付くのを助けてくださるように。主が、主の民は、家庭や教会で、そして、世の中で、キリストの働きをするために存在しているということを思い出すことを助けてくださるように。主の人々は、一人で労するように残されてはいません。主の天使達は、その人々の助手です。そして、キリストは、その人々の助手です。主の人々は不屈に忠実に労するようにしましょう。主の人々が挫けないならば、収穫の時に刈り入れるでしょう。

                      

 クリスチャンの巡礼者/旅人達は、安息に入っても死んでも自分の希望を放棄しません。その人は絶えず前に進んで、「その夜ははるかかなたに過ぎても、その日は手もと近くにあります」と言っています。モットーはこうです。「私はすでに得たのでもなく、完成されたのでもないけれども、私は追い求めています。……私はすでに理解して捉えたとは考えていません。しかし、私はこの一つの事を行なっています。後ろにある物事を忘れて、前にある物事に向かって追い求めています。私は、キリストイエスによる神の高貴な呼び出しへの褒美のしるしに向けて、自分を励ましています」(フィリピ3:12-14 KJV)

 

4.主が約束していた力

 神は、私達の前にある働きを私達自身の力で行なうように求めていません。主は、同等ではない人間性に端を発したあらゆる緊急事態のために神性のアシスタントを用意していました。主は、私達の心を清めて、私達の知性に光を与えて啓蒙するため、また、私達の希望と確信を励ますために、さらに、すべての苦境で助けるために遣わしています。

 ちょうど、主の処刑の前に、救い主は主の弟子達に言いました。「私はあなた方を慰めのないままに残さないでしょう」(ヨハネ14:18 KJV)、「私は父に祈ります。父はほかの慰め主をあなた方に遣わすでしょう。彼はいつまでもあなた方に宿っているでしょう」(ヨハネ14:16 KJV)、「真理の聖霊/精神が来る時、聖霊はあなた方を真理に導くでしょう。聖霊は自分自身については語らないでしょう。聞いたことを語るでしょう。そして、聖霊はやがて来ることをあなた方に示すでしょう」(ヨハネ16:13 KJV)。「聖霊は、あなた方にあらゆる事柄を教えるでしょう。私があなた方に話しておいたすべてのことを、あなた方に思い起こさせるでしょう」(ヨハネ14:26 KJV)

 キリストは、主の教会が、インマヌエルの栄光を持って、天の光/真理に照らされて啓蒙されて、形成された体になるように対策を作っていました。主の目的は、すべてのクリスチャンが平和と光の霊的な雰囲気に囲まれるようになることです。神に全的に献身した生活をして、心に聖霊が働く余地を作って、私心を脇においている人の有用さには限りがありません。何が、ペンテコステの日の聖霊の注ぎという結果をもたらしたのですか。よみがえった救い主の嬉しい便りは世界の住人達を最大限に繋ぐために伝えられました。弟子達の心は、慈しみの温かさに圧倒されました。それは、地の果てまでも出て行くように弟子達を駆り立てました。「神は命じて言いました。私達の主イエスキリストの十字架による救いを誉めたたえるでしょう」(ガラテヤ6:14 KJV)と証をしています。弟子達が、イエスの中にある真理を伝えた時、人々の心は、そのメッセージの力に明け渡しました。その教会は、見よ、すべての支配からイエスの信者に回心しています。信仰の後戻りしていた人々は回心しました。罪びと達は、とても高価な真珠を探しているクリスチャン達と団結しました。その福音を苦々しく思って反対していた人々は福音の擁護者になりました。その預言は成就しました。弱さは、「主の御使いのような」ダビデの家と「ダビデのように」なるでしょう。すべてのクリスチャンは、神性の慈しみと愛の似姿の兄弟[姉妹]達を見ました。人の関心が打ち勝ちました。人の競争の問題がほかの全ての人によって包み込まれました。ただ、信者達の希望は、主の王国を拡大するように労するためと、キリストの品性の似姿を現すために存在していました。

 主イエスのよみがえりの目撃が、弟子達に大いなる力を与えました。そして、大いなる恵みが彼らの上にありました」(使徒言行録4:33)。彼らの労苦の下に、喜びと平和を心に満たして、その希望をほかの人々に与える働きのために生きて献身し、命の言葉を受けている、選ばれた人々がその教会に加わりました。数百人が「神の王国は手もと近くにあります」というメッセージを伝えました。彼らは、脅迫的な者達によって、制止されたり脅かされたりしませんでした。主が、彼らを通して語りました。彼らが出かけて行った所ではどこでも、病人は癒されて、心に乏しさを感じていた人々は自分達のための福音を得ました。

 人々が主の聖霊の支配に自分を預ける時に、神は力強く働くことができます。

 聖霊の約束は、初代の弟子達のためと同じように、本当に今日の私達のために存在しています。神は、ペンテコステの日に救いの言葉を聞いた人々に授けたように、今も、男性達と女性達に上からの力を授けているでしょう。今この時に、聖霊と主の恵みはそれを必要としているあらゆる人々のために存在していて、主の言葉によって主を現しています。

 聖霊が注がれたのは、彼らが高い境地への努力をしていなかった時、弟子達が完全な一致に至った後でした。弟子達は一つに調和していました。異なった性質はみな消え去りました。そして、その証は、同じものである聖霊が与えられた後で、彼らの中に生まれました。「信じた人々の群衆が、一つの魂、一つの心に属していました」(使徒言行録4:32 KJV)。主は罪びと達のために死にましたが、その主の霊/精神は、信者達、会衆全体の中で生きているでしょう。

 主の弟子達は、自分達のための祝福を求めませんでした。彼らは魂達の重荷を負っていました。その福音は地の果てまで伝えられるために存在していました。そして、彼らは、キリストが約束していた力を必要としていました。聖霊が注がれて、一日に数千人が回心した時に、その力がありました。

 そのように、今もそれが存在しているでしょう。クリスチャンは、失われた人々を救うため、神に自分自身を預けて、意見の不一致を捨て去りましょう。約束された祝福を信仰によって求めましょう。そしてそれはやって来るでしょう。主の弟子達の日に注がれた聖霊は、前の雨で、そして、栄光はその成果でした。しかし、後の雨はもっと豊かでしょう。終わりの日々に生きている人々への約束はどのようなものですか。「汝ら、希望を抱く捕らわれ人、あなた方は砦に帰りなさい。私は汝らに二倍に返すと言っていることを、この日に行うでしょう」(ゼカリヤ9:12 KJV)、「汝らは、後の雨の季節に、主に雨を求めなさい。すると、主は雷雲をつくって、畑の麦たちに雨のシャワーを人々に与えます」(ゼカリヤ10:1 KJV)

 キリストは、「その聖霊の神性な感化力は、終末まで主に就く人々と共にいるために存在していました」と言いました。しかし、その約束は、実現するとは理解されず、それゆえ、それが成就するように見られていませんBut the promise is not appreciated as it should be; and therefore its fulfillment is not seen as it might be.。その聖霊の約束は、ほとんど考えられない事柄です。その結果は、霊的な欠乏、霊的な暗黒や無知、霊的な堕落と死が――予想されるだけです。小さな問題が注目を集めています。教会の繁栄と成長のために必要な神性の力と、その訓練によってその他のあらゆる祝福をもたらすものは、欠乏しています。しかしながら、限りなく豊富に提供されました。

 福音の奉仕の働きをまったく力のないものにしているのは聖霊の不在です。才能、学識、雄弁、すべての生まれつき、あるいは努力で習得した知識などは、所有することができるでしょう。しかし、神の聖霊が不在ならば、心に触れられず、罪びとをキリストに勝ち取れないでしょう。一方で、人々がキリストと繫がっているならば、また、聖霊の賜物がその人々にあるならば、酷く無知で最も哀れな主の弟子達は、人々の心に語る力を持てたことでしょう。神はその人々を全世界に強い感化力を注ぐチャンネルにしています。

 私達は力を受けるために存在していることによって宝物になっているのに、なぜ、私達は、聖霊の賜物に渇かず飢えないでいるのですか。なぜ、私達は聖霊の賜物のために祈らず、説教せず、語ろうとしないのですか。自分の子ども達に良い贈り物を与えるためにいる親達以上に、主は私達のために聖霊を与えようとしています。聖霊のバプテスマのために、すべての働き人達は神に請い願う必要があります。仲間達が、天の知恵を求めて、特別な助けを求めて共に集められる必要があります。その人々は、賢明な計画とその実行の仕方を知ることでしょう。特別に、人々は、神が聖霊によって、主の伝道者にバプテスマを授けるように祈る必要があります。

 神の働き人達は、聖霊の臨在と共に、世の人々の栄誉や栄光が与えないような力の真理を提示するでしょう。聖霊は、働き人達自身の不完全と間違いへの気づき、世俗の人の憎しみ、身内の友好的でない中で、あらゆる緊急事態における魂達の奮闘、努力を支えて、その力を備えています。

 神のための熱心が、目撃した真理を力強く伝えるように弟子達を動かしました。この熱心さが、キリストと、十字架につけられた主の贖いの愛の物語を語る決心をするように、私達の心を燃やしているのではないですか。神の聖霊は、今日の私達のために、奉仕のための力を満たして、忍耐強い祈りと熱心さで応えるために存在しているのではありませんか。なぜ、この教会はとても弱くて聖霊がいないのですか。私達の主、イエスキリストの来臨を待っているだけではなく、来臨の手はずを整えることは私達の特権です。主の名を告白する全ての人々は、主の栄光の成果を生み出しています。全世界の人々に、なんとかして素早く、福音のタネが蒔かれてほしいものです。そして、キリストが貴重な穀物を収穫するために来てほしいものです。

 私の兄弟姉妹のみなさん。聖霊に懇願してください。神は、主が作ったあらゆる約束の背後に立っています。あなたの聖書を手に持って、言ってください。「私は、そなたが言ったように行ないました。私はそなたの約束を示します。‟求めなさい。それはあなたに与えられるでしょう。求めなさい。汝は見出すでしょう。叩きなさい。それはあなたに開かれるでしょう”」(マタイ7:7 KJV)。キリストは、言っています。「汝らが祈る時、望んでいるものは何でも、それらが与えられると信じなさい。汝らはそれを持つでしょう」(マルコ11:24 KJV)、「汝らが私の名によって求めるものは何でも、私はそれを行なうでしょう。天の父はその息子によって栄光を受けるでしょう」(ヨハネ14:13 KJV)

 玉座の周りの虹は、変化や影がなく、不定でもなく、神は真実であるという一つの保証です。私達は、主に対して罪を犯していて、主の好意に値していません。また、主自身は、私達の口に、最も素晴らしい申し立てを置きました。「そなたの名のゆえに、私達を嫌わないでください。そなたの御座の栄光を汚さないでください。思い出してください。そなたの私達との契約を破らないでください」(エレミヤ14:21 KJV)。主は、私達が自分達の罪と価値のないことを告白しに、主に行く時に、私達の叫びに注意を傾けるように自分自身に請い願いました。主の玉座の栄誉は、私達への主の言葉を実現するために据えられました。

                      

 キリストは、主への奉仕者達に主の意図を伝えるために、主が治めているすべての地方へ主のメッセンジャー達を遣わしています。主は、主の教会の中を歩んでいます。主は[その人々が]、主の気高い花々として、高貴にされ、清められることを望んでいます。主を信じている人々の感化は、世界中の人々に命から命へと芳しい香りとなるでしょう。キリストは右手にスターを持っています。そのスターを通して世界の人々に主の光/真理を輝かすことが主の目的です。このように、主は、この教会による高度な奉仕のために主の人々を備えることを望んでいます。主は、偉大な働きを行なうように、私達に与えました。私達はそれを信仰深く忠実に行ないましょう。私達は、人間に行なうことができる神性な恵みを私達の生活の中でそれを示しましょう。

 

5.私達の責任

 この時代に必要な[現在の]真理の知識の欠如のために世界の人々が滅びていて、その人々の必要の無関心さに、ぞっとさせられる状態、残りの教会のその状態について、明瞭な見解が[主から]私に提示される時があります。私は、その時、数時間、時には一日中、ひどく苦しくなります。第三天使のメッセージの真理による救いが託された多くの人々は、魂達の救いが神の教会の活動と献身に依っているということに気づくことに失敗しています。多くの人々は、自分達の祝福を私心の奉仕に利用しています。ええ、その人々のキリストらしくない行動によって、キリストが姿を表されているので、私の心はなんともうずいています。しかし、その激しい苦悩が過ぎ去った後で、その人々に就いている人々の救いのために、私心なく全力を尽くして、目覚めさせるためにそれまで以上に、私は懸命に働きをしているように感じています。

 神は、主の人々を主の恵みと真理の管理人にしました。そして、主は、主の人々に就く人々の救いのためにそれらの祝福を授けることの怠慢を、主はどのようにみなしているでしょうか。連合王国(イギリス)に属している[アメリカの初期の]ある植民地は、絶滅の危機にさらされた戦争と飢えのゆえに、ひどい窮乏の中にありました。大勢の人々が飢餓で死んでいます。そして、強大な敵軍は、殺害の働きを早めるために脅迫して、国境地帯に集結しています。我が国の政府は、救援物資を開放しています。公的な慈善団体が提供しています。救援物資が多くの輸送手段を通して送られています。一つの船団が命の貴重な物資を輸送しています。それは、助けようと心を動かされた人々の祈りと共に、困窮している地域の人々に送られています。少しの間、その船団は目的地に直接、航行しました。しかし、国家の成り行きを見失って、飢えで苦しんでいる人々に食糧を運ぶ委託の情熱は減少しています。彼らは、御使い達と共に労する者達となって一つの働きに繫がったのですが、取り組んだ働きの良い印象を失いました。悪いカウンセラー達を通して誘惑が忍び込んでいます。

 一つのグループは、島々に自分達の航路を定めて、そして、自分達の目的地まで[の距離を]もっと短くしようと考えました。彼らは呼び掛けることを決めています。その誘惑はすでに強くなっていく段階に入っていました。[利益を]獲得しようとする利己的な精神は、自分達の知性で財産を得ています。自分達に商業主義の優先を現しています。その船団はこれらの島々にいる人々に代金を請求しています。彼らの最初の憐れみの目的は、彼らの視界から消えています。彼らは、自分達が遣わされた島の人々の空腹を忘れています。彼らに託されていた救援物資は、彼ら自身の利益のために利用されています。その慈善の物資は、利己的な方向に進路を変えられています。彼らは、私利を得るために命の糧と交換して、自分達の仲間を死に追いやっています。飢えで苦しんでいる人々の叫びは天に昇っていて、主は、泥棒まがいの行為を主の記録に記しています。

 死んでいく人間の悲惨さを考えてください。救援物資の代金を請求したこれらの人々は、人々の信頼に不誠実なことを証明しています。人間はとても恐ろしい罪の責任があるということに気づくことは、私達にとって難しいことです。また、私は[イエスから]あなた方に、「私の兄弟姉妹のみなさん、クリスチャンは、毎日、この罪を繰り返しています」と言うように指導されました。

 エデンにおいて、人間は、死の問題になる違反の罪を通して、高尚な状態から落ちました。人間が滅びていたことは、天において見られていました。そして、神の深い思いやりが感動させられました。計り知れない犠牲で、主は慰めの手段を考案しました。主は「世界の人々をとても愛したので、一人息子を与えました。彼を信じる人は誰でも、滅びないで、永遠の命を持つでしょう」(ヨハネ3:16 KJV)。キリストを通すことを除いて、罪びとには希望がありませんでした。神は「そこには人がいなかった。そこには仲介者がいなかったのが不思議だった。それゆえに、主の権力が主に救いをもたらした。そして、主の義が主を支えた」(イザヤ59:16 KJV)と見ました。

 主は、一つの人々()を選んで、その人々を主の真理を保つ者にしました。主の目的は、イスラエルの人々を通して主の品性が現されて、[世界の]人々が主に引き寄せられることでした。全世界の人々への福音の招待は、伝えられるために存在していました。清めの奉仕の教えを通して、キリストは、国々の民の前に高められるために存在していました。そして、主を見る全ての人々は生きるでしょう。

 しかし、イスラエルの人々は、神の目的を成し遂げませんでした。彼らは神を忘れて、主の代表としての自分達の高尚な特権から視点を見失いました。彼らが受けた祝福は、世界の人々に祝福をもたらしませんでした。彼らの優位性の全ては、自分達の栄誉に適切なものでした。彼らは、主が彼らに求めていた奉仕の神を失って、また、彼らは、聖なる模範と自分達の宗教のガイダンスに就く人々を失いました。

 神は、ついに、見えない品性を人間達に明らかにするために、自分の息子を遣わしました。キリストがやって来て、神の律法に従順な生涯をこの地上で送りました。主は、世界の人々を救うために主の貴い命を与えて、そして、主の家令と奉仕者達を養成しました。キリストという贈り物と共に天のあらゆる宝が人間に与えられました。キリストの教会は、飢えている魂達に天の食物の輸送を任せられています。神の人々()が世界の人々に届けるために託された宝があります。神の人々()は、憐れみのメッセージが世界の人々に行き渡った時までは、自分達の働きを続けて、なすべき務めを実行することに忠実でした。

 キリストは天に昇って、主の弟子達の働きに力を与えるために、主の聖霊を遣わしました。一日に数千人が回心しました。一世代の間に、福音は天の下の全ての国民に伝えられました。しかし、少しずつ変化がやって来ました。キリストの教会は初めの愛を失いました。キリストの教会はどうでもいい愛と利己主義になりました。世俗の精神が好まれました。教会の敵は、良い働きによって輝かした光、すなわち、[霊的な]無知の闇の世界にいる人々に光/知識を与えた神の人々()に、自分の魔力を投げかけました。この世界の人々は、受けるようにと神が望んだ祝福を失いました。

 今の世代にも、同じことが繰り返されていませんか。私達の時代の多くの人々は、救われておらず警告されていない世界の人々の救いのために、主がその民に託していたものを避けています。神の世界で、一人の天使が天空の中央を飛んでいるように現されています。「私は、もう一人の天使が大空の中央を飛ぶのを見ました。すべての人々、全ての言語の人々、全ての種族、すべての国民、地上に住んでいる人々に伝えるために永遠の福音を携えてきて、大きな声で叫んでいます。神を畏れ、主に栄光を帰しなさい。主の裁きの時がきたからです。水の源と、海と、地と、天空を造った主を拝しなさい」(黙示録14:6,7 KJV)。

 黙示録14章のメッセージは、私達が世界の人々に伝えるために存在しているというメッセージです。それは、終末の日々の人々のための命のパンです。何百万という人々が罪と無知のために滅びています。しかし、多くの人々は、神に命の支援物資を託された無関心な人々を見上げています。多くの人々は、救いに飢えている人々のために命のパンを託されていたことを忘れています。

 献身したクリスチャンのために、キリストに似た堅実な者のために、魂が清められて愛によって働いている信仰者のために、神が、私達の不活発な動きを献身した行動と悔い改めに変容するように助けるでしょう。主は、私達が自分自身の魂の滅びの重荷を担って、私達の言葉と働きの中で示すように助けるでしょう。

 私達の遅々とした歩みを、神の寛容のゆえにあらゆる瞬間に感謝する者になりましょう。私達が行なった考えによって私達自身を大きく見せるのではなく、とても小さなことを行なった後で、私達はもっと熱心に労するために存在しています。私達は警戒を緩めて努力しなくなるために存在しているのではなく、私達の熱心さが成長しなくなるために存在しているのでもありません。私達の霊的な命は神の都の喜びをつくるという恵みの流れによって、日々に生き返る必要があります。私達は、主が私達に与えた才能を神のために使う機会を見るようになる必要があります。

                         

 この世界は一つの劇場です。その役者である住人達は、最後の一大ドラマで自分達の配役を演じるための用意をしています。人種がたくさん集まっても、利己的な目的を達成するために連合した人々を除いて、そこには大きな団結はありません。神は観察しています。主に謀反を起こした問題に関して、主の目的は果たされるでしょう。この世界の人々は、ある人々の手に渡されていませんでした。しかしながら、神は、一時期を過ごすために、無秩序と混乱の要素を許しています。下に隠れていた力が、秘密結社に集まって結ばれている人々の不義のだましを働いて、サタンがキリストとしてやって来て、そのドラマの最終の大場面を演じるために働いています。連合に熱中している人々は、敵の計画を練って作っています。その目的はその結果が後からついてくるでしょう。

 違反の罪は、ほとんど、その限界に到達しました。混乱が世界中に満ちています。そして、非常に恐ろしいことが、間もなく人間達にやって来るでしょう。その終わりはとても近くにあります。[現在の]真理を知っている私達は、とても驚かされるようなことが世界の人々に間もなく始まることに、備えている必要があります。

 ヨハネはこう書いています。「そして、私は大きな白い玉座を見ました。そして、主はそこに座していました。地と天は主の前から飛び去りました。それらはどこにも見つかりませんでした。そして、私は、死んだ人々、大人と子どもが、神の前に立っているのを見ました。そして、数々の本が開かれました。また、もう一つの本が開かれました。それは、命の本でした。その死人達は、その人々の働き、その数々の本の中に書かれていた事柄によって裁かれました(黙示録20:11,12 KJV)

 私達は、一つの人々()として、眠っていていいのですか。現在、主の出現に備えのできていない私達の施設の若い女性や若い男性達が、主の家族の一員になることに相応しくなくて、時のしるしを見分けているだけならば、何の変化がその人々に見られるでしょうか。主イエスキリストは、主が導いている道について行くために、十字架を掲げるために、主のために働いて歩むために、主の足跡について行く働き人達に自己否定を呼び掛けています。

 多くの人々は、僅かな奉仕活動を主に捧げてすぐに満足しています。その人々のキリスト教信仰は弱っています。キリストは、罪びと達に自分自身を与えました。私達は、罪の内に滅びている人間を見る時に、自分達が満たされる必要のある、魂達の救いのためにどんな心配をしていますか。それらの魂達は、計り知れない代価によって買い取られました。カルバリーの十字架上での神の息子の死は、その人々の価値の大きさそのものです。日々、その人々は自分達が永遠の命を持っているかどうかを決定しています。そしてまた、主に奉仕することを告白している女性と男性達は、少しも重要でない内容に注意を払って、自分達の時間を使うことに甘んじています。その人々は互いに不和になることに甘んじています。その人々が、主の働きに献身したならば、言うことを聞かない子ども達の家庭のように争ったり口論したりしないでしょう。すべての人の手は、奉仕に繫がれているでしょう。キリストの十字架についての伝道者として、魂と心を働かせて、誰もが自分の義務の立場に立てるでしょう。贖い主の聖霊/精神は、働き人達の心に留まることでしょう。そして、義認の働きがなされるでしょう。その働き人達は、目覚めた教会の共感と祈りの奉仕へと自分達を前進させるでしょう。その人々は、キリストからの指導を受けるでしょう。そして、口論や論争のための時間を見つけることがないでしょう。

 メッセージは、神性の説教壇の燃えている炭火が触れた口から来ることでしょう。最も熱心な清められた言葉が語られるでしょう。謙遜で心砕かれた執り成しが、天に昇ることでしょう。働き人達は一方の手でキリストを捉えて、もう一方の手で罪びと達の手をつかんで、救い主に引いて行くことでしょう。

                         

 「神の王国の福音は、すべての国の民に証するために、世界中に伝えられるでしょう。そして、それから終わりが来るでしょう」(マタイ24:14 KJV)。

                         

 「汝らが、殺されかけている人々と、死ぬように連れられて行っている人々を助け出すことに干渉しないならば、また、汝らが、見よ、私達はそれを知りませんでした、と言うならば、主はそれに関する心を熟考していないのですか。汝の魂を守っている主は、それを知らないのですか。また、主は、すべての人々に、その人の働きに応じて報いを与えないのですか」(箴言24:11,12 KJV)

 

6.母国と外国での働き

1902.8.7. カリフォルニア セントヘレナより[75]

 「汝らは、刈り取る時期が来るまでにまだ4カ月ある、と言ってはいけません。見なさい。私は汝らに言います。あなた方の目を上げて、畑の上を見渡しなさい。作物はすでに収穫のために色づいています。人は賃金を受け取るために刈り取りをします。そして、永遠の命の実を収穫します。タネを蒔く人も刈り取る人も共に喜べるでしょう。一人がタネを蒔いて一人が刈り取っていると、言われていることは真実です」(ヨハネ4:35-37 KJV)。

 タネを蒔いた後で、その主人は、それが芽生えて成長するために数か月間待たされて、収穫できるように麦殻の中に実が熟します。しかし、そのタネを蒔く人は、将来の実りへの期待によって励まされています。その人の労働は、収穫の時の豊富な見返りという希望に照らされています。

 真理のタネは、サマリヤの女性とのとてもよいキリストの会話の間に、主によって、彼女の知性の中にそんなにたくさん蒔かれていません。主が蒔いたタネと収穫は遠い関係ではなく、近い関係にあります。イエスキリストによって回心していたということを彼女は知ることが可能になって、彼女の理解が目覚めて、そのように蒔かれたタネが芽を出して成長して実を結ぶ前に、主の言葉はほとんど語られていません。彼女は、自分の心の中に神性の光線を輝かせました。彼女は、自分の水瓶を忘れて、サマリヤの兄弟[姉妹]達に良い知らせを伝えるために急いで行きました。彼女は「来て、一人の男性を見てください。その人は私が今までに行なった全てのことを私に語りました」(ヨハネ4:29 KJV)と言いました。人々はすぐに彼を見るためにやって来ました。主はサマリヤの人々の魂を畑の麦に譬えたのはこの時でした。主は弟子達に「目を上げて、畑の上を見渡しなさい。作物はすでに収穫のために色づいています」と言いました。

 「そうして、サマリヤの人々が彼の所にやって来た時、彼らは、その人に自分達の所にとどまるようにと懇願しました。そして、その人は、そこに二日間、滞在しました」。その二日間はとても忙しい日々でした。その成果の記録はどんなものでしたか。「主自身の言葉のゆえに、多くの人々が信じました。そして、[その人々は]その女性に言いました。さて、私達は、そなたが言ったからではなく、私達自身で彼の言葉を聞いたので信じています。そして、このことは、世界の人々の救い主、キリストによって行なわれているということを知っています」(ヨハネ4:40-42 KJV)。

 命の言葉をサマリヤ人の知性に開示しているキリストは、多くの真理のタネを蒔いて、そして、彼らにも、ほかの人々の知性に真理のタネを蒔けるように、その蒔き方を人々に示しました。真理を知っている全ての人々が、キリストの言葉に応答したサマリヤ人達のように、進んでそれに応答する人々と、聖書の真理を理解して知ることを必要としている多くの人々と、罪びと達のために労することを知っているならば、とても良いことが成し遂げられるでしょう。罪と背きに死ぬ魂の苦悩、罪の責任と中傷への思いやり――主と私達の間の強力な団結の絆になるという点で、神との共感に入る人はなんと少ないことでしょう。人々がキリストとの共感を分かち合ったならば、その人々は、とても貧しい働き人達、貧窮の伝道地が多い状態について、いつも心を痛めているでしょう。

 外国の伝道地での働きは、知的に熱心に前進して伝えられるために存在しています。また、母国の伝道地での働きは、賢明ではなく、疎かにされています。私達の国の大都市のような、それらの伝道地を、私達のドア/伝道の陰にしないで、疎かにして見過ごした所が光を照らされるようにしましょう。それらの伝道地は、どんな外国の伝道地とも同じ重要性に満ちています。

 神が推奨している憐れみのメッセージは、アメリカの諸都市で宣布される必要があります。それらの諸都市で生活している男性と女性達は何よりもビジネスの取引関係に巻き込まれるようになっています。その人々は、天に届くほどの塔のようなビルディングを建設することに野心的に行動しています。その人々の知性は、野心的な考案と構図に満たされています。神は、主のすべての奉仕の働き人達にこう命じています。「力の限りに、大声で叫びなさい。汝の声をトランペットのように響かせなさい。そして、ヤコブの家の者達の罪と、私の民に、その違反の罪を示しなさい」(イザヤ58:1 KJV)。

 私達は、疎かにしていた私達の諸都市に神のための記念碑[教会]建てるためのあらゆる可能性に取り組んでいる僅かの働き人達がいることを神に感謝しましょう。私達は、それらの働き人達を励ますことは私達の義務だということを覚えておきましょう。神は、私達自身の国の主の人々によって、私達の様々な大都市で私達の忠実な働き人達への理解と支援の欠如が示されていることを喜んでいません。母国の伝道地での働きは、今まさに、命に関わる問題です。今の時代は、私達がこれらの伝道地で働く必要のある最も好意的な機会です。間もなく、その情況は非常に困難になるでしょう。

 イエスは、主が選んだ人々の強情と罪のゆえに、エルサレムをながめて涙を流しました。主は、主と共に働く者となることを告白していながら、内容に何もしていない人々を眺めて涙を流しています。これらの人々は、地上の堕落した諸都市の人々のために、涙と共にいつも悲しみ、重い負担をキリストと共に負って魂の価値を理解していますか。偶像崇拝にほとんどすべてを捧げた、それらの都市の崩壊が差し迫っています。最後の大いなる日の予測について、今日、それらの諸都市に入ることを疎かにしているために与えられうる答えはどんなものですか。

 アメリカでその働きが前進している一方で、多くの場所で神のための記念碑[教会]を残すことが不可能で、それらの伝道地の中の働き人達が周りの人と結ばれないので、主は、私達が負っている義務としてほかの国々に注目するよう、私達を助けるでしょう。この国で受け入れられているあまりに強い優位性を許さないようにしましょう。ほかの国々に住んでいる数百万の人々に、私達の義務を怠ることを続けないようにしましょう。私達は、過去を償ってその状況をよく理解するようにしましょう。

 アメリカにいる私の兄弟姉妹のみなさん、収穫のために色づいている畑を見渡すことは、あなた方の目を上げることでしょう。あなた方は、神のたくさんの恵みを自身の心に受けているでしょう。霊的/精神的に弱く主の思いに不信心だったあなた方は、人格を備えた働き人を通して、良い働きをたくさんするようになるでしょう。あなた方はもはや、たくさんのものに囲まれて飢えることがなく、神があなた方のために蓄えていた良いものを充たすことでしょう。あなた方は、外国の伝道地で主の働きを前進させるためにいる働き人達がどれほど資金に窮乏しているかに気付き始める時、自分達が助けることができることを行なうでしょう。そして、あなた方の魂は生き返り始めるでしょう。あなた方の霊的/精神的な意欲は健全になるでしょう。また、あなた方の知性は神の言葉と共に新鮮にされるでしょう。神の言葉は、国々の民を癒すための命の木からの一枚の葉です。

 「私は誰を遣わしましょうか」という主の質問の答えに、イザヤは「ここに私がいます。私を遣わしてください」(イザヤ6:8 KJV)と応答しました。

私の兄弟、私の姉妹のみなさんは、主のブドウ園に出かけて行くことはできないでしょう。しかし、あなた方はほかの人々を遣わす資金を備えることができるでしょう。このように、あなた方は代わりにいく人々のために自分の資金を提供できるでしょう。そして、主が来る時に、あなた方は、主にあった高利を主に返すことができるでしょう。あなた方の財産/資金は、神のメッセンジャー達を支えて、前進させるために使われることができます。その人は、声や感化によって、メッセージを伝えるでしょう。「汝らは主の道を備えてください。主の道を正しくしてください」(マタイ3:3 KJV)。様々な計画がその目的を前進させるために作られています。あなた方の働きをする時は今です。

 あなた方が自己を否定して働きをするならば、また、あなた方が、新しい伝道地にその目的をもっと前進させるためにできることを行なうならば、主は、あなた方を祝福し、力づけ、助けるでしょう。命の光である、あなた方を支えている主の臨在の保証を信頼してください。イエスが死んだゆえに貴い魂達とイエスの愛のための全てを行なってください。神の栄誉をたたえる目的で神性を織り込んで清い働きをしましょう。主は見ていて理解しています。あなた方が、主への奉仕のために聖別された贈り物として自分の才能を捧げるならば、主はあなた方に弱さがあっても用いるでしょう。なぜなら、活動における無関心で貧弱な奉仕は、主の貴い賞賛の喜びと力になるでしょう。主の喜びは力の要素の一つです。あなた方が忠実ならば、あらゆる理解を超えた平安は、この世でのあなたがたの報いとなるでしょう。そして、未来の生活において、あなた方は、自分達の主の喜びの中に入ることでしょう。

                       

1903123[75]

 私は、アメリカにある諸都市にその真理が宣布されず、疎かにされ見過ごされてきた経過の内容を書く必要があります。そのメッセージは、この母国の伝道地にある諸都市に住んでいる何千もの外国人達に伝えられる必要があります。

 私は、なぜ、私達の[教会の]人々()は、主が私の前に何年も前から示していた、[アメリカ]南部諸州に現在の真理のメッセージを伝える働きを引き継ぐことに、ほんの少ししか重荷を負おうとしないのかを理解できていません。僅かな人々が、自分達にこの働きに取り組む責任が残されていると考えていました。私達の人々()は、南部の諸都市で働きをすること、新しい地域に入ることに失敗していました。何度も繰り返して、主は、特別な成果がないために、この伝道地の必要を[私に]提示しました。私は、時々、自分はもはやこの働きの重荷を負うことができないかのように感じました。私は、人々が、この働きへの怠慢を続けるようならば、その問題を流れるままにしておこう、そして、その道から外されている人々と、怠っている人々に主が憐れみを持っていると祈ろう、と考えました。

 しかし、主は、私達の[教会の]人々や私達の牧師達との一つの闘いを持っています。そして、私は、私達の国の諸都市について、また、南部の働きについて、重荷を人々に課して語る必要があります。まだ働きをされていないような、ほかの多くの都市の中、大都市ニューヨークにこのメッセージの宣布を見るために、誰が重い荷を感じているでしょうか。集められ得る資金の全ては、アメリカから離れた国々に送られるために存在しているのですか。その一方で、本国の伝道地には、現在の真理を聞いていなかった数百万もの人々に真理を提示する摂理の機会は存在していなくていいのですか。それらの数百万の人々は、多くの国民を表す人々、そのメッセージを受けるために備えられている多くの人々です。多くの人々が、ニューヨーク、カリフォルニアの諸都市、その他の多くの州で、私達のドア/伝道の陰に伝えられるために残っています。

                       

 神は、主の人々()に言っています。「目覚めなさい。輝かせなさい。汝らの光は現れています。そして、主の栄光は汝らの上に昇っています」(イザヤ60:1 KJV)。なぜ、その時、その人々は、新しい地に真理の標準を植えるために少しも重荷でないと考えたのですか。なぜ、その人々は「汝が持っている物を売りなさい。そして、施し物として与えなさい。自分のために古びず思い通りになる皮袋を作りなさい。そして、無くならない天に一つの宝[を蓄えなさい](ルカ12:33 KJV) の言葉を義務と考えなかったのですか。なぜ、その人々は、天の商売に投資するために、主自身に帰らないのですか。なぜ、畑で色づいている麦の収穫をするための志願者の呼びかけをもっと熱心にしないのですか。アメリカの諸都市のためになされた以上に行なわれない限り、牧師達と人々は、すべての人々に自分の働きを託した御方と清算する重い責任を持っています。

 私達は「そなたの御国が来ますように、そなたが天にいますように、地で行なわれますように」(マタイ6:10 KJV)の祈りを繰り返しています。私達は、キリストが弟子達に与えた任務が私達にも与えられていることを信じて、告白しています。私達はそれを実践していますか。私達が指の先程にその働きをほとんど何もせず、恐ろしいほどに無関心なことを神が許してくださるように。いつ、この働きが行なわれるのでしょうか。神の人々()の役割に盲目な状態を見ることは、私の心を悲しませて痛めさせています。

 アメリカには、罪と無知のうちに滅びている何千人もの人々がいます。どこかの離れた伝道地には気を配っているのに、[現在の]真理を知っている人々は、自分達のすぐ近くの伝道地の必要に無関心で見過ごしています。キリストはこう言っています。「今日、私のブドウ園に働きに行ってください」(マタイ21:28 KJV)、「汝らは、刈り取る時期が来るまでにまだ4カ月ある、と言ってはいけません。見なさい。私は汝らに言います。あなた方の目を上げて、畑の上を見渡しなさい。作物はすでに収穫のために色づいています」(ヨハネ4:35 KJV)。

 目を覚ましてください。起きてください。私の兄弟姉妹のみなさん、そして、まだ働きがなされていなかったアメリカの伝道地に入ってください。あなた方が、外国の伝道地のために、何かを与えた後で、あなたが行なう義務を考えてはいません。外国の伝道地で行なわれるための働きがあります。しかしまた、公平に、アメリカで行なわれるための重要な働きがあります。アメリカの諸都市に、ほとんど全ての言語を話す人々がいます。それらの人々は、神が主の教会に与えた光/真理を必要としています。

 主は生きていて統治しています。間もなく主は、恐ろしく地をふるうために、威厳をもって立ち上がるでしょう。一つの特別なメッセージが現在、生み出されて伝えられるために存在しています。一つのメッセージが、回心の必要な魂達、罪ありとされた人々、霊的な暗黒/無知にいる人々を刺し通すでしょう。「汝自身を守って、汝の命のために避難しなさい」は、罪の中に住んでいる人々へ与えられるための呼びかけです。私達は現在、熱心に恐れるようになる必要があります。私達は非難や批判で一瞬でも費やしている時間がありません。この事を過去に行なった人々は、祈りで膝をつきましょう。神の計画と神の言葉の位置に、人々の計画と人々の言葉をどのように置いているか気を付けましょう。

                       

 私達は、重要でない問題に関わっている時間がありません。私達の時代は、罪の世界にいる人々に最後の憐れみのメッセージの宣言を伝える必要があります。人々は、神の聖霊/精神の霊感の下で動く必要があります。私達の牧師の誰かによって語られた説教は、その人々の現状よりも、もっと力強くなる必要があります。そうでないと、信仰の逆戻りをする多くの人々が飼い馴らされたようになるでしょう。それは、人々を眠りにつかせるでしょう。すべての講話は、世界にやがて降ってくる恐ろしい裁きの場面の下で与えられるでしょう。その真理のメッセージは、神性の説教壇から燃え差しに触れた口によって宣布されるために存在しています。

 私の心は、私達の牧師達の誰かによって、伝えられたメッセージに馴らされたと考えた時に、苦悶で満たされています。その牧師達は眠っていて、横並びに、メンバー達は眠っています。世界の人々は罪によって滅んでいます。神が、永遠の世界の境界線で女性と男性達のように起き上がって歩んで働くように主の人々()を助けてくださるように。やがて、ものすごい驚きは、この世界の住民達にやって来るでしょう。キリストはやって来るでしょう。その時、主に会うための準備する時間はないでしょう。今が、私たちが警告メッセージを与えるためのその時です。

                       

 私達は、この世界の人々に奉仕するために来た主、私達から離れた、主の事業と主の家族の世話を託された家令です。主は、私達に課して天に戻りました。そして、主は、私達に、主の現れを待って見張るように期待しています。主が私達の眠っているのを見つけて、突然来るといけないので、私達は、自分の任務に忠実になりましょう。

 

7.ヨーロッパでの働き

1902127日 カリフォルニア セントヘレナ[75]にて

 ヨーロッパにいる私の兄弟達へ

 私は、あなた方に話したい言葉を持っています。ヨーロッパで大量に成し遂げられるための時がやって来ました。アメリカで行なわれたような大きな働きが、ヨーロッパでも行なわれることが可能です。サナトリウムが建設されるようにしましょう。健康食レストランが始められるようにしましょう。印刷所から現在の真理を輝かせましょう。翻訳の働きをして私達の書籍が出て行くようにしましょう。ヨーロッパの国々に多くの場所で光が灯されるだろうと、私は[イエスに]示されました。

 主の働きが適切に示されてない所がたくさんあります。イタリア、フランス、スコットランド、そのほかの多くの国々の人々は助けが必要です。大きな働きが、これらの場所で行なわれるでしょう。働き人達が必要とされています。ヨーロッパにいる、神の人々()の間に才能のある人がいます。主はヨーロッパ大陸と英国の中で、主の真理の光が輝き出るセンターとして、この才能のある人が設立に携わることを望んでいます。

 スカンジナビアで行なわれるための働きが一つあります。神は、アメリカ人の信徒達と同じように、スカンジナビア人の信徒達のために働くことに快く平等です。

 私の兄弟[姉妹]のみなさん、主なる神のホステス/もてなし役として結ばれましょう。あなた方の不安を主に委ねましょう。あなた方の心配を主に委ねましょう。主の働きが拡大される時が来ました。悩みの時が、私達の前にあります。しかし、私達がクリスチャンの友情によって共に立ち向かうならば、支配者と戦うことなく、神は私達のために権威をもって働くでしょう。私達は、希望を湧かせて勇気を出しましょう。神への奉仕に対する失望は、罪深く理性的ではないです。主は、私達のあらゆる必要を知っています。主はあらゆる力を持っています。主は、奉仕者達の求める必要に、効果的な評価を与えることができます。主の限りない愛と情熱は決して弱りません。全能の神の威厳と共に、主は羊飼いの優しい世話と親切を合わせ持っています。私達は、主が約束を果たさないのではないかと心配する必要はありません。主は永遠の真理です。主は、主を愛する者達と交わした契約を決して変更しないでしょう。主の教会への主の約束は、永遠に堅く立っています。主は、多くの世代達との楽しみとして、教会との永遠の美点を保つでしょう(He will make her an eternal excellence, a joy of many generations.)

 イザヤ書41章を研究してください。そして、その全ての意味を理解するように努めてください。神はこう言っています。「私は、谷々の中に泉を湧き出させて、様々な高台に川の水を流すでしょう。私は、荒野に水の溜め池を作るでしょう。そして、乾いた土地は水の供給を受けるでしょう。私は、荒野にレバノン杉とアカシアの木、ギンバイカの木とオリーブの木を植えるつもりです。私は、砂漠に、フトモモの木と松の木、ツゲの木も一緒に植えるでしょう。人々は共に、それを見て知って、考えて、主の手がこのことを行なったことと、イスラエルの聖なる御方がそれを造り出したことを理解するでしょう」(イザヤ41:18-20 KJV)

 キリストを選んだ人は、打ち負かされうる人間の知恵や力の集積ではない、一つの力に自分を結び付けました。主は言っています。「私が汝と共に居るので、恐れる必要はありません。私は汝の神なので、汝はうろたえる必要もありません。私は汝に力をつけましょう。ええ、私は汝を助けましょう。ええ、私は右手の義によって汝を支えるでしょう」、「汝の神、主である私は、汝の右手と握手して汝に言うでしょう。心配しないでください。私は汝を助けるでしょう」(イザヤ41:10,13 KJV)

 汝らは、私が誰に似ているというのですか、誰に等しいというのですか。聖なる御方は言っています。あなた方の目を高く上げて、そして、数えることによって被造者たちを創り出した御方を見てください。主は、力が強いので、また、一つも失敗しないので、主の威力の偉大さによって、また、その名によって、全ての者達に言っています。ヤコブよ、なぜ、汝らは言っているのですか。イスラエルよ、‟私の道は主から隠されています。私の判断は私の神に考慮されていませんでした”と、なぜ、言っているのですか。汝は知らなかったのですか。汝は、疲れることなく弱ることもない、永遠の神、主、地の四方の果てまでの創造者について、聞いたことはなかったのですか。そこには、主の英知について探究する方法がありません。主は、弱々しい者達に力を与え、力量のない者達に知力を増し加えます。十代の青年達は弱り果てるでしょう。若い人々はすっかり元気がなくなるでしょう。しかし、主を待ち受ける者達はその力を新しくし、翼で上昇する鷲達のように、任に就くでしょう。彼らは時が経過しても弱ることがないでしょう。彼らは世を渡っても疲れないでしょう」(イザヤ40:25-31 KJV)

                       

 真理の光は地の四方の果てまでも輝くために存在しています。偉大な、もっと偉大な真理は、世界中の暗黒の無知の中に浸透させるために、贖い主の顔から主を代表する人々の顔に、神聖な輝きとしてきらめいています。働き人達が、主と共に労している時、私達は主の聖霊/精神による清めのために祈りましょう。私達はもっともっと輝くでしょう。

                       

 この時代のための真理の光は今も、王達のキャビネットで輝いています。その記事の注目は、――国民たちの制定法の書物――聖書へと呼び掛けられて存在しています。そして、王達は、その制定法と自分達の国の法律を比較しています。キリストを代表する私達は、無駄にする時間がありません。私達の努力は、その光が、正しく理解されないことがとても多くなったいくつかの場所に限定されるために存在しているのではありません。その福音メッセージは、すべての人々、言語、種族、国民に宣布されようとしています。

 

8.ある戦いについての一つの見解

 幻の中で、私は、恐ろしい戦闘中の二つの軍隊を見ました。一つの軍勢はこの世界の記章をつけた軍旗によって導かれていました。もう一つの軍勢はインマヌエルの君の血の染みの旗によって導かれていました。戒めを守っている神の人々()と敵の部隊は一つの塊になって戦っていました。次々と送られてくる敵兵と対峙していた主の軍勢に、次々に仲間が続いた時、次々と送られてくる軍旗は死骸の上に痕跡として残されていました。天空の中央を飛んでいる一人の天使が多くの手にインマヌエルの軍旗を渡しました。最高司令官が大きな声で叫びました。「前線に来てください。キリストの証と神の戒めに忠実な人々は、自分達の持ち場を守ってください。清くない者に触れないで、汝らを分離して、その人々から出てください。私は、あなた方を受け入れて、あなた方の父となるでしょう。汝らは私の息子や娘となるでしょう。すべての人は、特別な強い力に反対する助けとして、主の助けを求めて来るでしょう」。

 その戦いは激しいものでした。勝利は、双方に交互に現れました。さて、十字架の兵卒達は「一人の旗手が倒れた時に」(イザヤ10:18 KJV)という方法を得ました。彼らの完全な撤退はもっと有利な立場を得るためだけに存在していました。喜びの歓声が聞こえました。神を讃える歌が湧き上がりました。そして、天使達の歌声がその歌に結ばれました。キリストの兵卒達は、その時まで敵に占領されていた要塞の上に主の旗を立てました。私達の救いのキャプテンは、主の兵卒達に援軍を送って、その戦いを指揮していました。主の軍勢は [要塞の]城門への闘いを制するために、兵卒達を励まして、力強く戦いました。主は、兵卒達を征服のための征服に一歩ずつ導いた時に、彼らに、正義によって畏敬の念を起こさせることを教えました。

 ついに、その勝利は得られました。「神の戒めとイエスの信仰」と記されている旗に就く兵卒たちは、栄光の勝利でした。キリストの兵卒たちは、神の都の門のそば近くに集まって、教会の王を受け入れた都を喜びました。平和と喜びと永遠の義の王国は設立されました。

 現在、この教会は闘士にあふれています。今、私達は、ほとんど全ての人々が偶像崇拝に支配されている暗黒/無知の真夜中で、世界の人々に向き合わされています。勝利した戦闘を戦わされる闘いの日が来ています。神の意思は、天において行なわれるように、地においても行なわれるために存在しています。その時には、国々は、天の律法以上にほかの法律を所有していないでしょう。すべての人々は、感謝と賛美の衣――キリストの義の衣をまとって、団結した家族になって、幸せになるでしょう。自然界のすべての者たちは、それ自身優れて愛らしい、崇敬と賛美の贈り物をいつも神に捧げるでしょう。その世界の人々は、天の光を浴びるでしょう。その年々は、喜びの内に送られるでしょう。月の光は太陽の光のようになるでしょう。そして、太陽の光は今存在しているよりも7倍明るくなるでしょう。その光景をめぐって、朝の星たちは共に歌うでしょう。神の息子[]達は、喜びを大声で叫ぶでしょう。一方、神とキリストは団結して宣言するでしょう。「ここでは、まったく罪が存在していないでしょう。どんな死も存在していないでしょう」。

 そこには、私に提示されている光景があります。しかし、この教会は、見えない敵と見える敵に対して戦うでしょう。また、戦う必要があります。人間の姿をしたサタンの働き人達は、地上に存在しています。人々は、主に就く人々に反対して連合しました。それらの連合体は、キリストが恵みの御座の前での執り成しの場を立ち去るようになるまで、また、正義達成の報復の衣を着るまで続くでしょう。サタン的な働き人達は、あらゆる都市で、神の律法に反対していたグループに活発に組織化されています。聖徒だと告白した人々と不信心を公言した人々は、それらのグループと一緒の立場を取っています。神の民にとって、弱っている時間はありません。私達は、一瞬の間も、私達の防御を疎かにしている時間はありません。

 「主によって、主の偉大な力によって強くなってください。悪の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を全身に着けましょう。私達は、血と肉に対してではなく、諸々の権威と勢力と、この世界の闇の支配者に対して、また、高き所にいる悪の霊に対して戦っています。それゆえ、全てを行なって立つために、汝らが悪い日に耐えることができるように、あなた方は神の武具を全身に着けましょう。立つために、それゆえ、あなたの腰に真理のベルトをして、義の胸当てを付けましょう。また、あなたの足に平和の福音を備えた靴を履いて、さらに、信仰の盾を持ってください。それにより、汝らは悪い者の火の矢を打ち消すことができるでしょう。そして、救いのヘルメットをかぶって、神の言葉である聖霊の剣を持ちましょう」(エペソ6:10-17 KJV)

 「このように、私は祈っています。あなた方の愛が判断において知識においてますます増すことができるように。汝らが優れた者であることを証明することができるように。汝らがキリストの日までに罪のない純真な者にされますように。神の栄光と誉、イエスキリストによるものである、義の実に満たされますように」(フィリピ1:9:11 KJV)

 「あなた方の回心が、キリストの福音となるようにしましょう。私が行ってあなた方に会うか、行かずに会わないでいるかに関わらず、私はあなた方の出来事を聞いています。汝らは、福音信仰のために一つの知性となって共に奮闘して、一つの精神でしっかりと立っていてください。そして、あなた方の敵対者達によって恐れさせられることのないように、それ[福音信仰]は彼らにとって永遠の滅びの明白な象徴として、あなた方にとって救いのために存在していて、神に属しています。あなた方のために、それは、主を信じることだけではなく、主のための苦難を受けることも、キリストに属する益として与えられています」(フィリピ1:27-29 KJV)

 これらが、やがて、主の教会として愛され、神の手によって描かれた場面で、そして、終末の日々の幻の中に、未来の栄光が現されています。主の足跡と主への背信において、何が、神の息子を支えたのですか。主は、主の魂の苦悩について見て、満足しました。主は、永遠の広がりについて、一つの見解を捉えました。また、主の謙遜が赦しと永遠の命を受けることを通して、それらの人々の幸福を見ました。主は、これらの人々によって十字架につけられ、傷つけられました。その人々の平和に属する体罰は、彼の上にありました。彼の縞模様の傷によって、その人々は癒されました。主の耳は、贖われた人々の叫び声を捉えました。主は、身代金によって贖われた人々の[]子羊とモーセの歌を聞きました。

 私達は、天の祝福に関してまた、未来の幻/先見の明を持つ必要があります。永遠の入り口に立ってください。主のための栄誉の苦難と一つの特権としてそれを考え続けて、キリストと協力したこの世の生活をする人々に与えられる嬉しい歓迎の言葉を聞いてください。その人々が天使達と団結する時、その人々は、贖い主の足もとに自分達の冠を置いて叫んでいます。「祝福と栄光、栄誉と権力、知恵と富、そして、力を受ける価値ある御方は、殺された特別な[]子羊です。……栄誉と栄光、そして、力は、永遠にいつまでも、御座に着いている主とその[]子羊のものとなるでしょう」(黙示録5:12,13 KJV)

 そこで、贖われた者達は、贖い主を高く掲げるよう指導した人々に挨拶をしています。その人々は、人間が神の命と釣り合った命を持てるように死んだ主を讃えることに団結しています。その闘いは終わりました。苦しい試練と苦労は過ぎ去りました。贖われた者達が玉座の周りに立った時、勝利の歌が天に響き渡りました。全ての者は喜びの歌の一節を演奏しました。「価値ある御方は、再び生き返って勝利者・征服者となった、殺された特別な[]子羊です」(黙示録7:10 KJV)

 「私が見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、人々、言語から、数えられる人がいないほどの大勢の群衆が、玉座の前と白い衣を着たその[]子羊の前に立っていました。そして、玉座に着いている私達の神とその[]子羊に、シュロの葉を手に持って、救いを大声で叫んでいます」(黙示録7:9 KJV)

 「ここにいる人々は、特別な[]子羊の[犠牲の]血で白く/清めて、自分達の衣を洗った人々、ひどく苦しい試練を通ってきた人達です。それゆえ、その人々は、主の宮で夜も昼も、神の玉座の前に仕えています。玉座に着いている主は、その人々の間にとどまっているでしょう。その人々は、飢えることも渇くこともどんなこともないでしょう。玉座の真ん中にいる特別な[]子羊が、生きている水の源に導くので、その人々の上に太陽の光も、どんな暑さもないでしょう。神はその人々の目から涙をすべて拭い去るでしょう」(黙示録7:14-17 KJV)

 「そして、そこには、もはや死もなく、悲しみもなく、叫びもないでしょう。そこには、それらのものはすでに過ぎ去ったので、何かの痛みもないでしょう(黙示録21:4 KJV)

 あなた方はその光景の感動(先見の明の霊感)を捉えることができますか。あなた方は、その絵の描写を知性に宿らせていますか。主の喜びと平安と光によって心を満たして福音を前進させるために、敵が置いていたすべての障害を取り払って、あなたが過去に働きをしていた聖霊/精神からまったく異なった聖霊/精神によって働きをするために出かける時、真の回心をしていないのではありませんか。つぶやいて粗探しをする哀れな精神では、よみがえりの希望もなく、葬り去られるのではありませんか。キリストの臨在によって誉めたたえられ、聖別され、清められた心から昇る感謝と賛美の香りがないのではありませんか。私達は、人々を十字架に連れて行って、罪びと達を勝ち取る信仰を持っていないのではありませんか。

 誰が今、主への奉仕に自分自身を聖別していますか。誰が今、敵の影響下にあるこの教会をそのままにせず、世俗の様式と行動に魂を汚すことを断って、世俗から分かれ出て、それに属さないように請い願っていますか。

 私達は、自己否定の十字架を掲げるために、この世界に存在しています。私達がこの十字架を掲げる時、それは私達自身を掲げているということが分かるでしょう。すべてのクリスチャンは、この世界にいる間に魂達のためにキリストが行なった働きの霊感を捉えて、自分の持ち場に立ちましょう。私達は、見えない主を見る努力のできるクリスチャンヒーロー[ヒロイン]の熱意を必要としています。私達の信仰は一つのよみがえりを信じるために存在しています。十字架の兵卒達は、積極的な善意の感化を及ぼすために存在しています。キリストはこう言っています。「私と一緒にいない人は、私に反対しています。私と一緒に集めない人は、外に散らしています」(マタイ12:30 KJV)。クリスチャン生活に無関心な人は、救い主を否定していることを現しています。

 私達は、今日の世界の中で、彼らが伝えている名に値する働きに特徴のあるクリスチャンを見ることがないのでしょうか。誰が、十字架の勇敢な兵卒として、価値ある行動を行なうことを切望していますか。私達は、多くの魂達が罪の奴隷から救われるために存在している時、大いなる戦いの近くに生きています。私達は、キリストに就く人々が「見なさい。私はいつも、終わりまでもあなた方と一緒にいます」(マタイ28:20 KJV)という言葉の特別な約束に属している時代に生きています。主は、私達を[霊的な]無知の闇から主の素晴らしい光/真理に呼び出して、私達が自分の光/真理を人々の前に輝かすよう命じています。その人々は、私達の良い働きを見て、天にいる私達の父を崇めるでしょう。そのように、光/真理を持った人に対する高い評価は、世界の人々の光となるために存在していた人々に語ったキリストが正しい、と証明している神の人々()に与えられました。

 私達の医者達と牧師達に、私はメッセージを送ります。あなた方がこの時代のための真理を信じたならば、主の働きを担ってください。医事伝道の働き人達と福音伝道の働き人達は、分けられない帯によって、互いに結び合わされようとしています。その人々の働きは力と新鮮さと共に行なわれようとしています。しかしながら、私達の教会は奉仕のための再回心と再聖別が行なわれるためにあります。私達は、私達が捉えている特別な収穫と私達の将来の働きにおいて、一致しているでしょうか。私達は、すべての人の心に訪れるように聖霊を求めず、祈りの中で神と格闘していないのではありませんか。キリストの臨在が、私達の間に現れて、私達の奉仕をとても効果なく弱いものにしていた不信仰という道徳的悪影響leprosyを癒すでしょう。私達は、私達の中に神性の命の息が吹き込まれて呼吸する必要があります。私達は、主がこの世界に恵みと光を送ることができるチャンネルとなるために生きています。信仰が逆戻りした信者達は、呼び戻されるために存在しています。私達は、神の前で私達の思い上がった心を謙虚にして悔い改めと告白によって、罪を捨てるために存在しています。洪水のように押し寄せる霊的な力は、それを受け取る用意のできた人に注がれるために存在しています。

 私達が、福音のタネをこの世界に蒔くために働いたイエスの熱心さに気付いただけでも、[1844年から至聖所での]調査の終わりに近づいている時代に生きている私達は、滅びている魂達に命のパンを与えることに疲れないで労苦することでしょう。なぜ、私達はそんなに冷淡で無関心なのでしょうか。なぜ、私達の心はそんなに感受性に乏しいのでしょうか。なぜ、私達はそんなに、キリストが自分の生涯を聖別したこの働きに自分自身を預けることを進んでしないのでしょうか。何かが、私達の上に定着していたその恐ろしいほどの無関心を癒すために行なわれる必要があります。私達が真理のタネを蒔いた以外のことは、行なったことが少なかったということを知る時、私達は謙虚に頭を垂れましょう。

 親愛なる私の兄弟姉妹のみなさん、私は、あなた方に、愛と優しい言葉を話しましょう。[霊的な]無知の闇の中にいる人々に、この時代のための真理の光を与える働きに無制限に自分自身を聖別して奮起してください。偉大な大教師、偉大な働き人の聖霊/精神を捉えてください。罪の病の魂への奉仕の働きの在り方を、罪びと達の友人[イエス]から学んでください。主に就く者達の生き方の中で、贖い主は、主の生涯の中で見られた、この世の全ての人々の感情、社会的に多くの人々に言われている、神の働きの同じテーマの中、同じような献身の中で見られる必要があります。主が求めているものは、常に、最高のものが生み出される必要があります。キリストの手本は、ほかの人々への善意として続く努力を発揮するよう私達を奮起するために存在しています。

 神は、主の奉仕に加わるようにすべての教会員に呼び掛けています。ほかの人々に分け与えられない真理は生かされておらず、癒しの価値のあるそれ自身の命を与える力は、失われています。すべての人々は、責任を担う者として、自分の持ち場で立って働くために学ぶ必要があります。この教会に加わる全ての人々は、偉大な贖いの計画を遂行するために、一人の良い働き人となる必要があります。この教会全体は、混ざって完全に調和して一つとして活動し、聖霊によって支配され動かされて、活発に伝道する働き人達として、一つの生命体となるために存在しています。

                      

 水が大海を覆っているように、主の知識がこの地を満たすという目的を実現するために存在しているその働きは、私達の出版所やサナトリウムが一人のマネージャーだけでなく、また、委員会や役員会の立場を担っている人々だけでなく、高い責任立場で責任を負う人々だけで行なわれるのではありません。この働きは、キリストの力とガイダンスのもとで、それぞれの部門、全体の人々の活動によってだけ成し遂げられ得るでしょう。


 

2章 しばしば繰り返された勧め

「彼らの先祖達の神、主は、主の住み家と主の民を助けようとの深い思いやりをもっていたので、主のメッセンジャー達を何度も彼らに遣わしました。」(2歴代誌36:15 KJV

 

 

1.バトルクリーク教会に与えられた警告と勧め[1]

1894.7.20.[オーストラリア]...グランヴィルより[67]

[) 真理の旗を掲げるために用いる]

 私は、バトルクリークでもっと便利なものやもっと小さい部屋を作るため、資金の支出の繰り返しが続いていることに関して、私に与えられた注意と警告が私の兄弟達に気付いてほしいと望んでいます。新しい伝道地は、[真理が]入って行くために存在しています。その真理はすべての国の民への証しとして宣布されるために存在しています。その働きは、それらの新しい伝道地の中で、[現在の]真理の旗が掲げられるはずの時に、それができないように妨げられています。アメリカにいる私達の兄弟達は、たとえ良いことがなくても自分達が行なうことが正しいかは時が明らかにするだろうから、建物に資金の支出をすることは自由だと考えています。その一方で、主が「かなたの地域」に利用されるように呼び掛けているのに、数千ドルがこのように使い尽くされています。私は、主の言葉として警告と勧めを提示しました。しかし、私の心は、それを見ることに悲しくなりました。しかしながら、それらの資金はみな、彼らが考えた望みを満足させるために使い尽くされていました。建物が建物に加えられていました。その資金は、真理の旗が建てられる所でもなく、その働きに特徴を与えるためでもなく、神を礼拝する公的な建物でもなく、人々の都合の良くない所に利用さるものではないでしょう。私はあなた方の前に、それらのことを示していました。また、あなた方は、始まりとなるための建物と設備があるはずの場所に、主がほかの教会ですでに支出され過ぎたと言っていた時に、一つの地域で、神の資金、資金を使い果たして、同じことをしていました。

 あなた方が、学校の建物を加えるために数千ドルの支出/投資を呼び掛けた[意味]は何ですか。あなた方は、この支出金が必要だったと思いました。しかし、あなた方に、このような資金の支出はよくないという懇願は来なかったのですか。

 

2)その終わりの時

 私は、私達の世界に存在している者達の恐ろしい状態を示されました。憐れみの天使は出発するための用意をして、彼女の翼を広げています。すでに、主の制止の力は、地上から引き上げられています。そして、サタンは、不従順な子らに不義の騙しを働いて、絶大なだます者の鍛錬の下で彼等の場所に人々を導いて、宗教世界の様々な要素を掻き立てようとしています。すでに、地上の住人達は、闇の王の導きの下に整列しています。そして、これは、単なる終わりの始まりです。

 神の律法は無効にされています。私達は、飢饉と切望、地震と洪水、困惑と混乱について聞いて知っています。動揺が発生して、理性ではなく激情によって、恐ろしい暴力が人々によって実行されるでしょう。神の怒りはこの世界中の人々の上に存在しています。その人々は、ソドムとゴモラの堕落していた住人達と同じになっています。すでに、火事と洪水は、貧困の辛苦によって[搾取し]蓄積していた利己心の財産と何千もの人命を滅ぼしています。主は、近いうちに、罪に終止符を打ち、主の働きを切り上げるでしょう。終末の日々に実行された不法の場面が、神を告白する人々の知性に強い感動を残して私の前にやって来ました。

 それはノアの日にあったように、人の子[キリスト]が現れる時にも、それは多く存在するでしょう。主は、地上から主の制止を取り外しています。やがて、そこでは、死と滅亡、自分達を高めた富裕者に対する悪の働きと、貧者に対する悪の働き、悲惨、叫びが増加するでしょう。神の保護がないそれらの人々は、どのような場所や立場にいても、安全は見つからないでしょう。人間の働き人達は、殺すためと傷つけるため最も強力な機械の操作をして、人間の考案した力を訓練して使っています。

 私達の施設がすでに建設されているほかの場所や、バトルクリークでの私達の建物の林立を加えることと拡大することの代わりに、そこには、切望に一つの限界が存在する必要があります。その資金とその働き人達は、「かなたの地域」というメッセージを与えて、[現在の]真理を提示するために散らされるようにしましょう。

 

3)悩みの時の救済

 イスラエルの子らが荒野を通って旅をしていた時、主は、その子らを様々な毒ヘビから護りました。しかし、その時が来た時、イスラエルが違反の罪を悔い改めず、強情のゆえに、主は、それらの爬虫類の動物を制止する力を引き上げました。そして、多くの人々が噛まれて死にました。その時に、真鍮のヘビが掲げられ、すべての人々は悔い改めて信仰によって生きるためにそれを見たことがありました。

 私達の将来の悩みと混乱の時に、一つの国がかつてあった以来なかったような悩みの時に、掲げられた救い主は、すべての国々の人々に提示されるでしょう。すべての人々は生きるために信仰によって彼を見上げるでしょう。

 

4)神を敬うことへの失敗

 私達の前の恐ろしい危機についての見方について、[現在の]真理を信じると告白している人々は何をしていますか。私は、私のそばのガイドに尋ねました。その人は「私についてきてください」と言いました。そして、私は、自分達の信仰と調和していなかった、私達の人々の間のことを示されました。その人々は自転車に夢中になっているように見えました。資金は、良いことだ、すごく良いことだという指導によって汎神論を満足させるために費やされ、また、非常に必要とされていた場所に礼拝の家を建てるために支出されていました。バトルクリークの中で、非常に奇妙なことが私の前に提示されました。魅惑的な影響力のように見えた魔力の影響が、そこにいた私達の[教会の]人々の上を一つの波のように通り過ぎているようでした。そして、私は、これがほかの誘惑によって生じているように見えました。サタンは、私達の人々に、切望の考えを満足させるために時間と資金を支出させるという過激な目的をもって働いています。これは偶像崇拝の一つの形態です。何百人もの人々がパンに飢えていて、また、飢饉と伝染病が見られ気づかれている一方で、その例は続くでしょう。神は、自分の意思と対照的に働いているこれらの人々を守ることが主自身の名の栄光のためにできないので、ノアの日々に人々が行なったように自分達の心の想像によって行動するのでしょうか。

 あなた方が、責任を持たなければならない資金――神の資金――の支出に自分達の好みを満足させていた一方で、伝道の働きは、警告のメッセージを聞いたことのなかった人々の場所に真理の旗を立てるための働き人と資金の不足に縛られ妨げられていました。神は、自分自身の希望を満足させることと、自分自身の想像を利己的に喜ばせている人々に、「よくやった。良い忠実な仕え人。汝は僅かなものの管理に忠実だったから、私は汝を多くのものの管理者にしましょう。汝は、汝の主の喜びに入ってください」(マタイ25:23 KJV)と言うでしょうか。

 バトルクリークにいる私の兄弟姉妹のみなさん、あなた方は、どんな信仰の証を不信者の世界の人々に伝えていますか。あなた方の行動とあなた方の告白は相反しているので、主はあなた方の気に入りのコースを見ていないということを、私は示されました。あなた方は、キリストの言葉を行なう者ではありません。

 私は、私のガイドによって言われました。「見てください。汝は、私が話していた、私の民の心酔/偶像崇拝の様子を見てください。早く見上げてください。そして、私の民にその危険を提示してください。私は、その成果を生み出す必要のあることを見ました」。そこには、自転車で颯爽と走ってほかの人より秀でていることを互いに試して、優越感のために努力していたある人々がいました。私の民の間には、一番になるとして競争と争いの精神がありました。その精神は、バトルクリークカレッジのグラウンドでの野球の試合で表されていたことと似ていました。私のガイドは言いました。「それらの事柄は、神への違反の罪です。近くの魂達や遠くの魂達は、救いの水と命のパンのために滅びています」。サタンが、一つのラインを打破すると、簡単に自分中心と失敗に陥る人々を確保できるので、私心を刺激して、夢中になるお金と思想、必要なものと魅力的なものを見せて、計画とほかの図式を全て用意するでしょう。

 ある疑問が湧いてきています。神の働きを前進させるために、これらの人々が負う重荷は何でしょうか。どの時点で、この民はこの時代の人々のための働きの重要性に気付くのでしょうか。キリストは弟子達に言いました。「汝らは、世界の人々の光/真理です。……あなたがたの光/真理を人々の前に輝かしましょう。人々はあなた方の良い働きを見るでしょう。そして、天にいますあなた方の父を称賛するでしょう」(マタイ5:14-16 KJV)。永遠の世界の間際に立っている人間に与えられるための最後の厳粛な警告によって、あなた方の初めの信仰の根拠が与えられるバトルクリークの通りで自転車を乗り回すこと、これが資金の投資ですか。

 (訳者加筆。『エレン・G・ホワイト

百科事典』(2013)によると、当時の価

格は150ドルで現代の自動車1台と同

じだそうです。当時の週給は5ドルほ

どでした)

 アメリカにいる私の兄弟姉妹のみなさん、私はあなた方にアピールを書きましょう。「だまされないようにしましょう。神はだまされません。まったく、人は蒔いたものを刈り取るでしょう」(ガラテヤ6:7 KJV)。多くの人々の生活は、とてもデリケート/繊細で優美です。その人々は、キリストの良い兵卒として、苦難を負うことを知りません。その人々は魂を救う働きを妨げています。その人々は多くのものを切望しています。あらゆるものが自分達の好みに合うよう、簡単で便利になって当然です。その人々は自分達では何もしていません。それらの人々は、崇拝する偶像への愛と、自分達の架空の切望によって魂を救う働きを妨げる何かをしています。その人々は自分達がクリスチャンだと考えています。しかし、彼らは、クリスチャン生活のしるしを実践することを知らないでいます。クリスチャンとして存在していることの意味は何ですか。

 主が、自己否定の実践と架空の切望を抑えている主の人々()を見ている時、ソドムに残されたロトの妻のように、嫌々ながらや、不満の精神を持ってではなく、キリストのために喜んで行なうことが正しい事であるゆえに、その働きは力を伴って前進するでしょう。熱心な祈りや神の言葉の研究から自分逸らして、あなたの感情と知性を使わず、敢えて、愛そうとしないでしょう。祈りつつ見張ってください。あなた方自身が願っているように生活してください。主と調和した働きによって神と協力してください。一つの偶像を想定して、あらゆる魂の宮から追い出してください。今は神の時です。主の時はあなた方の時です。不信を語ることや考えることを拒んで、信仰の良い戦いを闘ってください。世界の人々は最後の警告のメッセージを聞くために存在しています。

 

2.この世界の人々への私達の義務

1894.[オーストラリア]...グランヴィルより[67]

[1)神は、バトルクリークから出て行くよう命じている]

 男性達と女性達が増した光を受けた場所では、働きの特徴とその精神に決定的な変化起こるでしょう。主が間もなくやって来るというということを理解していない人々に、その人々は何を警告していますか。「見なさい。主は、地上に住んでいる人々の不義を罰するために、主のいた場所を出てきます。その地は彼女[教会]の血をさらすでしょう。そして、誰も彼女[教会]の死体を被わないでしょう」(イザヤ26:21 KJV)。私はお尋ねします。誰が、キリストを拒んで滅びている魂達のために重荷を負っていますか。誰が、[キリストの]恥を伝えるために、キャンプ/野営地もない所に出かけて行きますか。誰が、はるかかなたの国に貴い真理の光を伝えるために、親しい関係で結ばれている楽しい家族を残して出かけるでしょうか。真理の光を託されていた人々に訪れている毎日、毎秒は、どの国にいる男性達と女性達も、苦悩のためや福祉のために自分で備えをしていることに、永遠のための運命に相応しい畏敬の念を起こさせるという意味の重みがあります。

 神は、人間たちのために驚くほどの様々な犠牲をつくってきました。主は、罪と違反から改心させるために、従順と忠実へと多大なエネルギーを費やしました。しかし、主は人間の働き人達との協力なしには何もしていないということを、私は示されていました。能力と力と恵みによるあらゆる努力は、豊富に供給されてきて、最も強い動機が目覚めて、伝道精神として人間の心に生き続けるために提示されていました。神性の者達と人間の働き人達の努力は結ばれていることでしょう。しかし、真理の旗が立てられていなかった地域に[現在の]真理の光を伝えるために、私達の[教会の]人々はバトルクリークから移転することについて何をしていたのですか。主は、最近の「ある総会」で、あなた方のために、天の窓を開いて祝福を注がなかったのですか。あなたがたは神の賜物を何に利用してきたのですか。主は、あなた方に活動する力の原動力を供給しています。警戒に疲れない希望と忍耐と共に、キリストがやがて偉大な栄光と力を持って来るために存在しているという警告の注意を響かせて、人々に罪の悔い改めを呼び掛けて、あなた方は、十字架につけられた主とキリストを表明できるでしょう。

 バトルクリーク教会のメンバー達が今も、目覚めず、伝道地へ働きに出て行かないならば、その人々は死んだような休眠状態に陥っているでしょう。聖霊はあなた方の心にどのように働いていたのですか。……あなた方は、神があなた方に与えたタレントを実践するための聖霊が与えられていません。すべての男性と女性、若い人々は、真理の旗を掲げて、宣布されていなかったいろいろな都市に行って、個人的な努力をして、この時代のための真理を人々に広めるために働く必要があります。

 神があなた方に授けた祝福によって、あなた方のエネルギーは元気づけられなかったのですか。[現在の]真理は、あなた方の魂に強く感動づけなかったのですか。キリストを受け入れずに滅びている人々に大切な関係をはっきりと見ることができていないのではないですか。神の祝福がはっきりと現れてから、あなた方は、以前よりもはっきりともっと明確にキリストのための信仰の証をしていますか。

 聖霊はあなた方の大切な知性にはっきりと、この時代の人々のための生きた真理をもたらしました。この知識は、ナプキンに包まれて、地上に隠されるために存在しているのですか。いいえ、違います。それは、交換するものと置き換えられるために存在しています。一人の人が、どんなに小さくても、信仰を持って、自分のタレントを用いる時、聖霊は神の事柄を示し、彼らに新たな知性を提示しました。主の聖霊を通して、神は主の言葉を生き生きとした力のあるものにしました。それは、人間の働き人の知識や学習のゆえにではなく、神性の力が人間の力と共に働いているので、素早く力強く、知性に強い感化を及ぼしています。あらゆる賛辞は与えられるためにあるということは、神性の力のために存在しています。

 世俗の楽しみと惹きつける家を持っている人々の安楽と私心は、私達を魅惑していませんか。私達は、魂の救いのために私達が用いている道徳的な手法としてやめてはどうですか。私達の声ははっきりしないのでしょうか。その時、神は、偉大な光を持っていた私達の上に主の呪いを置いて、私達の家の壁に「神を愛する者達よりも、楽しみを愛する者達」(2テモテ3:4 KJV)と記すでしょう。主は、その石に一つの言語を記すでしょう。そして、人々は読むでしょう。神は、バトルクリークにいるあなた方に、出て行くよう命じています。

 

2)成功する方法

 あなた自身の力ではなく、神が与えた恵みと力で、問題を解決しましょう。あなた方は今、ちょうど今のあらゆる力とあらゆる能力で、主に献身しているでしょう。あなた方は、主があなた方に言いつけていて、あなた方がどこへ行くか、報酬が与えられるか知らないので、イエスに就いて行っているでしょう。それは「私についてきてください」という言葉に従順になる時に、あなた方に良い事でしょう。あなた方が果たす役割は、忠実な努力と思慮深さによって、その光/真理にほかの人々を導くために存在しています。神性のリーダー[イエス]の保護の下、一瞬のためらいもなく、問題を解く行動は行なわれるでしょう。

 あなた方が私心に死ぬ時、あなた方が神に明け渡す時、主の働きを行なうために、あなた方は良い働きの中で光を放って、神があなた方に与えたその光を輝かせましょう。あなた方は一人で働きをしているのではないでしょう。神の恵みは、すべての事柄の終わりが手近にあるということを知らない人々と、無関心な人々に啓蒙している全ての人々と協力するために立ち上がっています。しかし、神はあなたの働きを行なわないでしょう。光/真理は、多くの人々の中で輝くでしょう。しかし、与えられた恵みは、あなた方が神性の働き人達と協力することに目覚める時だけ、あなたの魂を改心させるでしょう。あなた方はクリスチャンの軍隊に入るよう、そして、行動的な兵士として主の奉仕に就くよう呼び掛けられています。神性の力は、かの敵が魂達の上に投げかけた世俗の魅惑するもの呪縛を打ち破るために、人間の努力と協力しようとしています。

                           

 再度、私は、何かがこの国で成し遂げられるならば、私達が持っている必要のある資金と、私達が担っていて当然の助けを呼び掛けています。あなた方の心が、滅びている魂のための愛に引き寄せられますように。いと高き天によって、従順の動機が与えられますように。先延ばしによって、聖霊が悲しむことのないように。罪の奴隷から魂達を救助する神の方法に抵抗しないでください。すべての人々は、いくつかの才能によって、主の働きを与えられています。最善を尽くしてください。神はあなた方の努力を受け入れているでしょう。

 

3.母国と外国での伝道の働き

1895.7.24 [オーストラリア]...グランヴィルより[68]

[1)外国に散らされて伝えた]

 この世界は、神の伝道地です。イエスは弟子達に言いました。「汝らは、聖霊があなた方に来た後で力を受けるでしょう。また、汝らは、エルサレムとユダヤの両方と、サマリヤ、そして、地の果てまでも、私の目撃者となるでしょう」「しかし、罪の赦しと悔い改めは、エルサレムから始まって、あらゆる国民の間に主の名によって宣べ伝えられるでしょう。」(使徒言行録1:8、ルカ24:47 KJV)。ペテロは信者達に言いました。「その約束は、あなた方とあなた方の子らと、私達の神、主が呼び出している多くの人々にさえ、遠くにいるみんなの者に存在しています」(使徒言行録2:39 KJV)

 神はこう述べています。「私は、この地に自分のために彼女[イスラエル]のタネを蒔きましょう。私は、恵みを得ていなかった彼女に、恵みを与えるでしょう。私は、私の民ではなかった人々に言いましょう。汝らは私の民です。その人々は言うでしょう。そなたは私達の神です」(ホセア2:23 KJV)。「そして、主は言いました。イスラエルを失わずに回復し、ヤコブの部族たちを興して、汝らを私に仕える者とすることは軽いことでしょう」(イザヤ49:6 KJV)

 神は、バトルクリークの信徒達に主の聖霊を豊かに注ぎました。あなた方は、それらの祝福を何に使いましたか。ペンテコステの日にやって来た聖霊に、その当時の人々が行なったように、あなた方も行ないましたか。その時「外国に散らされた彼らは、御言葉を伝えてあらゆる所に行きました」(使徒言行録8:4 KJV)。この成果はバトルクリークで見られましたか。この教会の人々は、彼らが受けた[現在の]真理の光を反映するために、自分達の義務を知るために神に教えられましたか。

 

2)私達が行なうための働きの全体像

 エルサレムにいた使徒達は、サマリヤの人達が神の言葉を受け入れたことを聞いたので、その人々にペテロとヨハネを遣わしました(使徒言行録8:14 KJV)。神の聖霊は、その人々にその真理に回心させることと、魂に光を与えて啓蒙することを待っていました。

 多くの努力が、一人のエチオピア人のために傾けられました。主の使いがフィリピに言いました。立ち上がって、エルサレムからガザに下って行く道に出て、荒れ野のある南の方に行きなさい。彼は立って出かけました。見よ、一人のエチオピア人、女王カンダケの財産全部を管理していていた、エチオピア人の彼女の部下の去勢された高官は、礼拝のためにエルサレムに来て、帰る途中、二輪戦車に乗っていて、預言者エリヤの書を読んでいました。

 その時、聖霊がフィリピに言いました。近くに行きなさい。そして、汝自身その馬車に追いつきなさい。フィリピが彼の方に走り寄ると、預言者エリヤの書を読んでいるのが聞こえたので、そなたは読んでいることが分かりますかと言いました。すると彼は言いました。誰かがガイドしてくれなければ、私はどうしてできるでしょうか。彼はフィリピに馬車に乗って自分の横に座るように頼みました。……

 その時、フィリピは、……その聖句から始めて、イエスのことを説明しました。彼らが道を行くと水のある所に来たので、その宦官が言いました。見てください。ここに水があります。バプテスマを受けるために私を妨げるものがありますか。フィリピが言いました。そなたが心から信じているならば良いでしょう。彼は答えて言いました。私は、イエスキリストは神の息子だと信じています。

 そして、彼は馬車を止めるように言いました。フィリピと宦官は水の中に入って行って、彼はバプテスマを受けました。二人が水から出た時、主の聖霊がフィリピを取り去ったので、その宦官はもはや彼を見ませんでした。彼は喜びの内に帰路につきました。また、フィリピはアゾトに見つけられました。彼は通り過ぎた全ての都市で述べ伝えて、カイザリヤまで行きました(使徒言行録8:26-40 KJV)

 フィリピとエチオピア人の体験の中に、主が主の人々()を呼び出している働きが表されています。そのエチオピア人は、主が遣わす所に行くようにとの神の声を聞く伝道者、フィリピのような伝道者達を必要としている多くの層の人々を代表しています。世界中に、御言葉を読んでいる人々がいます。しかし、その人々は、それらの意味を理解することができません。神の知識を持っている男性達と女性達は、それらの魂達にその言葉を説明することを必要とされています。

 

3)顧みられない働き

 良いサマリヤ人のたとえ話の中では、祭司とレビ人が金品を奪われてケガをさせられた気の毒な人を傍観していました。しかし、その人は、最も助けを必要としていて、無力で見捨てられていたので、その人を助けることは、二人にとって望ましいものには見えませんでした。その祭司とレビ人は、バトルクリークにいる多くの、実に多くの人々を代表していました。

 南部の伝道地が、バトルクリークで都合の良いものを作るために浪費的な出費された資金の僅かな一部だけでも持つことができるならば、多くの魂達は救われることが可能です。

 主の信仰遺産は酷く疎かにされていました。そして、神はこの事のために主の人々()を裁くでしょう。プライド(自慢の混じった自尊心)と外見への強い思い入れは、蓄積されていた優位さによって喜ばれていました。一方、新しい伝道地は着手されずに残されています。神の譴責は、神の善意について利己的な使用と充当と好みのために管理者達の上にありました。

 何かが、外国の伝道地と本国の伝道地で行なわれました。しかし、どちらの地域も、多くの働きがなされずに残されていました。その働きはあまりに中心地に偏っていました。バトルクリークでの関心が強くなっていました。ほかの伝道地に注がれる資金は、彼らが建てた施設のために奪われました。バトルクリークの大多数の人々が抱えていて共に求めていた、建物を大きくすることと林立させる準備の進行は、神の計画と調和しておらず、神の計画にひどく反対しています。

 人々は、「雇用と教育を求める人々のために助けを与えることができて、互いに力を持てるだろう。また、密接につながっている施設を多く持っていることは強みがある」と主張していました。ここに、人間の理性との調和があり、それは、人間の視点から許されるでしょう。人間の視点から、多くの有位さは、バトルクリークの大勢の責任者が集まることによって得られています。しかし、その先見の明は広げられる必要があります。

 これらの関心は、重要なセンターを作るために必要な、諸都市に始めるという働きへの指示によって、多くの部分に分けられる必要があるでしょう。建物は建てられる必要があり、多くの地域のセンターとしての責任は、バトルクリークですでに進む増大のための精神的な関心のために、現在、生命を奪われています。主は、責任ある立場にいて、それらの部門を管理する人々によって、ほめたたえられていないでしょう。「地上の人々は、水が海を覆っているように、主の栄光の知識によって満たされるでしょう」(ハバクク2:14 KJV)。「そして、これは永遠の命です。人々は、そなたが遣わしたイエスキリスト、唯一、真の神であることを知るでしょう」(ヨハネ17:3 KJV)

 異邦人の救いは、長い間、クリスチャン達の関心に繫がるはずの一つのテーマとして考えられてきました。そして、人々の[霊的な]無知の闇の境界線に光/真理をもたらすことは、これ以上に神との正しい関係はありません。家庭伝道の働きは、今まさに多く必要とされています。異邦人は私達のドアの近くに連れてこられています。怠慢にひたることは私達の家の陰の中にあります。何かが、有色人に行なわれるために存在していますが、その人の優位性を半分しか理解していなかったけれど、数えられないほどたくさんの機会を持っていた人、真理の知識をすでに持っている人と、ほかの人から受けるものと比べるとそれ以上のものはありません。[現在の]真理を知らない人々に、イエスの愛が表されるようにしましょう。そして、それは品性を形成するイースト菌のように働いているでしょう。

 私達は、[アメリカの]南部の伝道地のために何をしていますか。その伝道地で恥ずべき怠慢を償うために、何かの計画が立てられないならば、私は考えることにすごく恐れを持っていました。しかし、私は、何かをするという決心や計画を考えていません。たぶん、私が見たことのなかった、何かの計画が立てられていました。私はそう望んでいます。そして、そうであるならば、主を賛美しています。しかしながら、何年も私達の義務は、もっとも決定的な方法によって、広げられていました。また、その南部の伝道地は、私達の指先ほどの広さだけしか触れられていませんでした。私は今、あなた方の前に、主のブドウ園の割り当て分を怠っていたことを再度示して、熱心に深く考えています。この方法は、何度もなんども私の前にもたらされました。私は夜の間に目覚めさせられました。そして、その指示がやって来ました。「人々が聞いても、聞かないで済ましても、私があなたの前に開示したことを書いてください」。

 

4.私達の学校での聖霊

1896.5.10 [オーストラリア]...コーランボンより[69]

[1.「天の教育」] (higher education)

 「良い行ない」があなた方のものとして忠実に語られているならば、見てください。私は、あなた方に、数年の経験を顧みる作業に心を傾けて生きているか、お尋ねします。私は、私達の学校の教師達に、祈りを持って注意深く配慮しているかをお尋ねします。個人的に、それ自身の全体の清めとそれ自身の罪からの清めのために、神と協力している一人として、自分自身の魂を見張っていましたか。あなた方は、指針と模範によって、若い人達に、真理を通した聖化や清めを教えることができていますか。

 あなた方は、聖霊を恐れていなかったのではありませんか。その時にこの聖霊は、ほかの所の学校とバトルクリークの学校全体に影響を広げてきました。あなた方は、神の臨在を認めましたか。あなた方は、天の一人のメッセンジャーに与えて当然の栄誉を、主に与える栄誉と調和させましたか。聖霊が若い人と争っているように見えた時、「私達のすべての授業/研究を脇においてください。私達は、私達の間に一人の天のゲストを招いていることがその理由です。私達は、神に栄誉を帰して、神を賛美しましょう」と言いましたか。あなた方は、自分達に現されていた主の祝福を受けることができるように請い願って、あなた方の学生達と、祈りの中で膝をついて悔恨の心を持ちましたか。

 偉大な教師は、主自身、あなた方の間にいました。あなた方は主の栄誉をたたえましたか。主は、何かを教える新しい人でしたか。天からのこのメッセンジャーを排斥することや歓迎するために、誰かが考えた権威として遣わされる必要があったのですか。見られないけれど、主の臨在はあなた方の間に存在していました。しかし、その考えは、学校の授業時間に表明されなかったのですか。しかも、普通の授業に充てられていた時間が、天のメッセンジャーの働きのために充てられるたいそう貴重なものとして、全ての者達のための時間がありました。

 あなた方が聖霊を拒んだり抑制したりする方法を取るのであるならば、私は、あなた方にできるだけ速やかに悔い改めるよう請い願っています。私達の教師達のある人が、神の聖霊に心を開かず、南京錠を掛けて閉じました。私は、その人々にそのドアのカギを開けて熱心に祈ることを強く勧めます。「私[キリスト]にとどまってください」。聖霊があなた方の学校の教室で主の臨在を現している時、あなた方の学生に「主は、今日、私達のために、私達の学校の授業科目以上に価値ある、天の趣旨の学習を教えているということを示しています。私達は耳を傾けましょう。神の前に膝をついて、そして、心の全てで主を求めましょう」と言っています。

 私は、この天のゲストについて知っていることをあなた方に話しましょう。その聖霊は、その学校の時間の間、若者達を被っていました。しかし、数人の心がとても冷えて暗くなりました。その人々は聖霊の臨在の希望が無くなりました。そして、神の光/真理は取り去られました。すべての理解を開示していたその天の訪問者は、神の栄光を現して働くために学んでいる全ての学生達に知識と知恵を与えたことでしょう。主のメッセンジャーは、神から長い間離れていたことによって堅くなった心を柔らかくするため、また、罪を納得させるためにやって来ました。その使者は、神がその若い学生達を愛していたゆえに大いなる愛を現すためにやって来ました。その若い学生達は、神の信仰遺産です。そして、教師達は、若い学生達をガイドする教師になるための資格を得る前に、「天の教育」(higher education)を受ける必要があります。

 その教師は、身体的な全体について多くの事柄を理解しているでしょう。その人は、機械技術の考案と、自然科学の発見、生きている人の構造について知っているでしょう。しかし、その教師は、主が遣わしたイエスキリストと唯一の真の神の知識を持ってないならば、教育を受けた人と言われることができません。神性の源の原則は、私達が神に結ばれて、私達の指導に浸透する必要があります。これは、真の科学の研究に対する妨害の手段とはならないでしょう。主を畏れることは知恵の始まりです。神性の似姿に倣って形作られ、形成されることに同意している人々は、神の働きの貴い手本です。私達の造物主と繫がって生きている全ての人々は、自分達の創造の中の神のデザインに理解を持っているでしょう。そして、その人々は、神が最高の目的に向かって自分達の才能を働かせる責任を委ねているということに気づくでしょう。その人々は、自分達の価値を下げないし、自分達の栄誉を求めないでしょう。

 

2)私達に関わる神の意思

 神の知識は主の言葉から得られています。真の神についての体験的な知識は、魂と知性と身体の高度な成熟を保つ日々の聖別と奉仕の中に根拠づけられています。私達の力の全てを神に聖別することは、自己賞賛を防いでいます。神性の力を伝えることは、私達に就く人々を祝福して神を誉めたたえる方法として、私達の高度な才能を用いて、私達に可能な知恵に倣うように、私達の真剣な努力を誉めたたえています。これらの人々の才能は、神を起源として受け継がれています。その人々は、私心がつくられず、主の奉仕者として働くため、神からの才能として理解される必要があります。

 知性として、天から託された才能は、体[キリスト]の王国のルールのための天の力として扱われるために存在しています。自然な生来の食欲と激しい感情は、霊的な力と良心の支配下に置かれるために存在しています。

 キリストの宗教は決してそれを受ける者の品位を下げません。それは決して、人を、頑な心や激しい感情、うぬぼれや無作法、粗雑や粗暴にしません。反対に、それは、キリストの囚われの身として彼らを連れて行く、聖化と高貴な思想、判断の清さ、好みを明らかにしています。主の子らのための神の考え方は、到達可能な人間の高尚な考え方以上に、高度なものです。主は、主の品性の一つの写しとして、主の神聖な律法を与えました。キリストは、世界の人々がかつて知られていた中で、最も偉大な教師です。彼を信じている全ての人々の前に彼が示している旗/標準はどのようなものですか。「それゆえ、汝らは、天にいるあなた方の父が完全/成熟しているように完全/成熟になってください」(マタイ5:48 KJV)神が神の領域sphereにおいて完全になることが可能なように、人間は人間の領域sphereにおいて完全/成熟になることができるでしょう。

 クリスチャン品性についての考え方は、キリストの似姿です。私達の前には常に前進する小さい道が開かれています。私達は得るための一つの目標を持っています。到達するための目標は、すべての善と聖、高貴と高尚です。そこでは、品性の完成に向かって上へ、前へと成長発達する努力が続けられるでしょう。

 パウロは言っています。「私は理解したことを自分で考えて数えることができません。しかし、この一つのことを私は行なっています。後ろにある事柄を忘れて、前にある事柄に到達するために、私はキリストイエスによって神が求めている高い報酬のしるしを目指して向かって励んでいます」(フィリピ3:13,14 KJV)。

 これは、まさに、人間の聖化、人間達に関わる神の意思です。あらゆる才能は、天の方へ、上の方へ、私達の道を強く勧めることによって、忠実な奉仕を行なうように用意されて、最も健全な状態で保たれている必要があります。神が人間に授けた力は伸ばされるために存在しています。「汝らは、汝らの心の全部で、汝らの魂の全部で、汝らの力の全部で、汝らの知性の全部で、汝らの隣人を汝ら自身のように、汝らの神、主を愛するでしょう」(ルカ10:27 KJV)。人間はこれを自分自身で行なうことができません。その人は、神性の援助を持つ必要があります。それを行なうための人間の働き人の役割は何ですか。「恐れおののきを持って、あなた方自身の救いを達成してください。主の最上の喜びを行なうことと意思を行なうことの両方をあなた方の内で働いているのは神だからです」(フィリピ2:12,13 KJV[p.313A.R.V.の引用]

 神性の働きかけがなければ、人は良い事を行なわないでしょう。神はすべての人々に悔い改めを呼び掛けています。また、人間は、その心に聖霊の働きかけがない限り、悔い改めでさえもできません。しかし、主は、イエスに向かって歩み出す前に、その人が悔い改めたことを考えている限り、待つ人がいないようにと切望しています。救い主は、人々を悔い改めに引き寄せ続けています。人々は引き寄せられることに応じる必要があります。人々の心は悔い改めへと和らげられるでしょう。

 人間は永遠の命のために、大いなる奮闘の役割を分け与えられています。人は聖霊の働きに応答する必要があります。それは、闇の働きを打ち破る闘いを求めているでしょう。そして、聖霊はそれを成し遂げるためにその人の心の中で働いています。

 しかし人は、怠惰から救われることに、受け身の存在ではありません。人は、不滅の闘いにすべての才能を働かせて、すべての筋肉が緊張するように呼び掛けています。また、その効力を与えているのは神です。怠慢から救われることができる人間はいません。主は、私達にこう指示しています。「門限の厳しい門から入るように努めてください。私はあなた方に言います。多くの人々は、中に入ろうしますが、入ることができないでしょう」(ルカ13:24 KJV)。「滅びに導く道は広く、その門は広いです。多くの人々は、その中に入って行っています。なぜなら、命に導く道は狭く、門限は厳しいからです。僅かな者だけがそれを見つけ出しています」(ルカ13:24 KJV)。

3)聖霊に反対する働き

 私は、私達の学校の学生達に節度のある知性になるようにと請い願っています。浅薄な若者は、神を喜ばしていません。彼らのスポーツとゲームは、誘惑の洪水にドアを開いています。あなた方は、知的な才能によって、神が天から授けた宝の中にいます。そして、あなた方は、自分達の考え方が安っぽく低いものになることを許さないでしょう。神の言葉の指針と調和して形成された品性は、高貴な向上心と清らかな不変の原則を表すでしょう。聖霊が人間の知性の力と協力している時の確実な成果は清らかな動機です。

 神は、「目の塞がった教育者達は、すべての不道徳な人kindと階級人degreeが聖霊の力の現れに反対する働きをして支配力と争っているということを、識別できていない」と見ています。普通の会話とお粗末な会話、品位を落とした考えなどが、品性という生地に織り込まれています。

 飲んだり食べたりする食べ物を集めた世俗的な楽しみや不真面目なパーティは、下からの注目に値しないものだと、[私は]一つの聖霊によって霊感を受けました。それらは、サタンへの供え物です。熱狂した自転車による技能を披露する競技会は神への違反の罪の一つです。主の怒りは、そのような事柄を行なう人々に火をつけるでしょう。それらの知性の楽しみは、アルコールを飲むのと同じように陶酔するようになります。そのドアは見栄を張る集まりに開かれています。その思想は、やがて、低いチャンネルに走ることを許されて、すべての人々に存在している力を落とすでしょう。古代のイスラエル人のように、情夫達が食べたり飲んだりして、戯れが湧き上がります。そこには、浮かれ騒ぎと大酒盛りと陽気さ、歓喜と歓楽があるでしょう。これら全てによって、若者達は、手にしている教科書の著者の模範について行っています。その全ての大きな悪は、それらの事柄が持っている品性の効果の永続性です。

 それらの事柄の導きを担っている人々は、簡単に消し去れない汚点の原因をもたらしています。その人々は自分自身の魂を傷つけ、生涯を通して恐怖をもたらすでしょう。悪を行なう者は自分の罪を見て悔い改めるかもしれません。神はその罪を赦免するかもしれません。しかし、いつまでも、神聖と普通の間を敏感に鋭く保たれるべく、識別する力は、大きなサイズで破壊されています。しばしば、人間の考案と想像力は、神性として受けられています。ある魂達は、聖霊の働きに反対して、不信人者の感情の混じった意見と同様に、普通の価値のないものをつかむ用意をして、無感覚と盲目の中で活動しているでしょう。

 

5.光/真理からの逸脱

1898.1.12 [オーストラリア]...コーランボンより[71]

[1.主が神であるならば、主についてください]

 私は、主が恵みの内に再びこの教会を訪問していることに喜んでいます。私の心は、主が何回も入って来たことを考える時に震えています。主の聖霊はこの教会の中で働きました。しかし、その成果が過ぎた後で、神の恵みのもてなしは忘れ去られました。自負心や霊的な無関心が、天において記録されました。神の豊かな恵みと憐れみが訪れた人々は、自分達の不信仰によって自分達の贖い主の不名誉となりました。……

 救い主は、しばしば、あなた方のバトルクリークを訪れました。主は、本当に、落胆して死ぬ用意をした人々が心に霊的な命の息を呼吸することを願って、エルサレムの通りを歩いた時のように、あなた方のためにやって来ました。主の臨在、主の赦し、主の癒しの贈り物によってたいそう祝福された諸都市は、主を拒みました。そして、本当に、大いなる、ええ、大いなる、一方的に愛の証がバトルクリークに与えられていました。キリストは、祝福と益を主の教会に下さなかったのですか。主は、受け取る全ての人々がたくさん与えられるように、義と赦しのメッセージを持った主の奉仕者達を遣わさなかったのですか。

 エルサレムは、神が与えた光に歩むことを拒むならば、この教会がそのようになるような一つの手本でした。エルサレムは、神聖な委託を保持していたので、神に好意を持たれていました。しかし、エルサレムの人々は、その真理から逸れてしまって、あらゆる警告と懇願を嫌いました。その人々は主の勧めを尊重しませんでした。その宮の庭は、盗人と商売人によって汚されていました。富の神マモンへの愛と私心、嫉みと口論が好まれました。すべての人々が、自分の4分の1quarter)を得ようと求めました。キリストは、彼らに振り返って言っています。「ああ、エルサレム、エルサレム」、私はどうして汝を捨てることができるでしょうか。「雌鶏がヒナたちを翼の下に集めたように、私は汝の子らを一緒にして集めようとしたことでしょうか。しかし、汝らはそうしませんでした」(マタイ23:37 KJV)。

 キリストは、神の求めに向き合うことにしくじった、私達の教育施設と私達の教会を見回して、とても悲しんで涙を流しています。主が、エルサレムと同じ経路をたどっていたバトルクリークに調査のためにやって来ています。出版所は、清くない商業主義と取引の場所となって、神聖を汚した聖堂に変わっていました。

 そこは不正行為と詐欺行為が展開された場所となりました。また、利己主義、強い悪意、羨望、激情などが生じて支配していました。間違った原則の働きに導かれた人々は、活動の間違ったコースにいることに意識していないように思われました。警告と懇願が彼らにやって来た時、彼らは「彼女は譬えを話しただけでないですか」と言っています。警告と譴責の言葉は、役に立たないブラブラしたしっぽのように扱われました。

 キリストがオリーブ山の頂上から見降ろした時、すべての教会の中に存在しているこのような事柄の状態を見ました。警告は、エルサレムの人々、そのような大きい光を持って[キリストに]就いて歩んでいる全部の人々に降って来ました。その人々は、一つの警告として私達の前に存在しています。私達のこの時代に、神の警告を拒否することによって、人々はエルサレムの罪を繰り返しています。主は、人間の働き人達がバトルクリークでの人間の考案品の全ての成果を見ておらず見ようとしていない、ということを見ています。主はなすことができる全ての事を行いました。主は、人々の目の前で、光/真理をフラッシュさせたのですが、その人々は罪を感じることができず、悔い改めの境界線にも届かないでしょう。さらに、正義と義認の原則から逸れた長い過程によって、人々はかつて憐れみと正義、真理と光という所にいた自分達を見分けることがません。このコースは、彼らにとって非常に自然な一部になりました。

 私は、いつまでも、神の後ろを謙虚に歩み、改革/改善の決意をしていながら、原則に対して、間違った行動のコースの繫がっていた全ての人々に呼びかけます。……

 役に立たないしっぽはありません。あるのは真実です。もう一度私はお尋ねします。あなた方は、どちらの側に立っていますか。「主が神であるならば、主に就いてください。しかし、バアルが神ならば、その時は彼に就いてください」(1列王記18:21 KJV)

 

6.助けを求めて神を見る

1898.6.8 [オーストラリア]...コーランボンより[71]

[1)伝道センターが多くの都市で設立される必要がある]

 人々が聞いていても聞いていなくても、[現在の]真理が語られる必要のある時があります。人々がその真理を信じると告白していながら、弁護士達に訴え出て、自分達の間で調停に失敗している時に、主はひどく名誉が汚されました。この点において、与えられた指導に注意を払って、神の言葉を研究していただけませんか。神の目的に関する興味は、天と繫がっていない人々に託されるために存在していません。

 様々な問題が、激しい苦悩と共に私の魂を満たして、私の前に提示されました。弁護士達と腕を組んで鎖のように繫がった人々を、私は見ました。しかし、神はその仲間の人々の中にはいませんでした。その働きに関する多くの考えを持って、彼らは自分達の計画を実行するための助けを求めて弁護士の所に行っています。私は、彼らが神の霊の霊感のもとで動いていないと言うように命じられました。

 「それは、イスラエルに一人の神がいないゆえではありませんか。それゆえ、汝らはエクロンの神、バアルゼベブを尋ねて行きなさい」(2列王記1:3 KJV)。責任ある人々は、この教会の中の人々と、この教会の外の人々と団結しています。それらの人々の勧めは誤った方向に導いています。あなた方が天の家族と繫がるために相応しくされうる前に高尚な体験を必要としているということは、あなた方に見せる鞭を持って来る主を必要としているということではありませんか。あなた方は、神が認めていることを悪く考え悪く言って、訴えるための才能を持った人々と腕を組んでいるのではありませんか。主の名によって、あなた方は識別力を明晰にして、霊的な視力を良くする必要があると、私はあなた方に言いましょう。

 神があなた方に何度も繰り返して与えた光、すなわち、伝道センターが多くの都市で設立される必要があること、バトルクリークに集中した働き人と資金は多くの場所に分けられて設立される必要があることを、結果として行なわれたならば、混乱した現在の状態と資金の欠乏は決して生じなかったことでしょう。

 バトルクリークに住みついていた人々は、彼らにとってそこを中心にして働くことが便利だったので主の勧めを熟慮しませんでした。神は、彼らの人間的な知恵の結果としてそれらを取り去りました。そして、それらの結果は現在の混乱の中に見られています。

 「あなた方のうちの誰が、光を持たずに[霊的な]無知の闇の中を歩みつつ、主に仕える者の声に従って、主を恐れていますか。主の名によって、主に仕える者を信頼して、主に仕える者の神にとどまりましょう。見よ、汝らみな火を灯し、燃え差しで自分の周りの進路を示して、汝らが灯していた燃え差しの光によって、あなたの火の明かりによって歩んでいます。こうして、汝らは私の持っている物を手にするでしょう。[しかし、]汝らは悲嘆のうちに倒れるでしょう」(イザヤ50:10,11 KJV)

 「さて、それゆえ、行って、ユダとイスラエルの人々に話しなさい。主はこのように言っています。‟見よ、私はあなた方にだましを考案して、悪いことを仕組んでいます。今、汝らはみな、自分の悪い道から離れなさい。そして、あなたがたの行く手と行ないを良いものにしなさい。彼らは言いました。そこには希望がありません。しかし、私達は自身の考案に従って歩むつもりです。そして、私達はみな、自分達の悪い心の気まぐれな想像で行なうでしょう。それゆえ、主はこのように言っています。汝らは今、異邦人の間で尋ねてみなさい。誰が、そのようなことを聞いたことがあるでしょうか。イスラエルの乙女は恐ろしいことを行ないました。一人の男が、雪の岩に由来するレバノンの雪を依然として、そのままにしておくでしょうか。あるいは、冷たい水はほかの場所に由来して流れるでしょうか。私の人々()は、主である私を忘れたので、虚栄心に火をつけて燃やしました。そして、その民は古代イスラエルの道から自分達の道に入って、一つの道を外れないで道を歩むために、つまずくような彼らの原因をつくりました」(エレミヤ18:11-15 KJV)

 

2)医事伝道の働き

 何度も繰り返して、主は、アメリカ合衆国全体を通して行なわれるために存在している人々と、バトルクリークでの教会の働きに指摘しました。その人々は、自分達が到達した霊的な優位性によってより高い標準を伝えるために存在しています。その人々は、眠りから目覚めて、キャンプ(宿泊所)もない所に行って、滅びに備えられている魂のために働くために存在しています。

 医事伝道の働き人達は、主が用意した宴会への最後の招きを招待している――バトルクリークにあるこの教会に、神が与えた働きに長い間、無関心になっていました。

 私の兄弟[姉妹]のみなさん、なぜ、あなた方は、そんなに多く、バトルクリークの中に閉じ込み続けているのですか。なぜ、あなた方は、ほかの都市に入って行ってトラクト配布と伝道の働きをしないのですか。そこには、行なわれるための多くの伝道の働きがあります。

 バトルクリークに集中している多くの主要な施設は、分割され、再分割されて、ほかの都市に移される必要があります。考えるあなた方、賢明なあなた方は、「それはとてもコストがかかるでしょう。私達は、少ない費用で、バトルクリークのここでその働きをすることができます」と言うでしょう。さて、主は、この事を全て知らないのでしょうか。バトルクリークで多くの主要な施設をもっているという信じられない理由を全て知っている主は、神ではないのですか。主は、あなた方に、様々なセンターがあらゆる都市につくられる必要があるということを現しました。これは、多くの人々にバトルクリークの外の都市で働きをすることを呼び掛けているでしょう。

 正しく広く伝えられるために、医事伝道の働きは才能を必要としています。それは、分析的な管理、知恵や快く伸べる手を強く求めています。しかし、――各地のカンファレンスの代表達と牧師達――これらの責任ある立場にいる人々の間で、これ道が妨げられることがあり得ますか。

 主は、カンファレンスの代表達とほかの人々に影響力を持つ兄弟達に、「この人々()の前に置いてあったつまずきの石を取り除いてください」と言っています。

 バトルクリークにいる私達の[教会の]人々()は、努力がなされるように決意された場所と、メッセージが宣布されていない地域で真理の旗(標準)の立て方を考案して計画する才能を働かせませんでした。そして、主は、彼らに提供していたこの教会の働きを行なうためのケロッグ医師の協力と、ケロッグ医師の地位を譲るようにしました。しかし、この教会の人々は、それを受け入れることを選びませんでした。バトルクリークのある人々は、神が彼らに与えた働きを引き継ぐ代わりに自己中心的な方法によって、神が前方に伝える働きを引き継ぐように人々の手に置いた貴い働きと、ほかの人々の霊的な視点と自分達の霊的な視点を塞いでしまいました。

 神は、主の聖なる処に存在しています。また、主は、謙虚な悔恨の聖霊/精神の存在している人に宿っています。医事伝道の働きを行なっている人々は、この教会と協力して、神聖なものに満たされている必要があります。その人々がそれらを持っていないならば、その働きを妨げられるでしょう。しかしながら、その人々は前進するでしょう。協働についての切望ゆえに、バトルクリークに二つの教会が存在することは、神の計画ではありません。行動の団結を求めることはなんと良い事でしょう。その医事伝道の働き人達が、どこでも、この教会の中で努力の任務を担うならば、また、その人々が神を畏れて働きをするならば、その前には多くのドアが開かれているのを見ることでしょう。そして、天使達がその人々共に働くでしょう。

 どうぞ、行なわれるためのキリストの宴会の最後の招きを読んでください。イエスの指示に向き合うために存在していることを研究してください。なぜそのような無関心が現れたのか、なぜあなた方が後ずさりし粗探しをして遠くに立つ必要があるのか、私は理解できません。福音の網は、海の中に投げ込まれるために存在していて、それは、良い物と悪い物の両方を引き寄せます。それがその通りなので、男性と女性達は、キリストが譴責して伝えたパリサイ派の層の人々と、団結する人々や信じる人々を救うためになした努力を怠っているのではありませんか。罪びと達とみだらな女性に、主は「あなた方の前にある神の国に入って行ってください」と言いました。あなた方は、神との交流関係を持っていない人々がいるということでさえ知らないのですか。しかし、キリストは言っています。毒麦と麦は「収穫まで一緒に生育します。そして、収穫の時に、私は刈り取る人に言うつもりです。汝らはまず、毒麦を刈り取とって集めて、火の中に入れるために全部それらを縛りなさい。しかし、麦は集めて、私の納屋に納めてください」(マタイ1330 KJV)

 主がこの教会の人々を感動させている時、一つの働きを行なうようにと命じています。そして、その人々はその働きを行なうことを拒んでいます。同じような時に、その人々の人間的な努力は人間の苦悩と悲惨さのとても深いことに触れる努力をして神性と結びついていています。神の祝福がその人々の上に豊かに宿るでしょう。しかし、私達の主イエスキリストの恵みを受け入れる僅かな人でさえ、一人の魂は、神の目には貴重で、とても貴重なので、その人々の働きは無駄ではないでしょう。キリストは、人が永遠の時代を通して生きることができるように、一人の魂のために死んだことでしょう。

 私達はマタイの18章を読みましょう。キリストはこう言っています。「これらの小さき人々のひとりをも軽んじないように気を付けてください。私はあなた方に言います。天にいるその人々の御使い達は、天にいる私達の父の顔をいつも見上げています。人間の息子[イエス]は、失われた者達を救うために来ています。汝らはどのように考えますか。ある人が百頭の羊を飼っていて、そのうちの1頭が迷子になっているならば、99匹を残して置いてでも、迷子の羊を捜すために山々に行かないでしょうか [2]。そして、その羊を見つけたならば、私は確かにあなた方に言います。その人は、迷子にならなかった99匹以上に、その羊がみつかったこと喜んでいます。そのように、これらの小さき者達が滅びることは、天にいるあなた方の父の意思ではありません」(マタイ18:10-14 KJV)

 多くの魂達は、信仰深い人々によって、サタンの手からもぎ取られて救われるために存在しています。誰かが、失われていた人々をキリストのために見つける魂の重荷を持っていて当然です。サタンが勝ち取っていて支配されている一人の魂の救出は、天の御使いの間での喜びの理由となっています。神の道徳的なイメージ/かたちを自分自身で滅ぼした人々がいます。福音の網はこれらの見捨てられたかわいそうな人々を集める必要があります。神の御使い達はこの働きと繫がった人々と協力することでしょう。その人々は、多くの人々が持ったことがなかった機会を与えるために、また、滅びている魂達を救うためにあらゆる努力を傾けるでしょう。人々に届ける方法は、唯一、キリストの方法のほかにありません。主は義を教えて、苦しみを癒す働きを続けました。このようなことは、罪びと達を退廃の深みから目覚めさせることができるだけです。

 働き人達は、彼らの助けを必要としている人々に食物を与えて、洗った服を着せて愛によって働く必要があります。このようにして、これらの見捨てられた人々は、自分達の魂を誰かが世話することを知るように備えられています。主は、私に示しました。社会から見捨てられた貧しい多くの人々は、人間の働き人達の奉仕の働きを通して、神性の力と協力し、主自身の血によって代価を払ったキリストのために、ほかの人々の中に神の道徳的イメージ/かたちを回復するように求めるでしょう。その人々は、神の玉座の隣に立つよう、貴い、神の前に立つことを呼び掛けられているでしょう。

 

3)注意の言葉

 その時に、天において人の子[キリスト]のしるしが現れて、またその時に、地上の全ての民族が嘆いて、人々は大いなる栄光と力を持って天の群衆と共に来る人の子[キリスト]を見るでしょう。そして、主はトランペットの大きな音と共に主の使い達を送るでしょう。そして、御使い達は、四方から、天の果てから果てまで、主の選んだ者達を集めるでしょう」(マタイ24:30,31 KJV)

 「それゆえ、汝らの主が来る時刻を知らないのだから、汝らは、見張っていなさい。しかし、このことを知っていてください。その家の主人は盗人が来ることを知っていたならば、自分の家が壊されて損害を受けないように、見張りをしていたことでしょう。その場合、忠実で賢明な奉仕者は誰ですか。時に応じて食物を与えるために、その主人は、自分の家の者達を誰に管理させますか。その主人が帰って来てそのように行なわれていたのを見た時、そのような奉仕者は祝福されています。本当に、私はあなた方に言います。その主人は、彼を自分の全財産の管理者にするでしょう。しかし、悪い奉仕者は心の中で私の主人の帰りは先延ばしになると言って、仲間の奉仕者達を殴り始めるでしょう。そして、酒飲み仲間と飲んだり食べたりして、その奉仕者の主人は、奉仕者が自分を見張っていない日に、その人の気が付かない時に戻って来るでしょう。そして、彼に託した財産を偽善者達と一緒に、粉々に切り刻むでしょう。そこでは、泣きさけんだり歯噛みしたりするでしょう」(マタイ24:42-51 KJV)

 兄弟のみなさん、注意深く、とても注意深く読んでください。そこには、48節から51節に書かれていることの答えとなる、医事伝道によってなされるための働きが一つあります。主は、最も堕落した人に伝えるために働いています。多くの人々は、キリストに引かれていることの意味を知るでしょう。しかし、食欲と激しい感情に対処するための道徳的な支えを持っていないでしょう。しかし、その働き人達は、ここに書かれていてもこのように落胆させられる必要はありません。終わりの時になると、悪い者達の教えと惑わす精神に関心を注いで、ある者は信仰から離れるでしょう(1テモテ4:1 KJV)。信仰を離れた人々は、最も深い穴の底から救われる人々だけですか。そこには、打ち負かされないような真理の知識と光を持っていて奉仕の働きに就いている人々がいます。その人々は、キリストの目的のための自己否定や激しい感情と食欲の自制をしていません。社会から見捨てられた多くの貧しい人々や一般の人々と罪びと達は、福音によってその人々の前に置かれた希望を捉えるでしょう。また、大いなる光と大いなる機会を持っていたけれど闇の中を歩んでいた人々の前で、天の王国に入って行くことでしょう。世界の終末の大いなる日には、多くの人々は「主よ、主よ、私達のために開けてください」と言うでしょう。しかし、そのドアは閉じられているでしょう。そして、その人々のノックは無駄なものとなるでしょう。

 私達は、それらは真実なので、それらの事柄について深く考える必要があります。私達は、魂の価値と真理についての高い評価を持つ必要があります。時は短く、私達の前には、行なわれるための偉大な働きがあります。あなた方が前進しているこの働きに関心を持たないならば、また、あなた方がこの教会の中で医事伝道の働きを勧めないならば、この働きは神の働きで行なわれる必要があるので、その働きはあなた方の同意なしに行なわれるでしょう。私の兄弟姉妹のみなさん、失われた者を捜し求めて救うために主と共に働いて、あなた方の立場を熱心に活動して、キリストと共に勇気をもって働く者になって、主の側に立ちましょう。

 

7.バトルクリークの兄弟[姉妹]達への一つのアピール

[1.世界で行なわれるための偉大な働き]

 兄弟[姉妹]のみなさん、なぜあなた方はバトルクリークでそんなに夢中になって興味を持ち続けているのですか。なぜあなた方は、この内容に関してあなた方に与えられた警告と勧めに耳を傾けなかったのですか。なぜあなた方は、多くの大きな諸都市で影響を与えるセンターの設立のための確固とした歩みをしないのですか。なぜあなた方は、行なうための多くの伝道の働きがある都市に自分達の事務所を設立するように、国際トラクト協会とミシガントラクト協会に勧めないのですか。彼らの秘書達とほかの働き人達は、主要な事業にリーダーとして伝道の働きに個人的に繫がることができるでしょう。兄弟[姉妹]のみなさん、引っ越しましょう、移転しましょう。そして、あなた方の働き人達をこのキャンプの外に出て働きをするように教育しましょう。なぜあなた方は、自分達の光をバトルクリークに残し続けることによって隠しているのですか。

 この世界には行なわれるための多くの働きがあります。体験のある私達の働き人達は、助けを必要としている人々と直接に連絡を取れる自分達の場所で努力しているでしょう。その人々は、バトルクリークで僅かに行なうことができています。兄弟[姉妹]のみなさん、あなた方の光をベッドの下や枡の下に隠しておくことは正しいですか。主があなた方に行なうようにはっきりと示したことをあなた方が行なうことは良い事ではありませんか。あなた方が自分の道を優先することを捨てるか、主の声に従うか、今、決断してください。この事業を成功させるための知恵を求めて熱い祈りと、最高に熱心に謙虚に主を求めてください。あなた方が満足している最も都合の良い場所から離して、また、あなた方の財政的な関心を最も気に入りに思える場所から離して、ベッドの下から、枡の下からその光/真理を取り上げてローソク台の上に置く時、それは、家中に明かりを与えるでしょう。

 私達の伝道努力に、一つの危機が存在しています。世界には、行なわれるための偉大な働きがあります。そして、この働きがバトルクリークで熱心に行なわれるならば、また、ミシガン州にある諸教会で信仰深く行なわれているならば、また、強い影響力を持っている私達の古くからある教会でそれが精力的に遂行されるならば、私達は、その感化力が、今、多くの麻痺しているように立っているこの全てのカンファレンスの教会にイースト菌のように働くでしょう。

 光/真理を普及させるために感化のセンターとして、神が設立した諸施設は、神が人々に抱いている共に働くということと、人々の関心が加えられていません。それらの施設の管理者達は、自分達に就く働き人達と調和するために存在している働きをまず初めに知る必要があります。この福音は、私達の世界の人々を感化して清めるためのものです。真理の旗/標準は、掲げられるため、そして、キリストの贖いは、熟慮のための中心的なテーマの基盤として現されるために存在しています。

 医事伝道の働きは、キリストの体(教会)の右腕/権力として、教会の働きのために存在しています。第三天使は、イエスを信じる信仰と神の戒めを宣布するために飛んでいます。その医事伝道の働きは、その福音の実践です。働きに就いている全ての人々は、「すべての事柄は今、用意されているので来てください」という与えられた招きに調和して混ぜられるために存在しています。

 バトルクリークにいるこれらの人々に、多くの人々はこの世での務めがこの働きに繫がるような場所に移転する必要がある、というメッセージが与えられました。その人々が信仰によって移転して、その働きの目的のために私的に快く努めたならば、その人々は、神についての事柄の豊かな体験を得ることでしょう。しかし、その人々は、ほかの場所よりも負担の少ない所での働きと、バトルクリークでほんの少しだけ都合の良い事を見つけようと考えたことでしょう。それゆえに、その人々は、残っていました。バトルクリークに群がっていた人々は、そこでは、自分達が受けた知識を役立てていないので、良い収穫を得られませんでした。その人々は、バトルリークで回心する必要のある人々を増やしているだけで、良い事を行いませんでした。その人々は、犠牲の精神/聖霊を持っていません。その人々は、良い働きがわずかで信仰が薄く、キリストに属することがとても少なく、私心をとても多く持っています。その人々は、何も意味のない内容なのですが、宗教を持っていると考えています。

 神は、あなた方に主の言葉によって語っています。「この人々()は、口では私を近くに引き寄せて敬いますが、心では私から離れていました。この人々の私への恐れは人々の指針によって教えられたものです。それゆえ、見なさい。私は、この人々の間で、不思議な驚くべき働き、不思議なことを行なうでしょう。その賢明な人々の知恵は滅びるでしょう。聡明な人の知識は隠されるでしょう」(イザヤ29:13,14 KJV)

 「その日に、耳の聞こえない人は、聖書の本の言葉を聞き、目の見えない人は闇から不明瞭なものを見るでしょう。柔和な者は主の中に自分達の喜びを増すでしょう。そして、人々の間の気の毒な人々はイスラエルの聖者の中で喜ぶでしょう」(イザヤ29:18,19 KJV)

 私の兄弟[姉妹]のみなさん、主はあなた方に一つの確かな働きを行なうように呼びかけました。しかし、あなた方はそれを行ないませんでした。あなた方がいた所には、不一致と口論と論争があります。しかし、この必要はありません。神は、主の働き人達が分派の雰囲気で立つようなことを意図していません。すべての人々は、行なうための厳粛で偉大な働きを持っています。そして、それは、神の指揮のもとで行なわれるために存在しています。

 神は、主の人々()が主と協力しているならば、その民のために偉大なことを行なっているでしょう。主は、そこには、この世界においてさえ、その人々の生活と生き方に見られるように、人々の知性に働いているでしょう。未来の約束が成就した状態は次のようなものです。

 

荒れ野と乾いた土地は喜ぶでしょう。

そして、砂漠は豊かに花を咲かせて、喜び、また嬉しくなって歌うでしょう。

レバノン山脈の栄光は、その上に与えられるでしょう。

麗しいカルメル山とシャロンの野は、

主、ヤハウェ(hwhy)の栄光を見るでしょう。

麗しい私達の神さま、

汝らは、弱った手に力を与えて、

弱った膝を強固にしてください。

心に恐れのある人に、強くなってください、心配しないでください、と言いましょう。

見上げなさい。あなた方の神は名誉を回復するために、

神の報いを持って、復讐するでしょう。

主はやって来て、救うでしょう。

その時、盲人の目は開かれるでしょう。

耳の聞こえない人の耳は障害が取り除かれるでしょう。

その時、足の不自由な人は牡鹿のように跳ぶように動き、

言葉が発せない人は歌うでしょう。

荒れ野に水が湧き出て、

そして、砂漠に小川が流れ出るでしょう。

焼けた砂地は池となるでしょう。

そして、乾いた土地は水を湧きだして、

ジャッカルの住んでいる所に、人々は入って、

アシとイグサの地は牧草地になるでしょう。

そして、そこは王道、一つの道となるでしょう。

そして、それは聖なるものに属している主の道と呼ばれるでしょう。

清くない者達は、そこを通らないでしょう。

歩いて旅をする人々も、ええ、ふらつく人も、間違ってもそこに入らないでしょう。

そこにはライオンはいませんし、

飢えた獣もそこに近づくこともないでしょう。

それらは、そこでは見られないでしょう。

しかし、贖われた者達はそこを歩くでしょう。

そして、主ヤハウェ(hwhy)に身請けされた人々は戻って来るでしょう。

そして、歌いながらシオンにやって来ます。

そして、その人々の頭に永遠の喜びがあるでしょう。

その人々は楽しみと喜びを得るでしょう。

そして、悲しみと嘆きは逃げ去るでしょう。

イザヤ35:1-10 A.R.V.[アメリカ改訂訳]

 

 主に対して、栄光も麗しさもない荒野はそれ自身、働かれた変化の栄誉を記述されるために存在しています。この偉大な働きは主に属しているものです。それゆえ、誇張して言わなかった人々は、主の力の特別な働きのもとにあります。神の栄誉をたたえましょう。主は働きを続けているでしょう。

 主は、この時代に、主の人々()が行なうための特別な働きを持っています。主は、「汝らは、弱った手に力を与えて、弱った膝を強固にしてください」と言っています。これは、まさに使徒パウロがその教会に行なうように託している働きです。彼は言っています。「降ろしている手を挙げてください。そして、膝を強固にしてください。そして、あなた方の足のために、足の不自由な人が退けられる道ではなく、癒されるような正しい道を作りなさい。主を見ない人がいないように、清く、そして、すべての人々と平和に同行しなさい。誰もが神の恵みを欠くことがないように勤勉に調べなさい。あなた方の間から、そして、それゆえに多くの者が汚されるような、苦汁の問題が湧き起こらないようにしてください」(ヘブライ12:12-15 KJV)

 私は今、闇の強い勢力に対抗して主を助けるために、また、主を助けるために立ち上がることができないような牧師達と教会員達の両方の前で、祈っています。ヨハネの17章を注意深く研究してください。この章は繰り返して読まれるだけではなく、それ自身の真理は食べられて吸収されるために存在しています。キリストはこう祈りました。「彼らのために私が自分自身を聖別するように、彼らもまた[現在の]真理を通して聖別されるでしょう。彼らがみな一つになるように、私は彼らのためだけではなく、それらの言葉を通して私を信じる人々のために祈ります。そなた、父が私の中におり、私がそなたの中にいるように、彼らもまた私達の中で一つになるでしょう。この世界の人々は、そなたが私を遣わしたことを信じるでしょう。そなたが私に与えた栄光を、私はその人々に与えました。私達が一つであるように、その人々は一つになるでしょう。私がその人々の中にいて、そなたが私の中にいます。その人々は一つとなって、完全にされるでしょう。世界の人々は、そなたが私を愛していたこと、彼らを愛していたこと、そなたが私を遣わしたことを知ることでしょう」(ヨハネ17:19-23 KJV)

 私達のためにとても大切なそれらの言葉は、放置されるために存在しているのですか。神は、それらの言葉を研究して、それらを食べて、その言葉に生きて、神の子となることを告白している人々に呼び掛けています。主は、ローソクの灯が今ある所からどこかほかの場所に移されるために、愛と団結を求めるように、その人々に呼び掛けています。

 

8.無視された警告

1901.11. カリフォルニア セントヘレナより[74]

[1.バトルクリークから分散の時]

 「見なさい。私は今日、あなた方の前に祝福と呪いを置きました。汝らはあなた方の神、主である私が今日あなた方に命じた戒めに従うならば、一つの祝福を、そして、汝らが従わないならば、一つの呪いを受けるでしょう」(申命記11:26-28 KJV)

 「そして、汝らが、今日、私の命じた戒めを熱心に聞くならば、あなた方の神、主を愛して、また、あなた方の魂の全てとあなた方の心の全てをもって主に奉仕するならば、私は、あなた方の土地に季節に応じて初めの雨と後の雨を与えるでしょう。汝らは小麦とブドウとオリーブを収穫するでしょう。私は、汝らの羊や牛のために畑に牧草が生い茂るようにするでしょう。汝らは食べて満たされるでしょう。あなた方の心が惑わされないように、汝らが離れ去って、ほかの神々に奉仕して拝むことのないように、自分自身に気を付けてください。主の怒りがあなた方に向かって燃え出して天を閉ざす時に、そこには雨が降らず、その土地は実りをもたらしません。そして、汝らは、主があなた方に与えた良い土地からすぐに滅びることでしょう」(申命記11:13-17 KJV)

 「それゆえに、汝らは私のこれらの言葉を、額の教札のようなもの、あなた方の手のしるしとして結び、自分達の心と自分達の魂に蓄えましょう。汝らは、寝る時も起きる時も、道を歩いている時も、自分達の家で座っている時に、子ども達に話をして教えるでしょう。そして、汝らは自分達の家の門と戸口の側柱にそれらを書くでしょう。地の上の天の日々のように、主があなた方の先祖たちに与えると誓った土地で、あなた方の日々とあなた方の子ども達は多くなるでしょう。

 セブンスデー アドベンチスト達が、彼らを支配している利己的な関心を認めることを拒んで、主の道を歩んでいたならば、主は彼らを大いに祝福していたことでしょう。そして、主の意思に反してバトルクリークに居座っていた人々は、従順によって得ていた霊的な知識と価値ある体験を失ったことでしょう。彼らの内の多くは神の好意を喪失していました。その働きの心は、混乱するようになりました。その警告は与えられていたのに、長い間、気づかれていませんでした。この不従順の理由は、バトルクリークにいる多くの人々の知性と心が聖霊の感化の下にいなかったことです。その人々は、そこで行なわれるために存在している[働き]に全く気付いていません。その人々は眠っています。

 セブンスデー アドベンチスト達が、すでに大勢の信徒達で大きくなっている諸都市に、外の場所から転居した時、その人々の霊性はますます弱くなっています。その人々の子ども達は多くの誘惑にさらされています。私の兄弟姉妹のみなさん、あなた方が、そのような場所でその働きを前進させるためにぜひとも必要とされない限り、真理がまだ宣布されていない所へ行くことは、あなた方にとって賢明なことで、あなた方の主のために働く才能を確かめるための努力となるでしょう。現在の真理に目覚めるために、熱心に努力しましょう。戸毎訪問の働きは、キリストのような礼儀作法を身に付ける時に効果的です。集会を持って、そして、人々の興味を起こすようにしましょう。この事は、説教以上のものを求めていることを覚えておきましょう。

 セブンスデー アドベンチスト達が行なうことを拒んでいる、私心のない働きを行なうことは、誰もが不可能であったかのように、一カ所に長い間住んでいた多くの人々は、罪びと達の回心と確信のためにキリストの兵卒として働いている人々の粗探しの時間で費やしています。その人々は、つまずきの石たちです。その人々が、信徒達のいない場所に出て行くならば、また、キリストのために魂を勝ち取る働きをするならば、間もなく、その人々は、表面の中を見ることを真剣に考えた結果をレポートする時、不正を推量する時間がなく、品性を詳しく調べることに時間が持てなかった悩みを助けるために、また、その真理を宣布することに忙しくなるでしょう。

 信徒達が大勢いる教会で長く過ごした人々は、主人のためにタネを蒔いて収穫するために、畑に出て行きましょう。その人々は、魂達の救いに希望を持って自分を忘れることでしょう。その人々は、ほかの人々の欠点を探している時間のないこと、助けを必要としているとても多くの仲間達が存在していること、行なうためのとても多くの働きを見つけるでしょう。その人々は、否定的な側の働きをしている時間を持っていないでしょう。

 多くの信徒達が一カ所に集まって、悪いことを言って悪いことを推測するよう勧める傾向があります。多くの人々が、悪いことを聞くこと見ることに夢中になっています。その人々は自分達がなしていた罪がどんなに大きいものかを忘れていました。その人々は、思っても口に出せない言葉を忘れていました。また、疑い深くなることによって、悪の収穫をもたらすようなタネを蒔いています。終末の大いなる日まで、知る人がいないこの収穫はなんと大きいものでしょう。あらゆる考えや言葉、行動は、裁きに持ち込まれるでしょう。

 その思想や不親切な言葉は、何度も繰り返されて言われ続けています。間違ったレポートが大きな割合を帯びるまで、お互いに一つの言葉を加えています。大いなる裁きがなされています。その人々の正しくない疑いと正しくない裁きによって、告げ口屋がその人々の自身の体験を傷つけ、この教会に不協和音のタネを蒔いています。彼らは神が彼らを見ているように事柄を見ることができるならば、彼らの態度は変わるでしょう。兄弟姉妹達の欠点を見つけた時に、彼らは自分達がいかに、神が行なうようにと与えたその働きに無関心だったかに気づくでしょう。

 動機の粗探しに費やされた時間は、キリストの奉仕者達の働きは良い祈りに費やされるでしょう。しばしば、欠点を探し出す人々が、それらの人々について真実を知ったならば、彼らはそれらについて異なった意見を共に持っています。それがこうだったら、どんなに良かったことでしょう。ほかの人々をとがめて粗探しをする代わりに、みんなでこう言いましょう。「私は、私自身の救いを成し遂げる必要があります。私が、自分の魂の救いを望んでいる主と協力できるならば、私は自分自身の勤勉さを見張る必要があります。私は、自分の生活からすべての悪を切り捨てる必要があります。私はキリストにあって新しく作られるようになる必要があります。私は全ての欠点から勝利する必要があります。その時、不正に対して戦っている人々の弱さの代わりに、私は励ましの言葉によって、その人々を力づけることができます」。

 神に奉仕する人々の情熱を失わせて落胆させる講話の才能を用いた人々に、また、主を妨害することを計画して働いて、神の[人類救済]目的を前進させることに抗争している人々に、自分達のとんでもない偏見と厳しい言葉によって、主の働きを行なっていた人々の悪いことの許しを神に求めるように勧めましょう。裁く権利を持っていない人々の裁きによって、間違ったレポートが広まることによってなされた悪意の弊害を考えるように勧めましょう。

 神の言葉の中に、私達が一人の兄弟は間違いの中にいると考えた時、私達が就いて行くために存在しているコースとして、私達はじかにはっきりと与えられています。キリストはこう言っています。「汝らの兄弟が、汝らに権利の侵害をするならば、汝と彼の間だけで彼の落ち度を彼に話しなさい。彼が汝の話を聞くならば、汝は汝の兄弟を得ました。しかし、彼が汝に聞かないならば、汝は一人か二人を連れて行きなさい。二人か三人の証人の全ての言葉が証明するでしょう。彼が彼らのことを軽視するならば、それを教会に伝えなさい。しかし、彼が教会に聞くことを軽視するならば、汝らは、彼を異邦人か税取り立て人のように見なしなさい」(マタイ18:15-17 KJV)。また、主は再び言いました。「汝らが祭壇に自分の贈り物を持って行く場合、汝の兄弟が汝らに対して何かを持っていることを思い出したならば、祭壇の前に汝の供え物を残して置いて、汝の道を行って、まず、汝の兄弟と和解しなさい。それから来て、汝の贈り物を捧げなさい」(マタイ5:23,24 KJV)

 「主よ、誰がそなたの幕屋に宿っているのでしょうか。誰がそなたの聖なる丘に住んでいるのでしょうか。その人は、正直に歩み、正義を行なっていて、心の中で真実を語っています。その人は、陰口を言わず、その隣人に悪を行なわず、その隣人をとがめることもしません。恥ずべき人の目には軽蔑されるものがありますが、その人は、神を畏れる人々に敬意を払っています。その人は自分が損しても誓いを変えません。その人は、違法な高利で自分のお金を貸さず、罪のない者に向かって報酬を取り上げることもしません。その人は、これらのことを行なうことに動じず確固としているでしょう」(詩編15:1-5)

 「裁いてはいけません。それは汝らが裁かれないためです。汝らが裁くその裁きで、汝らは裁かれるでしょう。汝らが量る秤で、あなた方も量られるでしょう。なぜ、汝らは自分の兄弟達の目の中にある埃moteを見ているのに、自分自身の目にある梁/光線beamを考えないのですか。梁が汝ら自身の目の中にあるのに、見てください、汝の目から埃を取り除かせてください、とどうして汝の兄弟に言えるでしょうか。汝ら偽善者達、まず、汝ら自身のめから梁を取り除いてください。そして、その時、汝らは、兄弟の目から埃を取り除くために、はっきりと見えるでしょう」(マタイ7:1-5 KJV)

 裁きに関する内容の中に多くのことが含まれています。やがて、あなた方の生涯の記録が神の前での再調査として通過するでしょう。主が言ったことを思い出してください。「汝ら、人間、裁いている人は、弁解できません。汝らはほかの人を裁いている時点で、汝ら自身に罪を宣告しているからです。汝らは裁きによって同じことを行なっているからです。しかし、私達は、神の裁きがこのようなことに傾倒する人々に対して真理のために存在していることを確信しています。そして、汝らは、同じことを行なって、そのように行なう人々を裁きながら、このように考えている人間、汝らは、神の裁きを逃れうるでしょうか」(ローマ2:1-3 KJV)

                      

 彼らが去った教会で行なうための働きを持っていた時にバトルクリークにやって来た人々は、バトルクリークに来てから、霊的な洞察力と伝道精神を失いました。そこで、その人々は、常に一つの罠である自己の義というファリサイ主義と繋がりを取りました。自己の義は、力のない信仰の形式です。

 [現在の]真理の力が人の心に感じられた時に、また、真理の原則は日々の生活にもたらされる時、バトルクリーク教会の中に大きな改革/改善の運動が起こるでしょう。その時、やがて、「私は、戻るでしょう。引き返すでしょう」という言葉で満たされるでしょう。私達は、この事が成し遂げられる時を今はわかりませんが、バトルクリークから分散されるようになる時が訪れるでしょう。主からの何らかの呼び掛けなしにバトルクリークに転居した人々は、外に転居するでしょう。

                      

 最も熱心な働き人達は、ほかの人々の欠陥と関わっている時間がありません。その人々は、見上げることによって、主の似姿に変えられた者になるように救い主を見上げています。主は、私達の品性の形成として就いて行くために存在している模範の御方です。主の地上での生涯において、主は神性の性質を明確に現しました。主が主の領域において完全だったように、私達は私達の領域において完全/成熟になるように努力する必要があります。正しい品性の形成に関して、無関心のままに残っている教会員はもはやいません。聖霊が品性を形成する感化の下に自分達を置いている人々は、神性の品性を反映している品性形成のために存在しています。

 

9.改革/改善の成果

1901.9.26.カリフォルニア セントヘレナより[74]

[1.高度な水準に達するための存在]

 親愛なるダニエルズ兄弟へ。昨日の朝、私はあなたの手紙を読みました。その中で、あなたは、インドと中国とそのほかの東洋の国々に遣わす働き人達の強い一団を見たい、という熱列な希望を書いています。現在の私達の尽力について、[イエスから]昨夜私に与えられた指導は、中国に近いそのほかの伝道地や特別に中国のためになされるものではありません。私達は、まず本国で働きを行なう義務があります。私達のあらゆる施設、――私達のサナトリウム、出版所、そして、学校は、高度な水準に達するために存在しています。その時に、その外国の伝道地に送られたその働き人達は高度な水準を達成させるでしょう。彼らは、もっと熱心に、もっと霊的になるでしょう。そして、彼らの働きは、もっと効果的なものになるでしょう。

 数年前、主は、現在の真理の光を含んだ書籍の出版のために、ほかの国々とヨーロッパ、アメリカの様々な場所に建てられる必要のある建物について、私に特別な指導を与えました。主は、警告と招待のメッセージをその出版所から世界の人々に送り出すためのあらゆる努力をするようにと指導しました。ほかの方法によっては伝えられないような人々に、私達の文書によって届けられるでしょう。私達の本や雑誌から、真理の光線の明かりが、現在の真理について世界の人々に照明/啓蒙するように輝き出るために存在しています。

 神の[人類救済]目的との繫がりを受け入れたという優位性による特典を与えられなかった人達は、私達の出版事務所に働き人として連れてこられないようにしましょう。神の神聖な真理を行なうことが普通/俗の事柄のレベルに置かれるために、異議のある特徴の事柄もそれらの施設に導入されるべきではありません。神の目的以外の働きがその業務の中に持ち込まれる時、多くの働き人達が一致して働く必要があります。これは、心労と当惑をもたらしています。

 私は、私達の出版所の中につくられて存在している間違いがあることを示されていました。そこでは、営利的な業務を行なうための機械設備の費用の増加が常にあります。人間の救いを成し遂げるために存在している愛と信仰による働きと関係のない作業が、大量に持ち込まれています。時間と才能は、神に栄光をもたらさなかった働きの一つの層を行なうために利用されてきました。多くの努力が、真理の知識を広めることをしない働き人達の間で尽くされてきました。

 この事柄に与えられる対価は貴重な時間です。その間違いは修正される必要があります。生産のない消費は、事業を遂行するための資金使用として賢明ではありません。その出版所では、もっと多くの余地/業務/可能性roomが必要とされていると言われています。しかし、しかし、そこには十分な余地があります。正しいことがなされている時、そこには十分な余地があると見られるでしょう。

 営利目的の業務は、私達の出版事務所に受け入れるのを非常に少なくしましょう。サタンの感情の混じった考えを含む業務は受け入れないようにする必要があります。そのような事柄の導入は、その施設の神聖についての全ての考えを破壊しています。その施設全体が低俗になっています。普通/俗が神聖と混ぜられる時、そこには常に危険性が存在していて、普通/俗が神聖の場所を占めることを許されるでしょう。

 かの敵の間違いを印刷するために、主の施設を出版所として利用することについて、主はどのようにみなしているでしょうか。異議のある事柄がその出版所から出されて神聖な事柄と混ぜられる時に、主の祝福は行なわれているその働きに安らぐことができません。神性の偉大な教師はこう言っています。「あなた方は、神の目的以外の働きがもたらすものによって何を得たのですか。それは、あなた方に精神的/霊的な多くの悩みの種をもたらしました。そして、その働き人達は、特定の時間にその業務を終わらせようとして、急いでせわしく働いていました。これは困惑と口論を生じさせていました。不快な言葉が飛び交い、また、不親切な精神がその事務所にもたらされていました。イラついて怒鳴る、急かした突貫業務を行なってきて、その財務上の収益は損失と比べる方法がありません」。

 主の民が、これは賢明ではない、また、得た収益以上にはるかに大きな損失だと知ることを、主が助けますように。あるブドウ園のほかの一部が見放された施設だった一方で、少ない機械と少数の働き人達が一カ所に集められていたならば、また、もっと多くの資金が、様々な場所で印刷設備を作ることに使用されていたならば、神は喜んでいたことでしょう。一つの場所で多くの資金が投資されるように導いたものは清められた野望ではありません。私達の兄弟達にとって、単なる世俗の事柄の印刷物にそんなに熱心に動き回ることは一つの間違いです。私達は目的/終わりに向かって急いでいます。この時代の人々のための真理を含んだ書籍や雑誌の印刷と頒布は、私達の働きとなるために存在しています。

 時代の変遷と共に、与えられてきた警告と注意についての無関心のしるしがあります。主の求めと罪の告白が存在している時、必要とされた改革/改善が実行された時、団結した熱意と熱心さが抑えられていた回復を示されるでしょう。主は、優しい愛を現すでしょう。そして、資金が、私達の施設の負い目を取り消すためにやって来るでしょう。

 

10.厳粛な警告

[1.改革/改善が存在しない限り、災いが降りかかるでしょう]

レビュー&ヘラルドのマネージャーのみなさんへ[3]

 親愛なる兄弟のみなさんへ。バトルクリークに出版所が設立された神の意図は、灯し火の一つのランプとして、そこから光が輝き出るためのもものでした。これは、その以前のマネージャー達によって保たれてきました。何度も繰り返して、彼らは、神の神聖について、出版物の神の任務について、出版物の清さの維持の重要さについて、話し合って来ました。しかし、彼らは、真の理解を失ってしまいました。そして、生存にもたらされうる最も危険な間違いを含んでいる書籍や雑誌を印刷することに同意して、かの敵の勢力と団結しました。彼らは、そのような事柄について印刷に繫がる全ての人々と、校正者や植字工の感情が混じった考えのような間違いが影響を及ぼす悪を見ることに失敗していました。彼らは霊的に眠らされていました。

 神の目的以外のある働き、そこの働き人達の知性に現されていたサタンの科学がこの施設に持ち込まれていました。そのような事柄の印刷物は、神の不名誉となっていました。それは、働き人達の知性の悪化の一部をなしていました。そのマネージャー達は、その印刷物に低次元を象徴する姿を認めていました。その働きに真に高次元を象徴したものを求めないならば、収益は失われてしまうことでしょう。

 私は、ダニエルズ長老から、レビュー&ヘラルド事務所にほかの建物を建てるという計画についての手紙を受け取りました。この事について、私の答えは「いいえ、賛成しません」です。すでに建っている建物に何かを加えることではなく、その事務所からサタン的な起源のガラクタを綺麗に取り除いてください。そうするならば、あなた方はあらゆる道で余地/業務/可能性を得るでしょう。

 神は、バトルクリークの事柄の混雑した状態を喜んでいません。その働き人達が分散させられて、その設備がほかの場所につくられるならば、神はとても喜ぶでしょう。そして、真理の旗/標準はそのメッセージを聞いたことがなかった地域の人々に建てられるでしょう。あなた方が、バトルクリークでもう一つの事務所を加える前に、南部の伝道地に資金を与えて改築してください。これは、為される必要があることですが、まだ行なわれていません。すべての歩みは力が与えらました。

 レビュー&ヘラルドの建物の増築に利用されるために5,000ドル[当時週給5ドルの時代でした]は今、福音がまだ聞かれたことのなかったほかの場所に投資されるべきでしょう。

 私は、私達の出版所がたどって来た道を見る時に、魂に恐怖を感じています。主の施設の中で、その印刷所は、ほかの奇妙な不法と、魂を滅ぼすローマカトリックの教えについて印刷してきました。その事務所は、この異議のある事柄を清められる必要があります。私は、その働き人達の手にそのような事柄を抱えている人々について、主から一つの証を受け取りました。神は、あなた方に、若い男性と女性達に禁じられた知識の木の実を提示する責任を与えています。あなた方は、このテーマでパシフィックプレス出版所に与えられた警告の知識を持っていなかった、という可能性があり得ますか。あなた方は、多くの不正を行ないながら、それらの警告の知識を持っていて同じ轍を踏んでいた可能性がありませんか。神の御使い達は、その事務所の全ての部屋を回っていたことは、あなた方にたびたび繰り返されてきました。これは、あなた方の知性にどのような感銘を与えましたか。

 あなた方は、自分達の知性の前に汚れた原則とサタンの騙しを持ってきて、彼の感情の混じった意見を働き人達の手中に与えました。主は、サタンが魂たちを捕らえる罠を用意するのを助けている時に、あなた方の側のこの行動を見ています。神は、このことを行なった罪のないこの人々を放置しないでしょう。主は、その出版所のマネージャー達と一つの闘いをしています。私は、神が火事によって出版所を清めたことを見ることに恐れていて、「レビュー」が空き地openになったことにある種の恐怖を抱いてきました。

(I have been almost afraid to open to the Review, fearing to see that God has cleansed the publishing house by fire.)

(訳者加筆。本書の2頁前に、編集者は、この記事が190111月の『レビュー&ヘラルド』を参照するよう書いています。レビュー&ヘラルド出版所の消失は19021220日です。ところが、彼女は、その出版所の消失の1年前に「神が火事によって清めた」と過去形で書いています。これは、彼女が、この事実を1年前にイエスからの幻で見ていたものと推測されます)

 主は、私に、「これらの人々は、サタンの嘘による、私達の[教会の]若い人達の体と魂を滅ぼさないある仕事を求めるのが良いだろうと言う彼への協力が悪いことだと知ることができない」ということを指導しました。そこでは、義と真理の標準がたいそう低くされて、神は、悪を行なう者達に裁きをもたらす危険性があります。

 私達は、長い間、どんな精神がレビュー&ヘラルド事務所の働きを支配していたかを理解する貴重な時間を持っています。私は、働き人達の前にあったに違いない知性の当惑と混乱を推定する方法と、最も巧妙なスピリチュアリズム/心霊的な相phaseを考えると嫌悪感を覚えます。サタンはこのように彼らに与えた優位性を追求して保証していることに気を付けてください。

 レビュー&ヘラルド事務所は、神殿が汚されたように神聖を汚してきて、結局十倍もの災害を引き起こしました。両替商のテーブルをひっくり返して、キリストは羊と牛を神殿の構内から引き出しました。こう言っています。「それは書かれています。私の家は祈りの家と呼ばれるでしょう。しかし、汝らは盗人の隠れ家にしてしまいました」(マタイ21:13 KJV)。その神殿を汚した以上に悪いことは、神の施設の中の働き人達の手には決して置かれたことがなかった事柄の印刷によって出版所を汚したことです。

 神の律法は犯されてしまいました。主の目的は裏切られて、主の施設は盗人の隠れ家になりました。初めに置かれていた献身した働き人達の才能と時間、真理のアピールの奮起と印刷と宣布の働きは、僅かに受け入れたか、注目されませんでした。商業用の業務は、最も異議のある特徴の何かで、次第にその最高責任者が運営権を取りました。その業務は、品性を最高に向上させて、質の高潔な文書の出版に貢献していて、エネルギーを注いでいたものです。時が無駄に過ごされ才能が悪用されて、資金が横領されました。行なわれたはずの働きが行なわれずに放置されました。サタンの感情の混じった意見が高められました。主の教えは、神の真理を配布するために使用されていた印刷機によって印刷されていたはずでした。責任者達は、自分達の経営方針が神の不興を買って禁止の下にあった時に、販売促進を切望していました。損失の方が不名誉を得るよりもたいそう良いものです。

 神はこのご都合主義者達に何を行なうでしょうか。手近にある全ての物事の終わりを世界の人々に警告するための力を印刷物で届ける真理を明らかにするために、主の奉仕の働きをする御使いによって人間の知性を通して働くために、サタンがその施設で誠実に働いている人々の知性を妨害することを許している一方で、あなた方は、イエスがこの印刷所の施設の中に立っているということを考えていますか。私が受けた光は「この悪意のあるほかの印刷業務を断りなさい」です。この出版所に導入しようとしていた人々は、神の怒りの火が付き始めているので、魂の悔悟によって神の前に悔い改める必要があります。この働きの層の人々は、私達の出版所から永久に閉め出しましょう。現在の真理を含んでいる書籍の出版と配布に時間を充てましょう。この業務によって、あなた方の働きが完成に達するのを見届けましょう。天の光を世界の人々に広めるために、あなた方の力を尽くしましょう。

 新規採用者とほかの働き人達は、祈る時間が持てないほどに忙しくされ急かされてはいけません。私達の出版所の若者達は、預言者の学校にいた若者達のように教育される必要があります。その若者達は、新しい場所で働きに就く用意がなされるでしょう。

 カンファレンスの時にメッセージを聞いた人々――すぐに感動しなかった人々ではなくて――最も厳粛なメッセージを与えられた人々が、誠実に「主よ、そなたは私に何を行なわせようとしているのですか」と尋ねたならば、その人々の過去の長い年月の体験は、それが現在あるものとは違ったものになったことでしょう。しかし、その人々は、自分の背後の道を清いものにしませんでした。その人々は、自分達の間違いを告白しませんでした。そして、現在、その人々は、霊的な視点が崩れていたので、多くの事柄で同じ悪い行動の道に倣って、同じ地盤を通って行こうとしています。

 第三天使のメッセージは、差し迫った日々に立てるように、一つの人々()を用意するために存在しています。それは、大きな声で宣布されるために存在しています。また、それは、現実の小さな働きが成し遂げられるために存在しています。

 ヨハネはこう書いています。「私は、もう一人の天使が大空の中央を飛ぶのを見ました。地上に住んでいる人々に伝えるために永遠の福音をもっていて、あらゆる国民、種族、言語、そして、人々に、大声で言っています。神を恐れ、主に栄光を帰しなさい。主の裁きの時が来たので、天と地と、海と水の源を造った主を礼拝しなさい。また、ほかの天使がついてきて言っています。大都市、バビロンは、偶像崇拝の怒りのブドウ酒を全ての国民に飲ませたので、堕落して、堕落しました」(黙示録14:6-8 KJV)。これはどのようになされていますか。間違った安息日を受け入れるように、人々に強いることによってです。出エジプト記31章で、私達は主の安息日の日について、明白に語られています。その安息日を守ることは、神の人々()の一つの忠誠のしるしとなると宣言されています。

 神は自身が言ったことを手段にしています。人間はその民と神の間を仲介しました。そして、主は、このメッセージを携えた第三天使を遣わしました。「誰でも、その獣とその像を拝むならば、また、そのしるしを自分の額や手に受けるならば、その人は、混ぜ物のない、主の憤りのカップから注がれる神の怒りのブドウ酒を飲むでしょう。その人は、[]子羊イエスの臨在と聖なる天使達の臨在によって、硫黄と火によって苦しめられるでしょう」(黙示録14:910 KJV)

 神の人々()は、世俗の全ての方針を捨てて、主の戒めを守るために存在しています。主の民は、天の生まれなので、活動の正しい原則に繫がって、それらの原則を敬愛するために存在しています。神への従順は、あなた方にとって金や銀以上に価値のあるものに属しています。かの敵が洪水のように押し寄せる時、主の聖霊が彼に対して旗/標準を掲げているので、キリストと共に軛を負って、主の柔和と謙虚を学んで、一つの闘いを切り取って終わらせましょう。

 私は、働き人達が正しい教育を受けることを知って責任を負って、その出版所の責任者の立場を受け入れている人々に、挨拶の言葉を送ります。世俗と神聖の間を識別する努力をしない活動によって態度を表している人々は、悔い改めない限り、神の裁きが自分達の上に下るということを知るでしょう。それらの裁きは延期されますが、いずれ訪れるでしょう。あなた方自身の知性が清められず高尚にされないために、あなた方はほかの人々に悪い偏見を与えるならば、神は、あなた方に責任を求めるでしょう。主は「なぜ、あなた方は主のための良い働きをするように期待されていた時に、悪い働きをしたのですか」と尋ねるでしょう。

 最後の大いなる日に、不忠実な奉仕者達の責任は、自分の不忠実の結果と向き合うことでしょう。

 私は、あなた方のことを心配しているので、この挨拶を送りました。あなた方の働き人達の増え続ける労力は、ほかの場所での働きに送られることが最善でしょう。夜の間に、私は、あなた方の会議の中にいて、イエスにあるものと同じ真理を提示して、あなた方と熱心に話し合いました。彼らは、確信を放棄しました。彼らは、良心と争って、大いなる光と知識に反対して罪を犯しました。もはや、確信は、冷淡な心を貫くことはないでしょう。

 ある人々は、原則をたいそう長く犠牲にしていたので、世俗と神聖の間の違いを見ることができませんでした。主の指導に注意を払うことを拒んだ人々は、やがて滅びの道に落ちて行くでしょう。試練と試験の日は、私達の前に当然あります。すべての人々は自分の旗色を掲げることになるでしょう。あなた方は忠誠か反逆かのどちらを選びますか。あなた方の旗色を人々と天使達に示してください。私達は正義を託されている時だけ安全です。その時、私達は悩みと試練の日に見つけられる所で世界の人々が知るでしょう。

 SDA全体総会で始まった働きが、完全に前進していたならば、私は、これらの言葉を書くために呼び出されていないでしょう。間違いを告白するか認めるための機会がありました。多くの人々のケースで、結果として避けようという否定の告白がやって来ました。

 そこに一つの改革/改善が存在しない限り、災いがその出版所に降りかかるでしょう。そして、世界の人々はその理由を知るでしょう。私は、心に強い決意をもたず神に立ち返らなかったという結果を示されました。主は、栄誉のために立てた施設の中で恥をさらされました。その出版所での神の戒めの無視のしるしは、働き人達の印象にありました。神は、「私はそれらの事柄を裁かないのですか」と尋ねています。私は、御使い達が悲嘆にくれた様子で引き返しているのを見ました。神は、あなた方の心の頑なことが増し続けることによって失望しました。その人々の責任のために、神の戒めに無関心な人と、真理を知っている人々を罰するでしょう。

 

11.レビュー&ヘラルドの焼失

1903.1.5.カリフォルニア セントヘレナより[76]

[1.炎の剣を妨げる希望をすでに与えていた]

バトルクリークの兄弟[姉妹]のみなさんへ

 本日、私は、火事によるレビュー事務所の焼失[1902.12.30]に関するダニエルズ兄弟からの手紙を受け取りました。私は、[神の人類救済]目的の大きな損失を考えて酷い悲しみを感じました。その事務所の労働者達にとって、また、その働きに就いている兄弟達のために、私は、酷い試みの時となるに違いないということを知っています。私は、悩まされている全ての人々と共に悩まされています。しかし、私はその悲しい知らせによって驚きませんでした。夜の幻の中で、私は、バトルクリークの上に火が広がった時、剣を持った天使が立っていたのを見ていました。かつて昼間に、私のペンが手にあった間に、私は意識を失って、そして、この炎の剣sword of flameは初め一つの方向で、それからもう一つの方向に変わっていたように思いました。自分達に栄光を与えて高める人々の考案品によって、神は栄誉が汚されたので、天災は天災についていくと思われます。

 今朝、私は熱心な祈りに引き込まれていました。主は、綿密に調査をするために、レビュー&ヘラルド事務所と繫がっている多くの者を導いているでしょう。彼らは、神が与えた多くのメッセージに無関心だった人々を見ることができるでしょう。

 数年前、兄弟達は、「レビュー」のもう一つの建物を建てることについて、私に勧めを求めました。その時、私はこう言いました。もう一つのレビュー&ヘラルド事務所を加えることに好意的な人々が自分達の前に未来図を持っていたならば、あるいは、バトルクリークの中の現状を知ることができるならば、彼らはそこにもう一つの建物を建てるという質問をしないでしょう。神は「私の言葉は見下されてきましたが、私は何度もそれを繰り返すでしょう」と言いました。

 1901年にバトルクリークで開催されたSDA全体総会で、主は、主の人々に改革/改善を求めていた理由を示しました。知性は確信して、心が感動しましたが、[改革の]働きは行なわれませんでした。強情な心がその時に神の前に悔い改め砕かれたならば、そこに、かつて見られたような神の力の大いなる現れの一つが見られたことでしょう。しかし、神は敬われませんでした。聖霊の証は、注意が払われませんでした。人々は、ずっと主の働きの中に保たれる必要のある義と真理の原則に反対の決意していたその行動から離れませんでした。

 エフェソスの教会とサルデスにある教会へのメッセージは、主の人々()のための指導を私に与えている御方によって、しばしば繰り返されました。「エフェソスの教会の御使いに書いて送りなさい。七つの金の燭台の間を歩み、右手に七つの星を持っている主がこれらの事柄を言っています。私は、汝らの働き、汝らの労苦、汝らの忍耐、いかに汝らは悪い者達を許すことができないか、そして汝らは、使徒だと言っている人々を試して、そうでないことを証明し、彼らの嘘を見抜き、そして労苦して、そして忍耐して、そして、私の名のために労苦して、そして弱り果てることがなかったことを知っています。しかしながら、汝らが初めの愛から離れてしまったので、私は、汝らに対して何かあるものを持っています。それゆえに、汝らはどこから落とされているかを思い出しなさい。そして悔い改め、そして、初めの働きをしなさい。そうでなければ、私は汝らの所にすぐに行くでしょう。そして、悔い改めなければ、汝らの燭台をその場所から取り除くでしょう」(黙示録2:1-5 KJV)

 「また、サルデスにある教会の御使いに書いて送りなさい。神の七つの霊と七つの星を持っている主がこれらのことを言っています。私は汝らの働きを知っています。汝らは、生きているというのは名ばかりで、実は死んでいいます。目を覚ましていなさい。そして、死にかけている残りの者達を力づけなさい。私は、神の前に汝らの働きを完全とは見ていませんでした。それゆえ、汝らはどのように受けたか、聞いたかを思い出して、しっかりと捉えて、悔い改めなさい。それゆえ、汝らが目を覚ましていないならば、私は盗人のように汝らの所に行くでしょう。そして、汝らは、私が汝らの所に行くかを知らないでしょう」(黙示録3:1-3 KJV)

 私達は、それらの警告の成就を見ています。御言葉は、それらが存在していた通りに正確に成就しました(直訳: それらが存在していた以上に正確に成就しませんでした)。人々は、耐火のビルディングを最大に慎重に設計して建てるでしょう。しかし、天からの一つの閃光、神の手のひと触れが、すべての施設を拭い去るでしょう。

 私が何かのアドバイスを与えたかどうかを尋ねられました。私は、バトルクリークの上に掛かっていた炎のような剣the fiery swordが降ってくるのを妨げる希望について、神が私にすでに与えていたアドバイスを伝えていました。さて、私が畏怖していたもの――レビュー&ヘラルドの建物の焼失というニュースがやって来ました。このニュースがやって来た時、私は驚きを感じませんでした。そして、私は語る言葉がありません。私が時ある毎に警告について語るために持っていた言葉は、聞いた人々を頑なにするほかに効果がありませんでした。そして、今、私はこう言えるだけです。私はとても悲しい。とても大変に悲しい。これがくることは、打撃のために必要なことでした。光は十分に与えられていました。それが施設に降ったならば、さらなる光は必要ないでしょう。私達の人々と牧師達、一般信徒達のために、私はこう言うように指導されました。「汝らは、主を見つけることができる間に主を探しなさい。汝らは、主が近くにいる間に、主を呼び求めなさい。不正をしている者はその道を捨てて、不義な人はその考えをやめましょう。そして、その人は主に帰りましょう」。――多くの牧師達と人々は、異なった道を歩んでいます。「そして、主は、憐れみをその人に与えるでしょう。私達の神がそして、主は豊かに赦すでしょう」(イザヤ55:6,7 KJV)

 全ての魂は警戒しましょう。敵対者はあなた方の進む道にいます。絶えず警戒してください。何者かが隠れていて、熟練した罠に気付いていないあなた方を捕らえないように、勤めて見張ってください。夜の盗人のように、主の日が彼らに来るといけないので、不注意と無関心に注意しましょう。キリストの軛を外しておいて、謙虚の道からさ迷よっている多くの人々は奇妙な道を歩むでしょう。先が見えなくて途方に暮れている人々は、神の都市に続いている狭い道の上に取り残されるでしょう。

 ある人は、警戒しているクリスチャンでないと、幸せなクリスチャンになれません。世俗のもつれや間違い、迷信など、サタンは、キリストの仲間達を主から勝ち取るように争っているので、打ち勝っている人は見張っている必要があります。私達が一貫性のない行動や危難や明らかな危険を避けるだけでは十分ではありません。私達は、自己否定と自己犠牲の小道を歩んで、キリストの側にしっかりとついているために存在しています。私達は敵の国に存在しています。天から追放された彼は、絶大な力を持って降って来ました。考えられ得るあらゆる技術と考案品によって、彼は、魂達を虜にしようとしています。私達は、常に防御していないならば、無数の騙しに簡単に餌食として捕まるでしょう。

 ゲッセマネの園にいた弟子達の体験は、現代の主の人々()への教訓を含んでいます。ペテロとヤコブとヨハネは主について行き、キリストは祈るためにゲッセマネに行きました。主は彼らに言いました。「私の魂は死の恐怖を超えています。汝らはここにいて、見張っていてください。そして、主は少し歩いて行って、地面に伏して祈りました。それが可能だったならば、その時間は彼から過ぎ去ることができるでしょう。そして、彼は言いました。アバ、父、全ての事柄はそなたにとって可能です。私の意思によるのではなく、そなたの意思によって、このカップを私から取り除いていください。そして、主は戻って来て、弟子達が眠っているのを見て、ペトロとシモンに、汝らは寝ているのですか、汝らはひと時も見張っていることができないのですか、と言いました。汝らは、誘惑が入ってこないように、祈って見張っていてください」(マルコ14:34-38 KJV)

 これらの言葉を注意深く読んでください。多くの人々は、主の弟子達がそうだったように、今、眠っています。今の人々は、誘惑が入ってこないようにと、祈りも見張りもしていません。私達は、神の人々()が処遇される危険性を取り出して、最後の日々に特別に言及している神の言葉のこれらの部分を読んで研究しましょう。

 私達は、鋭敏さと清められた知覚力を必要としています。この知覚力は、ほかの人を譴責することや粗探しに利用されるためのものではなく、時の兆しを識別するために存在しています。私達は、信仰の難破船にならないように、また、あらゆる不断の努力をして、自分の心を守るために生きています。かつて、真理を堅く信じていた多くの人々は、うまく仕掛けたサタンの陰謀に反対して防ぐことなく、霊的な福祉と主への明け渡しに関して不注意になっています。私達の家族を諸都市から連れ出して地方に退くことは、私達の人々のための時です。そうでないと、多くの若い人、数年のうちになる多くの高齢者達は、かの敵によって罠にかかって捕らえられるでしょう。

                    

190317

 私達は、レビュー&ヘラルド事務所の焼失の大義名分がやって来たという、甚大な損害の知らせによってとても悲しんでいます。1年の間に私達の大きな二つの施設[レビュー&ヘラルド出版所1902.12.30とバトルクリークサナトリウム1902.2.18]が火事によって破壊されました。最近のこの惨事のニュースは、私達の酷い嘆きの原因となりましたが、それは、私達の上に来るものとして主によって許されていました。そして、私達は不平を言うのではなく、主が私達に教えようとしている教訓を学ぶ必要があります。

 レビュー&ヘラルドの建物の破壊は、意味のない何かとして、忘れ去られないでしょう。その事務所に繫がっていた全ての人々は、自分自身に問う必要があります。「どういう点で、私はこの教訓に値することを行なっているだろうか。どういう点で、私は、主が私に送ったこの教訓‟主がこのように言っている”と反対に歩んでいたのだろうか。私は、主が送ったその警告と叱責に注意していただろうか。あるいは、自分自身の道に従っていただろうか」。

 神に、心を探り間違いを立証してもらいましょう。また、赦しを求めて贖い主の名によって、神に求めて、すべての罪と縁を断って、告白し、すべてのうぬぼれと自己の義を捨てて、悔恨と謙遜を持って、主の前に一人ひとり膝をつきましょう。神は、「私の処に来る人を、私は拒まない流儀ですHim that comes to Me I will in no wise cast out.(ヨハネ6:37 KJV)と言っています。主の前に自分自身を誠実に開示する人々は、赦されて義とされるでしょう。また、神の息子[]となる力を受けるでしょう。

 私は、神の警告に耳を傾けることを拒んで、根拠と光に抵抗したこれらの人々が、心の目的を満たして神に立ち返るようにとの彼らへの一つのアピールとして、レビュー&ヘラルド事務所の崩壊を見るように祈っています。彼らは、神が自分達の熱心さの中に存在していたことに気づいていないのではありませんか。主は、命の撲滅ではなく救いを求めています。ありがたいことに今のあの崩壊によって、働き人達の命と生活は守られました。すべての人々は、神が、人間ではなく天を起源として出たメッセージによって、彼らを正したということを見る機会を持っているでしょう。神の人々()は主から離れていました。彼らは、主の指導について行きませんでした。そして、主は、正すために彼らの近くにやって来ました。しかし、主は、命の死滅をもたらしませんでした。一人の魂も死に追いやりませんでした。すべての人々は、一人も反論できない特別な力を認めるように生き残されました。

 私達は、主の子らの命が主の目にとても貴いものだったということによって、主をほめたたえましょう。主は、彼らの自己満足と思慮のない働き人達を切り捨てることもできるでしょう。しかし、違います。主はこう言っています。「彼らはもう一つのチャンスを持っている必要があります。彼らが私の摂理の行動と反対行動をするならば、私はその火によって彼らに語るでしょう。そして見るでしょう。彼らは、私が彼らに教えようとしたその教訓を学ぶかどうかを見るために、火事によるとの同じように彼らを試すでしょう」。

 バトルクリークサナトリウムが崩壊した時[1902.2.18]、キリストは、男性達と女性達の命と生活を守るために自分自身を与えました。この崩壊の時に、神は、主に帰るように、主の人々()にアピールしていました。そして、レビュー&ヘラルド事務所の崩壊の時に、命と生活を救うために、主は第二のアピールを彼らに送っています。主は、彼らに、無限の奇跡的な働きの力が命と生活を救うために働いていたこと、すべての働き人達は悔い改めと回心の機会を持つことができることを見るようにと期待しています。神はこう言っています。「彼らが私に帰るならば、私は、私の救済の喜びに彼らを回復するでしょう。しかし、彼らが自分自身の道に歩み続けているならば、私はひそかに近くに行くでしょう。そして、真理を信じていると言っていても、しかし、彼らの恐れと彼らの畏れ、イスラエルの神、主を信じていない人、真理を行なっていない人の家族に災難がやって来るでしょう」。

 みんなで、自分が信仰によって存在しているかどうか、自分自身を見て試してみましょう。神の人々()は悔い改めて回心しましょう。彼らの罪は、主の臨在からやって来て、新鮮にされる時に消し去られるでしょう。主の勧めに注意を傾けることによって、どの時点で、彼らの魂を清めることに失敗したか、どういう点で、神がしるしを示した道を歩むことに失敗したかを確かめましょう。

 

12.何が起こっていたのか

1903.1.5.カリフォルニア セントヘレナより

バトルクリーク教会のみなさんへ

[1.光によって歩んでいなかった]

 ある日の午後、私は、昨年のSDA全体総会でその委任された立場の人々が、神の意思と方法に従っていたかどうか、何が行なわれていたかという働き(集会)について書いていました。大いなる光を持っていた人々は、その光によって歩んでいませんでした。その会議は閉じられて、その機会は作られませんでした。聖霊が授けられなかった時と彼らが行動する必要があった時に、人々は主の前に自分自身を謙虚にしませんでした。

 私は、意識を失っていた時の事をずっとこのように書きました。そして、私は、バトルクリークでのシーンを目撃しているように思いました。

 私達は、[バトルクリークにある]タバナクル教会の聴衆席に集められました。祈りが捧げられて、賛美歌が歌われて、そして、祈りがもう一度捧げられました。最も熱心な嘆願が神に捧げられました。その集会は、聖霊の臨在によって、注目されました。その働き(集会)は深刻になっていき、居合わせたある人は涙を流しながら大声で泣きました。

 ある人は腰を曲げた姿勢から立ち上がって、そして、「過去、私はある人々と団結していませんでした。そして、その人々に愛情も感じていませんでした。しかし、今、自分はあるがままの自分を見ています」と言いました。大いなる厳粛さと共に、彼は、ラオデキヤ人教会へのメッセージを繰り返しました。「なぜなら、汝らは言っています。私は豊かです。財産や所有物がたくさん増えました。私が欲しいものは何もありません。しかし、汝は、不幸で、かわいそう、見えず、裸であることを知っていません。「私は、汝に、火で精錬された金を私から買うことを勧めます。汝は豊かになるでしょう。また、白い衣服、汝はそれを着るでしょう。汝の裸は現れないでしょう。目を癒す軟膏をかすんだ目に塗りなさい。汝は見えるようになるでしょう」(黙示録3:17,18 KJV)。

 それを話していた人は、祈っていた人々の方に向きを変えて「私達は行なうための何かを持っています。私達は自分の罪を告白して、神の前に心を低くする必要があります」と言いました。彼は告白に心を砕いて、それから、数人の兄弟に歩み寄って、一人ひとり手を伸ばして許しを求めました。これらの人々は、彼らの足もとに行って語った彼のために、告白して、許しを求めて、そして、彼らは互いに抱き合って泣いていました。告白の精神は会衆全体に広がりました。それは、ペンテコステの時でした。神を讃える歌が歌われ、夜遅く、朝方近くまで続きました。その働き(集会)は続いていました。

 それに続く言葉は、はっきりとわかりやすく、しばしば繰り返されました。「私が愛している多くの人々を、私は叱ったりこらしめたりします。だから、熱心に悔い改めなさい。見上げなさい。私は、戸の傍に立って、叩いています。誰でも私の声を聞いて、戸を開けるならば、私はその人の家に入るでしょう。そして、[私は]その人と共に、その人は私と共に夕食をするでしょう」(黙示録3:19-20 KJV)。

 心から深く告白していて、自慢している人は一人もいないように見えました。この働き(集会)に導かれていた人は、感化を及ばされた人々でした。以前にはなかったけれども、自分達の罪を告白するよう励まされました。

 以前、タバナクル教会で聞かれていた時のように喜びがありした。

 その時、私は意識消失から目覚めました。そして、少しの間、自分がどこに居たのか、考えることができませんでした。私のペンは、まだ、自分の手に握られていました。ある言葉が、「これは行なわれました。すべて、これを、主は、主の人々()が行なうように待っていました。天の全ての存在者は、喜びになることを待っていました」と私に語りました。私は、昨年のSDA全体総会で行なわれた働き(集会)が通り過ぎたところについて考えました。そして、私の目撃したことが現実ではなかったということに気づいた時、失望と苦悩が私にやって来ました。

                        

 神の道は、常に正しく、慎重な道です。主は、常に、主の名に栄誉をもたらしています。人間の警戒は軽率に対抗するだけです。大きな望みの行動はキリストイエスとの調和を心に保つために存在しています。人間の知恵は当てにならないものです。人間は気まぐれで、高い自己評価に満ちて、プライド、そして、自己中心的です。神への奉仕を行なう働き人達は全的に主に信頼しましょう。その時に、折れた葦と同じく寄りかかって役に立たない人間の知恵によってではなく、主の知恵によってだけ、指導者達が快く導かれるために存在していることを表すでしょう。その人は、こう言っています。「あなた方の内で、誰かが知恵に不足しているならば、その人は、すべての人に咎めをせずに豊かに与える神に求めましょう。それはその人に与えられるでしょう。しかし、その人は、疑わないで信仰によって求めましょう」(ヤコブ1:5,6 KJV)

 

13.[神の配慮を]忘れること

 神の子らであると告白している全ての人々について、私は、詩編の105編、106編、107編に記録された古代イスラエルの歴史を考察するよう招きましょう。それらの御言葉を慎重に研究することによって、私達は、私達の神の愛と憐れみ、善意を十分に理解することができるようになるでしょう。

 

1)約束された地についての詩編

おお、神Jehovahに感謝を捧げ、主の名を呼びましょう。

主の行ないを主の民の間に知らせましょう。

主に向かって歌い、主に向かって賛美をささげましょう。

汝らは、主の素晴らしい働きを語りましょう。

汝らは、主の聖なる名の栄光をたたえましょう。

主を求める人々の心を喜ばせましょう。

汝らは、主とその力を求めましょう。

いつも、主の顔を求めましょう。

 

主の素晴らしい働きと主の不思議、主の口から出る裁きの言葉と

主が行なったことを覚えましょう。

おお、汝ら、主への奉仕者アブラハムの子孫

汝ら、ヤコブの子ら、主の選ばれた人々

主は、主、私達の神

主の裁きは、全地の人々に存在しています。

主は、主の契約を永遠に心にとめました。

その言葉は、何千という世代に命じました。

主が、アブラハムと結んだ契約は、

また、イサクとの誓いです。

さらに、同じくヤコブのための制定法として承認しました。

イスラエルのための永遠の契約です。

私は言っています。あなた方のたくさんの相続財産として、

汝らにカナンの地を与えるでしょう。

人々が、とても少ない人数だけだった時、

ええ、とても少なくて、その中で寄留者でした。

その人々は、一つの王国からほかの民へと

あちこちの国からほかの国へ行きました。

主は、その民に悪いことをする人を許しませんでした。

ええ、主は、その民のために王達を懲らしめました。

こう言っています。私の油注がれた人々に触れてはいけません。

私の預言者達に害を及ぼしてはいけません。

 

そして、主はその地に飢饉を呼びました。

主は、パンを作る人々すべての希望を砕きました。

主は、一人の人を民の前に遣わしました。

ヨセフは、奉仕者として売られました。

彼の足は、足枷によって傷つけられました。

彼は、鉄の鎖によって繫がれました。

主の言葉が、やって来て通り過ぎるまで

主の言葉は、彼を試みました。

その王は、人を遣って彼を解き放しました。

民の支配者でさえ、彼を自由に歩かせた。

主は、彼をその家の主人にしました。

そして、統治者はみな彼の部下となりました。

彼の慈悲深い原則で治めるために

彼の先輩達に知恵を教えました。

イスラエルの人々もまたエジプトにやって来ました。

ヤコブは、ハムの地に寄留しました。

主は、その民を大いに増し加えました。

そして、彼らの敵よりも強い者にしました。

主は、主への奉仕者達を巧妙に扱わせるために、

主の民を憎むように、エジプトの人々の心を変えました。

主は、主が選んだアロンと

そして、主への奉仕者モーセを遣わしました。

彼らは、ハムの地では不思議なわざ、

エジプトの民の間には、主のしるしを置きました。

主は暗黒を遣わして、その地を闇にしました。

そして、エジプトの民は、主の言葉に向き合わないで反逆しました。

主は、川に水を血に変えました。

そして、川の魚を殺しました。

エジプトの地は、カエルの群れでいっぱいになり、

王の寝室にも入ってきました。

主は言いました。すると、シラミ[ブヨ]とハエの群れが

エジプトの国中にやって来ました。

主は、エジプトの人々の地に、

雨の代わりにヒョウと、燃える炎の剣を降らせました。

主は、その地のブドウの木とイチジクの木を打ち倒し、

エジプトの国中の木々をなぎ倒しました。

主は言いました。すると、数えられないほど多数の

バッタとイナゴがやって来て、

エジプトの地の青草を食い尽くし、

その地の果実を食い荒らしました。

主は、また、エジプトの地の権力者の長と、

初めて生まれた子をみな撃ちました。

 

そして、主は、イスラエルの民を金と銀を持たせて連れ出しました。

主の部族の間では、弱った者は一人もいませんでした。

イスラエルの人々への恐れが、エジプトの人々に降ったので、

エジプトの人々は、イスラエルの人々が去った時に喜びました。

主は、夜の間に明かりを与えるために火を灯して、

[昼の間の]覆いとして、一つの雲を広げました。

主の民は求めました。そして、主はうずらを持って来ました。

また、その民は、天からのパンによって満たされました。

主は、岩を開いて、水をあふれ出させました。

水は、乾いた地に川のように流れて行きました。

 

主は、主の奉仕者アブラハムとの[約束の]

主の聖なる言葉を覚えていました。

そして、主は、主の人々の前に喜びを持って来ました。

そして、主に選ばれ人々は、賛美を持って、

そして、主は、諸国民の地を、主の民に与えました。

主の民は、その人々の労働の宝を得ました。

そうして、主の民は、主の制定法を守るようになるでしょう。

そして、主の律法を見守り行なうでしょう。

「汝らの神ヤハウェ(hwhy)をほめたたえよ」

詩編105, A.R.V.[アメリカ改定訳]

                        

 

2)囚われの身の状態の時の詩編

「汝らの神ヤハウェ(hwhy)をほめたたえよ」

さあ、神に感謝を捧げましょう。主は、善意です。

主の慈しみは、永遠に続いています。

誰が、神の権威ある行動を言葉にできるでしょうか。

主を称賛して全てを示せるでしょうか。

祝福された人々は、正義を守っている人々です。

そして、その人々は、いつも義を行なっています。

神さま。そなたが、そなたの民に好意を寄せる時に、

私を覚えていてください。

おお、そなたの救いを持って、私を訪れてください。

そうすると、私は、そなたが選んだ幸運を見ることができるでしょう。

私は、そなたの国の民の歓喜によって喜ぶでしょう。

私は、そなたの相続遺産の栄光をたたえるでしょう。

 

私達は父祖達と共に罪を犯しました。私達は不正の罪を犯し、悪を行ないました。私達の父祖達は、エジプトでのそなたの不思議を理解していませんでした。父祖達は、そなたの慈しみの深いことを覚えていませんでした。ですから、あの海、紅海で背きました。

にもかかわらず、主は、主の名のゆえにこの民を救いました。主は、その力が知られるようにしようとしました。主は、紅海の水を抑えて、乾かしました。主は、その民を海の深い所を通って、荒野に導きました。そして、主は、その民を憎んだ人の手から救いました。主は、その民を敵の手から贖いました。そして、その海水は、敵を被ったので、生き残った人は一人もいませんでした。その時、主の人々は、主の言葉を信じました。主の人々は、主を讃える歌を歌いました。

 

主の民は、やがて、主の働きを忘れました。

主の民は、主の勧めを待ちませんでした。

しかし、その荒野でとても強い欲望を起こしました。

そして、砂漠で、神を試しました。

主は、その民に求めた物を与えました。

しかし、主は、その民に魂の衰えを遣わしました。

その民は、そのキャンプの中で、

神の聖者モーセとアロンに敵意を持ちました。

地が開いて、[コラ・アビラム]ダタンを飲み込み、

アビラムの仲間達を地が覆いました[16:32]

そして、一つの火が、彼らの仲間達を燃やしました。

その炎の剣は、悪い人々を燃やし尽くしました。

主の民は、ホレブで[金の]子牛を造って、

鋳造したその像を拝みました。

こうして、主の民は自分達の[神の]栄光を

草を食う雄牛に似たものに変えてしまいました。

 

主の民は、自分達の救い主、神[の働き]を忘れました。

誰が、エジプトで大いなることをしたのですか。

誰が、ハムの地で不思議なことを働いたのですか。

誰が、紅海のそばで恐るべきことをしたのですか。

それゆえ、主は、その民を滅ぼそうと言っています。

主が選んだモーセは、その民が滅ぼされないように、

主の怒りを変えるために、裂かれた民の中で、主の前に立ちました。

 

ええ、その民は、喜ばしい地を酷く嫌いました。

その民は、主の言葉を信じませんでした。

そうではなく、自分達のテントの中で不平を言いました。

そして、神の言葉を聞きませんでした。

それゆえ、主は、その民に誓いました。

主は、その民を荒れ野に放置しよう、その子孫を多くの国々の間に放置しようと思いました。

そして、その民をその地の中に散らしました。

その民は、ペオルのバアルに自分から繫がりました。

そして、死んで命のない者に捧げた犠牲を食べました。

このように、この民は自分達の行ないによって、主の怒りを引き起こしました。

そして、疫病がその民の中に広がりました。

 

その時、ピネハスが立ち上がって、裁きを実行しました。

そして、その疫病は収束しました。

そして、それは、いつまでもすべての世代に、

彼の義と言われました。

 

その民は、また、メリバの水のほとりで、主に対して怒りました。

そのために、モーセにとって災いとなりました。

その民は、モーセの精神を非難したので、

モーセは、自分の口で軽率なことを言いました。

主の民は、神が、彼らに命じたのに、

様々な国の民を滅ぼさず、

自分達から、様々な国の民と混ざって、

彼らの働きを学びました。

そして、彼らの偶像に仕えて、

それは、主の民にとって罠となりました。

ええ、主の民は、自分達の息子と自分達の娘をデモンの神に捧げしました。

そして、罪のない者の血を流しました。

自分達の息子と娘の血でさえも

主の民は、カナンの偶像に犠牲を捧げました。

そして、その地は、血によって汚されました。

このように、主の民は自分達の行ないによって汚されました。

そして、自分達の行ないによって売春婦と戯れました。

 

それゆえ、神の怒りは、主の人々に燃え上がりました。

そして、主は、その相続遺産を憎みました。

そして、主は、その民を国々の手に渡しました。

そして、主の民は、憎んだ者に支配されました。

主の民の敵は、主の民を虐げました。

そして、主の民は、敵の手の下の奴隷として働かされました。

長い期間、主はその民の中に住んでいました。

しかし、その民は、自分達の勧めに背きました。

そして、彼らの不正の罪の低みに連れて行かれました。

にもかかわらず、主がその民の叫びを聞いた時、

主はその民の悩みを気遣いました。

そして、主は、その民のために主の契約を思い出しました。

そして、深い主の慈しみによって思い返しました。

主は、主の民を虜にした者達によって

彼らが同情されるようにしました。

 

私たちを救ってください。おお、神よ、私達の主よ。

そして、国々の間から私達を集めてください。

そなたの聖なる名に感謝を捧げるために、

そなたの栄誉による勝利のために、

イスラエルの神、主は栄誉を受けるでしょう。

永遠から、永遠までも。

そして、主の人々()はみな、アーメンと言うでしょう。

「汝らの神Jehovahをほめたたえよ」

詩編106, A.R.V.[アメリカ改定訳]

 

3)贖いの歌

さあ、神に感謝を捧げましょう。主は、善意です。

主の慈しみは、永遠に続いています。

神に贖われた者達は、

主は敵の手から贖いましたと言いましょう。

そして、西から東から、北から南から、

様々な国から集めました。

 

主の民は、人気のない道の荒れ野をさまよいました。

主の民は、人の住む都市を見つけませんでした。

飢えと渇き、

主の民の魂は、彼らによって弱りました。

その民は、自分達の悩みによって神に叫びました。

そして、主は、その民を悩みから救い出しました。

主は、その民を正しい道のそばに導きました。

それで、その民は人の住む都市に行くでしょう。

その民は、主の慈しみのゆえに、神をほめたたえるでしょう。

そして、主は、飢えた魂を良い物で満たして、

そして、切望する魂を満ちたらせるので、

主の素晴らしいことは、その民の子らに働いています。

 

死の陰の中と、闇の中に座る者のように、

[の武器]と苦しみに縛られている者、

その民は、主の言葉に背きました。

そして、いと高き者の勧めを軽蔑しました。

それゆえ、主は、その民の心を労働によって低くしました。

その民は倒されました。そして、そこには、助ける者はいませんでした。

その民が、自分達の苦悩を神に叫んだ時、

そして、主が、その民の苦しみから助け出しました。

主は、その民を死の影と闇から連れ出しました。

そして、枷を切断して壊しました。

おお、その民は、主の慈しみのゆえに神をたたえるでしょう。

そして、主の素晴らしさは、その民の子らに働いています。

主は、真鍮の門を壊しました。

そして、鉄のかんぬきを切断して、壊しました。……

 

主は、川々を荒れ野の中に向きを変えて、

そして、乾いた地に水を湧き出させます。

そこに住んでいる人々の悪のゆえに、

肥えた土地を塩地に変えます。

主は、荒れ野に水を貯める池をつくって、

そして、乾いた地を水が湧き出る地にします。

そして、主は、そこに食糧難の人が住むようにします。

その人々は、人の住む都市をつくる準備をして、

そして、畑に種を蒔いて、ブドウ園を作って、

そして、その人々は、実った穀物や果物を収穫しました。

主は、また、その人々がたくさん増えるように、その人々を祝福します。

そして、主は、その人々の家畜が減るのを許しません。

 

再び、その人々が、悲しみと悩み、圧政に降参して、

少なくなったならば、

主は、王達にさげすみを与えて、

道のない所をさまよい歩く理由としました。

 

賢い者はすべて、これらのことに注意を傾けましょう。

そして、その民は、神の慈しみを心に留めましょう。

詩編107, A.R.V. [アメリカ改定訳]

 

4)かつての日々を思い出すことへの呼びかけ

 なぜ、古代イスラエルの人々は、そんなに簡単に神の配慮を忘れたのですか。その人々()は、自分達の記憶に主の警告の言葉や力と大いなる働きを保持していませんでした。その民は、主の叱責を受けなかったという、自分達への主の素晴らしい配慮を思い出しました。

 

汝らは何者ですか。汝らは、草のように枯れる人の息子、

やがて死ぬ人を恐れています。

そして、天を広げて創造し、地の基を据えた

汝らの造り主、神を忘れてしまいました。

迫害者達の激しい怒りのゆえに、

毎日、恐れ続けています。

いつ、人の息子は滅ぼす用意をしているのですか。

どこに、迫害者達の激しい怒りがありますか。

イザヤ51:12,13. A.R.V.[アメリカ改定訳]

 

 しかし、イスラエルの子らは、自分達を創造と贖いによって存在させた神を忘れました。主の素晴らしい働きをすべて見た後で、その人々は、神を試しました。

 聖なる言葉は、イスラエルの人々のために約束されました。しかし、神が現した言葉は、誤解されて誤用されていました。その人々は、イスラエルの聖なる御方の言葉を酷く嫌いました。

 

主が所有しているブドウ園は、イスラエル家のことです。

そして、ユダの人々は、主が植えた喜びです。

主は、正義を期待したのに、しかし、見よ、迫害。

正義を期待したのに、見よ、叫び。

 

悲しいかな、その人々()は、

神の働きを考慮せず、主の手の業も考えず、

それゆえ、私の民は、知識の欠如のために

捕虜として連れて行かれるでしょう。

 

悲しいかな、その人々()は、

悪を善と呼び、

善を悪と呼んでいます。

光を闇として、

闇を光としています。

苦い味を甘いとして、

甘い味を苦いとしています。

 

悲しいかな、その人々()は、

自分の目で自分を見て、賢い者とし、

自分の目で自分を見て、慎重としています。

 

聖なる御方の言葉を見下して、

その民は、接待する、神の律法を拒んだので、

それゆえ、燃える火の舌が切り株を燃やし尽くすように、

枯れ草が炎の剣の中に沈むように、

その民の子孫は、腐った根のように衰退するでしょう。

その民の花の様に有望な人、塵のように消え去るでしょう。

イザヤ5:7,11-13, 20,21,24 A.R.V.[アメリカ改定訳]

 

 

5)私達の訓戒のための書き物

 「これらの事柄は、……世界の終わりがやって来ている人々、私達の訓戒のために書かれています」(1コリント10:11 KJV)。その警告は、今日の私達の働き人達にも伝わってきています。

 「兄弟[姉妹]のみなさん、あなた方の内の誰かが、生きている神から離れて不信仰の悪い心にならないように、気を付けてください。しかし、きょうと言われている間に、罪のだましに心を堅くされるといけないので、日々、互いに勧め合いなさい(ローマ1:12 KJV)。私達は、キリストに就く者にされているので、私達が、初めの確信を終わりまで堅く持ち続けているならば、

 

きょう、なんじらが主の声を聞くならば、

神に背いた時のように、あなた方の心を堅くしてはいけません。

 

 聞いたにもかかわらず、反抗したのは誰でしたか。モーセに率いられてエジプトから出てきたすべての人々ではありませんか」(ヘブライ3:12-16 KJV)。

 私達は、その使徒の「兄弟[姉妹]のみなさん、あなた方の内の誰かが、生きている神から離れて不信仰の悪い心にならないように、気を付けてください」(12節)という言葉の重要性に気付いて、終末の時代に生きていることができないのですか。

 過去の世代に積み上げられた光が私達の上で輝いています。忘れやすいイスラエルの記録は、私達の照明/啓蒙のために保存されてきました。この世代の中で、神は、すべての国の民と部族、言語から一つの人々()を自分自身のもとに集めるために、主の手を伸べました。再臨運動において、主は、エジプトから導きだして、ヤコブの子孫のために働く者として、主の相続遺産のために働きました。18844年の大失望において、主の人々()の信仰は、紅海でヘブライ人に存在していたようなテストをされました。初期の再臨信徒達がガイドして過去の体験において共にいた主の手に堅く信頼していたならば、その人々は、神の救いを見たことでしょう。1844年の働きに繫がれたそのすべての人々が第三天使のメッセージを受けて、聖霊の力によって宣布していたならば、主は、その人々と共に効果的に力強く働いたことでしょう。光の洪水が、世界の人々に輝いたことでしょう。何年か前に、地上の住民が警告されたならば、この働きの終わりは完成されたことでしょう。そして、キリストが主の人々()贖うために来たことでしょう。

 

6)この時代の人々のためのメッセージ

 私は、この時代の人々のための私達の特別な働きの視点を失う危険性がある兄弟姉妹達のために、警告の言葉の出所を確かめておくように指導されました。主は、私達に神聖な真理を託しました。私達は、現れて輝くために存在しています。あらゆる国々で、私達は、その預言者が「見上げなさい。主は御使いの群衆と共にやって来ます。そしてすべての人々の目、彼を突き通した人々は、彼を見るでしょう。そして、すべての部族は、彼のゆえに嘆き悲しむでしょう」(黙示録1:7 KJV)と宣布する言葉によって、キリストの再臨を先触れするために存在しています。

 私達は、何を行なっていますか。私達は、第三天使のメッセージを与えていますか。彼ら[第一、第二の天使] に続いて、第三の天使は大声で叫んでいます。「誰でも、その獣とその像を拝むならば、また、そのしるしを自分の額や手に受けるならば、その人は、混ぜ物のない、主の憤りのカップから注がれる、神の怒りのブドウ酒を飲むでしょう。その人は、[]子羊イエスの臨在と聖なる天使達の臨在によって、硫黄と火によって苦しめられるでしょう。その人々の苦しみの煙は永遠に昇るでしょう。その獣とその像を拝する者、その名の刻印を受ける者は夜も昼も休みがえられません。ここには、聖徒達の忍耐があり、イエスの信仰と、神の戒めを守る人々がいます」(黙示録14:9-12 KJV)

 神の戒めとイエスの証は団結しています。それらは、この世界の人々に明確に提示されるために存在しています。

7)敵の妨害

 神の言葉によって、私達は第三天使のメッセージの成果を示されています。「その龍は、その女性/教会に怒りを発して、イエスの証を持って、神の戒めを守っている彼女/教会の子孫の残りの者に戦いを挑むために出かけて行きました」(黙示録12:17 KJV)。これらの戒めを宣布する人々に対して憎しみを持ち続けて、神の戒めへの従順を拒むことは、その龍の側にいて戦うことを決意することに導いています。それらの全体のエネルギーは、神の戒めを守る人々()に対して向けて注がれています。「彼は、小さき者も大いなる者も、富めるも貧しきも、自由人も囚われ人もすべてに、右手や額に刻印を受けるために、理由を与えました。彼の名の数字や獣の名、その刻印を持った人は安全でしたが、[それを持たずに]売買できる人はいません」(黙示録13:16,17 KJV)

 神の封印やしるしは第7日の安息日を守ることによって表されています。主は「本当に、汝はイスラエルの子らに話しなさい。あなた方やあなた方の子孫と私の間の一つのしるしなので、汝らは私の安息日を守るでしょう。その事によって、汝らは私があなた方を清めている主であることが分かるでしょう」(出エジプト31:12,13 KJV)と、モーセに言いました。ここに、主の安息日は、神と主の人々()の間の一つのしるしとして、明確に意図されています。

 その獣の刻印は、週の初めの日を守って――これに対抗したものです。その刻印は、神の権威を認めている人々から、カトリックの最高権威を認めている人々を区別しています。

 

8)大いなる叫び

 黙示録の18章で予告されているように、第三天使のメッセージは、その獣とその像に対して最後の警告をしているこれらの人々によって、強い力によって宣布されるために存在しています。「私は、もう一人の天使が大いなる力をもって天から降って来るのを見ました。そして、この地上の人々はその天使によって明るく照らされました。そして、彼は、力強い声で権威をもって叫びました。大いなるバビロンは倒されています。倒されています。すべての国民は彼女/教会の姦淫/偶像崇拝への怒りのブドウ酒を飲んだので、また、地上の王達は彼女/教会と姦淫/偶像崇拝を行なったので、また、地上の商人達は彼女のあり余る贅沢/優雅さによって富を増しました。そして、私は天からのもう一つの声を聞きました。彼女/教会の罪は天にまで達し、神は彼女/教会の罪悪を覚えたので、私の人々()、彼女/教会から去って来て、汝らは彼女が受ける災いを被らないようにして、彼女の罪に与らない者になりなさい。彼女/教会があなた方にしたように、彼女/教会が満たしたその二倍をカップに入れて、彼女/教会の働きに応じて二倍には二倍にして返しなさい。彼女/教会は自分の栄誉を多く称えて愉快に生きました。だから、多くの苦痛と悲しみを彼女/教会に与えなさい」(黙示録18:1-6 KJV)。

 これは、第三天使によって大きな声で響かせられるために、神によって与えられたメッセージです。

 [現在の]真理の知識に釣り合って熱心に信じているこれらの人々は、協力している人々と、あらゆる者を救う清める力にある、その真理とのコミュニケーションによって、神への忠誠を現すでしょう。その人々の私心のない奉仕と清い生活は、天の王国の生き生きとした原則によって慰めとなるでしょう。

 

9)そして忘れられた

 多くの人々が宣布に熱心だった第三天使のメッセージが現在、元気のない無関心なものにされているということは、厳粛な恐ろしい真実の一つです。クリスチャンであることを告白した多くの人々と世俗の人々の間の境界線は、ほとんど見分けがつかなくなっています。かつて熱心なアドベンチスト(再臨信徒)だった多くの人々は、行動において、習慣において、利己主義において、この世界の人々の俗に順応しています。神の律法へ従順にするために、世界の人々を導く代わりに、この教会は益々世俗の罪と繫がっています。日毎に、この教会はこの世界の人々を被っています。クリスチャンだと告白した多くの人々が富の神マモンから救われています。食欲を甘やかすこと、自分が楽しむためのお金を豪華に使うことは、神の栄誉をひどく汚しています。

 そして、第三天使のメッセージを熱心に宣布することの欠如によって、罪が現れないように生きているうちに、ほかにも多くの人々が、それでもやはり、神に反逆して罪を表している人々がいるように、サタンの側にいて影響を及ぼしています。多くの人々が滅びて行っています。しかし、それらの魂のために重荷を負っているのは僅かな人々だけです。多くの神の人々()に、そのための時間についての義務を理解することを妨げている、麻痺や意識朦朧状態のような人がいます。

 イスラエルの人々がカナンに入った時、その人々は、その地の全体を財産にするようにとの神の目的を果たしていませんでした。部分的に征服した後、その人々は自分達の勝利と成果の喜びに浸っていました。その人々の不信仰と安易な敬愛によって、その人々は新たな領地を占領するために戦いに出る代わりに、すでに征服した一部の領地で喜んでいました。このように、その民は、神から離れ始め、主の目的を果たすことに失敗することによって、その民へ祝福を満たすという主の目的を不可能にしました。

 現在、この教会は同じことを行なっているのではありませんか。福音を必要としている全世界の人々の前で、クリスチャン会衆は、自分達が福音の特権を喜ぶことができる場所で告白しました。その人々は、はるかかなたの地域に救いのメッセージを伝えて、新しい伝道地を占領する必要を感じていません。その人々は、キリストが「汝らはあらゆる世界に出て行って、すべての造られた者達に福音を伝えなさい」と委託した任務を果たすことを拒んでいます。その人々は、ユダヤ人教会よりも罪の責任が小さいですか。

 

10)汝らは誰に仕えるかこの日に選びなさい

 神に忠実な人々と、主の律法を見下す人々の間に、険しい戦いが起こるでしょう。神の律法を敬う人々は、滅ぼされてきました。宗教指導者達は、人々の戒めの教理を教えています。古代イスラエルの日々にあったように、それはこの世界の人々のこの世代にも存在しています。しかし、違反の罪と不忠実の優勢のゆえに、神の戒めを敬った人々は現在、それを尊敬することを大事にしなくなっていませんか。彼らは、それを避けようとする地上の勢力と団結していませんか。その忠実な人々は、悪の流布によっても引き離されないでしょう。彼らは[神の配慮を]忘れたイスラエルの人々の例に倣わないでしょう。すべての時代において、主の人々()への神の配慮を思い出すことを求めているでしょう。また、主の戒めの道を歩んでいることでしょう。そのテスト/試金石は、すべての人々に訪れています。そこでは、二つの立場だけしかありません。あなた方はどちらの側に存在していますか。

 

11)全能の神の避難所

 神の戒めを守っている人々は、全能の神の寛大な避難所に逃れています。

いと高き聖なる所に住んでいる主は、

全能者の陰の下に隠すでしょう。

私は神ヤハウェ(hwhy)について言いましょう。主は私の避け所、私の要塞です。

私が信頼している、私の神です。

主は、野鳥猟師の罠から、死の疫病から

汝らを助け出すでしょう。

主は、その翼の羽で汝らを被うでしょう。

そして、汝らは、主の翼の下を避難所とするでしょう。

主の真実は、大きい盾、また、小さい盾です。

汝らは、夜の恐ろしいものも、恐くないでしょう。

昼間に飛んでくる矢も、[霊的な]無知の闇を歩む疫病も

真昼に荒らす滅ぼす者も

恐くないでしょう。

千人が、汝のそばに倒れても、

万人が、汝の右手に倒れても、

災いは、汝のそばに近づかないでしょう。

汝らの目は見るだけでしょう。

悪い者の報いを見るだけです。

汝は、いと高き者を住まいにしたので、

汝らのために、おお、神は私の避け所です。

悪は、汝に降りかからないでしょう。

どんな災難も、汝のテントに近づいてこないでしょう。

主は、主の天使達に汝らを守るように命じるでしょう。

全ての道で、汝らを守るでしょう。

天使達は、その手で、汝らを支えるでしょう。

汝らの足が、石にぶつからないようにするでしょう。

汝らは、ライオンと毒ヘビをつけるでしょう。

若いライオンとヘビは、汝らの足で踏みつけられるでしょう。

その人は、主である私を愛して信頼したので、私は彼を助けましょう、

その人が、私の名を知っていたので、私はその人を高きにつけましょう。

その人は、私を呼ぶでしょう。そして、私はその人に答えましょう。

私は、その人が悩みの時に、その人と共にいるでしょう。

私は、その人を救うでしょう。そして、その人をたたえるでしょう。

私は、その人を長寿にして、その人に満たすでしょう。

そして、私の救いをその人に示しましょう。

詩編91, A.R.V.[アメリカ改定訳]

 

12)神の統治

さあ、来てください。私達は神に向かって歌いましょう。

私達は、救いの岩に喜びの声を上げましょう。

私達は、感謝を持って主の臨在の前に行きましょう。

私達は、詩編によって、主を大声で喜びの声を上げましょう。

 

主ヤハウェ(hwhy)は、大いなる神です。

全ての神々にまさって大いなる王です。

地の深い所は、主の手の中にあります。

高い山々も、主のものです。

大海は主のものです。そして、主はそれを造りました。

そして、主の手は乾いた地を造りました。

 

さあ、来てください。私達は礼拝して、膝をつきましょう。

私達は、私達の造り主、ヤハウェ(hwhy)の前にひざまずきましょう。

主は、私達の神なので、

私達は、主の牧場の人々()です。そして、主の地の羊です。

きょう、汝らは、主の声を聞くことでしょう。

私の真意を確かめて、私の働きを見て、

あなた方の父祖達が、主である私を試みた時、

メリバであったように、マッサの荒野の火のように、

あなた方の心を頑なにしてはいけません。

40年の間、私はこの世代には、悲嘆に暮れさせられてきました。

そして、この人々()は、心の中で悪いことを行なっていると言いました。

この民は、私の道をわかりませんでした。

それゆえ、私は、主の怒りによって誓いました。この民は、私の安息に

入らないでしょう。

 

さあ、神に向かって新しい歌を歌いましょう。

全地の人々、主ヤハウェ(hwhy)に向かって歌いましょう。

主の名を祝福して、主ヤハウェ(hwhy)に向かって歌いましょう。

日毎に、主の救いを示しましょう。

主の素晴らしい働きの作品をあらゆる人々()の間で、

国々の民の間で、主の栄光を宣言しましょう。

 

神は、大いにたたえられるほどに偉大なので、

主は、すべての神々にまさって畏れられるために存在しています。

様々な民の神々はみな、偶像です。

しかし、主ヤハウェ(hwhy)は諸天を造りました。

栄誉と威厳は、主の前にあります。

権能と美は、主の聖所にあります。

 

大いにたたえられるように、主ヤハウェ(hwhy)に帰りましょう。

栄光と力を、ヤハウェ(hwhy)に帰しましょう。

捧げ物を持って、主の大庭に行きましょう。

さあ、全地の人々、主の前に畏れおののいて、

清い装いをしてヤハウェ(hwhy)を拝しましょう。

 

諸国の人々の間で言いましょう。主ヤハウェ(hwhy)は統治者です。

この世界はまた、動かされることができないように、造られました。

主は、公平に様々な民を裁くでしょう。

 

諸天の住民達は喜び、地上の住民は喜びましょう。

大海とそのなかのもの達は、鳴きましょう。

野や畑の中のもの達は、歓喜しましょう。

そして、森の木々も喜び歌うでしょう。

 

主がやって来るので、主ヤハウェ(hwhy)の前に行きましょう。

主は、地上の人々を裁くためにやって来ます。

主は、正義によって、主の誠実によって

様々な人々と世界の人々を裁くでしょう。

詩編95,96, A.R.V[アメリカ改定訳]


 

3章 医師達への手紙

「あなた方のために同じことを書きますが、私にとって、確かに、嘆かわしいことではありません。それは、あなた方のために、安全を保証するものです」(フィリピ3:1 KJV

 

1886,7,16.[デンマーク]コペンハーゲンへの道中にて[59] [4]

1.試練の価値

(訳者加筆。E.ホワイトが書いている「この医事最高管理責任者は」J..ケロッグです。本書の末尾に『エレン・G・ホワイト百科事典』にある「J..ケロッグ」の経歴を補遺として添付しました。彼は、S.N.ハスケルの次に多くの手紙を受け取っています)

 

) バトルクリークサナトリウムの医事最高管理責任者へ

 親愛なる兄弟へ。私は、あなたに対して、最も慈しみの愛を持っています。私は、非難をもってあなたに口を閉じている人々があなたを孤立させているだろうと思っています。しかし、私の兄弟、あなたは、悩みの種と困惑が、神を愛し善意を持って共に働いている人々を、「すべての事柄」に巻き込んでいるということを覚えて置く必要があります。主の眼差しは、あなたに注がれていて、主は、ある人々が、あなたをバラバラに引き裂いて、あなたを偽って伝えているのを見ています。しかし、あなたが善意によって勇気を奮い立たせるならば、また、あなたが自分の魂に神を宿らせるならば、さらに、あなたが、両親を信頼している子どものように、あなたの天の父を信頼しているならば、神はあなたと共に働くことができるでしょう。主の約束は確固としたものです。「私/主を尊敬する人々を、私は尊敬するでしょう」(1サムエル2:30 KJV)。

 あなたの体験は、その種類のものが初めてではないことを覚えていてください。あなたは、ヨセフとダニエルの成育歴をご存知です。その主は、悪い人々のたくらみを阻止しませんでした。そうではなく、主は、彼らの試練と葛藤の中で自分達の信仰と忠誠を保って、それらの計略に良い働きの結果をもたらしました。

 炉の中で燃える火は、死滅させるためではなく、清さと高貴さを証明するために存在しています。試練なしに、私達は、そんなに多く、神の助けと神の必要を考えないでしょう。また、私達は、自己満足と自慢に陥るでしょう。あなたに訪れた試練によって、私は、主の眼差しがあなたに注がれていて、主が主自身にあなたを引き寄せることを意図していると見ています。それは、全部の医師ではなく、傷ついた、必要としている一人の医師です。それは、一人の助け手を必要としている人で、忍耐の限界を超えた状態のストレスにさらされている人々の一人です。主の砦に戻ってください。貴い教訓を堅持してください。「重荷を負って苦労している者はみな、私のもとに来てください。あなた方は私のくびきを着けてください。私は心が優しく謙遜な者ですから、汝らは、自分の魂に休息を見つけるでしょう。私のくびきは負いやすいので、私の重荷は軽やか/光です」(マタイ11:28-30 KJV)。

 イエスはあなたを愛しています。私は、あなたがたどっている体験を読んだ時、嬉しくなりました。しかし、あなたが主の所に行くかどうか、また、あなたが自分の信頼を主に置いて、主の中に平安と安息を見つけるかどうかと、主イエスがあなたをテストして試しているという一つの根拠が私にあるゆえです。あなたは、生きている水の源、主の所に行くようにと、私はあなたのために祈っています。キリストが私達のために用意しに行ったマンション(天の家)に主と共に住むのであれば、これは、私達全ての人々が持つ必要のある体験です。あなたは、キリストの学校で学ぶための高度に価値ある授業を受けました。その授業は、恐れおののいてあなた自身の救いを達成するために導いているでしょう。

 みんながあなたについて良く言っている時、あなたが成功している時に、あなたは危機の中に存在しています。あなたは疲れているでしょうから、あなたの防御に気を付けてください。私は、あなたが絶大な成功を収めて、「自分は神だけを信頼する」を学ぶことに失敗しただろうととても心配していました。あなたは、絶大な栄誉と信頼の地位に就かされました。そして、そこには、あなたが神への信頼を忘れて、目がくらむようになっている危機がありました。あなたは、神の栄光にあなたの誠実な視点を保つならば、良い感化を及ぼすことができる地位に置かれていました。あなたの天の父はあなたを愛しています。そして、主は、あなたには厳しく思える試練によって、あなたを主自身に引き寄せているでしょう。

 あなたがかろうじて許された罪人としてではなく、征服者の一人として神の都に入るようにと、私は最も熱く願っています。私の兄弟、この事を感謝していますか。あなたが、この世で、誠実で謙虚で、忠実ならば、あなたは、あなたは豊かに入場権を与えられるでしょう。その時、命の木はあなたのものとなるでしょう。あなたは罪の勝利者となるでしょう。神が建設し造った都は、あなたの都市となるでしょう。あなたの想像を見えない事柄にはせてください。あなたの思考を、自分のための大いなる神の愛の根拠にめぐらしてください。あなたが追求しているテーマを熟考することによって、あなたは、僅かな一時でも、苦悩が軽くなることによって、もたらされている心痛の感覚がなくなるでしょう。

 

2)パウロの体験

1886,7,17.[デンマーク]コペンハーゲンにて

 パウロは、キリストの苦悩に与ることの意味を知っていた一人でした。あなたには、彼の試練の歴史を私が繰り返す必要がありません。彼の生涯は、常に活動的な一人でした。にもかかわらず、彼は多くの病弱という問題を抱えていました。彼は、ユダヤ人達の強い悪意と憎しみによって、付け回され続けていました。彼らは非常に彼を憎んでいて、パウロの働きを妨害するために自分達のあらゆる力を使いました。また、私達は、私達の時代の働き人達の間に響いてくる彼の声を聞いています。「それは、私達の軽い苦悩が、ほんのわずかの間、はるかに優ったものと永遠の重厚な栄光を私達に働きかけるためです。一方、私達は、見える物事にではなく見えない物事を見て考察しています。なぜなら、それらの見える物事は束の間であり、見えない物事は永遠に存在しているからです」(2コリント4:17,18)。「私は、この時に現されている苦しみは、やがて私たちに現される栄光に比べると価値がないと思います」(ローマ8:18 KJV)。パウロは、クリスチャン生涯の優位性や特権について、高い評価をしていません。彼が真実を言っているということを自分の体験で知っているので、私はこの事柄についてためらわずに言います。

 

3)神の愛の中に安らぐ

 パウロはさらに言っています。「多くの人々は、聖霊によって導かれている時に、神の息子[]達です。汝らは、再び恐れのある隷属の境遇の聖霊/精神を受けたのではなく、それによって、アバ父よと呼ぶ人々に繫がる性霊/精神を受けました」(ローマ8:14,15 KJV)。私達は、私達のための神の愛が私達の地上の親達以上に大いなるものだという教訓を、キリストの学校で学ぶために存在しています。私達は、主に対する絶対的、完全な信頼と信仰を持つために存在しています。「聖霊/精神自身が、私達の性霊/精神と共に私達が神の子らであることの証をしています。そして、神の子らであるならばその時に相続人です。神の相続人、そして、キリストと繫がる相続人です。私達が主と苦難を共にしているならば、私達は共に栄光を受けるでしょう」(ローマ8:16,17 KJV)。

 あなたの重荷をイエスに委ねることを学ぶために、キリストの学校の聡明な学生として、主はあなたを助けるでしょう。あなたが、主の愛を豊かに与えられるならば、悩まされているそれらの試練から逃れて、その上を見るでしょう。イエスがあなたのために忍耐していたことを考えて、そして、主の苦難に主と共に与る者となるため、私達がクリスチャンとして受け継いだものは遺産の一部であることを覚えていてください。私達は主の栄光に主と共に与る者になれるでしょう。

 

4)自己満足の危険性

 ダニエル書4章に記録されたネブカドネザルの夢を研究してください。その王は、地上に立って枝を張っている高い大木を見ました。丘や山から動物たちが群れをつくって集まって、それを逃れの場にしていました。そして、大空を飛ぶ鳥たちは、その枝に巣を作っていました。このように、ネブカドネザルの偉大さと成功が記述されました。国の民は、彼の統治権の下に集められていました。彼の王国は、彼に忠誠を誓う民の心によって堅固に建国されていました。

 その王は、それを見回して、そして、自分の成功を見ました。神が彼に警告を与えたにもかかわらず、彼は、主が彼に何も行なっていないと語ったことを行ないました。彼は、自分の王国を自慢して見回して、そして、語気を強めて言いました。「私は、自分の権力をたたえるために、大いなる権力によって王国の家を建設した。これは、大いなるバビロンではないか」(ダニエル4:30 KJV)。その言葉が発せられるとすぐに、裁きの宣言文が宣告されました。その王の理性は消え去りました。彼が完全と考えていた判断と、彼が自分の所有として自慢していた知恵は失われました。知性の宝は、獣にまさるように人間を高尚にしていますが、彼はもはやそれを保持していません。

 その王位はもはや、力強い君主の自慢の手に収まっていません。その力強い支配者は一人の狂人です。彼は、今、牛が食うものを食べて、牛と共に群れています。彼は野の獣の仲間の一人です。かつて王冠をつけていた額は、知性と理性が去ったことによって、威厳を損なっています。権限は失われました「その木を切り倒せ。その枝を切り払え。その葉を振り落とせ。そして、その実を散らしてしまえ」(ダニエル4:14 KJV)。

 そこで、主は、生きている神、真理として、主自身を拡大して見せています。さて、ダビデは、力強く叫んだことでしょう。「私は、山間の緑の草原に立って、その枝を広げている大木のように、大いなる権力を持った、悪い人を見ていました。やがて、彼は消えて行きました。そして、見よ、彼はいませんでした。ええ、私は彼を捜しましたが、彼は見つかりませんでした」(詩編37:35,36 KJV)。人々が、自慢をするようになると、主はその人々を支えず、その堕落からも護りません。一つの教会が、神を信頼せず、主の力を高めず、自慢して得意がると、その教会は主によって地面にたたきつけられて間違いなく取り去られるでしょう。富と知性と知識やその他のものではなく、キリストの栄光を称えると、その人々は満足がもたらされるでしょう。

 

5)私達の重荷を負う者

 私の兄弟、この地球は天ではないことを思い出してください。キリストはこう言いました。「この世界では、汝らは苦難があるでしょう。しかし、元気を出してください。私はすでにこの世界に勝ちました」(ヨハネ16:33 KJV)、「義のために迫害される人は幸いです。天の王国はその人々のものだからです。人々が、私のために、あなた方に不誠実に不正な作法で言う時、あなた方を迫害する時、あなた方の悪口を言う時、汝らは祝福されています。あなた方の以前の預言者達も大変、迫害されたので、また、あなた方の天の報いは大きいので、優っていることが喜ばれています。喜んでください」(マタイ5:10-12 KJV)。

 イエスは、あなたが会う試練と困難にまごつくように放置しませんでした。主は、それらについてあなたにみな話しました。そして、主は、あなたに、試練が来る時に押しつぶされて捨てられないようにと話しました。あなたの贖い主、イエスを見てください。そして、元気を出して喜んでください。負うことが厳しい試練は、私達の親しい友人達や、私達の兄弟[姉妹]達からくるものです。しかし、それらの試練でさえ、忍耐を生み出すでしょう。イエスは、ヨセフの新しい墓穴に放置されていません。主は、天において私達の味方として執り成しをするために、よみがえって、天に昇りました。私達には、神の玉座に共に座している主によって勇気と力と希望が持てるように、私達のために死んで、私達をとても愛している一人の救い主がいます。主は、あなた方が主に求める時にはいつでも、あなた方を快く助けることができます。

 あなたが自分の重荷を負おうとするならば、あなたはその重責に潰されるでしょう。あなたは重責を担っています。イエスは、それらについて知っています。そして、あなたが主を去らないならば、主はあなたを孤立したまま去らないでしょう。あなたが、創造者としての忠実な主にあなたの魂を託し続ける時に、主は栄誉を受けるでしょう。主は、主の恵みによってあなたが希望を持つようにと言っています。主が、あなた自身の力によってそれらの重い責任を担うことをあなたに希望していないということを信じてください。信じるだけで、あなたは神の救済を見ることでしょう。

 あなたが占有している管理の地位に就いて、あなたは不満を感じていますか。この事に関して神に感謝してください。あなたは、もっと自分の弱さを感じて、もっと、あなたは一人の助け手を求めて心を傾けるようにしましょう。「神を近くに引き寄せてください。主はあなたを近くに引き寄せるでしょう」(ヤコブ4:8 KJV)。イエスは、あなたが元気になること、幸せになることを望んでいます。主は、重責を担うあなたの助手達になる人々を興すために、主があなたに託した助けと、神があなたに与えたその能力の最善を尽くすることを切望しています。

 あなたを傷つける人々の思いやりのない話をなくしましょう。人々は、イエスについて厳しいことを言っていませんか。あなたは間違いをしています。そして、たびたび、思いやりのないことを述べる機会を与えているかもしれません。しかし、イエスは決してしませんでした。彼は、汚れがなく、染みがなく、純潔でした。この世の命の中で、天の君が持っていた以上の良い相続を期待してはいけません。あなたの敵達は、あなたが傷ついているようにすることができるのを見る時に、喜んでいるでしょう。そして、サタンは喜ぶでしょう。イエスを見て、そして、主の栄光のために、誠実な目を働かせてください。あなたの心に神の愛を保ち続けてください。

 

6)人々から視点を離して見る

 あなたが所属している教会のメンバーでさえも、あなたが悲嘆するようなことを言って行なうでしょう。しかし、いつも、イエスを信頼して平穏と平安を保ってくださいBut move right on, calm and peaceful, ever trusting in Jesus,あなたはあなた自身が存在しているのではなく、あなたは、神の愛した息子の血によって買い取られたキリストの財産です。そして、人間性を祝福することを求めて、主の働きに繫がっています。これは偉大な働きの一つです。神の約束への信仰にとどまって、堅固な信頼からあなたを引き離す人々の曲解をそのままにしてはいけません。

 人があなたに対立した影響下にも置かれている時、あなたが行なった多くの事のために、あなたの敵になるように、それはあなたを傷つけています。しかし、あなたが、イエスから離れた時、イエスにほとんど同じことを行なっているのではありませんか。主にはあなたの親友がいました。主は、あなたの愛を勝ち取るためにできることはすべて行ないました。主は、あなたの信頼を招いていました。主は、あなたに、あなたの全ての悲嘆と重荷を持って来るように求めていて、そして、あなたが主の軛を付けて主の重荷を負うならば、あなたに平安と安息を与えるように主の言葉は請い願っていました。主は、主のくびきは負いやすく、主の重荷は光/軽やかです、と言いました。あなたはこれを信じて示してください。主の言葉によって神を信じてください。イエスが特別な支援を与えなかったならば、あなたは、あなたが担っている責任を負って、あなたが今就いている地位にいなかったことでしょう。これを認識してください。主があなたのために用意していた支援に対して神を賛美しましょう。そして、主を堅く信頼しましょう。

 あなたの生活lifeの中にキリストを招きましょう。あなたは、この教会の中にいる人々であっても、ほかの人々の悪い道を反論できるとは考えてはいけません。あなたをもてなす以上に、はるかに、イエスを悪くもてなす不信仰な人々がこの教会の中に存在しています。主が地上に存在していた時、人々は、彼を中傷し、ののしり、侮辱したことでしょう。「反則の罪のゆえに、世界の人々に苦悩が来ました。罪が来ているのは、当然、必要があるからです。罪が来ている人によって、その人に苦悩が来ています」(マタイ18:7 KJV)。「その人の首は石臼をくくり付けられて、深い海に捨てられる方が良いでしょう」(マタイ18:6 KJV)。

 あなたは厳しい道を進んでいます。私は、みんなが私のように感じてくれたらと願っています。私は、あなたの兄弟達が、あなたを褒め称えるためでもなく、あなたを激賞するためでもなく、あなたを妨害するためでもなくて、彼らが妨害する代わりに援助して、その周りの者達Wheelsを妨害する必要がないことを覚えて、また、与えられた働きを行なうための器、また、神が用いている一人としてあなたを見て、あなたへの信義を厚くして、誠実であるようにと願っています。

 

7)永遠の栄光の重み

 私は、繰り返して言います。主にあって喜んでください。主にあって安らいでください。あなたは主の力を必要としています。そして、この力をあなたは持てるでしょう。勇気をもって雄々しく確固として進んでください。あなたは判断において間違っているかもしれません。しかし、あなたが捉えているイエスを失ってはいけません。彼は知恵です。彼は光です。彼は力です。彼は、泥のような土地にある大きな岩としてあなたのために存在しています。彼の陰の下で休んでください。あなたは知恵を必要としています。そして、イエスはそれをあなたに与えるでしょう。不信心にならないでください。あなたは非常に押しのけられていて、誤解されていいて、偽って伝えられています。あなたは主のための働きを多く行なっているという根拠を持っています。そして、あなたはもっと、あなたの救い主に堅く信頼する必要があります。あなたのすべての困難は、悪に対して悪の対処ではなく、悪に対して善の対処、忍耐と辛抱強さ、鎮静と平静にされる必要がありますIn all your difficulties be calm and undisturbed, patient and forbearing, not rendering evil for evil, but good for evil.。特別な梯子の頂上を見てください。神はその上に存在しています。主の栄光が、天の方に昇った全ての魂に輝いています。イエスはこの梯子です。主を堅く信頼して、主によって上に昇ってください。間もなく、あなたは主の王国に入るために、その梯子を登り終えるでしょう。

 私は、あなたが天を持つようにと望んでいます。私は、あなた以上に、あなたの生活に少しの楽しみだけをもたらして、食事を取ることも忘れて、睡眠をも奪われて、[患者のために]人間の苦悩を追体験して不屈の忍耐心を持って働いた人、また、天を理解しているような人がいないことを知っています。時々、日陰が続き、一つの希望だけで、あなたの道には多くの陽光があるようには見えていません。あなたは、それらの感情を見ています。頼りつつ死の間際にある人々を診て、助けを望つつ、悪化と共にあなたに連絡が入り、人々が死んで行った――この体験は、人間性の中のあなたの信仰を徐々に衰えさせる一つの品性に属しています。

 あなたは、確かに、特別な梯子の頂上の栄光にあなたの目の焦点を合わせて続けて、イエスを見る必要があります。キリストだけを通して、あなたは確かに天に属することができます。そこにいる人々はみな、清く、聖で、平安な、そして、祝福された人々です。そこでは、死の運命にある人の口[から出る言葉で]記述することができない栄光があります。それは永遠の栄光の重みとそれ以上のものだ、と待っている勝利者が言う報いについて、私達は記述のために、近くに行くことができます。それは、終わりのない時代を通して、展開された新しい栄光、祝福された永遠の世界、永遠の幸福となるでしょう。

 あなたは、当然、そこにいる必要があります。一体何が、永遠の命を失うように決意させているのでしょうか。落胆させられてはいけません。何度も、あなたが天の偉大な謙遜を認識せず、その現実を見ていなかった時に、あなたの周りを取り囲んでいた永遠の腕/権力を私は見ていました。イエスのために生きてください。あなたは、キリストをあなたの内科医の長とするならば、そのサナトリウムで一人の医師として最良に働くことが可能です。熱心に、人生の王冠/有終の美を求めてください。神への奉仕の務めを果たしてください。それは、この世界においてだけではなく、やがて来る世界においても報いられるでしょう。私は、私の息子達とその妻達に抱いているように、また、主を愛しているように、あなたとあなたの妻に深い関心を抱いています。私は、あなたとあなたの妻が贖われた人々の間にいること、また、キリストの戴冠式に一人として参加することを期待しています。私は、あなたに主の命を与えた主を通して、あなたが成功することを強く願っています。ですから、私の兄弟、私は率直にあなたに書きました。あなたが無情の幸福を持てるようにと、私はとても願っています。あなたの立場はとても試みられています。あなたが信仰と勇気を失うのではないかと案じています。あなたは、[現在の]真理について知識と恵みの内に成長する必要があります。あなたは、あなたの兄弟達を近くに引き寄せる必要があります。どんなことがあっても、真理をしっかりと捉えて、キリストと兄弟達への信仰を失うことがありませんように。

                       

 サウス オーストラリア州アデレードから、1892年に書いた手紙の抜粋

 私の兄弟、あなたは試練に立ち向かっているでしょう。しかし、しっかりと、あなたの高潔さを保っていてください。高貴な精神のほかは何も示さないでください。天の住人達は、その闘いを見守っています。サタンは、あなたが防御を捨てるのを捕らえようと不安ながらに待ち望み、また、あなたの性急な行動を見ようと不安ながらに切望しています。そうして、彼は、あなたを支配する優位性を得るでしょう。主の戦いを勇敢に闘ってください。キリストがあなたの立場にいたならば行なうように行動してください。あなたの行動や信仰に矛盾が存在しないようにしましょう。常に起こってくる厄介な問題が発生するのを許さないようにしましょう。イエスについて考えて平安を保って、主が喜ぶように、あなたができることをしましょう。主の恵みと主の聖霊は、あなたのための主からの贈り物です。あなたは、内なる人、全てにおいての力が強められるでしょう。


 

2.バトルクリークに集中し過ぎること

マサチューセッツ州サウスランカスターにて、1890.10.16[63]

[1)私達の働きの領域を拡大する]

 親愛なる兄弟[姉妹]のみなさん、Petoskeyにいる間に、私は、バトルクリークの孤児のためのホームの設立に関して、あなた方の医師の長と話し合いました。私は、一つの民として私達の間に必要とされていた正しい事ですと話しました。この種の事業において私達は、他教派からとても後れを取っていました。

 私のたくさんの話の中で、私は、バトルクリークにたくさんの責任があまりにも集中し過ぎたという心配について語りました。また、私は同じような意見をまだ持っています。一つの地域にそんなに多くが集中することは危険です。多大な資金が、一つの場所で使われています。一方で、無関心にされている諸都市は、もっともっと働きが困難になるでしょう。

 私は、自分の書き物をいくつか見ていました。そして、私は、数年前に与えられたこの点についての警告を見つけています。バトルクリークのいろいろな建物は拡張される必要のないことと、その建物はそこに施設を増設するために建て増す必要のないことは、明白に言及されています。私達は、[主から]一つの場所に関心を集中させずに、私達の働きの領域を拡大するようにと指導されています。バトルクリークが、一つの強力なセンター、――旧エルサレムのようになる危険性があります。私達が、それらの警告に注意を払わないならば、エルサレムを滅ぼした悪が、私達の上にやって来るでしょう。プライド/自慢、自己称揚、貧しい人への無関心、富の偏愛などは、エルサレムの人々の罪でした。今日、大きな関心が一つの場所に湧き起こる時、その働き人達は、利己主義と自慢を大きくするように誘惑されています。その人々がこの誘惑に明け渡す時、彼らは神と共なる働き人ではありません。バトルクリークでの私達の責任を増そうとする代わりに、私達は、すでにそこにある責任を勇敢に快く分割して、多くの場所に分散する必要があります。

 私達は「この世界と御使い達と人々に、‟目を見張らされる者”にされています」(1コリント4:9 KJV)。私達の任務/使命は、主の任務を担うために、主の奉仕の働きの初めに、主によって告げられたものと同じものです。主はこう言っています。「主の聖霊/精神が私に宿っています。それは、貧しい人々に福音を宣べ伝えるために、主が私に油を注いだからです。主は、私を、心の傷ついた人を癒すため、虜になっている人に解放を説教するため、盲人の視力を回復させるため、心に傷を負っている人に自由を得させるため、主の特別な年を受け入れるように説教するために遣わしました」(ルカ4:18,19)。

 私達は、大教師Masterによって、私達の手に委ねられた働きを前進させるために存在しています。主はこう言っています。「汝が、飢えた者に汝の魂を注ぎ出して、苦しめられた魂を満足させるならば、その時、汝の光は薄暗い所に灯され、汝の闇は真昼のようになるでしょう。主は、常に汝をガイドするでしょう。欠乏の中にいる汝の魂を満たすでしょう。そして、汝の骨を強くするでしょう。そして、汝は、水のある園のようになるでしょう。絶えることのない湧き水のようになるでしょう」(イザヤ58:10,11 KJV)。「貧しい人は、その国にいなくなることは決してないでしょう。それゆえ、私は、汝らに命じて言います。汝らは、汝らの土地で、汝らを必要としている人々に、汝らの貧しい人々に、汝の兄弟に汝の手を大きく広げるでしょう」(申命記15:11 KJV)ですから、何事でも、汝らが人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのようにしなさい」(マタイ7:12 KJV)。

 私達は、もっと欲しい思いを涵養して、金銭に固執して、貪欲になるように誘惑されているでしょう。私達がこの誘惑に思いを明け渡すと、それは、古代イスラエルを陥れた同じ危機を私達にもたらすでしょう。私達は、品性に主を表すことと、神を知ることにしくじるでしょう。私達は、ユダヤ人達のように、私達が不信仰のゆえに失敗するといけないので、しっかりと自分自身を見守る必要があります。私達は、私心なしに働くために存在しています。私達は、私達が管理しているほかの施設の発展と、設立について深く関心を持って考えるために存在しています。私は、そのサナトリウムはバトルクリークから数マイル離れていてほしかったと真剣に思っています。神から私に与えられた光から、私は、これが、それ自身の霊的な事と有用さのために最善だろうと知っています。ネブラスカ州リンカンの近くのそのカレッジは、バトルクリークからとても離れているでしょう。そして、これは、それが本来存在するべき所に存在しています。その光/真理は、バトルクリークからと同じく、ほかの場所から輝き出ているでしょう。神は、その光/真理が様々な地域と、異なった諸都市から輝き出るようにデザインしています。

 センターが一カ所に集中していることは間違っています。それは、利己主義の傾向があります。バトルクリークは優位性を占有し過ぎています。そこにある重要な事業の施設が、分割されて、さらに再分割されるならば、力がほかの教会に与えられるでしょう。私達は、そのように多くの益を得る可能性のある方法で、奉仕の働きをする施設や、教育的な事業、資金、時間の分割によって、主のブドウ園で私心なく働くために存在しています。バトルクリークの多くの施設のセンターに人々を集中させるという野望は、制限される必要があります。そのほかの施設はその益によって祝福されるでしょう。また、ある施設は、そこがセンターとして計画されました。そのように、一カ所に集中している中で、悪い教育がその人々()に与えられています。

 バトルクリークの施設を大きくするという計画は賢明ではありません。この世界の人々は、私達が労苦するための伝道地です。この一カ所で費やされている資金は、ほかの様々な場所に、積極的に働きを成功するように伝えて広がっていくでしょう。この福音メッセージを必要としている人々のいる多くの都市があります。バトルクリークに集中している才能のある多くの働き人達に代わって、清められた能力のある人々が、別の地域で活動する地位に就かされる必要があります。それらの人々は、働きを前進させるための手段と方法を研究して、多くの場所で生き生きとした関心を持っているでしょう。それらの人々は、自身の判断で移動するためにいるのではなく、偉大な働きに組み入れられるために存在しています。年々、その人々が労苦している場所の力のように、その人々は、働き人達を教育し訓練し、そして、ほかの場所の人々に助け手を送るために存在しています。

 

2)奉仕における私心のなさ

 一つの限界が、バトルクリークの私達の施設の拡充に置かれています。この世界の人々は伝道地です。そして、神は、主の巨大なブドウ園のほかの畑に関心を持っています。そこには、彼らが生活することのできる部屋/家を立てるために、あらゆる神経をすり減らしている諸教会と施設があります。死を待たされている残りの者達をそれで力づけて、私達の施設が繁盛して見えるようにしましょう。バトルクリークにある大きな教会が、負債の重荷にほとんど押し潰されそうになっている貧しい人たちの諸教会に、資金の一部を適切に支援することはなんとたやすいことでしょう。なぜ、それらの姉妹教会たちが何年も何年も負債と貧困との闘いに取り残されているのでしょうか。利己主義は霊的な死をもたらしています。能力のある私達の教会がそれらの姉妹教会たちを助けて、繁盛の状態にするならば、とても良い事を成し遂げるでしょう。

 

3)助けを必要としている人々を支援すること

 神の働き人として、私達は、自分達よりももっと必要としている人々を助けるように私達を促して、慈しみに満たされて、新鮮な心を持つために存在しています。私達が、負債と貧困の下で戦っている私達の兄弟[姉妹]達を見ているならば、神が私達の生業を栄えさせたことに釣り合ったようにその人々を助けて、その人々への私心のない関心を現す必要があります。一つの施設を建てることに挑戦しているあなた方が繫がっている施設の働きと、同じような働きができるような部屋roomを建てるために勇敢に闘っているほかの施設を見ているので、あなた方はねたまれないでしょう。

 自分達自身を意識の主要部に高めて、一つの働きを存在の外へ押し出すようにしないでください。あなたの大きな計画を切り詰めて、奮闘している人々を助けてください。その人々の施設を増すという計画を遂行するように、彼らを助けてください。あなた方の責任を増やして、あなた方の設備を拡張するためにあらゆる資金を利用しないでください。ほかの場所の健康施設や学校の設立のために、あなた方の資金の一部を保存しておいてください。あなた方は、この人々()が最も益になるように、それらの施設の場所を正しく知るための偉大な知恵を必要としているでしょう。これらの内容の全ては、率直な考察を受ける必要があります。

 責任ある立場の人々は、僅かな人ではなく、彼らと関係を持つすべての人々に憐れみの愛と恵みを示すため、正しい配慮をするために、天の高き所からの知恵を必要としています。キリストは、たとえいかに貧しくとも必要としていない人々と、主の人々()への主の関心を明らかにしています。そして、すべての人々は、今それを行なうことと、何かを行なうことを求める必要があります。

 諸施設は、様々な所で設立されて、また、男性達と女性達は、神を畏れて最善を尽くすための働きに就かされる必要があります。自分の任務と働きの視点を見失う人はいないでしょう。すべての人は、手にした働きのうまくいった成果を前進させるという目標を持っているでしょう。私達の全ての施設は、成功のための努力と知性の目標を保っているでしょう。しかし、同時に、それらを思い出しましょう。それらの成功は、足掛かりとして奮闘している多くの施設の共有と気前のよい彼らの行動が無関心になった時に比例して増しているでしょう。私達の順調な施設は生き延びるために奮闘していますが、神が言った施設が生きて栄えるのを支援しているでしょう。私心のない愛と私達の現実の間には限界に近いものが存在しています。主はこのように言っています。「愛している全ての人々は、神から生まれていて、神を知っています。愛していない人は、神を知りません。神は愛だからです」「私達が互いに愛し合うならば、神は私達のうちに宿っています。そして、神の愛が私達のうちに完成されています」(1ヨハネ4:7,8,12 KJV)。ほかの人々への関心に目を閉じている人、自分自身の事だけを見ている人は、神に願いの祈りをしていません。

 

4)他者のために行動できる一つの施設

 神の摂理の中で、バトルクリークサナトリウムは大きく繁栄しました。そして、この年[1902.2.18.]が来る間の、それらの打撃chargeは、彼らの切望を奪うでしょう。自分達が施設を拡充するという全ての希望を行なう代わりに、彼らは、ほかの場所を中心にした関心を集めて慈善の手を差し伸べて、神のための私心のない働きを行なう必要があります。この事業のために数千ドルを投資することによって、彼らは、[カリフォルニア州]セントヘレナの「ルーレル ヘルス リトリート」(田園健康回復療養所)について、何が益かを話し合えるでしょう。そのような善意の寄付金は、前進して広げるために移転していくように人々を感激させて、挑戦chargeによってそれらの人々に勇気を与えるでしょう。

 善意の寄付は、バトルクリークサナトリウムの歴史の初期に、その施設のためになされました。そして、その寄付が太平洋西海岸の姉妹施設のために行なうことができるということについて、このサナトリウムは慎重な考慮をしていないのではありませんか。バトルクリークの兄弟[姉妹]のみなさん、その都市の中心で私達の施設を大きくするのではなくて、あなた方の建物を建て増すことを減らすことと、あなた方の切望を制限することは、神の指示と調和しているように見えませんか。なぜ、あなた方は、助けを必要としている人々を助けることが、あなた方の特権であり義務であると考えないのでしょうか。

 

5)改革の必要

 私は、一つの改革/改善がそれらの人々linesの間で必要とされていて、もっと気前の良さが私達の間で表される必要がある、ということを[イエスから]指導されました。特に、彼らが管理している収益の支配と全ての財産のセンターを望んでいて、また、利己的な野望に勝てるようなセブンスデー アドベンチスト達でさえ、常に危険性があります。また、そこには、人々が自分達の心に湧き起こる嫉妬心を許してしまう危険性と、彼らが運営している施設の重要な施設に関心をもって妬むようになるという危険性があります。クリスチャンとしての清らかさの恵みに好意的な人々は、主の広大なブドウ園での働きのどんな一部にも無関心で見ることができません。それらの真に回心した人々は、主のブドウ園のあらゆる場所で働くことに公平に関心を持っていて、助けを必要としている所で援助する用意をしているでしょう。

 人々が管理している施設があって、神の働きが繁栄していない施設に支援を送ることを妨げている人々は利己的です。責任を負っているその人々は、神の働きとその目的のすべての姉妹施設のために善意を慎重に求める必要があります。真に回心した人々は、自分自身の関心と同じく、ほかの伝道地への関心を持って支えて勇気づけるでしょう。このように、兄弟[姉妹]愛の絆は、地上の神の家族のメンバーの間で強められるでしょう。そして、神の恵みが心を支配しない限り、確実に湧き上がってくる地位や金銭上の成功、些細な嫉妬心や不満のドアは、閉じられるでしょう。

 パウロはこう書いています。「タネを少し蒔いた人は、少しだけ刈り取るでしょう。タネをたくさん蒔いた人は、たくさん刈り取るでしょう。すべて人は、必要からでもなく、嫌々ながらでもなく、自分の心にある目的に一致して与えるでしょう。神は、好意的に与える人を愛しています。そして、神は、あなた方に、すべての良い働きを豊かにし、いつも全ての事に満ちるようにして、あらゆる恵みを豊かに与えることができます」、「私達にとって、神への感謝の理由から、まったく気前良く、すべてのことに豊かになっています。この奉仕の実施は、聖徒達の切望を満たしているだけではなく、神への多くの感謝によって増えています。この奉仕の試みによって、人々は、キリストの福音へ従うことを告白して、また、あなた方の聖徒達への、また、すべての人々への自主的な貢献のゆえに、神を誉めたたえています。また、あなた方のための彼らの祈りによって、あなた方の中の神の恵みにまさるようにと願っています。言葉で言い尽くせない神の贈り物に感謝しましょう」(2コリント9:6-8, 11-15 KJV)。

 

6)兄弟[姉妹]愛の間で生きている原則

 神の律法は、隣人を自分自身のように、力と魂と、知性と心で、主を愛する人々だけに実行されて満たされています。天の神に栄光が、そして、地上の人々に平和と善がもたらされることは、その愛の現れです。主は、その律法の偉大な目的が達成される時に、誉めたたえられています。人間の心に愛が授けられることは、愛が兄弟[姉妹]愛の間で生きている原則なので、世代から世代へと聖霊の働きです。人の魂の角や隅は、利己心の隠れ家となるために存在していませんNot one nook or corner of the soul is to be a hiding place for selfishness.神は、すべての施設、すべての教会、すべての家族に、天の規律と調和が広まって、実行されることを望んでいます。この愛は、社会を改革するイースト菌のようなものでした。私達は、キリストの血によって買い取られたクリスチャンの慈善心に向かって、クリスチャンを洗練し礼儀正しくする貴い原則の外側の働きを見る必要があります。霊的な変容は、私達の教会の中で、私達の施設の中で、私達の全ての家族の中で見られることでしょう。この変容がなされる時、これらの働き人達は、このように、神が天の光をこの世界の人々に授けようとしていることによって、主の器となるでしょう。神性の鍛錬と訓練を通して、男性と女性達は天の社会に相応しくなるでしょう。

 イエスは、天の住み家のために、主の愛と恵みを通して、彼らを待っている人々のためにマンション/天の家を用意するために行きました。天の神の家族の中では、利己的な人は見られないでしょう。天の法廷の平和と調和は、不親切な人や粗野な人の存在によって、美しさを損なわれないでしょう。行うように与えられた働きに自我を高めているこの世の人々は、精神において変えられない限り、一人の幼い子どもとして単純を現して、柔和と謙遜になっていない限り、神の王国を見ることがないでしょう。

 

7)唯一の安全なコース

 私達の施設で責任を担っている人々は、毎日、主の道を求める必要があります。その人々は、自分自身の灯し火を輝かす光によって歩むように行なって、自分自身の道を選んで適任だと考えるべきではありません。神だけが、その人々のガイドとなるために存在しています。広い領域を求めている人々、神が指定している以上に大きな自由を持っている人々、自分達の義と、自分達の清め、自分達の知恵、自分達のカウンセラーとすることにしくじっている人々は、命の冠を得ることはないでしょう。日毎に、その魂はキリストの宗教を必要としています。主の霊をたくさん飲んでいる人は、自分自身のために野心的にならないでしょう。その人々は、神が統治している所ではどこでもその領域を超えることができないということを気づいているでしょう。

 天からの任命を受けるために十分な素質のある人は、その人が正義と裁きを行なうよう求める時に、神の約束によって元気づけられるでしょう。神へのゆるぎない信頼を持つこと、主の言葉を行なう人になることは、安全な道を追求することです。神の勧めは、国内の義務と当惑した業務の相互交流を平易にしています。神の栄光に誠実に働いて、キリストに就いている者達は、天の知恵を持っているでしょう。私達の諸教会と諸施設の中では、真のキリスト教信仰が大きく欠如しています。神と共に労苦して、その人々の働きにほかの人々が繫がって責任を負っている人々を主が助けるでしょう。

 キリストは、その弟子達に言いました。「あなた方は世界の人々の光です」(マタイ5:14 KJV)。すべての魂が自分のランプの芯を整えて灯し続けること、連絡を取っている全ての人に光を与えることは、なんと大切なことでしょう。神は、主の人々()を神聖な真理を保持する者にしました。才能は、知恵の改善のためにその人々に託されました。神は、その人々の才能が常に使用されることによって増やされるようにデザインしています。

 

8)増築することから生じる危険性

 私の兄弟のみなさん、あなた方の設備の増築、あなた方の人員の増強は、主の指示に倣っていません。大きな建物は[維持に]大勢の支援者を求めます。そして、大勢の支援者は才能と教育のある人々と、深い宗教体験のある人々を求めています。神の方法によってその施設を管理運営するため、また、霊的な体験が普通に増すようになる所で、機転と技術を求めて管理するために、神への恐れは、一般民衆の支援者が、それに流儀も強い影響も与えないようにして、それが貧しく低社会層の人のための避難所となるように、神がデザインしているようになることが増す目的で、そのサナトリウムを通して行き渡るでしょう。[現在の]真理に堅く立っている人々は、世俗の人々の気に入りの外に置かれるべきではありません。[入所の]費用は、貧しい人が、高額負担となってサナトリウム[から受ける]益から除外されず、現在の出費に立ち向かえるように高額にされるべきではないでしょう。

 現在の才能ある人と設備に、諸部門と姉妹施設で行なわれている主要な責任全てを担うことは、人がこれを行なうことを望んだとしても、内科医の長にとって不可能です。その働きの全ての部分に個人的な管理を与えることは、人にとって可能ではありません。

 この事柄は、私の前に何度も開示されていました。その施設が発展し続けている間に、また、その建物が拡張されてその責任が増している一方で、非常に大きな一つの事業の管理運営のための必要な能力と才能の発達と一致していません。私達の内科医達の長とその運営委員会のメンバー達は、この事について考慮していますか。私の兄弟、あなたは不死身の人間ではありません。私は、あなたが今生きているように、自分の健康に関して賢明なことを主に感謝しています。しかし、あなたは今行なっていることがいつもできていません。あなたの健康は良くならないでしょう。あなたの生活は不規則で、そして、そのサナトリウムの勤務者の労力の三倍も担っていることが、私の前に示されました。その勤務者達が良い働きをしていたとすると、その働き人達はみな、大量の仕事を行なっていることでしょう。

 

9)賃金に関する質問

 その施設は現在、順調に繁盛している状態で、その管理者達は初期の頃に必要だった低い水準の賃金を求めていないでしょう。有用で成果をもたらす働き人達は、自分達の労力に見合った賃金を受け取る必要があります。そして、その人々は、自分達の賃金を生み出している者として、有用性と同時に自身の判断を働かせる立場に置かれているでしょう。その人々はどんな場合であっても、働かされ過ぎるべきではありません。その内科医の長は、自分自身、高額な賃金を得ているでしょう。

 その内科医の長に、私は言おうと思います。「あなたは、あなた個人の管理の下に、賃金の事柄に関わっていませんが、あなたは、この施設の長として、責任を負う者なので、それはこの事柄の中で慎重に見ることがあなたのためにベストです。その働き人達にそんなに多くの業務をする犠牲を求めないでください。責任を集中させる野心と、その施設を拡充するという野望を制限してください。そのサナトリウムに流れ込む資金の一部を、支援を必要としている施設に与えましょう。これは、確かに正しい事です。これは、神の意思や方法と調和しているでしょう。また、それは、そのサナトリウムに神の祝福をもたらすでしょう。

 私は特に、運営委員会の人々に言おうと思います。「その働き人達は、その人々の忠実さに応じて[賃金を]支払われるべきだと言うことを覚えていてください。神は、私達に、ほかの人々の忠実さに最も正確に待遇するように求めています。あなた方の内の何人かは、責任とケアの任務において過重な負担を強いられています。そして、私は[イエスから]、そこにはあなたが利己的になり、あなたの働き人達に悪いことをしている危険性があるということを指導されていました」。

 そのサナトリウムに繫がった地位の低い働き人や、責任ある地位を占める働き人によって行なわれなければならないものであっても、互いに任務を交代することは、神が是認できることになるでしょう。あなた方に[霊的な]無知の闇がやってこないように、あなたが光を持っている間に、光によって歩んでください。建物への投資を少なくして、あなたの働き人達に、正義と憐れみを実行する、その働きに合った賃金を払う方がはるかにベターになるでしょう。

 主は、その光を私に与えて喜んでいます。私は、主が、働き人達によって明らかにされた多くの事柄を喜んでいないということを知っています。神は、私にすべての特殊なものを開示しませんでした。しかし、決定的な改革/改善が必要とされているという様々な警告がやって来ました。その施設に繫がっているイスラエルの[子孫の]母親達と父親達が必要とされているということを、私は示されました。献身している男性達と女性達が働いている必要があります。なぜなら、その人々は、従業員の霊的な関心を見ることができて、責任やケアを常に押し付けられることがないからです。そのような男性達と女性達は、この大きな施設で伝道の働き人として常に働いている必要があるでしょう。この関心/尊敬によって行なわれるはずの[働きが]半分も行なわれていません。多くの言葉によらず、言行が一致したキリストのような生き方によって、手本を示して、魂の勝ち取り方を教えて、霊的な面で従業員に働きかけている人は、これらの男性と女性達のほんの一部でしょう。その働き人達は、世俗の感化にさらされていますが、その人々の感化によって変容させられるのではなく、洗練され高尚にされる感化によって支配された伝道者として聖別される必要があります。このように、その人々は、キリストにその魂を勝ち取る感化の及ぼし方と、信仰のない人々との付き合い方を学ぶでしょう。

                      

 [オーストラリア]ニューサウスウェールズ州、コーランボンで1895年に書いた手紙の抜粋

 神は、そのサナトリウムで働いているすべての信者のために一つの働きを用意しています。すべての看護師は、天から光を受けてそれをほかの人々に輝かすように、祝福のチャンネルとして生きています。その働き人達は、療養のためにそのサナトリウムに来る人々の流行の展示品fashionable displayに順応するために生きているのではなく、自分達を神に聖別するために生きています。世俗の人々の魂を取り巻いている雰囲気は、命から命へと芳しい香りとなろうとしています。様々な誘惑が、四方から襲ってくるでしょう。しかし、その人々に、主の臨在とガイダンスを神に求めるように勧めましょう。主は、モーセに「確かに、私は汝と共に居るでしょう」(出エジプト3:12 KJV)と言いました。また、すべての信仰深い忠実な人々、聖別された働き人達に同じ保証が与えられています。


 

3.多くの場所に出て行きなさい

1895.7.15 [オーストラリア]...コーランボンより

[1.支配力を分散させる必要]

バトルクリークにいる一人の内科医へ [J.H.ケロッグ]

 親愛なる兄弟へ、私はきのう、あなたの複数の手紙を受け取りました。そして、それらを興味深く読みました。私はいつも、あなたが尋常でない性質の責任を担っている施設と、あなたの家族について、あなたから聞くことを楽しみにしています。あなたの安全は、主が是認している光に歩むこと、主の言葉に従うことだけにあります。かの敵は常に、私達に気付かれないで近づく方法を考案しようとしています。そして、私達は、神によって与えられた注意を正しく心に留める必要があります。

 神の言葉によって、過去に[現在の]真理の標準を伝えて来た人々は、主が目立たせた前線で働いていたならば、彼らは、主を誉めたたえたでしょう。また、有用性を増したことでしょう。ある人々の声は今、アドバイスと懇願と警告のために生きていた人の死によって沈黙させられています。過去数年間に大きな責任を託されていた人々は、神の聖霊の懇願と警告に注意を傾けました。その人々は今、効果的に力強く主の前を歩んでいるでしょう。その人々は、ペンや声によって、自分達を信頼して頼るようにほかの人を教える時に、ほかの人々が行なうべきことを説明しています。また、神よりも人間に栄光を与えるために、自分達の腕前を上げて(to make flesh their arm,)、ほかの人々を教えています。

 私達は、キリストの高潔さを賛美して語り、彼を高めている時だけ安全です。イザヤはこう言っています。「一人の子どもが私達のために生まれました。一人の男の子が私達に与えられました。その統治権は彼の肩にあるでしょう。彼の名前は、素晴らしいカウンセラー(助言者)、全能の神、永遠の父、平和の君と呼ばれるでしょう。これから永遠に、正義と裁きを確立するため、それを指示するため、彼の王国と、ダビデの王座に、彼の統治と平和は増えて、そこには終わりがないでしょう。主催者の主の熱心さが、これを実演するでしょう」(イザヤ9:6,7 KJV)。

 ここには、神のカウンセル(助言)を切り捨てるようなことを行なった時に、人々が人間のカウンセル(助言)を受けいれる危険性があります。人間が見ているように、神は見ていないということを理解する以前に、すべての人々は、その教訓を学ぶ必要があります。主はこう言っています。「私/主の考えは、あなた方の考えとは違います。私/主の道は、あなた方の道とも違います。……諸天がこの地より高いように、私の道はあなた方の道よりも、また、私の考えはあなた方の考えよりも高いものです」(イザヤ55:8,9 KJV)。神の人々()の間に決定的な改革/改善がない限り、主は、彼らから顔を背けるでしょう。

 我の兄弟、バトルクリークに、優越性の上に優越性が積み上げられ、建物にさらに建物が増やされないように、常に目を覚ましている必要があります。このように費やされた資金は、私達に反した証をしているでしょう。あなたは、神があなたに与えた光を取り除き、バトルクリークに集中している影響力を分散して操作し、賢明な計画を立てる必要があります。水のあるほとりに植えられたタネは祝福されています。バトルクリークに招かれたたくさんの人々は、投資を増すように指示されるでしょう。しかし、これは、神の指示ではありません。そして、とても長い期間が過ぎてから、バトルクリークに資金が集中する間違いは、根拠が明らかにされるでしょう。

 バトルクリークに建物が次々に増築されて、私達はほかの伝道地への無関心をけしかけられています。あり余る優越性は、ほかのどこかの欠乏を意味しています。主のブドウ園のほかの地域は、彼らが持てるだろう資金を失っています。資金は、人々のための礼拝の家を提供して、真理に魂を勝ち取るようにどこかほかの地域に投資される必要があります。

 神は、ほかの地域にある主の施設を助けることがバトルクリークの人々の義務だという事実を指摘しました。資金に関する賢明な家令/管理者として、あなたは、存在している神を知るために、また、[霊的な]無知の闇の中にいる人々を助けるために、あなたの影響力を使って自分の支配力を分散させる必要があります。

 

2)計画を拡張する必要

 とても多くの町々と諸都市が無関心にされています。私達の[教会の]人々は、一カ所に集まることによって、自分達に害を及ぼしています。苗木たちが密集して植えられると、それぞれは健全にしっかりと生長することができません。密集して育った苗木のようなあなた方は、移住/移植してください。神は、一カ所にそんなに多くの優越性を集中させることによって、栄誉を称えられません。あなたの苗木/施設plantsを植える余地を与えてください。そこでは、その苗木//施設は、ほかの者を支援するので頼らず偏らないでしょう。それらに成長する余地を与えてください。このように、主はあなたに指示しています。

 バトルクリークであなたの優越性を拡大するために費やされた資金は、すでに大きくなり過ぎた野菜のようなもので、道理をわきまえた限度を超えてしまいました。それは、どこかほかの場所で、伝道のための集会所を設立するために使われるべきでしょう。あなたは、作戦領域を広くして、計画を拡張する必要があります。あなたは、まだ福音メッセージを聞いていない人々の諸都市や町々に賢明な人々を送る必要があります。あなたが推薦できる可能で、優秀な人を選んで、そして、重荷を担って、ケアテイカー(看護師や教師)になる機会を与えてください。その人々に、過去に使用されていなかった才能を発達させる機会を持たせてください。神が与えた、罪びと達に悔い改めを勧める能力を用いることができる場所に彼らを遣わしてください。神を愛している人々が、主のために何かをするためのチャンスを持っていることを人々に現しましょう。

 熱心に祈るように、人々に教えましょう。また、その要点を手短に適切に祈ることができるようにさせましょう。カルバリーの人[]を高く、もっと高く掲げること、また、世界の人々の贖い主について話すことを学んでもらいましょう。この世界の人々に話をするすべての人々は、自分達の周りの滅びている魂達の必要を真剣に考えない人にはしていないでしょう。[霊的な]無知の闇の中にいる人々に働くために、新しい伝道地に人々を遣わそうとする時に、自己犠牲に燃えている男性と女性達は、そんなにいないでしょう。働き人達を大通りや垣根のある細い道に遣わす準備をしてください。彼らの支援を必要としている諸教会に残るように勧めて、巨大なセンターに男性達と女性達を呼び集めないでください。人間は責任を負うことを学ぶ必要があります。私達の間の百人の内の一人も、世俗の諸事業、平凡な仕事に繫がる以上のことをしていません。私達は、キリストが死ん[で贖った]人の魂の価値について、半分も目覚めていません。

 私達は、賢い苗木屋の職人を必要としています。その人はいろいろな地域に苗木を植えるでしょう。そして、その苗木が育つことができるように優位性を与えます。かなたの地域に出て行くことは、神の人々()の義務です。伝道の開始が見られる所ではどこでも、感化を及ぼす新しいセンターを設立するために、また、新たな土地を明るくするために、働く力を備えさせましょう。[現在の]真理を告白して伝道に熱心な働き人達を励ましましょう。光と知識を近くに遠くに放散させるために、彼らを出かけさせましょう。健康改革の原則に無関心なコミュニティ(地域共同体)に健康改革の生きた原則を教えてください。その人々に、病の手当に関する指導を与えて、それを習得させてください。

 そのサナトリウムを通して、天の真理が注目する数千人にやって来たという事実があります。また、無関心に放置されていた一つの働きがなされるために存在しています。主は、パン粉の中に入れられてこねられたイースト菌が、塊全体を発酵させるように望んでいる時に、お金がバトルクリークの諸施設を拡張するために費やされてきました。そのサナトリウムに建物を次々と建てる代わりに、この時代に合った、ほかの場所で働きをする十分な設備を整えた多くの施設が必要です。

 そのサナトリウムには、長い間繋がっていた人々がいます。その人々はいつも、ほかの誰かの陰になっています。その人々がそこに居続けると、また、その人々が自分の判断に頼ることを許されると、その人々は、聡明な勧めを与える潜在能力、強い自己依存の考えになっていくでしょう。その人々に、神の力によって、責任を負うことを学ぶチャンスを与えてください。このようにして、その人々は、ほかの人々に[現在の]真理を授けることができる体験を得ることでしょう。

 しかし、神がすでに与えていた諸々の証を用いて指導した時に、バトルクリークから人々が遣わされるのではなく、数千ドルがバトルクリークの設備の増強と施設の拡充のために献金されました。さらに、バトルクリークから、もっと便利にするため、もっと働き人を雇うためにと呼びかけが来ました。しかし、それは変更が必要です。

 私達は、シカゴやそのほかの都市で行なわれている働きを見るように勧められています。数年前、バトルクリークに集中していた多大な責任が分散されたでしょう。あなたは、バトルクリークサナトリウムの広大な発展を満足して見ているでしょう。しかし、神は、あなたがしているのと同じ賛成の視点でそれを見ているのではありません。諸施設がほかの場所に建てられたならば、また、人々が負うための責任が与えられていたならば、私達の働きをもっと効果的に、もっと力強くしたことでしょう。そして、私達は、持っている意思よりも、神の意思と知性に調和して移転したことでしょう。このように、僅かな人々だけが重い責任を負っています。影響力を行使するわずかな人が、遠くでも近くでも、その働きの管理において支配力を持っています。その一方で、重責を負わない多くの人々がいます。

 重責を担っている多くの人々は、回心する必要があります。主は、ニコデモに言ったように、人々に言っています。「汝らはもう一度生まれる必要があります。人はもう一度生まれない限り、神の国を見ることができません」(ヨハネ3:7,3 KJV)。多くの人々は、キリスト教的でない精神/聖霊によって支配されています。その人々はまだ、キリストの謙遜と柔和の学校で学んでいませんでした。そして、その人々が、変わらない限り、サタンの誘惑に屈するでしょう。長年、その人々は神聖な責任を担っていて、また、世俗と神聖の間を識別する能力がないことを自分で証明しています。いったい、どれくらい長い間、そのような人々が影響力を行使してきたのですか。どれほどの間、彼らの言葉は、挙げたりとがめたり、高尚にしたり低めたりすることを許されてきたのですか。いつまで、その人々は、自分達の方法をあえて変えない人の力のようなものを持っているのですか。

 

3)新しいセンターを設立する

 人々は、一つの新エルサレムを築くという影響を与えられて、バトルクリークに定住するよう勧められています。これは、神の指示に添ったものではありません。このようにして強くなって、本来、ほかの場所が持っているはずの設備が奪われています。大きくなった汝ら、分散する汝ら、ええ、一カ所だけにいてはいけません。[伝道が]行なわれたことがない場所に、あるいは、次の何もない場所に感化を与えるセンターを設立するために出て行きましょう。あなた方の強くなった集団を分割しましょう。地の果てまでも、[霊的な]無知の闇にいる人々に救いの真理の光線を放射しましょう。一つの働きが、一羽のワシが自分の巣の周りを巡るように、行なわれることを必要としています。

 「モアブは十代の若い時から安らかな人でした。そして、彼は自分の避難所に住み着いていました。また、瓶から瓶に移しても空になりませんでした。また、囚われの身にもなりませんでした。それゆえ、彼の風味は彼に残りました。彼の香りは変わりませんでした」(エレミヤ48:11 KJV)。これは、バトルクリークに来ている多くの信者達の誠実です。多くの人々は、奮闘して熱心に努力しています。その信者達の光は、諸天を横切って流れて輝いている流星に似ています。

 神の働き人達は、心に主の目的の関心を持って、南部の伝道地の有色の人々のために何かを行ないましょう。神の家令(管理者)達は、この伝道地に指先ほど触れただけで満足しないようにしましょう。この伝道地のための熱心な働きを計画しましょう。多くの人々は、それについて話しました。彼らは、神の財産の管理者として何をしていますか。なぜ、彼らは、バトルクリーク[サナトリウム]の資金を神の資金に結び付けて自由に考えているのですか。なぜ、彼らは、してはいけないと警告されていた大変な事柄を行なうのですか。その内容は、与えられた警告と懇願が無駄になっているので、深刻になっています。バトルクリーク[サナトリウム]の中の様々な権力は、彼らが支配できないものを潰すために、近くから遠くまでこの働きを支配しようとて、徐々に広げられています。私は、抗議の声を上げます。現在、支配している精神は、主の精神/聖霊ではありません。

 主は、その働き人達とこの教会に主の聖霊を注ぐことによって、何度も何度もバトルクリークを祝福しました。しかし、その精神/聖霊の感化に好意を持った人はほんの僅かでした。神が指示した時に、自分達のお金を費やしたのはわずかな人でした。まったく光を与えられず啓蒙されない伝道地は無関心にされた一方で、資金は真理を知っていた人々の教育に使い果たされました。キリストが牧師達を任命した時、彼らが出て行ったならば、また、[霊的な]無知の闇にいる人々に光/真理を伝えるために、彼らに託した賜物を使っていたならば、彼らは、私達の学校で教育を受け続けて求めることによって得た以上に、キリストについての知識と、神についての知識をもっと習得したことでしょう。

 

4)神に与えられた責任を理解することの失敗

 神は私達に一つの働きを与えなかったのですか。主は、私達に、反対して影響力を与えている者達の間に出かけて行って、人々が[現在の]真理についての間違いから回心させるようを言い付けなかったのですか。なぜ、バトルクリークに大きな集団としてしばしば集められた人々は、自分達が聞いた真理を実践する立場にいなかったのですか。その人々に、真理の光が授けられたのならば、品性の変容が見られたはずでしょう。あらゆる恵みが注がれたので、神は恵みを与えたのでしょう。しかし、彼らは、自分達のためになされたその働きをすべき時に賛美しませんでした。さらに、彼らは、広く、あちこちに出かけて行かず、地の[霊的な]無知の闇にいる人々の所に出て行こうとしませんでした。彼らは、信仰による義のメッセージをこの世界の人々に与えたことでしょう。そして、彼ら自身の光/真理は、さらに明らかに輝いたことでしょう。神は彼らと共に働いたことでしょう。しかし、多くの人々は、間違いの墓の中に降って行きました。なぜなら、真理を知っていた人々は、自分達が受けた貴い真理を伝えることに失敗していたからです。バトルクリークで明るく輝いていた光が放散されていたならば、多くの人々は、神と共に働く者となることに目覚めていたことでしょう。

 私達の兄弟姉妹のみなさん、真理を正しく評価してください。みなさんはそれによって清められるでしょう。みなさんは、この真理をほかの人々に伝える責任が自分達に課されていることに気づくでしょう。しかし、みなさんは、キリストの言葉を実践することについて、生きている真理の重要性を考えませんでした。多くの人々は自己満足に陥っています。その人々は、キリストの弟子達を元気にしたような伝道の精神に満たされていませんでした。その人々が、ほかの人々の魂の苦悩を知る手段を知っていたならば、神の御使い達は、真理の知識を伝えるためにその人々を通して働いたことでしょう。その人々は真理を知ったことでしょう。そして、その真理は、その人々を自由にしたことでしょう。お金は、もはや、一カ所にビルディングを建てて加えることに費やされないでしょう。そうではなく、まだ働きをしていなかった諸都市に真理の旗/標準を立てるため、新しい伝道地を開拓するために使われるでしょう。天の貴い原則、清めと高尚さは、社会の共同体に紹介されるでしょう。そして、イースト菌のように働くことでしょう。

                     

 [オーストラリア]ニューサウスウェールズ州コーランボンより。1899年に書いた手紙の抜粋 (72)

 多くの施設を持っている伝道地が、もっと必要としている伝道地に自分達の優位性を共有することは、神のデザインです。その原則は、私達の全ての施設でいつまでも倣われるために存在しています。資金は、ひどく不利な所で働きをする労苦者達のために設備が欠如している伝道地に送られるということと、その働きがすでに確立している所では、建設計画を少なくするということを、神は求めています。

 

4.神の施設のための神の目的

[オーストラリア]タスマニア島ニュートンより。1895.12.1(68)

1)巨大なサナトリウムの最高医事管理者[J.H.ケロッグ]

 私の兄弟へ。セブンスデー アドベンチストの名称を持っている全ての施設は、エジプトにいたヨセフのように、バビロンにいたダニエルとその仲間達のように、この世界の人々のために存在しています。神の摂理によって、その人々は、真の神の知識を異邦の国々の人々に伝えるよう、とりこになっていました。その人々は、私達の世界の人々に神を表すために存在しています。その人々は、繋がりをもたらされる偶像崇拝の民と妥協しないように存在しています。また、地と天を創造した神を拝する者達の名を特別に誉めたたえる者として伝えて、その人々の信仰に忠実に立つために存在しています。その若い人々は、原則に堅固に立っていました。その若い人々は自分達のすべての道で主を誉めたたえて神と親しく繋がって生きました。そして、主はその人々を誉めたたえました。主はその人々の知恵でした。主は、彼らに理解力と知識を与えました。

 今日、神の残りの人々()は、[]子羊の晩餐会への最後の招待、最後の警告のメッセージを宣布することによって、主の名の栄光をたたえるために存在しています。その人々が神の期待を達成することができる唯一の道は、この時代のための真理を表す者になることにあります。

 主は、預言を成就するために、人間の働き人達を通して働きました。主は神聖を作りました。永遠の真理は、キリストが最後の日に存在しているだろうと宣言した騙しと異端信仰の中央に立っています。

 私の兄弟、あなたはこの時代のための真理を表すための一人となることができる所に位置づけられています。偉大な教師にしっかりと就いて行ってください。私は、「ここに聖徒達の忍耐があります。ここにイエスを信じて、神の戒めを守っている人々がいます」(黙示録14:12 KJV)という言葉が書かれている旗を掲げているのを見ています。そのサナトリウムに繫がっているあなたとある人々は、言葉で表せない旗をあなたに提示していました。あなたは、セブンスデー アドベンチスト達の旗に向かって進行しようとしていました。そして、あなたに提示されたその旗を取るために手を伸ばしました。偉大な権威者の一人があなたに近づいて、そして、強く熱心に言いました。

 「信じているあなた方には、主は貴い存在です。しかし、不信仰な人々には、石工達が認めなかった石で、それが隅の頭石とされて、つまずきの石、妨げの岩です。不信仰な者達はその言葉につまずいています。そのように、彼らは定められていました。しかし、汝らは、選ばれた世代の人々、王家の祭司、聖なる国の民、特別な人々()です。汝らは、[霊的な]無知の闇から汝らを素晴らしい主の光/真理に呼び出した主を賛美するでしょう」(1ペテロ2:7-9 KJV)。あなたの手が、しっかりと真理の旗を捕らえた時に、これらの励ましの言葉が語られました。「私達は喜び楽しみましょう。そして、主の婚宴の時が来て、主の花嫁[教会]が用意を整えたので、主に栄誉を与えましょう。そして、彼女[教会]に、かなえられました。彼女は、白く清い美しい衣で盛装するでしょう。その美しい衣は聖徒達の義です」(黙示録19:7:8 KJV)

 私は、あなたとあなたの働き仲間が、大勢の支援者を獲得するために、私達の信仰の原則を隠す危険性があると、[主に]指導されました。このライン[働き人達]の中で行なわれるあらゆる小さな事柄は、真理の感化を及ぼす代わりに、その促進を妨げるでしょう。

 そのサナトリウムの働きをしているあなたとあなたの協力者達は常に、あなたと共に居る一人の水先案内人を必要としています。そうでないと、あなたは難破船となるでしょう。あなたは、確かに、自分の滅びを理解する必要があります。サタンは、奇妙な小道の脇にあなたを導くようあらゆる努力をしています。神は、あなたを力づけてきました。あなたの魂は、原則へのあなたの忠実な真理の擁護がすべての人々に明らかにされて、真理を通して清められる必要があります。あなたの寄る辺ない魂は、もっと神を信頼して、あなたはもっと主を信頼して、命のパンを求めるようにしましょう。

 神は、自分達をセブンスデー アドベンチストと言っている人々によって、誉めたたえられ、認められるために存在しています。過去において、その真理は、私達のサナトリウムの援助者達と医師達によって、神を誉めたたえるために打ち勝つ力を宣言されました。神は、もちろんあなた方を期待している以上に受け入れているでしょう。あなたとあなたの協力者達は、前進を保証するため、辞退を阻止するため(to prevent decline)、信仰と確信によって労するために存在しています。真理の原則を隠さず、あなたの働きを縮小する必要もありません。運営の基礎を広げる必要もありません。多くの計画がほかの場所で作られる必要があります。もっと活動的な、もっと感化を及ぼして、もっと信仰的で、もっと熱心に、聖霊が注がれた働き人達が必要とされています。

 あなたは、永遠と今の時のために働いていることを思い出してください。天の御使い達は、魂の獲得のために、あなたの努力と協力するように託されています。もっと熱心な努力が、様々な地域で[現在の]真理の施設が建てられる必要があります。私達のメッセージのどのような面も覆われる必要がありません。この時代の人々のための真理は、滅びを待っている魂達に与えられる必要があります。なんらかの方法で真理を隠している人々は、神を誉めたたえていません。その人々の衣には、魂達の[滅びの]血がついているでしょう。

 

2)そのサナトリウムでの神の目的

 バトルクリークサナトリウムは、一つの広い伝道地です。神は、この施設で身体的な苦悩を癒すために魂達を動機づけました。主は、すべてのことを主が是認できるようになることを求めています。

 一つのチャペルがそのサナトリウムに附属して建てられるだろうということを、主は喜んでいます。その施設に訪れた人々は、イエスにある真理を自分達のために聞く機会を与えられるでしょう。その貴い福音は、温かく受け入れられるように、弱いものではなく強い形でその人々に紹介されるためにあります。信心深い人々が救いを必要としているということが明らかにされているように、世界の人々との違いを明らかにする私達の信仰の特性ははっきりするでしょう。しかし、長い熱弁は、ほかの人々が持っていた教理に対抗するためにあるものではありません。世俗の人々と私達との協力は、キリスト教の原則、真の節度、生活によって推奨されるものでもありません。

 

3)神の言葉を研究する価値

 その医学生達が熱心に神の言葉を研究しているならば、照明/啓蒙は神の言葉の熱心な研究にいつも伴っているので、彼らはもっと、ほかの分野の研究を理解するために準備されるでしょう。もっと、彼らの働きをする良い準備と、聖書の歴史を熟知するように、キリストと神を熟知するように、私達の医事伝道の働き人達に理解してもらいましょう。

 私達の学校の学生達は、高度な知識を熱望する必要があります。御言葉の研究ほど、彼らに記憶の保持の助けを与えるものはないでしょう。ほかの研究の知識を得る助けになるものはないでしょう。

 信仰のない人々が医事伝道の訓練のためにあなたのクラスを受講したいと希望している時に、あなたは、彼らにそのチャンスを与えても、ほかの学生達を真理から引き離すような感化を及ぼさないだろうと考えています。あなたの有力な宣伝者達は、彼らの間からやってくるでしょう。彼らは、主の精神が現される感化に囲まれている所にいる時に、真理を聞いていませんでした。ある人々は真理に勝ち取られるでしょう。研究が与えられるところでは、聖書の真理は隠されるべきではないでしょう。あなたのクラスで、私達の信仰のない学生達が――以前の知性がいつまでも保たれるようなテーマ――私達の現在と永遠の善に関する偉大なテーマに沈黙するように導いていることが認められているならば、それが認められないようにしましょう。私達のクラスに外の側の学生達を加える目的で、私達の信仰の特殊な特徴を隠されたり、犠牲にされたりするような原則は、どんな場合も決してありません。

 信仰深い教師が、聖書の講義を受け持つ必要があります。教師達は自分達の教科で、学生達に全ての事を説明によってではなく、学生達が読むどの文章もわかりやすく説明する時に、学生達に質問することによって理解するように努力をしているでしょう。その教師達は、御言葉の概略を読み取ることによって、少なくとも、良い学びが達成されることを覚えておきましょう。思考の深い調査研究と熱心な課題学習は、御言葉が理解されるよう求められています。御言葉の中にある真理は、貴重な鉱脈のように、地表の下に隠されています。隠された宝は、金や銀を探す鉱夫のように、それが探される時に発見されています。神の言葉の真理の根拠は御言葉そのものの中にあります。御言葉は、御言葉の錠を開けるカギです。神の言葉の深い真理の意味は、主の聖霊/精神によって私達の知性に開示されるでしょう。

 聖書は、私達の学校において、学生達のための偉大な教科書です。それは、アダムの息子達と娘達について、神の意思全体を教えています。それは、私達が将来の生活のために形成する必要のある品性を私達に教えている生活のルールです。私達は、御言葉を理解できるようにするために真理のほのかな光を必要としていません。真昼の太陽が、御言葉の栄光を増すために地上の松明を灯す必要があると、私達が思うのは無理もないでしょう。牧師や長老の言葉は、失敗から人々を救うために必要とされません。神性な言葉に意見を求めている人々は光を持っているでしょう。聖書の中に、あらゆる義務が明らかにされています。与えられているあらゆる聖書の一節は理解可能です。すべての聖句は、私達に天の父と子を現しています。その言葉はあらゆる救いの知恵を得ることが可能です。その言葉の中に救いの科学が明白に現されています。それらは、魂に語り掛けている神の声なので、御言葉を調べましょう。


 

5.医事伝道における神の目的

1898.2.3.[オーストラリア]...メルボルンより[71]

[1.神の牧師と繫がる]

 親愛なる、私の兄弟[J.H.ケロッグ]、あなたはこの時代の人々のための働きという視点を失う危険性の中にいるという特別な光が、[主から]私に与えられました。あなたは、自分の仕事を分離するための障壁を立てています。そして、これらの人々に、あなたは教会から教育しています。これは、そのようにしてはいけません。医事伝道の従事者として指導を受けている人々は、自分達の教育が神の牧師達と繫がってよい働きに合うために存在していると、気づくよう導かれる必要があります。あなたは[それを]覚えておくために存在しています。私の兄弟。主は、主が敬意をもって関心を注いで、地上に一つの人々()を持っています。しかし、あなたの言葉は、人々がしばしば語った道で、私達が一つの民として働いているという立場に不信心を生み出しています。あなたは、あなたの信仰を難破船にして、かつて聖徒達に宿っていた信仰をしっかりと捉えることにしくじっている危険性があります。「非常に小さな漏れが船を沈める。一つの欠点のある環は価値のない鎖を作る」という諺があります。

 

2)医事伝道者達の教育

 覚えていますか。私の兄弟。医事伝道の働きは、奉仕の働きから人々を引き離すことではなくて、彼らの医事伝道の働きの知識のゆえに、牧師達に適切な資格を与えて伝道地に人々を派遣するために存在しています。若い人々は、医事伝道者として教育を受ける必要があります。また、牧師達と繫がるために出て行く必要もあります。[ところが]彼らは、品位を落として失敗している人々を救助する働きに、自分自身捧げるための感化力を与えられていないでしょう。その働きは、どこでも見られていて、堕落した教会についてと、世俗の知者達に対して自分達の防護に、聖書の真理を信じる一つの人々()を用意するための働きに繫がるために存在しています。第三天使は、大いなる力を持って出て行くために存在しています。重要性が低いとして扱う人や、この働きに無関心な人をなくしましょう。この真理はこの世界の人々に宣布されるために存在しています。男性達と女性達は、その光/真理を見ることができるでしょう。

 

3)今生きている人々のための私達の働き

 イザヤ書58章で主は何と言っていますか。その章全体は最も重要なものに属しています。神は尋ねています。「悪い者が縛って重荷を負わせた人の縄をほどくこと、汝らがすべての軛を砕いて虐げられた者を解放させることが、私の選んだ断食ではありませんか。飢えた人に汝のパンを分け与え、見捨てられた貧しい人を汝の家に招くことではありませんか。汝が裸の者を見た時に、汝はその人に衣を着せて、汝自身が見なかったことにしないことではありませんか。その時、汝は、朝日のように汝の光が輝き出るでしょう。そして、汝の健康は速やかに生じるでしょう。そして、汝の義は汝の前を進むでしょう。主の栄光は汝の報いとなるでしょう。汝が求める時、主は応えるでしょう。汝が叫ぶ時、主は言うでしょう。私はここにいます」(イザヤ58:6-9 KJV)。

 「汝らが、安息日を主の栄誉、聖、喜びの日と呼び、主を誉めたたえるならば、また、汝ら自身の道を行なわず、汝ら自身の楽しみを見つけず、汝ら自身の言葉を話さず、主の安息日から汝らが足を翻して、私の聖日に汝らの楽しみから立ち去るならば、その時、汝らは、主にある汝ら自身を楽しむでしょう。そして、私は、汝らが、あの地の高い所に上るための根拠を与えるでしょう。そして、汝らの父ヤコブとその子孫と汝らに食物を与えるでしょう。主の口がそれを語りました」(イザヤ58:13,14 KJV)。

 これは、私達の働きです。第三天使のメッセージとして持っている私達の光は、真の光/真理です。あの獣の刻印は、存在することが宣言されていた通りです。その内容に関して、多くの人々はまだ理解しておらず、その帳(とばり)が巻き上げられるまで、理解されないでしょう。しかし、最も厳粛な働きが、私達の世界の人々の中で成し遂げられるために存在しています。主に奉仕する者達への主の指示はこうです。「遠慮せず、汝らの声をトランペットのように、大きな声で叫びなさい。そして、私の人々()は、ヤコブの家の罪と、世界の人々の違反の罪を示しなさい」(イザヤ58:1 KJV)。この教会が目覚めるようにとの一つのメッセージは、宣言されるために存在しています。あらゆる努力は、私達の[教会の]人々だけではなく、世界中の人々にその光を与えるために存在しています。私は、ダニエル書と黙示録の預言が、重要な部分の説明を単行本として印刷されて、世界中の人々に送られる必要があるということを[主から]指導されていました。私達自身の[教会の]人々は、明確な説明を示されて光/真理を知る必要があります。

 

4)変化しない神の[人類救済]目的

 一般的な神の[人類救済]目的の主なものには、変化は存在していません。それは、預言がその目的を現した時に明確にはっきりと表しています。私達は、もっと成し遂げることをしようと考えて、この世界の人々と連合を組むために存在しているのではありません。私の兄弟、あなたが、神の託した伝道の働きを前進させることを妨げる道に立つならば、あなたは、主をとても悲しませることになるでしょう。特別な警告のメッセージは、伝えられるために存在しています。そして、あなたが自分の働きの分を十分に成し遂げた後で、あなたは、人々が行なうはずの働きをするために出ている主の働き人達を妨げるために存在しているのではありません。失敗して品位を落としている人々を助けるための働きは、すべての重要な規準を提示するためにあるのではありません。この働きは、この諸教会の指導の働きと結ばれるために存在しています。私達の[教会の]人々は、見捨てられた人や必要としている人々の助け方を教えられるために存在しています。

 私達のために作った信仰の基準は、私達が弱められるために存在しているのではありません。私達は、経験と義務、真理の古いランドマーク(道標)を持っています。そして、私達は、世界の人々に注目されている中で、自分達の原則を守って堅く立つために存在しています。気遣いと関心に満ちた心で、私達は、それらの人々を[人生の]大通りや脇道へと招待するために存在しています。医事伝道の働きは、行なわれるために存在しています。しかし、これは、成し遂げられるために存在している働きの一部分です。そして、それは、すべてにおいて、また、すべてがなされるために存在しているのではありません。それ[医事伝道の働き]は、人の手が体(教会)のために存在しているように、神の働き手となるために存在しています。奉仕の働きに繫がった人々は[特別]称賛に値しない者となるでしょう。また、神に関心を寄せることによって奉仕の働きに関心を持つことができるでしょう(直訳:神を無視することなしに、奉仕の働きを無視することができる人はいないでしょう。)

 

5)注意の言葉

 私の兄弟、あなたは、自分が欠けたところのない完全な人であると考えて、私達の[教会の]人々から離れて立っているように私には見えています。しかし、あなたが自分の知性をそれらの人々に自分自身を結び付けているならば、キリストの体であるこの教会から離れてください。あなたは、神が組み立てたものと団結してたつことができないので、壊れているような部分の人々と連合しているでしょう。医療分野の教育を受けている人々は、この教会と奉仕の働きを見下して、時折、疑いを引き起こすようなことを聞いています。これらの疑いは、やがて発芽して成長して実を結ぶようなタネです。その学生達は、地上のキリストの教会が尊敬されるために存在していると気づくように教育されるのが良いでしょう。彼らは、私達の信仰について、理性的、清明な知識が必要です。彼らは、受け入れられ得る神への奉仕のために、この知識を持つ必要があります。標準から標準、指針から指針へと、彼らは、それはイエスにあるように、真理の根拠を聖書から受け取る必要があります。

 神が託した牧師達によって、確信を失うような理由となる考えを学生達の知性の中に沁み込ませるようなことをしないよう、私は請い願います。しかし、ここで、あなたは、気づいているかいないかに関わらず、確実にひとつの事を行なっています。主の摂理によって、主は、あなたが、別の方法では真理を熟知するようにならない多くの人々に真理を提示して、福音の奉仕の働きに繫がって主のために良い働きができる一つの地位に就けました。医療伝道の働きを前進させるためにという様々な考えの誘惑があなたにやって来て、あなたは教会の規律や教会組織から距離をおいて立っているでしょう。このように、あなたは、不健全な立場に置かれているでしょう。指導を求めてあなたの所に来た人々に対してなされた働きは、この教会に繫がった働きとして教育されるのでなければ完全ではありません。

 この医療伝道の働きは、すべての人々に、また、すべての人々の中でなされるために存在しているのではありません。この点において、あなたは、極端へと事を運んでいます。偉大な働きは行なわれるために存在しています。[現在の]真理を教える出版物は、あらゆる所へ配布されるために存在しています。医学生達は、健康改革の書籍で治療するだけで、配布を勧められる必要がありません。あなたは、神の計画を見失いながら、あなた自身の計画でよい働きを行なおうとしないように気を付けてください。

                     

1898.[オーストラリア]ニューサウスウェールズ、コーランボンで書いた手紙からの抜粋[71]

 私の兄弟、イスラエルの主はあなたのカウンセラーになって当然です。サタンは、あらゆる不義によって騙しうる働きの絶大な力を持って降って来ました。あなたは、よい成果をもたらすために精を出して働いてきました。今、間違いをしてはいけません。決して、決して、主が主の人々に与えた信仰の一つのランドマーク(道標)も取り除こうとしてはいけません。その真理は、嵐にも決して動かされない基礎、永遠の岩にしっかりと立っています。

 神があなたのガイドになっていないので、あなたは、主が主の民のために投げかける正しく狭い道から外れるように導くための影響力を許すとすぐに、あなたの成功が増すでしょう。何度も、何度も、ネブカドネザルの生涯が、あなたを表すために、私の前に提示されました。あなたは、あなたの腕の筋肉を作る [あなたの権力を持つ]ことや、あなた自身の知恵に信頼することをしないように警告されうるでしょう。真理の旗を低くしてはいけません。終末の日に、私達の真理の特別な目印を隠す傾向のある何かのために、厳粛なメッセージに繫がろうとして、あなたの手からそれを落とすことを許してもいけません。


 

6.注意の言葉

1898.10.26オーストラリア、クイーンズランド州ブリズベーン

医学生の指導教官[J.H.ケロッグ]へ――(71)

[1.神の言葉の研究に結ばれる必要]

 私の魂に一つの重荷があります。第三天使のメッセージを宣布することを徹底的に準備していることを義務にしていて、医療従事者の研究コースを始めるよう励まされている若い人々がいます。彼らが医学研究に費やして全ての時間を送ることは、私達の医学生達のため必要ではありません。彼らの働きは、神の言葉の研究に徹底的に結ばれる必要があります。考えは、全く必要のないものに巻き込まれています。その必要な事柄は、十分な注目を受けていません。

 

2)保護されることの危険

 学生達がこの道で教育されている間に、学生達は、大教師のための働きを受け入れることができなくされています。彼らが、医療従事者のための増大した知識を得るために忍耐する重い負担は、奉仕の働き人として働く彼らに相応しくないものです。品位を落として見捨てられた人々のために、学生達は過度な学習を求められるがゆえに、過重な研究努力のために身体的、知的な弱さがやってきます。このように、ある人は、医療従事者となって必要とされていた所で奉仕の働きを行なうことができたはずの働きに相応しくされていません。体[教会]と結ばれている手が欠けた所のない者として、福音の奉仕の働きと繫がった不可欠の一員として医療従事者の中に行かせましょう。命は、医学教育を得る努力に晒されるために存在しているのではありません。そこには、あるケースにおいて、彼らが医学コースを進むように愚かにも勧められなかったならば、行なうことができたかもしれない奉仕をすることに自分自身を不適格にするという危険、また、その学生達は自分達の健康を害するという危険があります。

 しばしば、間違った意見が人の知性に記されています。その人々は愚かな行動のコースに導いています。学生達は、生活時間の中にたくさん、恵みと義と真理の原則との良心的な親交や、神と話す時間を持つ必要があります。心を率直に探る時間は不可欠なものです。その学生は、理性的な力と霊的な源の御方を引き寄せることができる所にいる必要があります。その学生は、「自分が共感と協働を求めるあらゆる目的は、神が与え聖霊が支配している良心と理性による支持を得ている」ということを求める必要があります。その学生は、まったく一致していない活動を実践するために存在しているのではなく、奉仕の働き人の光である聖なる原則が自分の意思や魂の活力と[一致した活動を実践するために存在しています]。このようにして唯一、その人は、神への高度な奉仕をすることが可能になります。その学生は、医事伝道の働きは、誰かと自分をつなぐものではなく、自分の働きがそこにあるように記述する/影響するdictateように教えられるために生きています。(直訳: その学生は、医事伝統の働きが、彼の働きがそこにあるように記述する誰かと自分を結ぶということを教えられるために生きているのではありません)

 医事伝道の働きは、教会組織から分離して脇に捨てられるために存在しているのではありません。医学生達は、医事伝道のリーダー達にだけに集められるとしてみなす考えを受けるために生きているのではありません。医学生達は、神からの勧めを受けるよう、自由に残されるために生きています。間違っている人間は、自分達のために概略を言葉で述べるという自分達の未来の何かのためと、自分達に請うために生きているのではありません(They are not to pledge themselves and their future to anything that erring human beings may outline for them.)。私心という籾殻は、織物に織り込まれるために存在していません。計画や構図は、不正な一つの条項をその中に企てられるためにあるものではありません。利己心は、その働きの何かの業務によって支配されるためにあるものではありません。私達は、天の住民達の大勢の見ている中で働いていることを、一人ひとりが覚えておきましょう。

 

 

3)高い標準

 「汝らは、汝らの心の全部で、汝らの魂の全部で、汝らの力の全部で、汝らの知性の全部で、汝らの隣人を汝ら自身のように、汝らの神、主を愛するでしょう」(ルカ10:27 KJV)。主は、天に戻る前に、その弟子達に言葉を残しました。キリストは、こう言いました。「私は新しい戒めをあなた方に与えます。汝らがお互いに愛し合うならば、私があなた方を愛したように、汝らもお互いに愛し合いなさい」。ここで、私達は高く掲げられた標準、堅く掲げられた標準を見ています。「汝らが互いに愛し合うならば、このことを全ての人々が知ることによって、汝らは私の弟子として存在しているでしょう」(ヨハネ13:34,35 KJV)。弟子達は、その時、キリストの言葉を理解できなかったことでしょう。しかし、主の磔刑、復活、そして、昇天後、彼らは、以前にはできなかった、主の愛を理解しました。彼らは、カルバリーの十字架上における主の死によって、黄泉の裁きのような、ゲッセマネの園での主の苦悩の現れを見ていました。

 

4)教えと癒し

 主の人々()は、一つになるために存在しています。主の働きは分派がなくなるために存在しています。キリストは十二弟子を遣わし、その後、七十人の弟子を病人の癒しと福音の説教のために遣わしました。主は言いました。「汝らは、行った時に、説教して言いなさい。天の王国は手もと近くにあります。病人を癒し、重い皮膚病の人を清めて、死人をよみがえらせ、悪霊を追い出なさい。汝らはタダで受けたのだからタダで与えなさい」(マタイ10:7,8 KJV)。そして、彼らが出て行って神の国を伝えた時、悪霊を追い出し病人が癒される力が与えられました。神の働きの中に、教えることと癒しは分離されないで存在しています。神の戒めを守る人々は、一つになるために存在しています。サタンは、神が一つにまとめようとしている人々を分散するために、すべての考案品を発明するでしょう。しかし、主は、裁きの神として自分自身を現すでしょう。私達は天の軍勢の目撃の下で働いています。私達の間には、計画されて伝えられていることを詳しく調べている特別な一人の神性の見張り人がいます。

 

7.医療の働きへの支持

1893.2.1 [オーストラリア]...コーランボンより[66]

[1.医事伝道は教会の右手[助け]

 私は、医事伝道に従事して働いている人々と、SDA全体総会の責任ある立場の人々に手紙を送りました。私は、バトルクリークの教会と私達のほかの全ての教会の人々に話すよう託されています。

 私は[主から]、医療伝道の働きについて、一カ所に重点が置かれ過ぎて偏っている危険性がある、と論述するように指導されていました。しかし、私がこの点について言及することは、医療伝道の働きに冷淡な人々の感覚が正しいとして理解されてはいけないということです。そこには、この働きに共感していなかった大勢の人々がいます。その人々は、光/真理に歩んでおらず、そのテーマについて理知的ではないので、それについて語ることにとても慎重になる必要があります。神の働きにおける、彼らの立場がどんなものであれ、その人々は、この働きを定着させる私達のカンファレンスを妨げて落胆させるような感情の混じった意見を多く与えないようにとても慎重になる必要があります。医療伝道の働きを託されて従事した人の立場は、自分達のこの問題の言葉にどんな重みをもっているのかという理解を不可能にしています。その人々は洞察力が明瞭ではなく、その人々の判断力がゆがんでいます。

 この働きの全ての姉妹施設は必要とされています。しかし、その働きの全ての姉妹施設は、神の管理の下にあります。その医事伝道の働きは、キリストの体[教会]のための右の手[助け手]として、神の[人類救済]目的を実現するためにあります。その右の手に加わることは、体[教会]全体の力のため右の位置に立つ[権力を持つ]ことではないでしょう。医療伝道の働きに用いられることは、神の[人類救済]目的の全体の力のための右の位置に立つことでないでしょう。御言葉についての奉仕の働きは、支援される必要があり、また、神の働きの中で、完全に一致して団結する必要があります。医事伝道の働きに関心がないと考えていた人々は、神の目的の右の手[助け]を軽蔑して取り扱っています。その人々の態度がこの働きを前進させる方に変えるようにしましょう。人々が正しい右の[助け手]位置に立つまで、できるだけ、いくつかの言葉をその人々に語りましょう。沈黙は、知性が納得していない時には効果的ですが、それゆえに、霊的な事柄が識別できていません。

 

2)注意の必要

 現在は、大いなる注意が必要の時です。私達はこれらの警告に心を傾けましょう。「すべて人は、怒ることに遅く、語ることにも遅く、聞くことに早くなりましょう」(ヤコブ1:19 KJV)。「私は、あなた方に懇願します。兄弟[姉妹]のみなさん、あなた方が学んだ教えに反対して背いて、分裂している理由に注目して、それらを避けましょう。その人々は、私達の主イエスに仕えない者達、……そして、誉め言葉と理にかなった話によって、純真な者達をだましている者達だからです。あなた方の従順は全ての人々、広く外国にも伝わっています。あなた方の益のゆえに、私は喜んでいます。しかしまた、私は、あなた方が悪には無知で、善には聡明であってほしいと願っています」(ローマ16:17-19)。

 「兄弟[姉妹]のみなさん、私達の主イエスキリストの名によって、私はあなた方に懇願します。あなた方はみな、同じことを話していて、また、あなた方の間では分派がなく、汝らは同じ判断、同じ知性に完全に結ばれているように」(1コリント1:10 KJV)。これは、私達に関する神の意思です。私達はそれに従順にしてみませんか。「十字架についての説教は、滅びゆく者にとって愚かなものです。しかし、救われている私達にとって、それは神の力です。それはこう書かれています。‟私は、知者の知恵を滅ぼすでしょう。また、分別のある人の理解力をないものにするでしょう”。どこに賢人がいますか。どこに律法学者がいますか。どこに、この世界について討論する人がいますか。……神の知恵を追い求めたこの世界の人々は知恵によって神を理解しませんでした。神は、その愚かな十字架を伝えることによって、信じる者達を救うことに満足しました。ユダヤ人達はしるしを求め、ギリシア人達は知恵を求めています。しかし、私達は、十字架につけられたキリストを伝えています。それは、ユダヤ人にはつまずきの石、ギリシア人には愚かと言われていますが、ユダヤ人にもギリシア人にも、神の力であり、神の知恵です」(1コリント1:18-24 KJV)

 責任ある地位にいる人々が、すべてを見ている神の目の下に働いているということに気付くならば、一つの変化が見られるでしょう。現在必要とされていることは、聖霊が知性と心に自由に働いていることです。私達にこの取組がないならば、成果がないでしょう。その聖霊が私達を創り出して形成する時、私達の言葉と行動は、心からの感謝を表すことでしょう。

 

3)医事伝道の働きの重要性

 健康改革のあらゆる従事者の知識を増す大きな必要があります。その真理を聞く特権のあった人々は、第三天使のメッセージを宣布する時に、トランペットの確固とした音を響かせるために存在しています。働きの特別な従業員達は、医療伝道の働きとして引き継ぐために働いています。この働きは、この時代の人々のための福音メッセージと繋いで伝えられる必要があります。真の医療伝道の働きは、福音を実践することです。この働きを負って伝えることを見ることができない人々は、自分達がそれを負って伝えることを理解するまで、それについてどのような段階かをコントロールする権威があると考えてはいけないでしょう。

 私は、主が任命した働き人として私達を導いている医師を用いて、主が医事伝道の働きを通して偉大な善を成し遂げたと、きっぱりと言おうと思っています。医療の働きによって、すべての欠点がなくなったのではありません。多くの事柄が混ぜられたので、それ自身の神聖さを損ないました。しかし、主は、主の目的の管理をしているでしょう。また、一つの姉妹施設と釣り合わないことはしていないと見ているでしょう。その教会の人々が目覚めていて輝いているならば、主の栄光が教会に湧き上がって教会の光が現れてきて、その働きは損害を受けないでしょう。

 医事伝道の働き人達は、高貴にされ、聖化され、清められるために存在しています。その人々は、卓越の頂点に達するために存在しています。その人々は、神性に似た者として倣って、創り出されて形成されるために生きています。その人々は、健康改革と医事伝道の働きは、福音の説教と結ばれるために存在していると見ているでしょう。教会員達がその働きのこの姉妹施設を理解していない理由は、自分達の偉大な指導者[]の後に一歩いっぽ歩まず、その人々がその光に従っていないことです。医療伝道の働きは、神に属したものであり、主の特徴を伝えています。この理由で、人間は、自分の手をそれから手放して、自分自身の考えに調和させて行くことを望んでいません。

 私達のメッセージは、全世界への広いメッセージです。資金は、働きの一カ所の従業員達で使い尽くされるためには存在していません。その一方で、最後の福音メッセージは、新しい伝道地に伝えられていません。その医療伝道の働きは、何かの知恵によって、評判を悪くされるために存在しているのでもありません。それは、劣った一つの働きとして表されるために存在しているのでもありません。この世界は、一軒の巨大なラザロの家です。それゆえ、この世界は住人達の下で汚されています。惨めなのは全人類です。主は、神の大いなる日に立つために、一つの人々()を準備するための支援の働きに私達を導く医師を与えました。しかし、その人は、神の管理下で働くようにしていません。働き人達の長の主義に倣って形成されるべく、その労働者の中にその人がいます。

 

4)この教会の欠乏の理由

 この時代の人々のために働きの一部を担うことを託されている人は、自分に課されている厳粛な責任を考える必要があります。私達は、永遠の命のために働いています。私達が、天から下ってきたパンを食べているならば、私達は、品性と精神がキリストのようになるでしょう。私達は、霊的な怠惰にならないような一つの時代に生きています。すべての魂は、天の命の継続を課されるために存在しています。しばしば「この教会の中の霊的な力の欠乏の原因はなんですか」という質問が聞かれます。その答えは「その教会員達が、神の言葉から引き離されることを知性に許していることです」。私達は、食しているものから身体を構成しています。そして、私達の霊的な品性の作法のようなものは、知性に与えられた糧(かて)によって決まります。私達は、知性と心に、神の息子の[犠牲の]血を飲み、肉を食することによって、適切な滋養を与えるために存在しています。

 キリストは言いました。「まことに、まことに、私は、あなた方に言います。私を信じる人は、永遠の命を持っています。私はその命のパンです。……私は、天から下ってきたその生きているパンです。誰でもこのパンを食べるならば、永遠に生きるでしょう。私が与えるそのパンは、この世界中の人々の命のために私が与える私の肉です。……私の肉を食べ、私の血を飲む人は、永遠の命を持っています。そして、私は、終わりの日に彼をよみがえらせるでしょう。私の肉は確かに糧です。私の血は確かに飲み物です。私の肉を食べて、私の血を飲む人は、私に宿っていて、私もその人にいます。生きている父が私を遣わしたように、私は父によって生きています。その人は私を食しているので、その人は私によって生きているでしょう」(ヨハネ647-57 KJV)。

 私達はキリストの中にとどまる必要があります。そして、キリストは私達の中にとどまる必要があります。「なぜなら、私達は、神と共に働く者だからです」。クリスチャンの働きは、個人的な働きです。神の働き人達は、罪の結果としての欠点を見つけることを増やしましょう。自分達の働く仲間達が改善するように考えて、それらを自分達で改善しましょう。命のパンを食することによってキリストに生きることは、その人々の特権です。これを行なう人は、健全な成長発達の体験をするでしょう。そして、イザヤ書58章にある特別な働きを行なう時に、神の義がその人々の前に進むでしょう。

 

5)全ての人々に託された働き

 神の働きの全ての姉妹施設は、次のような認識を持つために存在しています。「主は、ある人々を使徒達、ある人々を預言者達、ある人々を伝道者達、ある人々を牧師達や教師達として[任を]与えました。それは、キリストの体[教会]を教化するため、奉仕の働きのため、聖徒達の成熟・熟達のためです」(エペソ4:11,12 KJV)。この聖句は、人々が、異なった器/手段、別々な働き人になるために存在していることを示しています。一人一人は、それぞれ別の働きをしています。それをしようとして、訓練されずにほかの人の働きを担わされる人はいません。神は、一人ひとりに合った能力を与えました。多くの人々は、自分の地位がほかの働き人達に指示する権威を自分に与えていると考えていますが、これはそうではありません。その人は自分が働いているブドウ園の一部だけを見ているので、自分達の働きに関する無知について、その人は、自分が明かすべきところで隠して、隠すべきところで明かしているでしょう。

 神のために生きましょう。救い主の教えをあなたの生活の一部にしましょう。あなたの道は、明るく輝く光によって照らされているでしょう。あなたは、天の油注ぎを受けているでしょう。また、重大な失敗をしていることから護られているでしょう。あなたは主のブドウ園の一部で働いていて、そんなにその働きに専念してはいけません。あなたはほかの人々がそのブドウ園の別の所で働いている、その働きを認識することができていません。その人々は、自分達の才能を忠実に育てているので、その人々の神から二倍の報いを得ることができるでしょう。誰でも、皺や染みや傷がなく完璧に完成していることを確かめて、自分自身の働きをよく見てみましょう。その時、神の言葉が残るでしょう。「よくやった。良い忠実な仕え人。汝は僅かなものの管理に忠実だったから、私は汝を多くのものの管理者にしましょう。汝は、汝の主の喜びに入ってください」(マタイ25:23 KJV)。


 

8.団結の努力

1899.4.17 [オーストラリア]...コーランボンより[72]

1)悩める一人の内科医へ[J.H.ケロッグ]

 親愛なる私の兄弟へ。私は、あなたとあなたの働きに深い興味を持っています。そして、私は、あなたに手紙を書いている時に、主が私のペンをガイドしてくれるように祈っています。主は、神の御使い達をあなたの助け手と遣わして、あなたを主の任命した一人にしました。主はあなたが間違わないからではなく、主の聖霊によってあなたの知性をガイドするように主が望んだので、あなたが従事しているその地位に就かせました。主は、あなたに、現在の正確な知識を求めてあなたの所に来る人々に、それを授けることを期待しています。厳粛な責任があなたに託されていました。そして、あなたは、セブンスデー アドベンチスト達へのあなたの影響力を弱めるような動きに巻き込まれている自分の責任を認めないでしょう。主は、世俗の影響力によって形成されるのではなく知性を形成するために、医療専門職者の前に立って、主が託した一つの立場を成し遂げるために、あなたを選びました。毎日、あなたは、神の監督の下にいるために存在しています。主は、あなたの大教師、あなたの贖い主です。主は、セブンスデー アドベンチスト達から分離されずそれらと団結していて、あなたが行なうための一つの働きを備えています。あなたは、主があなたに知識を与えることによって、自分の兄弟達を大いに祝福するようになるために存在しています。

 あなたを通して働いた神は、また、あなたの重要な責任を託することによって、あなたを誉めたたえ、働きを堅実に担うことを期待しています。「私達は、神と共に働く者達です」(1コリント3:9 KJV)。私達が主のガイダンスに従っているならば、主は、主の奉仕に加わるあなたや私、一人一人の人間を用いているでしょう。それぞれ、人は、主の霊がその人に語っていることを注意深く聞いて、全ての言葉を覚えていて、自分自身の品性だけではなく、その人に繫がっている人の品性に、一つの言葉を行動に移して、物見の塔として立つために存在しています。

2)神に形成された者

 「汝らは神の家令です。汝らは神に形成された者です」(1コリント3:9 KJV)。この姿は、一つずつ作り上げられるために存在している人間の品性を表したものです。毎日、神は、組み立てを完成するために、一つの動作毎に、主の建物の形成のために働いています。それは、主のための聖なる宮となるでしょう。人間は、神と共に協力するために存在しています。それぞれ、働き人は、高貴な行ないをして、清い人生を形成して、人が成長するようにデザインしている者になるために存在しています。人間と神によって誉めたたえられる素晴らしい宮として、その人の品性の目標は均整の取れた構成になることでしょう。その建物/形成される者は、主のためのものなので、欠点になるものは存在していません。すべての石は、その上にかかる圧力に耐えることができるように、完全なものが据えられる必要があります。据えられ型の悪い一つの石は、建物全体に影響を及ぼすでしょう。あなたと、ほかの全ての働き人達のために、神は警告を与えています。「あなたの建て方に気を付けてください。あなたの建物は嵐や風雨のテストに立てるでしょう。それは永遠の岩を土台としているからです。確固とした土台の上に、部品の石を据えてください。あなたは、すべての人々がそのいる所で見られる時に、試練とテストの日のための備えができるでしょう。

 

3)生きている石が存在する宮

 神は、私に、あなたの福祉のために特別に必要な時に、この警告を示しています。主は、あなたを量ることができない愛を持って、愛しています。主は、あなたの信仰の兄弟達を愛しています。また、主は、主があなたと共に働いているように、彼らと同じ目標に向かって働いています。地上にある主の教会は、互いに光を反映して、生きている石たちで建てられている一つの宮として、世界の人々の前に、神性との均衡を保つために存在しています。それは、隠れることができない丘の上にある都市のように、この世界の人々の光になるために存在しています。それは、堅固な建物としてしっかりと組み立てられ、石と石が組み合わせられて、隙間なくぴったりと据えられた石たちによって組み建てられています。すべての石たちは姿や形が同じではありません。ある者は大きく、ある者は小さいものです。しかし、それぞれは自身の位置の役目を果たしています。それぞれの石の価値は、それが反映している光によって、決定しています。これは、神の計画です。主は、主の全ての働き人達に、この時代の人々のために働くために託した場所の役割を果たすことを望んでいます。

 私達は、終わりの日々の中央で生きています。私達は、知的、身体的なすべての能力を賢明に発達させるために存在しています。すべての人々は、偉大なデザイナーの知恵を現すような一つの教会として作られることを必要とされています。神によって私達に与えられた才能は、主の贈り物です。そして、私達は、全体を完成するために、お互いに自分達の光を交流して用いるために存在しています。神は、人間が品性を形成している知性の力の才能を与えています。

 

4)器としての人間の違い

 主は、主の働き人としてあなたの役割を担うことを可能にして、あなたと共に働きました。主の器として自分達の役割を担うためのほかの働き人がいます。それらの人々は、体[教会]全体を構成することを助けています。すべての人は、大きな組織の一部として団結するようになるために生存しています。主の教会の人々は、信徒達の信仰の創始者と完成者である主から、行動に力を注いでいる働き人達の生活によって構成されています。その人々は、自分達が担っている偉大な働きに一致して伝えるために生きています。神は、あなたにあなたの働きを与えました。しかし、主は、様々なほかの器を持っています。そして、その人々にも主はその人々の働きを与えました。すべての人々が、[現在の]真理についての清めを通して、主の肉、主の骨として、キリストの体[教会]の一員になることができるでしょう。キリストを表すことによって、私達は、この時代の人々と永遠のために活動しています。そして、人々、世俗の人々も、イエスについて学び、イエスと一つになった私達の知識を得るでしょう。

 

5)一つの真理

 神の人々[]は、美と一貫性、調和と秩序の欠如によって、混乱するようになるために存在しているのではありません。主は、主の民の間に不一致が存在している時にひどく名誉を汚されています。真理は一つです。私達がキリストの祈りに応えようとするならば、神が求めている一致は、日々に育成される必要があります。世界の人々に与えられる憐れみの最後のメッセージを信じると言っている人々の間に存在して抗争している不一致は、居場所を見つける必要がありません。それは、神の働きの前進を妨害する恐れになるでしょう。主の奉仕者達は、キリストが父と一つであるように、一つになるために存在しています。主の奉仕者達の力、黎明、霊感、清めは、全体を完成するために一つにされる必要があります。神を愛し神の戒めを守っている人々は、引き離されるために存在しているのではなく、彼らは近くに寄せられるために生きています。

 

6)声援の言葉

 主は、主の忠実な働き人を見捨てることをしません。この世界での私達の生涯は、たった一人の巡礼者であるということを知性で生み出しましょう。天は、私達が行こうとしている安息の家です。神に信頼しましょう。私の言葉があなたの魂を害して、傷つけたならば、私は謝ります。私も、傷つき害されました。神によって私達に与えられた、偉大な働き、不思議な働き、私達の働きは、私達の魂と心が共に繫がっています。あなたは、あえて自分の鎧兜を投げ捨てていません。あなたは、それを最後までつけている必要があります。主があなたを解放する時、あなたの鎧兜を主の足元に置くことはあなたのための時となるでしょう。あなたは、その闘いの終わりまで仕えるため、主の兵卒に数えられました。そして、あなたは、見捨てることによって神の栄誉を汚して、自分自身の名誉を汚さないでしょう。

 主は、私に開示したことを、あなたにも多くの内容を開示できるでしょう。サタンは、神の目的の栄誉を汚す機会を見詰めています。私は、あなたの滅びを示されました。そして、信仰の難破船になることからあなたを守り、あなた自身から何度も何度もあなたを守っているあなたの保護天使を、私は[主から]示されました。私の兄弟。特別な標準を掲げましょう。それを掲げましょう。そして、挫けたり落胆したりしないようにしましょう。

 私は、自分に与えられた光を、伝道委員会とSDA全体総会のリーダー達に与えました。あなたと彼らは、共に協議する必要があります。自分自身に冷淡になるのではなく、彼らはあなたの仲間で助力者になる必要があります。あなたは、信頼された地位に立つために、神によって任命されていました。また、あなたは酷評するのではなく、助ける必要があります。

 私は、あなたが自分の足で正しい道を歩むようにと強く願っています。私は、あなたに、熱い言葉で書きました。しかし、決して、決して、あなたを咎めたり非難したりしていません。ええ、あなたが少しも変わらなかったことへの私の強い関心を、あなたが理解しているということを神は知っているでしょう。私は、あなたが誠実に、信頼できるよう、堅く、しっかりと、神の側に立つことを熱望しています。私は、主があなたに勝利の冠を得ることをあなたに望んでいることを知っています。

                         

 「主がいと高き所に昇天した時、主は[死に]束縛されていた虜達を連れて行きました。そして、[地上の]人々に賜物giftを与えました。……そして、主は、ある人々を使徒、ある人々を預言者、ある人々を伝道者、ある人々を牧師や教師として[任を]与えました。それは、キリストの体[教会]を教化するため、奉仕の働きのため、聖徒達の成熟・熟達のためです。私達が、キリストの満ちた資質の高さにまで、また、完全な人間へ、神の息子についての知識と信仰の一致に至るためです。これから、私達は、巧妙なわざや人々の策略によってたらい回しにされたり、また、あらゆる教理の精神//風に吹き付けられたりするような子どもではありません。そうではなく、愛によって真理を語り、全ての事柄において、体[教会]の長であるキリストと等しく成長できるでしょう。体[教会]全体は、すべての部品を計って効果的な働きをするために、すべての供給される者を繫ぐことによって組み合わされ、共に適切に繋ぎ合わされてから、愛によって、それ自身の教化のためにその体[教会]を増して成長していきます」(エペソ48-16 KJV)


 

9.祈りと祝福の仲介者キリスト

1898.3.25 オーストラリア ビクトリア州バラクラバより[71]

1)サナトリウムの一人の医師[J.H.ケロッグ]

 親愛なる私の兄弟へ。私はあなたの手紙類を受け取ったところです。私は、あなたが、財政問題に奮闘していると見ています。私は、あなたが、「彼に私の力を定着させましょう。彼は私と和平をなすことができでしょう。また、彼は私との平和を作るでしょう」(イザヤ27:5 KJV)という御言葉に励まされて心を留めることができているということにとても嬉しく思っています。私達は、神を信じましょう。私達は、主に、信頼しましょう。主は、私達が置かれている状況について全てを理解しています。そして、主は私達の味方として働いているでしょう。主は、私達がすべての苦悩を持って行って、主を信頼している時に、誉めたたえられています。キリストは言っています。「汝らが私の名によって求めているものは何でも、私は与えるでしょう。天の父はその息子によって栄光を与えられるでしょう」(ヨハネ14:13 KJV)。私達の益として、神の約束と賦与は制限がありません。恵みの玉座はそれ自身、主を父と呼ぶことを私達に許している御方によって占有されています。

 「神は世界の人々をとても愛したので、一人息子を与えました。彼を信じる人は誰でも滅びないで、永遠の命を持つでしょう」(ヨハネ3:16 KJV)。主ヤハウェ(hwhy)は、もっぱら、主の愛に包まれていた間は完全な救いの計画を考えませんでした(Jehovah did not deem the plan of salvation comeplete while invested only with His love.)。主は、私達の性質を被った一人の擁護者an Advocate clothed in our natureとして主の祭壇を設けました。私達の仲保者として、キリストの務めは、主の息子娘として神に私達を紹介するために存在しています。主は、自分を受けいれる人々の味方として仲介しています。主自身の血によって、主はその人々の身代金を払いました。主の功績の美徳によって、主は、その人々に天の王国の子ら、王家の家族となる力を与えています。そして、天の父は、主の友らとしてキリストの友らを歓迎して受け入れることによって、キリストによって限りない主の愛を実演しています。主は、なされた贖いに満足しています。主は、主の息子の仲裁と死、命と受肉によって栄誉をたたえられています。

 キリストの名による私達の嘆願は、天の父に昇っています。主は、私達の益として仲裁しています。そして、天の父は、私達のための楽しみとほかの人々に分け与えるために、私達の認識のために主の恵みの宝をすべて開示しています。キリストは言っています。「私の名によって求めてください。私は、父自身があなた方を愛しているので、私はあなた方のために父に祈りましょう、とは言いません。私の名前を使ってください。それは、あなた方の祈りに効力を与えるでしょう。天の父は、あなた方に主の恵みを豊かに与えるでしょう。何でも求めてください。汝らは受けるでしょう。あなた方の喜びが満たされるでしょう」。

 キリストは、人と神の間を結ぶ環です。主は、主の個人的な仲裁を約束しました。主は、哀願する人の側に主の義の完全な美徳を備えています。主は、神性の助けを必要としている人間に懇願しています。また、世界の人々に自分の命を与える御方の感化力を使って、神の臨在を自分の為に懇願しています。キリストの功績について私達が理解し、神の前に認識する時、芳しい香りが私達の仲介者に与えられています。私達が、贖い主の功績の美徳を通して神に近づく時に、キリストは主の神性の腕で永遠の御座を捉えている一方で、主の人間性の腕で私達を取り囲んで、私達を主の側のそば近くに置いています。主は、私達に願いを勧めるために、私達の手の吊り香炉の芳しい香りとして、主の功績を置いています。主は、私達の哀願を聞いて応えを約束しています。

 キリストは、神と人間の間の祈りの仲介者になりました。主は、神性に人間性を結合しています。人間達は、死ぬために用意をさせられている人々を救う努力をやり抜いて、自分自身の魂の救いのために、主と協力するために存在しています。

 私達は今、誰も働くことができない夜が来るので、最後の日々までみんなで働く必要があります。私は、主にあってとても勇気づけられています。そこには、魂を妨害して、助けないという状態が私達の教会に存在しているということを、私ははっきりと示される時があります。私には、時々、ひどく悲しくなる時間があります。[現在の]真理の知識を持っている多くの人々は、神の言葉に従っていません。その人々の感化力は、世俗の人々の感化力よりもよいものではありません。彼らは、世俗の人々のように語って行動しています。彼らのキリストらしくない行動によって、救い主の姿が映し出されていることを考えている時に、私の心はとても辛い思いをしています。しかし、苦悩が過ぎた後で、私は、あわれな魂を回復するために、いつも以上に賢明に働いているように思っています。彼らは、神のかたちを現すことでしょう。

                   

 揺るがない信仰と信頼によって祈りましょう。祈りましょう。私達の主イエスキリスト、約束の天使は、いつでも、彼を信じる人々の祈りを受け入れて助ける仲保者です。


 

10.励ましの言葉

1899.12.12 [オーストラリア]...コーランボンより[72]

1)バトルクリークサナトリウムの最高医事管理者[J.H.ケロッグ]

 私の親愛なる兄弟へ。あなたは友人が一人もいないかのように書いていますが、神はあなたの友人です。また、ホワイト姉はあなたの友人です。あなたは、私があなたへの信頼を失ったと考えています。しかし、私の親愛なる私の兄弟、私が以前にあなたに書いて送ったように、私は、あなたが正しい判断を行なうことができるように、また、間違いと対照的に、現在の真理を確立した施設の中に真の伝道精神を現して、主が知識と理解力を与えた一人の医師として行動するように立ち上がって、主があなたの重い責任の立場に就けたことを知っています。

 私の兄弟。主は、あなた自身で負って一つの戦いに出かけるように、残しませんでした。主は、神と人から好意を受けるよう、また、あなたに知恵を与えました。主は、あなたの助け手でした。主は、この世界の医療施設で真理が高く掲げられていない時に、バトルクリークサナトリウムの中で真理を高く掲げるために、主の働き人としてあなたを選びました。バトルクリークサナトリウムが全世界の皇帝として、日々、主が認知される施設として知られるようになることが、主の目的でした。「主は、地上の住人達の間と天の大勢の住民に、主の意思によって行なっています。誰も、主の手を止めて、そなたは何を行なっているのかということができる人はいません」(ダニエル4:35)

 主は、第三天使のメッセージの宣布は、私達の世界のこの時代の人々に伝えられる最も偉大で高貴な働きになるようにデザインしました。主は、あなたを主の働きの最高の責任ある地位に置くことによって、あなたの栄誉をたたえました。あなたは、その福音の奉仕の働きからあなたの影響力を分離するために存在しているのではありません。あなたの働きの全ての分野で、あなたは、真理への従順と理解をもたらすために存在しています。主によってあなたに任命された場所は、神性の統治による主の下にあります。あなたは、主の手本と調和して計画して働いて、偉大な教師イエスについて学ぶために存在しています。あなたは、いつも主の言葉に従順になって、まず、初めに神を知るために存在していました。そのようにして、あなたの能力となるでしょう。

 あなたは、あなたが担当した人々の身体と同じくその魂達の信仰深い医師となるために存在していました。あなたは、神があなたに与えた才能を正しく使って、この責務を果たしていたならば、あなたは一人で働いていたのではなかったでしょう。決して間違わない御方が前に座っていました。聖霊の力だけが、正しい時に正しい言葉を語ることを働き人達に可能にし、抑制して和らげて、芳しく優しい精神/霊を保つことが可能です。

 あなたは失敗したことがありませんでした。しばしば、あなたは自分自身の制御を失いました。その時、あなたの言葉は、あるはずだったようには書かれませんでした。時には、あなたは恣意的で厳格でした。しかし、あなたが自己に関わっている主のために努力していた時に、神の天使達はあなたに協力していました。それは、あなたを通して、世界の人々に認められ、栄誉をたたえられ、受け入れられるために、神は主の真理と目的を高く掲げるために働いていました。神はあなたに知恵を与えましたが、それは、あなたの名前が誉めたたえられるようになるためではありません。それらが、バトルクリークサナトリウムにやってくると、セブンスデー アドベンチスト達は、その働きと、そして、自分達の働きの基礎である原則への関心と敬意について、好意的な印象を失ってしまうでしょう。神はあなたを主の器/手段として用いるように期待しているので、あなたに与えられた栄誉は、あなたにやってこないでしょう。

 

2)そのサナトリウムを設立した神の目的

 そのサナトリウムの中で、伝道者達や教師達、そして、医師達が第三天使のメッセージを熟知して、帰依するようになることは、神の目的でした。神の天使達は、その働きの中であなたの力になるために存在していました。また、バトルクリークサナトリウムが、神の特別な管理下にある一つの施設として知られるようになるために存在していました。この施設に流布した共感と伝道の考えは、そこに、天の働き人達の目に見える働きという成果がありました。神は、こう言いました。「私は、驚きとしるしを示すことはいいことだと考えました。私の力によって、私は自分の名を誉めたたえました」。多くの人々は、新たな心を持って、そのサナトリウムから出て行きました。その変化が決定的になりました。地元に帰った人々は、この世界の人々の光/知識となりました。それを聞いた人々はこう言いました。「神を畏れている汝らはみな来てください。そして、私は、主が私の魂のために行なったことをあなた方に教えましょう。私は、主の偉大さを知りました。私は、主の善意を味わって体験しました」。

 

3)全世界的な働き

 主は、私に、かの敵がある手段によって、その働きを悪いチャンネルに入れることを考案できるとすると、このように、この働きの前進を妨害して、そうするだろうということを示しました。私達[教会]の人々の多くが、この働きを始めて、前進させるための十分な資金があったかどうかを確かめることなく、また、コストを計算するために座ることなく投資をしました。先見の明のなさが示されました。人々は、この世界中の人々を取り囲んでいる主のブドウ園を見ることにしくじりました。

 設立されていたこのサナトリウムへの収入は、私達の[国の]不道徳な諸都市にいる低社会層の人々のための働きを担う多くの働き人を支えるためのものが取り上げられるために存在しているのではありません。この大きくて常に増している働きを支えるために用いられていた資金の多くは、主が支持することにより、ほかの諸都市で施設を立てて[現在の]真理を伝えるために利用さるはずでした。そこでは、健康改革の光は輝きませんでした。様々なサナトリウムは、アメリカでは大きな施設よりも低いコストで建てられていて、様々な国々でも建てられる必要があります。このように、様々な施設が建てられて、発展した時、それは、ほかの地域に施設を建てるための支援をしたことでしょう。主は、不公平ではありません。しかし、主は、その働き人達によって間違って現されてきました。主のブドウ園のほかの多くの場所で行なわれていたことは、大きく妨げられていたことでした。その働きにおける人々の心は、その働きが主のブドウ園のもっと離れた土地に前進させるように考えることにしくじっていたからです。ある伝道地ではその働きが行なわれ過ぎていました。このように、資金は、妨害なしに新しい場所に真理の旗を立てるために前進するよう、ブドウ園のほかの場所に働き人達を送るために使用されたはずなのに、使い果たされていました。主のブドウ園のある場所は、資金がその畑のほかの場所にふんだんに使われることによって失われていません。

 人間は、自分の有限な判断力にあった評価をしています。神は、生じた果実の特徴/品性を見て、木を評価しています。主の名によって、私は、みなさんに、この働きが支えられるために存在していて、私達が行なうように求められている働きを考えるように呼びかけます。この世界の人々は、主のブドウ園です。そして、それは働きかけられるために存在しています。

 神が求めているのは、外見の見栄えが良く、多くの大きな施設ではありません。しかし、特別な人々の調和した活動、神によって選ばれ互いに結ばれた貴い人々の生活は、神の中のキリストに包み隠されています。すべての人は、言葉と行ないを通して正しい感化を及ばして、自分の宿命とその場所に立つために存在しています。神の全ての働き人達がこのことを行なう時、主の働きは、その時初めて、全体の釣り合いが取れて一つの完成状態となるでしょう。

 

4)注意の言葉

 神は、主の施設と、主が選んで繫がった子らに、クリスチャン品性の態度を現すことによって主を誉めたたえることを期待しています。伝道の働きとして、福音に帰依する働きは、正直で重大な働きです。それは、完成の日に向かって輝き続けるでしょう。神は、現在、医事伝道と言われている人道主義の現れや特徴を示すために、主の人々の信仰を望んでいません。主の人々の才能と資金は、ニューヨーク市やシカゴ市のスラム街で葬り去られるために存在しているのではありません。神の働きは、光の帯となって伝えられるために存在しています。

 自己否定と自己犠牲は、示されるために存在しています。私達は、キリストが、単純に、柔和、謙遜、そして、聖別して働いたように働くために存在しています。このように、私達は、私達の世界の中でほかのあらゆる伝道の働きから識別した働きをすることができるようになるでしょう。

 最後の日々のこの働きに繫がるために信頼されないか、あるいは、カウンセラーとして信頼されることができなくて、しくじった所から救われることを願っている多くの人々がいます。かの敵は、真理に間違いを混ぜることを決意しています。これを行なうために彼は、資金が費やされ、多くの雇用者のため品位を落とされた層の人々によって自分に与えられた機会を利用しています。その層の人々の食欲は放蕩を通して品位を落とされました。その人々の魂は乱用されました。その人々の品性はゆがめられて醜くされました。その人々の習慣と望みは屈服しています。その人々は悪いことを常習的に考えています。そのような人々は、品性が変えられうるでしょう。しかし、僅かに、そこにはその働きがまったく永続している人々がいます。

 ある人は、[現在の]真理を通して清められるでしょう。しかし、多くの人々は、クリスチャンであると思う時、その人々の行動と習慣に表面的な変化がなされるでしょう。その人々は教会の仲間に受け入れられています。しかし、その人々は、大きな懸念と大きな問題があります。その人々を通して、サタンは、嫉妬や不正直、粗探し、咎めのタネを教会の中に蒔こうとしています。このようにして、彼は、この教会のほかの人々を堕落させようとしています。子ども時代から習得してきた性質は、彼らを支配するまで彼らを退化させて、すべてを抑制することを拒否するように導きました。その人々は、助けられるようにとレポートされました。しかし、その人々のために行なわれた働きに示された多くの時間は、その人々を従順な神の子らにしませんでした。すべての人々はわずかなことから想像して、憤慨の感覚が湧き起こっています。その人々は、恨みや怒り、苦汁を大事にしています。その人々の言葉と精神によって、彼らは再び生まれなかったことを示しています。その人々の性質は肉欲の傾向に堕落しました。その人々は、清くなく、感謝もせず、信頼に値しない人々です。このように、それはみな、健全に回心しなかった人々と共にいる人々です。それらの品性を害して変容した人々はみな、意見の不一致と論争を引き起こして、サタンのための効果的な働き人となっています。

 主は、私達の働きの方法を目立たせました。一つの人々として、私達は[主の]大群を救う方法に失敗し、倣うために存在しているのではありません。これは、主が私達に行なうように与えた働きではありません。私達の働きは、人々に対して、厳しい言葉を語りとがめるために存在していません。[主の]大群の中に、貴い、自己犠牲の魂達がいます。私達は、人々を親切にもてなすために生きています。[主の]大勢の人々の中に、真理の受け入れに積極的で、大きな光を見るような、主に誠実に奉仕して正直な魂達がいます。救われた[主の]大勢の働き人達は、虐げられた人々や、無知だった人を救おうとしています。その人々を落胆させないでください。その人々を、自分達の道と自分達の方法で働きをする層の人々にしてください。しかし、主は、セブンスデー アドベンチスト達が行なうために存在している働きを明白に指摘しました。キャンプミーティングとテントミーティングは、開催されるために存在しています。この時代の人々のための真理は、宣布されるために存在しています。決定的な一つの証が伝えられるためにあります。そして、その講話は神の子らがその証を理解できるようにシンプルになるために存在しています。

 

5)主の妨害者か助け手か

 そこには、以前の教育を受けた異議のある感情の混じった意見持ち込む危険性のある人々が、医事伝道の働きに加わっています。その人々は、神の言葉によって、その働きがその原則を捨てることを実行する必要があります。さもないと、その人々の考えによって害されるでしょう。私達が、神に与えられ清められた能力を使って働く時、また、神の意思への私達の意思を抑える時、さらに、自我を日々に十字架につける時に、良い結果が表れています。

私達は、委ねられた働きを引き受ける約束をした主を知って、信仰によって前進しています。主は決して間違いや失敗をしないので、主はそれを成し遂げるでしょう。

 主に仕える人々は単なる家令/管理人です。主は、聖霊が働くように心を明け渡す時、その人々を通して働くでしょう。信仰によって、人々は主の手に自分自身を差し出して、「ここに私がいます。私を遣わしてください」(イザヤ68)と言うでしょう。主は、その奉仕によってその人々を受け入れています。しかし、人々が野心のある考えによって、主の計画を妨げないのは当然です。数年、主の人々は、神性の知恵に信頼せず自分の判断を主張したので、主は、その人々と論争してきました。その働き人達は、その働きの前進と成功する計画を満たす知恵と考えて、主の働きの前進を妨げて、主の方法を動かすかもしれないので注意を払いましょう。その人々がこれを行なうならば、主はその人々の間違いを正すでしょう。主の神性の霊によって、主の働き人達を訓練して教化しています。主は、主の知性と意思によって主の働きを広めるために自身の摂理を具体化しています。

 

6)神の働き人達のための神の目的

 人々が、神の前で自分自身を謙虚にするならば、また、人々がすべての人々を支配する影響力として自分達の判断を高めないならば、さらに、彼らが、主のための計画と働きの余地を作るならば、神は、主の名の栄誉を称える方法によって、神が与えた資質を用いるでしょう。主は、実を実らすようにブドウの木を剪定して、望ましくない異議を唱えて絡んでいる枝たちを切り捨て、すべての利己主義から主の働き人達を清めるでしょう。神は、偉大な農夫です。主は、実をもたらして成長するという主の大きな目的のために、リストと共に働いている人々の生活の全てを清めるでしょう。神性な性質に与ることによって、また、日毎に、キリストのかたちへ、キリストに仕える者と形成されることによって、実を豊かに実らしてその人々の目的を達成することは主の計画です。主は、福音の真理の活動経験を通して、福音伝道者、信頼に値する者、堅固で誠実な者になるよう、主の人々に期待しています。主は、私達に今日、現した以上に、もっと明白に清く、高尚な成果を示そうとしています。

 陶工は、自分自身の意思と自分の手によって、粘土に形を与えて器を作ります。陶工は、粘土をこねてから作品にしています。彼は、粘土を細かく分けて、それから、また、一緒にまとめます。彼は、その作品を湿らして、それからそれを乾かします。彼は、それに触らず、しばらく、置いておきます。彼はそれが全く柔らかい時に器として形成する作業を続けています。彼は、それを滑らかにして削る轆轤(ろくろ)の上で、形を形成しています。彼は、それを陽に当てて乾かして、炉の中で焼きます。このようにして、それは、私達が使用するために合う器となります。そのように、偉大な働き人、主は、私達を[使用される]器に形成しようとしています。そして、その粘土は陶工の手中にあります。そのように、私達は主の手中にあります。私達は、陶工の働きをするために存在しているのではありません。私達の役割は、偉大な働き人、主の形成する働きに、私達自身を明け渡すために生きています。

 

7)賢明なカウンセラー達に必要なこと

 主は、忠実な見張り人として立つようそのサナトリウムの医師達に任命しました。神が行なうように期待した彼らを通して、その働きはその施設の中で行なわれる必要があります。彼らは、あなたの助け手となるために存在しています。彼らを通して、様々な感銘が、人間の苦痛を緩和する働きに関して与えられるために存在していました。

 しかし、あなたは、あなたの協力者達の側からの勧めを必要としていました。あなたの全ての計画は神性な資格を生み出さしていないので、新鮮で新しいアイデアがあなたへの勧めとして必要とされていました。あなたは、医事伝道の働きにおいて、あなたと彼らが視界の見えにくい濃霧の中で遭難した人々のようになっていた間ずっと、あなたと繫がった人々の知性を揺り動かしていました。

 私は、あなたへの誘惑は、このカンファレンスから独立して、あなたの医事伝道の働きをするようになるということだ、と主によって指導されました。しかし、この計画は正しくありませんでした。神の目的とあなた自身の損害なしに、あなたのアイデアを伝えることや、あなたが行なっていたような計画はできないだろう、ということを私は知りました。

 

8)神性の助け手

 私の兄弟、外科医としてあなたは最も危機的なケースを処理してきました。そして、時には一つの恐れがあなたにやって来ました。それらの難しい義務を遂行するために、間違いない行動がなされなければならず、あなたは素早く仕事を行わなければならないことを知っています。何度も、あなたは、次々と素早く職務を処理しなければなりません。あなたがそれらの緊急的な手術を行なっていた時に、あなたの横に誰かいましたか。その緊急事態の中で、誰が、あなたに、技術的な精密さと安定した神経、明瞭な視覚と鋭敏な洞察力、俊敏さを与えて、あなたの冷静さと沈着さを保っていたのですか。主イエスは、あなたが何を行なうかを話すために、あなたの側に主の天使を遣わしました。一つの手があなたの手に置かれています。イエスは、あなたではなく、あなたという器の動きをガイドしました。ある時に、あなたは、この事に気付きました。そうして、素晴らしい冷静さがあなたにやって来ました。あなたは、あえて急ぎませんでした。そしてまた、あなたは、時間が惜しいことを知っていて、忙しく働きました。

 主は、あなたをとても祝福しました。あなたは神性のガイダンスの下にいました。あなたと共に働いている最高の位置を占める臨在を知らないほかの人々は、あなたに栄光を与えています。著名な医師達は、あなたの手術を目撃して、その技術を称賛しました。これは好ましいものでした。あなたは、神によって大変、栄誉を称えられました。主の名は、あなたの名ではなく、広められる必要があります。しかし、あなたは、いつも、見えない御方を見る努力ができていませんでした。あなたは、自分で識別するという希望を持っていました。また、あなたは、いつも自分の信頼を神に置きませんでした。あなたは、主の奉仕者達の勧めの注意に快く思いませんでした。あなた自身の知恵によって、あなたは多くの事柄の計画を立てました。主は、あなたの福音の奉仕の働きを尊敬していました。あなたが識別力を必要としていた時、あなたは、その働きの一つの側だけではなく、すべての側で見る必要があります。あなたは神を非難している側のカウンセラー達を選んでいます。あなたは、その人々があなたの主張を支持するならば、その人々と繫がるのを気に入っていました。

 祈りと献身によって、また、主のガイダンスに自分自身を明け渡して、知恵を主に求めることによって、あなたは、神の意思に基づいてではなく、人間の意思に基づいて生み出された多くの事業を開始することを妨げられたことでしょう。あなたは、自分に託された働きを与えられました。しかし、あなたは、あなたの兄弟達や主によってアドバイスされなかった重要性の低い事柄を推進しようという精神で、重要性の高い課題を取り上げることに無関心でした。あなたの兄弟達は、あなたに勧め/忠告を与えることができたことでしょう。しかし、あなたは、自分の計画に干渉されたどのような言葉も見下しました。このことはあなたを困窮した立場に追い込んでいます。あなたが、自分に託された働きを忠実に行なっていたならば、神は、もっともっと、主と共に働く者としたことでしょう。

 主は、あなたの知性がほかの人の知性と交わることを期待しています。時々、主に仕える者達は、あなたと意見を異にしています。これは、彼らが行なうようにと神が求めていたそのことでした。しかし、あなたは、彼らが語ったことには沈黙して、彼らのアドバイスをしりぞける扱いをしました。神は、あらゆる知者達を裁きと正義を行なうために地位に突かせた人々に期待しています。

 

9)主が与えなかった重荷

 主は、あなたに、性急にではなく、平穏の内に熟慮した方法で行なわれるため、あなたに働きを与えました。主は、決して、処理しにくくなった情勢に、性急に事を進めるよう強いていません。しかし、あなたは、憐れみの父、主が、課さなかった責任を自分に積めました。主は、あなたがやみくもにほかの人を追跡調査するような義務を決して託しませんでした。主に仕える者達は、決して、ほかの人を押さえつけるために、不完全なあるいは損なった義務を人に残すために存在しているのではありません。神を畏れて平穏の内に労している人は、先を見て何かが計画を妨げるだろうと案ずるので、行き当たりばったりの方法では働いていないでしょう。

 あなたが負ってきたあらゆる重荷は、主によってあなたに課せられたものではありませんでした。あなたがそれらの余分な重荷を負った結果、その部所の人がみな堕落しています。あなたが託された働きを続けていたならば、主が期待していた人々への働きは、そのサナトリウムの資金によって現在の真理を伝えるために、また、神が世界の人々に伝えるために、主の人々に与えたメッセージともっと多くのものが、いと高き所に立っている人々の前、神に選ばれた人々()にもたらされて成し遂げられたことでしょう。もっと多くのことが、神の力と働きによって、その道を人々の前に示すことができたことでしょう。そのサナトリウムは、――清める真理、高められた真理――の益として、主の目撃者となるために存在しています。主は、あなたを、私の兄弟、主を褒めたたえる器としました。主は、決して、あなたに、何千という小道に光を照らして、神のための確かな働きを行なうために、また、真理のために立つために、また、その施設に繫がったあなたの働きが立ちいかなくなるような義務を求めませんでした。

 あなたは、行なうための偉大で神聖な働きを担っています。あなたが、自分に課された役割を忠実に果たすならば、すぐにとは思えませんが、あなたに与えられた技術を通して、あなたは迅速に仕事をすることが可能になるでしょう。あなたの目が開かれている時、あなたは伝道地の欠乏がはっきりと見えるでしょう。あなたはあらゆるステップで身動きが取れなくなっている働き人達を見ることでしょう。主の資金が本拠地の諸施設と諸計画を支えるために使われている一方で、世界の人々が与えられるはずのメッセージが人々の目から失われています。

 神は、主と共に働く者となるよう、人々に別々の感銘を与えています。ある人は、自分自身に多すぎる責任が集中するような権威を与えられませんでした。主は、些細な事柄によってイライラさせられない精神/聖霊で、主としっかりと繫がって深く信頼している医師と協力しているでしょう。主は、あなたの魂に平穏と冷静さを授けるために、また、あなたを力づけて支えるために、あなたが、傍にいる偉大なカウンセラーを知って、損害なく、欠けるものなく、医療専門職者として最も効果的な働き人の一人となるようにと期待しています。精神の不確かさと知性の熱狂状態は、未熟な手技をもたらすことでしょう。医師の手にキリストの手が触れることは、力と確信、休息と生命力をもたらします。

 私は、息子に手紙を書く母親のように、あなたに手紙を書いています。私は、可能ならば、あなたを助けようと思っています。私は、ここオーストラリアでの働きを残すことが私の任務だと考えることができるならば、あなたに会いに行きたいです。しかし、私は敢えてそうしません。あなたは、いろいろな希望を作り上げて、完成されようとしているそのタワー[サナトリウムの巨大な建物]の在り方について十分な考慮無しに諸計画を立てました。知っている一人として、あなたが自分で築き上げたタワーの結果[1902年に焼失した]を見ることを許されていた一人として、私は、あなたに考え直して中止するよう呼びかけます。神は、あなたの構想を知っています。主は、あなたが塵に過ぎないものであることを知っています。あなたは確かに、特別な勧めを必要としているでしょう。あなたがそのように重要だと考えているそのタワー建設を実行するよう推奨した人々だけではなく、しかし、現時点の人々の勧めは、あなたが行なっている諸事業に確実に付随している結果以上に、もっとはっきりと見られるでしょう。あなたは、[中止するという]その警告を効力のないものとして、また、理解できないものとして、捨て去らないでください。あなたが、届いた警告のメッセージを受け入れるならば、大いなる試練から救われることでしょう。

                    

 1899年ニュージーランド ウェリントンで書いて送った手紙の抜粋

 私達は、不満や苛立ちを起こして、自分達の魂に取り込んで、失望や苦悩が生じることを許すために存在しているのではありません。神の感情を害することがないように、悪について語らず考えず、論争しないようにしましょう。私の兄弟、あなたが、悪の憶測と悪意に心を開くならば、主の聖霊はあなたにとどまることができません。キリストの中にいるということに気づいて満たされるよう求めてください。主に仕える者として働いてください。あらゆる思想と言葉、行ないは主を現すようにしてください。あなたは、日々に、使徒達の時代に全ての者達が一つに調和した愛のバプテスマを受ける必要があります。この愛は、体と知性と魂に健康をもたらすでしょう。あなたの魂の周りを取り巻く雰囲気は、霊的な生命に力をつけるでしょう。信仰と勇気と、希望と愛を育てましょう。神の平安をあなたの心のルールにしましょう。その時、あなたは、自分の責任から解放されることが可能となるでしょう。主の聖霊は、苦悩から解放されるため、あなたのあらゆる業務の権力を抑制して、神性な能力と冷静さを授けるでしょう。あなたは、イエスと共に居たということを証するでしょう。


 

11.神の言葉の価値

1901.1.13 カリフォルニア州オークランドにて

1)一人の医師[J.H.ケロッグ]と妻へ

 親愛なる兄弟、姉妹へ。母国への私達の旅は、目を見張るような素晴らしいものでした[オーストラリア滞在1882-1900]。私は、多くの場所の集会に参加しました。インディアナポリスで、私は、とても大勢の信徒達に会って驚きました。私は、そこで二回、話しました。主は、その人々のために、私達の間に忍び込んでいた間違いに関して、バトルクリークに与えられた警告に似た一つのメッセージを私に与えました。その人々は、その言葉を聞いて受け入れる用意をしていました。

 様々な間違いが私達の信徒達にやって来る時、私達は、それらをめぐって論争に入るために存在しているのではありません。私達は、忠実に、その譴責のメッセージを伝えるために存在しています。また、私達は、間違いに対比して真理を提示して、奇抜な間違った考えから逃れるように、人々の知性を導くために存在しています。いつでも、天のテーマの提示は、永遠に忍耐を基礎として、知性の原則を開示しているでしょう。

 クリスチャンだと確信して堅く立っている信徒達の品性は、確固たる価値に属していて、主への偉大な奉仕に属しています。何者も、その人々を信仰から引き離すことはできません。真理は、貴い宝としてその人々のために存在しています。

 神の真理は、主の言葉の中で見つけられます。現在の真理をどこかほかの所で探さなければならないと考えている人々は、新しく回心する必要があります。その人々は、断念するべく悪い方法、修正するべき悪い習慣を持っています。その人々は、イエスにあるものと同じ真理を新たに求める必要があります。すると、その人々が形成している品性は、キリストの教えと調和するようになるでしょう。その人々が、自分達の人間の考えを断念して、神が与えた義務を引き受け、キリストを見上げて、主の似姿に順応するようになる時、その人々は、「私の神さま、そなた、そなたが近くに、近くに来てください」と言っています。

 私達は、イエスを愛して聖別して、手もとに神の言葉を一歩いっぽ、近くに引き寄せることができるでしょう。神の聖霊がよく知られるようになる時、聖書は、信仰の唯一の基礎として受け入れられるでしょう。神の人々()は、その言葉をほかのどんな働き人以上に、清く力強い、火の中で練り清められた純金よりも貴い命の木の葉として受け入れるでしょう。

 

2)御言葉の忠実な研究の報い

 キリストと主の言葉は、完全に調和しています。それらは、キリストがその光の中にいるように、その光の中を歩むことに同意しているすべての人々の足もとに確かな小道を開いています。神の人々()が、主の言葉を理解したいならば、私達は、地にあるこの教会に一つの天を持つ必要があります。クリスチャンは、神の言葉を調べるために渇望し熱望する必要があります。神の人々は、御言葉を深く考えるために、聖句と聖句を比較して、時について思案するようになる必要があります。神の人々は、新聞や雑誌、小説よりも、御言葉の光を熱望するようになる必要があります。神の人々の大きな希望は、神の息子の血を飲んで肉を食べるようになることです。そして、その人々の生活の結果として、御言葉の約束と原則に満足するようになるでしょう。御言葉による指導は、命の木の葉のようなものとして、その人々のものとなるでしょう。それは、その人々の中で、永遠の命の水を湧き出す井戸となるでしょう。新鮮な恵みの雨は、すべての疲労と戦いを忘れさせる理由をもたらして、魂を生き返らせて生き生きとさせるでしょう。神の人々は、霊感の言葉によって、勇気を与えられて力づけられるでしょう。

 牧師達は、神性な信仰の霊感を受け入れる必要があります。彼らの祈りは、熱心さによって特徴づけられ、真理の神性な保証に満たされるでしょう。疲労は、天の光の中で忘れ去られるでしょう。真理は、牧師達の生活の中に編み込まれるでしょう。そして、天の原則の真理自身が、魂をいつも潤す小川のような流れとなって、新鮮なものとなるでしょう。

 主の哲学は、クリスチャン人生のルールです。その全存在は、天の命を与える原則に満ちています。多くの時間を浪費せず、忙しくしているクリスチャンは、神聖にして清める聖書の健全さの前で、自分達を適切な立場に小さくしています (The busy nothing which consume the time of so many shrink into their proper position before a healthy, sanctifying Bible, piety.)。聖書、聖書だけが、この良い結果を生み出すことを可能にしています。それは、神の知恵と神の力です。また、それは受容力のあるすべての人の心に働いています。私達は、私達が神の意思に順応させる時に、高き所に到達できるでしょう。私達が存在している所はどこであっても、私達が必要としているのは神の力です。悩ます者達の軽率な言動は、この教会を弱めて冷淡にしています。天の父と子と聖霊は、神性な真理の原則を世界の人々に伝えるためのチャンネルとなることを期待して求めています。

 人が作ったいろいろな光/知識が、天からやって来たと主張して現れるでしょう。しかし、その人々は、神の都への道を知らない人や聖地への巡礼者の足元をガイドするように、灯す天の星、聖なる星として、輝くことができません。間違った光が、その真理の位置を占めることでしょう。そして、多くの魂達が、しばらくの間、騙されるでしょう。神は、それは、そのように私達の中に存在していると宣言しました。真理の光は、今も輝いていて、開かれている天の窓に魂達を映し出しています。


 

12.この時代の人々のための働き

1903.1.25 カリフォルニア州セントヘレナから

1)私達のサナトリウムの医師達へ

 親愛なる兄弟のみなさんへ。主の働きの責任ある地位に就いている人々は、シオンの城壁の見張り人を代表しています。神は、彼らに、主の人々の間で警告音を鳴らすように求めています。それは、はっきりと聞かれるようにしましょう。荒廃と滅び、苦悩の日は、不義を行なう人々の上にあります。主の手の特別に激しい仕打ちは、創造と贖いによって人々の所有者である主への自分達の義務を明確なラインにして、主の人々の前に示すことをしなかった見張り人の上に落とされるでしょう。

 私の兄弟のみなさん、主は、あなた方に親しい心の試験を呼び掛けています。主は、あなた方に日毎の行動に真理を飾り付け、すべてにおいて互いに配慮するよう呼び掛けています。主は、あなた方に、魂を清めて愛によって働く信仰を求めています。良心への神聖な求めを軽くあしらうことは、あなた方にとって危険なことです。また、悪い指導によってほかの人々を導く手本となることはあなた方にとって危機的なことです。

 クリスチャンは、行く所ではどこでも「私に学んでください。私は心が優しく謙遜な者ですから、汝らは、自分の魂に休息を見つけるでしょう」(マタイ11:29 KJV)という招待に応じていることを示して、キリストの義の芳しい香りを伝えているでしょう。キリストのためとあなた方自身のために、あなた方の兄弟達へのあなた方のもてなしが公平で高貴になる方法を学んで、また、悪い憶測と疑いを退ける方法を学んで――あなた方は、毎日、キリストの学校で学んでいますか。

 現在の真理は、極貧の人、苦しんでいる人、圧政下にある人、必要としている人を集めて、前に、上にと導いています。やって来る全ての人は、教会という囲いの中に連れてこられるために生きています。その人々の生活は、天の王家の家族の子どもらを構成するという実演が行なわれるために存在しています。真理のメッセージを聞くことによって、男性達と女性達は、バプテスマによって教会に繫がるように、また、安息日を受け入れるように導かれています。それらの人々は、創造の安息日を守ることによって、神の印を伝えるために生きています。また、神の戒めを守ることは、永遠の命を意味していることを自分自身に知らせるために存在しています。

 資金と熱心な働きは、忍耐することが一つの働きなので、このような働きに問題なく投資されるでしょう。このように、罪と悪事のうちに死んで行った人々は、聖徒達の仲間に連れて行かれて、キリストと共に天の場所に座するようにさせられています(Thus those who have been dead in trespasses and sins are brought into fellowship with the saints and are made to sit in heavenly places with Christ.)。その足は確固とした場所に立っています。その人々は、信仰の最も高い所、高い標準に到達することが可能です。なぜなら、事情を知らない人々がその道に集められないように、クリスチャンは自分達の足で正しい道を進んでいるからです。

 教会の全ての人々は、それぞれの教会の内と外で、滅んでいる人々のために労する必要があります。そのメンバー達は、神の宮の生きている石として、天の光を反射して輝くために存在しています。不揃いで無計画、気まぐれな働きは、行なわれるように存在していません。滅びに向かっている魂達をしっかりと捉えることは、一人の大酒飲みのための祈り以上の意味があります。なぜなら、その人は、自分が救われることを表明して、自分の魂の汚れを泣いて告白しているからです。何度も繰り返して、その闘いは戦われる必要があります。

 教会の全てのメンバー達は、自分の隣人達のために労することが特別な義務だと考えるようにしましょう。キリストの旗の下に立っていると言う人はそれぞれ、救い主のための働きを行なうという、神との契約関係に入っていると考えましょう。この働きを始める人々は、良い行ないに疲れないようにしましょう。神の前に贖われた者として立つ時に、貴い魂達は、信仰のゆえに、強く支えた主に、自由に熱心に説得し懇願して、自分達の味方によって忍耐して全力を尽くして、そこにある自分達の名前によって応答するでしょう。このように、この世界の人々の中で神と共に労した人々は、自分達の報いを受けるでしょう。

 一般教会の牧師達は、自分達の説教壇からその教会の人々に提示されるための特別な真理を認めないでしょう。かの敵は、悪意と苦々しい思いでその真理に抵抗するよう人々を導いています。誤りが作り出されています。ユダヤの指導者達とのキリストの体験は繰り返されています。サタンは、主の人々()へ神から輝き出ている光を覆い隠すために抗争しています。彼は、キリストの時代の祭司達と指導者達を通して働いたように、牧師達を通して働いています。その真理を知っている人々は、彼の側に繫がって、[霊的な]無知の闇の地域に真理の旗/標準を立てるために、また、神の働きを前進させるために神が託した方法で働こうとしている人々を妨害して、困難にし、捨てさせていていいのですか。

 

2)私達のメッセージ

 第一と第二のメッセージを含んでいる第三天使のメッセージは、この時代の人々のためのメッセージです。私達は、「イエスの信仰と神の戒めを守る」と記述されている旗をもって中空に掲げるために存在しています。この世界の人々は、破られた主の律法をめぐって、やがて、その偉大な律法の賦与者に会うために存在しています。これは、私達の前の大きな問題を視界から逸らす時ではありません。神は、主の人々に、律法を誉めたたえて高貴なものにするよう呼び掛けています。

 朝の星たちが共に歌い、神の息子[]達がみな、神の歌を大声で喜び歌う時、主の安息日は世界の人々に与えられるでしょう。人間は、この世界が6日間で神によって創造されたことをいつまでも覚えていることでしょう。主は第7日目に休んで、それを主の休みの日として祝福しました。そして、それを主が創造した者達に与えました。その者達は、生ける神とその真理として、主を覚えているでしょう。

 主の全能の力によって、ファラオの反対にもかかわらず、神は、主の民が、エデンで与えられた主の律法を守ることができるように、主の人々(民)をエジプトから導き出しました。主は、主の民がこの律法の宣言を聞くために、シナイ山に連れて行きました。

 神は、イスラエルの子らに自身の声で十戒を宣言することによって、主は、十戒の重要性を説明しました。厳粛な、荘厳さの中で、主は、この世界の人々の支配者として、権威と権能が知られるようにしました。このように、主は、律法に従順になることの重要性と、律法の神聖さを主の民に印象づけるようにしました。その律法の栄光と力は、それ自身の重要性を明白に伝えています。それは、シナイ山から語られた私達の贖い主、キリストによって、聖徒達にかつて宿っていた信仰です。

 

3)神と私達との関係のしるし

 イスラエルの子らによる安息日の遵守は、ほかの全ての国の民から識別されるために存在していました。キリストは言いました。「あなた方やあなた方の子孫と私の間の一つのしるしなので、本当に、汝らは私の安息日を守るでしょう。その事によって、汝らは私があなた方を聖別する主であることが分かるでしょう」(出エジプト31:13 KJV)、「永遠の契約なので、誰でもイスラエルの子らは、彼らの子孫も安息日を守るように、安息日を守るでしょう」(出エジプト31:16 KJV)

 主の安息日は、神と主の民の間に存在している関係のしるしで、その民が主に従順な者だというしるし、その民が主の律法を清く守っているというしるしです。主の安息日を守るということは、主の律法を犯す者達と、主に忠実で従順な者達の間を区別して、主についての知識を守ることを神に託されているということを意味しています。

 これは、この信仰がしっかりと守られていて、世界の人々の前に道徳的な力で立っていて、かつて聖徒達に宿っていた信仰です。私達が第三天使のメッセージを声にする時、私達は反対に会うでしょう。サタンは、かつて聖徒達が宿していた信仰を効果のないものにしようと、できる限りのあらゆる方策を持ち込むでしょう。「真理の道は悪の道だと言われるので、多くの人々は悪意のある者達の道に従うでしょう。彼らは、あなた方と偽りの言葉で貪欲に負けるような取引するでしょう。彼らは、今裁かれて、長い間残されることなく、彼らの永遠の断罪も休止していません」(2ペテロ2:2,3 KJV)。しかし、反対する精神によって、すべての人々は[現在の]真理の言葉を聞くために存在しています。

 神の律法は、すべての辛抱強い改革の基礎です。私達は、この世界で従う必要のある法律とは異なった神の律法を、明確にこの世界の人々に提示するために存在しています。神の律法に従順なことは、人と人との間で正しく接遇する、誠実、節約、勤労などに強力な動機付けとなっています。

 神の律法は、家庭での教育の手段となるために存在しています。親達は、最高に厳格な高潔さの模範を子ども達に示して、この律法に従う最も厳粛な義務の下にいます。責任ある立場にいて感化を及ぼしている人々は、良い生き方とよい働きをして自分を守るために存在しています。「主を畏れることは、知恵の初めです」(詩編111:10)。主の声を入念に聞く人々、また、主の戒めを守ることに好意的な人々は、神を見る多くの人々の間にいることでしょう。「主は、この日がそうであるように、私達が生きていることを守ることができるように、私達に、いつも私達が最良であるように、これらの全ての制定法を行なうよう、私達の神、主を畏れるようにと命じました。そして、主が私達に命じたように、私達が、私達の神、主の前にそれらの戒めを行なって守るならば、それ[制定法]は、私達の義となるでしょう。

 真理を信じる者としての私達の働きは、神の律法の不変性を世界の人々の前に提示するために存在しています。牧師達と教師達、医師達と看護師達は、主の律法に従う重要性を提示するという神との契約によって結ばれています。私達は、主の戒めを守る人々()として識別されるために存在しています。主は、この世界の人々のために行なわれる働きを持っている、と明白に述べました。それはどのように行なわれるのですか。私達は、主の意思が行なわれる時と、その最良の方法を探し出しましょう。

                      

 この世界は、やがて来る命のための生活に用意する、天の学校への一つの訓練学校です。この世界で、私達は、天の法廷に入るための用意をするために生きています。この世界で、私達は、光の中の聖徒達と、一つの家が準備されるまで、真理を行なって、信じ、受け入れるために生きています。

                      

 私達のサナトリウムは、――この時代の人々に真理を宣布するという――一つの目的によって設立されるために存在しています。そして、その人達は、療養に来て、知性に真理を好意的に印象深く指導されるために生きています。働き人達への指導は、正しい側の立場を語るために存在しています。神への奉仕への私達の献身、私達の熱心、私達が持っている世界の人々に伝える一つの警告メッセージは、その真理を証して伝えるために存在しています。


 

13.一つの広い見方

1903.10.30 カリフォルニア州セントヘレナより

1)医事伝道者のみなさんへ

 キリスト、偉大な医事伝道者は、あらゆる真理の手本として、私達の世界にやって来ました。真理は、決して、主の口で活力をなくしませんでした。また、主の手の中で痛手をこうむりませんでした。真理の言葉は、新たな啓示の力と新鮮さを伴って、主の口から発せられました。主は、真理の宝を次々ともたらして、天の王国の不思議を開示しました。

 キリストは、権威によって語りました。あらゆる真理は、主が[天の]知識について、確信をもって宣布したことを知っている人々のための霊的な存在です。主は、架空でもなく、感情の混じった意見でもない言葉を語りました。彼は、詭弁でもなく、人間の意見でもないものを提示しました。役に立たないしっぽ、美しい言葉で被った間違った理論でもないものが、彼の口からやって来ました。彼の論述は、個人的な知識によって構成されたいろいろな真理でした。彼は、世界に満ちている勘違いの理論を見抜きました。しかし、彼は、それらを開示しませんでした。彼の教えの中で、彼は変更できない神の言葉の原則にとどまっていました。彼は、一般の人々が理解できて日常生活に役立つような、実践的な真理をシンプルに披露しました。

 キリストは、人々に科学の深遠な真理を開示できたかもしれません。彼は、解明するための研究と努力に何世紀も必要な不思議を開示できたかもしれません。彼は、科学的な研究者達に、時の終わりについての創案に余裕をもって刺激と思考の材料の示唆を与えることができたかもしれません。しかし、彼は、この事を行ないませんでした。彼は、世俗の偉大さにドアを開くことをせず、人間の野望を満足させることや、詮索好きを満足させることは何も言いませんでした。キリストは、全ての教えの中で、人々の知性に主の無限の知性を触れさせました。彼は、研究者達に、神と神の言葉と神の働きについて、人間達の理論を研究するよう指導しませんでした。主は、摂理によって、また、主の言葉の中に、さらに主の働きに現れた神を見上げるようにその人々に教えました。

 

2)不信心者に対するキリストの勝利

 神の息子は、この地上にいた間、人の子でした。また、彼の神性を輝かす数々の時がありました。彼は中風患者に「元気を出して良くなりなさい。汝の罪は赦されました」(マタイ9:2 KJV)と、言った時がありました。

 「しかし、そこには、例の律法学者が数人座っていました」、彼らは口には出さず「心の中で議論を始めました」(マルコ2:6 KJV)、「神聖を冒瀆することを言うこの者は何者だろう。神一人以外に、誰が罪を赦すことができるだろうか」(ルカ5:21 KJV)。

 「そして、イエスは彼らの考えを知っていて言いました。‟どうして、汝らは心の中で悪いことを考えるのですか。汝の罪は赦されています、というのと、起き上がって歩きなさいというのでは、どちらが簡単ですか。しかし、汝らは、人の子[イエス]が地上で罪を赦す力を持っていることを知ることができるでしょう。(それから、彼はその麻痺のある病人に言います)起きて、汝の床を持って、そして、汝の家に帰りなさい”」(マタイ9:4-6 KJV)

 偉大な医事伝道者[]は、その中風の人の罪を取り除いて、そして、赦した神を提示しました。そして、彼は、身体の癒しも彼に与えました。神は、その息子に永遠の玉座を捉えておく力を与えていました。キリストが自分自身の人格の立場[人間性]をとっている一方で、彼は、永遠の玉座の豊かな光を捉えていて、栄誉をたたえる地位の輝き[神性]を反映していました。

 もう一つの状況において、キリストは求めをしました。「父よ、そなたの名が崇められますように」。そして、そこに応答がやって来ました。「天からの声が言いました。私は、その両方に栄光を現しました。また、その栄光を現すでしょう」(ヨハネ12:28 KJV)

 この声が、その悔い改めていない人の心を感動させなかったならば、また、キリストによって現された大いなる奇跡の力がユダヤ人達の信じる理由にならなかったならば、私達は、ユダヤ人達が現したと同じ不信仰を現して、同じように歪められた理解を発展させて、疑い深い人々と交わり続けることを通して、今日の男性達と女性達が危機的な状態にいることを知っても全く驚かされないでしょう。

 大いなる光が輝いていて、私達の働きを担っているほかのセンターとバトルクリークの事柄の状態が自分の前に開示されて、私は言葉で言い表せない深い悲しみに遭っています。過去において、様々な事態が悪くなると示された時、そこでは、悪いということに関して気づきがありました。そして、これには、告白、悔い改め、改革が続いていました。しかし、その後では、鎮圧されることが必要だった不正を鎮圧する忠実な家令がいませんでした。私達は、ひどく霊的な光を失っていることに驚くことができますか。

 福音伝道に繫がっている人々は、その人々の生活が罪と悪に死んで再び生まれたということを世界の人々に証をするので、キリストの柔和と謙遜に関して学ぶ必要、また、徹底的な回心の必要があります。また、医事伝道の働き人達は回心させられる必要があります。その人々が回心させられている時、その感化は世界の人々に良い[感化]力となるでしょう。世界の人々の意思は、その兄弟[姉妹]達が真理を通して清められているので、助けと勧めを快く受け入れるようになるでしょう。日毎に、その人々は、ほかの人々に与えるために天からの恵みの供給を豊かに受けることでしょう。

 主に託された全ての働き人のために、主は特別なメッセージを送りました。「あなた方のいる持ち場で、あなた方の責任を引き受けてください。そして、正義のために堅く立ってください」。私は[イエスから]すべての人に言うように指導されました。「あなた方のいる場所を見てください。神によって教えられていない人々が空想した、感情の混じった意見を受け入れないでください。キリストは、あなた方の視点を天の事柄に向けるようにと待っています。また、あなた方の霊的な鼓動を新たな活動に元気づけるよう待っています。もはや、現在の生活の普通の事柄に、永遠の関心、未来を求める従業員は一人もいません。‟汝らは、神と富の神に仕えることができません”」(マタイ6:24 KJV)。目覚めてください。兄弟[姉妹]のみなさん、目覚めてください。

 医事伝道の働きの範囲が理解されていません。現在言われている医事伝道の働きは、主の昇天の直前に、キリストが主の弟子達に与えた任命にその概略があります。彼はこう言いました。「すべての権威が、地においても天においても私に与えられています。それゆえ、そなた達は、出て行って、そして、全ての国の民に教えて、聖霊と御子と父の名によってバプテスマを授け、私があなた方に命じておいた全てのことを守るように教えなさい。見よ、私は、世界の終わりまでも、いつもあなた方の共に生きています」(マタイ2818-20 KJV)。

 それらの言葉は、私達の伝道地と私達の働きを指し示しています。私達の伝道地は、キリストが宣布するために来た私達の世界の人々、また、私達が真理の宣布の働きする世界の人々です。男性達と女性達は、キリストが自分達の救い主だということを知る機会と、現在の真理の知識を得る機会を持つために存在しています。「神は、世界の人々をとても愛したので、一人息子を与えました。彼を信じる人は誰でも、滅びないで、永遠の命を持つでしょう」(ヨハネ3:16 KJV)

 

3)一箇所に集中することに対しての警告

 キリストは、主の伝道の働きによってこの世界の人々を取り囲みました。そして、主は啓示によって、私に、多くの場所で、摂理によってその[伝道]道が開かれている時、何かが行なわれるためにその時の必要を何回も呼び掛けている時、僅かの巨大な施設を支えるために、世界のあらゆる地域のための私達の[教会の]人々の基金が費やされること、そして、巨大な施設が作られること、巨大なセンターが作られることは主の計画ではないということを示しました。諸施設は、この世界中の様々な場所で設立されるでしょう。初めに一カ所、そして、それからほかの施設、ブドウ園の各部は、すべての部分が手入れされるまで、入って行くために存在しています。努力は、必要が大きい所ではどこでも、尽くされるために存在しています。しかし、私達は、同時に、僅かの場所で資金を浪費してこの積極的な闘争に加わることができません。

 バトルクリークサナトリウムはあまりに巨大過ぎています。非常に多くの働き人達が、来所する患者達のケアを求められているでしょう。その施設に来所する患者の10分の1は、一つの医療伝道センターで良い結果になるようケアされることができます。複数のセンターは、主が世界に警告した、世界の終末が手許にあるという偉大な働きを知らされていないすべての都市に建てられる必要があります。「ここ一カ所にあるのは多すぎます」と偉大な教師は言いました。

 医事伝道の働きに繫がるために自分達を相応しくした人々は、外国の都市のいろいろな所に出て行きましょう。その人々は自分達が働く伝道地にしようと期待して、働くためにその地域の言語を習得して、その人々の間で正しい働きを始めています。間もなく、その人々は神の言葉のシンプルな真理を教えることができることを知るでしょう。

 

4)私達の近くの伝道地への無関心

 この国[アメリカ]の中に働きが行なわれていない、広い伝道地があります。何千何万という大勢の有色の人々が、キリストを信じている人々の行動とあらゆる真理に共感し、考えていることをアピールしています。それらの人々は、海外の国に生きているのではありません。その人々は、石や木の偶像に膝をついているのではありません。その人々は、私達の間で生きていて、何度も、聖霊の証を通して、神は、私達にその人々に注目するよう呼び掛けて、無関心にされた人間がいることを語っています。

 この広い伝道地は、神が私達に託した光を求めて、働きが行なわれずに私達の前に広がっています。「その言葉は肉とされて、私達の間に住みました。……真理と恵みに満ちていました」(ヨハネ1:14 KJV)


 

14.私達の模範、キリスト

1903.10.30 カリフォルニア州セントヘレナより

1)医事伝道者のみなさんへ

 医事伝道の働き人達にとって最も必要なものは、主の聖霊のガイダンスです。偉大な医事伝道者のキリストが労したような働きをする人達は、霊的な知性を注がれる必要があります。しかし、医事伝道の働きを行なっているすべての人が、神と主の真理を高めているのではありません。すべての人々が、主の聖霊のガイダンスに従っているのではありません。ある者は、燃える火の試練に耐えることができない物質――トウモロコシの切り株、干し草、焚き木などの基礎をもってきています。

 福音医療伝道の働きを構成しているものをあなた方に提示する神からの力と知恵を私が持てるようにと祈っています。これは、私達の教派の働きの支部の偉大で重要な働きです。しかし、多くの者達は、医事伝道の働きを受け入れる基礎にある、高貴にする原則や聖化の視点を失っています。

 私は、1年前に書かれた自分の日誌から見つけました。

 19021029日、今朝、私は早く目覚めました。私の注目を引き付ける問題を適切に書き表すことができるように、知性の明晰さと知恵を熱心に祈った後で、私は、[イエスからの]指導を10頁ほど書き出しました。私は、主の民の前に、やがて訪れる重要な内容を紙に書き出すために、[主が]私を助けたことを知っています。

 このように書いている時、私は感情的に考えています。しかし、その指導が記録された後で、安堵感が私の知性に訪れています。私は、その時、その問題が私の知性から忘れるようなことがあっても、自分に提示された問題の内容が失われないということを知っているからです。

 十字架が人間家族の希望の中心にあるということに気づいている人々だけが、キリストが教えた福音を理解することができます。主は、天の住人達と世界の人々の前で、有利な基盤に人間を置く以上にほかの目的はなく、この世界の人々のためにやって来ました。主は、神の息子として効率的に、主の力にある信仰を通して神性の性質に与る者となることができるよう、罪に陥った人間に証を伝えるためにやって来ました。主だけが、堕落した人類の贖いとなって、楽園の門を開けることができるでしょう。主は、自分自身に、天使達の性質ではなく、人間の性質を取りました。そして、この世界で罪によって汚されていない生涯を生きました。「神の言葉は、肉体となり、そして、私達の間に住み、(そして、私達は彼のその栄光、天の父のひとり息子だけに属する栄光を見上げ)、恵みと真理に満ちました」(ヨハネ1:14 KJV)。「彼を受け入れた多くの人々に、彼の名を信じる彼らのために、彼はその人々に神の子になる力を与えました。」(ヨハネ1:14 KJV)。

 主の生涯と死によって、キリストは、神の戒めに従うことによってだけ、人間は安全性と真の偉大さを見つけられることを教えました。「主の律法は完全です。魂を改心させます」(詩編19:7 KJV)。神の律法は、主の品性の写しです。それは、従順の標準として、[創造の]初めに人間に与えられました。後の数世代で、この律法は視野から失われました。ノアの大洪水から数百年後、アブラハムが呼び出されました。彼伝来の、彼のために与えられた約束は、神の律法を高貴にするでしょう。エジプトに行ったイスラエル人の時代の経過の中で、そこで、何年も、彼らはエジプト人達の手によって悲惨な圧政に苦しみました。400年近く奴隷にされていた後で、神は、主の力の素晴らしい臨在で、彼らを助け出しました。主は、全世界の支配者として、エジプト人達に、すべての異邦人の神々よりも偉大な御方、主自身を現しました。

 シナイ山で、主の律法は二度目に与えられました。荘厳で厳粛な中、主は、主の指針を語って、石の板に自身の指で十戒を記しました。

 数世紀が過ぎて、私達は、神の律法が従順の標準として、もう一度、間違いなく明らかにされなければならない時が来たことを発見しました。キリストは、その律法の神聖なことを主張して、その正当性を立証するために来ました。彼は、神の律法を守るために、人間に不可能なことであるとサタンによる間違った攻撃について、その嘘を立証して、律法の要求に従順な生涯を生きるために来ました。一人の人間として、彼は、誘惑に会って、神から彼に与えられた力によって勝利しました。彼は、サタンによって苦しめられていた全ての人々を癒して、良い事を行なって巡回した時、彼は、自分の奉仕の性質と神の律法の特徴を人々にわかりやすく説明しました。彼の生涯は、神の律法に従うことが私達にとって可能なことだということを証しました。

 キリストは、決して、神の律法の原則への忠誠から逸脱しませんでした。キリストは、決して、彼の父の意思に反して何も行ないませんでした。彼は、人々と天使達と悪霊達の前で、ほかの誰かの口からの冒瀆に、「私は、いつも、主が喜ぶこれらのことを行なっています」(ヨハネ8:29 KJV)という言葉を語ったことでしょう。日々に、3年間、主の敵達は、主の品性に何かの汚点を見つけようと主を追いかけました。サタンと、彼の悪い仲間達は、彼に勝とうとしていました。しかし、彼らは、有利なものを得られず、彼には何も見られませんでした。悪霊達でさえ、そなたは「聖なる神の人です」と告白することを強いられています。

 

2)自己犠牲

 私達の贖いのための神のひとり息子という贈り物によって表されているように、どんな言語が神の愛を人類家族に力強く表現できるのでしょうか。無罪の者が罪の罰を受けました。「神は世界中の人々を愛したので、ひとり子を与えました。彼を信じる人はだれでも滅びないで、永遠の命を得るでしょう。神は、世界の人々を厳しくとがめるために自分のひとり息子をこの世界に遣わしたのではなく、彼を通してこの世界の人々が救われるためです。彼を信じる人は厳しくとがめられません。彼を信じない人はすでにとがめられています。なぜなら、神のひとり息子の名前を信じなかったからです」(ヨハネ3:16-18 KJV)

 キリストは、失われた世界の人々を救うために、贖いの犠牲として、自分自身を与えました。私達が主を価値ある者としてもてなすように、主は私達を価値ある者としてもてなしました(He was treated as we deserve, in order that we might be treated as He deserved.)

 彼は、彼が加担しなかった私達の罪のためにとがめられました。私達は、私達が加担しなかった彼の義によって正しくされるでしょう。彼は、私達のものであった永遠の死を耐え忍びました。私達は、彼のものであった永遠の命を受けるでしょう。「主の鞭打ちの傷跡によって、私達は癒されました」(イザヤ53:5 KJV)

 キリストは、かつて、天の法廷で主のそばに忠実に立っていたある者によって、私達と同じようにあらゆる点で誘惑されました。荒れ野で誘惑されて、激しい誘惑によってひどく弱っていた時の神のひとり息子を見上げてください。悪の勢力によってあらゆる方向から攻め立てられた、主の奉仕の働きHis ministryをしていた数年間の彼を見てください。十字架上で主が苦しんでいる姿を見てください。主が苦しんだこれらの全ては、私達のためです。

 苦労と犠牲に満ちていたキリストの地上での生活は、無益な苦しみを全くしなかっただろうと考えた人々によって歓迎されました。人々の永遠の命のために自分の命を与えることによって、彼は、その忠実さを背景に世界の人々を勝ち取るでしょう。初めに血のバプテスマを受け入れなければならないけれど、また、世界の人々の罪が彼の罪のない魂に重荷となって存在していたけれど、さらに、彼の前に置かれていた喜びのゆえに、彼は、恥をもいとわないで十字架を耐え忍ぶことを選びました。

 キリストの真の伝道の定義を研究してください。「誰でも、私について来たいと思うならば、自分自身を否定してください。そして、自分の十字架を負って、私についてきてください」(マルコ8:34 KJV)。これらの言葉が言っているように、キリストについて行くことは、見せかけでも道化芝居でもありません。イエスは、弟子達に自分が克服したことに克服し、自分が苦しんだことに苦しみ、自分が忍耐したことに忍耐して、自分の足跡にしっかりとついてくることを期待しています。主は、主についていくと告白した者達が自己犠牲の精神を表す様子を見ようとして案じながら待っています。

 主のために恥を耐え忍び、主の自己犠牲の生き方のために、主の苦悩にあずかる者となり、個人的な救い主としてキリストを受け入れる人々は、真の医事伝道者になることの意味を理解することでしょう。

 私達の医事伝道者達がみな、キリストにあって新しい人生を歩んでいる時、また、自分達のガイドとして主の言葉を信じている時、その人々は、真の医事伝道の働きを構成することを明確に理解するでしょう。この働きは、その人々にとって、キリストが自分自身、イスラエルの子らにモーセを通して語った石の板に記された安息日の戒めを含んでいる律法に従うことを信じて疑わないことを示す時、深い意味を持っているでしょう。

 「本当に、汝はイスラエルの子らに話しなさい。あなた方やあなた方の子孫と私の間の一つのしるしなので、汝らは私の安息日を守るでしょう。その事によって、汝らは私があなた方を清めている主であることが分かるでしょう。……永遠の契約なので、イスラエルの子らとその子孫も、主の安息日を守るでしょう。安息日は、イスラエルの子らと私の間の永遠の契約です」(出エジプト31:13-17 KJV)

 私達は、熱心に神の言葉を研究して、終末の日々に与えられるために存在しているメッセージを力強く宣布しましょう。救い主の自己犠牲の生涯の光を受け入れている多くの人々は、主の意思と調和した生き方を歩むことを目立って、拒んでいます。その人々は、ほかの人々の幸のための犠牲的な人生を歩むことを快く思っていません。その人々は、自分自身を高めることを望んでいます。そのような人々は、真理と義のための自分達の財産を失いました。そして、自分達のキリストらしくない感化は、多くの人々を救い主から離れるように導いています。神は、真理のために堅く立っている働き人達の生き方が、主に反対した働きをしている人々の感化を阻止するよう呼び掛けています。

 医事伝道の働き人達のみなさんに、私は[イエスから]指導されたことを伝えます。「みなさんのリーダー[]について行ってください。主は、特別な道であり、特別な真理、特別な命です。主はあなた方の模範です。医事伝道の働き人達はみな、私心のないキリストの奉仕の生涯を見続ける責任が課されています。みなさんは焦点を、みなさんの信仰の創始者であり完成者であるイエスに当て続けるために存在しています。彼は、すべての光の源であり、すべての祝福の基礎です。

 

3)光のために堅固に立つ

 神は主の働き人達に、原則から逸れて清さに傷つけられたこの世代の人々に霊的な感化を及ぼして健全を現すように呼び掛けています。私の兄弟、姉妹のみなさん、このように、神はあなた方に求めています。あなた方の小さな感化のすべてが、キリストの側で役立てられるために存在しています。あなた方は今、イエスにあるものと同じ真理を擁護するために堅く立って、正当な名によって人々に呼びかけるために存在しています。

 かつて、聖徒達に宿っていた信仰を強く主張すること、今その[聖徒達]前に行くことは、神の中にキリストと共に全ての魂の命が隠されている人々にとって当然です。この地上に人としてキリストがいたということが存在しているように、真理は擁護されて、神の王国は推し進められる必要があります(Truth must be defended and the Kingdom of God advanced as it would be were Christ in person on this earth.)。もしも、主がここにいたならば、主は、医事伝道者になることを告白しているけれども、偉大な医事伝道者の柔和と謙遜について学ぶことを選ばなかった多くの人々の叱責を受けるために引き出されるでしょう。医事伝道の働きの高い地位を占めている人の生き方によって、自我が高められました。そのような人々は、自己を高めるためにあらゆる望みを取り除かない限り、彼らは、キリストの品性を明瞭に識別して認めることができないだけではなく、主が行なった働きを行なうことができません。

 主の聖霊が、私達の教会のメンバー達の知性を支配している時、私達の教会の中には、霊的/精神的に、奉仕の働きにおいて、証や講話のスピーチにおいて、現在見られる以上に、とても高い標準が見られるでしょう。教会員達は、命の水によって新鮮にされるでしょう。そして、キリスト、すなわち、上司[]の下で働いている労働者達は、言葉と行ないと、精神において、自分達の主を現すでしょう。また、私達が繫がっている働きについて、その地域で推し進めて、互いに励まし合うでしょう。神は、罪びと達を贖うよう、死ぬためにその息子を遣わして世界の人々に証を伝えるので、愛と一致が増して、健全になるでしょう。神性の真理は高められるでしょう。ランプの明かりが燃えて輝き出る時、私達はもっともっと明確に理解するでしょう。

 この時代の人々をテストする真理は、人間の誰かの知性の作り話ではありません。それは、神からのものです。それは、それを理解する人々のための真の哲学です。キリストは、真理を信じることを通して、清められて贖われるように、私達のために肉体となりました。義によって真理を捉えている人々は、平和の福音を備えた靴を履いて、それをまだ知らない人々に真理を伝えるために目覚めて広めましょう。

 私達は現在、真の医事伝道の働きによって、私達の王の来臨に備えてまとまるために存在しています。しかし、私達は次のことを覚えておきましょう。クリスチャンの一致は、人間の人格のアイデンティティー(自我同一性)がほかの人のアイデンティティーの中に埋没させられるために存在しているという意味ではなく、それは、人の知性がほかの人の知性に支配され導かれるために存在しているのでもないことを意味しています。神は、主張しようとして、言葉と行動による同じ力をどの人間にも与えませんでした。神は、御言葉の指導に就くよう、そして、自由に立つよう、すべての人間に求めています。

 私達は、[現在の]真理についての知識を増やしましょう。天の父と一つの御方である主に栄光と賛美を捧げましょう。私達は、主の聖霊、天からの油注ぎをもっと熱心に求めましょう。私達は、キリスト教信教を成長させて、聖化を持ちましょう。天の法廷において、私達はついにキリストの中の完全を宣告されるでしょう。

 「見上げなさい。花婿が来ます。汝らは彼を迎えに出て行きなさい」(マタイ25:6 KJV)。グズグズしている時間はありません。今、起きて、あなた方のランプの芯を整えてください。グズグズしている時間はありません。互いに一致して完全を求めてください。私達は、様々な困難を予期する必要があります。試練がやって来るでしょう。キリスト、私達の救いに関するキャプテンは、苦難を通して完全になりました。彼に就く者達は、何度も敵の攻撃を受けるでしょう。そして、厳しく試みられるでしょう。しかし、主に就く者達は、悲観する必要がありません。キリストは、その人々に「元気を出してください。私はすでにこの世界に勝ちました」(ヨハネ16:33 KJV)と言いました。次の一節はクリスチャンの戦いを表した文章です。

 

私は、クリスチャンの天への道程について、

暁のような歓喜、夏のような輝きになるだろうと考えた。

そなたは、私にその道を示したが、それは暗くて起伏が多く、

すべてが岩だらけで険しく、イバラが絡まっていた。

私は、天の名声と報いを夢見た。

私は、栄誉の冠と衣とヤシの葉を求めた。

私は求めたが、そなたは一つの十字架と一つの墓を私に示した。


 

4章 防護してください

「汝らは目を覚ましてください。あなた方は一般の人々のようなことをやめて、その信仰に堅く立ってください。汝らは愛によって行なうようにしてください」(1コリント16:13 KJV

 

1.過去からの教訓

1)一カ所に集中すること

 ノアの洪水の後に、アダムに与えられた戒めを実行して、人々が地上に満ちて支配するために分散することは神の意図でした。

 大勢に増えたノアの子孫は、彼ら自身の背信を現しました。神の戒めの拘束力を振り払いたいと考えた人々は、主ヤハウェ(hwhy)を拝することから分かれることを決めました。彼らは一つの集まりに団結して、ついに地上全体を取り巻くような君主政治を創設するために、自分達の共同体を保つことを決意しました。シナルの平原で、彼らは一つの都市を建設することを決意しました。そして、その中の一つの塔が世界の人々の驚きとなるでしょう。その塔は、非常に巨大でそれを滅ぼし去るものは何もないように、洪水がその頂上に到達しないほどたいそう高くなるように存在していました。このように、彼らは、自分達を神から独立して、自分達の安全と安定を期待しました。

 この連合体は、神に対する反逆心から発生しました。シナルの平原の住民達は、神の栄光のためではなく、自己称揚のために自分達の王国を建設しました。彼らが成功していたならば、大きな力が、新しい宗教の開始と正義を払いのけて揺れを引き起こしたことでしょう。その世界は頽廃したことでしょう。間違った理論が、[人々の]知性から神性の制定法への忠誠を逸らしたことでしょう。そして、主ヤハウェ(hwhy)の律法は軽視されて忘れ去られていたことでしょう。しかし、神は、主のための目撃証人なしにこの世界をそのままにさせておかないでしょう。その時、そこには、神の前に自分達を謙虚にしていた人々がいて、主に叫びました。彼らは請い願いました。「神よ。人々の計画や方法とそなたの目的のあいだに干渉して異議を差し挟んでください」「そして、主は、人の子らが建設したその都市と塔を見るために降って来ました」(創世記11:5 KJV)。天使達が、建設者達の無価値な目的を報告するために遣わされました。

 その塔は、尊大なほどの高さに達していました。それは、頂上の働き人達と地上の基礎にいる人々と直接に話をして連絡を取ることができなくなっていました。それゆえに、人々は所々に、働きに関するほかの指示や、人が必要な材料の情報を次の下の方に伝えたり受け取ったりする中継所を設けました。いろいろなメッセージが人からほかの人へと行き交っていたので、必要ではなかった材料が注文されました。また、受け取られた指示は、しばしば、与えた人に返されました。混乱と狼狽が続きました。すべての働きが行き詰まりました。そこでは、協力や調和とはほど遠いものになるでしょう。建設者達は、まったく、彼らの間の奇妙な誤解の責任を取ることができないでしょう。そして、彼らの怒りと落胆によって、互いに非難し合うでしょう。彼らの混乱はけんかと流血に終わるでしょう。天からの稲妻が、その塔の一部を打ち壊して、それを地面にたたきつけました。人々は、天に支配している一人の神が、人間達だけにある教える手段を複雑に混乱させることができると考えさせられました。

 神は、悔い改めの機会を十分に与えて、人々のひねくれ行為を長く忍耐しています。しかし、主は、人々が考えている、主の正しくて聖なる律法の権威の反逆に注目しています。

 この時代には、すべての人々は同じ言語を話していました。現在、それらの人々は、ある者はこの方法でまたある者は別の方法で、仲間に繫がってほかの人々に話していた言葉を理解したことでしょう。その時に、主は、地上のあらゆる表のあちこちに人々を分散させました(創世記11:9 KJV)

 私達の時代に、主は、主の民が地上の至る所に分散させられるように望んでいます。彼らは、開拓者のコロニー/植民地を形成するために存在しているのではありません。イエスは、「汝らは、世界中の人々に出て行って、すべての造られた者達に福音を語りなさい」(マルコ16:15 KJV)と言いました。主の弟子達が、エルサレムに多くの信徒達を残して彼らの傾向に従った時、迫害が彼らにやって来ることを許されました。そして、彼らは、世界の住民のあらゆる地域に分散させられました。

 数年間、魂達のために私心なく労苦して、主の広い収穫の伝道地に出て行くように訴える警告のメッセージと懇願が、私達の[教会の]人々にやって来ました。

 1895年から1899年に書いた証から、私は次の段落をコピーしました。

 

 「真の伝道の働き人達は、開拓者のコロニーを形成しないでしょう。神の人々()は、地上においてはよそ者であり巡礼の旅人となるために存在しています。一カ所の働きの建物に多額の資金を投資することは、神のためのものではありません。建物や設備は、多くの場所に作られるために存在しています。学校やサナトリウムは今、現在の真理が伝えられていない所に設立されるために存在しています。それらの重要性は、利益を生み出すためではなく、真理を広げる目的で設立するために存在しています。土地は、都市から離れた所に確保されるでしょう。そこで、いろいろな学校が設立されるでしょう。そこで、若い人々が園芸や機器操作の従業員としての教育を受けられるでしょう。

 現在の真理の原則は、もっと広められるようになるために存在しています。そこで、間違った考え方から論理的に思考している人々がいます。一カ所に集中した働きをすることは、とても便利なことなので、人々は一つの地域にあらゆるものが一緒に集まることを気に入っています。ひどい悪がその結果です。助けを必要としている様々な場所が見捨てられています。

 私は、私達の[教会の]人々に、現在と将来の幸になるよう、また、そのコースに就くように何を言うことできるでしょうか。バトルクリークにいる人々は神によって自分達に与えられた光に注意を払っていないのではありませんか。その人々は、イエスに就いて行かず、十字架を掲げず、自己否定をしていないのではありませんか。彼らはバトルクリークを出てほかの場所に大切な物を建てるという[]リーダーの呼びかけに応じていないのではありませんか。彼らは、自分達に与えられている成功を信頼して、キリストの愛の物語を伝えるために、この無知の暗黒の地に出かけようとしていないのではありませんか。

 バトルクリークに集中することは、私達の[教会の]人々のための神の計画ではありません。イエスはこう言っています。‟今日、私のブドウ園に行ってください。あなたが必要とされていない所から離れてください。そのメッセージを聞いたことがなかった諸都市や町々に真理の旗/標準を立ててください。私が行く道を用意してください。それらの大通りの人々や生け垣のある小道の人々は、その呼びかけを聞くために存在しています”。

 主は、荒れ野を神聖な場所にするでしょう。主の人々()が、伝道精神に満たされて、主の働きをするいろいろなセンターを作るため、サナトリウムを建てるために出て行く時、そこは、病気の人や悩みのある人がケアされうるでしょう。そして、様々な学校では、若い人々が正しい教えによって教育されうるでしょう。

 密に連携した多くの施設があることによって、大きな優位性があるということが訴えられました。その施設は互いに力強くなるでしょう。そして、教育と雇用を求める人々を助ける余裕ができるでしょう。これは、人間の理性に依っています。それは、人間の観点から認められるでしょう。多くの優位性は、バトルクリークに多くの責任が集中することによって得られています。しかし、未来図は拡大されることを必要としています」。

 

 しかしながら、しばしば、何回も逆の勧めがなされています。彼らは、支配下に置いた多くの関心と資金を集積するために、権力の集中化を計画し続けました。その働きは、初めに、レビュー&ヘラルド事務所で始まりました。何者かが、初めに帆を動かすと、ほかの者達が続きました。それは、バトルクリークの中で、支配力を持った一人の下で出版の働きの強化を呼び掛けて推進していた人、私達の働きのかの敵でした。その時、私達の医療施設とほかの医事伝道の関心と資金がみな、バトルクリークの医事伝道協会の支配の下に集積されるならば、医事伝道の働きは大きく前進するだろうという好意を得ました。

 私はこれに反対して、私の警告の声を上げなければならないと[主によって]言われました。私達は、神に従順になることを快く思わなかった人々や、自分をコントロールできなかった人々に支配されるために存在しているのではありません。私達は、支配する権力者になるために自分達の言葉を求めている人々によって、ガイドされるために存在しているのではありません。支配することへの強い願望の発展は、非常に目立っていました。そして、神は、連合と強化を禁じて、警告を次々と送りました。主は、私達に、自分達の兄弟達の[再臨]運動を支配するために、人々の労働によって表される同意にかなって自分達に集積することに反して警告しました(He warned us against binding ourselves to fulfill certain agreements that would be presented by men laboring to control the movements of their brethren.)

 

2)一つの教育的なセンター

 主は、バトルクリークで行なわれたある取り決め/協定を喜んでいません。主は、バトルクリークに信徒が増えて集中化してしまって、ほかの所が優位性と光を失っていると断言しました。この国のあらゆる地方から私達の[教会の]若い人々がバトルクリークに呼び集められることを神は喜んでいません。私達がこれを許している時、私達は、しばしば、彼らの最も貴い宝を必要としている伝道地から[働き人を]盗む罪を犯しています。

 様々な証の中で与えられた光/真理を通して、主は、学生達が、バトルクリークで教育を受けるために、自分達の地元の学校とサナトリウムを離れることを望んでいないということを示唆しました。主は、私達にこの場所からカレッジが移るように指導しました。これは、行なわれました。しかし、様々な施設は、優位性がまだバトルクリークに集中していて、ほかの場所との共有が行なわれず、失敗を残していました。主は、諸施設の主要な建物が火事によって焼失することを許すことによって、主の悲嘆を表明しました。

 それらの破壊的な火[主の炎の剣]という、主の摂理の明確な根拠があっても、私達の[教会の]ある者達は、人々が主の是認できなかった指揮の中での物事に揺れ動いていたので、それらの建物は[火災によって]焼失したという記事の光を作ることにためらいませんでした。

 人々は、それらの施設が設立されたことについて、特殊な考えが広まっていたので、正しい原則から離れ去っていました。その人々は、イザヤ58章に記されているように、破れを繕うために、「久しく見捨てられた所を建て直す」、一つの人々()を用意することを行なうように、神が任命した真の働きにしくじっていました。この聖句の中で、私達が行なうためにある働きは、医事伝道の働きに存在しているように、明確に定義されています。この働きは、あらゆる場所で行なわれるために存在しています。神は、一つのブドウ園を所有しています。そして、主は、このブドウ園が私心なく働かれるようにと期待しています。無関心にされる場所はどこにもありません。最も無関心にされた場所は、その働きが行なわれるよう、奉仕の働きをする人々が最も目を見開く必要があります。イザヤを通して、主の聖霊はこのように記述しました。

 「悪い者が縛って重荷を負わせた人の縄をほどくこと、汝らがすべての軛を砕いて虐げられた者を解放させることが、私の選んだ断食ではありませんか」(イザヤ58:6 KJV)。「汝が、飢えた者に汝の魂を注ぎ出して、苦しめられた魂を満足させるならば、その時、汝の光は薄暗い所に灯され、汝の闇は真昼のようになるでしょう。主は、常に汝をガイドするでしょう。欠乏の中にいる汝の魂を満たすでしょう。そして、汝の骨を強くするでしょう。そして、汝は、水のある園のようになるでしょう。絶えることのない湧き水のようになるでしょう。汝らに属する者である子らは、久しく見捨てられた所を建て直すでしょう。そして、汝らは、多くの世代の子孫を興すでしょう。そして、汝らは破れを繕う者、そこに住む者のための道を回復する者と呼ばれるでしょう」(イザヤ58:10-12 KJV)

                      

 神は、主自身の名のゆえに、その人々の清くない計画を進めるための独立と前進を許さないでしょう。主は、悪い行動のために彼らに尋ねるでしょう。「悪い者達に平和はありませんと、私の神は言っています」(イザヤ57:21 KJV)。しかし、主の裁きの中でも、主は憐れみを覚えているでしょう。主は、こう言っています。

 「私は永遠に争わないでしょう。私が造った魂達の精神は私の前で失敗しているので、私はいつも怒らないでしょう。切望の罪のゆえに、私は人を罰しました。私は、自分を隠して怒りました。人は自分の心の道に敵意を満たして行きました。私は、人の様々な道を見ていて、その人を癒すでしょう。また、私は、人の嘆きを満足に回復して、人を導くでしょう。私は、人の口のために果物を作りましょう。遠くにいる人にも近くにいる人にも、平安がありますように。平安がありますようにと主は言っています。私は人を癒すでしょう」(イザヤ57:16-19 KJV)

 主は言いました。‟私[]の民の精神は、私の前に怠慢を表しています。私が、彼らの悪い行為と調和してもてなすためにいたということが本当であるならば、そのようになりますが、そうではありません。彼らは、私の不快と怒りに耐えられないでしょう。私は、すべての罪びと達の悪い道を見てきました。悔い改めた人は、正しい働きを行なっています。私は、回心させて、癒し、そして、私の気に入るように回復するでしょう”。

 聖別されていない人々によって、外れた道に導かれ、騙されていた人々に関して、主はこう言っています。‟彼らの行動のコースは、私の意思と調和していませんでした。また、私自身の目的の義のため、その真理のため、私は、私の名を誉めたたえる全ての人を癒すでしょう。イスラエルの悔い改めた者はみな、私の救いを見るでしょう。私、主は支配し、そして、私は、近くの人にも遠くの人にも全ての人々の心に、感謝と賛美を満たすでしょう。悔い改めたイスラエルはみな、私の道を守るでしょう”。

 「その名を聖という、永遠に住んでいる高貴で高尚な御方が言っています。私は、悔い改めた人々の心をよみがえらせるために、また、謙虚な精神をよみがえらせるために、謙虚な精神と悔い改めた人々に属している人と共に、いと高き聖なる場所に住んでいます」(イザヤ57:15 KJV)


 

2.私達の若い人の教育訓練をどのようにするか?

[1)天が起源の美徳]

 キリストのさきがけ、バプテスマのヨハネは、初期の教育訓練を両親から受けました。彼の人生の偉大な一部は、荒れ野で費やされました。彼は、正しい原則が正道を逸らされたり価値を小さくされたりした彼らの行動原理や伝統によって、また、律法学者や祭司達の厳密でない清めを見ることによって、影響されなかったでしょう。当時の宗教教師達は、宗教的にたいそう盲目になっていたので、彼らは、天が起源の美徳をほとんど認めなかったでしょう。非常に長く、彼らは、真の意味を失うような方法で旧約聖書の聖句を解釈して、嫉妬や羨望、自負心を抱いていました。荒れ野での厳しい鍛錬のために都市生活の快適さと享受を差し控えるのはヨハネの選択でした。そこで、彼を取り囲んでいたのは、自己否定とシンプルな習慣の好感の持てるものでした。世俗の人々の騒がしい声によって遮られず、そこで、彼は摂理と啓示について、自然界の教訓を研究したことでしょう。天使からザカリヤへの言葉は、神を畏れる彼の両親によってしばしばヨハネに繰り返して語られました。彼の子ども時代から、彼の任務は彼の前に備えられていました。そして、彼は神聖な委託を受け入れていました。彼のために、人の住んでいない寂しい場所は、不信や疑いの社会から逃れのために歓迎の地でした。不道徳は、ほとんど全地に広がるようになりました。彼は、罪との常時の接触から避けて、罪深さを超える感覚を失うといけないので、誘惑に持ちこたえるために、自身の力を信用しませんでした。

 しかし、ヨハネの生活は、利己的な孤立、無菌のような閉鎖、怠惰に費やされませんでした。成長と共に、彼は、人々との交際に出かけました。そして、彼は、この世界の人々の中で、過ぎて去っていることを観察して、興味を持っていました。彼は、静観して開示されていない出来事eventsを見詰めていました。神性の霊/精神によって先見の明が照らされ/啓蒙されて、彼は、人間の品性/特徴を研究しました。彼は、天のメッセージの心への伝わり方を理解したことでしょう。

                      

 キリストは、真の医事伝道の生涯を過ごしました。彼は、私達に自分の生涯を熱心に研究することを期待しています。私達は、彼が働いたように働くことを学べるでしょう。

 彼の母は、彼の最初の人間の教師でした。彼は、彼女の口から、また、預言者達の巻物から天の事柄を学びました。彼は、農場労働者の家に住んでいました。そして、忠実に進んで家族の任務を負って、自分の役割を果たしました。彼は、かつて、天の指揮者で、天使達は彼の言葉を実行することを喜んでいました。今、彼は、忠実な息子、進んで行なう愛する者、一人の奉仕者でした。彼は、手ずから、ヨセフの大工の仕事場で働きました。彼は普通の労働者の作業着を着て、自分の慎み深い仕事で行ったり来たりして、小さな町の通りを歩きました。

 その時代の人々の価値ある事柄は、外見を表すことが決定的でした。宗教の力が衰えた時、その見せびらかしが栄えました。その当時の教育者達は、誇示と見せびらかしによって、尊敬され支持されることを求めました。すべての人々にとって、この事はイエスの生活と著しく対照的でした。主の生き方は、彼らの生き方の重要な要素であるように考えていた人々のこれらの事柄が価値のないものであることを表していました。彼は、大きな事柄を小さく見せて、小さな事柄を大きく見せるような、当時の学校を求めませんでした。彼の教育は、目で見て心で感じて、快く進んで学ぶ人々の指導に役立つ、神の教訓の本すなわち、有用な仕事から、自然界と御言葉についての研究から、生活体験を源として認められた天から得られました。

 「その子どもは成長して、精神/霊が強くなり、知恵に満ちました。そして、神の恵みが彼の上にありました」(ルカ2:40 KJV)

 世界の人々が目撃したことがなかった、形成するための一つの力、祝福の感化を及ぼすための人々との接触など、彼のあらゆる瞬間において、このように、準備ができた時、彼は自分の任務に向かいました。

 

2)様々な警告の言葉

 私達は、若い人々にとって特別な危機の時代に生きています。サタンは、この世界の終わりが間もなく来ることを知っています。彼は、若い男性と若い女性に自分への奉仕に就かせるために、あらゆる機会を利用することを決意しています。彼は、彼らを誤りに導くために多くの特別なだましを考案しているでしょう。私達は、使徒パウロによって書かれている警告の言葉を注意深く考える必要があります。

 「汝らは、不信者らと釣り合わないくびきを共に負わないようにしていください。正義と不義は何の関係がありますか。光と闇に何の交わりがありますか。キリストとベリアルに何か調和がありますか。信仰と不信仰に何の関係がありますか。神の宮と偶像の間にどんな一致がありますか。汝らは生きている神の宮です。神はこう言っています。私は彼らと共に住み、彼らと共に歩むでしょう。そして、私は彼らの神となり、彼らは私の人々()となるでしょう。ですから、彼らの間から出て行って、汝らは分かれるようにしなさいと主は言っています。そして、清くない人々に触れてはいけません。私はあなた方を受け入れるでしょう。また、あなた方の父となるでしょう。そして、あなた方はわたしの息子、娘となるでしょう」(2コリント6:14-18 KJV)

 特別な光は、少数の巨大な医療施設が建てられるよりも、多くの小さなサナトリウムの設備の方が主のために多くを達成する理由に関して、私に与えられました。巨大な施設に中に、しかし、休暇や休息を求めて訪問客のような大した病気でない多くの人々が集められるでしょう。それらの人々は、看護師や助手達によって付き添われることになるでしょう。幼少期から何年も世俗との繋がりを遮蔽されてきた若い男性達や若い女性達は、世俗のあらゆる層の人々との接触がもたらされるでしょう。また、大なり小なりの程度で、彼らが見たり聞いたりしたことによって影響を受けるでしょう。若者達は、クリスチャンの父親や母親達が熱心な祈りと慎重な指導によって可愛がって守って来た上品さと純粋さを失って、世俗の人々と関わることでその人々のようになるでしょう。

 私達は、終わりの日々の危機の真ん中で生きています。無宗教の世俗にいて享楽を愛する人々と繋がりをもたらす場所に行くために家を出て、親らしいケアと指導を必要としている子ども達を放置している危険を私達の[教会]の人々は、誰かに警告をはっきりと言われる必要があります。

 多くの家庭で、父親と母親達は、子ども達に思いのままにするルールを許してきました。深い信心に反対の影響を及ぼす人々と関わりをもたらされる時、そのような子ども達は、従順を学んだ子ども以上にもっと大きな危険の中にいます。子ども達は、躾の鍛錬の必要を受け入れられずに、好きにすることができると考えています。従順になるための方法の知識は、誘惑に抵抗するための彼らの力となるでしょう。しかし、親達のためのこの知識は彼らに与えられませんでした。これらの躾られていない若者が計りきれないほど巨大な施設に入った時、そこには、霊的に反した影響を与える人がたくさんいます。彼らは滅びの墓にいる人です。そして、しばしば、その施設に滞在している人々は、その施設と若者達にとって悪い存在です。

 私は、不信や背信のタネが彼らの知性に蒔かれて、何か月もたぶん何年も[教会]欠席になって、子どもを家庭から離れた場所に送っておらず、はっきりとしたクリスチャン体験や原則の確立していない、子ども達がいる両親達に警告するようにと指導されました。彼らの家のすぐ近くの[小さな]サナトリウムや学校に、そのような若者達を送ことは、とても安全でベターなことです。品性を形成したその若者達は、敵の力が強く侵害する場所や、不信者の大勢の仲間と交わるような場所を避けましょう。それらの施設の助け手として、永年、働く人々のために、私達の様々な巨大サナトリウムのマネージャーによって、決定的な努力がなされるようにしましょう。夜の間のいくつかの幻の中で、私は、大きな集まりの中にいました。そこで、この問題が考察に上がっていました。バトルクリークに躾けられていない子ども達を送る計画を立てていた両親達に、権威ある御方はこう言いました。

 「あなた方はこの試みに挑戦しようとしているのですか。あなた方の子ども達の救いは、この場所で受ける教育以上に価値があります。そこでは、子ども達は、常に不信者達の影響力にさらされます。この施設にやって来る多くの人々は、回心していない人です。その人々は、プライド/自負心に満ちていて、神と繫がった信仰を持っていません。これらの世俗の人々に付き添う若い男性と女性達の多くは、僅かだけのクリスチャン経験をしていただけです。その人々は、簡単に、彼らの足元に置かれている罠にかかるようになるでしょう」。

 「この悪の矯正法として何を行なうことができるでしょうか」と、誰かが質問をしました。話し手の御方が答えました。「あなた方がこの滅びの場所に自分自身を置いて以来、年とともに確立された品性と成熟した男性と女性クリスチャンが、正義への反影響の働きをしているその施設にもたらされるようにしましょう。そのような計画を遂行することは、そのサナトリウムの運営上の出費を増すでしょう。しかし、それは、その施設の若者達を保護することと、彼らが現在さらされている汚れの影響から、その砦を防護する効果的な手段となるでしょう」。

 「両親や保護者のみなさん、あなた方の子ども達を教育訓練学校に入れてください。そこでの感化は、適切な家庭学校での指導を受けた子ども達と同じです。教師達のいる学校は、子ども達を到達点から次の到達点へと連れて行くでしょう。また、そこでの霊的な雰囲気は、命から命へと芳しい香りです」。

 主の目的の奉仕の訓練を受けるためにバトルクリークにいる私達の[教会の]若者達について書いて送った警告と指導の言葉は、役に立たない言葉ではありません。神を畏れるある若者は、特別な試験に立ち向かっているでしょう。しかし、最も良心的な人々であっても、私達の最良のケアと保護なしに、[家庭を]巣立つことは私達にとって安全ではありません。信心深い両親から賢明な躾と指導を受けた私達の[教会の]若者達が、感化に大きく依っている真理を通して、清められることを続けても続けなくても、家庭を巣立った後で、若者達は、クリスチャンの躾を見ている人々の間で向き合っています。

 私は、私達の[教会の]兄弟姉妹達に繰り返して警告するように指導されました。パウロはテサロニケの教会に送った手紙の中でこのように勧めています。

 「無法な謎の者がすでに働いています。残念ながら、彼がその道を取り去られるまで、その者は拘束されています。無法の者が現れる時、主イエスは自分の口の息によって殺すでしょう。そして、主の来臨の現れによってなきものにするでしょう。彼[無法な者]と同じく、あらゆる力としるしと不思議によって、また、滅びる人々に不義の策略によって、それらの人々が現れてくるのはサタンの働きのためです。彼らは、真理についての愛を受け入れなかったので、救われないでしょう。この理由のために、神は、間違いに関する一つの働きとして彼らを許しました。彼らは一つの嘘を信じるでしょう。彼らはすべて、不義を喜んでいただけではなく真理を信じない人として裁かれるでしょう」(2テサロニケ2:7-12 A.R.V.)

 「しかし、私達は、あなた方のためにいつも神に感謝を捧げるために結ばれています。主に愛されている兄弟[姉妹]のみなさん、神は、真理への信仰と主の聖霊/精神による清めを通して、救いのためにあなた方を初めから選んでいたので、そこへ、私達に主イエスキリストの栄光を得るために、私達の福音によってあなた方を呼び出しました。それゆえ、兄弟[姉妹]のみなさん、言葉か書簡かに関わらず、汝らが教えられていた伝統的な教えや習慣を守って、堅く立ってください。さて、私達の主イエスキリスト自身と、私達の天の父は等しく、私達を愛しました。そして、恵みを通して明るい希望と永遠の慰めを私達に与えました。あなた方の心を慰めて、あらゆる良い言葉と良い働きによってあなた方を据えました」(2テサロニケ2:13-17 A.R.V.)

                        

 19039月。私が、バトルクリークの事柄の状態を考えていた時に、私は、そこに行く私達の[教会の]若者達のために身震いするほど心配していました。主によって私に与えられた光/真理は、「私達の[教会の]若者達が自分の教育を受けるためにバトルクリークにいることは正しくないでしょう。また、特別な変化をしていないでしょう」というものでした。そのサナトリウムが再建されたという事実[本書の末尾参照]は、その光を変えていません。過去におけるそれは、バトルクリークを、私達の[教会の]若者達の教育のための相応しくない場所にしました。そして、今日、それは、感化に関わることからほど遠く、相応しくない場所にしています。

 バトルクリークから外に移転するようにという[主からの]呼びかけが来た時、「私達は、ここにいます。すべてが据えられています。莫大な出費をすることなく移転することは不可能でしょう」という請願がありました。

 主は、そのサナトリウムとレビュー&ヘラルドの主要な建物を焼き尽くす火を許しました。そして、このように、バトルクリークの外に移転することに反対を主張した大勢の異議を取り去りました。一つの巨大なサナトリウムを再建する代わりに、私達の[教会の]人々は、いくつかの場所に施設を作るということが主のデザインでした。これと似た複数の施設は、農業を発達させて、国民の安全を保障するために設立されてきました。農作業が私達のサナトリウムと学校の働きと繫がるようになることは、神の計画でした。私達の[教会の]若者達は、農業従事者から農作業の働きを習得するための教育を必要としています。このことに敬意と関心を持って主の計画を遂行する努力は、本質的なことで、とても、とても良いことです。

 私達は、私達の[教会の]最も有望な若い男性と女性達を、誤った道に導く傾向のある多くの感化に囲まれるような所で奉仕のための教育訓練を受けるために、バトルクリークに行くよう、励ましていませんか。非常に大きいサナトリウムに繫がっているある若者は立ち向かわなければならないいくつかの危険性を、主は私に現しました。この施設の支援者で、富裕かつ世俗的な多くの男性と女性達が、そのヘルパー達への誘惑の源となるでしょう。そのヘルパー達の内のある人々は、裕福な患者達の気に入りとなり、自分達の雇用に入るよう強い勧誘を申し出られるでしょう。そのサナトリウムのゲストなった人の何らかの世俗的な装飾を通して、有毒な雑草(スズメノエンドウ)がすでに、看護師やヘルパーとして働いていた男性と女性達の心に蒔かれていました。これはサタンが働いている方法です。

 そのサナトリウムはあるべきではない所にあるために、主の言葉は私達の[教会の]若者達の教育に関して責任がないのでしょうか。心の中で神を畏れない男性と女性達と繋がって純真さを失うような場所にいて、私達のカンファレンスの諸教会[に影響力を及ぼしている]、私達の若者達の最高の理知的な人を、私達は許しておくのでしょうか。私達のカンファレンスに挑戦する私達の若者達を許しておくのでしょうか。その若者達は、主が何年も主の人々に移転を呼び掛けていたその一か所に引き寄せられて、クリスチャンの働き人達としてその諸学校で、主の奉仕の働きのために相応しくされるでしょうか。

 私達は、私達の若者達に、深い聖化と強い団結が働いて、私達の教会の感化によって救いを及ぼす教育訓練を受けるようにと願っています。人々は、バトルクリークを去って、福音医事伝道の働きをすることができる所に転居するという家族への呼び掛けの必要を考えていないでしょう。しかし、主は言いました。私達は、主の言葉に疑問を持てますか。

 

3)先延ばししている時間がない

 私達の間には、多くの若い男性と女性達がいます。その人々は、奨学金が与えられると、奉仕に自分を相応しくするために学業のコースを自然に、数年、多くするでしょう。しかし、それは取り戻せるでしょうか。時は短いです。キリストのための働き人達は、どこでも必要とされています。現在、一人しかいない外国の伝道地や家庭に、何百人もの信仰深く、熱心な働き人達となる必要があります。大通りや脇道にいる人々には、まだ働きがなされていません。奨学金の訴えは、今、主のための働きに繫がるべく人々になされるでしょう。

 キリストの来臨が近いということを示すしるしは確かに成就しています。主は、まだ真理を聞いていなかった人々がいる場所で戸別訪問する福音伝道者や文書伝道者として労する私達の若者達に呼び掛けています。主は、私達の[教会の]若い人々に語っています。「汝らは代価によって買われているので、汝らはあなた方自身のものではありません。それゆえ、神のものであるあなた方の体と精神によって、神の栄光を現してください」[1コリント6:20 KJV]。神の指導の下に働きに出て行く人々は、素晴らしく祝福されるでしょう。最善を尽くしてこの人生を生きる人々は、不死の生命、将来のための適合性を得るでしょう。

 主は、私達のサナトリウム、出版所、若者達に教えるための学校、福音の働きなどに繫がった人々に呼び掛けています。私達の時間とエネルギーは、関心のなかったほかの働きの部門の、いろいろな、レストラン、食品工場、サナトリウムの設立のために多く労する必要はありません。この若い男性と女性達は、奉仕の働きに繫がるでしょう。聖書を教える働きと文書伝道の働きをする人は、機器操作労働に携わるべきではありません。

 その若い人々は、クリスチャンワーカーとしての私達の訓練学校に入学するよう勧められる必要があります。そこは、預言者の学校のようになる必要があります。それらの施設は、主によって設立されていました。そして、彼らが主の目的と調和して指導されるならば、その学校に送られた若者は、すぐに、伝道の働きの様々な働き人達と繫がる準備がなされるでしょう。ある人は、福音伝道の看護師として、ある人は、文書伝道者として、ある人は、福音の牧師として伝道地に入るために教育訓練されるでしょう。


 

3.責任の分割

1903.8.4.カリフォルニア セントヘレナより[76]

1)親愛なる兄弟のみなさんへ。

  私は皆さんのためのメッセージを持っています。私は、バトルクリークで始められて存在しているすべての取り決め/協定は医事伝道の働きと繫がっていないと言うように[主から]指導されました。医事伝道の働きは、神の働きです。そして、すべてのカンファレンスとすべての教会の中で、私達は、利己主義に支配されることを許さずに反対して確固として立つために存在しています。

 バトルクリークで開かれた告白と団結についての優れた集会に関して、私が[主の]言葉を受けた後で、私は自分の日誌を書いて、変化が訪れたと考えたので感謝の記録を書きました。私の手が引き止められた時、私に次の言葉がやって来ました。「それを書いてはいけません。良い事が行なわれたという変化はありません。魂達が真理を断念するという教えは、大きな価値があるとして提示されています。彼らの清くない目的をうまくやって、自分自身の傾向と調和した行動に人々を導く教理と、禁じられた道や回り道に導くという教理が教えられています。それらの教理が受け入れられるならば、神が託した働き人達を通して、神の人々に行くほかの光を不鮮明にして、神の人々()の勢力と尊厳を破壊するでしょう」。

 バトルクリークで私達の医療の働きに就いているリーダー達は、自分達の計画と一致して、しっかりと私達の様々な医療施設を義務付ける試みをしてきました。それにもかかわらず、これが行なわれていないでしょうという多くの警告が、彼らに与えられました。リーダー達は、私達の医療の働きが自分達の支配下にあるように、何かの方法によってそれらの施設を義務付けようと望んでいました。

 過去において、私は、このテーマでたくさん書きました。そして、私は、今、与えられた忠告を繰り返す必要があります。それは、私の兄弟達にとって、自分達の危機的な立場を理解することが困難に見えました。

 「主は、設立されたすべてのサナトリウムと温水治療所が、バトルクリークの医療施設に束縛されて―― 一つの支配下に置かれるようなことを禁止しています。バトルクリークサナトリウムの管理者達は、今、すべてを自分達の手中にしています。彼らは、それがあるべきこのサナトリウムにする働きに自分達の力を注ぐ必要があります」。

 「一人の男性が、その医療従事者達すべての良心になりうると考えるために存在していません。人間は、ガイダンスと知恵のために、天の神、主だけを見るために存在しています」。

 「いろいろな医療施設の設立と発展において、私達の兄弟達は、支配する力や王者らしい計画と一致した働きを求めるべきではありません。一つの変化が周りにもたらされる必要があります。バトルクリークに組織が集中するようにすべての医療施設が結び付けられるという計画は、断念させられて当然です。神は、この計画を禁じました」。

 「数年、私は、そこには、私達の兄弟達が、神を見るのではなく、これかあれかをする同意のために自分達の仲間を見る危険性が常にあると指導されてきました。このように、彼らは、神によって非とされましたが、人間が作った制限に縛られることを自分に認めて弱くなっています。主は、主の律法の原則と調和している同胞愛の精神によって、主に結ばれた人の下で主の働きをするように、知性と良心に感銘を与えることができます」。…

 「神は、未来を知っています。主は、私達がガイダンスとして見るために存在している御方です。私達は、主の働きの様々な姉妹施設の発展を私達に指導している主を信頼しましょう。清められていない動機と合致した働きを認めないようにしましょう」。……

 「SDA全体総会から地方連合カンファレンスに分割したことは、神の解決方法でした。最後の日々のための主の働きにおいて、そこには、エルサレムの諸センター、王宮のような塔になる必要はありません。様々な都市での働きは、神の計画ではないので、バトルクリークの集中化の働きの協定によって結ばれるために存在していません。兄弟達は、私達は、ほかの場所のように、主のブドウ園の一部を神の支配の下にいるので、共に勧めをするために存在しています。兄弟達は、キリストと父が一つであるのと同じく、一つの心一つの魂になるために存在しています。これを教えて、これを実践してください。私達は、みんながお互いに形成される働きをして、神の中でキリストと共に一つになるでしょう」。

 「以前、王者のような権力が、バトルクリークで開催されたSDA全体総会に現れました。あの出版所は、それ自身が一つの王国になるために存在していませんでした。全体総会の業務の統治の原則が、あのサナトリウムとあの出版所の働きの運営を管理するべきだったということは、本質的なことです。人は、ほかの支部以上にはるかに重要な、自分が繫がっている働きの支部のことを考えていません」(One is not to think the branch of the work with which he is connected is of vastly more imoportance than other branches.)

 「教育的な働きが、やがて設立されるすべてのサナトリウムで行なわれる必要があります。神はその働きを支配していて、最初に設立されたサナトリウムの一グループの人々に全てのことを従わなければならない、と考える人は一人もいません。このコースを神は禁じています。バトルクリークの医師達に指導した神は、主のブドウ園の様々な地域で主人のために奉仕するよう呼び出されている男性と女性達に指導しているでしょう」。

 「人間の法律と人間の協定は、神に受け入れられないように構成されています。それらは、命から命へと芳しい香りを証明していないでしょう。私は、危機的なしるしを掲げる必要を負っています。私達の施設の全ての人々の管理者達は、しかし、彼らの働きの特徴を保つ一方で、ほかの施設に頼るのではなく、心からの奉仕を通して、主に自分達の信仰を現すことによって、自分達の指導者としての神を見ることによって、彼らの個人的な働きについて聡明になる必要があります。そして、彼らは、タレントと才能を発達するでしょう」。

                      

 キリストは、主によって与えられた以上に高い指示の奉仕を求めています。責任ある地位にいる人々は、聖霊の力を受けることを通して、人々が主を現している以上に、はっきりと贖い主を現しています。無限の神は、私達のために、主の美徳の実践と信仰を受け入れることによって、滅びることがなく、永遠の命を持つように、私達のための犠牲としてひとり子を与えて、この世界の人々をとても愛しました。私の兄弟のみなさん、主が、私達の救いのために備えた無限の犠牲の捧げ物の記録を現した霊的な情熱の大きな欠如を熟慮していることについて、どうお考えですか。

 人間の野心と自慢はみな、塵の中に捨てられるために存在しています。自我、罪深い自我は、高められるためではなく、落とされるために存在しています。日々の生活の中での聖化によって、私達は、自分達の周りの人々にキリストを現すために存在しています。滅びる人間の性質は、高められるためではなく、抑えられるために存在しています。このようにしてだけ、私達は、汚れなく、清くなることができます。私達は、忠実な男性と女性として、謙虚になるために存在しています。私達は、決して、裁く者の座に着くために存在していません。神は、主を表す者達が、清めの美を表して、聖となり、清くなるようにと命じています。そのチャンネルは常に遮るものがなく、よく見えるものを残すために存在しています。主の聖霊は自由なコースを取っています。さもなければ、ある者は、完全なクリスチャン品性による自然な心で行なわれるはずの働きのうわべを飾るでしょう。そして、その人々は、永遠の玉座のようにしっかりとした神の真理を成果のないものとして表すような方法で、自分自身の不完全さを表すでしょう。そして、神は、主の見張り人達が危険信号を上げるよう呼び掛けている一方で、同時に、主は、彼らが救われるための行ないとなるべき救い主の生涯を一つの模範として、彼らの前に提示しています。

 主の弟子達のために、キリストは祈りました。「そなたの真理を通して、彼らを清めてください。そなたの言葉は真理です」。愉悦、自己満足、感覚は、清めの根拠ではありません。忠実な記録は、人の子らの行動をみな残しています。永遠に住んでいる御方の聖と高き視界から遮るものは何もありません。ある人は、陰謀と計画と策略によって、彼らのキリストを恥じ入らせています。神は、主イエスが彼らの働きと彼らの霊/精神によって不名誉にされているので、彼らの指揮を是認していません。彼らは、その使徒の言葉を忘れています。「私達は、この世界と御使い達と人々のために、‟目を見張らされる者”にされています」(1コリント4:9 KJV)。

 主が、主の働きに関して与えた指導は、正しい方法を指摘しています。神の計画と神の考えは、天が地よりも高いように、人間の計画と人間の考えよりはるかに高いものです。神の声は、聞かれるために存在していて、主の知恵はガイドするために存在しています。主は、主が主の人々に送った証の中に、また、主の言葉の中に主の計画の概略を持っていました。その働きだけが、主の言葉の原則が堅く永遠に立つように調和して置かれるでしょう。


 

4.リーダーシップ

1903.11.17.カリフォルニア セントヘレナより[76]

[1.全てのメンバーが幹部を選ぶ]

 様々な都市の新聞は、セブンスデー アドベンチストの人々に属するリーダー ミセスエレン・G・ホワイトとケロッグ医師の間の確執があることを提示した記事を載せました。私がそれらの記事を読んだ時、誰かが間違った情報を公表して、私の働きとケロッグ医師の働きをたいそう誤解したもので、計り知れない困難を感じました。リーダーシップの問題に関して、ケロッグ医師と私自身の間には論争はありませんでした。この教派のリーダーの地位を求めたということを聞いたことはありませんでした。

 私は、セブンスデー アドベンチストだけではなく、世界の人々に、自分に与えられた指導を声とペンによって伝えるため、――行なうための重い責任のある一つの働きをしています。私は、厚いものから薄いものまで、多くの書籍を出版してきました。そして、それらのあるものは、いくつかの言語に翻訳されました。神が、私に開示した御言葉をほかの人々に開示すること――が私の働きです。

 神は、セブンスデー アドベンチスト教会に、教会全体を支配したり、その働きの支部を支配したりする王のような権力を置きませんでした。主は、リーダーシップの重責を少数の人に負わせるように提示しませんでした。様々な責任は、適任な多くの人々の間に分配されました。

 この教会の全てのメンバーは、この教会の幹部を選ぶ声を持っています。この教会は、各州カンファレンスの幹部たちを選んでいます。州カンファレンスで選ばれた代表たちは、連合カンファレンスの代表たちを選んでいます。連合カンファレンスの代表たちは全体総会の幹部たちを選んでいます。取り決め/協定によって、全ての信徒個人、すべての教会、すべての施設、すべてのカンファレンスは、直接か代表を通してかの両方で、全体総会の様々な責任者の長となる人を選ぶ一つの声を持っています。

 

2)[SDA教会]初期の経験

 私達の教派の初期の働きにおいて、主の特別なガイダンスの下で、彼の妻と繫がって、主が指名したジェームズ・ホワイト長老は、この働きを前進させる役割を担うために存在していました。

 この働きがどのように成長してきたかという歴史はよく知られています。印刷所の設備は、最初に、ニューヨーク州ロチェスターで設立されました。その後で、ミシガン州バトルクリークに移転しました。数年後、一つの出版所が太平洋岸に設立されました。

 私は、主が初めの頃からこの働きの一部を担う特権を私達に与えたと感謝しました。この働きが大きさに見合って成長しただけでなく、責任が分散された間に、私は、ある人から、この[教会の]人々のリーダーシップについての主張を聞ました。

 1844年から現在まで、私は主からのメッセージを受けてきました。そして、それらを主の人々に与えてきました。主が私に与えた光をその人々に与えること、――これが私の働きです。私は、主のメッセージを受けて伝えることを託されました。私は、一つのメッセージをもった一人のメッセンジャー以上の何かの地位をもった者として、その人々の前に現れるために存在しているのではありません。

 何年も、J.H.ケロッグ医師は、セブンスデー アドベンチスト達によって進められてきた医療の働きで、医師達をリードする地位に就いていました。全体総会の働きのリーダーとして活動することは、彼にとって不可能なことでしょう。このことは、決して、彼の役割ではありませんでした。また、それは決してできないことです。

 

3)神が私達のリーダー

 私は、リーダーシップの疑問をめぐって、セブンスデー アドベンチスト達の間に論争は存在しなかったということを、すべての人々が知ることができるだろうと考えたことを書きます。天の神、主は私達の王です。主は、決して間違わないので、私達が安心してついていける一人のリーダーです。私達は、世界の人々と交流している、神とその息子を誉めたたえましょう。

 神は、人々が、主のガイダンスの下に全的に自分自身をおくならば、今日も、主の人々()のために熱心に働いているでしょう。その人々は、聖霊が宿り続ける必要があります。これらの責任を負っている人々の相談と勧めの祈りが多くあるならば、また、神の前に心を謙虚にするならば、私達は神性のリーダーシップをたくさん見ることでしょう。私達の働きは迅速に前進することでしょう。


 

5.神の中でキリストと共に一つ

 主は、真理と誤りの間の違いを認識している人々、健全な知性と真の信仰に属する人々に呼びかけています。おのおの人は、この時代のための真理によって、生きた信仰を守って、ヨハネの17章で与えられている教訓[御名によって護られるキリストの祈り]を研究して実践して自分を防御する必要があります。私達は、キリストの祈りと調和した習慣を生活にもたらすことが、また、可能な自己抑制の必要があります。

 権威ある御方によって私に与えられた指導は、ヨハネの17章に記された祈りへの答えを得るために存在しています。私達は、この祈りを私達の最も主要な研究にするために存在しています。福音牧師、また、医事伝道者はみな、この祈りの科学を学ぶために存在しています。私の兄弟姉妹のみなさん、私はみなさんの研究に、神の支配の下で知性の健全なエネルギーと、悔恨の精神、謙遜、平穏をもたらすよう、それらの聖句の言葉に注意を払うよう祈ります。この祈りに含まれている教訓を学ぶことにしくじっている人々は、一側面に発展する危険性があります。その将来への訓練は、全く正しくないでしょう。

 キリストはこう祈りました。「彼らがみな一つになるように、私は彼らのためだけではなく、それらの言葉を通して私を信じる人々のために祈ります。そなた、父が私の中におり、私がそなたの中にいるように、彼らもまた私達の中で一つになるでしょう。この世界の人々は、そなたが私を遣わしたことを信じるでしょう。そなたが私に与えた栄光を、私はその人々に与えました。私達が一つであるように、その人々は一つになるでしょう。私がその人々の中にいて、そなたが私の中にいます。その人々は一つとなって、完全にされるでしょう。世界の人々は、そなたが私を愛していたこと、彼らを愛していたこと、そなたが私を遣わしたことを知ることでしょう。汝が、私に与えた人々が、私のいる所に一緒にいるようにと、私は望みます。義なる父、この世の人々はそなたを知りませんでした。しかし、私はそなたを知りました。そして、それらの人々はそなたが私を遣わしたことを知りました。私は、人々にそなたの名を知らせました。これからもそれを知らせましょう。そなたが私を愛した愛がその人々の中にあるように、また、私もその人々の中にいるでしょう」(ヨハネ17:20-26 KJV)。

 神の子らが一つに混ざることは、神の目的でした。その子らは、天で同じように一緒に生きる努力をしないのでしょうか。キリストは、自分に反対する者から離れませんでしたか。主は、神の目にとても清い働きのために力と知性と心を捧げて、目的に団結している働き人達の前で、不一致と悪を憶測するガラクタを一掃する前に、主の人々に成功を与えるでしょうか。団結は、不和と弱体化[を防ぐ]力をもたらしています。ほかの人々と団結して、人々の救いのために調和して働いて、私達は確かな「神との同労者」となるでしょう。それらの人々は、神をひどく不名誉にして、調和して働くことを拒むでしょう。魂達のかの敵は、目的を互いに交差させて働くのを見て喜んでいます。そのような者達は、心に思いやりと兄弟[姉妹]愛を涵養する必要があります。彼らが、未来を被っているカーテンを脇に寄せて、その結果を見ることができるならば、彼らは確かな悔い改めに導かれることでしょう。

 世界の人々は、クリスチャンの間の不一致を満足して見ています。不信心な者達はとても喜んでいます。神は、主の人々()の間に一つの変化を呼び掛けています。キリストとの団結とほかの人々との団結は、これらの終末の日々において、私達の唯一の安全です。私達の教会メンバーの欠点を指摘することは、サタンができないようにしましょう。キリストの旗/標準の下に立っている人々は、どれほど互いに嫌っているかを見上げてください。私達は、自分の力で争っているというよりは互いに争って力を失っています。その一方で、その人々から恐れるものは何もありません。

 主の聖霊の降下の後で、主の弟子達は、魂達の救いを望むユダヤ人達に、よみがえった救い主を伝えるために出て行きました。彼らは、聖徒達の共同体の思いやり深いことを喜びました。彼らは、真理のためにどんな犠牲もいとわず、自己を否定し、思慮深く、優しい人々でした。彼らの日々の互いの交わりにおいて、彼らは、キリストが弟子たちに現すように命じた愛を現しました。私心のない言葉と行動によって、彼らは、ほかの人々の心にこの愛を灯すために奮闘しました。

 その信者達は、主の聖霊が降った後で十二使徒達の心に満たされた愛を大事に育てるために存在していました。信者達は「私があなた方を愛したように、汝らも同じようにお互いに愛し合います」(ヨハネ13:34)という新しい戒めに快く従順になって、広めるために存在していました。信者達は、そのようにしっかりと、キリストと団結するために存在していました。彼らは、主の求めを十分に果たすようになるでしょう。主の義によって信者達を義とする救い主の勢力は、広げられるために存在していました。

 しかし、初代のクリスチャン達は、互いの欠点を探し始めました。間違いを引き出して、思いやりのない批判に場所を与えて、彼らは、罪びと達のために主が現した偉大な愛と救い主を視界から見失いました。彼らは、自分達の粗探しにもっと厳しく、信仰の理論についてもっと特別なもの、外見的な行事を絶対的なものと考えるようになりました。彼らは、ほかの人々をとがめることに熱心になることによって、自分自身の間違いを忘れていました。また、彼らは、キリストが教えた兄弟[姉妹]愛の教訓も忘れました。そして、すべての者が惨めなものになりました。彼らの良心でさえも失われました。彼らは、幸福と喜びが自分達の生活から去ってしまったことも気づきませんでした。やがて、彼らは、自分達の心から神の愛を拒絶して、[霊的な]闇を歩むでしょう。

 使徒ヨハネは、教会に警告していた兄弟愛について気づきました。そして、彼は、特にこの点について抱いていました。彼の死の日に、彼は、いつもお互いに愛を実行するようにと言い残しました。各教会への彼の手紙は、この思想で満ちていました。彼はこう書きました。「愛された私達はお互いに愛し合いましょう。愛は神に属しているので、……私達は彼を通して生きることができるように、神は、この世界に一人息子を遣わしました。……愛されたみなさん、神は私達をとても愛しているので、私達もまたお互いに愛し合って当然です」(1ヨハネ4:7-11 KJV)。

 神の教会において今日、兄弟[姉妹]愛はひどく欠如しています。救い主を愛していると告白している多くの人々は、クリスチャンの同胞として団結している人々を愛することに無関心です。私達は、同じく祝福された不死の希望を持って、同じ天の父の子ども達で、一つの家族の一員として同じ信仰に属しています。親しさと優しさはどれほど私達を共に結ぶようになることでしょうか。世界の人々は、私達の信仰が私達の心に清めの感化を及ぼしているかどうか、私達を見て注目しています。その人々は、私達の活動のあらゆる矛盾、私達の生き方のあらゆる欠点を素早く見分けています。私達は、世界の人々に、私達の信仰をとがめる機会を与えないようにしましょう。

 私達にとって、最も危険なことは、世界の人々の反対ではありません。神の働きの進展を最も妨害して、私達の働きを最も悲惨にして失敗させるのは、信者だと告白した人が心の中に悪を抱き続けていることです。お互いに疑いを起こさせ、負けず嫌いな心以上に、私達の霊性を弱める確かな方法はありません。「この伝来の知恵は天から来たものではなく、地上のもの、感覚的なもの、悪魔的なものです。羨しさと困ったことがあると、そこには混乱と悪い働きがあります。上から来て存在している知恵は、初めが清く、それから平安、柔和、温和、慈しみと良い実に満ちて、偏り見ることなく、見せかけがありません。義の実は平和を作る人によって、平和のうちに蒔かれています」(ヤコブ315-18 KJV)

 人々の間に様々な性質が存在している調和と団結は、罪びと達を救うためにこの世界に神がその息子を送って生まれることができたという説得力の強い証です。この証を生み出すことは、私達の特権です。しかし、このことによって、私達は、キリストの指揮の下に自分自身をおく必要があります。私達の品性は、彼の品性と調和して形成されて当然なので、私達の意思は彼の意思に明け渡される必要があります。その時、私達は考え方の衝突なしに共に働けるでしょう。

 小さな意見の違いの宿りが、クリスチャンの同胞愛を壊す行動へと導いています。私達は、私達を支配して優位性を得ようとするこのような敵を許さないようにしましょう。私達は、お互いの人々と神を近くに引き寄せるようにしましょう。その時、私達は、命の川のそばの水辺に主によって植えられた義の木々のようになるでしょう。私達はどんなにか、果実を実らすことでしょう。キリストは、「ここに私の父の栄光があります。汝らは多くの果実を実らすでしょう」(ヨハネ5:8 KJV)と言いませんでしたか。

 救い主の心は、それ自身の中に深く高く、神の目的を満たしていて、主に追随している人々に注がれています。その人々は、世界中に散らされているけれども、主の中で一つになるために存在しています。しかし、主の道のために自分達人の道を快く放棄しない限り、神はキリストの中でその人々を一つにすることができません。

 キリストの祈りが十分に信じられる時、その指導が神の人々()の日常生活にもたらされる時、活動の団結は私達の信徒達の中に見られるでしょう。兄弟[姉妹]達は、キリストの愛の金のような絆によって、兄弟[姉妹]達と結ばれるでしょう。神の霊/精神だけが、この一致をあちこちにもたらしうるでしょう。主自身を聖別した主は、主の弟子達を聖別することができます。主と団結した弟子達は、最も聖なる信仰によってほかの人々と団結するでしょう。神は私達にそのための奮闘を望んでいるので、私達がこの団結に奮闘する時、それは私達に訪れるでしょう。

 

 

訳者付記

イザヤ61:3「彼らは義のかしの木ととなえられ、」

エレミヤ17:8「彼は水のほとりに植えた木のようで」

詩編1:3「このような人は流れのほとりに植えられた木の」


 

6.出て行くためのメンバーの準備

 教会のメンバーには、気づいている以上に個人的に委ねられた偉大な働きがたくさんあります。彼らは、神の求めに自覚していません。神の日に立つための一つの人々()を準備する助けができるように、すべての手段が工夫されるような時が来ました。私達は、主の戒めを守り、神を愛する魂を勝ち取ることが可能になるよう全てのことを行なう必要があります。イエスは、真理をしている人々にこのことを求めています。主の求めは、多過ぎますか。私達は、模範としてのキリストの生涯を知らないのですか。私達は、主がその命を与えた人々の救いのために私心のない働き、救い主の熱心な愛の義理を負っていないのですか。

 私達の大きな教会のメンバー達の多くは比較的に何もしていません。彼らが、共に集まっているだけではなく、もしも、良い働きを為すことができるならば、[現在の]真理によってまだ入って行かなかった場所に、散らされることでしょう。あまりに密集して植えられた木は、成長せず花を咲かせることができません。それらは庭師によって移植されています。それらは虚弱や矮小(わいしょう)にならずに成長する余地があるでしょう。同じ法則が、私達の大きな教会にもよく働いているでしょう。そのメンバーの多くは、この真の働きについて切望することに霊的に死んでいます。彼らは、虚弱や矮小になっています。移植されると、彼らは強くなって旺盛に育つ余地が持てるでしょう。

 主の人々()は大きな共同体に共に集まったり、植民地を作ったりすることは、神の目的ではありません。キリストの弟子達はこの地上で主を代表しています。そして、神は、世界の無知の暗黒の真ん中に輝く知識の光として、彼らがあらゆる国々、諸都市、町々、そして、村々に散らされるようにとデザインしています。彼らは、再臨が近づく救い主を証するために自分達の働きと信仰によって、神のための伝道者となるために存在しています。

 私達の教会のメンバー達を準備することは、彼らがほとんど何も始めなかった時でも、一つの働きを成し遂げることができます。単なる世俗の優位性のために新しい場所に移転していく人はいないでしょう。しかし、人生の支えを得られることが開かれている所では、家族達が伝道者として働くために、一カ所に一家族か二家族、真理が入る良い基礎にしましょう。彼らは、彼らのために働きをする役割として、魂達のために一つの愛を考える必要があります。そして、真理へと彼らを連れて行く方法を研究するでしょう。彼らは、私達の出版物を配布することができます。彼らの家庭で集会を開くこともできます。彼らの隣人達と知り合いになることができます。そして、彼らの集会に来るよう招くことができます。このようにして、彼らは、良い働きによって、自分達の光を輝かすことができるでしょう。

 働き人達は、彼らに同行する人々の救いのために労苦し、祈り、涙を流して、神によってだけ立ちましょう。みなさんは、朽ちない冠を目指してレースを走っているということを覚えておきましょう。たいそう多くの人々は、神の好意よりも人々の誉め言葉を愛しています。その一方で、謙虚な働きを自分のものにしましょう。彼らの心に触れることを神に請い願って、恵みの御座の前に、あなたの隣人を示して信仰の実践を学びましょう。このような方法で、効果的な伝道の働きが行なわれるでしょう。ある者は、牧師や文書伝道者に尋ねずに教えられるでしょう。新しい場所で働く人々は、ほかの働き人のための方法を準備できて、人々に近づく最良の方法を学ぶでしょう。

 貴い体験が、この働きに繫がっている人によって得られるでしょう。その人は、隣人の魂の重荷を心に負っています。彼は、イエスの助けを受ける必要があります。とても慎重に、用心深く歩むために存在しています。その祈りは妨げられないでしょう。心に抱いている罪は、神から惹き離すでしょう。ほかの人々を助けている一方で、そのような働き人は、自分自身の霊的な力と理解力を得ています。そして、謙遜を学ぶ学校で、彼は、広い伝道地に入ることに相応しい者になるでしょう。

 キリストは、こう言いました。「汝らが弟子となり、多くの果実を生み出すならば、私の父は栄光を受けるでしょう」(ヨハネ15:8 KJV)。神は、私達に才能を与えて、私達がそれらを主のために役立てるようタレントを託しました。すべての人々は、単に自分のコーンや麦畑で働くだけではなく、魂達の救いのための働きをやり抜くために、自分の働きを与えられています。神の宮の全ての石たちは、この世界の人々に光を反映する石、生きている石になる必要があります。一般信徒達は、自分ができることをみな行ないましょう。すでに持っているタレントを役立てる時、神はもっと恵みを与えて、能力を増すでしょう。私達の伝道計画の多くは、彼らに前に開かれている効果的なドアに入ることを断られる多くの人々がいるので損なわれています。真理を信じている人はみな、働きを始めましょう。あなた方の近くにある働きをしましょう。何もしていないメロズ[士師5:23]の人々のようにしているよりは、しかし、謙虚に何かをしましょう。

 私達は、神に託されて出て行くのであれば、手段や資金を思いとどまらないでしょう。主は、主を真に信じる全ての人のために偉大な働きをすることを喜んでいるでしょう。教会の一般信徒達が、自分達のできることをしてその働きを行なうことに目覚めるならば、自分達自身に課せられた戦いに出て、一人ひとりがイエスのために魂達を勝ち取ることをどれほど成し遂げられるかを見るならば、私達は、キリストの旗の下に立つために、サタンの側に残っている多くの魂達を見ることでしょう。私達の[教会の]人々が、それらの人々に与えられた僅かの指導の言葉の光によって活動するならば、私達は神の救済を確かに見るでしょう。素晴らしいリバイバルがついてくるでしょう。罪びと達は回心するでしょう。多くの魂達がこの教会に加わるでしょう。私達が自分の心にキリストとの団結をもたらすならば、また、私達の生き方が主の働きと調和するならば、ペンテコステの日に主の弟子達に降ったその霊/精神は、私達にも降るでしょう。


 

7.私達は欠如が見つけられるでしょうか

1903.4.21.カリフォルニア セントヘレナより[76]

[1.欠如が見つかった]

 この世界の中での私達の立場は、それが本来あるはずのものではありません。私達は、私達に与えられた機会と光/真理に調和したクリスチャン経験を持っている所からほど遠い位置にいます。私達に与えられていた光/真理によって歩んでいたならば、また、私達が主を知ることについて行っていたならば、私達の道は輝きを増していたことでしょう。しかし、特別な光を持っていた多くの人々は、世俗の事から識別されることがほとんどできなくて、この世界の人々にたいそう順応しています。彼らは、神の貴い選ばれた特別な人々()として、前線に立っていません。神に仕える人と、神でない者に仕える人の間[マラキ3:18]を識別することは困難です。

 至聖所についての様々なバランスの良い評価によって、セブンスデー アドベンチスト教会は、重荷を負うために存在しています。この教会は、教会が持っていた優位性と特権によって評価/裁かれるでしょう。この教会の霊的な体験が、この教会に授けられていた、無限の犠牲、キリストの優位性と合致していないならば、また、与えられた祝福は、教会に委ねられた働きを行なうために、彼女に相応しくなかったならば、この教会は、次の宣告が出されるでしょう。「欠如が見つかりました」。与えられた光によって、与えられた機会によって、この教会は評価/裁かれるでしょう。

 

2)主の人々のための主の目的

 神は、真実と精神によって主に仕える全ての人々のために、天の倉に、愛、喜び、平和、栄光の勝利を蓄えています。主の戒めを守る人々は、いつも奉仕のために準備して立っているために存在しています。彼らは、聖霊の働きの知識を増すため、増された恵みと力を受けるために存在しています。しかし、多くの者達は、神が彼らに授けるために待っている聖霊/精神に関する貴い贈り物を受ける用意ができていません。彼らは、良い働きに熱心で神の特別な人々として認められるような、贈り物が授けられるような、天からの力のための高さに、高さにまで達していません。

 

3)「悔い改めなさい。そして、初めの働きをしなさい」

 厳粛な警告の訓戒が、非常に大事にされていた、奉仕のための諸施設の破壊によって現れました。その警告は、私達にこう言っています。「それゆえ、汝らは、落ちた時を思い出してください。そして、悔い改めて、初めの働きをしなさい」(黙示録2:5 KJV)。なぜ、この教会の真の霊的状態の理解力はそんなにも鈍いのですか。シオンの城壁の上に立っている見張り人は、気づかなかったのですか。聖所の上には、[主が]昼に雲の柱、夜に火の柱としてとどまっていたのに、神に仕える多くの者達は、満足していて関心を無くしているのですか。そこには、主を否定せず品性と生き方に神を知っていることを告白して、責任を取る立場の人がいないのですか。神の真理の根拠なしに生きることに満足した特別な人々、また、主に選ばれた人々として考えられていない多くの人々が、サタンの攻撃と罠から自分達を救うために自分達の間に存在しているのですか。

 過去において、私達が、主の訓戒と臨在の知識を受けていなかったならば、私達は今、とても偉大な光を持ってなかったでしょう。そして、主の意思と逆の行動へと全て離れているのではありませんか。私達がこのことを行なったならば、天の光は、私達自身のように、私達の隣人達と、最高の神の愛、真理を理解することを私達に可能にして、魂の宮に射し込んだことでしょう。ところが、キリストの偉大さはクリスチャンだと告白している人々によって不名誉にされています。その人々は、礼儀正しい行動と親切な言葉を現すよう神が期待している敬意と愛と、互いにもてなすことに失敗して、また、告白と合致した生き方に失敗して、伝える御名を汚しています。

 下からの力は、感情を強く揺り動かしています。戦争と流血がその結果です。道徳的な雰囲気は、恐ろしい行ないと悲惨の毒を盛られています。紛争の精神は広められています。それは、あらゆる場所で高まっています。多くの魂達は、密かな取引や欺瞞の精神によって財産を蓄えています。多くの人々は、悪の教えとそそのかす精神に注意をひかれて、信仰から離れるでしょう。彼らは、どんな精神が彼らに財産をもたらしたか識別しないでしょう。

 

4)神の栄誉をたたえる失敗

 上辺の真下を見ている人、全ての人々の心を見ている人は、大きな光を持っていた人々についてこう言っています。「彼らの道徳に属するゆえに、また、霊的な状態のゆえに、彼らは、恐怖に驚かされず苦しめられていません」(イザヤ66:3 KJV)。「ええ、彼らは、自分自身の道を選んで、彼らの魂は人々の嫌悪感を喜んでいます。また、私が呼んだ時に答えがなかったので、私が語った時に彼らは聞かなかったので、私は、彼らの間違った信念を選んで、彼らに恐れを持たすでしょう。しかし、彼らは私の目の前で悪を行なって私の喜ばないことを選びました」(イザヤ66:4 KJV)。「神は、彼らに強く間違った信念を送るでしょう。彼らは一つの嘘を信じるでしょう」(2テサロニケ2:1 KJV)、「彼らは、真実の愛を受け入れなかったので、彼らは救われないでしょう」(2テサロニケ2:10 KJV)、「不義を喜びました」(2テサロニケ2:12 KJV)。

 天の大教師は尋ねました。「どんな強いだましが、主ヤハウェ(hwhy)に罪を犯していて、あなた方が世俗の政策による多くのことを成し遂げていることに気づいている時に、神があなたの働きを受け入れて、あなたが正しい基礎に建てている見かけ以上の精神を惑わすことができるでしょうか。人々が全てのものを必要としていることに気づいている一方で、彼らは豊かになって良い物が増えて足りない物がないと考えて時、力と精神のための信心深い形を間違って、かつて真理を知っていた時の人々の知性の考えを持つことは、魅了する間違った信念、強いだましです」。

 神は、彼らが沁みのない衣を保っている忠実な奉仕者達に変えませんでした。しかし、彼らは「平安です。安らかです」と叫んでいる一方で、突然の滅びが彼らの上に来ています。そこには、悔い改めを通らない限り、それがイエスにあるように、真理を受け入れて告白することによって、彼らの心が謙遜な人にならない限り、彼らが天に入ることはできないでしょう。清めが私達の信徒達の中で起こっている時、不足しているものはなく、良い物が増えて豊かだと大喜びしていて、私達は安心して休めないでしょう。

 誰が「私達の金は炉の火で試されました。私達の衣は御言葉によって染みが除かれました」と誠実に言うことができるでしょうか(英文はthe worldです。the wordの誤植と読みました]:‟Our gold is tried in the fire; our garments are unspotted by the world?)。私は、私達の偉大なインストラクターが、義の衣と言われていたものを指し示したのを見ました。それらを脱いで、主は下の汚れた裸を広げました。それから主は私に言いました。「あなたは、彼らがどれほど自分達の腐った品性と汚れを見せかけで覆っていたかを見ることができないでしょう。‟その忠実な都市はみだらな女になっていることでしょう”。私の父の家は、商売の家にされています。なぜか、一つの神性の臨在と栄光が分かれました。この理由によって、そこには、弱さがあります。そして、力強さが欠けています」。

 

5)改革の呼びかけ

 この教会自身の信仰の逆戻りが改善されるように存在しているこの教会が今、悔い改めて、回心しない限り、この教会は、教会自身が行ないの果実を食べるでしょう。この教会が悪に抵抗して善を選ぶ時、この教会がすべての謙遜によって神を求めて、キリストが求めているこの教会の高尚さに届いて、永遠の真理の土台に立って、この教会のために用意された到達点に信仰によって届く時に、この教会は癒されるでしょう。この教会は、真理が教会を確かに自由にしたことを示して、地上のもつれから分かれて、教会に神が与えた純真さと清さを表すでしょう。その時、この教会のメンバー達は、確かに、主の代表として、神に選ばれた者達となるでしょう。

 一つの改革を行なうためのその時が来ました。この改革が始まっている時、祈りの聖霊/精神は、すべての信者達の心を感動させて、不和と困ったことの霊/精神をこの教会から払いのけるでしょう。クリスチャンの友情fellowshipによって生きていなかった人々は、互い[の関係]が終わりになるでしょう。正しい側で働いているメンバーの一人は、聖霊の啓示のための執り成しをしている人と団結してほかのメンバー達を導くでしょう。みんながその聖霊/精神の知性によって調和するようになるので、そこには混乱はないでしょう。信徒から信徒を分けている障壁は、打ち壊されるでしょう。そして、神に仕える者達は、同じ事柄を話すでしょう。主は、主に仕える者達と協力することでしょう。すべての人々は、キリストが主に仕える者達に教えた祈りをよく理解して祈るでしょう。「そなたの王国が来ますように。天で行なわれているように、そなたが地でも行なわれますように」(マタイ6:10 KJV)


 

8.天の家路に同行しよう Homeward bound

 毎週のように発生している恐ろしい災害について聞く時、私は、それらの意味は何だろうかと自問しています。最も恐ろしい天災は、すぐに続いて別々に起こるものです。しばしば、私達は、財産や人命を甚大に失う火事や洪水による被害、地震や竜巻が発生したことを聞いています。一見、これらの災害は、統制されず、無秩序に見えて、不規則に発生しています。しかし、それらの中に、神の目的を読み取れるでしょう。それらは、主がそれらの危険についての感覚を男性と女性達に起こさせようとしているという意味の一つです。

 キリストの再臨は、私達が初めに信じた時よりも近くにあります。[善と悪]の大争闘は終わりに近づいています。神の裁きは、この国の中にあります。その裁きは、厳粛な警告を語っています。「汝らが考えていないような時刻に人の子[]が来るので、汝らは気をつけていなさい」(マタイ24:24 KJV)

 しかし、私達の教会の中では、この時についての真の意味を実際に少しだけ知っている人が大半です。私は、この時についてのしるしが成就していないと考えている人々にアピールします。それは、明らかに終わりは近いと言っています。自分達の魂の救いを求めていない多くの人々は、やがて苦々しい悲哀を嘆くでしょう。「その収穫は去った。その夏は終わった。そして、我々は救われない」。

 私達はこの地上歴史が閉じられるシーンに生きています。預言は成就に向かって進んでいます。調査審判の時間は、迅速に過ぎています。私達には、―― 一瞬でも――無駄にできる時間がありません。私達は警戒している内に眠っているのを見られないようにしましょう。私達は、自分の働きによって、また、自分の心に「私の主は、主の再臨を遅らせている」と言わないようしましょう。キリストが間もなく戻るというメッセージを警告の言葉で熱心に響かせましょう。男性と女性達をやがて来る神の怒りから逃れるための悔い改めをどこでも説得しましょう。私達は自分達の前にあることを少し知っているので、私達は、人々が準備をするように目覚めさせましょう。牧師達と一般信徒達は、主を見つけることができる間に、主を求めて無関心な人と冷淡な人に話をするために、熟した畑/伝道地に出かけましょう。その働き人達は、聖書の真理を忘れていた人々に宣布した所では、その収穫物を見つけるでしょう。彼らは、真理を受け入れて、キリストに魂達を勝ち取るために自分達の人生を捧げるでしょう。

 主は、やがて来ます。そして、私達は平穏の内に彼に会う準備をする必要があります。私達は、自分達の周りの人々に光/真理を与えるために、私達の全ての力で行なうことを決心しましょう。私達は、悲しむためにいるのではありません。私達は、私達の前にいつも主イエスをとどまらせるために存在しています。主はやがて来ます。そして、私達は、用意して、主をアピールして待っている必要があります。主に贖われた者達として、彼を見て歓迎することは輝かしいことです。長い間、私達は待ってきましたが、私達の希望は消えるのではなく、成長するために存在しています(Long have we waited, but our hope is not to grow dim.)。私達が、その王に主の美を見ることができるならば、私達は永遠に祝福されるでしょう。私は「天の家路に一緒に行きましょう」と叫ばなければならないと感じています。キリストが贖われた者達を永遠の家に連れて行くために、大いなる栄光と力をもってやがてやって来る時に、私達は近づいています。

                        

 「そして、それはその日に言われるでしょう。それは、私達の神です。私達は、主を待っていました。そして、主は私達を救うでしょう。それは主です。私達は、主を待っていました。私達は、主の救いを楽しんで喜ぶでしょう」(イザヤ25:9 KJV)。

                        

 「いろいろな門を通って、通って行きましょう。汝らはその人々()の道を準備してください。その大通りに土を盛りましょう、盛りましょう。石を集めて捨てましょう。その人々のために、一つの旗/標準を掲げましょう。見てください。主は、この世界の終わりを宣言しました。汝らはシオンの娘に言ってください。見てください汝らの救いがやって来ます。見てください。主の報いは、主と共にあります。そして、主の働きは、主の前にあります。そして、人々は彼らに、聖なる人々、主に贖われた者と呼び掛けるでしょう。そして、汝らは、主が見捨てた町ではなく、主が捜し出した者と呼ばれるでしょう」(イザヤ62:10-12 KJV)

                        

 終末の偉大な働きにおいて、私達は対処の仕方を知らない悩みに遭うでしょう。しかし、私達は、天における三つの偉大な勢力が働いていることを忘れないようにしましょう。神性の手は、その操舵輪の上にあって、悩みを乗り越えるために、神は主の約束を果たすでしょう。主は、世界中の人々から義によって主に仕える一つの人々()を集めるでしょう。

                        

 「あなた方の心を悩まさないようにしましょう。汝らは神を信じています。また、私[]の中にいることを信じています。私の父の家には、多くの大邸宅mansionsがあります。そうでなかったらならば、私はあなたがたに語ったことでしょう。私は、あなた方のために場所を用意しに行きます。そして、私が行って、あなた方のために場所の用意をしたならば、私は再び戻って来て、あなた方を私自身のものとして受け入れるでしょう。私がいる所にあなた方もいるでしょう」(ヨハネ14:1-3 KJV)

 私達は、私達の救い主が戻ってくるのを長く待っていました。しかし、それでも、その約束は確かです。やがて、私達は、約束された安らぎの家にいるでしょう。そこで、イエスは、神の御座から流れ出る命の川のほとりに導いて、私達の品性を完成させるために私達を導いてきた、この地上での摂理の未知を説明するでしょう。そこで、私達は、回復されたエデンの美しい者たちの明るく輝く光景を見上げるでしょう。贖われた者達は、主が私達の頭に乗せた冠をその足元に投げ出して、私達の金のハープを手に取って、玉座に着いている主への賛美を全天の者達と共にいっぱいに捧げるでしょう。


 

5章 本質的な知識

「イエスキリストの顔にある神の栄光の知識の光」(2コリント4:6 KJV

 

1.神の性質

[1)主の属性が明示された]

 罪が侵入する前、私達の最初の両親の知性に、神の品性に関する認識力を不明瞭にするような、陰りはありませんでした。二人は、神の意思に完全に順応していました。二人の[体の]外側を神の光、美しい光が被っていたので、この明るくて完全な光は、二人が近づいたすべてのものを照らしました。

 自然界は、二人の教訓の本でした。エデンの園での神の臨在は、二人を取り巻いている自然界の造られたものたちの中に、主の属性/性質が明らかに示されて現されました。二人の目に映ったすべてのものは、二人に語り掛けました。神について、目に見えるもの、「主の永遠の力と神性」は、造られたもの達によって理解される存在として、はっきりと見られました。

 

2)罪の結果

 その一方で、初めに神は自然界の中で識別されうるということは真実です。二人が罪に陥った後で、神についての完全な知識は、アダムとその後代の人々のために自然の世界に明示されたということは継承していません。自然界は、人間の純潔さによって、その教訓を人間に伝えているでしょう。しかし、違反の罪が、地上の植物に枯死をもたらし、自然界と自然界の神の間に介入しました。アダムとエバが自分達の創造主に不服従でなかったならば、また、二人が完全に公正な道にとどまっていたならば、二人は、主の作品を通して神について学び続けていたことでしょう。しかし、二人があの誘惑者の声を聞いて神に背いて罪を犯した時、神聖で純潔な光の衣を奪われた二人は、もはや、主の手の作品の中の神の品性を識別できなくなったでしょう。

 人間の不服従を通して、一つの変化が自然界自身の中に起こりました。罪の呪いによって傷ついた自然界は、創造者についての不完全な証だけを伝えることができます。自然界は、それ自身の完全さによって主の品性を明示することができません。

 

3)神性の教師

 私達は、神性の教師を必要としています。この世界の人々は、永遠の霊的な夜、[霊的な]無知の闇に取り残されないために、神は、イエスキリストによって私達と会いました。キリストは「この世界に来た全ての人間の光、真の光です」(ヨハネ1:19 KJV)。「神の栄光の知識の光」は、「イエスキリストの顔に」(2コリント4:6 KJV)現されました。私達の理解を照明/啓蒙して、自然界の表面を輝かすキリストの光は、私達に主が創った作品の中に神の愛の教訓を読むことを可能にしています。

 

4)神について証している自然界

 私達が見ている自然界のもの達は、エデンの美と栄光の発端を私達にかすかに与えているだけです。自然界は、愛と憐れみと善に満ちていて、地球を造って命と喜びで満たした無限の力のある御方を証しています。それらの荒廃した状態でさえ、全ての者たちは、偉大な教師、芸術家の手の技を表しています。罪が、自然界のものたちの美と形を損なったけれども、それらのものたちは、大気の力についての第一人者の働きの写しを見せているでしょう。また、それらは、神について静かに語っているでしょう。野ばらやアザミ、イバラや有毒なスズメノエンドウによって、私達は、有罪を宣告する律法を読むことができるでしょう。自然界のものたちの美だけではなく、私達の幸福と私達の必要とそれらの素晴らしい繫がりから、私達は、主の憐れみはまだこの世界の人々に現されていることと、神がまだ私達を愛していることを学べるでしょう。

 

天の者達は、神の成功を宣言しています。

大空は、主の手の技を示しています。

今日は、今日を言葉で語り、

夜は、夜の知識を示しています。

そこに、話も、言葉もなく、

そこでは、人々の声が聞かれません。

詩編19:1-3

 

5)自然界の解釈についての人間の失敗

 キリストから離れて、私達は、自然界の言葉を正しく解釈する能力が依然としてありません。人間が学ぶ必要のある最も難しくて屈辱的な教訓は、自然界を正しく読むことへの人間の努力の確実な失敗と、人間の知恵に頼った自分自身の非能率的なやり方です。人は、自分自身が属している自然界の上に神を置くことなしに、自然界を解釈することができません。人は、古代のアテネ人とよく似た状態の中にいます。祭壇の中央で自然界を礼拝するように決められていた彼らは、ある人に「知られていない神のために」と記述されました。神は確かに彼らに知られていませんでした。神は、神性の大教師のガイダンスなしに、自然界の研究に取り掛かる全ての人に知られていません。その人々は間違いなく、間違った結論に行き着くでしょう。

 人間自身の知恵によって、この世界の人々は神を知りません。その人自身、賢明な人々は、主が創造した作品から主の知識を不完全に集めています。しかし、この知識は、高貴にされた神の概念を人々に与えることからほど遠く、人の魂と知性を高めることからもほど遠く、人間の全存在を主の意思との一致をもたら[すことからも遠く]、偶像崇拝の人々にする方に向かっています。彼らは盲目によって、自然界の神以上に、自然界と自然界の法則を高めています。

 神は、科学と技術の発見によって、この世界に注がれている光の洪水を許しました。しかし、自称自然科学者達が、単に人間的な見地からそれらの造られた者達について論じています。彼らは、確かに間違いをするために存在しています。優れた知性の人々が、神の言葉によってガイドされていないならば、啓示と科学の関係の研究を試みて狼狽するようになるでしょう。天地創造と神の作品は、彼らの理解のかなたにあります。これらは自然界の法則によって説明されることができないので、聖書の歴史は信頼できないと宣言されています。

 御言葉の記録の確実性を疑う人々は、彼らの支えになるものに行かせましょう。そして、背信の岩の周りに打ち付けられるままにしておきましょう。彼らが、自分達の不完全な科学の知識によって、主の働きと創造者を評価する能力を欠いていることを自分で理解した時、彼らは、自然界に無限の力を帰していることと神の存在を疑うでしょう。

 [科学と聖書の]両者は同一の創始者をもっているので、真の科学の中には、神の言葉が教えているものに反することはありえません。両者の正しい理解は、調和するようにいつもそれらを証明しているでしょう。真理は、自然界によっても啓示によっても、その全ての現れの中でそれ自身と調和しています。しかし、神の霊によって照らされず啓蒙されていない知性は、神の力を考えることについて、いつまでも[霊的な]無知の闇の中にいるでしょう。これは、科学についての人間の考えが、しばしば、神の言葉の教えと矛盾しているからです。

 

6)創造の働き

 創造の働きは、決して、科学によって説明されることはできないでしょう。科学が生命の未知を説明できることは何ですか。

 神がこの世界に存在をもたらした時に、物質を創造しなかったという理論は、根拠のないものです。私達の世界の構成物に関して、神は、物質の前に存在しているものに恩恵を受けていませんでした。反対に、主の声としての主ヤハウェ(hwhy)の前に立ったすべてのもの、物質や精神的なものは、主自身の目的のために創造されました。諸天と天の主催者/万軍の主host、地とそこにいる全てのもの達は、主の手の働きに属しているだけではなく、主の口の息によって存在するものとなりました。

 「信仰を通して、私達は、この諸世界は神の言葉によって構成されたと理解しました。なので、見られるものたちは、現れているものたちを使って造られたのではありません」(ヘブライ11:3 KJV)。

主の言葉によって、諸天は造られました。

そして、主の口の息によって、諸天の全ての主催者hostと、……

主は、語りました。そして、それは行なわれました。

主は、命じました。そして、それは堅く立ちました。

詩編33:6-9

 

7)自然界の法則

 自然界の法則と物質界の法則として内在しているものについて、多くの人々は、それを否定しないとしても、神の直接的な働きとその継続という視点を失っています。それ[自然界]自身の力がその中で働くために、それ自身の限界とそれ自身に属してまたその中に持っていて、自然界が神から独立して活動している、という考えを彼らは、伝えています。彼らの知性では、自然界と超自然界の間を識別するという特徴があります。自然界は、神の力とは関連のない、平凡な目的のために生じたものと考えられています。生命の力は物質に帰されていて、自然界は神格/神性a deityを与えられています。「物質は確固とした関係に置かれていて、神自身が干渉できない法則に合った活動を与えられている。さらに、自然界は確固とした性質/属性を与えられて、諸々の法則に従うよう置かれている。さらにまた、それらの法則に従うようそれらに課されていて、最初に命じられた働きを実行している」と考えられています。

 これが、科学の失敗です。それを支持するものは、神の言葉の中にありません。神は、自身の法則His lawsを無効にしていません [5]。しかし、神は、それら[法則]を通して、主の手段としてそれら[法則]を使って、働き続けています。それら[法則]は自己の働きをしていません。神は、自然界の中で絶え間なく働いています。彼女[自然界]は主を喜ばす管理者、奉仕者です。自然界は、その働きの中で、主の意思に調和している主の働きの全ての中で動いている一つの存在者として、活動的な働きと理知的な臨在を証しています。毎年、地球が太陽の周りを運行し続けて恵みの産物を生じさせているのは、自然界に本来備わっている力によるのではありません。無限の力の手は、この惑星[地球]の働きを絶え間なくガイドしています。地球自身の運行の位置を保っているのは、刻一刻と働いている神の力です。

 天の神は、常に働いています。植物が、葉を現して、花を咲かせて、実りをもたらす根拠となっているものは、主の力によるものです。雨が降るのも、雪が舞い落ちるのも、草や花や灌木が芽吹くのもみな、神を証しています。私達の身の周りに普通にあるこれらの小さな事柄は、私達に、主が注目するには小さすぎるものはなく、無限の神の注目に値しないものはないという教訓を教えています。

 人間の身体の組織構造は、十分に理解されることは不可能です。それは、人間の最高の知者に当惑という未知を提示しています。呼吸が息を繰り返して、脈が打ち続くのは、一度、動作を獲得すると、それ自身が[その動作を]働き続けるという、組織構造の結果としてではありません。神の中で、私達は、生きて動いて、そして、私達の本性をもっています。すべての呼吸やすべての鼓動は、永遠に存在している神の継続的な力に根拠があります。

 大空に太陽が昇る根拠は、神にあります。神は、天の窓を開いて、雨を与えています。主は、山々に草木を茂らせている根拠です。「主は、羊の毛のような雪を降らせます。主は、灰のような霜を降らせます」(詩編147:7 KJV)、「主が、声を出す時、諸天に多くの水の群れがあり、……主は、雨と共に稲光を起こします。そして、主の倉から特別な風を生じさせます」(エレミヤ10:13 KJV)。

 主は、主が創ったものを主の奉仕者として役立て擁護して、常に働いています。キリストは「私の父は今も働いています。私も働いています」(ヨハネ3:17 KJV)と言っています。

 

8)神性の力の未知

 最高の知者と言われる人々は、自然界の中に現された主ヤハウェ(hwhy)の未知を理解できません。神性の霊感は、研究者達が答えることができない難解な多くの質問をしています。それらの質問は、私達がそれらの質問に答えることができるようなものではなく、神の深遠な未知に私達の注目を求めているものです。私達の日常生活を取り巻いているものの中に、有限な知性の理解を超えた多くの事柄があって、神の目的と評価は、過去を探し出しています。主の知恵は研究不可能です。

 懐疑的な人々は、主が主自身を啓示することによって、無限の力を理解できない人間の知性の有限さゆえに、神を信じることを拒んでいます。しかし、神は、私達の有限な理解力に開示されている以上に、また、主が主自身について啓示していないことを超越して認識されるために存在しています。神は、人々に信仰を指導するために、神性の啓示と自然界の両方に未知を与えました。これは、そうである必要があります。私達は、いつまでも研究して、いつまでも尋ねて、いつまでも学ぶでしょう。そして、また、無限のかなたがあるでしょう。

                        

誰が、自分の手の平で海の水を量り、

親指と小指のスパンで天を測り、

枡で地球の土を量り、

天秤で丘並みの重さを、

秤で山々の重さを計りましたか。

誰が主ヤハウェ(hwhy)の霊/精神を指揮したのですか。

また、主の相談役となって、主に教えたのですか。

見よ、国々の民はバケツの滴のように、

天秤皿についた小さな土のようにみなされています。

すなわち、見よ、主は、島々に住む人々を非常に小さいものとして取り上げています。

レバノン[の木々]は燃料に不足し、

動物達も藩祭に足りません。

すべての国の民は、主の前では、存在していないようなものであり、

存在していないよりもいないとみなされています。

 

それで、汝らは誰のために神を慕っていますか。

汝らは何を慕って主と比べていますか。

それは、初めから、あなた方に語らなかったのですか。

汝らは、地の基が据えられたことを理解しなかったのですか。

地の丸い上に座しているのは主です。

そして、地の住人達はバッタのようなものです。

カーテンのように天を広げて、

住むためにテントのように張り、

……

汝らは、私に似ているというのですか、

誰に等しいというのですか。

聖なる御方は言っています。

あなた方の目を高く上げて、

そして、被造者たちを数えることによって

創り出した御方を見てください。

主は、力が強いので、一つも欠けていないので、主の威力の偉大さによって、

その名によって、全ての者達に言っています。

 

ヤコブよ、なぜ、汝らは言っているのですか。イスラエルよ、

私の道は主ヤハウェ(hwhy)から隠されました。

私に行なわれるはずの正義は、私の神から離れ去りました。

汝は知らなかったのですか。

聞かなかったのですか。

疲れることなく弱ることもない、

地の四方の果てまでの創造者、

永遠の神、主ヤハウェ(hwhy)を、

主の英知について探究する方法がありません。

主は、弱々しい者達に力を与え、

力量のない者達に知力を増し加えます。

十代の青年達は弱り果てるでしょう。

若い人々はすっかり元気がなくなるでしょう。

しかし、彼らは、主ヤハウェ(hwhy)が彼らに力を与えるのを待っているでしょう。

彼らは、鷲達のように翼で上昇するでしょう。

彼らは、走っても、弱ることがないでしょう。

彼らは、歩いて、疲れないでしょう。

イザヤ40:12-31 A.R.V.


 

2.神の神格 A personal God

 すべてのもの達を支え、すべての自然界を通して働いている大いなる力は、人々が単なる運動エネルギーの原理として説明していて、広く普及している科学と同じではありません。神は、一人の聖霊/精神です。また、彼は、人間が彼のかたちに造られたので、一人の神格として存在しています。

 

1)自然界は神ではない

 自然界の中の神の手による作品は、自然界の中の神自身ではありません。自然界に属するもの達は、私達がそれらによって、主の栄光と主の力と、神の愛を理解できる、神の品性/特徴の一つの表れです。しかし、私達は、自然界を神とみなすために存在しているのではありません。人間の芸術的な技術は、目を見晴らせる物、美しい細工物を創り出します。そして、それらの物は、特別なデザイナーのアイデアについての何かを私達に与えています。しかし、その物は人間によって作られたのではありません。価値が誉められているのは、その作品ではなくそれを作った人間です。自然界は神の思想を現しています。だが一方で、高められるために存在しているのは、自然界ではなく、自然界に属している神です。

 

神々は、天と地を造りませんでした。

その神々は、地の上から、また、天の下から滅びるでしょう。エレミヤ10:11 A.R.V.

主は、すべての者達の造り手なので、

ヤコブの分は、それらと同じではありません。エレミヤ10:16 A.R.V.

主は、主の力によってこの地を作りました。

主は、主の知恵によってこの世界を設立しました。

主は、主の理解力によって諸天を広げました。エレミヤ10:12 A.R.V.

 

死の陰を朝に変え、

日中を暗い夜にし、

海の水を呼び出し、

地の表に注ぎ出し、

プレアデス星団とオリオン座を造っている主を求めなさい。

(主の名は主ヤハウェ(hwhy)です)アモス5:8 A.R.V.

 

2)人間を創造した神の人格 a personal God created man

 「peasonal God」:神は神格と人格を持っているでしょう。神は人間と対話する時に人格となる必要があります。日本語では「人格」というと人の性格に限定されます。英語ではpersonslは神格と人格の両方を表しています。

 人間の創造の中に、神の人格の働きが現れました。神が主のかたちimageに人間を創造した時、その人間の姿formは、生命がなかっただけでその設計arrangementにおいてみな完全でした。一人の人格として、自我が存在している神は、その姿に命の息を吹き入れました。そして、人間は生きていて呼吸していて、知能の高い存在の一人になりました。人間の組織体系のあらゆる部分は、活動の中におかれました。心臓、動脈、静脈、舌、手、足、感覚、知性の認識、これらすべてが働きを始めて、みな法則の下におかれました。人間は生きている魂になりました。イエスキリストを通して、一人の人格の神は、人間を創造し知能を授けました。

 人知れず私達が造られた時、私達の身体の内容は主から隠されませんでした。主の目は、まだ不完全な存在な私達の身体の内容を見ていました。そして、その人々にはまだ何もなかった時に、主の本の中に、私達のメンバーはみな記されました。

 [神より]低い順位の者として存在している全ての人々に、主の創造の栄誉の作品として人間をデザインした神は、主の思想を表明し、主の栄光を啓示しているでしょう。

主ヤハウェ(hwhy)に喜びの声を上げましょう。

喜びを持って、主ヤハウェ(hwhy)に仕えましょう。

賛美を持って、主の臨在の前に行きましょう。

 

汝らは知りましょう。主ヤハウェ(hwhy)、彼は神です。

私達を造ったのは、主です。そして、私達は主のものです。

私達は、主の(人々)民です。そして、牧場の羊です。

 

感謝して、主の門の中に入りましょう。

賛美して、主の庭々に入りましょう。

主に、感謝を捧げて、主の名を祝福しましょう。    詩編100:1-4 A.R.V.

私達の神、ヤハウェ(hwhy)は、聖なので、

汝らは、私達の神、ヤハウェ(hwhy)を高めましょう。

主の聖なる丘で礼拝しましょう。          詩編99:9 A.R.V.

3)神はキリストの中に現された

 一人の神格として存在している神は、その息子の中に、父の栄光の輝き、彼自身を現しました。「そして、主の神格のかたちの現れ」(ヘブライ1:3)は、一人の人間の姿によって地上で見られました。一人の人格としての救い主は、この世界にやって来ました。一人の人格として救い主は、高い所に昇天しました。一人の人格として、神の玉座の前で、私達の味方の働き人達の中で「人の息子のような」(黙示録1:13)救い主は、天の法廷で執り成しをしています。

 この世界の人々の光であるキリストは、人々が自分達の創造者を熟知するようになるため、そして、存在が焼き滅ぼされることないように、目がくらむほどの主の神性の輝きを覆い隠して、人々の間で一人の人間として生きるために来ました。主がキリストを通して現される時を除いて、どんな時にも、神を見た人はいません。

 キリストは言いました。「私と私の父は一つです」(ヨハネ10:30)、「神の息子を知らない人は、その父を知らないだけではなく、誰も、天の父を知らないでしょう」(マタイ11:27 KJV)

 キリストは、人々が理解するように神が望んでいることを人間に教えるためにやって来ました。大海の水の中と地上に、その上の大空の中に、私達は神の手による作品を見ています。造られたものはみな、主の愛と主の力と、主の力を証しています。しかし、星たちや大海、瀑布から、私達は、キリストに現されているような神の神格を学ぶことができません。

 神は、主の品性と主の神格の両方を現すために、自然界以上の明確な啓示が必要だったと考えました。神は、神の見えない属性と性質を人間の視覚が耐えられるように啓示するためにこの世界に主の息子を遣わしました。

 神が、自然界のもの――花や木、草の芽――の中に内在していると説明されることを望んでいたのであるならば、キリストは地上にいた時に主の弟子達にこれを語ったのではないですか。しかし、キリストの教えの中では、神に関してこのようには語られていません。キリストと使徒達は、一人の人格としての神の存在の事実を明確に教えました。

 キリストは、罪深い人間が滅ぼされる存在者にならずに乗り越えることができるように、神についてすべてを明らかにしました。彼は、啓蒙する神性の教師です。神は、書かれた主の言葉とキリストを通して伝えた以上に、私達がほかの啓示を必要としていると考えていたならば、それらを与えたことでしょう。

 

4)主の弟子達へ、神に関するキリストによる啓示

 私達は、主の十字架の前夜に、キリストが二階の部屋で語った言葉を研究しましょう。主は、試練の時間が近づいていて、厳しい誘惑と試練に合わなければならなかった弟子達に慰めを求めました。主はこう言いました。

 「あなた方の心を悩まさないようにしましょう。汝らは神を信じています。また、私[]の中にいることを信じています。私の父の家には、多くの大邸宅mansionsがあります。そうでなかったらならば、私はあなたがたに語ったことでしょう。私は、あなた方のために場所を用意しに行きます」。……

 「トマスは彼に言いました。主よ、私達はそなたがどこに行くのかわかりません。どうしたら、私達はその道を知ることができるでしょうか。イエスは、彼に言っています。私は特別な道、特別な真理、特別な命です。私によらないでは天の父に行く人はいません。汝らが私を知ったならば、私の父も知ったことでしょう。これからは、汝らは彼を知って、そして、彼を見ました」。……

 「フィリピが言いました。主よ、私達に天の父を示してください。それは、私達を満足させます。イエスは彼に言いました。フィリッピ、私はあなた方とこんなに長く一緒にいたのに、汝らは私のことが分からなかったのですか。私を見た人は、私の父を見ました。汝らはどうして、私達に天の父を示してください、とそんなことを言うのですか。汝らは、どうして、私が父の中におり、天の父が私の中にいることを信じないのですか。私があなた方に語っている言葉は、私自身が語っているのではなく、私の中に内在している天の父です。天の父がこの働きを行なっています」(ヨハネ14:1-10 KJV)。

 弟子達は、神と彼の関係についてのキリストの言葉を理解していませんでした。主の教えの多くは、まだ、彼らには分かりにくいものでした。彼らは、彼らの現在と未来の関心と、神との関係の無関心を現したたくさんの質問をしました。キリストは、神の知識をもっと明確に識別することを彼らに期待しました。

 主は言いました。「私はこれらの事柄を譬えであなた方に語りました。しかし、時は来ています。私達はあなた方に譬えでは語らないでしょう。しかし、私は、天の父について、はっきりとあなた方に示しましょう」(ヨハネ16:25 KJV 欄外)

 ペンテコステの日に、聖霊が弟子達に注がれた時、彼らは、キリストが譬えで語った真理を理解しました。彼らに与えられていた未知の教えは、明確にされました。聖霊の降下によって彼らにやって来た理解力は、彼らが空想していた考えを恥ずかしいものにしました。彼らの推測と認識は、新しく受け入れた天の事柄の知識と比べる時、愚かなものでした。彼らは、聖霊によって導かれていました。そして、[霊的な]無知の闇のもとにいた彼らに、知識の光が射し込みました。

 しかし、弟子達は、キリストの約束の完全な成就をまだ受けていませんでした。彼らは、キリストが天の父についてはっきりと示した約束の完全な成就だけでなく、自分達がこれから伝えるために受ける神の知識の全てはまた、やってくるために存在していました。そのようなことは現在もあります。神についての私達の知識は部分的で不完全です。大争闘が終わって、人間キリストイエスが、罪の世界にいて主のために真の証を伝えた主の忠実な働き人達を天の父の前で認める時、彼らは今、彼らのために存在している未知をはっきりと理解するでしょう。

 キリストは、栄化した人間性によって天の法廷に着きました。彼は、自分を受け入れた人々が、神の息子[]達となるように力を与えています。ついに、神は、永遠にいつまでも彼と共に住むために、自分のものとして神の子らを受け入れるでしょう。この世の生涯の間に、彼らが神に忠誠にしているならば、彼らはついに「主の顔を見るでしょう。そして、主の名は、彼らの額にあるでしょう」(黙示録22:4 KJV)。神を見る以外に、天の幸福は何ですか。父としての彼を知り、神の顔を見ること以上にキリストの恵みによって、救われた罪びとに訪れる大きな喜びは何ですか。

 

5)御言葉の証

 御言葉は、神とキリストの間の関係を明瞭に示して、おのおのの個性と人格に明瞭な見解をもたらしています。

 「神は、過去に様々な時に様々な方法で、預言者達によって、父祖達を通して語りました。この終わりの時には、この世界を造ることによって、全ての事柄の相続人と定めた、神の息子によって語りました。神の息子は、神の栄光の輝きの存在、神の神格のかたちimageの現れであり、神の言葉の力によって全てのものを保っています。そして、彼は、自分自身によって私達の罪を贖った時、全能者の右に着きました。その存在は、彼が天使達よりもまさった名を得て受け継いだので、天使達よりもたいそう優れていました。彼は、いつ、天使達に、汝は我が息子、この日、私は汝の父親になったと言いましたか。私は、一人の父として彼のために存在するでしょう。そして、彼は、一人の息子として私のために存在するでしょう」(ヘブライ1:1-5 KJV)

 神は、キリストの父です。キリストは神の息子です。キリストに、高貴な地位が与えられました。彼は、父と同等の地位を占めるようにされました。神とのあらゆる相談は、その息子に開示されています。

 イエスはユダヤ人達に言いました。「私の父は今に至るまで働いています。私も働いています。……その息子は、父が行なうことを見てする以外に、自分からは何事も行なうことができません。彼[]がどんなことを行なっても、それらをまた息子も同様に行ないます。父が息子を愛しているので、彼[息子]自身が行なう全ての事柄を彼に示しています」(ヨハネ5:17-20)。

 ここで、二者の間に存在している団結unityを示して、再度、天の父とその息子の人格/神格の見解がもたらされています。この団結は、また、ヨハネの17章の主の弟子達のためのキリストの祈りの中に記されています。

 「彼らがみな一つになるように、私は彼らのためだけではなく、それらの言葉を通して私を信じる人々のために祈ります。そなた、父が私の中におり、私がそなたの中にいるように、彼らもまた私達の中で一つになるでしょう。この世界の人々は、そなたが私を遣わしたことを信じるでしょう。そなたが私に与えた栄光を、私はその人々に与えました。私達が一つであるように、その人々は一つになるでしょう。私がその人々の中にいて、そなたが私の中にいます。その人々は一つとなって、完全にされるでしょう。世界の人々は、そなたが私を愛していたこと、彼らを愛していたこと、そなたが私を遣わしたことを知ることでしょう」(ヨハネ17:20-26 KJV)。

 素晴らしい声明です。キリストと弟子達の間に存在しているこの団結は、両方の人格を損なっていません。彼らは、人格においてではなく、品性において、知性において目的において一つです。神とキリストが一つであるということは、このようなことです。

 天の父と息子の間の関係、また、両者の人格は、次の御言葉の中に明瞭に記されています。

 

主催者の主ヤハウェ(hwhy)はこのように言っています。

名前を枝という人を、見上げなさい。

そして、彼は、自分の場所で成長するでしょう。

そして、彼は、主ヤハウェ(hwhy)の宮を建てるでしょう。……

そして、彼は、栄光を帯びるでしょう。

そして、彼は、王座に就いて治めるでしょう。

そして、彼は、その王座の一人の祭司となるでしょう。

そして、平和の勧めは、それら両者の間にあるでしょう。ゼカリヤ6:12,13,A.R.V.

 

6)永遠の神

 世界中の人々によって、神は「永遠の神」として語られています。その名は、過去・現在・未来[の人々]を取り巻いています。神は、永遠から永遠に存在しています。彼は永遠に一つです。

 

永遠の神は、汝らが宿る場所です。

永遠の腕/権力が、下まで覆っています。

主は、汝らの前から敵を追い払います。

そして、滅ぼせと言いました。

そして、イスラエルは、安全の内に住んでいます。

ヤコブの麦畑とブドウ畑だけに、

泉があって、

ええ、主の天は、露を降すでしょう。

おお、イスラエル、汝らは幸いです。

汝らと同じような人々は誰ですか。

一つの人々()が、主の

汝らの盾の助けと汝らの剣の優秀さによって

救われました。              申命記33:27-29, R.V

 

山々がもたらされる前に、

また、そなたが、地と世界を形作る前から、

そなたは、永遠から永遠まで、神です。

そなたは、人を塵に帰らせます。

そして、「汝ら、人々の子ら、帰りなさい」と言っています。

そなたの視覚の中では、千年は、

過ぎている昨日の一日だけのようなものです。

夜中に目覚めた一時のようなものです。

そなたは、人々を洪水に流されるように去らせています。

人々は、眠っているかのようです。

朝の間に、人々は草のように成長しています。

朝の間に、花は開いて、繁茂しますが、

夕の間に、刈り取られたり、しおれたりしてしまいます。

詩編90:2-6 A.R.V.

 

私達が、自分達の心に知恵を加えることができるように、

私達に、私達の生きている日々を数えることを教えてください。

……

そなたの慈しみによって、早いうちに、私達を満たしてください。

私達は、生きている日々に、喜び楽しむでしょう。

 

私達が不正を見ていた間の数年間と、

そなたが私達を苦しめた間の日々に応じて、私達に充たしてください。

そなたの働きを、そなたに仕える者達に現してください。

そなたの栄光を、その子らに現してください。

私達の神、主の美しさが、私達にあるようにしてください。

そして、私達の働きの手の上で、そなたはつくります。

ええ、私達の手の働きは、そなたのそれ[美しさ]をつくります。

詩編90:12, 14-17, A.R.V.

 

統治している主は、威厳をまとっています。

主は、権力をまとっています。そこでは、主は、自分を保護しました。

また、世界は、設立されました。それは、動かされません。

そなたの玉座は、古くから設立されています。

そなたは、永遠のかなたから存在しています。   詩編93:1,2,KJV

 

7)主の愛の優しさ

主の働きは、忠実に行なわれています。

主は、義と公正を愛しています。

地は、主ヤハウェ(hwhy)の愛の優しさに満ちています。

 

主ヤハウェ(hwhy)が神である国の民は、祝福されています。

主自身の遺産として、主は特別な人々()を選びました。

 

見上げなさい。主ヤハウェ(hwhy)の目は、主を畏れる者達に注がれています。

彼らの魂を死から救い出すために、

飢饉の時に、命を保つために、

主の愛の優しさを望む者の上にあります。

私達の魂は、主ヤハウェ(hwhy)を待っていました。

私達は、主の聖なる名を信頼していたので、

主は、私達の助け、盾です。

私達の心は、主によって喜ぶでしょう。   詩編33:4,5,12,18-21,A.R.V.

 

 

私は、主ヤハウェ(hwhy)に求めました、そして、主は私に答えました。

全ての恐れから、私を助け出しました。

人々が主を見た時に、光が放たれました。

その人々の顔は、決してうろたえませんでした。

その貧しい人は叫びました。そして、主ヤハウェ(hwhy)は、彼の訴えを聞きました。

そして、彼の全ての悩みから、彼を救い出しました。

 

主ヤハウェ(hwhy)の御使いは、主を畏れる者の周りでキャンプして

そして、彼らを守っています。

主ヤハウェ(hwhy)は、善意であることを味わってみましょう。

彼の中に避難する人は、祝福された人です。

主を畏れる者達には、欲しいものはないので、

汝ら、主の聖徒達、主ヤハウェ(hwhy)を恐れなさい。

若いライオンは不足して、飢えに苦しんでいます。

しかし、主ヤハウェ(hwhy)を求める人は、良い物を求めないでしょう。

義人は叫びました。そして、主ヤハウェは聞きました。

そして、彼らの悩みから助け出しました。

主ヤハウェ(hwhy)は、彼らの心が悲しんでいる時に、彼らの近くにいます。

そして、悔い改めた精神の人を救います。    詩編34:4-10,17,18,A.R.V.

                      

主ヤハウェ(hwhy)は、いつくしみ深く優しいです。

怒ることに遅く、愛と優しさに富んでいます。

主は、いつも叱らず、

主の怒りも続きません。

主は、私達の罪を追求することなく、

私達の不正を追いかけて報いることがありません。

 

天が地よりも高いように、

主を畏れる者達のために、主の愛と優しさはとても偉大なので、

東が西よりも遠いように、

主は、私達から、私達の罪を遠ざけました。

父親が、その子に同情するように、

主ヤハウェ(hwhy)は、主を畏れる者達にとても同情しています。

主は、私達の成り立ちを知っているので、

主は、私達が塵であることを思い出しています。

 

人間にとって、人の一日は草のようです。

野の草花のように、人は繁盛して花咲きます。

特別な風がその上を吹き抜けると、それは消えてしまいます。

それらの場所はもはや知られないでしょう。

しかし、主ヤハウェ(hwhy)の愛と優しさは、永遠から永遠に、

主を畏れる人々と、子ども達の子ども達と、

そのような、主の契約を守る者のため、

人々が行なうための主の戒めを覚えている人々の主の義の上にあります。

詩編103:8-18,A.R.V.

 

8)主の摂理によるケア

 私達の神は、指揮をとって天と地を統治しています。そして、主は、私達が必要としていることを知っています。私達は、自分達の前の道を少しだけ見ることができます。「しかし、私達がなすべき全てのことは、主の目にあらわに開かれています」(ヘブライ4:13 KJV)。主は、滅びの地のはるか上に座しています。全てのことは、主の神性の吟味を開示しています。そして、主の偉大さと静穏な永遠から、主は、摂理によって最善を見ていることを指示しています。

 天の父の注目なしに、地に落ちるスズメはいません。神に対するサタンの憎悪は、彼に、物の言えない造られた者達の滅びでさえも喜びをもたらしています。小鳥たちが喜びのさえずりで私達を喜ばせ続けるのは、神が保護しているケアを通してだけです。しかし、主は、スズメでさえも忘れていません。「それゆえに、汝らは心配しないでください。汝らは多くのスズメたちよりも価値あるものです」(マタイ10:31 KJV)。

 

主ヤハウェ(hwhy)、私の魂を祝福してください。

そなたは、とても偉大な、私の神、主ヤハウェ(hwhy)です。

あなたは、栄誉と威厳をまとって、

自身に光を衣のように着ています。

あなたは、天をカーテンのように広げて、

大水の中に、主の光線の部屋を備えています。

あなたは、雲を主の戦車として、

翼で風に乗って飛んでいます。

あなたは、風を主のメッセンジャーにして

炎の剣たちを主の働き人にしました。

 

あなたは、地の基を据えました。

それは、動かされないでしょう。

そなたは、草で被うように、それを深く被いました。

大水は、山々の上にもありました。

そなたが咎めると、それらは消え去りました。

そなたの稲妻の轟の声で、それらは飛び去りました。

(山々は起き上がり、谷たちは降り落ちました)

そなたは、大水のためにその場所を設けました。

そなたは、大水が越えないように、境を設けました。

大水は、再び地上を被わないでしょう。

 

主は、谷に流れの泉を遣わしました。

それらは、山々の間に流れています。

それらは、野の獣たちに飲み水を与えています。

荒れ野のロバたちの渇きを潤しています。

それらによって、大空を飛ぶ鳥たちは住まいを持っています。

鳥たちは、梢の間で歌っています。

主は、主の倉から、山々に水をもたらしています。

地は、そなたの働きによって実りをもたらされています。

主は、牛たちのための草、人間に役立つハーブを

繁茂させる目的を持っています。

主は、地上に食糧をもたらしています。

そして、人の顔に輝きをつくるためのオリーブ、

ブドウ酒は、人の心に喜びを生じさせています。

そして、パンは、人の心を喜ばせています。

主が植えた、レバノンの杉たちは

主ヤハウェ(hwhy)の木々は、水蒸気に充たされています。

そこで、鳥たちは、巣を作っています。

コウノトリのための、モミの木たちは彼女達の家です。

高い山々は、野ヤギのためにあります。

岩場は、アナウサギのための隠れ場です。

 

主は、月に四季を託しました。

太陽は、自分が下っていくことを知っています。

そなたは、闇をつくります。そして、夜があります。

その中で、森の獣たちがみな、広がっています。

若いライオンたちは、獲物を追って吠えています。

そして、神からの自分達の食糧を求めています。

太陽が昇ると、逃げうせます。

そして、自分達の巣穴に逃げ込みます。

人は、夕方まで自分の仕事をするために、

自分の働きに出かけます。

 

ああ、主ヤハウェ、そなたの働きはとても多様です。

そなたはみな、知恵によって、それらを造りました。

この地上は、そなたの富によって満ちています。

大海は、もっと遠く、大きく、広いです。

大きな獣達も、小さな獣達も、

その中に、おびただしい者達が広がっています。

そこを、船たちが行き交い、

クジラたちがいて、そなたは、その中で戯れるよう形作りました。

それらはみな、そなたを待っています。

そなたは、季節ごとにそれらに食物を与えるでしょう。

そなたは、それらを集めて、食物を与えています。

そなたは、そなたの手を開いています。

それらは、食物に満足しています。

そなたは、そなたの顔を隠しています。

彼らは、悩んでいます。

そなたは、かれらの息を取り除きました。

彼らは、死にました。

そして、塵に帰りました。

そなたは、そなたの霊/息を返しました。

彼らは、造られた者たちです。

そして、そなたは、地上の表を新しくします。

 

主ヤハウェ(hwhy)の栄光が、永遠にあるように。

主ヤハウェ(hwhy)の喜びが、主の作品の中にあるように。

あなたは、地上を見ていて、それを心配しています。

主は、山々に触れると、それらは煙を吐き出しました。

私は、生きている限り、主ヤハウェ(hwhy)に賛美を捧げます。

私は、生きている間、私の神に賛美の歌を捧げます。

私の黙想が、主に優しいものにしましょう。

私は、主ヤハウェ(hwhy)の中で喜びましょう。      詩編104:1-34,A.R.V.

 

そなたは、地の果て、海のはるかかなたまで、

全ての者達の特別な信頼です。

あなたは、御力によって、周りを取り囲み、

山々を堅く据えました。

あなたは、海鳴りと……

人々()の騒動を静めます。……

あなたは、喜びのために、

朝日の出るのと夕日の去っていくのをつくります。……

そなたは、そなたの恵みによって、その年の栄誉を飾っています。

詩編65:5-11,A.R.V.

 

主ヤハウェ(hwhy)は、倒れる者をみな支えています。

膝が崩れ落ちる者を起き上がられています。

人の目はみな、そなたを待っています。

そして、そなたは、季節ごとに彼らの食糧を与えています。

そなたは、そなたの手を開いて、

そして、すべての生きている者達の願いをかなえています。

詩編145:14-16,A.R.V.

 

9)主の忍耐、強い慈しみ

 主が私達の違反の罪を弁護したように、子どもの間違いをとても熱心に弁護した親は未だこの地上にいません。悔い改めない人をこのように優しく招いて、愛情に満ちた関心を注いだ人はいません。

 

ヤコブよ。そなたは、私[]呼び求めませんでした。

イスラエルよ。そなたは、私にあきてしまいました。イザヤ43:22 KJV

 

[]の民よ。私は、汝らに何を行なったのですか。

そこで、私は、汝らにあきましたか。       ミカ6:3 KJV

 

[]が、イスラエルを愛した時、エジプトから私の息子を呼びだした時、

彼らは一人の子どもでした。            ホセア11:1 KJV

 

主の民は、主ヤハウェ(hwhy)の相続財産です。

ヤコブは、主の多くの遺産です。

主は、見捨てられていた彼を

砂漠の地、砂嵐のある荒れ野で見つけました。

主は、彼の周りを取り囲んで保護しました。

主は、主の目の瞳appleのように彼を守りました。

鷲が、巣の上で翼を動かし、

ヒナの上で羽ばたきをして、

主は、彼らを守るために、その翼を大きく広げました。

主は、翼の上に彼らを乗せて運びました。     申命記32:9-11,A.R.V.

 

主の民は、神の契約を守りませんでした。

そして、主の律法に歩むことを拒みました。    詩編78:10 KJV

 

多くの預言者達が、主の民に呼びかけました。

その民の多くの者は、預言者達から離れました。……

また、私は、エフライムに歩くことを教えました。

私は、彼らに私[]の腕を添えました。

しかし、彼らは、私が彼らを癒したことを知りませんでした。

私は、愛の絆、人間としての絆によって彼らを連れ出しました。……

私の民は、私から、逆戻りの方に流れて行きました。

彼らは、高きにいる主を自分達のために呼びましたが、

主の民はみな、主を高めようとしません。     ホセア11:2-7 A.R.V.

 

しかし、主は、思いやり深い存在なので、主の民の罪を赦して、

そして、彼らを滅ぼさず、

ええ、主は、主の怒りの矛先を何度も変えました。

そして、主の怒りをみな、掻き立てることをしませんでした。

主は、彼らが、流れて行って二度と戻ってこない風、

肉に過ぎない者であることを思い起こしました。   詩編78:38,39 A.R.V.

 主は、「主の力を虜の中に捕らえさせ、そして、主の栄光を敵の手に渡しました」(詩編78:61 KJV)、また、「私の慈しみを、私は彼からすっかり取り去らず、私の忠実は失敗せず苦しまないでしょう」(詩編89:33 KJV)と言いました。

 「エフライムは、私の愛する息子ですか。彼は、喜ばしい(権威ある訳)子どもですか。しばしば、私が彼について語ったように、私は、彼を絶えず思い出しています。それゆえ、私の心は、彼を慕っています」(エレミヤ31:20 A.R.V.)。

 

エフライム、私は、どうして、汝らを捨てることができるでしょうか。

イスラエル、私は、どうして、汝らを投げ出すことができるでしょうか。

私は、どうして、汝らをアデマ[29:23]のように見ることができるでしょうか。

私は、どうして、汝らをゼボイムのようにすることができるでしょうか。

私の心は、私の内で変わっています。           ホセア11:8 A.R.V.

 

私の思いやりは、共に灯されました。

私は、私の激しい怒りを実行しないでしょう。

私は、エフライムを滅ぼさないことに変えるでしょう。

私は、汝らの真ん中にいる、聖なる一人、

神であって、人間ではないので、

私は、滅ぼすために来ないでしょう。      ホセア11:9 A.R.V.

 

汝らは、汝らの罪によって、失敗したので、

イスラエル、汝らの神ヤハウェ(hwhy)に帰りなさい。

あなた方の言葉を持って、

主ヤハウェ(hwhy)に帰って、主に言いましょう。

全ての罪を消し去ってください。良い物を受け入れてください。……

アッシリヤは、私達を救わないでしょう。

私達は、諸々の馬に乗りません。

父のいない私達は、そなたの中に、慈しみを見つけたので、

私達は、自分達の手の作品に、「そなたは私達の神々です」と

どんなことがあっても言いません。       ホセア14:1-3 A.R.V.

 

主の民は、主ヤハウェ(hwhy)について歩みます。……

その子らは、西の方から恐れおののきつつ来るでしょう。

彼らは、エジプトから、一羽の鳥のように恐れつつ来るでしょう。

そして、アッシリヤの地から、一羽のハトのように出てくるでしょう。

そして、私は、彼らをその家々に住むようにするだろうと、

主ヤハウェ(hwhy)が言っています。          ホセア11:10,11 A.R.V.

 

私の怒りは、彼らから去っているので、

私は、彼らの背きを癒すでしょう。私は、彼らを喜んで彼らを愛するでしょう。

私は、イスラエルに、露のようになるでしょう。

彼は、ユリのように花咲くでしょう。

彼の根は、レバノン杉のように張るでしょう。

彼の枝は、広がるでしょう。

そして、彼の美しさは、オリーブの木のようになるでしょう。

そして、彼は、レバノン杉のように香るでしょう。

彼らは、木々の陰が戻って、住むでしょう。

彼らは、穀草のように生き返るでしょう。

そして、ブドウのように花咲くでしょう。……

エフライムはこう言うでしょう。

私は偶像と何のかかわりを持たねばならないのでしょうか。

私は、答えました。それについてこのように考えるでしょう。

私は、緑のモミの木のようです。

汝らは、私から、実を見つけるでしょう。

 

それらのことを理解できる、知恵ある人は誰ですか。

それらのことを知ることができる、悟りあるひとは誰ですか。

主ヤハウェ(hwhy)の道は正しいので、

正しい人は、それらの道を歩むでしょう。      ホセア14:4-9 A.R.V.

 

誰が、神のように、汝らの違反の罪を赦して、

その罪を取り除きますか。

彼は、主の怒りを永遠に残さないでしょう。

主は、愛と優しさを喜んでいるので、

主は、再び、私達に思いやりを持つでしょう。

主は、私達の罪を足下に踏みつけるでしょう。

そして、そなたは、彼らの罪を海の深みに投げ捨てるでしょう。ミカ7:18,19 A.R.V.

 

 「主ヤハウェ(hwhy)は、年取った私に現れて言っています。ええ、私は、永遠の愛を持って汝らを愛しています。それゆえ、愛と優しさを持って、私は汝らを率いてきました」(エレミヤ31:3 A.R.V.)。「主は、ヤコブを贖いました。そして、人よりも強かった彼の手から彼を買い戻しました」(エレミヤ31:11 A.V.)。「私は彼らの不平を喜びに変えて、彼らを慰めるでしょう。そして、悲しみを喜びにするでしょう」(エレミヤ31:13 A.V.)。「私の民は、私の良き物で満ち足りるでしょう。と主ヤハウェは言っています」(エレミヤ31:14 A.R.V.)。

 

シオンの娘達、歌いましょう。

イスラエル、呼び掛けましょう。

エルサレムの娘達、

主ヤハウェ(hwhy)は、汝の訴えの味方をしました。

彼は、汝の敵を追い払いました。

イスラエルの王、主ヤハウェ(hwhy)でさえも、汝らの真ん中にいます。

汝らは、どのような悪も恐れないでしょう。

その日に、エルサレムは言われるでしょう。汝は恐れる必要がない。

シオン、汝らの手は満たされないでしょう。

主ヤハウェ(hwhy)、汝らの神は汝らの真ん中にいます。

権威ある御方は、救うでしょう。

彼は、汝らを被って、喜ぶでしょう。

彼は、彼の愛にやすらうでしょう。

彼は、汝らの歌声によって、喜ぶでしょう。      ゼファニア3:14-17, A.R.V.

 

この神は、永遠に、とこしえに、私達の神です。

彼は、死ぬまでも私達のガイドとなるでしょう。    詩編48:14


 

3.神に関する真の知識と間違った知識

1)特殊な理論

 「明らかにされたこれらの事柄は、私達と私達の子ども達に属しています」。しかし、「隠された事柄は、私達の神、主に属しています」(申命記29:29 KJV)。神が御言葉によって与えた主自身の啓示は、私達の研究のためのものです。これを私達は理解するようにしましょう。しかし、私達は、このかなたに突き抜けるために存在しているのではありせん。高度な思考力は、神の性質に関する解釈の憶測に辟易するまで、それ自身に負担がかかるでしょう。しかし、その努力は実を結ばないでしょう。この問題は、私達にその解答を与えませんでした。人間の知性は、神を認識することができませんでした。有限な人間は、主を解釈することを試みないようにしましょう。主の性質に関する憶測に没頭しないようにしましょう。ここでは、沈黙が力強い言葉です。全知全能の御方は、議論のかなたにいます。

 御使い達でさえ、救済の計画が作られた時、天の父と息子の間の会合に参加することを許されませんでした。最も高度に隠された事柄に介入しようとしている人々は、永遠と霊的な事柄への自分達の無知を示しています。まだ、慈しみの声が聞かれている間に、彼らは、神に、主の道を自分達に教えるように懇願して、塵の中で自分達を謙虚にする方が良いでしょう。

 私達は、幼い子どもたちと同じように、神について無知です。しかし、幼い子どもとして、私達は、主を愛して従う必要があります。主の優先権や主の性質に関する推測の代わりに、私達は、主が語った言葉に注意を傾けましょう。「静まって、私が神であることを知ってください」(詩編46:10)

 

汝は、研究によって、神を探し出すことができますか。

汝は、全能者の完全性を見つけ出すことができますか。

それは、天と同じように高い。汝は、何をなすことができますか。

それは、陰府よりも深い。汝は、何を知ることができます。

その大きさは、大地よりも長く、

大海よりも、広いです。         ヨブ11:7-9,KJV

知恵は、どこで見つけ出されるでしょうか。

悟りの場所は、どこですか。

人間は、その価値を知りません。

生命のある地でそれを見つけることもありません。

聡明な知性は、それは私の内にないと言っています。

また、大海は、私のもとにないと言っています。

それは、金によって得ることもできません。

銀は、その価値の値とならないでしょう。

オフルの金によっても、その値になることができません。

貴重なシマメノウやサファイヤによっても、

金や水晶もそれと等しくなることができません。

また、それは、純金のアクセサリーも交換できません。

サンゴと真珠は、話題にも出せないでしょう。

知恵の価値は、ルビーをはるかに超えているので、

エチオピアのトパーズはそれと等しくないでしょう。

それは、純金によっても価値を計れないでしょう。

それでは、知恵はどこから来るのですか。

理解する場所はどこですか。……

破滅と死は言います。

私達は、かつて、その噂を耳で聞きました。

神は、その方法を理解しています。

そして、主は、その場所を知っています。

 

主は、地の果てを見ているので、

また、すべての天の下を見ています。……

彼が、雨のための掟を作った時、

また、稲妻のための光の道を作った時、

その時、主は、それを見て、それに言いました。

彼は、それを用意しました。ええ、そして、それを探しました。

そして、彼は、人間に言いました。

見上げなさい。主を畏れること、それが知恵です。

そして、悪を離れることは、理解です。     ヨブ28:12-28 KJV

 

 神の存在の神秘/未知を見破るために、地のくぼんだ所の調査研究もむだな努力もしないことが知恵の基礎です。主の意思に生き方を順応させて、主が与えることを喜んでいる啓示を謙虚に受けることが基礎です。

 

2)私達の主の偉大さ

 主の預言者達に与えられた聖霊によって説明されたものから、私達は、私達の神の偉大さを学びましょう。預言者イザヤはこう書いています。

 「ウジヤ王が死んだ年に、私は、主が高く上げられた玉座についているのを見ました。そして、主の衣の裾が神殿に満ちていました。主の上の方にセラフィムが立っていました。おのおのに、六つの翼があって、二つで顔を覆って、二つで足を被い、二つで飛んでいました。そして、一人がもう一人に言いました。聖なる、聖なる、聖なるかな、主催者hostsの主ヤハウェ(hwhy)。全地は主の栄光に満ちています。玄関口の土台が、叫んだ彼の声で震えました。その建物は煙で充たされました。

 その時、私は言いました。私はわざわいです。私の目は、主催者のヤハウェ(hwhy)、王を見たので、また、私は清くない口の人々の真ん中に住んでいて、私は清くない口[から言葉を発する]の人間なので、私は滅びるばかりです。

 それから、セラフィムの一人が、祭壇から火箸で取った炭火を手で持って私の所に飛んで来て、それを私の口に触れさせて言いました。見よ、これが汝の口に触れたので、汝の罪は取り除かれました。そして、汝の罪は贖われました」(イザヤ6:1-7 A.R.V.欄外)。

 

主ヤハウェ(hwhy)、そなたのような人はここにいません。

そなたは、偉大です。

そして、そなたの名は、権力においても偉大です。

国々の王で、そなたを恐れない人がいるでしょうか。エレミヤ10:6,7,A.R.V.

 

主ヤハウェ(hwhy)、そなたは、私を探しました。そして、私を知りました。

そなたは、私が座っている時も、私が立っている時も、知っています。

そなたは、離れていても、私の考えを知っています。

そなたは、私の歩む道と私の休む所を探しています。

そして、私の道を熟知しています。

私の口に、一つも言葉がありません。

しかし、見よ、主ヤハウェ(hwhy)、そなたは、それをことごとく知っています。

そなたは、私を前と後ろから取り囲みました。

そして、そなたは、私に手を添えました。

そのような知識は、私にとってあまりに不思議なものでした。

それはとても高くて、私はそこに達することができません。詩編139:1-6,A.R.V.

 

私達の主は、偉大です。そして、偉大な権力を持っています。

主の理解力は、無限です。                詩編147:5.KJV

 

 「主は、深遠で隠された事柄を明示しています。主は[霊的な]無知の闇にあることを知っていて、真理の光が主に宿っています」(ダニエル2:22 KJV)。「世界の初めから、主の作品はみな神に知られています」(使徒言行録15:18 KJV)。「誰が、主の知性を知ったのですか。誰が、主のカウンセラーとなったのですか。誰が最初に主に与えたのですか。そして、それは再び主のために報いられるでしょうか。主のため、主を通して、主に属している全てのものは、永遠に栄光となるために存在しています」(ローマ11:34-36 KJV)

 「永遠の王、不死、目に見えない」、「唯一、不死を持ち、近づくことができない光の中に住み、見た人がいなくて見ることができない」、――彼に「栄誉と権威が永遠にありますように」(1テモテ1:17 A.R.V.欄外)。

 

[]は、何もない空間に北の方を広げています。

そして、何もない所に地球をひっかけています。

彼は、彼の薄い雲の中に、大水を結んでいます。

そして、その雲は、下の方で、バラバラにされません。……

彼は、昼と夜に終わりが来るまで、

いろいろな境界を大水で取り囲みました。        ヨブ記26:7-10 KJV

 

主が咎めると、天の柱が、

驚いて、震えました。

主は、主の力によって、大海を静めています。……

主の聖霊によって、天は美しくされています。

主の手は、地を這うヘビを突き刺しました。

見よ。それらのものは、主の道の外れにいるだけです。

私達が、主について聞いていることは、なんと少なく薄いことでしょう。

しかし、主の権力の轟について、

誰が理解できるでしょうか。                   ヨブ記26:11-14 A.R.V.欄外

 

主は、砂嵐の中とつむじ風の中に、主の道を持っています。

その雲は、主の足元の塵です。          ナホム書1:3,KJV

 

私達の神、主のような人は誰ですか。

高い所に住んでいる人は誰ですか。

地にある事柄と、天にある事柄を見上げていて、

謙虚な主のような人は誰ですか。         詩編113:5,6.KJV

主ヤハウェ(hwhy)は、偉大です。そして、賛美されるほどに偉大です。

そして、主の偉大さは、研究できません。

一世代の人々は、そなたの働きをほかの世代に賞賛して、

そなたの栄誉の威厳、

そなたの大いなる活動を伝えるでしょう。

そして、そなたの不思議な働きについて、私は深く考えるでしょう。

そして、人々は、そなたの驚くほどの活動の力を語るでしょう。

そして、私は、そなたの偉大さを宣言するでしょう。

人々は、そなたの偉大な善意の記憶を主張するでしょう。

そして、そなたの義を賛美するでしょう。……

そなたの作品/造られた者は、主ヤハウェ(hwhy)、そなたに感謝を捧げるでしょう。

そなたの聖徒達は、そなたを祝福するでしょう。

主の王国の権威ある栄光と、主の権威ある活動を

人の子らが知るようにするために、

彼らは、そなたの力を語るでしょう。

また、そなたの王国の栄光を語るでしょう。

そなたの王国は、永遠の王国です。

そして、そなたの統治は、すべての世代の人々を通して、

続くでしょう。……

私の口は、主ヤハウェ(hwhy)について、賛美を語るでしょう。

そして、すべての肉に、

永遠からとこしえに、主の聖なる名を祝福させましょう。詩編145:3-21,A.R.V.

 

3)憶測に対する警告

 私達は、神がどのように存在しているかについて、また、私達自身が主の視界の中でどのように存在しているかについて、もっと深く学ぶ時、私達は、主の前で恐れおののくでしょう。

 現在、生きている人々は、神が宣言した神聖なことから解放されると憶測した古代の人々の死の運命に警告をしましょう。イスラエル人達は、ペリシテ人の土地から戻った契約の箱を開けて危険な状態にさらされた時、彼らの意図的な不敬は、著しく罰せられました。「主は、ベテシメシの人々を罰しました。彼らは、主ヤハウェの契約の箱の中を見たので、主は70人と5万人[多くの人々]を打ちました。そして、主ヤハウェは大量殺戮によってその人々を罰したので、その人々は嘆きました。そして、ベテシメシの人々は、「この聖なる神、ヤハウェの前に、誰が立つことができるでしょうか」(1サムエル6:19 A.R.V.)と言いました。

 さらにまた、ウジヤ王に降った裁きを考察してみます。ダビデの治世に、その契約の箱は、エルサレムに運ばれてありました。ウジヤ王は、それを手に入れてしっかりと公表していました。神の臨在の象徴に触れることの厚かましさのために、彼は、直ちに撃たれて死にました。

                         

 柴が燃えている時に、モーセは、神の臨在を理解していませんでした。脇を見た時に素晴らしい光景が見えて、戒めが与えられました。

 「ここに近づいてはいけません。汝の靴を汝の足から脱ぎなさい。汝が立っているここは聖なる場所です。……そして、モーセは、神を見ることを恐れたので、顔を被って隠しました」(出エジプト3:5,6 KJV)

 時が過ぎて、ヨシュアがエリコの近くにいた時、彼が目を上げると、一人の人が手に剣を持って、自分に向かって立っているのが見えました。ヨシュアは、彼の所に行って言いました。そなたは私達のためにいるのですか。それとも、私達の敵のためですか。いいえ、私は主の軍勢の長として今来ました。そして、ヨシュアは顔を地につけて拝して、彼に言いました。私の主は、主に仕える者に何を言おうとしているのですか。主の軍勢の長は、ヨシュアに言いました。汝が立っている場所は聖なので、汝の足から汝の靴を脱ぎなさい。ヨシュアはそうしました」(ヨシュア記5:13-15 KJV)。

 神殿と聖所の中は、神が住んでいることを象徴するこの地上にありました。一つの部屋が主の臨在のために聖別されていました。ケルビムを織り込んでいたその入り口の特別な覆いは、[大祭司]一人を除いて誰かの手によって上げられるためのものではありませんでした。至聖所の神秘的、神聖な場所に勝手に侵入することと覆いを上げることは死でした。恵みの御座にひざまずいて拝している天使達は、見て生きている人間はいない栄光、最も聖なる栄光の中に住んでいました。特別な年のある日に、至聖所での奉仕の働きのために任命された大祭司は、芳香の煙が彼の視界からその栄光を覆っている間に恐れおののいて神の臨在の中に入りました。その神殿の中庭は、すべての音がやんでいました。祭壇で奉仕していた祭司達もいません。礼拝している群衆はhosts、畏敬の念をもって沈黙してひざまずき、神の憐れみのための祈願を天に送りました。

 「これらの事柄は模範の方法として彼らのために起こりました。そして、それらは、時代の終わりが来ている私達の訓戒のために書かれました」(1コリント10:11 A.R.V.)

 

主は、主の聖なる宮にいます。

地上の者はみな、主の前で沈黙してください。ハバクク2:20 KJV

 

主ヤハウェは統治しています。その人々()は、恐れおののきましょう。

主は、ケルビムの上に座しています。この地は、動かされます。

主ヤハウェ(hwhy)は、シオンの大いなる者です。

そして、彼は、すべての人々の上の高きにいます。

そなたの大いなる、恐れ震える御名を人々に賛美させましょう。

彼の名は、聖です。                      詩編99:1-3 A.R.V.

 

主の玉座は、天にあります。

人の子らを、主の目は見て、主のまぶたは試しています。

主の聖所の高い所から、彼は見降ろしました。     詩編11:4; 102:19 KJV

 

主が住んでいる所から、主は眺めています。

地上に住んでいる人々をみな、

彼は、彼らの心をみな、形作っています。

彼らの働きをみな、考慮しています。

地上の人々はみな、主ヤハウェ(hwhy)を恐れましょう。

世界の住民はみな、主に畏敬の念を持って立ちましょう。 詩編33:14,15,8, A.R.V.

 

 人間は、研究によって神を探し出すことができません。隠されている主の栄光の覆いを手によって取る憶測を求めないようにしましょう。「探し出せないものは主の裁きです。そして、主の道は探そうとしても消えてしまいました」(ローマ11:33 KJV)。主の力が隠されているのは、主の憐れみの証拠です。神性の臨在を隠している覆いを上げることは死です。有限な知性は、全能者が住んでいる所と全能者の働きの秘密に領域に立ち入ることができません。主が啓示に合うと見ていることだけを、私達は主について認識できました。理性はそれ自身を超えた一人の権威を認識する必要があります。心と理性は、偉大な「私は存在している」(あってある者)者に膝をつく必要があります。

4)キリストによる神の啓示

 神を知ることができる人や、神を知る必要のある人はみな、主の息子の品性と生き方を明示されてきました。

 「神を見た人は、未だに一人もいません。神の最愛のひとり息子だけが神を明らかにしました」(ヨハネ1:18 KJV)。

 彼の人間性について語るために、キリストは人間性を取って人となるために、同時に、罪深い人間に私達の天の父を明示するためにやって来ました。彼は、主の兄弟達と同じく、全ての造られた者達の中にいました。彼は、私達と同じように肉[身体]になりました。彼は、飢えて渇き、弱りました。彼は、食物と休養と睡眠によって生命を維持しました。彼は、多くの人々と人生を分かち合いましたが、また、純潔な神の息子でした。彼は、この世界に属するものではなく、この世界――地上では、一人のよそ者、寄留者でした。そして、今日の男性と女性達達が誘惑され試みられるように、誘惑され試みられました。また、罪から解放された生涯を送りました。

 優しい、思いやりのある、共感、いつもほかの人々のことを考えていた彼は、神の品性を表しました。そして、いつも神と人への奉仕に従事していました。

 「その言葉は肉体となり、そして、私達の間に宿りました。……恵みと真実に満ちていました」(ヨハネ1:14 KJV)。

 彼は言いました。「そなたが私に与えたこの世界の人々に、私はそなたの名を現しました」(ヨハネ17:6 KJV)。そなたが私を愛した愛が彼らの中に存在することでしょう」(ヨハネ17:26 A.R.V.)。

 主は彼らに言いました。「あなた方の敵を愛しなさい。あなた方を呪う者を祝福しなさい。あなた方を嫌う者を祝福しなさい。あなた方を迫害し、意地の悪いことをする人々のために祈りなさい。汝らは、天にいるあなた方の父の子らとなるでしょう」「彼は、悪い者にも感謝しない者にも親切なので」「彼は、悪い者に太陽を昇らせて、良い物を与え、正しい者にも正しくない者にも雨を送っています」(マタイ5:44,45,KJV)、「それゆえに、あなた方の天の父が慈しみ深い者であるように、汝らは、慈しみ深い者になりなさい」(ルカ6:36,KJV)。

 

5)十字架の栄光

 人々への神の愛の啓示は、十字架が中心です。それは、人間の知性が把握できず、ペンで記すこともできなくて、言葉で表せない意味に満ちています。カルバリーの十字架を眺める時、私達はこのように言えるだけです。「神は世界の人々をとても愛したので、一人息子を与えました。彼を信じる人は誰でも、滅びないで、永遠の命を持つでしょう」(ヨハネ3:16 KJV)

 キリストが私達の罪のために十字架につけられたこと、キリストが死からよみがえったこと、キリストが天に昇ったことは、私達が、学んで教える必要のある救済の科学です。

 「神の形として存在していましたが、神と等しくあることに固守されることではないと考えました。自分を空にして、仕える者の形を取り、人々のような存在になりました。そして、一人の人間としての姿に見えるように存在して、彼は身を低くして、ええ、十字架の死まで、死に至るまで忠実にしていました」(フィリピ2:6-8, R.V.欄外)。

 「死んだのはキリストですが、再びよみがえっています。彼は、また、神の右手に座しています」(ローマ8:34, KJV)、「それゆえに、彼は、いつも生きていて彼らのために執り成しをしているので、彼によって神に来る人を限界に達するまで救うことができます」(ヘブライ4:15,A.R.V.)。

 ここに、無限の慈しみ、無限の正義、無限の愛、無限の知恵があります。「神の知識と知恵の双方とも豊かさにあふれています」(ローマ11:33,KJV)

                       

 私たちがあらゆる恵みを受けるのは、キリストという贈り物を通してです。その贈り物を通して、毎日、私達に、主ヤハウェ(hwhy)の良い物が溢れ出てやって来ています。花たちはみな、その贈り物を通して、私達の喜びのために繊細な色合いと甘い香りを与えられています。太陽と月は、彼によって造られました。彼が造った天を美しく飾る星はたくさんあります (直訳:彼が造らなかった、天を美しく飾る星は一つもありません。There is not a star that beautifies the heavens which He did not make.)。彼が、私達の生命維持のための食糧を供給しなかったならば、私たちの食卓に食物の品数はないでしょう。キリストの宛て名は、全てのものの上に記されています。神のひとり息子という、言葉で表せない一つの贈り物を通して、すべてのものが人間に供給されています。彼は十字架に釘付けされました。これらの恵み深いものは神の手の技からあふれ出ているでしょう。

                       

 エデンの園にあった命の木の果実は、超自然的な効力virtueを持っていました。それを食べることは永遠に生きることでした。その果実は、死を予防するものantidoteでした。その葉は、生命と不死を支えるためのものでした。しかし、人間の不従順を通して、死がこの世界の人々に入り込みました。アダムは、触れることを禁じられていた木の実、善と悪の知識の木の実を食べました。彼の違反の罪は、私達人類に苦悩が満ちる門を開けてしまいました。

 罪の侵入後、天の農夫が天のパラダイスにその命の木を移植しました。しかし、その枝たちは、この低い世界の壁に遺物となって残っています。キリストの犠牲の血によって、贖いが払われたことを通して、私達は、その命を与える果実を食べることができるでしょう。

 キリストについて、このように書かれています。「私は、特別な命のパンです。私の所に来る人は、決して飢えることがないでしょう。私を信じる人は、決して渇くことがないでしょう」(ヨハネ6:35 KJV)、「生きている父が私を遣わしたように、私は父によって生きています。私を食べる人は、私によって平穏に生きるでしょう。……その人は私を食しているので、その人は私によって生きているでしょう」(ヨハネ647-57 KJV)、「肉は役に立ちません。私があなた方に語った言葉は、精神/霊で、命/生活です」(ヨハネ6:63 KJV)。「勝利を得る人には、私は、神のパラダイスの中央にある命の木の実を食べるように与えましょう」(黙示録2:7 KJV)

 「天の父がどんなにか私達を愛したか、愛の方法を考えてください。私達は、神の子と呼ばれるでしょう」(1ヨハネ3:1 KJV)

 

6)変容の働きの知識

 キリストによって啓示されたような神の知識は、救われた人々がみな持つべき知識です。品性を形成する働きは神の知識です。受け入れたこの知識は、神のかたちを魂の中に再創造するでしょう。神性として存在している者は、霊的な力の全部を授けるでしょう。

 「私達はみな、主の栄光を鏡のように顔を見せて、栄光から栄光へと、同じかたちに形成されています」(2コリント3:18 A.R.V.)。

 主自身の生活について、救い主は言いました。「私は、自分の父の戒めを守りました」、「私は、常に主を喜ばすようなことをしているので、天の父は、私自身を残しませんでした」(ヨハネ15:10,8,29,KJV)。イエスが、人間性を取っていた時、神は、主につく者達を手段/財産にしています(so God means His followers to be.)。主の力によって、私達は、救い主が生きた高貴で純潔な人生を送るために存在しています。

 「この目的のために」、パウロは言っています。「天と地の家族全体の名前を呼ばれ、主はあなた方の願いをかなえて、主の栄光の豊かさによって、人間の心のうちに、主の聖霊によって、権威を力づけられるために、この理由によって、私は、私達の主イエスキリストと天の父に私の膝をついています。キリストは、信仰によってあなた方の心に住むでしょう。愛に基づき、愛に根ざしている汝らは、全ての聖徒達の高さと深さと長さと広さを悟ることができるでしょう。汝らは、キリストの愛と神に満ちている全てによって満たされるでしょう」(エペソ3:14-19 KJV)

 

4.推論に過ぎない知識の危険

 間違った科学は、サタンが天の法廷で利用した働きの一つです。そして、それは、今日も彼によって利用されています。天使達を捉えた彼の巧妙な科学的な理論、その間違った主張は、忠誠な彼らから多くの者を堕落させました。

 天において、自分の地位を失ったサタンは、私達の最初の両親に彼の誘惑を表しました。アダムとエバは、その敵に敗北しました。そして、二人の不従順によって、人間性は神から疎遠にさせられました。そして、この地は天から離されてしまいました。

 もしも、アダムとエバが、禁止されていた木に触れなかったならば、主は、二人に知識、罪の呪いの降りかかっていない知識、二人に永遠の喜びをもたらす知識を授けたことでしょう。二人が不従順によって得たものはみな、罪とその結果が伴っている知識でした。

 

1)終わりの日の騙し

 サタンが私達の最初の両親を導いた分野は、彼が今日も人々を導いている所と同じです。彼は、面白い作り話でこの世界を満たしています。彼の指示するあらゆる考案品によって、彼は、救済である神の知識を得ることから、人々を妨害しようとしています。

 私達は、大きな光/真理の一つの時代に生きています。しかし、多くの人々は、光だと言われているサタンの技術と知恵によって、その道を開いています。多くの事柄が真理であるように見えるとして提示されるでしょう。また、それらは敵が特別に考案したものとなるので、多くの祈りと共に慎重に考えさせられる必要があります。

 間違った道は、しばしば、真理の道を閉ざす嘘として現れています。それは、天と聖化に導いている小道からはっきりと識別されうるものです。しかし、聖霊によって照明され啓蒙されている知性は、それが正しい道から分かれていることを識別するでしょう。しばらくすると、その二つは、広く分けられていることを知るでしょう。

 

 

2)汎神論的な理論(汎神論:万有に心があるとする説)

 すでに、私達の[教会の]人々の間に、スそれらに注意を払う人々の信仰を蝕むような、スピリチュアリスティック(心霊)の教えがやってきています。神は自然界のすべてに充満している霊的存在/香水essenceのようなものであるという理論は、サタンの最も巧妙な考案品の一つです。それは、神を間違って説明していて、神の偉大さと全能に対する不名誉です。

 汎神論的な理論は、神の言葉によって支持されていません。主の真理の光は、これらの理論が魂を滅ぼす働き人達であることを示しています。それらのみだらな領域で、[霊的な]無知の闇がそれらの要素です。それらは、生まれつきの心を喜ばせて、その意向に許しを与えています。神からの分離が、それらを受け入れる結果です。

 罪を通った私達の状態は、超自然的に異常になりました。そして、私達を回復させる力は、超自然的になる必要があります。そうでなければ、それは、価値がありません。人々の心にある悪の状態を打ち砕くことができるのは、一つの力だけです。そして、それは、イエスキリストの中の神の力です。十字架につけられた御方の犠牲の血を通してだけに、罪からの清めがあります。主の恵みだけが、私達の罪に陥った性質の傾向を抑えて、抵抗することが可能となるでしょう。神に関するスピリチュアリスティック(心霊)の理論の力は、結果を何も作りません。もしも、神が、自然界のすべてに充満している霊的存在/エッセンスだとするならば、その時、神は、全ての人々に内在しています。そして、人々は、聖化に到達するために、自分の中にあるこの力をただ発達させる必要があります(man has only to develop the power that is within him.)

 これらの理論は、それらの論理的な結論に従っていて、キリスト教の秩序/神の救いの計画全体を葬り去っています。それらは、贖いのために必要な物を取り去っていて、人間を自分自身の救い主にしています。神に関するこれらの理論は、神の言葉を無効にしていて、それらを受け入れる人々を、最終的に、聖書全体を架空のものとして見るような、絶大な危険の存在の中に導いています。それらは、不道徳よりは良として、効能を考えるでしょう。しかし、神は統治する主の地位から取り去られています。神なしで、彼らの人間の力へ依存する立場は価値のないものです。援助なしの人間は、悪に勝って、抵抗する実際的な力を持っていないでしょう。魂の防御は失敗しています。人間は、罪に対する防御策を持っていません。一度、神の言葉の抑制と聖霊が拒絶された時、私達は人が沈む深さがどれほどかを知りません。

 これらのスピリチュアリスティック(心霊)の理論を持ち続けている人々は、きっと、自分達のクリスチャン体験を台無しにして、しっかりとした神との繋がりと永遠の命を失うでしょう。

 自然界と神について道理に合わない理論を主張する人々は、懐疑論を世界の人々に広めている、堕落した敵の霊感者です。その人は、一人の聖書研究者であり、人々が受け入れる必要のある真理を知っている人です。そしてその人々の研究は、この世界に訪れようとしていることに備えるために与えられた偉大な真理から、人々の知性を逸らすために存在しています。

 私は、神についての、自由恋愛主義、スピリチュアリズム(心霊主義)、背教行為の空想的な考え方などの結果を見ました。それらの教義の本質の自由恋愛は、それ自身の特徴を明確にすることが困難だったので、最初は、まったく隠されていました。主が、私にそれを提示するまで、私はそれが言っていることが分かりませんでした。しかし、私は、それが清くない霊的愛と呼ぶように指導されました。

 

3)1844年以後の狂信的言動

 1844年のその時が過ぎた後で、私達は、あらゆる種類の狂信的言動と立ち向かう必要がありました。スピリチュアリスティック(心霊)の理論にとりつかれている人に伝えて、間違いを立証するための証が、私に与えられました。

 神に関して、間違った考えを広めて活動していた人々がいました。それらの男性達は自分達の間違った教えによって、真理を効力のないものにしていた、という光が[主から]私に与えられました。彼らは、神に関して特殊な理論を提示して魂達を間違った方に導いていると、私は指導されました。

 私は、その場所に行きました。彼らはいました。そして、自分達の働きの性質を人々の前に開示していました。主は、私に彼らの危険性を彼らの前に明白に示す力を与えました。また、別の見解を持つ人々の間では、彼らは、一度清められたならば罪を犯すことができないと捉えていました。彼らの誤った教えは、自分達とほかの人々にひどく害する働きをしていました。彼らは、美しい理論の衣をまとった悪を見抜くことができない人々を支配するスピリチュアリスティック(心霊)の力を得ていました。その理論は、清くなったものはみな、その理論に導かなければならない、清くなった者の愛情は迷った道に導かないというものでした。清められたという告白を通して、人の心の願いに悪が充満したというこの信条の結果は、生き方と考え方の清めからは程遠いものでした。

 不信仰な教えは、罪深い行動によって続けられています。それは、清くない自己満足の侵入の結果と、偽りの父が誘う毒エサです。

 これが、自然界にある全てのものに広がっている人格を持たない神と、それに似た間違いに関する教理を示していた人々を戒めるために、私が呼び出された唯一の実例です。

 

4)繰り返される過去の体験

 過去の体験は繰り返されるでしょう。将来において、サタンの崇拝は新しい形を装うでしょう。間違いは、本物以上によく見せて喜ばれる方法で提示されるでしょう。光の衣をまとった誤りの理論が、神の人々()に提示されるでしょう。このように、サタンは、それが可能ならば真に選ばれた者達さえ、騙すことを試みるでしょう。最大の誘惑の感化が尽くされるでしょう。人々の知性は催眠術にかかったように、驚嘆し魅了されるでしょう。

 あらゆる堕落の型は、ノアの洪水前の人々と似ていて、知性が虜にされるように引かれて行くでしょう。神として自然界が高められること、人間の意思の抑制のない放縦、神を恐れない分別、――サタンは、これらを確かな結末をもたらすように利用しています。サタンは、自分の計画を実行するために人々の知性から知性へと働いているでしょう。すべての人々の最も悲惨な思想は、彼の騙しの影響下で、人々が神との実際的な繋がりを持たずに、信心深い形を取っているというものです。善と悪の知識の木の果実を食べたアダムとエバのように、多くの人々は、美味しい間違いの騙しに養われています。

 サタン的な働き人達は、外装を魅力的にして、間違った理論を装っています。エデンの園の中で、サタンでさえ、ヘビを通して語ることによって、私達の最初の両親から自分の正体を隠しました。これらの働きをする者たちは、実際は命を奪うものを人間の知性に徐々に教え込んでいます。サタンの催眠術的な感化力は、明白な神の言葉を架空の作り話に変えて、人々の記憶に残すでしょう。

 サタンが最も根気強く罠にかけようとしている人々は、最も多く光を持った人々です。彼は、自分が、多くの人々を迷った道に導き、罪の衣を義の衣で被って、自分の支配下に置くことができることを知っています。

 私はみなさんに伝えましょう。自分の防御に気を付けてください。光の天使のように、サタンは、自分の側に教会メンバー達を勝ち取ろうとして、クリスチャンの働き人達のすべての集まりの中、全ての教会の中を歩んでいます。私は、この警告を神の人々()に与えるように言われました。「だまされないようにしてください。神は人を騙しません」(ガラテヤ6:7 KJV)

 

5)センセーショナルな/人気取りの宗教に気を付けてください

 この時代に、私達は、神の[人類救済]目的を持った霊的な知性のある人々を必要としています。その人は、原則に堅く立っていて、真理の明瞭な理解を持っている人です。

 私は、人々が必要としているものは、新たな教理や奇抜な教理ではないことを[主から]指導されました。人々は、人間の憶測を必要としていません。人々は、テモテに与えられて、求められていることを理解して従っている人、[現在の]真理を知っていて実践している人間の証を必要としています。

時が迫っていても、時が遅れても、間違いを証して、戒め、忍耐して勧め、教えて、御言葉を説教しなさい。やがて、人々が健全な教え/教理に耐えられない時が来るので、自分達の好みで教師達を集めて、耳に障りの良い話を聞こうとして、真理から耳を離すでしょう。そして、作り話を聞くでしょう。しかし、汝は、全てのことに警戒して、汝の奉仕の働きに十分に耐えて、苦悩に耐えて、福音伝道者の働きをしてください」(2テモテ42-5 KJV)

 あなた方の足に、平和の福音を備えた靴を履いて、毅然として、堅く立って歩みましょう。あなた方は、センセーショナルな人気取りでない、純潔で汚れのない宗教に確かになれるでしょう。神は、特殊な教理と理論を貪欲に食らいつくような重荷を誰にも与えませんでした。私の兄弟[姉妹]のみなさん、これらの事柄をあなた方の教の中に入れないでください。あなた方の体験に入れることを認めないでください。それらによって、あなた方の生涯の仕事を損なわないようにしてください。

 

6)間違った教えに対する警告

 間違った教えに対する警告は、パウロのコロサイ人への手紙の中に見られます。その使徒は、信徒達の心が「すべて隠されている知識と知恵の宝、天の父とキリスト、神の未知な知識の理解の確信に充たされて、愛によって共に編み込まれる」ために存在していますと言っています。彼は続けています。「そして、私はこのことを言います。誰かがあなた方をそそのかす言葉で惑わさないように、……汝らが主、キリストイエス受け入れたのだから、汝らは彼によって歩みなさい。大いに感謝に充たされて、汝らが教えられていたように、彼によって根付いて育成されて、信仰を確立しなさい。キリストの後について行かずに、世俗の基本原則に倣って、人間の伝統に倣って、誰かが、無駄な騙しと哲学を通してあなた方を台無しにしないように気を付けなさい。キリストの中に、神(父・子・聖霊)の全体が満ちて宿っています。汝らは、彼の中で完全です。それは、全ての力と権限の特別な長です」(コロサイ2:2-10 KJV)

 私は[主から]、私達の[教会の]人々に言うように指導されました。私達はキリストについて行きましょう。主は全てのことにおいて私達の模範となるために存在しているということを忘れないようにしましょう。私達は、主の教えの中に見られない考えを間違いなく捨てることができるでしょう。私は、私達の[教会の]牧師達に、彼らの足元が永遠の真理の土台に立って堅固になるようアピールします。それを呼び掛ける聖霊の呼びかけにどのようについて行くかに気を付けてください。ある者は、これに関わることに危機的な状態です。私は、人々の心にある希望の理由を尋ねる、全ての人々に与えることができるように、健全な信仰になるよう、彼らに呼びかけます。

 

7)現在の義務から知性を逸らす

 かの敵は、世界の最後の日々に立つため、一つの人々()を用意するための働きから、私達の兄弟姉妹達の知性を逸らそうとしています。主の働きをしている、道理に合わない理論を提示する者達は、ある期間の特別な義務と危機から知性を引き離そうと画策しています。彼らは、主の民のためにヨハネに与えようと天から来たキリストという光/真理をないものとして評価しています。彼らは、私達の前にあるそのシーンが特別な注目を受けることがまったく重要なものでないと教えています。彼らは、間違った科学を代わりに与えて、神の人々()の過去の体験を失わせていて、天が起源の真理を効果のないものにしています。

 「主は、このように言っています。汝は、分かれ道に立って、見て、そして、古い道に尋ねています。どれが良い道ですか。そして、そこを歩みなさい」(エレミヤ6:16 KJV)。

 私達の信仰の基礎――、啓示によるものと御言葉の熱心な研究によって私達の初期の頃に築かれた基礎を壊そうとする人がいないようにしましょう。私達は、これらの基礎の上に過去50[の教会歴史を]築いてきました。人々は、新しい道を発見した、これまでのものよりも丈夫な基礎を築いた、と考えているでしょう。

 過去において、多くの人々は、新たな原理を確立して、新しい信仰の設立に着手しました。しかし、それらの設立にどれくらい長い期間がかかりましたか。それは、堅固な岩の上に基礎を据えなかったので、やがて崩れました。

 初代教会の弟子達は、人々の言い回しに立ち向かわなかったのですか。彼らは、堅固に立つために、あらゆる行動、間違った理論を聞かなくてもよかったのですか。「すでに据えられている以上の土台を、誰も据えることができません」(1コリント3:11 KJV)と言われています。

 私達は、自分の初めの確信を終わりまでしっかりと持ち続けるために存在しています。現在の真理を明らかにするために、力のある言葉が、神によって、また、キリストによって、一人またひとりと、この世界から呼び出された人々が、この人々()に送られていました。聖なる炎が触れた口[から出る言葉]によって、神に仕える者達は、特別なメッセージを宣布しました。

 

8)直接な証の更新

 主は、過去何年も直接の証を生み出して更新するよう呼び掛けています。主は、霊的な生活の更新を呼び掛けています。主の人々()の霊的なエネルギーは長い間眠っていました。しかし、死んでいるように見える状態からよみがえるようになるために存在しています。

 罪の告白と祈りによって、私達は、王の道を明らかにする必要があります。私達がこのことを行なう時に、聖霊の力は私達に訪れるでしょう。私達は、ペンテコステのようなエネルギーを必要としています。主が、すべてを獲得する力として主の聖霊を送ると主が約束したので、これはやって来るでしょう。

 危難に満ちた時が、私達の前にあります。特別な真理の知識のあるすべての人々は、神の鍛錬の下、身体と魂と精神が、自分自身の居る場所で目覚めている必要があります。かの敵は、私達の人生のコース上にいます。私達は、彼に対する私達の防御として目を大きく開く必要があります。私達は、神の武具を全部身に着ける必要があります。私達は、預言の霊を通して与えられている指導に倣う必要があります。私達は、この時代のための真理を愛して従う必要があります。これは、強い惑わしを受け入れようとすることから私達を守るでしょう。神は、御言葉を通して私達に語り掛けました。主は、様々な証を通して、そして、私達が今占めている場所と提示された義務を私達に分かりやすくするのを助けた様々な本を通して、この教会と私達に語りました。すでに与えられていた警告は、一行一行、指針から指針へ、注意を払う必要があります。私達がそれを考えないならば、何が、私達はどんな許しを申し出ることができるでしょうか。

 私は、神のために労苦している人々に、本物のために偽物を受け入れないように懇願します。人間の理性は、神聖な真理があるべき、神性の位置におかれることがないようにしましょう。キリストは、主の人々の心の信仰と愛に火が点るのを待っています。永遠の真理の基礎にしっかりと立つようになる義務のある人々から、見せかけの間違った理論を受け入れないようにしましょう。神は、私達に、疑いようのない権威を基本として、原則の基盤をしっかりと捉えるようにと呼び掛けています。

 

9)初めの愛を求めましょう

 [現在の]真理の中に長くいた多くの人々の心の中に、裁きをする精神、厳格さが入っていました。その人々は、きつく、批判的で、落ち度を探しています。彼らは、自分達の考えに一致しない人々に宣告を発するために裁きの座に着いています。神は、その人々に降りてきて、罪を告白して悔い改めて、主の前にひざまずくよう呼び掛けています。主は彼らにこう言っています。「しかしながら、私は、汝らが初めの愛から離れてしまったので、汝らに対して何かあるものを持っています。それゆえに、汝らはどこから落とされているかを思い出しなさい。そして悔い改め、そして、初めの働きをしなさい。そうでなければ、私は汝らの所にすぐに行くでしょう。そして、悔い改めなければ、汝らの燭台をその場所から取り除くでしょう」(黙示録2:4,5,KJV)。彼らは、最初の場所で争っています。そして、彼らの働きと活動によって、彼らは、多くの人々の心を害しています。

 さらに、危険なこの霊に逆らって、また、感情の混じった間違った宗教に逆らって、私は、自分の警告を伝えています。兄弟姉妹のみなさん、注意を払ってください。誰が、あなた方のリーダーですか。天から降ったキリストや天使ですか。あなた方自身を試して、あなた方は信仰が健全かどうかを知ってください。

 

10)予防手段としての神の言葉

 私達の合言葉は、「それが、彼らに光がないという理由であるならば、彼らがこの言葉によって語らないならば、証と律法」(イザヤ8:20 KJV)となるために存在しています。私達は、最も貴重な真理を、十分な聖書を持っています。それは、知識の始まりと終わりを含んでいます。神の霊感によって与えられた御言葉は、「義を指導し、正し、誤りを譴責し、教えることに有益です。あらゆる良い働きが備えられることを通して、神の人は完成されるでしょう」(2テモテ3:16 KJV)。あなたの研究書として聖書を手にしてください。あらゆる人々がその指導を理解できるでしょう。

 私は、私達の牧師達、医師達、そして、すべての教会メンバー達に、キリストが昇天前に主の弟子達に与えた教訓を研究するよう呼びかけています。それらの教訓は、この[教会の]人々が必要としている指導内容を含んでいます。

 永遠の命は、神の息子の[犠牲の]血を飲み、肉を食べることによってだけ得られます。キリストは言いました。「まことに、まことに、私はあなた方に言います。私が永遠の命を持っていることを信じる人は……、私は天から下って来た、生きているパンです。誰かがこのパンを食べるならば、その人は永遠に生きるでしょう。私があなた方に与えるパンは、私の肉です。私はこの世界の人々にその命を与えるでしょう。……私の肉を食べて私の血を飲む人々は、永遠の命を持つでしょう。そして、私は終わりの日にその人をよみがえらすでしょう。私の肉は確かに食肉です。また、私の血は確かに飲み物です。私の肉を食べる人、私の血を飲む人は、私の中に宿っていて、私もその人の中に宿っています。……活気づけるのは聖霊/精神です。肉は益がありません。私があなた方に語った言葉は、精神/霊です。そして、霊/精神に命があります」(ヨハネ6:47-63 KJV)

 キリストは、主の人々()に、主の言葉を信じて実践するようにと呼びかけています。品性のあらゆる特性について、全ての活動の部分を示して入る、この言葉を受け入れて習得した人々は、神の力の中で強く成長するでしょう。その人々は、[品性を育てることに関して]知らない道で迷わないでしょう。その人々の知性は、感情の混じった考えや昂奮のある宗教に移って行かないでしょう。その人々は、一貫したクリスチャン品性を強く持った人々として、天使達と人々の前に立つことでしょう。

 真理の金の香炉の中に、キリストの教えを現した者として、私達は勝利し回心した魂を持っています。キリストが人々に宣布するためにこの世界に来たという真理について簡潔に提示しましょう。あなたのメッセージの力はそれ自身の考えをつくるでしょう。キリストが、聖書に基づかず言及しなかったテストや理論を提示しないでください。私達は、提示するための厳粛な真理や根拠を持っています。「それは書かれています」は、全ての魂に安らぎをもたらす必要のあるテストです。

 多くの人々は、自分達の平安に属している事柄をしっかりと学べるでしょう。憐れみの声は、この招きを聞かせるでしょう。「重荷を負って苦労している者はみな、私のもとに来てください。あなた方は私のくびきを着けてください。私は心が優しく謙遜な者ですから、汝らは、自分の魂に休息を見つけるでしょう。私のくびきは負いやすいので、私の重荷は軽やか/光です」(マタイ11:28-30 KJV)。休みが与えられてよく守られ続けるのは、霊的な命が与えられている時だけです。私達は[人生の]暴風雨と嵐の中で「私[]の錨の綱につかまれ」と言える必要があります。

 私達は、ガイダンス/指導を求めて神の言葉に行きましょう。私達は「主はこのように言っています」と求めましょう。私達は人間の方法を十分に持っていました。知性は、神の事柄を理解することにしくじる世俗の科学だけに訓練されました。しかし、回心して清められた同じ知性は、その御言葉の神性な力を見るでしょう。聖霊の聖化によって清められた心と知性は、天の事柄を識別できます。

 兄弟[姉妹]のみなさん、主の名によって、あなた方の義務に目覚めることを呼びかけます。あなた方の心を聖霊の力に明け渡しましょう。そうすると、御言葉の教えに感化を受けやすくされるでしょう。それから、あなた方は神の深い事柄を識別すことができるでしょう。

 神が、主の人々を聖霊の強い働きのもとに連れて行ってくださるように。主が、彼らの滅びを見せて、目覚めへと彼らを導いて、主が地に来るための準備をさせてくださるように。

 

11)黙示/啓示の研究

 ヨハネに、主は、終わりの日々に主の民が必要とするだろうと、主が考えたテーマを開示しました。主が与えた指導は、黙示録の中に見られます。私達の主、救い主、イエスキリストと共なる働き人達は、この書に見られる真理に強い興味を示しているでしょう。ペンと声によって、彼らは、開示するために天からやって来たキリストの素晴らしい事柄をわかりやすくするために努力しているでしょう。

 「イエスキリストの啓示、それは、すぐに来て当然の事柄を主に仕える者達に示すために、神が彼キリストに与えました。そして、キリストは主の使いによってそれを送って主の奉仕者ヨハネに知らせました。ヨハネは、神の言葉とイエスキリストの証、自分が見た全てのことをありのままに記しました。その時は手近にあるので、この預言の言葉を聞く人、それを読む人、その中に書かれている事柄を守る人は祝福されています」(黙示録1:1-3 KJV)。

 啓示によって主に仕える者達に与えられたその厳粛なメッセージは、神の人々()の知性の場を占めるために存在しています。私達の注意を奪うために存在しているものは何もありません。

 貴重な時間は、すぐに過ぎています。そして、多くの人々は、神が罪に陥った世界の人々に送ったメッセージの宣布の時が失われるという危険性があります。サタンは、永遠の真実を実践する必要のある真理の研究に繫がるような知性の考案品を見て喜んでいます(Satan is pleased to see the diversion of minds that should be engaged in a study of the truth which have to do with eternal realities.)

 キリストの最も厳粛な品性の証は、世界の人々に伝えられるために存在しています。黙示録の書を通して、最も貴重な、高尚な約束があります。また、最も恐ろしく厳粛で重要な警告があります。真理の知識を持つことを告白している人々は、キリストによってヨハネに与えられた証を読んでいないのではありませんか。そこには、当てずっぽうの推量がなく、科学的なだましもありません。また、現在と将来の福祉に関する真理があります。何が麦で、何が籾殻ですか。

 

12)サルデスの教会へ[のメッセージ][Sardis:大祭司の胸当ての宝石]

 「また、サルデスにある教会の御使いに書いて送りなさい。神の七つの霊と七つの星を持っている主がこれらのことを言っています。私は汝らの働きを知っています。汝らは、生きているというのは名ばかりで、実は死んでいいます。目を覚ましていなさい。そして、死にかけている残りの者達を力づけなさい。私は、神の前に汝らの働きを完全とは見ていませんでした。それゆえ、汝らはどのように受けたか、聞いたかを思い出して、しっかりと捉えて、悔い改めなさい。それゆえ、汝らが目を覚ましていないならば、私は盗人のように汝らの所に行くでしょう。そして、汝らは、私が汝らの所に行くかを知らないでしょう。

 サルデスには、衣を汚さなかったと評判の人々がいます。彼らは、価値ある者として純潔の内に私と共に歩むでしょう。勝利を得る者は、同じように、純潔な衣を着せられるでしょう。そして、私は、命の書からその人の名を消し去らないでしょう。そして、主の御使い達の前で、また、私の父の前で、その人の名を読みあげましょう。耳のある人は、聖霊が諸教会に言っていることを聞いてください」(黙示録3:1-6 KJV)

 

13)フィラデルフィヤ教会へのメッセージ。[Philadelphia:兄弟愛]

 「フィラデルフィヤにある教会の御使いに書いて送りなさい。彼が開くと人は閉められず、彼が開けると人は閉められない、ダビデのカギを持っている御方、真実な御方、聖なる御方がこれらのことを言っています。私は汝の働きを知っています。見なさい。汝は持っていた少しの力で、私の言葉を守って来て、私の名を拒まなかったので、私は、汝の前に誰も閉じることができない開かれた一つのドアを置きました。見なさい。私は、サタンの会堂に属している者、ユダヤ人だと言っているがそうではなく、嘘を言っている人々にこうしよう。見なさい。私は、彼らを汝の足元に来て拝するようにして、私が汝らを愛していたことを知るようにしましょう。汝らは、私の忍耐の言葉を守っていたので、地に住んでいる人々を試みるために、全世界の人々にやって来る誘惑の時から汝らを守るでしょう。見なさい。私はすぐに来ます。汝が持っているものを大事にしていてください。誰も汝の栄誉/冠を奪いません。私は、勝利を得る人を私の神の宮の柱にしましょう。そして、その人は、外に出て行かないでしょう。そして、私は、彼に、天から降って来る新エルサレムにある、私の神の都の名、私の神の名、私の新しい名を記しましょう」(黙示録3:7-12 KJV)

 

14)ラオデキヤ教会へのメッセージ [aodicean:無関心な人]

 「ラオデキヤにある教会の御使いに書いて送りなさい。神の創造の初めの信仰深い真の証人、アーメン(しかり)である方が言っています。私はあなた方の働きを知っています。汝らは冷たいか熱いかではありません。私は、汝らが冷たいか熱いかであってほしいと願っています。汝らはとても生ぬるいので、私は汝らを口から吐き出すでしょう。汝らは「私達は豊かで、良い物資が増えました。これ以上に必要な物はありません」と言っていますが、汝らは、気の毒な者、かわいそうな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることに気づいていません。そこで、私は、あなた方が富む者となるために、私から、火で精錬された金/高貴さと裸の恥をさらさないために白い衣/純潔を買って、見えるようになるために目薬を塗ることを勧めます。

 私が同じように愛している人々をみな、私は譴責して懲らしめています。ですから、熱心になって悔い改めなさい。私は、[あなたの心の]ドアの傍に立って叩いています。誰かが私の声を聞いて、そのドアを開けるなら、私はその人の家の中に入って、そして、私はその人と、また、その人は私と、夕食を共にするでしょう。勝利を得る人には、私が勝利して、私の父の玉座に着いているのと同じように、私は、私の座に私と共に着くことをかなえましょう。耳を持っている人は、聖霊が諸教会に言っていることを聞きましょう」(黙示録1:14-22)

 主はやがてやって来ます。シオンの城壁の上の見張り人は、自分達の神が与えた責任に目覚めるよう呼び掛けられています。神が見張りをするように呼び掛けている人々は、聖霊の力によって、この世界の人々に最後の警告メッセージを伝えるでしょう。その人々は、暗黒の時を宣言するでしょう。主は、見張り人達が、男性達と女性達の眠りが死の眠りにならないように、無関心の眠りから目覚めさせるよう呼び掛けています。


 

5.教育における真理と間違い

 悪の連合の中心的な知性は、人々の意見を見解に大量にもたらすために、また、神の言葉を視野から閉め出すために常に働いています。彼は、私達が神の言っている声「これがその道です。汝らはその中を歩みなさい」(イザヤ)30:21 KJVという声を聞こえなくしようとしています。教育の過程を通して、彼は、天の光/真理を不明瞭にするよう、自分の力を尽くしています。

 

1)哲学的な思索

 認識されていない神に関する哲学的な思索と科学的な調査研究は、多くの若者達を懐疑的にしています。現在の学校において、彼らの科学的な調査研究の結果として到達して得た結論が慎重に教えられ十分に説明されています。一方、それらを研究して得た人々が正しいとすると、聖書を正しいものとすることができないという印象が確かに与えられています。懐疑論が人間の知性を惹きつけるために存在しています。若者達は、その中に想像の魅惑という一つの自立を考えていて、騙されています。サタンは勝利しています。それが勝つようにと彼が意図したように、それを集めています。彼は、若者の心に蒔かれる、あらゆる疑いのタネを与えています。彼は、成長させて成果を生み出すことを目的にしています。やがて、多くの背信の収穫物が取り入れられるでしょう。

 若者達の知性に懐疑論のタネが蒔かれる大きな危険性があるのは、人間の心が悪に傾倒するためです。神の中で信仰が弱くなることは何であれ、魂は誘惑に抵抗するための力を失っています。それは、罪に対する唯一の防御を取り除いています。

 私達は、高等教育と呼ばれるものや、スコラ哲学[キリスト教教義の弁証的研究]の学校を設立するために存在しているのではありません。私達の偉大さは、日々の生活の実践的な体験と純潔さによって、神の栄誉をたたえることにあります。私達は、私達の心と私達の家庭に主を招いて、神と共に歩む必要があります。

2)信仰のない著者達

 多くの人々は、信仰のない著者達の作品は宝石のような思想の輝きがあるので、その書物を研究することは教育を得るために必要なことと考えています。しかし、これらの宝石のような思想の創始者は誰ですか。それは神です。唯一の神です。彼は全ての光の源です。なぜ、すべての真理が私達に指示されている時に、僅かの知的な真理のために、私達は無宗教や異教徒の作品に含まれた多くの間違いを通って行くべきなのですか。

 それらの人々が時々注目する知恵を提示する理由があります。サタン自身が天の法廷で教育されました。そして、彼は悪と同じ善の知識を持っています。彼は、貴いものに卑しいものを混ぜています。そして、これは、彼に騙しの力を与えています。しかし、サタンは、天の光の衣を失ったので、私達は、光の天使の一人として彼を受け入れて良いですか。その誘惑者は、彼の精神/霊を吹き込まれて、彼の方法によって教育されて、彼の働きに繫がった働き人達を持っています。私達は、彼らと協力して良いですか。私達は、教育の知識の要素として、彼の働き人の働きを受け入れて良いですか。

 誰が、清くないものから清いものを取り出すことができますか。誰もいません。私達は、無宗教と無神論者、異教徒の教えによって強く感化された教育を受けている間にクリスチャン品性を発達させること、また、クリスチャン原則を維持することを若者達に期待することができますか。

 無信仰の考えの輝きを捉える夜通しの時間と努力が、神の言葉の貴い事柄の研究に充てられたならば、現在、[霊的な]無知の闇と陰に座っている何千もの多くの人々が、[主の]命の光の栄光を喜ぶでしょう。

 

3)歴史的知識と神学的な知識

 主の働きのために準備しようとしている多くの人々は、歴史的・神学的な書物をたくさん集めることが不可欠だと考えています。その人々は、自分達の働きについての研究が、人々に伝える方法を学ぶ彼らにとって非常に優利になるだろうと考えています。これは間違っています。私は、それらの本が本棚にしまわれているだけだと見ています。それらのあるものは全く読まれることがないと私は考えています。なぜ、パンではないもののためお金を費やすのですか。ヨハネの6章は、それらの作品に見ることができる以上ものを私達に教えています。キリストは「私は命のパンです」「私があなた方に話した言葉は、霊/精神です。そして、それらは命です」(ヨハネ6:35,63)と言っています。

 そこに、咎められることのない歴史の研究があります。[神の民イスラエルの]神聖な歴史は、預言者達の学校の学習の一つでした。主が取り扱ったその民の記録の中に、主ヤハウェ(hwhy)の足跡が描かれました。今日の私達は、この地上の民たちへの神の取り扱いを考察するために存在しています。私達は、[善と悪の]大争闘の最後の闘いのための諸国民の進軍において、行事の進展を理解するために、また、運動の大きな改善の中で神の摂理の働きを研究するために、また、預言の成就の歴史を見るために存在しています。

 しかし、しばしば、多くの本で研究している人々の動機は、魂や知性のための糧をたくさん得るために存在しているのではありません。哲学者や神学者達と知り合いになることは、一つの野心です。また、学んだ言葉や主張によって人々へキリスト教信仰を提示する一つの願望です。

 「私から学んでください」と、かつて知られていた世界で最も偉大な教師は言っています。「汝らは、私の軛(くびき)を負って、私の柔和と謙遜を学んでください」。あなた方の理知的なプライド(自負心:自慢の混じった自尊心)は、命のパンを求めていて、滅びている魂達とのコミュニケーションの働きの助けにならないでしょう。あなた方のそれらの書籍の研究によって、あなた方は、偉大な教師から学んでいる実践的な教訓について、それらに心と知性の場所を占めるようを許しています。この研究の結果によって、人々は養われていません。ほんの僅かな研究と調査が、魂を成功する働き人にする何かを備えるための知性をたいそう疲れさせています。

 普通の仕事で謙虚に生活を送っている男性達と女性達は、易しく理解できる言葉、キリストが教訓として与えた簡潔な言葉を必要としています。救い主は、「貧しい者達に福音を宣べ伝えるため」に来ました。それは、「一般の人々が喜んで彼の話を聞きました」と書かれています。この時のための真理を教えられた人々は、彼が教えた教訓への深い洞察力を必要としていました。

 生きている神の言葉は、あらゆる教育において最も高度なものでした。学んだ聖句は、その引照が不足していて(fall short of the mark.)、洗練されるためと思われる味わいを楽しめるようにデザインしてありました。人々に奉仕の働きをする人々は、命のパンを食する必要があります。これは、彼らに霊的な力を与えるでしょう。彼らが、あらゆる層の人々に奉仕の働きをするように準備ができるでしょう。この教会の霊的なエネルギーと清めは、天から降って来たパンを食することによって支えられています。イエスの足もとで、私達は真の信心の簡潔さを学ぶために存在しています。

 

4)神話と妖精の物語

 子ども達と若い人々の教育において、妖精の物語と神話、架空の物語は、新たに重要な位置を与えられています。この特徴の本は、学校で利用されています。そして、それらは多くの家庭にも見られています。クリスチャンの両親は、どうして、嘘に満ちた本を利用することを許すことができるのでしょう。子どもの両親の教えと全く逆の意味を子ども達が尋ねる時、その答えは、その物語は真実ではないということです。しかし、これは、それらを使う悪い効果を取り去りません。その考え方は、子ども達を間違った方に導いた本の中に現れていました。それらは、架空の願いを生じさせて育成して、命について間違った考え方を授けています。

 この時代にこのような本の利用を広めることは、サタンの狡猾な考案品の一つです。彼は、地上にやって来る事柄に用意する偉大な働きから、若い人と年上の人の知性を逸らそうとしています。彼は、私達の子ども達と若い人達が、この世界に満ちている魂を滅ぼす騙しによって一掃されるよう意図しています。それゆえ、彼は、神の言葉から彼らの知性を逸らそうとしています。そして、このように、彼らが守られる真理の知識を得ることから逸らしています。

 真理を逸脱した内容の本は、決して、子ども達や若者達の前に置かれないようにしましょう。そして、成熟した知性の人々は、そのような本を使わないようにしましょう。彼らはより安全になるでしょう。

 

5)清い湧き水

 私達は、神に関する実在の本をたくさん持っています。知識に渇いている人々は、汚れた泉に行く必要がありません。

 キリストは、福音の中に真理の原則を提示しました。主の教えによって、私達は、神の玉座から溢れ出ている清い流れから飲むでしょう。

 キリストは、ほかの全ての開示を背景にして、以前の開示にまさった知識を人々に授けたことでしょう。彼は、ミステリー/未知の鍵を次々と開けて明るみに出すことができて、時が終わるまで、うまく成し遂げた世代の熱心な考え、活動的な素晴らしい啓示を周りの人々に開示したことでしょう。しかし、彼は、救済の科学の知識の教えを一瞬も忘れることができないでしょう。彼の時間、彼の能力、彼自身の命は、人々の魂の救いを成し遂げるための手段としてだけ利用され、理解されました。彼は、失われた者を捜して救うために来ました。そして、彼は、自分の一つの目的から離れないでしょう。彼は、自分を逸らす者を許しませんでした。

 キリストは、利用される知識だけを与えました。彼の人々への指導は、人々の実際的な生活の状態に合わせて限定されました。物珍しさは、詮索好きな質問を持って、彼の所に来るよう彼らを導きましたが、彼は満足しませんでした。そのような質問を全て、彼は、厳粛で熱心、新鮮なアピールをするための機会にしました。あの知識の木からどうしても摘み取りたかった人々に、主は、命の木の果実を提供しました。彼らは、神が導いている狭い道を除いて、あらゆる道が閉じられたことを知りました。永遠の命の泉のほかは、あらゆる泉が閉鎖されました。

 私達の救い主は、人々の知性が「言われている」や「言われて来た」を繰り返し続けて滅びるだろうという理由から、主の時代のラビの学校に通うことを誰にも勧めませんでした。偉大で確かな知恵が私達を指導している時に、なぜ、私達は高められた知恵の言葉として、人々の不安定な言葉を受け入れるべきなのですか。

 神が私の前に提示した時、私が永遠の事柄を見たこと、また、私が人々の弱さを見たことは、私の知性に印象に強い印象を与えて、私の生き方と品性に強い影響を及ぼしました。私は、人間がどういう点で、高められ、称賛され、たたえられるのかを知りません。私は、なぜ、世俗的な知恵をもつ人々の意見が信頼され高められる必要があるのかという理由も知りません。神性の照明/啓蒙を欠いている人々が、神の計画のアイデアと方法を正すことができるのですか。

 私は、太陽と月に行なうことを指示して、天空を秩序正しく運行するよう星たちに定め、天と地を造った主によって教えられることに快く思っています。私は、信仰のない著者達に行く必要がありません。

 

6)心の教育

 若者達が知性の力の最高の発達に至る必要があると考えることは、若者達のための権利です。私達は、神が限界を定めなかった教育の自由を奪うつもりはありません。しかし、私達の学識は、人間の善意と神の栄誉をたたえるために役立てないならば、全く益がないでしょう。私達の知識が、最高の目的を達するための踏み石でないかぎり、それは価値のないものです。

 私達が必要としているものは、魂と知性を強くするような知識です。それは、私達を、良い男性達、良い女性達につくり変えることでしょう。

 心の教育は、書物から得た教育より最も重要なものに属しています。私達が生きているこの世界の知識を得ることは、本質的なことで良いことです。しかし、私達は、自分達の予想外のところにいつまでもとどまっているならば、私達は決して取り返しのできない失敗をするでしょう。

 強く応用を求める様々な研究の段階において知性に[知識を]詰め込むことは良いことではありません。それでは、実際の生活の中に利用されるようもたらされていません。この種類の教育は、学生のための損失となるでしょう。それらの学習は、学生の希望と好みを奪っているので、学生の責任を果たすために学生の可能な有用さに自分を合わせる必要があります。

 若者達が自分自身の弱さを理解していたならば、神の中に自分達の力を見つけていたことでしょう。彼らが、主によって教えられるように求めているならば、彼らは、主の知恵によって賢明になることでしょう。そして、彼らの生き方は世界の人々のために成果をもたらすでしょう。しかし、彼らが、特殊な研究ともっと世俗的なものに知性を傾けて、そして、このように神から離れるならば、彼らは、豊かな命のすべてを失うことでしょう。


 

6.真の知識を求めることの重要性

[1.働いているのは神]

 私達は、行なっている以上に、私達が繫がっているあの闘いの刑の柱の問題を理解することを必要としています。私達は、人々が絶大なだます者によって逸らされても、私達が知性を許しておく危険性と、神がこの時代の人々のために与えた真理の価値を十分に理解する必要があります。

 私達の贖いのために犠牲を求めた無限の価値は、罪がすさまじく悪いものであるという事実を明らかにしています。罪が人間の身体機能全体を混乱させることを通して、知性は品位を落とし、神のかたちは堕落させられました。罪は、魂の様々な能力の品位を落としました。誘惑は、心の中の情感から答えを見つけることをさせず、その足先をいつの間にか悪の方に向けています。

 私達の味方による義性は完全でした。私達の罪の汚れからの回復は完成されるためにあります。律法が許すような悪の行動はありません。譴責を逃れるような不義はありません。キリストの生涯は律法の全ての指針を完全に成し遂げました。彼は「私は、私の父の戒めを守りました」(ヨハネ15:10 KJV)と言いました。彼の人生は、私達の従順と奉仕の標準です。

 神だけが、人の心を新しくすることができます。「主の最上の喜びのため、あなた方の意思と働きの両方に働いているのは神です」、しかし、私達は「あなた方自身の救いを達成してください」。(フィリピ2:13,12 A.R.V.)と、命じられています[p.62KJVの引用]

 

2)私達の思想を必要とする働き

 周期的な努力やわずかな影響の受けやすさによって作られた品性は、改善できないだけではなく、正しくされることができません。聖化は、一日ではなく、一年でもなく、一生涯の働きです。天と聖化のための闘い、自我の克服のための闘いは終生続く闘いです。休みのない活動と努力の継続なしに、勝利者の栄誉の冠への到達はなく、神性の生活の進展もあり得ません。

 高い状態から人間が堕落したという最も説得力のある根拠は、回復のためにたいそう犠牲を払う必要があるという事実です。その回復の方法は、一インチずつ、一時間ずつ、厳しい闘いによってだけ得られえます。意思の瞬間的な活動によって、人は、悪の力の中に自分自身をおくでしょう。しかし、それらの足枷を砕いて高尚な清い生活に達することは、意思の瞬間の活動以上のことを求めています。その[回復の]目的が作られて、その働きが始められるでしょう。しかし、その達成は、犠牲と忍耐、根気強さ、時間、苦労を求めるでしょう。

 仲間なしの誘惑に囲まれて、私達は、徹底的に抵抗するか、さもなければ、征服されるに違いありません。私達は、自分達の働きがなされない人生の終わりに近づくでしょう。それは永遠の損失となるでしょう。

 パウロの聖化は、自分との闘いの連続の結果でした。彼は「私は日々に死んでいます」(コリント15:35 KJV)と言っています。毎日の彼の意思と彼の希望は、神の意思と義務との闘いでした。生まれつきの傾向につき従う代わりに、彼は、彼自身の生まれながらの性質を十字架につけながら、神の意思を行ないました。

 神は、神の民をひと足、またひと足と導いています。クリスチャン生活は、一つの戦いであり進軍です。この戦いにおいて、解放はありません。その努力には継続と忍耐があって当然です。私達がサタンの誘惑への勝利を保ち続けることは、絶え間ない努力によるものです。クリスチャンの高潔さは、抵抗できないエネルギー/活動力を求められ、断固たる不動の目的を維持して当然です。

 その人自身が味方となって、辛抱強い努力と厳しい[戦い]なしに天上に生まれる人はいないでしょう。すべての人々は、自分自身のためのこの戦いに繫がる義務があります。個々人で、私達は、その闘いの結末に責任があります。ノア、ヨブ、ダニエルは、その国にいました。彼らは自分達の高潔さによって、息子娘として住むことができたことでしょう。

 

 

3)習得するための科学

 習得されるためのキリスト教信仰に関する一つの科学――天が地よりも高いように、どのような人間の科学よりも高度で、広く、深い一つの科学――があります。人間の知性は、鍛錬され、教育され、訓練されるために存在しています。それは、私達が、生まれつきの性向に調和しない方法によって、神への奉仕を行なうために存在しているからです。そこには、勝利しなければならない遺伝的で教育された悪への傾向があります。しばしば、生涯における訓練と教育は捨てられる必要があります。人は、キリストの学校で学ぶ者となるでしょう。私達の心は、神に忠誠を尽くすようになるために教育される必要があります。私達は、誘惑に抵抗することができるだろうと考える習慣をつくるために存在しています。私達は天上を見ることを学ぶ必要があります。神の言葉の原則は、永遠のコンパス/羅針盤、すなわち、天と同じように高い原則です。私達は、自分達の日々の生活でそれら実践して理解するために存在しています。すべての行動、全ての言葉、全ての思想は、これらの原則と調和するように存在しています。

 聖霊の貴い恵みは、瞬間的に発達するのではありません。救うための神の力に動揺しない信頼、信仰、柔和、不屈、勇気は、何年かの体験によって獲得されています。その権利を固く守って清い生活に努めることによって、神の子らは自分達の運命を封印するために存在しています。

 

4)無駄にする時間がない

 私達は、無駄にしている時間がありません。永遠が私達の前に続いています。そのカーテンが引き上げられようとしています。キリストはやがて来るでしょう。神の天使達が地上の事柄から、また、私達自身の事柄から私達を[天井の事柄へと]引き付けようとしています。彼らを無駄に働かせないようにしましょう。

 イエスが、贖いの衣を抜いで、報復の衣を自分にまとって、至聖所から立ち上がる時、その権限が発令されるでしょう。「正しくない人は、正しくないままにさせておきましょう。……義の人は、義のままにさせておきましょう。聖なる人は、聖なるままにさせておきましょう。見なさい。私はすぐに来ます。私の報いは、人の働きに応じて全ての人々に与えるために、私と共にあります」(黙示録22:11,12 KJV)

 その無慈悲な激しい怒りの嵐がやって来ます。私達は、それに立ち向かうための用意ができていましたか。

 私達は、「その最後の日の滅びは、間もなく、私達にやって来るでしょう」と言う必要がありません。すでに、それらはやって来ました。私達は今、食欲や熱中するもの、肉欲の真髄と真の魂を切り離すための主の剣を必要としています。

 様々な人々の知性は、変化の必要から自由な考え方をやめました。「知性の腰に帯を締め、イエスキリストの現れる時に、あなた方のために持って来られる完全な恵みにあなた方の希望をおいて、慎み深くいなさい。従順な子らとして、あなた方の無知な時の強い欲望に従わず、あなた方を呼び出した聖なる方のように、汝らはあらゆる生活の仕方の中で聖なる者となりなさい。なぜなら、それは書かれています。私が聖なる者であるので、汝らは聖となるでしょう」(1ペテロ1:13-16 A.R.V.)。その考え方は、神が中心におかれる必要があります。今は、生まれつきの動物的な心の傾向に勝利するために熱心な努力が尽くされる時代です。

 私達の努力、私達の自己否定、私達の根気強さは、私達が追い求めている目的の無限の価値と釣り合うようになる必要があります。キリストが勝利したように勝利することによってだけ、私達は命の栄誉の冠を勝ち取ることでしょう。

 

5)自己放棄の必要

 人間の重大な危機は、その人の力の源である神から離れて、そして、このように自己満足の放縦や自己欺瞞が存在している時です。私達の生まれつきの傾向は、神の聖霊によって正されない限り、その中に道徳的な死のタネを持っています。私達は、神との生きた繋がりにならない限り、私達は、神聖を汚す自己愛、自己放縦、罪への誘惑に抵抗することができません。

 キリストからの助けを受けるために、私達は、自分達の必要に気付く必要があります。私達は自分自身について、真の知識を持つ必要があります。キリストが救うことができるのは、一人の罪びとであることを自分で知る人だけです。私達が自己信頼を放棄して、まったく無力な自分を見る時、私達は神性の力を手にするでしょう。

 この自己放棄が行なわれるために存在しているのは、クリスチャン生活の始まりだけではありません。天の方へ進展するあらゆる歩みにおいて、それは新たにされるために存在しています。私達のあらゆる良い働きは、私達自身の外側の力に頼っているものです。それゆえに、いつも、神の前で魂を謙遜にして、罪の告白を熱心にして、神に倣って心を届け続ける必要があります。様々な滅びが私達を取り巻いています。そして、私達は、私達を救出する力ある御方を信仰によりしっかりと捉えて、自分達の弱さを感じている時だけ安全です。

 

6)注目を求める高い関心

 私達は、注意を引かれる多くのトピックスから離れる必要があります。そこには、時間を費やし、探究心を引き起こして、ついには、何も得るものがない様々な内容があります。その最も高い関心は、些細な事柄にかなりのエネルギー/活動力と注目を注ぐよう求めています。

 新たな理論を受け入れることは、魂のために新しい命をもたらすことではありません。自分達に重要な理論や事実を知ることでさえ、実用的に役立つものとされない限り、低い価値のものです。私達は、霊的な生命の刺激と栄養となる、自分達の魂の糧を与える自分達の責任を考える必要があります。

 

7)キリストについての個人的な知識

 「神の言葉はみな、聖です。神は、神に信頼を寄せる人々の盾です。神が、汝を咎めないように、そして、汝が偽り者として見られないように、神の言葉に加えてはいけません」(箴言30:5,6 KJV)。

 私達は、神が私達に与えずにおいた方が適している事柄を憶測して言う時に、神の意思を行なっていません。研究のための私達への質問はこうです。「この時代の人々に、愛され、誉められ、従われて、大事に世話されるために存在している真理は何ですか」。科学の愛好者達は、神を探求する努力をして、希望を失って挫折しました。彼らはこの時代の人々のために「私達の魂の救いを勝ち取ることを可能にさせる真理は何ですか」と質問する必要があります。

 キリストは、彼らの心に特別な働きかけを行なう方法によって弟子達に神を啓示しました。このようにして、彼は、私達の心で働くために彼を許すよう、私達に長く強い勧めをしています。神学理論に強く没頭している多くの人々は、救い主の模範の生きた力の視野を失っています。彼らは、謙遜な自己否定の働き人としての視野を失っています。彼らが必要としていることは、イエスを見上げることです。日毎に、私達は、主の自己犠牲と自己放棄の模範に密接について行く必要があります。

 私達は、パウロが書いた時にした体験をする必要があります。「私はキリストと共に十字架につけられています。それにもかかわらず、生きているのは私ではありません。キリストが私の中に生きています。今私がこの肉の中で生きているこの命、私は、神の息子の信仰によって生きています」(ガラテヤ2:20 KJV)。

 品性に現れたイエスキリストと神の知識は、全ての者の上に高められ、天や地において評価されています。それは、非常に高度な教育です。それは、天の都の門を開くカギです。この知識は神の目的です。キリストを抱いている全ての人々が[それを]持てるでしょうThis knowledge it is God's purpose that all who put on Christ shall possess.

 主のための奉仕の働き人として繫がっている私達の[教会の]牧師達、医師達、教師達、そして、ほかの人々のみなさんに、私は伝えるためのメッセージを持っています。主は、あなた方に、高い清さの標準に達するよう、高きに行くよう命じています。あなた方は、かつて考えていた以上に、意味のある体験をする必要があります。すでに神の偉大な家族のメンバーである多くの人々は、栄光から栄光へと変えられることと、主の栄光を見上げることの意味について少し知っています。あなた方の内の多くの人々は、キリストの卓越さについて、かすかな認識を持っています。そして、あなた方の魂は喜びに感動しています。あなた方は、救い主の愛に深い感動が満たされることを望んでいます。あなた方は満たされていません。しかし、絶望する必要はありません。イエスに、最良の心と清い思いを与えてください。あらゆる光の筋を尊びましょう。神に倣うように、魂達の全ての希望を育てましょう。聖なる交わりと霊的な思想の教養を自分に与えましょう。あなたは、初めに降った主の栄光の初めの光の筋だけを見ました。あなたが、主を知るために従った時、あなたは、その朝に用意されているように、主が出ていくことを知るでしょう。「正しい者の道は、夜明けの光のようです。その光は増して、完全な一日になります」(箴言4:18 R.V.欄外)。私達は罪の悔い改めをして、それらを告白して、そして、許しを見つけましょう。私達は、福音信仰が完全で最高点に達するまで、キリストについて学び続けるために存在しています。


 

7.神の言葉を通して受けた知識

[1.聖書は品性を変容させる手段]

 聖書全体は、キリストにある神の栄光の一つの啓示です。受け入れられて信じられ、従われたそれは、品性を変容させる偉大な手段です。また、それは唯一の理知的な教養の確かな宝です。

 若者達と、成人年齢の人々でさえ、罪と誘惑に安易に導かれている理由は、彼らが神の言葉を研究せず、それをすべき時に熟考していないためです。神の言葉の神聖な指導への無関心の結果、確固とした決意の力が欠如しているために、それは、品性と生活に現れています。彼らは、清くなく真実でないものを避けて、聖なる教えと清さを授けるようにと知性に教えるだけで、熱意という努力だけしかしていません。マリヤがしたように、神性の大教師から学ぶために良い場所を選んでイエスの足もとに座る僅かな人々がいます。その人々の生活の実践と心の中に、僅かな主の言葉が宝として蓄えられました。

 受け入れられた聖書の真理は、世俗的で品位の低い人の知性を引き上げるでしょう。神の言葉が、それが本来あるように認識されていたならば、若い人達も老人達も、原則を守る力や生まれつきの清廉潔白さを持っていたことでしょう。それは、彼らにとって誘惑に抵抗することを可能にしたことでしょう。

 聖なる御言葉の貴重な事柄を書いて人々に教えましょう。その思想と才能、脳の力の利発的な働きは、神の思想の研究から与えられます。人間の憶測による哲学ではなく、真理である主の哲学を研究してください。

 地上にいる人の知性は、神の言葉を熟考する喜びを見つけていません。しかし、その知性が聖霊によって新たにされたならば、神性の美と天上の光が神聖な書物から輝き出るでしょう。荒廃した荒れ野だった世俗的な知性は、霊的な知性の、生きた流れの土地となります。

 

 

2)私達の子ども達が与えられるために

 神の言葉の中に啓示された主の知識は、私達の子ども達が与えられるための知識です。理性[考える能力]の初期から、子ども達はイエスの生涯とその名と親しくされるでしょう。子ども達に与えられる最初のレッスン/教訓は、神が子どもらの父であるということです。子ども達の最初のトレーニング/練習は、従順を愛するように教えることでしょう。興味を目覚めさせるために、子どもの理解力に適した箇所をうやうやしく、優しく、神の言葉が子ども達に繰り返して読まれるようにしましょう。すべてにまさって、キリストの中に現された神の愛とその偉大なレッスンを子ども達に学ばせましょう。

 「神が私達をとても愛したとすると、私達もまたほかの人を愛して当然です」(1ヨハネ4:11 KJV)。

 若者達に、神の言葉を魂と知性の食物として与えましょう。キリストの十字架をすべての学習と全ての教授の中心、あらゆる教育に属する科学にしましょう。それを、日々の実際的な生活に取り入れるようにしましょう。救い主が若者達の日毎の仲間や友人となるでしょう。あらゆる考えは、キリストへの従順の虜へと連れて行くでしょう。使徒パウロと共に人々は、こう言うことができるでしょう。

 「神が命じました。私は、私達のイエスキリストの十字架にある救いを誉めたたえます。この世界の人々は私を十字架につけています。私は、この世界の人々を[十字架につけています](ガラテヤ6:14 KJV)

 

3)経験的な知識

 このように、信仰を通して、人々は経験的な知識によって神を知るために来るでしょう。彼らは、主の約束の真実と神の言葉の現実的なことを自分のために証明しました。彼らは、[体験して]味わいました。そして、主が、善意の方であることを知りました。

 最も愛されたヨハネは、自身の体験を通して得た知識を持っていました。彼はこのように証をすることができました。

 「命の言葉に関して、私達が見て自分の手で触れたもの、私達が自分の目で見ていたもの、私達が聞いたもの、それらは初めから存在していたものでした。(この命が現れて私達はそれを見たので、その永遠の命をあなた方に示して、証を伝えます。その命は、天の父と共にいて、私達に現されました)。私達が見て聞いたその命をあなた方に伝えます。汝らもまた私達の友情を結ぶことができるでしょう。私達の真の友情は、神の息子イエスキリストとその父とのものと一緒です」(1ヨハネ1:1-3 KJV)

 「神が真実であることを自分で封印して認めました」(ヨハネ3:33 A.R.V)という彼自身の体験を通して、全ての人々が可能になるでしょう。ヨハネは、自分自身が見て聞いて感じたキリストの力について証を伝えることができました。彼は、こう証をしています。

 「私は、助けを必要としていました。そして、私は、それをイエスの中に見つけ出しました。望んだものはみな提供されました。私の魂の飢えは満たされました。聖書は、私にキリストを啓示するために存在しています。私は、彼が神性の救い主として存在しているので、イエスを信じています。私は、聖書が私の魂のための神の声であることを見つけ出したので、聖書を信じています」。

 

4)素晴らしい可能性

 神の品性の明瞭な啓示によって、高く、より高くに到達することは、私達の特権です。モーセが「私は、そなたに懇願します。そなたの栄光を私に示してください」(出エジプト33:18 KJV)と祈った時、主は、彼を咎めませんでした。主は、彼の祈りをかなえました。主は、その奉仕者達に「私は、汝らの前に、私の善意の良い物をみな通り過ぎらせるでしょう。また、汝らの前に主ヤハウェ(hwhy)の名を宣言するでしょう」(出エジプト33:19 A.R.V.)と宣言しました。

 私達の知性の無知とはっきりしない知覚力は罪です。罪が私達の心から清められる時、イエスキリストの顔にある神の栄光の知識の光は、生まれつきの人の顔から反映された主の言葉が輝いています。とても「憐れみと恵み、長く忍耐して、慈しみと誠実にあふれている」神を宣言しているでしょう。

 私達は、主の光の中に、知性と心と魂が主の清い姿に変えられるまで、光を見るでしょう。

 素晴らしい可能性が、神の言葉の神性な保証を手にしている人々に開かれています。神の人々の前に、来るための栄光の真理があります。聖書の中にあると疑わない義務と特権がその人々の前に開かれているでしょう。人々が、主の意思を行ない、従順に謙虚な道をついていく時、彼らは神の権威ある言葉を徐々に知るでしょう。

 聖書を研究する者は、自分のガイドとして聖書を研究して、岩のような原則に立ちましょう。その人は、何らかの高きに到達することを切望するでしょう。生来の人間の哲学者達は困惑に導きました。そして、神がすべてを認めなかった時に恥じ入りました。しかし、神が霊感を与えた貴い信仰は、力と高貴な品性を与えています。主の慈しみと主の憐れみ、主の愛が宿る時、真理の知覚が段々と明瞭になるでしょう。思想が清明になり、心の清らかさの望みが高く、清らかになっていくでしょう。清らかな考えの純粋な雰囲気を宿している魂は、主の言葉の研究を通して、神と交わって変えられています。真理は、とても寛大で、とても遠大、とても深遠で、とても広く、自己はその視界を見失います。人の心は和らげられて、愛と親切と謙虚に導かれています。

 そして、生まれつきの能力は、聖なる従順のゆえにさらに大きく成長しています。命の言葉の研究から、研究する者達は、知性を広げて、高めて、高貴になっているでしょう。その人々が、ダニエルのように、神の言葉を聞く者であり、行なう者であるならば、その人々は、全ての学びの分派の中で行なったように発達できるでしょう。清い知性の存在者として、剛健な知性の人になるでしょう。理知的な能力はみな、活気づけられるでしょう。自分をたいそう教育し訓練できるでしょう。その人々が受けるあらゆる感化の範囲の中で、神に繫がっている時に、行なうことのできること、人間にできることを見るでしょう。

 

5)神の言葉を受け入れる成果

 これは、神の言葉の知識を通して得た詩編記者の体験でした。こう言っています。

 

主ヤハウェ(hwhy)の律法の中を歩む人、

正しい道を歩む人は、祝福されています。

心を尽くして主を求めて、

主の証を守る人々は、祝福されています。……

そなたの成文法を守るように、

私の道は確立しました。

私が、そなたの戒めを尊敬した時に、

私は、辱めを受けないでしょう。詩編119:1-6欄外

 

どのようにして、若い人は自分の道を清くできるでしょうか。

そなたの言葉によって、さらに、心に留めることによってです。詩編119:9

私は信仰の道を守りました。

私は自分の前に、そなたの掟を起きました。詩編119:30

私は、あなたに反して罪を犯さないように、

私は心の中に、そなたの言葉を蓄えました。詩編119:11

私は、あなたの教訓を求めたので、

私は、自由に歩むでしょう。詩編119:45

 

そなたが私の目を開いてください。内から外まで、

そなたの律法の素晴らしいことを私は見上げるでしょう。詩編119:18

そなたの証は、私を喜ばせます。

そして、私のカウンセラーです。詩編119:24

そなたの口から出た律法は、

幾千の金と銀よりも、私に良いものです。詩編119:72

私は、そなたの律法をとても愛しています。

私の思いは、一日中、それにあります。詩編119:97

 

そなたの成文法は、私の巡礼の旅の家で、

私の歌でした。         詩編119:54

そなたの証は、素晴らしいです。

それゆえ、私の魂は、それを守ります。詩編119:129

そなたの言葉を開けると、光を放ちます。

それは、素朴な人に理解力を与えます。詩編119:130

 

そなたの戒めは、いつも私と共にあるので、

私の敵よりも私を賢くします。

そなたの証は、私の思いになっているので、

私は、自分のすべての教師達よりも理解力があります。

私は、そなたの掟を守って来たので、

私は、年上の人よりも理解力があります。……

そなたの掟を通して、私は理解力を得ました。

それゆえ、私は、あらゆる偽りの道を嫌っています。詩編119:98-104

 

あなたの言葉は、とても清らかです。それゆえ、

そなたに仕える者達は、その言葉を愛しています。詩編119:140

そなたの言葉はみな、真実です。

そなたの正しい定めはみな、永遠に持続するでしょう。詩編119:160

 

そなたの律法を愛する人々は、大いなる平安を持っています。

そして、彼らはつまずきの理由も持っていません。

主ヤハウェ(hwhy)、私はそなたの救いを期待しました。

私は、そなたの戒めを行いました。

私の魂は、そなたの証を守りました。

そして、私は、それらをとても愛しています。詩編119:165-167

 

主ヤハウェ(hwhy)、私はそなたの救いを望んでいました。

そして、そなたの律法は、私の喜びです。

私の魂を活かしてください。そなたを誉めたたえるでしょう。

そなたの掟が、私を助けるようにしてください。詩編119:174-175

私は、そなたの証を永遠の信仰遺産として持っていました。

それらは、私の心の喜びです。         詩編119:111

 

6)自然界についての研究による支援

 個人的な体験を通して、神の言葉と神についての知識を持っている人は、自然科学の研究に繫がるように備えられています。キリストについて、このように書かれています。「彼の中に、命がありました。そして、その命は人々の特別な光でした」(ヨハネ1:4 KJV)。エデンでアダムとエバが神聖な衣を失った時、二人は自然界を照らしていた光を失いました。二人は、もはやそれを正しく読んで研究することができないでしょう。しかし、キリストの命の光を受けている人々のゆえに、自然界は再び照明され教化されました。十字架から輝いている光によって、私達は、自然界からの教訓を正しく認識できています。

 神の言葉と神の知識を持っている人は、聖なる御言葉の神性に信仰を置いています。その人は、人間の科学の考え方によって、聖書をテストしていません。その人は、間違った基準のテストをそれらの考えに取り入れています。彼は、神の言葉が真理であること、また、真理はそれ自身決して矛盾しないことを知っています。神が啓示している真理と対立していると言われている科学の教えは何であれ、単なる人間の思いつきです。

 真の知恵のために、科学的な研究は、情報と思想の分野を広く開いています。主による人間の扱いと自然界に啓示した神の方法は、キリストの学校の全ての生徒は呼び出されて、大事なものを構成しています(The ways of God as revealed in the natural world and in His dealings with man constitute a treasury from which every student in the school of Christ may draw.)

                     

 生きている神についての現実的な根拠は、単なる理論にあるのではありません。それは、神が主の言葉によって説明され照明/啓蒙され、神が私達の心に記したという確信にあります。それは、主の聖霊が光を与えて啓蒙し両目で確認され、主が創った作品の生きている力の中にあります。

 主の手の技から神を評価している人々は、高い地位の人についての熟考ではなく、全てのことに主の現れを見ています。彼らは、秋の実った畑にいる人への主の愛とケア、主の笑顔に太陽の陽気さを見ています。地上の装飾品でさえ、生きている緑の草木、あらゆる色調の可愛い花たち、森の高い木や様々な木々、さらさら流れる小川、ゆったり流れる川、穏やかな湖は、主の子らを幸にしたいという望みと、父親のような神のケア、優しさを証しています。

 

7)神性の未知のための自然界のカギ

 研究者は、自分にやって来た真理の新たな認識、自然界の事柄をこのように熟考しています。自然界についての神の偉大な本の中にある教えは、書かれた言葉の真理を証して伝えています。

 贖いの計画において、そこには、人間の知恵が説明できない多くの事柄、人間の知性が推測できない様々な未知があります。しかし、あらゆる低木はみな、果実を実らす木はみな、野菜達はみな、私達の学習のための教訓を持っています。種の発芽は、神の王国の未知が読まれるために存在しています。

 神の恵みによって、心がやわらかくされるために、太陽、月、星たち、木たち、野原の花たちは、勧めの言葉を発しています。タネを蒔くことは、知性に霊的にタネを蒔くことの意味を含んでいます。木は、良い木が悪い果実を実らせることができないし、悪い木が良い果実を実らせることができないことを宣言しています。「汝らは、その果実によって木が分かるでしょう」(マタイ7:16 KJV)。スズメノエンドウ(有毒な雑草)でさえも教訓を持っています。それらはサタンが蒔いたものです。チェックされないで取り残されると、それらが繁茂することによって、麦は損害を受けるでしょう。

 父親、母親のみなさん、神の力の素晴らしい働きをその子ども達に教えてください。神の力は全ての植物、果実を実らす全ての木に現れています。子ども達をその果樹園に連れて行って、神がそのタネからどうして成長したかの理由を説明してください。農夫は、畑の土を耕してタネを蒔きます。しかし、彼は、そのタネを発芽させることができません。彼は、人間の力ができないことを行なうために神に頼る必要があります。主は、それが生命へと発芽する理由と、主自身の霊をその種の中においています。主のケアの下でそのタネの発芽が始まり、成長して行って、果実が実ります。

 子ども達が、自然からの偉大な教科書から学ぶ時、神は子ども達の知性に感動を与えています。子ども達が、そのタネのために神が行っている働きを語る時、子ども達は恵みの内の成長の謎を学んでいます。正しく理解された教訓は、神に親しく触れるよう心をもたらす聖なる真理を簡潔に教えて、創造主に導いています。

 

8)従順の教訓

 自然界のための神の法則は、自然界によって従われています。雲と嵐、陽射しと降雨、露と雨はみな、神の管理の下にあり、神の戒めへの従順に明け渡しています。神の法則への従順によって、穀粒の発芽は地中に生じています。「初めに葉、次に穂、その後に葉の中にコーン/実」(マルコ4:28 KJV)。その実は、初めにつぼみが見られます。それは主の働きに抵抗しないので、主は季節に合わせて生長させています。鳥たちは、道のないコースを無限の手の力によって、大陸から大陸へと渡りをしている時に、神の目的を満たしています。

 神のかたちimageに造られた人間は、論理的思考と話すことの努力をしていて、主の律法に不従順で、主の贈り物の真価を理解していないだけだということがありえますか。主と協同するように相応しくされて、高尚にされ高貴にされるような人々は、私達の世界の人々と混雑する原因となり、品性に不完全さが残るのでなはないですか。神が犠牲を払って得た相続遺産の魂達と身体達は、清くない行動と世俗の絆の習慣によって妨げられていませんか。彼らは、全てをうまく成し遂げた主の美徳を反映していないでしょう。主の恵みを通して、不完全な人間は、主の最後の祝祷を聞くことでしょう。「よくやった。汝は良い忠実な奉仕者でした。……汝は、汝の主の喜びに入って……」(マタイ25:21 KJV)

 神は、私達に自然界から従順の教訓を学ぶようにと望んでいます。

 

さて、獣たちに尋ねてください。彼らは汝に教えるでしょう。

また、大空の鳥たちも、汝に語るでしょう。

あるいは、地に話しかけてください。それは汝に教えるでしょう。

また、海の魚たちが、汝に言うでしょう。

主ヤハウェ(hwhy)の手が働いていたことを

それらのすべてにおいて、知らない人は誰でしょうか。ヨブ記12:7-9 A.R.V.

神は、知恵です。力です。

彼は、勧めと理解力を持っています。ヨブ記12:13 A.R.V.

 

主ヤハウェ(hwhy)の律法を喜んでいる者は、祝福された人です。詩編1-1 A.R.V.

彼は、川の流れのほとりに植えられた木のようになるでしょう。

その木々の葉は、枯れることがありません。

そして、どの木もよく茂るでしょう。         詩編1:3,4 A.R.V.

                      

 自然界の教科書と書かれた言葉は、一人一人の上に光を照らしています。そのどちらも、私達に、主の働きを通して律法について、また、主の品性について、私達に教えて、神を深く熟知するようにしています。

 

9)やがて訪れる生活における教育

 現世で始まった教育は、この世の人生では完成されないでしょう。その教育は、決して完成されず、いつまでも進展し続けて、永遠に向かって続いているでしょう。一日いちにち、神のその素晴らしい働きと、この全宇宙を創造して支えている主の奇跡的な力の根源は、新たな美しさを人々の知性の前に開示するでしょう。玉座からの輝きの光によって、様々な未知は解消するでしょう。そして、魂[人々]は、以前には決して理解されなかった事柄の簡潔さという驚きに充たされるでしょう。

 今、私達は、眼鏡を通して見ています。おぼろげに、しかし、顔と顔を合わせる時、今、私達は、一部を知っています。しかし、その時、私達は、私達が知られているように知るでしょう。


 

8.私達の大きな必要

 品性の変容の働きをする神の知識は、私達がとても必要としているものです。私達が、主の目的を満たしているならば、私達の生活に主の言葉の教えに協力するような神の啓示があるに違いありません。

 エノクとバプテスマのヨハネの体験は、私達のあるべき姿を表しています。私達が行なっている以上のことを、私達は、キリストの初臨の前に、死を見ないで天に移された人々、主の道を正しく真っすぐにするため、主の道を用意するために呼び出された人々、――それらの人々の生き方から学ぶ必要があります。

 

1)エノクの体験

 エノクについて、このように書かれています。彼は65年間生きて一人の息子の父親となりました。その後、彼は300年間、神と共に歩みました。それらの初期の年々の間、エノクは神を愛し、神を畏れました。そして、主の戒めを守りました。しかし、長男が生まれた後で、彼は高度な体験に到達しました。彼は、神との親密な関係に引かれました。彼が、自分の保護への純真な信頼、父親への子ども達の愛情を見た時、長男への彼の心の優しい愛情をいたく感じました。彼は、神の子らが天の父においている信頼と、神の息子を人間に贈った素晴らしい神の愛の貴い教訓を学びました。キリストを通した無限の計り知れない神の愛が、昼も夜も彼の熟考のテーマとなりました。彼の魂の熱情共に、彼は、自分が住んでいた間の人々への愛の開示を求めました。

 神と共に歩むエノクは、trance神がかり状態やvision幻ではなく、彼の日常生活の義務の中にいました。彼は、世間の人々からひたすら自分自身を閉ざすような隠遁生活者にもなりませんでした。彼は、世間の人々の中で、神のために行なう働きを持っていました。家族の中で、また、人々との交わりにおいて、夫として、父親として、友人として、市民として、彼は確固とした、神への揺るがない奉仕者でした。

 彼の信仰は、世紀を超えて次第に強くなり、彼の愛は燃えるようになりました。彼にとって、祈りは魂の呼吸のようなものでした。彼は、天の雰囲気の中で生きました。

 将来の場面が彼の視界に開示された時、エノクは、警告の言葉を聞きたいと思っているあらゆる人々に神のメッセージを伝える義の説教者の一人になりました。神性の臨在から逃れようとしていたカインの土地にいて、神の預言者エノクは、彼の前を通り過ぎた幻の有名な素晴らしい場面を見ました。彼はこう言いました。「見上げなさい。主は、不信心な行ないをする者達の間にいるすべての不信心な人々に有罪を宣告して、すべての人々に裁きを執行するために、数万の主の聖徒達と共にやって来ます」(ユダ14,15 KJV)。

 主に仕える者と共に働いた神の力は、これらを聞いた人々によって感じられました。ある者は、その警告を心に留めて罪を捨てました。しかし、多くの者達は、その厳粛なメッセージを嘲りました。その神に仕える者は、最後の日に世界の人々へ同じメッセージを伝えるために存在しています。そして、それは、嘲る者と不信心者に受け入れられるでしょう。

 年が経つにつれて、人間の罪の風潮が益々ひどくなって、神性の裁きの雲が益々濃くなってきました。また、信仰の証人エノクは、名誉回復のために鍵をかけて、罪の風潮から立ち返るよう訴えて、警告して教え、説き勧める自分の道を歩みました。

 その世代の人々は、この世の宝/財産を築こうとせず、金や銀を集めようとしなかった彼の愚かさを嘲りました。しかし、エノクの心は、永遠の宝にありました。彼は、天の都を見ていました。彼は、シオンの真ん中の主の栄光の中の王を見ていました。ひどく不正な財産以上にあこがれていたものは、神の家への彼の望みでした。地上にいる間に、彼は、信仰によって、光の国に住んでいました。

 「心の清い人々は祝福されています。その人々は神を見るでしょう」(マタイ5:8 KJV)。300年間、エノクは心の清さを求めていました。彼は、天と調和しているでしょう。3世紀の間、彼は神と共に歩みました。益々近く、神が彼を自分に取るまで、日毎に、彼は親しく結ばれることを望んでいました。彼は、祝福された国と彼の間は一歩だけで、永遠の世界の玄関口に立っていました。今、その門たちは開かれています。神と共に歩み、地上でとても長く追い求め続けました。そして、そこに入る人々の間で最初に、彼はその聖なる都の数々の門から入りました。

 「信仰によって、エノクは、死を見ないで天に移されました。……彼が天に移される前に、彼はこの証をしました。彼は神の喜びでした」(ヘブライ11:5 KJV)。

 神は、そのような交わりをすることを、私達に呼び掛けています。エノクに存在していた品性は、主の再臨の時に、人々の間から贖われる人々の聖なる品性となるに違いありません(As was Enoch's must be their holiness of character who shall be redeemed form among men at the Lord's second coming.)

 

2)バプテスマのヨハネの体験

 荒れ野で生活していたバプテスマのヨハネは、神について教えられました。彼は、自然界の中で、神について啓示されたものを研究しました。神性の霊の開示の下で、彼は、預言者達が書いた巻物を使って研究しました。一日、一夜毎、知性と心と魂が栄光の幻/先見の明に満たされるまで、キリストが自分の研究と自分の熟考の対象でした。

 彼は、主の美徳の中に王を見ました。そして、自我は視界から消え失せました。彼は、聖なる権威を見て、価値がなく役に立たない自分自身を知りました。彼は、神のメッセージを宣言するために存在していました。彼が立ち上がるための力は、主の義と神の力の中にありました。彼は、神性を見ていたので、人間によって畏敬の念を示されない天からのメッセンジャーとして、出て行くための順備をしました。彼は、恐れおののいて、王達の王の前にひざまずいていたので、地上の君主達の臨席の中に恐れなく立つでしょう。

 入念でない論点やきめの細かくない理論によって、ヨハネは自分のメッセージを宣布しました。びっくりさせられ、厳しい、また、希望に満ちた彼の声は、荒野から聞かれました。「汝らは悔い改めなさい。天の王国は手近にあります」(マタイ3:2 KJV)。新しくて、不思議な力によって、それは人々を動かしました。国の民全体が揺り動かされました。群衆が荒野へと群れて続きました。

 近くの町から無学な農民達と漁師達が、ヘロデ王の兵舎からローマ兵士達が、彼らのそばには剣を持った隊長達が、いくぶん反乱のような動きを鎮めるための準備をして、強欲な収税人達が自分達の道具小屋から、教札を持った祭司達がユダヤ教の最高議会/サンヘドリンから来て――ファリサイ派の者やサドカイ派の者、冷淡な者、感動しない盗賊でさえ、自分達の罪の感覚を心で冷笑して沈黙して断って、出かけて行って、魅了されたように、みな聞きました。ヘロデは、自分の居る場所で、そのメッセージを聞きました。その高慢な罪に固まった支配者は悔い改めへの呼びかけに怒りで震えました。

 今のこの時代において、天の群集と共に来るキリスト再臨の前に、ヨハネと同じ働きが行なわれるために存在しています。神は、大いなる主の日に立つための一つの人々()を用意するよう人々に呼び掛けています。キリストの[地上での]一般的な奉仕の働きに先立つメッセージは、「悔い改めてください。税取り立て人と罪びと達のみなさん、悔い改めください。パリサイ派とサドカイ派のみなさん。‟汝らは悔い改めてください。神の王国は手近にあります”」でした。キリストがやがて現れることを信じている一つの人々()として、私達は、伝えるための一つのメッセージを持っています。――「汝の神に会う備えをしましょう」(アモス4:12 KJV)。私達のメッセージは、ヨハネのメッセージと同じく率直であって当然です。彼は、王達を不正の故に譴責しました。

 彼[ヨハネ]の生命は危険にさらされていたにもかかわらず、神の言葉を宣言することをためらいませんでした。私達のこの時代の人々のための働きは忠実に行なわれる必要があります。ヨハネが与えたように、一つのメッセージを与えるために、私達は彼のような霊的な体験を持つ必要があります。それと同じ働きが私達によって行なわれる必要があります。私達は、主を見て自我の視界を消して、神を見上げる必要があります。

 ヨハネは、人間性の一般的な弱さと欠点の性質を持っていました。しかし、神性の愛の接触は、彼を変容させました。キリストの奉仕の働きを始めた後で、ヨハネの弟子達は、人々がみな、新しい教師[イエス]について行っているという不満を持って彼の所に来ました。ヨハネはイエスとメシヤの関係をどれほど明確に理解していたかを示しました。彼はどれほど喜んで、自分が用意した道に来た御方を歓迎したことでしょう。

 彼は言いました。「人は、天から与えられるもの以外は、何物も受けることができません。汝らは、私が、‟私はキリストではなく、私は彼の前に遣わされた者です”と言ったことをあなた方自身が私に証をして伝えています。花嫁を持つ者は花婿です。花婿の友人は横に立って彼の声を聞きます。花婿の声のゆえにとても喜びます。このように私の喜びは、それゆえに、満たされています。彼は必ず栄えます。しかし、私は衰えます」(ヨハネ3:27-30 KJV)。

 信仰によって、その贖い主を見ていると、ヨハネは自己放棄/克己の高さに達していました。彼は、人々を自分自身に惹きつけようとしないで、人々が神の子羊に安らぐまで、その思想を高く、もっと高くしようとしました。彼は、自分自身を荒野での一つの声、唯一の声にしました。喜びによって、彼は沈黙と無名を受け入れました。すべての人々の視線は、命の光[]へと向けられたことでしょう。

 神のためのメッセンジャーとして、真理を人々に呼びかけるために存在している人々は、自分自身のための栄誉を求めていないでしょう。自分のための愛はキリストのための愛の中に吸収されるでしょう。人々は、バプテスマのヨハネが「世界の人々の罪を取り除く神の子羊を見てください」(ヨハネ1:29 KJV)と言ったように、それは宣布するための自分達の働きであることを認めるでしょう。人々は、イエスを掲げるでしょう。そして、彼の人間性が掲げられるでしょう。「その名を聖という、永遠に住んでいる高貴で高尚な御方が言っています。私は、悔い改めた人々の心をよみがえらせるために、また、謙虚な精神をよみがえらせるために、謙虚な精神と悔い改めた人々に属している人と共に、いと高き聖なる場所に住んでいます」(イザヤ57:15 KJV)

 自我が空になっていたその預言者の魂は、神性の光に満たされました。キリスト自身の言葉とまったく同一の言葉の中に、彼は、救い主の栄光の証を伝えました。彼は「天上から来た彼は、すべての者の上にいます。地上にいる人は世俗的で、地上のことについて語っています。……神が送った彼[キリスト]は神の言葉を語るので、また、神は彼に聖霊を計らずに与えるので、天から来る彼は全ての者の上に存在しています」(ヨハネ3:31,34 KJV)

 キリストに就く者達はみな、彼のこの栄光を分かち合うために存在しています。救い主はこのように言っています。「私は自分自身の意思ではなく、私を遣わした天の父の意思を求めています」(ヨハネ5:30 KJV)。「そして」、ヨハネは「天の父は彼に聖霊を計らずに与える」と言っています。キリストに就く人々もそうです。私達は、快く自分が空にされるようにしている時だけ天の光/真理を受けることができます。私達は、私達がキリストの従順についてのあらゆる考えの虜となることに同意する時だけ、信仰によってキリストを受け入れて、神の品性を識別することができます。このことを行なう全ての人のために、主の聖霊が計られることなく与えられます。「キリストの中に、神(父・子・聖霊)の全体が満ちて宿っています。汝らは、彼の中で完全です。それは、全ての力と権限の特別な長です」(コロサイ2:9,10 KJV)

 

3)神の約束

 自分から快く謙虚にされようとしている全ての人々のために、神の約束が与えられています。「私は、汝らの前に、私の善意の良い物をみな通り過ぎらせるでしょう。また、汝らの前に主ヤハウェ(hwhy)の名を宣言するでしょう」(出エジプト33:19 A.R.V.)

 「私を呼んでください。私は汝らに答えるでしょう。そして、汝らが知らない、力あることと偉大なことを示すでしょう」(エレミヤ33:3 KJV)。

 「私達がいろいろなことを求めたり考えたりする以上に、はるかに優っている[知恵と知識]」(エフェソ3:20 KJV)は、私達に与えられるでしょう。「知恵の霊と主の知識の啓示」(エフェソ1:17 KJV)は、「すべての聖徒達と共に、その広さと長さ、深さと高を理解できるでしょう」(エフェソ3:18 KJV)。私達は、「神に満ちているあらゆるものに満たされるでしょう」(エフェソ3:19 KJV)。

 これは、神が私達に受けるようにと招いている知識です。わきにあるそのほかのものは、空虚な価値のないものです。


 



[1] この章に収録された記事は、189418951898年にバトルクリーク教会のメンバー達に送られ、リーフレットの形で初めて出版された最初の証から引用されています。

[2] 訳者加筆。KJVはルカ15:4を「within the hold囲いの中に」と訳していますが、NKJVでは「does he not leave 」と修正されています。「囲いの中」は誤訳と理解したようです。同じKJVはマタイ18:12では「doth he not leave (残して……行かないであろうか)と訳しています。

 口語訳;新共同訳は「山に残しておいて」、新改訳は「山に残して」と訳しています。譬え話なので「たとえ残してでも」という意味なのでしょう。この譬え話を「良い羊飼い」に着目すると、①99匹にも1匹にも愛情のない羊飼い、②99匹に愛情があるが1匹には愛情のない羊飼い、③1匹に愛情があるが99匹には愛情のない羊飼い、④99匹にも1匹にも愛情のある羊飼いが考えられます。④が良い羊飼いでしょう。

[3] 190110月「レビュー&ヘラルド運営委員会」参照

[4]訳者加筆。E.ホワイトは58-60歳時にヨーロッパ伝道旅行をしました。『エレン・G・ホワイト百科事典』(2013)によると、ニューヨークを発ったのが188587()、イングランドに着いたのが818日です。2年後、ニューヨークに着いたのは、1887811日です。この旅行には、息子のウィリアムと妻と子供、複数の通訳者、文筆アシスタント、看護師が同行しました。

[5] 訳者加筆。「law」は法則や法律という意味です。本書では、神が人間に与えたものは「律法」、神が自然界に与えたものは「法則」、人間が作ったものは「法律」と訳し分けています。

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