教会へのあかし 第6巻 第一部

第6巻が書かれた時代背景

 第6巻に提示されている証は、オーストラリアに滞在していた[1891-1900]エレン・G・ホワイトによってペン書きされました。地方の伝道地について言及する場合を除いて、ある読者は、その指導の視野scopeが全世界的なので、その著者がほかの大陸[オーストラリア]にいたことを見抜けないでしょう。それは事実です。それでもやはり、ミセスホワイトに与えられたその啓示revelationsは、執筆時における働きの発展と、現在の問題に関わる指導を含んでいました。それは理解可能です。それゆえ、それは、この期間にオーストラリアの伝道地で発展し、関連したこの第6巻の項目に提示されています。この本の出版は、ミセスホワイトが合衆国に戻って間もなく、1900年の暮れに行なわれました。

 その目次の編集において、第6巻は先に書いた第5巻と全く異なっています。この時まで、その証は、最初に、この教会のために順次に与えられたカウンセル/勧めとして、小冊子とパンフレットで現れました。それらの記事は、主に年代順に印刷されていて、この教派の働きのすべての働き人lineとクリスチャン体験のあらゆる層phaseの人々にほとんど配布されました。第1巻から5巻の中に33年間に出版された内容が復刻増刷された時、オリジナルの項目は変えられずに残されました。現れた様々なケースがほかの多くの人々の体験を描いたので、大量の記事が個人とこの教会に伝えるために書かれて、後に出版されました。それらの記事のあるものは、地方教会の事情や特別な問題として扱われました。そこには考え方の繰り返しがあります。真理の重要な標準lineは、何度も繰り返して強調されました。この教会は、一部の教会で[信仰の]標準を低下させている、または、一部の伝道地で働きを怠っている危険な状態にありました。これらの証は、この教派の働きと、セブンスデー アドベンチスト達の生活の中に多くの成果を生み出しました。

 第5[1889]が出版された11年後、第6[1900]の出版によって、『SDA教会への証』は、新しい装丁になりました。現在、視野が全世界的になっているこの教派の働きは、例の特別な伝道地における注目に値する指導と勧めを呼び掛けている問題と必要を提示しました。主に指導内容を拡大したこの復刻増刷版は、勧めを再び強調して初期の頃に出版されました。第6巻のための記事が出版用に収集された時、目次としてそれらを編集することは、結果として困難ではありませんでした。

 ミセスホワイトは、オーストラリアで、1891年に原野に移転することを求めて、訓練学校を開校するために支援したでしょう。彼女は、その働きのための計画を立案することを支援して、学校のためのアピールをして導きました。新しい土地に移って、それらの計画に影響を与える前例や過去の体験の方法によるものが少しありました。ガイドと保護のための預言の霊の勧めと、これらに好意的な状況の下で、オーストラレーシアン ミッショナリー カレッジは、開発されていない地域に設立されました。この訓練センターから、「アボンディール」で実践的な教育を得たオーストラリアの若者達が、母国の伝道地で奉仕するために、また、南太平洋の島々に飛び出て浸透するために巣立っていきました。この田園風の環境で、この広範な生産的なプログラムによって、また、ほかの特徴によって、その「アボンディール学校」は、学校の基本形となるように始められました。その指導に関して、私達の教育的な働きの指揮は、教会行政、信徒教育、カリキュラム、財務など多くの詳細を含んだ指導を形成しガイドするために再び提示されました。それは、この世界中の人々とこの教会の益のために、この第6巻に含まれていました。

 ミセスホワイトが [1891年に帆船で]オーストラリア海岸に到着した時、まだ初期の頃でしたが、うまく始まった一つの働きを見つけました。福音伝道者達が奉仕に結ばれただけではなく、積極的な福音伝道プログラムが発展し、進展していました。時には説教によって、また、聖書研究を受けている妻帯者によって繫がった人々もわずかではありませんでした。よく計画された様々のキャンプミーティングが開催されました。収穫に向かって慎重に集会が続けられました。そこには多くの回心者がいました。バプテスマ者が続いて、新しい教会が組織されて、集会所の建設が進みました。その働きのための計画の立案は、預言の霊の感化が考えられるだけではなく、ミセスホワイト自身が、個人的な働きによって、積極的に説教を担って、新しい教会を建てるための資金の立ち上げを支援しています。私達の働きのそれらの段階における勧めが、この6巻に見られます。

はじめに 第6巻が書かれた時代背景                            英文5

 セブンスデー アドベンチスト達が一つの伝道地での働きとして、世界全体を受け入れて、より十分に使命/任務missionを自覚するようになったのは、この第6巻が書かれた時代でした。1890年カリフォルニアでの伝道帆船「ピットケアン号」の建造と進水は、若者達と老人達に同じ想像の火を灯して、そして、全世界への伝道プログラムへの注目を集めました。その帆船が南太平洋の島々で伝道の働きのパイオニアとなった時、その「ピットケアン島」への航海のレポートはすべての人々によって、熱心に読まれ見守られました(7頁参照)

 文書伝道者達が私達の文書を持ってインドに入るまでは長くかかりませんでした。1894年、私達の伝道者達はアフリカで、明らかに先住民が住む地域に入って行って、異邦人の間での私達の最初の外国のミッション、「ソルシミッション」を設立しました。牧師達は、すぐに南アメリカにも送られました。それから、同じく、パイオニア的働き人としてのミセスホワイトのオーストラリアでの9年間の滞在は、地の果ての人々にセブンスデー アドベンチスト達の目を向けさせ、第6巻本書31(英文31)にある「人類を救済する第三天使のメッセージの真理を――あらゆる国の民、種族、言語、そして、人々――全世界の人々に伝えることは私達の働きです」という助言を強調する場を与える助けをしました。この第6巻を通して、人々と資金をアピールして名称によって呼ばれている様々な伝道地のミッションは、様々な国における働きについての奨励と勧めと共に提示されています。

 多くのカレッジ(単科大学)と、働き人の達の教育訓練学校は、第6巻の時代の間に始められました。初期の頃、1891年にネブラスカ州リンカンでユニオンカレッジが始まり、1892年にワシントン州でワラワラカレッジが始まりました。そのほかのカレッジが、オーストラリア、南アフリカ、デンマークで始まりました。サナトリウムは1896年にコロラド州ボウルダーに、1897年に南アフリカとデンマークと、1899年にマサチューセッツ州とサウスランカスター州に開設されました。1895年ドイツのハンブルク、1897年南アメリカのアルゼンチンのブエノスアイレスとほかの所で、二カ所の出版所が施設のリストに加えられました。初等科の働きをする教会学校が数カ所で始められました。

 多くの警告が、巨大な教派の集中化とその傾向に対して与えられました。急速に発展するこの働きは、ミシガン州バトルクリークにいる私達の教派の本部のリーダー達が巨大な施設と多くの人々を求めているように思われます。そして、様々な計画が、バトルクリークの集中管理の下で、教派の働きをする従業員の確保をもたらし始めました。これは、ビジネスの効率的な現れでした。また、その土地にいる人々によって作られている伝道地の様々な部門の働きのための計画に代わって、彼らは、バトルクリークの本部事務所から強く指示されました。また、神の働きによる生きたリーダーシップと効果は、実際に、深刻な脅威でした。1990年代を通して、それらの傾向は、急速に発展しました。しかし、神自身の時と神自身の方法によって、それらはチェックされました。

 この教派の世界的な働きにおける教会行政の組織的な変化が行なわれる基礎的な構造は、預言の霊の勧めの感化の下で、これらの時代の中にありました。[人類救済]目的は、オーストラリアでは好意的な状態で、急速に進展して開拓されました。その歩みは、地方localカンファレンスが「ユニオン連合カンファレンス」に結ばれました。このように、SDA全体総会the General conferenceと地方カンファレンスの間を結ぶ組織が設立されました。これは、問題に関わっている働き人達のグループによる基礎的な計画の可能性をつくりました。そして、このように、SDA全体総会は多くの小規模の部会minor detailsを有してよみがえりました。その成果は、やがて、この教派中に推奨された型を形成しました。

 医療福音伝道の従事者達による働きは、この期間にオーストラリアで始まりました。しかし、合衆国において、それは、大きく発展するまでに時間がかかりました。医科大学は、医療伝道者として準備を希望するセブンスデー アドベンチストの若者達を増やすことに惹きつけられるようにされました。バトルクリークでの巨大な母体施設からの全職員と、財務と、ガイダンス指導とを受けて、新しい支部の施設が開設されました。大きな働きが、不幸な人々と罪に落ちている人々のために船が進水するように開始しました。しかし、全体としての神の働きにアンバランスがもたらされて、それゆえ、良い事業は、過度の強調の危険にしばしば脅かされています。なので、現在、そのメッセージの右腕としてデザインされた医事伝道の働きは、その本体となることに危険性があるように思えます。

はじめに 第6巻が書かれた時代背景                           英文7

 あまりにも、バトルクリークサナトリウムに繫がっている医事伝道の働きと、その発展に大きな優位性がありました。その一方で、健康的な生活の基本原則にセブンスデー アドベンチスト達の一部では違いが進展していました。それらの状況は、第6巻の中で繰り返して、アンバランスな働きに反対して注意を促して、孤児達 [1]と老いた信仰家族への私達の義務を描いて、医療と福音が結ばれた奉仕の働きを訴え、生活の高い標準を人々にアピールしている意味を理解するように私達を助けています。

 この教派の働きが多くの伝道地で発展した時、印刷物/文書がますます重要な位置にあることが分かりました。世界の伝道地のそれぞれの部分で福音を伝えるスタッフとして認められた責任のある個人の文書伝道者達は、福音文書の訪問伝道者の部隊を結成しました。わずかな実例ではなく、これらの福音文書伝道者達は、遠い国々や新しい国々にそのメッセージを率先して挑戦する手本となりました。第6巻は、文書伝道の働きの重要性と威厳を表明しています。

 『SDA教会への証』第5巻と第6巻の出版の11年の間に、E・G・ホワイトのいくつかの重要な書籍が発行されました。1890年『父祖達と預言者達』(PP; Patriarchs and Prophets(人類のあけぼの))が印刷されました。『キリストへの道』(Steps to Christ)は1892年に出版されました。現在「旧版」として知られている『福音宣伝者』(Gospel Worker)はその年に印刷されました。『Christian Education』から改題された『教育』(Education)は1894年に出版され、2年後に『祝福の山からの考察』(Thoughts from Mount of Blessing)と『Christ our Saviour』(私達の救い主キリスト)が印刷されました。『救い主各時代の希望』(The Desire of Ages)の原稿の執筆が完成して、1898年に本として印刷されました。そして、1900年に『キリストの実物教訓』(Christ's Object Lessons)が出版されました。

 彼らが負った多額の負債から私達の施設を救済するための努力として、ミセスホワイトは、『キリストの実物教訓』の原稿を寄付して、私達の教会員と働き人達に、友人達と隣人達への販売に結ばれるよう訴えました。この真理が満ちている本がたいそう多く配布されて、この本による救済キャンペーンによって、10万ドルがこの目的にもたらされました。[5万ドルの負債は完済されました(p.453)]

 一つの働きの形式が、この教会の働きの支援者として、戸毎に訪問する一般信徒を大勢導くこの方法が示唆した中にありました。このように、神の働きのための収入源として、その後の数年の間、発展していたその方法は「収穫キャンペーン」のための道が整えられ、100万ドル(1億円)が備えられました。

 (訳者加筆。日本では「収穫運動」が2018年頃に中止となりました。「誰も働くことができない霊的な夜が来る」(ヨハネ9:4)霊的な暗黒時代に入ったのでしょう。本書21)

 もちろん、この11年間全体を通して、推奨と勧めと警告をもたらした数百の[主からの]伝達は、主のメッセンジャーによってペンで筆記されて、この教派の雑誌の記事として、また、手紙によって伝道地に送られました。これらの多くは、初期の『SDA教会への証』の中にすでに提示された問題が理解されないままに配られました。勧めの新たな相のあるものが記述され、前の勧めが強調されました。それらは「奉仕への呼びかけ」や「注意と勧め」として、普通の章に見られました。それらの章を含む重要な記事の間に、「安息日の順守」「健康改革におけるリバイバル」「市民の権利に対する私達の態度」「最後の危機のための備え」「私達の学校についての救済」などを記載しています。これらに加えて、『SDA教会への証』シリーズの次の新しい巻は、神が、主の人々(民)を導いてガイドし続けていた道をセブンスデー アドベンチスト達に強く印象付けています。        [エレン・G・ホワイト遺稿出版管理委員会]


 

はじめに 6巻が書かれた時代背景

訳者加筆。帆船ピットケアン号(E.G.W百科事典』p.1027)

 南太平洋にある、大きさがおおよそ1マイル×2マイル

0.6km×1.2km)の島。パナマとニュージーランドの中間

に位置している。この伝道船は、そのあとで命名された。

1890年、それは、太平洋の多くの小島でのセブンスデー

アドベンチストの伝道の働きの企画の基礎となった。

 

 「1790年、H.M.S.バウンティン号の船長ウィリアム・ブライに反乱を起こした7人の船乗り達は、ポリネシアンの女達と男達のグループと共に、ピットケアン島への航路を進んだ。そのグループは、彼らが発見される前に18年間隠されていた[パンの木の採集と輸送が任務。反乱の原因は船長の暴力」(『バウンティン号の反乱』参照])。

 

 1876年、ジェームズ・ホワイトとJ.N.ラフボローは、その島に文書の入った箱を一個送った。アドベンチストの信徒ジョン.I.テイは、10数年後にピットケアン島に行った。彼の聖書研究の結果、ピットケアン島のほとんどの人々がバプテスマを希望した。そこで、テイはアメリカ合衆国に戻って、ピットケアン島の人々の求めに応えるよう、任命された牧師達にアピールした。悲劇的に失われた伝道船「フィービー・チャップマン」号の後、1890年に、セブンスデー アドベンチストの伝道帆船ピットケアン号がその島に到着した。その時に、ピットケアンの人々の多くがバプテスマを受けた。このピットケアン号は、宣教師達と荷物を運ぶためにサンフランシスコから6回、太平洋の航海を行なった。その島から移住するために、この帆船は、ほかの島々に宣教師達を送る時にピットケアンの人々を運ぶ奉仕をした。ピットケアン島で信仰の霊的なリーダーであり、統治のためのリーダーを何年も務めていたジェームズ・ルッセル・マッコイ[上陸後船を燃やし、聖書によって統治した]は、オーストラリアにいた[1891-1900]エレン・ホワイトの働きを共にした仲間として数年の間奉仕した。オーストラリアでの伝道活動の間、エレン・ホワイトは、この島のことと帆船ピットケアンのことを言及した。彼女は、ピットケアン島の信徒達に慰めと指導の手紙を3通送った。   ハーブ・フォード記


 

 第1部 展望 1章 この教会における神の目的                       英文9

第1部 展望

「あなた方の目を上げて、畑の上を見渡しなさい。作物はすでに収穫のために色づいています」[ヨハネ4:35 KJV]

 

1章 この教会における神の目的

 

 

 神の人々()を通して、主の王国の原則を人々に現すことは神の目的です。その生活と品性において、神の人々はそれらの原則を表すでしょう [2]神は、その人々に、この世界の行動と習慣と慣習から分離するようにと望んでいます。主は、その人々に主自身を近くに連れて来るようにと求めています。主は、その人々が主の意思を知るようにするでしょう。

 これは、エジプトからイスラエルの民を救出する主の目的でした。燃える柴の所で、モーセはエジプト王への「私の民に行かせてください。その民は私[]に仕えるでしょう」(出エジプト記7:16 KJV)というメッセージを神から受けました。広げられた神の腕と力強い手は、ヘブライの大群衆を奴隷にされていた土地から連れ出しました。その救出は不思議なものでした。主は、敵を罰して、その民のために働きました。敵の人々は、あらゆる破滅においても、主の言葉を聞くことを拒みました。

 神は、主の人々に、主の言葉を受け入れる備えをして、この世界の人々から分かれるようにと望んでいます。エジプトから、主はその民をシナイの山に導きました。そこで、主は、その民に主の栄光を現しました。そこには、神から、自分達の知性を逸らすものや、その民の感覚を惹きつけるものは何もありませんでした。その群衆が自分達の周りにそびえ立つ高い山々を見上げた時、その民は、神の視野の中では自分達自身に価値がないことに気づくことでしょう。それらの不動の岩々の横で、神性の力によってでなければ、神は人間とコミュニケートしなかったでしょう。そして、その主の言葉は、民の知性にいつも明瞭に認識されるでしょう。主は、エデンで与えた、主の品性の写しである主の律法を、厳粛で、荘厳な雷鳴と稲妻の中で宣言しました。そして、それらの言葉は、神の指によって二枚の石の板に記されました。このように、無限の神の意思は、地と天において主の統治の原則をすべての国の民、種族、言語に知らせるために呼び出された人々に現されました。

 第一部 展望 1章 この教会における神の目的                     英文10

 同じ働きのために、主は、今の世代の主の人々()を呼び出しました。その人々のために、主は自分の意思を現して、その人々に従順を求めています。この地上歴史の終わりの日々において、シナイの山から語った声は、まだ人々に語り掛けています。「汝らは、私の前で、ほかの神々を持たないでしょう」(出エジプト記20:3 KJV)。人間は、神の意思に反して自分の意思を主張しました。しかし、人間はこの言葉が命じることに沈黙することができません。人間の知性は、ハイヤーパワー()への自身の責任を決して十分に理解できません。また、人間は、義務を逃れることもできません。深遠な理論と憶測は満ちるでしょう。人々は、啓示に反対する科学を据えようと試みて、そして、このように、神の律法から離れようとしているでしょう。しかし、だんだんと強く、主の聖霊は、その戒めを人々の前に持って来るでしょう。「汝らは、汝らの神、主を拝するでしょう。そして、汝らは、主だけに仕えるでしょう」(マタイ4:10 KJV)。

 この世界の人々は、神の律法をどのように扱っていますか。どこでも、人々は、神聖な指針/戒めに反して働いています。従順に加わらず十字架を負うことを避けようという人々の希望によって、この教会の人々でさえ、神の律法は変更されたとか、無効にされたと主張して、強い背信の側を信じています。[霊的に]盲目状態の人々は、素晴らしい前進と教化について自慢しています。しかし、神聖な見張り人達は、暴力と頽廃に満たされたこの地上を見ています。罪のゆえに、私達の世界の雰囲気は、伝染病者隔離病棟のようになりました。

 偉大な働きが、人々の前に置かれている救済の福音の真理を成し遂げられるために存在しています。これは、道徳的な頽廃の流れを堰き止めるために、神によって任せられた手段です。これは、人間の中に主の道徳的な像 [3]を回復する主の手段です。それは、全世界の人々の混乱への主の処方箋です。一致に向かって人々を惹きつけるはその力です。提示するためのそれらの真理は、第三天使のメッセージについての働きです。主は、このメッセージを提示することは最高に高貴になり、偉大な働きがこの時代にこの世界中の人々の間で行なわれるようにと意図しているでしょう。

 サタンは、いつも、自分の原則を受け入れるようにと人々に訴えています。このように、彼は、神の働きに反対行動をしようとしています。彼は、いつも、神に選ばれた人々(民を)欺かれた人々として表しています。彼は、兄弟[姉妹]達を非難する者です。そして、彼は非難する力を、正しい働きをする人々に費やしています。主は、主の人々がサタンの非難に対して、正しい原則に従順にした成果を示すことによって、応えるように望んでいます。

 神の言葉に現れている、過去における光/真理のすべて、現在において輝いている光/真理、また、未来に向かって届く光はみな、神の人々によって設立されたすべての施設に、神の言葉の奉仕の働きに、この教会に、クリスチャン個人々々に現される必要があります。主がデザインしているそれらのすべては、世界の人々のために行なわれうることを象徴しているでしょう。神の人々は、この人類のために、神の偉大な[人類救済]目的を成就する働き人達です。

 神の人々は、全人類に高貴な感化についての野外作業をするチャンネルとなるためにいます。ゼカリヤの幻の中で、神の前に立っている二本のオリーブの木は、聖所にあって、金の管を通って皿に流れる金の[管の]油が空(から)になっていることを表しています。聖所にあるこのランプは、[油を]供給されてから、光を輝かし、輝き続けるでしょう。神性に満ち神の臨在に中に立っている油注がれた人々から、光と愛と力が神の人々に授けられます。その人々はほかの人々に光と喜びと新鮮さを授けるでしょう。その人々は、神の愛の潮を世界の人々に伝える神性の道具を通して、チャンネルとなるように用意されています。

 第1部 展望 1章 この教会における神の目的                    英文11-12

 今日の神の民を通して、神が成し遂げようとしている目的は、主がエジプトから連れ出した時、イスラエルを通して成し遂げようとしたことと同じです。この教会に現した神の愛と、正義と憐れみと慈しみを見上げることによって、この世界の人々は、主の品性を提示されるために生きています。神の律法が、このように、生活の中で良い例とされるためです。世界の人々は、地上にいるほかのすべての人々よりも、神を畏れて愛して仕えている人々の優位性を認めるでしょう。主の目は、主の人々のすべての上に注いでいます。主は、一人ひとりについての計画を持っています。主の聖なる指針/戒めを実践する人々が[世界の]人々に識別されるようになることは、主の目的です。今日の神の人々は、古代イスラエルと同じく、聖霊の霊感を通してモーセによって記された言葉に属しています。

 「汝らは、汝らの神、主に聖なる人々()です。汝らの神、主は、地の表に住んでいるすべての人々にまさって、主自身のために特別な民(人々)となるように、汝らを選びました」(申命記7:6 KJV)。「見上げなさい。私[モーセ]は、私の神、主が私に命じたように、あなた方に制定法と裁きを教えました。汝らは、入って行ってそれを所有する土地で行なうでしょう。そのために、それらを守って行ないなさい。これは、[ほかの]国々の[人々の]視野には、あなた方の知性と、あなた方の知恵です。それらの制定法を聞く者達は「確かに、この大勢の民は知恵と知性のある人々だ」と言うでしょう。私達の神、主は、私達が主に求めるすべての物事の中にいるように、私達の近くにいます。どこに、私[]がこの日にあなた方の前に置いたこの全ての律法のように、制定法と裁きと正義をもっているそんな大勢の国の民がいるでしょうか」(申命記4:5-8 KJV)

 しかしながら、これらの言葉は、主の人々を通して、成し遂げられる、神の目的の栄光と偉大さを現すことに失敗しています。私達は、この世界だけではなく全宇宙に、主の王国の原則を現すために生きています。使徒パウロは、主の聖霊によってこのように書いています。「聖徒達のうちで最も小さい者である私にこの恵みが与えられています。その私は、イエスキリストによって造られた全ての者達に、世界の初めから神の中に隠されていた、仲間であることの教義が何であるかをすべての人々が知るように、計り知れないキリストの富を異邦人の間に宣べ伝えるでしょう。天上での支配者達と権威者達の今の意義が、神の多様な知恵のある教会に知られるようになるでしょう」(エペソ3:8-10 KJV)

 兄弟[姉妹]のみなさん、「私達は、この世界と御使い達と人々に‟目を見張らされる者”にされています」(1コリント4:9 KJV)。「神の日の到来を待っていて、信心深く聖なる会話をするために、汝らは、どんな人々の方法に倣うべきでしょうか」(2ペテロ3:11,12 欄外)

                         

 神の品性を現すために、上辺だけの信仰によって、私達は自分自身とこの教会とを欺かないために、私達は神を個人的に知るようになる必要があります。私達が、神との友情/親睦関係を持っているならば、私達は、決して会衆に説教しないけれども、主の牧師/働き人ministersです。私達は、主の完全な/成熟した品性が人間性の中に表れている、神と共に働く者達です。


 

 第1部 展望 2章 この時代の人々のための働き                     英文14

2章 この時代の人々のための働き

 

 

 私達は、数々の厳粛な事件と重要な境界線上に立っています。様々な預言は成就しています。不思議な波乱に満ちた歴史が天の書物に記録されています。私達の世界のあらゆる物事が揺り動かされている最中にあります。戦争と戦争のうわさがあります(6巻は1900年発行。1915年に第一次世界大戦勃発)。国々の民は怒っていて、死の時がやって来ました。人々は裁かれるでしょう。様々な大事件が重大な神の日をもたらすよう変化しています。しかし、一方で、すでに、国の民は国の民に対して、王国は王国に対して立ち上がっていても、全体的な交戦はありません。まだ、四つの風は、神の使い達がその額にしるしを印するまで、まだ抑えられています。地上の勢力が最後の大争闘のために自分達の軍勢を招集するでしょう。

 サタンは、すべての人々がどちらかの側を取るように、最後の大争闘のための計画を急いで作っています。御国の福音が二千年近く、世界の人々に宣言された後で、サタンは、まだ、彼がキリストに提示した同じシーンを男性達と女性達に提示しています。不思議な方法で、彼は人々に、過去の人々の栄光の中にこの世の王国の根拠を示しています。彼はそれらを彼に敗北して屈しているすべての人々に約束しています。このように、彼は人々を自分の支配下に置こうとしています。

 サタンは、自分の権力に反対する全ての人々を滅ぼすために、自分を神とするように極限まで働いています。今日、この世界の人々は、彼の前に膝をついています。彼の権力は神の権力のように受け入れられています。黙示録の預言は成就されています。「この世界の人々はみな、その獣に従って、不思議に思って驚きました」(黙示録13:3 KJV)。

 人々は、自分達の盲信によって、素晴らしい発展と光/啓蒙を与えられました。しかし、全知の神の目には、内側の罪と悪業が現されています。天の見張り人達は、この地上が暴力と犯罪に満ちたのを見ています。富は、あらゆる外見からの法外に取った金貨として、人間から奪っただけではなく、神から奪って得られています。人々は、自分達の利己心を満足させるために、主の財産を利用しています。人々は得ることのできるあらゆるものを、自分達の貪欲に奉仕するために使っています。強欲と肉欲が広まっています。人々は、最初の絶大なだます者の態度を気に入っています。人々は、神としての彼を受け入れて、彼の精神を吹き込まれるようになってきました。

 しかし、ソドムを滅ぼした要素を含んでいる、裁くような怒りの雲が人々を捉えています。預言者ヨハネに届いた幻の事柄の中で、彼はこのシーンを見上げました。この悪魔礼拝が彼に現されました。そして、それは、彼にとって、この世界の人々全体が永遠の滅びの瀬戸際に立っているかのように見えました。彼の仲間の、神の戒めを守る人々を見上げました。彼が強い関心を持って見た時、その人々は、自分達の額に生きている神のしるしを持っていました。そして、ヨハネはこう言っています。

 「ここに聖徒達の忍耐があります。ここには、イエスに属する信仰と神の戒めを守る人々がいます。そして、私は、天から言う声を聞きました。書き記しなさい。今から後、主にあって死ぬ死人は祝福された人達です。ええ、聖霊が言っています。彼らはその働きを休んで、その働きは、彼らに続く人々が行なうでしょう。それから、私が見た時、白い雲を見上げると、その白い雲の上に、人の息子のような人[]が座っていました。主の頭には金の冠、主は手に鋭い鎌を持っていました。そして、ほかの天使が神殿から出てきて、雲の上に座っている主に大声で叫びました。そなたの鎌を入れなさい。そなたが刈り入れる時が来ました。地の収穫物は実りました。そして、雲の上に座っていた主は、主の鋭い鎌を地に入れました。地の収穫物は刈り取られました。ほかの天使が、天にある神殿から出てきて、鋭い鎌を入れました。そして、ほかの天使が、火を支配する力を持って、祭壇から出て、大きな声で叫びました。そなたの鋭い鎌で刈り入れなさい。そして、地のブドウは十分に熟したので、地のブドウの房を収穫しなさい。その天使は、自分の鋭い鎌で地のブドウを刈り取りって、神の怒りの大きなブドウ絞り器に投げ込みました」(黙示録14:12-19 KJV)。

 第1部 展望 2 この時代の人々のための働き                     英文16

 神の怒りの嵐が、この世界の人々に吹き荒れる時、彼らの家は砂の上に建てられているので、掃き払われるのを見る魂達にとって恐ろしい啓示となるでしょう。それが遅すぎるという前に、その人々に警告が与えられるようにしましょう。私達は、今、この時代の人々のために、神が与えた現在の真理をほかの人々に与えようと熱心に働く責任を感じる必要があります。私達は熱心にし過ぎということができません。

 神の心は動かされています。魂達は、神の視界の中ではとても貴いものです。キリストはこの世界の人々のために十字架を負ったので、主が受難の苦悩の中で涙したのはこの世界の人々のためでした。神は、罪びと達を救うために、自分の一人息子を与えました。そして、神は、彼が私達を愛したようにほかの人々を愛するようにと望んでいます。彼は、私達に加わる人々にこの知識を授けて、現在の真理持っている人々を見ることを望んでいます。

 今は、最後の警告が与えられるための時代です。真理の提示の時に、その提示の中に特別な力があります。しかし、それは、どれほど長く続くのでしょうか。ほんの一瞬だけです。かつて、危機があったとするならば、それは今です。すべての人々は、今、永遠の運命を決めています。すべての人々は、人間を調査審判する期間の終わる日が近づいているという厳粛なその時に気付いて、目覚める必要があります。決定的な努力が、主の人々の前に顕著なこの時にこのメッセージをもたらす必要があります。第三天使は、強い力を持って出て行くために備えられています。重要性が少ないものとして扱うことや、この働きに無関心にならないようにしましょう。

 私達が第三天使のメッセージを受け取ったその光は、真理の光です。その獣の像のしるしは、宣言されたように正確です。この内容に関して、すべてがまだ理解されていませんが、その巻物が開かれるまで理解されないでしょう。しかし、最も厳粛な働きが私達の世界の人々に成し遂げられようとしています。主の働き人達への主の命令はこうです。「力の限りに、大声で叫びなさい。汝の声をトランペットのように響かせなさい。そして、ヤコブの家の者達の罪と、私の民に、その違反の罪を示しなさい」(イザヤ58:1 KJV)。

 私達の働きの全体的な特徴に変化の必要はありません。それは、預言がなされていたように、明瞭にはっきりと立っている必要があります。私達は、もっと成し遂げようと考えることによって、政治的な連合に加わる必要がありません。そのような何らかの方法によって立つならば、神が託した働き人達の働きの前進を妨げて、彼らは神を失望させるでしょう。セブンスデー アドベンチストの人々が生み出した真理の数々は、弱められる必要がありません。私達は、義務と体験と真理について、古い道標教理を持っています。そして、私達はこの世界についての十分な見解によって、私達の原則を守るために堅く立つ必要があります。すべての人々のために、また、神の生きている言葉を開示するために、人々が起こされることは欠かせず大切なことです。人々のすべての社会層と才能、人々の賜物は、普通の成果のために調和して協力する必要があります。その人々は、働き人の一人ひとりが自身の特別な任務を果たして、人々に真理をもたらす働きに結ばれる必要があります。

                    

 黙示録14章の三天使達は、第一天使のメッセージ、第二の天使のメッセージ、そして、第三の天使のメッセージを宣布する人々の働きを象徴していて、天の中央を飛んでいるように表されています。それらの天使のメッセージはみな、共に繫がっています。世界の宗教界からそのような激しい反対が起きたたこと、この教会にたいそう多くの意味があること、それらの基礎的なメッセージの真理が永遠に生きていること、真理を忠実に守るという根拠は消滅していません。サタンは、これらのメッセージに対して、いつも一つの影を投げかけようとしています。なので、神の人々は、それらの重要性を明瞭に識別できないでしょう。しかし、その人々は、時が続いている間に生きて、私達の宗教体験に自分達の力を尽くす必要があります。

 それらのメッセージの影響力は、健康施設、出版所、教育施設などの拡充がもたらされて、多くの人々の心に行動を起こす動機を与えて、広められて浸透していました。これらの人々はみな、世界の住人にキリストが大いなる栄光と力をもって再臨するという警告の働きによって、第一、第二、第三の天使によって表された壮大な働きに協力するための手段となっている人々です。

 第1部 展望 2 この時代の人々のための働き                    英文17-18

                     

 兄弟姉妹のみなさん、私は、この時代に関する重要なことについて、あなた方を目覚めさせるためにあることを言おうと思います。それらのイベントの重要性は今、生じています。私は、あなた方に、宗教自由の制約のために行なわれている積極的な世情の動きを指摘します。神の聖なる記念碑[安息日]は低められて、その場所に清くないものが盛り込まれた間違った安息日が置かれて、世界の人々の前に立っています。闇の勢力が下から基本原理をかき立てています。天の神、主は、天の律法を高めるために、主の生きている働き人達agenciesを立ち上がらせることによって、その危機に立ち向かわせるために、上からの力を送っています。今、まさに今が、外国の土地で働くための時です。アメリカのように、宗教自由の国は、間違った安息日を敬うように人々を強制し、良心を強要するローマ教皇と結びつくでしょう。地球上のすべての国々の人々は、ローマ教会につくよう導かれるでしょう。私達の[教会]の人々は、自分達に届いた警告のメッセージを広めるのに、その施設の中で、自分達の力をみな使うべきなのに、半分目覚めてうたた寝していてはいけません。

 天の神、主は、主が送った主の見張り人達が警告を与えるまで、違反の罪と不従順のための主の裁きをこの世界に送らないでしょう。主は、このメッセージがもっと明瞭に宣布されるようになるまでは、調査審判の期間を閉じないでしょう。神の律法は、広められる必要があります。その宣布は、神聖な品性と、その人々の誠実さの中に提示されている必要があります。その人々は、この真理に反対することや決心するように連れてこられるでしょう。また、その働きは、正義によって短くされるでしょう。キリストの義についてのメッセージは、主の道を備えるために、一人から地の果てのほかの人に伝えられる必要があります。これが、第三天使の働きを終える、神の栄光です。

                        

 私達の世界には、この福音の働きのように、たいそう偉大で、たいそう神聖で、たいそう栄光な働きはありません。神の栄誉をたたえる働きは多くありません。この時代の人々に提示されたこのメッセージは、罪の世界の人々のための最後の憐れみのメッセージです。このメッセージを聞く特権のある人々、また、その警告を心に留めることを拒み続ける人は、救いの最後の希望を放棄しています。その人々には、第二の調査審判は存在しないでしょう。

 「それは書かれています」[マタイ4:4-11]という真理の言葉は、私達に語っている福音です。炎の剣は、命の木の前に置かれていません。すべての人々は、それに与る者となるでしょう。その木の果実を食するどんな魂をも妨げることが可能な力はありません。みんなが食べるでしょう。そして、いつまでも生きるでしょう。

                       

 天使達が見たいと願っている数々の未知は、また、預言者達や王達、義の人々が理解したいと願っていました。その残りの教会は、神からのメッセージを世界の人々に伝えるでしょう。預言者達は、それらの事柄を預言していました。そして、彼らは、自分達が予告したことを理解したいと望んでいました。しかし、彼らにとって、その特権は与えられませんでした。彼らは、私達が聞いていることを聞きたい、私達が見ていることを見たいと望んでいました。しかし、彼らはできませんでした。彼らは、人間が数えられないほどの大群衆に囲まれて、キリストが二度目に来る時を全て知っているでしょう。主は、主がなした偉大な犠牲によって、成し遂げた救出を現しました。

                    

 第三天使のメッセージの真理は、何者かによって冷淡な神学理論として提示されていました。しかし、このメッセージの中に、生きている御方、キリストが提示されています。主は、明けの明星と輝き、ダビデの子孫と先祖、「存在している者」(the I Am[4]、初めであり終わりであるとして現される必要があります。このメッセージを通して、キリストの中にある神の品性は、世界の人々に現されるためにあります。その呼びかけは、響き渡る必要があります。

 第1部 展望 2章 この時代の人々のための働き                    英文20-21

 「良い知らせをもたらすエルサレムよ、汝の声を力強く上げてください。恐れないで上げてください。ユダの町々に言ってください。あなた方の神を見上げてください。見上げてください。神、主は強い手を持って来るでしょう。そして、主の手は彼のためのルールでしょう。見上げなさい。主の報いは、主の前の主の働きと主と共にあります。主は、羊飼いの一人のように、主の群れを養うでしょう。主は、その懐に抱いて、その腕にその子羊達を集めるでしょう」(イザヤ40:9-11 KJV)。

 今、バプテスマのヨハネと共に、私達は、イエスに人々を指し示す必要があります。こう言っています。「世界の人々の罪を取り除く、神の子羊を見上げなさい」(ヨハネ1:29 KJV)。今、かつてなかったほど、この招待が知らされる必要があります。「誰かが渇いているならば、私の所に来て飲んでください」「主の霊と花嫁は、来てくださいと、言っています。また、聞く人も、来てください、と言いましょう。命の水が欲しい人はだれでも、自由にそれを飲んでください」(黙示録22:17 KJV)。

 そして、明けの明星と輝きとしてのキリスト、罪を担うキリスト、罪を赦す救い主として、キリストが現されるべくあらゆる努力の可能性、行なわれるべき大きな働きがあります。そして、主は、世界の人々の前で私達に好意を与えるので、ついに、私達の働きが行なわれるでしょう。

                      

 天使達が四つの風を抑えている間に、私達は、自分の全ての能力で働く必要があります。私達は、どのように先延ばしすることなく、私達のメッセージを伝える義務があります。全人類に根拠を与える必要があります。私達の宗教は、神聖な言葉、主の言葉の創始者であるキリストの力と信仰です。人の魂達は、そのバランスを保っています。彼らは、サタンの専制の奴隷か、神の王国の対象のどちらかになるでしょう。すべての人々は、福音の中に、彼らの前に置かれた希望を抱く特権が用意されています。人々は、説教者がいなくて、どのようにして聞くことができるでしょうか。人類家族は、神が臨在する中に立つことができるように、品性の準備と道徳的な回復を必要としています。福音メッセージに反対行動が意図されて、広まった間違った神学理論のゆえに、滅びに備えられている魂達がいます。誰が、今、神と共に働く者となるために、自分自身を完全に聖別しているでしょうか。         

 あなた方が、サタンの働きの下にいる世界の人々のかわいそうな滅びる人々を見る時、神があなた方に与えたエネルギーを、価値のない悲嘆に使い果たさずに、自分自身とほかの人々のための働きに向けてください。目覚めてください。そして、滅びている人々のための重荷を感じてください。彼らがキリストに勝ち取られていないならば、永遠にこの上ない幸福を失うでしょう。人々のためにそれを得ることが可能なことについて考えてください。神が創造してキリストが贖った魂は、人間が従順ならば得るだろう命の与え主を通した不死、神の言葉によって命を与えられたならば持てるような能力、神に聞き入れられた霊的な優位性、神の前での可能性のゆえに、偉大な価値に属しています。人の魂は、天のために、お金や土地や家などの財産が属している世界全体以上に、大きな価値に属しています。一人の魂の回心のために、私達は、私達の最高の源の御方に義務を負う必要があります。一人の魂がキリストに勝ち取られることは、その人の周りで、天の全ての光が道徳的な闇に射し込んで、ほかの魂達を救って、きらめくでしょう。

 キリストが、99匹を託して/残してでもleave、いなくなった1匹を捜して助けようとするのであれば、私達は、何も行なわずに義とされることが可能ですか。キリストが働いたように働くこと、主が犠牲となったように犠牲となることに、神への無礼、神聖な委託に対する背信となって、怠惰ではありませんか。」(Is not a neglect to work even as Christ worked, to sacrifice as He sacrificed, a betrayal of sacred trusts, an insult to God ?)

 地上の広さと丈に合わせて、警告を響かせましょう。主の日は近づいていて、とても急いでいるということを語りましょう。警告されずに残される人がいないようにしましょう。私達は、間違いの中にいるかわいそうな魂達の立場にいたかもしれません。私達は、外国人barbarianの中にいた可能性があります。[現在の]真理と調和して、私達はほかの人々を受け入れました。私達は、その人々に同じ真理を与える罪過者です。

第1部 展望 2 この時代の人々のための働き                                英文22

 私達は、失うような時間の余裕がありません。終わりは近くにあります。[現在の]真理をいたる所に広めた経路は、右手も左手も様々な危険に遮られるでしょう。全ての物事が、主のメッセンジャー達の道を塞ぐように置かれるでしょう。そのために、彼らにとって現在行なっている可能なことが、行なえなくなるでしょう。私達は、攻撃的な戦いができるだけ速やかに前進していて、自分達が直面している公正な働きを見る必要があります。神から私達に与えられた光/真理から、私達は、真下からの激しいエネルギー、闇の勢力が働いているということを知っています。そして、ひそかに歩き回るサタンは、オオカミが獲物を捕らえるように、今[霊的に]眠っている人々を捕らえることを進めています。私達は、今、自分達ができる働き、今、与えることができることを警告しています。しかし、やがて、それは、私達が想像できる以上にもっと困難になるでしょう。神は、私達が光のチャンネルを続けるように、勝利を得るために我慢強く忍耐して、私達の目を私達のリーダーイエスにしっかりと向けさせるように助けています。


 

第1部 展望 3章 この働きの外国の伝道地への拡大                             英文23

3章 この働きの外国の伝道地への拡大

 

 

 夜の間に「起き上がりなさい。輝きなさい。汝に光が来ました。そして、主の栄光が汝に昇っています」(イザヤ60:1 KJV)の真理を知っているこの教会の人々に話すようにという言葉が[主から]、私にやってきました。

 イザヤ54章にある主の言葉は、私達のためにあります。「汝のテントの敷地を広くしなさい。汝の子らの住まいのテントを増やしましょう。惜しまず、汝の杭を強固に立てて、汝の綱を長く張りなさい。汝は、右手にも左手にも、どんどん広がるでしょう。汝の子孫は、異邦人の[地を] 住むために人の住まない町々にして、継ぐでしょう。恐れることはありません。汝は恥をかかないでしょう。汝らはうろたえることもありません。汝は辱めを受けることもないでしょう。……なぜなら、造り主は、汝の管理人husbandだからです。その名は万軍の主です。そして、汝の贖い主、イスラエルの聖なる御方です。主は、地上のすべての人々に、神と呼ばれるでしょう」(イザヤ54:2-5 KJV)。

 主の弟子達へのキリストの言葉は、また、今日の弟子達への言葉です。「汝らは、刈り取る時期が来るまでにまだ4カ月ある、と言ってはいけません。見なさい。私は汝らに言います。あなた方の目を上げて、畑の上を見渡しなさい。作物はすでに収穫のために色づいています。人は賃金を受け取るために刈り取りをします。そして、永遠の命の実を収穫します。タネを蒔く人も刈り取る人も共に喜べるでしょう」(ヨハネ4:35-36 KJV)。

 神の人々は、人々の前に、とても優れたことを興し続けていなければならない一つの働き、偉大な働きを担っています。私達の伝道地での働き人達の努力は、もっと拡大するようになる必要があります。私達の主イエスキリストが二度目に現れる前に、かつて行なわれていた以上に、行なう必要のある大切なことです。神の人々は、この世界中を取り巻くまでやめてはいけません。

 主のブドウ園はこの世界全体を含んでいます。そして、そのすべての地域は働きかけられる必要があります。そこには、道徳的に荒廃した場所があります。それらの場所は、主の園のようになる必要があります。この地上の見捨てられた場所は手入れされ育てられる必要があります。それらは、バラのようにつぼみが生じて開花するでしょう。新しい伝道地は、主の聖霊が授けられた人々によって、働きが始められる必要があります。各地で、新たな会衆が組織されて、新しい教会が設立される必要があります。同時に、地上の遠隔地とあらゆる都市に現在の真理を表す必要があります。地に住む人々はみな、神の真理の栄光によって照らされて教化される必要があります。その光は、すべての地とすべての人々に輝く必要があります。輝き出るのは、その光/真理を受けた人々からです。明けの明星は、私達の上に昇りました。そして、私達は、真理の闇を歩んでいる人々の通り道にその光を灯す必要があります。

第1部 展望 3章 この働きの外国の伝道地への拡大                             英文24

 一つの危機が私達の前に間違いなくあります。私達は今、それらの最後の日々のために、偉大な真理を宣布する力を主の聖霊によって得る必要があります。すべての人々がその警告を聞いて決心するためには長くかからないでしょうIt will not be long before everyone will have heard the warning and made his decision.。それから終わりが来るでしょう。

 適切な時に適切なことを行なうことは、まったく適切な信仰に関して、とても欠かせない本質的なことです。神は、偉大な教師、働き人です。そして、主の摂理によって、主の働きをなし遂げるための方法や道を備えています。主は、働きのチャンネル/経路と、感化のライン/道筋を開示する機会を提供しています。主の人々が、主の摂理の暗示を見守っているならば、主と共に働く準備をしているならば、彼らは、成し遂げられた偉大な働きを見るでしょう。適切に指導された彼らの努力は、神が働きをまったく現さない所で、ほかのチャンネルの設備と、同じ手段で成し遂げられうるよりも、百倍の大きな結果を生み出すでしょう。私達の働きは改革的です。そして、その働きの卓越さは、すべての働き人達の中で、この人々のための実物教訓となるでしょう。新たな伝道地で、特に、現在の真理を正しく提示する時に、この働きが確立されることは大切なことです。私達の伝道活動の運営において、それらの原則は知性に留められる必要があります。

 特定の諸都市には、影響力と教育のセンターとして、特徴づける優位性があります。ヨーロッパの英語を話す国民とプロテスタント国では、その人々に接触する方法を見つけることは比較的簡単です。そして、私達の働きを前進させて、施設を設立するための優位性がたくさんあります。ほかのある国々、インドや中国では、働き人達は、それらの人々が、それらの人々が彼らを理解できる、あるいは彼らがその人々を理解できる前に、長期間の教育コースを通る必要があります。すべての段階において、この働きで遭遇する大きな困難があります。アメリカに、オーストラリア、イギリス、その他ヨーロッパの国々において、これらの多くの障害は存在していません。アメリカは、この働きに特徴を与える多くの施設があります。同様な施設が、イギリス、オーストラリア、ドイツ、スカンジナビア諸国、ほかの大陸の諸都市に、優位的な働きとして、建てられるでしょう。それらの諸都市において、主は、経験のある働き人や才能のある労働者を持っています。それらの人々は、別の伝道地で、働き人達の教育訓練と、この働きを広め、施設の設立を導くことができます。神は、その人々が、設備と資金を備えるようにデザインしています。その設立された施設は、それらの都市で働くという特徴を示すでしょう。さらに、霊的な闇の中にいる異邦人のための働き人達の教育訓練の機会を与えるでしょう。このように、経験のある私達の働き人達の成果は百倍にも増加するでしょう。

 イギリスで行なわれるための偉大な働きがあります。ロンドンから放散される光は、かなたの地域を明るく照らす明瞭な光線となるでしょう。神は、イギリスで働きました。しかし、英語を話す世界の人々は、ひどく無関心にされていました。イギリスの人々は、多くの働き人達と多くの資金が必要でした。ロンドンは、ほとんど、[伝道の対象として]触れられませんでした。私の心は、[主から]私の前に示されている大都市の状況として、とても感動しました。ヨーロッパ中にこの働きのための大きな施設が提供されていないということを考えることは、私の心の痛いことです。スウェーデン、ノルウェー、ドイツ、スイスでのこの働きを考える時に、私はとても心が痛みます。この[人類救済]目的を前進させるために様々な地域で奮闘している人が一人か二人います。そこには百の重荷があるはずです。ロンドン市内では百人ほどの人々が結ばれているでしょう。主は、主の働きが疎かにされていることに注目しています。そして、そこには間もなく、積もる重荷があるでしょう。

第1部 展望 3 この働きの外国の伝道地への拡大                             英文26

 アメリカにいる働き人達が自分達の大きな恵みをほかの人々に分け与えるならば、彼らは、イギリスでの清貧を見るでしょう。彼らは、そこでの様々な困難と奮闘している働き人達に共感するでしょう。また、「汝らはみな兄弟[姉妹]」(マタイ23:8 KJV)と、言葉だけではなく行動するようにと心の中で言うでしょう。彼らは、ヨーロッパの各都市と、イギリス全土、ロンドンで行なわれている偉大な働きを見るでしょう。

 神は、私達にオーストラリアを勝利が横断するよう呼び掛けています。新たな伝道地が開かれています。資金と働き人達の欠乏のゆえに、この働きは妨げられてきました。しかし、それはもはや、妨げられる必要がありません。あらゆる国々おいて、オーストラリアは、最もアメリカに似ています。そこには、あらゆる階層の人々が住んでいます。そして、その警告のメッセージは、提示され、拒絶されませんでした。そこには、光に祈っている数千の誠実な魂達がいます。神の見張り人達は、シオンの城壁の上に立っていて、「その朝が来ます。また、その夜も来ます」――誰も働くことができないその夜が来るという警告を与える必要があります。天使達が四つの風を抑えている間に、このメッセージは、できる限り速やかにオーストラリアのすべての伝道地に入る必要があります。

 これらの英語を話す人々の国々での働きをする力は、多くの国々で現在の真理の標準を植え付けた百倍以上の感化の力が私達の働き人達に与えられるでしょう。

 私達がこれらの極貧の伝道地で働きを試みている一方で、「ここにきて、私たちを助けてください」との叫びが、遠くの国々から来ています。それらの人々には、簡単に届きません。そして、刈り入れのための準備もしていません。私達の視野の中には、無関心にされてはいけないもっと近くの伝道地があります。

 アフリカのミッションの清貧は、最近[主から]、私の前に開示されました。アメリカから送られた伝道者達は、アフリカの原住民と共に苦しんでいて、まだ、生活の必要に苦しんでいます。異邦の国々に憐れみのメッセージを伝える神の伝道者達は、彼らの働きが適切に支えられていません。

 私達の兄弟[姉妹]達は、本国での働きを助けるように、外国の伝道地で働きを前進させるための助けを認めていませんでした。伝道地の一カ所で働きを始めるために与えられる助けは、ほかの場所での働きの力の成果となるでしょうThat which is given to start the work in one field will result in strengthening the work in other place.。教会が設立されて魂達が真理へと連れて行かれる時、その働き人達が、困惑から解放されると、彼らの努力は奮起され得ます。そこでは、財政的な力が増すでしょう。やがて、それらの教会は、自分達の境界地域内での働きを進めるだけではなく、ほかの伝道地に与えることができるでしょう。このように、母教会が抱える重荷は分かち合われるでしょう。

 本国での働きの清貧は、遠くの国々で行われている福音伝道の働きの影響を反映して、大きく、神のもとに頼っているので、本国での伝道の働きは、物惜しみしない、自己犠牲、自己否定の精神によって、外国の伝道地missionの清貧が現される時、すべての道で前進するでしょう。すべての力の源の主に触れるように私達の魂達を連れて行くということは、神の[人類救済]目的の必要を供給するために、私達が活発な働きの中にいることですIt is in working actively to supply the necessities of the cause of God that we bring our souls in touch with the Source of all power.

 外国の伝道地でのこの働きは、前進しませんでした。それが前進した時、また、成し遂げられたそれは、励ましのため、立場と謝意のために根拠を与えています。いわんや、資金は本国の伝道地の中よりも、それらの伝道地で費やされてきました。その働きは適切な施設なしに厳しい状況のもとで行なわれました。また、それらの伝道地に送られていた助けを考察すると、その成果は、確かに驚くほどのものでした。私達の伝道の成功は、私達の自己否定や自己犠牲の努力に十分に釣り合いました。神は唯一、福音メッセージが、誠実な働き人達によって明確に宣言されていた時に、達成された働きを評価することができます。新たな伝道地は、入って行かれました。そして、積極的な働きが行われました。現在の真理のタネは蒔かれました。形成される品性として、より正しい評価と神についての拡大された見解がもたらされて、その光は多くの人々の知性の中できらめきました。数千の人々に、イエスにある現在の真理の知識がもたらされました。その人々は、魂を清めて愛によって働く信仰を授けられました。

第1部 展望 3章 この働きの外国の伝道地への拡大                             英文28-29

 それらの人々の霊的な優位性は、私達の理解を超えています。どの働き人達が、伝えられた言葉の深さを響かせることをできますか。どの残りの人々が、[現在の]真理へと回心する人々に感化を及ぼして、正すことをできますか。回心によって、その人々は、ほかの人々のために働く伝道者となります。多くの場所で、家庭礼拝が立ちあげられました。聖書、貴い聖書が研究されています。神の幕屋が人々と共にあります。そして、主が人々と共に住んでいます。

 私達は、神が是認できる一つの働きをそれらの伝道地で行なったことを喜びましょう。主の名によって、私達は、外国での働きの成果に喜びと感謝の声をあげましょう。

 私達のまだ小さいSDA全体総会、間違いをしない人々は、私達に「前進しましょう。新たな伝道地に入りましょう。どの土地にも真理の標準を掲げましょう」と言っています。「起き上がりなさい。輝きなさい。汝に光が来ました。そして、主の栄光が汝に昇っています」[イザヤ60:1 KJV]

 私達の合言葉は「先に進みましょう。絶えず進みましょう」となる必要があります。神の使い達は、その道を備えるために、私達の前を進んで行くでしょう。私達の「かなたの地域に」という重荷は、地のすべての人々が主の栄光によって照らされるまで、決して降ろすことができないでしょう。

                        

 伝道精神は、私達の教会にリバイバルされる必要があります。この教会のメンバーはみな、神の働きを先に進めるために助ける方法を研究する必要があります。千カ所の伝道地で行なわれるべきこの働きは、ほとんど行なわれていません。神は、主の働き人達に、主のために新たな伝道地を加えるよう呼び掛けています。信仰深い働き人を待っている苦労の多い伝道地がたくさんあります。そして、奉仕の働きをしている天使達は、大教師のために私心なく働く教会のすべてのメンバーと共に働くでしょう。

                       

 この地上のこのキリストの教会は、伝道目的のために組織されました。そして、主は、この真理のメッセージを聞く、富めると貧しい、社会的地位の高いと低いにかかわらず、その教会全体が考えた方法と手段をみるように望んでいます。すべての人が、外国の伝道地に個人的な働き人として呼ばれているのではありません。しかし、すべての人は、伝道の働きを支援するために贈り物と祈りによって何かを行なうことが可能です。

 あるアメリカ人のビジネスマンは、熱心なクリスチャンでしたが、働く仲間として回心して、一日に24時間キリストのために働いて、注目されました。彼はこう言いました。「私は、私の大教師を紹介しようとしています。私は機会ある毎に、主にほかの人々を勝ち取ろうとしています。毎日、私は、キリストのために働いています。ある夜に、私が寝ている間に、中国で主のために働く一人の人がいます」。

 彼は、その話にこう加えました。「私は、若い時に、異邦人のための伝道者として行くことを決心しました。しかし、私の父の死によって、私は、家族を養うために、父のビジネスを引き継ぎました。現在、私自身が行く代わりに、一人の伝道者を支援しています。そのような摂理のうちにそのような中国の町で、私の働き人は部署についています。そうして、私は眠っている間でさえ、私の身代わりが、いまもキリストのために働いています」。

 ここに、同じように行なうセブンスデー アドベンチスト達はいないのでしょうか。すでに[現在の]真理を知っているこの教会の人々のために働く牧師達を支える代わりに、この教会のメンバー達は、それらの働き人達のためにこう言いましょう。「[霊的な]闇の中で滅んでいる魂達のための働きに行っていください。私達自身は、この教会の奉仕活動を進めます。私達は、キリストにとどまることによって集会を続けられるでしょう。また、霊的な生命を保てるでしょう。私達は、自分達の周りにいる魂達のために働きましょう。そして、私達は、窮乏の伝道地ともっと必要な働き人達を支援するために、私達の祈りと私達の贈り物を送りましょう」。

第1部 展望 3 この働きの外国の伝道地への拡大                                英文30

 なぜ、教会メンバー達や小さい教会の人達は、外国伝道を支援するために団結しようとしないのでしょうか。彼らが、有害な物と不必要な出費、自分を甘やかす自分を否定するならば、このことを行なうことができるでしょう。兄弟姉妹のみなさん、あなた方はこの働きを助けようとしないのでしょうか。私は、あなた方に、今、それを行なうように、キリストのために何かを行なうようにと懇願します。その教師を通して、あなた方の資金はその伝道地の中にいる[働き人を]支えるでしょう。魂達は、贖い主の冠にある星たちのように輝くために、滅びから救われるでしょう。          (英文p.30)


 

部 展望 1章 福音的な働き                                                 英文31

第2部 福音的な働き

「汝の神の治世、とシオンに言うため……良い便りを持って、山々を駆け巡り、良い便りを持ってくる彼の足どりはなんと麗しいことでしょう」[イザヤ52:7-10 KJV]

 

1章 キャンプミーティング

 

 

[1.神性の触れ合いを受けて、共に向き合う]        (英文p.31)

 キャンプミーティングは、私達の働きの中で、最も重要な奉仕の働きの一つです。それは、この福音への招待をすべての階層の人々に届けて、主の人々の注意を引く効果的な方法の一つです。私達が生きているこの時代は、ひどく興奮している時代です。野心と争い、楽しみと財産を作ることに、人々の知性は夢中になっています。サタンは、自分の時代が短いことを知っています。そして、彼は、自分の働き人達を、憐れみの扉が永遠に閉じられて調査審判が終わるまで、人々がだまされるよう、惑わされるよう、働かされるよう、入るように、働きに就かせました。人類を救済する第三天使のメッセージの真理を――あらゆる国の民、種族、言語、そして、人々――全世界の人々に伝えることは私達の働きです。しかし、公共の大きなセンターに主の人々を集める方法を知ることは困難な問題でした。私達はこの諸教会に入ることを許されていません(We are not allowed entrance to the churches.)。大都市のホールはとても費用が掛かります。多くのケースの中でわずかに最良のホールが現れています。私達は、私達と知り合いではなかった人々によって、反対だと言われました。私達の信仰の根拠は、その人々によって理解されていません。そして、私達は、「土曜日を守って、日曜日に無知な狂信者」として考えられていました。私達の働きにおいて、私達は、とても貴い宝である貴重な真理を人々の前にもたらして、偏見と世俗の妨害を打ち破る方法を知らず、悩まされてきました。主は、私達に、キャンプミーティングはこの働きをなし遂げるために最も重要な手段であるということを指導しました。

部 展望 1章 福音的な働き                                                 英文32

 私達は、賢明に計画を立てる必要があります。この人々は、この世界の人々のための最後の憐れみのメッセージを聞く機会を持てるでしょう。この人々は、神の大いなる日のための用意を警告される必要があります。それは間違いなくその人々にあります。私達はグズグズして失うための時はありません。私達は、その人々がいる所に届けるための最大限に行なう必要があります。この世界の人々は今、神が統治する律法を無視して悔い改めない境界線上に達しています。私達の世界のあらゆる都市で、この警告は宣布される必要があります。行なわれることが可能な全てのことは、先延ばしすることなく行なわれる必要があります。

 私達のキャンプミーティングは、これに先立って、別の目的があります。それらは、私達の自身の人々の間の霊的な生活を促すために必要です。この世界の人々の知恵は、神を知りません。この世界の人々は、真の神性の聖、神性の善、神性の愛、神性の美をみることができません。人々がこれらのことを理解できるために、この世界に来るためにそれを通すチャンネルが存在している必要があります。この教会は、そのチャンネルの一部を構成しています。キリストは、私達がほかの人々に主を表すことができるように、私達に自分自身を現しています。主の人々を通して、言葉に言い表せないほどの主の栄光と富が現される必要があります。

 神は、私達の手に最も神聖な働きを託しました。そして、私達は、指導を受けるために共に集う必要があります。私達はこの働きを実践するために相応しくなるでしょう。私達は、この地で、「世界の人々の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29)としての救い主を掲げて、神の聖なる律法の正当性を証明し、神の[人類救済]目的を成し遂げる活動に個人的に呼び出されていることを理解する必要があります。私達は、神性の触れ合いを受けて、共に向き合う必要があります。私達は、家庭でのその働きを理解できるでしょう。親達は、この世界の光達としての輝きに相応しくなるように、教育され訓練された息子達と娘達を家庭の聖所から送り出す方法を理解する必要があります。私達は、先に進めるためにある働きのそれぞれの役割と、働き人の部門に関して理解する必要があります。それぞれの人は、行動するための役割を理解する必要があります。すべての働きと結ばれている働き人について、計画に調和があるでしょう。

 

2.多数の人々に届ける 

 [祝福の]その山での説教の中で、キリストは主の弟子達に言いました。汝らは、世界の人々の光/真理です。丘の上にある町は、隠れることができません。ロウソクを灯す人々はそれを枡の下に置かず、ロウソク台に置きます。それは、その家の中に光を灯します。あなたがたの光/真理を人々の前に輝かしましょう。人々はあなた方の良い働きを見るでしょう。そして、天にいますあなた方の父を称賛するでしょう」(マタイ513-16 KJV)。私達のキャンプミーティングが、それが真にあるように指揮されるならば、人々は、確かに、世界の人々の光となるでしょう。その人々は、その真理のメッセージがまだ宣布されなかった町々と大都市に伝えられるでしょう。そして、その人々は、2、3週の間、続けるでしょう。同じ場所での連続シリーズのキャンプミーティングを開催することは、時には得策です。しかし、集会の場所の基準は年々変えられるでしょう。わずかの地域での巨大なキャンプミーティングを行なう代わりに、多くの場所で、小規模の集会を持つことによって、もっと良い集会が行なわれるでしょう。このように、この働きはいつも新しい伝道地に広げられるでしょう。真理の標準が一つの地域で掲げられると間もなく、それは、新しい回心者を残すように守ります。私達は、ほかの新たな伝道地に入る計画を立てる必要があります。私達のキャンプミーティングは一つの力です。そして、一つの場所でその共同体(教会)が奮起させられることが可能な時に、その人々は、教会が置かれている私達の人々が確信している時以上に、はるかに大きな力を持つでしょう。なぜなら、以前の集会と真理への拒否があって、群衆の関心が弱められているからです。

 ある人の一つの間違いが、毎年同じ場所で継続され、人里離れた場所でキャンプミーティングが開催されました。これは、働き人と経費を救うために行なわれました。しかし、その救いは、ほかの伝道地の働き人達の中で行われるべきでしょう。新しい伝道地で特に、資金不足がしばしばキャンプミーティングの経費に向き合うことを困難にします。慎重な節約が実行され、費用のかからない計画が考案されるでしょう。多くが、この方法によって救われることができます。しかし、その働きが損なわれないようにしましょう。人々に[現在の]真理を提示する方法は、私達の神が考案したもののそばにあります。魂達が働きかけられる必要がある時に、そして、その真理が、それを知らない人々に伝えられる必要がある時、その働きは経費を救うために妨げられてはいけません。

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文33-34

 私達のキャンプミーティングは、できるだけ多くの良い成果が得られるように、たいそう指揮される必要があります。[現在の]真理は、それを信じる人々によって説明されて、適切に提示されるようにしましょう。世界の人々が必要としている、主イエスキリストが光であることを表しているものはみな、光、天の光です。

 

3.一つの実物教訓

 キャンプミーティングはみな、整頓、秩序、良い味わいの一つの教訓となるでしょう。私達は、節約を慎重にする必要があります。そして、見栄えを避ける必要があります。しかし、その基本と繫がっている物事はみな、整理され整頓されるでしょう。味わいと美的な感覚は、強く惹きつけます。私達の働きにおいてみな、私達は秩序と組織体の訓練を現す必要があります。

 あらゆる事柄は、神の重要な働きと神聖を世界の人々と、私達自身の人々の両方に印象付けるために取り決められるでしょう。古代イスラエル人の野営地で守られた規則は、私達のための一つの手本です。

 イスラエルに特別な指導を与えたのはキリストでした。そして、彼は、世界の終わりが来ようとしている、私達にその指導をしようとしています。私達は、神の言葉を特別に慎重に研究して、それを神の意思として、それらの指導を行動に移す必要があります。全てのことは、キャンプ場がきれいで衛生的、清潔へと繋げましょう。公衆衛生の取り組む必要があります。健全な判断と識別をする男性達は、そのキャンプ場の中に死と病のタネをまくことが許されないように見張る必要があります。

 それらのテントは、しっかりと支柱が立てられる必要があります。雨が降りやすい所では、どこでも、すべてのテントの周りは[水が中に入らないように]堀を掘る必要があります。この責任を怠る人がいないようにしましょう。深刻な命を落とす病が、この予防策を怠ったことで感染したことがありました。

 私達は、天が起源の真理を代表して現していると考える必要があります。私達は、[霊的な]闇から主の素晴らしい光の中に呼び出した主をたたえていることを示す必要があります。私達は、神の御使い達が、すべてのテントの取組と整頓を見て、このキャンプ場を巡り歩いていることを知性に覚えておく必要があります。この土地に来た主の大勢の人々のために、すべての取組はこの集会を指揮する人々の原則と信念を証明しています。それは、可能な限りの最善の証明でしょう。それらを取り組むものはみな一つの教訓です。特に、家族のテントは、整頓と秩序において、家庭生活が垣間見えて、セブンスデー アドベンチスト達の実践、慣習と習慣として、確固とした説教となるでしょう。

 

4.安全な参加

 私達が、私達の人々が少ししか知られていない大都市の近郊でキャンプミーティングを開催する準備をしている時、私は、ある夜に[幻の中で]その集会の前に行なわれるための働きとして、相談のために大勢の人々に会っているように思いました。雑誌と通信文書を配るための多額の出費と多大な努力を注ぐことが目的でした。取組はこのように行なうよう決められました。勧めの中で知恵ある一人の御方が、次のように言いました。

 「生きている説教者によって語られたこの現在の真理は、同じ内容が雑誌で出版された時以上に大きな感化力を持っているでしょう。しかし、[説教と雑誌の]両方が結ばれた方法は、もっと強い力を持っているでしょう。毎年の一つの努力という方法に従うことはベストな方法ではありません。物事の方針を変えましょう。あなた方が、時間と機会を傾ける時、サタンは自分の勢力を再結集する用意をしています。そして、彼は、可能な限り、すべての魂達を滅ぼすための働きをするでしょう。その人々が反対していることを知っていて[現在の]真理を聞く機会を持っていた人々の前で、反対意見を提示してはいけません。以前よりも、この集会の後で強力な働きを行なうためにあなた方の資金を遣わずに残して置いてください。その印刷物がその集会の間に役立つように確保されうるならば、印刷物、リーフレット、通信文書、配布のための雑誌は語る感化力を持っているでしょう」。

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文35-36

 私達のどこかのキャンプミーティングで、有能な働き人達の仲間達が組織化されて、郊外に文書を配布して、その集会に人々を招きました。この手段によって、その文書の内容について少し違った考えを持っている人がその集会の後半の間の全出席者として数百人確保されました。

 私達は、その人々の前に[真理の]光をもたらす手段としてみな、正当と認められる方法を取る必要があります。印刷物が役立てられるようにしましょう。チラシ広告はみな、この働きに注目を呼び掛けるように働きかけましょう。これは不必要とみなされるべきではないでしょう。あらゆる街角で、あなた方は、最も不快な特徴のある何か、様々な行事に注目を呼び掛ける通信文書やポスターを見ることができるでしょう。命の光を持っている人々は、現在の真理に大衆の注目を呼び掛ける拙い努力に満足しているのでしょうか。

 興味を持つようになった人々は、その偽りの説明の事柄への答え方を知らない人々と、一般教会の牧師達からの偽りの説明と詭弁者達に立ち向かう必要があります。そして、その人々はそれらの事柄への応答の仕方を知りません。生きている真の説教者によって提示された現在の真理は、可能な限り、簡潔な形式の本によって出版され、そして広く配布される必要があります。できる限り、私達のキャンプミーティングで与えられた講話は、新聞でも出版されるようにしましょう。このように、限られた数の人々の前に伝えられた現在の真理は、多くの知性のある人々に届けられて見出されるでしょう。その真理が間違って提示された所で、その人々は牧師が言ったことを正しく知る機会を持てるでしょう。

 ロウソク立てに、あなたの光を灯してください。それは、家中の人々に光を与えるでしょう。現在の真理が、私達に与えられるならば、私達は最も正直な人の心の中で、それを認めて、その光の筋を喜んでほかの人々に明らかに示すでしょう。

 ナタナエルは、メシアが世界の人々の罪を取り除く神の子羊に間違いなかったと、バプテスマのヨハネによって知らされた御方ではないかどうかを知ろうと、祈りました。一方、彼は光を求めて神の前に自分の困惑を置いていました。フィリポが熱心に彼を求めた時、喜んで叫びました。「私達は、預言と神の律法についてモーセが書いた主を見つけました(ヨハネ1:45 KJV)。

 しかし、ナタナエルはナザレ人に対して偏見を持っていました。間違った教えの影響を通して、不信仰が彼の心に湧き起こって、彼は「ナザレから何の良い者が出て来ることができようか」と言いました。彼は「来てみてください」と言いました。これは知恵です。間もなく、ナタナエルはイエスを見ました。彼は、フィリポが正しかったことを確信しました。彼の不信仰は一掃されて、信仰と確信とが、強く彼の魂にとどまっています。

 ナタナエルがそうであったように、同じような状態の人々がたくさんいます。それらの人々は、それらを知っている人々や、終末の日々のための特別な真理との繫がりを持とうとしなかったので、不信仰と偏見に置かれています。そして、それは、彼らの不信仰を一掃するために、キリストの霊/精神に満たされる集会に参加することだけを求めているでしょう。どんな反対にも、天が起源の真理から引き離すどんな努力も、どんなことがあっても、私達は立ち向かう必要があります。私達は、私達の信仰の表明をする必要があります。最も正直な魂達は、見て、聞いて、自分達のために確信するでしょう。私達の働きは、フィリポがしたように、「来て、見てください」と言うために用意されています。

 私達は、隠しておきたい教理を持っていません。神聖な日として、週の最初の日を守ることを教えられた人々のために、最も異議のある、私達の信仰の特徴は、神の戒めの第4番目の安息日です。しかし、神の言葉は、第7日が私達の神、主の安息日だと宣言していないのですか。実際に、最初の日から第7日に求められたとおりに[習慣を]変更することは、簡単なことではありません。それは、十字架を巻き込んでいます。それは、人間達の行動と神の指針とも相反しています。学んだ人々は、偏見と不信仰に満たされるまで、その伝統を別の人々に教えてきました。また、私達は、それらの人々に「来て、見てください」と言う必要があります。神は、私達が、現在の真理を宣布すること、その間違いを見つけ出すよう求めています。

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文38-39

 


5.教会メンバー達の参加                  (英文p.38)

 私達の教会メンバー達が、私達のキャンプミーティングに参加することは、大切なことです。現在の真理の敵達はたくさんいます。私達の数はわずかなので、私達はできるだけ、強く前線で提示する必要があります。そして、神は、あなた方に、現在の真理を伝える多くの人々の一人に呼び掛けています。

 ある人はこう言っています。「旅行は費用が掛かります。そして、そのお金を蓄えることは、とても必要としている所の働きの前進のためと、私達のために供えることが良いことでしょう」。この方法に根拠はありません。神は、主の人々の名簿とその人々の層の間で開催するよう呼び掛けています。その集会は、可能な限り、あなた方の家族と参加することによって、あなた方を力づけるでしょう。神の人々を集めて参加させるための特別な努力をしましょう。

 兄弟姉妹のみなさん、神があなた方のために用意した特別なメッセージを聞く機会に無関心になることよりも、あなた方の務めを悩ますことの方が、あなた方のために良いことでしょう。できるだけ、あらゆる精神的な強みを得ようとする自分を許さないようにしましょう(Make no excuse that will keep you from gaining every spiritual advantage possible.)。あなた方は光のあらゆる筋を必要としています。あなた方は畏れと柔和があなた方の中にあるという希望の理由を与えるために相応しくなる必要があります。あなた方は、そのような一つの特権を失う余裕がありません。

 [旧約の]古代では、主は、主を拝するため、主の民に一年に三回集まることを指導しました。これらの聖なる祈願のために、イスラエルの子らは、自分達の喜びの捧げ物、自分達の罪の捧げ物、自分達の什一を神の家に持って行きました。彼らは、神の素晴らしい働きを知るために、主の名に感謝と賛美を捧げるために、そして、神の恵みを数えるために向き合いました。そして、彼らは、この世界の人々の罪を取り除く神の子羊としてキリストを指し示して、その犠牲の捧げ物を捧げることによって結ばれました。このように、彼らは偶像崇拝と世俗の滅びの力から守られる必要がありました。信仰と愛と喜びは、彼らの心に生き続ける必要がありました。この神聖な奉仕によって互いに協力することを通して、彼らは互いの人々と神に親しく結ばれる必要がありました。

 キリストの時代に、これらの祝祭行事は、あらゆる土地の人々の群衆が参加しました。そして、彼らは、神が意図したように続けました。真の礼拝の精神によって、彼らを通して真理の光は、この世界のすべての国の人々に与えられました。

 

6.心構え

 それらの集まりで、私達は二つの勢力が働きをしていることをいつも覚えておく必要があります。人間の目によっては見えない一つの闘いが遂行されています。主の部隊はこの地にいて、魂達を救おうとしています。サタンとその軍勢は滅びと騙しのあらゆる可能な方法を試みて働いています。主は、私達にこう命じています。「主によって、主の偉大な力によって強くなってください。悪の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を全身に着けましょう。私達は、血と肉に対してではなく、諸々の権威と勢力と、この世界の闇の支配者に対して、また、高き所にいる悪の霊に対して戦っています」(エペソ6:10-17 KJV)。日々、戦いは進行しています。私達が、善の働き人と悪の働き人達の働きを見るように開かれるならば、浪費もなく、虚栄心もなく、悪ふざけもないでしょう。すべてが、神の軍勢の全体に立っていたならば、また、主の側の戦いに勇敢に戦っていたならば、勝利は得られることでしょう。また、闇の王国をおののき震わせることでしょう。

 私達に祝福をもたらすようにと、聖書教師達や牧師達を頼って、キャンプミーティングに出かけて行く人はいないでしょう。神は、主の人々が牧師に自分達の重荷をもっていくようにとは望んでいません。主は、主の人々に助けを求めて人間に頼って弱くされることを望んでいません。彼らは、一本の支柱として誰かに、か弱い子どもらのように寄りかかるべきではありません。神の恵みの一人の管理者として、すべての教会メンバーは、自分自身のルーツと命を持つために、個人的な責任を考える必要があります。それぞれ人は、人に頼る集会の成功[が何回あったか]を数える必要があります。「私には責任がありません。私はこの集会で、何もすることがありません」と言わないようにしましょう。あなた方が、そのように考えるならば、あなた方は、サタンにあなた方を通して働く機会を与えています。サタンは、彼の働きをするためにあなた方に何かを与えて、あなた方の知性を彼の考えで困惑させるでしょう。キリストに集めるのではなく、あなた方は散らすでしょう。

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文41-42

 その集会の成功は、聖霊の力とその臨在に依っています。真理の[人類救済]目的を愛する者達への聖霊の注ぎのために祈る必要があります。私達の中にある力の限りに、私達は、主の働きを妨げるものをみな取り去る必要があります。聖霊は、教会メンバー達によって好意を持たれている一方で、敵意や仲違いがある所に決して注がれることができません。嫉み、嫉妬、臆測、悪口は、サタンに属しています。そして、それらは、主の聖霊に反対する道の効果的な柵となっています。この世界には、主の教会として、神のためにたいそう大事にされている教会はほかにありません。そのような嫉妬をケアしても、主によって守られません。主への奉仕を行なう人々の影響を傷つける行動ほど、神に不快感を与えるものはありません。主は、失望と批判の働きによって、サタンに協力する人々に責任を求めているでしょう。

 愛と優しさと共感に欠如している人々は、キリストの働きを行なうことができません。その預言が成就されうる前に、その弱さは、「主の御使いのように」、ダビデの家と、「ダビデのように」なるでしょう(ゼカリヤ12:8 KJV)。神の子らは、自分達の兄弟達について疑う考えをみな捨てる必要があります。心臓は、心臓に調和して打つ必要があります。クリスチャンの慈しみと兄弟[姉妹]愛は、もっとたくさん示される必要があります。御言葉は、私の耳に響いています。「共に引いてください。一緒に引いてください」。この時代の人々のための厳粛で神聖な真理は、神の人々を堅く結ぶためにあります。傑出したいという望みは死ぬ必要があります。[キリストを]見習うという目的は、ほかの人々をみな巻き込む必要があります。――誰が、品性においてキリストに最もよく似ていますか。誰が、自分を最もキリストに全部を隠していますか。

 「ここに、私の父の栄光があります。汝らは多くの成果をもたらすでしょう」(ヨハネ15:8 KJV)とキリストは言っています。ここにずっと一つの場所があったならば、信者達は多くの成果をもたらすでしょう。それは、私達のキャンプミーティングにあります。それらの集会で、私達の行動や言葉、精神は、注目されています。そして、私達の影響力は、いつまでも及ぶでしょう。

 品性の変容は、キリストの愛が内在していることを世界の人々に証するためのものです。主は、贖いの恵みの力が、豊かな成果と釣り合いの取れた発達をするという目的と、誤りという欠点faultyのある品性に働きかけることができることを示すよう、主の人々に期待しています。

 しかし、神の目的を実現する私達のためになされる働きの準備があります。主は、私達に、仲違いの根である、私達の心にある利己心を空(から)にするようにと命じています。主は、主の聖霊を私達にたくさん注ぐことを望んでいます。主は、無私による献身という明確な方法を私達に命じています。自我が神に明け渡される時、私達の目は、ほかの人々の道に置いていた私達のキリストに似ていない様々なつまずきの石が見えるように開かれるでしょう。それらのすべてについて、神は、私達に取り除くようにと命じています。「あなた方の落ち度の罪faultをお互いに打ち明けましょう。そして、お互いのために祈りましょう。こうして、汝らは癒されるでしょう」(ヤコブ5:16 KJV)。その時、私達は、ダビデが行なったことに確信が持てるでしょう。彼は、罪の告白の後、祈りました。「そなたに救われる喜びを私に戻してください。そなたによる罪からの解放の精神/霊によって私を支えてください。そうすれば、私は違反している罪びと達にそなたの道を教えるでしょう。罪びと達はそなたへと回心するでしょう」(詩編51:12,13)。

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文43-44

 神の統治の中にいる時、私達の魂は、キリストのような愛と励まし、信仰の雰囲気に包まれ、それを習得する人はみな、霊的な命の雰囲気に元気づけられるでしょう。私達は、キャンプミーティングに単にそれを受けに行くだけではなくて、それを与えるために行きます。キリストの優しい愛に与る人はみな、また、神の聖霊によって光を受けて教化され、現在の真理に回心した人はみな、関係を持っていて負い目を感じているすべての魂にこれらの貴い祝福を考えるでしょう。心に主を宿している謙虚な人々は、任命された牧師達が近づくことのできない魂達に伝えるために役立つでしょう。その人々は、キリストの救いの恵みの言葉を語るように励まされるでしょう。

 ほかの人々への祝福において、その人々は自分自身が祝福されるでしょう。神は、私達に、恵みを分け与える機会を与えています。主は、私達に、恵みが増すように、再び満たすでしょう。希望と信仰は、神が提供した才能と能力と共に、神の働きのための仲介者agentとして力を与えるでしょう。主は、人と共に働くための神性の仲介者を持っているでしょう。

 

7.ビジネス(教会での務め)の内容 business:職業、業務、用件、務め、商売

 できるだけ、私達のキャンプミーティングは全体的に霊的な関心に貢献するものにしましょう。それは、ビジネス(教会での務め)の交流のための機会とされるべきではないでしょう。

 そのキャンプミーティングにおいて、働き人達は伝道地のあらゆる地域から集まってきています。それは、異なった部門の働きの訓練として、この働きの様々な部門に関連した務めの内容を考察するための機会として気に入られているように思われます。これらの様々な関心は重要ですが、人々がキャンプミーティングに参加した時、わずかな機会だけが人々の魂のための真理に関連した講演に当てられています。牧師達は、神の子らを最も神聖な信仰を育てるという自分達の働きから逸れています。そして、キャンプミーティングはそれが託された目的に合っていません。多くの集会は、多くの人々が関心の持てないものを指導されています。そして、その人々がそれに参加したならば、その人々はみな、益を与えられ元気を回復させられるどころか、弱められるようになるでしょう。多くの人々は、このキャンプミーティングから助けを受けるという期待を裏切られ、失望させられています。光を与えられ教化され、力づけられるために来た人々は、この集会に参加する前よりも、教会と家族の中で働くために相応しくないままに家に戻っています。

 ビジネス(教会での務め)の内容は、この働きのために特別に任命された人々のために加えられるべきでしょう。そして、可能な限り、このキャンプミーティングではなく別の時間にその人々の前にもたらされるべきでしょう。文書伝道の指導、安息日学校の働きの指導、伝道の働きとトラクト配布の指導などは、母教会や特別に計画された集会で与えられるべきでしょう。同じ原則は、料理教室にも適用できます。それらがみな正しい位置に置かれる一方で、それらは、私達のキャンプミーティングの時に、行われるべきではないでしょう。

 カンファレンスの代表と牧師達は、人々の霊的な関心を自分自身に与えるべきです。そして、この集会に参加しているは端役の人々から許される必要があります。牧師達は、根拠が求められた時、キャンプミーティングの働きにリーダーや教師として、活動するための備えをするべきでしょう。しかし、彼らは疲弊するべきではないでしょう。彼らは爽快な気分に回復される必要があります。これは、この集会が最善なものになるために欠かせないものです。彼らは、誠実な人々の心に蒔かれる霊的な真理のタネを蒔くため、また、芽を出して成長し、貴い果実を生み出すため、応援と励ましの言葉を語ることができるでしょう。

 牧師達は、この人々にほかの人々を主に導く方法と、主に行く方法を教える必要があります。様々な方法は適用される必要があります。様々な計画が作られる必要があります。それゆえ、真理の標準が掲げられるでしょう。この人々は不法の罪から清められ、清めと聖化の原則を擁護することによって高尚にされる方法を教えられるでしょう。

 そこは、魂を育てるため、心を探るための時間となるためにあります。その知性がビジネス(教会の務め)の内容に占められる時、そこには、霊的な力が死ぬ必要性はありません。人格の清め、真の信仰、心の聖化は、人々が自分達の重要性に気付くまで、知性の前に保たれる必要があります。

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文45-46

 私達は、私達のキャンプミーティングによって、神の力を持つ必要があります。そうでないと、私達は、魂達の敵に対して打つ勝つことができないでしょう。キリストは、「私を離れていては、あなた方は[神性に関して]何事も行なうことができません」と言っています。

 キャンプミーティングに集まった人々は、高尚なクリスチャン体験を達成するため、神の知識を前進させるため、霊的な力を強くされるため、この集会には目的があるという事実を印象付けられる必要があります。そして、このことに気づくまで、この集会は私達にとって、成果のないものとなるでしょう。

 

8.牧師による助けministerial help 

 大都市近郊のキャンプミーティングやテント内での取り組みは、牧師の多大な助けが必要です。私達のすべてのキャンプミーティングにおいて、牧師の助力は可能な限り強くあるべきでしょう。いつも一人か二人に負担をかけたままにすることは賢明なことではありません。そのような緊張状態では、牧師達は身体的・知的に疲れ切って、彼らに託された働きができなくなります。その集会のために求められた力を持てるために、牧師達は戸毎訪問の働きを進めることができず、説教もできないけれど、それらの人々を信頼できる人の手に委ねて、あらかじめ伝道地を離れる取り組みをしましょう。神によって多くのことが勇敢に行なえて、彼らの働きは驚くほどに豊かな報いを見ることでしょう。

 私達の大きな集会では、様々な賜物が必要とされています。新鮮な才能がその働きに持たされるでしょう。その時、現在の真理は、力と新鮮さとが現れるでしょう。

 大都市近郊での集会の運営への主な関心において、その働き人達全員の協力は欠かせず必要です。彼らはその集会の真の雰囲気を保つでしょう。彼らが行ったり来たりしている時に人々と知り合いになって、親切と礼儀正しさを最大に示して、彼らの魂を優しく配慮して、彼らは時に適って適わなくても魂を勝ち取るために見守って話すための準備をするでしょう。キリストの働き人達は、サタンがしているような多くの警戒の半分を示しているでしょう。彼はいつも、人間の進路上にいて、いつも目を見開いていて、人々の滅びのための罠やジン(綿の種取り機)を置いて見張っています。

 その後に続く日々が、働き人にとって最も重要となるようにしましょう。その日中、その夕が、ある魂がその警告メッセージを聞かなければならない唯一の機会となるでしょう。これは、知性にいつまでも残るでしょう。

 牧師達が、様々な教会を訪問するために自分達の働きから離れて呼ばれることを自分に許す時、彼らの体力が消耗するだけではなく、自己吟味によって神の前で沈黙するため、また、祈って研究するために必要な時間を失います。このように、彼らはそれが行なわれるべき所と時に、その働きを行なうことに相応しくない者になっています。

 神との親交の実践的な成果以上に、この働きに必要とされているものはありません。私達は、神の中での安息と平安を持っていることを私達の日常生活によって示す必要があります。心の中にある主の平安は、表情に輝いているでしょう。それは話に説得力を与えるでしょう。神との親交は、活動のコース全体と品性に道徳的な向上心を与えることでしょう。私達はイエスと一緒にいたならば、初期の弟子達がしたように、人々は私達から知識を得るでしょう。このことは人間の説教の影響力から来る以上に、大きな力を牧師の働きに与えるでしょう。この力について、彼は奪われることを許してはいけません。主の言葉の研究と祈りを通しての神との親交は、ここに彼の力の源があるので、怠らないようにしましょう。この教会のための働きは、これに優先するものはないでしょう。

 私達は、永遠の自覚と神への信頼があっても貧弱です。人々が、神と共に歩んでいるならば、主は岩の裂け目に彼らを隠すでしょう。このように隠れて、モーセが主を見たように、彼らは神を見ることができるでしょう。神が授けている光と力によって、彼らは以前に見ることができた以上に、もっと理解してもっと熟達できます。

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文47-48

 能力と機転と知恵は、多くの人々が考えている以上に、神の群れを養うことと、御言葉を提示することにおいて必要とされています。冷淡で命のない、現在の真理の提示は、神が人々に与えた神聖なメッセージの価値を落としています。

 御言葉を教える人々は、神との親交に生きて、良心的に、たびたび、連絡を取って生きる必要があります。憐れみと義と真理の原則は、彼らと共にある必要があります。彼らは、すべての理性的な力と道徳的な知恵の源から引き入れる必要があります。彼らの心は、神の霊の働きかけに密接に生きている必要があります。

 すべての力の源は限界がありません。そして、あなた方の大きな必要の中に、あなた方自身の魂に働きかけるために、あなた方は聖霊を求めるならば、あなた方が神の中に自分を閉じ込めるならば、あなた方は冷淡で熱意のない人々の前に行かないということを確信させられるでしょう。たくさん祈って、イエスを見上げる時、あなた方は自己を高めることをやめるでしょう。あなた方が忍耐強く信仰を実践して、絶対的に神を信頼するならば、あなた方は「もっと高きに来てください」と言っているイエスの声を認めるでしょう。

 

9.働き人となる全ての人々のために

 「そして、主は、ある人々を使徒、ある人々を預言者、ある人々を伝道者、ある人々を牧師や教師として[任を]与えました。それは、キリストの体[教会]を教化するため、奉仕の働きのため、聖徒達の成熟・熟達のためです。私達が、キリストの満ちた資質の高さにまで、また、完全な人間へ、神の息子についての知識と信仰の一致に至るためです(エペソ48-16 KJV)

 この聖句は、私達のキャンプミーティングにもたらされる大きな働きのプログラムを提示しています。それらの賜物はみな、実践のなかにある必要があります。忠実な働き人達はみな、その聖徒達の熟達/完全のために仕えるministerでしょう。

 何かの働き人として[人類救済]目的の働きのための訓練を受けている人々は、このキャンプミーティングでの働きのすべての機会を改善することでしょう。キャンプミーティングがもたれている所ではどこでも、医療従事者の教育を受けた若い人々は、自分達の役割を果たす義務を考える必要があります。彼らは、医療従事者の働きだけではなく、現在の真理を指し示して説明すること、私達がなぜセブンスデー アドベンチストなのかの理由を添えて、励まされる必要があります。それらの若い人々は、老牧師達と共に働く機会が与えられたならば、祝福と助けをたくさん受けることでしょう。

 どんな人にも、することが何かあります。現在の真理を信じているどの魂も、場所とめぐり合わせに立ち向かう必要があります。こう言われています。「ここに私がいます。私を送ってください」(イザヤ6:8 KJV)。このキャンプミーティングで働きをすることに繫がることによって、その人はみな、自分達の母教会でうまい働きをする方法を学ぶことでしょう。

 適切に指導されると、そのキャンプミーティングは一つの学校です。牧師達・長老達・執事達が、大教師のためにもっと熟達して働くことを学ぶことができます。それは、一つの学校となるでしょう。教会員達が老いた人も若い人も、もっと熟達した主の方法を学ぶ機会が与えられます。そこでは、信徒達がほかの人々を助けるために、信徒達を支援する教育を受けることができるでしょう。

 キャンプミーティングに来る親達は、自分達のための指導として与えられた教訓に特別に注意を払うでしょう。その時、家庭生活において、手本と指針によって、自分の子ども達にそれらの教訓を教えましょう。世俗の堕落した影響から子ども達を守るよう努める時、親達は自分たちの家族が成長していることを見るでしょう。

 牧師達が私達の教会員達に与えることができる最良の助けは、説教することではなくて、働きをするための計画を立てることです。一人一人がほかの人に何かをするようにしましょう。主のために働く義務のもとにいる人々を、キリストの恵みを受ける者として見るよう助けましょう。そして、みんなが、働きをする方法が教えられるようにしましょう。特に、この信仰に新たに入る人々が、神と共に働く者となるよう教育される必要があります。働きに就くと、失望していた人は、やがて、自分達の失望を忘れるでしょう。弱くなっていた人は強くなり、知的に無関心な人、そして、すべての人は、それがイエスにあるように、現在の真理へと備えられるでしょう。その人々は、主に行く全ての人を救う約束をしている主にあるしくじることのない助け手を見つけるでしょう。

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文50

 


10.祈りと勧めprayer and counsel

 キャンプミーティングで働く人々は、知的に働くために、しばしば、祈りと勧めによって共に結ばれる必要があります。それらの集会には、多くの求められた注意項目があります。しかし、牧師達は、毎日、勧めと祈りのために共に集まる時間を取る必要があります。「肩を組んで、まっすぐ行進して、撤退しない」という御言葉が私に語られた時、全ての者達が平等な働き人として集まって、「あなた方は立っている」ということを知る必要があります。その働きがこのような方法で進められる時、そこでは、心が結ばれて、行動が調和するでしょう。これは、この人々に神の祝福をもたらすという素晴らしい意味となるでしょう。

 講話をする前に、牧師達は知恵と力を神に求める時間を取りましょう。早くから、牧師達は、しばしば出かけて行って共に祈るでしょう。彼らは、自分達の祈りに神の霊の祈りの応答があるまで辞めないでしょう。彼らの顔が光に輝かされた時、彼らはその祈りの場所から戻るでしょう。そして、彼らが会衆に語った時、彼らの言葉は力が伴っているでしょう。主の聖霊が牧師達のメッセージを受け入れるように用意した心に祝福を与えたので、その言葉は、その人々の心に届きました。そこには、私達は、その魂達が回心させられる道を用意するよう気づく以上に、天の大群衆によってもっとなされるものがあります。私達は、天のメッセンジャー達と調和して働くために生きています。私達は、もっと神に属したいと思っています。私達は、私達の語ることや説教することによってこの働きをすることができると考えないようにしましょう。この人々が神を通して到達しない限り、彼らは決して到達しないでしょう(Unless the people are reached through God, they will never be reached.)「権威によってではなく、権力によってでもなく、私の霊/精神によって、主がゼルバベルに告げる言葉はこれです。万軍の主は言っています」(ゼカリヤ4:6 KJV)。

 この働きの責任のゆえに、主の前に畏れおののいてリーダーとして、神がそれらの人々に責任を委託した時、また、彼らが謙虚に主を求めて自分の価値のないことを感じた時、さらに、主に喜ばれていない全ての事柄から自分達を清める時、さらに、彼らが赦しと平安を持てるということを知るまで主に請い願う時に、神は、彼らを通して主自身を現すでしょう。その時、この働きは力を伴って前進することでしょう。

 働き人仲間のみなさん、私達がこの人々にうまく主を示すことに向き合う必要があるならば、私達は、イエスをもっとたくさん心に宿らせて、貴いイエスを持っている必要があります。私達の働きに効果を与えるため、私達は天の影響力、神の霊をもっと多く必要としています。私達は、キリストに心を開く必要があります。私達はしっかりとした信仰と熱心な献身を必要としています。私達の救い主への敬愛と好意を心と知性に持って、自我に死ぬ必要があります。私達が心から主を求める時に、主を見出すでしょう。そして、私達の心は、主が愛に赤く輝くでしょう。自我は取るに足らないことに沈むでしょう。そして、イエスは、その人々のみんなの魂の中にいるでしょう。

 キリストは、私達が自由に飲むことができる命の水に渇いている人々を示しています。私達がこのことをする時、私達は永遠の命の水を湧きだす井戸として、自分の中にキリストを持っています。その時、私達の言葉は[命の]湿り気に満ちるでしょう。私達はほかの人々への水として用意されています。

 私達は、神を近くに引き寄せる必要があります。私達は、主と共に働く者となる必要があります。さもないと、弱さと勘違いが私達の引き受けた全ての中に見られるでしょう。私達自身の道から神の[人類救済]目的の関心を管理することが、私達から去ったならば、私達は強い期待の持っていないでしょう。しかし、自我がキリストの中に隠されるならば、私達の働きは、神の中にもたらされるでしょう。私達は、あらゆる歩みで神の中に信仰を持ちましょう。私達が自分の弱さに気付いている間に、忠実でなくとも、信仰心があるようにしましょう。

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文51-52

 私達が、主の言葉と神を信じているならば、主の救いを見るでしょう。私達が、滅びている魂達を救うために提示している福音は、私達自身の魂を救うための真の福音となる必要があります。私達は、神の言葉を受ける必要があります。それは、神の息子の血と肉です。私達は、主の霊に属しているという信仰によって受ける――主の血を飲み主の肉を食する必要があります。

 私達は祝福を受ける必要があります。私達は与えるための何かを持っているでしょう。神の代弁者として人々に語ること、また、まず、隠れた場所で神と語ることは、すべての働き人達の特権です。神と心を通わせる男性と女性達、心にキリストを宿らせる人々は、聖なる天使達と協力しているので、とても聖なる雰囲気を作っています。そのような証し人達は、この時代に必要とされています。私達は神の力、キリストに引き寄せる力で和らげる必要があります。

 

11.この教会の必要

 多くの人々は、キャンプミーティングに不平と不満を心に満たして来ています。主の聖霊の働きを示して、それらの人々は、知性と判断に敵の支配を許していたので、不満が神への悪気のない罪offenseであることを知るように導かれる必要があります。「どのようにして、私達は真の信仰者になれるでしょうか」と熱心に、質問して、不確実なこと、失望と不満は、悔い改めて変えられる必要があります。

 人が、神性の性質に与っている時、キリストの愛はその人の魂に原則と宿っているでしょう。そして、自我とその特性は示されないでしょう。良心的な譴責という小道の歩みと、低い性質での喜びに甘んじる栄誉としての様々な器となるべき人々を見ることは悲しいことです(But it is to see those who should be vessels unto honor indulging in the gratification of the lower nature and walking in paths that conscience condemns.)。キリストにつく者達だと告白している人々は、低いレベルに落ちています。いつも自分達の欠点と不満を言っていて、サタンを彼らの足下にして傷つけることも勝利することも決してできません。倫理的な罪と譴責をいつも魂の重荷にしているそのような叫びは、よくあるでしょう。「私は、気の毒な人間です。誰が、この死の体から私を救い出すでしょうか」(ローマ7:24 KJV)。罪に甘んじていながら、自尊心self-respectが滅ぼされています。そして、それが去っている時、ほかの人々への敬意respectを軽んじています。私達は、自分達と同じように、ほかの人々も正しくないと考えています。

 私達の年一回の会議で、これらの事柄はこの[教会の]人々に前に定められている必要があります。罪の力から救出するキリストを見付けるように励まされている必要があります。主は「汝らが心の全てで私を求めようとする時、……私はあなた方に見つけられるでしょう」(エレミヤ29:13,14 KJV)。その標準は、高められる必要があります。そして、その説教は、最も霊的なことに属して必要があります。その人々は、彼らの弱点と不幸の理由を知るように導かれるでしょう。多くの人々は、神聖ではないので幸せではありません。心が清く、知性が純粋は、単に神によって祝福されるに過ぎません。罪が気に入られている時に、それが、不幸だけで、終わりまで生み出す物が何もありません(it can in the end produce nothing but unhappiness;)。そして、最も不幸な結果に導いている罪は、キリストのような共感と愛の欠如、心に属しているプライド(自慢を含んだ自尊心)です。

 

12.そのメッセージの提示の仕方

 どこにでも、生きている神を大いに必要とする心があります。飢えている魂を満足させる講話は、様々なこの教会に与えられました。それらの講話の中に、その魂の成長を促していて、知性に触れる神性の現れがありません。それを聞いている人々は、「彼が私達にその聖句を開いていた間に、彼がその道のそばで私達に話した間に、私達の内で心が燃えなかったのですか」と言うことができません。その教えを与えられた多くの人々は、魂に罪を宣告したり、罪を目覚めさせたりする力がありません。御言葉を聞くために来る人々は、真理の提示について、正直に明確にする必要があります。かつて、神の言葉を味わったことのある人は、神のいない所の雰囲気の望みの中に住んでいます。そして、彼らは、神性の臨在を望んでいます。

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文54-

 第一にそして、最も重要な事柄は、罪を赦す救い主としての主イエスキリストを提示することによって、魂を引き寄せて和らげる必要があります。聞く人々に「世界の人々の罪を取り除く、神の子羊を見上げなさい」(ヨハネ1:29 KJV)という言葉が指し示されることなく、聖書の指導が誰かに与えられるか、または、説教が行なわれるべきではありません。あらゆる真理の教えは、中心にキリストを置いています。すべての指針は、主の言葉から力を受けています。

 この教会の人々の前にカルバリーの十字架をとどめておきましょう。主の律法の違反が、キリストの死の原因だったということを示しましょう。罪が、問題の小さな結果としてとして、扱われたり覆い隠されたりしないようにしましょう。それは、神の息子に反する罪として提示される必要があります。キリストを人々に指し示す時に、その人々が個人的な救い主として主を受け入れることを通してだけ、不死が来るということを語りましょう。

 世俗の原則に順応して、世俗の方針に適応することによって、主の定めからどんなにか遠くに離れてしまったかを見るように人々を目覚めさせましょう。それらが人々を神の律法の違反の罪に陥れました。

                      

 この世界にいる多くの人々は、自分達は悪の中にいないとして、様々な事柄に好意を寄せています。しかし、その人々はそれらの事柄に満足するようになっています。そして、キリストがその人々に与えようと望んでいる偉大で高貴な善意を求めようとしていません。さて、私達は、その人々が好意を持っているものを取り去ろうと不作法にしてはいけません。その人々は現在の真理の美と貴さを現しましょう。キリストの愛らしさを見上げるよう、その人々を導きましょう。その時、主から離れていたその人々が引き寄せられている全ての好意から立ち返るでしょう。これは、救い主が人々をもてなす原則で、この教会にもたらされる必要のある原則です。

 キリストは、傷ついた人々の心を包帯のように包み、囚われた人々に解放を宣言するため、そして、束縛された人々と捕らわれ人を解放するために、この世界に来ました」(イザヤ61:6 KJV)。義の太陽は「主の翼に癒しを持って昇る」(マラキ4:2 KJV)でしょう。この言葉は、罪と苦悩と悲しみの重荷を負っている男性達と女性達に満ちるでしょう。神は、その人々に、安息を与えて重荷を取り去る主を現すために主の子らを送っています。助けて祝福し、癒すことは、主に仕える者達の務め/使命です。

                      

 キリストの気に入りのテーマは、神の豊かな愛と、父親のような品性でした。この神の知識は、人々へのキリスト自身の贈り物でした。主は、この贈り物を世界の人々へ主の人々によって伝達されるように、主の人々に託しました。

                      

 この時代の人々のための特別なメッセージとして、様々な警告と教訓を人々に提示することにおいて、私達は、私達のキャンプミーティングに集まった会衆のために、すべて同じ内容では適切でないということを知性に生み出す必要があります。それどころか、イエスは三年間彼と共にいた弟子達に「また、私はあなた方に言うことがたくさんありますが、あなた方は今、それらを理解することができません」(ヨハネ16:12 KJV)と、語りました。私達は、その価値が理解できるように、また、人々がそれを聞く用意をするように、真理を提示するよう務める必要があります。神の霊は人々の心と知性に働いています。そして、私達は、それと調和して働く必要があります。

 いくつかの真理について、その人々はすでに知識を持っています。その人々が関心を持っているものがあります。彼らはさらに学ぶ準備がなされています。その人々が理解していない真理と理解した真理の関連の意味を示しましょう。このように、あなた方は、これらの「真理の言葉を正しく分類して」(2テモテ2:15)大きな光への望みが湧き起こるでしょう。

                      

 この時代の人々のためのメッセージが、長くではなく、なされた講話が手短で要点が正しく提示されるようにしましょう。あなた方は、かつて、あるテーマを理解してほかの課題に移ることができた時のことを考えないでください。聞く人々は、[理解できず]提示された全てを持ち続けるだけになるでしょう。その場合に、[講話が]一つのテーマからほかの課題にすぐに移っていく危険性があります。短い教訓を分かりやすく、シンプルな言葉で話しましょう。そして、それを何回か繰り返しましょう。

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文56-

                      

 一つの講話のあとすぐに次の講話を始めてはいけません。次の講話に入る前に、その真理が知性にしっかりと定着するように、黙想と祈りの機会が牧師達と参加者達に与えられるよう、休憩の時間を取りましょう。このようにして、その場では、宗教的な知識と宗教的な体験の進展があるでしょう。

                      

 知性がいくつかの生きた大事な点に集中し続けるようにしましょう。あなた方の講話の中に、大切ではないアイデアを持ち込んではいけません。神は、あなた方の聖書の一節と関係のない別のことを持ち込んで、あなたのテーマからあなたが飛躍した時に、あなたの考えは主の霊/精神によって印象付けられていないでしょう。知性がテーマを取り消して、正しい方向から迷い出てしまって、あなた方は、自分達の伝えたことが失われて、以前に話したことがみな弱められています。あなた方の聴衆には、もみ殻を吹き飛ばしたきれいな小麦を与えてください。

 神性の見張り人が臨在しているという感覚を失わないように気を付けてください。あなた方は、集まっている人々の前だけではなく、あなた方がかつて理解した主の前で語っていることを覚えていてください。あなた方の前には、全天使と全ての人々がいるかのように考えて話してください。

                      

 ある夜、私は眠っている間に、重要な集会が始まる前の場面で、権威のある御方が語ったことを聞いている私の兄弟達の中にいるように思われました。主は言いました。「提示されている現在の真理に、正直に言って全く無関心な、多くの魂達がこの集会に参加しているでしょう。その真理の基礎は聖書にあるので、彼らが聞いていることは真理だということを良心が彼らに語っています。キリストが引き寄せているので、その人々は、聞いて関心を持つようになるでしょう。大いなる配慮が、それらの魂達に注がれる必要があります」。

 「そのようなメッセージの一部は、適切に捉えることができるよう、その人々に提供されるようにしましょう。それは、不思議と驚きに思われますが、多くの人々は、神の言葉から輝き出ている真理を喜んで認めるでしょう。しかしながら、新しい真理が、その人々にとって認められないほどとても大きな評価で示されるならば、ある人々は、立ち去って戻ってこないでしょう。ある人々は、ほかの人々へそれを話す努力によって、彼らが聞いていたことを偽って伝えるでしょう。ある人々は、ほかの人の知性を困惑させるために、御言葉の意味を曲げるでしょう」。

 「キリストの教えの作法を学ぶ人々、主の時代にキリストが人々を捉えたように、主の作法に倣う人々を教えることは、現在の多くの人々を捉えて惹きつけるでしょう。あらゆる集会に、サタンはその場にいるでしょう。彼は、人の魂に輝く光の筋を遮るために、神と人との間に自分自身の邪悪な影を割り込ませるでしょう。しかし、実践的な特徴のある真理が主の人々に訴えられるならば、あなた方が彼らを愛しているならば、神の聖霊が人々の心に感動を与えるので、魂達は確信するでしょう」。

 「謙虚をあなた方の武具としましょう。神の御使い達が知性に感動を与えるように、また、あなたがたのそばに近づくことができるように祈りましょう。あなた方が聖霊を働かせるのではなく、聖霊があなた方に働く必要があります。真理を印象付けるのは聖霊です。主の人々の前に実践的な真理を提示し続けましょう」。

 私達が主の以前の存在と主の神性を信じていて、私達がキリストを信じている者であることをその人々が知る機会を持てるまで、主の人々の実践行動と習慣を非難する特徴のあるメッセージを強調しないようにしましょう。世界の人々の贖い主を宿らせましょう。主はこう言っています。「これらの事柄をこの教会のあなた方に証するために、私イエスは私の御使いを遣わしました」(黙示録22:16 KJV)。

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文58-

                      

 1898年クリーンズランド[オーストラリアに滞在中1891-1900]のキャンプミーティングで、[主からの]指導が、私達の聖書教師のために、私に与えられました。夜の内の幻の中で、牧師達と聖書教師達は、聖書の教訓が与えられている集会にいるように思いました。私達は「自分達には、今共にいる偉大な教師がいます」と言いました。そして、私達は主の言葉に興味を持って聞きました。主は言いました。「この場所には、あなた方の大きな働きがあります。あなた方は現在の真理をシンプルに提示する必要があるでしょう。主の人々を命の水のほとりに連れて行きましょう。現在と永遠の最も良い事について主の人々に話しましょう。あなた方の御言葉の研究が安っぽい内容や平凡な内容にならないようにしましょう。あなた方がみな言っているように、聴衆が聞く時に、そして、あなた方が話す時に価値のあるものを用意することを悟りましょう。すべての言葉によってもたらされる光、指導するような事柄、本質的について話しましょう」。

 「主の人々がいる所で向き合って学びましょう。湧き上がる論争をテーマにしないようにしましょう。あなた方の指導する内容が知性を混乱させる性質のものにならないようにしましょう。それらが魂を救う生きた結果にならない限り、人々が知らないだけであなた方が理解していることをめぐって、人々を悩ます原因とならないようにしましょう。御言葉を聞いている人の虚栄心を刺激して、自己を高める方向に御言葉を提示してはいけません」。

 「この時代の人々のための働きは、最も厳粛な作法で分かりやすくテーマを扱い、働き人達と学生達を訓練するためにあります。この偉大な働きにおいて、時間を無駄にした働きをしないようにしましょう。私達は、その目的を間違ってはいけません。私達は、視野に開かれているすべてのことを明らかにするために着手することは私達にとって、あまりに時間が短いです。永遠は、御言葉の深さと高さ、あらゆる長さと広さとを知るよう私達に求めています。ある真理は、ほかの真理以上に重要なものに属しているとする魂達がいます。あなた方の聖書の内容の教育に技術が必要とされています。次の聖句を読んで研究してください。詩編40:7,8、ヨハネ1:141テモテ3:16、ピリピ(フィリピ)2:5-11、コロサイ1:14-17、黙示録5:11-14(訳者加筆。この段落の初めには、「‟」がありますが、結びの「”」が見当たりません。たぶん、ここだろうと考えて閉じカッコを11-14の後に入れました。また聖句を加筆しました。KJVのフィリピ2:5は聖書協会訳と異なります)

詩編40:7,8「あなたのおきては私の心のうちにあります」。

ヨハネ1:14「父のひとり子の栄光」「めぐみとまことに満ちていた」。

1テモテ3:16「キリストは肉において現れ、例において義とせられ、…栄光のうちに天に上げられた」。

ピリピ(フィリピ)2:5-11キリストイエスの中にあった、この知性があなた方の中にあるようにしましょう。キリストは、神の姿formで存在していましたが、神と等しくあることを失わないように考えて、へりくだって、奉仕者の姿を取って、人間のようになりました。そして、一人の人間としてのやり方で存在して見られました。彼は謙虚で、十字架の死でさえも、死ぬまで従順になりました。そういうわけで、神は彼をとても高貴にして、全ての名前を超えた所にある名前を与えました。イエスの名前に、全ての人は膝をつくでしょう」(フィリピ25-10 KJV)。

コロサイ1:14-17「わたしたちは、この御子によってあがない、……罪のゆるしを受けている……」

黙示録5:11-14「ほふられた子羊は、……さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが世々限りなくあるように」。

 パトモス島にいた使徒ヨハネは、神が主の人々に与えるようにと望んでいたそれらの事柄を証しました。それらの証を研究してください。ここに、すべての天の使いの軍勢達が今伝えようとしている多くを含んだ教訓、私たちが注目する価値のあるテーマがあります。キリストの品性と生涯を見詰めましょう。そして、主の仲保の働きを研究しましょう。ここに、無限の知恵、無限の愛、無限の恵みがあります。ここに、私たちが考える広さと長さと高さと深さがあります。無数のペンが、この世界の人々へ、キリストの仲保の働き、その品性、その生涯を書き著すための働きをしてきました。また、聖霊が働いた人々の知性はみな、新鮮にされ新たにされた光によってそれらのテーマを現しました。

 私達は、キリストが人々に必要だということ、主を受け入れるようにという呼び掛けに[応答する]責任があるということの理解に人々を導くよう願っています。主を代表する者と、主の証人として、私達は自分で体験に基づいた知識によって得た救いの真理について、十分な理解に至る必要があります。

 魂に記される必要のある偉大で、実践的な真理を教えましょう。「罪の赦しのために、私達は、主の血を通る贖いを信じています」(コロサイ1:14 KJV)というイエスにある救いの真理を教えましょう。憐れみと真理は共に会い、義と真理は互いにキスしました。学生達はみな、働き人達もみな、これを何度も研究しましょう。私達の間に、十字架につけられた主を置いて、主の人々に新鮮なテーマを示しましょう。キリストの生涯は限りなく完全な品性を現していることを示しましょう。「主の名を信じる人々に、彼を受け入れた多くの人々のように、主は彼らに神の息子[]となる力を与えたこと」(ヨハネ1:12 KJV)を教えましょう。私達は、王家の家族、天の王の子ら、神の息子[]になるでしょう。イエスキリストを受け入れて初めの確信を終わりまで持ち続けている人々は、「終わりの時に明らかにされるように救いに備える信仰を通して、神によって守られて、あなた方のために天に蓄えられた、色褪せず、朽ちない、純粋な宝」(1ペテロ1:4,5 KJV)を、キリストと共に受け継いで、神を受け継ぐでしょう、ということが知られるようにしましょう。

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文60-

 


13.最後の警告

 第三天使のメッセージは、力を与えられる必要があります。第一、第二のメッセージの宣布の力は、第三によって強められる必要があります。黙示録の中で、ヨハネは第三天使と結ばれた天のメッセンジャーについて書いています。「私はもう一人の御使いが、大いなる力を持って天から降りてくるのを見ました。そして、地は、彼の栄光によって啓発されて輝きました。そして、彼は、勢いの良い声で、力強く叫びました」(黙示録18:1,2 KJV)。私達は、主の人々に印象付けられない不明瞭な方法で第三天使のメッセージを伝える危険性の中にいます。ほかにも、とても多くの人々の関心が、言葉にされず弱められている力で宣布されているメッセージの中にもたらされています(So many other INTERESTS are brought in that the very message which should be proclaimed with power becomes tame and voiceless.)。私達のキャンプミーティングで、一つの間違いがなされました。安息日の問題が触れられましたが、この時代の人々のための大きなテストとして提示されませんでした。この教会の人々は、キリストを信じる信仰を告白していますが、その一方で、キリスト自身がシナイ山で宣言した律法に違反しています。主は、私達に「ヤコブの家の人々とその罪、私の人々()にその違反の罪を示しなさい」(イザヤ58:1 KJV)と命じています。そのトランペットの警告音は、確固とした響きで伝える必要があります。

 あなた方が、二週間だけあなた方の前にいる会衆を担当している時、そのための道をこのように踏み固めると考えて、全てのことが提示されるまで、安息日の問題を先延ばししてはいけません。神の戒めとイエスに属している信仰の標準を掲げましょう。これを重要なテーマにしましょう。その時、あなた方の強い主張によって、それ[安息日]を強調しているものとしましょう。もっと、黙示録にとどまって研究しましょう。読んで説明し、その教えていることを強調しましょう。

 私達の戦いは激しくなっています。絶大な問題が私達の前にあります。ええ、私達の右手にもあります。私達の最後の警告が、この世界の人々に与えられるまで、破壊や災害のための風を吹かないように、四人の御使い達が四つの風を引き止めるよう、私達の祈りを神に昇らせましょう。それから、私達は自分達の祈りと調和して働きましょう。この時代の人々のための現在の真理の効力を低めないようにしましょう。現在の真理は私達の重荷になろうとしています。第三天使のメッセージは、永遠の真理の土台の上に立場を取る一つの民を諸教会から分離する働きをする必要があります。

 私達のメッセージは、命と死のメッセージです。そして、私達は、神の大いなる力があるように現しましょう。私達は、それをすべて力強く語って、示す必要があります。その時、主はそれを効果的なものにするでしょう。神の霊/精神の活動でも、大きな事柄を期待することは特権です。これは、魂を回心させて、確信させるような聖霊の力です。

                       

 最後の日々の滅びは、私達の上にあります。そして、私達の働きにおいて、私達は、危険な状態にいる人々に警告をする必要があります。預言が啓示した厳粛なシーンが、触れられずに残されないようにしましょう。私達の[教会の]人々が半分でも目覚めていたならば、また、その人々が、黙示録に描かれた事件の近づいていることに気づいているならば、一つの改革が私達の教会の中で行なわれるでしょう。そして、多くの人々がこのメッセージを信じるでしょう。私達は、失っている時間がありません。神は、責任を与える必要のある、私達の魂達のために見張りをするよう呼び掛けています。新しい原則の前進、明白な真理による閉め出し、それ[最後の日々の滅び]は、両刃の剣となるでしょう。しかし、論争の姿勢を取ることは、備えではありません。それは、私達が神の救いを見て、堅く立たねばならない時となるでしょう。ダニエル書から語りましょう。黙示録から語りましょう。そして、何が真理かを語りましょう。しかし、提示されたテーマの層が何であれ、すべての希望の中心として、「ダビデの子孫、先祖、そして、明けの明星の輝き」として(黙示録22:16 KJV)イエスを掲げましょう。

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文61-62

 


14.賛美と集会

 私達のキャンプミーティングでの礼拝には、歌うものと器楽による演奏があるでしょう。器楽演奏は、古代には宗教の礼拝に利用されました。礼拝者達は、シンバルやハープによって神を賛美しました。音楽は私達の礼拝の中に位置を占めているでしょう。それは、興味を添えているでしょう。そして、神へのシンプルな感謝の礼拝として、毎日、賛美の集会がもたれているでしょう。私達が、憐れみと神の寛容という善意の感覚を持っていたならば、また、主の名の栄光と栄誉が私達の口からもっと溢れ出るならば、私達のキャンプミーティングの中で強い力となるでしょう。私達は、もっと、魂の情熱を育てる必要があります。主は「賛美を捧げる人は、私の栄光をたたえます」と言っています。

 サタンについて話すことはサタンの働きです。彼は、人の子らを通した自分の働き、自分の力について話す人間がいると大喜びしています。そのような会話を甘やかすことによって、その人の知性は、悲観的で不愉快、気難しくなっています。私達は、その人の心に陽光のない言葉が溢れ出ることによって、サタンのための伝達のチャンネルとなるでしょう。しかし、私達は、これが存在させないことを決心しましょう。私達の言葉が、死から死への香りとはならず、命から命への香りとなるようにしましょう。

 私達が主の人々に語る言葉において、また、私達が捧げる祈りの言葉において、神は、私達に、霊的な生活をしているという間違いのない根拠を与えるように望んでいます。私達は、主が私達のために備えていた祝福に満たされても喜んではいけません。なぜなら、私達は信仰によって求めていないからです。私達が、生きている神の言葉を信じて行なったならば、私達は豊かな祝福を持てるでしょう。私達は、自分達の信仰の欠如によって神の名誉を汚しています。それゆえ、私達は、証を掲げて生活を通して、ほかの人々へ命lifeを与えることができません。私達は所有していないものを与えることができません。

 私達が謙虚に神と共に歩むならば、また、私達がキリストの精神によって働きをするならば、私達には重荷を負う人がいないでしょう。私達は、それらの重荷を負う大教師[]に任せる必要があります。その時、私達は、主の愛との親交によって、神の臨在の中で勝利を期待できるでしょう。初めから終わりまで、キャンプミーティングはみな、愛が湧き上がるものとなるでしょう。なぜなら、神の臨在は、主の人々と共にあるからです。

 天の存在者達は、私達の救いに関心を注いでいます。神の使い達は、何千回も何万回も、救いを受け継ぐ者となる人々に、奉仕の働きを託されています。御使い達は、私達を滅ぼそうとしている闇の勢力の背後の圧力と悪から、私達を守っています。私達は、私達の通って来た道に明らかな困難があった時に、あらゆる瞬間において、感謝する理由を持っていないのですか。

 主は、主自ら私達の助け手です。「シオンの娘達、歌いましょう。イスラエル、大声で歌いましょう。エルサレムの娘達、心をこめて喜び楽しみましょう」、「汝らの真ん中にいる汝らの神、主は、権威ある御方です。主は救うでしょう。主は、汝らを歌で被って喜ぶでしょう。」(ゼファニア3:14-17)。これは、私達が、世界の人々に伝えようと望んでいる証です。主への賛美は、私達の心と私達の口にいつもあり続けるでしょう。

 そのような証が、ほかの人に感化を及ぼすでしょう。私達が人々の自己放縦(わがまま)から安全な幸福へと方向を変えるよう求める時、私達はその人々が求めていた以上に、何か良い物を持っていることをその人々に示す必要があります。イエスが、サマリヤのあの女性に語り掛けた時、彼は、彼女がヤコブの井戸に汲みに来ることをとがめませんでした。しかし、彼はもっと価値のある者を示しました。ヤコブの井戸になぞらえて、彼は生きている水の泉を提示していました。「汝が、飲み水を私にくださいと汝に言った人が誰か、神の賜物を知っているならば、汝は主に尋ねたでしょう。主は汝に生きている水を与えたでしょう。……私が与える水を飲む人は誰でも、渇くことがないでしょう。それだけではなく、私が与える水は、その人の中の井戸から永遠の命の水が湧き出すでしょう」(ヨハネ4:10-14 KJV)

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文64-

 この教会は、神との習慣的な親交を持っているメンバーの新鮮で生きた体験を必要としています。人々の中にキリストのいないドライでマンネリ化した証や祈りは、主の人々の助けとなっていません。神の子らになると言っている人々がみな、信仰と光と命に満たされたならば、現在の真理を聞きに来る人々に、素晴らしい証が与えられるでしょう。そして、たくさんの魂達がキリストに勝ち取られるでしょう。

 

15.リバイバルの努力

 私達のキャンプミーティングでほんの数回のリバイバルの努力がなされました。そこでは、わずかだけ、主を求めています。リバイバル礼拝は、集会の初めから終わりまで続けられる必要があります。最も決定的な努力が、人々を目覚めさせるものになる必要があります。あなた方は天からの素晴らしいメッセージを持っているので、あなた方が熱心にしていることをみんなに見せましょう。

 主が、裁くために来ることを人々に話しましょう。王達だけでなく支配者達、富者だけでなく影響力のある人は、やがて降って来る裁きをかわすために役立つでしょう。すべての集会の終わりに、決心が参加者達に呼びかけられるでしょう。その人々が信仰によって確信させられるまで、それらの関心をもった人々にしっかりと捉えてもらいましょう。

 私達は、もっと熱心に決意する必要があります。私達は公の場でも私的な場でも、現在の真理を語る必要があります。冷酷な十字架に上げられた救い主に人々を引き寄せるために、すべての主張を提示して、限りない重要性とあらゆる物事を説明しましょう。神は、すべての人々が永遠の命を得るようにと望んでいます。男性達と女性達にキリストにいくよう懇願して魂を滅ぼす激情と食慾を否定して、緊急の精神が現されている神の言葉を通して、すべてを強調しましょう。私達は、人々に、私達のあらゆる力を使って、自己犠牲と自己否定の主の生涯を受け入れるよう、イエスを見詰めるよう言う必要があります。私達は、主の名をたたえて、主の贈り物を全ての人々に使うことによって、キリストの心に喜びを与えるように彼らに期待していることを示す必要があります。

 この集会に来る多くの人々は、罪の重荷を抱え込んで弱っています。その人々は、自分達の宗教の信仰による救いを感じていません。助けをみつけて精神の休息を求めて悩んでいる人々に、機会が与えられる必要があります。講話の後で、キリストに従うことを望む人々は、その望みを表明するために、招かれる必要があります。自分達自身によって自信を失って、重荷を負って、負担を感じているすべての人々、キリストが来ることに備えをした人々、満足していない全ての人々招いています。それらの人々は、それらの魂と共に霊的に回心しています。その人々のために共に祈りましょう。御言葉を詳しく調べて、祈りに多くの時間を費やしましょう。人々が義と認められた後で飢えや渇きを持つので、聖霊がその人々に注がれるでしょうという信仰を通して、その人々みんなの魂に信仰の実際の要素が得られるようにしましょう。自分自身を神に明け渡す方法、信じる方法、約束を求める方法を教えましょう。神の深い愛、執り成しの言葉、励ましの言葉が言葉で言い表されるようにしましょう。

 魂達の救いのために、もっと、神と格闘しましょう。決して行なおうとしない人、冷淡な人、頑な人などに働きかけましょう。魂達を、子羊[イエスの]婚宴に行くよう強く勧めましょう。もっと祈って、もっと信じて、もっと受け入れましょう。そして、もっと、神と共に働きをしましょう。

 罪からの偉大な救済に関するひどい怠慢と無関心と難儀があります。不注意な人々は、目覚めさせられる必要があります。そうでないと失われます。神が、罪の意識のある罪びとを救うために、主自身の息子を与えて以来、サタン的な働き人達が魂を滅ぼすように団結しているので、主は、主の働き人達を通して、欠点のある人間に対抗動作を取るように意図しています。主は、罪びと達に高められた救い主が啓示されるように、あらゆる対策を立てていました。罪びと達は、罪を犯して死んでいますが、その人々の注目は、十字架につけられたキリストと、キリストについて説き勧めることによって、目覚めさせられる必要があります。人間は、罪に関する悪について、確信させられる必要があります。違反の罪を犯した人は、照明され教化される必要があります。キリストに引き寄せられた人々はみな、主の愛のストーリーを語りましょう。自分の魂にキリストの力による回心を感じた人はみな、主の名によって自分のできることをするようにしましょう。

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文66-

 私達の贖いのために求められたその犠牲の無限の力は、罪が恐ろしい悪であるという事実を現しています。神は、地の面から罪びとを一掃することによって、主の創造から汚点の染みを拭い去ることもできたでしょう。しかし、「神は、世界の人々をとても愛したので、一人息子を与えました。彼を信じる人は誰でも、滅びないで、永遠の命を持つでしょう」(ヨハネ3:16 KJV)。自分達の仲間や隣人達に光を照らさず教化を求めず、なぜ、多くの人々は、神の愛を叫ばないのでしょうか。その人々は、もはや、この偉大な救いを無関心にできないでしょう。

 キリストは、滅びにいる魂達を救うために、苦痛の死という、魂への主の大いなる労苦を示して、恥ずかしいことに自分自身を与えました。キリストは、主に来る全ての人々を救うための、能力があります。キリストはそれを快くしています。キリストはそれを望んでいます。赦しが可能になるために十字架上で死んだイエスを見上げるよう、滅びる魂達に話しましょう。キリストの愛へと同情、優しさがあふれるあなた方の心を罪びと達に語りましょう。耳障りな声の調子や厳しい言葉ではなく、生活や表情によって魂を勝ち取ろうとしている人から聞かれる熱心な言葉にしましょう。まず、自分自身の魂を神に聖別しましょう。あなた方が、天における仲保者を見上げる時、あなた方の心は解きほぐれます。心が和らげられて拓かれた時、あなた方は、贖いの愛の力に気づいている人として、悔い改める罪びと達と語ることができます。十字架の下にその人々を連れて行く信仰によって、それらの魂達と祈りましょう。あなた方の知性をその人々の知性に重ねて、そして、あなた方が見ている所で、罪を負うイエスに信仰の目を留めましょう。その人々の惨めさから視線を逸らすようにさせましょう。勝利を勝ち取らせましょう。その人々は、世界の罪を取り除く、神の子羊を自分のために見上げています。その人々は、特別な道、特別な真理、特別な命を見ることでしょう。義の太陽、贖いの愛の強い潮は、渇いて切望している魂の心の中に、輝く光線を放っています。そして、罪びとはイエスキリストへと救われています。

 キリストが十字架に掛けられたことを話して、それについて祈り、それを賛美しましょう。そして、それは、心を解きほぐして、心を勝ち取るでしょう。これがキリストのために、魂達と協力する神の知恵と力です。形式的に聖句を並べたものは、単に論争テーマを提示して、わずかに良い事をしています。働き人達の心の中に溶け込んだ神の愛は、人々によって認められるでしょう。彼らが、働きかけている人々によって、魂達は命の水に渇いています。貯水タンクを空(から)にしないでください。あなた方が、人々にキリストの愛を証するならば、あなた方は飢え渇いている人々をキリストに導くでしょう。そして、主は、その人々に救いのための水と命のパンを与えるでしょう。

 

16.個人的な働き

 主に仕える者達は、講壇から御言葉を説教するだけではなく、主の人々と個人的なコンタクトを取る必要があります。講話がなされる時に、貴重なタネが蒔かれています。しかし、個人的な努力が、土壌を耕すことをしていないならば、そのタネは根を伸ばすことができません。人の心が神の霊によって和らげられて解きほぐされていなければ、多くの講和の内容は失われます。興味を持っているように見える会衆を観察して、そして、その礼拝後にその人々に話してみてください。語られた個人的なわずかな言葉は、講話全体が行なったこと以上に良いことを行なうことがしばしばあるでしょう。提示された講和のテーマ、その内容がその人々の知性に理解されたかどうか、聴衆にどのように受け入れられたかを尋ねてみましょう。親切と礼儀正しさによって、あなた方が、その人々の魂のケアとその人々に真実な関心を持っていることを示しましょう。多くの人々は、私達が回心を信じていない民としての考えに導かれました。私達が人々にキリストに行くようアピールしている時に、心が和らげられるでしょう。そして、偏見が拭い去られるでしょう。

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文67-68

 


17.聖書研究

 実践できるときはいつでも、主要な講和はみな、聖書研究によって続けられる必要があります。ここに提示された点が適用されて、質問が出されて、正しいアイデアが含まれています。その人々に自分の考えを表明するための機会を与えて、多くの時間が、この人々を忍耐強く教育するため捧げられる必要があります。人々に必要なことは、一項目から項目へ、一指針から指針への指導です。

 指導を必要としている人々、提示されている真理に興味を持つようになっている人々のために、特別な集会がもたれる必要があります。それらの集会のために、招かれる必要があります。信徒と未信者、全ての人々は、十分に理解していない点について、質問をする機会を持つ必要があります。全ての人々に、自分達の困ったことを話す機会を与えましょう。全部の説教と全部の聖書研究において、その人々は、私達が擁護している教理と信仰に与えられている「主はこのように言っています」の全ての点を見るようにしましょう。

 これは、キリストの指導方法でした。主がその人々に語った時、人々は、主の言葉の意味について質問したことでしょう。謙虚に光を求めていた人々のために、主はいつも、主の言葉で説明する用意をしていました。しかし、キリストは、私達がするべきではない、批判や粗探しを勧めませんでした。人々が、教理の様々な点で、論争されている問題を引き起こそうとしている時、この集会はその目的を託されていないことを語ってください。

 あなた方が、質問に答える時に、聴衆に伝えるために、それを答えることができるという、知っていることと知識について自信を持ってください。それをもう一度質問するように話して、質問を聞き逃してはいけません。あなた方の道を一歩、いっぽ、考えましょう。そして、あなた方が得ていたものがどれほど大きいかを知りましょう。

 そのような集会で、そのメッセージを理解した人々は、真理の様々な点に光を当てるような質問をすることができます。しかし、ある人は、これをする知恵を持っていないでしょう。誰かが、知性が混乱して疑いのタネを蒔いた時だけ質問した時、その人々は、そのような疑問を抑えるためのアドバイスされる必要があります。私達は、闇ではなく光を授けて、信仰のタネの蒔き方を知って、語るための時と沈黙を守るための時を知る必要があります。

 

18.時にかなった言葉

 熱心に知性を保っている人は、彼らの影響力の範囲の中にもたらされる人々のために、折に適った言葉を語ることができるでしょう。主イエスに仕えることができるように、神は、知恵を与えるので、「知恵が、汝の心の中に入る時、知識は、汝の足元にとって楽しみです。決定する権限が、汝を守るでしょう。理解力は、汝にあり続けるでしょう」(箴言2:10,11 KJV)。あなた方は、知恵によってあなた方の口を開いて言葉を伝えるでしょう。そして、あなた方の口から出る言葉は、親切に関する法則となるでしょう。

 自分はクリスチャンだという人々は、キリストの言葉を心に留めるでしょう。彼らとコンタクトを取る人はみな、彼らが、イエスと共にいたことと、イエスから学んだことを知るでしょう。彼らは、キリストを表すでしょう。そして、永遠の事柄が彼らのテーマとなるでしょう。永遠の現実性が身近にもたらされるでしょう。彼らは、弁明しなければならない時に、魂達を見守るでしょう。このことは、多くの人々が考えているように見える以上に深い意味があります。それは、いなくなった羊を捜しに出かけることを意味しています。

 

部 展望 1章 福音的な働き                                                英文70-

 

19.基金の創設 

 とても多額になる様々な慈善目的のための資金を立ち上げるためや、また、特別な資金を導入するために、非常に多くの人々に伝えられるような時、キャンプミーティングで優位に立つ人は誰もいません。御言葉の奉仕の働きにおける神の働き、かなたの地に現在の真理を広めること、新しい伝道地での強い教育的関心、福音伝道の働きと繫がるサナトリウムの設立――これらは、私達のキャンプミーティングで主の人々に提示される必要のあるテーマです。

 

20.キャンプミーティングの働きの結果

 大いなる働きが私達のキャンプミーティングでなしとげられる必要があります。主が呼び出した「聖なる集会」に集まった人々を、主はたたえています。それらの集会に来る数千の人々のうちの多くは、何か目新しいことを見て聞くために、単なる好奇心で来ています。しかし、その人々が、現在の真理のメッセージを聞く時、また、それを信じている人々コンタクトを取る時、多くの人々は、この主の人々が自分達に現されていたような人ではないことを見て知ります。偏見、反対、そして、無関心は一掃されます。そして、その人々は、語られた御言葉に素直に耳を傾けています。

 主は、すべての教会の人々に主を代表する者達を持っています。それらの人々は、知性と心に確信をもたらす状況の下で彼らに提示された、この世の終わりの日々の特別なテストのための真理を持っていませんでした。それために、その人々は、光を拒みながらも、神との繫がりを断ちませんでした。そこには、自分達の人生の道を照らしていた光の中を忠実に歩んでいた多くの人々がいました。その人々は、神の働きとその方法をもっと知ることに飢えていました。世界中の男性達、女性達は、天を物欲しそうに眺めています。祈りと涙と質問が、聖霊と恵みの光を望んでいる魂達から昇っています。多くの人々は、その中に集められることを待って、天国の端に立っています。

 キリストの教育が、シンプルな聖書の真理がそれらの魂達の前に置かれる時、その人々は、その光を認めて、それによって喜んでいます。その人々の困惑は、真理の光の前に、朝の太陽の露のように消えています。そして、キリストによる神についての啓示がその人々に来て、キリストのような品性を例示するだけではなく、説明されることができず以前に識別しなかった霊的な未知、神性の高さ、広さ、深さを示して、その人々の聖書の真理の概念は広げられています。

 どのような教会とも繫がっていない多くの人々、また、神が求めていることについてまったく思慮がないように思われる人々は、そのように見える無関心な心ではありません。最も無宗教な人々でさえ、持っていなかった、何かの望みがその人々に湧いている時に、確信する時間があります。あらゆる都市や町で、どのような礼拝の場にも参加していない大勢の人々がいます。それらの大勢の人々は、キャンプミーティングに惹きつけられています。大勢の人々は、悪い習慣へのか弱い被害者で、罪に捕らわれています。その人々の罪を赦すための神の約束を捉える信仰によって、その人々は、習慣による束縛が打ち破られます。その人々の罪の甘やかしのために、その人々は、キリストイエスによって、解放されるようになっています。そして、神の息子達[娘達]としての解放を喜んでいます。これが、私達のすべてのキャンプミーティングで行なわれるための働きです。この手段を通して、何千人もの魂がキリストに勝ち取られるでしょう。


 

部 展望 2章 キャンプミーティングの後で                                  英文72

2章 キャンプミーティングの後で

 

 

 諸都市で開催されるキャンプミーティングによって、数千の人々が「来てください。今、すべてのことが用意されています」(ルカ14:17 KJV)という宴会の招きを聞くために呼び掛けられるでしょう。その人々の興味が湧き上がった後で、私達は、すべてのテントを畳んでこの集会が閉鎖されるという印象を与えて、それらの集会を短期間で打ち切るべきではないでしょう。数百の人々が関心を持つようになった、ちょうどその時に、大きな良い事が、熱心な働きと信仰によって成し遂げられうるでしょう。それゆえ、それらの集会は、大衆の関心が保たれるように、管理運営される必要があります。

 あるキャンプミーティングの後で、ある疑問がテント集会の外から見た様子として考察されました。私は「自分が持っていた一つの夢」を兄弟達に話しました。「一部が完成していたビルディングを見た」という夢を見ました。その労働者達は、それが未完成のままに立ち去る用意をして自分達の道具を片付けていました。しかし、私はその内容を省みるよう、彼らに懇願しました。私は「戻ってください。それに屋根が付けられるまで作業を続けてください」と言いました。それから、彼らは、戻ってその仕事を続けました。それで、兄弟達は、キャンプミーティングの働きを延長して続けるという、私の勧めcounselを心に留めました。その結果として、多くの人々が現在の真理を受け入れました。

 テント集会とキャンプミーティングを開催する努力と高い費用で多くの失敗をする必要はありません。偉大な教師に連れて行くためのたいそうわずかな麦の束となる必要はありません。現在の真理の標準が掲げられていなかった所では、多くの魂達がかつて以前よりも確かな多くの働きの結果として、回心するでしょう。すべての人々の手は、私が持っている言葉「もっとしっかりと標準を捉えましょう」と信仰を持って言いましょう。あなた方はしくじることも落胆する必要もありません。いつも前進している人の信仰は弱ることがありません。

 一つのキャンプミーティングのあとで、目覚めた関心を発展させるために数週間、原則を話す者達を確保しておくことは、しばしば困難です。また、キャンプミーティングに参加し続けること、多くの家族に十分な数のテントを設営し続けること、場所を確保し続けることは、とても費用が掛かるでしょう。その集会に参加するよう促して、自分達の家[テント]に人々を招いて、受けた祝福を話して、さらに、その集会に来た人々を訪問して聖書研究を授ける聖書教師達と牧師達を支援するために、数家族がその地に残っていることは犠牲を払うことになるでしょう。間違いなく、その働きを成功に導くよう、前進させるために、十分に多くの働き人達を確保することは困難でしょう。しかし、その努力はその成果を証明するでしょう。私達のキャンプミーティングが教会の強力な働きを引き起こす手段となったのは、それらの[参加した]人々に、熱心にエネルギッシュな努力を傾けることによってです。

 時々、多くの話し手達が、数日間だけ、キャンプミーティングに参加しています。そしてちょうど、参加した人々の関心が十分に湧き上がった時、[話し手の]ほとんど全員がほかの集会に急いで回るために、家族テントを移動して行ってしまっています。その影響で涙を流して意気消沈している人々に励まし奮闘するために、その後に2、3人の話し手が残っています。人々が一ヵ月かもっと長く滞在する用意をして、それぞれの教会から来ることができたら、その上で、満足できる程度に働きの仕方が学べて、集会への支援があって、その集会が長期間続いていたら、それはどんなにか良いことでしょう。その時、その人々は、地元の家庭に戻った時、自分達の教会のために価値ある体験を伝えることでしょう。この集会によって大きく前進している間に、この人々の興味を湧き起こした話し手達と同様の人々が組織化された努力を続けて、この働きを引き継いで残したら、どんなにか良いことでしょう。この方法によって集会を指揮するとことは、同時に何らかの前進があることを求められるでしょう。また、これは、わずかな人々にこのすべての集会に参加することを許さないでしょうand this would not permit a few men to attend all the meeting.。しかし、私達は、「権威によってではなく、権力によってでもなく、私の霊/精神によって、主がゼルバベルに告げる言葉はこれです。万軍の主は言っています」(ゼカリヤ4:6 KJV)という働きが成し遂げられなければならないことを覚えておく必要があります。

部 展望 2章 キャンプミーティングの後で                                  英文74

 キャンプ地での集会が終わる時、その働きは止まらないでしょう。提示された教理は、人々にとって、新しいもので、素晴らしいものです。現在の真理を受け入れることを望んで確信している人々は、最も頑なで厄介な反対に立ち向かわなければならないでしょう。牧師達、友人達、知人達は、心に蒔かれた真理のタネを奪うためにあらゆる努力を傾けるでしょう。私達は、そのようにすぐに奪われるようにタネを放置していてはいけません。私達は、湿気を求めているのに、しおれるのを見ていてはいけません。

 この集会の影響力が弱められるような傾向に変化しています。実行できるときはいつでも、キャンプ地で集会を続けましょう。しかし、移動が得策と思われる時、大きなテントがどこか気に入りの場所に移動させましょう。そして、その中での集会servicesを続けましょう。一つのミッション(部会)が設立されるでしょう。相応しい場所を確保して、多くの働き人達がミッションの家族の形に団結しています。これは、能力があり、献身している夫と妻にとって挑戦となるでしょう。その人々の影響力は、その働きに特徴を与えるでしょう。

 一つのキャンプミーティングの後の関心を継続させることにおいて、助けをする人々は、様々な働き人を必要としています。そして、それらの機会は、働き人達のための一つの訓練学校となるでしょう。若い男性達は、忍耐強く指導して、その人々と祈って働き人達と体験を共にしながら働くようにしましょう。献身した女性は、戸毎訪問して聖書の働きに繫がるでしょう。働き人達のある人は、買おうとしない人々に知恵のある与え方で私達の文書を売って、文書伝道者として活動するでしょう。

 ある働き人達は、それらに参加する機会がある時に、ほかの教会の宗教の集会に参加しましょう。イエスは、12年間だけ神殿の祭司達とラビ達の学校に通っていました。この神殿の中の学校で、多少、私達が聖書研究を指導されるように、学習指導が日々行なわれました。イエスは、学習者の一人として、質問しました。しかし、主の質問は、それらを学んだ祭司達にとって、考え方の上で、新しい内容を提供していました。似たような質問workが今日もなされているでしょう。判断力の確かな若者達は、論争のためではなく、人々と共に御言葉を調べて研究するために、また、助けとなる質問を示唆するために、青年クリスチャン協会(YMCA)の集会に参加するよう勧められる必要があります。

 私達のキャンプミーティングの後で、これらの様々な働き人達が、熱心に精力的に働きをしていたならば、もっと多くの魂達は、それらの集会で蒔かれたタネから育って実った実を収穫していたことでしょう。この働き人達は、その人々と知り合いになりましょう。そして、その人々がキリストの貴い言葉を読めるようにしましょう。その人々の間に十字架のキリストを掲げましょう。そのテントで、牧師達から警告のメッセージを聞いた人々は、将来の情報について聞くようになるでしょう。これは、軽率に話すのではなく、慎重に畏怖をもって、奴隷のような恐れではなく、柔和に、私達の信仰の理由を提示する好機です。現在の真理はみな、美しく、シンプル、厳粛です。すべての人々に彼の食物の一部を折に適って与えています。

 この働きは、あなた方が責任を果たさなければならない魂達を見守ることを求めています。キリストの優しさは、その働き人の心に浸透する必要があります。あなた方が、魂達のための愛を持っているならば、あなた方はその人々のための優しい気遣いを証するでしょう。あなた方は、あなた方が尋ねる人々のために、心からの祈りを熱心に謙虚に提供するでしょう。キリストの愛の香りは、あなた方の働きに現れるでしょう。世界の人々のために、主自身の命を与えた主は、人々の心に感動を与えるために、私心のない働き人と共に働くでしょう。

 

2.福音宣教の働き

 御言葉を教えて、家庭で一緒に祈りましょう。これは、福音の働きです。この働きは、説教に混ぜられる必要があります。これが、顧みられず、説教が抽象的な話になると失敗するでしょう。個人的な努力によって、人々と親しくなりましょう。神の愛が家庭生活の聖所に訪れるようにしましょう。

部 展望 2章 キャンプミーティングの後で                                  英文76

 あなた方自身のためには何であれ、栄光を与えないようにしましょう。神と自分に同時に仕えようとして、二心で働かないようにしましょう。自我を視野から逸らし続けましょう。人々の重荷と疲れをイエスに委ねるように、あなた方の言葉を導きましょう。主はあらゆる危機の時の全能の力、主があなた方に協力する用意をしている、主があなた方の右の手であるとみなして働きましょう。主は、あなた方のカウンセラー、あなた方のガイド、あなた方の救いのキャプテンです。主は、征服するためと征服者として、あなた方の面前を進んでいます。

 

3.大通りや生け垣の道で

 主の人々へのキリストの提示は、「畑の垣根や大通りまで行って、私の家が一杯になるように、人々を連れてきてください」(ルカ14:23 KJV)です。

 福音の祝宴への呼びかけは、まず、大通りで与えられる必要があります。それは、クリスチャン体験の本通りにいる人々と、他教派の教会員に呼び掛けられる必要があります。「耳のある人は、聖霊が諸教会の人々に言っていることを聞いてください」(黙示録2:7 KJV)。それらの教会の中で、主の礼拝者達と間違った礼拝者達がいます。一つの働きが、最初の愛から離れてしまった人々、霊的な事柄に熱心と心をなくした人々になされる必要があります。私達は、神の律法に違反している人々で、以前にクリスチャンだと告白している人々に警告をもたらす必要があります。その人々のためのメッセージが与えられる必要があります。

 主はこう言っています。「また、サルデスにある教会の御使いに書いて送りなさい。神の七つの霊と七つの星を持っている主がこれらのことを言っています。私は汝らの働きを知っています。汝らは、生きているというのは名ばかりで、実は死んでいいます。目を覚ましていなさい。そして、死にかけている残りの者達を力づけなさい。私は、神の前に汝らの働きを完全とは見ていませんでした。それゆえ、汝らはどのように受けたか、聞いたかを思い出して、しっかりと捉えて、悔い改めなさい。それゆえ、汝らが目を覚ましていないならば、私は盗人のように汝らの所に行くでしょう。そして、汝らは、私が汝らの所に行くかを知らないでしょう」(黙示録3:1-3 KJV)

 最後の教会のための警告は、クリスチャンだと言っているすべての人々にも宣べ伝えられる必要があります。ラオデキヤの教会への諸刃の剣のように鋭いメッセージは、すべての教会に伝えられる必要があります。

 「私は、汝の働きを知っています。汝は、冷たくも熱くもありません。私は、汝が冷たいか熱いかであってほしい。汝は、冷たくも熱くもなく、生ぬるいので、私は、口から汝を吐き出そう。汝は、「自分は豊かになった。良い物が増えた。必要な物は何もありません」と言っています。汝は、気の毒な者、かわいそうな人、貧しい者、見えない者、裸な者であることに気づいていません。私は、汝に、火で精錬された金を私から買うことを勧めます。汝は豊かになるでしょう。また、白い衣服、汝はそれを着るでしょう。汝の裸は現れないでしょう。目を癒す軟膏をかすんだ目に塗りなさい。汝は見えるようになるでしょう。私が愛している多くの人々を、私は叱ったりこらしめたりします。だから、熱心に悔い改めなさい」(黙示録3:17,19 KJV)。このメッセージを宣べ伝えることは、私達の働きです。私達は、それらの教会の人々が警告を受けるように、あらゆる努力をしましょう。

 私達には、他教派の牧師達のために行なう働きがあります。神は、彼らが救われるようにと望んでいます。彼らは、私達が救われるように、信仰と従順を通してだけ不死を持つことが可能です。私達は、彼らのために熱心に働く必要があります。彼らは、それを得るでしょう。神は、この時代の人々のために、彼らが主の特別な働きの一部を担うよう望んでいます。主は、彼らに、主の家族に折に適った食物を与えている、多くの人々の間にいるようにと望んでいます。なぜ、彼らは、この働きに繋がれようとしないのでしょうか。

 私達の[教会の]牧師達は、ほかの教派の牧師達に近づこうとする必要があります。キリストが執り成している人々のために、それらの人々と共に、またその人々のために祈りましょう。この厳粛な責任が、それらの人々にあります。キリストのメッセンジャーとして、私達は、強く熱心な関心をそれらの群れの羊飼い達に現す必要があります。

部 展望 2章 キャンプミーティングの後で                                  英文77-78

 「大通りの人々」に与えられているその呼びかけは、この人々のリーダー達と教師達、大衆の生活に重い責任を担っている人々、――医師、教師、弁護士、役所の人、そして、ビジネスマン達――は、明確なメッセージを明瞭に与えられる必要があります。「人が全世界を得たとしても、自分の魂を失ったら、それは、人に何の益があるでしょうか。あるいは、その人は自分の魂のために何を交換して与えるでしょうか」(マルコ8:36,37 KJV)。

 私達は、無関心にされている貧しい人々についてたくさん書いて話しています。無関心にされている豊かな人々に注目が与えられていないのではありませんか。多くの人々は、希望のない人々として、このクラスの人々を見ています。そして、サタンの力によって目をくらまされ、[霊的に]盲目にされていた人々の目を開くことを少ししかしていない彼らは、自分達の予測が外れて永遠に失われました。たくさんの価値ある人々は、希望のない対象とされて過去と現状によって裁かれていたので、警告されずに彼らの墓に行きました。しかし、その人々が姿を表す時に無関心で、私は[主から]最も魂に重荷を負ったクラスの人々を示されていました。霊的な食物を求めている豊かな多くの人々がいます。通常の生活をしている多くの人々は自分達が持っていない何かの必要を感じています。彼らは益を受けていないと感じているので、それらのうちの僅かな人々が教会に行っています。その教えを聞いている人々は、その魂に触れていません。私達は、その人々の味方として、個人的な努力をしなくていいですか。

 ある人は、こう尋ねました。私達は、その人々に出版物を届けることができないのですか。この方法によって届けられることができない多くの人々がいます。その人々が必要としているのは、個人的な努力です。それは、古代にはそんなになかったことです。神に仕える者達は、人々が主イエスキリストにだけある安息と平安を見つけられる、高き所にあることを話しかけるために遣わされました。天の権威ある神は、罪に陥った人間、失われた者を救うために私達の世界にやってきました。主の努力は、単に[罪を]追い払うだけではなく、これらの人々を高い栄誉の位置に置くことを含んでいました。工夫の才に富む主は、主の戒めを守らず主を知らなかった、社会的に高い地位の魂達にアクセスするために働きました。

 同じ働きは、キリストの昇天後に続けられました。コルネリウスの話の中で主によって表された関心を読んだ時に、私の心はとても優しくさせられました。コルネリウスは、ローマ軍の司令官の一人で、地位の高い人でした(使徒行伝10章参照)。彼は、自分が受けていた全ての光と正しく調和して歩んでいました。主は、特別なメッセージを天から彼に送りました。そして、ほかのメッセージによってペテロを訪問して、彼に光を与えるよう指導しました。私達の働きにおいて、私達を強く励ますことと、光を祈り求めている人々のために、神の優しい愛と熱情について考えることは義務です。

 コルネリウスのように存在している人、主の教会と繫がることを神が望んでいる人々が、私にたくさん現されています。その人々の共感は、主の戒めを守る人々と共にあります。しかし、その人々を世界の人々に結んでいる生命の糸は、しっかりとその人々を繫ぐために結んでいます。その人々は、孤独な立場にいる人々に道徳的な励ましをしていません。私達は、それらの魂達のために特別な努力をする必要があります。その人々は責任と誘惑のゆえに特別な働きを必要としています。

 [主から]私に与えられた光から、はっきりと「主はこう言っています」ということは、今、世界で権威があって影響力のある人々のために語られているだろうと、私はわかりました。その人々は、神が重要な真理を託した家令です。その人々が、主の召命を受け入れるならば、神はその[人類救済]目的にその人々を用いるでしょう。

 終末の日々のための働きを前進させる必要があって、神が組織化の力を与えた人々が世界中にいます。私達のカンファレンスで、教育する人々、指導者として活動できる人々、施設の管理運営に携わる人々を必要としています。神は、忠実に財務を担当できる人、起こりうるすべての危機と危難に対して、原則に岩のように堅く立つような人々、行なわれる必要のある働きを識別して、その進展を見守ることのできる人々を求めています。

部 展望 2章 キャンプミーティングの後で                                  英文80-

 神の[人類救済]目的は今、過去数年の間に必要だったように、才能を持つことが神の目的だった才能を必要としています。しかし、主がその人々の働きに繋ぐよう働かず、それと結ばれるべきでなかった人々に、たいそう強い利己心が、私達の施設の人々の心に織り込まれていました。主は、その人々が、正しく認識されず、相応しいと認められないだろうと見ていました。

 神は、社会的に地位の高い人々に、現在の真理を伝えるような謙虚で熱心な働き人達を求めています。裕福や世俗愛、世俗崇拝の魂達がキリストに引き寄せられ得るのは、偶然の触れ合いや平凡ではないものに依ります。確固たる個人的な努力が、伝道精神を吹き込まれた男性達と女性達によって広められる必要があります。これらの人々は、失敗しないだけではなく落胆もしないでしょう。

 サタンが自分の君主の座を占めている砦の中に入るために、また、彼が滅びと騙しを求めている人々の通り道に、遮るために投げかけた影を一掃するために、現在の真理の道を開くよう主に求めて、私達は、祈りの集会を持つ必要があります。私達は、「義人の効果的で燃えるような祈りは、とても役立ちます」(ヤコブ5:16 KJV)という保証を持っています。

 あなた方が、働きをしている人々の魂のために、祈りを請い願いましょう。その人々の嘆願の祈りのテーマとして、滅びの用意している魂のために、個人的な関心、重荷と感じていること、その人々の知性が些細な問題を引き起こしたことを、この教会の人々の前で示しましょう。神性の知恵によって働いて、熱心な祈りによって主の前に全てのことを置いて、そして日々、主のガイダンスを求めて、別の魂、もっと別の魂を選びましょう。あなた方がこのことを行なう時、神は、魂の回心と確信の聖霊を与えるでしょう。

 社会的に高い地位にいる人々のための働きに、特別に相応しくされた人々がいます。それらの人々は、単に、その人々と普通の知り合いになるというだけではなく、生きた信仰と個人的な努力によって、その人々を信仰に導いて、その人々の魂のために深い愛を現して、神の言葉にある現在の真理の知識を持てるよう実際的に関与して、その人々に近づく方法を研究して、日々に主を求める必要があります。

 それらの層の人々に伝えるために、信者達は自分が「すべての人々に知られて読まれています」(2コリント3:2 KJV)生きている書簡となる必要があります。私達は、現在の真理に属する品性を高めて、高貴にすることができた可能性があるのに十分に表していません。私達は、利己的で狭量になる危険性の中にいます。畏れおののいて、私達は失敗を少なくしましょう。私達は、いつまでも、このことを覚えておく必要があります。

 社会的に地位の高い人々のための働きをする人々は、自分に真の気高さdignityを保ちましょう。天使達が自分達の仲間であることを思い出しましょう。「それは書かれています」[マタイ4:6]ということを心によく満たして、その人々の知性の宝庫を守りましょう。キリストの貴い言葉を[心の]記念館に掲げましょう。その人々は、金や銀以上に価値ある者となる必要があります。私達がセブンスデー アドベンチストであるという事実を隠しておく必要はありません。現在の真理は、私達の信仰のコースが清い原則と調和していないので、私達の恥となるでしょう。しかし、私達は、現在の真理に属していて恥となる必要はありません。あなた方は、機会ある毎に自分達の信仰を告白しています。誰かがあなた方に尋ねた時、柔和と畏れをもって、あなた方は内にある希望の理由をその人に語ります。世界の人々の罪を取り除く神の子羊をほかの人々に指し示すことは、私達に資格を与えていて、私達の味方としてのキリストの贖いの犠牲の貴さを常に具現化することです。私達は、私達自身の罪が許されたことによって、キリストの[犠牲の]血によって、このようにしてだけ私達は、社会的に地位の高い人々に伝えることができます。

 この働きによって、落胆している多くの人々には、希望が示されるでしょう。心を痛めていることを表している多くの人々は癒されるでしょう。キリストはこう言いました。「神の王国に入ることを針の穴を通ることに譬えて比べると、[主人に不忠実な]金持ちよりも[主人に忠実な]ラクダの方が簡単です」(Christ has said that it is easier for a camel to go through the eye of a needle than for a rich man to enter the kingdom of God.) [マタイ19:24,マルコ10:25,ルカ18:25]。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(新共同訳)(訳者加筆。人であれラクダであれ、物理的に針の穴を通ることは不可能です。霊的な譬えで考えると、ラクダは主人に忠実な性質があります。忠実な性質のある人の心はこの穴を霊的に通れるでしょう。天に宝を積んだ人の心は天国への針の穴を通れるでしょう。金持ちの自己中心的な心はこの穴を通れないでしょう)。しかし、すべての事柄は、神によって可能です。主は、金を得ていて献身していて、富んでいて生きている人々の知性に、働き人達を通して働くことができるでしょう。

部 展望 2章 キャンプミーティングの後で                                  英文82

 天の住人達は、無関心にされ、避けられていたこの働きを担う働き人達が協力することを長く待っていました。その働きを試みた多くの人々は、落胆して諦めました。彼らがやり抜いた時、彼らは大成功したことでしょう。この働きを忠実に行なう人々は、神の祝福を受けるでしょう。キリストの義は、その人々の前を進んで行くでしょう。そして、主の栄光はその人々の報いとなるでしょう。

 真の回心の中で働く奇跡があります。奇跡は、今日では確認されていません。この地上にいる人々の重要な人物達は、神の不思議な働きの優れた力がありません。主と共に働く人々が勇敢に忠実に自分達の義務をなすならば、神は、理性と影響力のある人々、責任ある立場を占めている人々を回心させるでしょう。主の聖霊の力を通して、多くの人々は神聖の原則を受け入れるでしょう。イエスの中の、主の自己否定、主の自己犠牲、主の美を見上げましょう。自己満足で富んでいる人は、[霊的に]、裸な者、盲目な者、貧しい者、かわいそうな者、気の毒な者として、対照的に自分自身を見るでしょう。そして、自身の評価がとても低くなるでしょう。その人は、自分のためにキリストに好意を持つでしょう。そして、永遠の生命を手にするでしょう。

 現在の真理に回心した人は、その光を伝えるための神の手として、一人の働き人になるでしょう。その人は、この無関心とされた層の魂達のために特別な重荷を担うでしょう。彼は、彼らの世界の全てを造った人々を託されている福音の摂理を考えるでしょうHe will feel that a dispensation of the gospel is committed to him for those who have made this world their all.。時間と金は神に捧げられるでしょう。資金は、主の宝庫にもたらされるでしょう。才能と感化力のある人は現在の真理へと回心するでしょう。そして、新しい効力と力がこの教会に加えられるでしょう。

                        

 キリストは、地上にいる、孤独な人や貧しい人に、また、生け垣の道や脇道にいる人々にも伝えに行くよう、メッセンジャー達に指導しました。それらの多くの人々は、救われるために何をする必要があるかを理解していません。多くの人々は、罪の内に沈められています。多くの人々は、望みを失っています。様々な病が体の中と魂の中の両方で、その人々を苦しめています。その人々は、自分達の悩みに慰めを見つけようと望んでいます。そして、サタンは、滅びと死に導こうと、楽しみと強い欲望を求めるよう人々を誘惑しています。その人々には、パンではないものに自分達のお金を費やしています。そして、満足しないもののために働いています。それらの魂達は、見過ごされるべきではありません。

 主の律法になされていた破れを修復して、神の戒めを擁護する働きによって、私達は人間の苦しみを思いやることに加わろうとしています。私達は、神への最高の愛を示そうとしています。私達は、汚れた足によって踏みつけられた主の記念碑[教会]を高めるために生きています。そして、この働きと共に、私達は罪深くて苦しんでいる人々のために、優しい同情と慈しみ、恵みを現すために存在しています。

 現在の真理が提示されたあらゆる所で、熱心に努力が、病を癒すため、心に貧しさを感じている人々に福音を語るために、初めからなされる必要があります。この働きは、忠実に行なわれ、救われるはずのものとして多くの魂達をこの教会に加えるでしょう。

 戸毎訪問の働きに結ばれた人々は、多くの人々のために、奉仕の働きの機会を見つけるでしょう。その人々は、病める人々のために祈る必要があります。また、その人々の苦しみを和らげるために、自分達の力によってあらゆることをする必要があります。その人々は、圧迫されている人々、孤独な人々の間で働く必要があります。私達は、激情を収めることができず食欲をコントロールする意思の力のない人、助けのない人達のために、祈る必要があります。熱心に努力を続けることは、心と関心が目覚めさせられる人々の救いのためになされる必要があります。多くの人々は、無私無欲の活動を通してだけ届けることができます。その人々の身体的な必要は、まず初めに助けられる必要があります。その人々が私達の私欲のない愛の根拠を知る時、キリストの愛を信じることはその人々にとって易しいことでしょう。

部 展望 2章 キャンプミーティングの後で                                  英文84

 伝道活動をする看護師達は、この働きのために最良の資格を与えられています。しかし、ほかの人々はそれらの人々と結ばれる必要があります。それらの人々は看護の特別な教育と訓練を受けていませんが、働きの良い方法を働き人の仲間から学ぶことができます。

 パリサイ主義と自己称揚はたくさん話されていますが、それらの人々は、決して、キリストに魂を勝ち取れていないでしょう。純粋で清い、そのような愛がキリストのライフワークに現されたように、神聖な芳香としてあります。香油の壺を割ったマリヤのように、それは、家中に香りが満ちています。愛の混じった、雄弁や真理についての知識、稀なタレントは貴重な才能です。しかし、選択された才能だけでは、愛の場所を占めることができません。

 この愛は、神の働き人達によって、表される必要があります。キリストが死んだ人々のための愛と神のための愛は、私達がほとんど理解できていない一つの働きをしているでしょう。この愛を育てず好意を持たない人々は、伝道者として成功することができません。

 キリストのために決心しているすべての人々は、罪と違反の罪のうちに死んでいるほかの人々のために働くよう努めましょう。現在の真理が宣べ伝えられ、人々が目覚めて回心した所ではどこでも、信者達は慈しみの行動で団結する必要があります。聖書の真理が提示されている所ではどこでも神の実践的な働きが始められる必要があります。教会が設立される所ではどこでも、福音伝道の働きが、苦労している人々や無力な人々のためになされる必要があります。

4.私達自身の貧困のケア

 「私達は、誰に対しても、特に、信仰の家の仲間に対して善を行ないましょう」(ガラテヤ6:10 KJV)。私達の善意の働きにおいて、現在の真理の提示を通してこの人々に与えられる必要のある特別な助けは確信と回心です。私達は、自分達の家族をサポートすること、働きを拒まれていて、結果の状況を失っている人、現在の真理を受け入れるように道徳的な励ましをしている人々をケアする必要があります。神の摂理は、神の戒めを守り、神を愛する人々のための働きを備えること、価値ある貧しい人々の助けをなすでしょう。その人々は、安息日に仕事を強要されることや、空腹を感じることに支援なしに放置されてはいけません。主の側に自分達の立場を寄せる人々は、セブンスデー アドベンチスト達の中に、心が温かい人、自己否定をしている人、自己犠牲をしている人々、必要としている兄弟[姉妹]達に気前よく喜んで奉仕の働きをする人minister、これらの人々を見るためにいる人々です。「追放された貧しい人を汝の家に入れて」(イザヤ58:7 KJV)と主が言っている、主の言葉は特にこの層の人々について述べています。

 

5.教会役員達と働き人達

 大いなるケアが、新しい教会のために選ばれる役員達によって実践される必要があります。男性達と女性達が回心するようにしましょう。言葉と行動の両方で奉仕の働きができて、指導を与えるために最善に相応しくされる人々が選ばれるようにしましょう。すべての人々には、働きをするための必要な根深い信念があります。

 旗がたるむように衰えることに関心を寄せないでください(Never allow the interest to flag.)。考案の方法は、新しい教会に深く生きた関心をもたらすでしょう。この教会と結ばれた人々はみな、一個人の責任を考える必要があります。また、社会ののけ者が引き付けられて関心をもたらされる生活の全てで集会を催して、教会の力となるために、自分達の能力で最高に働く必要があります。さらに、何度も繰り返して、生きている権威のある言葉から厳粛な真理、そのような神聖な真理を持つ時、関心を衰えさせる一つの罪を考える必要があります。さらに、神の聖霊のバプテスマの必要を印象付けましょう。この教会のメンバー達の清めのために、働き人達は生きているでしょう。教会のメンバー達は成長しているでしょう。主が計画した木々として果実を生み出すでしょう。

部 展望 2章 キャンプミーティングの後で                                  英文86

 神は、働き人達に、自己犠牲と自己否定を呼び掛けています。魂達を捉えるために、神が与えた時に献身している人々は、魂達のために労苦して責任を与える必要のある時に魂達を見守って、たくさんの体験を得るでしょう。その人々が、ほかの人々に神の言葉の貴い真理を伝える時に、その人自身の心が御言葉の入り口に開かれていることでしょう。その人々は、偉大な教師によって指導されているでしょう。

 キリストは、世界の苦しんでいる人々、罪深い人々のために一つの泉を開きました。その神性の恵みの声は聞かれました。「来てください。汝ら、渇いている魂達はみな、来て飲んでください」。あなた方は命の水を自由に飲めるでしょう。主の所に行きましょう。すべての魂達は、女性達も男性達もこのメッセージを響かせましょう。その時、この働きは地の荒涼とした場所にも伝えられるでしょう。御言葉は、[地上に]満たされるでしょう。かの日に、主は、様々な谷の泉を開くでしょう。「砂漠にいろいろな川」「汝らは、救いの井戸から水を汲んで共に喜ぶでしょう」(イザヤ41:18; 43:19,20; 12:3 KJV)。


 

部 展望 3章 説教を少なく、指導を多く                                         英文87

3章 説教を少なく、指導を多く

 

 私達のキャンプミーティングで、一、二人の働き人が、すべての説教をすることと、聖書研究を受ける人々の指導のすべてを求められるべきではありません。時には、大きな成果が、大会衆をいくつかの分科会に分けることによって、成し遂げられるでしょう。このように、聖書の真理を教える人は、大きな集団によるよりも人々と親しくなることができます。

 私達のキャンプミーティングでは、そこにあるはず以上に多すぎる説教があります。これは、牧師達に重い負担をもたらしています。そして、一つの結果として、多くの人々が注目して求めていることが軽視されています。深刻な悪が顧みられないことによって、多くの些細なことが見過ごされることに門戸を開いています。ある牧師は、神の愛によって自分自身の魂を守るための祈りと、必要としている瞑想のための時間を奪われて、体力も失われています。牧師は、たいそう多くの講話を続けていて、人々は、次から次へと何を聞いているかを理解する時間がありません。聴衆の知性は混乱するようになって、その礼拝は、人々にとって、長くて退屈なものに思えます。

 説教を少なくして、もっと指導を多くする必要があります。説教を聞くことから受ける以上にもっと明確な光を望んでいる人々がいます。ある人は、提示された点を理解するために、ほかの人々が使うより以上の長い時間を必要としています。提示されたある真理がとてもわかりやすくされないならば、彼らはそれを知るでしょう。そして、それは定着されて、堅実に役立っている釘のようになるでしょう。

 私達のキャンプミーティングは、関心と成功を増すようにする必要があることが、私に示されました。私達が終末に近づいている時に、これらの集会の中では説教を少なくして、聖書研究を多くするように、ということを私は見ました。そこでは、対話的な聖書研究をして、いろいろな人が自由に導いて、手に聖書を持ってその場にみんなで集まった小グループになるでしょう。

 これは、キリストがその弟子達に教えた方法です。大群衆が、救い主の周りに集められた時、主は、その弟子達と群衆に指導を与えたでしょう。その講話の後で、弟子達は人々を介して、キリストが話したことを繰り返したことでしょう。時々、その聴衆はキリストの言葉を間違って適用しました。そして、弟子達は、キリストが教えたことが言っていたことについて、御言葉が言っていることについて話したことでしょう。

部 展望 3章 説教を少なく、指導を多く                                        英文87

 ある人が、牧師になるようにと、神から呼び出されていて、自分を謙虚にして、キリストについて学ぼうと考えているならば、その人は誠実な教える者となるでしょう。私達がキャンプミーティングで必要としているものは、主の聖霊によって奉仕の働きが活気づけられることです。そこでは、説教することを少なくして、実用的な宗教によって、主の人々を教育するよう機転を働かせる必要があります。その人々は、キリストは信じるすべての人々の救いであるという事実を印象づける必要があります。主は「世界の人々をとても愛したので、一人息子を与えました。彼を信じる人は誰でも、滅びないで、永遠の命を持つでしょう」(ヨハネ3:16 KJV)。ここに福音を伝える牧師が心を寄せることができる偉大なテーマがあります。キリストは「私を信じている人は永遠の命を持っています」(ヨハネ6:47 KJV)と言いました。

 その牧師の口が祭壇からの炭火に触れられるならば、彼は、罪びと達の唯一の希望として、イエスを掲げるでしょう。彼の心が、現在の真理を通して清められているならば、その牧師の言葉は自分自身にとってもほかの人々にとっても、生きて現実性のあるものとなるでしょう。その牧師から[の言葉を]聞く人々は、効力のある熱い祈りに、主を近くに引き寄せて、神と共にいたことを知るでしょう。主の聖霊はその牧師に降りました。彼の魂は生き生きとした天の炎のような熱意を感じました。そして、彼は霊的な事柄と精神的な事柄を明確に比べることができるでしょうand he will be able to compare spiritual things with spiritual.。サタンの砦を打ち壊すための力が、その牧師に与えられるでしょう。牧師が神の愛を提示することによって、人々の心は解きほぐされるでしょう。多くの人々は「私が救われるためには、何をする必要がありますか」と尋ねるでしょう。

部 展望 4章 奉仕の働きをするいろいろな施設                                    英文89

4章 奉仕の働きをするいろいろな施設

 

 

 「汝らは、全世界に行きなさい。そして、すべての造られた者にこの福音を説教しなさい」は、主の働き人達への救い主の命令です。しかし、この明白な指導は軽視されてきました。その光を何度も繰り返して与えられたことを通して、人々は伝道の働きをする施設に加わって、数週間を費やすために、働きをしている自分の伝道地から呼び出されてきました。私達の人々が、信仰によるキリストの義を拒絶することによって、神の働きに反対していたので、これは必要だった一つの時間でした [5]。これを、彼らは受け入れたことでしょう。また、これは自分達に唯一効果的なので、ペンと声と心で知らせたことでしょう。彼らは、ほかの人々にその光/真理を与えるために、主の聖霊の指導の下で働きをしたことでしょう。

                      

 私達自身の間で、聖書に関連する多くの施設を保有することは賢明ではありません。その目的はいいものです。しかし、現在の真理がまだ入っていなかった地域に、その真理を伝えることをなす緊急の働きがあります。すでに現在の真理を知っている人々のための働きを担っている働き人達は、それを知らない人々から距離を置いています。施設での奉仕の働きに、年々、多くの時間を捧げることによって、私達の兄弟[姉妹]達は、収穫の時期が来ている畑/伝道地に無関心でした。真理を間違って提示した人々によって偏見を持たされ、霊的に盲目な魂達は警告されずに放置されてきました。その無関心は、すべての人々が教会全体としてなした行ないのために裁かれる日に、諸教会、諸施設、個人個人に対して責任を問うでしょう。その時、かなたの地域にこの働きを広めることの失敗の責任の重さがどれほど大きかったかを見せられるでしょう。

 施設に勤務しているたいそう多くの人々は、働き人達自身にも大きな益をもたらしませんでした。才能/タレントは、それが最も必要な所を最良に発達しています。真理の標準が掲げられる必要のある極貧の伝道地で献身した働きに自分自身を与えた、と言わんばかりに、自分の伝道地から奉仕の働きをする施設に加わるよう呼ばれた牧師達は、よい備えがなされていません。彼らが、素直な精神で、祈り、祈って見守り、祈って働きをして、神の言葉を研究したならば、神の御使い達は、真理とその美を悟る理解力を開くことでしょう。

 現在の真理の知識が受け入れられる時、この世界で、望みなく、神なく、[霊的な]闇にいる人々に、その真理が授けられるでしょう。そのような働きによって内在する様々な知性があります。そして、神は、知恵を求めて主を見る時に、主に仕える者達を豊かに祝福するでしょう。主の聖霊は、彼らの隣人達に与えようとしている命のパンを求めているすべての人々に訪れるでしょう。

 牧師達の仕事のために、彼らに合わせて諸施設を保有するのではなく、それらの牧師達はキャンプミーティングが開催された場所で行なうための働き与えられるようにしましょう。神の恵みの奇跡によって命のパンで養われた後で、ほかの人々を養うために働きましょう。

 奉仕の働きをする諸施設に求められた多くの手段/人材は、多くの報いをもたらしたことでしょう。また、それは、伝道地での牧師達の積極的な働き、管理運営によって拡大しました。

 奉仕の働き人の中に、信仰と祈りの人々がいます。「命の言葉に関して、私達が見て自分の手で触れたもの、私達が自分の目で見ていたもの、私達が聞いたもの、それらは初めから存在していたものでした。……私達が見て聞いたその命をあなた方に伝えます」(1ヨハネ1:1-3 KJV)。これらの人々は、ほかの人々を指導する必要があります。働き人達は、経験した人々と結ばれて、積極的な働き人達によって訓練されるようにしましょう。


 

部 展望 5章 バプテスマ                                               英文91

5章 バプテスマ

 

 

1.儀式

 バプテスマと主の晩餐の儀式は、二つの記念碑です。主の教会は、一つは行なわれなくなり、一つは残っています。それらの儀式について、キリストは真の神の名において銘記しました。

 キリストは霊的な王国に入るしるしとして、バプテスマを制定しました。主は父と子と聖霊の権威の下にいると知られたいと望むすべての人が従わなければならない、この積極的な条件を決めました。人間が教会の中に安息の家を見ることができる前に、霊的な主の王国の玄関口から入る前に、人は「主は私達の義」(エレミヤ23:6 KJV)という神性の名の感銘を受ける必要があります。

 バプテスマは、この世界からの最も厳粛な断念の一つです。この人々は、天の王の子ら、王家のメンバーとなって、サタンに仕えていたことを断念して公表し、そして、クリスチャン生活に入って、父と子と聖霊の名によるバプテスマを受ける人々です。その人々は、この指示に従いました。「彼らの間から出て行って、汝らは分離しなさい。……そして、清くない者に触れてはいけません」。そして、その人々のためにその約束は果たされています。「私はあなた方を受け入れましょう。そして、あなた方の父となりましょう。そして、汝らは、父の息子[]となるでしょう。と、全能の主は言っています」(2コリント6:17,18 KJV)

 

2.バプテスマへの備え

 バプテスマを志願している人々の心の備えとして多くの必要があります。その人々は、通常与えられた以上に、多くの忠実な指導が必要です。クリスチャン人生の原則は、現在の真理に[関心を持って]新しく来た人々に明瞭に説明される必要があります。キリストとの救いのつながりを持っていることを証明するものとして、信仰の告白に頼ることができる人はいません。私達は「信じています」と言うことだけではなく、現在の真理を実践する必要があります。私達と神との繋がりを証明するものは、私達の品性、私達の立居振舞、私達の言葉などが、神の意思と一致していることによります。主の律法に違反している罪を断念している人はいつでも、その生活は、主の律法との一致へともたらされるでしょう。これは、主の聖霊の働きです。御言葉の光は、精神と魂と体と人格全体を贖いのために犠牲として全部を主に捧げ、キリストへの真の愛を心の中に生み出し、聖霊との奮闘、良心の声を注意深く研究しました。そして、愛は、従順によって現されました。神を愛し、神の戒めを守る人々と、主の指針(戒め)を軽視して主を愛さない人々との境界線は識別されて明確にされるでしょう。

 信仰深いクリスチャンの男性達と女性達は、キリストイエスにある義の正しい知識を確信した魂達にもたらすために、熱い関心を持っているでしょう。誰かが自分達の人生で最高になるという自我の放縦の望みを許していたならば、信仰深い信者達は責任を与えなければならない者として、それらの魂達のために見張りをする必要があります。気乗りのしない働きにならないように、若い回心者達に本質的な信仰深く優しい、愛の指導を怠らないようにしましょう。まず、最初の体験が正しくなるようにしましょう。

 サタンは、神に全的に明け渡す必要を考えることを誰にも求めていません。ある魂がこの明け渡しをすることに失敗している時、罪は放棄されていません。食欲と激しい感情は、優性に立とうと抗争しています。様々な誘惑が良心を困惑させています。なので、真の回心は行なわれていません。すべての人々が、騙しと誘惑の罠をかけようとしていることに、各々の魂がサタン的な人々と闘いをしなければならないという考えを持っていたならば、信仰のある若い人々のためにとても賢明な働き人となるでしょう。

 彼らのために残されたその魂達は、しばしば誘惑されていて、そして、その誘惑する悪を識別していません。勧めを請い求めることは、特権だということを彼らに考えさせましょう。彼らを助けることができる人々の共同体を求めさせましょう。神を畏れ、神を愛する人々との協力を通して、彼らは力を受けるでしょう。

部 展望 5章 バプテスマ                                               英文93

 それらの魂達との私達の会話は、励ます特徴のある、霊的なものになる必要があります。主は、疑って悩んでいる、すべての弱い者達の闘いに注目しています。そして、主は、主を求めているすべての人々を助けるでしょう。彼らは、面前に天が開かれていて、そして、神の御使い達は、人々が昇ろうとしていた、光り輝いている螺旋階段を降りたり昇ったりしているのを見るでしょう。

親達の働き:親達は、子ども達に信仰深い指導を与えること、そして、自己吟味することの両方で、子ども達がバプテスマを受けたいという望みを持つようにする働きがあります。バプテスマは重要で、神聖な儀式です。そして、その意味についての理解者となる必要があります。それは、罪のために悔い改めること、また、キリストイエスの中の新しい生活に入ることを意味しています。儀式を受けなければならないことに不当性はないでしょう(There should be no undue haste to receive the ordinance.)。親達と子ども達は共に、そのコストを教えましょう。子ども達がバプテスマに同意することによって、親達は、子ども達が忠実な家令となるよう、子ども達の品性の形成に彼らを導いて、神聖の懇願をしましょう。彼らは、群れの子羊達に特別な関心を持って守るよう自分に誓っています。彼らは、彼らが告白した信仰を恥としないでしょう。

 宗教的な指導は、子ども達の幼い時から与える必要があります。非難の精神ではなく、好意を持って、幸福な精神で、それは与えられるでしょう。母親達は、自分達には認められないような形で、子ども達に来る誘惑を少なくして、いつも見守るようになる必要があります。親達は、楽しむ指導をして、賢明に子ども達を保護する必要があります。勝利者となることは子ども達のために全ての財産なのでfor it means everything to them to be victorious.、未熟な子どもの達のよい親友として、親達は困難を克服する働きをして助ける必要があります。親達は、可愛がっている子ども達が、正しいことをしようとしていること、主の家族のメンバーであることを考慮する必要があります。また、親達は、従順から本通りを正しく進むように、強い関心を持って助ける必要があります。愛という関心によって、主へ自由意思を明け渡すこと、神の子どもになる手段として、親達は、日々に教える必要があります。自分達の親達に従順にすることを含めて、神への従順を子ども達に教えましょう。これは、いつも、毎日する必要があります。親のみなさん、見守って、見守りをして、そして、祈り、また、あなた方の子ども達を育てて、あなた方の仲間にしましょう。

部 展望 5章 バプテスマ                                               英文94

 子ども達の人生で最も幸福な時期が来た時、子ども達の心の中でイエスを愛し、バプテスマを望む時、子ども達と共に信仰深く暮らしましょう。子ども達がその儀式を受ける前に、神のための働きが人生の第一目的となる必要があるかどうかを子ども達に聞いてみましょう。その時、どのように始めたらいいかを話しましょう。多くの意味が最初の学習ですIt is the first lessons that mean so much.。神への仕え方を初めに子ども達にシンプルに教えましょう。できるだけ、分かりやすく、簡単に行動目標を作りましょう。自分を明け渡すことが手段/宝であること、クリスチャンの両親としての勧めの下で主の言葉と教えとを行なうことを説明しましょう。信仰深く親の役目を務めた後で、子ども達が回心とバプテスマの意味を理解したと、あなた方が納得しているならば、彼らにバプテスマを勧めましょう。しかし、私は、繰り返して書きます。従順の狭い道[品性方正な暮らし方]の不慣れな歩みをガイドする羊飼いとして行動するためにまず、あなた方自身が準備しましょう。愛と礼儀正しさとクリスチャンの謙虚とキリストに自分を全的に任せることによって、神は、正しい手本を子ども達に与える親達の中で働くに違いありません。あなた方が、子ども達の心に同意するならば、子ども達が選んだことに委ねましょう。正しい道に子ども達の歩みを守るための特別な義務がないと考えて、子ども達が現在の真理の関心と励ましと信仰を失うならば、あなた方自身に責任があります。

牧師達の働き:男性らしさと女性らしさが成長した志願者達は、若者達が行なう以上に義務をよく果たせることを理解する必要があります。しかし、ある教会の牧師は、それらの魂達に行なうための義務があります。その若者達のための特別な集会を持つことは、その牧師の義務です。その人々と聖書を読みましょう。また、談話して祈りましょう。そして、その人々のために、主が述べていることを簡単に示しましょう。回心について、聖書の教えをその人々と共に読みましょう。神の愛の根拠として、回心の実が何かを示しましょう。考えと目的について、心の変化である真の回心を示しましょう。悪い習慣は放棄される必要があります。不従順と嫉妬と、悪口を言うことの罪は、捨てられる必要があります。その時、その信じている人々は、この約束を自分自身への思いやりと取ることができます。「求めなさい。そして、それはあなた方に与えられるでしょう」(マタイ7:7 KJV)。

 

3.志願者達へのテスト

 弟子としてのテストは、バプテスマを自分で示して入る人々にそれがあるように、細かな責任を負わせられていませんThe test of discipleship is not brought to bear as closely as it should be upon those who present themselves for baptism.。志願者達がこの世界から連れ出されて分けられるため、清くないものに触れないで、セブンスデー アドベンチストの名にシンプルにいるかどうか、あるいは、志願者が主の側に立っているかどうか、理解される必要があります。バプテスマの前に志願者達の体験の調査の必要があります。世界の人々の罪を取り除く神の子羊への回心を示して、冷淡で、よそよそしい方法ではなく、親切で優しく、この調査がなされるようにしましょう。バプテスマ志願者達に福音が求めていることを伝えましょう。

 新しく信仰に入る人々が必要としている指導の一つはドレスの問題です。新たな回心者は慎重に配慮されるようにしましょう。その人々は、ドレスについて自慢していませんか。その人々は心にプライド(虚栄心)を抱いていませんか。ドレスへの心酔は道徳的な病です。それは、新しい生き方に入った時に支配されてはいけません。多くのケースで、福音が求めている従順は、そのドレスの中に決定的な変化を命じているでしょう。

 ドレスに対する無頓着をなくする必要があります。私達はキリストのための証人です。私達は、自分達の外見を最善にする必要があります。幕屋の奉仕において、神は、主の前で奉仕の働きをした人々の衣服に関して全て詳細に具体的に指定しました。そのように、私達は、主に仕える人々のドレスに関して、一つの優先権を持っているということを教えています。アロンのドレスが象徴だったので、アロンの祭服に関して非常に、詳細に指導が与えられていました。キリストにつく人々のドレスは象徴となるでしょう。あらゆる事柄において、私達は、主を代表する者となる必要があります。私達の外見への関心はみな、清めと謙遜と、整容によって特徴づけられるでしょう。しかし、神の言葉は、単なるファッションのために衣服を変えることを容認しないでしょう。私達は、世俗のような外見を現すでしょう。クリスチャンは、高価な飾りや、高額の盛装で、身体personsを装飾する必要がありません。

部 展望 5章 バプテスマ                                             英文96-97

 ドレスに関する聖書の言葉は、慎重に考慮される必要があります。私達は天の主が、身体のドレスさえ、適切に認識しているということを理解する必要があります。キリストの恵みを熱心に求めている人々はみな、神による霊感の貴い言葉を心に留めるでしょう。服装のスタイルさえ、福音の真理を現すでしょう。

 キリストの生涯を研究し、主の教えを実践する人々はみな、キリストのようになるでしょう。その人々の感化力は主のようになるでしょう。その人々は、健全な品性を現すでしょう。その人々が従順の道を謙虚に歩む時、神の意思を行なうでしょう。彼らは、主の働きの健全な清らかさと神の[人類救済]目的の前進を話すという感化を及ぼすでしょう。これらの回心した人々の魂の中に、世俗の人々は人間の品性の真理の清める力を証する人を持つ必要があります。

 品性に現れている神とイエスキリストについての知識は、天と地において尊重されて、すべての上に高められています。これはとても高度な教育で、天の都の入り口を開くカギです。神の目的は、バプテスマによってキリストにつく人々がみなこの知識を持つようになることです。キリストイエスによる強い呼び出しの特権をこれらの魂達の前に示すことは、神に仕える者達の義務です。

 

4.儀式の施行

 可能な時はいつでも、バプテスマは水の綺麗な湖や流れのある川で行なわれるようにしましょう。そして、それに、厳粛さと重厚さがもたらされる機会としましょう。そのような儀式に、神の御使いはいつも臨在しています。バプテスマの儀式を執行する人は、すべての目撃者に神聖な感化を及ぼし、厳粛な機会とするよう求める必要があります。教会の儀式はみな、それ自身の感化力によって高められる必要があります。一般の事柄のレベルに置かれたり、つまらないことや普通のことにされたりする必要のあるものはありません。私達の諸教会は、神の神聖な奉仕のための深く貴い尊敬を示すよう教育される必要があります。牧師達が神を拝するため集った人々の礼拝を指揮する時、その人々をたいそう教育し訓練しています。永遠のために、魂達を弟子となるための鍛錬と教育という小さな活動では、この教会の人々を清めて高尚にするという大きな成果が伴っています。

 すべての教会において、バプテスマのローブはその志願者達のために準備される必要があります。これは、手段外のことで必要のないものとみなしてはいけないでしょう。これは、「全ての事柄は秩序正しく整っているようにしましょう」(1コリント3:40 KJV)という指示に従うことを求められた事柄の一つです。ほかの教会からローブを借りて、頼ることは一つの教会にとって良いことではではありません。しばしば、そのローブが必要な時に見つからなくて借りる人々は、それを返すことを怠っていました。すべての教会はこの人々の必要のために補充しておくべきでしょう。この目的のために蓄えをしておきましょう。教会全体がこのことに一致しているならば、それは負担にならないでしょう。

 それらのローブは、ぬれても傷まず、黒色の丈夫な生地で作られる必要があります。それらは上品で、良い形をした衣服で認められる形を追求していて、裾まで重みのある必要があります。それらは、飾りやひだ飾り、縁飾りは認められないでしょう。縁飾りや飾りであれ、あらゆる装飾品はすべて取り去られています。志願者が、儀式の意味の考えを持っている時に、それらは、個人的な装飾品の望みを持たないでしょう。これは、神に反するものなので、着古しや見苦しいものはないでしょう。聖なる儀式に結ばれたすべてのものは、可能な限り、完全に用意されている必要があります。

5.バプテスマの後で 

部 展望 5章 バプテスマ                                             英文97-98

 多くのことを含むバプテスマで、私達自身が行なう誓いは、父と子と聖霊の神によって、私達がキリストの死のように滅ぼされて、キリストのよみがえりのようによみがえらされて、そして、私達は新しい命を生きようとしています。それゆえに、信者達は、神とキリストと聖霊に捧げられたということを知性にもたらす必要があります。その人は、この新しい関係のために、すべての世俗の考えを第二のものとする必要があります。公衆の面前で、ある人は、自分を甘やかさず、プライド/虚栄心ででも生きていないということを表明しました。その人はもはや、無関心な生き方や配慮のない生活をしていませんでした。その人は、神との約束を結びました。また、この世界の人々に対して死にました。その人は、神の印を帯びていることに気づいて失わず、神性の性質に与る者として、主のために、自分に託された能力の全てを主のために使うよう生きています。その人は、主の御名の栄光にその人の贈り物の全てを費やして、自分にあるものと自分が持っていない全てを神に明け渡す必要があります。

 バプテスマを受けた人の霊的な約束と義務は共通しています。人間達が、心からの従順と共に自分の役割を行なう時、「主よ、そなたはイスラエルの神だということを知られるようにしましょう」という祈りを正しく行なうでしょう。あなた方が、父と子と聖霊の名によって、バプテスマを受けたという事実は、「あなた方がそれらの助けを求めるならば、それらの力はすべての危難の時にあなた方を助けるでしょう」という確固としたものです。主の謙虚と柔和を主の学校で学び、キリストのくびきを負って、主に誠実に倣う者達のその祈りを、主は聞いて応えるでしょう。

 「汝らがキリストと共によみがえらされているならば、キリストが神の右に座している、上にあるものを求めてください。汝らは死んで、また、あなた方の命は、神の中にキリストと共に隠されているので、あなた方の思いを、地にあるものではなく、上においてください」(コロサイ3:1-3 KJV)。

 「それゆえに、聖なる者として愛され、神に選ばれた者として、深い憐れみ、親切、知的な謙遜、柔和、寛容を身に付けてください。誰かがほかの人に苦情を持っているならば、互いに譲り合い、互いに許し合いましょう。キリストがあなた方を許したように、あなた方もそのようにしなさい。これらすべてのものの上に慈しみを身に付けましょう。それは、完全と成熟への絆です。神の平和があなた方の心を治めるようにしなさい。あなた方はこのために、一つの体(教会)として呼び出されています。感謝してください。……そして、汝らが、言葉と行動で行なうことは何でも主によって父なる神に感謝を捧げて、彼の名によって全てを行ないなさい」(コロサイ3:12-17 KJV)。


 

部 展望 6章 集会のための建物の建設                                        英文100

6章 集会のための建物の建設

 

 

 一つの関心が町や都市で湧き上がった時、その関心は継続される必要があります。神の安息日の記念のしるしとして、道徳的な暗黒の中の光として、その場所は、慎ましやかな礼拝の建物が建つまで探される必要があります。それらの記念碑[教会]は、現在の真理の証人として多くの場所に立つ必要があります。主の恵みによって、神は、福音のメッセンジャー達がすべての国々、すべての言語、すべての民に行くように備えました。その真理の標準はこの世界の住民のあらゆる地域で立てられるでしょう。

                             

 信者の仲間達が集められている所ではどこでも、礼拝のための家が建てられる必要があります。働き人達は、このことが成し遂げられることなしに、その立場を離れないようにしましょう。

 このメッセージが宣べ伝えられ、魂達がそれを受け入れた場所で、その人々は、制限された状況の中にいました。そして、その働きに特徴を与えるような、救いの働きの前進を少しだけ行なうことができています。しばしば、これは、この働きを広げることを困難にしています。人々が現在の真理に関心を持つようになる時、その人々はほかの教会の牧師達から話を聞いています。――そして、それらの言葉は、その教会のメンバー達によって繰り返されています。「これらの人々は教会がありません。そして、あなた方は礼拝する場所がありません。少したつと牧師達は去っていくでしょう。その時、その関心は消えてしまうでしょう。その時、あなた方は、受け入れた新しい考えの全てを失うでしょう」。

 私達は、「これが現在の真理に関して、神の聖霊によって確信していた私達の信仰についての理由を知る人々に強い誘惑をもたらさないでしょう」と考えることができますか。「一つの小さな始まりから大きな関心が育つでしょう」ということは、しばしば繰り返される必要があります。知恵と清い判断と熟達した指揮管理能力が私達の贖い主の王国の関心を築き上げている私達によって現されています。私達は、私達の安定的な働きを人々に保証する私達の力によって全てを行なうでしょう。現在の真理を受け入れている人々がいる所に建てられる慎ましやかで神聖な場所は、人々自身の良心に命じるので、神を礼拝する場所を見つけるでしょう。

                             

 それが可能な時には、いつでも、負債無しで私達の教会の建物が神に捧げられるようにしましょう。一つの教会が出来上がってきた時、そのメンバー達は立ち上がって建てましょう。牧師の仲間達のアドバイスによって、ガイドされている一人の牧師の指導の下で、「私達は集会の家を必要としています。そして、それを建てる必要があります」と言って、自分達の手によって人々を新たに回心させる働きをしましょう。神は、気前よく主の[人類救済]目的の努力に結ばれるよう、主の人々に呼び掛けています。これが行なわれるようにしましょう。そして、やがて、「主が働いたことを見てください」という、感謝の言葉が聞かれるでしょう。

 しかしながら、いくつかのケースがあります。新しくできた教会は、すぐに、礼拝の家を建てる負担を全部負うことはできないでしょう。これらのケースにおいて、ほかの教会にいる兄弟[姉妹]達はその人々を助けましょう。様々なケースにおいては、建てないで、いくらかの金額で賃借りする方がいいでしょう。ある人がお金を持っていて、後で払うことが可能な場合は、利息なしか低利でローンを組めるでしょう。負債なしで建てることができるまで、お金を使うことは正当でしょう。しかし、私は繰り返して書きます。可能ならば、教会建築は、負債なしが決定される必要があります。

 私達の教会において、背もたれ付の長座椅子は、賃借りするべきではありません。裕福な人々は貧しい人々よりも礼遇される必要はありません。「あなた方はみな、兄弟[姉妹]」です。区別しないようにしましょう。私達の建物内には、装飾品を置くことを求めないようにしましょう。これは、この働きを前進させないでしょう。

 私達の倹約は、私達の原則を証する必要があります。私達は、一時的な仕事をする方法で働きをするべきではありません。すべてのことは、継続してなされる必要があります。

部 展望 6章 集会のための建物の建設                                        英文102

                             

 借金を続けて負債を抱えているいくつかの教会のずぼらな方法が[主から]私の前に、提示されました。借金を続けているいくつかのケースは、神の家に存在しています。そこでは、利息の支払いが続いています。それらの事柄は、あるべき事でも必要な事でもありません。そこに、知恵と機転と熱心が、神の求めている主のために現されるならば、それらの事柄に変化があるでしょう。その負債は、完済されるでしょう。神は、捧げることができる人々に捧げ物を呼び掛けています。最も貧しい人々でさえ、わずかなものを捧げることができます。自己否定は、何かを行なうために、すべての人々にできるでしょう。若い人も老いた人も、親達も子ども達も、自分達の働きによって、自分達の信仰を示す必要があります。おのおのの行動に必要な役割は、この教会メンバー達に強く印象づけられるようにしましょう。みんなでベストを尽くしましょう。そこに行動する意思がある時、神はある方法を開くでしょう。主は、主の[人類救済]目的が負債で拘束されることを意図していないでしょう。

 神は、自己犠牲を求めています。それは、財政的なことだけではなく、霊的な繁栄をもたらすでしょう。自己否と自己犠牲は、この教会の霊的な前進に素晴らしく働くでしょう。

                             

 私達の教会が負債を負うことは、神にとって喜ばしいことではありません。「銀は私[]のもの、金は私のものと万軍の主は言っています」(ハガイ2:8 KJV)。誰かの自我が甘やかされるために、望みやプライドや野心を満足させようと、金や銀が、利己的な目的で使われている時、神は不快にされています。神によって選ばれた人々が、主の目的を二の次にして、利己的な満足のために主のお金を投資して、自分自身の家を建てる時、その人々は、祝福されることはできないでしょう。

 あなた方が、主の家が負債によって不快にされないよう、また、主を第一にする時、神は、あなた方を祝福するでしょう。毎週、あなた方の什一に加えていくらかを、この目的のために何かを捧げるよう努力しましょう。この目的のための募金箱を備えましょう。これは、必要な行動のために求められていない、持っているペニー(数円)やドル(百円)を入れるための、あなた方の自己否定の箱だということを説明しましょう。礼拝の場所から天の不快な借金を取り除くことは、神の家のためのものです。この捧げ物をすることによって、この教会のすべての家族は祝福されるでしょう。

 神は、すべての人々の考えを導いています。主は、すべての人々の行動に注目しています。全ての事柄は、主によって祝福される主の働きの前進のために、厳粛な目的を果たしています。愛と共感を示している二枚の小銭や一杯の冷たい水は、この世界での良い行ないの効果をつくるでしょう。また、やがて来る世界の報いとなるでしょう。

                             

 自分自身に問うすべてのクリスチャンのための試験的な質問は、こうです。「私は自分の魂の最も奥に、キリストへの最高の愛を持っているだろうか。私は、主の幕屋を愛しているだろうか。私の初めの考え、主の神聖な施設をつくることによって、主は栄誉を受けられるだろうか。私の贖い主と神への私の愛は、自我を否定するように私を導いて十分な強さがあるだろうか。利己的な楽しみと娯楽の甘やかしへと誘惑された時、私達は、‟いいえ、私は、神の家が負債を負っている一方で、私達自身の喜びのために、何も費やさないつもりです”と言えるだろうか」。

 私達の贖い主は、私達が主に与えている以上にもっと多くを求めています。自我は、その望みが第一になるように、干渉していますが、しかし、主は心を尽くして、愛情を込めて主張しています。主は、二番目にならないでしょう(He will not come in as second.)。そして、キリストは、私達を一番、最高として考えないのはないでしょうか(And should not Christ have our first and highest consideration?)。これらの事柄は、この教会の中とこの家族の中で基礎となっています。人の心、人の魂、人の力、人の命をみな、神に明け渡すならば、私達は私達の奉仕の全てにおいて、主を第一にすることでしょう。私達が神と調和しているならば、主の栄誉と栄光についての考えは、そのほかの全ての事柄の前に来ています。私達の贈り物と捧げ物によって主の前に昇進される人はいません(No person is preferred before Him in our gift and offerings.)。私達は、キリストとパートナーになることは、確固した神聖を意味するという考えをしています。

部 展望 6章 集会のための建物の建設                                        英文104

 神が主の人々と会うその家は、主の王家の子ども達、すべての人々のために神聖なもの、貴重なものとなるでしょう。それは、負債による毀損が残らないでしょう。そのような事柄を許すことは、あなた方の信仰について、ほとんど自己否定のようなものが現れるでしょう。あなた方は、強い個人的な犠牲をする用意をするでしょう。あなた方は、唯一の負債のない建物を持ったならば、そこで、神が主の人々と会うことができて、祝福することができるでしょう。

 私達の間の礼拝の家のあらゆる負債はみな、返済されているでしょう。教会メンバー達がその負債を一括返済するために熱心な努力、真剣に全力を尽くし、賢明な計画を立てるならば、負債が完済されているすべてのケースにおいて、感謝の礼拝となるでしょう。そこでは、主の家について、神に奉献されたものとなるでしょう。

 神は、主の人々の品性をテストするために信仰を試しています。緊急の時に、主のための犠牲となることを快くしている人々は、主の働きのパートナーシップを取って、主が誉めている人々です。神の[人類救済]目的を果たすために、自己否定を実践することに快く思わない人々は、テストされるでしょう。その人々のコースは、人の心を読む主の目に現れているように、人間の目に現れるでしょう。

                         

 ソドムに残ったロトの妻のようにではなく、キリストのために喜んで、後悔する精神で、悲しみには沈まないで、自己否定を実践して、想像上の欲を抑えている主の人々を、主が見る時、その働きは、力を伴って前進するでしょう。


 

部 展望 7章 集子ども達の集会と教会学校                                    英文105

7章 子ども達の集会と教会学校

 

 

 私達の全てのキャンプミーティングにおいて、子ども達と若者達のための働きは、行なわれる必要があります。子ども達のための集会や聖書幼稚園Bible kindergartenが、この働きのために相応しい教師の指導の下で、毎日、持たれる必要があります。幼子の言葉と教訓は、自然界と聖書の両方から与えられるでしょう。幼児用指導方法と自然界からの実物教訓は、幼い子ども達の興味を強く引くことでしょう。私達のあるキャンプミーティングの時、子ども達の集会が一日に二回行なわれました。朝のレッスンの後、日々の楽しみとして、教師達と子ども達は長い散歩に出かけたものです。その散歩中に、草原や川の土手のそばで、小休止が呼び掛けられて、そして、自然界から少しのレッスンが与えられたことでしょう。そのようなレッスンによって、それらの子ども達が、キリストのたとえ話を教えられます。現在の真理は釘のように、子ども達の知性の確かな場所に定着されるでしょう。

 その子ども達のための私達の働きにおいて、その目的は、単に、子ども達を楽しませて教育することではなくて、子ども達の回心のために働くことでしょう。私達は、蒔かれたタネに神の祝福を求める必要があります。そして、主の聖霊による確信は、その幼い子ども達でさえ、定着するでしょう。私達が神を信じて行動しているならば、私達は、世界の人々の罪を取り除く神の子羊に子ども達を導くことが可能となるでしょう。

 これは、主の家族の若いメンバーへの大きな結果という一つの働きです。それらの集会において、家庭におけるクリスチャンの指導に好意的な人々でさえ、子ども達をとても助けるようになるということを多く学ぶことができます。その子ども達が、キリストについてシンプルに教えられるならば、子ども達は知識を得るでしょう。そして、その子ども達が自分達に家に戻った時、天の宝の家から、心の貴重なレッスンの実をもたらすでしょう。

 その若者達は、神の言葉によって、もっと十分に指導されるようになる機会を与えられるでしょう。聖書の真理は、子ども達に明らかにされるでしょう。現在の真理についての体験を持っている人々は、自分で御言葉を調べるでしょう。これは、良い地に蒔かれた種のようになるでしょう。

部 展望 7章 集子ども達の集会と教会学校                                    英文106

 子ども達と若者達のために、そのような集会は、適切に指揮されるならば、私達の信仰を持っていない多くの人々が加わるでしょう。そして、その集会で学んだレッスン/教訓は、家庭で再現されるでしょう。子ども達を通して、親達は、現在の真理を伝えられるでしょう。オーストラリアでの私達のキャンプミーティングで、これらの集会は大きな良いこと[収穫]の意味となりました。

 オーストラリアのキャンプミーティングで、この働きの一部を担っていた人々によって書かれたように、この働き人達によって行なわれた働きの短い報告が続いています。

 「第一日安息日の子ども達は、部門とクラスに組分けされました。そして、その教師達は自分の働きを始めました。その初めには、15人ほどの幼児と6人の初等科の子どもがいました。間もなく、近所に住んでいる子ども達が友達を誘ってその集会で学びました。その子ども達は参加するようになって、そのクラスに新しい子ども達が加わったのを見ました。外部から、毎日、来た数は80人から100人でした。ある日曜日に、そこには、大勢の子どもたちが集まってきていました。その子ども達の大多数は、ほとんどいつも来ていました。

 大人の間の礼拝の特徴に倣って、集中と熱心な精神と同じものが子ども達の集会に目立ちました。一般的に体を動かす練習とクラスでの学習の両方の活動は、次のように取り組まれました。子ども達は、聞くことと同じように、行動する役割を持っていました。そして、この方法によって、子ども達はやがて、家でも考えました。そして、この活動によって、ある役割を担おうという思いが子ども達の興味を現しています」。

 それぞれのレッスンは、一般的な練習を開始していて、それは、その終了のための歌と短い復習のためにみんなが集められるまで、クラスの学習によって続けられました。そして、その知識を得るようにされました。その体を動かすことの始まりにおいて、賛美と祈りの後で、モットーと前もって学んだ暗唱聖句のすべては、個人と数人の共同の両方で、大声で暗唱されました。読みや暗礁に相応しく短い聖句は、それを事前に自主的に準備していた子どもによって行なわれました。‟御言葉の初歩”は、子ども達によって学ばれて、それぞれ自分で選んだ書簡や聖句が暗唱されました。それらの聖句の選択や学びは、家で行われていて、それらの責任は子ども達に任されていました。いつも参加すること、毎日出席すること、子ども達のための動機が加わっていることが示されました」。

 「復習することよって、答える準備が、クラスの中にあった興味によって現されました。また、多くの価値ある真理が子ども達の心と知性の中に、自分達の方法が見られました。その子ども達が自分の家に帰った時、その親達は、そのレッスン学びの全部を復習しているのを聞いて驚きつつ、喜びました。多くの親達は、子ども達がそのワーク家庭学習を正しく理解したこと、子ども達のために行なわれたその集会の働きが間もなく終了することを残念に思っていること、を様々な方法によって伝えています。

 日曜学校からこの集会に参加したある教師達は、なされたこの働きによって、とても喜ばしい益を得たと表明しました。親達は時々、子ども達と一緒に来ました。そして、幼い子ども達と一緒に興味を持っていたように思われました。ほかの人々は、私達の見解と同じでなくても、子ども達にきちんとドレスを着せるための悩みを抱えていました。そして、子ども達が来ることを許していました。ある親達は、自分の子どもたちをどうしたらいいのかを知らなかったということを明かしました。しかし、一つのことははっきりしていました。その子ども達はやって来るでしょう。そして、子ども達は、家ではそれらを続けることができないでしょう。ある子ども達は、遠く離れた所から来ていました。そして、私達は多くの福音のタネが良い地に蒔かれたと信じるたくさんの根拠を持っています。

                       

 これらの集会で蒔かれた福音の良いタネは、ケアを求める人々を滅びるままにしないでしょう。多くの親達は、自分の子ども達に、このキャンプミーティングでの指導が続けられて与えられるならば喜ぶでしょう。親達は、それと同じ指導原理で教えられ、行動するようになる学校に子ども達を通わせたいと思うでしょう。親達と子ども達の両方の興味が湧いているうちに、キャンプミーティングで始まったその働きは、前進させることが可能で、学校を設立するための絶好の機会です。

部 展望 7章 集子ども達の集会と教会学校                                       英文108

 そして、信者達が、教会を組織化するように立ち上がった時、学校のような施設は、この働きを支えて継続を促す大きな価値が見られるでしょう。新しい伝道地で働き人達は、自分達のケアの下でその教会のため、必要とされた施設が備えられるまで、働くための伝道地を去ることを自由に考えていないでしょう。礼拝のための慎ましやかな家が建てられる必要があるだけではなく、あらゆる必要な取組は、教会学校について、継続的な設立のためになされる必要があります。

 この内容は、[主から]私の前に明確に提示されました。私は、集会の家が建てられて、いろいろな異なる地域にいる新しい信徒の仲間達が立ちあがっているのを見ました。新たに信仰に入ったこれらの人々は、快く手伝って助けていました。また、財産を持っている人々は自分達の手段で支援していました。教会の地階に、上には遊び場があって、学校として提供された一つの部屋を示されました。そこでは、子ども達が神の言葉の真理を教えられるでしょう。その学校の数は多くはありませんが、それは楽しく始まっていました。

この働きの前進が難しくなった時、私は子ども達と親達が歌う声を聞きました。

 

主がその家を建てるのでなければ、

それを建てる人々の働きは、無駄な作業です。

主が都市を守るのでなければ、

見張り人が目を覚ましているのは無駄な努力です。(詩編127:1)

 

汝ら、主をたたえましょう。

わが魂は、主をたたえましょう。

私が生きている間は、主をたたえましょう。

私はどのように存在していても、私の神を賛美して、歌いましょう。

あなた方の信頼を支配者達に置いてはいけません。

人間の息子には、助けがありません。(詩編146:1-3

 

汝らは、天から[来た]主をたたえましょう。

いと高き所にいる主をたたえましょう。

汝らは、主の全ての御使い達と[共に]、主をたたえましょう。

汝らは、主の全ての万軍と[共に]、主をたたえましょう。

汝らは、太陽と月と[共に]、主をたたえましょう。

汝らはみな、干したとの光と共に主をたたえましょう。(詩編148:1-3)

 

 教会の設立と集会の家の建設、学校の建設は、都市から都市へと広がりました。それぞれの地域で、信者達は、絆を作って努力を続けていました。そして、主は、主の勢力を増すために働いていました。設立して存在している諸施設は、現在の真理を広めているでしょう。

 これは、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパでなされている主の働きです。そして、どこででも、仲間達がその真理の中に加えられています。集まった仲間達は、礼拝の場所を必要としています。学校は、子ども達に聖書による指導を与えることが可能な所を必要とされています。教室が、教会と同じく必要とされています。主は、人々のためにその道を備えるために、何かがすぐになされるように、教会学校を設立するために結ばれる人々を持っています。

                        

 信者達が少ない地域では、二つか三つの教会が、教会学校のための慎ましやかな建物を建てるように結ばれています。みんなでその費用を分かち合いましょう。すべての学校の基本を聖書によって作る最良の教師達のもとに子ども達を託して、世俗の子ども達からその人々の子ども達を分離することは、安息日遵守者達にとって絶好の機会です。


 

部 展望 8章 節制の働き                                                         英文110

8章 節制の働き

 

 

 私達の働きにおいて、節制改革に注目がもっと与えられる必要があります。すべての義務は、従順と信仰と悔い改めを巻き込んで、改革を呼び掛けています。それは、新しく高尚な生活に魂を高めることを意味しています。そのように、真の改革はみな、第三天使のメッセージの働きの場所を占めています。特に、その節制改革は、私達の注目と支援を求めています。私達のキャンプミーティングにおいて、私達は、この働きに注目を呼び掛けて、それを、生きている行動にしましょう。私達は真の節制の原則を、この人々に示しましょう。そして、節制の約束に署名するよう呼び掛けています。念入りな注目が悪習慣の虜にされている人々に与えられる必要があります。私達はその人々をキリストの十字架に導く必要があります。

 私達のキャンプミーティングは、医療に関する働き人達がいる必要があります。それらの人々は、不信仰の餌食とならない人、御言葉について奉仕の働きを尊敬している人々、健全な判断と知恵の人々である必要があります。それらの人々は、この人々の健康の擁護者達です。そして、彼らは、認められて尊敬されるために存在しています。彼らは、不節制の危険性について、この人々に指導を与えるでしょう。この悪習慣は、過去にあった以上に大胆に未来と向き合う必要があります。牧師達と医師達は、不節制の悪を説明する必要があります。彼らは、義を高めて、罪をとがめる力、福音によって働く必要があります。この人々に、個人的にアピールしない牧師達や医師達は、自分達の義務に無関心です。彼らは、神が彼らに託した働きを為すこと、神の働きを行なうことにしくじっています。

 他教派の諸教会の中には、節制の原則の擁護に立っているクリスチャンがいます。私達は、私達と肩を並べて協力して近づくよう求める必要があります。私達は、失われている人々を救うための私達の努力を支持するよう、善良な人々に呼び掛けましょう。

 その節制の働きは、30年前に始められた時に、私達によって伝えられたならば、また、私達のキャンプミーティングで、私達が飲むこと食べることの不節制の悪、特に、アルコールを飲むことの悪をこの人々の前に提示した時、それらの事柄は、キリストが間もなく来ることの根拠と繫がっていることを提示されたならば、さらに、そこでは、その人々の間で篩い(ふるい)があるでしょう。私達が取り扱っている現在の真理の重要性に釣り合った熱心さを示すならば、私達は、滅びから何百人も、いいえ、何千人も救う「糧」となるでしょう。

 永遠だけが、主の所に来る、不安と世俗の煩わしさに疲弊して、疑いと病にある多くの魂、全ての人々を最高に救おうと望んでいる偉大な医師に連れて行って、この親切な働きによって成し遂げられたことを現すでしょう。キリストはよみがえった救い主です。私達が、人々の理性を荒廃させるために提供される毒の液体の所に行く人々を見る時、また、私達は、人の魂が危険に晒されているのを見る時、その人々を救うために何を行なっていますか。誘惑されて堕落した人々のための私達の働きは、キリストの恵みが品性を形成し直して、人間が無限の神と生きた繋がりをもたらされる時だけ、本当の成功を成し遂げるでしょう。これは、真の節制のあらゆる努力の目的です。私達は、イエスキリストにある力と共に働くために、人間のエネルギー以上に働くよう呼び出されています。人間の性質を帯びて、対等の立場を取っている御方は、その闘いの指揮の仕方を私達に示している御方です。キリストは、私達の手に主の働きを残して去りました。そして、私達は、目に見えない力によって夜も昼も嘆願して、神と共に奮闘しています。勝利を得る人々はイエスキリストを通して、神の右の避け所に存在しています。


 

部 展望 9章 健康改革における実物教訓                                           英文112

9章 健康改革における実物教訓

 

 

 大勢が集った私の達の[教会の]人々は、健康改革と原則を説明するよい機会という余裕があります。数年前に、それらの集会で多くの人々は、ベジタリアンの食事の益と健康改革について説明を受けました。しかし、同時に、食堂のテントでは、食肉がテーブルに提供されました。様々の不健康な食品が食料品スタンドで販売されました。働きのない信仰は死んでいます。健康改革についての指導は実践によって否定されて、深い感動を与えませんでした。キャンプミーティングのあとで、それらの人々は、指針[の指導]と同じく実践においても挑戦chargeを仕向けました。ある食堂テントでは、肉は提供されず、果物や穀物類の食品がたくさん用意されていました。訪問者達が肉のないことについて質問した時、その理由が、最も健全な食物ではないと、わかりやすく説明されました。私達が、時の終わりに近づいた時、私達は、クリスチャンの節制と健康改革の問題について、断固とした方法ともっと積極性を現して、高くもっと高く、目覚める必要があります。私達の言葉によってだけではなく、私達の実践によって、私達は人々に教え続ける努力をする必要があります。実践が伴っている指針は良い感化を及ぼします。

 このキャンプミーティングにおいて、健康をテーマにした指導は、この人々に与えられる必要があります。オーストラリアの私達の集会において、健康をテーマにした講話は毎日与えられました。そして、深い感動が湧き起こりました。医師達と看護師達が利用するためのテントはその基本に添っていました。多くの人々に求められていた医療上のアドバイスがたくさん与えられました。数千の人々がその講話を聞くために参加しました。そのキャンプミーティングの終わりに、その人々はすでに学んでいたことを失ってしまうことに満足していませんでした。キャンプミーティングが開催された都市において、指導を受けた市民のみなさんは、自分達の尽力を約束して、姉妹のサナトリウムが設立されるよう訴えました。いくつかの都市において、その働きが始められて、うまくいっています。正しく指導された健康施設は、新しい伝道地での私達の働きに特徴を与えています。それは、この人々に益を与えているだけではなく、それと結ばれたその働き人達は、福音伝道の働き人達を助けとなることができています。

 私達の教会があるすべての都市では、治療が与えられる場所が必要とされています。私達の教会メンバーの家庭では、病人のためのケアに相応しい施設と部屋の余裕が少しあります。ある所では、一般的な心の支えのために治療が与えられる場所として提供されるでしょう。しかし、その建物は素朴でも優雅でないものでしょう。それらの熟練した働きは、私達の[教会の]人々だけではなく、隣人達をも祝福していることを証するでしょう。そして、健康原則に多くの人々の注目を向ける手段となるでしょう。

 世界中にある私達の施設のあらゆる部門が、福音の働きの姉妹施設として設立されるでしょう。それらの施設は、まだ伝えられていない層の人々に伝えるための主の働き人となる必要があります。彼らは巨大な建物を建てる必要がありません。しかし、なされるための効果的な働きに取り組む必要があります。

 始まりは、キャンプミーティングが開催される場所がすべて優先するでしょう。始まりは小さくして、状況が求める時に拡張しましょう。すべての事業のコストを計算して、あなた方はその完成を確かなものになるようにしましょう。できるだけ、宝庫からの出費を少なくしましょう。信仰の人々と財政的な能力は、倹約の計画の必要があります。私達のサナトリウムは、資金の限られた支出によって建てられる必要があります。その働きを始めるための建物は、しばしば、低コストを確保することができます。


 

部 展望 10章 福音を伝える働き人となる女性へ                                 英文114

10章 福音を伝える働き人となる女性へ

 

 

 神への個人的な責任を感じている私達の[教会の]姉妹達を助けるために始められた働きは、良い事で必要な働きです。それは長い間、無関心にされてきました。主は、人間の魂の価値を理解していない人々に、その価値を訴える私達をこれまでも持っていたでしょう。そして、この働きが一定の人々によってシンプルに明確に展開された時、私達は無関心ではなく、もっと多くの働きが知的になされるよう、家や故郷での義務がなされることを期待しているでしょう。

 私達が、ある役割について、知的に指導されていつもしている仲間として集まって取り組むことができるならば、彼女達は、主に仕える者として活動するでしょう。私達の諸教会は、長く待ち望んでいた行動力を持てるでしょう。キリストが死んで救った人の魂の上品さは正しく認識されるでしょう。私達の姉妹達は、一般に、家族[子ども]が増えるにつれて、一日中、忙しくしています。そして、その連続が理解されていません。私は、姉妹達が主のための働きをするだろうと考えていて、落胆している彼女達が元気を出す助けとなるような教育をとても願っていました。これは、彼女達自身の生活の中に[義の]太陽の光の筋をもたらすでしょう。それは、ほかの姉妹達の生活の中に反映されるでしょう。神は、壮大な働きに結ばれる全ての人々を祝福することでしょう。

 多くの若い女性達は、年上の女性達と同じく宗教的な会話にためらっています。彼女達は、自分の機会を理解していません。彼女達は、自分達の地上の言葉の窓を広く開いていて、開かれているはずの天上の言葉に魂の窓を閉じています。しかし、人々が、[キリストが死んで救った]人間の魂の上品さを見る時、人々は、地上の言葉の窓を閉じるでしょう。それは、罪と愚かさによる世俗の快適さと繋がっています。また、霊的な事柄を見上げるためには天の言葉の窓を開くでしょう。神の言葉は、人々の平安、人々の希望、人々の確信などとなる必要があります。その時、彼女達は、「私は、義の太陽の光を受けるでしょう。それは、ほかの人々に輝きを広めることができるでしょう」と言うことができます。

 最も精を出して働く人は、小さい物事を神に仕える働きとして好意的にやり遂げる人々です。人間はみな、[仕立てている]服の完成を締めくくるために布地に縫い込まれた生命の糸(寿命)のようなものとして働くために生きています。

 キリストの働きは、主に、個人的なインタビュー/面談によって仕立てられました。彼は、一人の魂の聞き手のために注意深く配慮しました。理解した一人の魂から数千の人々に伝えられました。

 私達は、若い女性を助けるために教育する必要があります。そして、彼女達がこの働きを行おうとする時、彼女達は、広い領域で献身する働き人として相応しくなるという体験を得るでしょう。何千という人々の心は、最もシンプルで素朴な方法で伝えられることができます。最も知的なこれらの人々、この世界への最高の贈り物としての男性と女性達として称えられ見られている人々は、知性を成熟させて、世俗の人々が話している自然な愛を話すことができて、神を愛する心からあふれ出ているシンプルな言葉によってしばしば新たにされています。しばしば、繰り返して学んだ言葉は、ほんの少しの影響力を持っているに過ぎません。しかし、自然にシンプルに話された、神の息子娘の誠実で正直な言葉は、長い間、閉ざされていた人々の心を開くでしょう。

 世界中で、悲しみに沈んで泣き叫ぶ声は、私達の周りで聞かれています。罪は、それ自身の陰を私達に投げかけています。そして、私達の知性は、あらゆる良い言葉と働きのために用意される必要があります。私達はイエスが臨在していることを知っています。主の聖霊の麗しい感化力は、ほかの人々の人生の小道を照らして元気にする言葉に導いて、私達に考え方を教えてガイドするでしょう。私達が、しばしば、私達の姉妹達に話すことができるならば、そして、「行ってください」と言う代わりに、私達が感じるように感じるために、私達が行なうように行なうために、私達が彼女達を導くならば、人の魂の価値を正しく理解するように成長するでしょう。私達は学ぶ者達です。また、私達は教育する者となることでしょう。この考えは、すべての教会メンバーの知性に印象づけられるでしょう。

部 展望 10章 福音を伝える働き人となる女性へ                                 英文116

 私達は、少なくとも、教会組織を信用しています。しかし、これは、すべての人々の知性に同じ方法によって伝えられようとしていないので、私達の働く方法を正確に定める必要はありません。神に仕え続けることは、働きかける人々から認められることではありません(Nothing is to be allowed to keep the servant of God from his fellow men.)。信者は、個人としての罪びとに働く必要があります。おのおの人は、自分自身の光を灯し続けてきました。そして、天の油が金の管を通っておのおののランプに注がれているならば、また、それらの入れ物の皿の自我が空(から)にされているならば、そして、聖なる油を受ける用意がされているならば、その灯し火はその目的のために罪びと達の通り道を照らすでしょう。多くの光は、隊列全体で掲げられた複数の松明が照らす以上にそのようなランプによって、さまよう人々の小道を照らすでしょう。発揮を無理強いされるよりも、神への個人的な犠牲と献身が良い結果をもたらすでしょう。

 私達の姉妹達に、「主よ、そなたが、きょう、私に行なうように望んでいることは何ですか」という質問が毎日あるようにしましょう。一人ひとり聖別された人の器は、ほかの人々の器に注ぎ出すために、その中に聖なる油の注ぎを毎日受けるでしょう。

                       

 私達が、この世界で生きているこの命が全面的にキリストのためのものであるならば、それは、日毎に明け渡している命です。人は、仕えることに自由意思を持っています。一人ひとりの魂は、主自身の宝石です。私達が、キリストを通して行なう力が彼女達にあるという利点を私達の姉妹達に印象付けることができるならば、私達は、成し遂げられた大きな働きを見るでしょう。私達が神性の働き人[]と協力して、心と知性を目覚めさせることができるならば、私達は、人々が成し遂げる働きを通して、大きな勝利を得るでしょう。しかし、自我は隠される必要があり、キリストはその働き人として現れる必要があります。そこには、受けることと与えること、取り入れることと使い果たすことの交差がある必要があります。これは、神と共に働く者達として、私達を関連付けています。これはクリスチャンのライフワークです。特別な命を失う人は、特別な命を見つけるでしょう。

 二本のオリーブの管から聖なる油を受ける能力は、受ける者がほかの魂達の必要に供給するために注いでいる時に増やされています。いつも受けて、いつも与えるようになるために、評価の高い満足した働きをしましょう。

 私達は毎日、新鮮な補給を受けている必要があります。私達は、人々へのコミュニケーションによって多くの魂達を助けることができるでしょう。天の存在者達は、ほかの人々の祝福と喜びとなるように、聖なる油を注ぐことができるチャンネルを持っています。人々がキリストと一つになるならば、私は誰かが働きに失敗することを心配していません。主が私達と共にいるならば、私達の働きはとどまって、私達は継続して確固として働くでしょう。新生の豊かさは、ほかの人々に与えることができるように、聖別された人間の働き人を通して溢れ出るでしょう。

 主は、男性達が行なうのと同じく、女性のための働きを備えています。彼女達は、彼女達が最も大切な柔和の教訓をキリストの貴い学校で学ぶならば、神のために良い働きをなし遂げるでしょう。彼女達は、キリストの名を負うだけではなく、主の聖霊を有する必要があります。彼女達は、主が魂を汚す全てから、人々を清めて歩んだように歩む必要があります。その時、彼女達は、イエスのあらゆる苦悩を示すことによって、ほかの人々の益となることができるでしょう。

 女性達はこの危機で、働きの場を占めるでしょう。そして、主は、彼女達を通して働くでしょう。私達が自分達の義務の自覚を吹き込まれるならば、また、神の聖霊の感化の下で働くならば、彼女達は、この時代の人々のために、正しい冷静さを求めたことでしょう。救い主はその表情の光をそれらの自己犠牲の女性に反映するでしょう。そして、これは、彼女達に、男性にまさる力を与えるでしょう。彼女達は、男性ができない家庭の中で、家庭生活に届ける働きを行なうことができるでしょう。彼女達は、男性が伝えることのできない家族の心に親しくすることができます。彼女達の働きが必要です。

                    

部 展望 10章 福音を伝える働き人となる女性へ                                 英文118

 自分達を主に捧げ、罪に打ちひしがれた人々の必要を助けるために伝えている女性達の働きによって、直接的な必要が向き合われています。個人的な福音伝道の働きの必要があります。この働きに携わっている女性達は、本通りや脇道を歩んでいる人々の家庭に福音を伝えています。彼女達は、その家族の人々の現世での必要を追体験して、病人の世話をして、共に祈って、聖書を読んで解き明かしています。彼女達は、現在の真理の感化による[品性の]形成と、個人的な清めをそれらの家族の前に提示しています。彼女達は、喜びと平安を見つける方法はイエスに倣うことであるということを示しています。

                        

 神のために働く全ての人々は、現在の真理への真剣な愛と奉仕の働きを快く行なうという、マルタとマリヤの性質が混ぜられた属性を持っている必要があります。自我と自分本位は、視野の外に置かれる必要があります。神は、原則に誠実で、優しく、心の温かい働き人、分別のある熱心な女性の働き人達に呼び掛けています。主は、個人的な利点があって、自我を知性で抑えて、キリストを彼女達の中心にして、魂達の回心のために労して、近づくことができる人々と祈り、真理の言葉を語る、根気強い女性達に呼び掛けています。

 私の姉妹のみなさん、私達が現在の真理に関心を持っていない人々に示すことができるように、私達が、知性を貴い事柄に関する宝庫にするために、御言葉を調べるのに可能な時間をまったく献身していないことについて、私達の弁解はどのようなものですか。私達の姉妹達は、危機に対して目覚めていますか。彼女達は、偉大な主人のために働いていますか。


 

部 展望 11章 家庭における宗教の教え                                           英文119

11章 家庭における宗教の教え

 

 

 世界の人々への最後の憐れみのメッセージ伝えている人々は、「家庭の宗教について教えることは自分達の義務だ」と考える必要があります。大改革運動は、神の律法の諸原則を父親達と母親達と子ども達に示し始める必要があります。示されている神の律法を説明し、男性と女性達が従順への自分達の義務を確信する時、自分達だけではなく自分の子ども達についての自分達の決心の責任を子ども達に示しましょう。神の言葉への従順は、世界の人々を滅びへと一掃する悪の勢力に対する唯一の保護手段であることを示しましょう。親達は、違反の罪と従順の両方の手本を自分の子どもたちに見せています。親達の手本と教えによって、家族の永遠の運命が最も多くの場合に決定されるでしょう。子ども達の将来の人生は、親達が子ども達を形成したようになるでしょう。

 親達が自分達の行動の結果をたどって導かれうるならば、また、自分達の手本や教えによって、義認の力や罪の力を増やして永続させることがどれほどなのかを見ることができるならば、一つの変化が確かなものとなるでしょう。多くの人々は、習慣と伝統の一片を打ち砕くでしょう。

 牧師達は、会衆にこの内容を強調しましょう。とても長い間怠って来た、親達の厳粛な義務についての確信を、親達の良心に強く印象付けましょう。これは、そのほかに何もできないように、現在の真理への抵抗心とパリサイ主義の精神を打ち砕くでしょう。家庭での宗教は、私達の大きな希望であり、神の真理への家族全員の回心のために、明るい見通しを生じさせています。


 

部 展望 12章 反対に向き合う                                                英文120

12章 反対に向き合う

 

 私達の[教会の]牧師達や教師達は、罪に陥った世界の人々に神の愛を表明するために存在しています。優しさに心が和らいだ人々は、真理の言葉を語るようにしましょう。間違いの中にいるすべての人々が、キリストの優しさによって、もてなされるようにしましょう。あなた方が働き掛けている人々がすぐに現在の真理を捉えなくても、とがめも責めも、批判してもいけません。あなた方は、キリストの愛と優しさと柔和によってキリストを表すためにいることを思い出してください。私達は、反対者や不信者に向き合うことを予想しておく必要があります。現在の真理は、いつもそのような人々に向き合って来ました。しかし、あなた方はそのような酷い反対に遭った時に、あなた方に反対する人々を公然と非難してはいけません。パウロがしたように、その人々は神に仕えていると考える必要があります。そのように、私達は忍耐と柔和と寛容を表す必要があります。

 私達は、不評判な真理を現すことによって、「よく辛抱して真剣に闘って、ひどい試練を受けている」と考えないようにしましょう。あなた方のために苦しんで、そして、沈黙したイエスを考えてください。偽って告発され虐待abuseされた時でさえ嘆かず、つぶやきの言葉もありませんでした。あなた方の知性に不愉快や叱責の思いが湧かないようにしましょう。誠実なコースを進みましょう。「異邦人の間でのあなた方の会話を誠実なものにしましょう。その人々は悪をなす者として、あなた方に反対して語っても、その人々は、あなた方の良い働きによって、特別な日が訪れる時に、神を崇めて見上げるでしょう」(1ペテロ2:12 KJV)

 「悪に対して悪を返さず、ののしりにののしり返さず、反対に祝福して、同情心に満ちて礼儀正しく、兄弟[姉妹]として愛しましょう。さらに、汝らは呼び出されていることを理解しましょう。汝らは祝福を継ぐでしょう。人は幸せな良い日々を夢見て人生を愛しているので、悪い言葉を控えましょう。口で偽りを語らず、悪を避けて善を行ないましょう。人の平安を求めましょう。主の目は正しい人々に注がれていて、主の耳は正しい人々の祈りに開かれているので、主の顔は悪を行なっている人々に向かっています。汝らが良いことに倣う人々となるならば、誰があなた方に害を与えていますか。しかし、汝らが当然の務めのために苦しんでいるならば、幸いが汝らにあります。そして、その人々の怒りに悩まされることも心配する必要もありません。神、主に、あなた方の心を聖別しましょう。畏れと柔和によって、あなた方にある希望の理由を尋ねるすべての人々に、いつも答えを用意しておきましょう」(1ペテロ3:8-15 KJV)。

 あなた方[牧師や教師]は、間違いの中にいる人々に対して、自分自身を柔和にして指導する必要があります。あなた方は自分の以前の罪に盲目ではなかったのですか。キリストのあなた方への忍耐ゆえに、あなた方は、ほかの人々に忍耐して優しくする必要があるのではないですか。私達が悪い指導によって一人の魂に感化を及ぼさないように、神は私達に反対する人々に親切を表すように多くの助言を与えました。

 私達の命は、神の中にキリストと共に隠される必要があります。私達は、キリストの人格を知る必要があります。その時だけ、私達は世界の人々に正しく主を示すことができます。「主よ、イエスが私の立場だったならば、彼が行なっているように行なう方法を教えてください」という祈りをいつも昇らせましょう。私達がいる所ではどこでも、私達は、良い働きによって神の栄光のために、私達の光を輝かすようにしましょう。これは、偉大なことで、私達の命について大切な関心です。

                       

 主は、とがめることが正しい事であっても、悪をとがめる事よりも、ほかの方法に倣うよう、主の人々に望んでいます。主は、私達に非難して敵対する人に反論して、現在の真理からもっと遠くに人々を追いやるだけよりも、もっと何かを行なうよう望んでいます。キリストが私達の世界に来て行なう働きは、障壁を立てるためでも、間違った事実を人々に押し付けるためでもありませんでした。

 騙されている人々が光を与えられて啓蒙されることを期待している人は、愛によってその人々のために働いて、その人々の近くに行く必要があります。その人は、聖なるセンターになる必要があります。

部 展望 12章 反対に向き合う                                                英文122

 現在の真理を擁護することへの酷い反対者達は、尊敬と敬意によってもてなされる必要があります。ある人は、福音の招きの光を送っても、私達の尽力に応答しないでしょう。そのほか、私達が神の憐れみの境界を踏み越えたと考える人々でさえもキリストに勝ち取られるでしょう。[善と悪との]大争闘における最後の働きは、[霊的な]闇の中にいて、現在の真理に反対して無関心だったけれど、根拠と光を拒まなかった人々に、光を当てて啓蒙することでしょう。そのゆえに、全ての人々を誠実な者としてもてなしましょう。言葉もなく行ないもない人は、何らかの不信仰を明かすでしょう。

 誰かが政治上やほかの質問の論争や議論に、主の働き人達を巻き込もうとするならば、挑戦や説得のどちらも注意を払う必要はありません。可能ならば、冷静にキリストの柔和さによって、神の働きをしっかりと強く進めましょう。人間の自慢が聞かれないようにしましょう。自己満足のしるしが現れないようにしましょう。神が私達を呼び出したことが分かるようにしましょう。神聖な委託を取り扱うために、勤勉に熱心に御言葉を伝えましょう。

                        

 あなた方[牧師や教師]の言葉が慎重だったならば、あなた方の教えの感化は10倍にも大きくなるでしょう。命から命への香りとなるような言葉は、人々と同行する精神によって、死から死への香りとなるでしょう。あなた方の言葉や精神が一人の魂の心の扉を閉じるならば、その魂は、神の裁きの日にあなた方に対面するでしょう。

 『SDA教会への証』について言及する時、それを地元の教会homeに持って行くことがあなた方[牧師や教師]の義務だとは考えないでください。これは、聞く人々に、あなた方の言葉と主の言葉との間の違いを識別することを可能にしているので、『SDA教会への証』を読むことによって、あなた方[牧師や教師]のたくさんの言葉を混ぜるためにあるのではないことを確信させられます。主に対して失礼な言葉を使わないことを定着させましょう。私達[信者]は、改善を見ることを期待しています。悪い精神/霊は、私達が望んでいることを知らないので、私達の杯cupの中にあまりにしばしば苦汁を注ぐことを許されています。そして、このようにして、ほかの人々[信者]は感情を害されています。私達[牧師や教師]の愚かなアドバイスの言葉によって、その人々[信者]の精神はイライラしています。そして、その人々は、[牧師や教師の]謀反によって攪乱させられています。

 あなた方[牧師や教師]が話しているすべての説教、あなた方が書いているすべての記事はみな真実でしょう。しかし、苦汁の一滴は、聞く人々と読む人々に毒となるでしょう。[聞き、読む]人は、あなた方の良いものや受け入れられ得る言葉の全ても見捨てるでしょう。その人[牧師や教師]はそのような不快な言葉を愛しているので、ほかの人々[信者]はその毒で養われるでしょう。その人[信者]は、あなた方[牧師や教師]の手本に倣っています。そして、[信者達は]あなた方[牧師や教師]が語っているように語っています。このように、その悪は広げられています。

 永遠の真理を提示している人々は、二本のオリーブの枝[]から心の中に注がれる聖なる油を必要としています。これは、立腹させない改善の言葉を注いでいるしょう。その真理は愛を語るためにあります。その時、主の霊によって、主イエスは力と軍勢を送るでしょう。それは主の働きです。

 あなた方は天の霊感を受けることができるので、その時、弱点、苦悩の重荷、乏しさ、心の痛手、魂の困惑などを、すべての霊的な力の源イエス、受け入れられている神性にあなた自身を委ねましょう。霊的な闇から主の素晴らしい光の中に呼び出されて、主を讃えることを示す忠実な「緊急招集兵」でいてください。生きて、私達のために執り成しているイエスを声とペンで語りましょう。


 

部 展望 13章 いなくなった羊の譬え話                                        英文124

13章 いなくなった羊の譬え話

 

 

 いなくなった羊の譬え話は、あらゆる家族全体のモットーとして、大切にされているでしょう。神性の羊飼いdivine Shepherdは、99匹を残して、そして、居なくなった1匹の羊を捜すために荒野に出かけています。そこには、低木の茂み、沼地quagmire、岩々の裂け目の危険な箇所があります。そして、その神性の羊飼いは、その羊がそれらの場所のどこかにいるならば、親切な手がそれを助け出す必要のあることを知っています。彼は、遠くの方からメエーと鳴く声を聞いています。彼は、いなくなっている自分の羊を助けるためにあらゆる何かの困難に遭っています。彼が、いなくなった羊を見つけた時、それにとがめの言葉を言いませんでした。彼は、それが生きていることを見つけて喜んでいるだけでした。優しくしっかりと抱いて、彼は、それを沼地から助けて、また、イバラを取り除きます。優しく、彼は自分の肩に乗せて、そして、その群れ(the fold.檻、柵)に戻すために連れて帰ります。清く罪のない贖い主は、罪深く清くない者を負っています。

 罪びとを負う主は、汚れた羊を抱いています。また、主の重荷は、とても貴いものです。主は「私は、いなくなっていた私の羊を見つけました」(ルカ15:6 KJV)と喜んで、歌っています。あなた方の個人的な自己は、このように、キリストの肩に負われたということを、あなた方みんなで考えましょう。神性の羊飼いが荒れ野を苦労して捜さなかったならば、1匹の羊はその群れに戻っていないので、自分の熟練した精神、自分の義、粗探しの精神などを抱かないようにしましょう。1匹の羊が迷子になっていたという事実は、神性の羊飼いの同情心を目覚めさせ、探索を開始させることに十分なものでした。

 神の息子の受肉と犠牲の場面は、一つの世界の小さな汚点でした。キリストは、すべてが呪いに傷つき損なわれたこの世界に来て、罪に陥っていない世界には行きませんでした。その展望は、好感の持てるようなものではなく、最も絶望的なものです。また、「彼は、主がこの地上で裁きを行なうまで、失望させられるだけではなく、見捨てられるでしょう」(イザヤ42:4 KJV)。私達は、いなくなった羊を連れ戻す神聖の羊飼いによって現された大いなる喜びを知性に呼び覚ます必要があります。彼は、「私はいなくなった私の羊を見つけましたから、私と一緒に喜んでください」と隣人達に呼び掛けています。そして、天の者達はその喜びに音符をつけて共鳴しています。天の父自ら、歌によってその人が助け出されたことを喜んでいます。この譬え話に聖なる歓喜が表されています。その喜びを分かち合うことは、あなた方の特権です。

 あなた方は、あなた方の前にこの例を示している主、失われた者を救うために捜している主と協力していますか。あなた方はキリストと共に働く者ですか。あなた方は、キリストのために試練と犠牲と苦難に耐えることができていないのではありませんか。間違いをしている人々や若者達の魂に良いことを行なうための機会があります。あなた方が、言葉や態度で、神から離れていることを示している人々を見ても、その人をとがめてはいけません。その人をとがめることは、あなた方の仕事ではなく、その人の立場になって、その人を助けることです。キリストの柔和と謙虚、主が働いたように働くこと、心を尽くした清い愛情と謙遜を考えてください。「同時に、主は言っています。私はイスラエルの全ての家族の神となるでしょう。そして、その人々は、私の民となるでしょう。主はこのように言っています。[滅ぼす者の]剣から逃れた人々は、イスラエルでさえ、私が安息を与えるためにイスラエルに行った時、荒野で恵みを見出しました。主は、いつものように私に現れて言っています。ええ、私は永遠の愛によって、汝らを愛しました。それゆえに、私の優しい愛情によって、汝らを率いてきました」(エレミヤ31:1-3 KJV)

 キリストが秩序正しく働いたように、私達が働くために、自我は十字架につけられる必要があります。それは、痛々しい死です。しかし、それは、命、魂のための命です。「その名を聖という、永遠に住んでいる高貴で高尚な御方が言っています。私は、悔い改めた人々の心をよみがえらせるために、また、謙虚な精神をよみがえらせるために、謙虚な精神と悔い改めた人々に属している人と共に、いと高き聖なる場所に住んでいます」(イザヤ57:15 KJV)

部 教育 1章 教育的な改革の必要性                                          英文126

第3部 教育

「主は知恵を与えています。主の口から知識と理解力が来ています」[箴言2:6 KJV]

 

1章 教育的な改革の必要性

 

 

[1.私達の働きは改革・改善]

 「彼らはその昔に荒廃した所に建てるでしょう。また、彼らは、何代も廃墟になって、荒廃した町々を立て直すでしょう」、「そして、汝らは破れを修理する者、そこに住む方法を回復する者と呼ばれるでしょう」(イザヤ61:4; 58:12 KJV)。これらの霊感の言葉は、信者達の前に、今、私達の若者達と子ども達の教育において、行なわれる必要のある現在の真理の働きを提示しています。終末の日々のためのその真理が、第一、第二、第三の天使のメッセージが伝えられて、世界の人々にやって来た時、私達は、変化がなされるように理解に多くの時間を取って、私達の子ども達の教育に異なった秩序がその中にもたらされる必要のあることが示されました。

 私達の働きは改革・改善です。そして、私達の教育施設で行なわれている働きの長所を通して、滅びている人々を救うための最後の大きな努力を呼び掛けられているその注目点は神の品性です。私達の学校において、教育の標準が低められてはいけません。それが現在、立っている所よりももっと、高く、もっと高く掲げられる必要があります。しかし、与えられたその教育は、単に教科書の知識に限定されてはいけません。教科書だけの知識という学習は、学生達が必要としている鍛錬を与えることができず、それは真の知識を与えることができません。私達の学校の目的は、主の家族の幼い、若いメンバー達が主の計画への成長と発達のために教育訓練される場を提供されることにあります。サタンは、教育体系の中に自分の計画と原則を織り込むために巧妙な方法を利用しました。そして、このようにして、若者達と子ども達の知性を強く惹きつけています。彼の考案した教育方法を断ち切ることが、真の教育者の働きです。私達は、世界の人々のためではなく、主のために私達の子ども達を育てて、神の戒めを守るため、神を畏れて神を愛するために、世俗の人々の手に子ども達の手を置かないように教えるために、神の厳粛で神聖な約束の下に生きています。子ども達は、キリストが自分達の形成される手本であり、自分達の創造者の像(かたちimage)に形成されるという考えを印象づけられる必要があります。最も熱い注目点は、その教育が与えられ、救済の知識が与えられて、神性に似た品性と生活を形成する必要があることです。様々な金の糸のように、生活の中に編み込まれ、魂を清めて、真の価値に属しているものは神の愛です。このように、人が到達する精神の高貴さについて十分に悟られていなかったでしょう。

 この働きの達成のために、広範囲に基本的な施設が置かれる必要があります。新しい目的は、施設の場所を見つけて伝えられる必要があります。そして、学生達はみな、行ないの中に聖書の原則の応用を目的とされる必要があります。曲げられたものが何であれ、ねじ曲げられた正しい基準lineが何であれ、それは、永続させられない不法の罪なので、はっきりと取り上げられて避けられる必要があります。これはすべての学生達の人生の道に反映される特別な光なので、教師達はみな、健全な教理と原則に好意を持って愛する必要があります。

 

2.私達の学校における第三天使のメッセージ 

 ヨハネの啓示の書の中に、私達は、神がこの世界の終わりの日々に行動する主の人々を持つように望んでいると、特別な働きを読んでいます。主は、私達に主の律法を明らかにして、この時代の人々のための真理を示しました。この真理は徐々に明らかにされています。そして、神は、私達がそれについて、理知的になるように意図しています。私達は正しい事と正しくない事の間、義と悪の間を識別できるでしょう。

 この時代の人々をテストする偉大な真理である第三天使のメッセージは、私達の全ての施設で教えられる必要があります。人々を通してこの警告が与えられるように、神はデザインしています。[真理の]光の光線の輝きは、この世界の人々に輝くでしょう。時は短いです。最後の日々の滅びが私達の上にあります。そして、私達は、自分達に与えられている黙示録とダニエル書の研究と学習に留意して、見張りをして祈る必要があります。

部 教育 1章 教育的な改革の必要性                                      英文127-128

 ヨハネが、自分を愛した人々から[離されて]パトモスの孤島に流刑にされた時、キリストはその忠実な証し人を見ていて、その場所を知っていました。ヨハネはこう言いました。「私ヨハネは、[主と共にいる]あなた方の兄弟で、苦難を共にしている仲間であり、イエスキリストの忍耐と王国に属していて、神の言葉とイエスキリストの証のゆえに、パトモスと言われている島にいました。私は、主の日に、主の霊/精神の中にいました。そして、後ろからトランペットのような大きな声が聞こえました」(黙示録1:9,10 KJV)。その主の日は、第7日、創造の安息日です。神が聖別して祝福したその日に、キリストが「主の御使いによって、主に仕えるヨハネに」知らせた事柄は、この世界の歴史が終わる前に過ぎて行くだろう事柄です。そして、主は、私達が、それらについて知的になるようにと意図しています。主が宣言していることは無益なことではありません。「時が近づいているので、そこに書かれていることを読んで、預言の言葉を聞いて守る者は祝福されるでしょう」(黙示録1:3 KJV)。これは忍耐強さが与えられる必要がある特別な教育です。私達の学習は、私達が生きている日々のために相応しいものにしましょう。そして、私達の宗教指導は、神が送っているメッセージと調和したものが与えられるようにしましょう。

 私達は、自分達の信仰の理由を知るために、また、神の律法への忠実さで応答するために、支配者の前に立つ必要があるでしょう。そして、若者達はそれらの事柄を理解する必要があります。若者達は、世界の歴史が終わる前に過ぎて行く事柄を知る必要があります。私達の永遠の福祉に関するこれらの事柄について、教師達と学生達はそれらについてもっと注目を注ぐ必要があるでしょう。ペンと声によって、知識は、若い人々のためだけではなく、成熟した年代の人々のために、時にかなった食物となるでしょう。

 私達は、世界の人々が滅びる時代の終わる場面に生きています。主は、その来臨に関して、現在、流布している不信心を予見していました。そして、繰り返して、主は、思いがけないこのイベント[再臨]について、主の言葉によって警告を与えていました。その大いなる日は、「全地の表に住んでいるすべての人々に」(ルカ21:35 KJV)罠のように訪れるでしょう。しかし、そこには、二つの層の人々がいます。一つの層の人々のために、使徒[パウロ]は、「汝ら、兄弟[姉妹]達は[霊的な]闇の中にいません。ですから、その日は盗人のようにあなた方に襲わないでしょう」(1テサロニケ人への手紙5:4 KJV)という励ましの言葉を与えています。ある人は、花婿が来る時の備えをしているでしょう。そして、その婚宴に主と共に行くでしょう。主が現れるのを見張っていて待っている人々について、この考え方は何と貴いものでしょう。キリストはこの教会を愛しました。そして、それ[教会]のために主自身を与えました。「主は、御言葉による水で洗うことによって清めて聖別するでしょう。また、主は、染みや傷のない、または、そのような事のない、それ[教会]が汚点のない清いものとなるように、主自身の栄光をこの教会に現すでしょう」(エペソ5:26,27)

 主の日に立つことができるような人々、キリストのような品性を持っている一つの民を連れ出す、大きな、偉大な働きは、達成されるためにあります。私達が、現在の世界の人々と共に帆走している限り、私達は帆を張るだけではなく、オールで漕ぐ必要があります。私達の働き人達が始めている現在の潮流に逆らって進むことは、直角に向きを変えて[ジグザグ航行して]いる時です(It is when we turn squarely about to stem the current that our labors begins.)。サタンは、現在の真理を妨害するためにあらゆる様々な理論を持ち込むでしょう。アダムが堕罪してから罪がこの世界に広まったので、その働きは厳しくなっていくでしょう。しかし、キリストは、活動している伝道地にいます。主のために聖霊が働いています。神性の働き人達は、完全な模範の型に調和した品性を形成し直している人と結ばれています。そして、人は、神がその中で働いていることを為し遂げるために生きています。私達は、一つの民として、神が与えたこの働きを行なっているでしょうか。私達は、神の王国のために学生達を相応しくする一つの目標を私達の前に掲げて、与えられた全ての光に注意深く心に留めていますか。信仰によって、私達が偉大なリーダーについて行って、その正しい道を一歩いっぽ進んでいるならば、[真理の]光は、私達の小道に沿って輝くでしょう。いろいろな状況が様々な困難を取り除くように働くでしょう。神による是認は希望を与えるでしょう。奉仕の働きをしている御使い達は、励ましと喜び、[真理の]光をもたらして、私達と協力するでしょう。

部 教育 1章 教育的な改革の必要性                                      英文129-130

 神の民の現在の必要に関わっていない多くの事柄に携わって、多くの時間を失わないようにしましょう。「その時は手近にある」ので、現在の真理を知らない人々を高い地位に就かせて、時間を失わないようにしましょう。一般に、「高等教育」と言われている理論で知性を満たしている時間の余裕はありません。キリストの魂に似ていない性質で、献身した時間は永遠のための多くの時間を失っています。あらゆる瞬間は、永遠の関心を運んでいるので、私達はこれをしている余裕がありません。今、生きている人々の大いなる裁きの働きの時が始まろうとしています。私達は、この滅びの日に必要としていることに向き合うために、求められた教育の無関心に私達を導いて、心の財産を蓄えるために清められていない野心を許しておくのですか。

 全ての人々のケースにおいて、重大な決心が、生きている神のしるしか、獣のしるしを受けるかどうかがなされるためにあります。そして、今、永遠の世界の境界線上にいます。天の神に真実と忠実を見られるために、私達にとても価値のあるものに属するものとなることができることは何かありますか。主の律法と主の真理以上に、私達がたたえるものが何かありますか。私達の学校で、「御言葉は何を言っているか」という知識のようにたいそう必要なことを、学生達が与えられ得る教育は何ですか。

 私達は、諸科学を教える機会の余裕のある多くの学校があることを知っています。しかし、私達は、もっとこれ以上の何かを期待しています。真の科学教育は自明の理です。それは、どこにでもたくさんある間違いによって、完全に消されることのできないものなので、人の魂に強く印象づけられる必要があります。第三天使のメッセージは、真理・光・力です。学生達の心に与えられる正しい印象が、牧師達と同じく教師達も、そして、私達の教会と同じく私達の学校でも働くでしょう。教育者としての立場を受け入れている人々は、ダニエル書と黙示録と著しく明らかに示され、表された神の意思をもっともっとたたえるでしょう。

 

3.聖書研究 

 緊急に必要なことは、この時代の人々が求めている神の言葉によって続けられる教育によって、自分自身を形成することとして考えられています(The necessities that are making themselves felt in this time demand a constant education in the word of God.)。ここに現在の真理があります。以前にはなくて、今必要とされているので、世界中で、聖書研究の改善がなされる必要があります。神が、主の言葉は主にむなしく戻らないでしょう、と宣言した時、主は、その言った全てを意味していたので、この改善が進展する時、力強い働きがなされるでしょう。「主が遣わした人」、イエスキリストの知識と神の知識は、最高の高等教育です。そして、それは、水が大海をおおっているように、素晴らしい照明/教化によって、この地球を覆うでしょう。

 聖書研究は、特にこの学校で必要とされています。学生達は、神聖な真理の基礎とルーツです。人の主張のためではなく、神の言葉のためにそれらへの注目が呼び掛けられるでしょう。ほかの全ての本以上に、すべての教育の基本、神の言葉は私達の研究になる必要があります。そして、私達の学校の子ども達は、以前の慣習や習慣にもかかわらず、そこにある真理の基礎によって、教育される必要があります。このことを行なうことによって、教師と学生達は、高等教育において隠れた宝を見つけるでしょう。

 聖書のルールは、日常生活をガイドするためにあります。キリストの十字架は、私たちが学んで実践すべき教訓を明らかにするテーマとなる必要があります。キリストはすべての研究の中にもたらされる必要があります。その学生達は神の知識を習得して品性において主を表すことができるでしょう。主の美点は永遠の世界におけると同様に、現在の世界においても、私達の研究となるためにあります。旧新約聖書の中でキリストによって語られた神の言葉は、天からの特別なパンです。科学と言われている多くのものは、真のマナではなくて、粗悪な食物を混ぜて皿のうえに盛り付けられたようなものです。

部 教育 1章 教育的な改革の必要性                                    英文132-133

 神の言葉の中に、有限ではなく無限の知性の真の知恵、疑うことができない無尽蔵の知恵が見つかります。真理の宝が人間の伝統と知恵のガラクタよりも劣ったものとして葬り去られているために、神が御言葉の中に現した多くのことは人々にとってわかりにくいものです。多くの人々にとって、御言葉の宝は隠されています。そのために、人々は、黄金の指針/格言を理解しようとせず、熱心にならず根気強い研究をしませんでした。御言葉は天の王の子ら、王家のメンバーになるために、それを受ける人々に備えて考えるために研究される必要があります。神の言葉の研究は、真理から引き離して、知性を神秘主義(論理的でない、神がかりの思考)に導いた本の研究の場になっているでしょう。私達の生活に織り込まれたそれ[御言葉]自身の生きた原則は、誘惑と試練において、私達を擁護するでしょう。その神性の指導は成功への唯一の道です。一つのテストがすべての魂にやって来る時、そこには背信があるでしょう。ある人は、傲慢さ、自己満足、横柄さ、反逆などを現すでしょう。そして、信仰の難破船となって、現在の真理から離れるでしょう。なぜですか。「神の口に由来する全ての言葉によって」生きていなかったからです。その人々は、深く掘らず、基礎を確かなものにしませんでした。主のメッセンジャー達を通して、主の言葉がその人々にもたらされた時に、不平を言って考えた方法はとても率直に作られています。ヨハネの6章において、私達は、キリストの弟子となると考えたある人々を読んでいます。しかし、その人々は、彼らに真理が明白に示された時に喜びませんでした。もはや、彼と共に歩みませんでした[66]。これと同じように、これらの思慮の浅い学生達はキリストから離れて行くでしょう。

 神に回心した全ての人々は、自分のタレントを使うことによって能力を発達させるように呼び掛けられています。生きている(主の)ブドウの木の成長していない全ての枝は、無駄な枝として切り取られて除かれます。その時、私達の学校で与えられる教育の特徴はどんなものになるでしょうか。それは、この世界の知恵によるものでしょうか。それとも、上からの知恵によるものでしょうか。教師達はこの内容について、自分達の責任に目覚めず、私達の学校で与えている指導に大きな場所を占めている神の言葉を見ないのではありませんか。

4.働き人達の訓練

 私達の学校の大きな目標の一つは、福音の働きの異なった部門の私達の施設での奉仕に結ばれるための若い人々への訓練です。その人々はどこでも人々に開いた聖書を持つ必要があります。神のメッセンジャー達を通して、特別な巻物がこの世界の人々に重要な時、その時が来ました。第一、第二、第三天使のメッセージを含んだ現在の真理は、すべての人々、言語、種族、国の民に行く必要があります。それは、海の島々の人々にも大陸の人々にも伝えられて、[霊的な]闇に光を与える必要があります。人間の考案品は、この働きの遅れを許されないでしょう。この働きは達成されるでしょう。そこでは、聖別されて涵養された才能を必要としています。そこでは、自我がキリストに隠されているゆえに、キリストの柔和で、卓越した働きを行なうことができる人々を必要としています。初心者は、魂のために霊的な事柄を富ませる隠れた霊的な宝を開示する働きを行なうことを受け入れることができません。「私が語ることを考えてください。主は、汝らにすべての事柄の理解力を与えています」(2テモテ2:7 KJV)、「真理の言葉を正しく分類して、働き人が恥じる必要のないように、汝自身が神に認められることを示すよう研究してください」(2テモテ2:15 KJV)。テモテへのこの求めは、すべての学校と全ての家族に教育の一つの力となる必要があります。

 私達の施設、私達の学校だけではなく、私達の出版所と私達のサナトリウムに結ばれた人々にもまた、神と協力する者となるよう、若者達と男性達と女性達を相応しくするために、熱心な努力をするよう呼び掛けられています。学生達は、自分達が協力する人々に、高められた高尚なクリスチャン品性を示して、キリストの働き人達の中で、懸命に働くよう指導される必要があります。私達の働きを担っている人々に結ばれる若い人々の訓練を求めているこれらの人々は、魂達の価値を深い考えをもっている人々となるでしょう。彼らが、主の聖霊を十分に飲まない限り、そこには、イライラさせられる状況を創り出すような悪い見張り人が一人います。忠実と親切は魂達を勝ち取るのに対して、厳しさは[勝ち取れ]ません。その一方で、教える者は識別することに賢くなるでしょう。独断的な言葉と行動は、人間の心の悪い激情を搔き立てています。クリスチャンになることを告白している男性達と女性達が自分自身の悪と気に入りの気性を捨て去ることを学ばなかったならば、彼らは、信用され尊敬されることをどれほど期待できるでしょうか。

部 教育 1章 教育的な改革の必要性                                    英文134-135

 指導者として、礼儀正しい人々を選ぶ中で、慎重に実行される必要がある時に、その人々は自分の働きに忠実であるだけではなく、正しい気性を現すでしょう。彼らが信頼される価値がないならば、彼らは排斥されるでしょう。神は、親切と愛が奨励されているのを見ることに無関心な全ての施設の責任を把握しているでしょう。キリスト自身が私達の施設に求めたことは、決して忘れられないでしょう。

 奉仕の働きの最善の才能は、私達の学校で聖書を教えられて働く必要があります。この働きのために選ばれた人々は、多くのクリスチャンの体験をして、几帳面な聖書研究者となる必要があります。そして、彼らのサラリーは、什一から支払われるでしょう。神は、私達の全ての施設が主の恥とならないような働き人達を教育して成長発達させるための手段となるようにデザインしています。働き人達は、大教師のための奉仕を行なうよう、相応しくされた良い伝道者達を送り出すことができます。しかし、この目的は、視野の中に保たれていませんでした。多くの事柄への関心によって、私達はこの働きからはるかに離れています。そして、主は今まで現してきた以上に、その中に熱心が大いに示されるように求めています。主は、私達が主の真理の証人となるように、私達を世界の人々から呼び出しました。そして、私達の層のすべての若い男性達と若い女性達は、感化力と有用さの立場に訓練されるでしょう。

 ここに、福音伝道地で働く者のための一つの指示があります。若い男性達はこの働きに必要とされています。神は、彼らに呼び掛けています。彼らの教育は、私達のカレッジでもっとも重要なものに属しています。そして、それが、二番目の事柄として考えられたり、無関心にされたりするケースがないようにしましょう。ほかの仕事をほのめかすことによって、主への奉仕の働きに受け入れられるように相応しくされる若い人々を失望させることは、教師達にとってまったく悪です。この働きのために、自分自身を相応しくすることから若い人々を妨害するように障害物を提示する人々は、神の計画に反対した行動をしています。そして、彼らは自分達の方針に責任を取る必要があるでしょう。私達の間には、才能のある人々の平均以上の人々がいます。その人々の才能が私達の働きにもたらされたならば、私達は現在いる20倍の牧師達を雇用しているでしょう。

 奉仕の働きに入るよう計画している若い人々は、教育を受けるために単独で何年も費やすべきではありません。教師達は、この層の学生達の願望に自分達の指導で応じて、その状況を認識することができるでしょう。また、学生達は働きに相応しくなるよう最も必要な諸部門の包括的研究と優位性が短期間与えられるでしょう。しかし、その後、この計画は実行されませんでした。

 奉仕の働きに就く若い人々の教育に、あまりにも小さな注目しか注がれてきませんでした。私達は、働きのための長い年月がありません。教師達は、神の聖霊を授けられて、自分達自身のためではなく、主が現した意思と調和して働く必要があります。それらの点で主の勧めを心に留めていないので、私達は毎年多く[の時間]を失っています。

 私達の学校で、福音を伝える看護師達は、十分な資格のある医師達から講義を受けているでしょう。そして、その過去の教育は、病気との闘い方と、自然療法の価値の示し方を学んでいるでしょう。この働きはとても必要とされています。様々な都市や町の人々は、道徳的に頽廃して、罪に浸っています。また、そこでは、すべてのソドムの中にはロト達がいます。罪の毒は社会の人々の心の中で働いています。そして、神は、人間の身体の組織体系を維持するために、主がつくった律法を擁護して立つために改革を呼び掛けています。彼らは同時に、心の涵養と知性の鍛錬によって高められた標準を守る必要があります。偉大な医師は、必要な苦悩の軽減と恵みの働きを行なう人間の助け手と協力するでしょう。私達の学校が若い人々に教育訓練を与えるという主のデザインは、どこかの安息日学校の部門で教えるように、また、どこかの部門で責任を果たすように、彼らを備えるでしょう。魂達をキリストに導くように働く最善の方法で、ほかの人々の指導と自分自身の教育に精を出して聖別された多くの若い人々が安息日学校の働きに自分から献身するならば、私達は事情の異なった事態を見るでしょう。これは、回帰をもたらす働きの一つのラインです。

部 教育 1章 教育的な改革の必要性                                    英文136

 


5.宣教師としての教師達  

 教師達は、宣教の働きのために教育される必要があります。どこでも、この宣教のために開かれています。そして、助けをアピールしているすべての人々の応答として、二、三の地域から働き人達を送ることは不可能でしょう。宣教師として、私達の古くからあるカンファレンスから遣わされる人々に教育が必要な一方で、世界の様々な地域にいる人々は、彼ら自身の隣人達と、自身の地域の人々のために働くよう、教育訓練される必要があります。そして、可能な限り、彼らが働きをする伝道地のために、自分達の教育を受けることは、彼らのために最善で安全です。働き人が、自分の教育のために遠い地に行くことは、その働きを前進させるためと、その人のための両方に、ほとんどいいことはありません。主は、それらの人々の必要に立ち向かうために、あらゆる可能な摂理を働いたでしょう。そして、諸教会の人々が自分達の責任に目覚めるならば、その人々は、どんな危機にも行動の仕方を知るでしょう。

 働き人達の必要に応じるために、神は教育的センターが様々な地域で設立されることを期待しています。そこで、約束した学生達が聖書の真理と知識の実践的な根幹を教育されるでしょう。これらの人々が働きに結ばれる時、彼らは、新しい伝道地での現在の真理の働きと、罪の隷従から魂達を助ける目的に特徴を与えるでしょう。彼らは、不信者達の間に関心を目覚めさせるでしょう。

 真に最良の教師達は、教育的な働きを進めるために、学校が設立される必要のある様々な地域に送られる必要があります。一カ所に多すぎる施設が集中したということはあり得ます。小さな学校として複数、[旧約時代のような]預言者達の学校の計画が始動された後で、はるかに大きく祝福されるでしょう。牧師の養成学校を昇格させるために、バトルクリークカレッジに投資された資金は、かなたの地域とアメリカの未伝道地域に学校を設立するために投資された方がベストだったことでしょう。バトルクリークでこれ以上必要な建物はありません。肥大化した建物は、一つの場所に集まらなければならない多くの学生達の教育のために、すでに提供されていました。そこには、送り出される必要な数の知恵と能力の学生がいたので、たいそう多くの学生達のために、この学校が行なったことは最善ではありませんでした。

 奉仕の働き人の養成施設は、すでに建てられた建物の中に入っていました。そのカレッジの拡張のために使われた資金は、ほかの地域で学校の建物を建てるために優先して投資されるべきした。

 バトルクリークでの新しい建物は、子ども達をそのカレッジで教育を受けさせるために、家族達を転居させることを推奨することを意味しています。しかし、多くの場所で、少ない仲間で、またどこかほかの地方で学生達が教育されてきたならばみな、大きく祝福されたことでしょう。バトルクリークに人々が群れることは、多くの人々がこの場所に転居して、導かれた場所に住んでいるという大失敗にもなっています。バトルクリークよりも伝道事業として良い伝道地があります。ところが、責任ある立場の人々は、最も便利だという特徴を示して、そこですべてのことをするように計画していました。その巨大な施設は人々にこう語りかけています。「バトルクリークに来てください。家族と共にここに移住しましょう。そして、ここで、子ども達を教育しましょう」。

 私達の大きな教育施設のいくつかが、小さい施設に分割されたならば、そして、複数の学校が様々な場所で設立されていたならば、大いなる進展が、感覚と知性と道徳の修練によってなされるでしょう。主は、少数の建物があるようにとは言いませんでした。それらの建物は一カ所にあまりにも集積化されるべきではありません。少数の地域に投資された資金の多くは、もっと多くの学生達が順応させられるように、多くの伝道地のための施設を提供するために利用される必要があります。

 世界中の人々を包み込むまで、伝道地を拡大して関心を呼び起こすため、多くの場所で真理の標準を掲げるための時が来ました。多くの人々が注目を注ぐように真理のメッセージを持つ時が来ました。この指導によって行なわれていない多くのことがなされ得ます。この教会が自分自身のランプの芯を切って整えて灯し続けるための責任があります。献身した若い人は、この働きを前進させるために、自分達の町で教育される必要があります。[ミシガン州]バトルクリークや[ネブラスカ州]カレッジビューでの手の込んだ学校のようなものではなく、[旧約時代の]預言者の学校に倣って、同じ計画につながる教師達と学校はもっと慎ましやかな建物で、もっとシンプルな学校が設立される必要があります。一つの場所にその光(真理)を集積するのではなく、多くの人々が与えられても改善せず正しく認識しない所で、その光は、この地上の多くの場所に伝えられる必要があります。実用的な考えとバランスの取れた知性を持っていて、神を畏れる教師達が伝道地に行って、彼らが受けたものを授けて謙虚な方法で働いて献身するならば、神は、主の恵みに見捨てられている多くの人々に主の聖霊を与えるでしょう。

部 教育 1章 教育的な改革の必要性                                    英文138-139

 


6.成功の要素

 改革の働きにおいて、教師達と学生達は、神が是認できるような私達の学校をつくるために各々が率先して働いて協力する必要があります。行動の一致は、成功のために必要です。兵士達が個人的に普通に能力のある人の指導の下で、調和した行動ではなくて自分の動機によって動くならば、闘いにおいて兵士は困惑して負かされるようになるでしょう。キリストの兵卒は調和して行動する必要があります。少数の回心した魂達が一人の長の下で一つの大きな目標に結ばれると、あらゆることに遭遇しても勝利を達成するでしょう。

 真理を信じている人々の間で一致がないならば、「世界の人々は、この人々は互いに反対に働いているので、神に属することができない」と結論付けるでしょう。私達は、キリストと一つになっている時、私達自身の間で一つとなるでしょう。キリストと共にくびきを負わない人々は、いつも間違った方向に引いています。彼らは、人間の快楽や好みの気質に属した傾向があります。そして、おそらく、大目に見る激情は、激情に向かって目を開いています(at the least excuse passion is wide awake to meet passion.)。これは、慣れ合いを目的にしています。そして、委員会、役員会、関係者の会議で、改革方法に反対する強い意見が聞かれています。

 神の全ての言葉への従順は、成功のもう一つの条件です。勝利は、セレモニー/儀式やショーによるのではなく、最も地位の高い、天の神、主へのシンプルな従順によって得られます。このリーダーに信頼を寄せる人は、決して敗北を知らないでしょう。敗北は、神性を第二の位置において、人間の方法、人間の創案に頼ることによって訪れます。従順は――敗北していたかもしれないことから知る従順――、主の軍勢のキャプテンがイスラエルの軍勢に教えようとしている特別な学習lessonです。私達の[]リーダーの声に従順な時に、キリストは、地上の強大な勢力が驚くような、主の戦いの方法を指導するでしょう。

 私達はキリストの兵卒です。主の軍勢に加わった人々は、困難な働きをするよう期待されています。その働きは自分達のエネルギーを最高に使う必要があります。私達は主の兵卒の生活が、忍耐と辛抱強さに属している攻撃的な闘いの一つであることを理解する必要があります。私達は、キリストのため、試練に耐えるために生きています。模擬の戦いに加わっているのではありません。私達は最も手ごわい敵軍に立ち向かう必要があります。「私達は、血と肉に対してではなく、諸々の権威と勢力と、この世界の闇の支配者に対して、また、高き所にいる悪の霊に対して戦っています」(エペソ6:10-17 KJV)。私達は、初代教会の弟子達が自分達の力を見つけたところで、自分達の力を見つける必要があります。「それらの人々は、一つになって祈りと願いを続けていました」(使徒言行録1:14 KJV)、「そして、その人々はみな、聖霊に満たされました。そして、その人々は、確信を持って神の言葉を語りました。信じた人々の集まりは、一つの魂、一つの心に属していました」(使徒言行録1:31,32 KJV)


 

部 教育 2章 改革への障害                                                   英文141

2章 改革への障害

 

 

1.教育改革の必要

 

「1.成功のテストは学校の道徳的な力の程度」

 ある努力が改革についての指導によって実行されました。しかし、一般的な方法にたいそう長く慣れていた後に正しい原則を応用することは、最も困難です。古い習慣を変えようとの初めての試みは、神が指し示していた方法で歩もうとする人々には、深刻な試練をもたらしました。間違いが起こって大きな損害が発生しました。教育的な原則の真理を捉えることから私達を妨げるために、世俗の人々の常識によって、私達が守っている傾向のあることに妨害が行なわれました。利己的で不信仰、無関心、人間的に低い識見から問題を見る人は、回心していない人のための正しい原則と方法が間違っているように見えました。中途半端な回心をしただけのある教師達と管理者達は、ほかの人々にとってつまずきの石です。彼らはある事柄に譲歩しています。中途半端な改革をしています。しかし、重要な知識がやって来た時に、彼ら自身の考えに一致する働きに好意を寄せて、彼らは前進を拒みました。このようにすることによって、彼らは、神性の上に人間を置いて、知識の木に属するものを食しています。

 「さて、それゆえ、主を畏れ、真実な誠意をもって、主に仕えなさい。そして、エジプトにいた時、大川のそばであなた方の父祖達が仕えた神々を捨てなさい。そして、汝らの主に仕えなさい。そして、主に仕えることがあなた方に悪と見えるならば、きょう、汝らが仕えるものを選びなさい」(ヨシュア記4:14 KJV)。「主が神ならば、主に仕えなさい。しかし、バアルならば、彼に就きなさい」(1列王記18:21 KJV)。私達のために光が来ていた時、私達が前進していたならば、私達の現在の状況よりも、はるかに前進していたことでしょう。

 新しい方法が擁護された時、たいそう多くの疑い深い質問が提起されました。大変多くの相談がもたらされました。すべての困難は認識されるでしょう。改革者達は、不利な条件を抱えていました。ある者は、改革を主張することをやめました。彼らは、批判と疑いの潮流に逆らって進むことは不可能に思えます。比較して考えると、アテネでは、人々は世俗の知恵と知性のプライドに好意を持っていたので、少数の人々だけが福音を受け入れました。キリストの福音を愚かだと考えました。しかし、「神の愚かさは人間達よりも賢明で、神の弱さは人間達よりも強力です」。それゆえ、「私達は、ユダヤ人には、つまずきの石、ギリシア人には愚かな、しかし、ユダヤ人とギリシア人の両方には、神の力、神の知恵、十字架のキリストを伝えています」(1コリント1:25,23,24 KJV)

 私達は、もう一度、始める必要があります。改革は、心と魂と意思に入れられる必要があります。間違いは、歳月と共に灰色/一般色になるでしょう。しかし、歳月は間違いを真理にしないだけではなく、真理を間違いにもしません。全体的に見ると、従ってきた習慣と古い慣習をあまりにも長くもっています。主は今、教師達と学生達から嘘を除くあらゆる考えを持っています。私達は、そのように行なうことは慣習なので、シンプルに、教会の標準や世俗の標準に向き合って教えることに自由ではありません。キリストが教えた教訓は標準となるように用意されています。私達の学校の何かに持ち込まれ、まったく異なった特徴のある教育に何らかの関心がないならば、私達の必要は土地の購入と学校の建物の費用に使わなかった(we need not have gone to the expense of purchasing lands and electing school building.) ので、主が私達の学校に与えた指導に関して語った事柄は、厳密に考えられる必要があります。

 ある人はこう主張しています。「私達の学校を卓越したものにする宗教的な教えに人気がなくて不評判になるならば、私達の信仰に属さない人々は、この学校の後援者にならないでしょう。なるほどそうです。その時、学生達をほかの学校に行かせましょう」。そこでは、彼らは自分達の好みに合った教育体系を見つけるでしょう。私達の学校が設立された目的の達成を妨害することは、それらの考えによるサタンの目的です。彼の考案した妨害によって、その管理者達は、その計画をコピーし、その慣習をまねして、世俗の人々に倣う理由になっています。多くの人々は、その学生達のために世俗の娯楽を提供することによって、真理と神の敵達と結ばれる時に、彼らは若者達を間違いに導いて、サタンのための働きをしているので、上からの知恵の欠如をたくさん示しました。これを行なうことによって、彼らは、神の不快な表情を自分達にもたらしています。この働きの全ての結果は、神の法廷で向き合う必要があります。そのようなコースを追い求めている人々は、信頼されることができていないことを示しています。悪がなされた後で、その人々は自分達の間違いを告白するでしょう。しかし、彼らが及ぼした影響を行なわなかったことにできますか。自分達の信頼のために、間違ったことをした人々に「良いことをした」と言われるでしょうか。それらの不忠実な人々は、永遠の岩の上に建てませんでした。そして、彼らの告白は、崩れやすいことを証明するでしょう。主は、違った者、特別な者になるよう私達に求めています。私達が、世俗の人々の行動と習慣を真似ることを求めて、流行を切望できますか。「汝らは、世俗の友人が神の敵であることを知らないのですか。それゆえ、世俗の人の友人となる人は誰でも神の敵です」(ヤコブ4:4 KJV)。

部 教育 2章 改革への障害                                                   英文143

 人気を得るために標準を低くすること、数を増やすこと、楽しみの根拠を増やすことなどは、まったく[霊的な]盲目を示しています。この世界にいるサタンに就く者達の大多数は気前が良いので、多くの人々に成功の根拠があったならば、彼は優秀者だと叫ぶでしょう。それ自身が成功かどうかのテストは、一つの学校に広がる道徳的な力の程度です。感謝と喜びの源となるものは、私達の学校を構成する人々を清める理知と美徳です。その時、私達の学校は、流行と慣習に従う世俗の人々を回心させるようになるでしょうか。「それゆえ、私は、神の慈しみによってあなた方に懇願します。兄弟[姉妹]のみなさん、汝らは、……この世界の人々に順応するのではなく、あなた方の知性が新しくされることによって形成されて、汝らは、神の意思によって、完全/成熟したものとして受け入れられ得る、良い者であることを証明することができるでしょう」(ローマ人への手紙12:1,2 KJV)

 人々は、セブンスデー アドベンチストの人々と週の初めの日を守る人々の違いを目立たせることを無くするように、あらゆる手段で働くでしょう。一人の仲間は、セブンスデー アドベンチストの名のもとに、私の前にこう提示しました。その人は、その旗色やしるしをアドバイスしました。「彼らは、これが私達の施設に成功を確保するための最善の方針ではなかったと言っていたので、私達を明瞭に識別できる人々にするものをそんなにしつこく持ち続けるべきではありません」。しかし、いまは、私達の信仰を恥じて、私達の旗色を変える時ではありません。この目立つ旗色は、御言葉に書かれています。「ここに、聖徒達の忍耐があります。ここに、イエスに属している信仰と、神の戒めを守る人々がいます」[黙示録14:12 KJV]は、調査審判の終了を世界中に伝える必要があります。努力が、いろいろな地域で増す一方で、擁護者を確保するために私達の信仰を全的に隠す必要はありません。真理は、滅びに備えて魂達に来る必要があります。そして、それが何らかの方法によって隠されているならば、神は敬われず、そして、魂達の血が私達の衣の上に[責任となって]付いているでしょう。

 私達の施設に結ばれた人々が、神と共に謙虚に歩んでいる限りにおいて、天の知者達は、その人々と協力しているでしょう。しかし、この事実をみんなの知性で担いましょう。神はこう言いました。「私を敬う人々を、私は敬うでしょう」(1サムエル記2:30 KJV)。一瞬でも、誰かに印象を与えているでしょう。自分の原則を知られたならば、まったく十分な評価を受けられないという恐れのある時や世俗の人々の不信仰に、教理と自分の信仰を隠すことは、その人の益となるでしょう。キリストは、主につく人々がみな、勇敢に信仰を告白して開示することを求めています。人はそれぞれ、自分の立場に立つ必要があって、また、人々と天使達と世界の人々の前で、目を見張らせるものとなり、神がデザインしたものとなる必要があります。宇宙の全存在者達が、キリストとサタンの間の大争闘の働きが終わるのを見るために、言語に絶した関心を持って見詰めています。クリスチャンはみな、ベッドの下や枡の下に隠されるためではなく、一つの明かりとなるために生きています。その光は家中にいるすべての人々に与えられるでしょう。世俗の人々の方針や臆病からではなく、神の真理が背後に置かれるようにしましょう。

部 教育 2章 改革への障害                                                   英文143

 私達の学習施設での多くの関心が世俗の人々との一致に揺れ動いたことを通して、また、この世界の人々に一歩、いっぽ向かって行ったことを通して、その人々は、願望の囚われ人です(they are prisoners of hope.)。運命の力は、彼らが必要としている不確かさと無力さを残さず、彼らの働きの網目にまったく編み込みませんでした(Fate has not so woven its meshes about their working that they need to remain helpless and in uncertainty.)。彼らが、主の声を聞いて、主の道について行くならば、神は彼らを正して光を照らして教化するでしょう。この世界の人々から識別する場所で光を注いで連れ戻すでしょう。クリスチャンの原則において、働きの有位さが識別される時、また、自我がキリストの中に隠されている時、大きな前進がなされるでしょう。それぞれの働き人は、自分自身の人間的な弱さを感じるでしょう。その人は、神の恵みと知恵を提供されるでしょう。また、あらゆる危機で、懇願している神性の助けを受けるでしょう。

 反対される状況は、それらに勝利するために堅い決心を促すでしょう。壊された一つの防害は、前進するよう励まして、多くの能力を与えるでしょう(One barrier broken down will give greater ability and courage to go forward.意訳:一つの妨害が壊されることによって、私達は前進するよう励まされて多くの能力が与えられるでしょう)。正しい指導を与えましょう。そして、知的に、懸命に堅実に変化を促しましょう。その時、状況は、あなた方の妨害とならず、あなた方の助け手となるでしょう。一つの始まりをつくりましょう。樫の木はどんぐり()の中にあります。

 

2.教師達とマネージャー達

 私は、学校の全教職員に健全な判断を働かせるよう、また、高貴な計画で動くよう、呼びかけます。私達の教育関連の施設は、あらゆる不純な考えが取り除かれて清められる必要があります。全職員が反対する者に勝利したいのであれば、私達の施設はクリスチャン原則を指導される必要があります。彼らが世俗の方針による計画において指揮されるならば、その働きについて堅固な要望が出るでしょう。また、霊的な識別、先見の明による要望が出るでしょう。キリスト初臨前の世界の人々の状態は、主の再臨前の世界の人々の状態を描いたものです。ユダヤの人々は、天から遣わされて降って来た救済のメッセージを拒んだので滅ぼされました。神が大きな光と素晴らしい機会を与えたこの世代の人々は、自分達が滅びるように光を拒んだ人々の傾向に従うのでしょうか。

 多くの人々は、こんにち、自分の顔にベールを被せています。これらのベールを被っている人々は、主の栄光を自分達から隠す世俗の人々の行動に共感しています。神は、私達に、この世俗の事柄から視線を失うことができるように、視線を主に向けているようにと望んでいます。

 現在の真理が実際の生活にもたらされる時、その標準は聖書の求めに合うように徐々に高められる必要があります。これは世俗の人々の処世術と行動、習慣と流行に反対する必要があります。世俗の人々の感化力は、大海の大波のように、主の柔和と慈しみの真の原則から一掃するために、キリストに就く人々に打ち付けています。しかし、私達は、岩のように原則に確固として立つ必要があります。これを行なうことは、道徳的な励ましを求めているでしょう。そして、永遠の岩に固定されないそれらの魂達は、世俗の流れによって一掃されるでしょう。私達は、命が神の中にキリストと共に隠される時だけ、堅く立つことができます。道徳的な自律は、もっぱら世俗の人々に反対している時の場にあります。神の意思への全的な順応によって、私達は有利な立場に立てるでしょう。そして、世俗の人々の標準の上にほんの少しだけ正しい標準を立てるために生きているのではありません。そうではなく、私達は決定的に違うことを表す必要があります。私達は協力して関係を持つ未信者達にほんのわずか感化力があったという理由は、世俗の人々と私達の行動の間に、決定的に小さい違いがあっただけだからです。

 多くの教師達は、狭く低い限界値を取るように、彼らの知性を許しています。彼らは、世俗の方法に彼らの目を留めていて、遠い視点の神性の計画を保つことをしていません。「神の右手に座しているキリスト」を見上げてください。そして、あなた方の生徒達が主の完全/成熟な品性を形成されるように働きましょう。若者達の足元に、階段の最上階ではなく1段目を置いて、熱心にペテロの8段の螺旋階段を勧めて、頂上まで登るよう示しましょう。

部 教育 2章 改革への障害                                                   英文147

 天と地を結んでいるキリストがその梯子です。その土台は、彼の人間性によって地上に堅く据えられています。その螺旋階段の頂上は、主の神性によって神の御座に届いています。キリストの人間性は、罪に陥った人間性を含んでいます。一方、主の神性は神の御座を手で捉えています。主は私達のために贖いと聖化と義と知恵をつくっているので、私達はキリストの高さにまで、階段を一歩ずつ登り、キリストに堅く信頼して、キリストを見ながら螺旋階段を一段ずつ登ることによって救われています。信仰(男女らしさ)美徳(徳の)知識(自己管理の)節制忍耐信仰深いこと、兄弟(姉妹)、そして、慈しみが、この梯子の階段です。これら全ての恵みは、クリスチャン品性に現れる必要があります。そして、「汝らがこれらの事柄を行なうならば、汝らは決して罪に陥らないでしょう。救い主イエスキリストと私達の主の永遠の王国の入り口は、あなた方を入れるために波があふれるほどにたくさん奉仕の働きministeredをすることでしょう」(2ペテロの手紙1:10,11 KJV)

 お金では買えない永遠の命の宝を得ることは、簡単な事柄ではありません。世界の人々の潮流に流されていては、これを行なうことのできる人はいません。その人は、この世界から抜け出て、分かれて、清くないものに触れない必要があります。この世界の人々の潮流に運ばれて降ろされることなしに世俗の人々のように行動できる人はいません(別訳: 人は、この世界の人々の潮流に運ばれて降ろされることによって世俗の人々のように行動できるのでしょう)。忍耐や努力なしに上の方へ進める人はいないでしょう。勝利したい人は、まずキリストを捉える必要があります。その人は、後ろを振り返ってはいけません。視線をいつも上に向け続けて恵みを一つずつ得ています。個人的な警戒は安全という価値があります。サタンはあなた方の魂に命のゲームをして弄んでいます。彼が、あなた方を支配する優位性を得ないように1インチ(3cm)も彼のそばを逸れて行ってはいけません。

 私達がいつも天に届いているならば、それは、私達の魂をキリストに繋げることによっているでしょう。主に信頼を寄せて、愚かなもの、魅惑するものを世俗から切り離された、私達の側には、天の知者達との霊的/精神的な協力の必要があります。私達は信じて、働いて、祈って、そして、待つ必要があります。神の息子を得る時、私達は主の財産になっています。そして、すべての人々はキリストの学校で教育を受ける必要があります。教師達と生徒達の両方は、永遠のために勤勉に働きをするために生きています。全ての事柄の終わりは手近にあります。今の人々は、神のための闘いの備えをして兵卒なる必要があります。

 私達が、高める必要があるのは、人ではなくて、神、生きている神と真理です。私心のない生活、真の自己犠牲の精神、私達の施設で信頼される地位に就いている人々への愛と共感は、良い感銘を与える気高い清さを持っている必要があります。その人々の勧めの言葉は、自己高揚の精神や自己満足から来ることはないでしょう。しかし、彼らの慎み深さの美徳は、金gold以上に価値のあるものでしょう。人間が神性の性質を捉えているならば、神は、その計画に加えた働きをして、完全なクリスチャン品性の恵みに恵みを加えているならば、神は、倍増計画によって働くでしょう。主は、御言葉の中でこう言っています。「恵みと平和は、私達の主イエスの知識と神の知識を通してあなた方のために増やされます」(2ペテロ1:2 KJV)。

 「主はこう言っています。賢明な人は、自分の知恵によって得意にならないようにしましょう。実力のある人は、自分の実力によって得意にならないようにしましょう。豊かな人は、自分の富によって得意にならないようにしましょう。しかし、得意になる人は、私がこの地で義と裁きと愛の親切を実践している主であることを知って理解することを得意としましょう」(エレミヤ9:23,24 KJV)。「主が汝に求めているものは何ですか。それは、正しいことを行なうこと、思いやりを持って愛すること、そして、汝の神と共に謙虚に歩むことです」(ミカ6:8 KJV)」。「あなた方は洗って、自分を清くしましょう。私の目の前からあなた方が行なっている悪を捨て去りましょう。悪を行なうことをやめて、善を行なうことを学びなさい」(イザヤ116,17 KJV)。

 これらは、私達のための神の言葉です。その過去は、全ての事柄が書かれているこの本のために含まれています。私達は、その記録を消し去ることができません。しかし、私達がそれらを学ぶことを選ぶならば、その過去は、それ自身の教訓を私達に教えるでしょう。私達が、それを私達の忠告者とする時、私達はまた、それを友とすることができるでしょう。私達が不快な過去に思いを馳せる時、同じ間違いを繰り返さないように、それが私達に教えるようにしましょう。未来において、後で後悔する原則となるようなことは何も記録されないようにしましょう。

部 教育 2章 改革への障害                                              英文148-149

 私達は今、不快なことを表すのを避けましょう。毎日、私達は自分の歴史をつくっています。きのうの日は、私達の修正や管理のかなたにあります。きょうという日だけが、私達のもとにあります。あしたの日のために、私達は行なったことを撤回することができないので、きょうの日に、神の霊を悲しませないようにしましょう。

 私達は、全ての事において、主は知恵において無限なので、神の勧めに従うようにしましょう。過去において、私達は子ども達や若い人々のために行なうことができたことについて達してはいないけれど、私達は今、その時を悔い改めて贖いましょう。主はこう言っています。「あなた方の罪は、深紅色のようであっても、雪のように白くなるでしょう。濃赤色のように赤くても羊の毛のように[白く]なるでしょう。汝らが素直に従順にするならば、汝らはその地で良い物を食するでしょう。しかし、汝らが拒んで反抗するならば、汝らは[炎の]剣で滅ぼされるでしょう」(イザヤ1:18-20)。「前進しなさい」とのメッセージは、繰り返して聞かされる必要があります。それらの特殊な進展に立ち向かうように働き人を求める状況の変化は、私達の世界で行なわれています。主は、霊的に鋭い感覚と明瞭な洞察力を持った人々、天からの新鮮なマナを確実に受ける人々を必要としています。主の聖霊は、そのような人々の心に働いています。そして、主の言葉は、かつての真の知恵以上のものを現して、その人の知性に光を当てています。

                         

 若い人々に与えられた教育は、社会性という織物を全体的に形成しています。世俗の社会性は至る所が無秩序な状態なので、変容が必要です。多くの人々は、最近の良い方法、熟練した技術、良い教育施設が、人々を正しく教えていると考えています。その人々は、[主の]生きている言葉を受けて信じていると言っています。そしてまた、その人々は、神の言葉に、教育の大きな枠組みの中で下の位置を与えています。第一に立つべき神の言葉は、人間の考案品の下に置かれています。

 世俗の計画と方法と習慣の中に流されること、そして、ノアの時代の人々が持っていた以上に、成し遂げられるための偉大な働きについて、私達が生きているこの時を考えないことはとても容易です。私達の教育者達は、ユダヤ人達が行なったように、神が与えなかった伝統、行動、習慣に順応して、いつも同じ地盤を見るような危険性があります。その人の魂の救済はそれらの事柄に依存しているかのように、固執と堅固によって、ある人は本質的ではない様々な学問への愛と古い習慣に執着しています。これを許すことによって、その人々は、神の特別な働きから離れて行って、学生達に欠陥のある悪い教育を与えています。その人々は、人間の理論を教えるために、永遠の関心を含んでいる明白な「主はこのように言っています」という言葉から指導されています。神の啓示である無限の神の永遠の真理は、主の聖霊の力が霊的な事柄を開示できるときに、人間の判断の光によって説明されています。人間は、永遠を見詰める、神の働きの全体を見落としているので、人間の知恵は愚かです。

                         

 改革者達は、破壊者ではありません。それら[改革]に同化せず、それらの計画と調和しない人々の滅びを決して求めないでしょう。改革者達は、後退するのではなく前進する必要があります。彼らは後ずさりしないで、断固として堅く決心する必要があります。しかし、堅固さは威張り散らす精神に退化してはいけません。神は、キリストがそうだったように、心を低く柔和にして、原則に関して、岩のように堅く主に仕えるすべての人々が持つようにと期待しています。その時、主が行なう働きをすることができる人々はキリストに隠れていて、その人々の中に主がいました(Then, abiding in Christ, they can do the work He would do were He in their place.)粗野な非難の精神は、この時代の人々のための改革の英雄的行為の本質ではありません。利己的に神に仕えるあらゆる方法は、主の視野の中に嫌悪感を引き起こします。

部 教育 2章 改革への障害                                                   英文151

                         

 サタンは、キリストの祈りを無きものにしようとして働いています。黄泉の全ての力が打ち壊すことができない一致や団結のある所には力があるので、彼は、不一致と苦汁を創り出すために尽力を続けています。よこしまな方法と傾向によって、神に就く人々を落胆させて悲嘆と弱さを持ち込んで、神の敵達を助けようとする人々はみな、キリストの祈りに真っ向から反対して働いています。


 

部 教育 3章 教師達の働きと品性                                               英文152

3章 教師達の働きと品性

 

 

[1.真理を知って、神の言葉を実行する]

 私達の学校でなされた働きは、この世界の神学校やカレッジのようになってはいけません。教育の働きの基盤において、科学の指導は、劣った特徴のある者になってもいけません。そうではなくて、その知識は、神が用意している大いなる日に立つために人々を相応しくする、最も重要なものとして考慮される必要があります。私達の学校は、もっと[旧約時代の]預言者の学校のようになる必要があります。それらは、教育訓練学校になる必要もあります。そこでは、学生達は偉大な教師[]から学んで、キリストの弟子として育てられるでしょう。そこは、家庭のような学校になるでしょう。そこでは、学生達はみな、家族のメンバー達がその過程で助けを受けるような、教師達から特別な助けを受けるでしょう。優しさ、共感、団結、そして、愛は、大切に育てられるためにあります。そこには、無私の献身した信仰深い教師達がいるでしょう。優しさが心に満ちていて、神の愛によって結ばれた教師達は、各生達の幸せと健康のための配慮をしているでしょう。あらゆる知識の本質的な部門へと学生達を促すことが教師達の目標となるでしょう。

 賢明な教師達が、私達の学校のために選ばれる必要があります。それらの人々は、個人的な救い主としてキリストを知る必要を知性に印象づけるよう、神への責任を考えるでしょう。高い程度から低い程度まで、個人的な努力が正しい真っすぐな道に学生達の足を導くように求めて、彼らは学生達の救いのための特別なケアを示すでしょう。彼らは、品性に酷い欠点を保持しているならば、子ども時代に良くない教育を受けた人々に、欠点の癒しを求めて、憐れみをもってその人々を見る必要があります。キリストの学校で、まず、初めに学ばなかったならば、この働きをすることができる人はいないでしょう。

 私達の学校で教えるすべての人々は、主の言葉を理解することを通して、神とのしっかりとした繋がりをもっている必要があります。彼らは、永遠の命、未来のためとこの世界で役立つために若者達を教育する働きに知識と神性の知恵をもたらすことができるでしょう。彼らは、真理を知っているだけではなく、神の言葉を実行する男性達、女性達である必要があります。「それは書かれています」[マタイ4:6]は、教師達の言葉と生活によって表される必要があります。教師達自身の実践によって、すべての事柄において、正しい習慣とシンプルさを教える必要があります。主の言葉への従順の体験をしなかった教育者として、私達の学校に結ばれるような人はいません。

部 教育 3章 教師達の働きと品性                                               英文153

 諸原則と教師達は、主の聖霊によってバプテスマを受ける必要があります。悔い改める魂達の熱心な祈りは、御座のそばにとどまるでしょう。そして、私達が信仰によって主の腕を堅く握っているならば、神は、主自身の時にその人々の祈りに応答するでしょう。自己をキリストの中に溶け込ませて変わりましょう。そして、神の中のキリストに、心を持って行って溶かす時に、主の力が現れるようになるでしょう。キリストは、普通とはまったく異なった方法で教えました。そして、私達は主と共に働く者となるために生きています。

 教えることは、多くの人々が気付いている以上にたくさんの手段があります。真理を理解することは熟練した技術を求めています。このために、すべての教師は、霊的な真理の知識を増すために努力する必要があります。しかし、その人は、神の言葉から自分を絶縁している間は、この知識を得ることができません。その人々が日々に自分の力と才能を改善したかったのであれば、研究する必要があります。また、御言葉を食して消化する(学んで習得する)必要があります。そして、キリストの働き人linesとして働く必要があります。命のパンによって[霊的な]栄養を与えられた魂は、神の霊によって全ての能力が書き気づけられるでしょう。これは、永遠の命を持続させるための食物です。

 偉大な教師[]から学ぶ教師達は、ダニエルと仲間達がしたように、神の助けに気付くでしょう。教師達は、平地に留まるのではなく、天の方に向かって登る必要があります。クリスチャン体験はすべての真の教育に結ばれる必要があります。「汝らはまた、イエスキリストによって神に受け入れられる霊的な捧げ物を捧げるために、生きている石として霊的な家、聖なる祭司として育てられています」(1ペテロ2:5 KJV)。教師達と学生達は、この描写を研究して知る必要があります。教師達があるクラスの担当であるならばその人は、豊かに与えられた恵みによって、神のすべての子らが、上のクラスに入ることができる前に、もっとその体験を得る必要があります。教育は永遠に絶え間なく見られる成果を生み出す働きなので、自分達の全ての指導によって、教師達は神の御座からの光を分け与えるでしょう。

 教師達は、学生達が現在の真理を明瞭に理解するよう、また、考えるように導く必要があります。教師達が説明して、学生達が信じることだけでは十分ではありません。探究心が呼び醒まされる必要があります。このように、学生が自分自身の力を見ていて応用していることが根拠となって、学生が自身の言葉によって現在の真理の心理状態にかき消される必要があります。丹精込めた努力によって、生きている真理は、このように人間の知性に印象付けられるでしょう。これは、緩やかな過程となるでしょう。しかし、それは、義務が考慮されずに、重要なテーマを急いで調べるよりも価値のある研究です。神は、主の施設は主を代表しているので、それらの諸施設がこの世界に属するものよりも優れていることを期待しています。神に真に結ばれた人々は、黄泉に立っている人間の代表者以上に、主を示すでしょう。

 私達の教師達は、学習者である必要があります。改革者達は、働きの方法だけではなく、その人々自身の心の中でも、自分自身が改革される必要があります。教師達は、神の恵みによって形成される必要があります。イスラエルの有名な教師ニコデモがイエスの所に行った時、大教師[]は、神性の生命の条件回心の始まりを彼の前に提示しました。ニコデモは「どうしたらそうなれますか」と尋ねました。キリストは「汝はイスラエルの教師の一人ですか。あなたはこれらのことが分からないのですか」と答えました。この質問は、しかし、この働きのために彼らを相応しくするために本質的な備えに無関心にしてきた人々、現在、教師としての立場にいる多くの人々に語り掛けられたものでしょう。キリストの言葉が、その人の魂に受け止められたならば、主が是認できる教育者として、キリストに真摯につく者、弟子を構成する霊的に深い多くの知識に、高度に知的になるでしょう。

部 教育 3章 教師達の働きと品性                                               英文155

 


2.教師達の欠点

 私達の[教会の]教師達の多くは、まったく学ばなかったか、あるいは、まったく異なった特徴のある学びをした人々です。次のことを決意してやり遂げない限り、――彼らが神の言葉に徹底的に精通し、そして彼らの知性が偉大な教師[]の生涯に関する栄誉ある真理を研究して習得しない限り――、彼らは、主が正すように求めているひどい間違いに失望するでしょう。保つ必要のない計画と意見は、自分自身の知性に刷り込まれるでしょう。そして、正直さの全てにおいて、彼らは、悪と危険な結末に行き着くでしょう。このように、本当の麦ではないタネが蒔かれるでしょう。学校における多くの習慣と通常の授業、そして、些細な事柄とみなされるものは、私達の学校に持ち込まれることができません。長い間、愛用された考えと方法を捨て去ることは、教師達にとって困難でしょう。しかし、教師達がすべての歩みで正直に、「これは主の方法ですか」と謙虚に尋ねるならば、そして、主のガイダンスに委ねるならば、主は、その教師達を安全な道に導くでしょう。そして、教師達の考え方は、体験の中で変容するでしょう。

 

訳者加筆。『エレン・G・ホワイト百科事典』(2013)に、1834年時の学校教育が記述されています。

 [メイン州]ポートランドのその学校の教室では、心地好くない机に閉じ込められ、薄暗く、不適切な暖房と換気だった。長すぎる時間、幼い体には少ない運動だった。子ども達は、しばしば4歳から初級学校が始められた。教師達は体罰を信じていた。一時的な感情の暴力で、皿のように生徒を外に投げ出した。ある偶発事件が幼いエレンに生々しく印象付けた。50年以上もたってから、生徒達を扱ってはいけない方法としての教師のタブーについて語った。

 「私は学校で席に着いていました。一人の生徒が私の横の席にいました。先生がその生徒の頭を叩くために“物差し”を出しました。しかし、それは私をぶちました。高貴な誇りを傷つけました。私は席を立って、教室から去りました。私が学校を去って、家への道を歩いていたとき、先生は私の後を追いかけて来て言いました。“エレン、私は間違いをしました。私を許して”。私は言いました。“ええ、そうします。でも、どこが間違いでしたか”。“私はあなたを叩く意図はありませんでした”。“しかし”と私は言いました。“あなたが誰でも叩くというのは間違っています。私は額に長い切り傷を付けられただけでなく、誇りも傷付けられました”」(9MR 57)

部 教育 3章 教師達の働きと品性                                               英文153

 


 私達の学校の教師達は、自分達個人のために、神が与えた貴い光の筋に彼らの心を開いて、そしてそれらの中を歩んで、御言葉を理解するまで研究する必要があります。彼らが、神から教えられて、そして、神と結ばれることがなかった人々の感情の混じった意見と理論のない指導へともたらされて、まったく異なった働き人として働くでしょう。教師達は、非常に少ない有限な知恵を受け取るでしょう。また、神から来る知恵を求めてもっと魂の飢餓感を覚えるでしょう。

 キリストは、十二弟子に「汝らも去ろうとするのですか」と質問をしました。ペテロが「主よ、私達は、誰の所に行きましょうか。そなたは、永遠の命の言葉を持っています。そして、私達は、そなたが、生きている神の子、キリストであることを信じて、確信しています」(ヨハネ6:67-69 KJV)と答えました。教師達が受け持ちのクラスの教室の授業で、これらの言葉を説明する時、主の聖霊は知性と心に働くように現れるでしょう。

 

3.教師達の働き

 教師達は、キリスト自身の手本が教師達に行なうように教えた、主のこの働きを前進させ進展させて、神と共に働く者となる必要があります。教師達は、キリストの働きと品性に現れた恵み深い属性を現しているので、世界の人々のための確かな光であるために生きています。様々な属性は、キリストの弟子達のように、彼ら自身の生き方を美しく豊かにするでしょう。

 私達の世界の人々のための主の聖霊と主の品性を表す努力は、何と、厳粛で神聖で、重要な働きでしょう。これは、若い人々の知性の訓練と鍛錬、教育の働きに主と結ばれたすべての教師とすべての校長の特権です。すべての人々は、確信と保証と霊感の注のもとにいる必要があります。彼らは、主の重荷を負ってキリストのくびきを身に着けています。

部 教育 3章 教師達の働きと品性                                             英文156-157

 試練は、この働きの中で向き合わされるでしょう。働き人達がいつも正しく認識していないとみなされる時、落胆が魂にのしかかるでしょう。サタンは、教師達が勝利者の報いとなるためにある卓越した重みのある栄光と、また、彼らの主の善意、憐れみ、愛を理解することをやめさせて、さらに、神に反発して不平を言う理由をもつもとができることを期待して、彼らへの誘惑と失望と身体の弱さの苦しみによって自分の力を行使しています。しかし、神は、魂達を天の神へのもっと完全な確信に導いています。そして、彼らが信仰によって主に叫びをあげるならば、また、彼らが悩みの時に、主に魂を留めるならば、主は練り清められた金のように、彼らを振り分けるでしょう。主イエスはこう言いました。「私は、汝らを決して捨てないでしょう。それだけではなく、汝らと縁を切らないでしょう」(ヘブライ13:5 KJV)。神は、この地での神の臨在が隠されているので、闇の厚い雲の中で、神の御座への堅い信頼によって、主の隠れ家に逃げ込むよう彼を導く状況の教育訓練を許しているでしょう。しかし、主は、主を信頼している全ての人を救い出す用意をしています。そのような方法で得たその勝利は、より完璧になるでしょう。その勝利はもっと確かなものとなるでしょう。疲れた人、傷ついて苦しんでいる人、苦しんでいる人々は、「たとえ、神が私を殺しても、私は主を信頼しています」(ヨブ13:15 KJV)。「たとえ、イチジクの木は花咲かず、ブドウの木に実がならず、オリーブの実がならなくても、畑が草を生えさせず、羊の群れが柵の中から消えても、牛舎からの鳴き声もなくなっても、私は主によって喜び、私は、救い主、神によって喜ぶでしょう」(ハバクク3:17,18 KJV)。

 

4.個人的なアピール

 私は、私達の教育施設にいる、逆行に熱中して、宗教に熱心になろうとしない教師達にアピールします。逆光の運動をやめて、あなた方の標語が「前進」となるようにしましょう。私達の学校はより高い活動計画を立てる必要があります。広い見方がなされる必要があります。強い信仰と清めの深まりの必要があります。神の言葉が知的な才芸とすべての知恵の枝や根になる必要があります。回心させる神の力が、教師達を捉える時、彼らは、教育について「前進の方法」と呼ばれていた以上に広い伝道地をカバーしています。教育を与えた全ての人々によって、教師達はキリストの言葉を思い出す必要があります。「汝らは、この世界の人々の光です」(マタイ5:14 KJV)。その時、彼らは、出て行って、自分達の知識をほかの人々に与えるための伝道の用意について、大きな障害の体験をしないでしょう。

 私達は、備えられた全ての施設で、私達の[働きを]発展させる義務を果たすためにあらゆる能力で努力をしています。そして、私達は、主の憐れみによる優位性を持っていることによって、神に感謝するようになるでしょう。そして、私達は、義務と現在の真理について、また、主の恵みの知識を所有しています。あなた方は、教師としてあなた方が受けた間違った教育を続けることを試みるのですか。あなた方は、神の計画と方法の熟知がかなえられるようになる貴重な機会を失っていませんか。あなた方は、神の言葉を信じていますか。あなた方は、主への奉仕に役立てられるために、主に自分自身を与えて、毎日、よく理解できるようになっていますか。あなた方は、神の意思を行なうための伝道者ですか。あなた方は、聖書を信じていますか。そして、それが言っていることを心に留めていますか。あなた方は、私達が地上の人々の歴史の終わりの日々に生きているということを信じていますか。そして、あなた方はそれを感じて考える心を持っていますか。私達は、私達の目の前に巨大な働きがあります。私達は、すべての国の民に光を注いで啓発するために存在している御言葉の神聖な光を伝える者となるために生きています。

 自分達の魂への関心を表して、教育者として教師としてのあなた方の立場を、守ってください。贖いの愛の生きている流れを学生達の心の中に注いでください。学生達の知性へそれら[の愛]を勧めることは、学生達の読んで書く学習を占めています。学生達に、キリストと主の義を求めるよう訴えましょう。その心が、キリストによって与えられるならば、確かに始まる変化を学生達に示しましょう。学生達の注目を主に注がせましょう。これは、生来の愚かな切望の心の扉を閉じるでしょう。そして、神性の真理を歓迎するための知性を準備させるでしょう。若者達は、「時は金なり」ということ、また、「野生種の大麦」を蒔くことができると考えることは彼らにとって滅びであること、滅びと苦悩の収穫物を刈り取らないことを教えられる必要があります。そして、ほかの人々の品性の中の良いものを誉めるadmire(高く評価する)ために、学生達は分別のある者となるよう教えられる必要があります。彼らは、神の意思の側に自分の意思を置くよう教育訓練される必要があります。彼らは、天の者達に加わって、調和した新しい歌を歌うことができるでしょう。

部 教育 3章 教師達の働きと品性                                             英文159-

 尊大(自己中心)self-importanceは、あなた方の働きの中で、あなた方の助けとなることができないので、その現れを退けましょう。そして、また、あなた方は無限の価格で買い取られているので、私は、あなた方自身の品性に高い評価を置くようあなた方に懇願します。慎重にしてください。祈りをもってしてください。真剣になってください。神聖なものに普通のものを混ぜることができるとは考えないでください。教師達の霊的な識別力が不明瞭にされてきたということは、過去にずっと続いてきました。そして、教師達は世俗と神聖の間を識別できていません。彼らは、普通の火を使ってそれを気に入って、称えて、高めました。そして、主は、不快のうちに去ってしまいました。教師のみなさん、自分自身を神にすべて捧げることは、良い事ではないのですか。神の奉仕と一致しないことによって、あなた方は自分の魂を危険に晒すのでしょうか。

 ペンと声によって、神に当然の栄誉を与えています(By pen and voice give due honor to God.)。主なる神は、あなた方の心の中を清めて、柔和と気遣いがあなた方の中にあるという希望の理由をあなた方に求めるすべての人々に与えるよういつも用意しています。私達の学校の教師達は、このことを理解していますか。学生達に救いの知恵を得させることができる教訓の書として神の言葉を捉えていますか。教師達は、ほかの人々にこれらの考えを示すことができるように、真実な考えを的確に明瞭に与えて、学生達にこの大いなる知恵を授けていますか。神の言葉が教えていることは、多くの人々の心と知性に、わずかな成果があっただけだったと見えるでしょう。しかし、教師達の働きが、神によってなされたならば、神性の真理の教えは最も深く考えない人でさえも記憶に残るでしょう。主の聖霊は、蒔かれた種に水を注ぐでしょう。そして、そのタネは芽を出して成長してから、多くの日々の後、神の栄光のために果実を実らすでしょう。

 天から下って来た偉大な教師は、どんなに評判の良い有名な著書の研究も教えませんでした。主は「私のところに来てください。……私に学んでください。……そして、汝らはあなた方の魂に休息を見つけるでしょう」(マタイ11:28,29 KJV)と言いました。キリストは、主の教えを学ぶことによって、私達は休息を見つけるでしょう。主が、勤勉に辛抱強く探し求める者達に与えることができる天の全ての宝は主に託されていた、と約束しました。神に属している主は、私達に「贖いと犠牲と知恵」となりました(1コリント1:30 KJV)。

 教師達は、自分達が学生達を最も高いグレードに変容させられるようになることができないことや、授ける教えを理解する必要があります。彼らは、キリストの教えの性質と主の教訓を研究する必要があります。彼らは、伝統と形式主義からの解放を知る必要があります。主の教えの実用性、慈しみ、優しさ、敬虔、権威、独創性を正しく知る必要があります。神の言葉を自分達の研究にする人々、真理の宝を掘る人々は、キリストの霊/精神を授ける者となるでしょう。そして、見上げることによって、彼らは、主に似た者に変えられるようになるでしょう。神の御言葉を正しく管理する人々は、主について学ぶために自分を順応させて、イエスの足もとに座っていた弟子達のように、教えることでしょう。私達の学校で採用されている教科書はその中で、世界の偉人達の著書の考えを含んでいて、「 私[教科書]が永遠の命を持っていると言って、神性の最も偉大な教師、偉大な著者を軽視するようにと、私を誘惑しないでください」と言っているでしょう。主は、決して間違うことがありません。主は、すべての知恵を湧き出す泉の源の偉大な長、かしらです。教師達はみな、学生達に知性の中に真理のタネを巻きましょう。キリストは偉大な教師の標準です。

                    

 神の永遠の言葉は私達のガイドです。この言葉を通して、私達は救済のための知恵をつくられてきました。この言葉は、私達の口と私達の心の中に永遠に存在しています。「それは書かれています」[マタイ4:6]は、私達の錨となるために存在しています。神の言葉を自分達のカウンセラーとする人々は、清くない動機と清められていない自制のために、神の恵みの力と人間の心の弱さに気付いています。人々の心はいつも慎重で、また、清い御使いに擁護されています。かの敵が洪水のようにやって来る時、敵に対して、神の聖霊は弱い人々のために標準を掲げています。貴い真理の強力な影響力は[人の心を]揺り動かすので、心の中に調和があります。魂の清めと愛によって働く信仰の啓示があります。

部 教育 3章 教師達の働きと品性                                             英文160-161

 あなた方は再び生まれることができるように祈りましょう。あなた方が、この新生を持っているならば、あなた方は、自分自身の望みの道が曲がらず、主によって、自分自身を喜ぶでしょう。あなた方は、主の権威のもとにいるように望んでいるでしょう。あなた方は、高い標準に到達しようとして、いつも努力しているでしょう。聖書の読者だけではなく、熱心な聖書の生徒となりましょう。神があなた方について求めていることを知ることができるでしょう。あなた方は、主の意思を行なう方法の体験的な知識が必要です。キリストは、私達の特別な教師です。

 私達の学校の教師達、また、私達の施設のマネージャー達はみな、希望と慰めと優しさ感覚を人々に伝えて、主の働き人に働きをするために行なうことが、本質的な事であることを学びましょう。

 天のメッセンジャー達は、救いを継ぐようになる人々に教師を送っています。そして、伝統的によく歩まれた道に全く満足していなかったならば、また、この世俗の親友から離れることを恐れていなかったならば、それらの人々はその教師によって回心するでしょう。教師達は、主が若者達の心の入り口を見つけることができないと困るので、その門を閉じないように気を付ける必要があります。


 

部 教育 4章 天からの指導の言葉                                                  英文162

4章 天からの指導の言葉

 

 

 夜の間に、私は[幻の中で]、この教育の目的がすべての出席者の知性をひどく搔き乱していた大勢の仲間の中にいました。多くの人々は、長く流行していた教育の特徴を変えることに反対の声を上げていました。私達の指導を長時間して来た人は出席者に話していました。その人はこう言いました。「教育の目的は、セブンスデー アドベンチスト教会全体に興味を持たせる必要があります。私達の学校教育に関する決定は、教師達と校長達にすべて任されるべきではないでしょう」。

 ある人が精力的に、不信仰者の著書の学習を主張していました。また、主が戒めた書籍を推奨していました。そして、それは、それゆえ、どのような方法によっても是認されないでしょう。熱心な座談と議論の後で、私達の指導者が進行を中止しました。そして、高度な教育のために欠かせず本質的なものとして熱心に擁護していた書籍類を手にして言いました。「あなた方は、学生達の手にそれらを置いて、それらの著者達の原理と意見が全く安全だと見ているのですか。人間の知性は、サタンの嘘によって容易に魅了されています。それらの著書は、受け入れて理解したならば、そうした者の永遠の命を守る神の言葉を熟慮することに嫌悪感を生じさせています。あなた方は、習慣によって造られた者です。また、正しい習慣は、あなた方自身の努力とほかの人々の善意と信望の両方を祝福しています。しかし、悪い習慣は、一旦確立された時、知性をかなたに追いやり、横暴な力を行使しています。あなた方が、これらの書籍の中の特別な一冊の言葉を読んでいなかったならば、ほかの全ての本にまさって、あなた方が今日よく理解しうるその特別な本[聖書]は学習する価値があって、そして、それらは高度な教育に関する唯一の正しい考えを与えています」。

 あなた方が[使う]教科書に著者達が付け加えることは慣例だったという事実、また、この習慣が時代と共に灰色化/一般化していることは好意的で議論されていません。[教科書が]長期間、利用されていることは、安全や本質的な要素として、必ずしもそれらの本を推奨するものではありません。それらは、サタンがアダムとエバを導いた所に多くの人々を「神が食することを私達に禁じた知識の木」に導きました。それらは、本質的でない学習科目line、本質的でない御言葉の学習に人々を導きました。このように教育された学生達が、魂達のための働きにさらに相応しくされるためには、既に学んだことを意識的に捨てて、学び直さなければならないことが分かるでしょう。異議のある考えは、庭園の雑草のように学生達の知性に根を張りました。そして、また、一つの結果として、ある人は、正しいことと間違ったことの間を識別できないでしょう。善と悪は、彼らの教育の中に混ぜられていました。その人々の顔/面目は、人々が見上げるよう掲げられていました。そして、人間達の理論が高められました。そういうことなので、ほかの人々に教える時に、繰り返し[教えることが]可能な小さな真理は、その人々の行動と言葉と意思が編み込まれています。キリストの実用的な知識のない人、それに根拠を置いている人々の言葉は、私達の学校で居場所が見つからないでしょう。彼らは適切な教育に対して害となるでしょう」。

部 教育 4章 天からの指導の言葉                                                  英文163

 「従順に信じている人々に一つの力の言葉を与えるために、主の聖霊の贈り物を持てるようあなた方が求めるために、あなた方は神の生きている言葉を持っています。主の聖霊の働きはすべての真理にガイドするために存在しています。あなた方が、魂と知性と心によって、神の生きている言葉を信頼している時、コミュニケーションのチャンネルは妨げられないでしょう。主の聖霊のガイダンスの下での御言葉の熱心で深い学習は、あなた方に新鮮なマナを与えるでしょう。そして、その同じ聖霊は効果的に役立っているでしょう。その尽力は高い知性を訓練している若者達によって行なわれました。この指導によって、辛抱強く努力をしている人々は、神の言葉の理解を知性に課して、神と共に働く者となるために備えをしています。

 「世俗の人々は、‟何かの教師達も信頼できる教師達に対しても、神は我慢できていない”と認めています。その人々にとって、聖書は捨てられていて、不信仰者の著者達の著書が推奨されています。世俗の人々の意見が含まれているならば、それら[不信仰]がその特徴の中に編み込まれています。あなた方は、この種類のタネを蒔くことから何を期待できますか。これら、異議のある書籍による学習によって、教師達と学生達の知性が滅ぼされることになります。かの敵は有毒な雑草のタネを蒔いています。それ[その雑草]はほかのものになることができません。清くない泉から飲むことによって、毒は身体組織体系の中に取り込まれています。この学習の教科課程を収めた未成熟な若者達は、清めの致命的な経路の考えに導くような印象を受けていますInexperienced youth taken over this line of study receive impressions which lead their thoughts into channels that are fatal to piety.。私達の学校に送られた若者達は、世俗の学校で推奨され利用されていたので安全だと考えられた書籍から学びました。しかし、これに倣った世俗の学校から多くの学生達がこれらの学習のゆえに不信仰者として巣立ちました」。

 「なぜ、あなた方は、すべて人間がつくり出したものではなく、神の言葉を最高に評価しなかったのですか。すべての真理の著者[]に手の内を隠しても足りないのですかIs it not enough to keep close to the Author of all truth?。あなた方は、レバノン川から新鮮な水の流れを引いても満足しないのですか。神は、渇いた魂を元気にする生きた泉と霊的に力を得る貴い食物の宝庫を持っています。主について学んでください。そして、主は、あなた方にある希望の理由を尋ねる人々に与えることを、あなた方に可能にするでしょう。あなた方は、教師達と学生達に有害な結果を持つことについて、主が言った良い知識を考えていましたか。

 その全体の人々には沈黙がありました。そして、一人ひとりの心には、確信が訪れました。自分で考えていた人々は、人間の魂の永遠の運命に関する本[聖書]の知識が弱められて欠如していたことをしっかりと考えて教化しました。

 神のメッセンジャーは、それから、数人の教師の手から学生達の授業に使っていた数冊の本を取りました。ある本は、不信心者の著者によって書かれていて、不信心者の意見が書かれていました。そして、[それを]彼らの横に置いてこう言いました。「それらの本[聖書]についての研究があなた方の現在の善と前進のため、あるいは、あなた方の未来の永遠の善のためにあったという時に、決してあなた方の生きている間に[その研究]時間がありませんでした(There never has been a time in your lives when the study of these books was for your present good and advancement, or for your future, eternal good.)。なぜ、あなた方は、キリストからの知性を考察する書籍をあなた方の本棚に満たしているのですか。なぜ、あなた方は、パンではないもののためにお金を費やしているのですか。キリストは、あなた方に‟私に関して学んでください。私は心が謙虚で柔和な者です”と呼び掛けています。あなた方が、主の聖なる御言葉の勤勉な学生となり、天から下って来た、生きている泉から飲む必要があります。熱心な祈りによって、キリストを引き寄せましょう。引き寄せてください。神の息子の血を飲み、肉を食べてください。日々の体験をしてください。人間の著者達は、あなた方のこの時代の必要を満たすことは決してできません。しかし、あなた方の信仰の創始者であり完成者であるキリストを見上げることによって、あなた方は、主の姿のように変えられていくでしょう」。

部 教育 4章 天からの指導の言葉                                              英文165-166

 その人は、彼らの手に聖書を渡して続けました。「あなた方は、この本の知識を少し持っています。あなた方は、今、言葉には神の力があることを知らないだけではなく、世俗の滅びている人々が[新しく]生まれるための重要なメッセージを深い理解してもいません。過去の時代を示して、教師達と学生達は共に、この時代の人々のために伝え続けている荘厳な真理についてわずかに知っているだけでした。第三天使のメッセージは、教育者として立っている多くの人々、全ての働き人達linesによって宣べ伝えられる必要があります。それは、その人々によって理解されているでしょう。あなた方が、神から来ている知識を持っていたならば、あなた方という人間は、罪と侵害の罪によって死んでいる一つの世界の人々に、生きている神の真理を宣布したことでしょう。しかし。現在の真理が少し含んでいる書籍と雑誌が高められていて、人々は‟このように言っています” [マタイ4:6]という言葉に従って知ったかぶりをしています」(But books and papers that contain little of present truth are exalted, and are becoming too wise to follow a Thus saith the Lord.')

 「私達の学校の全ての教師達によって、真実な神だけが高められる必要があります。しかし、見張りをする多くの人々は眠っています。その人々は、盲人が盲人を案内しているようなものです。また、主の特別な日は、私達にとって権利です。一人の泥棒のように忍び足で近づいてくる時、そして、その日は、見張っていない人々はみな気づかないでしょう。私達の教師達の間で目覚めていて、神の恵みの忠実な家令として、神の大いなる日に備えるよう世界の人々に呼び掛けて、第三天使のメッセージを宣布している人、トランペットの確かな音を立てている人は誰ですか。私達は、生きている神の印をもって、メッセージを伝えていますThe message we bear has the seal of the living God.

 彼は、聖書を示してこう言いました。「旧新約聖書の言葉は、主の特別な日に立つために一つの民に合った働きに結ばれる必要があります。あなた方の現在の機会を生かして熱心に改善しましょう。神の生きている言葉をあなた方の教科書に記しましょう。これがいつも本当になされていたならば、神の[人類救済]目的を見失った学生達は、現在、伝道者になろうとしていたことでしょう。ヤハウェ(hwhy) (英文:Jehovah)は、唯一、真の神です。そして、主は敬われて拝されるために存在しています。それらの人々は、不信仰者の著者の言葉に傾倒していて、そして、それらの本を見るよう学生達を導いています。自分達の教育の本質的なこととして、それらの本の影響、精神、語調は、それらの知識に頼った人々に有害です。学生達に伝えるためにもたらされたその影響力は、世界の人々の光、キリストから離れて見るように彼らを導きました。悪天使達は、主が私達の学校でこのように否定されていたように、これらの人々が「神は主を否定している」と知るように告白していることに喜んでいます(and evil angels rejoice that those who profess to know God deny Him as He has been thus denied in our schools.)。義の太陽は、闇を追い払うために、この世界の人々の光として輝くような人々に本質的な用意をする神の人々に注意を呼び掛けるために、教会の上に輝きましたThe Sun of Righteousness has been shining upon the church to dispel the darkness and to call the attention of God's people to the preparation essential for those who would shine as lights in the world.。この光を受けている人々は、それを理解するでしょう。それを受けていない人々は、自分達のつまずきの石ということを知らないで、闇の中を歩んでいるでしょう。その魂は、それが神性のガイダンスのもとにない場合は、安全ではありません。その時、それは、すべての真理に導かれるでしょう。神の言葉は、従順な人々の心に生きている力を持って降るでしょう。そして、神性の真理の適用を通して、神の像(かたち)が再現されるでしょう。そして、天において、それは‟汝らは、主の中で完全/成熟しています”(コロサイ2:20 KJV)と言われるでしょう」。

部 教育 4章 天からの指導の言葉                                                英文167

                        

 学生達が宗教的な体験に参加することが拒まれるように、たいそう多くの学習時間を取ることを許されることは決してないでしょう。

                        

 人間を造った主は、人間の心の中に変化をもたらすことだけができます。神だけがそれを増すことができます。すべての教師は、神性の働き人達によって、働かされる存在であるということに気づいている必要があります。最も経験のある人間の考えと判断は、失敗と不完全、そして、弱い手段となりやすい傾向があります。その人自身の遺伝的な品性の特徴の主要な部分は、毎日、主の聖霊の清めに服する必要があります。その一方で、自我は、衝動のために欲望と愛情と感情を集めるでしょう。学習者の謙虚な精神と柔和さによって、人間の全ての方法と計画と考えは、主の抑制と忍耐のゆえに、神のためにもたらされる必要があります。にもかかわらず、パウロの倦むことのないエネルギー、アポロの熟練した論法は、魂達の回心という結果に効力がなくなるでしょうotherwise the restless energy of Paul or the skillful logic of Apollos will be powerless to effect the conversion of souls.


 

部 教育 5章 学校の寄宿舎 (school homes)                                             英文168

5章 学校の寄宿舎 (school homes)

 

 

[1.教師は父親・母親]

 私達のカレッジに入学した多くの若者は、家族の仲間の支配、優しさの感化から引き離されています。若者が用心や指導を必要としている人生の大切な時代に、両親の感化と権威から断念されて引き離されています。また、様々な生活習慣と特徴のある同じ年頃のたくさんの仲間社会に入れられています。ある者は、子ども時代にわずかに取るに足らない躾を受けただけです。若者達が気に入ったことをすることに自由になって、厳しすぎる支配の手綱を握る手から離れる時に、たぶん、ほかの者は、規則と考えで、厳しく制限されていました。若者達はとても束縛されるという考えをひどく嫌っています。それらの仲間達によって、若い人々に危険性がとても増しています。

 私達の学校の寄宿舎school homesは、私達の若者達が至る所に満ちている悪い感化に晒されてあちこちに放浪して、居なくならないように設立されました。しかし、可能な限り、その家庭の雰囲気が提供されて、イエスに導かれて不道徳の誘惑から守られるでしょう。天の家族は、地上の家族がなるような姿を提示しています。そして、私達の学校の寄宿舎、神への奉仕のために供えようとしている若者達が集められる所は、可能な限り、神性のモデルに近づける必要があります。

 若者達の家庭の求めを課されている教師達は、親達が自分の子ども達に示すように、一人ひとり、全学生に一つの関心を示して、父親・母親として活動する必要があるので、最期(grave)の責任を負っています。若者達の品性の要素の変化と共に、彼らは多くの重荷と彼らへのケアをすることを求められています。また、[実家で]悪いマネジメントによって包まれていた知性を正しく指導して、バランスを取るために鋭い機転と強い忍耐心が求められています。教師達は、強いマネージングの能力を必要としています。彼らは原則に真実で、勤勉に優しくする必要があります。鍛錬と共に、キリストのような同情心と愛に結ばれて、教師達は、祈りと知恵と信仰のある男性・女性になる必要があります。彼らは、威厳や厳しい態度、手厳しさを現さないでしょう。彼らは、若者達に交じって、その日々の授業科目や生活の中で、同じように悲しみと喜びを共に過ごすでしょう。気持ちよく従順を愛することはいつもそのような努力の実となるでしょう。

部 教育 5章 学校の寄宿舎 (school homes)                                             英文169

 


2.家庭での義務[小事に忠実は大事に忠実]

 私達のカレッジに入学した若い男性と女性達が、家庭生活で受けているはずの教育は特別な注目に値しています。怠惰な傾向をみな捨てて、彼らに委ねられている働きを始めるように教えられて、私達のカレッジに入学した学生達は、品性形成の重要な働きを負っています。彼らは、日常生活の義務に精通するようになる必要があります。彼らはできるだけ、雑用や些細な事にも家庭の義務を徹底的に行なうよう教えられる必要があります。全ての事柄が秩序正しくきちんと行なわれるようにしましょう。書籍類は、学期に適したものが確保されるようにして、もはや学ぶ必要がない、家族の義務を怠るものが加えられるのではなく、取り除かれる必要があります (Books should be laid aside till their proper season, and no more study should be taken than can be attended to without neglecting the household duties.)。教科書からの学習は、家族への依存心に満足して、家庭の義務を怠るような知性にするためにあるのではありません(The study of books is not to engross the mind to the neglect of home duties upon which the comfort of the family depends.)

 それらの義務に軽率な行動、怠慢で無秩序な習慣は修正される必要があります。正されない限り、それらの習慣は生活のあらゆる層に持ち込まれるでしょう。そして、その生活は、有用でないために損なわれるでしょう。真の伝道の働きを損なうでしょう。決意と根気強さによって正されるならば、彼らは永遠のため、今の時のために学生は勝利するでしょう。その若い人達は、ドレスの正しい型の習慣を推奨されるでしょう。その人々の外装は上品で、目を惹くものになるでしょう。その人々は、その衣服が清楚で上品さを、修繕で保つよう教えられるでしょう。その人々の習慣はみな、ほかの人々に満足を助けるようになるでしょう。

 特別な指導がイスラエルの子ら、大群集に与えられました。彼らの全てのテントとその中には、神の特別な天使が、彼らの野営地を巡り歩いて、彼らの不潔さを見ないように整頓し清潔にする必要がありました。主は、それらの事柄に特別な注目を注ぐ必要があるでしょうか。

 主は、彼らの不潔を見たならば、その事実が指摘されるので、彼らの敵と戦うために彼らの兵士達と出かけないでしょう。そのような方法や私達の活動はみな、神によって注目されています。清潔の習慣を育てるようにイスラエルの子らをたいそう特別に扱った神は、今日の家庭の中のどのような不潔をも認めないでしょう。

 神は、彼らが霊的な教訓を教えられるように、これらの基準で、若者と子どもたちの全ての行動や生活において、教育する働きを教師達と親達に与えました。身体の清潔の習慣に彼らを訓練している一方で、私達は、体の中と同じく、心の中がきれいになるようにと神が彼らに望んでいるということを彼らに教えるでしょう。彼らはドアも窓も開けて埃を追い出す賢い努力をして部屋を掃除する一方で、部屋の中に清潔な実体を残して、彼らは、主が心を清める方法を学ぶでしょう。感覚と衝動の窓は、天に向かって開かれる必要があります。地上のものと自我の埃は、追い出される必要があります。神の恵みは知性の部屋をきれいにする必要があります。生まれつきの全ての要素は、神の聖霊によって清められて生命を与えられる必要があります。日毎の義務についての乱雑さと無秩序は、信仰の告白による信心の形式を保つために現実性を失って、神に属していることを忘れるように導くでしょう。私達は、祈りつつ見張る必要があります。そうでないと、私達は影を捉えて実体を見失うでしょう。

 黄金の糸たちのように、生きている信仰は小さな義務による日々の体験の中に通っている必要があります。その時、神の意図が学生達の生活のあらゆる活動を促して、学生達が清らかな原則を理解するように導かれるようになるでしょう。その時、日常生活の働きはみな、クリスチャンとしての成長を促す特性に属しているでしょう。また、生きた信仰の原則、信頼、イエスへの愛は、日常生活の一瞬の場面にも射し込むでしょう。そこでは、イエスを見詰めることがあるでしょう。そして、引き受けるすべての義務[を果たす]ために生きた力を加えて、イエスへの愛が継続の動機となるでしょう。そこには、「恥としない」希望という義認後の努力があるでしょう。神の栄光のために行なわれることは、何でも行なわれるでしょう。

部 教育 5章 学校の寄宿舎 (school homes)                                          英文171-172

 その寄宿舎では、学生達一人ひとりに、「家庭の義務を誠実になしてください」と伝えましょう。小さな責任を忠実に果たしてください。その寄宿舎で生きたクリスチャンに気付いてください。クリスチャンの原則をあなたの心とその統制に、また、あなた方の指導のルールにしましょう。教師によってなされた示唆はみな心に留めてください。しかし、行なうようにと語られたことをいつも必要なことだとしないでください。自分自身のために識別してください。あなたの部屋にあるすべてのものが埃のないものであるならば、あなた方自身のために気を付けてください。そして、そのように、神への違反の罪となるようなものはないでしょう。聖なる御使い達があなた方の部屋を通り過ぎる時、清潔さが行き届いていることに惹きつけられて、彼らは去りがたくて居残るでしょう。あなた方が自分の義務を速やかに小ぎれいに忠実に果たすことによって、あなた方は伝道者です。あなた方はキリストのための証を伝えています。[ところが]、あなた方は、キリストの宗教が行なわなかった、原則や実践において、あなた方の教師達の指導と勧めに少しも気を止めないで、乱雑、粗雑、失礼なことを示しています。実践された聖書の宗教は、あなた方を親切、思慮深く、忠実にするでしょう。あなた方は、行なわれるはずの小さなことを怠らないでいる必要があります。あなた方がキリストの言葉をモットーとして適用しましょう。「最も小さな事に忠実だった人は、多くの事にも忠実です」(ルカ16:10 KJV)。

 

3.クリスチャンの社交性と礼儀 Christian sociability and courtesy

 クリスチャンの社交性は、神の人々によって、ほんのわずかに育てられているだけです。この教育の中心テーマの一つbranchが私達の学校において視野から失われたり無関心にされたりしないようにしましょう。

 学生達は、周囲の人々の雰囲気から独立していないということを教えられる必要があります。布地を構成している一本一本の糸は、ほかの糸たちと結ばれるためにあるものなので、この指導が学校の寄宿舎で与えられる以上に効果的に与えられる部門はありません。ここで、学生達は日常生活の様々な機会に囲まれています。改善されるならば、学生達の品性の特徴として、社会性の発達を大きく助けるでしょう。有用になり幸せにする品性が発達することは、学生達の時間と機会を改善することや、学生自身の力の中に置かれています。洗練と練磨という知性の相互交流を受けることによって、また、社交的な相互交流によって、知り合いになるということが形成されて、友情関係は天の者の視野に心地好い愛の雰囲気、心を結ぶ成果としてつくられるので、自分の力で自分自身を閉ざす人々、友好的な仲間のかたわらにいるほかの人々を祝福することを快くしない人は、多くの祝福を失っています。

 特に、キリストの愛を味わった人々は、この方法によって救い主に魂を勝ち取るので、自分達の社交的な能力を発達させています。キリストは、自分達だけで楽しむため、神聖で思いやりのある宝を願う時に閉鎖的に、彼らの心の中で覆い隠される存在ではありません。また、キリストの愛は、自分達だけが愉快に楽しむだけの人々にも現されないでしょう。学生達は、自分で仲間を選べないけれども、大きな必要を求めている人々に向けて、キリストのような社交的な性質、思いやりのある関心を示すよう教えられる必要があります。

 いつもどこでも、イエスは、人間の家族に愛の関心を現しました。そして、友好的な清さを彼の周りに注ぎました。学生達は、主の歩みに倣うよう教えられる必要があります。学生達は、イエスに彼らを引き寄せる努力と彼らの若い仲間のための愛、クリスチャンの関心と共感を現すように教えられる必要があります。キリストは、永遠の命の中へ、湧き上がる井戸の水と同じく、付き合いをする彼らを元気づけて、彼らの心の中にいるでしょう。

 これは、必要な時にほかの人々のために奉仕の働きに勤しむという意思に基づくものです。それは、貴い神に帰せられています。このように、学校に在学している間に、学生達は、公言していることが事実であるならば、神のための生きた伝道者となるでしょう。これらはみな、時間を必要とするでしょう。しかし、このように働いたその時間は、有益に費やされています。この過程にいる学生達は、この世界の人々にキリスト教の紹介の仕方を学んでいます。キリストは、親しみのある相互交流によってほかの人々と混ざり合うことを拒みませんでした。主は、パリサイ派の人々と収税人によって宴会に招かれた時、その招きを受け入れました。そのような状況で、主が言った全ての言葉は、主に耳を傾ける人々に命の香りから命になりました。主は、その夕食の時間を人々の必要に適応した多くの貴い教訓を授ける場面にしました。このように、キリストは、弟子達がそうだったと同じように宗教のなかった仲間達の中にいる時に、その弟子達に自分達で指導する方法を教えました。主自身の手本によって、主は、彼らに、何かの一般的な集会に参加する時、回心の必要のないその人々はその状況において、通常は甘やかされている品性に似た者に属しているという教訓を教えました。

部 教育 5章 学校の寄宿舎 (school homes)                                          英文173-174

 学生達がテーブルについている時、キリストがその魂の中に内在しているならば、清く高められている心の宝庫から言葉が出ているでしょう。キリストがそこに宿っていないならば、満足が軽率なしゃれやジョークによって聞かれるでしょう。それは、神の御使い達を悲しませる一つの原因となり、霊的な成長を阻害するものになるでしょう。それは、規則を守らないメンバーの言葉です。しかし、それは、そうなるべきではありません。それは、回心される必要があります。スピーチの才能は、非常に貴重な才能です。キリストは、主の宝を授けるよういつも備えています。そして、私達は、主から来るその宝を集める必要があります。私達が話す時に、それらの宝は、私達の口からこぼれ落ちるでしょう。

 習慣から来る人の気性、個人の特徴や品性は、発達しています。寄宿舎で行なわれているすべては、生活する仲間達全ての中にそれ自身[品性]を現すでしょう。倣った性格傾向は言葉や思考によって、よく似た特徴のある活動によって、行動となって働くでしょう。すべての学生達、この学校の寄宿舎 [のメンバー] を構成する学生達が礼儀のない不親切な言葉遣いを断って、すべての人々に敬意のこもった言葉を話すならば、また、人が天の家族のメンバーの一人になることを知性に教えるならば、また、以前に、人がキリストから散らされないように、神性の見張り人達によって自分の信望を守っているならば、また、人が闇から出て主の素晴らしい光の中に彼を呼んだ主をたたえて示して、自分の生活の全ての活動をするように努めるならば、改革の影響力がすべての学校の寄宿舎から出て行くことでしょう。

 

4.宗教的な実践

 一つの教育の特徴の全てについて、私達の学校の寄宿舎で与えられることと、宗教体験は最も重要です。それら[の特徴]は、最も厳粛で崇敬をもって扱われる必要があります。また、あらゆる心地好さはできるだけそれらの中にもたらされる必要があります。それらは、学生達を退屈させて先延ばしされるべきではありません。若者達の知性をこのように印象づけるものは、冷淡で無関心な全ての人々を宗教の仲間に加える理由となるでしょう。そして、多くの人々は、かの敵の脇に自分達の信望を投げ捨てるように導くでしょう。礼儀正しく教えたならば、その人は、この教会と世界の人々の祝福となるでしょう。安息日の礼拝、チャペルにおいての、また、寄宿舎での朝夕の集会が、神の聖霊によって賢明に計画され元気づけられない限り、若者達の最も心身の負荷と全ての学校の体験について、ひどく形式的で、不愉快、魅力のないものになるでしょう。社交的な集会とほかの宗教体験の集会は、有益であるだけではなく、肯定的に引きつけられて、楽しいものになるよう計画され、管理運営される必要があります。共に祈ることは、忍耐という絆によって心を神に結ぶでしょう。心を開いて勇気をもってキリストに告白することは、私達の品性に、主の柔和と謙遜と愛を示して、聖化の美によってほかの人々の喜びとなるでしょう。

 これらの状況の全てにおいて、キリストは「万人の間の長」の人として「みな麗しい」(雅歌:ソロモンの5:10,16)と表明しています。彼は、すべての真の楽しみと満足の源として提示されているでしょう。すべての善と完全な贈り物の与え主、すべての祝福の創造者、私達の永遠の命の希望の御方が中心にされています。すべての宗教体験によって、神の愛とクリスチャン体験の喜びは、それらの真の善意の中に現れるでしょう。すべての罪の結果からの回復者として救い主を提示してください。

部 教育 5章 学校の寄宿舎 (school homes)                                          英文175-

 この結果を達成するために、人はすべての狭量さを避ける必要があります。誠実、熱心、心からの献身が必要とされているでしょう。教師達による熱烈で活動的な清めは欠かせない本質でしょう。しかし、私達がそれ[清め]を持っているならば、私達にとって力があります。私達がそれ[清め]を理解するならば、私達のための恵みがあります。私達が求めている対象の価値を熱烈な目的に釣り合わせて、私達が求めるにすぎなくても、主の聖霊は私達が求めるのを待っています(The Holy Spirit is waiting our demand if we will only demand it with that intensity of purpose which is proportionate to the value of the object we seek.)。天の御使い達は、品性においてキリストの姿を反映する私達の全ての働きに注意を払っていて、神性の像(かたち)に形成されるようになり、品性においてキリストの似姿を反映するそれぞれの人に牧師となることができる方法を見張っています。私達の学校の寄宿舎にいて求められている人々が、彼らの届く所に置かれた機会と特権を認識する時、彼らは天が是認する神のための働きを行なうでしょう。


 

部 教育 6章 私達の学校での労作教育改革 Industrial reform                     英文176

6章 私達の学校での労作教育改革 Industrial reform

 

 訳者加筆。「Industrial reform」の日本語訳は困難です。直訳すると「産業労働改革」です。しかし、これは、本節で言及している内容とかけ離れています。本節では、世間一般の産業労働改革について言及しているのではなく、SDAの学校における「労働教育」について、言及しています。日本語には「労作教育」という用語があります。玉川大学の創立者小原國芳が、ドイツの教育学者ケルヒェンシュタイナー(1854-1932)の「arbeit schule」を「労作学校」と訳したのが始まりです。このドイツ語の「arbeit」は一般に「労働」として訳されます。小原國芳が言う「労作」の意味は、「業」ではなく、苦の労作です。一般社会での労働は、賃金を目的にした活動で苦役が伴います。しかし、学校教育での労作は、賃金が目的ではなく技術や人格の陶冶が目的です。なぜ労作なのかを考えると、技術や人格の陶冶は無から有を創り出す活動なので、学校おける労作教育は苦と言えるでしょう。

 

 難問が起こったために、私達は、教育の一部門として定着してきたその工場を閉鎖する必要はありません。学校に入学している若者達が工具の利用を習う機会を持つ必要があります。辛抱強く親切な性格で、経験ある大工職人の指導の下で、学生達は自分達の力で学校の土地に建物を建てて、そして、必要としている改築をする必要があります。このように、倹約した建て方の実技訓練の学生達は、活字組み、印刷作業、製本、テント製造やそのほかの有用な仕事と、印刷業と関連した様々な仕事を管理運営するために訓練される必要があります。小さな果実のなる木が植えられ、野菜や花が栽培される必要があります。この働きに女子学生達が行なうために戸外に呼ばれるでしょう。このように、脳、骨格、筋肉を働かせながら、学生達は生活の実用的な知識を得ているでしょう。

 これら全ての点[能力]を育てることは、違う地域に現在の真理を伝えるために、私達の若者達を有用なものにするでしょう。彼らは、建てて、縫って、料理している人々の間にいて依存していてはいけないでしょう。学校の建物、集会所、小さな家を設計することは、数千マイルも人々を移動させるために資金を費やす必要があるでしょう。伝道者達は、良い結果をもたらして、良い方法ともっと調和して労働の仕方の初心者に教えることができるならば、その人々の間で、もっと多くの感化を及ぼすでしょう。学生達はこのような実践ができるでしょう。特に、資金が限られている所で、伝道者達が産業労働者の教育者となることができて、この種類の指導が正しく理解されるでしょう。学生達の学習と結ばれているので、とても小さな基金がそのような伝道者たちを支えるために求められているでしょう。彼らは実用的な労作教育によって、身体的な力を最大限に課しました。そして、この方法を得た彼らは行く所ではどこでも、人々に有利な地を与えるでしょう。労働部門にいる学生達は、建物内部で働いていようとも、畑で作物栽培をしていても、ほかの方法でも、この働きと結ばれて学んだ実用的で霊的な学習を話すよう与えられた時間と機会を持つ必要があります。生活の実際的な義務の全てにおいて、類似したものが、聖書に関することと自然界に関する教えによってつくられるでしょう。

部 教育 6章 私達の学校での労作教育改革 Industrial reform                     英文177

 ある地域での私達の学校の立地として、都市から離れて移転するいくつかの場所に私達を導いた理由は、その学校に都合のよいある場所の配置です。ある学校がすでに多額の負債を抱えている時、建物を加えるために資金を使い果たすことは、神の計画と調和していません。私達の大きな学校が高価な建物に使った資金は、学生達が適切な教育を受けられる土地を調達するために投資されていたならば、とても多くの学生達が、増加している負債の重荷の下で、難儀していないことでしょう。それらの施設の働きは、もっと順調な状況になっていることでしょう。その方針が取られていたので、学生達から、ブツブツと不満の声が出ていたものでした。そして、多くの異議が、親達から上がっていました。しかし、学生達は、新しく拓いた土地で、主の農場に置かれるために、様々な営業の実際的な働きのためだけではなく、それは学生達のために用意されていたもので、一連の教育を確保したことでしょう。

 私達の全ての学校で、農作業の働きが奨励されたならば、学生達は、現在とは全く異なった様子を示していることでしょう。とてもひどい落胆がなかったことでしょう。反対意見の影響は克服されていたことでしょう。学校財務の状態は変わっていたことでしょう。その学生達と共に、働き人達は平等にされたことでしょう。そして、その組織の人間はみな、比例して負担を負わせられました。身体的・知的な力が発達させられました。しかし、主が喜んで与えた指導は、様々な障害が克服されずとてもわずかに定着していただけでした。

 良質な教育が与えられるような科目line――労作科目の不確実さと遅滞した[教育]の動きは、臆病者の姿を現しています。自然界を見てください。彼女(自然界)との広大な境界線には、設立される学校のための余地があります。その土地は、開墾されてきれいにされて畑地にできます。自然界の声は、キリストの声なので、個々での働きは、霊的な前進のために最も好意的でこの教育に欠かせない本質的な要素です。私達に、愛と従順と困難と挫けない根気強さの数えきれない教訓を教えています。ある人は、農作業の価値を悟っていません。その人々は、正しい科目lineによって前進させることに対して、すべてを除外しているので、私達の学校の計画を立てるべきではありません。過去において、その人々の影響力が障壁となっていました。

 その土地が作物栽培されるようになったならば、それは、神の祝福となり、私達に必要な物を供給するでしょう。私達は先延ばしによって落胆させられるのではなく、失敗を現す者でもないので、現世の事柄について失望させられる必要がありません。私達は、銀や金以上のものを穀物倉庫に豊かに蓄える忠実な働き人として、彼女(大地)という宝庫の胸を抱き締めて、信じて、喜んで、希望を持って、快活に大地で働く必要があります。彼女(大地)の求めに[労力を]出し惜しみしていることは間違った証です。賢明に適切に作物を育てることによって、その土地は、人間の益のためにその宝を生み出すでしょう。山々や丘並みが変化しているように、大地は次第に古い衣服のようになって[痩せて]いきます。しかし、神の祝福は、荒野にいた神の民のためにテーブルを広げていました。決して途絶えることがないでしょう。

 深刻な時が私達の前にあります。現在の真理はこの地上の大通りの人々と同じく脇道にいる人々にも伝えられるので、都市からこの地域に出てきた家族には大きな必要があります。多くの人々が、書籍からの学習と天与の才能以上の辛抱強さと献身した活動に信頼してdepend uponいます。多くの人々が、主の言葉によって私達の計画にのって、そして、自分達のエネルギーを使い続けてもっと、信頼してdepend uponいます。人間の働き人達に与えられている能力と才能の全ては、役立てられなければ、わずかな価値に属するものです。

 たいそう簡潔な方法への回帰が、子ども達と若者達によって理解されるでしょう。菜園や畑での働きは、教師達が受け持つ若者達の知性が閉鎖されないように、毎日の抽象的な学習による疲労から心地好い気分転換になるでしょう。本からの教訓を見つけるために力を使い果たしている繊細な子どもにとって特別な価値があるでしょう。自然界における学習には、その学生にとって幸と健康があります。そして、その学生の目前にあり続けている対象と結ばれているので、生じた感動はその学生の知性から消え去らないでしょう。

部 教育 6章 私達の学校での労作教育改革 Industrial reform                            英文179

                        

 大地で働くことは、知性を休ませて活動によって筋肉を呼び醒ます最良の労働の一つです。一連の農作業の学習は、私達の学校で与えられる教育のABCとなるでしょう。それは、授業科目に入れられる必要のある、真の働きの始まりです。私達の学校は、健康に必要不可欠の果実と野菜や果物を輸入した生産物に依存するべきではありません。私達の若者達は、文筆労働と同じく、樹木を切り倒して、大地で作物を育てる教育を受ける必要があります。様々な教師達がその働きによって多くの学生達を見守るために任命されて見守るでしょう。このように、その教師達は自分で重荷を負っている者として責任を果たすことを学ぶでしょう。この方法で、学生達は責任を負うことに相応しく教育されるでしょう。教師と学生はみな、その働きを担う最良の方法として共に勧め合うでしょう(ローマ1:12 KJV)

 過去の世代に行なわれたことを現在の[世代が]達成するためには時間がとても少ないです。しかし、それらの過ぎた日々にさえ、私達は若者達の教育の中に存在している悪を修正する多くのことをすることができます。また、時間はとても少ないので、私達は、自分達の信仰と一貫した教育を若い人達に与えるために真剣に、熱心に働く必要があります。私達は改革者です。私達は、私達の教会の子ども達が最も優先的に学べるよう期待しています。このことによって、筋肉を使うように求められている労働が、学生達に与えられるでしょう。日々の組織的な労働は、この[学校の]後の期間でさえ若者達の教育の一部分となるでしょう。多くのことが今、この方法によって習得されるでしょう。この計画に倣うことによって、一人で学べる以上に知的な労働を達成できる時間を与えられて、学生達は精神の順応性と思考の活力に気付くでしょう。そして、このようにして、がまん強さと励ましとが損なわれない性質を持って神の摂理がある所へ、学生達は学校を巣立って行くことができます。

                       

 生活の重荷を分かち合って負うように若い人々を鍛えて、有用な者になるための手技を教える実習は、身体的な力を与えて、あらゆる能力を発達させています。学生達はみな、ほかの人の助けとなり、自分達の益となることを行なう何かを見つけるでしょう。神は、祝福として働くことを備えました。そして、懸命な働き人は生きていることの喜びと真の至福を見つけています。

                        

 健康と活力が管理されるためにあるものならば、脳と筋肉は等しく責任を担う必要があります。その時、若い人々は、バランスの取れた気力と健全な認知によって、神の言葉の研究をするようになることでしょう。その学生達は、主の言葉からもたらされる貴重な宝を保つことができて、脳に健全な思想が持てて、その真理を習得しているでしょう。また、何が真理かを識別する脳の力を持つ結果として、学生達は自分達の中にある柔和と畏れの希望の理由を求めるすべての人々に、質問の内容に応じて説明するでしょう。


 

部 教育 7章 アボンディール学校の農場                                                 英文181

7章 アボンディール学校の農場

 

 

[1.学校の周りの土地を農場として確保する]

 私達の教会と学校の近郊の土地の利用と売却に関して、[主から]私の目の前に開示されて私が指導されていたことで、あなた方に提示するためのある事柄があります。今まで、私はそれらについて語ることに自由を感じていませんでした。そして今も、私はそれらの事柄をすべて明らかにすることに自由を感じていません。私達の人々はみな、「神の摂理がアボンディールで発展するだろう」と理解する用意がなされていないためです。

 夜の幻の中で、いくつかの事柄が、の前にはっきりと提示されました。人々は、家を建て家族を呼ぶことを提案して、この学校の土地を割譲するために選んでいました。しかし、御方が私達の真ん中に立って言いました。「あなた方は、後悔の原因となる大きな間違いをしています。この土地は、この学校の学生達と教師達に必要な施設を提供することを除いて、建物が占有するためにあるのではありません。この学校の周りの土地は、この学校の農場として確保されている必要があります。その土地は、学生達のための生きた譬えになるためにあります。その学生達は、学校の土地を一般の事柄として考えるためにいるのではなく、主が彼らの学習のために与え、彼らの前に開かれた教科書として、それを見上げるために在学しています。その教訓は、魂を養い育てる知識を授けるでしょう」。

 「あなた方が、この学校から離れたほかの土地で農作業をすることを選択して移動するようにして、また、個人の家を建てるために学校の近くの土地の[売却]を許すならば、それは、いつも残念に思われて大きな間違いとなるでしょう。その建物の近くの土地はみな、学校の農場とみなされる必要があります。そこで、若者達は適任な管理者の下で教育されるでしょう。私達の学校に入学した若者達はその畑がみな近くにあることを必要としているでしょう。学生達は生産用の菜園で作物を育てて、果樹と街路樹を育てる必要があります」。

 「その学校の農場は、教師達が実物教訓を引き出すことができる自然界の教科書と考えられる必要があります。私達の学生達は、生きている全ての者達の光であり、この世界とその中にあるすべてのものを造ったキリストを教えられる必要があります。適切な教育を受ける機会を快く捉えるためにいるすべての子どもと若者の命は、主の目が注がれている人々によって、学校にいる間に感謝と幸が作られるでしょう」。

 

2.私達の目前の働き

 私達は、学生達を教育するために、様々な部門lineで多くの教師と多くの才能ある人々を必要としています。多くの人々は、自分達が受けた知識をほかの人々に伝えることができて、快くこの場所から進んで行くことでしょう。親のいない少年少女達はここで家を見つけるでしょう。様々な建物は、病院のためにも建てられるでしょう。様々な客船は、この学校に来るaccommodateために提供されるでしょう。能力のある農場管理者は、働き方を学生達に教える強い能力を利用して、いろいろな企業industrialの事業の監督者として活動する人々、賢明に精力的な人々として働くでしょう。

 多くの若い人々が、企業労働者として訓練を希望して、この学校に来ることでしょう。この工業指導は、農業に関するすべてを理解するもの、大工仕事、経理を含んでいる必要があります。予備実習preparationは、鍛冶[くわの修理]、ペンキ塗り、靴作り、料理、パン作り、洗濯、修繕、タイプライター [6]、そして、印刷を教えるためになされるでしょう。私達が操るあらゆる能力は、この訓練の働きの中に組み入れられる必要があります(Every power at our command is to be brought into this training work.)。その学生達は、実際の生活の義務を果たすように備えられて出て行くでしょう。

部 教育 7章 アボンディール学校の農場                                                 英文183

 この学校の働きに必要不可欠な建物と小さな家は、学生達自身によって建てられる必要があります。それらの建物は密集しないだけではなく、学校の建物の近くに配置しないようにする必要があります。この働きの管理運営において、的確なリーダーの下で小委員会が作られ、また、彼らの責任の感覚を働かせる必要があります。

 

3.保存されるための特別な土地

 主は、主自身の教室として、主に捧げられた学校の周りの土地を持っています。私達は、恵まれている土地に学校を設置しています。そして、学校の近くの土地と教会の近くの土地は、個人的な住居を占めないようにしましょう。この時代のための真理を信じている人々は、みんなが[キリストのような]品性に変容されていないでしょう。その人々は、みんながキリストの品性を表していないので、適切な実物教訓ではありません。助けではなくじゃまとなるような学校と教会を閉鎖することを喜ぶ人々がいます。その人々は、教会と学校が[自分達の]手助けとなり好意的になる必要があると考えています。その人々は、私達が結ばれているこの働きの状況と特徴の両方を認識していません。その人々は、アボンディール[の学校]で行なわれてきたすべてのことは、無利子で借りた人々に返済する義務のある資金、犠牲によって捧げられた資金の利用や、とても過酷な労働によって成し遂げられてきた、ということを理解していません。

 私達の学校の近くに住みたいと望むこれらの人々の間に、自分自身の評判を気にして、尊大(自己中心)self-importanceに満たされている人々がいるでしょう。その人々は、神経過敏で争い好きです。これらの人々は、主の祝福を受けることができる所から離れて立っているので、回心する必要があります。その人々[の意見]が聞き入れられたならば、[ほかの人が見たら]傷つくだけのような、気に入りの場所を求めるように、サタンは誘惑しています。そして、このように、彼らは、彼らの兄弟達に不安の種をもたらしています。神の生きた言葉は、現在、それらの原則のための余地を見つけていない多くの人々の生活の中にもたらされる必要があります。キリストの学校で学んでいるこれらの人々は、彼らのための善意としての神の行為に対してあらゆる責任があるでしょう。彼らは自分達が受ける全ての良い物を受けるに値しないと気づいているでしょう。また、自分が幸せだと思っているでしょう。主が彼らのために神の言葉を持っているので、彼らの顔は、主に、安息と平安を表しているでしょう。

 主はこのように言っています。天は私の座席です。そして、この地は私の[椅子に座る時に使う]足乗せ台です。汝らが私のために建てる家はどこにありますか。私の安息の場所はどこですか。そして、これら全ての存在したもの達、これら全てのもの達は私の手で造ったので、主は言っています。しかし、私はこの人々を見るでしょう。それは貧しい者でありながらさらに、私の言葉におののく者、悔い改める精神に属する者です」(イザヤ66:1,2 KJV)1897年の暮れの日々の間に、私達はそれらの言葉の意味を私達に教えるような多くの体験をしました。私の心はとても重荷を負っていました。住宅に占有されるよう学校の近くの土地を気に入りにさせるよう目覚めるような悪について、いろいろな問題が私の前に開示されました。私達は、相談の集会にいるように思いました。そして、そこには、私達の間に、私達の困難な問題から助け出すように期待されていた御方が立っていました。彼が語った言葉は、明確で決定的なものでした。

 「この土地は、神の是認によって、この学校の益となるためにあります。あなた方は、誘惑の下で現れるような人間の性質の働きについての根拠を持っていました。多くの家族のメンバーが学校の建物の周囲に定住していると、もっと多くの困難が、学生達と教師達[が進む]道にあるでしょう。子ども達のためにすべて都合の良いものならば、人間の子ども達の生来の自己中心性が人生の中に芽生える備えをしています。学校の周囲の土地は、この学校の農場となるためにあります。そして、この農場は、あなた方がそうだろうと考えていた以上に多くの場所を占めるためにあります。学習と関連している労作/労働は、与えられた勧めによると、個々で行なわれるためにあります。「アボンディール」は、慈善事業や社会貢献のセンターとなるためにあります。オーストラレーシア支部の神の人々は、多くの慈善と善意の事業を奨励するための資金と共感を与えるために、主の聖霊に動かされる必要があります。それは、自分自身を助ける方法に無関心で自立していない貧しい人々の教育の手段となるでしょう。

部 教育 7章 アボンディール学校の農場                                           英文184-185

 


4.全景 panorama

 いくつかの場合において、私達の学校の周りの土地が、主の農場として使用されるためにあるという特別な光[指導]が私にやって来ました。特別な感覚において、この農場の一部は「高度な栽培が行なわれる」必要があります。この地域で栽培可能な果樹の全ての種類を植えた土地を見た場面が、私の前に広がりました。そこはまた、野菜畑があって、そこでは様々なタネが蒔かれて栽培されていました。

 この学校の教師達とこの農場の管理人達は、彼らと共に働く主の聖霊を受けるでしょう。彼らは、農場を管理する知恵を持つでしょう。そして、神は彼らの労働を祝福するでしょう。果樹の剪定、タネ蒔き、育苗、収穫などはすべての学生達に素晴らしい学習となるように用意されています。見えない鎖の環が学ばれるためにあるタネ蒔きと取り入れを結んでいます。そして、神の善意が指し示されて認識される必要があります。土壌とタネに力を与えるのは主です。神性の働きが人間の機知や能力と結ばれなかったならば、蒔かれた種は無駄になるでしょう。そこには、衣服と食物を与えて人間の味方として、いつも働くめない力が存在しています。学生達と教師達が日毎に体験して学ぶようにタネの譬え話は、神が自然界の中で働いていることを現すためにあります。そして、それは、天の王国の事柄を明らかにするためにあります。

5.神と自然界 God and nature

 聖書の次に、自然界は私達の偉大な教科書となるためにあります。これは、その作品をデザインした創造者、主が任じたことと一致して運行するようにいつも保っている偉大な造り主よりも造られたものを高めているので、しかし、自然界を神として崇拝することに美徳はありません。私達がタネを蒔いて、苗を育てる時、神がタネを造って、それをこの地上に与えていることを思い出すために生きています。主の神性な力によって、主は、種の世話をしています。タネは、再び地に蒔かれてそれらの収穫をもたらすために、宝となるようにほかのタネ達をそれ自身の中に含んでいて、死んでその命を葉と実に与えているのは、主の約束によっています。私達はまた、人間の働きを役割としての協力の仕方を学んでいます。人間の働き人は、自分の働きをするために自分の行動の役割を持っています。これは、自然界が教えている学習の一つです。そして、私達は一つの美しく厳粛な働きを目にするでしょう。

 自然界の中に、神について語っている多くのものがあります。主が、自然界の奉仕者であるように、自然界の法則に結ばれているように、多くの学説は、自然界が造物主Deityから離れて、自立継続作用であることを推測するように知性を導いています。このことによって、人々は自分達が語っていることについて、自然界の法則にとって代わるために主の法則を理解していないことを知りません。主は、主の手段となっている造られたものたちとその法則を通した主の働きを行なっています。そして、自然界は、「主はこのように言っています」という言葉に服しています。

 自然界を所有している神は、絶え間なく働いています。主の計り知れない力は、見えない働きをしています。しかし、造り出した作品の成果の中に姿が現れています。同様に、惑星としての地球を導いている神は、野菜畑と柑橘系の果樹畑の中で働いています。主は決して、イバラやアザミ、有毒雑草を造り出しませんでした。それらは、貴重な植物の中に、彼によって造り出された変質の結果として、サタンの働きです。しかし、つぼみの悪い花はみな、神の直接的な作動を通したものです。キリストが人間の姿でこの世界にいた時、主は「私の父は今に至っても働いています。ですから、私も働いています」(ヨハネ5:7 KJV)。この学校の学生達が農作業で自分達の力と時間で働いた時、天では彼らについて汝らは‟神と共に働く者達”と呼ばれています」(1コリント3:9 KJV)。

部 教育 7章 アボンディール学校の農場                                             英文187-188

 学校の近くの土地と教会の近くの土地は保存されるようにしましょう。コーランボンに居住するために来ている人々は、彼らが選ぶならば、「アボンディール」の地所の一部かそばに自分達の家を見つけることができます。しかし、私に与えられた光は、メートランド通りへのこの学校の非柑橘系の果樹園から土地の一部はみな、学校への集会の建物からその通りの両側に広がっていて、街路樹と香りのあるきれいな花のある公園か、農場となるでしょうと言っているものです。そこは非柑橘系の果樹があるでしょう。そして、土壌に適したあらゆる実のなる樹木が植えられて、この場所は近くても離れていても生きた教訓となるでしょう。

 学校の働きに必要でない全ての事柄は距離を保ちましょう。その場所の神聖さは、建物や家族が近くにいることによってかき乱されないでしょう。学校だけが立っているようにしましょう。学校の建物からある程度離れて立地することは、個人宅のために最良でしょう。しかしながら、主への奉仕のために捧げられたものとなるでしょう。この学校は主の財産です。その周りの土地は主の農場です。そこはタネを蒔く偉大な者が一つの教科書として主の庭を造ることができます。その働き人達の成果は「初めに葉、それから穂、その後で穂の中に実が実るでしょう」(マルコ4:28 KJV)。その土地は、それ自身の宝を開放するでしょう。豊かな収穫の喜びをもたらして、神の祝福によって集められた生産物は、霊的な教訓は、魂の必要に適用されて明らかにつくられることから、自然界の教科書として利用されるためにあります。

 

6.一つの実物教訓

 私達の面前に、その資金が速やかに得られて私達が前進して行なわれることを見てしかるべく大きな事柄があります。また工場と健康施設の従業員の教育のために、忍耐と徹底した努力が周りの地域共同体に掲げて励ますためになされる必要があります。学校とその周辺は、飲食店、工場、手の込んだ形態が、清くないもの、乱雑、無関心、罪の場所を占めているので、改革を人々にアピールして、改善の方法を教えるための実物教訓となるでしょう。最も貧しい者でさえ、勤勉な労働と、早くから育てることによって、彼らの周りを改善できるでしょう。私達の生活とその模範によって、私達は彼の前に書いて述べたものについての品性の嫌な者を識別することを彼らに助けることができるでしょう。クリスチャンの礼儀正しさによって私達は改善を励ませるでしょう。

 次のような質問がしばしば出てきます。貧困が広まっている所で、至る所に行く先々で取り組む必要がある所では、私達は何をなしうるでしょうか。また、そのような状況の下で、改善の正しい考え方を知性に印象付けることができるでしょうか。確かにこの働きは困難です。資金を持っている人やアイデアを持っている人、教師達、キリストが彼らの中で彼らが掲げられたように、彼らの才能と意思を正しく掲げて、実現されない限り、重要な働きがなされないでしょう。改革の必要性は、男性達と女性達が自分達の外側からの力によって助けられない限り、決して作られないでしょう。これらの能力と才能を持っている人々は、人々が自分を助けることができる歩みに自分を置くような働きをして、彼らの仲間の人々を祝福するためにその賜物を役立てるでしょう。私達の学校で得た教育は、最善に利用するために置かれるということはこのようなことです。

 神が託した才能は、ベッドやロウソク立ての下に隠されるためにあるのではありません。「汝らは世界の人々のための光です」(マタイ5:14 KJV)とキリストは言いました。彼らの家の周りの改善点のほかにしるしや本もなく、道具もなく、粗末な衣服と家具で、物置小屋に住んでいる家族を見る時、あなた方は彼らに無関心になるでしょう。そして、彼らが改善できるように、彼らのエネルギーの最善の使い方を教えるように励むでしょう。そして、彼らの働きが前進するのではありませんか。自分達の畑を耕して作物を育てて前述の改善に成功するようになるでしょう。

 身体的努力と道徳的な力は、改善と生まれ変わるための私達の努力と結ばれるためにあります。私達はこれらを全ての人々に伝えるために福音を生き抜くよう求める必要があります。この世のものと霊的な祝福は私達の周りの全ての人々に感じられるでしょう。

部 教育 7章 アボンディール学校の農場                                             英文189-190

 


7.伝道者の働きのための最高の教育・訓練

 主は確かに、ほかの人々を祝福する者、しようとしている者すべてを祝福しているでしょう。この学校は教師達と学生達が与えられた才能を信仰によって利用することを通して力を得続けるでしょう。彼らが学んだ内容を実際に利用することによって、彼らは知恵と知識、常に増し加えるでしょう。私達は、私達が働いて生きることになる原則の本の中の本から学ぶために生きています。私達の神が与えた能力を人々のための最初の光を持っている主に聖別することによって、私達は自分達の注目している価値のある全てのことに貴い前進をもたらすでしょう。人々のための最初の光を持っている神に、主が与えた私達の能力を聖別することによって、私達は自分達の注目している価値あるもの、全てのことに前進できるでしょう。

 この精神に入った時、伝道の働きは助けられた人々と働き人達が共に高尚になっています。天の王の一人の子どもになると言っている人々はみな、神の王国の原則をいつも示しましょう。一人ひとりが精神/霊によって、言葉において、働きにおいて、自分は主の戒めと私心に忠実に生きているということを覚えておきましょう。私達は、キリストの王国、信頼される忠実な神の国の民になろうとしています。経験豊かな人々は、そして、住民の礼儀、神の王国、優しさと憐れみと善意を豊かな現れを持っているでしょう。

 生活のほかに最も良い物を得ようとしている学生達は、その仲間たちに配って、結ばれて、神の言葉の内に生きている人々です。与えるために受けている人々は、この世の生活にたいそう満足を感じているでしょう。人のために生きている人間家族のメンバーは、決して満足しないので、いつも切望しています。私達自身の利己的な心に私達の共感を拒絶していては、キリスト教の精神はありません。主は、主の善意と憐れみと誠意を満たしているチャンネルとして託しました。そして、私達は慈しみと実用的な知恵をほかの人々に伝えることによってキリストと共に働くことができます。私達は、このようにして良い清い働きを行なって、その人々の生活に祝福と輝きをもたらそうとしています。

 アボンディール学校が、いつか主が求めているようになるならば、教師達と学生達は成果を生み出すでしょう。その学校と外の人々の双方、快く市民が神への献身にもたらされるでしょう。偽りの勢力の下で始まった反逆と、神の律法への不従順にアダムとエバを導いた騙しは、私達の世界に苦難の洪水の門を開きました。しかし、キリストを信じている人々はみな、神の息子・娘となるでしょう。真理の者達の勢力を通して、その人々は回復されるでしょう。そして、罪に陥った人は、その人の造り主に忠誠を尽くすようになるでしょう。現在の真理は、特に、この働きの勢力、さ迷う罪びと達の心と知性に結ばれています。その感化によって、迷子になった羊は主の腕の中に連れ戻されるでしょう。

 主の真理を持っている個人の才能や立場がどんなものでも、神の言葉は、その人が持っているものはみな、託されたその人によって保たれているということをその人に教えています。その人の品性をテストすることは、その人に与えられています。人の世俗的なビジネス、人の才能、人の収入、人の機会などみな、人が属している創造と贖いによって、主によって責任を負わせられる可能性があります。人が神の偉大な教育の働きを推進させる全ての貴い才能を利用する時、また、人が最善の知識の有用な使い方を獲得するために努める時、滅びを用意している魂達の救済のための働き方によって、神の祝福はその人の努力に現れるでしょう。神は、ほかの人々に奉仕の働きのために、私達に主の贈り物を授けています。そして、このように、主に似た者となるでしょう。主の贈り物を受けている人々は、ほかの人々に分け与えることができて、キリストのようになることができるでしょう。私達がほかの人々を助けて高尚にすることは、私達が清められて高貴にされることです。(訳者加筆。この一文に、「教えて―教えられる」という教育的人間関係の二方向性が現れています)。これは、栄光が神に帰るという[人類救済]目的による働きです。私達はそれらの点において、聡明になる必要があります。神は、天の王国を代表する者として、神の人々を用いようと望んでいるので、私達の魂は、利己的な者をみな清められる必要があります。

部 教育 7章 アボンディール学校の農場                                             英文191-192

 私達の学校は、神の管理の下で指導される必要があります。若い男性達と若い女性達のためになされる働きはまだ達成されていません。私達の職業訓練学校の優位性を知る必要のある若い人々がたくさんいます。その学生達は、手を使う職業訓練のコース/課程を必要としています。それは、エネルギッシュで活動的な生活への導き方を学生達に教えるでしょう。仕事のあらゆる職業が私達の学校で結ばれる必要があります。神を畏れ、賢明で判断力人の確かな指導者の下で、学生達は教えられる必要があります。すべての働きの部門は、多くの経験と知恵が私達の計画と遂行を可能にするように、徹底的に計画に沿った方法で指導される必要があります。

 教師達はこのテーマの重要性に目覚めて、栽培農業とほかの製造工業を教えましょう。それを理解することは、学生達にとって、必要なことです。すべての労働部門で最善の結果に達するように努めましょう。神の言葉の科学は、その働きにもたらされるでしょう。ある学生は、正しい原則を理解するでしょう。また、可能な限り、高い標準に達するでしょう。あなた方の神に与えられた能力を働かせましょう。主の農場での作物の成長にあなた方のエネルギーを注ぎましょう。学びつつ働きましょう。最大の収穫と大きな報いはタネを蒔くことから来るでしょう。そこには、クリスチャンの働きとして訓練されるために集められるように増えた多くの学生達のために、世俗的なものと霊的なものの両方で食物が豊富に供給されるようになるでしょう。

 私達が、倒された巨木や掘り出された根を見た時、また、馬が引く土中に入った鋤の歯を見た時、タネを蒔くためや木々を植えるための畑の深い畝がつくられるのを見ました。学生達は、耕される意味を学んでいます。

クワとスコップ、熊手(レーキ)と馬鍬(マグワ)がみな、有益な産業勤労、高貴な道具であることに、しばしば誤解されているでしょう。しかし、間違いはみな、真理の横の道端に置かれています。知恵は、失敗によって学ばれるでしょう。その目的の成功に希望のきっかけをつくっているでしょう。

 ためらいは、人を遠ざけているでしょう。大慌ては、愚か者に似ています。しかし、人間の働き人がそのようにそれを持っているならば、すべてのものは教訓として仕えているでしょう。

                        

 労働が人の品位を下げる(人を卑しいものにする)という印象は、墓の中の多くの人々が抱いていたものでした。身体を使う労働者達は、しばしば、過剰な仕事をしています。一方で、頭脳労働者達は、身体労働者が得ている健全な精神の欠乏に苦しんでいます。仮に、その知的な能力が筋肉に力を与えられる程度に労働の負担を分かち合うならば、肉体労働者達は、知的・道徳的な教養のために、彼らの時間の一部を捧げているでしょう。座業と文筆の習慣は、身体を動かす時間を取る必要があります。健康は、知的労働と身体労働の一致に導く十分な誘因となる必要があります。


 

部 教育 8章 教会学校                                                       英文193

8章 教会学校

 

 

1.教会学校の働き

 この教会には、[公立]学校に入学して、あるいは、ほかの子ども達に結ばれて、品位の低下した習慣をもつ人々によって感化されないように、この教会の子どもたちを教育し訓練を行なうための特別な働きがあります。この世界の人々は、不正に満ちていて、神の求めを軽視しています。大都市は、ソドムのようになっています。そして、私達の子ども達は、毎日、多くの悪いことに晒されて生きています。公立学校に入学した子ども達はしばしば、彼らよりももっと無関心な子ども達と結びついています。教室の中での面白くいない時間から逃げ出した子ども達は、ストリート教育を得るように託されています。その若者達の心はたやすく印象づけられています。そして、その子ども達の取り巻き達が正しい品性をもっている者でない限り、サタンはそれらの放置された子ども達を慎重に訓練された子ども達への感化に利用するでしょう。このように、悪いことがなされていることを知っている安息日順守の親達の前で、悪い行為の手本から学んだ幼い子ども達の魂が滅ぼされています。

 偽の安息日を受け入れた、教皇制の子、プロテスタント諸教会は、神の聖なる清められた日以上にそれを高めました。週の第1日は真の安息日ではないこと、何が真の安息日であるのかということについて、私達に光が届いた後で、それ[週の第一日]を守ることは神の律法と明らかに矛盾するものだということを私達の子ども達に分かりやすく教えることは私達の働きです。私達の子どもたちが公立学校の教師達から受ける考えは、神の言葉と調和していますか。真実に対する一つの罪として、罪が示されていますか。すべての知恵の始まりとして、教えられた神の全ての戒めに従順ですか。私達は安息日学校に私達の子ども達を送っています。その子ども達は、現在の真理に関して教えられているでしょう。そして、その子らがその週に学校に通う時、嘘が含まれている教科の学びを与えられています。それらの事柄は、知性を混乱させて、それはそうされるべきではないでしょう。その若者達が現在の真理から逸れた考えを教えられるならば、どのようにしてこの教育の感化が阻止されるでしょうか。

 そのような状況下で、私達の間の若者達の誰かが、宗教的な問題の優位性を理解していないということに、私達は不思議に思うことができますか。若者達が誘惑に流されることに私達は驚くことができますか。彼らが生きて来た時間を無関心にされて、彼らのエネルギーが良くないことをして楽しむことに貢献している彼らの宗教的な豊富さが弱められて、彼らの霊的な生活が曇らされているということに驚くことができますか。タネが蒔かれた時に同じ性質のものを収穫する知性は、それに肥料を与えているのと同じ特徴を持っているでしょう。それらの事実は、若者達の教育について、幼年期から保護する必要のあることを十分に示しているのではありませんか。神の真理に関した配慮をしなくなること以上に、彼らのための教育としても、普通に受け入れられる無関心の程度が増すことは、若者達のために良いことではないでしょう。

 

2.世俗からの分離

 イスラエルの子らがエジプト人の間から呼び出されて集められる時に、主はこう言いました。「私は、この夜にエジプトの国中を通り過ぎるでしょう。そして、エジプトの国の人と獣()の両方の全ての初子を殺すでしょう。そして、エジプトの全ての神々に対して、私は裁きを実行するでしょう」。「そして、汝らはヒソプの束を持ってそれに水鉢の血をつけて、両側の柱と上の横木に打ち付けましょう。そして、あなた方は誰も、その朝まで自分の家のドアから外に出ないでしょう。主が、エジプト人達を殺すために過ぎ越すので、そして、主が、両側の2本の柱と横木の血を見る時、主はそのドアを過ぎ越すでしょう。そして、あなた方を殺すために、あなた方の家々に滅ぼす者が入ることを許さないでしょう。そして、汝らは、いつまでの汝らと汝らの子ども達のための習わしとしてこのことを見るでしょう」(出エジプト12:12,22-24 KJV)。ドアの上の横木のその血は、唯一、その呪いからヘブライ人の初子を救ったキリストの血の象徴でした。エジプトの住人の中にいたヘブライ人の子ども達の一人も、滅ぼされませんでした。

部 教育 8章 教会学校                                                       英文195

 ヤコブ(イスラエル)の子孫のこの体験は、世界の終わりの日々に生きることになる人々の指導のために記録されました。地上に住む者達にやがて恐ろしい天罰が降る前に、主は、その大きな出来事に備えるよう確かに、イスラエルの子らの全ての人に呼び掛けています。親達に、主は警告の叫びを送っています。あなた方の子ども達をあなた方の家々に集めましょう。悪いことを教え続けて、神の戒めを軽視している人々から子ども達を話して集めましょう。できるだけすぐに、大都市の外を確保するようにしましょう。教会学校を設立しましょう。すべての子ども達の教育の基礎として、あなた方の子ども達に神の言葉を与えましょう。これは、美しい教訓に満ちています。そして、生徒達が、第1学年より前に学びをするならば、子ども達は上の学年のために準備されるでしょう。

 神の言葉はこの時代の私達のためにやって来ています。「不信者達と釣り合わない軛(くびき)を共にしないように気を付けましょう。義と不義は何かの関係がありますか。光と闇は何かを共有していますか。キリストとベリアルは何かの一致がありますか。あるいは、信仰者と不信仰者は同じ才能が何かありますか。神の宮と偶像は何か契約がありますか。汝らは生きている神の宮なので、神はこう言っています。私は、その人々の中に住むでしょう。その人々の中で歩むでしょう。そして、私は、その人々の神となるでしょう。そして、その人々は私の人々()となるでしょう。その人々の間から出て来る場所はどこであれ、汝らは分離したものとなると主は言っています。汚れた人々に触れないように。そして、私はあなた方を受け入れるでしょう。また、あなた方の父となるでしょう。そして、汝らは、私の息子・娘となるでしょう。全能の主が言っています」(2コリント6:12-18)。あなた方の子ども達はどこにいますか。あなた方は子ども達に、見分けることと、この世界にある強い欲望による滅びを逃れることを教えていますか。あなた方は子ども地の魂を救うよう求めていますか。滅びの中にいる子ども達を手助けするのを怠ることによって、あなた方は何を求めていますか。

 

3.無関心にされた子ども達

 私達の子ども達や若い人達は共に、わずかしか注目されませんでした。教会の年上のメンバー達は、神性の人生に進むことも望まず、子ども達が行なうべき成長発達にしくじった子ども達に、共感も優しさも注がずに見ていました。過去、神を畏れ愛していたある教会メンバー達は、すごく夢中になっているビジネスを許していて、自分達の光をロウソク立ての下に隠しています。その人々は、神に仕えることを忘れていて、自分達の宗教の墓場でビジネスをしています。

 若者達は、騙されやすい歩みにはまること、至る所に潜んでいる誘惑にはまること、落胆すること、あちこちとさ迷うことになっていませんか。私達の教会メンバーの身近にある働きは、優しくがまん強く親切に、指針に指針を、短信に短信を与えて、私達の若者達の関心になる可能性があります。イスラエルの父達と母達はどこにいますか。キリストの恵みの家令として、大群衆となるべき人は、単に普通の関心ではなく、若者達の特別な関心を感じているでしょう。多くの人々の心にある義務は、私達の若者達が置かれているかわいそうな状況に触れています。その人々は、サタンが自分の網の中に若者達を引き入れて、あらゆるありそうな考案品によって働いていることに気づいています。神は、そのような無気力から目覚めること、この時代の危難に求められている奉仕の方法が何かを知ることをこの教会の人々に求めています。

私達の兄弟姉妹達の瞳は、天の目薬を注がれる必要があります。そうしたなら、この時代の必要を識別できるでしょう。この群れの子羊達は養われる必要があります。そして、天の主は、子ども達と若者達のために行なった主の望んでいる働きを行なっている人を見るために見詰めています。この教会の人々は、眠っていて、この内容の遠大さに気付いていません。人はこう言っています。「なぜ、私達の若者達を徹底的に教育することがそんなに特別に必要なのですか。私には、ある人が文筆関連の仕事を求められて決心して、また、ある人が特別な注目を受けて特別な学問を求められたならば、これらみな必要なことだと思います。[しかし]、私達の若い人々がみな、たいそう良い教育訓練を受ける必要はないでしょう。わずかに応答する人のための徹底した教育は、本質的に全部の若い人に必要ないでしょう」。

部 教育 8章 教会学校                                                   英文197-198

 いいえ、断固としてそうではありませんと、私は答えます。私達は、私達の[教会の働き人となる]若者達を育てるために誰かを選ぶことができますか(What selection would we able to make from our youth?)。最も見込みのあるような人、神のために最善の奉仕を尽くす人について、私達はどのように語ることができますか。私達の人間的な判断において、私達はサムエルが行なったように、行なうでしょうか。主の油を注がれた人を見つけるために遣わした時、外見の現れを見ました。しかし、主はサムエルに言いました。「その人の容貌や背丈の高いことを見ない。私は彼を退けました。主は、人間が見ているようには見ません。人間が外観を見ているので、しかし、主は心を見ています」(1サムエル16:7 KJV)。高潔さがみられるイエスの子達の一人は、主を受け入れないでしょう。しかし、ダビデは、羊飼いで、単なる若者、一番若い息子で、野原から呼ばれました。そして、サムエルの前を通りました。主は、「立ち上がって、彼に油を注ぎなさい。彼がこの人です」と言いました。家族の一人が神の働きを有能にすることを証明することを決定できるのは誰ですか。若者達はみな、私達の学校の教育の特権と祝福を持つことを許されるでしょう。彼らは神と共にように霊感を吹き込まれるでしょう。

 

4.教会学校の必要性

 子ども達の教育目的のために、私達の大きな学校が設立されている所に転居している多くの家族達は、元々彼らが住んでいる所に残ることによって大教師のための良い奉仕を行なえるでしょう。その人々は、一つの教会学校を設立するためのメンバーとして、教会を支援するでしょう。彼らの通学区域の中の子どもたちが、多方面にわたる実用的なクリスチャン教育を受けることができるでしょう。親と子達が、いつも誘惑に晒されていて霊的な無活動状態に陥っていて学校が必要とされていないので、大きな教会に行く代わりに彼らの助けが必要とされている所で小さい教会に残っているならば、それは、神の目的のためと子どもや親達自身のためにとても良いことでしょう。

 2、3人の安息日遵守者がいる所ではどこでも、親達は子ども達や若者達が指導される日中の学校のための場所を提供するように結ばれるでしょう。親達は、クリスチャン教師として働くでしょう。また、伝道者となるように、子ども達を導く方法で子ども達を教育するでしょう。教師達は、聖書の基礎をなしている生活全体の学習と、一般的な教育分野の全体の内容を教えるでしょう。親達は、伝道者となるために、自分の子ども達に自身の手本を教えることによって、信仰を真理の鎧兜で守るでしょう。親達は、「誰も働けなくなる[霊的な]夜が来る」(ヨハネ9:4)ので、[霊的な]昼の間に働くでしょう。親達が、その子ども達に辛抱強く教えて責任を負うように私心のない努力を尽くすならば、主は親達と共に働くでしょう。少数の安息日遵守の家族が、単独や同じ混淆の人々から遠く離れて住んでいます。それらの人々は、私達の量のある学校に子ども達を送りました。そこで、子ども達は助けを受けました。そして、自分の家に祝福となって戻りました。しかし、ある親は、教育されるために家から子ども達を送りませんでした。そのようないくつかのケースにおいて、主のブドウ園のどこかの地域で栽培に当たるために快く何かの能力を大教師のために働くことが楽しみと感じて、親達は宗教教師の手本として働こうと努めるでしょう。父親達と母親達は、自分の子ども達の回心のために熱心に働いて、その学校の教師達と協力するでしょう。主の訓戒と教え(滋養)によって、子ども達を育てて、家庭において、健全で新鮮な霊的関心を保つよう努めましょう。自分の子ども達と熱心になって学ぶために毎日、互いの役割に貢献しましょう。このようにして、親と子達は、楽しみや益のあるひと時の教育とするでしょう。親達の確信は、子ども達の救いを求めるこの方法によって増すでしょう。親達は、子どもらのための働きから学ぶ時に、自分達の成長がもっと進むでしょう。このようにして、謙虚な方法で働く時、不信心は現れないでしょう。信仰と活動は満足と確信を与えられるでしょう。親達が主を知ることに伴って主を知るようになって、それは、日毎に増すでしょう。親達の祈りは熱心になるでしょう。親達は祈るための明確な目的を持てるでしょう。

部 教育 8章 教会学校                                                   英文199-200

 いくつかの国において、親達は、自分達の子らを学校に送るよう法律によって強いられています。それらの国々においては、6人以上の子どもが入学していなくても、教会のある地域では学校が設立されるようにしましょう。この世界の影響感化も滅びと汚れに満ちた所から子ども達を救うために、あなた方の元気を働かせていたように働きましょう。

 私達は、この重要な問題の私達の責任からかなり離れた所にいます。多くの場所で、学校は何年も前に開設されていたことでしょう。多くの地域はこのように、主の働きのための特徴を与えた現在の真理を現していたことでしょう。わずかな場所に多くの巨大な建物を集中させるのではなく、多くの地域に学校が建てられたらどんなにかよかったことでしょう。これらの学校は、現在、賢明な指導の下で始められるようにしましょう。その子ども達と若者達は、自分達自身の教会で教育されるでしょう。神の摂理が働きのための能力や施設を私達にたくさん提供していた時、この働き人達に全く無関心だったということは、神への悲しい、失礼です。しかし、過去において、私達は子ども達と若者達のために短期間行って来ました。今、その時間を悔い改め償いましょう。主はこう言っています。「さあ、来てください。私達は共に論じ合いましょう。主は言っています。あなたの罪は緋色のようだけれど、それらは、雪と同じように白くなるでしょう。昆虫のクリムソンのように深紅色だけれど、それらは羊の毛のように白くなるでしょう。汝らが快く従順であるならば、汝らはその土地で良いものを食べるでしょう」(イザヤ1:18 KJV)。

 

5.教会学校と教師達の特徴

 私達の教会学校でなされたその働きの特徴は、たいそう高度な状態に属するものでしょう。回復者、イエスキリストは、悪い教育の唯一の特別補習の指導者です。彼の言葉によって教えた教訓は、最も惹きつける形によっていつまでも若者達の前に保たれるでしょう。その学校の原則は、家庭教育の鍛錬を補うでしょう。学校と家での純真さと信仰深さは保たれるでしょう。大きな学校で率先して働くことができない人ではなく、それらの小さな学校で働くための才能のある男性達と女性達が見つかるでしょう。その人々は、聖書の科目を教える時に、自身が最も高尚な価値のある教育を受けるでしょう。

 教師の選任において、牧師のための人物の選任と同じく厳粛な内容として理解して、私達は慎重に進めるでしょう。私達の学校の教師によってなされる必要のある働きを多くの働き人達がうまく進めるために、確保され得る最善の才能のある人が若者達の知性を形成し教育するために必要とされているので、特徴/品性を識別できる聡明な人々がその選定をするでしょう。劣った人物や知性に問題のある人は、それらの学校の一人として託しておかれないでしょう。管理運営する能力を持たず経験のない教師を子ども達と若者達のうえに置いてはいけません。彼らの取組は無秩序の傾向があります。秩序は、天の最初の法則です。そして、すべての学校は、この敬意によって天の道徳が存在するでしょう。

 子ども達と若者達を上からの目線で指示命令する教師達は、高慢で愛情のない者、悪い人です。このタイプの教師は、個性/品性が成長発達している子ども達をひどく阻害しているでしょう。教師達が神に従順でないならば、また、教師達が子ども達の上に最高の位置を占めて、子ども達への愛情を表さないならば、あるいは、子ども特有の空想ファンタジーを楽しんでいる子ども達を偏愛しているならば、さらに、人目を惹く行動がない子どもや、絶えず不満のある子どもや神経質な子どもに無関心さを現しているならば、その教師達は雇用されるべきではないでしょう。その教師達の仕事の結果、キリストのための魂を失うことになるでしょう。

 教師達は、穏やかで親切、最も必要としている子ども達に[教育愛]と寛容を現して、特別に子ども達のために必要とされています。イエスは子ども達を愛しました。彼は、子ども達を主の家族の若いメンバー達としてみなしました。彼はいつも子ども達を敬意と思いやりをもってもてなしtreatmentました。[treatment」は、取り扱う。治療するなどのいみがあります。「子どもを取り扱った」と訳したならば、子どもを物扱いした日本語です)。そして、教師達は、主の手本を習う必要があります。子ども達は伝道者になるために教育訓練されようとしているので、教師達は、真の伝道精神を持っている必要があります。教師達は、神聖な任務として、主が子ども達と若者達の魂を自分達に託したと考える必要があります。私達の教会学校は、信頼され得る人、信仰に健全で機転と忍耐心のある人、不正の現れを抑えて神と共に歩む人、そして、道徳的に高い性質を持った教師達を必要としています。教師達は働きの中で、暗雲や暗闇、嵐や暴風雨に遭うでしょう。聖書を信じていると言っている人がたくさんいるので、自分達の子どもたちが形成される特徴/品性について正しくない考えを持っている親達からの偏見に直面するでしょう。その一方で、親達は家庭生活に聖書の原則をもたらすことにしくじっています。しかし、その教師達がいつもキリストの学校で学ぶ者であるならば、それらの人々の環境は決してその教師達を征服しないでしょう。

部 教育 8章 教会学校                                                   英文201-202

 親達は、とても熱心に主を求めましょう。親達は自分の子ども達の歩む道で躓きの石とならないようにしましょう。羨望と嫉妬は心の中から追放しましょう。そして、キリストの平和が真のクリスチャンの友情で教会メンバーを結ぶように、訪れるようにしましょう。魂の窓は地上の[霊的な]有毒なガスに対して閉じられるようにしましょう。魂の窓は、キリストの義の陽の光の癒しを受けるために天に向けて開かれるようにしましょう。粗探しと疑いの精神を心の中から追い出さない限り、諸学校の設立のための道を開くことをしようと望んでいても、主はこの教会のために行なうことができません。またさらに、そこに一致団結がない限り、この働きを前進させるよう主が資金と能力を託した人々のために動かないでしょう。親達は、主の方法を守って正しいことを実践して一つの高い標準に到達する必要があります。親達は光を伝える者となるでしょう。そこでは全部の者達が品性と知性を変容する者となる必要があります。2、3の人々の心の中に気に入った不一致の精神は、ほかの人にそれを伝達するでしょう。そして、学校によって尽力された良い感化を台無しにするでしょう。親達が自分の子ども達の救いのために協力するよう切望して備えなければ、親達は、自分達の間で設立された学校をもつ用意をしないでしょう。

 

6.教会学校の働きの効果

 適切な指導がなされた時、クリスチャン教育を受けている子ども達はやがてキリストのための証し人となるので、教会学校は設立された場所で真理の旗(標準)を掲げる手段となるでしょう。イエスが神殿の中で祭司達や指導者達が判別できなかったミステリー(未知)を解いたように、この地上が閉じる時に、正しく教育された子ども達は、簡潔に自分達の言葉を語るでしょう。それは、現在「高等教育」を語る人々が驚くものとなるでしょう。その子ども達が神殿の法廷で歌う時、「ホサナ、主の名によって来たイエスは祝福されています。イスラエルの王」[ヨハネ12:13 KJV]。世界の終わりの日々に、子ども達の声は、滅びている世界の人々に最後の警告のメッセージを与えるために湧き上がるでしょう。天の知者達は、その人々がもはや、現在の真理に許されなくなっているのを見る時、神の聖霊はその子ども達にやって来るでしょう。そして、子ども達は老人達の道には生け垣が立っているので、行なうことができない現在の真理の宣布の働きを行なうでしょう。

 私達の教会学校は、この偉大な働きのために子ども達を用意するために神によって任命されています。ここにいる子ども達は、この時代のための特別な真理によって伝道の働きの実践によって指導されようとしています。この子ども達は悩む人々と病める人々を助けるために、働き人として軍勢に入れられようとしています。子ども達はその働きを前進させるための助けがわずかでもできることによって、医事伝道の働きの一部を担うことができます。その子ども達の貢献は、わずかなものでしょう。しかし、あらゆる小さな助け手と子ども達の努力によって、多くの魂達は現在の真理に勝ち取られるでしょう。子ども達によって神のメッセージ知られるようになって、主の救いが多くの国の民を健やかにするでしょう。この教会は、群れの子羊達のために重荷を担いましょう。子ども達は、主を受け継ぐ者達なので、神のための奉仕をするために教育され訓練されるようにしましょう。

                        

 数年前、私達に教会学校に適した学校の建物が複数建てられました。

                        

部 教育 8章 教会学校                                                   英文203-204

 私達の学校で使用されている教科書は、注目を神の律法にもたらすための特徴のある必要があります。このように、現在の真理の力と権威と光は広く伝えられるでしょう。世俗の世界の若者達は、堕落した知性のものも、それらの学校に結ばれるでしょう。そして、そこで、彼らは回心するでしょう。彼らの現在の真理のための証は、親達によってまた違って行使された理論によって止められるでしょう。しかし、その終わりは、現在の真理が勝利するでしょう。私は、この種の伝道の働きは知識と光(真理)を放散する感化を話すように指導されました。

                        

 学校が設置されている所に住んでいる家族は、私達の信仰をとてもよく現していてとても重要なことでしょう。

                        

 学校が設置されている所の諸教会は、言葉で表現することに重すぎる道徳的な責任を課された自分達を見る時、まったく恐れおののくでしょう。この働きは、聖別された働き人達の不足のために悩んで失敗しても気高く始められたのでしょう。利己的なプロジェクトと野望は、この事業に余地を見つけられますか。その働き人達は、利益を得ること、安易な利益、清さの欠如、彼らの心からキリストを追い出すこと、学校から主を閉め出すこと、を許していますか。神は命じています。この働きは、すでにかなり前進しています。教育の働き人達は、みな、もっと効果的な教育に、誠実に、熱心な改革に取り組んでいます。私達の人々は、この聖なる信頼を受け入れていますか。彼らは、すべての犠牲とすべての奉仕のための用意をして、カルバリーの十字架に自分自身を謙虚にしていますか。

                        

 親達と教師達は、子ども達の成長発達の強い印象を与える期間の最も興味深い人間の知性に配慮しているので、イエスが与えるためにいつも用意している知恵のためにとても熱心に求めているでしょう。彼らは、花壇の花たちと植物が成長しているように、しだいに展開して、若者達の人生のそれぞれの段階の期間に適切な自然の美を表すように素質を育てることを目的にしているでしょう。子ども達の指導とマネジメント/もてなしは、どんな男性やどんな女性でも引き受けることができる最も高貴で、伝道的な働きです。目的に相応しいものを利用することによって、そのレッスン/おけいこは、分かりやすくできるでしょう。子ども達の知性は、自然な状態(具象概念)から自然界の神(抽象概念)に導かれるでしょう。私達は、私達の学校にこのように真理のタネを蒔いて、この働きの前線を前進させるための技術と機転の才能のある人々を持つ必要があります。神の大いなる日は唯一、この働きが行なう善意を明らかにすることができるでしょう。

                        

 特別な才能が幼子達の教育として与えられるでしょう。多くの人々がその羊達に食物を与えて、高い所に至るよう仕向けることができるでしょう。しかし、その子羊達に食物を与えて、神の特別な法則(律法)に仕向けることはとても難しい内容です。これは、幼子の教師達が学ぶ必要のある一つのレッスン/教訓です。

                        

 知性の芽は教育されることを必要としています。そうでないと、子ども達は悪いものを見る楽しみを見つけるでしょう。

                        

 教師達は、時々、幼子達の遊びやスポーツに加わるでしょう。そして、そのプレーの仕方を教えています。このようにして、教師達は欠点を指摘せず粗探しをせずに、思いやりのない考えや活動を抑制できるでしょう。このように共に遊ぶことは、教師の心と子どもの心を結ぶでしょう。そして、学校はみんなに楽しみのある所となるでしょう。

                        

 教師達は、子ども達が主の家族の幼いメンバーなので、子ども達を可愛がる必要があります。主は、教師達がそのことの親のようであることを求めています。「汝らが与えられた群れ、汝らの麗しい群れはどこにいますか」(エレミヤ1320 KJV)


 

部 教育 9章 学校経営と財務                                                    英文206

9章 学校経営と財務 School management and finance

 

 

1.未来の偉大な働きのために教育訓練、鍛錬

 私達の学校経営に相応しく重要なことを、明確に表す言葉で指導できていたらよかったのにと、私は思っています。みなさんは、私達の学校が主の手段/道具[手足]だと感じているでしょう。主は、自分自身が造った人間を知り尽くしています。どこでも、男性達と女性達は、光(真理)のチャンネル(通路)としての活動を求められています。神の真理はすべての島々、国々に伝えられようとしています。人々は、神の真理によって光を与えられて教化されるでしょう。

 進歩的な光を持っている一つの民(人々)として、神の働きの様々な部門が入って行くための伝道者達、教育された兵卒として成長発達させるために、私達は方策を考案する必要があります。私達は、私達のサナトリウム、医事伝道の働き、出版所、各地のカンファレンス、広い伝道地のために、私達の学校でよく鍛錬され、教育された若い男性と若い女性を必要としています。私達は、主のための最善の働きを行なうために相応しくされ、高度に理知的な教養を持っている若い男性達と女性達を必要としています。私達は、この標準を前進させ、伝えるために行なって来ました。しかし、確かに、私達は、主がデザインしたところからはるかに離れた地点にいます。一つの教会として、個々人として、私たちがその明瞭な判断に立っているならば、私達は私達の若い人々の教育訓練のために、リベラルに多くの努力をする必要があります。その若い人々は、私達の助手として、託されたこの偉大な働きの様々な部門によりよく相応しくされるでしょう。大いなる光(真理)をもっている一つの民として、私達は、洗練され鍛錬され、力づけられた才能を持つ人々の工夫に富んだ知性によって、賢明な計画を立てる必要があります。キリストの働きは、忠実で熱心な働きを行なう働き人達の技術的な欠如によっても妨げられないでしょう。

 あるものは、私達の若者達に堅く約束しているいくつかの教育を含んでいるでしょう。しかし、彼らはみな、公的な人生と個人の人生の責任の場に相応しくされ、この生涯に有能な者として相応しくされるための教育を必要としています。そこには、計画を立てるための大きな必要があります。能力のある働き人達が大勢いるでしょう。そして、多くの者達は、教師として自分達を相応しくするでしょう。ほかの人々は、未来の偉大な働きのために教育訓練、鍛錬されるでしょう。この教会の人々は、この状況を捉えていて、そして、自分達の影響力と資金によって、期待された多くの目的を果たそうとしているでしょう。

部 教育 9章 学校経営と財務                                                英文207-208

 


2.負債からの解放

 私達の学校は、設立されている目的を高貴に成し遂げているでしょう。学校は負債から自由になる必要があります。働き人達のための教育訓練学校の設立によって、そして、特に、限られたわずかな資金のある兄弟達のいる新しい伝道地で、学校は利息を負担したままに放置されない必要があります。その働きを引き延ばすよりも、この事業に友人からの資金を受け継ぐことが良いでしょう。しかし、可能な時はいつでも、私達の施設は、負債から解放される決心をするようにしましょう。

 主は、主の家令達の手元に主の働きのための資金を持っています。そして、私達の学校が、設立のために負った負債を抱えている限り、必要な建物を建てること、そして、必要な備品を備えること、それらの負債を減らすために人々に求めること、私達の兄弟達にその実情を提示することは私達の義務です。私達の[教会の]牧師達は、この働きのための重荷を感じて考える必要があります。彼らは、自分達の能力に釣り合った生活をするため、また、調和して働くために、みんなを励ます必要があります。この働きが過去数年の間に、不断の努力と正確さが定着していたならば、私達の既存の学校は、長い間、高められていたことでしょう。

 

3.倹約 economy,

 学校の建物を建てることにおいて、それらの家具などの設備において、そして、それらのマネジメントの特徴において、厳格な節約が実行される必要があります。私達の学校は、狭量で利己的な計画を指導されてはいけません。それは、できるだけ家庭的homelikeである必要があります。そして、すべての特徴において、それらは、倹約と節約と有用性と簡潔の正しい教訓を教えようとしています。

 その学生達は、あらゆる部署での働きを熟知するようになる特別な訓練のために、私達の学校に在籍しています。学生達は伝道者として出て行くでしょう。そして、教育された彼らの能力を通して必要な利点と才能を自分自身に備えるために、自分の能力と自分を信頼するでしょう。男性であれ女性であれ、学生達は身長に合わせて自身の衣服を確保して、洗って、繕いを学ぶ必要があります。学生達は、自分自身の食事を料理することができるでしょう。学生達は、機械操作や農業にも詳しくなるでしょう。自分達の出費と自分達の手本によって、光を照らして啓発することができています。このように、学生達は節約と質素の原則を繰り返して学んでいます。すべての物の節約が良心的に実践されている所では、これらの学習は最善を教えることができます。

 その諸学校の財務的な福利のためだけではなく、学生達のための一つの教育としても、節約は良心的な勤勉の実践を忠実に学ばせる必要があります。そのマネージャー/経営管理者達は、あらゆる点で注意深く護る必要があります。そこでは、学校に負債の重荷をもたらすように不要の出費をする必要はないでしょう。こよなく神を愛している学生達はみな、この内容に責任を負う助けをしているでしょう。これを行なうよう教育されて来た人々は、私達の贖い主の自己否定によって教えられた原則と繋がりを持つ人々の例と指針によって実践することができます。自己を甘やかすことはとても悪いことの一つで、それは、征服される必要があります。

 ある者は、学校の財政困難を学生達に知らせようとすることに抵抗しようと考えていました。しかし、私達の資金の欠乏を知って理解することは学生達にとってはるかに良いことでしょう。学生達は、節約を実践して助けることができるでしょう。家族を残して私達の学校に来ている多くの学生達は、何らかの方針なしにシンプルな食物を摂ることに慣れていて質素な生活をしています。これらの学生達に私達の手本からいろんな感化が及ぶでしょう。私達は、自分達の資金を使う多くの方法を持っている一方で、火災が発生して、殺戮もあって、飢饉になっていて、伝染病で死んでいて、多くの者達が飢えていています。不必要なものは何も入手しない、シンプルに食欲を満たして外装を整え、慎重に考慮することなどはみな私達に属するものになっていることを学生達に教えましょう。

部 教育 9章 学校経営と財務                                                英文209-210

 私達の諸学校が正しい指針で指導されているならば、負債は蓄積されないでしょう。そして、また、学生達は満足するでしょう。そして、その食卓は、十分な食物、多くの良い物が供されるでしょう。私達の節約は、決して貧弱な食物が提供されるように導くような種類のものになってはいけません。学生達は健康的な食物を豊富に得られる必要があります。しかし、無駄に失われるものがないように小片を集めて調理するよう、学生達に指導しましょう。

 学生達は、自分の財産とその学校の財産を注意深く護ることを教えられるでしょう。学生達は、家からの小旅行で、その学校に不必要なあらゆる出費に繫がっている義務を理解することを求められるでしょう。自己否定は不可欠で本質的なことです。世界の終わりが近づいているので、私達は与えられた指導に心を傾ける必要があります。益々、私達は、倹約、考案、計画に責任があるでしょう。私達は、危機の事態の時に引き出すための一つの銀行を持っているかのようにマネージ/経営管理することができません。それゆえに、私達は、資金の不足した領域に立ち入ってはいけません。主の施設のマネージャー/経営管理者として、そして、個人として、私達は、外見に心を向けているすべてを切り捨て、そして、少ない収入の範囲で自分達の出費をする必要があるでしょう。

 

4.良いマネジメント

 私達のある学校での財務的なマネジメント/経営管理は、大幅に改善されることが可能です。もっと賢明に、もっと優れた知能がこの働きにもたらされる必要があります。もっと実際的な方法が支出の増加を止めるためにもたらされる必要があります。それは、負債という結果になるでしょう。[ミシガン州]「バトルクリーク」と[ネブラスカ州]「カレッジビュー」において、共に多額の資金が建物に投資されてそれ以上の資金がその学校の寄宿舎the school homeの家具備品に費やされる必要がありました。

 ある学校のマネージャー達が、それは、対価に見合っておらず、負債が積み重なったということを発見した時、彼らは良識のあるビジネスマンのように行動して、彼らの方法と計画を変える必要があります。1年間がその財政のマネジメントの間違いを証明した時、聡明な人の声が聞かれるようにしましょう。決定的な改革があるようにしましょう。教師達は、その事柄の状態を改善するための根拠のある思索と計画を厳粛に、キリストのような卓越さを現す必要があります。

 

5.安い授業料

 私達のある学校は、たいそう安い授業料でした。多くの方法で行なわれていたこれは、その教育の働きに有害でした。それは、負債という失望をもたらしました。また、それは、悪い計画、倹約の欠乏、見込み違いのうさん臭い思いを続けるマネジメントを広めました。それは、教師達に酷い落胆となりました。そして、それは、ほかの諸学校が低い授業料に追随して要求するように人々を導いています。通用しているレート()よりも安い額にする目的は何であれ、ある学校がひどく劣悪な経営をしてきたという事実は、未来において、それ自身が示すものは異なっているので、計画と取組を考え直すようにそれ自身が求めている十分な理由があります。授業料、食事費、居住費についての多くの請求額は、栄養のある食物を豊富にテーブルにそなえるために、また、各部屋に家具を設置するために、さらに、建物の修繕維持のために、そのほかの運営の出費に必要なものに対処するために、さらにまた、全教職員のサラリーを支払うために十分に整える必要があります。これは重要な内容で、徹底的な調査を行なって、狭量(収入を多くあるいは少なく)な見積もりをしないよう求めています。主の勧めcounselが必要です。運営に必要な出費の支払いをするためだけではなく、学生達の学びに必要なものを学期中に提供するために、その学校は十分な収入を得る必要があります。

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 負債が学期ごとに蓄積することを許されてはいけません。あなた方が病を避けようとするように、出くわす負債を避ける可能性があります。数年が経過したある年には、負債の減少の兆しが無くて、むしろ、増加しています。そのマネージャー達/経営管理者はこう言っています。「私達は、何か、確かなシステム/体系が考案されない限り、この学校の運営を拒否します」。そこのマネージャー達が支払いの基本原理について指導する科学を学ばない限り、この学校を閉鎖することが最良です。はるかに良いでしょう。キリストのために神に属することを選ばれた人々()として、私達の学校に健全な財務システム、義務としての仕事を開始するように自らを呼び出しました。

 どこかの学校で授業料を値上げすることが必要になった時はいつでも、授業料が安すぎる額にあることを支援者達に示して、その施設の支援者[信徒]の前に、最初に提出するようにしましょう。一つの結果として、この働きの妨げや足手まといとなる負債がこの学校に蓄積しています。授業料の適切な増額は、入学者の減少の理由になるでしょう。しかし、多くの入学者達は、負債からの解放が大喜びする事柄にならないでしょう。

 バトルクリークでの安い授業料の一つの結果として、啓発された以上に多くの学生達と多くの家族が一つの地域に集まりました。バトルクリークにいる2、3倍の人々がほかの地域で、主の木々となったならば、彼らは成長するための余地を得たことでしょう。そして、大きな成果を得たことでしょう。それを健全な状態に保つために、バトルクリークにある大きな学校に注がれた時間とエネルギーが、教育の一端となって伝えられて、ほかの地域の諸学校に利用されていたならば、農業の労作教育のための余地となったことでしょう。主の計画と主の方法に快く倣っていたならば、多くの施設は、現在、各地のほかの場所に広がっていたことでしょう。何度も繰り返して、「そこには一カ所にあまり多くの責務が集まり過ぎました。教会と学校の施設はほかの地域につくられる必要があります」という主の言葉が私達にやって来ました。人々は、大きなセンターから出てください。そして、「ほかの場所で事業所を設立しましょう」という指導が[主から]与えられています。この指導に注意を払っているならば、また、資金と施設の分散がなされていたならば、バトルクリークの余分なカレッジの建物に支出した資金は、ほかの地域の新たな二つの施設に十分に提供されたことでしょう。そして、人々は自分自身の知恵に従うことを選んでいるので、その木は成長して、今まで見たことのない果実を実らせたことでしょう。

 私達の[教会]の兄弟達は、授業料が安くならなければ入学できない人、私達の教育訓練学校の優位性を必要としている人々がいて、私達の信徒の中の若い人々に不満があるというように、親達や教師達から出された願いを言っています。しかし、安い授業料を願っている人々は、あらゆる側の人達の問題の重大さに慎重でしょう。学生達が自分達の教育の働きに忠実と善意の行為的な費用を払うための十分な資産を自分で管理できないならば、学生達の親や友人、学生達が属している教会の気前の良い人々、学生達のカンファレンスの慈善心のある兄弟達は、その学校をおおっている負債の重荷以外に、学生達を支援することは良くないことではありませんか。

 いろいろな方法が、私達の施設にある負債の蓄積に対処するために考案される必要があります。その健全な目的[完済]が困難にされないようにしましょうこの[負債の]働きは誰かの独特の原理から進められていて、その負債は徹底的な変化がない限り、決して完済されないでしょう。その積もって膨らんだ負債を許す役目を担っていた人はみな、今、自分達がそれを取り除くためにできることを行なうことと、負債を返済して取り除くことが自分達の義務だと考えましょう。

 

6.有望な学生達の支援

 各地にある教会の人々は、若者達を訓練すること、教育された才能を伝道の働きに結ぶために、自分達に厳粛な責任が課されていると感じているでしょう。その人々は、有用な働き人達を育てる約束をしている教会の中の人々を見る時、学校で自分の授業料を払えない人だけではなく、私達の訓練学校の一つに若者達を送る責任を引き受けるでしょう。教会の中には、奉仕に遣わされる必要のある優れた能力のある人がいます。主のブドウ園で良い働きを為す人々がいます。しかし、多くの人々は、彼らが求める教育の支援なしに得るには貧しすぎています。その教師達は、そのような経費の支払いを引き受けることは一つの特権として考えるでしょう。

部 教育 9章 学校経営と財務                                                英文213-214

 心に現在の真理を持っている人々は、必要な所にいる人を助けるために、いつも心を開いていて、導いています。そして、ほかの人々が彼らを手本にして倣っています。学校の益をなすような人々がいるならば、また、学校の授業料を全額支払うことができないならば、教会の人々は学生達を助けることによって、気前の良い贈り物を示すようにしましょう。

 この一方で、それぞれのカンファレンスは、伝道の働きに自分自身を捧げることを希望している有望な学生に貸すために一つの基金を立ちあげる必要があります。あるケースにおいて、彼らは寄付金を受けることでしょう。バトルクリークカレッジが最初に開所した時、資金がなかったけれど教育を得ることを望んでいた人々の益のために、レビュー&ヘラルド事務所に置かれた一つの基金がありました。この基金は、良いスタートを切るよう数人の学生達によって利用されました。基金の利回りで、彼らが引き出したものを返済することができるでしょう。そういうことなので、ほかの学生達はその基金から益を受けるでしょう。その若者達は、自分の方法で可能な限り働きながら自分達の出費の一部を返済する必要があるということを彼らの前にはっきりと置かれている必要があります。わずかの犠牲は、犠牲と認識されることも少ないでしょう(That which costs little will be appreciated little.)。どこかで払われた犠牲の価値は、状況に応じて評価されるでしょう(But that which costs a price somewhere near its real value will be estimated accordingly.)

 

7.自己信頼(独立独行)の指導 teaching self-reliance

 指針と模範によって、自己否定、節約、寛容、そして、自己信頼(独立独行)を教えましょう。真の品性を持っている人はみな、困難に対処するために相応しくされるでしょう。また、「主はこう言っています」という言葉に倣うよう促す必要があります。人々は、従順と節度という主の軛(くびき)を負うためのキリストの学校で学ばない限り、神の義務を理解するための準備ができていません。犠牲は、いろいろな施設を設立して現在の真理を前進させる私達の働きをすぐに始めています。それは、教育の必要不可欠な要素の一つです。天において永遠に、私達がいろいろな人の手によって形成されたのでなかったならば、犠牲はこの世において、すべての人が品性を形成するための習慣にされる必要があります。

 お金の使用について、間違った考えを通して、若い人々は多くの危険に晒されています。学生達がすべての考えられた必要を満たすように引き出す所から無尽蔵な供給があったかのように、若い人々は支援も供給もされようとしていません。お金は、神の王国を築くため、主の働きを行なうために神からの私達へ託された贈り物とみなすことができます。そして、若者達は、自分達の希望を抑制することを学ぶでしょう。自己満足と自己充足によって、自分達の能力を金のために売る人がいないようにしましょう。資金を得るために神が能力を与えた人々は、天の知恵を授けられることを通して、主の名の栄光によって、その資金を使うように主への義務の下にいます。特別な友人に与えるか、プライド(自負心)と利己心を甘やかすためにそれを費やして、自己放縦によって捨てられるすべてのシリング(18-19世紀アメリカの貨幣)は、神の宝の損失です。見せて楽しむための衣服への出費は、たいそう多くの新たな場所に神の[人類救済]目的を前進させるために役立てられたことでしょう。神は、一人のクリスチャンになることが[主の]財産になるという真の意味の感覚を全ての人々に教えているでしょう。それは、キリストのようになるということです。そして、キリストは自分自身を喜ばすために生きませんでした。

 (訳者加筆。「self-denial」自己否定(p.204,205,209)と「self-reliance」自己信頼(p.209,213)は、正反対の概念のように考えられます。ここでは「自己否定」は「自己放縦」(p.210)の否定の意味に使用され、一方、「自己信頼」は「ほかの人に依存する」(p.213)の否定の意味に使用されています)

 

部 教育 9章 学校経営と財務                                                英文215-216

8.私達のカンファレンス(支部)の義務

 私達のカンファレンスは、十分に訓練された働き人達と教育のための学校を期待して見ています。そして、その学校に最も心温かく知的な支援を与えているでしょう。神についての事柄を学生達に教えて、御言葉が表していること、神の言葉を教えている私達の学校の牧師達は什一献金によって支えられているでしょうという、明白な光が[主から]与えられました。この指導は、何年も前に与えられました。そして、最近、それは、何度も繰り返して与えられました。

 学校が設立された所はどこでも、賢明なマネージャー/経営管理達は、自分達の立場の様々な責任によって最善のことをする人々、貪欲を嫌っていて真理についている人々、神を畏れることができる人を与えられる必要があります。その人々は、ビジネスの能力を持っているでしょう。しかし、神と共に謙虚に歩むことと聖霊によって導かれていることは、非常に重要なことに属しています。そのような人々は、神について教えられているでしょう。そして、祈る人々である兄弟[姉妹]の勧めを求めるでしょう。

 私達の学校のマネージャー達は、清い動機で働く必要があります。私心のなさによって、その人々は、ほかの広い伝道地のどこかが、自分達のケアの下で学校のために提供される同じ施設を必要としていることに気づくでしょう。あらゆる計画において、管理者達は、平等と団結が維持される必要があることを覚えておきましょう。管理者達は、着手したすべての出費を慎重に評価するでしょう。また、ほかの伝道地が必要な施設を奪うような多額の資金を使い尽くさないように努めるでしょう。

 しばしば、牧師達は、負うに相応しくなかった方法であまりにも重い責任を担わされています。ビジネスに自分達を捧げることができる人々、学校を訪問して財務状況の支出報告を続けることができる人々、それを続けることに指導を与えることができる人々、ビジネスの才のある人々はそれらの責任を負いましょう。その学校の働きは毎年数回調べられる必要があります。その牧師達はカウンセラーとして活動しましょう。しかし、彼らに財務の責任は負わせないようにしましょう。

9.SDA全体総会の監査役による調査

 主によって私に与えられた光は、財務的な能力のある賢明な人々です。その人々は、私達の全ての学校を訪問して、それらの財務的な立場の報告を続ける必要があります。この内容は、この重荷を負う時間のない人々、委員会の人々や牧師達に託されないようにしましょう。学校のビジネスの内容は、与えられていなかった才能を求めています。

 そのリーダー達が、過去数年の間に明確な洞察による判断をしていたならば、最近数年、その目的を妨げて希望を失ってきた財務状況は、存在を許されなかったことでしょう。

 私達の教育的な働きが私達のガイダンスとして与えられた指導と調和して進められていたならば、大きな負債の暗い陰は、現在のように私達の施設に負わせられていないでしょう。

 

10.教会学校

 従ったならば、同じ原則は、私達の訓練学校とカレッジに成功と祝福をもたらすでしょう。また、教会学校のための働きと私達の計画を統率するでしょう。その出費をみんなで分かち合いましょう。この教会の人々は、この学校に入学して益を受けている人々への義務を見つけましょう。貧しい家族達は支援される必要があります。私達が神の奉仕のために彼らを相応しくするという体験と確かな知識のために、私達の助けを必要としている人々と、私達の隣近所にいる最も危機的な時にある人々に無関心でいるならば、私達は、真の伝道者達を自分達で招聘することができません。

 主は、私達の子ども達の教育に徹底した努力を傾けたものでした。神について日々に教えている教師達によって行なわれた真の伝道の働きは、イエスに存在しているように、真理の知識として多くの魂達にもたらされることでしょう。そして子ども達はこのように教育されて、その光と受けた知識をほかの人々に与えているでしょう。教会のメンバー達は、ほかの人々にキリストの[人類救済]目的を前進させるために資金を与えて、そして、自分の子ども達をサタンに仕えてその働きをもたらすように残して置くのですか。

部 教育 9章 学校経営と財務                                                英文217-218

 教会学校が設立される時、神の人々()は、財務的な成功を基礎にして、学校の運営の仕方を学ぶことが自分達自身のために価値ある教育だと発見するでしょう。これを行なうことができないならば、神の助けによって、学校に負債の汚点がない状態で運営するように様々な計画が考案されうるまで、その学校を閉鎖してください。財務的な能力のある人々は、巨額の出費を見て、その学校が抱えている事実を確認するために、1年に一度や二度、三度、調査のために監査して回る必要があります。それは存在させてはいけない負債の結果でしょう。私達は癩病the leprosyを避ける必要があるように、負債を避ける必要があります。

                        

 教育を得ることを望んでいる私達の多くの若者達は、負債に巻き込まれることに関して、あまりに無関心な感覚です。その人々は一つの教育の手段の原則として書籍による学習に没頭しています。彼らは実用的なビジネス教育の価値に気付いていません。また、自身の道として働くよりもほかの人々の手段について研究して、数年間を過ごすことに満足しています。彼らはこのような、支出の危機に関する考え方を持っていません。彼らは原因から結果がもたらされることを学んでいません。

 しばしば、そのようなコースの結果は、その能力の不釣り合いな成長発達です。その学生達は、自分の品性の弱点を理解していません。その人々は、自分自身の欠陥に気付いていません。ほかの人々に依存していることによって、その人は実際的な生活体験を失っています。回復することは、その人にとって困難なことでしょう。その人は自己信頼self-relianceを学んでいません。その人は、信仰の働かせ方を学んでいません。真の信仰は、何が真の知識であるかを理解させて、魂を不完全な未熟な状態から立ち上がらせることができるでしょう。学生達が頭脳の思考、骨、筋肉を調和的に発達させるならば、現実の生活を処理することに相応しくされて、学ぶことがもっと可能になるでしょう。しかし、その人々が教育の一部を成している、自身の間違った考えに従っているならば、才能のある器用な男性や女性として、自己を形成した人にならないでしょう。

                        

 「知恵を見つける人、悟りを得る人は幸せです。知恵によって得た品物は純金によって得た、銀によって得た品物よりも良い品物なので、彼女(知恵)は、ルビーよりも貴重です。汝が望むことのできるすべてのものは、彼女(知恵)に比べることができません。彼女(知恵)の右手に一日があります。彼女の左手には富と名誉があります。彼女の道はいつも楽しい道であり、彼女の道はいつも平和があります。彼女は捉える人によって命の木です。これを持ち続ける人はみな幸せです」(箴言3:13-18 KJV)


 



[1] 「孤児」は現の日本語では、差別語で使用されません。「孤児院」は「養護施設」に言い換えられています。しかし、英語ではorphan drugのように使用されています。英語の文化圏では差別語ではないようです。

[2](訳者加筆) 黄金律、神の礼儀作法の原則

 『祝福の山からの考察』には「黄金律」に関する記述があります。「あなたとほかの人々との関係の中で、その人々の立場に自分を置いて見てください。彼らの悲しみ、彼らの楽しみ、彼らの失望、彼らの困難、そして、その人々の感情の中に入ってみてください。あなた自身を彼らにどういう人間であるかを明らかにしましょう。それから、あなたはほかの人ためにその人の立場になって、ほかの人にしてほしいことをするようにしましょう。これは、誠実の真の基準です。これは「あなたは、自分自身を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」(マタイ22:39)という戒めを別な言葉で表現したものです。また、これは、預言者達の教えの要点です。これは天の原則の一つで、この原則の聖なる交わりにふさわしくされるすべての人々に成長発達するでしょう。黄金律the Golden Ruleは、神の礼儀作法の原則です」(『祝福の山からの考察』髙谷訳)。これは、「私達の中のキリストは、私達の兄弟姉妹の中のキリストと出会うでしょう(SDA教会への証』第9p.183,288)と調和しています。

[3] 訳者加筆。「主の道徳的な像(かたち)His moral imageについて。「image」は、姿、形、外形のほか、似た人、画像、象徴、印象、表象、比喩、想像などの意味があります。道徳は人と人との関係の間の行為の善悪の基準です。「関係」に着目して「His moral image」の意味を考えると、神・私・ほかの人との関係性の形は、父・子・聖霊の関係性に倣ったものと考えることができます。ここに、黄金律(本書8)が存在しているでしょう。

[4] 口語訳は「有って有る者」。日本語の存在を表す動詞では、生きて動くものは「いる」、無生物と生きていても動かないものは「ある」と使い分けます。神は生きて動くものなので、「有る・ある」は、日本語の規則に反した日本語です。ですから、「存在している者」と訳しました。ただし、千葉県の一部、和歌山県の南部(みなべ)地域では、「お父さんがある」のように反対の表現がされています。

[5] 訳者付記。E.ホワイトは、この第6巻を1900(73)の時に発行しました。1888年のミネソタ州ミネアポリスでのSDA全体総会では、信仰による義が強調されたのですが、その12年後でも、まだ、律法による義を主張して、信仰による義に反対する人々がいたのでしょう。

[6] 訳者加筆。人間の知性の基本的能力は「聞く・話す/読む・書く」の四つです。E.ホワイトは生涯に10万ページを手書きしました。手書きは、洞察力や分析力、認識力や先見の明を伸ばします。彼女はタイプライターがそれらの能力を阻害することを察知していたのでしょう。訳者が育った北海道の山奥は劣悪な教育環境でした。1980年代に玉川大学と佛教大学の通信教育で大量のレポート(1万枚ほど)と卒論を手書きしました。2000年代に10冊の教科書と、2009年に修士論文をパソコンで書きましたが、手書きの感動がありませんでした。パソコンによる文書作成は大量の情報を処理するという成果はありますが、人間の特別な知性を育む手段としては劣っているでしょう。

 「エレン・ホワイトは、タイプライターを使わなかった。口述した内容を書き取らせることもしなかった。印刷によって出来上がった数千ページの多くは、手によって書き表されたものだった。最初の実用的なタイプライターは1874年に発売された。11年後(1885年、彼女58歳)、彼女は、オフィスのスタッフのためにタイプライターを数台買った。彼女は、ヘルパー達のために、知識と技術が最新のものであることを求めた。進歩的な人の一人だった。彼女の文筆アシスタント達は、初めは「コピーイスト(筆耕者)」と呼ばれた。彼ら彼女らの仕事は、彼女の手書きのものをタイプライターか、または、カーボン紙を紙に挟んで上から手書きして複写することが大部分だった。しかしながら、エレン・ホワイトは自身、今日、調査者にとって、タイプは幸運をもたらすものであるということを決して学ばなかった。彼女の全ての文書は、彼女の権威という明らかな根拠としての手書きで綴られた」(『エレン・G・ホワイト百科事典』p.941)

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