教会へのあかし 第5巻 第一部

 

Testimonies

for

The Church

 

Volume Five

Compromising Testimonies Numbers 31 to 33

 

 

by

Ellen G. White

 

 

 

 

 

 

 

 

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5巻が書かれた時代背景

 10年ほどの期間がこの巻に費やされて、第5巻に『証』31から33が収められています。311882年に出版されました。それは、1881年とその後に与えられたメッセージを含んでいます。『証』321885年に出版されました。そして、『証』331889年に印刷されたものから収録されました。その年に、その三つの『証』は『SDA教会への証』第5[1889]に収められました。

 この第5巻は、セブンスデー アドベンチストの急速な発展に伴って非常に関心がもたれました。北アメリカのサウスランカスター、マサチューセッツに新しく進出した二校と、ほかに、カリフォルニアのヒルズバーグの学校が1882年に開校しました。このように、バトルクリークにある私達の教派のセンターから教育的な働きが地の果てに向けて伝わり始めました。10年前、私達の最初の学校はバトルクリークで開校されました。その2年前にその新しい建物が献納されました。その10年の間に、多くの偶発した問題が[福音伝道の]開拓地への新たな努力の重要なラインに立ちはだかりました。時々、その問題は大きくなりました。そして、わずかな証例によってではなく、この働きをガイドして守るために特別な勧めが預言の霊を通して与えられました。それらのメッセージはこの本の一部をなしていて、カリキュラムの原則の問題を扱っています。

 この第5巻に書かれている9年間は、エレン・ホワイトの役割を書いて出版して拡大している時でした。1882年の取り組みは、『エレン・G・ホワイトの見解とクリスチャン経験のスケッチ』と『霊の賜物』第1巻を再出版するためになされました。その年に、その二冊の本は、『初代文集』というタイトルで一冊にまとめられました。それらの『証』の一定の求めに立ち向かうために、初めの『証』30は、1885年に現在の1巻から4巻をなしている、4巻で再版されました。『パウロの生涯のスケッチ』と『先駆者 使徒たちの働き』が1883年に出版されました。1884年に、ミセス ホワイトは『預言の霊―善と悪の大争闘』全4巻の作品を完成させました。それはすぐに出版されました。それはすぐに、文書伝導者達のチャンネルを通って多くの家庭に届けられる道を見つけました。そして、3年間に10版が印刷されました。1888[E.ホワイトは1881-1890年の間オーストラリにいた]に、要点を伝える短い内容だったものに加筆されて、私達がよく知っている『善と悪の大争闘』が出版されました。

 この教派の様々な本部が[ミシガン州]バトルクリークに集積し始めました。新しい部門が出版所の中に加えられました。サナトリウムとカレッジは繁栄して成長を続けました。それらの発展はその都市に非常に多くのセブンスデー アドベンチスト達を連れてきました。一つのセンターに非常に多くのアドベンチスト達を集めることの危険性と [信仰の]標準の低下に責任を感じない傾向が避けられないことをこの第5巻は前半で指摘しています。これらの施設の発展は、この働きが初期のシンプルさを失って、機械的で個性のないものになる危険性を孕んでいました。そのような危険性がそこの出版所で特に現れました。この『証』の第5巻は、職務を指導してガイドする職場長とマネージャー達に向けて、倹約、勤勉、用心深いことを強調しています。

 これと同じ時期に、私達の本部の人々が長く根付いた働きの問題と向き合っていた一方で、[アメリカの]太平洋側の北西部の新しい伝道地は発展していて多くの人々がそのメッセージを受け入れていました。それらの開拓伝道の地域が開かれることによって、新たな多くの問題が生じていました。E.ホワイトは自ら、その北西部を二度訪問しました。そして、最後の伝道旅行で会った牧師達とそこで働いていた人々にその働きを良好に進めるために実際的で役立つテーマでたくさんの勧めcounselを書きました。自律した知性を持った男性達と女性達で不屈の精神で働いていた人々、また、その新しく開かれた広大な地域に自分達の家を建てて西部に進出した人々は、エネルギッシュで勇気があって、たくましい個性を持った男性達と女性達でした。再臨メッセージの呼びかけを受け入れて強い確信を持っていた多くの人々がいました。それらの元気なパイオニア達は、クリスチャン品性を発達させるために神の霊の感化によって形成させる強さを必要としていました。その人々は、世俗の成功の希望とお金を愛することに反対する警告を必要としています。

 その牧会の奉仕の働きのために、教会メンバー達の強い知性の考えによってそのメッセージが望ましくないものにされるという危険性を指摘する熱心な勧めが送られました。勧めは、いくつかの例に見られるように、教会を教化することを選ぶことによって、軽率な考えから守るために与えられました。警告は、神の[人類救済]目的のために約束された賜物を軽く考えることに対して与えられました。ほかの多くの問題に配されたほかの勧めと、この新しい伝道地の中の働きに結ばれた人々はみな、この第5巻の中で重要な位置を占めています。

 セブンスデー アドベンチスト達の目は、ますます、世界中の伝道地に向けられました。この10年間、私達はヨーロッパでの働きに携わってきました。1885年現在、働き人の仲間達と共に、S.N.ハスケル長老とJ.O.コーリス長老が南方の大陸、オーストラリアでの働きを開始するために派遣されました。アフリカは、2年後にD.A.ロビンソン長老とC.L.ボイド長老が入りました。また同年に、そのメッセージは、信徒のアブラハム・ラ・ルー兄弟によって香港に伝えられました。また、1889年に文書伝導者達は、南アメリカで自分達の働きを開始しました。1885年にミセス ホワイトでさえも、ヨーロッパに滞在するよう海外から招聘されました。ヨーロッパで、彼女は、2年半の伝道旅行で、執筆と講話とカウンセリングに費やしました。18876月にノルウェーのモスで、彼女は合衆国の外で初めて開催されたセブンスデー アドベンチスト達のキャンプミーティングに参加しました。海外での彼女の奉仕の働きは、たいそう正しく認識されました。

 第5巻によって書き著された時代の間、また、不満を持った小グループによるかなりの反対がありました。その人々の攻撃は、数年を通じて主に、この教会を築き上げて力づけた彼女の著書と、預言者的な賜物による働きに向けられました。この第5巻に書いてある10年の間に、一人、あるいは、私達を導く巡回伝道者達は自分の方法や道を失って、そしてやがて、かつては設立のために働いた一つの働きに涙を落としながら積極的に繫がりました。まさに突入しようとしていた人を制するために、エレン・ホワイトによって書かれた二つの手紙がこの本の中に見られます。一つは571頁に、ほかは621頁にあります。その人を救う試みは成果のないものでした。そして、その人は、ミセス ホワイトと預言者的な賜物に激しい非難者に転向しました。そのような攻撃はもちろん、セブンスデー アドベンチスト達の働きにとどまりませんでした。その一方で、その人々は、効力を失って散らす要因として認められたのは明らかでしょう。

 預言者的な賜物が触れたいくつかの生き生きとした文章は、この時代の間にペン書きされました。それらの一つは、1888年版の『善と悪の大争闘』の序文の基をなしています。もう一つは、この巻の中に見られています。彼女が『SDA教会への証』に及ぼした感化力と性質について書いて出版された『証』の全てから集めて、この巻末近くに見られる38頁の記事の中に収集したのはこの時代です。

 1888年の秋に、一つの重要なSDA全体総会会議がミネソタ州ミネアポリスで開催されました。この会議に、信仰による義の偉大な真理の概念に満たされて、人々が広い地域から集められてやってきました。その真理に心を開くことにしくじっている人は、その真理の前進の障壁を打ち破るため、そして、勤勉な聖書研究を励まして導くため、ミセスホワイトを輝かして駆り立てる理由となりました。翌年1889年の全体総会会議で、働き人達と一般信徒達は同様に、その社交的な集会をレポートしました。「その翌年、その人々の生活は大変良いものになりました。キリストは私達の義、信仰による義――神の言葉から輝き出た真理の光は、明らかに識別されていました。……神の祝福と慰め、光は、確かにやってこようとしています。私達の[教会の]人々のためにやってきた光と真理のメッセージを持っていた、と語った人々からの普遍的な証は、この時代の人々のための正しい真理です。また、その人々がこの教会の人々の間に行く所ではどこでも、神の祝福と慰めは確かに訪れようとしていました」(エレン・ホワイト原稿1889.10.『霊の賜物の実』(p.234からの引用)。主の人々への神のメッセージは、脅(おびや)かされた敗北の潮を栄光の勝利に変えました。

 この巻の執筆時は、合衆国において国家の日曜法Sunday lowのひな形が提起されて一つの危機の兆候が現れていました。これに関連して、ミセスホワイトの前に、カトリック教と団結した背教プロテスタントと、今にも起こりそうな耐えがたく強要する法案にこの教会が立ち向かわなければならない問題と闘いがもたらされました。その問題を理解した人々の救いようのない脱力感が明らかに表れました。そして、一つの行動のための呼びかけがありました。

 第5巻の中に『SDA教会への証』全9巻のほかのどの巻以上にテーマについて大きな違いがあります。この巻は様々な個人に宛てて書いた「個人的な証」を含む『SDA教会への証』のグループの最後のものです。11年という期間が『SDA教会への証』第6巻の著書の発行の前に経過しようとしていました。

 この第5巻は、時にかなって警告と勧めをして実用的な性質を持っているので、今日のこの教会に偉大な価値をもたらしています。全体を通して強調していることは、終末が近いことと、今にも起こりそうな闘いについて、光を必要として、準備を指摘している厳粛なステートメント/言及です。牧師達は、献身と聖別を強く勧められています。医師達は勧められています。教会の理事達は警告されています。牧師達は世俗の原則を適用することに対して警告されていて、自分達の学生達の魂を勝ち取る奉仕をしてガイドするよう励まされています。文書伝道の福音伝道者達は、その適性の高い標準を求められています。親達は、家庭生活と子ども達の教育訓練に対して指導を与えられています。これらの人々、いわゆる世間の人々が言う新しい光を持っている人々は、教理の根本原理に反対したメッセージを持っていて譴責されています。この[教会の]人々に連なって[名簿の]一覧表と層をなしている人々は、リバイバルと改革/改善を呼びかけられています。

 この第5巻の指導と警告は、セブンスデー アドベンチスト達がこの事業に尽力して大いなる伝道地に船出していった時に確固とした感化を与えました。

              エレン・G・ホワイト遺稿管理出版委員会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

[1] 「SDA教会への証」311882

 

1.キャンプミーティングへの参加

コロラド州ボールダー より1881.9.25

 (訳者加筆。彼女はカリフォルニアに住んでいました。当時、東部のミシガンまでは大陸横断鉄道で1週間ほどかかる距離でした。彼女は三男のウィリアムと共に「1891128日にオーストラリアのシドニー港で船から降りた」ので、その集会に参加できませんでした。カリフォルニアからオーストラリアまでは、帆船で10日ほどかかったようです。)

 

親愛なる兄弟 姉妹のみなさんへ

ミシガンキャンプミーティングにようこそ[1]

 

 私は、この時期に開かれたほかのどの会議以上に、この会議に強い関心を持っています。ミシガン[の兄弟姉妹達]は、この教会が担っていた働きをしていませんでした。神は、あなた方の間に主な施設を設置しました。そして、伝道地全体においてほかのカンファレンス以上に、あなた方に重い責任を負わせています。大きな光/真理があなた方に与えられました。ほんのわずかな人だけがそれに応答しました。また、私の心は、ミシガンにいる私達の愛された人々のためを思いやって気遣っています。人の子[イエス]は、やがて天の群集と共に来ようとしているという警告は、多くの聞き慣れた作り話になりました。人々は、見張り場に立って監視することを忘れてしまいました。生活に現れた利己的で世俗的な精神は、その心に“私の主は、その来臨を延期している”と感情の混じった考えを心に抱いています。一部の人々が不信者や偽善者となり、私達の主が“みんなが不忠実な僕(しもべ)のようだ”と言っているにもかかわらず、ある人はひどい霊的な闇に覆われているので、人々は自分達の不信仰を公然と表明しています。

 私達の[教会の]牧師達は、自分達の義務を全く果たしていません。この[教会の]人々への関心がたいそう手近にある重要なことに呼びかけられているでしょう。時のしるしは、人々の知性の前に新鮮に保たれる必要があります。ダニエルとヨハネの預言の幻は、その終わりの時だけではなく、現在、私達が生きているこの時代と、道徳的な闇と衰退の期間を予告しています。その幻は嘘ではなく、考えを話そうとしています。その予告した様々なしるしが通り過ぎるためにやってき始めた時、準備して待っていた人、見張っている人々は、自分たちの贖われることが近くに引き寄せられたので、喜んで自分達の頭を上げるよう言いつけられています。それらの事柄が、私達に襲ってくるとき、あざける者達は自分達の強い欲望に沿って歩む人として発達するでしょう。「主が来るという約束はどうなったのか。父祖達が眠りについて以来、すべての物事は、創造の初めから存在して続いています」「2ペテロ3:4」。しかし、「人々が平和だ、無事だと言っている時、突然、その人々に滅びがやってきます」[1テサロニケ5:3]、「しかし、汝ら、兄弟達は霊的な闇の中にいないので、その日は泥棒のように襲わないでしょう」[1テサロニケ5:4]。人々はみな、体を保護する揺籠の中で眠りについているよう揺すられていないことを神に感謝しましょう。また、その時代のしるしを見分ける信仰深い人々がいるでしょう。[現在の]真理を告白している大勢の人々は、自分達の働きによって自分達の信仰を否定するでしょう。その一方で、終わりまで耐え忍ぶ人々がいるでしょう。

 世俗の人々の行動によく似た利己的な精神を持った人々が、ノアの時代のように私達の時代に存在しています。神の子となることを告白した多くの人々は、激しい感情によって世俗の娯楽に倣って、自分達の告白に嘘を与えています。その人々は、恩恵期間の最後の時まで、植えて建てて、買って売って、食べて飲んで、めとりとつぎをしているでしょう。これは、私たち自身の[教会の]人々の大多数の人々の状態です。多くの罪のゆえに、多くの人々の愛は冷たい蠟で磨かれたような状態です。例を挙げるとそれは、「汝らはみな、……[霊的な]昼に属する子ども達です。[霊的な]夜に属する者でもなく、[霊的な]闇に属する者でもありません」[1テサロニケ5:5]と言われています。

 私の魂は、私達の間の霊的な欠乏を見ていて、重荷を負っています。世俗のファッションや習慣、プライド(自慢の混じった自尊心)、快適さへの愛、見栄への愛、豪華なドレスや家や土地――、これらは、世界の人々に真理の光を送るために役立てられる資金を自己の楽しみのために向けて、神の宝を奪っています。利己的な目的は最初の考えによってつくられています。魂達の救いのために働く人々の資格に関わる働きは、世俗の事業として重要な成果が考慮されていません。魂達は、知識の不足のために滅びています。[現在の]真理を持っていて、また、やってくる裁きについて警告するための働きの精神がないと感じていた人々は、自分達の義務の怠慢のために一つの責任を加える必要があります。魂達の血は彼らの衣に着くでしょう。

 古い標準を担っている者達は、気が挫けてガッカリしています。私達の[教会の]若い人々は、神への自分達の責任を考えるよう教育されていませんでした。小さな動機は、その目的によって働くように彼らのために提示されています。そして、彼らは責任と小さい苦悩をもって大きな報酬の約束の伝道地へ入っています。一つの人々()として、私達は、終わりが近づいている時に霊的な前進をしていません。私達は、私達の前にあるこの働きの重要性と大きさに気付いていません。それゆえに、私達の計画は広がらず、広範囲にもなっていません。この時代のための働きを増して前進させるために用意されていますが、男性達と女性達に重大な欠如があります。

 私達は、神が私達に行なうよう求めている20分の1も行なっていません。そこには、難解さをなしていて、理解が困難で遂行困難なこの働きのシンプルさからの逸脱がありました。神に属している以上に、人間に属している知恵と判断がガイドしてコントロールし過ぎていました。多くの人々は責任を加えなければならないときに、魂達を見守るための時間がないと考えています。何が、彼らの行なうはずだった重要な働きを怠慢な態度に変えるのを許しているのでしょうか(And what excuse will they render for this neglect of the important work which was theirs to do?)

 私達のカレッジで、若い人々は、神のための働き人として準備されるように可能な方法を通して慎重に教育される必要があります。これは設立された施設の目的でした。全国にいる私達の[教会の]兄弟達は、このカレッジを支援するだけではなく、保護することを考える必要があります。それは、そのデザインから顔を背けてはいけないでしょう。また、その種のほかの施設に倣って形成される必要があります。宗教的な関心は常に保護される必要があります。時は一刻と過ぎています。永遠は近くにあります。主の大収穫が取り入れをしようとしています。私達はこの働きのためにどんな備えをしようとしていますか。

 私達のカレッジで指導する人々は、聖別して献身している人々でしょう。その人々は、霊的に暗い所に輝く一つの光として預言の言葉に確かに注意を払って、聖書を生活の基準とガイドにしているでしょう。「汝らは、人の子[イエス]は思いがけない時に来る」[ルカ12:40]ので(直訳:人の子は来ないと考えている時間はないので)、私達のうちの一人も、一瞬もガードを解いて隙を見せる人はいないでしょう。報いを得るのは忠実によいことを行ない続けている人だけです。キリストの側にいない多くの人々は、私達の間で一つの場所を許されています。聖別せず献身していない牧師達、教授達、教師達は、私達の真の本拠地でサタンの旗を立てて彼を支援しています。

 私達のカレッジのデザインは、何度も言及されていました。また、多くの人々はこの世の神々によってたいそう目を塞がれていたので、その真の目的は理解されていませんでした。神は、そこで若い人々が主に引き寄せられるように、また、人々を強化して指導するために新旧約両方の神の言葉の内容から無尽蔵の宝を取り出して、そこでキリストの福音を話す能力を得るようにデザインしました。教師達と教授達は、この時代に差し迫った危難について新鮮な感覚を持つことでしょう。そして、その働きは、神の日に立つために一団の人々を備えることが成し遂げられる必要があります。

 教師達のある者は、キリストの元に集めるのではなく、主から追い散らしていました。自分自身の手本によって、その教師達は世俗の習慣や慣習を適用して自分達の要求のもとに学生達を導いています。その教師達は、気に入られるような内容を愛する不信仰者達と流行を追う学生たちと手を握って、キリストから離れた世俗の方へ歩むよう連れて行っています。そして、彼らは、一般の人々にそれらを与えただけではなく、自分達自身の個人的なアピールとして、これを天からの様々な警告に面と向かって行なっています。

 神は、主の人々()の忠誠をテストするでしょう。神に奉仕する者だと告白した者によってなされた間違いの多くは、承認への望み、大衆受けの切望という自己愛の結果です。この方法によって目をくらまされた人々は、光ではなく闇の子らであることに気付いていません。「汝らの間から出てください。そして、汝らは別れてください。主は言っています。そして、清くない者に触れてはいけません。そして、私は、あなた方を受け入れるでしょう。そして、あなた方の父となるでしょう。そして、汝らは、私の息子・娘となるでしょう。と、全能の主は言っています」[2コリント2:17-18 KJV]。罠と虜と惑わしであるこれらの事柄を表明し、世俗から別れて――これらは、私達が、神の息子・娘として知られるようになる条件です。

 使徒パウロは、「世俗の事柄と繫がっていること、また、神の子ども達になることは不可能です」と言っています。「汝らは、不信者達と軛を共にしてはいけません」。これは、結婚だけについて言っているのではありません。その真理や神の愛を持っている人々と共同経営やどんな親しい信頼の関係は一つの罠です。

 その使徒は続けています。「義と不義はどんな仲間関係がありますか。光と闇は共感がありますか。キリストとベリアルはどんな一致がありますか。信者と異教徒はどんな役割を持っていますか。神の宮と偶像の宮はどんな調和がありますか。神が言っているように、私は、それらの中に住んでいて、それらの中を歩んでいます。そして、私は、彼らの神となるでしょう。そして、彼らは私の人々()となるでしょう」[2コリント6:14-16 KJV]。それらの事実を考察することによって、彼(使徒)は言っています。「それゆえ、彼ら(人々)の間から出て、そして、汝らは、別れなさい」「それゆえ、それらの約束によって、愛されています。私達は、神を畏れて、完全な聖化、霊と肉のすべての汚れから自分を清めましょう」[2コリント6:17]

 私達がその状態に応じるならば、主は私達のために主の約束を果たすでしょう。私達は知恵がなくて怠っていますが、行なうための一つの働きがあります。イエスによって、私達は、それを正しく行なうことができています。私達は、真理の知識によって恵みによって常に成長し、前方に上方へと押し広げているでしょう。

 昼間に属していて、光に属している子ども達は、罪を働く者達を取り巻く彼らの闇と夜の影の周りに集まろうとしていません。その一方で、彼らは、霊的な闇の中にいる人々をさえぎるために、神からの光を集めて放散して伝える義務の立場に忠実に立とうとしています。主は、主の人々に不信心な者の行動の真似をしない、触れない、高潔さを守ることを求めています。

 クリスチャンは、「闇から出て、主の素晴らしい光の中」に呼び出した主をたたえることを示して、「特別な人々、聖なる国の民」としてこの世界にいるでしょう。この光は、ほの暗くなるためではなく、真昼の太陽のように明るく輝こうとしています。クリスチャンの標準を伝える者達は、義務を捨てようとしていません。彼らはその砦を守るために見張りをして [主を]待っている人の敵を招き入れて混ぜました。そして、自分たちの親切な尽力によって、サタンの子らと神の子らの間の違いを打ち壊しました。

 主は、決して、私達のカレッジがほかの施設から学んで物真似をするようにデザインしませんでした。その宗教的な基本原理が支配する力と必要があります。不信者達がこの影響力を選択するならば、それは井戸(洗礼の源泉)です。闇の中にいる人々が光に行くことを選ぶならば、それを待っているのは神です。しかし、私達の警戒を緩めること、学生達の安全のために世俗の基本原理を導入させることは、神の意思に反しています。私達のカレッジの強みは、優れた支配による宗教的な基本原理を保つことにあります。教師達や教授達が[学生や親達に]気に入られる授業を行ない、世俗の人々が喜ぶように宗教の原則を犠牲にする時、彼らは自分達の信頼に不忠実だと見做されるべきです。また、解雇されるべきです。

 長年、ワクワクする[現在の]真理「主は手元近くにいますは、私達の耳に鳴り響いていました。「それゆえ、汝らは備えをしていなさい」は、私達が初めてそのメッセージを聞いた時に比べると、今日の真理ではなくなっています。教会に最愛の関心のある人々と神の人々、不信仰で悔い改めない運命の世俗の人々は、永遠と時のために、ここに含まれています。私達は全ての人々を裁く義務があります。「主は自ら、大天使長、神の勝利と共に大声で叫んで天からくだってくるでしょう。そして、キリストにあって死んだ人は、最初によみがえるでしょう。それから生きている私達[主の来臨まで]残っている人々は、雲のような天使の集団の中の彼らに追いつくでしょう。空中で主に会うために、こうして、私達

[1]SDA教会への証」31(1882).キャンプミーティングへの参加 ⑴牧師達の責任英文      15

は、いつまでも主と共にいるでしょう」[1テサロニケ4:16-17 KJV]。キリストは、それから、「福音に従わず、神を知らない人々に復讐するように」天から啓示するでしょう。様々の重要な大事件が手近にあります。[現在の]真理を信じると告白している多くの人々が[霊的に]眠っています。その人々は、世俗の人々と親交を保っている現在の立場に残っているならば、間違いなく「私の主は、その帰りが遅れる」と心の中で言っている不忠実な仕者/しもべに数えられるでしょう。キリストが罪のない[者達]を救うために現れるのは、希望と信仰を持って待っている人々だけのためです。多くの者達は、神/信仰の力を知らない人で、神学理論を持っています。神の言葉が人々に宿っているならば、それはその人の生活をコントロールするでしょう。信仰、聖化、そして、神の意思への一致は、それ自身の清める力を証しているでしょう。

 

⑴牧師達の責任

 一つの厳粛な責任が、主の見張り人に課されています。その人々は、神の言葉を理解して説明するために、どんなにか慎重で正確である必要があることでしょう。「それを読む人々、この預言の言葉を聞く人々、そこに書かれている事柄を守る者達は祝福されています」[黙示録3:1 KJV]。預言者エゼキエルはこう言っています。「主の言葉が私にやってきました。こう言っています。人の子[エゼキエル]、汝の人々()に言いなさい。私が特別な剣をその国に投げ入れる時、その国の人々が国境(くにざかい)の地にいる一人の男を自分達の見張り人として立てたならば、また、その男がその国にその剣がやってくるのを見た時に、その男はトランペットを吹き鳴らして人々に警告音を与えるならば、また、トランペットの音を聞いた人は誰でも、また、警告をしないならば、その剣はやってきて、彼を取り去り、彼の血は自分の頭の上にあるでしょう。警告音を聞いたけれども警告を与えなかった人は、彼の血が自分の頭のうえにあるでしょう。しかし、警告を与えた人は、自分の魂を救うでしょう。しかし、警告を与えた人は、自分の魂を救うでしょう。しかし、その見張り人がその剣がやって来るのを見たならば、そして、トランペットを鳴らさないならば、そして、その人々が警告されないならば、もしも、その剣がやって来て、彼らの間から誰かが取られるならば、彼は自分の罪のゆえに取り去られます。しかし、私は、彼の血をその見張り人の手に求めるでしょう。そういうことなので、汝、人の子よ、私は、汝をイスラエルの家の見張り人として立てました。それゆえ、汝は、私の口からの言葉、そして、私からの警告の言葉を聞くでしょう。私が、その悪い人に言う時、その悪い人は、必ず死ぬでしょう。汝は、悪い人がその道から離れるように警告の言葉を語らないならば、その悪い人は自分の罪によって死ぬでしょう。しかし、彼の血を汝に求めるでしょう。にもかかわらず、汝がそれから離れるように彼の悪に警告するならば、また、彼が自分の道から離れないならば、彼らは自分の罪によって死ぬでしょう。しかし、汝はその魂が救われるでしょう」[エゼキエル33:1-9 KJV]

 私達の光が明瞭で、私達の特権と機会がその時代の人々以上に大きいので、今日の見張り人の責任は、その預言者の時代以上にはるかに大きいでしょう。柔和と知恵によって、全ての人々に警告すること、全ての人々に教えることは、牧師達の義務です。その人々は世俗の人々に順応しようとしてはいけません。しかし、神への奉仕者として、その人々は聖徒達をかつて救った信仰に取り組む必要があります。サタンはいつも、魂達に勝手に入り込もうとして、自分を締め出す砦を破壊しようとしています。その一方で、私達の[教会の]牧師達は、霊的な知性をまったく持っていません。その敵は、強い優位性を持っています。主は、彼の成功に対峙するように、特別な見張り人に責任を委ねています。

 私は、この時代の人々のために、私達のキャンプミーティングに集まる人々に記事によって警告したいと思います。全ての事柄の終わりは手近にあります。私の兄弟[姉妹]、牧師、一般信徒のみなさん、私は、みなさん方が習慣的に働いてきた方法とは違う方法で働く必要があることを[イエスから]示されました。プライド(自慢の混じった自尊心)、羨望心、偉ぶる言動、清められていない自律的行動は、あなた方の働きに汚点を付けました。人々がサタンによって、高慢にされて得意がるようにされるよう自分自身を許す時、主は、働き人達を通して、またほとんど、働き人達のためにすることができません。人の子[イエス]がくだった計り知れない謙虚さによって、主はどれほど人間性を高尚にしていることでしょう。牧師達だけではなく、神のための働き人、神の人々は、自分達に追随する人々の益になろうとするならば、キリストの謙虚と柔和が必要です。神として、私達の救い主は、主が人間の性質を取った時に、「主自ら謙虚になりました。しかし、彼は一人だけで行きました。人間として「十字架の死までも、死に至るまで従順になりました」。これらの思想をみなさんの前に表す言葉を見つけたいものです。そのベールを剝がして、みなさんの霊的な弱さの理由を知りたいものです。みなさんが求めて待ち受けているたくさんの力と恵みを言葉で言い表して伝えたいものです。義に飢え渇いて求めている人々が満たされるでしょう。私達は、一直線に天の門の中に入っていくために、必死に努力して励む必要があります。

 キリストは、こう言っています。「重荷を負わされて働いている汝らはみな、私の所に来てください。そして、私は、あなた方に安息を与えるでしょう。汝らは、私の軛を装着してください。そして、私は柔和で心の謙虚な者なので、私について学んでください。汝らは、私の軛が負いやすく、私の重荷は光/軽やかなので、あなた方の魂に安息を見つけるでしょう」[マタイ11:28-30 KJV]。私の親愛なる兄弟 姉妹、牧師、そして教会の人々のみなさん、私は、みなさんに証します。みなさんは、まだ、このレッスンを受けていませんでした。キリストは、私達のための死と、死の苦しみと恥を耐え忍びました。「キリスト イエスにあったこの知性をあなた方の中に存在させましょう」[フィリピ、ピリピ2:5 KJV]。仕返しの精神なしに、報復なしに罵りabuseと叱責を負いましょう。イエスは、私達のために贖いをなすためだけではなく、私達の手本となるために死にました。おお、素晴らしいへりくだりでしょう。何と計り知れない愛でしょう。仕返しや憎しみに浸ることができますか。もはや、自己を高め、自分に同情し、自分をペットのようにかわいがることができません。私達の罪が刺し通した主を見てください。罪によって落とされた私達すべてを救うために、これ以上進めない低い所に行くためにその地位を下げて、私達を高めるために身を低くして、道を一歩いっぽ、くだった主を見てください。なぜ、私達は、無関心、冷淡、よそよそしく形式的で、思い上がって、自己満足でいられるのでしょうか。

 私達のうちの誰が、忠実にその手本に倣っていますか。私達のうちの誰が心のプライド(自慢の混じった自尊心)に逆らって良好な状態を築いていますか。私達のうちの誰が良いことに熱心で、生活に現れず心に宿らなくなるまで、利己的な自分と格闘するために自分を追い込んでいますか。私達が全員負っている以上に互いに重荷を快く負い合って、粗探しを少なく、自己の世話self-caringを少なくして、もっと互いに親切に仕合い、もっと自己否定をして、もっと謙虚にさせるようにして、そのレッスン/練習を私達に与えた神のために、私達がキリストの十字架を見る時、また、私達が神の裁きに近づいているというしるしが成就しているのを見る時、私達の心に強く印象づけられるでしょう。

 私は[イエスから]、一つの人々[]として、私達が福音の神聖さから、信仰のシンプルさから離れていることを示されました。多くの人々は重大な危機の中にいます。その人々が自分達の進路を変更しない限り、その人々は役に立たない枝たちとして真のブドウの木から切断されるでしょう。兄弟 姉妹の皆さん、私は[イエスから]、私達が永遠の世界の玄関口に立っているということを示されました。善い行いはみな、得られた成功はみな永遠の命の実をもたらすために蒔かれた種のようなものです。発展の螺旋階段の上の私達におかれています。私達は、神聖な勝利の霊的な力を与えられています。正しい活動はみな、その繰り返しが用意されています。

 ある人の恩恵期間は閉じられています。そして、それはその人々にとっていいものですか。その人々は未来の生活に適合を得ましたか。示しているその人々の記録は、神に栄光の実をもたらさなかった世俗的、利己的な人生で、特権に怠慢で、機会を浪費していなかったでしょうか。主が、私達のために行なうようにと残したたいそう多くの働きが行なわれないままに残されました。私達の周りの人々はみな、警告されるための魂たちです。救われず警告されずに墓に行って神に届いた魂たちの記録、その時間は、しばしば、利己主義の身勝手さに占められてきました。

 主はまだ、私達に憐れみの目的を持っています。また、悔い改めの余地があります。私達は、神に愛されたものとなるでしょう。私達の主の現れを先延ばしにしてきたみなさんに今、贖いの働きの時を開始するよう請い願っています。

 神の言葉を研究してください。やがてやってくる特別な年のために、勤勉に注意深く聖書を研究して、あなた方が、おそれと柔和さを持って、あなた方の心の内にある希望と理由を尋ねるすべての人々に伝えることができるように、この集会においてみんなで、重要でない読書、軽薄で軽率な回心の光を捨てるために、神との契約をしましょう。みなさんは、先延ばしして、神の前に逆戻りを悔い改めず、心を低くしていないのではありませんか。

 私が、この教会の人々や個々人に伝えた明白な証を、私が取り消したり、悔いたりすると考える人がいないようにしましょう。私がどこかで間違っていたならば、それは、決定的に断固として罪を咎めることによってではありません。ある兄弟達は、間違いを正すための簡単な方法を提示して、私の働きを批判する責任を担っていました。その人々のために、私が、証や叱責の言葉の中に書いたり言ったりしてきたことは、はっきりと表現されていませんでした。

 神は、私に自分の働きを与えました。そして、私は、その判断に向き合う必要があります。彼ら自身の方法を選んだその人々は、また、彼らに与えられた明白な証に反対して立ち上がった人々、そして、彼らによってほかの人々の信仰を篩にかけようとした人々は、神によってその内容を清算する必要があります。私は何も取り消しません。私は、その人々の品性の欠点を許さず、その人々の考えに合わせず、穏やかにしています。私は、求められたケースで正確に話しませんでした。神が私に話すように与えた厳しい叱責の効力を何らかの方法でなくする人々は、その判断で自分達の働きに向き合う必要があります。私はこれまでの2、3週間、永遠の中に直面しているかのようでした。主が、私の現在の体力が残っている状態から、話すための言葉を正確に話すことを理解しています。神から与えられた様々な証を伝える時に、私の人生全体を通して、誰かの感情を害することや、人々の自己欺瞞を混乱させることは、私にとって恐ろしく苦しいことでした。それは、私の[働きの]性質に反しています。それは、私にとって、多くの眠れない夜と酷い苦痛の原因となっています。自分達の有限な判断で、自分達のための賢明な現れである一方法を示して、私を咎めようとしていた人々に対して、私は繰り返します。私はあなた方の尽力を受け入れません。神と共に私を放置しておいてください。そして、主に私を教えさせてください。私は、主からの言葉を受け取って、この[教会の人々に]主の言葉を話しましょう。私は全ての人々が叱責を受け入れて、彼らの生き方を改善するようにと期待していません。私はすべての人々に同じように果たす自分の義務があります。この時代と果てしない時代の人々のために自分の働きを行なって、私は神の前に謙虚に歩むつもりです。

 神は、私に与えたこの働きを私の兄弟達に与えませんでした。一般の人々に与えている私の叱責の方法は、ほかの人々を厳しく痛烈に非難するように導いていたと言われてきました。そうであるならば、私の兄弟達はその内容を神に申し開きする義務があります。ほかの人々がその提案を認めないならば、主は、その選ぶ謙虚な手段[の人]を通して何度も繰り返して、自粛して忍耐して親切になるように与えました。彼らだけがその結果に応える義務があります。私は、自分の夫にさえ、咎めることのないように、自分を楽しませるためでもなく、また、重荷を負って悲しむ心によって、自分の親友への嫌な義務を履行しました。聞くだけか、自粛するかに関わらず、ほかの人々への警告によっても、私は信仰がなくならないでしょう。私が、この教会の人々に話している時、私は前もって用意していなかったことをたくさん語っています。主の霊はしばしば、私にやってきます。私は自分自身[の体]から離れて、取り去られているように思います。そして、様々な人々の品性と生活が明瞭に私の知性の前に提示されています。私はその人々の間違いと危険性を見ています。そして、このように私の前にもたらされていることについて語るように強いられたと感じています。私は、神の霊にあえて逆らいません。

 ある人が私の証によって不快にさせられているということを、私は知っています。その証は、その人々の聖別されていない心が自慢する誇りに合わせていません。神がその人々に与えた光に従順になって、私達の教会の人々が自分達の失敗を受け入れることによって支えたものをもっと多く失うと感じています。この証によって[この教会の]私の若い兄弟[姉妹]のみなさん、私はあなた方の厳粛な責任をもっと熟慮するよう請い願っています。神に聖別したならば、あなた方は、この世界とこの教会の人々によい感化力を働かせることでしょう。しかし、あなた方には清らかさと献身が欠如しています。神は、あなた方を、あなた方の神学理論と言葉によって、同時に、あなた方の良い働きによって、世界の人々の光となるようにあなた方を遣わしました。しかし、あなた方のうちの多くは、自分達のランプに油を持っていない愚かな乙女たちとして表されているでしょう。

 私の兄弟[姉妹]のみなさん、「真の証人」の勧めと叱責を心にとめてください。神はあなた方のために、あなた方と共に働くことでしょう。あなた方に敵対する者達は、頑固として強くなるでしょう。しかし、彼らよりも強い御方があなた方の助け手となるでしょう。その光を輝かしましょう。そして、それは、この働きを行なうでしょう。ホスト/万軍の主は、私達と共にいます。ヤコブの神は、私達の避難所/隠れ家です。

                          

 

2.私達のカレッジ(単科大学) [2]

 私達の[教会の]カレッジにある危険性は、初期の独自性のデザインから背いていることです。神の[人類救済]目的は理解されてきました。私達の[教会の]人々は、神の言葉を学ぶことを求められていると同時に、科学知識を研究する機会を持っているでしょう。聖書の科目の講義は与えられているでしょう。御言葉の研究は、私達の[カレッジ]の教育体系の中の一位に置かれるでしょう。

 学生達は、聖書の科目の講義で指導を受けるという大きな目的を持って、バトルクリークにあるこのカレッジに入学するためにたいそう遠くから送られてきています。しかし、12年経過して、私達の学校で品性を形成する努力がなされた後で、ほかのカレッジで[形成する努力が]なされています。このことが行なわれている時、私達は、バトルクリークカレッジに子ども達を送るように親達に奨励することができません。特別な宗教的、道徳的な感化力が、その教育の背景に置かれていないでしょう。時の経過と共に、神は、教師達の努力と共に働いていました。そして、多くの魂達は、信仰に帰依して真理を理解していて、それゆえに、そのカレッジと彼らの結びつきの成果として、学生達は神のために生きて自分達の家に帰っていきました。学生達は、聖書研究が自分達の教育の一部をなしていたのを知った時に、その内容の興味深さと重要さを考えるように導かれました。

 この[聖書研究の]奉仕の働きは、若い人々の教育において、あまりにも注目されてきませんでした。これは、このカレッジの設立時に確保された主要な科目でした。このケースは、二の次に重要な科目だと見做されたり無関心にされたりするべきではありません。しかしながら、数年間で、ある者達はほかの人々に[現在の]真理を教えるために施設が用意したもので出て行きました。多額の費用を負担してやって来た若い人々は、その奉仕の働きに見通しを持って、多くの年数のかかる学習の課程全体を学修するために、教師達によって励まされてきました。さらに、それらの計画を成し遂げるための学資を得るために、文書伝道の分野に入って、そして、牧師になって説教するという考えをすべて捨てました。これはまったく悪いことです。私達は、働きをするために多くの年数がありません。学長と教師達は、自分達の計画を成し遂げるのではなく、主が啓示したものと調和した働きと神の霊/精神に満たされる必要があります。私達は、これらの点において、神が言っていたことを心にとめないので、毎年、多く[の学生]を失っています。

 私達の[教会の]カレッジは、退廃と危難にあるこの時代の人々の切望の増加に立ち向かうように、神によってデザインされています。書籍からだけの学習は、学生達が必要としている訓練を提供することができません。広範囲な基本的[な教育]が与えられる必要があります。このカレッジは、どの人の知性に特別な刻印stampを押すための存在となっていませんでした。教師達と学長は、兄弟達と共に働く必要があります。彼らは、牧師達と責任者達と相談して、また、上からの知恵を求めてすべての人々と共に相談する必要があります。学校の決定のすべては、神に是認されるようにしましょう。

 学生達に単に書籍からの知識を与えることは、この施設の目的ではありません。そのような教育はこの国のどこのカレッジでも修得することができます。設立されたカレッジの真の科目の学識を得るのを妨害することはサタンの目的であることを、私は[主から]示されていました。彼の考案した妨害によって、そのカレッジのマネージャー達は、世俗の方法に倣って理由づけしていて、その計画をコピーしてその習慣を真似しています。しかし、こうすることによっては、彼らは神の霊/精神を知性に迎え入れようとしないでしょう。

 混ぜ物がない純粋な科学の指導の努力と思想を教師達と学長に求めた教育、より広範囲な教育が必要とされています。その特徴は、高貴な発達とそれを満たすために相応しい原則を受け入れる必要があります。その学生達は、カレッジで、正直で尊敬されて、若者達を堕落させている不道徳な感化に立ち向かい、社会的に独り立ちする美徳を保つことを可能にする訓練を受けるでしょう。

 身体労働の様々な部門で学生達を指導するために能力のある人々の指導のもとでの栽培と実習のための土地にある私達の[教会の]カレッジと繫がることはよいことでしょう。多くの学生達は知的に重い負担をかけていても医師と繫がることを怠って失われています。学生達の自由時間は、道徳的・身体的な能力が弱められ、ほぼ、軽薄な娯楽で占められています。感覚的な能力の品位を低下させるわがままや時期尚早の高揚した求愛と結婚のもとで、多くの学生達は、別のやり方で至ったはずの最も高い知的な発達にしくじっています。その若者達は日々、神への自分の義務についての感覚を印象づけられるでしょう。主の律法は宗教的な親の子ども達によってさえも汚されています。それらの若者達のある者はしばしば浪費につきまとわれています。そして、知性と身体の能力は結果として苦しんでいます。このクラスの学生達は、ほかの学生達をひどく有害な道に倣うよう導いています。このように、学長と教師達が科学の指導をしている間に、サタンは不快と狡猾で彼らを導いて、学生達の知性のコントロールを得るためにあらゆるエネルギーを注いでいます。

 一般に言われているように、ある若者はわずかな道徳的能力を持っているだけです。これは、子どもの頃からの教育を怠った結果です。神の品性についての知識と主への知識は、些細なことの結果の内容としてみなされるべきではないでしょう。聖書の言葉は唯一、若者達を保護するためにあります。道徳と宗教は、私達の教育的な施設において特別に注目する必要があります。

 

⑴ 教科書としての聖書

 あらゆる思想や向上心、感覚をたいそう高貴にするような研究は、御言葉についての学習のほかにないでしょう。この神聖な言葉は、神がその像(かたちimageに形成した存在に期待しているということを人々に啓示した神の意思です。この世で、私達は、現在の生き方を改善する方法と将来の生き方を獲得する方法を学んでいます。この本以外に知性の疑問に答えて心の切なる望みを満たすことができるものはないでしょう。神の言葉の知識を得ることによって、人々は[堕落せず]罪のない天使達と協力して、神の息子[]となるために品位の下落と霊的な無知の最も低い深みから立ち上がることでしょう。

 神が存在しているという明確な概念と、主が私達になるようにと求めていることは、自己についての謙虚な見方を私達に与えているでしょう。神聖な言葉を正しく学んでいる人は、「人間の理性は全能ではない」ということを学ぶでしょう。神だけしか与えることのできない助けなしに、人間の能力と知恵はただ無知で弱いものです。教育する能力として、聖書は隠されておらず開かれています。とてつもなく並はずれて、啓示された様々な真理を捉えるために、学生達に求められているあらゆる才能に活力を授けているものは[聖書以外に]ないでしょう。その知性は、宿ることを許している対象にそれ自身を次第に順応させています。高遠なテーマと基礎を除外するため通常の場所の内容だけを占めたならば、それは、虚弱で普通より小さき者となるでしょう。困難な問題に取り組むことを求めないならば、あるいは、様々に重要な真理を理解するように研究対象を広げるようにさせないならば、それは、手遅れで成長する能力をほとんど失うでしょう。

 聖書は、人々が有している歴史を最も理解しやすく教えやすい[教材の一つ]です。それは永遠の真理の源泉から生き生きとしてやって来ました。神性の手は、全ての時代を通してその神聖さを保持して来ました。その光の筋の輝きは、人間の研究が見通すために無駄な研究をしている遠い過去の時間を照らしています。神の言葉の中にだけ、私達は創造の創始者の責任を見出しています。この世で私達は、地の基を置いて天空を広げた[創造の]力を見上げています。私達は、この世で唯一人間のプライドや人間の偏見によって汚されていない人類の一つの歴史を発見することができます。

 神の言葉の中で、知性は、高遠を切望する最も深い思想の対象を見つけています。この世で、私達は父祖達と預言者達との親交を保持しています。そして、主が人々に語っている永遠の声を聞いています。この世で、私達は、私達の味方として勝利を得るために、また、闇の勢力と一人で戦うために、たしかに、主自ら私達の代理人になるために身を低くした時の全能者を見上げています。その敬虔なテーマの意図は、和やかにすることを失敗できないものとして、新しい力と活力によって知性に霊感を与えるために、同時に、心を清めて高貴にしています。

 道徳と宗教が一つの学校の中で生きようとしているならば、それは、神の言葉についての知識が至る所にいる人にある必要があります。ある人は「私達の学校で卓越した学生を育てようとしている宗教的教えは、人気がなく流行らないものになるでしょう。私達の信仰に属していない人々はこのカレッジを愛顧にしないでしょう」と言っています。それは承知しています。さて、ほかのカレッジに移って行く学生は、そのままにしておきましょう。そこで、その人々は、自分達の好みに合った教育の一つの体系を見つけるでしょう。私達の学校は、単に科学を教えるためではなく、日常生活の実際の義務において、神の言葉の偉大な原則を教えるという目的のために設立されました。

 ここに、この時代の人々にたいそう必要とされている教育があります。世俗の影響力が私達の学校を動揺させようとしているならば、それを世俗の人々に明け渡して全体を支配させましょう。資金をその施設に投資した人々は、学長と教師達の希望によるのではなく、一般の学校を計画するのではなく、神が具体的に示した計画に指揮されるために別の学校を設立するでしょう。

 私は、大教師の名によって、神の人々となるためにその学校で責任ある地位に就いているすべての人々に請い願います。主が私達に特別に明瞭[に識別される神の人々]となるように求めている時、私達はどうして、世俗の人の行動と習慣を真似るように求めて、流行を切望できるでしょうか。神はこの国にある一つのカレッジに持っている主の目的について、聖書が若者達の教育に相応しい場を提供していると宣言しています。私達はその目的を果たすために自分の分を果たしていますか。

 神の言葉を教える授業は、多くの学生達の心と知性にほんのわずかだけ効力を与えているように思われます。しかし、教師達の働きが、神によって働かれていたならば、ある神性の真理のレッスン/授業は、最も軽率な者の記憶にも残るでしょう。主の聖霊は蒔かれた種に注がれる水となるでしょう。そして、しばしばそれは、その後の多くの日々に湧き上がるでしょう。そして、神の栄光のための実を結ぶでしょう。

 サタンはいつも、聖書から人々の注意を逸らそうとしています。私達の初めの注意を受け入れる人々のための神の言葉は、人間の知恵の言葉のために無関心にされています。主は、無限の知恵と力であり、人々の厚かましさと憶測をどのように耐えることができるでしょうか。

 感銘を与える媒体を通してあらゆる種類の知識は、全ての人々に到達して放置されています。すべての共同体の人々は、表面的な学識と道徳に堕落して広く共有しています。その人々が、聖書を読むだけの人、聖書を学ぶだけの人になるならば、私達はいろいろな事柄の様々な状態を見ることでしょう。

 不正に満ちている私達の世代のように、神の律法と主の品性は蔑みの目で見られています。特別なケアは、学ぶ若者達に教えるために、また、人間に啓示された時、神性の意思を従順に崇敬するために配慮される必要があります。主を畏れることは、聖書研究を怠っているために、あなた方の若者達の知性から衰退しています。

 学長と教師達は、神と結ばれた生命を持っているでしょう。そして、主のための証人として大胆に堅く立っているでしょう。臆病や世俗の処世術ではなく、神の言葉が背景に置かれているでしょう。学生達は、自身の研究によって、道徳的・霊的に、同時に、理知的に有用な者とされるでしょう。

 

⑵ 私達のカレッジの目的

 私達のカレッジは今日、神が是認していない立場にあります。私は[主から]この重要な施設に悪いことが迫っているという危険性が示されていました。そこの責任のある人々が、世俗の標準に手を伸ばそうとしているならば、また、彼らがほかのカレッジの方法と計画をコピーするならば、神の当惑の表情が私達の学校のうえに訪れるでしょう

 決定的に語るその時が、私にやって来ました。[主によって]私達のカレッジの役割における神の目的がはっきりと述べられました。その一分野における福音の働き人達に、一つの催促が強い調子で求められています。牧会の奉仕の働きに入るようデザインされている若い人々は、一つの教育を受けるために多くの年数を費やすことができません。教師達はこの授業の不足に自分達の指導を適用して状況を認識することが可能だったはずです。特別なアドバンテージが彼らの働きのために、それらを合わせるために最も必要だった様々な伝道地について広範囲な研究を短期間のうちに彼らに与えられたはずです。しかし、私は、このことが成し遂げられなかったことを[主から]示されていました。

 [教師の]   兄弟は、牧師になろうとしていた学生達のために行なった働きが、[自分では]たいそう良い働きだったつもりでいることしょう。しかし、神は、彼の一連の指導内容について喜んでいません。彼はその状況に自分を合わせませんでした。働き人は、自分達が受けられたはずの助けと励まし、通常の短期間に受けられなかったことを学ぶために相当な犠牲を払って、働いている伝道地を離れました。熟年に達した人々は、人生の全盛期で、自分達の家族を持った人でさえ、不必要な困惑の問題を抱えていました。[教師の]    兄弟は極端に過敏に反応しています。しかし、彼は、「ほかの人々が、彼と同じような厳しい粗探しや嫌味や嘲りは感情を害すると気づきうる、ということに気づいていません。このことによって、彼は自分の兄弟達の心を傷つけて、神の不興を買いました。

 

⑶ そのカレッジにいる教師達

 そのカレッジにいるすべての教師達によって行なわれるための一つの働きがあります。利己心から解放される人はいません。教師達の道徳的・宗教的品性は、本来あるべきものであるならば、学生達に良い感化が及ぼされることでしょう。その教師達は、神の栄光に向かっては片目をつむって、自分の働きをなすことに個人的に当たろうとしていません。イエスを見詰めるのではなく、主の生き方と品性をコピーするのでもなく、彼らは自分を見ています。そして、人間の標準に向かい合うために多くの目標を持っています。私は、全ての教師達が若者達に教えている感化力や責任の感覚を強く印象づけたいと願っています。サタンは、私達の若者達が自分に仕えるようにと尽力を傾けています。強く働きかけて、彼は、未成熟な者の足元に罠を仕掛けています。神の人々は、彼の考案品に対して熱心に防護する必要があります。

 神は、愛と憐れみと慈しみについて肉体を取って具体的に現しています。主と真に結ばれた人々は、お互いに不和になることができません。心の中でルールを作っている主の霊は、調和と愛と結びつきを創っているでしょう。この反対がサタンの子らの間で見られています。周到、争い、羨望に熱心であることは彼の働きです。私の大教師の名によって、キリストに就くと告白した人々にお伺いします。みなさんは、どんな実をもたらしていますか。

 一般の学校で利用されている教育体系において、教育のもっとも本質的な部分の聖書の宗教は軽視されています。教育はこの世俗の世界の学生達の生活の度合いに大きく作用しているだけではなく、その影響力は永遠の度合いにも及ぼしています。その教師達が人格に正しい影響力を及ぼす能力を持つということは、どんなにか大切なことでしょう。彼らは、学生達のために日毎に神性の光を受け取り、宗教体験をする男性達・女性達になる必要があります。

 しかし、ある教師は、保護者としての働きをしようとは思いませんでした。親達の多くは、恐ろしいほどにその義務を怠っていました。祭司エリのように[1サムエル2:11-参照]、親達は礼儀正しい慎みの躾にしくじっていました。さらに、家で与えるはずの訓練を受けさせようとして、躾けられていない子ども達をカレッジに送っています。その教師達は、わずかな知識だけで義務を負っています。もしも、教師達がそのわがままな若者達の[行動]の改善に成功したとしても、わずかな信用を得るだけです。もしも、その若者達が悪い仲間を選んで、悪友からもっと悪に行ったならば、教師達は非難されて、その学校も非難されています。

 多くのケースにおいて、その非難は当然のことながらその親達がしています。親達は自分の子ども達を訓練して統制するための好機、精神が教えやすく、知性と心が感動を受けやすい時期がありました。しかし、親達は怠惰で、その子ども達は悪い道に固まるまでに自身の意思に従うことを許されています。

 親達は、世俗に少なく学び、キリストについて多くを学びましょう。彼らに、世俗のファッションと習慣を見習うのをなくするよう、また、神性のモデルに倣って自分の子ども達の品性と知性を形成する努力にもっと時間を使うよう、全力を尽くして勧めましょう。その時、親達は、信頼と有用さの立ち位置を[確保する]ための教育を受けるために、高貴な目標と清い道徳によって防御された息子達・娘達として送り出せるでしょう。神を畏れ、神を愛するように統制された教師達は、子ども達の創造者に敬意を捧げ、この世の祝福となるよう訓練して、若者達を前方へ上方へと導くことでしょう。

 神と結ばれることによって、講師達はみな、受け持ちの学生達に、神の律法に従い、主の言葉を学ぶように導くための感化を及ぼすでしょう。主は、無限のかなたにある感覚と、最も活発な理性がその力を捉えるために全力を尽くす高貴なテーマと、基礎的な思想のための広い分野を子ども達の前に開示して、永遠への関心を熟慮するように知性を指導するでしょう。

 高すぎる自己評価の弊害と清められていない自律/独立独歩を克服しないならば、私達の滅びを証明するもの、私達の有用さを損なうものが、利己的な自分本位から湧き出ているでしょう。「共に勧め合いましょう」は、神の天使によって私に何度も繰り返された特別なメッセージです。ある人の判断の感化によって、サタンは自分自身に合うように内容を支配しようとしているでしょう。二人の知性を間違った方に導くことに成功しているでしょう。しかし、数人の人々が協議した時、もっと安全がありました。あらゆる計画はもっと厳しく粗探しされる必要があります。あらゆる前進の動向は、もっと慎重に研究される必要があります。それゆえに、失敗と困惑、混乱をもたらす浅薄な動向や思いがけない危険性はほとんどないでしょう。結びつきによって力づけられています。部門によっては弱さと失敗はあるでしょう。

 神は、転任によって彼らを備えて、人々を導き出しています。私達、この働きの一部を担っている人々は、神のための見張り人として立っていますか。私達は団結した働きをしようとしていますか。私達はすべてにおいて、快く奉仕者になっていますか。私達は、自分達の偉大な模範者に倣っていますか。

 働き人の仲間である私達は、お互いに命の畑に種をまいています。その種がある時に多くの収穫があるでしょう。私達が、羨望・嫉妬・自己愛・苦みのある考えと感覚という不信頼の種を蒔くならば、私達は、同じものが戻ってきて受け取ることでしょう。

 厳しく粗探しをして、大量の宿題を出してほかの人々の考えに気を留めない教師は、自分自身の方に同じ精神が現されることを覚悟する必要があります。自己を尊重し自分の尊厳を守るように望んでいる人は、ほかの人々の自己を尊重して傷つけることがないように慎重にしていて当然です。このルールは、最も不器用な学識のある人々、すごく若い人々、理解の鈍い人々に守られる必要があります。関心がなさそうに見える若者達に行なうように神が意図していることは、あなた方には解りません。主は、過去において、主のために大いなる働きをすることに引き付けられず、約束しない人々を受け入れていました。主の霊/精神は、心を動かして力強い活動をするための能力を湧き起こしました。主は、それらの凹凸があり磨かれていない石たちに、圧力と熱と砂嵐という試練でも立つだろうという貴い内容を見ました。神は、人間が見るようには見ていません。主は、外見からは判断していません。しかし、主は心を探って正しく判断しています。

 ある教師は、クリスチャンジェントルマンとして自分自身を指導する必要があります。その教師は、いつまでも、受け持ちの生徒のカウンセラー、友人としての心構えで向き合うでしょう。私達の人々、教師達、牧師達、一般信徒達がクリスチャンの礼儀正しい精神/霊を育てているならば、その人々は、学生達の心にすぐに近づくことができるでしょう。すべての教師達が自分を忘れて受け持ちの生徒達の幸と成功に深い関心を寄せている時に、学生達の知性と品性に自分の感化力を及ぼす責任を負っているということ、学生達が神の財産であるということに気付いて、たくさんの学生達が[現在の]真理を考察して受け入れるように導かれるでしょう。その時に、私達は、天使達がいつまでも愛し続ける学校を持てるでしょう。イエスはその教師達の働きを満足して見ていることでしょう。また、その学生達の心に主の恵みを送ることでしょう。

 バトルクリークにある私達のカレッジは、成長して発展する神の計画のために訓練されようとしている主の家族の若いメンバーの住んでいる場所にあります。その人々は、自分達の創造主の像(image)に造られていること、キリストが自分達の倣おうとしている手本であるという考えを印象づけられるでしょう。私達の兄弟達は、知性を低く狭い標準に合わせて許しています。その人々は、物の見方において、神性の計画を守っておらず、その視点を世俗のモデルに留めているだけです。神の右手に座しているキリストを見てください。あなた方の学生達がその完全な品性に一致するように働きかけてください。

 あなた方は、学生数が増すように標準を低くしているならば、また、この増加を喜びの理由としているならば、あなた方は霊的な盲目を表しています。人数が成功の根拠であるならば、この世界において、彼につく者達は大多数を占めているので、サタンは「抜群」と叫ぶことでしょう。そうではなく、そのカレッジ自身の繁栄のテストの一つは、そこに充満している道徳的な力の程度です。それは、教会の人数ではなく、私達の教会を構成している人々が、感謝と喜びの源となるような美徳を宿していて、理知的で、そして、清いことです。

 神性の恵みの感化なしでは、教育はまったく優位性を証明しないでしょう。そのような教育では、学習者は中身のない偏狭で得意になっています。しかし、偉大な教師の感化を反映している高貴な指導のもとで受けられる教育は、神によって人間を道徳的価値の大きさにまで高めるでしょう。全ての特権、全ての機会、全ての才能を主に信頼する時、激情とプライドを抑制すること、また、神の前に謙虚に歩むことは、人を高尚にするでしょう。

 私は、私達のカレッジでその働き人達に話しています。みなさんはクリスチャンになると告白する必要があるだけではなく、キリストの品性を反映する良い手本となる必要があります。天からの知恵をあなた方の指導に満たしましょう。道徳的に堕落して霊的な闇にいる世界の人々に行動を促す精神が、地からではなく天からのものであることを見られるようにしましょう。あなた方は、自分の知恵と能力に全的に頼っている一方で、あなた方の最善の努力はわずかなことを成し遂げているでしょう。あなた方が、神の愛によって促されているならば、主の律法はあなた方の[働きの]基礎にあって、あなた方の働きは、耐え続けるでしょう。干し草と焚き木とトウモロコシの切り株は焼失してしまう一方で、あなた方の働きは特別なテストに立つでしょう。あなた方のケアのもとにいる若者達をあなた方は、天の神の大きな白い玉座の周りで再び立ち会う必要があります。あなた方が涵養していないマナー、統制されていない傾向を許しているならば、また、若者達の永遠の善への感化にしくじっているならば、あなた方はその大いなる日に、自分達の働きの厳粛な結果に向き合う必要があります。神性の律法の知識によって、また、その指針への従順によって、人々は神の息子[]となるでしょう。その律法を破ることによって、人々はサタンに仕える者となります。一方で、人々は道徳的に高貴な高さに至るでしょう。あるいは、一方で、人々は品位の低下した罪の深みにくだるでしょう。私達のカレッジにいる働き人達は、贖われた者達の喜び、永遠の命、神の是認、受け持った学生達の魂の――利害関係の賞品の価値と比べて、熱意と熱心さを現す必要があります。

 キリストと共に働く者達や私達の[教会の]牧師達は、神の知識を受けるための大切な好機に天からの霊感を授けられた者として働けるでしょう。年配の人々がそうであるように、若者達の心は固くされず、考えや意見が固定観念化されていません。その若者達はあなた方の聖なる振る舞い、あなた方の献身、あなた方のキリストのような歩み、によってキリストに勝ち取られるでしょう。学生達に宗教的特権の時間を多く与えて、科学の時間を少なく教えることは大変良いでしょう。

 そのカレッジの存在に含まれている神の目的が視野から失われました。福音を伝える牧師達は、そのカレッジが世俗の要素と繫がっているために、天からの知恵の欠乏をたいそう示していました。彼らは、学生達に授業で提供する真理と神に対する敵達と結ばれていました。このように、若者達を間違った方へ導くことによって、その人々はサタンのための働きを行っていました。その働きでは、それ自身の結果と共に、彼らは、神を妨害するものに立ち向かう必要があります。それらの人々は、彼らが信頼されえないことを示す一つの道を追い求めています。その悪の働きがなされた後で、彼らは自分達の間違いを告白するでしょう。しかし、彼らは自分達が尽力した影響力を容易に回復できますか。彼らの信頼を裏切った人々に「よくやった」と言うことがあるでしょうか。これらの不信仰な人々は、永遠の岩[キリスト]の上に建てませんでした。その人々の土台は崩れる砂であることを証明しているでしょう。「世俗の人の友人であることは、神の敵であることを知らないのですか。それゆえいったい誰が、神の敵である世俗の友人となるでしょう」。

 私達の感化力に制限を加えることができるものはいりません。一つの思想による行動は、多くの魂達の滅びを証明するでしょう。私達のカレッジにいる全ての働き人達の進路は、若者達の知性に感銘を与えています。そして、それらの感銘はほかの人々に再現されるように駆り立てられています。世界の人々の祝福となるように教師のケアのもとにいる若者達を準備することはその教師の目標となるでしょう。この目的は視野から失われるべきではないでしょう。キリストのための働きをすると告白している人がいます。また、サタンの側に行って彼の働きを行なっている場合もあります。救い主は、それらの人々に、忠実な良いしもべ、と言うことができますか。彼らは、見張っている人として、トランペットの確かな音を立てていますか。

 全ての人々は、良いか悪いかに関わらず、身体によってなされた行ないによって裁きを受けるでしょう。私達の救い主は、私達に「汝らは、誘惑に陥るといけないので、目を覚まして、祈りなさい」と言いました。私達が困難に遭遇したならば、キリストの力はそれらに勝つでしょう。私達が敵達に向かい合うならば、キリストの力はそれらを吹き飛ばすでしょう。私達が責任を引き受けているならば、キリストの力がそれらを忠実に果たすでしょう。私達は、貴い体験を得ています。私達は、ほかの方法では学ばなかったことを学んでいます。私達の救い主は、必要な時はいつでも助けをプレゼントしています。

 私達のカレッジでは、行なわれるための大きな働きがあります。全ての教師が協力するよう命じた働きにおいて、互いにやる気を失わせることが、人と神を不快にしています。しかし、ほとんどすべての人々は、サタンが兄弟達を非難するものであることと、兄弟達がサタンの働きによって敵と結びついているということを忘れているように思われます。クリスチャンだと告白した人々が論争している間に、サタンは未熟な若者達と子ども達の足元に彼の罠を仕掛けています。宗教体験をした人は、彼の考案したものから保護しようとしています。その人々は、自分から罪の楽しみにかつて魅了させられていたことを決して忘れないでしょう。私達はいつも、私達に相応しく未熟な若者達が間違いにもどかしくなるように、神の寛容と憐れみを必要としています。神がその人を負っている限り、あえて私達は、罪びとの仲間、その人々を捨てるのですか。

 私達はいつも、若者達がキリストの血で買い取られているとして見守りましょう。そのように、彼らが私達の愛と忍耐と共感を求めています。私達は、イエスに倣っているならば、自身の家族と自身の愛情と関心を制限することができません。私達の周りにいる人々の永遠についての関心を忘れること、現世の内容への注目に、私達の時間を与えることができません。彼らに従う人々の救いのために熱心に働いている一人の人に結ばれた人がいる所に100人の若者がいないということは、私たち自身の利己心の結果だということを、私は示されてきました。「私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい」[ヨハネ13:34,15:12]は、イエスの命令です。主の自己否定を見てください。主が私達を愛した方法を見上げてください。そして、その手本を真似てください。

 私達のカレッジで教師として働いている若い男性と若い女性の中に、神を不快にしていた多くの事柄があります。あなた方は、自分自身に没頭していました。そして、たいそう霊的に欠けていて、あなた方は若者達を聖化と天に導きませんでした。家に戻って行った多くの学生達は、神とキリストへのあなた方の愛の欠如ゆえに悔い改めないことを強く決心していました。イエスの霊なしに歩んでいたので、あなた方は、無信仰と光がないこと、あなた方の精神/霊をわがままにしていた不親切を勧めました。この方針の結果に、あなた方は気づいていません。――救われていたはずの魂達は失われています。

 多くの人々は    兄弟に対して、強い反感を持っています。その学生達は    兄弟の厳格さと辛辣さ、不親切さを非難しています。しかし、彼を咎めている当の人々は、自分達にやましいところはほとんどありません。「あなた方の間で、罪がない人が初めに石を投げつけなさい」。C兄弟はいつも賢明に動きませんでした。そして、彼は最善の進路を取らなかったところで固い確信を持っていました。彼が行なってきた時の接し方のマナーと、彼の受け持ちの学生達への彼の指導方法の修正に、彼は快く忠告を受けませんでした。彼の欠点のゆえに彼を非難していた人々は、当然のことながら非難されることになりました。すべての人々は品性に彼の特殊な欠点を持っています。人は、自分の兄弟の中に見ている弱点から解放されるでしょう。また、人は、同様に、神の視野にはもっとも嘆かわしいものである欠点を持っています。

 この互いの無感覚な粗探しは、まったくサタン的です。私が示された   兄弟は、彼が行なった良いことのために尊敬される価値があります。彼に優しく[注意を]与えましょう。彼は三人で協力して仕事をしていました。三人は、彼と同じことを行なっていて、彼の失敗を熱心に列挙しました。彼はほかの人が休んで気分転換しようとしていた時に、精を出して働きました。彼は疲れていました。神は、彼をしばしの間、負担の大きい仕事から離れさせようとしました。主は、彼が正しいこと以外に何もしないように、彼の時間と注目を分けるために多くのことをしています。

    兄弟は、自分が正しいことをするように自分を導いて湧いてくる精神と立ち向かうことを許さないでしょう。彼は不満に機会を与えました。主は、証によって彼の前にこれを提示していました。

 学生達は、教師のあからさまな粗探しによって励まされないでしょう。この不満を言う精神はそれが推奨されるときに増すでしょう。そして、学生達は、彼らの好みに立ち向かわない教師達の粗探しに自由を感じるでしょう。そして、揉め事と不満の精神は急に増すでしょう。このことは消滅するようになるまで、当惑を隠さなければならないでしょう。この悪は正される必要があるでしょう。彼らは謙虚に愛のうちに、調和して働きたいのではありませんか。時が語るでしょう。

                       

 

3.親達の訓練

 私は[主から]、この時代の人々ための厳粛なメッセージを信じていると告白していた多くの親達が自分の子ども達を訓練していなかったことを示されていました。親達は、自分を抑制していませんでした。そして、子ども達を抑制するように試みる人をイライラさせていました。親達は主の祭壇に自分の子ども達を日々に生きている信仰によって結び付けてきませんでした。それらの多くの若者達は神の聖なる日に自分の楽しみを求めて、安息日に通りに出かけて行って第4条の戒めに違反することを許されていました。自分の楽しみのために安息日に通りに行っても良心に罪の意識を感じませんでした。多くの子ども達は自分の楽しい所に行って楽しんでいます。そして、その親達は、エリの子育てを手本にして、子ども達をいさめることをしないで放置して、子ども達を不機嫌にすることをとても恐れていました。

 そして、若者達は安息日を尊重することをみな失い、宗教的な集会や神聖、永遠のことに興味をもっていません。その子らの親達が子ども達にゆるやかにいさめるならば、子ども達はその教会メンバー達のある欠点を言って、自分達を弁護しました。その場に沈黙があって、その種のことに取り掛かりとして、親達は自分の子ども達が教えたように正しいと考えています。もしも、この人もあの人も完全だったならば、彼らの子ども達は正しいことになるでしょう。この代わりに、親達は、子ども達にほかの人々の罪が子ども達のためのゆるしとならないことを教える必要があります。キリストは、唯一の真の手本です。多くの人々が間違っている自分達の罪悪感を最も少なくして減らすか、あるいは、彼らの悪を許さないことでしょう。神は、彼らに高尚で、完全な一つの標準を彼らに与えました。ほかの人々が追いかける道を考慮せず、彼らはこれに立ち向かう必要があります。しかし、多くの親達は、子ども達への愛情において、判断と根拠を失っているように見えます。そして、彼らの子ども達のわがままな自分中心への間違った対処を通して、サタンは親達に害を与えるために効果的な働きに変えました。私は、不従順と疑い深い古代イスラエルの人々にやってきた神の怒りについて、主からはっきりと言われました。その親達の子どもを指導する義務は、明瞭に課されたものでした。それは、この世代の信じる親達に結ばれています。「私の民のみなさん、私の律法に耳を貸してください。私の口から出る言葉に耳を傾けてください。私は譬えによって私の口を開きましょう。私は、過去に語っていた暗いことを言いましょう。それは、私達が聞いて知っていました。私達の父祖達が私達に語っていたことです。主が行なった素晴らしい働きと主の滞納のゆえに、主を賛美しにくる世代に示して、私達はそれらを彼らの子ども達に隠さないでしょう」。

 子ども達は、その親達が自分達の手本と弟子訓練の指導によって、育てた者達です。それゆえ、神への奉仕のために、若者達を訓練することによって、保護者の忠誠の重要性の大変さ[があります]。子ども達は宗教的な神聖さの義務を早期に教えられる必要があります。これは、親達の教育のもっとも重要な一部です。神への私達の義務は、お互いの前に披露されるでしょう。神の律法を本質から厳格に守ることは、教えられ強化される必要があります。「主は、私達の父祖達、イスラエルに一つ律法を託して、ヤコブによって一つの証を確立しました。彼らは、自分たちの子らに、それらを知るようにするでしょう。やがて訪れる世代の人々は、生まれてくる子ども達でさえそれらを知るでしょう。その人々は、自分の子ども達にそれらを立ち上がって宣言するでしょう。その人々は、神に希望をおいているでしょう。そして、彼らの心を正しく整えない世代、そして、その精神が神を不動にしていない、頑固で反抗的な自分達の父祖達のようにではなく、主の戒めを守るだけではなく、神の働きを忘れないでしょう。

 親達に大きな責任が発生しています。子ども達は、激情を統制されず、医師の弟子訓練もされず、成人男性と成人女性となることを許されていて、通常、後年に神の戒めの進路に悩まされるでしょう。それらの人々は、軽薄な楽しみを無宗教の仲間達と熱心です。彼らは、心の物欲的な傾向を甘やかして、宗教的な義務を怠ることを許されてきました。その結果として、サタンは本質と知性をコントロールしています。      にいる親達は、このように働くために、彼に広い余地を与えました。神から逆戻りしている多くの人々は、宗教生活を良心的に、自分の子ども達を訓練することの両親の怠慢の結果として来ている所に見出されていました。それらの子ども達の状況は悲しいものです。その子ども達は、クリスチャンになることを告白しています。しかし、その子らの親達は、クリスチャンになる方法、神の憐みの求め方、主を賛美する方法、キリストの生き方を自分達の生き方に広げる方法、を教える重荷を自分達で負いませんでした。

 その親達の子どもらが学校に入学してほかの学生達と交流した時、クリスチャンになることを真に試みていた人々は、多くの光を持っていた人々の出現に自分たちの行動で表すことを恥じています。その子らは、性格傾向を否定して、風変わりさを表すことを恥じていました。闇の勢力が無宗教の仲間たちを通して働いている時、キリストから彼らを話すように導いている時、その子らは、それが最も必要とされている時に、自分達の武具を投げ捨てています。その子らは、クラスメートと運動場と教室に自分達の宗教を持ち込むことは面白くないし、困難だろうと考えているので、宗教的な原則の指示と保護のない危険の満ちた一つの道に入っています。このように、その子らは、サタンの鋭い矢(言葉)を自分達の魂にあらわに投げかけています。どこにそれらの若者達を保護する者達がいますか。誰が、一方の手で神の御座を固く捉えていて、もう一方の手でキリストに引き寄せるためにこれらの若者達を捉えているのですか。その子らは宗教の力を知る必要があります。しっかりとした一つの手によって引き止められる必要があります。

[1]SDA教会への証」31(1882).キャンプミーティングへの参加 2私達のカレッジ    英文39

 神性のガイダンスと後見人をたいそう長く拒んできたこれらの人々の多くは、利己的な楽しみと無思慮な小道、ええ、体を汚すもっと下品な行動に突き進んでいます。一つの結果として、彼らの知性は汚されていてそして、宗教はその子らにとって不快なものになっています。ある者はたいそうこの低い道に行きました。そして、ソドムの住人の道に熱中して従いました。その子らは今日、呪われた者の近くにいます。そして、譴責と警告の声は、彼らの上で失われています。その子らは決して贖われないでしょう。そして、その親達は自分達の滅びの責任があります。その子らがそのような酷い大きな犠牲を払った品位の低下、健康と知性の平安、永遠の命は、終わりの時に苦々しいものです。

 親達のみなさん、キリストのために、永遠のために[人生の実習]期間のために子ども達の知性を形成するという、あなた方の最も大切な働きに大失敗しないでください。忠実な指導を怠るあなた方の役割の間違いや、子ども達の欠点に親の目をつむる賢明ではない愛情で甘やかすこと、適切な自制や慎みを子ども達に与えることを拒むことは、子ども達の滅びを証しているでしょう。あなた方の方針は、子ども達の未来の体験に悪い指導を与えているでしょう。あなた方は、子ども達が自分自身の魂のため、人々のため、キリストのために行なう者となるだろうと子ども達に結論を下しています。

 あなた方の子ども達に忠実に誠実に接しましょう。行き違いを恐れず、時間や手間を惜しまず、負担も悩みも感じず、果敢に忍耐強く育てましょう。あなた方の子ども達の将来は、あなた方の働きの特性を証しているでしょう。あなた方の役目において、キリストの真実性はいつの日かよりも、あなた方の子らの均整のとれた品性によってよりよく表されることでしょう。子ども達は彼の血によって買い取られたキリストの宝です。親達の感化力が全的にキリストの側の者であるならば、子ども達は人生の小道を見つけるようほかの人々を助けて、主と協力して働く者達です。あなた方が、あなた方の神が与えた働きを怠っているならば、あなた方の賢くない弟子訓練の方針は、闇の王国を力づけてキリストから散らすクラスの人々の中に子ども達を置くことでしょう。

 私は自分が知っていることを話しています。私は、自分があなた方の若者達の間にあることを言う時に、クリスチャンだと告白している親達に教育された若者達の間で、私が見ていた事柄をあなた方に話しています。神の視野には嘆かわしく感情を害すること、それは、終末の日々のしるしの一つをなす一般的なことです。それは、公然の非難を決定的にさらすことを求めるようなひどい悪の傾向だと見ています。それは、神に聖別する彼らの初めの誓いの軽視や計測な行動とみなされる罪です。宗教的な関心において、主の聖霊はインマヌエルの君の血痕のついた旗のもとにしっかりと立つよう彼らに感動を与えました。しかし、その親達は自分達を神からとても遠くに離していました。とても、世俗のビジネスに磯岳して結ばれていました。あるは、自身の宗教体験について不満足で疑い深くなっていました。その親達は子ども達に指導をあたえるためにまったく不適切になっていました。その親の子ども達は、その体験において、悪い道を抑制して勧めによって防ぐために、正しい道を指摘するための確かな手と知恵を必要としていました。

 宗教生活は、世俗の生活と楽しみを求めることと対照的に示されるでしょう。キリストの弟子となろうとする人は、イエスに倣って十字架を取って、それを担う必要があります。私達の救い主は、自分の楽しみのために行きませんでした。私達もそうする必要があります。高度霊的到達は、神への全的な聖別を求めているでしょう。しかし、この指導はそれが親達の生活と相反していたので、若者達に与えられていませんでした。それゆえ、その子らは得られうる最善のクリスチャン生活の知識を得ることに取り残されていました。世俗の娯楽に参加するよう世俗の社交を求めるよう誘惑された時、溺愛する親達は、子ども達を甘やかして否定することを好まないで、子ども達がその内容について何かを言って行ったならば、とても不明瞭で決めかねている態度を取っていました。その子ども達は、クリスチャン生活と品性を保とうとして自分達が追い求めて願っていた道を自分達で識別しました。

[1]SDA教会への証」31(1882).キャンプミーティングへの参加 2私達のカレッジ    英文41

 この方法によって一度始められたならば、子ども達はいつも世俗の要因が勝るまでその中に居続けます。そして、その子らは以前の確信を冷笑しています。子ども達はその心が優しくなった時に、シンプルに現されたものを嫌っています。そして、そのような、十字架につけられた贖い主について、またこの教会について、神聖な求めを回避するための言い訳を見つけています。この層の人々は、最も清く、最も優しいありのままの愛情、抑制していた良心の確信を持っていなかった者に決してなることができません。何年か後に彼らがキリストにつく者達となるならば、その子らは自分達の魂に行なった神聖なことの軽視の傷跡をさらに負うでしょう。

 親達はこれらの事柄を見ていません。その人達は、自分達の方針の結果を見通していません。また、神性の生活に慎重に弟子訓練されて、自分の子ども達が優しく育てられることを必要としていることも考えていません。親達は、子ども達を、主の血で買い取った主の恵みのトロフィー、キリストの宝という存在に考えず見ていません。サタンは、いつもキリストの手からその若者達を奪い取ろうとしています。そして、親達は、絶大な敵対者が子ども達の側のそば近くに地獄のような旗を立てようとしているということを認識していません。親達は、それがキリストの旗であると考えることにとても盲目にされています。

 サタンは、主に身代金を払われた者であることを思い出させて、大望や誤った認識、懐疑論や自己放縦によって歩ませて、若い人々を狭く清い道から、誘いこもうとしています。若い人々はふつう、すぐにこの道を離れようとはしません。その人々は、程度によって離れて勝利を得させられています。また、悪い一歩を踏み出すことによって、神を受け入れるための聖霊の証を失っています。このように、その人々は、不振と落胆の状態に陥っています。また、良心が自分達を咎めるので、宗教的な奉仕を嫌っています。若者達はサタンの罠にかかっています。そして、そこでは、唯一の逃れの道があるだけです。自分達の歩みと自分達の中途半端な道のための魂の謙遜を認めてやり直しをする必要があります。自分達の魂を統治する神の聖霊だけが与えうる、すべての神性の息に好意を持って明るくした、彼らの初めの体験を再度やり直しましょう。キリストの力による信仰とガイドする光は、支えの力とガイドする光を与えるでしょう。

 クリスチャンの親達は、この宗教体験による実用的な指導を自分の子ども達に与える用意をしましょう。神は、あなた方にこれを求めています。そして、あなた方がこの働きを実施することにしくじるならば、あなた方は自分達の義務を怠っています。あなた方の子ども達のために、クリスチャン生活に成功する状況と、神が選んだ弟子訓練の方法について教えましょう。子ども達に、この世の生活準備の対策に自分の知性を没頭させたならば、神に仕えることができないことを教えましょう。しかし、彼らの余暇時間を怠惰に過ごして、苦労する必要はないという考えに好意を持たせないようにしましょう。神の言葉はこの点において明確です。天の権威者、イエスは、若者達のために一つの模範を残しました。主は、日々のパンのためにナザレで仕事に精を出しました。主は、両親に従いました。そして、主自身の時間を支配すること、主自身の意思に従うことを求めませんでした。安易に甘やかす生活によって、ある若者はクリスチャンの、あるいは、人間としての実際的な高貴さを得ることができません。神は、私達に主の奉仕による宝や栄誉を安易に約束していません。しかし、主は、私達に、すべての人々が必要としていた祝福は、「永遠の命」が来るために世界にある「迫害と共に」私達のものとなるでしょうと保証しています。主の奉仕のためにすべてを聖別することはキリストを受け入れること以外にないでしょう。これは、私達すべてが学ぶ必要のある少ないものです。

 神に相談し、キリストを信頼して、聖書を研究している人は、あらゆる状況下で、いつも賢明に行動しうるでしょう。良い原則は生活行動において、光を与えられて教化されるでしょう。この時代の人々のための真理だけが、心から受け入れられて品性の基礎となるようにしましょう。そして、それは、世俗愛の恥、一定しない習慣、楽しみの魅惑、そして、効力のない自身の自己放縦の心の叫びに、確固とした目的を生み出すでしょう。良心は、初めに光を照らされて教化される必要があります。その意思に支配がもたらされるでしょう。真理と義への愛は、魂の中に君臨する必要があります。天[の神]が是認しうる一つの品性が現れるでしょう。

 私達は、宗教的な原則、しっかりと支える力の光を照らされて教化されました。死の恐怖さえ、様々な人々が自分の命を危険にさらして得たベツレヘムの水を、体力が弱っているダビデに飲むようにさせません[2サム23:13, 111:18参照]。日毎の祈りは、口を開けているライオンの洞穴から人を護らないだけではなく、ネブカドネザルが建てたその像の前にひれ伏して拝まないシャデラクとその仲間達を燃える炉の中に入れられることからも護りません。原則を固く護って、若者達は苦痛をものともせず楽しみを避けるでしょう。そして、神への不忠実を見られるよりも、ライオンの洞穴と熱く燃える炉に勇敢に立ち向かっています。ヨセフの品性に注目してください。美徳が何度も試されました。けれども、その勝利は完璧でした。どの点においても、その高貴な若者はそのテストに耐えました。同様に高尚な確固たる原則があらゆる試練において現れました。主は、彼と共にいて、そして、主の言葉は法則でした。

 そのような堅固さと傷つけられていない原則は、この年代の若者達の無能と無力とは対照的に輝きを放っています。しかし、いくつかの例外において、今日と明日の様々なこと、周囲の様々な状況の変化で、若者達は動揺しています。利己的な喜びや楽しい行事が示されるでしょう。そして、良心は熱望した放縦を得るために犠牲にされるでしょう。そのような人は信頼されますか。されません。誘惑を避けて、あなた方の疑いと怪しみの不正を明らかにして、人は礼儀正しく見られるような自分を保てるでしょう。しかし、機会は提示されるでしょう。そして、その人は、あなた方の信頼を裏切るでしょう。その人は心を不健全にされています。原則と確信が最も求められる時に、あなた方はその人に与えられている道がわかるでしょう。その人が評論家や裏切り者になっていないとすると、それは彼が機会に合うことがなかったからです。

 親達のみなさん、神があなた方にするようにと与えた働きに入って、魂と心の義務の求めに従うことは、あなた方の最初の関わりとなるでしょう。あなた方が全てにしくじると、完全にそうなって、現在の結果があります。あなた方の子ども達が清さと美徳を訓練されて家庭から出て行くならば、また、子ども達が世界の人々のために神の偉大な良い計画の小さい、謙虚な場所に満足するならば、あなた方の人生は失敗と言われないでしょう。激しい後悔とも見られないでしょう。

 私達が、人の意に逆らう子ども達をその道に従わせなければならないという考えは一つの間違いです。エリシャは自分の働きの開始にあたって、ベテルの若者達によって、嘲笑され軽蔑されました。彼はたいそう温和な人でした。しかし、神の霊/精神が彼らの実在に呪いを宣言するよう彼を駆り立てました。彼らはエリヤの召天について聞いていました。そして、彼らは、この厳粛な出来事を冷やかしの材料にしました。エリヤは自分の神聖な召命を若者や老人によって些細なことにされないように明らかにしました。彼らが彼に語った時、彼は去っていくのが最良でした。エリヤが彼の前を去った時、彼は主の名によって彼らを呪いました。彼らの上にやってきた恐ろしい裁きは、神に属していました。この後に、エリシャはこれ以来、その任務に問題はありませんでした。50年間、彼はベテルの門の内と外で過ごしました。そして、堕落した若者達と、無礼な偶像と悪い群衆を通り過ごして、町から町へとめぐっていました。最も高い[]に属する預言者として、彼の光を制限したり彼を嘲笑したりした人はいませんでした。彼のキャリアー開始時の恐ろしく厳粛なこの事例は、彼の人生全体を通して十分な尊厳が命じられていました。彼が、注目せずに見過ごしてその嘲笑を許していたならば、彼は嘲笑にさらされていたことでしょう。そのやじ馬にののしられて、謀殺さえされたことでしょう。そして、その民を指導して、酷い滅びから救う彼の任務は失敗したことでしょう。

 親切でさえ、その限界がある必要があります。権威は堅固な厳格さによって支えられる必要があります。そうでないと、それは多くの嘲笑と侮りを受けるでしょう。優しいと言われて、親や保護者達によって若い人に向かって利用されてきた、口先のうまい甘やかしは、子ども達にやってきうる最も悪い悪です。断固としていること、決意、肯定的な求めなどは、すべての家庭において本質的なことです。親のみなさん、あなた方が怠ってきた責任を果たしましょう。「あなた方を闇から連れ出して、主の素晴らしい光の中に呼び出した主をたたえましょう」を示して、神の計画に倣って子ども達を教育してください。

                       

 

4.重要な証

                カリフォルニア ヒルズバーグ 1882.3.28

 親愛なる   兄弟へ。あなたの手紙は到着予定時刻に受け取りました。私は、あなたからのお便りを嬉しく思いましたが、その内容を読んで悲しくなりました。私は同じ内容の手紙を   姉妹と   兄弟から受け取っていました。しかし、私は、彼を支持するほかの人や   兄弟からの手紙を受け取りませんでした。あなたの手紙から私は、   兄弟に反対する経過をあなたが追っているという情報を得ています。

 私は、バトルクリークに存在している事柄の状態に驚いていません。しかし、自己評価のたいへん高い私の兄弟が、神の導きがないと私が知っている人々の間違った側の問題に巻き込んでいることを、あなたが知ることに私は心を痛めています。それらの人々のある人は誠実です。彼らは騙されています。彼らは、神の聖霊よりもほかの情報によって感銘を得ました。

 私は重要な内容に関して、個々人に私の意見を表明しないで慎重にしてきました。正しくない有利な[立場の意見]は、私が最も内密な方法で言っているものにさえしばしば及んでいます。人々は、様々な点で私から注目の情報を引き出すための働きをしています。そして、その人々は誤って伝えて、不正確に述べています。そして、私の言葉を私が捉えていたことから全く違う意見や考えに表わして、私の言葉としています。しかしこのことによって、彼らは神の妨害に向き合って当然です。

 あなた方が提示している様々の困難な出来事について、私は沈黙を守る決心をしました。私は、様々な問題を発展させておくことが最善だろうと考えています。私の夫を酷評するための用意をしていた人々は、まだうずいていて、彼ら自身の心にあった不満の精神を見ているかもしれません。不平を持っていた人は今、墓の中で静かに眠っています。

 私の一つの危機は来て当然ということを知っています。神は、この人々にこの状態の事柄を妨害するための様々な証を示して明確に与えました。その人々は、聖霊の警告の声と勧めと懇願に従っていたならば、現在、一致団結と平安を喜んでいることでしょう。しかし、これらの証はそれらを信じていると言っている人々によって心に留められていませんでした。そして、一つの結果として、それらは神からの多くの逸脱と主の祝福の減少がありました。

 人々の救いという成果のために、神は様々な働き人達とおもに働いています。主は、主の牧師達によって、また主の言葉によって、人々に語っています。また、主は、聖霊によって、警告と咎め、指導のメッセージを送っています。それらの手段は、キリストに行くことが出来るように、彼らが必要としている恵みを主によって見つけて、霊的な欠如の感覚に人々を目覚めさせ、彼らが受けることができる祝福と彼らの罪と彼らの義務を明らかにして、人々の理解に光を当てて教化するようにデザインされています。しかし、多くの人々は、神の道ではなく、彼ら自身の道に従っていくことを選んでいます。彼らは、信仰によって心の中にキリストが生きて、自己が十字架につけられるまで、神と和解されず、それができません。

 すべて、個々人は、自分自身の行動によって主の手本に倣わず主の精神の好意を拒むことによって彼からキリストを除くか、それとも、従順と信仰と自己放棄によってキリストと結ばれた人格になるかのどちらかを決めています。主がまず私達を選んだので、私達はおのおの自分のためにキリストを選ぶ必要があります。キリストとの結びつきは生来的に主に敵対している人々によって形成されようとしています。自慢の心によって[その結びに]入ることはまったく言葉に頼った関係です。これは封じられた方法で、キリストに就く者だと言っている人々の大半はそれについて何も知りません。その人々は自分達の心の唯一の道徳律としてではなく、救い主を名目上で受け入れているだけです。

 ある人は、奮闘している人間として心の変容を望んで、この必要を認識して、自分の贖いの必要を感じています。自分自身の願望を断念するためにその人々が選んだ感情や追求の対象は、たぶん、多くの人々がためらってたじろいで引き返すような努力を求めています。また、この戦いは、真に改心するためにすべての人々の心の中で闘われる必要があります。私達は、あってもなくても、誘惑に対して戦う必要があります。私達は、キリストとの魂の結びつきを始めて、感情と強い欲望を十字架に付けて、自己に克服して勝利を得る必要があります。枯れ枝と命が無いように見える枝は、生きている親木に接ぎ木されません。ですから、私達は真のブドウの木に連なる生きた枝たちになりましょう。キリストによってもたらされた実は、主に倣うすべての人々によって生み出されるでしょう。この結びつきが形成された後で、それは、痛ましい努力と熱心さと、継続によってだけ存続しうるでしょう。キリストはこの神聖な絆を保護して保つために、主の力を働かせています。そして、依り頼む無力な罪びとは、自分の役割に力を尽くして働く必要があります。そうでないと、サタンは、冷酷で悪賢い力によって、人をキリストから引き離すでしょう。

 クリスチャンはみな、サタンが侵入する道を見つけようとしている魂の本通りをみな見張って警護に立っている必要があります。人は、神性の助けと同時に罪へのすべての傾向に断固として反対して、祈り求める必要があります。勇気によって、行動によって、苦労を辛抱することによって、人は勝利者になれるでしょう。その勝利を得るために、キリストがその人の内にいて、その人がキリストの内にいる必要があることを覚えておきましょう。

 信者達とキリストとの結びつきは自然な結果として、ほかの人との結びつきに導くでしょう。その結びつきの絆はこの地で最も長く続いています。私達は、キリストが天の父と一つであるように、キリストにあって一つです。クリスチャン達は、生きている[主の]ブドウの木に繫がっている唯一の枝たちです。一本の枝は、ほかの枝から栄養を取り入れるのではありません。私達の命は、ぶどうの親木から与えられて当然です。私達が、聖霊の実をもたらすことができるのは、いつも、日毎に主との親しい交わりによって、キリストと個人的に結びついていることだけにあります。

 キリストの側にいないある精神/霊がバトルクリークの教会にやって来ました。それは、神の言葉によって啓示された神の意思への愛もありません。それは一つの自己義認の精神です。それは、キリストと結ばれて、互いに結ばれる以上に重要なこととして、イエスの上にあなた方の自己を高めるように、また、あなた方自身の意見と考えを置くように導いています。あなた方は、兄弟[姉妹]愛について、悲しい欠如があります。あなた方は、信仰が後戻りしている教会の一つです。[現在の]真理を知ってキリストとの結びつきを求めて[いますが]、まだ実をもたらしていないこと、一定の信仰体験をしていないことなどが、自己過信と不従順に陥らせて心を頑なにしています。私達の有用さと私達の喜びと恵みによる成長はみな、私達が主にあって体験している信仰の程度と私達のキリストとの結びつきに依っています。ここに、この世界での私達の力の源泉があります。

 あなた方の内の多くの人々は、互いに栄誉を求めています。何が、キリストの継承遺産として繫がって、神の一人の息子[]として自分をみなす人としての是認や栄誉ですか。何が、この知識であるキリストの愛を日々に共有している人にとって、この世界の楽しみですか。何が、イエスキリストを通して神を受け入れている人に反対と蔑みになりますか。利己心は、光と闇が同時に存在できないように、キリストが存在している心の中で生きることができません。精神的な冷淡と怠惰、プライド(自慢の混じった自尊心)と臆病は、信仰の存在が縮小しているのと同じです。キリストと親密に結びついた人々は、ブドウの木の枝としてイエスだけでなくすべての人々について話すことができていますか。

 あなた方は、キリストの中にいますか。あなた方は、自分自身の間違いや無力さを認識しているならば、罪びと達を咎めないでしょう。あなた方が自分をたたえず高めていないということが本当ならば、また、あなた方の中に何かいいものがあるならば、それはまったく、救い主の思いやりという憐れみのせいです。あなた方の誕生、あなた方の名声、あなた方の財産、あなた方の才能、あなた方の美徳、あなた方の純粋さ、あなた方の貢献や、あなた方の何か、あなた方に関わることは、キリストとあなた方の間を結ぶきずなを形成しないでしょう。あなた方のこの教会との繫がりと、あなた方の兄弟達があなた方を考える方法は、あなた方がキリストを信じない限り、益のないものでしょう。主の外面を信じることは十分ではありません。あなたがたは主の内面を信じる必要があります。あなた方は、主の救いの恵みに完全に頼る必要があります。

 バトルクリークでのあなた方の内の多く人々は、あなた方の周りの人々の前で、主を高めることもなく、キリストの考えもなく、祈りもなく生きています。あなた方はキリストを高めるための言葉を持っていません。あなた方は主をたたえることを何も行なっていません。あなた方の内の多くの者達は、キリストの名を聞かなかった新人とまったく同じです。あなた方は、キリストと結ばれていないので、神と親しい交わりをしていません。私達の救い主は言っています。「私によってでなければ、天の父の所に行ける人はいません」[ヨハネ14:6]。あなた方は、キリストの[人類救済]目的に役立ちません。イエスは言っています。「汝らは私にとどまっている以外に、[神性な事について]何事もすることができません」[ヨハネ15:5]。――神の視界の中で何事も、キリストがあなた方の手を受け入れないならば、キリストなしであなた方は、思い違いの希望さえ持つことができません。主はこう言っています。「人が、私の中にとどまっていないならば、その人は一本の枝として投げ捨てられます。そして、しおれます。人々は、その枝を集めて火の中に投げ入れます。それは燃やされます」[ヨハネ15:6 KJV]

 クリスチャン体験の前進は、知識が増すという結果の時に謙虚が増すことによって特徴づけられます。キリストに結び付いている人々はみな、すべての罪から離れましょう。私はあなた方に神を畏れるよう話しています。私は、あなた方の内の多くの人々が偽りを基礎にして天に希望を託しているので、永遠の命についてしくじっていると、[主から]示されました。神は「汝らの謙虚[を知]るため、汝らを試みるため、汝らの心にあったことを知るために」[申命記8:2 KJV] あなた方自身にあなた方を任せています。あなた方は御言葉を軽視していました。あなた方は、この様々な証があなた方の独り善がりと、かき回すことと気に入りの罪を戒めているので、その証を見下して拒否しています。キリストが心の中で好意をもたれた時、主の似姿がその生活に現されるでしょう。プライド(自慢が混ざった自尊心)がかつて支配していた所に、謙虚さが行き渡るでしょう。従順、柔和、忍耐は、激しい気質、生来の強情、粗野な特徴を和らげるでしょう。イエスへの愛は、主の人々への愛によって現されるでしょう。それは、気まぐれでもなく時々でもなく、平穏で深く強いものです。クリスチャンの生活は、術策、偽りなど全ての気取った態度から解放されて、あらゆる見せびらかしが取り除かれるでしょう。それは、熱心、誠実、崇高です。キリストはどの言葉の中でも語っています。主は、すべて行ないを見ています。その生活は、救い主に内在している光をキラキラと放っています。神に回心して、また、天の事柄の幸という意図によって、その魂はキリストを捉えてほかの魂達を集めるために働いて天に備えています。私達の救い主は、私達が考えて求める以上に、私達のために快く行なうことができます。

 バトルクリークの教会の人々は、自己の品位を下げることをしない精神を必要としているでしょう。私は、多くの人々が最高権力者の清くない望みに好意を抱いていることを[主から]示されました。多くの人々は、お世辞を言われることを好んでいて、怠惰や軽視を羨ましそうに眺めています。そこには、厳しく容赦しない精神があります。そこには、羨望と争いと論争があります。最も高尚な謙虚以上に神との親しい交わりとして本質的なものはありません。高貴で聖なる御方が言っています。「私は、謙遜な精神と改心している人に宿っています」[イザヤ57:15 KJV]。あなた方は、初めにそうであったように、熱心にたいそう努力しています。その一方で、謙虚な精神と柔和さに好意を持つことにしくじっているならば、あなた方は神の好意の終わりとなるということを覚えておきましょう。心のプライドは、彼らが一つの成功を収めたところで多くの人々の失敗の原因となるでしょう。「謙遜は栄誉に先立ちます」[箴言18:12]、「忍耐の精神はプライドの精神よりも良いものです」[箴言29:23?]、「エフライムはおののいて言っています。彼は、イスラエルの中で、自分自身を高めました。そして、バアルによって反抗して、彼は死にました」[ホセア3:1 KJV]、「多くの人々は呼び出されましたが、選ばれたのはわずかな人々でした」[マタイ22:14 KJV]。多くの人々は、憐れみの招きを聞いて、テストされて真意を試されています。しかし、わずかな人々だけが生きている神のしるしを印されています。わずかな人々だけが、幼子のように自分達を謙虚にするでしょう。その人々は天の王国に入るでしょう。

 わずかな人々が、自分達に価値のないという感覚を強く固めて、謙虚に低く自己評価することによってキリストの恵みを受けています。その人々は、羨望とプライドによって高く自己評価することを推奨しているので、神の力の現れを伝えることができません。これは、主が現在、私達のためにできることがとても少ない理由です。神はあなた方に人の心の中に謙遜と愛の完全/成熟を個々人に求めているでしょう。あなた方の最高責任者があなた方自身のケアをしてください。神聖で純潔な特別の社会共同体の人々に、あなた方がふさわしくなるようにこれらの高貴な品性を涵養しましょう。

 あなた方はみな、神による回心の力を必要としています。あなた方の魂の目的はこの働きを軽視しないので、自分自身のために主を求める必要があります。あなた方の問題はみな、あなた方を神から引き離すほどに大きくなっています。分裂と不一致は、クリスチャンに値しない品性の実です。

 私は沈黙を守ろうと考えて、また、あなた方自身の道の罪深さを見て、忌み嫌うようになるままにさせておこうと考えていました。神への信仰の逆戻りが頑な心と知性の盲目を生じさせています。ユダヤの国の民のように、神の恵みがついに取り去られるまで真の状況の認識力が徐々に減っています。

 私は、自分の立場を明確に理解されたいと思っています。私は、   兄弟を追い詰めていた方針に共感していません。その敵対者は、多くの人々の心に憎しみの感情を掻き立てました。その敵対者によって危うくされたその誤りは、火に油を注ぐように噂がささやかれて、人から人へと伝えられて徐々に広がっていきました。自分の子ども達の魂のことを考える必要があっても考えなかった親達と、また、指導と行動の自制を教えなかった親達は、学校で自分の子ども達が自制を求められ、咎められて正された時に、最も激しく反対を表明した人達でした。その子ども達のある者は、アドベンチストの名称の不名誉となり、この教会の名を汚しました。

 親達は自分達への叱責によって自己嫌悪に陥りました。自分の子ども達に与えた叱責に嫌悪感を持ちました。そして、子ども達にこのことを隠しておくことに慎重ではなくなっていました。親達のこの失敗は家庭での間違った養育の始まりとなりました。その子ども達のある魂は、家庭でクリスチャンにならなかったので、また、神の言葉から指導を受けなかったので失われるでしょう。その親達は逆らう道にいる子ども達に共感するのではなく咎めました。そして、その親に忠実な教師達を支持しました。その親達は、キリストに結ばれていませんでした。そして、これはその親達が義務をひどく怠っている原因です。その親達がまいたタネはやがて刈り取ることになるでしょう。また、間違いなく収穫するでしょう。

 その学校において、   兄弟は、無思慮な育児によって子ども達に束縛されることへの嫌悪感を生じさせた親達の悪い指導方針によって負担を負っていただけではありませんでした。過度な業務、途絶えることのないケア、助けのないままのいらだちの連続は、彼を無思慮な行動へと、また、自制心を失う原因になりました。ある指導はこのことについて有位性をもっていましたが、小さな失敗という結果は、罪の墓が出現したように積み重ねられました。

 安息日遵守者だと告白した層の人々は、キリストとベリアルの間に[2コリント6:14参照]一つの結びつきを試みました。一方の手で世俗の人々と結びつつ、もう一方の手で[現在の]真理を捉えながら自分達の子ども達を取り囲んで、キリストの霊と宗教に、まったく異質な雰囲気でこの教会を雲のように覆いました。その人々は、あえて、[現在の]真理を主張することへの反対を公にしませんでした。あえて、様々なこの証を信じていなかったと言わず大胆な行動もしませんでした。しかし、建前として両方を信じていながら、その人々はどちらにも従いませんでした。その人々の行動では両方を否定しました。主の約束を自分達に果たすよう望んでいますが、それらの約束の基礎である状態に応じることを拒んでいます。その人々は、キリストへのすべての敵対をやめないでしょう。御言葉の説教のもとで、一部に世俗を控える人がいますが、その愛着を変える根本的な人はいません。世俗の人々は、肉の欲や目の欲をそのままにして勝利を得て究極の命に属するというプライド(自慢の混じった自尊心)を望んでいます。この層の人々はみな、クリスチャンだと告白しています。その人々の名前は教会員名簿にあります。宗教的な生活のように見える時を生きて、そして、この世の支配する影響力に、あまりにしばしば心を明け渡しています。

 あなた方の方針では、   兄弟の失敗はどんなものであってもクリスチャンらしくなく正当化できないものでした。あなた方は、彼の数年間の歴史をたどって、一つの言葉のために彼を立腹者にした、すべての不快感のある不正な陰口を調べあげました。あなた方は、あらゆる力を行使して、訴える人として、あなた方自身の方針を支持するように指示していたでしょう。思い出してください。神は、あなた方をすべての人々と同じ方法で遇するでしょう。「汝らが裁くその裁きで、汝らは裁かれるでしょう。そして、汝らが計る秤で自分達も計られるでしょう」[マタイ7:2 KJV]。前述した無慈悲な役割を担った人々は、自分達の働きに再び向き合うことでしょう。自己抑制できなかった学生達に及ぼしているあなた方の方針はどんな影響力を与えたかを考えていますか。その事柄はどれほどその子の品性と人生の歴に跳ね返ることでしょう。

 それらの証は、それらの事柄に関して何を言っていますか。好まれた一つの罪深い望み、品性の一つの悪い特徴でさえ、福音のすべての力の効力をゆくゆくはなくするでしょう。罪深い望みの広がりは、魂の間違った思い込みを示しています。その望みのあらゆる甘やかしは、神への魂の避けたいという気持ちを強めています。罪の楽しみと義務の苦痛は、サタンが自分の罠に人々を陥れる糸です。間違った行動をするよりも死ぬ方を選ぶ人々は、信仰深く忠実に結ばれる人々だけでしょう。

 子どもは健全な宗教的指導を受けることができるでしょう。親達や教師達、保護者達が、悪い習慣によって偏った品性を許しているならば、またその習慣を克服していないならば、一つの強い力を得るようになるでしょう。その子どもは失われるでしょう。

 神の聖霊によって、あなた方に伝えたこの証は、その敵との話し合いではありません。その棘たちは殺すでしょう。あるいは、その棘たちはあなた方を殺すでしょう。心の休閑地を開墾してください。その働きを全体に深く広げましょう。真理の鋤の刃で雑草とイバラを取り除きましょう。キリストは怒ってファリサイ人達に訴えています。「あなた方の間で罪のない人がまず初めにその人に一つの石を投げなさい」[ヨハネ8:7]   兄弟を咎めて訴える用意のあった人々はいましたか。彼らが   兄弟の品性と生き方を私的に公的に調べたように、その人々の品性と生き方が調べられようとしていました。その人々のある者は彼について表そうとした以上にはるかに悪いことを表すでしょう。

 私は、もはや沈黙をしないことにしました。私は、あなた方とバトルクリーク教会の人々に話します。あなた方は、大きな間違いをしています。あなた方は、あなた方とその子ども達が世話になったことへ理解も感謝もしないで、不当に一人の人を遇しました。あなた方はそのカレッジに及ぼした影響の責任があります。平和は学生達が自分達の道を守っていたのでやって来ました。ほかの危機によって、彼らはこの事柄と同じように辛抱強く決意するでしょう。彼らが   兄弟に見られたようなことを主張できるとみるならば、彼らは再び自分達の目的をやり遂げるでしょう。神は、教師達、学生達、教会メンバー達に語っていました。しかし、あなた方は、神の言葉を自分達から捨てました。あなた方は、結果を考慮せず自分達の方針に進むことが最良だと教えました。

 神は一つの人々()としての私達に、世俗の習慣と世俗の処世指針から離れた道に導くよう警告と譴責と注意を与えました。主は、私達に世俗化の有位な所から離れて一つの標準に立ち向かうよう、信仰と品性において特殊になるよう求めています。   兄弟は、私達と主の接遇に詳しくないままにあなた方の間に来ました。新しく信仰に入った彼は、ほとんどすべてを学ぶ必要がありました。また、あなた方は、彼の判断としっかりと一致していました。あなた方はキリストにない行動の方針と精神を彼に認めました。

 あなた方は、神の霊が慎むよう求めていた粗探しの精神を学生達に奨励しました。あなた方は確信に背くよう彼らを導きました。私達の間には   兄弟から受けた原則と知識、最も価値ある品性の特色に恩義を感じる若者がわずかしかいません。彼の指導訓練によって、多くの学生が安息日学校だけではなく私達の様々な部門において、自分達の有用さに多大な恩義があります。また、あなた方の影響力は忘恩を促していました。そして、学生達が好意を持つべき事柄を嫌悪するように導きました。

 ほかの人が対象となった特殊な試練をしなかった人々は、自分達を彼よりも良いものだとおおげさに言っているでしょう。しかし、彼らは、酷評し間違った判断をして、人々を炉の中のような厳しい試練に合わせながら、その人と同じような試練には耐えられないでしょう。私達はほかの人の心の悲しみを知ることがなんと少ないことでしょう。ほかの人の状況を理解するのは何とわずかでしょう。しかしながら、与えることの難しさは、知恵を勧めています。相応しくされるようにと私達に示されるものは、実にまた繰り返されるでしょう。

    兄弟は、知識を熱心に追求してきた人でした。彼は、学生達に、自分達の機会と才能と時間に責任を持つように印象づけようとしていました。神経質でもなく、弱ることなく、急くようになることもなく、そのような重い責任を負って、そのような多くのケアを担当することは、一人の人には不可能なことです。負担にならないと知っていながら自分達の能力を最大に使うような重責の受け入れを拒む人々は、それらの重責を担って当然と考えた人々に負わせました。

 このカレッジには、   兄弟を、自分達の知人の中で不快で不幸だけだったと見ていた人々がいます。それらの人々は、悪意のないキリストのような精神の高尚さがありません。彼らは、あらゆる行動や言葉を最も思いやりのないものにしました。そして、羨望と偏見と嫉妬がクリスチャンに値しない心の中で活発的だった時にその言葉を思い出しました。

 ある著者は「羨望の記憶は出し惜しんでホックを真直ぐに止めるだけで何もしない」と言いました。惹きつけられる人格や事柄よりも、「身に付けられない」人格や事柄を並べようとする強い根拠がある、と考える人々が世界中にたくさんいます。ある偉大な使徒はそのように考えませんでした。自分の兄弟達に説いて勧めています。「すべて誠実なこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛らしいこと、すべてよいレポートになること、また、何かの美徳があるならば、また、何かほめることがあるならば、これらのことを心にとめなさい」[フィリピ;ピリピ4:8 KJV]

 羨望envyは、単に気質の道理に反するだけではなく、あらゆる知的な才能の異常をきたしているジステンパーのように伝染する病です。それはサタンに始まりました。彼は天において第一位になろうと望みました。彼は求めた栄光とすべての能力を持っていなかったので、神の統治に対して謀反を起こしました。彼は、私達の最初の両親を羨望してenvies、二人を罪に誘惑して、このようにして二人とすべての人類を滅ぼしています。

 羨望心のある人envious manは、ほかの人々の貴い行動と良い資質に目をつむって無視しています。彼は、常にそれが優秀だと不正確に伝えて見くびるように備えています。人々はしばしば、ほかの人の様々な欠点について話して、欠点のゆえに見捨てています。しかし、羨望心のある人に希望になるものはほとんどありません。羨望するようになってから、人は自分を優秀な人間だと許すようになっています。プライド(自慢の混じった自尊心)はどんな譲歩もしないでしょう。もしも、一つの企てが羨望心のある人の罪を確信させるならば、その人は自分の激しい感情の問題に対して、たいそうしばしば、直しがたいものを残して心を痛めるようになるでしょう。

 羨望心のある人は、行く所ではどこでも、友人達を疎縁にして人と神に対して謀反心と嫌悪の情を搔き立てて毒気をまき散らしています。その人は英雄的に力を発揮することによってではなく、ほかの人々が努力で得た功績をけなすことよって優秀で卓越した者だと考えられようとしています。

 羨望envyは、そのカレッジの中と同じように、この教会の中のある人の心で好感をもたれてきました。神は、あなた方の進路によって不快にさせられています。私は、あなた方に、キリストの目的のためとして、あなた方が   兄弟に接遇したように、ほかの人を接遇しないよう請い願います。貴い性質は、ほかの人々の痛みの原因となっていることを喜んでいません。あるいは、自分達の欠点を見つけることを喜んでいません。キリストの弟子の一人は、スキャンダルに関わって宴会を嫌って離れ去るでしょう。この場合に、積極的だった人々は、力と健康を犠牲にして、主への苦労の奉仕のコースを追って繰り返しています。主は、苦しんでいる主の奉仕者に主の容貌の光を逸らして圧迫した理由の正当性を立証しています。私は、神がその人々の心の中にあったことを明らかにするために、今行なったように、それらの人々を再度試すだろうということを[幻で]見ました。

 ダビデが罪を犯した時、神は、人の手によるものや神からの罰を受けるという彼の選択を認めました。悔い改めた王は、神の手に陥ることを選んでいます。悪いことをした人への優しい憐れみは厳しいものです。神の力によってだけ正しい道を守られることが可能で、間違っていて罪深い人は、また、間違っている自分の兄弟を許さず、心を頑なにしています。バトルクリークの私の兄弟達は、彼に神の妨害物を与えてどんな釈明をしていますか。譴責と警告と請い願う大いなる光があなた方にやって来ました。あなた方は、天が送った光の筋をどれほど拒みましたか。

 害を喜んでいる言葉遣い、無駄口を言っている言葉遣いは、噂reportを言っています。そして、私はそれをレポートするでしょう。それは、使徒ヤコブによって地獄のような火が下されると言われています[ヤコブ3:6参照]。それは四方へ様々なたいまつで散らされています。罪のない人を中傷するゴシップの物売りはどんな配慮をしていますか。その人は、自分達の重荷のもとにすでに心が沈んでいる人々の勇気と希望を打ち砕いても、自分の悪い働きを言わないでしょう。その人の生まれつきのスキャンダルを好む傾向を甘やかすだけのケアをしています。クリスチャンだと告白した人でさえ、清いこと、正直、貴いこと、愛することすべてに目をつむって見逃しています。大切にすべきことを不快なもの嫌いなものにして、世俗の人々にうわさを広めています。

 あなた方は自分自身で、サタンが入るように扉を開け放ちました。あなた方は、彼に自分達の調査や尋問の集会で敬意を表す場を与えました。しかし、あなた方は、数年の信仰体験によって形成された品性の高貴さに敬意を表しませんでした。嫉妬心と報復心を持った言葉遣いは、自分達の考えに合うよう動機と行動を着色して特徴づけました。その人々は、白を黒く、黒を白くしました。それらの論述に異を唱えた時、ある者は「それは真実です」と言いました。論述した事実を認めていることは事実です。あなた方の進路は、正しいことを証明していますか。いいえ、正しいことを証明していません。神が、真実によってあなた方にもたらされるすべての訴えを取り上げるならば、また、あなた方を罰するために厳しい罰に彼らを結ぶならば、あなた方の傷は   兄弟にあなた方が負わせた以上に、もっと深いものになるでしょう。様々な事実でさえ、誤った印象を与えようとして、そのようになるでしょう。あなた方は、彼に反するすべての噂reportを集める権利も、彼の有用さを毀損し、彼の信望を潰すためにそれらを利用する権利もありません。主は、あなた方に、あなた方がその兄弟に現した同じ精神を現すでしょう。あなた方は、憐れみなしに滅ぼされるでしょう。あなた方は、良心を共有する仲間がいないのですか。私は恐れません。サタンのような魔力を失うその時が来ました。   兄弟は、あなた方が彼について述べることが全てであったならば、――私は彼がそうではないことを知っています――あなた方の進路は確かに正しくないものでしょう。

 私達が私達の兄弟に対しての非難を聞く時、私達はその非難を取り上げます。その質問に対して詩編記者は答えました。「主よ、そなたの幕屋に宿る人は誰でしょうか。誰が、そなたの聖なる丘に住むのでしょうか。その人は、義を行なって正しく歩む人です。そして、心の中で真実を語っています。その人は、言葉遣いに陰口がなく、隣人に不正を行なわず、隣人に咎めることをしません」[詩編15:1-3 KJV]

 なんとも、世間の陰口は、妨げることをするでしょう。すべての人々が、ほかの人々の失敗を人に話す人々は、気に入りの機会に人の失敗を勝手に公表するということを覚えているならば、私達は、すべての人々、特に私達の兄弟について、その他の点で考えに沈黙を強いられるまでよく考える努力をする必要があります。私達は、悪い噂reportをすぐに信用してはいけないでしょう。それには、誤解や羨望の結果であることがしばしばあります。あるいは、様々な事実を部分的に開示して大げさに言い続けるでしょう。嫉妬と怪しみは、いったん場所が許されると、アザミの綿毛のように自分達のタネをまき散らすでしょう。道を逸れて行く兄弟は、あなた方に彼への興味を実際に示す時があるでしょう。彼に親切にして、彼のために彼と共に祈りましょう。彼のための贖いを払ったキリストの無限の代価を覚えておきましょう。このようにして多くの罪を包んで、あなた方は死から一人の魂を救うでしょう

 一つのひらめき、一つの言葉、声の抑揚でさえ、誰かの心に矢のように突き刺さって、癒しがたい傷で悩ませる偽りを語るでしょう。このように疑いや非難は、神の良い働きを成し遂げようとしている人だけに投げかけられるでしょう。そして、彼の感化力が阻害されて、彼の有用さは毀損しています。動物たちのある種では多くの中の一つは傷ついて生まれています。生まれるとすぐに仲間たちによって破片にされています。同様に、クリスチャンの名を称している男性達と女性達によって、冷酷な精神がもてはやされています。その人々は、自分達よりも、罪が少ないほかの人々に石を熱中して投げつけるファリサイ派の人々を現しています。自身から注目を逸らすために、また、教会と神のためにとても熱心に信用を得ようと、ほかの人々の欠点を指摘する人がいます。

 23週間前に、私は、あなた方の調査のための一つの集会に連れて行かれた夢の中にいました。私は   兄弟に反対する学生達によって伝えられた様々な証を聞きました。それらの学生達は   兄弟の信仰深い指導から多大な益を受けていました。にもかかわらず、彼らは、彼を賞賛する言葉をどうみても言わないでしょう。彼を高く評価することはポピュラーなことでした。しかし、現在、流布しているのはほかの人々によって広められたものです。その人々は自分達の今の品性を発達させました。私は一人の天使が聞いたすべての証を書いた大きくて重い本が開かれているのを見ました。反対しているそれぞれの証は、それを伝えた人の間違いと欠点と罪が記録されていました。また、それには   兄弟の働きから受けた個々人の多大な益が記録されていました。

 私達は、一つの人々()として   兄弟が労苦した働きの成果を刈り取っています。私達の間には、   兄弟が行なった働きを思って多くの時間を献身した人は一人もいません。彼は、自分を支える人がいなかったと感じていたので、誰かの励ましを嬉しく感じていました。

 そのカレッジの設立を確実にするための大きな目的の一つは、世俗の習慣、世俗の非行、世俗の偶像崇拝、世俗の影響から私達の若者達を離れさせることでした。そのカレッジは、ノアの時代の人々に堕落をもたらしたと同じような、今の世代の人々の不道徳に対して防壁を立てるためにありました。若者達は、結婚と求愛に熱中して浮かれています。恋の病や感傷主義が広まっています。大いなる警戒と機転は、それらの悪い感化から若者達を護るために必要とされています。多くの親達は自分の子ども達の傾向を全く知らないでいます。ある親達はとても満足して、私に、その子ども達が内緒で注目を受けたり与えたりという事実があった時に、自分の息子や娘たちは異性に注目する望みを持っていないと言いました。その親達は、その内容について何も知らずに、ゴシップと世俗にたいそう夢中になっていました。

 私達のカレッジの第一の目的は、[人類救済]目的の様々な部門の働き人となるために、男性と女性の若い人々を準備するためにまた、奉仕の働きのために学びの機会を若者達に提供するためにありました。その学生達は、教育の一般科目の知識と、そのうえに、神の言葉についての知識を必要としています。ここの私達の学校は欠点がありました。ここには、この働きの部門のために自分自身を捧げて神に献身した人がいませんでした。奉仕の働きのために自分自身を捧げて神の聖霊によって心を動かされた若者達は、この目的のためにこのカレッジにやって来ましたが失望しました。この聖書の授業のための十分な準備はなされていませんでした。教師達の中のある者は、学生達に合うほかの進路とほかの科目を受講するよう若者達にアドバイスしていました。その学生達が自分達の目的を決めていないならば、教師達は奉仕の働きministryの学びの考えをすべて諦めるよう説いて勧めました。

 そのようなことが、単に賃金のために働いた教師、キリストと結ばれておらず神の霊を授けられていない教師、清められていない教師達によって尽力された感化の結果でした。   兄弟以上にこの働きに積極的だった人はいませんでした。聖書は、学習の主要な目的の一つとなる必要があります。

 この本は、現在の人生の過ごし方を私達に教えていて、私達が不死の命の将来を確かにできるように、そのほかのどんな本よりも、学生達に価値あるものに属しているでしょう。私達は、その真理を熟知するようになるために短い期間しかありません。しかし、神の言葉を研究した人、また、ほかの教師よりも多く研究した人は、御言葉の知識を得るよう若い人を助けて、この学校から旅立っていきました。

 教授達と教師達は、このカレッジの設立意図を理解していませんでした。私達は、神が意図したことを実現するために働きと考えと手段を定めていました。一つの人々として、神が私達を導いた方法にまったく無関心な人の判断と意思は、そのカレッジで影響力や支配力を及ぼすべきではないでしょう。主は、繰り返して、私達が一般の学校の形に倣わないようにと示しました。ほかの教派の牧師達は、教育を得るのに数年を費やしていました。私達の[教会の]若い人々は、短期間で自分達の教育を得る必要があります。現在、伝道地に福音が入るために、一人の牧師がいる所に、私達のカレッジで神の助けによって用意された20人の牧師がいる必要があります。

 私達の若い牧師達ともっと経験のある牧師は神の言葉を軽視していて、主の霊の証を嫌っています。彼らは、その様々な証が含みもっていることを知らず、知ることを望んでいません。また、品性の欠点を見つけることと正すことを望んでいません。多くの親達は様々な証の指導を自分から求めていません。そしてもちろん、その親達は自分の子ども達にそれを与えることができません。その親達は、主の指導に対照的に直接進むことによって、神が与えたその光に蔑みを現しています。その働きに心のある人はその手本を確立しました。

 あなた方は、世俗の人々へ自分達の主張を広めました。あなた方はバトルクリークでもっと好意的な光の力に、一つの人々()としての立場を考えていますか。キリストは、主が天の父と一つであるように、主の弟子たちが一つになるようにと祈りました。世界の人々は、神が彼を遣わしたことを知るでしょう。どんな証をあなた方は、過去、23カ月の間に伝えましたか。主は、すべての人々の心の中を見ています。主は、私達の動機を量っています。主は、すべての魂を試みるでしょう。誰がそのテストに耐えるでしょうか。

                            

 

5.軽視された様々な証

               カリフォルニア ヒルズバーグ 1882.6.20

 バトルクリークにいる親愛なる兄弟・姉妹のみなさんへ。その教会で読まれるように依頼して、   兄弟に私が送った特別な証 [3]が、彼に届いてから数週間後にあなたの所にとどめられていたと、私は理解しました。その証を送る前に、私の知性は神の霊によって感銘を与えられていました。私はあなたに書いて送るまで、昼も夜も気が休まりませんでした。それは、私が自分で選んだ働きではありませんでした。私は夫の死[1881]の前に、「正しいことを証明することや間違いを譴責して誰かに証を伝えることは私の義務ではない」と決めました。その理由は、私が指示しなかった方法で賢明ではなく、ほかの人の方針を高めるため、また、間違いを厳しく扱うのに都合がいいように、私の言葉から取られていたからです。多くは、その証が、彼ら自身の考えに合うように利用されました。神の真理は人々の伝統的な考え方とは調和していないだけではなく、彼らの意見を構成していません。その証は、神聖の著者と同様で、それは、きのうもきょう、いつまでも変わらないものです。神から分離した人々は、間違った真理、[霊的な]闇の光を求めているでしょう。しかし、[霊的な]闇は光であることを決して証明しないだけなく、真理にならないでしょう。

 多くの人々の知性は、滅ぼされたように見える、真理と間違い、光の闇の間を識別するすべての力という世俗の影響力と世俗の行動と世俗の慣習によって、たいそう[霊的に]暗闇にされて混乱されてきました。私には、自分の言葉が理解されるだろうという希望はほんのわずかにあるだけです。しかし、主がたいそう決定的に私に働きかけました。私は主の聖霊に反対しないつもりです。あなた方がサタンの罠に自分達がかかっていたならば、私は、その危機に沈黙を守ることが私にとってあまりに大きすぎるものでした。

 何年も、主はあなた方の前にこの教会の状況を示してきました。何度も、譴責と警告が与えられました。18791023日、主は、私にバトルクリーク教会に関する印象的な証を与えました。私があなた方と一緒にいたその前の月の間に、私はこの教会のために重い責任を担っていました。一方で、自分達の魂にとても深いものを感じていた人々は、安易に矛盾せずに関わっていました。私は、言うことや行なうことについて知りませんでした。彼らは、主が彼らに行なわないように警告していたそのことを行なっていたので、私は、多くの人々が追跡していた方針について確信がありませんでした。

 彼らの霊的な状況を知っている神は、こう言っています。“人々は、悪いことを好んでいました。そして、私から離れてしまいました。彼らは、それらの証のすべて、正しい道から逸れて行ってしまいした。罪のない人は一人もいません。彼らは、生きている水の源()、私()を捨てて、水を貯めることができないように貯水槽を壊してしまいました。多くの人々は、私()の前で自分達の道を滅ぼしました。羨望、互いに憎み合い、嫉妬、悪い推量、不和、張り合い、皮肉などは彼らがもたらした結果です。彼らは私が送った証を心に留めないでしょう。彼らは、私が彼らを癒すこと、回心させること、正しい道に戻るようにさせることを見ようとしないでしょう”。

 大半の人々は、自分達が真理を擁護してきた長い年月の間に、自己満足して見ていました。その人々は今、自分達の過去の試練と従順への報いが伴っていると感じています。しかし、過去における神の事柄のこの真の体験は、完全/成熟に向かって自分達の高潔さを守り抜いていないので、神の前にもっと罪を積ねています。その前の年の忠実さは本年の怠慢と一致しないでしょう。

 多くの人々は、「ホワイト姉妹の証は、彼女の夫に感化されています。それらの証は、夫の精神と判断によって強い感化を及ぼされて作られています」と言われているとして、その証を軽視する理由にしました。ほかの人々は、人々に何かを与えるためや、自分達の方針を口頭で弁明するために、私から何かを得ようとしていました。神の回心させる力がこの教会の中で見られるまで、私のペンから何も出て行かないよう決心したのはその時でした。しかし、主は、私の魂に重荷を負わせました。私は、あなた方のために熱心に働きました。これは、私の夫と私自身に大きな犠牲としていつまでも語るつもりです。主が、私の前にこれらのケースを数年にわたって何度も提示した時に、私はこの教会のこの状況についての知識を持っていなかったのですか。様々な警告は繰り返して与えられました。また、そこには、決定的な変化はなされませんでした。世俗の人々への同化のゆえに、神の当惑がその人々にあったことを私は見ました。   兄弟の子ども達が彼の罠にかかっていたことを私は[主から]見ました。その子らの考えや意見、感覚や言及が彼の治世に影響を及ぼして、そして、彼の判断力を鈍らせました。その若者達は強く不信心に傾いています。その母親の神への信頼と信仰の望みは、彼女の子らに信仰遺産として与えられていました。彼女の子ども達への献身は、神への彼女の献身よりも大きいものです。父親は、自分の義務を怠っていました。二人の間違った方針の結果は、二人の子らに現れました。

 この教会の人々に私が話した時、私はその子らの今の状態を形成した傾向と、その子らの状態を知っていたので、私はその子ども達の親としての厳粛な責任について感銘を与えようとしました。しかし、その言葉は受け入れられませんでした。私は、あなた方の間での私の最後の仕事として負った重荷であることを知っています。私は、最大限、決して自分の力でこのような任務を引き受けませんでした。あなた方の滅びを見ませんでした。私は、あなた方が信仰の悔い改めによって主に立ち返って、心を神の前で謙虚にするように、あなた方が目覚めることを願っています。

 また今、私が、あなた方に警告と譴責に証を送る時、あなた方の多くの人々は、それは単なるホワイト姉妹の意見だと断言しています。あなた方は、それゆえ、神の霊を侮辱しました。あなた方は、預言の霊を通して主自身をどの世に現したかを知っています。過去、現在、そして、未来が、私の前を通り過ぎて行きました。私は、以前に全く見たことがなかった人々の顔を[主から]示されていました。そして、数年後に私が彼らを見た時、その人々を知っていました。私は以前に自分の知性に提示された鮮明な場面の登場人物達によって眠りから覚まされました。一つの危機が訪れていた時に、私が書いた数々の手紙は、アメリカ大陸を横断して行って、神の[人類救済]目的の大災難を救いました。私の働きは数年にわたって、これを行ないました。一つの力は、私が考えていなかったことについて、様々な間違った事柄を譴責して戒めるように私に迫りました。これは、天と地から[与えられた]過去36年間で終わる働きですか。

 もしも、――正しくないにもかかわらず誰かがそれを書いているならば――、私はこの教会のメンバー達から受け取った数々の手紙によって書くように感化を受けました。それは、使徒パウロにどうなりましたか。コリントの教会の状況に関して、クロエの家族を通して、彼が受け取ったニュース(知らせ)[1コリント1:11]、その教会に彼の最初の書簡を書く動機となりました。個人的な数々の手紙は、彼に、人々が直面している状況を届けました。存在している悪を正すことに注意を払うならば、彼の返答の中に、彼は一般原則を明言しました。大きな慈しみと知恵と共に、彼は人々の間には分裂がないようにと、同じようなことを書いて人々に働きかけています。

 パウロは、霊感を注がれた使徒の一人です。また、主は、彼に主の人々()の状況を正しくいつも啓示したのではありませんでした。教会の繁栄に関心を持っていて、様々な悪が広がるのを見た人々は、彼の面前にその内容を提示しました。そしてそれらが発展している真の特徴を、彼が以前に受けていた光/真理から判別するために、主は、彼にその特殊な時のための新たな啓示を与えていなかったので、真実の光を求めていた人々は、彼の手紙を単なる一つの手紙として捨て去りませんでした。ええ、たしかにそうでした。主は、彼にその教会の人々に湧き上がるだろうな困難と危険性を示しました。それらが発展する時、彼はそれらの正しい扱い方を知るでしょう。

 彼は、その教会を護るために、[使徒として]立てられました。彼は、神に対して責任を負う義務のある一人として魂達を見守ろうとしていました。そして、彼は、無秩序と分派の状態に関してのレポート(手紙、うわさ)から注意の手紙を送らなかったのですか。彼の書簡のどこかにあった、その人々の送った彼の手紙の最も確実な叱責は、神の霊感のもとにあった時に書かれました。しかし、それらの叱責の手紙が届いた時、ある人は正されないでしょう。その人々は、神がパウロを通して語っていないという立場を取りました。彼は一人の人間として単に自分の意見を伝えただけで、自分自身の判断をパウロのそれと同等に良いと考えました。

 そういうことなので、そういう人は、自分自身の理解に従っていて、古い道標教理[再臨・調査審判・千年期など]から離れて漂って、私達の教会の人々の間にたくさんいます。私の働きは、神に属していないと確信して、その人々がそのように良心を鎮めることになるということは何と強い安堵感となることでしょう。しかし、あなた方の不確信は、そのケースの事実を変えないでしょう。あなた方は宗教体験や道徳心、品性に欠点があります。もしもあなた方が許すならば、あなた方はその事実に目を閉じて[考えて]ください。しかし、このことはあなた方をわずかな微片でも完全にしないでしょう。唯一の対処法は、子羊[]の血で清めることにあります。

 あなた方が自分を相応しくするように神の勧めの側に立ち返ろうとするならば、また、主が、人々に送ったさまざまな証に対して、主の人々の確信をなくするならば、あなた方は、コラ、ダタン、アビラム[民数記16-,26:10参照]がそうだったように、確実に、神に対して反逆しています。あなた方は彼らの歴史を繰り返して持っています。あなた方は、その三人が自分自身の意見にとどまって、どれほど頑なだったかを知っています。彼らは、モーセがイスラエルのために大きな悪を行なっていて、自分達の判断がモーセの者よりも良いものだったと決意しました。目だった方法で神の裁きがそのリーダー達と三人を滅ぼしたにもかかわらず、三人に結ばれた人々は自分達の意見に固執しました。次の朝、生き残った人々がモーセの所に来て「そなたは、主の人々を殺しました」と言いました。私達は、恐ろしいだましが人間の知性に来ているのを見ているでしょう。神に属していない精神を吹き込まれるようになった魂達を納得させることは、どんなにか難しいことでしょう。キリストの大使として、私は、あなた方に「あなた方が取る立場に注意してください」と伝えましょう。これは、神の働きです。そして、あなた方は、あなた方が主のメッセンジャーを接遇している方法について、主に対して一つの責任を果たす必要があります。

 私の夫の臨終のベッドのそばに立っていた時、私は、ほかの人々がそれらの重責の一部を担っていたならば、彼が生きていたかもしれないと思いました。私は、その時、それらの存在は、魂の苦悩と共に、彼らの頑な心によってもはや神の霊の悲しみではないことを請い願いました。数日後、私は死人と直面して立っていました。それから私は、自分自身とこの教会に関して、神からの最も明瞭な啓示を与えられました。それが私の最後の機会となるだろうということを知らずに、たいそう疲れはてて、私はあなた方に私の証を伝えました。あなた方はその厳粛な状況をお忘れですか。私にはキリストの裁きの座の前に連れて行かれているように思えたので、私は決してそれを忘れることができません。あなた方の信仰の逆戻りの状態、あなた方の頑な心、あなた方の霊性と愛の調和の欠如、神が以前のあなた方に続いていた清らかさと純潔からあなた方が離れたこと――、私はそれらすべてを知っています。私はそれらすべてを考えています。粗探し、羨望、高い地位を得るための不和などがあなた方の間にありました。私はそれと、それが導いていたことを見ていました。私はその努力が私の生活に犠牲となることを心配しています。しかし、その関心を私は、あなた方が話すように私を導いたのだと考えました。神はその日にあなた方に語りました。それは、永続する印象を残しましたか。

 私がコロラド州[での集会]に行った時、私はとても疲れてあなた方のためにたいそう苦労しました。私は、あなた方のキャンプミーティングで読まれるようにと多くのページを書きました。衰弱と震顫のために、私はあなた方に書こうと朝の3時に起きました。神は土くれで造られた者を通して語りました。あなた方は、この伝達は一通の手紙だけだったと言うでしょう。ええ、そうです。私は、示されていたあなた方の知性の前に示された事柄は神の霊によって促されただけの一通の手紙でした。私が書いたその手紙の中に、私が生み出して伝えた証の中に、私は主が私に提示したことをあなた方に示しました。私は手紙に書き著している中の一つの文章でも、単なる私自身の考えを書いていません。それらは、玉座からの輝く貴い光の筋として――、神が幻の中で私の前に開示したことです。

 私が[カリフォルニア州]オークランドに来た後で、私は[ミシガン州]バトルクリークでの事柄の状態を考える荷を下ろしました。そして、私は、衰弱してあなた方の助けを求めました。私は、不信仰のイースト菌(パン種)が仕事に付いていたことを知っていました。神の言葉の明白な指示を無視する人々は、その言葉を心に留めるように言った様々な証を軽視していました。昨年の冬に[カリフォルニア州]ヒルズバーグの教会を訪問している間に、私は多くの祈りをして不安と悲しみでいっぱいになりました。でも、主は、私が祈っていた間にすぐに不安を消し去りました。そして、大いなる光でその印象を満たしました。神の一人の天使が私の傍にいました。そして、私は[ミシガン州]バトルクリークにいるように思われました。私はあなた方に会合の中にいました。私は口から語られた言葉を聞きました。次に私はある事を見て聞きました。もしも、神が望んでいたならば、私は自分の記憶から永遠に消し去りたいものです。私の魂はとても傷ついたので、言うことや行なうことを知りませんでした。それらの事柄について、私は言及することができません。私は、このことについて知る人がいないようにと言いつけられました。多くのことがまだ発展させられようとしていました。

 私は、神の人が輝き出して私に与えた光を集めるように言われました。私は雑誌類の仕事でこのことを行なってきました。私は数か月、毎朝3時頃に起きて、バトルクリークで与えられた二つの証の後で書かれた様々な記事を集めました。私はそれらの内容を書き出しました。そして、それらをあなた方に急いで送りました。しかし、私は自分自身を適切にケアすることを怠っていました。そして、その結果、その重荷の下に沈んでいました。私の書き物はSDA全体総会であなた方に届けることですべてが終わりませんでした。

 祈っている間に、主は自分自身を現しました。私は、多くの家々の中にいて、そして、食卓の周りのあなた方の言葉を聞きました。詳しい情報について、私は今関わることに自由ではありません。私はそれらを書き著すよう求められることを望んでいません。私はまた度々打たれる様々な夢を与えられました。

 あなた方はどんな声を神の声として認識していますか。主はあなた方の間違いを正すためにどんな働きを続けていると思いますか。また、あなた方は、自分達の進路をあるべき方向に示していますか。この教会の中で働こうとするどんな力がありますか。あなた方が全ての疑いの可能性と陰が取り除かれず、信じることを拒んでいるならば、あなた方は決して信仰に至らないでしょう。完全な知識を求めているその疑いは、決して信仰に明け渡さないでしょう。信仰は、実演ではなく、根拠に基づいています。私達の周りに反対する進路を求めるよう促すほかの人の声がある時に、主は、義務の声への従順を私達に求めています。神の語る声を識別することは、私達に熱心な注目を求めています。私達は、意思と動機の統制とその少しの促しをやめて、取引や譲歩なしに良心の声に従って、性格傾向に抵抗して勝利する必要があります。主の声は、聴いて従うと決意して主の霊に反対しなかった私達にみな来ています。その声は、警告と勧めと譴責として聞かれています。それは、主の人々のための光/真理のメッセージです。私達が良い機会や明確な呼びかけを待っているならば、その光は取り去られて霊的な闇の中に取り残されるでしょう。

 主の言葉と神の霊の呼びかけに応じることに一旦怠ることによって、従順が一つの苦悩(十字架)を巻き込んでいる時、多くの人々は多くのもの――最後の日に様々な記録の書が開かれるまで分からない多くのものを失いました。 [人々の]楽しみや性格傾向は[聖霊の]指導に反対するよう導いているので、聖霊の懇願は、今では無関心にされて、あすの確信や感銘さえも力のないものにされているでしょう。現在の機会に改善するために、快く促す心は、真理の知識と恵みに成長するための唯一の道です。私達はいつでもそのセンスに好感を持つ必要があります。個々人として私達はホスト役/万軍の主の前に立っています。永遠の御方の目に不快感を与えるような甘やかされる考えや行動や言葉はないでしょう。私達は、その時、地上の勢力や人間についての恐れを持たないでしょう。帝国が宇宙全体である一人の君主は、私達個々人の時間と永遠の運命を手に握っていて、私達の働きのすべてについて、知覚して保っています。私達があらゆる場所で至高者の奉仕者であると感じているならば、私達はもっと慎重になる必要があります。私達の生活全体は、地上の所有者たちが決して与えることのできない神聖と意味を私達に得させるでしょう。

 神の臨在をいつも感じているならば、心のある考え、口から出る言葉、生活におけるあらゆる行動は、私達の品性の多くの価値を与えています。心の中の言葉は「ええ、神はここにいます」となるようにしましょう。すると、その生活は清くなるでしょう。品性は染みがなくなるでしょう。その魂は主に向かって高く掲げられるでしょう。あなた方は、バトルクリークでこの真理を歩んでいませんでした。私は、あなた方が悲惨なうつりやすい病があることを示されました。それは、進行が阻止されない限り、霊的な死をもたらすでしょう。

 多くの人々は、気楽で楽しい生活を望むことによって滅ぼされています。自己否定は、その人々にとって不愉快なものです。その人々はいつも神への忠誠の進路を進む時の試練を逃れようとしています。多くの人々は、この世の生活の良い物を持つよう心に決めています。これは人間的な成功です。しかし、それは、永遠の財産、未来の費用を勝ち取れますか。この世の人生の大きなビジネス/務めは、罪を憎んで義を愛して、自分が神のための真の奉仕者であることを示すことにあります。私達は義務の道に基づけられているように、現在の成功と現在の幸の評価を十分に受け入れる必要があります。私達の大きな力は、私達の弱さを認識して感じる時に気付かされます。バトルクリークにいるあなた方の誰もが許せる多大な損失は、正しいことに熱意をもってやり抜く熱心さの欠如、誘惑に抵抗する力の欠如、義務と真理の原則への欠如です。人は、神と[現在の]真理に全く自分を捧げて自分の良心の高潔さを保たせない限り、成功したと自慢する人がいないようにしましょう。私達を取り囲む道徳的悩みが何であれ、私達の人生の小道に付きまとっている試練は何であれ、良い働きの希望や心を決して失わないで、私達は徐々に前に進みましょう。義務への愛、信仰、忍耐は、私達が学ぶ必要のある学習です。イエスを見つつ、自己抑制が毎日の働きです。主は、主の助けを求めて、主に信頼する魂を見捨てないでしょう。命の冠は、勝利を得た者だけに与えられます。それは、命が終わる間に、神のために熱心に真剣に働いたすべての人々のためにあります。サタンの力が増して、彼の考案品が増加している時、そのわざ、利発、鋭い手腕は、神の民の群れへの攻撃を行なうでしょう。私達は、自分自身の魂のためになす働きだけでなく、ほかの人々が永遠の命を得るように目覚めさせる義務もあります。

 私の兄弟[姉妹]のみなさん、光/真理の中を歩むことを怠っているあなた方の罪深さは霊的な闇に包まれていた、と言うことは私にとって心の痛むことです。あなた方は今、その光/真理に従わず認めないことが間違いないでしょう。あなた方が実行したその疑い、神の求めに注意を払うことへの怠慢は、闇が現在あなた方の光になっていて、光が闇になっているので、あなた方の認識力を盲目にしました。神はあなた方に完全/成熟に向かって進むよう命じました。キリスト教信仰は、進展する宗教の一つです。神からの光/真理は、十分に満ちたもので、私達がそれを求めることを待っています。主が与える祝福は何であれ、私達が無尽蔵の宝庫から引き出せるように、主は天に無限の供給源を持っています。懐疑論は、否定と嘲笑と冷笑によって、福音が求めている神聖を脅かしているでしょう。世俗の精神は多くの人々を汚して、少数の者を支配するでしょう。神の[人類救済]目的は、犠牲を続けて多大な尽力によって、その基を保つでしょう。また、それはついに勝利するでしょう。

 御言葉は、「前に進みなさい。あなた方の個人的な義務を果たしなさい。そして、神の手にすべての結果を任せなさい」です。私達は、イエスが導いている道に進むならば、私達は主の勝利を見るでしょう。私達は、主の喜びを分かち合うでしょう。私達は、勝利の冠を得たいならば、その闘いを分かち合う必要があります。イエスのように、私達は苦悩を通して完全/成熟にされる必要があります。キリストの生涯が、自己否定、苦悩、自己犠牲を続けることに注目されて以来、私達が主に与るものであるならば、私達は不平を言わないでしょう。私達をガイドする世界の光[]を持っているならば、私達は暗い道を安全に歩むことができます。

 主は、あなた方に用意してテストしています。主は、懇願し忠告し助言しました。それらの厳粛な忠告はみな、この教会を良い方か、決定的に悪いかのどちらかにするでしょう。たびたび、主は、助言して正すために話しています。そして、あなた方は主の声を軽視しています。あなた方は、神が何度も次のように言うようになるまで、拒もうとしていた傾向がありました。「私は、呼びかけましたが、汝らは拒みました。私は、自分の手を伸ばしましたが、注意を払った人はいませんでした。しかし、汝らは、私のすべての助言をないものにしました。私の叱責もないものにするでしょう。私は、あなた方の災難を笑うでしょう。私は、あなた方に恐れが来る時にあざ笑うでしょう。あなた方の恐れがみじめさとしてきた時、あなた方の破滅がつむじ風として来ています。難儀と苦悩があなた方に来た時、彼らが私を呼ぶ時に、私は答えないでしょう。彼らは私を求めても、彼らは私を見つけないでしょう。彼らは知識を嫌っているので、主を恐れることを選びませんでした。彼らは私の助言をなきものにするでしょう。彼らは、私の叱責をみな軽蔑しました。それゆえ、彼らは自分自身の道の実を食するでしょう。彼ら自身の策略に満たされるでしょう」[箴言1:24-31 KJV]

 あなた方は、二つの意見の間をためらいながら歩んでいませんか。あなた方は、神があなた方に与えた光に心を留めることに怠っていませんか。生きている神から離れて悪い不信仰な心をあなた方の内の誰かにないことを心に留めてください。あなた方は、自分達に訪ずれる時をわかっていません。ユダヤ人たちの大きな罪は、現在の機会を拒んで、怠っていることについてでした。イエスが、主を告白した今日の主に付く者達の状態を見る時、主は、形式主義の見せかけの不誠実、形式的なパリサイ主義のプライド、背信など、恩知らずの基を見ています。

 キリストがオリーブ山頂で流した涙は、時の終わりのためのすべての個人の忘恩と悔い改めがないためでした。主は、主の愛が軽蔑されたのを見ています。魂の宮の法廷は、清くない遣り取りの場所へと変えられました。自己満足、貪欲、悪意、羨望、プライド、激情などはみな、人間の心の中で気に入られています。主の警告は拒まれ、嘲られました。主の大使達は無関心に扱われました。それらの言葉は、役に立たない尻尾のように見えました。イエスは、憐みによって語りましたが、それらの憐れみは認識されませんでした。主は、厳粛な警告によって語りましたが、それらの警告は拒まれました。

 私は、キリストに敬意を表して報いているみなさんに請い願います。あなた方自身の魂を騙してはいけません。イエスがほめているのは、人の心の全体です。魂の忠実さは、神の視界の中で価値のあるものだけです。「もしも、汝らが知っていたならば、汝らさえ、少なくともこの日に、汝らに平和をもたらす道を知っていたならば、」[ルカ19:42 KJV]。「汝らが、……汝らさえ」と、キリストは、主の玉座から降りて、憐れみを持たない人、危険を感じない人々、優しい憐れみを切望している人々に、この瞬間にあなた方個人に話しかけています。

 多くの人々は、霊的な死人になる間に、一人の人の名前を知っています。その人々は、その日に言うでしょう。「主よ、主よ、私達はそなたの名によって預言したではありませんか。また、そなたの名は悪霊達を追い出したではありませんか。そして、そなたの名は多くの素晴らしい働きを行なったではありませんか。そして、その時、私[]は、その人々に明言しましょう。私[]から離れてください。汝らは悪事を働きています」[マタイ7:22,23 KJV]。汝らが義の太陽が没するまで居残って立ち留まっているならば、苦悩が汝らに対して宣言するでしょう。永遠の夜の闇は、汝らの財産の一部となるでしょう。その冷淡で形式的な世俗の人の心は、和らげられるかもしれません。キリストは、私達のために涙だけでなく、主自身の血を流しました。主の愛の現れは神の前でたいそう身を低くすることだということに気付いていますか。是認されることは、私達に必要な自己評価を下げることと身を低くすることです。

 神が導いている人は、完全な人[]からの光がその人の上に輝いているので、自分自身に不満を抱くでしょう。しかし、その[]の手本から視線を逸らす人と自分自身に高い評価をしている人は、ほかの人々の粗探しをして欠点を見るでしょう。その人々は、きつい言葉、疑念、非難する者となるでしょう。彼らは、自分達をほめるために、ほかの者達に涙を流させるでしょう。

 主が、昨日、あなた方のケースを私の前に提示し、また、あなた方が与えられていたその光/真理を考えなかったことを私に知らせた時、私は主の名によって、はっきりとあなた方に話すよう命じられました。主の怒りは、あなた方に対して火がつけられました。次の言葉が私に語られました。「あなた方の働きは、神からあなた方に託されました。多くの人々は、偉大な教師[]に聞くことを拒んだので、あなた方の話を聞かないでしょう。また、多くの人々は、その道が自身の目の中の光なので正されないでしょう。また、あなた方は聞いて自制するかどうかはともかく、私は警告と譴責を与えるでしょう」。

 私は、主についての証をあなた方に伝えています。すべての人々は、主の声を聞くでしょう。人々は、進んで正されようとしています。しかし、その敵対者によって騙された人々は、その光/真理に来るために今、進んでしているでしょう。あなた方の多くは、神の臨在と働きを識別できていません。あなた方は、それが主であることを知っていません。主はたいそう恵み深く、信仰と悔い改めによって、主に立ち返るすべての人々を優しくすることに喜んでいます。主は「多くの人々は何につまずいているかが解っていません」と言いました。彼らは自分自身の心の理解と自分の目の視界に従っていて、神の声を心に留めていませんでした。不信仰と懐疑論が信仰の場を占めていました。彼らは、私[]を見捨てていました。

 私は、父親達と母親達が、福音の聖なる招きに無関心になり、純潔から離れていることを[主から]示されました。主は、世俗の処世術と慣習に結ばれて、自分達を滅ぼさないようにと忠告しました。キリストは、計り知れない主の恵みの宝を豊富にただで与えたことでしょう。しかし、彼らは、自分達が価値のないものであることを証明しています。

 多くの人々は虚栄心を魂に掲げています。ある人は教会の大黒柱の一人でしたが、神の[人類救済]目的に役立つようなあるタレントを有していると想像すると、その賜物を過大評価して、高過ぎる自己評価の考えに傾いています。その人が受け入れることのできる働きを、その人が有していると考えているよりも低い能力の人に任せています。その人は高い地位について考えて話しています。その人は、恵み、柔和、謙虚な知性、親切、優しさ、そして、人の人生の生活の中で輝いている愛、自己、大切な自己、その他、どこでも現れるものだけではなく、自分の光/真理を人々の前に輝かす必要があります。

 キリストの精神は、私達の品性をたいそう統制し、私達の感化力をいつも、祝福し励まし、強化するように指揮するでしょう。私達の考え方、私達の言葉、私達の行動は、私達が神から生まれていることと、キリストの平和が私達の心の中を律していることを証しているでしょう。この方法によって、主が私達の光/真理を人々に輝かすよう指示している時、私達は救い主の言っている恵み深い輝きを周りの人々に放っています。このように、私達は、天に向かって輝かしい道を旅しています。この方法によって、キリストに結ばれた人々はみな、この天の油なしに最も可能な講壇からの努力による以上に最も効果的な義の説教者達になるでしょう。それらの光/真理を伝える者達は、最も小さい花たちの甘い香りのような、彼ら自身の良心の最も小さくて、最も清い輝きを発しています。

 私達の[教会の]人々は、非常に危険な間違いをしています。私達は、人に対して大きな悪をなすことなしに、どんな人にもお世辞やほめ言葉を言うことができません。これを行なっている人々は、深刻な失望に向き合うことでしょう。その人々は、決して間違うことのない神を十分に信頼しないで、あまりに深く有限な人間を信頼しています。大衆へ注目するように人々を駆り立てる熱望は、世俗の人々との友情と神からの離反の根拠の一つです。それは、今日の特徴的な精神です。それは、イエスの精神を持っていないことを示しています。霊的な盲目と魂の貧しさは、その人々に訪れました。しばしば、目下の人々の知性は、自分の良心を小さくせず、自身の能力と才能を過度に高く自己評価することによって、イエスから離れて、単なる人間の標準を見ています。一つの人々()としての私達の間に、表面的な品性と単なる人間の才能、道具としての人間を崇拝する人がいます。私達は、自己に死んで、謙虚に好意を持って、幼子のような信仰を持つ必要があります。神の人々は、それらの純真さから離れてしまいました。その人々は、神を自分達の力にしませんでした。そして、霊的に弱く、心のこもらない者になっています。

 私は、世俗の精神がこの教会にパン種のように徐々に変化させていることを示されました。あなた方は、古代のイスラエル人達が行なったように、同じ道を進んでいます。これは、神の特別な()として、あなた方の聖なる呼び出しと同じような脱落があります。あなた方は、霊的な闇の実のない働きの友人たちがいます。信仰のない者達と強調しているあなた方は、主の不興を引き起こしています。あなた方は、自分達の平和に属している事柄が分かっていません。そして、彼らは、あなた方の目からすぐに隠されています。あなた方の光/真理への怠慢は、キリストが苦悩を宣言したユダヤ人よりも不快な位置にあなた方を置くでしょう。

 私は、神から逆戻りする人々として、その様々な証を信じない人が徐々に増えてきたことを[主から]示されました。それは、あらゆる分野にいる人々、私達の信者の層全体を覆っています。体験しようとしていることを知っています。私は、現在、私達が神性の寛容に下にいることを[幻で]見ました。しかし、この状態がどれほど長く続くのかを述べることができる人はいないでしょう。私達に向けてなされてきた大いなる恵みを知っている人はいません。わずかな人々が、神に心から献身しています。嵐の夜に、雲の切れ間からあちこちに星たちのように輝いているのは、わずかな人達だけです。

 神の言葉の真理を聞いて、自己満足している多くの人々は、霊的に生きるように告白している一方で、霊的に死んでします。数年間、人々は私達の[教会の]会衆として出入りしていました。しかし、その人々は、啓示された真理の価値の認識が徐々に減少していくだけのように思われます。彼らは、義と認められた後で、飢え渇いていませんでした。彼らは、神性や霊的な事柄への感受性を持っていません。その人々は、真理に同意していますが、それを通して清められていません。神の言葉だけではなく、主の聖霊の証はその人々に永続する心証を与えていません。軽視されていた機会と特権と光への調和は、その人々への譴責となるでしょう。ほかの人々に真理を説教している多くの人々は、自分達の不正を気に入っています。神の聖霊の懇願は、神聖なメロディー、たいそう豊かで膨大な主の約束の言葉として、偶像崇拝と不従順を脅かしています。これらすべては、世俗の頑な心を和らげることに無力です。

 私達の教会の多くの人々は、生ぬるい状態です。反逆のためでもなく、熱いか冷たいかでもなく、メロズ[士師記5:23]の位置を占めています。その人々は、キリストの言葉を聞いてもそれを行ないません。その人々がこの状態で残っているならば、主は嫌悪感と共に拒絶するでしょう。多くの人々は、大きな機会と大いなる光/真理を持っていました。そして、すべての霊的な優位性は、同じ呼吸をしている世俗の人々とキリストをたたえています。その人々は、神とマモン(富の神)に膝をついています。その人々は、世俗の子らと陽気に騒いでいます。救い主としてキリストを持つことを望んでいますが、その十字架を負おうとせず、その軛を着けようとはしません。主は、あなた方に憐れみを持っているでしょう。あなた方がこの道を歩むならば、あなた方に関して預言されうるものは不正を除いて何もないでしょう。

 神の忍耐は一つの目的を持っています。しかし、あなた方は、それを無力にしています。主は来ている事柄の状態を許しています。あなた方はやがて和らぐのをはっきりとみるでしょう。しかし、それはもう遅いでしょう。神はエリヤに、冷酷で不正直なスリヤを支配する王ハザエル[1列王記19:15]に油を注ぐよう命じました。彼は偶像を崇拝するイスラエルを厳しく罰する者となるでしょう。神があなた方を諦めないかどうか、あなた方をだます愛を誰が知るでしょう。主が平和と言っていないときに、「平和だ、平和だ」と、嘘の預言を叫ぶ声とともに、それらの場所を占めるためにもっと標準を伝えている数人の離れた人を待つだけで、確固とした真の忠実な説教者達は、私達が感謝している教会の人々に平和の福音を伝える最後の人々となることを誰が知っているでしょうか。私はめったの涙を流すことはありませんが、私は今、自分の目を涙で見えなくなったことに気づきました。それらは私が書いた時に、神の上に落ちています。私達の間で、預言している人々はみな終わりとなるでしょう。この教会の人々を奮起させた声は、世俗的な無活動を妨げないでしょう。

 主が地上での新しい働きを始める時に、また、聖なる手がノアの箱船を支えている時、もはや苦悩は主の人々にないでしょう。「汝らが知っていたならば、汝らさえ、少なくともこの日に、汝らに平和をもたらす道を知っていたならば、」[ルカ19:42 KJV]。私達の人々は、ニネベの人々が行なったように、自分達の悔い改めと彼らの心をすべて信じて、神は、それらの激しい怒りを離れ去るでしょう。

 私は、両親達が世俗に人々と遺書になってこのような時代に世俗の標準に合うことを子ども達の赦しているのを見る時に、怒りと心痛に襲われています。また、私は、自分の前に、[現在の]真理を告白している家族達の現状を開示されたのを見る時、ゾッとするような思いに満たされています。若者達と子ども達でさえも、浪費はほとんどの人々に増えています。親達は、隠れた悪習が子ども達の中の神の像(かたち)を傷つけて損なっていることをわかっていません。ソドムのような特徴のある罪は、その子らの中に存在しています。その親達は、自分の子ども達に神を愛して従順になることを教育しなかったので責任があります。親達は、子どもらに主の道をまったく教えず、制止することもしなかったので、親達は子ども達が選ぶときに、世俗の人々と一緒になって行くということを許しました。親の躾と権威に逆らうという世俗の影響力は、良い社会性だとたいそう言われて考えられています。子ども達のドレス、ルックス、楽しいことによって子ども達は、キリストが反対している雰囲気に囲まれています。

 私達の唯一の安全は、神の特別な人々として多投することにあります。私達は退廃した時代のファッションと慣習に1インチも明け渡してはいけません。偶像崇拝とその例に妥協せず、道徳的に自分を律して立つ必要があります。クリスチャン世界の宗教的な標準を高く掲げることは、自律性と勇敢さを求めているでしょう。人々は、救い主の自己否定の手本に従おうとせず、犠牲を払おうとしません。キリストが、弟子であることを示す者になるように言いつけている十字架をいつも避けようとしています。

 私は、私達の[教会の]人々に目覚めるように何を言うことができますか。私は、冒瀆されている御言葉を説明するために人々の前に立っているわずかな人々に話しているのではありません。その牧師達の心は悪く、その手のわざは汚れています。また、多くの者達は「平和だ、無事だ」と叫んでいます。その悪い働き人達は、警告されていません。主の手は救うことができないような短いものではなく、聞くことができないほどに難聴でもなく、神から私達を離れさせているのは私達の罪です。

 祈りと教化の集会へ共に集っている人々は、真の礼拝者とみなされるでしょう。また、私達がみな希望を持っている時、私達によってなされるように多くのことが残っているでしょう。私達を欺くことは価値のないものです。物事は主の臨在が示唆していることから離れています。遠くから美しく見えても多くのものは、テストが閉じられるに当たって、欠陥がたくさん見つけられるでしょう。私達の時代の精神の広がりは、盲目的な推論の現実性にあるだけではなく、真理の知識に属しているので、光/真理のふりをした精神の不信心と背信です。聖霊の証と、明白な神の言葉に反対の精神があります。神の知恵の啓示よりも、単に人間の理性を高める偶像崇拝の精神があります。

 私達の間で、哲学者だと言われて思い上がった意見を持って、責任ある立場にいるある人々は、聖書の真理または、聖書の様々な証よりも信頼されようとしています。パウロ、ペテロ、ヨハネのような信仰は、現在の日に耐えられず、時代遅れだと考えられています。それは聡明な知性において価値がなく、神秘的で不合理だと言われました。

 私は、それらの人々が、私達の[教会の]人々の災難を証明するハザエル[1列王記19:15スリヤの王]であることを示されました。その人々は、書かれているものに賢明です。神の言葉の真理に不信仰な人、神の言葉、真理について不信仰な人は、人間の判断が主の働きの未知を認識できないので、社会のあらゆる層の中で、あらゆる分野で見られています。それは、私達の学校で最も教えられています。養成所の科目にされています。クリスチャンになると告白している多くの人々は、偽りの精神に注意を払っています。どこでも、宗教の形式的な闇の精神があなた方の前に立ちはだかっているでしょう。

 神性な生活をすると表している人がみな実際にそうだったならば、また、世族の人々へ[現在の]真理を告白しているすべての人々が、その真理を教えて、それに反対していなかったならば、さらに、その人々が聖霊によってガイドされている神の人々であるならば――、その時、私達は道徳的な闇の中で好意的に繰り広げられている何かを見ることでしょう。しかし、その反キリストの精神/霊は、以前には決してなかったような広がりを続けています。私達は、「主よ、助けてください。信心深い人々が徐々に減っています。信仰深い人々は、人の子らの間からいなくなっています」[詩編12:1]と叫ぶことでしょう。私は、多くの人々が今の時代の人々にたいそう好意的に考えていることを知っています。これらの気楽であることを好む魂達は、ふつうにみられる滅びに巻き込まれているでしょう。また、私達は落胆しないでしょう。私達は、信仰深い牧師達がいない所では、真のクリスチャンが存在することができないという考えに傾倒して来ましたが、これは減っていません。神は、誠実ではない羊飼い達がいる所で、主の群れを護ると約束しました。神は決して人間手段(働き人達)にまったく頼るような群れをつくりませんでした。しかし、この教会を清める日々には、速やかに急いでいます。神は、清く、誠実な人々を持っているでしょう。やがて始まる大いなる篩(ふるい)によって、私達は、イスラエルの力をよりよく計ることができるでしょう。そのしるしは現れています。主が現す、その時は近くにあります。主の支持者は、主の手の中にいます。そして、主は、主の階下にいる住民を全部清めるでしょう。

 大いなる悩みと混乱になるような、その日は速やかに近づいています。天使の衣を着たサタンは、可能ならば、真に選ばれた者達をだますでしょう。そこには、神と崇められた多くの者達と多くの君主達がいるでしょう。あらゆる教えの風が吹くでしょう。「偽りの科学と言われた」ものにたいそう傾いていた人々は、そのリーダー達にならないでしょう。理性や能力、才能を信頼していた人々は、その時に [人々の]層と[名簿の]ファイルの長として立たないでしょう。彼らは、特別な光/真理によって平和を保たないでしょう。不信仰を自分で証明した人は、その時、その群れに信頼されないでしょう。最後の厳粛な働きの中に、わずかな大いなる人々が結ばれるでしょう。彼らは、自己満足していて、神から独立しています。そして、主は彼らを利用することができません。主が持っている信仰深い奉仕者達は、篩われる時、テストの時には、視界を閉ざされるでしょう。バアルに膝をかがめなかった人、今、覆い隠された貴い人々がいます。その人々は、あなた方に集中した素早いきらめき輝いていた光を持っていませんでした。しかし、それは魅力のない粗野な外見であっても、真のクリスチャンの品性の清い輝きが現されるでしょう。その日の時に、私達は、天を見上げても特別なスターたちを見ません。彼らは、そこにいます。天空を見つめますが、彼らの目はそれらを見分けることができません。夜間に、私達は真の輝きを見上げています。

 今の時代、すべての魂にテストが訪れるまで長くかからないでしょう。獣のしるしは、私達を強いるでしょう。世俗の慣習に迎合して世俗の求めに少しずつ明け渡してきた人々は、侮辱、嘲笑、危機の到来、投獄、死に服するよりも、その勢力に明け渡す方が厄介でないと知るでしょう。神の戒めと人間の戒めの間に論争があります。この時代に、この教会の中で、金製品がドレスから取り去られるでしょう。真の信心深さは、外見のキラキラ光る物と明確に識別されるでしょう。私達が感嘆した多くのスターたちは、その時に、そのきらびやかさのゆえに闇の中に去っていくでしょう。籾殻は雲のように風によって吹き飛ばされるでしょう。私達がたくさんの麦の実だけを見る場所で、聖所の飾りを装うだけで、キリストの義を着せられていない人々はみな、自身の裸の恥を現すでしょう。実を結ばない果樹たちは、邪魔者として地面に切り落とされます。大勢の偽りの兄弟達が真理から識別されるとき、覆い隠されている人々は見解を明らかにさせられるでしょう。そして、キリストの旗の下で、ホサナと叫んで並ぶでしょう。臆病で自信喪失した人々は、キリストとその真理のために自分を開示して叫ぶでしょう。この教会の中で、最も弱くためらっている人は、自分からあえて進んで行なうような、ダビデのようになるでしょう。神の人々にとって、[霊的な]暗黒の夜に、そのスターたちはもっと輝くでしょう。サタンは執拗に激しく攻撃するでしょう。しかし、イエスの名によって、特別なスターたちは、征服者以上に成功するでしょう。その時、キリストの教会は、「月のように明るく、太陽のようにはっきりと、旗印をもった兵士のように勇ましく」現れるでしょう。

 伝道の努力によって、蒔かれた真理のタネは、芽が出て花が咲いて、実をもたらすでしょう。真理を受け入れた魂達は、イエスのために苦しんで神を賛美して、苦悩を耐えているでしょう。「世俗にいる汝らは、苦悩に遭うでしょう。元気を出しなさい。私はすでに世俗に勝利しました」(ヨハネ16:33 KJV)。災難がこの地上全体を襲う時、送風機がヤハウェの床の人々を吹き清める時、神は主の人々を助けるでしょう。サタンの戦利品が最も高く掲げられるでしょう。しかし、清く聖なる信仰を持つ人々は、気力をくじかれないでしょう。

 エリヤは、エリシャを鋤から離して、彼に聖別の上着を与えました。この偉大で厳粛な働きへの呼び出しは役割と学識を人々に提示しました。それらの人々が彼ら自身の中で小さい者で、主によって全く信頼されていたならば、主は、勝利から勝利へと主の標準を伝えている彼らをたたえたものです。しかし、彼らは世俗の影響力に明け渡して離れました。主は彼らを拒みました。

 多くの人々は科学を高めて、科学の神を自分の視界から失いました。これは、最も清い時のこの教会のケースではありませんでした。

 わずかな予測ですが、神は、私達の日に一つの働きをなすでしょう。主は、主の霊の油注ぎによるよりも、科学的な諸施設での外面的な訓練によって教えられる人々を私達の間で高めて立ち上がらせるでしょう。これらの施設の人々は、嫌われて譴責される必要はありません。その人々は、神に任命されています。その人々は外面的な質を備えることができているだけです。神は、死ぬ運命にある人の自己尊大(うぬぼれ)と学識に依存していないことを現すでしょう。

 私達の間には、実際に聖別したわずかな人々、自己との戦いを闘って征服したわずかな人がいます。真の回心は、動機と感覚に決定的な変化があります。[しかし]その回心は、自分達の考える力、意見、影響力を統制することやめて、自分達の霊的な雰囲気をすぐに世俗に結びつけて、実際に許しを得ています。[世俗からの]分離は苦渋と苦痛の原因となっています。それは、キリストがもたらしたと宣言している[分離]と違っています。しかし、回心した人は、希望を持ち続けるように考えるでしょう。その友人達は、キリストと縁を断とうと考えて行なう限り、永遠の分離と終わりがあるでしょう。真のクリスチャンは、信仰のない友人達といても、軽率と浪費ができません。キリストが死んで[贖った]人々の魂の価値はあまりに大きいものです。

 イエスは「自分が持ったすべての財産を捨てなければ、私の弟子となることはできません」(ルカ14:33)と言っています。神への愛着を逸らすものは何であれ、捨て去る必要があります。富の神マモンは多くの人々が崇拝する偶像です。その金の鎖は人々をサタンに結び付けています。名声と世俗の栄誉はもう一つの層の人々によって崇められています。責任から逃れた気楽で利己的な生き方はほかの人々にとって偶像です。その人々は、不注意な足元に仕掛けてあるサタンの罠です。しかし、それらの奴隷のような帯は砕かれるべきです。その肉は強い欲望や愛着と共に十字架に付けられるべきです。私達は、半分が主のもので、半分が世俗のものでいることはできません。私達は、罪に囲まれたすべてを横に寄せて、重要なことが [主のもの]でなければ、神の人ではありません。神の見張り人は、神が平和を語らなかった時に、「平和だ。無事だ」と叫ばないでしょう。忠実な見張り人の声は、次のように聞こえるでしょう。「それゆえ、汝らは出て行って、清くない事柄に触れず、汝らは、彼女(教会)から離れ去って、汝らは主の器の者達に伝えて清くありなさい」。

 この教会は、世俗の人々によって、教会自身を評価することができません。もしも、この教会の進路が前進して、広がり続けていたならば、人々の意見によっても、この教会の立場と教会の信仰は、それが今あるように、それらがあったことと比較される必要があります。この教会は、清めのバランスによって重要視されるでしょう。もしも、この教会の道徳的な特徴と霊的な状態は、神がこの教会に与えた祝福と益に調和していないならば、この教会は欠如していることが見つかるでしょう。その光/真理は、教会の進む道に正確に明るく輝いたことでしょう。そして、1882年のその光/真理は、この教会に一つの責任を求めています。もしも、この教会がタレント/才能を証明していないならば、また、もしも、この教会の成果が神の前に完全/成熟していないならば、さらに、もしも、この教会の光/真理が暗くなったならば、この教会は、確かに欠如が見られます。神がそれを見ているように、私達の状態の認識は、私達から隠されているように思えます。私達は見ていますが気づいていません。私達は聞いていますが理解していません。私達は、私達の聖所の上にとどまり、昼には雲の柱・夜には火の柱になっている主について、まったく無関心に休んでいます。私達は、主に応じることをしないで、神を知っている、[現在の]真理を信じていると告白しています。私達の行ないは私達が統治されることを告白することによって、義と真理の原則にまったく反しています。

 

6.私達のカレッジの働き人達

 私達のカレッジの真の繁栄の基礎は、教師達と学生達が神と親しく一致団結していることです。神を畏れることは知恵の始まりです。主の指針は命の法則として認識される必要があります。聖書の中で、神の意思は主の子ども達に明らかにされています。それが読まれる家庭、学校、教会などどこでも、すべての人々は、神が人々に語って示したように、穏やかな信心に注目するでしょう。

 宗教の高い標準は、私達の学校でいつも保たれてきたのではありません。教師達と学生達の大多数はいつも、宗教の外側の視点を守ることを求めています。世俗の人々がこのカレッジの支援者となってきて以来、特にここでこのケースを求めています。それぞれ人は、世界の人々と天使達と人々に目を見張らされる者として、神が人になるようにとデザインした者になるという自分の立ち位置を取る必要があります。全てのクリスチャンは、ベッドの下やロウソクを立てるマスの下に隠すのではなく、燭台の上においてその家にいる全ての者に光を与えることができるように一つの光となるために生きています。

 私達のカレッジの教師達は、世俗の原則を採用することや世俗の習慣に順応するべきではありません。神が最も高く評価する属性は、慈しみと清いことです。それらの属性はあらゆるクリスチャンによって好感をもたれるでしょう。「愛する者はみな、神から生まれています。そして、神を知っています」[1ヨハネ4:7 KJV]。「私達が互いに愛し合うならば、神は私達のうちに宿っています。その主の愛が私達の中で成熟し完成されています」[1ヨハネ4:12 KJV]。「私達は、主がいるように主を見るでしょう。そして、すべての人は、自分が清められる希望を主のうちに持っています」。

 神は、若い人々の心に奉仕の働きに献身するよう働きかけてきました。彼らはどこでも得られない優れた真理を見つけるという希望を持って私達のカレッジに入学して来ました。しかし、教師達は、魂達の価値を少しだけ理解しているだけで、また、学生達の救いのためにわずかな重荷を感じるだけで、学生達の神の霊についての厳粛な確信を軽く考えていました。そして、彼らは、神が導くよう求めていたこの道から若者達を引き返すよう尽力していました。

 よい資格のある教師達の給与は、私達の牧師よりもとても高いです。そしてその教師達は、その働きに自分の全部を捧げている牧師のようにではなく、たいそう面倒なことを自分の問題とせず、そんなに負担の多い働きをしていません。これらの事柄は、若者達の間に示されていました。そして、学生達は、主の約束への不信頼と、神を信頼しないことを推奨されていました。多くの学生達は、簡単な科目を選択しました。そして、教師達は、[現在の]真理を説教する代わりに科学を教えて、ほかの仕事に就くよう用意しました。

 このように、神の働きは、[現在の]真理を信じていると口では告白していても、心でそれを愛しておらず、聖別されていない教師達によって妨げられてきました。教育されていた若者達は、キリストに奉仕するため、献身するためにたいそう貴重な自分の能力を見るように教えられていました。しかし、神は教師達に言っていませんでしたか。誰がこの知的な訓練とそれらの達成を得るよう力を与えましたか。教師達は、ヤハウェからすべて独立する言葉を託されているのですか。

 将来に無関心、自分の弱さに無関心で、世界の人々に無関心な若者達の多くは、自分の進路を指し示す神性の手の必要を感じていません。自分自身をガイドするように十分に納得するまで自分を考える人は、砕く者達の中で叫んでいます。そのような若者達は、自分達が行ける所はどこでも、神の領域を超えていない、ということを覚えておきましょう。彼らは、自分達の造物主の意思の考慮なしの選択に自由ではありません。

 才能は、最も必要とされている所で常に最も評価され最も発達しています。しかし、この事実は、栄誉を求める多くの向上心のある者によって見逃されています。しかし、表面的な宗教体験と知的な学識に関わらず、近視眼的な野心は、神の摂理が彼らにおいた以上に高度な活動領域を熱く望んでいます。主は、ヨセフとダニエルに社会的に高い地位と世俗の栄誉という誘惑に耐えるようにしたように、彼らを呼び出してはいません。しかし、彼らは自身を危険な立場に追い込んで、そして、自分達に合った義務の地位にだけ逃げ込んでいます。

 あのマケドニアの叫びは、あらゆる方向から私達にやって来ています。「私達に働き人を送ってください」は、東と西から求められているアピールです。私達の周りには、伝道地があります。「作物はすでに収穫のために色づいています。人は賃金を受け取るために刈り取りをします。そして、永遠の命の実を収穫します」[ヨハネ4:36 KJV]。金銭を得るだけに明け渡してビジネスに繫がるためにそれらの伝道地から去るのは愚かなことではありませんか。キリストは、高額な賃金を求めず、利己的ではない働き人達を望んでいます。主は、人々のために貧しくなったように、主のために快く貧しくなる人々を求めています。この世界で、キリストの前に提示された誘因はなんでしたか。侮辱、嘲笑、清貧、恥、拒絶、裏切り、そして、処刑です。保護者の代理者[教師]達は、自分達の大教師よりももっと簡単なことを求めようとしているのですか。

 神の言葉は、込み入った人生を非常にシンプルに追求します。それ[神の言葉]を熱心に求める者に神性の知恵を与えます。私達は[主の]苦悩によって贖われていたことを決して忘れてはいけないでしょう。私達のために贖いの犠牲を払ったのはキリストの貴い血です。世俗の良い物を失うことによって、また、危難と犠牲と苦悩によって、そして、魂からの奮闘によって、福音はこの世界の人々に伝えられてきました。神は、主の自己否定、自己犠牲、そして、主の苦悩を分かち合うために若者達の力と活動力によって、若い人々に呼びかけています。若者達がその呼び出しを受け入れるならば、主は、彼らを主が死んで[愛した]魂達を救うための主の手段にするでしょう。しかし、主は、そのコストを計って、彼らがはりつけにされた救い主に仕えている状況を十分に知って働きに入るよう期待しているでしょう。

 私達のカレッジが設立された神の目的が顧みられなかったことを私が考えている時に、私は自分の感覚を言葉で表現することが難しくてできません。信心深い形式を持った人々は、聖別していなかった生き方によって[現在の]真理の救いの知恵を人々に与えることを否定しています。使徒達の歴史を見てください。彼らは清貧に苦しめられ、不評判、虐待abuse、そして、真理のために死にさえしました。キリストのための苦悩も価値あるものとして数えられたことを喜びました。

 大きな成果が、大きな努力と大きな苦悩によって得られるならば、私達の内の誰が、神性の恵みの対象であるその犠牲を拒みうるでしょうか。キリストの福音は、良い便りや特別なメッセージを聞いた全ての魂にそれ自身[福音]を求めています。私達は、主による私達のための益に対して、何を返しましょうか。主の計り知れない恵みは、決して返しきれません。私達ができることは、私達の贖い主の栄誉の冠と私達の忠誠を証して、快く従順に喜んで主に仕えることだけです。

 私は、イエスに倣って十字架を負うように学生達を導く宗教の清い精神を授けられた私達の若者達を見ること以上に高い望みはありません。キリストのための若い弟子のみなさん、義と清い品性の衣を着けて、原則に支配されて、出かけていきましょう。あなた方の救い主は、あなた方が最も役に立てる地に、また、あなた方の才能に最もふさわしい立場に導くことでしょう。義務の道においてあなた方は、あなた方の日に十分な恵みを受けることでしょう。

 キリストの福音を伝える者は、魂の救いのために神に選ばれた働き人です。しかし、私達の第一の働きは、私達自身の心に神との調和がもたらされることでしょう。そして、その時、私達は、ほかの人々のための働きの備えがなされるでしょう。以前の日々に、私達の熱心な人達が、心の中を深く探っていたことがありました。その人々は、神性のガイダンスを熱心に祈って、共に勧め会って謙虚に結ばれていました。教師達と牧師達の間で真の伝道精神に傾いていました。また、キリストの来臨は、私達が信じていた時よりも近くにあります。全て過ぎていく日は、世界の人々に警告のメッセージを宣布するために少ししか残されていません。今日、もっと多くの神との調停、大いなる謙遜、大いなる清め、大いなる信仰があってほしいものです。

 全ての人々は、いつも危機に遭っています。自己否定と謙虚な精神に好感を持っていないことを説くだけではなく、命の言葉をほかの人々に伝えている人々に、私は気を付けるようこの教会の人々に警告しています。そのような人々は、危機の時に頼りにされません。そのような人々は、サウルがしたように、快く進んで神の声を軽視しました。そして、彼のように、多くの人々は自分達の道を正当化するためにすぐに立ち上がるでしょう。主の預言者を通して、主によってとがめられた時、サウルは頑強に「自分は神の声に従っていた」と主張しました。しかし、不平をモーと鳴く雄牛と、泣き言をメエと鳴く羊は、彼が[従って]いなかったことを証しました。同じような方法によって今日、多くの人々は、神への忠誠を主張しています。しかし、その人々の一致とほかの楽しい集まり、その人々の世俗の友人達、自分の栄誉を高めること、熱心に評判を求めることなどはみな、その人々が神の声に従っていなかったことを証しています。「私[]の民にとって、子ども達が自分達の迫害者のようなもので、そして、女性達がその民を支配しているようなものです」[イザヤ3:12 KJV]

 一つの高い標準は私達の前に置かれている福音です。一貫したクリスチャンは、新しく[生まれる]だけではなく、キリストイエスによって、[品性が]作り変えられています。主は、神と天への道をほかの人々に示すために、しくじることのない一つの光です。キリストから自分の命や生活を引き出している人は、世界の人々の楽しみに不満足で、軽薄な望みを持っていないでしょう。

 若い人々の間では、教育と品性の多様化が見られるでしょう。ある者は独断的な禁止と厳格さの要素の中で生きていました。それは、頑固さと冷淡の精神の人々の中で成長・発達しました。ほかの人々は、自分達の傾向に倣って親達の溺愛によって許されて、家族のお気に入りのペットとして育ちました。あらゆる欠点は、人々の品性が損なわれるまでに許されてきました。それらの異なった知性の人々とうまく付き合うために、その教師達は、厳しい統制のように詳細な管理をして重い課題を課す必要があります。

 適切な統制を嫌い軽蔑する者さえしばしば現れるでしょう。ある者はペナルティを逃れるためにあらゆる発明の才を使うでしょう。一方でほかの人々は違反の結果に向う見ずな無関心を実行するでしょう。このことはみな、彼らの教育を委ねられた人々の側に大きな努力と多くの忍耐を求めているでしょう。教師達が奮闘しなければならない大きな困難の一つは、このカレッジでの訓練を指導して協力するための親達の役割の失敗です。親達が、教師達の権威を支えるよう願い出ているならば、多くの不従順、悪い行い、わがままなどは防げるでしょう。親達は、正しい権威に従順に尊敬するよう彼らの子ども達に求める必要があります。正しい習慣が堅固に確立されるまで、彼らの子ども達の抑制、ガイド、指導のための衰えない勤勉とケアによって働く必要があります。その若者達のそのような訓練は、道徳律の一般的な順守、社会的な施設の目的となるでしょう。

 その例と指針によって、若者達に、倹約、節制、勤労、ドレスと礼儀について、シンプルに教えましょう。多くの学生達は、親達によって備えられた資金を多額に費やしています。彼らは自分のわがままと見せびらかしのためにお金を気前よく使うことによって、仲間達に自分が優れていることを示そうとしています。ある教育施設で、ある学生のドレスは、規則による金額の利用限度内に収められていたことは、大きな結果とみなされていました。しかし、わがままにしていた親達と、わがままな学生達は、規則を逃れる何らかの方法を見つけるでしょう。私達はそのような手段がないことを願うばかりです。私達は、神の言葉の勧めを求めること、その教えと調和した行動を促すこと、注意深く祈りを持った考えを基にして、それらすべての問題に取り組むようクリスチャンの親達に求めましょう。

 働き人達の方法としての手引書が私達の学校に結ばれている人々に提供されていたならば、また、学生達は、労働の時間が学習科目の一部として積極的に求められていたならば、学校施設の中での学習科目として普及することは多くの悪い感化に対しての防御を証明することでしょう。勇敢、有用、職業など軽薄に代用された有害な気晴らしは、若者達の生活にあふれる正当な目当てを与えるでしょう。また、品性に安定性と謹厳性を促すでしょう。あらゆる才能と努力は、知的な進歩・向上と同じように、身体的・道徳的な憧れを促すためになされるでしょう。少女達が調理の仕方、特によいパンの作り方を教えられたならば、その教育は大きな価値に属するものでしょう。労働の有用な知識が広範囲で妨げられると、(感情に支配されて涙もろい)病的な感傷趣味が起こります。そして、それは多くの人々の有用さを失わせています。頭脳と同じように、筋肉を使った活動は、家庭的な生活活動の義務を味わって体験することでしょう。

 現在の世代の人々は、教育において、指導の働きを表面的な一つのショー(見世物)として行なっています。   兄弟は、成熟した[教育]体系のための自然な愛を有しています。そして、それらは生涯の訓練と鍛錬によって習慣となりました。彼はこのために、神に是認されていました。表面的であることを学生達に許さなかったので、彼の働きは実用的な価値に属しています。しかし、彼はある学校の設立に向けた最初の努力において、多くの障害となる事象に直面しました。辛抱できず解決できなかったので、彼がその事象との奮闘を投げ出しました。親達のある者はその学校を支えることに冷淡になりました。そして、その子ども達は、彼がみすぼらしい服を着ていたので、その教師を尊敬しなくなりました。親達は、彼に反対して彼の外見に偏見を持つことを許しました。この不敬の精神は、主から咎められました。そして、その教師は自分の働きを励まされました。しかし、ある親達の偏見に力づけられた子ども達によって、不満と賢くないレポートが届けられました。   兄弟は、正しい習慣を形成すること、真の原則を説き聞かせていました。わがままに振る舞っていた子ども達は、自分達の学習課題に不満を持っていました。これらの学生達は、その知性に相応しい様々な学習課題[レポート]を提出していなかったので苦しんでいたことを、私は[主から]示されていました。その子ども達の考え方は、やる気を失っていました。そして、身体と知性の両方が自己虐待self-abuseの状態を通して弱められていました。親達が期待していたように子ども達が進歩

向上することがはばまれてきたこと、また、それらの子ども達がしばしば、病の原因になったことは、過重な学習ではなくて無価値な行動でした。[訳者加筆。わがまま、不平を言う、教師を敬わない、不満のレポート、見せびらかす高価な服、規則を破るなど]

 彼がその学校のために現在の指導の基礎をおいていた時、主は、   兄弟の全体的な指導方針を是認していました。しかし、ある人は、自分の重責を果たすために、本部の影響力や祝福の確信もなく懸命に働きました。過労と緊張のもとで、彼はいくつかの失敗をしましたが、嘆くことはない、結構いけると考えていました。しかしながら、その時、それを見ていた人々は、彼に対して苦々しい感情を抱いていました。彼は、若者達との関係で、ある使徒が最後の日のしるしの一つとなると宣言している、権力者に対する反抗と咎めの精神に向き合わなければならなくなりました。「人間に従うより神に従うべきである」[使徒5:29]

 そのカレッジにいる教師達のある者は、自分達の立場の責任に気付くことにしくじっていました。彼らは、自分達がキリストの学校で学ぶ者達ではありませんでした。そして、それゆえ、彼らはほかの人々[学生達]を指導するための準備がなされていませんでした。

 その学生達の間では、堕落した習慣のある怠惰な学生が見られるでしょう。それらの学生達は、誤りを譴責され懲戒される必要があります。しかし、もしも、彼らが改善されなければ、無慈悲といら立ちによって地獄のような落とし穴に導かれることのないようにしましょう。教師達はいつも、反抗している若者達はキリストの血によって買い取られているということ、主の家族の幼いメンバーであることを覚えておきましょう。キリストは彼らの贖いのための無限の犠牲を払いました。そして、教師達は、学生達が伝道者として立つこと、イエスのためにそれらの学生達を勝ち取ることを感じて考える必要があります。もしも、彼らが生来的に好戦的であるならば、このわがままの習慣特性に対して、慎重に彼らを保護しましょう。若者達の多感な時期を通り越した学生達は、その誘惑と青少年期の試練を決して忘れないでしょう。そして、若者達はみな共感と親切と愛を必要としています。

 一つの考えによって、彼自身の家族に献身するために、しばしばわずかな時間を見つけて人間性の目的によって、努力を要する公的な労働に献身している人は、社会的な信望もなく、暖炉の傍でもなく、家族の傍でもなく、ほとんど忘れられています。   兄弟はこのような存在でした。彼の知性はいつも課題を与えられていました。彼は、必要としていた自制のガイダンスを人々に与えるために、また、自分の子ども達の愛情を勝ち取る機会をわずかに持っているだけでした。

 このカレッジには、徹底的に回心の必要な人がたくさんいます。自分自身の目の中に梁を持っている時に、兄弟達の目の中にある埃を見分けようとする人はいないようにしましょう。おのおの人は、自身の神聖を汚すものから自分自身の魂の害を清めるでしょう。羨望と嫉妬心は、積もったガラクタとともに捨て去りましょう。天の学識と高貴な特権、私達を買い取るために払われた計り知れない犠牲は、私達が受け入れるためにただで提供されています。神は、私達に与えた特権と光の価値のために、責任を私達個々人に課しています。そして、私達が、私達を信頼して託した能力を改善して神に返すことを拒んでいるならば、主の好意を失っています。

 ほかの人によって咎められ、ある人によってほめられていなかったらば、あなた方によく奉仕していた   教授は、問題を曖昧にして困惑するようになりました。彼は、抑制する必要のあった品性の特徴を持っていました。それらの宗教的な狂信のあるものは、彼に賞賛と過度の確信を与えました。あなた方は、彼の真の地位を見つけて、回復することが困難なところに彼をおいていました。彼は、神の聖霊の助言に注意を払うことにしくじっていたので、教会の中で二つのグループの犠牲になってきました。これは、彼にとっていいことではありませんでした。彼は、この信仰に新しく入りました。そして、なされていた発展の準備をしていませんでした。

 私達が伝えているについて知っていることはとても少ないですが、私達の活動はほかの人々と私たち自身の未来の歴史を担っているでしょう。多くの人々は、自分達が行なっていることは重要でないものと考えています。自分達がそうすることを望んでいるならば、その娯楽に世俗の人と結ばれること、あるいは、この一致に加わることは、自分達の害にならないでしょう。このように、サタンは、彼らの希望を導いて支配しています。そして、彼らは、その結果が、最も重要なものになることを考えていないでしょう。それは、彼の永遠の滅びを決定し、サタンの罠に魂を結ぶ出来事の鎖の環となるでしょう。

 しかしながら、小さな活動はみな、人生の大きなドラマの中でそれ自身の位置を占めています。私達の世界に罪が侵入した食欲について、一方の楽しみのための欲望とその恐ろしい結果について、考えてください。人々の娘達と神の息子達の神聖ではない結婚は、一つの洪水によって世界が破滅して終わり、背信という結果になりました。わがままという最も軽薄な行動は大変革という結果になりました。これは、その現在のケースです。この世界には、わずかですが、用心深い人々がいます。イスラエルの子らのように、彼らは勧めの言葉を心に留めず、自分自身の意向に従うでしょう。その人々は、注目がもたらされる所に集まって、世俗の要素に結ばれるでしょう。このように、彼らはその道にほかの人々の仲間を導くでしょう。一度行なわれたことは、自分達と多くの人々によってふたたびなされるでしょう。それらの人々がたどったすべての歩みは、彼ら自身の良心と習慣にだけではなく、ほかの人々の良心と習慣にも、永続的な印象として残るでしょう。この重要性は、人間の生涯に厳粛な威厳を与えています。

 私の心は、一日いちにち、一夜毎に、私達の社会の人々に切に望んでいます。多くの人々は進展しています。しかし、道の逆方向に、です。「正しい道に、……真昼のようにもっともっと輝かしましょう」[イザヤ58:6-10 KJV]。人々が栄光から栄光へ、恵みから恵みへ、能力から能力へと前進しています。これは、私達の教会のすべての人々の特権です。しかし、それを自分達のものにすることはなんと難しいことでしょう。その人々は、神性の光に照らされて教化される必要があります。その人々は四方から囲まれる必要があります。私は言っていることを理解しています。その人々は確かにクリスチャンにならない限り、弱さから弱さに進んでいくでしょう。分派が増すでしょう。そして、多くの魂達は、永遠の滅びに導かれるでしょう。

 みなさんに、私は言うことができます。あなた方は「神があなた方に与えていた光を掲げてください。そして、あなた方自身にどのような犠牲があってもそれに従ってください。これはあなた方の唯一の安全です。あなた方は一致していくために行なう一つの働きがあります。もしも、自己が十字架につけられているならば、主は、それさえも、行なうようあなた方を助けるでしょう。恐れを持って、震えおののいて、柔和さを持って立て直してください。古代イスラエルの人々の罪は、清められなかった心の導きによって自身の道に従って、現された神の意思を無視していたことです。現代のイスラエルは、自分達の足跡をしっかりと従っています。そして、主を喜ばせない者は、それらの上に確かに残っています。

 私達が行なうために愛していること、十字架を掲げている私達の傾向に反して正しい進路を取ることは、決して困難ではありません。キリストは、主が天の父と一つであったように、主の弟子達が一つになれるようにと祈りました。この結びつきは、神が世界の人々に遣わしたキリストについての信任状です。自己の意思がキリストと信者達と結ばれているようにという内容がまとめられて宣言されています。このような答えが、主の教会に団結のためのキリストの祈りが及ぶ限り、このすべての人々は、堅い決意のある働きとして、凛として祈る必要があります。

 

7.嫉妬と厳しい粗探し

 教会メンバーの間に手に負えない発言をしている人がいることは、私にとって心の痛むことです。ほかの人に害を与える不正確な発言があります。それらは、巧妙な悪ふざけ、中傷する内緒話です。それらは、告げ口、失礼なお節介、巧妙な取り調べです。ゴシップを好む人達の間で、ある人は好奇心によって、ほかの人々は嫉妬心によって、多くの人々は、神が戒めるために語った人々を嫌って、行動を駆り立てられています。それらすべてに不調和の要素が働いています。ある人々は自分達の本当の感情の混じった意見を隠しています。ほかの人々は、自分達が知っていることあるいは、疑わしいことでさえ、別の人には悪となるものについてみな、公表することに熱心です。

 義が悪に、罪のないものが良くない行為に、真理が嘘に変えられることによって、偽証の精神が活動しているのを、私は見ました。サタンは、神を信じていると告白している人々の状況を見回して勝ち誇っています。多くの人々は、自分自身の魂に無関心な一方で、ほかの人々を咎めて粗探しをする機会を熱心に探しています。すべての人々は、品性に欠点を持っています。そして嫉妬心のある人がほかの人々の悪い点を説明できるものを見つけることは難しいことではありません。それらの人々は自分が下した判断で「さて、私達は、事実を持っています。私達は、人々が自分で片づけることができないものの責任を追求しましょう」と言っています。その人々は絶好の機会を待っています。そして、ゴシップの断片を生み出して、それらの束を作り出しています。

 ある時点をもたらす努力によって、生来の強い想像力を持っている人々は、自分達とほかの人々をだます危険性の中にいます。その人々は、早とちりで、話題になっていることを考えることなく、話している人の実際の意見を反映していないほかの人々からの軽率な噂話を集めています。注目に値するものとして、しばしば、たいそう軽薄で自然発生的な意見がサタンの拡大鏡を通して見られています。モグラ塚のような山になるまで繰り返されて考えられています。神から離れた悪い憶測は誘惑の戯れになっています。その人々は、自分達の考えの力や自分達の言葉の効果についてほとんどわかっていません。ほかの人々の間違いを咎めながら、その人々は自分自身の大きな間違いを見逃しています。言動の一貫性は宝の山です。

 その人々には守られるための親切の法則がないのではありませんか。クリスチャンは、互いに咎めあって粗探しをするために神の権威を与えられたのですか。人の名誉を傷つけるために得た知識を逆手にとって、人に課されていた秘め事を見せかけの友情の下で、ほかの人の口から聞き出そうとすることは、誠実や高潔なことですか。あらゆる浮ついた噂を集めることや互いの品性を疑っていろんなことを掘り出すこと、人を害することを利用して喜ぶことが、クリスチャンの善意ですか。サタンは、キリストにつく一人の人に痛手を負わせ、中傷できる時に狂喜しています。彼は「兄弟達を訴える者」[黙示録12:10]です。クリスチャン達はその働きをして、彼を助けるのですか。

 全てを見ている神の目は、互いに取っている立場とすべての人々の欠点に注目しています。また、主は、私達の間違いを忍耐して、私達の弱さを憐れんでいます。主は、主の人々に、優しい精神と同時に寛容の精神に好意を持つようにと言っています。クリスチャンは、ほかの人の欠点や失敗を人にさらさず、喜びもしないでしょう。また、愛らしく引き付けられるものに知性を合わせるために下品な欠点から離れるでしょう。クリスチャンのあらゆる失敗と行動に譴責と咎めを与える言葉はみな痛みを伴うものです。

 いつも[現在の]真理を告白する男性達と女性達がいましたが、その人々は、にその真理が感化する清めによって自分達の生活を形成しませんでした。不信仰な人々は、自分達に罪に勧めて自分達を欺いています。その人々の生活とその人々の立ち振る舞いと品性に不信仰が見られています。そして、この恐ろしい悪は潰瘍のような病になっています。

 クリスチャンだと告白した多くの人々は、ほかの人々の悪い点を語るのではなく、自分自身が正される必要のある悪い点を見るために調査の力を利用しましょう。すると、今日の教会の中にもっと健全な状態があるでしょう。ある人は、犠牲を払わなくてもいい時に正直でいられるでしょう。しかし、処世術で犠牲を払うような時には正直を忘れるでしょう。正直と処世術は、同じ知性の中では共に働かないでしょう。処世術が取り去られると、真理は忘れられるでしょう。それらには一致がありません。それらには共通点がありません。一人はバアルの預言者です。もう一人は神の預言者です。主が宝石のような者達を掲げる時、誠実で素朴、正直な人々は喜んで見上げるでしょう。天使達は、そのような人々に冠を与える働きをしています。冠についている星のような宝石は、神の御座から放射する光を広めるために反射するでしょう。

 私達の[教会で]奉仕の働きをしている兄弟[姉妹]達は、この教会の中にある試練に関連したものをたくさん担っています。また、その人々は、あまりにもたくさんの説教によって人々にきつい言葉を言っています。その人々は、互いの仲間達、この教会のメンバー達を励ましていないだけではなく、きつい言葉をその人々の活動に香辛料のように添えているでしょう。人は、ほかの人々の悪い点と関連して起きるような憤慨と偏見を許さないでしょう。多くの人々は、ある疑問の両面からの意見を聞くまで忍耐して待っていて、そして、確信できる厳格な事実だけを信じているでしょう。いつも安全なコースにいる人は、聖書のルールが厳格に適用されるまで悪い噂を聞こうとしません。これは、知るために良いことをせず務めをしなかった事柄で、疑われていない人から引き出すために巧妙に働きかけたある人に適用できるでしょう。

 あなた方の魂のために、私の兄弟[姉妹]のみなさん、神の栄光ために片目をつむって[忍耐して]ください。可能な限りたくさん、あなた方の考えから利己心を取り去りましょう。私達は、この時代の終わりに近づいています。あなた方の動機を永遠の光/真理によってテストしましょう。私は、あなた方が警告される必要があることを知っています。あなた方は、古い道標教理[再臨・調査審判・千年期、その他]から離れています。あなた方の科学と言われているものは、クリスチャンの基礎教理を蝕んでいます。私は、あなた方が神から離れた道を確かにたどっていることを示されていました。あなた方自身の知恵に信頼しないようにしましょう。私はあなた方にお話します。あなた方の魂は、滅びに差しかかっています。キリストのために、なぜ、自分達がそんなに宗教体験への愛着が弱いのかその理由を考えて調べてみましょう。

 主は、主の人々をテストして確かめています。あなた方は、ほかの人々に親切に憐れみ深く、礼儀正しいことを自分で喜べるように、あなた方の品性の欠点を厳しくあら探しする時に正しい者となれるでしょう。私の芯が健全ですか。また、私は不誠実ではないかを、毎日尋ねましょう。この点のすべての惑わしについて、あなた方が尋ねるよう主に請い願っています。永遠の益がかかっています。一方で、たいそう多くの人々が、得たいという望みと誉を求めて憧れています。私の愛した兄弟[姉妹]のみなさん、神の愛の確証を熱心に求めてください。誰が、私の呼びかけと選びに応じる方法を私に示すでしょうか。

 サタンは、人々の生来の罪を入念に調べています。人々を罠にかけるために魅惑する働きを始めています。私達は弱い誘惑の中にいます。主の戦いに勇敢に闘うならば、私達のための勝利があります。全ての人は危険の中にいます。しかしあなた方が、謙虚に祈りを持って歩んでいるならば、あなた方は純金よりもオフルの黄金よりも貴く、錬金過程を経て出て行くでしょう。配慮も祈りもないならば、あなた方はシンバルと金管楽器を鳴らすだけでしょう。

 ある人は、懐疑の迷路にほとんど失われるようになりました。そのような人のために私は伝えましょう。そのチャンネルの外にあなた方の知性を押し出しましょう。もっと親密な信仰と聖化があなた方を永遠の御方に結び付けています。あなた方が追い求める対象、命、永遠の命を造った明瞭な輝きは、あなた方に主が配している正義を現すでしょう。

 私は、あなた方の危険性を知っています。あなた方がその様々な証の確信を失うならば、あなた方は聖書の真理から迷い出ているでしょう。多くの人々が立場を疑って疑問を抱えていて、私が警告しようとしているあなた方の魂への苦悩を私は抱いてきました。どれほど多くの人々がその警告に心を止めるでしょうか。今、あなた方がそれらの証を持っている時に、あなた方の間違いを正すために、あなた方の進路をさえぎるように、その一つが置かれるでしょうか。あなた方は、全体か一部を拒むか受け入れるかどうかについて、完全な自由を考えているでしょうか。あなた方が受け入れるようにわずかに傾いた考えは、最も必要とされていた部分です。神とサタンは、決して協力した働きをしません。それらの証は、神の印かサタンの印のどちらかが押されています。神は言いました。「良い木は悪い実を結ぶことができません。悪い木は良い実を結ぶことができません。木々の実によって、汝らはそれを知るでしょう」(マタイ7:18 KJV)。誰が、主の言葉を畏れましたか。

 

8.手近にある主の日(主の日は近い)

 「大いなる主の日は近いです。そして、大いなる主の日の声さえも、それは近くにあります。権威ある人[]は苦悩があると叫ぶでしょう。その日は、囲いをめぐらした都市に対して、警告とトランペットの鳴り響く日、高いタワーに対して、滅びの日、悩みと苦悩の日、破滅と消失の日、闇と深い悲しみの日、雲と薄暗い日です。そして、私は、人々が主に対して罪を犯したので、その人々の上に苦悩をもたらすでしょう。人々は盲人のように歩むでしょう」[ゼパニア書:ゼファニア1:14-17 KJV]

 「その通り過ぎる時が来るでしょう。私は燈火を持って、エルサレムを調べて、避難場所に隠れて心で「主は悪いことも良いことも行なわないでしょう」と言っている人々を罰するでしょう」[ゼパニア書:ゼファニア1:12 KJV]

 「あなた方は共に集まりなさい。国民は希望がありません。法令が発令される前に、籾殻のように[飛ばされて]その時が過ぎる前に、また、主の激しい怒りがあなた方に襲う前に、主の怒りの日があなた方の上に来る前に、ええ、共に集まりなさい。汝らの主を求めなさい。汝ら、主が裁きを行なった地に属する柔和な者達はみな、義を求めなさい。柔和を求めなさい。たぶん、汝らは、主の怒りの日に隠されるでしょう[ゼパニア書:ゼファニア2:1-3 KJV]

 私達は終わりの時に近づいています。私は、神の報復の裁きはすでにこの国にあることを示されていました。主は、私達にあるイベントが開始されることについて警告を与えました。光/真理は、主の言葉から輝き出ています。また、[霊的な]闇がこの地と人々を覆っています。「人々が、平和だ、無事だと言っている時、とつぜん、滅びが人々に襲ってきて、……人々は逃げることができないでしょう」[1テサロニケ5:3 KJV]。この恐ろしい闇の理由を尋ねることは、私達の義務です。私達は、人々がこのように強いだましを自分達にもたらしたコースを避けることができるでしょう。神は、世界の人々に主の意思を学んで従うための機会を与えました。主は、真理の光と主の言葉を人々に与えました。人々に警告と勧めと忠告を送りました。しかし、主の声に従うのは、わずかな人々だけでしょう。ユダヤの国の民のように大半の人々は、クリスチャンと告白した人でさえ、自分達の優越性を誇っています。しかし、それらの大きな祝福のために神に立ち帰ろうとしません。計り知れない憐れみによって、最後の警告のメッセージは、キリストがドアの傍に立って神の踏みにじられた律法に注目を呼びかけていると知らされて、この世界の人々に送られてきました。しかし、ノアの洪水前の人々がノアの警告を嘲笑して拒絶したように、現在の楽しいことにたいそう愛着のある者達は、神に忠実に奉仕している者達のメッセージを拒むでしょう。世界の人々は、ビジネスと楽しみがいつまでも続くかのように夢中になって、その変わらない繰り返しを追い求めています。その間に、神による破滅が主の律法の違反者達に訪れようとしています。

 私達の思いやりのある贖い主は、この時代に、主につく者達を取り巻いている滅びを予見して特別な警告を与えました。「あなた方が気付かないうちにその日が来るので、あなた方の心が、この世の生活のケアをして、飲んで、そして、大食いをして、太り過ぎた時になるといけないので、あなた方自身のために注意していなさい。一つの罠が地の表の全体に住んでいるすべての人々の上にかけられるでしょう。それゆえに、汝らは、いつも祈って、人の子キリストの前に立つために、そして、過ぎ去るだろうこれらのすべての事柄から逃れて価値ある者と数えられるために、目を覚ましていなさい」(ルカ21:34-36 KJV)。この教会の人々が世俗の人々に似た進路を進んでいるならば、その人々は同じ運命を分け合うでしょう。それどころか、その人々が大いなる光を受け入れた時、それらの罰は悔い改めない者よりも大きくなるでしょう。

 私達は、一つの人々()として、地上にいるほかのすべての人々に優位性のある[現在の]真理を持っていることを告白しています。私達の生き方と品性はそのような信仰と調和している必要があります。その日は、ちょうど私達の上にあります。義とされた者達は、麦の束についている貴重な麦粒として天の穀物倉庫に集められるでしょう。一方、悪い麦粒は、スズメのエンドウのような有害雑草と共に最後の大いなる日に、燃やすために集められるでしょう。しかし、小麦と有害な雑草は「収穫まで一緒に成長」[マタイ13:30]します。生活の義務を果たすことによって義とされた者達は、最後に不信心な人々と付き合うでしょう。光の子らは闇の子らの間に散らされています。その対比は全ての人々に見られるでしょう。この者達は「あなた方を闇から出させて、主の素晴らしい光の中に呼び出した主をたたえることを示す」[1ペテロ2:9]ための神の子らです。生活に調和して表したキリストのように、[神の子らの]心の中で成長する神性の愛を、世俗の人々が見て卓越さを認識し、天を一目見ることをかなえるでしょう。

 似たような人が、似たような人を惹きつけるでしょう。同じ祝福の泉から飲んでいる人々は共に近くに引き付け合うでしょう。信じる者達に宿っている真理は、幸福となって祝福へと導くでしょう。こうして、主が天の父と一つであるように、主の弟子達も主と一つであるようにとのキリストの祈りがかなえられるでしょう。真に回心して一つの心になった人々はみな奮闘するでしょう。

 不信心によって、絶えない不一致の一部を隠していつわりの一致となるでしょう。神の真理と神の意思に対する人々の反対によって、人々は団結しました。一方、ほかのすべての点でその人々は嫌悪、張り合い、嫉妬、死ぬほどの口論で混乱しています。

 現在、鉄製品には純粋な鉄に基となる成分がたいそう混ぜられています。神の無限の聡明な目だけがそれらを正確に見分けることが可能です。磁石は純粋な鉄を引きつけますが、聖と真理を道徳的に引きつける、偽物と基になる成分を寄せ付けないでしょう。

 「主の大いなる日は近いです。それは近くにあって、大いなる日です」[ゼパニア、ゼファニア1:14]。しかし、私達はどこで、真の再臨の精神を見ていますか。誰が、私達の前にある「キリストの荒野での誘惑」[マタイ4]に備えていますか。主の人々は、神がこの時代の人々のための神聖で厳粛なテストを託したのに、自分達の持ち場で[霊的に]眠っています。その人々は、その活動によって語っています。「私達は真理を持っています。私達は「豊かです。良い物がたくさん増えました。足りない物は何もありません」[黙示録3:17]。その一方で、真の証人()は、こう言っています。汝らは「不幸な者、かわいそうな者、見えない者、裸な者であることに気付いていません」[黙示録3:17 KJV]

 その言葉[黙示録3:17 KJV]は、現在の教会の人々の状態をどのように表していますか。主の聖霊によって記された警告のメッセージは、神の奉仕者達によって伝えられています。品性の欠点は面前に表わされています。しかし、その人々は「それは私のケースを表しているのではありません。私はあなた方がもたらしたメッセージを受け入れません。私は自分のできる限りを尽くしています。私は[現在の]真理を信じています」と言っています。

 キリストを待っていると告白している不忠実な奉仕者は、心の中で言いました。「私の主は、その来臨を遅らせています」[マタイ24:49]。彼は、サタンに心を明け渡していた一方で、外面的に神の奉仕に献身していた「しもべ」でした。彼は、明らかに真理を否定したり、嘲ったりするようなことはしていませんが、―-主の来臨は遅れている――と心の中の意見と生き方で現しています。永遠の関心について彼の配慮のない傾向が推測されます。彼は、世俗の処世術を受け入れて、利己心・世俗のプライド・優位を占めた野心、慣習と行動に慣れ親しんでいます。心配なことに、彼の兄弟達は、彼よりも上の地位にいるでしょう。彼は、兄弟達の努力を見くびっていて、彼らの動機を非難し始めています。このように、彼は、自分の仲間の奉仕者達を打ち負かしています。彼は、神につく人々から自分を遠ざけ(疎外)ている時、益々、不信仰に結びついています。彼は、世俗の人々の精神で参加して世俗の事を楽しんで、――「一緒に酔って」[マタイ24:49]飲んだり食べたりしていることが見られています。このように、彼は怠惰と無関心と失念に征服されて、物欲の確保に沈んでいます。

 悪の始まりは、神聖な祈りと警戒についての怠惰です。ほかの宗教的な義務に怠惰になる時、その道に従ってあらゆる罪の道が開かれました。クリスチャンはみな、生来の欲望の叫び、サタンの直接の誘惑、世俗の人々の魅惑によって激しく攻め立てられるでしょう。安全な人は一人もいません。私達がかつて体験した事柄でもなく、私達の社会的地位がどれほど高いかという事柄でもなく、私達は見張って祈り続ける必要があります。私達は、毎日、神の霊によって支配される必要があります。そうでないと、サタンに支配されています。

 主の弟子達への救い主の指導は、すべての世代の主につく人々の益のために与えられました。主は「あなた方は自分で注意していなさい」[ルカ17:3]と言った時、その見方によって、終わりに近づいている時代に生きている人々を持っていました。主の聖霊の貴い恵みに心の好意を持つことが主のための私達の働きです。

 サタンは、キリストにつくと告白した者達を彼の仲間に引き入れるために強力なエネルギーで根気強く諦めずに働いています。彼は、人々を滅ぼすために、あらゆる不義のだましによって働いています。しかし、サタンは、暗黒の王国が支援されるだけに働く者ではありません。誰が、罪の誘惑者に請い願うでしょうか。誰が、絶大なだます者の助け手となって示唆するでしょうか。悪い働きを支持して影響を及ぼす人々は、サタンのつまらない仕事をしています。

 主のブドウ園で働く者となると言っている多くの人々によって得られた収穫物は、人々に棘のある野バラを示しています。教会全体は、そのメンバー達のある者の悪いコースを容認するでしょう。しかし、その容認は、悪いことを正しいことだと証明しません。棘のあるバラをぶどうにすることができません。

 [現在の]真理を信じると告白している人は、自分達の真の立場を理解するならば、神の憐れみに失望するでしょう。その人々は、神の人々に反対し、警告の声に反対し、[現在の]真理に反対して、自分達の影響力を働かせてきました。その人々は、サタンの働きを行なってきました。多くの人々は、決して取り返せないようなごまかしにたいそう夢中になっていました。そのような信仰の逆戻り状態は、多くの魂達を失う原因になることなくしては存在できません。

 この教会は、次々と警告を受けました。神の人々の危険と義務は明確にされていました。しかし、世俗の要素が非常に強く試しました。慣習、行動、ファッション、ついに、その人々の道が自身の目に正しいとなって、聖霊の声がほとんど聞かれなくなるまで、主の聖霊の懇願と警告に反逆して[信仰の]基盤を何年も得てきました。一旦自分自身を絶大な者に明け渡した時、罪の中にどれほど踏み込んでいるかを語ることができる人はいません。サタンは、イスカリオテのユダに侵入して、裏切るよう説得しました。サタンは、聖霊に嘘を言うようにアナニヤとサッピラを導きました[使徒言行録5]。神に全的に聖別していない人々は、サタンの働きをするように導かれているでしょう。一方で、その人々は、キリストに奉仕をしていると得意がっているでしょう。

 兄弟姉妹のみなさん、私はみなさんに「汝らは信仰があるかどうか、自分自身をテストするよう」[2コリント13:5]請い願っています。クリスチャンの純粋な愛と温かい思いやりを保つことは、キリストの恵みをいつも提供することを求めています。あなた方は、「神の栄光と賛美のためにキリストによって」[ピリピ1:11]「汝らは高貴であることを是認して」[ピリピ1:10]、あなた方は「益々、多く愛するようになって」[ピリピ1:9]、あらゆる手段で働いていますか。

 [現在の]真理と義のために堅く立っている多くの人々は、サタンの激しい攻撃に落胆して優柔不断と知的な虚弱さを現しました。恵みのうちに成長することにしくじる人々は、勝利する神性の学識に到達することを求めていません。

 この世界の人々は、敵達と新しい移民達の土地でクリスチャンになろうとしています。神性の鎧兜と聖霊の剣を使って防がない限り、人は闇の勢力の餌食になるでしょう。すべての人々の信仰はテストされるでしょう。すべての人々は火で精錬される金のように練られるでしょう。

 この教会の人々は、間違いをしている男性達と女性達、不完全な人々によって構成されています。この人々は、寛容と慈しみを実践し続けるよう呼びかけられています。しかし、長い間、いつも生ぬるさがありました。この教会に入り込んだ世俗の精神は、不正、論争、敵意、粗探し、疎外(仲間外れ)を伴ってきました。

 生き方と心が聖別されていない人々による説教が少ないならば、また、神の前に魂を謙虚にして献身する時間がもっと多いならば、その時、私達は、主があなた方の信仰の逆戻りを助けて癒すために臨在するという希望があるでしょう。近頃の説教の多くは、間違った安心の原因になっています。神の[人類救済]目的の主要な関心は、私達の[教会の]牧師達のある人が持っていたように、神との実際的な繋がりがわずかしかない人々によって、賢明にマネジメントされていません。そのような人々にこの働きを託することは、海で大きな船を操船することを子ども達にやらせるようなものです。神と共に生きる力を欠いていて、天の知恵を欠いている人々は、嵐と氷山の真っただ中で福音の船の舵を取る能力がありません。この教会の人々は、厳しい戦いを通っています。しかし、彼女(この教会)の危難にある人々、両手を彼女に託している多くの人々は、間違いなく、彼女(この教会)と共に難破するでしょう。私達は現在、委員会において、一人の水先案内人を必要としています。一つの人々()として、私達はこの世界の人々の光/真理となるでしょう。しかし、とても多くの人々が、愚かな乙女達のように自分達のランプの油の容器に油を持っていません(マタイ25)。私達への同情と救いと許しに満ち、恵みに満ち、主のあらゆる恵みがあるので、私達は悪い人々と共に滅びないでしょう。

 この闘いと試練の期間に、私達はみな、神性な事柄による豊かな体験から、キリストの愛にとどまるという保証から、宗教的に合った確信から、義の原則から得る支援と慰めを必要としています。私達は、恵みによって着実な成長の結果としてのみ、キリストイエスにある男性達と女性達の十分な能力の発達を得るでしょう。

 私は、霊的な理解に光と教化を与えて、霊的に見えない人の目を開くために何を言うことができるでしょうか。罪は十字架につけられる必要があります。道徳的に完全な回復は、主の霊によって働きかけられる必要があります。私達は生きた信仰が宿っている神の愛を持っている必要があります。これは火の中で練られた金のようなものです。私達はキリストに属している時だけそれを得ることができます。真剣に熱心に求めている人々はみな神性の性質に与るようになるでしょう。人の魂は、過去の知識を愛するということについて、豊かなものを知るような熱い望みに満たされるでしょう。人が神性の生活に前進している時、似姿を反映することが可能になって、変えられるようになることを見上げるようになるまで、その人の贖い主に神の言葉の高貴な真理、高められたものをよく捉えることができるでしょう。

 

9.賢明ではない結婚

 私は、今日の若者は、自分達の大きな危険についての真の考えを持っていないということを示されていました。主の働きの様々な部門で働く者として、神が受け入れる若者達がたくさんいます。しかし、サタンは、主の働きを弱めて、若者達が神から離れないように、自分の網に若者達を捕えるために歩んでいます。サタンはずる賢く辛抱強い働き者です。彼は、用心していない者を罠にかける方法を知っています。彼のだましから逃れることに成功したわずかな者がいるのは一つの警告です。彼らは、サタンのだましに対して危険性を知らず、防御していません。彼は、主が送った警告と譴責と助言、また、神の知恵を求めることなしに互いの感情に頼るよう促しています。彼らは、うぬぼれが強く、自制心が少ないでしょう。

    兄弟、あなた自身のケースは、このようにきつい言葉で書いています。あなたは、結婚についての考えに夢中になっていました。一般的なケースをこのチャンネルを通して人々の知性を指導したのですが、神の奉仕者達への警告はあなたに少しだけ影響を及ぼしただけでした。私は、あなたがいともたやすく周りの人々の影響によって心を動かされていることを示されていました。あなたは、知性が劣った人格を形成した人々の仲間に繫がっているならば、その人々のようになるでしょう。神の前に、あなたが神への愛と畏れがないならば、人々の考えがあなたの考えになるでしょう。あなたが尊敬に欠如しているならば、あなたは尊敬しない者となるでしょう。人々が浅薄な考えで楽しみを求めようとしているならば、あなたは良い目的で価値ある救いの神として熱心に同様の道について行くでしょう。

 あなたがその想いを寄せた若い女性は、知性や考え方に深い考えを持っておらず、彼女の生活は浅薄なものでした。彼女の知性は狭量で上辺だけのものです。また、あなたは、あなたの愛する妹やあなたの教会の友人達、自分の父親によって注意されて徐々に断りました。私は、キリストの大使としてあなたに届けました。しかし、あなたの強い感覚/考えとあなた自身は、危険なことに対する警告に自分の目とあなたの耳を閉じました。あなたの進路は、あなた自身の判断であなたの考えに従って、あなたの魂の救いについて、あなた自身と同じく、まったく知る人がいない状態が続いて来ました。

 [現在の]真理を告白している若い人がみな、あなたが行なったようにしたならば、家族とこの教会の状態はどうなるのでしょうか。あなたの身勝手さとうぬぼれによって、両親に示した不敬の影響を思い返してください。あなたは向こう見ずで、傲慢な考えをする人として記述される層の間にいます。あなたが現在夢中になっていることは宗教的な事柄に関心を失う原因、神の栄光ではなくあなた自身についてだけ考える原因となりました。この愛情行為や愛着について良いことが何もありません。神の祝福は、あなたが求めているようなわがままなコースに伴わないでしょう。あなた自身の全体の人格/品性が確立する前に家族をケアすると想定して、あなたは結婚関係に入るために熱心になるべきではありません。私は、あなたが滅びに気づかず、霊的な闇の中にいると考えています。

 [現在の]真理は、あなたの生き方と品性を改善していて、兄弟達の信用を得ていました。サタンは、あなたを失っていたので、自分の狡猾な罠にあなたを捕える努力を増して、たいそう成功しました。今まで気づかなかった生来の弱さが今、現れて来ています。ほかの人にはたいそうはっきりとわかっているのですが、あなたは自分の状態に気づいていません。光/真理は、得ようと努めない人に来ることはありません。あなたは、自分の兄弟・姉妹達があなたの進路を悲しんでいたのを見た時に、教会にいる体験者に相談してそのアドバイスを快く受け入れること、たくさん祈ることは、自分が行なっていることをやめて考え直す時間でした。

 あなたは、「でも、私は自分自身の考えと違う、兄弟達の判断に従うべきなのですか」と言っています。私はこう答えます。「この教会は、地上での神の権威を代表しています」。キリストはこう言いました。「汝らが地上で結ぶものはなんでも、天でも結ばれているでしょう。汝らが地上で解くものはなんでも、天でも解かれるでしょう」[マタイ16:19, 18:18]。同じ教会のメンバーの意見に互いに敬意を払うことがとても少ないです。兄弟[姉妹]達の間のトラブルの原因の多くは、教会の人々のへの敬意の欠如です。教会の人々の目は、間違っている人が気づかないメンバーの一人一人を識別するでしょう。わずかな人々は、間違っている人と同じように見えていないでしょう。この教会の多くの人々は、一人一人のメンバーをコントロールする力を持っています。

 使徒ペテロは、こう言っています。「神は謙虚な者に恵みを与えて、プライドの高い者に敵対するので、同じように、あなた方はみな、ほかの人々に従って謙遜を身につけて、汝ら若い人は年上の人々に従いなさい」[1ペテロ5:5]。パウロはこう言っています。「兄弟愛を持って、互いに敬意を持って、もてなし合いなさい」[へブル13:1,2]、「見せびらかしやもめ事をしないようにしましょう。自分よりも互いにほかの人を高く評価して、知性を謙虚にしましょう」[ピリピ2:5]。教会において、勧めとアドバイスが尊ばれることができないならば、確かに力がありません。神は、教会の中にそのメンバー達がコントロールされて当然の一つの声を置きました。

 あなたが間違いではなく真理によって導かれているならば、教会の神聖と思われる声とあなたの良心に快く従うでしょう。あなたの祈りは、そこの教会やあなたの良心の願いを考慮せずに、自分で正しいと決めていました。あなたは生活全体を通して自分本位な考えによって大半を行動して来ました。しばしば、考え方について、多大な犠牲が原則から行動するために神の言葉によって断念する状況に同意するようになされる必要があります。

 あなたは「両親は、息子や娘の考えや知性を考慮することなしに相手を選んでいいのですか」、尋ねています。私は、それについて、どうあるべきかについて、その質問をあなたにします。そのような歩みが両親の幸福におおいに感動を与える時に、私達が子ども達のために何らかの好意を持っているならば、息子や娘は両親に相談することなく相手を選ぶべきでしょうか。そして、その子どもは両親の願いと勧めにもかかわらず、自分自身のコースに従うことを貫くべきでしょう。私はきっぱりと答えます。いいえ、結婚はいけません。第5の戒めはこのようなコースを命じています。「汝の父と母を敬いなさい。主が、汝の神が汝に与える地で、汝の日々が長くあるでしょう」[出エジプト20:12]。ここに主が従順な者達に確かに成就する約束の戒めの一つがあるでしょう。

 賢明な親達は、子ども達の望みに敬意を払うことなしにその相手を選ばないでしょう。あなたのようなケースにおいて、このことを行なうように指示した人は一人もいません。私達の時代の若者達のの言葉は、動機をくらまされるだけです。それは、若者達の滅びを成し遂げるため、サタンによって始められています。

 私の兄弟、あなたは今、私達のカレッジに行く必要があります。あなたが計画を立てた時、私はあなたの進路を心配しています。一人の女性の伴侶を持つことを決意したあなたの言葉、あなたの進む道は何であれ、あなたはバトルクリークに行くことによって、益を得られる立場から遠く離れているということを私に示しているでしょう。あなたが夢中になっていることは、神性ではなくてはるかにサタン的です。私はあなたがバトルクリークについて失望したとは思いたくありません。そこのルールは厳格です。求愛は許されていません。その学校は、学生達にとって価値が何もないでしょう。あなたがかつてそうだったように、感情の愛に巻き込まれようとしていたので、私達のカレッジはやがて道徳的に低下するでしょう。親達は、印刷業を学ぶためや科学を教育されるためではなく、感情に支配された生活をして、恋の病にかかり始めるために、子ども達を私達のカレッジや私達の事務所に送らないでしょう。あなたが数か月前に行なっていたように、性に反した交際に夢中になって途方に暮れるようになることを許されていた、たいそうずぼらなルールがあったので、若者達のバトルクリークに行くという目的は失われるでしょう。あなたがこれを全部あなたの知性の外に置くことができないならば、学ぶ者の精神を持っていくことができないならば、そして、あなた自身が祈って、賢明に努力して、謙虚に熱心に奮起するという目的を持つことができないならば、あなたは神との繋がりを閉じているでしょう。家にとどまることはあなたにとって最善でしょう。

 教師達と教授達に支持の手を挙げてもらうために、誘惑にも関わらずに、あなたが用意をしなければならない、行くべきだというのであるならば、あなたの影響力は、全的に指示され訓練される側にあるでしょう。神は、主の目的の働きをしている人がみな、アドバイスと指導を受ける用意をして互いに従うようデザインしています。その人々は、道徳的な修練と知的な洗練によって自分達を訓練するでしょう。神の恵みの支えによって、その人々は、ほかの人々の訓練のために心と知性を適合させるでしょう。人間の弱さと感覚は、神の支配力に抵抗し続けているので、熱心な祈り、謙虚な熱意が主の助けと結ばれる必要があります。人はみな、誠実になって(an eye single)真理への従順を通して魂(soul:全人格)を清める必要があります。人は、自分の評価を低くして、神の恵みとイエスを高める必要があります。光/真理に向かって前進し続けることによって、人は神を熟知するようになって、主の助けを受けるでしょう。

 このカレッジに入学した学生は、自分達の時間を適切に活用していません。若者達が浮き足立った力に満たされて、与えられた制止を軽んじています。特に、その人々は、若い男性と若い女性に媚態を示さないようにしましょうというルールに背いています。このような退化した世代の人々の悪いコースがよく知られています。そのような若者がたくさんいるカレッジでは、若者の宗教的な事柄への興味と知識への探求を妨げる一つのチャンネルの考えに落ち着くという関心があって、世俗の習慣を真似ている者が集められています。若い男性達と若い女性達の一部の恋の病の夢中は、良い判断に欠けていることを示しています。あなた方のケースのように、学校生活の間に互いに好意を寄せ合う盲目が、衝動的に理性と判断を支配しています。この魅惑的なだましの下で、真面目なクリスチャンがみな感じている重要な責任は、脇に捨てられて霊的に死んでいます。そして、神の裁きと永遠は重要な意味を見失っています。

 感染する病のような盲目の愛に感動する人の能力は、それに従うことによってもたらされています。その人々は、良い感覚に全く欠けています。彼らの衝動のコースを、それを注視する人々はみな識別しています。私の兄弟、あなたは話すという目的を作って、自分が高く評価する必要のある人々を低く評価しました。その恋の病の岐路は、未熟な人格での結婚に至っています。その目新しさが過ぎて、恋に落ちるlove-makingの魅惑的な作用が消えた時、カップルの一方か両方が自分達の真の状況に気付いています。その人々は、その時に自分達が生活を共にしただけの間違った相手だったことを見出しています。最高に厳粛な誓いによって互いに結ばれたその人々は、これから続く惨めな生活に心が落ち込んでいます。その人々は、自分達の状況を最良にする義務があります。しかし、多くの人々は、このことについて何もしないでしょう。その人々は、二人とも、自分達の結婚の誓約に偽りを証明して、その人々の存在の終わりまでわずかではない臆病とたいそうひどく忘れがたい恨みという軛を首につけるでしょう。

 懐疑的で上辺だけの価値のない者を相手に選ぶことは、道徳的な退化と禍根が生じるでしょう。勇気を奮い出してください。前途ある若い紳士淑女のみなさんは、自分達の住んでいる所で何か嬉しいことがあるでしょう。また、悪く見えるものからましな良いものを作り出す素晴らしい能力と技を持っているでしょう。そのような人々は、一定の層の一人にうっとりして魅了されるでしょう。そして、魂達は結果として失われるでしょう。すべての人々の考えと行動の影響力は、連絡を取る人によって無意識に呼吸される見えない空気のように人を取り巻いています。この雰囲気はしばしば有害な影響力によって攻撃されています。それらの人々が癒されない時、道徳的な退化は確実な結果となっています。

 私の若い兄弟、私はあなたに本当の状態を気づかせてあげたいです。あなたは、悔い改める必要があります。さもないと、あなたは、天の王国を見ることができません。信仰を告白している多くの若い男性と女性は、キリストに従うことがどのようなことであるかを知ることができません。その人々は善い行いによる主の手本に倣っていません。神への愛と感謝が心に湧いていないだけではなくて、その言葉や振る舞いにも現れていません。その人々は、自己否定の精神がないばかりか、互いに聖化の方法を勧めてもいません。私達は、キリストを信じると告白して、救い主を求める理由を持っていて、天に属するように回心している人、祈りと見張りを真剣にしている人、自分達の立場を取るための道徳的な能力を持っている人、神の厳粛な働きに繫がる若い人々を求めています。私達は、安息日遵守者になることを告白してバトルクリークに行く若者達のために、道徳的に低い状態の仲間を選ぶことを指摘することに心配して考えすぎるということはありません。

 私達のカレッジの扉は、宗教に属していない教授達にも開かれているでしょう。また、バトルクリークに来る若者達は、彼らが選択するならば、この無宗教の社交を持てるでしょう。その人々が良い力となれるような影響力を持ち続けて、十分に霊的な力や人々と協力するという正しい動機を持っているならば、その人々は、学ぶ者である一方で教える者となるでしょう。真のクリスチャンは、確固とした賞賛や感嘆、宗教のない生活の雰囲気の愛に包まれて回心していない仲間を選ばないだけではなく、人々に知識と光/真理を伝達する目的のために、永遠の真理の広い基礎、高められた標準、貴さをもたらします。

 自分の能力を正しく使う知性になるという意思や純粋な知識のある人は、この学校でよいことを行なう力となるでしょう。その人は、形成された強い影響力をもっているでしょう。親達がその学校の訓練と権威に対して、その子ども達の不平を正す時、親達は子ども達にそのような心配が広がらず、学力の低下が増すのを見ないでしょう。若者達を取り巻いているあらゆる影響力は、正しい側にある必要があります。若者に特徴的な悪い行ないが増しています。

 世俗の若者によって、娯楽と社交への好みが感情を夢中にさせるようになっています。ドレスのために、訪問のために、感情と食欲を満たすために、社会的な消費のラウンドを回すために、存在の大きな終わりになることが現れています。若者達は、孤独の中に残されていたならば不幸です。若者達のチーフの望みは敬服されて光栄に思われて、社会の評判になろうとしています。そして、この望みが満足させられない時に、生活は耐えられないように思われます。

 御言葉の研究のために、また、祈りと熟慮のための毎日、ある時間を捧げて、神の腕に全的に信頼する人は天[の存在者達]と結ばれるでしょう。そして、その人々の周りに感化力を形成して救い与えるでしょう。神への義務と真理の明瞭な認知、偉大な思想、明瞭な向上心は、その人々のものとなるでしょう。その人々は、天に起源のある恵みのすべてのために、愛のために、光/真理のために清めのために憧れを持つでしょう。それらの熱心に祈る人々は、特別なベール/顔覆いなしに入るでしょう。この層の人々は、無限の御方の臨在の中に大胆に入っていくために一つの清められたものを持っているでしょう。その人々は、天の光と光栄がその人々のためになると感じているでしょう。その人々は、神との親しい知り合い関係によって、高貴にされ高尚にされて、洗練されるようになるでしょう。そのようなことは、真のクリスチャンの特権です。

 抽象的な瞑想[だけ]では十分でありません。せわしく動き回る[だけ]でも不十分です。両者がクリスチャン品性の形成のために不可欠で本質的な要素です。精神的な力は長時間の熱心な努力によって獲得されます。隠れた祈り[4]は、社交の魅力に抵抗するように、私達に用意されています。また、世界の人々の光となろうとしている私達のクリスチャン体験のために、私達は世俗の人々から自分自身を閉め出してはいけないでしょう。神と世俗の人々を結ぶ目的で交際しているならば、また、世俗の人々の影響力を排除するための十分に強い霊性があるならば、不信仰者との社交は私達に害を与えないでしょう。

 キリストは、無限の神と罪に陥った人間を結び付けて救うためにこの世界に来ました。キリストに倣う者達は、その光のチャンネルになろうとしています。神との親交を保っている人々は、人々が天を受け入れて祝福を選ぶことにしくじって霊的な闇の中にいる人々にそれを送るために生きています。エノクは、彼の時代に存在している不正に汚されるようにはなりませんでした。私達の時代においても、なぜ、私達はそのようなことが必要ですか。しかし、私達は、私達の主のように、不運な不幸への憐れみ、失望と悩みと必需品の欠乏、同情と惜しみない配慮、人間の苦悩などに思いやりを持っているでしょう。

 クリスチャンだと言う人々は、確かにほかの人々に良い行ないをしようとしているでしょう。同時に、神聖視されている知性の平和、平穏を維持するために立ち居振る舞いと会話をたいそう調整するでしょう。神の言葉は、私達が自分の救い主に似た者となるように、私達が主の像(かたち)を生み出すように、主の手本に倣うように主の生き方を生きるようにと求めています。主の生き方を生きるようにと求めています。利己的・世俗的[な生き方]は、クリスチャンという木の実ではありません。自分自身のため[だけ]に、神の賞賛を喜ぶため[だけに]生きることのできる人はいません。                         1879.9.5


 

10.警告と叱責

 

    にある教会にある一つの要素は、霊的な関心に害があることです。体験に基づく宗教について、生きた信仰がたいそう欠如しています。私は人々の名を挙げません。一人ひとり、自分自身の心を探って自分の不完全さを理解してください。その教会では、世俗の人々と打ち解けた会話をして宗教の標準を下げて、世俗に関して学んでいる人がいます。その人々は心に神の愛を持っていません。その人々は、教会に真の助け手が必要とされている時に、弱った手です。この霊的な弱さは、その人々が最も助け手となることができる時と場所で、自分から重い責任を快く担わない結果となっています。しかしながら、時には、その人々自身が実行するための方策と計画があります。その人々は、何かの責任を快く引き受けています。その人々自身の道があることがその人の目的です。もしも、それが清められていたならば、それはそんなに悪くないでしょう。しかし、それはそうではありません。

 神の[人類救済]目的に無関心だった働き人には、大きな熱意が必要です。聖別された一人のメンバー、キリストの愛の人は、一つの教会で清められていない中途半端な回心で、自惚れの強い働き人達100人よりも、たいそうよい働きをしているでしょう。その教会にとってメンバー達が責任を引き受けて、快く重荷を担うようにならない限り、活動していて生きている教会となることは不可能です。教会の人間関係には、異なった様々な気質と気性がもたらされています。その   教会には、聖別されて神を畏れ、多くの祈りと教会の責任を負い、信心深い魂達がとても少ないです。その人々の幸せがその教会メンバーの繁栄です。ここ、あそこと、サタンは意欲をくじいて、打ちのめす働きをしています。成功するならば、神の栄光をたたえる組織をみな弱体化させて滅ぼすことが魂達の敵対者のビジネス/務めです。

 若い人々は、[現在の]真理を受け入れて、一つの時のためによく動いています。しかし、サタンは、気の毒な結婚と愚かな愛着によって若者達の周りに、彼の網を張り巡らしました。彼はこれが若者を聖化の道から魅惑することができる最もうまい方法になると見ています。一方、その若者達のある者は、恵みと尊厳のある福音の鎧兜を身に着けています。心と知性が神性の意思に従ってさえいれば繁栄がありました。しかし、視線がイエスから離れて、価値のないものに引き付けられたならば、生来の理性が賢明な判断と誠実さを抑止することは、動揺した自己主張でした。こうして、クリスチャンの鎧兜は何年も若い人々に負わされることがあまりにも重過ぎると考えられました。それは、福音の兵卒を体験した年配の人のすることでしょう。しかし、それは、若者達にはあまりに重すぎるものでした。多くの示唆を与えた人の気性は、クリスチャンのコースを決めかねる移り気の理由と思われました。

 若者達の救いのキャプテンの指示は、「汝らは見張りをして祈って、注意していなさい」[マルコ13:33 KJV]、「汝らは誘惑に陥らないように」[マタイ26:41,マルコ14:38,ルカ22:46 KJV]でした。しかし、魂を忠実に守ることは、悩ましいことでした。そして、サタンのだます力と人の心を誤らす魅惑の力は、キリストから引き離しています。それらの若い男性と若い女性があの使徒の言葉「汝は自分自身の者ではありません。汝は代価を払って買い取られています」[1コリント6:20 KJV]を考慮していたならば、主が計り知れない犠牲によって買い取った神から遠ざかることが自由だと考えなかったでしょう。

 神が与えた責任を考えている人は、100人に1人もいません。心的・知的な能力はみな、神の栄光の前進のために高度に役立てられて、慎重に利用される必要があります。このように、神の賜物を乱用して、誤った道に逸らされるように自分達の力を許している若者達は、イエスキリストを通して供給された賜物を自分自身のため役立てていたならば、自分達が行なうことができたはずのよいことの責任を厳しく求められるでしょう。神は、私達のすべての能力を働かせるよう明言しています。

 信仰の人となるように成長し、忠実なクリスチャンの恵みに育つような若い人々が、   教会にいます。その人々は[現在の]真理の地盤に根を張って、揺り動かされず、堅固な信仰をもつものになるでしょう。その教会は、彼らが与えるように神がデザインした真の助け手を必要としています。主の名を告白している人々は、サタンに仕えるための一手段としてその能力を明け渡しただけではなく、主のために、全部、十分に自分達の能力を聖別していませんでした。そのように、静かに、神を見失ってきました。様々なタレントを託された不忠実な家令のように、若者達はこの世俗世界の中に、神からの賜物を隠していました。

    にある教会にとってのもう一つの大きな損害は、その中にやってきたある人物materialでした。その人物は神の霊によって溶かされ[回心する]必要があります。そのクズdrossは、キリストに属していたならば取り去られていたはずのずる賢い品性の特徴である粗野が見えました。しかし、それらは、世俗の影響力とその精神から自分達を十分に分けていませんでした。彼らは、主の時間に、主の才能、主の能力を日毎に世俗の要素を混ぜることによって、神から奪っています。それらの力は、永遠の滅びという結果なしに、神に残されることができません。神の約束した方法によってあなたが救われないゆえに、あなたが滅びるとしても、あなたは代価を払って買い取られました。

 聖天使たちは、その教会のメンバー一人ひとりが愛と栄誉と奉仕を告白して、天と繫がるような自分達にするかどうかを知るために、また、主をだまさないで、自分達の贖い主をたたえるかどうかを知るために、深い関心を持って見守っています。神は自ら呼びかけています。あなたは主の傍にいます。あなたは創造と贖いによって二重に主のものです。しかし、あなたが目に輝く不信心な感情の炎に苦しむ時、また、あなたが自分から聖天使達を動かす言葉を語る時、さらに、あなたが自分の兄弟達の悪いことを考える時、そして、あなたが不信仰を得てあなたの手を汚す時、あなたは不義の手段(働き手)としてあなたのメンバーを敵の手に明け渡しています。

    兄弟、私は天の記録簿にあなたの名に反して「欠如している」、忍耐、寛容、自制、謙虚、柔和に欠けていると書かれているのを見ました。それらの天の恵みの欠如は、あなたに対して、天の門が確かに閉じられているでしょう。あなたの体、能力のすべてと共にあなたの全存在を、神は主のものとして明言しています。その軽率な統制されていない気質は征服される必要があります。霊的な病は、不平の精神、不満、イライラするための道を与えたその結果です。そして、この魂の病はあなた自身の結果となるでしょう。イライラ感がなくなってきて、徐々に頑なさも消えて、自分の甘やかしをしなくなり、そして、神のための勇敢な人、心の広いになります。イエスはあなたを愛しています。主があなたのために十分な対策を立てていなかったならば、あなたは困難な立場に置かれた時に助けを与えられるでしょうか。主はこう言っています。「私のブドウ園のために、もっと何がなされたでしょうか。私はそこで何をしましたか。それゆえに、ブドウの実がもたらされるのを私が見た時に、野生のぶどうの実がもたらされたのですか」。その実は、キリストが明言して、教会に授けた忍耐のケアに倣った、信仰・忍耐・愛・自制・天の思想・柔和です。それらは、陽光の下と同じように、夜と曇りと嵐の中で成熟する果実の房です。

    兄弟は、その教会に結ばれていますが、主に結ばれていません。彼は消化不良のような悲観的な宗教を持っています。彼は神の前に正しくありません。彼は自我に満たされています。彼はキリストの精神を持っていない個人個人と結ばれることによって多くを失いました。彼はほとんどすべての恵みに欠如しています。彼は自分自身を役に立たない者、教会の大きなつまずきの石にしています。親愛なる兄弟、サタンはあなたを広範囲に支配しました。あなたの考え方は清められていません。あなたの活動は、真のクリスチャンの精神と調和していません。あなたは自分自身に病をもたらしました。あなたは神性の医師[]の助けを通して回復する必要があります。あなたの道徳的な能力は、道徳的な滋養の欠乏のために弱くなっています。あなたは、命のパン――聖書の真理に霊的に餓えています。あなたは、生きているブドウの木[]から日々の養分を吸収する必要があります。この教会は、あなたから力を受けていません。あなたの現在の状態では、あなたがいない方がより健全でしょう。現在、もしも、何かがあなたの進路に立ちはだかって現れると、あなたはその事柄を制御できません。あなたはこの教会に死の重しを載せて、頑なに妨害しています。あなたは、その原因の重い責任を負っていません。神は、あなたが負うように長く忍耐して来ました。しかし、罪を犯して品位を下げて、利己的で名誉を汚し、あなた自身の非行をあなたに残すだけで、主の聖霊がもはやあなたと争わず、あなたが危険な試みをして一線を超えた時に、主の忍耐に限界があります。

    兄弟は正しい精神を有していません。自分に過剰な害を与えるように仕向ける生来の気質のために、彼はそのような働きの適性がありません。彼は、自我が卓越した良いものに形成されていないならば、その教会の良い役割を担うことができません。多くの柔和と謙虚な[人々]は、重荷をもたらすのではなく、彼に努力を促して、教会に祝福をもたらすでしょう。

    兄弟姉妹、私は、あなた方の名声と反対に、天の記録の「欠如」という言葉を見ました。あなた方は、魂の宮が清められることと自我が無にされる必要があります。あなた方二人は、良いことをする能力を持っていますが、それは清められていません。あなた方は純粋な信仰がたいそう欠如しています。その教会があなた方の標準によって形成されようとしていたならば、聖別されない姿formで世俗の中に退廃して行くでしょう。あなた方は、その教会のために豊かな祝福となったことでしょう。しかし、あなた方は大きく間違いました。イエスは、あなた方に世俗の精神から抜け出るよう命じています。

    姉妹、あなた方の影響力によって繋がりを取らされている人々とあなた方のために、私は[イエスから]警告されています。あなた方は、低い標準に至っています。「誰でも、タネをまく人は、それを刈り取るでしょう」。あなた方の言葉と活動によって、あなた方は今、タネをふりまいています。あなた方は二人とも、肉()と霊(精神)にタネを蒔いています。終わりの清算の日に、すべての人々は、自分の手で蒔いたタネの作物を刈り取るために鎌を入れる必要があります。

 あなたの夫は、その働きを間違っています。彼は、幼子のように心を低くする時、また、彼が神からの助けの必要性あることと、自分自身の重要性がないと考えた時、その時、彼は、神の栄光のために役立てられる所にいるでしょう。しかし、彼がいる所で、彼は[人類救済]目的の欠如に気付いていません。そこには、たいそう巨大な「私」がいて、多くの特徴と命の中に示したイエスがたいそう小さいです。神は、二人の手から何も受けることができないでしょう。しかし、わずかな人々は、私達が生きている神の備えた日、厳粛なこの時代に気付いています。あなた方二人は、回心して自分達の能力を捧げる必要があります。世俗の人々をメンバーに導いて敵を助けて強めるのではなく、教会を築き上げて形成する仕方を研究して、あなた方は送っている毎日に価値ある体験を得る必要があります。

[1]SDA教会への証」31(1882)  10.警告と叱責                                          英文119

   兄弟は、その教会に大きな損害をもたらしました。彼は毎日の生活が自分の告白と調和しない限り、その教会のメンバーの一人になれていないでしょう。神は、彼を主の子どもとして認めていません。彼は今日、暗黒の旗の下に立っています。サタンは彼を完全に自分の支配下に置いています。

 そのような強い落胆が、立ち向かう教会にとってまったく強すぎる風潮となって影響を与えています。知性を謙虚にして歩んできた10人のメンバーは、団結の欠如している現在の教会メンバー全体が持っている以上に、この世界に大きな力を持っているでしょう。不調和が原因で、分離した人がもっとたくさんいます。この教会はこの世界の人々に良いことをする力をほとんど持っていないでしょう。

 私は、あなたの隠れた場面を明らかにしたいと思っています。私の兄弟、あなたは大きな滅びの中にいます。あらゆる行動は、良いものと悪いもの繰り返しの道を用意しています。ファラオ王のケースはどうでしたか。神の聖なる言葉の記述は、神が人の心を頑なにしたとしています。神の力の現れにおいて、すべての光を反映した言葉は繰り返されています。いつも神の意思に従うことを拒む人は、神の霊/精神の感銘を与えられず頑なになっているでしょう。彼は頑固さのタネを蒔きました。そして、神は、植物のように成長を促しました。彼は驚く方法によってこれを妨げたでしょう。しかし、それは、主の計画ではありませんでした。主はそれ自身の種類の収穫物を生み出すことを許しました。「人が蒔くものは何であれ、成長してそれを刈り取ることでしょう」[ガラテヤ6:9 KJV]。人が疑いを植えると、それを刈り取るでしょう。初めの光とそれに続く光線を拒むことによって、ファラオ王は、初子の死体が冷たくなるまで、頑固さと彼の不信心を一瞬にチェックしただけで、頑固な度合いをもっと上の度合いに進めました。そして、それから断固として、神の道に心を明け渡していません。彼は、紅海に水没するまで、わがままなコースを進みました。

 このケースは、私達の益のために記録されています。ファラオ王の心に生じていた、真理の光への好意をもたずその光線に促されても歩まないことは、すべての魂にも生じることでしょう。神は一人も滅ぼしません。罪びとは自分自身の強情さによって自分自身を滅ぼしています。人が、神の霊の警告と譴責、勧誘に注意を払うことに一度怠ると、その良心は麻痺したようになっています。その次に、その人は忠告されます。そして、このようにすべて繰り返されて、以前よりも服従して明け渡すことはもっと困難になるでしょう。良心は、人間の感情の争いの中で聞かれる神の声です。それが抵抗されるとき、神の霊は悲しんでいます。

 私達は、魂の滅ぼされ方をみな理解したいと思っています。人が救われないことは、神が伝えた神意ではありません。主は、見通すことができない人の目の前で闇を投げかけません。しかし、人は、初めに神の霊の働きかけに抵抗します。一度抵抗すると、二度目にそうすることは難しくなくなります。三度目には、ほとんどが難しくなくなります。そして、四度目にはもっと難しくなくなります。抵抗と不信心のタネからやがて刈り取って収穫する時、罪深い甘やかしには収穫の鎌が用意されています。

 隠れた祈りと御言葉の通読は、今日、疎かにされています。明日には、祈りと御言葉の読書は良心に抵抗されることなく忘れられるでしょう。そこには怠惰の長い一覧表があるでしょう。一方、好感をもたれた知能[のある人]はみな、光の収穫に心を明け渡すでしょう。一度、抵抗された誘惑は、二度目の強い抵抗に強い力を与えるでしょう。自我の支配を得た新しい勝利はみな、高度で高貴な勝利が速やかになされるでしょう。勝利者はみな、永遠の命のタネをまくでしょう。

 この国中の私達の教会にいる働き人にはたいそう、熱心、信仰、自己否定が必要です。現世の生活においてだけではなく世界の終わりにおいても、たくさん収穫することなしに、安息日学校の働きや節制の働きをすることができる人はいません。教化するための努力において、ほかの人を祝福する彼自身の見解は、明確に広くなるでしょう。もっと多く、私達は、魂達のための愛を持って、[現在の]真理をほかの人々に説明するために努力しましょう。分かりやすいものは私達自身のものとなるでしょう。それは、詳しく説明して理解するための力と新しい美としていつも開かれています。

 あなた方の教会には、良い働き人達がいます。そして、それらの自己否定の人々は、伝道地で忍耐して努力したことによって、自分達がどれほど多くの良いことを成し遂げたかを知らないでしょう。しかし、主は、主の命じたことに心を明け渡した人よりも、この教会のもっと多くの男性達と女性達に言っています。神の聖なる宮を形成している石達のある者は、イエスキリストから輝き出ている光を反射しています。一方で、ほかの人々は光を発していません。このように、その人々は選ばれた、貴い、生きている石ではないことを明確に現しています。その人々は献身しておらず、祈りもなく、話好きで不敬です。真のクリスチャンは、私達の救い主によって与えられた手本をコピーしているでしょう。頑固さと大げさからは程遠く、そして、柔和・謙遜・自制・親切・頼みやすいです。

 

⑴ 若者達の様々な危機

 

    氏は、サタンが素晴らしい成功としてもてあそんでいる性質を持っています。このケースは、結婚に関して教訓を一つ若者に教えるような例の一つです。彼の妻は、相手を選ぶときに理性と分別ではなく、感覚と衝動に従いました。二人の結婚は真の愛の結果でしょうか。いいえ違います。それは、盲目、清められていない感情の衝動の結果です。すべてが結婚生活の責任に相応しくありませんでした。新しい事柄の目新しさが過ぎ去った時、また、互いに他人同士が知り合いになり、二人の愛が強まって、二人の愛情が深まって、そして、二人の生活は美しく調和して溶け合っていますか。それは全体的に反対のものでした。二人の品性の悪い特徴は行動に現れ始めました。二人の結婚生活は幸せなものではなく、特に、妻に悩みの一つが増してきました。神は恵みによって、彼女をテストして、彼女の人生に気を配って、彼女がその将来の生活に適応する力を得るように準備期間を長くしました。

 彼女の夫は、とてもひどい品性の欠点がありました。彼は、神の恵みによってまったく変容することなく、どのような女性との結婚で結ばれることに相応しくないでしょう。彼は、まったく安易な怠惰と自我の甘やかしの習慣に身を任せて、たいそう自分に吹き込んでいます。彼は、妻や子ども達を鍛錬する以上に、自分自身を鍛錬する必要があります。この男性の知性は、劣った知性に放置されていました。彼は、粗野で不快な品性を勧めました。彼の品性は、回復する性質をほとんど持っていないことを私に提示しました。

 そこには唯一の希望があります。それは、彼が自分自身を嫌って、新しい心を求めて、キリストイエスにあって新たな人となって再び生まれて、気が進まない自分を知ることでしょう。彼は、勤勉な人になる必要があります。事業は彼にとってたいそううまくいっていて優位性があるでしょう。彼のコースは、その中に誘惑を招いているので、神に対して不快です。彼の粗雑さ、脅し、慣れ親しめず、礼儀正しくない精神は、ほかの人々と彼自身に一つの進路を作っているでしょう。彼の妻の母親への指図は、粗雑で紳士的ではありませんでした。結婚の誓いを必ず守ること、口論を生じさせるすべてを避けることは、これから夫婦共に生活で学ぶ必要があるでしょう。

 そのように清められていなかった結婚は、安息日遵守者達の層にたくさんいます。神は、主の子らに幸福になるように望んでいます。その人々が主について学ぶならば、主は、それらの人々の不幸な縁結びの結果として訪れている日常の惨めさから救うでしょう。多くの結婚は惨めさだけをもたらしています。また、若者達の知性はこのチャンネルを通っています。なぜなら、サタンは、家族を支えたり、自分達自身を自制したりする力がない時に、その二人をそこに導いているからです。互いに陥りやすい生来の傾向に快く自分自身を結ばない人々は、口論と仲違いの不和を避けるようにして、その歩みをしないでしょう。しかし、これは、この世と来生のために多くの人々が滅ぼされている最後の日の魅惑的な罠の一つです。

 恋の病に罹った感傷趣味の想像力は、癩病に比べると守られるでしょう。この世界の非常に多くの若い男性と女性は美徳に欠けています。それゆえに、強く注意される必要があります。徳の高い品性は人格形成の基礎です。しかし、その基礎がないならば、その人格形成は、価値のないものです。徳の高い品性を守ってきた人々は、ほかの望ましい性質に欠けていても、真に道徳的価値があるでしょう。

 教会が栄えるために、貴い愛を植えることを好んで教会メンバーの役割を担って、学問に励む人が一人必要です。愛にすべての有意性を持たせましょう。その愛は、人々の心の中で活躍するでしょう。真のクリスチャンはみな、その生活において典型的な神性の愛を成長発達させるでしょう。その人は、羨望と嫉妬から解放されて、慈しみと寛容の精神を現すでしょう。言葉と行動において発達したこの品性は拒まれないでしょう。ほかの人々への配慮に無関心でも冷淡でもなく、近づきがたくしないでしょう。貴い愛を心に植えて育てた人の人格は、精神において自己否定するでしょう。挑発にあってさえも自制心を失わないでしょう。その人は、ほかの人々へ悪い感情を表さず悪い働きをしないでしょう。しかし、キリストの弟子について、あることを発見した時、罪に勝利することを深く考えるでしょう。

 愛はそれを誇示しません。愛には謙遜の要素があります。愛は決して、人に自分を高めるような自慢を促しません。神を愛し、私達の仲間を愛する人は、私達を、横柄やとがめだて、高圧的になるよう導かず、思慮のない行動を現さないでしょう。愛は、自分を誇大宣伝しません。愛が統制している心の人は、私達を不親切に扱うか、また、私達に敬意/関心を表すか、私達の好みに合わせるかどうかに関わらず、ほかの人々への思いやり深い指導のコース、礼儀正しさと優しさにガイドされているでしょう。愛は一つの行動原理です。愛は、私達の前に、継続的にほかの人々へ良いことを保っています。このように、キリストに魂達を勝ち取るという私達の目的に私達が失敗しないように、考慮した活動によって私達を統制しています。愛は、愛自身を求めません。愛は、人々自身が自己を甘やかし、また、安易さを求めるよう人々を促さないでしょう。愛の成長をたいそうしばしば妨げることは、私達が「私」に払う敬意/関心です。

 天において栄光に属していて、地において有用さに満ちていて、神が受け入れるように生きている無名で清貧の人々がいます。しかし、サタンは、彼らが命の道を直接横切って自分達を投げ出すような品性の人と結婚によって、永遠の滅びに彼らを引きずり込むため、主の目的をくじくためにしつこく働いています。わずかな人が、このもつれた状況から勝利に逃れるでしょう。   兄弟、あなたは、一般的な規則に異議を申し立てて、その正当性を証明しようと進んで試みて実行しているでしょう。ヨセフは、誘惑に抵抗できたわずかな人の一人でした。彼は、神や栄光に誠実な目を持っていたことを示しました。彼は、王座の次席に立っていた時、また、囚人の独房で過ごしていた時のように、神の意思が高遠/高貴と考える根拠を持っていました。彼は、どのような状況にあっても、また、どこに行っても、彼の宗教を携えていきました。真の宗教は一面に広がる力を持っています。それは、すべての人々が行動する音色を与えています。あなたは、クリスチャンになるために世俗の世界に出て行く必要はありません。すべての人々を清める感化力と共に、あなたが行動したり言ったりする中で、あなたは自分の宗教をもっていることができるでしょう。あなたは今、賢くない仲間を通してあなたにふりかかっている呪いを打ち砕いて、天の事柄に合った心を保つことによって、神があなたを置いた状況での義務から解放されることができるでしょう。あなたは、光/真理に従っていたならば今、神の意思ではないことを見分ける人々があなたの魂をとりこにするためにおいている罠を逃れることができるでしょう。

 ヨセフの品性において、すべての若者によって模倣の価値あるもう一つの心を打つ点は、子としての強い敬愛です。彼が目に涙を浮かべながら父親に会った時、彼は父を抱きしめました。彼は、母親としての優しい愛情を傾けた数年を思って、両親の見守りと慰めに十分な恩返しができないと感じているように見えます。あらゆる状況での彼の愛と敬意respectを示すことに心の苦労はありません。ヨセフは、若者があるべき一つの実例です。あなたの母に現れた愛情は、神が是認するような品性の美しい特徴を開示しているでしょう。

 信仰深い両親の勧めへの敬意respectの欠如は、この堕落した世代の人々の罪の特徴です。私達の国に住んでいる多くの人々は霊的な闇の中を歩み続けているゆえに、闇の中で滅んでいます。不従順な行動によって、ある若者は人生全体を荒廃させて、愛情深い母の心に苦しみを与えました。神は、あなたが[ヨセフのような]このコースに従っているならば、あなた方に罪ありと捉えていないでしょう。彼女の子ども達のために彼女の人生を快く捧げた、神を畏れる母の勧めをひどく嫌うことによって、あなたは、第5番目の戒めに違反しています。あなた方、自分達が自分の人生の歩みを導いていることを理解していません。

 私は再度、母親の叫びや母の愛によって希っています。クリスチャンの母に対して不服従の罪を記す以上に利己的な恩知らずはいません。あなたの幼少の弱かった日々に、彼女はあなたを見守って世話をしました。彼女の祈りと涙は、あなたに愛情を持って世話したこと、また、天を証していました。彼女の子らのために、彼女は精を出して計画を立てていました。そして、自己否定を実践しました。あなたの生涯を通して、彼女の誠実な心は、あなたの福祉/安寧のために熱心に案じてきました。そしてまた今、あなたは自分自身のコースを選んでいます。あなたは自身の盲目に従っています。頑固な意見が苦渋を収穫するにもかかわらず、あなた方は取り入れるでしょう。あなたは彼女に悲しみもたらすでしょう。

 弱い者達があなたの母の周りに集まっています。彼女は、あなたを必要としています。あなたは彼女のために何かに注目して貴いものになることができるでしょう。彼女が見ることができるのは、自分の子ども達のほかに誰もいません。子ども達は、彼女のための義務を考えていません。しかし、あなたは今、あなた方のものである特権がやがて失われることを知るでしょう。しかしながら、一人の息子としてのあなたの義務と、あなたの特権を疎かにしようと考えてはいけません。あなたの母は苦しむでしょう。彼女は、あなた自身が手を引いている義務を行なうことが特権だろうと考える真の友人達を持っています。神は、あなたの母を愛しています。そして、彼女をケアしています。彼女の子ども達が彼女を疎かにするならば、主は、彼らが行なっただろう働きを行なうためにほかの人を立てるでしょう。そして、彼らにささげられた祝福を受けるでしょう。彼女の最良で最も幸せな最後の日にすることは彼らの特権です。

 私は、あなたにはっきりと伝えます。神は、あなたのコースを悲しんでいます。あなたの前には、あなたが賢明な助言に従うことを選ぶならば避けられるようなことを見分けていないという難点があります。私達の救い主は、あなた自身を荒廃させず賢明になるように、あなたに主の不屈の働き人達の持っている[人類救済]目的と優しい配慮を与えました。主は、限りない愛と愛情によってあなたに切望しています。語気を強めてこう言っています。「何度、私は汝らの子らを共に集めようとしたことでしょう。雌鶏がその翼の下に雛鳥を集めるように。汝らは集まりませんでした」[マタイ23:37,ルカ13:34 KJV]。あなたの愚かな心は、あなたの親友の勧めから離れ去りました。

 あなたの生涯の失敗に対して保護するための信仰深い警告と熱心さのゆえに、あなたはこの教会のために多大な益だったことを考えていました。事実、あなたはイエスキリストによって有用さのある能力があります。しかし、このことにもかかわらず、主とこの教会はあなたがいなくても前進できています。あなたは、望むならば、キリストに従う者達の兵卒につながることができます。あなたはこの戦いに勝利を分かち合えるでしょう。しかし、あなたがこのことを行なわないことを選ぶならば、主の十字架の血の付いた旗の下の自己否定の兵卒達は、あなたを後方に残して、確かな勝利へと進むでしょう。あなたが、自身のひ弱な帆かけ舟で人生の嵐の川を渡るガイドすることを選ぶならば、あなたはその予想に応えて、また、その結果の責任を負う必要があります。

 あなたがすでに原則に欠けて弱くなっているのを見ているならば、また、あなたが自分の栄誉と誠実さが危険に晒されているのを見ているならば、その時、あなたは、神があなたと共にいないことと、あなたがいま担っている責任の場に立っているべきではないということを知るでしょう。あなたは価値がありません。私の心は、敵の力があなたを支配したのを見る時、また、あなたが神に全的に自分自身を明け渡していたことがあったならば……、ということを私が知った時、まったく悲嘆に沈んでいます。

 安息日学校の働きは重要です。[現在の]真理に興味のある人はみな、それが反映するよう努力するでしょう。   兄弟は、その教会で彼とほかの人々が正しいコースを進んでいたならば、この部門の働きで良い奉仕をしたことでしょう。しかし、彼は、あまりにもほめたたえられてペットのように甘やかされました。それは、彼を落ちぶれさせました。主は、彼がいなくても行なうことができます。しかし、彼は、神がいなくても行なうことに困りません。主は、主の働きを、心の澄んでいる人、その手がきれいな人に託しているでしょう。それゆえ、主の目的によって責任を担うことは一つの栄誉です。

 節制[に関する伝道]の働きは、あなたの最良の努力に価値があります。しかし、可能な限り、高尚にされて高められるために、大いなるケアが節制の集会を実施するためになされるでしょう。表面的なワークと劇場風の特徴のあるものはみな避けましょう。この働きの厳粛な特徴に気づいている人々は、十字架を高く保つでしょう。節制の目的へ真実の敬意を持たない層の人々がいます。その人々の関心は、そのステージで利口さを見せびらかそうとしているだけです。その働きの目的を理解している清らかで思慮深い人々は、それらの改革の大切な部門で働くように励まされる必要があります。その人々の理知的な偉大さはないかもしれませんが、神を畏れて誠実で清らかで謙遜ならば、主はその人々の働きの労を受け入れるでしょう。

 学術協会が、しばしば組織されています。しかし、その10のうちの9は、祝福というより魂へのダメージを証明しました。現実から架空に、堅固から表面に導こうとしている傾向と影響力を及ぼしている層の人々が世俗と提携していることが原因です。宗教的な要素によって統制されているならば、学術協会は強い優位性があるでしょう。しかし、やがて、影響力を支配して反宗教の要素がほとんど確かに優位性を得ようとしています。ちょうどそれは、私達の節制協会と一緒です。その働きの厳粛さは、外面をすべて覆っています。そして、継続的な誘惑が私達の望んでいる若者達に置かれています。

 その事実が私達の前にあります。私達の間で担っている重荷は沈黙のうちに墓に落とされています。この教会メンバーの行動とすべてを改革している真の働き人達は、人生の全盛期を過ぎています。体力と知力の能力も傾きかけています。私達はその人々の立場の後を継いで立ち上がろうとしている人々について心配しながら考慮しています。誰にこの教会の生き生きとした関心が託されていると思いますか。この質問は強い関心と共に私達に問いかけられているでしょう。[信仰の]標準を伝える人がほんのわずかしかいない時に、誰が神の[人類救済]目的の責任を負うでしょうか。私達は、責任が下って、重い責任を担って当然の今日の若い人々を心配して見守ることができるだけです。若い人々は、それをほかの人々に託すところで働きをする必要があります。そして、彼らのコースは、不道徳と不信心に堕落して荒廃して価値があるかどうか、あるいは、道徳的・宗教的・生きた信仰が優るかのどちらかでしょう。未来を決定するものは、現在伝えられている[信仰の]標準の道です。

 親のみなさん、あなた方の活動のコースによってあなた方が示している健全な自制、良い指示、調和の支配となるでしょうか。あるいは生活のコースを取っている人々は、軽薄な知性で、影響力を支配して形作っている道徳的価値の低いものを示すでしょうか。神は、主を信じる人々に主と繫がるよう、イエスの足跡を謙虚に歩んでその魂を清めるよう、呼びかけています。また、神は、あなた方に、自己を高めること、ドレスのプライド、意見のプライドを捨て去るよう呼びかけています。知性の力が良くて貴い能力を利用しましょう。

 現世の人間に伝えられた最も厳粛な[現在の]真理を告白している男性達と女性達は原則に誠実になれますか。彼らが世俗の人々を導く純粋な愛情の影響力を持っているならば、彼らのドレスと会話は、彼らの特別な信仰とまったく調和している必要があります。年上の人々は、若い人々が主張している社交と造り主が若い人に期待していることに対して、対処の仕方を手本と指針によって若い人を教える必要があります。その若者達は墓に横たわる責任があります。その質問は、彼ら自身を統制する能力があるか、神が与えた男性らしく、女性らしく清く立つ能力があるか、不調和や不一致の傾向があるものを嫌う能力があるかです。

 私は、その若者達に感銘を与える何かを言うことができますか。以前には、多くの特別な関心はありませんでした。現在、活動の段階に来ている人として、一つの世代にそのような重大な結果が生じることはありませんでした。アザミからイチジクの実を、イバラからぶどうの実を得ることを期待するかのように、彼らは、良い品性を有することなしにどんな信頼の立場を果たすことができると考える一瞬の間もないでしょう。良い品性は、毎日の努力の積み重ねに応じて成長して、レンガのように積まれて形成される必要があります。若者達によって、天のために形成される特別な品性は、神性の摂理が彼らに与えるすべての有意性の改善によって、また、すべての知恵の源に繫がることによって、さらに、彼ら自身の能力の賢明な実践によって得られる必要があります。低くない標準の目標を作りましょう。あなた方の知性を低次元の人格のひな形にはめ込まないようにしましょう。ヨセフとダニエルの品性は、あなた方が倣うための良いモデル/ひな形です。

 その   教会にいる兄弟 姉妹のある人は、人々の関心を引きつけるような旗を掲げてはいけませんが、伝道の良い働きをしました。ほんのわずかの人々は自分達が認めた力以上のことを行ないました。しかし、それは[その教会の]人々がそれらを行なうための[精神的な]食べ物 飲み物でした。みんながこの働きにおいて役割を果たすことができます。そして、除外される人はいません。イエスは、主の名を告白する人々がみな、熱心な働き手になる人を持っているでしょう。すべてのメンバー一人一人は、キリストイエスという岩の上に建てる必要があります。人生の嵐は、すべての人の霊的な土台を最大に切り取るようなテストするでしょう。それゆえ、砂の土台を避けて岩の土台を探しましょう。あなた方の土台を確固とした場所に据えましょう。永遠のために立てましょう。心からの祈りと共に、涙と共に立てましょう。良い働きによって、みんなであなた方のこれからの人生を素晴らしいにものしましょう。カレブのような人々は、この地上の最後の日々に最も必要な人々です。その人々の努力によって、私達の教会で精力的に努力して成功をもたらす人々は活気にあふれていませんが、目立たず仰々しくありませんが、忍耐強く忠実に信じつづけて、冷静に謙虚な働きをしています。

 キリストはこう言いました。「私に味方しない人は、私に反対する人です」[マタイ12:30 KJV]。真心の込められた人、今、徹底的に決意した男性達と女性達は立ち上るでしょう。キリストは、クリスチャンの教会の基礎を置くために、ある時にわずかな女性達と11人だけが残るまで、主に従う者達を何度も篩(ふるい)にかけました。重責を負わされようとしていた時に、身を引こうとした人がいます。しかし、その教会はたいそう成長する時に、歌と叫びで有頂天になる宗教的な狂信を捉えます。その熱狂が去る時、わずかなカレブのような忠実な人々だけがその前に進み出るでしょう。また、ゆるぎない原則を実践するでしょう。その人々は、味を保っている塩のような存在です。それらの教会が真の助け手を成長発展させている時は懸命に働いている時です。その人々は、イエスキリストの中に自分達のアイデンティティー/独自性が見えなくなるだけではなく、自分の正当性や自分について語らないでしょう。神の王国で大いなる人となることは、信仰の単純さと愛の清らかさにおいて、謙虚に幼子になることです。プライドはみな滅ぼされる必要があります。嫉妬心はみな勝利されて最高の野望は放棄されて、子どものような信頼と柔和が勧められます。そのような人々はみな、自分達の防護の岩、強固な砦、キリストを見出すでしょう。主にあって、その人々は無条件に信頼するでしょう。主は決して、その人々を見捨てないでしょう。

 [現在の]真理を信じている人々はみな、主を求めるよう警告されているでしょう。神の限りない愛と無限の憐れみの考えは、主の手本にみな倣うように影響を及ぼすでしょう。しかし、この教会にその事例がありません。私達の[教会の]姉妹達は、ドレスと装飾品にとても愛着しています。彼女達はみな、私達の清い信仰と調和したドレスを着ていません。これは   姉妹について事実です。世俗の人々は、この姉妹がそれを示した以上のより良い手本を示しているでしょう。彼女は、キリストの側に彼女の影響力の全体の重点を置くこと、世俗の人々との交わりを少なくするようこれらの人々に求めること、神が与えた自分の責任を考えることなどの必要があります。彼女と   姉妹は、二人が自分達とほかの人々に飾りのない簡素なドレスを勧めるならば、この教会に大きな影響力があるでしょう。その姉妹達は、ドレスを作っていて、最新流行の服装を研究していて、時々、世俗の手本を真似て自分達のドレスの丈を短く切るよう勧めて、神に喜ばれていないことを行なってこの教会のほかの人々を導いています。神に受け入れられるようにと、良いことをしようとしている二人の姉妹の努力は、聖書を読んで祈って、あなた方のために働く牧師達に対して、不平や不満がなく、世俗の話題が少なく、安価で、ドレスの数が少ないなど、二人の生活に見られました。

 主は、牧師の奉仕の働きをしている兄弟達に対して、その教会の多くの人々によって、進められたコースに悲しんでいます。主は、あなた方の粗探し、あなた方の愚痴、あなた方の言っている不平、あなた方の冷たい言葉、厳しい話をやめるようきつく言っています。キリストは、主の聖徒に属する人々によって、あなた方に語っています。そして、あなた方は、主の勧めに失望して、主の譴責を拒否しました。このことはもはや止めましょう。   長老はアメリカ東部だけではなく、多くの場所で行なうための働きがあります。神は、彼がイエスの中に隠れているならば、彼と共にいて彼を成功させるでしょう。主は、間違うことがありません。彼は、時には判断を間違うでしょう。しかし、あなた方は、神が彼に話すよう指示した言葉を語る努力をしない話し方に注意してください。

 神の意図が何かを知っている時、彼は自分の生活において、自分のコストとなっても行なうことをためらわないでしょう。あなた方の内の多くの人々が平凡な生活をしていて、自分を喜ばすことができるだけの計画を立てていても、その人の関心と生活全体は、神の[人類救済]目的に覆われています。この目的で研究して計画している間に、その人は時々、ほかの人々を自分の間違った判断に導いた聡明で鋭敏な行動をしました。主の目的は、その人が愛した[人類救済]目的だけではなく、その人自身を優位にしようとしませんでした。主は、その手に試みた奉仕者を忠実に捉えていて、あなた方を保っています。主は、信仰に新しく入った人や、あなた方が熟知していない働き人達、過去の生活で一緒だった人々に強すぎる信頼を置いているあなたがたに警告しているでしょう。

 繁栄する教会になることは、あなた方の特権です。見張って祈って、汚れた魂の宮を清めて、あなた方自身の心を一人一人が探しましょう。決心してください。あなた方は、主を見つけるまでイエスを探しましょう。あなたの品性が形成されてあなたの人生が主の霊によって支配されて、主の愛があなたの心に住むまで、あなた方の捉えたものを離さないようにしましょう。主があなた方の祈りを聞くということを知って信じる時、あなた方は勇気をもって主の玉座に近づくことができるでしょう。

                                                 

 

11.神のための働き人達

 仲間達が広大な収穫の伝道地で働いています。私達は働きをするためのわずか時間が残されているだけです。働くためのあらゆる瞬間にどんなにか慎重にすべきで、今は私達がかつて持っていた最も好意的な機会です。血のバプテスマを望んでいた私達の贖い主は、魂達を救う働きにたいそう専念しました。主の使徒達は自分達の熱心さをもって、堅く立って着々と熱意をもって、自分達の大いなる働きを成し遂げるために、高き所にいる低的な悪人達と諸勢力と支配者達に戦いを挑んで前進していきました。

 私達は、主の使徒達の時よりも、熱心が必要な時代に生きています。しかし、キリストの牧師の多くの間で、ロマンチックなスタイルのモダンなリバイバルの真似をしたい、何か偉大なことをしたい、センセーションを起こしたい、講演者の才能を得たい、特色と栄誉を得たいなど、不穏な考えがあります。もしも、そのような危険を招くものに出会って、ヒーローになって、栄誉を与えられて受け入れるならば、彼らは衰えないエネルギーをもってその働きに結ばれるでしょう。しかし、ほとんど知られない働きと生活のために、無名の中でイエスのために犠牲と労苦のために――これは、原則の健全さと人々からの特別な称賛も受けないわずかな能力による目的の確固たることを求めています。人々を見放して、キリストのためだけに働いて、神と共に謙虚に歩む大いなる努力があったならば、もっと大きなことが成し遂げられるでしょう。

 牧師の奉仕の働きをしている私の兄弟のみなさん、まったき柔和と謙遜のイエスを求めてください。あなた方が自分自身にこの教会の人々の注目を引くよう試みないでください。イエスの中に自己を見えなくしてイエスについて語ってください。私達の宗教について搔き立てることが多すぎます。その一方で、カルバリーと十字架が忘れられています。

 私達が互いに称賛を受ける時に、また、互いに高めるような仲間に入る時に、私達は重大な滅びの中にいます。ファリサイ人達の重い責任は人々の称賛を確保しようとしていたことです。キリストは彼らに、それは彼らが絶えず受ける報いのすべてだったと言いました。私達が託された働きを再び始めましょう。そして、キリストのためにそれを行ないましょう。もしも、私達が欠乏に耐えているならば、主のためにそれがあるようにしましょう。私達の神性の主は苦悩を通して完全さを増しました。私達は主が働いたように人々が働いているのを見た時に主が働いたように人々を見ましょう。

 神の言葉は、私達の標準です。愛の活動はみな、親切な言葉はみな、苦しんでいる人々と悩んでいる人の味方となる祈りはみな、永遠の玉座に前に報告/レポートされています。そして、天の不滅の記録に記されています。神性の言葉は最も暗い無知な理解に光を注いでいます。その光は無能と罪深い人々に最も教養のある考えと感覚を作っています。

 かの敵は今日、たいそう安く魂達を買っています。「汝らは価値のない者のためにあなた方自身を売り渡しました」は、聖書の言葉です。人は世俗の称賛のために自分の魂を売っています。もう一つ、お金のために。人は激しい感情のもとを喜ばすために。もう一つ、世俗の快適さのために。そのようなバーゲン/安売りは日々になされています。サタンは、人々を買い戻すために払われた計り知れない値段にもかかわらず人々を安く買うために、キリストの血で買い取るために値を付けています。

 大いなる祝福と特権が私達にあります。私達は最も価値ある天の宝を獲得できるでしょう。牧師達と[信徒の]人々は、人が救われないならば、福音の真理が台無しになるということを覚えておきましょう。日毎に憐れみの招きを聞くことを拒む魂は、自分の魂を揺り動かすほどの感動なしに、やがて最も緊迫したアピールを聞く可能性があります。

 神と共に働く者として、私達は聖化に熱意を込めて、自己を高めることを少なくする必要があります。自己がとても高められています。神の霊の証を信じて、意思はとても祝福されています。神と密接に結ばれている人々は、主がその人々に語っている時に、主の声を理解している人です。また、霊的な事柄を霊的に見分けています。さらに、主がその人々の間違いを指摘したことに謝意を感じるでしょう。その一方で、自分達に全的に信頼している人々は、主の霊の特別な証によって神について知ることが徐々に少なくなるでしょう。

 私達の働きは、謙虚と堅固、祈りが伴う必要があります。私達は、平安と喜びを期待すべきではありません。この働きには、悲嘆があるでしょう。しかし、私達が、涙と共にタネを蒔くならば、私達は喜びのうちに刈り取るでしょう。闇と失望が時には、自己犠牲の人々の心に入り込むでしょう。しかし、これは、その人々に反対していません。主を熱心に求めることは、その人々に目的としていた神の意図でしょう。

 私達が今必要としているものは、信仰深く誠実な人々としてのカレブです。怠惰は今日の多くの人々の生き方の特徴です。その人々は、実践行動に自分達の力を注ぐときに、その[怠惰の]ハンドルから手を放すでしょう。キリストの牧師達のみなさん、「汝らは眠りから目を覚ましなさい。死から目覚めなさい。キリストは汝らに光を与えるでしょう」。あなた方、働き人達はキリストを忘れてしまって、自分達をたっぷりと味わっています。あなた方のある者は、たいそう甘やかされてあまりにも得意にされてきました。ノアの時代には、食べること、飲むこと、植えること、建てることがたいそう多くなりました。世俗の人々は、キリストのしもベ(奉仕者)のエネルギーをこっそりと消費して来ました。兄弟[姉妹]のみなさん、あなた方が不信者によって、あなた方の宗教が称えられたならば、それは働く仲間たちによってあなた方自身を称えています。世俗のプレッシャーと困難に直面して、神との親密な結びつきによって、また、聖書の真理への堅い信奉によって、あなた方は、自分達の子ども達の心に真理の霊を吹き込むことができるでしょう。彼らは良いことのために神の手にある道具として、あなた方と共に効果的に働くでしょう。

 多くの人々が貪欲な激情と満足感と過食によって、身体的・知的に働く能力を奪われています。動物的な傾向は強まっています。有限な人間の精神的な性質が強まっています。私達が主の大きな白い玉座の周りに立つ時、多くの人々の生涯の記録がその時に提示されるでしょう。その時、その人々は神が与えた能力の価値を落とさなかったその行ないを見ることでしょう。その人々は、神が託して、自分達に与えられていた身体的・知的な能力に達した大いなる理知的な高さに気付くことでしょう。その人々の自責の念において、もう一度生きるために、自分達の人生を送ることを切望しているでしょう。

 私は、――その群れの全体に――光を伝える者となると告白している人々に呼びかけます。あなた方がすべての不法から離れるために残されているわずかな今の時をうまく活用しましょう。あなた方が神を強く捉えているならば、また、主の奉仕に聖別していたならば、あなた方の宗教は、恐ろしい迫害に直面しても挫けないでしょう。神の深い愛が唯一、私達にある試練の最中にいる魂を支えるでしょう。

 自己否定と十字架は私達の[信仰遺産の]一部です。私達はそれを受け入れていますか。私達は自己犠牲の最後の大いなる試練が訪れる時に、必ずしもそれを期待していません。愛国心は必要とされているゆえに瞬時に発達するでしょう。ええ、確かに、この精神は私達の日常体験と混ぜられ、指針と手本の両方によって、私達の子ども達の心と知性に注がれる必要があります。イスラエルの母親達は、自分達が戦士になることはないでしょう。しかし、母達は、主の戦を勇敢に戦い、軍隊全体を護る戦士を起こすことができるでしょう。

 牧師達と[この教会の]人々は、自分達が主の大いなる日に立つことができるように恵みの力によって回心する必要があります。神の干渉が必要となる時、世界の人々は人間の不正と堕落の先端に速やかに近づいています。時には、主を告白して従う者達は、主の聖なる律法への自分達の忠誠を示す必要があります。その人々の祈りは、ダビデの祈りのようになるでしょう。「彼らはそのたの律法をなきものにしたので、今はそなたの働く時です」(詩篇119:126 KJV)。その人々の指導によってその人々は言うでしょう。「それゆえ、私はそなたの律法を金や純金よりも愛しています」[詩篇119:127 KJV]。神の律法に示しているひどい軽蔑は、主の律法を足蹴にしているので、主の安息日を護っている人々がその前に来て、自分達の評価を示して敬う理由が十分あります。

 「罪が満ちるので、多くの人々の愛が次第に冷えるでしょう」[マタイ24:12 KJV]。その風潮は罪によって汚されています。やがて、神の人々は燃える火のような試練にテストされるでしょう。現在、真実で本物になるように現れているその人々の大部分は、[純粋ではなく]基になる成分が混ぜられた鉄のようになることを証明するでしょう(p.101参照)。虐待、脅迫、反対によって堅固にされ強くされるのではなく、その人々は、臆病によって反対者達の側に立つでしょう。主の約束はこうです。「私を敬う人々を、私は敬うでしょう」[1サムエル2:30 KJV]。世界の大部分の人々がそれを無きものにしようと企ててきたので、私達は、神の律法にしっかりと愛情を持つことを失うのですか。

 神の裁きはすでに、大陸と海によって滅びと地震、暴風雨、嵐に見られたように、この地において広がっています。偉大な「私は存在している存在者です」[出エジプト3:14 NKJV]は、主の律法を無きものにしている人々に語っています。神の怒りが全地に注がれる時、その時に誰が立つことができるでしょうか。今は、神の民のためが原則に誠実であることを示す時です。キリストの宗教が最も蔑みを受けている時、主の律法が最も嫌われている時、私達の勇気と確信は最も断固に、私達の熱心さは強くなる必要があります。大多数の人々が私達を見捨てる時、真理と正義を擁護して立つために、主の戦いを闘うために、戦士達がわずかしかいない時に、これは私達のテストとなるでしょう。この時に、私達は冷淡から温かい思いやりを、臆病から勇気を、背信から忠実を集める必要があります。その国民は、絶大な謀反者のリーダーの側にいるでしょう。

 そのテストは確かに訪れるでしょう。[188962]36年前[185326]に、私は「現在、知れ渡っていることが始まるだろう。教皇が制定した制度を順守することが、日曜[休業]法によって神の民に強制されるだろう。ヤハウェの聖なる安息の日は足蹴にされるだろう」ということが示されました。

 私達を救うキャプテンは、必然的に交える戦いのために主の人々()を力づけるでしょう。しばしば、サタンがキリストにつく者達と交戦するために自分の全軍を連れてきて彼らの顔に死を見た時に、万軍の主/ホスト役の主、キャプテンは、活動の分野に連れて来て、信仰によって熱心な祈りをささげ挙げました。そして、戦いを好機に転じて、重圧化にある人々を助け出しました。

 今は、私達が神と親密に繫がる必要のある時です。私達は、人の子らに神の激しい怒りが注がれる時に隠されるでしょう。私達は古いランドマーク[初期の再臨信徒らが発見した再臨・安息日・調査審判・信仰による義、その他]からさまよい出ました。私達は戻りましょう。主が神であるならば主に仕えます。バアルがそうならば彼に仕えます。あなた方はどちらの側につきますか。

                      

 

12.サタンのための働き人達

 

 サタンは、人を引きつけて罪に誘う働き人達agentsとして、男性達 女性達を利用しています。彼はこの働き人達をキリストから栄光と奪って魂達をうまく滅ぼそうとして、偽りの罪を忠実に教えています。サタンは、神と人に対する絶大な敵です。彼は、自分自身をその働き人達を通じて光の天使に変装しています。御言葉の中で、彼は滅ぼす敵、兄弟達を訴える者、偽り者、悩ますもの、人殺しと呼ばれています。サタンは、多くの働きをしていますが、告白したクリスチャンを利用できる時、彼の邪悪な働きによって最も成功しています。その働き人達の絶大な影響力、その立場の活用、主への奉仕と神を告白する知識を、もっとうまく、彼はそれらを利用できています。罪に誘う者はだれでも彼の働き人agentです。

 東部のキャンプミーティングに参加している間に、私は金曜日に一人の男性を紹介されました。彼は数人の女性達と子ども達とともに一つのテントで過ごしていました。その夜、私は眠ることができませんでした。私の魂は思い悩んでいました。夜の間、神に請い願っていると、一つの幻が与えられました。数年前に戒められたナタン・フラーのコースが明瞭に私の知性によみがえりました。その時、私は、信仰を告白したもとで、違反の罪と同じコースをたどっている三人の男性を示されていました。この人は、その三人のうちの一人でした。私がその朝の集会に自分の証を持って行った時、神の霊と力が私の上に与えられました。しかし、私は、個人的なケースを述べることができませんでした。その日の遅い時間に、私は自分の証を伝えて、最も注目するものとして、彼のケースを説明して自分の義務を果たすことをはっきりと感じました。この行動のコースによってこの男性は、ちょうど、「霊の現れをみな慎む」という使徒の指導と比較しようとしていました。彼は7番目の戒めを破っています。その一方で、4番目の戒めを護ることを告白しています。彼はだまして、あちこちから彼に従う女性達を夫の伴侶となる忠実な一人の妻、一人の伴侶として自分の周りに集めていました。

 一つの人々()として、私達は特別に見られています。私達の立場と信仰は、ほかのすべての教派から私達を識別しています。私達が品性と生活において、世俗の人々よりも良い点がないならば、世俗の人々は私達を軽蔑して指差して、「この人々はセブンスデー アドベンチストです」「私達はここに、日曜日のための第7番目の日を守っている人々の手本があります」と言っています。そのような一つの層の人々に、当然ながら所属している不名誉な烙印は、第7日を良心的に守っている人々の上に押されているでしょう。そのような層の人々が見せかけの主張をしていないならば、[現在の]真理に従っていることはとても良いことでしょう。

 私は、主の名によってこの男性を戒めよう、また、彼と共にいる女性達に呼びかけよう、そして、彼と別れてその間違った立場から大胆に身を引いた生活を送らせようと考えました。3人の女性が入った道には、不幸と滅びがありました。天の記録簿は、この男性について次のように証しています。「ひとりのだます者、一人の姦夫が家々に忍び寄った。思慮のない女性達が奪われた」。彼は、どれほど多くの魂達を、分別だけが明らかにするサタン的な詭弁で滅ぼしていることでしょう。そのような男性達は、直ちに譴責され支持を剝奪されて当然です。彼らはその目的について継続的な叱責を受けていないかもしれません。

 私達が地上歴史の終わりに近づいている時、滅びと危機は私達の周りに集まっています。単に信仰を告白しただけの人は価値がないでしょう。神との生きた繫がりがある必要があります。私達のうちに気付かないうちに徐々に広がる私達の信仰を告白している人々を通して、私達は最も巧妙な方法を取る悪を見分ける霊的な視覚を持っているでしょう。罪を犯すことができないと主張し、清められていると告白する人々を通して、大きな罪がもたらされています。また、この層の多くの人々は日々に罪を犯していて、心と命を滅ぼしています。そのような自己満足と自己義認は、聖書の標準に調和することにひどくしくじって、自分達自身の義の標準を作っています。その主張は高すぎるにもかかわらず、彼らは契約の誓い[の意味]を知らない人々です。神が、彼らの曲解を忍耐していること、また、彼らが[契約の]妨害者として切り捨てられないことは、まだ、許しの可能性の中に残されているばかりか、深い憐れみの中にいます。神の寛容は、人によって先取りされ続けています。その憐れみは乱用されています。ダビデは生前、人々が不義を断念し、主を敬うことの正当性を立証するよう[神が]干渉する必要があるし、[人々が]神の長い忍耐の境界線を越えてきたと考えました。

    氏は、神の宮を汚す教理の教師の一人です。彼のための希望の光の筋が少しもありません。彼は自分自身をだましていました。そして、たいそう長くほかの人々の心の判断を惑わしてきました。サタンは彼の知性と身体のほとんど全体を支配していました。もしも、彼が告白していた義の衣が彼から引き剝がされてその取るに足らない目的と思想が晒されるならば、彼はほかの人を地獄のような道に導き続けないでしょう。それは、私達がみな期待できるでしょう。

 神の警告が神の律法の光の中に見られた自分自身の悪いコースを教えたので、彼は、神の警告を初めは嫌って、それから、反対しました。年月が経過して悔い改めに気付いていないということは、罪の影響に盲目になっている最も悲しい根拠の一つです。彼は自分の低下したコースを継続してたどっていました。彼は、まったく、天の恐ろしい報復の念も自責の念がありませんでした。彼は、嘘とだましによって、彼が慎重に注視されることから罪を隠すことができるならば、彼は満足しています。正悪の判断はみな彼の中で死んでいます。彼の目前で収穫がなされる時に、彼はその刈入れに驚愕することでしょう。

 この人のケースにおける悪い特徴は、かれのサタン的な悪い働きで、イエスキリストを代表する者として見せかせのもとで行なわれています。光の天使の衣を着た罪の人は、数えきれない損害を与えています。[霊的な]闇の恐ろしい計画が夫と妻を別れさせるために故意になされています。使徒は言いました。「このやり方で、彼らは徐々に家々に入り込んで、思慮のない女性達を罪に苦しむ虜に導いて、異なった強い欲望に導いています」[2テモテ2:6 KJV]。これらの不道徳な品性は、社会的に尊敬されている家庭に徐々に忍び入っています。その人々のだましのたくらみと策力は青銅からそれるように導いています。実にひどい異端信仰が真理として受け入れられています。良心が混乱させられて感覚が鈍っているので、最も反旗を翻した罪が正しい行動としてはまっています。

 この男性は、自分の宗教体験を表面的に誠実にする手段として、第7日が主の安息日であるという人気のない教理を信奉してきました。私達の見解は私達に出版物の中に明確に著されてきました。しかし、彼は、この事実を隠して、真理に彼自身の汚れた異端信仰を混ぜて、神が彼に聖書の新しい光を与えたという信仰をほかの人々に信じさせようとしました。彼は、第4番目の戒めの安息日[を守っている]人々のために大きな光を持っている、神に導かれた真実な者の出現として信用される同等の真理を持っていたと告白しています。しかし、一般的に理解されている意味でなく、神の律法に譴責された不道徳[の正当性]を証明しようとして、御言葉の真の意味を曲解して、その確信が一旦得られた時に、彼は自分のサタン的な働きを始めています。彼は事実、賢明な女性達に、彼女たちの結婚の誓約に不誠実になることを妻達のために神を不快にさせないと信じ込ませようとしています。彼はこのことが第7番目の戒めを破ることになるということを認めないでしょう。サタンは、彼女達がその知性と愛情を支配することを彼に許す一方で、ほかの人々をだまして堕落するように利用して、安息日遵守者だと告白していてこの教会に加わる罪びと達を得ることを喜んでいます。

 [善を求める]心の法則に反して、生まれつきの[心の]法則に合っているので、この堕落している世代の多くの人々が、罪い深いことにひどく盲目な状態を見られて、不道徳な生き方を選んでいます。神の標準に心と品性を育てず、神の律法という鏡に写してみるのではなく、その人々は自分達の心にサタンの標準を打ち立てるために、サタンの働き人達を許しています。堕落した人々は、生活と心の中を清くして罪と退廃を放棄するよりは、自分達の悪い行為を支えるために御言葉を曲解することを簡単に考えています。多くの人々が想像した以上に、このように踏みにじる多くの人々がいます。私達がこの時代の終わりに近づいている時に、彼らは増えるでしょう。その人々が聖書の真理に基づけられ、根拠づけられない限り、そして、神との生きた繫がりを持たない限り、多くの人々は夢中にさせられて騙されるでしょう。見えない危険が私達の道を取り囲んでいます。私達の唯一の安全は、継続する見張りと祈りにあります。私達がイエスの近くに生きている時、私達はもっと主の清らかさと聖なる品性に与るようになるでしょう。私達に現れる罪をもっと嫌って、もっと高尚にされて、もっと望ましい、キリストの輝きと清さが現されるでしょう。この男性は、退廃した生活をカバーして、彼の罪に現れている害悪を及ぼすために、聖書の中に記録された善良な人が誘惑のもとでだらくした実例を持ち出すでしょう。パウロは、ちょうどそのような人々に会いました。当時の教会は、すべての世代がそのようなひとびとによって呪われていました。ミレトスで、パウロは教会の長老達に招かれて、彼らが立ち向かっていることに関して警告を与えました。「あなた方自身とその群れ[会衆達]にみな気を配ってください。主自身の血で買い取った神の教会の人々を養うために、聖霊はあなた方を見張り人として立てました。私は次の事を知っています。私が去った後で、嘆かわしいオオカミ[のような人々]があなた方の中に入り込んでその群れの人々を荒らすでしょう。また、あなた方自身の中からも、弟子達を自分の方に引っ張り込んで、道理に反したことを言う人々が起こるでしょう。だから、目を覚ましていなさい。3年の間、涙と共に夜も昼もみんなに警告し続けてきたことを覚えていてください」[使徒行伝/使徒言行録20:28-31 KJV]

 正しくない義の真理を抱いている人、それによって自分の信念を主張している人、矛盾した生き方によって毎日、傷つけている人は、魂を滅びに導いて、サタンに仕えるよう自分を引き渡しています。この層の人々は、堕落した天使との交流を保っていて、知性のある人々を支配するよう支援されています。サタンの魅惑的な力が人々を支配している時に、神が忘れられています。そして、悪い目的に満たされている人々は、たいそう称賛されています。隠れた不道徳な行為は、そのだまされた魂達によって美徳として実行されています。ここに、一種の魔力があります。ガラテヤ人への使徒の質問は、よく問われているでしょう。「だれがあなた方を魅惑したのですか。汝らはその真理に従うべきではありません。あなた方の目の前で、イエスキリストがたしかにあなた方の間で十字架につけられ提示されました」[ガラテヤ3:1 KJV]不道徳と異端信仰には常に魅力的な力があります。その知性は、理知的に判断できないように、たいそう惑わされています。そして、ある幻想は、清いことからそれに導かれ続けています。霊的な洞察力が汚れている人々と、今まで道徳に汚されていない人々は、光のメッセンジャーだと告白しているサタンの働き人達agentsのこじつけのだましの下で混乱されるようになっています。これが、その働き人達に力を与えているだましです。その人々は、大胆に出て行って、そして、自分達の優位性を遠慮なく言っているでしょう。その人々はまず、神に自己を犠牲にして、聖なる者として自分自身に確信を確保して、共感を得ようとするでしょう。主の特別なメッセンジャーとして、その人々は、神の律法を無きものにしようと試みることによって、正直な道から魂達を引き離そうとして彼らの巧妙な働きを始めています。

 牧師達がこのように、滅びにいる魂達を導き、その場所にその人々を確実に優先させる時、彼らは自分達が告白している高さ以上に、普通の罪びとよりももっとひどい犯罪のようなものを彼自身に課しています。神の特別な日に大いなる元帳が開かれる時、キリストの福音を蒔かせられていると告白して、そして生活と心の清めにうぬぼれていた多くの牧師達の名前が含まれているのが見られるでしょう。しかし、彼らは、神の律法を破るよう魂達に魅惑する立場を優先的に取っていました。

 男性達 女性達がサタンの堕落した力の下に陥る時、彼らが再び清い考えと神が求めている明瞭な概念を持てるように、その恐ろしい罠から逃れることはほとんど不可能です。彼らが惑わされた知性の罪は、その牧師によって正当化されました。神が見ているそれは、二度とひどく嫌なものと決して考えられません。道徳の標準が人々の知性において低められた後で、その人々の判断力は、正道から逸れるようになっています。そして、その人々は、正義を罪と見て、罪を正義と見ています。それらの人々と交流することによって、それらの人々の性格傾向と習慣は、高尚にされず清められていません。ほかの人々はその人々のようになっています。彼らの品格と原則は、ほとんど無意識に採用されています。

 ある人の清くない知性と不道徳な習慣の社会性が、清さと美徳の好みによって選ばれているならば、道徳が低いレベルにあることと品格と性格傾向が調和していることは一つの暗示です。このレベルはそのだまされた人々、夢中になっている魂達、霊的に調和して高尚で聖なる精神の人々と呼ばれています。

 あるだます者が騙す働きを始める時、その人は習慣と品格が似ていないことをしばしば見つけています。しかし、信仰のつよい見せかけによる確信を持っています。そして、これが行なわれる時、彼の狡猾なだましの力は彼の考案したものを進めるために自身の方法で実行しています。個々の危険な要素のある人々と交際することによって、女性達は清くない雰囲気にひたって馴染むようになっています。気づかずにそれらと同様の精神が沁み込むようになっています。彼女達の個性は失われています。彼女達は誘惑する者の陰になっています。

 改革者だと主張して、新しい光を持っていると告白している男性達は、この教会の霊的な状態に満足していない人々と、現在の世代の人々に存在している異端を信じている一定の層の人々を支配していて大きな影響力を持っているでしょう。人々は、誠実で正直な心と共に、高い標準に到達して、良い者に変容したいと望んでいます。キリストに忠実に仕えている人々は、この層の人々のために、誠実と清らかさと純粋を現すでしょう。それに従うことによって、自分自身を清めているでしょう。サタンは、絶えず警戒して、魂達にそれらの質問を人々の人生の小道に置いています。サタンが光の天使に変装して、キリストに近づいたように、ある者は人々の所に来て、改革者として声を高くして宣言しています。そして、光の道からはるか遠くに人々を引き離しています。

 不道徳な人々の隊列について行くという品格の低下と不幸は、評価されることができません。世俗の人々はそのような住民の下で神聖を汚されています。その人々は、自分達の罪悪の量をほとんど一杯に満たしました。しかし、重大な天罰をもたらすようなそれは、信仰の下に覆い隠した罪悪を実行するものです。世界の人々の贖い主は、真に悔い改めた者を決して拒みませんでした。偽善者達とパリサイ主義者達の罪悪に対して強く、燃えるような非難を浴びせました。そこには、この層の人々のため以上に開かれている希望があります。

 「そして、[著者加筆。真実の愛を受けていない]という理由のために、神はひどくだます者をその人々に送るでしょう。その人々は嘘を信じるでしょう。そして、真理でないものを信じた人々、不義を喜んでいた人々はみな一生を破滅させられるでしょう」[2テサロニケ211 KJV]。彼によってだまされた人々とこの男性は、不義を喜んで真理を愛していません。そして、不倫と不道徳によって神を不快にしないことを除いて、どんなひどくだます者が、彼らの所に来るでしょうか。聖書は、それらの罪に対して多くの警告を含んでいます。パウロはそれらの人々について、テトスに「彼らは神を知っていると告白していながら、不服従と嫌悪感を引き起こして、良い働きをみな強く非難して、その働きにおいて主を否定しています」[テトス1:16 KJV]と書いています。この人々の間に偽預言者がいましたが、同様に、あなた方の間に偽教師も現れるでしょう。彼らは[公然とではなく]密かに実に酷い異端信仰を持ち込んで、彼らを贖った主を否定さえして、束の間に自分自身に滅びをもたらしているでしょう。また、大勢の人々が彼らのひどく有害な道に倣うでしょう。真理の道に属しているという理由によって、悪に属していると言われるでしょう」[2ペテロ2:1-2 KJV]。ここで言及した人々は、キリストを信じていない人々ではありません。その人々は、真理を信じていると告白している人々です。そして、彼らの下劣な品性がそれに激しい非難をもたらしていることによって、悪に属している言われる理由になっています。

 「貪欲によって、彼らはでっち上げの言葉であなた方と取引をするでしょう。その人々の裁きは昔も今も遅延することはありません。彼らの破滅はまどろみません」[2ペテロ2:3 KJV]。「しかし、生来の非情な獣のようなこれらの人々は連れて行かれて滅ぼされるために造られて、自分達が理解していない事柄を悪く言って、自分自身の頽廃によって完全に消滅するでしょう。そして、彼らは真昼でさえもバカ騒ぎをして楽しもうと考えていて、その不義の報いを受けるでしょう。彼らは染みやニキビです。彼らはあなた方と宴会に同席している間も、だまし事を思いめぐらしています。その目は不倫に満ちています。罪をやめることができません。貪欲の習慣を実行する心を持っている呪われた子ら、正しい道を見捨てて、不義の報酬を愛し、正道を逸れて行ったボルソのバラムの道に倣って、魂達の不安定な者達を魅了しています」[2ペテロ2:13-15 KJV]

 「これらの人々は、水のない井戸、嵐によって運ばれる雲のようなものです。彼らのために闇の霧が永遠に備えられています。彼らはひどくうぬぼれを増長する言葉を語っています」、彼らの知識と彼らの真理への愛、自分達の光を自慢していて、「彼らは、多くの不貞を通して間違った生活をしている人々の中から逃れてきた人々を身体の欲望を通して誘惑しています」[2ペテロ2:18 KJV]

 この時代の人々が滅びるように、私達の敵、悪魔は吠えるライオンのように、むさぼる喰うために人を求めて歩き回っている時、私は自分が警告の声を挙げる必要を感じています。「汝らは、誘惑に陥らないように見張って祈りなさい」[マタイ26:41,マルコ14:38 KJV]。サタンに仕えて献身するように、悪意のある素晴らしい才能を持った人々がたくさんいます。私は、闇の働きを捨てて世俗から出てきて、神から主の律法を守り続けるように託されたことを告白しているこの人々()にどんな警告を与えることができるでしょうか。しかし、その人々は、うぬぼれた野生のイチジクのように、全能者の面前で自分達の枝を見た目では繁茂していて誇示しています。神の栄光のための実をもたらしていないのではありませんか。その多くの者は、聖なるものではない思い、清められていない希望、基になる成分が混ぜられた(p.101,136参照)激情、清くない考えに好意を寄せています。神は、そのような木にもたらされる実を嫌っています。サタンが歓喜している一方で、清く聖なる天の使い達は、嫌悪感を持ってそのような成り行きを見ています。男性達と女性達は、神の律法に違反することによって得ようとしていたものを考慮してほしいものです。あらゆる状況のもとで、違反の罪は、人の道と神にとって不快です。私達はこのようなことを考慮する必要があります。しかしながら、誰かが託されたことによって、公正に見せかけています。

 私は、キリストに遣わされた大使として、[現在の]真理を告白しているあなた方に、清くないものに近づくことを即座に嫌って、清くないことを提唱している人々と交際を断ち切るよう請い願います。会話することでさえ、そのような人々から離れてください。「心の中から溢れているものを口が語るので」[マタイ12:34 KJV]、そのような思考回路で知性を働かせましょう。

 それらの神聖を汚す罪を行なっている人々は、この世界に急速に増えています。私達の教会の中に侵入するような時、私は、その人々にその場を与えないように警告します。そそのかされたものから離れてください。キリストにつくと告白したことによって、その人は、人間の姿をしたサタンです。その人は、その主人によく仕えるように、天の装いをした者にひざまずきました。これは、清くない水が流れると水路の水が汚れるように、人の魂に汚点を着けるので、あなた方は、覆い隠された提唱、清くない者に、一瞬たりとも場を与えるべきではありません。

 清貧、譴責、友人達からの分離、そして、罪によって魂を汚すことより、何らかの苦悩を選んでください。神の律法の違反の罪や不名誉の前に、死はすべてのクリスチャンのモットーとなる必要があります。神の言葉の清めの真理、最も厳粛な宝であること、改革者であることを告白している人々()として、私達は現在いる所よりもはるかに高い標準に高める必要があります。罪と罪びと達は、この教会の中でほかの人々が汚されないように、すぐに打撃が加えられる必要があります。真理と聖化は、私達がもっとアカン[のような罪]からキャンプを清潔にする働きをもっとするよう求めています。それらの人々は、ある兄弟にある罪の責任の立場にいないようにしましょう[ヨシュア記7章参照]。この教会から分離されるか、彼の罪を捨て去るかを彼に示しましょう。

 この教会のメンバー一人ひとりが謙虚で柔和な救い主に真につくものとして、活動する時、そこには罪を容認して、覆い隠さないようにしましょう。全員が神の臨在の中にいるかのように活動するように努めましょう。その人々は、主にすべてを見ている目はいつも彼らの上にあって、最も隠れた考えは主に知られているということに気づくでしょう。特別な品性と動機、その希望と目的は、全能者の目に太陽の光のように明らかです。わずかな人だけがこのことを知性に生み出しています。たいそう多くの人々は、恐ろしいほどの記録が主の律法のすべての違反者として、神にて期待する者として、示されなければならないということに気づいていません。

 あなた方は、低レベルの内容になる大きな光を受けたと告白することができますか。私達は、世界のすべての終わりが手近にあって、地上のすべての人々の裁きがドアのそばにあるという厳粛な真理への気づきと神性の臨在を熱心に求め続ける必要があります。あなた方は、どうして主の正義と聖が求めていることを顧みないことができますか。あなた方は、良い働きに熱心な特別な民として、主自身のために清められて、あなた方がすべての罪悪から贖うことができるということをあなた方のために主自身を与えた贖い主に属していて、清い天使達に属しているという見解に満たされていて、基になる成分に清くない考えが混ぜられた激情にどのように好感を持てるのですか。あなた方が、キリストの十字架から輝き出ている光/真理の内容を注視して、永遠の世界の縁に立っている時、罪は、甘やかされて意味も危難も現していないのではありませんか。

 私は、私達の[教会の]人々に話しかけています。あなた方が信仰深い回心とよく整った生活によって、あなた方の告白に美観を添えようとして、イエスを近くに引き寄せようとするならば、あなた方の歩みは禁じられた道にさ迷うことから守られるでしょう。あなた方が見張るだけ、祈って見張り続けるならば、また、あなた方が神の臨在の前にいるかのように全てのことを行なうならば、誘惑に負けることから救われるでしょう。そして、最後まで汚されず、染みのない清さが保たれるという希望が湧くでしょう。あなた方が[世界の]最後まで自分の初めの確信を持ち続けるならば、あなた方の[人生の]道は、神の中に確立されているでしょう。そして、恵みが始まったところに栄光が私達の神の王国で冠となるでしょう。主の霊の実は、「愛、喜び、平安、涵養、親切、善意、信仰、柔和、節制です。そして、これらを否定する律法はありません」[ガラテヤ5:22,23 KJV]。キリストが私達の中にいるならば、私達は強い欲望と愛情と共に身体を十字架につける必要があります。

                                                

 

13.人間は神から盗むのですか

 主は、天の賜物に与る者となった人々の捧げ物と、地に依存している人々の自発的な努力の成果による捧げ物で、真理と光の放散を作りました。比較的、少数の人々が、牧師や福音伝者、巡回伝道として呼び出されています。しかし、大多数の人々は、自分達の資金で[現在の]真理を広めることに協力しようとしています。

 アナニヤとサッピラの個人史は[使徒行伝5]、私達が自分達の捧げ物と賜物に関して、だましの罪を理解できるよう私達に与えられています。二人は、キリストの[人類救済]目的を推し進めるために自分達の財産の一部を捧げるように自発的に約束しました。しかし、二人は金が自分達の手に入った時、その義務を果たすことを辞退しました。同時に、二人はほかの人々に全部を捧げたように示そうと思いました。二人への罰は、すべての時代のクリスチャンへ永続する警告として奉仕するために記されました。同様の罪は、今の時代に恐ろしく流布しています。また、私達はそのような罰のしるしを何も聞いていません。主はかつて、主の神聖な権利と尊厳に対する違反の罪と見なしている嫌悪感について、また、神性の管理の一般原則に従うように人々に残して、人々に示しています。

 自発的な捧げ物と什一は福音の財源を構成しています。人に託された資金について、神はその一部を什一として求めています。しかし、主は什一の額がいくらかを言うこと、これ以上に捧げないかどうかをすべての人々の自由に任せています。人は、心の中にある目的で捧げようとしています。しかし、人の心が神の霊の感化によって動かされている時、また、誓約が一定の額を捧げるようになされた時に、約束した人は聖別した一部にどのような権利も持っていません。その人は、人々の前で約束しました。そして、人々はその処理のための証を求められています。同時に、人は地上での主の王国を築き上げるために主と協力して最も神聖な品性の義務を負いました。人々になされたこの種の約束は拘束力のあるものとみなされるでしょう。人々は、神のために造られた時、拘束と神聖はなかったのですか。約束は、人々との約束に書かれた以上に、拘束のない良心の法廷で試みられていますか。

 神性の光が特別の清さと力によって、人の心の中で輝いている時、習慣的な利己心がその理解を怠っています。神の[人類救済]目的に奉仕することで陥りやすい生来の傾向があります。サタンの側からの抗議なしに、なされた約束を果たすことが許されるという期待を必要とする人はいません。その人は、地上で贖い主の王国が築き上がるのを見ることを喜んでいません。その人は、約束をしたことがたくさんあったことを示唆しています。それは、彼らの家族を喜ばすか、財産を得る努力によって彼らを害しているでしょう。サタンが人間の知性を支配している力は驚くほどです。彼は、人の心を縛り続けることにたいそう熱心に働いています。

 神は自身の[人類救済]目的を前進させるために託した唯一の手段、財産によって人々を祝福しようとしています。主は、人々に太陽と雨を与えています。主は、すべての植物が繁茂するようにしています。主は、資金を得る能力と健康を与えています。私達の祝福はみな、主のあふれる恵みの手から来ています。主は、男性達と女性達に什一と捧げ物、感謝の捧げ物、自由意志の捧げ物、罪の[償いの]捧げ物によって、一部を主に返すことによって、人々の喜びを示そうとしています。

 人々の心は、利己心によって頑なになっています。アナニヤとサッピラのように什一の規則が述べられることを偽っている間に額の一部を取り除くよう誘惑されました。人は神から盗むでしょうか。神の計画によると主の宝庫にきっちりと資金が溢れているでしょう。増えた者のすべての10分の1、そこには、主の働きの前進があるように豊富にあるでしょう。

 さて、ある人は“その呼びかけはその目的に捧げるために続けられています。私は捧げることに弱り果てています”と言っています。その時、私に尋ねてください。あなたは神の慈しみの手から受けることに弱っていませんか。主が、あなたに祝福をやめるまで、あなたは主が求めているその一部を主に返すための絆の下にいることをやめないでください。あなたの力が、ほかの人々を祝福しているように、主は、あなたを祝福しています。あなたが受けることに弱っている時に、あなたは「私は与えるようたいそう多く呼びかけられて弱っています」と言うでしょう。神は、私達が受けているすべての一部を主自身、保管しています。これが主に戻った時、その残っている一部は祝福されています。しかし、それが与えずに置かれる時、その全体は早かれ遅かれ、呪われています。神の求めは第一です。ほかの者は第二です。

 すべての教会において、[献金ができないほど]貧しい人々のために宝庫が設立される必要があります。おのおのメンバーは、もっとも利用されやすいように、月に一度か週に一度、神への感謝の捧げ物を贈りしましょう。この捧げ物は、衣服に満たされて、食物と健康の賜物への喜びをあらわすでしょう。神がこれらを満たして私達を祝福したことに応じて、私達は、苦しんでいる人々、落胆している人々、貧しい人々のそばに置きましょう。私はこの点について、特に私達の兄弟達に注目を呼びかけたいと思います。貧しい人々を覚えてください。あなた方が満たされることさえも、快適さの何かの先触れとしましょう。唯一、最も貧弱な衣服や食物だけを得ることができる人々を助けましょう。その人々のために行なうことによって、あなた方は、主の聖徒達の人々によってイエスのために行なっています。主は、主自身が人性の苦悩を体験して認めています。あなた方の想像力の不足がすべて満たされるまで待たないでください。あなた方がそれを好きでないときに控えて、それを好きな時に捧げてあなた方の感覚に頼らないでください。あなた方が神の日に天の記録を見ることに好感を持てるように、週に10セントか20セント、あるいは、50セントを定期的に捧げましょう。

 私達はあなた方の優しい願望に感謝しています。しかし、優しい願望によっては貧しい人々は慰めを保つことができません。その人々は、あなた方の親切を証明する衣服と食物を必要としています。神は、主に従う者たちの誰かがパンを請い求めるようにとは意図していません。主は、あなた方に、経済と仕事によって、供給することができず必要としている人々に供給できるよう溢れるほどに与えました。彼らの必要へ注目が呼びかけられるまで待っていてはいけません。ヨブは活動した時、探していたことを知りませんでした。何が必要でどのように供給されるのが最善かを詳しく知るために出かけましょう。

 主の働きはたいそう遅れていて、その結果として、私たちの[教会の]多くの人々は、什一と捧げ物によって主から盗んでいることを、私は示されました。神の呪いは、神の施し物で生きている人々、心を閉ざして何もせず、主の[人類救済]目的を前進させるためには、何もしない人々に注がれているでしょう。兄弟 姉妹のみなさん、利己的にこれは自分の物だと言って、あなた方がそれをみな握ろうとする時、慈しみ深い天の父は、あなた方に主のために役立つ資金を与えて、どのように、あなた方を主の家令にし続けることができますか。

 神がその人々の手に置いたその資金を神に返すのではなく、多くの人々はそれを土地に投資しています。この悪は、私達の兄弟達の間で増えています。彼らは、みんなの前に立って、よくケアするでしょう。しかし、お金への愛着や隣人から裕福と見られる望みは、神への正しい義務を果たさないで、自分の資金を土の中に埋めるように彼らを導いています。私達は、彼らが繁栄しないならば、驚くことがありえますか。神が彼らの農作物を祝福しないならば、彼らは失望しますか。私達の兄弟達は、神が20エイカー[8ha]の土地を祝福して100倍も生み出すならば、彼らは、神の宝庫に自分達の資金を溢れさせるだけではなく、その土地に自分自身を葬り続けないだろう、ということを覚えておいてほしいものです。キリストは言いました。「あなた方の心が、飲み物、食べ物をどのようにして得るか、この世の生活を心配しないように注意していてください」[ルカ21:34 KJV註:口語訳と比較]。サタンは、農場や世俗の事業によって、あなた方の投資した資金が増えることに喜ぶでしょう。[主の働きが]前進するという目的を害することだけではなく、あなた方がそうすることによって、あなた方の永遠の命の見通しを過重に見積もらないようにして、私達は今、私達の救い主の指図を心にとめている必要があります。「あなた方が持っているものを売って慈善活動して、天の宝が失われないように、古びない皮袋をあなた方自身で用意しなさい」[ルカ12:33 KJV]。私達の兄弟達が財産を増やすのではなく、それを見切る時は今です。私達は、天の良い国に移住しようとしています。私達は、できるだけコンパクトな羅針盤のようなものを得るようにして、地上に住む者とならないようにしましょう。

 私達には、どんな価格でも売ることができない時がやってきます。特別な宣言がやがて、獣のしるしを持っている人を救う[ために]、誰でも売ること買うことへの禁止令として人々の前に出されるでしょう[黙示録13:17]。私達は少し前から、カリフォルニアでこれが現実化して近づきました。しかし、これは、四つの風が吹くという脅威だけでした。それは4人の天使によって抑えられています。私達は正しい備えをしていません。行なわれようとしている一つの働きがあります。その天使達は出ていくよう命じられるでしょう。その四つの風はこの地上にやがて吹き荒れるでしょう。かつてなかったような一つの悩みがある国にあったように、神の子どもたちに明確な結果をもたらす時となるでしょう。今は、私達が働く時です。

 [現在の]真理を告白している多くの人々の間に不安の精神があります。ある人は、広い土地を買うために、また、ビジネスを手広くするためにほかの都市や、別の州に行こうとしています。ある人は、地方都市に行こうとしています。このように、少人数での働きの内容を託された小さな教会は消えて存在しなくなるように落胆して弱小化しています。その人々は、忠誠によって小さな活動で慰めの家族をつくって、神の愛によって、その人々の魂達を守るための自由を持っていました。移住した多くの人々は失望しています。わずかな財産を失った人々は、健康も失って、[現在の]真理を放棄しました。

 主はやってきます。みんなで主の働きをして、自分達の信仰を示しましょう。キリストの再臨が近づいていると信じることは、数々の教会の外で失われています。そして、利己主義がその人々個人の関心に仕えるので、彼らが神から奪う原因となっています。キリストが私達のうちにとどまっている時、私達は主のように自己否定をしているでしょう。

 過去の時に、私達の[教会の]一部にとても気前の良かった時期がありました。その人々は、この働きの様々な部門の働きを助けるようとの呼びかけへの応答に積極性は欠けていませんでした。しかし、後で変化がやってきました。特に、[アメリカ]東部の私達の[教会の]兄弟達に資金の控えがありました。一方、世俗心と財産への愛着が増えました。私達の様々な施設と事業を助けるためになされた約束を無関心にすることが増えています。教会を築き上げるための寄付、カレッジの基金の寄付、伝道の働きを支えるための寄付は、人々の都合が悪いならば義務を果たすもとにない約束と見られています。それらの約束は、神の聖霊の聖なる感動のもとになされました。その時、正当に主に属しているものを控えても、主から奪っていません。兄弟 姉妹のみなさん、あなた方が神と信仰を共有していたならば、あなた方の過去の生活を振り返ってみてください。あなた方は、何かを買い戻す約束をしていませんか。もしもそうならば、あなた方の力の範囲内ならば、それらを払って解決するでしょう。

 主の勧めに耳を傾けてください。「「汝らはみな、什一を宝庫に持って行きましょう。私の家には食物meatがあるようにしましょう。今これと共に私の真意を確かめてください(and prove Me now herewith,)、……それを受け入れるための十分な余地がないならば、私は天の窓をあなた方に開かず、また、あなた方に祝福を注がないでしょう。私はあなた方のために、むさぼり喰う者を責めるでしょう。彼はあなた方の土地で穀物や果実を滅ぼさないでしょう。あなた方のブドウは、その畑でその時の前にその実を落とさないでしょう」「そして、すべての国の人々は、あなた方を祝福されていると言うでしょう。あなた方[の国]は楽しい地となるでしょう」[マラキ3: 10-12 KJV]

 あなた方は、主の目的を前進させるために熱心に働きを始めること、利己心を捨てること、主がここでしている約束を受け入れることに乗り気でないのではありませんか。あなた方の[献金もできない]貧しい隣人達に優位な立場を取ることによって、この世において、あなた方がもっている力を強くしてはいけません。神の目は、あなた方の上にあります。主はすべての人々の働きを読んでいます。そして、あなた方に聖域でのバランスに重きを置いています。

 多くの人々が、生きている間に主の目的に捧げることを控えて、死をも惜しまないつもりという良心を沈黙くさせて、生きている間に何も与えず、敢えて神に信頼せず信仰を働かせないということを、私は見ました。しかし、死の床での慈善は、主につく人々にキリストが求めているものではありません。最後の瞬間まで、自分達の財産をしっかりと握っている人々は、[人類救済]目的よりも、死に明け渡しています。損失が生じ続けています。銀行は倒産し、財産が多くの方法で消失しています。何かをするための多くの目的も、彼らはその内容を先延ばしするだけで、サタンは、主の宝庫に入ってくる資金のすべてを妨げるために働いています。それは、神に戻る前に失われています。サタンは、そうなることを喜んでいます。

 あなた方が資金によって良いことを行なえるならば、サタンがこのように神の働きを妨害して彼の手がそれを得ないように、すぐに行ないましょう。多くの場合、主が[人類救済]目的を前進させるため兄弟達に資金を管理する方法を主が開示した時、サタンの働き人達は、兄弟達の資金を積極的に二倍にする事業を提示しました。彼らは餌をまいています。彼らのお金は投資されています。そしてしばしば、主の目的と兄弟達は1ドルも受け取っていません。

 兄弟達は、主の目的を思い出してください。やがて訪れる時に備えて良い基金をあなた方のために立ち上げて自分の指示で資金を持っている時、あなた方は永遠の命を手に入れることができるでしょう。イエスは、あなた方のために貧しくなりました。あなた方は、主の貧しさを通して、天の宝によって豊かにされるでしょう。あなた方は、あなた方のためにすべてを与えたイエスのために何を与えますか。

 聖書の中の死の遺産をあなた方への慈しみの贈り物にして頼ることは、あなた方のためにならないでしょう。あなた方は、主の目的が彼らによって益とされるような最小の保障度と考えることができないでしょう。サタンは、親族の心を掻き立てるために、巧みな技で働いています。そして、神の目的のために厳粛な決意をした世俗の人々を獲得するために、すべての間違った立場が取られています。いつも受け入れられよう期待された総額は多くありません。サタンは、親族達が彼らの財産分与によって望み通りにして反対し抗議するよう、男性達、女性達の心の中においています。彼らは死去した親族から奪っている時に、主にすべてを与えたと考えているように思われます。あなた方は、自分達の資金が適切に主の[人類救済]目的に届くように望んでいても、あなた方は生きている間、必要な支援を本当に何も行なっていません。少数の兄弟達は、このことをしていてその人の遺言執行人になることを楽しんで喜んでいます。人々の貪欲は、人生の秩序を奪って、神が彼らに貸した財産は永遠に利用されない必要性を作っているでしょう。あなた方は、土の中に自分のお金を隠しておいたしもべ[マタイ25:18]のように、無駄な運命を自分に招かないようにしましょう。

 死に逝く人の慈善は、生きている人の僅かな慈善の代わりです。多くの人々は、友人達と親族達に自分の財産をわずかな額のほかは贈るよう遺言しています。彼らは、これを自分達のために貧しくなった人、侮辱と嘲りに苦しんだ人、そして、死んだ人、最上の友人[]に残しています。彼らは、神の息子 娘となるでしょう。また、彼らは、正しい人が死んだ時に、無限な命に至ることを望んでいます。この友人[]は、その人々を主の永遠の住処に伴うでしょう。

 キリストの[人類救済]目的は、単なる出来心でも偶発的な行動によってでもなく、資金を奪われています。あなた方自身の慎重な行動によって、あなた方は財産を不信者達に譲渡するという自分の遺言を書きました。あなた方は生涯の間に神から奪った後で、死んだ後も神から奪い続けています。そして、遺言と言われている書類の中で、あなた方は自分達の知性の力すべてで同意をしています。あなた方は、このような主の適切な良い物、あなた方の主の遺言があなた方にむいていることをどのように考えますか。あなた方は、家令としての役割と責任が求められている時に何と言いますか。

 兄弟のみなさん、利己的な生活から目覚めてください。クリスチャンとしての言行一致した行動をしてください。主は、あなた方に資金の節約を求めています。そして、宝庫の中にあなた方の満足のためのドルがすべて必要ないようにしましょう。姉妹のみなさん、あなた方がキャンディーや、リボンや服のひだ飾りに使おうとしていた100円を神の[人類救済]目的に捧げるために、10円、20円を大切に保管してください。

 私達が終わりに近づいている時に、主の目的に必要なものは増え続けています。主の目的の困難な部門と牧師の奉仕の働きを効率的にするよう用意するために、資金が、私達の学校で学ぶ短期間の若者達に与えるために必要です。私達は、この内容によって、自分達の特権を話題にしていません。私達の間の学校はみな、やがて閉鎖されるでしょう。多くの人々がクリスチャンの善意によって、キリストの求めに従っていたことでしょう。キリストに与えるためのこの用意の感化がこの世界の人々にもたらされてことでしょう。それは、誤解していないだけではなく、否定していないと主張し、――信じていることは、私達が告白している真理を好意的に確信して主張した一つです。主は、世俗の人々の目の前で、私達への主の祝福を明らかにしました。

 初期のクリスチャン達は、私達が持っている機会と特権を持っていませんでした。彼らは、[献金もできないほどに]貧しい人々でした。しかし、彼らは真理の力を信じていました。彼らの目前の目的は、すべてを投資するよう彼らを導いていました。救いを考えている人々や、世俗の失われている人々は、彼らの助け手に頼っていました。彼らは、主が命じたことに来ることや出ていくための用意を自分でして、自分達のすべてを捨てました。

 私達は、それと同じ原則によって統制されること、それと同じ精神によって感化されることを告白しています。しかし、キリストにすべてを与える代わりに、多くの人々は、金貨を得て、相当に華美で豪華なバビロン風の衣服をキャンプの中にしまっています。[奉納物を取った]一人のアカンの出現は、イスラエルのキャンプ全体を弱小化することに十分でした[ヨシュア記7章参照]。すべての教会とほとんどすべての家族にそのようなアカンがいる時に、私達の尽力が加わった数々の小さな結果に驚くことができますか。私達は、自分達の手本によって、ほかの人々を刺激するための無私の慈善の働きに出かけていきましょう。はるかに大いなる力を伴って前進したその働きは、資金を主の宝庫に供給することが可能なすべてを行ないました。

                                                

 

14[現在の]真理の力

 神の言葉は、初代教会の時代に主の働き人達の「主の霊と力の実演」(1コリント2:4KJV) によって説教されました。人々の心は、福音の宣布によって揺り動かされました。今日、真理の説教が人々の心を揺り動かす力がとても小さい理由は何ですか。使徒達の時代よりも今の世代、主の目的で働く人達に主の祝福を授けることに神が快くしていないからですか。

 私達がこの世界の人々に伝えている警告は、その人々に命から命へ、死から死への香りを証明する必要があります。そして、主はこの恐ろしく厳粛なメッセージを宣布するために、主の聖霊を彼らに与えず、主に仕える者達を送っていますか。ひ弱で間違う人間に神からの力と特別な恵みなしに、永遠の命の言葉を語るために命と死の間に敢えて立ちますか。私達の主は、恵みと能力に富んでいます。主は、信仰によって彼のところに来るすべての人々にそれらの賜物を豊かに授けるでしょう。主は、親達が子ども達に与える以上に、主に求める人々に聖霊をたくさん与えることに気前よくしています。実にひどい理由から(The reason why the precious, )、この時代の人々のための重要な真理は、救いのために人を動かさず、私達が信仰によって働いていないということです。

 私達は、ペンテコステの日の主の弟子達のように、聖霊の降下を熱心に祈る必要があります。その当時、それが必要だったならば、私達は今日もっとそれが必要です。道徳的な暗黒が喪服を着た葬列のようにこの地上を覆っています。あらゆる誤った教理の数々、異端信仰、サタン流のだましが、人々の知性を間違った方向に導いています。神の霊/精神と能力なしに私達が[現在の]真理のために働くことは無駄なことでしょう。私達がこの世界の人々に主を指し示すように適任にされるのは、キリストを熟考すること、また、主の中にある信仰を実践することによって、さらに、私達自身を主が救う恵みを体験することによってです。私達が主に関して学んだならば、イエスは、私達のテーマとなるでしょう。私達の心の祭壇で燃えているイエスの愛は世界の人々の心に届くことでしょう。[現在の]真理は、冷淡ではなく、命のない神学理論ではなく、聖霊の実演の中に現されるでしょう。

 私達の[教会の]牧師達の講和や説教の多くは、実践的な信心に不十分で、大きく神学理論に偏っています。彼らは、その真理の理性的な知識を持っていますが、彼らの心はキリストの愛の本当の熱情に触れていません。多くの牧師達は、その真理を支える説明のための知識を私達の出版物の内容の研究によって得ています。しかし、彼らは、自分達自身のために聖書を研究する者になっていません。彼らは御言葉に現された救済の計画の知識を初めから終わりまで深く追究し続けていません。ほかの人々に説教していながら、彼らは宗教的な成長の中を彷徨っています。彼らは、この世界の人々にキリストを正しく示せるように、主の霊と恵みを請い求めず神の前に行くことをしていません。

 人間の能力は弱く、人間の知恵はおろかです。私達の[働きの]成功は私達の才能や学習によってではなく、神との生きたつながりによっています。[現在の]真理は、自分自身の学習と能力を誇示しようとしている人々によって説教されるとき、それ自身の力を断たれています。その人々は、心と生活が清められておらず、無益な自惚れに満たされていて、宗教体験が非常に少ないことを証しています。彼らは、イエスに関して学んでいません。彼らは、詳しく知らない救い主をほかの人々に示すことができません。彼ら自身の心は、キリストが滅びている人間を救うために備えた偉大な犠牲について、生き生きした感覚によって和らげられず征服されていません。彼らは、自己を否定すること、敢えて主のために苦悩することが一つの特権だということを考えていません。ある人は、自己を高めて自己について語っています。彼らは、当然受けるべき栄誉を受けていないかもしれないと心配して、ある牧師に人々の注目を呼びかけるために、説教を用意して記事を書いています。牧師が激賞されず、メッセンジャー達ではなく、イエスがもっと高められて、真理の創始者にもっと賞賛を返していたならば、私達は今日、行なっている以上に神の前でもっと好意的な立場を占めているでしょう。

 人類救済の計画は、少数の牧師達が信仰について単に知っているという理由で、それについて分かりやすく示されていません。[現在の]真理の理知的な知識は十分ではありません。私達は自身の心と生活においてその力を知る必要があります。牧師達は幼い子どもとしてキリストのもとに行く必要があります。イエスを求めましょう。兄弟[姉妹]のみなさん昼も夜も請い願いましょう。キリストに受け入れられるように、自分達の罪を告白しましょう。多く許されたゆえに多く愛しましょう。その時に、あなた方はほかの人々に罪を赦す贖い主としてのキリストを示すことが可能です。あなた方は、それ自身清める力を考える気づきから[現在の]真理を示すことが可能です。私の兄弟[姉妹]のみなさん、私はあなた方を案じています。私はあなた方に、初期の弟子達がしたように、あなた方が聖霊のバプテスマを受けて彼らのようになるまでエルサレムにとどまっているように勧めます。あなた方の力によって捉えた信仰になるまで人前に立つことを気軽に考えないでください。

 私達がキリストの精神/霊を持っているならば、私達は主が働いたように働くことでしょう。私達は、ナザレの特別な人の考えを捉えて、人々の前にそれを提示する必要があります。私達は、形式的な告白をして回心していない牧師達の中にいて、キリストに従っている者だったならば、私達はその柔和と熱情によって真理を示すことでしょう。私達の生活によって、良い実例として世界の人々は、私達が告白していることを本当に信じているかどうか問い続けないでしょう。キリストの愛によって伝えられたメッセージと、私達の前にいつもいる人々の魂の価値は、世俗の人々から「あなた方はイエスのようです」という判定を勝ち得るでしょう。

 私達が、ほかの人々の行動を変容させたいならば、私達は、ほかの人々に働きかける原則を自ら実践している必要があります。言葉は、どんな良いものでも、日常生活によって否定されたものは効力がないでしょう。私は、キリストの牧師達にお勧めします。「自分自身と教理のことに気を付けてください」[1テモテ4:16]。あなた方は、ほかの人の罪を戒めている罪を許してはいけません。あなた方が柔和や愛を説いているならば、それらの恵みはあなた方自身の生活の実例にしましょう。あなた方が家で、ほかの人々に親切に、礼儀正しく、思いやり深くするよう言っているならば、あなた方自身の実例は、あなた方の勧めに力を添えるでしょう。あなた方がほかの人よりも大きな光を受けた時、あなた方の責任はたいそう増しているでしょう。あなた方は自分達の主の意図を行なうことを怠っているならば、多くの細い糸に捕えられるでしょう。

 サタンの罠は、丁度、カナンの地の入る前に、イスラエルの子らの前に置かれていたように本当に、私達の前に仕掛けられています。私達は、その人々の歴史を繰り返しています。軽率、うぬぼれ、安楽と娯楽への愛着、利己心、清くないことが私達の間で増えています。神の勧めの全体の布告をほかの人々に行なう時に、眠っていない人、謹厳で見張っている人、大胆で確固とした人の信仰に属している必要があります。私は、私達の[教会]の牧師達が能力と清さに欠如していることを知っている者として、自己を高める努力を見ることに心を痛めています。彼らがイエスをあるがままに、また、自分達をあるがままに見るだけならば、彼らの大教師にまったく似ておらず、たいそう無能で、とても弱い者です。彼らはこう言うでしょう。「私の名前が命の書の不明瞭な部分に書かれていたならば、それは私に取って十分なことです。私は、まったく価値がないという主の警告に属しています」。

 主の人格モデルを模倣することと研究することはあなた方の働きです。キリストは自己否定をしましたか。あなた方もそうしましょう。主は柔和で謙虚でしたか。あなた方もそうしましょう。主は魂達を救う働きに熱心でした。あなた方もそうしましょう。主は、天の父の栄光を推し進めるために働きましたか。あなた方もそうしましょう。主はしばしば、神の助けを求めましたか。あなた方もそうしましょう。キリストは忍耐しましたか。あなた方も忍耐する必要があります。キリストがその敵達を許したように、あなた方も許しましょう。

 私達の真実な品性を現す家族の宗教として、祭壇のある宗教は多くありません。ある牧師の妻とその子ども達、彼の家族とヘルパーとして働いている人々は、彼の清さを判定するために最も適任となっています。良い人は彼の家族を祝福する者となるでしょう。妻と子ども達、ヘルパー達はみな、彼の宗教にとって最良な人々となるでしょう。

 兄弟のみなさん、家庭にキリストを招きましょう。祭壇に主を招きましょう。あなた方が行く所ではどこでもあなた方と共に生きる主を伴いましょう。あなた方は、キリストに仕える者であることをすべての人々に証する天の信任を負っているので、奉仕の働きを高く評価する必要をほかの人々に主張する必要はありません。あなた方が独居の時に、イエスはあなた方を伴っています。主は、しばしば、祈りの中にいたことを思い出してください。主の生涯はいつも、聖霊の新鮮な霊感によって支えられていました。神の日にそれが記録されたことに向き合う時に辱められないように、あなた方の考え、あなた方の生活の内面をそのようにしましょう。

 天は、義とされた人の熱心な祈りに対して閉じられていません。エリヤは私達のあるがままの感情の対象の一人の男性でした。また、主は、聞いて、そして、最も心を打つような方法で、エリヤの願いに応答しました。神からの私達の力の欠如の唯一の理由は、私達自身の中に見られています。[現在の]真理を告白している多くの人々の生活の内面が、その人々の前に提示されたならば、その人々は、クリスチャンだと言わないでしょう。その人々は、恵みのうちに成長していません。性急な祈りが今捧げられています。しかし、そこには神との調和が実際にありません。

 私達が神性の生活を前進させようとするならば、私達は祈りをたくさんする必要があります。[現在の]真理のメッセージが初めて宣布された時、私達は、どれほど祈りましたか。しばしば、果樹園の小屋で、アパートで執り成しの声が聞かれました。しばしば、私達は熱心な祈りの時間を費やしました。約束を求めて、23人が共に集まって、しばしば、涙と共に感謝の声と賛美の歌声が聞かれました。さて、神の日は、私達が初めて信じた時よりも近づいています。そして、私達は、それらの初期の日々よりも熱烈に、もっと熱心を必要としています。私達の滅びは、その時よりも今、大きくなっています。魂達[の心]は頑なになっています。私達は今、キリストの精神/霊を授けられる必要があります。そして、私達はそれを受けるまで、休息するべきではありません。

 兄弟 姉妹のみなさん、あなた方の祈りは鋭い鎌の歯のように、広い伝道地で働く者達と出ていくことを忘れたのですか。[現在の]真理を説くために出ていく若い人々として、あなた方はその人々のために祈りの時を持つ必要があります。神がその人々を主自身と結びつけるよう、そして、その人々に知恵と恵みと知識が与えられるように祈りましょう。サタンの罠から守られるように、そして、心の中の聖と思想の中に清さを保つよう祈りましょう。食欲を甘やかすためや、プライドを満足させるために働く必要がないことや、むだ話で費やすための時間はないように、主を畏れるあなた方に請い願います。このようにして得た時間は、あなた方の牧師達のために、神と格闘して費やしましょう。モーセの手をアロンとホルが挙げたように[出エジプト17:12]、彼らの手を支えましょう。

                                                    

 

15.私達のキャンプミーティング

 私達のあるキャンプミーティングは、主が意図したあるべき形からとても離れていると私は[主から]示されました。主の人々は、神の聖霊の訪問に用意せずに参加しています。一般に、姉妹達は外面的に美観を添える衣服を用意するためにその集会前に思案する時間に充てています。その一方で、彼女達は内面に美観を添えることを忘れています。それは、神の視野の中で大きな価値があります。そこでは集会の参加者のために正しくないことが積極的に行なわれていて、巧みな料理とケーキとたくさんのパイの用意がされ、必要のない調理に多くの時間が費やされています。私達の姉妹達は、良質のパンと健康に良い数種類の食物を提供しましょう。彼女達の家族は命の言葉を正しく認識するでしょう。またもっと聖霊の感化を受けやすくなるでしょう。

 しばしば、胃は家庭で食している別のあっさりしたものでない食物で負担がかかっています。胃に負わされた働きの量は二倍にも三倍にもなっています。これは知性を鈍らす原因になっています。永遠の事柄を受け入れることは困難です。人々は、神の聖霊にもっと喜びを持てなくして失望しています。

 集会のための準備をしている間に、個々人は神の前に自分自身の心を念入りに批判的にテストしましょう。もしも、家族の中にもめごとや不和、嫌な雰囲気があったらならば、互いのために共に祈って、ほかの人のために人がそれらの失敗を告白する備えの行動を初めとする必要があります。魂の宮からすべてのゴミ――、羨望、嫉妬、うさんくさい思い、あら探しを空(から)にするよう熱心に努めましょう。「汝ら罪びと達、あなた方の手を清めなさい。そして、心を清めなさい。苦しんで悲しみ、泣きなさい。あなた方の笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。主の視野の中で自分自身をへりくだりなさい。主は、あなた方を高めるでしょう」[ヤコブ4:12 KJV]

 主は、語っています。あなた方の祈りの小部屋に入って、沈黙してあなた方自身の心と交わって、真理と良心の声を聴きましょう。隠れた祈りの時に、自己について明確さを与えるものは何もないでしょう。隠れたことを見ていてすべてを知っている主は、あなた方の理解に光を照らして教化して、あなた方の懇願にこたえるでしょう。怠るべきではない明白で純粋な義務があなた方の前に開示されるでしょう。主への奉仕のためにあなた方の力をみなあなた方自身で明け渡して神と約束をしましょう。このキャンプミーティングに未完成の働きを持ち込んではいけません。それが家庭でなされないならば、あなた方自身の魂はともに苦しむでしょう。そして、あなた方の冷淡、あなた方の居眠り状態、あなた方の霊的な昏睡状態にほかの人々はひどく害されるでしょう。

 [現在の]真理を告白している人々の状態を私は見ていました。預言者エゼキエルの言葉は、この時代の人々に適用可能です。「人の息子よ、それらの人々はその心に自分達の偶像を心に抱いて、その顔の面前に悪いつまずきの石を置いています。主、私は彼ら[の悪]によってすべて[の責任]を問われるのですか。それゆえ、その人々に話しなさい。そして、彼らに言いなさい。神、主はこのように言っています。心の中に自分の偶像を抱いたイスラエルの家のすべての人は、自分の面前に自分の悪いつまずきの石(NKJV:原因)を置いて、そして、その預言者のところに来ました。私、主は、彼の多くの偶像に応じるために行って、彼に答えるでしょう」[エゼキエル14:3-4 KJV]

 私達が世俗の事柄に愛着を持っているならば、また、実を結ばない[霊的な]暗黒の働きと協力するか、不義の楽しみをしているならば、私達は自分の面前に自分の悪いつまずきの石を置いています。そして、私達の心の中に偶像を備えています。私達が捨て去る努力の決意をしない限り、私達は神の息子 娘として認められないでしょう。

 私達の聖なる集会に参加する前に、結ばれる家族のための働きがあります。食事のための備えをしましょう。服の用意はその次の内容にしましょう。心を深く探ることを家庭で始めましょう。そして、一日に三回、ヤコブのように緊迫した祈りをしましょう。家庭はイエスを見つけるための場所です。あなた方はその集会に主を連れて行きましょう。あなた方がそこで費やす時間はとても貴いものとなるでしょう。あなた方は、個々人がその備えの働きを怠っている時に、どうして主の臨在と主の力の現れを見ることを期待できますか。

 あなた方の魂のために、キリストのために、そして、ほかの人々のために家で働きをしましょう。いつもと同じ祈りの言葉にならないようしましょう。神の前で心を打ち明けるようにしましょう。あなた方の家の秩序を保ちましょう。あなた方の子ども達に行事にふさわしい準備をさせましょう。子ども達に、清い心ときれいな手と清潔な服で神の前に出ることはたいそうな結果ではないことを教えましょう。子どもたちとあなた方の間や親達の間にあった困難をみな、子ども達の道にあった障害をみな取り除きましょう。そうすることによって、あなた方は主の臨在を家に招くことでしょう。そして、聖天使達はあなた方がその集会に出かける時にあなた方に伴うでしょう。彼らの光と臨在は悪天使達の闇を退けるでしょう。不信者でさえ、人々がキャンプしている時に聖なる雰囲気を考えるでしょう。この大切な働きを怠ることによって、なんと多くの人々が失われていることでしょう。あなた方は説教を喜んでいます。元気づけられ活気づけられるようになるでしょう。しかし、神の力による行動変容と回心は、心の中で考えられていないでしょう。そして、その状態は徹底せず、その働きは長く続かないで深められないでしょう。プライド(自慢の混じった自尊心)は、十字架につけられて、その魂は金で買うことができないキリストの義の衣で覆い隠されるようにしましょう。あなた方は、その集会で楽しめるでしょうね。それはあなた方の魂にとって天の門のようにさえなるでしょう。

 心を探り謙虚にする働きは同時に、教会でも行なわれる必要があります。そのために、兄弟[姉妹]達の間の疎遠と意見の違いは、この年一回の集会で主の前に現される以前にわきに捨てられうるでしょう。熱心にこの働きに努めてください。それが達成されるまで休まないでください。あなた方が自分の疑いと、不平、異論を持ってこの集会に来ているならば、行く先々に[霊的な]闇を持ち込んで、このキャンプミーティングに悪天使を連れてきています。

 この備えの欠如のために、この年一回の集会はほんの少しだけ達成されてきたことを、私は示されました。この教会の牧師達は、神の働き[説教]のための準備をほとんどしません。集会には、たくさんの講話者がいます。――その人々は、他教会の信仰を嘲笑ってかき回す方向で、曲解した事柄と辛辣なことを語ることができます。――しかし、神のための熱心な働き人はわずかしかいません。それらの辛辣で自己尊大(うぬぼれ)な講話者はほかのすべての人々を進歩成長させる真理を持っていると告白しています。しかし、彼らの働く方法と宗教的な熱意は、自分達が告白している信仰と一致していません。

 私は、魂の謙虚さを見ようと、私達の牧師達が適した衣服として似合っているかについて見渡してみました。しかし、それは、彼らにありませんでした。私は、魂達のための深い愛情を探しました。大教師は「彼らは才能がありますが、それを使っていません」と言いました。不信者と悔い改めていない人に属しているゆえに、教会の中と彼らの家庭で涙と共にささげた魂の悲痛な熱心な祈りに、私は耳を傾けました。しかし、牧師達はそれを聞きませんでした。私は、霊の実演のアピールした話を聞きました。しかし、それは間違っていました。私は、責任を負っている人々を探しました。その人々はこのような時に、玄関と説教壇の間で泣いているでしょう。主、そなたの残りの民、そなたの信仰遺産を咎めないでください。わずかな人々だけが、熱心で謙遜で主を求めていました。そのある集会に、責任を感じていた一人か二人の牧師が、麦束の下の手押し車のように、押し潰されそうになっていました。しかし、大半の牧師達は、子どもよりも自分達の働きの神聖さを考えていませんでした。

 私は、その年次集会のあり方と牧師達の在り方――集会で熱心に働く姿を見ていました。牧師達は、ほかの人々を助ける働きに入る前に、心の備えをしているでしょう。その人々は牧師達の多くの前進から遠く隔たっています。彼らは、主が彼らを祝福するまで祈りの格闘を諦めないでしょう。神の愛が彼らの心の祭壇で燃えている時、彼らは、世界の人々の罪を取り除くキリストを指し示して、自分の利発な現れを説教しないでしょう。

 初代のキリスト教会は、それ自身の清めを教えられました。その指針は、霊感の声によって与えられました。それ自身の任命は、人々の考案したものによって堕落しませんでした。初代教会は、キリストの精神を証して、その純粋さの美しさを現していました。その美観は、聖なる原則とそのメンバー達の生きた実例でした。学習や実演によってではなく、神の言葉をわかりやすく説教することに加わった神の力によって、大勢の人々がキリストに勝ち取られました。しかし、初代教会は堕落しました。さて今、以前よりまして、牧師達は光のチャンネル(通路)になるという大きな必要があります。

 現在、聖書の真理を軽薄に語る人々がたくさんいます。その魂達は、露と雨がなかったギルボアの丘のように[2サムエル1:21参照]、神の霊の実を結ばない者達です。しかし、私達が必要としているのは、完全に自分を回心させている人、神に心の捧げ方を教えることができる人々です。信心の力は、私達のほとんどの諸教会に増えました。そしてこれはなぜですか。主は、静かに感謝を待っています。主は、天の窓を閉じませんでした。私達は、主から自分自身を離してしまいました。私達は、十字架上に信仰の目をとどめて、イエスが私達の力で私たちの救いであることを信じる必要があります。

 私達が[教会の]人々と牧師達に課されている働きの重荷をとても少なく見る時、私達は間違っています。主が来るとき、主はこの地上に信仰を見つけることができるでしょうか。欠如しているのは信仰です。神は恵みを豊かにもっていて、私達が求めるのを待っています。その理由、私達はイエスを見ているのではなく自分を見ているので、自分達の大きな必要を考えていません。私達はイエスを高めず、主の功績に全的に頼っていません。

 私は[教会の]人々と牧師達に、私達のキャンプミーティングの仕事とその精神の中に入る備えを通して、もっと心に深い恵みの必要の感動を与えたいと思っています。その人々は、その集会から益の可能性をたくさん受けるでしょう。それらの年毎の集会は特別な祝福の季節となるでしょう。あるいは、その人々は、霊の豊かな実となるでしょう。その人々は、あなた方とのためにいるでしょうか。敢えて、読者のためにいるでしょうか。その人々自身のために決意することは、一人ひとりのために残っています。

                                               

 

16.兄弟[姉妹]

 「汝らが互いに愛し合うならば、それによって、汝らが私の弟子であることをすべての人々が知るでしょう」[ヨハネ13:35 KJV]。主が[贖うために]死んだ人々のために、私達の愛が広がるならば、私達の品性は、もっとよく私達の救い主に似て見えるでしょう。お互いに無私の愛を現すクリスチャンは、抵抗も反論もしない不信者達にキリストの証を伝えています。そのような実例の力を高く評価することは可能です。そのようにサタンの考案品と仕える者をうまく打ち負かすものはないでしょう。この教会のメンバー達によって現されたキリストの愛のように、贖い主の王国を築き上げるものはないでしょう。平安と繁栄は柔和と愛が積極的に体験されている時だけ楽しむことが可能です。

 使徒パウロのコリントへの最初の書簡は、キリストに従う者達が好感をもつ必要のある愛について重要なことを著しています。「私が天使や人々の言葉を語っても、愛の慈しみがないならば、私は鳴り響く金管楽器やシンバルのようなものです。また、私が預言の賜物を持っていても、さらに、あらゆる未知を理解していても、あらゆる知識を持っていても、私があらゆる信仰を持っていても、その結果、私が山を動かすことができても、愛の慈しみを持っていないならば、私は何者でもありません。また、私が貧しい人々に食物を与えるために私の持ち物をすべて与えたとしても、また、自分の体を燃やされるために渡したとしても、私に愛の慈しみがなければ、それは、私に益をもたらしません」[1コリント13:1-3 KJV]

 彼の告白がどんなに高尚な内容でも、彼の心は仲間の人々と神の愛に満たされておらず、キリストの弟子ではありません。彼は強い信仰を持っていて、奇跡を働く力さえ持っています。しかし、愛なしでは、彼の信仰は価値がないでしょう。彼は多くの気前のよい贈り物が可能ですが、彼は、真の愛ではなくほかの動機から貧しい人々を養うために自分のすべての持ち物を与えるでしょう。その行動は、神の好意を得られないでしょう。また、彼の熱意によって、殉教者としての死や愛の黄金のような極貧destituteに立ち向かっても、騙された熱狂者、野心的な偽善者として、神によってみなされるでしょう。

 その使徒は、特別な愛の実を続けて述べています。「愛の慈しみは、寛容、そして、親切です。愛の慈しみは、うらやましく思いません」。心を律している神性の愛は、利己心とプライドを一掃しています。「慈しみは、自分を自慢しません」。清らかな愛は、謙遜から湧き出ています。高尚で貴い品性は、神の意思に従順に信頼した愛と忍耐を基礎にしています。

 愛の慈しみは「不作法なふるまいをしせん。自分の益を求めません。悪を考えず、容易に怒りません」。愛が律している人の心は、ひどいふるまいをする悪いプライドと自己愛による仕返しや激情に満たされないでしょう。愛は、ほかの人々の行動と動機を最も好意的に捉えて信用してします。愛は、必要もないのに決してほかの人々の欠点を暴露しないでしょう。愛は、好意的でない噂に進んで耳を傾けないでしょう。心に傷ついた人の癒しとして、良いものを知性にもたらそうとするでしょう。

 愛は「不義を喜ばず、真理を喜びます」。愛を与えられている人の心は、ほかの人々の弱さと間違いについて、悲しみに満たされています。真理が勝利している時、また、ほかの人の評判の暗雲が吹き払われる時、あるいは、罪が告白されて間違いが正される時、その人々は喜んでいます。

 「[愛は]すべての責任を負い、すべての事柄を信じ、すべての事柄を望み、すべての事柄を耐えています」。愛は、ほかの人々の失敗を覆うだけではなく、必要ならば自制して、苦悩や不快であれ、好意的に甘受しています。この愛は「決して絶えません」。愛は決してそれ自身の価値を失いません。愛は、天の特性があります。貴い宝として、愛は、神の都の数々の門を通って行く愛の所有者によって運ばれるでしょう。

 霊の実は、愛、喜び、そして、平安です。不一致と不和はサタンの働きで罪の実です。私達は、愛と平安を慈しむ人々であるならば、罪を捨て去る必要があります。私達は、神との調和に入る必要があります。そして、私達はほかの人と調和するようにしましょう。おのおの自分自身に問いかけましょう。“私は、愛の恵みを宿しているだろうか。私は、親切にすること、寛容にすることを学んだだろうか”。この天の特性のない雄弁術を学んだ才能は、やかましいシンバルや大きな音をたてる金管楽器と同じように、意味のないものとなるでしょう。悲しいことに、この貴い宝は、たいそう輝かしい価値を与えられていますが、信仰を告白している多くの人々に少しも求められていません。

 パウロはコロサイの人々に書いています。「それゆえ、神に選ばれた聖なる愛された者として、恵みの憐れみ、親切、知性の謙虚、柔和、寛容を身に付けなさい。互いに譲り合い、互いに許し合い、誰かが誰かと言い争いをしているならば、キリストがあなた方を許したように、汝らもそのようにしなさい。それらのすべてのことに、慈しみを身に付けなさい。それらは、完全/成熟へと結ぶ帯です。神の平安があなた方の心を律するものにしましょう。あなた方は一つの体[教会]の中に呼び出されています。汝らは感謝する者となりましょう」、「汝らが、言葉と行動で為すことは何でも、主のそばの父と神に感謝を捧げて、すべて主イエスの名によって行ないなさい」[コロサイ3:12-15,17 KJV]

 私達がキリストの重要な恩義のもとにいるという事実は、[キリストが]贖うために死んだ人々への最も神聖な主の恩義のもとに私達をおいています。私達は、キリストが私達に現した同じ優しい思いやりと無私の愛、同じ共感をその人々に現すために生きています。利己的な野心と支配欲は、キリストが愛情を占めている時に途絶えるでしょう。

 私達の救い主は、主の弟子達に「私達に負い目のある人々を許したように私達の負い目を許してください」[マタイ6:12 KJV]と祈るように教えました。ここで、大いなる祝福が様々な状況で求められています。私達は、このような有様です。私達は、受ける神の恵みが、ほかの人々に与える恵みによって測られて評価されるよう求められています。キリストは、これが私達を処遇するルールだと言っています。「あなた方が人々の[権利侵害の]罪を許すならば、あなた方の天の父は、あなた方を許すでしょう。しかし、あなた方が人々の罪を許さないならば、天の父はあなた方の罪を許さないでしょう」[マタイ6:14,15 KJV]。素晴らしい言葉です。しかし、[これを]理解したり心にとめたりする人は、なんと少ないことでしょう。最も一般的な罪の一つ、ひどく有害な結果が加わる罪は、許さない精神が野放しにされていることです。神の前に膝をついて祈る時、なんと多くの人々が、恨みや敵意を心に抱いていることでしょう。その人々を許すように許されることを求めて、確かに、人々はこの祈りを言い表す真実な本心を持つことができません。さらに、その人々は、敢えて、口からの言葉でそれをしようとしないでしょう。私達は、毎日毎時間、優しい憐れみに頼っています。なんと、私達は、罪びと仲間への恨みと憤慨を抱きうることでしょう。その人々の日々の交わりにおいて、クリスチャン達は、世俗の人々の中や教会の中で祝福された変化がなされるように祈りの原則を実行しているでしょう。これは、聖書の宗教が実際に与えられるような最も確かな証となるでしょう。

 神は、多くの人々が気づいている以上に、主につく人々に多くを求めています。私達が間違った基礎に天の希望を据えたくないならば、私達は、主が言って意味したことを読んで信じて、聖書を受け入れる必要があります。主は、私達に、使うための恵みで私達に与えていないものを求めません。私達が、目の前にある主の言葉の標準に到達していないならば、私達は、神の日に捧げることについて言い訳の言葉がないでしょう。

 私達は、パウロによって訓告されています。「見せかけなしに愛しましょう。悪いものは忌み嫌って、良いものを堅く守りましょう。互いにしてほしいことを尊重して、兄弟愛によって互いに親切に愛し合いなさい」(ローマ12:9-10 NKJV)。その使徒は、私達のために、キリストの霊によって促された清い無私の愛と、世界に満ちている意味のない嘘の口実の間を見分けたでしょう。この偽りの基礎は多くの魂達を間違った方に導きました。それは、人の間違いを人に誠実に示すのではなく、違反の罪を認めることによって、正しいことと間違ったことの間の違いを消し去るでしょう。そのようなコースは決して、真の友情を湧かせないでしょう。駆り立てられる精神は、生まれつきの心にだけ宿っています。一方、クリスチャンは、ずっと親切で思いやり深く寛大です。罪と一致するとはまったく考えることができません。その人は、神を信じない人との友情や協力を犠牲にしても、善でいることに堅く信頼して、悪を忌み嫌うでしょう。キリストの精神は罪を嫌うよう私達を導くでしょう。私達は、その罪びとを救うためにどんな犠牲を払うこともいとわないでしょう。

 「それゆえ、主による証によって、私はこのように言いましょう。汝らは心の盲目ゆえに、怠惰によって神の命から疎遠となって、曖昧な理解をしています。これから、ほかのギリシア人が歩んでいるような、自分達の知性のうぬぼれによって歩んではいけません。古い考えを持っていた人々は、貪欲によって汚れたことをなすために品のない生活に支配されるようにしました」(エペソ4:17-19 KJV)。その使徒は、主イエスの名と権威によって、彼の兄弟達に、福音を[受け入れると]告白した後、異邦人が真に回心したように、自分達自身が日々の行動によって示すべきなのに自分自身を指導していないでしょうと、訓告しています。

 「惑わす強い欲望によって堕落している、以前の古い人との交わりを捨てなさい。そして、汝らは、知性の精神を新しくされて、神にならって、義と真の聖化によって形成された新しい人を身に着けなさい」(エペソ4:22-24 KJV)。以前、彼らは堕落していました。激しい感情の奴隷にされ、品位を落として堕落していて、サタンが考え出した世俗の麻薬を売りつけられ、目先をくらまされ、薬漬けにされていました。現在、彼らは、イエスのうちにある真理を教えられました。その生活と品性は決定的に変化しているに違いありません。

 生活が変えられず、心が新しくされなかったメンバーの増加は、この教会が弱い原因の一つとなっています。その事実は、しばしば、見逃されています。ある牧師達とある教会は、教会員を増やして確保することをとても願っています。彼らは、クリスチャン的ではない習慣と行動に反対する信仰深い証を伝えていません。[現在の]真理を受け入れている人々は、名前だけのクリスチャンでいて、品行において世俗であることは安全の可能性がないことを教えられていません。これまで、彼らはサタンに属する者でした。これから、彼らはキリストに属する者になろうとしています。その生活は、リーダーの変更を証する必要があります。大衆の意見はキリスト教を告白している人に好意を持たれています。小さな自己否定や自己犠牲は、信仰の型を身に付けるため、また、人の名が教会員名簿に記載されるために、わずかに求められています。それゆえ、多くの人々は、初めに、キリストと結ばれることなしに、教会に結ばれているでしょう。このように、サタンが勝っています。そのような回心者達は、彼に仕えている効果的な働き人です。永遠の滅びに倦むことなく誘い込んでいる彼らは、ほかの魂達のおとりとして仕えています。人々が、世俗の人々を喜ばすように、クリスチャンの広い道を造ろうとすることは無益なことです。神は、狭い道や険しい道を広くもなだらかにもしませんでした。私達は、命に入りたいならば、イエスと主の弟子達が歩んだ道――謙遜、自己否定、犠牲の道――と同じ道を歩む必要があります。

 牧師達は、自分自身の心が真理にまったく清められて、自分達の回心のためにこれらの結果を得るために労することを知る必要があります。牧師達と人々に必要なのは清い宗教です。私達の心の中から罪を捨て去り、神に熱心に願って[信仰の]手を伸ばす人々は、その人々だけが得ることのできる神の助けが与えられるでしょう。[罪びとの]身代金は人々の魂のために払われました。人々は、罪の束縛から逃れる機会と赦し、清めと天を得られるでしょう。

 神は、心を低くして悔恨している人の叫びを聞いています。しばしば、恵みの御座に神性の知恵と能力を熱心に懇願して真剣に捧げる人々は、キリストの有用な奉仕者として活動することにしくじらないでしょう。その人々は、優れた才能を持っていないでしょう。しかし、イエスに堅く信頼して心を低くしているので、彼らは魂達をキリストに連れて行ってよい働きをすることでしょう。彼らは、人々を神に届けることができます。

 キリストの牧師達は、人々の魂をつなぐことが神聖な働きだと感じているでしょう。人々の前に自分自身を高めるためではなく、その努力はキリストの体(教会)を教化するためにあるでしょう。クリスチャン達は、忠実な牧師をキリストの大使として評価する一方で、牧師をたたえることを避けるでしょう。

 「それゆえ、キリストが、芳しい香りと捧げ物を私達のために主自身を与えて、私達を愛したように、汝らは、幼子のように愛によって歩み、神に倣うものになりなさい」[エペソ5:1-2 KJV]。人間は、悪い働きによって自分自身を神から疎縁にしました。しかし、キリストは、創造者の好意によって罪から解放され回復されることを望むすべての人々に特別な命を与えました。キリストにこの絶大な犠牲をつくるよう駆り立てたものは、清い世界の住人と贖われた人々の期待でした。私達は大きな犠牲を払って買い取られた特権を受け入れましたか。私達は、愛しい子どものように神に倣うものですか。あるいは、闇の君に仕える者達ですか。私達は、ヤハウェ/主を拝する者達ですか。それとも、バアルに属する者ですか。生きている神に属している者ですか。それとも、偶像に属していますか。聖人の遺物の外観は見えなくても、視線をおいてイメージできなくても、私達は偶像崇拝を行なうことになるでしょう。石や木の神々の様式の対象や気に入りの思想を偶像として作ることは簡単です。多くの人々は、神の概念と特性を間違っています。その人々は、バアルに仕えていたので、本当に間違った神々に仕えています。私達は、キリストに、自然界に、主の言葉に現されている神、真の神を拝していますか。私達は主の場所に祭られた哲学的な偶像を崇拝していますか。神は真理の神です。正義と憐れみは、主の御座の特性です。主は、憐れみに富み、思いやり深い、優しい愛の神です。このように、主は、私達の救い主、神の息子として現されています。主は、寛容と忍耐の神です。私達が似た者となることを求めている品性の人々と、私達が敬愛している存在として、私達は真の神を拝しています。

 私達がキリストに倣っているならば、私達に与えた主の功績は思いやり深い支援者として、天の父の前に出ています。私達の心に育った私達の主の品性の品格は、私達の周りの人々に貴い香りとして発散するでしょう。私達の生活に満ちている寛容と柔和、愛の精神は頑な心を和らげる力を持っているでしょう。そして、この信仰に激しく反対する人々をキリストに勝ち取るでしょう。

 「華々しい論争や嫉みを通して、行なわれることがないようにしましょう。知性の謙虚さについて、自分達よりもほかの人々を良く評価するようにしましょう。自分自身の事情によって周りの人々を考えるのではなく、ほかの人々の事情によって周りの人々を考えましょう」[ピリピ。フィリピ2:3,4 KJV]。「すべての事柄を不満や言い争いなしに行ないなさい。汝らは、神の息子[]達、非難される所がなく、欠点や害のない者となるでしょう。汝らは、世界の人々の光として、不正直で道理に反した国の民の中で批判されることなく、人々の間で輝いています」[ピリピ。フィリピ2:15 KJV]

 虚栄心と利己的な野心は、多くの魂が難破し、多くの教会が力を失ってきた岩礁です。神との薄い繋がりと少ない献身を考えている人々は、最も高い地位をとても熱心に求めるでしょう。その人々は、自分達の考えに欠如や弱さがあることを自覚していません。私達の[教会の]牧師達の多くが、神の力への回心を考えない限り、彼らの働きはこの教会の助けになるのではなく妨害となるでしょう。彼らは、キリストについての教理を学んだでしょう。しかし、彼らはキリスト[の精神]を学びませんでした。イエスをいつも見詰めている魂は、主の自己否定と深い謙虚を見ることでしょう。主の手本を模倣することでしょう。プライドと野心、偽りと嫌悪、利己心は、心の中から取り除かれて清められる必要があります。これらの悪い特色は、多くの人々の心全体に根差したのではなく、部分的に支配しています。それらは好意的な状況のもとで新たに湧き出して、神に対する謀反が熟しています。ここに恐ろしい危険があります。何かの罪が、私達を滅ぼす目的で不注意な瞬間を待ち受けているだけの敵の好意を得ようとしています。

 「あなた方の間で、知識を与えられている賢明な人は誰ですか。知恵のある柔和な行ないと良い交わりで示しましょう」[ヤコブ3:13]。私の兄弟 姉妹のみなさん、あなた方は話をする能力の賜物をどのように働かせていますか。あなた方は、清い感情と光を与えられて、教化された良心の言葉に従うよう、舌(言葉)をコントローすることを学びましたか。あなた方の会話は、軽率やプライド、恨みや偽り、不純から解放されていますか。あなた方は、神の前にたくらみなしに存在していますか。言葉は、話す力を働かせています。サタンはできる限り、その働きで、舌(言葉)の活動を続けているでしょう。私達は、規則に従わないメンバーをコントロールできません。私達の唯一の希望は、神性の恵みです。優秀さを確保する方法を熱心に研究している人々は、知恵を得ることよりも研究しているでしょう。それは、「初めに、清いこと、平穏、優しい、頼まれやすい、恵みと良い実に満ちて偏愛なしに、偽善なしに」[ヤコブ3:17 KJV]。です。私は、多くの牧師達が魂の銘板にそれらの言葉を刻印される必要があったことを示されていました。自身の中にキリストの栄光の希望を形成した人は、「知恵のある柔和な行ないと良い交わりで示しましょう」。

 ペテロは、信徒達に熱心に勧めています。「汝らはみな、互いに思いやりを持って、一つの知性になりましょう。兄弟[姉妹]達のように愛し、憐れみを持って礼儀正しくしましょう。悪に対して悪を報いるのではなく、ののしりに対してののしるのでもなく、汝らは、そこへ呼び出されていることを知って、逆に祝福しましょう。汝らは祝福を受け継ぐでしょう。人は命を愛し、そして、幸いな日を知っていて、悪に対して舌(言葉)を制しているので、彼の口と彼らは策略を語りません。悪を避けましょう。そして、善を行ないましょう。平安を求めましょう。主の目は正しい人々に注がれ、また、主の耳は正しい人々の祈りに開かれているので、それを続けましょう。しかし、主の顔は悪をなす人々に敵対しています」[1ペトロ3:8-12 KJV]

 正しい道がはっきりと示される時、なぜ、神を告白した人々は、それを歩もうとしないのですか。なぜ、その人々は、悪で悪を、罵りで罵りを返すのではなく、兄弟のように愛するように、互いに思いやりのある好意を求めないのですか。命を愛さず、幸いな日々を望まない人は誰ですか。たくらみを語る口と悪を言うことを自制するように、その状況に従う人はなんと少ないことでしょう。主の謙遜と柔和の模範に快く倣う人はわずかです。多くの人々が主に自分達の謙遜を求めています。しかし、必要な弟子の訓練に快く従おうとしていません。煩わしいことが起きて特別な試練がやってくる時、心は謀反を起こして、舌()は爆風や毒矢のような言葉を発しています。

 悪口には、聞く人よりも話す人に重みを増して、二倍の呪いがあります。不和と論争のタネを蒔いている人は、自分の魂に死んだ実を収穫しています。推測屋と告げ口屋は、なんとみじめでしょう。

 「平和をつくりだす人々は幸いです」[マタイ6:9 ]。威厳と平和は舌(言葉)の論争に結ばれることを拒む人々に宿っています。噂話の売り子達が家族から家族へと伝えている時、神を畏れている人々は、家庭で純潔を保っているでしょう。浅薄と怠惰を捨て去るよりも、しばしば、悪い時間と悪意のある噂話が高貴で貴い目的を与えられているでしょう。私達の[教会の]兄弟姉妹達は、病人や苦しむ人々を訪ねて、手短に言うと、間違っている人々のために親切に忍耐強く働きかけて、神のための伝道者になるでしょう。彼らが主の手本を模倣するならば、この教会の人々はその重荷を負って繁栄するでしょう。

 悪口の罪は、悪い考えを好むことから始まっています。たくらみはその形において汚れを含んでいます。汚れた考えは許容されて、清くない好感を得て、その魂は汚されます。それ自身の高潔さは妥協しています。「強い欲望が心に抱かれた時、それは罪を生み出します。そして、罪が終わった時、死を生み出します」[ヤコブ1:15 KJV]。私達が罪に陥りたくないならば、私達はその始まりを避ける必要があります。あらゆる動機と望みは、良心と理性に従って保たれる必要があります。すべての清くない考えは、常に拒絶される必要があります。あなた方の祈りの小部屋(ピューリタン達が家を建てる時に造った祈りの小部屋closet)でキリストに従う者達として、心をつくして信仰によって祈りましょう。サタンは、あなた方の足元にわなを仕掛けて見ています。あなた方が彼の考案品から逃れたいならば、あなた方は天からの助けを求める必要があります。

 信仰と祈りによって多くの人々は、福音の求めに向き合うことができるでしょう。違反の罪に押し潰されうる人はいません。初めにその人自身の同意が得られる必要があります。激しい感情が理性を支配しうる前に、あるいは、罪が良心に勝利する前に、その人の魂は、罪深い行動をしようとして当然です。強い誘惑は、決して罪のための言い訳をしません。「主の目は、正しい者達の上にあります。主の耳は、人々の叫びに開いています」[詩編34:15 KJV]。誘惑されている魂達は、主に向かって叫びなさい。あなた方自身を無力、価値のないものとして、イエスに投げ出しなさい。そして、主の堅い約束に叫び求めましょう。主は聞いているでしょう。主は、人間の生来の心の性向がどんなに強情なのかを知っています。そして、主は、あらゆる誘惑の時でも助けるでしょう。

 あなた方は、罪に陥ったことがありましたか。その時、先延ばしすることなく、神に憐れみと赦しを求めましょう。ダビデが罪を宣告された時、彼は神の前に謙虚に悔い改めて彼の魂を注ぎ出しました。彼は、自分の栄誉を失うことに耐えたと感じました。しかし、彼は、神の好意を得られなかったでしょう。憐れみは奪われなかっただけではなく、憐れみはまだ、罪びとにまで広げられています。主は、さまよっている私達のすべてに呼びかけています。「戻りなさい。汝ら、背信の子らよ。私は、あなた方の背信を癒すでしょう」[エレミヤ3:22 KJV]。私達が主の霊の懇願の声を心にとめるならば、神の祝福は、私達のものとなるでしょう。「父親がその子どもたちを憐れむように、主は、主を畏れる人をとても憐れんでいます」[詩編103:13 KJV]

 

17.ビジネスにおける勤勉

 「汝らは、ビジネスにおいて、勤勉な人を知っていますか。その人は王たちの前に立つでしょう。その人は、みすぼらしい人々の前に立たないでしょう」[箴言22:29 KJV]、「怠惰な手を持つ人は貧しくなります。勤勉な人の手は富をつくります」(箴言10:4 KJV)、「ビジネスにおいて、怠惰ではなく、精神において、熱く、燃えて主に仕えて、兄弟愛を持って互いに親切で思いやり深くありなさい」[ローマ12:10 KJV]

 旧新約聖書の両方に見られる勤勉の勧めは、私達の生活習慣と私達の宗教的な考えや行動との間にある本質的な関係を示しています。人間の知性と身体は、すべての能力の適切な発達のために十分に知性を働かせて身体を動かす必要があるように組み立てられています。多くの人々は世俗のビジネスにしっかりと関わっています。ほかの人々は、その反対の極端になっていて、自分達の生活を支えるために、人々に依存しているか、あるいは、十分な労働をしていません。   兄弟は、このタイプの一人です。彼は家族で主人の立場を占めていますが、その自覚がありません。最も重い責任と役割を妻が負うようにしています。そして、彼は家族の世話をせず怠惰になって、些細な用事で忙しくしています。家族を支えることに口やかましくして、彼は何時間も座っていて、息子達と娘達と大事でないことを喋っています。彼は、妻と母親が食糧と衣服を確保する仕事をしている間に自分の好きなことをしてのんびりしています。

 この兄弟はあわれな人です。彼の神が与えた特権で、自信を持って発言する一人の人間にならない限り、いつも社交にひどい遅れを取っているでしょう。人がそれを実際にやろうと思うならば、誰でも行動するための何らかの仕事を見つけることができます。しかし、その人が気を利かせず怠惰にしているならば、彼が見つけて確保できたかもしれないその立場は、ビジネスの知恵と積極性を持っていた人々によって占められるでしょう。

 神は、私の兄弟が今の欠如の立場にいるようにと、決して意図しませんでした。なぜ、主はあなたに身体構造を与えたのですか。あなたは、教会の兄弟達が生活の手段の収入のために生きているように、あなたの身体能力に対して責任があります。今日、収入を得ているある人は、あなたの身体能力とその人の財産を交換できるでしょう。しかし、あなたの立場に置かれたならば、やがて人々は自身の知性と身体能力の両方を勤勉に使って、何かの恩を人から受けないと望むようになるでしょう。主が、あなたに与えた能力を使っていないだけなので、あなたの逆の状況は、神があなたに出し惜しんでいるからではありません。主は、あなたの能力が何もせず怠惰によって錆びるようにするつもりはありませんでした。それらの能力は使うことによって強くなるでしょう。

 あなたが告白している宗教は、安息日に教会に参加するために、6日の間に働くよう重い義務にしています。あなたはビジネスに勤勉ではありません。一日中、毎日、一週間、何も達成しないで過ごしています。あなたが世間の人々にできる最良の説教は、あなたの家族に食糧や衣服を提供して、あなたの生活に決定的な変化を示すことにあるでしょう。ある使徒はこう言っています。「自分自身のために何も提供せず、特に自分の家族のために何も提供しないならば、その人は信仰を否定しました。不信仰な人よりも悪いです」(1テモテ5:8 KJV)

 あなたは、自分の家族に食糧を提供するために、一時の義務で借金に走り回って、怠惰にしている場所を占めることによって、[人類救済]目的に恥をもたらしています。ごまかしようのないあなたの借金を、あなたはいつも特に返していません。その代わりに、別な場所に借りに行っています。これはあなたの隣人をだますことです。世間の人々は、聖書のクリスチャンになると告白している人に、完全な誠実を期待する権利を持っています。人が返金の義務を正当に果たすことについて、一人の人の冷淡によって、私達の[教会の]人々がみな、当てにならない人とみなされる危険性があります。

 「汝らが、自分にしてほしいと人々に思うことは何でも、人々にその通りにしなさい」[マタイ7:12 KJV]。これは、与えるために贈り物を持っている人々と同じように、彼らの手で働いている人々について述べています。神はあなたに能力と技を授けました。しかし、あなたは、それらを利用しませんでした。あなたの能力は、あなたの家族をしっかりと支えるよう十分あります。必要ならば、朝に起きて夕に星が輝くまで何かを実行するための計画を作りましょう。そして、それを達成しましょう。あなたが病で臥せっているのではない限り、[計画の]約束を果たしましょう。ほかの人々に当然返金されるはずの罪を続けるよりも、あなたの食物と睡眠を立つのがベターでしょう。

 登るように計画した小高い山は、努力もないままで進まれていません。自分自身の尽力から独立して、宗教や非宗教の内容のどちらでも対価が得られることを期待する必要のある人はいません。競走はいつも早い者のためにあるのではありません。戦いは強い者のためにあるのでもありません。また、怠惰な手で生活している人は貧しくなるでしょう。勤勉で辛抱強い人は、自分達が幸いなだけではなく、ほかの人々の幸いに大きく貢献しています。収入と満足は普通、熱心な勤労への対価のほかに得られません。ファラオ王が、ヨセフに言った時、品性の特徴について正しい認識を示しました。「そなたが、[ヨセフとその兄弟達]の中で活動的な人々を知っているならば、私の家畜を管理する者にしましょう」(創世記47:6 KJV)

 怠けることに執着して、計画を練ることに無能で、働くことを避けている限り、   兄弟には弁解の余地がありません。今、彼が従事するための最良の道は、家から出ることと自分のために計画を作る人の下で働くことです。彼は、たいそう長く世話されないままでした。自分自身を支配する怠惰な主人で、まったく達成しない彼の手本はその子ども達の前で悪いものです。子ども達は父親の品性をスタンプのように押されています。子ども達は、母親に重荷を負わせようとしています。何かを行なうよう求めた時に、子ども達はそれをするでしょう。しかし、語りかけなしにそれがなされて、すべての子ども達がなるはずの、なされていることの必要性を知る能力と心が育てられていません。

 ある女性は、自分自身とその家族にたいそう間違ったことをしています。彼女が、自分と家族のための仕事をしている時、焚き木と水を運んでいる時、また、斧で薪を割っている時に、その一方で、夫と息子達は、暖炉の周りに座って、雑談し、くつろぎの時間にしています。神は決して、妻達と母親達が家族の者達の召使いになるようにとデザインしませんでした。一人の母親が多くの家族を世話するという重労働を強いられています。子ども達は、家庭内の仕事を分かち合うよう教えられていません。その結果として、彼女は、子ども達の未熟な歩みをガイドする母親を最も必要とする時期に子ども達を残して疲弊して成熟する前に死んでいます。責められるのは誰でしょうか。

 夫達は、妻の良好な精神を保つように、妻の世話を助けるためにできることをみな行なっているでしょう。怠惰は、すぐに習慣になるので、子ども達に許して、助長しないようにしましょう。有用な労働に従事しないとき、能力は悪い働きの活動になるか、価値を下げています。

 あなたに必要なことは、わが兄弟、積極的な行動です。あなたの表情や特徴のすべて、あなたの知性の能力はみな、このことを表しています。あなたは、重労働だけではなく、額に汗をかくことによってパンを得ることを好ましく思っていません。しかし、これは生活の糧を得るために神が与えた計画です。

 あなたは約束を始めることにしくじっています。あなたは規則正しくするよう自分自身を訓練しませんでした。手順がすべてです。一時に一つのことだけを行ないましょう。そして、それを十分に行ないましょう。次の仕事を始める前にそれを終わらせましょう。朝起きる時間、祈りの時間、食事の時間を規則正しくしましょう。多くの人々は、それが生まれつきの性向を喜ばして、ほかの何かをすることは努力を求めるので、ベッドの中で貴重な時間を浪費しています。朝の一時間を浪費することは、決して取り返せない損失です。賢者は言っています。「私は、怠け者の畑のそばに行きました。そして、知識のない人の畑に行きました。そして、見てください。そこは全部イバラに覆われていました。そして、イラクサが一面を覆っていました。石垣が壊れていたためでした。それから、私は見てよく考えました。私はそれを見て教訓を得ました。少しの眠り、わずかなまどろみ、ちょっとの眠りに手を休めていると、やがて、汝の貧しさは盗みを働く旅人のようにやってくるでしょう。そして、汝は、力の強い人を望んでいます」[箴言24:30-34 KJV]

 信仰深く見せかけている人々は、行動の軽率な進路を現す真理に理由を示さず、告白している教えを飾るでしょう。「誰にも借りがあってはいけません」(ローマ13:8 KJV)とある使徒は言っています。あなたは今、わが兄弟、この贖いの時に、あなたの怠惰な習慣を正すことを熱心に定着させましょう。世間の人々があなたの生活に一つの改善を働いた[現在の]真理を見るようにしましょう。

                                             

 

18.バトルクリークへの移住

 私達の救い主は、自分の働きをすべての人に託すため、選ばれた仕える人々に委ねるために、自分の家を離れて遠くの地域に歩いて旅をしている人として自分自身を現しています。クリスチャンはみな、自分の大教師に奉仕をするための何かを持っています。私達は自分自身の安らぎや衣食住の益ではなく、第一の考えとして、キリストの王国の建設をしようとしています。私達の仲間の人々を祝福して助けるための無私の努力は、私達のイエスの愛の根拠以外に、信仰と信頼によって私達を主の近くへと引き寄せ続けるでしょう。私達自身の魂は常に、恵みと真理の知識によって成長するでしょう。

 神は、真理の光が地球全体を包んで道徳的な闇の中で輝き続けるように、様々な共同体に主の子らを分散させました。私達を取り巻く深い闇、その大きな必要の中で、私達の光は神のために輝くでしょう。私達はひどく困難な試練の状況に置かれるでしょう。しかし、これは、私達が神の摂理によってその立場に置かれたことを証明しています。パウロの時代に、ローマのクリスチャンの間でその使徒は、「ローマ皇帝シーザーの家族」について言及しています。金遣いの荒いネロ、ローマ人の残忍な法廷のもと以外に、道徳的な雰囲気がキリスト教に非友好的な所はありません。その皇帝が統治している間にキリストを受け入れた人々は、回心の後、自分達の義務の立場を離れることを自由に考えませんでした。魅惑的な誘惑、激しい反対と恐ろしい危険に直面した人々は、キリストのために忠実で信仰深い証人でした。

 神性の恵みに全的に信頼する人は誰でも、いつも真理のための証の生活をするでしょう。忠実なクリスチャンと誠実になることができない立場に置かれる人はいません。ひどい障害物にもかかわらず、神に従うことを決意した人々はみな、進む道として開かれている道を見つけるでしょう。

 反対者の影響下で神への忠誠を維持する人々は、最高の体験をしています。その人々の能力は、あらゆる誘惑に勝利して、すべての障害を乗り越えて増しています。この事実はしばしば見逃されています。人が真理を受け入れた時、誤った判断をしている友人達は、その人が何かの問題や試練にさらされることを恐れてすぐに、楽な立場に助けようと努力をしています。その人は、みんながその人と一致しているところに行っています。その人の霊的な能力はそのために増していますか。多くのケースはそうではありません。その人は、温室の植物のようにスタミナがほとんどなくなっています。その人は、見ていることが増えています。その人の信仰は弱くなっています。その人は、恵みに成長しないだけでなく、ほかの人々を助けもしていません。

 不信仰や反対の中で、真理を維持することから逃れていませんか。私は、ネロの家族の中にいるような信者達の知性に呼びかけたいと思います。信仰と不屈の精神、勇気の教訓の霊を集めて、その人々が遭遇した迫害と悪行を考えてください。ひどい反対や誘惑から逃れることや、クリスチャンの体験した勧めとその配慮を楽しめる所に置かれることは、信仰のある若い人々にアドバイスの時となるでしょう。しかし、クリスチャン生活がいつも闘いであり、怠惰と無精が成功の命取りになるということは、その人々の知性の前で保たれるでしょう。

 私達は、真理を受け入れた後で、それに反対している人々と結ばれないでしょう。また、私達の信仰を生き抜くのに困難となるようなところに自分の場を置くどんな方法にも結ばれないでしょう。しかし、真理を受け入れている状態になった一方で、その人は自分の立場を離れる前に、慎重にその内容の重要さを考えるでしょう。その人の感化と手本は真理の知識とほかの人々にもたらすことは、[主の]摂理の思いとなるでしょう。

 多くの人々は、信仰の反対者達と家族関係に結ばれています。それらの信者達はしばしば、大きな試練を強いられています。しかし、神性の恵みによって、その人々は、真理に従うことによって、神をたたえているでしょう。

 キリストに仕える者として、私達は、最も効果的な奉仕で報いることができるように、神が見ている立場で忠実にしているでしょう。とても有用な機会が私達に示されています。私達は、主が命じていることを受け入れているでしょう。主が是認している笑顔が私達にあるでしょう。しかし、私達は、ほかの伝道地で主に仕えるために私達の義務を示さない限り、私達に託された働きを残して去ることを心配しているでしょう。

 様々な資格や技術が様々な働きの部門で必要とされています。大工が金床で仕事をすることや、鍛冶屋がカンナを使うことは適切ではありません。商人が病床のそばに行って立ち、医師が会計室に行くでしょうか。神が人々に託した働きに弱る人々、仕事をしないかできないところに自分を置いている人々は、怠惰な奉仕者として、「すべての人々に自分の働きに応じて」[黙示録22:12 KJV]清算の報告を求められるでしょう。免除される人はいません。

 主が、私達に置いた立場は、一つの人々()として、神のための伝道者として活動する私達の責任が私達によって見落とされてきました。多くの人々はある広い伝道地への機会と現在の義務からしきりに退却しています。多くの人々は、真理に従うことに困難の少ない所を見つけようと、ほかの場所を思いめぐらしています。私達の大規模な教会は、娯楽性が優位を占めているように見えています。私達の[教会の]人々の間には、自分達の特別な義務の立場を離れて、バトルクリークや、ほかの大きな教会の近くに移住する傾向があります。この行動は、その大きな教会の繁栄を脅かすだけではなく、私達の最も小さな教会の生命さえ脅かしています。それは、神が私達にするようにと与えた働きを、私達がすることを妨げています。またそれは、一つの人々()として、有用な私達の霊性を滅ぼしています。

 ミシガン州の中の近くから、私達のすべての教会から、広い地域のほかの州から私達の兄弟 姉妹達はバトルクリークに群がってきました。その多くの人々は、小さな教会の効果的な助け手でした。そして、その人々の移動はその小さい教会の仲間達を弱くしました。あるケースでは、一つの教会組織が完全に消滅しました。

 バトルクリークに移住した人々は、この教会を助けることを証しましたか。その問題が私の前に提示された時、私は、神のために、人々の霊的な関心のために、戸毎訪問をして働いて、家族と共に祈って生きた証を伝えていた人を知ろうしてみました。私は、この働きが怠惰にされてきたことを見ました。この巨大な教会にやってくる多くの人々は、活動の役目を持たないと考えています。また、その人々は、腕を組んであらゆる責任と努力を避けています。

 ここに、単に経済的な利益を確保するために来た人がいます。この層の人々はこの教会にとって重荷です。その人々は土地を塞ぐ邪魔物です。果実を生まない大きな枝は、ほかの木々から天の陽光、神の栄光を遮っています。

 私達のたいそう多くの牧師達をバトルクリークに配置することは、神にとって不快です。それらの家族達を伝道地の様々な地方に分散させたならば、その人々はもっと有用な者となるでしょう。その牧師達は、賃金が支払われない時間を家で費やしているというのは事実です。その時間が、神の[人類救済]目的にはるかに大きな益となる多くの場所があります。

 主は、バトルクリークにいる多くの人々に言っています。「汝らは、ここで何をしていますか。あなた方は、この教会を助けるというのではなく邪魔者になっていて、託された働きをするために報いることができる役割は何ですか」。

 兄弟[姉妹]のみなさん、私は、あなた方に、霊的な今の状態と、それがキリストの[人類救済]目的に積極的につながった時のことを比べてみるよう請い願います。この教会を助けて励ます一方で、あなた方は有用な体験を役立てています。そして、神の愛によってあなた方自身の魂を守っています。あなた方がほかの人々のための働きを増した時、あなた方自身の愛とあなた方の熱心は、冷めなかったのではありませんか。あなた方の子ども達はどうですか。子ども達は、この大きな教会に来る以前よりも、真理に堅くたって、神に献身したのではありませんか。

 神の働きに長く繋がってきたある人々によって及ぼされた影響力は、霊性と神への愛情の運命を決めています。福音を重荷に感じたそれらの若者達は、世俗、不敬、不信心の雰囲気に囲まれていました。あなた方は敢えて、自分の子ども達がそのような仲間になってしまうという危険性の中に置きますか。神の祝福と原則を犠牲にして、それらを身に付けるよりも、ここでの教育を受けない方が最良でしょう。

 バトルクリークにやって来た若者の間に、誘惑のただ中にいて神に忠誠を守っている人々がいます。しかし、その人々は少数です。聖書と[現在の]真理とこの教会の宗教を確信してここに来ている多くの人々は、無宗教の仲間によって正しい道からそれて導かれて行きました。そして、私達が一つの民として大事に守っているあらゆる真理に疑いを持って、自分達の家庭に戻って行きました。

 バトルクリークに移住しようと考えて、ここに自分達の子ども達を送ろうとしている私達の兄弟[姉妹]は、その歩みを始める前にこの問題を深く考えましょう。この巨大なセンターの強い力が砦[としての機能]を保っていないならば、また、この教会への愛情と信仰が教会の様々な特権や機会と釣り合っていなければ、ここはあなた方が選ぶことでできますが、最も危険な場所です。私は、天使達がそれを見ているように、この教会の状態を見ていました。この人々(民)と見張人の両方に騙しの霊があります。この民は宗教の形を保っていますが、義の原則を忠実に守ることが欠如しています。この教会の中での著しい行動変容と、決定的な変革がなされない限り、この学校は、ほかの地域に移転される必要があります。

 ここに数年間住んでいた若者達が、自分達の特権を活用していたならば、現在、疑い深くしている人々は、牧会での奉仕の働きに自分から献身していたことでしょう。しかし、彼らは、真理を疑うことに理知的な優位の根拠を考えていました。そして、真理に忠誠を尽くすことから離れていることを自慢していました。その人々は、キリストの血を踏みにじって、憐れみの霊を見下して嫌っていました。この働きについて、心を目覚めさせられている福音伝道者達はどこにいるでしょうか。霊的な闇の中に座している人々に[現在の]真理を伝えるために、20人から50人が毎年、バトルクリークから送り出されているでしょう。しかし、神を敬う精神は、たいそう静かに衰退しています。神への愛情は、とても弱いです。世俗化と利己心は、たいそう広がっていて、道徳的な風潮は福音伝道の熱心さの命取りになる無関心の原因です。

 私達は、神のための福音伝道者になるために、外国の地に行く必要はありません。私達の周りの人々はすべて、「すでに収穫のために色づいている」伝道地です。そして、誰でも、「永遠の命に至る実」を集めることができるでしょう。神はバトルクリークにいて、その人々の働きが主の目的が主の[人類救済]目的に必要とされている所に行くため霊的な怠惰で死んでいる多くの人々に呼びかけています。それが金銭的な犠牲を求められていても、バトルクリークから転居していきましょう。ほかの人々に祝福となるための所に行きましょう。あなた方が、弱くなった教会を力づけることができる所に行きましょう。神があなた方に与えた力が役立つように用いましょう。

 あなた方の霊的な眠りを揺り動かして覚ましましょう。あなた方自身の魂とほかの人々の魂を救うために、あなた方の能力のすべてで働きましょう。今は「平和だ、無事だ」と叫んでいる時間がありません。このメッセージを伝えるために必要とされているのは、講演者達の説得ある言葉ではありません。厳しく指摘している現代の真理はみな、語られる必要があります。世界の人々に警告してこの教会の人々を清めるために、エネルギーを失わず、熱心に労する人々、行動する人々が必要とされています。

 偉大な働きが達成されようとしています。わかりやすい計画が立てられる必要があります。一つの声が国の民を目覚めさせるために出ていく必要があります。信仰が弱く動揺している人々は、この重要な危機の時に、人々のための働きを進めようとしていません。私達は、信仰の殉教者達とヒーロー達を励ます必要があります。

 

19.教会の中の世俗化

 神は自分達の神と呼ばれることを恥としなかったことが、昔の清い人々によって記録されています。託された理性は、地上の財産を切望することや、世俗の計画や希望による幸福を求めるのではなく、その人々は神の祭壇に自分達のすべてを捧げて、そして、神の王国を築くために、その気持ちになりました。その人々は、神の栄光のためだけに生き、そして、自分達が天にあるよい国を求めている地上の巡礼者、旅人であることをはっきりと明言しました。その人々の指揮者は自分達の信仰を宣言しました。神は、主の真理をその人々に託すことができるでしょう。また、主の意思の知識をその人々から受け取るために、世俗の世界に残すことができるでしょう。

 しかし、神の人々()だと告白した人々は今日、どれほど、主の名の栄誉を保ち続けていますか。世俗の人々はその民が特別な人々だとどれほど推し測ることができますか。彼らが天の市民権を授ける根拠は何ですか。その人々の自己放縦や気楽を好む生活は、キリストの品性について嘘を言っています。主は、彼らが主の品性を現すことに失敗していることを認めないままにどんな目立つやり方をしても、世俗の人々の前で彼らをたたえることができません。

 私は、バトルクリークにある教会の人々に話しています。あなた方はどんな証をこの世俗の人々に伝えているのですか。あなた方の生き方が私の前に提示された時、私はその市街地に私達の[教会の]人々によって、近ごろ建てられた様々な住宅を指摘されました。それらの建物は、あなた方が守ることを告白している教理に対するあなた方の多くの不信仰の記念碑です。彼らは講壇から提供するどんな説教よりも効果的に語っています。私は、私達の信仰を否定するような、嘲笑と揶揄を彼らに指摘する世俗物を見ました。その所有者達は心の中で「私の主は帰ってくる時を遅らせています」と言っていました。

 私は、[現在の]真理を告白している多くの人々の衣服(dress)を見て、世間話を傾聴しました。その両方とも、[現在の]真理の原則に反していました。ドレスと世間話は、地上で巡礼者や旅人であると言っている人々によって、最も大事にされていることを証しています。「彼らは世俗の者です。それゆえ、彼らは世俗のことを語っています。世俗の人々は彼らの話を聞いています」(1ヨハネ4:5 KJV)。ピューリタンの簡素と質素は、この時代の人々のための厳粛な真理を信じているすべての人々の衣料品と住宅の特徴を示すでしょう。

 私達の家々の外観の美やドレスの美に費やされる必要のない財産はみな、私達の主のお金の無駄遣いです。それは、プライドを喜ばすため、神の[人類救済] 目的からだまし取っています。私達のいろいろな施設は負債を負っています。私達は、財政難からそれを回復するためにできることをしない時、それらの繁栄を私達の祈りに答えるように、主にどのように期待できるでしょうか。

 私はあなた方に、キリストがニコデモに伝えたように「汝らは、もう一度生まれる必要があります」と伝えましょう。キリストの配下にいる時、世俗の外見をまねる必要がないと感じるでしょう。その人々は、世俗の物が夢中にさせる以上に貴いテーマと、高い目的の根拠をいつも伝えて、十字架の標準をどこにでも伝えるでしょう。私達のドレスや私達の住宅、私達の会話は、神への私達の愛情と献身を証しているでしょう。キリストのためにすべてを放棄したということをこのように明らかに示した人々に、どんな力がその人々に伴ったでしょうか。神は、主の子らとしてその人々を認めることを恥としないでしょう。主は、また、主に献身して愛する人々を祝福するでしょう。そして、不信仰な世俗の人々は、主を畏れるでしょう。

 キリストは、罪びと達の回心と確信のために聖霊によって力強く働くことを望んでいます。その働きは、主の教会の手段としての働き人達を通してなされる必要があります。そして、教会メンバー達は自分達を通して、主が主の意思を達成できないとして主から離れました。主は、手段としての人々によって働くために選んでいます。また、働いたその手段の人々は、主の品性と調和している必要があります。

 バトルクリークにいる信仰深く誠実な人々は誰ですか。その人々は、主の側に集まりましょう。私達は、神が私達を役に立たせることができる所にいるならば、私達は、個人的な信仰を持って、個人的な体験をしている必要があります。神に全的に信頼している人々だけが今、安全です。私達は、人間の誰かの支援に頼ったり、人間の手本に従ったりしてはいけません。多くの人々が間違った立場に立って間違った行動をしています。私達がその人々のガイダンスに信頼しているならば、私達は間違った方向に導かれるでしょう。

 神のための代弁者spokesmanになると言っている人々は、信仰を否定した日常生活を送っています。その人々は、教会の人々に重要な真理を提示しています。しかし、それらの真理によって感動した人はいますか。誰が罪を確信しましたか。その聴衆は、今日、説教している人々が、明日には、娯楽、陽気、軽薄なことに結ばれることを第一にすることを知っています。彼らの説教壇からの影響力は、嫌われる伝道の奉仕の働きという目的と、悔い改めない良心をなだめています。彼らは自分自身、永遠の世界の崖縁で眠っています。魂達の血は、彼らの衣についています。

 どれほど、キリストの忠実な奉仕者として働いていますか。祈りの小部屋の中で、家族の中で、会衆の中で、どこでも、「忍耐強く、それに倣って見張りをして」、「霊/精神において、祈りと願いによって、いつも祈っていなさい」[エペソ6:18 KJV]。真剣に、謙虚な信仰で、彼らの味方として神の約束を請い願って、その人々は、魂達が滅びの中にいると考えています。キリストの十字架上の贖いによって払われたその身代金は、永遠に人々の前にあります。彼らは、彼らの奉仕の働きへの印を受けた魂達を伴っているでしょう。

 主の譴責は、彼らのプライドと不信仰のために、主の人々の上にあります。主は、彼らが主の聖霊と主の言葉の指導から離れている間は、主の救いの喜びを彼らに回復しないでしょう。主は、真理に歩んで、主を畏れる人々に品位graceを与えるでしょう。そして、主は、世界の人々に同調するすべての人々から主の祝福を取り上げるでしょう。憐れみと真理は、悔い改めと謙虚な人々に約束されています。そして、裁きは反逆する者達に対して宣告されています。

 バトルクリークにあるこの教会は、偶像礼拝から解放して立つことができるかもしれません。また、その教会の信仰は、ほかの諸教会の手本だったことでしょう。しかし、その教会は世俗の人々の友情を断つことではなく、神の戒めから進んで離れています。その教会は、自分達が選んだ偶像に結ばれています。現世の世俗の繁栄のゆえに、不道徳な世俗の人々の好感はこの教会のものです。この教会は、教会自身、神に向かって富んだものとなるように信じています。これは、命とりの騙しを多くの人々に証するでしょう。教会の神性の品性と霊的な能力は教会から離れました。

 私は、この教会が救い主の管理に心をとめるよう勧めます。「それゆえ、汝らがどこから落ちたかを思い出しなさい。そして、悔い改めなさい。そして、初めの働きをしなさい。さもないと、私はすぐに来るでしょう。そして、悔い改める以外の汝らを燭台の場所から取り除くでしょう」[黙示録2:4-5 KJV]

                                           

 

20.スピリチュアリスト(霊の媒介者)に相談するのですか

 アハジアは、サマリアにあった彼の上の部屋の格子から落ちました。そして、病になりました。彼は使者達を送りました。彼らに言いました。エクロンの神、バアルゼブブの所に行きなさい。私がこの病から回復するかを尋ねなさい。しかし、天の使いは、テシビテのエリヤに言いました。起きなさい。サマリアの王の使者達に会いに行きなさい。そして、その使者達に言いなさい。「汝らが、エクロンのバアルゼブブに尋ねるために行くのは、イスラエルに神がいないためですか。それゆえ今、主はこう言っています。汝は、上がったベッドから降りることはないでしょう。必ず死ぬでしょう」[2列王記1:1-4 KJV]

 この物語は、神からサタン的な働きに寝返った人々に対する神性の不快を非常に際立って記しています。その出来事の少し前に、イスラエルの王国は支配者達が交代したことを記録しました。アハブは神の裁きの下に倒れて、イスラエルの罪の原因となって、父と母の道を歩んで、価値のない品性、主の視界には悪だけだった人、その息子アハジアが後を継ぎました。彼は、バアルに仕えて、それを拝しました。そして、彼の父、アハブがしたように、イスラエルの神、主を怒らせました。しかし、裁きは、謀反を起こした王の罪を終わらせる結果となりました。モアブとの戦争と彼自身の生き方による事件が述べられ、アハジアに対する神の怒りが明らかにされました。

 イスラエルの王は、彼の父祖達の時代における主の素晴らしい働きを見たり聞いたりしたことでしょう。神は、嫉妬深くねたむ主の恐ろしいほどの根拠を、背信のイスラエルに与えたことでしょう。このすべてのことについて、アハジアは認識していました。また、それらが恐ろしい現実であるかのように行動しました。彼自身の父の悲惨な最期でさえ、役に立たないブラブラした尻尾にしか過ぎないものでした。主の前で、彼の心を謙虚にするのではなく、敢えて、著しくひどい汚れの行動をして自分の生活を危険にさらしました。彼は、従者達に、「私がこの病から回復するかどうか、行ってエクロンの神、バアルゼブブに尋ねなさい」と命じました。

 エクロンの偶像を拝する者達は、未来の出来事に関して、その祭司達の中の霊媒者を通して情報を与えようと考えました。広範囲から多くの人々によってその病の回復したことが一般的な人々の確信を得ました。そこで与えられて言葉となった予測情報は[霊の]闇の君から直接に由来したものでした。人々の知性を神からそらすために偶像を作って、それを礼拝させ続けてきたのはサタンです。彼の働き人達によって闇の王国と偽りが支持されています。

 アハジア王の罪と罰の歴史は、刑罰を受けることを軽視できる人がいない警告の教訓を持っています。私達は、異教の神々に臣従の誓いをしないけれども、多くの人々は、イスラエルの王が行ったように確かに、サタンの神殿で礼拝しています。異教の偶像の霊(精神)は今日、惹きつける形式と洗練された装いをした教育と科学の影響を通して広まっています。毎日、預言の確かな言葉を信じることは急速に減少しているという、悲嘆の理由が加わっています。そして、迷信のご利益とサタン的な魔力は、人々の知性を育てています。御言葉を熱心に調査研究しないすべての人、また、間違いのないテストに生活の目的とすべての希望に服さない人、主の意思の知識を祈りによって神に求めないすべての人は、正しい道から確かに彷徨うでしょう。そして、サタンのだましの下に陥っているでしょう。

 異教の神官達は、今日のスピリチュアル()の媒介者や易者、透視眼者として対応しています。エクロンとエン・ドルで語った神秘的な声は、人々の子らを間違っている方に導いている彼らの偽りの言葉によって恐怖心を和らげています。霊の闇の君は、新たに偽装した態度を取って現れただけです。異教の神秘な崇敬は、私達の時代に悪霊の助けを得た魔術師の不思議と掩蔽(えんぺい)、降神術の集まりと秘密結社にとって代わっています。彼らのお告げは、主の霊(精神)から、また、神の言葉からの光(真理)を受け入れることを拒む多くの人々によって、熱狂的に受け入れられています。彼らは、古代の魔術師を嘲笑している一方で、絶大な騙す者が異なった形式の下で彼の技に人々が降参した時に勝利して笑っています。

 彼の働き人達は、病の癒しを静かに叫んでいます。彼らは自分達の内に秘められた癒しの能力を電流や磁気、あるいは、共鳴的な治療と言われているとしています。実のところ、彼らは、サタンの様々な電流のチャンネルとなっているだけです。この手段によって、彼は人々の魂と身体全体に魔法をかけています。

 私は、次々と、この教会の一般信者達と牧師達の両方から、私が、透視眼のある医師、スピリチュアリスト(霊の媒介者)に相談することを間違っていると考えるかどうかを尋ねる手紙を受け取りました。私は、この時代の人々が求めているそれらの手紙に返事を出しませんでした。しかし、ちょうど今、そのテーマが再び、私の注意を引き起こしています。とても多くの人々がサタンの働き人となっています。多くの一般の人々は、彼らに相談を求める行動をとっています。多くの警告の言葉が必要不可欠と思われます。

 神は、私達に健康の法則の知識を得るための能力を備えました。主は、可能な限り、私達が受け入れ可能な奉仕をして返すことができるように、最良な状態で身体の能力を維持することを私達の義務としました。恵みによって到達の中に置かれ、知識と光(真理)によって改善することを拒む人々は、神が身体の命と同様に霊的(精神的)な命を促進するように人々にかなえた手段の一つを拒んでいます。彼らは、サタンに騙しに晒されるような所に自分自身を置いています。

 このクリスチャン世代の人々とキリスト教国にいる人々は、生きている神の力を信頼するのではなく、悪霊達に頼っている人が少なくありません。ある母親は、自分の子どもの病床の傍らで見守っていてこう言いました。「私にできることはありません。私の子どもを回復させる能力のある医者はいないのですか」。彼女は、誰かの透視や磁気によって実演された素晴らしい治療について語りかけられています。そして、サタンの手中に本当にいるかのように、彼女のそばに立っていたかのように、彼女はその人の治療に彼女の愛する子どもを委ねています。多くの実例において、病気の子どもの命の未来は、破壊が不可能に見えるサタン的な力によって支配されています。

 多くの人々は、健康回復のために行なうシンプルな手段と、命の法則を手に入れるために必要な努力を尽くすことを好みません。その人々は、命との正しい関係に自分達を置こうとしていません。罪が自然界の法則の違反の結果である時、神の祝福を求めず、その人々は、医者の所に行くだけで、自分達の間違いを正そうとしていません。その人々は、健康を回復するならば、薬剤と医者達にあらゆる賛辞を語るでしょう。その人々は、人間の知恵と能力を偶像視するつもりです。塵と灰による――創造者のほかに神がいないことを知らないように思われます。

 私は、ある母親が自分の子どもの命を助けるよう信仰のない医者に懇願している声を聞いたことがあります。私が、信仰によって主に行くすべての人を最大限に救うことができる偉大な医師からの助けを求めるよう彼女に願った時、彼女はいらだちました。このように、私達は、アハジアによって現された精神と同じ精神を見ています。

 人々の前で、神に畏れを持っていない医者を信頼することは、安全ではありません。人々の心は、神性の恵みによる感化がなくて「すべての事柄以上にひどく悪くだまして」います。自己拡大がその人々の目的です。医療従事者の支援の下で、どれほど、悪は隠されていて、だましが支持されたことでしょう。ある医者は、その人の品性が見逃された時、優秀な技術と多大な知恵を持っているということができるでしょう。その人の行動と命の法則を比べて、私達の神、主は、感謝を待っていることを私達に保証しています。主は、悩みの日に主を求めるよう私達を招いています。肉()の腕()を信頼するために、私達は主から離れることがどうしてできるでしょうか。

 私と一緒にもっと向こうの病室に行きましょう。そこには、ある夫と祖父が横になっています。ある男性が神の[人類救済]目的と社交の祝福となろうとしています。彼は病によって急に臥せっていました。高い発熱が彼を消耗させているように見えます。彼は、乾いた口を湿らすために清水をほしがっています。しかし、医師は、水を禁じました。飲みたいという強い衝動が生じて、その発熱に刺激が増しています。巧みに供給され、祝福された天から送られた水は、炎のような発熱を抑えて冷ますでしょう。しかし、そこには、有毒な薬剤が傍らに置かれています [5]

 少しの間、自然治癒力は、その権利を守るために戦っていましたが、ついに終わりが来て、この戦いに降参しました。そして、死がその苦しんでいた者を解放しました。神は、世界の人々が祝福となるために、その人が生きることを望んでいました。私達は、どれほど長く、私達の最も貴い光(真理)がこのようの消滅させられるのを許しておくのでしょうか。

 アハジアは自分の使者をエクロンのゼルベブブに尋ねさせるために送りました。しかし、偶像(を拝する者達)からのメッセージの代わりに、彼は、イスラエルの神からの恐ろしい通告を聞きました。「汝は、上がったベッドから降りることはないでしょう。必ず死ぬでしょう」[2列王記1:1-4 KJV]。その王に死の言葉を語るようエリヤに命じたのはキリストでした。主、インマヌエルは、アハジアの清くない行為をひどく嫌っている理由がありました。キリストが罪びとらの心を勝ち取ることをしなかった理由と、主自身のゆるぎない確信を彼らに吹き込まなかった理由は何ですか。幾世代も、並ぶものがない愛と謙虚な親切を現して、主の人々に訪れました。父祖達の時代からずっと、主は「主の喜びは世界の人々に宿って、そして、私の楽しみは人の子らと共にあった(箴言8;31 NKJV)ことを示してきました。主は、誠実に主を求めるすべての人々に助けを提供してきました。「彼らのあらゆる悩みの時に、主は悩まされました。そして、主の臨在としての御使いは彼らを救いました。主の愛によって、主の憐れみによって、主は、彼らを贖いました」(イザヤ63:4 KJV)。また、イスラエルは、神に背きました。そして、主の悪い敵に助けを求めました。

 ヘブライ人達は、真の神の知識に好意を持った唯一の国民でした。イスラエルの王が異教徒の神官に尋ねるために使者を送った時、彼は、自分の民について、地と天の創造者、神よりも偶像を信頼していたと明言しています。同じように、これらの人々は、霊の闇の勢力からの勧めや助けを求めるために、知恵と能力の源()から離れた時、主を敬わず、神の言葉の知識を持っていると告白しています。もしも、神の怒りの火が、偶像崇拝の王、悪い人の一部のコースによって点されるとすると、主に仕えると告白している人々が、似たようなコースをたどっていることを、主はどのように考えることができるでしょうか。

 その人々が、人を創造し、見て言葉をかけて触れることによって、あらゆる方法によって病を癒すことができる主に信頼することに不快にしている理由は何ですか。誰が、私達の贖いのために偉大な犠牲をつくった御方以上に私達の確信に価値ある人ですか。私達の主は、使徒ヤコブを通して、明白な指導を与えました。人間の助けが失敗している時、神は、主の人々への助け手となるでしょう。「あなた方のうちに病んでいる人がいますか。その人は教会の長老達を呼びましょう。主の名によって油を注いで、祈ってもらいましょう。信仰者の祈りはその病人を救うでしょう。そして、主は彼を起きあがらせるでしょう」(5:14,15)。心が清く、キリストにつく者だと告白した人々は、サタン的な働き人達に信用を置いていたと同じくらい、神の約束を堅く信じて行動するならば、彼らは、命を与えている主の聖霊の力を身体と魂の中で実感するでしょう。

 神は、この人々()に大きい光/真理を授けました。また、私達は誘惑が届かない所にいるのではありません。私達の間の誰がエクロンの神々から助けを求めていますか。想像ではなく、この場面を見てください。セブンスデー アドベンチスト達の間でさえ、とても多くの人々がそれ自身、著しく導かれているのが見えるでしょう。とても良心的に見えますが、頑迷でうぬぼれの強い、命と健康の法則への根拠の薄い自分の恥を、自分から素直に認めています。神の憐れみは、一つの人々()として受け入れた時に私達を導きました。彼の食物は、彼の病的な切望を満足させる方法で備えられて当然です。健康的な食物が提供されるテーブルにつくよりも、彼は束縛されずに食欲を放縦にできるので、レストランをひいきにするでしょう。節制を守ることにあいまいで、彼は原則の基礎を軽視しています。彼は安堵感を求めています。しかし、自己否定の褒美を得ることを拒んでいます。彼は、正道を逸れた聖堂で礼拝しています。彼は偶像礼拝者の一人です。清められ高尚にされた能力をたたえるように働く力は、弱められてわずかな奉仕で報いられています。数々の気質、混乱した頭脳、そして、動揺した神経は、自然界の法則を無視した彼の結果の中で目立っています。彼は、役に立たず信頼できません。

 危険性を彼に警告するために正直と勇気を持っている人は誰でも、それに関して、彼の不興を買っています。取るに足らない忠告や反対は、彼の闘争心を十分に掻き立てようとしています。しかし、今一つの機会が魔力の媒介者を通して、力が来ている人から助けを求めるために提示されています。この誘因のために、彼は申し出た願い事の確保に希望を持ってお金と時間を気前よく費やして熱心に専心しています。彼は騙されていて夢中になっています。その魔術師の力は賞賛の主旋律となっています。そして、ほかの人々は、彼の助けを求めないよう感化されています。このように、イスラエルの神は、不面目にされています。その一方で、サタンの力は崇敬されて高められています。

 キリストの名によって、私は、主につくことを告白した人々に宛てて書いているつもりです。あなた方が初めに受け入れた信仰に戻ってください。不敬と無益な無駄話を避けてください。あなた方は魔力に信頼せず、生きている神への信仰を持ってください、エン-ドルや、エクロンに導く道は、呪われたものです。その足元は、禁じられた地への危険な冒険という失敗とつまずきでしょう。イスラエルには、迫害されたすべての人々を救い出す神がいます。

 主の働き人から少しでも離れるところに危険があります。私達が、明白な義務の道から外れている時、様々な状況のつながりは、正しいことから徐々に私達を引き離すことと抵抗できないように出現するでしょう。神への敬意を持っていない人との不必要に親しげな言動は、気が付かないうちに私達を堕落させるでしょう。立腹した世俗的な友人を恐れることは、私達が神への感謝を表すことや主への信頼を認知することを抑えるでしょう。私達は、神の言葉を堅く守る必要があります。私達は、神の言葉の警告と激励、神の言葉の脅威と約束を必要としています。私達の救い主の品性と生活によって唯一与えられている完全な模範を必要としています。

 神の使い達は、彼らが義務の道を歩んでいる間は、主の人々()を保護しているでしょう。しかし、サタンのグランドで故意に危険な賭けをしている人々をそのように守る保証はありません。かの絶大な騙す者のある働き人は、自分の目的を果たすために何かを言って行なうでしょう。彼が「電気治療の医者」か「電磁波治療者」として自分をスピリチュアリスト(降霊術者)と呼ぶかどうかは些細なことです。もっともらしい見せかけによって、彼は、騙しやすいひとから信頼を勝ち取っています。彼は人生の歴史を読むような、また、彼に頼る人々の苦悩と難儀をみな理解するような振りをしています。光の天使として自分を偽装していて、闇の落とし穴が心の中にあって、彼は自分の勧めを求めている女性に強い関心を表しています。彼は人々に、その悩みはみな、不幸な結婚のせいにしようとしていると言っています。これは真実でしょう。しかし、そのようなカウンセラーは、その人々の状態に何もしていません。彼は、人々に、人は愛と共感を必要としていると言っています。人々の福祉welfareに強い関心を装って、愛嬌を振りまいた羽ばたくヘビのように、彼は自分の愛嬌で怪しまれないように餌食を支配する魔力を投げかけています。やがて、彼らは、完全に自分達の力とするでしょう。罪、不名誉、そして、堕落は、恐ろしい結果です。

 それらの罪悪を働く者達は、少なくありません。彼らの道は、ひどい評判で打ちひしがれている、人里離れた家族に目立っています。この世界の人々はみな、ほとんど知りません。彼らは、新たな餌食を得るために出て行っています。サタンは、自分が行なった滅びを喜んでいます。

 目に見える世界と見えない世界は、密接な繋がりがあります。その覆いは取り除かれるでしょう。悪天使達は、私達の周りにその闇を押し付けています。そして、騙しと破壊の力を働かせています。悪い人達は、悪い霊によって影響されて力を与えられて、取り囲まれています。信仰と祈りのある人は、その魂を神性のガイダンスに明け渡しました。そして、神の使い達は、彼に天から能力と光/真理を運んできています。

 二人の主人に仕えることができる人はいません。光と闇は、神への奉仕かサタンへの奉仕かについて、正反対の何ものでもありません。預言者エリヤは、彼が背信のイスラエルに恐れることなくアピールした時、真の光の内容を示しました。「神が主ならば、主に仕えなさい。しかし、バアルがそうならば彼に仕えなさい」[1列王記18:29]。サタンの魔力に自分自身を明け渡している人々は、それゆえに、多大な益を受けたことを自慢するでしょう。しかし、これは賢明で安全であるためのコースを証明しています。命はどのように伸ばされるでしょうか。何かこの世で得るものは、どのように守られるでしょうか。神の意思に無関心になることは、死が報いられるでしょうか。そのような明白な利益はみな、ついに取り返せない損失を証するでしょう。私達は、サタンの力から主の人々を守るよう神が選んだたった一つの防壁の罰を受けずに破壊することができません。

 私達の唯一の安全は、太古の時代のランドマーク(道標教理)を守ることの中にあります。「律法と証によって、人々がその言葉によらないで語るならば、その人々に光/真理がないからです」[イザヤ8:20 ]

                                                    

 

21.イエスを見つめる

 多くの人々はこのような前進や事態の判断と、自分達の考えに注意を定着させ続けることによって、宗教生活で深刻な間違いをしています。私達は、神を受け入れる理由を知ろうとしていません。私達は、私達を落胆させるだけで、そこには何もないことがわかるでしょう。私達の唯一の希望は、「私達の信仰の創始者、完成者イエスを見つめる」[へブル12:2 KJV]中にあります。信仰・希望・勇気を授けるための主のすべてがあります。主は、私達の義と慰めと喜びです。

 満足を求める人々は弱って落胆するようになるでしょう。私達の弱さと無価値さという感覚は、キリストの犠牲の贖いを請うよう私達の心を謙虚に導くでしょう。私達は、主の功績に堅く信頼する時、安息と平安と喜びを見つけるでしょう。主は、主によって神に行くすべての人々を最大限に救っています。

 私達は、日々にいつでも、イエスに信頼している必要があります。彼は、私達に一日があるように私達の力があるでしょうと約束しました。主の憐れみによって私達は現在の重荷をみな負ってその義務を果たせるでしょう。しかし、多くの人々は将来の悩みを予想して落胆しています。いつも、明日の重荷を今日に持ってこようとしています。このように、それらの試練をみな負うことは想像です。イエスはその人々に対策を立てませんでした。主は、その日のためだけに憐れみを約束しています。主は、私達に明日の悩みと心配を自分で負わないよう命じています。「思い煩いはその日一日で十分です(マタイ6:34 KJV)

 既知の悪を抱き続ける習性のある人は、愚かで、クリスチャンではありません。これを行なうことによって、私達は祝福を喜ぶこと、現在の機会を活用することにしくじっています。主は、私達に今日の義務を果たすこととその試練に耐えることを求めています。私達は今日、言葉と行動において背かないように見守ろうとしています。私達は今日、神に敬意を払ってたたえる必要があります。私達は今日、生きた信仰を実践することによって、敵を征服しようとしています。私達は今日、神を求めず主の臨在なしでは安息に満たされないことを決意する必要があります。私達は、これが叶えられる最後の時であるかのように、見守って働きをして祈りましょう。私達の命のある限り、熱心に私達の言葉と行動においてイエスに親しく付いて行きましょう。

 わずかですが、正しく認識している人や祈りの貴い特権を活用している人がいます。私達はイエスの所に行きましょう。私達のすべての必要を主に話しましょう。私達は、自分の大きな悩みと同様に、私達の小さな世話と心配を主の所に持って行きましょう。私達は、湧き上がる心配や悩みは何でも、祈りの中で主に伝えましょう。私達があらゆる歩みでキリストの臨在の必要を感じる時、サタンは自分の誘惑を持ち込む小さな犠牲とするでしょう。私達の最良で、最も共感している友人から私達を離れさせ続けることは彼の研究結果です。私達はイエス以外に私達の秘密の話を打ち明けられる人がいないでしょう。私達は、自分の心の中にあるすべてを主に安心して伝えることができます。

 兄弟姉妹のみなさん、あなた方が公的な礼拝に集まっている時、イエスはあなた方に会っていると信じましょう。主はあなた方を祝福することに快くしています。自分から視点を離してイエスを見てください。主の計り知れない愛について語りましょう。主を見上げることによって、あなた方は、主に似た者として変えられるでしょう。あなた方が簡潔に祈る時、その点をふさわしく行なっています。あなた方の長い祈りによって、主は説教をしていません。地の父にパンを求めるように、命のパンを求めてください。私達が主に信仰と純潔さによって求めるならば、神はすべての必要の祝福を授けるでしょう。

 牧師達によって説教の前に捧げられる祈りはしばしば、長いもので不適切です。それらの祈りは、人々の欠乏や状況に応じた必要について言っておらず、対象となる個人の経緯全体を含んでいます。そのような祈りは、公の場ではなく隠れた祈りで捧げられるのが適切です。聴衆は[その祈りに]飽きて牧師にやめてほしいと思っています。兄弟のみなさん、あなた方の祈りの中にあなたと共に会衆を加えてください。信仰によってあなた方の救い主の所に行きましょう。あなた方が今の状況で必要なことを主に話しましょう。その時に必要な祝福を熱心に求めて、その魂が神の後をついて行くようにしましょう。

 祈りは、神の最も清い運動です。それを、心が新しくされる望みを持って、聖なる神の臨在を感じて、謙虚に熱心にまじめに行ないましょう。嘆願者は神性の臨在がいると感じた時に自分を忘れるでしょう。その人は、人間の才能を披露する望みを持っていないでしょう。また、人々の耳を喜ばせないで魂が切望している祝福を得ることを喜ばそうとするでしょう。私達が唯一、主の言葉によって主を信じるならば、祝福は私達のものです。もっと熱心に効果的な祈りがあってほしいものです。キリストは信仰によって主を求めるすべての人のための助けとなるでしょう。

 

22.精を出して働く者達の呼び出し

 世俗の精神と利己心は、教会の多くの祝福を奪いました。私達は、神性の光と力に関して、この教会に有限な有用性を説明して意図的に抑制する権利を持っていません。過去におけるよく指導された努力の成功への評価は、一つの考えだとして否定しています。成功は、労働者達が働いたことに釣り合わせてかなえられてきました。それは、この教会の有用さを限定してきた、唯一の犠牲と労働の限界です。伝道精神が弱っています。献身も弱まっています。利己主義と金銭欲、貪欲と偽りがこのメンバー達の中に存在しています。

 神はその事柄のためにケアしていないと思いますか。主の人々の心の目的や意図を読むことができないと思いますか。熱心で熱意のある悔恨の祈りは、その人々に天の窓を開いて恵みの雨をもたらすことでしょう。キリストの十字架の明瞭で確固とした見方は、その人々の世俗心を和らげて、その魂を謙虚と感謝で満たすでしょう。また、自分が自分のものではなく、キリストの血によって買い戻されたと考えるでしょう。

 霊的な死や弊害がこの教会の中にあります。そのメンバー達はサタンによって傷めつけられています。しかし、メンバー達は、キリストの十字架を見ていないでしょう。過去のイスラエル人たちが真鍮のヘビを見上げたように、その人々は生きるでしょう。世俗の多くの人々は、カルバリーの十字架の力を感じよう、また、その栄光を見るためと思っても、見るための十分な時間がないと叫んでいます。その人々は今、[現在の]真理が要求している自己犠牲と自己否定のほのかな光を捉える時に、それは歓迎されず、その注意をほかの指導に向きを変えて、やがてそれを忘れるでしょう。主は、有用で効果的な主の人々()とすることができません。その一方で、主が定めた状況に応じることに気を付けていません。

 神が主の人々に与えた光のために、どこでも、強い呼びかけが出されています。しかし、それらの呼びかけは、価値のない地域の人々のためにあります。誰が、神とその働きに自分を聖別して献身する任務を考えていますか。それらの呼びかけに応えるために自分自身に資格を得ている若い人々はどこにいますか。真理の光が未だ射し込んでいなかった広い伝道地が私達の前に広がっています。私達はどの道を見ているでしょうか。私達は集めるように備えられている豊かな収穫物を見ています。しかし、そこには取り入れをする人がいません。祈りは[現在の]真理の勝利のために捧げられています。あなた方はどんな方法で祈りをしていますか。あなた方は、どんな種類の成功を期待していますか。あなた方の怠惰に合った成功は、あなた方の自己中心的なわがままですか。成功は、あなた方の側の何らかの努力なしに、それを支援して支持しますか。

 厳粛な働きに相応しくされる働き人がその伝道地に送られる前に、この教会は、自分達の避けどころとして頼っている人々にとって不快で、決定的な変化が必要です。そこには、霊的な回復と目覚めが必要です。クリスチャンの憐れみの温度が上げられる必要があります。計画が地のすべての国の民に[現在の]真理を広めるために考案されて遂行される必要があります。サタンは、キリストを告白して従っている者達に、霊的に眠らせて静かにさせています。一方、魂達はその人々の周りで滅びています。どんな言い訳が、その人々の怠惰から、主に与えることができますか。

 キリストの言葉はこの教会に適用されています。「なぜ、汝らは一日中、何もしないで、ここに立っているのですか」。なぜ、あなた方は主のブドウ園で才能を使って働きをしないのですか。何度も、主はあなた方に命じました。「汝らは、ブドウ園に行ってください。そして、正しいことは何でも、汝らは受け入れるでしょう」。しかし、この天からの慈しみ深い呼びかけは、多くの人々によって無視されてきました。あなた方が神の戒めに従うことは、楽しい時間ではありません。そこでは、キリストの名を名乗っているあらゆる個人のための働きがあります。天からの一つの声は、厳粛にあなた方の義務を呼びかけています。この声に心にとめてください。何かの才能によって、どこでもすぐに働きに行ってください。なぜ、あなた方はここに一日中何もしないで立っているのですか。ここに、あなた方がするための仕事があります。その仕事は、あなた方の最高のエネルギーに呼びかけられています。命lifeのあらゆる貴い瞬間は、

あなた方が、神か、あるいは、あなた方の仲間、あなた方が怠惰にしていることに負っている何かの義務に関わっています。

 魂達を救う偉大な働きは、まだ、なされるために残っています。栄光の天使達はみな、この働きに結ばれています。一方、闇の悪霊達はみな、それに反抗しています。キリストは、主のすべての信仰遺産を受け継ぐ人を立てるために差し出して、その心に永遠の愛を携えて世界の人々のために来たことによって、魂達の大きな価値を私達に明示しました。主は、私達の前に、人類の罪のための天の父の愛の覆いを取って、正義として、信じる者を義とする主を現しています。

 「キリストは、自分自身を喜ばせませんでした」[ローマ15:3]。彼は、自分自身のために何も行ないませんでした。主の歩みは、罪に陥った人の味方の中にありました。利己心のある人は、主の臨在の中でまごついて立っています。主は、私達の代わりに主が体験するかもしれない私達の性質の責任を取りました。世界の人々の罪、利己心はこの教会の罪を明らかにするようになりました。主自身の犠牲によって人々の善のため、キリストはすべての利己心の根源を攻撃しています。主は、主自身の栄誉と天の栄光さえ、何も残しませんでした。主は、救って祝福するために来た人々の側に、自己犠牲と自己否定が一致するよう期待しています。すべての人々は、自分の能力を伸ばすための働きを求められています。あらゆる世俗の考えは、神の栄光の横に置かれる必要があります。世俗の優位性の唯一の望みは、私達が神の人類救済目的を前進させることにあるでしょう。

 キリストの関心と主につく者達は、一つである必要があります。キリストのものであることを主張する人々は、利己的に自分達の富を浪費して、自分自身の終わりを熱心に求めているので、告白していない世俗の人々は、それらが分かれていて識別されると判断するでしょう。世俗的な幸が第一に来ています。これと同等なものは何も考えられていません。キリストの[人類救済]目的は、自分の確かな財産が集まるまで待つ必要があります。人々は、あらゆる危機に備えて得たものを増やす必要があります。魂達は[現在の]真理なしに滅びるに違いありません。キリストが死んで[贖った]魂とその人々が得た商品や家や土地を比べると価値がありますか。魂達は何かを行なうための備えを得るまで待つ必要があります。神は、最も知的で献身した仕える者達だけではなく、忠実に仕える者とマモンの神を自慢する人、怠惰の神マモンに仕える者達に呼びかけています。彼らは、安楽と娯楽を彼らの主の良いものとして捧げています。

 イエスに魂達を連れていくために何もしない人は、私達が伝えている救いに連れていくために、すべてを投げ売りしています。利己心は、この教会からキリストの愛と慈しみを取り去っています。主の宝庫が空になっている一方で、数百万ドルの主のお金が世俗を楽しむ強い欲望によって浪費されています。私の前にそれが提示されていたように、あなた方の前にこの問題が提示される方法を私は知りません。毎年、数千ドルがドレスのプライドを喜ばすために費やされています。その資金は、私達のいろいろなミッション(諸支部)で利用されるはずのものでしょう。私は、高価な衣服のあらゆる望みを満たしている豪華なたくさんの食卓と、いろいろな家族を示されました。その人々は、成功したビジネスに従事しているか良い賃金を得ています。しかし、全てのお金は自分達の家族や自分達に費やされています。これは、キリストを手本にしていますか。彼らがこの地に神の働きを前進させるためにもっと何かができるでしょう。生来の性向を否定し、慎重に節約を考えて、どんな重荷を負おうとしていますか。アンドルーズ長老はこのように必要のない浪費された資金の何かについて優位性を持っているでしょう。それは彼にとって大きな祝福となるでしょう。彼の生涯を長くする優位性を与えるでしょう。巨大な計画が遂行されるようにもっと資金があったならば、この伝道の働きは百倍にも広げられるでしょう。しかし、この目的のために使われるよう、神が意図した資金は、真理を広めるために必要な資金としてではなく、財産の罪のない満足と幸福のための品物に費やされました。私の兄弟[姉妹]のみなさん、あなた方は、イエスキリストではなく、あなた方自身の事柄を求めています。

 キリストがすべての心に宿っていて、利己心がすべての心を形成していると考えている人は、この教会から追放される必要があります。その結果、どうなりますか。調和、一致、兄弟愛は、キリストが最初に設立した教会に確かにあったでしょう。クリスチャンの積極性はどこでも見られるでしょう。この教会全体に神の栄光の犠牲的な炎が燃えてほしいものです。すべてのクリスチャンは祭壇の上で燃やされるために自己否定の実をもたらしてほしいものです。そこには、新しい有用な方法を考案して、永遠の滅びから人々を救うために、貧しい罪びと達と親しくなる方法を学んで積極的になる必要があります。私達は、流行を取り入れることなく、服装のスタイルを簡素なドレスにする必要があります。私達の食卓は、豪華な食物や豪華で贅沢なものを避けて、いつも健康的な食物をシンプルに整えましょう。私達の家は同じような様式で家具を備えて簡素になるよう建てましょう。それは、現在の真理の力の清らかさを示すでしょう。また、その信者達に感化を語るものを持てるでしょう。しかし、私達は、それらの内容で世俗に一致していて、ある人々はこうした外観で世俗の人々に優ることを求めているように見えます。真理の説教は少しだけか、ほとんど効果がないでしょう。それを信じているとすでに告白している人々が自分達の働きによってその信仰を否定する時、誰がこの時代の人々のための厳粛な真理を信じているでしょうか。私達のために天の窓を閉じたのは神ではありません。この世界の慣例や習慣に私達自身が順応しています。

 黙示録14章の第三の天使は、天の中空を敏速に飛んでいるように現されています。「ここにイエスについての信仰と神の戒めを守る人々がいます」。ここに神の人々の働きの性質が示されています。その人々は、とても重要なメッセージを持っています。その人々は、この世界の人々に、それについて提示して富んでいるように現されています。その人々は、この世界の[義に]飢えている人々のための命のパンを手に持っています。キリストの愛は、世界の人々に迫っています。これは、最後のメッセージです。それに続くものはありません。このメッセージの後で与えるための憐れみの招きはないので、その働きは終わるでしょう。慈しみ深い招きの御言葉を伝えるために、すべての人々に責任が託されています。「聖霊と花嫁[教会]は“来てください”と言っています。聞く人も“来てください”と言っています。渇望している人は“来てください”。命の水がほしい人は値なしに受けましょう」[黙示録22:17 KJV]

 聞いているすべての人々は「来てください」と言おうとしています。牧師達だけでなく、主の人々も、すべての人々はこの招きに結ばれようとしています。それらを告白する人々によってだけではなく、その人々のドレスによってだけではなく、その人々は、人々に神聖な真理を伝える御方の意思の執行者、世界の人々のためにメッセージの受託者とされています。すべての人々は、神が信託を与えた、人々の栄光と威厳を感じてほしいものです。

 

23 神の封印 The seal of God(註 [ ]内は訳者の挿入語です)

[1.泣いている人々にしるしをつける]

 「彼は、私の耳によく聞こえる声で叫びました。‟その都市に近づいて攻撃して損害を与える目的をもっている人はみな、自分の手に滅ぼす武器を持ちなさい”」[エゼキエル9:1 KJV]

 「また、彼は、角製のインク入れを持っていて、白い衣を着た人に呼びかけました。そして、主は、彼に言いました。エルサレムの中心を通って、その都市の中心に行きなさい。そして、そこで行なわれた全てに、ため息をついて悲しみ、嫌悪して泣いている人々の額にしるしa markをつけなさい。そして、彼は、もう一人に、私に聞こえるように言いました。汝は、彼の後をついて都市を通りなさい。そして、滅ぼしなさい。あなたの目をつむらないようにしてください。汝の哀れみをもたないようにしましょう。婦人も幼い子どもも乙女も、老人も若者も完全に殺しなさい。しかし、特別なしるしのあるどのような人にも近づいてはいけません。私[]の聖所から始めなさい。その人々はその家の一族の以前からいた古代の人々から始めました」[エゼキエル9:3-7 KJV]

 イエスは、神が彼らに与えた光/真理に応答しなかった人々に、復讐の衣を身に着けて、神の裁きの怒りを注ぐために、天の聖所の恵みの座の周りから去ろうとしています。「悪を働く者に対する宣言は、ただちに行なわれないので、人々の息子らの心は悪を行なうことに固っています」(伝道の書/コヘレト8:11 KJV)。主がその人々に対して行なった長い寛容と冷静な忍耐によって、心が和らげられる代わりに、神を畏れず、真理を愛さない人々は、その心が悪の道に強められています。しかし、神の忍耐にも限界があります。そして、多くの人々は、それらの境界線を越えています。その人々は、恵みの限界を超えました。それゆえに、神は干渉して自分の栄誉を証明する必要があります。

[2.主の裁きが降ろうとしていた]

 アモリ人達[B.C.2000頃の古代セム族。創世記10:16]について、主は言いました。「アモリ人達の悪はまだ満ちていなかったので、4世代目になって、その人々は再びここに帰って来るでしょう」(創世記15:16 KJV)。この部族は、自身の偶像崇拝と堕落のゆえに目立っていましたが、それは、その悪の杯をまだ満たしていませんでした。神は、完全な滅びの命令を与えていないでしょう。その人々は目立った方法で現れた死にかけたthe diyine(dyingの誤植?)勢力を見ようとしていました。その人々は許されないままに残されるでしょう。同情する創造者は4世代までの人々の罪を負うことに快くしていました。その時、良くなるという変化が見られなかったならば、主の裁きはその人々の上に降ろうとしていました。

 間違うことなく正確さを持つ無限の御方は、まだ、全ての部族に責任を持って保っています。彼の憐れみが、悔い改めの呼び掛けを提供している一方で、この配慮は今も働いているでしょう。しかし、その人物達は、神が見据えた一つの量に達した時に、主の怒りの務めthe ministryを開始しています。その配慮は閉ざされています。神性の忍耐は途絶えています。そこでは、その人々のための味方としての憐れみの懇願はもはやありません。

[3.大きな光を持っていた人が汚れるようになった]

 その預言者は、その世代を見通して、彼の幻によって提示されたこの時代を記しました。この世代の民族は、先例のない憐れみを受け取る人々でした。天の祝福の最も優れたものがその人々に与えられていました。しかし、プライド(自慢のまじった自尊心)、貪欲、偶像崇拝、神への蔑み、恩知らずなどが、再び記録されました。その人々は、神への自分達の責任をまったく放棄しました。

 私にとって、恐怖で震える理由は、最も大きな光/真理と特権を持っていた人々が罪に打ち勝ちながら汚れるようになったという事実です。その人々の周囲にいた不義の人々の影響/感化によって、多くの人々は、真理を告白していながら冷淡や無関心が増して、悪の強力な普及によって圧倒されています。全世界の人々の嘲笑は、真の清めと聖化に投げかけられて、神の律法を尊重することを失わせようとして、神と親しく繋がっていない人々を導いています。その人々が、心の中で真理に従順になり、光/真理に歩んでいたならば、このように軽蔑され踏みにじられた聖なる律法は、その人々にとってもっと貴いものとして見られていたことでしょう。神の律法が尊重されないことが、もっとはっきりと現れる時、世俗の人々とそれを守る人々の間の境界線は、もっと明確になっています。一つの層の人々によって神の律法への蔑みが増していることに応じて、神性の指針(戒め)への愛が一つの層の人々に増しています。

[4.主は罰するでしょう]

 その危機は急速に近づいています。その人物達の急激な増加は、神の訪れの時が来たことを示しています。刑罰の気は進まないけれども、それにもかかわらず、主は罰するでしょう。そして、それは速やかでしょう。光/真理に歩んでいる人々は、滅びが近づいているしるしsignsを見ているでしょう。しかし、その人々は、神がその訪れの日に主の民の避け所になるだろうと信じて自分を慰め、その破壊の予測に無関心で、静かに座っていてはいけません。そこから離れましょう。その人々は、助けを求めて神への強い信仰を求めて、ほかの人々の救いのために、賢明な働きをすることが自分達の義務であることに気づく必要があります。「正しい人の効果的で熱い祈りは役立ちます」(ヤコブ5:16 KJV)

 信仰深いイースト菌/影響力は、まったくその力を失いませんでした。この教会への圧政と危機が絶大な時に、この光/真理に立っている僅かな仲間達は、この地で行なわれている嫌悪に対して、叫んでため息をつくでしょう。しかし、この教会のメンバー達がこの世俗の人々の方法に倣って行なっているので、その人々のもっと特別な祈りは、この教会の味方へと立ち昇るでしょう。

 この信仰深いわずかな人々の熱心な祈りは無駄にならないでしょう。主は、報復者としてやって来る時、世俗の人々から気づかれず、清いことを守って来た人々をみな保護する者としてやって来るでしょう。主が長く赦してきた間、夜も昼も主に叫んだ人を主が選んで約束していた復讐はこの時のためです。

[5.泣いている人々にしるしをつける]

 主の指示はこうです。「エルサレムの中心を通って、その都市の真ん中に行きなさい。そして、その中心で行なわれた全てに、ため息をついて悲しみ、嫌悪して泣いている人々の額にしるしをつけなさい」[エゼキエル9:4 KJV]。それらの、ため息をついていて、泣き叫んでいる人々は、命の御言葉を勧めていました。その人々は、誤りを証明して勧めを行ない、請い願いました。神に対して不敬だった人は、主の前に心を悔い改めて謙虚になりました。しかし、主の栄光は、イスラエルから離れ去りました。多くの人々は形式的な宗教を続けましたが、主の力と主の臨在が欠けていました。

 主の怒りが裁きをもって出て行く時に、謙虚で献身したキリストに就く者達は、その魂の苦しみによって、この世界に残されている人々から識別されるでしょう。その人々は、悲嘆し涙を流す者、譴責し警告する人として表されています。ほかの人々は、悪の存在を覆い隠そうとしている一方で、至る所に広がっているひどい悪を許しています。魂達への愛と神の栄誉に誠意を抱いている人々は、誰かの好意を得ようとしても自分達の平安を保てないでしょう。その人々の正しい魂は、日々に、清くない働きと正しくない会話によって悩まされるでしょう。その人々は、悪の激しい流れを止めることに無力です。それゆえ、その人々は恐怖と悲しみに満ちています。その人々は、大きな光/真理を持っていた人々の家々で宗教が嫌われているのを見て、神の前で悲しみ嘆いています。その人々は、この教会にあるほとんど全ての種類のだまし、自分中心、貪欲、プライドのゆえに、自分達の魂を嘆いて苦しんでいます。譴責を促す神の霊/精神は、サタンに仕える者達の勝利によって足蹴にされています。神は敬われず、[現在の]真理は、無効とされました。(訳者加筆。現在の真理は、再臨・安息日・調査審判・信仰による義・千年期その他です)

[6.神の印なしに残される人]

 ほかの人々の罪を嘆き悲しまず、自分自身の霊的な退化に悲しみを感じていない層の人々は、神の印sealなしに取り残されるでしょう。主は、手に大量殺戮の武器を携えた主のメッセンジャー達に託しています。「汝は、彼の後をついて都市を通りなさい。そして、滅ぼしなさい。あなたの目をつむらないようにしてください。汝の哀れみをもたないようにしましょう。婦人も幼い子どもも乙女も、老人も若者も完全に殺しなさい。しかし、特別なしるしのあるどんな人にも近づいてはいけません。私[]の聖所から始めなさい。その人々は、その一族の以前からいた古代の人々から始めました」[エゼキエル9:5-7 KJV]

 ここで、私達は、この教会「主の聖所」が神の怒りの一撃を感じる最初だったことを見ています。古代の人々、神が大きな光/真理を与えた人々、また、その人々の霊的な関心を保護する者として立ち上がった人々は、自分達の信頼を裏切ってしまいました。その人々は、自分達は以前の日々の神の力の現れを記したものと奇跡を見る必要がない、という立場を取りました。時代は変わりました。それらの言葉は、その人々の不信仰を強めて、その人々はこう言っています。「主は、悪を行なっていませんが、良い事も行なっていません。主は、裁きで主の民を訪れる時に、とても憐れみ深いです(創世記26:29 KJV)。このような「平和だ、無事だ」(1テサロニケ5:3 KJV)は、ヤコブの家の罪と、神の民の違反の罪を示すトランペットのような、その人々の声を再びあげない人々からの叫びです。これらの吠えない無口の犬達は、神が感情を害して復讐を感じる人々です。男性[女性]達、未婚の女性達、幼子達はみな共に滅びるでしょう。

 信仰深い人々への嫌悪感は、ため息をついて嘆かれて泣かれて、有限な者達の目によってみな、識別されるようなものでした。しかし、最悪の罪から離れることによって、清く聖なる神の妬みを駆り立てる人々は明らかにされませんでした。人々の心を探る偉大な主は、人々が罪を働いて隠れた所に抱いている罪をみな知っています。それらの人々は、自分達のだましを安全と考えています。また、主が地上の人々を見捨てた行動と長い忍耐のゆえに、主は見ていないと言っています。しかし、主は、その人々の偽善を見抜いているでしょう。また、その人々が慎重に隠してきた罪をほかの人々に開示しているでしょう。

 神聖の務めの立場にない人、世俗の知恵や、尊厳、社会的な層に優位性がない人々は、自分達自身の心から間違いを取り去った時に、聖なる原則によって人々を護るでしょう。正しく価値ある者としてみなされた人々が、神の憐れみを乱用して無関心の見本となり、背信の首謀者になっていることをはっきりと示しています。主はもはや、その人々の邪悪な道を耐え忍べず、主の怒りによって慈悲心なく扱うでしょう。

 ほかの人々への奉仕の働きにおいて、御言葉の力を感じた人々、大きな光/真理によって祝福された人々から、主がその臨在を退いていることは、主の気が進まないものによるものです。その人々は、主のガイダンスと臨在に好意を持って、かつて、主に忠実に仕える者でした。しかし、その人々は、主から分離して、ほかの人々を間違いに導きました。そのために、彼らは、神性の不快のもとに連れて行かれています。

[7.神の印を記される少数の残りの者]

 神の復讐の日は、じきに私達の上にあります。神の印sealは、その地で行なわれていることに嫌悪して、嘆き悲しみ、ため息をついて悲しむ人々にだけ、額に記されるでしょう。世俗の人々と共感して繫がっている人々は、大酒飲み達と食べたり飲んだりしていて、間違いなく、悪を働く者達と共に滅ぼされるでしょう。「主の目は、正しい者達の上に向いています。主の耳は、正しい者達の叫び声に開かれています」しかし、「主の顔は、悪を行なう人々に向かっています」(1ペテロ3:12 KJV)

 私達自身の行動の道は、生きている神の印sealを受けるか、滅ぼす武器によって死ぬかどうかを決めるでしょう。すでに、神の怒りがいくつか地上に降下しました。しかし、最後の七つの災いは、主の怒りの杯から混ぜ物なしに注がれるでしょう。その時、悔い改めと避け所を見つけることは、永遠に遅すぎるでしょう。その時、贖いの血は罪の汚れを洗い流さないでしょう。

 「その時、ミカエルが立ち上がるでしょう。その大いなる君は、汝の民の子らのために立ちます。そして、かつてなかったような悩みの時となるでしょう。その時、汝の民、その書に名を記されていたことを見つけられる人はみな救出されるでしょう」(ダニエル12:1 KJV)。この「悩みの時」が来る時に、全ての人のケースが決定されます。そこには、もはや恩恵期間はありません。もはや、悔い改めない人のための憐れみはありません。生きている神の印は主の人々()にあります。この少数の残りの者達は、あの龍の軍勢によって指揮された地上の勢力との死の闘いに自分達自身では防御不可能で、神はその人々の防護策を作ります。その獣を拝するようにという特別な法令が、地上の最高権威者によって制定されました。人々は死と迫害の苦痛の下でその獣のしるしmarkを受けて獣を拝するでしょう。主の支えなしにそのような恐ろしい闘いに立ち向かうことができるように今、神が主の民(人々)を助けるようにと祈ります。

[8.神の子ら]

 神が保護する力への全的信頼、信仰、堅忍、勇気は、一瞬にしてやって来るものではありません。これらの天の恵みは、何年もの体験によって習得されるものです。正しく、確固とした信奉と聖なる努力の生活によって、神の子らは自分達の運命を封印して来ました。その人々は、仲間もいずに誘惑に晒されて、徹底的に抵抗するか、打ち負かされるかして当然ということを知っていました。その人々は、自分達が行なうための偉大な働きを持っていた、そして、いつか、自分達の鎧兜を脱ぐよう呼び掛けられるだろう、自分達の働きが行なえなくなって人生に終わりに来るだろう、それは永遠の損失となるだろうと考えていました。その人々は、最初の弟子達がイエスの口から聞いたように、天からの光/知識をひたすらに受け入れていました。それらの初期のクリスチャン達は、山々や人気のいない地に追放されました。責め苦と寒さ、空腹で死ぬ危険な地下牢におかれた時、殉教がその困窮を逃れる唯一の道のように思えた時、その人々は、人々のために十字架にあげられたキリストの苦悩の価値を数えて喜びました。それらの価値ある模範は、やがて、かつてなかったような悩みの時に立ち向かう、神の人々()の励ましと慰めとなるでしょう。

[9.神の印を受けない人]

 安息日を守ることを告白している人々がみな、封印されるsealedのではないでしょう。ほかの人々に[現在の]真理を教えている人々の間にさえ、その額に神の印sealを受けない人々がたくさんいることでしょう。その人々は、真理の光を持っていました。その人々は、自分達の大教師の意図を知っていました。その人々は、私達の信仰のあらゆる点を理解していました。しかし、その人々は、一貫した働きをしませんでした。神性の知恵の宝物のような人々、預言者ととてもよく似ていた人々は、自分達の信仰によって役割を果たしました。彼らは、家族の者達に、世俗の人々の心に真理を感化して示すことができるよう、自分達に倣うようにとよい指導をしたことでしょう。

 献身と清めの欠如、宗教的に高度な標準への到達に失敗したことによって、その人々は、ほかの人々の魂を自分達と同じ位置にしています。有限な人間達の判断は、しばしば、神の言葉の宝物を開示してきた人々をならう模範として考えられないでしょう。彼らは、間違いなく、人々の魂を危険にさらすでしょう。イエスは唯一の模範です。主が求めていることを知ろうとするならば、すべての人々は今、神の前で、自分のために、謙虚に素直な子どもの心で、自分の膝の上の聖書を研究する必要があります。どんな牧師でも、神の好意によって高い立場にいたとしても、彼が、神について与えられた光に最後まで従うことを怠るならば、また、幼い子どもとして教えられることを拒むならば、彼は、サタン的なだましと[霊的な]無知の闇に行くことでしょう。また、ほかの人々を同じような道に導くでしょう。

[10.キリストの苦悩に与るものとなる]

 私達の品性が一つの汚れや染みを持っていながら、これまで、私達の内で神の印を受けている人はいません。私達の品性の欠点を改善すること、魂の宮のあらゆる汚れを清めることが私達に残されています。それから、ペンテコステの日に弟子達に初めの雨が降ったように、私達に後の雨が降るでしょう。

 私達は、学識の到達にすぐに満足しています。私達は、たくさん考えて、善が増えました。そして、「裸な者、見えない者、貧しい者、かわいそうな者、気の毒な者」であることに気づいていません。今は、真の証人の忠告が隠されている時代です。「汝らが富む者となるために、火で精錬された金、また、汝らの裸の恥をさらさないように、汝らが着るための白い衣、また、見えるようになるための目に塗る目薬を私から買うことを勧めます」[黙示録3:17,18 KJV]

 この地での生活において、私達は、火のような試練に立ち向かい、多くの犠牲を払って必然です。しかし、キリストの平和がその報いです。そこには、ほんのわずかの自己否定がありました。キリストのためのほんの少しの苦しみがありました。その十字架がほとんど忘れられています。私達は、主の玉座に主と共に勝利者として座したいのであれば、キリストの苦悩に与る者となる必要があります。私達が、自己否定に怯えてわがままで安易な道を選んでいる限り、私達の信仰は決して堅固にならないでしょう。私達は、勝利の自覚を通して訪れる喜びだけではなく、イエスにある平和を知ることもできないでしょう。贖われてもっとも高められた者達は、ひどく深い悲しみを通ってやって来たので、克服した闘いを知っていて、白い衣を着た子羊[]と神の玉座の前に立っています。この闘いに繫がらず、状況に適応してきた人々は、その時にノア、ヨブ、ダニエルがその地にいたとしても、深い悲しみがすべての魂にあるその日の立ち方を知らないでしょう。この三人が自分達の息子や娘を救わないだけでなく、すべての人々は、自分自身の義によって自分の魂を救えなくて当然です。

 自分の場合は希望がない、クリスチャン人生を送れないと言う必要はありません。全ての魂のために十分な対策がキリストの死によって立てられています。イエスは、私達が必要な時にいつまでも助けを示しています。信仰によって呼び求める時、あなた方の願いを聞いて応えると約束しました。

[11.天の人格形成、神の印の備え]

 生きているうちに信仰を働かせましょう。私達に信仰が必要です。私達はそれを持っている必要があります。そうでないと、私達は、試練の日に勇気が挫けて落伍者になるでしょう。私達の道にかかっている暗闇は、私達を絶望に導くものでも、落胆させるものでもなくて当然でしょう。それは、主が豊かな祝福を授けるために来る時に、神が主の栄光を覆うベールです。私達は、このことを自分達の過去の体験によって知る必要があります。神が、主の民と争った日に、この体験は慰めと希望の源泉となるでしょう。

 私達が、世俗の人々から染みのないように、自分達と自分の子ども達を守らなければならないのは今です。私達が子羊の血によって品性の衣を白くするのは、また、自分達の品性の衣を洗わなければならないのは今です。私達が、激情や霊的な怠惰、プライドに勝利しなければならないのは今です。私達が、品性に見合った努力を決心して目覚めなければならないのは今です。「きょう、汝らが、主の声を聞いたならば、汝らの心を頑なにしてはいけません」(詩編95:8,ヘブライ3:7 KJV)。私達は、主の出現を見守って、待ちつつ、立場に持ちつつその中で生きています。世俗の世界の人々は、[霊的な]無知の闇の中で生きています。パウロは言っています。「しかし、汝ら、兄弟のみなさんは、闇の中にいてはいけません。その日は、盗人のようにあなたがたを襲うでしょう」(1テサロニケ5:4 KJV)。待ち望む魂のために、疲れから休息に、悲しみから喜びに、[霊的な]無知の闇から出て光/知識に連れて行かれるのは、神の永遠の約束です。

 兄弟[姉妹]のみなさん、あなた方にとって、備えるための大事な働きは何ですか。世俗の人々と繫がっている人々は、あの獣のしるしのための備えをしていて、世俗の人格形成を受け入れています。自分自身に慎重な人々、神の前で謙虚にしている人々や、真理に従順で魂を清めている人々は、天の人格形成を受け入れていて、額に神の印を[受ける]ための備えをしています。[印せよ]という特別な宣言が出される時、その[神の]印はしるされます。その人々の品性は永遠に染みがなく清さがとどまっているでしょう。

 今は、備えをするための時です。神の印は、清くない男性や清くない女性の額にしるされないでしょう。それは、野心があって世俗を愛する男性や女性の額にしるされないでしょう。また、偽りを言う口や欺く心の男性や女性の額にしるされないでしょう。神の印を受ける人はみな、天への志願者として、神の前に染みのない者になる必要があります。私の兄弟、姉妹のみなさん、前進しましょう。私は、この時について、あなた方に注目と備えの必要を呼び掛けて、これらを手短に書くことができるだけです。あなた方自身のために御言葉を研究してください。みなさんは今の時の畏怖と厳粛さを理解できるしょう。

24.一つのアピール [6]

 私は、一つの民(人々)として私達の状態について考えた時、悲しみに満たされています。神は、私達に天の窓を閉じませんでした。私達自身が続けてきた信仰の逆戻りの進路は、私達を神から引き離してきました。世俗愛、羨望、プライドは、激しい非難や追放を心配せずに、心の中に生きてきました。ひどく嘆かわしい推測の罪が私達の間に住み込みました。また、一般的な意見がある教会にはびこっていて、その平穏と霊的な繁栄が、その教会に接しています。

 その教会は、教会リーダーであるキリストに従うことから離れて、すぐにエジプトに向かって戻り始めています。また、ある者は自分達が欠如している霊的な力に驚いたり警告されたりしています。神の霊に属する様々な「証」さえも疑って、不信仰がどこでも私達の教会に残ったままです。サタンは、それをこのように保っているでしょう。説教で、キリストではなく自分を語っている牧師達は、そのようなものを持っているでしょう。様々な「証」は読まれず、価値が認められていません。神はあなた方に語りました。光/真理は、主の言葉と様々な「証」から輝いてきました。そして、その両者共に嫌われ無視されてきました。その結果、私達の清めと献身と熱心な信仰に欠如が現れています。

 一人ひとりが自分の心に問いかけましょう。「私達は、どれほど霊的に弱体化して不和の状態に陥っているだろうか。私達の行動が自分達の信仰と一致していない故に、私達は神の不興を自分達にもたらしていないだろうか」。あなた方自身の心を確かめてください。あなた方自身の進路を評価して確認してください。あなた方が選んでいる仲間達を考察してください。賢明な仲間に見えますか。あるいは、あなた方は、神を恐れず、福音に従わない仲間達、世俗の仲間を選ぶことに気をよくしているのではありませんか。

 あなた方のレクリエーションは、道徳的、霊的な活力を与えるようなものですか。それらは、行動と思想の清めを導くものですか。清くないものが今日、キリストを告白して従っている人々の間にさえ広がっています。激しい感情が抑制されずに放置されています。動物的な傾向が甘やかしによって力を得ています。その一方で、道徳的な力が徐々に弱くなってきています。多くの人々は、神の言葉が禁じている道徳的でない娯楽と、世俗のものに熱狂的に加わっています。このように、その人々は、世俗の娯楽を好む人々と一緒になって、自分達の層の人々と神とのつながりを断っています。ノアの大洪水前の人々と平原の都市を滅ぼした罪は今日、単に、異邦人の国々だけでなく、キリスト教信仰を告白している人々の間だけでもなく、人の子[]の来臨を待ち望んでいると告白している人でさえにも存在しています。神が、あなた方の前にそれらの罪を示したならば、あなた方は、主の視界の中に現れた時、恥と恐怖に満たされるでしょう。

 何がこの状態の警告の原因となったのですか。多くの人々は、真の回心をしなかった人の真理の理論を受け入れました。私は自分が話したことについて知っています。そこには、頑なで堕落した悪行への深い罪の自覚、罪のための真の悲しみを感じている人がわずかにいます。石の[ような頑な]心は[温かい血の通った]肉の心に変化していません。わずかな人が岩[]の上に落ちることを決意して、心が砕かれています。

 大事なことは、あなた方が存在していることや、あなた方の命があったことです。あなた方は、神が提示した方法によってだけ救われることができます。あなた方は、悔い改める必要があります。あなた方はキリストイエスの岩の上に、無力な姿で落ちる必要があります。あなた方は、一人の医者を必要としています。この救済は、唯一のキリストの血による、私達の主イエスキリストへの信仰と、神への悔い改めによって救われることが可能です。ここに、キリストの牧師になる人、クリスチャンになると告白している多くの人々によって始められようとしている働きがあります。老いたパリサイ派の人々のように、あなた方の内の大半の人々は、救い主の必要性を考えていません。あなた方は、自己満足して、自己称揚しています。キリストはこう言いました。「私は、義人を招くためではなく、罪びと達を悔い改めに導くために来ました」[マタイ9:13 KJV]。キリストの血は、それが清める力の必要を感じる人だけしか益をもたらさないでしょう。

 私達が、優れた愛と謙遜という、神性の憐れみを求めなかった時でも、キリストは、私達の贖いを快く引き受けたでしょう。しかし、私達の偉大な医師は、すべての魂に疑いようのない従順を求めています。私達は、自分自身のケースのための癒しの処置をしようとしてはいけません。キリストは、行動と意思の全体を統制している必要があります。

 多くの人々は、自分達の状態と危機について気づいていません。人間の心のプライドに反して、あらゆる世俗の原則を嫌うキリストの働きの方法と特性がたくさんあります。イエスは、私達に主の手にまったく自分自身を委ねること、主の知恵と愛に信頼することを求めています。

 私達は、ニコデモがしたように自分自身を実物以上によく見せているでしょう。私達の道徳的な品性は正されてきました。そして、私達は一般の罪びとと同じように神の前に謙虚にする必要がありません。しかし、私達は、罪びと達の長としてその同じ道の生活をして満足する必要があります。私達は私達自身の義を断念して、私達に授けられるキリストの義を懇願する必要があります。私達は自分達の能力を求めてキリストにまったく信頼する必要があります。自我は死ぬ必要があります。私達が持っているすべての知識は、神性の溢れるほどの豊かな恵みからのものである必要があります。これは、私達の心の中の言葉になるようにしましょう。「そなたの憐れみゆえ、そなたの真理のゆえに、私達にではなく、主よ、私達にではなく、そなたの名に栄光を与えてください」[詩編115:1 KJV]

 真の信仰は、愛が伴っています。そして、愛は従順を伴っています。回心した人のすべての激しい感情と能力は、キリストのコントロールの下にもたらされています。主の霊/精神は、それを受けるすべての神性の像(かたち)を形成している一つの新しい能力です。この体験は、真理を告白しているわずかな人によって理解されているということは、私の心を悲しくしています。たいそう多くの人々が、キリストの弟子だと告白していながら、自分達の罪深い望みを甘やかして、自分自身の道を歩んでいます。その人々は、自分達の心を神に従順にしていません。愚かな乙女達のように、その人々は自分達のランプの壺に恵みの油を確保する努力を怠りました。私は、あなた方に話しましょう。私の兄弟[姉妹]のみなさん、現在の真理を教えることと同様に、信仰を告白している多くの人々は、罪の虜の下にいます。魂の滅びと、知性の神聖さを汚す激情に基づいています。最も恥ずべき罪の下にいるある人は、たいそう効果的にサタンに仕えている天の揃いの服を着た従者に膝をかがめています。

 「神から生まれている人は、誰も罪を犯しません」[1ヨハネ3:9 KJV]。その人は、神のものであるその人の霊/精神と体の中に神の栄光に最も厳粛な誓いによって結ばれていて、自分がキリストの血によって買い取られたものだと考えています。罪を愛することと自己愛がその人を支配しています。その人は日々に求めています。「主からの私のすべての益について、主に何を返せるでしょうか」[詩編116:12 KJV]。「主よ、あなたは、私に何をさせようとしているのですか」[使徒行伝9:6 KJV]。真のクリスチャンは、キリストのくびきが首に苦しいと、決して不平を言わないでしょう。その人は、真の自由としてイエスに仕える責任を持っています。神の律法はその人の喜びです。自分の欠点を許すこと、神性の戒めを捨て去ることを求めるのではなく、その人は、いつも自分達の完成/成熟のレベルを上げるために励んでいます。

 そのような体験は、神の日に立つための備えをするのならば、私達のものとなる必要があります。現在、調査審判が長引いている間、憐れみの声が聞かれている間は、私達の罪を捨て去るための私達の時です。道徳的な闇が葬列の棺の衣のように地を覆っています。神の標準を担う者達の光は、天の光とサタンの闇との対比を示して、もっと光り輝く必要があります。

 私達が欠けたところなく、主の現れを待ちつつ、主の恵みによって完全/成熟して立てるように、神は十分な対策を立てました。みなさんは、準備ができていますか。[主の]婚宴衣装を身に着けていますか。その衣服は、偽り、清くないもの、退廃、偽善に決して覆われないでしょう。神の視線は、あなた方の上にあります。また、人の心が専念していることとその思想を見分けています。私達は、人々の視線から私達の罪を隠すことができるでしょう。しかし、私達は、その創造者に何も隠すことができません。

 神は主自身の息子を惜しまずに私達の罪のために死にさえ渡しました。そして、私達を正しい者とするためによみがえらせました。キリストを通して、私達は、恵みの玉座に懇願することができるでしょう。彼を通して、無価値なものとしての私達は、あらゆる霊的な祝福を得ることができるでしょう。私達は、主に行く時、命を持つことができますか。

 私達はどのように、私達自身の神の栄光と神の愛を知ることができますか。詩編記者は私達に語っています。聞いて知るのではなく、読んで知るのでもなく、心に信じて知るのでもなく、「主の善意を味わって知りなさい」[詩編38:4 KJV]。ほかの人の言った言葉に頼るのではなく、自分自身[の舌]で味わいましょう。

 体験は、体験に由来する知識[経験知]です。体験の宗教は、現在必要とされている宗教です。「主の善意goodを味わって知りなさい」。ある人は、――ええ、たくさんの人々です――、宗教的な真理の神学的知識を持っています。しかし、その人々自身の心は、神性の恵みの新たな力を決して感じませんでした。その人々は、聖霊による指導の書き綴りindited、譴責、警告の証を心の留めることがとても遅いです。その人々は、神の怒りを信じています。しかし、それを逃れる努力に熱心ではありません。彼らは天[の国]を信じています。しかし、それを得るための犠牲を払っていません。その人々は、その魂の価値を信じています。やがて、それ自身の贖いは永遠に途絶えます。また、その人々は、自分達の神との平和をつくるための最も貴い機会を疎かにしています。

 その人々は、聖書を読めるでしょう。しかし、その対処では、勝利を約束せず、警告もしていません。その人々は、優れたものであることを認めています。また、神が行くことを禁じた道に進んでいます。さらぶ、隠れ家を知っています。しかし、それについて、自分自身に益することをしていません。その人々は罪の処理方法を知っています。しかし、それを利用していません。その人々は、義を知っています。しかしそのための味わい方を知っていません。その知識はみな、有罪宣告を増すだけでしょう。その人々は、決して味わわず、主は、善意であるということを体験によって学びませんでした。

 キリストの弟子となることは、自己を否定することであり、良い報告と同様なく不運evilを通してイエスに倣うことです。わずかな人々が現在、これを実行しています。多くの偽預言者とある人々は、それを持つことに好意的です。しかし、最終的にそれについて何がなされるでしょうか。その人々が働きをする時にどんな結果となって、そのすべての結果によって神の前にどんな展望がもたらされるでしょうか。

 クリスチャンの人生は一つの戦争です。使徒パウロは信仰のよい戦いを闘ったように支配者達とその勢力に対して格闘したことを語っています。繰り返して彼は言っています。「あなた方は罪に対して血を流すほどの抵抗をしてきませんでした。ええ、そうです。現在、罪は好意を持たれて許容されています。聖霊の鋭い剣、神の言葉は、人の魂に切り込んでいません。宗教が変わったのでしょうか。サタンの敵[キリスト]は、神の誇りをなくしましたか。かつての宗教生活は、求められた自己否定と困難を示していました。現在、すべての人々は、たいそう安易な宗教生活をしています。なぜこうなのですか。神を告白した人々は、[霊的な] 闇の間の勢力と妥協しました。手厳しい証による一つのリバイバルが必要です。天への通り道は今、私達の救い主の時代よりもなだらかではありません。私達の罪はみな、捨て去る必要があります。正しい目[識別力]と正しい手[]は、それが私達の罪の原因であるならば、犠牲として捧げられる必要があります。私達は、一人の幼い子どもとして天の王国を受け入れることと、私達自身の知恵を断念することを快くしていますか。私達は自分による義を手放すことを快くしていますか。私達は人々を称賛することを快くしていますか。永遠の命の賞は、計り知れない価値に属しています。私達は、達成される目的の価値に釣り合う犠牲と努力を尽くしていますか。

 私達の形成しているすべての交際は限界がありますが、私達に何らかの影響を及ぼしています。私達が影響を及ぼしているその広がりは、不変な交際、私達が交際している人への尊敬の念と愛と親しさの度合いによって断固としたものとなるでしょう。このように、キリストとの交際と親密によって、私達は欠点のない模範、主のようになるでしょう。

 キリストとの交流は、どんな言葉でも表現できず、貴いことでしょう。私達がそれを求めているならば、また、私達がそれを確保するために何かの犠牲を払っているなら、そのような交流を楽しむことは、私達の特権です。初代教会の弟子達がキリストの言葉を聞いた時、彼らは主の必要を感じていました。彼らは、求めて、見つけて、主に倣いました。また、家の中で、食卓で、祈りの小部屋で、畑で、主と共に過ごしました。彼らは、教師と生徒として、主と一緒にいて、主の口から真理の教訓のレッスンを受けていました。彼らは、自分達の義務を学ぶため、主に仕える者のように主を見つめていました。また、喜んで好意をもって主に仕えて、信仰のよい戦いを闘って、自分達の指揮官に従う兵士のように主に倣いました。「主と共にいる人々は、呼び出され、選ばれている信仰深い者達です」[黙示録17:14 KJV]

 「主にとどまっている人は、主が歩んだように歩むことが義務だと主は言っています」(1ヨハネ2:6 KJV)。「誰でも、キリストの霊/精神を持っていないならば、その人は、主に属していません」[ローマ8:9 KJV]。イエスとのこの一致は、世俗の人々によって守られていないでしょう。それは、注意とコメントについての一つのテーマです。クリスチャンは、大きな変化の自覚がないでしょう。人が品性において、もっとキリストに似るために、大いなる謙虚が自分自身の意見となるでしょう。しかし、それは、周りのすべての人々に見られて感じられるでしょう。神の事柄についてたくさんの体験をした人々は、自己称揚やプライドからはなるかに離れています。その人々は、キリストの優れた、最も高められた栄光の概念や自己について謙虚な考えを持っています。その人々は、主の奉仕の中での最も低い立場は、その人々にとってあまりにも誉あるものだと考えています。

 モーセは、自分の顔が人々にない痛々しいほどに恐ろしい輝きを放っていたことを知りませんでした。神と交流していた彼のように、パウロは、クリスチャン人生において、自身の優位性のある謙虚な意見を持っていました。彼は言っています。「私は、すでに到達したのでも、すでに完全/成熟になったのでもありません」[ピリピ3:12 KJV]。彼は、自分自身について、罪びと達の「長」として言っています。また、パウロは、主について高く栄誉を称えました。彼は知ることを許されない神性、栄光の啓示を受けて、第三の天へ聖なる幻の中に取り去られました。

 バプテスマのヨハネは、私達の救い主によって、最も偉大な預言者と言われました。この神の人の言葉と十字架に与る牧師だと告白している多くの人々と比べてください。ヨハネは、キリストかを尋ねられた時、主のサンダルのひもを解く値打もない者だと言いました。彼の弟子達が新しい教師について行った人々への不満を言ったのを聞いた時、ヨハネは、自分が約束された御方の先駆けとなるためだけだったという叫びを残しました。キリストのための花婿として、主の民に最も好意を持つ者になっています。「立って聞く花婿の友人として、花婿の声ゆえにたいそう喜び、私の喜びはそれゆえ満たされています。彼は栄え、私は衰えて当然です」「上から来た彼は、全ての者の上にいます」[ヨハネ3:29-31 KJV]、「主の証を受けた人は、神が真実であるという自分のシールを貼って(認めて)います」[ヨハネ3:33 KJV]

 今日、神の目的のために必要とされているのは、そのような働き人達です。自己満足、羨望、嫉妬、批判や粗探しなどは、主の神聖な働きから取り去られるでしょう。何かの良いことを成し遂げたかのように見えたとしても、その人々は、その奉仕の働きに耐えられないでしょう。神は、人々や資金に困っていません。主は、主の霊の恵みの犠牲と、自分達にキリストの血の贖いの必要を感じた人で、清くて聖なる、誠実で信仰深い、働き人達を求めています。

 私の兄弟[姉妹]のみなさん、神は、あなた方の苦々しい思いと、意見の不一致、あなた方の羨望と嫉妬を悲しんでいます。これらすべてのことにおいて、あなた方は、キリストにではなく、サタンへの服従に心を明け渡しています。私達が、原則によってしっかりと人々を見る時、神の目的の中に熱心と義務の中に恐れない大胆さ、また、謙虚と腰の低いこと、親切と優しさ、すべての事柄の忍耐、許しのための備え、キリストが死んで[贖った]魂達への愛を表すことなど、私達は尋ねる必要がありません。その人々はクリスチャンですか。その人々は、間違うことのない根拠を与えています。その人々は、イエスと共にいて、主について学びましたか。その人々が反対の特性を現す時、粗探しが好きで、思いやりがなく、金銭欲が強く、世俗の名誉と利益を求め、軽薄で役に立たず、うぬぼれている時、私達は、その人々が交わっている最も親しい友人と話し合う必要はありません。その人々は、魔術を信じていないでしょう。しかし、こうであったにもかかわらず、悪い精神で交わりを続けています。

 この層の人々に、私は言いたいです。「現在の真理に反対した嘘を言わないでください。得意にならないでください。この知恵は、上から降ったものではありません。それは、地の[人の]感覚的な悪意のあるものです。羨望と揉め事があるところでは、混乱とあらゆる悪い働きがあります。しかし、上からのものである知恵は、初めは清いものです。不平がなく偽善もなく、良い実と憐れみに満ちていて、平和を好んで優しく接遇します」。

 パリサイ派とサドカイ派の人々が、バプテスマのヨハネの所に群がり集まった時、その義の説教者は、人々に言いました。「毒ヘビから生まれたような世代の人々、やがて来る神の怒りから逃れるよう、誰があなた方に警告したのですか。それゆえ、悔い改めに相応しい実を結びなさい」[マタイ3:7 KJV]。その人々は、無駄な動機からヨハネの所に行くよう駆り立てられていました。また、道徳的に害のある原則と不純な行動に属する人々でした。さらに、自分達の真実な状況について自覚していませんでした。プライド(自慢の混じった自尊心)と野心に満ちていた彼らは、その民に自分達の影響力を行使して、自分達を高めるためにはどんな手段もためらわないでしょう。彼らはヨハネからバプテスマを受けるために彼の所に行きました。その意図をうまくやり遂げるかもしれません。

 ヨハネは、彼らの動機を読んで確かめの質問を持って彼らに会いました。「誰が、やって来る神の怒りから逃れるようあなた方に警告したのですか」。彼らが心に語りかける神の声を聴いていたならば、悔い改めに相応しい実を結ぶことによって、その事実に根拠を与えたことでしょう。そのような実は見られませんでした。彼らは、単なる一人の男の声としてその警告を聞いていました。彼らは、ヨハネが語った大胆さと力強さに好感を持ちましたが、神の霊/精神は彼らの心に永遠の命の実を結ぶ確かな結果としての確信を送りませんでした。聖霊は心が変容したという根拠を与えませんでした。ヨハネは変容させる聖霊の力のない外面的な儀式が彼らに益のないことを理解していたでしょう。

 その預言者の非難は、私達の時代の多くの人々に適用できるでしょう。彼らは、その真理を支持する主張への確信と明言に反論することができません。しかし、彼らは、神性の啓示に属する者以上の人間の理性の結果として、それを受け入れています。彼らは、罪びととしての自分達の状況についての真の考えを持っていません。彼らは心が実際に砕かれていないことを表しています。しかし、パリサイ派の人々のように、彼らはその真理を受け入れることは、彼らにとって大きな犠牲です。彼ら自身の学識のプライドに満ちた形式主義者達の自己義認以上に天の王国から離れている人はいません。その一方で、彼らは、キリストの霊/精神を全く欠いています。また、羨望、嫉妬、気に入りの賞賛や評判が彼らを支配しています。彼らは、ヨハネが言っていた堕落した人の子ども達、毒ヘビのような世代の人々に属しています。そのような人々は、目に見えず、思いもよらず、私達の間にいます。彼らは、恥ずべき浪費以外に、誰よりも効果的にサタンの目的に仕えています。後者は、彼の真の品性を隠すことをしていません。彼は、自分が存在していることを現しています。

 神は、悔い改めに見合う実を求めています。そのような実のない私達の信仰告白は、価値のないものです。主は、主の名を聞いたことがない人々の間から真の信者達を興すことが可能です。「私達は、自分達の父祖アブラハムがいます」[マタイ3:9 ルカ3:8 KJV]と心の中で考えないでください。私はあなた方に言います。神は、それらの者からアブラハムの子らを興すことができます。

 神は、心と生活の回心していない人々を信頼していません。主は、不正を行なうようなどんな人にも好意を持たないでしょう。「さらに今、斧がそれらの木々の根元に置かれています。それゆえ、良い実を結ばない全ての木々は切り倒されて火の中に投げ入れられるでしょう」[マタイ3:10 ルカ3:9 KJV]

 その人々は、ある牧師を称賛して褒め、また、正しい働きを怠っていて、神のためではなく、その牧師のために回心しているという明白な証拠を与えています。私達は「誰が、あなた方にやって来る神の怒りから逃れるよう警告したのですか」(マタイ3:7 ルカ3:7 KJV)と尋ねています。あなた方が神から送られて聞いたメッセージの声は、単なる男性の声だったのか、それとも、聖霊の声だったのですか。その結んだ実は、その木の特徴を証しているでしょう。

 外面的な形は私達を清めることができません。人々を聖徒にする任務として儀式でなく聖霊のバプテスマを掲げることができます。神の霊/精神は人々の心に働きかける必要があります。その回心の力を体験しなかった人々はみな、麦粒から籾殻として分けられるでしょう。私達の主は手に送風機を持っています。主は、主の床をみな掃き清めるでしょう。やがて来る主は、その日に「神に仕える人と神ではない者に仕える人」[マラキ3:18 KJV]を見分けるでしょう。

 キリストの精神/霊は、神から生まれたすべての人々に現されるでしょう。揉め事と争い事は、主の精神/霊によって統制されている人々の間に起きあがることができません。「主の器を担う者よ、汝らは身を清めなさい」(イザヤ52:11 KJV)。この教会の人々は、その牧師達によって育てられる以上に見事に高く立つように育てられるでしょう。私達は回心した牧師と回心した信徒達を必要としています。魂達のための見守りをする羊飼い達は、責任を自覚した者として、その群れを聖化と平和の小道に導くでしょう。この働きにおける彼らの成功は、現在の真理と恵みにおいて彼ら自身の成長に見合ったものとなるでしょう。教える者達の魂と体と精神が清められている時、彼らは教会の人々にそのような聖化に重要な感銘を与えることができるでしょう。

 普段の方法で宗教的なことを語ること、生きている信仰と実際の魂の飢えなしに霊的な祝福を祈ることはほとんど益がありません。思いを巡らしてキリストの周り近くに押し寄せた群衆は、その関係の生きた力に気づいていません。しかし、あわれに悩んでいるある女性は大きな必要から手を伸ばしてイエスの衣の裾に触れました。彼女は癒しの効力を感じました。その一触れは信仰から出たものでした。キリストはその一触れを認識しました。そして、主はここでこの終わりの時代に主につく者達すべてのために一つの教訓を与える決心をしました。主は、効力が自分から出て行ったのを知っていました。群衆が周りを動き回っていました。主は「私の服に触ったのは誰ですか」と言いました。その質問に驚いた弟子は「たくさんの群衆がいます。それなのに、“私に触れたのは誰ですか”と言うのですか」[マルコ5:30 KJV]と答えました。

 イエスは、このことをした彼女に視線を向けました。彼女は畏れに満たされましたが、とても大きな喜びがありました。彼女はなすべき限度を超えていましたか。彼女は自分になされたことを知って、震えながら近づいて、彼の足元に平伏して、そのすべての事実を話しました。キリストは、彼女を咎めませんでした。彼は「安らかに帰りなさい。汝は癒されたので健やかに過ごしなさい」[マルコ5:34 KJV]と優しく言いました。

 ここでは信仰による一触れと普通の接触が区別されています。神への生きた信仰、体験なしの説教と祈りは無益なものとなるでしょう。しかし、信仰による一触れは知恵と力の神性の愛を私達に開いています。このように、土の器を通して、神は驚くばかりの主の恵みを成し遂げています。

 この生きている信仰は今日、私達がとても必要としているものです。私達は、イエスが確かに私達のものだということを知る必要があります。主の精神/霊は、私達の心を洗練し清めています。もしも、キリストの牧師達が真の信仰、愛と謙遜を持っていたならば、彼らはどんな働きを成し遂げることでしょう。どんな実が神の栄光のために見られることでしょう。

 私の兄弟[姉妹]のみなさん、私は、あなた方の世俗的な安堵感から目覚めるように何を言えるでしょう。私は[主から]、あなた方に差し迫った危機について示されていました。この教会には未信者と信者の両者がいます。キリストは、ブドウの木とその枝の譬え話で、二つの層の人々について言及して、信者達に勧めています。「私にとどまっていてください。私はあなた方と共にいます。その枝たちは、ブドウの木に繫がれていないと自分では実を結べないように、汝らは私と繫がれていないと何もできません。私は特別なブドウの木で、汝らはその枝です。私に結ばれ、その中に私がいる人は、同じ実を結びます。私がいないと汝らは特別な事をすることができません」(ヨハネ15:5 KJV)

 信仰によるキリストとの真の結びつきと上辺だけの結びつきの間に大きな違いがあります。真理の告白はこの教会に人々を置いています。しかし、これは生きているブドウの木()との生きた結びつきを証明しません。キリストに従うと言っている真実な弟子達から、主を信じていない人を見分けられるように、一つのルールが与えられています。その層の人々は実を結んでいます。ほかの人々は実を結んでいません。ある人はしばしば、しおれていくほかの枝たちと違って、生きているブドウの木[]からやがて養分が供給されて、もっと実を結ぶための神の刈込み対象になっています。

 私は、この教会の人々が不信仰な要素から清く守られているだろうか、私達の[教会の]人々がそこで生きた証を守っているだろうかと案じています。「私はブドウの木です。あなた方はその枝です」[ヨハネ15:5]という言葉に表されている以上に、私達はキリストとの親しい関係を詳しく知ることができますか。その枝の繊維束は、そのブドウの木の繊維束とほとんど同一です。木の幹と枝たちへの良い実を結ぶ生命と力の交わりは妨げられることなく常になされています。その根は枝たちを通して養分を送っています。その状態が信者達とキリストとの真の間柄です。その人はキリストに留まっていて、主から自分の養分を引き入れています。

 この霊的/精神的な関係は、個人的な信仰の実践によってのみ確立されえます。この信仰は、私達の側の究極の好意、完全な信頼、まったき聖別を表す必要があります。私達は、神性の意思、私達の考えや希望、興味が全的に明け渡され、そして、主の目的への敬意とキリストの王国の繁栄に敬意を払って当然でしょう。私達は、主からいつも恵みを受けていて、キリストは私達からの感謝を受け入れています。

 この交流とつながりの深い関係が形成される時、私達の罪はキリストに置かれています。主の義は私達に授けられています。主は私達のために罪となりました。そうして、私達は主によって神の義を与えられました。私達は、主を通して神に近づいています。私達は愛された者(イエス)によって受け入れられています。言葉と行動でよくないことをする人は誰でもイエスを傷つけています。一人の弟子に一杯の冷たい水を差し堕す人は誰でも神の子なので[マタイ10:42]、その人は、キリストによって、主に与えているとみなされるでしょう。

 キリストが信者達と主との関係について美しい象徴を与えたのは、弟子達の周りから去ろうとしていた時でした。主は見える臨在から取り去られた時、弟子達が霊的な命を保つことができるように、主自身との親しい結びつきを彼らに示していました。それを弟子達の知性に印象付けるために、主は最も心に残る適切な象徴として、ブドウの木の譬えを与えました。

 ユダヤ人達は、すべての品種が力強く、高貴で豊かに実を結ぶものだった最も貴い植物、ブドウの木をいつも見ていました。私達の主はこう言っていると思います。“あなた方がたいそう高く賞賛しているブドウの木は一つの象徴です。私はその具現です。私は真のブドウの木です。あなた方が一つの民としてブドウの木を称賛する時、あなた方は罪びととして、地上にあるすべてのものに優って私を称賛するでしょう。その枝は親木から離れて生きることができません。あなた方は私に留まっていないならば生きることができません”。

 キリストに倣う者達は、主の言葉を聞いていた弟子達と同様に、この教訓に深い関心を持っています。人間は背信によって自分を神から疎外しました。その分離は広くて恐ろしいほどです。しかし、キリストは私達を主自身と結ぶためにもう一つの対策を立てました。悪の力は人間の性質によって明らかにされています。キリストとの結びつきによる以外にその悪の力に勝てない人間の性質を明白にしました。この結びつきによって、私達は、道徳的・霊的な力を受けています。私達は、キリストの霊/精神を持っているならば、神の栄光をたたえて、人々を祝福してたたえるような義の実を結べるでしょう。

 天の父はブドウ栽培者です。彼は巧みに注意深く実を結ぶあらゆる枝を剪定しています。現在、キリストの苦悩と譴責を共有している人々は、来世での栄光を分かち合えるでしょう。主は「彼らを兄弟[姉妹]と呼ぶことを恥としません」[へブライ2:11]。主の使い達は人々のために奉仕の働きをしています。主の再臨時には、人間性によって主を明らかする主の栄光と共に、人の息子として現れるでしょう。自分を主に結びつけた人々のために、主は「母親が自分の子どもを忘れるようなことがあったとしても、“私は汝らを忘れないでしょう。見なさい、私は自分の手の平に汝らを彫り刻みました”。汝らはいつも私の前に居続けます」[イザヤ49:15-16 KJV]と言っています。

 驚くような特権が私達に与えられています。

 唯一、それらの祝福がかなえられることを通して、私達はキリストとの協調の形に熱心に努力を注いでいますか。私達は、悪いことから主に立ち返って義によって、私達の罪との関係を断っていますか。懐疑論と不信心が広まっています。キリストは、「人の子が来る時、地上に信仰が見られるでしょうか」(ルカ18:8)と尋ねています。私達は、生きて活動している信仰に好意的な必要があります。私達の信仰の永続性は、私達の一致の状態にあります。

 生きている信仰によるキリストとの団結は永続するものです。ほかの団結はみな滅びて当然です。キリストは私達の贖いのための計り知れない代価を払って、私達を愛しています。そして、真の信者達は初めと最後、すべてにおいて最善を選んでいます。しかし、この団結は、私達に何かのコストを負わせています。誇りある存在者が入る一致は徹底的に信頼のある団結です。この団結を形成する人々はみな、キリストの血の贖いの必要を考える必要があります。その人々は心に変容の必要があります。その人々は自分の意思を神の意思に従わせる必要があります。そこでは外面と内面の障害の葛藤があるでしょう。ですから、愛着の働きと同じく分離の意味を伴った働きが必要です。私達がキリストとの団結に入るのならば、プライド、利己心、虚栄心、世俗心のすべてを形成する罪は、勝利する必要があります。多くの人々がクリスチャン生活をたいそう嘆かわしいと見る理由、たいそう気まぐれで心変わりしやすい理由は、それらの気に入りの偶像から初めに自身を分離しないままに、自分達をキリストに結び付けようとしているためです。

 キリストとの団結が形成された後で、それは、熱心な祈りとやり直しの努力によってだけ保たれうるでしょう。私達は、自分に抵抗して、自分を否定して、自分を克服する必要があります。キリストの恵みを通して、励ましによって、信仰によって、見守りによって、私達は勝利を得ることができるでしょう。

 信者達はキリストの中で一つになります。1本の枝はほかの枝によって支えられることはありません。その養分はブドウの木との生きた繫がりを通して得られます。私達はキリストに完全に信頼するよう考える必要があります。私達は、神の息子への信仰によって生きる必要があります。それは、「私に繫がっていなさい」[ヨハネ15:4]という指示を意味しています。身体の中で生きている私達の命は、人々の意思のためでもなく、私達の主の敵達を喜ばすためでもなく、私達のために主自身を与えて私達を愛した主をたたえて仕えるために存在しています。この団結に単に同意して、世間の人々から愛着が離れられない一方で、その人は不服従によって心を大胆にして遊んで楽しんでいます。

 一つの人々()として、私達は信仰と愛がひどく欠けています。私達の努力は、生きているうちの困窮を心配し過ぎています。私達の周り人のプライドと自己放縦、清くないこと、正しくないことは、私達に影響を及ぼしています。みんなが宗教生活に非友好的に集まっているので、ある人々はできるだけ避ける重要性に気づいています。周りの人々を選んでいる人は、最初に考えた霊的な成功を得ています。

 親達は、地方にいるよりも都市に住む方が生計の手段を得ることがたやすいので、諸都市に家族と共に群がり集まっています。子ども達は、学校に入学する前は何もすることがなくて、街の通りでの教育を得ています。子ども達は悪い仲間から不道徳と浪費の習慣を身に付けています。親達はみなこれを見ています。しかし、子ども達の間違いを正すことは一つの犠牲を求めるでしょう。親達は、サタンがその子ども達をまったく支配するまで、そこに留まっているでしょう。最良の犠牲とあらゆる世俗への考慮は、その貴い魂達を危険にさらすのではなく、あなた方の世話として託されています。親達は誘惑にさらされるでしょう。子ども達は誘惑に立ち向かうよう配慮される必要があります。しかし、極端な自由と開放から、あなた方を守ること、全ての結びつきを断つこと、すべての習慣を断つこと、あらゆる影響を断ち切ること、あなた方の家族とあなた方自身の温かな心を神に託すことは、親達の義務です。

 都市に群がるのではなく、ある人々はその状況から、子ども達が可能な限り誘惑から離されるような所に転居しました。そこで有用な訓練と教育がなされるでしょう。預言者エゼキエルは、ソドムを罪と破滅に導いた原因を列挙しています。「彼女(ソドム)は貧しく欠乏した人々の手に力を与えなかっただけではなく、プライド、パンの満足、多くの偶像が彼女(ソドム)とその娘達の中にあった」[エゼキエル16:49 KJV]。ソドムの運命を逃れようとする人々はみな、その悪い町に神の裁きをもたらした道を逃れる必要があります。

 私の兄弟[姉妹]のみなさん、あなた方は、自分自身とその子ども達を主に聖別することを怠って、最も神聖な求めを無視しています。あなた方の多くは、間違った安心感に浸っています。利己的な関心に夢中になって、地上の宝に惹かれています。あなた方は悪を恐れていません。危険は道のかなたにあるように見ています。あなた方は騙されていて、謙虚に主に立ち帰って悔い改めて立ち上がらない限り、永遠の滅びに欺かれるでしょう。

 何度も、天からの声があなた方に送られました。白い衣と目薬、炎の中で試された金を求める真の証人の勧めに注意を払いませんか。その金は信仰と愛です。その白い衣はキリストの義です。その目薬は、罪を見抜いて嫌うため、真理を見つけてそれに従うため、あなた方がサタンのそそのかしを見破ることができてそれを避ける霊的な識別力です。

 世俗の人々の死人のような無気力は、あなた方の感覚を麻痺させています。あなた方はサタンによって盲目にされているので、罪びとはもはや嫌悪感を起こしません。神の裁きはこの地上にやがて注がれようとしています。「汝らの命のために逃れなさい」[創世記19:17]は、神の御使いからの警告です。もう一人の声が言うのが聞こえました。KJV:「昂奮してはいけません。特別に警告する理由がありません」。NKJV:「私はこのことであなたの願いを聞いて、あなたの言う町を滅ぼしません」。シオンにいて、安心している人々は「平和だ。無事だ」[1テサロニケ5:3]と言っています。その一方で、速やかな滅びが、若い人々、軽薄な人々、娯楽を好む人々、役に立たない尻尾のようにそれらの警告を考える人々、ふざけて警告を捨てた人々、罪びと達に訪れようとしています。親達は、自分の子ども達がその内容に正しく合っているという考えに傾いています。このように、それは、ソドムとゴモラが炎によって焼失した時と、古代の世界の滅びにありました。平原の諸都市の滅亡の前の晩に、人々は宴会やバカ騒ぎをしていました。ロトは自分の心配と警告を嘲いました。天からの炎によって滅ぼされたのは嘲って食べていた者達でした。その当日の夜、憐れみの扉は配慮しないソドムの住民の悪い人々に永遠に閉じられました。

 魂達の運命をその手に捉えているのは神です。主は、いつも嘲られていないでしょう。主は、いつも軽々しくあしらわれないでしょう。すでに、主の裁きはある国にあります。激しく恐ろしい災害は、人々の足跡に死と滅びを残しています。焼き尽くす火は人々が群がっている町と人のいない森を低く覆っています。嵐と難船は、深海を旅する人々を待ち受けています。自己と災害は陸上を旅する人々みなを脅かしています。ハリケーンや地震、戦争や危険は、すぐに続いています。人々の心は非情になっています。人々は、神の警告を認めていません。人々は嵐から避難するだけで、自由はないでしょう。

 危機が近づいているのを真剣な目で見張って、警告の声を上げるために、シオンの城壁の上に配置された多くの人々は、自分自身に眠っています。危機の時に警戒を出して最も活動しているはずの人々は、自分達の義務を怠って魂達の血を自分達にもたらしています。

 私の兄弟[姉妹]のみなさん、不信仰な悪い心に気を付けてください。神の言葉は平明ですが、それは制約によって閉じられています。それは、あなた方の利己的な放縦に干渉しています。それゆえ、あなた方はそれに従いません。主の聖霊の様々な証は、あなた方の罪を咎めて、品性の欠点を指摘して、あなた方が御言葉に注目するよう呼びかけています。そなのに、あなた方は、それらに注意を払っていません。あなた方の性向を正当化するために安易なコースを好むあなた方は、特別な証が神からのものであるかどうかを疑い始めています。あなた方は、その証の教えに従うならば、それらの証が神性に由来することを確信することでしょう。覚えていてください。不信仰はその人々に誠実な作用をさせません。あなた方が神から出たものであるならば立てるでしょう。[1巻発行の1855年から]過去36年間にわたってこの教会に存在していたこれらの証を信じている神の人々()の信仰を失わせようとしている人々は、神に反逆して戦っています。それらの警告と譴責の証をあなた方に語ったのは、あなた方が軽視し侮辱している手段(主の働き人)ではなく、神です。

 私達の救い主が弟子達に与えた指導の中に、私達へ特別に適用されうる忠告の言葉があります。「いつも、あなた方の心が、飲むこと食べること、生活に煩わされないよう、その日があなた方の気づかない時に来ないように、自分自身に注意してください」[ルカ21:34 KJV]

 見張って、祈って、働きましょう。これが真の信仰生活です。「いつも祈りなさい」はいつも、祈りの精神の中にあります。そして、あなた方は、自分達の主が来ることに備えをしているでしょう。

 見張りをしている人々は、神の人々の状態に責任があります。あなた方がプライドや羨望、疑いや何かの罪に扉を開いている間に、揉め事、憎しみ、あらゆる悪い働きがなされているでしょう。謙虚で謙遜な御方、イエスはあなた方のゲストとして入るよう求めています。しかし、あなた方は、入ると言うことを恐れています。主は、私達に新旧約聖書の両方によって語りました。主は、私達に確かに主の霊と主の摂理によって語っています。主の手段(働き人)達は自分自身に誠実で、神のために誠実な人々を育てるよう意図されています。

 イエスは、人間の性質を自分で取りました。主は、まったく完全/成熟な人間性のモデルを残しているかもしれません。主は、私達に、すべての目的、感覚、思想において誠実に、自身に似せて形成するように提示しています。心と魂と生活において誠実なことがキリスト教信仰です。私達の罪の性質は、この真理に信頼することによって、聖別され、高貴にされ、清められる必要があります。クリスチャン信仰は、決して世俗の原則と一致しないでしょう。クリスチャンの尊厳はあらゆるだましと見せかけによって妨害されてきました。魂の中でキリストの愛に最も好意を持っている人、最も完全に救い主の像(かたち)を反映している人は、神の視界の中で、この地上で最も誠実で最も高貴で、最も尊敬されています。

25.クリスチャンの団結

 「兄弟[姉妹]のみなさん、私達の主イエスキリストの名によって、私は、あなた方に請い願います。汝らはみな同じことを言っています。あなた方の間では分裂がなく、汝らは同じ考えと同じ知性で共に完全に結ばれています」。

 団結は力です。分裂は弱さです。現在の真理を信じている人々が結ばれている時、その人々は会話による感化力を及ぼしています。サタンはこのことをよく理解しています。彼は、主の人々の間の不一致と不和の原因によって、神の真理の成果を無きものにしようと、現在以上に決意したことがありませんでした。

 世界の人々は私達に反対しています。一般の諸教会は私達に反対しています。この国の法律はやがて私達に反対するものとなるでしょう。神の人々が互いに押し寄せた時がかつてあったとすれば、それは今です。神は、この世界の人々に知らせるためにこの時代の人々のための特別な真理を私達に託しました。憐れみの最後のメッセージは現在、広まって行っています。私達は、判断に結ばれている男性達と女性達に伝えています。私達はどれほどすべての言葉と行動を主の手本によく似るようにする必要があるでしょうか。私達の模範は、キリストへと人々を導くでしょう。それを受け入れるように導かれる簡潔さと美とを見上げることによって、ほかの人々に真理を提示するよう私達はケアと共に求める必要があります。私達の品性がそれ自身の清める力を証しているならば、私達は、全ての人々に読まれて知られる、生きている書簡、ほかの人々に光となり続けるでしょう。私達は、不一致と不和と内輪揉めによってサタンに場所を与えている余裕がありません。

 主の弟子達の間に存在していて一致と愛は、主の十字架の前に、弟子達のための、私達の救い主の最後の祈りとして重荷でした。主の前の十字架の苦しみと共に、主の気遣いは主自身のためではなく、この地上で主の働きを前進させるために主が残す必要のある人々のためのものでした。その厳しい試練は、弟子達を目覚めさせて、イエスは、彼らの重大な危機を知っていて、一つの精神から分裂と苦渋になるだろうと見ていました。

 「そなたの真理を通して、彼らを清めてください。そなたの言葉は真理/真実です。そなたが私をこの世界の人々に遣わしたように、私もこの世界の人々に彼らを遣わしました。そして、彼らのために私は自分自身を犠牲にしました。彼らもまたその真理を通して犠牲とされるでしょう。私は彼らのためにだけではなく、彼らの言葉を通してやがて私を信じる人々のためにも祈っています。彼らはみな団結するでしょう。そなた、父が私の中に、私がそなたの中にいるように、彼らは私達の中で団結するでしょう。この世界の人々は、私を遣わしたそなたを信じるでしょう」[ヨハネ17:17 KJV]

 キリストのその祈りは、終わりの時代に倣うすべての人々を含んでいます。私達の救い主は、主の人々()の危難と試練を予見しました。主は、主の教会が悩まされ弱められて、不一致と分裂に気づかずにいません。主は、地の親達の心が愛情を注いだ子どもの意地っ張りに向けて行動を起こす以上に優しく深い思いやりと、深い関心をもって私達を見守っています。主は、私達に、主について学ぶようにと言っています。主は、私達に確信を持つよう招いています。主は、私達に、主の愛を受け入れるために、私達の心を開くようにと言っています。主は、私達の助けとなることを主人に約束しました。

 キリストが天に挙げられた時、主の羊飼い達、主に仕える者達の手に地上での働きを託していきました。「主は、私達がみな、神の息子の知識について、成熟/完全な人、キリストに満ちた[人間性の]資質の高さと、信仰の団結に至るまで、聖徒達を成熟/完成するため、主の奉仕の働きをするため、キリストの体/教会を強化するため、ある人々を使徒、ある人々を預言者、ある人々を福音伝道者、ある人々を牧師や教師として[役割を]与えました」[エペソ4:11-13]

 主の働き人達を送り出す時に、彼らを通して、私達の救い主は永遠の命の言葉をこの世界の人々に伝えるために、その人々に賜物giftsを与えました。これは真の聖化と知識によって聖徒達の成熟/完成のために、神が託した財産です。キリストに仕える者達の働きは単に、その真理を説教するものではありません。彼らは、神に責任を負って当然で、魂達を見守ろうとしています。彼らは長い忍耐と教えによって、戒め、叱り、熱心に勧めるために生きています。

 主に仕える働きによって利益を得た人はみな、その能力に応じて魂達の救いのための働きに自分をつなぐ必要があります。これはすべての真の信者、牧師達、人々の働きです。その人々は、この教会で適した立場を担うことを求めて、みんなで愛と調和のために共に働いて、見解において基本的な目的を守る必要があります。キリストの宗教には、偏狭や利己心はありません。その原則は、拡散しやすく積極的です。それはキリストによって、輝く光、保存する塩、パンを発行させるイースト菌として表されています。熱意と熱心と献身とともに、神に仕える人々は、その真理の知識を近くの人や遠くの人に広めようとするでしょう。また、その人々は、この教会の団結と力のために働くことを怠らないでしょう。その人々は、相違と分裂が次第に広がる機会がないように注意深く見張るでしょう。

 近頃、私達の間に、キリストに仕える者だと告白している人が現れました。しかし、その人々の働きは、私達の主がこの教会に築いた団結に反しています。その人々は、働きに関して独自の計画と方法を持っています。彼らは、この教会に変化を持ち込もう、また、大きな成果が得られるような想像力と漸進的な自分達の考えと合わせようとしています。それらの人々は、キリストの学校で、教師達としてではなく、学ぶ者になる必要があります。その人々は、いつも休みなく何か大きな働きをなそうとし熱望して、自分達に栄誉をもたらすような何かをしています。彼らはイエスにある信仰と謙虚、全ての教訓に最もふさわしいことを学ぶ必要があります。ある人々は、彼らの仲間の働き人達を注目してみています。そして、彼らの前にある大争闘の時に向けて彼ら自身の魂に備えをしようと熱心にすることよりも、彼らの間違いを指摘することを熱心にしています。救い主は、彼らに言っています。「私に関して学びなさい。私は心の謙虚な柔和なものなので、汝らはあなた方の魂に安息が見つかるでしょう」[マタイ11:29 KJV]

 現在の真理の教師達、伝道者達、教会の役員達は、その大教師のために良い働きをすることが可能です。その真理に従うことによって、自身の魂を清めるでしょう。主は、私達に、私達がほかの人々のへの光の回路になるという主の意思についての知識を与えました。キリストが私達の内にやどって[いない]ならば、私達は主のための働きを助けることができません(訳者:原文にはnotがありません。誤植と考えてnotを補いました)。自分達の罪の内に死んでいる人々の危機に無関心でいること、救い主の愛の祝福と喜びと神の好意を銘記しておくことは不可能です。「ここで、私の父が栄光を与えられています。汝らは多くの実を結んでいます」。

 パウロは、愛と団結を保つためにエペソの人々に強く勧めています。「それゆえ、私、主の囚われ人は、汝らが呼び出されている所で、みんなが謙遜に柔和で、また、長い忍耐で、愛によって、ほかの人に寛容で、平和の絆の中、精神/霊の団結を保つ努力をして、天職に相応しく歩むよう請い願っています。あなた方の呼び出しの一つの希望によってあなた方が呼び出されている時には、一つの体(教会)、一つの精神()があります。一人の主、一つの信仰、一つのバプテスマ、あなた方の人々の中のすべての人々を通して、全ての人々の父、一人の神は全ての人の上に存在しています」。

 その使徒は、自分が彼らに表していた真理の力を彼らの生活の中で現すよう彼の兄弟達に強く勧めています。愛と寛容、優しさと柔和によって、主の救いの祝福とキリストの品性を例証しようとしていました。そこには、一つの体(教会)一つの精神()、一人の主、一つの信仰が存在しています。キリストの体(教会)に属しているメンバー達のように、すべての信者達は同一の希望と同一の精神によって生命を吹き込まれています。教会の中の分裂は世俗の人々の前、キリストの宗教の名誉を汚していて、彼らのコースを弁明するために真理の敵たちにきっかけを与えています。パウロの指導は、当時の時代の教会の人々のためだけに書かれているのではありません。神は、それが私達まで伝えられるようにデザインしました。私達は平和の絆の団結を保つために何をしていますか。

 聖霊が初代教会に降った時、兄弟達は互いに愛し合いました。「彼らは、……みんなで好意を持って、神をたたえて、心を一つにして喜びの内に彼らの食物を食べていました。そして、主は、日々にその教会に救われる者を加えました。それらの初期のクリスチャン達は、多くの人々の中で少数派でしたが、財産や名誉がなくても、彼らは強い影響力を持っていました。世界の人々への光は、彼らから輝き出ていました。彼らは、その品性とその教えが知られたところではどこでも、悪いことを行なう一人のテロリストでした。この理由のために彼らは悪い人々から嫌われて、死にさえ渡される迫害を受けました。

 聖化の標準は今もその使徒の時代と同じです。神の約束だけではなくその求めはどのみち、彼らの能力を失いました。初代教会の人々と比べた時、主を告白した人々の状況はどうでしょうか。福音を宣べ伝えるために加わった神の力とその精神/霊はどこにありますか。悲しいことに、「その金色はくすんだ色になっています。最も輝いていた金は変わりました」[哀歌4:1 KJV]

 主は、信仰深い畑に一本のブドウの木として主の教会を植えました。主は、優しいケアによって、それに養分を与えて慈しみました。そして、それは義の実を結ぶことができたかもしれません。主の言葉はこうです。「私は、自分のブドウ園のために行なったほかに、もっと何をすることができたでしょうか」[イザヤ5:4 KJV]。しかし、神が植えたブドウの木は、地上を這って人間の支柱の周りに巻き蔓をからませました。その枝たちは、遠くへ広く伸ばしました。しかし、それは退化したブドウの実を結びました。そのブドウ園の主人は言いました。「私は、よいブドウの実を期待して見た時、そのブドウの木は野生の酸っぱい実を結んでいたのではないですか」[イザヤ5:4 KJV]

 主は、主の教会に大いに祝福を授けました。正義は、その教会が高利でそれらのタラントを返済するよう求めています。教会が保つように託された真理の宝が増した時、教会の義務が増しました。しかし、それらの賜物を役立てず、完全/成熟に向かわず、教会は、その最初の体験で達していた所から落ちていきました。教会の霊的な状態の変化は、次第に気付かれなくなりました。教会が世俗の人々の友情と賞賛を求め始めた時、教会の信仰は減ってしまい、教会の熱心さは無気力になっていきました。教会の熱意のある献身は、死んだ形式に場を与えました。この世界の人々に向けられたあらゆる前進の歩みは、神から離れた一歩となりました。プライドと世俗の野望が好意を持たれてきました。キリストの精神は去りました。そして、競争と不和と揉め事が、弱めて悩ますためにこの教会の中にやってきました。

 パウロは、コリントにいる彼の兄弟達に書いています。「汝らはまだ世俗的です。あなた方の間に、羨望、揉め事、分裂があるのは、あなた方が世俗的で、普通の人間として歩んでいるからではありませんか」[1コリント3:3 KJV]。羨望と揉め事によって知性を惑わされるので、神の言葉の霊的に深い真理を理解することは不可能です。「生まれつきの人は、神の霊/精神の事柄を受け入れません。その人々は聖霊について愚かなので、その真理を知ることができないだけではなく、霊的に見分けられません」[1コリント2:13,14 KJV]。私達は、御言葉が与えられた人による霊/精神の助けなしに、神性の啓示の正しい理解や認識ができません。

 この教会の霊的な関心を語るように任じられた人々は、羨望と嫉妬、憎しみの機会を与えず、その兄弟達を励ますように望んで、敬意と礼儀正しさをいつも同じように愛の精神を表して、正しい模範を置くように慎重にする必要があります。入念な注意は、神の言葉の指導のために与えられる必要があります。すべての思いやりのない憎しみの表れがチェックされるようにしましょう。あらゆる苦渋の根を取り除きましょう。問題が兄弟達の間で湧き起っている時、救い主のルールが正しく守られる必要があります。すべての可能な努力は、和解を効果的になすでしょう。しかし、様々なその分派は、断固として、不一致を残して固執しています。それらは、彼らが一致できるまで残りました。

 その教会の試練の出来事において、トラブルの原因が存在していないならば、全てのメンバーの心の中を探ってみましょう。立場や名誉を望む野心、指示する望み、霊的なトラブルによって、また、自己統制の欠如、偏見や激情の放縦、不安定、判断力の欠如によって、この教会は混乱して教会の平和が犠牲となりました。

 様々な困難が、しばしば、噂の売り出す人々によって引き起こされています。その人々は、親友を別れさせて、有害な信用を示唆して、暗示を囁きました。人の仲を裂く人は、「広めてください。……私達はそれを広めましょう」と言う悪い心と開いた耳を持っている多くの人々によって彼らの悪い働きが支持されています。この罪は、キリストにつく者達の間で許されないでしょう。クリスチャンの親達は、教会メンバー達の評判を悪くするような意見、家族の中で繰り返される噂話を許さないでしょう。

 クリスチャン達は、張り合いや羨望の精神を抑制することを宗教的義務として考える必要があります。彼ら自身の品性や到達度が[霊的な]陰の中に投げ出されるように思える時でさえ、彼らはその兄弟達の繁栄や優れた評判を喜ぶでしょう。天からサタンが追放された要因は、彼が心の中に好意を持っていた野心とプライドです。それらの悪は、私達の堕落した性質の中に深く根付いています。それらが取り除かれないならば、それらは、すべての良い能力、高貴な性質を見劣りさせて、それらの有害な実として羨望と揉め事をもたらすでしょう。

 私達は、偉大さではなく、良い実を求める必要があります。キリストの品性を知性に蓄えている人々は、自分自身について謙虚な見解を持っているでしょう。その人々は、教会の繁栄と聖化のために労しているでしょう。また、その兄弟達の間の不一致の原因となるよりは、自分の興味と希望を犠牲にする用意をしているでしょう。

 サタンはいつも、神の人々の間の敵意や疎外、不信の理由を求めています。私達は、そのような感覚に実際の理由がないときに、しばしば自分達の権利が侵害されていると考えるように誘惑されるでしょう。それらの人々は、キリストへの愛よりも自分への愛が強いです。そして、その人の目的は自分自身の興味に第一の場所を置いて、それらを維持して守るためにご都合主義に訴えるでしょう。彼らがその兄弟達によって不当に扱われたと考えている時、ある人は、救い主のルールに従うのではなく、法律の専門家の所に行きます。良心的なクリスチャンに見える多くの人々でさえ、間違った考えでそれらの人々の所に個人的に行って、高い自己評価とプライドが[救い主に従うのを]邪魔しています。彼らは、キリストの精神をめぐってその内容を語るでしょう。そして、お互いのために祈るでしょう。兄弟間の論争、揉め事、訴訟は、真理の目的の恥です。そのようなコースを取る人々は、教会の敵の嘲笑にこの教会を晒して、霊的な闇の勢力の勝利の要因になっています。彼らはキリストに新しい刺し傷をつくって恥をかかせています。教会の権威を無視することによって、彼らは、神の恥を示しています。その人々は、この教会にその人自身の権威を与えています。

 パウロは、ガラテヤの人々に書いています。「私は、あなた方が問題を切り捨ててほしいと思います。兄弟のみなさん、汝らは自由を得るために呼び出されました。肉体の機会の自由のためだけに利用しないで、互いに愛によって仕えなさい。主の律法の全体はこの言葉に満ちています。“汝らは自分自身のように、汝らの隣人を愛するでしょう”。しかし、汝らが、互いにだましとむさぼっているならば、互いに弱らないように気を付けなさい。このように、私は言います。主の霊/精神によって歩みなさい。汝らは、肉体の強い欲望に満たされないでしょう」[ガラテヤ5:12 KJV]

 偽教師達は、ガラテヤの人々に、キリストの福音に反した教えをもたらしました。パウロは、それらの誤りを正して明らかにしています。彼は、それらの偽りの教師達がこの教会から分離されてほしいと強く望んでいました。また、彼らの影響力はたいそう多くの信者達に及ぼされ、彼らに対する行動は危険にさらされたように思われます。その教会の霊的な関心を滅ぼすような分裂と揉め事の原因と危険性がありました。それゆえ、彼は、神の兄弟達に愛によって互いに助け合う大切さを印象づけようとしました。彼は、主の律法のあらゆる求めは、私達に倣う人々への私達の義務を提示していると明言しました。彼は、その兄弟達に、嫌悪と揉め事、様々な派への分裂によって、獣のように互いに騙して貪り食っているならば、自分達に現在の不幸と未来の滅びをもたらすだろうと警告しました。その使徒がその兄弟達に「霊/精神によって歩みなさい」と勧めた時、そこには、様々な恐ろしい悪を防ぐための方法が一つあるだけでした。彼らは、主の聖霊のガイダンスをいつも祈り求める必要があります。それは、彼らを愛と団結に導くでしょう。

 自ら分裂した家は、立つことができません。クリスチャン達が争う時、サタンは支配するためにやって来ます。しばしば、彼は諸教会の調和と平和を打ち砕くことに成功してきたことでしょう。何らかの戦いの力、何らかの苦々しい思い、何らかの嫌悪感は、非常に小さな内容から始まりました。何らかの希望が失われてきたことでしょう。仲違いと争いによって、多くの家族が方々に散らされたことでしょう。

 パウロは、ほかの人々の欠点を正すことをしないよう気を付けることを兄弟達に諭しました。彼らは、自分自身にひどく一様に、罪に傾倒しているでしょう。彼は、その人々に、嫌悪感、張り合い、復讐、揉め事、異端説、羨望が、まさに肉における、みだらで、不貞、酒飲み、殺人の働きと同じで、それらは確かに、罪に対して天の門を閉じているでしょうと警告しています。

 キリストは、「誰でも、私を信じているこれらの小さき者達の一人に不快感を与えるならば、マイルストーンを首に付けられて海に投げ捨てられた方がよいでしょう」[マタ18:6,マル9:42,ルカ17:2 KJV]と明言しています。誰でも故意に、また、キリストの弟子を悪い手本によって導く人は、大きな罪を犯しています。誰でも、嘲笑や中傷の目的で人を陥れる者はイエスを侮辱しています。昔、罪に罰せされた人々は、主のために神聖なものとして神が選んだ光とされましたか。ベルシャザル王とその多くの臣下達は主ヤハウェの金の器のような(人物)の神性を汚し、そして、バビロンの偶像たちを称えました。しかし、彼らが無視した神は、清くないシーンの目撃証人の一人でした。陽気に神聖を汚している人々の中央で、血色のない一つの手がその宮殿の壁に不思議な特徴のある文字を描くのを目撃されました。王と臣下の者達は、恐れに満たされつつ、至高者に仕える者によって彼らの滅亡が宣告されるのを聞きました。

 キリストに仕える者達に対して嘘と悪口の言葉が描かれるのを喜ぶ人々は、神が彼らの行動についての証人の一人であることを覚えておきましょう。それらの人々の中傷的な言葉は、卑しい器(人物)の神聖を汚しているのではなく、キリストがその血で買い戻した人々の品性を汚しています。ベルシャザルの宮殿の壁に特徴のあるしるしを描いたその手は、神の人々()に対して、圧政や不正をしていたすべての行動を忠実に記録しています。

 [主の民の]神聖な歴史は、主の子らの弱った者のケアと、主のねたむほどの愛が迫る例を表しています。荒野でのイスラエルの旅の間、疲れて弱ってその一行から遅れた人々は、冷酷なアマレク人達と非情な人々によって攻撃されました。その後、イスラエル人は彼らと戦って撃退しました。「主は、モーセに言いました。天の下からアマレクの記憶を全部取り除くので、ヨシュアの耳にそれを聞かせなさい。これを記録の書に書き残しなさい」[出エジプト17:14 KJV]。再度、その攻撃は、モーセによって、その死の前に繰り返されました。それは、彼の後の子孫によって忘れられないでしょう。「汝らがエジプトから脱出した時、その道のそばで、アマレク人達が汝らにしたこと、アマレクがどのように道の途中で汝らに立ち向かったか、汝らの最後尾の人々を滅ぼしたか、汝らが疲れて弱った時の汝らの恐ろしい体験をみな、覚えておきなさい。アマレクは、神を恐れませんでした。……汝らは、天の下からアマレクの記憶の染みを取り除くでしょう」[申命記25:17-19 KJV]

 神がこのように、残酷な異邦の民を罰したのであるならば、主の人々()だと告白している人々を、主は、どのように考えて、主の[人類救済]目的において、主の民の働き人として疲れて弱っている兄弟達のために戦う必要があるでしょうか。サタンは、自分の統制に明け渡す人々を支配する強い力を持っています。裁判の広間からカルバリーへと殺意のある群衆を駆り立てたのは、大祭司達と長老達、すなわちその民の宗教教師達でした。そこには、私達の救い主を十字架にと、大きな声で叫んだ同じ精神によって霊感を与えられてキリストに従うと告白した人の間に今日、その心があります。悪い働きをする人々は、自分達のすべての活動について、そこには、一人の承認、聖なる、罪を嫌っている神がいるということを覚えておきましょう。主は、すべての神聖な事柄に、彼らのすべての働きの中に裁きをもたらすでしょう。

 「私達、強い者は、自分自身を喜ばせず、弱い者の弱さを担う重い義務があります。私達の[教会の]人々はみな、自分の教化と自分の良いことのために、自分の隣人を喜ばすようにしましょう」[ローマ15:1,2 KJV]。キリストは、キリストが弱い罪びとの私達を憐れんで助けた時、自分自身を喜ばすことをしませんでした。私達は、ほかの人々に思いやりを持って助けましょう。多くの人々は、見えないものを捉えることができず、信仰に弱く、無気力に襲われ、疑いに悩まされています。しかし、キリストの代わりに自分達の所に来て、見ることができる友人は、神への震えおののくような信仰によって固く結ばれるでしょう。これが祝福された働きです。優しい精神と愛によって私達がキリストの名によって働きをするのであるならば、私達のするその良いことを妨げる利己心やプライドをなくしましょう。

 「兄弟[姉妹]のみなさん、人が過ちに陥っているならば、汝らが誘惑されないように汝ら自身が考えて、霊的なあなた方は柔和な精神でその人を立ち直らせましょう。汝らは、キリストの律法を満たしてほかの人々の重荷を負い合いましょう」[ガラテヤ6:1 KJV]。ここに再び、私達の義務が私達の前に明らかに提示されています。キリストに倣うと告白している人々は、それらの霊感を与えられた人々の提示を軽く考えることがどうしてできるでしょうか。ほどなく、不謹慎を現した兄弟の状況を書いた一通の手紙を受け取りました。それは、何年も前に起きたことですが、二の次の考えのような価値のない、とても短い内容でした。それを書いた人は、その兄弟によって自分の確信を打ち砕かれたと書き出しています。その姉妹の人生がまったく誤りのない振り返りを意味しているならば、人間の生来の性質はとても弱いので、それは確かにすばらしいことでしょう。私はそうでしたし、今も、神が人々の罪を見ているように人々を見ない、まだ、深刻な罪の意識のある兄弟姉妹と同じ仲間です。しかし、主は、それらの人々を担っています。そして、なぜ、私が担うべきではないのですか。主は、たいそう罪深い罪がパウロに現れた時、それが人々の心に現れて、人々の心にたいそう印象づける主の霊の理由を持っているでしょう。

 私達は、私達自身の心を少しだけ知っています。そして、私達自身、神の思いやりの必要を少しだけ感じています。これは、私達がお互いに向けて表す必要があり、私達に向けてイエスが表している優しい愛情に少し好意を持っている理由です。私達は、私達の[教会の]兄弟達が、私達のように有限で間違いやすく、弱いものであることを覚えておく必要があります。ある兄弟は、用心深くないために、誘惑に征服されて彼の普通の指導がある間違いを引き起こしたのと対照的に、どんなコースが彼の方に取られる必要があると考えますか。私達は、神が重要でよい働きをするよう役割を与えた人が深刻な罪を犯したことを聖書から学んでいます。主は、咎めをせずにそれらの人々のそばを通り過ぎなかっただけではなく、主は、主に仕える者達を捨て去りませんでした。彼らが悔い改めた時、主は喜んで彼らを許して、彼らに主の臨在を現して、彼らを通して働きをしました。哀れな弱い有限な者達は、自分達が彼らの兄弟達からと神からの深い思いやりと寛容を必要としていることを考えました。ほかの人々を譴責して裁くやり方に慎重にしましょう。私達はその使徒の指導に注意を払う必要があります。「汝らは誘惑されないように自分自身でよく考えて、霊の人である汝らは、柔和な精神によって人を回復させなさい」[ガラテヤ6:1 KJV]。私達は、誘惑の下に陥ることがあるかもしれませんが、感情を害する人に対処するよう求められるすべての人々に寛容を必要としています。「汝らが裁く裁きによって、汝らは裁かれるでしょう。汝らが与える評価によってあなた方は再評価されるでしょう」[マタイ7:2 KJV]

 その使徒は、自主性と自己確信に注意を加えています。「人が自分について、何か偉い者かであると考えているならば、彼がそうでない時、自分を欺いています。……人はみな自分自身に重荷を負っているでしょう」[ガラテヤ6:3-5 KJV]。その人は、その兄弟達の経験と判断よりも自分の方が優れていると考えています。また、彼らの忠告と勧めを嫌っています。さらに、危険な騙しの中にいることを明らかに示しています。その心は不正直です。その人は、聖書の標準によってその生活と品性をテストする必要があります。神の言葉は、人間の命の小道に間違うことのない光を放っています。にもかかわらず、多くの人々は、人の知性を逸らして、方向を変える考えを湧き起こして感化を及ぼしています。知恵を誠実に神に求めている人々は、正しいコースにガイドされるでしょう。自分に反対か支持か、そのグループの意見によるのではなく、だれかの判断によるのでもなく、神の視界の中で実際の品性によって、人々はみな、最後には自分を立てるか倒れるかを選ぶ義務があります。この教会は、警告し、勧め、忠告するでしょう。しかし、それは、誰かが正しいコースを取るよう強いることができません。自身のために神に答えて、自分自身のコースの結果の痛手に耐えて、神の言葉を軽視し続ける人は、誰でも自分自身に重荷を負う必要があります。

 主は、この教会の調和と団結を保つように従順によって、間違いのない指導、明確な主の言葉を私達に与えました。兄弟 姉妹のみなさん、それらの霊感を与えられた指図に注意を払いませんか。あなた方は、聖書を読む者、御言葉を行なう者ですか。あなた方は、主に従う者達がしているように、キリストに祈りを満たす努力をしていますか。「神の忍耐と慰めがあなた方にかなうように。キリストイエスによってお互いに一つの知性になるように。汝らは、神をたたえている一つの知性、一つの口です」[ローマ15:5,6 KJV]、「完全/成熟になるように、良い慰めとなって、一つの知性になって、平和に生きて、神、愛、平和があなた方と共にあるように」[2コリント13:11 KJV]



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