セレクテッドメッセージ 第一巻 対訳 第一部
第1部 私達の人生の小道の光
はじめに ホワイト遺稿管理委員会
エレン・G・ホワイトによってペン書きされた記事と、神が人類家族のメンバー達に神の意思を伝える過程に関する、主のメッセンジャーとしての彼女の働きは、常に助力となり、関心を持たれています。そのような記事が、セレクテッド
メッセージズの最初の一部に提示されています。
霊感についての問題は彼女の70年の奉仕の働きの期間を通して触れられていますが、目立って提示されているものは、1888年5月に書かれた『善と悪の大争闘』の著者の序文(その内容はここに書きません)です。それより前の記事で、1886年にペン書きされた『聖書に対する異議』がここに編集されています。また、1886年の秋に書かれた『神の言葉に関する霊感』もここに収録されています。4つ目の主要な記事は、『聖書の未知、聖書の霊感の一つの証明』として1889年に出版され、そして、『SDA教会への証』第5巻pp.698-711に見られるでしょう。
彼女の働きについての様々な説明、1913年に再出版されたトラクト『この教会に証を書いて送ること』、彼女の初期の著作物に関する攻撃と質問に対する彼女の回答などが、この部を完成させて、「私達の人生の小道の光/真理」として貢献しています。――ホワイト遺稿管理委員会
1章 預言的な筆記者達の霊感
1.神の言葉に関する霊感
今は、「人の子が来る時に、人はこの地上に信仰を見ることができるでしょうか」(ルカ18:8)と質問がなされるにふさわしい時代の一つです。
霊的な闇/無知が多くの人々と地上を覆いました。御言葉の解釈において、懐疑的で不信心な教会がたくさんあります。多くの、実に多くの人々が、御言葉の真理と真実性を疑っています。授与されたものとして受け入れられる、神の言葉の霊感を蝕んでいる人間の理性と人間の心の想像力は、神秘主義(曖昧な考え)の疑念に覆われています(1992年訳は誤訳、意味不明:「人間の推理や想像が、神の言葉の霊感を損ない、信じて受け入れるべきことが、神秘主義の雲に囲まれています」Human reasoning and the imaginings of the human heart are
understanding the inspiration of the ward of the God, and that could of
mysticism.)。岩の[ような]土台の上に、基準として識別して明確に立っているものがありません。これは終末時代の著しいしるしの一つです。
この聖なる本は、サタンの激しい攻撃を阻止してきました。彼は、疑念と無知によって、神性の全ての品性を覆い隠そうとして、悪い人々と結託しました。しかし、主は、人類家族に天への道を示すためのガイドブックや図表として、自分自身の奇跡的な力でこの聖なる本を現在の形に維持してきました。
しかし、神の権威ある言葉が無残にも放置されて来たので、それを他の人々に説明することを職業としている人々でさえも、御言葉について神性の知識を持っている人は、私達の世界ではわずかだけです。高等教育を受けて学んだ人々がいます。しかし、それらの牧師達は、神の群れの人々を養っていません。人々のために、貴重な宝石が掘り出されて発見されるように、彼らは、御言葉の卓越性が自分達の隠された宝を探し続けるようなものだということを考えていません。
既に書かれた文書[聖書]以上の博識者として(1992年訳は誤訳:「聖書より自分が賢いと思っている人がいますが、」「who are wise above what is written 」)、原作者になるよう励む人々がいます。それゆえ、彼らの博識は愚かです。彼らは、神の目的と神性の意思について、理解力のはるか彼方にある啓示のアイデアを進展させて奇怪な事柄を発見しています(1992年訳は誤訳:「実はその考えは、神のみ旨やご計画がまったくわかっていないことをあらわしています」「They discover wonderful things in advance, ideas which reveal that
they are far behind in the comprehension of the divine will and purposes of
God.)。有限な人間に代々隠されて来た未知/神秘を解明するために、また、分かりやすくしようとして、彼らは泥沼の中でもがいている人のようなものです。自分自身が抜け出すことができなくてその中にいるのに、ほかの人々にその泥の沼から抜け出す方法を教えているようなものです。これは、聖書の誤りを正そうとして自分自身を[その立場に]置いている人々をよく表した一つです。主はこういう意味で言った、あるいは、こういう意味で言うべきだったと示唆して、聖書を進歩向上させることができる人はいません。
ある人々は深刻な顔で私達を見て、「写本を書いた人や、翻訳をした人に、何か誤りがあったかもしれないとは考えられませんか」と、言っています。それは十分に可能性があります(1992年訳は誤訳:「その可能性はありません」「This is all probable, and 」)。そして、この可能性や蓋然性に躓いてためらうような心のとても狭い人は、霊感を受けた言葉の未知/神秘をめぐって、躓くために用意しているようなものでしょう。なぜなら、彼らの弱い知性は神の目的を初めから終わりまで知ることができないからです。そうです、彼らは普通の知性のある人が受け入れ、神性を認識し、神の言葉はわかりやすく美しいもので、滋養と豊饒に満ちているという、分かりやすい事実にも簡単に躓くでしょう。その数々の間違いの全ては、最もわかりやすく明らかにされた真理から[理解]が困難だという口実を作りだすものではなく、また、人の魂の悩みの原因でも、あるいは、どの人々の足の躓きの原因となるものでもないでしょう。
神は、有限な人間に神性の霊感を受けた言葉の準備を委ねました。旧新約聖書の様々な巻の中に整えられたこの言葉は、堕落した世界に住む人々のためのガイドブックです。後世の人々に伝えられたそれらの指導を学んで従うことによって、天への道を見失う人は一人もいないでしょう。
霊感を受けていない箇所と霊感を受けた箇所を果てしない規則で分けて、聖書の明白な部分について難しく考える人々は、[神が]静かで小さな声で語ったときのエリヤのように、自分達の顔を覆うのが最善でした。なぜなら、彼らは、聖なる天使達と神の臨在の中にいるからです。また、長い間、彼ら(1992年訳は誤訳:「天使達は…伝え…告げ…示し…きた」「who[they] for ages have communicated …」)は、象徴やしるしや実例を用いて道標を一つ一つ示して、行なうことと行なわないことを語り、心躍る興味ある場面を示し、人々に知識[真理]の光を伝えてきたからです。
神は、終末時代に集中して起こる危難を示すに当たって、隠された未知を解明することに有限な人間を適任としませんでした。また、どこが霊感を受け、どこが霊感を受けていないかの判断を下すよう特定の人間に霊感を与えませんでした。[にもかかわらず]人々は、その有限な判断力で、霊感を受けているかいないかを明らかにすること、御言葉の試験をする必要があること、を見つけた時に、イエスが私達を導いた以上の優れた方法や道を彼の前に示すために歩み出ました。
私は、霊感を受けた言葉として、聖書をそのまま受け入れ、聖書全体が霊感を受けている言葉として信じています。神の言葉の中に批判する何かを見つけようとする人々が現れています。彼らは、優越感に浸った博識の根拠として、[それを]ほかの人々の前で披露しています。それらの人々の多くは、利発で学識があり、雄弁で才能があります。そのライフワーク全体は、御言葉の霊感に関して、人々の知性を混乱させるために存在しています。彼らは、多くの人々に自分達がしていることを見るように影響を及ぼしています。これと同じ働きが、サタンがそうなるようにという思惑通り、私達が、「人の子が来る時、この地上に信仰が見られるでしょうか」(ルカ18:8)と言ったキリストの言葉の意味を充分に知るようになるまで、人からほかの人へと広げられています。
兄弟[姉妹]の皆さん、聖書の批判に繫がる知性の人や担い手にならないようにしましょう。それは、あなたに行なうように指示した神の働きではなくて、あなたが行なうことについて何かを考えるような、サタンが喜ぶ働きです。
(1992年訳は不適切訳「兄弟方、聖書を批判してはなりません。それはサタンが喜ぶことであって、主が示しておられることではありません。」Brethren, let not a mind or hand be engaged in criticizing the
Bible. It is a work that Satan delights to have any of you do, but it is not a
work the Lord has pointed to have any of you.)
人々は、神がなしてきたように、主の生きた言葉、神自身の本の管理については神に任せましょう。人々は、この記述とほかの記述が矛盾に見える欠点を取り上げ、啓示された内容のある部分に疑問を持ち始めています。サタンが、ある程度、彼らが批判の精神に従うよう導いているので、創世記から始めて、彼らは、疑わしいと思う箇所を切り捨てて、自分達の知性をだましています。そして、彼らは御言葉の全体を疑うような何かを見ています。彼らの批判する能力は行使することによって活発になって、彼らは、確固たるものに基礎を置くことができなくなっています。あなたがそれらの人々に理を説いて説得しようとしても、あなたの時間の無駄です。彼らは、聖書に対してさえもあざ笑う力を行使するでしょう。もしも、あなたが彼らにその光や知識を与えても、彼らは驚いて、嘲る人にさえなるでしょう(1992年訳は誤訳。「自分ではそのことに気が付かないのです」They even become mockers, and they would be astonished …)。
兄弟[姉妹]の皆さん、あなたの聖書を堅く信頼しましょう。それを読んだ時、その妥当性について、あなたの批判をやめて、御言葉に従いましょう。そうすれば、あなたがたは一人も失われないでしょう。有限な知性と限られた悟りによって、人々の巧妙な工夫が、長い間、神の言葉を検討するために行使されてきました(1992年訳は誤訳「批判することに」)。生きている言葉の著者、主が背後のカーテンを上げて、その知恵と栄光を彼らの前に明らかにするならば、彼らは価値のないものの中に縮み込んで、イザヤのように叫ぶことでしょう。「私は、汚れた言葉を発する口lipsに属する人間の一人で、私は汚れた言葉を発する口に属する民の真っただ中に住んでいます」(イザヤ6:5 KJV)(口語訳聖書の「汚れたくちびる」訳は誤訳)。
単純でわかりやすい言葉は、知的に優れた人や成熟した大人と同じように、子ども、また、無学な農場労働者、読み書きのできない人にも理解されます。ある人が知的に優れた才能を持っているならば、神の言葉の中に、納得できる美しく価値ある貴い宝を見つけるでしょう。彼は、長い人生の間に研究して最高の満足が与えられるような不思議と謎と困難を見つけることでしょう。また、そこには、無限のかなたが存在しています。
謙遜な才芸と才能のある人々は、御言葉に精通するようになる機会や将来性に制限があっても(1992年訳は誤訳「あまり学問がなく、」:but limited capabilities and opportunity…」)、生きた御言葉の中に太陽の光線のようにはっきりと、救いの計画や勧め、ガイダンスや慰めを見つけ出しています。人が意図的に目をつむらない限り、知識の不足のために失われる必要のある人は一人もいません。
私達は、聖書が、学識のある人と同じように学識の乏しい人のために作成されたことを感謝しています。聖書はあらゆる年齢とあらゆる社会層の人々に適しています。 『原稿』16.1888(1888年秋ミネソタ州ミネアポリスで書いた)[61歳]
2.聖書に対する異議
人間の知性は様々です。教育や思想が異なった様々な知性は、同じような言葉でも異なる印象を受けます。そして、自分自身の知性で認識している明確な考えと同じものを正確に言葉によって、異なる思想の習慣と教育、気質の人に伝えることは、人の知性にとって困難なことです。けれども、誠実な人々や正しい知性を持った人々に対しては、体験に基づいた趣旨/目的を簡潔にわかりやすく伝えることが可能です(1992年訳は誤訳「実際的な目的のために自分の考えを伝えることは十分できるものです」 as to convey his meaning for all
practical purposes.)。しかし、その人のコミュニケーションが誠実ではない場合には、真実を理解して知りたいと思わないでしょう。また、その人は、自分の趣旨/目的に合うようにあらゆる言葉や言い回しを変えようとしています。その人は、それら[言葉]の真の意味にそれら[自分の解釈]をこじつけて、想像をめぐらして自分の言葉の解釈を曲解するでしょう。そして、それから、その意見や感想はすべて間違っていると主張して、自分自身で不信仰の塹壕を掘っています。
これは、私の書いた物を曲解し誤解したいと考えた人々によって扱われた方法です。彼らは、神からの真理を偽りの中に移し替えました。同じ方法によって、彼らは、私の出版された記事と本の中の書いた物を扱い、懐疑論者や無神論者達が聖書を扱うように行ないました。彼らは、それらの真の意味に意図的に言葉をこじつけるために、また、間違った適用をするために、曲解するという望みをかなえるためにそれを読んでいます。彼らは、聖書はどんなことでも証明することができる、全ての教派は自分達の教理の正しいことを証明している、その最も異なった教理は聖書によって証明されている、と主張しています。
聖書の記者達は人間の言葉によって自分達の考えを表現する必要がありました。聖書は人間味のある人々によって書かれました。それらの人々は神の聖霊の霊感を受けていました。言葉の理解力の不完全さや人間の知性の強情さ、真理を巧みに避けるなどのゆえに、多くの人々は自分の気に入るように聖書を読んで理解しています。それは、聖書の中に難しさがあるからではありません。政治に関心のある人達が法令集の中の法律の要点を論じて、そして、それらの法律に対して自分達の解釈を適用して、反対の見解を取って、言い争っているようなものです。
御言葉は、神が摂理のうちに適した機会だと見た時、様々な時にいろいろな場所で、人間に印象付けるために、途切れていない言葉の連続した鎖のようにではなく、連続した世代の人々を通して一部分また一部分と人々に与えられました。人々は、神の聖霊によって感銘を受けた時に書きました。「初めにつぼみ、次に花、そして次に実」「初めに葉身、次に穂、その穂の中に熟したコーン」が実ります。聖書の言葉が私達のために存在しているということは、まさしくその通りです(1992年訳は誤訳。「聖書の言葉は、私たちにとってこの聖句のようなものです」This is exactly what the Bible utterances are to us.)。
聖書には、必ずしも完全な順序や外見的な統一はありません。キリストの奇跡は、正確な順序で書かれてはおらず、この神性と呼ばれるキリストの力の現れる状況が存在した時に応じて書かれています。聖書のいろいろな真理は、隠されている真珠のようなものです。それらは、探し出され、勤勉な努力によって掘り出される必要があります。自分の考えはとても深いものだとうわべの浅い知識で聖書を表面的にだけ理解する人々は、聖書についての矛盾を語り、御言葉の権威を疑っているでしょう。しかし、真理と義務が調和している心の人々は、神性の印象を受け取る心の備えをして御言葉を研究するでしょう。光と知識を受けて啓発された魂は、全体を貫いている威厳のある一本の黄金の糸によって、霊的な統一を見ています。その貴い黄金の糸を追跡して調べるために、忍耐と思索と祈りを求めています。聖書をめぐる激しい議論は、調査研究へと導き、真理の貴い宝を明らかにしてきました。多くの涙が流され、多くの祈りがささげられました。それで、主は御言葉の理解を開示したのでした。
聖書は、威厳のある超人間的な言葉で、私達に与えられたのではありません。イエスは、人間が存在している所で人間に近づくために、人間性を取りました。聖書は、人々の言葉で与えられる必要があります。人間に存在している全てのことは不完全です。様々な意味が、同じ言葉によって表現されています。おのおのの全く異なった考えのための一つの言葉がありません(1992年訳は誤訳[また、一つ一つの考えに対していくつもの表現があります]There is not
one word for each distinct idea.)。聖書は体験に基づいた趣旨/目的のために与えられました(1992年訳は誤訳「聖書は実際的な目的のために与えられたのです」 The Bible was given for practical purpose.)。
知性の型は人それぞれに異なります(1992年訳は誤訳「人間のタイプもそれぞれ違います」The stamp of mind are different.)。全ての人々が言葉の表現や論述を同じように理解しません。ある人は、御言葉の論述を自分の特殊な知性と事例に合うように理解しています。先入観や偏見や感情は、聖なる書かれたものの言葉を読んでいる時でさえ、知性を混乱させ、理解を曖昧にする強い影響力を持っています。
エマオに旅をしていた弟子達は、御言葉についての自分達の解釈のもつれを解きほぐされる必要がありました。イエスは、姿を変えて彼らとともに歩き、そして、一人の人間として、彼らと話し合いました。彼の生涯と任務mission、受難と死が正しかったことを、神の言葉が前もって告げていたように、モーセと預言者達から始めて、自分自身に関するあらゆることを彼らに教えました。彼は、彼らの理解/悟りを啓発しました。素早く、もつれた糸の最後を引っ張り出すように、御言葉の神性の正確さと統一性を示しました。多くの人々は、今でもどんなにか理解/悟りを啓発される必要があります。
聖書は、霊感を受けた人々によって書かれていますが、神の思考形式や表現形式で書かれているのではありません。それは人間[の思考形式や表見形式で書かれて] います。神は、一人の著者として、提示されてはいません。人々は、時々、こんな表現は神らしくない、と言っているようです。しかし、神は、修飾語や論理や言葉の中に自分自身を置きませんでした。聖書の著者達は、神が用いる筆そのものではなく神が用いる筆写する人々でした。その著者達の [言葉の]違いを見てください。
霊感が与えられているのは聖書の言葉ではなく、その人々に霊感が与えられました。霊感は、人間の言葉やその人の言動表現に働いているのではなく、その人自身に働いています。彼らは、聖霊の感化の下で、思想を吹き込まれています。しかし、その言葉は個人的な知性の感銘を受けています。神性の知性は浸透しています。神性の知性や意思は、人間の知性や意思と結びつけられています。こうして、人間の様々な言葉は、神の言葉として存在しています(1992年訳は誤訳「神のみ心と意志が人間の心と結びついて、人間の言葉となったのです」 thus the utterances of the man are the word of God.)。
『原稿』24, 1886(ヨーロッパで書かれた)[59歳]
3.多様性の中の一致
一本の木にも多様性があります。全く同じ形の2枚の葉はほとんどありません。また、この多様性は全体としてその木に完全性を加えています。
私達の聖書に、私達は問うことができます。なぜ、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書が必要ですか。なぜ、「使徒達の働き」(使徒言行録)や、同じ内容を扱った使徒の書簡にも様々な著者が必要なのですか。
主は、その言葉が届くように、なそうと思った正しい方法で主の言葉を与えました。主は、[福音書にある]同じ歴史についても、その人自身の個性を持った様々な著者達を通して、それ[主の言葉]を与えました。彼らの様々な証は、一つの本としてまとめられていて、一つの社交的な集会の証のようなものです。彼らは、まったく同じ形式で事柄を書き表していません。おのおのの人は違った経験を持っていて、この多様性が様々な人の知性の必要に応じるようにされて、その知識を深めて広くしています。その表現された思想は、とても変化に富んだ発言をしていて、鋳型に流し込んだような画一的なものではありません。そのような画一性では、卓越した美と恵みが失われるようになるでしょう。…
全ての考えの創造者は、同じ思想を様々な人々の知性に認識させることができるでしょう。おのおのの人は、矛盾なく違った方法で表現できるでしょう。この違いが存在するという事実は、私達に、困惑や悩みを与えないでしょう。二人の人がまったく同じ方法で真理を見て言い表すことはほとんどないでしょう。自分の気質や受けた教育という特別な点を持っているそれぞれの人は、正しく認識するように自分を合わせました(1992年訳は誤訳「心に留まることを書くのです」Each dwells on
particular points which his constitution and education have fitted him to
appreciate.)。違った物に当たっている太陽の光は、それらの物に違った色を与えています。
聖霊の霊感を通して、聖霊による彼らの知性の発達に応じて表現されるように、主は使徒達に真理を与えました。しかし、その人の知性は、型に押し込まれたように、固定されていません。 『手紙』53,1900, [73歳]
4.主は不完全な話し言葉で語る
主は、地上の者達が世俗化して鈍い理解力と退化した感覚になっても、主の言葉を理解できるように、人間の話し言葉で語っています。このようにして、神の謙遜/へりくだりが示されています。主は、人々がいる所で、罪に落ちた人間に向き合っています。[神の]無限な考えは、[人間の]有限な思想を媒介として完全に具体化されることが不可能なので、聖書は、その簡潔さにおいては完全ですが、神の偉大な思想に応答していません。聖書に存在する表現は誇張されたものではなく、その強調表現は
[神]の思想の壮大さの前で役に立っていないと多くの人々が思っていることに並行しています。しかしながら、神が用いる筆写する人は、高度な教育に属する様々な真理を伝えるために、最も表現に適した言葉を選びました。罪深い存在者達は、天の栄光の輝きのごく僅かを見上げるために[視線を]運ぶことができるだけです。
『手紙』121,1901 [74歳]
(上の2文の1992年訳は誤訳。意味不明「聖書の表現は誇張されていると考えている人がたくさんいますが、聖書記者が天よりの真理を伝えるためにもっとも強力な表現を選んでも、その思想があまりに壮大なので役に立たなくなってしまうのです。罪を持った者は、天の栄光の影しかみることができません」 Instead of the expressions of the Bible being exaggerated,
as many people suppose, the strong expressions break down before the
magnificence of the thought, though the penman selected the most expressive
language through which to convey the truths of higher education. Sinful
beings can only bear to look upon a shadow of the brightness of
heaven's glory.)
5.神の言葉に裁きを宣言する立場の人はいない
(1992年訳は誤訳。「だれも神の言葉を批判することはできない」。No man to pronounce judgment on God's Word. 「judgment」には「批判」という意味はありません。著者は、次ページでは、criticize批判とjudgment裁きを使い分けています)
(バトクルリーク)タバナクル教会と[バトルクリーク]カレッジの両方で、聖霊のテーマが教えられました。有限な人々が自分の考えで、「御言葉の中のある事柄は霊感を与えられているが、あるものは与えられなかったと言われている」と、説明しました。『レビュー』誌
[1]に載った霊感についての記事には、主が霊感を与えなかったということと、そのカレッジの私達の[教会の]若い人々の前で、主は、彼らが勧めた考えを是認しなかったということを、私は示されました。
(1992年訳は誤訳。『レビュー&ヘラルド』誌に出た霊感についての文章は主の霊感を受けていませんし、大学では青年達の前でこれが支持されていますが、主はそれを認めておられない[ことが私に示されました)
I was shown that the Lord did not inspire the articles on
inspiration published in the Review, neither did He approve their
endorsement before our youth in the college.)
人々が、神の言葉の批判criticizeという危険な試みをする時、彼らは神聖と聖なる領域の危険な領域に立ち入っているので、愚か者として自分の知恵を隠して、畏れおののくことが最善でした。霊感が与えられていないとしてほかの人々を疑って、また、霊感を与えられたとして何かの事柄を選んで、神は、神の言葉を裁いてjudgment宣言する[立場]に人間を置いていません。その様々な証は同じような方法で扱われてきました。しかし、神はこの中に存在していません。 『手紙』22,1889 [62歳]
2章 エレン・G・ホワイトとその著作物
1.ドクター
パウルソンへの手紙
1906年1月14日
カリフォルニア州セントヘレナ
親愛なる兄弟へ
あなたの手紙が、南カリフォルニアにいる間に届きました。数週間、そこの病院事業の発展に関したことを考え、地震
[2]とその教訓についての見解を書くことで、私の時間と労力を使っていました。
我が兄弟、あなたは私の書いた物を
入念に研究しました。そして、あなた
は、私がそのような主張をしたことが
なかったということを見つけませんで
した。また、あなたは、私達の[人類救
済]目的の中で、パイオニア達も、そのような主張をしなかったということにも気づいていないでしょう。
あなたは、『善と悪の大争闘』(各時代の大争闘)の序文の中で、聖書と十戒についての私の論述を読んだことと思います。これは、熟考の下でこのテーマを正しく理解するようにあなたを助けるでしょう。そこには、次のように言及してあります。
聖書は、その著者として、神を指し示しています。また、それは、人間の手によって書かれました。そして、その本の様々な表現形式styleはそれぞれの著者達の特徴を表しています。そこに現された真理はすべて「神の霊感によって与えられて」(2テモテ3:16 KJV)います。また、人々の言葉で表現されています。無限の方は、聖霊によって、主の奉仕者達の心と知性mindに光や知識を注ぎました。神は、数々の夢と幻、象徴と表象を与えました。このようにして真理を啓示された人々は、その思想を自分達の人間の言葉で具体化しました。
十戒は、神自身によって語られ、神自身の手によって記されました。それらは、人間が書いた作文ではなく、神性に属しているものです。しかし、神が与えた真理が人間の言葉で表現された聖書は、人間性と神性の結合を提示しています。そのような結合は、神の息子であり、人の子であったキリストの性質の中にも存在していました。このように、「その言葉は肉[人]となって、私達の間に住みました」(ヨハネ1:14 KJV)ということは、キリストに関する真理であり、聖書に関する真理です。
知的・霊的な才能、職業や社会的な地位が幅広く異なった人々によって、異なった時代に書かれた聖書の本は、提示されたテーマの性質の違いと同様に、文体や表現形式にも広範囲に差異を提示しています。異なった表現の形式が、違った著者達によって用いられています。しばしば、同じ真理がほかの著者よりもある著者によって特に強調されています。数人の著者達が、様々な側面といろいろな関連のもとで一つの主題を提示しているので、表面的に取る読者、不注意な読者、あるいは先入観のある読者は、不一致や矛盾が見えてくるでしょう。しかし、思慮深く敬虔に学ぶ者は、明晰な洞察力によって、根柢にある調和を識別するでしょう。
いろいろな人を通して提示されたので、真理は様々な側面から明らかにされました(1990年訳に引用された『各時代の大争闘』は誤訳。「表されている」「示されている」と現在形です)。ある著者は主題の一つの層に非常に強い感銘を受けています。その人は、自分の知覚力・認識力や自分の体験と調和しているそれら[主題]の点を把握しています(『各時代の大争闘』訳はthose pointsを欠訳。he grasps those points
that harmonize with his experience or with his power of perception and
appreciation; )。ほかの著者は、違う層を捉えています。そして、おのおのは、聖霊のガイダンスのもとに、自分の知性に最も強い印象を受けていること――それぞれの真理の異なった側面、全体を通した完全な調和――を提示しています。このようにして明らかにされた様々な真理は、一つの完全な全体を構成するために結合していて、人生の体験から得た知識と人生のあらゆる境遇にいる人々の要望に合うように順応しました。
神は、人間の働き手達によって世界の人々に自分の真理を伝えることを喜んでいます。そして、主は、主自身、主の聖霊によって、主の働きをするように彼らに能力と資格を与えました。主は、書くためのものと語るためのものについて選ぶように、彼らの知性を導きました。その宝はいろいろな土の器[人間]に託されました。また、それは、それにもかかわらず、天からのものです。その証は、人間の言葉の性質にある不完全な表現を通して伝えられました。また、それは神の証です。素直に信じている神の子らは、それの中に真理と恵みに満ちた神性の力の栄光を見上げています。
(『善と悪の各時代の大争闘』序文。髙谷訳)
2.そのいろいろな証の高潔さ
この序文の内容と完全に調和しているのは、1882年6月20日付で書いて、『SDA教会への証』第5巻 証31
pp.62-84に[収められ]出版された「証は軽視された」という記事に見られる私の記事です。私は、そこから、あなたの考察のためにいくつかの段落を引用しています。
多くの人々は、真理を擁護してきた何年もの長い間、独り善がりだったように思われます。彼らは、今、自分達の過去の試練と従順に報酬を受ける資格があると思っています。しかし、神の事柄の純粋なこの過去の体験は、完全さに向かって進まずその純粋さを保たなかったために、自分達を神の前に罪の意識があるものにしています。過ぎた年の忠実さは、決して、今年の怠慢の代わりの償いをしないでしょう。一人の人のきのうの正直は、その人のきょうの嘘を償わないでしょう(1992年訳は誤訳。「きのう事実であったことはきょうの虚偽の代わりにはならないのです」
A man's truthfulness yesterday will not atone for his falsehood today.)。
多くの人々が「ホワイト姉妹は夫の影響を受けていて、そのいろいろな証は、夫の精神と判断に基づいて書かれている」と言って、そのいろいろな証を軽視する理由にしました。ほかの人々は、人々に影響を与えるために、また、自分達の歩みを正当化するために説明できるような何かを私から得ようとしました。回心させる神の力がこの教会の中に見られるようになるまで、私のペンから何も出て行かないようにしようと決心したのはその時でした。しかし、主は私の魂に重い任務を負わせていました。私はあなた方のために心を傾けて労しました。この任務は、夫と私にとってどんなにか労力のいるものだったかは、いつまでも語られるでしょう(1992年訳は誤訳「天国に行ってわかるでしょう」 How much this cost both my husband and myself, eternity will tell.)。主が、何年も何回も何回も私の前にその人々の事例を提示した時に、私はその教会の状態を知らなかったのですか。様々な警告が繰り返して与えられていたのに、そこでは、決定的な変化は起きませんでした。……
また、現在、私があなた方に譴責と警告の証を送っても、あなた方のうちの多くは、それはホワイト姉妹の単なる意見にすぎないと言っています。あなた方は、それゆえに、神の聖霊を侮辱しました。あなた方は、預言の霊を通して、主が自分自身を現したことを知っています。過去、現在、未来が、私の前を通り過ぎました。私は、一度も見たことのなかった人の顔を示されました。そして、何年か後で、私がその人々を見た時にその人々だったとわかりました。私は眠りから目覚めて、自分の知性に前もって生き生きと提示されていたテーマのシーンを、真夜中、手紙に書きました。その複数の手紙は、危険な状態にあった[北アメリカ]大陸中[のこの教会]に届いて(1992年訳は誤訳「大陸を横断し、」 have gone across the continent.)、神の[人類救済]目的の大きな災いを救いました。これは、何年もの私の働きでした。一つの力が、私が考えていなかった間違いを譴責し立証するようにと、私を駆り立てました。36年前からのこの働きは、上からのものでしょうか、下からのものでしょうか。……
私がコロラド州に行った時、あなたのことをとても重荷に感じていて体が疲れていても、キャンプミーティングの時にあなたに読んでもらおうとたくさんのページを書きました。疲れて、[寒さに]震えながら、私は、あなたに手紙を書くために午前3時に起きました。神は土の器を通して語っていました。あなたは、この知らせは単なる手紙だったと言うことができるでしょう。これは、一通の手紙でしたが、私に示された事柄があなたの知性の前にもたらされるようにと、神の聖霊に動かされた手紙でした。私が書いている手紙や、私が伝えている証の中で、私は、主が私に提示したことをあなたに提示しています。私は、その紙面の中に単なる私自身の考えを表した記事の一つも書いていません。それらは、玉座から輝いている貴い光で、神が私に幻で開示したものです。……
あなたは、神の声としてどんな声を認めますか。主は、あなたにあなたのありのままの歩みを示して、あなたの間違いを正すためにどんな力を持っているでしょうか。どんな力が、この教会の中の働きを動かしていますか。あらゆる疑いの可能性と、あらゆる疑わしい気配が取り除かれるまで信じることを拒むならば、あなたは決して信じないでしょう。完全な知識を求めるような疑いは、決して、信仰を生み出さないでしょう。信仰は、証明ではなく、根拠に基づいています。私達の周りに反対の道を行くように駆り立てるようなほかの声がある時に、主は、私達に義務の声に従順であるように求めています。神が語っている声を識別することは、私達に真剣な注意力を求めています。意思と衝動が支配しないように、それ自身の促しが増さないように、交渉や妥協なしに良心の声に従って、好みに抵抗して打ち克つ必要があります。
主の言葉は、[好み]に聞かず従わない(1992年訳は誤訳。「神のみ霊に聞き従い、」英文は「not to hear and obey.」とnotがついています。これは前文の[好み]を否定しています。このようなnotはp.40にもあります)という決心によって主の霊に逆らわなかった全ての私達に来ています。この声は、譴責と勧めと警告の中で聞かれています。それは、神の民への主の知識と光のメッセージです。私達が、もっと強い声や良い機会を待っているならば、その光や知識は取り去られて、私達は無知の闇の中に残されるでしょう。……
私の兄弟、「あなたの光の中を歩むことに関しての罪深い怠慢はあなたを無知の闇にすっぽりと包み隠しました」と言うことは、私の心に痛いことです。あなたはいま、その光に従わず認めないことに間違いないでしょう。あなたが心に抱いたその疑いと、神の求めに注意を払うことへのあなたの怠慢は、知識の光は無知の闇であり、無知の闇が今のあなたの知識や光なので、あなたの認識力を盲目にしてしまいました。神は、あなたに完全/成熟に向かって進むよう命じました。キリスト教は前進する宗教です。神から来る光や知識は、十分に満ちていて、私達がそれを求めるのを待っています。主は、与えることの可能な祝福は何であれ、私達が引き出せて、無限に供給する無尽蔵の倉を持っています。懐疑主義は、福音の神聖な求めを拒否し嘲り冷やかして取り扱うでしょう。世俗の精神は、多くの人々を汚して、多少は人々を支配するでしょう。神の[人類救済]目的は、犠牲が払われ続けて多大な努力によってのみその基礎を支えるでしょう。また、それは、ついに勝利するでしょう。
神の言葉は「前進しなさい。あなたが個人的に為すべきことを果たしなさい。成り行きを神の手に委ねなさい」です。私達が、イエスの導く道に向かって行動するならば、私達は彼の勝利を見るでしょう。また、私達は彼の喜びを見るでしょう。私達が、勝利の冠を得るためには、その闘いを共有する必要があります。イエスのように、私達は苦難を通して完全/成熟にされる必要があります。キリストの生涯が安楽なものだったならば、その場合に、私達は無精していて問題ないでしょう。しかし、彼の生涯は、自己犠牲と苦難、自己否定の連続が特徴でしたから、私達が、彼と苦楽を共にする者であるならば、泣き言を言うべきではないでしょう。私達が自分達をガイドするための世の光や知識を持っているならば、私達は真っ暗な道も安全に歩むことが可能です。……
主が、以前に、あなたの事例を私の前に提示した時、あなたが与えられた光を顧みなかったことを、私は知らされました。主の怒りがあなたに対して燃え上がったので、私は、彼の名によってはっきりと話すように命じられました。次の言葉が私に語られました。「あなた[E.ホワイト]の働きは、神からあなたに委ねられたものです。彼らは偉大な教師の声を聞くことを拒んでいるので、多くの人々はあなたの声を聞き入れないでしょう。彼らの道は自分達には正しいので、多くの人々は正されないでしょう。しかしまた、彼らが聞いても避けても、私があなたに与える警告と叱責を彼らに伝えなさい」。…
これらの引用文に関連した『SDA教会への証』第5巻pp.654-691の「証の性質とその影響」を研究してください。
あなたが引用した「証31」[第5巻p.67]は正しいものです。「私が記したこれらの手紙の中の、私が伝えたそれらの証の中に、私は、主が私に提示したことを、あなたに提示しています。私は、単に自分の考えを表してその手紙の中に書いた記事は一つのもありません。それらは、神が幻の中で私の前に開示したものです。玉座から輝いている貴い光線です」。このことは、私の多くの著書と私達の教会の出版物の記事についても当てはまります。私は、神の律法の指針(戒め)にある御言葉と調和した指導を受けました。私は、キリストの教訓から選ぶように指導されました。私が書いた物の立場は、イエスキリストの教えと調和していませんか。
3.惑わすような危難
あなたの質問のいくつかについて、私は「はい」や「いいえ」の答えがありません。私は、誤解を招き得るような論述をする必要がありません。私が以前に指導され今考えている人々は、神が私に与えたメッセージを惑わす言葉のようにみなして聞くことによって、時々、彼らの魂が危険にさらされています(1992年訳は誤訳、意味不明。「神が私に与えたメッセージについての、人を惑わすような言葉を聞いて、時として、その魂を危険に陥れた人々のことを私は示され、また実際に見ています」 I see and feel the peril of those who, I have been instructed, are
endangering their souls at times by listening to deceptive representations
regarding the messages that God has given me.)。
多くの人々は、私が以前に書いた物の間違った推論をして方向転換し、捻じ曲げて、自分達の不信仰を正当化しようと試みています。間違った推論と懐疑主義、疑いの霧の中を歩んでいた私の[教会の]兄弟[姉妹]達を残念に思っています。彼らは霊的な視界の不明瞭な疑念が取り去られて、正しく見ることができるならば、彼らのうちのある人は勧めのメッセージによって祝福されるだろうということを私は知っています。しかし、彼らは明瞭に見ていません。それゆえ、私はあえて彼らとコミュニケーションを取っていません。神の聖霊が神秘主義(非論理的思考)を一掃する時に、何年も前に彼らの中に見られていたように、私が以前に与えるために指導されたメッセージの中に完全な希望と信仰と慰めが見つけられるでしょう。真理は間違いなく勝利を得るでしょう。サタンが惑わす人間を贖い出すために自分の命を与えた方は、眠ることなく、見張りをしています。彼の羊達が新参者の声に従うのをやめる時、彼の羊ではないので(1992年訳は誤訳。「自分達が喜んで従いたいと思った方の声を聞いて、本当にうれしく思うものです」 whose seep they are not, they will rejoice in the voice they have
loved to follow.)、羊達は従うことを好んでいた声を喜ぶでしょう。
私達はキリストの生涯についての研究から貴重な教訓を学ぶことができます。負けず嫌いのパリサイ派の人々は、正確に受け取ったならば、彼らの霊的な益となったはずのキリストの言葉と活動を誤解していました。彼らは、彼の良いところをほめる代わりに、彼の弟子達の前で、不敬にも(1992年訳は誤訳。「不信心にも」 with impiety)、「なぜ、あなた方の先生は取税人達や罪びと達と食事を共にするのですか」(マタイ9:11)と、彼を非難しました。私達の救い主本人に質問すると、その答えは、すぐに自分達の悪意について自分達を罪有りとしただろうから(1992年訳は誤訳。「救い主ご自身に質問すれば自分達の悪意がすぐにわかるので、」[whose answer would at once have convicted them of their malice,])、彼らは弟子達と話して、そこで自分達の非難の言葉を言いました。彼らは、悪いパン種の一つとして、絶大な悪意を行ないました。もしも、キリストが不敬な人だったならば、彼を信じて従っている人々の心にある支え(1992年訳は誤訳。「人々の信頼を」His hold upon the hearts )を失ったことでしょう。しかし、キリストの中の彼らの信頼ゆえに、主の弟子達は、主を意地悪く非難する人々の当てこすりに耳を傾けなかったでしょう。
主の弟子達に酷評を浴びせようとして、意地悪く非難する人々は「なぜ、そなたの弟子達は律法に合ったことを行わないのですか」という質問を持って何度もキリストの所に行きました(1992年訳は誤訳。「質問をしました」 went again…to Christ with the question.)。そして、彼らは、罪を犯したとして、私達の主を裁いたjudged時に、主に従う者達の心に不信の種を植えつけようとして、彼らは彼自身にではなく、彼の弟子達に言いました(1992年訳は誤訳「…語りかけ、不信の種をまこうとしたのです」 they
spoke, …)。
このようにして、彼らは不和と疑いをもたらすために働きました。あらゆる方法が小さな群れの[人々の]心に疑いを起こさせるために試みられました。
これと同じ性質の働きは、今日、真の信者達に伝えるようにもたらされるでしょう。主イエスは、その心を読んでいて、自分を信じる弟子達や自分に関する全ての人々の考えの目的/趣旨を識別しています。あら探しをする人々の考えに、「健康な人に医者は必要ありません。医者が必要な人は病人です」(マタイ9:12)と答えています。横柄なパリサイ派の人々は、自分自身の聖化や清めについて誇った考えを持っていました。その一方で、彼らはほかの人々の生き方に酷評を下す用意をしていました。 『手紙』206, 1906[79歳]
4.主のメッセンジャー
(1992年訳は誤訳「主の使命者」)
昨夜の幻の中で、私は、私達の教会の集会で、現在のなすべきことと現在の真理について、明確な証を伝えながら前に立っていました。多くの人々が私の周りに集まって来て質問しました。「私は、一人ひとり、順々にしてください。そうでないと私は混乱してしまいます」と言いました。
それから私は、こうアピールして言いました。「何年もの間、皆さんは、主が私に行なうための働きを与えたという多くの根拠を持っていました。これらの根拠はこれ以上のものはないというほどに重大なものだったでしょう。みなさんは、人間の不信な心を示唆するクモの巣のような、これらの根拠を取り払ってしまいますか。私の心が痛むのは、今、困惑させられ、そそのかされている多くの人々が、理解と祈りと熟考の機会と根拠を大量に持っていたという事実があること、そしてまた、神が終末時代に存在する「惑わし」から神の民を救うために与えた警告を拒むような、彼らへの影響力を表している詭弁の性質を彼らが見抜いていないことです」。
ある人々は、「私は預言者の一人であると主張しなかった、と私が言った」[3]事実につまずきました。そして、彼らは、「これはなぜですか」と尋ねました。
私はそのような主張をしませんでした。ただ、「私は、主のメッセンジャーだと、[イエスに]指導されている」だけです(1992年訳は誤訳。「私は、自分が主の使命者であると告げられた、と言っているだけです」
[only that I am instructed that I am the Lord's messenger;] )。主イエスの名によって、明確で確かなメッセージを与えるために、主の言葉を受けるために、主は私の若い時に主のメッセンジャーとして私を呼びだしました。
若い時から、「あなたは預言者の一人ですか」と、たびたび尋ねられました。私は、ずっと「私は主のメッセンジャーです(1992年訳は誤訳。[召されました]の英文は存在しません) I have ever responded, I am the Lord's messenger.)と、答えてきました。私は、多くの人々が、私のことを預言者の一人と言っていたことを知っています。しかし、私は、この名称を主張したことはありませんでした。私の救い主は、私を自分のメッセンジャーと呼びました。彼は私にこう指導しました。「あなたの働きは、私の言葉を伝えるために存在しています。奇妙なことが湧き起こるでしょう。正しくない活動に御言葉からの譴責とペンによって、信仰のない人々に御言葉を伝えるために、間違っている人々に特別なメッセージを伝えるために、あなたの若い時に、私はあなたを分けました。御言葉から熱心に勧めなさい。私は、私の言葉をあなたに開示しましょう。それは、知らない言葉としてではないでしょう。声とペンによって、簡潔で効果的な真理の言葉によって私が与えるメッセージは、学校で学ばなかった人の一人から聞かれるでしょう。私の霊/精神と力があなたと共に存在しているでしょう。
人間を恐れる必要はありません。私の盾があなたを守るでしょう。語るのはあなたではありません。譴責と警告のメッセージを与えるのは主です。どんな状況にあっても、真理から逸れてはいけません。私はあなたに[人々に]与える光や知識を与えましょう。この終末時代に対するメッセージは書物に書かれるでしょう。かつてある人達はその光/知識を喜びましたが、悪の魅力的な感化のゆえにそれを放棄するように導かれました。[そのメッセージは]その人達に対して証となるために、永久的なものとして立つでしょう(1992年訳は誤訳「…この終末時代に対するメッセージを書物に書き、永久的なものとし、ひとたびは光を喜んだものの悪の誘惑の力に負けて光を捨ててしまった人たちに対する証としなさい」と言われました)。
なぜ、私は預言者の一人であると主張してこなかったのでしょうか。―-それは、時世柄、自分達は預言者であると大胆に主張する多くの人々が、キリストの[人類救済]目的を非難するため、また、私の働きが「預言者」を意味する言葉以上に広いものを含んでいるためです。
この働きが私に与えられた初期の頃は、この重荷を誰かほかの人に負わせてください、と主に願いました。この働きは、とても責任が重く、範囲が広くて、内容が深かったので、私はそれを行なうことができないと恐れました。しかし、主の聖霊によって、行なうようにと、主が私に与えた働きを成し遂げることを私に可能にしました。
5.多くの特徴のある働き
神は、私を使って特別な働きを前進させるために、様々な方法を私にわかりやすく教えました。「あなたが、最後まで忍耐して、忠実にメッセージ(伝達事項)を宣べ伝えるならば(1992年訳は誤訳。「使命を宣べ伝え、忍耐するならば」。彼女は「使命(任務)」を伝えたのではなく「メッセージ(伝言)」を伝えたのです)、命の木の実を食べ、命の川の水を飲むでしょう」という約束と共に、私にいろいろな幻が与えられました(1992年訳は不適切な日本語。「幻が与えられて、……約束が与えられました。Visions have been given me with promise,)。
主は、私に健康改革の大いなる光/知識を与えました。私は、夫と連携して、医事伝道の働き人の一人になるために存在していました(1992年訳は誤訳。「…働き人にならねばなりませんでした」(was toには「ねばならない」という意味はありますが、ここでは「私(彼女)が何のために存在しているか、存在理由を述べていると解するのが妥当です。彼女は義務で働きをしているのではなく自由意思で奉仕の働きをしています。以下、be toの訳について、1992年訳は誤訳としています) I was to be a medical missionary worker.)。私は、人々を私の家に連れてきて病気の人の世話をして、教会の人々に一つの手本を示すために存在していました。私は、女性達や子ども達に丈夫になれる養生法を教えて、このことを行ないました(1992年訳は誤訳。「効果的な治療を致しました」This I have done,
giving the women and children vigorous treatment.「治療した」のではなく、養生法を教えたのです)。また、私は、主に任命されたメッセンジャーとして、クリスチャンの節制のテーマで話をするためにも存在していました。私は、心を込めてこの働きに従事して、節制についての広く正しい考えを多くの会衆に語りました。
私は、特別な真理を信じていると告白している人々に、その真理を実行する必要性をいつまでも強く勧める義務があると指導されました。これは、聖化を意味していて、そして、聖化は、主への奉仕のためのあらゆる才能の訓練と教養cultureを意味しています。
私は、不当に扱われた人々(1992年訳は誤訳。「傷つけられた人々」who were being wronged)のそばを通り過ぎたり放置したりしないようにと指示されました。特に、[教会行政の]職務上の権限を持っている人々による(1992年訳は誤訳。「公の権威を持っている人々の、」by those having
official authority. これは下の強調文を欠訳したことによる誤訳です)、福音を伝える牧師達に対する独断的で横柄な行動に抗議するよう、私は指示されました。その義務は不愉快なものになるでしょうが、私は、その圧迫する人に正義を懇願し、譴責しようとしています(1992年訳は誤訳。原文は未来形と現在形です。「愉快な仕事ではありませんでしたが、圧迫する人々を譴責し、正義が行われるように訴えなければなりませんでした」Disagreeable though the duty may be, I am to reprove the oppressor,
and plead for justice.)。私は、私達の教会の諸施設で公平と正義が維持される必要のあることを提示しようとしています(1992年訳はこの一文を欠訳しています。また、この一文は、前ページの「公の権威」が「職務上の権限」の意味であることを教えています。文脈によって意味を理解して翻訳できる例の一つです)。
高齢の牧師達を放置している立場を取っている人々を見るならば、私は、彼らを世話することはそれらの人々の義務だ、ということを提示するために存在しています。自分達の働きを忠実に行なって来た牧師達は、健康が衰えてきた時に放置されて忘れ去られるために存在しているのではありません。私達のカンファレンス(総会)は、特別な働きの重荷を担ってきたこれらの人々の必要を考慮しないように存在しているのではありません。ヨハネがパトモス島に流刑にされたのは、主の奉仕の働きをして年老いた後でした。その寂しい島で、彼の生涯の後半に受け取った以上に、彼は天からの伝達事項を多く受け取りました。
私達が結婚してから、私は、父母のいない子ども達をしばらくの間、自分のもとで世話をして、それから、その子達のための[里親の]家庭を見つけるようにして、特別な関心を示す必要があると指導を受けました。このようにして、私はほかの人々が行なうことができる手本になっていたものでした。
たびたび伝道旅行に招かれ、書き物をすることも多かったのですが、私は3歳と5歳の子どもを引き受けて世話をして、教育を受けさせ、そして、責任ある地位に着くよう教育訓練しました。私は、次から次へ、10歳から16歳の男の子を私の家に引き受けて母親としての世話をして、奉仕のための教育訓練をしました。私は、私達の教会の人々が責任を感じるようにして、その働きを全ての教会の人々にもたらすことが自分の義務だと感じていました(1992年訳は不適切訳)。
オーストラリアに滞在していた間に[1892-1900]、魂を失う理由になるほどの誘惑にさらされて危険の中にいた親のいない子ども達を私の家に引き受けて、私は、これと同じような働きの例を体験しました。
犯罪者とされた人の流刑地になっていました)。「エレン・ホ
ワイトは、1895年12月にクーランボンの小農場に移転した。
彼女の家が建築中の間はテントで暮らした。流刑された囚人
の3つの家族の250人の末裔達という隣人達に取り囲まれて
住んだ。彼らは、悪名高い泥棒だけでなく、重労働にやる気のない人達だった。エレン・ホワイトと彼女の執筆アシスタントの一人のサラ・マクエンターファーは、可能な限りの方法でその人達のケア(保護・世話・配慮)を試みた242)。 (Ellen G.White Encyclopedia p.68)
オーストラリアに滞在していた時に、私達は
[4]、クリスチャンの医事伝道者としての働きをしました。時々、私は、クーランボンの自分の家を病気の人や精神的に悩んでいる人々の逃れの場にしました。[ミシガン州]バトルクリーク サナトリウムで訓練を受けた私のアシスタントは、私の横にいて、伝道のための看護の働きをしました。彼女の奉仕に対して料金を取らなかったので、私達は、病気の人や精神的に悩んでいる人々に現した関心によって、その人々の信頼を得ました。しばらくして、クーランボンに健康保養所が建設されました。そして、私達は、この負担から解放されました。
6.自慢した主張をしない
預言者の一人であると主張したようなことは、私にとって一度もしたことがありません。仮に、ほかの人々が私をその名で称しているならば、私はその人々と言い争いをしていません。しかし、私の働きは多方面にわたっていたので、主が指摘するどんな働きでも取り上げて、自分自身をこの教会の人々に主からのメッセージ(1992年訳は誤訳。「使命を伝え…」sent to bear a message…。Massageは伝言、missionが使命・任務。これらの区別ができていない)を伝えて送る、ひとりのメッセンジャー(伝言を届ける人)以上のほかの者だと称することができません(1992年訳は誤訳。「ほかはなかったのです」I cannot call myself
other than a messenger.)。
以前に、バトルクリーク教会に行った時、多くの会衆の前で、自分が預言者の一人であるとは主張しなかった、と言いました。「私は預言者の一人であると主張していない」という論述をするための時間を毎回取って、この内容を二度も言及しました。もしも、私がこのこと以外の別の言い方をしたとしたら、私が言おうとしたことは、私が預言者とか女預言者とかの肩書を主張していない、ということでした。今、このことを理解してください。
バトルクリーク市の郊外で開催されたキャンプミーティングや、タバナクル教会や、バトルクリーク
サナトリウムで彼女が語ったのを彼らが聞いた時と、彼女が数年前に語った見解と同じものを持っているかどうか、ある人々が知りたがっていたということを、私は理解していました(1992年訳はこれを欠訳しています)。彼女がきょう伝えるメッセージは、彼女の公的な奉仕の働きの60年の間に伝えてきたものと同じであることをその人々に保証しました。彼女は、少女時代に負わされた大教師のために行なう同じ奉仕をしています。彼女は同一の指導者からレッスン/教えを受けています。彼女に与えられた指示は「私があなたに示したことをほかの人々に知らせなさい。私があなたに与えたメッセージを書き出しなさい。その人々はそれらを[読めるように]持てるでしょう」。これは、彼女が行なうために努力してきたことです。
私は多くの本を書いてきました。そして、それらは広く配布されました。私自身[の能力]では、それらの本の中にある特別な真理を考え出すことはできなかったでしょう。しかし、主は私に彼の聖霊の助けを与えました。これらの本は、過去60年の間に主が私に与えている天からの光/知識を含んでいて、調査研究のテストに耐えるでしょう(1992年訳は誤訳「…耐えるものです」 and will bear the
test of investigation.)。
78歳になって、私はまだ精を出して働きを続けています。私達はまったく主の手の中に存在しています。私は、自分達の信頼を彼に置く人々を見捨てないだけではなく、放置しないだろうということを知っているので、私は彼を信頼しています(「神に頼ります」I trust in Him.)。私は、自分自身についての彼の守りに委ねてきました(1992年訳は誤訳です。「お任せしています」I have
committed myself to His keeping.)。「私は、自分を有能にした私達の主キリストイエスに感謝しています。彼は私を忠実な者とみなして、私を奉仕の働きに置きました」(1テモテ1:12 KJV)。 『レビュー&ヘラルド』1906.7.26[79歳]
7.預言者以上の働き
講話の間に、「私は預言者の一人であるとは言いませんでした」と言いました。ある人々は、この言及に驚きました。そして、それについて言われたことがたくさんありますから、ひとつ説明しましょう。ほかの人々が、私を預言者の一人、と言いました。しかし、私は決してその肩書をその通りだと考えませんでした。私は、自分をそのように称することが自分の義務だとは感じていませんでした。現在、大胆にも自分は預言者だと称している人々は、しばしば、キリストの[人類救済]目的を非難する一人になっています。
私の働きは、この名前が意味しているよりはるかに多くを含んでいます。私は、自分について、主の民のためのメッセージ(伝言)を主によって委ねられた一人のメッセンジャー(伝える人)と考えています「使命を委ねられた使命者だと考えています」 I regard myself as a messenger, entrusted by the Lord with messages
for His people.「使命」は任務missionのことです。1992年訳は使命と伝言を混同しています)。『手紙』55,1905 [78歳]
私は、今、私の働きの性質を憶測する人々によって、私の働きが妨げられるために存在しているのではないと指導されています(1992年訳は誤訳。「妨げられてはならない」I am not to be
hindered…)。その人々の知性は、預言者の働きと思われることに関連した多くの複雑な問題に取り組んでもがいています。私の任務は、預言者の働きを含んでいます。しかし、それはそこで終わるものではありません。それは、不信のタネを蒔いていた人の知性が認識できる以上のことを含んでいます
(バトルクリーク教会の長老達に宛てた)『手紙』244,1906 [79歳]
8.光/知識を受けて与える
私が幻の中にいる時と、出てきた後の状態についてしばしば質問されました。主が幻を与えるのが適している(1992年訳はfitを欠訳)と見ている時に、私は、天使達とイエスの臨在の中に連れて行かれていて、地上のことは全く分からなくなります。私は天使が指導している以外のこと(1992年訳は誤訳。「天使が指し示しているその先を」farther than the
angel directs me.)を見ることができません。私の注目は地上で起こっているいろいろな場面を指導されます。
時々、私は遠い未来に連れて行かれて、何が起こるために存在しているかを示されることがあります。また、私は、人々が過去に行なった事柄を示されます。私が幻から出てきた時、私が見た全てをすぐに思い出せません(1992年訳は誤訳。「その場で記憶していません」 I do not at once
remember )。そして、その内容は、私が書き始めるまで、私の前にはっきりしません。そうする時に、その場面は幻に現れたように私の前に現れてきて、自由に書けます。時々、私が見た事柄は、私が幻から出た後に、私から覆い隠されます。私は、その幻が当てはまる人の前に連れて行かれるまで、知性にそれらを呼び出すことができません。それから、私の見た事柄は、私の知性に強くよみがえってきます。私は、幻を持つ時と同じく、幻を書く時や話す時に主の霊に頼っています。私が幻を書いたり話したりすることを主が喜んでいる時に、主がそれを私の前に幻を持って来ないならば、私に示した事柄を呼び出すことは、私にとって不可能なことです。 『霊の賜物』(1860)第2巻pp.292,293
[33歳]
私は、それらの幻を受けている時、自分の見解を書いている時に、主の霊/精神に依存しています。また、私が見て書き著すのに要するその言葉は、私自身のものです。それらが、御使いによって私に語られたものである限り、それを、私はいつも引用符のしるしで囲んでいます。
『レビュー&ヘラルド』1867.10.8,40歳
ホワイト姉妹は、それらの事柄を言うための根拠/出所を知っていた(1992年訳は不適切訳。「自分がその権威であるかのように」 as if she had authority )かのように、非常に断定的に語ることについて、ある内容に関して、どうして知っているのですか、という質問があります。私は、激しい嵐の中、暗雲の中から出る稲妻のように、当惑した時に私の知性にひらめくからだと話しています。何年か前に私に提示されたある場面は、私の記憶に残っていませんでしたが、前に与えられた[イエスの]指導が必要になった時に、時々、私が人々の前に立った時、閃光のひらめきのように、その特別な指導が確かに知性にもたらされて、その記憶がはっきりと明確によみがえって来ています。このような時に、新しい幻を持った故にではなく、たぶん、何年か前に示された幻が自分の知性に強く思い出された故に、私は、自分の知性にひらめいたその事柄を言わずに抑えることができません。 『特別な 証を書き出して送ること』p.24
9.間違いがないと主張しない
(1992年訳は誤訳。「間違いがないというのではなく」No claim to inability)
私達は、学んでいない多くの、多くの、学ぶための多くの課題を持っています。神と天だけは間違いが存在しません。決して、意見を変える機会を持たない人、決して、気に入りの見解を放棄することをしない人々は、失望するでしょう。固執した自分の考えの意見と考えを捉えている限り、私達はキリストが祈った一致を持つことができません。
『レビュー&ヘラルド』1892.7.26 [65歳]
間違いがないということについて、私は、決して、それを主張しませんでした。神だけが間違いのない存在です。神の言葉は真実です。そして、神の言葉の中には、わずかの転回や変化も存在しません。 『手紙』10,1895 [62歳]
10.神聖なことと一般のこと
カリフォルニア、サナトリウム 1909.3.5
私は、A兄弟のことについて悩まされています(1992年訳は誤訳。「心配しています」 I am troubled)。彼は、南カリフォルニアにおいて、数年間、一人の働き人でした。彼は、奇妙な論述を作りました。そして、私は、彼が、パラダイス
バレー サナトリウムの部屋の数に関して、私によってつくられた論述――一つの矛盾が彼に見えているので全体としてある証を否定しているのを知って、心を痛めています。A兄弟は、私が南カリフォルニアにいる[教会の]兄弟達の一人の兄弟に宛て書いて送った手紙の中のことについて、そこには実際に38だけだった時に、そのサナトリウムは40の部屋があったと私によってその論述が作られた、と言っています。A兄弟は自分がその証に信頼を失った理由として、これを、私に与えています。
パラダイス
バレー サナトリウムの部屋の数に関して、その情報は主からの啓示としてではなく、一人の人間の意見としてシンプルに与えられました。私達の[教会の]どこかのサナトリウムの部屋の正確な数も、そして、知りたい思った人々が尋ねたことによって、私が得たそのような事柄についての[部屋の数の]知識も、私には啓示されませんでした。私の言葉によってこれらの一般的なテーマを語る時、そこには、私が主からの幻による知識を受けているとか、また、そのようなそれ[テーマ]の論述をしているということを信じるように知性を導く何ものも存在していません。……
聖霊が、人間の心と知性についての神の働きに関することや、主の働きに繫がった施設に関して何かを啓示している時、神が過去において私を通してこれらのことを啓示したように、その与えられたメッセージは、それを必要としていた人々に神が与えた光/知識としてみなされるために存在していました(1992年訳は誤訳。「光と考えなければなりません」 the message given is to be regarded as…)。しかし、一般のことに神聖なことを混ぜて一つにするのは、大きな間違いです。このことを行なう風潮に、私達は魂を滅ぼす敵の働きを見ているでしょう。
神が創造した全ての魂に、神は、神に奉仕する才能(1992年訳は誤訳「可能性をお与えになりました」 He has given
capability to)を与えました。しかし、サタンは、いつも魂達を間違った方に誘惑して、この奉仕の働きを困難なものにしようとしています。彼は、人々が聖なるものと一般のものを識別できないように、その霊的な知覚を鈍くしようと働いています。私は、私の主、大教師のための生涯の奉仕を通して、この識別を理解するようになりました。……
そのメッセージは私に届きました。死に至るまで(1992年訳は誤訳。「人間に」「to mortals)、いつまでも委ねられた高貴な働きに自分自身を捧げなさい。私は、あなたに、キリストの働きの真のセンスと精神的・身体的な力と、高尚な向上心を与えましょう。あなたは、神の息子の死と命によって代価によって買い取られたので、あなた自身が存在しているのではありません。神は、聖霊の清めのもとでの奉仕と、あなたの子どもの心を求めています。
私は、主の召命に従うよう、神に自分の全存在、自分自身を預けました。その時以来、私の生涯は、会衆の前で話すこと、私のペンを使って特別なメッセージを伝えることに費やされてきました。そのような時間に、私の活動と私の言葉を統制する人は、私ではなく[キリスト]です(1992年訳は誤訳「私ではないのです」 It is not who …。著者は文字には書いていませんが、「キリストだ」という意味で「私ではない」と書いています。これが意訳です)。
しかし、時には、一般の事柄が言及される必要のある時があります。一般の考え方がその知性に働く必要もあります。一般のいろいろな手紙が書かれて、働き人達のこの人、あの人へと送って、情報が伝えられる必要があります。そのような短い便りや情報は、神の特別な聖霊のもとで与えられた(1992年訳は欠訳。「are not given」)ものではありません。時には、宗教のテーマとまったく関係のない様々な質問が寄せられています。それらの質問は回答される必要があります。私達は、私達の諸施設(1992年訳は欠訳)のための場所、売買がなされる建物や土地、その利点と欠点について、[手紙で]話し合っています。
私は、多くの知らない内容でアドバイスを求めた手紙を受け取っています。私は、自分に与えられた特別な光/知識によってアドバイスしています。人々は、その与えられた光/知識を受け入れたくなかったので、何度も何度も、私が与えるために教えたその勧めに反対して送ってきています。そして、そのような様々な体験は、とても熱心に主を求めるように、私を導きました。
『原稿』107,1909 [82歳]
3章 証に対する態度
1.初期の記事
私は、現在の真理に立っていても、聖書の真理から逸脱した(1992年訳は誤訳。「離れた」erred)人々に、いくつかの事例においては、神が教えるために選んだ方法――特別な幻――を軽視しているある人の状態を見ました。私は、その人々が――神が語った弱い器――虫けらを攻撃していたのではなく、神の聖霊を攻撃し、幻に反対して攻撃していたことを見ました(1992年訳は誤訳。「反対している」 in striking)。私は、その器に対して反対して語ることは小さいことでしたが、しかし、神の言葉を軽見するのは危険なことだったということを見ました(1992年訳は誤訳。現在形に訳しています)。私は、「彼らは間違いの中にいたので、また、神が様々な幻を通して彼らの間違いを示すために[私を]選んだので(1992年訳は誤訳。「間違いを示すために幻を選ばれた神の教えを無視すれば、」 …they
were in error and God chose to show them errors though visions, and they would
be left to take their own way, )、彼らは様々な幻を通した神の教えを無視しました。彼らは遅すぎたということがわかるまで(1992年訳は誤訳。「…もう遅いのです」until they would find it
out too late.)、自分達は正しかったと考えて、間違った道を進み、自分達自身の道に取り残されるだろう」ということを見ました。大いなる悩みの時に、私は、彼らが激しい苦痛の中で神に叫ぶのを聞きました。「なぜ、そなたは、私達の間違いを示さなかったのですか。私達は、この時のために正しい理解を得られたし、準備がなされたはずでしょう」。その時、一人の天使が彼らに指摘して言いました。「私の父は教えました。しかし、あなた方は学びませんでした。神は様々な幻を通して語りましたが、しかし、あなた方は主の声を無視しました。そして、神は、あなた方自身の道に進むままにしました」。
ブロッドサイド版『生ける神の印を受けている人々へ』 1849.1.31 [22歳]
2.終わりの日々の安全な指導
たくさんの道徳的感化が、過去半世紀に私達[の教会]に(1992年訳は欠訳)もたらされました。聖霊を通して、神の声は、預言の霊によって、信者達の信仰を確立するために、警告と指導の中に継続して私達[の教会]に(1992年訳は欠訳)やって来ました(1992年訳は意訳「神の声が警告と指導を与えてきました」)。しばしば、その言葉は「彼らが取った立場について、私の人々(民)が信仰を確立するために、私があなたに与えた事柄を書きなさい」と、やって来ました。時と試練は与えられた指導を無にせず、また、数年にわたった苦難と自己犠牲は与えられた証の真実を確立しました(1992年訳は誤訳。「時がたち、いろいろな試みが来ても、…苦しみと自己犠牲の年月を通して、証の真理が確立されてきました」。主語「時と試練」「苦難と自己犠牲」を間違っています。Time and trial have not made void the instruction given, but through
years of suffering and self-sacrifice have established the truth of the
testimony given.)。初期のメッセージの中で与えられたその指導は、終末時代の人々自身が従うための安全な指導として保たれるために存在しています(1992年訳は誤訳[…安全な導きなのです]
The instruction that was given in the early days of the message is to be held
as safe instruction to follow in these its closing days.)。私達がわかりやすく話した数々の罠から逃れたいと思わなくて当然な、この光/知識と指導に無関心な人々は、つまずいて、光/知識を拒絶する人々の原因となり、そして、脱落し、罠にかかって、取り去られるでしょう(1992年訳は誤訳。「この光と教訓に無頓着な人々は、明らかに告げられているわなを逃れることができず、つまずき、倒れ、わなにかかって取り去られてしまうでしょう。Those who are indifferent to this light and instruction must not
expect to escape the snares which we have been plainly told will cause the
rejecters of light to stumble, and fall, and be snared, and be taken.)。私達がヘブライ人への手紙2章[心に留めねばならない]を慎重に研究するならば、私達は、すでに与えられた全ての真理の原則を堅く守っている存在であることが、いかに重要であるかを学ぶでしょう(1992年訳は誤訳。「大切かを知ることができます」…we shall learn how
important it is that we hold steadfastly to every principle of truth
that has been given.)。
『レビュー&ヘラルド』1907,7.18 [80歳]
3.一覧表にされたいろいろな態度
間もなく、可能なあらゆる努力が、神の聖霊による証の真理の道を誤らせて価値を落とすようにするでしょう。私達は、1846年以来、神の人々(民)にやって来ていた数々の明瞭で率直なメッセージに、心の備えをしておく必要があります(1992年訳は誤訳「メッセージを喜んで受け取らねば、」 We must
have in readiness …)。
(レディネスは準備ができていることです。教育学では子ども達がある年齢に達すると、学習の準備ができたと考えます。これを学習のレディネスと言います。E.whiteはWebsterの辞典を使っていたので、教育用語、社会福祉用語など多くの専門用語を使用しています。1992年訳はレディネスを知らなかったのでしょう)。
かつて、私達の信仰に繫がった人々がいるでしょう。その人々は、私達の教会の人々に提示するために、新しい奇妙な教理や、人騒がせな変わった何かを探し求めるでしょう(1992年訳は誤訳「心を向ける人々が出てきます」 will search for
new,)。彼らはありそうな誤った考えをもたらして、その[教会の]人々に、ミセスホワイトから来たものとして提示するでしょう。そうして、彼らは、魂達を欺いてだますでしょう(1992年訳は誤訳「彼らは…人々を惑わすために、…と言うでしょう」 that they
may beguile souls…)。
主が与えた光/知識を一般の事柄として扱った人々は、提示された指導によって益を得られないでしょう(1992年訳は誤訳「益をうることはできません」 will not benefited
by)。
霊的な盲目状態のために、神が与えたメッセージを間違って解釈しようとする人々がいます。
ある人は、神の民の信仰を捨てて、神のメッセージの真実性を否定して、そのメッセージは嘘だと指摘しているでしょう(1992年訳は誤訳「人もいます」 Some will yield their
faith, and will deny the truth of the messages, pointing to them as falsehood.)。
また、ある人は、神が何年もの間に与えたその光/真理に反対して働きかけ、そのメッセージを嘲るために取り上げているでしょう。信仰の弱い人は、このようにして、迷った道に導かれているでしょう(1992年訳は誤訳「惑わされるのです」 will thus be led astray.)。
しかし、ほかの人々はこのメッセージによって大いに助けられるでしょう。個人的に宛てられたものでなくても、彼らは正されて、詳細に述べられた悪を避けるように導かれるでしょう(1992年訳は誤訳「…なります」 will be led to shun)。……主の聖霊はその指導の中に存在していて、多くの知性の中に存在していた疑いは一掃されるでしょう。その証自身が、御言葉によって御言葉を説明しているように、与えられた証を説明する鍵になるでしょう(1992年訳は誤訳「鍵になります」 will be the key)。多くの人々は、間違いを譴責する特別なメッセージを熱心に読んでいるでしょう。それで、彼らは救われるためにすることは何かを学ぶことができます(1992年訳は誤訳「救われるためには何をするべきかを学ぼうとして、誤りを責めるメッセージを熱心に読む人々が多くいます」)。……聖書の真理は、1846年以来、神がその人々(民)に送り続けてきたメッセージの中に明瞭に簡潔に提示されているように、光/知識は理解を引き寄せ(1992年訳は誤訳「心が開かれ」 Light will dawn upon )、主の霊/精神は知性に一つの印象を与えるでしょう(1992年訳は誤訳。「印象を与えます」will make an impression.)。これらのメッセージは、心の中にそれら[光/知識]の場所を見つけるために存在しています(1992年訳は誤訳「心の中に入り」 are to find )。そして、[心の]変容が起こるでしょう(1992年訳は誤訳「心の変化が起こるのです」 will take place.)。 『手紙』73,1903
[76歳]
4.霊感を受けたメッセージを批判する(1992年訳は誤訳「分析」dissecting)危険
ある人は自分達の知性では好感を持てないので、「この聖句やあの聖句は霊感を受けていない」と言って、聖書を裁く座に着いています(1992年訳は誤訳「聖書を裁きます」 Some sit in judgment on)。彼らは、「ひどい偽りと呼ばれた」(1テモテ6:20 KJV)科学や哲学に所属する自分達の考え(1992年訳は欠訳)と聖書を調和できません。ほかの人々は、神の言葉の様々な部分の疑問に独特の理由づけをしています。このように、多くの人々は、敵が備えた道を手探りで歩んでいます。さて、神の言葉のどんな部分でも裁いたりとがめたりすることと、御言葉に不利な判断を下すことは、どんな人の領分でもありません(1992年訳は誤訳「許されることではありません」 it is not the
province of )。人が、このことを行ない始める時、サタンは霊的成長の足を引張り、その人にその状況の気配を作り出すでしょう(1992年訳は誤訳「作り出します」 will create an )。人が、神の言葉を批判することをあえて行なって、大いに賢明さを感じている時、彼の賢明さは、神によって、愚かとみなされています(1992年訳は誤訳「…神の知恵に比べれば愚かなものです」is with Gad, counted foolishness.)。その人が多くを知る時、彼は、あらゆることを学ぶ必要があると感じるでしょう。彼の最初の学びは、教えられる者になるために存在しているということです(1992年訳は誤訳「教訓は、教えを受ける謙虚さです」 first lesson is
to become teachable.訳者がこのis toの訳を知らなかったための誤訳です)。偉大な大教師イエスは、言っています。「私は心の柔和で謙虚な者なので、私に学びなさい。汝らは、その魂に安息を見つけるでしょう」(マタイ11:29)。
批評と批判の精神によって、自分自身とほかの人々を教育してきたみなさんは、サタンを模範にして習っているのだということを覚えていてください。その証があなたに合う時に、あなたが強調したい何らかの論述を補強するための証からの引用を、あなたは自分がそれらを信じていたかのように扱っています(1992年訳は誤訳。「自分の目的にかなっている時は、証の言葉を信じているかのように取り扱い、自分が主張したい言葉を強めるために、証の言葉を引用します」 When it suits your purpose, you treat the Testimonies
as if believed them, quoting from them to strengthen any statement you wish to
have prevail.「treat」が動詞です)。自分達の間違いを正す光/知識が与えられている時、それはどうですか。あなたはその光/知識を受け入れますか。いろいろな証が、あなた方の考えと違うことを言っている場合に、あなた方はそれをとても軽々しく扱っています(1992年訳は誤訳「軽んじてしまうのです」は洗練されていない日本語 you treat
them in very lightly.)。
ここ、あそこにと、疑いの言葉をかけることは、誰にとっても、相応しいことではありません。それは、ほかの人の知性に毒のように働き、今日まで、励まし、正し、警告し、譴責を与えて、今日までそれに参加して、この働きの基礎を築いて援助してきた人々の、神が与えたメッセージへの確信を動揺させるでしょう。様々な証の行く手に抵抗して立った全ての人に、私は言いたいものです。神は、主の人々に一つのメッセージを与えました(1992年訳は誤訳「与えておられるのです」 has given)。そして、主の声は、あなた方が聞いても聞かなくても、聞かれるでしょう(1992年訳は誤訳「聞こえてくるのです」 will be heard)。あなた方の反対は、私の名誉を害しませんが、しかし、あなた方は、神の民を正しい道に導くための指導や警告を送った天の神に対して、申し開きをする義務があります。あなた方は、罪びと達の道のつまずきの石としての存在と(1992年訳は誤訳「つまずきの石となった」 being a stumbling block)、自分自身の無分別のゆえに、主に対して、弁明しなければならないでしょう(1992年訳は誤訳「神から責任を問われるのです」 You will have to
answer )。
「律法と証に[求めなさい]。彼らが、この言葉によって語らないならば、その言葉の中には光/知識がないためです」(イザヤ8:20 KJV)。聖霊の人の心への働きさえも、神の言葉によってテストされるために存在しています(1992年訳は誤訳「聖霊が心に働くときも、神の言葉によってテストしなければなりません」
Even the work of the Holy Spirit upon the heart is to be tested by the
Word of God.)。
『全体総会日刊会報』1891.4.13 [64歳]
5.間違って適用された霊感の言葉
Bという名の人が、ホワイト姉妹に特別なメッセージを持ってミシガン州から[カリフォルニア州まで]はるばるやってきました。彼は、次のように言いました。ホワイト姉妹はモーセが占めた地位を占めるために神によって任命されました。そして、彼、Bは、ヨシュアの地位を占めるために存在していました。このようにして、この働きは進められるために存在していました。ホワイト姉妹の働きは、彼の働きと一つとされるために存在していました。そして、私達は、力を共にして真理を宣べ伝えるために存在していました。
この男性は、多くの人々が行なったように、自分がセブンスデー アドベンチスト達に当てはめた章を引用して、自分のメッセージと御言葉の偉大な聖句を混ぜ合わせて、自由気ままに考えていました(1992年訳は誤訳「この人は、…セブンスデー アドベンチストにあてはめました」This man took the liberty,)。私がこの働きに繫がっていた間、多くのこのような人々が現れました。彼らは、神の民に適用できる御言葉を選んで並べました(1992年訳は誤訳「彼らは、聖句を選んでこれを並べ、神の民に当てはめました」 They
have selected and arranged scriptures witch they made applicable to the people
of God.)。B氏は、一つの民として、それが私達に当てはまっていると主張して、自分が選んだ聖句を大きな声で読みました。(1992年訳は誤訳「B氏は、…言いました」 B read with a loud,
strong voice the passages he had selected, declaring them to be applicable to
us a people.)。彼は、自分の読んでいた聖書が[正しく]なかったので、私[あなた]は、彼[B]が正しかったと認めるべきだ、と言いました(1992年訳は誤訳。「1992年訳はnotを欠訳しています。このnotは「聖書ではない」ではなく、「聖書が正しくない」という否定です。「彼が読んでいるのは聖書だから、正しい、と私が認めるように言いました。」 He said that I must see that he was right; for was it not
[right] the Bible he was reading. このようなnotはp.18にもありました)。
私は、「ええ、あなたは、それらの聖句を選んで並べました。しかし、私はそれら[の聖句は]あなたがそれらに適用したように適用されないと理解しているのに、これまでに現れた多くの人々のようにあなたも行なって、こうだああだと解釈してそれらの聖句を曲解しています」と言いました(1992年訳は不適切訳)。
「あなたやそのほかの惑わされた人々は、たしかに説得力のある聖句を並べることができて実際に並べ、自分自身の考えと一致させて適用しました(1992年訳は誤訳。「それを解釈します」 and applied them
according to your own ideas.)。どんな人でも、神の言葉を誤解し誤用する可能性があります。人々や物事を非難し、彼[イエス]のメッセージ(1992年訳は誤訳。「自分の考えを[これでは意味不明]」 his message)を受け入れることを拒否した立場を取る人々は、神のメッセージを拒否し、そして、自分達の運命を永遠に決めてしまいました」。…
私の所に届いたいろいろな手紙から、B氏のような人々は、神に遣わされたと主張して、私達の[教会の]人々から多かれ少なかれ孤立している人々の所に行って、それらの魂達は、天に起源があるという趣旨のものを何でも捉えがちである、というように思えます。複数の手紙が回答を求めて私の所に届いています(1992年訳はこの文を欠訳)。このことから、多くの人々は、主が与えた様々な証を読んで、そして、あちこちから文章を拾い集めて、自分達に適用させて適切な繋がりからそれを使って、それらが適用されると彼らが考えたように適用している、ということを私は知っています(1992年訳はこの文を欠訳)。このように[理解力の]乏しい魂達は、困惑した者になっています。彼らが、与えられた[証の]全体の目的を読み取ることができれば、本当の適用がわかるでしょう。そして、彼らは困惑させられなくなるでしょう(1992年訳は誤訳。「与えられた言葉を順序正しく読めば、」Thus
poor souls become bewildered, when could they read in order all that has
been given, they would see the true application, and would not become confuse.)。ホワイト姉妹からのメッセージだと称している多くのものは、彼女の知性や判断と一致していない事柄であっても、彼女の支持の保証をつけて、ホワイト姉妹を誤解させる目的で仕えています。これは彼女の働きをとても難義なものにしています。(1992年訳は誤訳。「…多くのものが、ホワイト姉妹を誤解させる働きをして、彼女の精神にも判断にも合わないことを肯定させる結果となり、彼女の働きは困難になっています」 Much that purports to be a message from Sister White, serves
the purpose of misrepresenting Sister
White, making her testify in favor of things that are not in accordance with
her mind and judgment. This makes her work very truing.)
ホワイト姉妹が言ったというレポート(知らせ)が、人からほかの人へと伝わっています。そのレポートが繰り返されるたびに、それは拡大した内容に発展しています。もしも、ホワイト姉妹に言うべきことが何かあるならば、彼女にそれを言わせてください。ホワイト姉妹の代弁者として呼ばれている人は一人もいません。……どうぞ、ホワイト姉妹に彼女自身のメッセージを伝えさせてください。彼女[が言った]とレポートする人から聞くよりも、彼女から聞く方が大きな恵みが訪れるでしょう。 『原稿』21,1901 [74歳]
6.いろいろな証を疑うこと [5]
あなたが、証の感化から人々を引き離そうとして、証の欠点を探して、そして、この証に疑問を持つ人々を見つける時、神はその人々を通して働いていないということは確かです。それは、ほかの精神/霊です。疑いと不信は、用心深い歩みをしていない人々に好まれています(1992年訳は誤訳。「注意深く歩いていない人々は疑惑を持つ者です」
Doubt and unbelief are cherished by those who do not walk circumspectly.)。彼らを主の言葉に連れて行くような主の聖霊の証を通して、あるいは、主の言葉を通して語っているにも拘わらず(1992年訳は誤訳。「証を通して語る神の霊を「whether spiking through 」)、その人々は、自分達の生き方が神の聖霊のテストに合格しないだろう(1992年訳は誤訳。「テストから離れていくことを」 will not abide the
test of )と、良心に呵責を感じています。自分自身の心の初心に帰るのではなく(1992年訳は誤訳。「反省する」)、福音の純粋な原則に調和しようとするものでもなく、主の日に立つための人々として合うように備えるために、神が選んだ真の意味をとがめて欠点を探しています。
求められている神の働きと調和しない層の人、全てにおいて[自分の]好みの通りにしようとする人、また、聖書のルールによらず、自分の生き方を几帳面にせず、整った人生を送ろうとしない人など、疑い深い人を行くままにしておきましょう。真理に基礎をおいて回心した人々は、そのような人の教えや感化から益や喜びを何も見つけないでしょう。しかし、品性に欠点のある人々、手が清くない人々、心が聖でない人々、生活習慣がルーズな人々、家庭で思いやりのない人々、さらに、取引において信頼できない人々など――は、発表された新しい感情の混じった意見を喜ぶでしょう。全ての人々は、もしも、彼が望むならば、彼に従う人々の品性から、その人の教えの性質、その人の真の程度/評価を知ることができるでしょう。
いろいろな証にもっとも強い反対意見を持っている人は、一般にそれらを読んでいなかった人々です。聖書を信じていないと言っている人々が、聖書の教えをほとんど知らないのと同じです。彼らは、聖書が彼らを責めることを知っていて、彼らが聖書を拒否することは、自分達の罪深いコースに安全な感覚を与えています。
7.誤りが魅了する力
誤りと不信仰の中に存在するものが、人々の知性を魅了させて困惑させています。正しい道から逸れて歩んでいる自分達を許すために抱いた不信と疑問と疑いは、従順とさらに、真理の信条を通した魂の清め以上にはるかに簡単な事柄です。良い感化が人を望みに戻るように導いている時、その人は、クモの巣の糸にかかったハエのようにサタンの網のようなものに捕らえられているのをわかっています。それはその人にとって望みのない作業に見えます。そして、その人は、狡猾な敵によって捕らえられた罠から自分を取り戻せることはめったにありません。
人々が、一旦、神の聖霊の証に疑いと不信を許した時、彼らは、ほかの人々の前で公言した意見に固執するように強く誘惑されています。彼らの神学理論や見解が、気に入りの真理を証拠立てるすべての光線を遮り、黒雲のように彼らの知性を覆って、彼らをこわばらせています。罪深い行為を好み、プライド(自慢の混じった自尊心)(1992年訳は誤訳。「誇り」)と無学を通して没頭した疑いは、ほとんど外されることのない魂を束縛する枷(かせ)にリベット[のようなもの]で固定されています。キリスト、彼だけがそれらを打ち砕くために必要としている力を与えることが可能です。
神の聖霊の証は、軽視されていた主の言葉に人々を向けさせるために与えられています(1992年訳は誤訳。「与えられました」 are given to)。さて、それらのメッセージが心に留められないならば、聖霊はその魂から閉め出されてしまいます。彼らの本当の状態を彼らに示して、間違っている人に届けるために神が保有していたさらなる手段は何ですか(何もないでしょう)(1992年訳は誤訳。「そうなれば、誤っている人を正し、その人の本当の状態を示す方法はなくなるのです」 What further means has God in reserve to reach the erring ones, and
show them their true condition.)。
その証への信頼を減らす感化を持ち続けた(1992年訳は誤訳。「続ける」 have cherished)諸教会[の人々]は、弱ってよろめきかけています。ある牧師達は、自分自身に教会の人々を惹きつけようと働いています。一つの努力が、これらの牧師達の間違いを正すことが行なわれると、彼らは関係ないと論争から身を引いて、「私の教会の人々は私のいろいろな働きを受け入れている」と言っています。イエスは、「悪を行なっている全ての人はその光/知識を憎んでいます。その行なっていることをとがめられないように、その光/知識に来ようともしません」と言いました。今日、多くの人々は同じようなコースをたどっています。証の書には、彼らが行なっている罪が具体的に記してあるので、彼らはそれらを読もうとしません。ある人々は、若い時から証を通して譴責や警告を受けてきました。しかし、彼らはその光/知識によって歩んで改善したでしょうか。全くそうではありませんでした。彼らは今なお同じ罪に身を任せています。彼らはその品性に同じ欠点を持っています。それらの悪が、神の働きを台無しにしていて、彼らの特徴がその諸教会に表れています。その教会を適切に整えようとする主の働きは、その個々のメンバー達――そして、特に、その群れのリーダー達――が正されようとしないために、なされていません(1992年訳は誤訳。「主のみ業が教会を正しい状態に置こうとしても、教会員一人ひとり、そしてとくに群れの指導者が誤りを正されるのを拒むので、それができないでいるのです」 The work the Lord would do to set the churches in order is not
done, because the individual members―and especially
the leaders of the flock―would not be corrected.)。
多くの人々がそれらの証を受け入れると言っていますが、彼らはその品性や生活に何の感化も及ぼしていません。彼らの失敗は、しばしばとがめられたことを心に留めないので、その人は自制心を失っていて、悪を続けるコースに固定したようになるまで、甘やかされてひどくなっています。もしも、その人が煽り立てられて、弱さと虚弱さがやって来ると、彼は、打ち勝てなかった品性の意思の弱さが湧き起こって、道徳心を持てていません。彼らは自分達のその点を強く指摘するようになり(1992年訳は誤訳。「欠点が性格に出てきて」 They become his
strongest points, )、それらに押し潰されています。それから、あるテストを彼に持って行って、そして、「何年か前のいろいろな証によって、あなたの品性のこの層を神が咎めなかったのですか」と尋ねると、彼は「ええ、私は
‟私がそれらの事柄で間違っていた”と言っている書かれた証を受け取りました」と答えるでしょう。「なぜ、その時、あなたはそれらの間違った習慣を正さなかったのですか」。「私は、その譴責している人が、間違いをしているに違いないと考えました。私は同感できるところを受け入れました。私は同感できないところ[を受け入れませんでした]。あなたが言ったことは、人間の知性が与えたメッセージだったので、私はその譴責を受け入れませんでした」。
特徴ある失敗のある事例では、神がその仕える人達を見て正しましたが、理解することを拒んだ人々は、その人生に犠牲を払うことになりました(1992年訳は誤訳。「ある場合には、改めるよう神が求めておいでになる品性の欠点を見ることを拒み、そのために命を犠牲にした人もいます」 In some cases the very faults of character which they refuse
to see, have cost these men their life.)。彼らは、光/知識のチャンネルとして生きられたはずでした。神は、彼らが生きるようにと望み、そして、義への指導を送りました。それで、彼らは、主に受け入れられる奉仕を行なうための身体的・知的な力を保てるでしょう(1992年訳は誤訳 「神は…奉仕をすることをお望みになりました」 that they
might preserve …for Him;)。そして、彼らは神から勧めを受けました。彼らは、神が彼らに期待していたように一緒になって、私達の教会の人々の信頼と好意に堅く立った人々、真理を前進させるための働きができる人だったでしょう(1992年訳は誤訳「愛情と信頼の頂点に立っていたはずでした」 men who would
have stood high in the affections and confidence of our people.)。しかし、彼らは、自分で自分達を知っていた以上に神が彼らを知っていたことを知らなかったばかりに、墓の中で眠っています(1992年訳は誤訳。「すでに墓の中で眠っている者もあるのです」 But
they are sleeping in the grave, because they …)。神の考えは彼らの考えではないだけでなく、主の道は彼らの道ではありませんでした。これらの片寄った考えの人々は、彼らが働いた所ではどこでも、その型通りの働きをしました。彼らの管理下にあったこの教会は酷く弱体化させられてしまいました。
神は人々を愛しているので、人々を譴責しています。神は、偏りのない品性とバランスの取れた知性を持つように、また、主の力によって強くなるように望んでいます。そうすると、彼らは、天に近い者としての模範と指針(戒め)によって人々を導く、神の群れの模範となれるでしょう(1992年訳は誤訳)「神の群れの模範となり、教えと模範とによって人々を天国にみちびいていきます」 then they will be examples to the flock of God, leading them by
precept and example nearer to heaven.)。そうして、彼らは神のための聖なる宮を形成するでしょう。 『原稿』1,1883 [56歳]
8.口実のために証を調べる
ある人々は、光/知識を受けることを望んでいません。しかし、自分自身が選んだ道を歩みたい人は、自分達の不従順と不信仰の精神を鼓舞するような何かを見つけるために証を調べるでしょう(1992年訳は誤訳「調べて、…見いだそうとします」will search …to find)。このように、不和の精神が[教会の]中に持ち込まれるでしょう(1992年訳は誤訳。「入って来ます」will be brought in;)。証を批判するために彼らを導いている精神は、とがめるための何かを証の中に見つけて、教会の兄弟[姉妹]達を監視するように彼らを導くでしょう。 『原稿』73,1908 [81歳]
9.サタンの最後の惑わし
サタンは、真理から引き離して導くために、常に偽物を…押し付けています。サタンの最後の惑わしは、神の霊/精神の証の効力をなきものにすることでしょう。「幻が存在しない所では、その民は滅びます」(箴言29:18 KJV)。サタンは、真の証に対する、神の残りの民の信頼を揺るがすために、いろいろな人々を通して、いろいろな方法で、巧みに働くでしょう。 『手紙』12,1890 [63歳]
証に対して、サタンのような憎しみが燃え上がるでしょう(1992年訳は誤訳。「証に対するサタンの憎しみが燃えあがるでしょう」 There
will be a hatred kindled against the testimonies which is satanic.)。サタンの働きは、人々の中でこの教会の信仰を揺るがすために存在しているでしょう。その理由は、神の聖霊の勧めと譴責と警告が人々の心に留められるならば、サタンが、だましの働きで魂を捕えられず、だましをもたらす道を進めなくなるからです。
『手紙』40,1890
[63歳]
4章 この教会のために証を書いて送ること
1.この働きの回顧
[6]
1906年7月8日 カリフォルニア サナトリウム
親愛なる兄弟へ
ある人は、主が私に行なうようにと与えた働きの重要性を評価して、その特徴を検討/測定できると考えています。彼ら自身の知性や判断が、その証を[天秤に載せて]量る時の基準です(1992年訳は誤訳「彼らは、自分の考えや判断を、証を評価する基準としています」Their own mind and judgment is the standard by which they would
weigh the testimonies.)。
私の指導者は、「‟神は、その証の特徴を明らかにしたり、等級に分けたり、検討したりする働きを委ねなかった”と、これらの事柄を人々に話しなさい」と、私に言いました(1992年訳は誤訳「…神は…おゆだねになっていません」 Tell these men
that God has not )。このことを試みようとする人々は、確かに、彼らの結論に間違いが存在しています(1992年訳は誤訳「これをする人は、必ず誤った結論を出します」 Those who
attempt this are sure to err in their conclusions.)。主は、彼らが命じられた働きを堅持する人々を持っているでしょう(1992年訳は誤訳「主は、彼らが与えられた仕事に専念するよう、望まれます」 The
Lord would have men adhere to their appointed work.)。彼らが主の道を守るならば、主が私に行なうようにと命じた働きは人間が考案した働きではないことを彼らは明瞭に識別できるでしょう(1992年訳は誤訳「…はっきりと認めることができるはずです」 They will be
able to discern clearly…)。初期の頃から現されて来た証を注意深く読んだ人は、それらの由来について困惑させられる必要がありません。神の霊/精神の助けによって書かれた多くの本は、その証の性質についての生きた証を生み出しています。
私達[の教会]の初期の体験におけるメッセージの中で、神の霊/精神がしばしば、集会をしていた時に私達数人の上にやって来ました。そして、私は幻の中に連れて行かれました。主は、喜びと希望と慰め、光/知識と例証などを与えました。主への賛美が私達の口にありました。
2.文筆ヘルパーによる支援
夫が生きていた間は、彼は、私に与えられたメッセージを送り出すカウンセラーであり、助け手でした。私達は[北アメリカ中を]広範囲に伝道旅行しました。時々、夜の間に、時々、日中に大会衆の前で光/知識が私に与えられたものでした。幻の中で私が受けたその指導は、私にその働きのための力と時間があった時に、私によって注意深く記述されました。その後で、夫による文法的な誤りの修正と不要な繰り返しの削除によって、私達は一緒にその内容を調べました。それから、それは、宛てられた人々や印刷者のために、注意深く写し書きがなされました。
働きが進展するにつれ、ほかの人々が出版のための内容の準備に私を支援しました。夫の死後[1880]、忠実な助け手達が私に繫がりました。その人々は、出版のための記事の準備と証の書き写しの働きにたゆみなく取り組みました。
「私の助け手達の誰かが、私が書き出したメッセージの意味を変え、内容を加えることを許されている」という複数のレポートは真実ではありません。
私達[3男とアシスタント達]がオーストラリアに滞在[1881-1890]していた時、主は、私に負わせている働きに、「彼が、私にもっと自由に支援することができるように、W.C.ホワイト[3男]は、彼の[教会の]兄弟達が彼に負わせていた多くの任務の重荷から離れて新しい任務を追体験するべきです」と指導しました。特別な約束が与えられました。「私は、我が霊/精神を彼に置き、そして、彼に知恵を与えます」。
私がアメリカに帰ってから、私は、数回、‟主がW.C.ホワイトを私の助け手となるように与えました(1992年訳は不適切訳「…与えたのであって、…与える、と言われました」。これは「…のではない」という否定につながる言い回しだが、肯定文でねじれた文になっています)。また、この働きの中で、主は彼に主の霊/精神を与えるでしょう”という指導を受けました。
3.提示の適切な時と方法(1992年訳は誤訳「発展する適当な時と方法」 Proper time
and manner of presentation. 本文の中にあるpresentは「提示する」と訳されている)
与えられた指導を提示するための適切な時と方法を知るためには、神の霊/精神によって活気づけられた深い知恵と健全な判断が必要です。譴責された人々の知性が強く惑わしのもとにある時、彼らは生来的に反抗して、反抗の態度を取ってしまってから、あとになって自分達が間違っていたということを認めることは、彼らにとって困難です。
この[働きの]目的の初期においては、主からのメッセージが与えられた時に指導の立場にある兄弟達が居合わせたならば、この教会の人々にその指導を提示する最良の方法について、私達はみんなで相談したものでした。時には、ある特定の部分は会衆の前で読まれないほうがいいと決定されました。ある時には、自分達の歩んでいる道を譴責された人々が、とても有益になるでしょうから、自分達の間違いや危険性の内容の指摘がほかの人々に読まれるべきだと求めたこともありました。
時には、叱責の証が読まれた後で、心からの告白がなされました。それから、私達は祈りの時間を持ったものでした。主は、自分達の罪を告白した人々に赦しの恵みを現しました。その証を受け入れることは、私達、集まった者達に神の豊かな祝福をもたらしました。
私は、注意深く、神性のカウンセラーによって次々に与えられているそれ[証]を書き出すことに努めています。私が書いているその[証の]ある部分は、この働きの現在の必要に合うようにすぐに送り出されています。ほかの部分は、人々のために利用する時が、私にとって根拠があるという状況になるまで、保管されています。時々、責任のある医師達や牧師達によって、その証を捨てるという措置に発展しました。それで、私は、彼らの手にそれらの証を渡さないようにと指導されました。彼らは、アダムやエバを誘惑し勝利したのと同じ精神に捕えられて、彼らは、その敵の支配に心と知性を明け渡してしまいました。彼らは、間違ったコースにいて、だましの想像のもとで働いていて、彼らは、そこには[書かれていない]証の内容を読んでいるのでしょう。しかし、それは、彼らが聞いた誤った論述と一致しています。自分自身で点火して掻き立てた光/知識によってその証を読むことによって、彼らはだまされて、そして、ほかの人々をも騙しているでしょう。
時々、とてもはっきりした譴責を決めて書き出した後で、手紙が宛てられている人々の精神が変えられるように、私の個人的な手紙によって努力がなされるまで、しばらくの間、それらは保管されています(1992年訳は誤訳。「私が個人的手紙によってその人々の心が変えられるよう努力するまで、」。もしも、それらの努力が成功しない場合には、それらの強い譴責や咎めのメッセージは、彼らがそのメッセージの真実性を否定しても、聞いても、彼らに送られています。
間違いを指摘された人々がその間違った行動を告白するならば、かの敵の魔力は打ち砕かれるでしょう。彼らが罪を離れて悔い改めるならば、神は、あらゆる不義から彼らを清めることと、彼らの罪を赦すことに正しくて忠実です。キリスト、罪を赦す救い主は、彼らの汚れた衣を取り除いて、彼らに別の衣裳を与え、頭に正当な冠を置くでしょう。しかし、罪から離れることを拒んでいる限り、裁きの大いなる日に立つための品性を発達させることはできないでしょう(1992年訳は誤訳「…立つことができる品性を発達させることができません」)。
しばしば、個々人の生活についての隠された悪いことが、私に開示されています。そして、私は、警告と譴責のメッセージを伝えるように命じられています。
私は、「多くの人々は、あなたの働きを偽預言者の働きとして非難するような敵の誤った科学に心を惹かれています。神の真理を偽りに変えようとした解釈を証についてするでしょう」と言われました。サタンは抜け目のない存在です。過去に主によってその働きを行なうように用いられた人でも、だまされるままに任せていたら、与えられたメッセージを不適切に利用するようそそのかされるでしょう。彼らは譴責の言葉を聞きたくないので、また、彼らは勧めを聞きたくなくて、彼らの活動の方向を改善せず、彼らの任命された働きをしたくないので、彼らは、この教会へのメッセージを曲解しているでしょう。そして、多くの人々の知性を混乱させています(1992年訳は誤訳「混乱させるのです」 and confuse many
mind.)。
それにもかかわらず、私は、主が[私を]選んでいる限り、私に与えられたメッセージを伝えるために存在しています(1992年訳は誤訳「私は…伝えなければなりません」I am to bear the…。このam toの意味は義務ではなく、存在意義です)。主は、私に不信仰を心に抱いている全ての人々の誤解を解く仕事を与えませんでした。誘惑者のそそのかしを受けるように[心の扉が]開かれている限り、困難は増すでしょう。この光/知識に来ない人々の心は不信仰に開かれています。私の時間と能力がそのような内容に費やされると、これはサタンの目的に奉仕しています。主は、私に「その証を伝えなさい。あなたの働きは困難を解決するために存在しているのではありません。あなたの働きは譴責するために存在しています。また、キリストの義を提示するために存在しています」と言いました。
4.一つの出来事
このメッセージの初期のある時(1992年訳は誤訳「この使命の初期のある時、」 At one time in the
early days of the message,)、信仰の父バトラー(訳者加筆;SDA全体総会の代表をした人)とハート長老がその証について混乱するようになりました。とても悩んで、二人は涙を流して泣きました。しかし、しばらくは、その困惑の理由を何も言いませんでした。しかしながら、[証の]話と作風への不信頼の理由を問い詰めると、ハート長老は、ホワイト姉妹の幻として出版された小さなパンフレットについて言及しました。そして、自分の知る限りでは、いくつかの幻(1992年訳は誤訳「ある幻が」some visions)が含まれていなかった(1992年訳は誤訳「ふくまれていない」 were not includedと、言いました。多くの聴衆の前で、この兄弟達は二人共、自分達がこの働きに確信を失っていることについて強く語りました。
私の夫が、小さなパンフレットをハート長老に手渡して、そして、『ミセス エレン・G・ホワイトのクリスチャン経験と幻』という題のページに印刷されたものを読むように頼みました。彼は読みました。
しばらくの沈黙がありました。それから夫は、私達は資金が非常に不足していて、初めは小さなパンフレットしか印刷できなかったことを説明して、そして、彼は、十分な資金が集まったらもっと十分に、本の形で出版されるだろうと約束しました。
バトラー長老は深く心を動かされ、その説明の後で、「神の前にひざまずきましょう」(1992年訳は誤訳「神の前に頭を垂れて祈りましょう」 Let us bow before
God.)と言いました。私達がめったに聞かなかったような祈りと涙、告白が続きました。
信仰の父バトラーは「ホワイト長老、許してください。私は、あなた方が私達に与えるべき光/知識の何かを隠していると臆病になっていました。ホワイト姉妹、私を許してください」と言いました。その時、神の力が驚くべき方法でその集会に訪れました。 『この教会へ証を書いて送ること』pp.3-9
5.この働きと助け手達
1907年20月23日カリフォルニアのサナトリウムで
親愛なる[F.M.]ウィルコックス兄弟へ
少し前に届いたあなたの手紙を読みました。ある姉妹が、ホワイト姉妹の従事していた立場を務めるために選ばれた(1992年訳は誤訳「ある姉妹が私の立場に自分が選ばれた)と考えていることに関して、彼女は、本当にそうなのでしょうが、私は「彼女は間違いなくだまされています」と言おうと思っています。
夫が死んでからおおよそ一年間、私はとても衰弱していました。私はもうわずかしか生きられないと心配していました。ヒルズバーグのキャンプミーティングの時に、私はテントの中に連れて行かれました。そこには、私達の教会の人々が大勢集まっていました。この教会の人々に少しの告別の言葉を言うために、私は、横になっていた長椅子から「起き上がらせてください」と頼んで(1992年訳は誤訳「起き上がるように言われ、」 I asked to be raised
up…)、支えられて講壇の所へ行きました。私が話をしようとした時、神の力が私にやって来て、私の全身をぞくぞくと震えさせました。その会衆の多くの人々は、私が衰弱していたことを見ていて、私の顔も手も血色がないように見えていました。しかし、私が話し始めた時、会衆は私の唇と顔に血色が戻ったのを見て、私の味方[イエス] (1992年訳は誤訳「私のために」in my behalf.)によって奇跡がもたらされていたことを知りました。癒された私は、人々の前に立って、そして、自由に話しました。
この体験の後で、多くの国々で主のための証を伝えるために、主はこの働きのために私に能力と恵みを与え、主が私を立てたという光/知識を与えました。また、主は、私の息子、W.C.ホワイトが私の助手兼相談者となるようにして、また、健全な知性と知恵の霊/精神を彼に置くだろう(1992年訳は誤訳「霊を与えてくださる」 the Lord would place on him )、ということを示しました。主は彼をガイドするだろう、また、彼は聖霊のガイダンスと導きを認識するだろうから、彼は導かれる道を離れないだろう(1992年訳は誤訳「道を誤ることはないと言われました」 he would not be
led away,)、ということを示しました。
その保証が、私に与えられました。「あなたが行なうようにと、主が選んだその働きを、あなたは一人で行なっているのではありません。あなたは、この神の人々(民)に簡潔に真理をもたらす方法を神によって教えられるでしょう。真理の神はあなたを支えて[いるので]、あなたを導いているという確信の持てる証拠が[あなたに]与えられるでしょう。神は、あなたに主の聖霊を与えるでしょう。そして、主の恵みと知恵と[それを]持続する力は、あなたと共に存在しているでしょう。……
主は、あなたの指導者として存在しているでしょう(1992年訳は誤訳「主はあなたを教えてくださいます」 The Lord will be
your instructor.)。あなたはだます者の影響力を受けるでしょう。それらは、汎神論や背信などいろいろな形でやって来るでしょう。しかし、私があなたをガイドする方向に進めば、あなたは安全でしょう。私は、私の霊/精神をあなたの息子置くつもりです。そして、彼の働きをするために彼に能力を与えるでしょう。彼は謙虚という恵みを持っています。主は、主の働きの重要な一部を務めるために彼に能力を与えましょう。この目的のために、彼は生まれました」。
この言葉は1882年に私に与えられました。そして、その時以来、私は、彼に与えられた知恵の恵みを確信してきました(1992年訳は誤訳「確信しています」 I have been assured that )。最近、困った時に、主は「私は、あなたに、私の仕えるW.C.ホワイトを預けました。そして、私は彼をあなたの助け手になるように、彼に判断力を与えます。私は、彼に賢明な管理をするための理解力と技能を与えるでしょう」と言いました。
主は、私の働きのためにほかの忠実な助け手達を与えました。私の講演の多くは[雑誌で]報告され、出版されてこの教会の人々に配布されました。長い経験のほとんど全体にわたって、私は夜の幻の中で私に啓示されたことを書き出すために、毎日努力してきました。勧めや譴責、励ましの多くのメッセージは、個人個人に送られました。また、この教会のために私が受け取った指導の多くは、定期刊行物や書籍として出版されました。そして、多くの国々に送られました。……
この働きは、常に前進しています。私達は、この教会の人々に私が書いた物を出版する(1992年訳は誤訳「前に置くために」 to place my
writings before the )ために絶えず努力しています。数種類の(1992年訳は誤訳「数冊の」 several)新しい本が間もなく印刷されるでしょう。もしも、私が働く能力を失ったならば、私の忠実な働き人達がこの働きを推し進めるために用意されるでしょう。
6.私の著書は常に語る
豊富な光/知識が、この最終時代に私達の教会の人々に与えられました。私の命があってもなくても、私の著作物は常に語って、その働きは時代が続く限り、前進して行くでしょう。私の著作物は、特別な事務所で保管されています。そして、私が生きていなくても、主によって私に与えられたそれらの言葉は生き続けて、この教会の人々に語るでしょう。しかし、私の体と精神の力がまだ残っているので、私は有用な沢山の働きを行ない続けたいと願っています。私は、主の再臨まで生きているかもしれません。しかし、私がそうでなくても、私は「祝福された人々は、今から主にあって死んでいる、死んだ人達です。しかり、聖霊/精神も言っています。彼らは、その労働から解かれるでしょう。そして、彼らの働きは彼らに伴って行きます」(黙示録14:13 KJV)と、私に語られたことを信頼しています。……
私は、神の愛の確証と、主の導きとガイダンスがあることを神に感謝しています。私は、私の著書のことでとても忙しくしています。朝早くから遅くまで、私は、主が私に開示した内容を書き出しています。私の働きにおいての重責は、主の日に立つために、この教会の人々を備えるために存在しています。キリストの約束は確かです。その時は長くありません。私達は、主イエスのために、働いて見張り、そして、待つ必要があります。私達は、いつも主の働きを満たして、動揺させられず、堅く立つように呼び掛けられています(1992年訳は誤訳「勧められています」 are called upon )。私達のすべての望みは、キリストに基があります。
私達の教会の人々は、この世界の前に繰り広げられている過去と現在と未来を展望しているでしょうか。彼らは、彼らに与えられた警告のメッセージを心に留めているでしょうか(1992年訳は欠訳)。今日、私達の生き方が精錬され清められるということと、私達が神性に似た姿を反映するようなことが、私達の最大の関心事になっているでしょうか。このことは、子羊の血で洗われて清められた仲間に繫がる全ての人々の体験となる必要があります。彼らはキリストの義で盛装される必要があります。主の御名がその額に記されている必要があります。彼らは神にある栄光の希望を喜ぶ必要があります。キリストは主の手のひらに主の民であることの名前を刻みました。彼は、信頼するどのような魂の関心をも決して失わないでしょう。
神に全的に献身する必要があることを教会メンバー達に伝えてください。彼らは犠牲によって神と契約を結ぶ義務があることを全ての人々に理解してもらいましょう。私達は、毎時間、毎日、福音の祝福を必要としています。主の力のすべての証明、主の臨在、そして、主の愛は、大いなる感謝と共に認識されるために存在しています(1992年訳は誤訳「感謝しなければなりません」 is to be recognized )。幸福は、神への正しい行動によって達成されるために存在しています(1992年訳は誤訳「幸福がえられます」 is to achieved )。私は、この貴い思想を主に感謝しています(1992年訳は誤訳「この尊いご配慮を感謝します」)。実践された行動と表された心情によって、主に栄光が帰されますように。……最近、私のペンによって記されたもの以上に、この教会の人々に明確にもたらされた証はありませんでした。神は、それらの研究の重要性をこの教会の人々に注目するよう私に強く命じています。この働きを今始めましょう。そうすれば、イエスが来るまで、私が働くことを許されても休むために取り去られても、これらのメッセージは不朽の名声を与えられています(1992年訳は誤訳「残るのです」 are immortalized.)。
私の兄弟方に、私は、今、こう言おうと思います。魂達をキリストに導くような言葉を語りましょう。良い働きによって、果実をもたらしましょう。「神の息子を信じている人は永遠の命を持っています」(ヨハネ3:36)。全てありそうな事柄は、もしも、可能ならば厳密に選ばれた者達をだますことによってもたらされるでしょう。しかし、主は、確かに、主の働きを守っているでしょう。
『この教会のために証を書いて送ること』pp.10-16,1906
(79歳)
7.時と場所を考慮した証の使い方
それらの証について、軽視されるものはありません。除かれるものもありません。しかし、時と場所は考慮される必要があります。時機を逸してもなされなければならないものはありません(1992年訳は誤訳「どんなことでも時にかなってしなければなりません」 Nothing
must be done untimely.)。ある人々は与えられた光/知識を不適切に使用するので、ある内容は保留される必要があります。全ての小さな事柄は、極めて重要で、また、適切な時に表される必要があります(1992年訳は誤訳「用いる」is …appear)。過去において、彼らに慎重に準備されたそれらの証は、出版のために送られました。そして、すべての内容は最初に書かれた後で、また、慎重に検討されています。
人々に、神の息子の血を飲みその肉を食べるように話してください。彼の言葉を人々に提起してください。それらの人々の中には、誤解する人や偽って伝える人がいるでしょう。彼らは、視点が妨げられて(1992年訳は誤訳「彼の目は見えなくなり、」 Their eyes have been
blinded,)、ホワイト姉妹が言った言葉に全く間違った意味を付けて、サタンが彼らのために考え出した表象や解釈を述べています。‟サタンは、ユダがそうだったように、キリストの子らであることを確かに主張しています。彼は非難する側にいました”(1992年訳は欠訳)。彼らは、サタンの間違って述べる学校で自分自身を教育しました(1992年訳は誤訳「教育されました」 have educated)。彼らについての記述は、ゼカリヤ書3章にあります。この世界の人々の中で、神の教会ほど神を敬愛して神のために存在している教会はありません(1992年訳は誤訳「神の教会ほどこの世で神に愛されているものはありません」
Nothing in the world is so dear to God as His church.)。サタンは、人間の知性に働いてきて、そして、不純な方法で聖なる信頼に背き続けるでしょう。
8.題目編纂による出版物
私は、本を書く資格を与えられたと考える全ての人々が自分の想像に従って[書き]、そして、出版されたその著作物について、私達の出版所によって推薦されるように要求すると、私達の[教会の]世界の中に広く毒草のタネがたくさん蒔かれるだろうということを、容易に知ることができます。私達の教会の人々自身の間から、多くの人々が、私に、それを教会の人々に強い印象を与えるために提示したいと思っている確かなテーマとして強調するために、私の著書を利用する特権について熱心に決定を求めて、手紙を送っています。
これらの内容のあるものは提示されるべきある一つの理由があることは事実です。しかし、私は、彼らが申し出ている方法自体は良いことで、内容を利用する許可を求める方法に、その証を利用する許可を与えるような冒険はあえてしません。
これらの申し出(1992年訳は誤訳「提案」 these proposition.)をする人々は、私がまったく知れないので、彼らが賢い方法で書いた企画を管理することができるかもしれませんが、しかし、それにもかかわらず、ある著者の知性に印象付けるような何かのテーマを補強するために、その証を利用すること、人々がそれらと原文との繋がりを読む時に、その抜粋が、それらの意図した以上の異なった印象を与えるかもしれないために、私は、あえて、彼らの申し出ている方法によって、私の著作物を利用する許可をあえて与えません。このような企画をするためには、多くの事柄を考慮する必要があります。『この教会のために証を書いて送ること』pp.25-26,1906 (79歳)
5章 初期の論述の説明
1.ある攻撃に対する応答 [7]
私の注目は、最近、アイオア州マリオン[8]のC氏が出版した『ミセス
エレン・G・ホワイトの初代文集』と題する16ページのパンフレットにとまりました。その著者は、私の初めの幻の一部が最近出版された『ミセス
エレン・G・ホワイトの初代文集』と題する本では削除されたと論述しています。その理由はその文章が教えている教理を今日一つの民として私達が拒絶したからだ、というような憶測しています。
彼はまた、『初代文集』について、最初の作品(1992年訳は誤訳「初めのころの幻」 the original work.)の言葉を変えただけで、私の初期の見解の完全な再出版だと言うのは故意の偽り、と私達を攻撃しています。
私は、削除されたと言われている文章を別々に考察する前に、いくつかの事実を述べることが適切です。私の最初の見解は(1992年訳は誤訳「幻」views.)、最初にパンフレットの形
[9]で出版され、その版は発行部数が少なく、すぐに売れ切れました。これは、数年後の1851年に印刷された『ミセスエレン・G・ホワイトの経験と幻』という大きな本になりました。これには付け加えられた多くの内容を含んでいます。
私達の初期の出版事業の歴史において、場所の移転がしばしば行われました。私はメイン州からテキサス州へ、また、ミシガン州からカリフォルニア州へと、ほとんど絶え間のない旅をして働いた時に――私はアメリカ中部の大平原を17回以上横断しました。(訳者加筆。1869年に大陸横断鉄道が開通しました。ミシガン州からカリフォルニアまで当時は1週間ほどかかりました。Ellen G. white Encyclopedia p.819参照)。私は、最初に出版した作品の写しを全て紛失してしまいました。昨年の秋[1881?] に [カリフォルニア] オークランドで『初代文集』を出版することが決定した時、私達は『経験と幻』の写しを借りなければなりませんでした。このことをして、私達は、最初に出版した時の最初の様々な幻の正確な写しを確保したいと思いました。私達はこれを再版しました。『初代文集』の序文に言及してあるように、最初の作品から、言葉を変えてあるだけです。
(1992年訳は以下の段落を ――中略―― としています。その理由を推測すると、難解で日本語に訳せなかった以外にないでしょう」)
そして、1851年以前に[パンフレットが]出版された時、私達の教会の誰かが、私の最初の見解の全部のそれら[削除]や何かの写しの可能性を考えていたことについて、ここで言及することを、私はためらっています。[彼らが]先延ばしすることなく私にそれらを送ってくれるならば、私にとても好意を持っているでしょう。私は、写しがつくられるとすぐに、それを返却することを約束しています。
And here I will pause to state that any of our people having in
their possession a copy of any or all of my first views, as published prior to
1851, will do me a great favor if they will send them to me without delay. I
promise to return the same as soon as a copy can be produced.
私が今までに出版した何かを差し控えることを望むよりはむしろ、私は、今までに印刷され、私の書いたすべての書籍を一般の人々に提供することに強い満足感を持っています。
2.エリ・カーティスによって歪曲されたいろいろな証
ここで述べられる必要のあるもう一つの事実があります。私は、私の著作として印刷された全てについて、責任がありません。私の初期の幻が出版されたころ、主が私に示したものに関連しているという、しかし、私が信じていなかったもので是認できない教理で、私によって書かれたと称するいくつかの記事が現れました。それらは、カーチス氏によって編集された新聞の中で出版されました。その新聞の名前については、私は確かなことを知りません。それ以来、過去にあった労苦と配慮の数年のうちに、これらの重要ではない事柄は忘れ去られましたが、主要な点は私の知性にまだ残されています。
この男性は、私のペンから出た記事を使いました。繋がりを与えることなく、いろいろな箇所から文章を寄せ集めて、それらを捻じ曲げて全体を書き換えました。それから、自分自身の考えを加えた後で、彼は、あたかも、それらが私から直接来たものだったかのように、それらに私の名前を書き加えました。
これらの記事を見て、私達は、彼に、私達の驚きと不承認(1992年訳は誤訳「不思議」 disapprobation)の表明、私の証を曲解することを禁じた手紙を書いて送りました。[すると]彼は、自分が気に入ったことを出版すべきだ(1992年訳は誤訳「出版する権利があると言い」 he should publish
what)という返事を送ってきました(1992年訳は誤訳「と言いました」answered)。彼は、主がそれらを与えた時に、私[あなた]がそれらを書いたのであるならば、それら[記事]はそれら[幻]の事柄を述べただろうし、その幻は自分が出版したことを言っているはずだ、と理解していました(1992年訳は誤訳「このように言われたはずだ」 that he knew the
visions ought to say what he had published.)。それらの幻がこの教会の益のために与えられたのであれば、自分の気に入るようにそれらを利用する権利を持っていた、と主張しました。
それらの新聞のあるものはまだ存在しているでしょう。そして、私から出ているように[人々]にもたらされるでしょう。しかし、私は、それらについて、責任がありません。『初代文集』に書いた記事は、私の目の下を通り過ぎました。『経験と幻』の1851年版は私達が所有していた最初のものであり、私達はもっと早い日付のパンフレットや新聞に加えて、その他のことを知らないので、私は存在していると言われている削除について責任はありません。
3.最初の削除
C氏が言及している最初の引用文は、1847年に発行された『小さい群れへの一つの言葉」という題の24頁のパンフレットからのものです。これが『経験と幻』の中で削除された文章です。
神が拒絶した世界の全ての悪人達と同じく、神の都the cityに行くことと、その道に戻ることは、彼ら[1844年の再臨運動で信仰を捨てた人々]にとって不可能なことでした。彼らは一人、また一人と、その道からみな(1992年訳は欠訳)落ちて行きました。(It was just as impossible for them [those that gave up their faith
in the '44 movement to get on the path again and go to the city, as all
the wicked world which God had rejected.])
私はその文脈を紹介しましょう。そうすると、その表現の全体の意味が明らかにされるでしょう。
「私がその家庭の礼拝で祈っている間、聖霊が私にやってきました。私は、暗い世界から、すごく高く持ち上げられたように思いました。私は、再臨信徒の人々を探そうと振り向きました。しかし彼らを見つけることができませんでした。一人の声が私に言いました。“もう一度みなさい。少し上を見なさい」。この時、私が目を上げると、まっすぐな狭い道を見ました。地上高くに視線を向けました。この道を再臨信徒の人々がある都市に向かって旅をしていました。そこは、その道のはるかずっと向こうにありました。彼らは、彼らの後ろを照らす輝く明かりを持っていました。一人の天使が私に、「真夜中の叫び」と言いました。
その光は、その道をずっと示していました。彼らが直ぐ前にいたイエスに目を留め続けているなら、彼らはその都市に導かれて無事でした。しかし、間もなく、何人かが疲れてきて、うんざりして、その都市はものすごく遠いと、そこに着く前に言いました。そこでイエスは光り輝く腕を上げることによって彼らを励ましました。彼の腕から光が輝くと、再臨信徒の群れの上に波のようにうねりができました。彼らは、ハレルヤ!と叫びました。他の者は、彼らの後ろの光を軽々しく否定しました。そして、言いました。“私達をこんなに遠くに導き出したのは、神ではありません”。彼らの後方の光は、消えてしまいました。彼らの足もとには、真っ暗闇が残されました。彼らはつまずき、視界からしるしとイエスを見失いました。そして、その道を外れて、下方の悪い世界の闇の中に消えていきました。(髙谷訳)
この後に、[C氏が] 『経験と幻』と『初代文集』に存在しないが、原書の作品に存在していると言った文章が続いています。
神が拒絶した世界の全ての悪人達と同じく、神の都the cityに行くことと、その道に戻ることは、彼ら[1844年の再臨運動で信仰を捨てた人々]にとって不可能なことでした。彼らは一人、また一人と、その道からみな落ちて行きました。
4.意味が明確にされた「閉じられた扉」(1992年訳は誤訳「閉ざされた扉」)
(「閉ざす」「閉ざされる」は、具象名詞に使用されず、抽象名詞(希望、方法など)に使用されます)
これらによって表されたものは、「閉じられた扉」の教理を証明している、また、これは後の版でそれらが削除された理由だ(1992年訳は誤訳。「あとの版でこれが除かれたと、言われました」 and that this is the reason of their omission in later edition.)、と主張されています。しかし、実際において、私が示しているように、一つの民としての私達によって、単に、教えられてきたことと、今も教えられていることを教えているだけです。
1844年の大失望の後、私は、「憐れみの扉」は、その時から、この世界の人々に永遠に閉じられてしまったと一般の再臨信徒全体に教えてきました。この立場は、私の最初の幻が私に与えられた以前に取っていたものです。私達にとって真実の立場を理解することが可能となり、私達の立場を正したのは、私に与えられた神の光/知識でした。
私は、まだ、「閉じられた扉」の教理の信徒の一人です(1992年訳は誤訳「私はなお、閉ざされた扉の教理を信じています」 I am still a believer in the shut-door theory.)。しかし、それは、初めの頃に私達が使った意味ではなく、また、私達に反対している人々によって使われている意味でもありません。
ノアの時代にも一つの「閉じられた扉」がありました。大洪水によって滅ぼされた罪深い人類から、神の聖霊が取り去られる時代がありました。神自身が、ノアに「閉じられた扉」のメッセージを与えました。
「私の精神は、人間にいつまでも留まらないでしょう。なぜなら、人間は肉だからです。また、人間の[命の]日々は百年と二十年になるでしょう」(創世記6:3 KJV)。
アブラハムの時代にも「閉じられた扉」がありました。恵みは、ソドムの住民達に請い願うことを止めました。そして、ロトと妻と、二人の娘達を除いて、全ての人々が天から降ってきた火によって焼き尽くされました。
キリストの時代にも「閉じられた扉」がありました。神の息子はその時代の不信仰なユダヤ人達に、「あなた方の家系はあなたで途絶えてしまいます」(マタイ23:38 KJV)。
終末に至る時の流れを見通して、同じ無限の力は、ヨハネを通して次のようのように宣言しました。
聖なる者、真実なるもの、ダビデのカギを持つ者、開ければ誰にも閉じられることがなく、閉じれば誰にも開けることができない者がこれらの事柄を言っています」(黙示録3;7 KJV)。
1844年に閉じられた一つの扉がありました。私は、幻で示されたことをまだ信じています。第一、第二天使の光/真理を見て、それを拒んだ人々はみな暗黒/無知の中に取り残されました。天から宣言されたメッセージに付随した聖霊を(1992年訳は不適切「天よりのメッセージの宣布に伴った聖霊を」the
Holy Spirit which attended the proclamation of the message from heaven.)受けて、それを受け入れたけれども、後になってから自分達の体験が惑わしの一つだと言って信仰を捨てた人々は、神の聖霊を拒んだゆえに、それは、もはやその人々に請い願わなくなりました。
その光/真理を見ず知らなかった人々は、聖霊を拒む罪を持っていませんでした(1992年訳は誤訳「罪はありません」 Those who did not see the light, had not the guilt of its
rejection.)。神の聖霊が届かなくなるのは、天からの光/真理や知識を見下した層の人だけでした。私が前に述べたように、メッセージが表された時にその受け入れを拒んだ人々と、それを受け入れてからその後で、その信仰を捨てた二種類の人々がいます。その人々は、キリストにつく者であると告白して、信仰者の形をなしているかもしれませんが、神とのつながりがなくて、その人々は、サタンの惑わしの虜になっているでしょう。これらの二種類のクラスの人々は、幻の中で見解をもたらされています。――惑わしの光/真理に賛成した人々と、その光/真理を拒んでいたこの世界の悪い人々は神に拒まれました。その光/真理を見ず知らなかった人々に言及されません。ですから、それ[光/真理]を拒否することについて、罪は存在しません。
私が「閉じられた扉」の教理を信じて教えた、ということを証明するために、C氏は、私達の教会の著名な9人が署名した『レビュー&ヘラルド』1861年6月11日号から引用しています。その引用文は、次のように続いていると読めます。
私達の前にある働きについての見解は、その当時、きわめて漠然として不確実なものでした。ある人々は、「この世界の人々のための私達の働きは終わった。そして、そのメッセージは初期の再臨の信仰に属する人々に限られた」と、自分達の長ウィリアム・ミラーと共に、まだ、1844年に再臨があると信じていた主要な人々の考えを保持して繫がっていました。私達の多くの中の一人は「その」44年の再臨運動に存在していなかったので、彼の救いの可能性に疑いを持たれて、それを個人的に提示していて、彼はそのメッセージからほとんど拒絶されてしまったと、固く信じられていました。
このことについて、私は一つだけ付け加える必要があります。そのメッセージはこの兄弟に与えられていないだろうと主張されたその同じ集会で、彼の心をまったくイエスに預けるために、神にある希望によって彼を励ますために、一つの証が、幻を通して私に与えられました。そのことを、彼はその時その場で行ないました。
5.不合理な憶測
『小さい群れへの一つの言葉』という本から[引用した]もう一つの文章の中で、私が、新しい地球の場面について語っています。そして、私が、昔の清い人々、「アブラハム、イサク、ヤコブ、ノア、ダニエルと、彼らに似た多くの人々」を見た、と書いています。私がそれらの人々の場面を見たことについて語っているので、私達に敵対する人々は、この点についての私の見解を変えたのだ、私がその文章を削除する必要性を感じたのだ、そして、私が魂の不滅を信じていたと憶測しています。それらは、ここの真実も他の憶測と同然の憶測です(1992年訳は誤訳「この推測も他の推測と同じように全く真実ではありません」 They are as near the truth here as in other conjectures.)。
1844年に、私は、[人間の]魂が不滅ではない(滅びる)こと(1992年訳は誤訳「悪霊は不滅ではないという」 concerning the nonimmortality of the soul,)に関して、『ライフ・スケッチズ』pp.170,171[1880年版。1915年版p.49、『証』第1巻p.39,40参照]で言及しているように、今日私達が受け入れている教理を受け入れました。そして、私はペンや声によってほかの教理を擁護したことは決してありません。私達が、魂の不滅を教えるこの記述された文章を削除したのであれば(1992年訳は不適切誤訳「もし、この言葉を霊魂不滅を教えることになるから削除したとすれば、」 Had we suppressed this passage on account of its teaching the
immortality of the soul, 1992年の訳者はthe soulの訳出の認識が正しくない。5行前では「悪霊」と訳出した)、私達は、ほかの個所の文章でも削除する必要のあることがわかったでしょう。
私の最初の幻に関連して、『初代文集』p.13[1882年版。最新版のp.17]で、私は、イエスにあって眠りにつく前の兄弟[姉妹]達をわずかの間だけ見たことを語っています(1992年訳は誤訳「私の最初の幻を書いた時、その直前にイエスに合って眠った人々を見たことを語り、」 I speak of having seen brethren who had but a short time previous
fallen asleep in Jesus,)。また、14頁[最新版pp.18,19]では、私は信仰のために殉教に苦しんだ偉大な仲間達を示されたことを述べています(1992年訳は誤訳「信仰のために殉教した多くの人々について述べています」 I was state that I was shown a great company who had
suffered martyrdom for their faith.)。
魂の不滅は、この二つの引用文の中以外に、「削除された」文章の中でもまったく教えられていません。
この事例での事実は、それらの幻の中で、私は、復活した聖徒達が神の国に集められるその時に連れて行かれました(1992年訳は誤訳「…時を見せられたのです」 I was carried forward to the time )。同じような方法によって、キリストの再臨、最後の裁き、新しい地球に聖徒達が住むことが私の前に示されました。それらの情景はすでに起きたことだ、と思う人がいるでしょうか。私に敵対する人々は、単なる「憶測」を拠り所にして、彼らは私が偽っていると責めるように動かされることによってその精神を示しています。
6.間違った引用
この引用文には次の言葉も見いだされます。「私は、銀色の小枝(1992年訳は誤訳「銀の針金」silver
wires)のついた二本の長い金色の枝(1992年訳は誤訳「金の棒」 golden rods)を見ました。その小枝には金色に輝くいろいろなブドウの実がありました(1992年訳は誤訳「ブドウの実が輝いていました」 were glorious grapes.)。
私に敵対する人々は、「金色の枝に連なった銀色の小枝や、その小枝になっている輝くブドウの実など(1992年訳は誤訳「その上になっている輝いたブドウの実とか」of glorious grapes growing on silver wires, 」)、貧弱で幼稚な表現をしている」と嘲っています。
私の言葉を大きく誤るようにと、どんな動機がその書き手を駆り立てたのでしょうか。私は、ブドウのいろいろな実が銀色の小枝になっていたとは言っていません。私の見たことが、私に見えたように記述されています。いろいろなブドウの実が金色の枝や銀色の小枝に連なっていたと考えられるのではなく、そのようなものが提示されていただけです。似たような表現は、日常の会話でも誰でも用いています。私達が金色の果物と言う場合、その果物が高価な金属元素でできているという意味ではなくて、その果物が単純に金色のようだということです。同様の法則を私の言葉に当てはめることは、誤解のすべての言い訳を無効なものにしています。
7.神の印
もう一つの「削除」は、「さあ、主をたたえましょう。それは、兄弟達、姉妹達、生きた神の印をもつ人々の特別な集いです」に続いているものとして読めます。
ここには、私達がいまもなお信じていないものは何もありません(信じているものばかりです)。私達の出版された作品について言及すると、「生きている義人は調査の期間が終わる前に神の印を受けるでしょう。また、それらの人々は神の王国で特別な栄誉を享受するでしょう」という、私達の信条を示しているでしょう。
8.安息日を拒むこと
次の文章が、『初代文集』pp.25-28[最新版pp.32-35]に関連した幻から削除されている、と言われています。
「もしも、人が信じた後、安息日を守っていて、それに参加する祝福を受けた後、それを捨てて、聖なる戒めを破ったならば、安息日は彼ら自身に反して、聖なる都の複数の門を閉じるでしょう。間違いなく、天上を支配している一人の神が存在していました」。
第4の戒めの真理を完全に受け入れ、従順に参加する祝福を受け、明瞭に理解した人々が、自分達の信仰を捨てて、あえて神の律法を破るならば、もしも、彼らが不従順の道を固辞していると、神の都の複数の門が彼らに対して閉じていることがわかるでしょう。
9.「時はほとんど終わった」
1851年に出版された『経験と幻』と、『初代文集』の49頁[最新版p.58]中に見られた一つの言及が、私の証の偽りを証明するとして引用されています。「イエスが至聖所にいるための時はほとんど終わり、そして、その時はあとわずかしか続き得ないということを私は見ました」。
このテーマが私に示された時、キリストの奉仕の働きの期間は、ほとんど達成されたように思われました。私の証が初めに考えたよりも時が長く続いたので、私は偽りを言った、と責められるのですか。キリストや弟子達の証はどうだったのでしょうか。彼らも騙されていたのですか。
パウロはコリントの人々へこう書きました。
「しかし、私はこう言います。兄弟達、その時は短いです。それをそのままに、妻を持っている者は持たなかったように、泣いている者は泣かなかったように、喜んでいる者は喜ばなかったように」(1コリント7:29,30)。
また、ローマの人々への書簡の中で、彼はこう言っています。
「夜は更けて、その日は近づいています。それだから、闇/無知の働きを捨てて、光/知識の武具をつけましょう」(ローマ13:12)。
そして、パトモス島から、キリストは、愛する弟子ヨハネを通して私達に語っています。
「この預言の言葉を聞く人々、それを読む人々、その中に書かれているそれらの事柄を守る人々は、祝福された人々です。時が近づいているからです」(黙示録1:3)。「聖なる預言者達の主なる神は、すぐに起きて当然の事柄を主の奉仕者達に示すために、主の使いを送りました。見上げなさい。私はすぐに来ます。この書の預言の言葉を守っている人は祝福された人です」(黙示録22:6,7)。
神の使い達は、人々への自分達のメッセージの中で、時は非常に短いと表しています。このように、それは、私にもいつも表されていました。時は、私たちがこのメッセージ(伝言) (1992年訳は誤訳「使命の」)の初期の日々に期待したよりも長く延びました。私達の救い主は、私達が希望したようにすぐには現れませんでした。しかし、主の言葉は間違っていたのですか。いいえ、神の約束と前兆の示し(1992年訳は誤訳「裁きも」
threatening)は条件付きであるということを覚えておきましょう。
神は、主の人々(民)に、地上において成し遂げられるための一つの働きを委ねました。第三天使のメッセージは、[人々に]与えられるために存在していました(1992年訳は誤訳「なければなりません」was to)。信徒達の知性は、天の聖所に向けられるために存在していました(1992年訳は誤訳「なければなりません」were to)。そこ[天の聖所]に、キリストは主の人々(民)のための贖いをするために入りました。安息日の改革は、前進されるために存在していました。神の律法の破れは修復される必要があります。このメッセージは大声で宣布される必要があります。地上のすべての住民達は、その警告を受けるでしょう。神の人々(民)は、その真理への従順を通して自分達の魂を清めて、キリストの来臨の時に彼の前に[人格に]欠陥なく立てる用意がなされる必要があります。
再臨信徒達が、1844年の大失望の後、自分達の信仰を堅く持って、神の初めの摂理/意思に一致して従っていたならば、また、第三天使のメッセージを受け入れて、聖霊の力によってそれを全世界に宣べ伝えていたならば、主は彼らと共に力強く働いたことでしょう。また、その働きは完結したことでしょう。そして、キリストは、自分の人々(民)が報いを受けるために、今より前に来たことでしょう。
しかし、その大失望に続いて、不確かで疑いが続いていた間に、再臨信徒の多くの者達は自分達の信仰を捨てました。激しい論争(1992年訳は誤訳「平和」dissensions)と分派がその中に訪れました。大多数の人々は、少数の人々、すなわち、神の摂理に従って安息日の改革を受け入れて第三天使のメッセージを宣べ伝える人々に、言葉やペンで反対しました。この世界の人々に警告の鐘を鳴らすという一つの目的のために才能と時間を捧げるべき多くの人々が、安息日の真理に反対することに没頭しました。一方で(1992年訳は誤訳「従って」in
turn)、それを擁護する労力が、その真理を護るために反対者達に答える必要があって費やされました。このようにして、その働きは妨害されて、この世界の人々は闇/無知の中に残されました。再臨信徒達全員がイエスの信仰と神の戒めに一致していたならば、私達の[教会の]歴史はどんなにか大きく異なっていたことでしょう。
キリストの再臨がこのように遅延することは神の意思ではありませんでした。神は、神の民、イスラエルが40年間も荒野を放浪するように計画したのではありませんでした。主は、彼らをカナンの地に直接導き、そして、彼らを清く、健康で、幸福な民として定着することを約束していました。しかし、このことを最初に告げられた人々は、「不信仰のゆえに」(ヘブライ3:19)そこに行けませんでした。彼らの心は、つぶやき、反逆、そして、憎しみに満たされていました。そして、主は、民との契約を実現できませんでした。
不信とつぶやきと反逆が、カナンの地から古代のイスラエル達を40年間閉め出しました。同じ罪が、現代のイスラエルの天のカナンに入ることを遅延させました。どちらの場合も、神の約束に間違いはありませんでした(1992年訳は誤訳「…ないのです」 were …at fault.)。私達をこの罪の悲しみの世界にこんなに長くとどめたのは(1992年訳は誤訳「とどめているのは」 have kept)、主の民だと告白した人々の間の不信・世俗化・非聖別・論争の存在です。
このほかに、私の最初の本に出ていて、後の本にない文が二つあると言って書いてありました(1992年訳は誤訳「あるとされます」 said to)。それらに関しては、私がその引用文の正しさを確認できるように、また、それらの関連を自分で見ることができるように、それが書いてある本を手に入れることができる時に、説明できるでしょう。私は、それらに関して理解して説明する用意をするつもりです。
10.終末時代とあざ笑う者達
私は、働きの初めから、嘘、非難、憎しみに追われていました。汚名を着せるものを基にして中傷的なレポートが貪欲に集められて、狂信的な人や形式主義の人、反抗的な人達によって、広くまき散らされました。セブンスデー
アドベンチスト達に反対して戦うために、あちこち伝道旅行しているいわゆる正統派教会に属している牧師達がいます。彼らは、ミセス ホワイトのそれらの著書を話題にしています(1992年訳は誤訳「話題にしました」They make Mrs.…)。終末時代のあざ笑う人々は、神の見張り人だと称しているこれらの牧師達に導かれています。
信じない世間の人々、堕落した教会の牧師達、第一日再臨信徒達は、ミセスホワイトを激しく責める働きに繫がれています(1992年訳は誤訳「攻撃しました」 are united in the work of assailing )。この戦いは、40年近く続けられてきました(1992年訳は誤訳「続いています」 has been kept )。しかし、私は、彼らの下劣な話や非難、当てこすりに注目することでさえも危険だとは考えませんでした(1992年訳は誤訳「心に留めることすらしてはいけない、と感じてきました」 I have
not felt at liberty even to notice their vile speeches, reproaches, and
insinuations.)。そして、今、この習慣から離れないのは、私をだます者だと勝ち誇って言っている真理の敵達によって、正直な魂達が間違って導かれないようにするためでした(1992年訳は誤訳「そして今でも、勝ち誇って私を欺く者と決めつける真理の敵達によって正直な魂が惑わされたりしない限り、そうしています」 And I would not now depart from this custom, were it not that some
honest souls may be misled by the enemies of the truth who are so exultantly
declaring me a deceiver.)。正直な人の知性を助けるという希望によって、私は自分が行なうその記事を書いています(1992年訳は欠訳)。
私は、真理の光/知識を見て知っても、それに注意を払うことを拒んで、偏見に囚われている人々、不信に自分の魂が陥った人、そういう人々に届くことを期待していません。
天の王であり、神と等しい存在だったイエスは33年間この世界にいましたが、彼の神性の品性を認めた人はわずかでした。私はひ弱で、相応しくなく、女性という人間性に造られた者が、この世界の救い主によって享受される以上の成功を期待することなどできるでしょうか。私が最初、神が人々のために私に与えたこの言葉を語るために、行くように神が私に命じたこの働きを自分自身に課した時、私は、反対や非難、悩まされるだろうということを知っていました。私は失望しませんでした。私が、人間の承認を当てにしていたら、とっくの昔に勇気を失っていたでしょう。しかし、私は、イエスを見ていると、彼は欠点がなかったにもかかわらず、名誉を毀損する言葉で激しく攻め立てられていました。巧妙に信仰を持っているように見せかけた人々が、スパイのように救い主の後をつけました。そして、主の行く手を妨害しようとしてあらゆる努力をしました。しかし、イエスは全能者でしたが、敵対者達の罪は報いを受けて当然だったので、彼らと雑談しましませんでした(1992年訳は誤訳「敵対者達をその罪にふさわしく取り扱うことをなさいませんでした」 He
did not visit His adversaries as their sins deserved.)。彼は報復の矢を放つことができたかもしれませんが、彼は[それを]しませんでした。彼は、彼らの偽善と頽廃に痛烈な叱責を行ない、彼のメッセージが拒否され自分の命が脅かされた時は、命の言葉を語るために静かにその場から別の場所に行きました(1992年訳は誤訳「静かにそこを去って他の場所の行き、命の言葉を語られました」 He
quietly passed to another place to speak the words of life.)。私は、弱さの中にいても、私の救い主の模範について行こうと努めてきました。
11.真理の擁護者達に対する敵意
ファリサイ派の人々は、どれほど熱心に、キリストが偽り者だと証明しようとしたことでしょう。彼が言っている全ての言葉に正しくない解釈をして間違って伝えようとして、どれほど、彼らは、彼のすべての言葉に注目したことでしょう(1992年訳は誤訳「彼の言葉一つ一つに注目し、その話を間違って伝え、正しくない解釈をしました」 How they watched His every word, seeking to misrepresent and
misinterpret all His sayings!)。プライド(自慢の混じった自尊心)(1992年訳は誤訳「誇りと」)と偏見、激しい感情(1992年訳は誤訳「怒り」 passion)が神の息子の証に反対して魂のすべての道を閉ざしました。彼は、彼らの働きがサタンの子らのものだと証明したことを断言して彼らの罪を率直にとがめた時、彼らは憤慨してこの叱責に反論して言いました。「そなたはサマリア人の一人で、悪霊を持っているということを、私達は良く言っていないと思いますか」。
キリストに対して言った全ての議論は、偽りを基礎にしていました。ステパノやパウロの場合もそうでした。しかし、間違った側が行なった最も弱く当てにならない論述は一つの影響力を持っています。なぜなら、それらの論述が真理であるようにと望んでいる人々、また、心が清められていない多くの人々がいたからです。そのような人々は、彼らの好みに合わない真理を語る人々の何かの間違いや失敗にこだわることにひどく熱心です。
悪く推測する人達が、偽りを好んでいる人々によって疑問の余地のない事実として願望にとらわれている時、私達は驚く必要がありません。キリストに反対する人々は、たびたび、キリストの言葉によって当惑させられ、沈黙に追いやられましたが、それでもなお、彼らはあらゆる噂話に熱心に耳を傾け、主に反論する質問を繰り返してするために何かの口実を見つけ出しました。彼らは、自分達の目的(1992年訳は誤訳「自分達の考え」 their purpose.)を放棄しないと決心していました。彼らは、もしも、キリストがその働きを続けるならば、多くの人々が彼を信じて、そして、律法学者達やファリサイ派の人々がその民に対する影響力を失うだろう、ということをよく知っていました。そういうわけで、彼らは悪意のある態度を取り続けるために、どんなにさもしく卑劣な手段でも使って襲い掛かろうとしていました。彼らはヘロデ党の人々を憎んでいましたが、また、彼らは、キリストを地上から消し去る、ある計画を創り出すために、それらの憎悪していた人々と連携しました。
そのようなことが、神の息子が救うために来たそれらの人々に立ち向かった(1992年訳は誤訳「仕打ちを受けられたのです」 was met by )精神でした。誰が、キリストが受けた以上の好意ある歓迎を期待すること、主の真理のメッセージを世界の人々に伝えること、神に従うことを、求めることができるでしょうか。
神がその民を励まして警告し譴責するために与えたメッセージを、効力のないものにしようとしている人々に対して、私は悪意を持っていません。しかし、キリストの大使として、私は特別な真理を擁護するために立つ必要があります。私に反対して熱狂的に群がってくる人々は、どんな人たちなのでしょうか。彼らは、純粋で清い信仰の神の子らでしょうか。彼らはもう一度生まれたでしょうか。彼らは神性の性質にあずかっている者でしょうか。彼らはイエスを愛しているでしょうか。また、主の柔和と謙遜の精神を現しているでしょうか。「彼らの果実によって、汝らは彼らを知るでしょう」(マタイ7:20)。彼らは、初期の弟子達と似ていましたか。あるいは、キリストの言葉によって彼を罠に掛けようといつも見張っていた狡猾な律法学者とファリサイ派の人々に似ていましたか。昔の信仰の反対者の厳しい行動に注目してください。学者達と祭司達、律法学者達と指導者達は、この世界の人々の光/知識だった主に反対して何かを見つけるために結託しました(1992年訳は誤訳「…一緒になって、探したのです」 combined to find something )。
また、なぜ、彼らはそんなにもキリストをとがめようとしていたのですか。彼らは、キリストの教理や指針を気に入りませんでした。また、彼らは、その民の注目が前記した指導者達から離れて彼に向いてしまったのを見たので、面白くありませんでした。人間の性質は今もなお人間の性質です(1992年訳は誤訳「人間の性質は今なお変わりません」 Human nature is
human nature still.)。私の言葉/記事の影響力を台無しにして、私の道を妨害しようとしている人々は、神に仕えているという信仰で、自分達自身をだまさないようにしてほしいものです(1992年訳は誤訳「私の進む道を妨げ、私の言葉の影響力を損ない、自分達は神に奉仕しているのだ、と思って自らを欺いている人々をそのままにさせてはなりません」
Let not those who seek to hedge
up my way and destroy the influence of my words, deceive themselves with
the belief that they are doing God service.)。彼らは、ほかの主人に仕えています。また、彼らは自分達の働きに応じて報いを受けるでしょう。
反逆は、サタンが存在している限り存在するでしょう。彼の精神によって駆り立てられている人々は、「不義な者は、今なお不義なままにさせておきましょう。汚れた者は、今なお汚れたままにさせておきましょう。義である者は、今なおきのままにさせておきましょう。また、聖なる者は、今なお聖なるままのしておきましょう」(黙示録22:11 KJV)という宣告が下るまで、神の声を聞くことや神の精神を識別しないでしょう。私は、神が好意で私に与えた光/知識を軽視する人々の恨みに出くわすことを予想しています。
12.心の真摯な人のための十分な証拠
真理を知ることを真摯に望んでいる全ての人々が確信するように、主の働きの神性の特徴について十分な根拠を与えることは神の計画です(1992年訳は誤訳「…確信を与えるために、……証拠を与えることは、」)。しかし、神は疑うための全ての機会を決して取り去りません。疑問と異議を唱えたい全ての人々は、機会を見つけるでしょう(1992年訳は誤訳「機会はあるのです」 will find occasion.)。
私は、疑惑と不信の道に足を踏み入れる人々を残念に思います。私は喜んで助けるつもりですが(1992年訳は誤訳「助けますが、」 would gladly help )、私の過去の経験からすると、彼らがその光/知識に来るような望みは少ないです。キリストの学校で学ぶ者となり、肉体的な性質を抑えて、[自尊心や誇りに自慢が混じった] プライド(自慢の混じった自尊心)(1992年訳は誤訳「誇りを」
pride )を捨てる気にならない限り(1992年訳は誤訳「…学ぶ者にならない限り、」 so long as they are unwilling to)、[提示された]ある程度の根拠は、人々にその真理を確信させないでしょう(1992年訳は誤訳「真理を納得させることはできません」 No amount of
evidence will convince men of the truth )。
自説の頑固さとプライド(自慢の混じった自尊心)(1992年訳は誤訳「誇りのために、」)は、天からの光/知識を拒むように、多くの人々を導いています(1992年訳は誤訳「…光を拒んでいます」 lead many to reject )。彼らは、危険な異端や奇抜な御言葉の解釈、自分の気に入った考えにこだわっています。もしも、自分の誤りを正す証が伝えられると、キリストの時代の人々のように、感情を害して離れていくでしょう(1992年訳は誤訳「離れていきます」 thy will, …go away displeased.)。
これは、神の言葉をこの人々(民)に語る人々の生活と品性に欠点がなくはない[欠点がある]ということを意味していて、これは、彼らに信用がないことをもたらしています(1992年訳は誤訳「そこには目が向けられません」 this procures for
them no credit.)。それはなぜですか。なぜなら、彼らは、特別な真理をその人々(民)に語っているからです(1992年訳は誤訳「真理を語るから悪く言われるのです」 Because
they tell the people the truth.)。兄弟達、ここに、私の罪があります(1992年訳は誤訳「私の場合もそれが問題なのです」) This, brethren,
is my offense.)。しかし、もしも、誤ったレポートが出回ると、常識が無くてすぐに信じ込む人がそれを受け入れて、汚名を着せる誰かの憶測や推測がキリストの大使の品性に投げかけられます(1992年訳は誤訳「それを信じます」 with what absurd
credulity is it received.)。なんと多くの人々がその中傷をばらまいて、広めるための準備をしていることでしょう(1992年訳は誤訳「…その中傷を拡大し、ばらまくのです」 How many are
ready to magnify and spread the slander!)。そのようなことは、彼らの本当の性質を現しています。「神に属している人は、神の言葉を聞きますが、汝らが聞こうとしないのは、汝らが神に属していないからです」(ヨハネ8:47 KJV)。
中傷と非難は、それがイエスにあるように、真理に立つ者への返礼でしょう(1992年訳は誤訳「人々の報酬です」 will be the recompense)。「キリストにあって信仰に生きようとする者は、迫害を経験するでしょう」(2テモテ3:12 KJV)。罪に対してはっきりした証を伝える人は、主の名によってこの働きを委ねた主がそうであったように、確かに憎まれるでしょう(1992年訳は誤訳「必ず憎まれるのです」 will as surely be hated
as )。キリストのように、彼らは教会と信仰の敵と呼ばれるでしょう(1992年訳は誤訳「…言われるのです」 they will be called )。また、[彼らが]神の栄誉ために努力して真摯に熱心になるほど、辛辣さは不信仰と偽善の敵達となるでしょう(1992年訳は誤訳「…激しく当たってくるでしょう」)。しかし、私達は、このように扱われた時でも、失望させられないでしょう(1992年訳は誤訳「失望してはなりません」 we should not be
discouraged )。
13.私は、自分の働きと共に前進するでしょう
私達は、「弱くて愚か、熱狂的で気が変になっている」とさえと言われているでしょう。「彼は悪霊に憑りつかれている」(ヨハネ10:20)は、キリストについて言われたものと同じく、私達についても言われているでしょう。しかし、主が私達に行なうように委ねたこの働きは、今も私達の働きです。私達は、人々の称賛や誉を求めるのではなく、正しい裁きをするイエスに心を委ねて、向ける必要があります。イエスは、彼の苦難の道をある程度歩んでいる途中の人々を助ける方法を知っています。彼は全ての点で、私達と同じように誘惑されました。それで、イエスは、誘惑されている人々を支援する方法を知っているでしょう。
間違った解釈が、神を知らず、自分が正しいと言っている人々によって、私の証になされているとしても、私は、謙虚に自分の働きを前進させるつもりです。私は、神が私に勇気を出して、譴責と警告を語るようにと与えている言葉を語るでしょう。それらは残っています(1992年訳は欠訳)。しかし、地上での私の生涯の残りはあとわずかです。私の父なる神が私に与えたその働きは、主なる神の吟味を通る必要を知っているので、主の恵みによって、忠実に実践するつもりです。 『原稿』4,1883 [56歳]
14.「閉じられた扉」の疑問に詳述するエレン・G・ホワイトの体験 [10]
1874年8月24日 ミシガン州バトルクリーク教会
親愛なるラフバロー兄弟へ
私は、これによって、マイルズ・グラントとミセス バーディック、その他の人々が『Crisis』(危機)誌で出版したその攻撃は、真実ではないと、神の前に畏れを持って証をします。'44年の私の行動についての記事の中の言及は偽りです。
'44年が過ぎた後、私の[同信の]兄弟姉妹達と共に、私は、これ以上、改心する罪びと達はいないだろう、と信じました。しかし、私は、これ以上、改心する罪びと達はいないだろう、ということは決して幻で示されませんでした。この点について、私に対する行なった彼らの非難を正当化できるような記事を、私のペンから読んだ人も私が言ったのを聞いたという人もいない(1992年訳は誤訳「私は話したことも書いたこともない」 no one has ever
heard me say or has read from my pen )、と言明することに[私は]自由であり確信しています(1992年訳は誤訳「とはっきり断言できます」 And am clear and free to state )。
私が幻に繫がったのは、私の東部への初めての伝道旅行でした。天の聖所に関する貴い光/知識が私の前に開示され、そして、私は、閉じられた扉と開かれた扉を示されました(1992年訳は誤訳「…光が与えられ、…私が語ったのは、」 was opened
before me and I was shown )。私達は、主が間もなく天の雲に乗って来ることを信じていました。私は、この光/知識を拒んでいない人やその光/知識を持っていない人々のために、この世界で行なわれるための大いなる働きがあったことを示されました。[しかし]、私達の[信仰の]兄弟達は、キリストがすぐに来るという信仰によって、このことを理解していなかったでしょう。ある人、特に狂信的な人々は、私の主が来臨を遅らせている、と言った私を責めました。神は '44年に、誰も閉じることができない一つの扉を開き、誰も開けることができない一つの扉を閉じたことを、私は見ました。その光/真理の知識を拒み、第二天使のメッセージ[バビロンは倒れた] (1992年訳は誤訳「使命によって」 by the message of the second angel)によってその世界に連れて行かれた人々は、闇/無知の中へと行きました。それは全くの暗黒/無知の世界でした。
私は、この世界の人々が滅びに定められ、呪われていると言ったことも書いたことも決してありません。私は、どんな場合でも、またどんなに罪深い人にでも、この言葉を使ったことがありません。私は、これらの傷つける表現を使う人々のために、譴責するメッセージをいつも受けてきました。
『手紙』2,
1874 [47歳]
15.キリスト再臨の日時に関する言及
あなたは、「誰かが、あなたが前に書いた物を削除するのは不誠実だ、ということをほかの人々に言っている」と書いています。そういうことを言っている方々は、それらの書いた物の証明をしていただけませんか。これはたびたび繰り返されてきましたが、証明されていません。「自分達が持っていたと主張する、私のオリジナルの証集第1巻に、私はキリスト再臨の日時を示された、とはっきり書いています。この論述は、聖書によって立てないでしょう。キリスト自身が‟その日その時を知る人はなく、天使でさえも知らない”と言っています」。……
私の最初の本の中で、あなたは、1844年のその時が過ぎてから、私が書いたキリスト来臨の日時について唯一その言及を見つけるでしょう。それは、『初代文集』p.11,27,145,146[最新版p.15,34,285](邦訳p.64,94,461)にあります。これらはみな、キリスト再臨の直前になされる予告を説明しています。[その本の]145頁[最新版285頁]を開いてその章の冒頭から読めば、あなたは、その言及が、神の声によって特別な悩みの時に聖徒が救い出されることを説明したものだということがわかるでしょう(1992年訳は誤訳「わかります」 you will see )。この本を持っていなければ、そうぞ、手に入れてください。そして、そこに書いてあることを読んでください。それらは、最初に出版された記事を印刷したものです。「大空は開いたり閉じたりして激動の中にありました」「山々は風になびく葦のよう揺れて、辺り一面に大きな岩を投げ出しました。大海は鍋の中の湯のように沸騰していて、岩を地上に吐き出していました。そして、神がイエスの来臨の日時を告げ、主の民への永遠の契約を宣言した時、神は、一文を語って間を置きました。その言葉は全地に響き渡りました」。
これは、その段落の一部です。その記事は、p.11とp.27(最新版p.15,34)(邦訳p.64,94)その同じ時について説明しています。それらは、主の来臨の明確な時について示されていた全てを含んでいます。私は、神によって語られたその時のことについて、わずかな知識も持っていません。私は、その時が告げられたのを聞きましたが、幻から出た後でその時の記憶がありませんでした。描写するための言葉が存在しないような、そのように身震いするような場面が、厳粛で興味深く私の前を通り過ぎました。それは、私にとって全て生々しい現実でした。この光景が閉じられると、席に着いた人の子[キリスト]が乗った白い大きな雲が現れました。 『手紙』38,1888 [61歳]
16.初めの頃に見た光/知識の輝き出
私の少女時代に、主は天の栄光を私の前に開示して当を得たように見せました。私は、幻の中で天に連れて行かれました。そして、その天使は「見なさい」と私に言いました。私がこの世界を見た時、それは濃い暗黒/無知の中にありました。私は、この暗黒/無知を見た時、言いようのない苦痛に襲われました。
もう一度「見なさい。汝」という声が来ました。もう一度、私がこの世界全体を真剣に見ると、この闇/無知の中全体にいろいろな星のように点在していた光/知識が[キラキラと]輝き出るのが見え始めました。また、私は、一つ、また一つと光が増し加えられたのを見ました。あらゆる道徳の闇/無知を通って、それらの星のような光/知識は増加していきました。その天使は「それらは、主イエスキリストを信じていて、キリストの言葉に従順な人々です。それらの人々は世界の人々の特別な光/知識です。それらの光/知識が存在していなかったならば、神の裁きが、神の律法に違反している人々に直ちに下るでしょう」と言いました。それから、私は、それらの小さな光の輝きが明るさを増しているのを見ました。東から西から、南から北から輝き出て、世界中の人々を明るく照らしました。
時折、それらの光の一つは暗くなり始めたように見え、ほかのものは消えたようでした。このことが起こった時にはいつも、天において、悲嘆の涙が流されていました。その光の中のあるものは、益々輝きを増したように見え、その人々の光/知識は遠くまで届いて、さらに多くの光がそれに加わりました。そうすると、天に喜びが起こっていました。私は、この世界の人々の中で光の貴い輝きを形作るための、イエスから直接に来た光/知識の筋を見ました(1992年訳は誤訳「私はイエスから直接来た光が、この世の尊い光の流れを形作っているのを見ました」 I saw that the rays of light came directly from Jesus, to form
these precious jets of light in the world.)。
『Gospel Workers』pp.378-379(1892年版)
第2部 クリスチャンの経験
はじめに
ミセス ホワイトの死の15年後、カリフォルニアのエルムス
ヘイブンelms heven(1992年訳は誤訳「ヘブンheaven」は天国のこと。「ヘイブンhaven」は安息の地のこと。晩年に彼女は楡[にれ]の木elmsのある家に住みました。彼女はその家を「楡の木のある安息地haven」と呼びました)の事務所にあった未出版の書き物のファイルに新しい索引が付けられ、そして、彼女の手紙類や諸原稿の中から精選された資料がリーフレットの形で出版されました。これらは、特にセブンスデー
アドベンチストの働き人達にとって関心のある『クリスチャンの経験』『働きの方法』『教育』『この教会』などのいろいろな主題を含んでいました。それらは初め『エルムスヘイブン
リーフレット』として出版されましたが、後に『ノートブック リーフレット』という題で発行されました。このシリーズが計42に分けた項目となり、一つにまとめられました。
『ノートブック
リーフレット』が出版されてから、エレン・G・ホワイトの『医事伝道』『伝道』『チャイルドガイダンス』『社会福祉の奉仕』『アドベンチスト ホーム』などが、リーフレットに初めに選ばれた原稿から多くの資料を取り、その多くの資料やそれに対応する資料を恒久的な書籍の形で提供しました。そのために、『ノートブック
リーフレット』の需要と任務が非常に減少しました。
しかし、リーフレットの中のいろいろ違った性質のもの、例えば、クリスチャン経験やそのほかの重要な題目に関しては、エレン・G・ホワイトの死後に発行された書籍の中には出ておらず、それらに対応する記事もありません。こういった記事が『セレクテッド
メッセージズ』の中に収録されています。『ノートブック リーフレット』を分類した最大のグループが、この第二部で取り扱われているクリスチャン経験です。――ホワイト遺稿管理委員会
6章 イエスの見守る愛 [11]
1.イエスの見守る愛
私は、書いている時に、私達みんなを被うような私達の救い主の見守る愛について深い感謝の念を持っています(1992年訳は誤訳「…持ちます」)。神の言葉を読んで、祈りによってひざまずく時、私は、涙なしに私の嘆願を捧げることができないほど、神の憐れみと寛大さをとても強く感じさせられています(1992年訳は誤訳「…神のやさしさとあわれみを感じて、祈りながら涙が出るのです」 I
am so impressed with the goodness and mercy of God that I cannot offer my
petition without weeping.)。私の心は、私が天の父の寛大さと愛について考える時に、打ち砕かれ圧倒されています。私は、この生涯の中でin this life、もっともっとイエスに飢え渇いています。キリストは、私のために十字架につけられました。そして、私がキリストと共に十字架につけられたとしても、不平を言えるでしょうか(1992年訳は誤訳「不平を言うことはないのです」 and shall I
complain if I am crucified with Christ?)。……
私達は、前方に存在していることはわかりません。私達の唯一の安全は、私達の心を全部信頼で満たして、私達の手を彼の手の中に入れて、キリストと共に歩むことにあります(1992年訳は誤訳「歩むよりほかに安全な道はありません」 and our only
safety is in walking with Christ, our hand in His, our hearts filled with
perfect trust.)。彼は、「私の力を定着させなさい。その人は、私の平和を作るでしょう。そして、その人は、私と共に平和を作るでしょう」と言わなかったのですか(1992年訳は誤訳[キリストは、「だれでも私の力によりすがりなさい。そうすれば私と平和を保つことができるようにしてあげよう」と言われたではありませんか] Has He not said, ‟Let him take hold of my
strength, that he may make peace with me; and he shall make peace with me?)。私達は、いつも救い主のそば近くにいましょう。私達は、彼の柔和に満たされて彼と共に謙遜に歩みましょう。自我が神の中にイエスと共に隠されるようにしましょう(1992年訳は誤訳「自己はキリスト共に神のうちに隠されつつ……。」 Let self
be hid with Him in God……)。
2.外面の飾り
主の働きに当てるべき時間と心遣いを見られるものやドレスに費やして、自慢と虚栄心を助長して、自分をよく見せたいという感情を抱く人々は、ひどい損失を招いています(1992年訳は誤訳「…損失を招きます」)。外面的に美しい衣服を着ている多くの人々(1992年訳は誤訳「多くの人々は…飾っていますが、」)は、神の目に貴い価値のある内面的な飾りについて、何も知っていません。その人々(1992年訳は誤訳「彼らは」では男性だけに限られます)の素晴らしい衣服は、虚栄心と自慢に満ちて罪に病んだ心を被っています(1992年訳は誤訳「…いるのです」)。その人々は、「天にあるそれらの事柄を求めなさい。そこでは、キリストが神の右手に座しています」(コロサイ3:1)ということの意味を理解していません(1992年訳は誤訳「知らないのです」 They know not what )。
私は、日毎にキリストの精神/に満たされることを切望しています(1992年訳は誤訳「切望します」I long to)。キリストの恵みの宝は、私にとって、金や銀や高価な服装よりももっと価値のあるものに属しています。私は、現在のこの時ほど、キリストの義を熱心に願っていると感じたことがありませんでした。
私の[信仰の]姉妹達が、受け入れることによって神の子となることができるように、彼女達の益のために苦しんだことについて、わずかでも気づいてくれた時に、世俗の自慢や自己愛に満足しなくなることでしょう。彼女達は自分を崇めなくなるでしょう。神が、彼女達の最高の関心の的となることでしょう(1992年訳は誤訳「神だけに最高の関心を注ぐようになるでしょう」 God will be
the object of their supreme regard.)。
そういう多くの人々が自分を自分達の偶像にしているのを示されて、私の心は傷んでいます。キリストは、その人々のために贖いの値を払いました。その人々の力によるすべての奉仕は、主に属しています。しかし、彼らの心は、自己愛と自己を飾りたい思いで満ちています。その人々は、「私についてきたいと思う人は誰でも、自分自身を否定しましょう。そして、自分の十字架を負って、私についてきなさい」(マルコ8:34)という言葉を、思い浮かべたこともありません。自己満足がその人々の視界からキリストを見えなくしています。その人々は、柔和や謙虚[な態度]で神の前を歩もうという希望を持っておらず、[キリストを]見ていません。その人々は主のように変えられるという祈りをしていません。その人々の場合は、王である主の宴会に市民の普段着で来た人として表されています。その人は、その王によって求められた準備をすることを拒みました(1992年訳は誤訳「準備をしていませんでした」 He had refused to
make the preparation required by the king.)。その衣服は、多大な犠牲(1992年訳は誤訳「高価な値段」great cost)によってその人に提供されていましたが、その人は着ることを軽蔑しました。「どうして、汝は、礼服を着ないでここに来たのですか」という王の尋問に、その人は何も答えませんでした。その人は、良心がとがめられたので、言葉を失いました。
クリスチャンと称している多くの人々は、名前だけのようなものです。その人々は回心していません。その人々は、人目につきやすい自己を保っています(1992年訳は誤訳「いつも自分を高めようとしています」 They keep self
prominent.)。その人々は、主から学ぶためにマリヤがしたように、イエスの足もとに座しようとしません。その人々はキリストの再臨の用意がなされていません。
3.酷い驚き
夜の間の幻の中で、私は、心が虚栄心とうぬぼれに満たされた人々の仲間の中にいました。キリストは、その人々の目には見えなくされていました。突然、大きなはっきりした声で、次の言葉が聞こえました。「イエスは、主の王国で永遠に主と共にいるために、主に奉仕し愛したこの地上の人々を自分のもとに迎えるためにやって来ます」。その仲間の多くの人々は、主に会うために自分達の高価な服によって出て行きました。その人々は、自分達のドレスを見ていました。しかし、その人々が主の栄光を見た時、お互いの評価はおもに外見の見映えによってしてきたことに気づきました。その人々は、キリストの義の衣が無かったこと、そして、自分達の衣に、自分の魂の血が付いていたことを知りました(1992年訳は誤訳「人々の血が自分たちの衣服についていることを知りました」 and
that the blood of souls was on their garments.)。
キリストが選んだ人々を連れて行った時、その人々は用意が整っていなかったので、取り残されました。彼らの生き方では、自己が第一の場所を占めていました。そして、主が来た時に、彼らは主に会う用意がなされていませんでした。
私は、その人々の苦悩に満ちた表情の場面が私の知性に焼き付いたままに目覚めました。私はその印象を消すことができません。私は、それが私に表されたように、その場面を書き描けたら、と思います。「汝は死んでいます。そして、あなたの命は神の中にキリストと共に隠されています」(コロサイ3:3)という御言葉の意味を経験によって学ばなかったこれらの人々の失望は深刻でした。
実体験の伴う知識によってキリストを知るということをせずに、クリスチャンと称している多くの人々がいます。かわいそうな、だまされて準備のできていない魂のゆえに、私の心は痛んでいます。私が会衆の前に立って、そして、自己満足している人々、自分を義としている人々を見る時、また、平穏のうちに主に会えるように[せず]、キリストのための働きを受け入れ[ず]自分の準備していない人々を知る時、私は眠れないほどに、心の負担を感じています。私は、その人々の真の状態についての認識に目覚めるように、これらの魂達について、何を言えるだろうかと、自分に問いかけてみました。自己は人々の生活に全てが傾けられうるテーマです。私は、人々が自己に注目して集中することをやめて、主を見上げるように、キリストをわかりやすく明らかにしたいと思っています(1992年訳は誤訳「私はキリストをはっきり示して、彼らがその目を自分自身に向けることをやめ、キリストを見ることができたらと思います」 I long to reveal Christ to plainly that they will behold Him, and cease to center their attention
on self……)。
最後に[人生の]清算をする時がやがて来るだろうとひどく落胆している人々は、形式的な宗教生活を送ってきた人々、また、クリスチャンの生き方をしてきたように思われる人々でしょう。しかし、自己selfはその人々の全ての行ないの中に織り込まれています。彼らは、自分達の道徳性や影響力、ほかの人よりも高い地位に立つ能力、そして、特別な真理についての自分達の知識、キリストの称賛を得られることを考えて、自慢しています(1992年訳は誤訳「…誇ります」 They pride themselves on …)。彼らは「主よ、私達は、そなたの臨在と共に飲み食べました。汝は私達のいろいろな通りで教えました」(ルカ13:26 KJV)、「私達はそなたの名前によって預言しなかったのですか。そなたの名前によって悪霊達を追い出しませんでしたか。そなたの名前によって多くの素晴らしい働きをしなかったのですか」(マタイ7:22 KJV)と請い願いました。
しかし、キリストはこう言っています。「私はあなた方に言います。汝らが何者なのか、私は知りません。私から離れなさい」「私に、主よ、主よ、という全ての人が天の王国に入れるのではなく、私の父の意思を行なう人が天にいるのです」(マタイ7:21 KJV)。
そこには議論の余地がありません。その[議論の]ための時は過去のものです(1992年訳は誤訳「その時期は過ぎたのです」 the time for that is past.)。変更できない宣告が言い渡されました。その人々は、自分達自身の不適合さによって、天との交わりから締め出されています。 『手紙』91,1904 [77歳]
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贖いの計画を通して、神は、あらゆる誘惑に抵抗して、罪深い性質を抑えるための手段を提供しました。 『レビュー&ヘラルド』1885.12.22 [58歳]
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神の人々(民)が心の中にキリストの愛を持ったならば、また、全ての教会員達が自己否定の精神に徹底的に満たされたならば、さらに、全ての人々が徹底的に熱心さを表したならば、国の内外の伝道資金が不足することはないでしょう。私達の資金は増加するでしょう。多くの有用な働きの扉が開かれるでしょう。そして、私達は、そこには入るように招待されるでしょう。主の民によってこの世界の人々への憐れみのメッセージが伝えられて、神の目的が遂行された時に、また、聖徒達が神の都への歓迎を受ける前に、キリストはこの地上に来ることでしょう(1992年訳は誤訳「神の民が、あわれみのメッセージをこの世に伝えることによって神の目的を遂行していたならば、キリストは今より前に地上に来られ、聖徒たちを神の都に迎え入れてくださったはずです」 Had the purpose of God been carried out by His people in
giving the message of mercy to the world, Christ would have come to the earth,
and the saints would ere this have received their welcome into
the city of God.」)。
『ユニオン カンファレンス レコード』1898.10.15
[71歳]
7章 キリストの支配 [12]
1.キリストの支配
ゲラサ人は、キリストが立ち去るようにと望みました。カペナウムの人々は彼を受け入れました。そして、彼はその人々の間で、素晴らしい奇跡の働きをしました。
キリストは、天と地において、全ての力を持っています。彼は、私達が身体的な病や精神的/霊的な病に苦しむ時に呼び求めるためにいる偉大な医者です。大風と大波を支配し、悪鬼に憑かれた人々を支配して、彼は絶対的な支配権を有していることを示しました。彼には、死と黄泉(よみ)の鍵が与えられていました(1992年訳は誤訳「…与えられました」)。主が謙虚に人間になっていた間も、権威者達や権力者達は、彼に服従させられました。……
なぜ、私達は、神性を帯びた医師に強い信仰を働かせないのでしょうか。彼が[体の]麻痺した男性のために働いた時に、彼は癒しを求めて彼に来る人のために今日も働くでしょう。私達はもっと強い信仰への必要性を持っています(1992年訳は誤訳「私たちはもっと大きな信仰を持つことが必要です」 We have
great need of more faith.)。私は、私達の[教会の]人々の間に信仰の欠けているのを見て驚いています。私達は、私達の身体や精神の病を癒すことを信じて、キリストの臨在の中に適切に行く必要があります。
私達は、あまりに信仰がなさ過ぎています。神への信仰を持つように、私達の[教会の]人々を導けたらと、私は望んでいます。その人々は、高揚された状態に達するべく、信仰を働かせるための必要を感じていません(1992年訳は誤訳「信仰を働かすために、高揚した興奮状態になる必要はありません」
They need not feel that in order to exercise faith they must be wrought up into
a high state excitement.)。その人々がするべきことは(1992年訳は欠訳)、ほかの人の言葉を信じているように、神の言葉を信じることです。主は言葉を語りました。そして、主はその言葉を実行しているでしょう。主が言っている(1992年訳は誤訳「言われた」:敬語&過去形か紛らわしい that He says.)ことはその通りなので、落ち着いて、主の約束に信頼しましょう(1992年訳は誤訳「…頼ればよいのです」 Calmly rely on His )。彼は、主の言葉によって私に語りました。そして、約束した全ての事を果たすでしょう(1992年訳は誤訳「実行してくださいます」 and He will fulfill )。不安になってはいけません。信頼してください。神の言葉は真実です。あなたの天の父は信頼され得る存在として行動してください。……
人々は、新しい地に真理を宣べ伝えるために任命されます。それらの人々は、支えられるための基金を必要としています。そして、その人々は、その働きの中で出会う貧しい人々を助けるために引き出す基金を持っている必要があります。貧しい人々に示す慈善は、真理を伝える努力に感化力を与えています。その人々が必要としている人々を快く助けることは、天の支持と、その助けに貧しい人々の感謝が得られています。
これらの信仰深い働き人達は、この教会の共感を得ているでしょう(1992年訳は誤訳「このような忠実な働き人を、教会は指示すべきです」 These
faithful workers should have the sympathies of the church.)。主は、彼らの味方となって、祈りを聞いているでしょう(1992年訳は誤訳「祈りを聞いてくださいます」 The Lord will hear
prayer in their behalf.)。そして、この教会はその人々の働きに行動的に関心を示すことを怠らないでしょう(1992年訳は誤訳「教会は彼らの働きに実際的な関心を示すべきです」 And the
church should not fail to show a practical interest in their work.)。
自分自身のためだけに生きている人は誰もいません(1992年訳は誤訳「自分のために生きている人はだれもいません」 No
one lives to himself.この「to」には形容詞的用法「だけ」の意味があります。これは、ローマ14:7からの引用。聖書が誤訳)。神の働きにおいて、各々人はなすべき役割があります。みんなによる一致は、一人ひとりの働きを力づけています(1992年訳は誤訳「全ての人が一致すれば、おのおのの仕事も強められます」 The
union of all strengthens the work of each.)。教会における一致と信仰と愛は、感化の輪を強く成長させ、拡大させています。いつまでも、教会の人々は、十字架の勝利を絶え間なく前進させるためと、この感化を最大限に広げるために存在しています(1992年訳は誤訳「教会において、信仰と愛と一致が強くなれば、その影響力の輪も強くなります。この影響をできる限り広げるべきです。そうすれば、十字架の勝利は絶えず前進して行くでしょう」 As the faith and love and unity of the church grow stronger their
circle of influence enlarges, and ever they are to reach to the farthest limit
of this influence, constantly extending the triumphs of the cross.)。
2.目覚めて、輝きましょう
神は、私達に、屋内での奉仕による明確な集まりを分散するように呼び掛けています(1992年訳は誤訳。次の文を繋いで訳しています)。福音のメッセージは、都市の中や都市の外に伝えられるために存在しています。私達は、十字架の旗の周りに集まるよう、全ての人々に呼び掛けられるために存在しています(1992年訳は誤訳。次の文を繋いで訳しています)。この働きが、それが存在しているようになされる時に、また、真理への回心者を加えるために私達が神性の熱心さによって労する時に、この世界の人々は、真理のメッセージに一つの力が加わることを見るでしょう。信徒達の一致は、異なった性質の人々に完全な調和をもたらすことができて、その真理の力の証を生み出しています(1992年訳は誤訳。「…証となるのです」 bears testimony to)。
信徒達の祈りの捧げ物が、熱心さと自己犠牲的な努力と結び付けられると、その人々は、人々と天使達と、この世界の人々にとって、確かに、目をみはらせる者です。人々は新しく回心させられています(1992年訳は誤訳。「…させられます」 Men are converted anew.)。かつては、高い給料という報酬を得ていたその手が、神の手の助手となりました(1992年訳は誤訳。「…なります」 has become the helping
hand of God.)。信徒達は、神が高められるような場所で真理の様々な中心に集まるように望む――一つの興味によって結ばれています(1992年訳は誤訳。「信徒は一つのことに心を注ぎます。それは、神があがめられるための真理の砦を作ることです」 The believers are united by one interest―the
desire to make centers of truth where God shall be exalted.)。キリストは、抵抗することの不可能な力を持つ絆と、愛と一致の聖なる絆で人々を集めて結んでいます(1992年訳は誤訳。「キリストは、…一つになられます」 Christ joins
them )。
イエスが、十字架から一歩だけ離れて立って(1992年訳は誤訳。「十字架におつきになる前に」 standing but a step
from the cross.)、受難の直前に祈ったのは、この一致のためでした。彼はこう言いました。「父が私におり、私がそなたにいるように、彼らみんなが一つになるでしょう。彼らは私達[父と子と聖霊]の内で一つになるでしょう。世界の人々は、そなたが私を遣わしたことを信じるでしょう」(ヨハネ17:21 KJV)。
神は、半分覚めている人々に、目覚めて、熱心に労することに繋がり、奉仕の力を主に祈るように、呼びかけています。働き人達が必要とされています。厳密な規則を守る必要はありません。聖霊を受けてください。あなたの努力は成功するでしょう。キリストの臨在が力を与えています(1992年訳は誤訳。「与えるのです」 is that which gives
power.)。全ての不和と争いをやめましょう。愛と一致を広めましょう。みんなが聖霊のガイダンスのもとに行動しましょう。神の人々(民)が、主に自分達自身を全部預けるならば、主は分裂によって失った力をその民に回復するでしょう。不和は弱さであり、一致は力であることを私達みんなが気付くように、神が私達を助けてくださるように。 『手紙』32, 1903 [75歳]
3.信仰を語りましょう
どんなことが起ころうとも、失望させられません。主は私達を愛しています。また、主はその言葉を実行しているでしょう。病気の人々が神へ信頼するように励ましてください。人々に勇気を保つことを勧めましょう。最期であっても、希望を語りましょう。人々が死に面しているならば(1992年訳は誤訳。「死ななくてはならない時でも」 If they are to
die,)彼らが主を賛美して眠りにつくようにしましょう(1992年訳は誤訳。「賛美するようにさせましょう」 let them die
praising the Lord.)。主は、いまも生きています。主の信仰深い人々でも、死に逝くでしょう。その人々の働きはその人々について行くでしょう。そして、その人々の働きは、よみがえりの朝に喜びとして目覚めるでしょう(1992年訳は誤訳。「目覚めるのです」 will be a joyous awaking
)。
私達は失望させられないようにしましょう。信仰は無限の力をもたらすので、私達は、疑いを語らず、信仰を語るようにしましょう。私達が自分自身の人間の力に頼らず、この力を捉えるならば、私達は神の救いを見ることでしょう(1992年訳は誤訳。「見ることができるのです」 we shall see the
salvation of God.)。
8章 快く尽くして役立つ [13]
1.キリストの支配
神を最高に愛し、また、隣人を自分のように愛している人は、人々と天使達と、世界の人々に目を見張らせる一人であることをいつも自覚して働いているでしょう(1992年訳は誤訳。「…愛する人は、…ことをいつも忘れません」 will work
with the constant realization that )。神の意思を自分の意思とする人は、キリストの恵みの力を形成して自分の生活を現すでしょう(1992年訳は誤訳。「…力をあらわします」 he will reveal in his
life )。(誤訳。「それはキリストが与えてくださるのです」。原文には存在していません)生活のあらゆる状況において(1992年訳は誤訳。「逆境」 circumstance)、その人は自分のガイドとして、キリストの模範を取り入れているでしょう(1992年訳は誤訳。「模範に従います」 he will take Christ's
example as his guide.)。
真実で自己犠牲的な、神のための働き人は、ほかの人達のために快く尽くして役立つために存在しています(1992年訳は誤訳。「…尽くし、また用いられます」 is willing to
spent and be spent for the sake of others.)。キリストはこう言っています。「自分の命を愛する人はそれを失い、この世界で自分の命を憎む人は、永遠の命へとそれを保つでしょう」(ヨハネ12:25 KJV)。助けが必要とされている所で、助けのために思慮深い努力と熱心によって、真のクリスチャンは、自分の仲間と神のために自分の愛を示しています。その人は、奉仕によってその命を失うことがあるかもしれません。しかし、キリストが自分にとって自分の宝物を集めるために来る時に、その人はそれを再び見つけるでしょう。
私の兄弟姉妹の皆さん、見える物のために、自分のお金と時間の多くを費やしてはいけません。このことを行なう人々は、疲れて弱った人々の精神/霊を明るく温かにして、ほかの人々を慰めただろう多くの事柄を行なわずに残すようにせざるを得なくなっています(1992年訳は誤訳。「…機会を失います」 are obliged to)。私達はみな、ほかの人々の生活に希望と光/知識をもたらすように、私達に訪れる機会をもっと信仰深く改善するための方法として学ぶ必要があります。私達の考え方が自己を中心としたものであるならば、どうして、私達はそれらの機会に改善できるでしょうか(1992年訳は誤訳。「機会を捕らえられるでしょうか」 How can we
improve these )。自己中心的な人は、自分とほかの人々に祝福をもたらしたはずの行ないのための数えきれないほどの機会を失っています(1992年訳は誤訳。「機会を失うのです」 loses countless )。「ほかの人々を助けるために自分ができることは何か」と自分に問いかけることは、どんな状況においても、キリストの奉仕をする者の義務です。最善をなして、人は、神にその結果をそのままにしておくために存在しています(1992年訳は誤訳。「結果は神に任せればよいのです」 he is to leave
the consequences with God.)。
私は、将来の人生において、この世の人生の間にできるだけのことをしたと感じることができる生き方をしたいと望んでいます。神は、富める者も貧しき者にも一様に全ての人々によって喜ばれるような楽しみを備えていました。その楽しみは、共感する言葉を語り親切な行為を行なうこと、無我の活動や清い考え方を育むことに基づいています(1992年訳は誤訳。「それは、…喜びです」 the pleasure found in )。このような奉仕を実践する人々から、キリストの光/真理は明るくするように輝き出て、陰のある多くの人々によって暗く/無知にされた人々を生かしています(1992年訳は誤訳。「多くの陰のある暗い生活をしている人々を明るくするのです」 the
light of Christ shines to brighten lives darkness my many shadows.)。
私達がほかの人に真理をわかりやすく語ることにしくじる時に、神は敬われていません。しかし、私達は、私達の声の中に共感と優しさをもたらして、愛によって真理を語るために存在しています(1992年訳は誤訳。「愛をもって真理を語り、私達の声にやさしさと同情がなければなりません」 But we are to speak the truth in love, bringing tenderness and
sympathy into our voices.)。
終末時代の危難が私達に存在しています(1992年訳は誤訳。「終末時代の危機が危険が迫っています」
The perils of the last days are upon us.)。自己に満足して喜ばせて生きている人々は、主を敬っていません(1992年訳は誤訳。「神をあがめることができません」 are dishonoring
the Lord.)。その人々は真理を知らない人々に主を間違って表しているようなので、主はその人々を通して働くことができません(1992年訳は誤訳。「資金を賢明に使いましょう」 by unwise
expenditure of means,)。財産を愚かに使うことによって、悪い世界にいる人々に警告のメッセージの宣布をしてきた主の働きを妨げないように注意深くしましょう(1992年訳は誤訳。「…妨げてはなりません」 Be very careful not
to hinder,)。個人的な出費をできるだけ最低限の数字に切り詰めて、節約を考えましょう。みんなの手が、神の人類救済目的についての必要を助けるように求められています。神は、あなたがプライド(自慢の混じった自尊心)(1992年訳は誤訳。「誇り」pride)を助長しているのを見ていることでしょう。主は、[神の働きを]増進させる代わりに、あなたが利己的な自慢(1992年訳は誤訳。「誇り」pride)を満足させるために使ったあなたが祝福したものを取り去る必要があると見ているでしょう。……
2.必要な時の助け
主の働きが始まって、あまり時が経っていない所で働いている人々は、時々、良い設備(1992年訳は誤訳。「設備を改善する必要」 need of better
facilities)の大きな必要に気付くでしょう。その人々の働きは、それらの設備の欠如に妨げられているように思われるでしょう。しかし、その人々に心配しないようにさせましょう。全ての問題を祈りの内に主のもとに持って行くようにさせましょう。新しい伝道地でその働きを成し遂げようとする時に、私達は、資金の限界に達したことがありました(1992年訳は誤訳。「思われることもあります」 it seemed)。時には、私達はこれ以上先に進めないと思われました。しかし、いつも自己を否定して、私達の嘆願を天の法廷に昇らせ続けました。そして、神は、この働きを進めるための資金を私達に送って、私達の祈りを聞いて応えました(1992年訳は誤訳。「神は祈りを聞き、求めに答えて、…資金を送ってくださいます」 and
God heard and answered our prayers, sending us means for )。
全ての心配を贖い主の足もとに置きましょう。「求めなさい。そうすれば受けるでしょう」(ヨハネ16:24)。働いて祈り、そして心から信じましょう。何事も行動する前に、あなたの手に資金が入るまで待ってはいけません。信仰によって歩みましょう。神は、真理の標準が多くの場所で植えられるために存在している、と宣言しました。あなたが助けを神に祈る時に、信じることを学んでください。この地上でのキリストの全生涯は、自己否定の一種だったので、自己否定を実践してください。彼は、私達が永遠の命を得るために何をなすべきかを示すために来ました。
最善を尽くして、忍耐と希望と喜びをもって待ちましょう。神の約束はしくじることができません。失敗が生じるのは、神の働きの前進のための循環に自分達の財産を当てる多くの人々が信仰に欠如しているからです。人々が財産を与えずに延ばしておくと、彼らの持っている信仰は弱まるでしょう(1992年訳は誤訳「弱まります」 the less faith they will have.)。この人々は、神の働きをひどく遅らせるための壁を建設している人々です。
愛する共労者のみなさん、真実で、希望に満たされ、勇敢でいてください。信仰を持って全ての開花を促されましょう。あなたがたが最善を尽くす時、主はあなたがたの信仰深さに報いるでしょう(1992年訳は誤訳「報いてくださいます」 will reward your )。命を与える泉から、体と心と精神的なエネルギーを引き出してください。――清められ、純潔にされ、上品にされ、高貴にされた――男性らしさと女性らしさを、私達は受ける約束を持っています(1992年訳は誤訳「男性も女性も清められ、純潔で上品で高貴な性質を受ける約束を与えられているのです」 Manliness, womanliness――sanctified,
purified, refined, ennobled――we have the promise of
receiving.)。私達は、見えない主を見る努力を可能にするような信仰が必要です(1992年訳は誤訳「私達には、目に見えない方に見られてもよい信仰が必要です」 We need that faith which will enable us to endure the seeing of Him
who is invisible.)。あなたが、自分の目を主に留める時に、あなたは、彼が死んで命を与えた魂のための深い愛に満たされるでしょう。また、新しい努力のための力を受けるでしょう(1992年訳は誤訳「受けるのです」 and will receive )。
キリストは、私達の唯一の希望です。この世界の人々に命を与えた主の名によって、神のもとに行きましょう。主の犠牲の功績に頼りましょう。彼の愛と喜びがあなたの魂にあることと、このゆえにあなたの喜びが満たされていることを示しましょう。不信を語ることを減らしましょう。神の中に私達の力が存在しています。祈りをたくさんしましょう。祈りは魂の命です。信仰の祈りはかの敵のどんな攻撃にも耐えることができる武器です。
『原稿』24,
1904 [77歳]
9章 自己吟味 [14]
1.自己吟味
「自分自身を吟味しなさい。汝らは信仰があるかどうか。自分であなた自身を証明しなさい」(2コリント13:5)。気質や傾向、思想や言葉、好みや目標、そして、行動を綿密にあら探ししてください。私達が自分達の精神的/霊的な健康の状態を御言葉によって証明しない限り、私達に必要な事柄を知的に求めることができるでしょうか。
宗教的な生活において、多くの人々は、その足元の小道が曲げられたままにしています。その人々の祈りは、行き当たりばったりで、まとまりなく捧げられています。責任ある立場に置かれた人は、自分に求められたことをなすことができない自分について覚えておきましょう。日々に、その人は、人々と天使達、この世界の人々が目を見張る者であることを覚えておきましょう。
良い働きをするための高価な設備を提供され、伝道地での働きに遣わされることを待っているために存在している人はいません。奉仕する人は、どこに置かれても、それが重要でないものであっても、その働きを快くする必要があります。私達の模範、キリストは、全ての事において貧しかった彼の清貧を通して、多くの人々を豊かにすることができるでしょう(1992年訳は誤訳「富ませてくださいました」 He might make many rich.)。
心が、神の恵みと滅びつつある同胞に対する愛で満たされている人は、どこに置かれても弱った人々に時にかなった言葉を語る機会を見出すでしょう(1992年訳は誤訳「…見いだします」 will find )。クリスチャンは、この人生のせわしさと喧騒の中で、廉潔を保ちながら柔和と謙遜をもって彼らの主のために働くよう存在しています(1992年訳は誤訳「働くべきです」 are to work for:私達は義務でではなく、愛によって働くのでしょう)。
神は、人生の全ての処理において(1992年訳は誤訳「取引」transaction)、神に奉仕することを人々に呼び掛けています。神の律法が日常生活の法則にされない時に、課せられた務めは一つの罠です(1992年訳は誤訳「神の律法を日常生活の律法として置かないと、仕事は罠となります」 Business is a snare when the law of God is not made the law of the
daily life.)。主の働きを行なう何かを担っている人は、ぶれない廉潔を保つために存在しています(1992年訳は誤訳「保っていなければなりません」 are to maintain)。全ての務めの処理において(1992年訳は誤訳「事務」business)、膝をついて高き所から助けを求める時のように、神の意思は、人の意思となるために存在しています(1992年訳は誤訳「神のみ旨に従わなければなりません」 God's will is to be his will.)。その人は、聖なる言葉が語っていることについて、常にテーマを研究して、自分の前にいつまでも主を維持するために存在しています(1992年訳は誤訳「学ばなければなりません」 He is to keep the Lord )。このように、ずぼらな原則の人を貶めるような環境の真ん中で生活していても、厳格な廉潔さと清さのある人は、キリストの教えを守っています。
この世界の人々は、ノアの時代の人々以上に、クリスチャンの品性を発達させるためには、今日、好意的ではありません。当時、悪があまりに広がったので、神はこう言いました。「私が創造した人間と獣、地を這うもの空の鳥を地の表から滅ぼそう。私が造ったそれらが私にとって後悔するものとなった。しかし、ノアは神の目の中に恵みを見出した。……ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ、完全/成熟した人だった。ノアは神と共に働いた」(創世記6:7-9 KJV)。そうです。あの堕落した時代の人々のただ中にいて、ノアは創造主が喜ぶ一人でした。
私達は、罪と堕落の一つの時代、地上歴史の最後の日々に生きています。ノアのように、私達は「暗闇/無知から引き出して、素晴らしい光/知識に呼び出した」(1ペテロ2:9)主の賛美を示して、神の喜びとなるように生きるために存在しています(1992年訳は誤訳「生活すべきです」 we are to so live :生活はすべきものではありません)。主の十字架の直前に、キリストが彼の父に捧げた祈りの中で、主は「私は、汝らがこの世界の人々から引き離すことではなくて、汝らが悪い人々から護られるように祈ります」(ヨハネ17:15 KJV)と言いました。
2.最高の奉仕
男性達と女性達が、神の支持可能な品性を形成した時に、また、その人々の自己否定と自己犠牲が十分になされた時、さらに、その人々が最後の試験に用意され神の家族に招かれる用意される時に、どんな奉仕が、罪を犯した人類を救うために、犠牲をいとわずに自分自身を捧げた主の評価に最も高く立てるでしょうか。どんな試みが無限の愛の心の琴線に触れるでしょうか。どんな働きが天の父と息子に大きな喜びと満足をもたらすのでしょうか。滅びる魂の救い。キリストは、福音による救いの力を人々に(1992年訳は誤訳「人を救う福音の力を」 Christ died to bring to men the saving power of the gospel.)もたらすために死にました。近隣と遠方の人々を救うために神が彼らに与えたあらゆる力によって労し、主の偉大な憐れみの企画を前進させるために主に協力する人々は、神の玉座の周りに贖われたホスト(軍勢)として立つ時に、贖い主の喜びを共有するでしょう(1992年訳は誤訳「与るのです」 will share in joy )。
神は、今日、主が見ている以上の多くの働きをするようにと、主の奉仕者達に才能と財産を委ねました。
その天のメッセンジャーはこう言いました。「主の諸施設は、現時点で達成感に浸っていて、数々の真理の高貴さがひどく後退しています(1992年訳は誤訳「主の機関の働きは、現時点で成就されていなければならない大いなる真理に比べると、はるかに遅れています」 O, the Lord's institutions are terribly behind the greatness of the
truths which are being fulfilled at the present time.)。そこでは、義務を主張することについて恐るべき誤解があります。信者達が生活することに満足させられている霜のような冷ややかな雰囲気は、魂達を救いこの世界の人々に警告を与えていく自己犠牲的な運動を遅らせています。
闇/無知の勢力が激しく働いています。毎年、あらゆる部族、国民、国語から何千もの人々が警告を受けず、準備のないままに永遠に去っています。私達の信仰は、もっと重要で、決定的な事柄に明確な意味を持たせる必要があります。
私達の諸施設と諸教会に問うてごらんなさい。あなたは神の言葉を信じていますか。それから、あなたは伝道地の前線で何をしていますか。あなたは、自己否定と自己犠牲による働きをしていますか。あなたは、神の言葉が言っている通りの意味を信じていますか(1992年訳は誤訳「神の言葉は間違いないことを信じていますか」 Do you believe that the Ward of God means what it says?)。あなたのいろいろな行動は、あなたが[神の言葉を]行なっていないことを示しています(1992年訳は誤訳「あなた方の行動は、そう信じているようには見えないのです」 Your actions show that you do not.)。あなたは、警告を受けることなく永遠へと過ぎ去っていく無数の人々に、神の裁きの被告席でどのように向き合いますか。
第二の調査期間がありますか(1992年訳は誤訳「恵みの時」)。この間違った考えは、すぐに捨てることが良いでしょう。[1844年からキリストの至聖所での]現在の調査期間は、私達がもっている全てです(1992年訳は誤訳「現在の恵みの時以外に恵みの時はありません」 The present probation is all that we shall have.)。堕落した人間の救済は現在の人生で確保される必要があって、さもないと、人々は永遠に失われるだろうということに、あなたは気づいていますか。
3.私達の責任
ラオデキヤの人々へのメッセージは、この時代の教会へも当てはまります。あなたはこのメッセージを信じていますか。あなたの心はそれを感じていますか。それとも、あなたは、いつも、私達は富んでいて、物も豊かで必要な物は何もない、と言っていますか。永遠の真理の宣布が世界のすべての国民に伝えられるために、この国の人々に与えられたのは無駄なことですか(1992年訳は誤訳「無駄であったのでしょうか」 Is it in vain that )。神は、一つの民を選んで、その人々を永遠の結果の重みのある真理の貯蔵庫にしました。彼らには、世界の人々を明るくするべく光/知識が与えられました。神が間違ったのですか。私達は本当に神に選ばれた器/手段なのでしょうか。私達は、滅びの瀬戸際に立っている人々に救いのメッセージを示すために、また、黙示録14章のメッセージを世界の人々に伝えるために存在している男性達と女性達でしょうか(1992年訳は誤訳「伝えるべき者なのでしょうか」 who are to bear to the world )。私達は、存在していたように行動しているでしょうか(1992年訳は誤訳「私達はそのように行動しているでしょうか」 Do we act as if we were.)。
そのメッセンジャーは、明瞭に決然とした声で言いました。「私は、あなた方に、あなた方は何をしていますか、と尋ねます。あなた方は、それを理解できています。あなた方は、それが、世界の人々とあなた方にとって何を意味するものなのか、また、警告の重要性を理解できています。もしも、あなた方が理解したならば、また、あなた方が、世界の人々の命のために彼の命を与えた御方の精神/霊に満たされた(1992年訳は誤訳「満たされる」 were fulfilled)ならば、あなた方は、罪びと達を救うための自己犠牲的な努力を熱心にして、彼と協力することでしょう」(1992年訳は誤訳「はずなのです」 you would cooperate with )。
「彼は言いました。彼を知っているけれど、彼の戒めを守らない人は、嘘を言う人です。そして、真理は彼の内にありません」(1ヨハネ2:4)。大いなる覚醒が教会に来る必要があります。もしも、私達が知りさえすれば、また、私達が理解しさえすれば、そのメッセージの精神は素早く教会から教会へと伝わることでしょう。どんなにか快く、信者達の財産が、神の働きの支援のために与えられるでしょう。神は、私達に、祈りのために目を覚ますことと祈ることを求めています。主の宝庫に満たされるべき資金を消費した写真の偶像[15]をあなたの家からきれいに除いてください。その光/知識は、ランプの燃える灯の光のように前進する必要があります。世界の人々にそのメッセージを伝える人々は、熱心に主を求めているでしょう。主の聖霊は、彼らの上に豊かに注がれているでしょう。あなた方は、無駄にする時間がありません。神の力を祈ってください。あなた方は近くの人々と遠くの人々のために成功する働きができるでしょう。
4.与えられる警告
私達は純粋な信仰を持つ必要があります。また、私達はかろうじて真理の実態をつかんでいるだけです。私達は神の言葉を半分程度信じているだけです。人はその人が持っている全ての信仰を行動に表すでしょう(1992年訳は誤訳「人は自分の信仰で行動します」 A man will act out all the faith he has.)。その時の兆しは世界中に成就しているにもかかわらず、主の再臨についての信仰は、微弱になって来ました(1992年訳は誤訳「弱くなっています」 has been growing feeble.)。明瞭に、目立つように、確実に、その警告は伝えられるために存在しています(1992年訳は誤訳「与えねばなりません」 are to be given.)。私達の魂の危難の時に(1992年訳は欠訳)、私達は、神が喜ぶ良いことをしているのは、また、成し遂げているのは、共に、私達の中で働いている神だということを覚えて、私達自身の救いを達成するように定められた条件を学ぶために存在しています(1992年訳は誤訳「命を懸けて学ぶべきです」 we are to learn the prescribe conditions under which we are
to work out our own salvation, )。
間違った推測や伝統に導かれてその動向に流されることは、私達が行なわないようにしましょう(1992年訳は誤訳「…流されてはいけません」 It will not do for us to float along with the current,)。私達は、神の共労者と言われています。ですから、私達は起き上がって光を放ちましょう。議論に費やしている時間はありません。イエスにある真理の知識を持っている人々は、今、心を一つに、目的も一つになる必要があります。全ての意見の相違は取り除かれる必要があります。教会のメンバー達は、教会の偉大なリーダーの下で一致して働く必要があります。
真理の知識を持っている人々は、起き上がって、光を輝かせましょう。「惜しまず、大きな声で叫びなさい。トランペットのように汝の声を上げなさい」(イザヤ58:1)。その真理を台無しにしてはいけません。生きている神に、魂の叫びを訴えましょう。汝らは鼻で息をする人々を[信頼するのを]やめましょう。もしも、あなたが心の戸を主に開くならば、慰め主があなたに訪れるでしょう(1992年訳は誤訳「聖霊が宿ってくださいます」 The Comforter will come to you,)。「私達は、諸々の天を通った一人の大祭司、神の息子イエスを持っている、ということを知っています。私達は告白した[信仰を]しっかりと守りましょう。彼は、罪がありませんでした。私達に罪があったように、あらゆる点で誘惑されましたが、私達の弱さを感じて触れることができないような大祭司ではありません。それゆえ、私達は、大胆に恵みの玉座に行きましょう。私達は、恵みを得て、必要な時の助けの恵みを見つけることでしょう」(ヘブライ4:14-16)。
『原稿』51,1901 [84歳]
10章 悪天使達よりも強い善天使達 [16]
1.悪天使達よりも強い善天使達
サタンは、ほかの人々を同じような不従順に引き入れるために、単に不従順の子らの知性に近づいているだけではなく、意識的にも無意識的にも彼らの影響力を通して働いていると、はっきりと言われています。もしも、悪天使達がそのような自分達の不従順の力で人々の子らの上を飛びかっているならば、善天使達はもっと強い力で従順であろうと奮闘している人々の上を飛びかっています(1992年訳は誤訳「悪天使が人間を不従順に陥れようとして、このような力を持っているとすれば、善天使はもっと大きな力を持って、従順になろうとしている人々に働きます」 If evil angels have such power over the children of men in their
disobedience, how much greater power the good angels have over those who are striving
to be obedience.)。私達が、義へ従順になろうとして、自分の信頼をイエスに置く時に、神の天使達は、義に向かって私達の心の中で働いています。……
天使達は、荒野での誘惑の中にいた私達の主に来て、奉仕の働きをしました。天の使い達は、主がサタンのような者達の激しい攻撃にさらされていた全ての期間、主と共にいました。それらの攻撃する者達は、人間がかつて体験したもの以上に激しいものでした。全ては、人類家族の味方として賭けに遭っていました(1992年訳は誤訳「人類家族に関するすべてのことが、危機に瀕していました」
Everything was stake in behalf of the human family.)。キリストのこの闘いにおいて、キリストは、自分の言葉を声に出しませんでした(1992年訳は誤訳「お使いになりませんでした」 did not frame His words even.)。彼は、「それは書かれている」(マタイ4:4)に信頼しました。この闘いにおいて、キリストの人間性は、私達の内の誰もがいまだかつて知らないような重荷を負いました。命の王と闇の王が恐ろしい闘いで対峙しましたが(1992年訳は誤訳「は激しく戦いましたが、」 met in terrible conflict,)、サタンは、言葉においても行動においても少しも優位に立つことができませんでした。そこには、見かけではなく、実際の誘惑が存在していました。「キリストは、誘惑された存在として苦しみました」(ヘブライ2:18 KJV)。天の使い達はその状況のその場面にいて、そして、標準/旗standardを掲げ続けました。サタンは、キリストの人間性に優ることなく、彼の範囲を超えることもないでしょう(1992年訳は誤訳「天使達がその時その場にいて、旗を掲げ、サタンが自分の領域を超えてキリストの人性を圧倒しないようにしていました」 Angels of heaven were on the scene on that occasion, and kept the
standard uplifted, Satan should not exceed his bounds and overpower the human
nature of Christ.)。
最後の誘惑において、サタンは、神に遣わされたと主張する自分だけを拝すれば、全ての栄光と全世界を得る見通しをキリストに示しました。キリストは主の命令を発する義務があります。彼は、全ての邪悪な手段に、権威を行使する義務があります。神性は人間性を通して輝きました。そして、サタンは有無も言えずに撃退されました。キリストは「サタン、そなたはここから去りなさい」「それは書かれています。汝は、汝らの神、主を拝するでしょう。そして。汝は神にのみ仕えるでしょう」(マタイ4:10 KJV)と言いました。
それは十分でした。サタンは先に進めないでしょう。天使達は救い主に奉仕の働きをしました。天使達は彼に食物を持ってきました。この闘いの激烈さは人間の知性で計り知ることができません。キリストの福祉と全人類の福祉が賭けに遭っていました(1992年訳は誤訳「全人類とキリストご自身の幸福が危機に瀕していたのです」)The welfare of the whole human family and of Christ Himself
was at stake. 「welfare」のfareは料金、食物、食べる、暮らす、Wellは良好なという意味です。すなわち福祉の意。Social welfareは社会福祉/社会保障の意で専門用語)。キリストからの、一つの容認、一つの譲歩の言葉、そして、その言葉は、サタンによって自分のものとして主張されるかもしれません。闇の勢力の王は、自分の支配を開始する、と考えているかもしれません。そこに、天からの一人の使いがキリストのもとに現れました。それで、その闘いは終わりました。人間の力は失敗しがちでした(1992年訳は誤訳「キリストの人間としての力だけでは倒れんばかりでした」 Human power was ready to fail.)。しかし、全天の者達は、永遠の勝利の歌を歌っています(1992年訳は誤訳「天使の助けによって、」は英文に存在していません。著者は、「人間の力は失敗しがちだが、キリストは人間の力で勝利した」ということを意図しています)。
人類家族は、キリストがサタンとの闘いで持っていた(1992年訳は誤訳「与えられた」 Christ had in their conflicts with Satan.)、あらゆる助けを持っています(1992年訳は誤訳「得ることができるのです」 The human family have all the help that )。打ち負かされる必要はありません。人類家族は、彼らのために彼の命を与えて、彼らを愛した彼を通して、勝利者以上の者になれるでしょう。「あなた方は、代価によって買い取られました」(1コリント6:20)。どれほどの値でしょうか。神の息子は彼の人間性の中で(1992年訳は誤訳「神の子が人性を取り」 The Son of God in His humanity wrestled with )、人々に激しく攻め立てられて、圧倒されそうな誘惑、すなわち、食欲を甘やかす誘惑、神が彼らを導かなかったことにおこがましく賭けをするという誘惑、この世界の人々の神を拝するという誘惑、この世の魅力的な楽しみのために永遠の祝福を犠牲にするという誘惑、と格闘しました。私達は、悪賢い敵に抵抗して打ち破ることができるでしょう。
2.勝ち取るための御国
全ての魂には、勝ち取るための御国があり、避けるための黄泉(よみ)の国があります(1992年訳は誤訳「すべてのひとは天国を勝ち取ることができ、地獄を避けることができます」 Every soul has a heaven to win, and a hell to shun.)。天の使い達は、試みられ誘惑されている魂を助けるために行くよう、いつも用意をしています。無限の神の息子、彼は、私達の味方/益として、試練と試みに耐えました。カルバリーの十字架は、全ての魂の前に真に迫って立っています。全ての人々の事例が裁かれる時に、そして、[失われた](編者による挿入語)人々が、不従順によって神の名誉を軽視し、主を軽蔑してきたために苦しみを宣告される時、一つの言い訳も持っていないでしょう(1992年訳は誤訳「言い訳をすることはできません」 not one will have an excuse,)。滅びてしまったと困ることもないでしょう(1992年訳は誤訳「もともと滅びなければならなかったという人は、一人もいないのです」 not one will need to have perished.)。キリストかサタンか、誰を自分達自身の王にするか、その人々自身の選択[の機会]は過ぎ去ってしまいました(1992年訳は誤訳「自分の王としてキリストを選ぶかサタンを選ぶかは、各自の選択によるのです」 It was left to their own choice who should be their prince, Christ
or Satan.)。キリストが受けたあらゆる助けを、全ての人々は大いなる試練の時に、受けられるでしょう。あの十字架は、人が失われる必要がないようにと請い願うように、立っています。大いなる助けが全ての魂達に提供されています。私達は、悪の軍勢を打ち負かすことも、また、私達の世界で、神の働きに反対しようとしている勢力と繫がることも可能でしょう。
私達には、私達の味方となって嘆願している一人の擁護者がいます。聖霊はいつも私達の活動の道を見守って繋がっています(1992年訳は誤訳。「聖霊は絶えず、私たちの行動を見ています」The Holy Ghost is continually engaged in beholding our course of
action,)。私達は、今、鋭い知覚の必要があります。私達の実践によって、神の真理は、それがイエスに存在しているように、真実が現れるようにされるでしょう(1992年訳は誤訳「……私たちもイエスのように、真理の実践によって真理を示す必要のあることを、はっきり認めなくてはなりません」 We need now keen perception, that by our own practical godliness
the truth may be made to appear truth as it is in Jesus.)。天の使者達は、実際に昇り降りして、いつも天と地の繋がりを保っている天からのメッセンジャーです(1992年訳は誤訳「天の軍勢は天からの使命者であり、現実に昇り降りして地と天とを絶えずつないでいるのです」 The angelic agencies are messengers from heaven, actually ascending
and descending, keeping earth in constant connection with the heaven above.)。これら、天使のメッセンジャー達は、私達の活動の道をすべて注意して見守っています(1992年訳は誤訳「これらの天の使命者たちは、私達の行動を見ています」 These angel messengers are observing all our course of action.)。彼らは神の摂理によって道徳的、身体的な危険から全ての人を守り、その弱点を助けようと待っています。このような天使の奉仕の働きのもとで、神の聖霊の抑制と和らぎの感化のために魂を明け渡す時はいつでも、天にはいつも喜びがあり、主自身が賛美と共に喜んでいます。人々は、一般に、自分自身に栄光を帰することが多いです。人間性の品性の回心と清めの成果がもたらされるのは、神の計画による、人間の働き手達に協力する天の働き手達の働きにあります(1992年訳は誤訳「人間と協力する時にもたらされます」 It is the work of heavenly agencies cooperating with human agencies
according to God's plan that brings the result in )。人間達の栄光が人間性の性質の弱さを謙遜で覆っていないならば(1992年訳は誤訳「人間の弱さに合わせて覆われていなければ、」 if their glory was not veiled in condescension to the weakness of
human nature.)、私達は、奉仕の働きをする天使の栄光を見ることも耐えることもできません。天の栄光の輝きは、光の天使達の場面のように、地上の死ぬべき運命にある者達を消滅させるでしょう。天使達は、人間が挑戦として与えられている人間達の知性に働きかけています。天使達は、あの墓のそばにいた女性達にしたように、人間の知性に、新鮮で貴い記憶をもたらしています(1992年訳は誤訳「もたらしてくれるのです」 they bring precious remembrances fresh )。
創造された仲介者達は、神への従順と不従順の子らに働きかけて、私達の性質を新しく作り変えるために、天において作成された計画に起用されています(1992年訳は誤訳「私達の性質を新しくするためにつくられた天の計画に、天使が用いられ、神に対して不従順の子らを従順にします」 A created instrumentality is used in heaven's organized plan for
the renewing of our nature, working in the children of disobedience obedience
unto God.)。天のホスト役の保護は、神の計画に沿い、主の方法によって働く全ての人にかなえられています。私達は、熱心な悔恨の祈りによって、天の助けをする者達を手もとに呼ぶことができるでしょう(1992年訳は誤訳「呼ぶことができます」 We may …call )。目に見えない、光と力[を持った]軍勢は、謙遜で柔和、心の低い者と共に働いているでしょう(1992年訳は誤訳「働くのです」 will work with )。
『手紙』
116, 1899 [72歳]
3.協力者を探している天使達
サタンは、誘惑の勢力のもとに魂を連れて行くために人間の遣わされる者達を用いています(1992年訳は誤訳「用いて人の心を誘惑しますが、」)。しかし、神の天使達は、誘惑された人々を救うために協力できる人々として、人間の遣わされる達達を探しています。天使達は、キリストに所属しているということを自覚して動くような人々を、また、キリストの前線で働くような人々を探しています。天使達は、誘惑に陥っている人々が、地位の高い人も低い人もみな、自分達の特別な働きを必要としている人々であること、また、死を迎えて、魂を清めるような愛によって働いている信仰を実践することを拒否して、人々を耐え難く悲しませて、かの敵によって、害され、痛手を負わされ、軽視されて見過ごされている人々を、キリストが憐れみの目で見つめていることを感じるような人々を探しています(長文なのでここでは提示しませんが、1992年訳は誤訳です)。
神の天使達は、誘惑されないように自分達の状態を顧みるように導いて、罪びと達の多くに見えなくしている死から魂を救うために、天の遣いの者達と協力する人々を通して共に働くでしょう(長文なのでここでは提示しませんが、1992年訳は誤訳です)。
医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です(1992年訳は誤訳「これらの医者を必要とするのは病人であって、健康な人ではありません」 It is sick that need a physician, not those who are whole.)。あなたが、それを必要としていない人々に労力を費やす時、また、あなたの言葉と活動が祝福となるような人々に注意を向けない時、あなたは、キリストに似たものではない品性を形成しています(1992年訳は誤訳「形成しているとは言えません」 you are forming a character that is not after the likeness of
Christ.)。 『手紙』70, 1894
[67歳]
11章 私達の価値は何か[17]
(1992年訳は誤訳「人間の価値」 What are we worth?)
1.私達の価値は何か
主は、熱心であることに不動であることを、私たちすべての人に望んでいます。私達は、霊的な事柄において間違いをする余裕がありません。私達にとって、生か死かという質問は、「私が救われるために、永遠に救われるためには、私は何をすればいいだろうか」です。「神の命と同じ長さの命、つまり、永遠の命を私が継ぐには、何をすればいいだろうか」。慎重に考慮することは、私達全ての人の質問になっています。……
この世界に住んでいる間は、私達は神の助け手となるために存在しています。パウロは「汝らは、神の家政婦(夫)であり、神の建築物です」(1コリント3:9)と言いました。私達は、神が望むことを達成するというあらゆることを検討によって、神と協力するために存在しています(1992年訳は誤訳「私達は神と協力して、神のお望みになるすべてのことをしなければなりません」 We are to cooperate with God in every measure that He desires to
carry out.)。私達は、神の永遠の目的を実現していますか。私達は、キリストの知性を持つことと、言葉と働きに彼の意図を行なうことを日々に求めていますか(1992年訳は誤訳「そのみ旨を行っているでしょうか」 Are we daily seeking to )。
今日、人類家族はどんな状態でしょうか。あなたは、以前に、暴行、殺人、盗み、その他のあらゆる犯罪について、このように混乱した時代を見たことがありますか。この時代の中で、どこに、私達は一人ひとり立っていますか(1992年訳は誤訳「私たち一人ひとりはどんな状態でしょうか」 where are we individually standing?)。
イザヤ書58章の中で、私達は「悪の拳で人を打つため、争いといさかいのために断食する」人々について読みました。また、私達は、そのような断食を神は受け入れないだろうということを学びました。主は、「あなた方の声が高き所に聞こえるようにするために、この日に、あなた方のなすような断食ではないでしょう」(イザヤ58:4 KJV)と、神は言っています。
「この断食は、私が選んだものですか。人が自分の魂を悩ますための日ですか。葦のように頭を垂れるためのものですか。彼を下にして灰と荒布を払うことですか。汝はこれを断食、主に受け入れられる日と呼ぶのですか。
私が選んだものは、このような断食ではないでしょう。悪の縄目をほどくこと、重い荷を取り去ること(人々にそれを括りつけることではなく)、抑圧された者を解放させること、汝らが全てのくびきを砕くことではありませんか。飢えた者に汝のパンを与えないことですか。汝らが追い出された貧しい者を汝の家に連れてくることですか。汝が裸の者を見た時、汝がその人に着せることですか。汝は、そなた自身の肉から汝自身を隠さないことですか」(イザヤ58:5-7 KJV)。
2.報酬
「それから、汝の光は朝日のように、輝き出るでしょう。また、汝の健康はすぐに回復するでしょう。汝の義は汝の前を進むでしょう。主の栄光は汝の報酬とされるでしょう」(イザヤ58:8 KJV)。
私達は、主の律法の指針/戒めを実践する[生活の]中にいるために存在しています(1992年訳は誤訳「私たちは律法の教えを実行して、初めて義が私たちのために行き」 We are to put into practice the precept of the low,)。このように、私達の前方に義があって(1992年訳は誤訳「初めて義が私たちの前に行き」 and thus have righteousness before us;)、その後方には神の栄光が存在するでしょう(1992年訳は誤訳「その結果神の栄光が現れるのです」 the rearward will be God's glory.)。キリストの義の光は、私達の前方を護るでしょう(1992年訳は誤訳「…は前衛であり」)。そして、主の栄光が私達の後方に存在するでしょう(1992年訳は誤訳「主の栄光は私たちのしんがりとなるのです」 and the glory of the Lord will be our rearward.)。私達はこの保証を主に感謝しましょう。私達は、天の神、主がいつも私達に好意をもてる位置に立っていましょう。私達は、主の助手であること、神と繫がっていることは、私達の特権だということを考えていましょう。
失われた人類(1992年訳は誤訳「滅んでいく」 of a lost race)の贖いのための神の偉大な計画の中で、主は、助け手として人間を使う必要があるので、助け手を自分自身の手もとに置きました。主は、人間性に伝えるために、助手を必要としています。主は、助手の仲間のために行なう必要のあることを素早く見抜いて、様々な機会を素早く見て、活動的であるような人の協力を必要としています。
キリストは、罪深い男性と女性達に自分の命を与えました(1992年訳は誤訳。「罪を犯した人のために」for sinful men and women.)。キリストは、罪びと達が贖い主として受け入れること、また、義と従順の生活のために律法に違反した生活から人類を取り戻すことを望んでいます(1992年訳は誤訳「彼は、彼を受け入れる人の救い主となられます」He desired to rescue and to the race from a life of transgression to
a life obedience and righteousness; and to those who accept Him as their Redeemer.)。彼は、永遠の命の信仰遺産でさえ、天が贈与しうる豊かな報酬として差し出しています(1992年訳は誤訳「…与えてくださいます」 He offers the richest reward that )。…
私達を贖うために払われた無限の値を、私達がもっとよく悟ることができたらいいと思います。パウロは「あなた方は代価によって買い取られています」(コリント6:20)と言っています。それは真実です。代価を払われた値は、神の唯一のひとり息子の命にほかなりません(1992年訳は誤訳「命であったのです」 is nothing less than the life of )。私達はもっとこのことを考えましょう。私達は、自分達のために遣わされた(1992年訳は欠訳
send to us;)キリストの招きを拒むこともできます。私達は、主が差し出している平和と赦しを無視することもできます。しかし、それでも、私たちすべての人が、神のひとり息子の貴い血という代価によって買い取られたという事実が残されています。それゆえ、「彼のことを考えましょう」(ヘブライ12:3)。
あなた方は多くの犠牲を払いました。「神のものである、あなたの精神とあなたの身体によって神に栄光をあらわしなさい」(1コリント6:20 KJV)。あなた方が自分のものだと考えているものは、神のものです。神の財産を大事に管理してください。神はあなた方を無限の値によって買い取りました。あなた方の知性は主のものです。どんな人でも、自分にではなく主イエスキリストに属している体を乱用する権利を持っているでしょうか。どんな形の利己的な甘やかしによって知性と体の能力を徐々に弱めることで、何か満足できることがありますか。
神は、全ての人間に知能を与えました。主は、それを神の栄光のために用いることを望んでいます。それによって、人は、死ぬべき仲間の滅びから救うための努力を神と協力することが可能になっています。私達は、知能や考える能力をあまり多く持っていません。私達は、キリストが買い取った人間の機能、すなわち、知性と体のあらゆる能力を最善に用いることができるように、訓練し教育するために存在しています(1992年訳は誤訳「…訓練しなければなりません」 We are to educate and train )。私達はみな、それらの能力を強めることができるようにするために存在しています(1992年訳は誤訳「強くするようにすべきです」 We are to do all we can to )。神は、私達が主との効果的な共労者となることを喜ぶからです。忠実に自分の役割を果たす人々について、「私達は神と共に働く者達です」(1コリント3:9)。神性の援助から離れて、人ができることはわずかです。しかし、天の父の息子は、奉仕の祭壇に自分自身の全てを捧げる人々を通して働く用意をしています(1992年訳は誤訳「喜んで働いてくださるのです」 are ready to work through )。私の前にいる全ての魂は、主に受け入れられる働きができて、神と協力できるでしょう(1992年訳は誤訳「できるのです」 may cooperate with God, )。主は、私達すべてに働き人として進み出ることを望んでいます。全ての人々に、主は、各自の能力に応じて委ねられた働きを与えました。……
3.個人的な体験
17歳の時に、私の友人達がみな、私が子どもの時に遭ったひどい事故のために生涯、虚弱者だと考えていた時に、天の訪問者が私を訪れて「私はあなたに伝えるためのメッセージを持っています」と言いました。私は「どうして?これはきっと、何かの大きな間違いだ」と考えました。しかしさらに、「私はあなたに伝えるためのメッセージを持っています。私があなたに与えるものを[神の]人々のために書き出してください」と言いました。その時まで、私の震える手は一行も書くことができませんでした。私は、「私はそれができません。私はそれができません」と繰り返しました(1992年訳はこの文を欠訳)。「書きなさい。書きなさい」という言葉がもう一度語られました。私は、ペンと紙を用意しました。そして、私は書き始めて、それ以来、とても多くを書きました。その量を推測することは不可能です(訳者加筆。Ellen
G. white Encyclopedia 2013によると10万ページに及ぶそうです) 。その身体的・精神的力と能力は、神に属するものです。
その時以来、私が書いた書籍は大量に出版され、多くの国語に翻訳され、地上の多くの地域に行き渡りました。少し前に、私は、私の書籍類の一冊が、ドイツの花形女性(1992年訳は誤訳「ドイツの女王が受け取ってくださった」 the queen of Germany, [q]は大文字ではない。その当時[1904年]ドイツには女王は存在しなかった。1871年から帝国だったので、皇帝の妻かもしれない。第一次世界大戦後1918年に「ワイマール共和国」になった)によって喜んで受け取られたという言葉を受け取りました。彼女は、その巻の真価を評価した思いやりのある手紙を書いて送ってきました。主は、すべてを称えるために存在しています(1992年訳は誤訳「このように導いてくださった主を心から賛美いたします」 To the Lord be all the praise.この[To]は、The Lord be to all the praise.の[to]です)。
私達は、自分自身では、[神性について]良いことを何もすることができません。しかし、その働きを良い物にしようと、この働きにおいて私達の役割をするように主の助けによって決心すること、神との正しい関係に置くことは、私達の特権です(1992年訳は誤訳「決心することはできるのです」 But it is our privilege to )。この決意によって謙虚にたゆみなく生きる人々によって、神の栄光が現されるでしょう(1992年訳は誤訳「あらわれます」 will be revealed the glory of God.)。私は、このことを体験によって知っています。私は、自分自身の力を持っていません。私は、弱い自分の魂でイエスキリストをしっかりと捉えなければならないことを自覚していました。祈ること、信じることを行なう結果として、神の救いが、私の前方に進んで行き、主の栄光は後方にありました(1992年訳は誤訳「主の栄光があらわれました」 and the glory of the Lord has followed.)。
私は、あなた方の励ましと慰めのために、私が知っていることを話しましょう。私達はみな、私達自身を神との正しい関係に置きましょう。どんな満足が、この世界のファッション/流行に歩調を合わすことで見られるように存在しているでしょうか(1992年訳は誤訳「この世のやり方と歩調を合わせても、満足は得られません」 What satisfaction is to be found in keeping pace with the fashions
of this world?)。あなた方は、行なうための良い働きがあります。品性をファッションにすることです。全ての能力、全ての神経の活力、全ての筋肉、全ての思考、全ての活動を神の栄光のために用いましょう。そうすれば、神の救いがあなた方の前方を進んで行って、あなた方は、以前には決して見ることがなかったようなものを見るでしょう(1992年訳は誤訳「神の救いがあなたの前にあらわれてきます」 Then you will see, as you have never seen before, the salvation of
God going before you.)。
私には、何の嘆きもありません。主は、私に約束を果たさないことは一度もありませんでした。私は夫を22年前[58歳の時]に墓に送りました。それから数年後に、すでに遣わされた数人の人々と合流するために、もっと多くの宣教師達がオーストラリアに行かなければならないという決議なされた時に、私達[3男ウィリアム、看護師、文筆アシスタント]は、新しいセンターで目的に合った働き人となってその働きを確立するために、私達の教会の兄弟達の助力のためにそこに行きました。私達は、そこで、多くの開拓的な働きをしました(1992年訳は誤訳「そこで多くの開拓の働きがなされました」 There we did much pioneer work.)。
4.一つの学校を設立する助け
私達は、若い男性達と若い女性達を偉大な教師の奉仕のために訓練するという約束のもとで、一つの学校の大きな必要を考えました。私達はニューサウスウェールズ州の適当な森に行ってみて、1500エーカー[600ヘクタール]の土地を買いました。そして、都市から離れた所に訓練学校を建設しました。
私は3年前[1900年]にアメリカに戻りました。ほかの人々が私達の代わりにオーストラリアに遣わされました。その働きは発展し続けて、繁栄が、全ての成果となって現れました。私は、あなた方に私のもとに届いた手紙を読んであげたいと思っています。2年前にオーストラリアの多くの各地で飢饉の原因となったひどい旱魃のことを聞いたことでしょう(1992年訳は誤訳「多くの場所で起きた恐るべき干ばつの結果もたられた飢饉」 the dreadful drought that has caused famine)。何千何百という羊や牛や馬たちが死にました。あらゆる地域で、特にクイーンズランド州では、被害と経済的な損失が甚大でした。
しかし、私達の訓練学校のために選ばれた地点では、豊かな収穫物と良い牧草地のための十分な降雨がありました。事実、立法議会や大都市の複数の新聞社は「ニューサウスウェールズ州内で唯一の緑のある地点」として、特別に取り上げました。
これは注目できないことですか。主が祝福しなかったのですか。受け取った報告の一つから、私達は、昨年、7千ポンド[3,000kg]の良質の蜂蜜が学校の敷地内で収穫されたことを知りました。大量の野菜が育ちました。そして、[学校内で消費した]余分の物の売り上げは、学校のかなりの収入源になりました。これらの全ては、私達にとって、とても励みになりました。私達は荒れ地を手に入れ、そして、それを現在の実り多い状態をもたらすように助けました。私達は、その称賛を主に帰しています。
あらゆる土地とあらゆる共同体の中には、助けとなる奉仕の機会はたくさんあります。私達が今住んでいるこの[カリフォルニアの]谷間にさえも、霊的な方面で助けを必要としている家族が住んでいます。それらの人々を良くなるようにしてください。その人々を助けることによって、あなたの能力を、あなたの才能を役立ててください。まず、あなたの才能を偉大な教師に預けてください。その時、彼はあなたと共に働くでしょう(1992年訳は誤訳「働いてくださいます」 He will work with you.)。全ての人々に、彼は、自分の働きを委ねています。
5.ホワイト姉妹は儲けているか
時々、私が儲けようとしているとして、報告されてきました。ある人は、私達に「ミセスホワイトは数百万ドルの財産があるのではないですか」と尋ねた手紙を書いて送ってきました。私は「いいえ」と言えるのを嬉しく思います。私は、この世界で債務が自由な土地を自分の所有ではないものにしています(1992年訳は誤訳「この世で私が持っている土地は、みな借金のかたになっています」 I do not own in this world any place that is free from debt.)。なぜですか。なぜなら、私は、なされるための伝道の働きを見ているからです。このような状況のもとで、私がお金の貯蓄をできるでしょうか。できません、絶対に。私は、私の書籍の売り上げから印税を受け取っています。しかし、ほとんど全てが伝道の働きに費やされています。
遠い外国にある私達の出版所の責任者は、最近、私が資金を必要としていることをほかの人から聞いて、500ドルに交換できる為替を私に送って来ました。その手紙の中にその[為替の]お金も一緒に入っていて、彼は、新しい伝道事業を支援するためと、新しい書籍の翻訳と頒布のために、彼らが伝道地で売り上げた私の書籍の何万何千ドルという多額の印税を返すために、と書いていました。彼らは、同封したその500ドルについて、それら[書籍]の真価をとても小さく見積もって考えていました(1992年訳は誤訳「…手紙に、幾千ドルもの印税を伝道地での新しい本の翻訳や配布、そして新しい伝道事業のために送ってくださったことへの感謝のお返しとして500ドルを同封いたします、と書いてありました」 …he said that in
return for the thousands upon thousands of dollars royalty that I had turned
over to their mission field for the translation and distribution of new books
and for the support of new missionary enterprises, they regarded the enclosed
five hundred dollars as a very small token of their appreciation.)。彼らは、私の特別な必要の時に、私を助けようとの思いのゆえに、これを送りました。しかし、今までに私は、外国での主の[人類救済]目的を支えるためにヨーロッパで私の外国語の書籍の売れた分からの印税の全額を与えました。私が債務を返済し終えることができたら、すぐに、この500ドル[当時、週給5ドルの時代でした]を返すつもりです。
神の栄光のために、私はあなたに話すつもりです。おおよそ4年前に、主は、私に、イエスのたとえ話の本を書き終えることを可能にしました。そして、この本を私達の教派の教育的な働きの推進のために与えるようにと私の心に置きました。
その当時、私達のいくつかの大きい訓練学校といくつかのカレッジは、多額の債務を抱えていました。しかし、それらの債務の返済のために全収益を献納することにして、この本を売るために、私達の働き人達が尽力して、すでに20万ドル以上調達されて、債務の返却に充てられました。その良い働きはまだ進行中です。この計画の成功は、私にとって、大きな満足の源になりました。私は、現在、同様な方法で、ほかの冒険的な企画に使われるように、ほかの本を完成しようとしています。
しかし、財務の益を得ることは、私にとって将来を最も励ますものではありません。私は、これらの本の配布が多くの魂を真理に連れてきているという考えに浸ることが好きです。この考えは、私の心を本当に楽しくしています。私には、座して嘆いている時間はありません。私はひたすらに自分の働きをなして、いつも、書いて、書いて、書き続けています。朝早く、あなた方がまだ寝て休んでいる時に、私は大抵起きていて、書いています。
苦痛でさえ、私が執筆することを止めさせる理由にはなりませんでした。オーストラリアに行って、間もなく、私は病に打たれました。その家の湿気のために、炎症性のリウマチに罹って苦しみました。それは、11カ月間にわたって私を床に臥させました。時には、私はとても苦痛でした。私は、一つの姿勢で眠れたのはおおよそ2時間だけでした。それから、ほかの姿勢になるように動かしてもらわなければなりませんでした。私の空気入りゴムマットレスは、ほんの少しの軽減を与えてくれました。そして、私は、酷い苦しみの期間を通り越しました。
こういうことがあっても、私は自分の働きをやめませんでした。私の右腕は肘から指の先まで、痛みから逃れていました。腕のほかの部分と左腕全体と両肩は自分の意思では(1992年訳は誤訳「両肩は自由に」 could not be moved voluntarily.)動かせませんでした。一つの器具が考案されました。この支えによって、私は書くことができました。アメリカで出版するために太平洋の海を越えて送ろうと(1992年訳は誤訳「超えて送りました」 I wrote twenty …, to send across )、この11カ月間、便箋で250頁書きました。
私は、主が恵みと力を私に与えていること、私を決して失望させないことをとても感謝しています。私が、夫の臨終のそばに立った時、私の手を彼に当てて「私がわかりますか。夫よ」と言いました。彼は頷きました。私は「何年も新しい冒険的なことを先導することと、この事業の責任を負うことを任せてきました。今、私は自分自身が一人の先駆者になることを約束します」と言いました。そして、こう付け加えました。「私の言ったことがわかったら、私の手を少し強く握ってください」。彼はそうしましたが、話すことはできませんでした。
夫が墓に逝った後で、彼の友人達が記念碑として、折れた矢(1992年訳は誤訳「壊れたシャフト」broken shaft)を立てることを考えました。私は「立てないでください」と言いました。「決して[立てないでください]。彼は、三人の人の働きを一人の手でしました。決して、彼の墓の上に折れた記念碑を立てないでください」。……
神は、私を助けました。きょう、私は、主の人々(民)の出席している前で主の名の栄光を称えます。私は、オーストラリアで10年近くを過ごしました。素晴らしい働きがそこでなされました。しかし、私達が持てたであろう資金と働き人達を持っていたならば、二倍以上の働きを成し遂げたことでしょう。私達は、それでもやはり、主の臨在の支えと、出版の努力の結果として、あの伝道地で今日も見ることができることを、神に感謝しています。
『原稿』8,
1904 [77歳]
6.熱心でやまない活動
私達の大都市で、キャンプミーティングが開かれる必要があります。講演者達がその語ること全てにおいて慎重であるならば、[人々の]心は、聖霊の力によって宣布された真理として届けられるでしょう(1992年訳は誤訳「説教者が注意して語り、聖霊の力によって真理を伝える時、人々の心に触れることができます」And if speakers are careful in all they say, hearts will be reached
as the truth is proclaimed in the power of the Spirit.」)。その心に受け入れられたキリストの愛は、間違った愛を追い払うでしょう。キリストの生涯に現された慈しみと愛は、主のための働きをなす生活に現されるために存在しています(1992年訳は誤訳「…働く人々にあらわされます」 is to be manifested in the lives of those who work for Him.)。主の生涯に著しかった熱心でやまない活動は、キリストの品性を再生するために存在しています(1992年訳は誤訳「クリスチャンの品性は、キリストの品性をあらわすものにならねばなりません」 The character of Christian is to be a reproduction of the character
of Christ.)。
私達は、代価によって買い取られたことと自分自身ではないことを決して忘れてはいけません。私達の能力は、私達の仲間の人々へ良い手本となり神の栄光のために用いられるように、神聖な委託物としてみなされるために存在しています(1992年訳は誤訳「…用いられねばなりません」 Our powers are to be regarded )。私達はキリストの十字架の一部分です。熱心さと忠実によって、私達は失われた人々を救うよう探し求めるために存在しています(1992年訳は誤訳「…魂を求めねばなりません」 we are to seek to save the lost.)。
12章 天使達は驚かされている [18]
1.天使達は驚かされている
天使達は、多くの[受難]が神の息子の神性の人格の中で耐え抜かれた時に、人々がサタンと罪に囚われて隷従を望み続けて(1992年訳は誤訳「捕らわれていることを」 and continue willing subjects )、罪びと達に重大な意味のある、生きている数々の真理にとても無関心で軽々しく考えていることに(1992年訳は誤訳「軽く考え」)驚かされています。私達が、罪の品性で悩む強いセンスを持てるまで、キリストの生涯の自己犠牲と自己否定を熟慮する習慣を育んで、その[罪の]存在が不快な事柄として嫌うことができたら……。
キリストを通して、天の父は全ての罪を赦す約束を果たすことに忠実である、ということに対して、謝意に目覚めましょう。私達がカルバリーの十字架上にあげられたキリストを見上げる時に、主の憐れみと主の愛は永遠の保証として存在しています(1992年訳は誤訳「キリストがカルバリーの十字架におつきになったのは、神のあわれみと愛の永遠の保証です」 His mercy and His love are forever an assurance as we look upon
Christ uplifted upon the cross of Calvary.)。私達がイエスを愛して信じているならば、ヤハウェ(hwhy)の神は私達を愛して赦しています。私達が真理を把握する能力を持っているということについて、その認識にまで個々に立ち上がれるでしょうか(1992年訳は誤訳「この真理を悟れば、感謝しない人など一人もいないでしょう」 Will we individually rise to the appreciation as far as we have
capacity to comprehend the truth, that God Jehovah loves and forgives us if we believe
in and love Jesus?)。
何と素晴らしい真理でしょうか。神は、悔い改めて彼のもとに来る全ての人を赦すために待っています。それを説き勧めましょう。その人々が彼を見上げるように、イエスを高く掲げてください。……
ユダヤ人達は、いろいろな犠牲の捧げ物に、世界の人々の救いのために流されたキリストの血の象徴を見ました(1992年訳は誤訳「流される救い主の姿を見ました」 The Jews saw in the sacrificial offering the symbol of
Christ whose blood was shed for )。これらの全ての生け贄は、血を流すことなしには罪の赦しは存在せず、キリストの血だけが全ての罪から清めるという偉大な真理を人々の心に釘付けするために、また、キリストを予示するために存在していました(1992年訳は誤訳「これらすべての捧げものはキリストの型であり、…清めることを示すものでした」…were to typify Christ and to rivet the great 」)。ある人は、なぜ、神はそんなに多くの犠牲を望むのか、また、ユダヤの制度においてそんなに多くの血を流す生け贄を命じたのかと不思議に思っています。
全ての死んでいく生け贄はキリストの予型でした。その教訓は、大祭司によってはっきりと説明され、最も厳粛で、神聖な儀式によって、[人々の]心と知性に印象付けられました(1992年訳は誤訳「死んでいく犠牲はみな、キリストの型であり、最も厳粛な聖なる儀式によって人間の心にその教訓が植え付けられたのです」。「あり」は「あった」と続くのが自然な日本語です。ところが「植え付けられた」と別な文にねじれています)。数々の犠牲は、キリストの血によってのみ罪の赦しがあるという重大な真理を教えるために、神自身によって明確に計画されたものです。
この壮大な救済の真理は、信者や未信者達が聞けるようにたびたび繰り返されています。しかし、これらの真理が深い意味を持っているにもかかわらず、 [その真理に]無関心でいる人々を、天使達が見ることは驚きです(1992年訳は誤訳「これらの真理が大きな意味を持つその本人たちが」と、…が…がと不適切な日本語です)。この教会は、この素晴らしい贖いの計画の勢いを感じているという根拠がなんと少ないことでしょう。イエスキリストの清める血に対する信仰を通してだけ、悪性の癩菌のように人間にまとわりついている罪に赦しがある、ということを生きた体験にしている人はなんと少ないことでしょう。全ての人々の知性で、この気づきの思考をどれほど深めているでしょうか。キリストは、自分の贖いのための苦しみを必要としませんでした。彼には、罪がなく高貴な品性で、気高い人格に均衡した深い苦しみがありました。 『手紙』43, 1892 [65歳]
2.気まぐれな悔い改め
「見上げなさい。私は戸のそばに立って、ノックしています。誰かが私の声を聞いて、戸を開けるならば、私は、彼の[家の]中に入って、夕食を共にするでしょう。そして、その人は私と共にいるでしょう。勝利を得る人に、私は、私の座に私と共につくことを認めましょう。それはちょうど、私が勝利を得て、私の父の座に私がついたのと同じです」(黙示録3:20)。誰かが、なぜこのメッセージはいつも私の耳に響かせられているのだろうか、と言うかもしれません。それは、みなさんが徹底的に悔い改めていないためです。みなさんは、キリストの中で生きていませんし、みなさんの中にキリストが住んでいません。一つの偶像が魂から追い出されると、サタンはその場所を埋めるためにほかのものを用意しています。あなたが、キリストと交わりをして生きて、彼に全的に献身をしていない限り、また、あなたは彼を自分のカウンセラーとしていない限り、あなたは、自分の心が、悪い考えに開いて、自分に仕えるために神に仕えることから簡単に逸らされる、ということがわかるでしょう。
時々、あなたは悔い改めたいと思うことでしょう。しかし、あなたが決定的に改革し、あなたが学んだ真理を実践に移さない限り、また、あなたが、いつも力を増し加えている信仰を働かせて行動しない限り、あなたの悔い改めは、朝の露のようなものです。それは、魂に永久的な安堵を与えないでしょう。感情にむらのある体験が動機の悔い改めは、思い違いdelusive (1992年訳は誤訳「人を欺く」)なので、悔い改める必要のある悔い改めです。あなたの中に、平和に好意的な義の実を生み出さない感情による激しい行動は、以前にそうだったよりも悪い状態にしています(1992年訳は誤訳「にしてしまいます」 leaves you in a worse state )。
かの誘惑者は、毎日、自分を喜ばすための、また、自分に仕えるためのもっともらしい言い訳や何かの思い違い(1992年訳は誤訳「偽りの」delusive)をあなたの道に存在させることでしょう。すると、あなたは、確証と満足と希望を得て神に仕える働きを軽視して、自分の前の行動に戻るでしょう(1992年訳は誤訳「…希望と慰めと確信を持てるのですが、そうさせないように働くのです」英文に存在していません)。
神は、心の中にイエスの愛によって霊感を受けた奉仕、意思によって働く奉仕を求めています。神は、決して、心が半分、自分に奉仕しているような奉仕に満足させられません。主は、罪から救われるために主の力に信頼する完全な信仰と、純粋な感情、心からの奉仕を求めています。……
神は、キリストの恵みによる成熟によって、主の前を歩もうとしている熱心な魂、全ての誠実な人々を支持して、光栄に思っているでしょう(1992年訳は誤訳「支えてくださいます」 God will honor and uphold )。主イエスは、おののく魂や、謙虚な人を見放すことも見捨てることも決してしないでしょう(1992年訳は誤訳「放置なさることはありません」 The Lord Jesus will never leave nor forsake )。私達は、神が私達の心の中で働いていることを信じてみませんか。主がそのようにすることを私達が許すならば、主と共に労する者となるとみなす主の豊かな恵みによって、主は、私達を清く聖なる者にするのでしょうか(1992年訳は誤訳「神に働いていただけば、私たちは清く聖なるものになり、その豊かな恵みによって神とともに働くことができるようになるということを信じるでしょうか」 that if we allow Him to do so, He will make us pure and holy, by
His rich grace qualifying us to be laborers together with Him?)。私達は、私達に義があるゆえにではなく、私達の味方としてのキリストの義を主張する私達の信仰によって生きているゆえに、また、私達に価値があるのではなくキリストに価値があるゆえに、私達個々人自身のためにそれらを相応しく、神の約束の力の認識を正しく理解するほど、鋭く、清められることができていますか。
(1992年訳は誤訳「清められた鋭い認識力で神の約束の力を正しく認め、それを自分のものとすることができるでしょうか。それは私達に価値があるからでなく、キリストに価値があり、また私達が義であるからではなく、私達のためのキリストの義を生きた信仰をもって求めることによるのです」 Can we with keen, sanctified and appropriate them to our individual
selves, not because we are righteous, but because by Christ is worthy, not
because we are righteous, but because by living faith we claim the
righteousness of Christ in our behalf?)
『原稿』125,
1901 [74歳]
13章 聖霊/聖なる精神を受けることの大切さ
1.聖霊/聖なる精神を受けることの大切さ
ニューキャッスルでの集会の最初の安息日の夜、私は、私達が聖霊を受けることについての重要性と必要性を提示している集会にいるように思われました(1992年訳は誤訳「自分が…話している集会に」 I seemed to be in meeting, presenting …)。聖霊に私達の心を開くことは、私の任務として重荷でした。ある時、キリストは、弟子達に「また、私はあなた方に言うことがたくさんありますが、しかし、今、汝らは、それを聞くことに堪えられません」と言いました。彼らの限られた理解力は、主を断念させました。弟子たちの心がその真理に閉じられていたので、主は開示しようとしたその様々な真理を彼らに開示できませんでした。主のそれらの真理の開示は無駄に終わるでしょう。人々は、キリストの教訓を十分に理解する前に、聖霊/聖なる精神を受ける必要があります(1992年訳は誤訳「理解するためには、」 before they could fully understand )。キリストは「私の名によって送った天の父、聖霊である慰め主は、あなた方に全ての事柄を教えるでしょう。また、私があなた方に言ったことは何でも、あなた方の記憶にあらゆることを思い起こすでしょう」と言いました。
私の夢の中で、一人の見張り人が重要な建物のドアのそばに立ちました。そして、入るために来た全ての人に「汝は、聖霊を受けましたか」と尋ねました。測定する紐が、彼の手にありました。そして、極、僅かな人々だけがその建物に入ることを許されました。彼はこう言いました。「一人の人間として、あなたの人格的な価値は何もありません(1992年訳は誤訳「人間としてあなたの背丈はゼロです」Yore size as a human being is nothing.)。しかし、あなたがキリストイエスの中で一人の人間として十分な資質に達したならば(1992年訳は誤訳「十分な背丈に」 the full starter of man)、あなたが習得した知識によって、あなたは、子羊の婚宴にキリストと共に座るよう指名を受けるでしょう。そして、あなたは、永遠にわたって、あなたのために用意された宴会に招かれて、祝福された学びは途絶えないでしょう。
あなたは、自我においては背が高く大きい体でしょう。しかし、あなたはここに入ることはできません。子ども達の属性としての特徴、習慣、習性を持っていて、子どもがそのまま成長したような大人は入れません(1992年訳は誤訳「大人であっても霊的に子どものような気質や習慣、特徴を持っている人は、ここに入ることができません」 None can enter who are grown-up children, carrying with them the
disposition, the habits, and the characteristics which pertain to children.)。あなたが、うさん臭い思い、批判、怒り、自己誇示をするならば、その宴会を台無しにすることになるので、認められません。このドアを通って行く人はみな、天の機織り機で織った礼服を身に着けています。ほかの人々の品性の欠点を拾い上げるように自分を教育している人々は、家族を不幸にして、作り話を選んで真理から魂達を引き離そうとする心の歪みを表しています。あなたの不信のイースト菌、あなたの厚かましい望み、あなたのとがめる力が、入場許可のドアをあなたに対して閉じています(1992年訳は誤訳「あなたがその扉からから入ることを許さないのです」 Your leaven of …, closes against you the
door of admittance.)。ほかの人の完全な信頼を損なうことによって、住民達の幸福を損なう可能性のある人は、このドアの中に入ることができません。私は人々の目から涙をすべて拭い取ったので、あなたは天の宮廷の幸福な家族に加わることができません。あなたが主の品性をあなた自身に再生していなければ、美しい主、天の王を見ることができません。
あなたが自分の意思と自分の知恵を放棄して、キリストについて学ぶ時、あなたは、神の王国への入場許可を見つけるでしょう(1992年訳は誤訳「…入ることができます」 you will find admittance into the kingdom of God.)。主は、全体的、全面的な明け渡しを求めています(1992年訳は誤訳「献身を」 surrender)。やり方と[人格]モデルと調子を主に合わせて、あなたの人生を放棄してください(1992年訳は誤訳「キリストのために心を整えてください」 Give up your life for Him to order, mold, and fashion.)。あなたの首に、キリストのくびきを付けてください。主によって教えられ、導かれるように服してください。幼子のようになって学ばない限り(1992年訳は誤訳「幼子のようにならなければ」 Learn that unless you become as a little child,)、あなたは決して天の王国に入ることはできません。
キリストの内にとどまるということは、キリストの関心があなた方の関心と同一化されるように、キリストの性質だけを選んでいることです。主の願望だけを行なうように、また、主の願望が存在するように、主の内にとどまってください(1992年訳は誤訳「キリストのうちに住み、キリストのみ心のままになり、そのみ心のままに行動してください」 Abide in Him, to be and to do only what He wills.)。これらは、弟子である条件です(1992年訳は誤訳「これが弟子となる条件です」 These is are the conditions of discipleship, and )。人々がこれに応じない限り、あなたは安らぎを決して見つけられません。安らぎは、キリストの中に存在しています。安らぎは、誰かが主から離れている時に、存在することができません(1992年訳は誤訳「あり得ないのです」 it cannot be as something apart from Him.)。
主のくびきがあなたの首に合うように調節された瞬間に、それは、負いやすいということに気づかされます(1992年訳は誤訳「彼のくびきが、あなたの首につけられた時、それはたやすくなります」 The moment His is adjusted to your neck, that moment it is found
easy; )。その時、最も負担の大きい任務が担われ、最も負担の大きい精神的な労働がなされることが可能になります(1992年訳は誤訳「キリストが力を与えてくださるので、最も重い荷物でも負うことができるようになります」 then the heaviest spiritual labor can be performed, the heaviest
burdens borne, )。なぜなら、主は、身体的な力と、精神的・知的な能力を与えて、そして、主はその働きを行なうことに喜びを与えているからです(1992年訳は誤訳「そして、仕事をするのが楽しみになります」 because the Lord gives the strength and the power, and He gives
gladness in doing the work.)。次の点に注目してください。「私は、心が柔和で、へりくだった者ですから、私に学んでください」(マタイ11:29)。このように語っているのは誰ですか(1992年訳は誤訳「このように語ったのは誰でしょうか」
Who is it that speaks thus?)。天の権威者、栄光の王です。主は、あなたの精神的な事柄の概念が、共感のない性質、粗悪、歪曲した冒瀆、利己的なクズから清められるようにと望んでいます。あなたは、内側に、高尚な体験を持つ必要があります。あなたは、キリストの内に宿ることによって、恵みのうちに成長を得る必要があります。あなたが回心させられる時、あなたは、妨害者ではないでしょう。あなたは、自分の兄弟達を力づけるでしょう。
これらの言葉が語られた時、私は、ある人が悲しそうな様子で去って、そして、嘲る人々に合流しました。ほかの人々は、涙を浮かべて、心から悲しみ、気分を害させ、心を傷つけた人々に告白しました。その人々は、面目を保とうとはせず、全ての歩みにおいて「私は救われるために何をすべきでしょうか」(使徒言行録16:30)と尋ねました。その答えは「あなたの罪は、裁きの時よりも前に行って、そして、汚点とされるでしょう。だから、悔い改めなさい。そして、回心しなさい」でした(1992年訳は誤訳「あなたの罪が先立ってさばきにゆき、ぬぐい去られるために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい」ということです。 The answer was, ‟Repent and be converted,
that your sins may go to beforehand to judgment.and be blotted out.”)。精神的なプライド(自慢を含む自尊心)を譴責する(1992年訳は誤訳「霊的な誇りを譴責する…」 which rebuked spiritual pride.)、いくつかの言葉が語られました。このように、神は大目に見ないでしょう(1992年訳は誤訳「神は罪を大目に見ることはなさいません」 This God will not tolerate.)。それは、主の言葉とも私達の信仰の告白とも一致しないものです(1992年訳は誤訳「…告白とも両立しません」 It is inconsistent with )。主の働き人である汝らはみな、主を求めましょう。主が見いだされるうちに、主を求めましょう。主が近くにいるうちに主を呼びましょう。「悪いことをした人はその道を離れましょう。不正なことをした人はその考えをやめましょう。その人は主に帰りましょう。主はその人に憐れみを注ぐでしょう。神は豊かに赦すので、私達の神に[帰りましょう]」(イザヤ55:7 KJV)。
私が、安息日の集会で出席した人々にこれらの原則を話した時、全ての人々は、主が虚弱な器を通して語った、と感じたようでした。
『レビュー&ヘラルド』1899.4.11 [72歳]
私達のために、偉大なことをなすよう主に期待しなければならない、その時が来ました。私達の努力は、衰えたり弱まったりしてはいけません。私達は、主の知識と恵みによって成長するために存在しています。この働きが閉じられ、神の人々(民)の封印が終了する前に、私達は神の聖霊の注ぎを受けるでしょう。天から来た御使い達は、私達の真ん中にいるでしょう。現在は、神の全ての戒めにまったく従順に歩むべく時、天にぴったり合うように整える時です。
『手紙』30,
1907 [80歳]
14章 あらゆる場所で [19]
1.あらゆる場所で
キリストは、私達の世界に遣わされた偉大な医事伝道者でした。彼は、この世界に真理のタネを蒔く偉大な働きに、彼と協力するようなボランティアを求めています。神の働き人達は、彼らが近づくことのできる全ての場所に真理の標準を植えるために存在しています。世界の人々は回復を必要としています。世界の人々は、悪と滅びの危機に瀕しています。キリストから離れている人々のための神の働きは、広げられ拡張される必要があります。神は、自分の人々(民)に、彼のために勤勉に働くように求めています。そうすれば、キリスト教徒は効率よく広がるでしょう。神の王国は広がるために存在しています。神のための記念の記録がアメリカにも海外の国にも立ち上げられるために存在しています。
この時代のための現在の真理と結合した健康改革の働きは、良い効果をもたらす力があります。それは福音の最も頼りになるもので、しばしば、福音が入って行くための分野を開いています。組織的に、神の計画と堅固に完全に調和して進める必要があることをいつも覚えておきましょう。どの教会も組織されるために存在していて(1992年訳は誤訳「組織され…なければなりません」 are to be organized.)、医事伝道の働きから絶縁するように存在している教会の事例はありません(1992年訳は誤訳「離れてはなりません」 Neither is …to be )。医事伝道の働きが福音伝道から分断されるように存在していてもいけません。分断されると、どちらも偏った働きです。全体が完全ではありません。
この時代のための働きは、なされ得る最も重要な働きとして、クリスチャンの知性にアピールするために存在しています(1992年訳は誤訳「印象づけなければなりません」 is to appeal )。それは、主のブドウ園を管理することについての問い掛けにあります。このブドウ園には、全ての人々は、主が割り当てた多くの役割と場所があります。各自の成功は、神性の長との個人的な関係に依っています。
私達の主イエスキリストの愛と恵み、地上にある主の教会との主の思いやりある関係は、多くの場所で人々への福音を広める働きと主の働きの進展によって、明らかにされるために存在しています(1992年訳は誤訳「み事業の成長によって、あらわされなければなりません」 are to be revealed )。義と真理に関する天の原則は、キリストにつく者達の生き方をますますはっきりと見せるために存在しています(1992年訳は誤訳「…されなければなりません」 are to be seen )。無我と無欲の精神は、ペンテコステの日に聖霊の降下が見られた以後に諸教会に見られた以上に、務めを果たす中で見られるために存在しています(1992年訳は誤訳「事務的な取引の中にも示されなければなりません」 is to be seen in business transaction )。世俗的な独占や利己的な影響力の痕跡は、栄光と権威の中に天使の群衆を伴った救い主イエスキリスト、私達の主の再臨を祈って働いて待ち望んでいる人々にとって、わずかでもその印象を残されていません(1992年訳は誤訳「あってはなりません」 Not …is to make the slightest impression )。
一つの人々(民)として、私達は主の出現のための準備がなされていません。私達が、魂の地の窓を閉じて、魂の天の窓を開くならば、設立された全ての施設はこの世界を明るく照らす一つの光/真理になるでしょう(1992年訳は誤訳「明るく輝くでしょう」 would be a bright and shining light in the world.)。この教会のメンバー一人ひとりは、この時代のための真理に高貴にされ、高められ、偉大さに生きたならば、光を輝かせて、一つの光/真理となるでしょう。神の人々(民)は、聖霊と共に効率的によく働かない限り、神を喜ばせることができません。純潔と誠実は、その人々の態度と感情と言葉によって、ほかの人とのよい人間関係になるように存在しています。その人々は自分達がキリストと一つであることを示すでしょう。その人々は、その働きのあらゆる方面を聡明に進めて、私達の世界の人々が目を見張る者、しるしとなるために存在しています。その働きの各方面は、全員がよく調整された機械のように動くような、ほかの人ととても調和して関係づけられるために存在しています。その時、キリストによる救いの喜びが理解されるでしょう。伝えるための真理の光を与えられたけれども、ほかの人との交際において真理の原則を表さなかった人々、栄光の主の道の主の働きをしなかった人々による、今日行なわれている提示の仕方は存在しなくなるでしょう(1992年訳は誤訳「今日行われているようなことは、全くなくなります」 There will then be none of the representation now made by those who
… )。……
キリストは死からよみがえった後、その墓を出て、「私はよみがえりであり、命です」と宣言しました。よみがえった救い主、キリストは、私達の命です。キリストが魂の命になると、その変化が感じられます。しかし、言葉はそれを表現することができません。多くの人々が主張している知識や感化や力は、キリストの品性の香りのない価値のないものです(1992年訳は誤訳「キリストの品性の香りがなければ、知識も感化も力も価値はありません」 All claims to knowledge, to influence, to power, are worthless
without the perfume of Christ's character.)。血液が身体の命であるように、キリストが魂の真の命となって当然です。
2.全ての利己的なことから清められる
神の奉仕に携わっている人々は、すべての利己主義の糸から清められている必要があります。すべのことは「汝のすることは、全て、言葉によると行ないによることを問われず」(コロサイ3:17)、「神の栄光のために」(1コリント10:31)という指示によってなされるために存在しています。神の正義と公正(1992年訳は誤訳「平和」injunction)の律法は、隣人と隣人、兄弟と兄弟との間のやりとりにおいても正確に守られる必要があります。私達は、神自身の似姿に倣って、完全な義と完全な秩序を求めるために存在しています。これらの基盤においてだけ、私達の働きは裁きのテストに耐えるでしょう。……
キリスト教は、互いのために最も優しい感情を表すものです。クリスチャン生活は、クリスチャンの義務とクリスチャンの特権によって成り立っています。キリストは、その知恵のうちに、主の教会に、主の死を予表していて、主自身がその基盤だった犠牲と捧げ物の制度を授けました。全ての犠牲は、世界が創造される以前から殺される子羊として、彼を指し示していました。全ての人は、罪の値が死であることを理解できるでしょう(1992年訳は誤訳「理解できるためでした」 that all might understand that the wages of sin is death.)。彼に罪はありませんでしたが、しかし、彼は私達のために死にました。
儀式の象徴的な制度は、キリストを信じる全ての人が「キリストの満ちた資質の高さにまで、また、完全な人間へ、神の息子についての知識と信仰の一致に」(エペソ4:13 KJV)至るように、神の律法の正当性の証明という、一つの目的を担っていました。クリスチャンの働きには、神が与えた全ての贈り物を活動させるための十分な余地があります。全ての人は、魂を清めて愛によって働く信仰の歩みのあらゆる前進を現して、神が求めていることをなすように連合されるために存在しています。
キリストは、彼が造った者達(1992年訳は誤訳「被造物」His created。「物」から愛を受けることはできません)から最高の愛を受けるために存在しています(1992年訳は誤訳「お受けになるべきです」 Christ is to received )。そして、彼は、人間がその同胞達に神聖な思いやりで考えるように求めています。全ての救われた魂は、神から始まっている愛によって救われているのでしょう(1992年訳は誤訳「救われる魂はすべて、神より出た愛によって救われるのです」 Every soul saved will be saved through love, which begins with
God.)。真の回心は、利己主義から、神とほかの人のための、清められた感情への一つの変化です。今、罪の色がついた魂が利己主義という悪性の病から清められるように、セブンスデー
アドベンチスト達は徹底的な改革を起こしませんか。
私は全ての人々に特別な真理を語る義務があります。神の言葉から光/真理を受け入れた人々は、決して、神がその人々の罪を見逃すように、人間の知性に印象を残すために存在しているのではありません(1992年訳は誤訳「神が彼らの罪を処理してくださるという感動を決して忘れることはありません」
…are never, never to leave an impression upon human minds that
God will serve with their sins.)。主の言葉は、主の律法の違反として、罪を定義しています。 『原稿』16, 1902 [75歳]
3.困難な場所で
神の兵卒達は、しばしば、理由がわからずに、厳しく困難な場所に連れて行かれたことを知ります。しかし、その人々は、困難が発生したからと言って、彼らの持ち場[の責任]を怠けるために存在していますか(1992年訳は誤訳「くじける必要はありません」 But are they to relax their hold because difficulties arise.)。その人々は、その闇を通してその道を見ることができなくても、信仰が弱まるために存在していますか。神は言いました。その人々は、自分達の働きにおいて、自分達を励ますための神の力にとどまる感覚を心に持ち続けるために存在しています。主の律法を持ち続けることに努めてその人々が主のガイダンスに添っているならば、その人々は、その道を失うことがないばかりか、損なわれる可能性がありません。 『日付のない原稿』145
15章 この教会[の人々]が目覚める時[20]
1.この教会[の人々]が目覚める時
祈りが、家庭生活、教会生活、宣教生活に必要です。熱心な祈りの効力は、僅かに理解されているだけです。神を呼び求めることに忠実なことは豊かに報いられるので、この教会[の人々]が祈りに忠実だったならば、とても多くの事柄において無気力が見られなくなるでしょう。
この教会[の人々]が聖なる召命感に目覚めている時、魂の救いを考えている神の人々(民)の義務と働きを聖霊が示すので、もっと多くの熱心で効果的な祈りが天に昇るでしょう。私達は、神が全ての求める魂を近くに引き寄せるでしょう、という約束を持っています。
この教会[の人々]は、「衰えてしまわず、汚れず、朽ちないものを受け継ぐために、イエスを死からよみがえらせることによって」(1ペテロ1:3,4 KJV)、もう一度、生きた希望を生み出される必要があります(1992年訳は誤訳「よみがえらなければなりません」 The church needs to be begotten )。この教会[の人々]が、この世界の中で為すべき感覚に目覚めている時、そのメンバー達は、この時代のための真理を理解できず、霊的な無知にある人々と神を知らない人々の魂のために労苦を厭わないでしょう。自己否定と自己犠牲は、私達の全ての体験の中に織り込まれるために存在しています(1992年訳は誤訳「織り込まれるべきです」 is to be woven )。私達は、自分達の生活の中に不調和が存在しないように、目覚めて、祈るために存在しています。私達は、祈りに目覚めること、神の前での私達の生きた祈りを意味しているということ、主はその人々に応答しうるということ、自分達が理解したことをほかの人々に示すことなどに、しくじってはいけません(1992年訳は誤訳「目を覚まして祈るということは、祈りが答えられるように神の前に私達の祈りを生活することです。このことを私達が理解しているということを、人々に示さなければなりません」 We must not fail to show others that we understand that watching
unto prayer means living our prayers before God, that He may answer them.)。
この教会は、そのメンバー達が恵みの御座からの助けを求めている間、滅びの縁にいる魂達の救いの大いなる働きに協力することに失敗せず(1992年訳は誤訳「協力しているならば」 they may not fail to cooperate )、後退しないでしょう(1992年訳は誤訳「後退することはありません」 The church will not retrograde )。活動的な教会のメンバー達、働いている教会は、キリストのくびきを負って、彼と共に重荷を引いているという自覚を持っているでしょう(1992年訳は誤訳「実感できます」 will have a realization )。
天の全存在者達(1992年訳は誤訳「この宇宙は」The heavenly universe)は、その人を通して、神がその民に伝えることができる人、その人を通して世界の人々に伝えることができる人として、献身した通信路となる人を求めています。神は、献身して、自己否定している教会を通して働くでしょう。そして、サタンが人々と牧師達の魂をだますために巧みな方法で働いている時に、主は、特にこの時代に、栄光ある方法と目に見える主の聖霊を現すでしょう(1992年訳は誤訳「あらわしてくださいます」 and He will reveal His )。神に仕える牧師達が主と協力するならば、主は、昔、弟子達と共にいたように、注目される方法で彼らと共にいるでしょう(1992年訳は誤訳「いてくださいます」He will be with them )。
この教会[の人々]は、その責任に目覚めようとしないのですか。神は、自己否定と自己犠牲によって献身して働こうとしている人々に、世界の人々がかつて知っていた中で、最大の宣教の霊/精神を与えようと待っています。神の人々(民)がこの霊/精神を受けた時、力が彼らから出て行くでしょう(1992年訳は誤訳「出て行きます」 power will go forth from them.)。 『原稿』59, 1898 [71歳]
2.受容の美徳
主は、受容の美徳を働かせるための呼びかけに来るような状況を認めています。それらは、私達が捧げ物や什一によって主自身に返す努力をしているように、清らかさと効果的なことを増しています。あなたは、試練を通り越す意味の何かを知っています。単純な信仰によって彼を信頼する意味、彼を信じることができる意味、熱心な祈りを主に捧げる意味、これらは、あなたに、神を信頼する機会を与えています。私達の美徳が試され、私達の信仰が試みられるのは、苦難によってです。私達がイエスの貴さを感じるのは大いなる悩みの日においてです。あなたは、「彼が私を殺しても、私は彼を信頼しています」(ヨブ13:15 KJV)と言う機会を与えられるでしょう。死と苦痛と、病と悲嘆と、危機に直面して私達の信仰を告白する機会が与えられたと考えることはとても貴重なことです。……
私達にとって、全ての事柄は、神の言葉(1992年訳は誤訳「条件」terms)をどのように受け入れるかどうかに依っています。[神の言葉は]私達の精神と同じく、私達の品性と将来の生活の道徳に結果をもたらすでしょう(1992年訳は誤訳「私達の生き方は、心と同じように、将来の生活と品性に影響を及ぼします」 As is our spirit, so will be the moral result upon our future life
and character.)。全て個々人の魂は獲得するための勝利を持っていますが、その人がそれらを欲するように物事を持つことができないということを自覚する必要があります。私達は、キリストがその生き方と教えを通して与えた全ての教訓を慎重に守るために存在しています(1992年訳は誤訳「忠実に守るべきです」 We are to observe carfuly every lesson )。彼は、それを破っているのではなく、触れる全てのものを改良しています(1992年訳は誤訳「キリストは滅ぼすのではなく、触れるすべてのものをよくしてくださるのです」 He does not destroy, He improves whatever He touches.)。 『手紙』135, 1897 [70歳]
3.謙遜と信仰
この時代の働きにおいて最も必要なものは、金銭や才能、学識や雄弁ではなくて、謙遜な信仰です。どのような反対者も、主のために非難と犠牲と労苦を快く引き受ける働き人によって、謙遜と信仰を提示される真理に逆らって妨げることはできません(1992年訳は誤訳「いかなる反対にも勝利します」 No opposition can prevail against truth )。私達が成功という冠の成果を見たいならば、私達はキリストとの共労者になる必要があります。キリストが、自分のために請い願わなかった人々のために請い願ったように、また、自分のために涙しなかった人々のために涙したように、私達は請い願い涙する必要があります。
『原稿』24
1903 [76歳]
4.急速な働き
神性の力が、人間の努力と結びついた時に、その働きはトウモロコシの刈り株が燃えるように広がるでしょう(1992年訳は誤訳「広がっていきます」will spread like fair.)。神は、生まれつきの人間では識別不可能な働き手達と働くでしょう(1992年訳は誤訳「神は、人間にはその源のわからない力を、用いられます」 God will employ agencies whose origin man will be unable to
discern;)。天使達は、神の求めへの応答を疎かにせず、成し遂げる祝福を持っていたような人々と働きをするでしょう(1992年訳は誤訳「人間が神のご要求に答えていれば、天使達が働き、私達は完結の祝福を持つことができたはずです」angels will do a work which men might have had the blessing of accomplishing,
had they not neglected to answer the claims of God.)。
『レビュー&ヘラルド』1885.12.15 [58歳]
第3部 リバイバルと改革
はじめに
リバイバルと改革のために、エレン・G・ホワイトによってなされた最も際立ったアピールの一つは、「この教会の必要」と題して、1887年3月22日号の『レビュー&ヘラルド』に掲載されました。この記事は、A・G・ダニエルズ長老によって用意された資料の編纂集『我らの義、キリスト』に主要な箇所が引用されています。最初の印刷(1926,1937)では、その全文が補遺に掲載されました。後の印刷(1941以降)では[意図のない]技術的な理由で、この記事は、抜粋してその本の本文中に掲載していて、補遺に含まれませんでした。多くの人々が求めていたその全体の記事を、今回、この感動的な第3部で開示しています。
新しい体験が始まった人々の魂にとって、義の力と悪の力との激しい闘いとしてのリバイバル直後に続く霊的な争闘が、この第3部で生々しく描かれています(1992年訳は誤訳)。バトルクリークカレッジでの大リバイバルとその後の数か月の出来事の背景の中で、エレン・G・ホワイトはこの生きた疑問を取り扱っています。この争闘の諸要素は、この教会のあらゆるリバイバルの努力に現れているものです。
この第3部は、エレン・G・ホワイト自身が参加した多くのリバイバルに応答した聴衆の様々な体験を提示して終わっています。これらは、福音宣教者達のために彼女の勧めを区分けした(1992年訳は誤訳)、魂を勝ち取ることに関しての[イエスの]指導を、彼女の働きにどのように取り入れたかを示す助けをしています。ミセスホワイトによって記録されたそれらの体験の多くは、主に、日記の形式で彼女の日毎の日誌に簡略に記載されています。彼女が一般の人々の反響のためのアピールとして、絵を描くようなその言葉の描写は、バトルクリークでの初めの数年に始まり、ヨーロッパとオーストラリアを経て、アメリカに戻るまで続いています。その記述内容には、確かに多くの重複が存在していますが、読者には、価値を証明する内容によって、読者の特別な関心を充分に満足させてくれるでしょう。――ホワイト遺稿管理委員会
16章 リバイバルの呼びかけ
1.この教会の大きな必要 [21]
私達の間での真の敬虔のリバイバルは、私達の全ての必要の中で最も急を要するもので、また、最大のものです。これを求めることは、私達の最初の働きになる必要があります。神が祝福を快く授けないからではなく、私達がそれを受け取る準備ができていないために、主の祝福を得るように熱心な努力をする必要があります。私達の天の父は、地上にいる親達がその子らによい贈り物を与えること以上に、主を求める人々に彼の聖霊を与えることを快くしています。神がその祝福を私達に与えることを約束したその条件を満たすことは、告白、へりくだり(1992年訳は誤訳「自尊心を取り去り」humiliation)、悔い改め、そして、熱心な祈りによる私達の働きです(1992年訳は誤訳「条件を満たすのは、私達がしなければならないことです」 But it is our work, by )。リバイバルは、祈りへの応答としてのみ期待される必要があります(1992年訳は誤訳「期待されるものです」 need be expected )。この教会の人々が神の聖霊を大きく欠如している間は、御言葉の説教を正しく認識できません。しかし、聖霊の力が人々の心に触れると、与えられた説教は効果のないままでは置かれないでしょう。私達の集会に参加し、聖霊の出現に伴って、神の言葉の教えによってガイドされた人々は、健全な洞察力のある体験によって、貴重な体験をするでしょう。また、家に戻って、健全な感化を及ぼすために準備されるでしょう。
古い標準に生きてきた人々は、祈りによって神と格闘(1992年訳は誤訳「相撲をとる」 it was to wrestle with God in prayer, and to enjoy the outpouring
of His Spirit.)することは、主の聖霊の注ぎを享受することだということを知っていました。しかし、これらの人々は活動の舞台から去りつつあります。誰が彼らの後を継ぐのでしょうか。それはどのようにして現れる世代ですか(1992年訳は誤訳「次世代の青年達はどうでしょうか」 How is it with the rising generation?)。その人々は神に対して悔い改めていますか。私達は、天の聖所で進んでいる特別な働きを自覚しているでしょうか。あるいは、私達が覚醒する前に、何かの強制的な力がこの教会に襲ってくるのを待っているのでしょうか。私達は、この教会全体(1992年訳は誤訳「全教会」。これではカトリックを含む全ての教会が含まれてしまいます。
the whole church)がリバイバルされるのを見ようと期待しているでしょうか。そのような時は、決して来ないでしょう(1992年訳は誤訳「決して来ないのです」 That time will never come.)。
この教会の中には、回心していない人々が存在しています。その人々は一般的な祈りにも、熱心な祈りにも加わらないでしょう。私達は、個人個人でその働きに入る必要があります。私達は、語ることを少なくして、祈ることをもっと多くする必要があります。罪悪が増しています。人々が、霊/精神と力のない敬虔の形式だけで満足しないように教えられる必要があります。私達が自分の心を探り、罪を捨て去り、悪い傾向を修正する決意があるならば、私達の魂は、虚栄心を張ることもないでしょう。私達の能力は神に属したものであるという考えにとどまって、私達は自分自身を信頼することもないでしょう(1992年訳は誤訳「心はうぬぼれにふくらむことなく、自己に頼らず、私達の満足は神にあるということを常に意識するようになります」 our soul will not be lifted up unto vanity, we shall be distrustful
of ourselves, having an abiding sense that our sufficiency is of God.)。
私達は、もっと、外側のことよりも内側のことを気遣いする必要があります。[聖霊を受ける]成功と[精神的な]能力[の獲得]を妨害するものは、この世の中以外にこの教会の中にはるかに多くあります。イエスに属する信仰(1992年訳は誤訳「イエスの証しを保つと」 the faith of Jesus)と、神の戒めを守ることを告白している人々に、期待する権利を持っている未信者達は、彼らの一貫した生き方によって、また、彼らの活動的な感化と彼らの敬虔な模範によって、彼らが表そうとしている[人類救済]目的(1992年訳は誤訳「み業」cause)を尊んで前進させることについて、ほかの層の人々よりももっと[期待]しているでしょう(1992年訳は誤訳「未信者達が期待するのは当然です」 Unbelievers have a right to expect that……,
will do[expect] more than )。しかし、なんとしばしば、真理を擁護していると告白した人々が、その前進を大きく阻んでいることを証明しているでしょう。しかし、不信が思い通りにされて、疑惑が語られ、[霊的な]無知の闇が好まれ、悪天使の臨在がけしかけられて、そして、サタンの手立てを成功させる道を開いています。
2.敵対者に扉を開く
魂の敵対者は、人間の考えを読むことを許されていませんが、しかし、彼は、鋭い観察者です。また、彼は、その言葉に注目しています。彼は、また、自分の力によって、彼らのいる場所の人々の事例に合わせて、彼の誘惑をうまく適合させて、行動の多くを収集しています。私達が、言葉や行動に表さないで人々に接して、罪深い考えと感覚を抑制するように努めるならば、サタンは、その事例に合うような特殊な誘惑を用意できないので、敗北させられるでしょう(1992年訳は誤訳「敗北します」 would be defeated;)。
しかし、なんとしばしば、クリスチャンだと告白している人々が、自己管理に欠如しているために、魂の敵に、その扉を開いていることでしょう。世俗の集団では恥となるような、激しい不和と分派でさえも、この教会の中に普通にあります。それは、悪い感情を抑制することやサタンが優位に利用できるあらゆる言葉を使うことについての自制があまりにも少ないからです。感情の行き違いが起こるとすぐに、その問題がサタンの点検の面前に拡散して、また、その機会が、この教会をだめにして分裂させて、彼のヘビのような知恵と技を利用するよう与えられています。全ての不和の中に大きな損失があります。両方のグループの私的な友人達がそれぞれの好意を持つ人の側につきます。こうして、仲違いの割け目が広がります。それ自身が分かれた家は立っていることができません。非難としっぺ返しは、非難を生み出し倍増させます。サタンとその天使達は、このように蒔かれたタネから収穫を確実にするための働きに活発的です。
世知に長けた人々は、これを見て嘲笑して「これらのクリスチャン達をほかの人がどれほど嫌っているかを見てください。これが宗教なら、私達はそれを欲しいとは思いません」と言っています。そして、その人々は、大いに満足した自分達の無宗教の特徴と自分達を見ています。このように、その人々は悔い改めないことがはっきりして、サタンは自分の成功を喜んでいます。
強力なだます者は、生きた信仰や絶えざる祈りによらず、試みに対して締め鍵がされず守られていない全ての魂のために自分の策略を準備しました。牧師として、クリスチャンとして、私達はつまずきの石を取り除くために働く必要があります。私達は全ての障害物を取り去る必要があります。主の道が備えられるように、主が私達のみんなの中に来て、主の豊かな恵みが与えられるように、私達は全ての罪を捨て去って告白しましょう。世俗、肉欲、そして、悪は、[私達によって]勝利される必要があります。
私達は、この世界の人々の友情を得ることによって、主の道を準備することができません。それは神に敵対しています。しかし、主の助けによって、私達はほかの人々や自分自身に魅惑的な感化を打ち破ることが可能です。私達は個人としても集団としても、敵の容赦ない徹底的で絶え間ない誘惑から自分を守ることはできません。しかし、イエスの力によって、私達はそれらに抵抗することが可能です。
「この人々は、ほかの人々以上に何をしているのですか」と尋ねられるようにならないために、この教会の全てのメンバーから確固とした光/知識がこの世界の人々の前に輝き出るでしょう。反論する人に機会が与えられないように、悪の現れの全てのひらめきと世俗の人々に迎合することをやめる必要があります。また、それは可能です。私達は、非難を避けることができません。それはやって来るでしょう。しかし、私達は、キリストのため[の非難]ではなく、自分自身の罪や愚かな行ないのために非難されないように、十分に注意する必要があります。
神の人々(民)があらゆる障害を取り払わずその方法[イエスの力]を明らかにしない時に、サタンはまったく恐れません(1992年訳は欠訳・誤訳「サタンは最も恐れています」 There is nothing that Satan fear )。そのため、悔い改めていない会衆と弱った教会に、主はその聖霊を注ぐことができません(1992年訳は誤訳「主が、弱っている教会と悔い改めていない教会員に聖霊を注ぐことがおできになるように、神の民がすべての妨げを取り除くことをサタンは最も恐れています」
There is nothing that Satan fears so much as that the people of God shall clear the way by removing
every hindrance, so that the Lord can pour out His Spirit upon a languishing
church and impenitent congregation,[so thatの前のコンマは、後の文が結果であることを表しています])。もしも、サタンが自分の方法を持っていたならば、世界の終わりまで、大小いかなる覚醒も決して起こることはないでしょう。しかし、私達は、サタンの策略について無知ではありません。彼の力に抵抗することは可能です。その方法が神の聖霊のために用意された時に、祝福はやって来るでしょう。サタンは、天の窓を閉じて雨を地に降らせることができないように、神の人々(民)に降る祝福の雨を妨げることはできません。もしも、彼らが、信仰を持って主の約束を求めて、自分達の罪を告白して捨て去り、悔恨の心で、従順を望むならば、悪人達と悪霊達は、主の人々(民)の集団から主の臨在を締め出すことや神の働きを妨げることができません。全ての誘惑と全ての反対する影響力は、現れているか隠れているかに関わらず、うまく抵抗されるでしょう。「権能によらず、権力にもよることなく、私の精神/霊spiritによって、と、ホスト役の主は言っています」(ゼカリヤ4:6 KJV)。
3.私達は贖いの日にいる
私達は、告白と悔い改めによって、私達の罪が以前から決まっていた裁きに行くためにある大いなる贖いの日にいます(1992年訳は誤訳「私達は、罪が告白と悔い改めによって先立って裁きの座に行く」 to go beforehand to judgment.)。神は、主の牧師達からの無気力で単調な証を受け入れていません。このような証は、現在の真理ではありません。この時代のためのメッセージは、神のこの教会を養うための時にかなった食物である必要があります。しかし、サタンはこのメッセージから段々と力を奪おうとしてきました。神の人々は、主の日に立つための用意がなされていないでしょう(1992年訳は誤訳「備えができないようにさせています」 that the people may not be prepared to stand )。
1844年に私達の大祭司は、調査審判の働きを始めるために、天の聖所の至聖所に入りました。死んだ義人の事例が、神の前の調査を通り過ぎました。その働きが完了すると、裁きは、生きている者達に宣告されるために存在しています。これらの厳粛な瞬間は、なんと貴重で重大です。私たち一人ひとりが天の法廷で、未解決の事例を持っています。私達は、個人の身体に(1992年訳は誤訳「この世で行ったこと」to the deeds done in the body.」)よって行なった行動によって裁かれるために存在しています。予表的な奉仕において、贖いの働きが地上の聖所の至聖所で大祭司によって執り行われる時、その民は神の前に自分達の罪を告白し、そして、その民は染みを消されて贖われるように、自分達の魂を悩ますように求められました。贖いの日のこの予型において、私達に求められて、キリストが天の聖所で主の民の味方として請い願っている時、最後の変更できない決定が全ての事例に宣告されるために存在しているのではないでしょうか(1992年訳は誤訳「キリストが天の聖所において、その民のためにとりなしておられる今日はあがないの日の実体であって、最終的な、変更できない決定が宣告されようとしているのです」 Will any less be required of us in this antitypical day of
atonement, when Christ in the sanctuary above is pleading in behalf of His people,
and the final, irrevocable decision is to be pronounced )。
私達の状態は、この恐ろしく厳粛な時に、どうでしょうか。残念なことに、この教会に、プライド(自慢の混じった自尊心)、偽善、欺き、ドレスへの愛着、軽薄、娯楽、至高の追求などが広がっています。これらの全ての罪が知性を曇らせたので、永遠の事柄が識別されなくなってしまいました。御言葉を調査研究しようとしない私達は、この世界の歴史のどの時点にいるかを知ることができるでしょうか(1992年訳は誤訳「聖書を調べて、私達が世界歴史のどこにいるかを知りましょう」
Shall we not search the Scriptures, that we may know where we
are in this world's history?)。この時代にいる私達のために成し遂げられている存在としてのこの働きについて知的にならない私達、また、この贖いの働きの間に惹きつけられている罪びととしての私達の立場は、前進していますか(1992年訳は誤訳「よく理解するようにしましょう」Shall ……is going forward?」)。私達が自分達の魂の救いのために何かを考えていたならば、私達は決定的な変化を作り出す必要があります。私達は真に悔悟によって主を求める必要があります。私達は自分の罪を告白して、それらが消しさられるように、魂の深い悔恨の必要があります。
私達は、もはや、呪文を掛けられたような状態にいる必要がありません(1992年訳は誤訳「状態にとどまっていてはなりません」 We must no longer remain upon )。私達は[1844年からキリストの至聖所での]自分達の調査期間の終了に急速に近づいています。私はどのように神の前に立つのかを、全ての魂は尋ねてみましょう(1992年訳は誤訳「神の前に、自分がどんな状態であるか、だれもが問うてみなければなりません」 Let every soul inquire, How do I stand before God?)。私達は、近いうちのいつ、私達の事例が最終的に決定されるか、キリストの口から私達の名前が呼ばれるかがわかりません。それらの決定は、どのようになるでしょうか。私達は義人と共に数えられるでしょうか。それとも、悪人と共に数えられるでしょうか。
4.起きて悔い改めるための教会
この教会は目覚めて起きて、[俗世間への]逆戻りを神の前に悔い改めましょう(1992年訳は誤訳「悔い改めねばなりません」 Let ……arise, and repent )。見張人は目を覚まして、トランペットの確かな響きを鳴らしてください。私達が宣べ伝えるために持っているものは確固たる警告です。神は、仕える者達に「遠慮しないで、大声で叫びなさい。汝の声をトランペットのようにあげて、ヤコブの家のその罪、私の民にその違反の罪を示しなさい」(イザヤ58:1 KJV)と命じています。人々の注目を得る必要があります。このことがなされ得ない限り、全ての努力は無駄です。天からの御使いが降りてきて人々に語ったとしても、その言葉は冷たくなった死人の耳に語っているようなもので、良いことを何もないでしょう。
この教会は活動するように[目覚めて]起き上がる必要があります(1992年訳は誤訳「活動を始めねばなりません」 The church must arouse to action.)。神の聖霊は、この教会が道を備えて初めて、やって来ることができます。[ですから]心を熱心に探る必要があります。神の約束を信仰によって求めて、たゆみなく祈り、一つとなる必要があります。昔のように体に荒布をまとうのではなく、魂を低くしてへりくだるようになる必要があります。私達は自画自賛と自己称揚のための理由を少しも持っていません。私達は、神の強い手のもとに謙遜になる必要があります。主は、慰めるために現れて、真理を求める者達を祝福するでしょう(1992年訳は誤訳「してくださいます」 He will appear to comfort and bless )。
この働きは、私達の前にあります。私達はそれに繫っているでしょうか(1992年訳は誤訳「私たちはそれをしているでしょうか」 will we engaged in it?)。私達は素早く働きをして、常に前進して当然です。私達は、主の大いなる日のために備えをしている必要があります。私達は、[無駄に]失うための時間を持っていません。また、利己的な目的のために費やす時間もありません。この世界の人々は、警告を与えられるために存在しています(1992年訳は誤訳「私たちはこの世界に警告を与えねばならないのです」 The world is to be warned.)。私達は個人として、ほかの人々に特別な光/真理をもたらすために、何をしていますか。神は、全ての人にそれぞれの働きを残しました。全ての人は、行動するための役割を持っています。そして、私達は、自分の魂の滅び以外にも、この働きを怠ることができません(1992年訳は誤訳「これをおろそかにすれば私達の魂も危険に陥ります」 and we cannot neglect this work except at the peril of our souls.)。
私の兄弟[姉妹]のみなさん、聖霊を悲しませて、聖霊を去らせる原因にしてもいいでしょうか。あなたは主の臨在のための準備ができていないために、祝福された救い主を閉め出すのでしょうか。あなたは、あなたのために負ったイエスの重荷を負わない方が良いとして、安易な方を好んで、特別な真理の知識なしに滅びる魂そのままにしておくのでしょうか。眠りから目を覚ましましょう。「身を慎みましょう。絶えず、用心深くしましょう。あなた方の敵、悪魔が食い尽くすことができる人を求めて、吠えるライオンのように歩き回っています」(1ペテロ5:8 KJV)。 『レビュー&ヘラルド』1887.3.22 [60歳]
5.改革が伴うリバイバル
多くの人々の心に、霊的な生命の息吹はほとんど存在していないように思われます。このことは私を悲しませています。私は、世俗や肉欲、そして、悪魔に対する積極的な闘いが続けられていなかった(1992年訳は誤訳「いないように」has not been maintained)ことを心配しています。私達は、半分死んだキリスト教、利己主義、世俗の貪欲な精神、そして、偽りに似た不敬虔の共有などに元気づけられるでしょうか。いや、むしろ、神の恵みによって、私達が持っている確信を初めから終わりまで堅く持ち続けて、真理の原則に堅く立ちましょう(1992年訳は誤訳「持ち続けましょう」 let us be steadfast to the principles of truth, )。私達は「務めに怠惰ではなく、霊/精神に燃えて、主に仕える」(ローマ12:11 KJV)ために存在しています。御方は私達の教師、さらに、キリストです。私達は彼を注意して見るために存在しています(1992年訳は誤訳「キリストを見つめて歩み」 To Him we are to look.)。彼から、私達は自分達の知恵を受けるために存在しています(1992年訳は誤訳「彼から知恵を得ましょう」From Him we are to receive our wisdom.)。私達は、彼のめぐみによって、この世界の人々に主を表して、悔恨と柔和をもって神の前に立って、自分達の高潔さを保つために存在しています(1992年訳は誤訳「キリストを世にあらわすべきです」By His grace we are to preserve our integrity, )。私達の教会では、説教が多く求められてきました。その教会員達は、主の聖霊よりも講談からの熱弁に頼っていました(1992年訳は誤訳「頼っています」 have depended upon )。招かれて利用されない、彼らに授けられる霊的な贈り物(賜物)は、弱くなって衰えてしまいました。その牧師達が新しい伝道地に出て行くならば、その教会員達が責任を負わなければならなくなるでしょう。すると、教会員の能力は使うことによって増すことでしょう(1992年訳は誤訳「増していくはずです」would increase.)。
神は、霊的な弱さについての激しい責めを牧師達と[教会の]人々にもたらしています。このように言っています。「私は、汝らの働きについて知っています。そなた達は冷淡でもなく、熱くもありません。私は、汝らが冷淡か熱いかであってほしい。汝らは関心がいい加減で、生ぬるく、冷たくないばかりか熱くもありません。私は、汝らを私の口から吐き出すつもりです」。続く言葉に注目してください。「なぜなら、汝らは言っています。私は豊かです。財産や所有物がたくさん増えました。私が欲しいものは何もありません。しかし、汝は、不幸で、かわいそう、見えず、裸であることを知っていません。私は、汝に、火で精錬された金を私から買うことを勧めます。汝は豊かになるでしょう。また、白い衣服、汝はそれを着るでしょう。汝の裸は現れないでしょう。目を癒す軟膏をかすんだ目に塗りなさい。汝は見えるようになるでしょう」(黙示録3:15-18 KJV)。神は、霊的なリバイバルと霊的な改革を求めています。これが起こらない限り、主が自分の子らとして認めることを拒絶するようになるまで、生ぬるい人々はますます主に嫌われ続けるでしょう(1992年訳は誤訳「ついに主は彼らを神の子としてはお認めにならなくなります」 Unless this takes place, those who are lukewarm will continue to
grow more abhorrent to the Lord, until He will refuse to acknowledge them as
His children.)。
リバイバルと改革が、聖霊の奉仕の働きのもとで、実行される必要があります。リバイバルと改革は二つの異なった事柄です。リバイバルは、霊的な死からの復活と、心と知性の力の活性化、霊的な生命が新しくされることを意味しています(1992年訳は誤訳「…復活することです」 Revival signifies a renewal of )。改革は、行動と習慣、理論と思想における一つの変化、一つの再編成を意味しています(1992年訳は誤訳「習慣や行動に起こる変化です」Reformation signifies a reorganization, a change in )。改革は、聖霊によるリバイバルにと結び付けられていなければ、義の実を結ばないでしょう。リバイバルと改革は、それぞれの委ねられた働きをするために存在しています(1992年訳は誤訳「それぞれ与えられた分野があります」……are to do their appointed work, and in )。そして、この働きを行なうことによって、それらは、溶け合う必要があります。
『レビュー&ヘラルド』
1902.2.25 [75歳]
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6.普通の働き手が用いられる(1992年訳は誤訳「単純な器が用いられる」。「器」では食器もふくまれます)
主が手段と方法の多様性を通して主の計画を遂行することを表した提示が私に送られました。魂の救済という主の壮大で聖なる働き行なうために主が用いる人々は、世俗的な見解の点で高等教育を受けた人々、あるいは、信頼のおける高い地位を占めている人々でも、最も才能のある一人でもありません(1992年訳は誤訳「主が…お用いになるのは、最もタレントのある人や重い責任の地位にある人、この世の考えで最も高い教育を受けている人々だけではありません」としているが、前者にはnot aloneがあるが、後者にはないので、髙谷訳では「だけ」を省きました。これは次の文がこの翻訳が正しいことを説明しています」 It is not alone the most talented, not alone those
who hold high position of trust, or are the most highly educated from a worldly
point of view, whom the Lord uses to do His grand and holy work of soulsaving.)。主は、一般の[信仰を持つ]人々を用いるでしょう(1992年訳は誤訳「神は単純な方法をお用いになります」He will use simple means.)。主は、主の働きを前進させる助けとして、僅かの有利な点を有していた人々をたくさん用いるでしょう(1992年訳は誤訳「お用いになるのです」)。主は、一般の[信仰を持つ]人々を用いることによって、土地や財産を所有している人々に特別な真理の信仰をもたらすでしょう。そして、彼らは、主の働きを進める助ける手となるように感化されるでしょう(1992年訳は誤訳「そして、彼らはみ事業進展の助け手となるのです」 and these will be influenced to become the lord's helping hand in
the advancement of His work.)。 『手紙』62, 1909 [82歳]
17章 新しい体験における予防手段
(1992年訳は誤訳「新しい体験を大事にする」Safeguarding the new
experience)
1.リバイバルに続いた霊的な争い [22]
バトルクリーク教会における神の聖霊の降下の後、大きな霊的光/知識が与えられる時は、また、霊的な暗黒/無知に同調する時でもあるということが、そのカレッジの中で証明されました。サタンとその代理をする人々はその陣地にいて、神が授けたそれ[聖霊]を与えるための行動の決意にエネルギー[を与えて]、眠った状態を目覚めさせて生き返らせるために天から来たその恵みの雨の効果を無くしようと、全ての魂に圧力をかけています(1992年訳は誤訳「眠っていた力が生き返らされ目覚めさせられたのは、その恵みを他に与えるために決定的な働きが為されるためでした。しかしサタンとその軍勢は、恵みの雨の効果を無効にするため、その場で一人ひとりの心に激しく働きました」 Satan and his legions of satanic agencies are on the ground,
pressing their powers upon every soul to make of none effect the showers of
grace that have come from heaven to revive and quicken the dormant energies
into decided action to impart that which God has imparted.)。その時に、光を照らされ啓発された多くの魂達は、神が正しい目的のために与えた、それ[聖霊]をほかの人々に与えようとすぐに働くために出かけたのであれば、もっと多くの光/真理が与えられて、もっと多くの力が授けられたことでしょう。神は、たった一人のために光/真理を与えるのではなく、人が光/真理を広めることができて、神が栄光を称えられるために与えています。その影響力を感じています。
全ての時代において、霊的なリバイバルと霊の降下の時期は、堕落の蔓延と霊的な暗黒/無知が続きました(1992年訳は誤訳「…霊的暗黒が続き、腐敗が広がりました」 …have been
followed by spiritual darkness and prevailing corruptions.)。この教会は、バトルクリーク教会における祝福と特権、そして、様々な機会の中で、神が行なったそれの報告の中身を捉えず、教会の働きによる名誉ある前進をしませんでした。そして、神の祝福は、神が主の言葉の中で指導したように、彼らがその光/真理を使用するまで、もっと光/真理をしっかりと前進させない限り、この教会にとどまらないでしょう(1992年訳は誤訳「…注がれないでしょう」 …will not rest upon )。明らかに識別される光の筋の中で輝くその光/真理は、道徳的な暗黒/無知のただ中で薄くなるでしょう(1992年訳は誤訳「…薄くなります」 …will grow dim )。神の真理の積極的な力は、ほかの人々の前に真理の光/知識を得るための、無私の努力と熱意と敬虔の中での、神と人間の助け手との協力に左右されています(1992年訳は誤訳「……は、敬虔と熱心と他人のために光を得ようとする人間の無我の努力があってこそ、与えられるものなのです」 The aggressive power of the truth of God is dependent upon the
cooperation of the human agent with god in piety, in zeal, in unselfish
efforts to get the light of truth before others.)。 『原稿』45, 1893 [66歳]
2.聖霊の働きと狂信を混同する危険
そのカレッジでの昨年の会議(1893)で、神の聖霊の動きについて、ある事柄を書いた物が私に送られてきました。それは、「それらの祝福は生活において実践されなかったために、人々の知性は混乱させられて、天から来た祝福の光/真理は[感情の]昂奮、と言われた」と、はっきり述べています。私は、この光/真理について、この内容の見解が持たれたために、悲しくなりました。私達は、主の聖霊の働きを狂信の一種だと言って、神の聖霊を悲しませないように、とても慎重になる必要があります。私達は、バトルクリーク教会の中だけではなく、多くの場所で現されなかったならば、神の聖霊が働いているのをどのようにして理解しますか(1992年訳は誤訳「理解していいかわからなくなります」 How shall we understand the workings …many
place?)。
私は、誰かがその成果の結末に混乱させられるだろう(1992年訳は誤訳「混乱したのは」 should be confuse )ということについて驚いていません。しかし、私の過去49年間の経験の中で、それらの事柄をたくさん見てきました。私は、神が目を見張るような方法で働いたことを知っていました(1992年訳は誤訳「知っています」 I have known that )。これは神の聖霊ではない、と思惑だけで言わないようにしましょう(1992年訳は誤訳「…とだれも言ってはなりません」 and let no one venture to say )。親達はその子ども達に良い贈り物を与えるために存在しているように、神は求める者達にもっと快く聖霊を与えるために存在しているので、[聖霊が与えられることを]祈って信じることは、私達が正当と認められていることで、正しいことです(1992年訳は誤訳「それは私たちが信じることを許され、そのために祈ること許されている事柄です」 It is just that which we are authorized to believe and pray
for, )。しかし、聖霊は人間の助け手に仕えて働くために存在しているのではなく、聖霊は人間の助け手を役立てて働くために存在しています。神は、そのカレッジの学生達とその教会を豊かに祝福しました。私はこれを少しも疑っていません。しかし、大いなる光/真理と聖霊の注ぎの期間は、大いなる暗黒/無知の時によって、通常、活気のない時が続きました。なぜでしょうか。なぜなら、かの敵が、隷従する人間に神の聖霊の強い動きの結果をないものにするために、彼のだましのエネルギーの全てを働かせているからです。
そのカレッジの学生達がフットボールやその他の試合に参加した時、娯楽の事柄に夢中になった時、サタンは、隷従人間を利用して、形成している神の聖霊の降下を無くしようとして、踏み込む好機を見ていました(1992年訳は誤訳「…悪魔が入ってきて、人間に影響を与え、神の聖霊の効果を無効にするよい機会としてしまいます」 Satan saw it a good time to step in and make of none effect the
holy Spirit of God in molding and using the human subject.)。その教師達がひとりの人に対して、自分達の義務を果たしたのであれば、また、その責任を自覚していたのであれば、さらに、神が彼らにその真理の愛を通して聖霊の清めによって与えた能力を用いたのであれば、彼らは、天に届いて伸びている梯子を上へと一段ずつ踏みしめて、神性の啓発と霊的な力を持ったはずでした。実際は、彼らは世俗の光/知識について行かず、その光の中を歩まず、正しく認識していなかったということが明らかです(1992年訳は誤訳「彼らは光を喜ばす、光の中を歩まず、この世の光に従ったのでした」 they did not appreciate or walk in the light or follow the Light of
the world.)。偶像から離れること、もてあそびと冗談をやめること、聖霊の感化は、たやすい内容です(1992年訳は誤訳「おしゃべりをしたり遊んだりして、み霊の感化を無効にすることはたやすいことです」。おしゃべりも遊びも悪いことではないでしょう。It is an easy matter to idol away, talk and play away, the Holy
Spirit's influence.)。光の中を歩むことは、光/真理の指導の方向に動き続けるように存在していることです。もしも、祝福された人が怠惰や不注意になり祈らず目を覚ましていないならば、また、キリストのくびきを負わず十字架を担わないならば、さらに、その人の娯楽と支配に傾倒する愛が自分の力や能力を使い尽くすならば、その時、神は、全てのことにおいて、第一にも最善にも究極にもされなくなります。そして、サタンは、その人の魂のための命のゲームをもてあそんで自分の役割をするために、その中に入ってきます。彼は、人々が戯れる以上に、熱烈にもてあそぶことと、魂を滅ぼすために細かく練った構想を作ることができます。…
バトルクリーク教会での神の霊の働きのその後の結果は、狂信が理由ではなく、祝福された人々が、暗黒/無知から逃れ出ず、驚くべき光/知識の中へと呼びだした主への賛美を表さなかったことが理由でした。そして、人々はその聖霊が人々に注がれたことを誤解していて、間違って適用したので、この地上は神の栄光によって明るく教化された時に、ある人はそれがどこに存在しているか、そして、それが来た時を知らなかったでしょう。神は、自身の栄光についての神、ねたむ一人です。主は、主を尊ばない人々を尊ばないでしょう(1992年訳は誤訳「尊ばれません」 He will not honor )。その光に生きている人は、人々が光/真理を受けた後で、光の中を歩むように、経験の若い魂達を教えるという義務がありました。私は時間があったらもっと書きたいのですが、時間がないことを悲しんでいます。『手紙』58, 1893 [66歳]
3.祝福を失う安易な方法
(1992年訳は誤訳「祝福を失うやさしい方法」Easy ways to lose the
blessings)
何かの事柄が、この頃、強い力を伴って私の知性に訴えかけました。私はそれら [23]の内容を書くように、神の聖霊によって駆られているように感じています。主はあなたに天の窓を慈悲深く開示して、あなたに祝福を注ぎましたか(1992年訳は誤訳「主はあなたに恵みを与え、天の窓を開いて祝福を与えてくださいました」 Has the Lord graciously opened to you the windows of heaven and
poured you out a blessing?)。それは、ほかの人々のために送られた貴い光の筋と、増した光と調和して働くことによって、教師達と学生達に神の貴い好意を記憶する方法を教育するための絶好の時間でした(1992年訳は誤訳「今こそ、……教えるべき時です」 Then, that was the very time to educate )。天の光/真理は与えられたのですか(1992年訳は誤訳「天の光が与えられたのです」 Has Heaven's light
been given?)。それが与えられた目的は何でしたか。その光/真理は義を働く行動となって輝き出ることでした。主の救いの衣を着せられて、神の子羊の貴い血によってもたらされたという考えを持って、豊かに祝福された人々は、より深い熱心な敬虔が見られるでしょう。その人々はキリストを代表していないのですか(1992年訳は誤訳「キリストをあらわしているのです」 will they not represent Christ?)。
ボクシングのグラブを使って報酬のために試合に臨むことは、サタンの属性の能力に導くために彼の指導に倣った訓練と教育をしていたのではありませんか。私に表されたように、彼らがイエスを見ていたのであれば、悲しみのうちに彼らを見ているカルバリーの人、イエスの何を見ていたのですか(1992年訳は誤訳「カルバリの人キリストが、彼らを見て悲しんでおられるのを見たら、彼らはどう思うでしょうか」 What if they could see Jesus, the Man of Calvary looking upon them
in sorrow, as was represented to me.)。事は、確かに悪い形を受けていて、恵み深く授けられた神性の力の働きを妨害しています(1992年訳は誤訳「働きに対抗しています」 are counteracting the work )。全ての真のクリスチャンの働きは、永遠と神の考えに無関心で不注意な人を強いるために、神に献身するよう感化と言葉によって、また、道徳の標準を高めるため、さらに、光/真理を反映するために、そして、キリストを表すために存在しています(1992年訳は誤訳「…クリスチャンの働きは、…考えさせることです」 The work…is to represent Christ, to reflect
,to elevate…,to compel…,to
think …。「働きは、…ことです」は不適切な日本語です)。世俗の人々は、彼らの考えから永遠のことを喜んで捨て去るようです。しかし、彼らは、実生活でキリストを表す人が存在している限り、うまくいかないでしょう(1992年訳は誤訳「限り、彼らは永遠のことを忘れて過ごすことはできないのです」 but they cannot succeed )。
全ての信者達は、イエスキリストに魂を結ぶ黄金の鎖で繋がれた形をしています。そして、闇/無知の中にいる人々の光/知識として、コミュニケーション/伝達の通信回路です。人がキリストとのその繋がりを失ったままにされると、サタンは、活動と霊/精神と言葉によって、キリストを敬わないように導く機会を捕えています(1992年訳は誤訳「サタンはその機会をつかんで、言葉や感情や行動でキリストを辱めるように導きます」Satan seize the opportunity to lead him to dishonor Christ by words,
by spirit, by action, 」)。そして、このようにして、キリストの品性は誤解されています(1992年訳は誤訳「誤解されるのです」 Christ's character is misinterpreted.)。私の兄弟、イエスキリストの宗教は、娯楽について、過度に誤解されないものですが、私はあなたにお尋ねします(1992年訳は誤訳「イエスキリストの宗教は、過度の娯楽にふけると正しく理解することができなくなります」 I ask you, my brother, if the religion of Jesus Christ is not by
the excess of the amusements misunderstood.)。主がバトルクリーク教会に豊かな恵みを与えた時、責任のある人々の中に、学生達の試合によって理由付けられた動機と興奮よりほかに、彼らの学びに変化を与えるような有用で良い働きをして、与えられた資質を向上させるための方法として、それらの魂に指導できたはずの人はいました(1992年訳は誤訳「そうすれば、与えられた賜物を向上させることができたはずです」)。そうですね。この気晴らしの類は、学生達が間もなく入ることになる試練の場面のための備えの手段や精神や知性を向上させていないでしょう。宗教のための時代遅れの表面的な敬虔は、燃える炉の中で試みられる時に燃え尽きてしまうでしょう(1992年訳は誤訳「燃え尽きるのです」 will be consumed )。
主は、自分自身の模範の影響力を考慮した教師達を持っているはずです(1992年訳は誤訳「主は、教師達が自分の模範の影響について考えることを求めておられます」 The Lord would have the teachers consider the contagion of their
own example.)。彼らは、「生きている堅固なキリスト教信仰や、信心深い生活態度と整えられた生活からあふれ出る確信は、主がその光線によって癒しを持ってくる時の義の太陽によって、良い実を収穫するために蒔かれた真理の種のために、心の庭園を用意されることだ」ということをもっと深く考えて、もっと多く祈る必要があります。「人々があなた方の良い働きを見て、天に存在しているあなた方の父の栄光」(マタイ5:16)、あなた方の義を人々の前に輝かせましょう。キリストは、弟子達に「汝らは地の塩として存在しています。しかし、もしも、その塩が味をなくしてしまったら、どうしてそれが塩であり続けるでしょうか。その時から、それは良いものではなく、投げ捨てられ、人々の足で踏みつけられるために存在します」(マタイ5:13)と言いました。この教会は、信仰深さを告白することではなく、品性と生活における真理の力による清めと、改変力の現れによって、世界の人々を照らすために存在しています。……
試合やgames熱狂funで若い人を教育しているこの時代は、全体的に見て争闘がやって来るしるしが満ち過ぎています。
4.光/真理が闇/無知の状態になる危険
主は、あなた方に主の聖霊の注ぎをするためにへりくだりました。あるキャンプミーティングで、また、私達の様々な施設で、大いなる祝福が雨のように注がれました。あなた方には、天からの力と真理と光/真理のメッセンジャーの訪問を受けました。神がこのようにあなた方を祝福したのは不思議なことではないでしょう。キリストは自分のために選んだ人々をどのように配下に置くのでしょうか。それは、御言葉を通した聖霊がその人の知性に語り掛けて、人々の心に真理を印象付けているので、主の聖霊の力によってです。主の十字架の前に、キリストは、その弟子達に慰め主を送る約束をしました。キリストはこう言いました。「私が去っていくことはあなた方に益なことです。私が去って行かなければ、慰め主はあなた方の所に来ないでしょう。私が分かれていくならば、あなた方に彼を遣わすつもりです。そして、彼がやって来る時、義と裁きについて、罪の世界の人々を戒めるでしょう。……真理の聖霊が来る時、あなた方をあらゆる真理に導くでしょう。聖霊は自分自身について語るのではなく、まったく、彼が聞くこと、語ること、やがて訪れることをあなたに示すでしょう。彼は私に栄光を与えるでしょう。彼は私のものを受けて、それをあなたに示すでしょう」(ヨハネ16:7,8, 13-15 KJV)。
神の霊の欠如、律法の霊的な欠如、律法の永遠の有効性が理解されなかったために、キリストのこの約束は僅かにしか果たされませんでした。キリストを愛することを告白した人々は、神と聖霊の間に存在している関係性を理解していませんでした。彼らが理解していることは、かすかな概略だけです。彼らはこの世界の人々の救いのために一人息子を与えている神の驚くほどの恵みをわずかだけ理解しています。彼らは、聖なる律法が求めている範囲や、実生活にもたらされるためにある律法の指針の身近さを理解していません。彼らは、キリストの言葉を行なうこと、悔い改めと祈りが必要であることと、大いなる特権に気づいていません。神が受け入れる献身の特徴を人の知性に現すことは聖霊の務めです。聖霊という代理者を通して、[人の]魂は光を受けて教化され、そして、品性が新たにされて、清められ、高められています。
神の聖霊の深い感動を通して、神の聖霊の訪問の働きに関する特徴が私の前に開示されました。私は、このような聖霊の訪問を受けた人に起こる魂の危機について、自分の前に開示された[幻]を持っています。[聖霊の訪問の]後で、彼らはかの敵の激しい襲撃に立ち向かって当然なので、その人々は神の聖霊の働きの効果を無きものにする、かの敵の誘惑の圧力にさらされるでしょう。また、重大な真理が聖霊によって証をされ提示されたという話では、天の光/真理を受けた人々を清くも聖化にもしないでしょう。また、このような話では、キリストは人々の中で栄誉を与えられないでしょう(1992年訳は誤訳)。
霊的な光を[受けている]大いなる期間は、その光が厳粛に行動に移され心に持ち続けられないならば、ひどい霊的な暗黒/無知に同調していた時に戻るでしょう(1992年訳は誤訳「時となります」will be turned into)。神の聖霊によって生じた特別な印象は、人々がその神聖な印象を心に持ち続けず聖なる領地を占めないならば、その人の知性から消え去るでしょう(1992年訳は誤訳「消えてしまいます」 will fade from the mind.)。
霊的な知識に成長したい人々は、神に属する源泉のそばに立って、彼らのために開かれた恵み深い救いの井戸から何度も飲む必要があります。元気を回復させる源泉から決して去ってはいけません。神に属する情熱と敬虔を表す愛と謝意で心を膨らませて、生きている水にあずかり続ける者となる必要があります。
「私は世界の人々の光です」「私は特別な命のパンです。私の所に来る人は決して飢えることがないでしょう[なんでも満たされるので]。私を信じている人は決して渇くこともないでしょう」(ヨハネ8:12, 6:35 KJV)。この言葉は、全ての魂に多くの意味を持っています。この状態に届くことは、あなたの魂のためにそれらを適用し続けることによって、神の約束を利用することができて、あなたが補給されうる方法と時を学んだ、愛と光の源を見つけたということを意味しています(1992年訳は誤訳)。
「私は、あなた方に言いましたが、汝らは私を見ていたのに、信じようとしません」(ヨハネ6:36 KJV)。このように、主は彼らに愛と情熱と憐れみについて、主の品性によって、真理への深い洞察力を与えました。また、その後、このように光で明るくされ教化された存在でありながら、彼らは不信仰によって、主から去って行ったので、多くの人々に文字通り実現しています。彼らは、神の聖霊の強い感動を見たのですが、サタンの狡猾な誘惑が来た時に、リバイバルの期間の後にいつも訪れるように、罪と戦わず、血を流すような抵抗もしませんでした。自分達が得た貴い光を正しく用いれば有利な立場に立てたはずの人々も、敵に征服されてしまいました。彼らは、神が彼らに与えた光をほかの人々の魂に反映したはずでしたが、また、彼らは、聖霊の神聖な現れと調和して行動して働いたはずでしたが、そのようにはしないで、喪失の痛手をこうむりました。
5.ゲームに凝って霊的勝利を失う
その学生達の間に戯れと大騒ぎの精神が甘やかされるようになりました。彼らの知性から主が閉め出されて、彼らは試合をすることにとても関心を持つようになりました(1992年訳は誤訳「追い出しているのです」 They become so interested in praying )。そして、主は、試合中のグランドのあなた方の中に立って、「汝らでさえ、少なくとも汝らのこの日に、汝らの平和に属する事柄」(ルカ19:42 KJV)「汝らはまた私を見ていたのに、信じません」(ヨハネ6:36)を汝らは知っていました、と言っています。そうです。キリストがあなた方に自分を現して、あなた方の心に聖霊が感動させた時に、強い印象が与えられました。しかし、あなた方は、これらの聖なる印象を失うような道に進んで、勝利を続けることにしくじりました。「父が私に与える人々はみな、私のもとに来るでしょう。私のもとに来る人を、私は一人も追い返さない流儀です」(ヨハネ6:37)。あなた方はキリストのもとに来始めたのですが、キリストの中にとどまりませんでした。あなた方は彼を捨てたので、その実、主があなた方に与えて、あなた方が得た大いなる好意と祝福は、あなた方の心の中から失われてしましました。娯楽の事柄があなた方の知性の場所を広く占めたので、神の霊/精神が厳かに訪れた後で、熱心な話し合いに入っていたならば、全ての障害は取り除かれていました。あなた方の試合への情熱を通して、キリストの言葉を心に留めるのを怠りました。「誘惑に陥るといけないので、汝らは、目を覚まして、祈りなさい」(マタイ14:38 KJV)。イエスによって占められて当然の場所は、あなた方の試合への情熱に横取りされてしまいました。あなた方は、聖霊の慰めではなく自分の娯楽を選んでいます。あなた方は、「私が天から降りて来たのは、自分自身の意思を行なうためではなく、私を遣わした御方の意思を行なうためです」(ヨハネ6:38 KJV)と言ったイエスの手本に倣っていません。
多くの人々の知性は自分の人間的な欲望と傾向に惑わされていて、彼らはそれらを甘やかす習慣を続けてきたので、御言葉の真の意図を理解できていません。世俗の人々が甘やかしている楽しみや豪華さを避けることを求められているので、多くの人々は、キリストについて行くと、陰鬱で楽しみのない生活が義務付けられているのだろうと考えています。生き生きとしたクリスチャンは、見えない主を見ているように生きているので、平安と快活さに満たされているでしょう。キリストの真の品性の中に主を求めている人々は、彼らの中に永遠の命の要素を持っています。彼らは、強い欲望を通してこの世界に存在している滅びを逃れて、神性の性質にあずかっている者達です(1992年訳は誤訳「性質に与り、……腐敗を逃れているからです」They are partakers of the divine nature, having escaped …)。イエスはこう言いました。「私を遣わした父の心は、私に与えられたすべの人々を一人も失わないで、終わりの日によみがえらせることです。また、これは、私を遣わした神の意思です。神を信じ、その息子を見る全ての人々は永遠の命を持っているでしょう。そして、私は終わりの日にその人をよみがえらせるでしょう」(ヨハネ6:39,40)。
6.神の子らは神の同労者
全ての霊的な命は、イエスキリストに由来しています。「彼を受け入れた多くの人々に神の子らとなる力を与えました」(ヨハネ1:12)。しかし、神の子となっている結果としての確かな証拠は何でしょうか。その結果は、神と共に働く者になっていることです。キリストイエスにある信仰によって支えられた命へと、不信仰からほかの人々を勝ち取るために、また、あなたを資格ある者とするために(1992年訳は欠訳・誤訳)、さらに、あなた自身の魂の救いのためになされる、一つの偉大な働きがあります。
「確かに、たしかに、私はあなた方に言っておきます。私を信じる人[思い付きの信仰ですか? いいえ、魂を清めて愛によって働きにとどまる信仰です]は、永遠の命を持っています。私はその命のパンです。……私は、天から下ってきたその生きているパンです。誰でもこのパンを食べるならば、永遠に生きるでしょう。私が与えるそのパンは、この世界中の人々の命のために私が与える私の肉です。……汝らは、人の子の肉を食べその血を飲むこと以外、汝らはあなた方の中に命を持たないでしょう。私の肉を食べ、私の血を飲む人は、永遠の命を持っています。そして、私は、終わりの日に彼をよみがえらせるでしょう。人を活気づけるものは霊/精神です。肉は役に立ちません。私があなた方に話す言葉は精神です。そして、その言葉に命があります。しかし、あなた方の中にはそれを信じない人がいます。イエスは初めから、誰が彼を裏切るか、誰が信じないかを知っていました。そして、彼は言いました。それだから、私はあなた方に言いました。私の父に属する人として与えられた人を除いて、私の所には一人も来ることができません」(ヨハネ6:47,48,51,53,54 63-65 KJV)
イエスがこれらの言葉を語った時、彼は権威と確信と権能を持って語りました。時々、彼は、主の聖霊の強い感動がはっきりと理解される方法で自分を現しました。しかし、その時の祝福を見聞きし、それにあずかった多くの人々は自分の道を歩み、間もなく、イエスの与えた光/真理を忘れてしまいました。
永遠の宝は、イエスキリストの意思によって誰にでも与えられるように、彼に属する保管物として委ねられました。しかし、多くの人々がキリストにある信仰(1992年訳は誤訳「キリストに対する信仰」 faith in Jesus )を通して与えられる貴い恵みをすぐ見失ってしまうのは悲しいことです。キリストは、彼を信じ、彼を見上げ、彼に繫がっている人々に天の宝を与えるでしょう(1992年訳は誤訳「与えてくださいます」He will impart the )。彼は神と等しくあることを失わないように考えました(訳者加筆。ピリピ2:6は口語訳ではHe thought
it not robbery to be equal with Him.「神と等しくあることを固守すべきとは思わず」と訳されています。もしも、キリストが完全な人間になったら天の宝を与えることは不可能になります。[rob]には「失う」という意味があります。『セレクテッドメッセージ』第1巻後編
第33章 受肉――キリストの性質、の中で、E.ホワイトはKJVの「キリストは神の姿formで存在していましたが、神と等しくあることを失わないように考えて、[なおかつ]、自分の信望をなくして、奉仕者の姿を取って、人間のようになりました」(ピリピ2:6 KJV)を引用して、キリストの神性と人性の関係を説明しています。彼女は、彼が人性を取った時に神性を失わなかった、とういうことを説明するためにKJVのこの聖句を引用しています)。そして、彼は、その意思によって天の宝を授けることを抑制することなく際限のないことを知っています(1992年訳は誤訳「天の宝をお与えになります」 He knows no restraint nor control )。彼は、もてはやされ称賛されているこの世界の偉大な人々を重んじず大切にしていません。しかし、彼は、主に奉仕して愛する特殊な人々、すなわち、主が選んだ人々に彼のもとに来て求めるよう、呼びかけています。彼は、命の水を彼らに与え、命のパンを彼らに与えるでしょう。その水は、永遠の命が湧き出る良い水として、彼らの中に存在するでしょう(1992年訳は誤訳「永遠の命に至るのです」 which
shall be in them as a well of water springing up unto everlasting life.)。
イエスは、神の豊かな宝を私達の世界に持って来ました。そして、彼を信じる者をみな、彼の継承者として繫いでいます。イエスは、彼の御名のために苦しむ者の報いは大きいであろうと言いました。「目がまだ見ず、耳がまだ聞かなかった、人の心に入らなかったことを、神は主を愛する者達のために備えました」(1コリント2:9)。 『レビュー&ヘラルド』1894, 1.30 [67歳]
7.その祝福は大切にされたか(1992年訳は誤訳「呪いとなった祝福」 Was the blessing cherished?)
私達の霊的な資質を増し加えるためには、光/真理の中を歩む必要があります。やがて訪れるキリストの大事件eventを考えて、私達は、ほかの人々に花婿の来臨に備えをする必要を勧めるために、自分の魂の備えをするために、ランプの芯を整えて火を灯して警戒して働きをしている必要があります。見張ることと働きをすることは、信仰と働きが一致している必要があるように、共に進める必要があります。さもないと、私達の品性は、キリストイエスにある完全/成熟やよく調和した、均整の取れたものにならないでしょう(1992年訳は誤訳「完全なものとなりません」 will not be symmetrical and )。
私達が、自分の生活を瞑想の祈りに充てるべきだとすると、私達の光/真理は薄暗くなっていくでしょう。光/真理は、ほかの人々に与えることができるように、私達に与えられているからです。私達が光/真理を与えれば与えるほど、私達自身の光/真理は輝くでしょう。私達が熱狂を現すことができるものがこの世界に何か一つあるとすると、それは、キリストの死による、人の魂の救いを求めることを現すことでしょう。この種の働きは、個人の清い祈りを疎かにする理由にならないでしょう(1992年訳は誤訳「決しておろそかにしません」will not cause us to neglect )。「務めに怠惰になることなく、精神/霊に燃えて、主に奉仕して」(ローマ12:11 KJV)という奨励が私達のために与えられています。
神の栄光に片目をつぶるということは、「神の栄光のための全ての考えを封じてしまうこと、また、あなたの意思が神の意思を従わせること、さらに、あなたの心によって成し遂げた働きを示すこと」の意図の問題点に目をつぶることを意味しています(1992年訳は誤訳「神の栄光に目を注ぐというのは、ただ一つの目的を持ち、あなたの心の中になされた業をあらわすことです。すなわち、あなたの意志を神の意志に従わせ、全ての考えをとりこにして神の栄光を求めることです」 To have an eye single to the glory of God means to
have singleness of purpose, to show forth the work that has been wrought
in your heart, that subdues your will to the will of God, and brings into
captivity every thought to the glory of God.」)。
([an eye single](片目をつぶる)の意味について訳者の加筆。『セレクテッドメッセージ』第3巻 p.275に同じ言い回しがあって、それは否定的な意味を表す文脈で使用されています。「獣脂にみたされたパイの皮やケーキを食べ、そして、神の栄光に片目をつぶってthen
eat with an eye single to God's glory.それを食べる時、人々は、その上に神の祝福をどのように求めることができるでしょうか。私達は何事も神の栄光のためにするように命じられています。私達は、神の栄光のために食べ、飲む必要があります」。
(前文に続いて)世界の人々は、バトルクリーク教会員達と[レビュー&ヘラルド]出版所の事務所の人々、[バトルクリーク]サナトリウムの人々、[バトルクリーク] カレッジの人々に訪れた、リバイバルの働きのその後の影響力があるかを見ようとあなた方に注目しています。あなた方は、自分の品性と日常生活においてどんな証をしていますか。
主は、あなた方がみな、主の恵みの才能を通して与えた特権と光/知識によって、自分の栄光を称えて満足して喜ぶのではなく、あなたの方法において主の栄光を称えて主に返して、最善を尽くすことを期待していました。主は、あなた方に、キリストの恵みの力に属して、この世界の人々に生きた証をするために、天来の知者達の前で証をするようにと期待していました。あなたが主の豊かな祝福を安価で軽々しいものとして扱うか、それとも、それを豊かな宝として畏敬の念をもって敬って対処するかを見るために、主はあなたがたを試しました。全ての人々がこの方法で神の贈り物を扱ってきたならば、――その働きは神に属していたものなので――それぞれの人の責任の重さによって、与えられた恵みは、主人のお金を賢く増やした人にあった才能のように、倍加したことでしょう。
8.呪いとなった一つの祝福
神は、貴い祝福を彼らが主の指導に属するものとして、どのように役立てるかを見て明らかにするために、主の人々の忠誠を試みていました。この祝福は、天の法廷における私達の仲保者・擁護者から来たものです。サタンは、その光/真理と祝福を闇/無知と呪いに変えようとして、自分のために開かれたどのような道からでも入るための用意をしていました(1992年訳は誤訳「呪いに変えようとしています」Satan was ready to enter )。どのようにして、祝福が呪いに変えられるのでしょうか。それ[光/真理]がその人の品性の変容に効果があったことを世の人々に表さなかったことによって、あるいは、人間の働き手がその光/真理を大切にしないようにさせることによってです。聖霊に満たされる時に、その人間の働き手は、神性の働き手達と協力するために、その人自身を捧げて献身しています。その人は、キリストのくびきを負い、自分の重荷を担って、貴い勝利を得るためにキリストの線列で働いています。彼は、キリストがその光/真理の中に存在しているように、光/真理の中を歩んでいます。御言葉はその人に満ちています。「私達はみな、ベールを取り除かれた顔で、ガラスの鏡の中に主の栄光を見ているように、主の聖霊によって、栄光から栄光へと同じかたちに変えられています」(2コリント3:18 KJV)。
今、もう一方の1年が、精神的な重荷を記録に残して永遠のかなたに過ぎて行きました。あなた方の上に、天から輝いた光/真理は、主の戒めを守っている人々(民)として、世界の人々に神への賛美を表すように、また、輝いて現れるように、あなたを用意するために存在していました(1992年訳は誤訳「光は、…立って輝くためでした」 the light …was to prepare you to)。あなた方は、生きている証人となるために存在していました。高潔で清い品性の特別な努力が無くて、世界の人々の前に証を生み出さなければ、また、今日の一般教会に見られている以上の多大な努力がなされていなかったならば、神の名は崇められませんでした(1992年訳は誤訳「あがめられません」 has not been honored,)。そして、主の真理は、大いなる光/真理を受けた人々によって神性の信任を表すことがなくて、世界の人々の前にほめたたえられませんでした(1992年訳は誤訳「[あなたは]また、明らかにすることはできません」 and His truth has not been magnified )。もしも、その人々が、昔のイスラエル人が行なったように、立って戯れ、飲み食いすること以外に神の力の現れの真価を認めないならば、主は、どうして、[聖霊の]豊かで貴重な出現としての主の人々(民)を信頼することができるでしょうか(1992年訳は誤訳「豊かな愛をお示しなることができるでしょうか」 how can the Lord trust His people with )。もしも、その人々が、神の意思の知識をほとんど全て尊敬しているのと反対に、主の前に自分達の道が堕落して、プライド(自慢の混じった自尊心)と野心によって、利己的で軽率、不注意が見られ、じかに行動するならば、主は、どのようにして、もう一つ別の聖霊の降下を彼らに与えることができるでしょうか。
神は、主の人々(民)のために豊かな祝福を持っています。しかし、主は、彼らが、闇/無知から呼び出して、素晴らしい光/真理の中に呼び出した主への賛美を表して、貴い贈り物の扱い方を知るまで、それを授けることができません。「そういうわけで、私達は非常に多くの証人達に囲まれて、見られているのだから、簡単にまとわりついてなす罪と、全ての重荷を降ろしましょう。また、神の玉座の右に就いて、恥をいとわないで、十字架に耐えた彼の前に置かれた喜びのために、私達の信仰の創始者であり完成者であるイエスを見つつ、私達の前に置かれているレースを忍耐して走り抜きましょう」(ヘブライ12:1,2 KJV)。キリストの前に置かれた喜びの一部は、主につく者達の品性と生活に主のかたちを印象付けて、主の真理が絶大な力を持っている聖霊の力と腕を組む喜びを見ることでした(1992年訳は誤訳「喜びの一部は、……ご自分のかたちを刻みつけることでした」 was the joy of seeing )。
神性の知者達は、人々が律法を称揚してそれを尊重することを求めるように、人間の働き手達と協力しています(1992年訳は誤訳「天使たちは、人間と協力して律法を大いなるものとし、貴いものとします」 Divine intelligences cooperate with human agencies as they seek to magnify
the law and make it honorable.)。主の律法は、完全で、魂を改心させています(1992年訳は誤訳「生き返らせます」 The law of the Lord is perfect, converting the soul.)。この世界の人々が生きた証を見ているのは、その改心した魂によってです。それから、天の主は働くための余地を持っていますか。また、主は真理を信じていると言っている人々の心の中に一つの場所を見出していますか。主の聖なる無私の慈しみは、人間の働き手からの応答を待っていますか(1992年訳は誤訳「得て」meet )。この世界の人々は、主の弟子であると告白している人々の品性によってキリストの栄光が現れるのを見ていますか。キリストは、人間の働き手達から真理と善意の流れの注ぎ出や、主の愛と共感を見ることによって、栄光を讃えられ好意を持たれていますか。主の福音を人の心に植え付けて、主は、この世界の人々を祝福するために天の資源を注ぎ出しています。「私達は神の同労者です。汝らは神の家令であり、汝らは神の建物です」(1コリント3:9 KJV)。
神の豊かな祝福は、それを受けるために心の中が謙遜で悔恨だった人のために何をしたのですか。その祝福は大切にされましたか。祝福を受けた人々は、闇/無知から素晴らしい光/真理へと呼び出した主に賛美を表しましたか。もっと高く評価されるべき、とても良いものだったその働きにすでに疑問を抱いている人々がいます。人々は、それを一種の狂信として見ています(1992年訳は誤訳「人があります」There are some who are。日本語では「物がある」と「人がいる」と区別します。服部四郎という日本語研究者は、日本語以外にこの区別をする言語を知らないと書いています。ただし、和歌山県の南部(みなべ)、千葉県の一部ではこれが逆転しています。
9.とても注意深くしてください
知性にバランスが取れていないのに、無分別に語ったり行動したりした人がいなかったとしたら、それは驚きでしょう[行動する人がいる可能性がある、の意味](1992年訳は誤訳。「バランスのとれた考えを持たないで、無分別に語ったり、行動したりする人がいても、不思議ではありません」[必ず行動する人がいる、の意味] It would be surprising if there were not some, who,
not being well-balanced in mind, have spoken and acted indiscreetly.)。それは、主が、本物の祝福を与えて働いている時はいつでもどこでも、神の真の働きの効果を無きものにするために、一つの偽者が現れているからです。ですから、私達は、神の前に心を低くして歩んで、とても注意深くしている必要があります(1992年訳は誤訳「心を低くして歩み、……区別することができなければなりません」 we need to be exceedingly careful, and walk )。また、私達は、狂信と狂暴な乱行をもたらすようなその霊の働きと、神の聖霊の働きを見分けることができる霊の目薬を塗ることができるでしょう(1992年訳は誤訳「区別することができなければなりません」 we may have spiritual eyesalve that we may distinguish )。「あなた方は、彼らの実によって、彼らを知るでしょう」(マタイ7:20 KJV)。本当にキリストを見ている人々は、主の聖霊の働きによって、主のかたちに変えられるでしょう。また、キリストイエスにある男性と女性のまったき資質に成長するでしょう(1992年訳は誤訳「イエスキリストにあって成長し、一人前の男女となります」 will grow up to the full stature of man and women in Jesus Christ.)。神の聖霊は人々に愛と純潔の霊感を与えるでしょう。また、高潔さがその人々の品性に現されるでしょう。
しかし、ある人々が、天の豊かな祝福を誤って用いていたために、ほかの人々は、世界の人々の救い主、祝福するためにきたイエスが私達の教会を素通りしたことを否定しているのではありませんか(1992年訳は誤訳「…他の人々は、世界の救い主であるイエスが私達の教会に来られたことを否定し、祝福を与えられたことを認めようとしません」shall others deny that Jesus, the Savior of the world, has passed
through our churches, and that to bless?)。こうした疑問について、不信と疑いをやめましょう(1992年訳は誤訳「持ってはなりません」Let not doubt and unbelief question this,)。そのようにすることによって、あなたは危険な地に踏み入っています。神は、天の贈り物を受け取るために心の扉を開けていた人々に聖霊を与えました。しかし、信じた後で、自分達はだまされていた、という誘惑に心の扉をあけ放たないようにしましょう(1992年訳は誤訳「誘惑に陥ってはなりません」But let them not yield to the temptation )。「私は暗黒/憂鬱に感じて、疑いに圧倒されて、今のように現されたサタンの力を見たことがなかったので、私は間違っていました」と言わないようにしましょう。私は、あなたに注意深くするように警告します。疑いの印象を一つも蒔かないようにしてください。神は、その心に活発に触れて健全な真理の教理をもたらして、あなたのために働きました。健全な実践行動と高潔な品性の実を生み出すように、祝福はあなた方に与えられました。
10.根拠を排斥する罪
キリストが戒めたコラジンとベツサイダの罪は、彼らがその戒めの力に明け渡していたならば、特別な真理を彼らに確信させたであろう根拠を排斥する罪でした。律法学者達やファリサイ派の人々の罪は、不信の闇/無知の中にいて、彼らの前で行なわれた天の働きを地に属する働きとする罪でした(1992年訳は誤訳「天の業を信じなかったことでした」 was the sin of placing the heavenly work )。その結果、彼らを確固とした信仰に導いたはずの根拠が疑われました。また、大事にされたはずの聖なる事柄は価値のないものとみなされました。私は、「その人々は、それらの戦列に沿って働くことを、かの敵に許していた」と恐れています。そういうことなので、神から出た良いもの、神が豊かに与えた祝福は、ある人々によって、狂信としてみなされるようになりました。
この心構えが取り続けられると、主が再び、主の人々(民)に、主の光/真理を輝かそうとする時に、その人々は、「私達は1893年と同じ[本書132,133参照]だ考えました。しかし、私達が信頼していたある人は、この聖霊の働きは狂信だったと言いました」と言って、天の照明/教化から離れていくでしょう。神の豊かな祝福を受けた人々が、同時に、その聖霊の働きは狂信だという立場を取る人々は、将来において、神の聖霊の働きを公然と非難するための用意をしていないでしょうか(1992年訳は誤訳「働きを非難し、」Will not ……be ready to denounce the )。そして、その心は小さく、静かな懇願に反対してとがめるようになるのではないでしょうか(1992年訳は誤訳「懇願を聞くことができない状態になってしまうのではないでしょうか」 the heart thus be proof against the )。イエスの愛は、彼らへの[愛の]力を拒まない行為[をする人]と、その愛に反対して自分で防護壁を作っている人々に提示される可能性があります(1992年訳は誤訳「イエスの愛が、それに反抗する人に働いても、その心を捕らえることはできません」 The love of Jesus may be presented to those who thus barricade
themselves against it, and exercise no constraining power upon them.)。天の豊かな恵みは、大いに認められて大切にされる存在ではなく、授けられることも拒絶されることもあり得るでしょう(1992年訳は誤訳「天の恵みの富が与えられても大切にせず、感謝して認めないで、拒否してしまいます」 may be bestowed and yet rejected,)。救いに入れられる告白の時のために、その心のある人々は義認を信じました(1992年訳は誤訳「その恵みを受けた人は、心では義とされることを信じ、しばらくは救いに至る告白をしますが、」 With the heart men did believe unto salvation;)。しかし、話すと悲しいことに、それを受けた人々は、義の働きをなさず、その光/真理を大切にせず、天使のような知者達と協力しませんでした (1992年訳は誤訳「悲しいことに天使と協力せず、義の行いをすることによって、その光を大切にしようとしなかったのです」 the receiver did not cooperate with heavenly intelligences, )。
『レビュー&ヘラルド』1894.2.6
[67歳]
18章 公的な奉仕の働きにおける特別な訴え [24]
(1992年訳は誤訳「公衆伝道における特別な訴え」Special appeals in
public ministry。彼女は公衆伝道者ではありませんでした。これは、私的な奉仕の働きprivate
ministryの対概念です。また、ⅿministry of Christキリストの[地上・天上での]奉仕の働きもあります。「キリストの公生涯」は不適切訳です)
1.初期のバトルクリーク教会で
[私は]バトルクリーク教会の集会に参加しました。[そして]その人々に、おおよそ1時間、死と惨めさをもたらしたアダムの堕落、死と辱めを通して光/真理のための不死と命をもたらしたキリストについて、自由に話しました。精神と身体と魂の全存在の清め――神への全体的な献身の必要性―-をその人々に語りたいと思いました。モーセが約束されたカナンの地に属していたという見解と彼の死について、[私は]話しました。その会衆には、深い感動がありました。……その夕方の集会で、私達は、クリスチャンになりたいという望みを持っている人はそれらの人々の前に進み出るよう呼びかけました。13人が進み出ました。全員、主のための証をしました。それは、良い働きでした。
『日誌』1868.1.12
[41歳]
2.ミシガン州ティタバワッセーでの熱心な働き
集会は一日を通して行なわれました。私の夫は午前中に話し、アンドルーズ兄弟が午後に話しました。私は、続いて、その日から神に仕えることを開始するために、この集会を通して関心を抱いた人に懇願して、少し長く感想を述べました。私達は、主への奉仕を始めることを望んだ人々に、前に進み出ることを呼びかけました。とても多くの人々が前に出ました。私は、数回、魂達にサタンの束縛の帯を断ち切るようにと、そこから始めるように懇願した話をしました(1992年訳は誤訳「人々に、サタンの絆から離れて出発するようにと、数回勧めました」I spoke several times, beseeching souls to beak the bands of Satan
and start then,)。ある母親が息子の所に行って、涙を流しながらに懇願しました。彼は頑なで、強情で屈しないように思われました。それから、[親が]彼の子ども達のその道の中に立たないことを請い願うために、私は立ち上がってD兄弟に話しかけました。彼は、動き始めました。それから、立ち上がって、話しました。彼は、この日から開始するでしょう、と言いました。これは、全ての人々によって、喜びの心を伴って聞かれました。D兄弟は貴い人です。
それから、E姉妹の夫が立ち上がって、クリスチャンになりたいと証をしました。彼は弁護士で影響力のある人です。彼の娘は不安を抱いたまま席に着いていました(1992年訳は誤訳「彼の娘は求道者席にいました」 His daughter was upon the anxious seat.[anxious]は形容詞ですから[求道者]ではありえません)。D兄弟は、懇願するために、私達に加わりました。また、D姉妹の二人の子ども達に[請い願い]ました。私達は懇願してついにうまくいきました。[その]みんなが前に進み出ました。父親達と[母親達]、息子達と[娘達]、ほかの父[母]達がそれらの人々の手本に倣いました。それはとても嬉しい一日でした。E姉妹は、それは自分の人生で最も幸せな日だったと言いました。
『日誌』1868.2.19 [41歳]
3.バトルクリーク教会における恵まれた応答
私は、午後に、「ペテロの第二の手紙」から、語りました。私は話すことに自由を持っていました。私が一時間話した後、クリスチャンになることを望んでいる人々に前に進み出るようにと招きました。30から40人くらいの人々が昂奮することなく静かに進み出てきて、そして、前の席に座りました。私は、神に全く明け渡すことについて、その人々に話しました。私達は、前に進み出た人々のために、祈りのひと時を持ちました。私達はとても貴重な祈りの時間を持ちました。バプテスマを望んだ人々は立ち上がることによってそれを示すように求められました。みな起立しました。 『日誌』1873.1.9 [46歳]
4.少しのためらいの後の応答
[バージニア州スタンレーで]、私は午後に、ヨハネ17:3から話しました。主は、私に聖霊を豊かに与えました(1992年訳は誤訳「…豊かな聖霊の働きをお与えになりました」 The Lord gave me much of His Holy Spirit.)。その家の中は人でいっぱいでした。自分自身をまったき犠牲として主に捧げたい人、もっと熱心に主を求めたい人は、前に進み出るようにと呼びかけました。しばらくの間、一人も動きませんでした。しかし、しばらくすると、大勢の人々が前に来て証をしました。私達は、祈りの貴い一時を持ちました。みな、心が砕かれたことを感じ、涙ながらに罪を告白しました。 『日誌』1890.11.9 [63歳]
5.彼女がスイスで働きを始めた時
[訳者加筆。彼女は、1885-1886年(58-59歳)にヨーロッパ伝道をしました。その時に、3男ウィリアム、通訳、看護師などが同行しました]
安息日と日曜日は貴重な時間でした [25]。主は、日曜日の午後の集会の時の講話において特に私を祝福しました。その講話の終わりに、一つの招きが、神との生きたつながりを持っていなかったと感じた人と、クリスチャンになりたいと願っている人全員に、前に進み出るようにと、与えられました。私達は、誘惑に抵抗するような恵みと、罪の赦しのために彼らの祈りと私達の祈りが一つとなるでしょう(1992年訳は誤訳「誘惑に抵抗する恵みを受けるためでした」 that we might unit our prayers with theirs for the pardon of sin,
and for grace to resist temptation.)。
これは多くの人々にとって新しい経験でした。しかし、その人々はためらいませんでした。会衆全体が自分の足で立っていた[ので]、その人々がなすに最善なことは着席することでした(1992年訳は誤訳「全会衆が立っていたようでしたが、みなひざまずき、ともに主を求めました」[ひざまずいた、という英語は存在しません] It seemed that the entire congregation were on their feet, and the
best they could do was to be seated, and all seek the Lord together.)。全員が主を求めているように思われました。ここでは、神を求める働きに最も強くつながるために、会衆全体が罪を捨て去る決心を表していました(1992年訳は誤訳「そして、罪を捨て去る決心をあらわし、主を熱心に求めました」 Here was an entire congregation manifesting their determination to
put away sin, and to engage most earnestly in the work of seeking God.)。祈りの後で、115人の証がなされました。多くの人々は、神の事柄についての誠実な体験を明らかにしました。
『セブンスデー
アドベンチスト海外伝道の歴史的なスケッチ』1886.10.19 [59歳]
6.ノルウェーのクリスチャニア(オスロ)で
私達はクリスチャニアで2週間を過ごし、そして、この教会のために熱心に働きました。主の聖霊がとてもわかりやすい証をするようにと私に動機づけました。特に、最後の集会で、私は、その人々に神の子になりたいのであれば、品性がまったく変わる必要があることを提示しました(1992年訳は誤訳「変わらなければならない」 the necessity of a thorough change )。……私は、教会からキリストの優しい精神/霊を強く遮断していた罪のための告白、そして、悔い改めの必要性をその人々に説きました。それから、主の側にはっきりした立場を取りたい人は前に進み出るようにと呼びかけました。多くの人々が応答しました。ある人々は良い告白をしました。熱心な証がなされました。
『レビュー&ヘラルド』1886.10.19
[59歳]
7.起立することによって決心を表明する
[スイスのバーゼルで]、より高い標準に到達するために、その時から熱心な努力をしようとするすべての人々に、起立するよう、一つの求めがなされました。みな起立しました。私達は、今、その人々が神性を反映して、神のために勝ち取られるための努力をしたいし、また、神が、その人々にキリストの十字架に属する兵卒たちとして真に献身し信じる者となるための力を与えて、みんながそうなれるように熱心に努力をしようと思っています(1992年訳は誤訳「私達は今、彼らが神のものとなり、天からの光に従い、神の力をいただいて、忠実に信に献身したキリストの十字架の兵士になるために熱心な努力をすることを望みます」 We hope this now will have the effect to win them to God and to
heavenly reflections and make earnest efforts to be all that God has given them power to be ――faithful
and true devoted soldiers of the cross of Christ.)。
『日誌』1885.11.25
[58歳]
8.バーゼルで、信仰から離れていた人が立ち返った
安息日の午後、私達は、交わりのためにもう一度、集まりました。私が、その人々に短く話した時に、主の祝福が私にとどまりました。すべての席は人でいっぱいで、補助席が設けられていました。みんなが強い関心を持って耳を傾けて聴いていました。
私は「神に仕える者としての祈りを希望した人は前に進み出てください」と招きました。信仰から離れていた全部の人と、主に立ち返って熱心に主を求めることを望んだ全部の人はこの機会にやり直せるでしょう(1992年訳は誤訳「主から離れていた全ての人、主に帰り、主を熱心に求めたいすべての人は、この機会を生かしてください、と言いました」 All who had been backslidden, all who wished to return to the Lord
and seek Him diligently, could improve the opportunity.)。用意されたその座席は直ぐに埋まりましたが、会衆全員がそこに行こうとしていました。人々がなせる最善について、私達が人々と語り合ったことは、人々がいた右側の座席に座っていることでした(1992年訳は誤訳「私達は申しました。一番いい方法は、そのいる所で座り、罪を告白して主を求めることです」We told them the best they could do was to be seated right where
they were )。そして、私達は自分達の罪を告白することによってみな共に主を求めたものでした(1992年訳は誤訳「…主を求めることです」 and we would all seek the Lord together by confessing our sins,)。主は、この御言葉で祈りと願いを捧げていました(1992年訳は誤訳「主は、…と約束してくださっているのですから、と。」 and the Lore had pledged Hid word,)。「私達が、自分達の罪を告白するならば、神は、私達の罪を許すことに正しく、全ての不義から私達を清めることに誠実です」(1ヨハネ1:9)。
日付、1887.2.20 [60歳]
9.オーストラリアでの目立った体験
[訳者加筆。彼女は、1891-1990年(64-73歳)]オーストラリア伝道をしました。その時に、3男ウィリアム、看護師、文筆アシスタントが同行しました。A・G・ダニエルズは宣教師として派遣されていました]
[1895年]5月25日の安息日、私達は、ノース フィッツロイで私達の教会の人々に会うためのホールで貴重な集会を持ちました。その集会の数日前に、私はその安息日に教会で話すということを知っていました。しかし、不運にも、ひどいカゼを引いてしまって、声がかすれてしまいました。私は、この約束を取りやめてもらいたい気持ちを考えるようになりました。しかし、これは私の唯一の機会だったので、「私はその人々の前に立つつもりです。そして、その人々に私のメッセージを提示できるように、私は、主が私の熱心な祈りに答えて、声のカスレを取り去ると信じます」と言いました。私は天の父に、あの約束を提示しました。「求めなさい。それはあなたに与えられるでしょう。探しなさい。汝は見つけるでしょう。ノックしなさい。それはあなたに開かれるでしょう。求める全ての人は受け取ります。探す人は見つけます。ノックする人はそれが開かれるでしょう。……、もしも、汝らが悪い者であったとしても、あなた方の子らに良い贈り物の与え方を知っているのであるから、あなた方の天の父は、求める人々にもっと多くの物を与えるでしょう」(ルカ11:9-13 KJV)。
神の御言葉は確かです。私は、求めて、そして、その人々に話すことができるようになることを信じました。私は、御言葉の一つの部分を選びましたが、私が話すために立ち上がった時、それは私の知性から取り去られました。そして、ペテロ第二の手紙の1章から話すよう印象を受けたように感じました。主は、神の恵みの価値の提示を特別に自由に私に与えました。……私は、聖霊の助けによって、明瞭に力強く話すことができました。
私の講話が終わった時に、私は、神の聖霊によって、主にまったく自分自身を預けることを望んだ人々に、前の方に進み出るよう全ての人々に招待を勧めるという印象を受けたと感じました。神に仕える者としての祈りの必要を感じた人々は、それを表すために招かれました。おおよそ30人が前に進み出ました。その中には、神に近づきたいという望みを初めて明らかにしたF兄と弟とその妻達もいました。私の心は、この二人の婦人の動きのゆえに言葉で言い表せない喜びに満たされました。
私は、その時、どうして私が強くこの招きをするようにと強く感動させられたのかがわかりました。その状況で、何らかの助けを私達に与えてくれる人は、私の息子と私が唯一の人だった時、そのようにすることが最善だったかどうか迷い、初めは私がとまどいました。しかし、誰かが私に話しかけた時に、ある考えが、私の知性を通り過ぎました。私は「あなたは主を信頼することができないのですか」「私は信頼しています。主よ」と言いました。私の息子は、この状況で一つの呼びかけをしたことにとても驚いていましたが、彼もまたこの緊急事態に直面していました。私は、その時以上に、彼が強い口調や強い感覚で話すのを聞いたことがまったくありませんでした。彼はファルクヘッド兄弟とサリスビュリイ兄弟を前に呼びました。そして、私達は祈りの中でひざまずきました(1992年訳は誤訳「ひざまずいて祈りました」We knelt in prayer.) (訳者加筆。題目編纂者は、SM3巻後編30章で、「7)会衆は聖別と献身の祈りの中でひざまずいていた」という見出しにしています)。私の息子は、その導きをしました。彼は神の臨在の中を通っている時の祈りをしているように思えたので、主は、確かに、彼の祈りと願いの文章を作りました。ファルクヘッド兄弟とサリスビュリイ兄弟も熱烈な嘆願の祈りを提示しました。それから、主は、私に祈るための声を与えました。私は、F姉妹達が、真理のために初めて公の場所で立って話したことを思い出しました。主の聖霊がその集会に存在していました。そして、多くの人々がその強い感動によって心を揺り動かされていました。
その集会の終わりに、多くの人々が講壇に押し寄せました。そして、私の手を取り、瞳に涙を浮かべて自分達のための祈りを願いました。私は心から「そうしましょう」と答えました。F姉妹達が私に自己紹介しました。私はその二人の心がとても優しいことがわかりました。……今は真理に立っているそのうちの母親の一人は、以前はひどい反対者で、娘に安息日を守るようになったら家に入れない、と脅していました。それは、家族の不名誉として見ていたからでした。ミセスFは、私は絶対にセブンスデー
アドベンチストにはつながらない、と言及をしていたからでした。彼女は、長老派教会で育てられ、そして、女性が集会で話をするのは、まったくふさわしくないと考えるように教育されていました。特に講話する女性はまったく礼儀作法の限界を超えるものでした。彼女は、ダニエルズ長老やコーリス長老の話を喜びました。そして、彼らはとても賢明な話し手だと考えていました。しかし、彼女は女性の講話には耳を傾けませんでした。彼女の夫は、ホワイト姉妹の奉仕の働きのもとで、妻が回心するように神が手はずを整えてくれるようにと祈っていました。私がアピールして、神に近づく必要を感じる人は前に進み出るように勧めた時、まったく驚いたことに、この姉妹達は前に進み出ました。幼子を亡くしたその姉妹は、前に出ないと決心していましたが、あえて拒まないように、主の聖霊が強く彼女の心に迫りました。……真理に従って、二人の夫達と一緒に貴い二人の魂を連れてきた神の慈愛を私の天の神に、私はとても感謝を思いました。
『レビュー&ヘラルド』1895.7.30 [68歳]
6)アドベンチストではない訪問者がアシュフィールド教会で応答
[SM第3巻の後編に題目編纂者は同じ記事を「会衆は聖別と献身の祈りに両足で立っています」という題で載せています]
私は、神聖な契約によって神に自分自身を預けること、自分達の心すべてで神に仕えること、自分達の両足で立つことを望む全ての人を招きました。その家は、満員で、ほとんど全部の人が立ちました。それらの立っている人々の中には、私達の信仰にまったく属さない人々も多く出席していました。私は、主に熱心に祈ること、私達が神の霊の現れ/証を持っていたことをその人々に表しました。私達は、確かに勝利を得られたと感じました。
『原稿』30a,1896(69歳)
11.バトルクリークカレッジでの特別な呼びかけ
私は、祈祷週中に5回、ヘルパーや看護学生、医師達に、話をしました。私の話は正しく理解されたと確信しています(1992年訳は誤訳「喜ばれた」 are appreciated)。私はそのカレッジで話を2回しました。先週の木曜日に、プレスコット教授がこちらに来て話してほしい、と思っていました。私は、学生がいっぱい集まっていた大きなチャペルに行って、話をして、そして祈りました(1992年訳は誤訳「私は行って祈り、学生がいっぱい集まっていた大きなチャペルで話しました」 I went and prayed and spoke to the large chapel filled with
students.)。私は、学生達の前で、クリスチャンとなることは特権であること、究極の最後の勝利、私達のために得られた天の報酬(1992年訳は誤訳「私たちのために買われた代価」)、イエスキリストの犠牲と偉大な謙遜、神の恵みと善意の提示と話をとても自由にしました。
プレスコット教授は、立ち上がって話をしようとしましたが、彼の心は感動していて、5分間、一言も言えませんでした。そればかりか、学生達の前で涙ぐんで立っていました。それから「私はクリスチャンであることを嬉しく思っています」と短い言葉で言って、5分間、話をしました。そして、彼は全員に話をするための自由を与えました。多くの学生の証がありました。しかし、私には、私達がまだ心に届けることに成功していなかった学生仲間がいる(1992年訳は誤訳「人々があるように」)にちがいないと思われました。私達は、自分が神に受け入れられた証拠を持っていない人やキリスト再臨の準備ができていないと感じる人は前に進み出るようにと勧めました。私は、まるで建物全体が動きの中にあったように思いました。私達は、それから、全員にその感動を言葉で表す機会を与えました。私達は、もう一度、短い祈りの時間を持った後で、主の祝福が学生達の心に届いているように思われました。
私達は、クラス別に分かれて、この働きを2時間続けました。主の聖霊がこの集会に目立つ方法で訪れました。俗世界から入学してきた信仰のない、宗教の信仰を知らなかった学生達は、宗教生活の真の体験をしました。この働きは、段々と深められて行っています。主は、働いています。そして、主が私達の味方として主の力を安全に現すことができるように、私達が主のための道を備えると、主はすぐに働くでしょう。 『手紙』75, 1888 [61歳]
12.サンフランシスコでの前に進むようにとの呼びかけ
1900年12月21日金曜日、私は、祈祷週を費やすためだったサンフランシスコに行きました。安息日の午後、私は自分の体を安定させるために両手で講壇につかまっていなければならないほどに弱っていましたが、その教会で話をしました。私は、その人々に話をする力を私に与えてくれるようにと、主に求めました。彼は、私の祈りを聞いて、力を私に与えました。私は、黙示録2:1-5から自由自在に話しました。
神の聖霊の強い感動が私に訪れました。その人々は、生み出されたそのメッセージによって強い印象を受けました。私が話し終わった時、主に自分を預けたいと望む人はすべて、前に進み出るようにと招きました。多くの人々が応じました。そして、彼らのために祈りが捧げられました。前に出たうちの何人かは、最近、再臨のメッセージを聞いたばかりで(1992年訳は誤訳「再臨の使命を聞いた」adventist message)、決心の分かれ目にいる人々です。彼らに与えられたよい印象を主が強めてくださるように、その人々が自分自身をまったく神に預けますように。私達の神を賛美して、彼らが歌う新しい歌を聞くこと、魂が回心することを、私はどんなにか望んだことでしょう。
日曜日の午後に、私は、私たちの信仰を持っていない多くの聴衆に話をしました。私の力は、元通りになりました。そして、私は、その机につかまらないで、人々の前に立つことができました。主の祝福が私達の上にとどまって、話をする時に私に力が増してきました。安息日と同じように、霊的/精神的spiritualな助けを求めている人々は、前に出るようにと招かれました。私達は、すぐに応答が見られてとても嬉しく思いました。主は、私達が祈りによって求めた時に、とても近くに訪れました。
『レビュー&ヘラルド』1901.2.19
[74歳]
13.全ての教会における同じような働き
11月10日の安息日に、私はサンフランシスコを訪れていました。そして、聞く耳と理解する心を持った人々でいっぱいになった教会で話をしました。……私が話し終わった後で、コーリス長老はイエスに自分を預けたいと望む人は全員前に出るようにと招きました。すぐに、喜びながら応答がありました。私は、前の方に来た200人近くの人々に語り掛けられました(1992年訳は誤訳「約200名の人がいたそうです」I was told that nearly two hundred persons came forward.)。男性達、女性達、若い人々、子どもたちが前の席に押し寄せました。主は、すべての教会でこれが行なわれて同じ働きがなされると、喜ばされるでしょう。
その建物はとても人々で混雑していたので、多くの人々は前の方に来ることができませんでした。しかし、生き生きとした表情、涙を浮かべた瞳は「私は主の側につきます。今から、高い標準に届くように、熱心に求めます」という決心の証をしていました。 『レビュー&ヘラルド』1901.2.12[74歳]
14.1909年の全体総会における応答
私の兄弟姉妹のみなさん、主が見出される間に、主を求めてください。時間と機会を無駄に過ごした人々が、主を求めておけばよかった、と思う時が来ようとしています。……主は、辛い努力の場にいても、理性を持った人であることを望んでいます。また、主は、この教会の外の人々のために集会を持つことを望んでいます。その人々は、この最後の警告のメッセージの真理を学ぶことができるでしょう(1992年訳は誤訳「この最後の警告使命の真理を学ぶことができるようにしてあげてください」 that they learn the truth of this last massage of warning.)。あなた方が喜んで受け入れられる場所があります。また、魂達はあなた方が助けに来てくれることを感謝するでしょう。主は、あなた方がまだ確立していなかった時に、この働きが確立するようにあなた方を助けるでしょう。あなた方はこれを行なうでしょうか。あなた方は、自分の足でここに立って証をしてください。そして、神をあなたの管理者、また、あなたの助け手としませんか。[会衆は起立しています]。
[祈りの言葉]私は、イスラエルの神、主、そなたに感謝しています。この汝の人々の願いを受け入れてください。この人々の上に聖霊を注いでください。汝の栄光がこの人々の中に見られるようにしてください。この人々が神の言葉を語る時に、私達に、神の救済を見させてください。アーメン。
『SDA全体総会会報』 1909.5.18 [82歳]
第4部 御言葉を教えなさい
はじめに
1933年にSDA全体総会の指導者達が北アメリカ全体に強力に福音伝道を強調して、尽力するという計画を作った時、偉大な目的が成し遂げられるために存在していたとすれば(1992年訳は誤訳「もし大きな目的を達成しようとすれば、」if large objectives were to be accomplished, )、この[教会の]人々の前に立った牧師達は、第三天使のメッセージ(1992年訳は誤訳「第三天使の使命の、」of the third angel's message )を提示することについて、重要性の低いテーマから離れて(1992年訳は誤訳「重要でない事柄を話すのをやめて、」 turn from subject of minor importance)、その[メッセージ]の各層を広く捉えなければならない、ということが明確にされました(1992年訳は誤訳「広い、人の心を捕らえる面を」in its broad and gripping phases.)。SDA全体総会の要請によって、エレン・G・ホワイトの勧めに関する『御言葉を教える』という題で、16頁のパンフレットが出版されました。大いなる良い[働き]は、奉仕の働きに改めて挑戦して貢献し大量の印刷物によって、この世界の人々に最後の裁きの時のメッセージを宣布する厳粛な責任を果たしました(1992年訳は誤訳「この印刷物は、……大きな働きをしました」Great good was accomplished by the many thousands of copies
distributed,)。それらの記事の一部は、エレン・G・ホワイトのほかの本にはありませんが、ここに永久的な形で収録されています。印刷されたその記事は、エレン・ホワイトがこのテーマで書いたものを網羅した題目編纂として構成していません。付記しますと、勧めは『伝道』『福音宣伝者』『牧師への勧め』『クリスチャンの奉仕』にも見られるでしょう。
さらに、そのパンフレットの項目は各章とわずかに関連しているだけでした。「極端な見解の危険」[本書22章]は、大いなる奉仕の指導を含んだ、私達の[教会の]牧師の一人へ宛てて書いたものです。それは、今まで、『ノートブックリーフレット』にだけ載っていました。「時を定めること」の[23]章は時を得ています。第4部の最後[25章
私達の信仰の土台]は、『特別な証』シリーズB第2巻から引用した様々な勧めによって結んでいます。これは、汎神論の考えが、この教会に大いなる祝福をはっきりと示すだろう、と主張された新たな光として、この教派に重くのしかかった存在だった時の1903年から1904年の危機の間に書かれました。この危機から得た結果の主なありがたいものは、苦闘するこの教会へ、主のメッセンジャーによって熱心に伝達された真理の教訓の中にありました。これらは、主として、『SDA教会への証』第8巻と、『ミニストリーオブヒーリング』で読むことができます。――ホワイト遺稿管理委員会
19章 説き勧めること、説き勧めないこと[26]
1.キリストを現しましょう
全ての奉仕の働きの目的は、視界から自己を逸らし続けて、キリストが現れるようにするために存在しています。キリストを高く掲げることは、御言葉と教理によって働いている全ての人々が[キリストを]現すために存在しているという、偉大な真理です(1992年訳は誤訳「み言葉と教理に奉仕するすべての人は、キリストを高くかかげることが大いなる真理であることをあらわすべきです」 The exaltation of Christ is the great truth that all who labor in
word and doctrine are to reveal.)。
『原稿』109,1897 [70歳]
[人類の救済]という真理の目的のために働く人々は、新しい光/真理としてではなく、信じてきた人々によってしばらくの間、見失われてきた貴い光/真理として、キリストの義を提示する必要があります。私達は、自分達の個人的な救い主として、キリストを受け入れるために存在しています。彼は、キリストにある神の義を私達に帰負/帰属させています。「私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛して、私達の罪のための贖いのなるようにそのひとり子を送りました。ここに愛があります」(1ヨハネ4:10)という真理を卓越したものにして繰り返しましょう。
神の愛は、貴い真理の驚くような特質が開示されたことによって、そして、キリストの恵みの宝は、世界の人々とこの教会の人々の前に開示されて置かれています。……これは何という愛でしょう。私達がまだ罪びとだった時に、私達のために死ぬようにキリストを導くのは、何という驚くべき、計り知れない愛でしょう。それは、豊かにあふれ出ている(1992年訳は誤訳「それよりはるかに豊かに働く」which doth much more abound.)キリストの恵みについて理解することをしくじっている人々にとって、また、主の律法が強く求めていることを理解している人々の魂のために存在している何という損失でしょう。
神の律法は、それがイエスにある真理として説き勧められる時に、この罪の責任のある世界の人々のためのキリストの贈り物はあらゆる講話の中に大きく占められるべきなので、神の愛を現しているというのは真実です。真理が冷ややかな命のない方法で提示された時に、人々の心がその真理によって和らげられなかったことは不思議ではありません。牧師達や働き人達が、神の律法とイエスの関係において、彼を提示することにしくじったら、[人々の]信仰が神の約束をためらってしまったのも不思議ではありません。彼らは、しばしば、「彼は自身の息子を惜しまず、私達すべてのために手放しました。彼は、どうして、彼と共に全ての事柄を私達に気前よく与えないことがあるでしょうか」(ローマ8:32 KJV)と、その人々に確信させてきたことでしょう(1992年訳は誤訳「人々に確信させる必要があります」How often should they have assured the people that )。
人々を悔い改めに導くのは神の善意なので、失われた人類を救うために神のひとり子を与えるように、主を導いた神の愛を人々が見ないようにと、サタンは決心しています。私達は、神の貴い愛の深さをこの世界の人々の前に表明することがうまくできるでしょうか。「私達が神の子どもと呼ばれるための、天の父が私達に授けた愛の作法は何かを見上げなさい」(1ヨハネ3:1)と叫ぶこと以外にそれを達成する方法はほかにありません。私達は、罪びと達にこう言いましよう。「世界の人々の罪を取り除く神の子羊を見上げなさい」(ヨハネ1:29)。天の父を代表する者としてイエスを提示することによって、私達は、サタンが、イエスキリストの中に現された時の言葉で表せない神の愛と憐れみを見えないようにするために私達の人生の小道に投げかけた影/影響を追い払うことができるでしょう(1992年訳は誤訳「できるのです」 we shall be able to dispel
)。カルバリーの十字架を見詰めましょう。それは、天の父の計り知ることのできない、また、限りない愛の堅い約束を立てた一つです(1992年訳は誤訳「動くことのない保証なのです」 It is a standing pledge of the boundless love, the measureless
mercy of the heavenly Father.)。 『原稿』154,
1897 [70歳]
2.聖霊/聖なる精神
偉大な教師、キリストは、選ぶためのものから限りなく多様なテーマを持っていました。しかし、彼が最も強調して抱いていたその一つは、聖霊に属する資質でした(1992年訳は誤訳「賜物」endowment)。彼は、この資質(1992年訳は誤訳「賜物」endowment)に属するもののゆえに、どんなにか偉大な事柄をこの教会のために前もって言いました。今、[私達が]抱くのが少ない(1992年訳は誤訳「考えられていない」less dwelt )テーマは何でしょうか。どんな約束の成就が少ないのでしょうか。時折の講話は聖霊が与えられています。そして、それから、そのテーマは、考慮されたにもかかわらず、忘れ去られています(1992年訳は誤訳「成就されていない」less dwelt )。 『原稿』20, 1891
[64歳]
3.回心の歩みを教える
牧師達は、真理がイエスの中に存在していたように、それを提示する時に、もっと明瞭で簡潔な方法でする必要があります。彼ら自身の知性の中に、偉大な救いの計画がもっと十分に認識される必要があります。そうすれば、彼らは、聞く人々の知性を地上の事柄から離れた、永遠の霊的/精神的なものを伝えることができます。救われるために何をしたらいいかについて、知りたいと思っている人はたくさんいます。その人々は、回心の必要条件の歩みについて、分かりやすく明瞭な説明が欲しいと思っています。そして、罪びと達がキリストの所に行って救われる方法を、特別にわかりやすくするために存在している講話の一部としない限り、[回心の歩みの]説教が与えられていないでしょう。彼らは、ヨハネがしたように、人々にキリストを示す時に、キリストの愛に赤く[燃えるように]輝いた(1992年訳は誤訳。「愛に燃やされて」their heart aglow with the love of Christ,[aglowは形容詞])人々の心は「世界の人々の罪を取り除く神の子羊を見上げなさい」[ヨハネ1:29]と言うでしょう。強い熱心なアピールは、罪びとに回心と悔い改めを促すでしょう(1992年訳は誤訳。「言うべきです」 They should …say,)。
その働きのこの部分を疎かにしている人々は、説教の話を試みる前に自分自身が回心している必要があります。主の言葉の貴い真理と、キリストの愛に満たされている人々の心は、神の宝の家から古い事柄と新しい事柄を引き出すことができるでしょう(1992年訳は誤訳。「ことができます」will be able to draw.)。彼らは公表されていない逸話に関する時間を作らないでしょう。すなわち、それらはそれらを人々に届けることができないような、とても高尚で退屈な話をする人になるように強いないでしょう。しかし、心に触れる熱心さと、単純な言葉によって、彼らは、真理がイエスに存在していたように、その真理を提示するでしょう。
『レビュー&ヘラルド』1887,
2,22 [60歳]
4.伝統的な再臨真理のリバイバル
牧師達と信徒達のためになすべき重要で神聖な働きが一つあります。彼らは、神の民(人々)と[人類救済]目的(1992年訳は誤訳。「み事業」the cause)の歴史を研究するために存在しています。彼らは、神の民について、過去の神の配慮を忘れないために存在しています。彼らは、初めて真理を知って理解した時に、生じた輝きと聖霊の力の個人的な体験によって、知らない人々には価値がないように思えた真理を物語って、[記憶を]よみがえらせる(1992年訳は誤訳。「命を与え、生き生きと語らねばなりません」 They are to revive and recount the truth.[人間が真理に命を与えることは不可能です])ために存在しています。彼らの最初の新鮮さと力によって、これらの真理はこの世界の人々に与えられるために存在しています(1992年訳は誤訳。「伝えなければならないのです」 these truth are to be given to the world.)。
『原稿』22
1890, [63歳]
5.天の使い達の奉仕の働き
全ての人をめぐって、善天使達と悪天使達が奮闘しています。勝利を決心するのはその人自身です。私は、天使達の奉仕の働きについて、彼らの声の届く範囲に来る全ての人が理解して十分に納得するようにと、キリストの牧師達に呼び掛けています(1992年訳は誤訳。「よくわかるように話さなければなりません」 I call upon the ministers of Christ to press home…)。空想的な推測にふけってはいけません。書かれた御言葉は私達の唯一の安全です。私達はダニエルが行なったように祈る必要があります。私達は天使のような知者達によって護られるでしょう。
『手紙』201,
1899 [72歳]
6.議論的な説教
多くの議論的な内容の説教が語られていますが、人の魂を和らげることや感情を抑制することはほとんどありません。……キリストの徳を表明することは、全てのメッセージ(1992年訳は誤訳。「すべての使命者」messenger)を伝える人の重荷となるでしょう。キリストの義の無償の贈り物が提示されていない時に、その講話は、無味乾燥で元気のないものです。すなわち、羊達と子羊達は養われません。パウロは「私の話と私の説教は人間の知恵の巧みな言葉によってではなく、聖霊の証明とその力によって行なわれました」(1コリント2:4)と言っています。その福音の中には、滋養と豊かさがあります。イエスはあらゆるものの中心で生きています。全ての説教の中に、キリストを添えてください。キリストが品性の中に形成されることは栄光への希望なので、イエスキリストの栄光と憐れみと尊さがとどまるようにしてください。 『手紙』15, 1892 [65歳]
7.柔和によって現在の真理を
メッセージを伝える人々(1992年訳は誤訳。「使命者たちよ」messenger)は慎重にしてください。新しい神学理論を聞いて受け入れることに思案しないでください。しばしば、それらは、いかなる会衆の前に提示されてはいけないようなものです。自分を高める言葉を自慢げに話してはいけません。神の言葉が、真理によって清められた口から出るようにしてください。全ての牧師達は、真理がイエスの中に存在しているように、その真理を説教するために存在しています。彼は、自分が断言していることを確信している必要があります。また、神の聖霊の指導の下に神の言葉を取り扱う必要があります。私の兄弟[姉妹]のみなさん、あなた方の模範によって、惑わしに導かれる魂がいないように、神の前に、慎重に働いて、歩んでください。あなたが、一人の魂を道から逸らせてしまうならば、あなたは生まれなかった方がよかったでしょう(1992年訳は誤訳。「良かったのです」 you should lead one astray.)。
神に奉仕する者だと公言する人々は、罪や病や悲しみが侵入できない生活を得るための勤勉な働きをする必要があります。その人々は、時を選ばないで、常に切迫感を持っているために存在しています(1992年訳は誤訳。「時を得るも得ざるも常に切迫感を持っていなければなりません」 They are to be instant in season and out of season.)。
神は、私達の講壇から、人を向上させる言葉を力強く語るような改革者を求めています。彼らの言葉が情熱をもって受け入れられない時に、人々が感情を害され不快感を与えられるのは、彼らが聖霊の力により神の言葉を語る代わりに、自分自身の力により自身の言葉を語る時です。彼らが、彼ら[聴衆]の心に反対や苦渋の精神を引き起こすような言葉を語るように誘惑されるのはその時です(1992年訳は誤訳。「その時彼らは、苦い心や反対の精神を聴衆に起こさせるような言葉を語るように誘惑されます」 It is then that they are tempted to speak words that will arouse a
spirit of bitterness and opposition in their hearts.)。私の兄弟[姉妹]のみなさんは自分を戒めてください(1992年訳は誤訳。「いつも思慮深くあってください」 My brethren be
advised.)。そのような言葉は、キリストを代表する者の口から出るように存在していません。清められた口lipsは、改革の言葉を語りますが、それは[聴衆の]感情を害さないでしょう(1992年訳は誤訳。「それは人を怒らせるものではありません」 Sanctified lips will speak words that reform, but do not
exasperate.)。特別な真理は、キリストの愛と柔和によって提示されるために存在しています(1992年訳は誤訳。「語らねばならないのです」 The truth is to be presented in the meekness and love of Christ.)。
『手紙』348, 1907 [80歳]
8.敵の策略
私達は、神性の照明/教化を祈るために存在しています。同時に、全ての語られた新しい光/真理の受け取り方について慎重になる必要があります。私達は、新たな真理の研究に紛れ込まないように用心する必要があります。サタンは、この時代のための特殊な真理とキリストから、私達の知性を脇へ逸らそうと強いることでしょう。私達の救いの本質でないものや、十分に啓示されていないもの、重要でない点や不明瞭なことにこだわるように知性を導くのは、かの敵の策略であることを、私は示されました。これは、「現在の真理」のテーマとして没頭されています。その時に、真理に属する清めを通して一致を求めるべき人々の知性を混乱させるため、彼らの全ての[聖書の]調査研究や推測は以前よりももっと不明瞭な内容にするために貢献しているだけです。
『手紙』7, 1891 [64歳]
9.人間の推測や憶測
神の人々(民)を[霊的な]眠りに誘うようなみごとな科学的こじつけを提示する人がいないようにしましょう。この時代のための[人々の]真理に、厳粛ではない、人間の知恵によるどのような空想的な装いも神聖な真理にかぶせてはいけません。このことをし続けてきた人は、それをやめて、そして、偽りの作り話から、自分達の魂の救いを神に叫び求めましょう。
人々の心を感動させるのは、偽りの神学ではなく、また、面白いものでもなく、聖霊の生きた力です。空想的な話は、命のパンではありません。それは、罪から魂を救うことができません。
キリストは、人間性を贖うために天から送られました。彼は、神が[人に]教えるように彼に与えた教理を教えました。彼が宣べ伝えた様々な真理は、旧約聖書と新約聖書に見られるもので、私達は、今日、神の生きた言葉として宣べ伝えるために存在しています(1992年訳は誤訳。「宣べ伝えなければならないのです」 we today are to proclaim as…)。
特別な命のパンが欲しい人は、間違いする人間の有限な教えに行くのではなく、御言葉に行きましょう(1992年訳は誤訳。「行くべきです」 Let …go to the Scripture,)。あなたの教えに人間の憶測や推測を混ぜないでください。キリストが私達のために天からもって来た命のパンを人々に与えてください。[そうしたならば]彼らは、彼の言葉を自分達の実生活の一部とすること、神の息子の血を飲んで肉を食べること、これらの必要があることを、多くの人々が知ったことでしょう(1992年訳は誤訳。「知らねばなりません」 Would that all knew how much they need to eat )。
『原稿』44, 1904 [77歳]
10.真理に基づいた私達の信仰(1992年訳は誤訳「信仰の基礎的真理」our
faith on truth)
私は、日々、二倍の任務を行なうことができるようにと望んでいます(1992年訳は誤訳。「私は長い間、毎日二倍の仕事ができるように望んでいました」 I long daily to be able to double duty.)。私は、この[再臨の]メッセージの初期の歴史と信仰に堅く立った証人達が書いた物を再現する知恵と力を主に請い求めてきました。1844年のあの時が過ぎた後で、特別な光/真理を受けて、その光の中を歩んだ人々は、新たな光/知識を受けたと主張している時に、御言葉の様々な点と考えられる素晴らしいメッセージの中に[進んで]行ったでしょう。私達は、聖霊の感動を通して、その点について正しい証を持ちました。それ[聖霊の感動]は、G長老が自分の時を提示するために [27]充てていたようなメッセージの影響を断ち切りました。この気の毒な男性は、聖霊が保証した真理に堅く反対して働いていました。
何が真理であるかについて、神の力が証をした時、その真理は、真理として永久に立つために存在しています(1992年訳は誤訳。「…その真理は永久に真理です」 that truth is to stand forever as the truth.)。神が与えた光/真理に反する考えは、もはや受け入れられるために存在していません(1992年訳は誤訳。「受け入れられるべきではありません」 are to be entertained.)。人々は、自分達にとって真理として存在しているとして、しかし、それは真理ではない御言葉の解釈をもって立ち上がるでしょう(1992年訳は誤訳。「人たちが出てきます」 Men will arise )。この時代の[人々の]ための真理を、神は、私達の信仰の基礎として私達に与えました。神自身が、何が真理であるかを私達に教えました(1992年訳は誤訳。「この時代の真理は、神が信仰の基礎としてお与えになりました」 The truth for this time God has given us as a foundation for our
faith.)。人がまた一人と、神がその聖霊の証明のもとに与えた光/真理に反対した新たな光/真理をもって立ち上がるでしょう(1992年訳は誤訳。「新しい光を持って来ます」 One will arise )。この真理の確立の時に得られた体験を通った人がまだ少し生存しています。使徒ヨハネが生涯の終わりまで行なったように、彼らが通り越した体験を生涯の終わりまで語り継ぐように、神は、彼らの命を恵みの内に保ちました(1992年訳は誤訳。「保ってくださっている」 God has graciously spared )。また、既に眠りに就いた信仰の標準を生み出した人々は、彼らの書き物の出版を通して語るために存在しています。このように、その人々の声は、聴かれるために存在している、と私は指導されました。その人々は、この時代の人々に、特別な真理を与えるために、彼らの証を生み出すように存在しています(1992年訳は誤訳。「証しなければならないのです」 They are to bear their testimony.)。
私達は、自分達の信仰の特別な点に反対するメッセージを持ってくる人々の言葉を受け入れるために存在しているのではありません。その人々は、聖句をたくさん集めて、自分達の主張する神学理論を証明しようとして、それを山積みにしています。このようなことが、過去50年の間に何度も繰り返されました。御言葉は神の言葉であり、尊重されるために存在しています。一方、そのような適応がこの50年の間に神の支えた[信仰の]柱を基礎から取り除くとすると、それらの適用は大きな誤りです。そのような適応をする人は、神の人々(民)に届いた過去のメッセージの威力と力を与えた主の聖霊の素晴らしい証明を理解していません。
G長老の証明は信頼できないものです。仮に、受け入れられたとすれば、それらは、今存在しているこの私達を育ててきた真理の中にいる神の人々(民)の信仰を破壊するでしょう。
私達は、この問題について、彼が御言葉によって証明しようとしている点が健全ではないので、確固としている必要があります(1992年訳は誤訳。「彼が聖書を使って証明しようとしている点は健全ではありません」 We must be decided on this subject ; for the points that he is
trying prove by Scripture, are not sound.)。彼らは、過去の神の民の体験が間違いだったことを証明していません。私達は真理を持っていました。私達は神の天使達によって指導されていました。聖所の問題が提示されたことは、主の聖霊のガイダンスのもとにありました。芝居でない(1992年訳は誤訳。「自分が関わっていない」 which they acted no part.)私達の信仰の特徴について沈黙を守ることは、全ての人々にとって雄弁です。神は決して自分自身を否定していません(1992年訳は誤訳。「神は自己の矛盾するような行動をなさる方ではありません」 God never contradicts Himself.)。真理ではないことを無理に証ししようとするならば、御言葉の証明が誤用されます。一人、また、一人が、憶測した大いなる光/真理を持って、立ち上がり、そして、自分達の主張をするでしょう(1992年訳は誤訳。「主張します」 will …make their assertions.)。しかし、私達は、古い道標[古い教理]によって、立っています。[1ヨハネ1:1-10 引用]
罪がそれ自身の正当な名で呼ばれる時がきたので(1992年訳は誤訳。「罪を罪と言うべき時が来たので、」 when sin must be called by its right name. p.216参照)、私達はこの時のために相応しいものとして使用できるこれらの言葉を言うようにと、私は指導されました。私達は、自分の栄光を求めて、回心していない男性達によって、自分達の働きを妨げられました。彼らは、それらが真理だという主張を提示して、新しい神学理論の創始者として思われることを望んでいます。しかし、仮に、これらの神学理論が受け入れられると、それらは、過去50年間に神がその民に与えて来て、主の聖霊の証明によって実現してきた特別な真理を拒絶するように導くでしょう(1992年訳は誤訳。「否定することになるのです」 they will lead to a denial of the truth )。 『手紙』329, 1905 [78歳]
11.啓示されてきた様々な真理
「真理の言葉を正しく分配して、辱められる必要のない働き人として、神に是認された者として自分を示すように研究に励みなさい」[2テモテ2:15]。それらが神の群れの食物となるように一つの方法としてそれらを扱って、また、啓示されたその真理を信じて学んでください。
私達は、神の言葉の中でまったく言われていない事柄について、とりとめのない空想にふける知性を許すような人々に立ち向かうことでしょう。神は、魂の救いの結果をもたらす全てのテーマをわかりやすい言葉で語りました。しかし、神は白日に夢を見ることを避けるようにと望んでいます。そして、「今日、私のブドウ園に働きに行きなさい」と言っています。誰も働くことができない夜が来ます。とりとめのない空想をやめて、目を覚まし、そして、働き、そして、祈ってください。啓示された真理を研究してください。キリストは、うつろな空想を打ち破ることを望んでいます。そして、彼は、収穫のための実った畑を私達に示しています。私達が熱心に働かなければ、永遠にわたって、私達は責任の重さを感じるでしょう。……
使徒達の時代には、最も愚かな異端が真理として提示されました。過ぎ去った歴史は、また、繰り返されるでしょう(1992年訳は誤訳。「歴史は繰り返されましたが、将来も繰り返されるでしょう」
History has been and will be repeated.)。表面は良心的に見えても、本質のためにそれを好むよりも、陰/亡霊をつかむような人々がいつもいるでしょう。間違いは、彼らが何か素晴らしいと考えている新しい装いをまとっているので、彼らは真理の場所に間違いを置きます。その覆いが取り除かれて、何も無いことが現れるままにしておきましょう。
『レビュー&ヘラルド』1901.2.5
[74歳]
12.永遠に重要な問題
キリストが取り扱った教訓を扱ってください。彼が人々に提示したように、人々に提示してください。私達の永遠の福祉/良い状態welfareに関した問題を扱ってください。かの敵は、神の言葉から[人々の]知性を引き離すことができる方策の何か、また、様々な感情を引き起こすことができる新しい奇妙な何かを、素晴らしく重要な何かであるかのように作り出すでしょう(1992年訳は誤訳。「持ち出してきます」 he will introduce as )。しかし、私達が明瞭に理解できない事柄は、私達にとって、日常生活に役立ち、私達が明瞭に理解できる神の真理である事柄の十分の一も重要ではありません。私達は、キリストが旧約聖書から自分の教えをもたらした、その教訓を人々に教えるために存在しています(1992年訳は誤訳。「教えるべきです」 We are to teach )。神性の真理の言葉は、とても分かりやすいものです。 『手紙』16, 1903 [76歳]
13.信仰に不必要な点
信仰の完成のために、不必要な多くの問題が扱われています。私達はそれらを研究するための時間がありません。多くの事柄は、有限な[人間の]理解のかなたにあります。様々な真理は、私達の理性の届かない範囲、また、私達のために説明されていないものも受けられるように存在しています。天からの啓示は、無限の神の言葉として絶対的に受け入れられるように、私達のためにそれらを提示しています。一方、全ての独創的な探究者は、イエスの中に存在しているものとして、その真理を探し出すために存在しています。まだ、人間的な推測や説明になりがちなしに、人間の理性が把握できず、理由付けできない[聖書の]論述や簡単に[説明]されていないものがあります。それらは、命から命となる香りを証明しないでしょう。
しかし、魂の救いに関する、また、私達の実生活にもたらされるような私達のために必要な全ての真理は、非常に明確に、肯定的に作られています。
『手紙』8,
1895 [68歳]
20章 教理の論争に対する私達の態度
1.ダニエル8章の「常供のもの」(the
daily=常供の、日毎の)
私は、東西南北にいる私の兄弟達に話したい言葉があります。私は、自分の書いた物が現在、論争されている疑問をめぐって、決着をつけるための主張に導くために利用されないようにとお願いいたします。私は、H、I、J各長老と、私達の教会の兄弟[姉妹]を指導している人々に、「常供のもの」の自分達の見解を裏付けるために、私が書いた物を根拠にしないように請い願います。
これは、決定的に重要なテーマではないことが、私に提示されました。私達の教会の兄弟達は、捉えた見解の中で重要性の別々の誇張という間違いをしている、と私は指導されました。私のどんな書き物もこの内容に決着をつけるものとして取り上げられるようなことに、私は同意できません。「常供のもの」の本当の意味は、疑問の試金石とされるために存在していません。
私は、その論争の必要性を考えていないし、議論になっているその点の指導を受けていないので、私は、今、奉仕の働きをしている私の兄弟のみなさんに、[「常供のもの」]の疑問についての主張のために、私の書いた物を使用しないようにお願いします。現在の状況では、この内容に関して、沈黙が力強い言葉です。
私達の働きに対するかの敵は、重要性の小さいテーマが、私達のメッセージのあるべきもっと大きい疑問から私達の兄弟の知性を逸らすことに利用され得る時に喜んでいます。これは、疑問の試金石ではありません。これをテストのように扱うことによって、かの敵に勝利を与えないようにと、私は我が兄弟達に請い願います。
2.疑問に対する真の試金石
この時代において、主が私達に与えた特別な働きは、イエスキリストの証と神の戒め、つまり、救いと従順についての疑問の試金石に関して、真の光/知識を人々に提示するために存在しています(1992年訳は誤訳。「…働きは、…伝えることです」 is to present to )。
何年も印刷されてきて、また、多くの人々に特別な真理の知識をもたらしてきた私達の重要な書籍のあるものの中に、また、注意深い研究と修正を求めるような、重要性の小さい問題が見つかるでしょう。そのような問題は、私達の出版物のミスの管理者が持っている定期的な監査によって考慮されるようにしましょう。この教会の兄弟達や文書伝道者達、牧師達が、魂を救う良い書籍の影響力を小さくするような方法で、それらの問題を深刻にして拡散することのないようにしましょう(1992年訳は誤訳。「…牧師が、これらの問題を大きく取り上げ、救霊のためのよい本の影響をすくなくすることのないようにしましょう」[訳者加筆。これでは、牧師が取り上げてはいけない、と言う意味です。著者の意図はそうではなく、管理者が監査して、修正して問題が拡散しないようにしましょうと言っています] Let not …nor our minister magnify these
matters in such a way as to lessen the influence of these good soul-saving
books.)。私達が、私達の教会の文書/文献について、信用を傷付ける働きに取り掛かるならば、私達は、特別なメッセージを新たに信じた人々の知性を混乱させて、また、この信仰から離れて行った人々の手に武器を置くことになるでしょう。私達の出版物の変更は、やむを得ない場合[つまり、明らかなミス]以外のことを少なくしましょう。それが最善でしょう(1992年訳は誤訳。「不必要に私達の出版物を変更することは少ないほどよいのです」 The less that is done unnecessarily to change our publications, the
better it will be.)。
夜の幻の中で、私は、責任のある立場にいる私の兄弟達にヨハネ第一の手紙の言葉を繰り返したように思われます。[第1章が引用されている]
3.日毎の回心
私達の兄弟は、聖霊の配下にもたらされて、自分が謙遜にされる必要があることを理解してほしいです。主は、大いなる光/真理を持った人々に日毎に回心することを呼び掛けています。これは、私が、私達の[教会の]全てのカンファレンス/総会の代表者達と私達の出版所の編集者達に伝える必要のあるメッセージです。私達は、闇/無知が私達に追いつかないように、私達が特別な光/真理を持っている間に、その光に歩む必要があります。
神の聖霊によって導かれている全ての人は、この最後の時代のためのメッセージを持っているでしょう(1992年訳は誤訳。「与えられます」 will have a message )。知性と心で、彼らは魂達の重荷を負うでしょう。そして、彼らと交わる人々に、天からのキリストのメッセージを伝えるでしょう(1992年訳は誤訳。「伝えます」 will bear the )。異邦人の行動と同じ行動をするように語る人々は(1992年訳は誤訳。「言葉において異邦人のように行動する人々は、」 who in speech act as Gentiles act,)、天の法廷に紹介されることができません。私の兄弟[姉妹]のみなさん、今は悪い時代なので、この時代の贖いの特別な光/真理を受け入れてください。
サタンは、彼に励ましを与えるようなあらゆる者達と(1992年訳は誤訳。「彼の側につく者たちに」 with all who will give him encouragement.)共に熱心に働いています。特別な光/真理を持っていても、その中を歩むことを拒む人々は、闇/無知がその人々の魂に浸透して、その活動の全コースを方向づけるまで拒むようになるでしょう(1992年訳は誤訳。「支配します」 will become confused, )。しかし、主の言葉に啓示されたように、神の善意と知恵の精神/霊は、真の従順の道について行く時に、輝きを増すようになるでしょう(1992年訳は誤訳。「…増していきます」 will become brighter )。神の正義のあらゆる要求が、聖霊の清めを通して出会うでしょう(1992年訳は誤訳。「満たされます」 will be met through )。……
自分自身を謙虚にして、神にその心を全く捧げる全ての人々に、大いなる祝福と特権があります(1992年訳は誤訳。「与えられます」 There are great privileges )。大いなる光/真理の知識が彼らに与えられるでしょう。人々が変わりたいという意思を働かせていると、信心深い体験がなされるでしょう(1992年訳は誤訳。「敬虔な者へと変えられて行きます」 they will be exercised godliness.)。
「私達はみな、恵みの上の恵み、彼に満ちた徳を受けました」(ヨハネ1:16 KJV)。「私の恵みは、汝に、十分存在しています。私の力は弱さの中に完全に表されています」(2コリント12:9 KJV)。救い主はこう言っています。「すべての権威が、地においても天においても私に与えられています。それゆえ、そなた達は、出て行って、そして、全ての国の民に教えて、聖霊と御子と父の名によってバプテスマを授け、私があなた方に命じて置いた全てのことを守るように教えなさい。見よ、私は、世界の終わりまでも、いつもあなた方の手もとに存在しています」(マタイ28:18-20 KJV)。
この豊かな恵みと力が奉仕のために私達の間に続いていますが、食欲も味わいもなしに、(1992年訳は誤訳。ここに付加された「これを顧みず、求めないで」の英文は存在しない」) [それら]から離れて無理解を続けていていいのでしょうか。その指導は、私が今私達の[教会の]人々に与えるようにと[イエスに]言われたもので、私がワシントンに滞在していた間に与えたものと同じものです(1992年訳は誤訳。「私が今教会員に与えるように命じられたことは、私がワシントンにいた時と同じです」)。主は、個人的な尽力を呼び掛けています。人は、ほかの人の働きをすることができません。大いなる光/真理が輝いていました(1992年訳は誤訳。「輝いています」 has been shining, )。しかし、それは十分に理解されず、また、受け入れられませんでした。
私達の兄弟[姉妹]達が、今、神に自分自身を全面的に捧げるならば、神は彼ら彼女らを受け入れるでしょう(1992年訳は誤訳。「受け入れてくださいます」 He will accept them.)。神は、その人々に知性の変容を授けるでしょう。その人々は[魂の]命への香りとなるでしょう(1992年訳は誤訳。「香りとしてくださいます」 they may be savors of life unto life.)。目覚めてください。兄弟、そして、姉妹方。あなた方は、私達の主、キリストイエスを通して、あなた方への高尚な呼びかけに到達できるでしょう(1992年訳は誤訳。「高い召しに応えるようにしてください」 that you may attain to your high calling though Christ Jesus our
Lord.)。『原稿』11, 1910 [83歳]
4.疑問の試金石ではない(1992年訳は誤訳「テストとすべき問題ではない」 Not a test question)
奉仕の働きについている私の兄弟、愛する働き人の方々へ
私は、ダニエル書8章の「常供のもの」(the daily)の意味について、自分達の見解を主張して、行動してきたすべての人々に、語るための言葉を持っています。これ「常供のもの」は、その扇動/動揺はそのような非常に不幸なこととなった存在として扱われたことからの結果だったということと、疑問の一つの試金石とされないように存在しています。混乱がその結果でした。また、私達の兄弟の何人かの知性は、主が、この時代に私達の都市で行なわれるようにと指導していた働きを与えられたことを深く考慮することから離されてしまいました。これは、私達の働きについて、絶大な敵を喜ばせていました。
訳者解説:
「ダニエル8章の「常供のもの」(the daily=日毎の)の意味」の扇動/動揺とは、何だったのか解明に、年代順に『初代文集』『1919聖書会議』『エレン・G・ホワイト百科事典』を引用しました。
『初代文集』 :1844年のテスト(試金石)だった。テストでなくなった。
『1919聖書会議』:2300年という時の期間と“常供の”が何であったか
『エレン・G・ホワイト百科事典』:
「新しい見解」:A.G.ダニエルズとW.W.プエスコット
「古い見解」 : J.N.ラフボロー、S.N.ハスケル、ヘテイ・ハスケル
『初代文集』
それから、「常供の燔祭」(ディリー・サクリファイス)(ダニエル8:12)の「燔祭」(サクリファイス)という言葉は、人間の知恵によって附加されたもので、本文にはないものであることをわたしは見た。そして、主は、審判の時の叫びをあげた人々に、それについての正しい見解をお与えになった。1844年以前に、人々が一致していた時には、ほとんどすべての者が、「常供」について正しい見解を持っていた。しかし、1844年以来の混乱のなかで、ほかの意見をもつものが現れて、暗黒と混乱が起こった。1844年から後において、時は、2度とテスト[試金石]とはならないのである。主は、第三天使の使命[メッセージ]が、前進し、主の散らされた子供たちに宣言されなければならないが、しかしそれは、時に重点をおくものであってはならないことを、わたしに示された。ある人々は、時についての説教から起きてくる誤った興奮を感じているのを、わたしは見た。しかし、第3天使の使命[メッセージ]は、時の力以上に強力なものである。この使命[メッセージ]は、それ自体の基盤の上に立つことができるもので、時によって強化される必要がないことを、また、きびしく、すみやかになしとげられることを、わたしは見た(福音社訳)。
『1919聖書会議』スペクトラム1979.5
「常供の」(daily)問題
A・G・ダニエルズ;「常供の」という問題について、かつて彼女を訪問しました。あの古いチャート(今も手に入る、あの古い初期のチャートですが)を持って行きました。
C・P・ボールマン:ハスケル長老が売っている同じチャートですか。
A・G・ダニエルズ;はい、あの同じチャートです。私はそれを持って行き、彼女の膝の上に置き、そして、私は『初代文集』を取り、彼女にそれを読んで聞かせ、それから、その論争のことについて彼女に語りました。彼女とずいぶん長い時間を費やしました。彼女がまだ元気な時のことです。十分休息していたので、私は彼女に詳しく説明しました。私は、「さて、あなたはここで兄弟達が考えていた“常供の”(daily)の考え方が正しかったことを示されたと言っています」。「あなたが引用される“常供の”には二つの部分があると思います。一つは2300年という時の期間であり、他方は、“常供の”が何であったかということです」と言いました。
私は彼女と共にそれを検討しました。ある所に来るとすぐに、彼女は「ああ、私は、自分に示されたことを知っています。2300日のその期間が定められ、そして、その後には定まった時はないだろうということです。兄弟達があの1844年の日を迎えた時、彼らは正しかったのです」と言ったのでした。
私は、それを置いといて、そして、この“常供の”についてさらに進んで質問しました。彼女は「ああ、ダニエルズ兄弟、“常供の”が何であるか、それが異教のことか、それともキリストの奉仕のことなのかです。私には分かりません。私に示された事柄ではありませんでした」と言いました。そして、彼女はすぐに、薄明りの所に行こうとしました。
それから、私が「2300年の所」に戻ると、彼女は直ぐに元気を取り戻して姿勢を正して言いました。「あれは私達が決して拭いさることのできない事柄です。私はあなたに伝えます。あなたはあの2300年の期間から逃れることは決してできません。そのことが定められていることが私に示されました」。
そして、兄弟方、私はそうだったと信じています。みなさんが、その問題を私から取り去ろうとするのと、私をこの世界から取り去ろうと努力するのは状況に照らして適切かもしれません。その理由は彼女がそう言ったからではなく、私は、それが主によって明らかに彼女に示されたものであると信じるからです。けれども、このほかのことについて、彼女が「“常供の”が何であるかを示されなかった」と言う時、私は、“常供の”がその期間を定めているという疑問について100%『初代文集』を信じています。私は、彼女が語っている事柄と共に聖書を研究し、“常供の”それ自体が何であるかということについて、聖書を研究しています。
『エレン・G・ホワイト百科事典』2013
エルムスヘイブンのカウンシル(会合)
(「エルムス」はニレの木の意。E.ホワイトの住居)。エレン・ホワイトの最後の年における通常のパターンは、アメリカの西海岸エルムスヘイブンから東部への困難な旅をする代わりとなるものだった。SDA全体総会のリーダー達は、エルムスヘイブンの彼女の家に来た。1908年1月26日の日曜日のミーティングは、ダニエル8:12,13の「常供の(the daily)=日毎の」と並行する節の神学的な論争が熟慮された。A.G.ダニエルズとW.W.プエスコットは、「新しい見解」を支持する人々を代表した。だが一方、J.N.ラフボロー、S.N.ハスケル、ヘテイ・ハスケルは、「古い見解」の声の擁護を述べた。W.C.ホワイト、C.C.クライスラー、D.E.ロビンソンは同じく述べた。彼らは、二つのグループの間の一致の調整と、このような争いの種になることの排除について、新しい見解を開示した287)。他のエルムスヘイブンの会合での後で短く、プレスコット、クライスラー、ロビンソン、W.C.ホワイトは、彼女の働きについての批判について、同時代のアドベンチスト達の一般的な反応の可能性を研究するために1月27日、28日、2月2日の一部分を費やした288)。
この疑問の扇動/動揺を増すようなことが行なわれるべきではないという光/知識が、私に与えられました。[この疑問を]非常に重要な内容として留めないように、また、私達の講話の中に取り入れないようにしましょう。私達は、前面に偉大な働きを持っています。また、私達は、なされるための本質的な働きから1時間も失われるべきでありせん。私達は、私達が明確な光として持っている真理と、私達が一致して[持って]いる真理の重要な教理を提示する時に、 [真理の探究の] 公的な努力を抑制しましょう(1992年訳は誤訳。「公衆に対する働きにおいては、私たちがはっきりした光を持ち、一致している真の大切な線に沿って語りましょう」 Let us confine our public efforts to the presentation of the
important lines of truth on which we are united, and on which clear light.)。
私は、あなた方の注意を、ヨハネ17章に記録されていたキリストの最後の祈りに向けようと思います。そこには、質素の中の美、テストに必要な真理など、私達が語ることのできる多くのテーマがあります。それらに、あなた方は強い熱心さでとどまることができるでしょう。兄弟達の間で論争が起き上がるような「常供の(the daily)=日毎の」やその他のテーマは、この時代に持ち込まれないようにしましょう。これ[このテーマ]は、ちょうど今中心となっていた、私達の兄弟達の知性に持ってほしいという主の働きを妨害して遅らせているからです。注目された異なる意見を啓示するような疑問を扇動しないようにしましょう。そうではなく、神の律法の主張に繋ぐと考えられる神聖な真理の言葉をもたらすようにしましょう。私達の[教会の]牧師達は、真理の提示において、最も好感を持たれるように探究する必要があります。可能な限り、みんなが同じことを語りましょう。講話は、容易に理解されうるように、生き生きとしたテーマを扱って、簡潔になるようにしましょう。私達の[教会の]牧師達はみな、自分自身の謙遜の必要を知る時に、主は、彼らと共に働くことが可能となります。神の使い達が私達と協力できるように、私達が労している人々の知性に神聖な印象を作れるように、私達はもう一度、回心する必要があります。
5.絆をさらに強める(1992年訳は誤訳。「つり合いを取ること」 Draw in even cords)
私達はキリストのような絆で一致して、共に溶け合う必要があります。その時、私達の働きは無駄にならないでしょう。絆をさらに強めてください。そして、その中に論争をもたらさないようにしましょう。一体化する真理の力を現しましょう。また、これは人間の知性に力強い印象を作るでしょう。一致の中に力があります。
今は、重要ではない相違点を目立つようにする時ではありません。偉大な教師との生きた強い繋がりを持っていなかった人が、自分達のクリスチャン体験の弱さを世の人々に現すならば、私達を注意深く観察している真理の敵達は、それ[クリスチャン体験の弱さ]を最大にするでしょう(1992年訳は誤訳。「それを利用して」 will make the most of it,)。そして、私達の働きを妨げるでしょう。心が低く、柔和な人である主から教訓を学び、みんなで柔和を育てましょう。
「常供の(the
daily)=日毎の」のテーマは、これまでに起こされたような動きを、引き起こすべきではありません。この疑問について、両方の側の人々によって、取り扱われたこのテーマの成り行きの一つの結果として、論争が沸きあがって、混乱が起こりました。……このテーマの存在について、意見の食い違いがある現在の状態では、それが目立たないようにしましょう。全ての論争をやめましょう。このような時に、沈黙が最善です。
この時における、神の奉仕者達の責務は、諸都市の中で御言葉を伝えるために存在しています。キリストは、天の法廷からこの地上へ魂達を救うために来ました。主の恵みの分配係として、私達は、主の救いの知識の真理を諸々の大都市の住民達に与える必要があります。
21章 空想、または、奇抜な教え
1.妥協しない
私は、私達の教会の兄弟[姉妹]達にはっきりしたメッセージを伝える義務があります。悪と妥協することがないようにしましょう(1992年訳は誤訳。「妥協してはなりません」 Let there be no compromise with evil.)。起こっている危険な影響に大胆に立ち向かってください。敵の勢力が抵抗する成り行きを恐れてはいけません。
今日、多くの惑わしが真理として語られて存在しています。私達のある兄弟[姉妹]達は、私達が支持できない見解を教えています。御言葉の空想的な考えやわざとらしく妙な解釈が入ってきています。これらの教えのあるものは、今は小さな点や染みのように見えるかもしれませんが、それらは、大きくなって[信仰]経験の未熟な人々に罠となるでしょう。
私達は行なうための確固とした働きを持っています。私達の注意が空想的な考えに走ること、また、この時代の人々のための一定の真理の宣布を逸らすことを、敵が目的としないようにしましょう(1992年訳は誤訳。「空想的な考えに持って行くのを許してはなりません」 Let not the enemy cause us to swerve…)。
私達は、個人々々が、聖霊の働きを識別するために目覚めて目を大きく見開いていない限り、間違いなくつまずいて、サタンの不信の落とし穴に落ちてしまうでしょう(1992年訳は誤訳。「穴に陥ってしまいます」 we shall certainly stumble and fall into Satan's pitfalls of
unbelief.)。私は、私達の教会の兄弟[姉妹]達に、忠実な羊飼いとして、魅惑的な策略の影響にさらされている信仰体験の未熟な人々を守る人として、見守るようにと呼びかけます(1992年訳は誤訳。「お願いします」 I call upon our brethren to watch.)。神がこの時代の人々のために私達に与えた特別なメッセージの中にある信仰を打ち砕く脅威となる流砂や岩を用心し続けてください。この時代の人々は弁明をして当然なので、魂達を見守りましょう(1992年訳は誤訳。「魂に対する責任を問われるものとして、人々の魂を見守っていようではありませんか」 Watch for souls as they that must give account …)。
私達は、日々、聖書を調べる必要があります。[その時]私達は主の道を知ることができて、また、私達は、宗教的に誤った考えにだまされないでしょう。この世界は、神聖と真理から引き離そうとする、また、明瞭な認識を破壊する傾向のある魅惑的で霊的な考えと偽りの理論に満ちています(1992年訳は誤訳。「…満ちていて、…話そうとします」 The world is full of false…which tend to
destroy …and to lead away )。特に、今日、私達は「価値のない言葉で、だまされる人がいないようにしましょう」(エペソ5:6 KJV)という警告に心を傾ける必要があります。
私達は、御言葉を誤解しないように慎重になる必要があります。神の言葉の明瞭な教えは、その[言葉の]現実感が人間の思考から失われるほど、霊的にされるために存在しているのではありません。空想を満足させるために何かを加えて提示する努力によって、聖書の聖句の意味をゆがめてはいけません。人々が読んでいるように、聖書を信じてください。何が天の王国に存在しているだろうかということに関して、無駄な空論を避けてください。
『原稿』 30, 1904 [77歳]
2.命と死の疑問(1992年訳は誤訳。「生きるか死ぬかの問題」A life and death question)
複数の手紙が、私の所に届きました。それは、「人々が悩まされて苦痛を与えられているにもかかわらず、昆虫でさえも命を殺される命はない」と言っている人の教えに関して質問しています。誰かが「神がこの教会の人々に与えるためにこのメッセージをその人に与えた」と、言うことは可能ですか。主は、どのような人間にもそのようなメッセージを与えませんでした。神は、誰にも、私達の安らぎと安息を破壊する昆虫を殺すことは罪である、とは言いませんでした。キリストの全ての教えの中で、彼は、この種のメッセージを与えませんでした。また、彼の弟子達は、彼が彼らに命じたことをだけを教えるために存在していました(1992年訳は誤訳。「命じたことだけを教えればよいのです」
His disciples are to teach only…)。
いつも論争に繫がることを探している人がいます。これは、彼らの宗教の概要です。その人々は、何か新しいものや珍しいものを作り出そうという思いで満たされています。彼らは、自分達の鋭く論争的な才能を駆使して、帰結の最小の内容にこだわっています(1992年訳は誤訳。「彼らは、…才能を働かせるのです」 they dwell upon matters of the smallest consequence, exercising
upon their sharp, )。
とりとめのない話が重要な真理として持ち込まれると、誰かによって、それらは[信仰の]試金石として現実に置かれてしまいます。このように、論争が作られます。そして、人々の知性は現在の真理から引き離されます。サタンは、重大な疑問が無視されると、つまらない些細な事に夢中になった男女を手に入れることができるかどうかを知っています。彼は、くだらない、大切でないテーマを考えたがる人々の注目をひくために、多くの手段を備えるでしょう。ファリサイ派の人々の知性は、まったく重要でない疑問に夢中にさせられていました。彼らは、自分達の救いに関係ない世代から世代へと伝えられてきた伝承的な議論のために、神の言葉の貴重な真理のそばを通り過ぎていました。そして、今日、貴重で大切な時は永遠の中に過ぎ去っています。一方で、救いの偉大な疑問はとりとめのない話のために見過ごされています(1992年訳は誤訳。「見過ごしにされ、捕らわれているのです」 are over looked for some idle tale.)。
私は、私の兄弟、姉妹方に、神の言葉の中に見つけた指導をしっかりと守ることをしてほしいと言いたいです。御言葉の真理を豊かに宿らせましょう(1992年訳は誤訳。「豊かな真理を強調しなさい」 Dwell upon the rich truth of the Scripture.)。こうすることによってのみ、あなたはキリストと一つになることが可能です。あなたは、昆虫を殺すことについての議論に加わる時間はありません。イエスはそのような重荷をあなたに与えませんでした。「籾殻は麦粒にとって何のためにありますか」(エレミヤ23:28 KJV)。これらの側に湧き起こった問題(1992年訳は誤訳。「本質的でない議論」 These side issue which arise are …)は、終末時代の真理に比べると、切り株や薪、干し草のようなものです。そのような内容を語るために、神の言葉の偉大な真理を離れる人々は、福音を語っているのではありません。彼らは、人々の永遠の福祉に関する真理から人々の知性を引き離そうとして持ってくる、敵の虚しいこじつけを扱っています。彼らは、自分達の憶測を証明するためのキリストの言葉を持っていません。
あなたの時間をそのような内容の議論に費やしてはいけません。あなたが教えるための疑問や、あなたが抱いているテーマについての疑問を持っているならば、[聖書にある]偉大な教師の講話に直接行って、そして、彼の指導について行ってください。……
あなたの注目を「永遠の命を継ぐために私は何をしたらいいでしょうか」(ルカ10:25 KJV)という疑問から離す何ものも許してはいけません。これは、命と死の一つの疑問で、私達が永遠に一人ひとり決定する義務があります。私達が持っている厳粛な真理の重要性と共に、人々の知性に負わせましょう(1992年訳は誤訳。「真理の重要性をこそ考えてください」)。重要でない理論や安っぽい研究に放浪するように知性を許す人は、回心する必要があります。……
神の言葉の権威がなくて、間違った理論は、右手や左手のあちこちから出て来るでしょう。そして、弱い人々には、それらの理論が賢くする真理のように見えるのでしょう。しかし、それらは虚しいものです。多くの教会メンバー達は、彼らは消化不良の宗教を持っていて、やすっぽい食物でたいそう満足させられるようになっています。なぜ、男性達や女性達は、注目の価値ある内容として、彼らに提示されたとりとめのない話を集めることによって、自分達の[信仰]体験の価値を下げるのでしょうか。神の人々(民)は、神の求めを負わない、漠然としてくだらない疑問に取りかかっている時間はありません。
神は、男性達と女性達がまじめに率直に考えることを望んでいます。彼らは、広い地平線までをも見晴らす威厳ある、高く、より高いレベルに昇るために存在しています。彼らは、イエスを見つめて、彼のかたちに変えられるために存在しています(1992年訳は誤訳。「かえられねばなりません」 they are to be changed into His image.)。彼らは、天の永遠の真理を深く研究するために自分達の時間を使うために存在しています。その時、彼らの宗教体験にくだらないことがなくなるでしょう。彼らが、神の言葉の壮大な真理を研究する時、見えない存在である神を見ることに忍耐し続けます(1992年訳は誤訳。「見ることができるのです」 they endure the seeing of Him…)。これらの人々を最も高めて高貴にする真理は、すべての真理の源である神と強く結ばれているということを知っています。そして、人々が彼を学ぶ時に、彼らの動機と共感は変化しない確固としたものになります。全ての知恵の源によってつくられたその印象は、現実のものであり、不朽のものです。キリストが与える生きた水は、枯れてしまうような、少しの間に湧き出る細い泉のようなものではありません。その生きた水は、永遠の命を湧き出しています。
啓示された神の意思について行きましょう。その時、私達が受ける光/真理は、全ての真の光/知識の源である神性から来ていることを知るでしょう。キリストと協力する人々は、安全な基盤にいます。神は、この世界の人々を滅びから救う働きにエネルギーを捧げている時に、豊かにその人々を祝福しています。キリストは、私達の手本です。彼を見上げることによって、私達は、品性から品性へ、栄光から栄光へ、主のかたちに変えられるために存在しています(1992年訳は誤訳。「変えられて行きます」 we are to be changed in to His image.)。これが、私達の働きです。神は、救い主を正しく世界の人々に提示するために私達を助けています。 『レビュー&ヘラルド』1901,8,13 [74歳]
3.未来の生活に関する憶測
最近、新しく作られた地球で結婚や誕生があることを信じている、と言う人々がいます。しかし、御言葉を信じている人々は、そのような教理を受け入れることが不可能です。新しい地球で子ども達が生まれるだろうという教理は、「預言の確かな言葉」(2ペテロ1:19)の一部ではありません。キリストの言葉は誤解されないように、あまりにも明白です。それらの言葉は、新しい地球での結婚と誕生の疑問に、永遠に決着をつけるでしょう。やがて死からよみがえらされる人と死を見ずに栄化される人は、結婚も結婚式もありません。その人々は、神の家族の一員として、神の天使達のような存在でしょう。
キリストのこの明白な言葉に反する見解を持つ人々に、私は言いたいです。そのような問題に、沈黙は雄弁です。それは、神がその言葉の中で私達が知るようにしなかった問題を考える理論と憶測による放縦のための推測です。私達は、私達の将来の状態を考えて、推測に入り込む必要がありません。
奉仕の働きをしている私の兄弟達に、私は「御言葉を説教しなさい。時が迫っていても、時が遅れても」(2テモテ4:2 KJV)と言おうと思います。[説教の]の土台に薪や干し草や切り株のような自分の推測や憶測を持ち込んではいけません。それは、誰の益になりません。
キリストは、私達の救いのための真理の要素を与えずにおくことをしませんでした。啓示された事柄は、私達と私達の子ども達のためにあります。しかし、私達は、啓示されていない事柄に関する教理の枠組みについて、自分達の想像を許すために存在しているのではありません。
主は、私達の幸福のために将来の生活のあらゆる備えをしました。しかし、主はそれらの計画について啓示をしていないので、私達はそれらについて推測をするために存在していません。私達は、この世の生活の状態によって、未来の生活の状態を予測するために存在していません。
大切な命に関わる内容は、神の言葉の中に明白に啓示されました(1992年訳は誤訳。「…されています」 have been plainly revealed )。これらのテーマは、私達が最も深く考える価値があります。しかし、私達は、神が沈黙していた内容を探究するために存在していません(1992年訳は誤訳。「…詮索すべきではありません」 we are not to search )。ある人は、贖われた人は白髪にはならないないだろう、という推測を発表しました(1992年訳は誤訳。「…推測しました」 have put forth the speculation )。ほかの人の愚かな憶測も出されましたが、それらは重要な内容ではありませんでした。どうか、神が合理的に考えるよう、神の人々(民)に助けますように(1992年訳は欠訳)。私達がはっきりとわからない疑問が湧き上がった時、私達は「御言葉は何といっているだろうか」と問う必要があります。
新しい何かに思い焦がれる人々は、新しく生まれることから生じる新しい命について探求しましょう。これらの人々は、永遠の命を継ぐために行なう必要のあることは何かを質問したあの律法学者のように、キリストが与えた指導と調和した活動をするようにして、真理への従順によって自分達の魂を清めましょう。
「汝らは、汝の心の全てで、汝の魂の全てで、汝の力の全てで、そして、汝の知性の全てで、汝の神、主を愛するでしょう。また、汝らの隣人を汝ら自身のように、……これを行ない、そして、汝らは生きるでしょう」(ルカ10:27,28 KJV)。神の言葉の明白な求めに自分達の生活を適合させる全ての人は、永遠の命を継ぐでしょう(1992年訳は誤訳。「…継ぐのです」 will inherit eternal life.)。
『原稿』28, 1904 [77歳]
4.理解に困難なテーマ
この働きの中には、全部が真実であるかもしれませんが、論争を作り出して、神の民に備えられたキリストの偉大な晩餐に導かないような神学理論を、その人々の前にもたらす危険性があります。私達の中に形成された神の愛が私達の人間性の性質を抑えて和らげ、主の聖なる品性に似るようにと(1992年訳は誤訳。「調和してくださる」 to bring us into conformity )、私達は切望しています。その時、私達は、極めつくすことのできないキリストの豊かな富を神の人々の前に広めることができるでしょう。その招待は、キリスト自身によって与えられています。また、それは、全ての人が近寄れて、食物の用意された[キリストの]食卓に注目を呼びかけるための、彼につく全ての人々の働きです。理解されるために、難しい問題を最初にもってこないようにしましょう。キリストは、宴会に、と人々に呼びかけています。望む人は、みな行くようにしましょう。 『手紙』89, 1898 [71歳]
5.144,000人
キリストは、神が人間の知性の宝庫に蓄えておくべき、高尚にして高貴にする真理の基礎を与えた時に、この教会の中に作り話や推測した話を提示するような人が現れるだろうと、言いました。人々が、この理論、あの理論と取り上げる時、また、彼らが、知る必要のない何かを知ろうという好奇心に駆られている時、神は彼らを導いていません。神の人々(民)が、神の言葉の中で教えられていないことで、推測せざるをえないので何かを提示するということは、神の計画ではありません。144,000人を構成するために存在している人は誰かというような、霊的に彼らに助けにならないような疑問をめぐって論争に入るというのは、神の意図ではありません。このことは間もなく、神に選ばれた人々は疑問なく知るでしょう。
私の兄弟姉妹のみなさん、神があなた方とあなた方の子ども達に与えた真理を研究して正しく認識してください。霊的な助けにならないようなことを知ろうとして、あなたの時間を費やしてはいけません。「私は、永遠の命を継ぐために何をしたらいいでしょうか」(ルカ10:25)。これは全く大切な質問です。また、それは明確に答えを与えられました。「律法には何と書いてありますか。汝はどのように読みますか」。 『原稿』26, 1901 [74歳]
6.キリストは一致を呼び掛けている
私達の教会員達は、指導の立場にある人々の間に意見の相違があるのを見ています。そして、彼ら自身も、異議を唱えて、問題に関する論争に加わっています。キリストは一致を呼び掛けています。しかし、彼は、私達に間違った行動での一致を呼び掛けていません。天の神は、偽りと間違いに導かれた教理と、清めて高尚にして高貴にする真理の間を厳しく対照して一線を引いています。彼は、悔い改めないことと罪を正当な名によって呼んでいます(1992年訳は誤訳。「彼は罪を罪と呼び、悔い改めていないことは悔い改めていないこととして、取り扱っています」 He calls sin and impenitence by the right name.)。神は、調整されていないモルタルでうわべを被うようなことをして悪事を飾り付けません。私は、私の兄弟達に、真の霊的な基礎に立って一致するよう訴えます。
『原稿』10, 1905 [78歳]
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7.主権争いをしない
働き人達が自分自身の魂の中にキリストを宿らせている時、また、全ての自我が死ぬ時、さらに、主権の張り合いや争いがない時に、ほかの人への愛が見られたり感じられたりするので、その時、神の約束は一粒もひとかけらも欠けないので、聖霊の恵みの雨が彼らの上に確かに降るでしょう。しかし、その働き人達が自身の優位性を示すようなことをして、ほかの人々の働きの価値が下げられる時に、彼ら[その働き人達]は、自分達自身の働きが、その[労働契約の]署名の責任を負っていないことを証明しているでしょう(1992年訳は誤訳。「they prove that their own works does not bear the signature it
should )。神は彼らを祝福することができません。 『原稿』24, 1896 [69歳]
22章 極端な見解の危険性 [28]
1890年5月19日 [63歳]
カリフォルニア州セントヘレナ
親愛なるK兄弟へ
私はこれより前に、あなたに会って話すか、手紙を書きたいと思っていましたが、どちらもできませんでした。しかし、私はあなたに強い関心を持っています。そして、あなたがこの働きから離れないように願っています。私は、あなたと道理に沿って会話する[体力・知力・精神]力を持っていません。あなたの知性は鋭敏で、あなたの言葉はとても流暢なので、私はとても疲れてしまい、また、私の言うことは、あなたの知性に明瞭に残らないのではないかと恐れています。
私は、あなたの危機を知っています。あなたは自分の思考をすぐに言葉に変換することができます。あなたは強い光/真理の中に物事を変換していて、あなたの言葉には自制がありません。いくつかの点において、あなたの見解はたいそう強引にされたものなので、あなたは、兄弟達があなたを恐れるようにしています。あなたは恐れられる必要がありません(1992年訳は誤訳。「そうする必要はありません」 This need not be [afraid of you])。あなたが同等に見ていないことが現れるようにして、あなたは自分ができる限りにおいて、あなたの兄弟達から離れようと試みるべきではありません。
私は[イエスから] 、あなたの良い影響力は大きく減少したことを示されました。その理由は、あなたが、あなたの全ての努力によって、あなたがほかの人達に把握させることができていない、また、あなたが自分自身十分に把握していないいくつかの確かな点において、あなたの考えの強引なことが自分の義務だと感じているからです。あなたは、それらの点にとどまっていなければならないと考えることは、あなたに必要がないということを[イエスから]示されました。あなたのアイデアのいくつかは正しいのですが、ほかのものは不正確で間違っています。
あなたが、失われた者を救うために罪びと達を受け入れて、キリストが快く罪を赦すようなテーマ、また、希望と勇気を与えるテーマにとどまっているならば、あなたは一つの祝福となれるしょう。あなたがそのように極端な見解を取って、独自な者になるように努力している一方で、彼らに提示する時に厳しい言葉を使うと、多くの害をなす危険性があります。ある人は、あなたの思想を捉えて益があると思うかもしれません。しかし、誘惑されて打ちのめされる時に、彼らは信仰の良い戦いを闘う勇気を失うでしょう。
あなたが、自分にとってとても重要に見えるそれらのアイデアにとどまらないならば、また、あなたの行き過ぎた強引さを抑制するならば、あなたは、自分自身にもっと信仰を持てるでしょう。「あなたの知性は、神の未知の説明とその研究に没頭することから、時々バランスを失いました。その未知は、あなたが研究して説明した後も、それが以前に存在していたように、大いなる未知として存在している」と、私は知りました(1992年訳は誤訳。「その奥義は、あなたが研究し、説明したあとも、やはり前と同じように大いなる奥義であって、説明しつくすことができなのです」
I saw that your mind was at times unbalanced from trying very
hard study into and explain the mystery of godliness, which is just as great a
mystery after your study and explanations as it was before.)。
1.回心における様々な体験
この教会の人々に、イエスを自分達の唯一の希望と助け手として見上げるように[教えて]導いてください。分かったという印象を与えるために、また、その魂に語るために、さらに、その人々の知性に働くために、主のための余地を残してください(1992年訳は誤訳。「残るようになさい」 leave the Lord room to work upon the mind.)。まったく罪がない[状態]に達するべき、また、達することができるという立場、あるいは、新しい心を作るという根拠と全ての理由を知ってほかの人々に語ることは、あなたにとって必要不可欠なことではありません。あなたはそのようにするための働きが委ねられていません。
全ての人は同等にされていません(1992年訳は誤訳。「すべての人は一様ではありません」 All are not constituted alike.)。それぞれの回心は全く同じではありません。イエスは[人々の]心に感銘を与えています。そして、罪びとが新しい命に生まれ変わります。しばしば、[人の]魂達は、呵責に耐えない恐れのなかった時、また、魂をかき乱すことがなかった時、さらに、強い確信のなかった時に、キリストのもとに引かれてきました。その人々は、十字架にあげられた救い主を見上げて生きました。彼ら彼女らは魂が必要としていたことを見ました。また、救い主の苦悩を見てその叫びを聞きました。その人々は、「私についてきなさい」と言っている声を聞いて、立ち上がってついて行きました。この回心は本物です。そして、信仰生活は確固としたもので、激しい苦悩の過程をたどって苦しんだすべての人々と同じものでした。
私達の教会の牧師達は「あなたは、この点について、私が行なうのと同じように考えなければならない。さもないと、あなたは救われることができない」と感じる、自分達の特別な考えにとどまることをやめる必要があります。この自己本位[な考え]を捨ててください。全てのケースでなされるための偉大な働きは、キリストに魂達を勝ち取るために存在しています。人々は、十字架上のイエスを見る必要があります。人々は見て生きて当然です。その人々が食物を与えられて養われるのは、あなたのアイデアによるのではではありません。その食物は、神のひとり息子の特別な血と肉です。彼は「私の肉は確かに食物です」(ヨハネ6:55)、「私があなた方に話している言葉は、精神/霊です。そして、それらは命です」(ヨハネ6:63)と言っています。
2.キリストが働く余地を残す
イエスを受け入れた魂は、偉大な医師の配慮のもとに自分自身を置きます。そして、魂の全ての必要を見分ける偉大な医師と苦悩者との間への関わり方に気をつけましょう(1992年訳は誤訳。「…注意深くなければなりません」Let men be careful low they come )。魂の医師、キリストは、その欠点やその慢性的な病を理解しています。また、彼自身の血によって買い戻すことによって癒す方法を使っています。彼は魂の欠如部分を最善に補うことが可能です。しかし、人々はとてもお節介です。彼らは多くのことをしようとしたがります。彼らは、キリストが働く余地を残さないで、その内容についてやり過ぎています(1992年訳は誤訳。「人々は、…余地を残しません」 But men are so officious, they want to do much, that they overdo
the matter, leaving Christ no room to work.)。
[人の]魂の中で、[品性の]形成と[人格の]型作りが働く必要がある時にはいつでも、キリストは最善に行なうことができます。罪びとがキリストの所に行って、その罪びとが、正しくない者のために正しい者が死んだという十字架上のキリストの光景を注意深く見るならば、その確信は強くなくても、その光景は、すべての人の心の壁を打ち砕くでしょう。キリストは、救われるために自分を信頼する全ての人を救う働きに着手しました。彼は、正される必要のある悪を見ています。彼は、失われた者を捜して救うために来ました。「私の所に来る人を、私は決して拒まないつもりです」と、主は言っています。
キリストの善意と憐れみを通して、罪びとは神性の好意が回復されるために存在しています(1992年訳は誤訳。「…神の恵みを受けるものとなります」 is to be restored to the divine favor.)。キリストの中で神は、日々、人々に神と和解するようにと懇願しています。彼は腕を伸ばして、罪びとだけではなく放蕩息子も受け入れて歓迎する用意をしています。カルバリーの丘で現した彼の臨終の愛は(1992年訳は誤訳。「死をかけてカルバリーであらわされた愛は」 His dying love,manifested on Calvary, is )、罪びとへの愛と平和と受諾の保証です。罪で暗くなった魂がカルバリーの十字架から輝き出ている光/真理を見ることができるように、最もわかりやすい形でこれらのことを教えてください(1992年訳は誤訳。「見ることができるようにしてください」 Teach those things in the simplest form,)。
サタンは、知性全体を占めるように重要で大事なものが現れる理由となるように、特別なメッセージ(1992年訳は誤訳。「使命を伝える」 to preach the message )を説教する義務のある人々が、洗練された理論に夢中になるように、多くの方法で働いています。その一方で、彼らは、自分達が経験の中で大股で歩くような素晴らしい進歩をしていると考えています。彼らは自分のいくつかのアイデアを偶像化しています。また、彼らの感化力は損害を受けています。そして、主の側のことをほんの少し語っているだけです。
全ての牧師は、何がキリストの知性であるかを確かめるための熱心な努力をしましょう(1992年訳は誤訳。「努力をしなければなりません」 Let every minister make earnest effort to )。あなたの知性があることについて良くバランスが取れたものにならない限り、あなたの進む道はこの働きから分かれてしまうでしょう。そして、あなたは何につまずいているかもわからないでしょう。あなたは、考案しないほうがよかったアイデアを持ち上げるでしょう。
自分達自身の立場を築き上げるために、また、彼らがそれらにとどまるために、さらに、自分達のアイデアに合うように「証の書」から、そして、神の言葉から解釈可能な文章や段落を切り取って集める人々がいます。その時、神は彼らを導いていません。ここにあなたの危険性があります。
あなたは、神の人々(民)の間での篩いの話や、調査審判の終わりの話について「証の書」の中の文章を取り上げて、そして、この清い人々(民)から、もっと清められた人々(民)が起こってくるようなことについて語っています。これらの全てはかの敵を喜ばしています。私達は、相違点を作ることや不和を起こすようなコースを取ることを必要もないのにしないようにしましょう。自分達の特殊なアイデアが受け入れられないのは、牧師達が信仰と理解を欠いていて、闇/無知の中を歩んでいるからだということになりますがそうではありません。私達はそういう印象を与えないようにしましょう。(1992年訳は誤訳。「自分達の特別な考えが受け入れられないと、それは牧師達が理解と信仰を欠き、闇の中を歩いているからだと考えてはならないのです」 We should not give the impression that if our particular ideas are
not followed, it is because the ministers are lacking in comprehension and in
faith, and are walking in darkness.)。
あなたの知性は、長い間、不自然な緊張状態でした。あなたは、多くの真理、貴い真理を持っています。しかし、推測が混じっています。あなたの極端なアイデアと厳しい言葉は、しばしば、あなたの最善の努力の成果を台無しにしています。多くの人々が、話して働きかけるあなたの見解を受け入れると、私達はセブンスデー
アドベンチストの間にかつて目撃されなかった最も強い狂信的な昂奮の一つを見るでしょう。これはサタンが望んでいるものです。
3.未知のままに残して置く
キリストの教訓の中に、あなたが話をすることができる多くのテーマがあります。あなたやあなたの聴衆が理解できず説明できないことは、あるがままにしておくことが最良でしょう。イエスキリスト自身が教える余地を残してください。主の霊/精神によって、素晴らしい救いの計画の理解を開示していただきましょう。
神の人々(民)に一つの悩みの時の訪れがあります。しかし、私達は、悩みの時の前に捉えて、それらを制御して、それをその人々の前にいつも提示し続けるために存在していません(1992年訳は誤訳。「悩みを与えるようにすべきではありません」 we are not to keep that )。神の人々(民)の間に、一つの篩い(ふるい)となることが存在しています(1992年訳は誤訳。「ふるいの時がきます」 there is to be a shaking among God's people.)。しかし、これはこの教会にもたらされる現在の真理ではありません。
この教会の牧師達は、それらを全て受けない限り、自分達はふるい落とされて、一つの人々(民)が勝利へと向かって前進して行くために起き上がるだろうと、自分達が何か素晴らしく進歩的なアイデアを持っているとは考えないようにしましょう(1992年訳は誤訳。「考えてはなりません」 The minister should not feel that )。神がこの時のために送ったメッセージ(1992年訳は誤訳。「使命を」the messages )の本当の原則に抵抗しているある人々は、あなた自身のようなケースを表しています。彼らは、主のメッセージを受け入れるのを軽視する口実にして、あなたの極端な見解と教えを指し示しています(1992年訳は誤訳。「言い訳にしています」 They point to )。
サタンの目的は、彼らが必要とする物は何もなくて、生ぬるく、良い物が増えて豊かだと感じて、ラオデキヤの状態になっている時、また、人々がキリストの前に出て、彼が彼らの手に委ねなかった働きをする時、確かに達成しています。この二種類の人々は、どちらもつまずきの石となっています。
独創性のために全ての精力を注いで目指して進んでいる熱心な人は、この教会の人々の前に登場してみごとな何かを得ようとして、墓穴を掘るような間違いをしました。彼らが何を考えているのか、ほかの人々は理解していません。しかし、彼らは自分達が何を語っているかを自分で理解していません。彼らは、この教会の人々のためや自分達のために、ほんのわずかしか助けにならない進歩したアイデアで、神の言葉に思いを凝らしています(1992年訳は誤訳。「考えを述べます」 They speculate upon God 'word,)。この時代に存在している人のために、彼らは想像で昂奮するでしょう。しかし、そこには反動があって、それらの本当のアイデアは、一つの妨害物になるでしょう。信仰は空想と混同されて、そして、彼らの見解は間違った指導によって知性を偏らせるでしょう。
神の言葉の明白で簡潔な記述を知性のための食物としましょう。このアイデアで思いを巡らすことは、危険な働きが存在していることを明らかに現しています。あなたは、生来、闘争的です。あなたは、あなたの兄弟達と調和するかどうかについて、まったく配慮していません。あなたは論争に入ることを好み、あなたの特殊なアイデアのための戦いを好んでいます。しかし、これはクリスチャンの恵みを増し加えていないので(1992年訳は誤訳。「品性を育てていない」is not developing the Christian graces.)、あなたはこれを脇に捨てる必要があります。キリストが天の父と一つであるように、彼の弟子達は一つとなって、彼の祈りに応えるために、あなたの全ての力で働いてください。
日毎にイエスの心の低さと柔和について学ばなければ、私達の一人の魂も安全ではありません。あなたがどこに行って働くにも、独断的にせず、厳格にせず、対抗的にもしないようにしましょう。キリストの愛について、説教しましょう。そして、これは、人の心を鎮めて和らげるでしょう。同じ事柄を話すために、あなたの兄弟達と調和して親和になって、一つの判断、一つの知性になるように求めてください。
4.分派について語らない
あなたの知性で自分自身[の考え]を提示する時に、全ての人は同じアイデアを持っていないので(1992年訳は誤訳。「すべての人が意見を述べる時、同じではないからといって」because all do not have the same ideas as present themselves to your
mind,)、分派について語ることは、神の働きではなく、敵の働きです。あなたが同意可能な簡潔な真理を語ってください。一致を語ってください。うぬぼれず、心が狭くならないでください。あなたの知性を広くしてください。
キリストは、人間の判断の物差しで品性を量りません。彼は「私がこの地から引き上げられるならば、全ての人々を私のもとに引き寄せるでしょう」(ヨハネ12:32)と言っています。この引き寄せに応じる全ての人々は、不正の罪から向きを変えるでしょう。キリストは、彼のもとに来る全ての人を最大に救うことが可能です。イエスの所に来る人は、地から天に届いている梯子に足を載せています。神がその梯子の上に存在していることを、ペンによって、また、声によって、それを教えてください。主の栄光の光の筋は、その螺旋階段の全ての段に輝いています。神は、その人々の足が震えて手が疲れているように見える時に、助けを送ることができるように、苦しみながら登っている人々を慈悲深く見守っています。ええ、それを語りましょう。言葉にしてそれを語りましょう。辛抱強くその梯子を登る人は一人も、私達の主、救い主イエスキリストの永遠の王国に入ることにしくじる人はいないでしょう(1992年訳は誤訳。「入ることができない人はいないのです」 not one who …will fail of )。キリストを信じるこれらの人々は、誰かにキリストの手から摘み取られることがなく、決して滅びないでしょう。
人々に、はっきりと、私達が受け継いで当然の、恥の遺産の逃れ方を希望のある言葉で語ってください。しかし、キリストの[人類救済]目的のために、人々を失望させるようなアイデアを提示しないでください。それは(1992年訳は誤訳。「そうでないと」that will make the way to heaven seem
very difficult,)、天国への道が非常に難しいものに見えるようにするでしょう。これらの過度に緊張したアイデアはみなあなた自身の中に留めておいてください。
私達は、しばしば、クリスチャンの生涯は一つの戦いの生涯であるという事実を知性に印象付ける必要があります。その一方で、私達は、労苦し祈り見張りをする必要があります。また、一瞬でも霊的な警戒を緩めると、魂の危難があります。私達が滅びないで永遠の命を持てるように、私達を愛し自分自身を与えたイエスから私達に提供された救いの完璧さは、説教のテーマとなるために存在しています(1992年訳は誤訳。「説教のテーマとすべきです」 is to be the theme.)。
私達は、自分達の前に置かれた希望を捉えて、イエスの血によって最も聖なる[信仰] (1992年訳は誤訳。「至聖所」the holiest 次頁参照)に入るために、日々主を知るためについて行って、日毎に神と共に歩みましょう。私達が天にたどり着くとすれば、それは、神性の性質にあずかる者となって、魂を仲保者に結び付けることによってであるに違いありません。主の聖霊によって導かれて、あなたの命が神の中にキリストと共に隠れて存在して、キリストに頼っていると、あなたは本物の信仰を持っています。
主の贖いの犠牲の効力を全部信じていると、私達は神と共に働く者となれるでしょう。私達は、主の功績を信頼して、震え畏れつつ私達自身の救いを達成するために存在しています(1992年訳は誤訳。「達成しなければなりません」 we are to work out )。神の善意の喜びに関する行ないと意思の両方に働いているのは神だからです(1992年訳は誤訳。「私達のうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神だからです」 for it is God that worketh in us both to will and to do of His good
pleasure.)。常に、キリストを捉えていると、私達は神の近く、近くへと寄っているでしょう。イエスは、私達にこのことを大切に保つようにと望んでいます。あなたの闘争的な精神を目覚めさせてはいけません。天からのものである特別な知恵は、憐れみと良い実に満ちていて、第一に清らかさ、次に温和、そして、人をもてなす寛大さです。
5.あなたの兄弟達と協調する
あなたが受けている想像の全てのアイデアを目立ったものにする必要があるとは考えないでください。イエスは、弟子達に言いました。「私はあなた方に言いたいことがたくさんあります。しかし、汝らは今、それらを聞くことに耐えることができません」(ヨハネ16:12)。常に誤りに陥りやすい私達は、ほかの人が受け入れる用意のできていないことを、強く主張することにとても気をつける必要があるでしょう。いつもイエスを見つめ続けて、あなたの強く誇張した表現を抑えてください。あなたの言葉やアイデアに気をつける必要がありますが、また、あなたの働きを全部やめる必要はありません。あなたの兄弟達と協調するようにしてみてください。あなたのために、主のブドウ園でなすことがたくさんあるでしょう。しかし、自分の考えや見解ではなく、キリストを高く掲げましょう。武具を身に着けて、肩を並べて、神の働き人達と足を運んで、かの敵に対しての戦いを進めましょう。イエスの中に隠れてください。神の群れ[の人々]に食料を与えて養って、キリストの簡潔な教訓にとどまって、そして、あなたは安定して、知性・精神・身体が強くなって、確固たるものになるでしょう。また、あなたは、ほかの人々を最も聖なる信仰(the most holy
faith)へと育てるように働くでしょう。
キリストの恵みや聖霊の働きについて、あなたの理解がほかの兄弟達の理解と異なるならば、あなたはそれらの相違点を目立たないようにしましょう。あなたはその内容を一つの点からの見解を持っています。神に正しく献身しているほかの人は、ほかの点から疑問の見解をもっていて、そして、自分の知性に強い印象を受けた事柄を話しています。さらに、別の人は、それをほかの視点からの見解を持っていて、別の面を提示しています。そして、愚かなことに、それはこれらの事柄をめぐって争いに引き入れるために存在しています。神が心に感銘を与えて、知性に働くようにしましょう。
主は、いつも、人間が、神の律法の永遠の求めについて、また、罪についての正しい感覚や考えを持てるように、知覚を鋭敏にするために、また、理解を開示するために働いています。回心していない人は、神について、愛のない、厳格で、報復さえする者として考えています。神の臨在は、常に人間を抑制するものだと考えられています(1992年訳は誤訳。「考えています」 is thought to )。また、主の特徴の「汝は、…をしないでしょう」(Thou shalt not.) [訳者解説:このshaltは、現代英語のshall
notです。これは、日本語聖書では「してはならない」と訳されています]という表現[における]主の奉仕は、厳しい要求で、陰気に満ちたものとしてみなされています。しかし、彼が人間を愛したので、神の贈り物としての十字架上のイエスが見上げられた時に、[人々の]目は新しい光/真理の中で物事を見るように開かれました。キリストの中に啓示された時の神は、厳しい裁判官でも報復する暴君でもなく、慈悲深い愛の父でした。
私達が、失われた人間を救うために十字架で死んだイエスを見る時、その心には、ヨハネの言葉がこだましています。「私達が神の子どもと呼ばれるための、天の父が私達に授けた愛の作法は何かを見上げなさい。そのために、世界の人々は私達を知りません。なぜなら、その人々は彼を知らないからです」(1ヨハネ3:1 KJV)。世俗的な人からクリスチャンを決定的に識別するものは、クリスチャンが神に属したものを持っていると評価する以外に何もありません。神の[人類救済]目的の中で、ある働き人達は、罪びとに向かって、すぐに非難の言葉を浴びせてきました。罪深い人類のために死ぬように、主の息子を与えている天の父の愛と恵みは背後に置かれています。その教師は、実は、神は、激怒してとがめの言葉を浴びせるのではなく、帰りを歓迎して喜びの宴会を用意して、戻ってくる放蕩息子を受け入れる愛で切望して待っている父である、ということをその罪びとに知ってもらうために、自分自身の魂にキリストの恵みを必要としています(ゼパニヤ3:14-17)。
私達みんなが、魂をキリストに勝ち取る中で、主の方法を学びたいものです。私達は、カルバリーの十字架の犠牲から輝いている光の中にある貴重な教訓を学んで教える必要があります。神の玉座で安息するまで、また、暗黒のかなたにある特別な光の中に到達するまでの全ての時間に、信仰という常に昇り続けて滅びから導く一つだけの道があります。この教訓を学んだ全ての人々は、彼らが学んでいた所に届いた特別な光/真理を受け入れました。彼らにとって、上に昇る道は、不確実な通路ではありません。それは、全ての旅人から通行料が取られる小道や、人間の考案によって切り開かれた小道や、有限な[人間の]知性の道ではありません。
あなたは、なすことができるどんな働きによっても、苦行によっても、一つの入場券を得ることができません。神自身が一つの道を備える栄誉権を持っています。それは、それ自身の完全さに加えようとしても、人間がなすことのできるどのような働きによっても、人間に不可能な、たいそう完璧で、たいそう完全です。それは、そこでは罪は許されることが不可能で、たいそう高く掲げられ、たいそう清く、とても狭いものです。
神が存在しているように見られる時(1992年訳は誤訳。「神の真の姿が見えた時」 When God is seen as He is,)、祝福された真理は、新しい明瞭な光で輝いています。その人の知性に持ち続けていた困惑は、義の太陽の光線の輝きによって、一掃されています。私達が把握できない多くの事柄があります。しかし、私達は、現在、知らないことを今後知るであろうという、祝福された保証を持っています。
『手紙』15a, 1890 [63歳]
23章 時の設定に気を付けなさい
1.時や時期を知ることはあなた方のためにならない
[29]
(1992年訳は誤訳。「時と場合を…」 It is not for you to know
the time or the seasons)
「イエスは、神の王国に関した事柄を語って、40日間、彼らに見られた存在として、多くの確かな証拠によって、[十字架の]彼の受難の後に生きていることを示しました。そして、彼ら[弟子達]が共に集まっていたときに存在して、汝らが私について聞いていたように、エルサレムから離れないようにと、また、天の父の約束を待つようにと命じて言いました。本当に、ヨハネは水でバプテスマを授けました。しかし、汝らは間もなく聖霊によるバプテスマを受けるでしょう。それから、弟子達が共に集まった時、イエスに問うて言いました。主よ、イスラエルのために王国を再び回復するのはこの時ですか。そして、彼は彼らに言いました。その時やその時期知ることは、あなた方のためのものではありません。それは、天の父が自身の権能の中に置いたものです」(使徒言行録 1:3-7 KJV)。
その弟子達は、神の王国の啓示のための正確な時を知りたいと切望しました。しかし、イエスは、天の父が彼らに啓示しなかったので、彼らにその時やその時期を知ることができないと話しています。神の王国が回復される時を理解することは、彼らが知るための最も重要な事柄ではありませんでした。彼らは、祈って、待って、見張って、そして、働きをして、主に追随していることを見られるために存在していました。彼らは、世界の人々に[対して]キリストの品性/特徴の代表者となるために存在していました。12弟子達の時代に成功するクリスチャン経験にとって本質的だったことは、私達の時代にも本質的なことです。「そして、彼は彼らに言いました。その時や時期を知ることは、あなた方のためのものではありません。それは、天の父が自身の権能の中に置いたものです。しかし、汝らは、聖霊があなた方にくだる後に、力を受けるでしょう」。そして、聖霊が彼らにくだった後、彼らは何をするために存在していたのですか。「汝らは、エルサレムとユダヤ全土、サマリア、そして、地上の最も遠い部分まで、私を証する者となるでしょう」(使徒言行録 1:3-7 KJV)。
2.現在の機会を生かす
これが、私達が繋げられるために存在しているその働きです。昂奮するようなある特別な時を期待して生きるのではなく、魂達が救われるためになす必要のあることを行なって、私達は現在の機会を賢く生かすために存在しています。人々に与えられず、主が自身の権能の中に置いた、時や時期に関する特殊なことで私達の知性を使い果たしたりする代わりに、私達は、特別な真理を得ようとして(1992年訳は誤訳。「真理がないために」 to souls who are perishing for the truth.)、滅びつつある魂達のために、人間の意見が添加されていない命のパンを与えるために、また、現在のなすべきことをするために、さらに、聖霊の支配に私達自身を明け渡すために存在しています(1992年訳は誤訳。「…与えねばなりません」 we are to yield ourselves to )。
サタンは、常に、世界の人々に第三天使のメッセージ(1992年訳は誤訳。「第三天使の使命を」)を与える彼らを不適格者にしようとして、また、現在の真理から人々を引き離そうとして、推測と神学理論で知性を満たす用意をしています。それはかつてこのようなものでした。すなわち、私達の救い主は、しばしば、主が啓示しなかった事柄について尋ねていて、根拠のない憶測に満足している人々を非難するように語らなければならなかったというものでした(1992年訳は誤訳。「救い主は、……人々をとがめておられます」 our Savior often had to speak reprovingly to )。イエスは、重要な真理を人々に与えるためにこの地上にやって来ました。そして、彼は、現在のなすべきことをすることについて、自分の指導と指針/戒めに従って受け入れる必要を人々の知性に印象づけるように望んでいました。彼のコミュニケーション/伝えは、彼らがすぐに日々役立つ知識を与えるものに属していました。
イエスは「これは永遠の命です。それは、汝らに、そなたが送ったイエスキリストと唯一の真の神を知らせるでしょう」(ヨハネ17:3 KJV)と言いました。[イエスによって]行なわれ言われたことの全ては、人々が永遠の命に達することができるように人々の知性に釘づけさせるという考え方によって、一つのテーマを持っていました。イエスは、何か重大な出来事eventの起こる特別な時を布告して人々を驚かすために来たのではなく、失われていた人々を救い、教えるために来ました。彼は、好奇心を引き起こして満足させるために来たのではありませんでした。彼は、この人々が好奇心とありそうもないことを求め続けるだけだということを知っていました。人々が真の清めと従順の道を進んで、霊的な力を増す手段としての知識を与えることが彼の目的でした。彼は、人々の日常生活の必要に相応しい指導だけ、また、ほかの人々に与えられ得るような相応しい真理だけを与えました。
彼は、人々に新しい啓示を現したのではなく、教師達や祭司たちの誤った教えを通して、長い間、不鮮明にされたり間違ったままにされたりして、彼らが理解していた真理を開示しただけでした。イエスは、それらの相応しい位置に、すなわち、預言者達や父祖達に与えられていた正常な状態に、神性の真理に属する宝を据え直しました。この貴い指導を彼らに与えた後で、彼らに言った全ての事柄が彼らの記憶にもたらされる手段として、彼は聖霊を与えることを彼らに約束しました。
私達には、いつも、福音の単純さを超えたものを得る危険性があります。多くの人々に、現在の体験の秩序を変えて、人々を霊的な陶酔状態に引き上げるような、何かの独創的なもので世界の人々を驚かそうという強い望みがあります。現在の真理の神聖さは、それがあるべき状態に自覚されていないので、確かに、現在の体験の秩序の中には、大きな変化の必要があります。しかし、私達が必要としているその変化は、私達の品性が変容されるように、神の恵みが私達の上に来るように熱心に祈ることによって、また、彼の力を彼に請い願うことによって、さらに、彼の祝福を個人的に神に求めることなどによってだけ得られる、心に関する変化です。これが、今日、私達が必要としている変化です。この体験の到達に、私達は、心からの熱心さを現して、精力を保つ行動が必要です。私達は本当に真剣に「私達は救われるために何をしたらいいでしょうか」と問う必要があります。私達は、天国への道を進んでいる歩みは何かを知る必要があります。
3.時の設定に関する警告
キリストは、主の弟子達に様々な真理を与えました。弟子達は、それらの広さや深さ、価値をほんの少し認識したか、あるいは、把握しただけでした。同じ状態が、今日の神の人々(民)の間に存在しています。私達は、神が今日の私達に委ねた真理の美を知覚することや偉大さを捉えることにたいそうしくじってきました。私達が霊的な知識に向かうならば、私達が持っていた小さい夢の境界線を広げて進展させる真理を見ることでしょう。しかし、それは、天の父が自身の権能の中に置いた時と時期を、私達が知ろうとして、私達を想像に導くどんな境界線も決して発展させないでしょう。何度も何度も、私は時の設定に関して警告を受けました。時に基づいたような神の人々(民)のためのメッセージになるものは二度とないでしょう。私達は、キリストの来臨のためや、聖霊の効果のためのどちらにも、確実な時を知るために存在していません。
私は、この集会に来る前に、オーストラリアに持って行く物を見るために、私の書いた物を調べていました。そして、私は「時を定めることに関して与えられた証。注意して保存すること」と書かれた封筒を見つけました。それを開けると、これは私が見つけたものです。こう書いてあります。
「主がホワイト姉妹に与えた幻の一つの写し。1851年6月21日。ニューヨーク州カムデンにおいて。主は私に示しました。このメッセージは送り出される必要があります。時は二度と試金石にはならないだろうから、時を掲げてはいけません(1992年訳は誤訳。「それは時に関するものではない…」)。ある人が、時を述べ伝えることから起こる偽りの昂奮に駆られていたのを、私は見ました。第三天使のメッセージ(1992年訳は誤訳。「第三天使の使命は」 )は、それ自身を基として立つことができています。それは、強めるために「時」を必要としていません。そして、それは、大いなる力によって進んで行くでしょう。その働きを行なうでしょう。そして、義によって速やかになされるでしょう。
ある人がこの秋に全ての注目を傾けていたのを、私は見ました。それはこうです。彼らは推測して、「その時」を根拠にして自分達の財産を処分しています。これは、次の理由で間違っていたことを、私は見ました。日々に神のもとに行く代わりに、現在の自分達の義務知ることを望む代わりに、彼らは、先に立って、そして、日々、神に自分達の義務を尋ねることなしに、彼らは、この秋にこの働きはやがて終わると、本当にわかっているかのように自分達で推測しました。E.G.ホワイト」
[マサチューセッツ州]ミルトンにおいて筆写。1851.6.29, A.A.G.
これは、自分の書き物を捜していた先週の月曜日に私が見つけた文書です。そしてまた、1844年に時を定めて、自分の理論を証明するために自分の主張を触れ回っていた一人の男性に関して書かれたもう一つの文書もあります。彼が行なっていたことについてのレポートは、ミシガン州ジャクソンでのキャンプミーティングで、私にもたらされました。彼が予測したそのイベントは起きるはずがないので、この男性の神学理論には注意を払う必要のないことを[参加した]人々に話しました。時と時期について(1992年訳は誤訳。「時と場合は」 The time and seasons)、神は自身の権能の中で定めていました。そして、なぜ、神は私達にこの知識を与えなかったのですか。なぜなら、神が与えたとしても、私達がそれを正しく利用しないだろうと思われたからです。私達の[教会の]人々の知識の結末となる物事の状態は、それはやがて来る大いなる日に立つために、一つの民を備える神の働きを強く妨げるでしょう(1992年訳は誤訳。「もしそのことがわかると、来るべき大いなる日に立つためを備える神の業を、非常に後退させるような状態が起こるからです」 A condition of things would result from this knowledge among our people
that would greatly retard the work of God in preparing a people to stand in the
great day that is to come.)。私達は、「時」に昂奮して生きるために存在しているのではありません。私達は、神が啓示しなかった、時と時期に関する推測に没頭させられるために存在しているのではありません。イエスは、弟子達に「目を覚ましていなさい」と話しましたが、しかし、確定した「時」については何も言いませんでした。彼につく者達は、自分達の司令官の指示に耳を傾けている人々の立場にあるように存在しています。彼らは、主の来臨の時に近づいているので、働き、祈り、待って、目を覚ましているために存在しています。しかし、「その日、その時間を知っている人はいない」ので、誰も、その時がいつ来るのかを正確に予測することはできないでしょう。あなたは、1年、2年、あるいは5年のうちにキリストが来るだろうと言うことはできませんし、また、主の来臨はここ10年、あるいは20年はないかもしれないと言って延ばすこともできないでしょう。
4.ランプの芯を整えて灯すために
キリストがやがて婚礼から戻ってくる時に、花嫁を待っている男性達になることは、自分達のランプの芯を整えて灯す神の人々(民)の務めです。あなたは、あなたのために用意された大いなる救いを疎かにして、失う一瞬の間もありません。魂を調査するその時は、終わりに近づいています。一日、一日と、人々の運命は封印されていて、この会衆からでも、私達は、間もなく、どれほど多くの人々が死んでまぶたを閉じられて墓で眠らされるかを知りません。私達は、今、自分達の命が速やかに過ぎ去りつつあることを考える必要があります。私達の命が神の中のキリストに隠されていない限り、私達は一瞬たりとも、安全ではありません。私達の務めは、私達のために行なわれる特別なある働きのためのある特別な時を待ち望んでいることではなく、世界の人々に私達の警告の働きを前進させるために存在しています。私達は、世界の一番端の地にいる人々にキリストを証するように存在しています。
私達の周りの人々は、若くて回心も改心もしていない人々です。その人々のために私達は何をしているでしょうか。親御さん方は、初心の愛によって、自分達の子どもに回心を求めていますか。それとも、神と協労者となるように熱心な努力をしないことになって、この世の事柄に没頭していますか。あなたは、聖霊の任務とその働きについて(1992年訳は誤訳。「聖霊の働きと使命に」 the work and mission of the Holy Spirit?)、正しく理解していますか。あなたは、「私達は自分達の周りの人々の魂に伝えるために存在していることと一致して、聖霊は代理者(助け主)である」ということに気づいていますか。この集会が終わった時、あなたは、ここから出て行って、そして、あなたのためになされた熱心なアピールを忘れるでしょうか。警告のメッセージは注意を払われず、あなたが聞いた真理は、壊れた器から漏れる水のように、あなたの心から消えて行くのでしょうか。
かの使徒[パウロ]はこう言っています。「こういうわけですから、私達は、いつの日か、それらが記憶から消えてしまうといけないので、自分達が聞いたことを強く心に留めておく義務があります。天使達によって語られた言葉は不変なものだったとすると、すべての違反の罪と不従順が正当な報酬の報いを受けました。私達が大いなる救いを軽んじるならば、私達はどのようにして逃れられるでしょうか。この救いは、初めに、主によって語られ、また、彼から聞いた人々によって私達にはっきりと言われたものです。神はまた自身の意思によって、聖霊の贈り物、いろいろな奇跡、しるしと不思議によって、人々に証人を送りました」(ヘブライ2:1-4 KJV)。
第三天使のメッセージは、大きな声となって広がっています(1992年訳は誤訳。「叫びとなります」 is swelling into aloud cry.)。そして、あなたは、自分の側で何の努力もせずに、自分が将来に大きな祝福を受けるという考えをする自由、現在の義務を疎かにする自由があると、考えてはいけません。きょう、あなたは自分自身を神に預けるために存在していて、神は、あなたを、神の奉仕に合うように、誉ある器にするでしょう。きょう、あなたは、自分自身を神に預けるために存在しています。そうして、あなたは、神の名誉を汚している全ての争いや憶測、妬みや恨みを空(から)にされて、また、自己を空にされましょう。きょう、あなたは自分の器が清められるために存在しています。それは、後の雨のシャワーとなるために用意され、天の露となるために用意されるでしょう。後の雨はやがて降るでしょう。天の神の祝福は、あらゆる神聖を汚すものから清められる全ての魂を満たすでしょう。私達が聖霊のバプテスマによって合うようにされ、主の現れの時に合うようにされるように、きょう、私達の魂をキリストに明け渡すことが自分達の働きです。
『レビュー&ヘラルド』1892, 3,22 [65歳]
5.「その時」は啓示されなかった
神は、[1844年からキリストの至聖所での]調査期間が終わる時や、このメッセージ(1992年訳は誤訳。「この使命が」 this message )が終わる時を私達に啓示しませんでした(1992年訳は誤訳。「示しておられません」 God has not revealed to us.)。啓示された事柄について、私達は自分達の子らのため、また、自分達のために受け入れても、全能の神の会合で秘密とされた事柄を知ろうとしないようにしましょう。滅びのための用意として存在している魂のために、いつでも労することと、目を覚まして働きをして待つことが私達の義務です。私達は、神の多様な恵みの良い管理者として主の贈り物を分配して、また、彼の前線で働いて、イエスの足跡を常に歩み続けるために存在しています。サタンは、イエスについて日毎に学んでいない全ての人に、この時代の人々ための素晴らしい真理の効用を無くするために、彼自身が作った特別なメッセージを与える用意をしているでしょう。
[1844年からキリストの至聖所での]調査期間が閉じられる時について、私が何か特別な光/知識を持っているかどうかと、私に尋ねた手紙が複数届きました。私はこのように答えを書きました。私は、唯一伝えるために、「夜が来ると誰も働くことができないので、昼間が続いている間に働くことが今の働きです。このメッセージを持っています」と答えています。今、今こそ、私達が目を覚まし、働いて、待つ時です。主の言葉は、その証が、品性を清めて生活を支配するように、心に真理を植えることが全ての魂に必要なことを最も明確にしているという事実を、さらに、万物の終わりが近づいているという事実を啓示しています。主の聖霊は、それを魂に刻み付けるように、また、霊感を与えられた御言葉の真理を捉えるように働いています。なので、キリストに従うことを告白した人々は、彼らがほかの人々に与えることができる神聖な喜びと一つの清らさを持っているでしょう。私達が働くための好機の時は、昼が続いている今です。しかし、可能ならば、やがて、[1844年からキリストの至聖所での]調査期間が閉じられる時を確定するために、御言葉を調べるようにという誰かへの命令はありません。神は、死ぬ運命にある人の口にそのようなメッセージを与えていません。神は、その秘密の会合で隠したことを宣言するための死ぬ運命にある人の言葉を持っていません。『レビュー&ヘラルド』1894,10,9
[67歳]
6.目を覚まして祈りなさい
私は、聖霊降下が起きる時、すなわち、この世界の人々のための働きを閉じる第三天使と一緒になって、大いなる権威を持つ天使が天から降りてくる時について語るための特別な機会がありません。私のメッセージは、芯を整え明かりをともしたランプを持って、天使のような清新さを用意していることが私達の唯一の安全であるということです。キリストは、かつて、私達に目を覚ましていなさい、と語りました。「汝らが考えていない、そのような時に、人の子は来るからです」「目を覚まして、祈りなさい」が、私達の贖い主によって私達に与えられている挑戦です。日々、私達は、神の聖霊の教化/光に照らされることを求めるために存在しています。それ[聖霊]は品性と魂にそれ[聖霊]自身の任務の働きをしているでしょう(1992年訳は誤訳。「魂と品性に対する定められた働きができるように毎日毎日聖霊の啓発を求めなさい」 Day by day we are to seek the enlightenment of the Spire of God,
that it may do its office work upon the soul and character.)。つまらないことに、いかに多くの時間が浪費されていることでしょう。悔い改めて、回心してください。やがて主が現れて、新しく変えられる時に、あなたの罪は消し去られるでしょう。 『レビュー&ヘラルド』1892,3,29 [65歳]
24章 アルファとオメガ(始まりと終わり)
1.御言葉を教える
[30]
ワシントンD.C.において
1904.年7月24日
私達を導く医師達へ
愛する働き人のみなさんへ、私は、11時に目を覚ましました。私の前を通り過ぎて行った象徴が非常に鮮やかだったので、私は眠ることができません。私達の医事伝道者を取り巻く危機と危険性に対して、彼らに警告が行なわれるための明確な一つの働きが存在している(1992年訳は誤訳。「医事伝道者は、…警告されねばならない、」 there is a decided work to be done in warning our medical
missionaries )、という主の言葉が私にやって来ました。
主は、私達のサナトリウムに繫がった人々に、高い標準に達するようにと呼びかけています。偽りは真理ではありません(1992年訳は誤訳。「真理から偽りは出て来ません」 No lie is the truth.)。私達が巧みに考案された作り話に追従しているならば、私達はキリストと神に敵対している敵の軍勢と一体となっています。神は、人間が作ったくびきを身に着けてきた人々に、もはや、人々に仕える[際の]足かせとならないために(1992年訳は誤訳。「人間の奴隷とならないように」 and no longer be the bond servants of men.)、このくびきを打ち壊すようにと呼びかけています。
闘いは進行中です。サタンとその使い達は、あらゆる不義の惑わしを使って働いています。彼らは、全宇宙の存在者に破滅を拡大させるために、義から引き離し、真理から魂達を引き離すための努力に精力を注ぎ続けています。彼らは、魂達を虜にしようとして、様々な欺瞞を提供するために、驚くような大研究[ケロッグの汎神論]によって働いています。彼らの努力は減少せずに続いています。その敵は、絶えず、懐疑論と背信へと魂達を導こうとしています。彼は、私達が罪に勝利した者になれるように、神の意思に従順にすることを教えるために、肉体となって私達の間に宿った、キリストと神を排除しようとしています。
2.あらゆる悪の形態によって攻撃された
あらゆる悪の形態が、私達を攻撃するために、一つの機会でも狙っています。お世辞、賄賂による誘惑、贈り物による誘引、素晴らしい称賛の見込みなどが根強く働いています。
神に仕える者達は、この悪に対して、「主はこのように言っています」という防壁を築くために何をしていますか。その敵の働き人達は、真理に反逆して勝とうとして、絶えず働いています。主の群れの忠実な護衛者達はどこにいますか。主の見張り人はどこにいますか。彼らは、高い塔の上に立っていますか。危険な兆候を見つけて知らせていますか。それとも、不注意に見逃して、危難を許していますか。その医事伝道者達はどこにいますか。その人々はキリストと共に働いていますか。主のくびきを身に着けていますか。あるは、人間が製造したくびきを身に着けていますか。
サタンとその使い達は、人々が楽しむための作り話と偽りによって心を動かされるので、[人々の]知性を支配しようとあらゆる努力をしています。私達の医師達は、危険なしるしを掲げていますか。私達のサナトリウムで重要な地位を占めていた人々は、危険なしるしを掲げています。あるいは、真理の忌避を長い間実行したことによって、研ぎ澄まされた有害な言葉と鋭敏な知性[の人々]が、敵によって扇動されている計画を進めるための、また、混乱をもたらすための働きを続けている一方で、多くの見張り人達は眠っていていいのですか。
コロサイ人へのパウロの奨励の手紙を読んでください。彼は、信者達の心が「知恵と知識の宝がすべて隠されている、天の父について、キリストについて、神の未知についての知識に関して、豊かな理解力を充分に与えられて、愛によって編まれるように」(コロサイ2:2,3 KJV)と、彼の熱心な思いを書いています。また、彼はこう言っています。「私がこういうのは、誰も誘いの言葉で迷わされないようにするためです。……汝らはこのようにキリストイエスを受け入れたのだから、汝らは彼によって歩みなさい。また、汝らが教えられたように、感謝にあふれて、彼に根差して成長し、信仰を確立した者となりなさい。キリストにつかず、世の習わしについて、人々の伝統について行って、無益なだまし事と哲学で、あなたを台無しにする人に気を付けなさい。キリストの中には、父・子・聖霊Godheadの全ての徳が宿っています」(コロサイ2:4-9 KJV)。
私達の施設(1992年訳は誤訳。「私達の伝道機関」 institution)の人々は、陰険な虚偽が広がって魂が滅びて行くのを黙って見ていていいでしょうか。敵の感情の混じった考えが至る所にまき散らされています。不和、不信、背信のタネが広く蒔かれています。私達の医事伝道者達は、この悪に対して防壁を築いていますか。私達は、真理を宣布するこの働きを放棄するように私達を導くのを敵対者に許している、と私達が自分自身に問う時ではありませんか。私達は、世界の人々に溢れ出る今の命の福音の祝福のチャンネル/回路にさせないようにしている彼[敵]を許しておいていいでしょうか。全ての人は、今、立ち上がって、機会を捉えて働きましょう。時を選ばないで(1992年訳は誤訳。「時が良くても悪くても」 in season and out of season, 1992年訳p.211、本書p.193では、同じ文が「時を得るもえざるも」と訳していて矛盾している)、御言葉を語りましょう。そして、善い行ないの中の力と励ましを求めて、キリストを見上げましょう(1992年訳は誤訳。「頼って行きましょう」 look to Christ for )。
3.増大し続ける危険
私達にやって来る様々な危険は常に増しています。私達が神の武具を全身につけて、サタンが将来において優位を取らないように熱心に働くことは、崇高な時間です。神の天使達は、力に秀でていて、闘いが激しいことによって、私達の信仰が弱らないように、また、私達の助けを天使達に求めるように、私達を待っています。新しくされたエネルギー/精力が今必要とされています。油断のない行動が私達に求められています。無頓着と怠惰は、天国に属することも個人的に宗教に属することも失う結果となるでしょう。
この時に、ラオデキヤのメッセージが、眠っている教会の人々の目を覚ますために与えられるために存在しています。たゆまない努力と熱心さをあなたの動機にして、時の短いことを考えましょう。サタンは、滅びる人々に不義の惑わしによって働くために、大いなる力を持って下ってきたことを思い出してください。
長い間、私達の医師達は、彼らのチーフ/管理者 [31]の考えと異なる考えを言い表してはいけないと思うように訓練されてきました。おお、それが、彼らはそのくびきを打ち砕きました(1992年訳は誤訳「そのくびきを壊しておけばよかったのです」O that
they had broken the yoke!)。おお、それが、彼らはその正当な名によって、罪と呼びました(1992年訳は誤訳「彼らが、罪を罪と呼べばよかったのです」O that
they had called sin by its right name!)。それゆえ、彼らは、天の法廷で、「神の言葉に不従順だったことを叱責され真理を語ることに失敗した、重い責任を負わせられる人々」とみなされないでしょう(1992年訳は誤訳「神の言葉に不従順だったことを叱責され真理を語ることに失敗した、重い責任を負わせられる人々」とみなされることもなかったはずです」Then they would not be regarded in the heavenly courts as men who)。
医師達は、私達の信仰の基礎を蝕む解釈と、御言葉について空想的で心霊術的な解釈に耳を傾けながら、大教師の務めを行なってきたのですか。また、自分の平安を保ってきたのですか。神は「あなたは、あなたの贖い主の正当さを立証し、目を覚ましていないならば、私は、これ以上、あなたと共にいないでしょう」と言っています。
[訳者加筆。この記事は1904年に書かれました。この2年前、1902年に、ケロッグのバトルクリークサナトリウムは火事で焼失しました。この手紙はその後で、医師達に宛てて書いた手紙です。2013年発行の『エレン・G・ホワイト百科事典』には、次のように書かれています]
1902年2月18日にバトル
クリークサナトリウムが火事で焼失したすぐ後、ホワイトは論述を出した。「この大事件は、特に、彼に与えられたその光(真理)に注意を払わなかったケロッグのための主からの裁きの一つでした」(Lts 123,269
1902)。そして、彼に「バトル クリークに集中するのではなく、ほかの複数の都市に医療の働きを分散すること、小さい施設を設立すること」を説得した。ケロッグは、そうではなく、巨大なサナトリウムを再建した。
丁度、その大火の前に、彼は人間の身体と人格に関する生理学的な完成における『生きている宮』(Battle Creek Michigan Good Health出版社 1903)の著書の原稿を書いて完成していた。その大火の後、ケロッグは、そのサナトリウムの再建を助けるために使用されるようこの本の売り上げからの利益を寄付した。その本が出版された時、A.G.ダニエルズとW.W.プレスコットを含む数人の教会リーダー達は、その本の最初に汎神論の一節があることに驚かされた。それらの汎神論の教えは、以前、エレン・ホワイトが、キリストの再臨の前に最後の教会が直面するだろう「異端信仰教育の始まり」として書いて、強く警告したものをいくつか引き出していた(Lt 265 1903, Lts 232,253,1903参照)。彼女は哀調に満ちた、彼の生き方のコースを変えようとケロッグを説得する多くの手紙を書いて送り続けた(Lts 55,65,80,97, 107,180,181,232,245,300,301,303, 1903)。彼女は、ケロッグの大きな危機は科学に属する神よりも科学を強調していた、という初めの頃の警告を多く繰り返した(Lt 239 1903)。ちょっとの間、彼の未来は教会の中でバランスを保っていた。ホワイトは彼を救うためのあらゆる努力を試みた。たぶん、ケロッグは、自分の危険な状態を短い間理解していた(Lt 257 1903)。しかし、この時、賽の目は投げられていたし、この教会からの彼の永久の分離は、その結果だった。ホワイトは、彼の生き方の方向を変えることは彼のために遅くはない、という言及を出して、彼にアピールした。しかし、1906年近く、ケロッグがこの教会の信仰から分れたということはエレン・ホワイトと教会リーダー達の両方に明らかになった(Lt 225b 1906)。それゆえ、1907年11月10日、ケロッグの氏名がバトル クリークのタバナクル教会の会員名簿から削除されたのち、意外に思われないようになった。やがて、彼はエレン・ホワイトと交流が途絶えた。しかしながら、彼女は、戻るよう彼にアピールを続けた(cf. Lt 100 1911)。ケロッグは、1943年に死ぬまでバトルクリーク
サナトリウムの経営に積極的にかかわった。
『Ellen G. White Encyclopedia』2013 p.437
4.信仰の「柱」を危うくする詭弁
あなた方への私のメッセージは、もはや、真理を曲げることに抗議することなく、耳を傾けて同意してはいけない、ということです。野心的な詭弁の仮面を剝がしてください。それは、もしも受け入れたならば、牧師、医師、医事伝道者達が真理を軽視するように導くでしょう。全ての人は、今、自分を守るために立ち上がるために存在しています。神は、男性達と女性達に、インマヌエルの君の血に染まった旗の下に自分達の立ち位置を取るよう呼び掛けています。私は、私達の教会の人々に警告するよう[イエスに]指導されました。それは、多く人々が信仰の「柱」の基礎を危うくする詭弁と理論を受け入れる危険性があるからです。
時々、私達の教会の医師達は、疲れて悩まされて、話し合いをするのに不適当な状態で何時間も話し合いをしています。医事伝道者達は、夜間の長い会談を断る必要があります。このような夜間の話し合いは、サタンが人をうっとりさせる感化によって、聖徒達に一度伝えられた信仰を一人から、もう一人から奪い取った時間になりました(1992年訳は誤訳。「奪い取るのです」 These might talks have been times when Satan with…has stolen away from )。輝くすばらしいアイデアが、しばしば、絶大な欺瞞者の感化された知性からひらめいています。耳を傾けて黙認した人々は、エバがヘビの言葉に惹かれたように、魅了されるようになるでしょう。彼らは、知性に明瞭に、生ける神の言葉を保つと同時に、哲学的な空想の魅力に耳を傾けることはできません(1992年訳は誤訳。「哲学的な空想に心を惹かれながら、同時に生ける神の言葉をはっきり心に保つことはできません」 They cannot listen to charming philosophical speculations, and at
the same time keep the word of the living God clearly in mind.)。
私達の医師達は、悪い意見交換を見ても、悪いことが語られるのを聞いても、悪い原則に従うのを見ても、自分達が拒否されるのを恐れて、譴責の言葉を出さなかったために、自分達の人生から多くのものを失いました。
私は、これらの束縛された感化に繫がれてきた人々に、長い間、屈服してきたくびきを打ち壊して、キリストの中の自由人として立つようにと、呼びかけます。確固たる努力をしなければ、彼らの上にある木っ端や呪文は請われないでしょう。
5.アルファ(始まり)が今見られる
欺かれてはいけません。多くの人々は、デビルの教理とそそのかす精神/霊に注意を払って、信仰から離れ去るでしょう。私達は、今、私達のこの危機のアルファ/始まりの前にいます。
私達は、キリストがその試練と十字架の前に捧げた祈りの言葉を研究する必要があります。「これらの言葉を語り終えたイエスは、視線を天に移して言いました。父よ、その時が来ました。そなたの息子が汝の栄光を現すことができるように、そなたの子の栄光を現してください。そなたはすべての肉(人間)の支配を彼に与えたので、汝が彼に与えた多くの人々に永遠の命を与えるでしょう。これは永遠の命、彼らは、汝の唯一の真の神と、そなたが送ったイエスキリストを知るでしょう。私は、地上でそなたの栄光を現しました。私は、そなたが私に行なうように与えたその働きを終えました。そして、今、父よ、この世界が存在する前に、私がそなたと共に持っていた栄光で、私自身に汝の栄光を輝かせてください。私は、そなたが私にこの世界から連れ出して私に与えた人々にそなたの名前を現しました。その人々は、そなたのものでしたが、そなたはその人々を私に与えました。その人々は、そなたの言葉を守り続けました。」(ヨハネ17:1-6 KJV)
6.クリスチャンは信心深さを現す
神の義は完全で疑いの余地のないものです。この義は、神の律法の全て、神の働きの全てを特徴づけています。神が存在しているように、神の人々(民)もそのように存在していて当然です。キリストの命が、彼に追随する者達の命に現されるために存在しています。キリストの公的・私的活動の全ての中に、全ての言葉と行動の中に、実際的な信心深さが見られました。この信心深さは、主の弟子達の生活の中に見られるために存在しています。
自分達に与えられた光/真理に注意を払っている人々は、毎日の生活に、キリストの品性の美徳をもたらすでしょう(1992年訳は誤訳。「美徳を表します」 will bring the virtues )。キリストは罪を行ないませんでした。なぜなら、彼の中には罪が存在しなかったからです。神は、私に、信者達の生活は、実際的な義を現すために存在していることを示しました(1992年訳は誤訳。「あらわさねばならないことを示しました」 the lives of believers are to reveal practical righteousness.)。
神は、御言葉の中で、間もなく起こるはずの厳粛な事件event に関して語らなかったのですか(1992年訳は誤訳。「語りました」 Has not God spoken …?)。あなたは、これらの事柄を読んだ時に、神が言っていることを信じますか。それとも、もっともらしい哲学に耳を傾けて、神に対する信仰を捨てますか。あなたが神の前に心を低くして罪を告白しなければ、あなたに望む刑罰をどんな力によって避けることができるでしょうか。医事伝道に携わっている私の兄弟[姉妹]達、それはどのようなものですか。生きている神は、御言葉の成就としてその事件eventsに関して、あなたに語っていないのですか。やがて、人間にとって最後の大いなる清算の日が起こるでしょう。あなたの人生/命/livesは、天の聖所の天秤で量られ得るように存在していた[としても]、不足していることが見つかりはしないですか。さもないと、あなたの信仰は、不信仰になってしまうまでに、自由を奪われて、形成されてしまうのではありませんか。あなたの人々への従順は、神に対する反逆になってしまうのではありませんか。「汝らは、信仰のうちにいるかどうか、自分自身を吟味しなさい。あなた自身を顧みなさい」(2コリント13:5 KJV)。
『特別な証』シリーズB No.2, pp.12-17
7.警戒してください
ワシントンD.C.1904.8.7
親愛なる兄弟へ。私は、あなたと、医療伝道協会に関係しているほかの医師達に一つのメッセージを与えられました。『生きている宮』
[32]という本が及ぼす影響から離れてください。それは、もっともらしい感じを含んでいます。その中にはまったく真実の考えもありますが、また、間違いが混ぜられています。複数の御言葉が、その繋がりを無視されています。そして、間違った理論を支えるために利用されています。
この本に含まれている誤った思想は、私に大きな悩みをもたらしました。この件に関連して通ってきた体験は、私の人生をほとんど費やしたと言ってもいいくらいです。
『生きている宮』は改訂されたと言われているでしょう。しかし、主は、私に、「その著者は改訂しませんでした。彼の現在の感情の混じった考えsentimentsの好みを続けている間、福音に属する牧師達と彼の間に一致が存在できない」と示しました。私は、私達の教会の人々に警告の声を自分であげるよう、命じられました。こう言われています。「だまされてはいけません。神はあざけられません」(ガラテヤ6:7 KJV )。
あなたは、『SDA教会への証』第7、8巻を入手していました(1992年訳は誤訳。「読んだはずです」 You have had access to )。それらの『証』の中に、危険性のしるしが掲げられています。その光/真理は、惑わしの理論に感化されなかった[人々の]知性にはとても明瞭で簡単なものでしたが、ある人々によっては識別されませんでした(1992年訳は誤訳。「認めませんでした」 has been discerned by some.)。この本の間違った理論の誤解が私達の内科医達によって維持されている間は、福音のメッセージを伝えている牧師達と内科医達との間に一致が存在することはできません。一つの変化が存在するようになるまで、一致は存在しないでしょう。
医事伝道者が伝えている名と調和した模範として実践している時、また、福音伝道に属している牧師達と堅固に一つになる必要を考える時、調和した活動が存在しえます。しかし、私達は、1844年が[信仰の]試金石として立って以来、永遠の真理の舞台から引き離されることを、堅く拒否する必要があります。
8.アルファ(始まり)は『生きている宮』の中に現れた
私ははっきりと語るように指導されました。「それに立ち向かいなさい」は、私に語られた言葉です。「先延ばしせずに、それに断固として立ち向かいなさい」。しかし、教理を調べて相違点を指摘するということは、伝道地から、私達の働き人の力を使って立ち向かうことではありません。私達は、そのような調査をしません。『生きている宮』の中に、致命的な異端の数々のアルファ(始まり)が提示されています。そのオメガ(終わり)が追随しているでしょう。そして、神が与えた警告に注意を払おうとしないような人々によって、受け入れられるでしょう。
重要な責任を負っている私達の医師達は、明瞭な霊的識別力を持っている必要があります。彼らは、常に、見張り人として立つために存在しています(1992年訳は誤訳。「立場を取っていなければなりません」 They are to stand …))。私達が、今、識別していない危難が私達に開始するでしょう。私は、彼らがだまされないようにと、切に望んでいます。私は、彼らが主にある自由に立っている様子を見るという強い望みを持っています。私は、彼らがイエスにある真理に堅く立つ勇気を持ち、彼らの最初fastの確信を最後endまで持ち続けることを祈っています。 『特別な証』シリーズB, No.2, pp.49,50
25章 私達の信仰の基礎
1.私達の信仰の基礎
[33]
主は、人間の働き手達が、真理を宣布して前進させるという命令に従う時に、主の働きの中に生きた新しい力を置いているでしょう。主の真理は永遠に輝くと言った神は、信仰深いメッセンジャー達を通して、トランペットで明確な音を奏でるように、この真理を宣布するでしょう。真理は、批判され軽蔑され嘲笑されるでしょう。しかし、それが、厳しく試されて試験されると、輝きを増すでしょう。
一集団の人々(一つの民)として、私達は、永遠の真理の舞台の上に堅く立つために存在しています。私達は、自分達の信仰の確固とした「柱」の数々を支えるために存在しています。神が私達に啓示した真理の原則は、私達の唯一の真理の基礎です。それらは、現に存在している私達を形成しました。時が推移しても、それらの価値は下がりませんでした。それら[真理の原則]が置かれている場所から真理を取り除くこと、それらの場所に間違った理論を置くことは、敵の常なる努力です。彼は、欺瞞的な意図の実行可能なもののすべてを持ち込むでしょう(1992年訳は誤訳。「…持ち込んできます」 He will bring in …)。しかし、主は、鋭い知覚力を持った人々を立ち上がらせるでしょう。彼らは、神の計画の中の適切な位置にそれらの真理を戻すでしょう。
私は、天のメッセンジャー(1992年訳は誤訳。「天の使命者」 heavenly messenger)によって、「 『生きている宮』の中のある思考の筋道は不健全です。また、この思考の筋道は、現在の真理の様々な原則の基礎のもとに確立されていない人々の知性を迷いに導くでしょう」と指導されました。それは、神の人格と神がどこに臨在するのか(1992年訳は欠訳)に関して、空論以外の何物でもないものを持ち込んでいます。この地上で、誰もこの疑問について空論する権利を持っている人はいません。空想的な理論が論じられ過ぎると、人間は、魂を清める真理について、また、神について知らなくなるでしょう。
一人、また別の人が私の所に来て、『生きている宮』の中で取っている立場についての説明を求めています。私は「それらは説明が不可能です」を繰り返しています。その本の感情の混じった考えを述べたものは、神の真の知識を教えているものではありません。その本全体に、御言葉の聖句があります。その御言葉は、間違いが真理として現れるように作られているような方法で使われています。間違った理論が心を満足させるような方法で提示されているので、注意が払われないと、多くの人々は間違いに導かれるでしょう。
私達は、この本の中にあるような神秘主義/非論理的思考を必要としていません。このような詭弁を楽しんでいる人々は、やがて、かの敵が彼らに語ることのできる位置にいて、自分達が神から離されて連れて行かれていることがわかるでしょう。この本の著者は間違った進路上にいることが、私に表されました。彼は、この時代の人々のための諸々の真理を識別する洞察力を失いました(1992年訳は誤訳。「見失っています」 He has lost sight of )。彼は、自分の歩みがどこに向かっているかをわかっていません。真理の進路は誤りの進路のすぐそばにあるので、それゆえ、その二つの進路は、間違いと真理の間の違いを見分ける機知がなく、聖霊が働いていない知性[の人]には、一つのように見えるでしょう。
2.迫る危機についての見解
『生きている宮』[J.H.ケロッグ]が出版された頃、夜間に、私達の信仰の諸原則の基礎に関して、神が私に啓示した事柄を書き出すことによって私がその備えをしなければならないという兆しの描写と、何らかの危機が近づいているという兆しの描写が、私の前を通過して行きました。『生きている宮』が一部、私に送られてきました。しかし、それは、私の書庫に残されていました。主によって私に与えられた光/知識から、私は、それらが、かの敵が終わりの日のために用意していた罠だったということ、その本の中で擁護された感情の混じった考えのあるものは、神の支持が伝えられなかったことを知りました。私は、それについて何かを言うことは私にとって必要ないだろう、また、このことはきっと識別されるだろうと考えました。
この本が教えていることに関して、私達の兄弟達の間に起こった論争の中で、これを広く配布することに好意的な人々は、「それは、ホワイト姉妹が教えて来た、感情の混じった考えを含んでいます」と断言しました。この主張は、私の心に衝撃を与えました。私は、この本に書き著された内容が真実ではなかったことを知っていたので、心に悲痛を覚えました。
結局、私の息子が私に言いました。「母上、それら[その本の内容]は、神があなたに与えた光/真理と調和しているかどうかを確かめることができるので、あなたはこの本の一部だけでも読む義務があります」。彼は、私の横に座りました。私達は、一緒に、序文と第1章の大部分、また、ほかの章の数段落を読みました。私達が読み進めると、私は、公での初期の働きの間に語って進めてきたことに反して、非常に感情の混じった考えであることを認識しました。私が、最初、メイン州を出たのは、それらの感情の混じった考えに対して、一つの証を生み出して伝える目的で、マサチューセッツ州とバーモント州に行くためでした。『生きている宮』はこれらの理論のアルファ(初め)を含んでいます。そして、私はオメガ(終わり)が少しの間だけ続くだろうということを知っていました。私は、私達の教会の人々をとても心配しました。私は、兄弟姉妹達に、神の人格と臨在をめぐった論争に加わらないように、警告する義務があることを知っていました。この点に関して『生きている宮』に正しくないものがあるという特別な論述が作られました(1992年訳は誤訳。「『生ける宮』の中にあるこの点についての考えは間違っています」 The statement made in Living
Temple in regard to this point are incorrect.)。そこで表明した学説を具体化するために使用した御言葉は、間違って適用されている聖句です。
私は、『生きている宮』の教えていることが私の書いた物からの言及によって支持され得るという主張について、否定的に語るようにと駆られています。この本の中には、私の著作物と調和している感情の現れと感情の混じった意見が存在しているかもしれません。そして、『生きている宮』の著者の知性によって解釈されて、それらと繋がって価値を落とされ、私の著作物の多くの記事の中にあるかもしれない[内容が]、この本の教えていることと調和しているように見えるのでしょう。これは、『生きている宮』の中の感情の混ざった考えが私の著作物と調和している、という主張に支持を与えているかもしれません。しかし、神は、この感情の混ざった考えが広がることを禁じています。
この時代の誰かによって擁護された詭弁がどんな結果を招くかを識別できる人は、ほんの僅かです。しかし、主は、そのカーテンを上げて、それに続く結果がどうなるかを私に示しました。それらの論理的な結論に導いた、神の人格に関する心霊術的な理論は、全キリスト教徒の秩序(1992年訳は誤訳。「全教会を」 Christian economy)を全滅させてしまいます。それら[心霊術的な理論] (1992年訳は誤訳「彼ら」)は、主の人々(民)に与えるために、キリストが天から来てヨハネに与えた光/真理/知識を無いものとして評価しています。それら(1992年訳は誤訳「彼ら」)は、私達の目の前にある場面が特別に注意を払うほどに重要ではないと教えています。それら(1992年訳は誤訳「彼ら」)は、天が起源の真理の代わりに偽りの科学を与えて、神の民の過去の体験を失わせて、その真理を効果のないものにしています。
夜の幻の中で、「彼らの感情の混ざった考えが、ある人によって現時点で卓越されたものとしてもたらされるために存在している大いなる真理として見られていた」、ということを、私ははっきりと示されました。私は、神の言葉の様々な真理という――木材によって堅固に組み立てられた一つの舞台を示されました。医療の働き人の中の上の責任者の誰かが、この舞台を支えている木材の固定金具を緩めるように、この人あの人と指導していました。その時、私は声を聞きました。「シオンの城壁の上に立っているはずの見張り人達はどこにいますか。彼らは眠っているのですか。この土台/基礎は、偉大な働き人・偉大な教師によって築かれ、防風にも嵐にも耐えるでしょう。見張り人達は、この男性が、神の人々(民)の過去の体験を否定する学説を提示することを許すのですか。決断した行動を起こすための時が来ました」。
魂達の敵は、セブンスデー
アドベンチストの間で、大改革が起きるために存在していて、また、この改革は、再組織化の過程に繫がって、私達の信仰の「柱」として立っている様々な教理を放棄することで成り立つだろうという仮説を持ち込もうとしていていました(1992年訳は誤訳「持ち込もうとしています」 has sought to bring )。この改革が起きたならば、どんな結果になるでしょうか。神がその知恵によって、残りの教会に与えた真理の原則は放棄されるでしょう。私達の宗教/信仰は変えられるでしょう。過去50年間の働きを支えてきた基礎的な諸原則は誤りだとみなされるでしょう。一つの新しい組織が設立されるでしょう。数々の新しい秩序の本が書き著されるでしょう。知的な哲学の体系が導入されるでしょう。この体系の基礎を築いた人達は、諸都市に行くことでしょう。そして、素晴らしい働きをするでしょう。安息日はもちろん、神がそれを創造したことでさえも、軽視されるでしょう(1992年訳は誤訳「安息日は重んじられず、それをお造りになった神はあがめられません」 The Sabbath of cause, would be lightly regarded, as also the God
who created it.)。この新しい運動体の進む道の中に立つことを許される者は誰もいないでしょう(1992年訳は誤訳「この新しい運動の進む道を妨げるものはないでしょう」 Nothing would be allowed to stand in the way or the new movement.)。その指導者達は、貞節が悪癖よりも良いと教えるでしょうが、神の存在を取り去りました。彼らは、神の存在なしには価値のないものである、人間の力に自分達の拠り所を置きました(1992年訳は誤訳「彼らは人間の力に頼りますが、神がなければそれは価値のないものです」 they would place their dependence on human power, without God, is
worthless.)。それらの基礎は砂の上に建てられていて、暴風や嵐がその構造物を吹き飛ばすでしょう。
誰がこのような運動を始める権威を持っていますか。私達は、自分の聖書を持っています。私達は、聖霊の驚くべき働きによって、真実を証言した体験を持っています。私達は妥協を認めない一つの真理を持っています。私達は、この真理と調和していないすべてを拒絶しないのですか。
主の聖霊が私に書くようにと駆り立てたものを送り出すことをためらって、遅くなりました。私は、これらの詭弁の間違った影響を提示するように駆り立てられることを望んでいませんでした。しかし、神の摂理によって、それらの間違いは、立ち向かわなければならないものの中にやって来ました(1992年訳は誤訳「しかし、入ってきた誤謬は、神の摂理のもとに立ち向かわなければなりません」 But in the in the providence of God, the errors that have been
coming in must be met.)。
3.氷山だ「それに立ち向かえ」 An
Iceberg! ‟Meet It”
私は、敵が魅惑的な理論を広めることを通して、私達の信仰の基礎を蝕む努力についての証を送り出す前に、一隻の船が濃霧の中で氷山に会った一つの事故を読みました。数夜、私は少ししか眠れませんでした。私は、その船の船首が、馬で引く刈取機のように下がっているように思われました(1992年訳は誤訳「私の心は重かったのです」 I seemed to be bowed down as a cart beneath sheaves.)。ある夜のシーンは、はっきり私の前に現れました。深い霧の中で、大型の船が海の水の上に浮かんでいました。急に、見張り人が“行く手に氷山だ!”と叫びました。そこには、船を囲む高い塔のように、巨大な氷山がありました。ある権威のある声が叫びました。“それに立ち向かえ”。そこには、ぐずぐずしている暇はありませんでした。
それは、すぐに行動する時でした。機関士は、蒸気を最大にしました。舵を取る人は、氷の海峡でその船を操縦しました。彼女(船)は、氷にぶつかってすさまじい音をたてました。恐ろしい衝撃がありました。そして、その氷山は、多くの小さい氷に砕かれて、デッキの上に雷のような轟音と共に落ちてきました。乗客達は、その衝突の力によって激しく揺らされました。しかし、失われた人は一人もいませんでした。船は、傷つけられましたが、修理されませんでした。彼女は、生きている被造物のように、船首から船尾へとブルブルと震えてコンタクトを取ったことで立ち直りました。それから、彼女は、彼女の航路に向かって動き出しました。さて、私は、この表現された譬えの意味を知りました。私は、自分の指針を持ちました。私は、私達のキャプテン(主)から“立ち向かいなさい”と言う生の声に似た言葉を聞きました。失う瞬間はないというのが私の義務だということがわかりました。私は、ぐずぐずすることなしに“立ち向かいなさい”というその命令に従う必要があります。行動を決意する時が来ました。私は「立ち向かいなさい」という命令にためらうことなしに従う義務があります。
その夜、私は、できるだけ早く紙に書き出すために1時に起きました。それから、私は、数日間、私達の間にやってきていたその間違いに関して(1992年訳は誤訳「私達の間にやってこようとしていた」 were coming in among us.)、私に与えられた指導内容を私達の教会の人々に心構えをしてもらうために、朝早くから遅くまで働きました。私は、聖霊の力によってもたらされた原則と、私達が初期に闘っ[て得]た原則が維持されて、また、徹底的な改革があるだろうと、期待していました。
4.私達の信仰の堅固な基礎
私達[の教会]の人々は、私達の信仰の基礎がいかに堅固に置かれて来たかを気づいていません。私の夫[ジェームズ]、ジョセフ・ベーツ長老、信仰の父ピアス [34]、[ハイラム・]エドソン、そのほかの機知のある高潔で真実な人々が、1844年のその時が過ぎた後で、隠れた宝石を探すように探究していた人々の間にいました(1992年訳は誤訳「真理を探し求めました」 were among those who)。私は、彼らと出会って、そして、私達は、熱心に研究して祈りました。しばしば、私達は、御言葉の研究と光/真理のために祈って、夜遅くまで共にとどまりました。また、ある時には、徹夜したこともありました。能力によってそれを教えるための準備と、その意味を知ることができるように、何度も何度も、これらの兄弟達は、聖書研究を共にするためにやって来ました。彼らが、「もうこれ以上、行なうためにできることがない」と言ったところ、彼らの研究の到達点に来た時、主の聖霊が私の上に来たものでした。私は、幻の中に連れて行かれて、私達が研究していた聖句の明瞭な説明が私に与えられたものでした。このようにして、キリストの大祭司職と彼の任務mission、彼に関する御言葉を理解するために私達を助けた光/真理が与えられました。その時から、私達が神の都に入るまでの一連の真理が、私にとって明らかとなり、私は、主が私に与えたその指導内容をほかの人々に伝えました。
この全体の時の間、私は、兄弟達の思考の筋道を理解できませんでした。私の知性は、ロックされていました。私は、私達が研究していた御言葉の意味を悟れませんでした。これは、私の生涯で最も大きな悲しみの一つでした。私は、私達の信仰の主要なすべての点が神の言葉と調和して、私達の知性が明晰にされるまでこの知性の状態にいました。その兄弟達は、私が幻の中にいない時に私がそれらの内容を理解できないということを理解しました。そして、彼らは与えられた啓示を天からの指導の光/真理として受け入れました。
2、3年の間、私は、御言葉の一つの理解について、私の知性はロックされ続けました。私達の働き人達の道において、私の夫と私は、信仰の父、アンドルーズを訪問しました。彼は酷い炎症性のリウマチに罹っていました。私達は彼のために祈りました。私は、自分の手を彼の頭において、そして、言いました。「信仰の父、アンドルーズ
[35]、主イエスが、汝を健全にします」。彼は、すぐに癒されました。彼は起き上がって言いました。「私は、以前に決して見たことがありません。神の天使達がこの部屋にいます」。主の栄光が現されました。光が、その家全体に輝いているように見えました。そして、一人の天使の手が、私の頭の上に置かれていました。その時から、これまで、私は神の言葉が理解できるようになりました。どんな影響力が、私達の信仰の基礎を引き裂くために強引な方法で働くために、私達の歴史のこのステージで人々を導いていますか。私達の信仰の基礎は、啓示と御言葉の熱心な祈りによって、私達の働きの初めに築かれたものです。
この信仰の基礎の上に、私達は過去55年間、築き上げてきました。私が、私達の信仰の様々な「柱」のあるものを取り除こうとする一つの働きの始まりを見る時、あなたは驚きますか。私は、何か言う言葉がありますか。私は、「立ち向かいなさい」という命令に従う義務があります(1992年訳は誤訳「私達の信仰の柱のあるものを取り除こうとする働きが始まりを見て、私が何か言うべきことがあっても驚くことはないでしょう」 Do you wonder that when I see the beginning of a work that would
remove some of the pillars or our faith, I have something to say? I must obey
toe command, ‟Meet it!”)。……
私は、神が伝えるようにと私に与えた警告のメッセージを伝える義務があります。そして、その時、その結果を主に委ねます。神の人々(民)が奪い取られてはならないために、私は、今、その内容をすべての人々に提示する義務があります。
私達は、神の戒めを守る人々(民)です。過去、50年間、特に、黙示録14章の天使達によって与えられているように、終末時代のための天からのメッセージ(1992年訳は誤訳「天の使命」 the message of Heaven)と天の聖所におけるキリストの奉仕に関する――御言葉の教えについて私達の知性を曇らせるために(1992年訳は誤訳「…教えについて心を曇らせました」 has been brought to bear upon us, becloud our mind.)、また、あらゆる異端の層が私達に伝えられるために、持ち込まれてきました。セブンスデー
アドベンチスト達に強く説かれて来たすべての項目と種類のメッセージは、一つ一つ順を追って、真理の場所を占めるために、深い祈りを伴った研究によって探し出されてきて、主の奇跡的な働きの力によって証されてきました(1992年訳は誤訳「一つ一つ、祈りつつ研究されることによって探し出され、奇跡をおこなわれる主の力によって証明された真理の代わりに、あらゆる種類のメッセージがセブンスデー
アドベンチストに対して熱心に説かれてきました」 Messages of every order and kind have
been urged upon Seventh-day Adventists, to take the place of the truth which,
point by point, has been sought out by prayerful study, and testified to by the
miracle-working power of the Lord.)。しかり、私達が存在している私達に作られた道標は、保たれるために存在していて、それらは、神が聖霊の証と御言葉を通して示していたように保たれるでしょう。神は、私達に、疑いのない権威を基礎にした根本的な原則を信仰によって捉えて、堅く保つようにと私達に呼び掛けています。
[1]ここでの言及は、霊感について、様々な程度があったということを擁護する記事のシリーズとして、存在しています。『レビュー&ヘラルド』1884.1.15参照。-題目編纂者
[2]訳者加筆。1906年4月18日のサンフランシスコ大地震のこと。Ellen G.White Encyclopedia p.1127参照。
[3]
この論述は、1904年10月2日にバトルクリーク教会でなされた講話によっています。その中で、彼女は「私は預言者達の一人であると主張していません」と言いました。――題目編纂者
[4]
「私達」という表現は、彼女に協力している働き人達のことです。[文筆アシスタントの]マリアン・デイビス、看護師のサラ・マクエンターファーなど、4、5人のアシスタントと一緒に伝道していました。夫のジェームズは1881年に死んでいます。―題目編纂者
[5]
1883年の全体総会での説教から抜粋したもので、『ノートブック
リーフレット』に合ったものです。『The Church』No.6
[6]
この章に含まれる内容は1913年のリーフレットに書かれています。
[7]
エレン・G・ホワイトの最初の三冊の本、今日、この三冊は『初代文集』に収録されている、『エレン・G・ホワイトのクリスチャン経験と幻』『続・経験と幻』『預言の賜物』第1巻が出版された直後に、確かめる質問が、初期に出版された記事の中や、ここに出ている論述の確かな意味とその論述のある部分の不完全さに関して湧き起こりました。ミセスホワイトは、その言及に続いて、1883年にそれらの質問に答えました。言及が「閉ざされた扉」について教えたものにつくられました。その「閉じられた扉」意味のそのほかの言及は、『善と悪の大争闘』pp.429-432参照のこと。――題目編纂者
[8]
訳者加筆。アイオア州マリオンには、再臨信徒で、E.ホワイトを攻撃し、なおかつ、三天使のメッセージや2300日の教理にも反対する人々がいました。そのリーダーは、スヌークとブリンカーホフでした。SDA全体総会は、この二人を除名しました。その後、彼らは「チャーチオブゴッド(セブンスデー)」と称しています。コロラド州に本拠地があり、1万人の信徒がいます。Ellen G. White Encyclopedia p.959参照
[9]
この言及は、1847年にジェームズ・ホワイトによって出版された『小さい群れへの一つの言葉』という24頁のパンフレットことを指しています。――題目編纂者
[10]
『善と悪の大争闘』英文pp.426-432[24章 天の聖所における大事件]参照。‟閉じられた扉”について詳細な説明があります。
[11]
1904年2月18日に書かれた手紙の一部。『ノートブック リーフレット』(クリスチャンの経験No.1)として出版された。
[12]
『ノートブックリーフレット』(クリスチャン経験)No.2に載っています。
[13]
『ノートブックリーフレット』(クリスチャン経験)No.3に載っています。
[14]
『ノートブックリーフレット』(クリスチャン経験)No.12に載っています。
[15]
写真を撮ることの十分な議論について、『セレクテッドメッセージ』第2巻pp.317-320を参照してください。――題目編纂者
[16]
『ノートブックリーフレット』(クリスチャン経験)No.15に載っています。
[17]
セントヘレナ病院のチャペルで、1904年1月23日になされた説教の一部。『ノートブックリーフレット』(クリスチャン経験)No.7に載っています。
[18]『ノートブックリーフレット』(クリスチャン経験)No.11に載っています。
[19]
『ノートブックリーフレット』(クリスチャン経験)No.8に載っています。
[20]
『ノートブックリーフレット』(クリスチャン経験)No.16に載っています。
[21]
『我らの義、キリスト』の初版の補遺に掲載されているが、[意図的にではなく]機械的な理由から、組み直された第2版からは削除されました。――題目編纂者
[22]1893年に、バトルクリークにある私達の教会の本部の施設で、神の聖霊の働きという大きな根拠のある、注目されるリバイバルがありました。祝福の多くは、短期間に連続して起こった事件eventsによって失われました。この経験とそれに関連して与えられた勧めに、今日にも価値ある教訓を見出すことができます。――題目編纂者
[23]
バトルクリークカレッジの学長に宛てたもの。
[24]
エレン・G・ホワイトは、彼女の公的な奉仕の働きにおいて、応答を求めたアピールを効果的に訴えました。ここに収録されたものは、様々な状況のもとで彼女が利用した方法を明らかにした多くの実例集です。――題目編纂者
[25]
スイスカンファレンス(総会)が、1885年にスイスのバーゼルで開催されました。
[26]項目の完全なリストは、ここにでは試みられていません。ほかに参考になるものは、『Evangelism』(伝道)pp.184-199, 217-278参照。――題目編纂者
[27]
この言及は、ここでは、聖所問題――セブンスデー
アドベンチストによって数年に亘って保たれてきた様々なもの――の教えについてなされています。それは、1844年の預言の成就を否定しました。調査審判におけるキリストの奉仕の働きministry of Christを拒絶しました。――題目編纂者
[28]
『ノートブックリーフレット』(方法)No.4に掲載された。
[29]
1891年9月5日、ミシガン州ランシングでの説教
[30]
1904年の夏の間、汎神論に関してJ.H.ケロッグ医師によって広められている重大局面における一つの批判点として、彼が、私達の医療の働きの管理に関係する不健全な方針を擁護していた一時期に、エレン・G・ホワイトが多くの警告によって健全にしました。それは、『特別な証』シリーズB,No.2、『私達の現在の状況に関する助言と勧めの言葉と警告のメッセージを与える内科医達と牧師達への手紙を含むこの教会のための証』という題で、60頁のパンフレットにまとめられて「著者に代わって出版されました」。これらの通信文の二つの中で、彼女は「アルファとオメガ」(始まりと終わり)に言及しています。続きとして、そのパンフレットから引用された時、それらの全体の中に二つの言及があります。汎神論について言及したさらなる勧めは、『SDA教会への証』第8巻pp.255-
318と『ミニストリーオブヒーリング』pp.427-438で見られるでしょう。汎神論の体験の背景として、A.G.ダニエルズ著『The Abiding Gift of Prophecy』pp.330-342、L.H.クリスチャン著『The Fruitage of Spiritual
Gift』pp.277-296を参照してください。――題目編纂者
[31]
この言及は、J.H.ケロッグ医師についてなされました。彼は何年もバトルクリーク サナトリウムの医療管理者でした。――題目編纂者
[32]
568頁の本で、1903年にJ.H.ケロッグ医師によって出版されました。その中で、汎神論の哲学が広められました。――題目編纂者
[33]
この記事は、1904年に出版された『特別な証』シリーズB No.2 pp.51-59に載っています。
[34]
信仰の開拓者達の年長の兄弟達が、ここでは回顧されて述べられています。「信仰の父ピアス」はステファン・ピアスでした。彼は、初期の伝道と教会行政の働きに奉仕しました。「信仰の父アンドルーズ」は、J.N.アンドルーズの父、エドワード・アンドルーズでした。――題目編纂者
[35]
257頁の脚注を参照。
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