セレクテッドメッセージ 第3巻 第一部

読者への言葉

               エレン・G・ホワイト遺稿管理委員会

 SDA教会への証』の最後の巻[9]1909年に出版されて以来、『セレクテッドメッセージズ』第1巻と2巻は、特に重要になってきた様々な勧めを永続的な形で利用できるように編集され、1958年に出版されました。様々な題目で述べた多くのものは、教会の定期刊行物やパンフレット、その他によって出版されてきました。ミセスホワイトの数々の手紙と原稿から集められたあるものは、今までに出版されなかったものです。『セレクテッドメッセージズ』第1巻と2巻は、原著が存在していて、厳選された勧めの様々な著書と『SDA教会への証』の補遺から引用されました。

 『セレクテッドメッセージズ』第3巻は、それら[1、2巻]に助けとなるように原典資料から取って加えられています。この本に、読者は、ミセスホワイトのそれまでの出版物の中に見られたもの以上の全体的な見方と洞察に寄与している多くのケースの資料を見つけるでしょう。ミセスホワイトの著書として準備された[資料の]中で、霊感の特別な働きと特別な方法のようなあるケースは、最初に出版されたあるもののテーマが論述に関連した部分を包含するよう導いたことによって関心が増しました

 このほかの重要なテーマは、この教会、キリストの受肉、教育、クリスチャン行動の標準、健康改革、狂信的言動に立ち向かうこと、そして、地球の最後の日などを含めて、この第3巻の中に配置されました。信仰による義の強調によって、1888年のミネアポリスSDA全体総会の前後に、ミセスホワイトが発表した[魂の]救済の原則についての文書の一部は、歴史的、中心的な会議の出来事に関して彼女のコメントを含んでいます。ほかの分野は、訴訟、国際標準時、アドベンチストの諸教会をほかのグループに貸すこと、園芸術、また、音楽などのような特別に様々な事柄の短い論述集に充てられています。本書は、歴史と年代を含んだミセスホワイトの著作物を的確に理解したW..ホワイトの精通したコメントを与えた『キリストとサタンとの間の各時代の大争闘』(1911)の改訂版の三つの重要な補遺、ミセスホワイトの著書はどのように準備されたか、彼女が文筆アシスタント達の助力を利用したことを含めて[巻末を]結んでいます。

 彼女の著書から題目編纂集を作り出すことは、ミセスホワイトの遺志が彼女の遺稿管理委員会に与えた一つの特別な任務でした。彼女がすでに出版した資料以外に、彼女は、自分の原稿類と手紙類の勧めがこの教会に広く奉仕するものになるだろうと考えていました彼女は1905年に次のように書きました。

 「私は、一人の助ける方が存在していると思われる、神の助けによって手紙を書くことに尽力しています。単に人々に宛てたというのではなく、それらの[手紙]を必要としていた多くの人々に宛てて書きました」(『手紙』79,1995)。

 この第3巻のための原稿は「エレン・G・ホワイト遺稿管理委員会」の指揮によって、その権威のもとで編纂されました。精選によって文脈が十分に形成されるように、あらゆる努力がなされ、精選された資料は特定の人に関したその名が言及されています。いくつかの実例において、[実名が]判明される心配はありません。その名はこのテキストの中に保持されてきました。しかしながら、多くのケースにおいて、一つのアルファベット文字は本書の中でAに続いて始まっていて、実名の代わりに用いられていました。その選ばれた文字は、代えられた名と関係はありません。大切な情報と勧めを提供しているこの第3巻は、この教会の励ましと祝福の一つの源として存在しているでしょう。それは、「エレン・G・ホワイト遺稿管理委員会」の切なる望みです。


 

第一部 特別なこの教会 The Church

 

 

 

 はじめに             エレン・G・ホワイト遺稿管理委員会

 セブンスデー・アドベンチスト教会は、かつて、エレン・G・ホワイトの心と密接につながっていました。彼女の生涯に亘って何千回も、天は、励ましと指導と情報、叱責と修正のメッセージを彼女のそばで描きました。それら多くの幻visions(先見の明)は、神の安息日を守る残りの民のメンバー達のガイドや守護として、個人的に、また、グループに与えられました。

 彼女は、それ[この教会] [バビロンに堕落してしまったと]攻撃された時、「主は自分の教会を愛しています」と宣言しました(『セレクテッドメッセージズ』第2巻前編p.73)。彼女は、愛情を込めて、「今、存在している通り、弱く欠点のあるキリストのこの教会は、主が最高の評価を注いでいる地上で唯一の対象です」(『牧師への証』p.15)と書きました。

 エレン・ホワイトはこの教会をとても愛しました。彼女の全生涯は、この教会の良い状態welfare(福祉)と究極の勝利のために捧げられました。

 北アメリカ以外のSDA教会運営の働きに関する勧めの手紙から集められた『セレクテッドメッセージズ』第3巻が、この教会は何のために存在するのか、一つの定義を開示するのはなんと時にかなったことでしょう。これは、困惑した世界の人々に救いを届けるためのこの教会の努力を弱めるだけになるような独立した活動に対する警告と力の一つの手段として、一致を呼びかける助言に添っています。

                  エレン・G・ホワイト遺稿管理委員会


 

 1章 この教会の存在理由

 

 

 

 

 

[はじめに]

 キリストの感化力は、彼を信じている神の子らを通じて、私達の世界の人々に及ぼされるために存在しています。改宗した人は、自分の改宗を効果的にした神の働き人として、同じ種類の感化を及ぼすために存在しています。この世界の人々の中で、私達のすべての働きは、調和と愛と一致によってなされるために存在しています。私達は、かつて私達の前に歩んだ主の足跡、キリストの手本を守るために存在しています。

 一致は力です。主は、この真理がキリストの体/教会の全てのメンバーによっていつまでも証されるようにと望んでいます。全てのメンバーは、知性の謙遜と、従順と愛によって結ばれるために存在しています。信徒達の感化の浸透と団結を目的として、信徒達の社会に組織化された人々は、キリストが働いたように働くために存在しています。彼らは、お互いに敬意と礼儀を示すために存在しています。全ての人の才能はその[働きの]場所があり、聖霊の支配のもとに保たれるように存在しています。

 

1.一つのクリスチャン社会は教会メンバーのために形成された

 この教会は、それを構成しているメンバー達によって、一つのクリスチャン社会が形成されています。各々のメンバーは、ほかのメンバー達の全ての恵みと才能の助力、彼らへの神の働き、彼らのいくつかの賜物と能力を楽しむことができるでしょう。この教会は、各々のメンバーがほかの人の感化によって益を与えられるように、[兄弟姉妹の]交わりの聖なる帯によって結ばれています。全ての人々は、特別な愛と調和の契約に自分達を結ぶために存在しています。信徒達の社会全体のクリスチャンの原則と恵みは、調和的な活動によって、知的な力や勢力が加えられるために存在しています。それぞれの信徒達は、ほかのメンバー達の様々な才能を形成する感化力と洗練力によって向上し益になるために存在しています。一人の人に不足している事柄は、ほかの人によってたくさん表されるでしょう。全てのメンバー達はともに引き寄せられるために存在しています。この教会は、人々と御使い達と世界中の人々に一つの「目を見張らせる者」となるでしょう[1コリント49 KJV]

 教会のメンバーとして、その教理を守る約束は、メンバーが各々キリストの足跡に歩み、全ての人々が主のくびきを負い、心が謙虚で従順な主について学ぶところに存在しています。このようにして、愛する救い主は「汝らは自分の魂に安息を見つけるでしょう。私のくびきは背負いやすいので、私の荷は軽やかです」と言っています(マタイ11:29,30)

 キリストのくびきを背負った人々は、共に[鋤を]引くでしょう。その人々は、聖なる模倣によって、ほかの人々への思いやり深い共感と、自分達にとても必要だと感じている愛を示すように努力し、共感と寛容を耕して育てるでしょう。弱くて不慣れな人は、弱いけれど、成熟した人の体験と大きな希望によって強くされるでしょう。全ての人は最も小さい者だけれど、この教会の建物の中で輝いて当然の一つの石です。救い主が自分の兄弟[姉妹]と呼ぶことを恥じず、優れたキリストの品性や人格とみなした小さき者は、生きているリーダー、キリストと結びつき、組織された教会本体の生きているメンバーの一人です。

 

2.教会[の信徒]が結びつくことによって、増える有用性

 なぜ、信徒達は一つの教会として形成されるのですか。それは、キリストがこの世界の人々の中で彼らの有用性を増して、良いことのための個人的な感化力を強めるという方法のゆえです。教会は、互いに支え合うという考え方を増し、全ての正しいことを守るという一つの鍛錬がなされるために存在しています。神は、一人の人の知性と判断が支配する力であるようにとは、意図しませんでした。主は、「徹底して、調和的な方法で、みんなが確実に動くためだと言って、教会全体での慎重な祈りと深い考察なしに、一人の人がルールを決め、計画を立て、発案をする必要がある」とは決して意図しませんでした[1]

 信徒達は、この世界の人々の中の [真理の] 光として、輝くために存在しています。丘の上にある町は隠れることができません。この世界の人々からはっきりと分離した一つの教会は、地上の全ての人々の中で、天の評価の最も大きな対象として存在しています。そのメンバー達は、一人の主、イエスキリストに奉仕を聖別し、この世界の人々から分離されることを誓約しています。その人々は、自分達のリーダーとして選んだキリストを証するために存在しています。……この教会は、この世界のほかの人々に神の家族を代表するものとして、神が意図したように存在しています。

                     『手紙』26,1900[63]

 

3.神は組織された体としての教会を持っている

 警戒している人々は、この教会を批判する相手に対して、重責を担って立ち上がっています。特別に選ばれた人々は、この世界の人々から反撃の嵐を胸に受けて立ち向かって、聖なる高貴な人として、踏みにじられた神の戒めの地位を回復するために、この世界の人々の光として高く掲げて、確かに存在しています。

 私は、兄弟[姉妹]のみなさんに申し上げましょう。主は、その人々を通して働くために、組織された一つの体としての教会を持っています。そこには、人々の間で裏切ったユダよりも成績の良い人が存在するかもしれません。また、そこには、主を否定する道をとる状況に置かれている軽率なペテロがいるかもしれません。主が愛したヨハネとして記された人々も存在しているでしょう。でも、主は、「キリストと真理を攻撃する人に復讐するために、人々の上に天から火を降らすことを呼び求めて、人々の人生を打ち壊す熱心な人」を一人持っているでしょう。しかし、偉大な教師は、それらの悪い考えの存在を正すために、指導の教訓を与えようとしています。主は、今日、自分の教会に同じようなことを為しています。主は「ラオデキヤのメッセージ」を彼らの前に示しています。

 主は、彼らに、真の光から離れてしまい、真理に抵抗する者へと導いているあらゆる自己本位、あらゆる [自尊心と自慢の含んだ]自負心pride、あらゆる確信と先入観を示しています。[それらの罪が]悔い改められない限り危険で、これらの事柄を持ち続ける人々は、ユダヤの民がそうだったように、闇に残されるでしょう。全ての魂は、今、「キリストの祈り」の答えを求めましょう。全ての魂は心にその祈りをこだまさせましょう。キリストが天の父と一つで、この終わりの時代に働いているように、懇願によって、奨励の言葉によって、彼らはみな一つとして存在しているでしょう。

 私達の[教会の]人達の中では、特別な闘いのために[霊的な祈りの]武器を備えることによって、その人々が、真理と神の敵に立ち向かうようにしましょう。キリストの祈りをあなた方の心全体にこだまさせてください。「聖なる父よ、そなたが私に与えたこれらの人々をそなたの名によって守ってください。私達が一つとして存在しているように、その人々は一つとして存在しているでしょう」(ヨハネ17:11)

 

4.洞察力のある「キリストの祈り」

 キリストの祈りは、現在いる主の弟子達だけではなく、この世界の終わりまでも、主の弟子達の御言葉を通してキリストを信じている全ての人々にも存在しています。イエスは、まさに、光のために、命と不死をもたらすために、自分の命を与えるために存在していました。キリストは、苦悩の最中、人々に日々拒絶されていて、この地球の歴史が閉じられる前、最後の日々に存在している自分の教会の二千年間の歴史を見下ろしています。

 主は、その日から1893年の現在の期間まで、すべての時の場面の変化を通して、一つの教会を所有してきました。聖書は、私達の前に一つの教会モデルを示しています。教会の人々は、お互いに、そして、神と共に一致しているために存在しています。信徒達が生きているブドウの木としてキリストに一致して結ばれる時、その結果は共感と優しさと愛に満ちて、キリストにおいて一つです。

 

5.この教会において、裁きの言葉を語る人々

 誰かが、神の戒めを守る人々の組織された体としての教会から外れて逸れている時、また、人が自分の人間の物差しでこの教会を曲げ始める時、また、信徒達に対して裁きの言葉を語り始める時、その時、あなたがたは、神がその人を導いていないことを知るでしょう。その人は間違った道にいます。

 絶えず、何かの素晴らしいことをしよう、何か新たな方策を提案しようとしている人、落ち着かず不安定になる男性達と女性達が現れています。サタンは、自分の前線で行動しようと、その人々に何かを与える自分のチャンスを見計らっています。神はすべての人に主の働きを与えました。

 

6.涙を振るって回復を求める

 この教会の中には、死ぬように備えられた人々を助けるために、熱意によってこの教会に霊感を与えるために、機会と特権が存在しています。しかし、この教会には涙の一つも存在しません。この教会には、キリストの働き人として歩むための多くの機会が存在しています。もしも、その人の心が、清めと聖化が深まるように勧められ、熱意に満たされるならば、全ての人々は謙遜と献身による働き人として働くでしょう。この教会は、たとえ涙がその[良い]小麦の間にあったとしても、この教会を活気づけるために、天の雰囲気を味わう人々の新鮮さと霊感を必要としています。……

 サタンが神から離そうとしてあなた方の心を盗むといけないので、また、気づかないうちに暴君の不誠実な力に引きつけられて、あなた方がリーダーになって、気付かないうちにサタンの働き人として、その働きの中に滑り込んでしまうといけないので、私は、全ての信徒達に、自分自身に神のようなねたみの愛を保つことを学ぶように注意を呼びかけましょう。

 私達は、一つの教会として、神と共に働く者として、私達の間の誤った働きに、目を大きく開いているために存在しています。私達は、霊的な武器、特別な敵の要塞を引き倒す力を備えられています。私達は、暴力に訴えてキリストの教会に雷を落とすような激しい非難を浴びせるために存在しているのではありません。サタンはこの働き人達の中で可能なことを全て実行しています。良いものを持っていた残りの民であることを宣言しているみなさんは、非難、責め、咎めをすることに主の助けがないでしょう。落胆と挫折の涙を拭って、回復を求めてください。

    『原稿』21,1893[66](『レビュー&ヘラルド』1956.11.8)


 

2章 この教会の中の一致

 

 

 

 

 

1.一致した[伝道地の]前線の出現

 真理の中にいる全ての信徒の証は一つとして存在していて当然です。兄弟[姉妹]達の間で論争好きな精神を湧き起こす、みなさんの小さな間違いは、私達の前で大きく心配される問題から心を逸らすためのサタンが考え出しているものです。ひどくかき乱された偽りの平安が熱意と熱心な祈りに結ばれる時に、真の平安が神の民の間にやってくるでしょう。今、熱心に為すための働きがあります。みなさんの勇ましい特質を現すその時は今です。主の民は、神と真理と義の敵の前で一致を表しましょう。……

 神の聖霊が初代教会に注がれた時、信じた大勢の人々が一つの心、一つの魂として存在していました」(使徒言行録4:32)。キリストの精神/聖霊は人々を一つにしました。これは、キリストに留まっている特別な成果です。

 私達は神性の光の照明/啓蒙を必要としていました。全ての個人は、感化の中心になるように励んでいます。神がその民のために働かない限り、その人々は、神への従属がどの魂のためにも唯一の安全だということを知らないでしょう。主が人間の心に形成する恵みは、気づかれないうちに一致に導くでしょう。キリストに同化/一致したすべての人々は、ほかの人とも調和しているでしょう。主の聖霊は一致を創り出すでしょう。

                     『手紙』25b,1892[65]

 

2.私達の[教会の]信条との一致

 ヨハネの[福音書]17章に含まれているキリストの天の父への祈りは、私達の教会信条に存在しています。それは、私達に「私達の意見の相違と不一致は神を敬っていない」ことを示しています。この章を全部、節から節へと読んでください。          『原稿』12,1899[72]

 

3.意見を異にすることではない

 「人々はバラバラに行動することができると考えて人々を導きながら、第三天使のメッセージを信じている人々に、神の言葉によるアドバイスや是認は与えられません。ここに、あなた方は自分自身にいつまでも留まっているかもしれません。清められていない知性の人は、意見の相違状態を創り出して強めています。詭弁を弄する人々は、自分達の目には正しいように見えるでしょう。しかし、それは、真理でも義でもありません。「主は私達の平和であり、二つを一つにしました。また、私達の真ん中にある隔ての壁を打ち壊しました。……主は、十字架によって一つの体/教会として、神と[人との]両方に調和しているでしょう」(エペソ2:14-16)

 キリストは、信徒達を神に結ぶ金の鎖の一致の環です。[再臨までの]この重大な試験期間中、そこには分離が存在しなくて当然です。神の民は次のように存在しています。「聖徒達とその仲間の人達と神の家族達は、イエスキリスト自身が隅の頭石として存在し、主による聖なる神の宮として共に築かれ、建物全てが適切に組み立てられて、預言者達と使徒達の基礎の上に育てられました」(エペソ219-21)。神の子らは、[人々を]引き付ける中心としての主の十字架を表すキリストによって、全体が一つに結ばれて構成されています。

 人間の考えは自分自身の手で働くように人々を導きます。その結果、その建物は不釣り合いなものになるでしょう。それゆえ、主は釣り合いの取れた建物を建てるために、様々な贈り物によって働いています。真理の一つの特徴は隠されるためではなく、また、小さな話にされるために存在しているのではありません。主によって聖なる宮として共に築かれ、適切に組み立てられ、建てられない限り、神の栄光は讃えられません。大きな目的がここで理解され、今の時代の真理のために立つ人々は、傾聴の仕方とほかの人々の実践を教育し育てる方法を心に留める必要があります。

                     『原稿』109,1899[72]

 

4.天が承認しているもの

 「確かに、私はあなた方に言います。汝らが地で結ぶことは何でも、天でも結ばれるでしょう。また、汝らが地で解くことは何でも、天でも解かれるでしょう」(マタイ18:18)。キリストが与えた全ての事柄は、真理(クリスチャン精神、また、それのみ)によって明らかにされました。天は、この教会のメンバー達が、「主が地上に存在していた時に主が為したように為し、キリストの知性を持っている」ので、この教会の決定を承認しています。                   『手紙』1c,1890[63]


 

3章 独立的な活動

 

 

 

 

 

1.この信仰からの分離

 神は、この民を教え、導き、そして、ガイドしています。神の人々は、ほかの人々を教え、導き、そして、ガイドするでしょう。古代イスラエルの民に存在したように、それら[世界]の最後の日々の残りの民の間に、独立した行動を望む人々、神の聖霊の教えに従順でいたくない人々、アドバイスや勧めを聞きたくない人々が存在しているでしょう。「神は、この地上に、権限を委託した一つの教会を持っている」といつも心に生み出すようにしましょう。人々は、勧めや訂正を嫌い、自分自身の独立(自律)した判断に進むことを望むでしょう。彼らはこの信仰から分かれるでしょう。そして、彼らが確かにこのことをするのと同じように、魂の失敗と落ちぶれがついていくでしょう。神の特別な真理を築き上げて支えるために、今、結集している人々は、自分自身を一つの側に並べていて、心と知性とこの真理を拒絶する声によって、一致して立っています。

                    『手紙』104,1894[67]

 

2.一致協力した活動の力

 主は、真理の聖なる特徴を生きて証を生み出し、主の側で働き活動している人を持っているでしょう。この[世界の]終わりは、近くに存在しています。今は、サタンが関心を逸らす特別な努力をしていて、行動を集中するように、全ての人の知性を引き留め、全ての重要なテーマから引き離しているその時でしょう。もしも、その別の部門の人が協力して働かないならば、一つの軍隊は成功することが何もないでしょう。それぞれの兵士達が、ほかの者達との連携なしに活動すると、その軍隊の組織はまもなく崩壊するでしょう。集結した活動の力が集まらないなら、そ[の軍隊]は努力の甲斐なく無意味に捨てられるでしょう。キリストは、自分が天の父と一つだったように、弟子達が一つとして存在するように祈りました。……

 一人の人が良い性質を持っているとしても、もしも、その人が独立的に活動しているならば、その人は良い兵士として存在できないでしょう。良いことが時々為されても、その成果は小さな価値です。しばしば、その結末は良いことよりも悪いことが為されたことを示しています。独立的に活動している人々は、輝きを放つような、過ぎ去ってしまったような、注目を引き付ける何かを為して見せています。全ての人々は、[人類救済]目的へ、手際のよい奉仕を捧げるために一人の指揮者に引き付けられる必要があります。……

 神は、主の働き人達に一致協力した活動を求めています。この教会の中でこれが保たれるために、自己抑制は本質的な要素です。自己抑制は体験される必要があります。          『手紙』11a,1886[59]

 

3.共に相談――計画の比較検討

 真理が紹介される全ての場所、全ての努力がなされる所で、異なる心や精神、異なる賜物gift、異なる計画について、一致した働きが存在する方法が必要とされています。全ての人は、共に祈るためや共に相談するための一致点を作る必要があります。「あなた方の内の二人が、地上で願う何かについて意見を一致させるなら、天にいる私の父は二人のためにそれを叶えるでしょう」(マタイ18:19)。必要とされる知恵の全てを持っている働き人は一人もいません。そこでは、共に相談して計画を比較検討する必要があります。どんな場所でも、助け手なしに関連するマネジメントを十分に自分で考える人は一人もいません。

 ある人は一つの指揮による機転を持っているでしょう。でも、ある本質的な点では間違った決定をすることがあるでしょう。その人は、ほかの人の知性の機転、その人の尽力を組み入れる賜物を必要としています。全ての人々は、この働きにおいて、完全に調和的に存在する必要があります。もしも、その人々が単に自分達の計画に従って実行する人々とだけ働くならば、その時、彼らは失敗するでしょう。それらの全ての働き人達が、イエスキリストにある完全を表す可能性を作り出すために、一人もキリストの学校で教訓を学んでいないので、その働きは欠陥があるでしょう。

 すべての人々は常に、徐々に改善していく必要があります。彼らは偉大で厳粛な働きによりよく適合するようになるまで、全ての特権を多く使い、全ての機会を活用する必要があります。

 しかし、神は教会の中に異なった賜物を与えました。その人々のいる所には、すべて貴重な賜物を持った人が存在しています。そして、全ての人々は聖徒達の完全さの部門の活動を担うために存在しています。

 ここに神の秩序があります。そして、もしも、成功に向き合おうとするならば、人々は主の基準と手順によって働く必要があります。神は、謙虚な心で進んで行動し、個人的な考えや自己中心的な特徴がない人々の努力だけを受け入れるでしょう。        『手紙』66,1886[59]

 

4.初期の頃の実践

 [私達の働きの]目的が未熟だった頃、私の夫は健全な判断をした人々と相談したものでした。その働きは今あるよりも小さいものでした。しかし、彼はそれを一人で管理運営することが可能だと考えませんでした。彼は、その働きの全ての部門の責任を負っている人々の間からカウンセラー達を選びました。そして、共にカウンセリング(相談)をした後、大きな責任を冷静に考えながら、その人々は、目的に合った前線に向かってその働きを進めるため、引き上げるため、決めるため、強固にするために、自分達の働きに戻っていくでしょう。神の[人類救済]目的は、強い力によって前へと進むでしょう。            『原稿』43,1901[74]

 

5.サタンの惑わしとしての独立

 自分自身の思いついた知恵でうまくいくと考えて、神の任命した働き人達[2]と関わりを絶ち、自分自身の独立した場所で働くことができるという考えは、誰かのための敵の惑わしです。彼はこの世の終わりに成功しないでしょう。私達は一つの体/教会です。そして、全てのメンバーは一つの体/教会として、一致して結ばれるために存在しています。人々は各々その人の能力に敬意を持って働いています。   『手紙』104,1894[67]

 人々が、一人で行動することを好んで、自分の兄弟[姉妹]との一致に結ばれない時、また、自分の兄弟[姉妹]に加わらない時、その人々の知性に合わないことをするゆえに、これは良いしるしではありません。たとえ、人々が似たようなキリストのくびきを身に着けていても、その人々は、[鋤の]バラバラな引き方しかできないでしょう。人々はキリストが作ったくびきを身に着ける時に、キリストと一緒になって引けるでしょう。

                     『原稿』56,1898[71]

 私達が世界の終わりの危難に近づいている時に、活動に関して、調和と秩序の必要がほとんどないという考えではなく、私達はかつてよりもずっと組織的に考える必要があるでしょう。私達の全ての働きは、よく練られた計画によって指揮されるようにしましょう。

 私は、「私達の以前の歴史のどの期間よりもこの時代に賢い世代の人々が存在するでしょう」と、神からの光を受けています。

                    『手紙』27a,1892[65]

 

6.組織が不可欠

 組織が不可欠な時に、神の言葉による支持のない間違った主張をし、間違った者の立ち上がりを支持する大きな力が存在して、その組織の働きを乱して、主の民の中で[それらを]得る努力に成功するならば、サタンは喜ぶことでしょう。私達は、知恵と慎重な働きによって築き上げられた組織と秩序体系に破れが存在しないように、公正にこの体系を保ちたいと願っています。承認は、この時代の特別な働きを支配することを望む無秩序な一団の人々に与えられなくて当然です。

 ある人々は、「私達は世界の終わりの時に近づいている。神の子らはみな、何らかの宗教的な組織に属して、独立して活動するだろう」という考えを推し進めました。しかし、私は、主によって指導されました。この働きにおいて、そこでは、全ての人々は独立して存在しません。自分達のその活動を統制する神の法則に普通の従順を明け渡して、神の意志を為すためにほかの者たちに感化を与え合って、天の特別な星たちはすべて、法則の基に存在しています。神の働きは堅実に前進するでしょう。神の人々は、共に[鋤を]引く必要があります。『SDA教会への証』第9巻pp.257,258

                        1909.5.30[82]


 

第二部 霊感の原則

 

 

 

 

 

はじめに

               エレン・G・ホワイト遺稿管理委員会

 神によって霊感を与えられたメッセージとして届いているという私達の確信は、私達の心に聖霊の働きを悟らせるのと同様に、主の言葉と神への信仰に基づいています。それはまた、私達自身の生活とほかの人々の生活における、これらのメッセージの結果と預言の成就、成就した観察記録に基づいています。この教会の働きとその発展における特別な勧めの影響力は、それらの超自然的な起源に加味された根拠の提供にも及んでいます。

 啓示と霊感の側面について、ある一つの知識は、そのような確信を支える助けをしています。それらは、著者達自身に霊感を与えて働いた――しばしば付随した――表現に見られるでしょう。私達の確信を守り続けているそれらの言葉は、エレン・G・ホワイトの著作物だけではなく、聖書の中に現れています。『キリストとサタンの間の各時代の大争闘』の「序文」で著者は、彼女の霊感に関する私達の理解に多く貢献しました。

 

 「神の言葉によって、神は救いのために必要な知識を人々に委託しました。聖なる言葉は、神の意思の信頼のおける啓示、権威のあるものとして受け入れられるために存在しています。それらは、品性の標準、教えを示すもの、経験のテストです。“また、神の霊感を受けた聖書の全ては、教えること、誤りに対する非難、修正のため、義の中にいるという教訓、神の人が完全でありうる、全てのよい働きに完全に備えるために有益です”p.ⅶ)

 時代と共に、ホワイト遺稿管理委員会は、啓示と霊感の疑問に関連した未出版の著書からだけではなく、彼女の出版されたものからエレン・ホワイトの論述を出版してきました。しばしば出版に利用されたこれらの論述は、以前の未出版の資料と共に、「霊感の原則」という題でこの第二部に収録されています。

 聖書記者達のケースの中にあるように、エレン・ホワイトは、彼女の幻visions(先見の明)に付随した論及をしています。彼女はその光が彼女にどのように来たのか、そのメッセージがどのように届けられたのか、率直に短く書いています。これらに付随した言及、異なる原典の中に書かれているもの、しばしば含まれている2、3の例が、今回、初めてこの第3巻に共に収録されました。     エレン・G・ホワイト遺稿管理委員会


 

4章 御言葉の原則

 

 

 

 

 

1.最初の本で認められた聖書とE..ホワイトの著作物との関係

 私は読者の皆さんに、神の言葉を皆さんの信仰と実践のルールとして推奨します。その主の言葉によって、私達は評価される(裁かれる)ために存在しています。神はその言葉の中に、信仰の新しいルールのためではなく、神の民の慰めと満足のために、聖書の真理を間違う人々を正すために、世界の最後の日々に幻visions(先見の明)を与えると約束しました。このように、ガラテヤの人々に説教するためにペテロを送ろうとしていた時に、神は彼を与えました。 『エレン・G・ホワイトのクリスチャン経験の

          スケッチと見解』p.64,1851[24]『初代文集』p.78

 

2.神の言葉の位置を占めるためではない

 主は、皆さんが自分の聖書を研究することを期待しています。主は、神の言葉の位置を占めるために、何かが加えられた光を与えませんでした。その光は、食べられ消化されたならば、その魂の生命の血液として存在して、主の言葉に困惑した知性をもたらすために存在しています。それゆえ、[聖書を研究する]良い働きは闇と無知の中で輝く光として見られるでしょう。                  『手紙』130,1901[74]

 

3.聖書からの根拠を得る

 一般の人々に伝道する時に、働き人達は、自分の立場を明らかにするための権威として、ホワイト姉妹が書いた文書を引用せず、目立つことをしません。これをすることは、[ホワイト姉妹の]証への信仰を増さないでしょう。皆さんの根拠を明確でわかりやすく、神の言葉から引用してください。皆さんが神の民に表すことが可能な「主はこのように言っています」という一つの言葉は、最も説得力のある証です。ホワイト姉を当てにするように教えられる人がいないようにしましょう。そうではなく、ホワイト姉に指導を与えた神の力を当てにするようにしましょう。

                     『手紙』11,1894[47]

 

4.聖書の原則が第一、それからこの証

 聖書の原則を表明することは私の義務です。それから、私の前にあらわされた人々のケースによってなされた良心的な改革で、決定的なものが存在しないのであれば、私はその人々に、個人的にアピールする必要があります。                 『手紙』69, 1896[69]

 

5.E..ホワイトの働きは聖書の預言者達の働きに属するようなものではない

 古い時代、神は預言者達と使徒達の口から出る言葉によって、人々に語りました。それらの日々、主は主の霊(精神)に属する数々の証によって語っています。そこには、現在、主が彼らに追い求めた主の意図とその道に関して教えている以上に、神が主の民にこれほど熱心に教えた時はありませんでした。           『SDA教会への証』第5p.661

 

6.御言葉と預言の霊は同一の権威者を持っている

 聖なる霊は御言葉と預言の霊の権威者です。それら[聖なる霊]は、人間の危険な立案によって推進し、人間の考えと感情の外に持ち出し、人が人々に期待できる意味にして、意味を変えられねじられるために存在しているのではありません。           『手紙』921900[73]

 

7.エレン・ホワイトは自分の著作物を一つの小さい光と呼んでいる

 小さな留意点が、聖書に向けるために与えられています。そして、主は男性達と女性達を大きな光に導くために、小さい光を与えました。

             『レビュー&ヘラルド』1903.1.30[76]

      『Colporteur Ministry(文書伝道の働き)p.125から引用

 

8.聖書によってテストされた

 かつて注がれることができなかった主の霊(精神)は、聖書にとって代わるために与えられませんでした。その御言葉の明白な状態、神の言葉は全ての教えと全ての体験がテストされて当然のものである特別な標準として存在しています。イザヤはこう言っています。

 「もしも、人々が、神の律法と神の証の言葉によらずに語っているならば、それは、彼らの中に光が存在していないためです」(イザヤ8:20)。

                 『善と悪の各時代の大争闘』p.

 

9.新しい光を与えることが目的ではない

 J兄弟は、「神が“特別な証”を通して与えた光は、神の言葉が加えられていると思える」と、知性が困惑しているでしょう。しかし、この中で、彼は間違った光によって、その問題を表しています。神は、「その明瞭な理解を人々に与えるために、主の民の知性に主の言葉をもたらす方法が一致するか」を見ていました。

 神の言葉は最も曇った心に十分に明確な光として存在しています。また、それを理解することを望む誰にでも理解されるでしょう。しかし、にもかかわらず、神の言葉を自分達で研究していると告白しているある人々は皆、それ[神の言葉]の明白な教えに、率直に反対して生きているように見えます。それゆえ、言い訳することなしに男性達と女性達がやり直すようにと、彼らがついていくことを怠ってきた主の言葉に立ち返るよう、神は平易に指摘した証を与えました。

 生活習慣を修正する情報や「証」の数々、公的なもの私的なものなど一般的な原則に満ちている神の言葉は、これらの原則に特に注意を呼び掛けるよう意図されました。   『SDA教会への証』第5pp.663,664

 

10.御言葉から平易な教訓をもたらす証の数々

 御言葉は全ての人を指揮しその生活を治める実際的な教訓を記しています。しかし、主は私達の品性、会話、品行を考える特別な時を与えました。また、大まかな規準のために、主の教訓は軽視され、無視されています。主の言葉による特別な指導の一方、主は、神の人々に新しい啓示としてではなく、特別な証の数々を与えました。しかし、主は私達の前に、間違いが正されるように、その正しい方向が示されるように、全ての魂が弁明なしに存在するように、主の言葉の明白な教訓を与えているでしょう。

   『手紙』63,1893(76)。『SDA教会への証』第5p.665参照

 

11.エレン・ホワイトは真理と誤りの明確な区別を可能にした

 その時[1844年の大失望の後]、一つの間違いが私達に相次いで重くのしかかりました。牧師達や研究者達は新しい複数の教理をもたらしました。私達は多くの祈りによって御言葉を調査研究したものでした。また、聖霊は私達の知性に特別な真理をもたらしたものでした。時々、一晩中、神にガイダンスを熱心に求めて、御言葉の調査研究に時間を費やしたものです。献身した男性と女性の仲間達は、この目的のために集まりました。神の力は私の上に来たものでした。そして、私は何が真理で何が間違いかの区別を明確にすることが可能になりました。

 私達の信仰の特別な数々の点は、このようにして可能になりました。私達の[信仰の]足元は堅固な基礎の上に置かれました。私達が聖霊の現れのもとで一つひとつ、特別な真理を受け入れました。私は幻visionの中から出たものでした。真相が私に与えられたものでした。私は天の事柄とその聖所に関する明かりを与えられました。なので、私達は、一条の光が上にはっきりと輝いて、光のある所に置かれました。

           『福音の働き人たち』[Gospel Workers]p.32

 

12.誤りを正すことと特殊な真理

 私は「日誌」の中に、必要だと思って、自分の人生の旅を続けてきたこと全て、ほかの文書に書かなかったことでも、主の人々の前にしてきたことなどをたくさん書いてきました[3]私は、主の人々が持ってほしいと、主が私に与えた多くの光のため、主の人々に宛てて、主が私に与えた指導があるために、書き著された価値あることが為されるように望んでいます。それは、行(ぎょう)から次の行へ、指針から指針へ、ここに少しあそこに少しと、人々が持っている必要のある光です。これは今、具体的に上げた真理のため、また、具体的に上げた誤りを正すために与えられたので、主の人々()の前に出されるために存在しています。主はその真理を指摘している多くの事柄を啓示しました。このように言っています。「これがその道です。汝はそれに歩みなさい」。      『手紙』127,1910[83]

 

13.数々の証は決して聖書と矛盾しない

 聖書は当然、皆さんのカウンセラーとして存在しています。それら[特別な証]は神の言葉と決して矛盾していないので、それ[聖書]と神が与えた特別な証を研究してください。        『手紙』106,1907(80)

 もしも、その『特別な証』の数々が神の言葉によらずに語っているならば、それらを拒否してください。キリストとベリアルは一致することができません[2コリント6:15]。    『SDA教会への証』第5p.691

 

14.ホワイト姉[の著書]を引用すること

 主は、「主が人々に与えた特別な光に反対して歩むように人々を導き、私は考慮しません」という精神を現す人々をどのように祝福できますか。でも、私は自分の言葉を使って皆さんに求めないようにします。ホワイト姉[の著書]を横に置いといてください。皆さんが聖書に従うことができるようになるまで、皆さんが生きている限り、再び、私の言葉を引用しないでください[4]

 皆さんが聖書を自分の食べ物、自分の食肉、自分の飲み物にする時、みなさんの品性/人格の要素の原則にする時、皆さんは神からの勧めのよい受け取り方を知るでしょう。私は、今日、皆さんの前に貴い神の言葉を高く掲げます。私が言ったことを、「ホワイト姉妹はこのように言った」「ホワイト姉妹は言った」と、繰り返さないでください。主がイスラエルの人々に言ったこと、そして、それから、主が命じたことを見つけ出してください。 『原稿』43,1901(74)。 「1901年のSDA全体総会会議の開催前

             の夜に教会リーダー達に宛てた手紙」から。


 

5章 幻を受ける体験

 

 

 

 

 

1.最初の幻

 私が、ある家庭礼拝で祈っている間に、聖なる霊が私の上に降りてきました。                     『初代文集』p.14

 5人の女性が、その礼拝で静かにひざまずいていました。私達が祈っている間に、私が以前にそれを感じたことは決してなかったような、神の特別な力が私の上に降りてきました。私には、周りが光によって囲まれたように、また、この地上から高く、高く昇っているように見えました。この時に、私は、再臨信徒達の特別な体験とキリストが来ること、その忠実な人々に与えられる報酬に関して、一つの見解を持っていました。

               『SDA教会への証』第5巻pp.654,655

 

2.詳しく話す体験

 神の栄光のきらめきが初めて私[の所]に来た時、人々は、“私が死んだのだと考えました。そして、そこにいた人々は見つめ、叫び、そして、とても長く祈りました。でも、私は天にいました。私は生きていました。その時、この世界が私の前に広げられ、そして、私は、死人の棺を蓋う黒い布のような暗黒を見ました。

 それは何を意味していたのでしょうか。私は光を見ることがありませんでした。私が、もう一つの、かすかに光る小さな明かりを見た時、それらの光たちは増えて、そして、輝きを増しました。そして、その光はこの世界の人々の光として存在するまで、どんどん増えて、益々強くなりました。ここに、イエスキリストにある信徒達が存在していました。……

 私は決して、この世界にまた行きたいとは考えませんでした。私の呼吸が自分の体に再び戻ってきた時、私は何も聞くことができませんでした。全てが闇の存在でした。私の目に残ったその光と栄光は、太陽の光を遮りました。それは長い時間そうでした。段々と、私が太陽の光がわかるようになってきた時に、私はどこにいるかを尋ねました。

 「あなたは、間違いなく、私の家の中のここにいますよ」と、その家の主人は言いました。

 「私がいるここはどこですか。あなたはそれについて知っていますか」。それから、私に全てのことがわかってきました。ここは私の家ですか。私はもう一度ここに戻ってきたのですか。その重圧と重荷は私の魂にやってきました。               『原稿』16,1894[67]

 

3.地の事柄を全く失う

 主が一つの幻visionを与える機会を窺っている時、私は、イエスと御使い達の臨在の中に入れられていて、また、地の事柄が全く失われています[5]。私は、特別な天使が私を指導する以上に、未来に何も見ることができません。私の集中力は、地上に知れ渡る場面をしばしば指導されました。

 時には、私は、未来の出来事の中に連れて行かれ、起こるように存在しているものを示されました。また、再度、私は、人々が過去に起こしてきた時の事柄を示されています。 『霊の賜物』第2p.292,1860[33]

 

4.意識がある間に幻を受けた時

 320日の金曜日、私は早朝の3時過ぎ頃に目覚めました。ヨハネの15章について書いていると、突然、驚くほどの平安が私の上にやってきました。部屋全体が天の雰囲気に満たされたように思われました。一つの聖、神聖の臨在は、私の部屋に存在しているように見えました。私はペンを置いて、そして、主の聖霊が私に言おうとしていることを見るような姿勢で待っている中にいました。私は人影を見ませんでした。私は聞き取れる声を聞きませんでした。でも、天の見張り人が私のそばの近くにいるように思えました、私は、イエスの臨在の中にいたことを感じました。

 私の部屋に存在しているように見えたその甘い香りのような平和と光は、言葉で表現することや文章で記述することは、私にとって不可能です。一つの神聖、私を取り巻いている天の聖なる雰囲気、そして、興味深さと重要さを理解する問題が、私の知性に現されました。一つの活動の任務が、私の前に提出されました。見られなかった現れが私によって語っています。私が、自分の目の前に明確に開示されたもう一つの問題と、書いていたその問題は、私の心から失われているように思われました。一つの大きな畏れが、数々の問題が私の心に印象付けられる問題として、私の上に存在しているように見えました。        『原稿』12C,1896[69]

 

5.執筆中のもう一つの幻

 私は、火曜日の2時頃の早朝に、目覚めて、そして、真のブドウの木について、書き物を急いでしていました。以前に何度もあったように、私の部屋の中に一人の臨在を感じた時、私は、存在していた全ての追憶(記憶)を失いました。私はイエスの臨在の中に存在しているように思いました。彼は、私が指導されるために存在していたことを知らせていました。全てのことは明白なので、私は間違いませんでした。
 私は、悩まされている人に呼び出されるべきではないと考えた人を助けるために存在していました
(I was to help one whom I thought I should never be called upon to be troubled with again.)。私は、それが意味していたことを理解できないでしょう。でも、すぐに、これについての理由を問わないと決めました。その指導を守りました。声にならない言葉が、私の知性にではなく、私の耳に語りました。「主よ、私は、そなたが命じたように為すでしょう」。

                    『手紙』36,1896[69]

 

6.執筆中と話している間の素晴らしい描写

 私が大勢の会衆の前に立っている時には、特別な助けが授けられるばかりでなく、私がペンを使っている時も、過去も現在も、そして、これからも、私に与えられています。       『手紙』86,1906[79]

 

7.エレン・ホワイトはそれらの幻を支配できないだろう

 私は、かつて自分が好きな時に個人的に持った、あるいは、一つの幻を持つだろうというのは、全くの間違いです。この中には、真理のかけらは一つもありません。これはまったく不可能なので、私は、自分が好きな時に幻の中に自分を入れることができるとは、決して言いませんでした。私は何年もの間、「全ての幻は、私の考えに反対して、私にとって言葉で言い表せない魂の苦悩の原因となっています。私は叱責と警告の証を生み出すようにとの重い責任の下に置かれているので、自分の選択と神の喜びが同じものを持てたら嬉しいです。私が一つの幻を持つよりも死んだほうがましだ」と感じてきました。私は、決して自分の立場を切望しませんでした。そして、また、私は神の霊(精神)に逆らうことを望まず、安易な立場を求めませんでした。

 神の霊(精神)は、別な時に数回、別のいろいろな場所で、そして、様々な状況で、私にやってきました[6]。私の夫は、神の霊(精神)のそれらの現れを支配しませんでした。何回も、夫は、私が幻を持った時には離れました。

                    『手紙』2,1874[47]

 

8.疑わないで立ち向かう

 ある混乱の中で、私は時々自分の体験の疑いに誘惑されました。ある朝の家庭の祈りの時に、神の力が私の上に滞在し始めました。そして、私の知性の中に、ある考え、それは患者の催眠療法でしたが、突然思い浮かびました。私はそれに抵抗しました。すぐに、私は口が利けなくなりました。……私が、神の力に抵抗した瞬間や疑わないで立ち向かった後で、ほかの人々は私について考えたかもしれません。  『初代文集』pp.22-23.

 

9.エレン・ホワイトは自分の召命と働きの根拠を詳しく語っている

 私達の世界には、一つの精神/霊を信頼する人と、一つの精神/霊を信頼しない人が存在しています。この世界の終わりの日々に、ある人々は、悪い人々の教えや誘惑する精神/霊に注目して、この特別な信仰から離れ去るでしょう。私達は、キリストと調和することを拒む人々が戦いの要因に発展するだろうと予想しています。しかし、私達は、これが自分達に危害を与えると考える必要はありません。これは、私の希望であり、強さであり、そして、力です。私は神の中にいることを信じています。私は、信じた方を知っています。私は、神がその残りの民に与えたメッセージを信じています。私は子どものころから、神が、為すようにと私に与えた、特別な働きに自分の信仰を強めてきた数多くの経験をしてきました。

 

書くことを可能にした

 初期の私の公的な働きの中で、主によって、私は「書きなさい。あなたが啓示された事柄を書きなさい」と命じられました。このメッセージが私の所に来たその時、私は、自分の手を落ち着かせて保つことができなかったものです。私の身体の状態は、自分にとって書くことが不可能でした。でも、また、「書きなさい。あなたが啓示された事柄を書きなさい」という言葉がやってきました。私は従いました。そして、その結果として、その時間は、私が割と簡単にページから次のページへと書き出す前に、長くかかりませんでした。誰が私に書くようにと語ったのでしょうか。誰が私の右手を安定させて、ペンが使えるように私に可能にさせたのでしょうか。それは主でした。

 私達が、主との正しい関係に入る時、私達は、言葉と行動の中に神の力の特別な奇跡的な働きを目撃するでしょう。

 

その幻は聖書研究から結論付けている

 初期の頃のそのメッセージについて、私達のメンバーが少なかった時、私達は多くの御言葉の意味を理解するために入念に研究しました。ある時、それは、真相の説明が与えられないかのように思われました。私の知性は、神の言葉の一つの理解に固定されたように思えました。でも、私達の同志(兄弟姉妹)が研究のために集まった時、それ以上に進展することのない一つの点に来て、熱心な祈りに立ち戻りました。神の霊/精神は私の上にとどまりました。そして、私は幻visionの中に連れて行かれ、御言葉と御言葉の関係を考察するよう指導されました。これらの体験は何度もなんども繰り返されました。このように、第三天使のメッセージの多くの真理は、一つずつ確立しました。

 このメッセージへの私の信頼はこれからも揺るぐと思いますか。私達の信仰の数々の柱pillarsの基礎を取り除くことをした存在者の努力を私が見た時に、私が沈黙できるかを考えてください。私は、れらの真理[信仰の柱]を完全に証明して、一人の人として存在することは可能です。私は自分が乗り越えたその体験を忘れることができません。神は、その力と多くの根拠によって、私の確信を固めました。

 私は、受け取ったその光/真理を書き著しました。そして、その多くは、今、印刷された[書籍の]ページから輝き出ています。私が表明した教えには、出版された私の作品の全体を通して、一つの調和が存在しています。

 

幻の中にいる間、彼女は呼吸をしていなかった

 それら本のページの中に見られるいくつかの指導は、主の本当の支持によって神の力の不思議な働きを根拠として、とても注目される状況下で与えられました。時々、私が幻の中にいた間、私の友人達は私に問いかけ、「どうして、彼女は息をしていないの」と、叫んだようです。私の口の前に鏡を近づけ、友人達はそのガラスに水蒸気がついてないのを発見しました。私が語り続けてきたそのことと、ずっと私の目の前に現されてきたことは、呼吸のしるしが何もなかった間にあったことでした。それらのメッセージは、全ての人々の信頼を確かなものにするために、このようにして与えられました。世界の終わりの日々に、私達は特別な預言の霊の根拠を持つでしょう。

 

声が奇跡的に保護された

 神が私の声を保護してきたことを私は感謝しています。私が若かった頃、内科医達と友人達は3カ月のうちに声が出なくなるだろうと言ったものでした。天の神は、私が為すようにと用意された体験への挑戦に合格する必要があったと見ていました。

 過去、半世紀にわたって、第三天使のメッセージとそれに係わる全てに関する最も重要な勝利における私の信仰は、私がたどってきた数々の不思議な体験によって実現されてきました。これが、出版され多くの言語で配布された私の書籍が持つようにと切望する理由です私はそれらの書籍の中に含まれている光/真理は、天の光/真理である」ということを知っています。

 

主の指導の研究

 私は、みなさんにこれらの本に書かれた主の指導を研究することをお願いします。高齢の使徒ヨハネに特別なメッセージがやってきました。「汝が過去に見た事柄、また、現在、存在している事柄、また、将来に存在するだろう事柄を書き記しなさい」。主は私に、啓示したことを書くようにと言いつけました。これを私は為してきました。それは、現在、印刷された形で存在しています。……

 特別な誤りが真ん中から、この地球全体に広がっています。私達は、永遠の真理の踏み台platformの上に堅く立つよう努めましょう。それは、この時もサタンが人々の前で自分の奇跡の仕事をしていると、私達が語っているからです。また、私達は、それらの事柄を見ている時、それらのだましの影響/感化に抵抗するための備えをさせられる必要があります。どんなことでも、特別な敵によって真理として表されています。私達は、全ての真理の偉大な創始者の指導の下に存在する必要があるでしょう。

            『レビュー&ヘラルド』1906.6.14[79]


 

6章 エレン・ホワイトへの光の届き方の一考察

 

 

 

 

 

1.最初の幻の中で――見かけの現れ、イベントの関与

 私が、ある家庭礼拝で祈っている間に、聖なる霊が私の上に降りてきました。私は、暗い世界から、すごく高く持ち上げられたように思いました。私は、この世界の再臨信徒の人々を探そうと振り向きました。しかし、その人々を見つけることができませんでした。その時、一人の声が私に「もう一度みなさい。少し上を見なさい」と言いました。この言葉で、私が目を上げると、まっすぐな狭い道が見えました。地上高くに視線を向けました。この道を再臨信徒の人々がある都市に向かって旅をしていました。その都市は、その道のはるか向こうにありました。 『初代文集』p.14

 

2.広角のパノラマ的な視野

 聖霊の啓蒙を通して、善と悪の間の長く続く闘いの場面がこれらのページの著者に開示されました。次第に、私は、神の聖なる律法への最初の違反者、罪の創始者、悪の王サタンと、私達の救済の創始者、生命の王キリストとの間の各時代の大争闘に関する、この働きを注視することが許されました。     『善と悪の間の各時代の大争闘』「序文」pp...

 

3.御使いはその意味を説明している

 1906416[79]、カリフォルニアのロマリンダで、最も不思議な表象が私の前を通り過ぎていきました。その夜の一つの幻a visionの間、私は、風の中のアシのように揺れる家々を見ることができる一つの高台の上に立っていました。数々の建物は、大きい物も小さい物も、地面に崩れ落ちていました。行楽遊園地、劇場、ホテル、そして、豪華な家々が揺さぶられて、崩されました。多くの生きている人々は、存在の外に消し去られました。そして、その大気は、立腹と恐怖の甲高い声によって満たされました。……私の前を通り過ぎたそのシーンの恐ろしさを、私は書き著す言葉を見つけることができません。神の寛容は尽くされ、神の裁きの日がやってきたように見えました。

 私の前を通り過ぎたその表象に存在していた恐ろしさ、私の知性に最も生々しく印象を与えたその恐ろしさは、それと関連して与えられた指導の中に存在していました。私のそばに立っていた御使いは、こう宣言しました。神の至上の統治の位と神の律法の神聖さは、王の王への従順にすることを頑なに拒む人々に啓示される必要があります。不忠実でいることを選ぶ人々は、裁き/評価による憐れみが訪れる必要があります。そのために、もしも可能ならば、その人々は、その過程の罪深い現実に目覚めさせられるかもしれません。       『SDA教会への証』第9pp.92,93

 

4.一つの家族に関連する生々しい見解

 神の御使いは「私についてきてください」と言いました。私は、粗雑な建物にある一室にいるように思いました。そこには、数人の若い男性がカード遊びをしていました。彼らはその娯楽に熱中しているように見えました。彼らは没頭し、たいそう熱中していて、誰かがその部屋に入ったことに注意しているようには見えませんでした。そこには、若い女の子達がそのプレーヤー達を見ていました。そして、言葉は全く洗練されず条理のない言葉が話されていました。そこには、その部屋の中で目立って感じられた一つの精神と影響が存在していました。品性/人格を高尚にし、知性を高め、清めることは意図されていませんでした。……

 私は「これらの人々は誰ですか。また、このシーンは何を表象しているのですか」と尋ねました。すると、「待ってください」という言葉を言われました。……

 私はほかの表象を持ちました。そこには、ある毒液を吸引している人がいました。また、その影響下でのその言葉と行動は、何でもないもので、まじめな考えで友好的でした。ビジネスをして働いている人々によって明確に認識されていて、純粋に道徳的で、当事者達を高揚させていました。……

 私はもう一度「これらの人達はどういう人ですか」と尋ねました。答えが「あなたが訪問しているある家族の一員です。魂達の特別な敵、神と人間の絶大な敵、この闇の世界のその支配者は、ここで、今夜、座長を務めています。サタンとその天使達はこれらのあわれな魂を彼ら自身の荒廃に誘惑して導いています」と返ってきました。 『手紙』1,1893 [66]

 

5.その全体の事柄は商取引していたかのよう

 今、私は夜を過ごしています。その真夜中に、その全体の事柄は商取引していたかのようでした。また、私はそれを眺めています。また、私はその会話を聞いているかのようです。私は、起きてそしてそれに立ち向かうために揺り動かされました。       『原稿』105,1907[80]

 

6.象徴的な表象

 皆さんは、一般的に一つの旗を掲げて馬の背に乗ったように、私に描かれています。人がやって来て、「神の戒めとイエスに属する信仰」の言葉を伝えている、皆さんの手にある特別な旗を取り上げました。そして、それは、特別な塵の中に踏みつけられました。私は、皆さんが、この世界の人々と皆さんを繋いでいた人々に囲まれていたのを見ました。

                    『手紙』239,1903[76]

 [仲間外れにされた人のために]為された誰かの仕事は、大変な努力によって丘の上に大きな石を転がし上げる人々のようなものとして表象されました。その丘の頂上に近づいた時、その石は、また、低地にまで転がり落ちました。その人々は、その丘の頂上にほんの僅か留まることに成功しただけでした。その働きは、精神的・生理的欲求と激しい感情に逆らって立つように人々を導くための犠牲が払われ、真理を人々に届けるための努力が為され、品位を落とした人々のために行なわれました。

                     『手紙』232,1899[72]

 

7.数々の象徴的な幻を理解することが可能になった

 私の知性mindと識別力はまだ清明です。主が私に象徴の中で表したものを、主は、私が理解することを可能にしました。『手紙』28,1907.80

 

8.警告された内科医の危険な治療

 昨夜の一つの幻visionの中で、私は皆さんが書き物をしているのを見ました。ある人は、皆さんの後ろから肩超しに見て、言いました。「私の友人、あなたは危機の中に存在しています」。……

 私がカリフォルニアのオークランドにいた時に目撃した一つのシーンについて、あなたに話させてください。光の天使達angelsのように、美しい服を着ていた看護師達angelsが、建物の場所から場所へとA医師に付き添っていました。そして、神を攻撃したもったいぶった自慢する言葉を話すように彼に吹き込んでいました。

 SDAオークランド総会の後、直ぐに、夜のうちに、主は、私の前に一つのシーンを映画のように描きました。その中で、サタンは、最も引き付けるものを隠した服を着て、A医師のそば近くに寄って熱心でした。私は見て、そして、たくさん聞きました。私はこの人が私達の[教会の]兄弟達と個人的に話しているのを見た時に、毎夜、魂の激しい苦痛の中で膝をついて[祈り]ました。            『手紙』220,1903[76]

 

9.光のフラッシュによって啓示した

 ある質問[の答え]が求められました。「ホワイト姉は、あなたがそれらの事柄を言うための権威/根拠を持っているかのように、あなたがたいそう断定的に話しているその問題をどのように考えて知るのですか」。私はその理由を次のように語っています。激しい嵐の黒雲から出る稲光のように、困惑している時に、それらは私の知性mindにフラッシュ(写真のような現れ)します。数年前に私の前に現されたシーンのいくつかは、私の記憶の中に残されませんでした。でも、与えられた指導が必要とされた時に、時々、私が人々の前に立っている時、特定の指導が明確に知性に戻って、稲光のフラッシュのように[7]、その記憶が正確に明確にやってきています。私が新しい幻を持ったことが理由ではなく、私に現されたことが理由でもなく、私は自分の知性にフラッシュされたその事柄の言っていることを繰り返すことができない時は、たぶん、何年も過去のことでも、強烈に私の知性に思い出されていました。        『原稿』33,1911[84]

 

10.あるサナトリウムのロビーでのシーン

 私の夢の中で、私は○○にいました。そして、私は、自分が聞いたことの全てを心に刻み、自分が見たことの全てを記憶に残すよう、ガイドに言われました。私は、定年で退職した人のいる所にいました。そこでは、私は[そこの人々に]見られなかったようです。でも、私は、その部屋の中に行って、全ての人を見ることができたようです。登場人物達personsは、話し相手youに説明するために、椅子に座っていました。そして、登場人物達themが、話し相手youの賄い(食事)と部屋と接遇について、大きな要求を考えて、話し相手themに異議を申し立てるのを私は聞きました。私は、話し相手youが低い料金を断ることを決めたという声を確かに聞きました。私は、その料金がとても高いことを知って驚かされました。

 話し相手は、支配する力があるように思えました。私は、その施設の人々に好意的ではない請求書を作った話し相手の人々の知性と彼らの方法によって、印刷物が作られたように思いました。私は話し相手youの同志の誰かが話し相手に懇願する声、話し相手の方法は賢明ではなく不誠実だったことを話し相手に話している声」を聞きました。でも、話し相手は自分の道に固守して一つの岩のように固まっていました。話し相手は、自分達がしていることによって要求し、話し相手はその施設の益のために働いていました。でも、私は、登場人物persons達が少しも満足できなかったので、出て行くのを見ました。        『手紙』30,1887[60]

 

11.親密な裏切りのシーン

 ヨーロッパに滞在していた間[1885.8-1886.3]に、ある物事が○○であったことが知らされて、私の前に開示されました。一人の声が言いました。「私についてきてください。そして、私は、あなたに、責任ある立場にいる人々によって為されているある罪を示しましょう」。私はその部屋に通って行って、そして、私は登場人物youを見ました。シオンの城壁の上の一人の男性の見張り人は、ほかの男性の妻と非常に親密で、神聖な任務の裏切り、主を再び十字架につける存在でした。登場人物達は、そこには、一人の見張っている方、聖なる御方が存在していたことを考えましたか。その方は、登場人物達の悪い働きを目撃していました。登場人物達の活動を見ています。登場人物達の言葉を聞いています。そして、それらは、天の書物に記録されています。

 彼女は登場人物の膝の上に腰かけていました。登場人物は彼女にキスしていました。彼女も登場人物にキスしていました。溺愛のほかのシーン、快楽の表情が私の前に現されました。それは、私の魂に恐ろしい身震いを生じさせました。登場人物の腕は彼女のウエストを抱きかかえ、表された溺愛はうっとりさせる影響力を持っていました。カーテンが閉められ、そして、○○とベッドの中の登場人物を、私は示されました。私のガイドは「不正行為、裏切り」と言いました。    『手紙』16,1888[61]

 

12.果物/成果の存在が尽きたことを象徴するメッセージ

 皆さんの働きが、象徴によって私に表象(現され)されまた。皆さんは、最も美しい果物/成果で満たされた籠のある仲間に囲まれて過ごしてきました。でも、皆さんが人々にこの果物/成果を勧めた時、とても厳しい言葉を語りました。その時、皆さんの態度はとても命令的なので、それを受け取る人は誰もいないでしょう。また、ほかの人がその同じ仲間にやってきました。そして、それと同じ果物/成果を人々に勧めました。とても親切で丁寧、感じの良さは、主がその果物/成果の望ましい状態を語ったように、主の言葉とマナーが存在していました。その器は空になりました。

                     『手紙』40,1902[75]

 

13.サナトリウムの場所の考察を勧める権威の一つ

 夜の間に、私は相談会議の中に存在していました。そこでは、同志達がロサンゼルスのサナトリウムの問題を議論していました。兄弟の一人がロサンゼルスの都市の中にそのサナトリウムを建設することに関して優位性を表明しました。それから、権威ある御方が明確に力強くその問題を表明しました。                『手紙』40,1902[75]

 

14.シーンの対比:伝道熱心の写真

 私は、大勢の集会の中にいるように思えました。権威ある一人の御方は、この世界の地図が広げられる前に、その仲間に参加していました。彼は、「その地図は神のブドウ園を描いています。それは育てられる必要があります」と言いました。天からの光が誰かに照らされた時、一人は、その光をほかの人々に反射するために存在していました。光たちは多くの場所できらめくために存在していました。また、それらの光たちと小さい光たちは、きらめくために存在していました。……

 私は、数々の都市や村々から、また、地上の低い所から、また、高い所から、光のきらめきが輝き出るのを見ました。神の言葉は働きました。また、一つの結果として、全ての都市と村に、主のための記念 [教会]がありました。主の真理はこの世界中に宣言されました。

 それから、その地図は移され、そして、ほかのものがそこに置かれました。その地図の上に、光が少しの場所からだけ輝きました。かすかな光だけがここそこにあり、その残りの世界は闇の中にありました。私達の御指導者は、次のように言いました。「この闇は、人々が自分自身の道に沿ったその結果です。人々は、代々、悪の傾向を育て、抱き続けてきました。その人々は、自分達の生活のビジネスのリーダーを非難しとがめだてし、異議を唱えてきました。その人々の心は神と共に、正しく存在していませんでした。その人々は枡の下に自分達の光を隠していました」。

                『SDA教会への証』第9pp.28-29

 

15.主の言葉と特別な知識の研究

 主の言葉の研究を通して伝達された特別な真理の光によって、また、体験の全ての相において、特別な知識は、あらゆる状況の下で神の民の間に個人的なケースについて与えられることによって、今、それと同じ無知の中にいることができますか。私の兄弟達は、「ホワイト姉妹はまったく学識が浅い。この指導による彼女の評価/裁きjudgmentは彼女が、特殊な働きのために訓練され弟子になるために、キリストの学校に入る前よりも良くない」と言っているのではありませんか。私は、特別な義務と神の民の危難を考えると、それらの事柄が現されなかった以前のこれらの人々以上に、まったく理知的ではないでしょう。『SDA教会への証』第5p.686

 

16.聖なる霊はエレン・ホワイトの精神と心に印象を与えた

 神は、私に主とつながった一つの明白で厳粛な体験を与えました。皆さんは、私の人生が残っている間、安心するでしょう。私は、神の霊/精神によって印象付けられたように、人々が聞いても、それを避けても、警告の声を上げることを止めないつもりです。私は、自分の中に特別な知恵を持っていません。私は、主が私にするようにと備えたその働きをするための、主の手の中の一つの道具にすぎません。私がペンや声によって与えたその指導は、神が私に与えた特別な光の一つでした。私は皆さんの前に、神の霊/精神が何年も私の知性に印象付け、私の心に書いてきた特別な原則を置くことを試みてきました。

 さて、兄弟[姉妹]の皆さん、私は、皆さんに、私と主の民の間に口を挟まないよう、また、神が主の民に届けたその光から離れ去ることのないようにと請い願います。『SDA教会への証』から、皆さんの粗探しによって、全ての特別な力と、全ての指摘と力を取り除かないでください。皆さんが自分自身の考えを押し付けるために人々を分析できるとは考えないでください。神が皆さんに天からの光と単なる人の知恵の表現を識別する能力を与えたと叫ばないでください。仮に、『SDA教会への証』が神の言葉によらずに語っているならば、それを拒否してください。

                 『SDA教会への証』第5p.691

 

17.食品工場の立地による例証

 ある夜の幻visionsの中で、ロマリンダのパン製造所[8]の設立のための計画に関連して、それらの原則が私に現されました。私は、多くの食品が製造されていた一つの大きな建物を示されました。また、そのパン製造所の近くに、ある小さい建物がありました。私がそばに立った時に、為されたその働きをめぐって、提案に反論する低い声が聞こえました。そこでは、その働き人達の間で調和が欠如していて、困惑が中に入り込んでいました。

 それから、私は、バーデン兄弟に近づいて見ました。彼の表情は、不安と心労でうんざりした様子でした。彼がその働き人達と考えて結論を探し出すように努めた時、彼らの中に調和がもたらされました。そのシーンが繰り返されました。バーデン兄弟は、サナトリウムのマネージャーとして、仲違いを調整するために、彼の通常の仕事からしばしば呼び出されていました。……

 私はそれから、美しいサナトリウムの庭に立っている療養者達を見ました。その人々はその働き人達の間で、議論しているのを聞いていました。その療養者達は私が見えませんでしたが、私はその人達を見ることができて、その人達の会話を聞くことができました。そして、その人達の感想が私の耳に届きました。その人々は、「病人のケアのための施設のきれいな庭に、こんなに近くに接して一つの食品工場が建設されるかもしれない」と、惜しむ言葉を語っていました。ある人は嫌悪感をあらわにしていました。……

 その時、一人の御方がそのシーンに現れました。そして、言いました。「これは全て、一つの教訓として、あなたの前を過ぎるための理由でした。

あなたは例の計画の成り行きの結果を見ることができるでしょう」。……

 それから、そう、その全体のシーンが変わりました。そのパン製造所の建物は、私達が計画した場所にはありませんでした。サナトリウムの建物から離れた所、鉄道に向かう道沿いにありました。それは、質素な建物でした。小さな働きがそこで繰り広げられていました。営利目的のアイデアは、意見から取り除かれ、その代わり、強力な霊的感化がその場所にいきわたっていました。          『手紙』140,1906[79]


 

7章 神性の臨在と啓示されたメッセージ

 

 

 

 

 

1.エレン・ホワイトへの指導

 神の霊(精神)が、主の言葉の偉大な真理、過去と未来のシーンを私の知性に開示した時、私は、このように開示されたこと、ほかのことを知ることを隠されました。        『善と悪の各時代の大争闘』p.

 私の働きの初めから、……放置しておくことなく、悪を戒め、証を指し示し、明瞭に伝えるために、私は召命を受けていました。

                 『SDA教会への証』第5p.678

 

2.証の生み出し――神の霊(精神)による目的

 私は幻visionの中から出た後で、私が見たことをすぐには思い出せません。その[見た]事柄は、私が書くまで私の前にそんなに明瞭ではありません。それから、そのシーンは、幻の中で現されたように、私の前に起き上がってきます。すると、私は自由に書くことができます。時々、私が見た事柄は、幻から出た後に、私には隠されています。そして、私がその幻が適用している仲間の前にもたらさない限り、私は知性にそれらを呼び出すことができません。それから、私が見たその事柄は力と共に私の知性にやって来ました。

 私はまさに、その幻を持っている時に、その幻を伝達されている時や書いている時に、主の霊(精神)に頼っています。主が人々への私の書物と伝達を喜ぶその時に、私の前にそれらを持ってこない限り、主が私の前にそれらを持ってきて、私に示した事柄を呼び出すことは私に不可能です。

                 『霊の賜物』第2pp.293-293

 

3.聖霊によって印象付けられる必要がある

 私は、自分自身の動機で、その幻を書き始めたり、働きを再開したりすることができません。私は、神の霊(精神)によって印象付けられる必要があります。私は、聖霊が私を助けてくれない限り、書くことができません。時々、私は少しも書くことができません。その時、私は何度も、11時、12時、1時に起きて、それから、私の手は紙の上にペンを走らせることができて、素早く書くことができます。     『手紙』11,1903[76]

 

4.ペンが手に取られた時

 私がペンを手の中に取るとすぐ、私は書くためのもののために、無知の中にいません。それは、私に語っている声と全く同じで、容易で明瞭です。「私は汝に指導しましょう。また、汝らが行くべき道を汝に教えましょう」。「全て汝らの道で、主を認めなさい。主は、汝らの道を指導するでしょう」。

                     『原稿』89,1900[73]

 私は自分の書き物でとても忙しくしています。朝早くから夜遅くまで、私は、主が私の前に開示しているある事柄を書き出しています。私の仕事の重荷は、主の特別な日に立つために、一つの民の備えのために存在しています。        『手紙』371,1907[80]SDA教会への証

             の外に出された書き物」として出版された)

 

5.彼女のメッセージの高貴さ

 私が見たこと、私が真理だと理解したことを語っています。

                      『手紙』4,1896[69]

 私の働きの役割の中で、私は主が自分に与えている事柄を話しています。みなさんへの私の言葉として、「主は、全ての機会で語ってきた私に意見を述べるようにとの行動を促さなかった」と、私は言[わない]……つもりです(And in my words to you I would ……[not] dare to say that the Lord did not move me to make the remarks which I made in that talk all the way through.)

                     『手紙』18d,1890[63]

 私は、主が私に書くようにと与えたことの全てを書きました。

                     『手紙』52,1906[79]

6.証は彼女自身の言葉で表現された

 私は、それらの幻を受けている時、自分の見解を書いている時に、主の霊(精神)に依存しています。また、私が見て書き著すのに要する言葉は、私自身のものです。それらが、御使いによって私に語られたものである限り、私はいつも引用符でくくっています[9]

             『レビュー&ヘラルド』1867.10.8[40]

 

7.全部書く必要がある

 私は、神が私に与えた警告を忠実に書き出してきました。それらは書籍として、出版されてきました。私はそれを自粛することができません。私は、全部、それらを同じように書く必要があります。私は[それが]軽減されるようにと求めてはいません。主が私の命を生かしている限り、私はそれらのメッセージを熱心に生み出して伝え続ける必要があります。

                     『原稿』21,1910[83]

 

8.エレン・G・ホワイトの著作物に関する理解

a.特別な証[1844年の再臨運動の]初期の日々に現れた人々として、特別な証を注意深く読んだ人々は、自分達の由来について悩む必要はありません。神の霊(精神)の助けによって書かれた多くの本は、その特別な証の特徴として、生きた証の一つを生み出しています。

  『手紙』225,1906.79歳(『セレクテッドメッセージズ』1p.49

b.善と悪の各時代の大争闘シリーズの本。ホワイト姉妹はそれらの本の創作者ではありません。それらは、彼女のライフワークの間に、神が彼女に与えた指導を含んでいます。それらは、神が、この世界の人々に与えるために、主に仕える者たちに喜んで与えた貴重な慰めの光を含んでいます。

                       『文書伝道』p.125

c.特別な記事。私は、雑誌の中に書いた記事の一つも、単に自分自身のアイデアで書いていません。それらは、神が幻の中で私の前に開示した、天の玉座から輝いた貴い一条の光です。SDA教会への証』5p.67

d.「特別な数々の手紙」(証)。弱って、恐れて、私はあなたに手紙を書くために、朝の3時に起きました。神は土の器()を通して話していました。あなたは、「この通信文は単なる手紙です」と言うかもしれません。ええ、それは、一通の手紙です。しかし、私に示されたあなたの知性の事柄にもたらされるため、神の霊(精神)によって後押しされた手紙です。私が生み出した証によって書いたこれらの手紙によって、私は主が私に表したことをあなたに書き著しています。    『SDA教会への証』第5p.67

e.インタビュー。彼[G.E.アーウィン長老]は、もしかしたら、私がそれらの点で何かの光を持っているのではないかと、込み入った質問を記した小さいノートを持って来ました。私は、アメリカ中の私達の[教会の]人々のためだけではなく、この国[オーストラリア]の中にいる私達の[教会の]人々の確信のために書いています。     『手紙』96,1899[72]

f.光がなかった時。私は[144,000人を構成する人々についての正確な]話題についての光を持っていませんでした。……どうぞ、「私は、自分に現されたことだけを人々の前に示すことができること、また、人々が書いたことに関係のある状況を考える[ようなことを]、私は自分の前に何も書き著しませんでした」と、私の兄弟の皆さんに言わせてください。

      「C.C.クライスラーからE.E.アンドロスへの手紙1914.8」より引用エレン・ホワイトドキュメントファイル164番)[87]

 私は皆さんの未来の働きに関して、私達の兄弟[姉妹]達に手紙を書くことに自由ではありません。……私は皆さんが突き止める場所を考える指導を受けていません。……もしも、主が、皆さんに関する明確な指導を私に与えているならば、私はそれを皆さんに与えるでしょう。でも、私は自分の責任を果たすことができません。主が、それを生み出すことを私に与えていません。               『手紙』96,1909[82]

 

9.神の与える描写が可能な限り生き生きと再生した

 私は、主が私に与えた再生を作り出すために、また、私がそれをする間に生き生きとできるために、私のメモ書きとタイトルを書く能力の全てがほしいです。               『手紙』325,1905[78]

 

10.聖霊は適切な言葉を与えている

 私に対する主の善意はとても偉大です。私の知性は、聖書のテーマに沿っていて、主の名を讃えています。神の霊(精神)は私の霊(精神)に働いていて、また、特別な真理を表明するために、相応しい言葉を与えています。私はまた、大会衆の前に立つ時に、強い力を与えられています。

                     『手紙』90,1907[80]

 

11.適切な言葉の選択における聖霊の助け

 私は、この課題を論じる中で作られる適切な言葉と表現を捉えることを試しています。また、私のペンが一瞬ためらう時に、相応しい言葉が私の心にやってきます。            『手紙』123,1904[77]

 これらの貴重な本を書いている時、もしも、私がためらったならば、私が特別なアイデアを表現したいと思った適切な言葉が私に与えられました。

                     『手紙』265,1907[80]

 

12.慎重に言葉を選ぶ

 私は、間違った感情を刺激するチャンスを誰かに与えないように、言葉を使うことをとても気を配っています。私は、誤解させられないような、反対の意味に取られないような、それらが意味を意図している言葉を使う必要があります。

 

13.一つの異端の宣告ではない

 私は、現在、何年か前に書かれた手紙のコピーと日誌[10]に目を通しています。……私は、証の形式で、この教会の人々に提示し、複製印刷するために貴重な物を持っています。私がこの働きをすることができると、この[教会の]人々は過去の歴史を復活させるための事柄を持てるに違いありません。この[教会の]人々は、一つの異端の宣告ではなく、真理の鎖がまっすぐに伸びていたのを見ることができるかもしれません。これは、私の信仰を尊重する全ての人々への生きた手紙となるために存在していると、私は指導されました。           『手紙』329a,1905[78]

 

14.最初の一般的な公表記事、その時の特別な適用

 私は、ある病室から、そこの内科医だったB医師がいた別の部屋に連れて行かれました。数人のケースにおいて、私は、非常に無能的なやり方を見て嘆かわしくなりました。彼は、当惑した病気に対処するために不可欠な、この患者のケースが求めていることを理解する知識を十分に持っていませんでした。

 しばしば私を指導した権威者は、[その男性に]こう言いました。「若い人、あなたは詳しく学ぶ学生ではありませんでした。あなたは表面を拾い読みしました。あなたは、[専門]科目をもっと学んで、自分の[学習]機会を利用して、もっと学ぶ必要があります。あなたは読み込みがあまりに軽すぎています。あなたの手に人の命を預かることは厳粛なことです。あなたは、深い洞察を怠り、たぶん、何かのミスをするでしょう。生きているはずの誰かの命を短く断ってしまうでしょう。もしも、その内科医がその病人の治療方法の知識をもっと十分に持っていたならば、その危険性を減らすことができたことでしょう」。

 私はこのことをあなたに書き送りませんでした。でも、私はそれをあなたのケースに適用することなく、一般的な方法で全てを書き著しました。私は、今、あなたは、そのサナトリウムの働き人達に与えられた特別な光として、何かがあなたに意味している、その事柄を知るべきだと考えています。私は、清い愛の霊(精神)によって、あなたの医療従事者としての成功への関心と共に、あなたの魂のために伝えます。あなたが、病人のための施設の中で、孤立あるいは一人前になる前に、あなたは、知識の特別な泉の深い所から飲む必要があります。    『手紙』7,1887[60]

 

15.上塗りでないケース

 私に与えられた最後の幻visionの中で、あなたのケースが私の前に現されました。……私の示されたものによると、あなたは第7番目の戒めに違反しています。あなたの知性は、全てをひっくり返し、あなたを傷つける、貴い神の言葉、真理とどのように調和できるでしょうか。もしも、この故意でない愚行が露呈されたならば、それは大変、申し訳が立つでしょう。しかし、あなたはそうしていません。あなたは警告されました。あなたは誤りを証明され、忠告されました。……

 私の魂は、揺り動かされています。……私はあなたのケースをめぐって、ごまかされないつもりです。あなたは恐ろしい状態にいます。そして、あなたはすっかり作り変えられる必要があります。『手紙』52,1886[49]

 

16.特殊な幻visionは常ではない

 私は、これをあえて控えめにせずに書きました。あなたは神の御心を為すことから遠く離れ、イエスから遠く離れ、天から遠く離れています。神があなたの働きを祝福しなかったということは、私にとって不思議ではありません。あなたは「神は、私のケースの幻をホワイト姉に与えませんでした。なぜ、彼女は、そのように書くのですか」と言うかもしれません。

 私は、あなたがそれらの義務を怠っているのと同じような、ほかの人々のケースを見ました。私はあなたの過去の体験の中で、あなたのケースの多くの事柄を見ました。同じような義務を怠っていたほかの人の罪や、私に示された特殊な罪であろうと、私はある家庭に入って神が誤りを証明して戒めたコースの跡を見た時、私は悩まされ、悲しくなります。私は自分が話したことについて知っています。私はその問題をめぐって、深く考えています。私はこう言いましょう。その時、キリストの目的は正しい戦場に登場するように急いでいます。そして、その戦いのために武具を付けています。                 『手紙』52,1886[59]

 

17.多くの幻の基礎となった証の勧め

 神は、あなたがその幼い子ども達にしているように、子ども達を世話する親達の間違いを証明するある証を与えました。『手紙』1,1877[50]

 この問題は、セブンスデー アドベンチスト教会のために複数のメッセージを持っていると個人々々が叫んでいた、似た特徴のある、ほかの事例によって、以前に私の知性にもたらされました。そして、「彼らを信じてはいけません」という、御言葉が私に与えられました。

                    『手紙』16,1893[66]

      『セレクテッドメッセージズ』第2pp.63-64より引用

 

18.突然に生み出された証

 安息日の朝早く、私は集会に行きました。そして、主は私にそこの人々へ直接の証を一つ与えました。私にとって、全てが突然のことでした。私はそれを口から出して、主がその働き人達を一つのメッセージと共に送ったこと、そして、その人々に持って行ったメッセージは、神が人々に届けるように委ねた深い意味があったことを示しました。しかし、その人々はその一部分を取り上げること、神の言葉を成果のないものにするのは自由だと考えていました。……私がそこの人々にこのように話すのをあえてした大きな驚きと不思議があったと、私はあなたに語ることができます。

                     『手紙』19,1884[57]

 

 

 

19.[間違いを]証明する証を生み出すことはエレン・ホワイトにとって不愉快な任務

 私はSDA[全体]総会[会議]に行くために存在していました。私は、直ぐにあることを中止する立場を取るように強いられています。これをすることは、私の感情を害することです。そのような体験が私にもたらされたことは、その緊張感から私が立ち直るまで長い時間が存在しています。

                               『手紙』17,1903[76]

 

20.[奉仕の]働きは必ず口頭と文書メッセージの両方によって為される

 神が私に与えた特別なメッセージは、口頭での言葉と印刷された形の両方の言葉によって、主の民に伝えられました。私のこの働きは確かに二重に為されました。主が私に「定期刊行物と書籍によって出版するために」それを書くように命じる時、その真理が書き出されうるように、計り知れない力によって私を指導した主は、半世紀にわたって、主のメッセンジャーの利き腕を支えてきました。            『手紙』136,1906[79]

 

21.過去か未来か彼女は言及しなかった

 私は、主の聖霊によって、男性と女性の不適当でみだらな関係について考えて、詳しい警告を私達の[教会の]人々に力説しました。あなたの前の〇〇の伝道地に存在していたこの恋の病の感傷は、それと繫がっていました。私は、それと似た現れのあなたとほかの人々を示されました。しばしば、事柄は為された状況のかなり以前に私に現されたので、これは過去か未来だったかを私は言及できません。    『手紙』17,1891[64]

 

22.まるで働きが為されたかのように示された

 「私達がバトルクリーク サナトリウムの働きを始めたら、その後、サナトリウムの建物内での作業療法の全ての準備が幻によってどのように示されたか」について、私は考えていました。主は私に「それらの建物の中の働きはやがて病人達に救いの感化を及ぼして導く方法」として指導しました。

 これは全て、私にとても現実的に思えました。でも、私が、その働きは、やがて為されるために存在したことを知って目覚めた時、そこには建てられた建物はありませんでした。

 ほかの時に、私は、バトルクリーク サナトリウムが後に立てられた場所に大きな建物が建設されているのを示されました。兄弟達は、その働きが手に負えなくなるだろうと大きな困惑の中にいました。私は酷く泣いていました。権威のある一人が私達の中から立ち上がりました。そして言いました。「そうではありません。あなた方はその建物に資金を投資する用意がありません。あるいは、それをマネジメントする未来の計画がありません」。この時、そのサナトリウムの基礎はすでに置かれていました。しかし、私達は待つことについての教訓を学ぶ必要がありました。

                    『手紙』135,1903.76

 

23.パウロは危険が起こりうることを示した

 パウロは霊感を与えられた使徒の一人でした。また、主は、その主につく人々の状況を彼にいつも正しくは啓示しませんでした。その教会の繁栄に関心を持っていた人々は、いろいろな悪がじわじわと入り込むのを見て、彼にその問題を提起しました。そこで、彼は以前に受けていた特別な光/真理から、これらの進展の真の性質を裁くjudgeための準備をしました。主は、その特殊な時のために、彼に対して啓示を与えなかったので、真実な光を求めていた人々は、彼のメッセージを単なる普通の手紙としてゴミ箱へ投げ捨てることをしませんでした。そうです。確かです。主は、この教会に湧き起こるに違いない困難と危険を彼に示しました。それらが湧き起こった時、彼は、それらに対処treatするための正しい方法を知っていたことでしょう。      『SDA教会への証』第5p.65,1906

 

24.エレン・ホワイトは今も語っているだろう

 今朝、私は、いくつかの質問を共に検討するために選ばれた人が数名呼ばれていたある集会に出席しました。その質問は、これらの問題についてのアドバイスを求め配慮を請願した一通の手紙によって彼らに提出されていました。それらの課題のいくつかについて、多くの事柄で様々の機会と場所で、私に表されたので、私は話すことが可能です。……私の兄弟達が数々の手紙から選んで読んだ時に、この事柄は[アメリカ]南部の伝道地を考えるよう、別の時に、何度もなんども私に現されたので、私は彼らに伝えることを知っていました。私は今までその事柄を自由に書き出すことを考えていませんでした。……主が私に与えたその光は、その南部の伝道地に存在していました。そこには、有色 [11]人の住民との大きな共有が存在していて、ほかの伝道地と同じ方法によって働くことが不可能です。

       『手紙』73,1895[68]『アメリカ南部の働き』p.72

 

25.その時が満ちる時

 私は、その時が満ちたことを知る時に書く必要のある多くのことがありますが、今以上に書く必要がありません。  『手紙』124,1902.75

 

26.1年間の延期

 主は、[1891-1900オーストラリア滞在中、1894まで住んだ]メルボルンの「カンファレンス」の中で、目立った方法によって私を助けも祝福もしませんでした。私は、そこ[メルボルン]に行く1年前に与えられた個人的な証を書き出していて、懸命に働きました。でも、人々に送ろうとは考えませんでした。私はキリストの言葉を考えました。「私は多くの事柄をあなた方に言いました。しかし、汝らはそれらを今、伝えることはできません」(ヨハネ16:12)。私は、郵便で送る全ての伝達事項を封筒に入れた時、それは、私に語りかけた言葉のように思えました。「ええ、ええ、人々はあなたの証を受け入れないでしょう」。    『手紙』39,1893[79]

 

27.幻はいつも最初に理解されない

 私達が共に皆さんの働きと皆さんの体験について話し合っていたある機会に、皆さんは私に「あなたは私達に全部話しましたか」と尋ねました。私はその時に多くを語ることができませんでした。しばしば、表象が私に与えられますが、最初、私は理解していません。しかし、少し後でそれらは、その意味をミスなく明確にする方法によって、私が初めに理解していなかった事柄の表象が繰り返されることによって明確にされています。

                    『手紙』329,1904[87]

 

28.私が書いたものは新しく見える

 ある夜、私は眠りから覚まされました。そして、私は日誌に、それらを誰かが聞くように読んだ時に、自分には新鮮に思われる多くの事柄を書きました。自分の手で書いたその事柄を考えなかったならば、私は、自分のペンがそれを書き著したことを考えなかったでしょう。

                     『手紙』118,1898.71

 

29.時にかなった前の書き物

 私は、18961220付の[オーストラリアの]コーランボーで書いた多くの貴重な資料をたくさん持っています。それは、また、それが夕方の郵便で配達されうることが可能ならば、その時に、ちょうど、必要とされていたものでした。私は、それらの原稿の写しをすべて失いました。でも、今朝、多量のコピーが私の注意を引き付けました。それにざっと目を通すと、私は自分が欲しかったそのものだということに驚きました。

                    『手紙』262,1907.80

 

30.人々の知性は霊性を備えられる必要がある

 私は、私達の[教会の]人々に神の勧めすべてを与え続けることにとても疲れました。それで、その指示された事柄を時々先延ばししました。「人々は、今、それらを為すことができません」。さらに、真理でさえ、それを受け入れるための霊的な用意がない人々の知性には、その満ちた徳によって、現されることが不可能です。私は述べることをたくさん持っています。人々のためのそのメッセージは、現在の彼らに適応できず、聖別されていない状態を生み出しています。             『手紙』55,1894[67]

 

31.なぜパウロは全てを語ることができなかったか

 偉大な使徒パウロは多くの幻/先見の明visionsを持っていました。主は彼に、一人の人には全く適してはいなかった多くの事柄を示しました。それは、なぜ彼は自分が見たことを信徒達に語らなかったのでしょうか。それは、信徒達が現された偉大な真理を誤解していたからでしょう。彼らはそれらの真理を悟ることができなかったでしょう。また、パウロに示された全て[の事柄]は、神がその教会に伝えるために彼に与えたメッセージを形成していました。          『手紙』161,1903[76]

 

32.伝記風の書き物には特別な光を求めない

 [『霊の賜物』第2巻 自叙伝風の勧め]のページの続きを書いていて、私はとても不利な条件の下で苦労していました。私は記憶にある多くの実例に頼る必要がありました。数年内の日誌もありませんでした。いくつかの実例を書いて、私は、印刷に出される前に校閲できるように、原稿を関連した場面の状況の時にいた友人達に送りました。私は、可能な限り、修正してシンプルな事実の表現に心がけて、とても慎重に進め多くの時間をかけました。

 しかしながら、私は自分が書いたその多くの手紙に関して、約束の日までに着くように協力が得られました。   『霊の賜物』第2巻の序文

 もしも、この本の中に何か正しくない言及が見つかったとされたならば、それらは直ぐに私に説明されるように、特別なリクエストが作られています。その版は10月の初めに全部揃えられるでしょう。そのために、その時以前に送られました。            前掲書補遺400部初版

 

33.一般書と宗教的なテーマの本の識別

 一般的な事柄は言いあらわされる必要のある時があります。一般的な考察はある人の知性で働いて当然の時があります。一般の手紙類は書かれ、また、情報は一人の人からほかの働き人達へと渡され与えられて当然のときがあります。それらの言葉、それらの情報は神の霊/精神の特殊なもとで与えられるものではありません。全く宗教のテーマに関係のない数々の質問が寄せられました。それらの質問は答えられて当然です。私達は住み家や土地についての利便と不便、また、私達の施設のための土地について話し合い、建てるために売買しています。     『原稿』107,1909[82]

              『セレクテッドメッセージ』第1p.39

 

34.ある点が描かれた

 私は、C兄弟にオーストラリアに来るようにとの特別なメッセージは与えられませんでした。ええ、私は、言わなかったので、私は、ここがあなたのためのその働き場所だということを知っています。でも、私の願いを表明することは私の特権です。私はそのように言いますが、また、私は命じて言うのではありません。

 でも、私は自分の何かの信念のゆえに、あなたが来ることを望んでいません。私はあなたがもっと熱心に主を求めるよう、主があなたを導く所へついて行くよう願っています。私はあなたが、神が言う時に来るよう願っています。来てください。すぐにではなく[その時が来た時に]、それにも拘らず、オーストラリアでの神の働きに関する望みに参加することは私の特権です。オーストラリアは主の国[伝道地]だけで、私の祖国(郷里)ではありません。この国[オーストラリア]は神の所有です。その人々は主の所有です。一つの働きがここでなされるために存在しています。そして、もしも、あなたがそれを為すための一人でないならば、私はあなたがどこかほかの地方に行ってしまったと聞いて、完全に諦めたと思うでしょう。

『手紙』129,1897[70](オーストラリアでのサナトリウムのための必要と事業を始めるために来る人の可能性に関する一通の手紙から)

 

35.知っている可能性のある人々から得た情報

 パラダイス バレー サナトリウムの部屋の数に関して、主からの啓示としてではなく、その情報は一人の人間の意見としてシンプルに与えられました。私達の[教会の]どこかのサナトリウムの部屋の正確な数も、そして、知りたい思った人々が尋ねたことによって、私が得たそのような事柄についての[部屋の数の]知識も、私には啓示されませんでした。私の言葉によってこれらの一般的なテーマを語る時、そこには、私が主からの幻による知識を受けているとか、また、そのようなそれ[テーマ]の論述をしているということを信じるように知性を導く何物も存在していません。

    『原稿』107,1909.82歳(『セレクテッドメッセージ』第1p.38引用)

 

36.二種類の手紙

 私の大切な子ども達[エドソンとエマ]、私は書き出すための多く内容を抱えていて、働きに没頭していました。私の心は、主に信頼して堅く定まっています。私達は、疑われるケースにあるのではなく、希望に満ちるために存在しています。

 今朝、私は二人からの手紙を私の家のドアの下から見つけました。私はあなた方の便りに嬉しくなりました。昨日、私は、二人に毎日の出来事といつもの手紙を書きました。[次の引用文を参照]。この手紙は、今日送るつもりです。私は、二人に送るその内容について書いた長い手紙を書き終え、それをコピーするために外に出しました。それはまもなくあなた方に送るつもりです。……

 主が私に時々与えている特別な指導から、私は、町々や村々に巡回する医療福音伝道団を組織する働き人達が存在する必要があるということを理解しています。この働きをする人々は、社会的に高い階級と低い階級の両方から魂達を多く収穫して増すでしょう。 『手紙』202,1903[76]

37.普通の内容を扱ったその手紙

 私の子ども達、エドソン[次男]とエマへ。私が二人に手紙を書いてから、長い時間が経ちました。私は二人の家を訪ねることをとても楽しみにしています。ウィリー[三男]は「私はあなたの状況にとても喜んでいます」と、私に書いています。私は長い間、二人から聞いていませんでした。私はあなた方の手紙を得られたらそれがほんの数行の文章でも嬉しいです。いつか、二人が訪問して私達に敬意を払うことを望むならば、私達がつくり出しているこの特別な本たちと二人の働きについて、相談することを覚えていてください。私は二人に会えることをとても喜んでいます。ウィリーが私達の所から去ってとても長い時間が経ったように思います。彼は昨年の1月に発ちました。そして、今は、910日です。彼はまた1週間も家にいないでしょう。                『手紙』201,1903[76]

 

38.ホワイト姉妹の判断

 あなたは、――ホワイト姉妹の意見よりも当てになるとした――自分で判断した自分の意見を根拠にしました。あなたは、これらの事柄の中に間違っていることと正しいことがあるということを、彼女[ホワイト姉妹]が知る前に見せられた様々なケースと似ているあなたのケースで、ホワイト姉妹が偉大な教師への奉仕をした人生でそのようなケースを扱ったということを考えましたか。教育や訓錬を受けなかった人々[の意見]を好まず、50年以上も神の訓練の下にいた[だけ]だったという判断なのですか。どうか、これらのことを考えてください。   『手紙』115,1895[78]

 

39.特別な光がない時にあえて語らない

 私は委ねられた計画にあえて同意も賛成もしない立場にしばしば置かれたことを見ました。例えば、主が私に与えたことついて私がレポートする時、私が話そうとする何かの言葉に危険性があります。私自身が表現する言葉は、自分にとって常に安全だとは限りません。例えば、誰かが自分の目的を果たそうとする時、その人は、主からの特別な光として、私が話す何か気に入るような言葉を考えるでしょう。私は自分の全ての行動を慎重にする必要があります。      『手紙』162,1907,p.2[80]

 

         

註:日々の内容や伝記的性質のものを除いて、ミセス ホワイトがこの教会の人々に明らかにしたものは、「私は見ました」という特別な言葉を使うか使わないかに関わらず、彼女に与えられた幻visionsに基づいていました。彼女は、彼女の生きていた日も、私達が生きている今日にも、著書と手紙類などの間だけではなく、神聖なことと一般のことの間でも、その基準線を引いていました。困惑させられる必要のある人は一人もいません。

 ミセス ホワイトは、彼女の体験をよく知らない読者達が、そのメッセージから人々の知性を逸らさないように、一般大衆の読者のために向けた著書の中にある、「私は見ました」と「私は示されました」のような全ての表現を故意に削除しました。このような一つの表現として、大争闘シリーズの全5巻と『善と悪の各時代の大争闘』に彼女が書いた「序文」に一つのvain(自分は愚かな者だ)が見られます。1888年に出版されたそのシリーズの冒頭とほかのどこかに、彼女はそれを知っていたので書いています。彼女は、起きる出来事eventsを目撃して、そして、「啓示されたということをほかの人々に知られるのを隠しました」(p.ⅺ)。『キリストへの道』『祝福の山からの考察』(祝福の山)『キリストの実物教訓』『教育』『ミニストリー オブ ヒーリング』を参照してください。「ホワイト姉はこれらの本の原著者ではありません」と彼女は書きました。――題目編纂者


 

8章 感化/影響に関する質問

 

 

 

 

 

1.誰がホワイト姉に語ったか

 注意に関する特別なメッセージを考慮しなかった人々は自分達の生み出すものを失ってしまいました。ある人は、自己信頼によって、真理であることを知っていたところからあえて離れてしまいました。「誰が、ホワイト姉に語ったのですか」。この言葉は、主が私にするようにと与えた特別な働きへの信頼と、その人々の信仰の度合いを示しています。その人々は、主が私に提示したその働きの結果を自分達の前に持っています。そして、これらは、確信しないならば、議論もなく、将来の啓示もなく、その人々に影響を及ぼすでしょう。その結果は、神がかつて語ってきたように、再び、判断によって語ることになるでしょう。

          『レビュー&ヘラルド』1903.5.19,p.8[76]

 

2.それらのことを誰が彼女に話したか

 誰かが「誰がそれらのことをホワイト姉に話したのですか」と尋ねる用意をしています。人々は私にさらに「誰かがそれらのことをあなたに話したのですか」と質問をしました。私は「はいそうです。神の御使いが私に話しました」と答えたものです。しかし、その人々は「教会の兄弟姉妹達が自分達の失敗を打ち明けたのですか」ということを意図していました。その前に、私は、そのような狭い心を満足させようとする説明をするために、神が私に与えたある証の価値を下げないつもりです。でも、神の聖霊の一つの結果として、そのような質問をみな扱うつもりです。神は、私達のグループの中のほかの人を誰も置かなかった立場に私を押しやってぴったり合うと見ました。主は、ほかの誰にも与えなかった証明する重荷を私の上に置きました。      『SDA教会への証』第3pp.314,315

 

3.誰かがホワイト姉に語った

 未だに、不信が「誰がホワイト姉にこれらのことを書かせたのですか」という言葉によって表されています。でも、私は、それらが存在しているようにそのことを知っている人は一人もいないと理解しています。また、人が考えておらず、実在もしなかったことを書けるような人は一人もいないと理解しています。誰かが私に「彼は偽らず、誤った判断をしない人、さもなければ、どんなケースでも大げさに言う人です」と、語りかけました。     『バトルクリーク教会の働きとレビュー&ヘラルド

                出版所に関係ある特別な指導』p.16

 

4.感化されたのならば信用できない

 あなたが個人的に考えていることは、私の知性に先入観を持たせました。もしも、私がこの論述の中に存在しているとすると、私は、神の特別な働きを任せられることに適していません。   『手紙』16,1893[66]

 

5.ミセス ホワイトは間違いなく手紙や記事を読まない

 あなたは、「自分に届いた書き物の小包を開けず読まない」と、私を責めるでしょう。私は、ケロッグ医師が送った手紙類を読まないだけではなく、ほかのものも読みませんでした。私は、ある出版所に厳しい譴責のメッセージを送りました。また、私は、もしも、私が、自分に届いた伝達文書を読んだとすると、後で、特別な証を出した時に、ケロッグ医師は「私は彼女にその霊感を与えた」と言うように誘惑されるだろう、ということを知りました。                『手紙』301,1905[78]

 私は、[レビュー&ヘラルド]の雑誌のどのような論説の記事を読む習慣を持っていませんでした。私の知性は、誰かのアイデアと見解に関して、どのような理解も持っていないつもりです。また、誰か人間の理論の型は、私が書いているものとのどのような繫がりも持っていないでしょう。

                      『手紙』37,1887[60]

 

6.初期の奉仕の働きに一つの疑問が上がった

 もしも、あなたがそんなにたくさん言ったのであれば、神が私に与えたその幻の成果は何だったのでしょう。もしも、そうであれば、その時、その幻はなかった……。または、あなたや誰かが言ったことはまったく何もありません。神は御手の中にその内容を捉えています。……D姉妹、あなたが語ったことは、まったく私に感化を及ぼしていません。私の意見は、神が幻で私に示したことによって、することが何もないということです。

                     『手紙』6,1851[24]

 

7.うわさは何も証明しない

 私は、あなたの手紙を受け取りました。そして、その返事を出すつもりです。あなたは特別な証を受けたと言っています。でも、だましと思われるその与えられたものを、あなたは受け取っていないでしょう。それにもかかわらず、私の兄弟、それは事実です。そして、うわさはこのケースを証明ためにすることは何もありません。   『手紙』28,1888[61]

 

8.ミセス ホワイトをガイドするための試み

 E兄弟は、私が、義務とイエスの愛をもっと考えることについて話さないならば、それがこの教会の人々を喜ばすだろうと示唆しました。でも、私は、主の聖霊が私に印象を与える時に、話すことを望んでいます。主は、この教会の人々が必要としている最善を知っています。私は[1017日の]安息日の午前中にイザヤ58章から語りました。私はその全てのコーナーを回れ(聖句を説明でき)ませんでした。     『原稿』26,1885.58

 

9.力強い御方による勧めにおける巧みな処理

 「誰かが彼女の書き物を巧みに処理しています」と言う人々がいます。私はこの告発を認めます。その人は、物事の状態を私の前に現す御方、勧めcounselによる力強い御方です。     『手紙』52,1906[79]

 

10.なぜ、事実確認の時があったか

 F姉妹によって人々に語られた言葉のゆえに、特別な証に反対する人々よって好まれていた疑いと不審を私に告白した人によって、私は話しています。話題に出た一つの事柄は、個々人への特別な証について、ほかの人々が私に語ったことを神からのメッセージだと言って、私が人々に与えたということでした。私の姉妹、偽善と虚言を私に言っていることに気付いていますか。……

 一つの事例が、F姉妹によって話題に出されました。彼女は私に、G兄弟の家族のケースについて全てを語りました。主が私に示したように、彼女が私に語ったその事柄に、また、彼女が聞いた次の事に、私は関わっていました。

 私に書かせてください。私は、しばしば、知り合いになった人々と会う機会のある時に、家族や個人を示されています。牧師達や人々が悪の存在について何かの知識を持っているならば、私は「その家族は確かな目的のために立っていますか」という質問をしています。

 これは、G兄弟の家族に関わるケースの事実でした。私は、その証が事実によって具体化されるならば、見てみたいと思います。でも、与えられた情報は、その証を生じさせませんでした。近視眼的な見方でしたが、誘惑された魂はそれをこのように解釈するでしょう。

                     『手紙』17,1887[60]

 

11.誰が、パウロとホワイト姉に語ったか

 主からの一つの証が特別な間違いを生み出した時、そこには、しばしば、「誰がホワイト姉に語ったのか」という一つの疑問が出されています。この教会の信徒達の順境に迫ったその危機について、誰かがその使徒に心を打ち明けてその教会に特別な関心を持って当然なので、神の任命した働き人、パウロの時代にもそのケースが存在したに違いありません。そこには、語るためのひと時と、沈黙を守るためのひと時があります。もちろん、何かが為される必要があります。主が任命した働き人は、それらの悪を正す自分達の働きを失敗しないようにする必要があります。さて、これらの悪は存在し続けていました。そして、パウロはそれらを阻止するために為す働きを持っていました。……

 私達は、彼がその諸教会のその状態を彼の前に明らかにしたということを知っています。正される必要がある悪と、湧き起こるかもしれない悪、人々の悪化した個性/品性に対峙して対処し、断固として接遇し、その諸教会が維持されるように、神は彼にその秩序のためと考えられる[真理の]光と知識を与えました。主は、パウロに、与えられた神の[真理の]光によって証明されることを知らなければならないことと、対照的に湧き起こる事柄と、その教会で維持されるべき清らかさと、献身と、聖を啓示しました。

 

12.なぜ、事実確認が為されるのか

 いろいろな事柄が、一つの教会に関して私の知性にもたらされる時、時々、そこには、様々なフラッシュ(写真のような現れ)がありました。そのケースに関して、神が私に現した天からの特別な光がありました。また、この教会や家族、個人らに伝えることが私の心の重荷になっている時、私は、しばしば、その教会の中の事柄の状態を事実確認しています。そして、その教会を訪れる前に、その問題はすべて書き著されています。

 しかし、私は、様々なその証を証明する事実が欲しいと思っています。私は、神が自分に与えたその光/真理を取り出して明らかにする方法を知ることに負担を感じています。もしも、それらの誤りがある教会に明白に痛ましい影響を及ぼすならば、その教会を誤って導いた徴だという評判になるような例は、信仰を弱め、不信仰を強めるでしょう。また、為される必要のあるこの働きは、家族のプライベートや個人だけに制約されるのは良くありません。ですから、だます働きや誤った解釈によってだまされた人々の知性に、その有害さと光のフラッシュ[真理]がとどまるよう、この教会のすべての人に届けられる必要があります

 もう一度書きます。その人々の前で、私が説明する時に、過去に神から与えられた光が、私にフラッシュしています。また、私は、主の聖霊が語ったことによって、促されてきました。これが、私の利用してきた方法です。私がそれらの事例を書き出す前に、多くの事例を考察して、私は、ある事例がほかの人々によって理解されるかどうか、また、それらの影響がある教会に全体的に損害を与えると評価されるかどうかを知りたいと思っています。様々な質問が時々寄せられ、また、多くの人々であれ少数の人々であれ、また、それらの人々であれ、それらの事例を対処する方法を決めています。

 その事例が、個人的に扱われうるもので、ほかの人々が知る必要がないようなものならば、私は、その事柄を公にしないで、すべての人を正すことを可能にするよう強く望んでいます。

 

13.私は一人で、厳しい現実に立っています。

 私は、書いて伝えるための一つの意見を持っています。主が、私に何かの事柄や指導を提示している時、また、私が言われたことに関したことを生み出して伝えるためのメッセージを持っている時、私は、神が与えた私の最善の能力、聖霊によってガイドされて制された私の能力と同じ明瞭な神の意思と知性の現れは、ほかの人々に提示するために、私にすべての事柄をもたらすでしょう。私に与えられた特別に深刻な事柄について、私は、主が私にするようにと与えた私の仕事において、男性にも女性にも、誰にも、少しでも支配するためのどんな光も与えませんでした。

 21年前、私が、死によって夫を奪われた時、再婚の考えを軽視しませんでした。なぜかと言うと、神がそれを禁じていないからです。そうです。しかし、独りで立つことは、私に最善でした。神に属する私に委託された自分の仕事に向かって携わる私に、共に苦しむ人は一人もいないでしょう。叱責し励まし私の証を生み出して伝える私の仕事と私の責任の身元保証人となってどのような道にでも私を感化する権利を持てるような人は一人もいないでしょう。

 夫は決して私の道にそうするような立場を取りませんでした。私は、彼の同情と励ましと助けを得ました。彼の共感と祈りと涙の数々に、まったく、私は気が付きませんでした。私の立場を理解できる人はいないでしょう。でも、私の仕事は為される必要があります人間の能力は、「叱責や励ましをするように私に委ねた人々に自分の証を生み出して伝えるために、神が私に与えた働きだと、私が感化されている」という考え方を少しも与えないでしょう。

 私は、神が与えたその働きに関連したあらゆる道の困難な事柄の中で、苦境にあって独りでした。この世界の人々に、私によってなされるために存在している最後の働きは、間もなく終わるでしょう。私は、誤解されないことが可能ならば、一つのやり方で、簡潔に自分で書き著す必要があります。

 私には、自分の知性に何らかのメッセージを伝えてくれるような人、あるいは、私に一つの義務を負わせてくれる人は、この世界に一人の人もいません。F兄弟、いま、私は、あなたに次のように伝えるために存在しています。「主が、私に、あなたや誰かのために一つの重荷を委ねている時、あなたは、主が私にそれを与えているその方法とそのやり方で、それを行なっているでしょう」。          『原稿』227,1902[75]


 

9章 主の言葉と典型的なホワイト姉の判断

Defining Sister White's Judgment and the Word of the Lord

 

 

 

1.ホワイト姉の意見?人間の側の立場か、神性の側の立場か

 私の体験では何度も、頑な態度の人々に立ち向かうように呼び出されました。その人々は、「証」は神から来たものだと認めていましたが、「どの内容もホワイト姉の見解と判断だ」という立場を取っていました。このことは、誤りの指摘と訂正を好まない人々で、仮に、その考えが拒否されると、人間性と神性の間の違いを説明するための根拠を持っている人々にその傾向があります。

 ある人々の予想した見解や特定の考えが、誤りを立証する複数の実例によって誤りを示されると、その人々は、典型的なホワイト姉の人間的な判断の証と主の言葉の証の違いを識別して、自分達の立場を明らかにするためにすぐに任務に取り掛かります。その人々の好んだ考えを反映している全てのものは神性です。また、その人々の誤りを正すための複数の証は、ホワイト姉の見解としての――人間性です。その人々は、昔からのやり方で、神からの勧めの成果を何も作り出しません。 『原稿』16,1889(62)

 

2.それらの証の事実上の排斥

 あなたは、「ホワイト姉から伝えられるものは、すべてが主からのものではない。その一部は彼女自身の知性、彼女自身の判断で、それは、誰かほかの人の判断や考えよりも良くないものだ」と考えて、それらの内容を話しました。ここに、この内容に引かれていくほかの人々の魂と、あなたの魂を騙してあなたの疑いをひっかけるサタンの罠の一つがあります。私が気に入っているその一部は、神からのものです。しかし、私が自分の示す方法で厳しく指摘しているその一部は、ホワイト姉ひとりのものです。そして、それは、神聖な印鑑を押していません(and bears not the holy signet.)。あなたは、この方法によって、あなたを道徳的堕落から救い出すために送った哀れみ、神の思いやりのメッセージ全体を実質的に排斥しました。…

 私の背後に、あなたが今排斥し軽視し、無視したそのメッセージを促した主である一人の御方がいます。神を試すことによって、あなたは、あなた自身を困らせ、知性に混乱と盲目という結果をもたらしました。

                    『手紙』16,1888[62]

 

3.これは私の意見ではない

 私が、「単に自分の意見を書いただけだとH長老に見くびられた」というあなたへの長文の手紙を書いた後で、南カリフォルニア支部キャンプミーティングの間に、主は、ある制約の一部を取り去りました。それで、私がすることを書いています。主の聖霊が私に許した線を超えるといけないので、私はこれ以上言わないことにしましょう。

 私は教授の所を訪れた時、情報を得るためよりも、彼がその事柄の状態をどのように考えるかをもっと知るために、私は彼に用意したいくつかの質問をしました。私はその危機がやって来たと感じました。H長老と彼に協力した仲間達は、その光の中に立っていました。彼らは警告と叱責の声の意味を認識したでしょう。しかし、彼はそれを人間の働きだと言って、それを脇へ捨てました。彼が為しているその業で、彼は高められるというよりも落ちぶれを願っているでしょう(The work he is doing he will wish undone ere long.)。彼は、簡単には破ることができない網に捕らえられて動揺しています。これは私の意見ではありません。

 神の声として、あなたが認識する声はどのようなものですか。主が、あなたの道はこれだと示して、あなたの間違いを正すために備えているのはどんな能力ですか。この教会の中における働きのための能力は何ですか。あなたは、自分自身の道によって、主があなたに届けているにもかかわらず全ての王道を閉じてしまいました。主があなたに語るために働き人達から一人を呼び出すでしょうか。……

 バトルクリーク[教会]に送られた複数の証によって、私は、神が私に与えた光/真理をあなたに与えました。私が与えた事例の中に、私自身の判断や意見はありません。私は、自分自身の意見に打ち負かされることなく、自分に示されたことを全部書きました。あなたは、イスラエルの子らが何度も何度も行なったことを為しています。神の前で悔い改める代わりに、あなたは主の働きを拒絶し、そして、その原因を、主が送っている特別なメッセンジャーの譴責と警告の全てのせいにしています。

      『バトルクリーク教会のための証』pp.50-58,1882[55]

 私の知性ではなく、主の言葉によって、私の知性に表現させてください。

       『手紙』89,1899(Counsels to Writers and Editers,p.112)

 

4.サタンは識別すべきだと感じている人々を支援するだろう

 私は、「人間がつくり出したものであり神からの証である」と言う可能性があると思われる間違った考えを持った人々に向き合うためにする働きがあります。もしも、これらの人々がその道で働き続けたならば、サタン的な働き人達はそれらを選ぶでしょう。……

 「その証は神に属していて、ホワイト姉の言葉は霊感を受けていない」という自由を考えるように魂達を支援する人々は、惑わす働きによって悪魔を助けていたということがわかるでしょう。どうぞ、『証』No.33,page 211[『証』第5p.682]「強い指摘の受け方」をお読みください。

                    『手紙』28,1906[79]

 

5.神はその人々にどのように届けるか

 神の聖霊の証を人間の知恵よりも低い源としてみなし、その警告と譴責を捨てた人々に届けるために、主はどんな能力を備えていますか。その判断において、このことを為したあなたは何ができますか。その根拠から立ち返るために許しを神に申し出てください。主はあなたに、神はその働きの中に存在していたということを伝えたのではありませんか。

                    『牧師達への証』p.466


 

10章 霊感を与えられた一人のメッセンジャーとしての存在

 

 

 

 

 

1.神のメッセンジャーとしての体験の詳細

 半世紀の間、私は主のメッセンジャーでした。そして、私の命が続く限り、私は、神が主の人々()のために私に与えたメッセージを生み出して伝え続けるでしょう。私は自分に栄誉を与えません。私の若い時に、主は神の人々()に数々の励ましの証や警告、そして、譴責を伝えるために、私を主のメッセンジャーとしました。60年間、私は天のメッセンジャー達とコミュニケーションを取ってきました。そして、私は、神性の事柄を述べて、神がその光/真理によって人々の間違った道から魂達を光/真理に連れ戻すための働きを常にしている、その道を言及して常に学び続けてきました。

 多くの魂達は、私に与えられたメッセージが間違っている人々に恵みによって送られて、その人々が信じて助けられてきました。異なったクリスチャン経験の段階を必要としていた人々を見た時、私はその人々の現在と永遠の益になるように語りました。主が私の命をながらえさせる限り、たとえ、男性達と女性達が耳を貸さず受け入れずそして従わなくても、私は自分の働きを信心深く忠実に為すつもりです。私の働きは、実行するようにと明確に私に与えられています。私は従順な存在者として恵みを受けるでしょう。

 私は神を愛しています。私は、神の御子、イエス キリストを愛しています。そして、私は、神の子どもだと言っている全ての魂に強い関心を抱いています。私は、主が私の命をながらえさせる限り、忠実な管理者であるようにと決意しています。私は怠けず挫けないつもりです。

 数か月、私の魂は、サタンの詭弁[の影響]を受け、神が私に為すようにと与えたこの特別な働きと、この最後の世代の人々のために福音メッセージによる確信を打ち壊す様々な方法によって考えられるあらゆる解釈を作り出し、ほかの人々へその影響を及ぼしている[12]多くの人々の激しい苦悩のそばを通り越してきました。私は、主が、私に与えているこの働きを知っています。また、私が為した[働き]に落ち度はありません。

 私の体験によって、私の体と私の魂の上に、私が主に捧げた、神の力の奇跡的な働きの支えを常に受けています。私は自分自身のものではありません。私は、代価によって買い取られていて、私の味方をしている主の働きの保証のようなものを持っています。私は主の豊かな恵みに気付く必要があります。

 私は不平を言う理由がありますか。何度も、主は数々の病から私を回復させました。素晴らしいことに、主は私を支えてきました。私は決して疑うことができません。私は、主の特別な祝福の確かな根拠を多く持っています。ですから、私は疑うことを少しもしません。主は、私に多くの人々の前で主の真理を語る自由を与えています。多くの会衆の前に立っている時は私に授けられた特別な助けがあるだけではなく、私がペンを使って書いている時、不思議な表象が、過去・現在・未来について私に与えられています。                 『手紙』86, 1906(79)

 

2.与えられた言葉(tongue)と言葉遣い(utterance)

 自分の働きだと考えるように神が私に与えた全ての貴重な確信は、私にとってこれ以上に貴重なものではありませんでした。主は、私が行くべき所ではどこでも、言葉と言葉遣いを与えているのでしょう。重大な状況だった所において、言葉は全く沈黙させられました。私は、私達の教会の人々と群衆に簡潔なメッセージを語りました。私の言葉は、主から来たものとして受け入れられました。         『手紙』84,1909(82)

 

3.エレン・G・ホワイトのメッセージは何年も一貫している

 ある日曜日の午後の集会には、バトルクリーク教会に多くの市民が出席していました。人々は敬意を払いました。この集会で、私は自分の見解は変わらなかったという決意を述べる機会を持ちました。主の祝福は、語られた言葉を聞いた多くの人々の上にとどまりました。私はこう言いました。「みなさんは何度も彼女の話を聞きました。……彼女は何年も前、バトルクリーク教会の人々のために招かれた時、彼女は偉大な教師the Masterのために為す働きをいつも同じようにしています。彼女はその同一の教師から教えを受けています。彼女に与えられたその数々の教えは、「私があなたに与えたそのメッセージを書きなさい。この教会の人々はそれらを読むでしょう」でした。それらのメッセージは、神がそれを私に与えたものとして書き綴られました。        『手紙』39,1905(78)

 

4.エレン・G・ホワイトの啓示の神性の源にある彼女の確信

 私が立ち向かわざるを得ない闘いは何でしょうか。私の同志たちは、必要のない立場を取っている、と私を評価しているようです。彼らは、神が自身の知恵によってうまく否定や反論できないことを私に啓示したことを見ていません。私に表されたことと私の魂の便箋tabletsに与えられた霊感は消しゴムで消すことはできません。反対者や、私に強いるだけで、私の証の成果をなきものにするために言葉尻を取り上げるすべての人々は、神の聖霊に、光/真理に立つように、強く決意を何度も促され、強く迫られることによって、神が私に与えたその能力のすべての力を明らかにしました。                  『原稿』25, 1890(63)

 

5.脅威に積極的に立ち向かう

 サタンは、自分の誤った理論/神学を持ち込み、感情の混ざった意見が真理だと主張し続けるでしょう。そそのかす霊/精神spiritsが働きに存在しています。神の人々()を騙して誘い込もうと悪の目的に仕えて私の書き物を利用して、いくつかの光/真理を否定するその脅威に積極的に立ち向かうために、私は存在しています[13]。神は、私に与えたその数々の証を表すようにと、神が正当性を立証した証をするために、サタンの詭弁の痕跡を暴露するために、私の人生を備えました。ある事柄は、可能ならば特別に選ばれた者達を騙すために、霊的なこじつけによってほかの者が続くでしょう。                  『原稿』126,1905,78

 

6.妨害によっても動かされない

 最悪の非難が私に為されるでしょう。しかし、それは、私の任務missionや仕事をなきものにしないでしょう。私達は何度も何度もこのことと立ち向かってきました。主は、私がまだ17歳だった時にこのメッセージを私に与えました。……伝えるために、主が私に与えたメッセージは、光から光へと、まっすぐに、真理から前進する真理へ、前へと前へと進みました。

                           『原稿』29,1897,70

 

7.「預言者」という肩書を主張しなかった

 [1904102日のバトルクリーク教会での]講話の間中、「私はこれまでに預言者の一人であるとは言いませんでした」と話しました。ある人達はこの言及に驚き、そして、そうだと思うと言った人が大勢いました。私は一つの説明をするつもりです。ほかのある人々は私のことを預言者の一人と呼びました。しかし、私はその肩書を想定していませんでした。私は、現在、このように、自分自身を指名することが私の義務だとは考えませんでした。大胆にも、預言者だと想定している人々は、キリストの[人類を救う]目的にしばしば、恥と汚点として存在しています。

 私の仕事はこの名称を意味する以上のものを含んでいます。私は、自分を主の人々()のためにメッセージを主によって委託されたメッセンジャーの一人として見なしています。     『手紙』55,1905,88

 

8.預言者の働きとそれ以上[の働き]

 私は、現在、それ自身の本性とみなされるものと想定して繫がる人々によって、自分の仕事を妨げられないようにと教えられています。それらの人々の知性は、預言者の働きと考えられたものにつながって入り組んだ多くの問題と奮闘しています。私が委託された任務は、預言者の働きを含んでいます。しかし、それはそこで終わっていません。それは、不信仰のタネを蒔いてきた人々が理解できる以上の知性を含んでいます。

 『手紙』244,1906,88(バトルクリーク教会の長老へ。SM1,pp.34-36)

 

9.自己弁護しない

 私の心は、J兄弟とK兄弟が取った立場によって、とても悲しんでいます。……あなたは「あなたに降りかかるこの結末は何ですか」と尋ねるかもしれません。魂の悲嘆、悲しみだけでしょう。イエスに平安と最適と、希望があるでしょう。私自身の正当性や立場や任務missionのために、私は10の言葉も口にしないつもりです。私は自分の働きの根拠を示すようにと求めないつもりです。「彼らの実によって、汝らは彼らを知るでしょう」(マタイ7:20)。               『手紙』14,1897,70

 

10.神と共に結果を残す

 私は、時々、夜の間に心がとても苦しくなりました。ベッドから起きて、部屋を歩き回り、その重荷を生み出した私を助けてと主に祈って、そして、主が私に与えたそのメッセージを人々が信じないことは真実だと言っています。私がこの重荷を主に委ねることができると、私は確かに重荷がなくなっています。私は、表現することのできない平安を楽しんでいます。私は、永遠の腕によって支えられたかのように、高く揚げられて、そして、私の魂に平安と喜びを感じています。

 私は、[人々に]言い表された不信仰や考えと信仰の否定、困惑などを消し去る試みをしていない、と何度もなんども、思い起こしています。私は、落胆させられるために存在していません。私は、権威ある主の言葉を語るために存在しています。その時に、すべての結果を主に委ねています。

 私は、人々が聞くことを望むかどうか、また、人々が最初に伝えようとする人かにかかわらず、主が私に与えた言葉を語るようにと、最も偉大な医者によって指導されています。私は、何の成果がなくても語るように、また、神、主ヤハウェ(hwhy)は、主が私に与えたこの働きをして、私が主の愛のうちに憩うならば、なおさら、完全な平安のうちに私を守るでしょう、と言いました。               『手紙』146,1902,75

 

11.巻き込んだ人々に知られただけでは、罪は告白されない

 あなたの兄弟達や多くの人々は、あなた自身と主が知っていることを知らないでいます。……私は、真理を信じていると告白している人々の罪を公表しないと決心しました。しかし、彼らが告白するという事柄は残されています。                『手紙』113,1893,66

 

12.E.G.ホワイトは与えられたメッセージによって人を益した

 私は大会衆に話したいと思っています。そのメッセージは私個人から出たものではなく、主が言葉で私の知性に印象を与えたものです。私は、一つのメッセージと共にその人々の前に立つ時、私一人ではありません。その人々の前に立つ時、その福音の最も素晴らしい事柄が私の前に表されるように思います。そして、私はその福音メッセージを携えて、どの人の心も豊かに御言葉で養うでしょう。その説教は、私に善を為しています。私は毎回新たな説明を受けていて、私は、その会衆に話すために自分の口を開いています。

 私は、キリストの恵みのもとに呼び出されていることを知っていて、その特権に関与していて栄養を与えられ生き生きとしているので、自分の任務missionを少しも疑うことができません。いつも、私は、人々をその真理に向かわせ、その関心をキリストが私達のために得ることを可能にした永遠の命に向けています。私は、神との義認と一致によって、神の人々()の味方として、神の力と愛と恵みの最も素晴らしい発見をしています。

                      原稿174,1903(76)

 

13.神のメッセンジャーの存在としての特権

 私は、主がほかの人々に貴い真理を伝えるために、そのメッセンジャーの存在としての特権を私に与えたことにとても感謝しています。

                     『手紙』80,1911,84

 

14.エレン・ホワイトの死後、証を続ける彼女の著作物

 私は、紙にこの証を書くために存在しています。イエスに会って眠りに就くでしょう。その真理の証はこれからも生み出されるでしょう。

                     『手紙』116,1905,78

)終わりまで語るため

 豊富な光/真理は、この最後の日々に生きる人々、私達のために与えられました。私の命があってもなくても、私の証はいつも語るでしょう。そして、その証の働きは時が終わるまで前進するでしょう。私の著作物は保管室のファイルに保存されています。私が生きていなくても、主によって与えられたそれらの言葉はずっと命を持っていて、主の人々に語るでしょう。

             『手紙』371,1907,80歳(SM1,p.55参照)

2)預言者の死後に威力が存在するメッセージ

 体力的に、私はいつも壊れた花瓶のようになりました。そしてまだ、老年ながら、主は私に、主の聖霊によって、この教会と世界の人々にこれまでに出た最も重要な著書を書くようにと働きかけています。主は、弱った花瓶によって主が為すことのできる根拠を示しています。主が保っているその命、私は主の栄光のために使うつもりです。そして、休息に入るにふさわしい私を主が見る時に、主のメッセンジャーは、生きていた時、メッセージが届けられ人々を通して、老齢でひ弱な主の手段となった時、もっと、生き生きとした力に満たされるでしょう。  原稿122,1903(76)


 

11章 特別なメッセージの反響

 

 

 

 

 

1.励まし、注意、過失への叱責のメッセージ

 半世紀の間、私は主のメッセンジャーでした。そして、私の命が続く限り、私は、神が主の人々()のために私に与えたメッセージを生み出して伝え続けるでしょう。私は自分に栄誉を与えません。私の若い時に、主は神の人々()に数々の励ましの証や警告、そして、譴責を伝えるために、私を主のメッセンジャーとしました。60年間、私は天のメッセンジャー達とコミュニケーションを取ってきました。そして、私は、神性の事柄を述べて、神がその光/真理によって人々の間違った道から魂達を光/真理に連れ戻すための働きを常にしている、その道を言及して、常に学び続けてきました。[10章の1再掲]         『手紙』86,1906(79)

 

2.ある人は受け取り、ある人は拒否

 私は、与えられた真理の光が人々の考え方と一致していなくても、助けられる人々のために為す働きを持っています。その人々は、神からの光/真理を認めるでしょう。人々はその働きの実を持っているからです。主は、[私の生涯の]後半の45年間に主の謙虚な手段として為すことを喜びました。人々はこの働きが主に属するものであることを認識し、それゆえ、自分達の考えが正され、行動の方向を変えることを望みました。

 しかし、自分達の考えを保って維持したいと望んだ人々は、自分達が正されるので、ホワイト姉は、自分達の考えと調和しない……益にならないような行動の確かな方向をとるように感化されている、と結論付けました。私は、特に危機的な反対者の地でそのような友人達をなんらかの価値ある人と考えていないつもりです。今、あなたは私の心に残っています。私は、不細工な方法で神の働きを為そうとは思いません。私は、義務は何かということと、神の聖霊と調和して動くことを知りたいと思っています。

                     『手紙』3,1889[62]

 

3.神からのメッセージとしてのエレン・ホワイトの手紙

 あなたは、主が自分に与えるための手紙を私に与えたのかどうかと尋ねています。私は、主がそうしたのですと言いましょう。イスラエルの聖なる神は、あなた方の罪に奉仕しないでしょう。そのメッセージは神から与えられたものです。もしも、あなたが、そのメッセージが与えられてから、罪をなすことについて新しい考えを持ったならば、また、あなたが、主のおきての違反者という立場から、神の子に真の改心をしたならば、その時、私以上に喜ぶ人はいないでしょう。        『手紙』95,1893[66]

 

4.公に知られた証の信憑性

 私は、正午前に[カリフォルニア州ブルームフィールド]で、ある人々が持っている品性/個性の欠点を取り除く必要性について話をしました。その人々は、主が現れる時に、欠点のない者として神の子らの前に立てるかもしれません。その集会には態度に現れた強い感情がありました。私は数人と個人的に話し合い、私が示されたその人々のケースの間違いを指摘しました。その人々は皆、応答しました。大勢の人が涙を拭って、自分達の罪とその証の信憑性を告白しました。 『手紙』7,1873[46]

 

5.予想された立場を光によって解釈する

 多くの人々が予想した意見を、私が光によって書いていると解釈する人々がいます。あなたはこの意味を知っています。理解の相違と意見の多用性が、確かに結果として存在しています。

 私がとても苦慮して向き合っている人々によって理解されている一つの書き方の方法は、私が解決することのできない問題の一つです。なおさら、私は書くことに努力するつもりです。知性から知性へと感化を及ぼしている、これらの誤解している人々は、ほかの人々を誤解に導く可能性があります。誤解によって、その人々は、私のペンから出た内容の上に立っています。ある人は、自分の考えと一致するようにするべきだという考えでそれらを理解しています。ほかの人は、書かれた内容に、自分の構想を置いています。混乱が確かに結果として存在しています。

                     『手紙』96, 1899(72)

 

6.一部的な受け入れ

 何か月も、2、3夜を除いて、私は、1時を過ぎても眠りに就くことができませんでした。母親が息子に願うように……、あなたに訴えて、私はあなたやほかの人達と会話をするように座っていることに気づきました。

 あなたは、確かに驚きました。私は、あなたがそうであるよう期待した時、あなたにわかりやすく定められた方法で書いています。でも、これについて、私は為す必要があります。私はキリストの恵みの管理者をさせられています。また、私は主のためにこの任務をする必要があります。あなたは自身でよく納得したと考えているかもしれません。あなたは、自分のケースを私に説明するのを拒むでしょう。ある人は今日これを行なっています。……

 これは、その人々の[益の]ために指摘された時でも、男性達と女性達が自分達の失敗や間違いをいつも見ようとしない理由です。その人々は、自分達の計画や方法を変えなければならない、その人々の品性の形成がまったく異なったものでなければならないというメッセージが来るまで、彼らに来る様々な「証」を信じていると言っています。その代わり、嵐や暴風雨はその基を吹き払うでしょう。その時、かの敵は、その人々を自分自身で義とするように誘惑しています。

 このメッセージを読んだ後で、あなたはたぶん「これはそうではない。私はここに書かれたようなものではない。誰かが私についてのむだ話をホワイト姉の知性に満たした」と、言うように誘惑されるでしょう。しかし、私はあなたに「主の名によって書かれたこの言葉は神から来たものです」と言いましょう。もしも、あなたがその問題の処理についてこれを選ぶならば、あなたは、主がその奉仕者達に為すように与えた働きによって自分の信仰の価値を示しています。       『手紙』13,1902(75)

 

7.食欲を甘やかすことへの譴責の一部

 「証」の一部を神のメッセージとして確かに受け入れると明言する信徒達がいます。一方、その人々は、食欲を甘やかすことを譴責する一部を拒否しています。その人々は、この教会の福祉と自分達の福祉の反対の働きをしています。私達が光/真理を持ちつつ、私達がその光の中を歩んでいるということは極めて重要なことです。    『原稿』71,1908(71)

 

8.メッセージを軽くあしらう

 私は、しばしば、教会の人々の前で話している時に、話す事柄を前もって用意していません。神は、人々の魂の益のためにかなうと思う時に、譴責、警告、または、励ましの言葉を私に与えるでしょう。私は、それらの言葉を話します。そして、その人々は、私がその真に愛し尊重している私の兄弟[姉妹]達の行く手を遮るでしょう。

 私は、信徒でない人々によって誤解されて、これらの言葉が誤って伝えられたと推測しています。そして、それは私には驚きではありません。でも、私の兄弟[姉妹]方、私の任務と私の働きを熟知した人々が取った態度は、神が伝えるために、私に与えたメッセージを軽くあしらっていて、主の聖霊を悲しませています。

 私は次のようなことで落胆しています。その人々が、その証の中の一部を取り上げる時、その人々の活動の行く手を正しくするために組み立てて満足した印象を与える時、神の声としてその一部を受け入れる時、行く手に譴責をもたらすほかの証が届いた時と、それから、意見と判断に一致しない言葉が語られた時に「ええ、これを私達は受け入れません。また、それは私の意見やほかの誰かの意見より良いものではありません」と言って神の働きに敬意を払わない時、それはホワイト姉の意見に過ぎません。

                      『手紙』3,1889(62)

 

9.人間的な判断が置かれた言葉に注目する

 私は死ぬ運命にあるという事実について敏感になっています。そして、私は、自分の身体的・知的・道徳的能力を保護する必要があります。[伝道]旅行によって、必要とする所からまた別の場所へと常に移動していることと、私が行った所ではどこでも、公衆への講演が定着していることは、私にとってとても負担となりました。加えて、執筆活動で、主がその聖霊によって私の知性の中で働いた時に、私は夜も昼も備えてきました。

 また、私が「これらの伝達は、誰かによってそれらを受け入れる人間的な判断に一致して取り扱われるだろう」という根拠を持って集会にいる時、私は、ある人々が自分の立場を守るために自分の解釈の基にすることができ、行動の間違った方向を正すために、私のペンによって書かれたいくつかの言葉を強く注目していることに気づいた時、――これらの事柄を考えると、それは、執筆を続けることの勇気を挫くものです。

 誤りを明かされたある人は、自分自身の言葉によって潔白を証明するあらゆる言葉を使いました。言葉の捻じ曲げ、見て見ぬふり、説明を偽る、誤用などは驚くほど素晴らしい。人々はこの働きに共に繫がっています。人はほかの人の知性が提供していることについて考えないものです。

                     『手紙』172,1906(79)

 

10.御言葉と証のこじつけ

 キリストの教訓は、しばしば誤解されています。主がそれらをわかりやすくしなかったからではなく、ユダヤ人たちの知性、現代の人々の中で、信じていると言っている多くの人々の知性が偏見に満ちているためです。キリストは、律法学者とパリサイ派の人々をそばに呼びませんでした。彼らは主を嫌って、主に反対しました。主の尽力を妨害しようと努め、主の言葉の効果をなきものにしました。

 なぜ、人々は真理を見ようとせず真理に生きようとしないのでしょう。多くの人々は自分の考えが正され証明される目的で御言葉を研究しています。その人々は、自分の意見に合うように神の言葉の意味を変えています。このようにして、主が送った「証」もまた同じようにしています。その人々は、もしも、引用した部分が、自分達の間違いの理由を示しているならば、文章の半分を引用して、その半分を取り去っています。神は、自分達の思い描く考えと合わせるために御言葉を捻じ曲げる人々と一つの論争をしています。                『原稿』22,1890 (63)

 

11.捻じ曲げられた言葉と誤解

 特別な光/真理を持っても、その光の中を歩まなかった人々がそれを理解することは、私にとって不可能に思われます。私が個人的な会話の中で話すことができることは、聴衆が知性と精神を清められて、それが意味を持っていて、それが正反対の意味をなす時に、何度も繰り返すことでしょう(What I might say in private conversations would be so repeated as to make it mean exactly opposite to what it would have meant had the hearers been sanctified in mind and spirit.)

私は、友人達にさえ、語ることを恐れています。私は、後で、「ホワイト姉はこう言った。ホワイト姉はそういった」と聞いています。

 「主は、私に大勢の集会を続け、個人的な面談を断るように期待しているという結論になっている」と、私の言葉が捻じ曲げられ誤解されています。私が言っていることは、曲解された光のように伝えられています。それは、新しいもので、私には奇怪なものです。人々の考えを支持するものには、人々の言葉が混ぜられています。   『手紙』139,1900(73)

 

12.最初からの私達の中の一つの声

 私達は、キリストの王国の忠実な民の一人として、あなたの立場とあなたの側の活動を主の側に取るように、あなたに呼びかけています。知識の賜物は、地球歴史が閉じられようとしている日々に、神の人々()のガイダンスのためにこの教会の中に置かれました。初めから、神のこの教会は、忠告と指導、勧めのための生きている一人の声として、教会her midstの中に預言の賜物を持っていました。

 私達は、第三天使のメッセージの働きに関して最後の日を迎えています。サタンは自分の時が短いのを知っているので力を増して働くでしょう。同時に、私達には聖霊のほとばしりによる多様な作用が聖霊の賜物を通して届くでしょう。これは、後の雨のその時です。『手紙』230,1908[71]

 

13.保護の防壁が取り去られる

 かの敵は、「証」の中にいる私達の教会の人々の信仰を不安定にするために熟練した取組をしています。それらの誤りがこの人々の中に来た時、その人々は聖書によって全ての人の立場を証明するために主張しています。しかし、彼らは御言葉を誤解しています。その人々は、かつて、偽りを証明するために御言葉と預言者達を誤用したキャンライト長老[14]がしたように、大胆な主張をしています。また、この人々は「証」による私達の教会の信用を弱めて自分達の働きを終えた後で、防壁を取り去りました。この真理の中の不信仰は拡散されるようになるでしょう。そこには、もはや、間違いの力を止めるために挙げられる声は存在しないでしょう。

 これは、それがそこに存在するようにまさにサタンが意図したものです。神の聖霊の証の譴責や警告に注意を払わない人々に道を備えていたそれらの人々は、あらゆる種類の間違いが命の中に湧き出してふりかかるのを見ることになるでしょう。その人々は、御言葉を自分達の根拠として主張するでしょう。あらゆる形態によってサタンの惑わしが流布されるでしょう。

                    『手紙』109,1890[63]

 

14.サタンの誘惑と惑わしからの安全

 人々は、計画schemaから計画へと発展させるでしょう。そして、かの敵は、その真理から魂を堕落させようとするでしょう。しかし、ホワイト姉を通して語った主、メッセージを彼女に与えた主を信じる人々はみな、最後の日が来る時に、多くの惑わすものから安全に守られるでしょう。

                      『手紙』50,1906[79]

 

15.あなたが背いているのは私ではなく、主

 私は、私が愛する人と私が奉仕する主、あなたと主イエスへの自分の義務を果たそうとしてきました。私が生み出してあなたに伝えた証は、間違いなく、私の主によって私に現されたものです。私は、あなたがその与えられた光を拒絶したことを悲しんでいます。……

 あなたは、まさにあなたが精神的・霊的に立っている所にあなたに示した大いなる憐れみの主、自分の主に背いていませんか。主は、その心のすべての目的を知っています。主によって隠されたものは何もありません。あなたが背いているのは私ではありません。あなたがとてもつらい思いをしている相手は、私に対してではありません。それは主です。主は私にあなたに生み出して伝えるためのメッセージを与えました。

                    『手紙』66,1897(70)

 

16.「証」によって信仰を放棄する

 一つの事柄は確かです。サタンの旗の下に立ったセブンスデー アドベンチスト達は、神の聖霊の証に含まれていた譴責を警告によって、まず、自分達の信仰を放棄するでしょう。

 存在している大いなる献身と聖なる奉仕への招きは、なされて存在し、なされていくでしょう。         『手紙』156,1903(76)

 

17.典型的な二つの例

) 感謝して受けた個人的な証

 私達は[1892]1212日に戻りました。翌日の夕方に、フォークヘッド兄弟が私に会いに来ました[15]。彼のケースの重荷が私の知性にありました。私は、彼に、「私は彼と彼の妻のためのメッセージを持っています」と話しました。私は、それらを何度か送る用意をしていました。でも、私は主の聖霊によってそうすることが禁じられたと感じました。私は、彼らに「会うことができた時に面会の約束をできますか」と尋ねました。

 彼は、「私は手紙が送られない方が嬉しいです。私はどちらかと言うとあなたの口からメッセージを聞きたいです。それは、ほかの方法で来たことを私は考えませんでした。それは私にどんないいことをしましたか」と答えました。彼はさらに、「なぜ、そのメッセージを今私に与えないのですか」と尋ねました。私は、「あなたはそれを聞くために残ることができますか」と言いました。彼はそうするだろうと応じました。

 私はその日、ある学校の終業式に出席したので、とても疲れていました。でも、今、私は横になっていたベッドから起き出して、3時間、彼のために読みました。彼の心は和らいできました。涙が両目に浮かんでいました。私が読み進めた時、彼は「私は全ての言葉を受け入れます。その全ては私に属したことです」と言いました。

 その内容の多くについて、私は[オーストラリアの]エコーオフィスと最初からのその運営に関係したものを読みました。主は、さらに、フリーメイソンと繫がっているフォークヘッド兄弟を私に啓示しました。私は、わかりやすく説明しました。彼がこれらの結社に彼を繋がって全てを縛られて仕えている限り、彼は自分の魂を失うでしょう。

 彼は「私は主があなたを通して私に送ったその光を受け入れます。私はそのように行動しましょう。私は5支部会員の一人です。ほかの3支部は私の支配下にあります。私はそれらの運営の全てを担っています。今から、私はそれらの集会に一切参加しないでしょう。可能な限り、すぐに彼らと私の運営の関係を切ります」と言いました。

 私は、自分をガイドした者が、それらの結社について語った言葉を繰り返しました。私をガイドした者が確固とした行動を与えました。私は「自分に与えられた全てに関われません」と言いました。フォークヘッド兄弟は、ダニエルズ長老とほかの人々に「私は入会した[フリー]メイソンの最高幹部にだけ知られた特別なしるしを与えられました」と言いました。彼は「私は、そのしるし[が特別だということ]を知りませんでした。私が彼に与えたしるし[が特別だということ]を私は気づいていませんでした」と言いました。これは、彼にとって特別な根拠でした。主は彼の魂を救うために私を通して働いていました。[訳者:彼女は1891-1900年の間オーストラリアにいました。SM213章を参照]        『手紙』46,1892(65)

2)キャンプ地でのA兄弟と訪問者

 [ミルトン、ワシントンキャンプミーティングでの]私達のテントの中で、私は私達の兄弟のそばに何人かに来てもらいました。そして、その人々の行く手に関して、私が3年前に書いていたある内容を読みました。その人々はSDA全体総会に約束して、全てを元に戻しました。私はそれらを真剣に明らかに読みました。そして、「証」を指摘しました。しかし、ここにはトラブルがありました。その人々は「証」を信じることに責務を感じませんでした。L兄弟は、アイオア州ラポートに住んでいた時に、マリオン派[16]の一人でした。これらの住民達と共に[働きを]することは不可能でした。そこでは、牧師がおらず、メッセージもなく、その人々は自分の判断を尊重していました。どのように人々に伝えるのかその方法は疑問でした。その人々は未信者でしたが、また、その人々は「証」の全ての言葉を信じていて、また、警戒心を持っていました。私達にできるのはただ祈ることと、その人々のために働くことでした。

 [188467日の]安息日の早朝、私が集会に行った時に、主は私にその人々への直接の証を与えました。その人々はみな私を敬いませんでした。私は、「証」を注ぎだして、主が自分の牧師達を一つのメッセージと共に送ったということを示しました。彼らが持ってきたメッセージは、神がその人々に届けるために雇用したという意味でした。しかし、その人々はそれを破棄して捨てるのは自由だと感じていました。神の言葉を効果のないものにしました。……

 714日の安息日、私達は思い出せるような長時間の集会を持ちました。安息日の午前中、[J.N.]ラフボロー長老が語りました。私は午後に語りました。主が私を助けました。その時、私は人々が前に進むように呼びかけました。30分、応答の時間がありました。人々は最も若い男性と女性、老男性と老婦人で、私達は最も貴重な集会を持ちました。この真理から離れ去っていたある人は悔い改めて、また、懺悔して戻りました。多くの人々は初心の時に戻って始めました。主、自身がそこに存在していました。これは、偏見を打ち破り、心が打たれた証が生み出されたように思えました。私達は休憩時間を取りました。それからまた、始めました。そして、実りあるそのよい働きは続きました。……

 金曜日の午後、私は3年前に書いた重要な内容について読みました。これは神に属することの知識でした。その証は、心から受け入れられ、悪事を働く人々に大きな価値を作りました。   『手紙』19,1884[57]


 

第三部 エレン・G・ホワイト著書紹介の準備

 

はじめに

 エレン・ホワイトの生涯のほとんどは、一般大衆の要請と主の人々()のために、神が彼女に与えたメッセージを伝えた著書の準備に費やされました。ホワイト遺稿管理会のファイルは、この働きの詳細について彼女の23の言及を適度に含んでいます。しかしながら、彼女と共に働いたほかの人々はもっと十分に書きました。彼女の比較的に少ない論述は彼女の働きの心掛けの中に、私達をとりこにしています。私達は、ここに、『SDA教会への証』と「各時代における善と悪の大争闘物語」に現れて彼女が書いた著書、特に『善と悪の各時代における大争闘』と『救い主 各時代の希望』、これらの適当な準備と出版のための記事のいくつかを提示しています。

 「各時代における争闘物語」の様々[な内容]を組み合わせた初期の著作物は二度三度と拡大されて以来、それは、長い間続く争闘の出来事eventを描くエレン・ホワイトの働きを正確な年代順を提示することが不可能です。旧新約聖書以後の歴史にかかわらず、「善と悪の大争闘物語」の一部として、エレン・ホワイトはこの物語の全ての部分を考えたということは注目される必要があります。

 彼女の文筆アシスタントの働きを説明する記事は、この第三部の最初を成している章に含まれています。ほかの章は「キリストの生涯」の著書の彼女の作品につい紹介しています。その中で彼女は、1890年代にマリアン・デイビス、1876年に彼女の姪によるアシストを受けました。

 エレン・ホワイトの息子のウィリアム・ホワイトは1881年の後の彼女の本の製作で彼女に協力しました。その年にジェームズ・ホワイトが死去しました。いくつかの状況で、彼は、本の準備の中で、彼の母親の働きについて彼の初期の知識で書きました。彼のペンでいくつか光を当てて言及しているものは、マリアン・デイビスのペンによるものと同じく、補遺の中にあります。

                   エレン・G・ホワイト遺稿管理委員会


 

 12章 エレン・G・ホワイトの文筆アシスタント

 

 

 

 

 

1.ジェームズ・ホワイトとそのほかの人の手伝い

 私の夫が生きていた間、彼は私に与えられたメッセージを送り出すためのヘルパーとカウンセラーの役割を担いました。私達は遠くに[馬車で伝道]旅行をしました。時々、光[フラッシュ]は夜の間、時には昼間に、大会衆の前で私に与えられました。幻の中で受けた指導は、その働きのために時間と知力を注いだ時に、私によって正確に書き記されました。その後で、私達はその内容を一緒に調べ、夫は文法的な誤りを正し、不必要な繰り返しを削除しました。それから、それは、受け取る人々や印刷する人用に、慎重に書き写されました。

 この働きが進展するにつれて、ほかの人々が、出版のための内容を準備して、私に手伝いました。夫が死んだ[1881]後、信頼のおける助手達が私[の働き]に繫がり、証を書き写す仕事と出版のための記事を準備する仕事をして、たゆみなく働きました。

 しかし、私の助手の誰かが、私が書き出した特別なメッセージの意味を変えることや内容を書き加えることを許されている、というあるうわさが広まっていますが、それは真実ではありません。

                『手紙』225,1906[79]SM1,p.50

     『SDA教会への証にない書き物と伝えられたもの』1913,p.4

 

2.1873E.G.ホワイトの不備に関する考え

 今朝、私は自分の書き物を率直な考え方で取り上げてみました。夫は、印刷者用にそれらを準備する私を助けるには、あまりにも衰弱しているので、私は、現在、それらのために何もすることがありません。私は学識者ではありません。私は、印刷者のために自分の書き物を準備することができません。私はこのことをすることができるまで、もう、何も書かないつもりです。私の原稿をほかの人々の負担にすることは、私の義務ではありません。        『原稿』3,1873[45](日誌1873.1.10

 

3.彼女の文筆技術の上達のための確信

 私達は、昨夜、よく休みました。今日の安息日の朝は、暗い気持ちで始めました。私の知性は未知の結論へと近づいています。私は、自分が学識者になることができないことが分かったならば、この上ない喜びとした自分の書き物を捨て去るべきだと考えています。私は文法学者でもありません。もしも、主は、45歳の私がその文法の学識者になることを助けるのならば、私は試してみましょう。神は、私を助けるでしょう。私は主の御意思を信じています。        『原稿』3,1873[45](日誌1873.1.11

 

4.1894年、欠点の認識

 今、私は、わかりやすくするために気を配って考えているあなたが、間違っているかもしれないと心配している、とても不完全な表現の問題を取り除く必要があります。私は稚拙な著者で、神の偉大さや深遠な未知をペンや声で表現できないので、どうか、神がその理解を進められるように。どうか、あなたのために祈り、私のために祈ってください。

                    『手紙』67,1894[67]

 

5.その著作物の中の変更について間違いを証明する報告

 以前、私の書いた物を書き写す助手達に、あなたは会いました。その人々は私の言葉を書き換えていません。それは私がそれを書いた時のままの状態です。……

 私の仕事は、1845年以来、教会や伝道地の中にありました。それ以来、私はペンと声で働いてきました。私に与えられる光/真理を受けた時、私に光が増してきました。私は、私達の教会の人々にプレゼントしたい旧新約聖書のとても多くの光を持っています。   『手紙』61a,1900[73]

 

6.出版済みと未出版の全ての書き物の最終的な読み

 私は、まだ、かつてのように活動的です。私は少しも老いぼれていません。私が何年も前にしたように書くことも話すことも、私は十分に働くことができます。

 私は、書き写された文章のすべてが原文と同じであることを確認するために、すべてを読んでいます。私はその本の原稿のすべてが印刷所に送られる前に読んでいます。私の[1日の]時間はたいそう仕事に占有されているので、あなたは、それを見ることができるでしょう。執筆活動のほかに、私は各地の教会で話をすること、重要な会議に出席するように招かれています。私は、主が私を助けていたということがないならば、この働きをすることができないでしょう。           『手紙』133,1902[75]

 

7.マリアン・デイビス(18471904)の働き

1)信頼のおけるアシスタントの一人マリアン・デイビス

 マリアンは、おおよそ25年間、私と共に過ごしました。彼女は、私の本を作成するための内容の手はずを整えるチーフワーカー(主任)でした。彼女は、神聖な内容が彼女の手中にある間、ずっとその著作物を正しく認識していました。そして、彼女がこの働きを成し遂げて受けた慰めと祝福、彼女の健康とこの働きをするという彼女の生涯を、しばしば、私に語ったものでした。彼女は、ずっと、彼女の手中にあった神聖なものを処理してきました。私は彼女のその多くを懐かしく思います。彼女のその立場を代わって果たせる人が誰かいるでしょうか。  『原稿』146,1904[77]

2)マリアンは私の本の作り手

 マリアンの働きは[ほかの]助手達とはまったく異なっています。彼女は私の本の作り手です。ファニー(ボルトン)は、私の本の作り手ではありませんでした。私の本はどのように作られていますか。マリアンは承認として、自分の主張を入れることをしません[17]

 彼女は自分の働きを次の方法で行ないます。彼女は雑誌に出版された私の記事を集めて、白紙の本に糊付けしています。彼女は、私が書いた手紙の全ての写し書きを持っています。1冊の本のための1章を準備して、マリアンは、私が書いた要点をいくつか覚えています。それは、より説得力のある内容を作るでしょう。彼女は、このための調査を始めます。そして、彼女がそれを見つけた時、彼女は、それがやがてもっと明確にその章を構成することを知っています。

 その本の数々は、マリアンが書いて作り出したものではなく、私の書き物のすべてから集められ、私自身が書いたものです。マリアンは描き出すための多くの語彙を広く持っています。その内容を編集するための彼女の能力は、私にとって、大きな価値があります。それは、私がするための時間がなくて、多量の内容を熟考し過ぎる私を守っています。

 あなたはわかってくれるでしょう。マリアンは、私の著書をもたらす、私にとって最も価値ある助け手の一人です。ファニーはこの働きについて、することは何もありませんでした。マリアンは自分のために数々の記事を読みました。そして、ファニーは、その内容に関して構成する時に、時々提案をしました。

 これが、その働き人達の間の違いです。私がはっきりと述べた時、ファニーは私の言葉を自分の言葉に変えることを厳しく禁じられました。天の働き人達によって語られた時、その言葉はそれらの簡潔さによって厳格です。私は、語られた全ての言葉を子どもでも理解することができるような、簡潔な言葉の中に思想を置くように努めています。誰かほかの人の言葉は、私を正しく代表しないでしょう。

 私は、あなたがその内容を理解できるように十分に書きました。ファニーは、自分が私の本を作ったと主張するでしょう。でも、彼女はそのようにしませんでした。これは、マリアンの仕事の分野にありました。そして、彼女の働きは、ファニーが私のためになしたどの働きよりも、はるかに進歩したものです。            『手紙』61a,1900[73]

3)『父祖達と預言者達』1889の働きの間のマリアンの用心

 ウィリー(W.C.ホワイト)は、神の[人類救済]目的のための手際のよい働きをよりよくする方策と計画に早朝から遅くまで向き合っていました。私達はテーブルに着く時だけ彼を見ています。

 マリアンは、彼女が自分で処理できそうに見える小さな問題の処理のために彼の所に行っています。彼女は、神経質で、駆り立てられた状態です。彼はできる限り忍耐心を保って、苦虫を噛み潰したような表情をしています。私は彼女と話し合いをして言いました。あなたは、ウィリーの所に持って行った多くの事柄を自分自身で処理する必要があります。

 彼女の知性はあらゆる点とその繫がりに注がれていて、彼の知性は各種の困難な課題を掘り起こしていました。彼の頭脳は釣り糸を巻き取るように手繰り寄せ、彼の知性は、それらの少しの時間にも応じて備える方法がない状態です。彼女はそれらによって彼の知性を悩ませないように彼の前に持って行かず、自分に属している働きの一部の事柄を正しく担う必要があります。時々、私は、このままでは自分達が二人を参らせてしまうと考えています。あらゆる必要、彼女の小さな事柄と共に、彼女は私達の所にそれらを持ってくる前に適切に自分で処理することができています。一つの言葉の小さな変更のすべてにおいて、彼女は、私達が見て知ることを望んでいます

4)高く賞賛、信頼のおける彼女の奉仕

 私は、自分の本の数々を書き上げるに当たって、マリアン・デイビス姉の助力をとても感謝しています。彼女は、私の日誌や手紙、出版された雑誌の中の私の記事から資料を集めています。私は、彼女の信頼のおける奉仕を高く賞賛しています。彼女は私と共に25年間働き、そして、私の書き物をグループにまとめ、分類の働きのための能力を増し加え、徐々に習得しました。                 『手紙』9,1903[76]

5)私達は共に働き、共に正しく働いた

 彼女の働きにおいて、羅針盤の針のように信頼のおける誠実な私の助手、マリアンは臨終です。[18]……

 私は、明日までに、バトルクリークを出発しています。また、私の魂は、自分の晩年の25年間、私に奉仕した臨終の女性girlに思いを引き寄せられています。私達は、この働きのそばに共に並んで、完全に調和して立ち続けました。彼女が雑誌や本に載った貴重な小記事やタイトルを集めていて、それを私にプレゼントした時、彼女は「いま、ここに[必要だった]探し物がいくつかあります」と言ったものでした。私はそれに目を通して、絶好のチャンスで、ありのままを書いたものです。

 私達は共に働き、全ての時間で、完全に調和して共に正しく働きました。彼女は没しました。その生涯は特別な働きへの献身です。彼女の死は現実ですが、彼女はその強さを保っています。私達は、全ての記事を持って、それ自身の正しい立場に立って、それ自身が正しい働きを示して、二人とも強さによってその働きに就きました。   『原稿』95,1904[77]


 

 13章 SDA教会のための特別な証

 

 

 

 

 

1.『証』第1[19]で出版された1855年の幻

 18551120日、祈っている間に、主の霊/精神が突然私の上に強力にやってきて、そして、私は幻vision(先見性)の中に連れて行かれました。私は、主の霊/精神がこの教会から消えつつあったということを見ました。

                  『SDA教会への証』第1巻p.113

 

2.変化のない権威によって遣わされる

 私は、(送料前払いで)SDA教会への証』約150冊を違った州の兄弟達に送りました。それは、ミシガン州バトルクリークの私の住所地が書かれています。私は、それを受け取った人々から[感想を]聞けたら幸せです。その内容が広まって勇気づけられた人々は、この出版物の支援によってそのようにすることができるでしょう。

        『レビュー&ヘラルド』1855.12.18,p.113[28]

3.1864年に再版された最初の10の証の縮刷版

 1855年から1864年の9年間の終わりの年に、私は「SDA教会への証」というタイトルで、10冊の小さいパンフレットを書きました。それは、出版されて、セブンスデー アドベンチスト達の間で読まれました。初版のこのパンフレットの多くは在庫がなくなり、人々から増刷の要請が高まりました。この続きを書き加え、特定の地域の内容と個人的な内容を削除して、そして、実際的、一般的関心、重要なことだけの部分にして、それらを再版することが最善だと考えました。「証」第4巻の大部分は、『霊の賜物』第2巻に見られるでしょう。しかしながら、それは、この巻[20]の中のものを削除しています。          『霊の賜物』第4a,p.2

 『出版された個人的な証』。個人的なケースのゆえに、証によって与えられた警告や指導が、この方法によって特に指摘されなかったほかの多くの人々に同等な力をもって適用されて以来、この教会の益のために個人的な証を出版することは私の義務であるように思えます。……

 私は、これらの証が与えられることによる以上に、神を愛し神の戒めを守る全ての人の義務について、一般的な危険と間違いについて、自分の見解を表すいい方法はないことを知っています。たぶん、そこには、主が私に示した表現の説得力のある方法は、率直に言って存在しないでしょう。

 1868612日に私に与えられた幻の中で、私は、個人的な証を出版するという自分の方向性は全く正しいと示されました。「主が一つの個人的なケースや個々人の悪い特殊なケースを選び出す時、主は幻では示しませんでした。しばしば、彼らが正しいか、それに近いかを認めるためにそれを使います。もしも、人が特別に間違っていることを証明されると、兄弟姉妹達は、間違ったことを知るために自分達を慎重に調べるでしょう。そこに、彼らは同様な罪の意識が存在していたでしょう。

                SDA教会への証』第5pp.658,659

 

4.1884年発行の『証』の編集

 親愛なるスミス兄弟へ。私はきょうあなたへ一通の手紙を差し出しました。でも、この働きの「証」は受け入れられません、[21]というバトルクリークからの情報を受け取りました。

 私は、あなたの意にかない、あなたがすることのできる何かについての内容の言及を望んでいます。あなたが以前に私から聞いたそれらの言及――私が数年前に示された――は、私がその内容を完全に準備できないので、私達は、私に与えられた重要な光/真理の出版を延期すべきではありません。私の夫は、重い病気だった時、彼が健康だった時に私に与えることができて私は受けることができた、その助けを私に与える力がありませんでした。この大量のものを、私は、幻で自分に与えられたものを人々に前に先延ばししておきました。

 しかし、私は、その時、大きな光/真理を受け取りました。神が私に与えた能力を使ったように、できるだけ光/真理を受けた最良の方法で人々の前に表すようにと示されました。私は、書くことと話すことの能力を使うことによって能力を増すでしょう。私は、それを完全にもたらすことが可能な限り、全ての能力を改善するために存在していました。それは、知的な精神の人々によって、受け入れられるでしょう

 可能な限り、全ての欠点は私達の出版物から取り除かれる必要があります。その真理が明らかにされ、広く行き渡るようになった時、あらゆる修正は、その出版された著作物の完成のために洗練されるでしょう。

 私は、アンドルーズ兄弟の『安息日の歴史』に関して、彼はその働きをあまりにも長く延期したように見えました。そのほかの間違いのある著作物は、この教会や伝道地に置かれていて、真理への道を閉ざしています。ですから、人々の知性は、真理と反対の内容によって偏見を持たせられているでしょう。私は、このようにして多くの人々が失われるのを見ました。初版の在庫がなくなった後、彼は改善ができるでしょう。しかし、彼はあまりに厳しく完全に至ることを求めていました。この延期は神がそうしていたのではありませんでした。

 

5.エレン・G・ホワイトは正しい言葉を使うことを望んでいた

 さて、スミス兄弟、「証」が行なった働きについての批判的な調査をして、私は慎重に作ってきました。そして、私が考えて見た2、3の事柄は、あなたとSDA全体総会[1883.11]のほかの人々からもたらされた内容によって修正される必要がありました。しかし、私がその内容を慎重に調査した時、異議のあるものはごくわずかしかないことがわかりました。利用された言葉が最善ではない所では、私は、正しくして、文法的に正したと思います。私は、その判断を台無しにすることなく存在することができる所では、それが全てのケースにおいて存在していると信じています。この[再版の]働きは、先延ばしされました。それは私の意にかなうものではありませんでした。…

 私の知性は改訂された『証』に関する疑問によって鍛錬されてきました。私達はそれをより批判的に見てきました。私は、私の兄弟達がそれを見るように、その内容を見ることができません。私が考えたその変更は、その本の改良でしょう。もしも、私達の敵がそれを手にしたならば、そのようにさせておきましょう。……

 私は、何事も前進していくと、批判される、捻じ曲げられる、ひっくり返される、台無しにされる、と考えています。しかし、私達は、明晰な良心と共に前に向かって進むため、私達ができることをなし、神と共に結果を残すために存在しています。私達は、この働きを先延ばしすることを望んではいけません。

 さて、私の兄弟達、あなたのなす目的は何ですか。私はこれ以上この働きを引きずりたくないです。私は何かがなされること、今、なされることを期待しています。  『手紙』11,1884(57)(カリフォルニアヒルズバーグで

                            書かれた。1884.2.19)

 

6.『証』のための内容選択 エレン・G・ホワイトの働き

 私は、『証』(6)のための最も重要な内容を選んで、また、そのために準備された全ての内容に目を通す必要があります。そして、出版に当たって、全てが真実な事柄を含んでいると意図したものではないので、私が自分自身の批判者として全部を読み返す必要があります。私は、何かがほかの人を害するような強みを与えるかもしれないと心配しています。

 その『証』の内容が準備された後、全ての章の記事は私によって読まれる必要があります。朗読の声や耳障りのある響きは、ほとんど耐えられないものですから、私はそれらを自分で読む必要があります。

 私は、一般的な原則をもたらすよう[な改訂を]試みています。そして、もしも、私が心配している一つの文が、誰かを何かで不当に扱うと見るならば、私は、その文を避け[て書き換え]ることはまったく自由なことだと考えています。              『手紙』32,1901(74)

 

7.ほかの人々を助ける手紙、未然に防ぐ手紙の利用

 私は、単に送られた人だけではなく、助けが存在する手紙を書い[た自分も]、神の助けに励まされています。でも、その手紙を必要としている多くの人々に宛てて書きました。          『手紙』79,1905[78]


 

 14章 善と悪の大争闘物語の執筆と出版における最初の段階

 

 

 

 

1.1858年善と悪の大争闘の幻 1858314日の幻  (31)

 私が10年前に見た善と悪の大争闘の多くの内容が、ロベッツグローブ[22]での幻の中で繰り返され、そして、私はそれを書き出さなければならないことを示されました。サタンは私の働きを妨害しようと強く働いているので、私は闇の勢力と戦わねばならないでしょう。しかし、神の使い達はその闘いの中に私を放置しないでしょう。私が信頼している神は、私に期待しています。 『霊の賜物』第2p.270(『ライフスケッチズ』p.162参照)

サタンの攻撃

 月曜日、私達は自分達の家に向けて[汽車の]旅を開始しました。……その汽車に乗っている間に、私達は『善と悪の大争闘』と呼んだ本の執筆と出版について、家に着く前に、計画を練りました。その時、私はいつもと同じでした。その汽車が[ミシシッピ州]ジャクソンに着いてから、私達はパルマー兄弟の家に行きました。私達は少しの時間だけその家にいました。その時、私は、Pさんと話しました。私の口は、自分が言いたい言葉を制止し、かなり麻痺したようになりました。奇妙なことに、私の心を冷たい感覚が打ち、脳裏を過ぎ、右側に落ちました。しばらく、私は、無感覚でした。でも、真剣な祈りの声によって気付きました。私は、自分の右腕と手先を挙げようとしました。しかし、まったく動きませんでした。しばらくして、私は生きようとは思いませんでした。     前掲書p.271

 

善と悪の大争闘の執筆

 数週間にわたって、冷たい水が私の頭に注がれても、私はその手に力が入りませんでした。歩こうと起き上がって、私はしばしばふらつきました。そして、時々、床を[踏みしめて]考えています。この状態で、『善と悪の大争闘』を書くことを開始しました。私は最初、1日に1ページ書いて3日休むでしょう。でも、私は、書き進めた時、力が増してきました。私の手の麻痺は、私が仕上げたその衝撃の結果の働き[『霊の賜物』第1[23]]が全て私の手を離れる前に、私の心の曇りとともに見られなくなりました。

                            前掲書p.272

サタンの妨害手段が示された

 18586月のバトルクリークでの全体総会の時、……私は幻の中に連れて行かれました。その幻の中で、私は、ジャクソンでの突然の衝撃で、サタンは、この働きを妨害するために私の命を取ろうとしていたことを示されました。私は、そのことを書くために存在していました。神の使い達が、サタンの打撃の結果から私を立ち直らせ、助けるために遣わされました。私は、ジャクソンでのアタックの前よりも、より良い健康を祝福されたということを、ほかの事柄の間で見ました。     前掲書p.272

 

2.『霊の賜物』第3巻、第4巻 旧約聖書の歴史執筆1863-1864

 私達が[1863.12.21]東部から[カリフォルニアに]戻った後、私は、[『霊の賜物』]4巻の構成の助けとなる数々の証を綴って一つの本のサイズにしようと考えて、『霊の賜物』第3巻を書き始めました。私が書いた時、その内容は私の前に開示され、そして、私が見たそれは、得たそれを全て書くのは不可能でした。私は初めにデザインしていたように、[旧約聖書の歴史]を数ページ書く必要がありました。開示された内容と第3巻は、[304]満たされました。

 それから、私は、第4巻を書き始めました。しかし、私がそれを書き終えるその前に、印刷者のために健康の内容を準備している間、私は、[カリフォルニア州]モンテレイに行くようにと呼ばれました。私達は行きました。そして、私達が期待したようにすぐにそこでその働きを終えることができませんでした。私は、印刷者達に渡すその内容を書き終えるために戻って義務を果たしました。……

 私は、1年間かけて順調に書き上げました。私は、いつも、朝7時に執筆を開始して、夜の7時まで書き続けました。そして、それから、校正刷りを読むためにそれらを紙に書いて残しました[24]。『原稿』7,1867[50]

幻の原典と認められた著者の序文

 一般の人々への私の3番目の小冊子が現れる時、私は、主がこれまでに自分に貴い光を注いで尊い器にしたという確信に満たされました。[神が愛した人々の]神聖な歴史、老いた人々と聖化との繫がりなどは、つかの間です。……

 老いた人々の聖なる歴史と繫がった信仰の偉業が幻の中で私に開示されて以来、また、神がどこにもない軽々しい背教の罪とみなしたという重要な事実、私がそれらの事実について無知で、よく知っている人による強い狡猾さによってこの無知に陥っていたと益々確信させられたこと、これらは背信に関する威厳のある防波堤です。私がそれらを指摘して書いたものが誰かの心を助けるものならば、神が賛美されるでしょう。

 私が書き始めた時、私はこの巻の中に全ての内容を入れるようにと思っていました。しかし、私は、サウル、ダビデ、ソロモン、そして、ほかの人々のケースを取り上げ、ほかの巻[25]で健康に関する内容を取り扱うと、ヘブライ人達の歴史を閉じざるを得なくなりました。

              『霊の賜物』第3pp.5,6(E.G.W序文)


 

15章 1876年の「キリストの生涯」[26]の執筆における経験とエレン・G・ホワイトの記述における連続版

 

 

 

 

[1.書き物、自分の仕事]

 1876325日。メアリー・クロー[27]と私は、私が書いているその働きが進むためにできることをみなするつもりです。私は、ミシガン州内で輝いているどのような光も、自分のために[輝いているようには]見ることができません[28]。今年、私は、自分の働きは書き物をすることだと考えています。私は、ここに滞在するのが正しいことで、引きこもる必要があります。私は、それが書き上がるまで、私の働きを成し遂げるという私の決心をほかの人の意向や説得が揺るがさないようにする必要があります。神は、私が信頼するならば、私を助けるでしょう。    『手紙』63,1876(49)

[2.書き出す努力]

 44日。私達は、何日か前から、毎日の[働き]について仲間を持ち続けてきました。しかし、私は、私が毎日多くのことに立ち向かって、自分の書き物に組み活字stickのようなことを試みています。私は、毎日、1日の半分しか書くことができません。……

 メアリーは、ここのオフィスに[います]。私は2階の部屋で書き物をしています。……

 私は、夜と早朝に目覚めている時、祈りと神との心地好い交わりの中で多くが解放されています。私は少し力を得ています。それで、それは、それからの回復の時間を作るように、何かの税金のようなものがかなり私に割り当てられているということを発見しました。私の信頼は、神の中に[あります]。私は、主が、真理と光を書き出す努力の中で私を助け、主[が愛した]人々のために私に与えたという確信を持っています。

                   『手紙』3,1876(49)

[3.書き上げる]

 47日。貴重な内容が私の知性にとてもよく開示されています。私は神を信頼しています。主は私の書くことを助けています。私は、メアリーの手元に24ページ分を置いています。彼女は私が書いた物をよく写し書きしています[29]。キャンプミーティングのための働きをするようにとの私への招きは、義務感を明確にするでしょう。私は、自分がどこかに行く前に、何らかのペースで1冊の本を書き上げるつもりです。……この教会の東部の人々は、神が行くようにと私を呼んでいると自分が考えない限り、1年間、私を見ないでしょう。主は、私に働きを与えました。もしも、私が自由にされうるならば、私はそれをするつもりです。 『手紙』4,1876(49)

 

[4.一度もなかった書く機会]

 48日。私は書く自由を持っています。そして、私は、主の霊が注がれるように、神に勧めcounselを日々懇願しています。私は、神の意思を行なうために、力と恵みと助けをもてるようにと信じています。……

 私は、自分のこれまでの生涯で書くための機会を一度も持てませんでした。私は、それについて最も多くを書くつもりです。……

 [J.H.]ワゴナー長老と[J.N.]ラフボロー長老は、私の原稿をどのように読むのでしょうか。そこには、もしかして、明確ではない教理的な何かの言い回しがあるかもしれないので、彼(ワゴナー[30])はそれを見分け[て修正す]るでしょう。             『手紙』4a,1876(49)

[5.重荷]

 48日。夫が書いているあるアピールは、私をSDA[全体]総会[会議]に送るためにあります。しかし、私は、この時の自分の義務だと信じている場所から離れず行かないつもりです。私は、主が私に示されたことを書き出すこの時、特別な働きを持っています。……

 私は、自分の魂に重責を課したことを果たすための働きを持っています。なんという重荷でしょう。人間は知りませんが、主は知っています。

 私には、自分の心の平穏と落ち着きを持つ時間が必要です。私は、この働きに繫がっている間、熟考と祈りのための時間が欲しいです。私は、自分の心を疲弊させることと、私の心を逸らす、この教会の人々に結ばれることをしたくありません。これは、偉大な働きの一つです。私は、この働きを全てなせるよう主の霊が私を助けるよう、毎日、神に叫んでいるように思われます。『手紙』59,1876[49]「ルシンダ・ホールへ」1876.4.8

[6.無力]

 414日。私の書き物は大切だと私には思えます。そして、私はとても微弱[です]。その働きを公正にすることに無力です。私は、主の聖霊が注がれるよう、天と繫がれるよう、神に懇願しました。この働きは正しくなされるでしょう。私は、神の特別な祝福なしにこの働きすることができないでしょう。             『手紙』7,1876,p.2[49]

[7.切なる願い]

 416日。私は、今日、かなり大量のページを書きました。メアリーは、私の書いた後、忙しく書き写しをしています。彼女は、ある内容に、とても乗り気になっています。彼女はいくつかの原稿を写し書きした後で、私のためにそれを読むようにと持ってきます。今日、彼女は「あなたが[書いて]準備した原稿は山と積まれたとても重い石です」と私に示しました[31]。…

 私はとても自由に平穏に感じて考えています。私は、自分の心に貴いキリストの愛を感じています。キリストが私の前に高く掲げられている間、私自身の見解は低くなっています。私達の現世の命の事柄をより高めるイエスとの親睦と未知との繫がりをとても望んでいます。神と共なる光であること、主の霊が確かに神の子の一人であること、私の証人であり続けることは、私の切なる願いです。        『手紙』8,1876[49]

[8.黄金のような機会]

 418日。私達は、日曜の夜に[サンフランシスコ市]に行きました。私は、信仰の部外者のとても大勢の会衆にイエスが行なったパンと魚の話を取り上げて、「救い主は、その小さな食べ物の一部を祝福した後で、彼の奇跡的な力で、おおよそ1万人にそれらを与えました。それは集められ続けました。……また、キリストは海の上を歩きましたが、ユダヤ人達はイエスが神の子だという証拠を求めました」と話しました。公園の近くにあるこの教会の近所の隣人達が集まっていました。私は、この人々の名前が、彫りの深いゴツゴツした岩のような顔、と信じています。その人々は、目を大きく見開き、ある者は口をぽかんと開けながら聞いていました。……

 私は、キャンプミーティングで私の兄弟姉妹に会うことを嬉しく感じたものでした。それは、書き物の監禁状態以上に、私が楽しんだ時の働きのようなものです。でも、私は、伝道旅行と書き物の両方をすることができないので、これは私の働きを中断して私の本の書き上げる計画をだめにするでしょう。現在、私の黄金のような機会が存在しているように思えます。メアリーは、私と共にいて、これまでに雇うことができる最高の筆耕者(書き写し)です。ほかに、このようなチャンスはないでしょう。

                   『手紙』9,1876[49]

[9.達成感]

 421日。私は、50ページ分のいくつかの奇跡の長い記事をほとんど仕上げました。私達は、あなたがここを出てから、おおよそ150ページの原稿を準備しました。私達は、準備できた原稿に最高の達成感を覚えました。

                    『手紙』12,1876[49]

[10.主の[人類救済]目的]

 424日。メアリーは、五つのパンと二匹の魚の話と、キリストが水の上を歩いた上、彼は命の特別なパンだったことを聴衆に宣言したという二つの記事を私に読み終えました。それは、彼から離れていく弟子達の誰かを救う目的がありました。これは、50ページ分あり、多くの内容を含んでいます。私は、これまでに書き上げた中で、これが最も高く評価できる内容だと思っています。メアリーはとても乗り気になっています。彼女は、それが最も価値が高いと考えています。私は、その[評価に]とても納得しています。

 そのほかの記事は、キリストが麦畑を通って行ったこと、その時、麦の穂を摘んだこと、なえた手を癒したことなど12ページありました。私が、メアリーの助けによって、そのような強い関心を得ることができるならば、私は、「主は、今、最も小さき汝、汝ら奉仕者は平穏のうちに去る」と言うつもりです。これらの書き物は全て、今、私が見ることができています。

 私の心と知性は、この働きに没頭しています。そして、主はこの働きをするようにと元気づけているでしょう。私は、主がこれからも健康を与えることを信じています。私は主に求めています。主は私の祈りに応えるでしょう。

 私は主を愛しています。私は主の[人類救済]目的を愛しています。私は主[が愛する]人々を愛しています。私は、心に高貴な平穏と落ち着きを感じています。そこには、私の知性を乱して逸らし、難しく考える何ものもないように思います。私の知性は、過度な負担なしに、何ものにも悩まされないでしょう。            『手紙』13,1876 (49)

[11.この働きは慎重に]

 私は、1日の半分を自分の書き物の単なる一部にすることができません。ある時に、私の頭脳は問題を起こしました。それから、私は休息を取って、横になり、考えることを止め、自分がとても納得することができる時に、書き物の時間にしました。私は殺到してくる仕事をすることができません。この働きは慎重に、丁寧に、正確にする必要があります。私達が[書いて]準備した内容は大変良く仕上がりました。それらは、私を喜ばせています。

                    『手紙』14,1876[49]

[12.こんな機会はなかった]

 427日。私は、この日、15ページ分を書き上げました。メアリー・クローは私の後を懸命についてきています。彼女はこの日、15ページ分を写し書きしました。とても良い仕事でした。1日の仕事量としてはとても多いものでした。……これまでの私の生涯で、こんな機会は一度もありませんでした。私はそれを書き直すつもりです。私達は、あなたがここを出てから、200ページ書き上げ、印刷者達のために、写し書きして用意しました。……

 私は、自分を無い者よりも小さい者と考えています。しかし、イエスは私の全て、私の義、私の知恵、そして、私の力です。

                     『手紙』16a,1876[49]

[13.完成させるつもり]

 55日。私は、いつもよりも多く書き上げました。それは、私にとって多過ぎました。私は、半日以上書くことができないし、すべきではありません。でも、私は、そのための報いと限界を超えて続けました。私の知性は昼も夜も[書き上げる]目標に存在しています。私は、祈りによって強い確信を持っています。主は私の[祈りを]聞いています。そして、私は主の助けを信じています。私は主の力を信頼しています。主の力によって、私は自分の書き物を完成させるつもりです。私は、動揺することなく、主の手を堅く握っています。……

 私は、次号の『サインズ オブ ザ タイムズ』に載るエレミヤについて、重要なテーマを持っています。私の知性は神の霊によってこのように訴えています。私が16年前に持ったその見解は、私の知性に強く印象付けられました。重要な事柄が、神の民に適用されて、見られるために存在していたことを私は悟りました。これは、間違いを立証して伝えるために、神が私に与えた証への言及の中にありました。  『手紙』21,1876[49]

[14.任務からの解放]

 511日。私が、『預言の霊』第2巻の原稿の全部を書き上げたら、その本の私の役割は果たされ、そして、私は[その任務から]解放されるでしょう。                  『手紙』24,1876[49]

[15.固定観念を持たず]

 1019日。私達は、[カリフォルニアのパシフィックプレスが作った]これらの本がグレートプレーンズ(北アメリカの大平原の台地)を横切って輸送されるのではなく、[ミシガン州の][バトルクリークのレビュー&ヘラルド事務所]の印刷者達が私の本を作って頒布されることを決めました。その本の一部は、ここ[ミシガン]ですでに印刷されました。私達はそれらの本に固定観念*1)を持つつもりはありません。その理由は、私の本、非常に、非常に正確な内容にすることを待てませんが、しかし、この初版が出版されて、それがマーケットで購入できるからです。それから、私達は、西海岸で固定観念を持って[それ]のもっと完全な版を作り出す時間を取ることができます。また、あなたの父の生涯と私の生涯は、パシフィック印刷事務所で書かれて印刷されるでしょう。でも、私達は私達の最善の判断と考えをみな使って、12月までにここ[バトルクリーク]によりよいものと、この版の完成版を残しました。        『手紙』45,1876[49]

[16.第3巻の新版]

 1026日。私達は最悪の道のりにいて、『預言の霊』の2巻の廃版を急いでいます。第3巻の新版はすでに印刷されています。私達がここ[バトルクリーク]4週間、残っているならば、私達はその本の完成版を作り、気遣う心の大きな重荷を取り除けるでしょう*2)

    『手紙』46,1876[49]W.C.ホワイトと妻へ 1876.10.26

          

*1)書物は、印刷版の中で作られないでしょう。しかし、タイプで打たれて残りました。それが期待されるならば、作られることに変更されます。

*2)宣伝されたその本

 エレン・G・ホワイトによる『預言の霊』第2巻は、23日のうちに用意されるでしょう。この作品はキリストの初臨、生涯、教え、そして、奇跡をわくわくさせられるように描かれています。そして、ミセスホワイトの友人達によってお金には代えられないほど価値ある本として評価されるでしょう。この本は、新年まで郵便でだけ購入できます。それ以後は全ての注文者に25%引きです。値段、郵便料金込みで、1ドル。(訳者加筆。当時の賃金は、週給5ドルでした)J.W.レビュー&ヘラルド 1876.11.9.

『レビュー&ヘラルド』の編集長ユライヤ・スミスによる推薦のことば

 私達は、この出版所からかつて出された最も注目される巻として、読者のみなさんへの呼びかけを用意しました。この本は、キリストとサタンの間の大争闘の一部を扱っています。それは、この地上での、キリストの生涯と使命、教えと奇跡が含まれています。多くはキリストの生涯を書くように努めました。しかし、ここで比べた時、その努力はその体の外側の衣服だけのようなものに見えます。この時代に、ここに、私達は神の素晴らしい働きの内側を見て語るものを持っています。この読者が、印象を受けうる一つの心と、感動されうる感覚と、最も身震いするようなシーンの生き生きとした描写に反応できる想像力と、清らかさの教訓を習得する心と、信仰と、そして、キリストの神性の手本の愛を持っているならば、その人は、この巻の中に、これらの全ての能力を活発に生きるようにとの招きを見つけるでしょう。しかし、全てにおいて最良のものは、いつまでも残る印象です。この本は読む人全ての人に良い印象を残すに違いありません。これはいつまでも読み継がれるでしょう。郵便料金込みで、郵便によって、注、前払いで11ドルです。U..レビュー&ヘラルド,1876.11.30.


 

16章 「善と悪の大争闘」の増補版と発表

 

 

 

 

 

1.『預言の霊』第4[32]の原稿の準備、執筆中の強い感覚『大争闘』の先駆け(1884.2.19)

 私は毎日、15から20ページ書いています。今は、11時で、私は第4巻の原稿を14ページ書きました。このほかに、別の人々への手紙を7ページ書きました。私は、恵みと思いやり深い神に感謝しています。……

 私が自分の本に書いたように、私は激しい促しを感じています。私は、可能な限り、すぐにそれを出版したいです。私達の[教会の]人々はとてもそれを必要としています。私は、主が私に健康を与えてそうするなら、来月にそれを仕上げるつもりです。私は、重要な事柄について思考をめぐらして、夜間の睡眠を取ることができませんでした。3時間、時には、5時間の睡眠は、私が取る多いものです。私の知性は休息できないほどに強く揺り動かされています。書きなさい、書いてください、書こう、私は、書かなければ、先延ばしてはいけない、と感じています。

 重要な事柄が私の前に存在しています。私達は、かの日のために備えをするために、人々を無関心から呼び醒ましたいと思っています。永遠の存在するその事柄が、昼も夜も私の幻/先見の明に押し寄せています。現世に存在している事柄は、私の視界から薄れつつあります。私達は、今、自分たちの確信を投げ出すために存在しているのではありません。確固とした信頼、以前よりももっと確固とした確信を持つために存在しています。ここまで、主は、私達を助けてきました。そして、主は世界の終わりまで私達を助けるでしょう。私達は、数々の記念の[教理の]柱、私達のために主がなして[生み出した]残りの者達、滅ぼす者の手から私達を救う慰めを見るでしょう。               『手紙』11a,1884[57]

幻の情景描写による時代から時代への歴史の開示

 聖霊の啓蒙を通して、善と悪の間に長く続く争闘のシーンは、これらのページを書く者に開示されました。時代から時代へと、私は、時代ごとに、命の王、私達の救いの創始者キリストと、悪の王、罪の創始者、聖なる神の律法の最初の違反者サタンとの間の大争闘の、その働きを見詰めることを許されました。  『善と悪の大争闘』序文p.x (希望への光p.1593別訳)

執筆中の過去と未来に関する幻

 私は、自分専用のペンを使っています。過去・現在・未来に関する素晴らしい表象が私に与えられました。     『手紙』86,1906[79]

幻による発表された歴史の訂正

 サタンの礼拝堂の支配者の旗の下に集まる者達は、高く掲げられ、勝利のうちに行進したかのように見えましたが失敗しました。そして、宗教改革者達は、自分達に与えられた神の恵みを通して、闇の支配者に対して猛烈な闘いを挑みました。宗教改革者達の歴史の中の出来事eventsが、私の前に表象として描き出されました。私は、主イエスと主の天使達は、サタンの勢力に対するその闘いを強い関心を持って見詰めていましたが、サタンは、神の王国の光、神聖な光を消滅させるために悪人達や闇の支配者達と手を結んだということを知りました。彼ら[宗教改革者達]は、キリストのために、神を知らない人々の嘲笑、愚弄、憎悪に耐え忍びました。彼らはけなされ、虐げられ、死にさえしました。彼らは、自分達の信仰を捨てようとしなかったためです。       『手紙』48,1894[67]

ヨーロッパ訪問1885-1886の前年に示されたエレン・ホワイト

 数年前、[スウェーデンと北欧の国々]それらの国々での最初の働きについてのメッセージが私の前に表されました。そして、私は、それらに関係したもの[スウェーデン人の子どもの説教]と似た状況を示されました。

    エレン・G・ホワイト『セブンスデー アドベンチスト海外伝道の歴史的なスケッチ』([スイス]バーゼル、1886p.108[59]

「悩みの時」の章

 私達は、「悩みの時」と思われる内容をちょうど読み終えました。スミス兄弟は「この章は、意味がないことによって、第4巻から省くべきだ」と考えています。彼は、その中に一つのセンテンス(宣言)がなく、それは本質的に必要とされないと言っています。これは、彼の知性に非常に強い印象を作っているように思えます。そして、私は、この内容をあなたに述べるために書こうと考えました。私はそれを読みました。そして、それは身震いさせる力を持っていました。私は、未信者で一般の人々に売る本[33]からそれを除外することを考えていません。 『手紙』59,1884[57]

 

2.1888年版『善と悪の大争闘』は『善と悪の大争闘』の増補改訂が開始

 1886611日スイス、バーゼルにいて。私は、あなたが私達の家族について特別に話を聞いてほしいと考えています。W.C.W[ウィリアム・ホワイト四男]とメアリー[]とエラ[]は元気です。サラ・マクエンターファー[看護師]は元気に、デザイン文字[タイプライター字体]を使って書き取りと書き物によって、この上なく忙しくして手紙を作っています。マリアン[デイビス]の健康はいつもと同じくらいです。彼女は「善と悪の大争闘」第4巻の作成にあたっています。     『原稿』20,1886[59]

過去と未来のシーンを描くためになされた努力

 神の聖霊が過去と未来の偉大な真理を私の知性に開示した時、私は、特に、将来の闘いの最初の挑戦に一つの光を投げかけるために、それを表現するために、過去の時代の善と悪の大争闘の歴史を書き出して、このように啓示されたことをほかの人々が知るための努力をしました。この目的を遂行することによって、私は、大いなる真理によるテストが明らかになったことを描いて書くための一つの方法として、「異なった期間が世界中の人々に与えられた」、「世界中の人々が愛する教会の敵、サタンの復讐心を掻き立てた」、「‟死に至るまで自分達の命を愛さなかった”[12:11]人々の証によって保たれてきた」神の教会の歴史の出来事を選択しグループ化することに努めました。『善と悪の大争闘』序文p.(希望への光p.1594別訳)

執筆中に新しいシーンが表された

 『善と悪の大争闘』の原稿を執筆中に、私はしばしば神の天使達の臨在を意識しました。何回も、私が書いていたことについての場面は、その夜の幻の中で私に新たに示されました。それで、それらは、私の知性に新鮮で生々しいものでした。         『手紙』56,1911[84]

キリストの再臨、生々しい場面

 大空は開かれ、閉じられ、そして、激動の中にありました。山々はその風になびく葦のように震えていて、数々の砕かれた岩を投げ出していました。大海は、鍋の中の熱湯のように沸騰していて、数々の石を地面に吹き出していました。神が、イエスの来るその日とその時を語った時、主の民に永遠の契約を宣言しました。神は一つのセンテンス(宣言)を語って、それから、間をおきました。しばらくして、その言葉は地球の全住民に響き渡りました。……

 私は、神の声によって語ったその時のことについて、全く知識がありません。私は、宣言されたその時について聞きましたが、私が幻から出た後で、その時についての記憶がありませんでした。その恐怖で体が震えるような場面で、描写するための適切な言葉が一つもない、厳粛な関心が私の前を通り過ぎました。それは、全て、私にとってまったくの現実でした。この場面が閉じられた後、人の子が席に座した白い大きな雲が現れました。

 『手紙』38,1888[61](SM,1,pp.75,76(セレクテッドメッセージ1,p.90)

そのページの校正刷りを読む――その本の最後の働き

 私は、ちょうど今、その原稿の最後の3章を読み終えました。私は、見ることができませんが、それはみな正しく、もっとも深刻で、体が震えるような関心に属しています。私は、これらのページをあなたに送ることを嬉しく思っています。そして、その本に、その印刷所から最初の1冊が私に送られてくることを待っています。……

 先週の安息日は、感動があって、厳粛な一時でした。私は、それらの最後の数章に描写されたあの場面のいくつかを話しました。そして、その集会には、深い感動がありました。     『手紙』57,1884[57]

それを書くための歩み、最善の可能性

 この本の準備中に、有能な働き人達は精を出して働きました。多くの資金は、その巻が可能な限り最良の刷り方で世界中の人々の前に届けられるために投資されました。……

 主は、引き延ばされることなく、世界中のすべての部分に行き渡るように、私にこの本を書くようにと感銘を与えました。それが含んでいる警告は、主の日に立てる一つの民を準備するために必要です。

                    『原稿』24,1891[62]

『善と悪の大争闘』執筆中のエレン・ホワイトの体験

 私は、主の霊によって、その本を書くようにと感銘を受けました。そして、その働きをしている間、私は、自分の魂に重責を感じました。私はその期間は短かったことを知りました。私達に、近いうちにと曇らされるように存在しているその場面は、「主の日は夜の盗人のように来るでしょう」(1テサロニケ5:2)の御言葉の中に表されているように、ついに、突然に素早く来るでしょう。

 主は、私の前に、今の時代に必要な緊急を要することに属し、かつ将来に達する内容を置きました。その言葉は私に一つの任務として語りました。「汝が見て聞いたその事柄を1冊の本に書いてください。そして、それをすべての人々に届けましょう。その時は、過去の歴史が繰り返される時に、手の中に存在しています」。私は、まるで、神の声が語ったかのように、私の知性が強烈に印象を受けたいくつかの点で、その朝の、1時か、2時か、あるいは、3時に目覚めました。私は、私達の[教会の]人々自身の多くは、その人々の罪の中で眠っています。人々はクリスチャンだと主張しているけれども、改心しない限り、その人々は滅びるでしょう、ということを示されました。

 その厳粛な印象は、その真理が私の前に明確なラインを展開した時に、私の知性に残りました。私は、ほかの人々の前に持って行くことを試みました。各々の人は、その人自身のための宗教的な体験を持つ、その人自身のための救い主に関する知識を持つ、悔い改めを求める、信仰、愛、希望、そして、その人自身のための聖化について必要を感じるかもしれません。

 私は、浪費する時間はなかったと確信しました。「私達の[教会の]人々は、目覚める必要があります。指導される必要があります」というアピールと警告は与えられる必要があります。その人々はその警告を届けることが可能なすべての人々に与えるでしょう。示されたことを宣言することはやがて訪れるでしょう。世界中の放蕩者への神の怒りは長く引き伸ばされないでしょう。

 私は第4[34]のために重要な事柄を書き出して貢献する必要があること、その警告は生きている働き人が行けない所に行く必要があること、そして、その警告は、この世界歴史の諸場面が閉じようとしていることを諸々の重要な出来事eventsによって多くの人々に注目するよう呼び掛けるものだということなどが、非常に本質的なことだった時、私は自分の多くの時間が人々に語るために費やされてきたことを示されました。

 この教会の状態とこの世界の人々の状況が、私の前に開示されました。そして、私は、私達の前に置かれている恐ろしい数々の場面を見上げました。私はその展望で危急を告げられました。すべての家々が眠っていた間に、夜から夜へ、私は神から与えられた事柄を書き出しました。私は、湧き起こるために存在している数々の異端信仰を示されました。広まるだろう惑わし、サタンの奇跡を働く力――やがて現れる偽キリスト――は、世界の大部分の宗教者達をだますでしょう。そして、可能ならば、神に選ばれた者達でさえ率いて行くでしょう。

 これは、主の働きですか。私は、これが[何か]、そして、私達の[教会の]人々は、それを信じると公言することを知っています。この本に書いてある警告と指導は、現在の真理[35]を信じると言うすべての人々に[よって読まれる]必要があります。          『手紙』1,1890[63]


 

17章 『救い主 各時代の希望』の準備におけるE..ホワイトの体験

 

 

 

 

 

1.手紙と日誌からの記述

1)[方法がわかりません]

 1892715日。今週、私は「キリストの生涯」の執筆を開始することができました。とても能率が悪くて、私は、キリストの任務missionを説明するのに、私の魂に燃えている事柄の表現ができません。私は、この働きに就いて、あえて努力してきました。ここにはそのための多くのものがあります。私は何を言いましょうか。何を言わずにおきましょうか。私は、夜中に床で目覚めて聖霊が私に来て留まるよう、主に懇願しています。…

 私は、神の前に震えながら歩んでいます。私は、犠牲の贖いに関する大きなテーマを話したりペンで書いたりする方法がわかりません。私は、自分の前にある生きた力によってテーマを提示する方法がわかりません。私は、不適切な言葉によって、救済の偉大な計画の価値を落とすのではという小さい恐怖感のためにおののいています。私は、畏敬と崇敬のうちに神の前に自分の魂がひざまずいて、「誰が、これらの事柄をなす資格がありますか」と言っています。                   『手紙』40,1892[65]

2)[書きました]

 1893523日。今朝は、雲が多くて雨が降っています。私は、4時から「キリストの生涯」について書きました。主の聖霊が私に注がれて留まっているのでしょう。私のペンは、主が大いなる憐れみと愛を私に与えたので、ほかの人々へ伝達するために、主が喜ぶ言葉を書くことができています。                 『原稿』80,1893[66]

 

3)[迷わない]

 1893615日。私は、「キリストの生涯」を書けるか心配しています。マリアン[デイビス]は、書かれる必要のあるものを私が実際に見なくてもよいほどに、私が書くための各章と題目の詳細を作っています。私は、多くの光をそれらの中に見ることでしょう。私を導くように見えるそれらに、私は、主の聖霊なしに入らないつもりです。塔の建設、王達の戦いなどの事柄は、私の知性に重荷ではありません。しかし、「キリストの生涯」のテーマ、天の父を表す彼の品性、教訓を理解して実践するための私達すべてに不可欠な譬え話が、それらの中に含まれていました。私は迷わないでしょう。                                 『手紙』131,1893[66]

4)[書いている]

 189372日。私は、「キリストの生涯」のいくつかを毎日書いています。1章がほかのテーマの中で、自分の知性の中に新鮮に映るように、私は書き込んでいる数冊の雑記帳を持っています。私は、それを失うことを心配して、あえて、若者のリンデンによって原稿を送りませんでした。そして、私は、いくつかのテーマのためにもっと時間を与えたいと思っています。    『手紙』132,1893 (66)(ニュージーランドで書かれた手紙)

5)[記事として利用される] [彼女は1891-1900オーストラリアにいました]

 189377日。[アメリカ]……に送った、と私達が聞いたすべての郵便、あなたに短い手紙を私は書き上げました。私達は、そして、リンデン兄弟が、あなたに手紙と原稿を……「キリストの生涯」を少し……持って行って送った時、……「キリストの生涯」についてのそれは、その雑誌のための記事として利用されるでしょう。  『手紙』133,1893[66]

6)[助けてもらった]

 1894年暮れ。私が「キリストの生涯」を書くということが協議で決まりました。しかし、過去にあったものよりもどんな方法で良くできるでしょうか。本当に、数々の物事の状態と様々な問題が、私にのしかかっています。……

 私は「キリストの生涯」の何がしかをやっと書きました。とてつもなく困難な状況下でしなければならない「キリストの生涯」を書くという働きだということを考慮せずに、私は助けてもらうためにマリアンをたびたび呼ばなければなりませんでした。彼女は、私の書き物の全てから、ここから少し別の個所からと少しずつ集めて来て、彼女ができる限り最善に整理しました。私がこの働きに自分を集中させるだけでいいと考えるならば、彼女はこの働きの手順に優れた存在です。彼女は、この働きのために訓練され教育された知性を持っています。そして、今、私は、考えています。何百回も考えた時、それが主の御旨ならば、この郵便物[アメリカへ]の続きに、それと共に前に進んで、「キリストの生涯」を書き上げることができるでしょう。               『手紙』55,1894[67]

7)[人々が寝ている時間帯に書いた]

 18941025日。マリアンは、最も不利な条件で働いています。私は「キリストの生涯」を書くための少しの時間を見つけました。私は、返答を求める数々の手紙を受け取り続けています。私は、自分の関心にもたらされる大切な内容を疎かにしません。また、ここには、訪問するための数々の教会、書くための個人的な証、自分に課せられた参加すべきほかの事柄、そして、自分のために費やす時間があります。マリアンは、自分が「キリストの生涯」に利用できる文章を見つけるために、ほかの人々へ私が書いたすべての手紙に熱心に目を通しています。彼女は、可能なあらゆる原典資料から、弟子達のためのキリストの教訓として生み出されたすべてのことを集めていました。あるキャンプミーティングが終わった後で、それは非常に重要な会議ですが、私は、自分で「キリストの生涯」を書く働きをすることができるどこかの場所を探すつもりです。

 教会の中には、なされるための多くのことが存在しています。私は、自分が関心を持ち続けている一部の活動ができなくて、疲れることなく自分がする必要のあるほかの働きもすることができません。私は「キリストの生涯」を書くために力を注ぐことができません。私は、なすべきことにとても悩まされています。……

 私は、先延ばしすることなく準備されるように、それらの本を書くための自分の時間を注ぐ……ことをだいたい決めました。私は、「キリストの生涯」、「クリスチャンの節制」(ミニストリー オブ ヒーリング)、そして、「SDA教会への証」No.34 [6]がとても必要とされているので、それらを書きたいと思っています。私は、この年に、『レビュー&ヘラルド』『サインズ オブ ザ タイムズ』、そして、ほかのすべての定期刊行物が私のペンで書かれた記事なしに発行されるように、それらの雑誌の記事の執筆を止めるつもりです。

 私のサインのある記事は、私のペンで新しく書かれていて新鮮です。私にはもっとたくさんの文筆助手がいないのを残念に思っています。私は、この種の助手をとても必要としています。ファニー[ボルトン]は、彼女が、それらの雑誌のための多くの記事と、また、この[教会の]人々の求めと、私の往復書簡の求めに合うように編集するための多くの手紙と多くの証とを準備しないなら、この本を作る働きで私をたくさん助けるでしょう。

 「キリストの生涯」が出来上がるまで、マリアン(デイビス)から何かを期待することは何もありません。私は、印刷所のために内容を準備する、信頼できる人を斡旋してほしいと思っています。そのような働き人は、私にとって、大きな価値があるでしょう。でも、質問はこうです。どこで、私はそのような人物を見つけることができるでしょうか。私は、その多くの時間のために頭を悩まされています。私は、朝食の前に、多くのページを書いています。私は、2時か、3時か、4時に起きています。…

 個人と説教壇からの声とペンによる私のテーマ全体は、「キリストの生涯」だということを、あなたはご存知です。それゆえ、私がこのテーマで書いたほとんど全ては、ほかの人々が寝ている時間帯に書かれました。

                     『手紙』41,1895[68]

8)[言葉は不十分]

 189666日。それは天の事柄によって聖化され高尚にされたものです。私は、それは、あえてほとんど書いていません。しばしば、私はペンを置いて、つぶやいています。有限な知性にとって、永遠の真理の数々、深遠な原理を捉えること、それらの生きている意味を表現することは不可能です。できません。現在の豊かな思想が、私の全存在の潜在能力を形作っています。そして、私はペンを置いてつぶやいています。主よ、私は有限な者です。私は弱く、単純で、無学な者です。あなたが啓示した、威厳と聖について、私は表す言葉を見つけることができません。

 私の数々の言葉は不十分に思えます。私は、永遠の方のひとり子によって主の純粋な注目に没頭し、周知の主の偉大な贖いについて神が作った真理を衣のように覆うことについて落胆しています。壮大な贖いの計画、最後の時代を貫いて永遠に至るために存在しているその真理は、人類の救済のために多大な犠牲を払っています。人々の前に表されたその一つの命は神の命として測って評価しています。それらの真理は、不十分な表現の人間の言葉や人間のペンにとって、とても豊かで、深遠で、聖です。

                    『原稿』23,1896[69]

9)[呼吸を忘れて]

 1897729日。私は2時半過ぎに目覚めて、イエスの名によって神に祈りを捧げ上げました。私は、体力的にも弱く、私の頭は痛みから解放されません。私の左目は問題を抱えています。「キリストの生涯」を執筆している間、私は懸命に働きました。私は、書き込んでいる時に、呼吸を忘れるほどでした。私は、キリストが私達の世界の人々のために苦難を受けたことを考える時、私に印象を伝える強烈な感覚に耐えることができません。                  『原稿』70,1897[70]

10)[世界の人々に][彼女は1891-1900年までオーストラリアにいました]

 1896716日。『キリストの生涯』のための原稿は、すべて、アメリカに送られるために存在しています[36]。これは、「パシフィックプレス」によって扱われるでしょう。私は、この本の準備のための働き人達、特にデイビス姉を雇いました。これは、3,000ドルの経費をかけています。ほかの3,000ドルは、2冊の本を世界の人々に広く頒布されるように、それを用意する必要があるでしょう。私達は、それらが大量に売られることを期待しています。私は、個人の証を書いて、私の多忙が続いている不快を抑えて合うように、雑誌の記事を書いて、語りかけ、それらの本に少し貢献しました。               『手紙』114,1896[69]

 

2.『救い主各時代の希望』のいろいろな批判との出会い

 1900620日。私は、エドソン[次男][37]、あなたの手紙を受け取りました。『救い主 各時代の希望』に関して、あなたが、批判している人々に会う時、いつもそのようなケースの時、あなたは、その思い違いに注目しないでください。でもその本の値段は別です。そのお得な点を語ってください。『救い主 各時代の希望』は、以前の『父祖達と預言者達』と『善と悪の大争闘』の本と同じサイズのつもりでした。それは、O兄弟の強い推奨のためにそうなったのではありません。彼は、当時、一般の人への文書伝道の働き人でした。その補遺/付録について、あなたが言っていることは、私達がその記事についての考えを聞いた最初の異議です。多くの人々は、補遺の中に見つけて、とても助けになったと話していました。人々が、安息日を目立たせることに反対して何らかの偏見を持たせられるならば、その異議は、人々の知性に誤りを悟らせることに[その補遺が]不可欠なことを示しています(that very objection shows the necessity of it being there to convict minds.)

 保護されるようにしましょう。誰かの批判が、私達の知性に異議として刷り込まれるのを許されないように断りましょう。人々は、非難の陰を投げかけて、批判に繫がることなしに、最高の祝福を好意的に語ることができません。ほかの人々が批判する時、良いものであるものを賛美することを私達自身に教えましょう。不満をつぶやく人々は、いつも欠点を指摘しているでしょう。しかし、私達は、とがめだての要素に悲しまないようにしましょう。私達は、人の知性とほかの人の知性に疲弊と心労がもたらされる、長所を困難に変えてしまう暗示を考えないようにしましょう(Let us not consider it a virtue to make and suggest difficulties which one mind and another will bring in to harass and perplex.)。     『手紙』87,1900 (73)


 

18章 大争闘シリーズの著書における働きのホワイトのコメント

 

 

 

 

 

1.彼女の生存期間中の幻の成果

 私は、45年の体験の間、父祖達と預言者達の歴史と品性/個性、その生涯を示されました。彼らは神からのメッセージを持ってその民の所に行きました。また、サタンはほかのあるチャンネルに関心を向けるか、違う意見を持ち出すか、ある悪いレポートを始めるかをするでしょう。その民は、主がその民に授けるべき善を奪われるでしょう。……

 私は、宗教改革者達が取り扱った方法を毎日自分の知性に生々とした絵として持つことができています。取るに足りない異なった意見は、逆上した感覚を生じさせるように思われました。このように、それは、背信、奇跡、そして、キリストの処刑の中に存在していました。全て、これは、一つひとつ、私の前を通り過ぎて行きました。 『手紙』14,1900[62]

 

2.正しく認識された構造上の批判

 彼女[マリアン・デイビス]のことを書きます。私は、第1[父祖達と預言者達]のための記事として書き上げられたものについて、彼女が改善点を具体的に挙げた手紙類を少し前に読み返しました。私は彼女に感謝しています。彼女のことを書くと、彼女は、両目をえぐり取られたゼデキヤ王について一つの点を取り上げています。それは、このことをまとめる何か――水があふれた時の岩のような――もっと慎重な言葉にする必要があります。私は、もっと十分に詳しくした記事を書くことができると考えています。                  『手紙』38,1885[58]

 

 

3.出来事に秩序を与える本が求められた

 親愛なる我が子ウィリー、エドソン、そして、エマ、私達は、神のそばに近づきましょう。私達は、日々、自分が望んで生きてきたように生きましょう。裁きが始まる時にその巻物は開かれるでしょう。そして、すべての人々が自分の働きに応じて報いを与えられるでしょう。……メアリーのことを書きます。聖書のある歴史の本をわたしのために見つけました。それは数々の出来事[38]の順序を私に与えています。私はここの図書館[スイス、バーゼル]では何も見つけることができなくて、何も持っていません。

                 『手紙』38,1885,p.8[57]

 

4.聖霊がエレン・ホワイトの心に真理を描いた

 どれくらい丁寧に『父祖達と預言者達』『善と悪の大争闘』『救い主 各時代の希望』を読んだでしょうか。私は、神が与えたその光に自分の確信が堅く立つことを全部、理解したいと思っています。なぜなら、私は、聖霊の力がその真理を拡大して見せ、そして、高貴にしたことを知っているからです。こう言っています。「これがその道です。汝は、その中を歩みなさい」。私の本の中に、その真理が言及されていて、「主がこのように言っています」と言葉によって保護されています。

 主の聖霊は、石の板の上に神の指によって書き写された律法のように、これらの真理を私の心と知性に書き写しました。偽りの父によって造り出された誘惑する科学、すべての悪に対してセンテンス(宣言)が布告される時、大いなる日の前に持ち出されるために、それは、今、契約の箱の中に存在しています。『手紙』90,1906[79](Colporteur Ministry p.126)

 

5.『善と悪の大争闘』の1911年改訂版 著者は何をなぜ説明しているか

――サナトリウムにて、カリフォルニア1911.7.25

親愛なる[F.M.]ウィルコックス兄弟へ

 数日前に、[カリフォルニア州]マウンティンビューで最近印刷された『善と悪の大争闘』の最新版1冊を受け取りました。また、ワシントンでも同様なものが印刷されました。この本に、私は喜んでいます。私は、そのページを読むのに多くの時間を費やしました。そして、その出版所は良い働きをしたと見ています。

 『善と悪の大争闘』の本について、私は、銀や金(純潔や純粋の象徴)以上のものと理解しています。私は、この本がこの[教会の]人々の傍らに届くことを強く願っています。『善と悪の大争闘』の原稿を書いている途中で、私は、神の天使達の臨在をしばしば意識しました。何度も、私が書いていた場面が、その夜の幻の中に新しい内容が私に表されました。それで、それらは、私の知性に新鮮に生き生きと存在していました。

 最近、この本は印刷活字が組み直される必要がありました。その電気製版は摩耗して傷んでいました。これを組み直したことによって、私は多大な負担を抱えています。しかし、私は苦情を言いません。しかしながら、その負担はどうであれ、私はこの新しい版をとても満足しています。

 きのう、私は、W.C.ホワイトが『善と悪の大争闘』の最終版と考えられることを、最近、私達の出版所の責任者達と文書伝道の働き人達に書いた手紙を読みました。そして、私は、彼は正しくてよい内容を書き表した[39]と考えました。

 『善と悪の大争闘』の印刷活字が組み直される必要のあることに気づいた時、その各ページに書いてある中で主がガイドして私が応答したそこに含まれた真理が最良の方法で述べられたかどうかを見ることによって、また、これら[…つもり]が、私達の信仰に属さないことを確信することによって、私は「私達はすべてを綿密に調べたつもりwouldです」を終結させる決意をしました。

 私達の[教会の]最も経験のある働き人達による調査を通した一つの結果として、その言葉遣いwordingの中に数カ所の変更が提案されました。それらの変更について、私は慎重に調べ、そして、同意しました。私は自分の命が長らえさせられ、私はこの[働き]とほかの執筆活動のための知性の力と明晰さを持っていたことを感謝しています。

 『使徒たちの働き』(艱難から栄光へ)の本を準備する間、主は私の知性を完全な平穏に保ちました。この本はまもなく出版のための準備がなされるでしょう。この本が出版のために準備される時、主が、私を休ませることが合うと見るならば、私は、アーメン、アーメンというでしょう。主が私に力とガイダンスを与える時、主が私の命を残しているならば、この[教会の]人々の会衆に私の証を生み出すために、私は書き続けるでしょう。

       署名 エレン・G・ホワイト 『手紙』56,1911[84]


 

第4部 キリストの受肉

 

はじめに               ――ホワイト遺稿管理委員会

 キリストの受肉を核心とした救済の計画は、私達が現在知ることのできる中で、研究しつくされたテーマです。そして、それは、永遠に属して続く時代を通して、最も重要な研究テーマでしょう。何度も何度も、数年を通して、エレン・ホワイトは、説教で伝え、手紙に書き、定期刊行物と本によって、神と人が一つになるこの崇高なテーマに感情をこめて触れました。これは、特に『救い主 各時代の希望』の中に存在しています。

 問題点を明確にする言及の多くは、『ユース インストラクター』の中に現れています。それらの多くからの引用、資料のようなものからの引用、ほかの原典からの引用は、すでに以下の文献中に表れていました。『セレクテッドメッセージ』第1pp.242-2891965献身用本『That I May Know Him』、エレン・ホワイトが世に出した『SDAバイブルコメンタリー』5pp.1126-11317a,pp.443-456、後者にある『セブンスデー アドベンチストの教理の質問と回答』(『セブンスデー アドベンチスト教理の研究』 三育学院短期大学 1976)についての補遺Bの再刊。

 機会あるごとに、未来を選択する項目は、普通に利用できない原典から前面に現れています。それらの様々なものがこの第4部「キリストの受肉」を構成するために集めてまとめられました。私達が、これらの美しく、時にみたところ計り知れない、様々な真理を再検討する時、私達は、エレン・G・ホワイトのこの言及を思い出されます。「キリストの受肉は存在しています。そして、一つの未知としていつまでも残るでしょう」『手紙』8,1895(68)(SDAバイブルコメンタリー』第5p.1129)

 しかし、私達が信仰によってそれらを捉えることができる時、これら偉大な真理は、私達のために存在しています。――ホワイト遺稿管理委員会


 

19章 キリストの受肉

 

 

 

 

 

1.キリストの人間性の完成 The Completeness of Crist's Humanity

 私達は、キリストがどんな方法で一人の小さくか弱い赤子になったのかを理解することができません。彼は、人々の息子達に似ていない特別な美しさで身を包んで地上にやって来ることもできたことでしょう。彼の顔は光で輝いていて、その容姿は背が高く美しかったかもしれません。彼は、人々が見上げる魅力として特別な方法でやって来ることができたことでしょう。しかし、これは、彼が人々の息子達の中に来るようにと神が計画した方法ではありませんでした。

 彼は、人類家族とユダヤ民族に所属した人々と同じになるために存在していました。彼の容貌はこれらのほかの人々と同じくなるように存在していました。そして、彼は、ほかの人々から区別され、外見を際立てさせ、特別な美しい容姿を持つために存在していたのではありませんでした。彼は、天と地の[住民の]前に一人の人間として立つため、人類家族の一人としてやってくるために存在していました。彼は、罪人達が負った罪過を贖うため、人間の味方として自分自身で堅い約束をするため、人間の立場を取るために来ました。彼は、地上で清い生活を生きるために存在していました。そして、サタンが「人類家族は永遠に自分に属するものとなった。神は、自分の手から人々を引き離すことができないだろう」と、主張した時に、彼は偽りを言ったことを示しました。

 人々は、最初、赤子として、子どもとして、キリストを注視しました。……

 さらに深く、私達は、この地上で一人の赤子になったキリストについて考えています。最も素晴らしい赤子が現れています。ベツレヘムの飼い葉桶の中のか弱いその赤子、神のひとり子は、まだ、神性が存在するということが、どのようにしてありうるのですか。私達は、それを理解できないけれど、この世界を造った彼は、私達のために、か弱い赤子になったということを信じることができます。どんな天使達よりも高いけれど、天の御座の父と同じ大きさだけれど、彼は、私達と同じ人になりました。彼の中で神と人が一つになり、そして、私達が罪に陥った人類に関して見つけた希望はこの事実の中にあります。肉体の中のキリストを見上げてください。私達は[彼の]人間性humanityの中に神を見上げていて、そして、彼の中に神性divineの栄光の輝き、天の父の神のかたちimageの現れを見ています。        『ユース インストラクター1895.11.21(68)

 

2.罪に陥った人間性のレベルにまで降りたキリスト

 キリストは一つの計り知れない犠牲を作りあげました。彼は私達に自分の命を与えました。彼は、神の律法を違反した結果の魂に、自分の神性divineを再び与え始めました。彼は、王冠を降ろして、罪に陥った人間性humanityの高さにまで一段ずつ降りるために身を低くしました。

           『レビュー&ヘラルド』1901.4.30(74)

 イエスはヨルダン川から誘惑の荒れ野へと導かれました。「彼が4040夜、断食した時、空腹になりました。その後で、誘惑者が彼にやってきた時、彼は、汝が神の息子であるなら、これらの石がパンになるようにと命じなさいと言いました」(マタイ4:2-3)

 キリストは、厳しい空腹の苦痛を耐え忍んでいました。そして、この誘惑は、人にとって、残酷なものでした。しかし、彼は、[人の]破滅が始まった所で、贖いの働きを始める必要がありました。アダムは、食欲のこの点でしくじりました。そして、キリストはここで打ち勝つ必要がありました。彼にとどまった力は、天の父から直接に届きました。そして、彼は、自分自身の味方[神性]によって体験してはならないのでした。その長い断食の中には、彼の体験の中の一つの抵抗力と神だけが与えることのできる力が織り込まれていました。彼は、「主はこのように言っています」「人はパンだけによって生きるのではありません」という力によって、その敵に立ち向かって抵抗しました。彼は、「神の口から出されたものに由来する全ての言葉によって生きるのです」と言いました。

 この力は、地上の誘惑された全ての人々が持つための特権です。キリストの体験は、私達の益のためにあります。彼の食欲に打ち勝つという手本は、彼に追随する人々のためにその打ち勝つ方法を示しています。

 キリストは、誘惑下で苦労している人類家族の一員として耐え忍びました。しかし、自分の神性divineの力を自分自身の味方として用いることは、神の御旨ではありませんでした。キリストは私達の代表として立っていたのではなかったので、彼の無罪性がこの全ての苦悶から彼を免除したことでしょう。しかし、彼がサタンの激しい攻撃を感じたのは、彼の無罪性のゆえでした。罪の結果としての全ての苦しみは、罪のない神のひとり子の懐に注がれました。サタンは、キリストの踵を傷つけていましたが、すべての苦しみはキリストによって耐えられました。全ての悲しみ、不安は、人類を贖う壮大な計画を実現しました。敵によって加えられた全ての一撃は、敵自身に跳ね返っていきました。キリストは蛇の頭に傷を負わせました。      『ユース インストラクター1899.11.21(72)

 

3.キリストは誘惑に屈する能力があったか

 キリストに対する誘惑に関するあなたの手紙の中で、「彼が神と一つだったから、彼は罪に陥らなかったのでしょう」と書いています。……私に尋ねているその点は、サタンとその天使達の支配下にあったと思われる、荒れ野での私達の主の闘いの大場面で、主はその人間の性質の中に、それらの誘惑に屈する可能性があったのでしょうか。

 私は、この重要な質問への回答を試みるつもりです。彼は神として誘惑を受けたのではないでしょう。しかし、その誘惑に屈するように、強力に、一人の人間として、彼は誘惑を受けたでしょう。彼の人間の性質は、アダムとエバが通った道と同じテストを通って然るべきでしょう。彼の人間の性質は造られましたが、それは、まさに、天使が持っているような力ではありませんでした。それ[彼の性質]は、私達自身と同一の人間でした。彼は、アダムが罪に陥ったその戦場を乗り越えていきました。彼は今の人の状態でした。彼が、罪に陥った人類の味方としてそのテストと試練に耐えたならば、私達自身の人間性の中の、アダムが失敗した罪に陥った不名誉を贖うでしょう。

1)キリストは人間の身体と人間の知性を持っていた

 人間の身体と人間の精神は、彼に存在していました。彼は、私達の肉の肉、骨の骨でした。彼は、この世界に自ら最初に入った、清貧の被験者になりました。彼は、彼自身の住み家の彼の兄弟達の間で、試練と失望にさらされました。彼は、天の庭にいるような清く高潔な人物達に囲まれませんでした。彼は困難に取り囲まれました。彼は、清い、罪のない品性を保つために、また、神の律法を守ることは人間には不可能だというサタンの嘘の間違いを証明するために、私達の世界にやってきました。キリストは、自分がしていたように人々がするならば、全ての人が人間の性質で神の律法を生きることができる道、すなわち、彼の持っている人間の品性によって神の律法を生きるために来ました。彼は、人の益となることを書くために、老いた清い人々に霊感を与えました。「私の力を彼に与えましょう。彼は私と共に平和を作るでしょう。そして、彼は私と共に平和を作るでしょう」(イザヤ27:5)

 豊富な方策はその限界に達するまで作られました。罪に陥った人々は、キリストが人間の性質で打ち勝った同じ活力源を通して、神に繫がることができるでしょう。キリストがしたように、人は全ての誘惑に対して堅く立てるでしょう。人間の性質が不快な被験者[罪の奴隷]にされたように、彼は不快な被験者にされました。彼は私達が呼吸している世界の空気と同じ空気を呼吸しました。私達が持っている明白な根拠、私達が住んでいる世界と同じ世界、彼が地に立って旅をした世界は、それが今日のものよりも、恵みと義に友好的ではありませんでした。

 

 

2)彼の性質/属性は私達のためでしょう

 主に存在している高貴な性質は、私達が持つための特権です。私達が望むならば、彼が作った方策によって、心をこめて[人間性の]悪い性質の中に善い性質を涵養するこれらの祝福を当てるでしょう。私達は、存在しうる人間のそれらの全ての性質/属性――理性、良心、記憶、意思、感情を持っています。神と神の御子がサタンの束縛から人間を救出するために一つの契約を作った時に作られた方策を通して、作られた人間の性質は、主の神性の性質との結びつきに至るでしょう。このような一つの性質において、私達の主は誘惑されました。彼は、アダムがした時に、サタンが投げかけた示唆に屈する自由を持っていたでしょう。しかし、私達は、たった一つの点も、微量や一画も認めない神の子羊をたたえ、崇めるでしょう。

3)キリストの中に溶け込んだ二つの性質

 神性の性質に与る者として、私達は、清く、聖で、汚れのない者として立つでしょう。神Godhead(父・子・聖霊)は人間[によって]造られませんでした(The Godhead was not made human,)。また、人間はその二つの性質[人間性と神性]を互いに融合させることによって神格化されませんでした。キリストは、私達が潜在的に持っているものと同じ罪深さ、不純、不忠実を潜在的に持っていませんでした。それゆえ、彼は完全な生け贄という存在ではないでしょう。                 『原稿』94,1893(66)

4)キリストが遭った誘惑の現実性

 キリストに追随する人たちが試練や悩みに遭遇している時、その人は失望してしまうために存在しているのではありません。自分の将来の全ての可能性を悟れなくても、その人は自分の確信を投げ出してしまうために存在しているのでもありません。敵と苦闘しながら進む時、その人は、試練と落胆にあった救い主の生活を思い出すでしょう。天の存在者達は、必要な時にキリストに奉仕の働きをしました。また、これは、主の生活における闘いや誘惑から解放される一つをなしていませんでした。主は、あらゆる点において、また、罪を犯すことなく、私たちが受けているのと同じ誘惑を受けました。主の民がこの手本に倣うならば、また、主の霊/精神を吹き込まれるならば、天の使い達はその人々に奉仕の働きをするでしょう。

 キリストが試された誘惑は恐ろしく現実的でした。解放の使者agentとして、彼は、サタンの誘惑に屈する自由と、神の目的である十字架の働きに報いる自由によって試される立場に置かれていました。もしも、そうではなく、もしも、失敗することが、彼にとってできないことだったならば、彼は、人類家族が誘惑されているのに、あらゆる点において誘惑されたのではなかった可能性があります。

 キリストが受けた様々な誘惑、そして、それらの誘惑の下での数々の苦悩は、罪のない品性、彼の高貴さに釣り合っていました。しかし、すべての苦悩の時に、キリストは彼の父に思いを向けました。彼は道徳的な失敗の恐怖が死の恐怖だった時に「血で抵抗しました」[へブル124]。彼がゲッセマネで祈った時、彼の魂の苦悶の中で、血のしずくが彼の毛穴からしたたり落ちて地面を濡らしました。彼は、強い叫びと涙によって祈り、そして、恐れていたことを聞かせられました。神は、自分自身の魂と体と精神()を神の手の中の契約を守ることに賭け、自分自身を謙虚にする全ての人々を力づけるように、彼に力を与えました。

 十字架上にいるキリストは、ほかの人が知ることのできない、サタンの恐ろしい誘惑の力を知っていました。そして、彼の心臓と心は、かの敵によって捕らえられて死んでいく泥棒のために、同情と哀れみを注ぎ出しました。       『ユースインストラクター』1899.10.26(72)

 キリストの心臓と心は、彼の両手と両足に突き刺さった釘による原因より以上に、もっと鋭い痛みによって突き刺されました。彼は、律法の違反に対する神の怒りのために私達の刑罰を受けていて、全世界の人々の罪を負っていました。彼の試練は、神によって断絶されたという考えの激しい誘惑へと巻き込んでいました。彼の魂は、厳しく恐ろしい試練の間、彼の正しさからそのようにされる以上に、漆黒の闇の圧力によって拷問を受けていました。

 そこに、屈する自由の可能性が一つでもなければ、誘惑は存在しません。誘惑は、人間が悪い行動をするように強く影響を受けた時に、神性の力を堅く捉え、信仰による、様々な抵抗など、人がそれをすることができることを知っている時には、抵抗されています。これは、キリストが乗り越えた厳しい試練でした。    『ユースインストラクター』1899.7.20(72)

5)私達はキリストが勝利したように勝利するでしょう

 キリストの愛と義、また、神の律法の不変性は、彼の死による以上に、主の生涯によって明らかにされました。彼は、人間の性質を、その弱点や傾向、衝動と共に身に帯びました。……彼は「あらゆる点で私達と同じように誘惑され」ました(ヘブライ4:5)彼は、人間が体験できない、力のない自分自身を味方にするという体験をしました。彼は、人間として誘惑に会いました。そして、彼の神が与えた力によって勝利しました。彼は、完全な/成熟した従順の手本を私達に与えています。彼は、私達が神性の性質に与る者となれるように準備しました。そして、私達に、彼が勝利したように、私達が勝利できることを保証しています。キリストの生涯は、彼が受けた神性の力と似た助けによって証しました。人間にとって、神の律法に服することの可能性が存在しています。 『原稿』141,1901(74)

 

4.神はこの世界の人々に一人の罪のない存在者を送った

 神が天からこの世界の罪人達に現すために、罪のない存在者を送った時、主は私達のために主ができる最善の事柄を行ないました。これらの救われる人々には、キリストがその中に形成して持っている清く、汚れのない品性/個性が存在しているに違いありません。主は、神のひとり子によって、その[人間性の]理想像を送り、そして、人々に、この理想像と調和した品性を形成するようにと勧めました。     『手紙』58,1906[79]

 

5.人間は罪のない道徳的性質の状態に造られた

 天の協議で、神は「私達に似せて倣った者として、私達のかたちour imageに人を造りましょう。……そこで、神は自分のかたちによって人を造りました」と言いました(創世記1:26)。主は、人の様々な道徳的能力と体力を造りました。全ての人々は、主自身の罪のない書き写しでした。神は、人に、清い属性/性質を授け、そして、彼のために特別に作られた園を守る役割を与えました。罪のみが、全能者の手によって造られた存在者達を破滅させるでしょう。    『ユースインストラクター』1899.7.20[72]

 

6.ほかの人々の病を身代わりとして担った

 キリストだけが、すべての人類家族の苦悩を負うことができる存在者でした。「全ての人々の苦悩を、彼は苦しみ悩みました。彼は、彼自身の身体の中に病を持っていませんでした。しかし、彼は、ほかの人々の病を担いました。人間性の苦難が彼に重圧となった時、完全に健康な成人男子だった彼は、人々と共に苦しみ悩んだ一人のようでした。……

 地上での彼の生涯の中で、キリストは成熟/完全な品性を発達させ、彼の父の戒めに完全な従順を示しました。人間性の形を取ってこの世界に来ても、律法の奴隷になっても、また、彼は人々の病、彼らの悲しみ、彼らの罪を負ったことを人々に啓示しても、彼は一人の罪びとにはなりませんでした。パリサイ派の人々の前で、彼は「あなたとわたしのどちらに罪がありますか」と言ったものでした。罪の汚れの一つも、彼の上に見られませんでした。彼は、汚点のない神の子羊として、この世界の人々の前に立ちました。        『ユースインストラクター』1898.12.29(71)

 

7.キリストの無罪性は、サタンを狼狽させた

 世界の人々の贖い主、キリストは彼を取り囲んで影響を及ぼす所に置かれませんでした。これは、彼の汚されない道徳と清らかな生活を保つように意図されていたものでした。また、彼は汚されませんでした。彼は、誘惑から解放されていませんでした。サタンは、自分の策略によって神のひとり子をだまして勝とうと熱心に努力を続けていました。

 キリストは、罪の汚点を残さずに地を歩んだ唯一の人でした。彼は、清く、汚点なく、純粋でした。そこには、罪の創始者をひどく狼狽させ、地を罪で汚すことのない一人の御方がいるでしょう。彼は自分の悪賢いだます力によってキリストに勝利しようとして、未経験のままの意味の無いものを残しました。しかし、私達の救い主は、誘惑する者に抵抗し勝利するため、知恵と力を求めて、天の父に信頼しました。天の父の聖霊は、彼の生活を元気づけ、よい状態にしました。彼は罪がありませんでした。美徳と清らかさは彼の生涯を特徴づけました。

             『ユースインストラクター』1873.2[46]

 

8.私達の罪ある人間性はキリストの神性に結ばれる

 主は、自身の品性を罪で染めませんでした。また、彼は、私達の罪の人間性を彼の神性に結ぶために身を低く謙遜にしました。このように、人間性を取ることによって、彼は、人間性に栄誉を授けました。私達の罪ある性質を身に受けて、彼は自分がそのために作った十分な蓄えを受け入れることによって、また、神性に与る者にふさわしい状態になることによって、それ[人間性]がふさわしい状態になる可能性があることを示しました。

                   『手紙』81,1896[69]

 

9.今日の神の子ども達として誘惑された

 人は「キリストは、神のひとり子だったので、今の神の子ども達が受けるような誘惑を受けなかった」と考えることができます。御言葉は、彼は私達が受けた誘惑と全ての点で同じような誘惑を受けましたと言っています。           『ユースインストラクター』1873.4[46]

 

10.その受肉は何を成し遂げたか

 主は、贖われるために人間を造ったのではなく、神のかたちimageを生み出すために造りました。しかし、人間は、罪を通して神のかたちを失いました。神が一人の神の子を作って人のために達成できるデザインは、人間の贖いによるものだけに存在しています。

 「彼を受け入れた多くの人々に、彼の名を信じる彼らのために、彼はその人々に神の子になる力を与えました。その人々は、血縁ではなく、肉に属する意思によるものではなく、人間の意思に属するものではなく、神に属するものとして生まれました。神の言葉は、肉体となり、そして、私達の間に住み、(そして、私達は彼のその栄光、天の父のひとり息子だけに属する栄光を見上げ)、恵みと真理に満ちました。……そして、彼に満ちている恵みのための恵みのすべてを私達は受け取りました」(ヨハネ1:12-16)。

 自分自身の選択や従順によって人間のために身代わりになったという理由によって、そして、その罪に落ちて失った後で神の与えた恵みを通して、人間に最初にしるされたそのかたちimageを生み出して、人間は神の意図を達成するでしょう。

1)キリストの従順は私達とまったく異なっていない

 偉大な教師は、罪を贖うためだけではなく、手本や道徳的教えの両方の教師として存在するために私達の世界に来ました。彼は、人間性によって神の律法の守り方を人間に示すために来ました。そのため、人間は、自分の不完全な判断によって従おうとしなかったのでしょう。私達はキリストの従順を見ています。彼の生涯は罪のないものでした。彼の生涯続いた従順は、不従順な人間性への一つの譴責です。キリストの従順は、彼が私達個々人に求めている従順と全く異なっているとして棄てられるために存在しているのではありません。キリストは、神の律法を守って行動することはすべての人間性に可能であるということを私達に示しました。

 キリストの働きは隔てられた心の奉仕ではありませんでした。キリストは彼自身の意思を行なうために来たのではありませんでした。そうではなく、彼を遣わした神の意思を行なうためでした。イエスはこう言っています。「できる限りの従順によって、神のひとり子の足跡を歩みなさい。私は天の偉大な組織との共同によって従順に歩みました。あなた方は、神のひとり子と共同運営のようにして従順に歩むために存在しています。時には、あなた方はその小道がはっきりと見えないでしょう。その時、神に求めなさい。神は、一緒に全ての問題を解決して前に進むために、あなた方に知恵と勇気と信仰を与えるでしょう」。私達は、私達の主に属している真の人間の性質について、可能な限りに知りたいと願っています。神性と人間性はキリストの中で結ばれていて、両方とも完璧です。

 私達の救い主は、神のひとり子として、人間との真の関係を引き継ぎました。私達は神の息子たち娘たちです。私達自身の慎重な振舞い方を知るために、私達はキリストが導いている道を追随する必要があります。30年間、彼は、成熟の最も高い標準を満たして、完全な人としての生涯を送りました。それから、神によって、不完全ながら人に希望を持たせさせました。「私が異なる性質に属した者だったならば、私は神に奉仕しましょう」とは言わず、真の奉仕によって主に自分自身を連れて行って、……その性質は私によって贖われましたと言うでしょう。「彼の名を信じる人々、彼を受け入れた多くの者達に、神の子らとなるための力を彼らに与えました」(ヨハネ1:12)。すなわち、あなた方は、地位を落とされませんでした。反対に、私によって地位を高められ、品位を高貴にされ精錬されました。あなた方は、私の名によって勝利を得ることができて、勝者以上の者となるでしょう。               『手紙』69,1897[70]

 

11.サタンは「人間は神の律法を守れないだろう」と主張した

 世界の人々の贖い主は、現されたヤハウェ(hwhy)の律法へのアダムの不従順のゆえに、彼が罪に陥ったその戦場を乗り越えていきました。そして、唯一、人間の父となった神のひとり子は、神の律法を守ることが人々に可能だということを世界の人々に啓示するために、一人の人間として私達の世界に来ました。サタンと堕落した天使達は、アダムの不従順の後、神の律法を守る人はいないだろう、と明言しました。彼は、人類全体が自分の支配下にあると主張しました。

 神のひとり子は、自分自身を罪人の立場に置いて、アダムが失敗したその戦場を乗り越え、そして、あの荒れ野の誘惑を耐えました。かつて存在したものよりも何百倍も強かったそれ[忍耐]は、人類に生み出し、もたらされるでしょう。イエスは、「それは書かれています」と霊感が記録し、そして、言っていると彼に主張することによって、全ての誘惑された魂が抵抗できる方法と同じ方法でサタンの誘惑に抵抗しました。

 

1)人間性は神性の力によって神の律法を守ることが可能

 キリストは、一人の人間としてサタンの誘惑に勝ちました。全ての人間はキリストが勝利したように勝利するでしょう。彼は、自分自身を私達のために身を低く謙虚にしました。彼は、私達が受けるのと同じくあらゆる点で誘惑を受けました。彼はアダムの恥ずかしい失敗と罪に陥ったことを贖いました。また、彼は神性の力が天の彼[キリスト]にかなえたことを通して人間が神の戒めを守れるように、罪に陥った人間のため、また、罪に陥っていない世界の存在者のためにこのような証をした勝利者でした。神のひとり子イエスは私達のために自分自身を低く謙虚にして、私達のために誘惑に耐え、そして、私達がどのようにしたら誘惑に勝てるかを示すために、私達の味方として来ました。このように、彼は、彼が作った誘惑のための逃れの道で、私達に可能で私達が誘惑されないような堅い絆によって、人間性と彼の関心を結び付けて明白な保証を与えました。

2)聖霊は私達が勝利者になることを可能にする

 聖霊は、神の王国の未知についての無知を指導し、超自然的な力で行為者としての人間を励まし、すべての権勢の実演によって、勝利のために格闘していた人々と共にいるように約束しました。威厳の助け手として存在している聖霊は、一つの素晴らしい約束でした。もしも、世界の贖い主によって良い結果となった私達の事例に、効果をもらすための働き人を生み出し、常に働いている者として、聖霊が与えられていなかったならば、神のひとり子が身を低くして、地上での全ての生涯の間に悪賢い力の誘惑に耐えて、闘って、人間性が滅びないように不正に対して公正に死んだということが私達のために存在している、それは何の益があったのでしょうか。

 分け与えられた聖霊は、主の弟子達と12使徒達に、主、彼だけを賛美することと、すべての種類の偶像崇拝に反対して堅固に立つことを可能にしました。世界中の人々へイエスキリストの働きと教えの数々の貴重な記録をプレゼントした神聖な歴史家達のペン/文筆を導いた者は、主の聖霊と神性の力によるイエスキリスト以外の誰でしょうか。

 約束された聖霊、彼が天の父の所に昇天した後で、彼が送った聖霊は、カルバリーの十字架の上の公的で偉大な犠牲に注目を引き付ける働きを常にするため、また、人間のための神の愛を世界中の人々に明らかにするため、罪を悟った魂に御言葉の貴重な事柄を開示するため、また、曇った心の人々に義の太陽の光線の閃きを照らすために存在しています。人々の心に宿った真理は、永遠の真理の知識を目覚めさせて、その人々の中で燃えたたせています。

 人々の知性の前に道徳的な義の標準を現して罪を納得させているのも、また、悔い改めの働きとしての信心深い悲しみを作り出しているのも、全ての罪から救うことができるのは主だけだと信仰の実践を鼓舞させているのも、みな、聖霊の働きです。

 世俗や滅びやすいものの傾向を取り去って、品性を形成するために人間の知性に働くことができるのも、そして、不滅の遺産を与えることによって熱い希望で魂を染めているのも、みな、聖霊の働きです。永遠の地は、滅びることなく、新しく作られ、素晴らしく上品にされていて、人間性の行為者達を聖化しています。その人々は天の王国の子ども達、王家の家族のメンバーになるでしょう。……

3)キリストは一人の人間として勝利した

 罪に陥った私達の最初の親は、神性への人間の意思の内在的な従順に属する黄金の鎖を打ち壊しました。従順はもはや無条件の遵守を考えられなくなりました。人間性の行為者達は自分自身の想像に付き添っています。主は、旧世界[ノアの洪水前]の住民達は悪く、それを続けたと言いました。主イエスは、私は父の戒めを守り通したと言いました。どのように[守ったの]ですか。一人の人として守りました。見よ、私は、神、あなたの意思を為すために来ました。ユダヤ人達を譴責するために、彼は、清く、徳に高く、聖なる品性で立って、彼らに異議を申し立てました。「あなた方のうちで誰が私に罪があると証明できますか」。

4)罪のための犠牲と私達の模範

 世界中の人々の贖い主は、罪の犠牲になるためだけではなく、聖化など人間の品性のあらゆることについて、人間の模範となるために来ました。彼は、世界中で以前に聞かれたことや見られたことがなかった教育者、教師でした。彼は一つの権威を持って語りました。また、彼はすべての人々を信頼して招きました。「重荷を負って苦労している者はみな、私のもとに来てください。あなた方は私のくびきを着けてください。私は心が優しく謙遜な者ですから、汝らは、自分の魂に休息を見つけるでしょう。私のくびきは負いやすいので、私の重荷は軽やかです」(マタイ11:28-30

 永遠の神のひとり子は、その言葉[]、私達に残した簡単な様式の実際的で、私達が真似るために存在している手本を持っています。彼の言葉によって、彼は私達に神への従順を教えました。彼自身の実践によって、彼は私達にどのように神に従順にできるかを示しました。

 キリストは、私達がどのように従順な[神の]子ども達になることができるかの明確なルールを示して与えただけではなく、彼は自分の生活と品性において、神に受け入れられる正しい事柄をするための公正な方法を私達に示しました。それで、私達が彼の視界の中で喜ばれるこれらの事柄をしない理由はありません。

5)彼は、サタンの主張の誤りを立証した

 私達は、人間が神の戒めを守ることができないというサタンの誤った考えに反論をして、人間は神の戒めを守ることができるという行動による事実によって私達に証明したことをいつまでも感謝するために存在しています。その偉大な教師は、すべての人々に神の求めを示した彼の聖なる従順によって、このように人間性を清め高めるため、人間の長として立つために私達の世界に来ました。神の全ての戒めに従って行動することは可能です。彼は、生涯続く従順が可能であることを実践して証明しました。人々の命の命、イエスキリストによって例証するために、天の父がその子を与えたように、彼は、この世界中の人々へ代表となる人として神に選ばれた人を与えています。

6)彼は真の人間としての試験に立った

 私達は、キリストが特別に繫がれた何かによって、また、彼の特別な神性の性質によって、彼の従順の位置に立つ必要がありません。彼は、誘惑された人間達の代表として、また、人間の代わりや保証人として、神の前に立ちました。もしも、キリストが、人間が特権として持てない特別な力を持っていたならば、サタンはこの内容が自分に利をもたらすことでしょう。キリストの働きは、サタンの主張から彼の支配下にある人を取り返すために存在していました。そして、彼は、一人の人として来て、一人の人として誘惑されて、一人の人の従順を実践して、この方法によってだけこのことを為すでしょう。…

 キリストの勝利と従順を知性の中に生み出すことは、真の人間に属しています。私達の推論の中に、私達の間違った見方のゆえに、私達の主の人間の性質について、多くの勘違いをしています。私達が主の人間性に一つの力を与えた時、私達は主の人間性の完全さを壊しているので、サタンとの闘いをすることは人間にとって不可能です。主は、主に帰した恵みと力を信仰によって彼を受け入れたすべての人々に与えています。天の父へのキリストの従順は、人間に求められた服従と同じ従順でした。

 人間は、主の手段と結ばれた神性の力なしにサタンの誘惑に勝つことができません。そういうことなので、人は、イエスキリストと神性の力をつかむことができるでしょう(So with Jesus Christ, He could lay hold of divine power.)。彼は、偉大な神に小さい従順を示すために私達の世界に来たのではなく、一人の人間として聖なる神の律法に従順を示すために来たのでした。この方法において、彼は私達の手本です。

7)イエスは人間が為すことが可能なことを示した

 主イエスは、神がすることのできることを明らかにするためではなく、あらゆる緊急事態で助けるための神の力への信仰を通して、一人の人間がすることのできることを明らかにするために、私達の世界に来ました。人間は、信仰を通して、神性の性質に与る者となるため、また、その人が取り囲まれている場所の全ての誘惑に勝利するために存在しています。主は、今、アダムの全ての息子娘達に、イエスキリストへの信仰を通して、私達が今持っている人間性によって奉仕することを求めています。

 主イエスは、罪が作った淵に橋を架けました。彼は、天と地、有限な人間を無限の神に繋ぎました。世界の人々の贖い主、イエスは人間がそれらを守ることができる同じ方法で、神の戒めを守る能力があります。「それゆえ、これらのものによって、強い欲望の世界にいて破滅を逃れ、あなたがたが神性の性質に与る者となるために、卓越した偉大なものと貴い約束が私達に与えられています」(2ペテロ1:4)。……

 私達は、彼の神の子の身分と彼の人間性を生み出して、キリストの手本を実践する必要があります。荒野で誘惑されたのも、彼自身に反対して罪びと達の反論に耐えるために存在していたのも、神ではありませんでした。一人の人間になった、私達の人間性にまで自分自身を謙虚に、身を低くした天の威厳ある御方でした。

8)どのように、私達は神に奉仕するために存在しているか

 私達は、自分達に人間性が存在していなかったかのように、神に奉仕するために存在しているのではなく、私達は、神のひとり子によって贖われて、自分達が持っている人間性によって彼に奉仕するために存在しています。キリストの義を通して、罪を持っていなかった者として、許した神の前に、私達は立つでしょう。私達は、自分が天使だったならできる、と考えることによっては力を得ないでしょう。私達は、キリストイエスへの信仰に向かうために、また、神の戒めへの従順を通して、私達の愛を神に示すために存在しています。イエスは、「罪がないけれども、私達と同じようにあらゆる点で誘惑に会いました」。イエスは「私に従ってください」と言っています。「誰でも、私の後についてくるならば、自分を否定し、そして、自分の十字架を負って、私についてきてください」。『原稿』1,1892[65]

 

12.キリストの現実的な意味

 キリストは、自分で人間性を引き受け、そして、犠牲の生涯に降りて来ました。人間は、神性に与る者となることによって、永遠の命を持てるでしょう。キリストは犠牲だっただけではなく、犠牲を捧げた大祭司でした。彼は「私が与えるそのパンは、この世界中の人々の命のために私が与える私の肉です」と言いました(ヨハネ6:51 KJV)。彼は、あらゆる罪に関して無罪でした。彼は、神の律法の違反によってサタンに自分を売り渡した人々、人類家族のための彼の命、それゆえ彼が努力して得た財産となった人々のための身代わりとして自分自身を与えました。

 「私の父が私を愛しているゆえ、それで、私は自分の命を捨てます。私はそれを再び受けるでしょう。私からそれを取る人は一人もいません。私は自分でそれを捨てます。私はそれを再び得る力を持っています。この戒めは私の父から受けたものです」(ヨハネ10:17,18)。

 「罪の労賃は死です」(ローマ623)。罪に陥る前のアダムに、主は「汝がそれを食べるその日に、汝はきっと死ぬでしょう」(創世記217)。「もしも、あなたが私の律法に違反するならば、死はきっとあなたを罰するでしょう」と言いました。神の戒めへの不従順によって、彼は自分の人生を義性にしました。

 罪に陥る前のアダムは、その呪いの結果から解放されていました。彼が、誘惑者によって激しく迫られた時、罪の結果は彼にまだ存在していませんでした。彼は、考えも行動も完全/成熟に造られていました。しかし、罪に対して自由を放棄し、そして、高尚で聖なる財産を失いました。

1)罪深い肉体のようになって

 第二のアダム、キリストは罪深い肉体になって来ました。人間の味方として、彼は悲しみ、疲弊、空腹、渇きのための被験者になりました。彼は、誘惑のための被験者でした。しかし、彼は、罪に対して自由を放棄しませんでした。罪に染まることは、彼に存在しませんでした。彼は、こう言いました。「私は、[地上での生涯の間]自分の父の戒めを守り通しました(ヨハネ15:10)。彼は父の意思に完全に従順だったので無限の力を持っていました。その第二のアダムは、全ての人間の所有者になるための試練のテストの場に立っていました。      『原稿』99,1903[75]


 

第5部 人類救済の原則

 

はじめに                          題目編纂者

 救いの基本的な要素は、エレン・G・ホワイトのほとんど全ての本の中のおびただしい定期刊行物の中に書き著されています。1888年ミネアポリスSDA全体総会での聖書研究と議論は、唯一のキリストを信じる信仰による救いの様々な要素に焦点を当てていました。それは、牧師達と一般信徒達両方の多くの人々によって失われていた見解のうちの真理の一つでした。『セレクテッドメッセージ』第151頁の「キリスト私達の義」の部はミネアポリスでのテーマ設定において、この強調を表明しています。信仰による義の基礎的で最も重要な真理に満足したエレン・ホワイトは、この総会で目立って先頭に立たされました。そして、彼女は、なんと、ほかの人々と共にこの祝福されたメッセージをこの教会の人々へ伝達する[メンバーの]中に入りました。しかしながら、それは、一つの真理で、数年を通して、彼女の説教と著作物を書き溜めた中に入っていて、いつもバランスの取れた方法で書き著されていました。これは、いくつかの発表によって、エレン・G・ホワイトの本『信仰と働き』(信仰と行い)を構成する1881年から1902年までの記事と講演に含まれていることが証明されるために存在していました。

 この第五部は、信仰と働きに関係ある生き生きとした様々な真理を3つの章によってもたらしています。第1章は、1850年から1888年にエレン・ホワイトによって書かれた代表的な言及に貢献しています。彼女の明白な考えは、信仰による義のバランスの良い提示によって立っていることを示しています。第3章は、彼女の一貫した主張の見解をもたらしています。23の典型的な言及だけが、この生き生きとした真理を著していて彼女の働きを私達に思い起こさせるものを含んでいます。それは、まさに、その福音の中心です。第2章、歴史に関する特質は、ミネアポリスSDA全体総会の彼女の体験と、その総会に続いた数か月の間に、この体験に関係した彼女の側の働きを表しています。この章は彼女の歴史的な回顧のための背景を与える幾分拡大した記事によって紹介されています。――題目編纂者


 

 20章 初期の奉仕の働きにおけるエレン・ホワイトの表明の原則

 

 

 

 

 

1.初期の奉仕の働きにおけるエレン・ホワイトの表明の原則

1)自分から離れてイエスを見る――1850

 天の使いは「神への信仰を持ってください」と言いました。私は、厳格な信仰を試みた人を見ました。信仰はとてもシンプルです。汝らはその先を見ています。サタンは正直な神の子ども達の誰かをだますために試みをして、そこに価値を見つけるために自己を見ている人々を得ました。その人々はイエスの価値を自分から離れて見る必要があること、依存的で無価値な自分を投げ出す必要があること、信仰の働きと主からの栄光によって、主の恵みと導きの上に存在している必要があることを私は見ました。

                      『手紙』8,1850[23]

2)イエスの功績を唯一信頼する

 この教会の家族の全てのメンバーは、悪賢い敵に抵抗することができるように、多くの正しいことがあることを知性で思い起こせるでしょう。その一人ひとりは熱心な祈りと堅固な信仰を持って、キリストの血の功績に信頼し、主の救いの力を叫ぶ必要があります。

 闇の勢力は、その魂の周りに集まっていて、そして、暗雲が過ぎ去るまで、私達が悲しんで戸惑いながら待つことしかない時、私達の視界からイエスを遮っています。その期間はある場合には恐ろしいものです。希望が失われたように思えて、絶望が私達を支配しています。そのような酷く嫌な時の間、私達は、信頼すること、その贖いの功績にだけ信頼することを学ぶ必要があります。私達の力のない無価値さの全てを、救い主の十字架の功績と復活に自分自身を投入する必要があります。私達はこのことをしている間は、決して、滅びないでしょう。『証』第1巻pp.309,310.1862

3)信仰生活を清める真理

 P兄弟と姉妹は、夫婦の家と心をきちんと整頓する働きをしています。……[しかし][P兄弟]は、生活と言葉と行動に作用している心に、神の聖霊の必要を考えることも思うこともしませんでした。彼はあまりにも形式[だけ]を宗教体験に取り入れました。

 ある真理のある理論を彼は見て調べて理解しました。しかし、彼は、その真理にある聖化の特別な働きを熟知するようにはなりませんでした。自我が現れました。もしも、何かの事が、彼の基準に合致しなかったことについて集会で語られたならば、彼は、愛と人間性によってではなく、厳しく容赦なく断ち切るような言葉で非難したことでしょう。この手厳しい言葉を使うことは、どんなクリスチャンにとっても、特に、多くの重い役割体験をする必要のある人、正される必要のある多くの間違いを持っている人には相応しいことではありません。   『原稿』2,186942歳)

4)真の聖化が生み出す果実

 あなたは、元の記事には存在していなかった、正しい性質の果実を生み出す聖化sanctificationと 聖化holinessの見解を取り上げました。聖化は外側の働きではありません。それ[聖化]は、祈りや集会での奨励によって成り立っているのではなく、それは、信仰生活そのものに定着して、そして、品性を変容させ言葉と活動を形成して成り立っています。……

 ここに、大教師Masterの精神を持っている真に聖化された人によって満たされる必要がある重要な立場があると思えます。また、そこには、自我に勝利する明白な必要があります。その人々の働きとその努力の成果は、その人々の品性の中の欠点によっては損なわれないでしょう。

                    『原稿』6,187447歳)

5)エノクとエリヤによって完全にされた品性

 アダムからのすべての世代のある人々は、自分のあらゆる工夫したもので抵抗して、――サタンの力に勝利するように人間を助けている、キリストの人間の努力と共なる働き――の行動と存在が人間の能力に存在していた高潔な代表として前に立ちました。エノクとエリヤは、彼らがそうなることを選ぶならば、人類がイエスキリストにある信仰を通して存在する可能性があるという正しい代表でした。サタンは、これらの高潔で聖化された人々が、完全な義の品性で、天に引き上げられる価値ある者と数えられていて、彼らを取り巻いていた道徳的に汚れた人々の真ん中に立っていたために、ひどく狼狽しました。彼らが、サタンの誘惑に打ち勝って、高潔で正しく、道徳的な力で前に立った時、彼は死の支配下に彼らを連れて行くことはできないでしょう。彼は、自分の誘惑によってモーセに勝つ力を持っていたので勝利しましたが、彼は自分の輝かしい品性を損ない、神に属している人々の前で自分自身の栄誉を失って、自分を罪に落とし入れることでしょう。        『レビュー&ヘラルド』1874.3.3,1874(47)

)救いにおける信仰と働きー1878

 あなたの全ての良い働きはあなたを救うことができません。しかし、よい働きがなくても救われることは、あなたにとって不可能なことではありません。      『レビュー&ヘラルド』1874.3.21,1878[51]

)キリストの本質に信頼するー1878

 あなたの信仰が時々弱くなって、また、あなたの可能性が見通せなくなったとしても、キリストはあなたによって愛されてきました。でも、イエスはあなたの救い主です。彼は、あなたが完全だから救うのではなく、あなたが彼を必要とし、あなたの不完全が彼を信頼していたから救います。イエスは、自分の貴い子どもとして、あなたを愛しています。あなたは賛美するでしょう。「そなたの御座近く、平穏の陰の下に、私達は安らかに住まいましょう。慰めはそなたの腕の中だけにあります。私達の砦は堅固です」。                 『手紙』46,1879[52]

 

8)義の働きと裁きによって計られたー1881

 牧師達は、時々、この教会の人々に「人は信じる以外に何もすることがない。イエスが全てを為した。人々自身の働きは何もない」と言っています。しかし、神の言葉は、明白に、「その裁き/評価の天秤は寸分の誤差もなくバランスを保っていて、その決定は挙げられた根拠に基づいて行なわれるだろう」と述べています。

 一人の人が10の市、ほかの人は5の市、ほかの人は2の市の支配者になっています。それぞれの人は上げた利益に応じて正確に受け取っています。人は自分を守るために人に任せるという才能を獲得しました。魂達の救いのためと私達自身の益とにおいて、義の働きにおける私達の努力は、私達の労に報いる確たる影響力があるでしょう。

          『レビュー&ヘラルド』1881.10.25,[54]

9)キリストにあるエレン・ホワイトの唯一の希望―1881

 私は最近の肉親との死別について、永遠に近い見解を持っていました。私は、大きな白い御座の前に連れて行かれました。そして、そこに現れる自分の生涯を見ました。私は自慢できるようなものを何も見つけることができません。主張できる功績もありません。

 「そなたが気に入りの最小のものも無価値で、価値がありません」は、私の叫びです。私の唯一つの希望は、救い主の十字架とよみがえりに存在しています。私はキリストが流した血の功績を主張します。イエスは自分に信頼する人々を最大に救うでしょう。

               『レビュー&ヘラルド』1881.10.1[54]

10)品性の完成のための励み

 私達は、自分の魂に染みがなくならない限り、平穏に私達の主を見ることは決してできないでしょう。私達はキリストの完全なかたちimageを生み出す必要があります。全ての人の考えはキリストの意思に従順にされる必要があります。偉大な使徒によって書き表されたように、私達は「キリストに満ちている知的・道徳的な資質に釣り合うまで」発達する必要があります。私達は、熱心な努力なしにこの状態に到達することは決してないでしょう。私達がクリスチャン品性の完成に届きたいと思うならば、私達は、毎日、外側の悪と内側の罪に反対して励む必要があります。

              『レビュー&ヘラルド』1882.5.30[55]

 

2.1883.11.9.()SDA全体総会[40]で表された基本的な要素―イエスを見る

 その朝、力によって、私達の間で、主が自身を啓示するようにとの真剣な執り成しの祈りの精神がありました。私の心は、祈りの中に特別に導かれました。そして、主は聞いて、私達を祝福しました。数々の証が、失望していた人々によって生み出されました。その人々は、主が自分の[人類救済]目的に自分達を使わないだろうと、自分達の不完全さがとても大きなものだったと感じていました。これは、不信仰に属する言葉でした。

 私は、これらの親しい魂達にイエスを示すことを試みました。彼は、私達の避難所、全てにおいて必要な時の現在の助けです。彼は、私達の罪のゆえに私達を放棄しません。私達は間違いをして、主の聖霊を悲しませるでしょう。しかし、私達が悔い改めて悔恨の心を持って主に帰る時、主は私達を見放さないでしょう。……

1)安息日 1883.11.10―あなたはあるがままに行きましょう

 私は、「私は自分が望んだ光を持っていません。私は神が喜ぶ確信を持っていません」のような証をいくつも聞きました。このような証は不信と無知を表明するだけです。

 あなたは、自分の功績が神に喜ばれるように自分を推奨する、自分が救われるために神の力を信頼する前に罪から解放される必要がある、と期待していますか。もしも、あなたの心の中にその闘いが続いているならば、私は、あなたが力を得られないだろう、また、ついに、失望するようになるだろうと心配しています。青銅のヘビが荒野で掲げられたように、キリストは、すべての人を彼のもとに引き寄せるために掲げられました。神が用意したその手段、その蛇を見上げた全ての人々は癒されました。ですから、私達の罪深さや私達の大きな欠乏から、私達は「見上げて、生きる」必要があります。

 私達が、キリストがいないひ弱な状態に気付く時、私達は失望させられる必要がありません。私達は、十字架の救い主とよみがえった救い主の功績を信頼する必要があります。欠乏して、罪の病によって、失望した魂は、見上げて生きてください。イエスは、その言葉で堅く約束しました。彼のもとにくる全ての人々を救うでしょう。私達の罪を告白するために行きましょう。果実をもたらす前に悔い改めに向かいましょう。

 イエスは、今日も私達の救い主です。彼は、天の至聖所で私達のために懇願しています。彼は私達の罪を許すでしょう。私達が確かな基礎として疑いなしに神に信頼するか、あるいは、私達が彼の所に行く前に自分自身による何かの義を見つけるかどうかで、精神的/霊的に、私達の世界にまったく別なものをもたらしています。罪の世界から目を転じて、自己から離れて、神の子羊を見詰めましょう。疑いは罪の一つです。心の中に抱かれた小さな不信は、魂を罪に巻き込み、深い無知と失望をもたらすでしょう。……

 ある人々は、「主の祝福を求めることができるようになる前に、改善されることを主に証明する必要があり、試験される必要がある」と考えているように思われます。しかし、これらの愛される魂達は、今も神の祝福を求めることができるでしょう。その人々は、自分達の弱さを助けるための主の恵みとキリストの霊/精神を持つ必要があります。そうでないと、その人々はクリスチャン品性を形成できません。イエスは、罪深くてか弱く、頼りにして彼のもとに行く私達を愛しています。私達は、夜の子でも闇の子でもなく、光の子らだと主張しています。私達は、不信仰だというどんな光を持っていますか。 『レビュー&ヘラルド』1884.4.22,[57]

2)1883.11.14()-神の意思と一致する真の宗教の意味

 ある人々は、いつまでも、イエスの代わりに自分自身を見ています。しかし、兄弟[姉妹]の皆さん、キリストの義を着せられることを望んでください。あなたが自分の義を信頼しているならば、あなたは、確かに弱い者です。あなたは、サタンの投げ矢に的を曝しています。あなたは今楽しんでいる特権の後、深刻な闘いに出会うでしょう。あなたはあまりに冷淡です。その働きは、イエスの心の中で燃やされる愛が不足していることによって妨げられています。あなたの信仰はあまりにも小さいです。あなたは、少し期待していて、その結果、あなたは少し受け取っています。あなたはほんの少しの成功で満足しています。あなたは自己欺瞞に陥りやすいです。これはしてはいけないでしょう。

 あなたは心の中に生きた信仰を持つ必要があります。特別な真理は上からの力によって教えられる必要があります。あなたは、イエスがあなたの努力を通して働く時だけ、この[教会の]人々に届けることができるでしょう。特別な泉は開かれています。私達は気分がさわやかにされ、その回心がほかの人々の気分をさわやかにするでしょう。あなた自身の魂が尊厳によって活気づけられるならば、真理を指し示したあなたの説教は、冷たくなった心、疲れて元気のない心、怠惰な心を消し去るでしょう。そして、ほかの人々は、あなたの熱意と真剣さからの感化を感じるでしょう。

 真の宗教は、立ち返って、そして、主が命じた全てのことに従順となり、神の意思と一致するほかに存在しません。私達に授けられているキリストの義は、霊的/精神的な生活を私達に与え、心と知性の最良の能力による健康的で幸せな行動を促しています。永遠の命に属する無限の宝と栄光と祝福は、最も欠乏している人や最も罪深い人に、値段のないギフトが届くようにシンプルに、状態に応じて私達に贈られています。私達は、信じて、従って行動するだけの必要があります。主の戒めは耐え難いものではなく、主の求めへの従順は、この生涯の中でさえ、私達の幸福にとって欠かせない、本質的なものです。  『レビュー&ヘラルド』1884.5.27[57]

3)1883.11.19()-彼とその生活を見なさい

 なんと多くの人々が聖化の狭い道を歩んでつらい働きをしていることでしょう。多くの人々にとって、祝福された神の平安と安らぎは、それが過去の数年になした以上に、今日も近くにないように思われています。その人々は、それが近くにあるのに遠くに見えています。その人々は、イエスが作った計画にたじろいでいます。彼は「特別な道、特別な真理、特別な命」です。救いの計画が、神の言葉の中に明白に啓示されたにもかかわらず、この世界の知識がたくさん求められて、キリストの義の知識はわずかしか求められませんでした。イエスの愛に安らいだ魂達は、疑うようになってきて、多くの事柄に悩まされました。

 ここで生まれた数々の証は、大きな信仰を表明したものではありません。イエスはほかの人々を許すが、自分自身のために生きた信仰を実践することは各々にとって不可能に思える、ということを信じることは難しくはありません。でも、親愛なる兄弟[姉妹]、あなた方がキリストの意思を考えて受け入れることに疑いを表明することは有益なことでしょうか。私は、あなた方が一つの判断基準を作る時に、あまりに感覚に頼り過ぎていることを心配しています。あなた方がこのコースを取ることによって、多くのものを失っています。あなた方は自身の魂を弱めているだけではなく、あなた方を見ているほかの人々の魂も弱めています。

 あなた方は自分自身のためにイエスに信頼し、あなた方自身のために神の約束を充てる必要があります。そうでないと、あなた方は、主にある聖なる確信と謙遜を持つことをどのようにほかの人々を教育することができますか。あなた方は義務を疎かにしてきたと感じています。あなた方はなすべき祈りをしませんでした。

 あなた方は、イエスから離れているように思っていて、そして、彼は自分から離れてしまったと考えています。彼はあなたが戻ってくるのを待っています。彼はその悔恨の心を受け入れるでしょう。彼の唇[から出た言葉]は、聖霊を人々に与えようとしていること、子ども達に良い贈り物を与えるために存在している親以上に彼に求めることを私達に保証しました。

 私達は、罪に汚れてさ迷っています。その癩のようなものから癒されるために私達は何をすればいいでしょうか。力の及ぶことである限り、魂の全ての汚れをきれいにすること、「この世界の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29)を見ること、そのようにすることはあなた方の力の中に存在しています。

 もしも、あなた方にしたいという良心があるならば、それらを表してそれらについて嘆くために、あなた方の全ての力を注いではいけません。でも、見て生きましょう。イエスは、私達の唯一の救い主です。そして、それにもかかわらず、癒される必要のある何百万もの人々は、彼が申し出た恵みを拒否するでしょう。彼の功績を信頼する人は一人もいなくて、滅びるように残されるでしょう。

 なぜ、あなた方はイエスに行くこと、休息と平安を受けることを断るのでしょうか。あなた方は、今朝、祝福を持てるでしょう。サタンは、あなた方は弱い、あなた方は自分自身を祝福できない、とほのめかしています。あなた方は弱いというのは真実です。しかし、自分の前にイエスを掲げることはできます。「私には救い主がいます。私は彼を信頼しています。彼は、私をうろたえさせず、苦しめないでしょう。彼の名によって、私は勝っています。彼は私の義、そして、私の喜びの冠です」。ここには、彼の場合は弱い、それはあり得ない、と感じる人がいないようにしましょう。

 あなた方には、罪深く落ちぶれていると見えることでしょう。でも、あなた方が救い主を必要としていることは、この話に合っています。もしも、あなた方が神に告白する罪を持っているならば、無駄にする時間はありません。その瞬間は黄金の時間です。「私達が罪を告白するならば、彼は私達の罪を許すことに、また、すべての不義から私達を清めることに、公正で忠実です」(1ヨハネ1:9)。義認の後で渇き飢える人は満たされるでしょう。イエスはそれを約束していました。貴い救い主。彼の腕は私達を受け入れるために広げられていて、彼の広い愛の心は私達を祝福することを待っています。          『レビュー&ヘラルド』1884.7.1[57]

4)間違った聖化

 一人の男性、ブラウン[41]という名のSDAではない牧師がいました。たぶん、あなたは彼を知っているでしょう。彼は、聖化されたと主張しました。彼は「悔い改めの考えは、聖書の中には存在しない」と言いました。彼は「一人の人が私の所に来て、私はイエスを信じていますと言っているとすれば、私は彼の籍をその教会に入れました。彼がバプテスマを受けているかいないかに関係なく、私はそのようにして多くの良いことをしてきました」と言い、彼は、「そして、私は、6年間、一つの罪も犯していません」と言っています。

 彼はこう言っています。「この蒸気船には、私達は神の律法を[守っている]ことによって聖化[されている]と信じている何人かの人々が乗っています。この船には一人の婦人がいます。ホワイトという名によってこれを教えています」。

 私はこれを聞いて、彼に近づいて、そして言いました。「ブラウン長老、あなたはいい所をついています。私は、その言及が進むことを認めることができません。ミセスホワイトは、そのようなことをこれまでに言ったこともなく、彼女のどのような書き物の中でもそのようなことを書いていません。私達は、神の律法が誰かを聖化しているとは信じていません」。

 「私達は、その律法を守る必要があると信じています。そうでないと、私達は天の王国に救われないでしょう。その律法の違反者は栄光の王国に救われることができません。私達を救うだけでなく、誰かを聖化するのはその律法ではありません。その律法は立ち上がってそして叫んでいます。「悔い改めなさい。あなたの罪は消し去られるでしょう」。そして、それから、その罪びとがイエスのもとに行って、その罪びとが神の律法の求めに従って行動することを約束する時、その人は、自分達の罪の汚れが消し去られて、彼らは解放され、そして、神の力がその人々に与えられるでしょう」。                  『原稿』5,1885[58]

5)戒めに背く自由というだましー1886

 あなたは、「信仰のみ」という声を聞くことでしょう。サタンは信じておののいています。私達は、愛によって働き、そして、心を清める一つの信仰を持つ必要があります。「キリストは私達のために全てをなした。そして、私達はその戒めの違反をしに行くことができる。そして、それのための責任を負わされないだろう」という考えは広く流布しています。これは、かの敵がかつて考案した最大のだましです。私達は、自分達が精神的・霊的な事柄をほかの人々に教えることが可能なその精神的・霊的状態にあって、どのようなコストがかかってもその戒めを汚さないような自分の立ち位置を取る必要があります。           『原稿』46,1886[59]

6)イエスによる道徳的な力―1886

 キリストは、人間が自分の助けなしに勝利できないかもしれないことを知っていました。それゆえ、私達が高貴になれるように、彼は天の権威の衣を脱ぎ捨て、そして、彼の神性に人間性を着ることを承諾しました。彼は、この地上に来て、耐えました。そして、私達に共感する方法と勝利して私達を支援する方法を知っています。彼は、人間に道徳的な力をもたらすために来ました。そして、すべての人は自分でする働きを持っているので、彼には、何もすることがないということを理解する人は一人もいないでしょう。イエスの功績を通して、私達は罪と悪の者に勝利できるでしょう。                   『原稿』46,1886[59]

7)善人ぶった宗教は罪の光を作る

 「私は、新しい心をあなたに与えましょう。私は新しい精神をあなたの中に授けましょう」。神の聖霊が世界中の人々から取り去られているということを私は心の奥から信じています。そして、大いなる光と機会を持っていた人々、また、神の聖霊を活用しなかった人々が最初に[それを]取り去られるでしょう。その人々は、神の聖霊から離れて悲嘆にくれていました。人々の心や様々な教会、多くの国民に働いているサタンの現在の活動は、すべての預言の研究者達を驚かせているでしょう。その終わりは近くにあります。私達の教会の人々を目覚めさせましょう。回心させる神の力が、信徒達一人ひとりの心の中で体験されるようにしましょう。その時、私達は神の聖霊が強く感動させるのを見ることでしょう。単なる罪の許しだけがイエスの死の成果ではありません。彼は、罪が取り除かれるようにというだけではなく、人間の性質が回復されるように、再び美しくなるように、喪失した神のかたちが再現されるように、そして、神の顕現に合うように造られるように、無限の犠牲を造りました。……

 キリストは、ヤコブが見たあの梯子です。その人は地上を基にしていて、その人の螺旋状階段の一番上が最も高い天に届いていました。これは、整えられた救いの方法を示しています。私達は、この螺旋状階段を一回り、ひとまわりと登るために存在しています。私達の内の誰でも、最終的に救われるつもりならば、それは、螺旋階段としてのイエスにつかま[って登]ることによって実現するでしょう。キリスト[という梯子]、信じる者達の知恵と義、聖化と贖いのために作られています。……

 そこには、特別な真理を持っているので堅く立っていると考える人々によるある恐ろしい失敗が存在しているでしょう。しかし、その人々は、それ[特別な真理]がイエスの中に存在しているように、それ[特別な真理]を持っていません。一瞬の不注意が魂を取り返しのつかない滅びへと陥れるでしょう。第一の罪は、第二に導いていて、第二は第三の道を用意して、それが続いています。私達は忠実な神のメッセンジャーとして、彼の力によって保たれるようにいつも彼に請う必要があります。もしも、私達が1インチ(3センチ)でも義務から逸れるならば、私達は、永遠の滅び、終わりという罪のコースに追随する危険性の中に存在しています。私達すべてに希望が存在しています。しかし、それは、キリストへ私達自身をしっかりと縛り付けること、彼の完全な品性に到達するために全てのエネルギーを使うことによるという、一つの道の中にだけあります。

 この善人ぶった宗教は、罪の光を作っていて、また、それは、その罪びとのための神の愛の上に、いつまでも宿っています。さらに、それは、それが罪であることを知っていながら、罪の中に居続けても神は救うだろうと信じるように罪びとを励ましています。これは、現在の真理を信じていると告白している多くの人々がしている方法です。現在の真理は、その人々の生活から離れて守られています。それには、その罪の悟りと魂の回心に力を持っていないという理由があります。この世界の人々に、現在の真理の習慣や行動やファッションを残すために、そこに全ての神経系や精神/霊や筋肉の鍛錬が存在している必要があります。……

 あなたが罪を捨て去り、生きた信仰を実践するならば、天の豊かな祝福はあなたのものとなるでしょう。      『手紙』53,1887[60]

8)再臨は魂の準備の終わりー1888

 あなたの品性の衣は、特別な泉の中ですべての清くないものが開示されて、汚点がなくなるまで洗われる必要があります。あなたの道徳的な値打ちは天の聖所の天秤で量られるでしょう。もしも、あなたが欠けていることを見つけられると、あなたは永遠に失われるでしょう。あらゆる粗野や粗雑さは、イエスが来る前にあなたの品性から取り除かれる必要があります。彼が来る時では、すべての魂の準備は終わりにされています。

 もしも、あなたが、ほかの人に対して、一つでも、自分の妬み、自分の嫉妬、自分の嫌悪を捨てていなかったならば、あなたは神の王国に入ることができません。あなたは自分の同じ傾向を保持しているだけでしょう。次に来る世界では、この品性に属する人は誰も存在しないでしょう。[その人々は]実在しませんが、愛と喜びと調和が存在するでしょう。ある人はほかの人々よりも輝く冠を持っていて、贖われた人々のどの心にも、嫉妬の考えは存在しないでしょう。各々の人は、まったく満足するでしょう。全ての人々は、その働きに応じて報いが与えられるでしょう。

          『サインズ オブ ザ タイムズ』1888,2.10[61]


 

21章 ミネアポリス総会におけるエレン・ホワイトのレポート

 

 

 

 

                                             [題目編纂者]

1.歴史的な背景を表す意見書

 この章は、1888年のSDA全体総会の終了の23週間後に用意されたエレン・ホワイトによる意見書が収められています。彼女は、開催された場面を振り返って記録しています。ミネアポリスでの会議は、数か月の経過後に全体像の見方が良い方へと変わりました。エレン・ホワイトの意見書は、最も光を照らすもので重要です。歴史的な表明の短い再調査はこの章の中にあります。

 ミネアポリスSDA全体総会は、信仰によって与えられるキリストの義について、また、「ガラテヤ人への手紙」の律法についての議論と聖書研究のゆえに注目されました。

 91人の代議員が出席したこの会議は、新しく組織された私達の教会によって、ミネソタ州ミネアポリスで1017日から114日まで開かれました。通常の総会でしたが、代議員ではなかったセブンスデー アドベンチストのメンバーも多数参加しました。その会議は7日間の牧師研修会に先立ちました。それは1010日から16日に開かれました。その聖書研究は、聖書研究の時間の最中に、その研修会の中であるケースによって始まり、SDA全体総会会議の中で続けられました。

 エレン・ホワイトは、その研修会と19日間の会議に出席して関わりました。その会議はそれ自身がまったく所定の順序でしたが、それはみなし規定でした。レポートは受け取られて、そして、様々な関連団体の集会、安息日学校、健康と節制、そして、トラクト伝道部などで保持されました。働き人の伝道地が牧師達に割り当てられました。計画はその目的に沿って据えられ、役員達が選出され、委員達が任命されました。

 その場の成果の再検討と感情の混じった意見が、W.C.ホワイトのペンから私達に届いています。その会議が終了する2日前に、彼は南部諸州で働いている一人の牧師仲間に手紙を書きました。

 「私達はちょうど一つの全体総会を閉じようとしています。23日中に、代議員達はめいめいの伝道地へ散っていくでしょう。そして、もう一つの年の働きが始まりました」。

 「これは、非常に興味深い会議の一つでした。全員が一緒に同行とならなかったけれど、平和と調和が、時々、現れました。それは、たぶん、かつて開かれた益をもたらす集会と同じでしょう。卓越した多くの主要な原則が作られました。そして、いくつかのまとめは「それらが私達の未来の働きに影響を及ぼすものとして大きな価値があるだろう」という所に到達しました。以前にはなかった聖書研究への決意と共に、多くがこの集会から出ています。それは、明白な説教の結果でしょう」。

 「あなたがこの『SDA全体総会会報』に注目していたように、多くの人々の前進する歩みは、私達の外国伝道へと向かうでしょう。また、ある人は南部の働きの前身のために良い動きをしています」。

             W.C.ホワイトからスミス・シャープへの手紙、

           ミネソタ州ミネアポリスより。1888.11.2[61]

 それは、彼のレポートの推移と共に観察されるでしょう。ホワイト長老は、私達の全体総会会議にある「時々現れていた平和と調和」の欠落に関する寸評を書きました。この中で、彼は、アドベンチストの歴史において、1888集会はほかのどんな全体総会からも異なっていたという神学的な議論に言及していました。

 これらの議論はその週の間の牧師研修会の中で始まりました。その時、議事日程によれば、10の王国、キリストの神性、死ぬほどの傷を受けた者の癒し、信仰による義のようなトピックスが検討されるために存在していました。10の王国の議論は、苦渋の内に進み、多くの時間が不釣り合いのままに費やされました。スケジュールに入っていたあるトピックは議論ができなくなりました。その牧師研修会の終わり近くに、『Signs of the Times』の共同編集者のE.J.ワゴナー長老が、「キリストに属する義とクリスチャンの信仰について」の発表の中で、「ガラテヤ人への手紙」の中の「その律法」の研究を含めて連続で始めました。これらが、SDA全体総会会議の最初の週を通して続きました。

 特に、争いのタネになる「ガラテヤ人への手紙」の律法の奴隷に触れたものと、これに続いた論争に火をつけたのはこのシリーズの研究でした。この議論の内容の速記録は作られませんでした。しかし、代議員の一人か二人、エレン・ホワイトの記録、そして、多くの人々の記憶が概略をノートに取りました。その人々は、その論争の苦渋の暴露と、そして、何人かの卓越した教会指導者達の否定的な態度についての苦痛に満ちた結果を表しました。

 その大議員達がミネアポリスに集まる前でさえ、数年間、神学的なトピックのカギとなる異論が出されていました。また、人々の心の中に、エレン・ホワイトの警告と実証のメッセージを受け入れず、抵抗する態度が形成されていました。彼女は、早くから、牧師達を指導する立場の人の中に、自分に対する敵意を持ち未知な態度を示す人の出現に気づいていました。

 E.J.ワゴナーが、信仰による救いとガラテヤ人への手紙の律法の検証に入った時、争う何者かの精神がその論述を支配してしまいました。これが、エレン・ホワイトをひどく悩ましました。彼女は、ワゴナー長老の、ガラテヤ人への手紙の律法の提示の明らかな点をみな認める準備をしていなかったけれど、信仰による義justificationの原則と、キリストにある信仰を通して得られる義righteousnessについての明確な意見表明によって、彼女の心は熱くされました。彼女は、ミネアポリスで20回、講演しました。特に、牧師研修会の早朝集会で、開かれた知性による聖書研究を懇願しました。彼女自身は信仰による義のトピックで語りませんでした。

 この生きた真理の強調に対する反動は、1893年の全体総会会議にも混ぜられ、A.T.ジョーンズは、ミネアポリスの会場の討論会receptionで表明されたそれらの真理を「そこではある人達がそれを受け入れましたが、ほかの人達はそれを全部排除したことを知っています。みなさんも同じような考えだと思います」と報告しました。ほかの人達はその両者の中間に立とうとして、その道を選びました」(「SDA全体総会会報」1893,p.185)。

 その議論は何回も沸騰しました。ある人は、その新しい強調はこの教会の神の律法における強い立場、特に、安息日の真理を弱めるだろうと恐れて、信仰による義のメッセージに強く抵抗しました。会議の決議は、この点やほかの点について、聖書研究によって前進をもたらすはずのものが何もなされませんでした。

 エレン・ホワイトは、その会議の最後の日に書いた手紙によって報告しました。一通の手紙はこの会議をこう表しています。「私の勇気と信仰は良くなりました」。にもかかわらず、彼らはほとんど「理解力のない綱引きの戦い」で終始しました。そして、彼女は「集会はとても良い結果と言えるだろう」という最後のまとめを見た時に、その確信を書きました。

                     『手紙』82,1888[61]

 数週間後、彼女はミネアポリスSDA全体総会を振り返って、この会議で具体化した主要な一部について、自分の意見を書きました。

 この会議の後の数か月と数週間後、三つの主要な施設が所在する[ミシガン州]バトルクリークで、この教会の指導者達の厳しい反対がまとまって発展しました。エレン・ホワイトは、しばしば、バトルクリーク[教会]を欠席し、この教派の複数の教会へそのメッセージを届けるために伝道地に行きました。時には、彼女は、ジョーンズ長老とワゴナー長老と共に、時には、この貴い福音の真理を紹介するために三人で結束して働きました。彼女は、1889年の[マサチューセッツ州]サウス ランカスターでの私達の牧師の集会を評価の高い成功したものに導きました。そこでは、多くの人々が「大いに祝福され」ました。その一つのレポートがこの章に収められています。

 「エレン・G・ホワイトファイル」は、オタワ・カンザスキャンプミーティング(1889.5.11)で与えたように、信仰による救いの基礎的な原則の説得力のある講演内容を伝えています。このこととその反応の彼女のレポートは、エレン・G・ホワイトの本『信仰と働き』pp.63-84に書かれています。

 イリノイ州シカゴとコロラド州デンバーで、困難の克服がありました。そこでは、18899月にキャンプミーティングが開催されました。彼女は、信仰による義の真の概念についての必要性を働き人達に語りました。デンバーでのその講演はこの章に収録してあります。

 ミネアポリスの集会の1年後に開かれた1889年のSDA全体総会会議に出席している間に、彼女はこうレポートしました。

 「私達は、最も優れた集会を開いていました。[ミネソタ州]ミネアポリスでの集会に存在していたあの精神は、ここには存在していません。あらゆる動きは去って、調和が戻ってきました。そこには、代議員達が大勢、参加しています。私達の朝5時の集会は、たくさんの参加者がいて、その集会の雰囲気は良いです。私が聞いた全ての証は、品性を向上させていました。その人々は、この1年、自分達の生活はベストだったと言っています。神の言葉から届いた光は、信仰による義、キリスト、私達の義は、はっきりして明瞭でした。それらの体験はとても興味深いものでした」。

     『原稿』10,1889,(『セレクテッドメッセージ』第1p.361)

 189023日、彼女が牧師研修会のためバトルクリーク[教会]に集まった牧師達に講演し、彼女が1889年までの間に伝道地で体験したことを振り返りました。彼女の意見は、この「はじめに」に相応しい一部分を構成しています。

 「私達は、みな違う場所の集会を通って伝道旅行をしてきました。私は神のメッセンジャー達のそばにできるだけ立ちました。私が知っていたのは主のメッセンジャー達でした。私が知っていたのは彼らが主の人々(主の民)のために一つのメッセージを持っていたことでした。私は、正しくて調和した自分のメッセージ、彼らが生み出した真のメッセージを彼らと共に伝えました。私達は何を見ましたか」。

 「私達はそのメッセージに現れている一つの力を見ました。どの人の実例の中でも、私達は働いた(ある人は、私達がどんなに懸命に働いたかを知っています)と私は考えています。[イリノイ州]シカゴで、兄弟達の心がこれらのアイデアを得られるように、日の出から日暮れまで(訳者加筆;エジソンが白熱電球を発明したのは1879年です)それは丸々1週間でした」。

 「悪の者は、1年間これらのアイデア(その全体を)を抹消するために働いていました。その人々の意見を変えることは難儀な仕事を抱えることです。彼らは、自分自身の義と自身の働きに信頼しよう、そして、自分自身の見方を保とうと考えていました。キリストの義に相応しくなくて、それ[自分の義]を自分達の生活と品性に持ち込んでいました。私達は、そこで1週間働きました。……1週間が過ぎて、中断となる前に、神の力が一つの潮の波のようにその会衆の上を通り過ぎて行きました。私は申しましょう。それは、人々を自由へと放つために存在していました。それは、人々に世界の人々の罪を取り除く神の子羊を指し示すために存在していました」。

 「また、[マサチューセッツ州]サウス ランカスターでは、神の聖霊の強い働きがそこにもありました。ある人がいて、それはその集会にありました。神は、その栄光を現しました。そのカレッジの全ての学生が告白の扉へともたらされました。神の聖霊の働きがそこに存在していました」。

 「そして、このように[それは]平和から平和へと[存在していました]。私達が行く所では、どこでも神の聖霊が働いているのを見ました」。

 10人のハンセン病患者のように、私は沈黙を守るつもりです。また、私は、神の義を賛美する声、そして、神の栄光と神を讃える声をあげないつもりです。あなたはどう考えますか。私は、あなたにそれをプレゼントしようと思います。あなたは私が見たその根拠を知るでしょう。でも、その言葉は空中に消えて行くように見えるでしょう。それはどれほど長くこのように存在しているでしょうか。その人々はその働きに関して、心に神に反対する自分自身をどれほど長く持っているのでしょうか。その道を捨ててください。兄弟[姉妹]のみなさん。神の契約の箱から手を放してください。そして、神の聖霊に来てもらって、強い力によって働いていただきましょう」。               『原稿』9,189063歳」

 感情のこもった意見の最後の記事についてノートはまさにこのように表現しています。信仰による救いのメッセージの討論会receptionが、ミネアポリスSDA全体総会の誰かによって抵抗されている間に、また、その日に追随したほかの人々によって受け入れられている間に、抵抗する勢力がこの働きの中心で急速に形成されました。その会場の討議は、伝道地の教会員達の間では、エレン・ホワイトがレポートしたものによると、まったく異質のものでした。その断固とした抵抗は、主が達成されるように意図した働きを大きく遅らせるために、この教会の指導者達の「誰か」によって加えられたものでした。(参照 Testimonies to Ministers,p.363

 1890年にエレン・ホワイトが書いたこのことは、結びに来ました。「ミネアポリスの[討議の会場に]広まったその偏見と意見は、どんな手段によっても死にません。そこにいた誰かの心に蒔かれたそのタネは、人生の中で発芽する用意をしていて、同じような収穫を生み出すことでしょう」(Testimonies to Ministers,p.467)。

 これと同じようなつながりの中で、彼女は「誰かが、純粋の金色と単なる輝きとの識別を間違いました」(前掲書)。そして彼女は、こう付け加えました。「真の宗教[]、十字架の功績と復活した救い主を通してのみの許しを教えていて、軽視され、反対を言われ、嘲笑され、そして、排除された神のひとり子についての信仰による義を擁護している聖書に属する宗教だけ[です]。」(前景書 p.468)。

 A.V.オルソンは自著『Thirteen Crisis Years(13年間の危機)の中で、ミネアポリスの後の5年間か6年間に続いて起こったゆるやかな良い変化の歴史と内容を詳しく述べています。

 それにもかかわらず、そこには、神の[人類救済]目的の前進において、痛ましい一つの後退がありました。エレン・ホワイトは、これを認め、時にはそれを話題にし、通常は付随的な言及としました。しかしながら、時間のない時は、内心に収めておくか言葉で明らかにしました。1888年のSDA全体総会での注意を喚起する貴重なメッセージに対して、教会指導者達によって公的な拒否がありました。それにもかかわらず、4年後(1892.12.19)の特記すべき総会で、一通の手紙「SDA全体総会の親愛なる兄弟達のみなさんへ」が公開されました。彼女は勝利を表明しました。

 「私達の過去の歴史を再検討して、私達の現在の立っている位置を前進させる全てのステップを伝道旅行して、私はこう言うことができます。神を讃えましょう。私は、神が働いていたことを見た時、驚きに満たされ、そして、リーダーとしてのキリストによって強い確信に満たされました。主が私達を導いている方法と私達の過去の歴史の中での主の指導を忘れるようなことを除いて、私達は、未来に対して何も恐れることはありません。私達は、現在、強い、一つの民です。私達が主への信頼を捨てるならば、私達は神の言葉、大いなる真理を操っていることになりますが、そうではありません。私達は感謝すべきことに全ての事柄を持っています。

     「SDA全体総会会報」1893,p.24see Life Sletches,p.196;

                 Testimonies to Ministers,p.31

 再掲しますが、1907年に彼女はこう書きました。「この教会は活動を増し加えるために、そして、この教会に結ばれた人々を多くするために存在しています。私達の伝道の成果は発展的であるように存在しています。私達は、自分達の限界を拡大する必要があります。……私達の目立った特徴を維持するための努力に激しい論争が存在していました。一方で、私達は、聖書のクリスチャンとして、獲得した基盤の上にずっと存在していました」。

          『手紙』170,1907(『セレクテッドメッセージ』

           第2pp.396-397、日本語後編p.193,80)

 この背景に、私達はこの部に歴史的な章を紹介しています。―-題目編纂者

 

訳者加筆:次の「2」の2)にバトラー長老に関するE.ホワイトの記述があります。その内容だけでは、彼の何が問題なのか読者は理解不可能です。しかし、2013年発行のEllene G. white Encyclopediaの「伝記の章」にその内容が載っています。二つの記事を紹介します。彼は、SDA全体総会の代表をした人です。彼は、1888年の総会時に自分を含む9人の委員を任命して、「行ないによる義か、信仰による義か」を議論して、5:4の結論を出しました。

その1.ダッドリー・M・キャンライト1840-1919「百科事典」p.336

 「SDA全体総会会議の188612月までは、事は比較的スムーズに進んだ。ガラテヤ人への手紙の中のその律法が混乱をあらわしてから、1888年の会議はいっそう問題になった。バトラーは解決策の内容をもたらす必要を感じた。一つの結果として、彼は、その会議の参加者達が取り上げることなく、その問題を検討するための神学的な委員会の組織を作った。しかし、彼の計画は裏目に出た。キャンライトを含めた9人の委員会は、数時間の論争の後、54に分かれた」。(訳者加筆。この5人はバトラー、ユライヤ・スミスなど律法による義の立場です。4人はキャンライト、ワゴナーなど信仰による義の立場です。キャンライトは、これを機にこの教派を去り、E.ホワイトを攻撃した一人となりました)

その2.バトラー、ジョージ・アイド1834-1918「百科事典」p.331

 牧師、教会運営者、そして、著者。エズラ・ピット・バ

トラーの息子。先祖はバーモント州出身。G.I.バトラーの

両親は再臨主義の草創期に深く巻き込まれた。しかし、ジ

ョージは、不信心を学んで表明した。1853年、彼の家族は

アイオア州に引っ越した。そこで、彼は、J.N.アンドルー

ズによってバプテスマを受けた。彼の決心は、エレン・ホワイトの説得によって促されたものだった。「主は、……神の言葉を[バトラー]に開きました。彼はその美と調和を見るでしょう。そして、その著者への愛と礼拝に導かれるでしょう」(Lt 5 1857)。

 バトラーは農業に従事していた。冬期間は、学校で生徒達に読み書きを教えた。1859310日、彼はレンタ・ロックウッドと結婚し、そして、アイオア州ウォーコンの近くに居を構えた。そこで、また、教えていた。彼は教会執事になり、後に地方教会の長老として彼の父の後を継いだ。バトラーがエレン・ホワイトの証について、M.E.カーネルが話すのを聞いて、それらの真実性を確信したたのはここだった(GIBからEGW1904.7.18 EGWE GC)

 1865年、B.F.スヌークとW.H.ブリンカーホフ(マリオン派)が離脱した後、バトラーは、アイオア カンファレンスの代表に選出された。18677月、彼は牧師の資格を与えられた。

そして10月、彼は牧師として任命された。彼は、一人の福音伝道者として、以前の不完全だったカンファレンスに一致をもたらし、根気強く働いた。マリオン派(彼らはエレン・ホワイトの奉仕の働きministryへの異議に焦点を当てていた)に対する反論の結果として、バトラーは、1860年代と1870 年代の間に、彼女の主要な擁護者の一人となった。

 1872年、ジェームズ・ホワイトが健康を害して辞めた時、バトラーはSDA全体総会の代表に選ばれた。彼は、バトルクリークカレッジを始める基礎を築き、カリフォルニア州のオークランドでパシフィックプレスを設立することによって活動的だった。この間、バトラーは、代表としての役目を果たした。しかし、最重要な決定は、ジェームズ・ホワイトに敬意を表した。1872年後半、バトルクリークで論争が起き始めた時、バトラーは、正当化するために、モーセ、ヨシュア、そして、ギデオンのような任命された神聖なリーダーとして、ジェームズ・ホワイトの指導を選択した。それゆえ、それは、バトラーが主張した最高の権威による活動のために、ジェームズ・ホワイトの優先権事項だった。

 ユライヤ・スミス、J.H.ワゴナー、そのほかの人々は、バトラーと、教会指針の言及として適用したバトラーの主張を認めた。しかし、エレン・ホワイトは、この立場に強く反対した(G.I.バトラーからF.E.ベルデンへ 1907.3.14)。彼女は、「神が、SDA全体総会の声とその判断によって教会に授けている権威と影響力を、一人の人間の知性と判断に委ねたことによって、あなたは大きな間違いをしています」(3T 494)と書いた。18748月、バトラーは代表を辞任した。そして、十分に回復したジェームズ・ホワイトがリーダーシップの指揮に戻った。

 バトラーはアイオアに戻った。そこで、次のアイオア―ネブラスカ カンファレンスの会議で、彼は代表に選ばれた(1876-1877)。彼は精力的な福音伝道プログラムを始めた。しかし、ジェームズ・ホワイトの健康が再び悪くなり始めた時、バトラーは、再度、SDA全体総会の代表に選ばれた。この時、彼は、エレン・ホワイトに指名の拒否権を求めた。しかし、その代わり、彼女は、それを受け入れるように彼に求めた(RH 1879.10.23)。188010月近く、彼は、SDA全体総会の代表に戻った。すぐに、エレン・ホワイトに相談した。また、1882年、彼はセブンスデー アドベンチスト出版協会の代表になった。

 1886年、バトラーは、E.J.ワゴナーが書き物によって彼の権威を非難していることに気付いた。バトラーは『ガラテヤ人への手紙の中のその律法』というパンフレットで、その当時、多くのアドベンチストリーダー達によって取り上げて教えていた、ガラテヤ人への手紙の中のその律法は道徳律法であって礼典律法ではない、と反論した(RH PA 1886)。エレン・ホワイトは、「バトラーが文書の中に彼の見解を書いた物は何もない」と注意と神学的な一致を呼びかけた。E.J.ワゴナーが同じ機会を与えられるようなものが、バトラー、ユライヤ・スミス、とそのほかの人々は、「エレン・ホワイトは若いワゴナーとその仲間のA.T.ジョーンズによって、影響感化されたされたかもしれない」と驚き始めた。バトラーは病気だった。1888年のミネアポリスSDA全体総会の会議に出席できなかったので、彼は「古いランドマーク(道標)のそばに立ってください」と主張する電報を送った。たとえば、伝統的な神学の立場を放棄しないことを送った。これは、エレン・ホワイトからの厳しい譴責として、バトラーとミネアポリスの「間違った側」の出席者達への呼びかけとなった。

 1888年のその会議の後、バトラーの健康は、もはや彼が活動的にministryを続けることはできないだろうというところまで悪くなった。バトラー夫妻は「2本のモクレン」の木のあるフロリダのミカン農園を買った。そこで、彼らの元気が回復するだろう。しかしながら、その時に、レンダは衰弱して卒中を患った。この期間に、エレン・ホワイトは彼に、1888年のSDA全体総会の会議の彼の悪い影響を悔い改めることを訴え続けた。彼女の努力は、結果的にバトラーの悪い方向を公的に告白することに導いた

 (訳者註:E.ホワイトは1891年から1900年までオーストラリア伝道に出た)

 1901年、レンタは死んだ。そして、ジョージは、フロリダ カンファレンスの初代の代表に選ばれた。19021月、バトラーは、エレン・ホワイトを訪問した。その時、彼女は、E.A.サザーランドとP.T.マガンが行なっていた、テネシー川近くのナシュビルの自給伝道学校用地の調査に同行した。その後、バトラーはサザン ユニオン カンファレンスの代表とサザン出版協会の代表になった。これらの年の間、バトラーは、アメリカ南部諸州におけるアドベンチストの働きの発展の上でのアドバイスを手紙に書いてエレン・ホワイトに求めた(Lts 27,83, 93, 176,177. 1902)1902年の夏の間、彼は、ロレナ・ウエイトとの結婚を思案した。彼よりもずっと若い婦人だった。エレン・ホワイトはその差に関わらず勧めた。しかし、バトラーの子ども達とウエイトの姉妹達、従妹達、デリラとアーヴィング・ケックはその関係を解消するよう二人に働きかけた(Ls 77,78,117,118. 1902RY 115-120)。その結果、ウエイトは申し出を断った(GIBからWCW 1903.2.6 GIBからEGW1903.12.7 EGWE-GC)

 バトラーが奉仕の働きに戻った時、エレン・ホワイトはこう記した。「彼は“神の前に彼の魂を謙虚にした人”だった。また、“彼は、若い時のバトラー長老とは違ったspirit精神を持っています」(Lt 77 1902)。彼女は、彼に「あなたが働きから退いていた時、[主が]あなたを守った数年をうらみに思わないでください。それは、あなたは、あなた自身の道を選んだゆえです」と述べた。さらにこう言った。「彼は、進路に戻されました」(Lt 169 1902)。エレン・ホワイトは、彼に「勇気を持つ存在であること」とアピールした。ほかの人々が彼を別の部署に求めた時、彼女は彼らを拒否した(Lt 39a 1903)。彼女は「自分自身を弱まらせないように」と(Lt 134 1903 RY 123,124)、「人々の前に明白な証を提示すること、うんざりするようなものではなく、簡潔な説教をすること」(Lt 219 1903)を勧めた。1907年、バトラーは、エリザベス・ワーク・グレインジャー(18451927)と結婚した。彼女の夫は伝道地で死んでいた。翌年、彼らは再度リタイヤした。

 一度、バトラーは、エレン・ホワイトの生涯と奉仕の働きの中に現われたような預言の賜物の効力によって信用を取り戻した。彼は、彼の生涯を通して力強い数々の証を受け取って彼女の働きの一人の支持者として残った。彼の悔い改めは、この教会の中の奉仕のために、この教会を霊的再生へと導いた。エレン・ホワイトの家族を除いて、バトラーは4番目に多く彼女からの手紙を受け取った(84通残っている)S.N.ハスケル(1)J.H.ケロッグ、そして、O.A.オルセン。    マイケル・キャンベル記

2.貴い約束、対、希望のない映像picture

 [ミネソタ州]ミネアポリスで開催されたSDA全体総会[1888]に参加する目的で[カリフォルニアから]あのロッキー山脈[訳者加筆:アメリカ西部にある。最高峰は4399メートル。1869年に大陸横断鉄道が完成した]を超える冒険をしたのは信仰によってでした。……

 ミネアポリスで、私は大勢の牧師の代表と会いました。私は集会のその日に私が負わせられる重責を悟りました。人々が必要としていた霊的な食物を与えられず、様々な論説が延べ伝えられました。暗く希望のない人々の側の映像が記念館の中の絞首刑台のように参加者達の前に現されました。これでは、自由と解放への光/真理も霊的・精神的なものも与えられないでしょう。そこには、失望と落胆だけが残りました。

 [1888.10.13]の安息日の午後、神が自分の民に現している愛を、出席している人々の知性に呼び掛ける主の聖霊が近くで強く働いた、と私は感じました。その知性は、私達の信仰の特徴がとても不快な色に染められるのを許してはいけません。神の言葉の中に、それ[知性]は、バラ、ユリ、ナデシコなどでいっぱいの庭として描かれているでしょう。私達は、私達自身の心のために相応しい花、よい励ましになるもの――そう、神の中にある喜び――を信仰によって、神の貴い約束を摘み取ることができるでしょう。また、私達は、しっかりと、イバラとノバラと痛い傷、厳しい宿命を嘆く自分を注意して守れるでしょう。

 記念館の中の絞首刑台のような苦痛の映像と暗黒の絞首台を神の民が掲げるとによって、神は喜びません。主は、バラ、ユリ、ナデシコなどを摘んで、神の園いっぱいに咲き誇るような神の貴い約束を記念館に掲げる魂を持っていて、それらの中に住んでいる私達を持っているでしょう。私達の感覚は敏感で清明です。それらを満ちた富の中に持っていて、それは私達の前に置かれると喜びを語っているでしょう。主はこの世界の人々の中で生きている私達を持っていて、今までのところそうではありませんが、私達の努力は永遠の事柄を捉えているでしょう。主は、私達に、主を愛する人々のために用意した事柄について語っているでしょう。これは、私達の心を、自分達の将来の可能性と希望、この人生の試練と闘いへの忍耐のために、私達の魂の力に目覚めるように引き付けているでしょう。私達がこれらの場面に立っている時、主は私達の信仰と確信を励ますでしょう。彼は、サタンの相続遺産の覆いを取り去って、私達にそのかすかな姿を私達に示すでしょう。

 私が私達の天の父の優しい思いやりと愛と善を表した時、私は、主の聖霊が私の上ばかりでなく、神の民の上にとどまったと感じました。光/真理と自由解放と祝福が、その聴衆の上にやってきました。そして、そこには、語られた言葉に心からの応答がありました。神の言葉という根拠に基づいたその打ち解けた集会は、その聴衆の心にねぐらをみつけました。多くの人々が「この日は人生の中で最も幸せだった。それは確かに貴重な期間だった。私達が主イエスの臨在を知ったのはこの集会の中だった。また、祝福のためだった」という証を生み出しました。神の聖霊の特別な啓示は、主が彼女にするようにと与えたことと、ホワイト姉に関して人々の心と知性に認められたことによって、不信仰の潮を後退させて疑いを鎮めるという目的のために存在していた、ということを私は知りました。

1)多くの人々は元気づけられたが、すべてではない

 それは、多くの魂を元気づける期間でした。でも、それは、ある人にはそのまま受け入れられませんでした。彼らは、ホワイト姉を見て、それらの全ての考えとの一致、その総会で票決された計画と決議、ナザレの会堂でキリストによってあの言葉が語られたのと同じように、少しの重さが加えられて受け取った根拠をすぐに認めませんでした。ナザレの人々の心は、神の聖霊によって触れられていました。彼らは、それが神のひとり子を通して自分達に神が語っていたように聞きました。彼らは神の聖霊の神性の感化、主の口から出たものに由来して全ての人に証された恵み深い言葉を感じたと知りました。しかし、サタンは、不信仰についた者と、疑いと疑問を受け入れて不信仰についた自分の者達の側にいました。神の聖霊は消し去られました。狂気によって、イエスを絶壁から突き飛ばしたであろう彼らは神としての彼を保護しませんでしたが、彼らの激怒は彼を害しませんでした。サタンがかつてその精神を支配した時、優れた人々と評価された愚人と悪魔を作っています。偏見、自負心、そして、強情は、人間の知性に悪霊の考えを生じさせる恐ろしい要素です。

2)あるリーダーへのエレン・ホワイトの勧め

 私は、バトラー長老[42]から長文の書簡を受け取りました。私はそれを、慎重に読みました。私は、その内容に驚かされました。私は、この手紙によってすることがわかりませんでした。でも、その中に同じような感情の混じった意見が書かれていて、それは、私の牧師の兄弟達に働いて支配しているように思えました。私は、彼ら数人を一緒に二階の部屋に呼んで、そして、この手紙を読みました。彼らは、誰も、その内容に驚いたようには見えませんでした。彼らが知っていて言ったことは、バトラー長老の知性でした。彼らは、彼の状態について同じことを聞いていました。

 それから、私は多くのことを説明しました。御言葉を調べる体験によって、兄弟達が兄弟達のために前進するための正しい義の道を私が知っていたことを述べました。私が、前にいる仲間達について知ったことは、正しい光/知識によって全ての事柄を考えていたものではなかったことでした。ですから、私は多くの事を説明しました。私が説明したすべてのものは、活動するための正しい原則を表明したものです。しかし、私は、自分の言葉が彼らの心に響かないことを心配していました。彼らは、自分達の道の事柄を理解していませんでした。そして、私が与えられて彼らに語ったその光/知識は、ぶらぶらした役に立たないしっぽのように、彼らのために存在していました。

3)その朝の集会でのアピール

 私は、事の成り行きについて心の痛みをとても感じていました。私は、ある朝の集会に集まった時に、とても熱心なアピールを私の兄弟達や姉妹達に送り、謙虚な心でともに聖書を研究し、私達が益になる期間の時を作るよう懇願しました。私は、彼らが少しだけしか知らない事柄について語る自由が存在しないように懇願しました。

 全ての人々が、キリストの学校で教訓を学ぶことを必要としていました。「重荷を負わせられて苦労している者はみな、私のもとに来てください。あなた方は私のくびきを着けてください。私は心が優しく謙遜な者ですから、汝らは、自分の魂に休息を見つけるでしょう。私のくびきは負いやすいので、私の重荷は軽やかです」(マタイ1128-30)。私達が日々心を低くして謙虚にその教訓を学ぶならば、そこには、この集会に存在していたあの考えはなかったことでしょう。そこには、いくつかの課題について、見解の相違があります。しかし、これは、明確な理由ですか。異なった考え方ですか。妬みと悪い憶測や想像、悪い疑い、憎悪、そして、嫉妬は、心の中で王座を占めるようになるのではありませんか。これらの事柄はみな、悪意です。悪意のみです。私達の助けは、神にのみあります。私達が間違うような何かの点で、だまされず正されるのを厭わないで学びを切望して、正しい精神によって聖書を研究して、そして、多くの時間を祈りに費やしましょう。イエスが、私達の真ん中にいて、私達の心が彼の愛によって優しさの中に溶け込むならば、私達はかつて参加した最良の総会の一つが持てるでしょう。

4)多忙で重要な会議

 そこでは、処理される多くの議事があります。この働きはさらに拡大しました。新しい数々のミッションが設立され、複数の新しい教会が組織されました。それらの全ては、その違う地方支部の働きの関心のある働きにおいて、主の働きが最良に前進するように私心なく配慮して、収穫の広い伝道地で働く兄弟達のように、自由に意見を求めて共に調和している必要があります。かつて、一つの総会としての一時があった頃、私達は神の聖霊の特別な恵みと啓蒙の光に照らされる必要がありました。私達の国家の法律と憲法の条項に変化をもたらすための行政機関からの圧力の動きがありました。それは、第七日としての第4の戒め、明白に指定された聖書の安息日を守る人々の良心を束縛するでしょう。

 その時は来ました。全ての人々が、委ねられた才能と能力の限りに働いて、私達の人々と世界中の人々の前で、神の律法の正しいことを証明して掲げるために、自分の能力と自分の義務を最高に果たす姿が見られるでしょう。多くの人々の目は、福音の牧師であると主張する人々によって騙されて塞がれています。それがサタンの働きである時に、彼らは自分達が神のためによい働きをしていると考えて、非常に多くの人々に感化を及ぼしています。

5)争いのタネになるサタンの策略

 さて、サタンは、セブンスデー アドベンチスト達のペンと声を沈黙させるために一つの会合を開きました。彼らを分裂させて弱めるための一つの指揮によって、彼らの議論の力と彼らの注目を繋ぎ止めるだけでいいだろうという彼の予想は当っているでしょう。

 サタンは、いくつかの成功のうちに自分の働きをしました。そこには、考えの不一致と分裂がありました。多くの嫉妬と悪い憶測がありました。多くの清められていない、弁論・手がかり・気づきがありました。この時に当たって神のために奮闘するように用意していて、働きにおいて魂と心があって当然の人々の知性は、小さい成果の内容に夢中にさせられました。ある人の考えは、生きた質問ではない狭い考えと神学理論を巻き込んでいる彼ら自身の教理のあらゆる点と的確に調和していないという理由で、今、多くの人々を巻き込んでいる国家の宗教自由に関する大きな質問は、多くの人々にとって小さい成果の事柄です。

 サタンは自分自身の事柄の手段を持って来ました。しかし、主は、神が用意した大いなる日に備えて、人々を起き上がらせ、闘いに用意するため、権威ある人々を目覚めさせるため、神の人々()に生み出して伝えるための厳粛なメッセージを与えました。サタンはこのメッセージを成果のないものにしようと努めました。全ての声と全てのペンがその働きに留まって熱心に働いた時、サタンの側の勢力達はバラバラに分かれて、意見が様々に違ってしまいました。これは、主の方法ではありませんでした。

6)「ガラテヤ人への手紙」の中の律法、一点の違い

 この集会で、「ガラテヤ人への手紙」の「その律法」の課題が、牧師達の前に持ち出されました。このテーマは3年前のこの総会でも持ち出されていました。……

 私達は、みんなが神の聖霊の感化によって心を鎮めて支配され聖書を開くならば、意見の自慢と偏見から解放され、平静な心が聖書の検証に導かれるだろうということを知っています。主の言葉とその真理の上に輝く主からの光/真理は啓示され明らかにされるでしょう。しかし、そこには、主が天の父と一つであるように主の弟子達が一つとなれるようにというキリストの祈りにかなうように、熱心な祈り、徹底した取り組み、多くの辛抱強さがあって当然です。熱心で真剣な祈りは聞かれるでしょう。そして、主は答えて叶えるでしょう。聖霊は知的な能力を活気づけるでしょう。また、そこには、意見の一致a seeing eye to eyeがあるでしょう。「そなたの言葉が射し込んで光を与えると、その光は単純な者に理解を与えます」(詩編119:130)。

7)プレゼントされたキリストの義と聖化

 E.J.ワゴナー長老は、神の律法との関係における信仰による聖化とキリストの義について、自分の見解をわかりやすい説明で話す特権を与えられて持っていました。これは新しい光/真理だったのではなく、それは第三天使のメッセージの中に存在して置かれていた古い光でした。……そのメッセージの任務は何ですか。ヨハネは一つの人々()を見ています。彼はこう言っています。「ここに聖徒達の忍耐があります。ここに、神の戒めを守り、イエスに属している信仰を守る人々がいます」(黙示録14:12)。この人々が「頭に金の冠をかぶり、手に鋭い鎌を持った」人の子を見上げている様子をヨハネは見ています(同14:14)。

 イエスに属している信仰は、冷淡に、不注意な作法によって見下され扱われています。それはヨハネに啓示された卓越した場所で優れた働きをしませんでした。罪びと達の唯一の希望であるキリストにある信仰は強く締め出され、その講演だけではなく、第三天使のメッセージを信じていると言っている多くの人々にその宗教体験も与えられました。

 

8)エレン・ホワイトが1844年から表していた真理

 この集会で、私は、「最も貴い光は、救いの唯一の希望として罪びとの前に常に示されている、主の律法と繫がっていたキリストの義の大きなテーマを示している聖書から輝き出ていた」という証を生み出しました。これは私にとって新しい光/真理ではなく、それは、過去44年の間、高い権威者から私に届いたものでした。そして、私は、それを、聖霊の証によって、ペンと声によって私達の[教会の]人々に示してきました。しかし、極少数の人々は、このテーマで生み出された証に同意されたものを省いて応答しました。そこでは、この大きな問題について語られ話されたものは僅かだけでした。ある人の講演は、キリストなしの――カインの捧げ物にそっくり似せて表されたかもしれません。

9)神性の未知

 品性を測るための基準は天の王家の律法です。その律法は罪の探知者です。主の律法のそばに罪の知識が存在しています。しかし、イエスが、十字架上での恥ずかしい死を成し遂げ、自分自身を謙虚にした素晴らしい愛を現したことによって、罪びとはいつも彼に引かれて存在しています。これは何という研究でしょう。御使い達は、その不思議な未知を見つめて、熱心に切望して努力しました。人間の高い知性は無理な要求を担うことができるということと、サタンの側の疑問を取り上げ、サタンによって騙され失敗した人間は、無限の神のひとり子のかたち imageを形成しうるということは研究の一つです。彼に似た者となれるだろう人間、キリストの義が人間に与えられるゆえに、神は、主がその息子を愛したように、「失敗したけれど贖われた」人間を愛するでしょう。生きている神の言葉、聖書をありのままに読んでください。

 これは、神性の未知です。これは、あらゆる講話の中に置かれるための、記念館に展示されるための、人間の口から出る言葉のための、神は善であるというを知って味わった人間によって記録されるための、調停して成立させるための、あらゆる講話の第一段階であるための、最も価値の高い映像 pictureです。そこに提示された血の通わないドライな神学と貴い魂は、命のパンに飢えています。これは、キリストなしで、天の神は受け入れるだろうか、または、それが求められているかという説教ではありません。キリストの神性の映像は、その主の人々()の前で保たれる必要があります。彼は天の太陽の中に立っている特別な天使です。彼は鏡に映った映像ではない像を映しています。神性の性質をまとっていましたが、神性の栄光を覆い隠されて、そして、彼は無限の神として、人々の前に掲げられるために存在しています。このことが特別な人々の前で保たれている時、創られた功績は無意味の中に沈んでいます。人々の眼差しはさらに彼に注がれ、彼の生涯、彼の教訓、彼の完全な品性は研究され、罪深い嫌悪感が罪を現すでしょう。

 人間は、見上げることによって、本当に素敵だと褒めることができて、もっと彼に引き付けられるようになり、もっと喜び、キリストの心を持って彼のかたちに同化するまでイエスに似ることをもっと切望することが可能です。

10)私達の手本イエスの研究

 「それだから、天の召命に参加している聖なる兄弟姉妹達、私達が[信じると]告白している大使徒、大祭司としてのキリストイエスを深く思いなさい」(ヘブライ3:1)。キリストを研究しましょう。彼の品性を特徴から特徴へと研究しましょう。彼は、私達の生活と私達の品性に写すように求められている私達の手本です。そうでないと、私達はイエスを表すことに失敗して、世界の人々に間違ったコピーを表してしまうでしょう。人々は習慣、言葉遣い、礼儀作法、品性に欠点があるので、誰かの物まねではいけません。私は、みなさんの前に人間キリストイエスをプレゼントします。みなさんは、あなたの手本とあなたの見本として彼を研究する前に一人ひとりが自分の救い主としての彼を知る必要があります。

 パウロはこう言っています。「私はキリストの福音を恥ずかしく思いません。それはユダヤ人を初めギリシア人にも、すべての信じる人に救いをもたらす神の力です。その福音の中に神の義が信仰から信仰へと啓示されました。……神について知りうる事柄は彼らに現されています。神はそれを彼らに示しました」(ローマ1:16-19)。

11)感謝の心は神の聖霊によって目覚める

 私達が厳かに深く感じた神への感謝の心は、単なる言葉によってではなく、聖書の生きている言葉によってキリストを見るために、また、世界の人々に彼を表すために、神の聖霊によって目覚めさせられるために存在しています。その人々は、聖書が、キリストに追随すると言っている全ての人に、キリストの足跡の後を歩むため、聖霊が吹き込まれるため、天の父を表すため私達の世界に来たイエスキリストを世界の人々に現すために、責務を求めていることを知っています。

 キリストを表すことによって、私達は自分達の世界の人々に神を表しています。「誰でもキリストの霊を持っていないならば、その人は彼に属していません」(ローマ8:9)。自分に尋ねてみましょう。私達は、キリストの品性をこの教会の中で、また、この世界の人々の前で反映していますか。聖書を研究することによって、もっと広く深い研究が私達に求められています。主の律法の中にあるキリストの義は、主の真の品性によって神を明瞭に啓示していて、それ自身の真の品性の中に見られる時の栄光が確かに、聖、義、そして善としての神の律法を啓示しています。

 私達の[教会の]牧会活動をしている兄弟[姉妹]達が自分達の聖書を持ち寄って、キリストの聖霊と共に、お互いに敬意を示して、真のクリスチャンの親切な礼儀を持って集まって来たならば、主は彼ら[彼女ら]の指導者だったことでしょう。しかし、サタンがたいそう強い力を振るっていた彼ら[彼女ら]の心に、主は印象を与える機会がありませんでした。彼ら[彼女ら]の知性と判断とが調和していなかったすべての事柄は、陰と闇を引き立てて現れるでしょう。

12)エレン・ホワイトに多くの重荷を負わせたある精神

 その集会の間中の私の重荷は、私達の兄弟[姉妹]の前にイエスの愛とイエスを紹介するために存在していました。私は多くの兄弟[姉妹]達がキリストの精神を持っていない著しい証拠を見ていました。私の知性は神にとどまっていたので平和が保たれていました。私は、私達の[教会の]兄弟[姉妹]、牧師達の体験の中に異なった精神がやってきたことと、それ[キリストの精神]がこのキャンプを去りつつあったことを考えることに悲しみを感じました。彼ら[彼女ら]は神の聖霊が存在していた場所でクリスチャン経験をしたことに気づかなかったこと、多くの人々の知性に著しい盲目があったことを私は知りました。それらの人々が神の群れで、守られていた人々だったと考えることは心の痛みを伴うものでした。真の信仰の不足、誠実な祈りも向上もなかったので、両手を下におろしました(何も得るものがありませんでした)

 ある人は祈りの必要を感じませんでした。彼ら[彼女ら]が感じた自分自身の判断に満足して、その人々は、かの敵の巧妙なものが自分達の判断をガイドしていたというセンスを持っていませんでした。彼ら[彼女ら]は特別な闘いに出るにもかかわらず、兜を身に着けずに兵士として進んでいきました。私達は、その講演が精神のないものだったこと、命の生きている水が、塞がれているチャンネルを通って注ぐのを拒んだこと、また、天の光/真理は、生ぬるく罪深く濃い霧に射し込めなかったことに、驚くことができますか。

 私は眠ることが可能でした。しかし、数時間でした。しばしば、2時か3時に目覚めて、私の前に表されたそのテーについて書くことによって、自分の知性を健全な状態にして、私はその朝までずっと書いていました。私の心は、私達の[教会の]牧師の働きをしている兄弟達の支配された精神を見ることによって痛められていました。ある精神が伝染させられたように思えます。そこでは、多くの討議がなされました。

13)彼女が努力した真理の提示

 私は、自分の[教会の]同志達を前にして、最初に、E.J.ワゴナー長老の見解について聞いたことを述べましたが、ある人は私の言ったことを信じませんでした。「その偉大で輝かしい真理とキリストの義とその無傷の犠牲は人間の味方になったことが、神の聖霊によって私の知性に永久に印象づけられなかったのですか」と、私は貴い真理の言葉を聞いたことと、自分の知性の全力で応えるつもりのことを述べました。そのテーマは何度も何度も、その証によって表されたのではありませんか。主がそのメッセージを宣布するように私の兄弟[姉妹]達に与えた時、私は神に言葉で言い表せない感謝を感じました。私はそれがこの時代の人々のための特別なメッセージだったことを知っていました。

 第三天使のメッセージは神の戒めの宣言とイエスキリストの信仰の宣言です。神の戒めは宣言されました。しかし、イエスキリストの信仰は、セブンスデー アドベンチスト達によって、神の律法とその福音が密接な関連を持って同等に重要だとしては宣布されませんでした。私は、それ自身の中に満ちていてこのテーマを表している言葉を見つけることができません。

 「イエスに属している信仰」the faith of Jesus。これについて、語られています。しかし、理解されていませんでした。第三天使のメッセージに属している「イエスに属している信仰」は何を構成していますか。イエスは私達の罪を許す救い主となり、私達と同じ罪びとの身分になっています。彼は私達が扱われて当然のように扱われました。彼は私達の世界に来ました。そして、私達が彼の義を持てるように、私達の罪を持ちました。私達を完全に確かに全く救うためのキリストの能力の中にある信仰がイエスの信仰です

 古代イスラエル人のための唯一の安全は玄関の柱の上の血でした。神はこう言いました。「私がその血を見た時、私はあなたがたの[家を]通り過ぎるでしょう」(出エジプト12:13)。安全のためのほかの全ての方法は役に立たないでしょう。その柱の上のその血は、死の御使いが中に入らないようにその道を特別に遮っています。ここにイエスキリストの血による唯一の救いがあります。それは私達を全ての罪から清めています。知的な教育を受けた人は知識の膨大な蓄えを持っているでしょう。その人は神学の憶測に繫がるでしょう。彼は人々に崇められ称えられ、そして、知識の宝庫とみなされるでしょう。しかし、彼が自分のために十字架につけられたキリストの救済の知識を持っていなければ、彼は失われています。キリストは、「私達の違反のために傷つけられました。彼は私達の不正のために傷を負わせられました。私達の平和の罰は彼の上にありました。裸[のむち打ち]によって私達は癒されています」(イザヤ53:5)。「イエスキリストの血によって私達は救われました」は、今も、唯一の希望であり、そして、私達の永遠を通した歌です。

14)偏見との闘いと間違った非難

 私がはっきりと自分の信仰を述べた時、そこには、私を理解せず、ホワイト姉は息子のW.C.ホワイトとA.T.ジョーンズ長老によって影響を受けて変わったとレポートした大勢の人がいました。もちろん、何年もそのような意見は私を知っていた人の口から届いていて、その人は第三天使のメッセージを発展させていました。また、私達の[教会の]人々の信仰と確信によって尊敬されていいました。影響があって当然です。

 私は、そのテーマに気を付けるようになり批判的になりました。しかし、私の説明を求めたり私に質問をしたりするために、私の所に来た兄弟達は一人もいませんでした。私達は、私達の[教会で]牧会活動をしている兄弟達みんなと使われていない部屋で共に祈りを一つにして会う機会を持つことを熱心に試みました。しかし、二、三回試しましたが成功しませんでした。彼らは、それぞれ自分の部屋に行って自分自身による回心と祈りをすることを選びました。偏見が打ち砕かれる機会になることは見られませんでした。私の息子[ウィリアム]A.T.ジョーンズ、E.J.ワゴナー、私が考える間違いは正される機会がなく、それはたいそう堅い決心でした。

 私は、ほかの努力を試してみました。私は、その朝1時間ほどで、自分の言葉が間違われないように、兄弟達の手許に届く内容の文書を書く時間を持ちました。私達の[教会を]導く責任者達はほとんど出席していませんでした。私はとてもがっかりしました。責任者の多くはこの会合に呼ばれていませんでした。私は彼らのうちの数人が出席していることを知って、異なる光によって物事を見始めました。そして、とても益となったことは、私が言うべきだったことを彼らが聞く機会を得たことでした。しかし、彼らはわからなくて、私の説明と、彼らに与えた明白な「このように主は言っています」という言葉によって益が得られませんでした。

 その時間に様々な質問が出されました。「ホワイト姉、あなたは、一つの民としての私達のために、主が何か新しい光か増やした光を持っていると考えていますか」。私はこう答えました。「確信を持って、私はそのように考えていません。しかし、理解していることを言うことはできます。私は、私達が神の備えた日に立つための人々[]であるならば、私達にはまだ明らかにされていない貴い真理があることを知っています」。

15)エレン・ホワイトの奨励、心を開いた研究

 ワゴナー兄弟が「ガラテヤ人への手紙」の神の律法についての自分の見解を述べた後で、それから、「その内容が、それがあった所へいい具合に落ち着いたと私が考えるかどうか」という質問が出されました。私は「誓って言いますが、[私には]資質がありません。私達はその質問の両側の全て[の意味]を求めています」と言いました。「私が見た、その集会に現れた精神は理性的ではなかった」と、私は言いました。私は、そこにはキリストのような精神、正しい一つの精神が存在し、E.J.ワゴナー長老が表明したすべての見解で示したように明らかにされたものが存在していることを強調します。この内容は賛成―反対の討議の形では操れないでしょう。私は、その理由を、キリストのような精神で扱われるべきこの問題は、彼らと異なる意見の兄弟達に対して鋭い批判をするべきでないからだと力説するでしょう。一人のクリスチャン紳士としてE.J.ワゴナー長老が彼自身の指揮を執った時、彼らは同じようにする必要がありましたが、彼らは不躾な作法で自分達の側の質問を喧嘩のように出しました。……

16)ガラテヤ人への手紙の律法に関する質問、生きていない

 注目すべきものが作られました。「もしも、ガラテヤ人への手紙についての私達の見解が正しくなくて、私達が第三天使のメッセージを持っておらず、また、私達の立場がその委員会によって悪くなる時に、私達の信仰には何も存在しないでしょう」。

 私はこう言いました。「兄弟のみなさん、ここには、まさに、私がみなさんに話していたことがあります。この意見[注目すべきもの]は真実ではありません。それは、一つの浪費、誇張した意見です。もしも、それ[注目すべきもの]がこの質問について議論されることであるならば、私は、ここに集まったすべての人の前でこの内容が発表されること、また、その意見が正しくないことを彼らが聞いても聞かなくても彼らに話すことは自分のなすべき義務だと感じています。その問題についての質問は、生きた質問ではなく、そのように取り扱われるべきでもありません。このテーマの重大さとその素晴らしい重要さは誇張されたもので、この理由「間違った概念と誤解した考え」のために、私達はこの集会で広まっているある精神を見ています。それは、キリストに似ておらず、私達は兄弟達の間に提示されたものとして見ることはないでしょう。そこには、パリサイ主義の精神が私達の間に来ていました。それが証された所ではどこでも、私は反対の声をあげるでしょう。

 私は、良い判断について、賢明な識別力についての強い渇望を見たいものです。あのような事柄の悪は、私の前に表されていました。異なった意見が信徒達と信徒でない人々の両方に明白に出されました。これらの事柄は、私の兄弟達が大きな変化に立ち向かったと私が感じた私の知性に一つの印象のようなものを作りました。これらの内容は、私がヨーロッパにいた間[1885.8-1886.12]に私の前に映像と象徴によって持ち出されました。しかし、その象徴は、牧会活動している私達の兄弟達と私達の教会のこの状態を考慮して、私がこの闇に取り残されないように、後で与えられました。

 私は、疑問を持って、自分で追求するために最良の方法だった自分の部屋に戻りました。その夜の何時間も、ガラテヤ人への手紙の律法を考える祈りに費やしました。これは単なる塵の一つでした。しかしながら、方法は、「このように主は言っています」との容認がありました。私の魂はアーメン、アーメンと言ったものでした。しかし、私の兄弟達を支配していた精神は、互いに現されるべき精神とは反対で、イエスの精神とはとても似ていませんでした。それは私の魂に苦痛が満ちていました。

 翌朝の牧師達のための集会で、私は、私の兄弟[姉妹]達にはっきり言う内容を持っていました。そこで、私は抑えないであえて話しました。塩はその味を失いました。素晴らしい金は光沢がなくなっています。その結果、彼ら彼女らは、神の聖霊の啓蒙のもとにいなかった時と同じで、価値のない者からの力によって動かされていて、霊的な暗黒と無知がその人々と多くの証人に現れていました。

 歴史の数々のページは、記録する御使いによって記されてきました。そのパン種(イースト菌)は確かに急激な働きをして、小さな塊を発酵させました。私は、私の兄弟達のために間違いを立証し警告する一つのメッセージを持っていて、私はそのことを知っていました。私の魂は苦痛に押し潰されていました。それらのことを私の兄弟[姉妹]達に伝えることは、彼らが伝えられるときの苦痛以上に、私にとって大きな苦痛の原因となっています。キリストの恵みを通して私は、牧会をしている私の兄弟達の前に立つために、主の名によって、主が閉じた目を開く希望と祈り、神性の強い力の経験をしました。私は、自分の秘書が速記で書き留めたその言葉を言うための力をつけられました。         『原稿』24,1888[61]

17)真偽を示す場、ミネアポリス

 彼らが行動を起こす精神のテストを受けられるまでに品性が達している状況になっていることと、その精神の作法を知っていることを別として、主は、彼らが大きな光の中を歩んでいるか、あるいは、誘惑のもとでそれから離れるかどうか、大きな光を持っている主の人々()をテストし真偽を示そうとしています。

 多くの人々の生まれつきの心は一つの力の支配下にあります。また、その人々は、プライド(自慢の混じった自尊心)と先入観が光と真理に反対する行動と言葉遣いで訪問者達を喜ばそうともてなしていることを想像していません。彼らは、光を闇にするためにでも闇の光に呼び出されたのでもないでしょう。神の[人類救済]目的とその働きの指導的立場で働いていた私達の兄弟達は、全ての光/真理の源である方と密接につながっている必要がありました。……

18)信仰による義は律法を軽視しない

 律法の尊厳性を悪く言うことや律法を行なわないケースがないように、私達の唯一の力の源としてキリストを指し示し、人に帰負する彼自身の義と彼の責任として課された人々の罪の過失を担っているキリストの無限の愛を贈りましょう。それどころか、それ[律法]は、正しい光がその上に輝いていて、その栄光を讃えている所にあります。これは、カルバリーの十字架から映し出される光だけによって行なわれるでしょう。主の律法は、十字架につけられよみがえったキリストから輝き出ている光の中に表されているときだけ、救済の壮大な計画の中に完全に満ちています。これは霊的に/精神的にspirituallyだけ識別されることが可能です。これは、見守る者の熱心が、キリストが自分の義であるという信仰、希望、そして、喜びの心をかき立てています。この喜びは、神の言葉であるイエスの言葉を守って愛する人々だけに存在しています。

 主が彼らのために私に与えたその言葉の光の中に存在していた私の兄弟達は、私が苦労して働きかけた人々の心に応答を見るでしょう。私が調和の中に存在するように期待し、その人々の心が偏見と不信仰によって内鍵[のようなもの]を掛けられたのを見た時、私は彼らから立ち去るのが自分にとって最善だと考えました。私の目的はその週の初めにミネアポリスから出て行くことにありました。

 私は、この人々の先に立って、私達が聖書の光によって贖いと罪のテーマを表す働きをする方法を[わかるように] 深く考えよう、祈ろうと思いました。彼らは、ほかの人々にその光を与えることができて、そして、主が抱いているその羊を小屋に連れ帰り、働き人達が神と共に集めて祝福する特権を持っているこの種の指導を大きく必要としていました。私達は、神からの力を持って当然で、律法主義の宗教だけがもっている氷のような冷淡さは、「キリストとキリストの義」を人々に提供した良い事柄として見る必要があるでしょう。命を与えるメッセージは、乾いた骨に命を与えるために必要とされていました。        『原稿』24,1888[61]

 

2.会議の最終日におけるエレン・ホワイトの評価

 (1888114日、彼女は家族の一人へこの手紙を送りました)

 私達の会議(SDAミネアポリス全体総会)は閉じられようとしています。私は、最終の安息日に自分の最後の講話をしました。会衆の中に考えるという感覚の人がたくさん存在しているのは初めてのように思えました。この教会は密集した群れですが、祈りによって前に進むように呼びかけました。静かに、多くの人は前に進みました。主は嘆願の聖霊を私に与えたので、主の祝福が私に訪れました。私は朝の集会から立ち去ることをしませんでした。これはウィリー[ウィリアム]にとって最も辛い集会になりました。私は、変更がなされないよう、決議が変化しないように、あらゆる点を見張っていました。それは、未来の働きの損失となるでしょう。

 私は、20回近く、とても自由に話しました。私達はこの集会はとてもよいものだったと信じています。私達は未来を知りえません。しかし、私達は、イエスが舵を取る場所に立っていて、私達は難破されないだろうと感じています。私の勇気と信仰は良いものとなって、そして、自分を失望させませんでした。それにもかかわらず、私達は、自分達の[教会の]人々の間でこれまでに持っていたその理解力のない狭い範囲での綱引きのような闘いという最も困難な課題を抱えていました。その内容は、私が大量に書かない限り、ペンによって書き著すことは不可能です。それで、私はその仕事に着手できませんでした。

 オルソン長老がSDA全体総会の代表です。そして、カンザス州支部のダン・ジョーンズ兄弟が彼の補佐をしています。ハスケル長老は、オルソン兄弟がヨーロッパから帰国[43]するまで奉仕するでしょう。私は、その将来がどうなるか話すことができません。しかし、私達は[ミシガン州]バトルクリークに4週間近く滞在するつもりです。そして、延ばされることなくすぐに明らかにされた一つの証が知られるでしょう。その時、私達はこの働きの中心で大きく、どのように内容が動いているかを見ることができるでしょう。私達は、この緊急事態に私達の[教会の]人々を助けるために、神への畏敬によって可能なすべてをすることを決心しました。

 SDA全体総会の委員会とその牧師達を支配する力を持っていた一人の思いやりのない人の知性は、それが良い目的のために健全である限りにおいて、バトラー長老の意見の反響が、影として存在していました。妬み、憶測、嫉妬が塊全体を膨らませたように見えるまで、パン種(イースト菌)のように働いていました。……

 今日、日曜、私は集会に参加しませんでした。でも、訪れることを考えていました。それは、私の歴史の前の一定の期間にあったこと以上に、多くの人々の知性に最小の印象を与えましたが、私は自分の証を生み出す主の聖霊の力と解放と威力を感謝しています。サタンは、不思議な方法で私の働きを妨害する力を持っているように見えますが、もしも私達がここに存在していなかったならば、私はこの集会に存在していた意図に身震いしています。神は、その集会にこの精神がもたらした妨げに対して、操作する力を持ってなんらかの方法によって働いていたことでしょう。しかし、私達には最小の失望もありませんでした。私達はイスラエルの神、主を信頼しています。その真理は勝利するでしょう。そして、私達はそれによって勝利が意図されています。

 私達は、あなたが家族のみんなと共にいて、あなたと共にいることを楽しんでいると思っています。でも、私達の願い事は、協議されるためのものではありません。主は、私達のリーダーです。主が私達のコースを指導されますように、そして、私達は、主が導くその道へ突き進めますように。

                     『手紙』82,1888[61]

 

3.ミネアポリスでの説教からの抜粋[44]

 今、私達が表したいと思っていることは、あなた方がどのように神性の生活を進めることができるかということです。私達は多くの謝罪を聞いています。私達は、あれもこれもと期待に添って生きることができません。

 「あれもこれも」は、何を意味すると思いますか。私達に与えられたのは完全な救い主ではなかった、私達が自身の生来の欠点と傾向に基づいて励んでいるということ、私達には願いを叶える充分な恵みと力がないということ、カルバリーの上に罪に陥った人類のため作られたものが不完全な犠牲だったということは何を意味すると思いますか。

 また、神をとがめて投げ出すことは何を意図していますか。さて、あなたは、こう言っています。それは、アダムの罪でした。あなたは「私はそのことに関して罪がありません。また、私は彼の罪と失敗に対して責任がありません」と言っています。ここにいる全ての人の生れつきの傾向は、私にも存在しています。そして、私がその生来の傾向で行動しているならば、私には責任がありません。だれに責任が存在していますか。神ですか。

 なぜ、神は、サタンがこの力で人間の性質を支配するようにさせたのですか。そこには、天の神に反対する非難があり、そして、もしも、あなたがそれを望んで、神に反対して最終的にあなたの非難を持って行くならば、彼はあなたに一つの機会を与えるでしょう。あなたが、神の裁きの法廷に連れて行かれた時、彼は、あなたに対して彼の非難を持ってくるでしょう。

                 『原稿』8,1888.10.20[61][45]

 もしも、神が人間の罪に陥った状態に合うように神の律法を変えたならば、キリストはこの世界に来る必要はありませんでした。神の律法は不変で変更できないものなので、神は罪に陥った人類に死ぬためにひとり子を送りました。しかし、救い主は人間の罪を自分自身に負いましたか。主ヤハウェ(hwhy)の教訓に背き続けるように彼の義を彼らに帰しましたか。いいえ、キリストは、人間が自分自身の能力で神の律法を守る可能性がなかったので、[この世界に]来ました。彼は、神の律法の教訓を守って行動する彼の力をもたらすために来ました。自分の違反を悔い改めている罪びとは神の所に行って、そして言うでしょう。「父よ、十字架とよみがえったキリストの功績を通して、私は許しを請い願います」。神は、イエスの名によって彼に来る人、全てを受け入れるでしょう。

               『原稿』17,1888 1888.10.21日曜日

 

4.最善を尽くしたミネアポリスの3カ月後

 神に感謝、光が与えられたことは間違いにとって手遅れではありませんでした。キリストはその精神を見ていて、そして、信仰によって自分達の重責を担う私達を彼が見ている時、彼の完全な聖は、私達の欠点を贖っています。それは、この世界の人々にその光を私達が作るようにと、神が私達に送った光の全ての光線を備えています。 『手紙』22,1889[62]

              (セレクテッドメッセージ第1p.368

 

5.信仰による義のメッセージに関する伝道地での受け止め

 特別な集会が[マサチューセッツ州]サウスランカスターで[1889]111日の金曜日に始まりました。私達は、その集会[46]から益を受けるために来た人々でいっぱいに満たされた教会を見つけて喜びました。……代議員達は、メイン州、コネチカット州、マサチューセッツ州、その他の州から出席しました。私達は、人間の最善の努力が神の助けなしに達成できない可能性があり、計画された事柄を秩序正しくするための働きがあったことを理解しました。私達の心は、私達の味方として働く神への熱心な嘆願へと引かれていきました。……

 神が人々に送った天の光の貴い光線のいくつかに心が閉じないように、私達が考えたのは、ほかの人々に特別なメッセージを伝えた人々が担ってきた重責でした。イエスは、彼に追随する者達が彼の真理のメッセージを受けた時、喜びました。……

 安息日の午後、多くの人々の心が感動しました。そして、多くの魂達は、天から下って来た特別なパンで養われました。その講演の後、私達は、貴重な社交の集会によって楽しみました。主は、とても近くに訪れました。そして、彼の恵みと愛について、魂の大きな必要を悟りました。私達は、手の遠くではなく近くにいる救い主としてのキリストを表す必要を感じました。神の聖霊が人々の心に働き始めた時、その果実は罪の告白と間違いの回復の中に見つかりました。その集会を通して多くの人々が、神の近くに引き寄せられることを求めていた時、彼らは互いに言葉と活動で間違ったことを持っていた所で、人がほかの人にそれを告白することによって、悔い改めに会う働きに導かれました。……

 そこには、多くの人々がいて、それを以前に再検討したことがなかった光の中にイエスが存在しているとして、その真理を知っていた牧師達さえいました。彼らは、その魂を聖化する者としての真理、罪を許す一人の救い主として、救い主を見ました。「私たちが自分の罪を告白するならば、彼は、全ての不義から私達を清めること、私達の罪と私達を許すことに忠実で正しい者です」。……

1)多くの人々は曲解した見解を持っている

 人々は主にある救いのためにキリストに行く前に、自分達がするための大きな働き持っていると考えているように思える、多くの人々がいます。人々は自分達が全部取組んだ後にイエスが来て、自分達の生涯の終わりの状態に至ってから自分達に助けを与える、と考えているように思われます。キリストが完全な救い主であること、彼によって神のもとに来る全ての人が最高に救われることは、その人々にとって困難なように思えます。その人々は、キリスト自身が「私は特別な道、特別な真理、特別な命」だという事実の視点を失っています。私達が個人的にキリストに憩い、信仰の確信に満ちて、全ての罪から清められるための彼の血の効果だけを信頼する時、私達は信仰によって、果たすことが可能だと神が約束した平和を持てるでしょう。……

 

2)表された真のメッセージ

 私達の兄弟達と姉妹達が心を特別な光に開いた時に、その人々は、信仰を構成するためのよい知識を得しました。主はとても貴い存在です。彼は、彼の人々()に能力を用意しました。その集会は初めの約束を超えて1週間続きました。その講習会the schoolは散会して、全ての人々は主を求めて熱心な働きをしました。[A.T.]ジョーンズ長老が[マサチューセッツ州]ボストンから来て、そして、その人々のために熱心に働きました。一日に2回、時には3回、話をしました。神のその群れは、魂を養う食物を与えられました。主がこの時代の人々に送ったその真のメッセージは、その講演の中で表されました。その集会は早朝から夜まで展開されて、その結果はとても満足したものでした。(訳者加筆。大陸横断鉄道の完成は1869年、自動車の発明は1896年です。この集会は1889年ですから、駅馬車を乗り継いできたと考えられます)

 学ぶ者と教える者の両者が神の祝福をたくさん共有しました。神の聖霊の強い働きは、ほとんど全ての人々の心が感じました。彼らが以前に知っていたものを超えた経験を得て、普通の証がその集会に参加した人々によって生み出されました。その人々は、キリストが自分達の罪を許したという喜びを証しました。その人々の心は感謝で満たされ、神を讃えました。温かな平安がその人々の魂に存在していました。その人々はまず全ての人々を愛しました。そして、神の愛に憩いでいると感じていました。

 私は、そのような知識の熟達によって前進する働きのリバイバルを見たことがありませんでした。そして、まだ、心の過度の動揺からの解放感が残っています。

 そこには、探究していた真理が表されたと証をした多くの人々がいました。その人々は神の律法の光によって違反者として確信しました。その人々は自分自身の義を信頼していました。今、その人々は、キリストの義と比較して、それを汚れた衣切れのように見ました。それは、神に受け入れられる唯一のものです。

 その人々が違反者だったことを開示しなかった間は、その人々は、心の中に品位を落とし衰えさせる自分自身を見ていました。その人々は、自分達の天の父の平和によってもう一つの善を代わりにしていました。その人々は、罪を差し控えるために闘っていました。しかし、自分自身の力を信頼していました。私達は、今のままの状態でイエスに行く必要があります。私達の罪を告白し、そして、弱い私達の魂を共感し思いやり深い贖い主に投げ出しましょう。  『レビュー&ヘラルド』1889.3.5[62]

 

6.信仰による義の概念に相応しくなるための必要

 招待されたことによって、私は牧師達のテント内にある注目をしました。私達は、家庭の宗教について言及して、この地にいる人々を教育するための最善の計画と考えたある話をしました[47]

 多くの人々は、信仰を構成するものの知識がないように思われます。多くの人は無知と落胆に関する不平を言っています。私は尋ねました。「あなたの顔はイエスの方を向いていますか。あなたは、義の太陽、彼を見上げていますか。あなたは、この教会の信仰の問題をはっきりさせて、キリストの義に全的に頼ることを明らかに必要としています。あなたの話すことと祈ることの中に、彼の無限の愛、キリストが少し宿っていました。彼の大きな犠牲は私達の益を作りました。サタンはその見解をほとんど覆い隠しました。私達はイエスキリストを持つ必要があるでしょう。私達は、私達の贖い主としてのイエスキリストに近づくことによって、もっと、もっと、人間による精神的な助けへの信頼を少なくする必要があります。私達は、イエスキリストに帰する天の目的を決心して住まわせましょう。私達は彼の愛について語りましょう。私達は彼の恵みを語って賛美しましょう。私達は彼を自分達自身の個人的な救い主にしましょう。その時、私達はキリストと一つになっています。私達はキリストが愛したことを愛しています。私達はキリストが憎んだ罪を憎んでいます。これらの事柄は、日常の暮らしの中で語られる必要があります。

 私は、牧師達に話をしました。私達の全ての違反を許すことのできる方、彼らが罪を許す救い主としてイエスを見て、徳の満ちている彼を見て、生きた信仰によって、キリストの能力まで達して、ひと足ひと足と人々を導いてください。私達が彼の姿に変えられるようになるのは見上げることによります。私達はその律法を語っています。これは光です。しかし、私達は、罪を許す救い主として、思いがけなくあげられたキリストだけを持っています。

 私達は、罪を許す救い主の知性の前に居続けるために存在しています。しかし、私達は、彼の真の位置、「死ぬために来たこと、神の律法をほめたたえて高貴にすること、十字架の血とよみがえった救い主の功績に全的に頼る罪びと達を正すこと」を表すために存在しています。これは、明白にされていません。

 魂を救うメッセージ、第三天使のメッセージは、この世界の人々に与えられるためのメッセージです。神の戒めとイエスに属している信仰は、両者ともに重要、とても重要で、支配力と権力が等しく与えられる必要があります。そのメッセージの冒頭部分は主なものを占めていて、末尾の部分は表面的です。イエスに属している信仰は、理解されていません。私達はそれについて語る必要があります。私達はそれを生きる必要があります。私達はそれを祈る必要があります。そして、その人々の家庭生活の中にそのメッセージのこの部分をもたらすために、その人々に教育しましょう。「この心があなたの中にあるようにしましょう。それはキリストの中にもありました」(フィリピ2:5)。

1)キリストが満ちた講演が必要だった

 イエスの名前がほとんど登場しない冷淡でキリストのいない、全体的な講演がありました。その話者の心は、イエスキリストの愛によって、引き寄せられも和らげられもされていません。彼は、冷淡な理論の上で暮らしていました。強い印象も残されませんでした。その話者は神性の油を持っていませんでした。彼はどうしてその人々の心を感動させることができるでしょうか。私達は悔い改めと改心されること、「そうです。説教者が改心されること」を必要としています。その人々は、自分達の前にあげられたイエスを持つ必要があります。そして、その人々は「見て、生きる」ように懇願される必要があります。

 なぜ、私達の口は、世界の人々のためのキリストの義のテーマと彼の愛について沈黙しているのですか。なぜ、私達は、その人々に新しい生活へと回復し活気づけるようにしないのですか。使徒パウロは主張した時に忘我と熱愛に満たされています。「論争なしに偉大なのは神性の未知です。神は肉によって現れ、聖霊によって義とされ、御使いに見られ、異邦人へ伝えられ、世界中の人々に信じられ、栄光の内に受け入れられました」(1テモテ3:16 KJV)

 「この知性があなたの中に存在するようにしましょう。それはキリストの中にもありました。神のかたちimageである彼は、神と等しいことを失わないで、自分自身の名声をなくして、奉仕者の姿となり、人々に似たものとなり、一人の人間としての姿が見られました。彼は自分自身を謙虚にし、死に至るまで、十字架の死でさえも忠実になりました。……イエスの名に、天上のもの達も、地上のもの達も、地下のもの達も全てのもの達は膝を地につけるでしょう。また、全ての民族の言葉は天の父の栄光のために‟イエスは主である”と告白するでしょう」(フィリピ2:5-11 KJV)。

 「私達は彼の血を通して贖いを得ています。罪の許しでさえ、彼は見えない神のかたちであり、すべての造られたものの前に生まれ、彼によって、全てのものは造られました。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの見えないもの、人々が王座にあり、王権にあり、支配も権威も、全ては彼によって、彼のために造られました。彼は全てのものの先に存在し、そして、彼によって全てのものは成り立っています」(コロサイ1:14-17 KJV)。

 その会場には、講演から外されていた大きな範囲のこの地と天のテーマがありました。それは、キリストが人間の心の中に形成されていないためです。サタンはそれがこうなるだろう、キリストは熟慮と熱愛のテーマとして存在する必要がない、という自分の方法を持っていました。たいそう影響力のある、たいそう本質的なこの名は、全ての民族の言葉に存在しているでしょう。

 「それについて、私は神の定めにより、奉仕の働きをする者とされています。あなた方に充分に[伝える]ために神の言葉が私に与えられています。長い間、何世代も隠されて来た未知でさえも、今は、主の聖徒達のために現されています。神は、異邦人達の間でこの未知の栄光の富が何であるかを知るようにしました。それは、私達が全ての人への警告、あらゆる知恵によって全ての人に教えて説き勧め、あなた方の内にいるキリスト、栄光の希望です。私達はキリストイエスにある完全な人間をすべて表すでしょう。それに対して、私はまた働いて、私の中で力強く働く、彼の働きのために奮闘しています」(コロサイ1:25-29 KJV)。

 ここに、キリストの奉仕の働き[48]the ministersの仕事があります。この働きはなされていなかったので、また、キリストと彼の品性、彼の言葉、そして、彼の働きは、その人々の前にもたらされていなかったので、この教会の人達の宗教的な状態をその人々の教師達に対して証しました。キリストに属するわずかな人々が現れたので、この教会の人達は死ぬ用意をさせられています。彼ら[この教会の人達]は霊的な命と霊的な洞察力を持っていませんでした

2)信仰による義のメッセージへの畏れ

 その人々の教師達は、自分達の力と自分達が頼る源の方について、生きた体験によって詳しく知るようにはなりませんでした。また、主は、卓越した人々を立てて、この時代にその人々に与えるための真のメッセージ(一つのメッセージ、それは新しい真理ではなく、キリスト自身が教え、そして、パウロが教えた真理と同じものでした)を持たせて彼らに遣わしました。それは、彼らにとって、不思議な教理でした。彼らは、「厳格にしすぎない。待つ方がいい。あなたがそれについてもっと知るまでこの内容を取り上げない」人々、すなわち、自分達の前にキリストを掲げず力づけられていなかったので、死ぬ用意をさせられている人々に注目し始めました。そして、その人々が新鮮なマナを必要としていた時に、その牧師達ministersがその同じ冷淡な理論/神学を説教していました。

 キリストの品性は、計り知れない完全な品性です。彼は掲げられる必要があります。彼には、特別な能力と特別な権力、彼を信じる全ての人々に属する義と聖が存在しているので、彼は、視界や見解の中に顕著にもたらされる必要があります。パリサイ派的な精神を持っていた人々は、「自分達がとても良い古い神学理論を持っているならば、また、神がその人々に送ったメッセージの中に味方するものが無かったならば、自分達は安全な良い立場にいるだろう」と考えています。ですから、古いパリサイ派の思想と彼らの実例は自己満足を基礎にした牧師達に近寄ってはいけないことを警告しているでしょう。

3)福音の霊感が注がれるテーマの現れ

 私達は、今、一つの力が自分達の上にやって来ることと、私達の熱心な信仰と努力の奮起を必要としています。聖霊のバプテスマを受けた時、私達は、その希望と栄光によってキリスト[の品性]を形成したことでしょう。その時、私達は、自分達の愛と信仰の神性のテーマとして、キリストを提示しているでしょう。私達はキリストについて語り、私達はキリストについてキリストのために祈っているでしょう。私達は彼の聖なる御名を賛美しているでしょう。私達は、この人々の前に、彼の奇跡、彼の自己否定、彼の自己犠牲、彼の苦悩、また、彼の十字架、彼のよみがえり、そして、昇天の勝利を表しているでしょう。それらは、全ての人々の心に感激の情熱と愛を目覚めさせるための、福音の霊感が注がれるテーマです。ここに、知恵と知識の宝、尽きることのない泉があります。あなたが、もっとこの体験を求めると、あなたの人生の大きな価値となるでしょう。

 特別な生きている水は、その泉から湧き上がり、その水の湧出は減ることがないでしょう。特別な福音の牧師達は、崇敬される主の品性を研究するための時間を割いて、人々の前にいつも主を示すならば、強い説得力のある人達でしょう。彼らが、これを実行したならば、そこには、背信は存在せず、このカンファレンス[教派の支部]から離脱する人もいないでしょう。なぜなら、彼らは、恥をさらすためにイエスを示したこと、神の[人類救済]目的の恥となったこと、自分達の慣習を無視した行動のそばにいるからです。福音の全ての牧師達の特別な力は、自分達の個人的な救い主として信仰によってキリストを受け入れる教会の信徒達を教育するために、また、真の命の中に彼を捉えてイエスに学んでそれらの模範にならって彼を形作り、イエスを信じて、そして、イエスを賛美するために働いているでしょう。ある牧師は、キリストの品性を自分自身に宿らせているでしょう。彼は特別な真理を深く考え、贖いの未知、特にこの時代の人々のためのキリストの和解の働きを熟考しているでしょう。

4)受肉と和解における内住

 キリストは、私達みんなのためいつも、いつでも存在しています。なぜ、彼の受肉と彼の和解のための犠牲は、教会の中にもっと内住しないのですか。なぜ、人々の心と舌は、贖い主を讃えるために働かないのですか。これはいつまでも絶え間なく続く時代を通して、贖われた人々の力の働きとして存在しているでしょう。

 私達は、自分自身にイエスを教えるために、神との生きたつながりを持つ必要があります。その時、信仰と実践によって、キリストが私達のために存在しているということについて、私達は生きた個人的な体験を生じさせることが可能です。私達は、キリストと神性の熱心さを受け入れたので、私達に留まる力が存在していると語ることができるでしょう。その人々は、キリストに引き寄せられる必要があります。卓越さは主の救いの結果として与えられるに違いないでしょう。

 キリストの足元に座って真理を学ぶ者達は、私達の救い主によって語られた貴い真理の宝石を発見して、それらの価値を認識して、それらの重要さに気づくでしょう。もっともっと、彼らが謙虚によく教えを聞くようになると、彼らの理解力は主の律法のほかの事柄もすばらしい発見にも啓発されるでしょう。キリストは、明確に明晰な項目にしてそれらを表しています。

 イエスキリストを通した救いと恵みの教理は、教会の名簿に名前が載っている人々と共有を大きく分かち合う未知の一つです。もしも、キリストがその人々と話し合うためにこの地上にいたならば、彼は、その人々の理解が遅いことを叱責したことでしょう。彼は、その理解力とその遅さについてこう言うでしょう。「私は、あなたがその価値を疑わないあなたの救いに関する真理の財産を委ねておきました」。

 ええ、それは、その人々やその教会の人々に説教していた牧師達に言われたことでしょう。「彼が、その人々の理解する力を広げた時に、その人々は聖書を理解することができました」(ルカ24:45)。私は、この時に至るまで神を畏れながらあなたに話しましょう。贖いの壮大な計画に結びついている聖書の真理は、しかし、また理解されにくいものです。その真理は、それは神性であり、創始者に似ているので、明らかにされ、拡大され、発展されるでしょう。

5)イエスはその人々にどのように教えたか

 イエスは教え/教理について連続の講話や十分な説明をしませんでした。しかし、彼はしばしば、一人の見分ける働き人によって集められる必要がある真珠のような教え/教理について、また、ある種蒔きの農夫が天に穀物を収穫するという短い言葉で話しました。信仰と恵みの教理は、彼が教えた至る所からもたらされています。ええ、なぜ、牧師達はこの教会の人々に霊的な健康と活力を与える真の食物を与えないのですか。その結果は、神の言葉への実用的な従順によって豊かな体験となるでしょう。なぜ、その牧師達はその事柄によって、死ぬ準備をさせられているその残りの人々を力づけようとしないのですか。

 弟子達から去る時に、キリストは彼らに与える大いなる慰めを探していました。彼は、彼らに人間性の努力と結ぶ[神性の]聖霊(慰める者)を約束しました。聖霊についての約束に比べて、この教会において、どの約束が体験されず、満たされていないのですか。それはそれ自身の教育訓練が全ての祝福をもたらすこの祝福が消え去る時、確かな結果は霊的な干ばつです。これは、会っているある説教者のお小言です。この教会は立ち上がる必要があります。もはや、無味乾燥した露のしずくに満足させられている場合ではありません。

6)私達は聖霊を必要としている

 なぜ、私達の教会信徒達は、自分達の特権にとどまっているのですか。その人々は、神の聖霊の感化の必要を個人的に気付いていません。この教会の人々は、たぶん、マリアのように言っています。「人々が私の主を取り去りました。そして、私は、人々が主をどこに置いたかわかりません」(ヨハネ20:13)。

 現在の真理を説教している牧師達は、罪の自覚と魂の改宗、神の聖霊の感化の必要性に同意しているでしょう。そして、この感化は御言葉についての説き勧めが加わる必要があります。しかし、彼らは、実際的な知識をもつことと同じように、その重要性を充分に深く持つこととを感じていません。彼らの心の現在の真理に関する神性の感化力と恵みの欠乏は、この教会に必要な真理を積極的に表すことと、霊的な事柄を識別することを自分達で妨げています。彼らは法的に地位を守られた牧師として宗教の仕事をしているので、能力の少ない人と宗教的成長の少ない人の所に行っています。神の恵みの力は、生きている、必要に効果的、原則を守る、と感じさせられることではありません。

 全ての人々は、神に所属している彼らに与えられたメッセージ含むものとこれを見ることができるでしょう。彼は、現在の真理に奉仕する主に仕える者達を立ち上がらせました。なぜならそれは、そして、形式にこだわった劣ったがらくたとして葬られ、視界から失われていた十字架を高く掲げることに巻き込んでいます。それは、現在の真理の枠組みによって再構成され取り戻される必要があります。それ自身の宣言は主張される必要があり、その地位は第三天使のメッセージの中で与えられています。

 キリストの多くの牧師達はすぐに聖別しましょう。厳粛な参加者の一人として呼び求めましょう。主が見つかるうちに、神に求めましょう。あなたがカルバリーの十字架の下で、今たたずんでいる間に、彼を呼び求めましょう。教会を守る代表としてあなた自身の全ての自負心prideを捨てましょう。玄関と聖餐台の間で嘆き悲しみ、そして、「主よ、残りの者達、そなたの民、そなたの信仰遺産に咎めを与えないでください。そなたの意思を私達から、そなたの聖霊を私達から取り上げないでください。そなたの民です」と叫びましょう。祈りましょう。神の聖霊の注ぎを祈りましょう。

                     『原稿』27,1889[62]


 

 22章 人類救済のテーマにおける強調――1890-1908

 

 

 

 

 

1.[人類]救済の対策

 誠実な悔い改めのない、苦行・身体の禁欲・定期的な罪の告白、すなわち、断食・宗教行事・戒めの形式的な遵守・真の献身による孤立、これらはどれも価値のないものです。キリストの犠牲は十分に足りています。彼は神への有効な捧げ物として完全な物を作りました。キリストの功績なしの人間の努力は価値のないものです。私達は、このコースをたどることによって神の名誉を汚すだけではなく、現在と将来の有用さを台無しにしています。キリストの生け贄の価値を理解することへのしくじりは、品位を落とす影響力を持っています。それは、私達の期待をしぼませて、私達の特権にも達しないようにしています。またそれは、私達のために計り知れない犠牲を払った救済に関する誤った危険な考えの神学理論を受け入れるように私達を導いています。救済の計画は、彼[イエス]の人間性の努力が完全に成功するように、神性の力が人間にもたらされるところにあるということが理解されていません。

 キリストが赦しているこの方法によって赦されることは、赦されることだけではなく、私達の知性に属している精神が新し生まれ変わることです(To be pardoned in the way that Christ pardons, is not only to be forgiven, but to be renewed in the spirit of our mind.)。主は言いました。「私は新しい心を汝らに与えるでしょう」。キリストのかたちimageは真の知性と魂にスタンプを押すように刻み込まれるために存在しています(1コリント2:16)。神性の力を通してだけ至ることのできるこの変容の過程がない罪への生まれつきの傾向は、人の力では打ち砕くことのできない新しい鎖を造ること、囚われを課すこととして、全ての人々の能力と心の中に留められています。しかし、人々は、古い味覚・好み・誤った認識・食欲、そして、神学理論を持ったままでは天国に入ることができません。天国は、全てのことが人々の味覚の好みや食欲や誤った認識に反していて、節制することが人の本性と培われた品性の特性に反しているので、それを楽しむ場所ではないでしょう。

 幸福は神の意思への一致と聖化の結果として存在しています。天の聖徒として存在しているこの人々は、地の上の最初の聖徒達であるに違いありません。すなわち、私達がこの地上を去る時、私達は、私達の品性を共に帯びているでしょう。そして、この人々はキリストの義を通して私達に与えられた天国の要素のいくつかをシンプルに帯びているでしょう。

             『レビュー&ヘラルド』1890.8.19[63]

 

2.信仰を通して達成された義認と聖化――1890

 悔い改めと信仰を通して、私達がキリストを救い主として受け入れる時、主は、私達の罪を赦し神の律法の違反と定めた罪を免除します。その罪びとが正しい人として神の前に立つ時、また、神の聖霊は天の父とそのひとり子の仲間がいることを通して、その人は天に友好的に受け入れられています。

 そこには、達成されるためのほかの働きがあります。そして、これは、発達する性質に属しています。その魂は特別な真理によって聖化されるために存在しています。この人はまた信仰によって成し遂げられています。そしてそれは、その人の品性が変えられうるという、私達が信仰によって受け入れるキリストの恵みだけに存在しています。

 私達が信仰の特別な性質を明瞭に理解することは大切なことです。「キリストは世界の人々の救い主だ。その福音は真実で救済の計画を啓示している。また、自分達が救う信仰を持っていない」と信じている多くの人々がいます。その人々はその真理を知的に確信しています。しかし、これは十分ではありません。義と認められるために、その罪びとは自身の魂のためにキリストの功績を悟る信仰を持つ必要があります。私達は悪霊たちが「信じておののいている」ということを読んでいます。しかし、彼らの信条は義を自分達にもたらしていないだけではなく、聖書の真理に単に知的な同意をしただけの人々の信条は救済の益を彼らにもたらしていません。この信条は、永遠の命の到達点に届くことにしくじっています。その真理は、特別な品性を形成することや特別な心に繫がっていません。

 真の救う信仰には、カルバリーの神のひとり子によって作られた遠大な贖いの犠牲による信条を通した、神への信頼があります。キリストによって義とされた信者達は、主が希望を与える人であり解放する人であることだけを見上げています。信条は信頼がなくても存在しているでしょう。しかし、信頼から生じた確信は信仰なしに存在することが不可能です。キリストから救う力の知識がもたらされている罪びとはみな、彼が体験で歩み続けたように、偉大な称号によってこの信頼の学位/証明書を作るでしょう。

                    『サインズ オブ ザ タイムズ1890,11,3[63]

 

3.誘惑に対する抵抗――1891

 多くの人々は、誘惑に陥らないことは不可能なことだと考えているように見えます。また、その人々は打ち克つための力をもっておらず、その口の言葉によって神に対して罪を表していて、信仰と勇気ではなく落胆と疑いの言葉を発しているように見えます。キリストは私達が[誘惑]されたようにあらゆる点で誘惑され、また、罪を犯しませんでした。彼は「この世界の王は来て、そして、私に何もしていません」と言いました。これはどんな意味ですか。それは、悪の王は自分の誘惑でキリストに対する優越の余地を見つけ出すことができなかったことを意味しています。それは私達にも共通しているでしょう。 『レビュー&ヘラルド』1891.5.19[64]

 

4.完全/成熟は一バウンドで届かなかった1891 

 私達ははるかかなたの時を見つめています。私達は永遠の時を見つめています。私達はキリストが「よくやった。善良で、忠実なしもべよ」と言うことのできる一つの道を生きようと試みています。その道をみんなで生きましょう。私達は、間違いもするでしょう。私達は失敗もするでしょう。しかし、神は私達を失敗のままに放置しないでしょう。「私達が罪を犯すならば、私達は擁護する天の父とキリストの義を持っています」。ここに私達のための希望があります。私達は希望のとらわれ人です。

 私達は、神の豊かな約束を見詰めましょう。神の園には、豊かな約束が満ちています。さあ、私達はそれらを獲り入れましょう。それらを家に持ち帰りましょう。私達は神を信じていることを示しましょう。主と主の言葉を掲げましょう。神への不信や疑いが見られないようにしましょう。

 私達はクリスチャンとして成長しましょう。私達は立ち止まっているために存在しているのではありません。私達は、昨日存在していた所から今日も成長発達するために存在しています。毎日、イエスにもっと信頼し、信頼を深めるために学んでいます。このように、私達は成長するために存在しています。あなたは、一バウンドで完全/成熟に到達するのではありません。清め/聖化は一生涯の働きです。……

 私は、1843年の一人の夫とその妻のことを覚えています。……1844年に主が来ることを期待して、見つめて待っていました。二人は、毎日、神に祈っていたものでした。お互いに、「お休みなさい」を言う前に、こういったものでした。「私達が目覚める時に主が来ますように。私達は用意が整っていることを望んでいます」。夫は「妻が考えたことは、二人が告白した真理と信仰に一致していなかった」ということを1日の間に言ったかどうかを尋ねたものでした。また、妻は「夫が考えたことは、二人が告白した真理と信仰に一致していなかった」かどうかを質問をしたものでした。それから、二人は、主の前にひざまずいて、二人が考えと言葉と行動で罪を犯していたならば、また、主がその違反の罪を赦すようにと、願ったものでした。今、私達は、このようにシンプルな[祈り]を求めています。

 あなたは、十字架につきよみがえった救い主の功績をつるして飾っている幼子のようでありたいと思うでしょう。また、その時、あなたは守られるでしょう。どうでしょうか。神の御使い達は火の壁のようにあなたの回りを取り囲むでしょう。あなたが求めたキリストの義は、あなたの前を進んで行き、そして、神の栄光はあなたの後方にあります。神はその言葉を清めています。神はその思想を清めています。私達が天のテーマに留まることができて、また、ほかの人々へ光と知識を与えることができる時に、神は私達の知性を清めています。これは、私達にとって、非常に大きな成長発達で、ここで止まっていてはいけません。あなたの責任の多くを果たすよう、神の助けがありますように。     『原稿』9,1891[64]

 

5.義認の説明――1891

 信仰による義は多くの未知のために存在しています。罪びとは神によって、その人が自分の罪を悔い改めている時に義とされています。その人は、カルバリーの十字架のイエスを見ています。なぜ、これがすべての人の犠牲なのですか。主ヤハウェ(hwhy)の律法は破られました。天と地を治める神の律法は踏みにじられました。そして、罪の罰は死であることを宣言されました。しかし、「神は、たいそうこの世界の人々を愛したので、主は、そのひとり子を与えました。彼を信じる者は誰も滅びないだけではなく、永遠の命を持つでしょう」。神のひとり子、キリストは、神の律法に違反した人のための、何という愛で、なんという限りない愛でしょう。

 その罪びとは、神の律法とそれ自身の永遠の拘束力についての霊性/精神性/敬虔さspiritualityを見ています。その人は、違反した人のための保証人、代理人を提供する、神の愛を見ています。その代理者は、神と対等な御方です。世界の人々への救済の贈り物による恵みの表示は、罪びと達の驚きを満たしています。人間への神のこの愛は、全ての隔ての壁を打ち砕いています。主は、この十字架のために来ています。それ[十字架]は、キリストが自分のもとへその人を引き寄せたので、違反した人が罪を悔い改めている、人間性と神性の中間点に置かれていました。神の律法の違反者を救うために、その律法の中に赦しの属性は存在していなかったので、主は罪から人を清めるための律法を予期していませんでした。彼は、神への悔い改め(なぜなら、主が統治するその律法は破られたので)と、全ての違反から罪びとを救って清めることのできる御方、私達の主イエスキリストへの信仰を通して、唯一の希望として贖いの犠牲を見ています。

 キリストの仲介者的働きは、人間が違反者となると同時に、人間の苦悩と不幸の始まりとともに開始しました。人間を救って神との和合に導くために、[違反を宣告した]神の律法は廃止されませんでした。しかし、キリストは人のために罪となることによって、人の解放者、保証人の任務を引き受けました。人間は、天の父と一つだった彼を通して神に属する義になることができるでしょう。罪びと達は、キリストが罪びと達を義の存在だったかのように扱って、好意的な神性の中に受け入れ、その罪を赦し、罪びと達が受ける罰を軽減し、実際に罪がなかったとしてもてなす時だけ、神によって義とされることが可能です。彼らはキリストの義を着せられることを通してだけ義とされています。天の父は、そのひとり子を受け入れ、また、彼のひとり子の贖いの犠牲を通して罪びと達を受け入れています。

 

6.一般的な信仰は十分ではない

 一般的な信仰は多くの人々によって歓迎されています。そして、彼らの同意は受け入れられていて、そのキリスト教信仰は魂の滅びに対する唯一の希望です。しかし、この知的な信心はその魂の救いのためには十分ではありません。……

 そこには信仰が必要であるだけではなく、神への信頼も必要でしょう。これが、果実を生み出す信仰、アブラハムの真の信仰です。「アブラハムは神を信じた。そして、それ[信仰]は義認によって彼に与えられた」(ヤコブ2:23)。神が彼の息子を犠牲として捧げるように彼に語った時、それは、彼の土地を去って神が示した地に行くようにと語った声と同じものでした。アブラハムは、罪びとが、今日のキリストを信じる信仰によって確かに救われているのと同じようにキリストを信じる信仰によって救われました。

 その義としている信仰は、いつも、最初に真の悔い改めと、それから、その信仰の果実であるよい働きを生み出しています。良い果実を生み出さない果実の信仰には、救いが存在していません。神は、私達、世界の人々に罪びと達の身代わり人となるためにキリスト(救い主)を与えました。贖いの犠牲を払う功績に真の信仰が働いたその瞬間、個人的な救い主としてキリストを求めるその瞬間、その罪びとは許されているので、神の前に義とされています。             『原稿』46,1891[64]

 

7.打ち勝つ方法――1891

 ヨハネは、神の民に、世界の人々の罪を取り除く神の子羊を指し示しました。彼はこう言いました。「世界の人々の罪を取り除く、神の子羊を見上げなさい」。「取り除く」という言葉の中に深い意味があります。その質問は、「打ち勝つことは私達にとって不可能だったならば、私達は罪を続けますか。私達は打ち勝つためのどんな存在ですか」です。キリストが打ち勝ったように、それは、その方法にだけあります。彼は、彼の天の父に祈り求めました。私達は同じようにすることができます。……

 タサンが、間違ったことを言いったり、間違った抵抗をしたりするように誘惑する時、私は、あなたの支配に私の意思を明け渡さないでしょう。私は、勝利者である恵みを通して、神性の力と協力するつもりです。

                     『原稿』83,1891[74]

 

8.キリストは私達の避けられない欠陥を補う

 イエスは、その子らが間違っていても愛しています。イエスに所属している私達は、人々をイエスキリストの血によって買い取られた者としてもてなすために存在しています。その人々に向かってどんな不合理な経過が付きまとったかは、イエスキリストに敵対するものとしてこの本[聖書]の中に記されました。彼はその眼差をその人々に注ぎ続けていす。イエスの子らが、自分の助けを神に求めて最善を尽くす時、彼によって支えられた奉仕は不完全だけれど受け入れられるでしょう。

 イエスは完全/成熟した存在です。キリストの義は彼らに与えられています。そして、彼はこう言うでしょう。「彼から汚れた衣を脱がせなさい。そして別の衣を着せなさい」。イエスは、私達が超えられない欠陥を補っています。クリスチャンが互いに信頼のおける者で、主の主催する統率者に真実な所では、信頼をかの敵の手に渡さないでしょう。彼らはキリストの品性に形成されるでしょう。イエスはその人々の信仰によってその人々の心の中に留まっているでしょう。

          『手紙』17a,1891(参照、『信仰と働き』1885,p.50)

 

9.罪が犯されたらすぐにキリストに逃げ込む――1892

 多くの人々は祈っていません。その人々は有罪宣告のもとにいると感じています。そしてその人々は、神の気に入りの何かのよい功績ができるまで、また、自分達の[律法の]違反について、神に赦されるまで神の所へ行ってはいけない、と考えています。その人々はこう言っています。「私は神の前で、自分への憤りやためらいなしに、清い手を挙げることができません。そして、それゆえ、私は行くことができません」。なので、その人々はキリストから離れています。また、そのようにして、キリストがいないため、その人々は不正のほかに何もすることができなくて、いつも罪を犯し続けています。

 あなたが罪を犯すとすぐに、あなたは、主の恵みの座に逃げ込みましょう。そして、それについてイエスに話しましょう。罪によって、あなたは自身の霊性が弱まり、天の御使い達が悲しみ、あなたの贖い主の愛の心が押しつぶされて傷ついたので、あなたは罪のために悲しみに襲われているでしょう。あなたがイエスに赦されるように魂の悔悟を求めた時、彼はあなたを既に赦したと信じましょう。彼の神性の恵みと、彼の計り知れない愛の慰めを拒んではいけません。     『Bible Echo1892.2.1

            (オーストラリア メルボルンでの話し合い 1891.2.19)

 

10.私達が赦された後も何か罪を犯すのですか――1892

 私達に悔い改めを与えるのは神の聖霊です。イエスは、彼の神性な聖霊の働き人を通して、私達を自身に引き寄せています。彼の贖いの血への信仰を通して、私達は罪から清められています。「神の御子イエスの血は私達をすべての罪から清めています」(1ヨハネ1:7)。「私達が自分達の罪を告白するならば、彼は忠実で正しく、私達の罪を赦すために、全ての不義から私達を清めるために存在しています(同9節)。

 しかし、私達が赦されて神の子らとなった後に罪を犯したとすると、私達は絶望する必要がありますか。いいえ、ヨハネはこう書いています。「私の幼子達よ。汝らは罪を犯さないために、私はこれらのことをあなた方に書き送ります。誰かが罪を犯すならば、私達にはイエスキリストの義、天の父による擁護者がいます」(同2:1)。イエスは天の法廷にいて、私達の味方として天の父に懇願しています。彼は自分自身の功績の貴い香りをそれら[祈り]に混ぜて私達の祈りを表しています。私達の祈りは天の父に受け入れられるでしょう。彼は私達の祈りの中に良い香りを添えています。そして、天の父は私達の祈りを聞いています。なぜなら、私達は自分達の必要としていることを真剣に求めているからです。私達がほかの人々への命から命へと良い味(評判)となるためです。

 イエスは私達の味方として苦しみを受けるために来ました。彼は自分の義を私達に与えることが可能です。そこには、私達のための一つの逃れの道があるばかりか、神性に与るようになる方法を発見する道もあります。

 しかし、多くの人々はこう言っています。イエスは私達のようではありませんでした。彼は私達がこの世界に存在したようには存在しませんでした。彼は神性でした。そして、私達は彼が打ち勝ったようには打ち勝つことができません。しかし、パウロはこう書いています。「確かに、彼は御使い達の性質を受け継ぎませんでした。しかし、彼はアブラハムの孫の[性質] を受け継ぎました。全ての事柄のこれらのどこででも、彼の兄弟達のようになったことは彼に当然なことです。彼は、この人々()の罪の和解をするための、慈悲深く、神に関する事柄に忠実な大祭司でしょう。彼は、誘惑された存在、自らを犠牲として捧げました。彼は誘惑されている人々を支援することができています」(へブライ2:16-18)。「私達は自分達の弱さを感じられない大祭司を持っていません。その大祭司は私達と同じようにあらゆる点で誘惑を受けましたが、罪がありませんでした。ですから、私達は恵みの御座に大胆に行きましょう。私達は恵みを得て、必要な時に助けの恵みを見出すことができるでしょう」(4:1516)。イエスはこう言っています。「打ち勝つ人に、私は勝利したので、私の座に私の父と共につく時に、私の座に着くことをかなえてあげましょう」(黙示録3:21)。
 イエスは、彼の人間性によって人類を包み込みました。このような道徳的な力は、イエスの功績を通して人間にもたらされています。彼の恵みを通して彼の名を告白する人々は、自分達を清めるために存在しています。その人々は、自分達と交際する人々に清めの感化を及ぼすでしょう。

              『レビュー&ヘラルド』1892.3.1[65]

 

11.腕を組んでいる時間はありません――1892

 私達が救いのためにキリストに全的に信頼を感じるようになって来ると、「私は何もすることがありません。私は救われています。イエスはそれを全てなしました」と言って、私達は両腕を組むために存在しているのですか。いいえ、私達は神性に与るようになるために、全てのエネルギーを使い尽くすために存在しています。私達は見張り、待ち望み、祈り、働き続ける者であるために存在しています。

 しかし、私達が可能なことを全てなす時、私達は自分達の魂のための身代金を支払うことができません。キリストは私達の信仰の完成者なので、私達はそれ[信仰]を完成することができないだけではなく、信仰は神からの贈り物なので、私達は信仰をもたらすために何事もすることができません。それ[信仰]は全てキリストから出ています。良い生き方に倣った全ての希望はキリストに存在し、また、それは、彼が自分のもとにあなたを引き寄せていて、あなたは彼の引き寄せる力に応答しているという形跡に存在しています。            『Bible Echo1892.5.15

 

12.キリストの性質が私達に植え付けられる――1894

 真理、貴い真理はそれ自身の感化による清め/聖化です。聖霊の働きによる魂の清めは人間性の中にキリストの性質が植え付けられることです。それは、私達の主イエスキリストが品性の中に現した恵みです。また、キリストの恵みは良い働きを行動体験の中にもたらしました。このように、その品性は、キリストのかたちに倣って、義と真の聖化によって、益々、完成/成熟へと形成されていきます。そこには、ほかの良い働きに倣って、一線の中に広がる神性の真理による幅広い求めがあります。その福音の真理は、クリスチャンの働きと体験の全体を通して、それらが織り込まれている金の糸のように、キリストの個人的な働きの中にあるように、数々の天の宝石が一つに結ばれるように繫がれています。

 キリストは真理の完全な体系です。彼はこう言っています。「私は特別な道であり、特別な真理であり、そして、特別な命です」。全ての真の信徒達はキリストを中心に集まり、その人々の品性は、キリストについて行き渡って、キリストに合っていて、キリストによって輝かされています。真理は、全ての道徳的汚れから行為の主体者としての人間の聖化と清めのために天からやってきています。親切と優しいこと、必要としている人に向けた思慮深い愛、特別な悩み、特別な苦しみなどは、慈悲深い活動に導いています。これは、キリストの言葉への行動的な従順です。

                    『原稿』34,1894(67)

 

13.サタンは清められていることを主張した――1894

 サタンは、清められていること、天の法廷の神の前でさえも自分が高められていることを主張しました。彼が多くの御使い達を堕落させた絶大さは彼の騙す力で、彼の自己中心的な影響力によって、彼らの共感と賛同を得ました。彼が荒れ野でキリストを誘惑した時、彼は自分が清められ、天の法廷から来た聖なるだったと主張しました。しかし、イエスは、彼のうぬぼれた言葉によって騙されませんでした。また、神の口から出ていてそれに由来した全ての言葉によって生きている人々も騙されないでしょう。

 神は意図的なもの、不完全な従順を受け入れないでしょう。清められていると主張するこれらの人々と、神の律法を聞いてもそれが耳から素通りしてしまう人々は、不服従な神の子らであることを自分で証明しています。肉の心は神の律法に従属させられません。確かに、それができません。

                    『原稿』40,1894[67]

14.信仰と良い働き――1895

 私達の神の受け入れには、ただその愛するひとり子[を受け入れる]ことに保証があります。そして、数々の良い働きは罪を赦す主の愛の働きの結果として存在しています。それら[の良い働き]は、私達を保証するものではなく、私達の魂の救いの一面を主張することが可能になる自分達の良い働きと一致していませんでした。救いは、キリストを必要としているという理由だけによってその人に与えられた、信ずる者達への神の無償の贈り物です。悩みや問題を抱えた魂は、キリストにある信仰を通して平安を見つけるでしょう。その人の平安はその人の信仰と信頼に調和があるでしょう。その人は、自分の魂の救いのための嘆願としての良い働きを表しているでしょう。

 しかし、良い働きは実際的な価値がないのですか。罰を受けない日々の罪を犯す罪びとは、誠実によって働きを努めているキリストにある信仰を持った人として、同じ気に入りとして神にみなされるのですか。御言葉は答えています。「私達は、それらによって歩むようにと前もって神が定めた良い働きをするようにとキリストによって造られた神の優れた技術[による作品]です」。

 彼[キリスト]の神性との調整によって、受けるに値しない者への彼の好意によって、主は、良い働きは報酬が与えられるだろうと命じました。私達はキリストの功績だけを通して受け入れられました。私達が演じている憐れみの活動や慈善の行ないは信仰に属する果実です。そして、それらは、人間がその働きに応じて報酬を受けるために存在しているので、私達の祝福となっています。

 神に受け入れられる私達の良い働きを構成しているものは、キリストの功績の香りです。また、彼が私達に報酬を与える働きのために利用できるものは恵みです。私達の働きとそれ自身には功績がありません。為すことが可能な全てを為す時、私達は益をもたらす奉仕者として数えられるために存在しています。私達は神からの感謝を受ける価値がありません。私達は自分達がして当然だったことをしたにすぎませんでした。また、私達の働きは自身の罪深い性質の力のために実行することができませんでした。主は、主の近くに寄るようにと私達に言っていました。

 主は、私達に主のもとに引き寄せられることを呼びかけ、また、私達をそばに引き寄せているでしょう。私達は、主の手によってやがて報酬を与えられるこれらの働きをすることによって恵みを受けています。

              『レビュー&ヘラルド』1895.1.29[68]

 

15.天の雰囲気に包まれる――1898

 「彼が初めに私達を愛したので、私達は彼を愛しています」(1ヨハネ419)真の改心、真の清め/聖化は、神とほかの人への私達の感じ方と見方を変えるという人類救済目的にあるでしょう。「私達は、神が私達に対して持っているその愛を知って信じました。神は愛です。そして、愛の中に住んでいる人は、神の中に住んでいます。そして、彼の中に神[が住んでいます](16)。私達は信仰によって成長する必要があります。私達の神の聖霊による聖化を知る必要があります。熱心な祈りによって、私達は神を求める必要があります。神性の聖霊は、私達の中で働くでしょう。その時、神は働き人の手本によって讃えられるでしょう。私達は神と共に働く者達でしょう。

 魂と体と精神の清め/聖化は、天の雰囲気によって私達を包んでいるでしょう。神が私達を永遠から選んでいたとすると、それは、死から清められた私達の良心が、生きている神へ奉仕するために働いていて、私達は聖であったということでしょう。私達は、どのような方法によっても自分達の神を自分で作ってはいけません。神は私達のために死んで彼自身を与えました。その彼は全ての汚れから私達を清めるでしょう。私達が彼によって統制されることを私達自身に赦すならば、主は私達のために完全についての働きを進めているでしょう。彼は、私達の善のためと彼自身の名の栄誉のために、この働きを進めています。

 

 

16.シンプルさの重要性と盲目的な信仰

 私達は、シンプルな信仰を表明して、この[教会の]人々に生きた証を生み出して伝える必要があります。私達は、彼の言葉によって、神を知り、彼が言ったように彼がすると信じる必要があります。もしも、彼が私達を叱って鍛えるならば、それは、彼の神性の性質に与ることでしょう。私達はそれらの当然すべきことを、ほかの人々に表さないのですか。それは、私達の中で日々の清め/聖化を進めて、彼のデザインと計画を貫いています。私達は自分達の働きを見ていないのではないですか。私達はそれらの当然なすべきこと、イエスキリストの知識と恵みによる成長として持っている特権をほかの人々に表していないのではありませんか。

 「あなたの清め/聖化もまた神の意思です」(1テサロニケ4:3)。私達は自分達の高い召しの価値と目標に向かって押し付けませんでした。自我は多すぎる余地を見つけました。ええ、その働きを神の聖霊の特別な指導の下になされるようにしましょう。主は、その精神と存在の全ての力を求めています。私達が彼の意思、平穏、精神、熟考において順応することは彼の意思でしょう。義認の働きは私達が盲目的な信仰体験をしている限り、前向きに進められません。日々、神の働きのもとに動きましょう。義認の果実は、永遠の平穏と確信です。私達がもっと神への信仰体験をして、自分の考えと知恵に頼ることを少なくするならば、神は、人間性の心に目立った方法で彼の力を現したことでしょう。彼と連なること、生きた信仰によって、私達は主の熟考の成果、真の喜びの特権を与えられるでしょう。それゆえ、彼と共に新しく生きて歩むために、私達がキリストと共に十字架につけられ、キリストと共に死に、キリストと共に復活させられています。                  『手紙』105,1898(71)

 

17.必要な真の清め/聖化

 二日前に、私は10時に目覚めて、私達の[教会の]人々の間で、神の聖霊の働きの欠如と思われる重荷に襲われました。私は起きて、部屋の中を動き回り、近くにもっと近くにと、また、この彼の人々のために、キリストの豊かな恵みを彼らに啓示されるように、彼らが、自分達の働きをするように、そのような力を彼らに与えるようにと、主に請い願いました。……

 ある山での説教の中で、キリストは明確化した真の清め/聖化を与えました。彼は清い/聖化の生涯を生きました。彼は自分について来る人々が、[教訓を実現するために]存在している一つの教訓でした。私達はキリスト共に十字架につけられ、彼と共に葬られ、そして、彼の精神/霊によって活気づけられるために存在しています。こうして、私達は彼の命に満たされるでしょう。

 

18.生涯の特別な働き

 私達の清め/聖化は、私達に住んでいる彼の全てによって、神の目標です。彼は、私達が清い者となるように永遠から私達を選びました。キリストは私達の贖いのために、また、私達の信仰を通した彼の力によって、私達が彼によって罪から救われるために、彼自身を与えました。私達は完全に作られるでしょう。彼の言葉を私達に与えることによって、彼は天からのパンを私達に与えました。彼は、私達が彼の肉を食べ、彼の血を飲むならば、私達は永遠の命を受けるだろうと宣言しています。

 私達はどうしてこの言葉の上に留まらないのですか。それが重要なことを意味している時に、なぜ、私達はそれをわかりやすく理解したものにする努力をしないのですか。なぜ、クリスチャンは、神がするようにと求めている働きを見るために目を開けないのですか。清め/聖化は、生涯の働きの発達です。主はこう宣言しています。「あなた方の清め/聖化でさえも、それは神の意思です」(1テサロニケ4:3)。あなた方の望みと性向が神性の意思との一致に至るようになることはあなた方の意思でしょうか。

 クリスチャンとして私達は、神と親しくつながりを持っていることと、自分自身に実現して、自分達の責任を果たすこと、この世界の人々に示すことを約束しました。こうして、彼の弟子の働きと神の言葉を通して、キリストは表されるために存在しています。

 神は、私達に神の律法と彼の品性を表すことに完全な従順を命じています。「私達は信仰を通してその律法を無効にするのですか。神は「ええ、私達はその律法を確立しています」と禁じています(ローマ3:31)。この律法は、私達に語り掛けている、聖者、そうです、聖者の静かな、神の言葉のこだまです。キリストの恵みに満ちた望み、義認の後の飢えと渇きの望みをいただきましょう。その約束は「汝らは満たされるでしょう」です。あなたの心はこの義の強い望みに満たされています。神の言葉が宣言しているその働きは平穏です。そして、それ自身は永遠の確信と平穏の結果です。

 

19.神性の性質に与る者

 堕落を逃れ、強い欲望を通り越して、世界中の人々の中にいて、神性の性質に与る者であることは私達の特権です。神は、私達に完全になる/成熟するように求めていると、分かりやすく述べました。彼はそれを求めているので、私達が神性の性質に与る者であるように対策を立てました。このようにして、私達は永遠の命への努力によって成功を得ることができるでしょう。「彼を受け入れた多くの者達のように、神の息子達[娘達]となるための力を彼らに与えるので」(ヨハネ1:12)。その力はキリストによって与えられています。

 神は、私達に彼のかたちimageを形成するようにと求めています。聖化は彼の栄光の輝きの光線を持つ彼の人々()からの反映として存在しています。しかし、この栄光を反映するために、人間は神と共に働く必要があります。その心と知性は悪に導く全てを取り除いて空にする必要があります。神の言葉はそれから霊的な力を得るために熱心な望みによって読まれて研究される必要があります。天のパンは食べられ、消化される必要があります。それは、特別な命の一部分となるでしょう。このようにして、私達は永遠の命を得ています。救い主の祈りはこのように応えられました。「そなたの真理を通して、彼らが聖化されています。そなたの言葉は真理です」。                 『手紙』153,1902[75]

 

20.神の言葉に形成されるための意見と行動

 「義の偉大な標準が人々に表された時、清められる/聖化されることの意味を何も知らないことを暴露した一つの精神()を表して、そして、自分達は大いに喜ぶようになった。自分達は神へと清められた/聖化された」と主張する多くの人がいます。その人々はキリストの知性を持っていません。真に清められ聖化された人々は、自分達にそれ開示されるとすぐに神の言葉に従って、敬うでしょう。そして、彼らは教えの全ての点で真理であることを知りたいという強い望みを言い表すでしょう。歓喜の感覚は清め/聖化の根拠ではありません。「私は救われた。私は救われました」という主張は魂が救われた、または、清められたということを証明していません。

 ひどく興奮した多くの人々は、彼らがその言葉の意味の知的な考えを持っていない時、彼らが神の力や御言葉を知らないので、自分達は清められたと言っています。彼らは、幸福を感じるので神の意思と一致していると、自分達のことを大げさに言っています。しかし、彼らが試される時、神の言葉が彼らの体験に生かされるために語られる時、彼らはその真理を聞くことに耳を塞いで、「私は清められています」と言っています。そして、その葛藤に終止符を打っています。彼らは真理であることを知るために御言葉を調べず、することを何もしないでしょう。そして、彼らは自己を欺いていることを証明しています。清め/聖化は感覚の高揚より以上のはるかに超えたものを意味しています。

 昂奮は清め/聖化ではありません。天に存在している私達の父の意思への全体的な一致は聖化だけです。神の意思は彼の律法の中に表されています。神の戒めの全てを守ることは清め/聖化です。神の言葉に従順な子らであることを自ら証明することは清め/聖化です。神の言葉は、人々の考えや意見ではなく、我々のガイド(案内者)となるように存在しています。

            『レビュー&ヘラルド』1902,3,25[75]

 

21.清め/聖化、成長を続ける一つの体験――1908

 私達がキリストにとどまった知性を保っている時、彼は、私達の所に来るでしょう。雨のように、地の上に、後の雨と、前の雨のように。義の太陽として、彼はよみがえるでしょう。彼の翼の中で癒されて、起き出るでしょう。私達はユリのように成長することができるでしょう。麦のように生き返り、ブドウのように成長するでしょう。

 私達の個人的な救い主として、キリストに倣って形成するように、常に見続けることによって、私達は全ての点において、彼へと向けて成長するでしょう。私達の信仰は成長するでしょう。私達の良心は清められ聖化されるでしょう。私達はもっともっと、私達の全ての働きと言葉でキリストのようになるでしょう。神に感謝しましょう。私達は彼の言葉を信じましょう。「聖霊の果実は、愛、喜び、平和、忍耐、善、信仰、柔和、節制、これらに反する法は存在していません」。   『手紙』106,1908[80]


 

第6部 教育-世界におけるSDAの教会学校と大学

 

 

はじめに

 エレン・ホワイトは1901年から死の[1915]まであるコミュニティーに住んでいました。1902年、セントヘレナサナトリウムを取り巻くそのコミュニティーは、一つの教室のクリスタル スプリングス公立学校によって奉仕されました。それは、セブンスデー アドベンチスト教師のアンソニー先生の献身によって教えられました。

 世紀が[20世紀に]移って、エレン・ホワイトの勧めの結果として、合衆国のいくつかの州のセブンスデー アドベンチスト達の多くが、小学校年齢の子ども達のための教会学校の設立を開始していました。1902714日月曜日朝6時、エレン・ホワイトはサナトリウム教会のメンバーとして出席して、そして、一つの動機付けとして、そのプロジェクトのために、彼女のエルムスヘイブン[49]の地所の一部を利用するように提供することを申し出て、教会学校の設立を強く勧めています。時にかなった挨拶の言葉から引用して、彼女のこの第6部の開始の記

事を備えました。

 このサナトリウム教会はエレン・ホワイト

の提案を受け入れましたが、その学校がその

年の秋に始まった時、幼い子どもたちのため

の対策が作られていませんでした。それは、10歳から8歳以下の子ども達は、エレン・ホワイトの初期の指導と調和して、家庭で教えられるべきという理由からでした。

 全ての親達は、彼女が初期の書き物に表明したアイデアに向き合う準備がなされていませんでした。これは、[低学年の]児童期の数年間を適切な教育訓練やしつけなしに無駄に過ごす少しの子どもたちと縁を切りませんでした。低学年の子ども達のためにこの教会が作る対策に対する一つの障壁は、1872年に書かれしばしば引用されたエレン・ホワイトの記事「親達は子ども達が8歳か10歳の年齢になるまで子ども達の唯一の教師である必要があります」でした。      『SDA教会への証』第3p.137

 それは、この重要な質問について、教会員と教会管理者の間で考え方の違いを分かつ印であるように見えました。

 時は過ぎ、教会学校運営委員会は、幼少の子ども達の教育のために、この教会のその責任と就学年齢についての質問を検討するために、1904114日木曜日の朝早くにエレン・ホワイトの家でインタビューする手はずを整えました。W.C.ホワイトは、それを、いくぶん、この国[アメリカ]の至る所でほかの教会の一つの手本を提供する一つのランドマーク[50](道標)検討会として見ていました。

 エレン・ホワイトは、検討されるその課題の前進に同意し、それ自身に含むいくつかの質問の側面について話す用意をしました。その検討会の議事録が作られて、その写しがエルムスヘイブンの貴重品保管室の普通の資料ファイルに収められました。しかしながら、いくつかのミスが重なって、エレン・ホワイトの一般の手紙と原稿ファイルの中に一枚の写しも保存されませんでした。一つの学校の運営委員会会議の議事録の存在は、何年間も視界から失われていました。子ども達の初期の教育訓練に関する全ての資料のために1975年に徹底的な調査がなされている間に、この疑問を解明するインタビューの議事録は1975424日に光が当たりました。そして、それは、『レビュー&ヘラルド』(1975424日)に全文が掲載されて出版されました。

 短信が、抜粋されました。1902年の教会学校のためのアピールから、アドベンチストの親達の子ども達のための適切な小学校の年齢に直接に関連する1904114日のその運営委員会の議事録の一部が、23章と24章に収録されました。

 25章は「一般的にガイドする原則」という題で選択した雑多な言及のいくつかを収めています。

 1887年、エレン・ホワイトは『SDA教会への証』第5pp.583,584に「この信仰に基づいて根付いた強健な若い人々」は、「わが国のレベルの高い大学に入るように、私達の指導によって兄弟達へ勧めをしたならば、そこで、彼らは研究と観察のための広大な分野を持つでしょう」。そして、ワルデンセスのような人々かもしれません。「彼らが教育を受けている間でさえも、良い働きをするかもしれません」。これらの感情を含んだ考え方は、その後の10年間に何度か繰り返され、このことがセブンスデー アドベンチストではない学校で証をする成果をもたらす機会で、同時に、絶好の鳴り響く警告だと強調されました。26章はそれらの選択した勧めによって結んでいます。――ホワイト遺稿管理委員会


 

23章 一つの教会学校へのアピール[51]

 

 

 

 

 

[1.母親は子ども達の最初の教師]

 私は、私達の[教会の]子ども達が正しく教育されることが可能となるために相応しい場所を提供し、子ども達を公立学校から手を引く必要性を考えるために今朝話します、と約束していました。単に親達の現在の関心に言及するのではなく、親達は自分達の家族のために提供する必要があるという注意がしばしば繰り返し与えられたにもかかわらず、特に、永遠に関心のある、自分達の未来についての言及に無関心な態度が見えることに私は驚きを感じています。私達がこの世で形成している特別な品性は、私達の運命を決定するために存在しています。私達が選ぶならば、神の命に適合させる一つの人生を生きるでしょう。

 全てのクリスチャン家族はそれ自身が一つの教会です。家族のメンバー達は全ての活動においてキリストのようになるために存在しています。その父親は、教育と訓練を受けるために、また、永遠の命と将来の[生活]に備えて自分の家族のメンバーが適応する対策を作るために、自分の義務を悟って神と近しい関係を維持するために存在しています。神の子らは天の原則を教えられるために存在しています。彼は、家中の者達の大祭司です。そして、彼は自分の家族の全員に働きかけて感化を及ぼすために神に責任を負っています。彼は、可能な限り、最も快適な環境の下に自分の家族をおくために存在しています。すると、家族の者達は、この世界で見つけるだろう、習癖や伝統的慣習、悪い慣例や手ぬるい原則に順応してしまうように誘惑されないでしょう。……

 父親達と母親達は、自分達に預けられた子ども達に一つのクリスチャン教育を与える責任が委ねられています。親達は自分の子ども達の[教育]を放棄するために存在しているのではありません。どんな場合でも、親達は、子ども達が神から遠くに離されるまで漂うことが許されているけれども、やがて、神との調和に導かれる自分の子ども達の知性と時間と才能を使い尽くすため、また、何かの仕事の前線に就かせるために存在しているのではありません。親達は、親達の手をすり抜けて信徒ではない人々の手に握られることを自分の子ども達に許すために存在しているのではありません。親達は、この世界の精神を受け入れることから子ども達を守るため、自分達のすべての力をなすために存在しています。親達は、神と共に[働く]助け手となるために、子ども達を教育訓練するために存在しています。親達は、天の家庭での永遠の生活のために子ども達と自分達を調和させるために、神が[所有する]人間の手です。

 私達の子ども達の教育は、この家庭の中で始まっています。その母親は子ども達の最初の教師です。学校に通うために十分に成長した時、私達は彼らが公立学校に入ることを許すのでしょうか。

 

2.公立学校または教会学校

 何年も前に、オークランドで、夫と私はその市の公立学校に関して、公立学校の教師と話し合ったことがあります。彼は私達にこう言いました。「もしも、私達の知識として存在することがこれらの学校の中で行なわれていて、親達はその悪さを知っていたということが本当ならば、それらの学校について、私だけではなくあなた方も想像できないような混乱が起きているでしょう。その青少年達は精神が腐っています。彼らが持っている家庭の質は、私達教師が話すことのできるものではありません」。この言及は20年以上前にされたものです。その時から、私達の公立学校の状態は改善されましたか。

 何人かの父親達と母親達は、とても無関心で、とても無頓着で、その親達は自分の子ども達が教会学校か公立学校に通うかに関心を持たず、考えていません。その人々は「私達はこの世界に存在しています。そして、私達はそこから出て逃れることはできません」と言っています。でも、親である私達は、そうすることを選ぶならば、この世界から出て逃れて良い道を得ることができます。私達は、これらの最後の日々に益々増えている多くの不正を見るのを避けることができます。私達は、多くの悪意と犯罪の存在について聞くのを避けることが可能です。

 なされ得る全ての事は、私達自身と私達の子ども達が見えないけれど、私達のいる場所でこの世界の悪がなされているでしょう。私達はこれらの恐ろしい事柄が私達の知性に入ってこないように、自分達の目に映るものと耳に聞こえるものを注意深く遮る必要があります。ばかばかしい、見られないような、人騒がせな新聞が家に届いた時、私はそれを隠したいと思うほどに感じています。かの敵のように見える新聞の記事は、出版物の多くの事柄の基礎です。目にする全ての罪深い事柄は世界中の人々の前に覆いが取られて露出しています。

 神に仕える人々と仕えない人々との境界線は、いつまでも、違いが残されるために存在しています。信徒と信徒でない人々との違いは、光と闇との違いと同じくらい大きいでしょう。神の人々()が「キリスト自身は自分達の中にとどまっている聖霊の宮だ」という立場を取る時、その人々は、精神と言葉と活動にキリストを明白に示すでしょう。神の民とサタンに就く人々の間には、間違えようのない一つの目立った徴が存在しているでしょう。……

 

3.聖書の原則による子ども達の教育

 ある神の人々は、自分の子ども達が公立学校に通うことを許しています。そこで、子ども達は、道徳的品位の低下した子ども達と交際しています。それらの学校の中で、神の人の子ども達は、聖書の学習ができないだけではなく、その原則を学ぶこともできません。クリスチャンの親のみなさん、聖書の原則によって教育されるように、子ども達のための対策を立てる必要があります。そして、子ども達が教会学校で単に御言葉を研究したということで満足して安心していてはいけません。あなたが家で座っている時も、外出する時も、あなたが戻る時も、あなたが道を歩く時も、あなたの子ども達にあなた自身で御言葉を教えてください。あなたが何かをするよりも多く、あなたの子ども達と共に歩んでください。子ども達と共に話し合ってください。子ども達の知性に正しいチャンネル/回路が通るように整えましょう。あなたがこのことをする時に、あなたは、神の栄光とその光があなたの家に訪れることを見るでしょう。でも、あなたは、自分の子ども達を正しく教えていない時に、どのように主の祝福を期待できるでしょうか。

 私は、単に、子ども達の教育と訓練に関する目的のいくつかの点について触れました。私は、私達の[教会の]人々の前に表される必要があるこれらの内容についての理解が十分に深まったので、時々、これらの点についてもっと詳しく扱うことを願っています。セブンスデー アドベンチスト達が自分達の家の中で自分達に安らぎのための神の是認を期待するなら、彼らは進んでいた今の道から全く違う一つの道へ移動する必要があります。

 全ての信仰深い親達は、偉大な教師の口から「よくやった。忠実な良いしもべよ。……汝らの主の宴会に入りなさい」という言葉が聞こえるでしょう。主は、私達を、お互いに仕え合う忠実な良い奉仕者でいるように助けることでしょう。彼は私達に「良い働きのために、また、愛を引き起こすためにお互いに気遣うように」と教えています。

 

4.クリスタル スプリングスに教会学校が必要

 私達は生まれ育った家や住んでいる家にほとんど[存在して]いるでしょう。私達は永遠の世界の境界線上に立っています。価値があることを証明する人々は、間もなく、神の王国に紹介されるでしょう。私達は、無駄にする時間がありません。私達は、クリスタルスプリングスのここで正しい方針によって、この働きを創設する必要があります。ここには私達の子ども達がいます。神の戒めを軽視するこの世界の人々の不道徳によって、子ども達に悪影響が及ぼされることを私達は許しておくのでしょうか。私は、公立学校に自分の子ども達を送る計画をしている人々にお尋ねします。そこでは、子ども達は悪影響を受けがちです。みなさんは、どのようにしてそのような危険性を受け止めることができますか。

 私達は、私達の[教会の]子ども達のために教会学校の建物を建てることを望んでいます。多くの人々は財産を作ることを考えています。[ですから]、十分な資金を確保すること、手ごろの小さな学校の建物を建てるために十分な強い関心を引き起こすことは、困難な問題のように思えます。私は、その学校委員会に、「学校の目的のために長期間利用するよう配慮する場合、いくらかの土地を貸します」と話しました。私は、私達の[教会の]子ども達が、神のひとり子の命の血と肉である神の言葉を教えられることが可能な一つの建物を建てて私達が利用できるように、十分な関心が湧き起こることを期待しています。……

 みなさんは、この学校の建物を建てること、その中で神の言葉は教えられるために存在していること、についての関心を一つも持っていないのではありませんか。……私達は一つの学校の建物を持つことを期待しています。そこで、聖書が教えられて、神への祈りが捧げられ、そして、子ども達は聖書の原則を教えられるでしょう。私達と協力を確立しうる人々はこの建物の建築を共有し合うことを望んでいるでしょう。私達はこの丘で働き人達の小さな軍勢が教育訓練されることを期待しています。

 この事案は遅延される理由がないでしょう。建物が完成するまで関心を衰えさせないで着実に続けて、みんなで協力を確立させましょう。みんなで何かをしましょう。ある人は、今朝早く、助けをするために、4時に起きる必要があったでしょう。……

 兄弟、姉妹のみなさん、一つの教会学校を建てる助けのために何かをしていただけませんか。私達は、全ての人々がこの学校を建てることは特権であり祝福だと考えているだろうと信じています。その働きのために「私達は立ち上がって建てよう」と言って、特別な精神を受け止めましょう。みんなでこの働きを一つになって確立するならば、私達はすぐに、私達の[教会の]子ども達が主の道を毎日教えられる学校の建物が持てるでしょう。私達が最善を尽くす時、神の祝福が私達の上に留まるでしょう。私達は立ち上がらず、建てないでいるのでしょうか。 『原稿』100,1902[75]


 

24章 学校へ入学する年齢を考慮する勧め

 

 

 

 

 

1.インタビューのレポート

[1)]子ども達は8歳か9歳か10歳まで家庭学校で守られる

 サナトリウム(カリフォルニア)の集会でのレポート。教会学校委員会が1904114日木曜日朝、カリフォルニアにあるサナトリウム「エルムスヘイブン」で開かれました。

 ホワイト姉[77]は少しの間、次のように話しました。

 何年か前に、ある家の堅い規律管理の重要さと思われる多くの指導が私に与えられました。私はこの指導を書き出そう、そして、ほかの人々にそれを与えようとしました。やがて出される私の書き物[教育]の章の一つは子ども達の教育訓練の内容を考慮して加えて出版されるでしょう。

 親子関係の責任を担っている人々は好ましい感化で自分の子ども達を包むことができるかどうかをまず考えるでしょう。その家庭は、家庭教会であり家庭学校です。その家庭のメンバー、親と子ども達にとってとても霊的/精神的なその家庭の雰囲気は、そのメンバー達との協力によって強められ祝福されているでしょう。天の雰囲気の感化は教育が施される中に存在しています。そのような雰囲気に囲まれている人々は天の学校に入るために準備された存在者です。

 母親達は、子ども時代の初期の年齢の間に賢明に自分の幼い子ども達を指導することができるでしょう。全ての母親達にこのように教える能力があったならば、人生の初期に学ばれるその稽古lessonsを子ども達に与える時間を取るでしょう。また、全ての子ども達は8歳か9歳か10歳になるまでその家庭学校で守られるでしょう。

 しかし、結婚関係に入った多くの人々は、母性愛がもたらす全ての神聖な責任の自覚に欠けています。多くの人々は残念なことに教育訓練に関する能力が欠けています。多くの家庭の中で、少しの教育訓練があって、子ども達は、自分達が[好きに]喜ぶことをするように許されています。そのような子ども達は、ここ、あそこをさ迷っています。その家には子ども達を正しく導く能力のある人がいません。また、父親と母親を助けるための方法を教える賢明な機転のある人がいません。さらに、子ども達の将来の教育のもとになる基礎を正確に据えることのできる人がいません。これらの不幸な状況に囲まれている子ども達は、確かに、同情されるために存在しています。その家庭の外で適切な教育訓練の機会を提供しないならば、その全ての子ども達は享受する権利の多くの特権から締め出されています。これは、私に表された特別な光です。

 自分の子ども達を正しく教育訓練する手腕のない人々は、親の責任を果たしてこなかったでしょう。しかし、その人々の間違った判断のゆえに、私達は、正しい品性を形成するために、その人々の幼い子ども達を助けるための何の手助けの努力をしなくていいのでしょうか。神は、それらの問題を賢明に対処するよう私達に期待しています。

2)サナトリウムと連携した教会学校

 私達の[教会の]全てのサナトリウムにある標準は、高く保たれるように存在しています。医師達、マネージャー達、そして、ヘルパー達のような、これらの人々がもっぱら自分達の家族の者達を秩序正しく守っているように、それらの施設は連携されている必要があります。その子ども達の指導者は、それらのサナトリウムに来る全ての人々に話をするという一つの感化力を持っています。神は、この感化が「感化院」[52]であるようにと望んでいます。そして、これはありえますが、しかし、ケア(世話、保護)が求められています。父親と母親はそれぞれの子ども達の教育訓練に特別な配慮をする必要があります。しかし、みなさんは、その家族がどのようにこの丘の上に存在しているかをご存知でしょう。その親達は、それがどのように存在しているかを理解しています。私に表されたその道は、幼い子ども達にあるべきその感化が存在していない、一つの残念な事柄です。その全ての人々は、役立つ何かをして働く必要があります。その人々は、するためのことを語り合いました。父親が子ども達と一緒にいることができないならば、母親が子ども達への教え方を指導される必要があります。

 でも、私がここに来てから、一つの学校を建てるためになされうる最善の事柄が存在している、という特別な光が私に与えられました。私は、[10歳以下の]非常に幼い子ども達がその学校に含まれるかもしれないとは考えていませんでした(――非常に幼い子ども達ではなく[もう少し上の子どもを想定していました])。学校の教師が及ぼす子ども達に抑制する影響を持つこと、指導されることが可能な人々のためにこの学校を持つことは最善なことでしょう。私達はここに一つの学校を持っています。神の言葉がほかの[公立の]学校で教えられていないので、その学校で教えている私達の[アンソニー]兄弟は神の言葉を教えて学校を運営する十分な能力があります。彼は、それをする充分な能力があります。彼は、一つの地位についています。その学校は彼を雇用しています。彼らが彼をそのままにしている限り、彼はそこにとどまっていたでしょう。

3)幼い子ども達のための学校の特権

 しかし、その家族らのために、また、7歳と8歳と9歳の子ども達と同じく、そ[れ以下]の子ども達のためになされなければならない一つの働きがあります。私達は低年齢の部門を持つ必要があります。それは第二部門です。そこで、それらの子ども達は教えられるでしょう。その子ども達は、協力を除いて、学校の外では頻繁に学べないことを学校で学ぶでしょう。……

 さて、その質問は、子どもたちが学校に入ることについてだと思います。私は、「聖書の学習がある、時間割がある、規律がある、そして、子どもの時代に[遊びに]熱中するoccupyよう、彼らのために何かを見つけようとしている、一つの学校」に通わせていない子ども達が存在している場合、自分の子ども達について完全に満足を感じている全部の親達から知りたいと思っています。私は、それを理解するために来ているならば、ここには異議を持っている人が誰もいないと考えています。

4)初期の勧めの背景

 私は、子ども達が10歳になるまで学校に行かせないという異議が存在していたことを聞いた時、まだ、安息日遵守の学校がなかったということをみなさんに話したいと思いました。安息日遵守の学校がなかった時に、子ども達は教えられるように十分に成長するまで学校に通わせるべきではないという光が私に与えられたのでした。子ども達は、学校に行った時に、外れた道に導かれないで、学校にあるマナーに相応しい礼儀を知るように、家庭で教えられる必要があります。一般の学校に持ち込まれている悪さは、ほとんどが想像以上のものです。

 それは、どのようなものかというとこうです。私の知性は「なぜですか。ホワイト姉はそんなふうに言っていました。そして、ホワイト姉はそんなふうに言いっていました。それゆえ、私達はそれを素直にやろうとしているのです」という考えと思われるものによって、大きく動揺させられました。

 神は、私達みんなに常識を持つように期待しています。また、神は、私達に常識から思考する(推論して判断して結論を導く)よう期待しています。環境は状況を変えています。環境は物事の関係性を変えています。

5)教会学校 対 貧困家庭のマネジメント(管理)

 ここには一つのサナトリウムがあります。そのサナトリウムは内側と外側から可能な最高の感化がもたらされる必要があります。それから、もしも、彼らが、そこに来る「鋭い目つき、鋭敏な耳、放浪する、することが何もない、いたずらをする、そして、それら全部のことをもっている」子ども達を見るならば、それは、その学校の評判を守ることを願う人々の感覚には耐えがたいことです。しかしながら、私は、神が私に与えた光から、もしも、子ども達を統率し躾けることも従順を求めることもできず、教育する能力がない一つの家族があるならば、従順は犠牲的行為よりも良いものなので、最善の事は、子ども達が従順を求められるようなどこかの場所に置くことです。良い行動は全ての家族にもたらされるために存在しています。

 私達は、自分の家で幼い神の子ども達を教育しています。私達は今、どんな種類の教育を子ども達に与えていますか。遊び放題にさせていませんか。親達にマネージ(管理)する力がないために、ガミガミ言ってイライラしていませんか。主は、私達に全ての事柄を熟慮の末の考えにするようにしてほしいと思っています。全ての事柄は熟慮されるために存在しています。

 未知を明らかにするこの本[聖書]は、両腕に抱いた赤ちゃんの時から、子ども達に教育訓練をもたらすために存在している偉大な原則について語るための多くのものを持っているでしょう。子ども達が躾けられていない限り、かの敵はこれらの子ども達を通してすぐに働くでしょう。ある人は子ども達に躾けをしています。ある母親や父親がそれをしないと、かの悪い者がしています。それはこのようにしてです。彼は支配権を持っています。……

 

2.バトルクリークでの幼稚(保育)

 私達は、子ども達が[ミシガン州]バトルクリークで持っているのと同じようにするでしょう。子ども達は、バトルクリークの孤児養護施設[ハスケルホーム]の至る所で私を受け入れました。そこには、子ども用の小さいテーブルがあり、そこには、5歳の幼児からその上の年齢の子ども達がいました。子ども達は、働き方とマネージの仕方による「幼稚園プラン」によって教育されていました。子ども達は山のように積まれた良い質のゆるぎなさ(根性)を持っていました。そして、子ども達は、共に働く方法、ノアの箱舟を作る方法、ノアの箱舟に入る動物たちを作る方法を教育されていました。子ども達はみなこの種の働きworkをしていました。それは何かをしています。……

 さて、私は、ペック姉の指導にまったく確信を持っています。しかし、もしも、彼女が進めてきた指導を続けているならば、「そして、私がなされるべきはちょうどその事だと満足しました」、そこには優れた教師が存在するべきでしょう。そうではありませんか。

ペック姉[53]:私達は満足な方法でその働きをしたとしても、また、私達にどんなにか多くの子ども達がいたとしても、私達は誰か優れた助けをする人を持つ必要がある、と私は考えています。

 

3.「これらの事柄」で与えられた光

ホワイト姉:私のアイデアは、あちらこちらに少しずつ粗雑な方法で表明されてきました。私は、それを書き出しています。しかし、全部ではありません。私はもっと書く必要があります。私は、自分の言ったことについて、みなさんに言った責任を取りたいと思っています。これは、それらの事柄について私に与えられた光です。

 ここに、元気な子ども達がいます。ここに、10歳の子ども達と同じように教育されうる5歳の子ども達がいます。能力に関しては、母親の事柄と問題によって取り上げることと関連しています。

 さて、私は、ウィリー[4]の子ども達[54]が長いことここにいて、ここに住んでいてほしいのですが、私は、孫達が一つの学校の躾を受けてほしいです。もしも、それが、その建築に加えて、[躾を]身に付けることに関して一つの教室と言われている、この学校とつながれうるならば、そのような生徒達のために、私達みんなは、提供する責任を感じる義務があります。これらの母親達は家にいる子ども達を守りたいと思っています。また、十分に適格性があり、自分の子ども達を躾けることを好んでいるでしょう。どうして、そのことに異議を申し立てる人がいないのでしょうか。母親達はそうすることが可能です。しかし、ここの食品工場やサナトリウムとここに導かれた人々と何らかのつながりのある全ての人の子ども達が教育されるように、対策が作られるために存在しています。私達は、高い標準に届くために立ち上がってそれ[学校]を建てる必要があります。

C.L.ティラー長老:シスター ホワイト、一つの質問があります。私は親としての責任と教会学校への責任の関連を考えると、立ち上げようと思います。今、私には7歳の「一人っ子の」幼い男の子がいます。私達はこの子を教育訓練する完全な能力があります。私達は自分でその働きをすることに完全に適しています。今、考えますと、私達は、あてもなくさまよわせて、この子を怠惰にするために、その責任を取らないことを選んでいます。それから、私がしようとするとできるのに、できることをするのはこの教会の責任になっているのではありませんか。それがこの質問です。もしも、私がそれをすることができる時に、私ができる時に自分の子どもの世話をしないならばお尋ねします。この教会は私の代わりの場所でそれをするでしょうか。

ホワイト姉:あなたは子ども達の世話をすることができます。でも、あなたはしていますか。

W.C.ホワイト長老:彼女(この教会)は、あなたの特異な試みをすることをきっぱりと断っています。

ホワイト姉:この丘にあるこの教会は、一つの責任ある教会です。それは外部の感化と繫がっています。それらの感化は、私達の証をする中に常に持ち込まれています。この質問はこうです。それは結合されるでしょうか。子ども達が上級の学校のために準備され養育される場を得て、一人の教師を得て、これらの子ども達が来て躾を受ける教室、「それが高すぎていつ終わるとも思えないコストではない」一つの教室の用意、それが必要ないのですか。さて、それがこの質問です。

 

4.子ども達が必要としている教育の種類

 私は言いたいです。これらの幼い子ども達は学校で教育を受けるためには小さくて当然です。この子ども達は、その異なった気性に合致した子どもの教え方を理解した人のもとでその学校の訓練を受けるのが当然でしょう。その教師達は、お互いに自分の責任を理解して、これらの子ども達を担当しようとするでしょう。その教師達は、特別に質が高く特別な上級学校のために、その知性と精神に真の原則をしっかりと結んだことでしょう。

 私達がみんな行こうとしている上の一つの学校があります。これらの子ども達が正しい生活習慣と正しい考え方をもたらされ、正しく躾けられるのでなければ、私は、その子どもたちがどのようにして上の学校に入るのか不思議です。その子達の尊敬する恩師はどこにいるのですか。彼らが養うために選ぶ考えはどこにありますか。そして、これら全ての事柄は、毎日の一つの体験に存在している必要があります。

 母親は、方々を動き回り、ガミガミ言ってイライラするためではなく、「あなたは私の道にいます。そして、私は、あなたが安全な場所を得ること、あなたが外へ行ってくれることを望んでいます」や何かそのようなことを言うために存在しています。彼女は、神が年上[10歳以上]の子ども達をもてなすtreatように、[8歳以下の]自分の子ども達をもてなすために存在しています。主は、私達に、神の言葉の原則と調和するように、教育され訓練されることを望んでいます。主は、この教育をその幼い子ども達に始めるよう望んでいます。もしも、母親が指揮と創意工夫を持っていないならば、また、彼女が人生の知性と精神をもてなすtreat方法を知らないならば、彼女は、彼らの知性と精神を装い形成し彼らを躾けるために、ほかの誰かのもとに子ども達を託する必要があります。

 今、私は、それが理解されうるようにその考えを表しませんでしたか。ウィリー、私はその本の中に書いているどんな点で、私はここに触れませんでしたか。

W.C.ホワイト:私はわかりません。母上、私はこの世界中の至る所、この国中の至る所にいる私達の[教会の]人々を調べていると、時々、[あなたの]特異な声明を基にしたルールを届けていると、私は言う必要があります。

 さて、私の聖書の研究と私のあなたの著書の研究によって、私は、全ての知覚概念の基礎をなす一つの原則があって、その原則を捉えることなしにその概念を適切に理解することはできないと信じるようになりました。

 私は、「8歳から10歳まで子どもは特別な教師[母親]だけを持つべきだ」というあなたの声明と、また、あなたのバターの使用に関する勧めのように、良い議論を重ねて作った生命のあるものは信じました。その原則を捉えることは私達の特権でした。私は、特別な状況を考慮する中で、憐れみによって与えられた神の全ての指針を私達は悟っているとそれらの研究の中で信じました。

 神はこう言いました。「神が共にむすんだものを離縁させる人はいません」。また、キリストは、人々の心が堅いので与えられた離縁法を言い表しています。その人々の道徳的な退化のゆえに、神のオリジナルプランではなかった離縁法が許されました。私は、その原則がバターの利用に対するあなたの抗議と、また、8歳から10歳まで子どもは母親以外にほかの教師を持つべきではないという声明のように、特異な声明として理解されるべき原則だと信じています。

 さて、バターについての見解があなたに与えられた当時、「人々が大量のバイ菌に汚染されたバターを利用していた」という事柄の状態があなたによって表されました。人々はそれを油いためや調理に使っていました。その物自身の利用は長い目で見て健康に有害でした。しかし、後に、私達の[教会]の人々が事柄の原則を研究した時、人々は、バターは最良の食材ではないが、ほかの悪い食材のようにそんなに害のある食材ではなかったということを知りました。いくつかのケースにおいてそうであるように、人々はそれを利用しています。

 私はこの学校についての質問は、それと同じようなことだ思います。そのプランの考え方は、あなたが今朝、言ったように「この教会の母親は、そのような一人の知的な教師である」必要があるということだと思いました。しかし、私は次のように、私達の[働きの]目的が不幸な出来事に見舞われたと感じています。メイン州からカリフォルニア州、マニトバ(カナダ中部の州)からフロリダ州へと、学校の特権を持つ子ども達の明白な禁止として「8歳から10歳まで子どもは教師を持たないで両親を持ちなさい」という声明として、私達の[教会の]人々は捉えてしまっていました。

 この教会の兄弟達がこの問題を子どもに益になる観点から研究している時に、私が見ることができる限り、彼らはみな「除外されることよりも、学校の何等かの特権を持つことは子ども達のために良いことだろうという実態がある」と理解しています。しかし、「子どもは教師を持つべきではなく、8歳から10歳まで親を持ちなさい」という指針が存在しています。それがここに置かれています。……

ホワイト姉:さて、もしも、親達が自分達でそれ[指針]をもっていなかったならば、あなたは自分がいる所で適切に止めることができるでしょう。ですから、自分達の躾にそれ[指針]を適用しなかった、優れた多くの親達がいるので、私達は対策を立てることにしました。……

 私は、ここにいる人々は、おのおのほかの人々のための学校を支える、小さな何かをすることができると信じています。私はそれをしようと思っています。私は、全ての人が参加すべきと考える必要があるとは考えていません。「その費用」「その費用」「その費用」、ほんの少しの費用の金額を抱えることが全てではありません。

 

5.一つのパターンの設定

W.C.ホワイト:私の子ども達が話に出された時、私は、このことについて、一言、言おうと思いました。このインタビューの成果への関心は自分の子ども達について今話すことが全てではありません。このインタビューの成果への私の関心は、この世界の人々への私達の働きに感化を及ぼす「声明」に存在しています。最初から今まで、この学校のための私の関心は、私の子ども達について論述することが第一ではありませんでした。……

 ペック姉が広範囲に教える経験をしたということはみなさんに知られています。彼女は[私の]母と4年間の経験をしました。彼女[]の書き物の手配をし、「教育」の本の準備を助けています。この学校への私の強い関心は私自身の家族についてではなく、単にSDAセントヘレナ教会についてでもありません。

 この学校への私の関心は、「一つの雛形a patternを設立することは私達の特権である」という事実に基づいています。「教育」の本の準備の助けを通したペック姉の教師としての長い経験と、母上、あなたと共なる彼女の働きのゆえのカリフォルニアとさらなる多くの[学校]を通した、多くの成功や失敗、この学校の規定rulingsは私達の教会学校の働きの結果でしょう。全ての事柄はこの学校に置かれています。それはこの丘の上の一つの都市にあります。

 さて、幼い子ども達への声明のその規定についての私の悩みは、原則ではなく、私の子ども達は[幼くて]その規定で除外されていたので、私が非常に無慈悲だと感じた一つの規定が作られたことにありました。私達の幼い子ども達に大きな害を及ぼすことが、一つの方法として利用されるために存在していました。

 

6.幼稚(保育)園に関する質問

W.C.ホワイト:世界の人々は、幼稚園を通して子ども達のために大きな働きをしています。私達[の教会]が持っている施設のある所では、親が両方ともに働いていて、その親は幼稚園に子ども達を通わすことを喜んでいたものでした。私は、数時間か1日、礼儀正しく指導している私達の多くの教会の幼稚園は豊かな祝福があるだろうと確信しました。私は、あなたの教えたことや規定の中に、または、それに反対すると思われる私達の[教会の]人々へのアドバイスの中に、母上、[祝福を]何も見つけることができませんでした。しかし、私達の学校を管理する[10歳まで家庭でという]その規定は、この国の多くの場所で、私達の[教会の]子ども達のための幼稚園の働きを提供する方へのどのような努力をも殺してきました。完全に殺してきました。

 それを進めようと立ち上がっている人々の少しの実例があります。ケロッグ医師は、あなたが見て褒めたそれを彼の孤児学校の中でしています。そして、少しのほかの場所でも、人々はそれを行なっています。ベルリンスプリングスで、少しの考慮でその働きを担う人々に免許を与えるために、幼稚園教師を連れてきて、人々は昨年の夏に危険な試みをしました。しかし一般に、このフィールド(学校や教会)のおおよそ10分の9において、私達の学校を管理するこの規定は、この働きを担う人々を完全に殺しています。

ホワイト姉:さて、そのラインによって、一つの改善になる所に来ました。

W.C.ホワイト:そして、ここにあるこの学校の規定と、その規定のために私に常に与えられていたその理由は、子ども達の母親は8歳から10歳まで母親だけが教師として存在しているというみなさんへの声明に基づいていました。私は、世界中の至る所で、私達の学校の働きの最大の関心事のために、今朝このようなインタビューを持ったこととこのような事柄の基にあるその原則を研究したことは私達の特権だということを信じました。

ホワイト姉:そうです。それがこの[教会の]人々の前に正しく立っていることは正しい事です。さて、あなたは、幼い子ども達の指導をするペック姉を知るための良い機会を得ていないでしょう。何かに紛れて遅れてしまいました。

 一つの教室のため、そこは教室になるでしょう。私は、それがその建物と正しく繋がれているべきか、あるいは、それが分かれているべきか、どちらが最善かと疑問を持ちました。私には、それはそれ自身による建て方であるようにと思えました。私は、最善であることが分かりませんでした。その優位性と不利性は、考慮される必要があります。私はペック姉と、私達の休息のどのようなものよりも、良いかもっと良いかを考えています。それがどうあるべきかを話せるでしょう。……

 

7.その学校は害を与えるかもしれない

C.L.ティラー:私達はこのように話し合いました。親達自身で運営できて責任を取ることがきた時、この教会学校はコミュニティーの祝福を受けないでしょう。また、私達が、一つの建物に私達の資金を使って進む時、それには、一つの教室か一つの建物があるかどうかの違いを作りません。しかし、私達が、親達によって運営されて責任を取る時、その教会学校は、祝福というよりも、一つののろいか一つの障害物になるでしょう。さて、それは、私達がその点に達した時に、みな、私がこれまでに聞いたことです。…

ペック姉:その点は、私の知性に一つの疑問として存在していました。ホワイト姉、教師としての私達の義務は、「その学校の中で親の子ども達を預かることによって親から離して担うこと、あるいは、彼らの責任を担うこと、理解すること、親達を助けること」が、試みられるために存在していたかどうかに存在しています。

ホワイト姉:人々がこの全ての本と著作物と説教から自分達の責任を感じなかったならば、あなたは、今から主が来るまで、あの意見、この意見と動揺するでしょう。そして、人々は何の重荷も負わないでしょう。それは、人々がそれを感じない時に、責任を語ることに利用されません。

 

8.気に入りの印象を作る一つの学校

ホワイト姉:私達はこのサナトリウムと繫がった一つの学校を持てるようにと望んでいます。サナトリウムがある所ではどこでも、一つの学校がある必要があり、その学校はそのような方法で運営される必要があり、その学校はそのサナトリウムを訪れる人々に良い印象を与える、ということが私に表されました。人々は、その学校を訪れるでしょう。人々はその学校が管理されている方法を見るでしょう。人々が理解できるように、それ[教会学校]はサナトリウムから遠くに離されるべきではありません。

 その学校の管理において、そこには、最良の躾の質が存在しています。学びにおいて、その生徒達は自分自身の道を取ることができません。生徒達は躾によって自分の道を捨てることをしました。この教訓は、善良な多くの家族によって学ばれるために存在している教訓です。しかし、私達は、「子ども達がそれをするようにさせておきましょう。子ども達は、子どもだけれど何でもないです。彼らは成長したら学ぶでしょう」と聞いています。

 さて、一人の子どもが私の世話に対してすぐに激しいかんしゃくを起こして、床に転がったものですが、その子は一度もそれをしなくなりました。私はあなたに話したいです。私は、かんしゃくを起こしたその子によるその悪い権利の働きをさせたくないです。

 主は、私達に様々な事柄を理解するように望んでいます。主は、アブラハムに、彼らの子らと彼の家族の者達に自分のあとにつくようにと命じました。そして、私達は、その悪に抵抗したいならば、その働きを定着させるようにして、理解したいと思っています。

 さて、私達が、始めた時からどのくらい経ったのか、私はわかりません。

C.L.ティラー:ええ、私はどこにいるかを考えています。

ホワイト姉:でも、何かは言われてきました。

.M.ボーウェン:私は、自分達がすべきだろうということを知っていると思っています。

ゴッジアン姉:何かをすることと考えを決めるようにと私達は言われてきました。

ホワイト姉:主は、真に私達と共に存在しています。そうです。私達は一つの手本となることを得ました。そして、今、あなたは、見ています。ここにはいくつかのサナトリウムがあります。それから、とても多くの学校も、それはそれらと結ばれる必要があります。私達は、一つの感化をもたらす自分達の感覚と認識に届きました。それは、その子ども達について考える一つの感化です。……

 あなた方の学校は、一つの見本となるために存在しています。それは、かの日の後の学校の見本となるために存在しているのではありません。それは、そのような何かの事柄になるために存在しているのでもありません。あなた方の学校は、ほかのそれらの学校と離されている一つの計画と一致するために存在しています。それは、一つの実践的な事柄になるように存在しています。その教訓は実践の中に置かれるために存在していて、それは単なる[理論]の暗唱ではありません。

C.L.ティラー:私は、私達がその指導によって動き始める時について、納得しました。私達は実際の光が来て、見ているでしょう。

                   『原稿』7,1904(77)


 

25章 一般的なガイドの原則

 

 

 

 

 

1.一つの教会が存在している全ての場所に

 一つの教会が存在している全ての場所で、大きいか小さいか[にかかわらず]、一つの学校が設立される必要があります。『手紙』108,1899[72]

 

2.人々の主議ではなく、神の言葉

 神性な神の言葉で養われることは、魂が全ての霊的な力の健全な発達を確保するために必要としている神性な要素です。私達の全ての学校で、この言葉は、教育の本質をなすために存在しています。それ[教育の本質]は、教育体験にもたらされて、聖化された能力、知恵、高潔、そして、道徳的な能力を与えるものです。それは世俗的な知恵の言葉ではありません。それは人々の主議でもありません。人間の理論でもなく、それは、神の言葉です。                  『原稿』41a,1896[69]

 

3.教育における型にはまったプラン

 主は、全ての人々に、学校で奉仕をすること、自分の以前の知識によって良心的な考えでよい働きをすること、訓練された能力と知的な働きに発展させること、責任を取ろうとすることを求めています。知恵の始まりは主を畏れることであるならば、主は、どんな人にも、教育の中に特別に正しい計画を意図していません。品性に様々な特色のある人々が、自分の能力によって教える計画に従って、そして、教師として任命された働きを始める時に、その人々は、自分の業績を損なわないように、生徒達の前で仕える教師の複製とならねばならないとは考えないでしょう。

                     『原稿』170,1901[74]

4.真の教育の定義

 真の教育は、神性の奉仕のために、心・知性・魂とあらゆる習慣と行動の訓練、全ての義務・喜びなどの遂行のための、知的・道徳的・身体的能力の備えをすることです。その時、あなたは天の法廷で「汝は神と共に働く者達です」と言われる可能性があります。『手紙』189,1899[62]

 

5.推薦できるスイスの学校の質

[1)教師は生徒と一緒] [訳者加筆。彼女は1885.5-1886.8までヨーロッパにいました]

 私は、ここスイスでいくつかの物事を見ています。私が考えたことは価値ある模倣です。いくつかの学校の教師達は、いつも、生徒達が遊んでいる間、生徒達と一緒に出て行きます。また、悪いことや混乱を収めて、自分達で楽しむ方法を生徒達に教えています。これは、一定不変の一つの法律であり、5歳から15歳の年齢の子ども達を含んでいます。勉強好きな習慣と良い行動への一つの報酬として、教師達は自分達の学識を持ち出し、生徒達と長い時間を一緒に過ごしています。通常よりも早く学校を去らせています。私はこれを好んでいます。私は、ここには、子ども達が誘惑にさらされる機会が少ないと考えています。その教師達は、子ども達を良い方に整えるために、子ども達のスポーツの中に入っているように思われます。

2)愛 対 厳格、厳しい規則3)

 私はどんな方法によっても、子ども達が常に信用できないと感じなければならない、監視されなければならない、子どもとして活動できない、という厳格な考え方は支持できません。しかし、教師達は子ども達の楽しみの中に寄せてもらい、子ども達と一つになり、教師達は生徒達に幸せであることを示しています。そして、それはその子らに信頼を与えているでしょう。彼らは、厳しくでも、頑固な規則によってでもなく、子ども達の楽しみの中で、子ども達の食事の中で彼らに同行することによる愛によって支配されうるでしょう。          『手紙』42,1886[59]

 私達の才能は、それらを使うことによって増やすために、信頼によって私達に預けられています。親達が、地上の家族達は天の家族の象徴かもしれないと気付いていただけたら嬉しいです。親達が道徳を悪に染めるあらゆるものから解放して、自分達の家庭を守る責任感に気づいていただけたら嬉しいです。神は、私達が今の楽しみよりも自分達の家族の中に天をもっと多く持てるようにとデザインしています。

3)楽しい[思い出の]シーンと興味ある働き

 幼い年齢の時から、子ども達は学習者です。家庭の中で子ども達に楽しい[思い出の]シーンが保たれているならば、子ども達はクリスチャンの礼儀や親切や愛について詳しくなるでしょう。子ども達の知性が、見るもの聞くものによって育っていきます[55]。そして、親達は、幸か苦のどちらかを収穫する種を蒔いています。親達が名前だけのクリスチャンであるならば、また、親達が御言葉を行なわないならば、親達は、神を上書きするのではなく、子ども達に自分達自身を上書きしています。子ども達は知性に何かの印象を望んでいます。キリストのために、親のみなさん、飢え渇いている魂に食物となる何かを与えましょう。

 子ども達は、生来、活動的です。親達が良い作業を提供しないと、サタンは、悪い作業によって子ども達を忙しくさせて何かを考え出すでしょう。ですから、あなたの子ども達を有用な作業によって教育訓練しましょう。あなたは、有用で高尚な子どもにする一つの品位によって、全ての働きを身に着けることができるでしょう。

4)子ども達との関係に楽しみを取り入れる

 自分の子ども達に楽しくない生活をさせることは自分の義務だと考えないでください。その楽しくないことは、すぐにたくさんやってくるでしょう。あなたの子ども達の教師や指導者として、あなたの体験の中に可能な楽しみをもたらしましょう。あなたの仲間になるように子ども達を励ましましょう。罪な衝動、罪な好み、不快な習慣を、あなたはきっとあなたの子ども達に見ているでしょう。でも、あなたは、自分の社交性を子ども達に求めて励ますと、子ども達の味覚と感覚の不満と愚痴と反抗を追い払い、あなたは一つの正しいモデルを与えることができるでしょう。心を謙虚にし、柔和の手本として子ども達の前で生活することによって、子ども達のプライド(うぬぼれの混じった自尊心)に打ち勝ってください。

 私達は、全ての会話から小言と非難という雑草を引き抜く必要があります。私達が心の謙遜と柔和によってキリスト[の気品]を着た時、私達は、私達の子ども達を育てる中でキリストを表すでしょう。魂の救いのためにキリストの働き人として働く全ての人々のために、救い主は「汝らは神と共に働く労働者です。汝らは神の会計係です。汝らは神の建物です」と言っています。               『原稿』143,1899[72]


 

26章 この国の単科大学と総合大学への入学

 

 

 

 

 

[1.キリストに引き寄せるための存在]

 もしも、教会の青年達が日々に改心したならば、私達の国の大学に入学することは、私達の[教会の]青年達にとって完全に安全となるでしょう。しかし、もしも、その青年達が、一日の守りから離れることが自由だと考えるならば、その日、サタンは罠を用意しています。そして、その青年達は間違った道(禁じられた数々の小道、主が連れ戻さなかった数々の小道)に歩むように導かれて打ち負かされるでしょう。

 さて、クリスチャンだと公言している人々は改心していない人と交際することを拒むのですか。また、その人々と関係を持たないことを求めるのですか。いいえ、クリスチャンは、その人々の道々に加わるのではなく、その人々によって印象を与えられるのではなく、その人々の習慣と行動に開いた心を持つのでもなく、この世界の人々と、また、この世界の人ではない人々の中でその人々と共にいるために存在しています。クリスチャンの結びつきは、ほかの人々をキリストに引き寄せる目的のために存在しています。

繰り返し表された間違いの影響

 私達[の教会]の青年達についての危険があります。これらの[大学の]施設の中での魅力あるものは、そのようなもので、誤りと詭弁が混ざった教えがあります。学生達は、有益で貴い[内容]に混ぜられた感情を含む意見の害を識別することができません。そこには、そのような底流があります。そして、それを知覚しない多くの人々はそのような流儀で働いています。しかし、それは、働きにおいて常に存在しています。確かな思考は、教授達によって、常に高等なもので、何度も繰り返されています。そして、ついに、その知性は、それらの思考に納得して習得し始めています。

 無信仰の著者達が研究した時がそうでした。それらの人々は聡明な知性持っていて、彼らの鋭利な思考力が現されました。そして、その学生達の知性は彼らによって感化されています。学生達は、彼らの輝くような秀逸によって満足させられています。

 これらの人々はその知性の能力をどこで得たのでしょうか。彼らはその鋭利な思考力をどこで得たのですか。あらゆる知識の泉からです。しかし、彼らは自分達の能力を金で売ってきました。彼らは、かの悪への寄与として学生達に与えました。そして、あなたは、その悪が賢いと考えていませんか。多くの人々は、無信仰者の著書を読んで、かの悪の足跡をたどっています。サタンは、一人の鋭利な存在者です。そして、人々は、彼の教えと鋭利さの愛に落ちています。              『原稿』8b,1891[74]

 

2.世界の有名な人達に耳を傾ける危険

 私達の[教会の]青年達にとって、世界で有名な人と言われている人々によって与えられている講話に耳を傾けることに大きな危険が存在しています。これらの講話はしばしば高度に知的な性質であり、世間で言われている間違った科学の誤りを曝しています。また、一般受けする宗教の教理は、賢い名言と観察による意見が混ぜられています。しかし、彼らは、聖書の論述の下にトンネルを掘って、霊感を受けた御言葉の真理に疑う理由があるという印象を与えています。この方法によって、有名な人と賢人と公言している人々によって懐疑論のタネが蒔かれています。しかし、彼らの名声は、嘘つきとして天の記録簿に記録されています。そして、彼らは、神の前に、一人の違反者として存在しています。彼らは、サタンがあの蛇の口に置いた偽りを繰り返して、誤った信念を青年達に教育しています。

 これはかの敵が大喜びさせる教育の類です。それは魔法使いです。偉大な使徒は「汝らがこの真理に従わないように、誰があなた方に魔法をかけたのですか」と尋ねています。有名な人と言われている人々の感情の混じった意見を感嘆して受け入れている人々は、危機の最中にいます。これらの間違った教師達の詭弁の理由と、かの敵の狡猾さは、あなた方、青年の心に根を張っています。そして、ほとんど気づかないうちに、真理から間違いに回心させられています。しかし、その回心はほかの方法では正しいでしょう。様々な真理の根拠を知った私達の[教会の]若い人々は、しっかりと確立される必要があります。そして、かの闇の間違いからキリストへと魂を勝ち取られる可能性があります。

 アン アーバー大学[56]に行く青年は、自分の個人的な救い主としてイエスを受け入れる必要があります。さもないと、彼らは、土台が流される砂の上に建てるでしょう。キリストの精神()は、新しく生まれていて、その魂が清い必要があります。そして、キリストのための聖なる成果は、日々神に信頼して謙虚に生き続ける必要があります。キリストは、栄光の希望として、[私達の]中に形成される必要があります。あなたが交際する人々にイエスが表されるようにしましょう。   『手紙』26,1891[74]

 

3.セブンスデー アドベンチスト学生

 あるワルデンセスの人々はこの世界にある学校に学生として入学しました。その人々は言い逃れをしませんでした。みたところ、その人々は誰に対しても注意を払いませんでした。しかし、その人々は自分達が信じたことを生活に現していました。その人々は、原則を犠牲にせず、その原則はすぐに知られたものとなりました。これは、ほかの学生達がかつて見たものとは異なっていました。この全ては何を意味しているでしょうか。なぜ、その人々は自分達の原則から逸れるように引き寄せられることができないのでしょうか。ほかの人々が、このことを考えているうちに、その人々の部屋の中で、処女マリアにではなく、唯一、神と人との間の仲介者である救い主への祈りを聞きました。世俗の学生達は調査をする刺激を受けました。彼らの知性は、イエスが語った言葉の中に存在している真理のシンプルなストーリーの中でそれを捉えました。

 私は、それらの事柄をハーバーハイツ(1891教育集会)で紹介することに努めました。神の精神()を持つこれらの人々、彼らの存在の中で働いた真理を持っている人々、そして、ダニエルやパウロがそうだったように、真理に生き[ている人々は]、はカレッジに勧められる必要があります。

 一人ひとり、その学校の中で真理を得るために、何が最善の道かを知るために学ぶ必要があります。その光は前方に向かって輝いているでしょう。その学校の全ての規定と規則を尊重するよう、人々に示しましょう。パン種(イースト菌)は働きを始めるでしょう。私達は、語られうる何かの言葉以上に、神の子らの生活に現された神の力に多く信頼できるからです。しかしまた、人々は、話せるシンプルな言葉と同じように、聖書のシンプルな教理の探求者と言うべきでしょう。

 

4.知性と心に真理のタネを蒔く

 そこには、真理に基礎づけられ根付いて確立されたようになった後で、学生として学ぶ施設に入る人々がいます。彼らは、真理の原則、安息日の遵守の生活を保つことができています。そしてまた、彼らは知性と心に真理のタネが蒔かれることによって、偉大な教師(キリスト)のための働きをする機会を持てるでしょう。聖霊の感化の下で、それらのタネは神の栄光のための果実を実らすために発芽するでしょう。そして、魂の救いという結果に帰着するでしょう。ある学生達は、神学的な課題に光を与えられるようになるためにそれらの学びの施設に行く必要がありません。その学校の教師達は自分達が聖書学科の学生となる必要があるからです。公開討論会が開始される必要はありません。また、聖書の教理について質問の機会は与えられるでしょう。そして、光は多くの人々の知性と心に注がれるでしょう。調べるという精神が湧き起こるでしょう。

大きな危機によって、処置が積み込まれる

 しかし、私はこの仕事の方法をほとんど紹介していません。そこには危険が存在しています。神とのつながりを持たないこれらの人々は、間違いを集めて光を放散する代わりに、それらの学校の中に自分を置いているでしょう。また、自分自身が逸れた道に導かれているでしょう。しかし、この働きは、なされる必要があります。そして、それは、神に教えられ導かれた人々によってなされるでしょう。   『原稿』22a,1895[68]


 

翻訳に当たって使用した用語/記号

 

[     ]題目編纂者と訳者の挿入語

being」存在

be to」ために存在している

cause[人類救済]目的、目的

counsel」勧め(「勧告」では罰を含むので使用を避けた)

discipline」躾、(その他、鍛錬、訓練、弟子訓練、折檻)

divine」神性

general」一般の、全体の(「世界」の意味は存在しない)

her」:教会、海、船などの代名詞。

humanity」人性、人間性

mind」知性/

isolated」特異な(「孤立した」の意味)

the Master」偉大な教師(キリスト)

minister」奉仕の働き、牧師(the ministers of Christはキリストの奉仕の働き。「キリストの公生涯は不適切」。天の聖所での奉仕の働きがあります)

must」必要があります(「ねばらない」を避けました)

perfect」完全/成熟

present truth」:現在の真理。これは、再臨、安息日、信仰による義、調査審判、死人のよみがえり、千年期、その他、現在までに明らかになっている真理です。

principle」原則

reception」討論会

sanctification」清め/聖化

set force」表明

should」必要があります(「ねばらない」を避けました)

statement」言及、論述(例p.226「声明」では意味が通じない)

training」教育訓練(trainは機関車が引くこと。トイレトレーニング。トレーナー)



[1] 訳者加筆:「mutual dependence」の訳出について。「mutual」は「相互の」という意味です。また「dependence」は「依存・他律」という意味ですが、ここでは「互いに支え合う」と訳しました。もしも、「互いに依存し合う」ならば、「独立・自律」が失われてしまいます。独立・自律しながら依存・他律するという関係が望ましいと考えたので、「互いに支え合う」と訳しました。

[2] 訳者加筆。「agency」を「働き人」と訳しました。神の働きをする人々は、聖書の中の「prophet(預言者)、聖書に導く「messenger」(メッセンジャー)がいます。さらに、聖書とキリストに導く「agent」(働き人)もいます。

[3]  ミセスホワイトは、彼女の経験について、日誌を毎日書き続けました。これは、「日毎の」という言葉を使って、原則的なことを述べたものではありません。彼女の著作物は、ホワイト遺稿管理委員会の貴重品保管室に現在存在している資料以上に多くの欠けた記録の基準になされました。その資料ファイルの中に見られる多くの原稿は、初期に書かれた著書の中にみられます。「日誌」の一般的な冒頭に出ているあるファイルの原稿は、この特別な考えによって利用されました。彼女の書き物の中で原稿の形式で述べる『SDA教会への証』に、彼女によって利用されたこの言葉は覚えているでしょう(『SDA教会への証』第8p.206参照)。そこで彼女はこう述べています。「私の日誌の中で、私は1年前に書かれた記録を見つけました」。また、彼女が証の内容を説明しているものは記録している形式で明白です。

[4] エレン・ホワイトは、初めの10年間、一つのグループとしての教会リーダー達に会っていました。SDA全体総会と私達のバトルクリークを基にした施設の両方の状況は、多くのケースで停滞に達していました。聖書の原則に戻ろうと、神学的に呼び掛けた証の数々は、多くのケースで受け取られました。しかし、実際的な改善はその場所にありませんでした。

 その翌朝に開かれた、SDA全体総会の会議に来たほとんどの代表者達は、変化が存在するに違いないと感じました。エレン・ホワイトは、その最初の会議で、SDA全体総会を組織し開催するために呼んだ人達と、施設のリーダー達を譴責したでしょう。エレン・ホワイトの言葉のうえではなく、聖書の原則に基づいてなされる必要があるという変化は彼女の重荷でした。この手紙の中で彼女はこう宣言しています。「神は私に“あなたの証はこの会議のために伝えられる必要があります。しかし、あなたは人々にそれを信じるようにさせてはいけません”と語りました。私の働きは主の民に特別な真理を残すために存在しています。天からの特別な光を悟る人々はその真理を受け入れるでしょう」。      『原稿』43,1901(74)

 勧めは主のメッセンジャーとしての彼女を通してくるでしょう。この勧めは心に留められるでしょう。しかし、高潔な働きは為される必要があります。働きは神の言葉の中に置かれた原則に基づいています。――題目編纂者

[5] 同時に起きたその幻の多くの身体的な事象について、エレン・ホワイトのその事実の一部始終は、めったに語っていません。彼女自身は、それらの出現に関する事実について、1906年に彼女の召命と働きの根拠を論じた時に、目撃者の証言に依存する必要がありました。この章を閉じている記事を参照してください。

[6]  J.N.ラフボロー長老は、「身体的な現象の付随した最後の幻は1884年のオレゴン州ポートランドでの野外キャンプ場でありました」とレポートしました。彼は、バトルクリーク教会で持たれた、1893120日のSDA全体総会での「特別な証に関する研究」において、出席して、話の中で言及しました。「SDA全体総会]1893. pp.19-20.――題目編纂者

[7] エレン・ホワイトにしばしば来た光の方法のコメントについて、彼女の息子のW.C.ホワイトは、彼女が全く是認した論述の中で、「彼女が書き出した事柄は、この働きに関連した過去・現在・未来の歴史の見解と、人々の救済のための神の働きの上のこれらの活動の影響力と、フラッシュライトの写真と、人々の活動と考える彼女に与えたその他の表象として存在しています」と言いました。

      W.C.ホワイト1911.10.30.GC勧め。補遺A参照。――題目編纂者

[8] 註:計画は、サナトリウムの大きな建物からおおよそ100m離れた位置に変更されました。

[9] SDA全体総会会議は、霊感において行動しました。「私達は、神によって主の奉仕者達に与えられた光は人々の知性の教化のそばに存在していて、このように、(まれなケースを除いて)ただ単なる言葉としてではなく、与えられている思想、そのアイデアは表現されるべきであると信じる」。『レビュー&ヘラルド』1883.11.27

[10] 3参照。本書p.24

[11] 差別語について。1909年当時のアメリカでは[colored people]という語は、black parsonの婉曲語でしたが、現在では、侮蔑的な差別語です。スペイン・ポルトガル語源のnegroも差別語です。niggerは強い侮蔑の意味を含んでいます。「political collect: PC」政治的に正しい言葉は、black personAfrican Americanです。E.ホワイトの時代では、まだ、差別語が発見されていなかったので、彼女は、その時代の人々が使用していた言葉を使っています。

[12] 汎神論への言及

[13] 自分達の誤った見解を補強するためにエレン・G・ホワイトの著作物を利用した汎神論の説を擁護する人々。

[14] 訳者加筆。SM第2巻の18章キャンライトの概略とE.ホワイトの手紙参照。

[15] SM2pp.125-140N.D.フォークヘッドへ与えたメッセージ参照。

[16] 1860年代、アイオア州マリオンで起こった短期間の運動団体。

訳者加筆。「安息日遵守再臨信徒達の間での第二の分離は、1860年代の半ば、アイオア州にいた二人の牧師、B.F.スヌークとW.H.ブリンカーホフが、教会の組織とミシガン州バトルクリークのセブンスデー アドベンチストのリーダーシップ(指導力)に反対した一つのグループを導いた時である。このグループは、安息日遵守再臨信徒達に不満のある人々やつながりのない、ほかの人々を引き入れた。アイオア州マリオンに彼らがいたことから、マリオン派として知られてきた(2Bio 141- 151)。このグループは、多くのセブンスデー アドベンチストに賛同を得ることに失敗したが、この一派は、発展し、ミズーリ州スタンベリーで、後の「the Church of God(再臨主義)を結成した。今日、このグループは、名称を「チャーチ オブ ゴッド」(セブンスデー)(コロラド州デンバー)とした。合衆国に1万人のメンバーがいる」。Ellen G.White Encyclopedia 2013 p.583

[17] ファニー・ボルトン:新聞記者、セブンスデー アドベンチストになった後、エレン・ホワイトの執筆の働きに導かれた。その後まもなく、彼女とオーストラリアに同行しました。

[18] この原稿は1904924日に書かれたものです。マリアン・デイビスは19041025日に世を去り、カリフォルニア州セントヘレナに葬られました。――題目編纂者

[19] 16ページの「SDA教会への証」という題で出版された18551120日の幻と1856527日の幻の幻は、バトルクリーク教会の目撃者によって教えられました。それぞれのパンフレットにこう書いてあります。「私達、末尾に署名した目撃者達は、特別な幻が与えられた時、それは、含まれている重要な真理と警告の集まりをこの教会の益のために出版されることが高度に必要だと思います。署名者 ジョセフ・ベーツ、J.H.ワゴナー、G.W.アマンドン、M.E.コーネル、J.ハート、ユライヤ・スミス」「SDA教会への証」[11855] p.8

 「方々へ散らされた聖徒達へ。前述の証は、祈りの家に集まったおおよそ100人の兄弟姉妹が居合わせた中で与えられました。その人たちの知性に、それは強い印象を与えたようです。それは、以前に、バトルクリーク教会で読まれて以来のことでした。方々に散らされた聖徒達の益のために、その人々は、その出版の期待に全員一致の賛成をしました。署名シレニウス・スミス、J.P.ケロッグ 「SDA教会への証」[21856編集]

[20] 一般の人の要請で、その最初の10冊は、その本の形態で11巻と12巻を再版して一緒に、1874年に再版されました。――題目編纂者

[21] 出典は、1116SDA全体総会会議決議への応答で、ある働きのために存在しています。それはこう続いています。

32.しかるに、「この教会への証」を成しているある巻は印刷されていない。なので、全巻はそのオフィスで手にされることができない。そして、」

「しかるに、それらの巻の再版を求める催促と一定数の声がある。それゆえに、」

「決議した。我々は、それぞれが700-800頁の4巻で成した形態で再版することを推奨した」。

33.しかるに、それらの証の多くは最も好ましくない状況下で書かれた。その著者は書き物の文法的な完成への域に達した思想からの批判的なもとで献身し働き、不安と重圧下にいた。それらは、不完全を許され訂正を逃れ拙速に印刷された。そして、」

「しかるに、我々は、主の奉仕者へ神によって光が与えられたと信じるのは、その精神の特別な啓発、このような思想の伝達と、(稀なケースを除く)実際の言葉ではないそのアイデアが表現されたものである。それゆえ、」

「決議した。それらの巻を再版することを。それなりに、可能な限り、言葉の変更がなされ、呼称上の不完全を取り去り、その思想を変更する何かの評価なしに。そして、さらに」

34.決議した。このキリストの体[教会]は、その序文と決意を置き、再版の責任を受け持つ5人の委員を任命する。  『レビュー&ヘラルド』1883.11.27

34の決議を提供されたその証の再版の責任を取る5人の委員会は、次の人々が公表された。議長は、この目的のために自分以外に4人の人を選ぶ権限を与えられた。W.C.ホワイト、ユライヤ・スミス、J.H.ワゴナー、S.N.ハスケル、ジョージ.I.バトラー」前掲書

 エレン・ホワイトに委託された働きは、彼女に支持されました。スミス長老へのその手紙は、彼女がバトルクリークの誰か以上に、改善点を受け入れるための備えをさせられていたことを示唆しています。その全巻は、私達が現在手にしている1885年に発行された『SDA教会への証』1-4巻でした。――題目編纂者

[22] 長老とミセスホワイトは、ミシガン州バトルクリークに居住していました。そこで、オハイオ州ロベッツグローブの信徒達と共に集会を開いていました。ここで説教したこの幻は、1858314日日曜午後に、夫によって司式された告別式に参加している間に、エレン・ホワイトに与えられました。――題目編纂者

[23] 注:その本の出版について。『霊の賜物』と『キリストおよび彼の天使達とサタンおよび彼の天使達との間の大争闘』の章のリストは、1858.9.9の『レビュー&ヘラルド』にジェームズ・ホワイトによって、最終2ページにこう紹介された。

             『霊の賜物』

 「これは、ミセスホワイトによって書かれた224㌻の作品です。不朽の『霊の賜物』は、R.F.コットレル兄弟によって紹介されています。『霊の賜物』、あるいは『善と悪の大争闘』は、注文した全ての人に送られました」。 その本は、2カ所以上の印刷所から丁寧に包装され送り出されました。――題目編纂者

訳者加筆R.F.コットレル(1814-1892)はセブンス デー バプテストだった。『レビュー&ヘラルド』を読んで、1851年に安息日遵守の再臨信徒になった。彼は1851年にジェームズ・ホワイトによって、奉仕者として任用された。翌年、編集委員会の一員として、同誌の編集者の一人になった。  E.G.ホワイト百科事典』p.351

[24]当時の本の出版は、やや計画性がなくバラバラになされました。執筆が進んでいる間に、活字が人の手で組まれ、印刷作業は最終原稿が完成される前に開始されました。このように、執筆と校正刷りの読みは同時に進んだようです。―題目編纂者

[25] 『霊の賜物』第4巻は1864年に出版されました。この最初の版の増補版は『預言者の霊』第1(1870)と『父祖達と預言者達』(1890)に現れました。――題目編纂者

[26]誕生から勝利のエルサレム入場までの「キリストの生涯」を書いた『預言の霊』第2巻として出版されました。

[27] エレン・ホワイトの姪。彼女の一番上の姉キャロラインの娘。とてもまじめなクリスチャン女性の一人。しかし、セブンスデー アドベンチストではない。メアリーは、長老とミセスホワイトが数回の伝道旅行をしている時に、特に、ミセスホワイトの説教と節制(禁酒・禁煙)の講演の地方新聞の記事を書く宣伝広報の担当者として、少しの間、ミセスホワイトの文筆アシスタントとして奉仕した。――題目編纂者

訳者加筆。Cloughはクラフと読みますが、clowと呼ばれたと『E.G.ホワイト百科事典』p.344にあります。

[28]SDA全体総会の特別な管理機関のために、彼らはミシガン州バトルクリークに家を建てていました。そして、322日、[パシフィックプレス出版所で働いていた]ジェームズ・ホワイトは[カリフォルニア州]オークランドを発ちました。彼と妻は、527日のカンザスキャンプミーティングで再開するまで、16年間、別居していました。この期間の間中、[ミシガン州にいた]彼女は[カリフォルニア州の]夫にほとんど毎日、ほかの人達の状況について、手紙を書きました。――題目編纂者

[29] 訳者加筆。アメリカでは1874年にタイプライターが発売されました。メアリーはそれを使いませんでした。E.ホワイトがアシスタント達のためにタイプライターを買ったのは1885年です。E.ホワイトはそれを使わず全てを手書きしました。 『E.G.ホワイト百科事典』p.941

[30] セブンスデー アドベンチストになった時のJ.H.ワゴナー長老は、この教会の雑誌の編集者、出版者でした。――題目編纂者

[31]当時、この仕事は、全て、紙に手で書かれました。タイプライターは1883年までE.ホワイトの働きに使われませんでした。2年後に彼女の夫が死にました。――題目編纂者

[32] エレン・ホワイトの知性にある長い時代に続いた争闘を含む内容は、大争闘ストーリーの一部でした。この章は1884年に出版された『預言の霊』第4巻と1888年に現れた『善と悪の大争闘』に見られるように、聖書時代以後の説明の一部に焦点を当てています。『救い主 各時代の希望』のために「キリストの生涯」を増補して書いた物が次の章にあります。――題目編纂者

[33] この本は18849月「パシフィックプレス」によって出版されました。そして、好評を得ました。広告「とてもページが多い『善と悪の大争闘』第4巻は発売開始です。私達は、この本を心待ちにしていた人々の期待に添うと確信しています。私達は、この本を読んで、私達の想像が到達できた以上の強い影響力のある内容を見つけたと評価しています」。『サインズ オブ ザ タイムズ』1884.10.2――題目編纂者

[34] エレン・ホワイトによる『善と悪の大争闘』の1888年版は、大争闘ストーリーを表すことにおいて、まだ、第4巻でした。それは、しばしば、彼女によって、そのように述べられていました。

[35] 訳者加筆。「現在の真理」について。初期のアドベンチスト達は、184410月の大失望後に、聖書を研究して、数々の真理を発見してきました。代表的なものとして、キリスト再臨、安息日の回復、聖所の清め、三天使のメッセージ宣布、信仰による義、調査審判、印する働き、千年期、聖化などを挙げることができます。

[36] 彼女の予想と比較してください。「パシフィックプレス」に送るために準備していたその原稿は、1898年の初めまで存在していませんでした。完成に向けて、その原稿にたくさん加えられるように、新しい啓示が導いたので、それは、分割された郵便物として送られました。――題目編纂者

[37] ジェームズ・エドソン・ホワイト(次男)は、1900511日、『救い主 各時代の希望』のサイズ、体裁、価格、そして、説明文について、批判が現れていることを母に手紙に書いて送りました。また、彼は、その最初の版の補遺に異議を唱えました。「この補遺/付録によってなされているその方法、ほかの人々の考えに投げ込む、そういう利用は何ということですか」と問うています。彼は、そのような資料は、その本を売る、福音文書伝道者達を困難にしていますと主張しました。

[38] 『救い主 各時代の希望』の準備の時に、その仕事は、数々の出来事の配列の決定に影響が及んで利用されました。この点において、「パシフィックプレス」のマネージャーに針金で結ぶように連絡したマリアン・デイビスは、19861123日、こう述べました。「その章の順序において、私達は、アンドルーズ・ハーモニーの「キリストの生涯」の中にあるものに従いました。彼は、最も卓越した権威者として一般に認められ、続く著者達によって引用されています。私達は彼の[著書]以上に良い配列はないことを知っています」。サミュエル・J・アンドレス著『地上における私達の主の生涯』の初版は1862年に出版されました。1891年版がエレン・ホワイト私設図書館にありました。――題目編纂者

[39] エレン・G・ホワイトが賛同した補遺Aを参照してください。W.C.ホワイトは、1911年改訂版『善と悪の大争闘』に含まれている解説のなかで言及しています。補遺Bと補遺Cは、どのように彼女に光が届いたのか、善と悪の大争闘ストーリーの執筆に関することなどの質問への彼の回答を提示しています。

[40] Introductory Note」より。ミシガン州バトルクリークで1883年に開かれたSDA全体総会の会議で、エレン・ホワイトは、牧師たちの13連続朝集会に出席し、そして、安息日の終了の集会で話しました。翌年、『レビュー&ヘラルド』は全体を連載しました。その講演の4つによって、彼女は、信仰による義の原理を表明しました。また、その会議に続いたものにも出席しました。一つの未来への基礎的な講演、それらの会議の合言葉となった「キリスト、私達の義」は、『Gospel Workers1893年のp.411に初版が出され、『セレクテッドメッセージ』第1p.350-354、『Fath and Worksp.35-39に再掲されました。――題目編纂者

[41] 188537日、カリフォルニア州サンタローザの教会員にエレン・ホワイトはその前年に船上で起きたある体験を詳しく語りました。その時彼女は[太平洋側北西部]オレゴン州ポートランドからカリフォルニア州サンフランシスコに船旅をしました。――題目編纂者

[42] SDA教会の代表の彼は、病のためにバトルクリーク[サナトリウム]に入院していました。

[43] SDA全体総会の代表、G.I.バトラーが欠席していたので、ハスケル長老がその全体総会会議の議長を務めました。その会議が終了した後で、短期間、W.C.ホワイトが全体総会の代表の活動に奉仕するよう求められて、6カ月近く務めました。

[44] エレン・ホワイトは、ミネアポリスで20回講演しました。しかし、そこでは、信仰による義についての意見発表には入りませんでした。その代わり、彼女は、男性達と女性達の心に聖書を基にした真理に開くように働きました。

[45] エレン・ホワイトはこの第3巻(pp.252-302)に「キリストを通した勝利へ」と60頁に著して報告されたことを語っています。――題目編纂者

[46] これは、ミネアポリス カンファレンスに続く伝道地で、信仰による義のメッセージの発表に関わったエレン・ホワイトの最初の集会の間にありました。1889年の終わりまで、彼女はしばしばこの多くの教会にこのメッセージを伝えて率いました。彼女の説教のいくつかは、511日のオタワ・カンザスカンファレンスが開かれた時に報告されました。この典型的な説教は、「Faith and Workpp.63-79によって出版されました。

[47] 1889913日のコロラドキャンプミーティングでの、信仰による義の表明における牧師達への勧めです。

[48] 訳者加筆。「the ministers of Christ」は、『各時代の希望』では「キリストの公生涯」と訳されていますが、不正確です。キリストは天の聖所でもministersを行なっているので、「奉仕の働き」と訳しました。

[49] 訳者加筆。エルムスヘイブンについて。彼女は1891-1900(73)の間オーストラリアで伝道しました。帰国後にカリフォルニアに住みました。「その家は、柑橘系とブドウの農場に納屋と馬小屋があって、家具付きの家までそろっていて、居住の用意があってまったくよかった。彼女は、セント ヘレナの地所を購入するための分をオーストラリアで十分に受けていた。このように、彼女は合衆国についてから1週間以内に、彼女が引っ越すための用意の整った家を見つけた。……19001016日、彼女は、その家を所有した。約3か月後、彼女は、大きなエルム(ニレの木)がその家の前に立っていたので、その家をエルムス ヘイブンと名づけた(Lt 127 1900; 5Bio 34-36)251。そこに落ち着いて間もなく、彼女は『教会への証』第6巻と同時に『安息日学校の働きの証』を出版した。その『証』のシリーズはやがて1909年の第9巻によって完成された」(Ellen G White Encyclopedia pp.70-71)

[50] 訳者加筆。「ランドマーク」はSDAの聖書的信条を表す用語として、1840年代から使われています。「184612月ニューヨーク州のポートギブソンでの集会で、ベーツは、ハイラム・エドソン、オーエン・R.L・クロージャー、フランクリン・B・ハーンと第7日安息日の見識を分かち合った。既にベーツは、天の聖所でのキリストの二相(tow phase)の奉仕の働きの新しい真理の光を確信するようになっていた。18471月、ベーツは彼が書いた『第7日安息日』―永遠のしるし―の第2版を発行した。これは、安息日の重要性を強調しただけではなく、再臨・天の聖所・黙示録14章の3天使のメッセージの解釈について聖書を基にして統一した66)。この時から、ホワイト夫妻、ジョセフ・ベーツ、ハイラム・エドソン、そのほかの人々は、4つの聖書的信条を確立した。これは安息日遵守者達の再臨主義の「ランドマーク」(旅人の道標)または「ピラー」(天井を支える岩の柱)として知られるようになった。これらは次の4つにまとめられる。(1)千年期前再臨、(2)天の聖所でのキリストの二相の奉仕の働き、(3)7日安息日、(4)悪人の滅び、これらは三天使のメッセージで、黙示録14章の文脈の中にある (CW 30,31) 67)(Ellen G White Encyclopedia pp.33-34)

[51] そのサナトリウム(ディーアパーク)が運営する一つの教会学校のためのアピールの一部。カリフォルニア、教会、1902.1.14月曜の朝。

[52] 訳者加筆。「reformatory」について、古英語では「感化院」「少年院」として使用されました。現在、これらは差別語ないし不快語なので使用されていません。

[53] 教会学校の教師として奉仕した、エレン・G・ホワイトの文筆

アシスタントの一人。

訳者加筆。サラ・ペック(1868-1968)はウィスコンシン州の出身。

バトル クリークカレッジで教育を受けた後、この教派の最初の女

性伝道者の一人として南アフリカで奉仕した。1898年、オースト           

ラリアでのE.ホワイトのスタッフとして、…繫が…った。彼女は、

エレン・ホワイトの出版された著作物のためのファイリングシステムを新しくデザインするために存在していた。そして、彼女の帳簿係としてアシストした。彼女は、やがて『教会への証』第6(1900)と『教育』(1903)に現れた教育に関するホワイトの著作物の資料の収集や編集もアシストした。1900年にサラ・ペックは、エレン・ホワイトと共に合衆国へと戻った。そこで、ペックと彼女の母親は、エルムスヘイブンの小農場のコテージ(小さな家)に住んだ(Lt 70, 1903)

                     Ellen G.white Encyclopedia p.489

[54] 年齢:ヘンリーとハーバートは7歳の双子。グレイスは3歳。当時、みな、この学校に通っていた。

[55] 訳者加筆。英文はTheir mind are built up …と受動態ですが、「育てられる」のか「育つ」のかを考えると、「自ら思考し判断し行動して責任を取る自律的な人間を人格の完成」とすると、「育てられた人間」は他律的で不完全な人格と言われるでしょう。また、built upは築き上げる、建てるという意味ですが、これは、人の物扱いですので、ここでは「育つ」と訳しました。

[56] ミシガン州立大学はアン アーバーに設置されました。バトルクリークからは65マイル(100キロ)東にあります。1891年にアドベンチスト青年は医学教育を求めてそこで学びました。――題目編纂者

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