教会へのあかし 第9巻

 [はじめに]        [エレン・G・ホワイト遺稿出版管理委員会]

 

第9巻が書かれた時代背景

 私達が第9巻の時代を考察する時、[1904年から]1909[77-82]の晩夏までの5年間を考えています。この期間におけるミセスホワイトの体験は、[西部]カリフォルニアのセントヘレナの自宅からアメリカ大陸東部での重要な会議や集会への参加のための旅行に始まり、旅行で閉じられています。この教派にとって、それは、1902年から1903年のあの危機 からの立ち直りと、その回復の働きの進展、新しい諸施設の設立と、冒険的な新しい事業の開始に満ちた一つの時代です。

 

[訳者加筆。1902218日にケロッグのバトルクリークサナトリウムの建物が火事で焼失し、1902年暮れにビジネス印刷に堕落していたレビュー&ヘラルド出版社の建物が消失しました。彼は1903年に汎神論の『生きている宮』を出版しました。『エレン・G・ホワイト百科事典』(2013)に、次のようにあります]

 

 1902218日にバトル クリーク

サナトリウムが火事で焼失したすぐ後、

ホワイトは声明を出した。「この大事件

は、特に、彼に与えられたその光(真理)

に注意を払わなかったケロッグのための

主からの裁きの一つでした」(Lts 123,

269 1902)。そして、彼に「バトル クリークに集中するのではなく、ほかの複数の都市に医療の働きを分散すること、小さい施設を設立すること」を説得した。ケロッグは、そうではなく、巨大なサナトリウムを再建した。

 丁度、その大火の前に、彼は人間の身体と人格に関する生理学的な完成における『生きている宮』(Battle Creek Michigan Good Health出版社 1903)の著書の原稿を書いて完成していた。その大火の後、ケロッグは、そのサナトリウムの再建を助けるために使用されるようこの本の売り上げからの利益を寄付した。その本が出版された時、A.G.ダニエルズとW.W.プレスコットを含む数人の教会リーダー達は、その本の最初に汎神論の一節があることに驚かされた。それらの汎神論の教えは、以前、エレン・ホワイトが、キリストの再臨の前に最後の教会が直面するだろう「異端信仰教育の始まり」として書いて、強く警告したものをいくつか引き出していた(Lt 265 1903, Lts 232,253,1903参照)。彼女は哀調に満ちた、彼の生き方のコースを変えようとケロッグを説得する多くの手紙を書いて送り続けた(Lts 55,65,80,97, 107,180,181,232,245,300,301,303, 1903)。彼女は、ケロッグの大きな危機は科学に属する神よりも科学を強調していた、という初めの頃の警告を多く繰り返した(Lt 239 1903)。ちょっとの間、彼の未来は教会の中でバランスを保っていた。ホワイトは彼を救うためのあらゆる努力を試みた。たぶん、ケロッグは、自分の危険な状態を短い間理解していた(Lt 257 1903)。しかし、この時、賽の目は投げられていたし、この教会からの彼の永久の分離は、その結果だった。ホワイトは、彼の生き方の方向を変えることは彼のために遅くはない、という言及を出して、彼にアピールした。しかし、1906年近く、ケロッグがこの教会の信仰から分れたということはエレン・ホワイトと教会リーダー達の両方に明らかになった(Lt 225 1906)。それゆえ、19071110日、ケロッグの氏名がバトル クリークのタバナクル教会の会員名簿から削除されたのち、意外に思われないようになった。やがて、彼はエレン・ホワイトと交流が途絶えた。しかしながら、彼女は、戻るよう彼にアピールを続けた(cf. Lt 100 1911)。ケロッグは、1943年に死ぬまでバトルクリーク サナトリウムの経営に積極的にかかわった(Ellen G. White Encyclopedia2013 p.437)

 

 この出版所では、80%が商業用の印刷事業で儲けることが第一目的になっていて、福音伝道は疎かになっていました。全体総会は、A.T.ジョーンズを長にした調査委員会を設置して調査しました。報告書には「クリスチャン原則の欠如、金銭を惜しむ態度を厳しく非難した」ことが書かれていました。責任者のA.R.ヘンリーとハーモン・リンゼイは教会労働から去りました。しかし、この施設には、それらの精神が長く定着していました。19021230日、レビュー&ヘラルドの建物は炎に包まれ焼失しました。その後、そこに再建されませんでした。

 

 [ 彼女は、バトルクリークに関して、出版所の移動について彼女の支持を曖昧にしなかった。「レビュー&ヘラルドのオフィスを建てるために決して一個の石もブロックも置いてはいけません」と彼女は言った。「神はそのために良い場所を持っています」(GBC 1903.4.6) ](『エレン・G・ホワイト百科事典』(p.75)。

 

 1904年の春、[北東部]ミシガン州での重要な集会に続いて、ミセスホワイトは、アメリカの南部を訪問しました。それから、ワシントンD..へ彼女の道を進みました。歩を進めた所では、この働きのためにこの国の首都に設置された建物がありました。そこには、新しい本部の建物が林立していました。レビュー&ヘラルド出版所は本拠地を提供する義務があります。一つのサナトリウムが建設中でした。一つのカレッジが設立されていました。ミセスホワイトは数か月の[滞在の]ためにワシントンに彼女の家を所有し、そこで、その働きに関して勧めを与えることができました。それらの4事業が彼女の導きのもとに進められたという事実は、その働き人達に強い勇気を与えました。神が国の首都に出版事業と本部機関の移転を導いていたということは、また、教会員達が確信をもって設立するという、この教派全体に遠大な感化を及ぼしました。

 この時期は、太平洋側の地域における私達の医療[事業]の働きにおいて、急激な進展のあった期間でした。サナトリウムが、カリフォルニアのロマリンダとグレンディールとナショナルシティで開所しました。最初から、ロマリンダは、バトルクリークでこの教派が始めた働きをするために、将来の医療従事者達を養成するセンターになるように充てられたように思われました。医科大学の設立の急性期に、ミセスホワイトは、カリフォルニア南部をしばしば訪問しました。そこで、彼女は、個人的な励ましと勧めをしたことでしょう。また、その働きを推進するための計画の策定を支援したことでしょう。認可された医科大学の設立が達成するように一歩ずつ私達を導いていたのは、神から彼女に与えられた啓示に基づいた数々の言葉でした。とても克服できそうもない様々な障壁が存在していました。自信が持てなくなった時に預言の霊を通して届いたたびたびの勧めによって確信が与えられなかったならば、この冒険的な事業は完成されなかったことでしょう。

 ミセスホワイトは自分の著書と家から多量に資料を集めて編集作業を進めましたが、彼女が速やかに伝道地に配布されるよう期待していた著書の発行は大幅に遅れたという結果となりました。『ミニストリー オブ ヒーリング』は、この5年の期間に新しく出版されたエレン・G・ホワイトの唯一の本でした。

 この教派の働きは、私達が様々な進展の歩みを詳細に述べるように、この時代にとても大きく成長しました。そのメッセージは、現在、この地球に住む人々を結んでいます。宣教師達は、どんどん増えて遣わされて存在しています。多くの施設が、出版と教育に貢献しました。そして、医療施設が設立されて存在しています。本当に特別なメッセージが地の果てまでも届けられてきました。

 それは、1909年春の全体総会会議でワシントンD..に働き人達が集まった時、世界的な働きが具現化していることを目にして、エレン・ホワイトの心に大きな喜びがもたらされました。これは、彼女が参加した最後のSDA全体総会会議で、東部への彼女の最後の旅行でした。彼女は、その時81歳で、神の[人類救済]の目的の奉仕に長らく生涯を捧げました。主がすぐに来るのを待ち望みながら安息日を守る人々が十指に満たなかった始まりの日々の奮闘から、働きが進展したのを見てきました。[1909]現在、それは85,000人になり、牧師の資格を与えられた人は1,200人になりました。エレン・ホワイトが全体総会で前に立った時、彼女は、報いが与えられるべき主なテーマについて話すように導かれました。それらの中に健康改革がありました。[1860年から]45年間にわたって、彼女は、幻によって彼女に示された健康的な生活の大原則を教えて導いてきました。彼女は、この教えの成果を見てきました。しかしながら、元の生活に戻った人々がいました。また、極端な生活に行ってしまった人がいました。また、彼女は、逐一、教えと私達の立ち位置を振り返りました。この記事は、全体総会で発表され、第9巻の主な章を形成しています。

 彼女が話をするために選んだほかのトピックは、ロマリンダの医科大学に関することでした。彼女は、その施設の目的について表明して、この働きを成功させるよう、全ての働き人達と一般信徒達に協力をアピールしました。この重要な記事は、第9[17]に収められています。

 ミセスホワイトは、暴走するSDA全体総会のために1863年に任命された3人の委員会から発展したこの教会の本部行政管理の働き、世界の様々な伝道地でこの働きの重荷を分担している数百人のユニオンカンファレンス組織と支部、全体総会部門と現在の組織の現在の状態を見てきました。彼女のまとめの言葉の中で、彼女は、献身と一致を請い願いました。彼女が書いた記事の中で、彼女は、SDA全体総会の全ての会議によってなされた活動の重要性と、SDA全体総会の権威について述べています。彼女は、信仰と謙虚の必要と、その責任と貢献について書きました。それらの勧めは、第9巻の末尾の重要な部分を占めています。

 19世紀から20世へと代わって、ミセス ホワイトは、世界の大都市の中心にいる何百万もの人々に福音への関心を新たに呼び起こすよう、アピールを始めました。それらの人々の必要は、その勧めの中で、指導の立場にある働き人達に何度も繰り返して強調されました。それらのメッセージに対する応答として、都市での働きへの関心が湧き起こりました。大きなセンターが入って行きました。多くの福音伝道のための尽力がなされました。数々の古い教会が力づけられ、新しい教会が設立されました。恒久的な形の指揮として、この勧めと働きのためのアピールが廃れないように、第9巻の8部からなる全体は、この主要なテーマに貢献しています。

 私達は、様々な事業で私達の信徒のエネルギーと才能を求められる時代に生存していました。世界の人々にこのメッセージが伝えられて、一般の信徒が熱心に繫がらない限り、この働きは決して終わらないということが、明らかになり始めました。一般の信徒の働きが、新たに重要なものとして取り上げられました。『SDA教会への証』の最後の2[8,9]の中に強調されていることは、一般信徒の働きの役割として書かれていました。そして、ここに、第9巻のクライマックスが導かれています。地球歴史の場面が閉じられる大事件と、最後の危機の場面に続いて、いくつかの章は、家庭伝道と文書の配布、福音伝道の活動を担う全てのセブンスデー アドベンチストに呼び掛ける貢献をしています。

 『SDA教会への証』の第9巻の初めに提示されている詳細な勧めに二つの基準線がありました。しかしながら、かなりの指導がそれらに関連して数年に亘って与えられてきました。第一に、有色人の間の働きと共になされる必要があります。第二に、宗教自由の働きと共になされる必要があります。未だ真理の光を受けていなかった地域に立てられた家として、そのメッセージに静穏に生きている人々が、また、ある人はメッセージを教える者として、ある人は医療伝道者として、ある人は教育伝道者として、働き人達と一般信徒達が広大な南部地域に送られて奉仕の働きが始まったのは、19世紀半ばに『レビュー』誌の記事に、エレン・ホワイトによって書かれたアピールへの大きな応答でした。ほかの人々は、第7巻のアピールへの応答としてこの働きに繫がりました。その働き人達は多くの問題に直面しました。計画は前進のために立てられる必要があります。特に、人種間の対立が存在していた所で働きをすることに関して、新たな問題が立ち向かわされるのは必然です。その危機的な数年を通して、この勧めがこの教会に奉仕するための恒久的な記録を残すために、その働きのための安全なガイダンスとして、奉仕する勧めが与えられました。それが、この第9巻に収められました。

 宗教自由の働きは、私達が何年も繫がって来た努力目標の一つでした。ある人達は、「真の安息日遵守は‟私達は日曜日に働いた”と言う人についても、人は優れた守り方をしなければならい」と主張して極端な立場を取るように傾いて行きました。一群の人々によって、これは迫害を招きました。主の善意によって、主はこの種の問題のバランスの取れた概念を私達に与えるために、この人々のためにメッセージを送りました。これらも、「宗教自由の働き」というタイトルで第9巻の[7]部に現れています。「私達の前にある試練の時」という章で始まり、「注意の言葉」で終わっています。第9巻は、勧めの新しいものと古いものを共に集めて、ほかの巻の文章の中の勧めを詳しく説明し、奉仕を促し、極端の危険を指摘し、熱心な努力の報いを示し、組織化の確信に導いて、そして、『SDA教会への証』を閉じる巻になりました。

 エレン・ホワイトの著書は、『SDA教会への証』第9巻の発行で閉じられませんでした。その5年間の後に続いて、彼女の本の準備に密接に彼女自身が関わって、彼女は1911年に『使徒達の働き』(艱難から栄光へ)1913年に『両親・教師・学生達への勧め』を出版しました。また、彼女は、1915年の『ライフスケッチズ』、『福音宣伝者』の新版、1916年に印刷した『預言者と王達』のための最後の働きをしました。

 諸都市に警告を与えた特別な努力に、彼女が楽しみを持ったことは特別なことでした。時折、彼女のペンから、私達の働きの重要な相と思われる指導と勧めのメッセージがやって来ました。全世界への神の[人類救済]目的の着実な前進は、北カリフォルニアの静かな丘に住んでいて、今この高齢化した主のメッセンジャーによって記されました。彼女は、彼女の働き人達が役目を終えたことを知っていたけれど、神の働きの将来に恐れを持っていませんでした。彼女は、このように書きました。「私の命が残っていてもいなくても、私の著書は語り続けるでしょう。それらの著書は時が続く限り最後まで前進して行くでしょう」(『‟SDA教会への証”を書いて送り出す』p.13,14)

 1913年のSDA全体総会会議の計画が立てられた時、ミセスホワイトは、参加することを喜んだことでしょう。しかし、彼女の老いの進行は、これが賢明でないように思えました。言葉でのメッセージを提示できないので、彼女は、参加した教会員達に代理人によって読まれるように二通の手紙を書きました。その2番目のメッセージが、527日、朝のその全体総会の開会時に代表によって読みあげられました。彼女は、過去の年月の体験を回想しました。そして、神が主の人々()を導いてきた証拠を記していたことを喜びました。それから、前途を見据えて、魂を救う働きに再度新しく努めるよう呼びかけ、そして、まだ警告されていない大都市の人々ために再度のアピールをしました。将来を見つめて、彼女はこの教会の勝利を見ました。そして、励ましの言葉を贈りました。 [SM第2巻後編p.201-に全文掲載]

 

 私は、私の兄弟[姉妹]の皆さん方に数々の励ましの言葉を持っています。私達は、神からの大きな事柄を期待しつつ、信仰と希望によって前に進むために存在しています。特別な敵は、真理を進めるために為されている特別な努力を隠すためにあらゆる方法を探しているでしょう。しかし、主の力によって、皆さんは成功を得るでしょう。希望を挫くような言葉が語られないようにしましょう。皆さんの働き仲間に反映して力づけるような言葉だけを語るようにしましょう。

 私の一般的な働きの関心は、いつまでも強くあるようにと今でも存在しています。私は、「[人類救済]目的に属する現在の真理[再臨や安息日など]が、世界中の全ての一人ひとりの中に着実に前進するでしょう」という大きなことを期待しています。

 私は、その時になす私達の働きが、心と知性と魂に深く印象付けられるようにと、真剣に祈っています。困惑の数々が増すでしょう。しかし、私達は、神を信じる者達として、お互いに励まし合いましょう。私達は低い標準ではなく、高い標準を掲げ続けましょう。私達の信仰の創始者であり完成者である主を見続けましょう。ある夜の間、私が眠ることのできない時、私は神への祈りに心を向けました。そして、主は私を力づけ、主は、この国の伝道地で、また、海外の伝道地で、主の奉仕の働きをする者達と共に存在しているという確信を与えました。イスラエルの神がまだ主の民をガイドしているということに、主が彼らと共に存在し続けているだろうということに、祈りの終わった後でさえも、私が気付いた時、勇気づけられ祝福されました

 主は、前進と共に増して成果がもたらされた第三天使のメッセージを宣布する働きを見るように期待しています。主は、主の民に勝利を与えるために、全ての年代の人々の中で働きました。そこで、この年代の人々によって、主は、主の教会のために、主の目的の十分な勝利がもたらされることを望んでいます。主は、主を信じる聖徒達に、能力から大いなる能力へと進み、信仰から確信と自信へと増すように、主の[人類救済]目的に属する真理と義認によって、一致して前進することを指揮しています」。

 私達は、神の言葉の原則に岩のように堅固に立つために生存しています。覚えていてください。神は、お互いに新しい体験に出会うため、私達に力を与えるために私達と共に存在しています。いつも私達の生命の義の原則を保守管理しましょう。私達は、主の名によって、身体と精神の能力から能力へと進むでしょう。私達は、私達の初期の体験から現在までの、神の聖霊の是認と指導によって具現化した神聖な信仰を捉えるために生存しています。私達は、主の戒めを守る民によって前進をもたらした非常に貴重な働きを心に持ち続けるために生存しています。そして、それは、神の恵みの力によって、前進する時に強く効率的に成長するでしょう。特別な敵は、神の民の識別を曇らせること、彼らの能力を弱めようとしています。しかし、彼らが[それを]神の聖霊の指示として働くならば、主は、古くなって見捨てられた場所を建て直す働きのために、彼らの前にその機会のドアの数々を開けるでしょう。主の忠実な者達の上に、最後の勝利の神のしるしを印するために、主がやがて権威と偉大な栄光と共に天から降りてくるまで、神の民の体験は一定の進展があるでしょう」。

 私達の前に提示されているこの働きは、それが人間のあらゆる能力を伸ばすために提示しているという一点に存在しています。それは、強い信仰と寝ずの番に属する特別な体験を呼びかけているでしょう。私達がやがて立ち向かうことになるその困難な時は、最も失望させられる時でしょう。その大きな課題は私達に訴えているでしょう。そして、また、神の助けによって、神に仕える者達は最後に勝利するでしょう。

                『SDA全体会報』1913.5.28 p.164,165

 

 『SDA教会への証』は[1860年から]45年間に亘って書かれてきましたが、その第9巻の時にこの教会は成長し続けて繁栄しました。与えられた勧めは、安全なガイダンスを提供しました。譴責と修正は、多くの迷う歩みを義の道に戻るようにと導きました。励ましと応援の声は、弱くなった多くの人々の心を生き返らせました。信仰深さへの報いの描写は、私達の前にあるゴールに導くよう何千人もの多くの人々に決心を促しました。

 前途に目を向けてください。私達は『ライフスケッチズ』の196頁に記された言葉をいつまでも覚えておく必要があります。「私達の過去の歴史の中の主の教えと、主が私達を導いていた道を忘れない限り、私達は将来に何も恐れがありません」。    エレン・G・ホワイト遺稿出版管理委員会


 

1部 王の来臨のために

「やがて、もう少ししたら、主が来るでしょう。来るでしょう。遅れないでしょう」(ヘブライ10:37 KJV

 

 

1章 証1 最後の危機crisis

 

[1.神のために忠実で、信仰深い人々がわずかにいる]

 私達は終わりの時代に生きています。その時のしるしの速やかな成就は、キリストの再臨が手の届く近くに存在していることを宣言しています。私達が生きている日々は、厳粛で大切です。神の聖霊は徐々にしかし確実に地上から取り去られています。災いと裁きはすでに神の恵みを無視する者の上に降っています。陸や海の大災害、社会情勢の不安定、戦争のうわさは、前兆です。人々は、巨大な規模の大事件eventsの近づいていることを予測しています。

 悪の働き人達は、自分達の軍勢を集めています。そして、支配を強めています。彼らは、最後の危機に備えて勢力を強めています。やがて大きな変化が私達の世界に起こるでしょう。そして、最後の様々な運動体が突然に一つになるでしょう。

 世界の物事の状況は、悩みの時が私達に存在していることを示しています。新聞各紙は、近い将来の恐ろしい戦争の勃発記事に満ちています。[訳者加筆。1914-18年第一次世界大戦、1934-45年第二次世界大戦]大胆な強奪事件がしばしば発生しています。ストライキが常に起こっています。盗みや殺人的なことがあらゆる人の手に付されています。潜在的な悪の傾向のある人々が、幼い子ども達や女性、男性の生活を握っています。人々は、道徳的な悪と共に、分別を失うようになってきました。そして、あらゆる種類の不正が勝っています。

 かの敵は、また、利己主義を得るための欲望を人々の心に満たして、正しい道から逸らすことに成功してきました。「正義は退けられ、真実は道に投げ捨てられ、公平は入ることができません」(イザヤ59:14 KJV)。大都市の中に、寝る場所と衣服、食物をほとんど欠いていて、貧困で惨めな生活をしている大勢の人々がいます。その一方で、同じ大都市に、個人的な装飾品、高価な邸宅に豪華な家具で贅沢な生活をしている人や、魂の品位を落とし、知性のバランスを崩し、脳の働く力を壊してしまうタバコやアルコールで、繊細な食欲を満足させている、もっとひどい人々が存在しています。大都市で飢えている人間達は、神の前に登場しています。一方で、圧政と暴利に関わった人々によって、巨大な富が築き上げられています。

 一つのケースとして、ニューヨーク市で、私は夜の間に、天国への物語を話した後で、建てられたビルディングの物語を見上げるように呼びかけられました。それらのビルディングは耐火であることが保証されていました。また、それらは、所有者と建設者の栄誉を際立たせていました。それらのビルディングは静かに高々と立っていました。それらは、最も高価な金属が利用されていました。これらのビルディングを所有していた人々は、「私達は、どのようにして神の栄光を第一にすることができますか」と彼ら自身に問いかけていませんでした。主は、彼らの思想の中には存在していませんでした。

 私はこのように考えました。「おお、自分達の財産をこのように投資しているこれらの人々は、神がそれを見ている時に、自分達の行方を見みているのだろう。彼らは、壮麗なビルディングを築き上げている。しかし、彼らの計画と考案品は、宇宙の支配者の目にはなんと愚かなものだろう。彼らは、神の栄光を現すことが可能な[人間の]知性と心の能力を研究していなかった。彼らは、人間としての第一の義務の視点を失っていた」。

 この尊大で高いビルディングが落成した時、その所有者達は、隣人達の羨望を駆り立て、自己を満足させるように資金を使っていたので、野心的なプライドによって喜びました。彼らがこのように投資した資金の大半は、貧困者を押しつぶすようにして搾取して得たものでした。彼らは、すべてのビジネスの売買の利益は天に保管されるということを忘れていました。彼らが見掛け倒しと尊大さの中にいる時が訪れると、人々は、主が彼らを通り越さず許さないという点に達するでしょう。そして、彼らは、主の寛容に限界があることを知るでしょう。

 次に、私の前を過ぎたシーンは、火事に関する警告でした。人々は、耐火と思われる尊大で高いビルディングを見て、言いました。「それは、完全に安全だ」。しかし、それらのビルディングは、塗料でつくられているかのように焼き尽くされました。火の勢いは跡形も残しませんでした。消防士達は火の勢いを止めることが不可能でした。

 私は、主の時が来る時、自慢する心の中では、変化が起こらなかっただろうということを指導されました。野心的な人々は、滅ぼすことに強く、救うことに強かった御手を見るでしょう。地の[人々の]力は神の手を止めることができません。利己的な野心と主の律法の軽視のため、人々に天罰を送る神の定めた時が来る時に、滅びからそびえ立つビルディングを護るために使用されうる材料はありません。

 社会の現在の状態の背後にある [人類救済]目的を理解した人々は、教育者や政治家の中にさえ、多くはいません。政治の実権を握っている人々は、貧民や犯罪の増加、貧困や道徳的な頽廃の問題を解消できません。彼らは、最も確実な基本の経済政策の場で無益な闘いをしています。人々が、神の言葉の教えに耳を傾けるならば、彼らはそれらの難問の解き方を見つけることでしょう。

 御言葉は、キリスト再臨前の世界の状態を記述しています。暴利をむさぼり、法外な料金を取ることによって、人々は巨大な富を蓄えています。それはこう書かれています。「汝らは、終わりの日のために、共に、宝を蓄積しました。見なさい、あなた方の畑で取り入れをした労働者達の賃金が、不正手段によって戻って来てあなた方に属するものとなって、叫んでいます。取り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に届けられています。汝らは、地上で楽しく暮らして、贅沢をしました。汝らは、[食肉用に]屠殺される日のために、自分の心を太らせてきました。汝らは、義人に罪を宣告して殺しました。その人はあなた方に抵抗していません」(ヤコブ5:3-6 KJV)。

 誰が、与えられた警告の‟時のしるし”は近いうちにすぐに成就すると読んでいますか。どんな印象が世間の人々につくられているのですか。どんな変化がその人々の態度に見られているのですか。ノアの時代の世界の住民の態度には見られもしませんでした。世俗のビジネスと楽しみに没頭して、ノアの洪水前の人々は「大洪水がやって来るまで気が付かず、その人々はみな滅びました」(マタイ24:39)。人々は、天が送った警告を持っていました。しかし、彼らはそれを聴くことを拒否しました。そして、今日、神の警告の声にまったく無頓着なこの世界の人々は、永遠の滅びに急き立てられています。

 この世界の人々は、戦争の精神を駆り立てられています。ダニエル書11章の預言は、近いうちに完全に成就へと至ります。やがて、預言の中で語られている悩みの場面が起こるでしょう。

 「見よ、主は、この地を人のいない所にします。そこを荒廃させ、破壊して、その地の住民を外国に散らします。……彼らは主の律法に背いて、定めを変えて、永遠の契約を破棄したからです。それゆえ、呪いが地上を滅ぼします。そこに住む人々は見捨てられます。……陽気な鼓の音は止み、喜ぶ者の騒ぎも途絶え、ハープの音も止みました」(イザヤ24:1-8)。

 「ああ、その日、主のその日は近くにあります。全能者からの滅びとして、それは来るでしょう。……タネは土の中で腐り、麦が枯れたので、穀物倉庫は壊れます。家畜達はどんなにあえぎ啼くでしょうか。牧草がないので、牛の群れはさまよいます。ええ、羊の群れは惨めになります」(ヨエル1:15-18)、「ブドウの木は枯れ、イチジクの木はしおれて、ザクロ、ヤシ、リンゴ、野の全ての木はしなびてしまいました。それゆえ、喜びは人の子達から消え失せました」(ヨエル1:12)

 「私は、心がとても痛んでいます。……私は平和を捉えることができません。ああ、私の魂は、トランペットの音、戦争の警告音を聞いたゆえです。破壊に次ぐ破壊が叫ばれました。全地が荒らされました」(エレミヤ4:19-20)。

 「私は地上を見ました。それは形がありませんでした。山々は振動していました。丘並みはみな、軽々と動いていました。私が見ると、人間はいませんでした。大空の鳥たちは飛び去ってしまいました。私は見ました。果実の木があった場所は荒れ地でした。全ての都市は滅ぼされていました」(エレミヤ4:23-26)。

 「ああ、悲しいかな、その日は大いなる日です。なので、その日に似た日はありません。その日は、まさに、ヤコブの悩みの時です。しかし、神の人々[]は、それから救い出されます」(エレミヤ30-7)。

 この世界の人々はみな、神に反逆して敵の側についたのではありませんでした。みんなが不忠実になったのではありませんでした。神のために本当に存在している、信仰深い人々がわずかにいます。ヨハネは「ここには、イエスの信仰と、神の戒めを守る人々がいます」(黙示録14:12 KJV)と書いています。やがて、その闘いは、神に仕える人々と、神に仕えない人々の間で[マラキ3:18]、激しく行なわれるでしょう。やがて、振るわれうる者はすべて、振るわれるでしょう。振るわれえない人は残るでしょう。

 サタンは、入念な聖書研究者の一人です。彼は、自分の時の短いことを知っています。そして、彼は、この地上で、主の働きへの反対行動を取るために、あらゆる点を探しています。神聖な栄光と過去の迫害の再燃が混ぜられる時、地上に生きている神の人々[]の体験に何かのアイデアが与えられることは不可能です。神の民は、神の玉座からの光/真理に歩むでしょう。天使達の手段meansによって、そこには、天と地の間に常にコミュニケーションがあるでしょう。悪天使達に取り巻かれていて、神であると主張しているサタンは、もしも、可能ならば、真に選ばれた者達をだますためにあらゆる奇跡を働くでしょう。神の人々[]は、奇跡の働きの中に自分達の安全を見ることはないでしょう。サタンは、働かれているものが奇跡であるように見せかけるでしょう。神が試してテストした人々[]は、出エジプト31:12-18[安息日のしるし]で語っているしるしの力を目撃するでしょう。神の人々は、「それは書かれています」と、生きている言葉の立場を取るために存在しています。これは、その人々が安全に立つことができる唯一の基礎です。神との契約を破った人々は、神なく希望のない日となるでしょう。

 神を拝する者達は、人間の敬意と尊厳に訴える神の証と神の創造力のしるしとして、4番目の戒めが存在して以来、これによって特別に識別されるでしょう。悪人は、ローマカトリック教会の制度を崇めるために、創造者の記念日を踏みにじって捨てる彼らの結末によって見分けられるでしょう。その闘いの問題の中で全てのキリスト教徒は、イエスの信仰と神の戒めを守る人々と、獣とその像を礼拝しその印を受ける人々に、大きく二つのクラスに分けられるでしょう。教会と国家は、獣のしるしを受けるために「小さき者も大いなる者も、富めるも貧しきも、自由人も囚われ人も」全て、強制力によって連合するでしょう。また、神の人々[]はそれを受けないでしょう。黙示録13:16。パトモス島の預言者は、「獣とその像と、そのしるしと、その名の数字に勝利した人々が、神のハープを持って、ガラスの海に立っていて」、子羊とモーセの歌を歌っているのを見上げています」(黙示録15:2 KJV)

 恐ろしいテストと試練が神の人々[]を待ち構えています。戦争の霊は、ほかの地の果ての一つから国の民を扇動しています。しかし、かつて一つの国家として存在していた以来なかったような悩みの時が――訪れている悩みの時の半ばで、――神に選ばれた人々は動かされずに立つでしょう。サタンと彼の仲間達は、彼らを滅ぼすことができません。力の優れた天使達が彼らを守るでしょう。

                         

 神の人々()への神の言葉はこうです。「彼らから離れ出て、汝らは分かれなさい。……そして、清くないものに触れてはいけません。そして、私はあなた方を受け入れるでしょう。そして、あなた方の父となるでしょう。そして、汝らは、私の息子、娘となるでしょう」(2コリント6:17 KJV)、「汝らは、特殊な人々、清い民、祭司の王の民、選ばれた世代です。汝らは、[霊的な]無知の闇から引き出して、主の素晴らしい真理の光に呼び出した主に賛美を捧げるでしょう」(1ペテロ2:9 KJV)。神の人々[]は、主、主にのみ奉仕するために自分達を結び付けた最も厳粛な契約によって思い出して、自分達に栄誉を帰さず、心を尽くして完全に主に奉仕する人々として区別されるために存在しています。

 「主はモーセに語りました。こう言いました。汝はイスラエルの子らに語りなさい。こう言いました。本当に、私の安息日を汝らは守るでしょう。なぜなら、それはあなた方の数世代を通して、あなた方と私の間のしるしだからです。そち達は、私があなた方を聖別する主であることを知るでしょう。汝らは、その安息日を守るでしょう。なぜなら、それは、あなた方に聖なるものだからです。すべて、これを汚す人は確かに死に追いやられるでしょう。なぜなら、誰でも、その日にどのような働きをする人も、主の人々の間から断ち切られるでしょう。6日は働きをすることができます。しかし、7日目は、主にとって聖なる休みの安息日です。その安息日にどのような働きをする人も、確かに死に処されるでしょう。永遠の契約なので、誰でもイスラエルの子らは、彼らの子孫もその安息日を守るように、その安息日を守るでしょう。それは、私とイスラエルの子らの間の永遠のしるしです。なぜなら、6日の間に、主は天と地を造り、第7日目に休んで、そして、清新にしたからです」(出エジプト31:12-17 KJV)

 これらの言葉は、神の人々[]という名称をつけた時に、私達を指し示しているのではありませんか。それらの言葉は、時が終わりに近づくにつれて、私達に言っていないのですか。私達は、私達の上に特定の名称の識別をつけて、神聖を育てるために存在しているのではありませんか。イスラエルの子らは、「永遠の契約なので」その子孫も安息日を守るために存在しています。その安息日はそれ自身の意味するものが何も失われませんでした。それは、まだ、神と主の人々の間のしるしです。そして、それは、永遠に存在しているでしょう。


 

2章 証2 証し人になるための呼び掛け

 

 

[1.最後の警告の委託]

 特別な考えによって、セブンスデー アドベンチストは、見張りをする者、光/真理を伝える者として、この世界に遣わされました。その人々に、滅びる世界の人々のための最後の警告が託されました。その人々は、神の言葉から素晴らしい光/真理を輝かしています。その人々は、第一、第二、第三天使のメッセージの宣布という――最も厳粛で重要な働きを与えられました。これ以上に重要な働きは存在しません。その人々は、自分達の関心をほかに移さないように存在しています。

 有限な人間に託された永遠に最も厳粛な真理は、この世界の人々に宣布するために、私達に与えられました。これらの真理の宣布は、私達の働きになるために存在しています。この世界の人々は、警告されるために存在しています。そして、神の人々[]は、人々に託された信頼に誠実になるために存在しています。その人々は、信徒ではない人々とビジネスの事業に入らないだけではなく、推測に繫がるために存在しているのではありません。その理由は、この世界の人々は、神が与えた働きを妨害しているからです。

 キリストは「汝らは、世界の人々の光/真理です」(マタイ5:14)と言いました。神が私達に明らかに開示した計画と勧めは、小さなものではありません。確かな預言の言葉に啓示されたように、神の意思を理解できることは、素晴らしい特権の一つです。これは、私達に重い責任を負わせています。神が私達に与えた知識をほかの人々に分け与えるようにと、神は私達に期待しています。神性な働き人達と人間性の働き人達は、警告のメッセージの宣布において団結するでしょう。

 人が自分の機会に語ることに関して言うと、真理の光/知識を受けた全ての人々は、御言葉が来たイスラエルのあの預言者と同じような責任の下にいます。「人の息子よ、私は汝をイスラエルの家を見守る者として定めました。それゆえ、汝は、私の口の言葉を聞いて、そして、私からの彼らへ警告とするでしょう。私がある悪い人に、悪い人よ、汝は必ず死ぬでしょうと語る時、汝が、その人の道の悪に警告を語らないならば、その悪い人は自分の不正のうちに死ぬでしょう。しかし、その人の血を汝の手に求めるでしょう。しかし、汝が、その人の道の悪を離れるように戒めても、その人が自分の道を離れないならば、その人は自分の不正によって死ぬでしょう。しかし、汝は、自分の魂を救い出しました」(エゼキエル33:7-9 KJV)

 私達は、それらに関して何かを言う前に、世界の終わりの預言の成就まで待つために存在しているのですか。私達の言葉は何の価値があるのですか。私達は、それらを避ける方法を彼に語る前に神の裁きが違反の罪の人に下るまで待つべきなのですか。私達の信仰は、神の言葉のどこにあるのですか。私達は、主が語ったことを信じる前に、過ぎて行く預言を見ていなければならないのですか。主の大いなる日は、数々のドアのそばにさえ、手の内、近くにあるということを示して、明白に、識別できる光線の光/真理は私達にやって来ました。私達は、それはもう遅すぎだという前に、読んで理解しましょう。

 天の生活がほかの人々に注がれるために存在しているということを通して、私達は通信路として聖別されるために存在しています。聖霊は、私達の心を絆で結び聖化して、教会全体に注がれて活気づけるために存在しています。バプテスマによってキリスト共に葬られた人々は、キリストの命をあらわす生き方をして、新しい命によみがえるために存在しています。神聖の管理chargeが私達に課されています。その委託は、私達に委ねられました。「それゆえ、汝らは行って、あらゆる国の民を弟子にして、父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、私があなた方に命じたことを全て守るように教えてなさい。私は世界の終わりまでもいつもあなた方と共に存在しています」(マタイ28:19,20 KJV欄外)。あなた方は、魂の救済手段を知る働きのために捧げられています。天の完全はあなた方の力となるために存在しています。

 

2.清い生活

 私達が神の証をするために存在しているということは、単に福音文書を配布するためだけでも、真理を説教するだけのために存在しているのでもありません。キリストのような生活は、キリスト教の魅力を前進させることができる最も力強い説得力があります。そして、世俗の品性よりも、この世界で粗末なクリスチャン品性がひどく害を及ぼしています。執筆されたあらゆる本は、清い生活という目的に貢献できていません。牧師達が説教していないことや、教会が生きていないことはありませんが、人々は信じているでしょう。講壇から語られた説教の感化は、あまりにしばしば、真理を擁護していると言う人々の生き方によってなされた説教によって効力を失っています。

 この世の人々の前で、主の人々[]に主の栄光があらわされることが、神の目的です。主は、行ないと言葉と思想の中に主があらわされるために、キリストの名を伝える人々に期待しています。その人々の思想は、救い主の近くで、彼らの周りの人々がそれらの言葉を語って、高尚にされて、清められて、その言葉が高貴にされるために存在しています。キリストの宗教は、その人々の言葉と行動、全てに編み込まれるために存在しています。その人々のすべての務めのやりとりは、神の臨在と共に良い香りの漂うものとなるために存在しています。

 罪は嫌悪されるものの一つです。それは、大勢の天使達の道徳的な美を損ないました。それは、私達の世界に入り込んで、人間の中の神の道徳的なかたちをまったく存在しないほどに消しました。しかし、主の大いなる愛によって、神は、人間がその気性に益をもたらすように考えて、それにより、その立場を回復できる道を提供しました。キリストは、私達の完全な品性の益となることを成し遂げて、人間の長headとして立つためにやって来ました。主を受け入れる人々は生まれ変わっています。

 キリストは、つけこむ悪の膨大な力を発揮して魂を支配する王に内在する罪を増長する力の働きを通して人間性を見ました。また、彼は、征服者サタンに立ち向かうために存在していた権威者の力を見ました。彼は「今は、この世界の人々が裁かれる時です。今は、この世界の王が追放される時でしょう」(ヨハネ12:31 KJV)と言いました。彼は、人間が彼を信じ始めたならば、レギオンという名の堕落した天使達の対処に抵抗する力が与えられるだろう、ということを知りました。キリストは、まさに成し遂げようとしていた素晴らしい犠牲によってその思想と共に自分の魂を力づけました。この世の王は、男性達と女性達がいた所から追放される運命にありました。神の恵みを通して、その人々は失われていたことが回復されるでしょう。

 キリストはその生涯をこの世界で送ったので、男性達と女性達は彼の指導と力を通して生きることができます。サタンとの彼らの闘いにおいて、彼らは主が所有していたあらゆる助けを得られるでしょう。彼らは、彼らのために主自身を与え、彼らを愛した主を通して、征服者以上の者になれるでしょう。

 キリストの命を生きていないクリスチャンと告白して生きていることは、宗教への一つの嘲笑です。教会員名簿に氏名を記録されたすべての人は、平安な精神と内面の柔和な美を示すことによって、キリストをあらわす義務の下に生きています。その人々は、主の証し人になるために存在しています。キリストが人々に模範を示した時、それを楽々にこなすことを知って(making known the advantages of walking and walking )、主の証し人となるためにいます。この時代のための真理は、それを信じる人々の生活にそれ自身の力によって表されるために存在していて、この世界の人々に伝えられようとしています。信徒達は、聖化され高貴にされるための力を自分達の生活に表すために存在しています。

 

3.キリストの代表

 天の世界の住人達は、世界の人々にキリストに就いている者達が光/真理として輝くことを期待しています。その人々は、キリストが死んで人々に与えた恵みの光を外へ示すために存在しています。神は、キリスト教信仰の高度なレベルの結果を生活にあらわしてクリスチャンになると告白する人々に期待しています。その人々はキリストの代表として思われています。また、その人々は、クリスチャン信仰が一つの現実だということを示すために存在しています。その人々は、神の約束と神に信頼して、疑いなしに、魂のまったき人、勇気ある人、信仰に属する人々になるために存在しています。

 神の都に入る人々は、この世での生活の間に、その振舞いによってキリストをあらわす必要があります。キリストの証し人、主のメッセンジャーを構成する人は、このような人々です。その人々は、世界の人々の罪を取り除く、神の子羊を罪びとらに示して、全ての不正な行動に対して確固とした証を分かりやすく伝えるために存在しています。主は、彼を受け入れる全ての人々に神の子となる力を与えています。新しく生まれることは、私達が神の都に入ることが可能な唯一の道です。それは狭く、そして、私達が入る門[]は厳しいです。しかし、それに沿って、私達は、救われるために教え、男性達や女性達、子ども達を導くために存在しています。その人々は新しい精神と新しい心を持つ必要があります。過去の遺伝的な品性の特徴は克服される必要があります。魂の生まれつきの性質は変えられる必要があります。全てのだますもの、すべての偽り、あらゆる悪い話は、取り除かれる必要があります。新しい命は、キリストに似た男性や女性をつくり、生かされるために存在しています。

 

4.特別な真理の忠実な固守

 私達が伝えるために呼び出された時、神聖で厳粛なメッセージを持つ人々の生活に見せかけがあってはいけません。世界の人々は、セブンスデー アドベンチスト達の高い標準と信仰告白についていくらかを知っているので、彼らを見つめています。また、その人々は、告白したことに生きていない彼らを見ている時、軽蔑の的として指摘しています。

 イエスを愛している人々は、主の意思との調和をあらゆる生活にもたらすでしょう。その人々は、主の側にいることを選びました。そして、その人々の生活は、世俗の人々の生活と対照的に生気に溢れるために存在しています。かの誘惑者は、甘い言葉と賄賂を持って人々の所にやって来るでしょう。そして、「汝が私を拝するならば、私は、これらの全ての物を汝に与えましょう」と言います。しかし、彼らは、受ける価値がないということを知っています。そして、彼らは、彼の誘惑に応じることを拒んでいます。神の恵みを通して、彼らは、損なわれていない彼らの原則の清らかさを守ることが可能になっています。聖なる天使達が彼らに付き添っていて、キリストは、彼らの特別な真理の忠実な支持によって現されています。彼らは、真理を支持する決定的な証を真の証し人として伝えているキリストの緊急招集兵です。彼らは、そこには、人々が授かることのできるあらゆる賜物に、男性や女性が真理や正義から1インチ(3cm)も逸れないことを可能性にさせる霊的な力があることを示しています。そのような人々は、彼らがするために呼び出されている犠牲ではない思いやりと、神の意思へ彼らの生き方を生き生きにしたので、どこでも、天の栄誉を受けるでしょう。

 

5.世界中に広まるメッセージ

 神が主の人々()に与えた光/真理は、すでに知ったその真理をこの教会の中に閉じ込めるために存在しているのではありません。それは、この地上の闇と無知の中にいる外の人々に輝かされるために存在しています。キリストが光/真理の中に存在しているように、光/真理の中を歩んでいる人々は、主が彼らに現したことをほかの人々に現すことによって、救い主と協力することでしょう。この時代の人々のための真理が、すべての人々と言語と国の民と民族に知らされることは神の目的です。この世界で、今日、男性達や女性達は、世俗の楽しみと世俗の利益を求めて夢中になっています。魂の救いを考えることや、その時が与えられない何百万もの人がいます。世界中に響き渡ろうとしていて、キリストがやがて来るというメッセージの時がやって来ました。

 鎮めようがない様々な証拠が、その終末の近いことを指摘しています。その警告は、確かな音調で伝えられるためにあります。その道は、天の軍勢と平和の君の来る時への備えをする必要があります。この時のための真理をまだ聞いていなかった都市でなされるための多くのことがあります。私達は、この世界の豪華な諸施設とサイズを競った施設を設立するために生きているのではありません。しかし、キリストが主の働き人達の中に招かれるという熱意を弱めず、忍耐心も衰えさせず、主の名によって、私達は主の働きを前進させるために生存しています。

 一つの人々()として、私達が委託された福音の遂行を怠っていることに主の許しを請い願って、私達は、神の前で私達の心をいっそう謙虚にする必要があります。私達は、働きができない多くの主だった都市を残して、いくつかの場所で大きなセンターを作りました。危機の考えを男性達や女性達に目覚めさせるために、存在しているメッセージを宣布して、私達に託された働きを再開しましょう。全てのセブンスデー アドベンチストが、託された働きをしたならば、信徒の数は、現在以上に多くなるでしょう。アメリカの全ての都市の中には、神の律法に従うよう、また、メッセージを心に留めるように導かれた人々が存在するでしょう。

 いくつかの場所で、安息日を守ることを考えるメッセージは、力と清めと共に表明されました。その一方で、ほかの場所は、警告されずに残されました。真理を知らない人々は、彼らの責任に目覚めないのではありませんか。私の兄弟[姉妹]のみなさん、あなた方は、世俗の事業や関心に自分自身を没頭している場合ではありません。あなた方は、救い主に託された委任を怠っている場合ではありません。

 宇宙のすべての事象は、第三天使のメッセージが人々に知られるようになった時に、真理の宣布のために、無条件に自分自身を捧げるという真理を知っている人々に呼び掛けています。私達が見て聞いているそれは、私達に義務を呼び掛けています。サタン的な働き人達の仕事は、彼の仲間の側に立つことをすべてのクリスチャンに呼び掛けています。

 

 

6.働き人達に必要な王

 私達に与えられた働きは、魂を救う自分自身の利己心のない努力の意味を理解している人々、また、自己中心的ではない人々で、知恵が必要とされていることによって、重要であり重大です。しかし、キリストが用いないような人々、なまぬるい人々の奉仕は必要ではありません。男性達と女性達は、人間の苦悩に触れる心を持っている人、また、命と恵みと光/真理を与えるという根拠を持った生活をしている人が必要とされています。

 神の人々[]は、世界の全ての人々に憐れみのメッセージを伝えるために目的を一つにして、自己犠牲と自己否定によって、キリストのそば近くに行くために存在しています。ある人は一つの方法で、またある人はほかの家庭で働くでしょう。主が彼らを呼び出して導いている時に、しかし、彼らはみな、働きを全部完成しようとして、共に奮闘するために生きています。声とペンによって、彼らは主のために労するように生存しています。印刷された真理の言葉は外国語に翻訳されて、地の果てまでも伝えられようとしています。

 私の心はしばしば負担を感じています。なぜなら、多くの人々ができる働きを何もしていないからです。彼らはサタンの誘惑のスポーツを楽しんでいます。特別な真理の知識を持っている全ての教会員は、誰も働くことができない[霊的な]夜が来る[ヨハネ9:4]ので、昼間の終わりに残っている間に働くことを期待されています。間もなく、私達はその夜の意味を理解することになるでしょう。神の聖霊はこの地上から取り去られて、悲しみ嘆きが存在するでしょう。国々の民は互いに腹を立てています。戦争の準備が広くなされています。その夜は手の届く近くにあります。教会の人々は、教会に委ねられた働きをするために出かけるために、目を覚ましましょう。そして、信徒達はみな、教育された人もされていない人も、そのメッセージを伝えることができます。

 私達の前に、永遠が広がっています。確かなことが周りの人々に掲げられようとています。私達の周りの魂達は滅びている一方で、私達は安易に自己愛に浸っていて、私達は何を考えているのですか。私達の心は、すっかり無感覚になっていませんか。私達はほかの人々の味方をする働きを持っているということを理解することも見ることもできていないのではありませんか。私の兄弟姉妹のみなさん。あなた方はそれらの人々の間で、目を持っていても見ないで、耳を持っていても聞いていないのではないですか。神があなた方に与えた主の意思の知識は無益なのですか。終末に近づいているという警告に次いで、主があなた方に送ったことは無益なことですか。あなた方が、この世界に訪れようとしていることに関する主の言葉の宣布を信じていますか。あなた方は神の裁きがこの地上の住民達に続いていることを信じていますか。あなた方はどんなふうに無関心で心配もせず、安易に座っていることができますか。

 過ぎた毎日は、私達に終末が近いことを知らせています。それは、私達に、神に近づいていることを私達に知らせていますか。私達は祈って見張っていますか。私達と協力したこれらの人々は、日々、私達のガイダンスと私達の助けを必要としています。それらの人々は、しっかりと固定した1本の釘として、聖霊によって家庭に送られる、時に適った一つの言葉という知性の状態になるでしょう。いずれ、これらの魂のある者は、私達がそれらの人々に二度と届けることができない所にいるでしょう。これらの仲間達、[人生の]旅人へ私達が及ぼす感化はどんなものですか。私達はキリストに魂を勝ち取るためにどんな努力をしていますか。

 時は近いので、私達の集団は大いなる働きをするために組織化される必要があります。働き人達は、彼らが受け取る給料のためではなく、終末に近づいている現実から、それに繫がる人と働きの偉大なことを理解している人が必要とされています。その時は大いなる成果と深遠な聖別を求めています。私は、神に「全ての罪の基にある自己崇拝の心が十字架に掛けられたメッセンジャー、自分の責任感に満ちているメッセンジャー達を立ちあがらせて送ります」と叫んで、このテーマにとても満足しています。

 

7.印象的なシーン

 夜の幻の中で、とても印象的なシーンが私の前を通り過ぎました。私は、一つの巨大な火の玉が、簡単に壊滅される理由となる、いくつかの美しい大邸宅に落ちるのを見ました。私は誰かが「私達は‟神の裁きがこの地上にやって来たことを知りましたが、私達はそれが間もなくやって来ることが分かりませんでした”」という言う声を聞きました。ほかの人々は、恐怖に震えた声で「あなた方は知っていたのでしょう。なぜ、あなた方は私達に話してくれなかったのですか。私達は知らなかったのです」と言いました。あちこちから、同じ怒りと咎めの言葉が語られました。

 ひどい悩みのうちに、私は目覚めました。私はまた眠りに就きました。そして、大きな収穫になるように思えました。権威者の一人が、広げられた世界地図の前で、その仲間に話をしていました。彼は、その地図には収穫される必要のある、神のブドウ畑が書かれている、と言いました。天からの光/真理が誰かを照らした時、その人はほかの人々に反射するために存在していました。光/真理たちは、多くの場所で灯されるために存在していました。ほかの光たちの恐怖を和らげるその光たちは、灯されるために存在していました。

 あの言葉が繰り返されました。「汝らは地の塩として生存しています。しかし、もしも、その塩が味をなくしてしまったら、それは何によって塩に戻るでしょうか。その時から、それは良いものではなく、投げ捨てられ、人々の足で踏みつけられるために存在しています。汝らは、世界の人々の光/真理です。丘の上にある町は、隠れることができません。ロウソクを灯す人々はそれを枡の下に置かず、ロウソク台に置きます。それは、その家の中に光を灯します。あなたがたの光/真理を人々の前に輝かしましょう。人々はあなた方の良い働きを見るでしょう。そして、天にいますあなた方の父を称賛するでしょう」(マタイ513-16 KJV)

 私は、地上の低い所や高い所から、都市や村々から輝き出る光の点を見ました。神の働きは指示通りになされました。そして、一つの結果として、あらゆる村や都市に主の記念碑[教会]がありました。主の真理は世界中に宣布されました。

 この地図は取り除かれて、ほかの地図がその場所に置かれました。それには、光がわずかの場所だけから輝いていました。あちこちにかすかな光だけがあって、その世界の残りの部分は真っ暗な闇でした。私達の指導者は、こう言いました。「この闇の部分は、自分の道を進んだ人々の結果です。その人々は、悪の傾向を育て、伝統を好んでいました。その人々は、自分達の生活の務めの長を責めて、とがめだてし、いぶかりました。彼らの心は神の前に正しくありません。彼らは、自分達の光を枡の下に隠していました」。

 もしも、すべてのキリストの兵卒達が自分の義務を果たしていたならば、シオンの城壁の上のすべての見張り人達が、トランペットのあの響きを立てていたならば、この世界の人々は、このような事態になる前に、警告のメッセージを聞くことができたことでしょう。しかし、その働きは何年も遅れています。一方、人々は眠っていました。サタンは、私達[の働き]の上に忍び込んでしまいました。

                      

 私達の信頼を神に委ねましょう。私達は、天の祝福を受けるのは私達の価値のゆえではなく、神の豊かな恵み、彼の信仰を通して私達が受け入れられるのは、キリストの価値のゆえであることを覚えて、私達の初めの信頼を終わりまで固く持って、主の賢明な先見の明/摂理に私達の現在と将来を託して、謙虚に主に信頼して、私心なく、主の働きを行なって、絶えず前進して行くために生きています。


 

3章 証3 家庭伝道の働き

 

 

[1.みんなが家庭伝道者]

 神は、この時代の人々のための真理の知識を託した全ての人々に、個人的な奉仕を期待しています。みんなが外国へ伝道者として行くことはできません。しかし、みんなが近所の人々や自分の家族への家庭伝道者になることができます。教会員達が自分達の周りの人達にこのメッセージを伝えることができる多くの方法があります。最もうまくいく方法の一つは、クリスチャンの生き方で、私心のない、人の役に立つ生活の中にあります。大きく変化して、生活の闘いに挑んでいる人々は、コストがかからない僅かの注目で、力づけられ気分転換されるでしょう。親切な言葉がシンプルに語られ、小さな心遣いがシンプルに送られると、魂を覆った疑いの集まりと誘惑の塊が拭い去られるでしょう。シンプルにキリストのような共感をあらわす誠実な心は、繊細なキリストの精神/霊に触れる、シンプルを必要とする心の扉を開ける力を持っています。

 キリストは、人間の働き人達がみな、主に心を明け渡すことをとても喜んで受け入れています。主は、愛が受肉する神秘を世界の人々に伝えることが可能な、人間と神性との一致に導いています。それを語り、それを祈り、それを賛美し、主の真理のメッセージを世界の人々に満たして、広い地域に勧め続けましょう。

 天の知性者達は、人間の働き人達と協力するために待っています。彼らは、滅びが待ち受けている魂の救いの達成のために、彼らの感化を通して、人間が可能な成長を世間の人々に示すことでしょう。真に改心した人は、自分が持っている喜びをほかの人々に与えようとして、神の愛にたいそう満たされるでしょう。主は、世界の人々に聖化の美をあらわすことを主の教会に望んでいます。教会は、クリスチャンの宗教の力を表すために存在しています。天国は、クリスチャンの品性を反映するために存在しています。賛美と謝意の歌は、この闇/無知の中で聞かれるために存在しています。福音の良き知らせのため、その保証と約束のために、私達は、ほかの人々に良いことをするように求めることによって、私達の謝意を表すために存在しています。この働きをすることは、弱って悩んで苦しんでいる魂に天の義の光をもたらすでしょう。それは、渇いている旅人、疲れた旅人のために開かれた泉のようなものです。あらゆる憐れみの働きに、あらゆる愛の働きに、神の天使達が現れています。

 

2.私達の模範

 キリストの働きは、私達の模範になるように存在しています。いつも、彼は良いことをするために精を出しました。神殿の中や礼拝所、町の通りや市場、仕事場、丘や海辺で、彼は、病人を癒して、福音を語りました。彼の生活は、私心のない奉仕の例の一つです。それは、私達の教科書となるために存在しています。彼の優しさと愛の同情心は、私達の私心と心無さをとがめています。

 キリストが訪れた所ではどこでも、彼の生き方によって祝福をふりまきました。どれほど多くの人々が、彼の私心のない愛、優しい同情、親切な教訓を学んで、信じていると言っていることでしょう。助けがなくて困っている人、弱っている人、弱い人に語る彼の声を聞いてください。「重荷を負って苦労している者はみな、私のもとに来てください。汝らは、自分の魂に休息を見つけるでしょう」(マタイ11:28 KJV)。そこには、彼の愛の出し惜しみも、彼の忍耐の欠如もありません。

 キリストは、私達にあらゆる国々に散って行って、砂浜に難破した船のように、自分の罪のために滅びている何千もの多くの人々に根気強く、忍耐強く働くよう呼び掛けています。キリストの栄光を分かち合う人々は、失望し、ひどい不幸で、助けを必要としている弱い人に、主の奉仕の働きを分かち合う必要があります。

 この働きに取り組んでいる人々は、常にキリストの生活を研究課題にしましょう。主の奉仕の中で、あらゆる能力を利用して、積極的に熱心になりましょう。貴い成果は、私心のない努力と誠実さに伴うでしょう。偉大な教師から、その働き人達は、あらゆる教育について高度[な知識と技術]を受けるでしょう。しかし、受けた光を与えない人々は、とても多くの失ったものがあったことに、ある日、気づくでしょう。

 人間達は、魂を救う働きをするために存在している人々の努力に、限界があると考えるような光/真理を持っていません。キリストは、かつて、彼の働きに、弱気になったことがありましたか。彼は、かつて、辛苦と犠牲に後ずさりしたことがありましたか。教会の信徒達は、キリストが全力を尽くした任務を引き継いで、全力を尽くすために存在しています。その人々は、偉大な教師の命令に従った行動を起こす用意をするために生きています。私達がなされるために待っている働きを見ているのはどこであれ、私達は、常にイエスを見ていて、それを取り上げて行なうために生存しています。私達の教会の信徒達が、この指導に心を傾けるならば、何百もの魂達はイエスに勝ち取られるでしょう。私達の教会の信徒達が、奉仕の働きmissionaryに生きていたならば、この福音は、速やかに、全ての人々に、全ての国々に、国の民に、言語に、宣布されるでしょう。

 

3.心を尽くした努力の成果

 この時代の人々のために、真理を宣布する働きに用いられる能力を清めましょう。もしも、現在、敵の勢力が勝利を得たならば、それは、教会が神の与えた働きを怠けているからでしょう。何年も、その働きは私達の前にあり続けました。しかし、多くの人々は眠っていました。もしも、セブンスデー アドベンチスト達が立ち上がって、彼らに託されたその働きをするならば、その真理は、私達が怠っていた都市で識別される伝道の前線と聖霊の力が明らかに示されるでしょう。

 心を尽くした働きがなされた時に、キリストの恵みの成果が見られるでしょう。シオンの城壁の上の見張り人は、目覚めて広く見張っているために存在していて、また、ほかの人々を無知から目覚めさせるために存在しています。

 神の人々()は、すべての私心が彼らの生活から切り捨てられて、主のための自分達の働きに忠実に、そして、とても熱心になるために生きています。主の働き人達は、キリストの生涯に見られた力、主の力を示されるでしょう。確信が回復されるでしょう。そして、私達はみな、教会の一致に導かれるでしょう。

 

4.奉仕の中の別なライン(伝道地)

 主は、主の人々()に、別の働きの伝道地で取り組むようにと呼びかけています。人生の主要道や横道にいる人々は、福音のメッセージを聞くために存在しています。教会の信徒達は、この時代のための真理について、十分な説明を受けなかった近隣の家々で福音の働きをするために存在しています。

 神は、クリスチャン家族に、間違いと[霊的な]無知の闇にいるコミュニティーに行くよう、また、偉大な教師のために根気よく賢く働くように呼び掛けています。この呼びかけに応えるような自己犠牲を求めています。多くの人々は、障害がみな取り除かれるのを待っています。魂達は、この世界で神なく希望なく死んでいっています。とても多くの人々は、世俗のことを優先するため、科学的な知識を獲得するために、欠乏や辛苦など害のある領域に立ち入る危険を犯しているでしょう。救い主について、ほかの人々に話すために行なおうとする人々はどこにいますか。[霊的な]無知の闇の中にいる人々に贖い主を指し示ために、福音を必要としている地域に移っていく男性達や女性達はどこにいますか。

 

5.私達の出版物の配布

 神の人々()はみな、第三天使のメッセージがまだ宣布されていない場所に、私達の出版物を届けるために生きています。私達の書籍は、多くの異なった言語で出版されようとしています。それらの書籍と共に、謙虚で信仰深い人々は、まだ光を受けていない、啓蒙されていない人々に、異なった方法で真理を伝えるために、伝道者として出て行こうとしています。この働きに取り組む人々は、医事伝道の働きの準備をするために生きています。病の人や苦しんでいる人々は、援助されようとしています。この憐れみの働きがなされるので、多くの人々は命の言葉を聞いて受け入れるでしょう。

 心に聖霊が授けられている訪問文書伝道者は、良い働きの素晴らしい可能性を持っています。戸毎に、シンプルに愛を持って、真理を紹介することは、キリストが弟子達を最初の伝道の旅に送り出した時に、主が弟子達に与えた指導と調和しています。賛美の歌によって、謙虚な心からの祈りによって、多くの人々が[福音を]届けられました。神性の働き人達は、人々の心に確信を送るために生きているでしょう。「私はいつもあなた方と一緒にいます」は、主の約束の言葉です。一人のヘルパーのような臨在者にとどまる保証と共に、私達は信仰と希望と勇気をもって労することができるでしょう。

 都市から都市へ、地方から地方へ、働き人達は、救い主が間もなく来るという約束を含んだ出版物を届けるために生きています。それらの出版物は、教えられるために存在している福音を世界のすべての人々のために、全ての言語に翻訳されるようとしています。すべての働き人達のために、キリストは、主の働き人達が成功するだろうという、神性の成果を約束しています。

 真理を知りたいと願っている人々は、彼らの心が隣人達のための働きへの決意に満たされるように、もっと熱心に主を求める必要があります。私の兄弟姉妹のみなさん、あなたの近くに住んでいる人々を訪ねてください。共感と親切によって、その人々の心に届くように願ってください。それを考え出すのではなく先入観を取り除いて、一つの働きの方法に確信を持ってください。この時代のための真理を知っていながら、回心していない隣人のための働きを拒んで、また、自分達の教会の努力に限定している人々は、まだ果たしていない義務の責任を問われるということを覚えていてください。

 あなたの隣人達に私達の小冊子を貸してあげてください。その人々の興味が湧いたならば、もう少し厚めの本にしてください。『キリストの実物教訓』を勧めてください。その物語を説明して、その本が欲しくないかを尋ねてください。すでにその本を持っていたならば、同じような種類の本を読みたくないかを聞いてみてください。可能ならば、真理を教える機会を確保してください。いろいろな所で栄えるのを知らないけれど、あなたは、水のあるそばに、真理のタネを蒔くために生きています。

 

6.戸毎の働き

 多くの国や州に、良い農業をするための熱心な開拓民がいます。彼らは、この時代のための真理を聞いたことがありませんでした。そのような場所では、働きをする必要があります。私達の一般信徒達がこの伝道地での奉仕を始めるようにしましょう。本を貸したり売ったり、新聞を配布して、聖書の読み聞かせによって、私達の一般信徒達は隣人達に多くのことを行なうことでしょう。魂達のために愛に満たされた人々は、多くの人々が回心するような力によってメッセージを宣布するでしょう。

 聖書研究を授ける二人の人が、ある家族の中に座っていました。家族の前に聖書が開かれています。彼らは、罪を赦す救い主として、主イエスキリストを提示しました。熱心な祈りが神に捧げられました。そして、その心は、神の聖霊の感化によってやわらかにされて支配されました。彼らの祈りは力と新鮮な言葉となりました。神の言葉が語られた時、私は、やわらかい、御言葉の光が輝き出ているのを見ました。そして、私は、やわらかに、言いました。「畑の垣根や大通りまで行って、私の家がいっぱいになるように、人々を連れてきてください」(ルカ14:23 KJV)

 その貴い光は、隣人から隣人へと伝わりました。打ち壊されていた各家庭の祭壇は建て直されて、多くの人々が改心しました。

 私の兄弟姉妹のみなさん、自分自身を主の奉仕に委ねましょう。改善されていない道に、許しの機会はありません。病の人や悩んでいる人を訪ね、その人々に親切な関心を示しましょう。できるならば、慰められるようにする何かをしましょう。この手段を通して、あなたは人々の心に届くことができて、キリストのための言葉を話せるでしょう。

 永遠だけが、働き人達に可能な、そのような伝道地での伝え方を示すでしょう。ほかの有用な伝道地が、熱心に義務を果たすことをしようとしている人々の前に開かれるでしょう。現在、雄弁な話し手達が必要とされていますが、それは得られていません。柔和で謙遜であることをナザレのイエスから学んで、謙虚で、キリストのような男性や女性達、そして、主の力に信頼している人々は、「今、用意ができていますから、来てください」(ルカ14:17 KJV)という招待をするために、畑の垣根や大通りに出て行くでしょう。

 これらの人々は、土地を耕してタネを蒔いて育てるように、伝道地で賢明に働いています。これらの人々は、シンプルに平易に育て、助けることが計画できているでしょう。その人々は良い働きをすることができて、同時に、その達成がこの人々の特権である高い水準の特徴を示しています。農夫、投資家、建設業者達は、放置されていた土地に行って土地を活用するために、工場を設立するために、自分のためにつつましやかな家を準備するために、そして、この時代のための真理の知識を隣人達に伝えるために、様々な技巧に熟練しています。

 

7.女性のための働き

 女性達のための奉仕の伝道地が、男性達と同じように広くあります。すべての人の助け――手際のよい調理、縫製、看護が必要とされています。不得手な家族の者は、調理の仕方、自分の衣服の作り方と修繕の仕方、病人の看護の仕方、その家の家計の管理の仕方などが教えられるようにしましょう。子ども達でも、自分達よりも幸せの少ない人々のための善意と愛の小さな何かの手伝いをすることを教えられる必要があります。

 

8.家庭は伝道地の一つ

 親達は、家の中の自分達の前にある広い伝道地を忘れないようにしましょう。すべての母親達に託された子ども達に、主の神聖が神から課されています。神はこう言っています。「この息子、この娘を育てて、私のためにその子を教育訓練しなさい。ある宮廷の有力者の似姿に倣って、その子に洗練した品性を与えなさい」。母親が悪の影響に抗するように子ども達を教える時に、神の玉座から輝いている光と栄光は忠実な母親に注いでいます。

 

9.全ての人の一つの場所

 全ての親達が行なうための熱心な働きがあります。すべての人は、人間性を高めるためのほめ言葉を話すようにしましょう。助けを必要としている多くの人々がいます。自分を喜ばすためではなく、僅かしか祝福を持っていない人々の祝福となるために生きている人の心は、満足させるものに感激するでしょう。無精者はみな、生活の現実に直面して目を覚ましましょう。神の言葉を思い出して、その記録を探しましょう。あなた方が御言葉の実践者であるならば、生活は確かに生きた現実としてあなた方のためにあります。あなた方はたくさんの報酬を見つけるでしょう。

 主は、その偉大な計画の中に、全ての人々のために一つの場所を持っています。必要とされない才能は授けられません。タレントは小さなものであると考えられています。遣わされた誠実な人が、なされるようにと神が意図している真の働きを行なうならば、神は、その人のために一つの場所と、一つの才能を備えています。田舎の小さな家に住む人の謙虚な才能は、戸毎に働きかける者に必要とされていて、豪華な賜物よりも、この働きを達成することができています。

 私達の前に有用な何千というドアが開かれています。急を要する様々な求めが、私達に資金と人材を訴えている一方で、私達は現在利用できる資源の乏しさに嘆いています。私達は、資源を百倍に増やすことができるほどに、とても熱心でしたが、私心と自己愛がその道を閉じました。

 教会のメンバー達は真理を輝かせようとしました。この時代のための真理の宣布の中で、みなさんの声は、この世界の享楽とバカ騒ぎ、不節制に対して証をして、謙虚な祈りとなって聞こえています。みなさんの声や感化、時間の全ては、魂達をキリストに勝ち取るためにあります。

 あなた方の近所の人々を訪ねて、その魂の救いへの関心を示しましょう。活動のためのあらゆる霊的なエネルギーを目覚めさせましょう。あなたが訪問した人々に手近にあるすべての終末を話しましょう。主イエスキリストは、その人々の心の扉を開くでしょう。また、その人々の心に永続する印象を与えるでしょう。

 その男性や女性達が霊的な無感覚から目覚めるように尽力しましょう。あなたがどのようにイエスを見出したか、また、あなたが主の奉仕の体験ができて以来、どのように祝福されたかを話しましょう。あなたがイエスの足もとに座って、彼の言葉からの貴い教訓を学んだ時に、あなたにやって来た祝福をその人々に話しましょう。クリスチャン生活にある感激と喜びをその人々に話しましょう。あなたの温かな誠意を込めた言葉は、あなたがとても高価な真珠を発見したことをその人々に確信させるでしょう。あなたの心地好い励ましの言葉で、あなたが確かに高尚な道を見つけたことを示しましょう。これが真の福音伝道の働きです。そして、これがなされる時に、多くの人々は、夢のようなものから目覚めるでしょう。

 日々の労務に従事している時でさえも、神の人々は、ほかの人々をキリストに導くことができています。これを行なう一方で、その人々は、救い主が自分のそば近くに存在している貴い保証を持てるでしょう。その人々は、自分のか弱い努力に頼るように放置されていると考える必要がありません。キリストは、その人々に、[霊的な]無知の闇にいてあえいでいる魂に、少しの力と勇気と元気が湧く言葉を与えるでしょう。その人々の信仰は、贖い主の約束が存在して満たされているので、気づいた時に強められるでしょう。その人々はほかの人々を祝福するために存在しているだけではなく、キリストのために行なう人々の働きによって、自分達に祝福をもたらしています。

 私がすでに話した働きを行なう必要があり、また、その働きのできる多くの人々がいます。私の兄弟、姉妹のみなさん、キリストのために、何をしていますか。みなさんは、ほかの人々のための祝福となるようなことを求めていますか。あなた方の口には、愛と共感と、親切な言葉がありますか。あなた方は、ほかの人々をキリストに勝ち取るために熱心な努力をしたことを表明していますか。

 

10.働きをしくじった結果

 比較的、少しの奉仕の働きが行なわれましたが、その結果はどうでしたか。キリストが与えた真理は教えられていません。神の人々の多くは、恵みに成長していませんでした。多くの人々は、その考え方の仕組みに不満があって不愉快でした。その人々は、自分自身には不満を感じず、この時代のための真理の重要性も考えず、ほかの人々を助けることをしていません。サタンは、失敗を見ていて、危機的状態に導いていて、そして、彼らの体験の特性に優位な立場を取っています。その人々が、神の意思を行ない、知ることを求めて強く繫がっていたならば、知性の不安のようなもの、滅びる魂のために重責のようなものを感じることでしょう。彼らは、「汝らは、世界に行って、全ての造られた者達に福音を伝えなさい」(マルコ16:15 KJV)という任務の達成を妨げられることがないでしょう。

 

11.不屈の努力へのアピール

 主は、眠りから目覚めるよう、主の人々に呼び掛けています。全ての事柄の終末は手近にあります。真理を知っている人々は、神と共に働く者となり、義の成果が現れるでしょう。奉仕が尽されるところにある神の愛の現れによって、多くの人々は自分の活動の方向の罪深さを見て気づくでしょう。彼らは、過去の私心が、神と共に働いている者達から資格を奪い取ったことを見るでしょう。神の愛の現れは、ほかの人々に私心のない奉仕の働きが見られる時も、それを読んでいる時も、多くの魂を神の言葉への信仰に導く手段となるでしょう。

 神は、主の人々に、主の愛によって新しく生まれるバプテスマ、つまり、聖霊の賜物によって新しくされることを望んでいます。この教会の中に、聖霊が死ぬ必要はありません。キリストが昇天した後で、聖霊が、待って祈って信じていた弟子達みんなの心に届いて、力と共にたくさんやって来ました。将来、地上の人々は、神の栄光によって明るく照らされ啓蒙されるために生存しています。聖なる感化は、真理を通して聖化される人々から、世界の人々に出て行くために存在しています。この地上の人々は、恵みや気品の雰囲気に囲まれるために存在しています。神の聖霊は、神の事柄を捉えて人々のために彼らに示して、人々の心に働くために存在しています。

 

12.奉仕の働きをする家族

 真理の光を持っている人々がみな、その真理を実践するならば、キリストのために行なわれることが可能なとても多くのことがあります。主の働きを成功させる新しい方法を考案して、利発な頭脳と器用な手で精を出して働き、個人的に働きに繫がれて、全員が奉仕の働き人となれる家族がいます。心を尽くして主を求め、主を近くに招いて、神に自分自身を預けるならば、キリストのために多くのことができる、熱心で、慎重で、温和な男性や女性がいます。

 私の兄弟姉妹のみなさん、魂の救いの働きの活動的な部分を担ってください。この働きは、霊的な力と知的な力に活力と命を与えるでしょう。キリストからの光/真理はその知性の中に輝くでしょう。救い主はあなたの心に宿るでしょう。そして、彼の光/真理の中に、あなたは光/真理を見るでしょう。

 神の働きに全部、あなた自身を捧げましょう。彼は、あなたの力です。そして、彼は、主の恵み深さの意図をもたらすためにあなたを助け、あなたの右腕(能力)となるでしょう。個人的な働き人は、あなたの周りの人に伝えることによって、彼らと知り合いになります。説教は、それらをするための必要のある働きをしていません。神の使い達は、あなたが訪ねる人々に宿るために、あなたに付き添っています。その働きは、代理人によっては行なわれることができません。貸されるか与えられるお金は、それを成し遂げることができません。説教はそれを行なうことができません。人々を訪問し、語り合い、祈り、共感することによって、あなたは、人々の心を勝ち取るでしょう。これは、あなたが行なうことのできる奉仕の働きです。それをすることに、あなたは、魂のために大きな愛を持って、辛いことに負けず、辛抱強く信じて、決心を堅くする必要があるでしょう。

 あなたが生活している近所の人々に近づく方法を見つけましょう。あなたがその人々に真理の言葉を話す時、キリストのような言葉を使うでしょう。主イエスは、働き人達の大教師だということを覚えておきましょう。彼は、タネを蒔いた後に注がれる水です。彼は、心に届くように、あなたの知性に言葉を備えています。神は、私心のない働き人の奉仕を支えるでしょう。従順、子どものような純粋な信仰、神への信仰、これらは、平和と喜びをもたらすでしょう。あなたが付き合いをしている全ての人々に、私心のない、愛情に満ちていて、根気の良い働きかけをしましょう。我慢できないようなことがないことを示しましょう。不親切な言葉を一つも出さないようにしましょう。キリストの愛があなたの心になるようにしましょう。親切の法則があなたの口から出る言葉になるようにしましょう。

 働きにつく人が何百人もいなくて、今、そこに、ひとりだけしかいないということは一つの不思議です。天の住人達は、神の息子娘になると告白している人々の元気のない、その冷淡さ、無関心さに驚いています。真理の中に、生きた力があります。あなたがそれを信じているならば、信仰によって前進しましょう。そして、真理を宣布しましょう。あなたにとって生きている現実が確かであるならば、あなたが見ている働きをこれらの人々のためにしましょう。

 

13.奉仕を通した発展

 キリストのような奉仕の働きのために、自分達の生涯を捧げる人々は、真の幸の意味を知っています。その人々の関心とその人々の祈りは、その人自身のはるかかなたに届いています。その人自身は、ほかの人々を助けようとしている時に成長しています。その人々は、最も感動的な事業、大きな計画に詳しくなっています。そして、祝福と、神性の光のチャンネルに自分達を合わせる時に、どれだけ成長できますか。そのような人々は、天からの知恵を受けています。その人々は、キリストのあらゆる計画の中で、キリストと益々一致するようになっています。そこには、霊的な停滞の機会はありません。自己中心的な野心や身勝手は、清い活動と高貴にされた切望や、尽力している関心に常に触れていることによって、とがめられています。


 

4章 証4 熱心な努力の必要

 

 

[1.尽きない努力の目覚め]

 聖霊の力によって、キリストの奉仕者であり代表達は、自分達の偉大なリーダーの証を伝えるために生きています。救い主の切なる希望は、その人々のあらゆる努力を罪びと達の救いに向けて価値づけるためにあります。キリストによって最初に与えられた好意的な招き「欲しい人は誰でもその生きている水をただで飲んでください」(黙示録22:17 KJV)は、世界中に響き渡り、人間の声によって取り上げられるためにあります。この教会は、「お出でなさい」と言うために存在しています。この教会の中の全ての軍勢は、キリストの側に活動的に繫がるために存在しています。キリストに就く人々は、神の言葉の預言の素早い成就に、世界の人々に注目を呼びかける懸命な努力に結ばれるために生きています。不信心と降霊術は、世界中の人々を強く捉えています。大きい光を与えられた人々が、今、信仰を失くして、冷淡になっていていいのですか。

 私達は、悩みの時のそば近くに生存しています。その困難は、私達の眼前にあるのに、考えられることがほとんどありません。下からの勢力が天に対して、戦うために人々を導いています。人間達は、神の律法を無効にするためにサタン的な働き人達と同盟しています。世界の住人達は、もはや、天からの火によって焼き尽くされたソドムの住民達や、大洪水で滅ぼされたノアの時代の世界の住人達と同じようになっています。サタンの軍勢は、永遠の現実から考案された知性を保つための働きをしています。その敵は、自分の目的に合わせて様々な内容を整えました。世俗のビジネス、スポーツ、現在のファッションなどは、男性達と女性達の知性を占領しています。享楽と無益な読書が判断を損なっています。広い道は、長い行列になってそこを歩んでいる人々を永遠の滅びに導いています。無知と浮かれ騒ぎ、暴力に満ちているこの世界は、教会の宗教を転回させています。神性の義の標準、神の律法は、無効なものであると宣言されています。

 この時代――圧倒的に不正が支配する時代――、全ての命の源から来ている新しい命は、人々の心に神の愛を持っている人々の宝を作るために存在しています。そして、その人々は、十字架につけられ、よみがえった救い主に関するメッセージを力強く宣布するために生きています。その人々は、魂達を救うために努力を惜しまず、熱心に全力を尽くして働くために生きています。その人々の模範は、周りの人々に良い話で感化を及ぼすようになるために生きています。その人々は、私達の主キリストイエスの知識の美点を失うのではなく、全ての事柄の価値となるために生きています。

 真剣な熱心さが、現在、私達の宝を蓄えるでしょう。私達の眠っているエネルギーは、尽きない努力に目覚めさせられる必要があります。献身した働き人達は、新しい場所で勝利を得るために、伝道地に王道を開くために出て行く必要があります。私の兄弟姉妹のみなさん、救い主によってなされる贖いについて、永遠の命の必要に怠惰になって、毎日、魂達は警告されず救われずに墓に下って行こうとしていることを、あなた方は何も知らないのではありませんか。やがて、世界の人々は、破られた主の律法をめぐって、ヤハウェ(hwhy)神」に立ち向かうために存在しているということについて、あなたには何の用意もないのではありませんか。天の使い達は、何年も光/真理を持っていた人々が、この地球の暗い場所に真理の松明を持ち歩かなかったことに驚いています。

 犠牲の無限の価値は、罪が恐ろしいという事実を現して、私達の贖いを求めています。神は、地上の表から罪びと達を一掃することによって、造られた者達のこの汚い染みを消し去ることができます。しかし、主は「世界の人々をとても愛したので、一人息子を与えました。彼を信じる人は誰でも、滅びないで、永遠の命を持つでしょう」(ヨハネ3:16 KJV)。なぜ、私達はもっと熱心にならないのですか。なぜ、私達はそんなに怠惰が多いのですか。なぜ、神を愛すると告白した人々は、協力者達や隣人達に光を与える、啓蒙するということをしないのですか。その人々は、大いなる救いに怠惰でいることができないでしょう。

 

2.共感の欠如

 今日、クリスチャンだと告白している人々の間で、救われていない魂のために感じるべき共感のひどく欠如した人がいます。私達の心heartsが、キリストの心heartと繫がって鼓動beatしない限り、私達が、「彼らが配慮する必要がある時に、魂達を……見守る」のですか、という言葉によって呼び出されている働きの重要性と神聖さをどのように理解できますか。私達はクリスチャンの任務に就いて話しています。私達の声の響きは聞かれています。しかし、私達は、魂達のためのキリストの優しい心の願いを感じていますか。

 救い主は、疲れを知らない働き人の一人でした。彼は、時間によって自分の働きを計りませんでした。彼の時間、彼の心、彼の力は、人間の益のための労働に充てられました。毎日が労苦に捧げられました。そして、毎晩が祈りに費やされました。そして、彼は、狡猾な敵のあらゆるだます働きに立ち向かうために気力を奮い立たせて、人間を回復し高める働きをするために力づけました。

 神を愛している人は、自分の働きを8時間制によって計算していません。全時間を働いている人は、義務から逃れません。人が機会を持っている時、その人は良いことをしています。どこでも、いつでも、どんな場所でも、人は、神のために働く機会を見つけています。その人は、行く所はどこでもその良い香りを放っています。健康的な雰囲気がその人の魂に漂っています。その人のよく整った生活と信心深い会話の美しさは、ほかの人々に信仰と希望と勇気を与えています。

 必要なものは、心の奉仕の働きです。思い付きの努力は、少しだけ良いことをするでしょう。私達は、その注目をやめる必要があります。私達は、熱心さに長ける必要があります。

 人間の苦悩、喪失、危険、そして、反対者のいる中で、積極的な戦いによって、魂を救う働きは前進するために存在しています。あの戦いで [1]、攻撃を仕掛けていた連隊の一つは、敵の野営隊によって後方から打ち負かされていました。連隊の退却時に、前線の旗手は自分の持ち場に立っていました。その司令官は旗手に「その軍旗を持って帰れ」と叫びました。しかし、その旗手の返事は「軍旗を揚げる人々を連れてきてください」でした。これは、旗を掲げる人々を連れてくるために、あらゆる忠実な、標準を伝える者に委ねる働きです。主は、心を尽くすことを呼び掛けています。私達はみな、「クリスチャンと告白している多くの人々の罪は、標準を掲げる人々に繫がった人々と彼らにもたらされるエネルギーや勇気が欠如していることだ」ということを知っています。

 多くの国々から、「来て、……私達を助けてください」というマケドニアの叫びが聞こえています。神は、私達に伝道地を開示しました。人間の働き人達が、神性の働き人達と協力するならば、実に多くの魂達が真理に勝ち取られることでしょう。主に[仕えると]告白している人達は、割り当てられた働きにつまずいて眠っていました。そして、多くの場所で、それは、大半が触れられずに残されています。神は、私達の[教会の]人々を目覚めさせて、今、それをするために、何かをするようにメッセージを次々と送りました。しかし、「私は誰を遣わそうか」という呼びかけに、「ここに私がいます。私を遣わしてください」(イザヤ6:8 KJV)という僅かの応答があっただけでした。

 怠惰と無精に関する汚点がこの教会から取り除かれた時、主の聖霊は慈悲深く現されるでしょう。神性の力が現されるでしょう。この教会は、ホスト役/万軍の主の摂理の働きを見ることでしょう。真理の光は、使徒時代のように、強い光線となって明るく輝き出るでしょう。多くの魂は間違いから真理へと立ち戻るでしょう。地上は、主の栄光と共に明るくなるでしょう。

 天の使い達は、行なわれるための偉大な働きに彼らと協力するための――教会のメンバー達――人間の働き人達を長い間待ち望んでいました。彼らは、あなた方のために待っています。伝道地の設計はとても広範囲で、とても広いです。すべての清められた心は神性の手段として奉仕を課されるでしょう。

 同時に、下から働く力があるでしょう。一方、神の恵みの働き人達は、献身した人間達を通して働くでしょう。サタンは、自分の配下にある全てを貢ぎ物として自分の働き人達を支配下に置くでしょう。そこでは、多くの者達の主になるでしょう。多く者達の神になるでしょう。「ほら、ここにキリストがいる」「そら、そこにキリストがいる」という声が聞かれるでしょう。サタンの陰険な陰謀が、現在の義務から女性と男性の注意を逸らす目的で至る所で現れるでしょう。また、そこには、しるしと不思議があるでしょう。しかし、信仰者の目は、これら全ての地の前兆の現れと恐ろしい将来を識別するでしょう。神の人々はその勝利を待っています。

 ずっと、心にとどめて働きましょう。ええ、働きましょう。あらゆる力は清められる必要があるということを知性に教えましょう。偉大な働きは行なわれるために存在しています。偽りのない口から出ていく祈りにしましょう。「神が私達を憐れますように。私達を祝福してください。主の顔を私達に輝かすために……。そなたの道が地の人々に知られるように、そなたの救いはすべての国の民の間にあるでしょう」(詩編67:1,2 KJV)。

 彼らについて行く人々と、彼らに贖いの手段としての程度に限界のあることに気づいている人々は、人間性の大きな必要の大きさを悟って、信仰によって歩むでしょう。その人々の心は、私達の世界に困窮――困窮した群衆すなわち、衣服や食料の困窮した人々、何千という多くの道徳心の欠乏した人々、無に帰する身体的な苦悩に似た、恐ろしい運命の影の下にいる人々――が広がるのを見る時に、同情心に駆られるでしょう。

 教会員達は、知性に、「教会員名簿に記録されている自分達の名前は自分達を救わない」とういうことを教えましょう。その人々は、恥ずかしく思われる必要のない労苦をする者で、神を好ましく思う者であることを示す必要があります。毎日、その人々は、キリストの指導に合わせて、自分達の品性を形成するために存在しています。その人々は、いつも、自分の中の信仰を実践して、主の中に宿るために生きています。このように、健康的で快活、謝意を示すクリスチャンは、透明な光の中に、いっそう、透明な光の中へと神によって導かれて、キリストの中で男性達と女性達の十分な資質に成長するでしょう。もしも、これがその人々の体験でないならば、その人々は次のような苦渋の嘆きをつぶやく人々の間にいることでしょう。「収穫は過ぎてしまった。夏は終わった。私の魂は救われなかった。なぜ、私は、避難のための主の要塞に駆け込まなかったのだろうか。なぜ、私は自分の魂の救いを軽くあしらったのだろうか。なぜ、哀れみの聖霊を見下したのだろうか」。

 「主の大いなる日は近いです。それは近くにあります。そして、それは大いなる日です」(ゼファニア1:14 KJV)。私達は福音の靴を履くようにしましょう。注目の瞬間への行進の準備をしましょう。少しの間でも貴重です。私達は自分を満足させることに費やす時間はありません。私達の周りには、罪に滅びている魂達がいます。毎日、私達の主、大教師のためにすることが何かあります。毎日、私達は、魂達に、世界の人々の罪を取り除く神の子羊を指し示すために生きています。

 「汝らは、さらに、用意をしていなさい。私達が考えていないような時間に、人の子が来るからです」(マタイ24:44 KJV)。すべての罪を告白してから夜の休みに就きましょう。私達は、自分達の主に会うことを期待した1844年の時にはこのようにしました。そして、今、この大きなイベント[再臨]は、私達が最初に信じた時よりも、近くにあります。汝らは、夕に、朝に、また、昼に、いつも用意していましょう。「見なさい、花婿が来ます。汝らは彼に会うために出て行きなさい」という叫びが聞こえた時に、あなた方は、眠りから目を覚ましてでも、あなたのランプの芯を整えて灯して、彼に会うために出て行きましょう。


 

5章 証5 汝らは無償で受けた、無償で与えられた

 

 

[1.宝を与える方に変える]

 自己犠牲は、キリストの教えの要旨です。しばしば、権威があると思われる言葉が言いつけられて提示されています。それは、保持しているならば、全存在の価値を下げてしまう利己心を彼の生涯から切り捨てる以外に、人間を救うための方法がないと、神は見ているからです。

 キリストは、私達が「永遠の重い栄光ともっと優れているもの」(2コリント4:17 KJV)に与る者となれるように、貧しい者になりました。私達は、人間達が永遠の命を持つことが可能になるように、十字架の死のために上げられた主自身が与えるよう、主を導いた自己犠牲と同じ実践をするために存在しています。私達の全ての財産の使用において、私達は、全てのクリスチャンのアルファとオメガである主の目的を果たすよう努力するために生きています。

 私達は、私達が取っておくことができる全ての財産を主の財宝の位置に置くために生きています。まだ働かれていない伝道地では、貧しい人々がこの財産を求めています。多くの国々から、「来てください、……そして、私達を助けてください」という叫び声が響いていました。私達の教会員達は、本国と外国の伝道地に強い関心を寄せる必要があります。新しい領域で真理の標準を教える努力の自己犠牲をする時に、大きな祝福がその人々にやって来るでしょう。この働きに使われるお金は、豊かな返礼をもたらすでしょう。新しい回心者達は、御言葉から受けた光/真理を喜んで、ほかの人々に真理の光を伝えて、自分達の宝を与える方に変えることでしょう。

 

2.神の慈悲心

 神は、豊かに無償で、いつも、私達に与えています。地上のすべての祝福は、主の手からのものです。主は、私達に主の贈り物を授けることをやめていますか。どんな願いと苦悩と悲惨さの叫びが地上から上げられていますか。私達は、主ヤハウェ(hwhy)神」の絶え間のない溢れ出を日々に必要としています。

 造られたこの世界は創造主の思いやり深い愛によって支えられています。神は、私達の全ての人が持っているものの与え主です。主は、私達に授けた豊かな注ぎを主に戻すよう、私達に呼び掛けています。主は、植物が生い茂るように、地上の季節に陽の光と雨を送っています。地上の者達に与えた配慮を考えてください。主は、正しい者にも正しくない者にも善意の贈り物を授けています。苦悩する人間を助けるためにそれらの宝を与えることに、主の祝福を受けている人々は謝意を示していないのではありませんか。

 救いの真理の知識をもたらされる多くの魂がいます。その放蕩ぶりは天の父の家からはほど遠くて、飢えて死んでいます。彼は、私達の思いやり深さの対象になるように存在しています。「自分達の罪に滅びている人々を、神はどのように考えていますか」と尋ねてみてください。私は、あなたにカルバリーを示しています。「神は、彼を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を持てるように、一人息子を与えました」(ヨハネ3:16 KJV)。救い主の無限の愛を考えてください。私達がまだ罪びとであった時、キリストは永遠の死から私達を救うために死にました。キリストがあなた方を愛したことにより、偉大な愛に返礼するために、あなた方は自分自身を感謝の捧げ物として持って行くために存在しています。あなた方は、自分自身を感謝の捧げ物として捧げるために存在しています。あなたの時間、あなたの才能、あなたの資産――の全ては失われた者の救いのための愛の潮として、世界の人々に溢れ出るために、また、良い香りの感化の下で働きをするために、主と協力する幸いと主の愛を受け入れることを可能にしました。主は、あなた方に、私心のない奉仕のためにあなた方の財産を役立てるよう勧めています。魂達の救いのための主の計画は、力と共に前に向かって進められるでしょう。主は、あなた方に、主の働きのため、あなた方の集中したエネルギーを与えることを期待しています。

 あなたの財産を確実なものにしてみませんか。十字架を爪に刻み込んで伝えるために、手にしてください(Place in the hand that bears the nail print of the crucifixion.)。それをあなたの[この世の]財産として保持していると、それはあなたの永遠の喪失となるでしょう。それを神に預けてください。その瞬間から、それは主の書かれた言葉を伝えています。それは、主の変わらない[]となって封印されています。あなたの富を楽しんでみませんか。それを主の捧げ物として祝福のために使ってみませんか。

 

3.世界の人々の助けの必要

 私達の働きの壮大なことは、神の人々の一部の人々に寛容(気前の良さ)な意思を呼び掛けています。アフリカや中国、インドなどに何千というたくさんの人々がいます。いいえ、何百万もの人々がいます。その人々は、この時代のための真理のメッセージを聞いていません。大海の島々の人々は神の知識を待っています。それらの島々の学校は、彼らが受け取った光/真理をほかの人々に伝えるため、また、教育され訓練されて彼らの故郷の島々に遣わされるために、さらに、生徒達が天に至る学校に行く準備をするように設立するために存在しています。

 私達の国では、なされるための多くのことがあります。伝えられて警告される数多くの都市があります。福音伝道者達は、あらゆる場所に入って、その方法を見つけるでしょう。そこでは、人々の知性が、公立学校の宗教の授業と日曜[休業]法の問題をめぐってかき乱されています。その関心事の進展を妨げている間の摂理的な機会を利用することは、セブンスデー アドベンチスト達に無関心です。

 主は、私達を主の家令(財産管理人)にしました。私達の手に、忠実に分け与えるように主の宝を委ねました。彼は、主自身のものを主に返すようにと私達に求めています。彼は、主に捧げられたものが世界中の全ての地域に福音を送るために用いられるように分配するように、什一を蓄えていました。私の[教会の]兄弟姉妹のみなさん、あなた方の私心と縁を断つよう告白してください。そして、主へのあなた方の贈り物、捧げ物として持って行ってください。あなたが控えていた什一を彼に持って行ってください。あなたの怠慢を告白しに行ってください。主があなた方に行なうようにと招いた時に、主の真意を確かめてください(Prove the lord, as He has invited you do.)。「私はあなた方のために、むさぼり喰う者を責めるでしょう。彼はあなた方の土地で穀物や果実を滅ぼさないでしょう。あなた方のブドウは、その畑でその時の前にその実を落とさないと、ホスト役の主/万軍の主は言っています」(マラキ3:11 KJV)

 

4.私達の私心、神の働きへの妨げ

 家から家へと伝える働きと、人々への御言葉を開いて伝道している人々と牧師達を支えるための主の宝の中に、忠実であるはずの什一が控えられている、という[主の]指導が私に与えられました。世界の人々に福音を伝える働きは、個人的な私心によって大きく妨げられました。クリスチャンだと告白している人々の間にさえ、ある人々は、キリストが彼らに与えた財産によって支えられるために存在している福音の働きを見ることができません。お金は、世界中の人々に伝える働きがなされるために必要です。何千も何万もの人々が罪に滅んでいます。資金の不足が、すべての人々と言語と、種族と国民とに伝えられるために存在している真理の宣布を妨げています。主のメッセンジャーとして出向く用意のできている人々がいます。しかし、宝の資金の不足のために、彼らは、来て真理を教えるようにと頼んでいる人々の場所に遣わされることができません。私達の世界には、命の言葉を聞きたいと願っている多くの人々がいます。しかし、説く人がいなくては、どうして彼らは聞くことができるでしょうか。また、支援者がいなくては、どうしてそれらの人々に教えるために生きている人々を遣わすことができるでしょうか。神は、万全な備えをして、生きている主の働き人達を用意しているでしょう。彼らは主の財産です。そして、彼らが健康を害った場合に仕事を強いられる時に、主は敬意を払われていません。見放された伝道地に遣わされることができず、働き人達への資金の欠如の時にも、主は敬意を払われていません。

 人材と資金への求めに増額するという応答ができないので、全体総会の責任者達に対する不満が出ている場所で、私達の教会員達は、その働きの進展のために気前よく与えて、自己否定によって真理の力についての生きた証を伝えるようにしましょう。私達の姉妹達は、彼女達の衣服に高額な飾りを付けることをやめることによって助けるようにしましょう。不必要で、高価な飾りはみな取り外しましょう。家族みんなで主への捧げ物と什一を持って行きましょう。

 

5.神の施物分配吏(God's Almoners)

 真に回心した人々は、自分達のことを‟神の施物分配吏”と考えるでしょう。また、主が彼らの手に置いた財産を、その働きの前進のために分配することでしょう。キリストの言葉が守られたならば、主の宝倉には、主の[人類救済]目的に必要な資金が十分にあるでしょう。主は、男性達と女性達に、主の慈悲と哀れみによって、計画を前に進めるために豊富な資産を託しました。主は、主の家令達に、彼らの財産について、貧しい人々に福音を伝え、裸の者に服を、飢えている者に食料を得る働きに、彼らの資金を備えるように命じています。品性の完成は、自己犠牲なしに達成することができません。

 私達の働きの歴史の中で、現在以上に重要な時はありませんでした。マラキ3章のメッセージが、主の働きと主への私達との関係において、誠実さの必要が私達の前に掲げられて、私達にやって来ています。私の兄弟[姉妹]のみなさん、あなた方が主のものを主に与えずにおくならば、あなたがたが利益を得たり、売り買いしたりするために使う資金は、あなた方に一つの呪いとなるでしょう。主の働きの進展のためにあなたに託された資産は、世界のあらゆる地域に福音を送るために利用される必要があります。

 私達は、キリストの証人です。そして、私達は、私達を惹きつけるものや私達の時間に没頭するための計画や世俗の興味に任せておくために生きているのではありません。そこには、利害関係の高い関心があります。「まず、神の王国と、神の義を求めなさい」(マタイ6:33 KJV)。キリストは、神の意思を果たすために、進んで快く自分自身を与えました。彼は、十字架の死でさえも、死ぬまで従順になりました。彼が行なった全体像に、私達は自己否定の辛苦を感じるでしょうか。私達は、キリストの苦難に与っている者から引き返せるでしょうか。彼の死は、私達が持っていて存在しているすべてを主の働きに聖別することを、私達に快くさせて、私達に存在しているあらゆる性質を奮起させる必要があります。私達は、彼が行なったすべてを考える時、私達の心は愛と感謝に満ち溢れるでしょう。そして、私達はすべての自分本位を捨てるでしょう。キリストの愛の感化が迫っているもとで果たすことを、どんな義務がその心を拒むのでしょうか(What duty could the heart refuse to perform under the constraining influence of the love of Christ? )

 私達は、自己否定に基づいて、私達に可能な神の憐れみの事業が前進できるすべてを行なわないのですか。主のための犠牲としてほしいという願いがかなえられることなしにwithout being filled with a desire to be allowed to sacrifice something for Him? 、神のひとり息子によって耐えられた苦悩、神性の謙遜を見上げることができますか。彼との協力が許されることは、とても栄誉なことではありませんか。彼は、私達を捜し求めて天の家を去りました。私達は、失われてとどまっている者達を捜すために、主のもとでの羊飼いになりませんか。私達は、人生の中に、主の神性の性質と情熱を表しませんか。

 主は、主の人々に、管理することと思慮深いことを期待しています。彼は、全てのことについて節約を実践するよう望んでいます。伝道地にいる働き人達が、個人的な装飾品と高価な家具に利用されるような資産を使えたならば、キリストの十字架の勝利は大きく広げられるでしょう。

 みんなが、多額の捧げ物をすることができるわけではありません。みんなが、壮大な活動、大きな働きをすることができるわけではありません。しかし、みんなが、救い主の私心のないことを現すことができます。ある人は、主の宝庫に大きな贈り物を持ってくることができます。ほかの人は、わずかな小銭[今は廃止銅貨1ファージング[1円の1/4]だけを持ってくることができます。

 私達は、必要のないものに費やされているお金を請い願っています。私の兄弟姉妹のみなさん、あなた方のお金を不必要な物を買うことに浪費しないでください。あなた方は、これらの小額のお金は大金ではないと考えるでしょう。しかし、少額がたくさん集まると、全体で多額になるでしょう。あらゆる高額な出費を切り詰めましょう。浪費をなくしてシンプルな外見にしましょう。あなた方のお金は魂達の救いのための財産です。あらゆる部分が計画的になるようにしましょう。ある人は、大きな額を捧げることが不可能でしょう。しかし、みな、主のためにいくらかを週毎に取り分けておくことができます。子ども達も自分達の分について行動しましょう。親達は、主に捧げる数ペニー[数円]が救うことを子ども達に教えましょう。福音の伝道は、自己犠牲と自己否定によって支えられるために存在しています。神の人々の自己否定の成果を通して、ほかの人々は信仰に導かれるでしょう。そして、回心した人々は、主の働きの進展を進めるために捧げ物を増やす働きを助けることでしょう。

 間違いのない証拠が、終わりの近いことを示しています。その道は、平和の君が来るために用意される必要があります。私達の教会員達は、何度も繰り返し捧げることを求められているので、不平を言わないようにしましょう。何の必要がたびたび呼び掛けられていますか。それは、伝道事業の急な増加ではありませんか。私達は、捧げることを拒むことによって、それらの事業の進展を遅らしていませんか。私達は、神と共に働く同労者ではありませんか。すべての教会から、祈りが、気前の良い贈り物と献身が増すように、神の前に昇る必要があります。私の兄弟姉妹のみなさん、福音の働きを減らすことを請わないでください。救うための魂がいる限り、魂を救う働きについての私達の関心は、忘れ去られず知っておくために存在しています。この教会は、教会の主、大教師を否定することなく、教会の任務を弱めることができません。みんなが外国の土地に宣教師として行くことはできません。しかし、みんなが外国の伝道を進展させるために、自分達の宝を捧げることができます。

 入って行くことが可能な新しい伝道地がありますから、私達はみなさんの助けを必要としています。私達に委ねられた任務を怠っていて、その任務を一緒に行なう約束を果たすことにしくじっていませんか。神の人々は、主の働きの進展のために自分達の宝を捧げることを拒んで無配慮や無関心になっていませんか。主と繫がって自分達の奉仕をすることなしに、このことをすることができますか。神の人々は、このように、節約することを考えることができるでしょう。しかし、神から離れている所では、財政的な不安があります。

 私の兄弟姉妹のみなさん、あなたの時間と労力を自己の奉仕に使うことは手遅れになります。あなたが、天の宝を欠いていては最後の日を見出せません。十字架の勝利を推し進めることを求めて、魂達に光を照らして啓蒙することを求めて、あなたの仲間達の救いのために労すると、あなたの働きは、燃える火の試みのテストに耐えられるでしょう。

 誠実に、自己犠牲の中で働いている全ての神の働き人達は、[時間と労力を]ほかの人々に費やすために、また、費やすことを成し遂げています。キリストは、「自分の命を愛する人はそれを失い、この世の自分の命を憎む人は永遠の命を保つでしょう」と言っています。助けを必要としている所で配慮のある助けと努力と熱心によって、真のクリスチャンは、自分の愛を仲間達と神に示しています。彼は、奉仕の中で自分の命を失うでしょう。しかし、キリストが自身の宝石たちを集めに来る時に、彼は再びそれを見つけるでしょう。

 私の兄弟姉妹のみなさん、見栄えのため、自分に多くの時間とお金を費やさないでください。このことをする人々は、弱った心に温かな励ましを送って、ほかの人々を慰めただろう多くの事柄をやめてしまって当然です。私達はみな、ほかの人々の人生に希望と光をもたらすために、私達にしばしば訪れるその機会の慎重な利用のしかたを学ぶ必要があります。私達は、自分達の考えが自分中心ならば、それらの機会をどのように利用できるでしょうか。自分中心の人は、自分とほかの人々に祝福をもたらす多くの機会を失っています。自分自身に問うことは、あらゆる状況の下でキリストに仕える者の義務です。私は、ほかの人々を助けるために何ができるでしょうか。自分の最善を尽くして、その人は、神と共に成果を残すために存在しています。

 神は、貧しい人も富める人も同じく享受できるように、全ての人々のために喜びを提供しました。その喜びは、活動の私心のなさと考えの清らかさを涵養することによって見つけるものです。また、その喜びは、親切な行ないをすることと共感の言葉を語ることからやってきます。そのような奉仕を実践する人々から、キリストの光は、ひどい悲しみと[霊的な]無知の闇に生きている人々に照らされるために輝いています。

 誘惑が、あなた方の国のお金を使うようにとあなた方に来ることでしょう。たぶん、あなた方の子ども達は、このことをするようにあなたのアドバイスを受けるでしょう。しかし、あなたがたは、最良の方法を示すことができていますか。あなたのお金は、金貸しに預けて、賢く使われるようにあなたに委ねられたのではありませんか。主が来る時、主は、そのタレントが2倍になったことを見ることができますか。主が、あなたに、サナトリウムの設立や集会所の建設を助けるようにあなたの宝を使うように期待していることをあなたは知ることができますか。

 私達は、現在、お金以上に魂の価値を尊重する必要があります。宝を投資して良い結果をもたらす働きとして、あなた方が、魂を救う働き以上に優れた働きをこの世で知っているならば、あなた方は、私達がその価値を測ることについて、私達に何も言わないのではありませんかIf you know of a higher work in this world than the work of soul saving, a work which will bring better result for the investment of means, will you not tell us of it, that we may measure its value?

 私は、私達の[教会の]人々の多くが神の働きの重要性に気づいていないことを心配しています。ある人に、私はお金のことについて、このように応えたことを書きました。「私は、‟あなたのお金をいくらか貸してください”と尋ねているあなたの手紙を受け取りました。しかし、ここには、私が購入するために当を得て、神の子らがそれを考えた土地の一画があっただけでした。私は、すでに、この土地に私が蓄えていた財産を投資していました」。この兄弟達にとって、サナトリウム、あるいは学校の設立に兄弟達のお金を投資することは、どれほど良いことだったことでしょう。その証は、この時代の真理を伝えるために存在しています。それは、私達の[教会の]若い人々に最善の感化を及ぼすでしょう。そして、それによって、若い人々は神のための奉仕の働き人となるために教育訓練されることができます。

 私の兄弟姉妹のみなさん、あなたの宝をクリスチャンの任務を果たす施設の設立に投資してください。そこから、真理の光は魂達を神に引き寄せるために、輝き出るでしょう。真理に回心して、神のための奉仕の働き人となる一人の魂は、救い主のためにほかの魂達を勝ち取るでしょう。

 神自身が、主の働きの進展のために計画を立てています。そして、主は、宝の余りを主の人々に提供しています。主が援助を求めている時、人々は「主、汝の1ポンドは、ほかの人々に数ポンドの価値を増しました」と言って応答するでしょう。

 神のお金を委託された人々は、託した人々が貸したその宝を主の宝庫に持って行く時に慎重にするでしょう。主の働きは急に進展するでしょう。多くの魂達は、真理の目的のために勝ち取られるでしょう。キリストが来る日は、早められるでしょう。男性達と女性達は、価値を得て当然な者、魂達のために労する人、心を尽くした働き人、熱心な人として、真理の感化のもとに連れてこられるために生きています。12使徒の精神を持つ一人として数えられるバプテスマを受けた全ての人は、神の働き人とならざるを得ないでしょう。その人々が、信仰に堅く立って、誠実になるならば、また、利益を得ようとして主を売らないならば、しかし、神性の支配権と管理の知識をいつまでも持っているならば、神は、その人々の前に道を用意しているでしょう。また、その人々を豊かに祝福するでしょう。主は、主の善意、愛、恵みを表すようにその人々を助けるでしょう。主の栄光は、彼らの報酬となるでしょう。天の法廷において、喜びとなるでしょう。そして、喜びと聖化、天の喜びは、その働き人達の心に満ちるでしょう。滅びている魂達を救うために、その人々は、費やされて費やすことに快くなるでしょう。その人々の心は感謝と愛に満たされるでしょう。神の臨在の自覚は、彼らを力づけて豊かにし、彼らの体験を高貴にして清めるでしょう。天の恵みは、キリストに魂を勝ち取ることを達成した勝利者として、その人々の働きに現されるでしょう。

 私達の世界における神の働きは、たいそう進展されるために存在しています。忠実な家令達は、主の宝庫に主のお金を預かるために生存しています。その働き人達は、世界のあらゆる各地に送られるでしょう。このように、この働きは、勝利の栄光を勝ち取って、前進して伝えられるために存在しています。

 失われた魂達への愛は、カルバリーの十字架からキリストがもたらしました。失われている者達の救いのための魂への愛は、私達を自己犠牲と自己否定に導いているでしょう。キリストに就く者達が主自身に返す時、彼らは、その言葉を聞いた時に彼らのものとなるような宝を蓄積しています。「よくやった。汝らは、忠実な良い奉仕者でした。……汝らの主の喜びに加わりなさい」(マタイ25:21 KJV)、「主の前に置かれた喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を耐えて、神の玉座の右に座しました」(ヘブライ12:2 KJV)。永遠に救われた魂達を見る喜びは、贖い主の歩みに就いている全ての人々の報酬となるでしょう。

                       

 「神は、ひとり息子を残さず惜しみませんでした。それだけではなく、私達すべてのために自分自身を手放しました。神は、御子と共に全ての物を私達に無償で与えるのではないでしょうか」(ローマ8:32 KJV)。

 天の主が行なったことは、損失のある犠牲でした。神性の慈悲心は、計り知れないほど深く感動させられました。それ以上に与えることは神にとって不可能でした。「神は世界中の人々を愛したので、ひとり子を与えました。彼を信じる人はだれでも滅びないで、永遠の命を得るでしょう。」(ヨハネ3:16)。なぜ、私達の感謝はとても少ないのですか。天の父から私達に注がれるものは、大きな愛の潮に比べると、小さなさざ波に過ぎません。

                      

 キリストの再臨を予告している様々なしるしは、しっかりと成就しています。人々は、準備せずに、恐ろしい日に立ち向かうことになる目前の大事件を知らないままに残されるのではありませんか。天は、世界の人々の救いのための完全な捧げ物を用意しました。神の戒めを守り、神を愛すると告白している人々は、人々の魂に無関心でいいのですか。いいえ、そうしていることはできません。

 [再臨や安息日など]現在の真理の光を受けた人々は、熱心に屈せず、[霊的な]無知の闇にいる人々にこの光を伝えるために出て行くでしょう。自己否定と自己犠牲によって、努力が捧げられて、その人々は、イスラエルの神の力の中で労するために存在しています。そのメッセージは、別の国々に伝えられるために存在しています。それは、私達の国の都市や町々に伝えられるために存在しています。気力が弱り思い悩んでいる人々は、キリストにある平和と安息を与える真理のメッセージを待ち望んでいます。誰が、それを聞いたことがなかった人々にメッセージを伝えるのですか。誰が、全ての魂に犠牲として命を与える主の足もとに罪びとらを導いて、神の栄光と喜びを求めるのですか。誰が、人々の前に、「世界の人々の罪を取り除く、神の子羊」(ヨハネ1:29 KJV)として、救い主を掲げるのですか。


 

第2部 文書による奉仕の働き [2]

「主は言葉を与えました。それを書写した仲間達は偉大でした。」(詩編68:11 KJV

 

 

6章 証6 私達の出版事業

 

 

 最後の福音メッセージの偉大で素晴らしい働きは、それが以前になかったものとして、現在、伝えられるために存在しています。この世界の人々は、私達の書籍や定期刊行物によるこの世界へ福音を広める働きを通して、その真理の光を受け取るために生存しています。私達の出版物は、全ての物事の終わりが手近にあるということを示すために存在しています。私は、私達の出版所に「標準を掲げる。それを高く。世界中の人々に聞かれるように、第三天使のメッセージを宣布する。‟ここに、イエスに属する信仰と神の戒めを守っている人々がいる”(黙示録)14:12ということを知られるようにする。私達の出版物が、世界中の人々に一つの証として、そのメッセージを与えるようにする」と言うようにと命じられました。

 私達の働き人達は、現在、私達の信仰の根拠が書かれている書籍――私達の目前の試みの時に立つための一つの人々()を備え、聖書の教理を教える書籍に――まず注目するよう奨励されているでしょう。私達の出版物の賢明な利用を通して、聖書の教えに忠実な働き人達によって、真理の照明/啓蒙のために一つの人々()をもたらすよう、私達は、教理と御言葉によって労する者達になることを人々に教えるために存在しています。私達は、聖書をテーマにして書かれた書籍――ランプに火を灯して腰に帯を締めて、立つために一つの民を用意することを教える書籍――を配布することを彼らに勧めるために存在しています。私達は、よく整えられた文書の配布によって達成されうるその働きを考えていた時に、眠っていました。現在、私達は、書籍と定期刊行物の賢明な利用によって、決意のエネルギーと共に御言葉を教えましょう。この世界の人は、キリストがパトモスの小島でヨハネに与えたメッセージを理解できるでしょう。キリストの名を告白する知的な人々はみな、「すべての事柄の終わりは手近にある。汝の神に会うための備えをする」と証しましょう。

 私達の出版物はあらゆるところに出て行くでしょう。それらを、多くの言語で発行されるようにしましょう。第三天使のメッセージは、現存している教える人々やこのようなメディアを通して伝えられるために存在しています。この時代のための真理を信じているみなさんは目覚めてください。可能な宝をみな持ってくること、真理を理解する人々を助けること、それを宣布することは、現在のあなた方の義務です。私達の出版物の売り上げから来るお金の一部は、心の素地が休眠している人々を目覚めさせ、心の目を開く多くの文書を製作するために増加する設備に利用されるでしょう。

 そこには、それらの清さや力の中にある神の言葉の真理が生活にもたらされない、世俗のビジネスに没頭するようになること、商業主義に入り込む危険があります。商いと儲けへの愛着がますます広がるようになっています。私の兄弟[姉妹]のみなさん、あなたがたの魂を真に回心させましょう。私達が自分達の責任を理解する必要があった時に、その時間が永遠に存在したならば、公正が通らず、真理が通りに捨てられている時は今です。サタンは、滅びる人々の間であらゆる不義と騙しを働くために絶大な力を持って下って来ました。振るわれることが可能なあらゆる者は振るわれるでしょう。そして、振るわれることが不可能な者達は残るでしょう。主は、間もなくやって来ます。そして、私達は、災難の情況に入っています。サタン的な働き人達は見えませんが、人間の命を滅ぼすために働いています。しかし、私達の命が神の中にキリストと共に隠されているならば、私達は主の救いと恩恵を見るでしょう。キリストは、地上に主の王国を設立するためにやって来ます。私達の言葉が、主の栄光のために、清められて役立てられるようにしましょう。私達は、以前に働きをしたことがなかったように、今働きをしましょう。私達は、「差し迫った時期でも、そうでない時期であっても」(2テモテ4:2 KJV)熱心に勧めました。私達は、真理の提示を開示するために生きています。私達は、魂達をキリストに導くあらゆる機会を利用するために存在しています。

 私達は一つの人々()として再現されるために生きています。私達の人生は、イエスの中に存在しているように、真理の宣言のために犠牲になりました。私達の出版物の配布の働きによって、私達は、温かな心臓の鼓動から出る救い主の愛を話すことができます。神だけが罪を赦す力を持っています。回心していない人々に、私達がこのメッセージを語らないならば、私達の怠慢は、それらの落ちぶれを証しているでしょう。祝福された魂を救う聖書の真理は、私達の雑誌で出版されました。私達の定期刊行物の販売の働きを助けることができる多くの人々がいます。主は、私達みんなに、滅びかけている魂達を救うようにと呼びかけています。サタンは、真に選ばれた者達をだますために働きかけています。そして、今も、寝ずの番をして、私達の時間も働いています。私達の書籍や雑誌は、主の人々の前に注目をもたらすために存在しています。[再臨や安息日など]現在の真理の福音は、先延ばしすることなく私達の都市の人々に伝えられるために存在しています。私達は、自分達の義務に目覚めないのですか。

 私達が研究しているキリストの教えと生活を生きているならば、過ぎていくすべての出来事は、印象的な講話として一つの教科書を提供しているでしょう。それは、このようなものでした。主は、主の話を聞く小グループを大勢の仲間に増やして話をしたように、救い主は大通りや脇道で福音を話して伝えました。今日、福音伝道者達は、キリスト共に働く者となるために存在しています。これらの人々は、まさに、最初の弟子達のように、確信を持っていました。「すべての権威が、地においても天においても私に与えられています。それゆえ、汝らは、出て行って、そして、全ての国の民に教えて、聖霊と御子と父の名によってバプテスマを授け、私があなた方に命じて置いた全てのことを守るように教えなさい。見よ、私は、世界の終わりまでも、いつもあなた方の手もとに存在しています」(マタイ2818-20 KJV)。

 神の人々()によって伝えられる働きは、霊感の言葉の中に宣言されています。「見よ、私は、汝の顔の前に私のメッセンジャーを遣わしました。彼は汝の前に汝の道を備えるでしょう。荒れ野で人が叫んでいます。汝は、主の道をまっすぐに、主の道を備えなさい」(マルコ1:2,3 KJV)。「見よ、私に仕える人、私が支持する人、私が選ぶ人、私の魂が喜ぶ人、私は、私の精神/霊を彼に与えました。彼は異邦人に裁きをもたらすでしょう。……彼は、しくじることなく挫けないでしょう。彼は、この地に裁きを行ない、島々は彼の律法を待っているでしょう」(イザヤ42:1-4 KJV)。

 神は、主の律法について言う人々を十分に調査するために、全ての人々を招いています。主の言葉は、計り知れなく神聖です。真理の目的は、燃えて輝き出るランプの光のように、前進するために存在しています。神の言葉についての熱心な研究は、真理を明らかにするでしょう。罪と誤りは支持されないでしょう。しかし、神の律法は正当性が立証されるでしょう。「主はこのように言っています。主は天を創造し、これを広げました。彼は地上を広くして、地に属する者達を造りました。彼は、そこを歩む人々に命の息と精神/霊を与えました。私、主は、汝を義の中に呼んで、汝の手を支えるでしょう。また、汝を守るでしょう。そして、盲人の目を開くために、牢獄から囚人を解き放つために、[霊的な]無知の闇の家に座する者を連れ出すために、異邦人の光のために、汝に、契約した人々を与えます」(イザヤ42:5-7 KJV)。クリスチャン達は、神の言葉からそれらの光/真理を探し出して、[霊的な]無知の闇に座している人々に、その光を与えるよう、信仰によって出て行くために生きています。

       カリフォルニア サナトリウムにて、1908.5.24 [78]


 

7章 証7 出版物の配布

 

 

[1.この教会は霊的な暗闇時代]

 190732日の夜に、[再臨や安息日など]現在の真理を広く宣布するため、この教会の兄弟姉妹によってなされて存在している小さな努力と、私達が、現在の真理を出版する価値と思われる多くの事柄が私に現されました。

 私は、私達の印刷所が、出版物によって光と真理[を伝えるために]今も常に働いている必要のあることを繰り返し示されました。今は、世界中にあるこの教会の中に、霊的な暗闇がある時代です(This is a time of spiritual darkness in the churches of the world.)。神性の事柄についての無関心が、視界から特別な真理と神を遮りました。悪の勢力が力を結集しています。サタンは、世界の人々を虜にしようとするためにある働きをして自分の協力者達を得意がらせています。一方で、部分的な無活動状態がこの教会にやって来ました。サタンとその仲間達は、熱心に活動しています。クリスチャンだと告白したこの教会は、世界の人々を回心させていません。なぜなら、その人々自身がプライドと私心に堕落しているからです。そして、清く高い標準にほかの人々を導くことができる以前に、彼らの中心にいる[リーダー達]から、神の力によって、回心することを感じる必要があります。

 

2.奨励する体験

 32日の午後、私は、S.N.ハスケル兄弟姉妹と、[マサチューセッツ州]サウスランカスターで少しの期間を費やすために東部に行く計画と、[カリフォルニア州]オークランドでの働きについて話し合って、相談に費やしました。その訪問の後、私は、疲れて、早く休みました。私は、左半身のリウマチに悩まされていました。その痛みのために安眠を得られていませんでした。私は、その苦痛から逃れる方法を見つけようと、いろいろと寝返りをしていました。私のために良い兆しが無くて、私の心にも苦痛がありました。やっと、眠りに就きました。

 9時半頃に、私は、自分で寝返りをしようとしました。それをした時、私は、自分の体全体が痛みから解放されていたことに気づくようになりました。私は、自分の両手で寝返りをした時に、言葉で表現できない、また、この上ない光と解放を体験しました。部屋は、青色の優しい、最高に美しい光で満たされていました。そして、私は、天の存在者達の腕の中にいるように思われました。その特別な光、私は、特別な祝福の時を過去に体験していました。しかし、この時、それはもっと印象的で明瞭でした。私は、たくさん、もっとたくさん、平和のようなものを感じました。それを言葉で表すことができません。私は自分で起き上がって、坐位の姿勢になりました。私は、新鮮な色彩のほとりにいて、雪のように白く、光り輝く雲に囲まれていたように思いました。ある優しく心地好い音楽が周りに満ちていました。私は、その音楽が天使達の歌声のようだと思いました。それから、一つの声が私に語り掛けて、「恐れることはありません。私は、あなたの救い主です。あなたの周りにいるのはみな聖なる天使です」と言いました。

 私は言いました。「それなら、それは天です。今、私は安らぐことができます。私は、これ以上、伝えるためのメッセージを持てないでしょう。もうこれ以上、[キリストを]代表とする働きに耐えられません。すべての事は、今、楽になるでしょう。私は、安堵と平安のうちに休めるでしょう。私の魂に満ちている平和をどのように表現できますか。これは、確かに天ですか。私は、神の幼い子どもの一人ですか。私はいつもこの平和を持てますか」。

 その声は、「あなたの働きは、まだなされていません」と繰り返しました。

 私は眠りに就きました。そして、私が音楽を聞いて目覚めた時、歌いたくなりました。それから、誰かがドアから入って来た時、私は、その人がその光を見たかどうかを知りたいと思いました。その光の時間が過ぎた後でも、その光は残っていました。

 少しして、私はまた眠りました。その時、私は、私達の本の働きの存在を議論していた相談会議にいたように思われました。そこには、現在の私達の兄弟がたくさんいました。ハスケル長老と妻が、私達の本やトラクト、定期刊行物の配布について兄弟達と共に協議していました。

 ハスケル長老は、ホワイト姉妹に伝えた知識を含んだ書籍の配布理由を強調して提示していました。「現在の世界に伝える特別なメッセージを含んでいる本」は、もっとたくさん配布されるでしょう。彼は次のように尋ねました。「なぜ、私達の[教会の]人々は、神性の信用証明を伝える書籍をもっと広く配布することを正しく認識しないのですか。なぜ、サタンの働きに関する警告を含んでいる書籍を特別なものとしないのですか。なぜ、私達は、神の働きを打ち負かそうとしているサタンの計画を暴露して、だましを指摘している書籍を配布することに大きな努力を傾けないのですか。彼のだましの悪い教訓は、私達の時代の危険と状況を識別するように、人々の目が開かれて、取り払われるために存在しています」。ですから、キリストの義と彼への信仰によって、[それらを]手に入れるために知的な努力をする必要があります」。

 天からのメッセンジャーが、私達の真ん中に立ちました。そして、彼は指導と警告の言葉を語りました。彼は、私達に、神の国の福音は、滅びている世界の人々のためのメッセージであることと、そして、出版されるものと、私達のすでに印刷された出版物に含まれているこのメッセージは、近くの人々と遠くの人々の間に配布されることを明確に理解させました。

 

3.推測する研究の危険

 この時代に、世界の人々のために届くようにと、神が意図している真理の光は、世の人々が[自分の力で]学んだことを授けようとしているものではありません。それは、これらの人々はその研究において、しばしば間違った結論に至っていて、また、多くの著者に関する彼らの研究は、サタンが起源の理論に熱中するようになっているからです。光の天使の装いをまとったサタンは、科学的な神秘に満ちた、非常に興味深く見える人間の知性に関する研究を提示しています。それらのテーマの調査研究において、人々は、真理から引き離すように導く新理論を提出する働きによって、そそのかす霊と繫がるように、また、間違った結論を受け入れるように導かれています。

 彼らが読んでいたその本の中に誤った感情の混じった意見が書かれていたものは、真理についての聖霊の教えと同じ原則だという信条のもと、出版と講話と、それらの主張の編集者達、私達の教師達、牧師達によって時々織り交ぜられるという危険なことがあります。[ケロッグの]『生きている宮』という本は、この働きの一つの現れです。その著者は、ミセス ホワイトの著書にそれらが見られた時、それらの教えは同じものだった、とその支持を書いています。何度も、私達は、サタンがキリストと神について架空のものをつくるために働いていることを通して、サタン的な起源の科学を研究している人々の影響に立ち向かうために呼び出されるでしょう。

 天の父とその息子は、おのおのの人格を持っています。キリストは、宣言しました。「私と自分の父は一つです」。また、人間の姿でこの世界に来た人は神の息子です。彼は、王冠と王衣を横に置いて、自分の神性に人間性をまといました。彼は、無限の犠牲を通して、肉欲によるこの世界にある滅びを逃れさせるので、人間性は神性の性質に与る者となるでしょう。

 キリストは、人間として誘惑された時に、あらゆる点で誘惑されました。しかし、彼は、非難しとがめる誘惑者の撃退に対処した時間に猶予はありませんでした。すべての誘惑に、彼は主の言葉を提示しました。「それは、書かれています」という言葉は、彼が決して失敗しない武器でした。私達は、キリストを代表とする者として、生きている神の言葉によって、敵のあらゆる攻撃に立ち向かうために存在しています。私達は、彼の科学的な主張を利用することによって、陰険なヘビの道について行くことを自分に許すべきではありません。サタンは、神の子ども達が自分の防御として神の言葉を信頼することに優ることができません。

 私達の偉大なカウンセラーは、私達の知性に、神の戒めを守る人々がその真理を通して犠牲にされて当然で、そしてその真理は永遠に第一位に置かれて当然、ということを強く印象づけました。私達は、サタンが間違った科学を通して彼のだます力を実行してまだ生きていることを忘れてはいけません。

 キリストは、命の君、天の権威者でした。また、彼は、人間として自分自身を低くし、神の全ての律法に従順になりました。彼は、罪に染まらず、主の清らかさを現し、主の名を受け入れる全ての人が歩まなければならない地盤を通り越しました。彼は、全ての事柄で私達の体験をしました。

 キリストの初臨と奉仕の働きの人生は、人々に研究されるべきでしたが、研究されませんでした。彼の人生はそれ自身、高貴な質にある真理が表されていた自己否定の一つでした。彼は、全ての良い言葉と良い働きによって人間性を祝福するために生きました。

 

4.本を作る働きの尊厳

 本を作る働きは、基本的な良い働きです。しかし、自我がそれに繫がっていた何者かの働きに編み込まれたので、それが作用するべき、神が意図した高尚な聖なる位置に立っていたのではありませんでした。その本を作る働きは、世界の人々に[再臨や安息日など]現在の真理の神聖の光を素早く伝える手段となるでしょう。今日、私達の印刷所から出てくる出版物は、主の聖霊の啓示によって、また、神の言葉によって確立された信仰の柱や留め金具の力の特徴となるために存在しています。

 これらの終末の日に、主の人々()に与えられた真理は、間違った理論を提示する人々がこの教会にやって来た時に、彼らによって堅く守られる必要があります。半世紀以上もかの敵の攻撃に対して堅く立っていた真理は、依然として、神の人々()の慰めと確信になる必要があります。

 専門家でない私達が神の言葉に関する真理を持っているという証拠は、厳しい自己否定の生活の中で与えられるでしょう。私達は、自分達の信仰を軽視してはいけません。しかし、いつまでも、主の手本を私達の前に保っておく必要があります。彼は天の君でしたが、天の父の言葉の正義を立証するために、犠牲と自己否定の生涯に身を低くしました。私達は最善を尽くす決心をしましょう。私達の良い働きの光は、この世界の人々に向かって輝くでしょう。

5.進展における結束・[一致・調和]

 意見の完全な一致agreementは、私達の書籍と定期刊行物の出版のために作られた計画の中に存在しているでしょう。それらを含んでいる光/真理は、この世界の人々と名ばかりの教会のどこにでもすぐに伝えられるでしょう。もっと多くのことが、私達が今日見ている以上に、私達の本の販売によって成し遂げられるでしょう。

 私達の[教会の]牧師達は、真理に勝利させるよう、教会員達に呼び掛けています。「汝が輝くために、また、主の栄光が汝に輝くために、起きて、輝かせましょう。見なさい。闇が地上を覆い、多くの無知の民が地上を覆うでしょう。しかし、主は汝らの上に現れて、主の栄光が汝らの上に見られるでしょう。そして、異邦人達は汝の光に来るでしょう。王達は汝にのぼる輝きに来るでしょう」(イザヤ60:1-3 KJV)

 調和と愛は、信じる者達に素晴らしいことを成し遂げるでしょう。私達の教会は、世界の人々に最後の警告メッセージを目覚めて伝えないのですか。

 

6.私達の救済[と祝福]の書籍

 『キリストの実物教訓』はそれ自身の内容が語っている本です。それは良い働きを成し遂げました。それが発売された時、その売り上げの印税は、私達の学校の負債を救済したものとして受け取られました。この本よりももっと、この本を読むことによって多くのことが、その本自身の真理の教訓によって祝福されました。また、ほかの多くの人々がそれを読むことによって祝福されたことでしょう。

 『ミニストリー オブ ヒーリング』の本は、私達のサナトリウムと健康施設のために、『キリストの実物教訓』が私達の学校のために行なったのと同じような働きを行なっているでしょう。この本は、偉大な医者の知恵を含んでいます。私にとって、それは、私のこれらの本の働きによって、神の[人類救済]目的に寄与できた素晴らしい特権の一つでした。将来、売り上げの増加のために良い計画と尽力の準備がなされるでしょう。

7.負債の返済

 神は、私達が過去の失敗から教訓を学ぶように意図しています。主の施設に負債が残されていることは、主の喜びではありません。私達は、巨大に林立する高価な建物を拒むことによって、この働きの特徴を伝えるべく時代に到達しました。私達は、負債に益々巻き込まれるために、また、過去の間違いをコピーするために存在しているのではありません。私達は、私達の施設にまだ残っている負債額を完済する努力をするために存在しています。私達の教会員達は、彼らにその意思があるならば、この問題を助けることができます。主が教会員達に与えた宝は、彼らがその働きを支えるために助けることができる自由な捧げ物によって、また、彼らのお金を利息なしに、または、低い利息で、その目的に投資して使うことが可能です。主は、あなた方に貸した良い物の一部について、主への慎重な返済を求めています。

 

8.書籍の働きに関するその他の見方

 私達の教会の大集会とキャンプミーティングの最後に、牧師達は、私達の印刷物を迅速に配布する最重要性と、私達が生きているこの時代の明らかな消滅を提示しました。それらのアピールに応答して、兄弟姉妹達が前に来て、多くの本を買いました。ある人は少し、ある人は大量に買いました。購入者達の多くは、彼らが持参したお金で本の代金を払いました。少数の人は、後で払うように手続きしました。

 ある状況に合わせて特別に要約された書籍は、安い値段で売られるようになっていたので、たくさん売れました。私達の信仰に属していない人々も購入していました。その人々はこう言いました。「これらの書籍は私達のためのメッセージを含んでいるに違いありません。これらの本は、私達がそれらを買うために快く犠牲を払うために存在しています。私達は、自分自身と私達の友人達をそれらの本によって助けるでしょう」。

 しかし、不満が私達自身の人々のある人によって表明されました。その人はこう言いました。「中止が、この働きに置かれなければなりません。さもないと、私達のビジネスが台無しにされるでしょう。ある兄弟が、一抱えの書籍を持ち出した時、一人の訪問販売者が彼の腕の上に彼の手を置いて「私の兄弟、そんなにたくさんの本で何をしようとしていますか」と言いました。その時、私は、私達の偉大なカウンセラーの声を聞きました。「彼らを止めてはいけません。これは、なされるべき、一つの働きです。終わりは近いです。すでに、多くの時が失われました。それらの本は配布されるためにありました。それらを近くで、遠くで売ってください。それらを秋の木の葉のように配布してください。この働きは、だれにも止められずに、続けられるために存在しています。魂達は、キリストに属することから逸れて滅びています。主がやがて雲のような天の使い達の群衆の中に現れることの警告をさせましょう。

 ある働き人達は、視線を落として、とても、失望を現し続けました。一人の人が涙を流しながら言いました。「これらの人々は、それらの本をとても安い価格での購入を促すことによって、正しくない出版の働きを行なっています。一方で、この働きは、私達の働きが支えられているものによって私達から利益を奪っています」。特別な声が応答しました。「あなた方は、失望せずに立ち向かっています。要約して価格を安くしたこれらの本を作る働き人達は、これが‟投げ売り”と呼ばれることになる以外に、人々にそれらを売る手立てがありませんでした。多くの人々は、現在、別の方法では買おうと思わない自分のためと友人達のために購入しています」。

 

9.注意

 それから、[主の]指導がハスケル長老に、彼[が書いた]書籍の中に含まれている貴重な真理を人々に提供しようという彼の切望と、みんながそれらの書籍は製作費用以上に価値があると考えるべきだという切望と、そして、みんなが、人々に広く配布するように励まされるべきだという切望を与えられました。彼は、自分の本を原価よりも安く売っていました。そして、このような、あまりにも重い負担を負っていました。

 私達の偉大なカウンセラーは、こう言いました。「その書籍は、その著者が手段を持たずに取り残されないそのような方法で売られる必要があります。また、出版所は、その働きを進める益が得られるのに相応しい利ざやを得るでしょう。

 

10.私達の研究のための譬え話

 キリストはこう言いました。

 

 「天の王国は、彼のブドウ園で働く労働者たちを雇うために朝早く出て行った、家の主人に似ています。彼は、労働者達と1日に1ペニーの約束をした時、彼はブドウ園に彼らを送りました。彼は3番目の時刻の頃に出て行って、ほかの者達が市場で何もせずに立っているのを見ました。そして、彼らに言いました。私はそれなりに正当に払うから、汝らもそのブドウ園に行きなさい。彼らはそれをやりに行きました。

 また、彼は、6番目と9番目の時刻に出て行って、同じようにしました。そして、11番目の時刻の頃に出て行くと、ほかの者達が何もせずに立っていたので、彼らに言いました。なぜ、汝らは一日中何もせずにここに立っているのですか。彼らは、彼に言いました。私達を雇う人がいないからです。彼は、彼らに言いました。汝らも、あのブドウ園に行きなさい。それなりに正当に、汝らは受け取れるでしょう。さて、夕べが来た時に、ブドウ園の主人は自分の家令(財産管理人)に言いました。労働者達を呼んで、彼らに労賃を払いなさい。最後に雇った人から始めて、先に雇った人に渡るようにしなさい。11番目の時刻の頃に雇われた人々が来た時、彼らはみな1ペニーを受け取りました。

 1番目に雇われた人々が来て、自分達はもっと受け取れるだろうと期待していましたが、彼らはみんなと同じように1ペニーを受け取りました。彼らがそれを受け取った時、彼らは、その家の主人に対して不平を言いました。最後に雇われた人達が働いたのは1時間だけだったのに、そなたは、日中の暑さと辛苦に耐えた私たちと同じ労賃を払いました。しかし、主人は、彼らの一人にこう言いました。友よ、私は、汝に不正をしていません。あなたは、私との1ペニーの約束に同意しなかったのですか。汝の労賃を持って、汝の帰路に就きなさい。私は、この最後の者にも汝と同じように払ってやりたいのです。自分のものを自分がしたいようにすることは、私にとって正当な事ではありませんか。私がよい事をしているので、汝の目は悪くなっていませんか。最後の者は先になり、最初の者は後になるでしょう。それは、多くの者達が招かれますが、選ばれる者達はわずかだからです」(マタイ20:1-16 KJV)。

 

11.全ての人々のための光/真理

 神はそのメッセージを全ての人に送っているので、私は自分の書籍に含まれている光/真理が、可能ならば全ての魂に届くことをとても切望しています。それらの書籍は、クリスチャン体験に貴重な教訓を含んでいます。真理に回心させられる魂に光を差し控えて、その書籍の読まれることが妨げられるといけないので、私は、これらの書籍が、安価に、特別な事情のもので売られることを、あえて言わないつもりです。私は、私達の書籍を配布する働きに平安を禁じていません。

 

12.商業主義の一つの教訓

 「イエスが神の宮に入った時、彼らのイス、売られていたハト、そして、両替の台をひっくり返し、その宮の中に持ち込まれて売られていた物すべてを投げ出しました。それは、書かれています。私の家は祈りの家と呼ばれるでしょう。しかし、汝らはそれを盗人の住み家にしてしまいました」(マタイ21:12,13 KJV)。

 「盲人と足の不自由な人が、宮の中の主の所に来ました。主は彼らを癒しました。祭司長達と律法学者達が、彼の行なった素晴らしい事柄を見た時、宮の中で子ども達が叫んで、ダビデの息子にホサナと言いました。彼らはいらだって不快になっていました。そして、彼に言いました。そなたは、これらの者達が何を言っているかを聞きましたか。ええ聞きました。汝らは読んだことがないのですか。赤子と乳飲み子達の口から出るように、そなたは賛美を備えました[詩編8:2]」(マタイ20:14-16 KJV)。

            カリフォルニア サナトリウムにて。1908.5.4

                      

 私達の働き人達によって忘れられてはならない一つのことは、主イエスキリストが私達の書籍の製作者の長であるということです。彼は、負債のあるその学校が救済されるように計画の概略を作りました。彼は、それが成功する確信の欠如を考慮しないで、計画を立てる人々の方針の正当性を認めないでしょう。主の人々()が、地上における主の目的を助けるための一致に至る時、神が約束した良いことは、彼らに与えずに置かれないでしょう。


 

8章 証8 広い見解

 

 

[1.賢明な計画]

 主の働きを国内でも外国でも推進することによって、責任ある立場の人々は、宝/資金と人々をできるだけ最善に役立てるように、賢明に計画する必要があります。外国での多くの伝道地での働きを支える重荷は、私達の本国のカンファレンスが大部分を負う必要があります。それらのカンファレンスは、開かれている新しい伝道地を支えるための宝/資金を持っているでしょう。第三天使のメッセージの真理は試みられていますが、まだ浸透していませんでした。これまで数年間、マジックのように数々のドアが開かれました。そして、男性達と女性達がそれらのドアに入る必要がありました。そして、魂達の救いのために熱心に働き始めました。

 私達の教育施設は、これらの伝道地の人々のために訓練された働き人を要望に合わせて送ることができます。賢明な計画は、私達の訓練センターでなされた働きに力を加えるでしょう。履修科目の中で、キリストに魂を勝ち取るために、また、責任を負うために、献身した若い男性と若い女性に相応しくなるように最善の方法を教えられる必要があります。彼らは、ひきつけるような方法で第三天使のメッセージを提示する方法と、人々に向き合う方法を教えられる必要があります。財政的な内容の管理において、彼らは、厳しい節約の実践と欠乏に耐える必要のある所、孤立した伝道地に送られる場合に自分達を助けるような科目を教えられる必要があります。

 主は、未来の世界でも成功に不可欠な教科を多くの学生達がどこでも実用的に学ぶことができる一つの計画を策定しました。主は、学生達に、私達の教育的・サナトリウム的な働きの有利性が書かれた貴重な書籍を販売する特権を与えました。それらの本の販売において、若い人々は、離れた地域で学生達を待ち受ける問題の処理方法を考える多くの体験に出会うでしょう。学校生活の間に、学生達が、それらの本を戸別訪問販売する時に、多くの学生は、[再臨や安息日など]現在の真理の異なった点について、人々と対話の仕方の体験と、人々に礼儀正しく接する方法を学ぶことでしょう。また、財政的な成功の程度に向き合う時に、ある人は節約と質素の教訓を学ぶことでしょう。それは、学生達が伝道地に送り出される時に大いに役立つでしょう。

 『ミニストリー オブ ヒーリング』と『キリストの実物教訓』の本を売る働きについた学生達は、それを売るselling以外に、その本を研究する必要があります。彼らが、それを手に取って内容を知性で詳しく知り、その教えの実践に努めると、彼らは、霊的な能力と知識が発達するでしょう。それらの本のメッセージは、神が世界の人々に伝えるために私に啓示した光を含んでいます。私達の学校の教師達は、どの章も注意深く研究するよう、学生達に勧める必要があります。教師達は、これらの真理を学生達に教えて、世界の人々に伝えるようにと、神が私達に託した思想を愛によって、貴い若い人々に霊感を与えることを努める必要があります。

 このように、これらの本を販売するhandlingための準備と、人々の注目をそれらに向ける方法を得た日々の体験は、この伝道地の前線での尽力の一部を担う人々への学校教育の価値を証明するでしょう。神の祝福の下で、若い人々は、主のブドウ園での奉仕に適した能力を得ることでしょう。

 カンファレンスを通して地方教会に責任を与えることによって、若い人々のためになされる特別な働きがあります。教会責任者達が、主の奉仕に役立つように相応しくなりたいと考えている有望な若い人々を見ている時、しかし、彼らの親達が学校に送ることが不可能な場合、彼らは、励ましと助けを与える方法を学んで行動する義務を持っています。彼らは、親達と若い人達と相談して、そして、賢明な計画に繫がる必要があります。ある若者は、本国の伝道の働きに就くのが適しているでしょう。隣人達や友人達を引き付ける第三天使のメッセージを持たして、私達の文書を配布することに役立つ広い伝道地があります。ほかの若者は、私達の大きな本を売るsell福音伝道の働きに就くよう勧められる必要があります。ある人は、私達の施設で価値ある助け手となる資格を取ることができるでしょう。多くの例の中に、有望な若い人が、賢明に勧められて、正確に指示されているならば、『ミニストリー オブ ヒーリング』と『キリストの実物教訓』の本を販売するsaleことによって、自分自身の学校教育を得るように導かれるでしょう。

 それらの本を売るsellingことによって、若い人々は伝道者として行動するでしょう。それは、若者達が世界の人々に貴い注意の光をもたらしているからです。同時に、学校に入学することが可能になるお金を得るでしょう。そこで、主の目的に広く有用な備えをし続けることができるでしょう。学校において、その人達は、本を売るselling働きを続けるように学生達や教師達から霊感と励ましを受けるでしょう。学生達は学校を卒業する時が来た時、多くの外国の伝道地で、勤勉に熱心に、自己犠牲的な働き人に適応する実用的な訓練を受けたことでしょう。そこでは、第三天使のメッセージが、試練の状況と困難なもとでも伝えられる必要があります。

 若い人たちが、新たな未開拓の伝道地に出向かなければならない時に、困難について少しの自覚もなく、彼らの学業の終わりに負債の重荷を残して、伝道地での働きに、実用的な教育を受けることなしに学校を卒業して行く学生達よりも、この計画はどんなにか良いことでしょう。

 外国の地で開拓的な働きに繫がれる時に、財政的な問題に立ち向かうことは、若い人達のためには、なんと厳しいことでしょうか。返済時になった働き人達にとって、その負った借金まで支払わなければならない重荷はどれほどのものでしょうか。

 また、別の方法で、自給計画がなされたならば、どれほどのことが得られるでしょうか。その学生は、個人的な負債からほとんどか全額解放されて、その教育施設を卒業することが可能になるでしょう。その学校の財務は好転することでしょう。そして、その教訓は、自国の伝道地の体験をしている間に、外国の伝道地で筆舌に尽くしがたい価値となることを、学生達によって学ばれるでしょう。

 学生達がそのようなことを望むならば、これらの本を売るhandlingことによって、自分の学校教育を受けるために、価値ある学生を助けるための賢明な計画が策定されるようにしましょう。私達の訓練学校の一つのコースにいる間に、彼らが授業料を払うためにこの方法で十分な資金を得る人々は、ほかの伝道地での開拓的な伝道のために、彼らが相応しくなることを助ける経験と、最も価値ある実用的な経験を得るでしょう。

 大規模な働きが、短期間のうちに、私達の世界になされるために存在しています。そして、私達の教育施設と医療施設にある負債を弁済する一つの宝/資金と同じように、訓練の間に、学生達の出費に向き合っている価値ある学生を助ける一つの宝として、私達は、『ミニストリー オブ ヒーリング』と『キリストの実物教訓』の貴重な巻を手に置いて、私達が過去数年前に行なったより以上に、神の摂理を理解して認識するために研究する必要があります。

 [再臨や安息日など]現在の真理の目的を進展させるために、私達に与えられたこれらの貴重な書籍を、私達が賢明に売るhandleように、大いなる祝福が私達のために保存されています。私達が、主の計画と調和して働く時に、私達は、多くの献身した若い人々が、実用的な伝道者として、遠くの地域に入って行くよう、適応していることが分かるでしょう。そして、また、同時に、故郷の伝道地のカンファレンスは、新たな伝道地に着手する働きを支援するための気前の良い貢献をするための宝を持てるでしょう。

            カリフォルニア サナトリウムにて。1908.4.17

                      

 神は、負債から私達の学校を救済する方法として、私達の[教会の]人々みんなに認められるようになる『キリストの実物教訓』の販売saleを期待しています。今、進展させる働きのための私達の宝/資金に、厳しく欠如を感じているのは、この計画を怠っていたからです。数々の学校が、彼らのためにつくられたこのような対策で自分自身の益にしたならば、その目的のほかの部門の窮乏の必要を救済することになって、神の奉仕者達の手のお金も多くなり、また、学校の宝庫のお金は多くなることでしょう。そして、すべてにおいて最善なことは、教師と達学生達が、主の奉仕を学ぶことを必要としていて、真にそのレッスンを受けたことでしょう。

                      

 都市において、その中で、私達のサナトリウムと訓練学校によって伝え易い伝道地が、私達のために開かれています。私達が携わっているのは私達の指先を触れただけ[の伝道地です]。それらのいくつかの場所で、良い始まりがなされました。しかし、『ミニストリー オブ ヒーリング』と『キリストの実物教訓』の販売saleによって、多くの宝/資金が、私達の学校とサナトリウムの働きのために集められることと、私達の人々が新たな伝道地で働きを始めるために彼らの宝/資金を提供することにもっと自由にされることは、神の目的でした。私達の[教会の]人々が、今、自分達の義務として、これらの本の販売saleに繫がるならば、私達は、それが伝えられるように、また、主が意図した方法による働きをするために、私達が今持っている以上に多くの宝/資金を持てるでしょう。


 

9章 証9 キャンプミーティングと私達の出版物

 

 

[1.個人伝道の働きの方法]

 過去数年、私達のキャンプミーティングと繫がって、神の奉仕者達は、知人と友人達に、第三天使のメッセージに関する真理、救い、実用的な提示方法、私達の[教会の]人々を指導するための貴重な機会をたくさん利用しました。多くの人々は、故郷homeの地域社会での自給伝道の時に働く方法を教えられました。多く人々は、従来よりも知的に、熱い熱意で働くために年次定期集会から故郷に帰って行きました。

 キャンプミーティングに参加した教会員達に、過去数年、いつも与えられてきた以上に、この実用的な指導がもっと与えられるならば、それは、神にとって喜びとなるでしょう。すべてのカンファレンス(各地の総会)の通常の働き人、私達の兄弟姉妹は、‟私達の年次総会の目的の一つは、みんなが個人伝道の働きの実用的な方法の知識を得ることだ”ということを覚えておきましょう。私達のキャンプミーティングでのこの内容は、『SDA教会への証』第6巻に次のように書いてあります。

 

 神は、私達の手に最も神聖な働きを託しました。私達は、指導を受けるために共に集う必要があります。私達はこの働きを実行するための相応しいものになることができるでしょう。私達は、「世界の人々の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29 KJV)としての救い主を掲げて、そして、神の聖なる律法の正しいことを証明して、この地上に神の[人類救済]目的を打ち立てる活動をするために呼び出されている一人であることを理解する必要があります。私達は、共に集って、そして、神性の触れ合いを受ける必要があります。私達は家庭や故郷での自分達の働きを理解できるでしょう。親達は、世界の光として輝くにふさわしくなるように、よく教育し訓練した息子や娘達を家庭の聖所からの送り出し方を理解する必要があります。私達は、ある働きのそれぞれの場所はどのように伝えるために存在しているか、働く場所に関して理解する必要があります。一人ひとりが、活動するためにいる場所を理解しておく必要があります。そこには、すべての人の働きが結びついた労苦と計画の調和があるでしょう。(p.32,33

 

 厳密に管理されたキャンプミーティングは一つの学校です。そこで、牧師達、長老達、執事達は、主のためのさらに完全な働きを行なうことを学ぶことでしょう。それは、一つの学校となる必要があります。そこでは、教会員達、老人も若い人も、主の方法をさらに完全に学ぶ機会が与えられます。一つの場所、そこは、信徒達がほかの人々を助けるために、彼らを助けるという一つの教育を受けることができます。……

 彼らのための働きの計画だけではなく、私達の教会のメンバー達に与えることができる牧師達の最善な助けは、説教調/小言的でないことです。ほかの人々のために行なう何かを一人ひとりに与えましょう。人々はキリストの働きに従事して、キリストの恵みを受ける者として、みんなが見るように助けましょう。みんなが、働き方を教えられるようにしましょう。特に、新しく信仰に入った人々が、神との共労者となれるように教育されるようにしましょう。働きに就くならば、失望した人々は、やがてその失望を忘れることでしょう。気落ちした人々は、元気を取り戻すでしょう。知識の不足した人は、イエスにあるような、真理を提示する用意をするでしょう。その人々は、主に行く全ての人を救う、主のしくじらない助け手を見つけるでしょう。(p.49,50

 

 私達のカンファレンスのリーダー達の中のある人が、それらの実用的な指導方法を紹介することにためらいました。ある人は、自然と、教えることよりも、説教調/小言を言う方に傾きました。私達の毎年のキャンプミーティングのそのような状況で、私達は、人々が住んでいる場所での伝道の働きの実用的な行ない方と、信徒達に教えるための機会をもつという余裕の視点を失ってはいけません。多くの例の中に、これらの集会で教育的な働きについて、異なった基準で重荷を持ち込むので、例の[小言をいう]人々から離すことは良いことでしょう。小さな家での集会を指揮して、聖書の読み方を教えて、人々を助けましょう。病気の治療の仕方と、節制と健康の原則の実践の仕方を人々に教えて、ほかの人々と重荷を負い合いましょう。私達の本による働きと定期刊行物への関心を持てるように労しましょう。そして、選ばれた働き人達に、『ミニストリー オブ ヒーリング』と『キリストの実物教訓』の売り方handleをいろいろと教えて、特別な関心を持たせましょう。

 多くの人々は、私達の施設による働きの推進に貢献するそれらの本の売り方を学びませんでした。しかし、自分自身の言い訳にする必要はないでしょう。その人々は、それらの貴重な本の配布に繫がって、自分達の忠実な役割の果たし方を懸命に研究する必要があります。私達の学校とサナトリウムは、広く配布される救済と慰めの本を与えることによる利益という見地からそれらの施設の立場を助けるために私達みんなに課せられた厳粛な責任と、高度に効率的な計画によって指揮される必要があります。神は、救いの真理という福音を必要としている多くの人々の手に、それらの本を渡す働きに行動的に関心を持つ全ての人々によって栄光を称えられるでしょう。

 私達が、私達の学校とサナトリウムを救済する主の計画を担うために奮闘していることによって、良いことをしている機会を持つことは、南カリフォルニアカンファレンスと繫がって、私に何度も提示されました。その状況は、『ミニストリー オブ ヒーリング』と『キリストの実物教訓』の販売を促して、長く続いた努力が非常に好意を持たれています。南カリフォルニアの私達の兄弟姉妹達は、増加していた負債に立ち向かって支払うためのお金を調達するための計画に辟易する必要はありません。フェルナンド学校の学生達と、設立されていた三つのサナトリウムの看護師達は、その2冊の救済の本を販売する人と行って、伝道の働きに貴重な時間を費やす余裕がありません。そのカンファレンスは、その成果に費やす余裕がありません。財政的な事柄と同じく、霊的な事柄は、この傾向が続いた取組に付随しているでしょう。

 しかし、数年が過ぎると、行動的な伝道の働きをたくさん体験していた学生達は、『キリストの実物教訓』の販売に熱心に取り掛かるように、勧められませんでした。多くの場所で教会員達は、毎日、新たな人々――観光客、有力者やお金を持った男性達や女性達――と会っていました。そしてまた、『ミニストリー オブ ヒーリング』と『キリストの実物教訓』を配布するための機会が、健康の良くなっていない人に渡すために許されていました。しかし、勤勉によって[回復に]到達したたくさんの誠実な人々の真心を込めた努力は、第三天使のメッセージの光/知識を与えられませんでした。

 主の計画が主に就く者達によって実行されたならば、主の名が栄光を称えられたことでしょう。多くの霊的な勝利者達が、勝利を得たことでしょう。大通りや近所を通っていた、これらの宝/お金を持った人々は、主が有用な医療伝道センターの設立に特別な方法で誘い出した時、主の助けをするためにやって来て、快く可能なことをしたことでしょう。

 南カリフォルニアのような場所で、何千もの入院するtourists人々、健康と力を求める多くの人々は、常に、行ったり来たりしています。特別で途切れず続いている努力は、真理と光の筋を広げて輝かすでしょう。『ミニストリー オブ ヒーリング』と『キリストの実物教訓』の本は、特に、入院touristセンターを利用するように繋がります。あらゆる可能性が、読みたい意欲と暇のある人々の手の中でその本が働く場所とされる必要があります。健康回復を求めている人々は『ミニストリー オブ ヒーリング』を必要としていて、特別なことを行なっています。この域に到達するためにあらゆるよい機会は利用される必要があります。

 私の心は、数か月のうちに、南カリフォルニアでの弁済の働きが復活したことを知って、嬉しくなりました。ロマリンダで、看護師達が、『ミニストリー オブ ヒーリング』を売る働きの特訓を受けました。そして、彼女達は、都市や村々の家々を訪問しました。天の祝福が彼女達の上に豊かにありました。そして、良い印象が、その働きと私達の[教会の]人々の味方となりました。

 フェルナンド学校では、最近、教師達が『キリストの実物教訓』を売る関心の復活に導かれました。学生達のグループが、その本を深い祈りと共に研究した後、教師達と学生仲間たちがロスアンジェルスを訪問しました。そして、彼らは、金や銀以上に価値ある、健全で充実した体験をしました。この種の働きは、実際、宝の一つです。神は、私達の若い人々に伝道の訓練を与えるように任じました。そして、そのような機会の利用に無関心な人々は、人生から高い価値のある体験の一ページを失っています。この働きに心を尽くして入ることによって、学生達は、人生を歩んでいるすべての男性達と女性達から、売る本の中にある真理についての好意的な勧め方、人々に礼儀正しく接する方法、機転と判断による接し方を学ぶことができます。

 私達の大きな負担は、お金が集まらないことにあるのではなくて、魂の救いにあります。そしてこの世の終わりに、私達は、魂達を第三天使のメッセージの知識に導く方法を学生達に教えるために、私達の力をすべて使う必要があります。私達が、魂を救う働きに成功している時、この信仰に加わった人々は、ほかの人々に真理を伝えることに、自分達の能力を利用するように変わっているでしょう。私達が自分達の仲間に救いのために賢明に労している時、神は、私達のあらゆる努力を栄えさせるでしょう。

 カンファレンス(総会)の代表と、ほかの人々を導く責任ある立場の人々に、私は、こう言いたいです。『キリストの実物教訓』を贈り物として利用する可能性を探っている人々のために、備えられている大いなる祝福の価値を私達の教育施設に繫がっている教師達に感銘を与えるよう、私達の力を尽くしましょう。私達は、伝道地の活動に彼らと共に出て行く用意をして、この本を熱く祈って研究している多くの学生達と一体となっている教師達を励ましましょう。私達は、この内容の責任を理解している教育者達を助けましょう。私達は、『ミニストリー オブ ヒーリング』のキャンペーン活動を開始することと、『キリストの実物教訓』の働きを復活させることができる人は、みんなで行ないましょう。

 教師達と学生達が、この働きの戦線に熱意をもって繫がる時に、彼らは、私達のキャンプミーティングと繫がった価値ある奉仕を行なうために、人々が相応しくなるという体験を得るでしょう。参加する信徒達に与えることができる指導を通して、また、そのような集会が開かれた場で多くの本を売ることを通して、学校にいた人々は、第三天使のメッセージを伝えられる必要のある多くの人々に伝えて、自分達の任務を果たすことができるでしょう。教師達と学生達は、隣人達と友人達にそのメッセージの伝え方を、私達自身の人々に示して、雄々しく重責を分かち合い負いましょう。

 私達が、主の考案した「私達は、神と共に労する者である」という計画について行っている時、私達の立場が何であれ、――カンファレンスの代表であれ、牧師や教師、学生であれ、あるいは、一般信徒であれ、――私達は、[再臨や安息日など]現在の真理を必要としている人々に、光を照らして啓蒙するという私達の機会をつくるために、主によって責任を担っています。そして、主が私達を役立てるために命任した働き人達の重要な人は、この頁に[神と共に労する者]と書いています。私達の学校とサナトリウムの中と、私達の母教会の中、私達の年次キャンプミーティングの中で、私達は、この貴い働き人を賢明に役立てるために学ぶ必要があります。忍耐強く知的な選り抜きの働き人達は、私達の[教会の]人々に、信仰のない人々へ、彼らの手を使って、力強く明確に提示されるこの時代のための真理である文章の示し方と、親切な成功する接し方を指導する必要があります。

 私の兄弟姉妹のみなさん、私達は、良い行ないをすることに疲れないようにしましょう。主の地上での奉仕の働きの間、キリストは、あちこちに歩いて旅をしました。彼は歩き過ぎて疲れました。彼の人間性は非常に大きな負荷がかかりました。また、主は、彼の所に来る人に永遠の命の道を教えて、いつも癒す用意をしていました。しばしば、主は、身体的に疲労していましたが、自分の働きを残しませんでした。そこには、救われる人々のための世界がありました。彼は、真理と光が輝き出るように、可能な犠牲を全て払いました。

 イスラエルの神、主は、魂を清めて愛によって働く生きた信仰体験と主自身の聖なる団結に繫がれるようにと、私達に期待しています。主のために勝利の栄光を勝ち取るための力を主が約束しているように、主は私達が主の奉仕に繫がって努力して労する軍団として働く者になることを期待しています。

            カリフォルニア サナトリウムにて。1908.7.10

                    

 最後の福音メッセージの厳粛な働きの何かの一部のリーダーとして立つ人々は、広い見方と考え方を養成し育成する必要があります。キリストの学校で学ぶ者達の傾向となることは、福音の働きの責任を負う人々すべての特権です。キリストに従うことを告白した人々は、自分自身の意思の指示によって導かれてはいけません。その人の知性は、神の道と意思を理解するために光を与えられて啓蒙されて、キリストの思想を考えることを訓練される必要があります。そのようにして、信徒達はキリストの働きの方法に倣う者となるでしょう。

 私達の兄弟[姉妹]達は、神の知恵が、その事業に参加する全ての人々に祝福をもたらす方法で、私達の学校の先見の明をつくったということを忘れないようにしましょう。『キリストの実物教訓』の本は、教育的な働きに寄与しました。その学校の負債を返済するために必要としていた資金の多くを彼らが売り上げることによって、また、その学校の学生達とその友人達は、それらの本を売ることができるでしょう。しかし、この計画は、私達の学校に提示されていませんでした。それがなされた時、教師達と学生達がこの本を取り上げることを教育されず、また、教育的な働きの益のためにその盛大な販売を促されていませんでした。

 ずっと前に、私達の学校では、教師達と学生達は、『キリストの実物教訓』の販売によって、資金を集めるための機会を優先させることを学んでいたことでしょう。それらの本を売ることによって、その学生達は神の目的に奉仕するでしょう。そして、このことをしている間に、貴い光/真理のタネ蒔きによって、彼らは、クリスチャン経験の価値ある教訓を学ぶことでしょう。私達の全ての学校は、キリストの目的の魂を勝ち取るために、働き人達の教育のために、私達に提示された計画を実践するために、その学校の負債の救済のための熱心な努力と到達点に来ているでしょう。


 

第3部 都市における働き [3]

「私は、主が言う声を聞きました。私は誰を遣わしましょうか。誰が私達のために行くでしょうか。その時、私が言いました。ここに私がいます。私を遣わしてください」(イザヤ6:8 KJV

 

 

10章 証10 都市の中の状態

 

 

[1.主の干渉]

 意図的な不正が増えているので、都市の住人にほとんどに、世界的に罪悪が確かに急に訪れています。思慮深い、神を畏れる人々が仰天して立っている所ではどこでも、私達は「不正が蔓延している」真っただ中に生きています。広まった堕落は、人間のペンで書き著す力を超えています。毎日が、贈賄や政策的な闘争の新事実を伝えています。偽り、すなわち、毎日が、人間の命のひどい破滅の冷酷さ、人間の苦悩への無関心について、不法と暴力の不幸な記録を伝えています。毎日が精神病、殺人、自殺の増加を証言しています。

 今日の都市は、どんどん、ソドムとゴモラのようになっています。休日は、生活の真面目な義務から解放されて、何千人もの人々を惹きつける楽しみと、愉快なメリーゴーラウンドで賑わっています。エキサイティングなスポーツは、劇場に出かける、競馬、ギャンブル、飲酒、宴会にと、全ての人々の感情をかき立てて刺激しています。

 若い人々は、現在のポピュラーに夢中にさせられています。これらの人々は、誘惑の洪水にドアを開いて、自分自身のための快適さを愛することを学んでいます。彼らは、社会的な陽気さと不注意な陽気さに、自分を引き渡しています。彼らは、人に役に立つ生き方の才能と望みの両方を失うまでに、ほかの人の浪費の型から導かれています。彼らの宗教的な向上心は冷やされています。また、彼らの霊的な命は暗くなっています。そのすべての魂の気高い能力と、霊的な世界と繫がっている全ての人々は価値を落としています。

 企業の合同の動きと、労働者連合の結果のストライキを通して、都市での生活の状態はますます困難になっています。

 お金を得るための激しい感情、目立つことへの渇望、快適な状態と贅沢さ、これらはみな、人生の真の目的から知性を逸らしている人類の大集団の原動力です。彼らは、何千もの悪にドアを開いています。多くの人々は、彼らの関心のある世俗の宝にすっかり心を奪われて、自分達の仲間達の必要と神の求めに敏感になっています。彼らは、自己を称える宝として、自分達の価値を考えました。彼は、家に家を、土地に土地を加えています。彼らは、自分の家に贅沢品を満たしています。一方で、彼らの周りには、不幸なかわいそうな人、病人や死人がいます。

 全ての圧政と暴利の様式によって、人々が巨大な富を積み上げていて、一方で、餓死している人間の叫びが神の前に届いています。貧困にあえいでいる群衆がいます。生活に必要な物もなく、確保もできず、わずかな賃金で厳しい労働を強いられています。苦労と窮乏、良い事の希望がなくて、精神的な負担が重なっています。精神的な苦痛に病が加わると、その重荷がほとんど負いきれなくなっています。心労でやつれて、重圧を感じた人々は、どこに慰めと救済に変える方法があるかを知りません。

 御言葉は、キリスト再臨前のまさに世界の状態を描写しています。使徒ヤコブは、広まるだろう貪欲と圧政を描いています。彼はこう言っています。「汝ら富んでいる人々、今すぐ[泣きに]行きなさい。……汝らは、終わりの日のために共に宝を積み上げています。あなたの畑で刈り入れをした労働者の賃金を見なさい。それはあなたに属していて、不正手段によってあなたに戻って来ています。収穫した人々の叫び、泣き叫ぶ声が万軍の主の耳に届いています。汝らは、この地上で楽しんで暮らして、贅沢をしました。汝らは、虐殺される日のために、あなた方の[贅沢な]心を助長させました。汝らは、正しい者を責めて殺しました。その人は、あなた方に抵抗しません」(ヤコブ5:1-6 KJV)。

 これは、今日存在している状態を描写しています。「真理が通りに捨てられ、公平は入ることができないので、裁きは逆方向に退けられています。正義は離れて遠くから見ています。そうです。真理が絶えています。そして、真理は通りで消え去り、悪から出発した人は、自分を蝕んでいます」(イザヤ59:14,15 KJV)。

 真理の基礎と柱であるべき、この教会でさえ、自己愛の楽しみの勧めが見られています。お金が宗教の目的として挙げられた時、多くの教会はその資金で何をしますか。行楽に行きますか。特売場、夕食会、愉快な催し物、宝くじやそのような行事をしますか。しばしば、神を礼拝することから離れた、祝宴、飲酒、売ること、買うこと、酒宴の場が神聖性を奪っています。神の家への敬意と主を礼拝することの尊崇は、若者達の知性に少なくなっています。自己抑制の防護柵が弱くなっています。自分本位、食欲、自己顕示愛がアピールされています。彼らは、それらがわがままにされるように強められています。

 時代から時代へと、主は、主の働きの方法が知られるようにしました。一つの危機が来た時、主は、主自身を現して、サタンの計画の実行を妨げるために干渉しました。国々に、家族に、個人に、主は、しばしば、一つの危機が来るという問題を許しました。主のその干渉はしるしとなるでしょう。主がそれをする時、そこにはイスラエルの神が存在しているということを現しています。主は、主の律法を守り、主の人々の正当性を立証するでしょう。

 ノアの洪水前の人間の働き人達は、ヤハウェ(hwhy)神」の律法の有効性を無きものにするために、あらゆる方策を考案し、巧妙に実行しています。彼らは、主の権威が自分達の計画を邪魔するので、それを取り去っています。その大洪水の前の日々の、その時は、今、主が全能の権勢を現さなければならない時の私達に当てはまっています。不正が流布しているこの時代、私達は、最後の大いなる危機が手近にあることを知りうるでしょう。神の律法に対して公然と反抗することが、ほとんど全宇宙にある時、また、主に反対する人々によって、主の人々が圧迫され悩まされる時、主が干渉するでしょう。

 サタンは眠っていません。彼は、預言の確かな言葉の効力を無きものにするために目を大きく開いています。だましの技と力で、彼は、主の言葉によって明確に現された神の意思と反対の行動をして働いています。何年も、サタンは、真理の位置を取るような狡猾なこじつけする者達を通して人間の知性の支配を得てきました。この滅びの時に、神を畏れ正しいことを行なう者達は、ダビデの言葉を使って主の名を誉め称えるでしょう。「彼らは汝の律法を無効にしたので、主、そなたが働く時です」(詩編119:126 KJV)。

 

2.私達の都市における神の裁き

 1906416日、ロマリンダにいる間に、最も不思議な提示の一つが、私の前を通り過ぎました。その夜の幻の間、私は、風になびくように振るわれていた家々を見ることができてから、高台に立っていました。ビルディングは、大きい物も小さい物も地面に倒れていました。遊園地、劇場、ホテル、そして、高級邸宅が振るわれて打ち砕かれていました。多くの生き物たちが存在を抹消されました。その空気は、恐ろしい悪と不正の恐怖の悲鳴に満たされました。

 滅ぼす神の天使達は、働きに就きました。それらをあらゆる危険に対して、安全なものとして考えた人々が組み立てた数々のビルディングでも、一触れで徹底的にすぐにガラクタの山になりました。どんな場所にも保証は何もありませんでした。私は、どんな特別な危険も考えませんでした。しかし、私の前を通り過ぎたそのシーンの恐ろしさを、私は書き著すための言葉を見つけることができません。神の寛容は尽きてしまい、裁きの日がやって来たように思われました。

 私のそばに立ったその天使は、その時に、大都市にある特別な不正や悪、今日の私達の世界に存在している悪と不正に関わる何かの考えを少しも持っていない、と私に指導しました。彼は、主が、主の律法の軽視に固執したための怒りによって、罪びと達を訪れる一つの時を指定しました、と宣言しました。

 私の知性にもっとも生々しく印象付けたものは、私の前を通り過ぎた描写がおそろしいものと繫がって与えられた指導でした。私のそばに立った天使は、神の最高支配権と主の律法の神聖さは、王達の王に従順を与えることを頑なに拒否した人々に啓示される必要があります、と断言しました。不忠実な側に残ることを選んだ人々は、自分達の生き方の罪深さに気付いて目覚めることができるならば、寛大な裁きが訪れて必然です。

 その後の日に、私は、私に与えられた指導と、私の前を通り過ぎたシーンを熟考しました。その日の午後の間、私達は、ロスアンジェルスの近くのグレンディールに移動しました。その夜、私は、地上の全ての支配者の上にある神の権威と、十戒の要求に結ばれている神聖に関して再度指導されました。

 私は、神の律法の要求の前に置かれている人々が、一つの集まりの中にいるように思いましたI seemed to be in an assembly, setting before the people the requirement of God's law.。私は、創造週の終わりにエデンで制定された安息日と、そして、シナイ山で与えられた律法について、その時に、安息日は永遠に主の人々と神の間の一つのしるしとして、「永続する契約として」守られるために存在している、と宣言された御言葉を読みました。主の人々は、自分達の創造者、主によって清められているということを知ることができるでしょう。

 それからさらに、私は、地の全ての支配者達の上の神の最高の支配権を考えました。主の律法は、行動の標準となるために存在しています。人々は、不節制によって、あるいは、サタン的な感化に知性を明け渡すことによって、その感覚が誤っていると言われています。そのために、このことが、神の律法を守ることを不可能にしています。神性の支配者は、邪悪が存在しているにもかかわらずに希望を伝えています。その一方で、主は、約束を果たさないことをせず、いつまでも沈黙していないでしょう。主の至上権と宇宙の支配者としての主の権威は、「主の律法が正しい」という主張の正当性が証明され、また、最終的に知られて当然です。

 [私が]私の指導者から[指導を]受けたように、神の視界の中の違反者達がその危険に気付くように目覚める必要と、神の長い忍耐と思われる多くの指導がその人々に繰り返されました。

 [1906]418日、私の前を通り過ぎた、ビルディングが倒れたシーンの2日後、私は、予約していた人々でいっぱいになったロスアンジェルスのカー ストリート教会に行きました。私達がその教会に近づいた時、私達は、新聞売りの少年が「サンフランシスコが大地震で破壊された」[4]と叫ぶ声を聞きました。心痛の思いで、私は、恐ろしい大災害が印刷された新聞をすぐに急いで読みました。

 2週間後、家路についていた途中、私達は、サンフランシスコを通り過ぎ、馬車を借り御者を雇って、破壊されたその巨大な都市の姿を1時間半ほど見て回りました。大災害に耐えられうると考えられていたビルディングは、崩壊して横倒しになっていました。あるビルディングの例では、一部が地中に沈み込んでいました。その都市は、耐震構造と耐火鉄骨でつくられていても、人間の発明の才の無能さのひどい状況を示しました。

 主の預言者ゼファニアを通して、主は、不正を為す者達にもたらすその裁きを明細に記しています。

 

 「私は、この土地から全ての者を完全に消し去るでしょう。主は言っています。私は、獣と人間を消し去るでしょう。私は、不正のつまずきの石、海の魚たち、そして、空の鳥たちを消し去るでしょう。また、私は、この土地から人間を締め出すでしょう。主は言っています」 (ゼファニア1:2,3 KJV)

 「主は、犠牲の日に、通り過ぎるためにやって来るでしょう。私は、異国の衣服を着せられた者を全て、王の子らと君主達を罰するでしょう。その同じ日に、私は、欺きと暴力を主の家々に満たして、脱穀機の上を飛び跳ねて行く者を罰するでしょう」(ゼファニア1:8,9 KJV) 。……

 「その時、通り過ぎるためにやって来るでしょう。私は、ロウソクを灯してエルサレム中を探して、主は悪いことだけでなく、良いこともしないだろうと心の中で言って、隠れ家にいる人々を罰するでしょう。それゆえ、彼らの良い物は戦利品になるでしょう。そして、彼らの家々は荒れ果てた所となるでしょう。彼らは、また家々を立てるでしょう。しかし、それらに住みません。彼らは畑にブドウを植えるでしょう。しかし、そのブドウ酒を飲みません」(ゼファニア1:12,13 KJV)

 「主の大いなる日は近くにあります。さらに、主の日の声は、近くて、大いなる日です。権威のある人が、そこは苦痛の場だと叫ぶでしょう。その日は怒りの日、悩みと嘆きの日です。荒廃と破滅の日です。憂いと陰鬱の日です。不安と苦しみの日です。防壁をめぐらした都市と、高層タワーに警告とトランペットの音を響かせる日です。そして、私は、人々に嘆きをもたらすでしょう。人々は、盲人のように歩くでしょう。なぜなら、彼らは主に対して罪を犯したからです。彼らの血は、塵のように、彼らの肉は動物の糞のようにばらまかれるでしょう。彼らの銀や金は、主の怒りの日に彼らを救い出すことができないでしょう。しかし、主はその地に住んでいる全ての人々を速やかに取り除くので、全ての地は、不信心を許さない主の火によって飲み込まれるでしょう」(ゼファニア1:14-18 KJV)

 

 神は、もはやこれ以上、干渉しないでいることができません。すでに、主の裁きが、ある場所に下り始めています。やがて、主の苦悩のしるしは、ほかの場所にも下されるでしょう。

 そこには、神がその状況の主役であるということが啓示される出来事eventの連続があるでしょう。その真理は、間違うことのない言語で、明確に宣言されるでしょう。一つの人々()として、私達は、聖霊のガイダンスを覆している下で、主の道を用意する必要があります。その福音は、それ自身が聖化されるために存在しています。[命の]生きている水の流れは、そのコースに遠くに広がるために存在しています。人々は、近くでも遠くでも、あらゆる畑、知性がたくさん働いている一般的な商業ビジネスの適性から、耕している畑から呼び出されるでしょう。そして、経験のある人々と結ばれるために教育されるでしょう。人々が、効果的に労するために学ぶ時に、彼らは、力を込めてその真理を宣布するでしょう。神性の摂理の素晴らしい働きを通して、困難な山々は、動かされて大海に投げ入れられるでしょう。地上に住む多くの人々の宝としてのメッセージは、聞かれて理解されるでしょう。人々は、何が真理であるかを知るでしょう。前進して、また、前進と、地上全体の人々が警告されるまで、この働きは進展するでしょう。そして、それから終わりが来るでしょう。


 

11章 証11 現在の日の働き

 

 

[1.人々は福音を必要としている]

 神の裁きがこの世界に存在しているということが、現実化するようになってきて、益々、その日は、近づいています。大火と洪水と大地震によって、主はこの地の住民に主[の日]が近づいているという警告をしています。神の統治のあらゆる動きが言語に絶した不安と強い関心によって見詰められる時、世界歴史の大いなる危機が来る時、その時が近づいています。神の裁きが速やかに続いて、戦争と大惨事に伴って燃える火と洪水と大地震が交互に続くでしょう。

 人々は、それらの訪れの時を知ることができるでしょう。その時のための試みの真理をまだ聞いていなかった多くの人々がいます。神の聖霊と争っている多くの人々がいます。神の滅ぼしと裁きの時は、何が真理かを学ぶための機会がなかった人々のための憐れみの時です。主は、その人々を優しく見ているでしょう。主の憐れみの心が触れられます。主の手は救うために静かに伸ばされます。一方、そのドアは入らない人々には閉じられています。

 神の憐れみは、主の長い辛抱を示しています。主は、すべての人々に響かせられる警告のメッセージを待っていて、主の裁きを背後に持っています。私達の[教会の]人々は、世界の人々に最後の憐れみのメッセージを伝えることが自分達に残された責任だろうと考えるならば、素晴らしい働きがなされるでしょう。

 これらの大都市の人々が福音を必要としていることを見てください。それらの都市の群衆の間で熱心に働く必要は、20年以上も前から私達の前に置かれています。誰が、それらの大都市の人々のために重荷を負っているのですか。わずかな人々がその重荷を感じました。しかし、その大きな必要と大きな機会に比べて、小さな注目がこの働きのために注がれただけでした。

 

2.[北アメリカ]東部の諸都市で

 特別なメッセージは東部の諸州の大都市の中に、力を持って再び出て行く必要がある、という指導が[イエスによって]私に与えられました。その東部の大都市で、第一と第二天使のメッセージが、1844年の大再臨運動の間に宣布されました。神に奉仕する者としての私達に、第三天使のメッセージが託されました。終わりのメッセージは、王の来臨のために一つの人々()を備えるように存在しています。私達は、聞こうとする全ての人々に真理の知識を与えるあらゆる努力をするために存在しています。また、たくさんの聞く人がいることでしょう。様々な大都市に、神は、真理は何かについて関心を持っている正直な魂を持っています。

 時は短いです。主は、主の目的に繫がっている全ての人が、指示に参加するようにと期待しています。主は、招きと警告の厳粛なメッセージが、主のメッセンジャー達によって、広範囲に伝えられ宣布されることを期待しています。そのメッセージの前進を妨げる者は、私達の計画への参加を許されるために存在していません。「そのメッセージを繰り返しなさい」という言葉が、何度も繰り返して私に語られました。「私の人々()に、そのメッセージを最初に聞いた場所で繰り返して話しなさい。その真理の立場を取る教会から教会へと、目撃した神の力が注目される方法で、そのメッセージ繰り返して話しなさい」。

 何年も、私達の働きの先駆者達は、[伝道の]優望な土地で、[再臨や安息日など]現在の真理の目的の場所とするために、多くの困難と貧窮に対して奮闘していました。才能がなくても、彼らは不屈の精神で働きました。そして、主は、彼らの謙虚な努力を祝福しました。そのメッセージは、影響を受けたセンターが多くの場所に設立されるまで、力と共に東部と西方に広がって行きました。今日の働き人達は、初期の人々のあらゆる困難に耐える必要がないでしょう。しかしながら、変わった状況はやる気のない取組には導かないでしょう。現在、主が、私達に東部で力を持ってもう一度そのメッセージを宣布するように命じている時、主が、私達に北部と西部と南部と東部の大都市に入って行くように命じている時、私達は、一人の人間として、主の命令を行なおうと、応答しないのでしょうか。私達は、それらの伝道地の全てに自分達のメッセンジャーを送って彼らを気前良く支援する計画を立てないのでしょうか。神の牧師達はそれらの多くのセンターに出て行って、そして、そこでその群衆に警告の声を上げないのでしょうか。この真の働きを推進させるためでないのならば、私達のカンファレンス(総会)は何のために存在していますか。

 第三天使のメッセージの宣布は、最初に、ワシントンの都市、南部のほかの都市、そして、東部でなされました。しかし、主の知性に向き合うために、私達は、組織的な働きと、遠くに届けるという推進のための計画を持つ必要があります。私達は、神の救済を見るまで、私達の努力を緩めることを許さず、根気強くこの働きに入る必要があります。

 メイン州ポートランドと[マサチューセッツ州]ボストンの周りの町々、ニューヨーク州とその近くの人口の多い諸都市、[ペンシルベニア州]フィラデルフィアと[メリーランド州]ボルチモアとワシントン[D.C.]で、主は、力と共に第三天使のメッセージを宣布することを私達に望んでいます。私達は、これを私達自身の力で実践することができません。しかし、私達は、目標達成の機会のある大通りに出て行くように言って、そこで聖霊の力によってそのメッセージを宣布するよう、才能のある人々を選ぶことができます。私達は、それらの大都市に、本国の中心地に説得力のある方法で第三天使のメッセージを提示できる才能のある人々配置するための計画を立てる必要があります。この働きをすることができる人々を、私達は、ほかの人々ができるかもしれない働きをある場所でするように集める余裕がありません。

 それらの働き人達が、その真理について語り、その真理に生きて、そして、その真理の推進のために祈る時、神は人々の心を動かすでしょう。彼らは、神がそれらをかなえるあらゆる力と共に働き、また、謙虚な心で主に全的に信頼を置く時に、彼らの労苦は、成果なしにはならないでしょう。この時代の人々のための真理の知識に魂達を連れて行くという彼らの堅固な努力は、聖なる天使達の援助を受けることでしょう。そして、多くの魂達は救われることでしょう。

 

3.伝道活動における寛容

 南部諸州の人々は、[再臨や安息日など]現在の真理の光を持つために存在しています。しかし「私達の印刷所と私達の諸教会は助けを必要としています。私達は、手の中の働きを伝えるために、得ることができる全ての資金を必要としています」と言ってはいけません。この働きがほかの事業のために使おうとしていた資金を費やす恐れのために、そのドアは一つずつ、尽力する伝道活動の働き人達に確かに閉じられました。私の兄弟[姉妹]のみなさん、あなた方はキリストの精神/霊をもっと必要としています。あなた方の標準を高く掲げましょう。その時、真理に回心した人々は、彼らが行なうための一つの働きがあることを理解するでしょう。このようにして、その働きに使われるための資金はいつも増し加えられるでしょう。

 私達は、その住民達が私達の所に来て「あなたが私達の所に来て話をしてくれるならば、私達はこのようにして、あなた方を助けるつもりです」と、言うように期待することができますか。彼らは、私達のメッセージの何を知っていますか。私達は、警告されず救われずに滅びることへの備えをする人々へ、自分の側の警告をしましょう。主を求めている誠実な人々の心に、主の聖霊が真理を伝達できる人々に、主は、私達が持っている光を輝かすようにと期待しています。

 私達は、この働きをする時に、その資金が私達の宝庫に流れ込むことを知るでしょう。そして、私達は、もっと遠くに届けて、もっと広く伝えるための基金を持てるでしょう。富を持っている魂達は真理に導かれるでしょう。そして、神の働きの前進のために彼らの財産を捧げるでしょう。私は、働きがなされていない諸都市には多くの資産がある、と以前に[イエスから]指導されました。神は、それらの人々に関心を持っていました。彼らの所に行って、真理を伝えて、キリストが教えたように教えましょう。彼らは真理を受け入れるでしょう。間違いなく、誠実な魂達は回心するでしょう。彼らの財産は、主のための奉仕に捧げられるでしょう。そして、私達は、資金が増加することを見ることでしょう。

 私達は、神が彼らを見ているように、それらの都市の人々の必要を見ることができるでしょう。この全ての手が働かされるために存在しているこのような時代に、主はやって来ます。その終わりは近くにあります。ええ、それは大いなる日です。しばらくの間、私達は、現在、享受しているように自由です。そして、私達が行なうことをすぐにする必要があります。

 

4.奉仕のための一つの動機

 最近、夜の間に、私は眠りから目覚めて、人々のためのキリストの苦悩の一場面を与えられました。彼の犠牲、悪意のある人々の手から受けた彼の両手の嘲笑とからかい、ゲッセマネの園での苦悩、密告され十字架刑にされたこと、――これらの全てが、私の前に生々しく描写されました。

 私は、大勢の仲間の人々の真ん中にいるキリストを見ました。彼は、自分の教えたことが人々の知性に印象を与えているかを確かめていました。しかし、彼は、人々によって拒絶され、軽蔑されました。人々は、彼に恥と虐待を積み重ねていました。私の苦悩は、そのシーンを見ていた時、強烈なものでした。私は、神に請い願いました。「この会衆は何をするために存在しているのですか。幼い子らとして主を求めず、高揚した自分の意見も捨てないのですか。告白と悔い改めをして、神の前で心を砕く人はいないのですか」。

 私の前に、ゲッセマネの園でのキリストの苦悩が提示されました。贖い主の手の中で謎に包まれた杯が揺れた時、彼は「父よ、それが可能であるならば、この杯を私から取り除いてください。しかしながら、私の意思としてではなく、そなたの意思として」(マタイ26:39 KJV)と祈りました。彼が、その父に請い願った時、彼の顔から大きな血の滴が地面に落ちました。闇の者達が、救い主の魂を落胆させるために彼の周りに集められました。

 地面から起き上がって、キリストは、彼らが誘惑に勝てるようになるのではないかと、彼と共に祈り見守っているように言いつけて、待たせてあった弟子達の所に行きました。弟子達が主の苦悩を理解していたならば、主が弟子達の人間的な共感を必要としていたことを見たことになりますが、そうではありませんでした。主は、弟子達が眠っていたのを見ました。3度、主はこうして彼らの所に行きました。いずれの時も、彼らは眠っていました。

 3度、救い主は祈りました。「父よ、それが可能であるならば、この杯を私から取り除いてください」。バランスの揺れ動く失われた世界の運命はここにありました。彼がその杯[の苦悩]を飲むことを拒むと、その結果、人類は永遠の滅びとなるでしょう。しかし、天からの一人の御使いが、苦汁の杯の苦悩を受け入れるよう神の息子を力づけました。

 このことが、個人一人一人に伝えられたことに完全に気づく人はなんと少ないことでしょう。「それは、私が将来の不死の命のための品性を形成するように、私のためでした」と言う人はなんと少ないことでしょう。

 それらのことが私の前に生々しく提示された時に、私は、「それが存在していたように、その人々の前にこのテーマを提示することができないだろう」と考えました。そして、私に示されたかすかな描写だけをあなた方に伝えました。私が、キリストの手の中でその揺れ動く杯を考えた時、主が飲むことを拒むかもしれない、そして、この世界が罪の中に滅びて残されるかもしれないと気づいた時、私は、自分の命のすべてのエネルギーが、魂達を主に勝ち取る働きに捧げられるよう、請い願いました。

 キリストは、主の功績を充てることと主の信仰体験を通して、苦しんで死ぬためにこの地球にやって来ました。私達は、神と共に労する者となることができるでしょう。彼が人間の仲保者となるために昇天した後で、主に就く者達が主の始めたその働きを進展させることは、救い主の目的でした。人間の働きびと達は、闇の中に座している人々に、福音メッセージの光を伝えることに特に関心を示していないのではありませんか。ある人は、真理の光を人々に伝えるために、地の果てまでも行くことに意欲的です。しかし、神は、真理を知っている全ての魂が、真理の愛にほかの人々を勝ち取るように、と命じています。私達が、滅びに用意されているare ready魂達の救いのために特別な犠牲を払うことを快くしないならば、私達は、神の都に入るために、価値ある者として数えられることができるでしょうか。

 私達一人ひとりによって行なわれるための個人的な働きがあります。私は、世界の人々の前に[再臨や安息日など]現在の真理のメッセージもたらすために存在しているという一つの考え方で、キリストと正しい関係に自分自身をおいている多くの人々を知っています。その人々は、いつも自分達の奉仕を授ける用意をして立っています。しかし、わずかの人だけが犠牲を払う体験をしていて、つまらない体験で満足している多くの人々を見る時に、私の心は痛んでいます。彼らの生き方は、キリストが彼らのために無駄に死んだと言っています。

 あなた方が、キリストの苦悩に与る者となることは栄誉なことだと考えていないならば、また、あなた方が、滅びに用意されている人々の魂に重荷を感じていないならば、さらに、あなた方が、進められるこの働きを資金で援助するという犠牲を快く思わないならば、神の王国にあなた方のための部屋はないでしょう。私達は、全ての歩みにおいて、自己否定と主の苦悩を通って、キリストに与る者となる必要があります。また、私達は、いつも私達を自己犠牲に導いている神の聖霊を持っている必要があります。

 

5.備えをしておく

 「見上げなさい。私はすぐに来ます。人が行なった働きに応じて全ての人々に私が与える報酬は私自身です」(黙示録22:12 KJV)とキリストは宣言しました。来臨する主は、全ての人々の才能を綿密に調べるでしょう。彼は、委託した宝の利息の提出を命じるでしょう。主自身の謙虚と苦悩によって、また、彼の死の様と苦役の生涯によって、彼は、彼に奉仕することを表明し彼の名を呼んだ全ての奉仕者達に[その代償を]払いました。すべての人は、彼に魂を勝ち取る働きのために全ての才能を役立てる責務のもとにいます。主は、こう言っています。「汝らは、あなた方自身のものではありません。なぜなら、汝らは、代価によって買い取られたからです」(1コリント6:19,20 KJV)。それゆえ、男性達と女性達が罪から義を勝ち取る奉仕の人生によって神の栄光を現しなさい。私達は、キリスト自身の命という代価によって買われています。買われた私達は、主自身の忠実な奉仕の中で、神に立ち返ることができるでしょう。

 私達には、今、世俗の事業に私達の才能やエネルギーを傾けている時間がありません。私達は、自分自身に奉仕して、天の永遠の祝福と永遠の命を失うようになっていますか。それとも、世界の人々への奉仕に心を傾けるようになっていますか。私達は、この[自分への奉仕]を行なう余裕がありません。あらゆる才能を神の働きの中で働かせましょう。真理を受けている人々は、彼らの努力によって、神と共に労する男女が増加するために存在しています。魂達は、聡明に神に奉仕することを教えられ、啓蒙されるために存在しています。彼らは、正しい知識が増加され続けるために存在しています。

 天の全ては、キリストがこの世界に来て行なった働きのその後の前進に関心を持っています。天の使いのような働き人達は、地上の暗い場所に輝く真理の明かりを灯すための道を開いています。天の使い達は、何年も、私達に示していた働きが定着する人々とのコミュニケーションを待っています。私達は、都市での働きを開始するために資金と方法の管理を決めるために、関心を現さないのですか。たくさんの機会が、信仰によって前進して行くことの失敗を通して、また、この働きをすることを怠っていたことを通して失われてきました。主はこう言っています。「あなた方が、私の送ったメッセージによって信仰を働かせていたならば、彼らを支えるための資金の不足と、働き人達の不足のようなことにならなかったでしょう」。

 キリストの再臨は、近くにあって、大いなる出来事があります。働き人達のための時間は短いです。男性と女性達が滅びています。特別な御使いが言いました。「その人々は、救いと光を人々に与えるため、世界の人々に主の息子を送った主と協力する大いなる光を持っていたのではありませんか」。ここに少しあそこに少しと、指針から指針へと、真理のラインからラインと知識を受けていた人々は、主の神性な力が全ての信じる魂達の信仰遺産となるようにと、地上に来た主を僅かに認めているだけではないですか。キリストの神性が人類の救いに効果的になるように存在していて、私達の偉大な大祭司の執り成しが神の玉座の前で益しているというのはこのようなことでした。その計画は天で作られました。そのような代価で買われた人々は、偉大な救いの理解にしくじっています。

 主は、信心深いことを告白して、また、キリストがやがて来ることを信じていると告白して、そして、この国に間もなく降ってくる裁きが警告されていない諸都市に残っている人々をほめることができません。このことをしている人々は、彼らの怠慢のために裁かれるでしょう。キリストは、その人々の罪の中で滅びている魂達の救いのために自分の貴い命を与えました。私達は、天使のような働き人達と神と共に協働することを拒み、私達に委託された働きを行なうことを拒むのですか。そこには、義の言葉によって真理を明らかにする救いの恵み、その命から輝き出るキリストの偉大な犠牲をそのままにしておいてしくじっている人、キリストと一つになることにしくじっている人々、このようにしている何千というたくさんの人々がいます。また、これは、神の息子の犠牲によって、人々に与えられた働きです。このことを知ることによって、私達は、無関心のままに残すことができますか。私は、私達の兄弟[姉妹]達に目覚めることをアピールします。兄弟姉妹達が魂達をキリストに勝ち取る実践をしないならば、霊的な能力は弱って死ぬでしょう。キリストが達成するために命を与えた壮大な働きと偉大なことに怠惰なために、どんな弁明が捧げられうるでしょうか。

 私達は、無駄なつまらないことで時を費やすことに、この地上では僅かな日々でも余裕がありません。私達は、神の前で、自分達の魂を謙虚にする必要があります。すべての人々の心はその真理を飲むように習得できるでしょう。ここに確かな神の真理があることを世の人々が確信するような改善を生活の中で実践しましょう。神の中にキリストと共に隠される生活をしましょう。私達が、神と共にいる正しい心を自分自身に得ようと努めて、その働きの責任を忠実に果たそうとしている人々の中で、私達の兄弟姉妹達の欠点をほじることをやめる時、そして、幼い子らとして主を求める時に、唯一、主は、主の名の栄光のために私達を役立てることができます。

 私達の働きが主によって受け入れられるために存在しているならば、私達はみな神の前、自己犠牲の場所に行く必要があります。私達が心の中に真理を持っている限り、私達は、告白するものが何もないということを覚えておきましょう。私達は、滅びている世界の人々の必要を理解できるために、また、その理解を定着させるために、神の力による回心の必要があります。あなた方にとって、私のメッセージの重責は、備えをしておく、主に会う備えをしておくことです。あなた方のランプの芯を整えて、そして、その真理の明かりを脇道や畑の生け垣で輝かせましょう。ここに、全ての物事の終わりに近づいて警告されるための一つの世界があります。

 私の兄弟姉妹のみなさん、主が見つかる間に、主を求めましょう。時と機会を無駄にしていた人々が主を求めて願う時がやって来るでしょう。主は、あなた方に、理性のラインを守ることと、働きのラインを守ることを願っています。主は、あなた方に、主のために熱心に労すること、私達の教会のために出て行くことを願っています。主は、あなた方に、教会の外にいる人々のための集会を設けることを願っています。その人々は、この最後の警告のメッセージの真理を学ぶでしょう。あなた方が喜んで受け入れられる場所があります。そこでは、魂達はあなた方が自分達を助けるために来ることに感謝するでしょう。あなた方がまだその働きを定着させていないならば、主はこの働きを定着させるあなた方を助けるでしょう。

 私達は、光を持っていなかった人々のための働きを始めましょう。救い主は「天においても地においてもあらゆる力が私に与えられています」「そして、見よ、私はいつも汝らと共に存在しています」(マタイ28:18,20 KJV)と言っています。私達が必要としているものは生きている信仰、借りたヨセフの墓を乗り越えて宣言するための信仰です。私達は生きている救い主を持っています。人は、私達の前を行くでしょう。また、私達と共に働くでしょう。私達が手段instrumentとして主を備えるならば、神はその働きを行なうでしょう。私達の間で、不信仰をまったく無くして祈りをもっと多くする必要があります。私達は、この人々の前で、標準をもっと高く掲げる必要があります。私達は、飢えた魂達に命のパンを提供し、この世の魅力に憑かれた人々に解放を宣言する時、キリストがいつも右手に存在しているということを覚えておく必要があります。私達が、私達の働きの重要性と緊急性を私達の知性の前に保っている時、神の救済は、注目される方法で現されるでしょう。

 神は、男性と女性達の魂が救われる価値があったかのように、私達が熱心であったかのように、腕を差し出して行動するために私達を助けています。私達は、一つの新たな回心を求めましょう。私達は、私達の心が和らげられるよう、私達がその働きに厳格な精神/霊を持ち込まないよう、私達と共にいる神の聖霊の臨在を必要としています。私は、聖霊/聖なる精神が私達の心に富を満たすようにと祈っています。私達は、提示された所ではどこでも、主の計画を実行する用意をして、主の勧めを見ている神の子らとして活動しましょう。神は、そのような一つの人々()によって栄光を称えられるでしょう。私達の熱心さを目撃している人々は、アーメン、アーメンと言うことでしょう。

 「目覚めなさい、目を覚ましなさい。汝らの力をつけなさい。シオン。汝の美しい衣をつけなさい。エルサレム、聖なる都」(イザヤ52:1 KJV)。……「汝の神の治世、民の救済、民の平和、とシオンに言うための良い便りを持って、山々を駆け巡り、良い便りを持ってくる彼の足どりはなんと麗しいことでしょう。汝ら、見張り人達は声を上げましょう。主が再びシオンに戻る時、人々は互いに目を合わせて、共に歌の声を挙げましょう。

 汝ら、荒れ廃れたエルサレムよ、喜びの声を挙げなさい。主は、エルサレムを贖い、主の人々()を慰めたので、共に歌いなさい。主は、すべての国の民の目に見えるように、主の聖なる腕を伸ばしました。地上の終わりに、全ての人々は、私達の神の救済を見るでしょう」(イザヤ52:7-10 KJV)


 

12章 証12 労して働く方法

 

 

[1.堕落した教会にも、神を畏れる人がいる]

 様々な大都市でそのメッセージを宣布することに繫がる中で、そこには、様々な賜物をもった働きびと達によってなされる働きの種類がたくさんあります。あるものは一つの方法で、あるものはほかの方法で、働き人のために存在しています。主は、その諸都市で、異なった才能の働き人達が連合して働くようにと望んでいます。すべての人々は、誤った道に導かれるといけないので、人間の知恵に依存するのではなく、指導を求めてイエスを見るために存在しています。神と共に働く者達として、お互いに一致しましょう。そこには、しばしば協議があり、熱心な、心からの協力があるでしょう。また、全ての人々は、単に指導を求めて人々に頼らず、知恵を求めてイエスを見るために存在しています。

 主は、大勢の会衆を招集する、また、集める才能のある牧師達を持っていました。これは、技術と機転の経験を求めています。今日の都市の中では、その人々が通常ではない努力によって関心を持たせられ得る、楽しい、惹きつけるものがとても多く存在しています。神の[働きをするために]任命された牧師達は、群衆の注目を引くには並外れた努力を尽くす必要があることを知るでしょう。彼らが大勢の人々を集めることに成功した時、人々が警告され目覚めさせられるために、通常以上の特徴のあるメッセージを伝える必要があります。また、可能な限り、わかりやすくはっきりと目立たせるために真理の根拠を考案して、あらゆる手段を利用する必要があります。この時代のためのテストのためのメッセージは、御言葉の研究を望むように聴衆を導き、その人々を刺激するように、はっきりと決心が伝えられるために存在しています。都市で主の働きを行なう人々は、平安と落ち着きを表明して、人々の教育のための努力に貢献する必要があります。彼らは、聴衆の関心を捉えてその関心のために熱心に労するために存在しています。その一方で、また同時に、彼らは、人気取りの類のようなものにも注意深く避ける必要があります。外見の誇示と浪費のこの世代において、人々は、成功を得るための外見を飾る必要があると考えています。神の選ばれたメッセンジャー達は、効果に期待の持てない財産の浪費の誤りを示す必要があります。彼らが、芝居じみた性質のことを避け、礼儀正しく威厳を持って、謙虚に、シンプルに労する時、彼らの働きは永続する良い印象を与えるでしょう。

 この働きを堅実に前進させるための集会の広報に賢明にお金を使う必要があるというのは真実です。また、全ての働き人達の力は、表面的な働き人ではなく、神の言葉に従順に、援助を求める主への熱心な祈りが神へ信頼する働き人に見出される必要があります。もっと多くの祈り、よりキリストのような、もっと多く神への順応が、主の働きにもたらされるために存在しています。表面的に示される資金の無駄な支出は、行なわれるための働きを成し遂げないでしょう。

 神の働きは力強く進展されるために存在しています。私達は聖霊のバプテスマを受ける必要があります。私達は、神が、世界の人々に警告を与える役割の行動をするために、感化する力のある人々と能力のある人々のグループを加えるだろうということを理解する必要があります。世界の全ての人々が、不法者で罪深いということではありません。神は、バールにひざまずかなかった多くの人々を備えています。堕落した教会の中にも、神を畏れる男性や女性達がいます。この世界にそのような人がいなかったならば、私達は次のメッセージを与えられなかったことでしょう。「大いなるバビロンは堕落しました。堕落しました。……私の人々()よ、そこから逃れ出なさい」(黙示録18:2-4)。多くの心の誠実な人々は、天からの命の息を求めてあえいでいます。彼らは、神の言葉の中に表されているものと共に、単純かつ美的にそれらが伝えられた時に、その福音を認識するでしょう。

 

2.家から家への働きの必要

 特別の公的な努力の重要性と等しい働きは、主の人々の家庭の中での、家から家への働きです。大都市の中には、公的な集会によっては伝えられない一定のグループの人々がいます。それらの人々は、羊飼いがいなくなった羊を捜すように、捜し出される必要があります。賢明で個人的な努力がその人々の益/味方として表明される必要があります。個人的な働きが軽視される時に、多くの貴重な機会が失われています。個人的な働きが役立てられる所では、明らかにこの働きが進むことでしょう。

 大会衆にこの真理を提示する結果として、質問の精神が目覚めさせられます。そして、この興味が働き人個人によって、フォローアップされることが特に大切です。この真理を調べたいと望む人々は、神の言葉を知的に研究するために教えられる必要があります。誰かが、確固とした基礎の上に建てるために、その人々を助ける必要があります。その人々の宗教体験の危機的な時に、神の言葉の宝の家について、その人々の理解を開き、その人々を助けに行く働き人達が、聖書を賢明に指導することはどんなにか大切なことでしょう。

 

3.訓練学校としての都市伝道

 良くバランスの取れた働きは、聖書教師達の訓練学校が進展している時に、最良になされ得るでしょう。公的な集会が行なわれている間に、この訓練学校や都市伝道に繫がった人々は、霊的に深く理解した働き人の体験をすることでしょう。その人々は聖書教師達に日々の指導を受けることができて、努力していることを表明して、一般の大衆に真心こめて繫がることができます。そして、男性と女性達が真理に回心する時に、都市伝道の先頭に立っている人々は、多くの祈りと共に、それらの人々に、自分達の生き方に、その真理の力の新たな回心の体験の仕方を示す必要があります。すべての働き人達の側の努力と繫がったこのことは、例の場所[キリストの手]に打たれた一本の釘nailのようになるでしょう(This united effort on the part of all the workers would be as a nail driven in a sure place.)

 

4.健康改革の原則の教え

 一つの人々()として、私達は、健康改革の原則の知識を知らせる働きを与えられました。食物の問題は、自分達の福音の働きに含まれている重要性がまったくないと考える人々がいます。しかし、そのような人々は大きなミスをしています。神の言葉は、「それゆえ、汝らが何を食べ、何を飲もうと、また、汝らが何を行なおうとも、全て、神の栄光のために行ないなさい」(1コリント10:31 KJV)と宣言しています。節制のテーマが伝えている全てのことは、救済の働きの中で重要な位置を占めています。

 私達の都市伝道と関連して、指導のために集められて、関心が目覚めた人々に適した余地があるでしょう。この働きの必要は、好ましくない印象がその人々の知性につくられるような貧弱な方法がもたらされるためにあるのではありません。なされる全てのことは、真理の創始者に、好ましい証が伝えられるでしょう。また、第三天使のメッセージの真理の重要性と、神聖さを適切に表すでしょう。

 料理教室は、開かれるために存在しています。人々は、健康の良い食物の用意の仕方を教えられるために存在しています。その人々は、健康の良くない食物を選ばない必要を示されるために存在しています。しかし、私達は、[必須の栄養素が]不足して餓死する食物を擁護するべきではありません。食肉とコーヒーと紅茶なしで、栄養を与える食物、健康的な食物を摂ることは可能です。食物の用意の仕方を教える働きは、同時に健康的です。食欲をそそることは、とても大切なことです。

 健康の働きは、主の手段として、主の教会を聖化して、私達の世界の病気の苦しみを軽くして改善しています。霊的な健康と身体的な健康を回復する、偉大な教師であり働き人と協力することによって、神の助けと手を握るように、働き人達が活動できる人々に教えましょう。この働きは天の宣伝をしていて、ほかの貴い真理を届けるための心の扉を開くでしょう。そこには、この働きを知的に確立するような全ての働き人達のための余地があるでしょう。

 伝道地の最前線で健康改革の働きを続けることは、私が伝えるようにと[イエスから]指導されたメッセージです。広く生き渡った知識は考えられる必要があるという価値をわかりやすく示しましょう。有害な食物と飲み物を自制することは、真の宗教の成果です。完全に回心した人は、悪い習慣と食欲を放棄するでしょう。完全な自制によって、その人は、健康を害する放蕩に勝てるでしょう。

 私は、健康改革の教育者達に、推進すると言うように指導されました。この世界の人々は、善悪判断の苦悩の時に、背後で強制するように及ぼしうる影響の全てを心に留める必要があります。第三天使のメッセージを教える人々は、自分達の真理の旗色の側に立ちましょう。「それゆえに、私は、あなた方に懇願します。兄弟[姉妹]のみなさん、神の憐れみによって、汝らは、自分の体を生きている犠牲として表しています。聖なる、神に受け入れられるそれは、あなた方のほどよい奉仕です。そして、この世に順応していませんが、しかし、汝らは、あなたの知性が新しくなることによって変えられています。汝らは、神の意思に、完全な、そして、受け入れられる良い事が何であるかを証明しているでしょう」(ローマ12:1,2 KJV)。主が、清い真理のメッセージと教理と言葉によって労している人々と腕を組んで歩みますように。主の働き人達が、それらのメッセージを簡潔に伝えるならば、あらゆる権威と保証によって、主は、彼らと共に働くことでしょう。

 

5.裕福な階級の人はそばを過ぎ越されない

 キリストの奉仕者達は、地位が低く貧しい人々のためと同じように、私達の都市で裕福な人々のために信仰深く働く必要があります。都市には、福音メッセージの印象と感化に影響を受けやすく、財産を持った人々がたくさん住んでいます。クリスチャンの信仰と実践の解説者として、聖書、聖書だけがその人々に示される時に、その人々は、福音の進展のために、また、心のドアを開けるために、神の聖霊によって感動するでしょう。その人々は、神の言葉に生きている信仰を現すでしょう。そして、荒れ地の中に、私達の神のための大通りをつくるため、主の道を用意するために自分達に託された財産を役立てるでしょう。

 何年も、「どのようにして、私達は、主が開拓するために私達の前にすでに行なった伝道を支援するために相応しい基金を集めることができますか」という困った悩みの質問が私達に届きました。私達は、その福音の明白な命令を読んでいます。そして、本国と外国の両方の伝道地は、働き人達の必要を表しています。積極的な神意の明示として、その働きの速やかな実践を私達に主張しているその人々の動向は、確かに実行が待たれています。主は、お金のある人々が、ほかの人々に伝える主の助け手として、回心して行動することを待ち望んでいます。主は、主への奉仕のために自分達に委託された財産を役立てるように導かれること、品性が形成されること、回復と改善の働きを助ける人々が真理の貴い光を見ることを望んでいます。主は、近くでも遠くでもあらゆる層の人々に届けられる福音の道を開くために、慈善に使うために、財産を貸して預けた人々を備えています。

 天は、世俗の賢明な人々によって、理解されていないのですか。そうです。そこでは、みんなが自分に奉仕して、みんなが野心を持って、みんなが軽薄なものから安らぎと平安と安息を見つけているでしょう。その人々に、キリストがその人々に授けようと願っている喜びと平和を求めるように言いましょう。その人々に、キリストの義の衣――死ぬ運命にある人に与えられうる、保証された豊かな贈り物に彼らの注目を向けるように言いましょう。キリストは、その人々に、栄光の永遠の重みのある、より高貴な、神の命に見合った一つの命を申し出ています。彼らがキリストを受け入れるならば、彼らは、与えられるだけでなく、失わない最高の栄誉を持てるでしょう。その人々は、神の戒めを守ることには大いなる報酬があることを見つけるでしょう。

 思いやりのある贖い主は、彼に仕える者達に、富める者と貧しき者を夕食に招待をするよう命じています。無理にでも連れてくるために、あなた方の辛抱強く断固とした努力によって、大通りや垣根の道に出かけましょう。牧師達は、キリストが彼らのために用意した真の宴会に人々を連れてきて、お金を持った世俗の人々を定着させましょう。その人々のために貴い命を与えた主は、「その人々を連れてきて、私のテーブルの席に着かせなさい。私は、その人々に給仕するでしょう」と言っています。

 キリストの牧師達は、この社会層の人々と自分の関係を持っています。彼らは希望を失った者のそばを通り過ぎません。説得力のある人々と共に働きましょう。そして、あなた方の信仰深い努力の成果として、あなた方は、征服者の勝利の歌を歌うための勝者として、冠を授かった男性達と女性達を天の王国で見るでしょう。「その人々は、白い衣を着て、私と共に歩むでしょう。その人々は価値があるからです」(黙示録3:4 KJV)と、始めであり終わりである方が言っています。

 全体的に見て、この世界の人々を招いた場所で、ほんの少しの努力が尽されただけでした。その人々の多くは、優れた資格を持っています。彼らは、財産と影響力を持っています。そこには、ほかの人々への善意のために役に立てられ、増されるために、主によって彼らに託された貴い贈り物があります。

 裕福な人々を救うために探しましょう。主が彼らに委託して貸した宝を主のために戻すように彼らに請い願いましょう。ニューヨークとほかの大都市で、そこには、人々に伝えられるシンプルな聖書の真理からの影響において、センターが設立されうるでしょう。主の栄光を進展させるためと、主の働き人達が良い事を行なうのを可能にさせて、裕福な人々の富を主に返すことによって、神の玉座のそばに彼らの宝を貯えておくように、人々を説得しましょう。

 

6.私達の労する勢力をさらに広げるための計画

 軍隊の戦力は、その層の人々の能力によって規模が計られます。賢明な長官generalは、士官達を全ての兵士の軍務service活動の訓練のために指導しています。彼は、全部の部門を最高に効率的に発達させようとしています。長官が自分の下士官だけに頼るために存在していたのであるならば、彼は成功する作戦の指揮を期待することができなかったでしょう。彼は、自分の部隊の中の全ての兵士達から屈しない軍務serviceと忠誠を算定しています。その義務履行能力は、その部隊の中の兵士達に大きく依っています。

 このことは、インマヌエルの君の軍勢の中に存在しています。ある戦いで絶対に負けなかった私達の長官Generalは、主の旗の下に参加協力した全ての人々から、快い忠実な奉仕serviceを期待しています。現在、善の勢力と悪の勢力との間で遂行している終末の争闘において、主は、牧師達と同じく一般信徒全員に、持ち場に就くことを期待しています。主の兵卒として志願した人はみな、自分達の個人的に負っている強い責任の考えと共に、緊急招集兵として忠実な奉仕に当たるために存在しています。

 教会の霊的な管理をしている人々は、神の働きの何かの活動機会を教会メンバー全員に与えることによって、資金と方法を考え出すでしょう。過去しばしば、これは行なわれませんでした。様々な計画は全くつくられず、実現しませんでした。それによって、みんなの才能は奉仕活動の働きをしませんでした。しかし、このことが原因でいかに多くの失われた人々がいたことに、わずかに気付いた人々がいただけでした。

 賢明な上官として、神の目的を理解しているリーダー達は、伝道地の前線に沿って、前進を促す計画を立てるために存在しています。それらの計画の中で、彼らは、隣人と友人達のために一般信徒によってなされうる働きのために、特殊な研究に携わるために存在しています。この地上での神の働きは、私達の教会員を構成している、男性と女性達が教会管理者と牧師達の努力と結合によって、その働きに集結しない限り決して終わることができません。

 罪びと達の救済は、個人的に働く人と熱心さを求めています。私達は、自分達の所に来るように人々を待っているのではなく、命の言葉を人々に伝えるために存在しています。私は、勤勉に活動するために目覚めて立ち上がるよう男性や女性達にその言葉を語ったものでした。今、私達に与えられている瞬間はわずかです。私達は、永遠の世界の間際に立っています。私達には、無駄に失っている時間がありません。あらゆる瞬間は、単に自己に仕えて、捧げられるためにはみな貴重で、金のように貴重です。熱心に神を求めている人は誰ですか。主から力を引き出している人は誰ですか。伝道地で主の忠実な働き人になるための恵みを求めている人は誰ですか。

 

7.教会の中でのタレントの発達

 どの教会でも、この働きの大きな助けとなって発展するような、正しい働きのやり方についてのタレントを持つ人がいます。今、私達の教会を増加させるために必要とされているタレント――大教師が役立てるために教育されうるタレント――をこの教会の中で発達させ際立たせることは、賢明なよい働きです。そこには、未信者のためと、教会を増加させるため、教会員に労し方を教えるため、私達の全ての大小の教会に行くため、働き人達が労するために、よく組織化された計画を立てる必要があります。必要とされていることは、教育と訓練です。教会を訪問している働き人達は、伝道活動をする実用的な方法を兄弟姉妹達に伝える必要があります。

 この世界で説教する全ての人々は、自分達の周りの滅びている人々の必要を深く考える人を育てていないでしょう。男性と女性達の中には、[霊的な]無知の闇にいる人々の働きをするために、新たな伝道地に人々を送り出すよう熱心な自己犠牲に目覚めている人はいないでしょう。働き人達を大通りや生け垣のある通りに送り出す用意をしましょう。私達は、成長し育ちやすい別の土地に木を移植する、賢明な植木職人を必要としています。遠くの土地に行くことは、神の民の積極的な義務です。一隊は、設立が可能な所ではどこでも感化を及ぼす新たなセンターを設立するため、新しい土地をきれいにするための働きに就いてもらいましょう。真の伝道の熱意を持っている人々を励ましましょう。そして、彼らを、近くに遠くに、光と知識を広げるために送り出しましょう。彼らに、健康の原則をひどく怠っているコミュニティーへ健康改革の生きた原則を届けてもらいましょう。

 人生を謙虚に歩んでいる人々は、神の働きを引き継ぐことを奨められるために存在しています。彼らが働きに就く時、彼らは貴い経験を得るでしょう。働き人達が不足しています。そして、私達には代わりの人がいません。大教師に奉仕しようとしている人々を失望させるのではなく、私達は伝道地に入る働き人達をもっと強く励ます必要があります。

 

8.喜びに満ちた奉仕

 神と心を通い合わせる人々はみな、主のために行なう働きをたくさん見つけるでしょう。大教師の精神によって出て行く人々、真理を魂達に届けようとしている人々は、魂達をキリストに連れて行く働きに、苦しい仕事に関心がない、乗り気がない、と考えていないでしょう。彼らは、神の農夫としての働きに挑戦しています。やがて、彼らは、自分を神の奉仕に捧げるようにもっと生き生きとなるでしょう。ほかの人々に御言葉を広げることは、喜びに満ちた働きの一つです。

 若い男性と女性は、ほかの場所と、自分自身の隣人達の中で働き人となるために教育される必要があります。適応するために、自分を相応しい者にして、この時代のための働きに関して知的になるために、彼らの心と知性をみな整えましょう。家庭で正しい性質の教育を受けた多くの若い人々は、忠実な働きと良い計画によって、新たな場所で真理の標準を掲げるために励まされて、奉仕者として訓練されるために存在しています。都市での働きの体験者達と私達の牧師達の協力によって、彼らは良質な訓練を得るでしょう。神性のガイダンスと支援のもとでの活動と、経験した働き人の仲間達の祈りによって、彼らは、祝福された働きと良い事を行なうでしょう。彼らが、先輩の働き人と労することに繫がる時、良い報告をするために若いエネルギーを使って、彼らは天の御使いとの交流をするでしょう。働き人達が神と共に労する時、自由と励ましのある働きを、信じて祈って賛美することは、彼らの特権です。天の遣いのような働き人達の臨在が彼らと働き仲間にもたらされるという信頼と確信は、真の信仰のシンプルさと賛美と祈りに導くでしょう。

 教会員達への教育のためのよく練られた計画の努力に先延ばしは存在しないようにしましょう。その働きの重要性と神聖を理解した人と、全く献身した人々が、大都市で働くために選ばれる必要があります。それらの配慮に的確でない人々を送ってはいけません。人々は、十字架の勝利を指し示す人である必要があります。その人は、欠乏と落胆のもとにいることを耐え忍ぶでしょう。また、その伝道地で欠くことができないものである信仰と強い意思と熱意を持っているでしょう。その働きに個人的に繫がらない人々に、私は、「快く働きに就こうとしている人を妨げてはいけません。そうではなく、支援と励ましを与えてください」と言おうと思います。

 この訓練に当たる働き人はみな、主の聖霊を主に熱心に求める人と同行する必要があります。ここで、偉大な教師の奉仕のために自分自身を捧げる意思のある人々に安らぎhomeが主張されるようにしましょう。私達の指揮官は、世界中の人々から見詰められています。すべての活動は、綿密に調べられて批評されています。クリスチャンの品位を涵養する知識が必要です。真理を告白する人々は、それがイエスの中にあるように、それをほかの人々に教えることができるでしょう。彼ら自身が手本になることができるでしょう。そして、私達の敵は、本当のところ、自分達に悪がないと言えないでしょう。神は、私達が告白している清めの原則にまで高められて調和して、品行の清めと生活の聖化、大いなる聖化を呼び掛けています。キリストのための働き人達の生活は、未信者達に彼らが慎重な回心と信心深い歩みに見えるような者になる必要があります。そのような成果を生み出す信仰によって好感を持たれるでしょう。

 

9.キャンプミーティングに関連した個人的努力

 私達のキャンプミーティングでの働きは、人間が考案したものと一致しないように指揮される必要があります。教会員達は、働きに引き寄せられる必要があります。神の御使い達は、世界の人々に警告する働きが速やかに達成されるように、近くや遠くの伝道地を拓くように道を教えるでしょう。神は、脇道の住民のために知的な働きをすることと、新たな伝道地に教会支部を組織することによって、信徒達に伝道の働きの体験をするように呼び掛けています。これを行なう人々のために、働きが開始されるでしょう。

 キャンプミーティングで見倣って、関心を持って働きに就く人々は、様々な伝道地の前線で必要とされています。そして、それらの状況は、働き人達の訓練学校になる必要があります。若い人々は、自分達に忍耐強く指導して共に祈る経験のある働き人達と繫がって働きましょう。献身した女性は、家から家へと聖書の働きに繫がる必要があります。ある働き人達は私達の書籍を売って、買うことができない人々に思慮深く与えて、文書伝道者として活動するでしょう。

 真に回心した人々は、御言葉の理解にもっと、もっと知的になる必要があります。彼らは、罪のために滅びていて、[霊的な]無知の闇にいる人々を救う光/真理の言葉を語ることができるでしょう。主と共に働く時に、私達は、光の子らとなることができるよう、サタンの罠から魂達を救う努力をしている時、明白な成果と特別な祝福を期待するために存在しています。

 

10.訪問宿泊センターと交流センター

 大教師であり偉大な働き人である、主の奉仕に入った時の呼び出しに応じている人々は、主の働き方をよく学べるでしょう。主の地上での奉仕の働きの間、救い主は、大勢の旅人に出会った機会を優先的に利用しました。イエスが旅の途中で間を取って、戻って泊まった所は、カペナウムでした。「主自身の都」として知られている所に来ました。この都市は、救い主の働きのセンターになるようにとても適していました。ダマスカスから、地中海、エジプトとエルサレムへ続く本通りにあって、そこは、大勢の旅人が往来する地点でした。多くの国から来た人々が、その都市を通り過ぎたり、旅の途中で休むために滞在したりしました。ここで、イエスは、孤独な人、貧しい人、と同時に、富める人や高い地位の人、あらゆる社会層の人、あらゆる国々の人に会ったことでしょう。そして、主の教訓は、多くの家族と、ほかの町々にもたらされることでしょう。その預言の調査研究は、このようにワクワクさせられるでしょう。注目が救い主に向けられることでしょう。

 現代の日々の旅において、多くの国々やあらゆる社会層の男女との接触の機会は、イスラエルの日々よりも非常に多くあります。大勢の旅人は、数千人という群衆になりました。神はその大通りに驚くほど用意しました。印刷所の働き人達は、私達の指示に[応じる]、多種多様の設備を持っています。この時代のための真理を宣布するための聖書と多くの言語の出版物は、世界の隅々にまで速やかに伝えられるように、私達の手中にあります。

 旅と交流の一大中心地に住んでいるクリスチャン達は、特別な機会を持っています。これらの都市に住んでいる信徒達は、自分達の住んでいる近所の人々へ、神のために働くことができます。

 世界的に有名な宿泊訪問センターと健康保養所は健康と慰めを求めて何千人もの多くの往来する人々で混雑しています。そこは、群衆の注目を引く可能性のある文書伝道者と牧師達の本拠地とされる必要があります。それらの働き人達は、この時代のためのメッセージを提示するチャンスを見つけましょう。そして、彼らが機会を持てるように集会を持ちましょう。その人々の話す機会をすぐに捉えるように勧めましょう。聖霊の力を共にして、バプテスマのヨハネによって生み出されたメッセージ「悔い改めなさい。汝ら、天の王国は手の中にあります」(マタイ3:2 KJV)を持って、その人々に会うようにしましょう。神の言葉は、力と清めが表されるために存在しています。聞くための耳を持っている人はその真理を聞くことでしょう。このように、[再臨や安息日など]現在の真理は、それを知らない人の道に置かれているでしょう。そして、それは、世界の隅々の家々にその人々によって伝えられて、僅かな人だけでなく受け入れられるでしょう。

 

11.衰えない熱意と共に

 私達は人々に神の最後の警告を与えるために存在しています。そして、その光を宣布する私達の熱心さと、聖書を研究することにおいての私達の熱心さが必要です。神性の照明/啓蒙を受けた全ての魂は、それを分け与えることを求めましょう。働き人達は、自身の魂に受けた祝福の光をほかの人々に語るため、出版物の配布のため、人々に聖書を開くため、家から家へと、出て行きましょう。郵便で、海を定期運航する大きな船で、通りで、汽車で、文書が慎重に配布されるようにしましょう。

 偉大な働きは、行なわれるために存在しています。そして、その真理を知っている人々は、助けるために交流する力を備える必要があります。キリストの愛は、その人々自身に満たされる必要があります。キリストの精神/霊がその人々に注がれる必要があります。そして、その人々は、神の裁きの日に立つ備えをする必要があります。その人々が、神に自分自身を聖別する時、確信の力が、ほかの人々へ真理を提示する人々の努力に加わるでしょう。私達は、もはや、サタンの呪文の地で眠っている必要はありません。私達は、神の摂理が用意してあった私達の全ての便宜を図って、私達の全ての富に要請を呼びかけています。最後の警告は、「王達、言語、国の民、多くの人々」の前で宣布されるために存在しています。そして、その約束は与えられています。「見よ。私は、世界の終わりまでも、いつもあなた方と共に存在しています」(マタイ28:20 KJV)。

 私は、[イエスから]私達の牧師達に、働かれていない都市を示すこと、可能なあらゆる手段によってそれを主張すること、真理を提示する方法を開示すること、を指導されました。主の再臨のメッセージが最初に与えられたいくつかの大都市において、私達は、そこが新しい伝道地であったかのように、その働きを始めさせられました。これらの働きがなされていない都市は、どれくらい長く、不毛の地として見逃されるのでしょうか。タネ蒔きが遅れることなしに、多くの場所で始められる必要があります。

 主は、一つの精神が見られる主の奉仕者達に、主が彼らに与えているなすべき義務に素早く応答するため、行なわれる義務を素早く識別するため、魂達の価値を素早く考えるために存在していると命じています。真理の知識に魂達を勝ち取るための働き場所を確保する十分な価値について、関心のない世俗の人々を考えると、深い愛情が必要です。

 真理を説教している牧師達は、キリストの外にいる人々を個人的に働いて導いているでしょう。個人的な励ましは、あらゆる可能な方法で努力しています。牧師達の働きは単なる説教によって成り立っていないということを覚えておきましょう。牧師は、家庭を訪問するため、聖書を開くため、共に祈るために存在しています。講壇の外で忠実に働く牧師は、自分の働きを机に制限する人以上に10倍も成し遂げるでしょう。私達の牧師達は、主の恵みをいつも求めつつ、知恵のために主を見詰めながら、恐れおののきつつ責任の重荷を負いましょう。イエスを彼らの手本にしましょう。主の生涯を知的に研究して、地上にいた間の主の奉仕に、主が活動した原則を日々の行動に取り入れましょう。

                        

 「労している人、心に重荷を抱いている人はみな、私の所に来てください。私はあなた方に安息を与えましょう」。これは、霊的・心理的・身体的・知的な全ての病を癒すための一つの処方箋です。これは、真理を誠実に主に求める人々へのキリストの贈り物です。彼は力ある癒し主です。その時、ほかの招きが訪れています。「重荷を負って苦労している者はみな、私のもとに来てください。あなた方は私のくびきを着けてください。私は心が優しく謙遜な者ですから、汝らは、自分の魂に休息を見つけるでしょう。私のくびきは負いやすいので、私の重荷は軽やか/光です」(マタイ11:28-30 KJV)。キリストのくびきを身に着けて、謙遜と謙虚の教訓を主から学んで、私達は、信頼と確信と、信仰の中に安息を見つけています。私達は、キリストのくびきが負いやすく、主の重荷が軽やか/光であることを見つけています。


 

13章 証13 一般信徒へのアピール

 

 

[1.地上歴史の特別な期間に生きている]

 一つの共同体(教会)の中で、特殊な努力が働き人達の体験によってなされている時、独特な人々()である私達はそこで生きています。主のために働く方法を示すことと、自分達の力で全てを行なうことが、最も厳粛な責任としてその伝道地にいる信徒達に残されています。この人々は、自分達の心を祈るように調べて、自分の兄弟[姉妹]達との協力と、神との協力を妨げる全ての罪を捨てて、王の道を清める必要があります。

 これは常に、十分に理解されてきませんでした。サタンは、しばしば、教会員が奉仕の機会を見出すことが不可能になった、という精神/霊をもたらしました。信徒達は、主の働きの優先と、神へ完全に献身される必要があるという時に、自分達を通して働くのをかの敵に許したことは、たびたびのことではありませんでした。知らずに、彼らは義の道から離れてさ迷いました。その人々は、ファリサイ人的な清めとプライド、粗探しと批判の精神を好んで、神の聖霊から離れて悲嘆にくれ、神のメッセンジャー達の働きを大きく妨げました。

 この悪い人々は、多くの場所で何度も指摘されてきました。時々、それらの人々は、やりたい放題に粗探しをしましたが、咎めの精神を持つ人は、悔い改めて、回心しました。それから、神は、主の名の栄誉と栄光のために、その人々を用いることができるようになりました。

 私達は、この地上歴史の特別な期間に生きています。偉大な働きが、非常に短期間に行なわれる必要があります。そして、すべてのクリスチャンは、この働きを支えて一部を担うために存在しています。神は、魂を救済する働きに自分自身を聖別しようとしている人々に呼び掛けています。私達が、滅びている世界の人々を救うためにキリストが捧げた犠牲を理解し始めた時、魂を救うための奮闘が見られるでしょう。私達の教会の人々はみな、キリストの計り知れない犠牲に気付いて見てほしいものです。

 

2.改革のための動き

 夜の幻の中で、神の人々()の間の大いなる改革のための動きについて、私の前を表象が通り過ぎました。病人が癒されて、ほかの奇跡が働きました。大いなるペンテコステの日の前に現れたように、執り成しの精神が見られました。神の言葉が開かれている前で、何百何千もの家族達の訪問が見られました。その人々の心は、聖霊の力によって確信していました。そして、真の回心の精神が現されました。すべての[人の心の]ドアが真理を宣言する方に開け放たれました。世界の人々は、天の感化力によって、明るくされ啓蒙されたように見えました。大いなる祝福が、真の謙遜な神の人々()によって受け入れられました。私は、賛美と感謝を捧げる人々の声を聞きました。そこの人々は、1844年に、私達が目撃したような、一つの改革になるように思われました。

 また、ある人は、回心することを拒みました。その人々は、自由意思の捧げ物が呼び掛けられ、そして、神の働きが前進しようとしている時に、この世の自分達の財産のために自分本位に固執して、神の道を歩むことを快く思っていませんでした。これらの回心者達は、信徒達の仲間から分かれるようになりました。

 

3.長引く調査期間に労する働き

 神の裁きは、この地上に存在しています。そして、聖霊の感化の下で、私達は、主が私達に託した警告のメッセージを伝える必要があります。私達は、指針の上に指針、一行の上に一行と、このメッセージを速やかに伝える必要があります。人々は、間もなく、重大な決定を強いられるでしょう。その真理を理解するために与えられる機会を目にすることは私達の義務です。その人々は、その正しい側に立つことを賢明に選ぶことでしょう。主は、長引く[1844年からの]調査期間の間に主の人々()に、熱心に、賢明に労することを呼び掛けています。

 

4.個人的な働きの重要性

 私達の教会のメンバー達の間では、もっと、家から家へ、文書を配布すること、聖書を読み合う働きをする必要があります。クリスチャンの品性は、人間の働き人達が、資金で神の目的を支えること、また、真理の宣布に無関心な人へ働きかけることが一つの特権として考える時だけ、完全に釣り合いの取れたものに形成されうるでしょう。私達は、どんな義務がやってこようとも、主が私達に行なうように与えた資金を使って、[平穏な]昼間の間に働いて、私達の魂を神の愛の中に保って、あらゆる水際にタネを蒔く必要があります。私達は、自分の手がすることを見つけたらなんでも、忠実にそれを行なうために存在しています。どんな犠牲を払うように求められても、私達は、それを好意的に果たすために存在しています。私達が、あらゆる水際にタネを蒔く時に、私達は、「気前よくたくさんタネを蒔く人は、たくさん刈り入れるでしょう」(2コリント9:6 KJV)ということに気づくでしょう。

 キリストの模範は、神の子らになると言っている人々によって模倣される必要があります。あなた方の仲間の身体的な必要を追体験して想像してください。彼らの謝意は、あなたがその人々の心に近づけるように、心の障壁を取り払うでしょう。この内容を熱心に考えてください。教会として、あなた方は、神と共に働く者として働く機会がありました。あなた方がこの働きに就いた時、あなた方は祝福され勇気づけられたことでしょう。また、豊富な経験をしたことでしょう。あなた方は、救済と回復と救いの目的を堅く擁護して、神に就く人間の働き人としての自分自身を見つけたことでしょう。その目的[の進展]は停滞しないでしょう。力から力へと、また、恵みから恵へと移って漸進することでしょう。

 主は、私の前に、私達の住んでいる都市でなされるために存在している特別な働きを提示しました。それらの都市に住んでいる信徒達は、自分達が住んでいる家の隣人達に神の働きをするために存在しています。信徒達が天の雰囲気を持っていく所はどこでも、その働きの趣旨を伝え、謙虚に静かに労するために存在しています。彼らが、いつもキリストを指し示して、自分の視野の外を見続けているならば、彼らの影響力が感じられるでしょう。

 牧師達が真理のタネを蒔く働きの大部分をやり残すことは、主の目的ではありません。牧師の働きに呼び出されていない人々は、そのいくつかの才能によって、彼らの大教師に用いられて労するために存在しています。ある働き人が主への奉仕に大胆に自分自身を申し出る時、その人は、大教師のためにもっと成功する働きができる一つの体験をしています。その人をキリストに惹き付けている感化力は、ほかの人々をキリストに惹き付けるように、その人を助けています。大衆に語り掛けるという働きは、その人に備えられていないでしょう。しかし、それにもかかわらず、その人は神の働き人です。そして、その人の働きが、神に支えられていることを証しています。

 男性達と同じく女性達も、それ[真理]が現れてよい結果となる所で、真理を隠れ場/福祉の場とする働きに繫がることができます。彼女達は、この危機の時に、彼女達の働く場所を確保することができます。そして、主は、彼女達を通して働くでしょう。彼女達が自分達の義務の感覚に満ちているならば、そして、神の霊/精神の感化の下で労するならば、彼女達は、この時代のために求められた落ち着きのある品位を持てるでしょう。救い主は、主の容貌の光を献身的な女性に反映させるでしょう。そして、このことは、彼女達に、男性達に属しているものを超えた光を与えるでしょう。彼女達は、家族の中で、男性のできない、心の内の生き方に伝えるという働きをすることができるでしょう。彼女達は、男性達が伝えることができない人々の心に、親しく近づくことができます。彼女達の働きは必要とされています。思慮深く謙虚な女性は、彼女達の家庭で家族のために真理を説明する良い働きをすることができます。このように説明された神の言葉は、それ自身を残す働きをするでしょう。そして、この感化を通して、家族全体が回心するでしょう。

 私の兄弟姉妹のみなさん、あなたの計画を詳細に考慮してください。あなたの隣人に話をするあらゆる機会を捉えてください。交際して、その人々に現代の真理が書かれている本から何かを読んでください。キリストがなした大きな犠牲や魂の救いの重要性について、まずあなたの考えを示しましょう。

 滅びている魂達のための働きにおいて、あなた方は天使達と親密な交際をしています。千の数千倍、万の数万倍の天使達が、神が豊かに与えた光/真理と連絡を取っている私達の教会員と協力するために待っています。その人々は、キリストの再臨に備えられているでしょう。「今は、受け入れられた時です。見なさい。今は、救いの日です」。家族はみな、主に熱心に祈って神の働きをなす助けを求めましょう。

 小さな物事でもそのそばを通り過ぎてはいけません。そこから、大きな働きを探しましょう。あなた方は、小さな働きをうまく行なうことができるでしょう。でも、大きな働きをしようとして、全部を失敗しています。あなた方がするべき働きと思えるものは何でも習慣化しましょう。あなた方が裕福か貧しいか、身分が高いか低いかに関わらず、神はあなた方に主の奉仕活動を呼び掛けています。あなた方がその働きのための素質と才能を発達させることは、あなた方の手がすることを見つける力にあるでしょう。そして、あなた方に実りがなくなり萎れるのは、あなた方の日々の機会を怠ることによります。これが神の園に実を成らせない多くの木々が存在する理由です。

 家族の者達の中で、あなた方の隣人の炉端で、病人の傍らで、平穏な道で、あなた方は、真理とイエスのための言葉を語り、御言葉を読むことができるでしょう。このように蒔かれた貴いタネが、発芽して、多くの日々の後に果実をもたらすでしょう。

 将来性のない多くの地域でなされるための伝道の働きがあります。私達が働きを考えていなかった場所と方法で、労することを計画しなかった人の層に伝えるよう私達に霊感を与えるという伝道精神は、私達の魂に定着させる必要があります。主は、福音のタネを蒔くための計画を持っています。主の意思によってタネを蒔くことによって、私達は、真理を聞いていなかった何千もの人々に伝えることができる主の言葉のタネを増やせるでしょう。

 様々な機会は、あらゆる方面に開かれています。摂理的に開かれているあらゆる所に入って行きましょう。[教会の]人々の目は、それらの機会を感じて見るために天の目薬をつける必要があります。神は、今、世界に広く目覚めた伝道を呼び掛けています。私達の前に提示されている様々な道があるでしょう。私達は、神の摂理による開始を見て理解するために存在しています。

 神のメッセンジャー達は、キリストが地上にいた間に行なったその働きを引き継ぐように委託されました。熱心に誠実に、その人々は、天の滅びない宝と計り知れない宝について、人々に話すために存在しています。その人々は聖霊に満たされるために存在しています。その人々は、天が提供している寛容と平安を知らせるために存在しています。その人々は、「祝福されている人々は、主の戒めを行なっています。その人々は命の木への権利を持てるでしょう。そして、その門を通って、その都に入るでしょう」(黙示録22:14)と言って、神の都のいろいろな門を指し示すために存在しています。

 

5.自己否定の精神を大切にする

 全ての教会メンバーは、犠牲の精神を大切にする必要があります。全ての家庭で、自己否定の教訓が教えられる必要があります。父親や母親達は、子ども達に節約を教えましょう。子どもらの数ペニー(数円)を伝道の働きに蓄えることように励ましましょう。キリストは私達の手本です。私達のために、彼は貧しくなりました。それは、私達が彼の貧しさを通して、富めるようにされるでしょう。彼は、全ての人々が、神の子らとして愛するように、彼が犠牲となったように犠牲となるよう、彼が働いたように働くように、和合と愛に共に繫がる必要があると教えました。

 私の兄弟姉妹のみなさん、あなた方は、キリストの自己犠牲を実践することによって、自分自身を回心させることに快くなる必要があります。簡素なドレスにして、しかし、手際よく縫ったものにしましょう。あなた方の家庭では、自分自身には可能な限りにお金を少なく使って、自己否定の小さな活動によって、あなた方が工面できるお金を自己否定の箱の中に蓄えましょう。日毎に、神の言葉の理解を明瞭にしましょう。あなたが得た知識を分け与える全ての機会を役立てましょう。良い事をすることに疲れないようにしましょう。神は、あなた方にいつも、世界の人々への主の贈り物の大いなる祝福を分け与えています。主イエスと協力してください。主は、あなた方に無料で愛の教訓を教えることでしょう。時は短いです。あなた方は、時がもはやない時期に当然支払われるべきものとしての報酬を受け取ることでしょう。

 神を誠実に愛し財産を持っている人々に、私はこう伝えたいです。「今は、あなた方にとって、主の働きを支えるために財産を投資するその時です。今は、滅びている魂を救うための自己否定の犠牲の努力によって、牧師達の手を挙げさせるためのその時です。天の法廷であなたがたが救うために資金を援助したその魂達に会った時、あなたがたは栄誉の報酬を持つのではありませんか」。

 小銭を控えて置かないようにしました。天になくならない宝を持つことができるという、大きな喜びを持つようにしましょう。私達が主の働きに投資することを拒むそのお金は滅びるでしょう。それ [小銭] は利子がない状態で、天の銀行に蓄えられるでしょう。

 次の言葉の中で、使徒パウロは、神自身に控えている人々を記述しています。「豊かになろうとした人々は、破滅と永遠の滅びに引き付ける、多くの愚かさと有害な欲望、また、罠と誘惑に陥っています。お金への愛は、全ての悪の根源です。ある人が回心した後しばらくして、その人は、信仰から逸れてしまいました。そして、深い悲しみを体験して、身に沁みました」(1テモテ6:9,10 KJV)。

 あらゆる水際にタネを蒔くことは、多くのことを意味しています。それは、贈り物と提供される物を与え続けることを意味しています。神は、財産を託した忠実な家令が、あらゆるよい働きに満ちることが可能となり、あらゆることに十分に適応されるように、手段を備えているでしょう。「このように書かれています。彼はあちこちに散らしました。すなわち、彼は貧しい人に与えました。彼の義は永遠にあり続けます。さて、彼は、蒔くためのタネを与え、あなた方の食糧のためのパンの両方を与えています。そして、あなた方の蒔くタネを増やし、あなた方の義の実を増やしています」(2コリント9:9,10 KJV)。そのタネはたくさん蒔かれました。無作法な人の手の関与liberal handは、主の手に負えなくなっています。蒔く者にタネを与える主は、主との協力ができる働き人にタネを与えています。

 主は、今、あらゆる地方のセブンスデー アドベンチスト達に、主の働きを支援するために自分達の状況に応じて、主に自分自身を聖別/献身するよう、また、最善を尽くすよう、呼び掛けています。自分達の寛大さによって贈り物と捧げ物を用意して、主は、彼らに、主の憐れみへの感謝と主の祝福への認識を現すことを期待しています。

 私の親愛なる兄弟姉妹のみなさん、私達が持っているお金はすべて、主のものです。私は、今、神の勧めのもとにあった事業を成功裏に完了へと進めるために協力するよう、主の名によってアピールしています。多くの場所での神のための記念碑の設立の働きが、困難に突き当たらず、厄介な負担とならないようにしましょう。なぜなら、必要な資金が与えられず控えられているからです。大規模であれ小規模であれ、重要な事業を達成するために奮闘している人々が落胆しないようにしましょう。なぜなら、私達は効果的な奉仕をするための場所で、それらの事業の呼びかけに協力することが遅いからです。私達の[教会の]人々はみな、目を覚まして起きて自分達ができることを見てみましょう。みんなで、セブンスデー アドベンチスト達の間に力と協力が存在していることを示しましょう。

 

6.受け入れられ得る奉仕の状態

 一つの人々()として、私達は熱心に神の神聖に近づく必要があります。私達は、自分達の知性の部屋の中と、私達の心の中に輝かすための天の光を必要としています。私達は、成功するようにそれらの都市に特別なメッセージを伝えるのであるならば、神だけが与えることのできる知恵を必要としています。私達のどこの教会も、[神聖・天の光・知恵]lineの中に行きましょう。誓約を撤回して、神の栄光と奉仕に生きるバプテスマによる自分自身の誓約を破らないようにしましょう。ここには、救われるための一つの世界があります。この考えは、その道の外にいる人々のためにもっと熱心に労することと、大きな犠牲を私達に訴えています。

 あなた方が神の言葉の原則に最後まで従う時、あなたの感化力は、どこかの教会のどこかの組織の価値となることでしょう。あなた方は、権威者に立ち向かう主の助け手として、主の助け手として昇進するために存在しています。あらゆる軽薄な言葉、あらゆる陽気な時間の浪費は、あなた方の霊的な力を奪う敵の誘惑です。イスラエルの神の名によって、この悪にあなた方自身の気を引き締めてください。あなた方が、神の前にあなた方自身を謙虚にするならば、主は、あなた方の援助を必要としている外国の土地のために、また、垣根や大通りの人々のためのメッセージをあなた方に与えるでしょう。あなた方のランプの芯を整えて明かりを灯して、あなた方が行く所はどこでも、貴重な明かりの筋を灯して、あなた方は話と活動で証することでしょう。

 私達が、主への奉仕に私達自身を当てるならば、主は、私達を指導するでしょう。私達が神と親しく交流すると、主は私達と働くでしょう。私達は、私達の助けを必要としている人々とクリスチャン経験の梯子を登っている人々を忘れて、私利、私欲に没頭しないようにしましょう。私達は、助けて祝福する言葉――時に適った言葉を語る用意をして、神の働きのために、主が私達に与えている能力を備えて立つ必要があります。

 私達の兄弟姉妹のみなさん、私達は[北アメリカ]東部の大都市の人々の必要を考慮するようにしていますか。私達は、キリストの接近が近いことを警告される必要があるということを知らないのではありませんか。私達が行なう働きは、素晴らしく偉大な働きです。そこには、救われるための一つの世界があります。私達の主の来臨のメッセージが最初に説かれた州内において、また、東部の大都市で働かれるための魂達がいます。誰が、伝道の働きの前線でこのことをするために、自分自身を捧げますか。そこには、そのメッセージを推進するために、何もしないか少し行なっている人が伝道地の中と外にいるべき人が、私達の教会の人々の中に数百人います。真理を知っていて、あらゆる有利さを持っていた人々、ここに少しあそこに少し、指針の上に指針、行の上に行の指導を受けた人々は、最後の福音メッセージを一度も聞いたことがなかった魂達の中で、彼らに負わせられている大きな責任があります。

 この好機の時に、この教会のメンバー達が、神の前に謙虚に集まり、あらゆる歩みで主の相談と、間違っている心をみな注ぎだすならば、主は、彼らに主自身を現すでしょう。そして、主の中にある勇気を彼らに与えるでしょう。そして、教会メンバー達が自分達の分を忠実に行なう時、主は、そして、彼らの重要な働きのために彼らを力づけ、選んだ牧師達をガイドして導くでしょう。多くに祈りの中で、私達はみな、天の聖所からの輝く光に照らされて、賛成の手を挙げて協力しましょう。

 世界の終末は、夜中に泥棒が音もなく侵入するように、気づかれずに、密かに私達の上に気付かれないように、近くにあります。主は、私達がほかの人々のようにもはや眠らないようにという望みをかなえるでしょう。しかし、私達は冷静になって見張りましょう。真理は、やがて、栄光の勝利のために存在しています。そして、神と共に労する者となるために、今、選ばれる全ての人々は、神と共に勝利するでしょう。時は短く、誰も働くことができなくなる、その時がやがて来るでしょう。現在の光/真理を喜んでいる人々は、ほかの人々にその真理を伝えることにいそしみましょう。主は、「私は誰を遣わしましょうか」と求めています。真理のための犠牲となることを望んでいる人々は、今、このように、「ここに私がいます。私を遣わしてください」(イザヤ6:8 KJV)と応答するために存在しています。

                       

 責任を負っている人々は、工夫fashioningするために存在しているのは聖霊であることを覚えておきましょう。支配しているのは主です。私達は、働きをする人々のために、自分自身の考えを基準にして形成しようとするために存在しているのではありません。そうではなく、キリストのためにその形成を行ないましょう。キリストは人間の型には従いません。キリストは、自分自身の知性と精神/霊によって働いています。キリストが人の心に託したものは、世界の人々に明らかにするための人間の働きです。主の恵みを通して、世界中に存在している強い欲望の滅びを逃れて、人間が神性の性質に与る者となるように、キリストを受け入れている人の高度な力は、力づけられ高貴にされています。そして、人は神への奉仕の相応しさを受け入れています。

 学んだ世界の人々の多くは、一般の人々が触れることのできない高等教育を受けました。その人々の知識は複雑に入り組んでいます。それは高く舞い上がっています。しかしどこにも残っていません。最も知的なビジネスマンは、キリストがこの地上にいた時、キリストが人々に与えたように、シンプルな真理――命と精神になるために彼が宣言したその真理を望んでいます。彼の言葉は、命の木の葉のようなものです。今日、世界の人々が必要としているものは、キリストのような男性と女性達の生活から反映している、キリストの手本の光/真理です。真理の味方として最も強力な知性は、聖霊の聖化によってそれを清めて高貴にするキリストが支配している知性です。

                       

 キリストは、「汝らは、全世界に出て行きなさい」(マルコ16:15 KJV)と、主の大宣教命令を与えました。すべての人々はその警告のメッセージを聞く必要があります。大いなる価値のある賞が、クリスチャンレースで走っている人々の前に揚げられています。忍耐して走っている人々は、衰えることのない命の冠を受け取るでしょう。

                       

 安らぎを涵養しましょう。あなた方の魂を、忠実な創造主である神に預けることを決意しましょう。私達が涙と泣き言で主の祭壇を覆うことを、主は喜びません。あなた方は、ほかの魂達を覆っているものを見ないならば、すでに神を賛美することに満ちています。あなた方自身のために全てを調整しようとせず、あなた方が前進するだけならば、良い働きが続くでしょう。神の平和をあなた方の心のルールにしましょう。そして、汝らは感謝しましょう。主が働く余地を作りましょう。主の道に石を置かないようにしましょう。私達が主に働いてもらおうと考えるならば、主は、働くことができるでしょう。

                       

 広大な計画が遂行されている間に、その目的のそれぞれの働きがほかの全ての働きと調和して結ばれて、大いなる保護がなされる必要があります。このようにして、全体が完成するでしょう。


 

14章 証14 牧師達への勧めの言葉

 

 

             カリフォルニア サナトリウムにて 1901.11.3

1.ニューヨーク市で長い経験をしている一人の働き人へ

 私がニューヨーク市の中の状況を考えた時、大きな重荷が私の魂に訪れました。夜の間に、様々な内容が、この光によって私に提示されました。ニューヨーク市は、教会が存在していなかった都市の一部でその開始が見られて、[働き人達によって]働かれているでしょう。そこでは、真理が立つ余地が見られるでしょう。罪と背きの中に死んでいる人々のために、この時代の真理の宣布がなされるとても多くの働きがあります。人々を目覚めさせ、警告する特徴のあるメッセージ、最もびっくりするメッセージが、神の任命した人々によって伝えられているでしょう。ある人は警告によって譴責され、根拠と光に抵抗するように導かれているでしょう。私達はこの時代の人々にテストメッセージを与えているということを見るために存在しています。

 メッセージは、通常の指示のほかに与えられるでしょう。神の裁きは、この国の中にあります。都市伝道が、文書伝道者達と聖書教師達のいる所で、定着される必要があります。その一方で、実用的な医事伝道者達が、その層の人々に届けるために教育訓練されるでしょう。私達は、私達の[住んでいる]諸都市で、献身した福音伝道者達を持つ必要があります。彼らを通して、一つのメッセージが、聴衆にびっくりするように決定的に伝えられるために存在しています。

 「目があるのに盲人のような人々、耳があるのに聾啞のような人々を連れ出しなさい。すべての国々[の人々]を集めなさい。その人々を招集しなさい。誰が、先のことを私達に示して、この事を彼らの間に宣言できますか。その人々に彼らの証人を連れ出しなさい。彼らは、正しいとされるでしょう。そうであれば、彼らに聞かせなさい。そして言いなさい。それは真実です。汝らは、私の証人です、と主は言っています。私が選んだ仕える者。汝は知ることができて、私を信じています。そして、私が主であることを理解しています。私の前にも私の後にも、形成された神はいません。それどころか私は、主です。私のほかに救い主はいません。私は言いました。そして、救いました。そして私は示しました。あなた方の間に奇妙な神々がいなかった時、それゆえに、汝らは私の証人達です。主は言っています。私は神です。その日の前から、主である私がいました。私の手から助け出すことができる人は誰もいません。私は働くでしょう。誰がそれをさせるでしょうか」(イザヤ43:8-13 KJV)。

 「私は、盲人を人々が知らなかった道のそばに遣わすでしょう。私は、人々が知らなかった小道に人々を導くでしょう。曲げられた事態をまっすぐにするため、私は人々の前の光を闇にするでしょう。私がその人々に行なうそれらの事態は彼らのためではありません。その人々は引き返すでしょう。その人々はとても恥ずかしく思うでしょう。それは墓穴のイメージを示唆し、それは熱で溶けたイメージを語っています。あなたは私達の神々です。聞きなさい。汝ら聾唖のような者達。そして、見なさい。汝ら盲人のような者達。汝ら見ることができるかもしれません。私が遣わすメッセンジャーとして、誰が盲人のようなもの、あるいは聾唖のような者ではなく、私に仕える者ですか。誰が、完全に見えている人として、盲人のような者ですか。主に仕える人として盲人のような者ですか。多くの事態を見てください。しかし、汝らは見えていません。耳を開いてください。しかし、人は聞いていません。主は主の義のゆえに喜ぶでしょう。主は、律法をほめたたえて、高貴にするでしょう」(イザヤ42:16-21 KJV)

 この御言葉の中の働きの要旨は、私達の前にある働きです。「私に仕える者」「イスラエル」「主に仕える者」という言葉は、主が例の働きを行なうために選んで託することのできる人を意味しています。主は、ネブカドネザル王が主の意思に怠慢だった時と同じになるように、選ばれた人を通して、彼らを主の意思に属する牧師にしています。

 神は、聖霊の働きに自分自身を従わせる主の人々()のために働くでしょう。主は、神の王国とメシヤの成功のために、主の栄光を約束しています。「主、神はこのように言っています。主は天を創造しました。そして、それを拡大しました。主は、地を広げて、そして、それに属するものを造りました。主は、地の上の人々に息を与えています。そして、地の中を歩く彼らに精神を与えています。私、主は、汝らに義を呼びかけました。そして、汝らの手を握るでしょう。そして、汝らを守るでしょう。そして、牢獄のような闇の中に座している人々を外に出すために、牢獄から囚人達を連れ出すために、盲人の目を開くために、異邦人のための光/真理として、汝らに、特別な人々()としての契約を与えるでしょう」(イザヤ42:5-7 KJV)

 「あなた方の間で、誰がこのことを耳に入れるでしょうか。誰が、この時の来ることに耳を傾けるでしょうか」(イザヤ42:23 KJV)

 光と知識を持っていた神の人々()は、神の高貴な聖なる目的を伝えませんでした。その人々は、諸都市と郊外に標準を掲げず、新たな伝道地を広げず、勝利から勝利へと前進しませんでした。大いなる霊的な盲目が、主によって照らされ、大いなる光を持っていた人々によって示されました。しかし、その人々は、大いなる光から、なおも大いなる光へと前進しませんでした。教会メンバー達は、前進する働きに霊的な筋肉と神経を使いませんでした。その人々は、牧師達が人々の上を飛び回りながら救いをうまくやれなかったということを理解することになるでしょう。牧師達が強い人になるべき時に弱くなっていたということはこういうことです。

 教会の若い男性と若い女性はみな、責任を負うように選ばれる必要があります。その人々をみな、真理を知らない人々を助けるために、自分自身を相応しくなるように努めさせましょう。神は、働き人達に熱心と誠意を呼び掛けています。謙虚な人と悔恨した人は、主の他に救い主がいないということを個人的な体験によって学ぶでしょう。

 聖書の真理は、説教されて実践される必要があります。与えられた光の筋は、明かりが明瞭、明確に輝き出るために存在しています。真理は、燃えて輝くランプから出て行くために存在しています。この呼びかけに応える必要のある、伝道地に出て熱心に魂を救う働き人達で、神に仕える人々が何百人もいて、権勢を背景にして主の助けとなるために、主の助けとなるためにやって来ています。神は、主の愛に燃えて熱くて、生ぬるくない人々主の約束の成就の十分な保証を主から受けている人々、最高の支配者として神を見ている人々、主の精神/霊を活気づける感化に満たされて、生きている人々に呼び掛けています。

 過去20年の間に、この諸教会で費やされた労力はみな、再び、教会に費やされる必要があります。キリストに就く者達が十字架を担うことと、メンバー達が自己否定をすることに、それが過去に失敗したように、それは失敗するでしょう。多くの人々は、霊的な食物を摂り過ぎました。一方で、世界の何千もの人々が、命のパンを求めて滅びています。教会メンバー達は働きをする必要があります。その人々は、人々の前に高い標準を示して伝える努力がきるように自分を教育する必要があります。ここで、主は、メンバー達が主と協力するならば、伝えるためにメンバーを助けるでしょう。メンバー達が、その真理の愛の中に魂を守り続けるならば、メンバー達は、牧師達を新たな伝道地で真理を提示している所から戻さないでしょう。

 大きな諸都市の人々は、光を受けた教会と同じように、働きをされる必要があります。しかし、多くの人々は、魂に重荷を負わせられませんでした。しかし、サタンは、自分の誘惑を受けやすい人々を見つけて、その人々の体験をだめにしました。神は、回心すること、主の人々()に悔い改めることそして、主の人々が贖い主の自己犠牲の足跡についていくことのしくじりによって失った最初の愛に戻ることを求めています。

 

2.勇気と飾り気のなさ

 真理がまだ宣布されていなかったいろいろな場所で、努力を決意するためのその時が訪れました。主の働きはどのように行なわれるのでしょうか。入って行くいろいろな場所で、堅実な基礎が恒久的に置かれるために存在しています。主の方法は模倣されるために存在しています。外へ向かうという印象によって脅かされることは、あなた方のためではありません。しかしながら、彼らはそのように言われているでしょう。主がそれは伝えられるべきと言った時、その働きを前進させることは、あなた方のためです。その言葉を説教しましょう。主の聖霊によって、主は、聞く人々の知性に確信を送るでしょう。その言葉は、「そして、彼らは出て行って、至る所で説教しました。どこでも、主は、彼らと共に働いて、その言葉にしるしを伴わせて確信を与えました」(マルコ16:20 KJV)

 多くの働き人達は、家族の中で聖書を読み合い、家から家へと行なう自分達の分を活動するために存在しています。その人々は、キリストの意思に従うことによって、恵みのうちに成長を示すために存在しています。このように、その人々は、豊富な体験を得るでしょう。信仰によって、その人々は、キリストの言葉に、従い、信じて、そして、受け入れる時に、聖霊の効果はその人々の生活習慣に見られるでしょう。そこには、努力の強い熱心さが見られるでしょう。また、魂の清めと愛による働きという信仰に好意が持たれるでしょう。聖霊の実は、その生活に見られるでしょう。

 キリストは、世界の人々の光/知識です。主に就く人々は、[霊的な]無知の闇の中を歩まず、命の光を持っています。ヨハネはキリストに就いて、こう言いました。「主は、彼を受け入れた多くの人々にも、彼の名を信じている人々にも、神の息子となる力を与えました」(ヨハネ1:12 KJV)。キリストを見上げてください。主を見上げて、神の意思に心と知性と品性を一致するように持って行ってください。

 ここに、私達のミッション(地方支部)が与えることのできる全ての必要があります。その設立に導いている同じ精神/霊の力の中にあなた方の働きを続けてください。御言葉を開くことによって、祈りによって、信仰体験によって、主の道に主の人々を教育しています。そして、そこには、キリストイエス、岩の上に、基礎を置いた一つの教会が建てられるでしょう。

 その働きは、シンプルな真理として進展される必要があります。神は、「私はあなた方を勇気づける言葉を持っています」と言っています。主は、私達の大都市の中に、バアルにひざまずかなかった多くの貴い魂を持っています。また、主は、無知なためにバアルを礼拝していた人々を持っています。真理の光は、それらの人々の上に輝くために存在しています。その人々は、特別な命と、特別な真理、特別な道として、キリストを見ることができるでしょう。

 あなた方の働きを謙虚に進展させてください。キリストの福音の簡潔さを超えないようにしましょう。技巧で見せびらかすのではなく、罪を赦す贖い主、キリストを掲げてください。あなた方は、魂達を勝ち取った成功を見ることでしょう。あなた方が心を低くして謙虚に神のために働く時、主は主自身をあなた方に現すことでしょう。

 様々な種類の表や象徴、図を利用することによって、その牧師は真理をわかりやすく明瞭に目立たせることができるでしょう。これは、一つの助け手で、神の言葉と調和しています。しかし、ある働き人が、ほかの牧師がその伝道地で自分達を支える十分な資金の宝を確保することができないほどに、自分の働きをとても費用の掛かったものにする時、彼は、神の計画と調和して働くことができません。大都市の中での働きは、演劇を披露するような指示を求めるのではなく、キリストの指示を求めてなされるために存在しています。神の栄光は、演劇の披露ではなく、キリストの愛による真理の提示です。

 天の指示に倣うよりもこの世の指示に倣っているという前置きによって、天の印象と威厳についての真理を取り除いてはいけません。彼らの感覚を音楽やほかのものへの魅力にするのではなく、自己中心の死んだような眠りから彼らを目覚めさせ、警告として彼らに届くように、それ自身が全く厳粛な真理の説教をするために、あなた方の聴衆に、あなた方が開いている集会を理解してもらいましょう。それは、鋭い両刃の剣のような、むき出しの真理です。罪と不法侵入の罪の中に死んでいる人々目覚めさせるものはこれでしょう。

 自己本位と偶像崇拝から男性と女性達を救うために命を与えた主は、ほかの人々に福音を提示する働きを引き継ぐ人々が倣うように模範を残しました。この時代に、神に仕える人々は厳粛な真理を宣布するように与えられました。そして、その人々の活動と方法と計画は、それらのメッセージの重要性と一致する必要があります。あなた方がキリストの方法によってその言葉を提示しているならば、あなた方の話を聞く人々は、あなた方が教える真理を深く印象付けられるでしょう。それが生きている神の世界であるという確信が、その人々にやって来るでしょう。

 

3.礼拝形式

 人々に伝える努力において、主のメッセンジャー達は、世の人々の方法に倣うために存在しているのではありません。開かれる集会において、メッセンジャー達は、関心を目覚めさせるように、世俗の歌手や演劇披露に頼るために存在しているのではありません。神の言葉の真理の理解とその精神を賛美することを期待されず、それを真剣に理解しようとせず読まなかった人々、神の言葉に関心を持っていない人々に何ができますか。その人々の心は、どのように、神聖を賛美する言葉と調和するようになることができますか。天の聖歌隊は、一つの音階だけで、どのようにして、美しい調べを奏でることができますか。

 形式的な礼拝の欠点はあまりに大き過ぎるので、書き著すことができません。真の礼拝の祝福を詳細に適切に表明する言葉もありません。人間達が、その理解とその精神を賛美する時、天の歌い手達は、感謝の歌に加わり、一斉に声をあげます。主は、私達に、神と共に働く者となるために私達にできる限りのあらゆる贈り物を授けました。すべての人々が理解できる方法による賛美と話ができるように、人々の声を養成するように主に仕える者達に期待しています。必要とされているのは、大きな歌声ではありません。そうではなくて、明瞭な発声、正確な発音、明確な言葉です。すべての人々が、しばしば、耳障りなきつい声ではなく、心地好い調べで明瞭に神を賛美することができるように、発声を訓練するための時間を取りましょう。歌う能力は神の贈り物です。主の栄光に役立てられるようにしましょう。

 その集会では、讃美歌礼拝の役割に多くの人々が選ばれるようにしましょう。その曲は、技巧を凝らした楽器で伴奏するようにしましょう。私達は、私達の働きで、楽器の利用に反対するために存在していません。賛美は神を讃えるものなので、讃美歌礼拝の担当者は、十分に指導される必要があります。

 賛美歌を歌うことは、たまにではなく、いつも行なわれるために存在しています。可能ならば、しばしば、会衆全員で一緒にしましょう。

 

4.多様性の一致

 都市に住んでいる群衆の益としての私達の努力において、私達は奉仕を通して行なうことを試みる必要があります。住民の大きなセンターの中で働きをすることは、一人の人がうまく働くことよりも重要なことです。神は、働きの異なる方法を持っています。また、主は、主が様々な賜物を託した異なる働き人を持っています。

 ある働き人は話をする準備をしているでしょう。ほかの人は書き物の準備を、別の人は強く熱心で誠実な祈りの賜物を持っているでしょう。ほかの人は賛美の賜物を、ほかの人は、清い神の言葉を表現する特別な力を持っているでしょう。それぞれの賜物は、主が働き人達と共に働いているので、神の力となるために存在しています。神は、ある人には知恵の言葉を、別の人には知識を、ほかの人には信仰を与えています。しかし、全ての人は、同じ長のもとに働くために存在しています。賜物の多様性は、働きの多様性を導いています。しかし「それは、全ての人の中で全てに働いている同じ神です」(1コリント12:6 KJV

 主は、主の選んだ奉仕をする人々に、一致した努力で共に繫がり方を学ぶようにと期待しています。ある人には、自分達の賜物と働き人らの仲間の賜物を比べると、一致した努力に繫がるのを認めるためには、とても大きな違いがあるように見えるでしょう。しかし、真理がほかの働き人によって異なる方法で示されている時、神の真理に心を開くだけの人がいて、また、ある働き人によって示されている時に、ある人はその真理を拒む人もいて、伝えられる相手には、様々な知性の人がいることを覚えている時、彼らは一致して共に労することに希望を持って当たるでしょう。労する人々のタレントはみな、多様性がありながら、同じ霊/精神の支配のもとにあるでしょう。すべての言葉と行動の中に、親切と愛が現されるでしょう。そして、それぞれの働き人達が、自分の託された役割を忠実に果たすでしょう。そして、主に就く者達が一致するためのキリストへの祈りが応えられるでしょう。そして、世界の人々は、そこにいるのは主の弟子達だということを知るでしょう。

 確信と愛の共感において、神の働き人達は、お互いに一致するために存在しています。何かを言ったり行なったりして、キリストの教会のメンバー達を分かつ傾向がある人は、主の目的と反対の行動をしています。この教会の中の意見の不一致や口論、うさん臭く思う落胆や不信感などは、キリストへの恥です。神は、主に奉仕する人々にお互いにクリスチャンの愛情を育てるよう期待しています。真の宗教は、キリストとだけではなく、互いに最高に優しさで一致して、人々の心が一致しています。私達が、私達の兄弟[姉妹]達とキリストがこのように一致する意味を知る時、私達が行く所ではどこでも、芳しい香りの感化が私達の働きに加わるでしょう。

 大都市での働き人達は、最良の成果をもたらすあらゆる努力をして、複数の任務を担う必要があります。彼らは、その人々に印象を与えるように、一つの道で活動して、信仰を語るために存在しています。彼らは、自分自身の特殊なアイデアに陥って働きを狭めるために存在しているのではありません。過去において、このようなことがたくさん、一つの人々()としての私達によって行なわれてきました。そして、それは、その働きの成功を妨げてきました。私達は、主が異なった働きの方法を持っていて、主が異なった賜物を託した、異なった働き人を持っていることを思い出しましょう。私達は、確かな場所に確かな人々を遣わしている主の目的を見るために存在しています。

 少し長く、憐れみの声が聞かれるでしょう。少し長く、慈悲深い招きが与えられるでしょう。「誰かが渇いているならば、私の所に来て、飲んでください」(ヨハネ7:37 KJV)。神は、大都市のどこにでも、主の警告のメッセージを送っています。主が送ったメッセンジャー達に調和して働きましょう。すべての人々は、イエスについて学んだ知識を得るでしょう。

 

5.キリストの柔和によって

 まるで、兵士の仲間達を支配する上官であるかのように活動して、押し付けて、命令して、そのように人々に指示して、そのように人々に言いつけて、人々を支配する人がいたとしても、人間は、自分自身にほかの人間を縛り付けようとするために存在しているのではありません。これは、キリストの時代に、祭司達と指導者達が行なった方法です。しかし、それは正しい方法ではありません。真理が人々の心に印象を与えた後で、男性と女性達は、その教えを受け入れました。彼らは、人間に属する財産ではなく、キリストに属する財産として接遇されるために存在しています。あなた方は、自分に人々の知性を縛り付けて、人々を能力と知恵の源から切り離しています。人々の信頼は、全的に神になされる必要があります。唯一、このように、人々は恵みに成長できるでしょう。

 しかしながら、人々の知恵と知識の主張が大きくなるでしょう。人が、聖霊の教えのもとにいないのであれば、霊的な事柄にとても無知です。その人は、自分の無能力さと危機に気付いて、お互いのための無私の愛を人々に注いだ主、聖霊を彼らに吹き込むことができる主、信頼を託する魂達を守ることができる主、唯一の御方に全的に信頼を置く必要があります。このようにして、神が罪びとらを救うためにこの世界に送った一人息子の証を伝えることを可能にしています。真に回心している人々は、クリスチャンの一致に共に努めているでしょう。神の教会には、分裂がないようにしましょう。思慮に欠ける権威が、真理を受け入れている人々を悩ますことがないようにしましょう。キリストの柔和は、それが語られ行なわれている全ての人々に現れようとしています

 キリストは、全ての真の教会の基礎です。私達は、主の勧めによって歩んでいる忠実な人々に与えられる保護と臨在という主の変わることのない約束を持っています。終末の時のために、キリストは第一になるために存在しています。彼は、聖と義、命と力の源です。そして、彼は、謙遜と柔和になる方法を彼に学び、彼のくびきを負う人々にとって、これがすべてです

 全ての奉仕の喜びと義務は、人々の前に、キリストが掲げられるために存在しています。これは、全ての真の働きの到達地点です。キリストを現しましょう。自我がキリストの背後に隠されるようにしましょう。これが、価値のある自己犠牲です。そのような自己犠牲を神は受け入れています。「その名を聖という方、永遠に住んでいる、いと高く高遠な御方がこのように言っています。私は高く聖なる場所に住んでいます。悔恨している人の心を生き返らせ、謙虚な精神を生き返えらせ、悔恨して、精神を謙虚にしている者と共に歩んでいます」(イザヤ57:15 KJV)

 

6.反対に立ち向かう

 しばしば、あなた方が真理を提示するために出て行く時に、反対が湧き上がるでしょう。あなた方が、反対の論争に会うために行くのであるならば、困惑するだけでしょう。そして、あなた方は行動する余裕がないでしょう。肯定的に取り上げてください。神の御使い達は、あなた方を見守っています。御使い達は、あなたがたに反対して論拠に立ち向かうことを拒んでいる人々に感銘の与え方を知っています。湧き上がる質問の悲観的な点に関わらないで、あなた方の知性に肯定的な真理を集めてください。心を聖別して、熱心に祈って、多くの研究によって、それらをまとめてください。あなた方のランプの芯を整えて輝かし続けて、そして、光を輝かしましょう。その人々は、あなた方の良い働きを見て、天にいるあなた方の父を崇めるように導かれることでしょう。

 キリストが、荒野での誘惑で肯定的に捉えていなかったならば、彼は、得ようと望んでいた全てを失ったことでしょう。キリストが歩んだ道は、私達が反対に立ち向かう最良の方法です。私達は、反対者らが言っていることを繰り返す時に、彼らの主張に対して力を増し加えてしまいます。いつも肯定的な考えを持ち続けましょう。あなた方に反対している人が、あなた方の言葉を使っていて、自分が理解した分別のある真理に回心しているということは、たぶんそうでしょう。

 私はしばしば、私の兄弟[姉妹]達に言ってきました。「あなた方の反対者達は、あなた方の働きについて、嘘であるという記事を出すでしょう。彼らの記事を繰り返してはいけません。そうではなく、あなた方の生きた主張を出しましょう。神の御使い達は、あなた方の前に道を開くでしょう。私達は、漸進させるための一つの偉大な働きを持っています。私達は、賢明な方法によって、それを推進する必要があります。私達は、湧き上がる悪い考えを許容したり昂奮したりしないようにしましょう。キリストはそのようにしませんでした。彼は、全ての事柄において、私達の模範です。行なうようにと私達に与えられた働きのために、私達は、もっと自我を少なくして、謙遜な知恵と清め、天使のようなものをもっともっと必要としています。私達は神性の力をしっかりと捉える必要があります」。

 [私達の]信仰から離れて行った人々は、神が行なった働きから私達の注目を逸らすために、私達の会衆として訪れるでしょう。あなた方は、真理から外れた伝説に耳をそむけている余裕がありません。あなた方の働きに反対した非難の言葉を語っている人を回心させようとすることを止めてはいけません。イエスキリストの精神/霊によって、あなた方が霊感を与えるようにしましょう。神の御使い達は、反対者達の心に届くような言葉をあなた方の口に備えるでしょう。その人々が自分達の道を主張して固執しているならば、会衆の中で聡明な知性の人々は、あなた方がとても高い標準を持っている、と理解するでしょう。イエスキリストがあなた方を通して語っているということが分かるように語りましょう。

 

 

7.全霊での働き、熱心の必要

 間もなく、教会の中で行なわれた行動に応えるために、神の裁きの座の前に召喚されるために、世界の住民達が存在しているということに、私達の牧師達が気付いていたならば、彼らはどんなに熱心に真理を提示するために神と共に働くことでしょう。どんなにか疲れることなく、彼らは、言葉と行動で示して、この世界に神の目的を進展させるために労することでしょう。「すべての事柄の終末は、手中にあります」(1ペテロ4:7 KJV)

 「汝らの神に会う備えをしましょう」は、私達が至る所で言っているメッセージです。そのトランペットは、確かな響きを上げるために存在しています。明瞭にはっきりと、その警告は鳴らされるために存在しています。「大いなるバビロンは倒されています。倒されています。……彼女(バビロン)から出なさい。私の民、汝らは彼女の罪に与る者とならないように。汝らは彼女の災いを受けないように」(黙示録18:2-4 KJV)。この聖書の言葉は、成就されるために存在しています。間もなく、その最後のテストは、地上の全ての住民に訪れるために存在しています。その時に、即座の決心がなされるでしょう。その言葉の提示の下で確信させられた人々は、インマヌエルの君の血で染まった旗の下に集まるでしょう。その人々は、以前に、行うべき善を為したので、多くの機会を失わなかったとようだと見てわかるでしょう。また、彼らをその火から外に引き出すために、失われた者を捜して救うために、熱心に働かなかったことに気が付くでしょう。

 神に仕える者達は、「務めに怠惰ではなく、精神に誠意を込めて、主に仕える」ために存在しています。元気がなく成果のないことは、敬虔ではありません。私達は、神のために働いているということに気づく時、霊的な奉仕の神聖の前に、かつて持っていた以上に高い考えを持てるでしょう。この気づきは、全ての義務を果たすことにエネルギーを注ぐこと、生活と用心に現れるでしょう。

 宗教、純粋な、汚れのない宗教は、熱心な行動が存在しています。しかし、熱心さも誠意もない働きは、魂を救うことに役立たないでしょう。私達は、永遠の光で自分の働きを見ているので、いつも有用さを増しながら、献身した活動で毎日の義務を果たすために存在しています。

 私達の働きは、私達の天の父によって、私達のために目立たされていました。私達は、聖書を手にして、世界の人々に警告するよう出て行くために存在しています。私達は、主の愛が滅びている人々に日々注がれるチャンネルとして、魂達を救う神の助け手となるために存在しています。その大いなる働きに気付く中で、その人は、真の働き人として清められ、高貴にされて、役割を担う特権を持っています。その人は、魂を清める愛によって働く信仰に満たされています。神の意思に従う人には嫌な仕事はありません。「主の為にそれを行なう」ことは、神がその人に行なうように与えたものは何でも好意を持っているという考え方です。

 あなた方の働きはみな、厳密な宗教の原則に沿って進めましょう。あなた方の熱心な質問は「主を喜ばせるために、私は何ができるだろうか」にしましょう。励ましと助けを必要としている信徒達を訪問しましょう。歩を運ぶ先々で、「これは主の道ですか。私は、精神において、言葉において、活動において、主の意思と調和していますか」と尋ねてください。あなた方が、神の栄光のために誠実な目で見て、働いているならば、あなた方の働きは、神聖の姿を生み出しているでしょう。また、あなた方は主の目的を遂行しているでしょう。

 神の言葉についてのあなた方の研究は、表面をより深く掘って、深みを見通しています。健全で深い霊感と神性の力における信仰によって捉えましょう。あなた方の奉仕の働きの中に、神の力をもたらしましょう。主があなた方の背後にいることを覚えておきましょう。主の愛が、あなた方の言葉や行動を通して輝くようにしましょう。神の言葉のシンプルな真理、貴い真理を明るく輝かせましょう。神の前に自我を謙虚にしましょう。キリストは、あなた方を効果的にすることでしょう。彼は、季節ごとに食物を与えるために、あなた方を主の家族を治める人として任命しました。キリストの働き人達は、主の愛の心の近くに存在しています。彼は、主の奉仕の働き人としての完全さを通して、主の家族の完成を期待しています。

                      

 キリストは、共感的な思いやりのある贖い主です。彼の支える力によって、男性と女性達は、悪に抵抗することに強くなっています。有罪宣告を受けた罪びとが罪を見る時に、その人は非常に罪深いものになっています。キリストの前に行かなかったその人々は不思議に思っています。その人々は、自分が、強い欲望を通して世界にある滅びに勝利して、神性の性質に与る者とならなければならないこと、自分の食欲と激しい感情は神の意思に従わせなければならないこと、自分の過失は克服しなければならないことを見ています。神の律法への違反の罪を悔い改めて、その人は、罪に勝利するために熱心に戦っています。その人は、キリストの恵みの力が現れることを求めています。そして、その人は、救い主との個人的な触れ合いをもたらされています。その人は、常に自分の前にキリストを保っています。彼が必要としている祝福を祈って、信じて、受け入れて、その人は、自分のために神の標準に少しずつ近づいてきています。

 新しい美徳は、キリストが導いている道に沿って、十字架を掲げ、自己否定として、彼の品性に現されています。その人は、心全体で主イエスを愛しています。キリストは彼の知恵となり、その人々の義となり、その人々の清らかさになり、そして、彼の贖いとなっています。

 キリストは私達の模範です。私達の霊感です。私達の高貴で、偉大な報酬です。「汝らは神の家令です。汝らは神に形成された者です」(1コリント3:9 KJV)。神は形成者です。しかし、人間は活動する役割があります。人は、神と協力ために存在しています。「私達は神と共に労する者達です」(9)。「神と共に」の言葉は覚えておく必要があります。「恐れおののいて自分自身の救いを達成しなさい。あなた方の意思と行ないの両方で働いているのは神で、神の善と喜びだからです」(フィリピ2:12,13 KJV)。キリストの恵みの力の奇跡の働きは、清められた熱意、高い標準の生活、新しい心として、人間の中に創造されて現されます。神は「私は、あなた方に新しい心を与えるでしょう」(エゼキエル36:26 KJV)と言っています。人間が新しく生まれ変わるということは、なされうる大きな奇跡ではないですか。神性の力を確立させる信仰によって、人間の働き人が行なうことができないことは何ですか。

                      

 あなた方の個人的な救い主が、あなた方の勝利とあなた方の力を備えてある時に、キリストと共に働いているということを覚えていてください。すべての人々にある役割は、活動されるために存在しています。キリストは特別な道であり、特別な真理であり、特別な命です。彼は「私を離れては、[神性のことについて]あなた方は何事もすることができません」(ヨハネ15:5 KJV)と言いました。そして、悔い改めて、信じている魂は、「私に力を与えるキリストによって、私は何事でもすることができます」(フィリピ4:13 KJV)と応答しています。これを行なう人々のために、この保証があります。「彼を受け入れた多くの人々に、主は、神の息子[]となる力を与えました」(ヨハネ1:12 KJV)


 

第4部 健康の働き

「親愛なる人達へ、私は全てのことについて、汝らが成長して、健康であることを願っています」(3ヨハネ2 KJV

 

 

15章 証15 忠実な健康改革 [5]

 

 

[1.完全な成熟した人々]

 多くの人々が、健康改革の原則の以前の忠実さから後戻りしたので、健康改革のテーマを私達の[教会の]人々みんなに、一つのメッセージを伝えるように[イエスから]指導されました。

 神の子らのための主の目的は、キリストにある男性と女性達の資質に十分に成長するということです。これをなすために、この教会の人々は、身体と魂と知性のすべての力を正しく使う必要があります。この人々は、どのような知的な力や身体的な力も無駄にする余裕がありません。

 健康を維持する方法の論点/問題は、最も重要なものの一つです。私達が、神を畏れてこの論点/問題を研究する時、私達は、シンプルな食物に気付くことが、身体と霊性の両方の発達に最良であるということを学ぶでしょう。私達は、この論点/問題を忍耐強く研究しましょう。私達は、この事柄を賢明に行動するための判断と知識が必要です。自然界の法則は、抵抗されるためにではなく、順守されるために存在しています。

 犠牲を払って神との約束を決意した人々、豪華で不健康な食物の調理、紅茶やコーヒー、食肉の利用の有害性に関する指導を受けた人々は、不健康になることを知っていながら、その食物の食欲を満足させ続けないでしょう。神は、それらのよくないことについて、自己否定が実践され、その食欲が清められるようにと求めています。これは、主の人々が、完全な成熟した人々()として主の前に立つことができる以前に、なされなければならない一つの働きです。

 

2.個人的な責任

 神の残りの民は、回心した人々になる必要があります。このメッセージが示している意味は、魂達の清めと回心という成果のために存在しています。私達は、この健康改革運動の中で、神の聖霊の力を感じるために存在しています。これは、素晴らしい、確実なメッセージです。それは、受け取る人々にとってみな宝です。また、それは、大きな声で宣布されるために存在しています。私達は、終末の時まで、このメッセージの重要性を強めて伝えるという不変の信仰と、真理を持っている必要があります。

 神からのメッセージとして、『SDA教会への証』の一部を確かに受け入れている信徒達がいます。一方で、ある人々は、気に入っている食い道楽をとがめるそれらの一部を拒否しています。そのような人々は、この教会の福祉welfareと自分の福祉のための逆の働きをしています。私達が光/真理を持っている間は、その光によって歩むことはきわめて重要なことです。健康改革を信じると言っている人々、そしてまた、日常の生活行動にその原則に対抗する働きをしている人々は、自分達の魂に損傷を与えていて、信徒ではない人々と信徒達の知性に悪い印象を残しています。

 

3.従順を通した力

 厳粛な責任が、真理を知っている人々に負わされています。その人々のあらゆる働きは、自分達の信仰と同行しているでしょう。その人々の生活は、精錬されて清められるでしょう。また、その人々は、そのメッセージが終了する日々に、速やかになされなければならない働きに用意されるでしょう。その人々は、食欲を甘やかしに費やしている労力や時間がありません。この言葉は、熱心さを伴って、今、私達に届いているでしょう。「悔い改めなさい。汝らはそれゆえ、回心しなさい。あなた方の罪は消されるでしょう。新しくされる時が主の臨在から来るでしょう」(使徒言行録)3:19 KJV)霊的に欠陥のある人々が私達の間にたくさんいます。その人々は、全面的に回心しない限り、間違いなく失われるでしょう。あなた方は、そのようなリスクにひたっている余裕がありますか。

 プライド(自慢の混じった自尊心)と信仰の弱さは、神の豊かな祝福の大半を奪っています。神の前に謙遜な心を現さない限り、多くの人々は、「見上げなさい。花婿が来ます」(マタイ25:6 KJV)という叫びが聞かれる時に、失望させられ驚かされるでしょう。その人々は、真理の理論を持っていました。しかし、その人々は、自分達のランプの容器には油がありませんでした。この時代における私達の信仰は、第三天使のメッセージの理論を信じることや同意することをやめてはいけません。私達は、[霊的な]無知の闇にいる人々にその道を示して、灯すための命の光のもととなる、ランプに足すキリストの恵みの油を持っている必要があります。

 私達が不健全な体験から逃れようとするならば、私達は、畏れおののいて自分自身の救いを達成することを先延ばしすることなく、熱心に始める必要があります。バプテスマの誓約に誠実であるということに対して、根拠のない人々がいます。その人々の熱意は、自己愛とプライド、世俗的な望み、形式主義によって冷やされています。場合によっては、その人々の感覚は、奮起させられますが、キリストイエスの岩の上に落ちていません。その人々は、告白と悔い改めによって砕かれる心をもたず、神に近づこうともしません。心から真の回心の働きをする人々は、その生活に聖霊の実をもたらすでしょう。霊的な生活の少ない人々は、強い欲望を通して世にある滅びを逃れて、神性の性質に与るようになる人だけに、永遠の命がかなえられうるということに気づくことでしょう。

 キリストの力だけが、知性と心の変容の働きをすることができます。すべての人々は、天の王国での新しい生活について、主の性質に与る体験をする必要があります。「人は再び生まれ変わらない限り、神の国を見ることができません」(ヨハネ3:3 KJV)と、救い主は言いました。神から来ている宗教は、神に導くことができる唯一の宗教です。主に正しく仕えるために、私達は、神性の霊/精神に属する者に生まれ変わる必要があります。それは用心深さに導くでしょう。それは、心を清めて知性を新たにして、そして、私達に神を愛して知る新しい能力を与えるでしょう。それは、私達に、主の全ての求めへの快い従順を与えるでしょう。これが真の礼拝です。

 神は、主の人々()に前進し続けることを求めています。私達は、食欲のわがままが魂の清めと知的な改善を大きく阻害しているということを学ぶ必要があります。私達全ての健康改革の告白と共に、私達の[教会の]多くの人々は、不適切に食しています。食欲のわがままは、身体と知的な衰えの大きな原因です。早すぎる死と虚弱の基礎に大きく横たわっています。個人的に精神の清めを保とうとしている人は、キリストの中に食欲を支配する力があるということを心の中に生み出しましょう。

 

4.食肉食物 flesh food

 私達が、食肉食物を望み通りにすることによって、益とすることができるならば、私はあなた方にこのアピールをしようとは思いません。しかし、私は、私達が[それを]できないことを知っています。食肉食物は、身体的な福祉well-beingに有害で、私達はそれらなしの食事をすることを学ぶ必要があります。菜食主義の食物を確保することが可能な所で[肉食]の立場を取る人々がいます。しかし、自分達の好みで飲んだり食べたりする事柄を優先する方を選ぶ人々は、主が[再臨や安息日など]現在の真理のほかに与えた指導についてだんだんと気にかけなくなっていくでしょう。また、真理とは何かについての認識力も失われていくでしょう。その人々は、蒔いたタネから収穫することでしょう。

 私は、私達の学校の生徒達は、不健康だと知られている食物が調理されることや、あるいは、食肉食物が提供されるために存在しているのではないということを[イエスから]指導されていました。刺激願望を掻き立てることを提供するものは、テーブルに揃えないようにしましょう。私は、老年者にも若い人にも、中年の方々にも、アピールします。あなた方が行なっている良くないそれらの食物についてのあなた方の食欲を否定してください。犠牲によって主に仕えてください。

 神の子らは、この働きで知的な役割を担っています。私達はみな、主の家族に属するメンバーです。そして、主は、伝道を支援し、集会する家を建てるために必要としている資金で蓄えるために、また、食欲を否定する決心をした、老年者や若い人、主の子らをもっています。

 私は、親達に、この問題について主の側にあなた自身の精神と魂を置くように、と言うよう[イエスから]指導されました。私達は、[1844年からの]調査期間の間中、全宇宙の[存在者を支配する]主の審理の場にいるということを知性にいつもいだいている必要があります。それでも、あなた方がしている良くない食欲を満足させることを放棄しないのですか。告白の言葉は安っぽいものです。神が生み出した特別な人々()であるあなた方は、その指示に従って、自己否定の行動を証しましょう。あなた方の自己否定の行動によって、あなた方が蓄えている資金の一部を特別な宝とすると、神の働きに使われるものとなるでしょう。

 食肉食物なしで暮らしていくことはできないと考える多くの人々がいます。しかし、それらの人々が、主の側の立場を取るならば、その人々は、主のガイダンスの道を歩んで、堅い決心をすることでしょう。そして、ダニエルとその仲間達がしたように、知恵と力を受けるでしょう。その人々は、主が自分達に健全な判断を与えていることが分かるでしょう。多くの人々は、自己否定の行動によって、どんなにかたくさん、神の[人類救済]目的に救われているかを見て、驚かされることでしょう。犠牲的な行ないによって蓄えられた僅かな資金は、自己否定を求めなかった多額の贈り物が成し遂げる以上に、神の目的を成し遂げるでしょう。

 セブンスデー アドベンチスト達は重大な真理を取り扱っています。40年以上前から、主は、私達に健康改革の特別な光を与えました。しかし、私達は、どれほどその光/真理に歩んでいますか。どれほど多くの人々が、神の勧めと調和した生き方を拒んだことでしょう。一つの人々()として、私達は、受けた光に比例して前進する必要があります。健康改革の原則に関心を持って理解することは、私達の当然の行ないです。節制のテーマにおいて、私達は、ほかの全ての人々に優位になる必要があります。また、私達の間には、神が与えたこのテーマの光に少し関心を持った福音の牧師達と同等に、この教会でよく指導されたメンバー達がいます。その人々は、喜んで[信仰の]働きをしているのと同じように、喜んで食しています。

 健康改革について、私達の目的によって、教師達やリーダー達は、地上歴史の最後の日々に生きていると信じている人々に直接に証を与えて、聖書の基盤に堅く立っています。一つの識別ラインは、自分自身に仕える人々と、神に仕える人々の間に引かれる必要があります。

 私は[イエスから]、初期の頃に与えられたメッセージは重要なものとして存在していて、そして、彼らが存在していたその当時のように、今日も、良心的に正しいと考えられる必要がある、という原則を示されました。食物の問題について与えられた光/真理に従わなかった人々がいます。枡の下から光を取り出すのは今です。そして、それを光の筋にして、明るく輝かしましょう。健康な生活の原則は、一つの人々()として、私たち一人ひとりに与えられていることを意味しています。健康改革のメッセージが初めて私に届いた時に、私は、しばしば意識を消失する期間の問題があって、気弱で体が虚弱でした。私は、助けを神に懇願していました。そして、彼は、健康改革の大きなテーマを私の前に開示しました。彼は、私に、主の戒めを守っている人々は、食べることと飲むことの節制によって、体と知性を奉仕のために好感を持てる状態に保つ必要があるということ、主自身との神聖な関係にもたらされる必要があることを指導しました。この光/真理は、私に大きな祝福となりました。私は、主が私に力を与えたことを知って、一人の健康改革者としての立場を取りました。私は、若い日々の時よりも、自分の年齢にも拘らず[190982]、今日も健康で過ごしています。

 私が、私のペンによってそれらを擁護した時、健康改革の原則に従わなかったと、誰かによって報告されています。しかし、私は、健康改革に忠実な一人だったと言うことができます。私の家族のメンバーだった人々は、それは真実だと知っています。

 

5.神の栄光のために

 私達は、飲食物において従わせるような何かの明確なラインを目立たせてはいけません。しかし、豊富に、ナッツや穀物、果物がある地方では、食肉食物は神の人々()のための適切な食物ではないと、私達は言っています。私は、高貴な力の存在者を支配する低い感情を与えること、すべての人々が感じる必要のある男性と女性達の共感と愛を失わせること、食肉食物は動物的な傾向を持っていることを指導されました。肉を食べることが、これまで、健康的だったとしても、それは、今、安全ではありません。癌、腫瘍、肺疾患は、大半が肉食によって引き起こされています。

 私達は、食肉食物を仲間達の一つのテストとして利用するために存在しているのではありません。しかし、私達は、食肉食物がほかの人々を支配することに利用する信徒達への影響を考慮する必要があります。神のメッセンジャー達のように、私達はその人々に言わないでしょう。「それゆえ、何を食べても、また、何を飲んでも、汝らは神の栄光のために全てを行ないなさい」(1コリント10:31 KJV)。ゆがんだ食欲を気ままにすることに反して、確固とした証を伝えないのですか。エジプトの肉鍋に戻っている例として置かれている、死ぬ運命にある人間に与える最も厳粛な真理を宣言する、福音の牧師達は誰ですか。神の宝庫から什一によって支えられているこれらの人々は、彼らの静脈を流れて、今、命を与えている有害物質に自分を甘えさせることを自分に許していませんか。その身体の健康は、平凡な気質という才能、恵みに成長する大切なものとしてみなされるために存在しています。縦長の組織である胃が適切に配慮されないならば、道徳的な品性は害を受けるでしょう。大脳と神経組織は、胃と共鳴しています。誤った飲食は、誤った行動と思考という結果をもたらしています。

 全ての人々は、今、テストされ確かめられるために存在しています。私達は、キリストの中にバプテスマを受けました。私達が、本来あるべきではないことに引き込む全ての事柄から離れて、自分達の側の行動をするならば、そこで、私達にキリストの中に成長する力を与えられるでしょう。彼は、私達の生きている長です。そして、私達は神の救いを見るでしょう。

 私達が、健康的な生活の原則について知的である時だけ、私達は、適切な食物から悪の結果を見るために十分に目覚めさせられるでしょう。自分達の習慣を変えるように励まされて、自分達の失敗を見ている人々は、改革の過程が求めている根気強さと奮闘が分かるでしょう。しかし、一度、正しい味覚が形成されると、その人々は、害のない食物は[消化が]緩やかだったが、たしかに、ほかの病気と消化不良が基礎にあったと、以前に考えていた[健康的な]食物を利用することに気づくでしょう。

 父親達と母親達のみなさん、祈りつつ見守ってください。あらゆる形の不節制に対して、本当に防御してください。あなた方の子ども達に、真の健康改革の原則を教えてください。健康を保つために避ける飲食物を子どもらに教えてください。すでに、神の怒りは、不従順の子らに訪れ始めました。どんな悪事も、どんな罪も、どんな不正の行ないも、全ての人の手に明らかに存在しています。一つの人々()として、私達は、悪くなった仲間達に対して、子ども達を厚い保護と配慮の行動をするために存在しています。

 

6.健康の原則を教える

 大きな努力が、健康改革の原則をこの[教会の]人々に教え広げる必要があります。料理教室が設けられる必要があります。家から家への指導が健康に良い食物の料理技術を指導される必要があります。老年も若年もよりシンプルな調理の仕方を学ぶ必要があります。真理が提示されるところではどこでも、その人々は、美味しく、シンプルに食物の準備の仕方を教えられるために存在しています。その人々は、食肉食物を利用することなく、栄養のある食物が提供されることを示されるために存在しています。

 病気の治療方法よりも、健康を良い状態に保つ方法を知ることが、最良だということをその人々に教えましょう。私達の医師達は、食欲を甘やかすことに警告して、神が禁止したことは知性と身体に禍根を残すことを防ぐ唯一の方法であるということから自制を示して、賢明である必要があります。

 多くのコツと洞察力は、健康改革を学んでいる人々の以前の食物となっていたものに代わる栄養のある食物を用意するよう取り計らわれる必要があります。目標に向かって熱心に、神を信じ、お互いに快く助け合うことが求められているでしょう。特殊な栄養素を欠いた食物は、健康改革の目的に恥をもたらします。私達は、死ぬ運命にあり、身体に適切な栄養を与える食物を供給する必要があります。

 

7.極端な食事

 私達の[教会の]ある人は、食するに不適当な食物を真面目に避けている間に、身体を支えるために必要な栄養素を自分で供給することを怠っています。健康改革の極端な見解を取っている人々は、とても味気がないので満足しておらず、美味しくない料理を皿の上に並べて、生命の危機的状態です。食物は、食欲をそそるような方法で準備される必要があります。私がいつも備えていて、少々使っている塩は、害のあるものではなくて、血液のために不可欠な働きをしています。野菜は、少量のミルクやクリーム、同じような何かで味が整えられる必要があります。

 幼児へのタマゴの不使用による弊害と、バターによる疾病の危険について警告が与えられている一方で、私達は、良い環境とエサが与えられた雌鶏のタマゴの使用が原則の違反だと考える必要ありません。タマゴは、有害性を中和する治療的な働きの特性が含まれています。

 ミルク、タマゴ、バターを控えている人々は、必要な栄養素を身体組織に供給することに失敗しました。その結果、虚弱になり働くことができなくなりました。このように、健康改革は、不名誉にさらされました。私達が堅固に築き上げようとしたこの働きは、神が求めていなかった奇妙な事柄によって混乱させられていて、この教会のエネルギーは鈍化させられています。しかし、神は、過激な考えをする人々の結果を防ぐために干渉するでしょう。その[健康改革の]福音は、罪深い人類に調和するために存在しています。それは、イエスの足もとに、富める人も貧しい人も共にもたらされるために存在しています。

 ミルク、タマゴ、バターのような、私達が現在利用している食物の品数から、何かを取り除かなければならない時が訪れるでしょう。極端な制限や時期尚早によって私達にもたらすようなことは必要ありません。その状況がそれを求めるまで、また、主がその道を備えるまで待ちましょう。

 健康改革の原則をうまく伝える人々は、神の言葉をガイドやカウンセラーとする必要があります。健康改革の原則についての唯一の教師だけが、人々を有利な立場に置くことができます。私達は、取り除いた食物の有害な品数の位置に口当たりの良い不健康な食物を使って失敗して、健康改革に対して悪い証をしないようにしましょう。素朴でシンプルで健康に良い食物だけを食しましょう。そして、神に、いつも健康改革の原則を感謝しましょう。すべての事柄において、誠実で高潔となりましょう。あなた方は貴い勝利を得るでしょう。

 

8.様々な国の食物

 不節制と大食の習慣に反対した働きをしている一方で、私達は、人類家族が陥っている状態を認識する必要があります。神はこの世界の様々な国に住んでいる人々のために食料を供給しました。神と共に働くことを望む人々は、食べて良いものと食べるべきではない食物は何かを具体的に述べることを慎重に考える必要があります。私達は、一般大衆の中に入って行くために存在しています。最高に極端な形の健康改革は、それを採用するように言われる人々に、良いことがなされる以上に、多くの有害性があることを教えられる必要があるでしょう。私が、知識の乏しい人々に、その[健康改革の]福音の話をした時に、私は[イエスから]、最も栄養のあるものを食べることを彼らに言うように指導されました。私は、彼らに「あなた方はタマゴやミルク、クリームを食してはいけません。あなた方は、食物を選ぶ時にバターを使ってはいけません」と言うことができません。[健康改革の]福音は、知識の少ない人々に語られる必要がありますが、しかし、厳格な食事を指示する時は、まだ来ていません。

 

9.迷っている人々への言葉

 食欲を甘やかすことからの解放を考えている牧師達は、その目標を失って、ことごとく失敗しています。神は、彼らに健康改革者になるようにと願っています。主は、このテーマが与えられていたその光/真理に生きることを願っています。これらの人々が私達の健康の原則に熱心になるべき人々を見た時、まだ、生活の正しい道に回心していないので、私は悲しくなりました。私は、主が彼らの知性に多大な損害に遭っているという感銘を与えるようにと、祈っています。事柄が、私達の教会を成長させる家令(財産管理人)になるというものだったならば、私達は主のために二倍の働きをすることができるでしょう。

 

10.祈りに答えられた状況 [従順]

 清められ、清い者として残るために、セブンスデー アドベンチスト達は、その家庭と心の中に聖霊を持っている必要があります。主は、やがて、病のための主の処方箋を利用することによって祝福する時、病人のための味方として彼らの祈りを聞く時、全ての汚れから魂の宮を清め、今日のイスラエルが自分自身を主の前に謙遜を表す時について、私に光/真理を与えました。信仰によって、人間の働き人達は、神が提供した手当のシンプルな方法を利用して、病と戦うために行なうことができる全てをなす時、その努力は神に祝福されるでしょう。

 とても多くの光が与えられた後で、神の人々()は、改革を拒んで、自己を甘やかし、悪い習慣に好意的になるでしょう。彼らは、違反の罪の確かな結果に満足するでしょう。彼らが、何かを犠牲にして食欲を喜ばせて品位を落とすことを決心するならば、神は、彼らの放蕩の結果から彼らを奇跡で救わないでしょう。彼らは「悲しみのうちに地に崩れ落ちるでしょう」(イザヤ50:11 KJV)

 「主は私を癒しました。私は自分の食事を制限する必要がありません。私は、自分が喜ぶようなものを飲み食べることができます」と言って、物笑いになることを選ぶ人々は、魂と身体に回復力を与える神の力が、まもなく必要になるでしょう。主があなた方を慈悲深く癒したからといって、あなた方は、世界中の自己を甘えさせている人々と同じことができると考えるべきではありません。キリストは、主の癒しの働きの後に「行きなさい。そして、もう罪を犯さないように」(ヨハネ8:11 KJV)と命じました。食欲はあなた方の神々にしてはいけません。

 主は、古代イスラエルの人々に、彼らが本当に主に忠実で、主の求めを全て行なうならば、エジプト人達にもたらしたようなあらゆる病から彼らを守るでしょう、という主の言葉を与えました。しかし、この約束は従順な状態に与えられました。イスラエル人達は、受けた指導に従って、彼らの優位性によって益を受けたならば、世界の人々の繁栄と健康の実物教訓となったことでしょう。そのイスラエル人達は、神の目的を達成することに失敗しました。そして、このような祝福を受ける失敗が彼らに存在していたでしょう。しかし、ヨセフとダニエル、モーセとエリヤ、そして多くの人々によって、私達は、生きた真の計画の結果の貴い模範をもっています。私達に、こう書かれています。「汝らは、選ばれた世代、忠実な祭司につく人々、特別な人々です。汝らは、[霊的な]無知の闇から救い出して素晴らしい光に呼び出した主に賛美を示す必要があります」(1ペテロ2:9 KJV)

 

11.自己を明け渡すことと安息

 なんと多くの人々は、神が、彼らのために蓄えている霊的な才能と健康の豊かな祝福を失っていることでしょう。何か大きな事柄ができるような特別な祝福と特別な勝利のために格闘している多くの魂がいます。この世界の終末のために、彼らは、涙と祈りをもって必死に努力しようといつも考えています。その人々は、書かれている神の意図を理解するために祈って御言葉を研究しています。また、自己を甘やかすことなく、特別扱いすることなしに、心から主の意図を行なう時、彼らは安息を見つけるでしょう。あらゆる必死の努力、すべての涙と格闘は、彼らが望む祝福を彼らにもたらさないでしょう。自己は、全部明け渡す必要があります。彼らは、信仰によって求める全ての人々に約束されている神の恵みの数々にあずかって、その働きをする必要があります。

 イエスは言いました。「誰でも、私に倣ってついてくるならば、自分で自分を否定して、そして、自分の十字架を日々に負って、そして、私についてきてください」(ルカ9:23 KJV)。私達は、自己を否定し、純真な主に倣って、救い主について行きましょう。私達は、清い生活によって、また、清い言葉によって、カルバリーの人を掲げましょう。救い主は、神に自分自身を捧げる人々に、とても近くに来ています。これまでに、私たちの心と生活に神の聖霊の働きを必要としていた一つの時があったとすると、それは今です。私達は、自己を明け渡して、清い生活を送る力のためにこの神性の力を捉えましょう。

                       

 神の言葉は、私達の教科書となるために存在しています。主は、私達の神、そして、私達の助け手です。私達は、自分達の計画を完成させる道を開くために、主を見上げましょう。


 

16章 証16 医事・奉仕の働き人、福音伝道者達[6]への願い

 

 

訳者加筆:1800年代後半のアメリカでは、下剤として水銀(猛毒:神経障害・死亡)、回虫の駆虫剤(?)としてヒ素(猛毒:胃腸障害・呼吸困難・死亡)が処方されていました。著者はこれらの有毒薬剤の使用に反対する勧めcounselを書きました。著者は、drug, medicationという単語を使っています。彼女の時代では、「drug」といえば、有毒のものが普通に使用されていたので、翻訳に当たって、[有毒]薬剤としました。「証17では、poisonous drugs有毒薬剤が記述されています。今日では、安全性が確認されたものが薬剤と言われています。しかし、日本で、整腸剤キノホルムによる薬害「スモン:視神経・末梢神経障害」、血友病治療薬へのHIV:ヒト免疫不全ウイルス混入などの薬害がありました。『セレクテッドメッセージ』第228章参照。

 

[1.優位性がもたらされる]

 私達は、終末の日々に生きています。すべての事柄の終わりは、手近にあります。キリストによって予告されたしるしは、すぐに成就しています。私達の前には嵐のような時が存在しています。しかし、私達は、失望や不信の言葉を一つも出さないようにしましょう。その状況の必要性を理解している主は、その人々の注目を引き起こすためにより効果的に彼らに可能にさせるために様々な場所から、その優位性が働き人達にもたらされるように手はずを整えています。主は、主の弱い群れの必需品と必要な物を知っていて、そして、主は、大通りや脇道に主自身のメッセージを送っています。主は、永遠の愛によって私達を愛しています。私達は、罪の病の魂に満ちた世界に癒しのメッセージを伝えているということを覚えていましょう。主が、私達の信仰を増して、主の恵みの御座と主の癒しの働きを熟知するようになるように私達に望んでいるということを見ることを助けますように。主は、その恵みの光が多くの場所から輝き出ることを望んでいます。

 

2.奉仕の働き人達としてのサナトリウム

 まだ、このメッセージを聞いたことのなかった人々が多くの場所にいます。これからは、医療の奉仕の働きが、一度も伝えられなかった所に熱心に伝えられるために存在しています。この働きは、大都市へ入るきっかけを見つけるために存在している真理を通した、そのドアです。サナトリウムの働きは多くの場所で設立されるために存在しています。

 サナトリウムの働きは、あらゆる層の人々に伝える手段として最も成功する一つです。私達のサナトリウムは、福音の右腕です。苦しむ人々がいる所ではどこでも道が開かれて、キリストを通した嬉しい良い便りが届けられるでしょう。それらの施設の中で、病人は、偉大な医師に自分達のケースを託して教えられるでしょう。主は、身体を癒して良くすると同じく、その人々の魂の癒しをもたらして、健康を取り戻そうと熱心に努力する人々と協力することでしょう。

 病人の癒しが、私たちの村や町や都市を通って行くことは、この世界の人々の中にキリストが存在している証拠です。しかし、主は、自分が始めた医療の奉仕の働きを進めるために、私達に託しました。この働きの中で、私達は最善を尽くすために存在しています。病人を世話するための施設は、設立されるために存在しています。そこでは、病で苦しんでいる男性と女性達が神を畏れる医師達と看護師達の世話のもとにおかれていて、[有毒]薬剤なしで治療されています。

 健康改革の働きは行なわれる必要があって、私達は引き延ばしてはいけない、と私は[イエスから]指導されました。この働きを通して、私達は大通りや脇道で、魂達に届けるために存在しています。私は、私達のサナトリウムで、多くの魂達が[再臨や安息日など]現在の真理を受け入れて従うだろうと、特別な光/真理が与えられました。これらの施設で、男性や女性達が、自分の身体のケアの仕方と同時に、信仰を健全にする方法を教えられるために存在しています。その人々は、神の息子の犠牲の血を飲み、その犠牲の肉を食することによるということが何を意味しているか教えられるために存在しています。キリストは、「私があなた方に語った言葉は、精神/霊で、命/生活です」(ヨハネ6:63 KJV)。

 私達のサナトリウムは、医療の奉仕の働き人達に与えられる指導の学校となるために存在しています。彼らは、罪の病のある魂達に命の木の葉をもたらすために存在しています。それは、キリストイエスにある信仰と希望、そして、平安を回復するでしょう。

 主の働きを前進させましょう。医療の奉仕の働きと教育的な働きを進展させましょう。私は、熱心な人、献身した人、知的な人など、才能のある働き人達が、私達にはたいへん欠足しているというのはその通りだと思っています。あらゆる大都市の中に、真の医療の奉仕の働きがなされる必要があります。みんなで、今、「主よ、そなたが私にしてほしいことは何ですか」(使徒言行録9:6 KJV)と求めましょう。[有毒]薬剤なしの癒しの方法は、私達の医療施設を通して、すべての大都市に優位性をもたらすということが主の目的です。神は、入って行くことが可能な全ての場所、遠くに、もっと遠くに、前進していく人々に、聖なる尊厳を投資しています。サタンは、可能なことを困難にする働きをしているでしょう。しかし、神性の力はすべての誠実な働き人に加わるでしょう。私達の天の父の手によって導かれて、私達は、神の働きを広げるために全ての機会を利用して、前進しましょう。

 主は、すべての医療の奉仕の働き人達に、魂達を救うために私のブドウ園で今日働くよう、出かけてください、と語っています。神は、誠実に主を求めている全ての人の祈りを聞いています。主は、私達全てに必要な力を持っています。主は、人の心を愛と喜びと平安と聖で満たしています。品性や人格は、常に発達しています。私達は、神の目的と行き違いになるような働きをしている余裕がありません。

 私達のサナトリウムに過去に繫がっていたので、それらの施設に相応しい場所を見つけた医師達がいます。そして、彼らは、広い伝道地への目を閉じ、軽視して働きませんでした。無私の働き人達は多くの人々に祝福となるでしょう。奉仕の働きをする医師達は、感化力を清めること、技術を磨くこと、知性を高める努力をすることが可能です。これらのことをしない医師達は、彼らの力を乱用し、主が認めない働きを行なっています。

 

3.働き人達の教育・訓練

 主が、かつて私によって語ったのであるならば、主は、私が言っている時に語っています。教育的な人材line、牧師職の人材、医療の奉仕の働きの人材として繫がった働き人達は、互いに祝福して、ほかの人を助けて、神の管理の下で全ての仕事に団結して立つ必要があります。

 私達の学校とサナトリウムに繫がった人々は、熱心にテキパキと働くために存在しています。人のため神のために、が好きだから、聖霊の奉仕の下で行なわれているその働きは、神性に誓いのサインをするでしょう。また、人の知性に感銘を与えるでしょう。

 主は、私達の学校に入学すること、奉仕の働きのために早く適応するように、私達の若い人々に呼び掛けています。都市の郊外の様々な場所で、学校は設立されるために存在しています。教育を受けることができる私達の青年は、医療の奉仕の働きと福音的な働きを行なうために出て行くよう準備するでしょう。

 主は、若者達の知性に働きかけるために、若者達の義務を人々に示すために一つの機会を与えられて当然です。誰も、主の働きの特別な施設や、人々のグループの指導の下で数年の期間を縛られるために存在している人はいません。ですから、主は自身で人々に呼び掛けているので、親愛を示して主は謙虚な漁師を呼んだのでしょう。また、主は、自分で彼らに、従うべき方法と働く現場について指導を与えるでしょう。主は、滅んでいる魂達への警告の最後の注意を与えるために、苦労しながら進むように、ほかの仕事へと人々に呼び掛けているでしょう。大教師のために働く多くの方法があります。そして、偉大な教師は、彼らが主の言葉にある素晴らしい事柄を見ることできるように、それらの働き人達の理解を開示しているでしょう。

 

4.福音伝道者としての看護師達

 偉大な医療の奉仕の働き人、キリストは私達の模範です。主について、こう書かれています。彼は、「出て行って、ガリラヤ中を巡り歩いて、様々なシナゴクで教え、神の王国の福音を教え諭して、その民の間のすべての病気の種類の人々と病のすべての種類の人々を癒しました」(マタイ4:23 KJV)。主は、病人に癒しを与え、福音を教え諭しました。主の奉仕の中に、癒しと教えの二つが密接に繫がっていました。今日も、それらは分離されるために存在していません。

 私達の施設で教育訓練される看護師達は、身体的な癒しについてと御言葉の奉仕の働きを団結して、医療の奉仕の働き人の福音伝道者として出て行くよう、相応しくなるために存在しています。

 私達は、道徳的に暗闇の真っただ中に、私達の光/真理を灯しましょう。今、闇の中にいる多くの人々は、世界の人々のための大いなる光が反射して見える時に、自分達は救いの希望を持っていることに気が付くでしょう。あなた方の光は小さいけれど、主はあなたにそれを輝かせるための責任を与えて、神があなた方に与えたものだということを思い出してください。ある人々は、あなた方の光から、微光を放つことができるでしょう。そして、その光はほかの人々を闇から導き出す手段となることでしょう。

 私達の周りの全ては、奉仕のために開かれたドアです。私達は、私達の隣人にキリストに引き付けるように求めて、彼らを熟知させるようになる必要があります。私達がこのことを行なう時、主は、私達と協力し、好ましく思うでしょう。

 キリストが働いた大都市の住人達は、しばしば、主が自分達の間で働き続け、自分達の所にとどまるようにと望みました。しかし、主は、彼が提示すべき真理を聞いていなかった都市の人々の所に行かなければならないと、彼らに語ったことでしょう。主は、一カ所でこれらの人々に真理を伝えた後で、それをもとに建てることを託しました。そして、彼はほかの場所に行きました。彼の働きの方法は、主が残した働きを彼らによって、今日、倣われるために存在しています。私達は、メッセージを伝えながら、一つの場所からほかの場所に行くために存在しています。その真理が一つの場所で宣布されたらすぐに、私達は、ほかの人々に警告しに行くために存在しています。

 そこには、神性に似た品性を完成させるために、学生伝道者として、文書伝道者として、牧師として、福音伝道者として、看護師として働くために最良に教育され組織された仲間達がいる必要があります。主が、事ある毎に私に与えた指導から、私は、村々や町々に医療の福音伝道旅行をする働き人達になるだろうということを知りました。この働きを行なう人々は、社会の上層から下層の両方の人々から魂の多くの収穫があるでしょう。この働きのための方法は、信仰深い文書伝道者の努力によって、よく準備されています。

 多くの人々は、関心のある人々と祈って聖書を読み合い、家から家へと訪問する伝道地に招かれているでしょう。

 御言葉を教えて諭す体験をした私達の牧師達に、医療の奉仕の働きの福音伝道者として、賢明に働く時、シンプルな治療法の仕方を学んでもらいましょう。

 医療の奉仕の働きの福音伝道の働き人達は、現在、必要です。あなた方は、準備のために、何年も費やす余裕がありません。現在、真理に開いているドアは、間もなく、永久に閉じられるでしょう。今、メッセージを伝えましょう。あなた方の前に、今、開かれている伝道地を保持するのを敵に許しておいてはいけません。キリストが弟子達に託した働きを行なうために、少数の仲間達と一緒に出て行きましょう。出会う人々に真理を語り、私達の出版物を渡して、福音伝道者として働きましょう。[有毒]薬剤ではなく、看護師の治療法で、病人の必要に奉仕して、病気を避けて健康を取り戻す方法を教え、そして、その人のために祈りましょう。


 

17章 証17 福音伝道 [7]としてのロマリンダ カレッジ

 

 

[1.教育的なセンターとしての存在]

 ワシントンD..での1905年のSDA全体総会に参加していた間に、私は、J.A.バーデンから [カリフォルニア州]レッドランズから4マイル[6.5km]の所に見つけた土地について書いてある一通の手紙を受け取りました。私が彼の手紙を読んだ時、私は、これは以前に幻で見た場所の一つだという印象を受けて、すぐに、先延ばしすることなくその土地を確保するように彼に電報を打ちました。後で、私がその土地を訪問した時、私は、2年近く前の幻で見た場所の一つだと認識しました。この場所について、私は、とても、主に感謝しています。

 ロマリンダの主な優位性の一つは、どの方向から見ても、景色が美しくて、魅力的な楽しみがたくさんあることです。山々や谷が続く景色は荘厳な感じがします。広大な土地ときれいな建物、美しい景色以上にもっと大切なことは、第三天使のメッセージを多くの人々、多くの人々にこのように余裕で伝える機会と、人々が密集して住んでいる地域にこの施設が近いことです。私達は、明晰な霊的識別力を持つために存在しています。そうでなければ、私達は、この世界の人々に光を照らして啓蒙する私達のために、この道を備えている神が開いた摂理を識別することにしくじるでしょう。

 この場所の土地の潜在性は、特徴のある教育的な施設の働きをする責任の重さから来ています。ロマリンダは、一つのサナトリウムのためだけではなく、教育的なセンターとして存在しています。一つの学校が、医療の奉仕の働きの福音伝道者の教育・訓練の施設として、ここに設立されるために存在しています。多くの内容がこの働きに含まれています。正しい開始がなされることは大切なことです。主は、この伝道地でなされるための特別な働きを持っています。主は、私に、[オーストラリア]アボンディールで行なったことに似た土地購入の開始で、私達を支援するためにハスケル長老夫妻を招聘するようにと指導しました。経験のある働き人達が、そこでなされるべき学校の発展のためにロマリンダに焦点を当てて団結することに同意しました。彼らが信仰によって前進する時、主はその道を備えて、彼らの前に進んで行くでしょう。

 その学校について、私は特別に、看護師と医師の教育を強化してください、と言うつもりです。医療の奉仕の働き人の学校では、多くの働き人達は、医療の奉仕の働きの福音伝道者として働くための能力と資格を与えられるために存在しています。主が特別視したこの教育・訓練は、真の高等教育を貫いている原則と調和しています。私達は、高等教育について教えを受けて聞いています。最上の高等教育は、キリストがこの世界にいた時に与えた手本に倣った型通りに、主の足跡をたどるために存在しています。私達は、これ以上の高等教育を受けることができません。この教育・訓練の水準/授業は、神と共に働く人々を育てるでしょう。

 高等教育を受けることは、キリストに繫がった生活をするために存在しています。救い主は、教育を受けていない漁師達を、彼らの船から、彼らの網から招いて、そして、主が人々の必要に奉仕の働きをして、人々を教えて、あちこち旅をして回って、彼らを主自身とつなぎました。数百人もの聴衆が主の言葉を聞くに先立って、主は、ある人を高貴にした岩に腰を下ろして、そばに弟子達を集めて指導したものでした。堕落した世界の人々を贖うことができる主イエスの足もとに謙虚に膝をついて、命を与える主について学ぶ大きな必要がある時に、そこには、価値があることのすべてを知りたいと期待している多くの男性と女性達がいました。私達はみな、天の権威と王冠と王位を一時外して置いて、そして、人間性を自身にまとって、天の法廷を去って来た御方、キリストを必要としています。神の息子は、小さな赤子としてやって来ました。主は人間性の体験を理解して、人々の扱い方を知ることができたでしょう。主は、神の子らの望みを知っています。主が地上での奉仕の働きをしていた日々に、主は自分の所に来る弟子達に言われるままにしなかったでしょう。主は自分の弟子達に、彼らを追い払ってはいけません、「天の王国はそのような人々のために存在しています」と言いました。

 その学校の働きにおいて、シンプルを維持しましょう。シンプルさの成功が見られるように、激しい論争をなくしましょう。あなた方は、世界中の医師と競うために医師の資格が与えられるような医学校がなくても、医療の奉仕の働き人として、学生達の教育の成功に達することができるでしょう。学生達には、実用的な教育が与えられるようにしましょう。あなた方は、世俗の教育方法への依存を少なくしましょう。その方が学生達にとって最良でしょう。特別な指導が、神が与えた光/知識と調和して、また、有毒な薬剤なしに、病人の治療の技術として与えられる必要があります。病人の治療において、有毒な薬剤は、利用される必要がありません。学生達は、自分達の神への愛と義や、清められた健康改革の原則を加えて持って、学校から出て行く必要があります。

 [その当時の有毒薬剤を使用する]世界の水準に合った教育は、第三天使のメッセージの働きに繫がる医療の奉仕の働きを担って、効果的にしようとする人々によって、徐々に価値のないものとされるために存在しています。その人々は、良心の視点から教育されるために存在しています。彼らは病人の自分達の治療の正しい方法に良心的・忠実に従う時、それらの方法は、有毒薬剤の利用を要求する、多くの人に順応した方法に好ましいと認められて来るでしょう。

 私達は、この時に、世俗の医学校に対抗しようとするべきではありません。私達がこのことをする時、私達の成功するチャンスは小さくなるでしょう。私達は、学問のための巨大な医療施設[医科大学]の設立の働きをうまく進める用意をさせられていません。その上、私達は、世俗の医師達が自分の労働に対して要求した高額の報酬に合わせている世俗の医療方法の実践に従う必要がありますか。私達は、病人のための私達の奉仕の働きにおいて、キリストの計画を果たし続けるでしょう。

 私達のサナトリウムでは、キリストの奉仕の働き方から指導を受けることができる知的な男性・女性となる必要があります。献身した教師の有能な指導の下で、若者は、神性の性質に与る者となり、強い欲望を通して世界に存在している滅びの逃れ方を学ぶでしょう。私は、かつて、[有毒]薬剤を利用しないシンプルな方法で病人を治療する、もっと多くの女性看護師、特に女性の病人を世話することができるもっと多くの女性達を持つ必要があることを[イエスから]指導されました。

 男性医師が助産の働きをするべきだという考えは、シナイで与えられた指導と調和していません。聖書は、女性による立会いのもとで出産する女性について語っています。そして、このように、それは常になされて当然です。女性は、自分の性で助産婦として医者として上手に行動するように教育され訓練される必要があります。これは主の計画です。私達の女性をその性の病人達を治療する働きに知的になるように教育しましょう。私達は、女性の病気を治療する最善の働きが可能になるための女性医師が教育されうる学校を持つ必要があります。一つの人々()として私達の間では、医療労働の働きが最も高められる必要があります。

 ロマリンダでは、私達は、様々な伝道事業を推進させるための優位なセンターを持っています。私達は、このサナトリウムを私達の[教会の]人々が所有して設置している場所で見ることができます。

 私達が必要としていると、主が見通して与えた場所として、私達はロマリンダを理解する必要があります。ロマリンダの学校とサナトリウムの重要性に関連してなされる貴重な働きがあります。そして、これはなされるでしょう。私達がみな終末まで働く時、神の指示によって団結して進むでしょう。

 ロマリンダで、多くの人々が、節制と健康の目的にある奉仕の働き人としての教育を受けることができるでしょう。教師達は多くの働きの担当者として備えられるために存在しています。学校はまだ働きがなされていなかった場所に設立されるために存在しています。奉仕の働き人達は、少し働きが行なわれ始めた州や国に出て行くために存在しています。健康改革の原則を普及させる働きは成し遂げられる必要があります。神は、一つの人々()として賢くなるように支援しています。

 私は、正しく進展して、ロマリンダの私達の施設にいる[学生達の]必要に丹精込めた学習[指導]が与えられることに深い関心を持っています。この場所で、その働きの前進において、明晰な霊性と才能のある人々が必要とされています。最善の教師達は、教育的な働きを労するために存在しています。男性と女性達は、主に全面的に信頼して用心深く歩むでしょう。医療科目の教師達が、神を畏れる彼らの立場にいるならば、私達は行なわれた良い働きを見るでしょう。私達の教育者としてのキリストと共に、私達は、真の癒しの科学の知識にある高い標準を伝えるでしょう。

 最も重要なものに属するものは、学生達が健康改革の原則を正しい表し方を教えられることです。教育のほかの主要な科目と関連させて、忠実にこの科目を学習して従事することを教えてください。イエスキリストの大いなる恵みは、主の計画の真の教育に倣う全ての人に知恵を与えるでしょう。学生達に、主自身の命の高価な犠牲で人類を贖う御方の模範に忠実に倣わせましょう。彼らに救い主をアピールして、病気のあらゆる種類を癒す御方として主に信頼するようにしてください。主は、人間の身体を造った偉大な医師に、苦悩と病を指し示す特別な努力をする働き人達を持っています。

 クリスチャンの働き人達のための私達の教育・訓練学校は、私達の健康施設の近くに設立されることは良いことです。その学生達は健康的な生き方の原則を教育されるでしょう。魂を清め、愛によって働く信仰を持っている人々、彼らの信仰によって一つの理由を与えることができる働き人達を送り出す施設は、大きな価値があります。私は明瞭な指導を持っています。どこでもそれは可能です。諸学校は、私達のサナトリウムの近くに設立される必要があります。それらの施設は互いに助け合い、そして、互いに力づけ合えるでしょう。人間を創造した主は、人々の苦悩に関心を持っています。主は、私達のサナトリウムの設立と、その近くに私達の学校を建設するように指導しました。それらは、人間の苦悩への奉仕の働きをするための男性と女性達の教育・訓練の効果的な媒介となるでしょう。

 セブンスデー アドベンチストの医療従事者達は、主なる神、全能の王を覚えておきましょう。キリストは、罪に呪われた地上に足跡を残した偉大な医師でした。主は、彼らが癒しの力を求めて、自分に来る自分の人々()を持っています。主は、自分の聖霊によって彼らにバプテスマを授け、そして、一人の奉仕者として彼らを相応しくするでしょう。また、癒しを必要とする人々に身体的な健康と霊的な回復によって、彼らを祝福するでしょう。


 

第5部 団結の精神 [8]

「彼らはみな、一つとなるでしょう」(ヨハネ17:21KJV

 

 

18章 証18 異なる国民の間の団結 [9]

 

 

[1.信仰と愛にとどまる]

 「誰かが、渇いているなら、その人は私の所に来て、飲んでください」(ヨハネ7:37 KJV)、「私が与える水を飲む人は誰でも、渇くことがないでしょう。それだけではなく、私が与える水は、その人の中の井戸から永遠の命の水が湧き出すでしょう」(ヨハネ4:14 KJV)

 私達の前にある約束によって、私達は、命の水を望んでいても、喉が渇いてしおれたままを選んでいます。それは、私達自身のしくじりです。私達がそれらを受け取ることを信じて、主が約束した事を求めて、地上の親達に行く子どもとして、純真に、キリストに行くならば、私達はそれらを持つことでしょう。私達みんなが、この信仰を実践しました。私達がすべき、また、私達が受けた以上に、私達の集会で、私達は神の聖霊を受けて、もっと祝福されたことでしょう。私はその集会がまだ23日残っていることに嬉しくなりました。さて、質問は「私達はその泉に行って飲んでいいですか」です。誠実な教師達は手本を示していますか。神は、私達が信仰によって主の言葉を受け入れるならば、私達のために偉大なことを行なうでしょう。私達は、神の前で普通に心を低くすることをここで見ることができるでしょう。

 これらの集会が始まって以来、私は信仰と愛にとどまることを主張しようと考えました。これは、あなた方がこの証を必要としていたゆえです。それらの伝道地に入ったある人が「あなた方はフランスの人々を理解しません。あなた方はドイツ人を理解しません。その人々は、そのような[信仰と愛の]方法で正しく向き合う必要があります」と言いました。

 しかし、私は、「神がその人々を理解していないのですか」と尋ねました。主は、主の奉仕の働きをする人をその人々のためにメッセンジャーとして送っていないのですか。主は、その人々が必要としているものを正確に知っています。そのメッセージが、その人々へ主に仕える人を通して主から直接に届いているならば、それは、そこに送られた所で、その働きを成し遂げるでしょう。それは、キリストの中にすべての人々を一つにするでしょう。ある人は明らかにフランス人、ほかの人はドイツ人、別の人はアメリカ人です。それらの人々は明らかにキリストのような人となるでしょう。

 ユダヤ人の神殿は、山々の石切り場から切り出されて加工された石で建設されました。すべての石は、エルサレムに運ばれる前に削られ磨かれて検査されて、その神殿のそれぞれの場所に合うようにされました。そして、すべての石がその基礎に据えられた時、その建設工事は斧やハンマーが使われずに進められました。この建設工事は、神の霊的な宮を表しています。それは、あらゆる国の民、言語、人々、あらゆる社会層、上の層や下の層、富める人貧しき人、教育を受けた人受けなかった人などから集められた人材で組み立てられています。それらの人々は、ハンマーや鑿(のみ)によって合うようにされた死んだ材料ではありません。その人々は、真理によって世俗から切り出され生きている石です。偉大な建設者であり所有者である、神殿の主は、現在、その霊的な神殿の中に、その人々の価値を認める場所に合わせて、その人々を削って磨いています。この神殿の建設者と所有者は神なので、この神殿はすべての部分によって完成されるでしょう。人々が称賛し、天使達が賞賛する時に完了するでしょう。

 人に一撃が与えられる必要がないと考える人がいないようにしましょう。すべての習慣や思想において、完全であるという国民も人々も存在していません。人は、ほかの人について学ぶ必要があります。しかしながら、神は異なった国民性が、目的において一つ、判断において一つになるように、共に混ざることを望んでいます。その時、キリストにある団結が良い手本となるでしょう。

 私は、この国[スイス]に来ることをとても心配していました。その理由はこうです。ヨーロッパの様々な異なる独立国家に固有の権利があり、その方法で目的を達成する義務があると、私は多くの人々が言っているのを聞いていたからです。しかし、神の知恵は、それらを求めて、自分達の必要を考える人々に約束されています。神は、真理を受け取るような所にいる人々に届けることができます。陶器師の手の中で形作られる粘土のように、主に知性とその型を委ねましょう。イエスを見てください。兄弟[姉妹]のみなさん。彼の精神と礼儀作法をコピーしましょう。そして、あなた方は、それらの違い至っても問題にならないでしょう。私達は、倣う型を5つも6つも持っていません。私達は一つだけ持っています。そして、それは、キリストイエスです。イタリアの兄弟[姉妹]達、フランスの兄弟[姉妹]達、そして、ドイツの兄弟[姉妹]達が彼のようになろうとするならば、その人々は、真理の同じ地盤に足を置くでしょう。一つに内在しているその同じ精神は、栄光の希望のキリストとしてほかの人々の中に内在しているでしょう。私は、あなた方、兄弟・姉妹達に、異なる独立国家の間に隔ての壁を築かないことを警告します。それとは反対に、それが存在している所ではどこでも、それを打ち壊すことを求めます。私達は、私達の仲間の人々の救いという一つの目的のために労して、全ての人々にイエスの中にある調和をもたらすように努力する必要があります。

 奉仕の働きをしている私の兄弟のみなさん、神の豊かな約束をつかんでいますか。自我を視界の外においていますか。そして、イエスを表していますか。神の前で死ぬ必要のある自我は、あなた方を通して働くことが可能です。私は、自我がいろいろな所でいろいろな物を刈り取っているのを見た時、驚きを感じました。私は、ナザレのイエスの名によって、あなた方に言います。あなた方の意思は、死ぬ必要があります。みなさんは、神の意思のようになる必要があります。主は、全ての汚れからあなた方を清めるために、また、あなた方がやわらぐようにと望んでいます。神の力に満たされることができるように、あなた方の前に、あなた方のためになされるための、偉大な働きがあります。私は、たくさんの人の集会の前で、主の豊かな祝福に気付いて、あなた方に主を近くに引き寄せるように請い願っています。

 ここには、警告と譴責によって大いなる光が輝いた人々がいます。譴責が与えられるたびに、かの敵は、人間的な同情を求めて、譴責された人々をつくりだそうとしています。それゆえに、私は、あなた方に、自分を成長させようとして同じ点で再び間違いをして、あなた方の過去の足跡に戻って行って、ほかの人々に同情をアピールしないように用心することを警告したいと思います。主は、何度も同じ地盤で同じ間違いをしている主の子らを率いています。しかし、主の子らが主の聖霊の訓戒を心に留めることにしくじり続けるならば、また、彼らが間違ったあらゆる点の改善にしくじるならば、主は、最終的に、彼ら自身の弱さのままに放置するでしょう。

 私は、あなた方に、キリストの所に行って、そして、救いの水をただで飲むよう、飲むように、請い願います。涙もろい感傷主義は宗教だとは考えないでください。すべての人間の支えを振り払って、キリストを堅く信頼してください。あなた方は、魂達の救いの働きに繫がるよう備えられる前に、相応しいものとなるように新しくされる必要があります。あなた方の言葉やあなた方の行動は、ほかの人々への感化力を持っています。そして、あなた方は、神の[裁きの]日にその感化力と向き合う必要があります。イエスは「見なさい。私は汝らの前に開かれた扉を置きました。誰もそれを閉じることができません」(黙示録3:8 KJV)と言っています。光は、その扉から輝き出ています。私達が受けようと思って、その光を受けることは私達の特権です。私達は、その開かれた扉に目を向けて、キリストが授けようとしているすべてを受けるように努めましょう。

 一人ひとりが、自分の心の中の罪に勝利するために、闘いに取り組みましょう。今は、働きが困難で落胆させられる時代です。その原因は、私達がイエスを見て、主の義の衣を身に着ける必要がある時に、私達の品性に道徳的な欠点が見えて、私達はそれらを見続けているからです。神の都の真珠のような門に入る全ての人々は、一人の勝者としてそこに入るでしょう。その人の偉大な勝利は、自我について勝利したものだったでしょう。

 「地と天の家族全体の名前を呼ばれ、主はあなた方の願いをかなえて、主の栄光の豊かさによって、人間の心のうちに、主の聖霊によって、権威を力づけられるために、この理由によって、私は、私達の主イエスキリストと天の父に私の膝をついています。キリストは、信仰によってあなた方の心に住むでしょう。愛に基づき、愛に根ざしている汝らは、全ての聖徒達の高さと深さと長さと広さを悟ることができるでしょう。汝らは、キリストの愛と神に満ちている全てによって満たされるでしょう」(エペソ3:14-19 KJV)

 神のために共に働く者達として、兄弟・姉妹のみなさん、全能の主の腕(権能)に堅く信頼してください。団結して働き、愛によって労し、そして、あなた方は、この世界の人々のために一つの力となるでしょう。


 

19章 証19 キリストイエスによる団結

 

 

             1905.8.24 カリフォルニア ロマリンダ にて

[1.キリストにある男性と女性達の資質に成長]

 [ネブラスカ州]カレッジ ビューにて出版の働きに繫がっている兄弟達へ

 19049月に開催されたSDA全体総会委員会の相談会議に出席している間に、私の知性は私達の働きに加わるという団結について深く考えさせられました。私はすべての会議には出席できませんでしたが、私の前を通り過ぎたシーンの後の夜の間に、私は、多くの場所で私達の[教会の]人々に伝えるメッセージを持っていると考えました。

 私の心は、とても高い状態への発展の可能性と、私達の力がそれをもたらすためのそのような素晴らしい動機を考えた時に痛んでいました。私達はキリストのために働きにおいて妨害される要素がありません。神の望みは、すべての主の働き人達がキリストにある男性と女性達の資質に成長することです。生きる力がある所に成長があります。成長は生きる力を証しています。御言葉と御働きは、キリスト教信仰がキリストに就く者達のために行なっているということについて、世界の人々に生きている証を伝えています。

 あなた方が、ほかの人々の粗探しや論争なしに委ねられた働きを行なっているならば、自由や光や力がそれに加わり、それは、あなたが繫がっている事業と施設への感化と特徴を与えるでしょう。

 あなた方は、あなた方の近くに来るあらゆる魂の思い違いを正す重荷を負う時や、いらだたせられる時、有利な地盤にはいないということを覚えておきましょう。あなた方が、ほかの人々が涙を流している失敗を指摘する、粗探しの誘惑に心を明け渡すならば、あなた方は、自分達の側の気高く良い行動に間違いなく失敗するでしょう。

 すべての教会員とすべての責任ある人々が、神の言葉の教えと調和させるために、自分の働きの特徴をあらわす時があるでしょう。厳重な警戒によって、熱心な祈りによって、キリストのような言葉と行動によって、私達は、神が主の教会になってほしいと望んでいることを世界の人々に示すために存在しています。栄光の王、天の権威者、キリストは、主の高い立場から、人々の状態を見ています。主は、人間達の罪深い弱さに同情して、そして、人々のために存在している神を現すためにこの地上にやって来ました。天の法廷を去って、主の神性に人間性を付けて、主は、私達の味方として完全/成熟な品性/人格を達成するために自分からこの世界に来ました。主は、この地上の豊かな人々の間で住むことを選びませんでした。主は、身分の低い家系の貧しい家に生まれ、そして、ナザレの村の見下された人々の中で生活しました。彼は、[大工]道具が使えるような年齢になるとすぐに、家族のために労することを手伝いました。

 キリストは、人間性が立ち向かって耐えなければならない試練に耐えて誘惑に立ち向かうこと、人間の長として立つことに対して、自分を謙虚にしました。主は、人間性が堕落した敵に立ち向かわなければならないことを知っていました。また、主は、誘惑さえている人々の支援の仕方を知っていました。

 キリストは、私達の裁き司となりました。天の父は、その裁判官ではありません。天使達もそうではありません。自分の[神性に]人間性を取った主は、この世界で完全/成熟に生きて、私達の裁きをするために存在しています。主だけが私達の裁き司(裁判官)になることができます。兄弟[姉妹]のみなさん、このことを覚えていますか。牧師達のみなさん、このことを覚えていますか。父親、母親のみなさん、このことを覚えていますか。キリストは、私達の裁き司になるために人間性を取りました。あなた方のうちで、ほかの人々の裁き人(裁判官)になることを託された人は一人もいません。自分自身を鍛錬することは、あなた方の行なうことができるすべてです。キリストの名によって、あなた方は自分から裁き人(裁判官)の座に着いてはいけない、という主の指示を心に留めるように、私はあなた方に請い願います。「その裁きの座から降りてください。謙虚になって、降りてください」というメッセージは、来る日も来る日も、私の耳の中で響いていました。

 今より以上に私達が十字架を負って、自分自身を否定する必要がある時がありません。どれほどたくさん、私達は自己否定をいとわずに実行していますか。

 

2.恵みと平和の生活

 あなたがたが「信仰に徳が加えられ、徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心深さを、信心深さに兄弟[姉妹]愛を、兄弟愛に親切な慈愛を加える」(2ペテロ1:5-7 KJV) ならば、ペテロの第2の手紙の初めの章で、あなた方は、恵みと平和が増やされるという約束を見つけるでしょう。これらの徳は、素晴らしい宝です。それらは、「金よりも貴い人間を育て、オフルの黄金以上の人間を形成しています」(イザヤ13:12 KJV)

 「これらの事柄があなた方の中に存在して、豊かになるならば、主イエスキリストの知識の実を結ばない者、無益な者にならずに、それらは、あなた方[の人格]を形成するでしょう。私達に残されているこの世の命の短い間に、恵みに恵みを加え、力に力を、私達が天の力の源をもっているということを現して、私達の能力を最善に使うことに努めようではありませんか。キリストは、「天においても地においても、全ての権能が私に与えられています」(マタイ28:18 KJV)と言っています。彼に与えられているこの力は誰のためですか。私達のためです。主は、私達の問題処理のために置かれた場所で、計ることができない力を与えられ、彼は私達の兄弟[姉妹]の長子として天に戻ったということに、私達が気付くようにと望んでいます。

 これらの人々は、使徒ペテロが天から受けた力を通して、教会に与えた指導に[従って]生活を送っているでしょう。私達は、確かに選びと、呼び出しによって知識を与えられ、加えられた計画の上に生きるために存在しています。私達は、全ての人々の中で、言葉と行動によってキリストを現すために存在しています。私達は、主の人生を生きるために存在しています。主がガイドした原則は、私達が協力している人々に向かって、私達の活動のコースを決定づけるために存在しています。

 私達がキリストにしっかりと錨を降ろす時、私達は、誰も私達から取り去ることのできない力を持っています。それはなぜですか。私達は、罪の汚れや染みがなかった品性を発達させ、人類の長子として立つことができる主、人間性の衣を着てこの地上に来た主の性質に与っていて、強い欲望を通して、この世界に存在している滅びを逃れて、神性の性質に与っているからです。

 なぜ、私達の多くの人々は、そんなに弱くて無能なのですか。それは、自己を見ているからです。私達自身の傾向を研究してください。そして、キリストと彼の品性を研究する立場で、私達の特徴について、自分の個性について、自分のための場所を取ることができるかを自問してください。

 兄弟[姉妹]のみなさん、キリストについて学ぶのであるならば、アメリカ人であることも、ヨーロッパ人であることも、ドイツ人やフランス人であることも、スイス人、オランダ人、ノルウェー人であることも忘れて、一致して共に働きましょう。国民性が失われていないか、何かがその場所を占めていないか、その人々自身の特徴は何か、それらの人々がほかの国民性と混ざる必要があるかどうかを考えてみましょう。

 私の兄弟[姉妹]のみなさん、全てのことをこのわきに置いておきましょう。私達は、自分の空想や自分の好みで、自分達の知性を自分自身にとどめておく権利を持っていません。私達は、自分自身の特殊な独自性(アイデンティティー)、人格(パーソナリティー)、個性(インディビデュアリティー)を保つことを求めるために存在していません。それは、私達の労する仲間達から私達を引き離すでしょう。私達は保つための一つの品性/個性を持っています。しかし、それは、キリストの品性です。キリストの品性を持つならば、私達は、神の働きを共になすことができるでしょう。私達の中のキリストは、私達の兄弟[姉妹]の中のキリストと出会うでしょう。そして、聖霊は、私達が神の子どもであることを世界の人々に証する行動と心に一致を与えるでしょう。自我に死んで再び生まれるよう、主が私達を助けますように。私達の聖を保つ力、行動の原則、生命としての、キリストが私達の中で生きることができますように。

                     

 団結のために、熱心に努めましょう。そのために祈りましょう。そのために働きをしましょう。それは、あなた方のために主自身を与えてあなた方を愛した主を通して勝利者以上の者になるために、自我に勝利することを可能にして、天使のような知性、品性の高貴さ、高尚な考え、霊的な健康をもたらすでしょう。自我を十字架につけてください。自分自身よりもほかの人々を高く評価しましょう。このように、あなた方は、キリストとの一つにもたらされるでしょう。天の存在者達の前で、世界の人々とこの教会の人々の前で、あなた方は、神の息子達・神の娘達であるという間違いのない実例を生み出して伝えるでしょう。神は、あなた方が整えた実例によって、栄光を受けるでしょう。

 この世界の人々は、クリスチャンの愛によって、神の人々心が共に結ばれるという驚異的な実例として、よい成果をもたらしたことを目の当たりにする必要があります。この世界の人々は、天のキリストの位置に共に座っている主の人々()を見る必要があります。神の真理が主を愛して仕える人々のために行なうことができるものに、自分の実例と生涯を捧げようではありませんか。神は、あなた方がなることができるものを知っています。主は、神性の恵みは、あなた方が神性の性質に与る者になるならば、あなた方のために行なうことができることを知っています。


 

20章 証20 カレッジビューにおける出版の働き

 

 

             1905.8.24 カリフォルニア ロマリンダ にて

[1.ヨーロッパの兄弟姉妹への出版物]

 私は、[ネブラスカ州]カレッジビューでの私達のドイツ語とスカンジナビア語での出版の働きを開始することを決定した尽力を好ましく思っています。私はその計画がこの働きを力づけて励ますように練られることを願っています。

 その働き全体の重荷は、私達の海外の兄弟[姉妹]に残されてはいけません。その伝道地の至る所にいる兄弟[姉妹]達だけではなく、カレッジビューの近くのカンファレンスの重荷もたくさん残っています。それらのカンファレンスの教会員達は、最善を尽くして、導く必要があります。また、また、みんなで、教会員達を支援しに行く必要があります。その真理は、あらゆる国民、民族、言語、人々に宣布されるために存在しています。

 私達のドイツ語とデンマーク語とスウェーデン語の兄弟[姉妹]達は、出版の働きで調和した活動ができておらず、適切な話し合いができていません。真理を信じている人々は、自分達は、神の教育・訓練のもとにいる、神の幼い子らであるということを覚えておく必要があります。互いに親切な者となり、主の多様な恵みを、神に感謝する者となりましょう。その人々は、一人の神、一人の救い主、一人の聖霊を持っています。キリストの霊/精神は人々の各層に一致をもたらすために存在しています。

 主の復活の後で、キリストは、天に昇りました。そして、今、主は私達の必要を天の父に提示しています。「私は、我が掌を汝らに与えました」(イザヤ49:16 KJV)。それらをそこに深く刻み込むことは何らかの犠牲を要します。それは、言葉にできないほどの激しい苦痛の犠牲を要します。私達が、神の前で謙虚で、また、親切になり、礼儀正しく、心優しく憐れみ深くあるならば、今、一人だけでもいる所に、真理に回心する百人の人がいるでしょう。しかし、回心するために告白することを通して、私達は放棄するものをまったく貴いものと考えて、自我の束を自分の周りに集めています。キリストに似た者として、また、キリストの品性をその人の中に生じさせて、そして、キリストの足もとにこの重荷を降ろすことは私達の特権です。救い主は、私達がこのことをするようにと待っています。

 キリストは、主の王衣を脱いで置き、王冠を外して、高い支配権から降りて、歩いて降り、降り、降りて、最も低い謙虚にまで至りました。人間の性質を負って、主は、人間のあらゆる誘惑に会いました。そして、あらゆる点において、私達の味方/益となって、敵を打倒しました。

 これらの全てにおいて、主は、人間達が勝利できるように、人間に力をもたらしました。主は、「あらゆる力が、私に与えられています」(マタイ28:18 KJV)と言っています。そして、これを、主は、自分に就く者すべての人々に与えています。その人々は、世界の人々にその力を披露することができるでしょう。ここに、自我を克服するためのキリストの宗教があります。

 キリストは「私に学びなさい。そして、汝らは、魂に休みを見つけるでしょう」(マタイ11:29 KJV)と言っています。なぜ、私達は、毎日、救い主について学んでいないのですか。なぜ、私達は、私達の互いの繫がりにおいて、私達は礼儀正しく親切に語って行動できるように、主といつも親交をとって生活しないのですか。なぜ、私達は、お互いのために、愛と優しさを現すことによって、主を敬おうとしないのですか。私達が、天の原則と調和した行動をして話すならば、神を信じていない人々は、私達との協力によって、キリストに引かれて行くことでしょう。

 

2.国民性へのキリストの関係

 キリストは、信教や社会層や国民性の違いを認めませんでした。律法学者やパリサイ派は、世界中にいる神の家族の残りの者を締め出すことと、また、天の全ての賜物としての国民性の恩恵と特定の地域を結び付けようとしました。しかし、キリストは、全ての隔ての壁を打ち壊すためにやって来ました。主は、地に新しい命を与える恵みの雨や光、空気のような抑制されていない愛と恵みの贈り物を示すために来ました。

 キリストの生涯は、ユダヤ人と異邦人という宗教ではなく、身分制もない一つの宗教を確立しました。自由人と束縛された人は、神の前では平等で、普通の兄弟姉妹愛で結ばれています。主の宗教運動は方針に問題を起こしませんでした(No question of policy influenced His movements.)。主は、友人と敵、隣人とよそから来た人々に異なった対応をしませんでした。彼の心がアピールした相手の人は、命の水に渇いている一人の魂でした。

 彼は、価値がないように見える人間のそばを通り過ぎずに、全ての魂に癒しの処方を適用しようとしました。彼は自分で仲間を見つけた時はいつでも、時と状況に相応しいレッスン(指導)を提供しました。あらゆる怠慢や無礼は、主の神性な人間性の同情について人間の必要をよく自覚している人々によって彼らの仲間の人々に示されています。主は、その人々を神の子らにしようとして、一つの品性を得させて、罪なく欠点のない者になるように保証をその人々の前において、将来性のない粗野な者に希望を与えようとしました。

 

3.確実な根拠

 使徒ペテロは、こう言っています。「それゆえに、兄弟[姉妹]のみなさん、確実な選びと呼び出しによって知識を与えるためです。汝らがそれらの事柄を行なうならば、汝らはしくじらないでしょう。救い主イエスキリスト、私達の主の永遠の王国に入る恵みは、あなた方に豊かに与えられるでしょう」(ペテロ1:10,11 KJV)

 何年も前、間もなくキリストが来ると信じていた仲間達が、とても少なかった時、メイン州トプシャムの安息日遵守者達がストックブリッジ・ハウランド兄弟の家の調理場兼食堂の大きなキッチンで礼拝をしました。ある安息日の朝、ハウランド兄弟はその場にいませんでした。私達はこのことに驚きました。彼はいつも、とても時間を守っていたからです。間もなく、彼が戻って来た時、神の栄光によって輝き、彼の顔が明るく輝いていました。彼はこう言いました。「兄弟[姉妹]達、私は見つけました。私は、私達が神の言葉が保証すると考えられる行動のコースを追い求めることができるものを見つけました。それは、「汝らは失敗しないでしょう」。私はそれについてあなた方に話そうと思います。

 それから、彼は、ハウランド兄弟とほかの人々の考えと自分自身の考えについて、彼はそうするべきなのに少しも尊敬していなかったと考えていて、貧しい漁師のある兄弟に注意したことを私達に話しました。これは正しい事ではありませんでした。しかし、彼にとって、それは正しい事のように思えていました。数週間、彼はその集会に参加しませんでした。ハウランド兄弟は、自分の家に行って、その人の前にひざまずきました。そして、言いました。「私の兄弟、私を許してください。私は何ということをしたのでしょう。その人は、自分の足もとの彼を立ち上がらせようとして、彼の肩に手を乗せました。「いいえ。あなたは、私に対して、何も思っていないのですか」とハウランド兄弟は言いました。その人は「私はあなたに対して何も思っていません」といいました。ハウランド兄弟は「しかし、あなたは何かを思っていて当然では? なぜなら、かつて、私は、互いに語り合ったものです。しかし、今、あなたは全く私に話をしていません。そして、私は、その内容を知りたいと思っています」と言いました。

 その人は、「立ってください。ハウランド兄弟」と言いました。ハウランド兄弟は「いいえ、ダメです。私は膝をついていなくてはいけません」と言いました。そして、彼は膝をついたまま考え、どんなにか子どもじみていたか、どれほど悪いことだったかを思い出して告白しました。その人は好意を持っていました。その人は「さて、私はそれらを全部忘れてしまいましょう」と言いました。

 ハウランド兄弟がこの話を語った時、彼の顔は主の栄光によって輝きました。彼が語り終えた時、その漁師と家族がやって来ました。そして、私達は素晴らしい集会を持ちました。

 私達のうちの誰かが、ハウランド兄弟がたどったコースに倣うと思っています。私達は「私があなたに何か害していたならば許してください」と言って、私達の兄弟[姉妹]が悪いことを思い返すならば、私達は、それらの誘惑から、私達の兄弟を自由にして、サタンの呪縛を断ち切ることができるでしょう。あなた方とあなた方の兄弟[姉妹]との間に、何者も干渉させてはいけません。それを行なって、疑いのクズをきれいに払うために、犠牲によって行なうことができる何かがあります。神は、私達に、兄弟[姉妹]として互いに愛し合うことを望んでいます。主は、私達に礼儀正しく情け深くいるようにと望んでいます。主は、私達に、キリストが私達を愛していると信じること、私達の兄弟達が私達を愛していると信じること、私達自身を教育することを望んでいます。愛は愛を生んでいます。

 私達は、天で私達の兄弟[姉妹]達と会うことを期待していますか。私達が、この世で、調和して平和のうちに、その人々と生きることができるならば、私達はこの世でその人々と共に生きることができるでしょう。私達が抗争し争い続けることなしに、この世でその人々と生きることができないならば、天でその人々とどのように生きるのでしょうか。仲違いと不一致をもたらし、兄弟[姉妹]達から分かれた行動のコースを取っている人々は、回心を通る必要があります。私達の心は、キリストの愛によって、溶かされて支配される必要があります。私達は、カルバリーの十字架で私達のために死んで示した、主の愛に好意を持つ必要があります。私達は、救い主に一歩一歩引き寄せられるために存在しています。私達は、祈りを多くして、信仰を実践することを学ぶ必要があります。私達は、心がもっと優しくなって、同情深く、礼儀正しくなる必要があります。私達は、この世を通り過ぎますが、一度だけです。キリストの品性の感銘を与えることに協力している私達とこれらの人々に、[キリストの品性の感銘を]残す努力をしないのですか(Shall we not strive to leave on those with whom we associate the impress of the character of Christ?)

 私達の頑な心は打ち砕かれる必要があります。私達は、完全な団結に、共に至る必要があります。また、私達は、ナザレのイエスキリストの犠牲の血によってよって買い取られた者だということに気づく必要があります。お互いに「主は、私のために命を与えました。主は、私のために主自身を与えて証した愛を証するためにこの世界中に出て行くことを私に願っています」と言いましょう。キリストは、十字架で主自身の体によって私達の罪を負いました。神は、彼を信じる人々を義と認めることができて、そしてまた、正義となることができるでしょう。キリストに心を明け渡す人々のために、ここに命が、永遠の命があります。

 私は、その王の品位の美を見たいと願っています。私は、主の限りない魅力を見たいと願っています。私は、あなた方も、主を見上げることを願っています。キリストは、命の水の流れる川のそばに贖われた人々を導くでしょう。また、この世界で悩んでいるすべての人々に説明するでしょう。様々な恵みの未知なことは、その人々の前に開示されることでしょう。そこで、人々の有限な知性の困惑が識別されるだけではなく、目的が挫折していた所で、その人々は、最も完全で美しい調和を見ることでしょう。

 私達は、自分達のあらゆる知性と、全ての能力によって神に仕えましょう。私達の知性は、持っているものを使う時に増すでしょう。私達の宗教体験は、私達が日々の生活の中にもたらす時に強まるでしょう。このように、私達は、神の王国への階段の最後の一段を登りきって天に届くまで、螺旋階段を回りながら登るでしょう。私達は、この世界の中でクリスチャンとなりましょう。その時に、私達は、栄光の王国で永遠の命を持つでしょう。

 

                    

 

 キリストに就く者達の間に存在している団結は、天の父が罪びと達を救うために息子を遣わしたという根拠の一つです。主の力は証の一つです。異なった気性の人間に、共に調和した行動をもたらすのは、神の奇跡的な力だけしかなしえません。彼らの団結は、愛によって真理を語るための存在として意図しています。

 神の警告と勧めは、分かりやすく明瞭です。私達が御言葉を読んで、善意の力を見る時に、団結と分裂がある悪に対抗する力があります。私達は、心に神の言葉を受け入れることにしくじることができますか。疑いと不信は悪のイースト菌のようなものです。団結は真理の力の証を生み出しています。


 

21章 証21 ドイツカンファレンスとスカンジナビアカンファレンス

(訳者加筆。スカンジナビア人は、スウェーデン人、デンマーク人、ノルウェー人、アイスランド人、フェロー人などの北方ゲルマン人のことです)

 

             1905.9.1 カリフォルニア ロマリンダ にて

[1.主は共に働くよう望んでいる]

 親愛なる兄弟のみなさんへ。私達の牧師のある人が、ドイツ人とスカンジナビア人の間の働きは分離した組織のもとで進められるべきではないでしょう、という質問の手紙を私に書いて送ってきました。この内容は、たびたび、私に提示されていました。私が、[ネブラスカ州]カレッジビューにいた時に、主は、私に、伝えるための証を直接与えました。その時以来、その内容は、再度私に提示されました。

 ある時、私は[幻の]、その内容が検討されていたある相談会議の中にいるように思われました。権威のある人が、それらの集まった人々の真ん中に立って、そして、神の働きにおいて従われるべき原則を彼らの前に開示しました。[その時に]与えられた指導はそのような分離が行なわれるべきというものでした。それは、様々な国民性の間で、働きの関心を前進させないでしょう。それは、高い霊的な成長には導かないでしょう。障壁が築かれますが、近い将来にそれは取り除かれる必要があるでしょう。

 神から私に与えられた光によると分離した組織は、団結をもたらす代わりに、不和をつくり出すでしょう。私達の兄弟達が、謙虚な知性で共に主を求めるならば、現在、ドイツカンファレンスとスカンジナビアカンファレンスの分離した組織が必要だと考えている人々は、主が彼らに兄弟として共に働くよう望んでいるということを知ることでしょう。

 神の働きを壊滅させようとしていた人々がいました。自分達の目的を達成するために、ある人は、行なわれるべきでない一つの働きをするために自分を誇張して言うでしょう。そのような主張は、神の目的を大きく妨げるでしょう。私達が、その働きを最もうまく進めるために存在しているならば、アメリカ人とイギリス人の間で見られるような才能は、ほかの国民性について、すべての人々の才能と団結される必要があります。そして、互いの国民性はほかの全ての国民性のために熱心に労する必要があります。一人だけの主、一つだけの信仰があります。私達の努力は、一つになるべき人々、主の弟子達のために、キリストの祈りに応えるために存在している必要があります。

 「そなたの真理を通して、彼らを清めてください。そなたの言葉は真実です。そなたがこの世界に私を遣わしたように、私も彼らをこの世界に遣わしました。彼らのために私が自分自身を聖別するように、彼らもまた真理を通して聖別されるでしょう。彼らがみな一つになるように、私は彼らのためだけではなく、それらの言葉を通して私を信じる人々のために祈ります。そなた、父が私の中におり、私がそなたの中にいるように、彼らもまた私達の中で一つになるでしょう。この世界の人々は、そなたが私を遣わしたことを信じるでしょう」(ヨハネ17:17-21 KJV)。労する人々の間の団結は神の働きをうまく達成する必要があるということを理解するでしょう。平和を維持するために、全ての人は、偉大な教師から知恵を求める必要があります。みんなで、意見の相違をつくる野心的な主張を持ち込む人々に注意深くしましょう。

 私達は、ほかの人の一つの目標となるために存在しています。自身の中に、完全な健全さがある人はいません。知性と意思を聖霊に従わせることを通して、私達はいつまでも偉大な教師について学ぶために存在しています。

 使徒の働き(使徒言行録)2章を研究してください。初代教会において、神の聖霊は、調和して団結していた人々を通して力強く働きました。ペンテコステの日に、その人々はみな、一カ所で調和して一つになっていました。

 私達はこの世界の人々に、キリストイエスの中ですべての国民性が一つであるということを表すために存在しています。その時、私達はすべての障壁を取り除き、主への奉仕において団結しましょう。

 国民性の障壁を設けることによって、あなた方は神が支持することができなかった人間が考案した計画を世界の人々に提示しました。このことをしている人々に、使徒パウロはこう言っています。「汝らはまだ世俗的です。あなた方の間に羨望と論争、分派があるという事実から見ると、汝らは世俗的ではありませんか。……それから、パウロは何者ですか。アポロは誰ですか。それとも、主がすべての人々に与え、汝らが信じた牧師/奉仕の働き人ですか。私は植えました。アポロは水を注ぎました。しかし、神が茂らせました。そのように、植える人もたいした者ではないし、水を灌ぐ人も大した者ではありません。茂らせたのは神です。さて、植えた人も、水を注いだ人も、一人です。すべての人は、その人自身の労によって自分自身の報酬を受け取るでしょう。なぜなら、私達は神と共に労する者だからです。汝らは神の家司です。汝らは神が構築する体格だからです」(1コリント3:3-9 KJV)

 

2.兄弟[姉妹]のような親切の例

 私達のスカンジナビアの兄弟[姉妹]達が直面していた財政危機の時、私達は、兄弟[姉妹]が世の中の人の前に支払い能力のない人として立つことを許されるべきではないという証が与えられました。それは、神が冒瀆されることでした。私達アメリカの兄弟[姉妹]達の素早い気前の良い行動は、神の働きにおいて、ほかの人を支援するために自分達の義務を放棄することができないという国民性の違いについて自認するものの一つでした。「汝らはみな、兄弟[姉妹]です」(マタイ23:8)。私達はその真理の団結によって一つです。

 私達は、今、真理の聖別を通して、精神/霊の団結によって、自己犠牲の努力、勤勉によって、キリストの愛によって歩むための努力をする必要があります。中途半端な働きでは、キリストの祈りが与えた説明をまったく満たしていないでしょう。私達はこの世にいて、天の原則を実践するために存在しています。天において、そこには、壮大な集会の場所があります。

 私は、神の働きの中に、仕切りの壁を築き上げることについて、分かりやすく書く必要があります。人間な考案した誤った考えのような、私に示された活動のようなものです。分派した仲間達に彼らを分けることは、国民性と言語の違いのゆえに、主の人々()のための主の計画ではありません。彼らは、このことをしたので、彼らの考えは、狭くなったでしょう。そして、彼らの影響力は大きく減少しました。神は、様々な才能のある人が混ざって調和するよう呼び掛けています。

 私は、キリストの言葉をもう一度繰り返します。私はあなた方の知性に深くそれらを印象付けたいと思います。

 「その人々がみな一つになるように、私は彼らのためだけではなく、それらの言葉を通して私を信じる人々のために祈ります。そなた、父が私の中におり、私がそなたの中にいるように、その人々もまた私達の中で一つになるでしょう。この世界の人々は、そなたが私を遣わしたことを信じるでしょう。そなたが私に与えた栄光を、私はその人々に与えました。私達が一つであるように、その人々は一つになるでしょう。私がその人々の中にいて、そなたが私の中にいます。その人々は一つとなって、完全にされるでしょう。世界の人々は、そなたが私を愛していたこと、彼らを愛していたこと、そなたが私を遣わしたことを知ることでしょう。」(ヨハネ17:20-23 KJV)

 キリストは、主の人々()を世界の人々から生け垣で囲って保護しました。しかし、それらの人々は国民性の分離を築き上げ、主イエスキリストが奨励しなかった働きをしたでしょう。

 兄弟[姉妹]のみなさん、一つになりましょう。互いに引き合いましょう。あらゆる人間の考案物を捨てて、あなた方の偉大な模範、イエスの足跡にしっかりと就いて行きましょう。


 

第6部 有色人の間で Colored People [10]

「だから、汝らは収穫の主に祈りなさい。主は、主の収穫作業に働き人達を送るでしょう」(マタイ9:38 KJV

 

 

22章 証22 有色人のための働き人の呼び出し

 

 

[1.アメリカ南部での伝道の働き]

 最も徹底的な努力が、北アメリカ南部諸州において、伝道者としての働き人として、有色の男性・女性達を教育し訓練のためになされる必要があります。有色人クリスチャン学生は、自身の人種に真理を伝える備えをされる必要があります。学生達の知恵の始まりとして主を畏れていて、体験のある人々の勧めを心に留めている人々は、現在の真理を自分達自身の人々に伝えることによって、黒色人種(the Negro race;ニグロは差別語)に大いなる祝福となることができます。兄弟[姉妹]達と調和して謙虚に労しているあらゆる働き人達は、現在、未知に対する不安や[霊的な]無知の闇にいる多くの人々の光のチャンネルとなるでしょう。

 その人々が、白人white people のために労することに相応しいとされないかどうか迷う代わりに、私達の有色人の兄弟・姉妹達を有色人の間で伝道の働きのために、自分達を献身させましょう。知的な有色人の男性・女性達が自分達自身の人々に労して働く多くの余地があります。大量の働きが、南部地域で行なわれるために残っています。特別な努力が、大都市の中でなされるために存在しています。これらの都市では、憐れみの最後の警告メッセージが与えられなければならない何千という多くの有色人が住んでいます。私達の有色の教会メンバーの心に伝道の精神/霊を目覚めさせましょう。真理を知らない人々のために、行なわれる働きを熱心にしましょう。

 私は、有色の兄弟・姉妹達に、今の状況をみてください、と言おうと思います。自分に問いかけてください。「その状況を見て、優位な自分に相応しい自分の主の恩義にどれほどのことをしているだろうか。主の栄光のために、私の(人々)民の関心を促すために自分はどれくらい最善を尽くせるだろうか。神が喜ぶように、私に与えられた知識の強みをどれくらい利用できるだろうか。私は、自分の(人々)民に自分の聖書を開かず真理を教えないでいいのだろうか。主が手段として利用できるように、自分自身を神に屈服させるならば、救うことができる人々、知識の欠如のために何千もの滅びている人々がいないのだろうか。不当に圧迫され落胆させられている自分の仲間達のために、自分は行なう働きを持っていないのだろうか」。

 [北アメリカの]南部の伝道地は、働き人達を許しています。滅びている人々を救うために心を低くして、彼らを助ける努力して、あなた方の民のそばを通り過ぎないでくださいませんか。あなた方が神の前に自分自身を謙虚にするならば、あなた方に行なう働きがあります。神を信頼してください。あなた方は、平和と慰めを見つけるでしょう。しかし、自分自身の道と自分の意思に歩むならば、あなた方はイバラやアザミを見つけるでしょう。あなた方は報いを失うでしょう。

 時は短いです。あなた方はすぐに行なう必要があります。その時を償うことを決心してください。あなた方自身の楽しみを求めないでください。自分自身を目覚めさせてください。心に新たな目的の働きを定着させてください。主は、あなた方の前にその道を開くでしょう。すべての人が、力を求めて主に信頼して、謙虚と従順によってキリストの働き人として働くことができるようにしましょう。主はあなた方が行なうように与えた働きを理解してください。あなた方は、恵みから恵みに、力から力に進むことが可能とされるでしょう。あなた方は、誰も働けなくなる[霊的な]夜が来る[ヨハネ9:4]ので、終末の日までの間にあなた方の人々()のために、精を出して働くことができるでしょう。

 [北アメリカ]南部での伝道のあらゆる働きの種類において、大いなる必要があります。先延ばしすることなく、働き人達はこの伝道地のために用意される必要があります。私達の[教会]人々は、健康を危険にさらすことなく、そこで働くことができて、気候に慣れている人で、南部諸州で男性と女性達を教育する人々のために基金を備える必要があります。

 若い男性と若い女性達は、教師となるために教育されるという約束をしましょう。その人々は、とても素晴らしい優位性を持っているでしょう。学校の建物と集会所の建物が別々の所に建てられて、教師達が働くでしょう。可能な限り、それらの学校は都市の郊外に設立される必要があります。

 有色の人々を助けるために数年間働いた人々は、そのような学校の開設に関して勧めを与えることにとても相応しくなっています。それらの人々の益のために、それらの学校は地方の学校と同じく都市にも開設される必要があります。都市の中には、都市から離れた学校に通うことができない子ども達がいます。それらの子ども達の益のために、学校は、地方と同じく都市の中にも開設される必要があります。

 それらの学校の青年達と子ども達は、単に読み方を習う以上に、何かを教えられるために存在しています。産業の仕事に従事する人は訓練されるために存在しています。その学生達は、自分自身を支えることができるような商売や手仕事を学ぶための設備を与えられる必要があります。

 南部にある教会と同じく、北部にある私達の教会は、有色人の子ども達のための学校の働きを支えて援けるためにできることを行なう必要があります。すでに設立された学校は、信仰深く忠実に維持されるでしょう。新しく設立された学校は、基金が加えられることを求めているでしょう。私達の兄弟姉妹達は、生徒数の多い地域の学校のために、心から自分達の分を果たしましょう。

 この地域の学校の働きに繫がることに加えて、私達の有色の兄弟[姉妹]達は、自身の人々()の間で、伝道のための安息日学校と日曜学校を設けることで、良い働きをすることができるでしょう。その学校で、青年達は、魂のために、心が愛によって満たされている教師達によって教えられるでしょう。

 様々な機会が南部諸州に住んでいる人々に提示され続けています。そして、賢明な、クリスチャン有色の人々は、その働きに招かれているでしょう。しかし、いくつかの理由のために、白人達はリーダーとして選ばれる必要があります。私達はみな、一つの体/教会に属するメンバーで、神の人々()を品位が落とされた罪の低いレベルから高く掲げ、また、神と共に働く者達として、天の法廷で認められる場所に彼らを置く、キリストイエスにいる時だけ完全でしょう。

 多くの困難な場所で、行なわれるための働きがあります。また、それらの困難な場所の外で輝いて活躍する働き人達がやって来るために存在しています。その働きは、有色の人々が自身の人種の人々のために働きを教育されるように管理されるようにしましょう。黒人の間では、才能や能力を持った多くの人々がいます。私達は、それらの男性と女性を探し出して、魂を救う働きに繫がる方法を教えましょう。神は、それらの人々と共に働くでしょう。そして、彼らに勝利を与えるでしょう。

 

2.神と共に働く者達

 主の耳は、主への奉仕に当たっている人々の叫びに開かれています。主は約束しました。「私の目を注いで汝らを導くでしょう」(詩編32:8 KJV)。神と共に謙虚に歩んで、そして、あなた方のコースの明白な義務を果たすよう求めましょう。人が、主の代表として語る時、また、主と共に働く者となることを求める時、その人々は、イエスがナザレの会堂で立ち上がって読んだ時の主の働きと同じような種類の働きを行なうでしょう。主は、預言者イザヤの書を開いて読みました。「主は、柔和な者に良い便りを伝えるために私に油を注いだので、主の霊/精神が私に存在しています。主は、束縛されて心を痛めている人のために、捕らわれ人に解放を宣言するために、束縛されて捕らわれた人々の解放のため、私を遣わしました」(イザヤ61:1 KJV)

 真理は、今、世界中の人々に、流布され誤った疑念の雲によって、暗闇を投げかけられています。キリストに彼らを勝ち取ることができて、最も謙虚な影響を与えることができる人は、失われている人を救おうとしている神性の働き人と協力しています。罪びとに示して、個人的に罪を赦す救い主によって、私達は、信仰によってキリストの手を捉えて、罪に落ちた人の手を握るためにキリストの愛と同情の手を差し伸べています。私達は、救い主と罪びと達との間を繋ぐ一つの環を形成しています。

 [世界の]終末は近くにあります。すべての魂は、今、キリストイエスと共に、柔和に、謙虚に、慎重に歩むために存在しています。世界の人々へ真理を放っているあらゆる光の筋、私達の貴い救い主は、助けがない人の息子や私達の魅力的な人々に信頼を置かず、主に完全に信頼することを私達に望んでいます。主は「私を離れて、汝らは[神性に関して]何もすることができません」(ヨハネ15:5 KJV)と言っています。私達は、気高く美しいイメージの感銘を与えようとしているイエスをいつも見ている必要があります。私達は、世界中の人々の罪を取り除く神の子羊を見上げるために存在しています。その時、私達は、私達に就いてくる人々にキリストを現すでしょう。


 

23章 証23 敵対する人種のいる場所での真理の宣布

 

 

[1.白人信徒と有色人信徒は分かれた場所で礼拝]

 私は、有色の人々の間における働きのために、重荷を、とても重い負担を感じていました。福音は、しいたげられた黒人にも提示されるために存在しています。ですから、この人々の社会的地位を高める努力を示すよう、強く戒められる必要があるでしょう。白人の間に多くの場所で、黒人に対する強い偏見が存在しています。私達はこの偏見を無視しようとしているでしょう。しかし、私達はそれができません。私達はこの偏見が存在していなかったかのように活動するために存在していたならば、私達は、白人の前にあった光を得ることができなかったでしょう。私達は、それが賢明に知的に扱われて、それが存在していたように、その状況に向き合う必要があります。

 何年も前から、私は、黒色人種 the Negro raceの味方/益として、重荷を負っていました。私の心は、多くのセブンスデー アドベンチスト達が、すぐになされるためにある熱心な働きの必要を理解できないように思えた時に、また、この人種に反対する考えが段々と強くなっていくのを見た時に痛みました。最近、奴隷にされた人種の人々を助けるためになされた小さい出来事を見て、数年が瞬く間に過ぎているように思えました。

 その働きに加わる困難さの一つは、白人の多くが、黒人の社会的地位を高める特別な努力がなされるべき数多くの有色人がいる所に住んでいることです。白人が、黒人のために設立された諸学校を見る時、また、掘っ立て小屋に住み続けるのではなく居心地の良い家を提供し、商売や手仕事のため、自分を支えるために教えられている黒人を見る時に、白人達は、自己中心的な計画[では利害]が衝突する、つまり、白人は、もはや黒人をスズメの涙ほどの僅かな手当てで雇うことができず、そして、黒人の敵対心が呼び起こされている、という可能性を知るでしょう。黒人は、自分達が不当に扱われ、虐待されていると感じています。

 ある人は、奴隷制がまったく廃止されなかったかのように行動しています。この精神は、世界中の人々を引き擦り込んで、神の精神として強く発展しています。そして、多くの場所で、過去数年来、有色人のために行なわれた働きを、現在、行なうことが不可能になっています。(訳者加筆。合衆国憲法によって黒人の人権が保証されたのは1896年です。インディアンの権利保障は1924年でした)

 奴隷の解放の後すぐに、自由民とされた人々の益として十分な努力がキリスト教会と政府によって尽くされていたならば、多くのことがアメリカ人によって成し遂げられていたことでしょう。その時に、助けを非常に必要としていた黒人の教育とケアのために、資金が気前よく使われる必要がありました。しかし、この国の政府は、僅かの努力の後、黒人を困難の重荷と共に、救済なしに、苦しい生活の中に放置しました。教勢の強いあるキリスト教会は良い働きを始めましたが、残念ながら、ほんの僅かの達成に失敗しました。そして、セブンスデー アドベンチスト教会は、その分を担うことに失敗しました。いくつかの忍耐強い努力が、個人々々と団体によって有色の人々を社会的に高めるためになされました。そして、貴い働きがなされました。わずかの人々が、すべての[]人に同情して助けようとしてこの働きの一部を担いました。

 貴い努力が、セブンスデー アドベンチスト達によって、有色人のためになされる必要のある働きをするようになされました。この働きに繫がった人々はみんなで、兄弟[姉妹]達が自分達の奉仕の働きを協力して受け入れていたならば、その働きの成果は今、それがあるものと内容が違ったものになっていたことでしょう。僅かな人々が、困難な伝道地で最も必要だった働きを前進させることに奮闘していた時、私達の大半の牧師達は協力しませんでした。

 進める時と反対する力、様々な状況は、行動の自由が勇敢さの良い一部であることを私達に警告しています。思慮に欠ける行動が有色人のためになされる働きの中にあったならば、それは、警告が与えられなかったからではありません。オーストラリアから(訳者加筆。E.ホワイトが1891年から1900年まで滞在していた時に書いたものでしょう)、太平洋の大海を渡って、すべての社会的な運動は守られる必要があるという数々の警告が送られました。その働き人達は政策的発言をしないように存在していました。社会的平等としての白人と黒人の混在は、奨励される意味がありませんでした。

 [オーストラリア]ヴィクトリア州メルボルン市近郊のアルマダレで1895年に持たれた相談会議において、私は、私の兄弟[姉妹]達の質問に答えてこれらの問題について話しました。そして、注意の必要を強く述べました。私は、生きている人々を危険にさらすことなく、未来において言い表すことができない有色の人々のために、伝道前線に沿って行なわれることについて、言い表されるだろう感情の混じった意見と、危難の時はやって来たと、話しました。私は、有色の人々のためになされた働きが、数年前に、町の地域で従事している人と違う内容を伝えられていたということをわかりやすく話しました。

 有色の働き人について語ることは、可能な限り少なくしましょう。有色の人々は、第一に、自身の人種の人々のために働きましょう。

 白人と有色の人々が、同一の建物内で礼拝することについて、これは、両派に――特に南部では、益する一般的な慣習として見習うことができません。最善なことは、自分達によって自分の賛美をすることができる自身の礼拝の場所で、真理を受け入れる有色の人々に提供されるようになることでしょう。白人が深刻な妨害なしに礼拝を行なうために、これは南部で特に必要です。

 有色の信徒達がきちんとした、審美眼のある礼拝の家を提供されるようにしましょう。これは、彼らが黒人で、真理の進展を前進させるためという理由で、白人の礼拝から彼らを締め出さないとされたことが示されるようにしましょう。この計画は、主が良い方法だと私達に示すまで、倣われるために存在しています。

 有色の信徒達の能力と体験は、一般的という意味ではない能力を持っている人で、主が光と知識を与えた働き人達によって、自分自身の人々()の奉仕に導くよう励まされる必要があります。その人々は、あらゆる効果的な方法で、辛抱強く労するために存在しています。その人々は、会場での集会や、天と集会や、私達の文書を活用するために存在しています。そして、時には(差し支えない所では)白人牧師が彼らを助けることでしょう。特別な努力が、有色人の働き人達の力を増すことがなされるでしょう。有色の人々は、自身の人々の間でテント集会を開くこと、聖書を読んで教えることを訓練され教育されるために存在しています。この働きのために用意されているような能力を持った多くの人々がいます。

 私達は、有色の人々のために学校を設立する深い関心を持たされる必要があります。世間の人々によって設立された有色の人々のための大きなカレッジの学生達と教師達の前で、現在の真理の位置の重要性を見逃してはいけません。

 有色の人々のための学校とサナトリウムは、設立される必要があります。これらの人々の中で、有色の青年達は、働くことができる最良の教師達によって、教えられ訓練される必要があります。

 有色の牧師達は、この時代のための真理を理解するために自身の人々を助けるために可能なあらゆる努力をするでしょう。時代が進むにつれて、人種の偏見が増しています。それは、多くの場所で、有色の人々のために労する白人の働き人達に、ほとんど不可能になるでしょう。時々、私達の働きに共感しない白人達は、それに反対する有色の人々と団結しないでしょう。私達の教えが、安息日の問題に悩みをもたらして、教会を崩壊させる力として存在しています。白人牧師と有色人牧師は、彼らが破壊や殺人を備える敵対心のような感じをその人々の知性に湧き起こして間違った説明をするでしょう。

 生き地獄のような力が、有色の人々の間で最後の憐れみのメッセージの宣布を妨げるために発明の才と共に働いています。サタンは、福音の牧師と教師が白人と有色人の間に存在している偏見を取り払うのを困難にするために働いています。

 私達は、知恵の進路に倣って進みましょう。私達は不必要な反対が湧き起こるようなことをしないようにしましょう。福音メッセージの宣布を妨げるようなことをしないようにしましょう。慣習によって求められる所では、また、大きな成果が得られるように存在している所では、白人信徒と有色人信徒はみな、分かれた場所で礼拝しましょう。私達はキリストの柔和を育てましょう。主は、神のひとり息子、天の権威者でした。また、「神は世界中の人々を愛したので、ひとり子を与えました。彼を信じる人はだれでも滅びないで、永遠の命を得るでしょう」(ヨハネ3:16 KJV)

 滅んでいる世界中の人々を救うために、不名誉な死に、一人息子を苦悩に引き渡してへりくだった神は、主に仕える伝道者達が罪の深みにいる人々を助けて、自分達の力で真理は何かということ、[霊的な]無知の闇の中にいる人々に光/知識を与えること、また、魂を勝ち取る努力をすることを快く思わないのではないでしょうか。キリストは、自分の神性に人間性を着ました。主は、降りてきて罪に陥った人間を高めるでしょう。主に就く者達は、主のために、助けを大いに必要としている人々を助けるために、負わされる悲しみと多くの不正に快く従わないのではないでしょうか。その働きは、真理への入り口が今開いている扉を閉じるような偏見が湧き上がらない方法で行なわれるようにしましょう。

 有色の信徒の間で才能のある人々は、自分達の人々()のために神と共に労する者となるために存在しています。多くのたくさんの魂達に伝えるような、大きな集会とテント集会でその人々に証を伝えるための機会があるでしょう。それらの機会は、南部の伝道地で行なわれ大いなる叫びがなされる時に現れるでしょう。神の聖霊が注がれる時、人間の魂の救いを求める偏見に、人間性が勝利することでしょう。神は、人間の知性を支配しているでしょう。人間の心は、キリストが愛したように、愛しているでしょう。有色の人々the color lineは、現在、考えられている多くの異なった方法で考えられるでしょう。キリストが愛しているように愛することは、天の清い私心のない雰囲気に知性を引き上げるでしょう。

 キリストに親しく繋がれた人は、見捨てられた人や有色人への偏見を克服されています。その人の信仰は、永遠の現実を捉えています。神性の真理の創始者は、高められるために存在しています。私達の心は、愛によって働いていて魂を清めている信仰に満たされるために存在しています。良きサマリヤ人の働きは、私達が見習うために存在している手本です。

 私達は、このように偏見を湧き起こして危機をもたらして、有色の人々the color lineの問題を扇動するために存在しているのではありません。第三天使のメッセージの光は、光を必要としている人々に与えられるために存在しています。私達は、自分達の先輩の兄弟達を信頼し忠実に冷静に穏やかに労するために存在しています。私達は、白人と有色の人々の間を管理される関係について、未来に求められる進路を除いて、明らかにすることを急ぐようにするために存在していません。この時代のための真理は、南部諸州の何千という多くの人々の前に宣布されるために存在しています。その道は、あらゆる障害があっても可能な限り明瞭にされるように存在しています。福音メッセージがその人々に伝えられるようにしましょう。白人と有色の人々は、明確な一線を引いて、分かれて労するようにしましょう。主が安息の配慮をするようにしましょう。その真理は、南部諸州の白人男性と女性の前に来る必要があります。その時、そこには、多くの魂を救いに導くという、彼らの家族になされる一つの働きがあるでしょう。

 

2.あらゆる知恵と分別によって

 人々が、有色人の問題を鎮めようとしている間に、時は過ぎて去って、魂達は、警告されず救われずに墓に下っていました。この状態を続けることを見逃せません。男性達・女性達は、働きに出かけましょう。そして、神の聖霊が人々の知性に感銘を与えるようにして、人々を働き人にしましょう。私達は、有色の信徒達の才能、あらゆる人々の小さな才能をこの働きで必要としています。有色の人達を、自分自身の人々()のための働き人にしましょう。そして、必要な状況に白人の働き人が支えるようにしましょう。その人々は、しばしば、勧めやアドバイスを必要としています。有色の信徒達は、自分達の礼拝の場所を持ちましょう。また、白人の信徒達は自分達の礼拝の場所を持ちましょう。それぞれの仲間は、できる時はいつでもどこでも、有色の人々のために、また、自身の人々のための真の伝道の働きをすることに熱心になりましょう。

 その真理がある場所で提示された時、聞いて信じた多くの白人の人々も、その真理を受け入れました。様々な機会が、有色の人々のために白人の働き人達によって、冷静に人目に付かない方法で、行なわれる努力として現れるでしょう。そのような機会が見逃されてはいけません。

 しかし、私達は、白人への第三天使のメッセージの宣布に反対して道を閉ざすような不必要な偏見を湧き起こしてはいけません。その人々はこのメッセージを必要としています。それは、国がかつてあった時以来なかったような悩みの時が私達の前にあるからです。

 白人に反対して、有色の人々の感情を怒らせるような行動や言葉がないという大いなる配慮がされて当然です。既に存在している困難をさらに酷くしないようにしましょう。しかしながら、賢明な働き人達は労しています。その人々は、有色の人々the color lineをめぐって扇動を起こすことなく、立ち向かう機会があるでしょう。私達は、王の大路を綺麗にしましょう。神が働くチャンスにしましょう。人々が主の道を守るようにしましょう。主は、可能な限り、人間に最善の管理と計画を持っているでしょう。私達は、自分達の最初の偉大な働きは、聖書の警告を伝え、神の言葉を教えるために存在している、ということを覚えておきましょう。

 主は、全ての人々に、謙虚な知性によって、その働きを担うよう呼び掛けています。牧師達みながその真理を通して清められていません。主は、自分達の闘いに従事するよう全ての人々に呼び掛けています。偏見と敵意を持っている人種の住んでいる困難な伝道地に入る最後の希望を断とうしている人々は、行ないに気を付けましょう。

 知性に近づいて偏見を克服する手段としてその真理がまだ宣布されなかった多くの場所で、一カ所や二カ所だけではなく、医療伝道の働きは行なわれる必要があります。私達は、人々に救いのメッセージを伝えることによって、罪の病のある魂を癒すために、福音医療伝道者として働くために存在しています。この働きは、何もできないように、偏見を打ち砕くでしょう。

 

3.安息日

 安息日の問題は、それを提示する時に厚い配慮と知恵が求められるものの一つです。たくさんの恵みと神の力が、間違った安息日の姿を立たせられていた偶像を捨て去る時に必要になるでしょう。その標準を掲げましょう。高く、もっと高くそれ(安息日)を掲げましょう。出エジプト記20章を、記録されている神の律法を人々に示しましょう。十戒は、私達の造物主への私達の義務を要約しています。自分の神に嘘をついている人は、自分の隣人に誠実にすることができないでしょう。神を愛している人は、自分自身のように隣人を最高に愛しているでしょう。プライドは、自分自身を一人の神にして、人間の働き人達を導いて、それ自身がうぬぼれを掲げています。キリストの福音は、自己愛を放逐して魂を清めています。

 「安息日の聖を守るために、それを覚えていましょう」(出エジプト28:8 KJV)。神がこの世界を創造した後で、安息日はエデンで設立されました。「このように、諸天とこの地球、その中のあらゆる生物は完成されました。第7日に神は、創造という自分の働きを終えました。神は、創造したという全ての働きから第7日に休みました。そして、神は、第7日を祝福し、聖別しました。なぜなら、その中で、神は、創造したすべての働きから休んだからです」(創世記2:1-3 KJV)

 「そして、主はモーセに言いました。汝はイスラエルの子らに言いましょう。本当に、汝らは私の安息日を守るでしょう。それは私と汝ら、汝らの代々の子孫の間のしるしです。汝らは、私が主であることと、汝らを清めることを知るでしょう。汝らは安息日を守るでしょう。それゆえ、それはあなた方に聖なるものなので、それを汚す者はすべて確かに死に処せられるでしょう。その日に何かの働きを行なう者は誰でも、その魂は自分の人々()の間から断たれるでしょう。6日間は働きが行なわれるでしょう。しかし、第7日目は、主のための聖なる休みの安息日なので、安息日に何かの働きをする人は誰でも、確かに、死に処せられるでしょう。それゆえに、イスラエルの子らは、永続する契約のために、子々孫々、安息日を守るために、安息日を守るでしょう」(出エジプト31:12-16 KJV)。        1908.10.19


 

24章 証24 有色人のライン The color line

 

 

[1.有色人の問題は残ることが許されるでしょう]

 私は、アメリカ南部諸州の有色の人々に関して言及するために、また、私達がその人々を支援するということに関連して、いくつかの内容を持っています。その人々はとても長く奴隷制の呪いのもとに置かれていました。それは、その人々が現在どのように待遇を受ける必要があるかを知ることが困難な問題でした。

 神の働き人達が、主の霊/精神が自分に働くように任せる時、多くの人々は、魂の救いが成し遂げられるでしょう。主は私達の助け手です。私達が主を信頼しているならば、主はあらゆる問題において私達をガイドするでしょう。一つのことは確かです。私達は神に信仰――主が私達に良い働きのできる方法で様々な問題を整理するという信仰――を持っている必要があります。神に無益な信頼を置いた人は一人もいません。主は、主自身に信頼を置く人を失望させないでしょう。

 私達は、有色人the color lineの問題をめぐっての争いに加わることを避けるために存在しています。この問題が酷く扇動されると、調整のための多くの貴重な時間を費やすような困難が湧き上がるでしょう。私達は、この問題を扱う上で模範となる明確なラインを捨てることができません。違う場所で、様々な状況の下で、その問題はそれぞれに論じられる必要があるでしょう。南部において人種の偏見がとても強くて、私達が真理の提示を何もしない所では、北部のある所ではそれを扱うことができる時に、有色人the color lineの問題を扱うために存在しています。南部にいる白人の働き人達は、白人の人々に近づくことできる方法で動いて当然でしょう。

 有色人the color lineの研究に知性を求めることは、サタンの計画です。彼の示唆に注意が払われたならば、ひどい混乱と意見の相違となるでしょう。有色人々に相応しい立場を明らかにする能力を持っている人はいないでしょう。人々は、理論を推し進めるでしょう。しかし、私は、あなた方に、人間の理論に従うことを私達のために行なわないように勧めています。可能な限りにおいて、有色人the color lineの問題は残ることが許されるでしょう。南部の諸都市は働かれるために存在しています。そして、良い才能によるこの働きは、先延ばしされることなく確保されるために存在しています。白人の働き人達は、現在の真理を明確に宣布して、白人の人達のための働きをするようにしましょう。その働き人達は、社会層の上の人々に伝えることが開かれていることを見出すでしょう。この層に伝えるあらゆる機会は改善されるために存在しています。

 有色の働き人達は、自分自身の人々のために熱心に働いて、胸を張ることができることをしています。有色の信徒達の間では、明確なラインによって、その真理を提示して自分自身の人々のために効果的に働くことができる才能のある人々がいたことを、私は神に感謝しています。そこには、貴い才能を持った多くの有色の人々がいます。私達の有色の働き人達が、その伝道地の人々のためにほかの働き人達と学校のために教師達を教育・訓練する方法を考案する知恵があるならば、その人々は、真理を受け入れて回心することでしょう。

 有色の人々は、白人の人々と同じ場所に置かれることを主張しないでしょう。その二つの人種の関係は、扱いが困難な問題を孕んでいました。私は、それが最も悩ましい問題としていつまでも残るだろうと恐れています。可能な限り、全てのことは、避けられるべきで、白人の人々に属する人種偏見を掻き立てるでしょう。南部のある地域では、私達の白人の働き人達が働きをすることができなくなるように、扉が閉じられる危険性があります。

 私達が、有色の人々の好みや優先権とその考えに向き合うことを許すならば、私達は、完全に断たれた自分達の道を見つけるでしょう。この時代の人々のための真理の宣布の働きは、黒色人種 the Negro raceの立場を調整する努力によって妨げられるために存在しているのではありません。私達は、行なわれたような、神が望んでいる働きを妨げる山々のような障壁が湧き上がることを知って、このこと[真理の宣布]をするよう試みる必要があります。私達が、思慮深く冷静に動き、神が表す方法によって働きをするならば、白人と有色の人々の両者が私達の働きによって益を受けることでしょう。

 働きのために、どこにも偏見はなかったような時は、私達に訪れませんでした。キリストは「それゆえに、汝らはヘビのように賢く、ハトのように悪意のない者になりなさい」(マタイ10:16 KJV)と言いました。あなた方が確かなことを行なって、行ないのための完全な義を持っていると見るならば、あなた方は、それらの事柄を行なうことを抑えて、神の働きの前進を妨げています。真理に反対するようにほかの人々の知性を閉ざすことをしてはいけません。そこには、奴隷にされた人々に一つの世界があって、私達は、助けようとしている人々の鎖を切っても、得るものがないでしょう。すべての者達は法を守るようになるでしょう。しかし、全ての者達が足かせを外されるのではありません。

 賢明な進路が最善です。働き人達が神と協力している時、私達は、主のために最も成し遂げることができる方法で働くために存在しています。極端に行かないようにしましょう。私達は、解決するための困難な問題を持っているので、天上からの知恵を必要としています。早まった動きが今行なわれると、多大な損害が発生するでしょう。人々が最善の方針は黒色人種に向けられていないと考えているので、聖書の健全な教理の原則を捨てる人に拒絶されていて、その問題は、キリストのために真理に堅く信頼する本当に回心した有色の人々に、そのような方法で提示されるために存在しています。

 私達はキリストの足もとで学ぶ者達として座っている必要があります。主は神の意図を私達に教えているでしょう。私達は南部の伝道地で有色の人々と白人の人々のための働く方法を知るでしょう。私達は、主の聖霊が可能な限り最小に有色人の問題を指示して論じる時に、行動するために存在しています。私達は、南部のあらゆる社会層の人々に、最後の福音メッセージを提示するためにあらゆるエネルギーを利用する必要があります。私達が、神の聖霊によって導かれて支配される時、私達は、この問題は私達の[教会の]人々の知性にそれ自身が調整するだろうということを見つけるでしょう。

 個人個人が主を求めましょう。過去に宗教体験が表面的だった人々は、神を近くに引き寄せましょう。悔い改めて、悔い改めて、そして、回心することによって、あなた方の罪は消し去られるでしょう。

 私達が、熱心な働きが定着するように整えられる時、私達は、この働きに含まれている問題を今扱っている以上にうまく取り扱うことができるでしょう。信徒はみな、なされるために存在している福音伝道の働きのために用意されている方法に最善を尽くしましょう。しかし、論争に入る人はいないようにしましょう。クリスチャン達の間で論争に就き続けるのは、サタンの目的です。盗人が夜の間に来るように、人々は、主の日が訪れるのを見張っていないことを、彼は知っています。私達は、今、キリストから私達を引き離して判断を惑わせるという、気に入りの偏見と敵の精神に場所を与えている時間がありません。

 有色の人々の間で行なわれるために必要なことは、行なうための忍耐強い努力、資金と熱心さを注ぐことでしょう。すべての人々は、自分の罪を告白して断って、兄弟[姉妹]達と調和して働きをして、自分の場所と状態で立つ必要があります。神の働き人達は、神の意図を主の言葉で実現すると信じて、聖霊が授けられることを祈って、一つの心、一つの知性になるために存在しています。

 

2.キリストの働きからの教訓

 一つの状況で、キリストが癒しと教えをする働きの最中に、集まった仲間の一人が彼のそばで、「先生、私の兄弟に、彼が相続財産を私に分けるように、話をしてください」(ルカ12:13 KJV)と言いました。

 その男性はキリストの素晴らしい奇跡を目撃していました。彼は、主にもたらされたケースに対する見解の公正さ、主の澄んだ理解力、主の優れた判断力に驚かされていました。彼は、主の、厳粛なファリサイ派と律法学者への公然の非難、キリストの人を動かすアピールを聞きました。そのような命令のような言葉が、この男性の兄弟に語られたならば、この男性は自分の相続分を悩ましていた人の求めを敢えて断らなかったでしょう。彼は、キリストの影響力を自分の側に請い求めました。「私の兄弟に、彼が相続財産を私に分けるように、話をしてください」。

 主の聖霊は、道徳的に腐らず汚れずに、その遺産の相続人になるように、この男性に請い願っていました。彼は、キリストの力の根拠を目の当たりにしました。今、彼の心の中の最も強い願いを言葉にして、偉大な教師に話すための機会が彼にありました。しかし、バンヤンの譬え話にある醜聞をあばく男のように、彼の目は地面を見つめていました。彼は自分の頭の上の冠である栄誉や報いを見ていませんでした。魔術師シモン[使徒言行録8:9-]のように、彼は、神の賜物を世俗で得る財産と同じ価値と見なしました。地上での救い主の任務は、しっかりと身元近くに引き寄せることでした。神の恵みの王国を設立するために来た彼に、完成させるために残されていたのはわずか数か月だけでした。また、人間の貪欲は、地面に落ちている塵を論争に取り上げて、主の働きから主を引き離したでしょう。しかし、イエスは自分の任務を妨げられるために存在していませんでした。主の答えは「男の人、誰が私をあなた方の分配人や裁判人にしたのですか」(ルカ12:14 KJV)でした。

 キリストは、その男の人に、これは自分の働きではないという明確な認識を与えました。主は魂達を救うために努力していました。主は、市民の判事の義務を担って、この問題を処理させられるために存在していませんでした。

 なんとしばしば、働き人達は、福音伝道の働きに入ることを許されないようにこの教会から圧力を受けることでしょう。

 何度も何度も、キリストは法的な決定と政策的な質問をされました。しかし、主は、世俗の問題に干渉することを拒みました。彼は、政治的な世界には、強力な独裁政治と行き過ぎた非道があったということを知っていました。しかし、唯一これらについての主の提示が、聖書の真理を宣布することでした。彼の足跡に群がった大勢の群衆のために、主は、神の律法の聖なる原則と清さを提示し、それらの原則に従うことによって見つかる祝福について語りました。いと高き所からの権威として、主は憐れみと義の大切さを強調しました。しかし、主は個人的な議論をしてもつれることを拒みました。

 キリストは、義の国――を設立するために私達の世界に来て、偉大な霊的王国の長として、私達の世界で立っています。主の教えは、この王国を統治する聖なる原則を明らかに、高貴にしました。主が示した義と憐れみと愛は、ヤハウェ(hwhy)神」の王国を統治する力です。

 

3.備えをする時

 私達は、贖いの日の本型(旧約聖書に示された新約聖書の事件や人物)に生きています。私達は個人的に神を求める必要があります。それは個人的な働きです。私達は、神を近くに引き寄せて、この時のための真理を偽るようなものが私達の努力の中に入ること許さないようにしましょう。みんなで、兄弟[姉妹]達の罪ではなく、自分自身の罪を告白しましょう。神の前に自分の心を低くして、再び生まれたことを自分の人生で表して、聖霊に満たされるようになりましょう。私達は読んでいます。「主は、主の名を信じている人々に、すなわち、主を受け入れた多くの人々に、神の子らとなるための力を与えました」(ヨハネ1:12 KJV)

 キリストの福音は、毎日の生活の中で実践され、生かされるために存在しています。神に仕える人々は、あらゆる、自分中心や冷淡から清められるために存在しています。純真や柔和、謙遜などは、神の働きの大きな価値に属しています。働き人達は、愛と信頼によって団結しましょう。あなた方がこのことをできないならば、自分自身を光となれず、神の安息に入れないでしょう。祈りと信仰のよって働きましょう。青年のクリスチャンを選んで、鉄のような冷酷な心の働き人ではなく、調和した心のある働き人達になるように訓練しましょう。

 私は、主が誘惑されるような人々が多くの恵みを受けている限り、心を変えるようにと祈っています。主がすべての人々の心を和らげて優しくするようにと祈っています。私達は神と親しい友達になって生きる必要があります。私達は、キリストが私達を愛したように、お互いに愛し合っているでしょう。世界の人々が私達は主の弟子であることを知るために存在しているということは、これによっています。そこでは、自己称揚がないようにしましょう。その働き人達が、神の前で自分達の心を謙虚にするならば、祝福が訪れるでしょう。その人々がみな、新鮮な新しいアイデアを受けている間、医療伝道の働きには、福音の素晴らしいリバイバルがあるでしょう。

 クリスチャンとして、私達みんなの前にある偉大な働きは、神性が託した一致によって、可能な限り速やかに、キリストの王国を拡大するために存在しています。その福音は、勝利から勝利へ、征服から征服へと前進するために存在しています。全天の下での王国の大きさは、いと高き者の聖徒達の人々()に与えられるでしょう。その人々は、王国を受けて、永遠にいつまでも王国の財産となるでしょう。

 

4.私達の前にある戦い

 神に仕える人々は、クリスチャン鎧兜の部品をすべて身に着ける必要があります。私達は、人間が相手の単純な闘いをしているのではありません。神は、天の助けと恵みの成功を信頼して、主のリーダーシップの下に戦いと戦闘に入るよう全てのクリスチャンに呼び掛けています。私達は、権勢のある御方の力によって、前進して行くために存在しています。私達は、サタンの攻撃に降参するために存在しているのではありません。私達は、クリスチャンの勇士として、なぜ、この世界の闇の支配者に反対して、また、諸々の支配者とその勢力に反対して立とうとしないのですか。神は、私達に託した賜物を使って進軍するように私達に呼び掛けています。サタンは、私達の前に誘惑を置いているでしょう。彼は、戦略によって勝とうとしているでしょう。しかし、神の力によって、私達は、岩のような一つの原則に堅く立つために存在しています。

 この闘いには解放がありません。サタンの使い達は、まったく破壊の働きを休止しません。キリストに仕える人々はすべての前哨地を見張っている必要があります。私達の目的は、破滅から滅びている魂達を救うことです。これは計り知れなく壮大な働きです。そして、人は、神性の働き人と団結していないならば、その成功を得る希望を持てません。

 永遠から、キリストは人間の贖い主でした。罪に陥って以来、それらの人々のために、主との団結が訪れました。主の偉大な働きの言葉があります。「弱ることなく、良い働きを行なってください」(2テサロニケ3:13 KJV)、「汝らは、堅く立って、動じることなく、いつも主の働きに満ちていてください」(1コリント15:58 KJV)。

 クリスチャンは、医療伝道の働きに繫がって、福音伝道の働きを前進させることに辛抱強く忍耐している人によって励まされています。真の宗教の体験を得ている人は、品性を形成する霊的な知識を得ています。

 真のクリスチャンの生活は、日毎の務めに奉仕する連続です。「私達は神と共に働く者達です」。毎日、自分達の力に釣り合わせて、神への義務の奉仕に一致をもたらしています。最高の力のガイダンスの下で、主の有用さが増す時、人はそれらの義務を遂行するでしょう。義務の一つを果たすことは、ほかの義務を取り上げるための良い備えとなるでしょう。なされることは何かという真の認識力を持っている人々は、ほかに働いている主の人々の力と団結して、神の言葉の直接の光の中に自分自身を置くでしょう。毎日、武具を全部身に着けて、人は戦いに出かけるでしょう。祈りと見張りをして辛抱強く、その人は、働きをするでしょう。自分のライフワーク(生涯の働き)が終わるという決定は、滅んでいる魂の救いのために人ができる全てのことを行なわずに、用意ができていないことを知るでしょう。

 クリスチャン達が一つの力の指示の下で前進して動いて、一致して活動するために存在していたならば、その人々は世界の人々を動かしたことでしょう。

                       

 神の目的のための働き人達が使徒パウロによって定められた時に、特別な原則が私達に始動しました。彼は「私達は神と協力する働き人です」(1コリント3:9 KJV)、「何でも、汝らは、人に行なうようにではなく、主に行うように、心から行ってください」(コロサイ3:23 KJV) と言っています。また、ペテロも信徒達に強く勧めています。「すべての人は賜物を受けたので、神のいろいろな恵みの良い家令として、互いに同等に奉仕の務めを果たしましょう。ある人が語る[賜物を持っている]ならば、神の言葉として語らせましょう。また、ある人が奉仕する[賜物を持っている]ならば、神が与えた能力としてその人に奉仕させましょう。イエスキリストを通して、全ての人々によって、神は栄光を称えられるでしょう」(1ペテロ4:10,11 KJV)

                       

 自然界を統治している大いなる様々な法則があります。そして、霊的な者達は、確かな平等の諸原則によって支配されています。究極の手段は為されて当然です。期待された結果は達成されるために存在しています。神は、自分の働きをその人の能力によって全ての人に託しました。人々が、起こった緊急事態に立ち向かうために適任となるために存在しています。賢明な計画は、その人の得意な分野を互いに任される必要があります。その人は、責任を負うために自分に合った体験を得ることができるでしょう。

 神は、私心のない愛と共感を表すことによって、互いに助け合うことを私達に望んでいます。特殊な気質や習性を受け継いだ人々がいます。その人々は、[対人関係において]遇されることが難しいでしょう。けれど、私達は[関係づくりに]失敗していませんか。その人々は落胆させられるために存在しているのではありません。標準から逸脱しているその人々のしくじりは一般の人のような性質が作られるために存在しているのではありません。キリストは、それらの判断をしくじる人々に同情して助けています。主は、すべての人々のために死の犠牲になりました。その故に、主は、すべての人に深い関心を抱いて、人の心に触れています。

 人は、神への奉仕を試みることができるでしょう。しかし、内からの誘惑や激しく攻め立てることのない誘惑があるでしょう。サタンとその使い達は、言い立てて、違反の罪をその人に説得するでしょう。たぶん、サタンは自分達の誘惑の餌食にかけるでしょう。彼の兄弟[姉妹]達は彼をどのように接遇するでしょうか。その人々は、厳しいことや辛辣な言葉を言って、救い主からさらに引き離していませんか。見上げると、天使達とキリストにとってなんと悲しい光景でしょう。

 私達は、希望と落胆、再度湧き上がる堕落、キリストを表す行動と話すことの欠点、堕落に奮闘していることを覚えておきましょう。私達は、キリストの変わらない愛の対象である、私達自身のような、誘惑の対象であり、私達のような、これらの人々の思いやりのない接遇に気を付けましょう。

                       

 神は、責任を負うべき/信頼できるものとして人々を遇しています。主は、人間が、働きのチャンスを主に与えるだけならば、また、主の配慮を認識するならば、主が人間に与えた知性を通した主の聖霊によって働くでしょう。主は、互いに自分のために良心と知性を使うように設計しています。主は、人が、ほかの人の感情の混じった言葉だけを言って、ほかの人の影になるように意図していません。


 

25章 証25 有色の働き人達のための塾慮

 

 

[1.主と共にある品性が人の価値を決める]

 聖書の宗教は、身分制度や肌色を認めていません。それは、社会層、財産、世俗の名誉を無視しています。神は人間を人間として評価しています。主と共なる品性が人々の価値を決めています。そして、私達は、キリストの霊/精神が現されている人ならば誰でも、それを認めるために存在しています。手を握ることや、どこかで誠実な黒人と話をすることを恥じる必要のある人は一人もいません。人は人間についての主の評価を学び、キリストの生涯は神について教える雰囲気で生きています。

 私達の有色の働き人達は、塾慮によって接遇されるために存在しています。これは、いつも行なわれてきませんでした。それらの人々は、真理の知識を完全に得るように勧められるために存在しています。その人々は、ほかの人々に効果的に教える方法を学ぶために存在しています。その人々が、この働きに信仰深く繋がる時、自分達の賃金を受け取ることでしょう。その人々は、パンを得て当然なことを覚えておきましょう。

 主は、北部にいる主の人々に有色の兄弟・姉妹達に親切な態度を保つことを望んでいます。私達は、その人々の欠点を見つけることを軽率にする必要がありません。私達は、大いに優位さを享受してきた人々のように、まったく尊敬される者になるようにその人々に期待することができません。私達は、有色の人々が生きていた[社会的な]下位の不利さを覚えておく必要があります。白人の人種の境遇から遠く離れた所に、彼らの境遇がありました。北部の人々は、南部の有色の人々が住んでいた所よりも、道徳的に聖で清らかな所に住んでいました。私達は、その人々の道徳的な考えが清らかに堅固になるようにと、その人達、全ての者達に期待することができません。キリストは、地上にいた時に、私達が驚くような方法で、黒人の人種に教えたものでした。基準から逸脱したしくじりが過度に注意されるならば、また、勧めと助言の言葉が共感できない方法で語られたならば、彼は、大きな優位性を持っていた人々でさえ、多くの事柄でしばしば感情を害していた、ということを覚えておくように私達に呼び掛けています。

 不快な性質の事柄が有色の人々の間で起こる時に、主が、あなた方に忠実な羊飼いの知恵と行動を望んでいるということを覚えていてください。非難よりも、多くの親切な行為を成し遂げることを覚えていてください。有色の兄弟・姉妹達は、兄弟[姉妹]達が自分達に対して高い標準に届くことを望んでいるということ、兄弟達[姉妹]は自分達を助けようとしていていることを知るようにしましょう。また、有色の人々が何かのことで失敗しても、すぐにとがめず、その働きから外さないでしょう。

 的確で偏見のない判断は、黒人の人種に示されるために存在しています。キリストは、過失への寛大な考慮、不幸な人への共感と、その悩みへの優しい思いやりを自分の奉仕者達から求めています。

 貧しい人々は、与える特権から閉め出されていません。その人々は、豊かな人々と同じように、この働きの一部を担うこともできます。キリストが教えた寡婦のわずかな小銭(今は廃止銅貨2ファージング[1円の1/2])の教訓は、私達に、貧しい人の最も小さな快い捧げ物として示しています。愛の心から与えたならば、豊かな人の多額の寄付と同じく受け入れられるものです。聖域とのバランスにおいて、貧しい人の賜物は、キリストへの愛から作られ、与えられた総計によって定められません。しかし、犠牲を促す愛のゆえに定められています。


 

26章 証26 伝道地での必要

 

[1.タネを蒔く人と刈り取る人]

 何年も、主は、アメリカ南部諸州の有色の人々の間での働きの必要を主の人々()の前に置き続けていました。この地域の道徳的な無知は、それ自身が、寛容な行動のための強い願いでした。過去において、ある人は、私達の働きの支部の支援のためにできることを行ないました。その人々の善意の寄付は多くの魂の回心という成果を生みました。有色の人々のために行なわれるものがたくさん残っていますが、私達は作られ始めた良い物を喜ぶ理由を持っています。最新号のThe Gospel Herald [1907]の中に、「15年前には、メーソン=ディクソンズ ライン[ペンシルベニア州とメリーランド州の境界線。1763年と1767年にCharles MasonJeremiah Dixonによって踏査された。南北戦争までは奴隷解放州(北部)と奴隷州(南部)の境界線とされた]の南の有色のセブンスデー アドベンチスト達は、20人を超えませんでした。しかし、今日、そこには700人います。12年前、そこには一つだけ、有色のセブンスデー アドベンチスト教会がありました。今日、アフリカと西インドを含めないで、そこには50の教会があります。……合衆国での昨年の有色の人々の什一は、5千ドルに達しました。15年前、それは50ドルを超えませんでした」。

 親愛なる兄弟・姉妹のみなさん、私達は神に感謝しましょう。そして、勇気を出しましょう。神は、私達自身の国の境界線の中のこの伝道地での力強い働きを行なうために、主の腕、素手を差し出しています。主は、今、南部で速やかにこのメッセージを広げるために、主の人々()に通常ではない機会を与えています。特に、私達は、有色の人々の働きを支えるために取り分けられた1年間の捧げ物をこの時に、善意の寄付の精神として現す必要があります。神は、私達が主の豊かな恵みと財産を管理するように、私達を信頼して委ねました。そして、主は今、失敗と迷信の鎖に縛られている魂達と、貧しい人々と捧げ物と虐げられた人々を私達に指し示しています。私達がそれらの人々に良いことを行なうならば、主は、私達の安全を保証して、主自身に行なったかのように、その行ないを受け入れるでしょう。「汝らは、私の兄弟[姉妹]達の最も小さき者の一人に行なったのですから、汝らは私にそれを行ないました」(マタイ25:40 KJV)

 南部にいる何千もの多くの有色の人々は現在、高く掲げられるでしょう。そして、自分達が自身の人種の人間の働き人となることができるでしょう。その人々がその助けを受けることができるならば、神は、彼らに与えるように私達に呼び掛けています。この地域の大勢の男性と女性達は、自分達の大きな欠乏と社会的な地位を高められることを感じています。信仰深い教師達が、読んだ通りに御言葉を人々に開くために出かけるでしょう。生来の清らかさによって真理を提示することによって、その無知は消え失せるでしょう。光の光線の輝きは、真理を探究している魂に輝くでしょう。綿密で知的な調査の優位性を持っていた人々は、聖書に啓示された真理のテーマを定着させるでしょう。多くの人々は神について教えられるでしょう。その人々は、偉大な教師から、正しいことを学ぶでしょう。また、社会的に高められて清められる真理を喜んで受け入れるでしょう。神についての道徳的なイメージは、その魂に回復されるでしょう。多くの人々は永遠に救われるでしょう。

 親愛なる兄弟、姉妹のみなさん。キリストは現在、あなた方にこう言っています。「あなた方の目を上げて、この南部の伝道地を見てごらんなさい。そこでは、タネを蒔く人達と刈り取りをする人達――という働き人達を必要としています。そこでは、それらの働き人達を支援するために、あなた方の資金を必要としています」。キリストの恵みは無限にあります。それは神の無料の贈り物です。なぜ、人々は、自分達の生活の中にもたらされる信仰と勇気と希望を持つことを怠るべきではないのですか。キリストを受け入れる全ての人々のために、心に太陽の光が注いでいます。        1907.9


 

第7部 宗教自由の働き [11]

「それゆえ、50年目を聖別して、その地の全ての住民に解放を宣言しなさい」(レビ記25:10 KJV)、「それゆえ、汝らは、ヘビのように賢く、ハトのように無害な者でありなさい」(マタイ10:16 KJV

 

 

27章 証27 私達の面前にある試練の時

 大いなる試練の時が私達の面前にあります。神の働きを進めるための私達の全ての能力と賜物を利用することは現在、私達のものになっています。主が私達に与えたその力は、涙の滴として落ちるためではなく、形成し築き上げることに使用されるために存在しています。無知のためにだまされた人々は、その状態で残されるために存在しているのではありません。主は、主のメッセンジャー達に言っています。その人々の所に行って、そして、その人々が聞くかどうかにかかわらず、また、それを広めるかどうかにかかわらず、話しなさい。

 迫害のその時は、真理を宣布する私達に間違いなく来るでしょう。その見通しは、希望を持てるようなものではありません。しかしながら、そのことで、主の貴い命を捧げた天の王の身代金によって、滅びを待っている人々を救うという、私達の努力を放棄しないようにしましょう。人の財産が、ほかの人を助けることにしくじる時、私達の努力が、命なく死んだものではいけません。生活を慎ましく送っている限り、私達は神のために働きましょう。この教会の全時代において、神に任じられたメッセンジャー達は、真理のために迫害され、非難され、自分自身を危険にさらしてきました。しかし、いつも、神の人々()は、前進するための力が与えられました。しかしながら、愛された弟子のように、彼らは不毛の地に追放されました。彼らは、キリストが喜びと平安を彼らに満たして、彼らを祝福し、力を与えたことを知るでしょう。

 やがて、全世界の人々は悩まされるために存在しています。全ての人々が神を知ろうとするようになります。私達には、先延ばししている時間がありません。熱心に熱列にそのメッセージは与えられる必要があります。「さあ、渇いている者はみな、汝ら水にきてください。そして、お金を持っていない人も、汝ら来て、買って、そして、食べてください。ええ、お金のない人も来て、ただでワインとミルクを買ってください」(イザヤ55:1 KJV)。「このように主は言っています。汝らの分別を守って、正義を行なってください。私の救いは近くに来るので、私の義は現されるためにあります。何かの悪を行なう人の手を抑えて、安息日を守ってそれを汚さず、それを手に入れる特別な人の息子、これを行なう人は祝福されます」(イザヤ56:1,2 KJV)

 主の教会への神の愛は、計り知れないものです。主の相続遺産をめぐる主の配慮は継続的なものです。主は、この教会に来る苦悩を許していません。しかし、教会の現在と永遠の善と清めのための本質的なものです。主は、地上での主の奉仕の働きの初めと終わりに宮を清めた時のように、主の教会を清めるでしょう。主が教会にもたらしたテストと試練のすべては、主の人々()が世界のあらゆる地域の人々に十字架の勝利を伝えるための強い力と気高い清めを得ることができるまでに成長させています。主は、全ての人々が行なうための働きを持っています。常に拡大し前進するようになる必要があります。その働きは、都市から都市へ、町から町へ、国から国へ、内陸へ奥地へと、設立され、強化され、確立されて広がる必要があります。

                      

 「その言葉は肉とされて、私達の間に住みました。……真理と恵みに満ちていました」(ヨハネ1:14 KJV)。しかし、キリストが救うために来たそれらの人々は、彼を受け入れませんでした。「彼は、自分自身の[民の]所に来たのに、自分自身の[]は彼を受け入れませんでした」(ヨハネ1:11 KJV)。自分自身をサタンの支配に明け渡して、主の民はメシヤを拒んで、彼を殺すために引き渡す機会を探しました。

 サタンとその使い達は、キリストをできるだけ屈辱的に死に処するように決めました。彼らは、救い主に対して苦々しい憎しみの感情でユダヤ人の指導者たちの心を満たしました。その敵によって支配された祭司達と支配者たちは、神の息子への反逆に加担するために群衆を扇動しました。主の無罪を宣言するピラトの側から、主を支持する言葉を語る人はいませんでした。そして、ピラトでさえ、彼の無罪を知っていて、サタンの支配下の人々の虐待に彼を渡しました。

 同じような諸事件eventsが、近い将来に起こるでしょう。人々は、意気を上げて、神の律法に真正面から反対している法律を守るように厳しく強要するでしょう。彼ら自身の戒めの強要に熱心になって、彼らは、明白な「主はこのように言っています」から離れてしまうでしょう。偽物の安息の日を高めて、彼らは、主の品性の写し、ヤハウェ(hwhy)神」の律法の名誉を汚すように人々を強要しようとするでしょう。悪い行ないについて無罪だけれど、神に仕える者達は、サタンによって吹き込まれ、宗教的な偏狭と嫉みに満たされた人々の手で、虐待と屈辱の苦難を与えられるでしょう。

                      

 告白によって天と同盟を結んで、子羊の特徴を持っていると主張している宗教的な勢力は、サタンによって支配され扇動されていて、あの龍の心を持っていることを、彼らの行動によって示すでしょう。第7日を聖別して守るので、神の人々()が迫害の手を感じるその時はやって来ます。サタンは、神の計画を失敗させるために自分の目的を遂行しようとして、安息日を変える目的を持っていました。彼は、世界中にある人間の法律に比べて、より力の劣った神の戒めを作ろうとしていました。罪に属する特別な人、時と律法を変えることを考えた人、神の人々()を常に圧迫してきた人は、週の初めの日の遵守を強要させるための法律をもたらす原因となるでしょう。しかし、神の人々()は、主に堅く立つために存在しています。そして、主はその人々の味方として働き、神々の神としてはっきりと明示するでしょう。

                      

 主はこう言いました。「本当に、汝らは私の安息日を守るでしょう。それは、私とあなた方と子孫の間のしるしの一つです」(出エジプト31:13 KJV)。迫害を逃れようとして、主の戒めに服従しない人はいないでしょう。しかし、みんなでキリストの言葉を熟考しましょう。「彼らがあなた方をこの都市で迫害する時に、汝らはほかの都市に逃れなさい」(マタイ10:23 KJV)。それを避けることができるならば、それは、反キリストの精神によって働いている人々の力に自分自身を任せてはいけません。私達が行なうことができるすべてのことはなされるべきです。真理のために苦悩することをいとわない人々が圧迫と残酷さから救われるでしょう。

 キリストは私達の模範です。謀反を起こすために、反キリストの決心をして、天で始めた人は、不服従の子らに働き続けるでしょう。4番目の戒めに従う人々に反対する人々の嫉みと憎悪は、激しさがますます増大するでしょう。しかし、神の人々()は、彼らの旗印の下に逃れるために存在しているのではありません。その人々は、悪を行なうために群衆と共に行って、安易な時を持つために、神の戒めを軽視するために存在しているのでもありません。

 主は、心から主を求めている全ての人々を励ましています。主は、その人々に主の臨在と好意を現している主の聖霊を与えています。しかし、自分達の命を救うために神と縁を断つ人々は、主によって縁を断たれるでしょう。真理を放棄することによって自分達の命を救おうとすると、その人々は永遠の命を失うでしょう。

 試練の闇夜は、時間が費やされて近づいています。サタンは、自分の時が短いことを知っているのでその絶大な力を持ち込んでいます。神の刑罰は、神の栄光を見て、キリストという岩の裂け目に隠れて、真理を知る全ての叫び求める人々のために、この世界に存在しています。その真理は現在、包まれていてはいけません。ありのままの真理が、リーフレットやパンフレットで、語られる必要があります。そして、それらは秋の木の葉のように配布される必要があります。

                      

 残りの教会には、ひどい窮乏と試練がもたらされるでしょう。イエスに属する信仰と神の戒めを守る人々は、かの龍とその仲間達の怒りを感じることでしょう。サタンは、その従者としての世界の多くの人々と、背教した諸教会の支配権を得ました。しかし、そこには、彼の至上権に抵抗している僅かな仲間達が存在しています。彼がこの地上からその人々を消し去ることができるならば、彼の勝利は完全になるでしょう。彼が、イスラエルの民を滅ぼすために異教の民に影響を与えたように、近い将来、彼は、神の人々()を滅ぼすために、地上の悪の勢力を扇動するでしょう。すべての人々は、神性の律法を冒瀆して、人間の強制的で不当な命令に従うように要求されるでしょう。義務に真実、かつ、神に真実になろうとする人々は、脅威を与えられ、非難され、法律の保護のもとから追放されるでしょう。その人々は「親達、兄弟[姉妹]達、親族、そして、友人達によって」(ルカ21:16 KJV)売り渡されるでしょう。[12]

 「心の中に私の律法が存在している人々、義を知っている汝らは、私に聞きなさい。ガの幼虫が衣を食うように、彼らを食うので、這う虫がウールを食うように、彼らを食うので、汝らは人々の譴責を恐れてはいけません、汝らは人々の非難を恐れてはいけません」(イザヤ51:7,8 KJV)、「しかし、私の救いは永遠にあるでしょう。私の義は廃止されないでしょう」(イザヤ51:6 KJV)


 

28章 証28 日曜日の労働

 

カリフォルニア サナトリウムにて  1902.8.17

親愛なる兄弟へ 強いられている日曜[休業]法の事例にあなたが行なうべきことをするために、私はあなたの質問に答えようと思います。

 その光が主によって私に与えられたのは、私達が予期していてあなたが直面しているように思えるそのような危機の時、主の民が日曜日遵守を強要する力によって真下から動かされていた時でした。セブンスデー アドベンチスト達は、伝道の働きをするために献身して、その日に自分達の通常の働きを差し控えることによって自分達の知恵を示すために存在していました。

 日曜[休業]法を拒むことは、それを強要しょうとする人々の宗教的な嫉妬や迫害心を強めるだけでしょう。彼らにあなた方を「法律を破る者」と呼ぶための機会を与えないようにしましょう。彼らが、神だけでなく人間も恐れない人々を引き止めるために残されているならば、その引き止めは、やがて彼らのため目新しさを失うでしょう。しかし、本当のところはそうではありません。そして、日曜日遵守に関して厳しくなることは、彼らにとって不便にならず両立するように思えるでしょう。あなた方の手にあなたの聖書を持って、あなた方の伝道の働きにおいて正当さを保ちましょう。かの敵は、その人が自分自身の目的に[反した]最悪な物を持っているのを見るでしょう。人は、かの獣のしるしを受けていません。なぜなら、最も重要な働きの時と同じように行なって、違反の罪を犯す働きを抑えることによって、平和を保つ知恵に気付いたことを表しているからです。

 私達が伝道の働きのために日曜日に献身する時に、そのあおり立ては、セブンスデー アドベンチスト達を蔑んで大喜びしている独断的・熱狂的な人の手から取り除かれるでしょう。その人々は、私達が日曜日に人々を訪問して人々に御言葉を開いて働いているのを見る時、その人々は、日曜[休業]法を作ることによって、私達の働きを妨げようとすることが人々のために有益であることを知るでしょう。

 日曜日は、働きを様々な伝道地に前進させるために利用されうるでしょう。それは、主のために多くを成し遂げるでしょう。この日に、野外集会と小さな家での集会が持たれうるでしょう。家庭ごとの訪問の働きがなされるでしょう。書き物をする人々は、この日に自分達の記事を書くために充てることができるでしょう。それが可能な時はいつでも、宗教的な活動を日曜日に開催しましょう。真のリバイバル賛美歌を歌いましょう。救い主の愛の保証と力を話して、それらの集会を熱心に興味深いものにしましょう。節制と真の宗教体験を語りましょう。あなた方は、多くの魂に届くような働きの仕方についてこのようにたくさんのことを学ぶでしょう。

 私達の学校の教師達は、日曜日に伝道の努力に献身しています。私は、人々が敵の目的によって負ける可能性があるだろうと[イエスに]指導されました。その教師達は、真理を知らない人々のための集会を持つように彼らと学生達に教えましょう。このように、教師達はほかの方法でできたよりも多くのことを成し遂げるでしょう。

 神は、私達の働きについて明確に指示を与えました。私達は、主の律法に生じた欠陥を直すために、主の安息日について、真理を宣布するために存在しています。私達は、無知の人々に照明/啓蒙を与えることができるすべてを行なうために存在しています。しかし、私達は、財政的な支援を受けるために世界の人々と、決して同盟するために存在していません。

 イスラエルの子らについて、私達は読みました。

 

 「私は、彼らをエジプトの地から彼らを連れ出すという目的を持ったゆえに、彼らを荒れ野に連れ出しました。そして、私は彼らに私の地位statusを与えて、私の裁き/分別を示しました。人がそれを行なうならば、人々の中で生きるでしょう。さらに、私は、私と人々との間の一つのしるしとなるように、彼らに私の安息日を与えました。彼らは、私が彼らを清める主であることを知るでしょう。しかし、イスラエルの家が、荒れ野で私に反逆して背きました。彼らは私の規則に歩まず、私の裁き/分別を軽蔑しました。人が行なうならば、彼らの中で生きるでしょう。そして、彼らは私の安息日を酷く汚しました。その時に、私は言いました。私は怒りを荒野で、彼らを焼き尽くすために、彼らに注ぐつもりです。

 しかし、私は、私の名前のゆえに働きました。それは、私が彼らを連れ出して見せた異邦人の前で汚されないでしょう。また、私は荒れ野で彼らのために自分の手を挙げました。私は、彼らに与えた土地に彼らを連れて行かないでしょう。ミルクと蜂蜜があふれている、そこはすべての土地で素晴らしい所です。彼らは私の裁きを嫌って、また、私の地位statusに歩まず、私の安息日を汚したので、彼らの心は、彼らの偶像を求めています。しかしながら、私の目は、彼らを滅ぼすことから彼らを惜しんで残しました。私は、彼らを荒れ野で終わりにしませんでした。しかし、私は、荒れ野で彼らの子らに言いました。汝らは、あなた方の父祖達の地位を歩んでいません。彼らの裁きを守らず、彼らの偶像を自分達で踏みつけもしていません。私は、あなた方の神、主です。私の地位に歩んでください。そして、私の裁きを守ってください。そして、それらを行なってください。そして、私の安息日を神聖化してください。それらは、私とあなた方の間のしるしとなるでしょう。汝らは、私があなた方の神であることを知るでしょう」(エゼキエル20:10-20 KJV)。

 

 安息日は、主のテストです。そして、神と人の間の立つ、王・祭司・支配者となる権威のある人間はいません。彼らの仲間のために分別のある人を探す人々は、神の上に自分自身を置くでしょう。偽りの宗教の影響下にいる人々、また、偽物の休みの日を守っている人々は、真の安息日について、最も肯定的な根拠を捨て去るでしょう。彼らは、神の律法に真正面から反対した法律、自分自身が作った法律に従わせるために、人々に強要しようとするでしょう。この方針を取り続ける人々に、神の怒りが降るでしょう。彼らは変わらない限り、その罰を逃れることができません。

 週の初めの日を守るための法律は、背信した全キリスト教徒の造り出したものです。日曜日は、神の神聖な休みの上にクリスチャン世界によって高められた、ローマ教皇の一人の子どもです。どんな場合でも、神の人々()は敬意を払いません(In no case are God's people to pay it homage.)。しかし、主がそれを避けるように主の民に望んでいる時に華々しく反対することによって、主の民は神の意思を行なっていないと理解することを、私は望んでいます。このように、主の人々()は、真理の宣布が不可能なとても苦々しい偏見をつくりました。法律に反対して日曜日に行動していません(Make no demonstration on Sunday in defiance of law.)。これが、一カ所で行なわれるならば、そして、あなた方が恥をかかされているならば、同じことがほかの場所でも行なわれるでしょう。私達は、日曜日を、キリストの側から話をして働きを前進させる一つの日として利用することができます。私達はみんなで、謙遜に柔和に働きをして、最善を尽くすために存在しています。キリストは、福音伝道者として、自分達の働きに向き合うことについて、弟子達に警告しました。主は、彼らが伝えるために呼び出される所では試練と困難の苦悩があるだろうと、知っていました。主は、彼らの信仰が試されること、予期しない出来事が訪れること、小さい悩みに出会わなければならないという知識を彼らに隠しませんでした。彼は言いました。「私は、起こることが訪れる前にあなた方に話しました。起こることが訪れる時に、汝らは信じるでしょう」(ヨハネ14:29 KJV)。彼らの信仰は、試練が訪れることによって、弱められるのではなく、強められるために存在していました。彼らは互いに言ったことでしょう。「主は、これは訪れるだろうと私達に語っていました。そして、私達はそれに立ち向かうために行なう必要があります」。

 キリストは言いました。「見なさい。私は、あなた方を狼たちの真ん中の羊のようにあなた方を外に遣わします。それゆえ、汝らはヘビのように賢く、ハトのように無害な者でありなさい」「汝らは、私の名のゆえに、あらゆる人々に憎まれるでしょう。しかし、最後まで忍耐する人は救われるでしょう」(マタイ10:16,22 KJV)。人々は、理由なしにキリストを憎みました。人々が主のしるしを伝える人々を憎むのは不思議なことですか。主の奉仕をしているのは誰ですか。その人々は地のクズのように見なされています。

 「人々が、この都市であなた方を迫害する時は、ほかの都市に逃げなさい」。あなた方の命が配慮なしに犠牲にされるというのは、神の意図ではありません。「本当に、私はあなた方に言います。汝らは、人の子が来るまでに、イスラエルの都市をめぐり終わらないでしょう」(マタイ10:23 KJV)。

 人々は、明らかな真理、正しく前進する真理を伝えられる必要があります。しかし、この真理はキリストの精神によって提示されるために存在しています。私達はオオカミの真ん中にいる羊のように存在しています。[オオカミのような]それらの人々は、キリストのための、主が与えた警告を守らず、また、自制と忍耐を実践せず、偉大な教師のための働きの貴重な機会を失っているでしょう。主は、主の律法に違反している人々に対して、激しい非難の働きをするように、主の人々()を送りませんでした。私達は、どんな場合でも、ほかの教会を襲撃するために存在しているのではありません。私達は、かつて無知で明らかに不信仰でしたが、神聖な真理を託された人々()として、覚えておきましょう。その働きは、その人々が彼らの中で福音が確立するようになるまで、いくつかのセンターに制限されました。多くの真理を聞いた人やそれを拒んだ人に感銘を与えることは困難です。……

 この世界の人々はすべて今私達に反対しています。私達がこれらの人々に伝えるために熱心に努力していたとすると、その人々が回心したならば、[再臨・安息日・聖所・信仰による義など]現在の真理が人間のために行なうことについて、誠実に説明するでしょう。私達の働きは今どれほど多く前進することでしょうか。ほかの場所が忘れられている一方で、いくつかの場所が優先されていることは正しくありません。

                      

 [1891年から1900年まで滞在していた]オーストラリアコーランボン近郊の私達のアボンディールスクールで、日曜労働の質問が、解決を求めて出されました。私達が日曜日の間に働くことができないかもしれないというラインが近いうちに、私達の周りでそのように厳しく引かれるために存在していたかのように思われます。私達の学校は、鉄道の駅や近くの村から離れて、その森の中心に位置していました。私達がすることを何らかの方法によって妨げる人はほとんど住んでいませんでした。それにもかかわらず、私達は見張られていました。役人達は、私達の施設の構内を調査するために行くと言いました。そして、彼らは来ました。彼らは、見通して私達に望んだ多くのものを見て行きました。しかし、彼らは、働きについていた人々に関心を現しませんでした。彼らは、一つの人々()として、私達をとても信頼していました。その地域社会で行なっていた私達の働きをとても尊敬していました。彼らは、どこも私達を信頼できると信じました。

 多くの人々は、私達[と施設]がそこに行ってから変化した地域社会全体の事実を認めました。安息日遵守者ではなかったある女性は、私にこう言いました。「あなた方が移転して来て、学校が設立され、小さな集会が始まった成果として、ここで起こった地域社会の変化について、私が説明しても、あなた方は私を信じないでしょう」。

 私達の兄弟[姉妹]達が、行動することについて困難な立場におかれ迫害に遭った時、ゲームに関する質問への答えが与えられたように、同じアドバイスが与えられました。私はこう言いました。「日曜日に、神のための伝道の働きを行なって、働きましょう。教師達は、受け持ちの学生達と共に出かけましょう。学生達を茂み[そこは私達が林の中にまばらに生えていると言っている場所です。そこでは、家々が1マイルか2マイル離れていました]の中に連れて行きましょう。そして、家々の人々を訪問しましょう。あなた方が、その人々の魂の救いに関心を持っていることを知らせましょう」。彼らはそうしました。そして、その結果として、自分達に大きな益があり、ほかの人々をとても助けることができました。神の祝福は、それらの真理が好意を持って受け入れられるような方法で世界の人々にその真理を提示する方法を学ぶために、彼らが御言葉を熱心に研究した時、彼らの上にありました。

1903.8.20

                      

 ある時に、アボンディールの私達の学校で質問したこれらの人々は、私にこう言いました。「私達はどうしたらいいのでしょうか。法律の役人達は、日曜日の労働を停止するよう職権で命令してきました」。私は繰り返して言いました。「困難を避けることはとても簡単でしょう。伝道を行なうための日として、日曜日を主に捧げましょう。医療伝道の働きを行なうために、そして、いろいろな場所で集会を開くために学生達を連れて行きましょう。学生達は家で人々を看るでしょう。そして、現在の真理のためのすてきな機会を持てるでしょう。この方法で費やして、日曜日はいつも主に受け入れられるでしょう。

                      

 私達は、聖書の安息に反対して、また、私達の働きに反対して多くの知性に存在している偏見を取り除くためにできることを全てするために存在しています。

                      

 神の律法との軋轢なしに行なうことができる時、彼らの国の法律の全ての基準を満たすよう、人々に教えましょう。

                      

 時には、回心前の使徒パウロの心がそうであったように、偏見の心は神性の感銘について敏感です。


 

29章 証29 注意の言葉

 

 

 キリストは、弟子達に言いました。「見なさい。私は、あなた方を遣わしました。それゆえに、汝らはヘビのように賢く、ハトのように悪意のない者になりなさい」(マタイ10:16 KJV)。

 真理を擁護する者に反対するサタンの攻撃は、時が近づくにつれて、もっと辛辣で断固としたものに拡大するでしょう。キリストがいた当時、大祭司達と支配者達が主に反対して人々を扇動したように、今日の宗教指導者達は、この時代のための真理に反対して、偏見と激しい敵意を掻き立てるでしょう。真理を信じると告白したクリスチャンで敵意を吹き込まれなかった人々、かつ、配慮のなかった人々は反対と暴力の行動に導かれるでしょう(The people will be led to act of violence and opposition which they would never have thought of had they not been imbued with the animosity of professed Christians against the truth.)

 どんな針路が真理擁護に向かって取られるのでしょうか。人々は、変えることのできない、神の永遠の言葉を持っています。人々は、真理がイエスにあるように、自分達が真理を持っているという事実を明らかにするでしょう。神の言葉は厳しく粗野なものではいけません。それらの真理の提示において、人々は、キリストの優しさと柔和、愛を現す必要があります。真理が手厳しいことを行なうようにしましょう。神の言葉は、両刃の剣のような鋭利なもので、心をその方法で切るでしょう。真理を持っている人か持っていない人かを知っている人々は、辛辣で厳しい言葉を利用することによって自分達の精神が誤解されるようなチャンスをサタンに与えています。

 一つの人々()として、私達は、世界の人々の贖い主が行なったように立つ必要があります。サタンが、モーセの遺体に関して、キリストは敢えて彼に対して咎めの言葉を言いませんでした。サタンは、これを言わせるためにあらゆる挑発をしましたが、キリストの中に仕返しの精神を起こすことができなかったので落胆しました。サタンは、イエスによって行なわれた全てのことを誤解されるように準備していました。そして、救い主は、弁解をする様子を見せず、彼に好機を与えませんでした。主は、サタンが言い逃れと方向転換、曲解と放浪の信奉者になっているのに対して、真理に真っすぐに進む自分の道を離れなかったでしょう。

 私達は、ゼカリヤ書の預言の中に読んでいます。サタンが、キリストに反逆するため、大祭司ヨシュアの祈りに反対して会堂にいた自分の側の全ての人々と立ち上がった時、ヨシュアに好意を決めたことを示すために動き回った人々について、「主は、サタンに対して言いました。主は、汝を譴責しています。サタン。また、エルサレムを選んだ主は、汝を譴責しています。これは、燃えている火の中から取り出した燃え差しではありませんか」(ゼカリヤ3:2 KJV)

 魂達の敵でさえも接遇するキリストの方針は、誰に対しても、咎めの言葉を言わず、ほかの人々と私達との交わりの手本となるでしょう。私達が自分にしているように、正しい方法を知ることを切望しているような人々に向かって、厳しい辛辣な言葉を使用しないようにしましょう。

 手本と教訓によって真理を教育された人々は、聖書の真理として寓話や言い伝えを受け入れた人々と、教会員と牧師達によって与えられた解釈を通したものを除いて、御言葉の知識を持っていなかった人々のために、大いに手加減が加えられるでしょう。その人々は、真理の提示によって驚いていて、それは、新たな啓示として彼らのために存在していますが、彼らは、初めに提示された、その最も目立つ特徴のある真理の全てを伝えることができません。すべてが、新しくて見たことのないもので、牧師達から聞いたことのないものばかりです。彼らは、セブンスデー アドベンチスト達は不信心者で聖書を信じていない――と牧師達が語ったことを信じる方に傾いています。その真理は、行から行へ、指針から指針へ、ここに少しそちらに少しと、イエスの中にあるものと同じように提示されるようにしましょう。

 私達の雑誌に記事を書く人々は、カトリックを含んだすべての社会層の人々に行なわないように、その働きを行なっている私達に害するようにその道に生け垣を植えないように、確かな害になるような思いやりのない押し付けや嘲りをしないようにしましょう。私達の敵が持っている同じ精神の持ち味と、語る事柄や清められていない生来の心の要素を混ぜないで、愛によって真理を語ることは私達の働きです。あらゆる激しい押しつけは、その力が不当に使用できる人々の手の内にある時に、倍の重みになって私達に帰って来るでしょう。何度も繰り返して、そのメッセージは私に与えられました。私達は、真理の正当性を立証するための積極的な要素がない限り、特に個人的な方法よってでも、一つの文を発表するため、一つの言葉を語るために存在しているのではありません。私達の敵は、自分達の激しい感情を目覚めさせ、そして、私達に対して白熱の怒りを発するでしょう。私達の働きは、間もなく閉じられるでしょう。そして、間もなく、かつてなかったような、悩みの時が私達の上にやって来るでしょう。それについて、私達はわずかに考えているだけです。

 主は、主の働き人達に、偉大な伝道の働き人である、主を表すことを望んでいます。軽率を現すことは常に損害を行なっています。クリスチャン生活の本質的な作法は、キリストの学校で日々に学ばれて当然です。決して取り消すことのできない語句の言い回しをして伝えられ、世界に広められた出版物に書かれた言葉や発せられた言葉の中に思慮がなく配慮のない人は、この時代にキリストに従って献身して、神聖の働きに就いて信頼されるためには、自分自身を不適格者としています。厳しい押し付けの言葉を発するする人は、悔い改めが必要な、繰り返しによって強められた習慣を形成しているでしょう。

 私達は、魂達の運命に関わる、委ねられた神の働きを行なっている方法を見て、自分達の精神と自分達の方法を慎重に調べる必要があります。最も高い義務が私達に委ねられています。サタンは、全体に団結したサタンのような働き人達に燃えるような熱意を吹き込んで、用意して立っています。彼は、悪人達と団結するための原因となり、真理を所有している信徒達に、迅速で深刻な苦悩をもたらすでしょう。私達の兄弟[姉妹]達によって語られたすべての思慮に欠ける言葉は、闇の君によって宝物とされるでしょう。私は尋ねてみたいものです。有限な人間の知者達は、敢えて不用意に向こう見ずな言葉が、神の聖徒達に反対して黄泉の勢力を扇動するでしょう。天使長ミカエルは、敢えてサタンに対して咎めの言葉を言いませんでした。こう言いました。「主は汝を譴責しています」(ユダ9 KJV)。

 苦悩や困難を避けることは、私たちにとって不可能です。イエスは言いました。「反則の罪のゆえに、世界の人々に苦悩が来ました。罪が来ているのは、当然、必要があるからです。罪が来ている人によって、その人に苦悩が来ています」(マタイ18:7 KJV)。しかし、違反の罪は来るでしょう。私達は、思いやりのない精神を現して、配慮のない言葉によって、真理を愛さない人々の生来の気質を扇動しないよう注意深くある必要があります。

 貴い真理は、生来の能力によって示される必要があります。世の人々を虜に導いていて、人を惑わして広がった誤りは、正体が明らかにされるために存在しています。全ての努力は可能ならば、人々を寓話で真理から引き離して、強い惑わしによって騙されるように人々を用意して、巧妙な推論で魂達を罠にかけるためになされています。これらの騙した魂達は、真理から誤りに移った一方で、人々に評価/判断censureの言葉を一つも語っていません。騙された魂達の危険と彼らの悲惨さを明らかにすることがイエスキリストに向けた彼らの行動のコースにある、ということをそれらの哀れな魂達に示すよう努めましょう。しかし、全てのことは、優しさと同情によって行なわれるようにしましょう。サタンによって罠に捕えられている魂達の何人かは働き人達の相応しい方法によって、彼の力から逃れられるでしょう。しかし、譴責したりとがめたりしないようにしましょう。間違っている人が取った立場で嘲ることは、暗くなった目を開かないばかりか、真理にも彼らを引き付けることができないでしょう。

 キリストの模範を視界から見失い、また、主の教えの方法を手本にしない時、人々は、自己満足になり、自分自身の武器である対抗手段とサタンに会うために出て行っています。その敵は、彼らが利用するうえでその武器がどのように変わるかをよく知っています。イエスは、義と清い言葉だけを語りました。

 かつて、一つの人々()が神の前に謙虚に歩む必要があったとするならば、それは、主の教会、今の世代の主に選ばれた人々に必要です。私達はみな、私達の特権と機会を認識することの欠如と、知的な才能の鈍感さを深く嘆き悲しむ必要があります。私達はそれについて得意がる何ものも持っていません。私達は、キリストに似ていない私達の押しつけがましい傾向と、自分達の粗野さによって、主イエスキリストを悲しませています。

 私達が「惜しまず、大きな声で叫びなさい。汝の声をトランペットのように発しなさい。そして、私の民に、ヤコブの家の人々の罪、その違反の罪を示しなさい」(イザヤ58:1 KJV)と命じられていることは真実です。このメッセージは与えられる必要があります。しかし、それが与えられる必要がある一方で、私達は、私達が持っている光/知識を持っていない人々に譴責や閉め出し、押し付けをしないように慎重になる必要があります。私達は、カトリックの人々に厳しく押し付けるような自分達の方法で事を運んではいけないでしょう。カトリックの人々の間には、良心的な人々がたくさんいて、自分達に照らされた光/真理に歩んでいます。そして、神はその人々の味方として歩んでいるでしょう。その人々は、大いなる特権と機会を持っていましたが、自分達の身体的・知的・道徳的能力の改善に失敗しました。しかし、自分自身を喜ばせるために生きてきて、自分達の責任を果たすことを拒んだ人々は、ほかの人々に良い事をして生きようとしている人々、また、教理的に間違っている人々以上に、神の前で大いなる譴責を受ける大いなる危機の中にいます。ほかの人々を自分勝手に悪く言わないようにしましょう。その人々をとがめないようにしましょう。

 私達が、考えの筋道で間違っていて、自己中心的に考えることを許されているならば、また、心と知性の正道を外れた状態をもたらすように間違いを大目に見ているならば、その結果、私達は、神の意図とその道が分からなくなるでしょう。また、私達は、救いのない罪びと以上にはるかに罪が重くなるでしょう。私達は、神の前で、私達自身よりも罪が少ない人々をとがめないようにするためにとても注意深くなる必要があります。

                       

 私達はみな、どんな場合でも迫害を招かないということを[自分の]知性に生み出して教えましょう。私達は、厳しく裁いて切るような言葉を使うために生きているのではありません。書かれた全ての記事から削除してください。講演で聞いた全ての言葉から取り除いてください。神の言葉に譴責と裁いて切ることを委ねましょう。有限な人々はイエスキリストの中に隠れてとどまりましょう。キリストの精神/霊が現れるようにしましょう。人々が、私達の道を遮る生け垣のような軽率な言葉を使う機会をサタンに与えて、私達に反対して徹底的に抵抗して私達の信仰について、それらの言葉を使うといけないので、みんなが自分達の言葉で守られるようにしましょう。

                       

 その時が、かつて一つの国があって以来、決してなかったような悩みの時となるために存在しています。私達の働きは、私達の全ての講演内容から、個人個人と諸教会に反対した行動を行ない、公然と挑戦して報復の傾向のあるものを取り除くことを研究するために存在しています。これはキリストの道と方法ではないからです。

                       

 神の言葉によって与えられた光によると、この真理を知っている神の人々()が義務を果たすことに失敗したという事実は、人々が日曜日と安息日について私達の信仰の理由を尋ねる前に、私達が信仰のない人々の感情を害するといけないので、私達がもっと守られるために必要なことを示しています。


 

第8部 時に合った勧め

「見上げなさい。私はすぐに来ます。汝の冠が誰にも奪われないように、汝が持っているものをしっかりと捉えていなさい」(黙示録3:11 KJV

 

 

30章 証30 忠実な家令(財産管理人)[13]

[1.神は全宇宙の所有者]

 キリストは、主自身の血の代価[犠牲]によって、私達を買い取りました。主は、私達の贖いのために買い取りの代金を払いました。そして、私達がその宝物を手に入れようとするならば、それは、無料の神の贈り物として私達に存在しています。

 「汝は私の主にどれくらいの借りがありますか」(ルカ16:5 KJV)。告げることは不可能でした。私達が持っているものはすべて、神のものです。主は、私達が持っているものの上に手を置いて言っています。「私は、全宇宙の正当な所有者です。それらは私の所有物goodです。什一と捧げ物を私に捧げてください。あなた方が、私の統治国にあなたの従順とあなたの忠実のしるしとして、それらの取り分けた捧げ物を持ってくる時に、私の祝福は、あなた方の財産を増すでしょう。そして、あなた方は豊かに持つでしょう」。

 神は、主を信じると言っている全ての魂をテストしています。すべての人々は才能を託されています。主は生業(なりわい)/手仕事のために主の所有物goodを人々に与えました。主は、人々を主の家令にして、そして、その資産を家々、国々に置きました。それらの人々はみな、この世界に主の王国をつくるため、主の働きを前進するために役立てられ、主が所有する者とみなされるために存在しています。私達は主の所有物を使って生業/手仕事をするために、知恵を主に求めるために存在しています。私達は、自己中心的な動機を甘えさせ、自分自身を称えるために、託された主の神聖を利用することはできないでしょう。多くの物が様々な人に委託されましたが、最も小さい賜物を託された人々は、それらの才能や財産は少ないので、それらはそれによって何もすることができない、と考える必要はありせん。

 全てのクリスチャンは、主の所有物を託された神の家令です。この言葉を思い出してください。「さらに、家令に求められていることは、忠実が見られるようになることです」(1コリント4:2 KJV)。私達は、少しでもほんの僅かでも、神を失わないようにして、確かなものとなりましょう。多くのことがこの質問に含まれています。

 多くの事柄が神に属しています。人々は、主が言っていることに無関心です。主は、人々に、主の祝福をたくさん授けています。人々は、主の祝福を自分満足のために使っているでしょう。しかし、人々は、自分達の家令の責任を果たすようにと呼びかけられているでしょう。

 家令は、自分の主人に自分自身を明らかにしています。その人は家令としての責任を受け入れています。そして、その人は自分の主人の益になるように行動する必要があります。その人の主人が行なうように行なうことがその人の管理者としての務めでした。その人の主人の関心は、その人になっています。家令の立場は、その人の主人がその人を信頼しているので尊敬される者達のうちの一人です。何らかの知恵によって、自分自身の優位性のゆえに主の所有物を生業とすることによって、その人が得た優位性を捨てて自分中心に行動するならば、その人は、自分に信頼を置いて道を誤りました。

 

2.福音宣布の支援

 主は、主の全ての人々()に、自発的な贈り物によると同時に、働き人による福音宣布を託しました。罪に陥っている人々に憐れみのメッセージを宣布する人々は、――神の働きを支える義務として、人々の財産を人々の間に示すための――ほかの働きも持っています。主は、人々の収入の一部が神に属する財産の一部であること、主の働きに神聖が注がれるために存在していることを人々に教える必要があります。人は、この教訓を指針と模範によって提示する必要があります。人は、自分の教えの力を弱める自身の方針によって行なわないように気を付ける必要があります。

 それは、もはや私達のものではなく、主に属している福音の収入に等しいものなので、御言葉によって取り分けて置かれていました。人々の宗教的でない商取引の中で、ほかの人々に奉仕することや自分に奉仕する手段として、神の宝を使うことは、人を冒瀆する以上に良くないことです。ある人は、主のために特別に捧げられたもので神の祭壇を楽しませることに失敗していました。みんなが、正しい光/真理の中でこの内容を考える必要があります。宗教的な目的に捧げられた資金を取っておいて、それを自分の利益のために使って、将来のある時点で、人がそれを払うと言うことにして、その人の良心を抑えていて、誠実な場所に行く時に、そのような人がいないようにしましょう。宗教的でない目的のために主の資金を使うよりも、その資金の中で生活し、欲望を制限すること、収入と合致するように支出を切り詰めることがはるかにベターです。

 

3.10分の1税の利用

 神は、10分の1の利用について、特別な指導を与えました。主は、主の働きが財産を切望することによって損なわれるということを意図していません。そこには、無計画な働きもなく、間違いもないでしょう。主は、それらの点で明白な私達の義務を課しました。神が自分のために保管していた一部は、主が特別に分けた以上に、何かほかの目的に逸らされるために存在しているのではありません。自分達自身の判断によって利用しようと、自分達が確保した什一を自由に考えないようにしましょう。それらは、彼らが主の働きとしてみなすことができるようであっても、彼らが合うように見てそれを応用するためでもなく、緊急時に自分達のためにそれを利用するために存在しているのではありません。

 牧師は、指針と模範によって、神聖なものとして、什一をみなすように、一つの人々()に教える必要があります。彼は、牧師の一人なので、自分の判断によって適用して確保できると考えてはいけません。それは彼のものではありません。彼は、自分で考えることが自分の義務であるとしても、自分自身に捧げる自由がありません。彼は神に奉納した捧げ物と什一を利用するような、正当性を逸らす何らかの計画に彼の影響を与えないようにしましょう。それらは、主が託したように、主の奉仕のために神聖視され、主の宝の中に置かれるために存在しています。

 神は、すべての主の家令達が神性の取り決めに従って取りたてられることを望んでいます(God desires all His stewards to be exact in following divine arrangements.)。その人々は、人間の働き人達が合っていると見えるような、何かの捧げ物や贈り物、慈善行為を実行して、主の計画を埋め合わせるために存在しているのではありません。神の求めに対して、彼らの捧げ物とその状況と、これにおける良い動機の基準を上げて、一時しのぎを考案して神の計画を改善しようとすることは、人間にとってとても哀れな対処です。神は、主自身の取り決めに影響を与えるよう、全ての人々に呼び掛けています。主はあまねく知られる自分の計画をつくりました。そして、主と協力するすべての人々は、軽率にその改善を企てるのではなく、この計画を実行する必要があります。

 主は、イスラエルのためにモーセに指導しました。「汝は、イスラエルの子らに、ランプにいつも灯しておくように、明かりのためにオリーブをつぶして取った純粋な油を、民が持ってくるように命じるでしょう」(出エジプト27:20 KJV)。これは、連続した捧げ物になるために存在していて、神のその家は、主の奉仕のために必要だった物を正確に供給されるでしょう。礼拝の家を覚えているために存在している今日の主の民(人々)は、主の財産であり、とても世話をされるために存在しています。しかし、この働きの基礎は、什一から来るために存在していません。

 非常に明白に、私達の民(人々)のために明らかなメッセージが私に与えられました。私は、その人々が様々な目的に什一を適用して間違いをしていると話すようにと言われています。そのことは、その人達自身には都合のいいことですが、什一が適用されるようにと主が言った目的ではありません。什一についてこの利用をしている人々は、主の取り決めarrangementから外れています。神はこれらの事柄を裁くでしょう。

 ある人は、什一が学校の目的に適用されるかもしれないという理由をもっています。さらに、ほかに、書籍訪問注文取り人達と宗教書配布人達が什一から支えられる必要があるという理由があります。しかし、牧師達の支援に利用されるために存在している什一が、ある目的のために使用されている時に、大きな間違いがなされています。今日、一人だけしかいない伝道地に百人の優れた働き人がいる必要があります。

 

4.厳粛な責任

 神自身のために主によって保有された、主自身のための什一は神聖です。それは、福音の働き人の支援に利用されるために、主の宝庫にもたらされるために存在しています。長い間、神が保有していた一部であるということに気づかない人々がいるので、主は什一を失ってきました。

 ある人は、不満にさせられて言いました。「私は、人が[什一を納める]働きの心を管理される(things are managed at the heart of the work)という方法を信頼していないので、もはや私の什一を納めたくありません」。しかし、あなたが[什一を納める]その働きの管理について考えていることが正しくないので、あなたは、神を失っているのではありませんか。あなたの不平をはっきりと正しい精神の持ち主の適切な人々に打ち明けてください。あなたの願いを道理に沿って補正される事柄として伝えてください。しかし、ほかの人々は正しいことを行なっていないので、不信仰を証しせず、神の働きから手を引かないでください。

 マラキの第3章を注意深く読んでください。そして、什一について神が言っていることを見てください。私達の諸教会が、神の言葉に自分で立っているならば、また、主の宝庫に自分達の什一を払う/納めてpaying信仰深くなるならば、多くの働き人達は、牧師の働きを引き継ぐように勇気づけられるでしょう。奉仕の働きに自分自身を捧げた多くの人々は、その宝庫が使い果たされたことを語らなかったものでした(More men would give themselves to the ministry were they not told of the depleted treasury.)。そこには、ほかに働く人々を支えるためにそれらを利用することや、什一を差し控えず援助の手を差し伸べる人々と、また、自分中心の心の人々がいたとしても、主の宝庫には豊富な蓄えがあるでしょう。

 神が保有している原資は、そのような無計画ではない方法で、利用されるために存在しています。什一は主の所有で、それを勝手にいじくる人々は、悔い改めない限り、自分達の天の宝を失って罰せられるでしょう。什一は、主が「それは出て行くでしょう」と言った人以外に、ほかの様々なチャンネルに進路を変えられてしまったので、その働きが立てられた生け垣に邪魔をされないようにしましょう(Let the work no longer be hedged up because the tithe has been diverted into various channels other than the one to which the Lord has said it should to.)。準備資金は、ほかの働き人達につくられるために存在しています。彼らは支えられるために存在しています。しかし、什一からではありません。神は変えませんでした。什一は、奉仕の働き人を支えることに利用されるために存在しています。新たな伝道地を開拓することは、私達が今行なっている以上に効率的な牧師の働きを求めています。そして、宝庫の中には資金が入って来る必要があります。

 牧師として出て行く人々は、不思議に無視されているそれらが進展する厳粛な責任を持っています。ある人は説教に満喫していますが、牧師達は、諸教会での個人的な[救霊の]働きに携わっていません。神に対する義務や責務について、特に、誠実に什一を払う/納めることについて、大いに指導される必要があります。私達の牧師達は、自分達の労働[の什一を]促されて納めさせられなかったならば、悲しみ悩んだことでしょう。しかし、それによって働き人達を支えるために、神の家の宝庫には食物meatが備えられる必要があると考えるのではありませんか。牧師達が、神の所有権のあるものを主に払う/納めるよう、忠実になることを教会の人々に教えても、自分の義務を果たすことに完全に失敗するならば、主の働きを前進させるための宝庫には、資金が不足することでしょう。

 神の群れを見守る者は、自分の義務を果たすことに慎重である必要があります。この事は自分を喜ばさないので、その人がこの立場を取るならば、その人は、誰かの何かのために行なうことを残してしまうでしょう。その人は忠実な働き人ではありません。什一を差し控えて神を失う人々を求めている神の言葉のマラキ書を読んでください。強い権力のある神は宣言しています。「汝らは、のろいに呪われています」(マラキ3:9 KJV)

 牧師達の一人が、言葉と教理によって一つの進路をたどる人々を見ている時に、その人々をこの進路に連れていくように、警告と指導を与える自分の義務をどうして怠ることができるでしょうか。教会員達はみな、正直に什一を払う/納めるpayingことによって信仰深くあることを教えられる必要があります。

 「汝らはみな、什一を宝庫に持って行きましょう。私の家には食物meatがあるようにしましょう。今これと共に私の真意を確かめてください(and prove Me now herewith, p.51参照)と、ホスト役/万軍の主は言っています。それを受け入れるための十分な余地がないならば、私は天の窓をあなた方に開かず、また、あなた方に祝福を注がないでしょう」(マラキ3:10 KJV)

                      

 私は、安息日を守ることが、神に仕えない人々から神に仕える人々を見分けるしるしとして[マラキ3:18]存在しているということと、第三天使のメッセージが私達のために多くの意味を持っているということに、兄弟[姉妹]達が気付くようにと祈っています。眠ったように無関心な人々を目覚めさせましょう。私達は、清くなるように呼び掛けられています。また、私達は、自分の信仰について、特有の意味を持っているかいないか、それが少しも成果がないという印象を与えないように、注意深く避ける必要があります。私達には、過去に担っていた義と真理のためにもっと堅く立って、金のように輝く責務が課せられています。神の戒め守っている人々と守らない人々の間の境界線は、間違えようのない清さを現すために存在しています。私達には、主との契約関係を保つためのあらゆる手段を知的に利用して、神を敬うための良心があります。私達は、非常に厳しく試されるために存在している人々のために必要な祝福という、主の祝福を受けているでしょう。私達の宗教の、信仰の印象を与えることは、神の大きな恥である私達の生活を統治する力ではありません。このように、私達は、主は私達の神、そして、私達は主の人々()ということを拒んで、私達の命である、主の戒めから離れています。

 「主は、汝らの神です。彼は神です。主の戒めを守る千代の子孫と、主を愛する汝らを憐れみ、約束を守る忠実な神です。そして、汝らを滅ぼすために、汝らに立ち向かって主を嫌う人々に仕返しをしています」(申命記7:9,10 KJV)

 私達は、この御言葉に書かれている千代の子孫が終わる前に存在していられるのでしょうか。私たちの運命は永遠に決定してしまっているでしょう。神の永遠の王国の家に属する価値を宣告されているか、永遠の死の宣告を受けたかのどちらかでしょう。神と自分達との契約に忠実で真実だった人々、カルバリーを覚えている人々、神を敬っていつも努力して、真理の側に堅く立っていた人々は、「よくやった。忠実な良いしもべよ」[マタイ25:21,23 KJV]との称賛の言葉を聞くことでしょう。気乗りのしない奉仕を神にした人々、世俗の行動と方法に満足するような生活を許した人々は、「私から離れてください。私はあなた方を知りません」[マタイ7:23 KJV]という悲しい言葉を聞くことでしょう。


 

31章 証31 慈善

 

 

[.祝福する人は祝福される]

 「汝の増えたすべての最初の収穫物と、汝の財産によって主の栄誉を称えなさい。汝の納屋はいっぱいに満たされるでしょう。ブドウの絞り樽は新しいワインであふれるでしょう」(箴言3:9,10 KJV)

 「自由に考える人は自由に物事を行ない、自由な物事によって、人は立つでしょう」(イザヤ32:8 KJV)

 神性の知恵は、慈善の働きをすること、活動と反響の法則、救済の計画の全ての分野に2倍の祝福を定めました。ほかの人々に必要な祝福を与えている人は、その大きさの程度によって絶えず自分が祝福されています。

 

2.福音の栄光

 その人は、慈善の結果の祝福を失わないでしょう。私達の贖い主は、主の協力者として、主に協力する計画をつくりました。神は、人間の助けなしに罪びと達を救う主の目的を成し遂げることができました。しかし、主は、人間が偉大な働きの一部を担って活動することがないと、幸福になれないことを知っていました。人の慈善を発揮させるような状況の連鎖によって、主は慈善心を育て最良の手段を人間に授けていて、主の目的を進展させるために習慣的に貧しい者に助けを与え続けさせています。罪の世界にいる人々は、それ自身の必要によって、滅びの中にいる人達に必要な真理を女性達と男性達に提示するための影響力と資金に関する私達のタレント/才能を引き出しています。そして、私達がそれらの呼びかけに注意を払う時、慈善活動によって、また、働きによって、私達は、私達のために貧しくなった主のかたちimageに似た者になっています。与えることによって、私達はほかの人々から祝福されています。このように、本当の豊かさに似た者となっています。

 慈善がいつも現れることによって、神性のかたちimageが罪に堕ちた人類を回復させる原則の基礎とされていることは、福音の栄光です。この働きは、天の法廷で始まりました。そこで、神は、人間のために考えた愛にかかわる間違いのない根拠を人間達に与えました。彼は「世界の人々をとても愛したので、一人息子を与えました。彼を信じる人は誰でも、滅びないで、永遠の命を持つでしょう」(ヨハネ3:16 KJV)。キリストという贈り物は、天の父の心を表しています。主は、主の働きの完成のために必要なものである、情に流されず、深い愛情で私達の贖いを引き受けたことを証しています。

 気前の良い精神は、天の精神です。キリストの自己犠牲的な愛は、十字架の上に現されています。人間が救われるように、主は自分が持っていた全てを与えた上に自分自身を与えました。キリストの十字架は、祝福された救い主に就いていく全ての人々の慈善を現しています。そこで描かれたその原則は、与える、与えることです。これは、良い働きと行動的な慈善の遂行という、クリスチャン生活の本当の成果です。世知に長けている人々の原則は、手に入れる、得ることです。そして、このようにして、その人々は安定した幸福を期待していますが、それ自身の遂行による惨めさと死がその成果です。

 キリストの十字架からの福音の輝きの光は、自分本位を譴責して、気前の良い贈り物と慈善を推奨しています。捧げるという呼びかけが増している事実は、嘆きになる必要がないでしょう(It should not be a lamented fact that there are increasing calls to give.)。摂理によって神は、主の人々()に、偉大な事業に入るように、行動の限界領域から呼び掛けています。限りない努力は、道徳的な暗闇が世界を覆っているこの時代に求められています。多くの神の人々は、世俗と強い欲望による罠という危機に中にいます。その人々は、自分達の財産への求めの多くが主の憐れみであるということを理解しています。行動への慈善の呼びかけというテーマは、その人々の前に置かれる必要があります。そうでないと、その人々は、偉大な模範となる人の品性に倣って形成できないでしょう。

 

 

3.家令の管理についての祝福

 主の弟子達に、行って、「すべての世界に、すべての造られた者達に福音を伝えなさい」と託したキリストは、主の恵みの知識を広げる働きを人々に委ねました。しかし、ある者達が伝えに行っている間に、主は、ほかの人々に、地上での主の目的を支えるための捧げ物の求めに応えるよう、呼び掛けています。主は、人々の手に財産を託しました。主の神性の贈り物は、私達に託された仲間を救う働きを行なう時に、人間チャンネルを通って湧き出るでしょう。これは、人を高尚にする神の方法の一つです。人間が必要としているのは働きの正当さです。それは、人の心に強い共感を湧き起こすので、知性の高度な能力の働きを呼びかけていいます。

 地上の良い事の全ては、人への主の愛の一つの表れとして、気前の良い神の手によって、地上に置かれています。貧しい人々は、主のものです。そして、宗教の[人類救済]目的も主のものです。金と銀(富と小銭)は主のもので、そして、主が望んだならば、天から人々に[それを]降り注ぐでしょう。しかし、この代わりに、主は、人を主の家令(財産管理人)にして、蓄えておくためではなくて、ほかの人々の益に利用されるために財産を託しました。このように、主は、人間を地上で主の祝福を分け与えるような媒介者として造りました。神は、人間が、慈悲深く、私欲のない品性で、創造主に似た者になることができて、そして、ついに、栄光の報酬、永遠のキリストに与る者となるために、慈善心に富んだ体系を計画しました。

 

4.十字架の周りでの集会

 カルバリーで現された愛は、私達の教会の間に広げられ力づけられて、再生される必要があります。私達は、キリストがこの世界にもたらした原則に、力を添えるためにできる全てを行なわないのですか。私達は、先延ばしせずに今求められている収益事業の効率を良くして、定着させる努力をしないのですか。あなた方は十字架の前に立って、あなた方のために死んでいる天の王を見る時、「いいえ、私は何も与えるものを持っていません」と言ってあなた方の心に封印をすることができますか。

 キリストを信じている人々は、主の愛を永続させるために存在しています。この愛は、十字架の周りに人々を共に引き寄せるために存在しています。それは、お互いに神と人々を結び付け、すべての利己的な人々を取り除くためです。

 自己否定と自己犠牲によってカルバリーの十字架の周りに集まりましょう。神は、あなた方が最善を尽くす時に、あなた方を祝福するでしょう。あなた方が恵みの御座に近づく時、罪の深い穴から人々を引き上げるために、天から地上に降ろされた特別な金の鎖によって、あなた方がこの御座に結ばれた自分を見つけたとき、あなた方の心は、世の中の希望がなく、神のいないあなた方の兄弟姉妹達のための愛のために出て行くことでしょう。


 

32章 証32 独立や自主の精神 [14]

 

 

[1.独立や自主の精神はサタンの特殊な尽力]

 [1890年に]オーストラリアを去ってから、そして、この国[のカリフォルニア]に来て以来、私は、アメリカでなされるための偉大な働きがあると指導されました。働きの初めの頃にいた人々は消え去っていました。私達の間に[人類救済]目的を持ったパイオニア達は、今、ほんのわずかに残っているだけです。長い経験をした人々によって、かつて担われていた多くの重責は若い人々に引き継がれています。

 体験している働き人達への責任の移譲は、多かれ少なかれ限界がありますが、私達が防護する必要のあるいくつかの危機に対して注意が払われています。この世界は支配権の紛争に満たされています。働き人達の仲間を引き抜く精神や、非組織化の精神は、私達の言葉の端々に雰囲気として存在しています。ある人によって、秩序を形成するあらゆる努力は、個人の自由を制限し、したがって、ローマカトリックの教義と同じで恐れられる――危険なものとみなされています。それらの騙された魂達は、自分達が独立的・自主的に考えて行動することと自分達の自由を叫ぶことは、善いことだと考えています。その人々は、私達はどんな人の言うことも受け入れないつもりだ、私達は人間に従うために存在しているのではない、と叫んでいます。私は[イエスから]、それは、自分の兄弟達の勧めに自分自身の独立・自主的なコースを自分で選ぶことを神が喜んでいると考えるように、人々を導くためのサタンの特殊な尽力だと指導されていました。

 この点で、私達の働きの繁栄に厳粛な危機が横たわっています。私達は、神を畏れるカウンセラー達の判断に調和して、賢明に思慮深く動く必要があります。このコースだけに、私達の安全と力が横たわっています。そうでなければ、神は、私達のために、私達によって、私達と共に働くことができません。

 サタンは、拒むでしょう。組織化が不可欠であることを通してある時の働きの非組織化とこの人々の間で得る努力に成功するならば、神の言葉によって支持されないという主張を否定して、間違った反乱を排除する強い力となるでしょう。私達は、働き人達を平等に待遇したいと思っています。慎重な働きと知恵によって築かれた秩序と組織の体系を分断しないようにしましょう。言動の自由は、この時代のための働きを支配しようとして、無秩序な要素を与えられてはいけません。

 ある人々は、私達が終末の時に近づいている時に、それを通して前進しました。すべての神の子らは、どんな宗教的な組織についても、独立的・自主的に行動するでしょう。しかし、私は、主によって、この働きの中で、すべての人々が独立的・自主的な者として、そのような者はいないと指導されました。天空の星たちは、法則の下に存在しています。星たちの運行を支配している法則への共有した従順に服して、互いに神の意図を行うためにほかのもの達に影響を及ぼしています。そして、主の働きが健全に一貫して前進できるために、主の人々()は、お互いに引き合う必要があります。

 とりとめのない、クリスチャンだと言う誰かの気まぐれな運動は、馴らされなかった野生馬たち[のような人々]によって、よく表されました。一人が前から引いた時に、ほかの人が後ろから引いています。そして、その人々の主人の声で、一人が前に押し込みます。そして、ほかの人々は動かないで立っています。人々が、この時のための壮大な働きと調和して動かないならば、そこには混乱が存在するでしょう。人々が自分の兄弟[姉妹]達と団結することを拒んで、一人だけで行動することを好む時、それは良いしるしではありません。働き人達は、正当な原則から逸れてすべてを自由に指摘している兄弟[姉妹]達と信頼関係を築くようにしましょう。人々がキリストの軛を身に着けているならば、別々な方向に引くことができません。兄弟[姉妹]達はキリストと共に引くことでしょう。

 ある働き人達は、神が与えた力で、みんなで引いています。しかし、その人々は、まだ、一人で引かないことを学んでいませんでした。自分達を切り離すのではなく、労する仲間達が共に一致して引きましょう。その人々がそれをしない限り、その人々の行動は、間違った方法で、間違った時に働くでしょう。その人々は、しばしば、神が行なった働きの反対の方向に働いているでしょう。このように、その人々の働きは、役に立たないもの以上に悪いものになっています。

 

2.多様性における一致

 一方において、神の人々()の間のリーダー達は、少数の人だけで行なうのが適している特別な働きするために主によって導かれている働き人達に対して、個人的な方法で譴責する危険に対して守るために存在しています。責任を担っている兄弟達は、働き人達の方法と完全に一致していない動きへの批判を緩やかになるようにしましょう。その[譴責や批判する]人々は、すべての計画が自分達の顕著な特性を反映する必要があると考えないようにしましょう。その人々は、ほかの方法に信頼することを恐れないようにしましょう。なぜなら、神が託した方法で特別な働きをしている謙虚で献身した熱意のある働き人の一人の兄弟を信頼しない人々は、主の[人類救済]目的の前進を遅らせているからです。

 神は、人間の学校で教育を受けることができなかった人々を用いるでしょう。これを行なう神の力を疑うことは、不信心を現しています。それは、不可能なことのない御方の全能の力を制限しています。この招きがなかった人々、疑い深い人は、注意してください。教会のとても多くの人々の能力が使われずに残っています。それは、聖霊が人々を用いることができないので、その道を閉ざしています。それは、キリストの働き人として労することを切望して、働きたいと思っている人々を無関心にし続けています。それは、その人々が公平なチャンスを与えられていたならば、神と共に効果的に働く者となるだろう多くの働き人全体のやる気を無くさせています。

 [エゼキエル]の預言書に、輪の中の輪[があります]。生きている創造された者達の姿が現れてそれらの輪と繫がりました。すべては説明しにくく複雑に見えました。無限の神の知恵の手が、それらの輪の間に見られました。そして、完全な秩序がそれ自身の働きの成果です。すべての輪は、神の手によって指導されていて、ほかの全ての輪と完全に調和して働いていました。人間という手段/道具は、自分達の働きを支配することを試みて、あまりに多くの力を求めがちなことを私は示されました。その人々は、主なる神、権能ある働き主を忘れていて、自分達の多くの方法と計画が不足して、そして、その働きを前進せることについて、すべてに主を信頼していません。偉大な「私は存在している」に属しているそれらの事柄を管理することができると一瞬も空想する人はいないでしょう。神は、摂理によって、人間の働き人達によってその働きがなされるように、一つの方法を備えています。すべての人間が「神は自分の指導者である」ということを覚えていて、この時代のための自分の分の行動を行なって、また、自分の義務の位置に立つようにしましょう。

 

3.SDA全体総会

 私は、たびたび、主によって、一人の人間の判断はほかのどんな一人の人間の判断にも任されないと指導されました。一人の人間の知性や数人の知性は、計画が従わせられると言うため、この働きを支配するため、力と知恵を満足させるものとしてみなされる必要はありません。しかし、一地域のSDA全体総会の中で、伝道地の全ての部分から集まった兄弟達の判断がなされる時に、個人的な独立・主体性と個人的な判断は、断固として維持されず、任される必要があります。教会全体の決定と比べて、一人の独立した立場を保つことが良い事だと一人の働き人を見なす必要はありません。

 ある時、SDA全体総会の名称によって、小さいグループの人々がその働きの全体の管理を任せられた時、神の働きを制限するために、また、賢明でない計画を遂行しようとした時に、私は、神の声としてそれらの少数の人々によって提示されたものは、もはやSDA全体総会の声とみなすことはできません、と言いました。しかし、これは、関心を持たれていないような伝道地のすべての地域から選ばれた代表者達によって、正当に任命された一つの集まり、構成した一地域の全体総会の決定を言っているのではありません。一地域のSDA全体総会に集められた時、この地上のあらゆる部分から主の教会について代表者達を任命した神は、権威を持っていたことでしょう。その間違いを犯す危機の中にいたある人は、一人の判断と知性を与える中にいるか、小さなグループの人々の中にいます。SDA全体総会の声と判断の中で主の教会を訪れ、影響と権威に満ちた測るmeasure神は、主の働きの前進と繁栄のための計画を集めました。

 神がこの教会に置いたこの権限が、一人の人に全面目的に与えられた時、また、彼がほかの知性達によって判断されるための権威によって調査される時、真の聖書の指示は変えられています。サタンの尽力は、そのような人の知性に最も難解なものとなり、また、時々、かの敵は自分の知性を通してほかの多くの人々に影響を与えたいと望んでいたので、ほとんど征服に近いものとなるでしょう。私達は小さいグループの人々や一人の人に[権限を]与える傾向がありますが、この教会に、高度に組織化された権限を与えましょう。


 

33章 証33 責任の分担

 

[1.選ばれた人々]

 神は、一つの理解をしている人々、主の人々()を持っているでしょう。主は、私達のカンファレンスの代表者達として、選ばれた人々が行くという内容に取り決めarrangeました。それらの人々は試みられ真意が明らかにされるために存在しています。その人々は信頼に値する人になるために存在しています。私達のカンファレンスに参加するための代表に選ばれることは、一つの重要な問題です。それらの人々は、この働きの推進を担わされるという計画を策定するために存在しています。それゆえ、その人々は、努力目標の理由を理解できる人々になるために存在しています。

 

 翌日になって、モーセは人々()の裁き/判断のために座っていました。そして、その人々は、朝から夕までモーセのそばに立っていました。モーセの義父は、モーセが人々にしていたことを全部見た時に言いました。「汝がこの人々に行なっているこれは何ですか。なぜ、汝は、汝自身一人だけが[裁きのために]座っていて、その人々は朝から夕までそばに立って[待って]いるのですか」。モーセは義父に言いました。「その理由は、この人々が神に関する質問を私に持って来ているからです。人々が問題を抱えた時に私の所に来ます。そして、私は、一人とほかの人の間を裁いて/判断しています。そして、私は神の律法と、主が制定した規則を人々が知るようにしています」。そして、モーセの義父が彼に言いました。「汝が行なっているこの事は良くないです。汝と、汝と一緒にいるこの人々は、やがて困り果ててしまうでしょう。この事は汝には負担が多すぎるので、汝は一人だけでそれを行なうことが不可能です。今、私の声/意見を聞いてください。私は、汝に助言をしましょう。神が汝と共にいますように。汝は、人々のために神に向かう者Godwardとなってください。汝は、その理由causesを神に持って行くことができるでしょう。そして、汝は、律法と定めを人々に教えましょう。そして、人々が行なう必要のある働きと、歩む必要のある道を人々に示しましょう。さらに、汝は、すべての人々の中から、神を畏れ、誠実で、貪欲を嫌うような人々を任命しましょう。そして、千人を治めるため、百人を治めるため、五十人を治めるため、そして、十人を治めるために、その人々を担当する場所に配置しなさい。そして、すべての期間に、その人々に、この民の裁き/判断をさせましょう。そして、その人々はすべての大きな問題を汝のもとに持って来るようになるでしょう。また、その人々はすべての小さい問題を自分達で裁く/判断するでしょう。裁きは、汝にとって、負担が軽くなるでしょう。そして、その人々は、汝と共に重責を担うでしょう。

 神がそうするようにと命じているこの事を汝が行なうならば、その時、汝は重い負担に耐えることができるでしょう。そして、この民はみな、平和のうちに自分達の担当する場所に出て行くことでしょう。

 そこで、義父の声/言葉に心を打たれたモーセは、彼が語ったことをすべて実行した。モーセは、全イスラエルから能力のある人々を選んで、千人の長、百人の長、五十人の長、そして、十人の長として、その人々()を治める長にしました。そして、その人々は、いつでも、その民(人々)を裁きました。その人々は、難しい理由causesをモーセに持って来ました。すべての小さなもめごとはその人々が自分達自身で裁きました」(出エジプト記18:13-26 KJV)。

 

 使徒言行録の最初の章にもまた、指導が、この教会の責任を負うための人々を選ぶことについて与えられています。ユダの背信は12使徒達の層の中に一つの空席を残しました。そして、それは、この場所を占めるためにほかの人が選ばれる必要がありました。この事について、ペテロはこう言っています。

 

 「主イエスが私達の間で活動していた期間中に、ヨハネのバプテスマから始まり、主が私達から取り去られた日まで、私達と仲間になったゆえに、一人が、私達と共に主の復活の証人になるよう、任命される必要があります。そして、彼らは、バルサバスと呼ばれユストスとも言われたヨセフとマッテアスの二人を指名しました。そして、彼らは祈って言いました。すべての人々の心を知っている主、そなたは、ユダが罪によって落ちて彼自身の場所に行っただろうから、この奉仕の働きの役割を担う12人目の使徒として、この二人のうちのどちらを選んだかを示してください。そして、彼らが二人の前にくじを与えたところ、そのくじはマッテアスに当たりました。そして、彼がその11人の使徒に加えて数えられました」(使徒言行録1:21-26 KJV)

 

 これらの御言葉から、私達には、主がいろいろな役割を果たすために信頼できる人々がいます。神は、神聖な信頼に背かないような人々を賢明に選ぶこと、主の人々()に慎重に動くことを教えているでしょう。キリストの時代の信者達が責任と役割のために、人々を選んで守られる必要があるように、今の時代に生きている私達は重く自由な裁量権を行使する必要が確かにあります。私達は、私達のための選びを主に求めて熱心に祈り、神の前にすべてのケースを提示するために存在しています。

 天の神、主は、主の目的の責任を担うように、選ばれた人々に体験させました。それらの人々は、特別な影響力を持っているために存在していました。みんながそれらの選ばれた人々に与えられた力で調和しているならば、ためらいながら歩むことは停止が求められなければならないでしょう(a halt will have to be called.)。神の働きの重責を負うために選ばれた人々は、利己的や自己満足や軽率になるために存在しているのではありません。その人々の模範や影響力は、悪の力のためにあるのではありません。主は、それをいつまでも取り囲んでいるべき神聖を取り去って、主の働きに平凡を持ち込むだろうという考えを進めるための自由を男性や女性達に与えませんでした。神の働きは、主の人々()のために神聖が増すために存在しています。すべての道で、私達は、真理に属する高められた品性が増大するために存在しています。私達の施設の中で、神の働きの守護者として置かれている人々は、神の摂理の方法と意図をいつまでも守るために存在しています。一般的な働きの健全さは、数々の教会によって神の意図を遂行するよう託された人々の信仰深さに依っています。

 人々は、キリストの品性の知識を増やし、自分の事柄ではなく、神の事柄において、経験を増やせるように、人々の刺激を受ける場に置かれる必要があります。人々は、キリストについて知って、もっと信仰深く、世界の人々に主を表しましょう。その人々は、主の言葉に注意を払って、主の声を聞くために存在しています。

 

2.警告

 「それから、主は、その中で最も力ある働きを行なった諸都市[の人々]が悔い改めなかったので、叱り始めました。汝らに災い、コラジン、汝らに災い、ベッサイダ。あなた方の中で行なわれた力ある働きが、ツロとシドンで行なわれたならば、荒布をまとい、灰をかぶって悔い改めたことでしょう。しかし、私はあなた方に言います。裁きの日には、あなた方よりもツロとシドンの人々の方が耐えられるでしょう。

 また、汝ら、天にまでも高められたカペナウムの人々は、黄泉に落とされるでしょう。汝らの中で行なわれた力ある働きがソドムの中でも行なわれたならば、その町は今日まで残っていたでしょう。しかし、私はあなた方に言います。裁きの日には、あなた方よりも、ソドムの地に住む人々の方が耐えられるでしょう。

 その時に、イエスは答えて言いました。私は、天と地の主、父、そなたに感謝しています。そなたは、これらの事を知恵のある者や分別のある者に隠して、見聞の狭い人から特定の人々に現しました。さらに、父よ、それは、そなたの目にとても良く見えました。全ての事柄は、私の父から私に伝えられています。しかし、天の父の息子を知っている人は、父を現そうとしている息子のために、息子を救う父のほかにいなくて、その父を知っている人は誰もいません。

 重荷を負って苦労している者はみな、私のもとに来てください。あなた方は私のくびきを着けてください。私は心が優しく謙遜な者ですから、汝らは、自分の魂に休息を見つけるでしょう。私のくびきは負いやすいので、私の重荷は軽やか/真理です」(マタイ11:28-30 KJV)。

 

 優しい心と謙遜で柔和になることは常に安全があります。しかし、同時に、私達は、キリストの教えの岩にしっかりとついているために存在しています。主の指導の言葉は、本当に注意が払われるために存在しています。一つの言葉も、[私達の]目から失われるために存在していません。その真理はいつまでも残っているでしょう。私達は、何かの見せかけや嘘に自分達の信頼を置くために存在していません。これを行なう人々は、それは永遠の命を失うことを行なうことだったということが分かるでしょう。私達は、その道から離される平凡な人にならないように、私達の足元を正しい道に向けるために存在しています。その平凡な人が安全な道から離れる時に、その人々を導いた人々の誰に責任があるのですか(who is accountable but those who have misled them?)。その人々は、偽りの父、騙しの起源の者の働きのために、永遠の命である言葉、御方の勧めを無価値なものにしました。私は、バトルクリークで彼らが教育を得て安全だと思うことができるすべての人々のために言葉を持っています。キリストがベッサイダとカペナウムに警告を与えたように、主は、バトルクリークに設立されていた、私達の最も大きな施設の二つの染みを取り去りました [15]。そこには、神の口から出続けるすべての言葉で熱心な警告を与える一つの必要があります。そこでは、キリストの言葉から逸れて潔白でないものになりえます。救い主は、間違っている人々に悔い改めをするよう強く勧めています。心を謙虚にして、自分達の罪を告白する人々は赦されるでしょう。その人々の罪は赦されるでしょう。しかし、自分の弱さを示して、罪を告白しようと考えている人は、赦しを見つけないでしょう。また、自分の贖い主として、キリストを見ないでしょう。また、罪に罪を重ねて、失敗に失敗を繰り返して、罪の中にいて、罪に行くでしょう。複数の本―-巻き物が開かれて、すべての人がそれらの本に書かれた事柄によって裁かれる日に行なう人のようでしょう。

 黙示録の第5章は詳しく研究される必要があります。それは、この地上の最後の日のための神の働きの一部を行動する人々の重要なことについて書いてあります。そこでは、ある人々は騙されています。その人々は、地上に何が訪れるかということに気づいていません。罪を構成しているものに関して、雲のようなもので覆うようになるように自分達の知性を許した人々は、恐ろしくだまされています。その人々は変容を決意しない限り、その人々は、神が人々の子らの上に裁きを宣告する時を待っているように見られるでしょう。その人々は、永遠の契約を破り、そして、神の律法に違反していました。また、自分達の働きによって騙されていました。

 

 「そして、私は見ていました。彼/主は第6の封印を開きました。そして、見よ、そこには、巨大な地震がありました。そして、太陽は、髪のような、荒い亜麻布のように黒くなり、また、月は地のような色になって、そして、イチジクの木が青い実が強い風によって落とされるように、天の星たちは地上に落ちました。天は、巻かれている時の一つの巻物のように消滅しました。そして、すべての山々と島々は、それらの場所から移動させられていました。そして、地上の王達と高い地位の人々、富める人々、首長達、そして、権力のある人々、男の奴隷、すべての自由人達は、山々の岩の間や洞穴に自分達を隠しました。そして、山々と岩々に言いました。主の怒りと復讐の大いなる日が来ているので、私達に注がれている、神の子羊の怒りと復讐から、玉座にいる神の顔から、私達を隠してください。立つことができる人は誰でしょうか」(黙示録6:12-17 KJV)。

 

 「この後、私が見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、人々、言語の人間が、数えられない大いなる群衆が、神の子羊の前と玉座の前に立っていました。白い衣を着て、手にシュロの葉を持って、そして、大きな声で叫んで言いました。神の子羊により、玉座に着いている私達の神による救い、……そこには、また、自分達の衣を洗った人々、そして、神の子羊の血によって白く清められた人々、大いなる苦難を乗り越えてきた人々がいました。そのために、その人々は、神の玉座の前にいて、そして、主の宮の中で夜も昼も主に仕えています。そして、玉座に座している主は、その人々の間に住んでいるでしょう。その人々は、もはや飢えることがないでしょう。渇くこともないでしょう。人々を照らす太陽の光もないでしょう。炎暑もないでしょう。玉座の真ん中にいる神の子羊が、その人々を養うでしょう。また、生きている水の泉に、その人々を導くでしょう。そして、神は、その人々の目から涙を拭い取るでしょう」(黙示録7:9-17 KJV)

 

 これらの御言葉の中に、二つのグループの見解がもたらされています。一つのグループは、騙されることに自分達を許して、主が闘っている相手の人の側に立っています。その人々は、自己を義とする衣を自分自身で着て、自分達に送られたメッセージを誤解していました。罪が、その人々の目には罪深いものではありませんでした。その人々は、間違ったことを真理として教えられていました。その人々によって、多くの魂が逸れた道に導かれていました。

 私達は今、自分自身について注意を払う必要があります。警告が与えられていました。私達は、ルカの21章に記録されたキリストによって預言されたことの成就を見ることができないのですか。どれほど多くの人々がキリストの言葉を研究していますか。どれほど多くの人々が、信じて従うならば、ほかの人々が手に入れる祝福を自分自身で失い、自身の魂をだましていますか。調査審判は、まだ、手間取っています。そして、福音によって私達の前に置かれている希望を手に入れることは、私達の特権です。私達は、自分達の罪のために、悔い改めて回心しましょう。それらの罪は消し去られるでしょう。

 「天と地は、過ぎ去るでしょう。しかし、私の言葉は過ぎ去らないでしょう。あなた方が気付かないうちにその日が来るので、あなた方の心が、この世の生活の世話をして、飲むこと、そして、大食いをして、太り過ぎた時になるといけないので、あなた方自身のために注意していなさい。一つの罠が地の表の全体に住んでいるすべての人々の上にかけられるでしょう。それゆえに、汝らは、いつも祈って、人の子キリストの前に立つために、そして、過ぎ去るだろうこれらのすべての事柄から逃れて価値ある者と数えられるために、目を覚ましていなさい」(ルカ21:33-36 KJV)

 

 キリストによって与えられた警告は、注意を払われずに過ぎ去っていくのでしょうか。私憐れみの恵み深い声がまだ聴かれている間に、達は今、悔い改めのための働きを勤勉にしないのでしょうか。

 

 「それゆえ、汝らの主が来る時刻を知らないのだから、汝らは、見張っていなさい。しかし、このことを知っていてください。その家の主人は盗人が来ることを知っていたならば、自分の家が壊されて損害を受けないように、見張りをしていたことでしょう。その場合、忠実で賢明な奉仕者は誰ですか。時に応じて食物を与えるために、その主人は、自分の家の者達を誰に管理させますか。その主人が帰って来てそのように行なわれていたのを見た時、そのような奉仕者は祝福されています。本当に、私はあなた方に言います。その主人は、彼を自分の全財産の管理者にするでしょう。しかし、悪い奉仕者は心の中で私の主人の帰りは先延ばしになると言って、仲間の奉仕者達を殴り始めるでしょう。そして、酒飲み仲間と飲んだり食べたりして、その奉仕者の主人は、奉仕者が自分を見張っていない日に、その人の気が付かない時に戻って来るでしょう。そして、彼に託した財産を偽善者達と一緒に、粉々に切り刻むでしょう。そこでは、泣きさけんだり歯噛みしたりするでしょう(マタイ24:42-51 KJV)


 

34章 証34 謙虚と信仰 [16]

 

 

[1.仲間達の勧めと計画のため]

 危険に満ちた時が私達の先にあるので、特別な指導が神の人々()のために、私に与えられました。この世界の中に、破壊と暴力が増加しています。この教会の中で、人間の力が行政的優位を得ています。責任ある地位を占めるために選ばれた人々は、自分達の特権として支配を考えています。

 主の働きの重要な地位に呼び出されている人々は、主に対する謙虚な信頼を涵養するために存在しています。その人々は、多すぎる権威を取り込むために存在しているのではありません。神は、彼らを支配する働きのためではなく、彼らの働き人、仲間達の勧めと計画のために呼び出しました。同等にすべての働き人達は、神の指導と求めに自ら進んで従って、自分自身を保持するために存在しています。

 

2.賢明なカウンセラー

 南カリフォルニアにおける働きの重要性と、その近隣の現在の困ったことのゆえに、全体の政策と計画について、ローカルとユニオンカンファレンスの代表に意見を求めるために行動する、賢明な人が5人も選ばれる必要がありました。主は、ある人が自分達よりも経験の多い人々を支配することを現す、その措置を気に入っていませんでした。この行動の方針によって、ある人は、自分達が占めている重要な地位に相応しい資格がないことを現しました。外見的に自分自身を大きな姿を見せようとする人や、自分の仲間達を支配しようとする人は、宗教的な責任を託される人として、危険であることを自分で証明しています。

 手元に資金がない時でないと、資金の投資を呼びかける動きをすべきでないという考えに固執する人がいないようにしましょう(Let no one cling to the idea that unless money is in hand, no move should be made that call for the investment.)。私達の過去の経験において、私達はいつもこの方法に従って来ました。私達は、しばしば、ロマリンダと、グランディールと、バラダイスバレーでのサナトリウムの資産の購入に当たって、フェルナンド学校資産の購入に当たって得た時のように、特別な優位性を失っていました。

 

3.前方に出て行く

 私達が、完全に熟考された働きのための資金を手元がない時でないと、資金の投資を呼びかける動きをしないことは、最も賢明な計画がいつも考慮されていないでしょう(To make no move that calls for the investment of means unless we have the money in hand to complete the contemplated work should not always be considered the wisest plan.)。主の働きを築き上げることにおいて、主は、主の奉仕者達の前に、すべての事柄を常に明らかにしていません。主は、彼らが信仰による前進の行動をとることによって、時々、主の人々()と信頼を結んでいます。しばしば、神の民の足が紅海の水に触れているように見える時に、前進するように命じて、主はその民を真っすぐ試練の場所に連れて行っています。それは、主の奉仕者達の祈りが熱心な信仰によって主のもとに昇った、そのような時です。主は、彼らの前に道を開いて、大いなる場所に連れて行っています。

 主は、今日も、主がエジプトからカナンへの旅にイスラエルの子らのために行なったように、主の民のために大いなることを行なうだろうと信じるように、主の人々()に望んでいます。私達は、最も困難な体験の中で、主の指導にためらわないように教育された信仰を持つために存在しています。「前進しなさい」は、主の人々()のための神の命令です。

 信仰と好意的な従順は、主の意図した道に連れて行くために必要とされています。主が影響力を持っている所でその働きを設立する必要を指し示す時に、主の人々()は、信仰によって働いて歩むために存在しています。彼らの信心深い回心、その人々の謙遜、その人々の祈り、そして、熱心な努力によって、その人々は、主がその人々の間で設立した良い働きを認識するために、人々を連れて行って努力するでしょう。ロマリンダサナトリウムは私達の人々()の財産になるだろう、ということは主の目的です。主は、困難の流れが満ちて、彼らの堤防を超えた時にそれをもたらしました。

 個人の収益目標に個人的に関心を働かせることは一人の人間の問題です。この場合に、人々は自分自身の判断に従うでしょう。しかし、地上での主の働きを前進させることは、まったく別の問題です。主が、主の働きを成し遂げ、主の目的を前進させるために、一定の資金が確保されることを示している時、それが学校の働きやサナトリウム、ほかの施設の何かのためになろうとも、経験のある人々が主の目的を信頼して信仰を示して、主が指し示している一定の優位性[慈善・募金・献金]に向かって即座に前進するならば、主はその働きが可能となる行動をするでしょう。私達は誰かの財産を取り上げるために存在していません。その一方で、また、優位性が申し出されている時、私達は、その優位性を見るために目を大きく開いている必要があります。私達はその働きを拡大させるための計画を作るでしょう。また、私達は、このことを行なう時に、それらの新しい事業を支えるために、神の人々()の自由意思の確実なすべてのエネルギーを使う必要があります。

 しばしば、主は、主の働き人達が行なうべきことに確実であるということを見ています。そのような時に、主の働き人達は、主に信頼を置いているでしょう。主は、主の意思をその人々に現すでしょう。神の働きは今、速やかに前進するために存在しています。そして、主の人々()が主の呼びかけに応答するならば、主は、その人々の宝が快く寄付された財産や資金とするでしょう。そして、このようにして、主の働きは地上で成し遂げられることが可能となるでしょう。「信仰は望んだ事柄に実体/財産があることであり、見えなかった事柄に根拠があることです」(ヘブライ11:1 KJV)。神の言葉への信仰は、真理のメッセージを待っている大都市の人々に働き人達が働くことができるように、主の人々()を資金や財産の中に置くことでしょう。

 働き人達が行なっている働きの、冷淡、形式、不信の方法は、神の精神/霊に対して重大な違反の一つです。使徒パウロは言いました。「不平と感情的な議論なしに全ての事柄を行ないましょう。汝らは非難するところや欠点がないでしょう。とがめられることのない、神の息子達[娘達]は、不正直で道を誤った国の民の真っただ中で、世界の人々の光として、その人々の間で輝いています。命の言葉を前に掲げて、私はキリストの日に喜ぶでしょう。私は無益な働きをしなかったばかりか、無駄に走りませんでした。そうです。そして、私は、あなた方の信仰による奉仕と犠牲が示されるならば、私は嬉しく思っています。そして、あなた方みんなと喜んでいます」(フィリピ2:14-17 KJV)

 私達は、キリストがすべての信者に持つことを可能にした生きた信仰を通して、お互いに励まし合うために存在しています。その働きは、主がその道を備えているように伝えられるために存在しています。主が、主の人々()をじかにいろいろな場所に連れて行った時、神の事柄について全てを思い出して、祈るために共に集まることは特権でした。最後の日々の働きに参加せず試練の体験を分かち合っていなかった人々は、自分達の神への信頼について厳しい試練を受ける、という場面を通り超さなければならないでしょう。神が「前進しなさい」と主の民(人々)に言っているのは、主の民が前進するための道が見えない時、紅海がその民の前にあって、追跡する敵が後方に迫っている時です。このように、主は民の信仰をテストするために働いています。そのような体験があなた方にやって来る時、キリストに信頼して、前に進みましょう。主がしるした道を、ひと足またひと足と進みましょう。試練はやって来るでしょう。しかし、前に進みましょう。これは、あなた方が、最も誠実な奉仕に相応しくなるように、神への信仰が強くなるように、一つの体験として与えられているでしょう。

 

 

4.キリストの模範

 宗教的な事柄で、厳粛な多方面にわたる体験は、神の人々()にやって来るために存在しています。キリストは私達の模範です。神の言葉への犠牲的な従順と生きた信仰を通して、私達がキリストの気品と愛を現しているならば、また、私達が、その働きにおいて神がガイドしている摂理の真の概念を持っているならば、私達は納得させる力を世界の人々に伝えているでしょう。高い地位は、神の目にある価値を私達に与えていません。人は、神の意図の働きを果たす信仰と献身によって評価されています。神の残りの人々()は、信仰と謙遜によって主の前を歩むでしょう。主は、真理がイエスの中に存在していたように、真理を世界の人々に伝えて、調和して働くことをその民に可能にして、主の永遠の目的をその人々を通して成し遂げるでしょう。主は、主の戒めに誠実になるように一つの人々()を呼び出して、世界の人々の前にその光/真理を輝かすために、すべての人々(男性、女性、子ども)を用いるでしょう。主の人々()が主によって実践する信仰を通して、神は、イスラエルの神、主が本当の神であることを、世界の人々が知るようにするでしょう。

 

 使徒パウロは熱心に進めています。「あなた方の回心が、キリストの福音となるようにしましょう。私が行ってあなた方に会うか、行かずに会わないでいるかに関わらず、私はあなた方の出来事を聞いています。汝らは、福音信仰のために一つの知性となって共に奮闘して、一つの精神でしっかりと立っていてください。そして、あなた方の敵対者達によって恐れさせられることのないように、それ[福音信仰]は彼らにとって永遠の滅びの明白な象徴として、あなた方にとって救いのために存在していて、神に属しています。あなた方のために、それは、主を信じることだけではなく、主のための苦難を受けることも、キリストに属する益として与えられています」(フィリピ1:27-29 KJV)

 

 「それゆえ、キリストによってなんらかの慰めがあるならば、愛に属する何かの安心、精神に属する何かの友情、何かの同情と憐れみに満たされているならば、汝らは、一つに調和して、一つの知性、同じ愛を持って、同じ考えを持つようになって、私の喜びを満たしています。華々しい論争や嫉みを通して、行なわれることがないようにしましょう。知性の謙虚さについて、自分達よりもほかの人々を良く評価するようにしましょう。

 自分自身の事情によって周りの人々を考えるのではなく、ほかの人々の事情によって周りの人々を考えましょう。キリストイエスの中にあった、この知性があなた方の中にあるようにしましょう。キリストは、神の姿formで存在していましたが、神と等しくあることを失わないように考えて[17](thought it not robbery to be equal with Him.)[なおかつ]、へりくだって、奉仕者の姿を取って、人間のようになりました。そして、[人類の代わりとして]一人の人間としてのやり方で存在して見られました。彼は謙虚で、十字架の死でさえも、死ぬまで従順になりました。そういうわけで、神は彼をとても高貴にして、全ての名前を超えた所にある名前を与えました。イエスの名前に、全ての人は膝をつくでしょう。天にいる者達、地にいる者達、地の下にいる者達、そして、すべての言葉を話す者達は、父なる神に栄光を帰して、イエスキリストが主であると告白するでしょう。それゆえに、私が最も愛したみなさん、汝らがいつも従順であったように、私が現れた時だけでなく、私がいない今もいっそう従順で、恐れおののいて自分自身の救いを達成してください。あなた方の意思と行ないの両方で働いているのは神で、神の善と喜びだからです」(フィリピ2:1-13 KJV)

 

 私は、南カリフォルニアの私達の[教会の]人々にこれらの言葉を贈るようにと指導されていました。その言葉は、奇妙な体験が私達の信徒の中に入って来たので、設立されていた教会のどこでも必要とされています。

 主の方法によって働くように学ぶこと、神の前に心を低くすることは、人々のために今、時間があります。自分達の働き人の仲間を支配しようとしている人々は、自分達が属している精神/霊の様式を理解するために学びましょう。その人々は、魂を謙虚にして、祈りと断食によって主を求める必要があります。

 地上の生涯の間にキリストは、すべての人が安全に倣うことのできる一つの模範を与えました。主は、主の群れの人々の価値を認めて、主への奉仕によって、その人々の自由を制限するように支配する力を置こうとは思っていません。主は、主の信仰遺産[残りの人々] を支配するような人を置きませんでした。聖書の宗教は、ほかの人を支配するようにではなく、自己抑制に導いているでしょう。一つの人々()として、私達は、聖霊の大きな秤を必要としています。私達は、自己を称揚することなく、神が私達に与えた厳粛なメッセージを伝えることができるでしょう。

 兄弟[姉妹]のみなさん、あなた方の個人的な私心を評価するために、自分の言葉を蓄えておいてください。間違いをする人間ではなく、キリストを見るように群れの人々に教えてください。真理を教える教師となる全ての魂は、自分自身の生活に聖化の実をもたらす必要があります。キリストを見詰めて、主に倣いましょう。その人は、クリスチャンになろうとして学んで、生きている一人の模範を、自分が教えている魂達に贈っているでしょう。あなた方は神に主の道を教えていただきましょう。日々、主の意図を知ることを求めましょう。主は、誠実な心で主を求める全ての魂に、誤ることのない勧めを与えることでしょう。あなたが呼び出されたことによる、天職の価値によって歩んでください。あなた方の良い祈りはもちろん、あなた方の日々の回心によって、神はたたえられています。このように、命の言葉を前面に掲げて、あなた方は、キリストに就く者達になるために、ほかの魂達に押し迫るでしょう。

35章 証35 南カリフォルニアにいる働き人達へ [18]

 

 

[1.助けは権威ある御方に備わっている]

 今朝、私は休養できていません。私の知性は南カリフォルニアの状況に悩まされています。神は、すべての人々にその働きを与えました。しかし、個人的な責任を慎重に考慮していない人々がいます。

 ある働き人が、ある事務所に採用されました。その事務所での地位は、その人が以前に備わっていなかった能力に何ももたらしませんでした。高い地位は、クリスチャン品性の徳目を与えることはありません。多くの施設の働きのために、個人的な知性に計画作成と創案の才能があると思う人は、知恵の大きな欠如を現しています。多くの施設の働きと、数千人の信徒を擁するカンファレンスの様々な責任と、多くの任務を担う知性のある人間は一人もいません。

 しかし、牧師達とほかの働き人達が、その目的で、自分達の義務を明確にするために、働き人達を導いていく確かな知性のある人に頼るべきだという私達の働き人達の間で進展していた考えによって、これ以上に大きな危機が私に現されました。一人の人の知性と判断は、一つのカンファレンスに形成されて支配する能力とみなされるために存在していません。ある個人とこの教会は、それぞれ自身の責任を持っています。神は、すべての人に、使用したり改善したりする才能や何らかの才能を与えました。それらの才能を使うことによって、人は奉仕のために自分の素質を増しています。神は、一人一人に個人的な判断力を与えました。そして、主はこの賜物を主の働き人達が使って改善することを望んでいます。一つのカンファレンスの代表は、自分の個人的な判断はすべての働き人達の判断を支配するために存在していると考えてはいけません。

 カンファレンスの中での提案は、あらゆる側面から慎重な質問が出されて比較検討するために、兄弟達によって取り上げられる時間なしに、早急に議決されるべきではありません。一つのカンファレンスの代表が提案した計画は、時々、それらについて、主の助言を求めることが不必要だと考えられていたからです。このように、提案は、初めに表面的に考察したように見えた以上の内容を含んでいて、信徒達の霊的な益がなかった状態で受け入れられていました。そのような動きは、神の指示の中にありません。多くの、実に多くの内容が提起されて、採決によって承認されました。それらの人々が裁決したものは、あらゆる側面からの質問を考慮するために彼らが使った時間で同意したことは快いどころか、それは予想された以上の内容を含んでいました。

 私達は、神の働きの中で、不注意や怠慢にしている余裕がありません。私達は、自分に訪れる体験に備えをしておこうと考えるならば、毎日、熱心に主を求める必要があります。私達の心は優越心の感覚から清められるために存在しています。また、真理の生きた原則は魂に植え付けられるために存在しています。若い人も老人も、そして、中年の人も、キリストの品性の美徳を今、実行している必要があります。その人々は日々に、霊的に発達している必要があります。その人々は、大教師のための奉仕に名誉を捧げる器/人となることができるでしょう。

 「その後、イエスがある所で祈っていた時、それが終わってから、主の弟子の一人が主に言いました。主よ、ヨハネがその弟子達に教えたように、私達にも祈ることを教えてください」(ルカ11:1 KJV)。この問いに応えて主の弟子達に与えたキリストの祈りは、得意になるような言葉で作られたものではなく、魂に必要な簡素な言葉で表現されていました。それは、短いもので、日々の必要をじかに並べていました。

 すべての魂は、主に、自分が日々に受けている祝福のために個人的な感謝を捧げて、自分自身の特別な必要を述べる特権を持っています。しかし、主にとって喜びが存在するのではなく、重荷となっている多くの望みと元気のない信仰の失せた祈りが神に捧げられています。私達は、心の回心や清めなど、とても多くのものを必要としています。私達は、強められた信仰を持つ必要があります。救い主は次のように約束しました。「求めてください。それはあなた方に与えられるでしょう。探してください。汝らは見つけるでしょう。ノックしてください。それはあなた方のために開かれるでしょう」(マタイ7:7 KJV)。私達は、私達のすべての働きにキリストの恵みと光/知識をもたらすように、また、この言葉を信頼するように自分自身を教育する必要があります。私達は、主が変容させる恵みの力が私達に現されるまで、私達の主を捉えて保持して、キリストを定着させる必要があります。私達が神性の品性を反映したいのであれば、キリストの中の信仰を持つ必要があります。

 キリストは、主の神性と人間性を身に着けて、そして、誘惑の伴う日々の闘いを体験し、また、自己否定と祈りの生涯を過ごしました。なので、主は今日も、誘惑によって攻撃されている人々を助けることができるでしょう。主は私達に効果のある力です。主は、主の恵みを充てることを通して、人間性が神性の性質に与る者になることを望んでいます。また、このようにして、強い欲望を通して世界に存在している滅びから逃れるでしょう。新旧約聖書の中の神の言葉を忠実に研究して、その命を受けたならば、霊的な命と霊的な知恵を与えられるでしょう。この言葉は、神聖を育てられるために存在しています。神の言葉への信仰と永遠の命へと変えるキリストの力は、主が喜ぶ人生を送ること、また、信徒達が主の働きに就くことを可能にするでしょう。

 何度も繰り返して、私は、私達の[教会の]人々に言うように指導されました。あなた方の信仰と信頼が神の中にあるようにしましょう。あなた方の義務を明らかにするために、間違っている誰か人間に頼ってはいけません。次のように言うことは、あなた方の特権です。「私は、私の兄弟[姉妹]達に汝の名前を宣言しましょう。その会衆の真ん中で、私は汝らをたたえましょう。汝らは、主を畏れて、主をたたえています。汝らはみな、ヤコブの子孫です。主の栄光をたたえ、そして、主を畏れ、汝らはみな、イスラエルの子孫です。主は苦しんでいた者の苦悩を忌み嫌わなかっただけでなく、嫌いませんでした。主は、その人から顔を隠しませんでした。その人が主に叫んだ時に、主は聞きました。私の賛美は汝に属しているでしょう。……私は、主を畏れるという自分の誓いを人々の前で果たしましょう。その従順な人々は、食べて満たされるでしょう。主を求めるその人々は、主を賛美するでしょう。あなた方の心はいつまでも生きるでしょう」(詩編22:22-26 KJV)

 それらの御言葉は、ある点において当を得ています。すべての教会員達は、神は個人的な義務を悟って探すために存在している特別な御方だと理解する必要があります。兄弟[姉妹]達が互いに勧めをし合うことは正しいことです。しかし、人々が、自分達の兄弟[姉妹]が行なうことを取り決める時に、自分達のカウンセラーとして主を選んだことを答えましょう。主を求める謙虚な人々は、主の恵みをたくさん見つけるでしょう。しかし、人が、その人の信頼を人に与えてガイドとしてその人を受け入れ、神がその人に示した義務と自分の間に踏み込むことを許す時に、その人は真の土台から誤りと危険な場所に歩を進めています。そのような人は、成長と発達の代わりに、霊性を失うでしょう。

 どのような人にも、欠陥のある品性を改善するための力はありません。私達の個人的な希望と信頼は、人間以上に大きな存在である御方の中にある必要があります。私達は、助けが権威ある御方に備わっているということをいつまでも覚えておく必要があります。主は、それを受け入れる全ての魂のために必要としていた助けを用意していました。

         1907103日。カリフォルニア サナトリウムにて


 

36章 証36 「私はほんの小さな子どもです」 [19]

 

 

[1.ソロモンの祈り]

 彼の統治の始まりにおいて、ソロモンはこう祈りました。「私の神、主よ、そなたは、私の父、ダビデに代わってそなたに仕える王にしました。そして、私はほんの小さな子どもです。私は出入りする方法を知りません」(1列王記3:7 KJV)

 ソロモンは、イスラエルの王座にいた父ダビデの後を継ぎました。神は、彼に、大いに栄誉を授けました。そして、私達が知っているように、数年の後に、そして、かつて地上の王座についたうちで、最も聡明で、富んだ、偉大な王になりました。ソロモンの最初の統治には、聖霊によって彼の責務の厳粛さが記述されました。彼は、能力と才能は豊かだけれど、小さい子どもとして無力だったので、神性の助けがないと責務を実行することができないということに気づきました。ソロモンは、「私は本当に小さい子どもで、出入りする方法を知りません」と、主に告白した時には、決して、偉大でも、聡明でも、富んだ者でもありませんでした。

 それは、夢の中で起こりました。その中で、主は彼に現れて言いました。「私が汝に与える物を求めなさい」(5)、ソロモンは、このように、神性の助けの必要と彼の貧弱な考えを表明しました。彼はこう続けました。

 「そなたに仕える者は、そなたが選んだ一つの大いなる民、この民が多すぎて、総数を数えることも、番号を付けて数えることもできません。そなたは人々()の真っただ中にいます。それゆえ、そなたに仕える者に、そなたの民を裁くため、理解する心を与えてください。私は善と悪の間を見分けることができるでしょう。そなたのとても多いこの民を、誰が裁きを行なうことができますか」。

 「ソロモンがこのことを求めたその話は、主を喜ばせました。そして、神は彼に言いました。汝はこの事を求めたので、また、汝自身の生活のために求めなかったので、汝自身のための富を求めなかったので、汝の敵達の命も求めなかったので、裁きを見極めるため、汝自身を理解するように求めたので、見なさい、私は汝の言葉と調和させました。私は汝に知恵と理解する心を与えました。そういうわけで、汝の先に似た者はおらず、汝の後にも似た者は起こらないでしょう。私はまた汝が求めなかった富と栄誉を与えました。なので、汝の時代に、汝のような王達はいないでしょう」。現在の状態で、「汝が私の道を歩むならば、私の定めと戒めを守るならば、その時に、そなたの父、ダビデが歩んだように、私は汝の日々を長くするでしょう。

 「そして、ソロモンは目覚めました。そして、見上げ、それは一つの夢でした。そして、彼はエルサレムに行って、主の契約の箱の前に立ちました。そして、燃やす捧げ物を捧げ上げました。そして、平和の捧げ物を捧げました。彼に仕える者達すべてと宴会をしました」(1列王記3:8-15 KJV)

 

 責任を担う立場にあるすべての人々は、ソロモンの謙虚な祈りを教えられ、指導を受ける必要があります。その人々は、「地位は決して誤ることのない人間に変えないし品性も変えない」ということを、いつも覚えているために存在しています。高い地位に就いている人は、重い責任を負っています。最善の清い品性を涵養すること、神の力と知恵への信頼を考えることの大きな必要など、突出しているその人の影響力は広いでしょう。神の目的の中で責任の立場を受け入れる人々は、いつも覚えておく必要があります。この働きへの呼びかけと共に、神は、高い地位の者に就く者達の前と主の前に慎重に歩むために人々を呼び出しました。指示と指令と命令が自分達の義務と考えるのではなく、その人々は自分自身が学ぶ者であるために存在していることを気づく必要があります。責任ある立場の働き人が、この教訓を学ぶことに失敗する時、すぐに、その人は自分の責任から解き放されます。それは、神の働きのためとその人のために良い事でしょう。地位は、品性に高貴さも清さも与えないでしょう。神をたたえ主の戒めを守る人は、自分自身がたたえられています。

 「私はこの地位に相応しい者とされているだろうか。正義と裁きを行なうために、主の方法を守ることを私は学んだだろうか」は、すべての人がそれぞれ自分自身に問い掛ける必要のある質問です。ソロモンがそれを「小さい子どもです」と表現したように、私達自身の力で歩んでいないという救い主の地上での模範が私達に与えられました。

 

2.高貴な子どもとして、神に就く者達

 真に回心した全ての魂は、「私は本当に小さな子どもですが、神の子どもです」と言うことができます。神の息子[]の身分が回復されたゆえに人間家族とされた神の摂理には、計り知れない犠牲が払われました。初めに、神は自身に似た人間を造りました。私達の最初の両親は、サタンの力に負けて、誘惑の声を聞きました。しかし、人間は自分が選んだ悪の結果のままに捨てて置かれませんでした。命を与えた者から、約束が与えられました。神はそのヘビに言いました。「私は、汝とその女性の間に、そして、汝の子孫と彼女の子孫の間に敵意を置くでしょう。それは、汝の頭を傷つけ、汝はそのかかとを傷つけるでしょう」(創世記3:15 KJV)。二人は、回復される必要のある土の塵に属していることや、二人の一部である労苦と悲嘆を意味するイバラとアザミについて聞く前に、希望が与えられて消え失せないという言葉を聞きました。サタンに負けて失われた全てのものは、キリストを通して取り戻されるでしょう。

 神の息子は、罪深い者のために罪のない者、無限の神の受難として、人類に贖いとして与えられました。神のかたちを再び二人に回復するために、破壊者の力から人間家族を贖うために存在していた代価が払われました。キリストによってもたらされた救済を受け入れた人々は、主の小さい子どもとして、神の前に自分自身の謙虚さを表すでしょう。

 神は、主の子ども達に、世界の人々に自分達を通して主の恵みを明らかにするために、主に可能な事柄を求めるよう切望しています。主は、主の子らに、主の力を認識するために、主の勧めを求めるよう切望しています。キリストは、自分の命を与えた全ての人々のために、愛していることを叫んで示しています。その人々は、この世で主の品性を反映する全ての人々に用意していたその喜びを分かち合うのであるならば、主の意図を守るために存在しています。天の父は、悪の力を日々に跳ね返す主の子ども達のために与えることを喜んでいます。私達は天の父の知恵と力を求めているので、私達の弱さを考えることは、私たちにとって良いことです。

                       

 教育や訓練、そして、経験のある人々による勧めは、全て欠かせない本質的なことです。働きびと人達は教えられるために生きています。その一方で、その人々は誰か人の判断に完全に頼るために存在しているのではありません。それらを学ぶ人々が、完全にほかの人の思想に依存していて、その人の計画を受け入れていて、それ以上に成長しようとしていない時には、その人は、人間の目を通したものと、その時点で存在しているもの、ほかの人の思想のこだまを模倣しているだけです。神の自律した働き人達はみな、主の知恵を求める必要があります。


 

37章 証37 熱心な努力の報い

 

 

[1.戻ってくるまで忍耐していなさい]

 「誰かの働きの成果がそのまま残っているならば、……その人は報酬を得るでしょう」(1コリント3:14 KJV)。忠実な働き人達が神の子羊と神の玉座の周りに集まる時、栄誉に満ちた報酬が授けられるでしょう。ヨハネが死ぬ人間の状態で神の栄光を見上げた時、彼は、人としての死を感じました。彼は、その光景に耐えることができませんでした。しかし、神の子ども達が不死の人間の状態になった時、神の子らは「神が存在しているように神を見るでしょう」(1ヨハネ3:2 KJV)。神の子らは、愛された者として受け入れられて、神の玉座の前に立つことでしょう。神の子らの罪はみな、染みを取り去られていました。神の子らの違反の罪はみな、取り去られました。今、神の子らは神の御座のかすんでない栄光を見上げることができます。神の子らは、キリストの苦悩に与る者でした。神の子らは、贖いの計画の中で主と共に働いた者達でした。そして、神の子らは、永遠に神を賛美するために、神の王国に救われた魂達を見る喜びを主と共に与っている者です。

 私の兄弟、私の姉妹のみなさん、私は、あなた方に天の雲のような御使い達と共にやって来るキリストに会う備えをするようにと強く訴えます。一日毎に、あなた方の愛を心の中から世界の人々に注ぎ出してください。キリストとの友情関係を築くことの意味がどのようなものであるかを体験によって理解してください。あなた方が平安の内に主に会う人々の間にいるように、信じる全ての人々に敬服されるため、キリストが来る時のため、裁きの日のための備えをしてください。その日に、贖われた人々は、天の父とその息子の栄光の前で輝くでしょう。御使い達は、金のようなハープを奏でて、主の勝利のトロフィーと王を歓迎するでしょう。それらの人々は、子羊の血の犠牲によって洗われて清くされていました。勝利の歌は、全天に響き渡るでしょう。キリストは征服しました。彼は、主に贖われた人々によって付き添われて、天の法廷に入りました。犠牲と受難の任務を目撃した人々は、無駄になりませんでした。

 私達の主のよみがえりと昇天は、神の聖徒達が死の墓と死を乗り越えて勝利する根拠です。そして、天の約束は、神の子羊の犠牲の血によって彼らを清めて品性の衣を清める人々のために開かれています。イエスは、人類の代表として、天の父の所に昇天しました。神は、主の栄光と主を分かち合って見上げるために、主のかたちを反映する人々を連れて行くことでしょう。

 そこには、地上の人生の旅人、巡礼者達のために家々があります。そこには、勝利のシュロの葉と栄光の冠と、義人達のための数々の衣があります。私たちを悩ませていた全てのことは、神の摂理によって、やがて来る世界の中で明らかにされるでしょう。理解が困難な事柄はその時に真相が分かるでしょう。未知の恵みは、私達の前に開示されるでしょう。私達の有限な知性が不完全な約束と混雑だけを発見していた所に、私達は、最も完全で美的な調和を見つけるでしょう。私達は、最大の試練に思えた体験に無限の愛が寄り添っていたことを知るでしょう。私達の幸のために共に働いていた全ての者達による主の優しいケアに気付く時、私達は、栄光に満たされて、言葉で言い表せない喜びを表すことでしょう。

 苦しみは、天の雰囲気の中に存在することはできません。贖われた人々の家には、涙も、葬儀の行列も、嘆きのしるしも存在しないでしょう。「そこの住人は「私は病気です」と言わないでしょう。そこに住んでいる人々は自分達の罪が許されるでしょう」(イザヤ33:24 KJV)。永遠がめぐって来る時に、人の幸の豊かな時は満ちて深まるでしょう。

 私達は、まだ、地上の活動の騒動と影の真ん中にいます。私達は、真剣に死後の世界で、祝福された人々を考えるようにしましょう。私達は、世界の人々の罪のために死んだ主を見上げて、あらゆる悪い疑いを突き刺す信仰にしましょう。主は、主を信じて受け入れる全ての人々にパラダイスの門々を開け放ちました。その人々のために、主は神の息子娘になる力を与えています。私達の悲痛な苦悩は、キリストへの私達の高い任務への呼び出しの賞のしるしとして前面に出されて、私達への教えと指導的な教訓となるようにしましょう。主が間もなくやって来るという思想によって励まされるようにしましょう。この希望でこの世の人生を満たしましょう。「また、少しすれば、主は戻って来るでしょう。戻って来ますとも」(ヘブライ10:37 KJV)。その人々の主が戻って来る時、奉仕して見張っていることを見られる者達は祝福されています。

 私達は、天の家路に向かっています。主は、私達を愛したために死んだのと同じく、天に都を築いて私達を愛しました。新しいエルサレムは私達の憩いの場です。神の都市には悲しみがないでしょう。悲しい嘆きの声がありません。感情を隠した哀歌も、希望を押し潰された悲歌もありません。それらは、今後ずっと聞かれないでしょう。間もなく、重くて歩きにくい衣服は、主の婚礼の衣服に変えられることでしょう。やがて、私達は、私達の主の戴冠式を目撃するでしょう。キリストの中に隠されて生きている人々、地上で信仰の良い戦いを闘った人々は、神の王国で贖い主の栄光を四方に輝かすでしょう。

 私達は、私達の永遠の命の希望の中心にいる主を見るその時までは長くないでしょう。そして、主の臨在によって、この生涯のあらゆる試練と苦しみのない状態になるでしょう。「それゆえ、あなた方の信頼を捨ててはいけません。それ[信頼]には、大きな報償が返ってきています。汝らは忍耐を持っている必要があります。汝らが神の意図を行なったその後で、汝らはその約束報酬を受け取っているでしょう。もう少し経つと、主は来るでしょう。来ますとも。遅れないでしょう」(ヘブライ10:35-37 KJV)。見上げましょう。見上げなさい。そして、あなた方の信仰を増やし続けましょう。この信仰があなた方、贖われた者達のための栄光の無限のはるかかなたの神の都の門たちに導いている狭い道に沿って導くようにしましょう。「それゆえに、兄弟[姉妹]のみなさん、主が戻ってくるまで忍耐していましょう。農夫達は、畑の貴重な穀物や果実を期待していて、そのために、収穫の前の雨と後の雨を待って、長く忍耐しています。主が戻ってくるのが近づいているので、汝らも心を堅固にして忍耐していましょう」(ヤコブ5:7,8 KJV)


 



[1] 訳者加筆。「あの戦い」というのは、1860年から1865年のアメリカ市民戦争(いわゆる南北戦争)を指していると思われます。彼女はこの第9巻を1904年から1909年の間に書きました。1915年の彼女の死後に、第1次世界大戦 (1914-1918)がありました。

[2] この内容の一部は1908年に最初に出版されました。

[3] 5つの記事が、この第3部に集められました。都市の中に関する霊感による証と、励ましが、多くの指導のために適切にグループ化されました。この題目編纂集に含まれた論述は、私達の定期刊行物の中の記事として出版され、1909年のSDA全体総会での説教の報告、大都市での働き人達への手紙として、特別な証の中に見られました。

[4] 訳者加筆。1906416日のサンフランシスコ大地震。『セレクテッドメッセージ』第342章参照。

[5] 1909.5.31.ワシントンD.C.でのSDA全体総会の代表達の前で読んだ原稿です。

[6] 1909.6.1.ワシントンD.C.でのSDA全体総会の代表達の前で読んだ原稿です。

[7] 1909.6.1.ワシントンD.C.でのSDA全体総会の代表達の前で読んだ原稿です。

 

[8] トラクト『特別な証』シリーB No.4の一部がこの第5部に含まれています。

[9] 1885924日、スイス バーゼルでのヨーロッパ ユニオン会議において発表されました。

[10] 差別語について。1909年当時のアメリカでは[colored people]という語は、black parsonの婉曲語でしたが、現在では、侮蔑的な差別語です。スペイン・ポルトガル語源の「negro」も差別語です。niggerは強い侮蔑の意味を含んでいます。「political collect: PC」政治的に正しい言葉は、black person黒人やAfrican Americanアフリカ系アメリカ人です。E.ホワイトの時代では、まだ、差別語が発見されていなかったので、彼女は、その時代の人々が使用していた言葉を使っています。このページに、the Negro race(ニグロ人種)があります。クレヨンの「肌色」も不適切語。

[11] (これまでに出版されなかった)わずかな原稿だけがこの第7部の「証」として収録されました。ほかにも重要な内容をじかに含んでいるので、宗教自由の働きを生き生きと伝えています。『SDA教会への証』第5pp.449-454,467-476,711-720; 6pp.394-410; 『キリストとサタンの間の大争闘』第2p.16,25,36,38-40参照。

[12] SDA教会への証』第5pp.472,473

[13] 19071月サンホゼで (カリフォルニア)州カンファレンスの代表者達の前で読んだ原稿です。

[14] 1909530日、ワシントンD.C.でのSDA全体総会の代表者達の前で読んだ原稿です。

[15] 訳者加筆。「最も大きな施設の二つ」は、焼失したケロッグのバトルクリークサナトリウムとレビュー&ヘラルド出版所のことでしょう。本書p.1,2参照。

[16] 1907815-31日のカリフォルニア ロサンゼルスキャンプミーティングで読みました。そして、Jehovah Is Our King (ヤハウェは私達の王) というトラクトで発行されました。

[17] 訳者加筆。フィリピ26について、口語訳「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず」、共同訳「固執しようと思わず」、新改訳「神のあり方を捨てられないとは考えず」という訳です。日本語聖書はいずれも二重否定で「神であることを捨てて」という意味に訳されています。ここでは、「失わないように」と訳するのが妥当と考えました。

[18] 『特別な証』シリーズB No.10の中で、Jehovah Is Our King (エホバは私達の王)と題して初めて発行されました。

[19] 『特別な証』シリーズB No.10の中で、Jehovah Is Our King (エホバは私達の王)と題して初めて発行されました。

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