セレクテッドメッセージ 第2巻 第二部

6部 慰めと励まし(続き)

 


2.マリアン・デイビス1847-1904

 彼女は、メイン州ノースベリックで1847821

日に生まれました。幼い時に彼女は、安息日遵守のア

ドベンチストになった両親に従いました。1868年、マ

リアンの家族は、ミシガン州バトルクリークに転居し

ました。そこで初めて、ジェームズとエレン・ホワイ

トの知り合いになりました。

 1年間その地域の小学校で教師をしましたが、マリアンの健康は、まったく衰弱しました。祈りに応えられて癒されたのち、彼女は、「レビュー&ヘラルド」で校正の仕事をして数年間働きました。1879年の元旦、マリアンはテキサス州デニソンで、ホワイト夫妻の文筆助手に加わりました。その後、長い間、エレン・ホワイトの文筆アシスタントをしました。

 18858月に、エレン・ホワイトがヨーロッパに行った時、マリアンは、エレン・ホワイトの事業の保護のために、6か月間、バトルクリークの出版所の近くに残りました。18862月、彼女はスイスのバーゼルでエレン・ホワイトの一行に合流しました。1887年に彼女ら彼らがバトルクリークに戻った後、マリアンは、ミシガン州、カリフォルニア州ヒルズバーグ、オーストラリア、カリフォルニア州セント ヘレナの郊外のエルムスヘイブンと、最期まで、エレン・ホワイトと共に暮らし続けました。

 彼女は、エレン・ホワイトが著作に引用を必要とする1ダースのスクラップブックを作っていました。『預言の霊』第4(1884)、『各時代の大争闘』(1888)、『SDA教会への証』第5(1889)、『父祖達と預言者達』(1890)、『キリストへの道』(1892)、『祝福の山』(1896)、『救い主各時代の希望』(1898)、『キリストの実物教訓』(1900)、『SDA教会への証』第6(1900)、『ミニストリー オブ ヒーリング』(1905)は、マリアンが準備したものです。

 マリアンは、19041025日、カリフォルニア州セント ヘレナで、結核のために57歳で没しました(エレン77)。彼女の妹、エラ(Mrs. W.K.ケロッグ)と彼女の姪のべス・ケロッグが彼女の最期の世話をしました。(『エレン・G・ホワイト百科事典』p.362)

26章 死に直面した人々への確信の言葉

 

 

 

1.苦悩に耐えている義娘への慰めのメッセージ[1]

愛する娘メアリーへ     ミシガン州バトルクリーク 1889.11.4

 私の大切な子、私達はあなたのために絶えず祈りを続けています。神の恵みと善意は、私の全ての祈りの時間にとてもはっきりとしています。それは救い主があなたを腕の中に抱いていて、あなたがそこで休んでいるように見えます。私はあなたのケースを信じています。私は、主があなたの傍らの祈りを聴いて、主があなたの益のためと主の名の栄誉のために働いているに違いないという信仰を実践しています。主は言いました。「汝らが求めるものは、あなた方に為されるでしょう」(ヨハネ15:7)。「汝らが信じて祈りによって求めるものはなんでも、受けるでしょう」(マタイ21:22)。

 私は、[人生の]嵐のような時期が私達の眼の前に存在しているということを知っています。そして、私達は、信頼する方法と私達の力の源の御方に委ねる方法を知る必要があります。主は、主を信頼する人々に益の存在です。人々は打ち負かされないでしょう。私は、あなたの場合の預言者達の言葉を考えています。「なぜ、汝らは投げ出されているのですか。私の魂よ。また、なぜ、汝らは私の中にいて平静を失うのですか。神の中に希望を持ってください。私は彼を讃えるでしょう。その人は、私の神と私の平安の健全が存在しています」(詩編435)。

 メアリー、神に休みましょう。主を忍耐して待ちましょう。主は、必要な時はいつでも、あなたに一つ、プレゼントの助けをするために存在しています。主は良い方です。主の聖なる名を賛美しましょう。神は、私達が信頼することと、主の約束に確信を持つことに好意を持っています。信じることだけ、私達は神の働きを見るでしょう。

                   『手紙』71,1889[62]

 

愛するメアリーへ        ミシガン州バトルクリーク 1889.12.6

 私達は、私の大切な子ども、あなたの苦悩を忘れません。私は毎日あなたのためにとても熱心に祈っています。私は祈りによって安らかになりました。私達は、苦悩にあった[A.D.]オルソン兄弟、[J.G.]マテソン兄弟、その他の兄弟達を忘れません。私達は、できる全てによって祈っています。それから、私達は、母親よりも大きな愛であなたを愛している御方の手にあなたを委ねました。イエスはあなたに心を配り、あなたから手を離さず、主自らあなたを導いているので、主に寄り添い、あなたの信頼を全て主に委ねましょう。

 愛するメアリー、とても気高く美しい王を見るために存在しているということはとても嬉しいことでしょう。また、苦痛なく、悲しみなく、病なく、嘆きがない所があるということはとても楽しいことでしょう。私達はやがて勝利を得られると強く感じています。また、私は、神とあなたの魂とのコミュニケーションは開かれていると強く感じています。あなたは、神性の臨在を持っていて、イエスはあなたの助け手として存在していると、私には確かに思えます。主はあなたを愛しています。主はあなたを愛しています。主はあなたに好意を持っています。あなたを気の毒に思って優しく見守っています。ちょっとでも疑うことはよしましょう。主が、自分の永遠の関心に最善を尽くして、きっと、緊急事態に対処するという信仰を持って、あなたの事情を主に委ねましょう。……

 私は、あなたのために毎日、熱心に祈っています。主は生きていて、祈りを聞いていて答えています。私のかわいい子、天を見上げてください。見上げましょう。主はあなたの助け手、あなたの医師、あなたの救い主なので、主に、良いことを励まされ、全的に信頼しましょう。

                   『手紙』75,1889[62]

 

愛するメアリーへ        ミシガン州バトルクリーク 1890.2.12

 私は、あなたに関する病、衰弱、そして、孤独の光[真実]を考えています。……メアリー、あなたは、自分を輝かす、思いやり深い存在者、義の太陽、最善のそして最高の愛を持っています。見上げてください。見上げましょう。私は、墓の中での休息は自分にとって一つの事柄としてそんなに悪くはないでしょうと考えています。私は、自分を振り返る時、また、サタンの精神と働きの多くを見る時に、とても疲れて元気がなくなりました。その時、イエスを見ています。そして、私はイエスにだけ平安を見つけています。……

 私は、信仰によって、あなたをイエスの胸に秘めた愛情に委ねています。私は、あなたがキリストから離れて行かず、反対に、キリストの贖いの血と義に謙虚に頼る信仰によって、全く信頼して近づいているということを知っています。あなたは、主がかつてそれを語ったという理由で、約束の信仰を主の恵みの贈り物としての救いを受け入れています。イエスを見続けましょう。ここに、私の唯一の慰めと希望が存在します。主は、悲しい惨めな小道に添ってあなたを導いてきました。あなたの魅力は、花瓶の中が空になってしまったようでした。あなたは一歩いっぽ、深い、深い谷間に主に導かれてきましたが、主の謙虚な生涯の中で、イエスとの親しいコミュニケーションをもたらすでしょう。

 私の可愛い子、イエスがあなたと共に歩まなかった一歩がありましたか。そこには、主が感じなかった苦難の一ページがありましたか。そこには、主が負わなかった罪の一つでも、主が負わなかった一つの試練、主が人々に共感しなかった悲しみが一つでもありましたか。主は、私達の弱さや欠点の感情の全てに触れました。あなたは、キリストの苦難に同行するするために存在しているということを知っています。あなたは主の苦難に属して、キリストに同行する一人です。あなたは自己否定の子、勇敢に立ち向かっています。神はその全てを知っています。主は、主自身の苦難の滴を注いだその盃をあなたに渡しています。主は、その試練の終わりの光[真実]をあなたの両肩に置いています。主はあなたの魂に一つの影を投げかけています。……

 イエスの両腕にあなた自身を信頼して委ねましょう。心配はやめましょう。神が恵み深い存在であることを忘れたなどとは考えないようにしましょう。イエスは生きています、あなたを忘れて去ることはないでしょう。主はあなたの杖、あなたの支え、あなたの前の盾、後ろの鎧です。              『手紙』56,1890[63]

 

愛する子へ            ミシガン州バトルクリーク 1890.2.13

 主はあなたの全てを祝福しています。そして、あなたを慰め、あなたに主にある強い安心と平安を与えているでしょう。主はあなたに主の手にある苦しみに耐え、休息を得られるよう願っています。主が全てのことを良くすると信じています。……

 ふるって、勇気を出しましょう。いつも見上げましょう。イエスは私たちみんなの唯一の希望です。主はあなたを離れたり見捨てたりしないでしょう。恵み深さは神の約束です。私達は恵み深さをもうすぐ捉えるでしょう。私達は恵み深さを失わないようにしましょう。

                              『手紙』57,1890[63]

 

愛する子ども達へ       カリフォルニア州セントヘレナ1890.5.28

 私はあなたとあなたのための全ての祈りについて考えています。もしも、メアリーが少しでも良くなっていたら、それは私の心を嬉しくするでしょう。主はあなたについての主のロウソクの灯を輝かすでしょう。主は、このあなたの試練と悩みの時に、あなたを祝福し強くし支えるでしょう。贖い主は憐れみ深く、共感と愛の優しさに満ちています。今は、信頼のおける創造者の神に魂を委ね続ける時です。私は、祝福された一つの希望、試練と苦悩が深くなる時に、どんどんと強くなっていく希望を持っています。今、あなたに主の命を与えた御方へのあなたの信頼を示しください。

 神様に感謝しましょう。メアリー、苦悩の光[真実]はあなたにとって、永遠の栄光の価値をはるかに超える一瞬の働きにすぎない存在です。あなたは、その日に向かって、主に信頼してきたことを保つことができるということを信じて来た方、確信してきた方を知っています。この試練は厳しいでしょう。でも、それは、闘わず、主の愛に憩って、いつもイエスを見続けましょう。主はあなたに心を配っています。

 私達は、試練がますます重く迫ってきた時、希望がますます大きくなっていくことを知っています。義の太陽の光線は、人々を癒す力としてあなたがたの心に注ぐでしょう。ですから、試練の暗雲のかなたに義の太陽の輝きを見つけましょう。試練の嵐に支える特別な錨を神に感謝しましょう。私達は、永遠に生きていて、永遠に打ち勝つ仲保者を持っています。その方は私達の個人的なケースを天の父の前で懇願しています。永遠の報いの喜びは、すでに、計り知れないコストが払われました。

 あなたのための主の慰めと力、祝福は、私の日々の祈りです。私達が主の美によって御国の王を見る時、それが存在する日の喜びはどれほどのものでしょうか。私達は神の豊かな約束によって安らぐでしょう。主は決して私達を失望させないでしょう。そうではなく、全ての必要な時に、私達に助けを贈るために存在しています。

愛するウィリーへ      ミシガン州バトルクリーク 1889.6.16

 私は、あなたについて、特に愛するメアリーについて心配しています。私は、彼女の一日のために、夜に祈っています。私は、主が手のくぼみの中で彼女を守ることを知っています。メアリーは今慰めを言えるでしょう。「私は、自分が信じてきた方、かの日に向かって、守ることができると確信してきた方を知っています」(2テモテ1:12)。

 私は、メアリーの事情に不信仰もなく、疑いも持っていません。彼女は主に愛されています。「主の目に大切なものは、主の聖徒達の死です」(詩編116:15)。メアリーは、パウロによって言えるでしょう。「私は良い闘いを闘いました。私は自分のコースを終えました。私は信仰を守り通しました。これから先に、義の冠が私のために用意されています。私だけではなく、主の現れを愛して待っている全ての人々に、正しく評価し裁く主はその日に[義の冠を]与えるでしょう」(2テモテ4:7,8)

 私達は、魂が試みられる時間、救い主がいないままに何をする必要がありますか。奉仕の働きをしている天の使い達は、生命のシーンが閉じられようとしている私達の魂をリフレッシュするために命の水を飲むよう私達に与えるために、私達の周りに存在しています。ここに、特別なよみがえりと特別な命の存在である主からの堅い約束があります。イエスにあって[死んで]眠っている人々は、その墓から主と共にキリストが連れて行くでしょう。そのトランペットは高鳴るでしょう。使者達は命に目覚させられ、死はもはやないでしょう。永遠の朝は人々に訪れ、神の都には夜が存在しないでしょう。

 メアリーは試みと試練に勇敢に闘いました。彼女はできることを為しました。彼女は、彼女の言葉と行動によって、もう一つの特徴を形成して、キリストの恵みを通して活動しました。彼女は信仰にあって死に逝きます。しかし、彼女の働きは生きています。

                         『手紙』78,1890[63]

2.忠実なアシスタントへの共感と希望のメッセージ[2]

          マサチューセッツ州メルローズ 1904.8.17

愛するマリアン・デイビス姉妹

 私は家にいることに喜んでいます。でも、ちょうど、会議があって、私が出席することに同意するか不確かです。ですから、私達はできる最善を尽くすつもりです。……

 私はあなたを強くしてくれるようにと主に求めました。私達はあなたが良い存在であるようにと望みを抱いています。あなたの手がキリストの手の中にあるように、しっかりと、主を捉え続けてください。

 マリアン、あなたは失望しないようにする必要があります。あなたの状況は主の手の中にあります。あなたは治療について、あなたに必要なことをする内科医達、A医師とB医師に自分の状況を委ねる必要があります。あなたが病に打ち勝つ時に、私達はあなたの手元に置いておく数冊の本を持っています。たとえ、食事が苦痛の原因であっても、しっかり食事をとってください。もはや、あなたは食事を控えることを願うと、あなたは衰弱して、……私達は尋ねるでしょう。主は、私達の必要に何ができるでしょうか。私達の神は力に満ちていないのでしょうか。あなたは主の力を捉えていないのですか。主イエスができるように、生きている存在者は、あなたを助けることができないのですか。主を信頼しましょう。主はあなたのことに心を配っています。

                      『手紙』378,1904(77)

          マサチューセッツ州メルローズ 1904.8.24

愛するマリアン・デイビス姉妹

 不安な考えがあなたの心に来ないようにしましょう。私があなたに謝ることは重い病です。でも、あなたは、あなたの健康の回復のためのあなたの側面のあなたができる全てを為しています。私は全ての出費の請求書が出されるものを見るつもりです。私[の体力]は良い状態ではなく、馬車で行くほんの少しの旅行もできません。私は、蒸気機関車の客車での長旅もできなくなりました(訳者加筆。1869年に大陸横断鉄道が開通しました。ミシガン州からカリフォルニアまで当時は1週間ほどかかりました。Ellen G. white Encyclopedia p.819参照)。私とあなたが生きている限り、私の家はあなたの家です。……

 マリアン、私は食欲をそそる食物(薬味や香辛料)を摂らず、ほとんど避けていました。でも、私は何もすることができないので、あえて、食べないことをやめました。食欲をそそる食物がない時でも、私は生きるために、食べてきました。私は、ここに来てから(訳者加筆。彼女は190073歳、オーストラリアから帰国後にカリフォルニアに住みました)、食欲をそそる食物を摂ってきました。私は神に自分の信頼を置いています。そして、あなたと私のために、主に請い願いました。私達は不安や心配を持たないように存在しています。あなたの信頼を主に置いてください。あなたと私に必要なすべてのことは、主を信頼し信じるために存在しています。主は、主のもとに行く全ての人、主に信頼を置く全ての人々を極限に救うことができる方です。「しっかりと私の手を握ってください」と、イエスは、あなたと私に言っています。あなたは、私達の救い主――あなたの救い主と私の救い主――を正しく考えることによって励まされています。あなたは、あなたが神の栄光を高めるためにする全ての機会に喜んできました。そして、神が最後のトランペットを響かせるときに、あなたは神の都に導かれるでしょう。私達は本当の喜びを受け取るでしょう。

 マリアン、あなたは、人間の魂達と積極的に触れ合う健全な教理をもたらすために、私に繫がって生きてきました。人々は霊感を受け止め、健全な行動を生み出すでしょう。「健全な文章の型」(The form of sound words)は、世俗の全ての魅力あるものや、金や銀以上に価値あるものとして高められるために存在しています。あなたはその真理を愛してきました。あなたは、私達の主、救い主が受けてきた「冷酷な無関心」を強烈に感じてきました(You have felt intensely over the great neglect our Lord and Savior has been receiving.)。おお、神のような知性にさせられることを(Oh, to be like-minded with God!)。これを、あなたは長い間切望してきました(This you have longed for.)。神の真理を離れて、人を高める真の救いは存在しません。

 「主よ、祝福してください。我が魂よ、その全ては私の内に存在しています。主の聖なる名によって祝福してください」(詩編103:1)。ところで、あなたと私は毎日、感謝祭の礼拝を持ちましょう。信仰の祈りに答えることによって何年もあなたの命に気を配ってきた主は「必ず与える」が存在しないのですか(Is it not due Him who has spared your life these many years in answer to the prayer of faith?)。あなたの弱さによって、主の手の中に自分を委ねましょう。そして、主を全く信頼しましょう。私達は、私達の手にある天来の問題の解決策として、また、私達の生活の基礎的なルールとして、神の言葉を用いるでしょう。私達は、あなたと私は繫がり、愛と真理、憐れみと聖化の混ざった教理の真の型を[人々の]知性にもたらすために努力してきました。私達は、それらを簡潔に表現することにも努力してきました。なので、魂達は、――心の中で簡潔なキリスト教信仰である――混ざった愛と聖化を捉えるでしょう。私達は、主が私達のために用意しに行った天の住み家にいる貴い贖われた人々として、神の愛が存在している神の都に入るための用意をして、この世界の人々の命の冠と栄光として、キリスト教信仰を現すために行動を為すでしょう。主をほめ讃えましょう。私達は主をほめたたえましょう。

 お願いだから、召し上がってください。マリアン。あなたの地上の内科医は、あなたが食事を摂ることを願っています。また、[天上の]偉大な医療伝道者は、あなたが食べることを期待しています。[M.J.]ネルソン姉妹があなたが食べたいものを探すでしょう。これまでの働きをするために続けてきたこと、あなたの命に気を配ってきたこと[について]、私以上に喜ばすことができる人はいないでしょう。でも、あなたか、私に、イエスにあって眠りにつく時が訪れている場合、私達は、身体の組織を保つための食物を拒むことによって命を縮めるのはよくありません。私の愛する姉妹、あなたが食欲があるかどうかにかかわらず、今すぐに食べてください。このような、回復に向かって、あなたの側の行動があります。回復に向かってあなたのベストを尽くしてください。あなたに安らぎを与えるのは、主の喜びです。あなたはできることを為してきました。私は、あなたの数々の苦労した働きを覚えて感謝しています。主を誉め讃えます。マリアン、偉大な医師イエスは愛によってあなたを癒すことができます。

                    『手紙』16,1904[77]

 

             ネブラスカ州カレッジビユー 1904.9.16

愛するマリアン・デイビス姉妹

 私は、あなたの事情を私の前に覚え続けています。私は、あなたが心で悩んでいるということから、悲しみに沈んでいます。私は、あなたを慰める力が自分に存在していたらいいのにと思っています。貴い救い主は、必要な時に、助けのプレゼントをあなたに何回も贈るために存在していなかったのですか。聖霊を悲しませないでください。でも、衰弱が増しています。これは、あなたがほかの人々に何回も話してきたことです。これらの言葉は、病のない人に属する言葉です。あなたが存在していて、あなたに必要な慰めは、「主はあなたを助けるでしょう」という私の祈りです。

 あなたがやがて死ぬということは主の意図です。あなたは、自分の全存在、体、魂、精神を義と恵み深い神の手に託することが自分の特権だと感じているでしょう。主は、あなたが想像するような有罪宣告の考えを持っていません。私は、主があなたを愛していないという考えをやめてほしいと思っています。主が作って遠慮なく用意されたもの(食べ物)に自分を投げ出してください。主は、主の招待を心に留めるようにとあなたを待っています。……あなたは、「神が自分を厳しく治療するよう導いた」と、自分が何かをしていたと考える必要がありません。私はもっとよいことを知っています。主の愛を信じ、主の言葉を受け入れましょう。……。疑いや不信は、私達の知性の財産をつくるために存在していません。神の偉大な気遣いは私達の信仰を困惑させるために存在しているのではありません。神は、控えめで従順、謙虚な私達を助けるでしょう。キリストは王服を脱ぎ王冠を外して脇に置きました。そして、主の権能[神性]は人性と結合し、人間達が完全に存在するように示しています。恵みの衣服をまとった主は、主の愛の根拠を私達に与えるために、私達の世界で完全な生涯を送りました。主は、主において、信じがたい不信仰を為すかもしれないということをしました (He has done that which should make unbelief in Him impossible.)。天の法廷の最高の指揮権者である主は、人性をとるために身を低くしました。主の生涯は、私達の生涯が存在するための一つの模範です。神の寛大な気遣いは、神の愛によって、私達の信仰をぬぐい去るようにとやって来ないでしょう。キリストは悲嘆の一人、悲しみを熟知した一人となりました(That no apprehension of God's greatness should come in to efface out belief in God's love, Christ became a man of sorrows and acquainted with grief.)。主に明け渡した人の心は、神聖な調べを御前に送る神聖な一つのハープになるでしょう。

                              『手紙』365,1904[77]

                ネブラスカ州カレッジビユー 1904.9.26

愛するマリアン・デイビス姉妹

 私達は、あなたの命が、もう一度、あなたに会えるまで、でも、あなたが死なないで生きていられたら……。守られるようにと祈っています。

 あなたが生きても死んでも、イエスを見続けましょう。イエスを信頼しましょう。主は私達の命の与え主です。もしも、あなたがイエスにあって眠りにつくなら、主は、一つの永遠の栄光として、その墓からあなたを連れて行くでしょう。主は、今から後、あなたに平安と慰め、希望と喜びを与えるでしょう。

 あなたの信頼を全部、イエスに置きましょう。主は、決して、あなたを忘れることなく置き去りにしないでしょう。主は、「両方の掌にあなたを刻み込みました」と言っています。マリアン、もしも、あなたが私よりも先に逝くなら、私達はお互いに「そこ」でわかるでしょう。私達は、知っていたように、見て知って会うでしょう。キリストの平安があなたの魂に訪れますように。主は約束に誠実なので、あなたの信頼が誠実でありますように。あなたの細くて元気な手を主の手に置きましょう。主はあなたをしっかりと抱きしめ、慰め励ますでしょう。私は、この平安を残す用意をしているつもりです。私は、この時も、あなたと共に存在していると思っています。愛を込めて。

                       『手紙』382,1904[77]

 

3.死期が迫っているほかの人々へのメッセージ

 私達はみなさんから離れていますが、みなさんと共感できています。私は、「希望を失わないでください。そして、この約束を硬く信頼してください」と言うでしょう。「求めてください。そうすると、それはあなたがたに与えられるでしょう」(ルカ11:9)。また、主が癒しの働きをすることができるとすると、失望を感じないでしょう。主は初めから終わりまで知っていて、死ぬこと、復活の朝によみがえることを主の子ども達に許しています。「私の意図ではなく、そなたの意図で、神様が為されますように」と言いましょう。……もしも、あなたの妻が苦悩に陥っても、未来の生命が存在していることを覚えていてください。最後のトランペットが、キリストを受け入れた人、彼を信じた人、そして、救いのために彼を信頼した全ての人々を呼び集めるでしょう。

 私の愛する姉妹、私達はあなたのために祈っています。あなたは私達と共感しています。私達はあなたの事情のために偉大な内科医をプレゼントしましょう。私はこのことがすでに為されたことだと理解しています。もしも、主が、それをあなたのためのプレゼントで、また、永遠の良いものであると見ているならば、しっかりと、祝福し癒すことができる主の手を握ってください。さて、私の兄弟姉妹の皆さん、まだ、あなた方は生きています。神の言葉の貴い約束を自分達で、信仰によって理解する貴重な時間を持ってください。私は、あなた方二人が、全ての罪の重荷を謙虚に求める人として表していることを感謝しています。これは、あなた方の特権です。疑いはやめましょう。

 私達の貴い救い主は自分の命を世界中の罪人達に与えました。主に来る全ての人々を救うという言葉を堅く約束しました。「神は世界中の人々を愛したので、ひとり子を与えました。彼を信じる人はだれでも滅びないで、永遠の命を得るでしょう」(ヨハネ3:16 KJV)。ここに、永遠の命を得るための条件があります。あなたの望みはあなたが生きても死んでも保証されています。魂を救う贖い主を信頼しましょう。あなたの無力な魂を主に委ねましょう。主は、あなたを受け入れ祝福し救うでしょう。信仰のみです。あなたの心、全てで主を受け入れましょう。そして、あなたが勝利の命の冠を勝ち取ることを主が望んでいることを知りましょう。ここに、あなたの大きく最も熱心な要望が存在しているでしょう。全部を明け渡しましょう。主はあなたを汚れから清め、そして、あなたを栄誉の器、包容力のある人とするでしょう。あなたは子羊の血によって洗われて白くされるでしょう。……信仰によってしっかりと捉えましょう。     『手紙』45,1905[78]

 

4.ガン末期の牧師へのメッセージ

 私達はあなたを忘れていません。私達は、あなたが神の家族の説教壇に立っていた者として、私達の祈りの中で覚えています。私はあなたの味方としての神に、夜に目覚めて横になったまま、請い願っていす。私はあなたのことを思うととても悲しくなります。私は、神の祝福があなたの上に留まるようにと祈り続けるつもりです。主はあなたの慰めを取り去らないでしょう。この世界はほんの少しの割合を占めるだけの存在です。イエスは私の兄弟姉妹の皆さんに言いました。「求めてください。そうすると、それはあなたがたに与えられるでしょう。探してください。そうすると、あなたがたは見つけるでしょう。叩いてください。そうすれば、あなたのために開けられるでしょう(マタイ7:7)。私はこの約束をあなたの味方に請い願っています。

 私の兄弟、ある夜、私はあなたに寄り添っているように思われました。そして、祈っていました。「ほんの少しだけ、ほんの僅かだけ、痛みの激しさを少なくしてください。そうすれば、苦痛の時間が少なくなるでしょう。休めて、休息の祝福があるでしょう。特別な方法によって、あなたは平安を見つけるでしょう。全ての人性はテストされ、試みられる必要があります。私達の全ては特別な盃を飲み、そして、苦難のバプテスマを受ける必要があります。しかし、キリストは全ての人々のため、苦い型の死を味わいました。彼は、永遠の憐れみと共感を知っています。主の腕にだけ、安らぎと休息があります。主はあなたを愛しています。また、主はあなたのために永遠の愛によって贖いを為しました。汝らは死に向かって、信じ深くしましょう。汝は命の冠を受けるでしょう。

 ですから、私達の世界に住んでいる全ての人々は試練の意味を知るでしょう。私は、神があなた方を見捨てず、また、あなた方に恵みを与えるということを知っています。神の約束を心に呼び求めましょう。「書き記しなさい。今から主にあって死ぬ人達は祝福された人達です。ええ、聖霊は言っています。その人々は自分達の重労働から休息に入るでしょう。彼らの働きは彼らに続く者達が為すでしょう」(黙示録14:13)。元気良くいてください。もしも、私ができるなら、今、あなたと共に存在しているでしょう。私達はよみがえりの朝に会うでしょう。……

 私はC姉妹に慰めの話をしていました。私は彼女を励ましていました。その部屋は神の使い達で満ちているように見えました。あなた達二人は元気を出してください。主はあなた方を見捨てず置き去りにしないでしょう。            『手紙』321,1906[79]


 

27章 肉親や親友に先立たれること

 

 

 

 

1.肉親の死別の緩和と抑制

 慰めによって和らいだことが、私にたくさんありました。それは、私の心の中から、敵が退いたこと、影響が抑制されたこと、[心が]穏やかになったことなどがありました。私の肉親の死別[3]、苦痛、苦難は、私の主の臨在の貴い啓示なしに存在しませんでした。私の二つの目は、私達の上の美しい輝きという天に引き付けられていました。私は、永遠の世界と優れた大いなる報酬をかすかに垣間見ることができました。全てが希望なく闇夜のような時に、その暗雲が引き上げられた時、玉座からの太陽の光が薄暗がりのような深い悲しみを追い払いました。神は、誰をも、悲嘆に暮れた傷ついた心、黙して語らない悲しみによって、押しつぶされたままにしないでしょう。主は、私達に約束の虹を捉えるよう見上げて、その光をほかの人々に反映するようにと思っています。

 祝福された救い主は、涙で曇って彼が見えなくなった多くの人々のそばに立っています。彼は、私達が両手でしっかりと握ることを望んでいます。一方、私達がシンプルな信仰によって主に寄り添うこと、私達をガイドするために彼に懇願することを期待しています。神にあって喜ぶことは、私達の特権です。もしも、私達が、生活の中に、イエスに属する平安と慰めをもたらさないなら、私達は、主の大きな愛の心を締め出し続けるでしょう。『レビュー&ヘラルド』1884.11.25[57]

 

2.私達は自分の子ども達と再開するでしょう(ある母親とその死んだ子への慰めのために)

 あなたが、子どもの死の体験に関わった時、あなたはどんなにか、あなたの意図を天の父の意図にゆだね、主によってその問題を取り除いてくれるよう、祈りに伏したことでしょう。私の母性の心はかき立てられました。私は、あなたがした体験と同じ体験をしました。

 私の長男が16歳の時、病気になりました。この子の状況は危篤と思われました。この子は私達をそばに呼びました。そして言いました。「お父さん、お母さん、長男の私と別れることはとてもつらいことでしょう。主が、私の残りの命を見守っているなら、二人のために私は嬉しいです。今、私の命の終わることが主の名の栄誉であり、私に良いことならば、それは、私の魂に良いことです。お父さん、あなたのそばに行きます。お母さん、あなたのそばに行きます(Father, go by yourself, and Mother, go by youself: and pray.)。そして、祈ります。二人は、二人が愛し私も愛している救い主の意図によって一つの答えを得るでしょう」。長男は、私達が二人とも挫けてしまうのではないか、私達の同情が強くなるのではないか、二人は、それが、主の認めることの最善ではないかもしれないと気遣っていました。

 私達は、彼が望む通りにしました。私達二人の祈りは全ての点で長男が捧げた祈りと同じにしました。私達は、自分達の息子が回復するという根拠を受け取りませんでした。息子は、私達の救い主に全的に信頼を置いて死にました。彼の死は私達に一つの大きなショックでした。でも、それは、死にあってさえも一つの勝利でした。息子の命は神の中にキリストと共に隠されました。

 長男の死の前に、四男(赤ちゃん)は病で死にました。私達は祈りました。そして、「主は私達の最愛の子を気遣ってくれるでしょう」と考えました。そして、死んだ赤ちゃんの瞼を閉じました。そして、イエスの休みへの道へと置きました。やがて、主の愛する貴い人々を栄光の不死の体を与えるために、命を与える方が目覚めさせるためにやって来るでしょう。

 その後、キリストイエスに属する忠実な奉仕者、35年間寄り添った私の夫は取り去られました。そして、私は一人[主の]労苦に取り残されました。夫はイエスにあって[死んで]眠っています。私は夫の墓の上にこぼす涙もありません。私は彼を失ってとても寂しいです。私はとても彼の勧めと知恵の言葉が欲しいです。私は、光(真理)とガイダンスのためのこの働きを広める計画の立て方に私の祈りと調和した彼の祈りの言葉を聞きたいです。

 ところで、主は私のカウンセラーでした。また、主は、あなたに、あなたの肉親の死別に責任を持って、あなたに恵みを与えるでしょう。

 あなたは、自分の赤ちゃんの救いについて尋ねています。キリストの言葉はあなたの言葉として存在しています。「幼子らが私の所に来るのを大目に見てあげてください。子らを禁じないでください。神の国はそのような子らのために存在しています」(ルカ18:16)

 預言の言葉を思い出してください。「主はこのように言っています。悲しみ嘆き、心を痛めて涙を流す一つの声がラマで聞かれました。ラケルは慰められることを拒みました。彼女らのために涙を流しました。……主はこのように言っています。汝らの目からの涙、汝らの働きは報われるでしょうから、涙を流す汝らの声が繰り返されています。主はこう言っています。彼らは特別な敵の地から再び帰って来るでしょう。そこには、汝らの[涙の]終わりの希望があります。主はこう言っています。汝らの子らは彼らの国境(くにざかい)に再びやって来るでしょう」(エレミヤ31:15-17)。この約束はあなた方のものです。あなたがたは慰められ、主に信頼するでしょう。主は、たびたび、私に指導しました。たくさんの小さい者らが「悩みの時」の前に、道に[備えて]置かれるために存在しています。私達は、再び、自分達の子らと会うでしょう。私達は、天の様々な庭で、子らに会って知るでしょう。心配しないで、主に信頼しましょう。  『手紙』196,1899[72]

 

3.復活の子ども達 ミセスホワイトの双子姉妹の子どもの死の記録

 訳者加筆。この節を理解するための予備知識。エレン・ホワイトの両親、ロバート・F・ハーモン長老(1786-1866)とユーニス・グールド・ハーモン(1787-1863)は、メソジスト教会の信徒で、既に2人の息子と4人の娘達がいました。末子として、双子のエレンとエリザベツが生まれました。18421031日、エレンはバプテスマを受けましたが、エリザベツは受けなかったようです。1843年、ハーモン家族は再臨を信じたために教会を除名されました。エリザベツは1849年にクエーカー教(フレンド会)の背景のあるリューベン.M.バングスと結婚しました。エレンが1874年に訪問した時に、その家には「祈り」がありませんでした。エレンは改心のために霊的な感化を及ぼそうと努めました。

 バングス夫妻は1857年にメイン州ゴーハムに居を移して、そこで、3人の子、エバ、クラーレンス、ベータが生まれました。しかし、翌年、長女エバを失いました。本稿は「エバ」の死に、エレンがエリザベツに送った慰めの手紙です。バングス夫妻と、長女エバはメイン州ゴーハムの墓地に葬られています。(『E.G.ホワイト百科事典』p.304)

 

 私達の最も楽しい思い出は、しばしば、この地で損なわれます。私達の愛した人々は、死によって私達から引き離されていきます。私達は、彼らの目を閉じ、彼らを墓に葬ります。私達の視界から彼らを離してしまいます。でも、希望は私達の精神/霊を生み出しています。私達は永遠に別れるのではありません。イエスにあって眠っている人々と愛した人々に会うでしょう。彼らは特別な敵の国から次々とやって来るでしょう。命を与える主は訪れて来ています。無数の聖天使達は主の道で、主に付き添っています。主は、死の帯を断ち切り、墓の束縛を打ち壊しています。貴い虜達は健康と不死の美に包まれています。

 小さな赤ちゃん達は塵のベッドから不死に包まれます。赤ちゃん達は直ぐに母親の腕に飛びつくでしょう。彼らは、決して別れることなく再び会うでしょう。でも、赤ちゃん達の多くは、そこでは、母親がいないでしょう。私達は、その母親から、無益な勝利と歓喜の歌を聞いています。天使達は母親のいない子ども達を抱き上げ、命の木に彼らを案内します。

 イエスは、赤ちゃん達の小さな頭に、光の輝く輪、冠を置いています。神は、[エリザベツの長女]「エバ」の最愛の母親がそこに存在するようにという願いを叶えました。「エリザベツの」小さい赤ちゃん達は、「エバ」の母親の胸に抱きかかえられるでしょう。

           『ユースインストラクター』1858.4[31]

 

4.イエスの言葉:「私に寄り添ってください」

海で子ども達を失った両親への言葉

 私は長い間、ずっと、あなたのことについて思いめぐらしてきました。……慰めの御言葉はとても配慮に深く、病と苦難、負傷と事故による死別の慰めに満ちています。D御両親、私は、イエスがあなた方に「私にしっかりと寄り添ってください。私はあなたに元気を出してほしいと思っています。私の腕(権能)は決して失敗しないでしょう。厳しい困難な場所ですべてあなたを支えることは強いでしょう。あなたが私を信頼するだけで、あなたは安全がガイドされ、堅く支えられるでしょう」と伝えているように思います。

 貴い聖書の真理の数々は、栄光、豊饒に満ちています。私達はその約束の光[真理]を思いめぐらして喜ぶでしょう。それらは、神の無限の恵みの言葉として存在しています。主の声は、御言葉から私達に語っています。私があなた方に願っていることは優しい励ましです。

 あなた方は、[突然]やって来たその苦悩を言葉に表せないでしょう。全てのことは、荒波が彼女を死に至らせた間の見通すことのできない未知として残るでしょう。でも、あなたの心を悲嘆に沈めないようにしましょう。それらは主です。また、主が自身によって意図したことを為すでしょう。私達は次のことを知っています。主の愛は私達に存在する以上に寛大です。イエスは、人々をとても愛したので、人々を贖うために自分の命を与え、それから、彼らに休息を与えました。ですから、イエスが全ての飢えた魂や、全ての欠乏している魂に不足を供給することをあなたの心にもっとはっきりさせましょう。……

 あなたの事情が何であれ、しかしながら、神の摂理の道として未知が存在しているでしょう。その小道は、深い海の水の中にあっても、試練と死別が何度も苦しめようとも、その保証はなおも訪れるでしょう。「神を愛する者達のために、全てのことは良い事と共に働いています」(ローマ8:28)。「私は、信じて来た方、確信してきた方を知っています。また、その方は、かの日まで、私がその方に約束してきたことを守り通すことができる方だ、と確信しています」(2テモテ1:12)。

                    『手紙』32,1893[66]

 

5.主にあって死んだ人は祝福された人々 ある母親の死の慰め

 愛する姉妹へ。私は、あなたのお母様の死についてのお手紙を読みました。……私はこのように言うことができるでしょう。「主にあって死んだ人は祝福された人々です」(黙示録14:13)。長い間、あなたのお母様は病弱でした。あなたはいつも彼女の世話をしてきました。彼女の顔を見ることは、あなたにとって深い悲しみの何ものでもないでしょう。私達はあなたのそば近くで生きてきました。私達はこう言いましょう。近くに寄ってください。そして、しばらく休んでください。でも、あなたの務めは自分の時間を必要としています。私はあなたにこう言いましょう。主を信頼してください。

 あなたは、自分の母親の死をしみじみと考えるでしょう。でも、私は、生きている人ではなく、死んだ義人は悲しくないと言いましょう。私は、あなたが希望に満ちた墓にお母様を収めたということを知っています。彼女は神のトランペットが鳴り響く時に現れるでしょう。……私は「葬りは人々を愛した」という意味を知っています。私の父、母、兄弟達、姉妹達、私の夫と二人の息子達は、彼らの墓の中で眠っています。私の姉メアリーと私と二人の息子達はみな[この世を]去るでしょう。              『手紙』98,1903 [76]

 

6.幸せな家族の再会に立ち会う 妻を失った人の慰め

 親愛なる兄弟へ。私達はあなたの妻の死の知らせを聞きました。でも、彼女の病について、詳しいことを知りませんでした。

 私達はあなたに同情しています。私達は、主があなたを慰めてくださるように、主の恵みを与えてくださるようにと祈っています。なので、あなたは過度の悲しみに意気消沈しないでしょう。私達の視線は[神の恵みの]相続権の約束に向けられていることを感謝しましょう。私達は、主の救いが、遠くに離れておらず、近くに存在していることを感謝しましょう。

 あなたが自分の幼い子ども達を見る時、母親としての責任を忠実に果たしていたあなたの妻を思い出すでしょう。あなたは、彼女が主にある養育と教えをしていたことを喜ぶ根拠があります。幼い子供たちを腕に抱いて祝福した主は、あなたの子ども達とあなたの慰めを置き去りにしないでしょう。今、あなたには二人分の責任がかかっています。子ども達を親切に、優しく、愛情を込めて世話するように、主は、主の囲いの子羊達を養う人々に希望を注ぐでしょう。なので、子ども達を世話する若いくて不慣れな人の歩みは、安全に歩めるように導かれるでしょう。

 幼い子ども達のみなさん。シスター ホワイトはあなた達を愛しています。そして、救い主がみなさんを祝福するように祈っています。主は、幼い主の子ども達としてみなさんを愛しています。

 兄弟Eさん、あなたの心に存在していた最愛の人を葬らなければならないのですから、私はあなたが悲しみに沈んでいることを察しています。でも、御言葉はこう言っています。

 「ここに、聖徒達の忍耐が存在しています。ここに神の戒めを守り、イエスに属する信仰を守る人々がいます。そして、私は天から、こういう声を聞きました。書き記しなさい。祝福された人々は、今から主にあって死んでいる人々です。ええ、聖霊も言っています。その人々は自分達の労苦から解かれるでしょう。その人々の働きは、自分達に追随するでしょう」(黙示録1412)。

 私達はあなたとあなたの大切な幼い子ども達のために祈りましょう。あなたの視線と歩みがいつもよい実践となり、忍耐強く続けることによって、あなたは天国へと指導してきました。私達は、あなたが幼い子ども達を導くことによって感化を与え成功するようにと祈りましょう。あなたと幼い子ども達は命の冠を得ることができるでしょう。また、天の家庭で、今、私達のために用意されていて、あなたと妻と子ども達は喜びの家族として、幸せに再会して、二度と別れることがないでしょう。愛と共感をこめて。      手紙』143,1903[75]

 

7.特別なよみがえりに呼ばれるでしょう 

 妻を亡くした夫や母を亡くした子ども達への言葉

 親愛なる兄弟へ。私はあなたに伝える言葉が何もありません。あなたの奥さんの死の知らせは、私にとって無力なことです。私はそれを信じることができないでしょう。今もそれを信じることができません。神は、先週の安息日の夜に私が描こうと思っている一つの見方を与えました。……

 私は、「彼女が印されて、そして、神の声で目覚めるでしょう。そして、かの地に立つでしょう。また、144,000人と共に存在するだろう」と思いました。私は、「私達は彼女のために悲しみ嘆く必要がない」と考えました。彼女は、特別な悩みの時に[死んで]休んでいるでしょう。そして、悲嘆している私達はみな彼女の仲間で、失われる存在である私達も消し去られるでしょう(and all that we could mourn for was our loss in being deprived of her company.)。私は、彼女の死が良い結果になるだろうと思いました。

 私は、Fさんとその残された子ども達にイエスに会う備えをするよう知らせました。そうすると、彼らは自分達の母親に再び会えるでしょう。そして、決して分かれることがないでしょう。子ども達のみなさん、彼女が生前に一緒にいた時に、皆さんに信仰深く注意を与えたことを心に留めておいてくださいませんか。そして、あなた方のために、神に捧げた彼女の全ての祈りを地面にこぼれた水のようにしないでください。イエスに会うための備えをしていただけませんか。そして、みなさんはよい子達でしょう。あなた方の心を神に注いてください。あなた方がイエスを愛しているということを覚えていて、一日も忘れないでください。

 愛する兄弟、私達は、あなたが失ったものを支えるために、あなたを力づけ、あなたが守られるように、と神に祈っていました。神はあなたと共にいて、あなたを守るでしょう。唯一の信仰を持って……。

 希望を持たない人として、悲しまないでください。彼女の墓は彼女を保管できます。しかし、ほんの少しの間だけです。そなたらは神に希望を抱いてください。元気を出してください。愛する兄弟、あなたはほんの少しすると彼女に会えるでしょう。私達は、あなたの家族とあなたの上に留まるよう、神の祝福を求めることをやめないでしょう。神は、あなたの太陽またあなたの隠れ家でしょう。主は、このあなたの深刻な苦悩と試練の中であなたのそばに立っているでしょう。その試練にあって勇気を出しましょう。イエスが現れる時にあなたの仲間とともに、あなたは栄誉の冠を受けるでしょう。しっかりと真理を持ち続けてください。あなたは彼女と共に栄誉と名誉、朽ちることのない冠、永遠の命が与えられるでしょう。  『手紙』10,1850[23]

 

8.夫を失った妻への慰め 泣くことには罪がありません

 愛する姉妹へ。私達は、夫に先立たれたことと、独り身になったことが共通しています。私もあなたが今たどっている立場を通ってきました。そして、その意味を知っています。私達のこの世界にはとても悲しいことがたくさんあります。どんなにか悲しいことでしょう。とても泣いてしまいます。先立たれた人に「泣かないでください。泣くのは良くないです」と言うことは良いことではありません。泣くことには罪がありません。一つの苦難を何年も抱えてきた一人だけれど、弱さと苦難のために、私達の目から涙をぬぐい切れないでいます。

 私達の愛した人は死にました。神によって数えられた二人は、封印されています。でも、私達は、死を深刻に厳粛なことと捉え、また、私達は、生きることがもっと厳粛なことと考える必要があります。毎日の生活は、私たちが生み出して果たさなければならない責任によって、荷を負っています。私達の個人的な関心、私達の言葉、私達の活動などは、つながっています。私達は、イエスキリストによって自分の慰めを見つけるために存在しています。貴い救い主は、人間性の苦悩にずっと触れてきました。あなたの力の源である主に堅く信頼してください。             『手紙』103,189871歳)

 

9.イエスにあって眠っている死んだ夫や父親

 悩んでいた姉妹。私は、あなたの悩みによって、あなたと共に悩んでいます。この命によって、再度、あなたの夫と会うことを考えることは期待できませんが、まだ、私は、彼の死について聞いて、また、残された家族の世話というあなたの重い責任について聞いて、悲しみがこみ上げてきました。私達は、あなたに共感しています。また、あなたのために、あなたの子どもたちのために、しばしば、祈りましょう。あなたの夫はイエスにあって[死んで]眠っています。

 「書き記しなさい。祝福された人々は今からのち、主にあって死んだ者達です。ええ、聖書は言っています」(黙示録14:13)。その人々は、労苦から休むでしょう。その人々の働きワークはその人々についていくでしょう。

 天の父は、真理に生きて、実行し、信じている全ての人々、キリストが頭(リーダー)で、その体(メンバー)という全ての人々を愛しています。あなたは、今、キリストの影の下に座る必要があります。そうしたら、あなたは主の平和に気づくでしょう。信仰を持って主を見てください。主の約束を信じてください。あなたの信頼する心を保ち続けてください。主は、あなたの寄留先に存在しているでしょう。主に身を寄せましょう。主を堅く信頼しましょう。悲しみを数えないようにしましょう。そうではなく、元気を生み出し、勇気づけましょう。重荷はあなたの双肩に残っているので、あなたの信頼を、決して失望させない腕、力、権能である御方に置きましょう。

 私は、夫を亡くしています。私は体験によって、あなたの悲しみの何であるかを知っています。でも、イエスを見ると、あなたは励ましを見つけるでしょう。あなたは、毎日、主の祝福を持つでしょう。私の愛する姉妹、主はあなたを祝福しあなたを支えるでしょう。

 今、見えることはとても暗いことですが、私は、夜、ぐっすりと眠ることを勧めましょう。あなたの子ども達のために、あなたができるだけ楽しくしましょう。        『手紙』167,1905(78)

 

愛する子ども達へ

 私は、あなたがたに数行の手紙を書く必要があります。私達は、あなた方の家に足を運んで、あなたがたと共に嘆き悲しむことができたら、また、祈るためにあなたがたと共にひざまずくことができたらと願っています。あなたがた一人ひとり、主を求め、そして、主に仕えませんか。あなたがたは、あなたがたの母親の心に悲しみを作らないようにすることによって、彼女に大きな祝福となるでしょう。もしも、あなたがたが、自分の心を主に与えて預けるなら、主イエスは、あなたがたを受け入れるでしょう。あなたがたの母親の全ての世話と重荷を軽減するためにできることをすべてなしてください。

 主は、父親なき者の父であることを約束しています。もしも、あなたがたが、主に、あなたがたの心を預けるなら、彼は、神の息子娘達となる力をあなたに与えるでしょう。もしも、母親を心配させないように、上の子達ができるだけ、下の子達をやさしく世話して、多くの負担を負うことによって、母親の負担を軽くして、正しく行動するよう教えるならば、主はその子らを祝福するでしょう。

 あなたの心を、愛する主に与えて預けましょう。そして、主に祝福されているこれらのことだけをなしましょう。あなたの母親を悲しくさせることは何もしないようにしてください。覚えていてください。主は、あなたを愛しています。あなた方一人ひとりは、神の家族の一員となることができます。もしも、あなたが今、忠実にしているならば、主が、やがて天の雲に乗って来るとき、あなたは、あなたの父と会うでしょう。そして、一つの家族に結ばれるでしょう。

              愛をこめて『手紙』165,1905(78)

 

10.夫の死への慰めのために存在する主

 愛する姉妹へ。G姉妹から私の手元にあなたの[夫の]訃報が届きました。私はあなたに深く同情しています。私の姉妹。もしも、私があなたの所へ訪ねることができたら……。

 私は、あなたにこう伝えましょう。私の姉妹、主は、悲しみの中に捨て置かないでしょう。あなたの夫は、彼がそうであっただろうと思う以上に、何年もあなたに気を使ってきました。神は、彼を逃れさせ、憐れみ深く、多くの苦しみの後、イエスにあって彼を休ませました。あなたの夫と私の夫は休みについています。彼らはもはや痛みなく、苦しみもありません。彼らは休みについています。申し訳ありませんが、私の姉妹、あなたは悲しみと苦悩の中にいます。しかし、イエス、貴い救い主は生きています。彼はあなたのために生きています。彼は、彼の愛の中で慰められるように願っています。悩まないでください。主に信頼してください。あなたの天の父の気づきなしに、地にスズメは落ちないことを覚えていてください。……

 私の姉妹、主によって慰めがありますように。「キリストが私達のために耐え忍んだように、……あなた方自身も同じ心で武装しなさい」(1ペテロ4:1)。私は、あなたの魂が神に宿るよう、あなたの苦悩に強く勧めます。主は、あなたの助け、あなたの力、さらに、あなたの慰めとして存在しているでしょう。それから、彼を見て、彼を信頼しましょう。私達は、慰めをキリストから受ける必要があります。心の謙遜とへりくだりを彼の学校で学びましょう。あなたの語るすべての言葉に、神の愛、憐れみ、善意を知っていることを示すようにしましょう。家の中で、みなさんに祝福と慰めが存在するように決心してください。温和、清らかさ、天の雰囲気を作りましょう。魂の窓を天の方に開けましょう。そして、義の太陽の光を入れましょう。泣き言を言わないように、嘆きの言葉も涙も見せないように、暗い面を見ないようにして、神の平安があなたの魂を覆うようにしましょう。その時、あなたはすべての苦悩に耐える力を生み出すでしょう。また、あなたは忍耐の恵みを持てて喜べるでしょう。主をたたえましょう。主の善意について語りましょう。主の力について話しましょう。あなたの魂を取り巻く雰囲気を温かなものにしましょう。

 愚痴をこぼして、神の名誉を汚してはいけません。そうではなく、心と魂と声によって主をたたえましょう。すべてのことに明るい面を見つめましょう。あなたの家に雲や日陰のような暗い思いを持ち込んではいけません。あなたのふるまいの特別な光、あなたの神の特別な光である主をたたえましょう。このようにしてください。そして、すべてがどのように良いほうへ進むかを見てください。

 あなたと、あなたの娘さんへ愛をこめて。『手紙』56,190073歳)

 

11.エレン・ホワイト、彼女の夫の死別の時

 私は、今、夫に先立たれました[188154]。私は、永遠についての見解に近いものを持っています。私は、それはこのように存在していました、荘厳に白く輝く玉座の前に連れていかれ、私の生涯がそこにあらわされるのを見ました。私は、自慢できるもの、申し立てができそうな功績を見つけることが何もできませんでした。「価値がありません。汝の気に入る最も小さき者に価値がありません。わが主よ」が私の叫びです。私の唯一の希望は、十字架につけられ、復活した救い主に存在しています。私はキリストの贖いの血の功績を主張します。イエスは彼の信頼する全ての人を極限まで救うでしょう。

 私は、自分の心が苦悩で引き裂かれているとき、機嫌のよい態度を保つことはとても難しいことです。でも、私は自分の悲嘆の心を、また、周りの人々に憂鬱をまき散らすことを許しません。苦悩と死別の時は、しばしば、それらが存在しているだけの時よりも、ものすごく悲しく悩ませられます。その理由は、自分に際限なく嘆きを与えることが習慣化しているためです。イエスに関する助けによって、私は、この悪[習慣]を避ける決心をしました。でも、私の解決方法は厳しくテストされてきました。私の夫の死は、私にひどい打撃でした。突然のことだったので、厳しい事態と感じました。彼の外観に現れた死の封印the sealを見たとき、私の感情は、平静を保てない状態でした。私は、自分の苦悶を叫びたいと思いました。でも、私は、自分が愛した人の命を救えないことを知っていました。私は、助けを求め、そして、上からの慰めを得ました。神の約束は、私にとって事実であることが証明されました。主の手が私を支えました。感情の抑制なしに嘆きや悲嘆を思い通りにさせることは一つの罪です。キリストの恵みによって、私達は、和らげられて、試練のもとでの悲嘆でさえも、快活さが試されるでしょう。

 私達は、主の弟子達とのキリストの最後のインタビューから勇気と堅忍の教訓を学びましょう。彼らは、周りから分離させられるために存在していました。私達の救い主は、カルバリーへと彼を導く血の小道を歩んでいました。彼がやがて通り過ぎた道以上に試練の場面は存在しませんでした。主の弟子達は、主が予告した苦難と死の言葉を聞いていました。彼らの心は悲しみで沈み、彼らの知性は疑いと恐れによって当惑しました。また、そこには、大きな嘆き声も、悲嘆による自暴自棄もありませんでした。この最後の厳粛で深刻な時間は、私達の救い主によって、弟子たちに慰めと保証の言葉語るために費やされました。そして、その時、みんなは、賛美の歌によって結ばれました。……       『レビュー&ヘラルド』1881.11.154歳)

 

12.祈りと賛美のひと時

 私達の周りを困難と試練が取り囲んだ時、私達は神に逃れましょう。救うことにも、助け出すためにも強い主からの助けを強く期待しましょう。私達がそれを受けるためには、神の祝福を求める必要があります。祈りは、義務の一種で一つの必要として存在しています。ですが、私達は賛美を怠っていいですか。私達は、私達の全ての祝福の与え主に、たびたび、感謝の捧げ物をしていないのではありませんか。私達は感謝の意を養う必要があります。私達は、神の慈しみをいつも瞑想して数えましょう。そして、私達が悲嘆と苦悩の時を過ぎているときも、主の聖なる名を大きな声でほめたたえましょう。……

 主の慈しみ深い思いやりは、私達に強く迫っています。主は、主を信頼する者達を決して捨て置かないでしょう。私達が、自分達の試練、神の慈しみと善意を少しでも考えて語るならば、私達の憂鬱と困惑の多くを乗り越えた自分を見つけるでしょう。私の兄弟姉妹のみなさん、暗闇の小道にはまり込んでいると感じている皆さん、柳製の竪琴を肩にかける必要があったバビロンに捕囚となった人達のように、私達は快活な歌を試みましょう。皆さんは、「私はどのように歌えますか。この私の前にはこの暗い見通しがあるのに。私の魂には悲嘆と死別の重荷があるのに」と言うでしょう。でも、地の悲しみは、私達がイエスに抱いている親友としての強いつながりを私達から奪いましたか。神のひとり子という贈り物による素晴らしい愛は、いつでもある喜びという一つのテーマではないでしょうか。私達が、祈りと願いを恵みの御座に届ける時、感謝の捧げ物の賛美をすることを忘れないようにしましょう。「捧げ物をする人は、私の栄光をたたえ、賛美を捧げる」(詩編50:23)。私達の主が生きている限り、私達は、いちも感謝と賛美のための根拠を持っています。『レビュー&ヘラルド』1881.11.1(54)

 

訳者加筆:次の記事を理解するための予備知識

 ピットケアン島は南太平洋にある0.6×1.2kmの小さな島です。1790年、パンの木の苗を採集する任務で航海していたバウンティ号の7人の乗組員達は、途中でポリネシアの男女を載せていましたが、船長に反乱を起こしました。本国に帰ったら死刑になる恐れがあったので、彼らは、ピットケアン島に行きました。そして、船から生活に必要な品々と聖書を運び出した後、船を燃やしてしまいました。

 その島のリーダーになった人は聖書の教えで統治

しました。この島のうわさがアメリカに伝わりまし

た。おおよそ100年後の1876年、ジェームズ・ホ

ワイトとJ.N.ラフボローは再臨運動の文書を送りま

した。その10年後に、SDAの信徒ジョン.I.テイが

ピットケアン島に行って島の人々に聖書研究を授け

ました。彼らはバプテスマを受けたいと申し出まし

た。本国に戻ったテイは牧師達にアピールしまた。

 1890年にSDAの伝道船ピットケアンはその島に到達しました。多くの人がバプテスマを受けました。この船で移住した島の人もいました。この島の信仰と統治のリーダーだったジェームズ・ルッセル・マッコイはオーストラリアに行って、数年間、エレン・ホワイトと共に働きました。

 次の手紙の日付は1894(67)です。エレン・ホワイトは1891-1900年にオーストラリアに滞在していました。この手紙は、彼女がオーストラリアに着いた3年後に書かれました。彼女はピットケアン島の信徒達に慰めと指導の3通の手紙を送りました。   (『エレン・G・ホワイト百科事典』p.1027参照)

 

13.栄光のよみがえりの朝 ピットケアン島の友人達へのメッセージ

 私達は、今週の木曜日にあなたがたの深い苦悩を知ってとても悲しみに沈みました。私達の心は、私達が愛していた[..]マッコイ兄弟の家族の人達からの死の知らせに悲しんでいます。私達の同情は、この苦悩によって、死別の悲しみにあるすべての人々のもとに届くでしょう。私達は、私達の同情を、このような死別の悲しみにある家族の一人ひとりと、その子ども達に伝えています。しかしながら、私達は、みなさん方の唯一の希望と慰めとして、イエスを指し示しましょう。私達が悲しんだマッコイ兄弟の仲間のみなさん、父親を失った子ども達と、子どもたちを愛している母親は、死によって黙しています。でも、私達は泣いているこれらの人々と共に涙を流していますが、マッコイが、母親と娘を愛し、あなた方の教会長老のヤング兄弟を愛し、死によって移された人々と、イエスを愛して信じている人々を愛したので、私達は心の中で喜んでいます。

 主の弟子パウロの慰めの言葉をあなた方に送りましょう。「兄弟達、私は、永眠している人々について、あなた方が無知であることを望んでいません。汝らは、希望を持っていない人々のように悲しんではいけません。私達は、イエスが死んで復活したことを信じているなら、イエスにあって[死んで]眠っている人々さえ、神は彼と共に連れ出すでしょう。私達は、主の言葉によってあなた方にこのことを言います。生き残って主の来臨まで残る私達は、[死んで]眠っている人々よりも先になることはないでしょう。主自身が、天使のかしらの声と、神のトランペットの音と共に、天から大声で下ってくるでしょう。最初にキリストにあって死んだ人々がよみがえり、それから、生き残って生きている私達が特別な雲によって包まれ、空中で主に会うために、よみがえった人々と共に引き上げられるでしょう。そして、それから、主と共にいつまでも存在するでしょう。ですから、これらの言葉によって、互いに慰め合いなさい。(1テサロニケ4:13-18)。

 私達は、昼も夜も嘆き苦しみを持つ人間の同情を湧き起こす目的で、死者のための鎮魂歌を聞かされない時でさえ、燃える火の中のような所に存在していません。私達は、私達の友人達や身内の者達が私達から永遠に分かたれたかのように、喪服や死者を悼む服を身に着けることによって、自分自身を覆うために存在しているのではありません。ヨハネは、次のように強調しています。「ここに、聖徒達の特別な忍耐が存在しています。ここに、神の戒めを守り、イエスに属する信仰を守っている人々が存在しています。そして、私は、天からの一つの声を聞きました。「書き記しなさい。今から主にあって死ぬ人達は祝福された人達です。ええ、聖霊は言っています。その人々は自分達の重労働から休息に入るでしょう。彼らの働きは彼らに続く者達が為すでしょう」(黙示録14:13)。

 イエスにあって[死んで]眠っている人々を愛した、これらケースのヨハネの言葉はなんと適切なことでしょう。主が彼らを愛したことと、彼らの生活の中で彼らによって語られた言葉と、覚えられている愛の労苦の働きは、ほかの人々によって繰り返されるでしょう。神に属する働きの彼らの誠実な真心は、ついて行くほかの人々のための手本として残っています。神の聖霊は、主の善意の喜びをなすために、彼らの意思に働いてきました。

 「もしも、イエスを死からよみがえらせた主の聖霊があなたがたの中に住んでいるならば、特別な死からキリストをよみがえらせた主は、あなた方のうちに住んでいる主の聖霊によって、あなた方の朽ちる体にも生気を与えるでしょう(ローマ8:11)。これらの言葉は、死別の悲しみにあるすべての人々に、なんと、貴いことでしょう。キリストは、深い悲しみにいる私達すべてを慰める私達のガイド(導き手)、そして、慰め主です。主が私達に苦い飲み物を与える時、また、主は私達の口に祝福の盃を添えます。主は、その人の心を従順で満たします。信仰による喜びと平和で満たします。素直に言うことを可能にします。「私の意思によるのではなく、主よ、汝の意思がなされますように」(ヨブ1:21)。この従順による望みはよみがえって、伸びている信仰の手が永遠の力の御手をつかんでいます。「死からよみがえったキリストは、あなたの中に住んでいる主の聖霊によってあなたの朽ちる体をよみがえらせるでしょう(ローマ8:11)。

 滅びの種がまかれた体は、滅びによみがえるでしょう。不名誉な種をまかれた体は、得意になってよみがえるでしょう。弱さを植えられた体は、力によみがえるでしょう。一つの性質を植えられた体は、一つの霊的な体によみがえるでしょう。朽ちる体は、あなた方の中に住んでいる主の聖霊によって、生き返るでしょう。

 キリストは、主の名によって信じたこれらすべての人々に言いました。朽ちる体の中に住んでいるキリストの聖霊の生き生きとした力は、信じている全ての魂をイエスキリストに結んでいます。イエスを信じている人々は、主の心に捧げられた人々です。彼らの命は神の中にキリストと共に隠されています。神の命令が、命を与える御方から来るでしょう。「目覚めなさい。そして、歌いなさい。塵の中に住んでいる汝ら、汝らの露は薬用ハーブの露のようです。この地上は死の中に捨てられるでしょう」(イザヤ26:19)。

 命を与える主は、最初のよみがえりとして、主の犠牲によって得た宝を呼んで起こすでしょう。そして、勝利を得る瞬間、やがて最後のトランペットが音を立てる時、巨大な軍勢が永遠の勝利に向かっていく時、[死んで]眠っている聖徒達はすべて、貴い宝石として安全に守られ、保護されるでしょう。その人は名前によって神に知られています。生前に彼らの中に宿っていた救い主の特別な力、また、彼らが神性の性質にあずかる者だったことによって、彼らは、死から命へと引き出されています。

 キリストは、天の父ひとり子であることを主張しました。しかし、人間は、聖と義の御方を否定し、早まった決断に取り囲まれ、不信心に包まれるものとなりました。キリストは冒瀆に挑戦され、悲惨な死の有罪宣告をされました。しかし、彼は墓の枷を破壊し、死の勝ち誇りを打ち破り、ヨセフの借りた墓を出て、そして、宣言しました。「私は特別なよみがえりです。特別な命です」(ヨハネ11:25)。主の祭服を着た地と天のすべての軍勢と、そして、義人達が、イエスによって墓から解放されて現れるでしょう(All power in heaven and earth was vested in Him, and the righteous will also come forth from the tomb free in Jesus.)。彼らは、死からのよみがえりと全世界を得るための価値ある者と数えられるでしょう。「主の義は、天の父の王国で太陽のように光り輝くでしょう」(マタイ13:43)。

 そのよみがえりの朝は、素晴らしい栄光が存在することでしょう。キリストがやがて、信じる者達に敬愛されるadmireために来るとき、素晴らしいシーンが展開することでしょう。キリストの恥と苦難にあずかるすべての者は、主の栄光によって、主にあずかる者として存在しているでしょう。キリストの死からのよみがえりによって、イエスにあって死んで眠っている全ての信じる聖徒達は、勝利して、囚われの家から外へ出てくるでしょう。よみがえらされた聖徒達はこのように叫ぶでしょう。「死よ、汝の棘はどこですか。墓よ、そなたの勝利はどこですか」(1コリント1555)。……

 イエスキリストは、死とヨセフの借りた墓の拘束に勝利しました。そして、[イエスにあって]墓の中で眠っている全ての人々は、その勝利を分かち合うでしょう。彼らは、勝利を為した者として、墓から出てくるでしょう。

 

14.神はあなた方を見捨てない

 苦悩にいる親愛なる人々へ。とても悲しい死の別れです。神は、サタンが誘惑する娯楽のように、あなた方を見捨ててはいません。あなた方の悲しい心は、あなた方を同情する贖い主から慰めの言葉が受けられるように開かれています。イエスはあなた方を愛しています。義の太陽の光線を輝きを受けましょう。そして、慰められますように。死からよみがえった主、そして、あなた方のために執り成しをするためにいつも生きている主に感謝しましょう。イエスキリストは、生きている救い主です。主は、ヨセフの墓にはいません。彼はよみがえりました。彼はよみがえっています。喜びましょう。あなた方の死別と悲しみの日でさえも、あなたがたにはあなた方の全ての悲しみに同情する一人の救い主がついています。彼は、ラザロの墓の出来事に涙を流しました。これらの悲しんでいる神の子ども達と共に悲しみました。

 あなた方の闘いの全てにおいて、人生の試練の全てや困惑には、神からの勧めを求めましょう。神への従順の小道は、素晴らしい日に輝くもっともっと照り輝く一つの明るい光のようです。勤めの小道を一歩いっぽついていきましょう。苦労して登らなければならないような場所にも関わりましょう。しかしながら、謙遜と信仰と自己否定の小道に向かいましょう。あなた方の後ろ向きの疑いの雲を払いましょう。希望のない小道でも悲しまず、生きるために、あなた方の配慮と愛を必要としています。あなた方は、主の軍勢を得ました。イエスキリストの兵卒達として勇敢に立ち向かいました。懺悔と謝意の賛美の言葉を主の天の聖所への芳しい香りとして、神の前に届けましょう。

 あなた方は失望しているでしょう。あなた方の意思と、あなた方の進む道は否定されるでしょう。しかし、主があなた方を愛していることを確信してでしょう。特別な燃える炉の火は、あなた方の上に点火するでしょう。あなた方を滅ぼすためではなく、不純物を焼き尽くすために、あなた方は7回清められた金のように出てくるでしょう。心に生み出しましょう。その夜に、神はあなた方が歌う賛美を与えるでしょう。暗黒は、あなた方を閉じ込めるように見えるでしょう。でも、あなた方はその暗黒の雲を見るために存在しているのではありません。その暗黒の雲のかなたに、いつまでも輝く一つの光があります。主は全ての人の魂のために光を照らしています。心の扉を希望と平安と喜びへと開きましょう。イエスは、「これらのことをあなた方に話しました。私の喜びはあなた方の中に残るでしょう。あなた方の喜びは満ち溢れるでしょう」(ヨハネ15:11)。

 神は、神が人々に課した良い働きを、私達がお互いにするようにと、すべての人々が為すための特別な働きを備えています。私達の側で畏れる必要のあることは、イエスに両目の視線を保ち続けないこと、神の栄光を片目で見ないことでしょう。私達が力尽きて死の眠りに招かれたならば、自分が委託された働きをするための備えができないかもしれません(so that if we were called to lay down our armor and sleep in death we might not be ready to give an account of our trust.)。あなた方は、計り知れない代価によって連れてこられたキリストの所有財産であるということを一瞬でも忘れないでください。あなた方は、主の栄光が存在していて、あなた方の精神()とあなた方の体で、主の栄光を現すために存在しています。

 

15.慰めが豊かにありますように

 苦悩している人々へ送りましょう。よみがえりの朝の希望に良い慰めがありますように。あなた方がすでに飲んでいたその特別な水は、あなた方には苦い水で、その水は荒れ野でのイスラエルの子らのマラ(悪い)の水でした。でも、イエスは、主の愛によって、それを甘い(良い)水にすることができます。モーセがイスラエルの子らの困難の悲しみを主の前に持ち出した時、主は少しも救済策をもたらしませんでした。でも、彼らにそばにあった灌木や低木に注意を促しました。主は、泉の水を甘くきれいにするために水に投げ込むために存在していたものを創造しました。このことを行なった時、困っていた民は安全に喜んでその水を飲むことができました。

 神は心に痛手を負った全ての人々のために、一つのバルム(没薬樹:鎮痛・慰め)を提供しました。ギレアド[創世記3725]に一つのバルムがあります。そこには、一人の医者がいます。あなたは、以前、御言葉をまったく学ばなかったように、今も、学んでいないのでしょうか。あらゆる緊急事態で、知恵を得るために主を求めてください。全ての試練において、あなたの困難から逃れる道を示すように、イエスに懇願してください。その時、やがてあなたの両目は、救済策を見上げるために開かれるでしょう。また、あなた方のケースが神の言葉に記録された癒しの約束に適用するよう開かれるでしょう。この方法によって、主の敵はあなた方を嘆きと不信仰に導く場所がないことがわかるでしょう。その代わり、あなた方は主によって信仰と希望と勇気を持つようになるでしょう。あなた方の口に置かれるあらゆるつらい一言を癒す[バルムの]一枝のように、主の聖霊はあなた方にやがて理解する明晰な洞察力と、悲しみへの対応策として、やがて行動するふさわしいあらゆる祝福を与えるでしょう。あらゆるつらいという一言は、イエスの愛と混ぜられて、また、つらいと不平を言う場所で、あなた方は、それが、抑制され、聖や聖化された喜びに変えられ、悲しみと混ぜられた恵みと、イエスの愛に気づくでしょう。

 私達の長男、ヘンリー・ホワイトが[20歳で]死んだ時、彼は「病の床は、私達がイエスの臨在を知る貴い場所です」と言いました。私達が、特別に苦い水を飲まざるを得ない時、その苦さを背けて貴さと輝きに向かいます。試練の中で、恵みはその人の魂に確信を与えるでしょう。私達が死の床のそばに立って見る時、あるクリスチャンは忍耐を生み出して、死の谷を通っていくでしょう。私達は力を集め、働きに励んでいます。私達はしくじることなく、魂がイエスに導かれて、失望することがありません。      『手紙』65a,1894(67)

 

16.最高の慰め

 最大の悲しみを生み出して耐えた人々は、彼らが行く所ではどこでも太陽のような輝きを、たびたび、ほかの人々に最も大きな慰めを運ぶ人として存在しています。そのように、悲しみに耐えた人々は、自分達の苦難によって鍛錬され、温和にされています。悩みが彼らを激しく攻めたてる時、その人々は神への信頼を失いませんでした。神の愛の保護に堅く信頼しました。そのような人々は、神の優しいケアの証明に生きている人です。その人々は特別な光と同じように特別な陰を作っています。そして、私達の善のために私達を鍛錬しています。キリストは世界中の人々の特別な光です。貴い明かりです。私達は、その光の中で生きましょう。悲しみと愚痴にさようならを宣言しましょう。毎日、主によって喜びましょう。繰り返して書きます。喜びましょう。    『健康改革』全12巻第101877.10.1050歳)


 

第7部 代用医療の利用

 

 

はじめに             (エレン・G・ホワイト遺稿管理委員会)

 18635月、セブンスデー アドベンチストの全体総会が組織された時、教会員数が3,500人の時に、エレン・G・ホワイトは、身体的に良好な状態と霊的な経験との間の密接な関係、良好な健康の重要性について、アドベンチスト達に注意を呼び掛ける一つの幻を受け取りました。与えられたその光/真理は、日常生活、食事を含む、新鮮な空気、水の特別な利用、健康な服装、運動、休息、その他、重要な相の多くを扱いました。186366日の重要な啓示にある卓越したものは、内科医達が多く処方する有毒薬剤の有害な効能に関する光/真理でした。

 その後数年の間に、最も大きい基礎的な健康改革の幻が、多くの幻によって続きました。より詳細な原則とその原則の適用が開示されました。それは、病人の世話と良好な健康を維持することの事柄をガイドするでしょう。セブンスデー アドベンチスト達の医療施設の人々と[病人の世話と良好な健康を維持する]方法への呼びかけは、そのような施設の人々を指導するでしょう。

 これらの事柄について、ミセスホワイトは多くを書きました。彼女の最初の包括的な発表は、1864年の『霊の賜物』[4]4巻、120-151ページ、「健康」というタイトルの章でなされました。また、ミセスホワイトは、この30ページの声明を「病気とその原因」という一般的なタイトルで出版するために、6つの章に拡大しました。1865年、6冊のパンフレットによって具現化したこれらは、長老とミセスホワイトによって『健康や生活の仕方』というタイトルで編集されました。E.G.ホワイトは1章でほかの章をアピールしています[5]10年を数回過ぎて、時代とともにこの教派のさまざまな月刊誌は、健康をテーマにしてミセスホワイトによって、章が増やされました。1890年、彼女は健康メッセージの包括的なイメージを『クリスチャンの節制と聖書の健康法』の前半分を発表し、1905年に彼女の健康をテーマにした最大の巻、『ミニストリー オブ ヒーリング』(癒しの奉仕の働き)を出版しました。彼女は、広く、アメリカ人と海外の人々に貢献することを意図していました。

 健康に関するそれぞれの彼女の一般的な発表において、ミセスホワイトは、有毒の薬剤とそれらを病人の治療に使用する内容を取り上げました。そのテーマのこの相(卓越したオリジナルな健康改革の幻)は、彼女の最初の『霊の賜物』30ページ8[]の発表で満たされました。彼女は、『病気とその原因』シリーズの薬剤のテーマに関する1章全体の執筆に尽くしました。

 その当時、エレン・ホワイトの声だけではありませんでした。大西洋の両側には確かに適切な診断が欠けていることを嘆く内科医達がいました。そして、普通に多く処方された有毒な薬剤の使用に深刻な疑問が出されました。治療によって病人に生じた少しずつの変化の結果の一つは、薬剤の使用と考えられました。最新の医学教育が科学的な実験に基づく方法に沿って発達した時、それらの変化は最も急激に起こって、20世紀の最初の10年に続く数年を席巻しました。彼女の初期の著作物の中で、特に、ミセスホワイトは、その当時の内科医達に関し、また、[有毒]薬剤の使用に関して際立って強い声明を出しました。これらの公正な評価によって、人々は、その記事が書いた、その当時の医学実験の何かを知る必要があります。この知識は、その当時の医学的な文献を試験することによって、また、D.E.ロビンソン著『我々の健康メッセージの物語』の最初の章を読むことによって得られるでしょう。

 教会と教会員達の働きとその問題を特別に扱っている彼女の著書において、ミセスホワイトは、ほかのどんな小テーマよりも、健康のテーマと病人の世話にスペースを多く割いています。これらの勧めは、2,000ページ以上の『ミニストリーオブヒーリング』『メディカルミニストリー』『食事と食物についての勧め』『健康についての勧め』『節制』、そして、『SDA教会への証』の記事によって一般大衆に広められました。これらの本の読者は、これらの原典から健康改革メッセージの全体像をバランスよく十分に指導されています。

 この巻は、あるものは出版されたもの、あるものは未出版のもので、アドベンチストの各施設に繫がった医療従事者のために書かれた、様々な原典から引用された論述で組み立てられた4つの章を含んでいます。これらの記事は、ミセスホワイトの幻で啓示された原則を彼女自身が適用した方法を記述しています。病人の世話のテーマについて、彼女の様々な言い方によって、彼女は絶えず、私達が努力する必要のあるアイデアを取り上げています。彼女が認識したと同時に、使用された専門用語にみられたように、これらの薬剤に毒性があると知られた時でさえ、[有毒]薬剤を使用することは、必要とされ正当と認められた時期と特別な状況がありました。エレン・ホワイトが私達に、「キリストと天使達が、外科的な手術の実施において、献身したクリスチャン医師に付き添ってガイドするために、手術室に臨在している」と、確信を与えることは大切なことです。大きな外科手術の前に、患者の身体全体は、有害な薬剤によって、完全な無意識と完全な無感覚へと一つの感覚と一つの強い力に満たされています。それと同じ処置がなされて、外科処置の後に、その医者は、死の可能性のある事例で、患者を外科的ショックの状態の激痛と破滅から防いで安楽を与えるために、鎮痛薬の投与の必要を知るでしょう。

 医者達が知ることに努力し、神の意思に伴うように、今日、薬剤の使用について、彼女に尋ねるために、1893年にミセスホワイトに手紙を書いたある医学生の言葉によって、一つの事柄があらわされた類似の探究を僅かな人もしていません。彼は手紙の中で、次のように言っています。

 『SDA教会への証』の巻と単行本の『How to Live』についての私達の研究から、私達は、「主は、私達の医療の働きにおける薬剤の使用に強く反対している。数人の医学生は、『How to Live』に言及されている“薬剤”という言葉の意味について疑いの中にいる」ということを知ることができます。それは、私達医学生が「薬」と呼ぶ、「水銀剤[毒物。水俣病の原因。下剤]、ストリキニーネ[痙攣窒息、中枢神経刺激薬]、ヒ素剤[毒物。殺虫剤。森永ヒ素ミルク事件の原因]、その他の毒物のようなもの」だけを強力な劇薬として主張していますか。あるいは、それはまた、カリウム[体内イオンの調節]、ヨウ素剤[甲状腺ホルモンの材料](かい)(そう)(こん)(去痰剤)のような最もシンプルな治療薬を含んでいますか。私たちは、「自分達の成功は、神の方法への固守に比例するだろう」ということを知っています。この理由により、私はこれらの質問を申し上げました。

 次のページの28章にある最初の記事は、医学生の問い合わせへのミセスホワイトの返答です。――エレン・G・ホワイト遺稿管理委員会


 

28章 [有毒]薬剤drugs使用に関する記事

 (訳者加筆:1800年代後半では、下剤として水銀(猛毒:神経障害・死亡)、回虫の駆虫剤(?)としてヒ素(猛毒:胃腸障害・呼吸困難・死亡)が処方されていました。著者はこれらの有毒薬剤の使用に反対する勧めcounselを書きました。著者は、drug, drugs medicationという単語を使っています。彼女の時代では、「drug」といえば、有毒のものが普通に使用されていたので、翻訳に当たって、[有毒]薬剤としました。今日では、安全性が確認されたものが薬剤と言われています。しかし、日本で、整腸剤キノホルムによる薬害「スモン:視神経・末梢神経障害」、血友病治療薬へのHIV:ヒト免疫不全ウイルス混入などの薬害がありました)

 

1.[有毒]薬剤drugsに関する質問への回答による声明

 あなたの質問[6]には、私の説明によって、おおよそ答えられるでしょう。明確ではないかもしれませんが、薬剤の毒drug poisonsは、『How to Live』の中に、あなたが言及した章で取り上げています。「最もシンプルな治療薬」は、それらのシンプル性の比較において有害さが少ないです。しかし、多くのケースでは、それらは、まったく必要でない時にも利用されています。そこには、すべての家庭が自分自身で使うだろう、すぐに弁護士を呼ぶ必要がないのと同じように、医師を呼ぶ必要のない、シンプルなハーブや根があります。私は、医師達によって完全に無害であると与えられ、合成された薬剤のどのような正確な基準もあなたに与えることができるとは考えません。また、このテーマを巡った論争に繫がることは、賢くないでしょう。

 

 訳者加筆。2015年に、マラリア治療の新薬を発明した()(ゆう)(ゆう)にノーベル賞が与えられました。彼女は漢方薬として伝わるヨモギの一種から熱を加えない方法で有効成分を抽出し、さらに改良を加えてアルテミシニンという新薬を開発しました(『京都新聞』2018.5.1)。現在、三大感染症と言えば、結核、エイズ、そして、マラリア蚊が媒介するマラリア熱病です。この熱病を発症させるマラリア原虫は動物の肝細胞で増殖した後、赤血球に侵入してそれを破壊します。これに毎年世界で2億人が感染し数十万人が死んでいます。

 開業医達は、危険な調合薬の使用について、とても本気です。そして、私は、そのようなものの手段に訴えることに明確に反対している立場です。彼らは決して治療を改善しようとしません。彼らはもっと悪いことをするようにして、[患者を]困難に変えるでしょう。[有毒]薬剤drugsを処方するこれらの多くの医者達は、自分の子供達には、それらを与えたり、同じようなものを使ったりしないでしょう。彼らが人間の身体について聡明な知識を持っているならば、また、彼らが慎重さを理解したならば、彼らは、「私達が不思議に素晴らしく作られていることと、また、これらの劇薬strong drugsの一つの元素は人間性の生体組織の中で作り出されないだろう」ということを知る必要があります。

 その問題が私の前に提示されていた時、[有毒]治療薬のその結果の断固とした作用について、特別な光/真理が、私に与えられました。セブンスデー アドベンチスト達は、それらの健康を害する創案品をすべて捨てる健康施設を設立するでしょう。そして、医師達は衛生学の原則に則って病気を治療するでしょう。その重大な任務は、教育のために、よく教育/訓練された看護師、よく教育/訓練された開業医を持つために存在しているでしょう。「指示に指示、境界線に境界線、境界線に境界線、ここに少し、あそこに少し」(イザヤ28:10)。

 人々を正しい習慣と健康的な行動や運動へと教育や訓練をしましょう。1オンス(28g:わずかな)の予防は、1ポンド(454g多大な)の治療の価値があるということを覚えましょう。この境界線を講義し研究することは最も高い価値を証明するでしょう。『手紙』17a,1893(66)

 

2.ほかに明らかにする記事

1)それらは有害な影響を残すでしょうか

 後で有害な影響を残すような組織体系は、人間の体内に何も置かれていないでしょう。   『Medical Ministryp.228(『原稿』162

          『How to Conduct Sanitariums1897)[70]

 最もシンプルな治療法は自然[治癒力]natureを促進させるでしょう。それらの使用の後の結果に害を残さないでしょう。

            『手紙』82,1897J.H.ケロッグ医師へ)

2)実態は血液に毒を盛る

 私たちの健康施設において、私達はシンプルな治療法を提唱しています。私達は、医師達が血液に今流行の毒を盛っているので、[有毒]薬剤drugsの使用を思いとどまらせています。これらの健康施設の中で、食べ方、飲み方、服の着方、そして生活の仕方、健康が保てられるように、懸命な指導が与えられるでしょう。 『食事と食物についての勧め』p.303,(カリフォルニア州ロディでの説教。1908.5.9)81

 有毒な薬剤の負荷を加えることによって、身体機能の乱れを調整する努力をしてはいけません。    『ミニストリーオブヒーリング』

                                              p.235(1905)78

3)すべての致命的な薬剤

 すべての致命的な[有毒]薬剤pernicious drugsは、医師の処方かその人自身のどちらかによって、人体の胃の中に入りました。ある人体の有機的な組織へ害を為すことは、全身の機能に害を与えます。

            『原稿』3,189770歳)一般的な原稿

4)生命力を衰退させる

 [有毒]薬剤drugsは常に生命力を打ちのめして衰退させる傾向を持っています。  『Medical Ministryp.223 (General Manusucript

 Entitled Sanitariums,” 1887)(60)

 

5)有害な結果を残す有毒な調合薬

 神の奉仕者達は、苦悩の出現を取り除こうとするならば、患者の人体組織にやがて有害な結果を残すことを知っている[有毒]薬剤medicinesを投与しないでしょう。体内組織に取り込まれる植物野菜界や鉱物ミネラル界の毒素を備えたすべてのものは、肝臓と肺臓に不利に作用し、人体の普通の組織体系の調子を狂わして、気の毒な影響を残すでしょう。      『霊の賜物』第4p.140.186437歳)

6)有毒な薬剤の致命的な副作用や後遺症

 自然のシンプルな治療法の数々は、有毒な薬剤を使用する人々によってしばしば感じられるような致命的な副作用や後遺症を残さずに回復を助けるでしょう。有毒な薬剤drugsは、患者の自己回復力を打ち壊すでしょう。患者達の自己回復力は、健康的な食物とシンプルな食事を学ぶため、また、一回の食事の食物の多様性によって胃に負担をかけることを拒否する食事のとり方を教えられるために存在しています。これらの全てのことは、患者教育に関わってくるでしょう。いろいろな講和は、健康の保ち方、病気の予防の仕方、必要な休息の取り方を示して、与えられるでしょう。 「ロマリンダの医師達とマネー

              ジャー達へ」『手紙』82,1908(81)

 

3.[有毒]薬剤drugsの処方に関する勧め

1)ほとんど必要とされない―可能な限りの少量使用の勧め

 一般に試されている薬剤投与drug medicationは、災いの種の一つです。[有毒]薬剤drugsから離れる教育をしてください。可能な限り少なくして、もっと代用健康法を信頼してください。その時、自然[治癒力]natureは、神の医師達――新鮮な空気、新鮮な水、適度な運動――は、明瞭な分別心に応答するでしょう。茶、コーヒー、食肉に固執する人々は、薬剤の必要を考えるでしょう。しかし、多くの人々は、健康の法則を守るならば、一錠の薬剤を使用することなしに回復するでしょう。[有毒]薬剤drugsはまれに使用される必要があります。

          『Counsel on Healthp.261,189063歳)[7]

2)薬剤の使用を少なくするよう努める

 医師達は、業務において、薬剤を増やすのではなく、その使用を極力少なくするように努める必要があります。A医師が「Health Retreat」に赴任した時、彼女は自分の[医学の]知識を捨て置いて、衛生学の健康法を実践しました。ほとんどすべての病気になされている最小量の有毒的療法を非難しました。これは、神が与えた光/真理に反するものでした。このように、決まり文句でほとんど全ての薬剤を避けるように教えられてきた私達の[教会の]人々は、特異な教育を受けていました      『手紙』26a,1889(62)(施設で働く優れた医師へ)

3)[有毒]劇薬strong drugsは使用される必要がない

 医師としての最初の仕事は、人々が病気の予防に努めるよう、病気の過程の被害を病人に教育することでしょう。病気や苦難を防ぎ、抵抗力の低下を防ぎ、早すぎる死を避けることを求める人々のための最善の方法として、最善なことは、私達が接近可能なすべての人々の知性を教化する私達の試みによってなされうるでしょう。しかし、人々の身体的・知的な能力の回復の面倒を見る仕事に配慮のない医師達は、自分達が健康な状態に戻したと主張するだけでなく、二重の大きな悪[予防と自然治癒力を無視]のゆえに、人体組織体系の中の一つの基礎を打ちのめす[有毒]薬剤をすぐに処方するでしょう。

 [これとは対照的に]、薬剤に頼った危険な診療と、病気についての本質とその予防の方法を示すことによって、そして、明白な事実によってその理解を教化させることによって、自分の評判を危くしても特別に道徳的な勇気を持っている医師は、逆境にあって、坂道を登るような診療をしているでしょう。しかし、彼は生きているでしょう。生きようとしているでしょう。……彼が改革者の一人であるならば、[患者に]身体的・知的な能力と気性の自制に壊滅的な影響を及ぼしている間違った食欲と食欲の破綻、自己放縦、着道楽、食い道楽、飲み道楽、与えられた時間の中で多すぎる働きをする過労働などについて考え直すように、わかりやすく説明するでしょう。…

 [医師の説明によって]聡明・理知的に根気よく教育/訓練された[患者の]規則正しい習慣は、病気の原因を取り除くでしょう。そして、[有毒]劇薬strong drugsは頼られる必要がないでしょう。多くの人々は、不自然な自己放縦(わがまま、甘やかし)と共に、一歩いっぽ進んでいます。それは、まさに、可能な限り、不自然な一つの状態の物事として進んでいます。『Medical Ministrypp.221,222,1887 (サナトリウムという題の一般的な原稿)60歳)。

4)一般的に処方された

 [有毒]薬剤投与drugs medicationは、一般的に処方されたものとして、一つの不幸の種です。『Healthful Livingp.246, 1888(61)

5)賢明な投与は危険を避ける

 [有毒]薬剤drugsを投与処方してはいけません。事実、[有毒]薬剤drugsは通常存在しているように、害を与えるので、賢明にも処方されないでしょう。しかし、多くの人々の手に入りますが、それらは主の所有物として、有害でしょう。 『手紙』31884(セントヘレナ

               サナトリウムの働き人達へ)57

6)ほとんど全体的に除かれている

 私達の健康施設は、患者が衛生法・健康法によって治療されるようにと設立されました。ほとんど全体に[有毒]薬剤drugsの使用が除かれています。……それらの[有毒]薬剤drugsを冷酷に与え、身体の治療のためとして人間の生命を小さくみなす人々によって、神に報いられる恐ろしいつけがあります。……私達は、もしも、無知によって、私達が自分の胃の中に、理解していない様々な名前の有毒な薬剤を入れることによって、神の創造したものを破壊するならば、申し訳の立つ存在ではありません。そのようなすべての処方を断ることは私達の義務です。

 私達は、[オーストラリアで]サナトリウムが一つ設立されることを期待しています。そこでは、慢性的な病気がその人自身の自然治癒力によって治療されるでしょう。また、そこでは、人々が治療の仕方を教えられるでしょう。そこでは、人々が健康に良い食物の節制した摂り方を学ぶでしょう。さらに、習慣性のあるもの――茶・コーヒー・発酵したブドウ酒、あらゆる種類の神経を刺激する――を拒否するようにと、また、死んだ家畜の肉を捨てるようにと教育されるでしょう。

          『節制』pp.88,89(一般的な原稿、1896)69

7)特別なアイデア――[有毒]薬剤drugsを除く究極的な目的

 真の考え方によって生理機能を理解する時、あなたの[有毒]薬剤についての覚え書はとても小さくなるでしょう。そして、ついにあなたは全ての[有毒]薬剤を除くことを終えるでしょう。診療で[有毒]薬剤投与に頼っている医師は、患者の人体組織体系の機能の繊細さを理解していないことをあらわすでしょう。彼は、患者の生存期間内に打ち壊した患者自身の特性をこれからも決して取り除かないタネの一つをその身体組織体系の中に持ち込んでいます。私があえてそれを制しない理由を申し上げましょう。キリストは、人間の贖いのために自分の身体を使って、[有毒]薬剤によって行なった冷酷な治療をしたようなあまりにも高い犠牲を払いました。

 歳月は過ぎて、主は、私に、健康施設が[有毒]薬剤なしに病人を治療するために設立されることを啓示しました。人間は、神の所有財産です。そして、その禍根は生活習慣によるもので作られました。その苦難は人体組織体系の中に蒔かれた死の種によって増えました。これらは、神からの分離の一つです。 『Medical Ministryp.229,

                         1896「指導している医師と妻へ」(69)

 

4.手術室に神性のあらわれ[8]

1)手術室の中のキリスト

 緊急手術が行なわれる前に、担当医は偉大な医師の支援を求めましょう。苦悩にあるその人に、神がその人の厳しい試練を通して安全に連れ戻すことができるということを確信させましょう。危険な状態のすべての時に、主は確かに主を信頼している人々の避難所です。

               『ミニストリーオブヒーリング』p.118,1905(78)

 救い主は病室にも、手術室にも存在しています。主の名の栄光による主の力は、偉大なことを成就しています。『原稿』159,1899(72)

(原稿「クリスチャン医師の特権と義務」)

2)信仰の否定ではない外科手術

 私達の信仰の仲間達によって、神を信頼し、私達がその約束を推し進め、神が指示したすべての手段を利用することは私達の特権です。外科手術が必要な時、担当医がこのケースに着手しようとすること、手術を実行することは、信仰の否定ではありません。その患者が自分の意思を神の意思にゆだねた後で、偉大な医師、偉大な癒し主にまったく引き寄せられ、完全な信頼を置くでしょう。主は、主の方法によってその人の信仰を尊重するでしょう。主が見ていることは主自身の名前の栄光のゆえです。「そなたは、心がそなたに宿っている人を完全な平安のうちに守っています。その人はそなたを信頼しているからです。汝らは主を永遠に信頼しなさい。主ヤハウェ[9]は永遠に力強く存在しているからです」(イザヤ26:3,4)。

              『原稿』67,1899(一般原稿)72歳。

3)イエスはあなたの手を導いた

 あなたがこれらの緊急手術していた時に、誰があなたのそばに存在していましたか。誰が、あなたが緊急時に自制と冷静、敏速性を与え、鋭敏な洞察力、明確な視力、安定した気力、正確な技術を保っていましたか。主イエスは、主の天の使いをあなたがすることを語るためにあなたのそばに送っています。一つの手があなたの手の上に置かれています。イエスは、あなたではなく、あなたの手先の動きをガイドしていました。あなたがこれを意識していた時、不思議な冷静さがあなたを覆っていました。あなたは急いですることなく成し、一瞬の無駄もなかったことを知っていて、また、素早く働きました。主は、あなたを豊かに祝福していました。『SDA教会への証』第8,pp.187,188

   「バトルクリーク サナトリウムの医療管理者へ」189972歳)

 あなたが、緊急手術の時に神を見詰めたならば、神の天使達はあなたのそばに立っていました。天使達の手は、あなたの手がその働きを的確に演じている時に、見守る者達が驚かされるほどに確認されました。『手紙』731899(72)。「in the preceding講演した医師へ」。

4)医師のそばで見守る神性

 キリストは、かつて生きた人の中で最も偉大な医療伝道者です。彼は一人の病人も失いませんでした。彼は、この施設の医師達のために能力とガイダンス(指導)の与え方を理解していました。彼は、難しい外科手術を実行する彼らのそばに立っています。私達は、そのことを知っています。彼は、メスが髪の毛1本ほど逸れたら失われただろう人々の命を助けました。神の使い達は、キリストがその命を与えた人々にいつも奉仕の働きをしています。

 神は、働き人達が神に奉仕するゆえに、この施設の医師達に効果的に仕事をする技術と能力を与えています。彼らは、自分達の技術は自身のものではないこと、上から来ていることを知っています。彼らは、自分達のそばに神性の見守る者が存在していることを理解しています。その者は、主の医師達に、彼らの働きの中で聡明に動くことを可能にする知恵を与えています。 『原稿』28,1901(74)「セントヘレナ

               サナトリウムの働き人達への言葉」


 

29章 様々な治療法や医薬品remediesの利用

 

 

 

 

1.痛みの緩和と健康回復のために

1)あらゆる手段を利用する

 痛みを緩和し回復の働きを自然[治癒力]が助けるという、神が提供した様々な治療法や医薬品を利用することは信仰の否定ではありません。その人自身を回復のために最も友好的な状態にして、神と協力することは、[癒しを祈り求める病気の人]に信仰の否定が存在していません。神は、特別な命の法則の知識を得るために、それ[神と協力すること]を私達の能力の中に備えました。この知識は、利用するようにと、私達の内側の届く範囲に備えられました。私達は、健康の回復のために、可能な限り、あらゆる役立つことを利用し、自然の法則と調和して働いて、あらゆる手段を利用する必要があります。

    『ミニストリーオブヒーリング』pp.231,232 (1905)[78]

2)私達が届く範囲で手段を利用

 あなたがその病人のために利用されるような方法がないと捉えたそのアイデアは間違いです。神は、人間が届く範囲に備えてある、癒しの手段の目的なしに、あるいは、人々が、神の提供した新鮮な空気と水という最もシンプルな治療法によって益を受けるということを拒むとき、その病人を癒しません。キリストの日とその弟子達の日々に医師達が存在していました。ルカは「愛された医者」と呼ばれました。彼は、治療方法の応用について熟練するようにと主を信頼しました。

 主が、ヒゼキヤ王に寿命を15年延ばそうと語った時[列王記20:6]、主の約束を果たすしるしとして、太陽が10回進んで10戻ることが根拠とされました[列王記20:9]。主は、なぜ、直接に、王に回復の力を備えなかったのですか。主は[イザヤによって]、王の体の[腫れ物の]痛みにイチジクの実を当てるよう語りました[列王記20:7]。それは、神に祝福された自然[治癒力]の治療法で、彼を癒しました。自然[治癒力の]神は、今も、その働き人に、自然療法を利用するようにと指揮しています。

 (訳者加筆:翻訳に当たって、「預言者prophet」がモーセからヨハネの時代まで神の言葉を預かった。「使命者messenger」が黙示録からE.G.ホワイトの時代まで神からの使命を伝えた。この後の時代は、「働き人agent」が「聖書」を伝えている、と考えて翻訳しています)。

 私はこの事柄においてずっとこうするつもりです。私の兄弟、しかし、今、私はいくつかの事例でそれをやめます。[チャコールの利用について、二つの事例の記述が続いています。30章をお読みください]

 これら全てのことは、私達に、「私達が過激なアイデアと急進的な影響を受けないよう、非常に注意深くいるように存在している」ということを教えています。[有毒]薬剤投与と思われるあなたの考えを、私は尊重する必要があります。しかし、このことにおいても、あなたは「あなたが全部の[有毒]薬剤を除いた」目的について、患者達が熟知できるようにして、患者達がいつもそれを知るようにさせる必要がありますyou must not let the patients know that you discard drugs entirely, until they become intelligent on the subject.。あなたは、しばしば、自分を「あなたは自分のあらゆる信念を発言することによって、あなたの影響力に傷をつけ、よく思われないことをしている」という立場に置いています。このように、あなたは、その人々から自分を分断しています。    『手紙』182「海外の伝道地で働く人へ」1899(72)

3)神の様々な治療法や医薬品

 特別な癒しの技術の実践方法には多くのものがあります。しかし、天が認める方法が一つだけあります。神の様々な治療法や医薬品は、その[自然の]力強い特質を通して、人体組織体系に負担を与えず衰弱させないような、自然[治癒力]の最もシンプルな作用です。新鮮な空気ときれいな水、清潔、適切な食事、清らかな生活、そして、神への堅い信頼は、死に逝く何千人もが期待する人々の様々な治療法や医薬品として存在しています。また、それらの様々な治療法や医薬品は、それらの上手な利用が人々にありがたく思われない仕事を求めるので、時代と共に捨てられていっています。新鮮な空気、運動、きれいな水、そして、清潔、住み心地の良い住居などは、少し出費がいりますが、全ての人の手に届く範囲にあります。しかし、様々な薬剤は高価です。財産を費やすこととその結果の両方は、人体の組織体系にもたらされています。     『SDA教会への証』第5p.443(1885) 58

4)最もシンプルで様々な治療法や医薬品remediesの利用

 自然[治癒力]は、最もシンプルで様々な治療法や医薬品によって見つけられるように、特に、自然[治癒力]自身が備え付けていた様々な治療法や医薬品――呼吸の仕方の大切な知識と新鮮な空気、それ自身によって得られるために存在していて役に立つきれいな水の応用の仕方の知識――の利用によって、それらの適切な状態をもたらすためのいくつかの支援を必要とするでしょう。それら全ては、その能力によって効果があります。健康的な食事のとり方と衣服の着方の知識を得た患者は、安楽に、平安に、健康に生きるでしょう。また、自然[治癒力]に助けられる場所で、自然治癒力を麻痺させる有毒薬剤をその口に入れるようにと、説得されないでしょう。ある病人と病気で苦しむ人々は、健康改革の原則で辛抱強く生き抜くことについて知ることだけでなく実行することでしょう。そうすると、軽い慢性の病気から10人のうち9人が回復するでしょう。 『Medical Ministrypp.223,224

                    『原稿』22,1887(60)

2.自然界に存在する様々な治療法や医薬品remedies

1)水治療とシンプルなハーブ

 主は、私達に、水の的確な利用に備わっている癒しの大きな効果について教えました。それらの治療は、熟練して上手に与えられる必要があります。私達は、有毒薬剤の利用を止めた病人の治療法を教えました。病人の回復のために利用できるシンプルなハーブが存在しています。その人々の身体組織体系への効能は、血液に毒を盛り生命を危険にさらすそれらの[有毒]薬剤とは非常に異なっています。

         『原稿』「繰り返された勧め」73,190881歳)

 

3.身体の組織体系を清らかにする治療法や医薬品

 キリストは人間の身体組織体系の中に様々な死のタネを決して組み込みませんでした。サタンは、神への不従順を意味する知識の木[の実]を食べるようにアダムを誘惑した時に、それら[]のタネを組み込みました。人間の健康に悪い植物は、主のとても美しい庭に植えられませんでした。しかし、アダムとエバが罪に陥った後で、有害な数々のハーブが芽を出し始めました。[聖書の]種蒔きの譬え話の中で、ある質問が主キリストに[対して]なされています。「スズメノエンドウ(有害な雑草)が生えてきました。そなたは自分の畑に良いタネを蒔いたのではありませんか」。主は「ある敵意のある者がこのことをしました」と答えました(マタイ13:27,28)。エンドウマメなどと共に地上[の植物]を有害な雑草にした[悪意のある植物の遺伝工学の]交雑という彼の巧妙な方法によって、全ての有害なハーブは彼[サタン]によって蒔かれたもの属しています(E.W百科事典p.232参照)

 医者達は[有毒な]薬剤を安易に処方するでしょう。それは、人間の身体組織体系に致命的な害を残して、キリストが回復するために来た人間の命に死をもたらすでしょう。キリストの治療法や医薬品は人間の身体組織体系を清らかにします。しかし、サタンは、神の美的なアレンジ、健康を妨害して崩し、人間の身体機能を弱めるシステムを人間の身体組織体系にもたらすようにと、人間を誘惑しました。その[有害な]薬剤は、病気を回復させず健康を崩す方向で投与されました。[有害な]薬剤は決して人を治療しません。そうではなく、それらは、身体組織体系の中に非常に苦い収穫をもたらす数々のタネを蒔いています。……

 私達の救い主は、人の中に神の道徳的品性のかたちを回復する存在者です。主は、病気の人の為に、自然界に治療法や医薬品を供給してきました。彼につく人々は、命や生活を保てるでしょう。また、それをもっと豊富に持つでしょう。私達は、人が過去に使用してきたその調合薬を無難に廃棄することができるでしょう[10]

 主は、病人達の為に各種のシンプルな植物によって、様々な解毒剤/対応策を提供しています。それらは、信仰を否定することなく、信仰によって利用されうるでしょう。それらの祝福の利用によって、私達の益の為に、私達が協働している神によって提供されました。主は、水、太陽の陽射し、そして、不慮なケガや事故などによってもたらされた病気を癒す場合に、発達をもたらすために刺激を与える数々のハーブを利用するでしょう。私達は、主の医薬品による祝福を求める時に信仰の欠如を現さないようにしましょう。信実の信仰は、身体的な活力と知的な活力が回復するような方法について、貴い祝福を利用する方法についての知識を神に感謝するでしょう。

 人間の身体は慎重に配慮されるよう存在しています。この[身体]の中に、主は人間の媒介者の協働を命じています。人は、その対症療法と、頭脳、骨、筋肉の利用に関して聡明になる必要があります。私達が獲得できる最も良い体験は自分自身[の身体]を知ることです。

                『原稿』65189972歳)一般的な原稿

 

4.全ての人々は自分自身のために為すことを理解する

 あなたは、「教会のサナトリウムの医師達はとても忙しく、往診に割く時間がないので、緊急のケースでは、私達は世間の医師を呼ぶべきでしょうか」と尋ねました。あなたの質問は、その医師がとても忙しくて、その施設の外にいる患者の治療ができない時に、「シンプルな治療法や医薬品の利用を人々に教えることは、実際の品質を隠すための長い名称に与えられた[有害な]薬剤をあえて使用する以上に、全ての人々のために賢くないのではありませんかということです。誰が、神の治療法や医薬品――温水による温罨法、冷水と温水による冷温罨法について無知でいる理由があるでしょうか。病気のケースによってダイエットの益に詳しくなることは大切です。全ての人々は、自分自身のために為すことを理解するでしょう。人々は、看護がわかる誰かを呼ぶでしょう。でも、みなさんは自分が生活している家や家族についての聡明な知識を持っているでしょう。みなさんは病人のケースについて為すことを理解しているでしょう。

 私に病気があった時、私はすぐに一人の弁護士を呼んだと同時に、一般の治療をする一人の医師を呼びました[11]。私は彼らがラテン名をつけているまやかし薬は手に触れないつもりです。私は、自分の身体組織体系の中に投与する全てのものの名前を英語名で知ることを決意しています。

 [有害な]薬剤を処方するこれらの医師は、自分達の知性と彼らの晩年も危険にさらして罪を犯しています。多くの深刻な困難に思えることを何とか乗り切るように利用できる、ほとんど無害の数々のハーブがあります。みんなが人々の身体に必要に関して聡明になることを求めるならば、病気は、当たり前なことではなくまれなこととされるでしょう。1オンス(28g:わずかな)の予防は、1ポンド(454g多大な)の治療の価値があります。  『原稿』86,1897 (一般原稿、『健康改革

の諸原則』オーストラリア コーランボンで執筆した)

 

5.サナトリウムプログラムにおけるシンプルな治療法と薬剤

 私は、サナトリウムの場所に関する多くの指導を受けました。それらは大都市から数マイル(1マイル=1.6km)離れた所に存在させましょう。そして、土地は都会の人々と交流があって、安全が保たれる必要があります。果物や野菜が栽培され、患者が野外の働きにつくように勧められるでしょう。肺に関する病気で悩まされている多くの人々は、1年の多くを戸外で過ごせる気候で生活するなら癒されるでしょう。肺の病で死んだ多くの人々は、きれいな空気を呼吸したなら、生きていたことでしょう。戸外の新鮮な空気は、医療や医薬と同じように癒しがあります。

 新鮮な水、きれいな空気、陽射し、その畑で育つ数種類のシンプルなハーブなどに基づいているような、また、使用目的がシンプルな治療法や薬剤のようなものに限られていて、最初から、全ての[有害な]薬剤が私達のサナトリウムから除かれ続けたならば、それは、とてもよかったでしょう。

 それら[シンプルな治療法や薬剤]は、その[有害な]薬剤が謎の名前で、効果があるとされて利用されたと同じように、人間の科学によって根拠づけられるでしょう。それらは、身体組織体系の中に有害な結果を残さないでしょう。

 彼らが自分達の命のために[有害な薬剤を売る]ドラッグストアに頼らず、[有毒]薬剤を全て排除し、胃を刺激して胃弱を残す、茶、コーヒー、蒸留酒、あるいは、スパイスなど刺激物のない食生活をするならば、シンプルな食物が消化できて、[体調不良に]苦しんできた何千という多くの人々が自分達の健康を回復するでしょう。主は、弱く疲れ果てた全ての人々の為に特別な輝き、真理の光を人々に明瞭にすることを望んでいます。  『原稿』115(サナトリウムの働きに関する

                  一般的な原稿),1903(76)


 

30章 エレンG.ホワイトの代用治療法の利用

 

 

 

 

 

はじめに(題目編纂者)

 エレン・G・ホワイトはシンプルな治療法や薬剤について、繰り返して語りました。彼女は、特に、新鮮な空気、陽射し、節制、休息、運動、適度なダイエット、水の利用、そして、神性の力への信頼を挙げて、彼女がこれを語る時に彼女が意味することについて私達に語っています。本書のp.278-291と『ミニストリーオブヒーリング』p.127を参照してください。加えて、エレン・ホワイトの特別な出来事、彼女の同世代の人、彼女が知って利用したシンプルで確かな薬剤について論じました。そのような治療法や薬剤は、通常、一つの例としてだけ言及しました。また、彼女は、治療法や薬剤の働きに彼女を導くいくつかのまれな緊急の状態について、同世代の人[の考え]によって論じました。

 それらの確かな薬剤を論じた評価において、読者によって4点が観察されるでしょう。

1.続くページのミセスホワイトが言及しているシンプルな性質の特別な治療法や薬剤の重要な記事、そのような論述のリストが、この題目編纂集の当時に知られていた限りにおいて作成された。

2.E.G.ホワイト選集にみられるように、11ページものと「健康の勧め」を広範囲に紹介するための2,000ページ以上を割いたものと比べた時、これらの論述を印刷した数ページのものが作られて置かれるようにと求められた。

3.50年に亘ってミセスホワイトは、健康のテーマと病人の世話について出版するために広範囲の内容を書いた。しかし、それはヒゼキヤの怒りのための「イチジクの塊」論の言及、彼女の息子の一人の病気の時、効果のないはかない「シンプルハーブ」の利用の言及を除いて、一つの関心と重要な要素が存在している(『霊の賜物』第2p.104参照)。彼女は、ハーブの薬としての利用や、出版した論述の中でもほかの特別にシンプルな治療法や薬剤[の利用]を主張することはなかった。控えめに言っても、この事実は、各種ハーブの利用は、彼女が完璧に備えた健康プログラム全体で最重要に属しているという結論を受け入れないだろう。

4.ミセスホワイトはシンプルな治療法や薬剤の意見をどこにも記述していない。ほかのもっと効果のある治療法や薬剤の意見は見られない。

 誰かが抱いた印象によれば、ミセスホワイトの著作物は、ハーブを推奨しているだけではなく、その原則は、病気を治療することを意味するような重要な意味を持たせています。そして、この点について、未出版の資料が大量に存在しています。ホワイト遺稿管理委員会は次のように信じています。「セブンスデー アドベンチスト達の精神は、それをフォローするその論述を印刷することによって支えられ、その記録が明瞭に保たれるでしょう」。病人の治療に携わるために一般社会の原則に先立って立った読者は、彼女の出版物によって、公正さによって、その著者が為した以上にこれらの論述を大きく特別に非難をする必要はないでしょう。――題目編纂者。

(訳者加筆:また、E.ホワイトが書いたのは1890年代で、本書が編纂されたのは1958年でした。薬学や医学はまだ黎明期にあったことを理解する必要があります。たとえば、インスリンが発見されたのは、1912年、成長ホルモンの発見はもっと後です)

 

1.私は彼らの親切心を証言できない

 [有毒]薬剤drugの処方によって、重い身体的危害が現れた後で、私はそれらを使うことができません。私は彼らの親切心を証言することができません。私は、主から与えられた真理の光に誠実であって当然です。

 サナトリウムが初めて設立された時、私達が与えた治療は、病気に立ち向かうために誠実な働きを求められました。私達は[有毒]薬剤の混合剤を使用しませんでした。この働きは神によって祝福されました。それは、命や生活を救うために人間の媒介者が神と協力するような一つの働きでした。有害な影響を未来に残すようなものは人間の身体組織体系の中に何も投入されないでしょう。このテーマでこの真理の光を遂行すること、衛生学による治療の実践、異なる病人を世話する手法の全てを教育することなどが、その理由でした。私達がなぜ様々な土地にサナトリウムを設立したのかの理由を私に与えられました。

 多くの学生達が、[有毒]薬剤を使用する教育を受けるために〇〇[12]へ行くよう失望させられた時、私は苦しみました。私が受け取ったその真理の光は、[有毒]薬剤の利用において、△△やそのサナトリウムについて与えられたものと比べて、全く異なった性質のものでした。私達はこれらのテーマにおいて、光を与えられて教化される必要があります。与えられた薬剤の難解な名称は、その材料を覆い隠すために利用されます。そういう訳で、人々がそれらの名称の意味を見つけ出すための辞書を手に入れない限り、薬剤として与えられたものがわからないでしょう。

 主は、その当時では有益な、野原にある各種のシンプルなハーブを与えました。もしも、全ての家族が、病気のケースに合ったハーブの利用の仕方を教育されたならば、多くの苦しみは避けられるでしょう。医者を呼ぶ必要もないでしょう。これら聡明に利用されたシンプルなハーブの旧式な風習は、[有毒]薬剤のもとで死んだ多くの病人を回復させたでしょう。

 最も有益な治療法の一つは、バッグに入った温湿布療法の粉砕されたチャコールです。皮膚を刺激する煮たタデ科植物、これもまたいいです。ある病人が激痛で苦しんでいたケースで、これが命を閉じる前の最後だと考えた医師が私に打ち明けた時に、私はこれを処方しました。私がチャコール[13]を提案し、その患者は眠りについた後で、転換期が訪れました。回復がその結果でした。両手に熱傷のケガを負った時の学生の為に、私はシンプルなこの治療法を処方しました。完全にうまくいきました。炎症の弊害を克服しました。その痛みは取り去られました。そして、癒しはすぐにやってきました。両目の切り傷の最もひどい炎症は、このケースによく合うように、熱い湯か冷たい水に浸した、バッグに入ったチャコールの湿布によって収まるでしょう。これはお守りのように作用します。

 私はあなたがこれに満足することを期待しています。しかし、もしも、私が、このいくつかの奇妙な名称の薬品を与えるならば、誰も私自身を知らなかったでしょう。それは非常に強く影響を及ぼすでしょう。……しかし、最もシンプルな治療法と薬品は、自然[治癒力]を支えるでしょう。それらを使用した後で、有害な結果を残さないでしょう。        『手紙』82,1897J.H.Kelloggへ」[70]

 

2.勧めを求められた時のシンプルな療法と薬剤のアドバイス

 各種のハーブがたくさんあります。もしも、私達の[教会の]看護師たちがその価値を学んでいるならば、それを[有毒]薬剤の位置において利用するでしょう。そして、とても良い効果を得るでしょう。何度も、私は、病気や事故のケースでなされるような時に、アドバイスに使ってきました。そして、私はシンプルな療法と薬剤をいくつか処方してきました。それらが助けになることを明らかにしました。

 一つの事例において、一人の医師がとても難儀していて、私の所に訪れました。彼は、危機的な病気の若い婦人の家に呼ばれました。彼女は野外集会場にいた間に高い熱を発する病気に感染していました。オーストラリアのメルボルン近郊で、私達の学校の建設に携わっていました。しかし、彼女はとても悪くなってきたので、生きることができないだろうと心配されました。メリット・ケロッグ医師が私の所に来て言いました。「ホワイト姉妹、このケースにおいて、私の為に何か光を持っていませんか。もしも、私達の姉妹に救済reliefが与えられなければ、彼女が生きられるのはほんの数時間です」。私はこう答えました。「ブラックスミスの店に使いを遣って、粉末チャコールを買ってきてください。それで湿布薬を作り、それを彼女の胃の上と両脇に当ててください」。その医師は私の指導を実行するために急いで帰りました。間もなく、彼は戻ってきて言いました。「その湿布を当てた後、半時間ほどで、救済がやってきました。彼女は、数日前と比べて、今、最も自然な睡眠をとっています」。(訳者加筆: E.ホワイトは1881年から1890年までオーストラリアに滞在していました)

 私は、ひどい痛みに苦しんでいほかの人々の為にそれと同じような処方をしました。それは、救済をもたらし、命を救う意味がありました。私の母親はかつてこう言っていました。ヘビの咬傷と爬虫類に刺された痛み、昆虫類(クモ、ムカデ) の毒は、チャコールの湿布を利用することによってしばしば無毒にされるようです。オーストラリアのアボンディールの土地で働いていた時、そこの労働者達は、しばしば四肢に切り傷を負っていました。この多くのケースで、働き人達はしばらくの間、自分の仕事を放置しなければならないほどの酷い炎症という結果でした。ある日、一人の男性がこの状態で私の所に来ました。彼の手は包帯がまかれていました。彼は、その事態にとても混乱していました。彼の助けによって、その土地をきれいにする必要がありました。私は彼に言いました。「あなたが樹木を燃やしていたその場所に行ってください。そして、ユーカリの木のチャコール()を少し持ってきてください。それを粉末にして、私はあなたの手の傷を消毒して包帯を巻きましょう」。これは、なされました。翌日の朝、彼は「痛みはなくなりました」と伝えました。間もなく彼は仕事に戻る準備をしました。

 私は、主がシンプルな療法や薬剤の利用をすることなしに私達を放置しないことをあなたが知っているだろうと思うこれらのことを書きました。シンプルな療法や薬剤は、利用した時に、しばしば、[有毒]薬剤の利用によって弱くなった状態の身体の組織体系の中に残らないでしょう。私達は、自然界が健康へ回復するための[もの]を供給していること、健康の法則を知らない人に効果的な治療だけではなく、それらのシンプルな[療法や薬剤]の利用の仕方を教えることのできる人、シンプルな療法や薬剤の利用の仕方を理解できてよく教育された看護師を必要としています。

 男性達と女性達を創造した主は、これらの苦しみにある人々に関心を持っています。主は、私達のサナトリウムの設立と、私達のサナトリウムの近くに学校を建設することを指導しています。人々は、苦しんでいる人間に奉仕の働きをするための教育訓練された男性達・女性達として、効果的な治療者となるでしょう。病人の対症療法において、有毒薬剤は利用される必要がありません。どんな形であれ、誰かの魂がアルコールとタバコの悪い味を知るように導かれるといけないので、それらは推奨されてはいけません。 『手紙』90,1908「ロマリンダで

    責任を負っているJ.A.バーデンとそのほかの人々へ」[81]

 

3.シンプルな療法と薬剤が安全

 私達が私達自身のためにできることに関して、熟慮の末の考えと、注意深さを求められることが挙げられます。私は自分自身を熟知するようになる必要があります。私は、神が私に与えたこの身体と、この人格の形成に関する配慮の仕方について、健康をとても良い状態に保つことができるように、いつも一人の学習者である必要があります。私の身体的に最高の良いものであるような飲食物を摂る必要があります。また、私は、健康的な血液の循環に利するように、自分の服を着るための特別な配慮をする必要があります。私は、自分[の身体]から運動と空気(酸素)を奪わないようにする必要があります。

 私は、自分の身体の忠実な保護者であるために知恵を持つ必要があります。私は、汗をかいたままで[着替えもせずに]冷えた部屋に入るというとても賢くないことをするでしょう。そんな時、通り風に身を置いて、私は涼もうと身をさらして、賢くない管理者だと自分に示しているでしょう。私は、脳や組織内部の遠い端から戻ってくる血液、足と手を冷やすままにして賢くないことをするでしょう。私は湿気でむしむしする天候の時にいつも足を保護することにしています。

 私は、血液を良質にするような、最も健康的な食物をいつも食べることにしています。私が避ける力がある時には、過度に食べ過ぎないようにしています。

 私が私という存在の中に神の設定した法則を乱す時、私は、神が提供した――きれいな空気、新鮮な水、そして癒し、ありがたい陽射しという特別な医師の下で最も快適な状態に私自身を置いて、悔い改めて改善するために存在しています。

 水は、苦痛の除去のためのいろいろな方法によって利用されるでしょう。きれいなコップ一杯の食前に飲んだお湯は、どのような害することもしないでしょう。むしろ、よいことをもたらすでしょう。

 シソ科イヌハッカ(ハーブ)から作られたカップ一杯のお茶は、神経のいらだちを鎮めるでしょう。熱いお茶は眠りを誘うでしょう。胃の上に当てたホップの湿布薬は痛みを和らげるでしょう。

 目が疲れた時や、目に痛みがある時、または、炎症がある時には、塩を入れたお湯で湿らせた柔らかなフランネルの布は直ぐに慰めをもたらすでしょう。

 頭が疲れた時には、足と手を少量のマスタードを加えた手浴足浴をすると慰めが得られるでしょう。

 身体に健康的な活動を回復させるような多くの最もシンプルな療法や薬剤があります。主は、シンプルに備えられたこれらを私達が自分達のために利用することを望んでいます。人間の危機は神の好機です。私達が、ほとんど全ての家庭に届けられていることと、また、私達が私達の能力なしにこれらの療法や薬剤を利用することを怠っている時に、苦痛の救済を主に求めるならば、それは単純な推測で厚かましいです。主は、食べ物を得たいという目的で働くことを私達に期待しています。主は、草地を切り拓き、大地を耕し、そして、作物を栽培することなしに、私達が収穫できるとは提案していません。さらに、神は、植物が繁茂する目的で、雨と陽射しと雲を送っています。さらにまた、神は働いていて、人は神と協力しています。タネを蒔くときに、収穫の時があります。

 神は、人間が利用するためのハーブに土地から生じる原因を作ってています。私達が様々なこれらの根とハーブの性質を理解するならば、それらを正しく利用するならば、たびたび、医者を呼ぶために走る必要がないでしょう。そして、人々は現在よりもよりよい健康状態でいるでしょう。私達が私の処方している療法や薬剤を利用した時、私は偉大な医者を呼ぶことを信じています。  『手紙』35,1890(63)

           (太平洋のかなたの伝道地にいる働き人へ)

 

4.新設サナトリウムの医療指導者への勧め

 施設の内でも外でも、あなたができることは全部するようにしましょう。あなたの[診療の]前提は最良の処方に存在するようにしましょう。患者の知性に嫌な印象を生じさせるようなものが何も存在しないようにしましょう。

 健康に生きるように、体験を豊富にするように、患者を励ましましょう。これは、彼らの健康を回復するようにするでしょう。木陰の下に椅子を置きましょう。患者達は戸外で多くの時間を過ごすように勧められるでしょう。ある場所はテントかガラスで覆われて提供されるでしょう。寒い天候の時、そこでは、患者達は風に吹かれることなく陽射しの中で座っていることができるでしょう。……

 その施設の内や外で気持ちがよくて、きれいな空気と陽射し、楽しい会話と親切な行動――これらは、そのサナトリウムに来る病気の人々のための療法や薬剤を提供するための、病人に必要な療法や薬剤です。神は成功したあなたの努力に冠を授けるでしょう。ほかの人々のための、幸せ感と爽快感、共感と望みがあるという印象によって、あなた自身の魂は、真理の光と平安に満たされるでしょう。そして、神の祝福の陽射しは私達の全てにおいて価値があるということを忘れないでしょう。

 神によって無料で提供されているこれらの代用健康回復の価値を看護師達と患者達に教えてください。シンプルで有用な数々のものは簡単に手に入れられます。

 私は、消化不良による胃痛症状に [有毒]薬剤よりも効果的な一つの療法と薬剤として、私の体験を少しあなたに伝えましょう。少量のオリーブオイルを小麦粉に入れてこねたものは、胃をスッキリと癒す傾向があります。私はそれが優れていることを見つけました。ある時、私達は、ユーカリの木のチャコールを粉末にして、炎症性のケースに無料で利用しました。……

 常に、最もシンプルな療法と薬剤を研究して教えてください。主の特別な祝福は、これらの手段を利用する人々に期待されているでしょう。それは、一般の人々にも届くでしょう。『手紙』100,1903(76)

 

5.チャコールについてのほかの体験 

1)急速な回復

 ある兄弟は、腸の炎症と血便性の赤痢を患っていました。その人は、自分の食慾を甘やかして、健康改革には気を使っていませんでした。私達は、ちょうど、テキサスを出発しようと用意していました。そこでは、私達は数か月間、[伝道して]働いていました。そして、私達は、この兄弟と彼の家族、そして、マラリア熱に苦しんでいた数人の人達から立ち去ろうと馬車の用意を終えました。私の夫と私は、いくつかの家の主人が死んでしまい、妻達が残され、子ども達が用意のできないままになるより、この手間のかかる必要に向き合おうと考えました。

 23人が死んで緩衝器付き大型馬車のスプリングマットレスに乗せられて運ばれて行きました。腸の炎症で苦しんでいたある人が、私達の所に連れてこられました。私の夫と私は、彼が取り去られないようにと決心しました。壊死が始まって、恐れていたことが起こっていました。その時、主からのコミュニケーションのようなある考え(粉末チャコールを使い、それを水で溶かし、この水をその病人に飲ませる。チャコールのついた包帯を腸と胃の周りに巻き付ける)が、私に思い付きました。私達は、テキサス州北東部のデニソン市から約2キロ離れた所にいました。その病人の息子はブラックスミスの店に行って、チャコールを手に入れて来ました。それを粉末にして、与えられた指導によってそれを使用しました。その結果は、半時間ほどの間に快方に向かいました。私達はその家族を残して伝道旅行に出かける義務がありました。ところが、翌日、彼らの馬車が私達に追いついたのを見たことは驚きでした。その病気の人は馬車のベッドで横になっていました。神の祝福はそのシンプルな手段の利用と共に働きました。『手紙』182,1899(72)「海外の伝道地で働く人へ」p.60参照)

 

2)チャコールと亜麻仁(亜麻の種)

 木曜日に、サラ・マクエンターファー姉妹[14]は、B兄弟の下の息子のために彼女が何かできるか、会うために呼ばれました。彼は18歳でした。数日間、彼は、膝に痛みのある腫れが生じていました。それは、何かの毒虫に刺されたためと思われました。粉末チャコールに亜麻仁を混ぜたものがその腫れの上に当てられました。この湿布薬は直ぐに苦痛を除去しました。その子は一晩中苦痛で悲鳴を上げていました。でも、これが施された時、彼は眠りました。今日、彼女はその子に2度会いました。彼女は、その腫れの2か所を開いてみました。黄色い膿と血液の大きな塊がたくさん排泄されていました。その子は酷い苦しみから救済されました。私達は、痛みの緩和とその原因の効果的な除去に、私達に手に入る最もシンプルな材料を使って賢くなれるようにと、主に感謝しました。

 

6.言及されたその他の療法や薬剤

1)ヒゼキヤ王のイチジク湿布薬

 ヒゼキヤ王が病気になった時、神の預言者は「彼は死ぬだろう」という特別なメッセージを持ってきました。その王は主に求めました。そして、主は彼の願いを聞きました。彼の命に15年を加えるだろうという約束を送りました。神からの一つの言葉、神性の指のひと触れがヒゼキヤ王の病気を治すために十分でした。しかしその代わりに、その患部に当てるためのイチジクの湿布を作るという指導が与えられました。これがなされ、ヒゼキヤ王の健康は回復されました。私達が指示するのではなく、主が利用するようにと指示したこの処方を尊ぶことはよいことでしょう。     『原稿』29,1911(84)一般原稿

2)ユーカリ油の価値

 私は、C姉妹の体調がよくないということを聞いてとても悲しんでいます。私は、彼女の咳嗽(がいそう)にユーカリ油と蜂蜜以外にどんな療法や薬剤のアドバイスもすることができません。大き目のコップに蜂蜜を溶かして、ユーカリ油を数滴落として、よく混ぜ、咳が出た時に飲みます。私は、自分の喉の不調の時に注目に値すると思います。私はこれを利用しています。私はちょっとだけそれを利用する必要がありますが、咳は消えます。あなたがこの処方を利用するなら、あなたは自分の主治医です。もしも最初の試みで改善の効果がなかったら、もう一度試してみてください。あきらめる前に、それを試みるのがちょうどいい時です。    『手紙』348,1908(81)(ある働き人へ)

 私は、以前、あなたに私が喉の不調の時に利用したその療法や薬剤について書きました。私はコップ一杯の蜂蜜入りの熱い湯を飲みます。これにユーカリ油を数滴落としてよくかき混ぜます。咳が出た時、私は小匙に一杯これを混ぜます。ほどんどすぐに落ち着きます。私はいつもこれを使いますが、結果は上々です。私は、あなたが喉の不調をきたした時には、同じ療法を利用することをお勧めします。この処方は、それによる確信が感じられなくてとてもシンプルに思えるでしょう。でも、私は、それを何年も試したので、それを強く勧めることができます。

 また、ユーカリの木の葉を入れて温足浴もしてください。それらの葉による良い効果もあります。あなたがこれを試すならば、私の言葉が本当であることがわかるでしょう。ユーカリ油は、胸部や肺の咳と痛みのケースに特に有益です。私は、あなたにとてもシンプルで費用の掛からないこの療法を試してほしいと思います。

      『手紙』20,1909(82)(前述の働き人への手紙)

3)薬効の属性のある木々

 主は、私に多くの事柄に関する光を与えました。主は、私に、私達のサナトリウムが高台に建てられるのは、確実に最良の結果を確保する必要があるから、また、その施設は広がりのある土地で、各種の花と観賞用の木々で彩られた存在だということを示しました。

 予定のある場所は、サナトリウム建設のための土地として存在していました。そこにはよい香りの松やヒマラヤスギの類、モミの木がよく茂っているという光が与えられました。また、そこには、健康を促進させる薬効の属性のあるほかの種類の木々が生えていました。それらの木々は無慈悲にも切り倒さないでください。それらの木々は生きています。      『手紙』95,1902(75)(南部の働き人へ)

4)私の飲み物:ハーブ

 私達は、自分のお茶のために中国に行く必要も、コーヒーのためにジャワ島に行く必要もありません。ある人が「ホワイト姉妹はお茶を利用しています。彼女は自分の家にそれを保存しています」と言いました。そして、彼女は飲み物として人々に出しています。彼らは真実を語っていません。私はそれを利用していませんし、自分の家にそれを保存もしていません。ある時、私は水のある所を渡った時に、私は病気になり、自分の胃に何も受け入れられなくなって、私は薬として薄い茶を少し飲みました。でも、私は、あなたが「ホワイト姉妹はお茶を利用している」と、また注目するようなことを何も言われたくありません。もしも、あなたが私の家に来るならば、私は、あなたにハーブドリンクの入ったバッグを見せましょう。私は、山脈を越えて、ミシガン州から赤クローバーの花を送ってもらいました。コーヒーに関しては、私はそれを飲まないつもりですし、ホワイト姉妹はコーヒーを飲んでいるとレポートした人々は間違いをしています。

 『原稿』3,1888(61)(カリフォルニア州オークランドでの説教)

5)クローバーの花―一番目の収穫

 私は作るように頼んでいます。そこの子ども達は、前の年に集めたと同じかそれ以上に、私の為にクローバーを集めて来ることを楽しんでいますか。子ども達がこれをすることができたら、その子らは私に大きな喜びをするでしょう。私は、ここではこのことをすることができません。ここの土地(カリフォルニア)にはクローバーがありません。春、最初の花はお茶に適しています。でも、もしも、これが遅れて届くとなるとすると、保存されている二番目の花が良いです。

    『手紙』1,1872(45)(ミシガン州のある家族への手紙)

6)薬として利用される茶、しかし、飲み物としてではない

 私は、緑茶と紅茶のどちらもお茶を利用していません。太平洋を渡っ[てオースラリアに行っ]た時を除いて、長年、スプーン一杯分も私の口を通りませんでした。そこで一度、私は病気になって嘔吐した時に薬としてそれを飲みました。そのような状態で、それは、一つの救済の贈り物として示されるでしょう。

 私は、あなたが私達と一緒にいた時に、お茶を利用しませんでした。私はあなたに述べたように、いつも赤クローバーの花を利用していました。私はこれをあなたに紹介します。そして、あなたに、これは、逸品で、シンプルで、健康に良い飲み物だということを伝えます。……

 私は何年も、1ペニー(1ドルの1/100)のお茶も買いませんでした。それの影響を知っているので、飲み物としてではなく、薬としてそれを使って嘔吐を抑えるケースを除いて、私はあえてそれを利用しないようにしています。……

 私は、一つの[飲料]材料を説いていませんし、ほかの人々の習慣についても説いていません。私は、自分の特例を話していて、私の話を聞く人々が追随するための生き方のルールを言っているのではありません。……

 私は、赤クローバーの花茶以外のどんなお茶でも飲むことを非難しません。また、もしも、私が、たとえ、ワインやお茶、コーヒーを必要としたとしても、ナルコチック(眠くなるよう)に健康を害するそれらのものを利用しないつもりです。これらの全ての[飲用]材料について、私は健康を重んじているからであり、私は健康的な見本を重んじているからです。私は、節制のモデル、ほかの人々への良い働きのモデルでありたいと思っています。    『手紙』12,1888(61)

                 (アメリカ西海岸の働き人へ)

 

7)薬としてのコーヒー

 私は知っていてわざと、本物のコーヒーを20年の間飲んだことがありませんでした。ただ、私は、病気になった間、一つの薬として、生卵を割って入れて、濃いコーヒーを一杯飲みました。

               『手紙』20,1882(55)(友人へ)

 

8)ぶどうジュースとタマゴ

 私は、あなたが病的に不足した食物によって、自分の身体を害しているという光を受け取りました。……あなたが難しい悩みの原因となったのは適した食物の不足にあります。あなたは、弱い体力を養う食物の栄養素を摂っていませんでした。あなたは自分自身に良いこと健康のための食物……、健康なニワトリのタマゴを得ることなどを拒否する理由がありません。生か調理したそれらのタマゴを使ってください。見つけることができる高品質の未発酵ワインを調理前のタマゴに落としてください。これは、あなたの身体組織体系に必要なものを補給するでしょう。……タマゴは、毒を中和する代用療法の属性を含んでいます。    『食事と食物についての勧め』pp.203,204,1901

                     (クレス医師へ)(74)

 

(訳者加筆:この手紙はクレス医師へのものです。『エレン・G・ホワイト百科事典』に彼の伝記があります。オーストラリア伝道に行った時、貧血で死ぬような状態になりました。E.ホワイトはタマゴを食べるようにメッセージを送りました。彼は元気を回復してその後50年間奉仕しました。「今日、悪性の貧血はビタミン欠乏の結果だと知られています。タマゴはクレス医師のアンバランスな完全採食(ビーガン)に必要な栄養素を補いました」Ellen G. white Encyclopedia p.444参照)

 

7.進歩的な医療行為の支持

1)輸血

 ある人からほかの人への血液の移入(輸血)という、命を救った一つの材料があります。しかし、これは、あなたが実行するには、難しくて、たぶん、不可能でしょう。私は、ただ、それを示唆したにすぎません。(訳者加筆:血液型の発見はラントシュタイナーによって1901年になされた)

       「Medical Ministrypp.286,287(D.H.クレス医師へ)

2)ロマリンダにおけるX線治療

 数週間、私は前頭部の黒い斑点のために、X線治療を受けました。全部で23回の治療を受けました。これらは、それの全体を除去することに成功しました。このことに、私はとても喜んでいます。(訳者加筆:X線の発見は1895年でした)『手紙』30,1911(81)「息子J.E.ホワイトへ)

 

2)天然痘の予防接種

(訳者加筆:天然痘は罹患すると4割の人が死亡するウイルス感染症でした。イギリスの外科医ジェンナーが1796年に牛痘を接種することによって天然痘への免疫を獲得する予防接種方法を発明しました。1980年、WH0世界保健機関は天然痘撲滅宣言を出しました。世界中のどの地域でも天然痘を発症する人がいなくなり、予防接種は実施されなくなりました。しかし、アメリカとロシアはこのウイルスを保管しています。現在、アメリカの軍隊の兵士には天然痘の予防接種が行われています。このウイルスが持ち出されてテロの武器として使用される危険性があります。また、201828日の新聞に、カナダの研究者が天然痘に近いウイルスを作成したという恐ろしい記事が掲載されていました)

 

 1931612日、ミセスホワイトの秘書の一人D.E.ロビンソンは、ミセスホワイトの天然痘予防接種への態度を次のように書きました(編纂者)

 

 「あなたは、ホワイト姉妹が書いた予防接種と血清に関する明確で簡潔な情報を求めています」「この質問は、私達が所有しているどのような資料の範囲においても“彼女はそれらについてどのような著作物の中で主張していない”と短く答えることができます」「あなたは、知ることに関心があるでしょう。しかしながら、その近くで、天然痘の流行があった当時、彼女は、自分自身ワクチン接種を受け、彼女に繫がった彼女のヘルパー達にもワクチン接種を受けるように言いました。その話の中で、ホワイト姉妹は、人がそれに感染したならば、ワクチン接種で免疫がついた人と、罹患して回復した人のどちらにも予防接種[による免疫]が証明されたという事実を認識しました。また、彼女は、人々がこの予防策をとることにしくじると、人々がほかの人々と接触する[ことによる感染の]危険性を認識しました」。   署名 D..ロビンソン


 

31章 個人的な体験

 

 

 

 

 

1.肺炎の手当についての初期の体験

 1864年の冬、三男のウィリー[10]は、突然に激しく、肺熱に罹って床に伏しました。私達は、この病気で四男を葬ったばかりでした。ウィリーについても、この子もすぐに死ぬのではないかとても恐れていました。私達は、医者を呼びにいかないように、でも、水を利用し、子どもの味方の主に懇願して私達がこの子にできる最善を尽くすと決意しました。私達は、祈りで結ばれていた親交のある2、3の人を呼びました。私達は神の臨在と祝福のうちに好感の持てる確信を持ちました。

 翌日、ウィリーは重体になりました。意識が朦朧となりました。彼は私が語りかけた時、見たり聞いたりしているように見えませんでした。彼の心臓は規則的な打ち方ではありませんでした。でも、一定に平坦に脈を打っていました。私達は彼の味方の神を求め続け、頭を水で冷やし、肺熱に冷水罨法を続けました。やがて、彼は意識が戻ったように思われました。彼は自分の身体の右側の激しい痛みを耐えていました。ちょっとの間、横になることができませんでした。私達は、この苦痛を肺熱の程度に応じて水の温度を変えて、冷水罨法で和らげました。私達は、彼の頭と足の温かさをとても慎重に保ちました。

 私達は、その7日目にやがてその峠が来ることを期待しました。私達は、とはいえ、彼が病気の間、4日目と5日目の夜に彼の世話をほかの人々に任せざるを得ず、少し休みました。私の夫と私自身、5日目に大変心配しました。子どもは、鮮血を吐き、かなりの咳をしました。私の夫は祈りの多くの時間を費やしました。私達はその夜、子どもを世話する人々の手に委ねました。立ち去る前に、私の夫は、長い真剣な祈りをしました。急に、彼の重苦しい祈りが終わり、一つの声が彼に語ったように思いました。そして、「寝かして行きなさい。私はその子を世話しましょう」と言いました。

 私は立ち去って気分が悪くなり、数時間は心配で眠れませんでした。私は呼吸に苦しさを感じていました。中ぐらいの部屋で眠っていたのですが、私は起きてドアを開け、大広間に入り、そこで楽になり、すぐに眠りにつきました。私は、夢を見ました。ある体験をした医者が私の子どものそばに立っていて、全ての呼吸を見守り、彼の心臓の上に手を置いて、もう一方の手は子どもの脈をみていました。彼は戻って来てこう言いました。「峠は越しました。彼は自分の最も苦しい夜をみました。回復のための[有毒]薬剤の悪い影響がないので、彼は今直ぐに良くなるでしょう。自然[治癒力]は、不純な組織体系を整えるためにその働きを寛大に為しました。私は、彼に私の疲れ切った状態、息苦しさを伝えました。その癒しは開かれたドアから到着しました。

 彼は言いました。「あなたに与えられた癒しは、また、あなたの子どもをも癒すでしょう。彼は空気[酸素]を必要としています。あなたは彼を必要以上に温めました。ストーブからくる温まった空気は有害で、窓の隙間から入ってくる空気にも有害で、活気を奪うでしょう。ストーブの放熱は入ってきた空気の生気を奪い、その肺臓を弱めています。その部屋にあった温められ過ぎた空気によって、その子の肺臓は弱められました。病の人々は、病気によって衰弱させられています。全ての人々は、病気に抵抗するための活気ある臓器に強さを創り出すことができる活気づけられた空気を必要としています。また、多くの例で、まるで危険な敵であるかのように、最も必要としている時に空気と光が病室から締め出されています」。

 この夢と私の夫の体験は、私たち二人に一つの慰めでした。私達は、その朝に、私達の男の子は休めない夜を通り過ぎていたことを見つけました。彼は、正午までは高熱だったように見えました。肺熱が彼を去って、彼が完全に良くなったように見えた時、弱さがなくなりました。彼は、病気の5日の間に小さなクラッカー1個を食べただけでした。彼は直ぐに良くなりました。何年か前よりも、良い健康状態になりました。この体験は私達にとって価値あるものでした。

       『霊の賜物』第4巻第1pp.151-153,1864(37)

 

2.ジェームズ・ホワイトの回復[15]

 何[37]年も前[1865]に、私の夫[44][ミシガン州]バトルクリーク[教会]で重い責任を担っていました。彼についての曲解が語られ始めました。彼の健康は急速に崩れました。ついに、彼は、心も身体もボロボロになりました。そして、彼は何もできなくなりました」。私の友人達が私にこう言いました。「ミセスホワイト、あなたの御主人は生きることができていません。私は、彼を回復させるために、もっと好意的な人のいる所へ彼を異動させようと決心しました。彼の母親が「エレン、あなたは残って子ども達、家族の世話をしなさい」と言いました。

 「お母さん」と私は答えました。「熟練した頭脳のある人をまったく失うことを、私は絶対に許さないでしょう。私の夫の頭脳を救うために、私は神と共に働くつもりです。そして、神は私と共に働くでしょう」。

 

 (訳者加筆:『エレン・G・ホワイト百科事典』によると、出発したのは、吹雪が続く1219日のことでした。ライトでエレンは20回、ジェームズは12回説教しました。「多くの困難の後、彼は打ち勝ちました。講壇に立って人々に話をしました。私の心は喜びに満たされました。でも、大声で泣いてしまいました。私は、成功することを知っていました。精神的な細やかさと気力が湧き出て来ました。夫は困難から救われました」(MS1,1867Ellen G.White Ensyclopedia p.46

 

 私達は費用を得るために、毛皮のカーペットを売りました。……講演旅行のお金はカーペットを売って確保しました。私は、幌付き[4]馬車を買いました。講演旅行の用意をしました。馬車には夫が横になるためのマットレスを入れました。まだ11歳の少年ウィリーを仲間に、私達は[バトルクリークの北西にある都市]ミシガン州ライトを目指して出発しました。

 道中に、ウィリーは馬達の1頭に轡(くつわ)[馬の口にくわえさせて御する馬具。馬が草を食べる時には外す。馬車は2頭立てだった]をはめることをやってみました。でも、彼はそれができなかったのがわかりました。私は夫に言いました。「あなたの手を私の肩に乗せてください。それから、轡をはめてください。

 

 (訳者加筆:筆者も中学生時代に馬に轡をかけることに苦労しました(教えてもらえなかった)。私は馬の大好きな大豆カスを食べさせてその隙に轡をかけました。今考えると、これは正しくありませんでした。馬の肩に手を置いてなでてやって、友好的態度を示すと馬は安心して轡を受けるでしょう)

 

 夫は「私は自分がどのようにしてきたか知らなかった」と言いました。私は「ライトに向けて急ぎましょう」と返しました。彼はその方法を説明できませんでしたが、馬に轡をはめることに成功してきました。それから、彼は、その次にもやがてそれをしなければならないことを知りました。

 いつも、私は、些細なことでも夫の働きを引き受け続けてきました。私は、彼が動かないで残すままにさせず、活動を続けるようにしているつもりです。これは、私達のサナトリウムの医師や助手達が実行しているプランです。患者を段階に沿って一歩いっぽ導いてください。患者の心をせっせと作業するように保ち続けてください。その人々自身の状態には、親鳥が卵を抱くような時間がありません。

 

3.身体的・知的活動と活気

 しばしば、兄弟[姉妹]達は私達の所に相談のために訪れました。私の夫は人に会いたがりませんでした。彼は、仲間が来た時には、ほかの部屋に行くことを好みました。でも、いつも、彼が気付く前に誰かが入ってきて、私は彼にその訪問者を連れて行き、こう言ったものでした。「貴方、兄弟が一人、質問を持っておいでです。あなたは、私がする以上にそれによく答えることができるでしょう。私は、彼をあなたの所に連れてきました」。もちろん、その時、彼は自分で助けようとはしませんでした。彼は、その部屋に質問の答えを残して当然でした。このように、多くのことで、私は彼の行動と彼の知性を推し量りました。彼が自分の知性を使うことをしなかったならば、ちょっとの間でも、それは、まったく失敗したでしょう。

 毎日、私の夫は散歩に出かけました。冬になって、猛吹雪になった時、嵐と雪の中に出ていくことはできないだろうと考えました。私は、ルーツ兄弟の所に行って、そして言いました。「ルーツ兄弟、あなたは予備のブーツを持っていませんか」。彼は「持っています」と答えました。私は「それを借りることができたらうれしいです」と答えました。そのブーツを履いて、出発しました。深い雪の中を400mほど足跡を残しました。私が戻った後で、私は夫に、歩いてみるかどうかを聞いてみました。彼は、自分はこのような天候では出て行きたくないと言いました。「でも、あなたはできますよ。間違いなく、あなたは私の足跡を歩けるでしょう」と私は返事をしました。彼は、女性をとても尊敬している人の一人でした。彼は、女性がこの雪の中歩くことができるのだから、自分もできると考えました。その朝、彼はいつものように散歩に出かけました。

 春になった時、果樹園がしつらえてあって、果物のなる木々がありました。私は「ウィリー、3本の草取り鍬(くわ)3本の熊手を買ってきてちょうだい。それぞれ3本ずつ買うのよ」と頼みました。彼がそれらを持ってきたとき、私はその鍬の1本を自分に、ほかを父親に渡すようにと言いました。父親は反対しましたが、それを持ちました。私は一つを持って、草取りを始めました。私は手に水ぶくれができていましたが、草取りに二人を誘いました。父親はあまり働きませんでしたが、用を足しに行ってしまいました。私が夫の健康を回復するように神と協力してやるのは、それらの方法によってでした。主はとても私達を祝福しました。

 私は馬車で出かける時はいつも夫と一緒に行動してきました。私はどんな所で説教するために出かける時も、夫と共に行動してきました。私は定期的に開かれる集会の予定を持っていました。私は自分が説教している間に、机につくように説得したことはたぶんなかったでしょう。ついに、何か月も何か月もたって、私は彼に言いました。「さあ、わが夫よ、あなたは机の所に行ってください」。彼は行くことを望みませんでした。やめませんでした。私は一緒に彼を机に連れて行きました。その日、彼は人々に話しました。その集会の家は未信者でいっぱいでしたが、半時間、私は涙が止まりませんでした。私の心は喜びと感謝で満ちていました。私は困難を克服したことを知りました。

 

4.根気の結果の報酬

 私の夫の健康を回復する努力によって、神との協力が順調にいって18か月後、私は彼と家に戻りました。彼の両親に彼の話をして言いました。「お父さん、お母さん、ここにあなたの息子がいます」。

 彼の母親は言いました。「エレン、あなたは一人でこの素晴らしい回復をもたらしました。あなたの精神的な力がそれを成し遂げました。神とあなたに感謝です」。

 彼の回復の後、私の夫は彼の生涯で最高の仕事をした時まで何年も生きました。あの18か月のつらい気苦労が何倍もの報いとなって、これらの年月に加えられたのではないでしょうか。その病気の回復のために自然[治癒力]を手段として利用することについての何かを知るということをあなたに示すために、あなたによって、私はこれらの個人的な体験という短いリサイタルを与えてもらいました。私達が信仰を持って、信じているように活動し、働きをするならば、私達の全ての人々のために、神は不思議を働くでしょう。私達が神と協力する時、神は、神の側でするための用意をしています。兄弟達の努力が最も成功したものであるように、私は自分が、目的にかなった道に彼らを導くためにできる全てのことをするように願っています。彼らが神と協力したのであれば、墓の中に降りて行った多くの人々は、今も生きているでしょう。これらの事柄について、私達は目的にかなった男性そして女性として存在しているでしょう。  『原稿』50,1902(75)


 

第7部 一般的な勧め

 

はじめに            (エレン・G・ホワイト遺稿管理委員会)

 預言の霊の勧めは常に実践的です。エレン・ホワイトのペンによって、私達は、クリスチャン生活と経験のほどんど全ての相に、感動的な指導を読むことができます。与えられた指導基準のほとんど全ては、新しく索引がつけられて出版されたエレン・G・ホワイトの『SDA教会への証』とそのほかの本に表されています。しかし、現在、印刷されていない資料の数々と出版されていない原稿の数々は、明確な規準にそった勧めの資料現してきました。それは、今日、新しい困難な状況が現れて、重要性が増してきています。これらの資料は、今、価値ある指導としてセブンスデー アドベンチスト達の手に有形資産を加えているでしょう。

 一つの例として、私達は、催眠療法の問題について、かつて出版されなかった彼女の記事を提供しています。それは、ある医療グループによって有望な治療の手段として見られていました。ある病人の治療に催眠療法が利用されて、その利用によって何らかの危険性が現れて、エレン・G・ホワイトが特別に勧めをしていることは、その当時、非常に適切なものです。

 この第7部は、セブンスデー アドベンチスト達の家のための田園地域の環境を考察する彼らへの呼びかけの勧めによって閉じられています。これらは、出版された書籍以外にほかの原典から引用されています。さらに、新しい土地の選択において、混雑した都市から離れて田舎の家に注意深く慎重に転居する重要性によって、初期のパンフレット『Country Living』の中から提供されました。ここに、人々が用意された論文として利用できる半永久的な形態が現れています。          (エレン・G・ホワイト遺稿管理委員会)


 

32章 祈りにかなった態度[16]

 

 

 

 

 私は、宇宙の支配者へ祈りを捧げる人が取るためにかなった態度について、問い合わせの手紙を受け取りました。私達の兄弟[姉妹]達は、神に祈る時、自分達の足は立っているべきというそのアイデアをどこで手に入れましたか。バトルクリーク教会で約5年前に教えられたある人は、ホワイト姉妹がその教会の人々に話しかける前に、祈りの中で導かれて尋ねました。彼の口が神への祈りでたぶん開いていた間に、私が彼の直立した姿を見上げた時、私の魂は、彼に公的な譴責を与えるよう私の中で揺り動かされました。彼の名前を呼んで、私は言いました。「ひざまずいてください」がいつもかなった姿勢です。

 

[1.聖書の中の教訓]

 「そして、彼[イエス]は、石を投げても届かない距離に離れて、ひざまずいて、そして祈りました」(ルカ22:41)。「ペトロはみんなを外に出して、膝をついて祈りました。それから、その死体に近づいて、タビタ、起きてくださいと言いました(使徒言行録9:40)。「人々はステパノに石を投げつけました。主イエスよ、私の霊を受けてくださいと言いました。そして、彼はひざまずきました。そして、低い声で叫びました。主よ、この罪を彼らに負わせないでください。そして、この言葉を語った時、彼は眠りにつきました」(使徒言行録7;59,60)。「このように語り終えた時、彼(パウロ)はひざまずいて、みんなの者と共に祈りました」(使徒言行録20:36)。「私達はその日々のうちに成し遂げた時、そこの人々と別れて帰路につきました。彼らは妻達も子供達もみな私達が進む方へと、私達がいた町の外までついて来ました。そして、私達は海岸にひざまずいて、祈りました」(使徒言行録21:5)。

 「夕の犠牲の供え物の時に、私[エズラ]は断食から立ち上がり、私の服と上着を裂き膝を落として、わが神、主に両手を差し伸べて言いました。私の神よ、私は面目を失って、そなたに私達の顔を上げることさえ恥ずかしいです。私の神よ、私達の非道は頭を超えるほどに積もって、違反は天にまで届いています」(エズラ9:5,6)「さあ、集まって、ひれ伏し、礼拝しましょう。私たちの造り主の前にひざまずきましょう」(詩編95:6)。

 こういうわけで、私は、私達の主イエスキリストの父にひざまずいて感謝します」(エペソ3:14)。読者の心に受容する力があるならば、この章全体は私達が学ぶことのできる貴重な教訓でしょう。

 神に祈る時にひざをつくことは、その務めをするために適切な態度です。礼拝に関するこの行動は、バビロンに捕虜となっていた3人のヘブライ人に求められていました。……しかし、そのような行動は、全世界の支配者、宇宙の統治者である神にだけ与える敬意です。この3人のヘブライ人達は、純金で造られたものでさえ、どんな偶像にも栄誉を与えることを拒否しました。そうすることは、彼らが、意思と目的の全部がバビロンの王にひざまずいていることになるでしょう。その王が命令したことを拒むと、彼らは罰を受け燃える火の中に投げ込まれます。しかし、キリストが人となって来て、彼らと火の中を歩きました。彼らは害を受けませんでした。公的な礼拝と私的な礼拝において、主に私達の感謝を捧げる時に、神の前に膝をつくことは私達の義務です。この行動は、神への私達の依存を表しています。神殿の献堂式において、ソロモンは祭壇に面と向かって立ちました。神殿の庭の中に、真鍮の踏台か演壇がありました。そして、この上に登った後で、彼は立って天に両手を上げました。そして、イスラエルの会衆に計り知れないほど大きく祝福しました。イスラエルの会衆は立っていました。……

 「ソロモンは、縦5キュビト横5キュビト、高さ3キュビト[1キュビト45cm]の真鍮の踏台を作り、それを神殿の庭の中央に配置しました。そして、その上に彼は立ちました。イスラエルの全会衆の前で膝をかがめて、両手を天に向けて広げました」(2歴代志6:13)。彼がその時に捧げた長い祈りはその状況にふさわしいものでした。それは、深い謙虚さが混じった深遠な聖の感情が漂う、神の霊感を受けたものでした。

 

2.緩やかな成長

 私は、それらの問い合わせをした方々に、先に述べた聖句を根拠にお贈りします。バトルクリーク[教会]の「H兄弟はどこで教えを受けましたか」。それは、神が尊崇の対象者とした神の民――パリサイ人達がしたように、指針と手本、献身を選んで立つことを若い人々に教えた私達の学校の牧師達、学長達、教師達――に与えた全ての光/真理によって可能になったのでしょうか。私達は、これを人々の自己尊大と自己自信として考えてみませんか。これらは人目を引くのに相応しい特徴ですか。

 「そして、彼(イエス)は、自分は正しいと自分自身を信頼して、ほかの人々を見下げていた人々にこの譬えを語りました。二人の人が祈るために会堂に行きました。一人はパリサイ人で、もうひとりは税の取り立て人でした。そのパリサイ人は自己陶酔して、立ってこのように祈りました。神さま、私は、ほかの人々のような暴利をむさぼる者、不正な者、不倫をする者、このような税の取り立て人ではないことを汝に感謝します。私は2週間に2度断食して、私が所有する全ての十分の一を捧げています(ルカ18:9-12)。気を付けてください。それは神の前の尊崇と謙虚の立場にないパリサイ人の自己の義でした。傲慢と自己尊大によって立ち、彼は自分の良い行動だけを神に語りました。「そのパリサイ人は立って、そして、自分自身によって祈りました」(ルカ18:11)。彼の祈りは自分自身の高さに届いたにすぎませんでした。

 「そして、その税を集める人は、離れて立って、目を天に向けようともせず、自分の胸を打って“神様、罪人の私を哀れんでください”と言いました。私はあなた方に話しておきます。ほかの人ではなく、この人が義とされて自分の家に帰りました。自分自身を高める人はだれでも、低く評価されるでしょう。また、自分自身を謙虚にする人は高められるでしょう(ルカ18:13,14)。

 私達は、真の生きている神に近づく時、異教徒達が自分の偶像の神々を現していることに比べて、私達の兄弟[姉妹]が尊崇と畏敬の念が少ないことを現さないようにと願っています。そうでないと、これらの人々は、世界の最後の決定の日に、私達を裁く存在となるでしょう。私は、私達の学校で教師の立場を占めている全ての人々に話しておきましょう。女性と男性のみなさん、みなさんの不遜な言葉と尊大な言動によって、神の名誉を汚さないでください。みなさんのパリサイ主義によって立たず、みなさんのパリサイ主義によって祈りを捧げないでください。あなた自身の能力を疑ってください。自身の能力に頼らないでください。でも、いつも、神の前にあなたの膝をついて、礼拝してください。

 

3.膝をついて

 また、あなたが神の礼拝に集った時には、主の前にあなたの膝をついてください。この行動は、魂と体と霊の全体が真の神の霊の支配下にあることを証しするようにしましょう。誰が御言葉を真の手本と指導として敬意をもって研究してきましたか。私達は、アメリカや海外の学校で、誰を教師として信頼することができますか。数年後には学業を終えて、学生達は、生涯のほとんどの年月を神の働きに導かれて来た選ばれた神の奉仕者達の経験と、白髪になったその老人達を敬うことへの恩義を感じないで、本来、神に与えられるはずの敬意と栄誉と尊崇の考えを誤解して、自分の町へ戻るでのではありませんか。私は、アメリカやそのほかの地で私達の学校に出席している皆さんにアドバイスしましょう。神の名誉を傷つける精神を持たないでください。みなさんが必要としている教育の種類は何であれ、みなさんは自身のために正しく理解してください。みなさんは、やがて地上に生きているすべての人々にもたらされるように存在していて、やがて訪れるテストに立つために、それに相応しい品性/人格を獲得するようにほかの人々を教育するでしょう。最も思慮分別のある健全なクリスチャンとの交わりを保ってください。野心的な指導者や学生を選ばず、最も深い聖を表している人、神の事柄に関して知的な霊を持っている指導者や学生を選んでください。

 私達は危険に満ちた時代に生きています。セブンスデー アドベンチスト達は、神の戒めを守る神の民だと公言しています。しかし、彼らは自分達の信仰の精神を失いつつあります。神への崇敬の精神は、人々に自分達の造り主――神聖と畏敬――への信仰による近づき方について、自分達の方法ではなく、仲介者による近づき方を教えています。このような人は、どのような状況に置かれても堅く守られています。人間は恵みの対象者、踏台の上の憐れみの懇願者として、膝を曲げて近づく必要があります。人が、神の手の中から日毎の恵みを受け取る時、その人はいつまでも心の中に感謝を抱き続けるでしょう。受けるに値しないにもかかわらず与えられるこれらの贈り物に感謝と賛美の言葉によって、それを表すでしょう。御使い達は、見えなかった、また、張り巡らされていた多くの罠から、みなさんの人生の通り道を守り続けてきました。決して休まず眠らない目によるこの守護と見守りによって、人は自分のための神の奉仕を全ての祈りの中で認めるように存在しています。

 みなさんは、自分達の無力さと日毎の必要によって、神に寄りかかっているでしょう。人々は謙虚に見張り、熱心な祈りを続ける必要があります。賛美と感謝は喜びと誠実な愛によって神の前にあふれ出るでしょう。

 ある集会において、また、起立した集会において、人々はいと高き神を称えるでしょう。神との生きた繫がりのセンスを持っている全ての人は、主のための証人として、神の善であることと恵みと愛を表明して与えることをするために、主の前に立つでしょう。その言葉は誠実で、簡潔で、正直で、知的で、その心は神の愛で燃えていて、その口から出る言葉は神の栄光のために神聖でした。聖徒達の全員が神の恵みを知っているだけではなく、主を証するあらゆる場所でもそうでした。地上の住民達は、真の生きている神だけが神であることを知るために存在していました。

 崇敬と神への畏敬と信心深い愛によって、神に近づく方法についての知的な知識があるでしょう。私達の造り主への崇敬の欠如の増加と、主の権威や威厳を軽視することが増加しています。しかし、神は、この世界の終わりを私達に告げています。私達は、嵐の中に、雷鳴の轟の中に主の声を聞いています。私達は主が許している大地震、堤防を破壊した洪水、人々を襲う有害物質の災害のニュースを聞いています。私達は、暴風雨の中で海中に沈んでいく船について聞いています。神は、その昔、つむじ風と嵐の中で、顔と顔を合わせて主がモーセと語ったように、神を認めることを拒んだ家族に語っています。再度、主は、信頼する小さき者と白髪の老人に主の愛をささやいています。地上の知者達は、見えないものを見上げるような知恵を持っています。

 つむじ風と大嵐の後で静かな小さな声が、動いた岩から聞かれました。みんなの者は、神が非常に近くに存在していたので、顔を覆いました。彼ら自身をイエスキリストの中に隠すようにさせましょう。主は人々が隠れた所に存在しているからです。その岩の裂け目は、主、自身が刺し通された手によって隠されています。謙虚を求める者は、膝をついた姿勢で、主が、主への奉仕者達に語る声を聞こうと待っています。               『原稿』84b,1897(70)

 

4.祈りに不適切な場所はない

 神へ祈りと願いを捧げ上げるために、不適当な時や場所はありません。熱心な祈りの精神で私達の心を引き上げることを妨げるものは何もありません。通りの混雑した中でも、ビジネスの契約の最中でも、私達は神に[祈りを]捧げ上げることができるでしょう。また、ネヘミヤがアルタシャスタ王の前で彼の願い事をした時のように、神性のガイダンス(導き)を請うことができるでしょう。

            “Step To Christ(Pocketedp.99.

 私達は、道を歩く時にもイエスと話をするでしょう。主は「私は汝の右側に存在しています」と言っています。私達は心の中で神と交わっているでしょう。私達はキリストと共に仲間づき合いをして歩むでしょう。私達の日毎の仕事に繫がる時、私達はどんな人の耳にも聞こえない、心の望みをささやくでしょう。その言葉は、失われることができないばかりか、沈黙の中に死んでいくことができません。それは通りの騒音の上に昇り、機械の騒音の上に昇っています。私達が話している人は神です。また、私達の祈りは聞かれています。

                     『福音宣伝者』p.258

 祈るために、あなたが膝をつくということは、いつでも必要だということではありません。あなたが一人でいる時に、あなたが日常の仕事で忙しい時に、救い主と話し合うという習慣を養いましょう。

                  『ミニストリーオブヒーリング』pp.510,511


 

33章 「私に優ったほかの神々はいない」

 

 

 

 

[1.汝らは私に優ったほかの神々を持たないでしょう]

 神の真の子らはみな、篩い分けの過程で大事にされた小麦のように穀物と籾殻を篩(ふる)い分けられるでしょう。神から知性を逸らす楽しみは、犠牲として捧げられる必要があります。多くの家族の飾り棚、スタンド、テーブルなどは、装飾や絵で満ちています。家族と友人達の写真で満ちたアルバムは、訪問者達の注意を引くような所に置かれています。これらについての考えは、神と天への関心となるべきで、普通のものとして捨てられます。これらは偶像の一種ではありませんか。このように費やされたお金は、苦悩を取り除くため、裸を覆う衣服、そして、空腹の食べ物のため、人間を喜ばせるために使用されるはずだったのではありませんか。地上に神の王国を築き、神の[人類救済]目的を進展させるために、それは、主の宝庫に置かれる必要があるのではないですか。

 この事柄は非常に重要で、偶像を拝する罪から救うようにと、あなたに対して言われています。あなたがイスラエルの聖なる方に語られた言葉に従うならば、祝福はあなたの魂に訪れるでしょう。「汝らは、私に優ったほかの神々を持たないでしょう」(出エジプト20:3)。多くの人々は、不必要な飾りで家を満たす時間と思考を注ぐことによって、自分自身のために不必要な世話と心配をしています。全ての意図と目的が偶像崇拝的ですから、偶像への献身から彼らを立ち帰らせるために、神の力が必要とされています。

 人の心を探る主は、神の民が全ての種類の偶像に勝利することを期待しています。今、無用な飾りで満ちているテーブルの上に、神の言葉、祝福された人生の本を載せましょう。真理を表すことについて、心を照らして教化する手段となるような本を買うことにあなたのお金を使ってください。あなたの家の様々な飾りを移動させたり埃をとったりと浪費した時間は、真理を知らない人に小さな本やリーフレットなどの印刷物を送り、友人に何通かの手紙を書く時間に使ってください。朽ちない知恵と愛の宝としての主の言葉を心に捉えてください。これは天への小道を指し示すガイドブックです。罪を許す救い主は「世界中の人々の罪を取り除く神の子羊を見上げなさい」と言っている言葉を私達に指し示しています(ヨハネ1:29)。

 あなたは、祈りの心と神に明け渡す心をもって、御言葉を研究するでしょう。あなたは、ろうそくの灯のような光で、自分の心を探るでしょう。そして、神から知性を逸らしてしまう、この世の習慣にあなたを縛っている最も細いクモの糸を見つけて打ち破ってください。あなたの考えと感情に神を引き寄せて、あなたが実践する全てのことを示すよう主に懇願しましょう。神は、神の品性/人格の物差しとして聖なる律法を人間に与えました。この律法によって、あなたは自分の品性/人格の全ての欠点を見て勝利できるでしょう。あなたは全ての偶像から自分を断って、恵みと真理という金の鎖で自分を神の玉座に繫ぐことができるでしょう。 『レビュー&ヘラルド』1901.5.14(74)

 

2.極端な位置と思われる注意

 教会を支える能力のある人がいました。でも、その人は、まず自身の心を適切に整える必要がありました。誰かが間違ったテストを持ち込みました。そして、「クリスチャン親睦テスト」の中に大切でない事柄を大きくし、ほかの人々に重荷を負わせる自分自身のアイデアと尺度を作りました。このようにして、粗探しの心と欠点探しの心、そして、不和が現れてきて、教会に大きな傷が生じました。その教会の印象は、信徒でない人々に「安息日順守アドベンチスト達は狂信的で極端な決まりがあります。彼らの独特な信仰は、不親切で思いやりがなく、本当にクリスチャンらしくない品性に変えられました」として受け取られました。このように、そのいくつかの極端な「尺度」は、真理の感化が教会から信徒でない人々に届くのを妨げました。

 ある人は、まず重要なドレスの事柄を取り上げて、ほかの人々が着ているドレスの丈やデザインを批判して、自分達のアイデアに合わなかった全員をとがめだてする準備をして立ちあがっていました。ある人は絵画や写真を責めて、「それらは十戒の第二の戒めによって禁止されています。そして、この種類のものは全て破棄されるべきです」と主張しました。

 そういう考えで、人々は、知性に現れている一つの事柄を押し付けることを除いて何も見ることができません。何年かたって、私達は、これと同じ精神と働きに立ち向かわなければならなくなりました。写真と似たようなものはみな破棄されるべきだと主張し、それを非難するメッセージが送られてきたと言う人々が現れ始めました。写真を非難する人々は、時計の図示、または、時計の上の“絵”のような範疇さえ非難しました。

 さて、私達はやましさのない良心によって聖書を読んでいます。また、その良心だけではなく、やましさのある良心も存在しています。全てのことを極端に持っていく良心的なものがあり、安息日を順守するユダヤ人が作ったと同じ心身の負担となる厄介なクリスチャンの義務を作っています。イエスが律法学者とパリサイ人に与えた非難は、これに似た階層の人にも当てはまります。「汝らはミントとヘンルーダ、その他、全てのハーブの類の十分の一税を納めていますが、神の義と神の愛を考慮に入れていません」(ルカ11:42)。

 強烈な精神と過激な考え方を持った狂信的な人は、正しくありたいと願っている良心的な人を服従させようとして苦しめるでしょう。そして、精神的にダメージを与えるようなことをするでしょう。この教会は、そのような全ての影響から清められる必要があります。

 

3.神によって使用される写真

 十戒の第二の戒めは、image(彫像・画像・表象など)の礼拝を禁止しています。しかし、神自身が、主の預言者達に教えを説明するためにpictures(映像)symbols(表象)を利用しました。主が預言者達に持たせてイスラエルの民に伝える時に、ほかの方法で伝えるよりも、これらの方法がよりよく理解されるでしょう。主は、視覚による理解を強調しました。預言的な歴史は表象によってダニエルとヨハネに現されました。そして、それらは、一覧表でわかりやすく記されるために存在していました。

 多額の資金が絵画のために費やされたということは真実です。神の宝庫に納められるはずの少なくない財産が画家に支払われました。この教会は、人々がその極端な道から正そうと試みていることから懸け離れた結果になっているでしょう。絵画や写真では罪になる基準がどこにあるかを正確に説明することは、しばしば困難な事柄です。しかし、神を愛し神の戒めを守ることを心の中で思っている人々はみな、主によって教えられるでしょう。神は、自分の良心にするために誰かに依存する人を許さないでしょう。アンバランスな心の印象と考え方の全てを受け入れる人は、混乱や困惑するようになるでしょう。第三天使のメッセージから脇の問題へ注目を逸らすのはサタンの目的です。真理の知識と恵みのうちに成長する人の知性と心は、成長を妨げられ弱められるでしょう。それで、神は彼らによっては栄光を受けられないでしょう。『セブンスデー アドベンチスト達の海外伝道の歴史的なスケッチ』pp.211,212.


 

34章 [スポーツ]ゲームよりも有益な作業[17]

 

 

 

 

 

[1.役立つ働きをするための教育]

 男性達と女性達は、子ども達が役立つ人となるように教え、流行に任せることから、自主的に解放されて育つよう教育してください。単に、家の中の仕事だけではなく、家の外の仕事もよくできるように、娘達は母親達のもとで役立つ働きをするように教育される必要があります。また、家の中の物事と家の外の物事に役立つことをするように、母親達は息子達に年齢にふさわしい教育訓練ができるでしょう。

 私達の世界には、不必要と思える仕事を楽しく愉快なものにして、役に立つ必要があります。若い人々が神を讃えるように、彼らの知的能力と身体器官の強さが発達するように教育/訓練する計画と、また、神が若い人に与えた才能を実践的に使用する計画を作って、目的に向かって脳や骨格や筋肉を働かせると、また、適度に難しい思考をすると、それらは健全さと耐久力を獲得するでしょう。

 これは、私達の健康施設とカレッジに対して、なぜその施設が設立される必要があるのか、説得力のある理由が提示されています。しかし、その理由は、ノアやロトの時代にあったように、私達の時代にも存在しています。人々は、多くの発明品を求めてきて、そして、神の目的と神の方法から大きく離れてきました。

 

2.スポーツによる危険

 私は、ボールを使ったシンプルな運動を非難していません。しかし、これは、そのシンプルさの中に、やりすぎが存在しているでしょう。私はいつも、それらに娯楽性の覚醒がついているという結果からひるんでいます。それは、キリストの外で滅びている魂に、真理の光をもたらすために使われるはずの財産を費やすことに導いています。自己満足のための資金の楽しみと消費は、自己賞賛とスポーツゲームの楽しみの教育に一歩いっぽ導いています。そのことに愛情と情熱を生み出すことは、クリスチャン品性の完成に都合よくありません。

 彼らがそのカレッジで指導してきた方法は、天の印象を生み出しません。それは、その知性の力をなしません。それは、クリスチャン品性を洗練も清めもしません。趣味と習慣と世俗的な活動によって紡ぎだされる糸があります。そして、その行為者達actorsはたいそう没頭し分別をなくした状態になっています。彼らは天において、神を愛する者達ではなく、楽しみを愛する者達として宣告されています。学生達として良い働きをするため、また、クリスチャンの義務を果たすクリスチャンとしてよい資格を与えられるため、強固になるための理知的な場所で、これらのスポーツゲームをすることは、彼らの心を学習から逸らす考えで学生達の脳を満たしています。

 

3.もっと優れた方法

 さて、精神と筋肉の能力は、神と共に働く者達にそれら[の能力]を養成して福音伝道の働きのために、また、現在の生活に高度に役立つ教育の実施のために、さらに、教育における最も本質的な分野である人の役に立つ働きの実践のために、あらゆる方面で、高度なレベルの働きの方法と手段を創り出しています。

 そこには、若い人々が彼らの神に委ねた才能を預けておくことができる、神の[人類救済]目的とその働きを進めること、自分自身を喜ばせるためではなく神の栄光を称えることなど、多くの方法があります。天の統治者・栄光の王は、人間を高貴にし高めるために、私達の世界に来て計り知れない犠牲を払いました。彼は一人の保護者、勤勉な働き人でした。私達は、「[イエスは]良い働きをしながら歩き巡りました」を読んでいます(使徒言行録10:38)。

 これは、キリストの前線[兵卒]として働く若い人達がみなするように求める働きですか。あなた方にはキリストの支援があります。ある学生のアイデアは広がるでしょう。学生達は遠くにまで伝えるでしょう。有用な能力と、あなたがた学生の人生でさえ、成長し進展し続けるでしょう。神が預けたその腕とその手は、天のしるしを生み出す善意の実践に利用されるために存在しています。あなた方は最後には「よくやった。汝は良い、そして、忠実な奉仕者でした」(マタイ25:21)と聞くことができるでしょう。

 学生達の[成績]記録は、主が[課外]活動を重点にして高く評価する特徴があって、あなた方のボールゲームは厳しく管理されていたという事柄が私に示されたことから、それ[ボールゲーム]が学生達へ良い評価をもたらすだろうとは、私は考えていません。

 偉大な教師[キリスト]のために働く機会を見極めて活用して、それぞれ責任ある行動の主体者agentによってなされ得ることを見て、クリスチャンの努力計画に基づいて、仲間の一人に何かが形成されるようにしましょう。彼[キリスト]は、全ての人が良い働きをすることができる「ブドウ園」を持っています。苦悩する人間性はどこでも助けを必要としています。学生達は、身体的な労働を必要としている人々の慰めとなることによって、時にかなった言葉を語ることによって、心にそれらの方法を得ることができるでしょう。これは、あなたが誰かの品位を落とすことではないでしょう。それは神が支持する一つの良心をもたらすでしょう。あなたを賢く改善するために、あなたに委ねられたそれ[良心]は、会話を遣り取りする人達に才能を与えているでしょう。それ[才能]はそれら[会話]を交わすことによって人々に増すでしょう。

 そこには、魂と身体の両方に有益とされ、計画され得る行動の健全な方法があります。また、なされるための大きな働きがあります。そして、神に受け入れられるこの働きをするために「全ての責任を持つ行動の主体者agentが自分自身を教育する」ということが本質です。全ての人が学ぶための多くがあります。そして、浪費の時代の金遣いが荒く悪癖の存続する療法のために人間の何かの考案品を応用すること、善をなすために神の知恵を受け入れる以上に、よく働く脳や骨格や筋肉が創り出されることができません。

 神が若い人達に与えた筋肉と脳を使って、いつも善をなすことの探求は私達の義務です。彼らはほかの人々のために役に立つ存在でしょう。彼らのために光を掲げる働きを用意しましょう。悲しみを和らげましょう。彼らの勇気を奮い立たせましょう。希望と慰めの言葉を語りましょう。学生の心を楽しみと浮かれ騒ぎから方向転換させましょう。それらは、しばしば彼らを、男性らしさと女性らしさの気高さのかなた、恥知らずと不名誉に追いやってしまいます。主は、人々の心を有用な貴いチャンネル(経路)として高きを求めて、高く引き上げるでしょう。

 

4.霊性の危険

 それらのゲームの中に神の栄光の視点が一つでも存在していますか。そこでは、神の方法と神の約束の視点の一つが失われています。知能の高い働きをする存在者達は、[1844年からキリストの至聖所での]調査期間の間、神が啓示した意思と交替していて、サタンの精神を吹き込むために彼の横で彼と人間の働き人の創出と推測の代役をしています。あなたのそば近くに神の言葉を保ち続けましょう。あなたが賢くいられるように導かれてください。あなたは確固として不動で、いつも神の働きに満ちているでしょう。私達は、これらの終わりの日々を祈って見張っている必要があります。天の神、主は、夢中になったゲームによって燃えて最高潮に達した情熱に異議を申し立てています。

 あなたはアン・アーバ[大学]で医学の勉学をしている間以外にあなたの人生の中に時はなく、とても危機的な所に置かれています。サタンは、人の魂を台無しにする特別な誘惑によって入り込むために強みを握ることができる所ではどこでも、全ての人の人生の並木道を見張っています。あなたは、自称クリスチャンと言っている、とても知的な情緒を持った無信仰の人々と会うことでしょう。神の言葉によってあなたに啓示された特別な知恵に堅く立ってください。もしもあなたがその教えに従うならば、それはあなたを神の玉座に繫ぎ止めるでしょう。私は今心配しています。ほかのどんな期間よりも、そのクリスチャン達一人ひとりが神から分かれるでしょう。彼らはイエスキリストの手本を視界から見失い、自分自身で着火して燃やして歩むことが安全だと考えているので、その人の魂はそれが主の道だと考えることによって騙されています。       『手紙』17a,1893(66)


 

35章 チャンス(偶然)の方法によるガイダンス[18]

 

 

 

 

 

 あなたは、宗教的な義務を考えて適切な決定を下すため、また、ビジネスの冒険を考えて決定を下すために、コインを投げ上げて、そして、あなたがこれからどのコースに進むかをそれが落ちる位置に決めさせる試みをしています。私は「そのような方法を誰にも推奨していない」と指導されました。その人々は、あまりにもありふれていて、手品のような早わざで行動することが多いです。それらは主に属しておらず、決定をその方法に頼っている人は、失敗と失望に会うでしょう。チャンス(偶然)の要素以外は何も存在していません。そのようなテストを義務とみなして採用する影響は、偶然と当てずっぽうに依存する精神に導くと評価されています。私達の全ての働きとそのための計画は、神の言葉の堅固な基礎の上に立てられる必要があります。

 

[1.御言葉を研究しましょう]

 神の民は、聖霊の清めを真剣に祈り誠実に求めることだけによって、自分達の義務について正しい理解に至ることが可能です。彼らが、自分達の活動の方向の指導を正しく求める時に、これらの奇妙で当てにならない方法は、受け入れられないでしょう。その時、彼らはでたらめな働きから、また、人間の考案にずっと依存していた結果である混乱から救われるでしょう。……

 神が定めた主の民のガイダンスの分別の原則において、コインを投げ上げるような何かの考案の指示に依存すること、うわさなどの雑音に導かれないようにと、私達の教会の人々に言いましょう。そのような方向は、魂の敵がその計画をうまくいくようにその働き人を通して、コインをコントロールするように働いているので、彼をとても喜ばすでしょう。そのようなテストに信頼を置くようなことをして簡単に騙されないようにしましょう。神の働きに結ばれた重要な事柄の指揮のために安っぽい考案に訴えることによって自分達の体験の価値を下げないようにしましょう。

 主は無計画な方法で働いてはいません。最も誠実な祈りによって、主を求めてください。主はその人の心に感銘を与えるでしょう。主は言葉と話し方を与えるでしょう。神の民は、神の意図を学ぶ手段として、不確かなテストと人間の考案したものを信頼しないことを教育されるために存在しています。サタンと彼の働き人達は、神の言葉の原則から魂を引き離そうと、どこか開いていると見える所から踏み込もうといつも用意をしています。神の教えを受けて導かれた人々は、「主はこう言っています」が存在していない所に、人間が考案したものに場所を与えないでしょう。

 主の来臨のために備えをしていると主張する全ての人々は、主が送っている全ての光によって歩むことを望んでいる一つの精神のために、また、主の意図と知識のために、主を謙虚に求めましょう。一つの民として、私達は、知恵と勧めの代わりに、神に依存するための私達の義務と思われる多くの指導を受けました。「御言葉を研究してください」と救い主は言っています。……私達は、自分達の心と魂が謙虚で、清い神の子に属しているという信仰によって歩むことをいつも学んでいる必要があります。

 私の兄弟達、姉妹達、あなた方が誘惑されて作るようなあらゆる小さいテスト、神の言葉の証によるあなた方の心のテストを捨て去りましょう。御言葉を研究しましょう。あなたは神の品性/人格と意図がわかるでしょう。全て信じる者が主のガイドと守護に関する聖書の真理を知ることは可能な要素です。全ての若い男性と若い女性に、そして、以前に若かった人々に、私は「御言葉の研究は世界の終わりまで不動だにせずに残る、魂のためのただ一つの守護です」と証をしましょう。

            『特別な証』シリーズB,No17,pp.25-27.

 

2.インタビューによる質問と回答

W.C.ホワイト:ビジネス内容の決断の質問と、日常行動と個人的な決断の質問について、答えが “はい”か“いいえ”で主に尋ねる質問方法について、あなたの考えはいかがですか。彼は、1枚のカードの表と裏にその言葉を書いています。それを落とした時、そのカードの落ちた方の答えを受け入れています。確かなことをするために、彼は自分がしたいか、したくないかをこの方法によって神は示唆していると信じています。

E.G.ホワイト:それは、神が賛成していないでたらめな方法です。そのテストを示した人々に、私は「いいえ、いいえ」と言いました。神の[人類救済]目的に関する神聖な事柄はそのような方法によって取り扱われていなくて当然です。神は「私達が主の意図をそのような方法で学ぶために存在している」と、私達に指導していません。

 カードやコインを落として、私達のために神の意図が何であるかを決定すること、それがどのように落ちたかを観察することは、私達に神を称える経験と共に備えられているでしょうか。いいえ、そうではありません。そんなテストは、宗教的な体験を神を称える人々に繫がる人を損なうでしょう。そのようなことをガイダンスとして依存する全ての人々は、再回心する必要があります。

 1844年に再臨を信じた人々の大失望の後、私達はみんなでこれらのことを議論するために何度も何度も繰り返して集まりました。それから、私は病のベッドから離れて、狂信的言動のようなものを譴責するメッセージを与えるために遣わされました。彼らは違った方法を用いていました。彼らは一つのしるしを選んで、そのしるしによってその方向について行ったようです[19]

 一つの例を挙げると、彼らは死んだ子どもを墓に葬ろうとしませんでした。彼らはその子が死からよみがえされようとしていた、という自分達に置かれたしるしによって判断しました。

 私は、人々がしるしとして使用していた事柄で誤った考えをしているとみなされる人々に、自分の証を生み出して持って行くようにと遣わされました。神が私に与えた特別な光によると、「主がこう言っています」という言葉を掲げる以外に、私達のために安全は存在しません。

W.C.ホワイト:それはビジネスでの取引においても言えることだと思います。私は、それが私に良いことだと思えた一つの特性を見ました。私は買うかそうでないかを教えてくれるよう主に尋ねました。私が貨幣の一つを投げ上げるそのやり方を採用して、一方の側が上になると、私は買います。反対側が出ると、私は買わないでしょう。

E.G.ホワイト:神は私にこのメッセージを与えました。そのようなことは、[人類救済を]目的とした主の働きの中に入れるために存在していません。それは塵の中のものと同じでしょう。これが私に贈られた方法です。人間が作ったテストに追随する結果として不思議な何かを示すために、ありふれた物事や特別な敵が利用しているそれらのありふれた物事は、神と神の力と神の恵みから人々の心を逸らすでしょう。

W.C.ホワイト:ハリス姉妹はこう言っています。「ハリス兄弟は、コインを投げ上げる前にいつも祈っています」。それは何か違うことをしていませんか。

E.G.ホワイト:機知whitとは違います。[それは]メイン州にあった怖い体験を人々がしようとしていた時に、私が祈っていつも話してきた狂信的言動であったでしょう。この概略は、人間がすることのできる確信に導いています。私達が期待しているものは、神の力の少ないものではありませんが、もっと多くのものを期待しています。私達は、天の神からだけ訪れる厳粛さを期待しています。私達は、主の神性の教えの是認の中で働いているでしょう。……

 私達は、信仰によって神の所に来た私達の教会の人達に励まされて自分たちの能力いっぱい働き続けてきました。また、主の聖霊を信じることは教師またガイドとして彼らに十分に与えられるでしょう。また、聖霊の奉仕の働きによって、彼らは神の意図を知るでしょう。

            『特別な証』シリーズB No17 pp.16-20

 

3.教会役員選任のくじ引き

 私はくじ引きへの信仰を持っていません。私達は聖書の中に明確に全ての教会の人々の義務と思われる「主はこのように言っています」という言葉を持っています。……

 私は○○教会のメンバーの人達に言いましょう。「たくさんの祈りと共にあなたの聖書を読んでください。ほかの人達を謙虚にさせようとしないでください。そうではなく、自分自身を神の前に謙虚にしてください。そして、ほかの人々を優しくもてなしましょう。教会の役員選任のためのくじ引きは、神の指示ではありません。人々の責任がその教会役員の選任の上に呼び出されるようにしましょう」。

                    『手紙』37,1900(63)


 

36章 一日の必要のための備え

 

 

 

1.計画的な蓄えのアドバイス

 毎週、あなたは、病気のケースではないにもかかわらず、5ドルか10ドルをどこかで何かの治療費を払っているでしょう。節約によって、あなたは何かに関心を抱いているでしょう。賢いマネージメントによって、あなたは借りたお金を払った後で何かを蓄えるでしょう。

                    『手紙』29,1884(57)

 私は、ある家族が1週間に20ドルを受け取っていましたが、それを1ペニー(1ドルの1/100)も残さず、全部使っていたということがわかりました(本書前編に1860年代の平均賃金が週6ドルの記事があります)。一方、同じ人数のほかの家族は、1週間に12ドル受け取っていましたが、必要だと思ったが買わなくても済む物の購買を差し控えるマネジメントの実行によって、1週間に12ドルを残していました。

                    『手紙』156,1901(74)

 

2.収入が減った日のための備え

 あなたは、自分が考えているような倹約家だったならば、今日、緊急時のケースに利用するため、また、神の[人類救済]目的を援助するための財産としての資金を持っていたことでしょう。毎週のあなたの賃金の一部は蓄えられ、そして、実際に困っていない限り、触れないケースもあり、あるいは、神に捧げることによって、与え主に返礼する必要があります。……

 あなたが得た財産は、賢明にも経済的にも、利息を残すためにも使われませんでしたが、あなたに病気が存在する時、あなたとあなたの家族は、家族を支えるためにあなたが持ってくる収入を失うでしょう。あなたの家族は、あなたが生活に窮する立場に置かれるならば、当てにするための何かを持つ必要があります。 『手紙』5,1877(50)

 

3.倹約と蓄えを勧められた若者

 あなたがすべてにおいて倹約していなかったということと、あなたが今も、どんな若者でも称賛に値する賢い倹約の結果を示すために何かを持っているということは確かです。毎週の賃金の一部を慎重に残して、毎週の総額に[備えを]課することは[他人に]言及されることではなく、あなたのルールでしょう。……

 ビジネスの勤勉さと娯楽の節制、生活必需品の不足でさえ、健康が悪くない限り、あなたの周りには、そういう若者がいて慎重に続けられているでしょう。ところで、あなたは言及されていない小さな能力を持っているでしょう。[それなのに、あなたはそれを働かせていませんでした。そう言われると]あなたは不愉快になるでしょう。[でも、]ほかの人々の善意はあなたに依存心を存在させないでしょう。あなたは、いくらかの見返りを期待して、その時に関心があった必要のないものに多くの資金を費やしてきました。……

 あなたは、限られた賃金であっても、何かの必要に備えた資金を持っていたでしょう。それは、やがて価値を増していくと考えて、広い土地に投資されたのでしょう。でも、ある若者は得ていた最後の1ドルを全部使って、計算と認識の大きな欠如を示していました。

 命に限りある人間達は、その体のために食糧が供給されるような体と頭と心を持ってから、この世界の相応しい場所を守るために造られたに違いありません。この世界中の人々の基準に合うようにではなく、いいえ確かにそうではなく、この世界中の人々に良いことの影響を存在させるためです。愛と共感、そして、一般の人々の兄弟[姉妹]愛が実践されるでしょう。          『手紙』41,1877(50)


 

37章 家を持たない世代[20]

 

 

 

 

 9時に私達は、ある問題を話し合うために大きなテントにいる数人の兄弟達に会いました。それは、定期的に私達に訴えられていた家を、持たない世代の人々の問題でした。彼らのために何かなされることがあるでしょうか。

 主が私に与えた光は繰り返されました。全ての家族は自身に関して手助け無用ですが、彼らのためにふさわしい供給をしましょう。それが不可能なら、教会は重荷を負うでしょう。主は、全員の行為によって主の教会を祝福しているでしょう。彼らは神の貧民ですが、また、不幸と極貧に取り残されるために存在していません。(訳者加筆:現代語では「貧民、貧乏、極貧」「孤児」は差別語です。1800年代では一般に使用されていました。現代語では「不足している人」と言い換えられています)

 この教会がこれをなすことができないならば、この教会の総会がそれを取り上げて、主の必要としている人々に供給しましょう。供給はまた孤児達にも為されるでしょう。彼らが、自分達相互によって世話ができないならば、この教会またはこの総会は彼らを世話する必要があります。彼らにふさわしい家を設置しましょう。『原稿』151,1898(71)


 

38章 軍隊に関する質問

 

 

 

 

 

1.旧約時代の戦争

 主は、モーセに、ミディアンの人々を悩ませて彼らを罰するようにと命じました。彼らがたくらみによってイスラエルを悩ましたので、イスラエルは神の戒めに違反する彼らを欺きました。

 主は、イスラエルの子らがミディアン人に正義の復讐をするようモーセに命じました。それで、モーセは彼の民を集めたでしょう。モーセはその人々にミディアン人と戦うため戦争の準備を命じました。そして、イスラエルの民は、主が命じたように、ミディアン人に対して戦争をしました。そして、男を全て殺しました。しかし、女達と子ども達を捕虜にしました。バラムはミディアン人達に殺されました。「モーセ、エレアザル、その祭司、会衆の若者達全員は、キャンプ地の外で彼らに会うために前に行きました。モーセはその戦いから帰って応対した千人の長、百人の長など軍勢の長達に激怒しました。モーセは彼らに言いました。「汝らは女達をみな生かしておいたのですか。バラムの勧めによってイスラエルの子らの原因となったこれらのことを見なさい。ペオルの事柄で主に対して背く立場になり、主の会衆の間に疫病がありました」(民数記31:13-16)。

 モーセはその人々にその女達と男の子を滅ぼす戦争を命じました。バラムは報酬としてイスラエルの子らを売りました。そして、彼は得た見返りとして、24,000人のイスラエル人を犠牲者として滅ぼしました(民数記24:9)。

 主は、ほかの民と戦争するよう主の民に多く求めることによって、残酷とみなされています。人々は「主の慈悲深い品性/性格に反している」と言っています。しかし、主は世界を造り、地上に住まわせるために人を造り、主の手に属する全ての働きを際限なく支配していました。主が自分の手の働きを意にかなわせること、彼の意にかなうようにすることは彼の権利でした。人間は自分の造り主に、「なぜ、汝はそのようにするのですか」という権利を持っていません。主の品性/性格には不義が存在しません。主は世界中の人々と、彼の権威に反逆した配下の大部分の者達、そして、彼の律法を踏みにじった者達の支配者です。主は人々に豊富に寛大に祝福を授け、全ての必要な物で取り囲みました。また、人々は木や石、銀や金で作った、しかも、自分達の手で作った像にひざまずきました。人々は自分の子ども達に「それらは、自分達に命と健康を与える神々、自分達の土地に果物を実らせる神々、そして、自分達に富と名声を与える神々だ」と教えました。人々はイスラエルの神を物笑いの種にしました。人々の働きは当を得ていたので、人々は神の民を見下しました。「愚かな者は心の中で “ここに神はいない”と言います。人々は道徳的に堕落しました。人々は嫌悪感を引き起こす働きをしています」(詩編141)。神は、人々の道徳的な不正の寸法が満ちるまで、人々をそのままにしていました。それから、主は速やかな滅びを人々にもたらしました。主は、神の民を偶像崇拝に惑わして誘惑した不道徳な民に、復讐し罰する手段として神の民を使いました。

 ある家族の写真が私の所に贈られてきました。子ども達の内の一人は父親の求めを聞いて習うことを嫌っているように見えます。一方、ほかの子達は父親の権威を踏みにじっています。父親の家庭の躾に軽蔑を示していて勝ち誇っているように思われます。子ども達は父親の家の信頼を分かち合っていて、いつも父親の恵みの物を受けています。子ども達は受けるものを全的に父親に依存していながら感謝しておらず、どちらかというと、子ども達が得意げになるように教えていて、両親が自ら与えた甘い躾を受けて子ども達はみな気に入りのようです。父親は、その無礼な行動、自分の不従順さ、感謝のない子ども達、また、自分がそのような子ども達を育てたことをみな知っています。

 時が経つと、これらの反逆的な子ども達の反逆はもっと進むでしょう。影響を与えて、これまで信仰深かった父親の家族の者を反逆に導くでしょう。父親の全ての威厳と権威は行動に移されて、反逆的な子ども達を家から追い出そうとするでしょう。彼は自分の愛情と子ども達への祝福を乱用しただけではなく、父親の一族の賢く思慮深い決まりに従順にして残っていた数人の子ども達を蝕もうとしました。

 忠誠を保っている子ども達の幸せは、彼の一族の反逆的なメンバーの扇動的な影響下にさらされています。彼は、自分の家族から従順でない子ども達を分離します。一方、同時に、彼は、忠実と忠誠を残している子達を自分の近くに置くように動きます。反逆して忠実でない子ども達を厳しく罰することによって、子ども達はみなそのような両親の賢明で正しい道を尊敬するでしょう。

 神はこのように主の子らを接遇しています。しかし、人間は、盲目によって、不敬な態度の嫌悪感を見過ごし、神の権威を無視し、神の律法を踏みにじり、天に対する大胆な罪と反逆に気づかず、感謝しない態度を取り続けてそのそばを見過ごすでしょう。人々はここで止まらず、有頂天になって神の民を滅ぼすでしょう。人々のたくらみによって神の民に違反の罪の影響を及ぼし、そして、主ヤハウェ(hwhy)の聡明な求めを軽蔑しています。

 ある人は、神が敵を殺戮するという、厳しさと無慈悲をだけを見ています。その人々は、[神の]そのほかの側を見ないでしょう。与えられたことにいつも感謝しましょう。衝動的で、変わりやすい人、自慢するような慈悲心がある人はみな、これらの成り行きに対処する人でも管理する人でもありません。「悪人の優しさと憐れみは無慈悲です」(箴言12:10)。       『霊の賜物』第4pp.49-52

2.徴兵に関して与えられた光

 あなたは、私達自身の良心が命じることを尊重するという、私達の教会の人々の権利を確保するために求められる方法について尋ねました。「神への私達の信頼が十分でなかったことは、私達の信仰と証の否定」なのかどうかについて、ある期間、私の魂に一つの重荷でした。でも、私は知性に多くの事柄を呼び出しています。神は、徴兵とほかの物事と似た性質の事柄と思われることを過去に私に示しました。私は神を畏れて語ることができます。私達の教会の人々に生み出して伝えているものは正しいものです。私達がその苦悩を避けるためにできる全ての特権を利用するべきでしょう。  『手紙』55,1886(59)

 

 (訳者加筆:アメリカ市民(南北)戦争(1861-1865)の最中、1863年に徴兵制が成立しました。これをボランティアか300ドルの手数料のどちらかで代える条項がありました。しかし、1864年にこれが削除されました。その後、非戦闘員としての行動が認められるようになりました。これはミシガン州が最初でした。『エレン・ホワイト百科事典』pp.42,43

 

3.求められた訓練

 私達は、3週間の訓練に従事するようこの国の政府から出頭を命じられた3人の教会責任者に、事務所でちょうど別れの挨拶をしたところでした。その出版所の私達の働きはとても重要な段階でした。しかし、政府は、私達の都合に合わせないで招集しています。政府は「兵士として受け入れられた若者達は兵士の務めのための練習と訓練を怠るべきではない」と命じています。私達は会って喜びました。軍服を着たその3人は彼らの仕事で信仰深さと栄誉を代表していました。彼らは信頼に値する若者達でした。

 これらは選択して行くのではありませんでした。しかし、彼らの国家が兵役を求めた法律のゆえでした。私達は、彼らにキリストの十字架の真の兵士として見られるために勇気の言葉を与えました。私達の祈りはこれらの若者達について行くでしょう。神の使い達は彼らと共に進み、そして、彼らを全ての誘惑から護るでしょう。

 『原稿』33,1886(59)1886.9.2スイス バーゼルで書かれた)

 

 (訳者加筆:彼女は1885-1887までの2年間(57-59)、息子ウィリアムと嫁のメアリーと娘、看護師のマクエンターファー、文筆アシスタントのマリアン・デービス、通訳のイングス・ウィリアムとジェニーなどチームでヨーロッパ伝道旅行をしました。『エレン・G・ホワイト百科事典』より)


 

39章 投票の勧め

 

 

 

 

 

 私達の働きは、見張るため、また待つために、そして祈るために存在しています。御言葉を調べて研究してください。キリストはこの世界の人々と混ざらないようにと警告をあなたに与えています。私達は彼らの間から出て、分離するために存在しています。「清くない物事に触れてはいけません。私はあなた方を受け入れましょう。また、あなた方の父として存在しましょう。汝らは私の息子、娘としましょう。全能の主が言っています」(2コリント6:17,18)。

 

[1.不公平なくびきを不信者と共に負わない]

 意見が何であれ、あなたは政治的な疑問によって投票することによってそれを保つでしょう。あなたは、ペンや声によってそれを主張するために存在しているのではありません。私達の教会の人々は、第3天使のメッセージに関係のない質問には表面上沈黙している必要があります。これまでも、一つの民は神の近くに引かれる必要がありました。それはセブンスデー アドベンチスト達です。そこには、作られた素晴らしい考案と計画がありました。燃えている希望を手に取り、何かを叫ぶために、また、何かと結び付けて、男性達や女性達が掲げました。彼らは何かを知ろうとしていません。しかし、多くのテーマにおいて、キリストに属するその沈黙は本当に力強い言葉でした。……

 わが兄弟、あなたは覚えていませんか。神の言葉を聞くために教会の人々が集まった時、あなたは何一つどんな重荷も、私達の記事の中で、あるいは、会衆の中で話すことによって、あなたの政治的な優遇を公的に主によって、自分に負わせませんでした。

 私達は、政治的な疑問をよく混ぜるようになるために、一つの民として存在しているのではありません。みなさんは神の言葉によく注意を払っているでしょう。汝らは政治的な論争において不公平なくびきを不信者と共に負わないようにしてください。また、彼らと忠誠[の約束]も結ばないようにしてください。そこには、彼らが共に立って働く安全な地盤は存在しません。忠実と不忠実は、出会うための同等な地盤を持っていません。

 神の戒めの教訓の一つを破る人は、律法全体の違反者の一人です。あなたがするように主張する全ての人に、あなたの義務があると感じないでください。            『手紙』4,1898(71)

 

2.重要な決定に至った私達の先駆者達[21]

 ある夕方の集会に参加しました。全く自由で、興味深い集会でした。気心が知れた時間になった後で、投票のテーマが検討され、取り上げられました。ジェームズ[ホワイト]が最初に話しました。それから[J.N.]アンドルーズ兄弟が話しました。間違いに対して正しい方を支持して影響力を与えることが、彼らによってよく考察されました。彼らは、議会で不節制の人がもっているリスクを沈黙して抱えている人ではなく、私達の市議会にいる禁酒/節制している人へ賛成の投票をすることを正しいと考えています。[ディビット]ヒューイット兄弟は[数日来の]体験を話しました。そして、投票することは正しいことだという落とし処に持っていきました。[ジョサイア]ハート兄弟は好意的に話しました。[ヘンリー]リヨンは反対しました。投票を棄権するという人はいませんでした。しかし、[J.P.]ケロッグ兄弟は、それは正しいと感じているようでした。兄弟達の間にはみな好意的な雰囲気が感じられていました。彼らはみな神を畏れて行動するでしょう。

 不節制な飲酒をする人々は、今日、安息日遵守のコース()の公認の表現方法を自分達の道をステッキに突き刺したままで投票も意見も述べず、投票をしないクウェーカー教徒のように、必要以上によく見せる人が議会にいます。サタンと悪天使達は、この時に忙しくしています。そして、彼は、地上に働き人達を持っています。サタンが失望させられる[]は私の祈りに存在しているでしょう。

     「エレン・G・ホワイトの日誌」1859,3,6()32歳)


 

40章 ホップ、タバコ、そして、豚

 

 

 

 

 

[1.縮小することを勧める]

 たくさんの問い合わせの答えとして、私達は「ホップ(ビールの香料)、タバコ、そして、豚を採用するのではなく、堅実で一貫した信仰のための生計の手段として、セブンスデー アドベンチスト達のビジネス(事業)が存在していると信じています」と言うつもりです。

 私達は、ホップやタバコを一切、畑に植えないこと、大量の養豚を縮小することを勧めるつもりです。最も堅実な信徒達がもうそれをせず、続けない時に、きっとそれを義務だと思うことができるでしょう。私達はこの意見を誰にでも主張するつもりはありません。いわんや、私達は、「あなたの[畑の]ホップとタバコを土の中に鋤き込みなさい。そして、豚を犬の[餌に]犠牲にしなさい」と言う責任を取るつもりもありません。

 一方、私達は、私達の教会の人々の中で、大量のホップとタバコ、大量の成長した豚を処分した人々に、「クリスチャンの仲間としてのテストをどのように考えても、彼らはそれらの作物を栽培する権利を持っていません」と言うでしょう。私達はまた、これらの軽蔑に値するあわれな作物を手にした人々にこう言うでしょう。「もしもあなたが大きな損害なく両手を説得してそれらを得ることができるならば、出版物と言葉による指導を受けたこの教会の人々の信仰の一貫性は、あなたができる限りすぐに両手を説得してそれらを得るべきだと提案する以上に、改革のテーマで言うためのとても多くの内容を備えています」*(If you can get them off your hands without great loss, consistency with the faith of this people whose publications and oral teachings have so much to say on the subject of reform, more than suggests that you should get them off your hands as soon as possible.)。  『レビュー&ヘラルド』1868,3,24(41)

 

      

註:これは、ジェームズとエレン・ホワイトの共著で発行されたいくつかの記事の一つです。二人の署名があるのですが、表明されたその見解は、ミセスホワイトの十分な支持という根拠があります。――題目編纂者


 

41章 堅実な結婚状態の勧め

 

 

 

 

 

1.再婚が正当だった例

 あなたの娘さんとJさんの結婚において、あなたに問題があると私は思います。でも、その結婚はあなたの同意、あなたの娘さんの同意、彼を知っている全ての人の同意、夫になる彼の承諾も生じました。さて、私は、なぜあなたがこの事態をめぐって重荷を負うべきなのかその理由を理解できません。あなたの娘さんはJさんを愛しています。この結婚は神のためであり、Jさんとあなたの娘さんの二人が二人に足りないものを育てあげクリスチャン経験を豊かに持つために存在していたでしょう。あなたの娘さんは結婚において、彼女の結婚の誓いを破ることは正義から離れて存在するでしょう、とJさんに誓約しました。彼女は今彼への自分の義務を完全に取り消すことができません。……私は、彼が以前に内縁関係にあった最初の妻Kさんを個人的に知っています。JさんはKさんをずっととてもよく愛していました。その割には、彼女は、彼が思うような立派さがありませんでした。彼は、彼女を助けるために自分の力を尽くし、自分の妻として彼女を護るあらゆる方法をできる限り模索しました。彼は、することをした以上のことをすることができなかったでしょう。私は、彼女の道に自分の我慢強さを示すことを試してみるよう彼女にお願いしました。彼女に結婚の解消に至らないように頼みました。しかし、彼女は頑固で我が儘で強情でしたので、彼女自身の道を選ぶでしょう。彼女が彼と生活した間、彼女は、彼から可能な全てのお金を手にすることを求めました。しかし、彼女は、妻が夫をもてなすように、彼を親切にもてなそうとはしなかったでしょう。

 Jさんは妻を外に出しませんでした。彼女は彼のもとを去り、彼を外に出しました。そして、ほかの男性と結婚しました。私は、御言葉の中に、主による彼の再婚の禁止を何も見ることができません。彼は、一人の女性の愛情への権利を持っています。……

 私は、この新しい結び合いが乱されるようなことを見ることができません。これは、夫と妻の役目で厳粛なテーマです。このケースのような歩みを取ることについては、聖書的な地盤がありません。彼は彼女のもとを去りませんでしたが、彼女は彼のもとを去りました。彼は、彼女が結婚を解消するまで再婚しませんでした。KさんがJさんから自分の離婚をした時、彼は最も厳しく忍耐しました。そして、Jさんが結婚したのは、Kさんがほかの男性と結婚した時まで、ありませんでした。私は、彼が選んだその人が彼を助けるだろう、そして、彼は彼女を助けることができるだろうと確かに感じています。……女性が男性から分かれることが求められているということについて、私は、神の言葉の中に何もみません。あなたが私のアドバイスを求めた時、私はそれをあなたに与えるでしょう。  『手紙』50,1895(68)

 

2.離婚した男性と結婚を考えた若い女性への勧め[22]

 怒る当事者は再婚の正当性がない

 私は、あなたがLさんと結ばれたケースを熟慮していました。私は、これ以上に、あなた与えるための勧めがありません。私は、あなたがLさんとの結婚における当然のモラルを持っていないと憂慮しています。彼もあなたとの結婚に当然のモラルを持っていません。彼は、彼女に強い怒りを与えた後で、自分の妻を去らせました。彼は、自分が神の前で生きている間に愛と世話を誓約した彼女を去らせました。とにかく、彼女が離婚をする前に、彼女が法的に妻だった時、彼は3年間彼女を去らせ、心の中から彼女を去らせてから、彼の愛があなたに表されました。その問題は、あなたと一人の結婚した男性の間でおおまかに取り決められました。一方、彼は自分が結婚したある妻に法的に結ばれていました。その女性は彼によって二人の子どもを生みました。

 彼の妻は絶遠されていますが、あなたに結婚の約束をして二股をかけていることについて、私は御言葉の中に一片の寛容も見ません。彼が彼女に与えた怒りからこの結果に至った理由は大部分が自分自身の行動にありました。私は、彼とあなたの関心が繫がるような、あるいは、あなたの関心に彼の関心が繫がるような、彼が持っている法的な権利で、これ以上の都合の好い光を見ることができません。……

 私は、あなたがそのような考えを一瞬でもしているだろうということに、そして、あなたの愛情をそのような状況で、自分の妻と子ども達を捨てて結婚している人においているということに驚いています。彼らは私達の責任ある兄弟達の前に存在しているように、あなたがこの問題を考えて、あなたの考えと計画を横におくことを、私はアドバイスしましょう。あなたはそれらの勧めを受け入れることができるでしょう。そして、神の律法からあなたが落ちたそのしくじりの中のあなたにそれらを示しましょう。あなたは、結婚に繫がろうという考えによって、神の律法まで双方を壊しました。あなたは、最初に示唆したようにその考えを受け入れるべきではありません。

                    『手紙』14,1895(68)

 

3.現在の妻が去ることの良くないケース

 私は、ちょうどMさんに関するあなたの手紙を読み終えたところです。私は、彼(Mさん)が取っている道に、Mさんの父親が賛成するということを悪いこと非情なことと考えて、あなたが反対しているという光/真理の問題だと考えました。……私は、彼[Mさん] のケースは現在の妻を去らせることによっては、改善することができないと言いましょう。その質問の中で、ほかの女性にいくそのケースは良くないでしょう。[23]

 私は、独り身の父親のケースを考えています。彼の記録は、神の裁きの日に会って喜ばれないようなケースの一つです。彼は、様々な働きと精神に関して、神の前に悔い改めを必要としています。彼のためになされる最良のことは、口論の奮起をやめることです。……その父親と兄弟は自分達のために賢いワークをするようにしましょう。彼ら二人は、神の力による回心を必要としています。主が、主を去るMさんと、悪いことを悔い改め彼らの品性から染みと汚れを取りさるように、それらのあわれな魂達を助けますように。

 その方には申し訳ありませんが、彼の道はそのような状態の中にあります。真ん中に置かれることは答えではないでしょう。そこには、困難の上になお困難が存在しています。私は「主はそのその状況を理解しており、そして、もしも、Mさんが心を働かせて主を求めるならば、主は彼を見つけるでしょう」と言いましょう。もしも、彼が最善を尽くすならば、神は彼を許し受け入れるでしょう。

 私達が、「最も弱い立場にある人々を助け、知ることをなし、理解することをなす御方を持つこと」を知ることはなんと貴いことでしょう。しかし、神を非難する人々は、滅びと破滅に追いやる人、自分達自身よりも神の目に悪くないという非難に立つ人、その父親とその兄弟の上に存在しています。また、彼らは、勇気を失わせるため失望させるため、そして、Mさんを絶望させるためにスピーチの賜物を利用するでしょう。

 Mさんは神に希望をもって、心に謙虚さをもって、自分の弱い魂を偉大な罪の引き受け主に投げ出し、神に仕えるためにすることができる最善を尽くすべきです。私は、父親や息子のいずれに一つの言葉も書きませんでした。私は喜んで、哀れなMさんを正しくするよう助けるために何かをしましょう。でも、誰かが不当に取り扱われることなしに、内容としてすることができないのが今の状態です。

                   『手紙』175,1901(74)

           ~~~

キリストにある全ての人

 人類家族の誰もがキリストに自分自身を預けています。誰もが一つの家族の子らになるために、その真理を聞いてそれに従っています。無知な者と賢い者、富める人と貧しい人、異教徒達と奴隷にされた人達、白人と黒人に、イエスは彼らの魂のために身代金を払いました。彼らが彼を信じているならば、彼の清めの血は彼らに適用されます。ある黒人の名前は命の書のある白人の名前の隣に記されています。全ての人はキリストにあって一つです。生まれ、場所、民族、また、肌色は、人を高めたり低めたりすることができません。品性/人格は人を作っています。もしも、一人の赤い人[アメリカ人、インディアン]、一人の中国人、また、一人のアフリカ人が、従順と信仰によって、神に自分の心を預けているならば、まったく人々の肌の色によってではなく、イエスは彼を愛しています。主は、とても愛した兄弟[姉妹]としてその人を呼んでいます。      『原稿』6,1891(64)


 

42章 異なる(人種・宗教・階級)結婚に関する相談[24]

 

 

 

 

[1.遺伝体質を与えた両親達に対する恨みの感情]

 私達には一つのきょうだい愛が存在しています。それを得ることや失うことは問題ありません。私達は、神と私達の救い主の目の中で、気高く勇敢な活動をする必要があります。私達、白人も黒人も全ての人々は、世界の人々に面会しても、また天の知者達に面会しても臆することなく、この原則を支持する自由と平等の原則を受け入れるクリスチャンとして行動しましょう。私達は、その有色人を、白人をもてなすように謹んでもてなしましょう。そして、私達は、指針と実例によって、このコース()を得ることが今できるでしょう。

 しかし、白人種と黒人種との結婚には一つの異議が存在しています。全ての人々は、屈辱の人生で子孫を支配して彼らに不利益を課する権利を持っていない、彼らは一つの状態としての長子の相続権を彼らに与える権利を持っていないということを熟慮する必要があります。それらの混交結婚の子ども達は、この生涯の遺伝体質を与えた両親達に対して恨みの感情を持っています。ほかに[理由が]なかったならば、この理由のゆえに、白人と有色人の間の混交結婚はなされないでしょう。                 『原稿』7,1896(69)

2.問い合わせへの答え

親愛なる友へ クリスチャンの若い人々の間での白人と黒人の異人種結婚についての妥当性を熟慮した問い合わせへの返答について、私は、自分の初期の頃の体験によって説明しましょう。この質問が私の所に届きました。そして、主から私に与えられた光/真理は、このステップは踏まれられないでしょう、というものでした。それは間違いなく論争と混乱が創り出されるためでした。私はいつも同じその勧めを与えるために持っています。この性質の結婚の推奨は、私達の[教会の]人々に与えられるべきではありません。ある有色の兄弟が、神を愛し神の戒めを守っている一人の有色の姉妹と結婚に入ることは尊敬に値することとしましょう。ある白人の姉妹が、ある有色の一人の兄弟と結婚して結ばれることを考えていることは、このステップを踏むことをきっぱりと断りましょう。それは、主がこの指導を導いていないからです。

 この内容をめぐってやがて湧き上がる論争によって失われる時間は、あまりにも貴重でもったいないです。この種の質問は私達の教会の牧師達を彼らの仕事して呼び出すことができないようにしましょう。そのようなステップを取ることは混乱と障害物を創り出すでしょう。それは、この働きも神の栄光も前進させることもないでしょう。

                   『手紙』36,1912(85)

 主は、主は思いやりと共に造り、その造られた者達を上から見ています。人々が所属している人種がどのようなものであれ、問題ではありません。神は「地の表面の全ての」上に住むための人間達の全ての民族を一つの血縁に属して造りました。……救い主はその弟子達に語りました。「神は私達の共通の父です。そして、私達一人ひとりは自分達の兄弟[姉妹]を護る者です。 『レビュー&ヘラルド』1896,1,21(69)


 

43章 奇跡的な癒し[25]

 

 

1.デリケートな事態

 病人のための祈りの内容を考えた時、多くの困惑した考えが湧いてきます。ある人は「信仰によって歩む必要があると祈った人は、神に栄光を与え、医薬品を利用しないで過ごします。その人が健康施設に入っているなら、すぐにそこを出るべきです」と言っています。

 私は、それらの考え方は間違いで、それを受け入れたならば、人々は多くの悪い結果に導かれるだろうということを知っています。

 ほかの側の考えでは、私は、祈りの有効性における信仰の欠如を意味すると理解されるような何かを言おうとは思いません。信仰の小道は、憶測の小道のそば近くに置かれています。サタンはいつも私達を間違った道に導こうとしています。彼は、信仰が混乱させられ失望させられるように誤解を見物しています。彼は、男性達と女性達に間違った前提から結論を確信させた時に喜んでいます。

 私は、一つの方法によってだけ、病人のための祈りをすることができます。「主よ、そなたの意図によって許しがありますならば、そなたの栄光と病気の人の良いことのために、その苦難を癒してください。私達は祈りを捧げます。私達の意図ではなく、汝が為されるように」。

 ネヘミヤは、主の前で嘆き泣き祈った時に、行なうことを自分の義務とは考えませんでした。彼は祈っただけでした。彼は、懇願と真剣な努力を混じえた祈りをしました。

 賢明で道理の通った薬品を使うことには、信仰の拒否が存在していません。                 『原稿』31,1911 (84)

 

2.自然なコースが現れるでしょう

 神の奇跡は、いつも表面上の奇跡を生み出すとは限りません。しばしば、奇跡は、自然な出来事のコースのように見える、おおよそ一つの方法によってもたらされます。私達が病人のために祈る時、私達はその人達のために働いています。私達は、私達の手の範囲内の医薬品を使って、自分自身の祈りの言葉で答えています。賢明に利用された水は最も強力な医薬品の一つです。それが知的に利用された時、有望な結果が見られるでしょう。神は私達に知性を与えています。主は私達に最上の健康を与える主の祝福を受けるように望んでいます。私達は、おなかが空いている人のために「パンを与えてください」と神に祈ります。私達は、これらの危機にある人々の救いのために、私達の手が届く範囲に神が置いた全ての祝福を使うために存在しています。

 神の意図と調和した自然[治癒力の]手段を利用することは、おおよそ超自然な結果をもたらすでしょう。私達は奇跡を求めて祈ります。そして、主はその人の心にシンプルな何かの医薬品を指導しています。私達は無知の中にいながら、この世界中の人々に猛威を振るっている伝染病から護られることを求めて祈ります。私達はその時に健康と生命の法則を述べる神と協力するために存在しています。私達は可能な限りできる全てをなして、信仰によって健康と抵抗力を保つために存在しています。私達は身体の健康を保つ食物を摂るように存在しています。神は、私達が自分自身のためにできることを神が私達のためにするという勧めを与えてはいません。自然の法則は従うために存在しています。私達は、自分の側の行動を失敗するために存在しているのではありません。神は、私達に言っています。「畏れとおののきを持ってあなた方自身の救いの働きをしなさい。良いことと喜ばしいことを望んで行動しているのは、あなたの中で共に働いている神です」(フィリピ2:12,13)。

 私達は神の法則を軽視することなしに自然の法則を軽視することができません。私達は、主が私達に利用するように提供したシンプルな医薬品の使用を怠っている一方で、私達のために奇跡を働いている主に期待することはできません。それは適切に状況に応じて、おおよそ奇跡的な結果をもたらすでしょう。ですから、祈り、信じ、そして、働きworkましょう。           『手紙』66,1901(74)

 

3.癒しのケース

 一人のケースとして、私の前に牧師の〇〇さんが挙げられました。彼は、「ヤコブの教え」[ヤコブ5:14]に従って彼を呼んだ病気の姉妹のための祈りに8マイル(13km)[馬車で]遣わされました。彼は行って、信仰深く祈りました。また、彼女も祈りました。彼女は、神の人の一人であるその牧師の一人としての信仰を信じました。彼女は直ぐに癒されました。彼女は起き上がって、彼女が10年間していなかった一つのこと、夕食の支度をしました。さて、その牧師は価値のない者でした。彼の人生は頽廃したものでした。そして、また、そこには偉大な働きが存在していました。

 ある時、再度、そのシーンは私の前を過ぎて説明しました。私は、その女性はキリストの真の弟子の一人だったのを見ました。彼女の信仰は癒されるはずのものでした。私はそれらの祈りを見ました。一つは霧のようにぼんやりして、暗く、下の方に置いてありました。ほかの祈りは光と汚点が混ざっていましたが、それは、私にはダイヤモンドのように見えました。そして、イエスの方を見上げると、彼はそれを天の父に芳しい香りのように送りました。一条の光が、すぐに苦しむ人に送られて、彼女は生き返り、その感化のもとに力づけられました。その天使は言いました。神は全ての真の小さい者達、誠実な者達を集めるでしょう。ダイヤモンドのような者達が集められ、一つの回復や返答が確かにもたらされるでしょう。神はその価値のない者から貴い者を分け取るでしょう。主は、偽善者と罪人に希望を生み出しますが、人は心の中を問われるでしょう。人は、正直な人と共に流れのそばの緑の木のように栄えるでしょう。また、彼の愚かさが現されるその時が訪れるでしょう。そして、その人は混乱をもたらされるでしょう。                  『手紙』2,1851(24)

 

4.癒されることが最善ではないような時

 私達は「主は、神の民の心に人間性に病んだ一人の人を床に就け、また、魂の一つの望みを彼らの中におきました。そして、彼らは回復のために最も真剣に祈っていて、また、その約束を主張するために一つの正しい光を持っていると推測していました。しかし、その病人は死にました」という実例を知っています。主は、初めから終わりまで見ていて、その神性の意図が誤解されるかもしれない時に、自分の癒しの力によって働く必要があることを理解しました。

 友人達と教会の人々の両方に、回復が最善ではない場合には、それは、私達の信仰の基礎である衝動という何らかの結論に導く、激しい神がかり、狂信的言動という結果をひこ起こすでしょう。唯一安全なコースは、書かれた御言葉についていくことにあります。あなたがその苦悩のためにできる全てのことをした後で、主の手の中に、そのケースは置かれています。死は神の栄光のために存在しているでしょう。主は、誰にでも、病気の人が細々と何か月も何年も生きながらえた人に死を許しています。主は主にある苦しむ人々にちょうど良い時に休みを与えようとしています。       『原稿』67,1899(72)


 

44章 危険な催眠状態[26]

 

 

 

 

 

1.催眠療法を使っている医師への警告

 N兄弟姉妹へ。主の名によって私はあなた方に思い出すようにお願いします。あなた方の感情の混じった意見と治療科学の精神が変化したと考える限り、また、あなた方二人が回心し心変わりした知性を持つ必要があるという立場にいる限り、あなた方は天使達と人々に見世物というつまずきの石として存在しているでしょう。

 特別な真理は、少ないながら感化があなた方にもありました。一人の人がいかに良い人でいるかは問題ではなく、人の知性をコントロールのもとに置いて、ほかの人の知性に感化を及ぼし働きかけることは、誰にとっても危険です。あなた方に「知性の治療は一つのサタン的な科学です」と、言わせてください。すでにあなた方は、自分達の未来の体験の中に深刻な危険が十分に入り込みました。あなた方の知性の中に初めに導入されてから、それが現れるまでの間に、それは、最も有害に発展しました。あなたは、サタンがその科学を考え出した立役者だということを理解することができない限り、それは、あなたが根と枝を分離することを考えるような、そんなに簡単な問題ではないでしょう。この科学の原理全体はサタン的なだましの名作の一つです。あなたの魂のために敵のこの罠を打ち捨ててください。

 あなた方はいつも、この科学に関するアイデアをほかの人々の知性に置いています。あなた方はほかの人の知性をコントロールする[方法を]得るでしょう。あなた方はサタンのグランドに立っていて、断固として彼と共同することを決意しています。あなた方の魂のために、特別な敵のわなを打ち壊してください。

 あなたは自分に関心のあったその科学を研究する必要はなく、この科学を研究することは善と悪の知識の木からその実を摘み取ることです。神は、あなた方やほかの有限な人間に、そのような一つの科学を教えることと学ぶことを禁じています。そのサナトリウムで指導する医師として存在している矛盾を、N兄弟、あなた方は、あなたに示すことがたくさんあって、一人で行動するのが当然というこの科学によって行動するような、何らかの悪い問題を持っていました。

 知性の治療の科学を扱うことによって、あなた方は、神があなたがたに触れることを禁じた、善と悪の知識の木の実を食べています。イエスを見上げ始めることは、今があなたがたに最適な時です。また、彼の品性や人格を見上げることによって、その神性に似たものとして変えられる[でしょう]。サタンの働き人のような働きによる科学、催眠療法の風味のあるあなた方自身のすべてを切り捨ててください。

 

2.催眠療法の著書の出版を考察した勧め[27]

 出版社の責任者達は、催眠療法を対象とした本を供給することによって自分達がサタンの働き人であることに同意するでしょうか。……サタンと彼の働き人達は存在していて賢く働いています。もしも、人々がその敵のだましを受け入れるならば、神はその出版所に祝福を与えるでしょうか。主に対し、聖なるものとして人々の前に続けてきたその施設は、働き人達が禁じられた知識の木の実を食べるという学校になるのではありませんか。私達は、彼がエデンでしたように、保管しておいた彼の地獄のような科学を持って、真理の砦にひそかに侵入するサタンを推奨するのではありませんか。そこで働く真理と間違いを認識できない人々にその心が存在しているのではありありませんか。彼らは、悪の影響を与えられるその恐ろしい結果を見ることができないのですか。

 もしも、あなた方がこの種の働きによって100万ドルを得たとしても、恐ろしい[魂の]ロスと比べる時に、この得たものの価値は、サタンの嘘を宣伝広報して広めたことによって負い目を被るでしょう。世界中の人々が「セブンスデー アドベンチストの出版所から間違いを含んだ数々の著書が世界中に広く配布されるために出版された」と言うことを可能にするのではありませんか

 目を覚ましてください。そして、気づいてください。あなたがたの印刷物は悪魔の嘘から出版されました。賢明な人々のように、真実を知る人々にしてください。真理と義の霊の感化に全体の重点を置いてください。『手紙』140,1901(74)(私達の出版所の責任者宛 1901.10.6

 (訳者加筆:この出版所は、本書の前編に記述されたミシガン州バトルクリークにあったレビューアンドヘラルド出版所です。この出版所は1902年の暮れに焼失しました。「前編」p.248参照)

 

3.地制に適切な科学

 懐疑論と背信がたいそうしばしば科学を装って現れているこれらの日々に、私達は全ての手で護られる必要があります。私達の手強い敵の手段は、何千ものだましを通して、自分の意図と一致する虜として彼らを導くことです。彼が取っている科学の強み、人間の知性につきものの科学は計り知れないほど巨大です。ここに蛇のような、神の言葉をだめにして害を与える不愉快な者が忍び寄っています。

 この科学を使ったサタンの侵入はよく考察されています。骨相学[頭蓋骨の形態から精神鑑定を行うもの]、心理学、催眠術のチャンネルを通して、彼はこの世代の人々により直接的に近づき、そして、[1844年からキリストの至聖所での]調査期間が閉じられる近くに、彼の努力が特徴化して存在しその勢力と共に働きます。何千という人々の知性はこのような毒を盛られ、背信に導かれました。一人の人間の知性は不思議なほどにほかの人に動かされるように信じています。一方、全ての人に強い圧力で支配を用意をしているサタンは、自分自身を遠回しな言い方を使って、右や左で働いています。一方、それらの科学に身を委ねている人々は、自分達がそれらによってもたらされたと肯定する大きな良い働きのゆえに天へ自分達を称賛していて、彼らは、自分達が抱いている悪の力を少し知っています。しかし、それは、全て、不義と偽りによるしるしと不思議な嘘による働きの一つの力でしょう。それらの科学の影響に気を付けましょう。読者のみなさん、キリストとサタンの大争闘はまだ終わってはいません。……

 誘惑に心の扉を開け、自分自身の力に信頼するように人々を導く祈りを無視してください。多くのケースにおいて、その想像が科学的な研究によって魅了されていて、人々は自分自身の能力の常識を通しておだてられています。ある人の知性を治療する科学は、非常に意気揚々とさせられています。それらは人々の良い所に存在しています[28]。しかし、それらは、魂をだまし滅ぼすための強力な働き人としてのサタンによって捕らえられています。彼の技術は天から来たものとして受け入れられています。そして、彼は、このように自分によく似合っているという崇拝を受けています。世間の人々は、今、絶対に堕落していない骨相学や催眠術によってたいそう益を受けていると思われています。これらの科学によって、スピリチュアリズム(霊的性質や精神性の)長所は滅ぼされ、その基礎は破壊されました。

        『サインズ オブ ザ タイムズ』1884.11.6(57)

 

4.だましの影響から護られる方法[29]

 サタンは、しばしば、一人の人の知性がほかの人の知性を動かす可能性をもつ力によって、悪の強力な働き人を見つけています。この影響はたいそう魅力があるので、それによって形成された人はこの力に無自覚の状態です。神は、私にこの悪に向かって警告を語ることを禁じました。主に仕える者達はサタンのだましの力のもとに行かないようにしましょう。その敵は第一人者の一人です。もしも、神の民が神の聖霊にいつも導かれていないならば、罠にかかり捕らえられるでしょう。

 何千年も、サタンは、人間の知性の属性を実験してきました。そして、彼はそれをうまく知ることを学んできました。この世界の最後の日々に、彼の巧妙な働きによって、彼は人間の知性を自分自身に結びつけていて、それに自分の思想を吹き込んでいます。そして、彼は自分の意思で彼によって導かれている存在だということを知るガイダンス(指導)を受け入れる人々に、だます方法によってこの働きを実行しています。絶大な騙す者は、彼の声を聞かされる男性と女性だけの知性が混乱することを期待しています。

 キリストが、主の前にいたペテロに、試練と苦難の時を明らかにした時、ペテロは返答しました。「汝からそれ[苦難]を離してください。これは汝に存在しないでしょう」(マタイ16:22)。救い主は命じました。「サタンよ、汝は、私から離れなさい」(マタイ16:23)。サタンは、誘惑者の側からの行動をしてペテロを通して語っていました。サタンの存在は、ペテロには思いもよらないことでした。しかし、キリストは、ペテロへの主の譴責によって、主が実際に対峙した敵、騙す者の存在を見抜く能力がありました。

 十二弟子に語った一例において、キリストはユダに言った時に断言しました。「あなたは悪の一人です」(ヨハネ6:70)。主の地上における奉仕の働きの日々にしばしば、救い主は、サタンが人々の所有している汚れた知性を取った時に、人間の姿とやり方で自分の敵に立ち向かいました。サタンは、今日、人々の知性の所有権を握っています。神の[人類救済]目的のための私の働きの中で、私は何度もなんども、私は主の名によって悪い知性を譴責して、このように占有された人々に立ち向かいました。

 サタンが人間の知性にとりついているのは、力によるものではありません。人々が眠っている間に、真理の敵はこの教会の中に毒草のタネを蒔いています。人々が霊的/精神的に眠っている間に、その敵は不正な働きをやり遂げています。彼が人の心の中に蒔かれた良いタネを奪う時は、彼が目的[を果たそうとしていて、][人々が]それを理解していない」(マタイ13:19)時です男性達と女性達がこの状態にある時、その人々の霊的/精神的な生活は、神の聖霊によっていつも養われている存在ではありません。サタンは彼らに自分の精神を吹き込むことができるでしょう。そして、自分の働きをさせるように導くでしょう。

 私は、請い願います。神の支持を生み出さないすべての活動から、特別な生活をやめるものがいるでしょう。私達は地球歴史の閉じられる日の近くに生きています。この闘いは日々に激しくなりつつあります。                『手紙』244,1907(80)


 

45章 田園生活への招き[30]

 

 

 

 

 

[1.天の家族の一員になるための用意]

 今朝2時過ぎに私は眠ることができませんでした。その夜の間、私は勧めの中にいました。私は、数家族の人達と神の備えた財産を用立てて、その子どもたちを救うためにこの都市から連れ出してくださるようにと願っていました。ある家族は迷って、決心の努力をしませんでした。

 哀れみの御使い達は、ロトと妻と娘達の手を取って急がせました。ロトは主が彼に期待したように行動しました。彼の妻は塩の柱になりたくなかったでしょう。ロトは立ち去りがたいという、あまりにもグズグズした精神を持っていました。彼のようにはしないようにしましょう。ソドムを去るようにとの警告と同じ声が私達に呼び掛けています。「彼らの間から出なさい。そして、汝らは分かれなさい。……そして、清くない者達に触れないように」(2コリント6:17)。この警告に従った人々は、一つの避難所を見つけるでしょう。すべての人々は自分達自身のために視野を広げて、自分達の家族を守るための試みをしましょう。そのワークのために、彼らに自分自身を守らせましょう。神は、次に何をするかを次々と啓示するでしょう。

 使徒パウロを通した神の声を聞いてください。「畏れつおののきつつあなた方自身の救いを成し遂げてください。あなたがたの意思とよい楽しみの行動に働きかけるのは神です」(フィリップ 2:12,13)。ロトは気が進まず嫌々ながらに平地に向かって歩いて行きました。彼はとても長い間、不正を働く者達と協力していました。彼は、自分の妻がいつまでも塩の柱として平原に立つまで、自分の危難を見ようとしませんでした。      『レビュー&ヘラルド』1900.12.11(73歳)

 もう、子ども達を滅びに熟した都会の誘惑にさらさないようにしましょう。主は、都市の外へ出るようにと、私達に警告と勧めを送りました。都市の中にこれ以上に投資しないようにしましょう。お父さん方、お母さん方、みなさん方の子ども達の魂をどのように考えていますか。みなさんは、天の法廷に連れていくために、家族の一人ひとりにどんな用意をしていますか。あなた方は、天の家族の一員になるための用意をしていますか。天の王の子ども達ですか。「もしも、ある人が世界全体[の富と地位]を得たとしても、自分の魂を失ったら、何の益がありますか」(マルコ8:36)。みなさんの子ども達の魂の価値と比べたら、なんと、簡単で、慰めで、快適でしょうか。

                   『原稿』76,1905(78)

 

2.田園地帯の避難所

 両親の方々は、子ども達の教育/訓練は、魂の救いの中で重要な働きの一つだということを理解しましょう。田園地帯において豊富にある有用な体験は、行動するために必要なことが為すことによって学ばれ、神経と筋肉の発達によって身体的健康を与えるでしょう。「都市の外へ」が、私達の子ども達の教育のための私のメッセージです。

 神は、私達の最初の両親に、真の教育の手段を与えました。彼らの庭園の園芸と世話までをも彼らに指導しました。罪が侵入した後で、主の求めへの不従順によって、土を耕すことによってなされる地上におけるその働きは、その呪いのゆえに雑草やとげのあるアザミが生えだして、非常に複雑になりました。しかし、その労働そのものは、罪のゆえに与えられたものではありませんでした。「偉大な教師」は自ら、タネを蒔いて育てる園芸の作業を祝福しました。

 都市に男性達と女性達を引き付けること、また、斬新で快適、興奮するあらゆる種類のものを創り出してその虜となったものを得ることは、サタンの目的です。今日、地上の諸都市は、ノアの大洪水の前の都市がそうだったようになりつつあります。

 誰が警告されているでしょうか。私達は再度「都市の外へ」と申し上げましょう。大きい欠乏を考えないでください。あなた方は、主の意図と道を学ぶために、しかし、あなたが神とだけ存在できる丘や山々に行く必要があります。……

 私は、私達の[教会の]人々に、スピリチュアリティ(精神性・霊性)を求めて、自分達のライフワークを設計することを強く勧めます。キリストはそのドアのそばに存在しています。これは、私達の[教会の]人々に私が言う理由です。「あなた方がある都市を去って、田園地帯に転居するようにと呼び出された時、一つの欠乏を考えないでください。あちこちで、豊かな祝福を捉えようとしている人々に、それらが待ち構えています。自然界の景色を眺めることによって、造り主の働き、神の手の作品を学ぶことによって、気づかないうちにあなたはその同じイメージ(姿)に代えられるでしょう。 『原稿』85,1908(81)

 

3.悪い道の結果を取り消す奇跡を期待しない

 私は、いつもエデンの園を考えて、花々を見つめています。それらの花々は、私達への神の愛の表現です。このように、主は、この世界に小さなエデンの香りを私達に与えています。主は、主の創造した美しい物によって輝くこと、主が私達のために為そうと表現しているものを見ることを私達に望んでいます。

 主は、私達が「友達付き合いができるほどの余地のある場所」で、生きることを望んでいます。主の民は、その都市の中で群れて住むために存在しているのではありません。主は、彼らにその都市の外に家族を住まわすようにと望んでいます。彼らは永遠の生命のためによい準備をするでしょう。ちょっとの間、彼らはその都市を離れる必要があるでしょう。

 それらの都市は、あらゆる種類――暴力、殺人、自殺――の悪に満たされています。サタンはそれらの中に存在していて、彼らの有害な仕事によって人々をコントロールしています。彼の影響下で、人々は殺人の目的で人を殺し、そして、これを人々はもっともっと為すでしょう。……

 もしも、私達が自分自身をいかがわしい影響下に置くならば、私達は、私達の悪いコースのその結果を取り消すために、奇跡を働くことを神に期待することができるでしょうか。いいえ、確かに違います。可能な限り、すぐにその都市の外に出て、小さな土地を購入し、そこで、あなたは庭園を持てるでしょう。そこで、あなたの子ども達は、育てる花々の生長を見つめることができて、単純さと聖なることの教訓を学ぶことができるでしょう。『全体総会会報』1903.3.30(76)

 

4.施設のための田園地帯

 健康施設は静かな場所にと与えられています。「都市の外に出てください。人口密集地から離れ、あなた方のサナトリウム、あなた方の学校、そして、事務所を設立してください」。現在、多くの人々は、都市の中に残ることを訴えているでしょう。しかし、悪い雑音と悪い見え物を避けることを望むすべての人々が田園地帯に移転するようになる特別な時は間もなく訪れるでしょう。悪人達と堕落した者達がそのような状態に増えて、都会の雰囲気がとても堕落してしまったように見えるでしょう。             『手紙』26,1907(80)

 神は、次々と警告を送りました。私達の学校と出版所とサナトリウムは大都市の外に設立されるために存在しています。そのような場所で、若い人達が最も効果的に教えられるということは真理です。その都市の中で大規模なビジネスに関係のある施設の設立の正当性を立証するために、この特別な証を利用することを許す人はいないようにしましょう。この目的のために与えられたこの光の成果のないものにしないでください。

 人々は、主に仕える者達がするようにと主が導いている運動に反対行動を取るために、意に逆らったことを言い出すでしょう。しかし、男性達と女性達が原因から結果を導き出した結論は時が存在しています(But it is time that men and women reasoned from cause to effect.)。都市での大規模なビジネス会社の設立は遅すぎます。遅すぎです。田園地帯からその都市へ若い男女を呼ぶのは遅すぎます。その都市で起き上がっている状況は、私達の信仰を人々の中に残すには厳しくなるでしょう。それゆえ、その都市でビジネスに関心ある施設に資金を投資することは大きな間違いでしょう。     『原稿』76,1905(78)

 

5.外の場所から都市で働く

 可能な限り、私達の施設は都市から離れた場所に設置する必要があります。私達は、これらの施設のために働き人達を雇う必要があります。もしも、それらが、その都市に設置されたならば、私達の[教会の]家族達の財産はその施設の近くに設置される必要があります。しかし、主の民を都市の中に置くのは神の意図ではありません。そこには、いつも騒ぎや混乱があります。彼らの子ども達はそれを与えられるでしょう。そのシステム全体は忙しく混雑していて騒々しく、やる気を失わせられるためです。主は、主の民に田園地帯に移転することを望んでいます。そこでは、彼らは土の上に立つことができて、彼ら自身で作った果物と野菜が土の上に育ちます。そこには、彼らの子ども達が自然環境の中で神の働きと直接の交流をもたらすことができます。その都市からあなたの家族を連れ出すことが私のメッセージです。

 この真理は、人々が聞くかどうか、人々が関わるかどうかにかかわらず、語られる必要があります。都市は誘惑で満たされています。私達はそのような方法によって、この悪影響から可能な限り、私達の若い人達を守ると同時に、私達の働きの計画を立てる必要があります。

 都市は [私達が]郊外から働きに行くために存在しています。神のメッセンジャーは「都市は警告される必要がないでしょう」と言いましたか。ええ、神の民はそこに住むのではなく、その人々は、この地上にやってきている警告を彼らにするためにそこを訪れます。 

                  『手紙』182,1902(75)

 

6.都市の中に教会はあるが健康施設はない

 繰り返して、主は私達に「都市は私達が郊外のセンターから働きに行くために存在しています」と指導しました。それらの都市の中に、私達は、神のための記念日として、礼拝のための家々を持つために存在しています。しかし、私達の書籍の出版のための施設、病人の癒しのための施設、働き人達の職業訓練のための施設は、都市の外に設立されるために存在しています。特に、私達の[教会の]若い人達が都会の誘惑から遮断され防護されることは重要です。

 ワシントン[D.C.][テネシー州]ナッシュビルに集会の家が購入され奉献されたことは、この指導と調和しています。一方、[この教会の]センターとしての出版所とサナトリウムは、郊外のセンターとして混雑した都心から離れて設立されました。これが田園地帯にほかの出版所とサナトリウムを移転することに従った計画です。そして、それは、今、[私達の教会の]ロンドンの出版所と訓練学校でも考慮されて、イギリスで続けられて存在しています。私達は今、堅固に[伝道の]前線にもたらされるように堅固な基地の働きを確立するために、これらの施設とほかの多くの重要なセンターが私達の兄弟達の助けによって、神の摂理が開かれて前進する機会を与えられています。

         『特別な証』シリーズB,No8,pp.7,8.1907(80)

 私達は、ヘビのように賢明で、ハトのように無邪気であるように存在しています。低価格で田園地帯の財産を確保するための努力によって、私達は、これらの郊外のセンターからその都市へ働きに行くために存在しています。 『特別な証』シリーズB,No14,p.7.1902(75)

 

7.日曜休業法の危難のための備え

 私達は、神を敬わない人々と交流しない中に強制された所に自分自身を置くために存在しているのではありません。……一つの危難が、日曜遵守に関して間もなくやってくるために存在しています。……

 日曜遵守派は、それ自身の誤った主張をすることによって、それ自身を強調しています。そして、これは、主の安息日を遵守することを決意した人々にとって圧迫を意味するでしょう。私達は、安息日の戒めを十分に遂行することができる所へ自分自身を置くために存在しています。「6日の間に汝らは働くでしょう。そして、汝らの仕事を全てしてください。しかし、第7日は、汝らの神、主の安息日です。その日には、汝らはどんな仕事もしないでしょう」(出エジプト209,10)と主は宣言しています。そして、私達は、安息日を守ることが自分と子ども達にとって、困難となるような所に自分達を置かないように注意深くいるように存在しています。神の摂理によって、私達が都市から離れた場所を確保できるならば、主はこのことをするようにと私達に勧めるでしょう。私達の眼前には悩みの時が存在しています。

                    『原稿』99,1908(81)

 王達によって与えられた特別な権力が善良な者達と結びつけられた時、それは、任務を履行する特別な者が神の性質を帯びた指図のもとにいるゆえです。権力が悪意のある者達と結びつけられた時、それは、サタン的な働き人達と結びつけられています。そして、それは、主の宝であるそれらの人々を滅ぼすように働くでしょう。このプロテスタント教会の人々は、神の安息日が置かれるべきその場所に、偶像の安息日を置いています。そして、彼らはローマ教皇制度の足跡を踏み固めています。この理由のために、私は、神の民がその都市を出て退いた田園地帯の[場所にいる]必要を見ています。そこでは、彼らは自分達の食糧のために土を耕し作物を育てるでしょう。このように、彼らは、子ども達を健全な習慣でシンプルに育てるようにするでしょう。私は、その危難に備えて、全てのものを用意して、得なければならないという必要を見ています。      『手紙』90,1897(70)


 

46章 神の摂理によって導かれる

 

 

 

 

 

[1.神が特別な道を開く時]

 その時が来ています。神が特別な道を開く時、家族達は都市の外に移転する必要があります。その子ども達はその田園地帯に連れていかれるでしょう。両親達は、自分達の財産と認められるような相応しい場所を得る必要があります。その住む所は狭くても、作物を作ることのできるような土地である必要があります。『原稿』50,1903(76)

 両親達は作物が作れる土地で小さい家を確保できるでしょう。血管を通っている生命の血液をたいそう汚している[身体に]新鮮な食糧を得るため、土地は野菜と小さな果樹を育てることができるでしょう。そのような場所では、子ども達が都会の生活の悪い影響に囲まれないでしょう。神は、都市の外にそのような家を見つけるように神の民を助けるでしょう。            Medical Ministryp.310

 時が進めば進むほど、私達の[教会の]人々は、この都市を去るようにするでしょう。何年も、私達は、指導されてきました。私達の兄弟姉妹達と、家族達と子ども達は、彼らの前にそうする道が開かれるように、都会を出る計画を立てる必要がありました。多くの人々はその道が開かれるように誠実に働く必要があるでしょう。しかし、彼らが出て行くための可能性が存在するまで、長い間残っていても、彼らは伝道の働きをして、多くの活動をする必要があります。しかしながら、たぶん、彼らの感化を及ぼす範囲は限られているでしょう。

           『レビュー&ヘラルド』1906.9.27(79)

 

2.都市を出ることを予定する人々への注意と勧め[31]

 私の兄弟〇〇さん。あなたの手紙が、バトルクリークの外へ移転するようにとても奮起させられた多くの人々がいたと、私に語りかけています。今、その必要があります。この働きは為されて存在する大きな必要があります。ラッシュにならないうちに、興奮して、あるいは、軽率な方法で、または、自分達が外に移転したことを深く後悔するかもしれないという迷いの中で、人々はようやく転出を考えました。……

 バトルクリークからの移転の勧めに注意を払うことによって、軽率な移転をしないように気を付けてください。求める全ての人に快く与えることを約束した神の知恵を求めないことのないようにしてください。することのできる人はみなアドバイスと相談を受けるために存在しています。移転する人々は、神性のガイダンスのもとに、彼らの心を神に従い学ぶよう開いて、移転を義務と考えて確信しました。

 健全な判断で公平にバランスをとっている必要のある私達の[教会の]教師達がそこにいるだろうと考えていた時に、私は悩んでいました。神の民に信頼を置いていて、私達の世界に恵みのメッセージを伝えているメッセンジャー達は、アドバイスのためのアピールをしているでしょう。実際の生活に真の体験を持っていない人々、アドバイスが与えられても危機の中にいるような人々、そのアドバイスはほかの人がするために導いていると無視する人々に対して、注意が大規模に実行される必要があります。

 ある人々は、勧め[をする]能力を持っていて、問題の洞察力を備えていました。それは神の贈り物です。神の目的が健全さと厳粛さと堅固さ言葉を必要とした瞬間、数週間か数か月の研究によって彼らを妨げて混乱していた知性に満たされた[質問への答え]を得るために、彼らが進むための道をすぐに示す太陽のように、無知と困惑にいた人々の知性を導く言葉を語ることができるでしょう。そして、彼らの道が明らかにされ、彼らは自分達の祈りが答えられたのを見て、主は主の光の中にいさせて(and the Lord has let His sunlight in,)、ここに、彼らの前の道の謎の解明と一つの解きほぐしがあります。しかし、ある人は、バトルクリークの外へ出るということだけ――の軽率なアドバイスを与えられたのかもしれません。それでも、このことをすることによって彼らが自分達とほかの人達のためにスピリチュアル(霊性や精神性)を進展させるようにするものとして、明らかにされたものは何もありませんでした。

 

3.すべての人々の移転に注意深い考慮

 すべての人々が注意深く考えるための時間を取りましょう。ある譬え話の中の、建て始めて完成できなかった人のようにしないようにしましょう。移動しないようにしましょう。しかし、その移動を意味するものの全ては、優位か不利に傾いて、注意深く考えられていました。……すべての人々は、なんらかの能力によって自分の仕事を与えられました。ためらって動かないようにしましょう。しかし、堅固に、また、謙虚の神を信頼しましょう。

 何も知らないのに、何かのビジネスに入り、軽率に何かをするなどいろいろな人がいるでしょう。神はこのことを求めていません。偏見なしに考え、深い祈りをして、慎重に祈りをもって御言葉を学び、神の声を聞くために心と精神を目覚めさせて、……神の意図を理解することは一つの偉大なことです。……

 私は、神の勧めによる移転の言葉をバトルクリーク教会の人々に送ります。あなた方の移動――多くの人々のバトルクリークからの――の必要と、また、バトルクリークから出る時にあなた方が実行するための明らかにした良い計画を持つ必要があります。あなたが自分について知ることなしに、……一般的に、賢く思慮深い人、よくバランスの取れた人、安全なアドバイザーである人、人間の性質に何らかの同察力を持った人、神を畏れ指導と勧めの仕方を知っている人達は、軽率に出て行かないでください。

 

4.新しい体験に付随する危険

 誰かが一つの強い精神/霊のようなものを聞くので、私はこの教会のみんなが新しい体験に参加する危険を見ました。一方、ある教師達は聖書教理の基準を教えるのに手際よく長けているかもしれません。しかし、彼らはみんなが実際的な生活の知識を持った人々ではなく、混乱した知性の人に、正しく安全にアドバイスできる人々ではないでしょう。彼らは、やがて変化を起こす全ての家族に当然必要な、混乱した状況に気づきません。ですから、その人々が言うことに慎重に対処しましょう。彼らが何かの問題で神の意図を知らないならば、推測や想像から語らせないようにさせましょう。彼らが確かなことを何も知らないならば、言うままにさせましょう。個々人が神に全的に信頼するようにしましょう。多くの祈りがなされるようにして、急ぐような場合には、無知のままに移転しないようにしましょう。そうではなく、神が光の中に存在しているように光によって移転しましょう。……

 神の指示に従わず、狂信的に人の心をかきたてる衝動的で熱狂的な話のため、財産の多大な損失や犠牲を払うような無秩序な方法では何もなさないようにしましょう。得られるはず勝利は、節度、礼儀正しさ、熟慮、そして健全な原則と目的と良識の欠如のために敗北に変わるでしょう。この問題では指揮管理に賢くなりましょう。神である見えないカウンセラー、賢者のガイダンスのもとに移転しましょう。人間的な魅力は熟達への努力でしょう。そして、そこでは、神の保証のない仕事になるでしょう。さて、私は、全ての魂が人間のカウンセラー達を過信しないようにして、神を真剣に見つめるようお願いします。その御方は相談/勧めに学識豊かです。あなたの道、あなたの意図を神の道と神の意図に、全て委ねてください。……

 

5.性急な移転の余波

 ある人が慌てて飛ぶようにバトルクリークを出て行き、そして、失望に陥ると、その人は、軽率な移転をしたのは自分達のせいではない、ほかの人々が自分達にそうするようにとプレッシャーを与えた、と言い訳をするでしょう。その人々の挫折と失敗はみな、責任のない人々の背後に、非難となって浴びせかけられました。……

 まさに今、今は、世界の終わりの危難が私達の周りに濃くなりつつある時です。私達は、混乱を鎮めようとしてかき回して、賢明な勧めや組織化や調整ができない人ではなく、騒動を起こしてかき立てるのが義務と感じる人々でもなく、カウンセラーとして、神の言葉に従って休息と平安な人、賢い人々である必要があります。全ての人々が、自分の持っている才能によって、「偉大な教師」のための働きを何かするために、自分の本当の平安を見出すようにしましょう。……

 これはどのようになされるのでしょうか。「あなた方は私のくびきを着けてください。私は心が優しく謙遜な者ですから、汝らは、自分の魂に休息を見つけるでしょう。私のくびきは負いやすいので、私の重荷は軽やかです」(マタイ11:29,30)。もしも、全ての人々が、教えをよく聞く精神、心からの悔悟をもってイエスの所に行くならば、その人はイエスに教えられて学び、主の指示を守る心の状態です。

 

6.神の前に全ての計画を広げる

 私達は、今、信仰を弱らせている場合ではありません。私達が、やる気なく、仕事嫌いで、怠けていては、安全でいることができません。小さな能力は何でも、使われるために存在しています。そして、鋭く冷静な深い思想は行動されるために存在しています。働きをする人間のどんな知恵も、この時のために計画され工夫されるために十分ではありません。主イエスの前に、魂に謙虚さをもって、すぐに、神の前に全ての計画を広げてください。そして、主に、汝を委ねてください。堅固な約束は、主が汝らの道を指揮するに違いないということです。主は方策に無限な方です。天の星の位置を司る方、正当な名によって天のホストと呼ばれる方、イスラエルの聖なる御方は、主の保護によってあなたがた個々人を支えています。……

 みなさんは自分達の能力と自分達の信頼を置くキリストがいるという可能性と確率に気づくと思います。神の中のキリストに隠れている命は、永遠の隠れ家を持っています。彼は「私は、私を強くするキリストによって、どんなことでもすることができます」と言っています(フィリップ4:13)。

 私は、この内容をあなた方に残しましょう。私は、人々が軽率に移転し、特別な敵が有利になる機会を与えないようにと、バトルクリークにいる人々をみな激しく攻め立てる危険に関して、心配させられ悩ませられました。これは必要なものではありません。私達が神と謙虚に歩むならば、私達の歩みは安全でしょう。『手紙』45,1893(66)


 

9部 私達が終わりに近づいた時

 

 

 

 

はじめに              エレン・G・ホワイト遺稿管理委員会

 エレン・ホワイトの死後の10年間に出版された多方面にわたる勧めの巻の準備において、いくつかのページは、私達がキリストの再臨の時の近づいている時に、この教会の[人々の]体験とやってくる危難に貢献するということが期待されるためにあります。この第9部に含まれている数々の勧めは、大部分が、エレン・G・ホワイトの記事、私達の[教会が出版した]様々な定期刊行物と[彼女が書いた]Notbook Leaflets」の中から出版された品目から引用されました。

 これらの心をかき立てるメッセージは、びっくりするような何か新しいものを表していません。そして、そこには、かなりの思想の繰り返しがあります。しかし、自分達の主にすぐに会うことを期待していた一つの民にとって、私達の前のその危難に一つの関連を持っている記事のそれぞれは、強い関心を持って読まれるでしょう。

 終わりの章、「全体総会への最後のメッセージ」は、1913年の全体総会会議で読まれるために、彼女が生きていた間に書いた最後で、ミセスホワイトが準備して送った二つの公式の声明を記述しています。それらの二つのメッセージから抜粋されたものは、印刷されたものの中のどこかに現れました。ここに含まれているその二つの声明全部はミセスホワイトのこの教会のリーダー達への信頼とこの教会の勝利を示唆していて、それらがしていることは適切に思えます。――エレン・G・ホワイト遺稿管理委員会

 

 

47章 最後の危難への備え[32]

 

 

 

 

 

[1.危難の時、私達は神の力と真理を持って]

 兄弟達、姉妹達、私は、全ての人々がセブンスデー アドベンチストの名称を表明するよう、この名称によってみなさんにアピールします。私達には、このメッセージの精神から離れてしまう危険性があります。

 神の人々()は、この世界の人々の意見や行動によって導かれるために存在しているのではありません。主が弟子達に言った言葉に耳を傾けてください。「私は天の父に祈りましょう。父はあなた方にほかの慰め主を与えるでしょう。この世界の人々が受けることのできない真理の霊/精神も、いつまでもあなた方にとどまるでしょう。なぜなら、この世界の人は真理の霊を見ないだけではなく、知りません。汝らは真理の霊を知っていて、あなたがたと共に住んでいるので、あなた方のうちに存在しているでしょう」(ヨハネ14:16,17)。「天の父が私達に授けた愛の作法を見上げなさい。私達は神の子達と呼ばれるでしょう。それゆえ、この世界の人々は私達を理解できません。なぜなら、彼らは天の父を知らないからです」(1ヨハネ3:1)。

 神の言葉はわかりやすく「主の律法はこの世界の人々に踏みつけられ、軽蔑されるために存在しています。不法の異常な流行があるでしょう」と述べています。プロテスタント世界の人間だと公言した人々は、特別な罪の人と共に連合体を形成するでしょう。そして、その教会とその世界の人々は堕落して一致するようになるでしょう。

 ここで、絶大な危難がこの世界中の人々に訪れようとしています。御言葉は「ローマカトリック教会は失っていた支配権を回復するために存在しています。そして、その迫害の炎はプロテスタントの世界が容認すると言われている‟特別な時に仕える”ことを通して再炎するでしょう」と教えています。この危難の時、私達は神の力と真理を持っている場合にだけ立つことができるでしょう。人々は神性な性質にあずかっている自分の時にだけ、その真理を知ることができるでしょう。私達は御言葉を調査研究することと読むことによる人間の知恵以上のものを必要としています。そして、今、私達が謙虚な心で神の言葉を求めに行くならば、主は非合法的に反対する私達のために一つの標準を掲げるでしょう。

 世の終わりに、私達の最初の堅固な信頼をしっかりと捉えていることは困難です。そして、その困難は、サタンの側の疑問、反対行動という要素、ほかの霊/精神によってもたらされる働きで、常に隠れた影響がある時に増していきます。迫害が全くない中で、私達の集団の中に「疑問を持てるほど隙のないキリスト教信仰を持った人が現れた」という噂が流れました。しかし、もしも迫害が起きるならば、その人は私達から出て行くでしょう。その危難の中で、人々は自分達の知性に影響を及ぼしていた特殊な理性を持つ勢力を見るでしょう。サタンは、様々な知性に合わせた様々な罠を用意していました。神の律法が無効とされる時、この教会は炎のような試練によって篩(ふる)われるでしょう。そして、私達が現在予想しているよりも大多数の人々が、悪魔の教理と誘惑する精神/霊に心を留めるでしょう。苦境な立場に置かれた時、強固にされた存在者ではなく、多くの人々は「真のブドウの枝」として生きていないことを証明するでしょう。その人々は実をもたらしませんでした。その農夫は収穫物を失いました。

 

 

2.失敗しない真の従順

 この世界の人々が、神の律法を無効なものにする時、真の従順と義認[を体験した人]の結果はどうなりますか。それらは流布している強い悪によって葬り去られるのですか。多くの階層の人々は闇の王の旗の下に集まるので、神の戒めを守る人々は、そのような人々の忠誠から離れるでしょう。キリストにあって不変な人は、決して、失敗したり挫折したりしないしないでしょう。主についていく者達は、地上のどのような支配者よりも、最高の権威者に従順にひざまずくでしょう。一方、神の戒めを蔑んだ者達は、その[悪の王の]真理を押し付け、それ[神の戒め]を尊敬しないことを示して多くの人々を導くでしょう。神に忠実な人々は、堅い誠実さによって、識別した様々な真理を高く掲げるでしょう。私達は自分自身が指揮する道のために残されているのではありません。私達の全ての道において、私達は神を認めるでしょう。そして、主は私達の人生の小道を指揮するでしょう。私達は、謙虚な心で主の言葉に意見を求め、主の勧めを求め、私達の意図を主に明け渡すでしょう。私達は [神性に関することを] 神なしに何もなすことができないでしょう。

 ここに、真の安息日をたたえる私達の最も大きな理由が存在しています。それは、この世界の人々から神の民を見分ける特別なしるしです。世界の人々が無効にした戒めは、神の民が高い栄誉を与えるため、この理由のために、その人々のために存在しています。忠実なカレブ達[1:36]と呼ばれているのは、信じない者達が神の言葉の上に蔑みを投げかけた時です。彼らが見せびらかすことなく、非難の故に逸れることなく、義務の位置に堅固に立つのはその時です。信じないスパイ達はカレブを滅ぼそうと用意して立ちはだかっています。彼は間違った報告をもたらした人々の手にある数々の石を見ました。しかし、このことは、彼が持っていたメッセージと、それを知らせようという思いをとどまらせませんでした。それと同じ知性が、今日、神のために真理として存在している人々によって現されるでしょう。

 詩編記者は述べています。「人々は、汝の律法を蔑んでしまいました。それゆえ、私は汝の戒めを金よりも愛します。ええ、純金よりもです」(詩編119:126,127)。人々がイエスの周り近くに押し寄せた時、キリストが、信仰によって人々の心に留まっている時、神の戒めへの愛は、主の聖なる教訓の上に積み重なった世界中の人々の蔑みに比例して強く発展しています。真の安息日がペンと声の両方によって、世界中の人々にもたらされる必要のあるのはちょうどその時です。神の戒めの第4条とそれを守っている人々は、無視され軽蔑されました。その信仰深い考えと彼らの信仰が隠されず、しかし、神の戒めとイエスに属する信仰、第三天使のメッセージが刻まれたその旗を掲げる主ヤハウェ(hwhy)の律法をたたえるのはその時です。

 

3.不法の者の不思議を容認しない

イエスに存在する真理を持っている人々は、自分達の沈黙によってさえも、不正の不思議な働きを容認しないようにしましょう。注意の語気を響かせることを絶やさないようにしましょう。罪の人のこの力が容認されないように、私達の周りの子ども達や若い人達が理解するように、私達の教会のメンバー達が教育され訓練されるようにしましょう。キリストの従順とその精神/霊によって、立ち向かわなければならない闘い、つまり、私達が資産と自由のリスクだけの戦いに従事する時がやがて来るけれども、イエスに存在しているように、保たれ保護されるために存在している真理を人々に教えてください。財産、名誉、慰め、家、これら全ては、二の次の物として存在しています。特別な真理は、隠されるためではなく、否定されるためでもなく、嫌悪感を持たれるためでもなく、十分に認められ、全体に宣布されるために存在しています。

 主は、主はシオンの城壁の上に、予備として取っておくためではなく、トランペットのように声を上げて叫ぶための忠実な見張り人を持っています。そして、ヤコブの家の罪と神の民の違反とを示しています。主は、第4条の安息日に対して、断固とした取組みをする真理の敵を許しました。主は、終末の日のテストとして存在しているある質問に確固とした関心を呼び覚ますためにこの手段を計画しています。これは、力と共に宣布されるよう、第三天使のメッセージのためにその道を開くでしょう。

 真理を知っている人々は、今、沈黙している人がいないようにしましょう。今、不注意な人がいないようにしましょう。御座への恵みと約束の願いをみんなで推し進めましょう。「それゆえ、汝らは私の名によって求めましょう。私はそれをするでしょう」(ヨハネ14:13)。今は危難の時です。仮に、自由を誇りとしているこの国[アメリカ]が、「教会国家連合」に加盟して、宗教自由を弾圧するための法令を制定し、全ての原則を犠牲にする用意をしているならば、ローマカトリック教会の誤りと騙しのために、その時、神の民は信仰によって「いと高き者」に自分達の懇願を示す必要があります。ここに、神の約束に自分達の信頼を置いている全ての人々に励みとなるものがあります。個人的な危険と苦境に陥る可能性は、必ずしも落胆の原因とはなりません。そうではなくて、神の民の元気と希望を活気づけるでしょう。彼らの危難の時は、彼らに主の力の明確な臨在をかなえる神の時です。

 私達は、圧迫感と辛苦を予想して静かに座って、両手を挙げ、悪から目を逸らせて何もせずにいるために存在しているのではありません。私達の叫びを結び合わせて、天に送り届けましょう。祈って活動して、そして、活動して祈りましょう。軽率な活動はしないようにしましょう。心の中に控えめと従順があって当然という、以前にはなかったことを学びましょう。あなた方は、個人であれ教会であれ、どんな人に対しても、非難やののしりをもたらす必要がありません。キリストが行なったような知性でもてなすことを学びましょう。鋭い言葉が時々語られる必要があります。しかし、あなたがその鋭く切るような真理を語る前に、神の聖霊があなたの心に確かに宿るようにしましょう。そのような方法で語りましょう。あなた方はその鋭い言葉を語るために存在しているのではありません。

 

4.この世界の人々と結ばれるためではない、[神の干渉を呼んだ]

 神の律法を無効にする人々と妥協することは存在していません。カウンセラーのような人々を当てにするのは安全ではありません。私達の証は前と同じく今も決定を下されるために存在しているのではありません。すなわち、私達の現実の立場が世界を支配する主だった人々を喜ばすように覆い隠されるために存在しているのではありません。彼らは、自分達と結ばれ、自分達の計画を受け入れることを私達に期待しているでしょう。また、私達を超えて特別な敵に与える私達の活動のコースと思われる計画を作るでしょう。「汝らは同盟、この民がすべての人々に言うような同盟と言ってはいけません」(イザヤ8:12)。私達は闘いを求めない一方で、無駄に害を与えないでしょう。私達は真理を明確に決定的に表明する必要があります。そして、神がその言葉によって私達に教えたことに堅固に立つ必要があります。あなたが書いて出版するもの、あるいは、語ることをこの世界の人々に学ぶ手段として見せるために存在しているのではありません。あなた方の言葉と働きを証しましょう。「私達は作り出された寓話には抜け目なく従いません」(2ペトロス1:16)。「私達はもっと確かな預言の言葉を持っています。何かの目的で、闇の中で輝く一つの光のように、汝らはよく注意を払っています」(2ペトロス1:19)。

 使徒パウロは私達にこう語っています。「この世界の人々は自分の知恵によって、神の知恵を知ることができませんでした。それを意にかなったと見た神は、愚かさの説教によって人々を信仰に救おうとしました」(1コリント1:21)。これは、人々を回心と確信に導くための神の計画を遂行するものでした。その人々はいつも自分達の力を強めるよう誘惑されています。主は、人々が自分の限りある知恵によって一つの真理の知識を得ても得なくても、また、人々が自分達の創造者である神を知っても知らなくてもそれを現すでしょう。キリストが私達の世界に来た時、その試みは完全に成就しました。そして、それは、人々が誇りにしていた知恵が愚かなものであることを証明しました。限りある知恵は、神に見なされる正しい結論に至るには全く不可能でした。それゆえ、人は神の律法に照らし合わして裁くためにまったく無能でした。主は、真理よりも誤りが高められることによって、私達が生きている日に危難が来ることを許しました。イスラエルの神、主は、誤りが高められることに比例して、彼の真理を高めるために激しく働くでしょう

 主の目はこの教会に注がれていて、主は何度も一つの危難が来るという問題を許しました。この教会の最後の主の民は、主の助けだけを見るでしょう。真実であることを忠実に尽くす目的と共に、彼らの祈りと彼らの信仰は、神の干渉を呼びました。それで、主は、自分の約束を果たしました。「汝らが呼ぶとき、主は答えるでしょう。汝らは叫ぶでしょう。そして、主は言いました。私はここにいます」(イザヤ58:9)。主の力強い腕は、主の民の救出のために伸ばされました。主は、彼らの最後の時まで、彼らの益として慈悲深い[危難と助けの]中間物を取っておきました。このように、主は、彼らのための明白な救出と、彼らの栄光の勝利を備えています。全ての人間の知恵が失敗し、主の干渉がより明らかになるだろうその時、主は受けるはずの栄光を受けるでしょう。私達の信仰の敵達、迫害者達でさえ、神が主の民を囚われの身から解き放つために働いていることに気づくでしょう。

 

5.祈り、信仰、神への信頼

 サタンが神の民に自分の影を投げかける時、私達の危難の時代に必要とされているものは、神に信頼し、誠実な信仰に混ぜられた誠意を込めた祈りです。神は主の民の祈りを聞くことを嬉しく思っているという思いをみんなで心の中に生み出しましょう。一般に広まっている不正は、もっと真剣な祈りを求めています。そして、神は、長く彼らに忍耐してきましたが、夜も昼も叫び続けた人々のために、自身が選んだ民[のために]正義の復讐をするだろうと約束しました。

 人々は、神の長い忍耐を乱用して扱い、主の寛容を当然のことと考える傾向があります。しかし、干渉することが神のための時であるという場合に、人間の不法に属する一つの点があります。恐ろしいことがその問題です。「主は怒りに遅い存在で、力が強く、そして、全ての悪人達に無罪を宣告しないでしょう」(ナホム1:3)。神の長い忍耐は、素晴らしいものです。なぜなら、主は自身の態度に制限を置いているからです。しかし、それにもかかわらず、罰は確かに存在しています。放蕩の全ての歴史は、復讐の日に対して復讐を蓄えました。そして、その時が来ると、不正が満ちて、神は、不思議な働きをするでしょう。神性の忍耐強さが尽きてしまうという恐ろしいことが見られるでしょう。神の復讐は、憐れみが混ざらずに存在するものとして送られ、著しく激しく降るでしょう。全地は荒廃するでしょう。それは、国家の崩壊の時です。その時、サタンの政治的な活動、国の法律、罪の人々の――それは有罪の目盛りが満ちた時です――その側に、自分達で集団となるでしょう。国家の崩壊は国家の破滅のシグナルです。

 神は、防御柵を作るため、多くの世代で[御国を]築いてきた人々を復活させるために、[生き残っていた]主の民をある隙間に押し込んで[隠し]ました。天の知者達、多数の高貴な天の使い達が、神の戒めに従順な[人々]、人間の働き人達と繫がった人々を待っています。そして、主は、一つの神性の力が、サタン的な働き人達の働きの効力をなくすことができなくて、様々な問題が通過しそうに見えた時、間に入るでしょう。主の民が大きな危険に会った時、サタンの勢力に対して立つことが不可能に見える時、神は彼らの味方として働くでしょう。人間の窮地は神の機会です

 主への忠実と真実が湧き起こり、そして、輝いて存在する時は今です。主の栄光は人々の上に昇っています。私達の旗の色を隠している時間がありません。不快な闘いを押し付けられる時に、裏切り者達を立ち返らせる時間がありません。私達の戦いの武器を横に置いている時間がありません。シオンの都の城壁に立つ見張り人達は目を見張っている必要があります。

 私達を取り巻くその困難から離れる知性を持てるこの時、神の民にやってくるように存在しているその圧制、天の光と軍勢を見上げることができることなど、私はとても感謝しています。私達が神の側、キリストの側、天の知者達の側に自分自身を置くならば、全能者の大きな保護物が私達を覆うでしょう。イスラエルの神、偉大な神は私達の助け主です。私達は心配する必要がありません。神の民に触れる御方々は、主の目に映る特別なリンゴのように触れるでしょう。

 兄弟[姉妹]のみなさん、家や教会に戻る時に、自分と共にいるキリストの精神/霊を持ち続けていただけませんか。不信仰とあら探しを放棄してくださいませんか。私達は一つの時を待つために存在しています。以前にそうだった以上に、私達は協力して働きをするために互いに勧め合う必要があるでしょう。協力態勢には力があるでしょう。不一致と不和には弱さだけが存在しています。神は、決して、一人、あるいは四人、あるいは20人が自分達の手で重要な働きをするように、ほかの働き人達が独立して[伝道地の]前線へ広げるように、この[人類救済]目的をデザインしませんでした。神は、主の民がキリストにあって全体が完全になって、一緒に勧めをすること、結束した一つの教会であることを期待しています。私達の唯一の安全は、いつまでも神の意図を為すことを求めて、主と共なる働き人になるために、天の特別な勧めの中に入ることに存在しています。友達の一団を作るために存在している人で、次のように言う人はいないでしょう。「私達はこの働きに取り掛かろうとしています。さあ、私達自身の方法でそれに取組みましょう。もしも、それが私達の期待したように進まないとしても、私達は全てそれがどうなろうと、放っておくつもりです」。これはサタンの声です。神の声ではありません。そのような示唆には従わないでください。

 私達が期待しているのはイエスの精神/霊です。私達がこれを持つ時、お互いに愛し合うでしょう。ここには、私達が生み出すために存在している数々の資格/信任状があります。「汝らが互いに愛し合うならば、このことを全ての人々が知ることによって、汝らは私の弟子として存在しているでしょう」(ヨハネ13:35 KJV)。……

 

6.互いに勧め合いましょう。互いに勧め合いましょう

 私達は、クリスチャンの愛に結ばれて、団結した心を持つことを日々に考えています。真理の目撃者はこう述べています。「私は汝らに対して、何かを抱いています。なぜなら、汝らは初めの愛を捨ててしまったからです」(黙示録2:4)。彼は続けて、言っています。「汝らは悔い改めなければ」「私は直ぐに汝らの所に行って、汝らの[真理の]ろうそく立てをその場所から取り除くつもりです」(黙示録2:5)。なぜですか。その理由は、私達がキリストから分かたれると、私達が互いに分かれるためです。私達は互いに勧め合うことを期待しています。ええ、何度も、私は神と聖なる御使い達の臨在の中にいたように見えた時、私は、天使の声が言うのを聞きました。「互いに勧め合いましょう。互いに勧め合いましょう。互いに勧め合いましょう。サタンには、兄弟[姉妹]達の間に彼の不快な影を投げかけさせないようにましょう。互いに勧め合いましょう。結束の中に力が存在しています」。

 私はこのメッセージをみなさんに繰り返して送ります。あなた方が家に帰る時、互いに勧め合うように断固とした態度を取りましょう。みんなの心で神を求めましょう。あなたは神とキリストの愛を見出すでしょう。その古式ゆかしい考えが、みなさんの心と生活に訪れるでしょう。           『全体総会会報』1891.4.1364歳)

 

7.日曜法による危難

 ある夜の間、私は知性で、自分達が捉えているこの信仰を具体化する必要があるという根拠を列挙していたように思いました。私達は、誘惑者が悪さに蠟を塗って磨いていると見ています。私達は、世界中の人々が誤った安息日法によって定められた特別な事柄を働いていて、全ての人々のためのテストを作っていると見ています。この問題は、間もなく私達の面前にも存在するでしょう。神の安息日は、足の下で踏みつけられるでしょう。誤りの安息日は高められるでしょう。日曜法によって、第7日を守る人々には、絶大な苦悩の可能性が存在するでしょう。サタンの計画がうまく働くことは、神の民に迫害をもたらすでしょう。しかし、神に忠実に仕える人々は、その闘いの結果に恐れる必要がありません。彼らがキリストの命の中に彼らのために配置された型(キリストの品性/人格)に追随しているならば、また、彼らが神の求めに真実であるならば、彼らの報酬は、神の命によって測られる命としての永遠の命でしょう。

 この時に、品性/人格の形成において決定的な働きが、私達の[教会の]人々の間で前進しているでしょう。私達は、世界の人々の前に、救い主の品性/人格の特性を発達させるために存在しています。聖化の信仰[33]、真の実践なしに神を喜ばせることは不可能です。私達は自分達の信仰について個人的な責任があります。真の信仰は、テストと試練に失敗するような一つの信仰ではなく、それは、神の民への神からの贈り物です。        『レビュー&ヘラルド』1909.7.30(82)

 これまでに、私達が親切と真の礼儀正しさを現す必要があったのにできなかったものがあるとしたら、それをするのは今です。私達は、良心が命ずるところによって神を正しく拝するために定められた勧めの前に最高の誠実さを請い願う必要があります。このように、主の摂理によって、神はその律法の宣言が至高者の権威の位置から、人々の前にもたらされるようにデザインしました。しかし、私達が、それらの人々の前に立つ時、私達は、敵意のない考えを示すように存在しています。常に、私達は神性の助けを祈るように存在しています。主に仕える者達が額(英知の象徴)にしるしを付けられるまで、四方の風を引き留めることができるのは、唯一神だけです。 

           『レビュー&ヘラルド』1904.2.1177)


 

48章 必要とされる聖化の働き

 

 

 

 

 

                  スイス、バーゼルにおいて

                      1886.12.8[59]

親愛なる[G.I]バトラー兄弟、[S.N.ハスケル]兄弟へ

 数週間、私は3時半過ぎから眠ることができませんでした。私の知性は、一つの民としての私達の状態についての考えを深く思いめぐらしていました。私達は、最も大きな特別な真理の光と最も優れた特別な真理の知識を持っているので、この地上のほかのどんな民が前進するよりも優って進んでいる義務があります。その真理は、その光を前進させるためと、その真理を信じていると告白することだけではなくそれを実行するという責任が増して、私達のもとに置かれています。私達がこの世界の人々の光であるイエスに従っている時に、私達はその真理を実行しています。一つの民として、私達が絶えず[信じて実行する]程度を高め続けていないならば、霊的/精神的な考え方をするようになっていかないならば、私達はパリサイ人達―自己の義―のようになっています。私達は神の意図を実行していません。

 私達は、神に近い偉大な人を持っている必要があります。自己を少なく、イエスキリストを多くしてください。そして、主の恵みが私達の全ての日々にもたらされる必要があります。私達はこの世界の歴史の一つの重要な期間に生きています。全ての事柄の終わりは、手の中に存在しています。砂時計[の砂]は素早く落ちています。間もなく、天から、「それは為された」と言われるでしょう(黙示録21:6)。「彼はその聖なる者です。聖なる者は聖のままにさせなさい」「彼は汚れた者です。彼は汚れたままにさせなさい」(黙示録22:11)

 私達の数々の証[の言葉]を洗練しましょう。私達は神の言葉をしっかりと捉えましょう。私は、主からこの[教会の]人々の心に働きかけるよう、その朝の、1時、2時、3時から祈りを止めることができませんでした。私は、天の全ての存在者達が地上の人々に為されようとしているこの働きに関心を持っていたと考えています。奉仕の働きをしている天使達は、全ての人々が、誠実で生きた信仰によって捧げた祈りに応えるため、イエスキリストの指令に玉座の周りで待っています。私は、真理を告白した多くの人々が自分達の生活の部分でどのように守っているかを考えています。彼らは、自分達の心の中に、それ自身の聖化、洗練、霊的にする力をもたらしていません。

 

1.私達の特権にふさわしくない生き方

 私達は、神が私達にあるようにと思っているその民としての存在から離れています。なぜなら、私達は魂を高めず、その品性/人格を神の真理と目的に素晴しく発展して調和するように洗練していないからです。「義は国の民を高貴にします。しかし、罪はどんな民にも一つの恥です」(箴言14:34)。罪は組織を乱します。罪が大事にされるところではどこでも――個人の心の中、家族の中、教会の中――、不秩序、争い、不和、敵意、ねたみ、嫉妬が存在しています。その理由は、人間と神の敵は、その知性をコントロールする力を持っているからです。しかし、真理が擁護されるだけではなく、愛され、その生活の中にもたらされるようにしましょう。男性や女性が罪を厭い、世界の人々にイエスキリストの働き人として生きているように示しましょう。

 真理を信じていると言っているある人々は、光/知識を持っていなかったので非難されないでしょう。しかし、彼らは神の道徳的な義の標準という大きなテストを心にもたらさなかったけれども、彼らは大きな光/知識を持っていたので非難されないでしょう。真理を信じていると主張している人々は、それを生きて現すことによって、高められる必要があります。実際的な聖書の宗教は、イーストのように生命を発酵させ、神性のモデルに似せてもっともっと作り変えて、品性/人格を洗練し高貴にする必要があります。その時、その家庭は、神を賛美する感謝と祈りの声が存在するでしょう。天使達はその家庭で奉仕の働きをして、その家庭の礼拝者達に付き添うでしょう。

 真理を信じていると主張している数々のこの教会は、神の律法を擁護していて、全ての悪から分離して律法を守り続けています。この教会のメンバー一人ひとりが不正を為すことや誘惑に抵抗しましょう。教会[の人々]は、悔い改め謙虚にし、心を深く探ることによって、清めの働きを始めましょう。私達は贖いの予型[旧約聖書に示された内容。対型/本型:新約聖書の事柄や人物]の中に、永遠の結果を伴う厳粛に満ちた時が存在しているので、これらの人々に、イエスに存在しているその現在の真理を教えましょう。神の真理の感化による自制、聖化、洗練によって、人々は清い器/花瓶//女性の包容力vesselsのように存在するでしょう。聖書の宗教によって、一つの感化が人々からこの世界の人々に出て行くように、[イーストで発酵して]活気づけられるようにしましょう。この教会のメンバー達一人びとりが清められ、忠実に尽くし、動揺しない心で、いつもイエスの愛によって満たされているようにしましょう。彼らは世界の人々の一つの光として存在しているでしょう。その小さな群れの人々のために、荘厳な真理を宣言している羊飼いとして、また、見張り人として立って、全ての国の民や言語を話す人々に警告の注意を発する人になりましょう。神聖さと清さによって主の前を歩み、求めに同意して厳粛と聖によって神の律法を讃え、自分達が擁護している真理を継承して生きているようにしましょう。すると、一つの力が真理の宣言に付き添うでしょう。光はどこにでも反映されるでしょう。

 

2.神の聖霊の悲嘆

 神は決して、人々が神を見捨てるまで、人々や個々人を見捨てません。先行き不透明になるような表面上の対立は、主の戒めを守っている神の民の信仰の関心事ではないでしょう。実践行動に清さと真理をもたらすことを怠ることは、神が祝福するための清さと真理の中央に存在しないので、神の聖霊を悲しませ、その聖霊を弱めるでしょう。内面的な不正は、それがエルサレムにあったように、この民の上に神の非難をもたらすでしょう。ええ、嘆きの声、誠実な祈りが聞かれるようにしましょう。ほかの人々に説諭する人々は、自分自身を見捨てられた人にしないでしょう。私の兄弟[姉妹]のみなさん、私達は以前の自分達はどうだったかを知りません。私達の唯一の安全は、この世界の光/真理である御方について行くことにあります。神は、昔の世界のソドムとゴモラ、古代エルサレムに神の怒りをもたらした様々な罪が私達の罪悪にならないよう、私達のために私達と共に働いているでしょう。

 神の律法への最も小さな違反が、その上に罪責をもたらしています。誠実な悔い改めと罪の見捨てがないと、人は確かに背信者となるでしょう。……私達は、一人の人間として可能性がある限り、特別なキャンプ(宿営地)の道徳的汚れと悪化させる罪を清めましょう。罪が「義の道徳的な規準を高めていると言っている人々の上に」行進している時、義を実践している民として、私達は自分達の益と救いのために主の力が与えられるよう、神にどのように期待することができるでしょうか。……一つの民として、私達がその信仰を自分自身が守っていないならば、また、神の戒めをペンと声で擁護しないだけでなく、知ったか振りをして一つの教えにも違反しないでその全てを守っていると言うならば、その時、虚弱さと喪失が私達の上に降りかかるでしょう。私達には自分達の教会の全ての人々に寄り添う必要のある一つの働きがあります。お互いに人は一人のクリスチャンとして存在している必要があります

 

3.罪を捨て去る

 プライド(自負心:自尊心に自慢が混じったもの)に属する罪を捨て去りましょう。ドレスの余分な物[を所有したい欲求]はみな乗り越えましょう。その訳は、伝道地の中で神の働きを支える宝物の中に注がれるはずのお金を与えず主に対して高圧的な強奪をするので、神の前において悔い改めが経験されるようにしましょう。真の回心に属する特別な改革の働きは、特別な民の前に置かれていて叫ばれているでしょう。この時代の人々のための特別な働き人達との交流や私達の働き、私達の立ち居振る舞い[において]、私達は「私がキリストについていっているように、私についてきてください」と言うようにしましょう。私達の魂を謙虚な態度によって神の前に低くしましょう。しっかりと祈り、罪を悔い改め、そして、罪を捨て去りましょう。

 真の見張り人の声は、今も、全ての[改革の]前線で聞かれる必要があります。[その朝が来ます。そして、また、夜も来ます](イザヤ21:12)。[見張り人の]特別なトランペットは、私達が主の用意した大いなる日に存在しているために、はっきりとした音色を奏でる必要があります。私達の世界に現在流行している数々の教理があります。一つの宗教として流行しているものが何千も何万も数多くあります。しかし、神の宛て名としるしを生み出すものが一つだけ存在しています。そこには、一人の人間の宗教と一人の神の宗教が存在しています。私達は永遠の岩なる御方に自分達の魂を釘で固定させる必要があります。神の創造した世界の全て、人々と数々の教理と自然界は、神の確かな預言の言葉と、この世界の歴史の中において、主の雄大で終結した働きの成就とで満ちています。

 私達は、神の特別な指示を待ちながら用意している存在です。国々はそれらの中心へとかき立てられるでしょう。品性/人格の唯一の確かなテスト、神の義の標準だけを主張する人々から、援護は取り去られるでしょう。国の議会[が制定した]法令にひざまずかないような全ての人々、また、罪に属する人間によって制定された安息日を高める国家の法律に従わない人々と、神の神聖な日を軽視しない人々は、「財産を迫害する勢力だけではなく、獣の像[教会国家連合]に属するプロテスタント世界が迫害する」と考えるでしょう。

 サタンはだますために奇跡を働くでしょう。彼は絶大な勢力を用意しているでしょう。この特別な教会はおおよそ堕落しているように見えるでしょう。しかし、それは堕落していません。それは残っています。シオンの[残りの者達]の中の罪人達の間から、――貴重な穀物から篩(ふる)い分けられた籾殻――が篩い出されるでしょう。ここに恐ろしい手順が存在しています。それでも、それ[手順]は実行される必要があります。子羊の血と自分達の証の言葉によって打ち勝った人々だけが、罪の汚れとシミなしに、彼らの口々に策略なしに、特別な忠誠と真理を見出すでしょう。私達は、自己の義を除かれて、キリストの義を配される必要があります。

 

4.キリストの義を配される

 特別な真理への従順によって自分達の魂を清めた残りの者達は、そのプロセスを試すことによって、身体的・精神的な力を集積し、背教という状況の真っただ中で、聖化の美を公開しています。これら全ての人々に、主は、「私の両手の掌の上に、……私は刻みました」(イザヤ49:16)と言っています。その人々はいつまでも刻み込まれ、その記憶は朽ちないでしょう。私達は、今、信仰を、生きている信仰を望んでいます。私達は、罪人の心に刻みつけるような生きている証を持つように望んでいます。大きすぎる小言と小さすぎる親切があります。私達は聖なる油注ぎを望んでいます。私達は、真理への熱い愛と聖霊/精神を必要としています。ある牧師達は自身の品性/人格の欠陥によって感覚が半分なくなっています。彼らは神の力に立ち返る必要があります。

 アダムが失敗する前に、神が彼に求めたことは、神の律法に完全に従順に行動することでした。神は今もアダムに求めた完全な従順、一つもひびのない義を求めています。神は、主の律法が求めている全てで主に返すように、私達を助けています。私達は、日々の実践の中でキリストの義をもたらす信仰なしにこのことをすることができません。

 親愛なる兄弟[姉妹]のみなさん、主は来ています。みなさんの考えと知性と歓声を上げましょう。ええ、私達は考えるでしょう。イエスを愛すると言っている嬉しい知らせを聞いた人々は、言葉にならない喜びに満たされ栄光に満たされるでしょう。これが、全ての魂に衝撃を与えるような嬉しい知らせ、私達の家庭で繰り返され通りで会う人に語るそのよい知らせです。なんと、伝えることのできる嬉しい知らせでしょう。信徒達や信徒ではない人々の粗探しと論争は、神が私達に為すよう与えた働きではありません。

 キリストが、私達の救い主、私の犠牲、私の贖いならば、私は決して滅びないでしょう。彼を信じることによって、私は永遠の命を持つでしょう。真理を信じた全ての人々は、自分自身の救い主としてイエスを信じるでしょう。私は、働きによる裏付けのない安っぽい信仰を手段としません。しかし、誠実、生きた、不変の、留まる信仰、神のひとり子の血を飲み肉を食べる信仰 [を手段としています]。私は、神の聖なる律法の違反を許されることを望んでいるだけではなく、神の太陽のような輝きの中に引き上げられることを望んでいます。天に入ることを認められるのはシンプルではないですが、大量に入れるでしょう。

 

5.キリストと結びついた救い

 私達は、一つの特殊な民、聖なる民として、神が私達に現した言葉で言い表せないほどの愛にとても鈍感ではありませんか。救いはバプテスマを受けることに存在するのではなく、教会の名簿に名前があることにでもなく、真理を説教することによるのではありません。それは、イエスキリストと結びついて生きていること、心が新しくされること、忍耐強く従順に希望をもって、キリストの中にある信仰と愛の働きによって奉仕の働きをすることです。キリストと結びついた全ての魂は、周りの人達に奉仕の働きをして生きているでしょう。その人は近くの人々と遠方の人々のために働いているでしょう。その人は部門別的な考え方をせず、自分の終わりまで熱意をもって、責任を取ってやり直す一つの部門を形成するという関心もないでしょう。みなさんは、全ての部門を強くするために関心を持って働くでしょう。そこでは、自己愛は存在しないでしょう。利己主義に関心がないでしょう。真理の全体、[人類救済]目的は一つです。

 さて、「妬みが抱かれ、嫉妬が自分の心の中にあるのを見ることを許される」のを心配した心によって、ある質問が誠実に為されるでしょう。もしもそうなら、キリストはそこに存在していません。「自分は神の律法を愛しているでしょうか。イエスキリストの愛が私の心の中に存在しているでしょうか」。キリストが私達を愛したように、私達がほかの人を愛しているなら、祝福された天の平安と安息を受ける用意が整っています。そこには、全ての人々が自分のように隣人達を愛するという至高性を持つことに初めにあった悩みはありません。神は、その理解力を開いて、個々のメンバー達が目覚めさせることによって、私達の[教会の]人々の心に語るでしょう。……

 シオンの都で安らいでいる人々は、目覚めさせられる必要があります。大事なことは、真理を生み出して伝えた魂達の重荷や重圧を感じない自分達の責任です。ええ、それは、キリストのくびきを負うように、主の重荷を負うように、目覚めるように真理を教えている男性達と女性達のためです。単なる有名無実の関心を持っていない人々は、キリストのような関心――不法が満ちているので、困難や冷淡の旗の下ではなく燃えるような情熱の自己犠牲――を持つことを求められています。

 私は、命の限り、アメリカの全ての教会の人々に限界まで語りたいと思っています。キリストは死から目覚め、そしてあなた方に命を与えるでしょう。イエスを信じている魂達は、真理の光のために死んでいます。私達は、永遠の世界との境界線の真上に立っています。[順風満帆の]天気の良い時だけのクリスチャンはこの働きを求められないでしょう。感傷的で清楚な宗教はこの時代には必要とされていません。私達の信仰と宣布している真理の中に著しくもたらされる必要のあるものがあります私はみなさんに話しましょう。新しい[世界での]生活は、私達が、今まで気が付いていなかった一つの力によって働くために、サタン的な働き人達から離れて前進しています。それは、神の民が所有していないような、新しい力ではありませんか。真理、それ自身の感化による聖化は、その民の上に推進される必要があります。誠実な哀願を神に捧げる必要が存在しています。主への必死の祈り、一つの民としての私達の祈りは推測を基礎とされず、永遠の現実に基礎づけられるでしょう。私達は、真理の中に存在しているか、天国に行っているかそうでないか、神の言葉を根拠にして、自分のために知る必要があります。品性/人格の道徳基準は神の律法です。私達はその求めに向き合っていますか。主の民は、彼らの特性、彼らの時間、彼らの才能、そして、この時のためのその働きの中の彼らの感化をもたらしていますか。私達は目を覚ましましょう。「もしも、汝らがキリストにあって目を覚ましているならば、上にあるこれらのものを求めなさい。そこに、キリストは神の右に座しています」(コロサイ31)。

        ~~~

 [教会国家]連合体は、私達が世界の終末の時に近づく時に、多数が強くなって増すでしょう。これらの[教会国家]連合体は、自分自身の紛らわしい神学を行動に移す信徒達だと告白した新しい集団を形成し、特別な真理に反対する影響力を作り出すでしょう。その背教は増すでしょう。「ある者達は信仰から離れ去り、誘惑する精神/霊と悪の教理に関心を寄せるでしょう」(1テモテ4:1)。男性達と女性達は、天の神、主に反対するために連合体を形成しました。そして、特別な教会はその特別な状況に半分だけ目覚めていました。信徒だと告白した人々の間では「より多くの祈り、もっと多くの真剣な努力が存在する」必要があります。

 人間の姿をしたサタン的な働き人達は、神の王国の建設を反対するためにこの最後の大争闘に参加するでしょう。人間の身なりをした天の御使い達は、闘いの場に立つでしょう。二つの相対する集団は、この世界の歴史の最後の大きな一章を閉じるまで存在し続けるでしょう。サタン的な働き人達は、全ての都市の中に存在しています。私達は自分達の保護が去ると、一瞬たりとも損害を受けずにいることができません。[自分達の防護となる](せき)としての特別な真理を信徒達はもっとたくさん祈るでしょう。そして、小さい問題の結果を少さく語るでしょう。もっと、もっと多くの決定的な証が、弱って、必要としている人々を勇気づけるために、その人々の口から語られるでしょう。神の民のために、一つのことだけではなくほかのことでも、弱っている時間はありません。みなさんは、神の言葉の賢明な学習者達でいてください。私達は、主にあって、主の力によって、強くある必要があります。私達は、無計画な生き方で生きることができません。そして、真のクリスチャンとして存在しています。

            『レビュー&ヘラルド』1909.8.5(82)


 

49章 特有の名称と民

 

 

 

 

 

1.私達の名称を恥じない

 私達はセブンスデー アドベンチスト(7日安息日再臨信徒)として存在しています。私達はこの名称を恥じていますか。私達は答えます。「いいえ、私達は違います。その名称は主が私達に与えました。それは、この教会をテストするために存在している真理を指し示しています」。                 『手紙』110,1902(65)

 私達はセブンスデー アドベンチストとして存在しています。そして、この名称に属している私達は、決して辱められる存在ではありません。一つの民として、私達は真理と義のために堅く立っている必要があります。このようにして、私達は神の栄光を現すでしょう。私達は危険によって罠にかけられたり滅ぼされたりするのではなく、危険から救出されるために存在しています。ここではたぶん、私達がいつも、私達の信仰の創設者であり完成者であるイエスを見ている必要があるでしょう。                    『手紙』116,1902(66)

 

2.私達の特有のしるし

 第三天使の旗は、「神の戒めとイエスに属している特別な信仰」として描かれました。私達の組織は、私達の信仰の特徴を前面に表した一つの名称を持っています。この名称に付随して、私達は決して辱められるために存在しているのではありません。私は「私達は天から与えられた光/知識に従ってそれに繫がったということをこの名称がとても意味している」と示されました。……主の安息日は、彼の創造の神の記念日です。それは、世界中の人々の前で守られるために存在しています。

 偶像の安息日を礼拝している人々と妥協することは存在していません。人々が[聞く]耳を真理から神話に移した時、私達は自分の時間を真理を知っている人々や真理の光が輝いていた人々と論争に費やすために存在しているのではありません。私は、人々がセブンスデー アドベンチストの信仰と週の初めの日を守る[信仰]の違いを大きくしないという方針で事に当たるだろうと語りました。世界中の人々が時間を取っているその論争の時間は短いものです。私達の旗色を決めかねている時間がありません。

 ある[信仰]仲間の一人は、セブンスデー アドベンチストの名称のもとにいると言って、私の前に現れました。その人は、私達を特別な民とする旗色やしるしはそんなに耐えられないだろうとアドバイスしていました。彼らはそれが私達の組織にとって確実な成功になる最善の指針ではなかったと主張していました。この特殊な旗色は、[1844年からキリストの至聖所での]調査期間を閉じるために、世界中の人々に伝えられるために存在しています。神の残りの民の描写を、ヨハネはこう書いています。「ここに聖徒達の忍耐が存在しています。ここには、神に戒めを守り、イエスに属する信仰を持ち続けている人々が存在しています(黙示録14:12)。ここに、神の律法と福音があります。世界中の人々と数々の教会は、神の記念日を引き裂くように踏みにじり、罪に属するある人のしるしを身に着ける一つの安息日を崇めることによって、神の律法の違反に一致して結ばれています。しかし、汝らの神、主の安息日は、従順か不従順の違いを示すしるしとして存在しています。私は、ある人々の手がその旗を取り去るために、またその重要性を曖昧にするために伸ばされているのを見ました。……

 人々が偽の安息日を受け入れて崇め、そして、その魂が神への忠誠と従順から離れ去る時、人々は、キリストの時代の民によって到達されたある地点に達するでしょう。……その時、誰がキリストの旗を隠すこと、彼への献身を緩めることを選ぶでしょう。神が栄誉を与え祝福し成長させた特別な民は、そのような証を生み出す時に、神の記念日を益する証を伝えることを拒否するでしょうか。人々が神の律法の上に蔑みの目を注ぐ時、神の戒めはまったく尊敬されないのではありませんか。               『原稿』15,1896(69)

 

3.世界中の人が見詰めている

 神の戒めを守る人々は、ある預言者によって「[神に]属して驚かされる人々」として描かれています。私達は世界の人々から識別された民として存在しています。世界の人々の目は私達に注がれ、私達は自分達が知らない多くの人々によって観察されています。そこには、私達が信じていると言っている教理について何らかのことを知っていても、私達の品性/人格にある信仰の努力を何もしていない人々がいます。その人々は、私達が及ぼす感化の性質と、無信仰な世界の人々の前に私たち自身[の品性/人格]を見ようと待っています。天の御使い達は私達を見つめています。「私達はこの世界と御使い達と人々のために、‟目を見張らされる者”にされています」(1コリント4:9 KJV)。

          『レビュー&ヘラルド』1889.6.18(61)

 

4.神の民の未来

 私達の[教会の]人々は、注目に値するにはあまりにも取るに足らなさ過ぎるとみなされています。しかし、変化が訪れるでしょう。その変化の動きは、今、作られ始めています。キリスト教世界は、今、神の戒めを守る人々に注目がもたらされるような動きを始めています。人間起源の間違った教理と神学の故に、神の真理に属する日毎の抑圧が存在しています。数々の計画と運動が、神に忠実でいようとしている人々の善悪の判断を虜にするために、足元に置かれています。その法を制定する勢力は、神の民に反対して存在しているでしょう。全ての魂はテストされるでしょう。一つの民として私達は、その知恵を子ども達に与える模範や教訓となって、自分自身が聡明にされるでしょう。私達の信仰のあらゆる立ち位置は調べられるでしょう。そして、私達が几帳面な聖書研究者ではないならば、この世界を支配する主だった人々の知恵は、強硬に定められた法律を制定するので、私達にはあまりにも膨大なものでしょう。     『手紙』12,1886(59)


 

50章 私達の信仰の柱[34]

 

 

 

 

[1.第一、第二、第三天使のメッセージの体験]

 人生の過去50年の間に、私は一つの体験を得る貴重な機会がありました。私は、第一、第二、第三天使のメッセージの体験をしました。その天使達は、この地球の歴史の最後の日々に生きている人々に伝える一つの指令を持って、警告のメッセージを世界の人々に宣言しながら天の中央を飛んでいるものとして表現されています。これらの天使達の声を聞く人はいません。彼らは天と全宇宙が調和して働いている神の民を表すための一つの象徴です。男性達と女性達は、神の聖霊によって光を与えられて教化され、その真理によって聖化され、それらの指示に沿って三つのメッセージを叫んでいます。

 私はこの厳粛な働きの一つの役割を担ってきました。私のクリスチャン体験のほとんど全てはその中に織り込まれています。私自身と同じ体験を持っている人々が今も生きています。その人々はこの時代のために開かれた真理を理解していて、「偉大なリーダー」、主の客をもてなす「キャプテン」の足取りを守っていました。

 そのメッセージの宣言の中の特殊な預言の全ては成就しました。これらのメッセージを宣布する役割を担う特権を持っていた人々は、自分達にとても価値のある一つの体験をしました。私達は現在これらの最後の日々の危難の最中の時にいます。あらゆる方角から「ここにキリストがいます」「ここに真理があります」という声が聞かれるでしょう。一方で、多くの重荷は私達の信仰の基礎を不安定にするために存在しています。それは、私達をこの世界の人々からまた数々の教会から[離して]この世界の特別な民として立つために導きました。ヨハネのように私達の証は生み出されるでしょう。

 「初めから存在していたもの、私達が聞いたもの、私達が自分の目で見たもの、私達が見たもの、私達が手に触れたもの、命の言葉に属する、……私達が見たもの聞いたものを私達はあなた方に伝えます。汝らはまた私達と友情/交わりを持っているでしょう」(1ヨハネ1:1-3)。

 私は、自分が見たこと聞いたこと、命の言葉を手に取ったことを証します。そして、この証は、天の父とその子に属するものであることを知っています。私達は見たことを証しています。聖なる霊の力は、ペンと言葉による警告によって、それらの指示によるメッセージを与えること、特別な真理を表すために寄り添いました。この働きを拒むことは、その聖なる霊を拒むことでしょう。また、それは、精神の誘惑に注意を与え、その信仰から逸れた人々の交わりの中に私達を置くでしょう。

 

2.立ち向かった確信

 特別な敵は、過去のメッセージにある私達の数々の信仰の柱への信徒達の確信を根絶するために、操作によってすべてを整えているでしょう。それは、永遠の真理の高められた教理(platform)の上の私達に置かれていました。また、それはこの働きの特徴を作って与えていました。イスラエルの神、主は、彼らに天の起源の真理を彼らに開示して、神の民を導き出しました。主の声は[人々の耳に]聞こえました。また、まだ聞こえています。「身体的・精神的な力から力へ進みなさい。恵みから恵へと、栄光から栄光へと進みなさい」。イスラエルの神、主のために強められ広められているこの働きには、神の民の保護が存在しています。

 神学上の真理を捉えてそれを指し示すだけで、また、魂の聖所の奥にその真理の原則をもたらさず、その庭の外に生きた真理を置いているだけの人々は、この世界の人々のために奉仕の働きを熱心に堅固に為す者として存在するようになって、この民の過去の歴史の中に神聖さを何も見ないでしょう。

 この時代のための真理は貴いものです。しかし、キリストイエスの岩の上に落ちず心が砕かれていないこれらの人々は、真理が何であるかを見ず理解しないでしょう。その人々は、自分達のアイデアを喜ばすものを受け入れるでしょう。また、置かれたもの以外に、ほかの基礎を築き始めるでしょう。その人々は私達の信仰の数々の柱を取り除く能力を持っていると考え、彼らが考案した信仰の柱をそれらに取り換え、自分達の虚栄心と高い自己評価を見せるでしょう。

 このことは時代が終わるまで存在し続けるでしょう。聖書研究をやめてしまった人は誰でも、この地上の歴史のシーンが閉じれられる時に、生きている人々の神聖な立ち位置を理解して見るでしょう。彼らは、自分自身の実力と弱さを考え、そして、神の形さえ持っていないことを自分達の最初の仕事とするだけではなく、神との生きたつながりを持っていないでしょう。彼らは、キリストの栄光の希望がその中に形成されるまであえて安らぐことをしないでしょう。自己に死にましょう。プライド(自負心)は魂から退去させましょう。人々はキリストの従順と優しさを持つでしょう。   『原稿』28,1890(63)

 

3.新たな組織は存在しない

 特別なある時が過ぎた後、神は自分の忠実な追随者達に現在の真理の貴重な原則を任せました。これらの原則は、第一第二天使のメッセージを与えられる役割を持っていなかった人々には与えられませんでした。忠実な人々は、初めからの[人類救済]目的の役割を持っていた働き人達を与えられました。これらの体験を通り越した人々は、私達セブンスデー アドベンチストを作った、岩のように原則に堅固な者として存在しています。その人々は、主の弟子達の間で主の律法のしるしと証に結び付き、神と共なる働き人であるよう存在しています。聖書の真理の基礎の上に、私達の働きを樹立する役割を担った人々、その正しい道を指し示したその道標を知っている人々は、価値ある働き人としてみなされるように存在しています。人々は、自分達に委任された真理を考えること、個人的な体験を話すことが可能です。それらの人々は自分達の信仰を背信に変えられることを許さないように存在しています。その人々は第三天使の旗を自分達の手から取り去られることを許さないように存在しています。その人々は最初の確信を世の終わりまで確固として持ち続けるために存在しています。主は、「過去の歴史は私達が働きの終わりに入った時に再び聞かれるでしょう」と宣言しました。これらの終わりの日々のために、主が与えた全ての真理は、世界の人々に宣布されるために存在しています。主が設立した全ての[教理の]柱は、強くされるために存在しています。私達は、今、神が設立したその基礎から降りることができません。私達は、真理からの背信を意味するため、どのような新組織にも入ることができません。                      『原稿』129,1905(78)

 

4.心配する必要がない

 この働きは成功しないだろうという心配も、疑う必要もありません。神はこの働きのリーダーです。また、彼は全ての順序を整えているでしょう。この働きの長として問題を調整する必要があるとすれば、神は、全ての悪を正すために注意を払うでしょう。私達は、「神は、神の民を安全な港に運ぶ貴い船を曳いて行こうとしている」という信仰を持ちましょう。

 私が、メイン州ポートランドから[マサチューセッツ州]ボストンに向かって[太平洋を南下]船旅をした時、何年も前ですが、嵐が私達にやってきました。大波が押し寄せては引き返しました。シャンデリアは揺れ、旅行用カバンたちは端から端へとボールのように行ったり来たりしました。乗客達は怯え、多くの者が悲鳴を上げていました。死を願って待つばかりでした。

 しばらくして、水先案内人が操舵台に上がりました。船長は水先案内人のそばに立ちました。水先案内人が船の操舵輪を握っていた時、船が進むコースについて恐れを言葉にしました。「操舵輪を取ってくださいませんか」と水先案内人が頼みました。船長は、自分に経験がなかったので、行動のための用意をしませんでした。

 乗客達の数人が、不安になってきた時、その水先案内人は自分達を岩にぶつけるだろうと恐れて言いました。「操舵輪を握ってくださいませんか」と水先案内人は頼みました。しかし、乗客達は水先案内人と船長がその操舵輪で船を操縦できないことを知っていました。

 そんな時、あなたはこのように考えるでしょう。その務めが危機の中にある時、祈り、「主よ、その操舵輪の任務についてください。この緊急事態を通して私達を運んでください。私達を安全に港に運んでください」。私達は、主が私達を意気揚々と連れていくだろうと信じる理由を持っていないのですか。

 私の前に、[人類救済]目的について、手に熟練した技量を持った大勢の人がいます。私は[生涯の]後半の30年の間にみなさんのうちのある人々を知ってきました。兄弟[姉妹]のみなさんは、この働きの上に危難に継ぐ苦難を見てこなかったのでしょうか。主は私達を通して運ばなかったのでしょうか。主の名の栄誉のために働かなかったのでしょうか。みなさんは、主の[人類救済]目的を確信できないのですか。みなさんは、彼を信じることができないのですか。みなさんの有限な知性のために神の全ての摂理の働きを理解できないのですか。神は自身の働きを処理しています。 『レビュー&ヘラルド』1892.9.20(65)

 

5.私の手は操舵輪の上にある

 主の来臨は、私達が信じた初めの時よりも近くなっています。[キリストとサタンの]大争闘は終わりに近づいているということは、なんと素晴らしい思想でしょうか。その働きが閉じられつつある中で、私達は、対処の仕方がわからない数々の危難に遭うでしょう。しかし、私達は、天の三つの強い勢力達が働いているということを忘れないようにしましょう。神性の一つの手がその操舵輪の上にあります。そして神は自分の目的を果たすでしょう。彼は、世界中から義によって彼に仕える一つの民を連れて来るでしょう。

 恐怖で私の身が震える思想に属する危難、恐ろしい危難が、主の働きの責任を負う人々の前に存在しています。しかし、主の言葉が訪れています。「私の手はその操舵輪の上にあります。そして、私の摂理によって、私はその神性の計画を実行するでしょう」。

             『レビュー&ヘラルド』1903.5.5(76)

 

6.神の裁きの流布

 悩みの時が私達の前に存在しています。神の裁きはこの国の中に広がっています。災害が連続して急に互いに追随するでしょう。やがて、神は地を恐ろしく震わせるために主の場所から立ち上がるために存在しています。そして、地上の住民達の不正や悪を罰するために、神の民の味方として立ち上がるでしょう。そして、彼らを擁護するでしょう。彼は彼らを防護するために、彼らの周りに不滅の軍勢をめぐらすでしょう。         『レビュー&ヘラルド』1904.4.14(84)


 

51章 忠実か不忠実

 

 

 

 

 

1.背信

 私達の[教会の]人々の魂のために、私は大いに悩んでいます。私達はこの地球の終わりの日々の危難の中に生きています。一つの表面的な信仰は一つの表面的な体験の評価をもたらします。悔い改めに導かれることに関して必要な一つの悔い改めがあります。宗教教理の真の体験のすべては、主ヤハウェ(hwhy)に属する印象を生み出すでしょう。全ての人々は自分達個々人のための真理を理解する必要がわかるでしょう。

 私達は、慎重に祈りを持って考え出した教理を理解する必要があります。第三天使のメッセージの立ち上がりと進展のために考えられる知識の大きな欠如が、私達の[教会の]人々の間に存在していることが私に啓示されました。私達には、ダニエルの書と黙示録の書を調べるための大きな必要、その二つの書を通して学ぶことの必要、書かれていることが何かを知るための必要があります。

 私に与えられた特別な光は、「悪い者達の教理と誘惑する精神/霊に惹きつけられて、多くの人々が私達から出て行くでしょう」というとても説得力のあるものでした。主は「真理を信じていると言っている全ての魂は、真理が存在している知的な知識を持っている」ことを望んでいます。偽預言者達は、湧き起こりそして多くの人々をだますでしょう。全ての事柄は、篩(ふる)われる可能性があって、篩われるために存在しています。全ての人々が、私達の信仰の根拠を理解する状態にならないのでしょうか。たいそう多くの説教がもたれたところで、御言葉を開いて、聖句から聖句へと、そして、永遠の真理の土台の上に私達が今存在している、私達にもたらした基礎教理を反映する強力な根拠を探して、神の言葉のより詳しい調査研究が存在するでしょう。

 

2.偽の聖化による魅了

 私の魂は、光と真理を持っていたある人がすぐにサタンの騙しを受け入れそうにしていて、偽の聖化に魅了されているのを見て、とても悲しくさせられています。人々が、預言によって記されたように私達の立ち位置を理解するように主が設立した道標教理から離れ去る時、人々は自分が知っているか否かにかかわらず出て行くでしょう。

 私は、真の反逆がこれまでに矯正されたかどうか疑問を持っています。『父祖達と預言者達』(人類のあけぼの)の中のコラ、ダタン、アビラムの反逆を研究してください。これらの反逆は二人[35]以上を巻き込んで拡大しました。それは、その会衆の250人の名の通った指導者達によって導かれました。その時の、正義の名による反逆の呼びかけ、正義の名による背信、そのいかがわしい特徴のある古代[イスラエル]の神の民の体験を考えることは、歴史の中を通過するために忠実に「歴代誌」に記述されました。御言葉は述べています。「これらの事柄は、……世界の終わりが来ている私達への訓戒のために記されました」(1コリント10:11)。そして、真理の知識を持っている男性達と女性達が、背信の絶大なリーダーについて、私達の正義、キリストの名、偉大なリーダーから遠く離されるとすると、その理由は特別な真理の鉱脈に深く浸透していなかったためです。その人々は原石から、貴重な鉱石を見分けることができないでしょう。

 やがて偽預言者達からくるにちがいない言葉を、神の言葉によって与えられた多くの注意を読んでください。可能ならば、真に選ばれた者達をも騙すでしょう。これらの警告によって、その教会は本当のことから間違いをなぜ識別しないのですか。このような何かの間違った道に導かれた人々は、神の前に自分自身を謙虚にする必要があります。そして、彼らはとてもたやすく正しい道から逸れてしまったので、真摯に悔い改める必要があります。彼らは、得体の知れない一人の人と、本当の羊飼いの声を聴き分けませんでした。みんなで、自分達の体験の出来事をこのように再調査しましょう。

 半世紀以上に亘って、神は主の霊による数々の証を通して神の民に光を与えてきました。この時以来、数人の男性とその妻達は、教会の信徒達全員に、一人の詐欺師で一人の惑わす者[について]、ミセスホワイトが述べたことの真実を悟らせるために残されていないのですか。「彼ら[偽預言者]の果実によって、汝らは彼らを知るでしょう」(マタイ7:20)。

 神が人々に与え、一つの道を祝福に変えた、それらの根拠をすべて無視できる人々は、彼等自身の魂の安全のために身震いするでしょう。その人々の[真理の燭台の]ろうそくは、人々が悔い改めない限り、その場所を移されるでしょう。主は辱められました。第一、第二、第三天使のメッセージの真理の標準は道路の埃の中に捨てられました。もしも、真理の見張り人達が誤ってその民をこの流行に導いて置き去りにするならば、神は、主の羊の群れに与えられ存在している飼い葉の種類を見分けるための明確な識別力の欠如のゆえに、数人の魂達に責任を問うでしょう。

 これまでに数々の背教は起こってきました。そして、高尚なべレア人達がそれらの[聖書に書かれた]事柄がその通りだと知るために [日々聖書を調べていた]時に[使徒行伝17:11]、神の民が、自分達自身のために御言葉を調査研究するのではなく、人間達の言葉に頼る時、主は、神の民が間違いに導かれるようなことがどんなに簡単だったかを示すことによって、過去、この性質の問題の発展を許してきました。主は、やがて警告は与えられ、やがてそのような事柄は為されるようなこの性質の問題が生じることを許してきました。

 

3.謀反と背信

 謀反と背信は私達が息を吸ってささやくこの雰囲気のただ中に存在しています。私達は、信仰によって、私達の無力な魂をキリストの上に掛けない限り、それらの影響を受けるでしょう。もしも、人々が今、いとも簡単に誤りに導かれているならば、サタンがキリストを装う時に、そして、奇跡を働く時に、人々はどのような態度を取るのでしょうか。彼の偽りの説明をする時に、キリストだと公言する時に、キリストの人格を帯びているのはサタンだけだと言う時に、キリストの働きをしているように見える時に、誰が動かされず[堅く立つの]でしょうか。偽キリストへ忠誠を捧げるほかに、神の民は何を掲げるでしょうか。「彼らの後をついて行ってはいけません」(ルカ17:23)。

 特別な教理の数々は簡単に理解される必要があります。真理の説教を受け入れた人々は錨で固定される必要があります。その時、彼らの船は、特別な錨が彼らの家族を固定しているので、嵐や暴風雨に対して耐えるでしょう。だましの働きは増すでしょう。そして、私達は、私達自身の正しい名称[セブンスデー アドベンチスト]によって、謀反と叫ぶために存在しています。私達は、[主の]全軍勢によって立つために存在しています。この戦いの中で、私達は人間達だけに立ち向かうのではなく、国家の最高権威者達とその軍勢に立ち向かうために存在しています。体と血に対して戦うのではありません。私達の教会に強い印象を与える[神の武具]エフェソス6:10-18を注意深く読んでください。

 信仰を捨てたこれらの人々は、龍(ドラゴン)の数々の言葉を発しています。私達はサタン的な代表者達に立ち向かう必要があります。聖徒達に戦いを挑むために出て行ったそのドラゴンは、特別な女性[教会]に怒りを発し、彼女[教会]の子孫の残りの者達に戦いを挑むために出て行きました。彼らは神の戒めを守り、イエスキリストに属する証を持っていました。これらの背信した人々は、真理と忠実な神の民[から]去って、バラバを象徴する人々と親しくします。「彼ら[偽預言者]の果実によって、汝らは彼らを知るでしょう」(マタイ7:20)。

 私は、この教会の多くの人々が私によって「歩いている木々のように見える人々」と書かれている理由を書きました。この人々は、騙された人々を広げたネットの中に捕らえる数々の罠を見分ける前に、ほかの深い体験を持つ必要があります。そこには、今、なされる働きの道の半分も存在しないに違いありません。主は、そのギャップに態勢を取るために、その防御策を作るためにあらゆる魂達、男性達と女性達に堰止めと決意を呼び掛けています(イザヤ58:12-14参照)

 ここに、私達の全ての教会の、私達の全ての牧師達によって生み出された決定的な証が一つあります。神は、視野の狭い依存がどのように一人の人に置かれるかを示すために背信を許しました(God has permitted apostasies to take place in order to show how little dependence can be placed in man.)。私達は常に神を見るために存在しています。主の言葉は、いいえとはいではありません。そうではなく、はいとアーメンです。 日付のない原稿108


 

52章 この教会の勝利[36]

 

 

 

 

 

1.しばしば繰り返される保証

 天の父は、そのひとり子を愛しているように、今も主の民を愛しています。いつか、顔と顔を合わせて主を見ることは私達の特権でしょう。    『原稿』103,1903(76)1902.9.15に記述された)

 その存在を通して弱体化し欠陥のあるこの教会は、キリストが最高の配慮を授けた地上で唯一の対象であることを、私達は思い出すでしょう。主は常に教会に気遣いを持って見詰めています。そして、主の聖霊によって教会を強めています。   『原稿』155,1902(75)

 主の保護を信頼してください。主の教会は教えられるために存在しています。その存在を通して弱体化し欠陥のあるこの教会は、主が最高の配慮を授けた特別な対象です。   『手紙』279,1904(77)

 

2.得た基盤の上にいつまでも

 この教会は活動を増し加えるために、そして、彼女[教会]に結ばれた人々を多くするために存在しています。私達の伝道の成果は発展的であるように存在しています。私達は、自分達の限界を拡大する必要があります。……私達の目立った特徴/品性を維持するための努力に激しい論争が存在していました。一方で、私達は、聖書のクリスチャンとして、獲得した基盤の上にずっと存在していました。

 一つの民として、私達と神の聖霊の現れを過去50年の間持っていた根拠は、特別な敵の側に自分達を配置している人々、神のメッセージに反対して自分達を元気づけている人々の特別なテストとして立っているでしょう。                『手紙』356,1907(80)

 私は、みなさんがこれら全てを十分に理解できないかもしれませんが、兄弟[姉妹の]みなさんにこれらのことを書きました。私は、神の目が主の民の上に注がれていると信じていないならば、私は何度もなんども同じことを書く勇気を持てなかったでしょう。…神は、自分が導き指導している一つの民を持っています。『手紙』378,1907(80)

 私は、「神は、特別な宝である一つの民としての私達に呼び掛けています」と、世界中のセブンスデー アドベンチスト達に言うように指導されました。主は「世界の終わりの時に、地上の主の教会が主催者である主の勧めと、聖霊によって完全に一致して立つように」決めました。                  『手紙』54,1908(81)

 この世界の中では、主の教会として、神にたいそう魅力的なものは何も存在していません。主は妬む[ほどの愛によって]、主を求めている人々を守って世話しています。神の民に属する人々の権利を奪うために励むサタンに仕える者達のためのような、神の感情を害するものは何もありません。主は、主の民を見捨てていません。サタンは、自分から神を離れた信者にしようと試みて、人々の為したその間違いを指摘しています。悪天使達は、罪に勝利しようと努力している人々を失望させるためにあらゆる道を探しています。彼らは、過去の無価値なことをさらけ出します。そして、希望のない者として自分達の状態を表します。しかし、私達は一人の全能の力強い贖い主を持っています。キリストは、この世界の人々の中で義の原則の数々に生きるために人性を取って天から来ました。彼は、罪人の罪深さを納得し、悔い改めた人を救うため、自分達の贖い主として主を受け入れるだろう全ての奉仕の働き人達に力を授けました。「私達は、罪がなかったにもかかわらず、あらゆる点で私達が受けたと同じように誘惑を受けて、私達の弱点に触れることができる一人の大祭司を持っています」(ヘブライ415)。      『手紙』136,1910(87)(1910.11.26)


 

53章 SDA全体総会への最後のメッセージ

 

 

 

                エルムスヘイブン サニタリアム

                カリフォルニア191354

 全体総会にお集まりのみなさんへ 挨拶の言葉をお送りします。

親愛なる、私の兄弟[姉妹]のみなさん

 「恵みと平安が、私達の天の父の神から、また、主イエスキリストからみなさんにありますように。神の祝福が、私達の主イエスキリストの父、憐れみの父、そして、私達の深い悲しみを慰める方、どんな悩みに置かれている人をも慰めることができる方、神の慰めを受けた私達の慰めによって、すべての人々を慰める神の祝福がありますように」(2コリント1:1-2)。

 「私達のあらゆる場所において私達によって、救い主の知識の現れがあり、キリストにある勝利のため、つねに私達の[救済]を目的としている神に感謝しています。私達は、救われた人々にとっても、滅びる人々にとっても、キリストのかぐわしい香りとして神のもとに存在しています」(2コリント2:14-15)。

 「私達は自分自身のことを説教するのではなく、私達はイエスのために、皆さんへの奉仕者として、主キリストイエスのことを説教しています。特別な光/真理が闇/無知の中で輝くことを命じた神は、イエスキリストの顔に神の栄光の知識の光を与えるために、[その光によって]私達の心に輝きました。しかし、私達はこの宝を土の器に入れて持っています。その高貴な力は、私達にではなく、神に属しているでしょう」(2コリント4:5-7)。

 「この[人類救済]目的のゆえに、私達は落胆しません。私達の外側の身体は滅びますが、私達の内側の[人格/品性]は一日毎に新しくされています。それは、私達の軽い苦悩が、ほんのわずかの間、はるかに優ったものと永遠の重厚な栄光を私達に働きかけるためです。一方、私達は、見える物事にではなく見えない物事を見て考察しています。なぜなら、それらの見える物事は束の間であり、見えない物事は永遠に存在しているからです」(2コリント4:16-18)。

 

1.希望と勇気

 希望と勇気の霊/精神を抱き続けることは、この全体総会に参加している私達の[教会の]代表者達の特権です。私の兄弟[姉妹]の皆さん、救い主は、多様な方法でみなさんに自分を啓示してきました。皆さんが遠い国でそして自国で奉仕の働きをしてきた間に、彼は、自分の臨在の陽光を皆さんの心に満たしました。彼は、見える危険や見えない危険からみなさんを守り続けてきました。そして、今、皆さんはこの会議で兄弟[姉妹]達と再会できた時、主にあって喜ぶこと、彼の恵みを維持する知識を喜ぶことは皆さんの特権です。彼の愛を知性の財産としましょう。疲れ果てさせられること、心配でやつれさせられること、意気消沈させられることに対する防壁にしてください。高く掲げる証を生み出してください。皆さんの視線を[霊的な]無知の闇と失望から移してください。そして、現在の真理を指揮し、[人類救済]目的を見張っている人々を率いている私達の偉大なリーダー、イエスを見上げてください。私達が捧げ続けている生涯と全ては、栄光の勝利に充てられています。

 この総会の間に持たれ続けた私達の[教会の]代表者達の心構えは、自分達の代表として委任した人々だけでなく、この伝道地の至る所に感化/影響が語り継[がれる]でしょう。ええ、それが見られるようにしましょう。私の兄弟[姉妹]の皆さん、イエスは皆さんの心に宿っていて、元気づけていて、力づけていて、慰め続けています。主の聖霊の豊かな宝を日毎に与えられること、様々な重要なことの見解と、私達が世界の人々に宣布している特別なメッセージの視野が広まることは皆さんの特権です。主は、彼の律法の素晴らしい事柄を外に表して、皆さんのために明らかにすることを望んでいます。彼の前に心を謙虚にして待っていてください。私達が生きている「特別な時」を理解するために、主の[人類救済]目的の概念を満たすために、魂の救いの成果を増すために、最高の誠実さで祈ってください。

 時々、夜の間に、私は、「私達の責任ある地位にいる兄弟[姉妹]達がもっと完全に主を知るようになる真剣な努力をするように」と、言葉で指図されています。私達の[教会の]働き人達が私達の生きている「特別な時」の重要性に気付く時、そこには、主の側にいるという目的を抱く決意が見られるでしょう。そして、彼らは本当に神と共に奉仕の働きをする者となるでしょう。彼らが心と魂を神への奉仕へと捧げる時、彼らがすべての罪に勝利するならば、彼らはかつて得ていた以上に、一つの体験が不可欠であることを見つけるでしょう。

 この地上に間もなくやってくることを考えることは私達のために良いことでしょう。そこには、怠惰にしている時間も身勝手にしている時間もありません。私達の心と精神に深い印象を与えることに失敗して生きているその時に、それは私達に何を届けることができるでしょうか。御言葉は、私達がかつて見たもの以上に、より清い働き、より聖の働きを求めていないでしょうか。

 

2.再び聖化する招き

 明瞭な理解を持っている人々が、今、必要とされています。神は、「徹底的な改革の働きを導いている神の聖霊によって、統制されることを望んでいる」人々を呼び出しています。私は、私達の前に危難を見ています。主は、主の奉仕の働きをする人達に伝道地の前線に来るようにと招いています。全ての魂は、今、過ぎた数年の間よりも、神への本当の深い聖別の位置に立っているでしょう。1909年の全体総会の期間中、参加したけれど為されていなかった人々の心の中で、一つの働きが為されたでしょう。数時間が心を探るために与えられたでしょう。それは、この会議に参加していた人々の心の茶色の土を耕すように導いたでしょう。これは、その人々に、「その働きは、彼らの悔い改めと告白によって為されるために欠かせないものだ」ということを理解する洞察力を与えたでしょう。しかし、罪の告白、心からの悔い改め、改革のため、決心のための機会は与えられましたが、働き/行動は為されませんでした。ある人は聖霊の影響/感化を感じて応答しました。しかし、全ての人々はこの影響/感化に魂を明け渡しませんでした。数人の知性は許されない交信路に走りました。そこには、全体の人々の心を卑しめる役割をする者が存在していました。そこには、奇妙な祝福が現れていたでしょう。

 この会議の終了後、数か月たって、私は心に重荷を抱えていて、その人々の前にわかりやすく示すようにと、主が私に指導していたこれらの事柄の責任において、兄弟[姉妹]達に注意を促しました。結局、全体総会の働きに繫がっていて、信頼のおける地位にいる数人の人々が、与えられた様々なメッセージについて多くの祈りと慎重な研究の後で、――その人々は十分に理解していなかったという一つの働き、つまり、その人々が神を恐れて前進した信仰、その人々が豊かな祝福を受けた信仰――と呼ばれた特別な信仰の働きによって着手するための冒険を試みました。人々が自分で選んだ道について行くことよりも、主の道へと信仰によって前進するために、この選ばれた数人の人生にもたらされた素晴らしい改革を見ることは私の心に大きな喜びをもたらしました。これらの責任ある兄弟達は、間違った光によって諸問題を考察することを続けました。彼らはその働きに悲しい汚点を付けた物事の一つの状況を作ったでしょう。しかし、彼らに送られたその指導に注意を払い、主に求めた時、神は彼らを十分な真理の中に連れて行きました。そして、彼らが奉仕を受け入れることと、精神的・霊的な改革をもたらすことを可能にしました。

 主がその道を備えるために、主の牧師達の前に御手を置いた時、それは、主が指揮する所へついて行くための彼らの義務として存在しています。彼は、決して、主が導き、心に目標を満たしている人々を確信のないままに見捨てたり置き去りにしたりしないでしょう。

 

3.信頼の表明

 私の兄弟[姉妹]の皆さん、「私は、全ての事柄において皆さんを信頼していたことを喜んでいます」(2コリント7:16)。また、一方で、私は、この地上の神の[人類救済]目的の進展に繫がったある人々が重要な評価に対して取っているその心構えをめぐって、まだ深く心配して考えています。また、私は、この伝道地にいる働き人達に強い信頼を持っていす。その上、彼らが、新しく自分達を聖別して、主の前に自分達を謙虚にして、主への奉仕に共に立ち向かっていることを信じています。彼らは主の意図を行なうための能力があるでしょう。そこには、正しい光によって問題を今でさえ考察しない人がいます。しかし、彼らの多くは、同僚仲間達と視線を合わせて向き合うことを学ぶでしょう。そして、その時に誠実に主を求めることによって、また、神の意図に自分達の意思を全的にゆだねることによって、深刻なミスを防ぐでしょう。

 私は最近、ある夜の間に私の前を通り過ぎたいくつかの場面によって、深い印象を受けました。大きな運動――一つのリバイバルの働き――が存在しているように見えました。各地に広く神の召しに応じて、私達の[教会の]人々はその前線[伝道地]へと移動していました。私の兄弟[姉妹]の皆さん、主は私達に語っています。彼の声に注意を払わなくていいのでしょうか。私達のランプを整えなくていいのですか。自分達の主が来ることを見守っている人々として活動しなくていいのでしょうか。その時は、行動のための、光を生み出して掲げるために呼び掛ける一つの機会として存在しています。

 「兄弟[姉妹]の皆さん、それゆえ、私は皆さんに請い願います。汝らは呼び出された価値ある召命に歩み、身を低くして、従順で、辛抱強く、自制して、愛によって、互いに聖霊の平和の絆によって、一致を保つように努めてください」(エペソ4:1-3)。

         『全体総会会報』1913.5.19, pp.33,34(86)

 

4.主による励まし[37]

 最近、夜の間、私の知性は聖霊によって、「もしも、主が、私達の信じているように彼が存在していて、間もなく来るならば、その人々[再臨信徒]の前に私達が何年も前に真理を得ていた時よりも、もっと活道的である責任がある」という考えを印象付けられました。

 このつながりの中で、私の知性は1843年から1844年の活道的な再臨信徒に立ち戻りました。その当時、多くの戸別訪問があり、神の言葉に関して語られた事柄をその人々[再臨信徒]に知らせる不屈の努力が為されました。第一天使のメッセージを忠実に宣布した人々によって前進している以上に、私達はこれまでに多大な努力が[為されて]前進しているでしょう。私達はこの地球歴史の突然の終わりに近づいています。そして、イエスが確かに間もなく来るということに気づいている者として、私達は、決して以前のようにではなく、苦労して働く者として目覚めさせられるでしょう。私達はその人々[再臨信徒]にアラーム音を鳴らす(警告を発する)ように勧められています。また、人生の中で、私達は真理と義認の特別な力を前進させて示すために存在しています。この世界の人々は、間もなく、破壊された律法をめぐって、偉大な律法賦与者に会うために存在しています。これらの違反者から従順な者に立ち返った人々だけが、罪の赦しと平安の希望を持てるでしょう。

 私達は、「神の戒めと、イエスに属している特別な信仰」と書かれている旗印のもとで立ち上がるために存在しています。神の律法への従順は最も大きな論争点です。それが、視界の外に置かれないようにしてください。私達は、教会のメンバー達と、天の律法の求めに従順になること、そして見ることを告白をしていない人々に目覚めさせる努力をする必要があります。私達は天の律法を尊敬しほめたたえるために存在しています。

 キリストは、この地球歴史が閉じられるシーンの真っただ中に生きている私達[教会]に、数々の真理のタネを蒔くように委託し、その働きが為されることの重要性を力説しました。数々の真理の言葉は、主要ルートと脇道に沿って宣布されてきました。人々の心には神の聖霊の働きの啓示の一つが存在しています。

 神の真理と命の言葉を持っている全ての人々が、それを持っていない人々の教化のために苦労して働くならば、まあ、なんと多くのことが成し遂げられるでしょうか。サマリヤ人の女性の呼び掛けに応じて、サマリヤ人達がキリストの所に来た時、キリストは、彼らを収穫の時期になった畑の穀物として弟子達に語りました。「汝らは、収穫の時期が来るまでにまだ4か月ありますと言っているのではありませんか。目を上げて畑を見渡してください。それらはすでに収穫に適した薄い色です」(ヨハネ4:35)と彼は言いました。彼らがその真理を聞くことに渇望していたので、キリストはそのサマリヤ人の所に2日間滞在しました。なんと忙しい日々がそこにあったことでしょうか。それらの忙しい日々に苦労した働きの結果として、「多くの人々が、彼自身の言葉のゆえに信じました」(ヨハネ4:41)。これらはそれらの証です。「私達は自分自身で聞き、この人は確かにキリストで、そして世界の人々の救い主だということを知りました(ヨハネ4:42)。

 神を信じると告白した人々の間で、誰が、この神聖な働きを担い、知識の欠如のために滅びつつあるその魂達のために苦労して働くでしょうか。この世界中の人々は注意される必要があります。多くの場所で[人々が]、聖別され、信仰に満たされ、不屈の努力[が注がれる]必要があると私は指摘されました。キリストは、大都市の多くの人々の知性を開いています。これらの人々は神の言葉の真理を必要としています。そして、私達がキリストの近くの神聖の中に行くならば、また、これらの人々を近くに連れていくことを進めるならば、良い印象が作られるでしょう。私達は目覚めと、キリストとの共感と、私達の仲間達との共感を必要としています。各地の大都市と小都市[の人々]は、また、数々の近く遠くの場所[の人々]は賢明に働きかけられるために存在しています。決して引き返してはいけません。私達が主の霊と調和して働くならば、主は正しい印象を人々に与えているでしょう。

 私は、私の兄弟[姉妹]の皆さん方に数々の励ましの言葉を持っています。私達は、神からの大きな事柄を期待しつつ、信仰と希望によって前に進むために存在しています。特別な敵は、真理を進めるために為されている特別な努力を隠すためにあらゆる方法を探しているでしょう。しかし、主の力によって、皆さんは成功を得るでしょう。希望を挫くような言葉が語られないようにしましょう。皆さんの働き仲間に反映して力づけるような言葉だけを語るようにしましょう。

 

5.個人的な言葉

 私は、伝道地に熱心な働きがもたらされるように、個人的に繫がることを期待しています。私は、人間の体力を前提とすると、偉そうにも齢だということを信じられず、もっと多くの公の/大衆の仕事に厚かましくさらに繫がるでしょう。私は、この教会とコミュニケーションを取るために一つの働きを持っています。数年を通して時々私に委託された光/真理、この世界の人々への三天使のメッセージは、宣布されていきました。私の心は、届けられ得る全ての人々の前に真理が位置している最高の望みをもたらすことで満たされています。そして、私はまだ出版のための原稿を準備する役割を担っています。しかし、私が全部書くことができない箇所については、私の書く部分を少なくして、私は慎重に動く必要があります。私は自分があとどれくらいの時間を生きられるかはわかりません。[訳者加筆:彼女はこの時から5年後の1915年の88歳まで生きました]。しかし、自分が期待しているような博識な健康状態は続かないでしょう。

 1901年のSDA全体総会の後、私は数週間のキャンプミーティングとほかの一般的な諸集会に参加し、ニューイングランド、中部諸州、中西部諸州にある各地の施設を訪問して過ごしました。[訳者加筆:たぶん、蒸気機関車の列車と駅馬車を使ったでしょう]。カリフォルニアにある自分の家に戻った上で、私は、印刷出版のための原稿の準備の働きに新しくとりかかりました。過去4年の間に、私はいくつかの手紙を割と書いていました。私が持っていた能力は、重要な書籍を書き上げるためにほどんどが注がれました。

 時には、私は諸会議に参加し、カリフォルニアにある諸施設を訪問しました。しかし、私の最後のSDA全体総会の時以来、主要な役割は、[カリフォルニア州]セントヘレナの近く、私のカントリーホーム「エルムスヘイブン」で、原稿の執筆に費やされました。

 私は、主が私の人生に著書を執筆するという少なくない働きを備えていたことを感謝しています。ええ、[それは]私が全てを為すための[知的・身体的]能力を持てたこと、私が果たした義務を目にすること[です]。私は、主が私に知恵を与えるようにと、また、私達の[教会の]人々がとても必要としている真理を明瞭に受け入れられるように現されるようにと祈っています。私は神がこのことをするのを可能にするだろうと信じるよう励まされました。

 私の一般的な働きの関心は、いつまでも強くあるようにと今でも存在しています。私は、「[人類救済]目的に属する現在の真理が、世界中の人々の全ての一人ひとりの中に着実に前進するでしょう」という大きなことを期待しています。しかし、私は、自分で計画した自分の作品[の出版]を願う一方で、多くの大衆向けの作品の出版を計画しないことが、得策だわかりました。私には、オーストラリアで神の摂理によって私に繫がった有能な働き人達、アメリカに戻ってから私に繫がった有能な働き人達がいます。私は、これらの助け手となった人々を主に感謝しています。私達はみな多忙で、出版のための原稿を準備するために最善を尽くしています。私は、真理の光が全ての場所にもたらされることを願っています。それは、私達の信仰の根拠に無知な人々を教化するでしょう。ある日、私の両目に問題が生じました。私は両目の痛みと思われるものに苦しんでいます。しかし、私は自分の視覚に現れた主を讃えています。私の年齢で自分の両眼を全く使えなくなるかもしれないことは珍しいことではありません。

 私は、自分の主の聖霊が高く掲げられることを表現できることをもっと感謝しています。慰めと恵みを、主は私に与え続けています。また、主は私に、主の民への助けと勇気を与えるための機会と力を授けています。主が私の命を支えている限り、私は主に忠実に真実でいましょう。主の意図を為すこと、主の名に栄光を求めましょう。主は私の信仰を増すでしょう。私は主を知るように、主の意図をもっと完全に為すようについて行きましょう。善は主に存在し、大いに賛美されることも主に存在しています。

 

6.老年の働き人達の感化

 私は強く期待しています。偉大な教師への奉仕の中で十字架の労兵士達や銀髪になった人々は、主が過去に、私達に与えたメッセージが地上の歴史のこの段階で非常に重要なことを若い人々が理解できるようにある点において、自分達の証を正しく生み出して伝え続けるでしょう。私達の過去の体験はそれ自身の力が一画も失われていません。

 皆さんは信仰の開拓者達を失望させないよう、彼らの[人類救済]目的について、自分達にできることは小さなことであると感じさせないように気を配りましょう。彼らの感化は主の働きの中でまだ力強く高められているでしょう。その年代の牧師達の証は、今も、教会の一つの助けとして、一つの祝福として存在しているでしょう。神は、主が試みて、信仰深い標準的な証を生み出す人々を、彼らが[主の]軍隊を退役する時が来るまで夜も昼も見守っています。決してまどろまず眠らない主の保護のもとに存在していて、また、彼らは元気な見張り人達に見守られているということを確信しましょう。このことを知って、気づいてください。彼らはキリストの中に隠れています。彼らは神の摂理のうちに信頼して休んでいるでしょう。

 

7.終末でさえも

 私は、その時に為す私達の働きが、心と知性と魂に深く印象付けられるようにと、真剣に祈っています。困惑の数々が増すでしょう。しかし、私達は、神を信じる者達として、お互いに励まし合いましょう。私達は低い標準ではなく、高い標準を掲げ続けましょう。私達の信仰の創始者であり完成者である主を見続けましょう。ある夜の間、私が眠ることのできない時、私は神への祈りに心を向けました。そして、主は私を力づけ、主は、この国の伝道地で、また、海外の伝道地で、主の奉仕の働きをする者達と共に存在しているという確信を与えました。イスラエルの神がまだ主の民をガイドしているということに、主が彼らと共に存在し続けているだろうということに、祈りの終わった後でさえも、私が気付いた時、勇気づけられ祝福されました。

 私は、私達の兄弟[姉妹]に言うように指導されました。皆さんの口から出される特別なメッセージは神の聖霊の力に委ねましょう。かつて、私達が聖霊の特別なガイダンスを必要とした時があったとしたら、それは今です。私達は徹底的な聖別が必要です。私達が神の力に属する一つの教派として、私たち自身の生き方と私達の奉仕の働きとして、世界の人々へ与えている時間は十分に存在しています。

 主は、前進と共に増して成果がもたらされた第三天使のメッセージを宣布する働きを見るように期待しています。主は、主の民に勝利を与えるために、全ての年代の人々の中で働きました。そこで、この年代の人々によって、主は、主の教会のために、主の目的の十分な勝利がもたらされることを望んでいます。主は、主を信じる聖徒達に、能力から大いなる能力へと進み、信仰から確信と自信へと増すように、主の[人類救済]目的に属する真理と義認によって、一致して前進することを指揮しています。

 私達は、神の言葉の原則に岩のように堅固に立つために存在しています。覚えていてください。神は、お互いに新しい体験に出会うため、私達に力を与えるために私達と共に存在しています。いつも私達の生命の義の原則を保守管理しましょう。私達は、主の名によって、身体と精神の能力から能力へと進むでしょう。私達は、私達の初期の体験から現在までの、神の聖霊の是認と指導によって具現化した神聖な信仰を捉えるために存在しています。私達は、主の戒めを守る民によって前進をもたらした非常に貴重な働きを心に持ち続けるために存在しています。そして、それは、神の恵みの力によって、前進する時に強く効率的に成長するでしょう。特別な敵は、神の民の識別を曇らせること、彼らの能力を弱めることを求めています。しかし、彼らが[それを]神の聖霊の指示だろうとして働くならば、敵は、古く捨てられた場所を築く働きとして、彼らの前にその機会のドアの数々を開けるでしょう。主の忠実な者達の上に、最後の勝利の神のしるしを印するために主がやがて権威と偉大な栄光と共に天から降りてくるまで、神の民の体験は一定の進展があるでしょう。

 

8.最後の勝利の約束

 私達の前に提示されているこの働きは、それが人間のあらゆる能力を伸ばすために提示しているという一点に存在しています。それは、強い信仰と寝ずの番に属する特別な体験を呼びかけているでしょう。私達がやがて立ち向かうことになるその困難な時は、最も失望させられる時でしょう。その大きな課題は私達に訴えているでしょう。そして、また、神の助けによって、神に仕える者達は最後に勝利するでしょう。私の兄弟[姉妹]の皆さん、その試練の体験は皆さんの前に存在しているので、「それゆえに、私は汝らが挫けないようにと望んでいます」(エフェソ3:13)。イエスは皆さんと共に存在しているでしょう。彼は、主の聖霊によってその道を備え[るために]皆さんの前を[進んで]行くでしょう。そして、彼は全ての危機の時に皆さんの助け手として働くでしょう。

 「この[人類救済]目的のゆえに、私は、天と地にいる家族全員によって名を呼ばれている私達の主イエスキリストの天の父にひざまず[いて祈り]ます。彼は、その人の中で聖霊によって力を強くすることを自分の豊かな栄光によってみなさんに叶えるでしょう。キリストは信仰によってあなた方の中に住むでしょう。愛に根差して存在している汝らは、全ての聖徒達によって、知識を超えたキリストの愛を知ること、その広さ・長さ・深さ高さが存在していることを理解しうるでしょう。汝らは神に満ちている全てによって満たされるでしょう。

 「さて、終わりなき世界、私達の中で働くキリストイエスの力によって、私達が求め考える全ての上に多量に超えることができる彼によって、全ての年代を通して彼によって、この教会に栄光が存在するキリストイエスによって[祈ります]。アーメン」(エペソ314-21参照)。


 

補遺1 病気とその原因

(エレン・G・ホワイトの出版された『生き方』からの記事)

はじめに                    ホワイト遺稿管理委員会

 初期の頃の一つから「病とその原因」というタイトルで、生み出されたこの6つの記事は、健康をテーマにしたエレン・G・ホワイトの著作集に繫がっています。ここに、それらの背景があります。まず、そこには186366日の歴史的な健康改革の幻visionがありました。次に、1864年にミセスホワイトは『霊の賜物』Spiritual Gift(現在、複製印刷で利用可能)の中に「健康」という題で30ページの記事を書き表したものを初めて出版しました。1865年に、彼女は6冊のパンフレットシリーズのそれぞれを様々な書き物から章に整え、そして、『健康』または『生き方』と題して出版しました。エレン・G・ホワイトのこの6つの記事はその年以前の『霊の賜物』の中の30ページの記事に増補されました。ミセス ホワイトは『生き方』のパンフレットのほかに貢献したものはありませんでした。1世紀前の劣悪な印刷業界の状況が広がっていた当時、単語を単語へ、文を文へと複製されたものは文法的に不正確なものを含んでいたので、健康に関連した声明を出版したエレン・G・ホワイトの初期の歴史的な記録を全部備えるために、彼女の数々の記事はここに正確に複製されて出現しました。

 ミセスホワイトは決してこれらの記事を増刷することを求めませんでしたが、それらは1899,1900年発行の『レビュー&ヘラルド』に短い連載物で出版されました。その後、エレン・G・ホワイトのプレゼンテーションのスペースを埋める健康をテーマにした記事は、「病とその原因」シリーズに含まれている1905年の『ミニストリーオブヒーリング』によってクライマックスに達し、初期の多くの記事の場所を占めました。

 読者の皆さんは、それらの記事が準備された当時の医療に実践分野が存在していた状態を知性に生み出す必要があります。特に最後の章は、特別な時について書かれていることを明らかにしている状況の特別な光が読まれる必要があります。それらの状況の再調査のために、Ð.E.ロビンソンの『私達の健康メッセージの物語』(1965年版)pp.112-130,166-169,441-445と、デントン.E.レボクの『主の預言者達の信仰』pp.253-267を参照してください。

                    ――ホワイト遺稿管理委員会


 

1章 エデンでの堕罪

 (訳者加筆。以下の記事は、文章が最後まで続いて、小見出しがなくて読みにくかったので、小見出しを入れて読みやすくしました)

 

 

 

[1.不節制]

 エデンにおいて罪に落ちて以来、人類は退化してきました。精神的・道徳的な歪み、知的な愚かさや病気、そして、その罪に落ちて以来、人間的な苦悩が連続している各世代の上に、段々と重くなってきました。また大部分の人々はその根本的な原因のゆえに眠っている状態です。その人々は数々の物事の嘆かわしい状態のために、自分達が非常に大きな罪の存在だということを考えていません。人々は、苦痛の種の創始者として神を考えて、一般的に自分達の苦悩は神の摂理のせいだと非難しています。しかし、その程度が多かれ少なかれ、この全ての苦悩の基に置かれているのは不節制です。

 エバは、禁じられていた木の実を取るために手を伸ばした時、自分の望みの中に不節制が存在していました。その失敗以来、自己満足が男性達と女性達の心の中に最高に君臨してきました。特に、食欲が甘やかされたので、人々は[食べる]理由にではなく食欲に支配されてきました。味覚を楽しむことを代償にして、エバは神の戒めに反することをしました。神は、彼女に欲しいと求めたあらゆるものを与えました。しかし、彼女は満足させられませんでした。エバ以来、罪に落ちた彼女の息子達と娘達は、自分達の目が望むことと舌が望むことについて行きました。人々はエバのように、神が定めた摂理を軽視し、不従順の道について行きました。また、その結果は心配されたほどには恐れることはないだろうと自分達で当てのない希望を持っていました。

 

[2.人間の存在に属している神の律法]

 人間は自分の存在に属している[神の]数々の律法を軽視しました。そして、病が急に増え始めました。その原因にはその結果が付随しました。人間は最も健康的だった食べ物によっては満足させられませんでした。しかし、健康を犠牲にしてさえ、舌が望む味を楽しみました。

 神は私達の存在に属している数々の律法を定めました。もしも、私達がこれらの律法に違反するならば、私達は、遅かれ早かれ、刑罰を受けて当然です。私達の存在に属している[神の]律法は、不健康な食物を胃の中に一杯にすること以上に、首尾よく違反することができません。それは、身の毛もよだつほどの食欲が渇望するからです。簡素な食物でさえも食べ過ぎは、やがて消化器官を痛めるでしょう。その上、健康に良くない大量の食物の摂り過ぎに加えて、悪習慣が広く蔓延しています。食欲への抵抗力は低下するに違いありません。

 

[3.あらゆる形の不節制]

 人類家族は、健康が貪欲な食欲の祭壇の上に首尾よく犠牲として捧げられてきたので、自己放縦が段々と進展してきました。[ノアの洪水前の]旧世界の子孫達は食べること飲むことに節度を失っていました。彼らは、神が彼らに許さなかった獣の肉を食べたでしょう。彼らは不節制に食べ飲み、彼らの頽廃した食欲は限度を知りませんでした。彼らは自分自身にひどく心酔していました。彼らは攻撃的で狂暴、そして、もはや彼らによって何も生み出さないように悪くなりました。彼らの不法の杯は満たされ、神は大洪水の後に地上の道徳的な汚れをきれいにしました。人々が、その洪水の後で地上の表に増えた時、人々は神を忘れ、彼の前に自分達の道を汚しました。あらゆる形の不節制があらゆる地域に増しました。

 

[4.食欲と食べる理由]

 主は優れた方法によって神の民をエジプトから連れ出しました。主は彼らを試し体験させるために荒野に導きました。主は、彼らの敵から救出するために奇跡的な自分の力を繰り返して現しました。彼らが彼の声に従って彼の戒めを守るのであるならば、主はその民と自分との間で特別な宝とする約束をしました。彼は獣の肉を食することを禁じませんでした。しかし、慎重に検討して彼らからそれらを差し控えました。主は最も健康的だった食物を彼らに提供しました。主は天から民のパンを雨のように降らせ、火打ち石のように硬い岩から清い水を与えました。主は、彼らがその全ての事柄において従順であるならば、病を彼らから守るだろうという契約をその民と結びました。

 しかし、そのヘブライ人達は満足しませんでした。彼らは天から自分達に与えられた食物を嫌って軽蔑し、自分達が肉鍋のそばに座れるからとエジプトに戻ることを望みました。彼らは肉を食べることを取り上げられるくらいなら奴隷に戻りたいと死ぬことさえも願いました。神は、怒りによって、彼らの貪欲な食欲を喜ばせる肉を与えました。彼らのうちの多くの者は貪欲にその肉を食べているうちに死にました。

 ナダブとアビブは、自分達の不節制によってブドウ酒を使ったために、神の怒りの火によって殺されました。神は、従順か逸脱によるものが訪れるだろうと、この民を理解していたでしょう悪事と病が後続の世代の人々に増してきました。食べること飲むことの不節制とその基礎的な愛着が貴い能力を麻痺させました。食欲が、程度を警告するための理性を支配していました。

 

[5.甘やかされている食欲]

 人類家族は、豊富な食べ物への望みを増し加えて、それが胃の欲望に可能なだけ美味なものを詰め込むための風潮になるまで、思い通りにしてきました。特に、娯楽のためのパーティーで、抑制が効かなくなって食欲が甘やかされています。肉汁たっぷりに味付けられた肉、ケーキ、パイ、アイスクリームなどが盛り付けられた豪華な晩餐と遅い夕食が摂られています。

 一般に、クリスチャンだと告白した人々は、これらの流行の集会に招待しています。宗教的な目的に基づいたかのような何らかの経路によって、食欲を誘惑して健康を害する御馳走の宴会を用意することによって、多額の金額が流行と食欲の神に犠牲になっています。このように、牧師達やクリスチャンだと言っている人々は、食べることについての不節制を放置し、健康を害する大食習慣に人々を導く考えや模範によって、自分達の役割として活動し、影響を及ぼしています。人の[生きる]理由や人の善意、人の人間性や貴い能力をアピールする代わりに、為され得る最もうまくいくアピールは食欲です。

 

[6.高尚で高貴な目的のために捧げられる]

 食欲の満足は、人々が何もすることがない時に意味を与えるように人々を誘うでしょう。クリスチャンにとってなんと悲しい場面でしょう。そのような犠牲は神に喜ばれるでしょうか。その[食欲の]窓の小さな隙間はその人にとってなんと大きく受け入れられることでしょう。その人の心の例のように、このようなことはよく行われるでしょう。このような犠牲を払って天の祝福にあずかることは、最も高価でシンプルな捧げ物を作るでしょう。

 キリストにつく者達であることを告白している男性達と女性達は、しばしば、服装の流行と大食いという食欲の奴隷状態です。高尚で高貴な目的のために捧げられるはずの時間と労力、備えは、流行の服を集めるため、不健全な皿の上の様々な料理のために費やされています。それは流行なので、貧しい人々と日雇い労働に依っている多くの人々は、招待者達のための豪華なケーキ、砂糖漬け果物、パイ、様々な流行の御馳走とは異なった種類の保存食を消費するために存在しているでしょう。それは、参加する人々[の健康]を害するだけではなく、時には、同時に、それらは、このように費やされた多くの物は、自分達自身と子ども達の服を買うために必要とされています。舌を満足させるため、胃袋に支払うために料理された御馳走で占領されたこの時間は、自分の子ども達に道徳と宗教を教えるために捧げられたでしょう。

 

[7.高尚にされたものにしましょう]

 社交界の集まりでは貪欲の機会が作られます。有害な食物と飲み物は、消化器官に大きな負担となるように提供させられています。生命力は、生み出している疲労、大きく妨げられた血液循環が、一つの結果として、身体組織全体に感じられている生命エネルギーの欲求を処理するために不必要な活動の中に呼び出されています。社交的な集まりの結果かもしれない祝福は、益を得るというよりは、あなたの交際の言葉のゆえに、料理用ストーブの上で調理の苦労をしているあなたの接待のゆえに、しばしば失われています。

 クリスチャンの男性と女性はこのような準備をして凝り過ぎた美味しい食べ物によって、このような見せかけの道のための自分達の影響を許してはいけないでしょう。彼らを招待したあなたの目的は、食欲を満足させるためではないことを彼らに理解してもらいましょう。しかし、あなたの協力と思想と思いの交換は相互の祝福として存在するでしょう。その会話は、後から最も高い喜びの感じを思い出される高貴な性質なもの、高尚にされたものにしましょう。

 

[8.就寝時刻前の食事は有害な習慣]

 訪問者達を接待するこれらの人々は、清楚な作法で、シンプルに用意して、野菜、穀物、果物などの栄養のある食物で、健康に良いものを提供しましょう。そのような調理には、適量に加えた、ほんの少しの手間と出費が求められるでしょう。また、誰かを立腹させることもないでしょう。世の知恵ある人が時間とお金と健康を犠牲にすることを選んで、食欲を喜ばせるならば、彼らが健康の原則を破る代償を払うようにしておきましょう。しかし、クリスチャン達は、正しい指導によって自分達の影響力を働かせて、それらの事柄を考えて自分達の立場を守るでしょう。彼らは、健康と魂を害する流行の習慣を改革することによって多くを為すことができるでしょう。多くの人々は就寝時刻前に有害な習慣を甘やかしています。彼らはふつう3回の食事を取っているでしょう。また、習慣のゆえに曖昧な考えをしているので、おなかが空くと食事の時間前でも軽食を取るでしょう。この悪い行動を甘やかすことによって、それは習慣となって、床に就く前に軽食を取らないと眠ることができなくなるでしょう。多くのケースにおいて、このあやふやな原因は、多すぎるほど何回も、また多すぎる量が、胃に送られる日中の不健康な食物の処理によって、身体の消化器官が酷く負担を受けてきたからです。消化器官は、このようにして負荷を受けて弱るでしょう。そして、それらが使い尽くしたエネルギーを回復するために働きから完全に休む期間が必要です。二度目の食事は、胃がその前の食事の消化の働きから休みの時間を持つまで食べないほうがいいでしょう。もしも、三度目の食事がかりそめにも食べられるならば、それは、少量、そして、床に就く数時間前でしょう。

 

[9.原因とその結果]

 多くの人々の疲れた胃はむだな疲労で不平を言うでしょう。多量の食物は、睡眠を取っている間に同じ動きをまた続け、消化器官の運動を促して胃の中に負担をかけています。そのような睡眠は一般に不快な夢によって邪魔され、翌朝には不眠状態で目覚めるでしょう。その朝には、だるい感じと食欲の減退があるでしょう。活力の欠如は身体組織全体に感じられるでしょう。少しの間も、消化器官は休息の暇がなかったので疲れ果てています。胃の中の食物は哀れにも消化不良になり、そのようになってさ迷っています。その原因は確実にその結果をもたらしました。この行動が長い間甘やかされ続けると、その健康は害されるでしょう。その体の血液は酷く汚れ、肌色が黒ずむようになり、ニキビなどの吹き出物が急に出て来るでしょう。あなたは時々、胃が活動することをやめて休むことを余儀なくされて、とても疲れたようになり、仕事をしている間に胃の当たりの急な痛みや酷い痛みなどの悩みを耳にするでしょう。この立場にいる人々は健康に見えているので、彼らが物事の状態の重大さを見失っているように思われます。

 

[10.胃は働きと休息のための一定の時間が必要]

 1日に3回の食事から、2回の食事に変えつつある人々は、初めにふらつきがあって、特に、3回の食事を取る習慣だった人の食事の時間について、多少なりとも悩むでしょう。しかし、人々が少し我慢をすると、このふらつきは現れなくなるでしょう。

 私達が[床について]横になって休んでいる時に、身体のほかの一部と同じように、胃はその働きを全て為し終えて休息を楽しんでいるでしょう。胃の消化の働きは、睡眠時間の間、為されないでしょう。働き過ぎて負担を受けた胃は、身体の衰弱の原因となる疲弊状態になっています。この点で、多くの人々は騙され、胃に休息の時間を与えることなく、それはそのような感情を生じさせた食物の欲求があると考えて、衰弱を取り去るために、彼らはもっと食物を摂っています。そして、食欲がもっと甘やかされ、それがもっと、楽しみのためにしつこく要求しているでしょう。この衰弱は通常、肉食の結果と、たびたびの食べ過ぎです。胃は、最も不健康な食物を処理して、常に働きを続けることによって弱くなっています。休息の時間を持たないと、「弱り切った」感覚と頻繁に食べたいという望みのゆえに、消化器官は衰弱するようになります。そのようなことに求められる治療法は、頻繁に食べる回数を少なくし、多量に食べる量を少なくし、簡素な量で満足し、シンプルな食物、1日に2回か、3回食べることにあります。胃は働きと休息のための一定の時間を持つ必要があります。不規則に食物を食べることは、健康の法則に対する一つの有害な違反行為です。

 

[11.原因は結果を、節制は健康をもたらす]

 それは流行なので、病的な食欲との一致によって、豪華なケーキやパイやプディング、全ての有害な食材が、胃の中に詰め込まれています。そのテーブルは、様々な物を載せる必要があります。そうでないと、悪化した食欲は満足することができません。翌朝、これらの食欲の奴隷達は時には臭い息をしていて、舌苔(ぜったい)がついています。彼らは健康を楽しんでおらず、体中の痛みと頭痛、様々な病に悩む理由を不思議がっています。その原因は、確かな結果をもたらしました。

 健康を保つために、全ての事柄において節制は必要です。仕事における節制、食べることと飲むことにおける節制[が必要です]

 多くの人々は、どのような考えのもとでも、貪欲を甘やかす道を変えないという不節制にとても向けられているでしょう。彼らは不節制な食欲を抑えるくらいなら、すぐに健康を犠牲にして早死にするほうがいいと思っているでしょう。そこには、自分達の食飲と健康との関係に無知な多くの人々が存在しています。それらのように教化されると、[食欲という]苦悩の大きな塊を自分で救う行動のコースに入って、健康的だったその食物だけをもっと控えめに食べて、彼らは食欲を否定するための道徳的な勇気を持てるかもしれません。

 様々な努力は、降りかかる全ての重荷をはねのけることによって、生命力を維持し慎重に保つことを続けるでしょう。そのような胃は、健康を十分に回復しないかもしれません。しかし、適度なダイエットコースは、さらなる衰弱から救うでしょう。彼らが自分を殺す大食いから離れて行ったのであれば、多くの人々は多少なりとも回復するでしょう。病的な食欲の奴隷になることを自分に許している人々は、もっと進むでしょう。食べること飲むことの不節制によって興奮したようになって、彼らの悪い情熱をわがままにすることによって、自分自身の品位を落とすでしょう。彼らは、健康と知能に大きな悩みがない限り、品位を落とした情熱の手綱を緩めています。その理性の能力は、大きく、悪い習慣によって打ち壊されています。

 

[12.感情が理性を支配]

 私は、地の住民達がソドムとゴモラの民と同じように滅ぼされなかったことを驚きました。私は、世界中の退化して死ぬ運命の状態にある人々の理由を知りました。盲目的な感情が理性を支配していて、多くの人々によってあらゆる高度な思考が強い欲望の犠牲にさせられています。

 最も初めの大きな悪は食べることと飲むことの不節制でした。男性達と女性達は自分自身を食欲の奴隷にしてしまいました。

 ポーク[豚肉]は最も一般的な食品の一つであるけれども、最も悪い食品の一つです。神は、自身の権威を単に示すためにではなく、豚の肉が食物として適切な食品の一つではなかったので禁止したのでした。それは、全身に線病(頸部リンパ節結核)を満たすでしょう。特に温暖な気候の地方では」、ハンセン病や様々な病を生じさせるでしょう(訳者加筆:著者は「leprosy癩病」と書いています。当時はまだこれは差別語ではありませんでした。日本では1996年「癩予防法」が廃止されました。この時から「ハンセン病」が使われるようになりました)。その気候の中で全身への感染は、寒冷の気候よりもひどいものでした。しかし、神は、どんな環境のもとでも、決して食されるために豚を意図しませんでした。異教徒達は、食料の重要な品目として自由にポークを利用しています。豚肉は自然の状態の味としては味の良いものではないでしょう。それは、濃い味付けによって口に受け入れられています。それは、とても劣った悪いものを作っています。ほかの全ての獣肉の中でも、豚肉は、人の血液に悪い状態を生じさせています。ポークを好んで食している人々は、病気になりやすいでしょう。生活の多くを屋内で過ごしている人々、習慣が座っている人々、仕事が知的なものの人々と違って、屋外での活動を多くしている人々は、ポークを食している悪い結果に気づかないでいます。

 しかし、ポークを食することによって悪くされるのは、体の健康だけではありません。それは、知性が影響を受け、鋭敏な感性はぞっとするような食物の利用によって鈍らされています。それらがいまわしいエサで飼われているような時に、不潔な場所がそれらの天然の棲息場所である時に、健康であることはどんな造られた生き物の肉も不可能です。豚肉はそれらが食べるものによって成っています。もしも、人間達がそれらの肉を食べているならば、人間達の肉と血液は、その豚肉を通して人々に不純物がもたらされることによって、汚染されるでしょう。

 ポークを食することは、線病(頸部リンパ節結核)、ハンセン病、癌性の分泌物を生じさせました。ポークを食することは、人類にとって、ひそかに最も激しい苦痛の原因となっています。堕落した食欲は、最も健康に良くないそれらの食品を渇望しています。地の住民に重くのしかかり、人類全体に知覚されたその呪いは、動物達にも知覚されました。獣達は、年月が経つにつれて、サイズが退化してきました。それらは、人間の悪い[]習慣によって、それらが望んだものとは違うひどい苦しみが加えられてきました。

 しかし、病気にならないいくつかの家畜達が存在しています。多くの家畜達は、求められる陽光と新鮮な空気と健康な飼料を大きくさえぎられてきました。それらが肥育される時、それらはしばしば、閉鎖した小屋に閉じ込められました。呼気の循環を楽しむ活動や運動を許されていません。多くのかわいそうな家畜達は家畜小屋に残っている不潔な毒を吸うために置かれています。それらの肺はそのような不純物を吸い込んでいる間は健康が維持されることを望めないでしょう。病気は、住んでいる者にもたらされています。そして、ある家畜の体全体は病気にかかっています。それらはマーケットに並べられるために屠殺されています。人々は、この有毒的な家畜を食物として自由に食しています。多くの病はこの慣習が原因となっています。しかし、人々は、それ[家畜の肉]は、その血液に有害なものがあって自分達の苦しみの原因は、自分達が食べたその肉だということを信じることができなくなっています。多くの人々は完全に肉食が原因の病気で死んでいます。また、世界中の人々は知恵があるとは思われません。

 家畜の肉を食する習慣の人々がその結果をまじめに考えていない理由は、根拠のない「動物の肉は自分達に悪くない」というものでした。それ[動物の肉]は、そのことについて何も知らず、その時に存在している人々の身体組織体系に確かに作用しているでしょう。

 家畜達は、空気も光も、飼料も水も奪われた狭い貨車に積まれ、この状態で数マイル運ばれ、溜まった排泄物から立ち上る不潔な空気を呼吸して、搬送先に着いた時には、貨車から降ろされ、多くの家畜達は空腹で、啼き叫び、死んだ状態で、残された道は死だけです。屠殺業者はその仕事を成し遂げ、マーケットのためにその肉が用意されます。

 家畜は、頻繁に、遠くに離れた屠殺場に運ばれて殺されます。それらの血液は強い炎症を起こしています。家畜が餌を食べ過ぎるようになって疲れ切り、その状態になり、遠くに運ばれなければならないので、健康な運動を奪われ、肉がついた動物は、マーケット[で販売される]ために殺されます。その家畜の血液は非常に悪化していて、その肉を食する人々は毒を食しています。ある人は直ぐにその結果が現れません。一方、ほかの人々は、コレラ菌やその他の未知の病原体の感染による死や激しい痛みなどに冒されています。多くの家畜は都市のマーケットで売られ、家畜を売った人々によって病気にさせられたことを知っています。マーケットでその肉を買う人々はこの問題についていつも無知だということでもありません。特に、大都市では、広い地域に運ばれています。肉食をする人々は自分達が病気に罹った家畜[の肉]を食べていることを知らないでいます。

 ある家畜達は、起こることが現実に見える屠殺業者に運ばれています。それらは、怒り狂い、文字通り発狂しています。それらは、その状態で殺されています。それらの肉はマーケットで売られるために用意されました。それらの肉は毒が存在していて、それを食した人々の中に、激痛、痙攣、卒中、急死が現れています。また、この苦しみの全ての原因は、肉にあるのではありません。ある家畜は、屠殺業者に運ばれる間に残酷に扱われました。それらは文字通りの拷問を受け、そして、長い時間の極限の苦痛を耐えた後で、食肉にされました。ペスト(伝染病)がそれらの間で流行していた間でさえ、ブタはマーケットで売られるために用意されていました。それらの有害な肉は、病気を伝染し拡大させ、大量の死者が出ました。       『生き方』No.1,pp.51-60.


 

2章 [食欲・結婚]

 (訳者加筆。以下の記事は、文章が最後まで続いて、小見出しがなくて読みにくかったので、小見出しを入れて読みやすくしました)

 

 

 

[1.食欲が理性を支配]

 男性と女性達は、特に肉や肉汁をたっぷりかけた豪華な濃い味付けをした食物を食する食欲を甘やかすことによって、また、紅茶やコーヒーなど刺激ドリンクを利用することによって、身体の組織が興奮状態になり、臓器の消化作用が不良になり、知的な能力が曇らされ、基礎的な感情が昂奮し、高貴な能力を超える不自然な食欲を作り出しています。食欲は不自然になり、抑制が困難になっています。その血液の循環は均一ではなくなり、不純になっています。身体全体の組織は、ほとんど悪化するまで、調子が狂わされ、食欲の欲求がもっと非理性的になり、有害な食物や興奮を渇望するようになります。

 多くの人々の食欲は、健康を害する複合性の有害性によって強められて、タバコやビールなどを、いくらとっても生えて来る雑草のように求めています。多くの人々は、この時点で、やめようとしません。その人々の悪化した食欲は、刺激の強いドリンクを求めています。それは、その脳の神経を密かに麻痺させる影響力を持っています。このように、食欲が理性の能力を完全に支配するまで、それらはあらゆる多過ぎるものを人々の体に与えています。そして、造物主のかたちimageに造られた人間は、品位や人格を獣達よりも低い位置に落としています。人間であることと名誉は、食欲に犠牲として捧げられたようなものです。知性の感覚が麻痺するためには時間が必要です。それは、徐々になされてきました。しかし、それは確実です。初めての食物を食べる時期に、その食欲を甘やかすことが、不健全な食欲を形作り、身体の健康と知性が強い欲望の犠牲にされてしまうほどに、あらゆる種類のわがままを備えました。

 

[2.結婚の制度は天に属する祝福]

 多くの人々は、財産を持っておらず、相続財産も持っていなかった時に、結婚関係に入りました。その人々は、体力も知的なエネルギーも、所有財産もありませんでした。それはちょうど、結婚を嫌っていた人、正しい感覚を持たずに自分で責任を負っていたような人々でした。その人々は高潔さを持たず、感覚が高まり、夫や父の義務についての正しい考えを持っていませんでした。家族の要望に応えることは、自分達に負担でしょう。また、彼らは、ビジネスを明らかにするよりも、自分の家族を増やすことによってそのやり方を現しました。ビジネスの知恵に深刻な欠点のあるこれらの人々は、通常、彼らの家が子ども達で満たされ、その世界でうまくやると見なされることが少ないです。一方、財産を得る能力を持った人々は、通常、生むことができる子どもが多くないです。自分達で世話をする能力がない人々は、子どもを持たないでしょう。これらの計算が不得手な多くの者達の子孫は、動物のように知性がなくなってきた特別なケースでした。彼らは適切な食料も衣服もなく、身体や知的な面での躾/訓練を受けることがなく、両親と子ども達の両方ともその言葉や家に神聖さがまったくないです。

 結婚の制度は、人間に一つの祝福として存在するように、天に属するものとして意図されました。しかし、一般的な考えでは、それは、酷い不幸の種にする方法の一つとして誤用されてきました。多くの男性と女性は、決心するために彼らが愛していたかどうかだけを唯一問われて婚姻関係に入る行動をしました。しかし、彼らは、結婚関係の先に一つの責任が自分達に残っていることを気づく必要があります。彼らは、自分達の子孫が身体的・知的・道徳的な健康の能力を持っているかどうかを考える必要があります。ある人々は、社会が彼らに軽々しく捨てることができないことを求めたという高尚な動機とそれを発展させた考えと、彼らの家族の影響による重みが上がったり下がったりする天秤として語るだろうという考えによって行動しました。

 

[3.子ども達は両親の品性/人格を引き継ぐ]

 社会は複数の家族によって構成されています。そして、家族の長達は社会を形成する責任があります。義務を考慮することなく結婚関係に入ることを選んだ人々が苦しんでいるだけだったならば、その時、その悪弊は大きなものとして存在しないでしょう。彼らの過失はかなり小さいものでしょう。しかし、不幸な結婚から生じる惨めさはそのように結ばれた子孫によって感じられています。親達は無知によって惨めに生きる人生、自分達の考えた道の結果、苦悩を子孫に引き起こしました。男性達と女性達は、その結婚関係において衝動や盲目的な感情に流される権利を持っていません。また、無垢な子ども達を様々な理由で、その生活が小さな喜びと小さな幸せだけしかなく、それゆえ重荷ばかりの現実の世界に連れて行く権利も持っていません。

 子ども達は通常、両親が持っている品性/人格の固有な特性を引き継ぎます。これら全てに加えて、多くの事柄が周りの人の感化から守られることなしに伝わります。子ども達はいつも貧困と不道徳に身を寄せています。子ども達は道徳的な価値の目盛りが両親達よりも低下するでしょう。そして、子ども達の敬意の欠乏が、全てにおいて両親よりも明白に存在しています。そのような周りの人と手本によって、子ども達が[成人した大人の]活動の段階になった時に、子ども達に期待し得るものは何でしょうか?。この階層の人々が抱えているこれらのことは、彼らの欠陥を永続させ、貧困や愚かさや退化によって、彼らの子孫の不幸の種となりました。彼らは結婚すべきではなかったでしょう。結局、彼らは、無垢な子ども達を惨めさの分かち合いの暮らしに連れ込むべきではありませんでした。世代から世代へと悲惨さを蓄積して、人類の世代の大きな流れの一つとして存在している彼ら自身の欠点を子孫に伝えるべきでもありませんでした。

 もしも、過去の世代の女性達が高度な思考によって動いていたならば、また、将来の世代の人達が彼らの活動の進路によって高貴にされるか落とされるかに気付いていたならば、彼女らは自分達の立ち位置を決めたことでしょう。彼女らは、ゆっくりと確実に死に導く毒で、神経の体系を冒して弱め、知性の貴い能力を低下させているアルコール飲料やタバコのための不自然な食欲を持ち続けてきた人々の生活に関心を抱かず結ばれないでしょう。もしも、男性達がこれらの卑しい習慣と結婚して留まるとすると、これらの仲間達を選択する経験として、女性達は自分達の人生にシングルの幸運を残すべきだったでしょう。女性達は自分の食欲を抑制しなかった男性達と運命的に結ばれるように、自分の価値を少ししか考えていなかったでしょう。しかし、彼女らの幸福の原則は食べること飲むこと、自分達の動物的な感情を満足させることによって成り立っていました。女性達はいつも衝動の代わりをする理性の指示について行きませんでした。彼女らは自分達に課されている高尚で重い責任の程度を考えず、自分達の子孫が一つの道徳律法を踏みにじらないような生活関係を形成することも考えず、また、品位を落とした食欲を満足させて、感情や健康の、そして、命の損失でさえも考えませんでした。神は彼らに、未来の世代に伝える身体的健康と道徳的品性について、重大な釈明責任を求めているでしょう。

 ふしだらな習慣によって自身の身体の品位が低下した男性達と女性達は、知的にも低下していて、魂の明晰な感覚も打ち砕かれました。まさに、この階層の多くの人々は、結婚し、そして、自分達の子孫に自分達の身体的な衰弱の汚点と道徳的堕落が受け継がれるように残しました。動物的な感情を喜ばせることと粗野な肉欲は、彼らの後代の際立った品性/人格として存在しました。それは、世代から世代へと受け継がれ、恐ろしい度合いで人間の悲惨さを増し、人類の低下を早めています。

 活気がなく病的になった男性達と女性達は、しばしば、自分の幸せだけの自分本位な考えで繫がって結婚しています。彼らは、原則を掲げ、自分達の後世に期待できると見なして理由付けし、社会性を高めずまたそれを低くして、身体と心の精力を使い果たし、高貴な視点からその内容を深刻に考えませんでした。

 病的な男性達は、しばしば健康的に見える女性達の行為を勝ち取りました。彼らは互いに愛し合い、結婚することにまったく自由だと考えたので、結ばれることによって、ある病気になった夫のゆえに、妻は多かれ少なかれ苦労することになるという考えもありませんでした。多くのケースにおいて、その病気の夫は健康を取り戻しています。一方で、妻は夫の病気を共有しています。夫は彼女のバイタリティーのおかげでとてもうまく生きていますが、やがて、健康を害して不平不満を言い始めています。夫の毎日は妻の短気な日々によって、長い日々となっています。このような結婚に入った人々は、夫の名誉のために利用されるように、神が二人に与えた健康と生命を軽々しく見て罪に陥っています。しかし、もしも、結婚関係に入ったこれらの人々に関係があっただけならば、その罪はそんなに大きくはないでしょう。二人の子孫は自分達に伝わった病気によって苦難の存在を強要されています。このように、病気は世代から世代へと伝えられてきました。多くの人々は神による人間の悲惨さの重みを課せられています。夫婦の悪い活動の進路は確実に結果をもたらしました。親となった人々は、このように人間の苦悩を蓄積することによって、社会に衰弱した一つの子孫を輩出し、親譲りの病気を与えることによってその子孫を悪くする一翼を担いました。

 

[4.年齢差のある結婚]

 現在の世代の体力と道徳的価値の欠陥のもう一つの原因は、年齢が大きく離れた男性達と女性達が結ばれていることにあります。老人達が若い婦人を妻に選んでいるというケースがしばしば存在しています。こうすることによって、その夫の寿命がしばしば伸ばされましたが、一方、その妻は年老いた夫に与えたバイタリティーの特別な必要を感じています。たとえ彼女がたいそう年上の人を愛したとしても、そのような犠牲をすることを彼女の側で喜びを感じていたとしても、人生と健康の犠牲はどんな女性の義務でもありませんでした。彼女は、行為を抑制したでしょう。彼女は彼女自身の関心と相談して深く考慮しました。彼女は考慮する必要があります。もしも、子ども達が生まれるならば、それは二人に[望まれる]状態でしょうか。女性達が自分よりもかなり年上の人と結婚することは、若い男性達に悪いことでしょう。年齢が大きく離れたところで結ばれた多くのケースの子孫は、知性のバランスが良くありません。彼らは体力にも欠点がありました。そのような数家族の中に、時々苦しむ人格特性の変化が急に現れました。時には、彼らは成人前に死亡しました。成人に達したこの人々は多くのケースで体力と知力と道徳的価値に欠けています。

 ある父親は、彼の能力が衰えていて、自分の若い家族を適切に養育するための能力をわずかしか備えていません。彼らの子ども達は品性/個性に特有の性質を持っていて、一定の影響の緩和を必要としています。そうでないと、彼らは確実に落ちぶれていくでしょう。彼らは正しく教育されていません。彼らの原則は、彼の年齢の理由によって、気まぐれな衝動の類がたびたび存在していました。その父親は影響を受けやすく変化しやすい考えを持っていました。ある子には甘やかし、もう一方で、別の子には厳格で容赦しない態度を取っています。そのようなある家族の中のあらゆることは、不公正が存在していてます。家庭内の惨めさは大きく増しています。このような一つの階層の人々は、社会の重荷として世界中に明らかにされました。子ども達の両親は、その子ども達によって育成された品性/個性の大きさを釈明しました。それは、世代から世代へと伝えられました。

 

[5.子どもを躾る時間を見つける]

 もしも、両親が原因を相談したならば、その時、二人は身体と知性の弱点が自分達の遺伝体質に存在していて当然だということを知る必要があります。両親に増えた多くの子ども達は、仲間に対する人間の義務を規定している神の律法の後半6条の違反者として存在しています。その子ども達は、このように自分達の隣人を傷つけ、社会の底辺に沈み、進む人類の退化の中で自分達の役割を実行しています。もしも、神が隣人達の権利をこのように考えているのであれば、神は、親密なもっと神聖な関係についての配慮careをしていないのではありませんか。もしも、一羽のスズメが神の注意なしに地に落ちないのならば、神は、全てその子ども達の人生で大なり小なりの程度で身体的・知的に病気になって、子ども達がこの世界に生まれることに注意深くないのではないでしょうか。時に、結果として、同世代の人達は自分達の身体と知性と道徳的な欠陥のしるしを生み出して当然な感情の奴隷となっていて、その経歴に高い能力があることによって、神が与えた筋道立てて考える能力の責任報告を、神は両親に求めないのですか。その両親は子ども達に引き起こした苦悩に加えて、自分達の貧弱な群れに残る貧困という財産だけしか持っていません。二人は子ども達を教育することができません。多くの者達はその必要を見ようとしません。親達は、もしも自分達が見たとしても、子ども達を躾/訓練する時間を見つけることも、指導し、教え、可能な限り、子ども達に惨めな遺伝体質を知らせることもできないでしょう。両親達は、子ども達の世話をよくし教育することが可能となるよりも先に、自分達の家族を増やさないでしょう。母親の腕の中に毎年いる乳飲み子は彼女に大きな不正行為です。それは、しばしば、社公的な楽しみを破壊し、家庭内の惨めさを増していることを教えています。両親が感じているに違いない自分達に課せられた義務は子ども達の世話・教育・幸福を奪っています。

 彼女の重荷と世話が多くの子孫によって増えて、夫が妻の健康と幸福を軽視する時、その夫は結婚の誓いと、神の言葉によって彼に課せられたその義務に背いています。「夫達よ、あなたの妻を愛しなさい。キリストが教会を愛したように。彼自身を教会に与えたように」「そのように、夫達は自分の体のように妻を愛して当然です。夫は妻を自分自身のように愛しています。かつて自身の肉を嫌った人はいませんでした。かえってそれを育みかわいがりなさい。主が教会にしたように」(エペソ5:25,28-29)。

 

[6.子ども達は家畜のようにたくさん生まれた]

 私達はこの聖なる指示がクリスチャンだと公言した人々によってさえも、ほとんど全体を無視されたと見ています。青白く見えて病的で、心配でやつれて落ち込み、気落ちして希望を失った女性がどこででも見られるでしょう。彼女達は、一般に働き過ぎていて、彼女らの生命エネルギーは頻繁の出産によって使い果たされています。世界中の人々は、社会に価値がないというイメージの人で満ちています。多くの人々は知的に欠陥があり、また、天来の才能のある多くの人々は何かの益になる目的のためにそれを使っていません。子ども達は育てられず、その大きな原因の一つは、子ども達がよく躾/訓練されるようになる前に次々と子どもが産まれたからです。子ども達は家畜の子のようにたくさん生まれて残されてきました。

 この年代[1860]の子ども達は、健康の法則への違反の見返りとして、多かれ少なかれその両親によって苦労しています。幼少期から子ども達によって取られる一般的な進路は、人間の存在に属している健康の法則への対立の繰り返しにあります。彼らは、生まれる前から両親の悪い習慣によって生じさせられた病気と欠陥の惨めな遺産を受けることを強いられています。それは、生涯を通して大なり小なり一つの程度としての結果でしょう。この事柄の悪い状態は、両親の子ども時代の間に身体的な躾/訓練が悪い道について行くように彼らが継続してきたものによって、あらゆる悪い道を作っています。

 両親達は、その子ども達の身体的な健康について、驚くほどに無知や無関心、教養の欠如を現しています。それは、しばしば、虐待された幼児を放置して幼い命を消してしまう結果となっています。皆さんは、時々、抱きしめた子ども達を引き離す神の摂理への両親の嘆きを耳にするでしょう。私達の天の父は間違うにはあまりにも賢明な存在です。また、私達に悪意を為すにはあまりにも善意の存在です(Our heavenly father is too wise to err, and too good to do us wrong.)。両親達が健康の法則と調和した活動をしなかったために、何千という多くの人々が人生の敗残者となりました。彼らは、子ども達の未来の良好な状態(福祉)の視点をいつも持たず、健全な判断の指図に追随するのではなく、衝動を根拠に動きました。

 子ども達の躾/訓練を成し遂げる第一の大きな目的は、知性と徳性の躾/訓練のためのおおまかな物差しによって、その道を用意するような気質の健全さにあります。身体的・道徳的な健康は密接に結ばれています。子ども達が生まれる前に、私達が子どもらに付きまとわれた道を考えると、両親に課せられているとても重い責任は、子ども達が生まれた後で品性/人格の発達において、多くを果たすことがあります。

 多くの子ども達は、良い農夫が物の言えない家畜の世話をすることに比べると、両親からの少しの注目で養育されて放置されています。特に、父親達は、しばしば、自分の財産の牛達に示すよりも、妻と子ども達への配慮と世話の少ないことを現して、罪を犯しています。慈悲深い農夫は、時間を取り、農場の経営に最善の方法として、特別な配慮を傾けるでしょう。また、彼のよく働く馬達が酷使されないこと、飼料を与えすぎないこと、バテないように、働いて熱くなった時に水と飼料を与えることに詳しいでしょう。彼は、かまわないで放置しておいたり適切でない世話をしたりすると、育ち始めた家畜や作物が害されるので、それらの価値下がらないように時間を取り、家畜や作物の世話をするでしょう。彼は、家畜達の食べる量を一定期間観察するでしょう。馬達が損害を受けることなく働くことができる仕事量を知っているでしょう。こうすることによって、彼は馬達に、決められた時間に、適切な質の最も健康的な飼料を提供するでしょう。このように、理性の命ずることに従うことによって、農夫達は、自分の家畜達の丈夫さを守ることへの成功があります。もしも、全ての父親達の妻と子供達への関心が、彼の家畜に現された世話と配慮と同等だったならば、その程度によって、妻と子ども達の人生や生活は、物の言えない家畜達よりも価値が存在し、全ての家族にこの上ない改革が存在するでしょう。人間の惨めさはなくなるでしょう。

 

[7.頻繁に不規則に大量に食べる]

 両親と子ども達のために最も健康的な食品の品目が提供されて、大きな配慮と世話は両親によって現される必要があります。両親の理性によって子ども達に教えていることが健康の指導ではなくて、消化器官が調子を崩して、身体組織が興奮するような指導の食料をども達の前に置くようなケースがあるのはよくないないでしょう。両親達は子ども達について、目的から結果を学んでいません。物の言えない家畜達のケースのように、働き過ぎることと激しい労働の後の食べること、そして異常に疲れた時、炎症が起きたその理由を見つけていないと、人間の健康を害するでしょう。また、動物達と同じように、人間の中の組織構造を壊す基としてあるでしょう。

 もしも、両親達や子ども達が頻繁に不規則にそして大量に食べているならば、最も健康的な食物でさえ、それはヒトの体の組織構造を害するでしょう。しかし、このことに加えて、もしも、その食物が不適切な品質である場合ならば、また、獣脂と消化しにくい薬味で調理されたならば、その結果は酷く有害となるでしょう。消化器官は酷く負荷がかかり、疲弊した体力は休息にチャンスがわずかに残されますが、体力の回復と、生命組織は弱められるでしょう。もしも、世話と規則正しさが、言葉の言えない家畜達のために必要だと考えるならば、それは、人間が物が言えない被造物よりも価値がある存在として、人間の創造者のかたちimageを成している人間のためにもっと多く必要なものとしてあります。

 ある父親は、多くのケースにおいて、若い牛達に現しているよりも、その誕生の前に、妻と子孫たちへの配慮や世話もなく、ほとんど理性がなく行動しています。ある妻達は、多くのケースにおいて、子ども達が産まれる前に、家族と来客者達の食慾を低下させる不潔な数々の皿を準備している間に、いつも苦労して働いて、彼女の血液を熱くheatingしています。彼女の体力は優しく慰められる必要があります。健康的な食物の用意は、費用のやりくりと似ていて、[彼女のために]必要だったでしょう。またそれは、もっと栄養のあるものだったでしょう。

 

[8.妊娠期間の労働]

 ある母親は、子どもを出産する前に、しばしば、彼女の体力の限界を超えて働かされました。彼女の[家事の]負担と[子どもの]世話をすることはめったに減らされず、そして、休息のひと時として、ほかの人々みんなが彼女のために代わるべきなのに、その[妊娠]期間は労苦と悲しみと憂鬱の一つです。彼女の側での体力を消耗しきった努力によって、彼女は自然が子孫のために提供している[授乳による]栄養を彼女の子孫から奪っています。彼女の血液が熱くされることheatingによって、彼女は質の悪い血液を[母乳によって]子孫に与えています。その子孫は自身の生命力を奪われ、体力と知力を奪われています。ある父親は[子どもの]母親を幸せにする方法を学ぶ必要があります。彼は、大勢の額[子ども達]が自分の家に来ることを自分自身にさせるべきではないでしょう。もしも、彼がビジネス(事業)で悩みを抱えていても、彼の妻と実際に相談する必要がないのであれば、彼はその問題で彼女を苦しめるべきでないでしょう。彼女は自身が産んだ子らの世話をして苦労しています。彼女は全ての不要な重荷から[解放されて]優しく憐れまれる必要があります。

 ある母親は、あまりにしばしば、その夫からの冷たく予約[させられた仕事]reserveに向き合っています。もしも、彼の求めたことが全て気に入ったようにうまくいかなかったならば、彼は妻と[子どもの]母親を非難し咎めて、彼女の世話と日々の[家事の]形跡を冷淡に見ています。このことを為す男性は、妻と[子どもの]母親自身の関心と幸福にあからさまに反対して活動しています。その母親は希望を失っています。希望と楽しみは彼女から去っています。彼女は、自分の働きを機械的にこなすようになって、それが為されなければならないことを知っています。それは、やがて、身体と知性の健康を弱らせるでしょう。子ども達は様々な病気を持って、不幸にも彼らに生まれています。神は、両親の報告責任を大きな程度で捉えています。それは、彼らの胎児に結び付く悪い習慣のためです。さらに、彼らが全人生を通して苦しむことを強いられているためです。ある人は、虚弱と心労によって、短期間だけ生きています。ある母親は自分の子どものこれからの人生を心配して見詰めています。そして、彼女は死んだ子どもの瞼を閉じることを強いられる時の悲しみの重みによって打ちひしがれています。その両親には現実として多くの子ども達が存在していた時に、彼女は、しばしば、神がこの全ての苦難の創始者として考えています。

 ある父親は「自分の子孫が産まれる前の妻への接遇/もてなしがその[妊娠]期間にその母体の性質に影響をかなり及ぼすだろう。また、出産後にその子の品性/人格の発達がとてもよいだろう」と[いう考えを]心に生み出すでしょう。多くの父親達は、初めに財産を獲得することにとても心を配っていて、深い思いやりが犠牲にされました。ある男性はその母体と胎児に犯罪と思えるほどに無関心でした。その両方の命はあまりにもたびたび財産を蓄えるという強い期待の犠牲にされました。多くの人々は自分達の悪い行動のゆえの重い罰に直ぐには苦しむことなく、彼らの進む道の結果だとして眠っている状態です。その妻の状態は、時々、一人の奴隷にされたよりも良くありませんでした。(訳者加筆:「奴隷」は差別語ですが、彼女がこの記事を書いたのは、アメリカ南北戦争(1861-1865)の直後の頃でした。差別語はまだ発見されていなかったので、これを使用しています)。時々、彼女は、流行の生活の財産を得るために体力を酷使して夫と同じ罪を犯しています。そんなに子ども達を持つことは恥ずかしいことです。彼らの子孫は時には身体と知性と道徳的な価値に欠点があります。そして、惨めさと、乏しさ、自己中心的な両親の印象を生み出しているでしょう。世界の人々は彼らの卑しさによって呪われるでしょう。

 

[9.理性によって労働する]

 彼らの労働について、理性によって活動することは女性達と男性達の特別な義務です。彼らはこれ[理性による活動]を為すことによって自分達の精力が不必要に消耗しないようにする必要があります。彼らは自分達に苦しみをもたらさないだけではなく、自分達の間違いによって、自分達の愛する子ども達に心配と倦怠と苦しみをもたらさないようにする必要があります。そのような多くの仕事に求められているものは何ですか。食べること飲むことの不節制と財産への望みは、仕事によってこの不節制に導きました。もしも、その食欲がコントロールされて、健康的な食物だけが摂られているならば、多額の出費の節約があるでしょう。男性達と女性達は自分達の体力に健康の法則を破るような辛い労働を強いないでしょう。もしも、神の霊が存在する彼らの体と精神/霊によって神の栄光を現すことが彼らにとって容易でない立場にあって、彼らが神を忘れないで、目的を達成するために努力しているならば、また、主に就く人の人間に属している義務を言及している、主、ヤハウェ(hwhy)の後半6つの教訓に違反しないならば、男性達と女性達の財産の蓄えの望みは悪くないでしょう。もしも、裕福になることを急いで、彼らが自分達のエネルギーを酷使して、彼らの存在に属する律法を破り、彼らが自分達の完全な奉仕を神に返すことができない状態に置くならば、一つの罪の道をたどっています。このようにして得られた財産は、計り知れない犠牲として存在しています。

 過酷な労働や心配の気苦労は、しばしば、その父親を神経質で、イライラにし、厳しい[性格]にしています。彼は、ちょうど強力なエネルギーを使って激しく働いたばかりで、自分の妻はか弱い体力で働いて疲れたように見えますが関心を持っていません。彼はビジネスに急かされた自分に耐えています。豊かになるための気苦労によって家族への責務に考えを大きくめぐらさず、妻の努力を正しく評価しません。彼はしばしば農場の規模を拡張し、雇人を増やすよう求めています。それは[妻の]家事を増やす必要があります。その妻は自分の体力に多過ぎる仕事をしていることを毎日はっきりと理解しています。また、彼女はしなければならない家事を考えて戦っています。彼女は、将来に向かって落ち込み、彼女の未来の体力の源も引きずり込み続けています。そして、彼女は資産に膝をついて生きていて、彼女が体力を必要としているその[妊娠]期間に、それは彼女の意がかなっていません。そして、それでも、彼女が自分の命を失わないとすると、彼女の健康は冒され、回復は遠のくでしょう。

 もしも、その父が身体的法則に熟知するようになるならば、自分の義務と責任をよりよく理解するでしょう。彼は、家族の者らに残すための財産を得るために、その母親に負わせた重荷の苦労によって、子ども達が産まれる前に労働を強いて彼女の体力を消耗させ、子ども達を殺したような罪を犯したことを目にするでしょう。両親はこれらの子ども達を困窮の生活の中で養い、しばしば、はやまって墓の中に子ども達を置きました。彼らの良くない道は確かな結果をもたらしたことがいくらかわかっています。その子らの気質や健康を良いものにさせて、気苦労と疲労の家事から彼の子ども達のその母親を保護したら、また、父親の資産に頼ることなく、子ども達自身の能力によって彼らが生計を立てる方法を求める機会を与えたら、なんと良いことでしょう。このようなことを得た体験は、母子の健康を犠牲にして購入した家屋や土地よりも、子ども達に価値あることでしょう。

 

[10.お互いの幸せを学ぶ]

 不機嫌や自分本位、口やかましく威圧的なことは、ある人々にとって生まれつきの性質のように思えます。その人々は、決して、自制の教訓を学ばず、非理性的な考えを抑制しないでしょう。その結果は彼らが引き受けるでしょう。そのような人々は、家族の仲間達が病人や失望した人のように見られることによって報いられるでしょう。その両親の子ども達は、自分達の品性/人格の気難しさの特徴を生み出して現しています。

 お互いの感情の結びつきを慎重に避けることは、結びついたすべての夫婦の特別な義務です(It is the duty of every married couple to studiously avoid marring the feelings of each other.)その二人は、苛立ちや感情を現さず、全ての表情を外に出さないでしょう。二人は、大きなことと同じく、小さなことで、お互いの小さな礼儀正しさ、また、優しい思いやりを表して、親切な行動で応えて、お互いの幸せを学ぶでしょう。食物が体力を支えるように、それらは男性と妻の幸せに大切な存在なので、これらの些細な事柄は疎かにされてはいけません。ある父親は強い愛情に寄り添う妻と[子どもの]母親を励ますでしょう。彼女が信じていた人生の幸せ、父親からの親切や快活な言葉の数々は、どのような薬よりも、彼女のために確たるものとして存在しているでしょう。その快活な一筋の光、そのような共感の言葉は、妻と[子どもの]母親の心にもたらすでしょう。その父親の心に自身の快活な一筋の光を反映するでしょう。

 ある夫は、妻がおなかをすかせた子ども達のために食べ物を用意する家事によって、やつれ衰弱し早老と化している姿をしばしば目にするでしょう。彼は、食欲に満足し神経質で怒りっぽい不健全なこれらのものを飲食する人々の性質を作る食べ物、テーブルの上にあるものを用意するための家事で多くの手間労力とがかかっているこれらのものを食べて飲んでいるでしょう。その妻と母親は、その頭痛から逃れられることがめったになく、その子ども達は質の悪い食物を食べる結果に我慢しています。両親と子ども達に忍耐と愛情の大きな欠如があります。健康が、強い食欲のため犠牲にされたので、家族はみんな共に苦労する者達です。産まれる前に、子孫達は病気と不健全な食欲を伝えられました。母親によって現わされた特別な短気や神経質と落胆は、彼女の子どもの個性/品性に印を付けているでしょう。

 

[11.生命の泉]

 過去の世代において、母親達が、自分達の存在に属する神の律法について説明していたならば、人々は、大まかな評価によって、親達の子孫に現された道徳の健康状態だけでなく、自分の体質の能力を理解したことでしょう。人々のこのテーマの軽視は、そこに多くの人々が巻き込まれていて、犯罪の一つです。多くの女性達は母親になるべきではありませんでした。彼女達の血液は、その両親から伝えられ、彼女達の数々の生活の仕方によって増し加えられた線病(頸部リンパ節結核)で冒されました。その知性は低下させられ、動物の食欲に仕えるよう奴隷にされ、そのような両親の元に生まれた子ども達は貧しさに苦しむ者にされ、少しだけ社会に役立っています。

 妻達と母達が道徳の標準を提起することによって社会に有益な影響を及ぼすことなく、健康を害する流行の調理方法と多すぎる出産の結果のゆえに、煩雑な家事の世話によって社会性を失ってきたことは、今の時代に至るまで、前の世代の退化の大きな原因の一つでした。彼女は必要のない苦労を強いられて、体の健康が害されてきました。彼女の知性は自分の生命の泉her vital resourcesがひどく枯渇したことによって、弱められました。彼女の子孫は彼女の衰弱によって苦しんでいて、母親の不確かで無能な教育によって、子ども達には貧困層にある一つの社会性が与えられました。

 もしも、これらの母親達が2、3人の子どもを出産したならば、また、もしも、身体の健康と知性の能力を保つような食物で生きることに慎重だったならば、道徳と知性の能力は動物的な能力を支配して、母達は社会の飾りとなって輝くために、子ども達を役立つように教育したことでしょう。

 もしも、過去の世代で、両親方が、目的に合わせて、身体が知性心に奉仕して来たならば、また、ある母親が子孫を出産する前にいつも自制心を持っていたならば、彼女が将来の子孫に個性のしるしstampを与えていたことに気づいて、その時点で見られる社交性の状態が個性の価値を落とさないようにするならば、地上に存在しているこの世代の異なった階級の中に存在している動物的な感情によって奴隷にされる知性を許さなかったでしょう。おおよそ母親になる女性のために、彼女の近くでその努力を知っている人々は、みな、いつも幸せや快活、満足、備え、そして、彼女の子孫の道徳性と、彼女の身体の10倍もの価値がある指導方法について知ることを勧めるでしょう。そして、またこれは全てではありません。彼女は、習慣によって自分自身の快活な思考に慣れ、知性を幸せな状態に仕向け、彼女の知性の明るく幸せな意見を彼女の家族と交際している人々に語りかけることができるでしょう。やがて、彼女の身体的な健康はとても改善するでしょう。たとえ、彼女が落胆と憂鬱を生むことがあったとしても、人間の精神的・身体的な力は生命の泉から与えられて、その血液は泥状の流れをしないでしょう。彼女の知的・道徳的な健康は、彼女の知性が持っている回復する力によって活気づけられています。意思の力は、特別な心の印象に抵抗できるでしょう。また、人間の意思は強く神経を落ち着かせることを示すでしょう。両親達からその性質を引き継ぎ、その活気を削がれた子ども達は最良の世話を受ける必要があります。彼らの存在に属する神の律法に注意を払うことによって、物事の最良の状態は確立されるでしょう。

 

[12.母親の心を健康に保つ]

 母体から母乳を授乳する乳児期は敏感な時期です。多くの母親達は、乳児に授乳している期間、重労働や食事の支度によって血液を熱くすることheat their bloodを免除されてきました。[しかし]乳のみ児は深刻な病気に冒されてきました。母乳からの滋養物が発熱していただけではなく、母体の血液もその母親の不健康な食物によって汚染されてきました。それは、その乳児の栄養物を冒しました。それは、母体の全身の組織体系が発熱したことが原因でした。その乳児の個性/人格は母親の知性の状態によっても影響を受けるでしょう。もしも、彼女が不幸で、心が簡単にかき乱され、怒りっぽくなって、感情の噴出のはけ口を与えるならば、乳児が母親から与えられる栄養は炎症するでしょう。しばしば、夜泣きを引き起こし、ひきつけと、いくつかの例では、けいれん発作と興奮の原因になっています。

 その子の個性/人格は、その母親から受けた栄養の性質によって、大なり小なり影響を受けています。乳児が哺乳の間、母親自身の知性を完全に統制し、その母親の心の状態を幸せに保つことはなんと大切なことでしょう。このようにすることによって、その子の滋養物は損害を受けません。穏やかで、自分を持っていて、子どもの世話を続けている母親の道は、乳児の心を形成するものをたくさん持っています。もしも、それが神経質で、簡単にかき乱され、その母親の慎重な注意深い方法は影響を修正し安定させるでしょう。そして、乳児の健康はとてもよくなるでしょう。

 乳児は、ふさわしくない扱いによって、不当な世話を受けてきました。もしも、乳児がいらだちやすかったら、乳児は一般に静かさを保つために栄養物を与えられました。時に、多くのケースでは、そのいらだちの原因は、その母親の間違った習慣によって作られた不適切な、多すぎる栄養物を与えられたことにありました。多すぎる栄養物は、胃がすでに働き過ぎているので、悪い要素を作っただけです。

 子ども達は一般的に食欲を甘やかして揺籃で育てられます。また、人は食べるために生きていることを教えられています(are taught that they live to eat.)。ある母親は子ども達のその時代にその個性/人格/品性の形成に向かって多くの世話をしています。彼女は子ども達に食欲をコントロール(抑制)することを教えることができます。あるいは、子ども達に食欲を甘やかすことを教えることができます。そして、大食漢になっています。ある母親はしばしば、ある日に大量の家事をやり遂げるために自分の計画を変更しています。子ども達が彼女に面倒なことを起こした時、子どもの小さな悲しみをなだめる時間を取る代わりに、彼らを逸らし、何か食べる物を与えて、おとなしくさせ、それはしばらくの間の目的の解決策で、しかし、しまいには、悪いこと()を作っています。その子ども達の胃は、食べ物が少しも欲しくない時に、押し込まれています。まったく、求められていたことは、母親の少しの時間と注目でした。ところが、彼女は自分の子ども達の楽しみに使うにはまったく貴重過ぎる無駄な時間だとみなしました。たぶん、訪問者のほめる味の良い調理方法によって、彼女の方法を変更して料理に流行スタイルを取り入れることは、子ども達の幸せと健康よりも、彼女の最大の関心事だったでしょう。

 

[13.忍耐強くある]

 ある両親達の食べることに関する不節制と虚弱化する働きに関する不節制は、しばしば、自分達を神経質にし、子ども達への自分達の義務を軽々しく放棄して、自分達を不適格者にしています。一日に3回、両親達と子ども達は、様々な流行の食べ物が並んだテーブルの周りに集まっています。それぞれの皿に分けられた料理の利点は基準づけらたbe testedものが乗っていることです。たぶん、ある母親は、自分の体が疲れ切り、熱くなるまで精を出して働いていていました。彼女が最初に取った休息の時間まで、シンプルな食物でさえ摂れる状態ではなかったでしょう。

 用意するために彼女を疲れさせたその食べ物は、彼女のどんな時間にも[食べることに]全く適さない物でした。しかし、その血液が熱くheatedなり、身体組織体系が疲労した時に、消化器官は特別な負担を負っています。彼女らの存在に属する法則を破ることを続けている人々は、自分達の生涯の間に代償を払うよう強いられてきました。

 この世界中に、悪習慣の教育によって、消化不良を訴える神経質な女性が多くいるということに十分な理由があります。その原因は結果に基づいて引き出されてきました。忍耐強くあることは不節制な人々に不可能なことです。その人々は、忍耐強くあることは彼らにとって難しくないでしょうから、健康的に生きることを学び、まず悪い習慣を改善する必要があります。多くの人々は、知性が身体に影響を与えている関係を理解しているようには思われません。仮に、身体組織体系が相応しくない食物に混乱させられていると、わずかなことにイライラして苦しむ人々の大脳と神経は影響を受けるでしょう。このような状態の人々は、自分の子ども達に礼儀正しい教育訓練をする能力に欠けています。その人々の生活は、時々非常に甘やかし、時に、厳しくする、気にも止まらないほどのわずかな注意、という極端さに特徴づけられているでしょう。

 ある母親は、子ども達が楽しんで遊んでいる騒がしい状況を我慢できないので、しばしば、自分のいる所から子ども達を追い払っています。母親の視線は、時々発生する不幸な意見の違いにも、適切な時に、子ども達に同意することや不賛成であることについてもめぐらしていません。その母親からの一つの言葉は静かにさせるでしょう。子ども達は直ぐにうんざりして、願いを転じて、快適さを求めて町の通りに出て行くでしょう。そして、純粋で、素直な心の子ども達は悪い仲間に誘われるでしょう。悪い情報が彼らの耳に入り、彼らの洗練された良い礼儀作法を傷つけるでしょう。悪い行ないが表れてきて目を覚まさせられるまで、ある母親はしばしば自分の子ども達に関心を欠いているように見えます。悪いことのタネは、豊かな収穫を約束されている幼い心にまかれていました。彼女の子ども達が悪いことをする傾向が存在するのは彼女にとって驚きです。両親達は幼児の心に良いことと正しい原則を教え込む時期を始める必要があります。ある母親は可能な限り多くの時間を子ども達と一緒にいる必要があります。そして、子ども達の心に貴いタネを植えましょう。

 ある母親の時間は子ども達への特別な礼儀作法に属しています。子ども達はほかの人が与えることのできない母親との時間を過ごす権利を持っています。多くの場合、母達は料理の部門の時間、あるいは、自分達の若い心を育てるためのファッションのため、自分達や子ども達のための縫い物の仕立て上げに費やして(訳者加筆:当時、既製服はなく、全て手縫いで服を作ったでしょう)当然と考えていて、躾はあまりにも多くの時間を求められると思うので、母達は子ども達の躾を軽視してきました。静かにじっとしていられない子ども達のために、母達は子ども達に一日の内にいつでもケーキやキャンディーを与えました。子ども達の胃は不規則な期間で苦痛を与える食べ物を詰め込まれています。子ども達の青白い顔色はその事実をあらわしています。その母達は、彼女のかわいそうな子ども達に残っている生きる力を砕いてしまうようなことをしていました。その消化器官はいつも負荷をかけられ、休む期間が与えられていませんでした。その肝臓は不活発になり、その血液は新鮮ではなくなり、子ども達は病的で、怒りっぽくなっています。子ども達は、不節制と耐えがたい体験によって実際に苦しんでいます。

 両親達は、多くの場合で自分達自身の犯罪的な管理が自分達をそのように育てた時に、自分達がそうだった以上に、子ども達に言うことを聞かせることがとても困難なことに驚いています。食べるようにと子ども達に勧め、子ども達のテーブルにもたらされる食物の質は、通常、子ども達の動物の感情を高めていて、道徳的能力と知的な能力を弱めています。両親達が子ども時代にたどってきた悪い道に沿って、多くの子ども達はその幼さにあわれな不機嫌さを現しています。両親達は、彼らの子ども達へのこのような世話の仕方について、神に報告を返すよう求められるでしょう。

 多くの両親達は、自分をコントロールする教訓を子ども達に与えることをしていません。両親は子ども達の食欲を甘やかし、自分達の願い通りに食べて飲むように、自分達の子ども時代の習慣を子ども達に形成しています。なので、両親達の若い時の習慣が子ども達の普段の習慣になっています。子ども達の望みは抑えられておらず、子ども達が成長した時、不節制のその普通の習慣を甘やかすだけではなく、子ども達は、ひそかに将来の甘やかしに進むでしょう。子ども達は、有害だけれども、自分達の仲間を選ぶでしょう。子ども達は自分の両親からの抑制に耐えられないでしょう。両親達は、自分達の有害な感情の手綱を緩めて、ほんの少しだけ聖や徳を考えるでしょう。ここに、この時代の若い人々の間には、ほんの少しの聖と道徳の価値があるその理由があります。また、男性達と女性達が神の律法に従順で報いるためのほんの少しの責務を感じる大きな理由があります。ある両親達は、自分自身をコントロールしてきませんでした。彼らは、自身の不健全な食欲、また、自分達の感情的な怒りをコントロールしていません。それゆえ、彼らは、自分の食欲を思いやって自制するように自分の子ども達を教育できておらず、子ども達に自制を教えることもできていません。

 

[14.学校と教育]

 多くの母達は、子ども達を指導する時間も、戸外に連れていくための時間も、文句を聞きけんかを仲裁する時間も、学校に送り出す時間もないと感じています。学校の教室は虚弱体質を受け継いだ子ども達にとって、厳しい場所です。学校の教室は一般的に健康が考慮されず、粗末で安っぽく建てられるものとして考えられていました。教室は、厳しい寒さに子ども達をさらすことなく、また、子ども達が換気できるように設計されていませんでした。肺臓と心臓の健康的な活動を守る相応しく姿勢に成長する体格に、椅子は小さいままで、めったに、子ども達が座りやすいようには作られていませんでした。幼い子ども達はほとんどいろいろな体型に成長するでしょう。適切な運動の習慣によって、身体の各部位は健康的な体型を得ることができるでしょう。子ども達が教室で一日に3時間から5時間、多くの子どもが呼吸して汚れた空気を吸い込んで、欠点のある形をした堅い椅子に座っていることは、幼い子ども達の命と健康を害するものとなっています。弱った肺臓は病になり、全身の組織体系の神経エネルギーを引き出す大脳は、知的な器官の能力が十分に発達する前に疲労にさらされ、活動的な運動を求められ弱められています。

 学校の教室の中に、様々な種類の病気のための基礎が置かれています。しかし、もっと特別な、全ての器官の最も繊細な大脳は、あまりにも酷使されて永久的に損傷を受けました。これは、しばしば、炎症、頭部の水腫、恐れの結果による痙攣の原因となっています。多くの生きている人々は、野心に燃えている母達によって、このような犠牲者にされています。もちろん、これらの子ども達は、この扱いに生き抜くための抵抗力を十分に能力を持っていたように思えます。また、生涯を通してその効力を保ち続ける多くの人もいます。ある大脳の神経のエネルギーがたいそう弱められるようになって、成熟期に達した後では、大量の知的な訓練に耐えることは不可能です。ある大脳の繊細な器官のある能力は使い果たされているように見えます。

 子ども達の身体的・知的な・健康は、早すぎる時期に学校に通わせることによって、危険にさらされているだけではなくて、道徳的な視点を失われたものにされています。その子ども達は、彼らの礼儀作法を育てられなかった子ども達と知り合いになるような機会を持っています。その子達は、嘘、ののしり、盗み、詐欺などの粗野で礼儀知らずの社会に送り出されています。その人々は自分達より若い人々に悪行の知識を与えることを喜んでいます。幼い子ども達が、ある良いことよりもずっとある悪いことを自分自身にすぐに学ぶままにしていました。悪い習慣[のある人]は自然な心を最善と認めています。幼年時代と少年時代に彼らが見て聞いた物事は自分達の心に強く刷り込まれていて、若い心に蒔かれた悪いタネは根を張るでしょう。そして、彼らの両親の心を傷つける鋭い棘になるでしょう。

 特別に注目される子どもの人生の最初の6年か7年間は、知的な教育訓練以上に身体的な教育訓練が与えられる必要があります。この期間の後で、もしも、身体的な健康が良ければ、その両方の教育は受けるに注目されるでしょう。幼年時代は6歳か7歳に広がります。世話と心配事の多いこの期間を過ぎると、子ども達は、快活な心で家の周りや庭園を歩き回って、自由に飛んだり跳ねたりして、小さな子羊のように過ごしていくでしょう。

 

[15.母親が教師]

 両親の皆さん、特に、お母さん方はそんな幼児の心の唯一の教師でしょう。本から教える必要はありません。子ども達は一般的に自然界の物事を学びたがるでしょう。彼らは、見ること聞くことについて尋ねるでしょう。両親達は、これらの幼い研究者達に我慢強く答えて、指導するための機会として利用しましょう。悪の根の余地を残さず、子ども達の心に良いタネを蒔くことによって、子ども達は、この方法によって特別な敵に対してその心の守りを固め、優れた[性質を]得ることができるでしょう。柔軟な年齢の子に対すそ母達の愛の指導は、個性/人格/品性を形成している子ども達が必要としているものです。

 学ぶことについて、子ども達の最初の大切な学習は、好ましい食欲の自制です。子ども達の心を逸らして落ち着かせて、子ども達に食べ物を与える代わりに、「食べることは命の病のための薬です」と教えて、その食べたい欲求に寄り添うのは母親の義務です。

 両親達が健康的に生活していたならば、シンプルな食物によって満足して、多くの出費が節約されたことでしょう。ある父親は、家族の求めに応じず、自分の能力以上に働くことをしませんでした。シンプルな栄養のある食物は、神経組織体系と動物的な感情を過度に興奮させず、不機嫌と怒りっぽさを生じさせるような影響力を持っていなかったでしょう。人が簡素な食物だけを食べてきたならば、その人の頭脳は明晰だったでしょう。また、神経の働きは一定で、その人の胃[]健康的な状態で、健全な組織体系で、食欲を無くさなかったでしょう。現在の世代は、今存在している状態よりも、良い状態になるでしょう(and present generation would be in a much better condition than it now is.)。今でさえ、この終わりの期間に、何かが私達の状態を改善するために為され得るでしょう。全ての事柄において、節制は必要です。もしも、テーブルの上の品数が多くなくても、節度のある父親は不満を言わないでしょう。生活の健康的な方法は、家族みんなの感覚の状態を改善するでしょう。また、妻と母親に彼女の子ども達を世話に充てる時間を与えるでしょう。その両親にとって大事な学習は、この世界と後の天の世界で役に立つように子ども達を最も良く教育訓練し得る方法です。彼らは、不必要な刺繍飾りや装飾品を取り除いた着心地の良い服装で、清潔で明るい子ども達を見ることに満足するでしょう。彼らは、神の目に偉大な価値があり、従順と冷静な精神で心の内を飾っている財産として自分の子ども達を見るために熱心に働くでしょう。

 

[16.母親は役に立つ資格を与える]

 あるクリスチャンの父親が仕事に行くために家を出る前に、彼は自分の周りに家族の者達を集めるでしょう。神の前に膝をついて、羊飼いのチーフに家族の者達の世話を委ねるでしょう。彼はそれから、家事労働の時間を快活にさせる、妻への愛と祝福と子ども達への愛情と共に自分の仕事に出かけるでしょう。その母親は自分の本分に目覚めて、その[子ども達の]父親がいない間、彼女に託された子ども達への義務を果たすでしょう。彼女は、自分は夫と子ども達のために生きていると感じるでしょう。節制と自制の習慣を教え、子ども達に神への義務を教えて、子ども達を正しく教育訓練することによって、彼女は、神の律法を守って尊ぶように、社会の道徳の規準を高くするように、この世界で役に立つ者となるようにと、子ども達に資格を与えています。忍耐強く根気の良い信心深い母親は子ども達を指導するでしょう。到達点から次の到達点へ、指示から次の指示へ、厳しくではなく、強いる方法ではなく、愛によって、優しさによって、彼女は子ども達を勝ち取るでしょう。子ども達は母親の愛の勉強を考えるでしょう。また、彼女の指導の言葉に喜んで耳を傾けるでしょう。

 彼女がいる所から子ども達を追い払わないと、子ども達の要望とたくさんの注目にイライラさせられ、彼女は子ども達の騒しさに悩まされるかもしれません。また、彼女は、自分の時間は、何か楽しいことによって、または、明るい幸せな遊びによって、子ども達の絶えず動いている活動する心の気晴らしになって、[子ども達を]落ち着かせる以外に、良い仕事ができないと感じるでしょう。でも、やがて、その母親は、子ども達のための楽しみを創り出す時間を取る努力にたっぷりと報いられることでしょう。

 幼い子ども達は、付き合い遊びを好んでいます。彼らは、一般的なこととして、一人だけで楽しむことができません。その母親は、多くのケースで、子どものための[遊び]場は、室内にいる時、彼女の作業場がその部屋だと考える必要があるでしょう。彼女は、その時、子ども達を全体的に見渡す視界を持つことが可能です。そして、小さな違った権利を置く用意をしましょう。子ども達からアピールされた時に、良くない習慣を正す時、または、わがままや強い感情が現れた時に、正しい方向に心を向けることができます。子ども達はある楽しみは、母親も一緒に喜ぶことができると考えます。困った小さな問題を母親に相談することは子ども達のためにごく自然なことです。その母親は、その問題に無関心な態度で接して、あるいはそんな小さい問題に悩まされることを拒むことによって、敏感な子どもの心を傷つけないようにしましょう。その母親にとって小さなことでも、子ども達にとっては大きなことでしょう。そして、適切な時の指導や注意の言葉は、しばしば、大きな価値を現すでしょう。それとなく出た母親から出た誉め言葉や励ましの言葉による是認は、一日中、子ども達の幼い心に陽の光を注いで温めるでしょう。

 

[17.最初の教育は母親から]

 子どもの最初の教育は幼少期に母親から受ける必要があります。またそれは、身体の健康についてのものでしょう。子ども達は簡素な食物だけを与えられているでしょう。子ども達が、健康に最善の状態を保つような良質で、一定期間だけに与えられるような、一日3回より多くなく、3回分よりも良いような2回の食事量を正しく躾けられると、間もなく、泣き叫んだり騒いだりしても何ももらえないことを学ぶでしょう。思慮深い母親は、単に、彼女の現在の満足を考えるのではなく、子ども達の将来を考えて、子ども達の教育訓練の行動をとるでしょう。この目標のために、彼らが健康に関して食べて飲んで、着ることについて、彼女は子ども達に大切な食欲の抑制の仕方、自制を教えるでしょう。

 神を愛し神に従って行動する、よく躾けられた家族は、快活で幸福なことでしょう。日毎の務めから戻った時に、その父親は、この家庭に自分の難問を持ち込まないでしょう。彼は、この家とこの家族の者達に不幸な問題で汚点を付けるにはあまりにも神聖な存在だと感じるでしょう。彼が家を出た時、彼は自分の救い主と自分の宗教的な背景を取り去りませんでした。どちらも彼の仲間でした。彼の家にある優しい感化、妻の祝福、子ども達の愛は、彼の重荷を軽やかにしています。彼は、妻と子ども達のための明るい励ましの言葉と、心に抱いた平安と共に戻っています。家族の者達は彼の帰りを喜び迎えて待っています。父親が家族と共に、自分自身と愛した家族の者達の一日の守りと世話について、大いなる感謝を神に捧げ上げるために、祈りの祭壇の前にひざまずきます。その時、神の御使い達はその部屋を飛び交っています。そして、天の神を畏れる両親のあつい祈りが生み出されて、その祈りは祝福として戻されることによって応えられる甘い香りとして運ばれています。

 

[18.厳粛な義務]

 両親達は、自分の子ども達に、胃に良くない食べ物の味を相談するのは罪だという印象を与える必要があります。親達は、子ども達の心に、自分達の存在に属する律法を破っていて、自分達の造り主に対して罪を犯しているという印象を与える必要があります。このように教育された子ども達は、自制が困難ではなくなるでしょう。彼らは、短気、変わりやすい機嫌の対象ではないでしょう。また、大いに楽しい生活の良い状態でしょう。このような子ども達は自分達の道徳的な責任を容易に明確に理解しているでしょう。自分の意思と望みを打ち明けることを教えられた子ども達はキリストの霊/精神によって抑制されることを受け入れるでしょう。クリスチャンだと公言している多くの人々が教会の負わした多くの厄介な物を守ってきたその理由は、彼らが子ども時代に正しく教育訓練されてこなかったためです。また、その理由は、彼ら自身の人格/品性の形成において大量に残されました。彼らの悪い習慣と変わりものや不幸な傾向は修正されませんでした。彼らは、自分達の意思を明け渡すことを両親から教えられませんでした。彼らの宗教体験の全体は子ども時代の彼らの教育訓練に影響を受けています。彼らはその時に統制されませんでした。彼らは躾られずに成長しました。そして、今、彼らの宗教体験の中で、神の言葉によって教えられた聖なる躾に[心を]明け渡すことと、両親達が自分達の宗教体験を考慮して子ども達に教育するために自分達に課せられた責任に気付くこと、は彼らにとって難しいことです。

 聖なる教えによって守られ、神の神聖な定めの一つとして結婚関係を考える人々は、理性[考える能力]の命じるところによって統制されているでしょう。その人々は、与えられた結婚関係の特権の全ての結果を慎重に考えているでしょう。その人々の光沢が現れるように、躾によって自分達の性質から粗野な面を取り除き、そのようにして、自分の子ども達は自分達が保護するように神から預かった貴い宝石だと考えるでしょう。

 神の子羊と神の臨在の中で永遠に輝くために、最も良い世界の最高に高尚な生活についに適合して、世界の人々が彼らの生きたあかしによって良くなり、自分達の光/真理によってほかの人々を祝福し、そして、子ども達がその生活の中で良いことをするように、子ども達の人格/個性/品性をそのように形成するために、最も厳粛な義務のもとにいることを感じるでしょう。

                      『生き方』No.2,pp.25-48


 

3章 [自然生命力 natureと有毒薬剤drug]

 (訳者加筆。本章は、アヘン、水銀剤、ストリキニーネの使用による死亡例について書かれています。ドラッグは「覚醒剤や麻薬」を意味します。本書に使用されたdrugには、猛毒の水銀やアヘン、殺虫剤も含まれていました。ですから、drugを「有毒薬剤」と訳しました。本章も原文は「見出し」がないので、[ ]を付加しました)

 

[1.法則の違反と健康的な生き方の学習]

 人類家族は自身の良くない習慣によって様々な形の病気を自分達にもたらしました。彼らは、自分達の存在に属する法則の違反がその不幸な状態をつくり出したということと、健康的な生き方を学習しませんでした。人々は、自分自身の行動の良くない道や、その苦難の原因をめったに認めませんでした。彼らは、食べることについての不節制を甘やかし、そして、自分達の欲求を一人の神a godとしました。全ての習慣において、彼らは、健康と生命に関する[知識の]欠如を現しました。そして、その結果として、彼ら自身の活動の悪い道が間違いなくその結果をもたらした時、病気が彼らに訪れた時に、神Godが病気の創始者だったと自分に信じ込ませました。危険な事態で彼らが医者を呼んだ時に、医者の手に自分の体を委ねて、そして、医者が自分達を良くしてくれるだろうと信じました。医者は彼らに有毒薬剤drugsを与えています。彼らは、その性質を何も知らず、盲目的な確信によって、その医者が「与えるものから選んでもよい」としたどれをも鵜呑みにしています。このようにして、害を耐えた身体組織体系を回復するためとして、自然生命力とその味方をする全ての作用を拘束する強力な毒物poisonsがしばしば投与されています。そして、その患者はこの生き方をせきたてられています。

 わずかですが、元気をなくしたある母親は、家事労働を休み、安静と休息を取って、短い期間に食物を断食したら回復したかもしれないのですが、その代わりに、内科医にかかりました。ところが、彼は、分別を持って、いくつかのシンプルな指示、食事制限、正しい人生行路の道を処方する用意をすべきなのに、どれも全く怠って、治療代を得られるかをものすごく心配しています。

 

[2.天は生きることを望んでいる]

 その内科医はそのケースを一つの墓にしています。そして、もしも彼が病気だったならば、彼は、自分自身に危険を冒さないような、彼の毒薬poisonsを処方しています。ある患者は容体が悪化しています。有毒薬剤はごく普通に処方されています。自然生命力はその作用の能力が果てて、そして、その闘いを諦め、そして、その母親は死んでいます。彼女は殺されるために有毒薬剤を与えられdruggedました。彼女の身体組織体系は、医薬品remedyのレベルを超えた毒に満たされpoisonedました。彼女は謀殺されました。隣人達と関係者達は、彼女の子ども達が彼女の多くの世話を必要としていた期間、彼女の有用さが求められている真っ最中に、一人の母親を取り去った摂理/神の驚くべき接遇を不思議に思いました。彼らがこの人間の苦悩の重さをその背に投げかけた時に、私達にとって善であることと天の父の知恵を誤解しています。天[の神]は、その母親が生きることを望んでいました。そして、彼女の早すぎる死は神の名誉を汚しました。その母親の悪い習慣と彼女の存在に属する法則への不注意は、彼女を病気にしました。そして、時代の最先端を行き、彼女の身体組織に導入されたその医師の有毒薬剤は、彼女の生存期間を閉じさせました。そして、無力で、打ちひしがれた、母親のない子どもの一群が残されました。

 それらのことにはいつも、医師の薬剤投与に付随した結果が存在しているのではありません。これらの薬剤-毒物を服用する病気の人々は、良くなったことを現しています。誰かに、その上に導かれる、回復の休息の期間を取って、その病気の身体組織からその毒を排出すると思われる、自然生命力natureのための十分な生きる力が存在しています。しかし、その作用によって自然生命力が隠されたためだけで、その有毒薬剤を服用することが許される保証はないでしょう。その保証の全ては自然の回復力に帰属されるでしょう。

 その病人は、回復するかもしれませんが、また、自然生命力の強い作用は、その毒薬、害された身体組織、短くされた患者の生命に打ち勝つための活動を引き起こすことを求められました。有毒薬剤の影響下でも死ぬことのない多くの人々がいます。しかし、役に立たない難破船の残骸のように、絶望し、悲観的な、あわれな苦悩のもと、自分にも社会にとっても重荷となって残された人々がいます。

 

[3.健康の原理は大切な学習]

 もしも、これらの毒薬を服用する人々はその苦しむ人々だけだったならば、その悪はそんなに大きくないでしょう。しかし、両親達は有毒薬剤を服用することによって自分自身に対して罪を犯しているだけではなく、彼らの子ども達に対しても罪を犯しています。彼らの質が低下した状態の血液は、身体組織全体に分配された何かの毒物、様々な有毒薬剤による病気を有毒薬剤の結果として彼らの子孫に伝えられ、気の毒な親譲りの体質として彼らに残されました。それは、人類の退化のもう一つの大きな原因となっています。

 有毒薬剤drug-poisonsを投与することによって、内科医達は身体的・知的・道徳的な人類の価値の低下を強めています。みなさんが行く所ではどこででも、身体的障害者や精神的・道徳的な障害者、病人、知的障害のある人々を見ることができるでしょう。多くの場合、それは、誰かの生命の病のための医薬品remedyとして、一人の医師の手によって処方された有毒薬剤drug-poisonsに直ちに遡ることができるでしょう。医薬品として呼ばれたものは、ある患者にとって、厳しい苦痛の体験によって、その有毒薬剤が引き起こした病気よりもはるかに悪いために、それが恐ろしいことを証明しました。一般的な能力を持っている人々は皆、自分の身体組織体系が欲していることを理解する必要があります。健康の原理は子ども達のための大切な学習の一つとして整えるとよいでしょう。人体の組織体系を理解すること、知的な男性達と女性達が自分自身の内科医であり得ることは、全ての人々に重要なことです。もしも、その人々が原因から結果を推測するならば、また、彼らの上に輝く光を追うならば、彼らは、健康が保証され、死する運命が少なくなる一つの道を得るでしょう。しかし、その人々はあまりにも弁解の余地のない無知のままの思いでいます。そして、自分自身の事情にある特別な責任を取る代わりに、自分の身体を医師達に任せています。

 

[4.実例1(家族を失ったある父親)アヘン・水銀剤]

 この重大なテーマ/人体実験subjectのいくつかの実例が私の前に現されました。一番目は、父と娘の家族でした。娘が病気で、父親は彼女にたまった多くの問題を抱えていて、父親は病室に内科医を呼びました。その父親が医師を病室に招き入れると、彼はすごい怒りを表しました。その内科医はその患者を診察し、ちょっと言いました。彼らは病室を去りました。父親はその内科医に「その母親、息子と娘を葬りました。そして、この娘はこの家族から去ったら全員です」と説明しました。彼は、自分の娘の希望のないケース考え、その内科医に怒りを込めて尋ねました。

 最初の内科医は、その時、それらのすでに死んだ病気の期間とその性質について尋ねました。その父親は、自分の愛した人々の病気の経過の痛ましい出来事について語りました。「私の息子は初めに高熱に襲われました。私はある内科医を呼びました。彼は、“すぐに熱を下げる薬剤medicineを投与しましょう”と言いました。彼はその強力な薬剤を息子に与えましたが、その結果に失望しました。その高熱は下がりましたが、私の息子は重篤な病気になりました。その同じ薬が再度、良くなるためのどんな変化をもたらすことなしに、息子に与えられました。その内科医は、その時、さらに強力な薬剤を手段にして使いました。しかし、私の息子は救命されませんでした。その高熱は彼を去りました。しかし、彼は回復しませんでした。彼は急に弱って死にました。

 「突然で予期さえできなかった私の息子の死は、私達みんなの、特に母親の大きな悲しみでした。彼の病による心配、彼女の看護、息子の突然の死による彼女の悲しみは、彼女の神経質な身体組織体系にとって、あまりに大きなものでした。私の妻は間もなく衰弱してしまいました。私は、この内科医が取った治療方針に失望を感じました。彼の技に対する私の信頼は揺らぎ、そして、この次に、私は彼に頼まないつもりです。私は、苦しむ妻のために、ほかの内科医を呼びました。この[二番目の]内科医は「彼女の痛みを和らげるだろう」と言って、一度に多量のアヘン[訳者加筆。ケシの果殻から採取。モルヒネ、コデインなどを含んでいる。鎮痛、催眠作用がある。日本では1954年に法律で栽培を禁止]を彼女に与えました。そのアヘンは彼女の意識を朦朧とさせました。彼女は眠りに陥って、死んだような昏睡から目覚める様子がありませんでした。彼女の脈と心臓は時に激しく鼓動しました。それから、脈と鼓動は、彼女の呼吸が停止するまで、段々と弱くなっていきました。こうして、彼女は、家族に別れのお礼もできずに死にました。この二度目の死は、私達には耐えがたいものに思えました。私達はみなひどく悲嘆にくれました。私は酷く苦しめられました。慰められないでしょう」。

 「次に、私の娘が苦しみました。悲しみ、不安、そして、不眠は、彼女が耐えられる能力を超えていました彼女の体力は尽き果てて、彼女はベッドで苦しみました。私は、今、自分が頼んだ二人の内科医に信頼を失いました。

 もう一人の内科医はこの病気の治療に成功する医師として私に勧めました。彼は離れた所に住んでいますが、私は彼の治療奉仕を受けることを決心しました。この三番目の内科医は、私の娘の病態を理解すると明言しました。彼は“彼女は酷く衰弱しました。彼女の神経組織系統は混乱しています。高熱が彼女にありました。しかし、彼女の現在の衰弱した状態からコントロールされる状態になるまで時間がかかるでしょう”と言いました。彼は自分の能力によって彼女を元気にするための十分な確信を述べました。彼は、高熱を下げるための強力な薬剤medicineを彼女に与えました。これは達成しました。しかし、その高熱が去った時、その病状は、もっと警告を発している特徴を示しました。そして、もっと状態を悪化させました。変化の兆しが現れた時、その薬剤medicinesはその病状に合うように調整されました。新しい薬剤medicinesの影響のもとで、彼女は、ちょっとの間、意識が戻ったようでした。それは私達に希望を抱かせました。彼女は良くなるでしょう。彼女が悪くなる時、私達の失望がもっと苦くなるだけです」。

 「その内科医の最後の手段は、「Calomel」塩化水銀[訳者加筆:毒物。水俣病の原因物質。重篤な神経障害を起こす]でした。ある時、彼女は生死の間をさまよっているように見られました。彼女は痙攣に襲われました。これらの最も危険な状態の痙攣が途絶えました。私達は、彼女の知性が衰弱したという痛ましい事実に気付かせられました。彼女は、まだ、ひどく苦しんでいるけれど、ゆっくりと改善に向かい始めました。彼女に投与された強力な毒薬poisonsの効果として、彼女の手足は動かなくなりました。彼女は、自分で用が足せず、痛ましい苦悩者として、数年、続きました。そして、激しい苦痛の中で死にました」。

 この悲しい出来事に関連して、その父親は、その内科医を哀願するように見詰めました。彼に残されたたった一人の子どもを救うよう、彼に請い願いました。その内科医は悲しみと嘆きの目で見詰めました。しかし、処方箋を作りませんでした。彼は去るために立ち上がり、その翌日に呼ぶように言いました。(訳者加筆:たぶん「死んでから」という意味でしょう)

 

[5.実例2(ある女性)ストリキニーネ]

 別の場面が、私の前に現されました。私は、30歳くらいの女性のいる所に連れていかれました。内科医が彼女のそばに立っていて、「彼女の神経組織体系は調子が崩れました。彼女の血液は汚れて、悪い流れでした。彼女の胃は冷たく、不動の状態でした」と伝えていました。彼は、「私は彼女の状態をすぐに改善するような即効性のある医薬品remediesを与えるつもりです」と言いました。彼は、彼女に、ラテン語名「Nux Vomoka[訳者加筆:東インド原産の木マチンの種子から作られるホミン。ストリキニーネの原料。強壮剤。猛毒。少量は有効]と書かれた小瓶から出して一服の粉薬を与えました。私は、この患者に起こる結末がどうなるかを見詰めていました。それは順調に行っているように見えました。彼女の状態は良いように見えました。彼女は元気づけられて、快活に動いているように見えました。

 

[6.実例3(若い男性)水銀剤]

 私の注目は、それから、ほかのケースに注がれました。私は、高熱が出ていた若い男性のいる病室に導かれました。内科医は苦しんでいる人のベッドサイドに、「Camomel」(塩化水銀)と書かれた小瓶から取り出した医薬品を注ぎながら立っていました。彼は、この化学の毒を投与しました。しかし、一つの変化が起きたように見えましたが、しかし、良くはなりませんでした。

 

[7.実例4(ある女性)アヘン]

 さらに、私は別のケースを示されました。それは女性についてのものでした。彼女は酷い痛みに苦しんでいたように見えました。内科医がその患者のベッドサイドに立っていました。彼は「Opium[アヘン]と書かれた小瓶の中から取り出した医薬品medicineを投与していました。初めには、この有毒薬剤drugは知性mindに作用していたように見えました。彼女は奇妙なことを話しましたが、しまいに、静かになって永眠してしまいました。

 

[8.実例1の再度(家族を失った父親)自然生命力の作用]

 私の注目は、それから、最初のケース、妻と二人の子供を亡くした父親に向けられました。その内科医は病室にいて、その苦しむ娘のそばに立っていました。ところが、彼は医薬品medicineを与えずに、その部屋を出て行きました。その父親は、内科医がいた時、強く動いたように見えただけでした。彼はしびれを切らして求めました。「あなたは何もしないつもりですか。私の一人娘を死なせないでください」。その内科医は言いました。

 「私は、あなたがとても愛した妻と二人の子の死の悲しい歴史を伺いました。そして、あなた自身の口から聞きました。内科医達が尽力して、その手によって指示され投薬された医薬品medicineを使っている間に、3人はみな亡くなりました。医薬品は、あなたが愛した人々を救いませんでした。また、一人の内科医として、私は、[医薬品を]必要としていた人、死ななければならなかった人は、一人もいなかったとまじめに信じています。その人々は、自然生命力を衰弱させたそんな有毒薬剤を与えられなかったdruggedならば、回復したはずでした。しかし、最終的に、打ちひしがれてしまいました」。彼は、取り乱した父親にはっきりと言いました。「私はあなたの娘さんに医薬品medicineを与えることができません。私は、あらゆる障害を取り除き、身体組織体系のエネルギーを使い果たして、回復するための自然生命力を残して、自然生命力とその作用の助けを求めるだけでしょう」。彼は、従うよう細かく彼に課したいくつかの説明書をその父親の手に置きました。

 「その患者を興奮の機会から遠ざけ、落胆させると考えられるあらゆる影響を避けてください。彼女の看護人は快活で希望を持っている人がいいでしょう。彼女はシンプルな食事を取って、飲用にきれいな軟水(雨水)を豊富に許される必要があります。しばしば、屋根から集めたきれいな雨水を使って、やさしくマッサージをしながら入浴してください。陽光と空気が彼女の部屋にふんだんに入るようにしてください。彼女はじゃまされずに安静な時間を過ごす必要があります」。

 その父親はゆっくりとその処方箋を読みました。そして、その中にあるいくつかのシンプルな指示に驚きました。そんなシンプルな手段からの良い結果を疑いの目で見ました。その内科医は言いました。「あなたは、娘さんの生命の場所として、私の両手にある私のわざskillに十分な確信を持ちました。あなたの確信を失わないでください。私は毎日あなたの娘さんを訪問するつもりです。そして、彼女の病状の経過をあなたに教えて指導しましょう。確信を持って私の指導についてきてください。十分に回復しなかったとしても、私は数週間のうちに、あなたのためにとても良い健康状態が彼女に現れることを確信しています。

 その父親は、悲しげにそして怪訝そうに見つめました。しかし、その内科医の決定に同意しました。彼は、もしも彼女が医薬品を与えられなければ、自分の娘が死んでしまうに違いないと恐れていました。

 

[9.実例2の再度(ある女性)ストリキニーネの第二の結果]

 二番目のケースが、再び、私の前に現れました。その患者はホミカ「nux vomica[ストリキニーネの原料]の影響下で良くなって現れました。彼女は、上半身を起こして座っていました。彼女の体の周りにはぴったりとショールが巻かれていて、悪寒を訴えていました。その部屋の空気は新鮮ではありませんでした。それは温められていて、生気が失われて[酸素が不足]いました。新鮮な空気が入ってくるためのほとんどすべての隙間は、悪寒の苦痛があるという感覚から患者を保護するために塞がれていました。それは、特に、首の後ろと脊柱の下辺りに感じられたものでした。もしも、ドアが半開きになったとすると、彼女は神経質に見ていて嘆きました。そして、彼女は寒かったので、それを閉めるように頼みました。彼女はドアや窓からの空気の流入を少しもさせようとしませんでした。ある知的な紳士が彼女の上から気の毒そうに見つめながら立っていました。そして、このような言葉をプレゼントしました。

 「この[症状]はホミカ「nux vomica[ストリキニーネの原料]の第二の結果[副作用]です。これはその神経に特別な感覚を及ぼしました。また、それは神経系の全体に影響を及ぼしています。少しの間、その神経に加えられた活動力は増すでしょう。しかし、この有毒薬剤drugの効力として、悪寒と寝たきり状態があるでしょう。当然、有毒薬剤が刺激して生かす度合いは死か麻痺かという結果を残すでしょう。

 

[10.実例3の再度(若い男性)水銀剤]

 三番目のケースが、再度、私の前に現されました。それは、[塩化水銀]が投与されたある若い男性のものでした。彼はとても苦しんでいた人でした。彼の両唇は血色が悪く、腫れていました。彼の歯肉は炎症を起こしていました。彼の舌は厚く腫れていました。その唾液は大量に彼の口から流れ出ていました。前の話に登場した、その知的な紳士は、その苦しんでいる人を悲しそうに上から見ていました。そして、こう言いました。

 「これは、水銀調合剤の影響です。この若い男性は、全身の組織体系から毒物薬剤drug-poisonを排出を企てるため、この侵入者でありこの薬剤-毒物との闘いを始める十分な神経エネルギーが残っていました。多くの人々は、活動を開始するための十分な生命力が残っていませんでした。また、自然生命力は過度の力を使わされ、その作用も増やされました。そして、その被害者は死んでいます」。

 

[11.実例4の再度(ある女性)アヘンの第二の結果]

 四番目のケースで、「opium(アヘン)を与えられた女性が、再度、私の前に現れました。彼女は、寝たきりの長い眠りから目覚めました。彼女の知性は混乱していました。彼女はイライラして怒りっぽくなっていました。彼女の親友達によって知的障害を認められ、彼女の苦しみを和らげることが試せないと思われていました。彼女は、精神病者のようなとりとめのないことを言う錯乱状態になりました。以前の話に出てきたその紳士は、悲しそうにその苦しむ人を上から見詰めていました。そして、このような言葉をプレゼントしました。

 「これ[症状]は「opium[アヘン]を使った第二の結果[副作用]です」。彼女の主治医は叫びました。彼は、取り乱した彼女に増量したアヘンの一包を与え、また、彼女をひどくおしゃべりに、ほがらかにしました。彼女は、みんなを自分の周りに置き、彼女の身内と同じように、知り合い達に多くの感情を表現しました。彼女はまもなく不活発になり、意識が鈍った状態に陥りました。前に述べたその紳士は、上の方から、厳かにこう言いました。

 「彼女の健康状態は、彼女がものすごく取り乱した時と比べると、今とても良くありません。彼女は明らかに悪くなりました。アヘンというこの薬剤-毒物は、痛みからの束の間の息抜きを与えています。しかし、痛みの原因を取り除くことはしていません。それ[アヘン]は、大脳の意識を鈍らせているだけです。それぞれの神経からの伝達を受ける能力を放棄させています。大脳はこのように意識を失った状態で、聴覚・味覚・視覚が冒されています。アヘンの作用が消え去る時に、大脳は麻痺の状態から目覚めています。様々な神経は、神経組織系統の痛み以上に、神経組織系統がこの度を越え毒物を受け止めることに耐えていたので、大脳とのコミュニケーションを遮断されて悲鳴を上げています。全てに加えて、アヘンであれ、または、ほかの毒物poisonであれ、その患者に与えられた有毒薬剤drugは、そのケースを処理しにくくしているでしょう。そして、その患者の回復をさらに希望のないものにしているでしょう。麻痺させるために与えられたそれらの有毒薬剤drugsは、どんなものであれ、神経組織系統を錯乱させるでしょう。自然生命力が敵に勝つための目覚めがシンプルに始まり、そして、彼女[自然生命力]が為したことが彼女自身を去って、その神経組織系統に導入された存在物、薬剤-毒物によって10倍の弊害が作られました。自然生命力は、それ自身が破壊性の病気の一種の毒物薬剤drug――侵入者に――打ち勝つために、また、抵抗して戦うために、残っている生命力の通常以上の活動に力を注いでいます」。

 

[12.実例1の3度目(家族を失った父親)助けられた]

 私は、もう一度、最初の父親と娘のその病室に連れていかれました。娘は父親のそばに座っていましたが、快活で幸せで、彼女の表情に健康がにじみ出ていました。その父親は満足して幸せそうに彼女を見ていました。彼の表情は、一人だけの子どもが命を助けられた心の喜びを語っています。彼女の主治医が訪れて、そして、少しの間、その父と子と会話したのち、帰るために立ち上がりました。彼は、その父親に挨拶の言葉を語りました。それは、

 「私はあなたに健康を回復した娘さんをプレゼントします。私は、彼女に破壊されない身体組織構造(体質)を残すように、[有毒な]医薬品medicineを与えませんでした。[有毒な]医薬品は決してこのことを成し遂げないでしょう。[有毒な]医薬品は自然生命力の素晴らしいメカニズムを混乱させて、身体組織構造を破壊して殺しています。決して、救命しないでしょう。自然生命力は回復する力を持っているだけです。自然生命力は、消耗したその[自然生命力]エネルギーを補充することができるだけです。また、自然生命力の法則に合うように、不注意によって彼女が受けた損傷を修復するだけです」。

 それから、その内科医はその父親に「あなたは私の治療の方法に満足しましたか」と尋ねました。その幸せな父親は心からの喜びを述べて、満足して言いました。

 「私は忘れてはいけない一つの教訓を学びました。それは、痛ましいことでした。また、それはとても価値のあることです。私は、私の妻と子ども達は死ぬ必要がなかったと今確信しました。私の家族は内科医達の手にいる間に、彼らが使った有毒な薬剤drugsによって犠牲にされました」。

 

[13.実例2の3度目(ある女性)ストリキニーネ]

 私はそれから、ホミカ「nux vomica[ストリキニーネの原料。猛毒]が投与された患者の第二番目のケースを示されました。彼女は、椅子からベッドまで、二人の看護人に介助されて生活していました。彼女は手足の機能をほとんど失っていました。脊髄の神経は一部が麻痺していて、四肢は、その人の体重を支える力を失っていました。彼女は苦しそうに咳をしていて、苦しそうに呼吸をしていました。彼女はベッドに寝たきりで、間もなく、聴覚と視覚を失いました。このようになって、彼女は細々と生きながらえて、死にました。以前の話に登場したその紳士は、命のなくなった遺体を悲しそうに見つめていました。そして、この言葉をプレゼントしました。

 「ゆるやかに長引いたことは、ホミカが人体の組織体系に影響を与えていることを証しています。その導入時、その神経のエネルギーは、この薬剤――毒物――に立ち向かう異常な活動のために昂奮していました。この必要以上の昂奮は衰弱へと導かれました。そして、最終的な結果はその神経の麻痺状態になりました。この[有毒な]薬剤drugは全ての人に同じような結果をもたらしていません。強い身体組織構造を持ったある人は、その治療の人体実験subjectのような不当な扱いから回復しています。一方、ほかの人々、強い人ではなく、人体組織体系が衰弱しながら命を持ちこたえている人々は、一包でさえ身体組織体系に与えられてから決して回復しませんでした。多くの人々は、この毒物poisonの一包の効果以外に原因がないにもかかわらず死亡しました。それ[毒物]の効果は常に死に向かっています。その身体組織体系の状態は、その患者の命を決定するこれらの毒物がその中に与えられたその当時のままに残っています。ホミカは、手足の不自由や麻痺など、いつまでも健康を害する可能性があり、決して治療できません」。

 

[14.実例3の3度目(若い男性):水銀剤]

 第三番目のケースが、再び、私の前に現されました。それは、「calomel[塩化水銀]が投与されたある若い男性のものでした。彼はとても苦しんでいた人でした。彼の両唇は血色が悪く、腫れていました。彼の歯肉は炎症を起こしていました。彼の舌は厚く腫れていました。彼は、「この苦しみは言葉で表せないものだった。自分にとって、人生は大きな重荷だった」と言いました。前の話に登場した、その知的な紳士は、その苦しんでいる人を悲しそうに上から見ていました。そして、こう言いました。

 「これは、“calomel(塩化水銀)の結果です。それは、その中に[水銀の]微粒子が残っている限り、その身体組織体系を苦しめています。それ[水銀]はいつまでも生きています。生き続けている身体組織体系の中に長期間にわたって留まることによって、その特性は失われないでしょう。それは、関節の炎症を起こしていて、時には骨の中にも炎症を引き起こしています。それが身体組織体系の中に導入された数年後に、しばしば、それ自身が様々な腫瘍、潰瘍や癌腫の中に見られることがあります」。

 

[15.実例4の3度目(ある女性):アヘン]

 四番目のケースが、再び、私の前に現されました。その患者は「opium[アヘン]を投与されていました。彼女の表情は血色が悪く、その両方の瞳はガラスのように生気のないものでした。彼女の両手は、中風の手のように震えていました。そして、彼女は、全ての人が彼女に反対して団結していると想像しているように、すごく興奮しているように見えました。彼女の知性は完全に難破船のようでした。彼女は不十分な方法でとりとめのないことを言っていました。その内科医が呼び出されて、これらのひどい行動をじっと見ていました。彼は、もっと強力な「opium」(水銀。毒物)の一包を患者に与えました。そこで、彼は「彼女にしたことはこれでよし」と言いました。彼女のとりとめのないうわ言は、彼女が完全な毒物中毒にさせられるまで、減りませんでした。彼女は、それから、死んだように昏睡状態になって過ごしました。以前に書いたその紳士はその患者を上から見て、悲しそうに言いました。

 「彼女の日々は数えられました。自然生命力の努力は、この毒poisonによって、何度も、打ち負かされてきました。その生命の力は、この有害な毒薬を身体組織体系から取り除くためとして、自然の理に反する行動を繰り返して説いて勧めた存在者[医師]によって、枯れ果てました。自然生命力の努力はおおよそ途絶える存在です。やがて、その患者の苦悩の人生は終わるでしょう」。

 

[16.自然生命力が真の内科医]

 多くの死は、ほかの多くの原因が含まれた死よりも、有毒薬剤drugの服用が原因で起こりました。この国の何千という場所に、真の内科医がいたならば、多くの人の早すぎる死は防げたでしょう。無数の内科医達と無数の薬剤は、この地上の住民達の不幸のタネ/呪いとなりました。そして、何千、何万という人々をまだ時が来ないのに墓に送りました。

 あまりにもしばしば大量に食べて食欲を甘やかすことは、消化器官に負担をかけて、身体組織体系の一つの興奮状態をつくりだしています。その血液は、汚れた状態になり、様々な種類の病気が生じています。一人の内科医が遣わされ、彼は救命のためにある有毒薬剤drugを処方しています。しかし、その有毒薬剤はその病気を治療していません。それは、病気の形態を変化させるでしょう。しかし、その本当に悪いことが増えるでしょう。自然生命力は、蓄積した不純物をその身体組織体系から取り除くために、新鮮な空気やきれいな水のような天からの普通の祝福に助けられて、そのために残されている最善を尽くすでしょう。そして、迅速で安全な救命という効能を現すでしょう。

 そのようなケースで苦しんでいる人々は、自分達を良くするようにほかの人々ができないことを、自分のためにすることができるでしょう。彼らは、自分達が自然生命力にかけている負荷を取り除くことを始める必要があります。その人々はその原因を取り除く必要があります。最初に、少しの間、そして、胃に休息のチャンスを与えます。水の応用を慎重に理解することによって、身体組織体系の熱っぽい状態を元に戻しましょう。これらの努力は、身体組織体系の不純物を排除するために闘っている自然生命力を助けるでしょう。しかし、一般に、痛みに苦しんでいる人々は我慢できなくなっています。彼らは、自制を利用することと、少しの空腹を我慢することを快く思っていません。彼らは、身体組織体系の過剰なエネルギーを作り出す自然生命力のゆっくりとしたプロセスを待つことにも快く思っていません。しかし、彼らは、内科医達の処方でかつて軽減を得るために決心し、強力な有毒薬剤drugを取り入れています。自然生命力は自分の良い働きをしました。そして、勝利したでしょう。しかし、その働きを為して遂げている間に、異なった有毒性の要素が導入されました。何というミステイク(間違い)でしょう。傷つけられた自然生命力は、一つに対抗してではなく、二つの悪幣に闘っています。自然治癒力は、身体組織体系に新しく導入された侵入者を排出するために、断固として取り組み、抱えた働きを残しています。自然生命力は、その方策を描くことに問題を感じています。そして、自然生命力は衰弱しています。

 有毒薬剤drugは決して病気を治療しません。それらは、病気の様態と部位を変えるだけです。自然生命力だけが効果的な回復者です。そして、有毒薬剤が除かれたならば、それ[自然生命力]は、どんなにかよい任務を果たしていることでしょう。もしも、傷ついた自然生命力が重圧のもとで耐えていたとしたら、また、最終的に大きな二重の任務を果たしたとしたら、そして、患者が生きていたならば、その手柄はその内科医に与えられるでしょう。しかし、もしも、自然生命力が身体組織体系から毒を排除するその努力に失敗したならば、そして、患者が死んだならば、それは、「先見の明のある方」の不思議な摂理と呼ばれています。もしも、その患者が、新鮮な軟水を利用することを理解し、[一定]期間に自然生命力の荷重を取り除くコースをたどったならば、有毒薬剤――死の摂理は全部退けられるでしょう。もしも、その患者が、自分の食事療法にさらに厳しい主治医である必要を感じないとしても、水の利用は少しですが成し遂げることができるでしょう。

 多くの人々は、健康の法則に違反して生きています。また、自分達の健康に反映する、食べること飲むこと、働くことなどの自分達の習慣について無関心です。彼らは、体がうずいて痛み出し、自然生命力が苦しめられて不当な扱いを受けていることに抗議するまで、自分達の本当の状態に目を向けていないでしょう。もしも、その時でさえ、苦しんでいる人々は、その正しい働きを始めるだけでしょう。水と適切な食物という彼らが怠ってきたシンプルな手段に訴えるでしょう。自然生命力は、それがかつて望んでいたものを得るように、単に手助けするだけです。もしも、このコースが取られたならば、その患者は一般に衰弱した者となることなしに、回復するでしょう。

 

[17.自然生命力の薬剤排出]

 有毒薬剤drugsが身体組織体系の中に導入された時、しばらくの間、人々は有益な結果を得たように見えるでしょう。ある変化が生じるでしょう。しかし、その病気が治療されたのではありません。それは、何かほかの病状を現しているでしょう。自然生命力が身体組織体系から有毒薬剤をdrugs排出する努力において、激しい苦痛が時々患者にもたらされます。治療と称して有毒薬剤drugesを与えられたその患者は見えなくなるでしょう。しかし、皮膚疾患のような、皮膚潰瘍、痛みを伴った病気、時には、より重篤で死人のような病状など、新たな病状が現れるだけでしょう。その肝臓や心臓、そして、大脳はしばしば有毒薬剤drugesに冒されています。また、それらの臓器はみな、病気と、[非人間的な]酷い人体実験によって負荷がかけられていて、彼らが生きているために病気にさせられ、弱り果てて、あわれな存在として苦痛にさいなまれて過ごしています。有毒な薬剤drugesの代償はなんと大きいものでしょうか。その代償はとてつもなく大きいものです。自然生命力はその全ての作用をそこなわせられました。その全体の秩序を乱されたメカニズム(組織/仕組み)は、生命/人生の将来性のある期間に、これらの素晴らしい機能が損傷を受けた時、連合によって最も重要な部分の活動をするように、頼られるために存在しています。[ところが]それら(メカニズム)は、自分達の仕事を難なく立派にやり遂げることができません。システム全体が[損傷による]欠陥を感じています。健康な状態にあるはずのこれらの臓器は衰弱させられ、血液も汚れてきています。自然生命力は抵抗力を保持しています。その患者はほかの軽い慢性の病気でも苦しんでいます。自然生命力に突然の機能低下があるまで、死は訪れません。病気で死んだだろう人よりも、有毒薬剤drugsを使用することから自然生命力がなす働きを失わされて、死ぬ人がたくさんいます。

 非常に多くの人々の命が、未知の病気のために、内科医が投与した有毒薬剤drugsによって犠牲にさせられてきました。その内科医達は、患者達が苦しんでいた病気に関する詳しい真の知識を持っていませんでした。しかし、内科医達は[治療]することを[医学教育の]ほんのわずかの期間に知ることを期待されていました。そして、彼らが活動すると、直ちに、イライラしている友人達に彼らがまるである病気を完全に理解していたかのように考えられていました。なので、医師が真の知識を持っていない病気の患者を治療するために、その病人と友人達の間違った意見を満足させるように、実験と試験で試された医薬品は投与されて当然でした。自然生命力は、それが身体組織体系から排除できない有毒な薬剤drugsによって負荷をかけられていました。内科医達は、しばしば、「有りもしなかった病気に強力な薬剤medecineを使った。死はその結果だった」と自分では確信していました。

[18.自然生命力と水治療]

 内科医達は非難されて当然の存在です。しかし、彼らは間違った人というだけの存在ではありませんでした。自分自身の病気、もしも、自分達が患者になったら、規定食を取ることと少しの我慢をすること、また、良くなるために自然生命力に時を与えることなどを行なって、どのような薬剤medicineを使用することなく、間もなく回復に導いたものでした。自然生命力は唯一、治療の力を持っています。薬剤medicineは治療の力を持っていません。しかし、それは、自然生命力の作用を最も全般的に妨害しているでしょう。自然生命力は、なんといっても、回復の働きをして当然です。ある病人は早く良くなろうとしています。そして、その病人の友人達は我慢できなくてイライラしています。彼らは薬medicineを持っているでしょう。そして、もしも、彼らが感じている考えに彼らを導いている自分達の間違った見解で、身体組織体系への強い影響を彼らが感じないと、彼らは我慢できずにほかの内科医に替えるでしょう。その交替は時々、悪い結果を増やしています。二種類の対症療法が認められず、身体組織体系は医薬品remedyを超えた毒を与えられているので、彼らはもっと命取りになるような最初と同じ危険な薬剤medicineの道に進んでいます。

 しかし、多くの人々は、きっと、水の有益な効能を体験したことがなく、天の大きな祝福の一つを利用することを恐れているでしょう。水は、高い熱が自分達を害するだろうと心配しつつ、それが続く人々の苦しみを追いやってきました。もしも、彼らが高い熱の状態だったなら、水は欲しい時に飲むよう与えられてきました。そして、さらにその応用は[体の]外側からもなされました。昼も夜も長く苦しんでいる人は救われ、そして、多くの貴重な命が助かったものです。しかし、何千となく多くの人々が、焼き尽くすような高い熱の流行で死にました。その高熱の燃料が燃え尽きるまで、彼らの燃えるような渇きを鎮める水を飲むことを許されることなしに、人々の生命が燃え尽き、深い苦悩のうちに死にました。意識を消すための流行の一つとして許されている死に水は、命を飲み込むその火を消すために人間に許されていません。大群衆が、人間の存在に属している法則を考えることを怠り弁解ができずに残されています。私達人類はたいそう虚弱で、多くの人々がたいそう早死にしているので、さ迷っています。その原因はないのですか。人体の組織構造を理解していると言っている内科医達は、両親達やかわいがっている自分の子ども達、自分の仲間達に、打ち砕くために、あるいは、わずかな気分の悪さにさえも、緩慢な毒poisonsを処方しています。確かに、彼らは、それらの事柄の悪弊と、このようなことをしないことに気づくことができていません。その毒poisonの効果は、すぐに判明しないでしょう。しかし、その毒は確実に人体組織体系の中でその働きを為して、人体の組織構造を蝕んでいて、自然生命力の作用を害しています。自然生命力は悪弊を修正しようと働いています。しかし、しばしば、修復しがたいものが、とてつもなく多量に生じてしまいます。このような状態になった人々は、いつも病気が存在していて、いつも多量の与薬されています。そしてまた、もしも、みなさんが彼らの会話を耳にしたならば、彼らは自分が利用して確信しているので、彼らが使ったその有毒薬剤drugsをほめる言葉やほかの人々に使うよう勧める言葉を聞くことでしょう。有毒薬剤drugsの影響による健康破壊の十分な証拠があるかもしれないし、益があると言い張る人々がいつも衰弱している、軽い慢性の病気の不快さが続く、血色の悪い表情などから、それなりに、原因から結果を推測できるように思えます。そしてまた、彼らが使ったすべての有毒薬剤drugsは彼らを治療しなかったということを彼らは見ておらず、多くの人々はたいそう盲目にさせられています。その有毒薬剤drugは世界中の多くの人々を病弱者にしています。しかし、それは、いつも不平を言う、短気、いつも病人、長く離れて不幸です。そして、ほかの人々に忍耐の行動をいつも求めるためだけに生きているように見えます。有毒な薬剤poisonous drugsは、自然生命力が支えている命を放棄することを嫌っているので、即座に人々を殺しませんでした。自然生命力はその抵抗力を弱めようとはしません。また、これらの有毒薬剤使用者は決して良くなりません。

 

[19.新しい有毒薬剤の危険性]

 市場にある際限のない様々な医薬品medicine、新しい有毒薬剤drugsと調合薬mixturesに関する豊富な宣伝広告、それら全てについて、広告は「素晴らしい治療をします」「それらが人に益する所では、何百人も殺します」と言っています。病気のある人は、患者ではありません。人々は非常に強力な調合薬の性質を何も知らないのにもかかわらず、様々な医薬品medicinesを使うでしょう。全ての医薬品medicinesを、彼らはもっと希望のない回復をしようというだけで使うでしょう。また、人々は服薬を続け、そして、死ぬまで悪化し続けています。ある人は、全ての行事に医薬品medicineを持参してくるでしょう。彼らがそれらの有害な調合薬や様々な命取りになる毒poisonsを服用するのは、その人自身の責任でしょう。神に仕える人々は、たとえ、現された苦しみを和らげることをするとしても、あとで身体組織体系に有害な結果を残すだろうということを知っている医薬品medicinesを投与してはいけません。

                      『生き方』No.3,pp.49-64


 

4章 [自然生命力と空気・水・清潔]

 (原文には「見出し」がなくて読みにくいので、日本語翻訳には見出しを加えました。[ ]内は訳者が加えたものです)

 

 

 

 

[はじめに]

 ある家族に重い病気が入り込んだ時、その家庭では、自分達の健康状態を保つために、病気に対して自分達で要塞を築くように防御策を実践して、各自が厳しく個人的に清潔や食事に配慮する必要があります。最も大切なこととして、当然ながら、病人の部屋が換気されていることは最も重要です。病室で長い時間を送ることを強いられる人々を良い状態に保つことは、病人に益をもたらすでしょう。

 

[1.室温の管理]

 その部屋の温度ひとつでさえも知っていることは、病気の人に大きな価値があります。これ[温度]は、もしも、看護する人の判断を除いたら、正しい温度について最善な判断は存在しないので、いつでも正しく決められません。ある人々は、ほかの人々よりも高い室温を求めます。温かい部屋だけが快適だという人もいるでしょう。しかし、ほかの人にとって温かい部屋が不快だということがあります。この人々がお互いに自分達の考えに合うような温度に[ストーブの]火を自由に調節すると、病人の部屋の温度は少しも一定にならないでしょう。時々、その病人にとって、温かいこととほかの時間には寒すぎることが苦痛のタネとなるでしょう。それは、その病人にもっとも悪い結果をもたらすでしょう。心配し見守っているその病人の友人達、看護する人達は、夜の就寝中に突然に起こされ、睡眠を奪われて、病気の人の部屋で世話をする人は、冷えて震えるでしょう。このようなことは、病気の人の部屋の健康的な温度を指摘するものではありません。これらの事柄は、ちょっとした話題に出るだけでしょう。でも、人々は、病気の回復のために多くのことをしています。多くの実例において、病気の人の部屋の温度の急激な変化によって、命は危険にさらされてきました。

 

[2.新鮮な空気ときれいな水]

 快適な気候の時でも、病気の人が新鮮な空気の十分な供給を奪われることがないようにしましょう。その人々の部屋は、直接外気が流れ込んで人々を冷気にさらすことのないように、窓やドアが病室の中から開けることができるようには造られていないものもあるでしょう。そのようなケースでは、部屋に設置してある窓やドアは中から開けられる必要があります。このようして、新鮮な空気がその部屋に入って、その病人によって、[呼吸に]使用されるようにしましょう。新鮮な空気は、医薬品medicine以上に病人に益なことを証するでしょう。また、新鮮な空気は食物以上に病人のために必要な要素です。新鮮な空気は良いことを為すでしょう。新鮮な空気は、食物によって奪われたものを間もなく回復するでしょう。

 病人をよくすることは、まさにその人々が必要としていた医薬品medicineとしての新鮮な空気だった時に、あたかも、空気は死をもたらす敵のひとつだったかのように、多くの病弱者達は、陽の光と生き生きとさせる天空の新鮮な空気を遮られ、何週間も何か月も閉鎖された部屋に閉じ込められてきました。身体組織体系は、[新鮮な]空気の不足のために、弱くされ、病気にされました。また、自然生命力は、蓄積した不潔な物質の負荷に圧倒されていました。さらに加えて、内科医達によって処方された流行の有毒薬剤poisonsに自然生命力が圧倒され、その[自然生命力の]作用が打ち破られ、そして、その病人が死ぬまでずっとそうでした。その人々は生きることができて当然でした。天はその人々の死を望んでいませんでした。その人々は、自分自身の無知、友人達の無知、そして、内科医達の無知と詐欺の被害者として死にました。その内科医達は流行の毒薬poisonsを投与し、[役に立つような]「生きている臓器を活性化し、血液をきれいにし、そして、身体組織体系の悪い状態を克服する自然生命力の役割を助ける、呼吸のための新鮮な空気、きれいな飲み水」を与えませんでした。代金や料金を払わず得られるよう、天が提供した身近にあるこれらの価値ある医薬品remediesは、価値のないものとしてだけではなく、命取りとなる危険な敵とさえ考えられました。一方、毒物は、内科医達によって処方されて盲目的に信頼されました。

 何千となく多くの人々がきれいな水、新鮮な空気を与えられなかったために死んできました。その人々は生きていたことでしょう。自身とほかの人々にとって重荷の存在となっている、何千となく多くの生きている虚弱者達は、自分達が主治医から指示された医薬品remediesに依存して生きていると考えています。その人々は、きれいな水の使用を避けて、新鮮な空気に対しても自分を遮蔽し続けています。彼らは良くなるためにその祝福された[水や空気]を必要としています。もしも、彼らが光を照らされて教えられて、医薬品だけではなく、戸外での活動に自分を慣れさせ、夏や冬に、住む家に空気を循環させ、飲用や入浴の目的で雨水を利用るようにすると、有毒薬剤を使って不幸になった一人のあわれな存在としてではなく、比較的良くなって幸せになるでしょう。

 特に高熱の病と肺の病の重篤なケースで、病人自身が健康に特別な配慮をするようなケアは、病室の中で世話をする人達と看護をする人達の特別な義務です。ある人は病室に厳しく閉じ込められる必要はないでしょう。病室への閉じ込めと病気の状態の変化とケアを共有して注意深く理解している2、3人によって対応することは安全です。各々[病人]は、可能な時に、外気の中で活動する必要があります。これは、ベッドにいる病人の世話をする人にとって重要なことです。特に、病人の友人達が空気に関心を寄せ続ける階層だとすると、また、その病室の中に入ることを許されたならば、一人の敵意のある者として、窓を開けることやドアを開け放つことを許さないでしょう。その病人の世話をする人々は、このケースでは、その病人の友人達の許しがたい無知のゆえに、毎日、有害poisonousな空気を吸うことを強いられています。

 とても多くのケースにおいて、看護をする人達は、身体組織体系が必要とする空気、健康を支える新鮮な空気を呼吸すること、病室の汚れた空気を呼吸するために生命が害される影響との関係に無知です。このケースで、その病人の生命は危機にさらされていて、そして、その看護する人自身も病気になりがちで、健康を害し、もしかしたら命も[危機に]さらされています。

 

[3.換気の必要]

 もしも、高熱を発する病気がある家族に入り込んだ場合、しばしば、一人以上の人が同じ病気に罹ります。もしも、その家族の習慣が適切であれば、病気が存在する必要がないでしょう。もしも、彼らの食物が本来のようにあって、清潔な習慣を保っているならば、また、換気の必要に気づいているならば、高熱を発する病気は、家族のほかの者に広がる必要がないでしょう。家族の中でその高熱の病気 [の感染が]広がり、看護する人達がそれにさらされている原因は、その病人の部屋の有害な感染体を消毒せず、清潔を保っていないことにあります。

 もしも、看護する人達が健康の課題/人体実験に目覚めているならば、また、患者に関してだけではなく自分自身の益のために、その病人と同じように関係者の身内も、換気の必要に気付いているならば、病室の中に空気と陽光を採り入れることに反対する看護人達は、その病室を去るという良心をためらってはいけないでしょう。彼らは、病人への義務から解放された者と感じた方がいいでしょう。汚れた空気を呼吸することによって、病気に罹りやすい危険性や人々の命がさらされる危険性は、一人やそれ以上の人々の責任ではありません。もしも、ある病人が自分の間違った考えの被害者として倒れるならば、また、天の最も根本的な祝福の要素の数々を部屋から閉め出してしまうならば、そのようにしておきましょう。しかし、それ[天の祝福]は、生きることが当然の人々にとって危険を招くものではないでしょう。

 ある母親は、義務の感覚から、病室の家族の者を看るためにそこに[付き添って]残っていました。そこは、新鮮な空気が入ることを許されていなかったので、[その母親は]、ある病気に汚染された空気を吸い込んだために病気になりました。汚染された空気は、彼女の身体組織体系の全体に作用しました。長い苦痛な期間の後で、彼女は母親のない子ども達を残して死にました。この母親の同情と無私の世話を分かち合ったその病人は回復しました。やがて、その病人だけではなく病人の友人達は、健康を支えている新鮮な空気との関係について無知だったために貴い命が犠牲になったことを理解しました。彼らは、優しい母親の世話を受けられずに残され、悲しみに打ちひしがれている子ども達の群れを世話する責任を痛感しました。

 母親達は、時々、病気に汚染された空気が循環する部屋で、娘達が病人の世話をすることを許しています。その結果として、[彼女達は]ある期間に病人の看護をして当然でした。ある母親は心労と子どもの世話のゆえに、彼女も病気になりました。そして、一人か両方が死にました。または、家族の者達が打ちのめされていきました。または、病弱になって人生を苦しんでいます。病室の中にその原因があって、天空のきれいな空気を拒絶したことが原因で、悲嘆にくれた不幸の一覧表があります。この汚れた空気を呼吸する人々は、自分達の存在に属する法則に違反しています。そして、その害に当然のように苦しんでいます。

 

[4.見舞い]

 ある病人は、一般的なこととして、多すぎる見舞い人と訪問者に負担をかけられています。その人々は、病人が安静とじゃまされないで休息を取ることを必要としている時に、病人とおしゃべりし、様々な話題で会話を続けて病人を弱らしています。多くの人々は、自分の能力以上に負担をかけられて、自分を病気にしています。彼らの疲れ切った精力は負担となる仕事を増やすように強いられています。彼らは苦しみをベッドに持ち込まれています。休息してください。気苦労から解放されてください。陽光、新鮮な空気、きれいな水、食事制限療法などは、みな、人々を良くするために必要とされたものです。病人を見舞うことは、多くの人々に勧められている礼儀を欠いた間違った親切心です。しばしば、病人は、見舞う人々が来た後で、眠れなくて苦しい夜を過ごしています。彼らは、大なり小なり、興奮させられて、その反動で、すでに弱く衰えた精力に重い負担をかけられています。そのような流行の訪問の結果として、彼らは非常に危険な状態をもたらされています。そして、慎重な考えの欠如のゆえに、生命が犠牲になっています。

 見舞いを受けること、友人達が苦難の中にいる友を忘れないことは、時には病人にとって嬉しいことです。しかし、これらの訪問は喜ばれるかもしれませんが、非常に多くの実例で、これらの流行の訪問は、その病弱者が回復した時にその回数が減りました。そして、そのバランスは死ぬことによって低下しました。病人達に有用なことをなしえなかったこれらの人々は、病人への訪問を考える時に慎重さが必要です。もしも、彼らが良いことを何もすることができないならば、彼らは害することをするでしょう。しかし、その病人は無視されてはいけません。彼らは最良の世話と、友人達と親類との共感を持つ必要があります。

 

 

[5.病室と換気]

 多くの害は、夜、番をする人々の万人の習慣から病気という結果になりました。重篤な患者ではそれ[寝ずの番]が必要でしょう。しかし、この[寝ずの番の]活動によって、良いこと以上に多くの害がこの病人にしばしば為されました。病室の空気を閉じ込めることは、その習慣となっていました。そのような部屋の空気は、控えめに言っても、とても汚れています。それは病人の状態をひどく悪化させています。このことに加えて、生命に必要なわずかな空気を使用することについて、ドアや窓の隙間から病人の部屋へ入る空気の通り道を見つけ出して、生命に必要なわずかの空気を使うことを番している一人か二人がいることは、この生命力を彼ら[空気]から取り上げていて、彼ら[空気]が以前に持っていたよりももっと弱くされた彼ら[空気]とにして使い古しを残しています。弊害はここで終わりませんでした。一人の付添人が多かれ少なかれ空気を揺り動かしたことでさえ、それが病人を不安にしました。しかし、二人の番人がいる所では、しばしば、彼らは共に会話をしました。時に大きな声で、いつもは小声の調子で話しますが、それは、大声で話すよりも、病人の神経を興奮させ、悩ませていました。

 夜に目覚めて苦しむ多くの人々は、番人のその思いやりのなさに我慢させられています。もしも、病人が[石油ランプ]の明かりなしに一人残されたなら、みんなが休んだことを理解しています。病人は眠りにつくために自分自身を鎮めるでしょう。そして、翌朝、彼らは爽快に目覚めるでしょう。病人の多くの人々はこの点にとても無知ですが、病室で生命に必要な空気を呼吸している全ての人々は多大で正当な報いに属する存在です。彼らはこの点においてとても強い憂慮を感じています。そして、その内容が何かを知らないでいます。病人の部屋に新鮮な空気を取り入れることは、彼らに幸福感をもたらして活気づける影響力を持っているでしょう。

 しかし、もしも、彼らが空気を恐れていて、この祝福から自分自身を閉ざして離しているならば、彼らに届くことが許されるほんの少しの空気は、付添人達や[石油]ランプの灯芯にも使われず、消費されないでしょう。病人の看護人達は、可能ならば、隣の部屋で作業しながらその夜間に静かに休むために彼らを残して去るでしょう。

 不必要な全ての雑音や刺激するものは、病室では避けられる必要があります。また、家全体は、可能な限り、静かに保たれる必要があります。無知、怠慢、筋道がないなどは、[今も]生きていたかもしれない多くの人々の死の原因となり、[今も]生きている人々は正しい判断の看護人から適切なケアを受けました。そのいくつかのドアは、深い配慮によって開けられ、そして、閉じられる必要があります。そして、その付添人達は急かされず、冷静で、自制心を保っている必要があります。

 病人の部屋は、可能ならば、夜も昼も空気が流れていて、その流れは弱った人の上に直接当たらないようにする必要があります。高い熱が出て猛威を振るっている間は、カゼを引く危険性が少しだけあります。しかし、特別なケアは重篤になった時に不可欠です。やがて、高熱は去っていきます。定期的な見回りは、身体組織体系の生命力の維持に必要でしょう。その病人は、新鮮な活気づける空気を得る必要があります。もしも、ほかに方法を考案できないなら、その病人は、可能ならば、ほかの部屋に、あるいは、ほかのベッドに移すとよいでしょう。一方、その病室のベッドと寝具は、換気によってきれいにされたものとなっています。もしも、これらの病気の人々が、良い状態を残すために、陽光と空気の祝福を十分に満たされ、清潔の習慣を保つことに満たされるならば、その病人は、虚弱な状態の度合いによって、まだ大きな必要の中にいます。

 

[6.清潔]

 痛ましい苦しみの数々は、健康の法則にまじめに従って行動して、みんなが病気の予防に努めるならば救われるでしょう。清潔に関する正しい習慣は保ち続ける必要があります。多くの人々は、良い間は健康の状態を保つことに問題[意識]を持っていないでしょう。その人々は個人的な清潔を怠り、着用している衣服をきれいにしていません。不潔[な物質]は、いつも気づかれないうちに、毛穴を通って身体から出ています。もしも、皮膚の表面が健康な状態でないと、身体組織体系は不潔な物質によって負荷をかけられます。着用した服は、時々洗濯されないと、また、しばしば空気にさらされないと、身体から排出される汗の体感蒸泄[]と不感蒸泄[呼気]の不潔[な物質]によって汚れるようになります。もしも、着用した衣服はそれらの不潔な物質をしばしば洗い落とされないと、皮膚の毛穴が排出した老廃物を吸収するでしょう。身体の不潔[な物質]は、逃れることが許されないと、血液の中に戻されて内臓器官に力を及ぼすでしょう。自然生命力は、自分で有害な不潔を取り除くために、身体組織体系が自発的に作用します。その作用は病気と称される高い熱を出します。しかしながら、これらの高い熱で苦しんでいる人々は、自然生命力の作用に助けられるでしょう。きれいな軟水を利用することによって、多くの苦しみは予防されるでしょう。しかし、多くの人々は、身体組織体系にすでにある毒を取り除こうとして、このことをする代わりに、また、そこから有害な物質を取り除こうとして、死に導くようなもっと有毒な薬剤を身体組織体系の中に入れています。

 もしも、すべての家族の人々が、徹底的な清潔の有益な結果に気付いたならば、その人々は、家族の人々から、また、その家々から、あらゆる不潔を取り除くために特別な努力をするでしょう。また、家屋敷の清潔にもその努力を広げるでしょう。多くの人々は、家屋敷の周りに残っている腐敗した野菜の問題に苦しんでいます。彼らは、それらの事柄の影響に気付いていません。そこでは、それらの腐敗物の中から空気を毒している臭気がいつも立ち上っています。その不潔な空気を吸うことによって血液は害され、肺臓は冒されるようになり、身体組織体系全体が不健全にさせられています。病気のほとんどすべての類は、これらの腐った物質に冒された空気を吸うことが原因となっているでしょう。

 

[7.採光]

 いくつかの家族が高い熱を発する病気に罹りました。ある人は死にました。ある家族の内の残った一部の人は、悲惨にも身内が奪われた故に、彼らの造り主に反対して大抵つぶやいていました。彼らみんなの病気と死の唯一の原因は、自分達自身の不注意の結果でした。その人々自身の家屋敷についての様々の不潔[な物質]は、彼らに伝染性の病気と、彼らが神のせいだとした深刻な苦悩をもたらしました。健康を重んじる全ての家族は、全ての腐敗している物がある自分達の家と家屋敷を清潔にする必要があります。

 神は、イスラエルの子らは家族の人々やその衣服の不潔を許すケースがないよう命じました。個人的に何かの不潔[な物質]を持っていた人々は、その宿営地の外に、夕方まで締め出されました。そして、彼らがそのキャンプに入ることができる前に、自分の衣服と自分自身を清潔にすることを求められました。さらに、主が近くを通り過ぎて、彼らの不潔を見ることがないように、彼らは、「野営地から遠く離して、彼らの家屋敷に不潔物を持たないように」と、神に命じられました。

 清潔について、神は、古代イスラエル求めた以上に、現在、神の民に求めているのはもちろんです。清潔についての無知は病気を引き起こすでしょう。病気であることと早すぎる死は、原因なしにやってくることはありません。治りにくい高い熱とすさまじい病気は、隣人達や町中に感染して広がりしました。それは、かつて、健全な社会と考えられていました。ある人は死にました。ほかの人々は、命にかかわる病気によって損なわれて、壊された身体組織構造(体質)が残されました。多くの実例において、彼らの家の裏庭は、家族達と隣人達によって吸い込まれるように、滅ぼす者の働き人達を含んでいました。「怠惰や前後を考えない」と証しされたことは、時に、獣のようで不潔です。また、健康上のそのような結果に対する怠惰は驚かされる存在です。そのような場所は、特に、夏には、石灰[酸性土壌中和剤・消毒]で、また、日々、土の上で燃やした灰によって清められる必要があります。

 いくつかの家は、その家族の健康や便利さ快適な生活以上に、訪問者を受け入れるためのプライドをより満足させるために豪華に立てられました。最も上等な部屋は暗さが保たれました。陽光と空気は締め出されて、天空からの陽光が豪華な家具を[色褪せて]傷めないようにし、カーペットを色褪せないようにし、額縁の絵画の光沢を失わないようにしました。訪問者が、応接室の席に着くことを許された時に、そこに漂っている地下貯蔵庫のような空気のゆえに、カゼをひく危険性がありました。応接間と寝室は同じ理由で、同じ手段によって閉められたままでした。陽光と空気を自由に注がれなかったそのベッドを使う場合には、その人が健康の代価を、時には、その人の命さえも払います。

 陽光と空気が注がれなかったいくつかの部屋は、しっとりと湿気のあるものになりました。陽光と空気によって清められていなかったので、ベッドとその寝具は湿気を吸収していて、それらの部屋の空気は有害な物が存在しています。様々な病気は、健康を害している居室・食堂・台所・寝室・浴室などのある一世帯分の邸宅からもたらされました。流行する訪問者がいなくなることに賛成して、健康を重んずる全ての家族の人々は、空気を入れ替えるでしょう。毎日、数時間、自分達の家の全ての部屋に、陽光を豊富に採り入れるでしょう。しかし、多くの人々は、しっかりと絞めきる流行に追随しています。彼らはその流行の奴隷になっていて、そして、流行から離れるよりも、病気に苦しみ、死にさえもしています。彼らは、自分達が蒔いたものを刈り取るでしょう。彼らは流行にのって生きているでしょう。そして、その結果として病気に苦しみ、医者に流行の毒剤を盛られているでしょう。そして、流行の死によって死んでいます。

 

[8.寝室と換気]

 寝室は特に換気する必要があります。その空気は陽光と外気によって健全にされるでしょう。雨戸は毎日数時間開けておきましょう。カーテンも開けて、その部屋の空気を害するものが何も残らないように、少しの間でも、外気が入るようにしましょう。

 多くの家族は、自分自身で[選んだ]行動の道によって自分達にもたらされた、喉の痛みや肺の病気、肝臓の不調で悩んでいます。寝室は狭く、一夜のための眠りに適していなくても、人々は、何週間も、何か月も、何年も、小さな部屋に住んでいます。そこに一つでも隙間があったら外気が入るのではないかと、彼らはその家の窓とドアを閉め切って、風邪をひくことを恐れています。彼らは、皮膚の毛穴や肺臓を通して、自分達の身体から放出された、有害で不潔、消費されつくした物質で充満するようになるまで、何度もなんども同じ空気を呼吸しています。人々が外気にしばらく当たった後で、締め切った部屋に入ることによって、その部屋の空気が不健全であることを確認する内容のテストが可能です。その時に、彼らは、肺臓の呼気を通して血液に運んでいた空気について、不潔さの考えを持つことができるでしょう。自分達の健康を不用意に扱う人々は、病気に苦しんで当然でしょう。みなさんは、陽光と空気を、天からの最も貴い祝福の一つのように考えてください。それらは害するものだとして、祝福を締め出さないようにしましょう。

 寝室用の部屋は、昼も夜も部屋を通る空気の循環があるように、大きく設計される必要があります。彼らの寝室に空気を考慮に入れなかった人々は、すぐに方針転換を始める必要があります。彼らは、カゼをひく危険性がない冬や夏に、それが可能な程度において、空気の循環を増す必要があります。肺臓は健康のために新鮮な空気を必要としています。

 夜の間に、自分達の部屋に空気の循環がまったくなかった人々は、通常、原因のわからない気だるさや熱っぽさを持って目覚めるでしょう。身体組織体系全体が求めたけれど得られなかったものは、空気、生命力のある空気です。朝に起きた時、多くの人々は、スポンジ浴をすることによって益を受けるでしょう。あるいは、手洗いに入れた水による簡単な手浴がもっと認められるかもしれません。これは、皮膚から不潔な物を取り除くでしょう。寝衣はベッドから一着ずつ取り除いて、空気にさらす必要があります。寝室を通る空気は一日中でなくても、窓は開けられ、雨戸もかたずけられ、室内の空気は数時間のうちに自然に換気される必要があります。この方法によって、ベッドと寝衣は空気に当てられて乾くようになるでしょう。そして、不潔な物質はその部屋から取り除かれるでしょう。

 

[9.家の周りの環境]

 家の周りに密集して混んでいて、陽光を遮る木々と生け垣は、空気の自然な循環を阻害し、降り注ぐ太陽の陽射しを遮るので不健全です。この結果として、湿気が家の中にたまります。特に、湿った季節に、寝室は湿気が多くなります。そのベッドで休む人々は、リウマチや神経痛、肺臓の不調に悩まされています。それは、通常、衰弱に行きつきます。多くの陰[をなす]木々の多くの葉を切り払いましょう。それがすぐに取り除かれないなら、有害な空気によって虚弱の[原因]となるでしょう。家から適切に離して植えられた木々や裏庭に植えられた低木は、飾りとなり、家族に幸と快活な影響を与えています。もしも、よく世話をするならば、健康を害さないことを表すでしょう。居住の場所は、可能ならば、高めの乾いた土地に建てるといいでしょう。もしも、家はその周りに水が溜まっている所に建てられると、ある時まで残っていて、そして、干上がった時、そこから有毒な腐敗物が飛散し、高熱を発する病気とマラリア熱による悪寒、喉の痛み、肺の病気、そして、高熱がその結果として存在するでしょう。

 多くの人々は、自分達がそうするように求めたので、神は自分達を完全に病気から守るだろうと期待していました。しかし、彼らの信仰は働きによって完全にされていなかったので、神は彼らの祈りを尊重しませんでした。健康の法則を破り続けるだけでなく、病気を予防するための努力をせず、自分自身のためにケアをしない人を病気から守るように、神は奇跡を働かせないでしょう。私達が全てをなす時、健康を持っていることが私達の側において可能な時に、私達は、祝福された結果がついてくることを期待できるでしょう。そして、私達は、健康を維持する努力のために、信仰によって神に尋ねることができるでしょう。もしも、主の名前がそれゆえに喜ばれ得るならば、主は、その時、私達の祈りに答えるでしょう。しかし、為すための働きを持っているということを全ての人々は理解しましょう。神は、健康の法則に対して、不注意と無頓着によって自分達を病気にする確かなコースを取る人々の健康を守るために、奇跡的な方法によって働かないでしょう。    『生き方』No.4, pp.54-64


 

訳者加筆:次の5章と6章の内容を理解するために18世紀の女性のファッションを紹介します。5章に「腕カバー」があります。右下のようなものと考えられます。大人も子供もウエストを締め付け、ドレスをフープで膨らませています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『図解 貴婦人のドレスデザイン』マール社 2013 p.190

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『子供服の歴史』東京堂出版 2016 p.138  


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『図解 貴婦人のドレスデザイン』マール社 2013 p.190

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『西洋服飾史』東京堂出 1999 p.111 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『装いのアーカイブス』日外アソシエーツ 2008 p.210

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     『アメリカ服飾社会史』東京堂出版2009 p.57


 

5章 [乳幼児の死亡原因]

 

 

 

 

 

[はじめに]

 道徳が低下したこの世代において、子ども達は、身体組織構造(体質)が弱められて生まれています。両親達は幼児と成人前の若者の死亡率の高さに驚いて「そんなに[高い死亡率]存在するのは、[知的な]能力を使わなかった[からだ]」と言っています。当時の子ども達は、現在の子ども達に授けられるよりも少ないケアによって、もっと健康でよく育っていました。また、今、子ども達がみんなそのケアを受けて、弱く育ち、衰弱して死んでいます。両親の良くない習慣の結果として、病気と知的な障害が人々の子孫に伝わってきました。

 

[1.頭を覆う習慣が原因]

 子ども達が生まれた後、彼らの存在に属する法則への軽率な不注意によって、子ども達[の健康]はひどく悪くなりました。もしかしたら、適切な世話と対処が子ども達の身体の健康を大きく改善するかもしれません。しかし、両親達は人々からすでに受けたあわれな習慣を考えて、幼い子ども達を[健康の]正しい道に向かわせ続けませんでした。子ども達に向けた両親の[健康の]悪い道は、彼らの人生を支える教訓の結果が生じていて、早すぎる死を備えています。これらの両親達は子ども達への愛情が欠乏していたということはありませんでしたが、この愛情は誤用されました。ある母親の幼子への世話の大きな間違いは、幼子を丈夫に育てることが母親の持っている義務であるはずなのに、彼女が幼子から新鮮な空気を奪ったことです。眠っている間、幼子の頭を覆うことは、多くの母親達の行動の一つです。そして、そこは、換気が必要な時なのにめったに換気されない温か過ぎる部屋でした。これは、肺と心臓の働きをひどく弱めることだけのために十分に存在していました。それゆえ、その子の身体組織体系全体が涙を誘うあわれな状態でした。空気の流れや、あるいは、思いがけないことや大きな変化から、幼子を守る世話が不可欠な間、その子どもは新鮮な活気ある空気を呼吸をできるように特別な世話が必要でした。子どもについて、不快な指示の慣例を育児に残さないようにしましょう。そのようなことは、成長した人よりも、乳幼児に最も危険なことです。

 

[2.体を締め付ける流行の服が原因]

 母親達は、健康ではなく流行fashionを考えて、幼子達に服を縫ってきました。幼子の衣裳部屋は、着やすさや快適さよりも、常に見栄え良く、上品に見えるように[服を]展示していました。小さくてかわいくてきれいな服を作るために、多くの時間が刺繍や不必要な装飾の手仕事に費やされました (訳者加筆。当時、家族の服は全て母親が手縫いしていました)。ある母親はしばしば自分の健康を犠牲にして、子ども達のためにこの手仕事をなしました。彼女は、気に入りの縫製作業を楽しんでいる時に、しばしば、目と神経に激しく負担をかけて、働き過ぎの傾向がありました。子どもに対すると同じように、自分自身の良いことのために自分の能力を大切にするという母親の神聖な義務に目覚めることは、しばしば難しいものでした。

 ショーとファッション(衣服の見栄えと服装)は、多くのアメリカ婦人が子ども達を犠牲に捧げている祭壇のデーモン(鬼神)です。もしも、健康が何かの報告と考えられる存在であるならば、ある母親は、着用にはまったく適さないのに、縫い上げに数週間を費やした流行のドレスに、人間性のほんの一部を縫い付けています。幼子達の衣服にその流行を続けるために、衣服のウエスト部は、その体あるいは心臓や肺の自由な動きを妨げる堅いバンドで締め付けられています。それは、目に余るほどの要望に応じて作られています。これを着せられた子ども達は、長い衣服のゆえに、不必要な重さを負うことを強いられています。子ども達は手足とその筋肉を自由に動かせていません。

 母親達は、堅い巻き帯がないと、[縫い上げた]子供服の外観が損なわれだめになることを恐れて、服の形を保つために幼い子ども達の身体を締め付けることが必要だと考えました。自然は自然自身の働きをすることを託されているのに、造られた特別な動物[人間]は外観が損なわれるようになっていますか。服に形を与えるためにバンドで周りを締め付けないと、幼い子羊達は外観が損なわれるようになっていますか。幼子達は繊細で美しい形をしています。人間の幼子達は、創造者の全ての手のわざに属する、最も完全で、最も弱い存在です。それゆえ、幼子の母親達は、幼子達の身体的・知的・道徳的[な側面]を育てる能力が存在するように、身体の法則について指導される必要があります。お母さんのみなさん、自然な姿は、みなさんの幼子達に締付用の帯やバンドを必要としない完全な形を与えています。神は、[幼子達を]あなた方の世話に委ねる前に、自然の中に美しい仕組みを保ち、それを十分に支えるために骨と筋肉を与えました。

 幼子の服は、食事を十分に取った後で、身体が[服によって]圧迫されないように、かなりアレンジ(作り直し)される必要があります。訪問者達のほめ言葉によって仲間達に紹介されるために、流行に添って作られた幼子達の服は、子どもに非常に害を与える存在になっています。その衣服は、独創的にアレンジされていました。それはしばしば、みんなにかわいがられるもので、一人からほかの人に伝わりました。子ども達にとってひどく不満足なもので、ものすごく窮屈に作られていました。しかし、そこには、それらのすでに名のあるもの[デザイン]よりも、一つの大きな害がありました。

 

[3.タバコの習慣が原因]

 ある幼子は、多くの人々の呼吸が原因となって、質の低下した空気にさらされていました。それは、成人した人の丈夫な肺によって[排出された]非常に不快で有害なものでした。その幼子の肺は苦しんでいました。そして、タバコを吸う人の腐った息によって害された部屋の空気を吸い込むことによって病気になりました。多くの幼子達は、タバコを吸う父親のベッドで寝ることによって、医薬品をはるかに超えた毒を盛られています。肺や皮膚の毛穴から排出されるタバコの有害な気体を吸うことによって、幼子達の身体組織体系はその毒に満たされています。緩慢に作用する毒のように、それは何らかの作用をしていて、脳と心臓、そして、肺を冒し、体力を消耗させ次第に衰弱させています。一方、それはほかのものにも、ひきつけ、気絶、麻痺、しびれ、突然死などの原因として多くの影響を与えています。愛する幼子を奪われた両親達は、その幼子を失ったことを嘆き、神の神秘的な摂理を疑いました。それは、その摂理がそれらの幼子達の死を意図していなかった時、とても痛ましくその人々を苦しめました。幼子達はタバコへの汚れた欲望の犠牲者として死にました。その両親達は、無知で確かな知識に乏しく、その嫌悪感のある毒によって、幼い子ども達を殺しています。タバコの奴隷にされた肺の全ての呼気は、その人の周りの空気に毒をふりまいています。幼子達は、神経組織体系を刺激する影響力の全ての事態から護られる必要があります。また、目覚めようと眠ろうと、昼であれ夜であれ、全て毒の害から、きれいで新鮮で健全な空気によって守られる必要があります。

 

[4.腕や両肩を裸にしておく習慣が原因]

 その他にある、幼い子達と若い人達の死亡の大きな原因は、幼子達の腕や両肩を露出しておく習慣にあります。このファッション(服装)はとてもじゃありませんが評価できません。それは、肺や脳の病気を誘発し、血液の健全な循環を妨げ、生命にとても近い部分、身体の冷たさを感じる敏感な部分の脇の下に空気を通らせ、腕と足を大気にさらして、何千人となく命の犠牲を払ってきました。訪問者が言う良識のないお世辞や見知らぬ人のほめ言葉がなくても、自分の子ども達の価値ある健康を考慮する人々は、かわいい幼子の腕や両肩に、衣服をあてがうでしょう。ある母親の注目はしばしば、子どもの紫色の手と腕、健康と命を害する行動について、向けられていました。そして、その答えは、しばしばこうでした。「私は、いつも、この方法で子ども達に[袖付きの]服を着せています。子ども達はそれを着慣れています。私は、乳幼児達が[袖無し服で、腕だけを覆う]カバーで覆われたその腕を見ることにがまんできません。それは、古い流行に思えます」。これらの母親達は、衣服のことで危険にさらさないように、デリケートな幼子達に衣服を着せています。彼女達は、もしも、幼子の腕にカバーがなくて、露出していると、冷気で震えるかもしれないと理解しています。か弱い年齢の幼子達は、損傷を受けずに硬くなるこの過程の努力ができますか[できませんね]。ある子ども達は、自分達の命を犠牲にすることなく、そのような虐待に対して耐えることが可能なとても丈夫な身体組織構造で生まれるかもしれません。しかし、胸と肺よりも、服を着せることが必要だという理由で、命の中枢部から離れた部位にある露出された腕に、巻布bandagingの習慣と身体に過剰なsurfeiting衣服を着せる習慣によって、何千人となく犠牲にされ、何万となく虚弱な人生、寝たきりの根拠を持ちました。母親達は幼子達に平安と健康を期待できますか。誰がそのように世話をすることができますか。

[5.かつて母親達は医者の役割]

 腕や脚が冷えた時、血液はそこから肺や頭に運ばれています。その循環は遅くさせられて、そのため、自然の素晴らしい機能は調和した動きをしません。苦痛を強いられた不当な扱いのゆえに、幼子の身体組織体系は調子を乱され、幼子は泣き叫んでうめいています。ある母親はおなかが空いたのに違いないと考えて、幼子に食べる物を与えています。食べ物はその苦痛を増しているだけです。[衣服の]締付バンドと胃への過重な負担は感心するものではありません。幼子は呼吸のための余裕の空間がありません。乳幼児は、呼吸のために暴れてあえいで、泣くでしょう。また、その母親はその理由を推測もしないでしょう。もしも、彼女がそのケースの性質を理解したならば、彼女は締め付けていた巻き布を緩めて、その苦しみをすぐに和らげようとするでしょう。ところが、彼女は、緊急事態に気が付いて、子どもが病気だと考えて医者を呼びます。その医者は、しばらくの間、その幼子を深々と見つめています。それから、指導に忠実な母親が不当に扱って幼子の喉に流し込む、有毒な医薬品、あるいは、鎮静強壮と言われている何かを取り出します。もしも、幼子が以前から本当に病気でなかったのであれば、それ[病気になったの]はこの過程の後です。今、幼子は、有毒薬剤によって、いろいろな手に負えない不治の病気に苦しんでいます。もしも、幼子が回復しても、大なり小なり身体組織体系にその有毒薬剤の結果が現れて当然です。幼子は、けいれん、心臓の病気、脳の浮腫、衰弱などを起こしやすくなります。ある幼子は、ほんのわずかの毒薬でさえも撃退する強さがありません。弱い幼子の自然生命力は、侵入者に立ち向かって撃退するためには、あまりにも厳しい負荷をかけられています。そして、死がそのシンーンの結末です。

 母親が幼子のか細い鳴き声を聞きながら、幼子が息を引き取る苦悶を目撃している時、息絶えていく幼子、彼女の心の苦悶のトーン、悩みのゆりかごの周りから立ち去りがたい母親の思いを窺い知ることは、この世界の、この年代に特殊な光景ではありません。神がその母親の無垢の子どもをこのように苦しめることは、その母親にとって神秘のように見えています。彼女は、自分の間違った道がこの流行の悲しい結果をもたらしたとは考えていません。彼女はまさに幼子に毒を与えた時に、彼女は確かに自分の幼子が持っていた命を滅ぼしました。病気は原因なしに決してやってくることはありません。その道は、始まりが用意されています。病気は、健康の法則を無視することによって招かれています。神は幼い子ども達の苦しみと死の中に喜びを抱いていません。主は、両親に、この世界で役に立つために、そして、天において奉仕するために、子ども達を身体的、知的、道徳的に教育訓練をすることを委ねています。

 もしも、ある母親が、自分の子どもの身体的な必要を考えることに無知なままでいるならば、その結果として、彼女の子どもは病気になるでしょう。彼女は、幼子を病気にした彼女の働き人[医者][の毒薬処方]に逆らって、神が奇跡を働くかもしれないと期待する必要がないのにそうしました。何千となく、生きていられたかもしれない幼子達が死にました。幼子達は、食べ物、呼吸と衣服、生命と健康を支えることなどに関するその両親の無知の犠牲者です。かつての世代の母親達は、自分の子ども達のための医者の役割をしたものでした。彼女がその乳児の衣裳部屋を特別に飾ることに[時間を]充てたその時、彼女は自分の身体の必要を考え、彼女の精神/心を教育して、高貴な目的に[時間を]費やす必要がありました。母親の活動の道によって、この世代の子が害を受けたり益を受けたりするだろうという考え方から、彼女は子ども達を健康的に育て続けることができるよい道を考えて、役に立つ知識を心/精神の中に蓄え続ける必要がありました。

 

[6.母親は不快の理由を学ぶ]

 いらだつ乳児達という難しい問題に直面した母親達は、乳児達の不快や不安の理由を学ぶ必要があります。そのようにすることによって、母親達はしばしば自分達の世話や対処の仕方の何かが悪いのだということを知る必要があります。ある母親は子どもに現れた病気の徴候に怯えるようになるというケースがしばしばあります。そして、急いで内科医を呼び出します。その乳児の苦痛は、窮屈な服を脱がせることによって取り除かれたことでしょう。また、乳児の服を適度に緩めたり短くまくったすると、乳児は手と足を使えるでしょう。母親達は結果から原因を研究する必要があります。もしも、ある子どもがカゼを引いているとすると、それは、その母親の間違った世話や対処の責任でしょう。もしも、彼女が自分の頭にカバーをかぶっているならば、眠っている間に自分の体と同じように、ちょっとの間、頭は汗をかくでしょう。新鮮な、生命に必要な空気の欠如ゆえの呼吸がなされたことが原因でした。彼女がそのカバーの益からそれを得るとすると、それはほとんどカゼをひくために存在しています。裸のままの腕は、乳児をいつも冷気にさらし、肺や脳に過剰な負担をかけています。このようにさらすことは、その乳児に病弱と発育障害になる道を備えています。

 

[7.張り輪によって裾を膨らませたスカート]

 両親達は、自分達の身体的な健康のゆえに、大きな度合いで釈明責任があります。両親の不当な扱いを受けて、幼年時代を生き残ってきた子ども達は、その子ども時代の危機を脱しませんでした。彼らの両親はまだ彼らに対して間違った道を付きまとわせています。女の子達の両足は、腕と同じように、ほどんど[張り輪で裾を膨らませたために]露出されたままです。健康以上に流行fashoionに価値をおく人々は、スカートにいくつかの張り輪hoopsを付けています。その張り輪[のある服]は清潔さや健康上からも着心地のいいものではありませんでした。彼女達は、体の周りを覆う失敗からその[張り輪のついた]衣服を拒んでいます。母親達は、そこで、モスリン性のすそ飾りのついた長いズロースを子ども達の両脚の部分に着けています。それは、膝のあたりまで届きます。また、両脚の下の部分はフランネル(毛織)か木綿の厚手の一枚もので覆われています。また、子どもの踵は、市販の薄い長靴下を着けています。子ども達の衣服は、複数の輪によって体から[離れるように]保たれています。子ども達のドレスで十分な保温を受けることは子ども達にとって不可能です。子ども達の両脚は冷気にさらされ続けています。身体の先端は冷やされ、その心臓は冷やされた先端に血液を送るために二重の負荷をかけられています。その血液が全身を循環して心臓に戻った時、それは、同じく元気で温かなものではありません。それは、四肢を通っていた時に冷やされました。少ない血液と少ない循環、さらに大きな負荷をかけられたその心臓は、その時、身体のほかの部分と同じ温かさのない不健全な血液を身体の先端に送り出すために、とても苦しい働きを強いられています。その心臓はその働きに失敗しています。そして、その四肢はいつも冷たくなります。そして、身体の先端で冷やされた血液は、肺や脳に戻されています。そして、感染や肺のうっ血、脳の特別な結末などが存在しています。

 

[8.腕や脚を保護する服]

 神は、苦悩を強いられている子ども達の病気の理由について、母親達に釈明する責任を求めています。母親達は、子ども達の生活と健康を犠牲にして捧げるファッションの祭壇にひざまずいています。多くの母親達は、子ども達のこのような衣服の流行の結果について無関心です。しかし、彼女達は、そんなに多くの支持がどこにあるかを自分自身にも説明していないのではありませんか。理性的に考える能力のある人は、あなた方の無関心をそのまま許せるでしょうか。もしも、あなた方が決心するなら、自分の子ども達に健康的な服を着せることを自分自身に説明することができるでしょう。

 両親達は、子ども達に外套や毛皮コートを着せているけれど、ほとんど露出している特別な保護の必要のある身体の先端をそのままにていて、そのような必要でない[と考えた]身体の各部に衣服を着せないでいて、まるで、自分の子ども達が健康でいるという期待を捨てているかのようです。身体の一部por-tionsは、生命の泉(心臓?)the life springsのそばに接していて、活気のある臓器から遠い所にある四肢よりも覆う必要が少ないです。もしも、[体全体が]衣服を共有するならば、身体の四肢と足踵を肩、肺、心臓よりも、いつも特別に覆うことができて、血液の健康な循環がその先端のためになされて、活気のある諸臓器がその役割を健康的にするでしょう。

 私は、母親のみなさんにアピールします。子ども達の次のような症状、顔色の白い子、成長の遅い子、カタル(鼻粘膜の炎症)の悩み、インフルエンザ(流行性感冒)、クループ(咳を伴う病気)、顔や首のリンパ節結核腫脹、肺と脳の炎症と充血などを緊急事態や心臓の病気と考えないのではありませんか。原因から結果を研究したことがありますか。子ども達のためにシンプルな栄養の食物を用意していますか。動物性油脂とスパイスを避けていますか。子ども達に、流行による衣料品を指示していませんか。不十分な保護を放置された腕や脚は、多くの病気と早すぎる死の原因となりました。あなたの女の子達の踵足feetと腕が、男の子達と同じ方法で暖かいものを着せられる理由がありません。冷気にさらされて鍛えられて、戸外での活動に慣れた男の子達は、女の子達よりも薄着の時に寒さに負けることなく活動しています。それゆえ、大空の下は男の子達の自然な生息地であるように思えます。デリケートな女の子達は、暖められた空気、室内の生活に慣れて、締め切って暖房された部屋の中にいてから、冷気からよく守られたことがめったにない脚と踵足で、彼女達が保温された部屋から戸外に出て行きます。外の空気は、間もなく彼女達の両脚と踵足を冷やすでしょう。そして、病気への道を用意しています。

 

[9.ウエストに緩みのあるドレス]

 あなたの女の子達は、ウエストに十分な緩みのあるドレスを着る必要があります。彼女達は着こなしやすく、着心地も良く、清楚なドレスのスタイルを選ぶ必要があります。寒い季節には、彼女達は暖かいフランネル(毛織物)や木綿のズロースを着ましょう。それは、膝上までの長靴下stockingの下にはくことができます。さらに、温かい裏地のついたズボンpantsがあります。それは、バンドで留めたら、十分でしょう。足首の周りはきちんとボタンで止めて、靴に合うよう細くします彼女達のドレスは、膝の下に届くようにしましょう。このドレスのスタイルによって、軽いスカート一つと、一番重いスカート二つは必要なものの全てです。そして、これらはウエストにボタンで留められるでしょう。靴は底が厚みがあって、履き心地の良いものがよいでしょう。このドレスのスタイルによって、あなたの女の子達は、あなたの男の子達よりも、外気の中でも危険がないでしょう。彼女達の健康は良い状態で、冬でも、ストーブで暖められた部屋の閉じられた空間に監禁されるよりも、もっと戸外で過ごすために存在しているでしょう。

 両親達が着ているよう服を子ども達に着せるdressことは天の目には一つの罪です。彼らがすることのできる唯一の弁解はファッション(服装)です。彼らは、一つの物だけで、四肢をきつく巻き付けることによって、自分の子ども達の四肢をこのように冷気にさらすことを謙虚に願うことができません。彼らは、健康で真に活動的であることを願うことができません。ほかの人々はこの健康と命を奪う行動に従い続けるので、それは、[ドレス]改革者達のスタイルを真似するゆえに許されないでしょう。あなたがたの周りの全ての人々が健康に有害な一つのファッション(服装)を追っているので、それは、ほんの少しも、あなたの罪を許さないでしょう。あるいは、あなたの子ども達の健康と命のためのどのような保証にもならないでしょう。   『生き方』No.5,pp.66-74


 

6章 [ドレス改革の必要]

 

 

 

 

 

[はじめに]

 私の姉妹のみなさん、私達の間にドレス改革の必要があります。現在の女性のドレスのスタイルには、多くの間違いがあります。きついコルセットやクジラのひげを着け[て膨らませること]ること、ウエストを締め付けることは健康に有害で、それゆえ、女性にとって罪sinです。それらは、心臓や肝臓、肺臓の機能を低下させる影響力を持っています。身体組織体系全体の健康は呼吸に関連のある臓器の健全な活動に依存しています。何千となく多くの女性達は自分の身体組織構造を台無しにしてきています。健康的で自然な形を不健康で不自然な形にして、健康で自然な形を不健康で不自然にする努力によって、自分達の体に様々な病気をもたらしました。彼女達は、自然を修正する真剣な努力よって改作された自然に満足しませんでした。自分達に上品なアイデアをもたらし[ましたが]、彼女達は自分のドレス製作に失敗しました。そして、単なる難破船のような残骸を残しています。

 多くの女性達は、重いスカートを腰に吊り下げて、大地の様々な物を引きずっています。それらは重さを支えるために形作られたものではありませんでした。最初の場所では、重いキルト製のスカートは決して着られなかったでしょう。それらは不必要で、非常に悪いものです。女性用のドレスは、両肩から吊されるのがいいでしょう。信徒達の間のドレスに広く均一性があったならば、それは神に喜ばれるでしょう。以前にある友人達によって採用されていたそのドレスのスタイルは、最も反対の少ないものでした。彼女達の多くは、逆戻りしました。彼女達は色の均一性も守るでしょうが、また、彼女達は行動の行き過ぎとプライド(自尊心とうぬぼれ)を甘やかし、そして、彼女達のドレスは最も高価な生地になりました。彼女達の平服の色の選択と衣服の控えめで清楚なアレンジメントは、クリスチャン達によって模倣[される]価値があります。

 

[1.神の民の衣服のマーク]

 イスラエルの子らは、エジプトを連れ出された後、彼らの周りの民から区別するため、また、彼らが神の所有する特別な民であることのしるしのために、彼らの衣服の縁にシンプルな青いリボンを付けるようにと命じられました。現代の神の民は、その衣服に特別なマーク(商標)を付けることを求められていません。しかし、新約聖書の中で、私達はしばしば、例として、古代イスラエルについて言及されています。古代のその民のドレスについて、神がそのように明白な指導を与えたのであるならば、この時代の神の民のドレスに神の注目が注がれないでしょうか。この世界の人々との違いが彼女達のドレスに存在しないでしょうか。神の特別な宝、主の民は、神の栄光のために彼女達のドレスにさえ求めないでしょうか。また、それらのシンプルなスタイルがプライドや世俗的な虚栄心と贅沢、自称娯楽愛好者を抑制することによって、彼女達[のドレス]はドレスの適切な模範とされないでしょうか。神は、主の民にこのことを求めています。プライド(自尊心とうぬぼれ)は、主の言葉によって譴責されています。

 

[2.神の民の礼拝服]

 しかし、ドレスと、プライドに同調し続けている階層の人が存在しています。その人々は自分自身の服装に無頓着で、またある人は衣服の不潔なこと、形を整えることや試着なしのドレスが美徳だと考えています。そして、彼らの服装はしばしば、彼らの人格にそれが漂って、光っているように見えています。彼らの衣服は汚れていて、また、そのような人はプライドを味方にして語っているでしょう。彼らはプライドによって上品さと清潔さの等級を付けています。彼ら[そのような人々]は、シナイ山の周りに集まっていてそこで語られた律法を聞いた多くの人々の間に存在していました。彼らは、荘厳で雄大さの中で与えられた主の律法を聞くための準備、「彼らに自分達の衣服を洗わせなさい」という、神の戒めに従わなかったので、イスラエルの会衆から追い出されたことでしょう。

 シナイ山で主ヤハウェ(hwhy)によって語られた神の十戒は、不潔な習慣で、秩序を乱す人々の心の中で生きることができません。もしも、古代イスラエルの人々が、聖なる律法のその宣言を聞こうとしなかったのならば、また、自分達の衣服を洗って主ヤハウェ(hwhy)の命令に従わなかったのならば、神聖な律法は、清潔でない人々と清潔でない衣服、あるいは清潔でない家の人々の心に、どのようにして記されることができるでしょうか。それは不可能です。彼らの宣誓は天に届く高さに存在しているでしょう。また、それは一本の麦のストローほどの価値もありません。それらの影響は信徒でない人々に嫌悪感を引き起こしています。もしも、彼らが、ずっと、神に忠実な民のグループの外側に残ったならば、いいでしょう。神の家は、そのような宣誓をした人々によって名誉が汚されています。神を礼拝するために安息日に集まる全ての人々は、可能ならば、礼拝する家の中で着る、清楚で、型が良く、相応しいスーツを持つ必要があります。彼らがほかの衣服を得ることができる時に、彼らが農場で働いていた間、彼らがその週に着た同じ服を安息日に着ていることは、「安息日は主とその名誉に属した聖である」と宣誓しているこれらの人々が、神と安息日と主の家を汚すものの一つです。もしも、主の安息日を全身全霊で栄誉をたたえる価値ある人々が存在しているならば、神の礼拝、衣服の交換ができない人にそれができる存在にしましょう。安息日用スーツとして捧げ、彼らは、神の家で清潔を現すでしょう。相応しい服装、ドレスによる均一性は神の喜びでしょう。これらを高価な服装と上等な装身具の意味にまで拡大する人々は、通常、必要のないのに援助して配っていた財産を使って、神の愛する貧しい兄弟姉妹の清楚でしとやかな衣料品を得るために、少しの自己否定によって、また、彼らのシンプルな衣服によって、清い宗教の実例となることができるでしょう。

 

[3.天の御使いが出席]

 この世界の人々から分けて連れ出すという神の言葉によるアイデアを受けたある人々は、自分達の衣料品に無関心に違いありません。神を礼拝するために繫がる聖徒達の群れとして現れるために、その週の安息日のために彼らによって、ありふれた日よけ帽子をかぶり、同じドレスを着ることによって、その世界の人々と不一致の原則を持ち出していると考える階層の姉妹達がいます。クリスチャンだと宣誓しているある人々は、同じ見解によるドレスの問題と考えています。彼らは、自分の服はほこりまみれで固くなり、ほころび、穴が開いても、ぞんざいな礼儀作法が彼らの人格に身についていて、そのような状態で、安息日の神の民として集まっています。この階層の人々は、もしも、世界中の人々から栄誉を受けた「一人の友人」に会うために繫がったのであるならば、彼らはその友人に特別に気に入れられようとするでしょう。また、得られるかもしれない最良の服装で彼の臨在に姿を見せようと努力するでしょう。この友人が感じた侮辱は、不潔な衣服で、髪に櫛を入れず乱雑な姿で、彼の臨在に参加する彼らの存在でした。また、それらの人々は、偉大な神を礼拝するために安息日に集う時、彼らの[教会の]人々のその状態と彼らが現すドレスに問題は存在しないと考えています。彼らは主の家に集まっています。そこは、至聖所の聴聞室のようなものです。そこには、天の御使い達が出席しています。彼らの[教会の]人々と衣服の徴候に少しの敬意や崇敬があれば、それら全体の現れは、そのような男性達と女性達の品性や人格の特徴を表しています。

 この階層classの人々の気に入りのテーマは、ドレスに属したプライド(自尊心とうぬぼれ)です。彼らは、体裁、好み、そして、地位などをプライドとみなします。その[安息日の]ドレスについてそれらの間違いをした魂は、自分自身に、自分の行動と自分の配慮を語り掛けるでしょう。彼らは、無頓着で、しばしば、彼らの教会の兄弟[姉妹]の間で、そして、世間の人々との前で、また、自分達の家庭で、会話が足りませんでした。その[安息日の]ドレスは、また、その人々のそのアレンジは、通常、男性や女性の指標となって見られます。ドレスに無頓着でだらしないこれらの人々は、会話においてもめったに向上することがありません。わずかに洗練されたセンスしか持ち合わせていません。その人々は時々、変人や粗野、卑しいとみなします。

 

[4.地の塩、世の光]

 キリストに就く人々は、彼によって、地の民の塩のような、また、世界の人々の光のような存在として表されています。クリスチャンの感化力を保ち続けることなしに、この世界の人々は自身の頽廃の中に損なわれていくでしょう。クリスチャンだと宣誓した階層の人々が著したものを読んでください。その人々は自分達の教会の人々と自分達のドレスに無頓着です。また、ビジネスの取引にもルーズです。彼女達のドレスが、その流儀で洗練さがなく下品で、粗野を表す時、会話が乏しくなっています。同時に、彼らは、これらのみすぼらしい特性をクリスチャン生活の真の謙遜と見なしています。もしも、私達の救い主がこの地上にいたとするならば、地の人々のための特別な塩、この世界の人々のための特別な光としての存在を人々に示すだろうと、あなたは考えますか。いいえ、決して違います。クリスチャン達は会話力を高められ、つまらないお世辞や恩着せがましいことに罪があると信じて、彼らは礼儀正しく親切で、慈悲深いです。彼らの言葉は誠実で真実に属しているものです。彼らは自分達の兄弟[姉妹]達と世間の人々へのもてなしに信仰深い存在です。彼女達はドレスによって、余分なものと見せびらかしを避けています。しかし、彼女達の衣服は飾り過ぎず、その地位と品位の人々に相応しく、控えめで清楚でしょう。神の礼拝と、聖なる安息日を神聖とみなして示すために、特別な配慮が一つの手段によってドレスになされるでしょう。この世界の人々と、そのような一つの階層の人々との間の境界ラインは、全く間違われないでしょう(直訳。間違われるにはあまりにも明白に存在しているでしょう)。信徒達の感化力は、10倍も存在するでしょう。もしも、彼らの習慣にかつて無頓着でだらしなかった人で特別な真理を奉ずる男性と女性達は、ドレスの品の良さ、整理、清潔の習慣を守ることによって、その真理を通してとても高められ、清められるでしょう。私達の神は、清楚な神の一人です。そして、主は、滅びによっては、不潔によっては、あるいは、罪によっては、どんな方法であっても喜ぶことがありません。

 クリスチャンは、この世界の人々と異なった服装をすると、クローゼットに仕舞っている自分達の服を見ることに、[良心の]痛みを感じないでしょう。しかし、清楚で健全なそれらの服装を重んずると、自分達の服に流行外れを見つけたとしても、信仰心と義務感との調和によって、この世の人がするように、自分達のドレスを変えないでしょう。しかし、もしも、世間の人々がみな彼らと異なるならば、彼らは貴い自律性と正しく存在するための道徳的な勇気を現すでしょう。もしも、世間の人々が、清楚さや使いやすさ、ドレスの健全なモード(流行)を導入するならば、それは、聖書との調和の中に存在しています。そのようなドレスの一つのスタイルを適用することは、私達の神との関係、あるいは、この世の人々との関係を変えないでしょう。クリスチャン達はキリストについて行き、そして、神の言葉に自分達のドレスを順応させるでしょう。彼らは極端を遠ざけるでしょう。彼らは、賞賛や非難にもかまわずに、まっすぐに一つの道、謙虚を続けるでしょう。そして、それ自身の美点のゆえに、その権利や正義、正しいことを堅く信頼しているでしょう。

 

[5.極端に長いドレスとほかのドレス]

 婦人達は健康的で快適と思える衣服を自分の四肢につける必要があります。彼女らは、男性達と同じように暖かく手足と踵に着けられる必要があります。流行している女性のドレスの長さが気になるいくつかの理由があります。(訳者加筆。当時流行していた「長いドレス」は地面を引きずる長いドレスでした)

 1.その長いドレスを着ることは、非現実的で不必要である。それは歩道や通りのほこりを引きずるだろう。

 2.このように長いドレスは畑の草や通りの泥を引きずり、ドレスを不潔にする。

 3.[歩くと]そのドレスをかき回した状態になって、そのドレスは、動くたびに足首に接触する。足首は、十分に保護されおらず、すぐに冷える。カタル(カゼ)、結核性頸部リンパ節炎、健康と命の危険などの大きな原因の一つとなる。

4.不必要な長さは、腰と腸に過重をかける。

 ほかに、まだ、ドレス改革者と称される層の人々によって採用されるようなほかのドレスのスタイルがあります。彼女らはできるだけほとんど正反対の性[男性]を手本にするでしょう。彼女らは、フチなし帽子、ズボン(パンツ)、ベスト、コート、そして、ブーツを身に付けるでしょう。最後の物は、最も実用的な上下揃いの婦人服です。ドレスのこのスタイルを支持して応用する人々は、非常に不快な長さのあるドレス改革と言われているものを進めています。混乱がその結果として存在しているでしょう。この婦人服を採用するある人は、健康に疑問のある一般的な人々の見解によって正されるでしょう。もしも、彼女らがドレスの問題をそのような極端に持って行かないならば、はるかに良いことを成し遂げるための方法として存在しているでしょう。

 

[6.男性服と女性服]

 このドレスのスタイルによって、神の指示は逆転されました。そして、主の特別な指導は無視されました。申命記225「ある女性は、一人の男性に完全に属するものを着ないでしょう。そのようにする全ての者は、汝らの神、主に嫌悪感を持たれるので、一人の男性もまた一人の婦人の衣服を着ないでしょう」。神はこのドレスのスタイルを主の民に採用しなかったでしょう。それは清楚な婦人服ではなく、キリストに就く者だと宣誓する謙虚な女性達の清楚さにもまったく相応しいものではありませんでした。性達と女性達の間のドレスの区別を取り払うことを擁護しようとする全ての人々によって、神の摂理が軽くあしらわれました。この[ドレス改革の]目的が彼らの影響力によって損なわれるように、その極端な立場があるドレス改革者達によって取られました。

 神は、男性と女性のドレスの間の明確な違いが存在するように、意図designedしていました。そして、両方の性によって同じドレスが着られることは混乱の原因となり得るので、また、広く無分別な行動が増えるので、それについて、明白な指導を与えるためにとても重要な問題を考えていました。聖なる人、パウロは生きた一つの非難の言葉を口にしたでしょう。そして、ドレスのこのスタイルによって女性達の信心深さを明言していることを取り上げているでしょう。「また、同じ手段によって、婦人達は、つつましやかに節度を持って、自分達を清楚な服装で飾っています。髪を染めず、金や真珠で飾らず、高価な服でもなく、(それは信仰を告白した婦人になってからですが)、良い働きをしています」。クリスチャンの宣誓をした多くの人々は、その使徒のこの教えに全く無関心で、金や真珠を付けた高価な服を着ています。

 

[7.快適さが保たれるドレス]

 神に忠実な人々は、この世界の人々の特別な光、この地に住む人々の特別な塩です。彼らは自分達の影響力が価値を持っているということをいつまでも覚えているでしょう。その人々は、極端に長いドレスと極端に短いドレスを変えるために存在していました。その人々は、とても広い範囲で、それら[二つ]の影響力を打ち破るでしょう。神の子羊に連れていくように努めることが自分達の有益な務めだということを信じない人々は、嫌悪感を引き起こされるでしょう。多くの[ドレス]改善者達は、見る人の嫌悪感に大きな変化を起こすことなく、健康を主張することで女性達のそのドレスになし得るでしょう。

 女性達のそのドレスのスタイルは、最小のコルセットやクジラの髭によって締め付けられないでしょう。そのドレスは、肺臓と心臓の動きがまったくしやすいものです。そのドレスはブーツの上端よりやや下に届くでしょう。しかし、それは、手で持ち上げなくても、歩道や通りで汚れないように十分に短いでしょう。なお、これよりも短いドレスは、彼女達が家事をする時、特に、多かれ少なかれ戸外での仕事をせざるを得ない女性達のために、女性に便利で、健康的で、相応しいでしょう。このドレスのスタイルの、一着の軽いスカート、あるいは、多くても二着のスカートは、必要な物の全てです。それらはボタンで、あるいは、肩ひもでウエストに留められるでしょう。腰は、重い荷物を抱えるように創造されませんでした。重いスカートが女性達によって着られていました。スカートの重みは女性の腰を下に引っ張っていました。その重いスカートは、様々な病気の原因として存在していました。それは、簡単に治りませんでした。それを悩んでいた人々は、それを引き起こした原因に無知であるように見えます。彼女らは、長い虚弱な人生になってしまうまで、重いスカートを着て、ウエストを締め付けて、自分達の存在に属している法則を破り続けています。多くの人々は、すぐに叫ぶでしょう。「なぜ、そのようなドレスのスタイルは時代遅れのファッションなのですか」。それは、ですが、何ですか。私達は多くのものを尊重して、時代遅れのファッションをさせられていたのだ、と私は思います。私達が、過去の世代の時代遅れのファッションの特徴を持つ婦人達のその時代遅れのファッションを強く持ってきたのならば、それは非常に望ましいことでしょう。私は、好みを甘やかせて婦人達が自分の着る服の方法について共に言う時には、軽率なことを言いません。が、彼女達が虚弱な病気の状態を現している重大な理由が存在しています。彼女が着ているように[ウエストを締め付けて]、彼女の手と足に服を着ている婦人が、千人に一人います。ドレスの長さがどうであれ、女性達は、男性達と同じく、余すところなく、自分達の手と足に服を着るでしょう。このことは、足首の周りをひもで結んで、あるいは、gade fullと底細りになるように集めた裏地のついたズボンを着ることによってなされるでしょう(This may be done by wearing lined pants garhered into a band and fastend about the ankle, or gade full and tapering at the bottom,)。それらは、靴に届くように十分な長さがあるでしょう。このように服を着た手足と足首は、外気の風から護られるでしょう。全身の組織体系を通る血液の自然な通り道で、それ[血液]は冷やされず妨げられないので、手足と踵が暖かな衣服によって快適さが保たれていると、血液の循環が等しくされるようになり、血液は健全できれいに保たれるでしょう。

                          『生き方』No.6,pp.57-64

 

          

 読者の注目は、かつてミセスホワイトが、以前からこの教会の衣装の意味は健康的、清楚さ、経済的、そして、クリスチャンのシンプルさとの調和だった、ということを持ち続けていた事実に注がれました。彼女は、また、ドレスの原則に結びつけられたそれらの中には、それは「この世代の人々に相応しい」ものであるという必要があることを認識していました。1897年、信頼できるセブンスデー アドベンチストの姉妹達が「預言の霊」の勧めに忠実なことによって、自分達が1860年代に適応された特殊なスタイルに戻る必要があるかどうかを質問した時、彼女は、「彼女達のドレスの全てのガイドの精密なルールとして」「正確なスタイルは一つもありません」と自分に与えられたと勧めました。彼女は「主は、改革ドレスに戻ることが私達の[教会の]姉妹達の義務だと示しませんでした」と書きました。彼女の立場の根拠を前面にした彼女の声明は、D.E.ロビンソンの「Story of Our Health Message(1955年版)の補遺pp.441-445に全文紹介されています。題目編纂者


 

補遺2 生きる仲間の選択の要素の重要性

 (「勧告」は辞職勧告など公的な制裁や裁きの意味が強いので、また、[counseling]では、カウンセリングを受ける人の意思を尊重するので、本書では[counsel]を「勧め」と訳しています)

 

         エレン・G・ホワイト遺稿管理委員会による声明

 読者が『セレクテッドメッセージ』の1、2巻に書かれている「読者への言葉」を精読する時、読者は、以下のことを観察しています。この2冊は数年に亘って与えられた勧めの文章から成っています。それは、パンフレットや定期刊行物の記事、[アシスタントによって]タイプライターで打たれたメッセージという方法によってある分野に届けられました。しかし、それは、彼女の死の前にエレン・ホワイトによって出版された『SDA教会への証』の勧めの9巻の中に引用されなかったものでした。この体裁の1958年版は、第3巻の「エレン・G・ホワイトの著作物の包括的索引」の中にこの2冊にある方法と引用を含んだ時に、時にかなった勧めによってこの教会に提供されました。

 第1、2巻の多くのページと、そのほかの著書の多くのページ、さらに、わずかな個々人のための個人的な証は、結婚による人生のパートナーの選択の質問に先見の明のある内容を扱っています。これらの勧めは、一つの幸、成功する結婚、結婚によって生まれる子ども達の幸福と福祉のために大切な要素を前面に置いています。それらは、また、その結びつきの成功を悪くするような要素を表しています。エレン・ホワイトは私達に「イエスは、幸せな結婚と幸せな団欒を見ることを望んでいます」(「Adventist Homep.99)と私達に確かに言っています。「人生の仲間の選択は、両親と子ども達のために、身体的・知的・霊的に最良の状態well beingをそれなりによく確保することが必要でしょう」(ミニストリーオブヒーリングp.357)と彼女は熱心に勧めました。

 その家庭に影響するこれらの著書の中に、以前の教会が守っていたものがあります。彼女は、特別に考慮した結び付きの感化をよく考えるように結婚のに向かってこれらを見るようにと呼びかけました。この目的のために、彼女は、そこには、自己中心や貪欲、近視眼的な決心が無いようにしましょうと訴えかけました(footnote」参照)。彼女は、「有益であり喜んでいる間に成し遂げる」(「手紙」4,1901)ために結婚を計画している男性達と女性達に呼びかけました。彼女は、観察しました。「多くの男性と女性はこの人生成功や失敗やその未来の生活への希望が始まるのは、結婚の時からです」(アドベンチストホームp.43)。

 エレン・ホワイトがとった矛盾のないことは、幸福な結婚の生命にかかわるほどに本質的なことでした。彼女が「生涯続く惨めさ」と書いたものは、彼らの結ばれた「お互いに適応しない」(「父祖達と預言者達」p.189(人類のあけぼの)からの結果でしょう。青年へのメッセージの中で、彼女は明らかにしています。

 「この世界は、今日、不釣り合いの結婚の結果による悲惨さと罪で満たされています。多くのケースで、それは、夫と妻の性質が決して調和できないと二人が気付くために数か月だけでなされています。そして、その結果はその家庭で不一致が広がったということです『ユースインストラクター』(1899.8.10)、『若い人々へのメッセージ』(p.453)、『アドベンチストホーム』(p.83)。

 彼女は、これらの結婚を熟考して、「若い人の健康を害」ってパートナーと子ども達の「身体的・知的な能力」を失う結果になるだろう「大きな年齢差」に対して警告を発しました」(『ミニストリーオブヒーリング』p.358)。

 エレン・ホワイトの結婚を熟考したパートナーの健康生命は、重要な一つの要素として強調しました。「病気がちの男性達はしばしば健康そうに見える婦人達の好意を得ています。その結びつきによって、多かれ少なかれ、夫の病気のために妻が苦しまなければならないという考えもなく、彼らは互いに愛し合っていたので、結婚に完全に自由を感じました。」(『セレクテッドメッセージ』book2,p.423)。それから彼女は、その問題を筋の通った結論に導いています。「もしも、結婚関係に入ったこれらの人々が関係に入っただけならば、その罪はそんなに大きくないでしょう。彼らの子孫は、彼らに伝えられた病気によって苦しみを強いられます」(前掲書)。自分達の家計を支えるために、結婚したそのパートナーの能力は、成功した結婚のために不可欠なものとして、エレン・ホワイトによって書き記されました。彼女は、「財産を得なかった」これらの人々と「財産を得るために、身体能力、あるいは、知的な精力のない人」、「結婚を嫌っていた人、正しいセンスを持っていないで責任を取っていた人」について指摘しました。しばしば、ひどく苦しむのは子ども達です。「これらの人々はビジネスのコツの深刻に欠如しています。この世界の人に沿って、得ることを少なくみなす人々は一般的に彼らの家庭に子ども達で満たしています」。それを彼女は強調しています。「相応しい食物と衣服、そして、身体的、知的な教育訓練を受けなかった人」は存在しなかったでしょう(前掲書、pp.420,421)。

 勧めが与えられた別の分野があります。ここに、異なる民族と文化的背景に属する男性達と女性達が結婚によって共に暮らすことがあります。そのように表された4人は、原稿の内容と出版された記録に存在しています。この例の4つのうちの2つは、第2巻の42章(p.343p.344)にあります。これらは1896年と1912年にペンで書かれました。それぞれ、この巻で出版されるために選ばれました。それらは、基本的な原則を表し巻き込みました。そのような結婚が勧められないような理由を明らかにしています。そのような結びつきは、簡単にそれが強調された「騒動と混乱」を起こすでしょう。ほかの理由について、彼女はそのような結婚は、彼らが子孫に負わしている「不利益」が存在するように見えて落胆させられる理由を4点を挙げています。そして、これは、「この生涯の遺産を彼らに与えた両親に対する苦い考え」に導いているでしょう。

             

[アメリカ]合衆国の有色の人々への働きに入るこの教会のリーダー達へ、ほかの二つの声明に属する、基本的なアピールの中心に表れているこの点の勧めの最初の発表は、1891321日にエレン・ホワイトによって作られました。記事の全文は「The Southern Work1966年版pp.9-18を参照してください。彼女はボールド体(太い書体)で、間違えようのない明白な文章で人類の兄弟[姉妹]愛について手書きし、礼拝においてみな神の前に平等に立っていたことを明らかにしました。同時に、彼女は注意の言葉の意見を伝えました。この声明の中に、教会リーダー達への彼女による[アピールを]読んでください。私達は下の文章を見出しています。

 「私達は有色の人々の中の魂の救いのための大きな努力をしてこなかったので、一教会として私達に罪が残っています。……みなさんは、みなさんの礼拝の場所から、有色の人々を締め出すための神からの許可を持っていません。キリストの財産として彼らを接遇treatしてください。その人々は、まさにみなさん自身と同じく存在しています。その人々はこの教会で白人の兄弟[姉妹]とメンバーシップ(会員の地位)を持つ必要があります。その人々になされてきた恐ろしい間違いを拭い去るあらゆる努力がなされる必要があります。同時に、私達はこの問題について、狂信に走って極端な事態を持ち込んではいけません。ある人々は、白人と異なる有色の人々との結婚、全ての障壁を打ち壊すことが正しいと考えるでしょう。しかし、このことを教えたり実行したりすることは正しいことではありません」(「Suthern Workp.15)。

 

 勧めに属するこの4つのメッセージは、特殊な地理的領域で出会った状況で、特別な時に書かれました。その一方、人々は、誰かがひどく嫌うような遺伝体質を子ども達に伝え、その結びつき(結婚)を危険にさらすような環境と要素について、結婚を熟考するというどんな警告にも耳を傾けなかったのでしょうか。

 これらの勧めは、それらを与えられた信徒達の中に存在していて、重要で、人生に先見の明のある経験、不安の要素の少ない活動のコースを表したもの、心痛に至らせてその結びつきを壊すことや害するような内容を配しています。エレン・ホワイトは、このように言っています。「イエスは、幸福な結婚、幸福な団欒を見たいと願っています」。

 繰り返されたその論述は、エレン・G・ホワイトによって、口頭でそして著作物によって明確に作られて出されました。その出版物は人類の不平等に属するものは存在しませんでした。彼女はずっと、天の記録の中に一つの人種の個人の名がほかの人種の一人の名のそばに配置してあって、そこに存在している人類の閉鎖的な兄弟[姉妹]愛を守り保ってきました。慎重に注意深く次の章の「補遺」を読んでください。タイトルは「人類の兄弟姉妹愛」です。

                 エレン・G・ホワイト遺構管理委員会

                    ワシントン,D.C 19678

       

 この指摘におけるもう一つの発表は、190118日付で書かれた黒い人種の一人とコーカソイドの人種の一人が結婚という結果になるだろうという計画を立てて人々を招いた若い男性への1通の手紙の存在です。それらの勧めは、1912年の類似したコミュニケーションとこの第2巻の42(p.344)に記録されたものが含まれています。しかし、エレン・ホワイトは、慎重に考慮した言葉を加えています。

 今後いつまでも人生の歩みを後悔する原因を持っているようなある少女との結婚によって、あなた自身を結合してはいけません。……

 熱望、自分本位、近視眼的な見方が存在している人間を創っています。あなた自身の判断を疑ってください。そして、神の判断に依存してください。喜んでいることと益になることとの間を見分けてください。神の御心に従ってください。……あなた自身の道とあなた自身の心に従っていると、あなたはイバラとアザミを見つけるでしょう」。  「エレン・G・ホワイト手紙」4,1901


 

補遺3 人類の兄弟[姉妹]

 

 

 

 

 

1.キリストは差別distinctionを認めなかった

 キリストは、民族や階級や宗教信条の差別を認めませんでした。……キリストは全ての障壁を打ち砕くために[この世界に]来ました。彼は、恵みと愛の贈り物giftは、地上[の生き物]を生き生きとさせる空気と陽光、降り注ぐ雨と同じく無制限に存在していることを示すために来ました。

 キリストの生涯は、ユダヤ人と異邦人、自由人と囚人が神の前で平等にありふれた兄弟[姉妹]愛によって結ばれている一つの宗教、そして、倒されることのない一つの宗教を確立しました。主の[人類救済]運動を推し進めた方針に間違いはありませんでした。彼は隣人達と見知らぬ旅人達、友人達と敵対者達に、差別をしませんでした。主の心に訴えた人は、命の水に飢え渇いている一人の魂でした。……

 主は、最も粗野で将来性のない人々に、罪の欠点やしみをなくするという可能性と、また、神の子らと同じような品性を現すことに到達するという可能性を保証して、希望を与えようと努めました。(He sought to inspire with hope the rouest and most unpromising, setting before them the assurance that they might become blameless and harmless, attaining such a character as would make them manifest as the children of God.)

               『ミニストリーオブヒーリング』pp.25,26

 

2.一つの兄弟[姉妹]

 キリストは、恵みと許しのメッセージを持ってこの地上に来ました。彼は、神の視点で平等と認められた、一つのありふれた兄弟[姉妹]愛によって共に結ばれた黒人と白人、自由人と囚人、ユダヤ人と異邦人による、一つの宗教の基礎を置きました。救い主は、すべての人間のために一つの際限のない愛を持っています。主は、一人ひとりに進歩と改善のための能力と余地を見ています。神性のエネルギーと希望によって、主はその命を与えた人々に応答しています。彼の力によって、人々は、聖霊の力に満たされた良い働きをして豊かな人生を送ることができるでしょう。       『SDA教会への証』第7p.225

3.創造と贖いによる家族

 民族や人種、あるいはカースト(身分制度)に関する報告において、[優劣]の区別は、神によって識別されていません。彼はすべの人間の造り主です。全ての人々は創造によって人類の家族に属していて、全ての人々は贖いを通して一つです。キリストは全ての隔ての壁を打ち砕き、神の神殿の全ての部屋を開くために来ました。全ての魂は自由に神に近づいたことでしょう。……キリストの中に、ユダヤ人だけではなくギリシア人、囚人や自由人が存在しています。全ての人々は彼の貴い血によって近くに引き寄せられています。(髙谷訳)

                     『キリストの実物教訓』p.386

 主は、目に映る全ての人々の中で、奴隷の境遇だった有色人種を最も哀れみを誘われて悲しんで見ています。彼は、私達に、彼らのための私達の働きの中で、自由と解放の祝福のための彼らの権利と、創造と贖いによるその人々と私達との普通のありふれた交流と、奴隷の境遇からの神意による救出とを覚えるようにと望んでいます。        『SDA教会への証』第7p.223

 

4.聖書の宗教の中にカーストや有色人種はない

 聖書に属している宗教はカースト(身分)や有色人種を識別していません。それ[聖書]は、階層、富、世間の評判を無視しています。神は人間達を人間達として評価しました(God estimated men as men.)主によって、品性は自身の価値を決めています(With Him, character decides their worth.)。そして、私達は、それが証しされた誰かによって、キリストの霊/精神を認識し理解するために存在しています。        『SDA教会への証』第9巻p.223

 このように、キリストは神の王国の中の特別な真理をその弟子達に教えるように努力しています。そこには、縄張りの境界ラインはなく、カースト(身分)もなく、貴族階級もありません。救い主の愛のメッセージをその人々に生み出して伝えるために、彼ら[キリストの弟子達]は全ての民族のために出て行って当然です。            『使徒の働き』(艱難から栄光へ)p.20

 

5.公平な愛は偏見を和らげる

 分派主義やカーストや人種の障壁は、人々の心に真の奉仕の働きの精神が入る時に打ち砕かれるでしょう。偏見は神の愛によって和らげられ、去るでしょう。『レビュー&ヘラルド』1896.1.21The Southern Work1966年版p.55

 隔ての障壁は、白人と黒人の間に築かれてきました。それらの数々の偏見の障壁は、クリスチャンが命じられている神の言葉、すなわち、彼らの造り主の至上の愛と彼らの隣人達への公平な愛に従う時、エリコの城壁がそうだったようにそれ自身で崩れ去るでしょう。 『レビュー&ヘラルド』1895.12.17

                  『The Southern Work1966年版p.43

 神の聖霊が注がれる時、人間の魂の救いを求め、偏見に打ち勝って人間性の勝利が存在することでしょう。神は地制を統制するでしょう。人間の心はキリストが愛したように愛するでしょう。そして、有色の基準は、それが現在考えられているその方法とは非常に異なる多くの[方法]によって考えられるでしょう。キリストが愛しているように愛することは、知性を清め、天のような無我の雰囲気へと高めることです。   『SDA教会への証』第9巻p.209

 

6.兄弟[姉妹]愛としての神のアプローチ

 神の聖霊が人間達の知性を感動させる時、一人の人とその人に添う人々の間の全ての些細な不満やとがめは取り去られるでしょう。義の太陽の光線の輝きは、知性の部屋で輝くでしょう。私達が神を礼拝する時、そこには富める者と貧しい者、白人と黒人の間の違いは存在しないでしょう。全ての偏見は和らげられるでしょう。私達が神に近づく時に、それ[私達]は、一つの兄弟[姉妹]愛として存在しているでしょう。私達は、良い国、天に向かっている巡礼者達であり旅人達です。すべてのプライド、すべてのとがめ、すべての自己欺瞞は、永久に終止符を打つでしょう。すべてのマスク(覆い隠す物)は打ち捨てられるでしょう。そして、私達は「彼が存在しているように、彼を見る」でしょう。そこで、私達の歌が霊感のテーマを捕らえ、讃えるでしょう。そして、感謝の捧げものが神の元へと昇っていくでしょう。

               『レビュー&ヘラルド』1899.10.24,p.677

 

7.1891320日のアピールからの抜粋

 主イエスは全ての国籍に属する男性達と女性達を救うために私達の世界に来ました。彼は、白人のために死んだけれども有色人のためにも死にました。イエスは、世界中の人々を包む光を納屋に収めるために来ました。彼の奉仕の働きの始まりに、彼は自分の任務missionをこう宣言しました。「主の霊/精神が私に存在しています。主は、義に飢え渇いている人々に特別な福音を伝えるために、私に油を注ぎました。主は、心が挫けた人々を癒すために、虜にされた人々を励まし説き勧めるために、特別な盲目の人の視力を回復し、感情を傷つけられた人々に自由と解放を与えるために、主の年を受け入れ得るように説き勧めるために、私を遣わしました」。……

 パウロはこう言っています。「誰が、汝らの意見を異にするようにしたのですか」。白い人に属する神は、黒い人に属する神です。そして、その主は、主の最も小さい子らへの愛は、母が子を愛した愛に優っています、と宣言しています。……

 主の視線は、主が創造したすべての上に注がれています。彼は全てを愛しており、そして、主が持っている一部の特別な人々、ほかの人よりも重荷を負っていると言われている弱い気の毒な人々を除いて、白人と黒人の間を差別しません。自分達の贖い主としてキリストを信じ神を愛しているこれらの人々は、[人生の]小道で試練と困難に会わなければならないのに、快活な精神によってそれをあるがままに自分達の生活に受け入れる必要があって、神はこれらの物事を上から見ていると考えています。そして、与え贈ることに無関心というこの世界のあらゆる人々のために、彼は、最も気に入るように自分自身で彼らを育てるでしょう。……

 ある罪びとが改心した時に、その人は、神の聖霊を受けていて、自分を神の子の一人にしています。その人は天使のような群れと贖われた人々の共同体に合うようにしています。その人はキリストを継承する一人に連なっています。ある人類家族が自分達をキリストに預けるならば、誰でも特別な真理とそれに従う継承者です。無知な者と知恵ある者、富める者と貧しい者、自由人と囚われ人、白人や黒人など、イエスはそれらの魂のために、贖いの代償を払いました。もしも、その人々が彼を信じるならば、彼の清めの血はその人々にも適応されるでしょう。ある黒人男性の名前は、命の書の中で、白人男性の名前のそばに記されています。全ての人々はキリストにあって一つです。家系、社会的地位、民族、肌色などは、人々[の品位を]高めることも低めることもできません。もしも、一人の黄色人、一人の中国人、あるいは、一人のアフリカ人が、自分の心を神に預けているならば、従順と信仰によって、イエスは、その人の肌色のゆえではなく、その人を愛しています。主は、よく愛された兄弟[姉妹]として、その人を招いています。……

 人間は親譲りの偏見と育てられた偏見の両方を持っているでしょう。しかし、イエスの愛がその人の心に満ちると、人々はキリストが共にいる人になるでしょう。その人々は彼と同じ心/精神を持っているでしょう。もしも、一人の有色の人がその人々のそばに座っているならば、その人々はその人に不快感を与えられたり嫌ったりしないでしょう。その人々は同じ天に向かって旅をしていて、そして、神の王国でパンを食べるために同じテーブルについています。もしも、イエスが私達の心に留まっているならば、私達はその有色の人を嫌うことができないでしょう。その人は心に同じ救い主が留まっています。

                『The Southern Work1966年版pp.9-14


 



[1] ウィリアム..ホワイトの妻、ミセスホワイトの義娘、メアリー・ケルセイ・ホワイトは、少女時代から勤勉で才能がありました。レビュー&ヘラルド、パシフィック・プレス、スイスのバーゼルにある私達の出版所で働きました。彼女はヨーロッパにいた間に結核に感染しました。そして、発病の3年後に、カリフォルニア州ボウルダーで没しました。33歳でした。ここに、この病の最後の年に送られたメッセージを抜粋しました。――題目編纂者

[2] ミス マリアン・デイビスは、ミセス ホワイトのスタッフとして、1879年に繫がりました。そして、彼女の働きに、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアと25年間、協力しました。1903年に結核に感染しました。1年後に彼女のライフワークを終えました。ミス デイビスは、ミセス ホワイトにとても愛された、非常に忠実で信頼のおける文筆アシスタントの一人でした。ここに紹介された共感と希望と勧めのメッセージは、ミス デイビスの病の最後の2カ月の間に、ミセス ホワイトと彼女との文通から見られる内容がペンによって記録されました。――題目編纂者

[3] 彼女が生んだ4人の男の子の内、二人、長男ヘンリーは16歳で、四男ハーバートは3カ月で逝きました。彼女の夫ジェームズ・ホワイト長老は1881年、短い病気の後60歳で早く逝きました。これらの体験のまとめがこの章の末尾にあります。――題目編纂者

 訳者加筆。次男ヘンリーには子どもがいませんでした。彼は妻と二人で、南部の黒人伝道に奉仕しました。三男のウィリアムは、教会組織運営に従事しました。オーストラリアで妻を得て5人の子らに恵まれました。

[4] 現在、ファクシミリ印刷で利用できます。

[5] この章の補遺として全体に現れた6つの章。参照pp.409-479

[6] Introductory Notepp.276-278参照。

[7] マラリヤの治療薬キニーネ(抗マラリヤ薬)の利用に関して問い合わせられた時、[有毒薬剤はまれに使用される必要があります]という言葉と調和したミセスホワイトの勧めでした。彼女の息子は彼女と共に伝道旅行し彼女をアシストしました。彼はこうレポートしています。「私達がオーストラリアに滞在していたある時、その島の宣教師として活動していた一人の兄弟は、自分の長男の病気と死について、母に話しました。その子は、マラリヤに罹って深刻な状態でした。その子の父は彼にキニーネを与えることをアドバイスされました。しかし、『SDA教会への証』にある「キニーネの使用を避ける」という勧めの見解により、それを投与することを拒みました。彼の息子は死にました。彼が、シスターホワイトに会った時、彼はこう質問して尋ねました。「マラリアを阻止するほかの方法がなかったことを私が知った時、その見通しがキニーネなしには死ぬだろうという時、私はこの子にキニーネを与えて罪を犯したのでしょうか」。これに応じて、彼女は言いました。「いいえ、私達は自分ができる最善をなすように期待されています」。

[8] この出来事の保証は、麻酔科医が随伴する外科処置の妥当性のために、どの質問も除くでしょう。

[9] 訳者加筆:彼女はKJVを使用していたので、原文はKJVの「Jehovah」です。ヘブライ語の聖なる4文字(hwhy)はヤハウェと読むのが正しいとされているので、ヤハウェにしました。

 2013年発行『エレン・G・ホワイト百科事典』(p.567)の「W.C,ホワイト」の項に、次のような「W.C.ホワイトがE.ホワイトの著作物を編集するプロセス」について、E.ホワイトが出した声明があります。

 「可能な限り、それを完成に近づけるように、それが知的な人々の心に受け入れられるようにと、全てを改善するためでした。欠点は可能な限り、私達の全ての出版物から取り除かれる必要があります」。

[10] 20世紀の医学研究の一つの成果として、この記事が出た時、医師達は一般的に利用されていた[有害な]医薬品の多くを廃棄したという興味深い事実が一つあります。――題目編纂者

[11] ミセス ホワイトは、オーストラリアの未開拓森林地に住んでいた1897年当時の「一般の治療」について言及しています。彼女はそこからこれらの言葉を書いています。読者は、20世紀の20年代まで思いを遡らせる必要があります。医師の医学教育は全く統制されておらず、不十分でした。多くの教育課程において、それは伝統的な医学学校より多かれ少なかれ短期間の教育による基礎の養成で補われていました。医師専門職は、良い基準が設置されていませんでした。任命された医師の与薬による頼みの綱は、有毒な薬剤でした。しばしば、服用量の多い一服が処方されました。

 続く次の事実は、ミセス ホワイトの声明が、良心的な医師達を慎重に教育した働き人達の価値を下げることに利用されないだろうということを明確に示しています。

1.彼女の多くの論述は、医師の最も高い召命と重い責任に関連して特別な教育の必要のあることを述べている。

2.彼女のコンサルティング(相談)の実践は、出版された資料によって医師達に適性を与えた。その人々は、彼女の家族のメンバー達だった。

3.[彼女の]働きに協力していた人が病気だった時の彼女の勧めは、「医師達にさせる」「これらのこと[治療]をする」「[治療]される必要がある」(本書p.11参照)、また、食べるように彼女に訴えた、「あなたの地上の内科医は、あなたが食事を摂ることを願っていますから」だった。(本書p.13参照)。

4.彼女の多くの勧めは『ミニストリーオブヒーリング』『健康における勧め』『医療と奉仕の働き』を通して医療に従事している医師達に向けて書かれた。

5.セブンスデー アドベンチスト ロマリンダ医科大学の設立について、彼女のペンからのガイダンスは、「治療に当たる全ての医師達が正式な資格のある医師として、法律によって求められた試験に合格して」学生が学位を得て「可能にする医学教育」を提供するようにと提供された。『エレン・G.ホワイト原稿』7,1910,Recorder Pacific Union 1910.2.3 (the Story of Our Health Message1955,p,386参照。

[12] 州立医科大学、私達の初期の医療従事者達の多くは、教育を完全に受けるために送られました。

[13] 1,160ページの専門書Clinical Toxicology of Commrcial product(Williams and Wilkins, 1957,$16.00)は、一般の医療処方に属するものが創り出されると同時に、チャコールの価値に関するエレン・G・ホワイトのいくつかの記事につながりのある説明について関心のあるものです。これは、多くの人に知られた毒と、全ての毒の実態の知られていない成分の解毒薬として、「宇宙的な解毒剤」として4つのうちの2つをチャコールが促進させるとしてアドバイスしています。――題目編纂者

[14] このタイプの奉仕のため、教育を受け資格を得て経験がある看護師。彼女はミセスホワイトの同労者。伝道旅行の同行者、個人秘書として支援したアシスタントの一人です。――題目編纂者

[15] 1902412日、カリフォルニア州セントヘレナの「エルムスヘイブン」での勧めの会議で作られた声明です。――題目編纂者

 (訳者加筆。E.ホワイトは190010(73)にオーストラリアからアメリカに戻って、セントヘレナに邸宅を買って住みました。その庭にエルムス((にれ)の木)があったので、そこをエルムスヘイブン(楡の木のある安らぎの家)と名付けました。彼女はそこで88歳の生涯を閉じました。本書p.78に出てくる看護師のマクエンターファーが、エレンの死後、遺体をカリフォルニアからミシガン州まで汽車で運んで、ホワイト家の墓に収めました。『エレン・G・ホワイト百科事典』p.465

[16] Notebook LeafletsNo.7に現れている方法。

[17]これは、1893102(67)、ニュージーランドのネーピアで書かれ、あるカレッジの学生に宛てた手紙の一部です。「ノートブック リーフレット」(教育)No.6.に掲載されました。

[18]重要な決定をする立場で働いていたあるビジネスマンの方法に関する勧めです。

[19] これはミセスE.G.ホワイトがこのレポートを読んだ時に彼女によって挿入されました。

[20]ここに贈られたこの指導は、オーストラリア ブリスベンで開かれ「カウンセル(勧め)」と呼ばれたキャンプミーティングでミセスホワイトによって与えられました。このテーマのさらなるカウンセル(勧め)は『Welfare Ministry』(社会福祉の奉仕の働き)pp.237,238の中にみられます。――題目編纂者

[21] 1859年エレン・G・ホワイトの日誌の1ページの記事です。

[22] L兄弟の場合は、妻と家族を去らせ、それらの人々の支援をする妻の父親にゆだねて、離れた土地へ移転しました。彼の妻はその時、遺棄を根拠に離婚訴訟を起こしました。その離婚が認められる前に、彼は自分の愛情をある若い女性に注ぎ始めました。このメッセージはその男性に宛てたものです。――題目編纂者

[23]息子の二番目の妻のために、彼の長く続いている結婚を破断させる父親の試みに応答して、勧めが与えられました。何年も前、聖書の根拠もなく、二番目の妻との結婚を法的に可能にするために、息子は最初の妻と離婚しました。――題目編纂者

[24] 註:これらのメッセージは1896年から1912年の間にエレン・G・ホワイトによって書かれました。人種間交雑interracialの結婚は不平等の問題ではないという彼女の勧めを明確に示している人種間交流racial relationshipsに関して、彼女のペンから繰り返し書かれました。しかし、状況や状態から通りで物乞いすることは妥当性があるかないかという本質的な質問は、「論争、混乱、恨み」という結果となるでしょう。補遺2「生涯の伴侶を選ぶ重要な要素」を見てください。エレン・G・ホワイトは、全ての人種の平等と人類のきょうだい性に関する意見に賛同し、自分の理解していることを繰り返して確認しました。――題目編纂者

[25] ここに現れている項目は、病人のための祈りにおける豊富な勧めの補遺です。『ミニストリーオブヒーリング』pp.225-233、『健康における勧め』pp.373-382、『医療の奉仕の働き』pp.195,196、『病人のための祈りによるガイディングの原則』(36頁パンフレット)参照。題目編纂者

[26] Medical Ministrypp.110-117、『SDA教会への証』第1pp.290-302,『ミニストリーオブヒーリング』pp.241-252への勧めの補遺です。

[27]私達の出版所[レビューアンドヘラルド]の設備の有益な利用方法の尽力――特別なメッセージを印刷するために獲得した――が数年間続きました。確かに、商業用の印刷作業が多く受け入れられました。やがてそこには、一つの時が訪れました。ほかの品目の中に、健康について有害な性質の印刷物が出版目的で受け入れられました。この嘆かわしい体験の言及は、『SDA教会への証』第7巻pp.164-168と、催眠療法を取り上げた出版物の中に収められています。

[28] これはSDA教会への証』第1p.296で声明の光による重要な言葉です。――題目編纂者

[29] Notbook LeafletsNo.5の「クリスチャン経験」にあります。

[30] Country Living(田園生活)から引用しました。ここにある原則の応用は、施設の立地場所について言及されたものです。『SDA教会への証』第7pp.80-89,Medical Ministryp.308,309、『福音宣伝者』p.76-78参照。

[31]バトルクリークの指導者の一人からの手紙への返事が、18931222日に書かれました。私達の[教会の]人々はバトルクリークの外へ移転する必要があるという助言への反応に対して、エレン・G・ホワイトによって書かれました。「千人から二千人」が「可能な限り」去る用意をしていました。

[32] この講演は1891年の全体総会でエレン・G・ホワイトによって与えられました。

[33] 訳者加筆:『エレン・G・ホワイト百科事典』の「信仰による義」の説明文に、「信仰による聖化」の説明があります。救済は「信仰による義」と同時に「信仰による聖化」の二重の側面を持っています。「ホワイトは、信仰による義(義認と聖化)のゴールを一貫して、マタイ22:1-14と黙示録19:8の譬え話の中に描かれている「結婚衣装」として、生き生きと描いている。「この譬え話の中の結婚衣装は、清さ、キリストの真の追随者達が持っているだろうシミのない品性が現れています。その洗練された衣装の布は御言葉にこう言われています。「[それは]聖徒達の特別な義です。それは、彼自身の汚点のない品性(人格、個性)、自分達の個人的な救い主として彼を受けた信仰によって全ての人に与えられたキリストの特別な義です」(COL 310。『Ellen G. White Encyclopedia』(髙谷訳)p.1108参照。

[34] 189012[63]に、[カリフォルニアから]マサチューセッツ州リンに向かう汽車の中で書かれました。『NoteBook Leaflets』、『SDA教会への証』No.4参照。

[35] 一つの比較が、ここに、この場面で、コラの反逆と二人の人に導かれたその時点の背信が引用されています。次のページを参照。

[36] 1893年の会議で、「この教会はバビロンになってしまった」と非難された時に、エレン・G・ホワイトは「弱体化し欠陥があり、戒められ、警告され、そして、勧められる必要のあるこの教会は、キリストが最高の配慮を授けた地上で唯一の対象です」(『牧師達への証』p.49)と書きました。続く数年の状況の多くにおいて、この思想の繰り返しは、励ましと意味が存在していました。――題目編纂者

[37] エレン・G・ホワイトの1913年のSDA全体総会へのこの二番目のメッセージは、527日火曜日の朝に、その代表A.G.ダニエルズによって読み上げられました。


訳者加筆。26章の内容を理解するための予備知識

1.メアリー・(ケルセイ)・ホワイト(1857-1890)

 E.ホワイトの三男ウィリアム..ホワイトの最初の妻、

ケルセイ家族とホワイト家族は、1855年にホワイト夫妻

がバトルクリークに転居した後に知り合いました。1874

年の秋、メアリーは、バトルクリークカレッジの開学期間

に出席している間、ホワイト夫妻と一緒に住みました。彼女は、フランス語を専攻し、[レビュー]の出版所で植字工として働きました。1875年、彼女は、ホワイト夫妻と共にカリフォルニア州オークランドに行きました。そこで、彼女とホワイト夫妻は「パシフィックプレス」で働きました。187629日、ウィリーとメアリーは結婚しました。4月、メアリーの19歳の誕生日でした。彼女は、『サインズ オブ ザ・タイムズ』の編集マネージャーと「パシフィックプレス」の経理に選ばれました。

 1877年、ウィリーとメアリーは、ヨーロッパでのJ.N.アンドルーズの働きとアドベンチスト教会の出版の働きを支えるために、バトルクリークカレッジにフランス語とドイツ語を学びに戻りました。1885年にエレン・ホワイトと共にヨーロッパ伝道に出かける前に、娘エラが家族に加わりました。

 ヨーロッパで、メアリーは文筆アシスタントとして奉仕しました。次女マーベルがスイスのバーゼルで1886年に生まれました。同時に、バーゼルでの新しい出版所(住居と作業場)の不十分な暖房で二度の冬を越すことは、メアリーが結核に感染する結果となりました。[帰国後]バトルクリークサナトリウムでの治療を受けたにもかかわらず、健康は悪化しました。エレン・ホワイトはカリフォルニアのバローバレーに小さな家を買いました。砂漠の気候が彼女の回復を助けてくれるかもしれないと期待しました。彼女の命を助けるためのあらゆる努力にもかかわらず、6歳と4歳の幼子を残して33歳で没しました。(『エレン・G・ホワイト百科事典』p.552)


 

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